| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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1 (58) |
ひふみ神示 | 2_下つ巻 | 第16帖 | 知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。 |
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2 (105) |
ひふみ神示 | 3_富士の巻 | 第25帖 | 世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。いよいよとなりたら、どこの国の臣民といふことないぞ、大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけてゐるのざぞ、大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様ざから、何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。外国から早く分りて、外国にこの方祀ると申す臣民沢山出来る様になりて来るぞ。それでは神の国の臣民申し訳ないであろがな、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないぞ、この方世界の神ぞと申してあろがな。裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。凡てをてんし様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。八月の三十日、 |
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3 (135) |
ひふみ神示 | 4_天つ巻 | 第28帖 | おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。臣民は近慾で疑ひ深いから、何も分らんから疑ふ者もあるなれど、この神示一分一厘ちがはんのざぞ。世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。土から草木生れるぞ、草木から動物、虫けら生れるぞ。上下ひっくり返るのざぞ。九月の十三日、ひつ九のか三。 |
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4 (167) |
ひふみ神示 | 5_地つ巻 | 第30帖 | 一度に立替へすると世界が大変が起るから、延ばし延ばしてゐるのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言ふこと出来ず、同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、けものよりもむごいことになるのが、よく分りてゐるから、神が表に出て世界中救ふのであるぞ、この神示腹に入れると神力出るのざぞ、疑ふ臣民沢山あるが気の毒ざぞ。一通りはいやがる臣民にもこの神示一二三として読むやうに上の人してやりて下されよ。生命あるうちに神の国のこと知らずに死んでから神の国に行くことは出来んぞ、神の力でないと、もう世の中は何うにも動かんやうになってゐること、上の番頭どの分かりて居らうがな、何うにもならんと知りつつまだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは申されんぞ、智や学越えて神の力にまつはれよ、お土拝みて米作る百姓さんが神のまことの民ぞ、神おろがみて神示取れよ、神のない世とだんだんなりておろがな。真通ることは生かす事ぞ。生かす事は能かす事ぞ。神の国には何でもないものないのざぞ、神の御用なら何でも出て来る結構な国ぞ、何もなくなるのはやり方わるいのぞ、神の心に添はんのぞ。十月七日、一二 |
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5 (253) |
ひふみ神示 | 8_磐戸の巻 | 第17帖 | この神はよき臣民にはよく見え、悪き臣民には悪く見へるのざぞ、鬼門の金神とも見へるのざぞ、世はクルクルと廻るのざぞ、仕合せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれのミタマの曇りとりてゐるのざから、勇んで苦しいこともして下されよ、上が裸で下が袴はくこと出て来るぞ。神が化かして使うてゐるのざから、出来あがる迄は誰にも判らんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がびっくりするのざぞ、びっくり箱にも悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、神の道は無理ない道ざと知らしてあろが。ミタマの因縁おそろしいぞ。上下わき上がるが近うなりたぞ。一月十四日、 |
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6 (358) |
