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書籍 内容
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ひふみ神示 4_天つ巻 第4帖 この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。火と水で岩戸開くぞ、知恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、さう云へば知恵や学は要らんと臣民早合点するが、知恵や学も要るのざぞ。悪も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。天の神様地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々の神々様、うぶすな様、力ある神々様にも御苦労になっているのざぞ。天照皇太神宮様初め神々様、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、神も仏もキリストも元は一つぞよ。八月三十一日、ひつ九の
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(214)
ひふみ神示 7_日の出の巻 第1帖 春とならば萌出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかももえ出づるのぞ、此の方の申す事譬でないと申してあろが、少しは会得りたか。石もの云ふ時来たぞ、此の道早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐、那美の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸程結構なもの無い事始めて会得りて来るぞ。十二月一日、一二
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(222)
ひふみ神示 7_日の出の巻 第9帖 人、神とまつはれば喜悦しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、それが真実の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、と申してあろが、戦もと壊し合ふのでは無いぞ、とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、神国真中に和すことぞ。それには掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、戦の大将が神祀らねばならんぞ。二四は剣ざぞ。神まつりは神主ばかりするのではないぞ、剣と鏡とまつらなならんぞ、まつはれば霊となるのざぞ。霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。天の天照皇大神様は更なり、天の大神様、地の天照大神様、天照皇太神様、月の神様、特に篤く祀り呉れよ、月の大神様御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ、此の世の罪穢負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、地の御神様、土の神様ぞ、祓ひ清めの御神様ぞ、国々の産土の神様祀り呉れよ、遅くなればなる程苦しくなるのざぞ、人ばかりでないぞ。十二月八日、ひつ九のか三。
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(226)
ひふみ神示 7_日の出の巻 第13帖 此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味の信仰であるぞ、神に真直に向ふのざぞ。日向と申してあろがな。真上に真すぐに神を戴いて呉れよ、斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、横からでもお光は戴けるのであるが、道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。方便の世は済みたと申してあろがな、理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、今度は何うしても失敗こと出来んのざぞ。神の経綸には狂ひ無いなれど、臣民愈々苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。斜めや横から戴くと光だけ影がさすのざぞ、影させば闇となるのざぞ、大きいものには大きい影がさすと臣民申して、止むを得ぬ事の様に思ふてゐるが、それはまことの神の道知らぬからぞ、影さしてはならんのざぞ、影はあるが、それは影でない様な影であるぞ、悪でない悪なると知らせてあろが。真上に真すぐに神に向へば影はあれど、影無いのざぞ、闇ではないのざぞ。此の道理会得るであろがな、神の真道は影無いのざぞ、幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、失敗無いのざぞ、それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、神の真道会得りたか。天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地合せ鏡と聞かしてあろがな、天に太陽様ある様に地にも太陽様あるのざぞ、天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。天にお星様ある様に地にもお星様あるのざぞ。天からい吹けば地からもい吹くのざぞ、天に悪神あれば地にも悪神あるのざぞ。足元気つけと申してあろがな。今の臣民上許り見て頭ばかりに登ってゐるから分らなくなるのざぞ、地に足つけよと申してあろが、地拝めと、地にまつろへと申してあろが、地の神様忘れてゐるぞ。下と申しても位の低い神様のことでないぞ、地の神様ぞ、地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ、知らしてあること、神示克く読んで下されよ、国土の事、国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらんのざぞ。神々祀れと申してあろがな、改心第一と申してあろがな、七人に伝へと申してあろがな、吾れ善しはちょんぞ。十二月十四日、ひつくのかみ。
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(251)
ひふみ神示 8_磐戸の巻 第15帖 この方の道、悪きと思ふなら、出て御座れ、よきかわるきか、はっきりと得心ゆくまで見せてやるぞ。何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけて呉れよ。皆和合して呉れよ。わるき言葉、息吹が此の方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコト判らんぞ、慾はいらぬぞ、慾出したら曇るぞ。めくらになるぞ、おわびすればゆるしてやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。病治してやるぞ、神息吹つくりてやれよ、神いぶきとは一二三書いた紙、神前に供へてから分けてやるもののことざぞ。腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪も分からん世、闇の世と申すぞ。天照皇太神宮様の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ、無理にあけた岩戸開きざから、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、神にはわけへだて無いのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、まぢりけのない、マコトの神の息吹でひらくのざぞ。まぢりありたら、にごり少しでもありたら、またやり直しせなならんからくどうきつけてゐるのざぞ。何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。一月十四日、旧十一月三十日、 の一二
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(329)
ひふみ神示 12_夜明けの巻 第9帖 天詞様まつれと申してあろが。天津日嗣皇尊大神様とまつり奉れ。奥山には御社造りて、いつき奉れ。皆のうちにも祀れ。天津日嗣皇尊弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。奥山の前の富士に産土の大神様祀れよ、宮いるぞ。清めて祭れよ、タマの宮はその前横に移せよ。奥の富士に国 常立 大神、豊雲野 大神祀る日近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居も同様ぞ。大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。取違ひ、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変気付けよ。八月の五日、アメのひつ九の神。
