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書籍 内容
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(239)
ひふみ神示 8_磐戸の巻 第3帖 二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこいよいよとなりたぞ。春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。大峠となりたらどんな臣民もアフンとしてもの云へんことになるのざぞ、なんとした取違ひでありたかとじだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ、十人なみのことしてゐては今度の御用は出来んのざぞ。逆様にかへると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、ぐれんざぞ、二二に花咲くぞ。一月一日、のひつ九か三。
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(253)
ひふみ神示 8_磐戸の巻 第17帖 この神はよき臣民にはよく見え、悪き臣民には悪く見へるのざぞ、鬼門の金神とも見へるのざぞ、世はクルクルと廻るのざぞ、仕合せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれのミタマの曇りとりてゐるのざから、勇んで苦しいこともして下されよ、上が裸で下が袴はくこと出て来るぞ。神が化かして使うてゐるのざから、出来あがる迄は誰にも判らんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がびっくりするのざぞ、びっくり箱にも悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、神の道は無理ない道ざと知らしてあろが。ミタマの因縁おそろしいぞ。上下わき上がるが近うなりたぞ。一月十四日、の一二か三。
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(266)
ひふみ神示 9_キの巻 第9帖 悪いこと待つは悪魔ぞ、何時建替、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使はれてゐるのざぞ。この神示世界中に知らすのざ、今迄は大目に見てゐたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、神の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国 常立 尊であるぞ、親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、それで天におのぼりなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この神々様、御手伝ひでこの世のかため致したのであるぞ、元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、神を見おろしてゐる様で、何でこの世が治まるものぞ。天と地の御恩といふことが神の国の守護神に判りて居らんから難儀なことが、愈々どうにもならん事になるのぞ、バタバタとなるのぞ。臣民生れおちたらウブの御水を火で暖めてウブ湯をあびせてもらふであろが、其の御水はお土から頂くのざぞ、たき火ともしは皆日の大神様から頂くのざぞ、御水と御火と御土でこの世の生きあるもの生きてゐるのざぞ、そんなこと位誰でも知ってゐると申すであろが、其の御恩と云ふ事知るまいがな、一厘の所分かるまいがな。守護神も曇りてゐるから神々様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かす様では誠の役員とは云はれんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしてゐるのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民くさって了ふぞ、せわしく働けよ。三月十一日、ひつぐの神。
4

(313)
ひふみ神示 11_松の巻 第22帖 世変りたら生命長くなるぞ。今迄上にあがりて楽してゐた守護神は大峠越せん事になるぞ。肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ。悪も御苦労の御役。此の方について御座れ。手引いて助けてやると申してあろが。悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ。七月八日、アメのひつくのかみ。
5

(316)
ひふみ神示 11_松の巻 第25帖 ムからウ生れ、ウからム生れると申してあるが、ウム組み組みて、ちから生れるのざぞ。今度の大峠はムにならねば越せんのざぞ。ムがウざぞ。世の元に返すのぞと申してあろが。ムに返れば見えすくのざぞ。風の日もあるぞ。七月十一日、アメのひつくのかみ。
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(335)