ひふみ神示 | 14_風の巻 | 第7帖 | 神にすがり居りたればこそぢゃと云ふとき、眼の前に来てゐるぞ。まだ疑うてゐる臣民人民気の毒ぢゃ、我恨むより方法ないぞ。神の致すこと、人民の致すこと、神人共に致すこと、それぞれに間違ひない様に心配りなされよ。慢心鼻ポキンぞ、神示よく読んで居らんと、みるみる変って、人民心ではどうにもならん、見当取れん事になるのざぞ、神示はじめからよく読み直して下されよ、読みかた足らんぞ、天の神も地の神もなきものにいたして、好き勝手な世に致して、偽者の天の神、地の神つくりてわれがよけらよいと申して、我よしの世にしてしまふてゐた事少しは判って来たであらうがな。愈々のまことの先祖の、世の元からの生神、生き通しの神々様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、スクリと現れなさりて、生き通しの荒神様引連れて御活動に移ったのであるから、もうちともまたれん事になったぞ、神示に出したら直ぐに出て来るぞ、終りの始の神示ざぞ、夢々おろそかするでないぞ、キの神示ぢゃ、くどい様なれどあまり見せるでないぞ。二月十六日、ひつぐの |
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7 (370) |
ひふみ神示 | 15_岩の巻 | 第5帖 | 人民眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ。苦労、苦労と申しても、悪い苦労気の毒ざぞ、よき苦労花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。神の道無理ないと、くどう申してあらうがな。此の道理よく噛み分けて下されよ。神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ。神の国であるのに人民近慾なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。眼の玉飛び出すぞ。近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな。五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。二月十六日、ひつ九かミ。 |
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8 (375) |
ひふみ神示 | 15_岩の巻 | 第10帖 | わからんミタマも今迄は機嫌取って引張りて来たなれど、もう機嫌取りは御免ぢゃ。こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れるから、ひときりにいたすぞ。神代となれば天は近くなるぞ、神人共にと申してあらうがな。一人となりても、神の申す事ならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ。信者引張ってくれるなよ。道は伝へて下されと申してあらうがな。竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。びっくり箱の一つであるぞ。キTがよくなる、キたが光るぞ、きTが一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ。これ程に申してもまだ疑ふ人民沢山あるなれど、神も人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、疑ふなら今一度我でやって見よれ、それもよいぞ、あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、型して下されよ。改心の見込ついたら、世の元からの生神が、おのおのにタマ入れてやるから、力添へ致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。悪はのびるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。二月十六日、一二の |
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9 (377) |
ひふみ神示 | 16_荒れの巻 | 第1帖 | 言答開き成り成るぞ。誠言答は永遠ぞ。瞳ぞ。御位継ぐ理の始ぞ。字絶対の世始出づぞ。二一開き、結ぶ玉に
祝うぞ。
読む
開き、
字
出づ
理に
成り、
結ぶ
玉に
弥栄
開く
大和
心の
道ぞ。道開く理の極みぞ。本能秀-生命-月日の極み成る読む言の極み。弥栄に真問ひ極む世。那美-名美-那岐-名基-の理の玉継ぐ意味開くなり。字の絶対継ぐ意味弥勒弥勒となるぞ。根っこ理ぞ。誠ざぞ。弥栄弥栄。玉秘出づ理ぞ。玉基理ぞ。通基秘理、極み成る識道、本能秀-生命-ざぞ。不見の実主ざぞ。 |
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10 (378) |
ひふみ神示 | 17_地震の巻 | 第1帖 | われわれの一切は生れつつある。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。一定不変の神もなければ、宇宙もない。常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生れに生れつつある。生もなければ死もない。善も思わず真も考えず美も思わない。只自分自身のみの行為はない。只生れゆき栄えゆくのみである。善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあり得ない。何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからである。思うことは行為することである。生前、生後、死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何ものもないのである。存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである。何ものも、それ自らは存在しない。弥栄しない。必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。