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(813)
ひふみ神示 32_碧玉之巻 第10帖 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなばこの千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。 次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下を治しめす御役神であるぞ。天ヶ下は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる-と言ふ-ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル現生る-神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。 神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。 仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。
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(814)
ひふみ神示 32_碧玉之巻 第11帖 宇宙の総てが高天原であるぞ。天照大神は高天原を治し、また高天原を御し、また高天原を知らす御役、月読大神は天照大神と並びて天のことを知らし、またあほうなはらの汐の八百路を治し、また夜の食す国を知らす御役、素盞鳴の大神はあほうなはらを治らし、又滄海之原を御し、又、天下を知-治-らす御役であるぞ。
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(861)
ひふみ神示 34_竜音の巻 第14帖 幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それは只申すだけであるぞ。悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、それは理屈ぢゃ、甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るぞ、同じハイと言ふ返事でも、不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、大言壮語する人民はマユツバもの。
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(889)
ひふみ神示 36_至恩之巻 第3帖 判るように説いて聞かすから、今迄の智を一先づすてて、生れ赤児となりて聞いて下されよ。天之鈿女の命が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったのぞ。その時はそれで一応よかったのであるなれど、それは限られた時と所でのことで永遠のものではないぞ。
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(902)
ひふみ神示 36_至恩之巻 第16帖 太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種の神宝にを入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士(不二)と鳴門-成答-の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘でリンドマリぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍も十もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士-普字-晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。
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(997)
霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 発端 発端 自分が明治三十一年旧二月九日、神使に伴なはれ丹波穴太の霊山高熊山に、一週間の霊的修業を了へてより天眼通、天耳通、自他神通、天言通、宿命通の大要を心得し、神明の教義をして今日あるに至らしめたるについては、千変万化の波瀾があり、縦横無限の曲折がある。旧役員の反抗、信者の離反、その筋の誤解、宗教家の迫害、親族、知友の総攻撃、新聞雑誌、単行本の熱罵嘲笑、実に筆紙口舌のよくするところのものでない。自分はただただ開教後廿四年間の経緯を、きわめて簡単に記憶より呼び起して、その一端を示すことにする。 竜宮館には変性男子の神系と、変性女子の神系との二大系統が、歴然として区別されてゐる。変性男子は神政出現の予言、警告を発し、千辛万苦、神示を伝達し、水をもつて身魂の洗礼を施し、救世主の再生、再臨を待つてをられた。ヨハネの初めてキリストに対面するまでには、ほとんど七年の間、野に叫びつつあつたのである。変性男子の肉宮は女体男霊にして、五十七才はじめてここに厳の御魂の神業に参加したまひ、明治二十五年の正月元旦より、同四十五年の正月元旦まで、前後満二十年間の水洗礼をもつて、現世の汚濁せる霊体両系一切に洗礼を施し、世界改造の神策を顕示したまうた。かの欧洲大戦乱のごときは、厳の御魂の神業発動の一端にして、三千世界の一大警告であつたと思ふ。 変性女子の肉宮は瑞の御魂の神業に参加奉仕し、火をもつて世界万民に洗礼を施すの神務である。明治三十一年の旧二月九日をもつて神業に参加し、大正七年二月九日をもつて前後満二十年間の霊的神業をほとんど完成した。物質万能主義、無神無霊魂説に、心酔累惑せる体主霊従の現代も、やや覚醒の域に達し、神霊の実在を認識するもの、日に月に多きを加へきたれるは、すなはち神霊の偉大なる神機発動の結果にして、決して人智人力の致すところではないと思ふ。 変性男子の肉宮は神政開祖の神業に入り、爾来二十有七年間神筆を揮ひ、もつて霊体両界の大改造を促進し、今や霊界に入りても、その神業を継続奉仕されつつあるのである。 つぎに変性女子は三十年間の神業に奉仕して、もつて五六七神政の成就を待ち、世界を善道にみちびき、もつて神明の徳沢に浴せしむるの神業である。神業奉仕以来、本年をもつて満二十三年、残る七ケ年こそ最も重大なる任務遂行の難関である。神諭に曰く、 『三十年で身魂の立替立直しをいたすぞよ』 と。変性男子の三十年の神業成就は、大正十一年の正月元旦である。変性女子の三十年の神業成就は、大正十七年二月九日である。神諭に、 『身魂の立替立直し』 とあるを、よく考へてみると、主として水洗礼の霊体両系の改造が三十年であつて、これはヨハネの奉仕すべき神業であり、体霊洗礼の霊魂的改造が前後三十年を要するといふ神示である。しかしながら三十年と神示されたのは、大要を示されたもので、決して確定的のものではない。伸縮遅速は、たうてい免れないと思ふ。要するに、神界の御方針は一定不変であつても、天地経綸の司宰たるべき奉仕者の身魂の研不研の結果によつて変更されるのは止むをえないのである。 神諭に、 『天地の元の先祖の神の心が真実に徹底了解たものが少しありたら、樹替樹直しは立派にできあがるなれど、神界の誠が解りた人民が無いから、神はいつまでも世に出ることができぬから、早く改心いたして下されよ。一人が判りたら皆の者が判つてくるなれど、肝心のものに判らぬといふのも、これには何か一つの原因が無けねばならぬぞよ。自然に気のつくまで待つてをれば、神業はだんだん遅れるばかりなり、心から発根の改心でなければ、教へてもらうてから合点する身魂では、到底この御用は務まらぬぞよ。云々』 実際の御経綸が分つてこなくては、空前絶後の大神業に完全に奉仕することはできるものではない。御神諭に身魂の樹替樹直しといふことがある。ミタマといへば、霊魂のみのことと思つてゐる人が沢山にあるらしい。身は身体、または物質界を指し、魂とは霊魂、心性、神界等を指したまうたのである。すべて宇宙は霊が本で、体が末となつてゐる。身の方面、物質的現界の改造を断行されるのは国祖大国常立神であり、精神界、神霊界の改造を断行したまふのは、豊国主神の神権である。ゆゑに宇宙一切は霊界が主であり、現界が従であるから、これを称して霊主体従といふのである。 霊主体従の身魂を霊の本の身魂といひ、体主霊従の身魂を自己愛智の身魂といふ。霊主体従の身魂は、一切天地の律法に適ひたる行動を好んで遂行せむとし、常に天下公共のために心身をささげ、犠牲的行動をもつて本懐となし、至真、至善、至美、至直の大精神を発揮する、救世の神業に奉仕する神や人の身魂である。