ひふみ神示 13_雨の巻 第1帖 天の日津久の大神-あめの一二の-のお神示であるぞ、特にお許しもろて書きしらすぞ。十二の巻説いて知らすのであるぞ、此の巻アメの巻と申せよ、此の度は昔から無かりた事致すのであるから人民には判らん事であるから素直に致すが一等ざぞ、惟神の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、それが一等の間違ひざぞと申してあろが、惟神とは神人共に融け合った姿ざぞ。今の臣民神無くして居るではないか、それで惟神も神道もないぞ、心大きく、深く、広く持ちて下されよ、愈々となるまでは落しておくから見当とれんから、よくこの神示読んでおいて下されよ。世界ぢゅうに面目ない事ないよにせよと申してあろが。足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、神示裏の裏までよく読めと申してあろがな。此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ。所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、イスラの十二の流れの源泉判る時来たぞ。命がけで御用つとめてゐると思ふて邪魔ばかり致しておろがな、金や学や智では大峠越せんぞ。神はせよと申すことするなと申すこともあるのぞ、裏の裏とはその事ぞ、よく心得て下さりて取違ひいたすでないぞ。手のひら返すぞ返さすぞ、此の度の岩戸開きは人民使ふて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用であるぞ、いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組愈々となったぞ。十月十三日、ひつ九のかみ。
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(344)
ひふみ神示 13_雨の巻 第10帖 天の岩戸開いて地の岩戸開きにかかりてゐるのざぞ、我一力では何事も成就せんぞ、手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。霊肉共に岩戸開くのであるから、実地の大峠の愈々となったらもう堪忍して呉れと何んな臣民も申すぞ、人民には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少ないし神も閉口ぞ。ひどい所程身魂に借銭あるのぢゃぞ、身魂の悪き事してゐる国程厳しき戒め致すのであるぞ。 五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出んし、それで神は掃除許りしてゐるのざぞ、神の臣民それで神洲清潔する民であるぞ、キが元と申してあるが、キが餓死すると肉体餓死するぞ、キ息吹けば肉息吹くぞ、神の子は神のキ頂いてゐるのざから食ふ物無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあるが、キは幾らでも大きく結構に自由になる結構な神のキざぞ。臣民利巧なくなれば神のキ入るぞ、神の息通ふぞ、凝りかたまると凝りになって動き取れんから苦しいのざぞ、馬鹿正直ならんと申してあろがな、三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否でも応でも致さすのであるから、今度の御用は此の神示読まいでは三千世界のことであるから、何処探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ、人民の頭で幾ら考へても智しぼっても学ありても判らんのぢゃ。ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが、何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肚にはいれば未来見え透くのざぞ。此の地も月と同じであるから、人民の心其の儘に写るのであるから、人民の心悪くなれば悪くなるのざぞ、善くなれば善くなるのぞ。理屈悪と申してあろが、悪の終りは共食ぢゃ、共食ひして共倒れ、理屈が理屈と悪が悪と共倒れになるのが神の仕組ぢゃ、と判ってゐながら何うにもならん事に今に世界がなって来るのざ、逆に逆にと出て来るのぢゃ、何故そうなって来るか判らんのか、神示読めよ。オロシヤの悪神の仕組人民には一人も判ってゐないのざぞ。神にはよう判っての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、此の方に任せておきなされ、一切心配なく此の方の申す様にしておりて見なされ、大舟に乗って居なされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、何処に居ても助けてやるぞ。雨の神、風の神、地震の神、荒ノ神、岩の神様に祈りなされよ、世の元からの生き通しの生神様拝がみなされよ。日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人許りでないぞ、大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取違ひせん様に気付けおくぞ。でかけのみなとは九九ぢゃぞ、皆に知らしてやりて下されよ、幾ら道進んでゐても後戻りぢゃ、此の神示が出発点ぞ、出直して神示から出て下されよ、我張りてやる気ならやりて見よれ、九分九分九厘で鼻ポキンぞ、泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気付けてゐるのぢゃ、足あげて顔の色変へる時近付いたぞ。世建替へて広き光の世と致すのぢゃ、光の世とは光なき世であるぞ、此の方の元へ引寄せて目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのぢゃ、気付けてゐて下されよ、何ちらに行くつもりぢゃ。十一月二十七日、一二