しかし、その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。善でもなく、悪でもなく、只生れつつあるのみ。霊人に空間はない。それは、その内にある情動によって定まるが故である。また、その理によって一定せる方位もない。また時間もなく只情動の変化があるのみである。地上人は、肉体を衣とするが故に、宇宙の総てを創られたものの如く考えるが、創造されたものではない。創造されたものならば、永遠性はあり得ない。宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつある。その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのである。存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。それは |
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11 (437) |
ひふみ神示 | 20_梅の巻 | 第10帖 | 悪い事は陰口せずに親切に気付け合って仲良う結構ぞ、陰口世をけがし、己けがすのざぞ、聞かん人民は時待ちて気付けくれよ、縁ある人民皆親兄弟ざぞ、慢心取違ひ疑ひと、我が此の道の大き邪魔となるぞ、くどい様なれど繰り返し繰り返し気付けおくぞ。時来たら説き出すものぢゃ、親の心察して子から進んでするものぢゃ、その心よきに幸はふぞ、もの聞くもよいが、聞かんでは、判らん様では幽国身魂ぞ、神の臣民親の心うつして云はれん先にするものぢゃぞ。世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世建直して、地の岩戸人間が開いて見せると云ふ程の気魄なくてならんのざぞ、その 気魄 幸はふのざぞ、岩戸開けるぞ。十一月十六日、ひつ九のか三。 |
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12 (481) |
ひふみ神示 | 22_青葉の巻 | 第12帖 | 御神示通りにすれば、神の云ふ事聞けば、神が守るから人民の目からは危ない様に見へるなれど、やがては結構になるのざぞ、疑ふから途中からガラリと変るのざぞ。折角縁ありて来た人民ぢゃ、神はおかげやりたくてうづうづざぞ、手を出せばすぐとれるのに何故手を出さんのぢゃ、大き器持ちて来んのぢゃ。神示聞きて居ると身魂太るぞ、身魂磨けるぞ。下に居て働けよ、下で土台となれよ。此処は始めて来た人には見当とれん様になってゐるのぢゃ、人の悪口此の方聞きとうないぞ、まして神の悪口。八月四日、ひつ九の |
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13 (489) |
ひふみ神示 | 22_青葉の巻 | 第20帖 | 己の心見よ、いくさまだまだであろが、違ふ心があるから違ふものが生れて違ふことになる道理分らんのかなあ。世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組近付いたぞ。人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて、誠知らしたこと毒とならん様気つけておくぞ。薬のんで毒死せん様に気付けよ。今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな、つくった神や神の許しなきものは皆メチャメチャぢゃ、三千世界に手握る時と知らずに、 |
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14 (504) |
ひふみ神示 | 23_海の巻 | 第12帖 | 神は人民には見へん、たよりないものであるが、たよりないのが、たよりになるのであるぞ。外国行きとは幽界行きの事ぞ。時節来て居れど人民心でせくでないぞ、せくとしくじるぞ。あちらに一人、こちらに一人、と云ふ風に残る位むごい事にせなならん様になってゐるのざから、一人でも多く助けたい親心汲みとりて、早う云ふこと聞くものぢゃ。ここ迄神示通りに出てゐても、まだ判らんのか、疑ふのにも余りであるぞ。地に高天原が出来るのざぞ、天の神地に降りなされ、地の神と御一体と成りなされ大日月の神と現はれなさる日となった、結構であるぞ、肉体の事は何とか分るであろが、タマは判るまい、永遠にタマは生き通しであるから、タマの因縁の判る所は九九の二でより他にはいくらさがしてもないのざぞ。八月二十三日、一二 |
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15 (698) |
ひふみ神示 | 27_春の巻 | 第41帖 | 天には天の道、地には地の道、人民には人民の道あると申してあろう。同じ道であるが違ふのぞ。地にうつし、人民にうつす時は、地の約束、人民の約束に従ふのぞ。約束は神でも破れんのであるぞ。次元違ふのであるから違ってくるぞ。違ふのが真実であるぞ。それを同じに説いたのが悪の教。同じと思ふのが悪の考へ方であるぞ。上から来るものは光となって流れてくるのざ。光に本来影はないのであるが、動くから影がうまれる。それを影でない影と申すぞ。悪でない悪あると申してあろうがな。天には天の自由、地には地の自由、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、それぞれの自由あるぞ。その性の高さ、清さ、大きさなどによって、それぞれの制限された自由あるぞ。自由あればこそ動くぞ。自由とは弥栄のこと。光は神から人民に与へられてゐる。光に向かふから照らされる。光は |
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16 (997) |
霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 発端 | 発端 自分が明治三十一年旧二月九日、神使に伴なはれ丹波穴太の霊山高熊山に、一週間の霊的修業を了へてより天眼通、天耳通、自他神通、天言通、宿命通の大要を心得し、神明の教義をして今日あるに至らしめたるについては、千変万化の波瀾があり、縦横無限の曲折がある。旧役員の反抗、信者の離反、その筋の誤解、宗教家の迫害、親族、知友の総攻撃、新聞雑誌、単行本の熱罵嘲笑、実に筆紙口舌のよくするところのものでない。自分はただただ開教後廿四年間の経緯を、きわめて簡単に記憶より呼び起して、その一端を示すことにする。 竜宮館には変性男子の神系と、変性女子の神系との二大系統が、歴然として区別されてゐる。変性男子は神政出現の予言、警告を発し、千辛万苦、神示を伝達し、水をもつて身魂の洗礼を施し、救世主の再生、再臨を待つてをられた。ヨハネの初めてキリストに対面するまでには、ほとんど七年の間、野に叫びつつあつたのである。変性男子の肉宮は女体男霊にして、五十七才はじめてここに厳の御魂の神業に参加したまひ、明治二十五年の正月元旦より、同四十五年の正月元旦まで、前後満二十年間の水洗礼をもつて、現世の汚濁せる霊体両系一切に洗礼を施し、世界改造の神策を顕示したまうた。かの欧洲大戦乱のごときは、厳の御魂の神業発動の一端にして、三千世界の一大警告であつたと思ふ。 変性女子の肉宮は瑞の御魂の神業に参加奉仕し、火をもつて世界万民に洗礼を施すの神務である。明治三十一年の旧二月九日をもつて神業に参加し、大正七年二月九日をもつて前後満二十年間の霊的神業をほとんど完成した。物質万能主義、無神無霊魂説に、心酔累惑せる体主霊従の現代も、やや覚醒の域に達し、神霊の実在を認識するもの、日に月に多きを加へきたれるは、すなはち神霊の偉大なる神機発動の結果にして、決して人智人力の致すところではないと思ふ。 変性男子の肉宮は神政開祖の神業に入り、爾来二十有七年間神筆を揮ひ、もつて霊体両界の大改造を促進し、今や霊界に入りても、その神業を継続奉仕されつつあるのである。 つぎに変性女子は三十年間の神業に奉仕して、もつて五六七神政の成就を待ち、世界を善道にみちびき、もつて神明の徳沢に浴せしむるの神業である。神業奉仕以来、本年をもつて満二十三年、残る七ケ年こそ最も重大なる任務遂行の難関である。神諭に曰く、 『三十年で身魂の立替立直しをいたすぞよ』 と。変性男子の三十年の神業成就は、大正十一年の正月元旦である。変性女子の三十年の神業成就は、大正十七年二月九日である。神諭に、 『身魂の立替立直し』 とあるを、よく考へてみると、主として水洗礼の霊体両系の改造が三十年であつて、これはヨハネの奉仕すべき神業であり、体霊洗礼の霊魂的改造が前後三十年を要するといふ神示である。しかしながら三十年と神示されたのは、大要を示されたもので、決して確定的のものではない。伸縮遅速は、たうてい免れないと思ふ。要するに、神界の御方針は一定不変であつても、天地経綸の司宰たるべき奉仕者の身魂の研不研の結果によつて変更されるのは止むをえないのである。 神諭に、 『天地の元の先祖の神の心が真実に徹底了解たものが少しありたら、樹替樹直しは立派にできあがるなれど、神界の誠が解りた人民が無いから、神はいつまでも世に出ることができぬから、早く改心いたして下されよ。一人が判りたら皆の者が判つてくるなれど、肝心のものに判らぬといふのも、これには何か一つの原因が無けねばならぬぞよ。自然に気のつくまで待つてをれば、神業はだんだん遅れるばかりなり、心から発根の改心でなければ、教へてもらうてから合点する身魂では、到底この御用は務まらぬぞよ。云々』 実際の御経綸が分つてこなくては、空前絶後の大神業に完全に奉仕することはできるものではない。御神諭に身魂の樹替樹直しといふことがある。ミタマといへば、霊魂のみのことと思つてゐる人が沢山にあるらしい。身は身体、または物質界を指し、魂とは霊魂、心性、神界等を指したまうたのである。すべて宇宙は霊が本で、体が末となつてゐる。身の方面、物質的現界の改造を断行されるのは国祖大国常立神であり、精神界、神霊界の改造を断行したまふのは、豊国主神の神権である。ゆゑに宇宙一切は霊界が主であり、現界が従であるから、これを称して霊主体従といふのである。 霊主体従の身魂を霊の本の身魂といひ、体主霊従の身魂を自己愛智の身魂といふ。霊主体従の身魂は、一切天地の律法に適ひたる行動を好んで遂行せむとし、常に天下公共のために心身をささげ、犠牲的行動をもつて本懐となし、至真、至善、至美、至直の大精神を発揮する、救世の神業に奉仕する神や人の身魂である。体主霊従の身魂は私利私欲にふけり、天地の神明を畏れず、体欲を重んじ、衣食住にのみ心を煩はし、利によりて集まり、利によつて散じ、その行動は常に正鵠を欠き、利己主義を強調するのほか、一片の義務を弁へず、慈悲を知らず、心はあたかも豺狼のごとき不善の神や、人をいふのである。 天の大神は、最初に天足彦、胞場姫のふたりを造りて、人体の祖となしたまひ、霊主体従の神木に体主霊従の果実を実らせ、 『この果実を喰ふべからず』 と厳命し、その性質のいかんを試みたまうた。ふたりは体欲にかられて、つひにその厳命を犯し、神の怒りにふれた。 これより世界は体主霊従の妖気発生し、神人界に邪悪分子の萠芽を見るにいたつたのである。 かくいふ時は、人あるひは言はむ。 『神は全智全能にして智徳円満なり。なんぞ体主霊従の萌芽を刈りとり、さらに霊主体従の人体の祖を改造せざりしや。体主霊従の祖を何ゆゑに放任し、もつて邪悪の世界をつくり、みづからその処置に困むや。ここにいたりて吾人は神の存在と、神力とを疑はざるを得じ』 とは、実に巧妙にしてもつとも至極な議論である。 されど神明には、毫末の依怙なく、逆行的神業なし。