体主霊従の身魂は私利私欲にふけり、天地の神明を畏れず、体欲を重んじ、衣食住にのみ心を煩はし、利によりて集まり、利によつて散じ、その行動は常に正鵠を欠き、利己主義を強調するのほか、一片の義務を弁へず、慈悲を知らず、心はあたかも豺狼のごとき不善の神や、人をいふのである。 天の大神は、最初に天足彦、胞場姫のふたりを造りて、人体の祖となしたまひ、霊主体従の神木に体主霊従の果実を実らせ、 『この果実を喰ふべからず』 と厳命し、その性質のいかんを試みたまうた。ふたりは体欲にかられて、つひにその厳命を犯し、神の怒りにふれた。 これより世界は体主霊従の妖気発生し、神人界に邪悪分子の萠芽を見るにいたつたのである。 かくいふ時は、人あるひは言はむ。 『神は全智全能にして智徳円満なり。なんぞ体主霊従の萌芽を刈りとり、さらに霊主体従の人体の祖を改造せざりしや。体主霊従の祖を何ゆゑに放任し、もつて邪悪の世界をつくり、みづからその処置に困むや。ここにいたりて吾人は神の存在と、神力とを疑はざるを得じ』 とは、実に巧妙にしてもつとも至極な議論である。 されど神明には、毫末の依怙なく、逆行的神業なし。一度手を降したる神業は昨日の今日たり難きがごとく、弓をはなれたる矢の中途に還りきたらざるごとく、ふたたび之を更改するは、天地自然の経緯に背反す。ゆゑに神代一代は、これを革正すること能はざるところに儼然たる神の権威をともなふのである。また一度出でたる神勅も、これを更改すべからず。神にしてしばしばその神勅を更改し給ふごときことありとせば、宇宙の秩序はここに全く紊乱し、つひには自由放漫の端を開くをもつてである。古の諺にも『武士の言葉に二言なし』といふ。いはんや、宇宙の大主宰たる、神明においてをやである。神諭にも、 『時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎豆にも花の咲く時節が参りて、世に落ちてをりた神も、世に出て働く時節が参りたぞよ。時節ほど恐いものの結構なものは無いぞよ、云々』 と示されたるがごとく、天地の神明も『時』の力のみは、いかんとも為したまふことはできないのである。 天地剖判の始めより、五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒出現の暁となり、弥勒の神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱をたて、苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示し、善を勧め、悪を懲し、至仁至愛の教を布き、至治泰平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したまふ時期に近づいてきたのである。 吾人はかかる千万億歳にわたりて、ためしもなき聖世の過渡時代に生れ出で、神業に奉仕することを得ば、何の幸か之に如かむやである。神示にいふ。 『神は万物普遍の聖霊にして、人は天地経綸の司宰なり』 と。アゝ吾人はこの時をおいて何れの代にか、天地の神業に奉仕することを得む。 アゝ言霊の幸はふ国、言霊の天照る国、言霊の生ける国、言霊の助ける国、神の造りし国、神徳の充てる国に生を稟けたる神国の人においてをや。神の恩の高く、深きに感謝し、もつて国祖の大御心に報い奉らねばならぬ次第である。
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 07 幽庁の審判 第七章幽庁の審判〔七〕 ここに大王の聴許をえて、自分は産土神、芙蓉仙人とともに審判廷の傍聴をなすことを得た。仰ぎ見るばかりの高座には大王出御あり、二三尺下の座には、形相すさまじき冥官らが列座してゐる。最下の審判廷には数多の者が土下座になつて畏まつてゐる。見わたせば自分につづいて大蛇の川をわたつてきた旅人も、早すでに多数の者の中に混じりこんで審判の言ひ渡しを待つてゐる。日本人ばかりかと思へば、支那人、朝鮮人、西洋人なぞも沢山にゐるのを見た。自分はある川柳に、 『唐人を入り込みにせぬ地獄の絵』 といふのがある、それを思ひだして、この光景を怪しみ、仙人に耳語してその故を尋ねた。何と思つたか、仙人は頭を左右に振つたきり、一言も答へてくれぬ。自分も強て尋ねることを控へた。 ふと大王の容貌を見ると、アツと驚いて倒れむばかりになつた。そこを産土の神と仙人とが左右から支へて下さつた。もしこのときに二柱の御介抱がなかつたら、自分は気絶したかも知れぬ。今まで温和優美にして犯すべからざる威厳を具へ、美はしき無限の笑をたたへたまひし大王の形相は、たちまち真紅と変じ、眼は非常に巨大に、口は耳のあたりまで引裂け、口内より火焔の舌を吐きたまふ。冥官また同じく形相すさまじく、面をあげて見る能はず、審判廷はにはかに物凄さを増してきた。 大王は中段に坐せる冥官の一人を手招きしたまへば、冥官かしこまりて御前に出づ。大王は冥官に一巻の書帳を授けたまへば、冥官うやうやしく押いただき元の座に帰りて、一々罪人の姓名を呼びて判決文を朗読するのである。番卒は順次に呼ばれたる罪人を引きたてて幽廷を退く。現界の裁判のごとく予審だの、控訴だの、大審院だのといふやうな設備もなければ、弁護人もなく、単に判決の言ひ渡しのみで、きはめて簡単である。自分は仙人を顧みて、 『何ゆゑに冥界の審判は斯くのごとく簡単なりや』 と尋ねた。仙人は答へて、 『人間界の裁判は常に誤判がある。人間は形の見へぬものには一切駄目である。ゆゑに幾度も慎重に審査せなくてはならぬが、冥界の審判は三世洞察自在の神の審判なれば、何ほど簡単であつても毫末も過誤はない。また罪の軽重大小は、大蛇川を渡るとき着衣の変色によりて明白に判ずるをもつて、ふたたび審判の必要は絶無なり』 と教へられた。一順言ひ渡しがすむと、大王はしづかに座を立ちて、元の御居間に帰られた。自分もまた再び大王の御前に招ぜられ、恐る恐る顔を上げると、コハそもいかに、今までの恐ろしき形相は跡形もなく変らせたまひて、また元の温和にして慈愛に富める、美はしき御面貌に返つてをられた。神諭に、 『因縁ありて、昔から鬼神と言はれた、艮の金神のそのままの御魂であるから、改心のできた、誠の人民が前へ参りたら、結構な、いふに言はれぬ、優しき神であれども、ちよつとでも、心に身欲がありたり、慢神いたしたり、思惑がありたり、神に敵対心のある人民が、傍へ出て参りたら、すぐに相好は変りて、鬼か、大蛇のやうになる恐い身魂であるぞよ』 と示されてあるのを初めて拝したときは、どうしても、今度の冥界にきたりて大王に対面したときの光景を、思ひ出さずにはをられなかつた。また教祖をはじめて拝顔したときに、その優美にして温和、かつ慈愛に富める御面貌を見て、大王の御顔を思ひ出さずにはをられなかつた。 大王は座より立つて自分の手を堅く握りながら、両眼に涙をたたへて、 『三葉殿御苦労なれど、これから冥界の修業の実行をはじめられよ。顕幽両界のメシヤたるものは、メシヤの実学を習つておかねばならぬ。湯なりと進ぜたいは山々なれど、湯も水も修行中には禁制である。さて一時も早く実習にかかられよ』 と御声さへも湿らせたまふた。ここで産土の神は大王に、 『何分よろしく御頼み申し上げます』 と仰せられたまま、後をもむかず再び高き雲に乗りて、いづれへか帰つてゆかれた。 仙人もまた大王に黙礼して、自分には何も言はず早々に退座せられた。跡に取りのこされた自分は少しく狼狽の体であつた。大王の御面相は、俄然一変してその眼は鏡のごとく光り輝き、口は耳まで裂け、ふたたび面を向けることができぬほどの恐ろしさ。そこへ先ほどの冥官が番卒を引連れ来たり、たちまち自分の白衣を脱がせ、灰色の衣服に着替させ、第一の門から突き出してしまつた。 突き出されて四辺を見れば、一筋の汚い細い道路に枯草が塞がり、その枯草が皆氷の針のやうになつてゐる。後へも帰れず、進むこともできず、横へゆかうと思へば、深い広い溝が掘つてあり、その溝の中には、恐ろしい厭らしい虫が充満してゐる。自分は進みかね、思案にくれてゐると、空には真黒な怪しい雲が現はれ、雲の間から恐ろしい鬼のやうな物が睨みつめてゐる。後からは恐い顔した柿色の法被を着た冥卒が、穂先の十字形をなした鋭利な槍をもつて突き刺さうとする。止むをえず逃げるやうにして進みゆく。 四五丁ばかり往つた処に、橋のない深い広い川がある。何心なく覗いてみると、何人とも見分けはつかぬが、汚い血とも膿ともわからぬ水に落ちて、身体中を蛭が集つて空身の無い所まで血を吸うてゐる。旅人は苦さうな悲しさうな声でヒシつてゐる。自分もこの溝を越えねばならぬが、翼なき身は如何にして此の広い深い溝が飛び越えられやうか。後からは赤い顔した番卒が、鬼の相好に化つて鋭利の槍をもつて突刺さうとして追ひかけてくる。進退これきはまつて、泣くにも泣けず煩悶してをつた。にはかに思ひ出したのは、先ほど産土の神から授かつた一巻の書である。懐中より取出し押しいただき披いて見ると、畏くも『天照大神、惟神霊幸倍坐世』と筆蹟、墨色ともに、美はしく鮮かに認めてある。自分は思はず知らず『天照大神、惟神霊幸倍坐世』と唱へたとたんに、身は溝の向ふへ渡つてをつた。 番卒はスゴスゴと元の途へ帰つてゆく。まづ一安心して歩を進めると、にはかに寒気酷烈になり、手足が凍えてどうすることも出来ぬ。かかるところへ現はれたのは黄金色の光であつた。ハツと思つて自分が驚いて見てゐるまに、光の玉が脚下二三尺の所に、忽然として降つてきた。