8

(351)
ひふみ神示 13_雨の巻 第17帖 天地の先祖、元の神の天詞様が王の王と現はれなさるぞ、王の王はタマで御現はれなされるのざぞ。 礼拝の仕方書き知らすぞ、節分から始めて下されよ、 先づキ整へて暫し目つむり心開きて一拝二拝八拍手せよ、 又キ整へて一二三四五六七八九十と言高くのれよ、 又キ整へてひふみ三回のれよ、これはこれは喜びの舞、清めの舞、祓の歌であるぞ。世界の臣民皆のれよ、身も魂も一つになって、のり歌ひ舞へよ、身魂全体で拍手するのざぞ、 終って又キ整へて 一二三四五六七八九十、 一二三四五六七八九十百千卍と言高くのれよ、 神気整へて 天の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、これは祈るのざぞ、 九二のひつくの神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、 終りて八拍手せよ、 次に 雨の神様、 風の神様、 岩の神様、 荒の神様、 地震の神様、 百々の神様、 世の元からの生神様、 産土の神様に御礼申せよ、 終りてから神々様のキ頂けよ、キの頂き方前に知らしてあろがな、 何よりの臣民人民の生の命の糧であるぞ、病なくなる元の元のキであるぞ、 八度繰り返せと申してあろ、暫くこのやうに拝めよ、神代になる迄にはまだ進むのざぞ、 それまではその様にせよ、 此の方の申す様にすればその通りになるのざぞ、さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、大峠とは王統消すのざぞ。新しき元の生命と成るのざぞ。神の心となれば誠判るぞ。誠とはマとコトざぞ、神と人民同じになれば神代ざぞ、神は隠身に、人民表に立ちて此の世治まるのざぞ。雀の涙程の物取り合ひへし合ひ何して御座るのぞ、自分のものとまだ思ってゐるのか。御恩とは五つの音の事ざぞ、御音-恩-返さなならんのざぞ、此の事よく考へて間違はん様にして下されよ。此の巻は雨の巻ぞ、次々に知らすからミタマ相当により分けて知らしてやれよ、事分けて一二三として知らしてやるのもよいぞ。役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、臣民人民皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、待たれるだけ待ってゐるのぢゃ、一人で手柄は悪ぢゃ、分けあってやれよ、手握りてやれよ。石もの云ふぞ、十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。神の仕組の世に出でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変はり八変はり九の十々て百千万の神の世弥栄。十二月十九日、ひつ九のかミ。
9

(403)
ひふみ神示 18_光の巻 第7帖 アは元のキの神の子ぞ。ヤとワは渡りて来た神の子ぞ。 は渡りて来る神の子ざぞ。十の流れ、十二の流れと今に判る時来るぞ、三ツ巴現はれるぞ、メリカ、キリスも、オロシヤも、世界一つに丸めて一つの王で治めるのぢゃぞ、外国人も神の目からはないのざぞ。今一戦あるぞ。早う目覚めて、け嫌ひいたさず、仲よう御用結構ぞ。竜宮の音秘殿、岩の神殿、荒の神殿、世界のカタハシから愈々に取り掛かりなされてゐるのざから、世界の出来事気付けて、早う改心結構ぞ。と二と四との大きいくさあると知らしてありたが、一旦は二と四の天下になる所まで落ち込むぞ、行く所まで行きて、ナのミタマとノのミタマの和合一致出来てからスのミタマが天下統一、世界一平となるのぢゃぞ。愈々大峠取上げにかかるのざぞ。七月十九日、ひつぐの神。
10

(433)
ひふみ神示 20_梅の巻 第6帖 雨の神、 風の神、 岩の神、 荒の神、 地震の神、 百々八百万の神々様 御活動激しくなったぞ、人民目開けておれん事になるぞ、出来るだけおだやかに致したいなれど、判りた臣民日々おわびお祈り結構致し呉れよ、大峠となりてからではいくら改心致しますと申しても、許してくれと申しても、許すことは出来んから、日本には日本の守護の神、支那には支那、外国には、外国のそれぞれの守護の神あること忘れるなよ。神々様持場々々清めて呉れよ。御役結構ぞ。十一月十六日、ひつ九の神。
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(510)