一度手を降したる神業は昨日の今日たり難きがごとく、弓をはなれたる矢の中途に還りきたらざるごとく、ふたたび之を更改するは、天地自然の経緯に背反す。ゆゑに神代一代は、これを革正すること能はざるところに儼然たる神の権威をともなふのである。また一度出でたる神勅も、これを更改すべからず。神にしてしばしばその神勅を更改し給ふごときことありとせば、宇宙の秩序はここに全く紊乱し、つひには自由放漫の端を開くをもつてである。古の諺にも『武士の言葉に二言なし』といふ。いはんや、宇宙の大主宰たる、神明においてをやである。神諭にも、 『時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎豆にも花の咲く時節が参りて、世に落ちてをりた神も、世に出て働く時節が参りたぞよ。時節ほど恐いものの結構なものは無いぞよ、云々』 と示されたるがごとく、天地の神明も『時』の力のみは、いかんとも為したまふことはできないのである。 天地剖判の始めより、五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒出現の暁となり、弥勒の神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱をたて、苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示し、善を勧め、悪を懲し、至仁至愛の教を布き、至治泰平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したまふ時期に近づいてきたのである。 吾人はかかる千万億歳にわたりて、ためしもなき聖世の過渡時代に生れ出で、神業に奉仕することを得ば、何の幸か之に如かむやである。神示にいふ。 『神は万物普遍の聖霊にして、人は天地経綸の司宰なり』 と。アゝ吾人はこの時をおいて何れの代にか、天地の神業に奉仕することを得む。 アゝ言霊の幸はふ国、言霊の天照る国、言霊の生ける国、言霊の助ける国、神の造りし国、神徳の充てる国に生を稟けたる神国の人においてをや。神の恩の高く、深きに感謝し、もつて国祖の大御心に報い奉らねばならぬ次第である。 |
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17 (999) |
霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 02 業の意義 | 第二章業の意義〔二〕 霊界の業といへば世間一般に深山幽谷に入つて、出世間的難行苦行をなすこととのみ考へてをる人が多いやうである。跣足や裸になつて、山神の社に立籠り断食をなし、断湯を守り火食をやめて、神仏に祈願を凝らし、妙な動作や異行を敢てすることをもつて、徹底的修行が完了したやうに思ひ誇る人々が多い。 すべて業は行である以上は、顕幽一致、身魂一本の真理により、顕界において可急的大活動をなし、もつて天地の経綸に奉仕するのが第一の行である。たとへ一ケ月でも人界の事業を廃して山林に隠遁し怪行異業に熱中するは、すなはち一ケ月間の社会の損害であつて、いはゆる神界の怠業者もしくは罷業者である。すべて神界の業といふものは現界において生成化育、進取発展の事業につくすをもつて第一の要件とせなくてはならぬ。 大本の一部の人士のごとく、何事も『惟神かむながら』といつて難きを避け、易きに就かむとするは神界より御覧になれば、実に不都合不届至極の人間といはれてもしかたはない。少しも責任観念といふものがないのみか、尽すべき道をつくさず、かへつて神業の妨害ばかりしながら、いつも神界にたいし奉り、不足ばかりいつてゐる。これがいはゆる黄泉醜人である。神諭に、 『世界の落武者が出て来るから用心なされよ』 といふことが示されあるを考へてみるがよい。神界の業といふものは、そんな軽々しき容易なものではない。しかるに自分から山林に分入りて修行することを非難しておきながら、かんじんの御本尊は一週間も高熊山で業をしたのは、自家撞着もはなはだしいではないか……との反問も出るであらうが、しかし自分はそれまでに二十七年間の俗界での悲痛な修行を遂行した。その卒業式ともいふべきものであつて、生存中ただ一回のみ空前絶後の実修であつたのである。 世には……釈迦でさへ檀特山において数ケ年間の難行苦行をやつて、仏教を開いたではないか、それに僅か一週間ぐらゐの業で、三世を達観することを得るやうになつたとは、あまりの大言ではあるまいか……と、疑問を抱く人々もあるであらうが、釈迦は印度国浄飯王の太子と生れて、社会の荒き風波に遇うたことのない坊ンさんであつたから、数年間の種々の苦難を味はつたのである。自分はこれに反し幼少より極貧の家庭に生れて、社会のあらゆる辛酸を嘗めつくしてきたために、高熊山に登るまでに顕界の修行を了へ、また幾分かは幽界の消息にも通じてをつたからである。 |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 08 女神の出現 | 第八章女神の出現〔八〕 不思議に堪へずして、自分は金色燦爛たる珍玉の明光を拝して、何となく力強く感じられ、眺めてゐた。次第々々に玉は大きくなるとともに、水晶のごとくに澄みきり、たちまち美はしき女神の御姿と変化した。全身金色にして仏祖のいはゆる、紫摩黄金の肌で、その上に玲瓏透明にましまし、白の衣裳と、下は緋の袴を穿ちたまふ、愛情あふるるばかりの女神であつた。女神は、自分の手をとり笑を含んで、 『われは大便所の神なり。汝に之を捧げむ』 と言下に御懐中より、八寸ばかりの比礼を自分の左手に握らせたまひ、再会を約して、また元のごとく金色の玉となりて中空に舞ひ上り、電光石火のごとく、九重の雲深く天上に帰らせたまうた。 その当時は、いかなる神様なるや、また自分にたいして何ゆゑに、かくのごとき珍宝を、かかる寂寥の境域に降りて、授けたまひしやが疑問であつた。