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 08 女神の出現 第八章女神の出現〔八〕 不思議に堪へずして、自分は金色燦爛たる珍玉の明光を拝して、何となく力強く感じられ、眺めてゐた。次第々々に玉は大きくなるとともに、水晶のごとくに澄みきり、たちまち美はしき女神の御姿と変化した。全身金色にして仏祖のいはゆる、紫摩黄金の肌で、その上に玲瓏透明にましまし、白の衣裳と、下は緋の袴を穿ちたまふ、愛情あふるるばかりの女神であつた。女神は、自分の手をとり笑を含んで、 『われは大便所の神なり。汝に之を捧げむ』 と言下に御懐中より、八寸ばかりの比礼を自分の左手に握らせたまひ、再会を約して、また元のごとく金色の玉となりて中空に舞ひ上り、電光石火のごとく、九重の雲深く天上に帰らせたまうた。 その当時は、いかなる神様なるや、また自分にたいして何ゆゑに、かくのごとき珍宝を、かかる寂寥の境域に降りて、授けたまひしやが疑問であつた。しかし参綾後はじめて氷解ができた。 教祖の御話に、 『金勝要神は、全身黄金色であつて、大便所に永年のあひだ落され、苦労艱難の修行を積んだ大地の金神様である。その修行が積んで、今度は世に出て、結構な御用を遊ばすやうになりたのであるから、人間は大便所の掃除から、歓んで致すやうな精神にならぬと、誠の神の御用はできぬ。それに今の人民さんは、高い処へ上つて、高い役をしたがるが、神の御用をいたすものは、汚穢所を、美しくするのを楽んで致すものでないと、三千世界の大洗濯、大掃除の御用は、到底勤め上りませぬ』 との御言葉を承はり、かつ神諭の何処にも記されたるを拝して、奇異の感に打たれ、神界の深遠微妙なる御経綸に驚いた。 女神に別れ、ただ一人、太陽も月も星も見えぬ山野を深く進みゆく。 山深く分け入る吾は日も月も 星さへも見ぬ狼の声 冷たい途の傍に沼とも、池とも知れぬ汚い水溜りがあつて、その水に美しい三十歳余りの青年が陥り、諸々の虫に集られ、顔はそのままであるが首から下は全部蚯蚓になつてしまひ、見るまに顔までがすつかり数万の蛆虫になつてしまつた。私は思はず、「天照大神、産土神、惟神霊幸倍坐世」と二回ばかり繰返した。不思議にも元の美しい青年になつて、その水溜りから這ひ上り、嬉しさうな顔して礼を述べた。その青年の語るところによると、 『竜女を犯した祖先の罪によつて、自分もまた悪い後継者となつて竜女を犯しました。その罪によつて、かういふ苦しみを受くることになつたのでありますが、今、あなたの神文を聞いて忽ちこの通りに助かりました』 といつて感謝する。 それから自分は、天照大神の御神号を一心不乱に唱へつつ前進した。月もなく、烏もなく、霜は天地に充ち、寒さ酷しく膚を断るごとく、手も足も棒のやうになり息も凍らむとする時、またもや「天照大御神、惟神霊幸倍坐世」と口唱し奉つた。不思議にも言霊の神力著しく、たちまち全身に暖を覚え、手も足も湯に入りしごとくなつた。 アゝ地獄で神とは、このことであると、感謝の涙は滝と流るるばかりであつた。四五十丁も辿り行くと、そこに一つの断崕に衝き当る。止むをえず、引き返さむとすれば鋭利なる槍の尖が、近く五六寸の処にきてゐる。この上は神に任し奉らむと決意して、氷に足をすべらせつつ右手を見れば、深き谷川があつて激潭飛沫、流声物すごき中に、名も知れぬ見た事もなき恐ろしき動物が、川へ落ちたる旅人を口にくはへて、谷川の流れに浮いたり、沈んだり、旅人は「助けて助けて」と、一点張に叫んでゐる。自分は、ふたたび神号を奉唱すると、旅人をくはへてゐた怪物の姿は沫と消えてしまつた。 助かつた旅人の名は舟木といふ。彼は喜んで自分の後に跟いてきた。一人の道連れを得て、幾分か心は丈夫になつてきた。危き断崕を辛うじて五六十丁ばかり進むと、途が無くなつた。薄暗い途を行く二人は、ここに停立して思案にくれてゐた。さうすると何処ともなく大声で、 『ソレ彼ら二人を、免がすな』 と呼ぶ。にはかに騒々しき物音しきりに聞え来たり、口の巨大なる怪物が幾百ともなく、二人の方へ向つて襲ひくる様子である。二人は進退これ谷まり、いかがはせむと狼狽の体であつた。何ほど神号を唱へても、少しも退却せずますます迫つてくる。今まで怪物と思つたのが、不思議にもその面部だけは人間になつてしまつた。その中で巨魁らしき魔物は、たちまち長剣を揮つて両人に迫りきたり、今や斬り殺されむとする刹那に、白衣金膚の女神が、ふたたびその場に光りとともに現はれた。そして、「比礼を振らせたまへ」と言つて姿は忽ち消えてしまつた。懐中より神器の比礼を出すや否や、上下左右に祓つた。怪物はおひおひと遠く退却する。ヤレ嬉しやと思ふまもなく、忽然として大蛇が現はれ、巨口を開いて両人を呑んでしまつた。両人は大蛇の腹の中を探り探り進んで行く。今まで寒さに困つてゐた肉体は、どこともなく、暖い湯に浴したやうな心持であつた。轟然たる音響とともに幾百千丈ともわからぬ、奈落の底へ落ちゆくのであつた。 ふと気がつけば幾千丈とも知れぬ、高い滝の下に両人は身を横たへてゐた。自分の周囲は氷の柱が、幾万本とも知れぬほど立つてをる。両人は、この高い瀑布から、地底へ急転直落したことを覚つた。一寸でも、一分でも身動きすれば、冷きつた氷の剣で身を破る。起きるにも起きられず、同伴の舟木を見ると、魚を串に刺したやうに、長い鋭い氷剣に胴のあたりを貫かれ、非常に苦しんでゐる。自分は満身の力をこめて、「アマテラスオホミカミサマ」と、一言づつ切れ切れに、やうやくにして唱へ奉つた。神徳たちまち現はれ、自分も舟木も身体自由になつてきた。今までの瀑布は、どこともなく、消え失せて、ただ茫々たる雪の原野と化してゐた。 雪の中に、幾百人とも分らぬほど人間の手や足や頭の一部が出てゐる。自分の頭の上から、にはかに山岳も崩るるばかりの響がして、雪塊が落下し来り、自分の全身を埋めてしまふ。にはかに比礼を振らうとしたが、容易に手がいふことをきかぬ。丁度鉄でこしらへた手のやうになつた。一生懸命に「惟神霊幸倍坐世」を漸く一言づつ唱へた。幸に自分の身体は自由が利くやうになつた。四辺を見れば、舟木の全身が、また雪に埋められ、頭髪だけが現はれてゐる。その上を比礼をもつて二三回左右左と振りまはすと、舟木は苦しさうな顔をして、雪中から全身をあらはした。天の一方より、またまた金色の光現はれて二人の身辺を照した。原野の雪は、見渡すかぎり、一度にパツト消えて、短い雑草の原と変つた。 あまたの人々は満面笑を含んで自分の前にひれ伏し、救主の出現と一斉に感謝の意を表し、今後は救主とともに、三千世界の神業に参加奉仕せむことを希望する人々も沢山あつた。その中には実業家もあれば、教育家もあり、医者や、学者も、沢山に混つてをつた。 以上は、水獄の中にて第一番の処であつた。第二段、第三段となると、こんな軽々しき苦痛ではなかつたのである。自分は、今この時のことを思ひだすと、慄然として肌に粟を生ずる次第である。
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 10 二段目の水獄 第一〇章二段目の水獄〔一〇〕 自分は寒さと寂しさにただ一人、「天照大神」の神号を唱へ奉ると、にはかに全身暖かくなり、空中に神光輝きわたる間もなく、芙蓉仙人が眼前に現はれた。あまりの嬉しさに近寄り抱付かうとすれば、仙人はつひに見たこともない険悪な顔色をして、 『いけませぬ。大王の命なれば、三ツ葉殿、吾に近寄つては今までの修業は水泡に帰すべし。これにて一段目は大略探険されしならむ。第二段の門扉を開くために来たれり』 と言ひも終らぬに、早くもギイーと怪しい音がした一刹那、自分は門内に投込まれてゐた。仙人の影はそこらに無い。 ヒヤヒヤとする氷結した暗い途を倒つ転びつ、地の底へ地の底へとすべりこんだ。暗黒で何一つ見えぬが、前後左右に何とも言へぬ苦悶の声がする。はるか前方に、女の苦しさうな叫び声が聞える。血醒さい臭気が鼻を衝いて、胸が悪くて嘔吐を催してくる。たちまち脚元がすべつて、何百間とも知れぬやうな深い地底へ急転直落した。腰も足も頭も顔も岩角に打たれて血塗になつた。神名を奉唱すると、自分の四辺数十間ばかりがやや明るくなつてきた。自分は身体一面の傷を見て大いに驚き「惟神霊幸倍坐世」を二度繰返して、手に息をかけ全身を撫でさすつてみた。神徳たちまち現はれ、傷も痛みも全部恢復した。ただちに大神様に拍手し感謝した。言霊の神力で四辺遠く暗は晴れわたり、にはかに陽気づいてきた。 再び上の方で、ギイーと音がした瞬間に、十二三人の男女が転落して自分の脚下に現はれ、「助けて助けて」としきりに合掌する。自分は比礼をその頭上目がけて振つてやると、たちまち起きあがり「三ツ葉様」と叫んで、一同声を合して泣きたてる。一同の中には宗教家、教育家、思想家、新聞雑誌記者、薬種商、医業者も混つてゐた。一同は氷の途をとぼとぼと自分の背後からついてくる。