ひふみ神示 23_海の巻 第18帖 人民の我では通らん時となった位判って居らうがな、早よ我捨ててこの方について参れよ、素直にいたせば楽に行けるのざぞ、大峠越せるのざぞ、時節の仕組中々人民には判るまいがな、悪抱き参らす為には我が子にまで天のトガをおはせ、善の地の先祖まで押し込めねば一応抱く事出来んのであるぞ、ここの秘密知るものは天の御先祖様と地の御先祖様より他には無いのであるぞ。我が我がと早う出世したい様では、心変へんと人民は御用六ヶ敷いぞ。神に分けへだてなし、へだては人民の心にあるぞ。此の道は因縁なくしては判らん六ヶ敷い道であれど、此の道つらぬかねば、世界は一平にならんのぢゃ、縁ある人は勇んで行けるのぢゃ、神が守るからおかげ万倍ぢゃ、神の帖面間違ひないぞ、思ふ様にならぬのは、ならぬ時は我の心に聞いて見るがよいぞ、神の仕組は変らねど、此の世では、人民の心次第で良くも悪くも出て来るのぢゃ、仕事は変らねど出て来るのが変るのざ、悪く変ると気の毒なからくどう申してゐるのぢゃぞ。八月二十三日、一二
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(530)
ひふみ神示 24_黄金の巻 第19帖 己の行出来て居らんと、人の悪口云はなならんことになるぞ。己の心日々夜々改めねばならん。心とは身と心のことぞ。元の活神が直接の、直々の守護を致す時来たぞ。気つけおくぞ。国々、所々、村々、家々、皆何なりとしてめぐりだけの借銭済し致しくれよ。大峠ぞ。早合点するなよ。小さい容れもの間に合はん。かのととり。一二十
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(794)
ひふみ神示 31_扶桑の巻 第6帖 はらひため千城百国精治万歳。 三年と半年、半年と三年であるぞ、その間はクラヤミ時代、火をともしてもくらいのであるぞ、あかるい人民にはヤミでも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢゃ、五日と五日ぢゃ、このこと間違へるでないぞ。手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、岩戸がひらけたのぢゃ。神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなるタメシがあるぞ、人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。
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(811)
ひふみ神示 32_碧玉之巻 第8帖 四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生れると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類であるぞ。今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるぞ、取違いせぬように、悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ。大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせるなれど、その時では間に合わん、逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ん、皆己の心であるからぞ、今の内に改心結構、神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、納得の行くように致して見せてあるでないか。
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(813)
ひふみ神示 32_碧玉之巻 第10帖 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなばこの千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。 次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下を治しめす御役神であるぞ。天ヶ下は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる-と言ふ-ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル現生る-神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。 神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。 仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。
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(909)
ひふみ神示 37_五葉之巻 第7帖 昨日は昨日、今日は今日の風、 昨日に 囚われるなよ、 人民の道は定まってゐるなれど、目の前だけしか見えんから踏み迷ふのであるぞ。薬飲んで毒死せんように致しくれよ、薬は毒、毒は薬ぢゃ、大峠にも登りと下りとあるぞ、馬鹿正直ならん、頭の体操、ヘソの体操大切ぞ。
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(914)