しかし参綾後はじめて氷解ができた。 教祖の御話に、 『金勝要神は、全身黄金色であつて、大便所に永年のあひだ落され、苦労艱難の修行を積んだ大地の金神様である。その修行が積んで、今度は世に出て、結構な御用を遊ばすやうになりたのであるから、人間は大便所の掃除から、歓んで致すやうな精神にならぬと、誠の神の御用はできぬ。それに今の人民さんは、高い処へ上つて、高い役をしたがるが、神の御用をいたすものは、汚穢所を、美しくするのを楽んで致すものでないと、三千世界の大洗濯、大掃除の御用は、到底勤め上りませぬ』 との御言葉を承はり、かつ神諭の何処にも記されたるを拝して、奇異の感に打たれ、神界の深遠微妙なる御経綸に驚いた。 女神に別れ、ただ一人、太陽も月も星も見えぬ山野を深く進みゆく。 山深く分け入る吾は日も月も 星さへも見ぬ狼の声 冷たい途の傍に沼とも、池とも知れぬ汚い水溜りがあつて、その水に美しい三十歳余りの青年が陥り、諸々の虫に集られ、顔はそのままであるが首から下は全部蚯蚓になつてしまひ、見るまに顔までがすつかり数万の蛆虫になつてしまつた。私は思はず、「天照大神、産土神、惟神霊幸倍坐世」と二回ばかり繰返した。不思議にも元の美しい青年になつて、その水溜りから這ひ上り、嬉しさうな顔して礼を述べた。その青年の語るところによると、 『竜女を犯した祖先の罪によつて、自分もまた悪い後継者となつて竜女を犯しました。その罪によつて、かういふ苦しみを受くることになつたのでありますが、今、あなたの神文を聞いて忽ちこの通りに助かりました』 といつて感謝する。 それから自分は、天照大神の御神号を一心不乱に唱へつつ前進した。月もなく、烏もなく、霜は天地に充ち、寒さ酷しく膚を断るごとく、手も足も棒のやうになり息も凍らむとする時、またもや「天照大御神、惟神霊幸倍坐世」と口唱し奉つた。不思議にも言霊の神力著しく、たちまち全身に暖を覚え、手も足も湯に入りしごとくなつた。 アゝ地獄で神とは、このことであると、感謝の涙は滝と流るるばかりであつた。四五十丁も辿り行くと、そこに一つの断崕に衝き当る。止むをえず、引き返さむとすれば鋭利なる槍の尖が、近く五六寸の処にきてゐる。この上は神に任し奉らむと決意して、氷に足をすべらせつつ右手を見れば、深き谷川があつて激潭飛沫、流声物すごき中に、名も知れぬ見た事もなき恐ろしき動物が、川へ落ちたる旅人を口にくはへて、谷川の流れに浮いたり、沈んだり、旅人は「助けて助けて」と、一点張に叫んでゐる。自分は、ふたたび神号を奉唱すると、旅人をくはへてゐた怪物の姿は沫と消えてしまつた。 助かつた旅人の名は舟木といふ。彼は喜んで自分の後に跟いてきた。一人の道連れを得て、幾分か心は丈夫になつてきた。危き断崕を辛うじて五六十丁ばかり進むと、途が無くなつた。薄暗い途を行く二人は、ここに停立して思案にくれてゐた。さうすると何処ともなく大声で、 『ソレ彼ら二人を、免がすな』 と呼ぶ。にはかに騒々しき物音しきりに聞え来たり、口の巨大なる怪物が幾百ともなく、二人の方へ向つて襲ひくる様子である。二人は進退これ谷まり、いかがはせむと狼狽の体であつた。何ほど神号を唱へても、少しも退却せずますます迫つてくる。今まで怪物と思つたのが、不思議にもその面部だけは人間になつてしまつた。その中で巨魁らしき魔物は、たちまち長剣を揮つて両人に迫りきたり、今や斬り殺されむとする刹那に、白衣金膚の女神が、ふたたびその場に光りとともに現はれた。そして、「比礼を振らせたまへ」と言つて姿は忽ち消えてしまつた。懐中より神器の比礼を出すや否や、上下左右に祓つた。怪物はおひおひと遠く退却する。ヤレ嬉しやと思ふまもなく、忽然として大蛇が現はれ、巨口を開いて両人を呑んでしまつた。両人は大蛇の腹の中を探り探り進んで行く。今まで寒さに困つてゐた肉体は、どこともなく、暖い湯に浴したやうな心持であつた。轟然たる音響とともに幾百千丈ともわからぬ、奈落の底へ落ちゆくのであつた。 ふと気がつけば幾千丈とも知れぬ、高い滝の下に両人は身を横たへてゐた。自分の周囲は氷の柱が、幾万本とも知れぬほど立つてをる。両人は、この高い瀑布から、地底へ急転直落したことを覚つた。一寸でも、一分でも身動きすれば、冷きつた氷の剣で身を破る。起きるにも起きられず、同伴の舟木を見ると、魚を串に刺したやうに、長い鋭い氷剣に胴のあたりを貫かれ、非常に苦しんでゐる。自分は満身の力をこめて、「アマテラスオホミカミサマ」と、一言づつ切れ切れに、やうやくにして唱へ奉つた。神徳たちまち現はれ、自分も舟木も身体自由になつてきた。今までの瀑布は、どこともなく、消え失せて、ただ茫々たる雪の原野と化してゐた。 雪の中に、幾百人とも分らぬほど人間の手や足や頭の一部が出てゐる。自分の頭の上から、にはかに山岳も崩るるばかりの響がして、雪塊が落下し来り、自分の全身を埋めてしまふ。にはかに比礼を振らうとしたが、容易に手がいふことをきかぬ。丁度鉄でこしらへた手のやうになつた。一生懸命に「惟神霊幸倍坐世」を漸く一言づつ唱へた。幸に自分の身体は自由が利くやうになつた。四辺を見れば、舟木の全身が、また雪に埋められ、頭髪だけが現はれてゐる。その上を比礼をもつて二三回左右左と振りまはすと、舟木は苦しさうな顔をして、雪中から全身をあらはした。天の一方より、またまた金色の光現はれて二人の身辺を照した。原野の雪は、見渡すかぎり、一度にパツト消えて、短い雑草の原と変つた。 あまたの人々は満面笑を含んで自分の前にひれ伏し、救主の出現と一斉に感謝の意を表し、今後は救主とともに、三千世界の神業に参加奉仕せむことを希望する人々も沢山あつた。その中には実業家もあれば、教育家もあり、医者や、学者も、沢山に混つてをつた。 以上は、水獄の中にて第一番の処であつた。第二段、第三段となると、こんな軽々しき苦痛ではなかつたのである。自分は、今この時のことを思ひだすと、慄然として肌に粟を生ずる次第である。 |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 15 神界旅行(二) | 第一五章神界旅行の二〔一五〕 神界の旅行と思つたのは自分の間違ひであつたことを覚り、今度は心を改め、好奇心を戒め一直線に神界の旅路についた。 細い道路をただ一人、足をはやめて側眼もふらず、神言を唱へながら進み行く。そこへ「幸」といふ二十才くらゐの男と「琴」といふ二十二才ばかりの女とが突然現はれて、自分の後になり前になつて踉いてくる。そのとき自分は非常に力を得たやうに思ふた。 その女の方は今幽体となり、男の方はある由緒ある神社に、神官として仕へてをる。その両人には小松林、正守といふ二柱の守護神が付随してゐた。そして小松林はある時期において、ある肉体とともに神界に働くことになられた。 細い道路はだんだん広くなつて、そしてまた行くに従つてすぼんで細い道路になつてきた。たとへば扇をひろげて天と天とを合せたやうなものである。扇の骨のやうな道路は、幾条となく展開してゐる。そのとき自分はどの道路を選んでよいか途方に暮れざるを得なかつた。その道路は扇の骨と骨との隙間のやうに、両側には非常に深い溝渠が掘られてあつた。 水は美しく、天は青く、非常に愉快であるが、さりとて少しも油断はできぬ。油断をすれば落ちこむ恐れがある。自分は高天原に行く道路は、平々坦々たるものと思ふてゐたのに、かかる迷路と危険の多いのには驚かざるを得ない。その中でまづ正中と思ふ小径を選んで進むことにした。 見渡すかぎり山もなく、何もない美しい平原である。その道路を行くと幾つともなく種々の橋が架けられてあつた。中には荒廃した危ないものもある。さういふのに出会した時は、「天照大神」の御神名を唱へて、一足飛びに飛び越したこともあつた。 そこへ突然として現はれたのが白衣の男女である。見るまに白狐の姿に変つてしまつた。「琴」と「幸」との二人は同じくついてきた。急いで行くと、突然また橋のあるところにきた。橋の袂から真黒な四足動物が四五頭現はれて、いきなり自分を橋の下の深い川に放り込んでしまつた。二人の連も、共に川に放りこまれた。 自分は道路の左側の溝を泳ぐなり、二人は道の右側の溝を泳いで、元の道路まできた。前の動物は追かけ来たり、また飛びつかうと狙ふその時、たちまち二匹の白狐が現はれて動物を追ひ払つた。三人はもとの扇形の処に帰り、衣服を乾かして休息した。その時非常なる大きな太陽が現はれて、瞬くまに乾いてしまつた。三人は思はず合掌して、「天照大神」の御名を唱へて感謝した。 今度は三人が各自異なる道路をとつて進んだ。「幸」といふ男は左側の端を、「琴」といふ女は右側の道路をえらんだ。それはまさかの時、この路なれば一方が平原に続いてゐるから、その方へ逃げるための用意であつた。自分も中央の道路を避けて三ツばかり傍の道路を進んだ。依然として両側に溝がある。最前の失敗に懲りて、両側と前後に非常の注意を払つて進んで行つた。横にもまた沢山の溝があり、非常に堅固な石橋が架つてゐた。不思議にも今まで平原だと思つてゐたのに中途からそれが山になり、山また山に連なつた場面に変つてゐる。 さうして其の山は壁のやうに屹立し、鏡のやうに光つてゐるのみならず、滑つて足をかける余地がない。さりとて引き返すのは残念であると途方にくれ、ここに自分は疑ひはじめた。これは高天原にゆく道路とは聞けど、或ひは地獄への道路と間違つたのではあるまいかと。かう疑つてみると、どうしてよいか分らず、進退谷まり吐息をつきながら、「天照大神」の御名を唱へ奉り、「惟神霊幸倍坐世」を三唱した。 不思議にもその山は、少しなだらかになつて、自分は知らぬまに、山の中腹に達してゐる。幹の周り一丈に余るやうな松や、杉や、桧の茂つてゐる山道を、どんどん進んで登ると大きな瀑布に出会した。白竜が天に登るやうな形をしてゐる。 ともかくもその滝で身を清めたいと、近よつて裸になり滝に打たれてみた。たちまち自分の姿は瀑布のやうな大蛇になつてしまつた。自分はこんな姿になつてしまつたことを、非常に残念に思つてゐると、下の方から自分の名を大声に呼ぶものがある。姿は真黒な大蛇であつて、顔は「琴」といふ女の顔であつた。そして苦しさうに、のた打ちまはつて暴れ狂ふてゐた。よくよく見ると大きな目の玉は血走つて巴形の血斑が両眼の白いところに現はれてゐた。自分は蛇体になりながら、女を哀れに思ひ救ふてやりたいと考へてゐると、その山が急に大阪湾のやうな海に変つてしまつた。そのうちに「琴」女の大蛇が火を吐きながら、非常な勢で、浪を起して海中に水音たてて飛び込んだ。自分は水を吐きながら、後を追ひかけて同じく海に飛び入つて救ふてやらうとした。されど、あたかも十ノツトの軍艦で、三十ノツトの軍艦を追ふやうに速力及ばぬところから、だんだんかけ離れて救ふてやることができない。そのうちに黒い大蛇はまつしぐらに泳いで遥かあなたへ行つて、黒い煙が立つたと思ふと姿は消えてしまつた。さうすると不思議にも海も山もなくなつて、自分はまた元の扇の要の道に帰つてゐた。 今度は決心して一番細い道路を行くことにした。そこには人が五六十人と思ふほど集まつてゐる。見るに目の悪いもの、足の立たないもの、腹の痛むものや、種々の病人がゐて何か一生懸命に祈つてをる。 道路にふさがつて何を拝んでをるかと思へば、非常に劫を経た古狸を人間が拝んでをる。その狸は大きな坊主に見せてゐる。拝んでゐるものは、現体を持つた人間ばかりであつた。しかし一人も病気にたいして何の効能もない。自分は狸坊主にむかつて鎮魂の姿勢をとると、その姿は煙のごとく消えてしまい、すべての人は皆病が癒えた。芙蓉仙人に聞いてみれば、古狸の霊が、僧侶と現はれて人を悩まし、そして自己を拝ましてゐたのであつた。その狸の霊を逐ひ払つたとともに衆人が救はれ、盲人は見え、跛は歩み、霊は畜生道の仲間に入るのを助かつたのである。 衆人は非常に感謝して泣いて喜び、とり縋つて一歩も進ましてくれぬ。