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 15 神界旅行(二) 第一五章神界旅行の二〔一五〕 神界の旅行と思つたのは自分の間違ひであつたことを覚り、今度は心を改め、好奇心を戒め一直線に神界の旅路についた。 細い道路をただ一人、足をはやめて側眼もふらず、神言を唱へながら進み行く。そこへ「幸」といふ二十才くらゐの男と「琴」といふ二十二才ばかりの女とが突然現はれて、自分の後になり前になつて踉いてくる。そのとき自分は非常に力を得たやうに思ふた。 その女の方は今幽体となり、男の方はある由緒ある神社に、神官として仕へてをる。その両人には小松林、正守といふ二柱の守護神が付随してゐた。そして小松林はある時期において、ある肉体とともに神界に働くことになられた。 細い道路はだんだん広くなつて、そしてまた行くに従つてすぼんで細い道路になつてきた。たとへば扇をひろげて天と天とを合せたやうなものである。扇の骨のやうな道路は、幾条となく展開してゐる。そのとき自分はどの道路を選んでよいか途方に暮れざるを得なかつた。その道路は扇の骨と骨との隙間のやうに、両側には非常に深い溝渠が掘られてあつた。 水は美しく、天は青く、非常に愉快であるが、さりとて少しも油断はできぬ。油断をすれば落ちこむ恐れがある。自分は高天原に行く道路は、平々坦々たるものと思ふてゐたのに、かかる迷路と危険の多いのには驚かざるを得ない。その中でまづ正中と思ふ小径を選んで進むことにした。 見渡すかぎり山もなく、何もない美しい平原である。その道路を行くと幾つともなく種々の橋が架けられてあつた。中には荒廃した危ないものもある。さういふのに出会した時は、「天照大神」の御神名を唱へて、一足飛びに飛び越したこともあつた。 そこへ突然として現はれたのが白衣の男女である。見るまに白狐の姿に変つてしまつた。「琴」と「幸」との二人は同じくついてきた。急いで行くと、突然また橋のあるところにきた。橋の袂から真黒な四足動物が四五頭現はれて、いきなり自分を橋の下の深い川に放り込んでしまつた。二人の連も、共に川に放りこまれた。 自分は道路の左側の溝を泳ぐなり、二人は道の右側の溝を泳いで、元の道路まできた。前の動物は追かけ来たり、また飛びつかうと狙ふその時、たちまち二匹の白狐が現はれて動物を追ひ払つた。三人はもとの扇形の処に帰り、衣服を乾かして休息した。その時非常なる大きな太陽が現はれて、瞬くまに乾いてしまつた。三人は思はず合掌して、「天照大神」の御名を唱へて感謝した。 今度は三人が各自異なる道路をとつて進んだ。「幸」といふ男は左側の端を、「琴」といふ女は右側の道路をえらんだ。それはまさかの時、この路なれば一方が平原に続いてゐるから、その方へ逃げるための用意であつた。自分も中央の道路を避けて三ツばかり傍の道路を進んだ。依然として両側に溝がある。最前の失敗に懲りて、両側と前後に非常の注意を払つて進んで行つた。横にもまた沢山の溝があり、非常に堅固な石橋が架つてゐた。不思議にも今まで平原だと思つてゐたのに中途からそれが山になり、山また山に連なつた場面に変つてゐる。 さうして其の山は壁のやうに屹立し、鏡のやうに光つてゐるのみならず、滑つて足をかける余地がない。さりとて引き返すのは残念であると途方にくれ、ここに自分は疑ひはじめた。これは高天原にゆく道路とは聞けど、或ひは地獄への道路と間違つたのではあるまいかと。かう疑つてみると、どうしてよいか分らず、進退谷まり吐息をつきながら、「天照大神」の御名を唱へ奉り、「惟神霊幸倍坐世」を三唱した。 不思議にもその山は、少しなだらかになつて、自分は知らぬまに、山の中腹に達してゐる。幹の周り一丈に余るやうな松や、杉や、桧の茂つてゐる山道を、どんどん進んで登ると大きな瀑布に出会した。白竜が天に登るやうな形をしてゐる。 ともかくもその滝で身を清めたいと、近よつて裸になり滝に打たれてみた。たちまち自分の姿は瀑布のやうな大蛇になつてしまつた。自分はこんな姿になつてしまつたことを、非常に残念に思つてゐると、下の方から自分の名を大声に呼ぶものがある。姿は真黒な大蛇であつて、顔は「琴」といふ女の顔であつた。そして苦しさうに、のた打ちまはつて暴れ狂ふてゐた。よくよく見ると大きな目の玉は血走つて巴形の血斑が両眼の白いところに現はれてゐた。自分は蛇体になりながら、女を哀れに思ひ救ふてやりたいと考へてゐると、その山が急に大阪湾のやうな海に変つてしまつた。そのうちに「琴」女の大蛇が火を吐きながら、非常な勢で、浪を起して海中に水音たてて飛び込んだ。自分は水を吐きながら、後を追ひかけて同じく海に飛び入つて救ふてやらうとした。されど、あたかも十ノツトの軍艦で、三十ノツトの軍艦を追ふやうに速力及ばぬところから、だんだんかけ離れて救ふてやることができない。そのうちに黒い大蛇はまつしぐらに泳いで遥かあなたへ行つて、黒い煙が立つたと思ふと姿は消えてしまつた。さうすると不思議にも海も山もなくなつて、自分はまた元の扇の要の道に帰つてゐた。 今度は決心して一番細い道路を行くことにした。そこには人が五六十人と思ふほど集まつてゐる。見るに目の悪いもの、足の立たないもの、腹の痛むものや、種々の病人がゐて何か一生懸命に祈つてをる。 道路にふさがつて何を拝んでをるかと思へば、非常に劫を経た古狸を人間が拝んでをる。その狸は大きな坊主に見せてゐる。拝んでゐるものは、現体を持つた人間ばかりであつた。しかし一人も病気にたいして何の効能もない。自分は狸坊主にむかつて鎮魂の姿勢をとると、その姿は煙のごとく消えてしまい、すべての人は皆病が癒えた。芙蓉仙人に聞いてみれば、古狸の霊が、僧侶と現はれて人を悩まし、そして自己を拝ましてゐたのであつた。その狸の霊を逐ひ払つたとともに衆人が救はれ、盲人は見え、跛は歩み、霊は畜生道の仲間に入るのを助かつたのである。 衆人は非常に感謝して泣いて喜び、とり縋つて一歩も進ましてくれぬ。しかるに天の一方からは「進め、すすめ」の声が聞えるので、天の石笛を吹くと、何も彼も跡形もなく消えて、扇の紙のやうな広い平坦なところに進んでゐた。 (大正一〇・一〇・一八旧九・一八加藤明子録)
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 16 神界旅行(三) 第一六章神界旅行の三〔一六〕 扇でたとへると丁度骨を渡つて白紙のところへ着いた。ヤレヤレと一息して傍の芝生の上に身を横たへて一服してゐた。するとはるか遠く北方にあたつて、細い幽かな悲しい蚊の泣くやうな声で、「オーイ、オーイ」と自分を呼ぶいやらしい声がしてきた。自分は思案にくれてゐると、南方の背後から四五人の声で自分を呼び止める者がある。母や祖母や隣人の声にどこか似てゐる。フト南方の声に気をひかれ気が付けば、自分の身体はいつのまにか穴太の自宅へ帰つてゐた。 これは幽界のことだが、母の後に妙な顔をした、非常に悲しさうに、かつ立腹したやうな、一口に言へば怒つたのと泣いたのが一緒になつたやうな顔した者が付いてゐる。それが母の口を藉つていふには、 『今かうして老母や子供を放つておいて神界の御用にゆくのは結構だが、祖先の後を守らねばならぬ。それに今お前に出られたら、八十に余る老母があり、たくさんの農事を自分一人でやらねばならぬ。とにかく思ひ止まつてくれ』 と自分を引き止めて、行かさうとはささぬ。そこへまた隣家から「松」と「正」といふ二人が出てきて、祖先になり代つて意見すると言つて頻りに止める。二人は、 『お前、神界とか何とか言つたところで、家庭を一体どうするのだ』 と喧しく言ひこめる。その時たちまち老祖母の衰弱した姿が男の神様に変つてしまつた。そして、 『汝は神界の命によつてするのであるから、小さい一身一家の事は心頭にかくるな。世界を此のままに放つておけば、混乱状態となつて全滅するより道はないから、三千世界のために謹んで神命を拝受し、一時も早く此処を立ち去れよ』 と戒められた。すると矢庭に「松」と「正」とが自分の羽織袴を奪つて丸裸になし、それから鎮魂の玉をも天然笛をも引たくつて池の中へ投り込んでしまつた。そこへ「幸」といふ男が出てきて、いきなり自分が裸になり、その衣服を自分に着せてくれ、天然笛も鎮魂の玉も池の中から拾うて私に渡してくれた。 自分は一切の執着を捨てて、神命のまにまに北へ北へと進んで、知らぬまに元の天の八衢へ帰つておつた。これは残念なことをしたと思つたが、もと来た道をすうと通つて、扇形の道を通りぬけ白紙の所へ辿りついた。その時、「幸」が白扇の紙の半ほどのところまで裸のまま送つて来たが、そこで何処ともなく姿を消してしまつた。やはり相変らず、細い悲しいイヤらしい声が聞えて来る。その時、自分の身体は電気に吸ひつけられるやうに、北方へ北方へと進んで行く。一方には大きな河が流れてあり、その河辺には面白い老松が並んでゐる。左側には絶壁の山が屹立して、一方は河、一方は山で、其処をどうしても通らねばならぬ咽喉首である。その咽喉首の所へ行くと、地中から頭をヌツと差出し、つひには全身を顕はし、狭い道に立ち塞がつて、進めなくさせる男女のものがあつた。 そこで鎮魂の姿勢をとり天然笛を吹くと、二人の男女は温順な顔付にて、女は自分に一礼し、 『あなたは予言者のやうに思ひますから、私の家へお入り下さいまし。色々お願ひしたいことがございます』 と言つた。その時フト小さな家が眼前にあらはれてきた。その夫婦に八頭八尾の守護神が憑依してゐた。夫婦の話によれば、 『大神の命により神界旅行の人を幾人も捉へてみたが、真の人に会はなかつたが、はじめて今日目的の人に出会ひました。実は私は、地の高天原にあつて幽界を知ろしめす大王の肉身系統の者です。どうぞ貴方はこの道を北へ北へと取つていつて下さい、さうすれば大王に面会ができます。私が言伝をしたと言つて下さい』 と言つて頼む。 