ひふみ神示 37_五葉之巻 第12帖 八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、天地の波にのればよいのぢゃ、楽し楽しで大峠越せるぞ、神は無理申さん、やればやれる時ぞ、ヘタをすると世界は泥の海、神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、新しき太陽は昇ってゐるでないか。
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(1268)
霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 余白歌 余白歌 天地の初発之時ゆ祖々の御魂の因縁現はせる神世〈総説〉 うつ蝉の世を立直す柱木はあめの御柱くにの御柱〈総説〉 二柱やうやく立ちて千万のその副柱今も尋ねつ〈総説〉 自発的一つの小長ある人は衣食に不足つぐることなし〈第2章〉 くよくよと物事悔む暇あれば大小となく行ひてみよ〈第2章〉 天の下は皆ことごとく無欲者の自由所得の世界なりけり〈第3章〉 公のために争ふ人々は神の御眼より罪とはならじ〈第3章〉 使ふべき人や遺つると谷具久の狭渡るきはみわれは尋ねつ〈第6章〉 物事は注意をすれば人の世は過ち防ぐ大価とぞなる〈第6章〉 梓弓ひきてかへらぬ雄心は神代ながらの日本魂〈第9章〉 この度の神の経綸の深ければただ一柱知る神もなし〈第12章〉 天地の神の造りし人の身は髪一筋もままにはならじ〈第12章〉 皇神の依さし給ひし布教者と化りて世人を欺く曲神〈第13章〉 このたびの神の気吹のなかりせば四方の雲霧誰かはらはむ〈第13章〉 百口のへつらひ言葉聞くよりもただ一言の誠うれしき〈第14章〉 黄昏れて西に落ちたる日も月もやがて東の空に輝るらむ〈第15章〉 蟹が行く横さの道にふみ迷ふ世人のために身を砕くなり〈第15章〉 大本の大橋渡りまだ先へ行き詰りては後戻りする〈第16章〉 聞きたくば尋ね来れよ説明す人の心の信念力あるだけ〈第16章〉 近寄りし世の立替に先立ちて身魂を洗へ四方の神子たち〈第17章〉 久方の天のはしだて踏みしめて綾の高天へ昇れ神子たち〈第17章〉 葦原の八十の曲津見はらはむと中津御国の経綸なしつつ〈第18章〉 攻めきたる外国魂を一いきに言向け和平す神国の道〈第18章〉 先の世と聞いて心を許すなよ明日の日柄も先の世なれば〈第19章〉 大方の人の夢にも知らぬ間に説き諭すなり先の世の事〈第19章〉 立替が始まり来れば眼も鼻も口さへあかぬことのあるらむ〈第22章〉 天地の神の怒りの雄たけびにすべての曲は亡び失すなり〈第22章〉 この事を早く世人に知らさむとはやれど更に聞くものはなし〈第22章〉 醜魂を洗ひすまして神国の日本御魂を研き清めむ〈第23章〉 曲人の時を得るてふ闇の世は正しき人を爪はじきする〈第23章〉 争ひは小事に快く負けて大事に勝つが成功の鍵なり〈第24章〉 時来れば外国までも連れ行かむ万代までも名をあぐる為に〈第24章〉 世の中の人はたちまち驚かむかぎり知られぬ神の力に〈第24章〉 この経綸遂げ終せたる暁は神人ともに歓喜に充たむ〈第24章〉 疑の雲晴れ行きて世の人の心の空に月日照るなり〈第25章〉 世の本の誠の神が現はれて世人の知らぬことを教へつ〈第26章〉 常夜行く天の岩戸を開かむと思ひは胸に三千歳の今日〈第28章〉 天地に神の有る無し明らかに現はれ出づる時は来にけり〈第28章〉 天津御祖神の御言をかしこみて下津岩根に道をひらきし〈第28章〉 おしなべて世を救はむと皇神の神言かしこみ吾は出でけり〈第28章〉 曇りなき心の空に天津日の輝き渡る人は神なり〈第29章〉 まだしばしその日早しと何事も山の小言と聞き流しつつ〈第29章〉 立替の大峠までに神の子は心入れ替へよ最早暇なし〈第29章〉 神の世は隅々までも澄みわたり曲津の潜む隈もなきまで〈第34章〉 変りゆく時代の潮に逆らふは身をほろぼすの基なりけり〈第35章〉 神々の神言かしこみ言霊のその活用は歌となりけり〈第38章〉 時は今天地ひらく神代かも神のみいづの鳴りわたる時〈第38章〉 天津御祖神の怒りの強ければもうこの上は力及ばず〈第38章〉 天地の洗ひ替へより真先に人の心の洗ひ替へせむ〈第43章〉 大本へ集り来る人の数々を教へ諭して御柱とせむ〈第46章〉 益良夫は神国の宝女子は家の宝ぞ大切にせよ〈第46章〉 霊幸はふ神の教の深ければ浅き心の人には解らず〈第49章〉 黙々として成し遂げし大業は真に完全無欠なるべし〈第49章〉 心身は自己の自由と言ひながら神に依らずば真の自由なし〈第50章〉 愚かなる児に財産を遺すより世のため神と道とに貢げよ〈第50章〉 村肝の心は動きやすければ神の御綱によりて繋げよ〈第50章〉 神の心は凡夫の心凡夫の心は神心〈第50章〉[この余白歌は八幡書店版霊界物語収録の余白歌を参考に他の資料と付き合わせて作成しました]