しかるに天の一方からは「進め、すすめ」の声が聞えるので、天の石笛を吹くと、何も彼も跡形もなく消えて、扇の紙のやうな広い平坦なところに進んでゐた。 (大正一〇・一〇・一八旧九・一八加藤明子録) |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 39 白玉の行衛 | 第三九章白玉の行衛〔三九〕 黄金水の精より出でたる十二の宝玉は、個々別々に使用しては何の効用も現はれないものである。しかしこれを拾ひ得たる十二柱の神司も、竹熊の一派もその真相を知らず、一個を得れば一個だけの活用あり、二個を得れば二個だけの神力の現はるるものといづれの者も確信してゐた。 そこで竹熊は、第一番に田依彦の持つてをる白色の玉を、手に入れむことを計画したが、どうしても田依彦を説服して、その自分に譲らしむることの容易ならざるをさとり、ここに竹熊は一計を案出し、田依彦のもつとも信頼措かざる魔子彦を、物質欲をもつて甘く自分の参謀にとりいれた。魔子彦は容姿端麗なる美男である。さうして田依彦の姉にして豆寅の妻なる草香姫といふのがあつた。これもまた非常な麗しき容貌を備へていた。しかるに草香姫はいつとなく、魔子彦に思ひをかけてゐた。 このとき竹熊は魔子彦に種々の珍しき宝を与へ、また非常に麗しき衣服を与へた。ここに魔子彦はその美衣を身に着し、薫香つよき膏を肉体一面に塗りつけ、草香姫が吾に恋愛の情を深からしめむとした。この行動は竹熊の内命に従つたものである。 ここに草香姫はますます恋慕の情が募つてきた。されども、あからさまに心の思ひを魔子彦に打ちあけることを愧ぢて、日夜悶々の情に堪へかねてゐた。つひに草香姫は気鬱病になり、病床に臥して呻吟し、その身体は日一日と痩衰へ、生命は旦夕に迫つてきた。弟田依彦は大いに驚き、かつ悲しみ、いかにもして草香姫の病を癒やし救はむと、百方苦慮しつつあつた。 時に田依彦は自分の信ずる魔子彦が、内々竹熊の参謀役になつてをることは夢にも知らず、魔子彦をよんで、草香姫の病気をいかにせば全快せむやと、顔の色をかへ吐息をつきながら相談をしかけた。 魔子彦は時節の到来と内心ひそかに打ち喜びつつ、田依彦に向つて言葉をかまへていふ。 『われ一昨夜の夢に、高天原にまします国常立尊、枕頭に現はれたまひて、言葉厳かに宣り給ふやうは、……草香姫はもはや生命旦夕に迫る。これを救ふの道は、ただ単に田依彦のもてる白色の玉を草香姫に抱かしめ、日十日、夜十夜これを枕頭より離れざらしめなば、病はたちまち癒ゆべし……との大神のお告であつた。しかし貴下はわが夢に見しごとき美しき白玉を果して所持さるるや、夢のことなれば信を措くにたらず、痴人夢を語るものと失笑したまふ勿れ』 と空とぼけて、田依彦の心を探つてみた。 田依彦は平素信任する魔子彦の言を、少しも疑ふの余地なく、ただちに自分が件の玉を拾つて珍蔵してをることを、あからさまに答へ、その玉の神力によつて姉の命が救はるるものならば、これに越したる喜びなしと雀躍し、肩を揺りながら直ちに草香姫の許にいたり、魔子彦の神夢の次第を語り、 『この玉を十日十夜抱きて、寝ねよ』 と告げ、玉を草香姫に渡し、会心の笑を漏らして帰つてきた。 ここに草香姫は田依彦の厚意を喜び、教へられし如くにして、五日を経過た。しかるにその病気に対しては少しの効力もなく、身体は日夜衰へゆくのみであつた。時分はよしと魔子彦は、美麗やかに衣服を着かざり、身に薫香を浴びつつ四辺を芳香に化してしまつた。その香ばしき匂ひは、病の床にあつて苦悶しつつある草香姫の鼻に、もつとも強く感じた。 草香姫はこの匂ひを嗅ぐとともに、すこしく元気が恢復したやうな心持になつた。しばらくあつて魔子彦は病気見舞と称して、いと静かに這入つてきた。さうして田依彦に偽り伝へた神夢を、さも真実しやかに草香姫に物語つた。草香姫は真偽を判別するの暇なく、一方は弟の言葉といひ、一方は日ごろ恋慕する魔子彦の親切なる言葉なれば、あたかも大慈大悲の大神の慈言の如く驚喜した。さうして玉の神力の数日を経ても、顕はれないにかかはらず、 『貴下の麗しき御姿を拝してより、にはかに元気恢復して、精神涼しく爽快さを感じたり』 と顔を赧めつつ、小声で呟くやうに心のたけをのべ伝へた。 してやつたり、願望成就の時こそ今と、魔子彦は、後をむいて舌を出し、素知らぬ顔に言葉をもうけていふやう、 『すべて神の授けたまふ神玉は、熱臭き病人の肌に抱くは、かへつて神威を汚涜するものなり。この玉を抱いて、病を癒やさむとせば、まず汝が身体に薫香の強き膏を塗布し、芳香を四辺に放ち、室の空気を一変し、天地清浄ののちに非ざれば、効なかるべし』 と告げた。草香姫は、 『薫香の膏は、いづれにありや』 と反問した。魔子彦はすかさず腮をしやくりながら、 『この膏は容易に得らるべきものにあらず、シオン山の南方にある小さき峰の頂に、時あつて湧出するものなり』 と、その容易に得べからざることの暗示を与へた。 ここに草香姫は口ごもりつつ、 『この玉を貴下の肌に抱きたまひて玉を清め、玉の神力を発揮せしめ給はずや』 と嘆願した。魔子彦はわざと躊躇の色を見せながら、内心欣喜雀躍しつつ、なまなまに玉を抱くことを承諾した。不思議にも草香姫の病は、白色の玉が魔子彦の懐に抱かれるとともに、ほとんど癒えたやうな気分になつた。 魔子彦は庭園の景色を賞めつつ、何くはぬ顔にて徜徉しつつありしが、庭内に聳えたつ一本の老松の枝に手をかけ、樹上に昇るや否や、西方より翺けきたる天鳥船に身を托し、雲上高く姿を隠した。しかるにこの玉を乗せたる鳥船は、中空において大虎彦の乗れる鳥船に衝突し、玉は飛んで大虎彦の鳥船に入り、魔子彦は中空よりシナイ山の渓谷に墜落して、霊体ともに粉砕滅亡してしまつた。 大虎彦の手に入つた玉は、やがて竹熊の手に渡された。竹熊は謀計の後に破れむことを恐れて、中途に大虎彦をして魔子彦を亡ぼさしめたのである。悪霊の仕組は実にどこまでも注意深い、いやらしきものである。 (大正一〇・一〇・二四旧九・二四谷口正治録) |