『承知した、それなら行つて来よう』 こう言つて立ち去らうとする時、男女の後に角の生えた恐い顔をした天狗と、白狐の金毛九尾になつたのが眼についた。この肉体としては実に善い人間で、信仰の強い者だが、その背後には、容易ならぬ物が魅入つてゐることを悟つた。そのままにして自分は一直線に地の高天原へ進んで行つた。トボトボと暫くのあひだ北へ北へと進みゆくと、一つの木造の大橋がある。橋の袂へさしかかると川の向ふ岸にあたり、不思議な人間の泣き声や狐の声が聞えた。自分はその声をたどつて道を北へとつて行くと、親子三人の者が寄つて集つて、穴にゐる四匹の狐を叩き殺してゐた。見るみる狐は殺され、同時にその霊は女に憑いてしまつた。女の名は「民」といふ。女は狐の怨霊のために忽ち膨れて脹満のやうな病体になり、俄然苦悶しはじめた。そこで其の膨れた女にむかつて、自分は両手を組んで鎮魂をし、神明に祈つてやると、その体は旧の健康体に復し、三人は合掌して自分にむかつて感謝する。されど彼の殺された四匹の狐の霊はなかなかに承知しない。 『罪なきものを殺されて、これで黙つてをられぬから、あくまでも仇討をせねばおかぬ』 と、怨めしさうに三人を睨みつめてゐる。狐の方ではその肉体を機関として、四匹ながら這入つて生活を続けてゆきたいから、神様に願つて許していただきたいと嘆願した。 自分はこの場の処置に惑うて、天にむかひ裁断を仰いだ。すると天の一方より天使が顕はれ、産土の神も顕はれたまひて、 『是非なし』 と一言洩らされた。氏子であるとは言ひながら、罪なきものを打ち殺したこの女は、畜生道へ堕ちて狐の容器とならねばならなかつた。病気は治つたが、極熱と極寒との苦しみを受け、数年後に国替した。現界で言へば稲荷下のやうなことをやつたのである。 やや西南方にあたつてまた非常な叫び声が聞えてきた。すぐさま自分は声を尋ねて行つてみると、盲目の親爺に狸が憑依し、また沢山の怨霊が彼をとりまいて、眼を痛めたり、空中へ身体を引き上げたり、さんざんに親爺を虐めてゐる。見ると親爺の肩の下のところに棒のやうなものがあつて、それに綱がかかつてをり、柱の真に取付けられた太綱を寄つてたかつて、弛めたり引きしめたりしてゐるが、落下する時は川の淵までつけられ、つり上げられる時は、太陽の極熱にあてられる。そして釣り上げられたり、曳き下されたりする上下の速さ。この親爺は「横」といふ男である。 なぜにこんな目に遇ふのかと理由を聞けば、この男は非常に強欲で、他人に金を貸しては家屋敷を抵当にとり、ほとんど何十軒とも知れぬほど、その手でやつては財産を作つてきた。そのために井戸にはまつたり、首を吊つたり、親子兄弟が離散したりした者さへ沢山にある。その霊がことごとく怨念のために畜生道へ堕ち入り、狐や狸の仲間入りをしてゐるのであつた。そのすべての生霊や亡霊が、身体の中からも、外からも、攻めて攻めて攻めぬいて命をとりにきてゐるのである。 何ゆゑ神界へ行く道において、地獄道のやうなことをしてゐるのを神がお許しになつてゐるかと問へば、天使の説明には、 『懲戒のために神が許してある。その長い太い綱は首を吊つた者の綱が凝固つたのである。毒を嚥んで死んだ人があるから、毒が身の中に入つてゐる。川へはまつた者があるから川へ突つ込まれる。これが済めば畜生道へ墜ちて苦しみを受けるのである』 と。あまり可愛相であるから私は天照大御神へお願ひして「惟神霊幸倍坐世」と唱へ天然笛を吹くと、その苦しみは忽ち止んでしまつた。そして狐狸に化してゐる霊は嬉々として解脱した。その顔には桜色を呈してきたものもある。これらの霊はすべて老若男女の人間に一変した。すると産土の神が現はれて喜び感謝された。自分もこれは善い修業をしたと神界へ感謝し、そこを立ち去つた。が、「横」といふ男の肉体は一週間ほど経て現界を去つた。 それからまた真西にあたつて叫び声がおこる。猿を責めるやうな叫び声がする。その声を尋ねてゆくと、本当の狐が数十匹集まり、一人の男を中において木にくくりつけ、「キヤツ、キヤツ」と言はして苦しめてゐる。その男の手足はもぎとられ、骨は一本々々砕かれ、滅茶々々にやられてゐるのに現体が残つたままそこに立つてゐる。自分はこれを救ふべく、神名を奉唱し型のごとく鎮魂の姿勢をとるや否や、すべての狐は平伏してしまつた。何故そんな事をするのかと尋ぬれば、中でも年老つた狐がすすみでて、 『この男は山猟が飯よりもすきで、狐穽を作つたり、係蹄をこしらへたりして楽んでゐる悪い奴です。それがために吾々一族のものは皆命をとられた。生命をとられるとは知りつつも、油揚げなどの好きな物があればついかかつて、ここにゐるこれだけの狐はことごとく命をとられました。それでこの男の幽体現体共に亡ぼして、幽界で十分に復讐したい考へである』 といふ。そこで私は、 『命をとられるのは自分も悪いからである。それよりはいつそ各自改心して人界へ生れたらどうだ』 と言へば、 『人界へ生れられますか』 と尋ねる。自分は、 『生れられるのだ』 と答ふれば、 『自分らはこんな四ツ足だから駄目だ』 といふ絶望の意を表情で現はしたが、自分は、 『汝らに代つて天地へお詫をしてやらう』 と神々へお詫をするや否や、「中」といふ男の幽体は見るまに肉もつき骨も完全になつて旧の身体に復り、いろいろの狐はたちまち男や女の人間の姿になつた。その時の数十の狐の霊は、一部分今日でも神界の御用をしてゐるものもあり、途中で逃げたものもある。中には再び畜生道へ堕ちたものもある。 (大正一〇・一〇・一九旧九・一九桜井重雄録)
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 17 神界旅行(四) 第一七章神界旅行の四〔一七〕 神界の場面が、たちまち一変したと思へば、自分は又もとの大橋の袂に立つてゐた。どこからともなくにはかに大祓詞の声が聞えてくる。不思議なことだと思ひながら、二三丁辿つて行くと、五十恰好の爺さんと四十かつかうの婦とが背中合せに引着いて、どうしても離れられないでもがいてゐる。男は声をかぎりに天地金の神の御名を唱へてゐるが、婦は一生懸命に合掌して稲荷を拝んでゐる。男の合掌してゐる天には、鼻の高い天狗が雲の中に現はれて爺をさし招いてゐる。婦のをがむ方をみれば、狐狸が一生懸命山の中より手招きしてゐる。男が行かうとすると、婦の背中にぴつたりと自分の背中が吸ひついて、行くことができない。婦もまた行かうとして身悶えすれども、例の背中が密着して進むことができない。一方へ二歩行つては後戻り、他方へ二歩行つては、又あともどりといふ調子で、たがひに信仰を異にして迷つてゐる。自分はそこへ行つて、「惟神霊幸倍坐世」と神様にお願ひして、祝詞を奏上した。そのとき私は、自分ながらも実に涼しい清らかな声が出たやうな気がした。 たちまち密着してゐた両人の身体は分離することを得た。彼らは大いに自分を徳として感謝の辞を述べ、どこまでも自分に従つて、 『神界の御用を勤めさしていただきます』 と約束した。やがて男の方は肉体をもつて、一度地の高天原に上つて神業に参加しやうとした。しかし彼は元来が強欲な性情である上、憑依せる天狗の霊が退散せぬため、つひには盤古大神の眷族となり、地の高天原の占領を企て、ために、霊は神譴を蒙りて地獄に堕ち、肉体は二年後に滅びてしまつた。さうしてその婦は、今なほ肉体を保つて遠く神に従ふてゐる。 この瞬間、自分の目の前の光景は忽ち一転した。不思議にも自分はある小さな十字街頭に立つてゐた。そこへ前に見た八頭八尾の霊の憑いた男が俥を曳いてやつて来て、 『高天原にお伴させていただきますから、どうかこの俥にお召し下さい』 といふ。しかし「自分は神界修業の身なれば、俥になど乗るわけにはゆかぬ」と強て断つた上、徒歩でテクテク西へ西へと歩んで行つた。非常に嶮峻な山坂を三つ四つ越えると、やがてまた広い清い河のほとりに到着した。河には澄きつた清澄な水が流れてをり、川縁には老松が翠々と並んでゐる実に景勝の地であつた。自分はこここそ神界である、こんな処に長らくゐたいものだといふ気がした。また一人とぼとぼと進んで行けば、とある小さい町に出た。左方を眺むれば小さな丘があり、山は紫にして河は帯のやうに流れ、蓮華台上と形容してよからうか、高天原の中心と称してよからうか、自分はしばしその風光に見惚れて、そこを立去るに躊躇した。 山を降つて少しく北に進んで行くと、小さな家が見つかつた。自分は電気に吸着けらるるごとく、忽ちその門口に着いてゐた。そこには不思議にも、かの幽庁にゐられた大王が、若い若い婦の姿と化して自分を出迎へ、やがて小さい居間へ案内された。自分はこの大王との再会を喜んで、いろいろの珍らしい話しを聞いてゐると、にはかに虎が唸るやうな、また狼が呻くやうな声が聞えてきた。よく耳を澄まして聞けば、天津祝詞や大祓の祝詞の声であつた。それらの声とともに四辺は次第に暗黒の度を増しきたり、密雲濛々と鎖して、日光もやがては全く見えなくなり、暴風にはかに吹き起つて、家も倒れよ、地上のすべての物は吹き散れよとばかり凄じき光景となつた。その濛々たる黒雲の中より「足」といふ古い顔の鬼が現はれてきた。それには「黒」といふ古狐がついてゐて、下界を睥睨してゐる。その時にはかに河水鳴りとどろき河中より大いなる竜体が現はれ、またどこからともなく、何とも形容のしがたい悪魔があらはれてきた。大王の居間も附近も、この時すつかり暗黒となつて、咫尺すら弁じがたき暗となり、かの優しい大王の姿もまた暗中に没してしまつた。ただ目に見ゆるは、烈風中に消えなむとして瞬いてゐる一つのかすかな燈光ばかりである。自分は今こそ神を祈るべき時であると不図心付き、「天照大御神」と「産土神」をひたすらに念じ、悠々として祝詞をすずやかな声で奏上した。一天にはかに晴れわたり、一点の雲翳すらなきにいたる。 祝詞はすべて神明の心を和げ、天地人の調和をきたす結構な神言である。しかしその言霊が円満清朗にして始めて一切の汚濁と邪悪を払拭することができるのである。悪魔の口より唱へらるる時はかへつて世の中はますます混乱悪化するものである。蓋し悪魔の使用する言霊は世界を清める力なく、欲心、嫉妬、憎悪、羨望、憤怒などの悪念によつて濁つてゐる結果、天地神明の御心を損ふにいたるからである。それ故、日本は言霊の幸はふ国といへども、身も魂も本当に清浄となつた人が、その言霊を使つて始めて、世のなかを清めることができ得るのである。これに反して身魂の汚れた人が言霊を使へば、その言霊には一切の邪悪分子を含んでゐるから、世の中はかへつて暗黒になるものである。 さて自分は八衢に帰つてみると、前刻の鬼、狐および大きな竜の悪霊は、自分を跡から追つてきた。「足」の鬼は、今度は多くの眷族を引連れ来たり、自分を八方より襲撃し、おのおの口中より噴霧のやうに幾十万本とも数へられぬほどの針を噴きかけた。しかし自分の身体は神明の加護を受けてゐた。あたかも鉄板のやうに針を弾ね返して少しの痛痒をも感じない。その有難さに感謝のため祝詞を奏げた。その声に、すべての悪魔は煙のごとく消滅して見えなくなつた。 ここで一寸附言しておく。「足」の鬼といふのは烏帽子直垂を着用して、あたかも神に仕へるやうな服装をしてゐた。しかし本来非常に猛悪な顔貌なのだが、一見立派な容子に身をやつしてゐる。また河より昇れる竜は、たちまち美人に化けてしまつた。この竜女は、竜宮界の大使命を受けてゐるものであつて、大神御経綸の世界改造運動に参加すべき身魂であつたが、美しい肉体の女に変じて「足」の鬼と肉体上の関係を結び神界の使命を台なしにしてしまつた。竜女に変化つたその肉体は、現在生き残つて河をへだてて神に仕へてゐる。彼女が竜女であるといふ証拠には、その太腿に竜の鱗が三枚もできてゐる。神界の摂理は三界に一貫し、必ずその報いが出てくるものであるから、神界の大使命を帯びたる竜女を犯すことは、神界としても現界としても、末代神の譴めを受けねばならぬ。「足」の鬼はその神罰により、その肉体の一子は聾となり、一女は顔一面に菊石を生じ、醜い竜の葡匐するやうな痕跡をとどめてゐた。さて一女まづ死し、ついでその一子も滅んだ。かれは罪のために国常立尊に谷底に蹴落され胸骨を痛めた結果、霊肉ともに滅んでしまつた。かくて「足」の肉体もついに大神の懲戒を蒙り、日に日に痩衰へ家計困難に陥り、肺結核を病んで悶死してしまつた。 以上の一男一女は「足」の前妻の子女であるが、竜女と「足」の鬼との間にも、一男が生れた。「足」の鬼は二人の子女を失つたので、彼は自分の後継者として、その男の子を立てやうとする。竜女の方でも、自分の肉体の後継者としやうとして焦つてゐる。一方竜女には厳格な父母があつた。彼らもその子を自分の家の相続者としやうとして離さぬ。「足」の鬼の方は無理にこれを引とらうとして、一人の肉体を、二つに引きち切つて殺してしまつた。霊界でかうして引裂かれて死んだ子供は現界では、父につけば母にすまぬ、母につけば父にすまぬと、煩悶の結果、肺結核を病んで死んだのである。かうして「足」の鬼の方は霊肉ともに一族断絶したが、竜女は今も後継者なしに寡婦の孤独な生活を送つてゐる。 本来竜女なるものは、海に極寒極熱の一千年を苦行し、山中にまた一千年、河にまた一千年を修業して、はじめて人間界に生れ出づるものである。その竜体より人間に転生した最初の一生涯は、尼になるか、神に仕へるか、いづれにしても男女の交りを絶ち、聖浄な生活を送らねばならないのである。もしこの禁断を犯せば、三千年の苦行も水の沫となつて再び竜体に堕落する。従つて竜女といふものは男子との交りを喜ばず、かつ美人であり、眼鋭く、身体のどこかに鱗の数片の痕跡を止めてゐるものも偶にはある。かかる竜女に対して種々の人間界の情実、義理、人情等によつて、強て竜女を犯し、また犯さしめるならば、それらの人は竜神よりの恨をうけ、その復讐に会はずにはゐられない。通例竜女を犯す場合は、その夫婦の縁は決して安全に永続するものではなく、夫は大抵は夭死し、女は幾度縁をかゆるとも、同じやうな悲劇を繰返し、犯したものは子孫末代まで、竜神の祟りを受けて苦しまねばならぬ。 (大正一〇・一〇・一九旧九・一九谷口正治録)
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 18 霊界の情勢 第一八章霊界の情勢〔一八〕 ここで自分は、神界幽界の現界にたいする関係を一寸述べておかうと思ふ。 神界と幽界とは時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆゑ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現はれることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。その見ゆる有様は過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである。 霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。 ここに自分が述べつつあることは、霊界において見た順序のままに来るとはかぎらない。霊界において一層早く会ふた身魂が、現界では一層晩く会ふこともあり、霊界にて一層後に見た身魂を、現界にて一層早く見ることもある。今回の三千世界の大神劇に際して、檜舞台に立つところの霊界の役者たちの霊肉一致の行動は、自分が霊界において観たところとは、時間において非常に差異がある。 されど自分は、一度霊界で目撃したことは、神劇として必ず現界に再現してくることを信ずるものである。 さて天界は、天照大御神の御支配であつて、これは後述することにするが、今は地上の神界の紛乱状態を明らかにしたいと思ふ。今までは地上神界の主宰者たる国常立尊は、「表の神諭」に示されたるごとくに、やむを得ざる事情によつて、引退され給うてゐられた。 それに代つて、太古において衆望を担うて、国常立尊の後を襲ひたまうた神様は、現在は支那といふ名で区劃されてゐる地域に、発生せられたる身魂であつて、盤古大神といふ神である。この神はきはめて柔順なる神にましまして、決して悪神ではなかつた。ゆゑに衆神より多大の望みを嘱されてゐたまうた神である。今でこそ日本といひ、支那といひ露西亜といひ、種々に国境が区劃されてゐるが、国常立尊御神政時代は、日本とか外国とかいふやうな差別は全くなかつた。 ところが天孫降臨以来、国家といふ形式ができあがり、いはゆる日本国が建てられた。従つて水火沫の凝りてなれるてふ海外の地にも国家が建設されたのである。さて、いはゆる日本国が創建され、諸々の国々が分れ出でたるとき、支那に生まれたまうた盤古大神は、葦原中津国に来たりたまひて国祖の後を襲ひたまふた上、八王大神といふ直属の番頭神を御使ひになつて、地の世界の諸国を統轄せしめられた。一方いはゆる外国には、国々の国魂の神および番頭神として、国々に八王八頭といふ神を配置された。丁度それは日本の国に盤古大神があり、その下に八王大神がおかれてあつたやうなものである。日本本土における八王大神は、諸外国の八王八頭を統轄し、その上を盤古大神が総攬したまひましたが、八王八頭は決して悪神ではない。天から命ぜられて各国の国魂となつたのは八王であり、八頭は宰相の位置の役である。こういふ風なのが、今日、国常立尊御復権までの神界の有様である。 さうかうするうちに、露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した。これがすなはち素盞嗚命の言向和された、かの醜い形の八頭八尾の大蛇の姿をしてゐたのである。この八頭八尾の大蛇の霊が霊を分けて、国々の国魂神および番頭神なる八王八頭の身魂を冒し、次第に神界を悪化させるやうに努力しながら現在にいたつたのである。しかるに一方印度においては、極陰性の邪気が凝りかたまつて金毛九尾白面の悪狐が発生した。この霊はおのおのまた霊を分けて、国々の八王八頭の相手方の女の霊にのり憑つた。 しかして、また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。しかしながら日本国は特殊なる神国であつて、この三種の悪神の侵害を免れ、地上に儼然として、万古不動に卓立してをることができた。この悪霊の三つ巴のはたらきによつて、諸国の国魂の神の統制力はなくなり、地上の世界は憤怒と、憎悪と、嫉妬と、羨望と、争闘などの諸罪悪に充ち満ちて、つひに収拾すべからざる三界の紛乱状態を醸したのである。 ここにおいて、天上にまします至仁至愛の大神は、このままにては神界、現界、幽界も、共に破滅淪亡の外はないと観察したまひ、ふたたび国常立尊をお召出し遊ばされ、神界および現界の建替を委任し給ふことになつた。さうして坤之金神をはじめ、金勝要神、竜宮乙姫、日出神が、この大神業を輔佐し奉ることになり、残らずの金神すなはち天狗たちは、おのおの分担に従つて御活動申し上げ、白狐は下郎の役として、それぞれ神務に参加することになつた。ここにおいて天津神の嫡流におかせられても、木花咲耶姫命と彦火々出見命は、事態容易ならずと見たまひ、国常立尊の神業を御手伝ひ遊ばすこととなり、正神界の御経綸は着々その歩を進め給ひつつあるのである。それと共にそれぞれ因縁ある身魂は、すべて地の高天原に集まり、神界の修行に参加し、御経綸の端なりとも奉仕さるることになつてをるのである。 そもそも太古、葦原瑞穂中津国は大国主命が武力をもつて、天下をお治めになつてゐた。天孫降臨に先だち、天祖は第三回まで天使をお遣しになり、つひには武力をもつて大国主命の権力を制し給うた。大国主神も力尽きたまひ、現界の御政権をば天命のままに天孫に奉還し、大国主御自身は、青芝垣にかくれて御子事代主と共に、幽世を統治したまふことになつた。 この時代の天孫の御降臨は、現在の日本なる地上の小区劃を御支配なし給ふためではなく、実に全地球の現界を知食すための御降臨であり給うた。しかしながら未完成なる世界には、憎悪、憤怒、怨恨、嫉妬、争闘等あらゆる邪悪が充満してゐるために、天の大神様の御大望は完成するにいたらず、従つて弱肉強食の修羅の巷と化し去り地上の神界、現界は、ほとんど全く崩壊淪亡しやうとする場合に立ちいたつたのである。 かかる情勢を見給ひし天津神様は、命令を下したまひて、盤古大神は地上一切の幽政の御権利を、艮金神国常立尊に、ふたたび御奉還になるのやむなき次第となつた。ここに盤古大神も既に時節のきたれるを知り、従順に大神様の御命令を奉戴遵守したまうた。しかるに八王大神以下の国魂は、邪神のためにその精霊を全く汚されきつてゐるので、まだまだ改心することができず、いろいろと悪策をめぐらしてゐたのである。なかには改心の兆の幾分見えた神もあつた。 かくの如くにして国常立尊が、完全に地上の神界を御統一なしたまふべき時節は、既に已に近づいてゐる。神界の有様は現界にうつりきたり、神界平定後は天津日嗣命が現界を治め給ひ、国常立尊は幽政を総纜したまひ、大国主命は日本の幽政をお司りになるはずである。しかし現在ではまだ、八頭八尾の大蛇、金毛九尾の悪狐および鬼の霊は、盤古大神を擁立して、幽界および現界を支配しやうと、諸々の悪計をめぐらしつつあるのである。 しかしながら従順な盤古大神は、神界に対するかかる反逆に賛同されないので、邪鬼の霊はみづから頭目となり、赤色旗を押立てていろいろの身魂をその眷族に使ひつつ、高天原乗取策を講じてゐる。 そこで天よりは事態容易ならずとして、御三体の大神が地上に降臨ましまして、国常立尊の御経綸を加勢なしたまふことになり、国常立尊は仮の御息所を蓮華台上に建設して、御三体の大神様を奉迎し給ふこととなるのである。 したがつて、御三体の大神様の御息所ができたならば、神界の御経綸が一層進んだ証拠だと拝察することができる。 (大正一〇・一〇・二〇旧九・二〇谷口正治録)
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 22 国祖御隠退の御因縁 第二二章国祖御隠退の御因縁〔二二〕 大国常立尊の御神力によりて、天地はここに剖判し、太陽、太陰、大地の分担神が定まつたことは、前述したとほりである。しかして太陽の霊界は伊邪那岐命これを司りたまひ、その現界は、天照大御神これを主宰したまふのである。次に太陰の霊界は、伊邪那美命これを司りたまひ、その現界は、月夜見之命これを主宰したまふ。大地の霊界は前述のごとくに大国常立命之を司りたまひ、その大海原は日之大神の命によりて須佐之男命これを主宰したまふ神定めとなつた。 しかるに太陽界と、大地球界とは鏡を合したやうに、同一状態に混乱紛糾の状態を現出した。太陰の世界のみは、現幽両界ともに元のままに、平和に治まつてゐる。ひとり太陰に限つて、なぜ今でも平和に治まつてゐるかと言へば、この理は月の形を地上から観測しても明らかである如く、光はあれども酷烈ならず、水気はあつても極寒ではない。実に寒暑の中庸を得たる至善至美の世界であるからである。これに反して太陽の世界は、非常に凡てのものが峻烈で光は鮮かであり、六合に照徹する神力はあれども、それだけまた暗黒なる陰影が多い。しかしてまた大地は、もとより混濁せる分子の凝り固まつてできたものであるから、勢として不浄分子が多い。したがつてまた邪神の発生するのも、やむを得ない次第である。 そこで稚姫君命は、天稚彦と共に神命を奉じて天に上り、天界の神政を司らうとしたまうたが、御昇天の途上において、地上からつき従うた邪神どもにあやまられ、天地経綸の機織の仕組を仕損じたまひ、つひに地上に降りたまひて国常立命と共に地底に潜ませられ、あらゆる艱難苦労を忍びたまふの已むを得ざるに立ちいたつた。稚姫君命の御失敗の因縁については、後日詳しく述べることにする。 さて、大国常立命は天地間の混乱状態邪悪分子をば掃蕩して、最初の神界の御目的どほりの幽政を布かうと遊ばしたまうた。これについて国祖は、まづ坤金神を内助の役として種々の神策を企図したまひ、また、大八洲彦命を天使長兼宰相の地位に立たして、非常に厳格な規則正しき政を行ひ、天の律法を制定して、寸毫といへども天則に干犯するものは、罰するといふことに定めたまうた。そのために地上の年数にして数百年の間は非常に立派に神政が治まつてゐたが、世が次第に開けゆくにつれて、神界、幽界、現界ともに邪悪分子が殖えてきた。すなはち八百万の神人は、日増に大神の御幽政に対する不服を訴ふるやうになり、山川草木にいたるまで言問ひあげつらふ世になつた。 そこでやむを得ず宰相大八洲彦命は、国常立尊の御意志に背くと知りつつも、和光同塵の神策をほどこし、言問ひ、論争ふ八百万の神々を鎮定慰撫しつつ、ともかくも世を治めてゆかれたのである。 しかるにこのとき霊界は、ほとんど四分五裂の勢となり、一方には、盤古大神(又の御名塩長彦)を擁立して、幽政を主宰せしめむとする一派を生じ、他方には、大自在天神大国彦を押し立てて神政を支配し、地の高天原を占領せむとする神人の集団が出現し、その他諸々の神々の小集団は、或ひは盤古大神派に、或ひは大自在天神派に付随せむとし、また中には、この両派に属せずして中立しながら、国常立尊の神政に反対する神々も生じてきた。 そこで国常立尊はやむを得ず天に向つて救援をお請ひになつた。天では天照大御神、日の大神(伊邪那岐尊)、月の大神(伊邪那美尊)、この三体の大神が、地の高天原に御降臨あそばし給ひ、国常立尊の神政および幽政のお手伝ひを遊ばされることになつた。国常立尊は畏れ謹み、瑞の御舎を仕へまつりて、三体の大神を奉迎したまうた。然るところ、地上は国常立尊の御系統は非常に減少して勢力を失ひ、盤古大神および大自在天神の勢力はなはだ侮り難く、つひには国常立尊に対して、御退位をお迫り申すやうになつた。天の御三体の大神は、地上の暴悪なる神々にむかつて、あるひは宥め、或ひは訓し、天則に従ふべきことを懇に説きたまうた。されど、時節は悪神に有利にして、いはゆる……悪盛んにして天に勝つ……といふ状態に立ちいたつた。 ここに国常立尊は神議りに議られ、髪を抜きとり、手を切りとり、骨を断ち、筋を千切り、手足所を異にするやうな惨酷な処刑を甘んじて受けたまうた。されど尊は実に宇宙の大原霊神にましませば、一旦肉体は四分五裂するとも、直ちにもとの肉体に復りたまひ、決して滅びたまふといふことはない。 暴悪なる神々は盤古大神と大自在天神とを押し立て、遮二無二におのが要求を貫徹せむとし、つひには天の御三体の大神様の御舎まで汚し奉るといふことになり、国常立尊に退隠の御命令を下し給はむことを要請した。さて天の御三体の大神様は、国常立尊は臣系となつてゐらるるが、元来は大国常立尊は元の祖神であらせたまひ、御三体の大神様といへども、元来は国常立尊の生みたまうた御関係が坐します故、天の大神様も御真情としては、国常立尊を退隠せしむるに忍びずと考へたまうたなれど、ここに時節の已むなきを覚りたまひ、涙を流しつつ勇猛心を振起したまひ、すべての骨肉の情をすて、しばらく八百万の神々の進言を、御採用あらせらるることになつた。そのとき天の大神様は、国祖に対して後日の再起を以心伝心的に言ひ含みたまひて、国常立尊に御退隠をお命じになり、天に御帰還遊ばされた。 その後、盤古大神を擁立する一派と、大自在天神を押立つる一派とは、烈しく覇権を争ひ、つひに盤古大神の党派が勝ち幽政の全権を握ることになつた。一方国常立尊は自分の妻神坤金神と、大地の主宰神金勝要神および宰相神大八洲彦命その他の有力なる神人と共に、わびしく配所に退去し給うた。 地上の神界の主宰たる大神さへ、かくのごとく御隠退になるといふ有様であるから、地上の主宰たる須佐之男命も亦、八百万の神々に、神退ひに退はるるの已むなきにいたりたまひ、自転倒嶋を立去りて、世界のはしばしに漂泊の旅をつづけられることになつた。しかし須佐之男命は、現界において八岐大蛇を平げ地上を清め、天照大御神にお目にかけ給うたと同じやうに、神界においても、すべての悪神を掃蕩して地上を天下泰平に治め、御三体の大神様にお目にかけ、地上の主宰の大神となり給ふといふのである。 さて、自分はこれから国常立尊随従の八百万の神人の中でも、主なる神司の御経歴御活動を述べ、また盤古大神および大自在天神を擁立せる一派の八百万の神々の経歴および暴動振りを、神界にて目撃せるままを述べておかふと思ふ。 (大正一〇・一〇・二〇旧九・二〇谷口正治録)