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 総説 総説 太古の神霊界における政治の大要を述べて見ようと思ふ。固より数百万年以前の事であつて、吾々人間としては、その真偽を的確に判別する事は到底不可能であります。然し王仁の述ぶるところは、臆説や想像ではない。また創作物でもない。高熊山における霊学修行中に、見聞したる有りのままを、覚束なき記憶より呼び出して、僅かにその片鱗を吐露したばかりであります。 現代文明の空気に触れたる、天文地文学者や国学者および宗教家、哲学者などの、深遠なる知識から、この物語を見るならば、実に欠点だらけで、中には抱腹絶倒、批判の価値なきものと、断定さるるでありませう。しかし王仁の物語は、寓意的の教訓でもなければ、また虚構でもない、有りのままの見聞談である。 総て霊界の話は現界とは異つて、率直で簡明であり、濃厚複雑等の説話は、神の最も忌み玉ふところ、女にも子供にも、どんな無知識階級にも、なるべく解り易く、平易簡単にして、明瞭なるを主眼とするが故である。 本巻は、いよいよ天津神の命により諾冊の二尊が、天照大御神の御魂の大御柱を中心に、天より降り、天の浮橋に立ちて、海月なす漂へる国を修理固成し玉ひ、現代の我日本国即ち豊葦原の瑞穂の中津国を胞衣となし、かつ神実として、地上のあらゆる世界を修理固成し玉うた神界経綸の大略を述べたものであります。それゆゑ舞台は、地球上一般の神人界に渉つた出来事であつて、区々たる極東我神国のみの神話を写したものでない事は勿論である。 ○ 総て太古の御神政は神祭を第一とし、次に神政を行ひ、国々に国魂神があり、国魂神は、その国々の神王、又は八王などと云つて八尋殿を建てられ、殿内の至聖処に祭壇を設け、造化三神を鎮祭し、神王および八王は、同殿同床にて神明に奉仕された。さうして神政は左守神又は右守神(或は八頭神とも云ふ)に神示を伝へ神政を司掌らしめ玉うたのであります。さうして国治立命御神政の時代は、[※御校正本・愛世版では「国治立命御隠退の時代」だが、天使長という聖職があったのは国祖隠退後ではなく、国祖神政中であり、意味がおかしくなる。そのため霊界物語ネットでは校定版・八幡版に準じて「隠退」を「神政」に直した]天使長と云ふ聖職があつて、国祖の神慮を奉じ、各地の国魂たる八王神を統轄せしめつつあつたのが、諾冊二尊の、淤能碁呂嶋へ御降臨ありし後は、伊弉諾の大神、八尋殿を造りて、これに造化の三神を祭り玉ひ、同殿同床の制を布き、伊弉冊尊を、国の御柱神として、地上神政の主管者たらしめ玉うたのであります。しかるに地上の世界は、日に月に、体主霊従の邪気漲り、物質的文明の進歩と共に、地上神人の精神は、その反比例に悪化し、大蛇、鬼、悪狐の邪霊は天地に充満して有らゆる災害をなし、収拾すべからざるに立ち致つた。そこで神界の神人の最も下層社会より、所謂糞に成り坐すてふ埴安彦神が現はれて、大神の神政を輔佐し奉るべく、天地の洪徳を汎く世界に説示するために教を立て、宣伝使を天下に派遣さるる事となつたのである。 また国祖国治立命は天教山に隠れ、世界の大峠を免るることを汎く地上の神人に告げ諭し、大難を免れしめむとして、宣伝使神を任命し、地上の世界に派遣せしめ玉うた。これが神代における、治教的宣伝の濫觴であつたのである。さうして宣伝使神の任にあたる神は多芸多能にして、礼、楽、射、御、書、数の六芸に通達してゐた神人ばかりである。さうして一身を神に捧げ、衆生救済の天職に喜びて従事されたのである。 それより後、埴安彦、埴安姫の二神司が地上に顕現して麻柱教を説き、宣伝使を任じて世界を覚醒し、神人の御魂の救済に尽さしめた。その宣伝使もまた、士、農、工、商の道に通達し、天則を守り忍耐を唯一の武器として労苦を惜まず、有らゆる迫害を甘受してその任務を尽したのである。現今の各教各宗の宣教師の、安逸遊惰なる生活に比すれば、実に天地霄壤の差があるのである。 総て神の福音を述べ伝ふる宣伝使の聖職に在るものは、神代の宣伝使神の心を以て心とし、克く堪え忍び以て神格を保持し、世人の模範とならねばならぬのである。 ○ 太古の人民の生活状態は、今日のごとく安全なる生活は到底望まれ得なかつた。家屋と云つても、木と木とを組み合せ、杭を地上に打ち、藤蔓の蔓を以てこれを縛り、茅や笹の葉や木の葉を以て屋根を覆ひ、纔に雨露を凌ぐものもあり、岩窟の中に住むもの、山腹に穴を穿ち、草を敷きて住むもの、巨岩を畳み、洞穴を造つてこれに住むものなどで、衣服のごときも、一般の人民は獣皮を身に纏ひ、或は木の葉を編み、草を編み、麻の衣を着るものは人民の中でも最も上等の部である。また絹布を纏へるは最も高貴なる神人のみであつた。 夫れでも古代の人間は天地の大恩を感謝し、生活を楽しみ、和気靄々として楽しくその日を暮して居つたのである。さうして村々には酋長の如きものがあつて、これを各自に統一してゐた。遂には地上に人間の数の殖えるに従つて、争奪をはじめ、生存競争の悪社会を馴致し、弱肉強食の修羅場と化するに至つた。その人心を善導すべく、神の大御心に依つて教なるものが興り、宣伝使の必要を招来するに至つたのであります。 大正十一年一月二十五日旧十年十二月二十八日 出口王仁三郎
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 18 天の瓊矛 第一八章天の瓊矛〔二六八〕 この大変乱に天柱砕け、地軸裂け、宇宙大地の位置は、激動の為やや西南に傾斜し、随つて天上の星の位置も変更するの已むを得ざるに致りける。 さて大地の西南に傾斜したるため、北極星および北斗星は、地上より見て、その位置を変ずるに至り、地球の北端なる我が国土の真上に、北極星あり、北斗星またその真上に在りしもの、この変動に依りて稍我が国より見て、東北に偏位するに致りける。 また太陽の位置も、我が国土より見て稍北方に傾き、それ以後気候に寒暑の相違を来したるなり。 ここに大国治立命は、この海月成す漂へる国を修理固成せしめむとし、日月界の主宰神たる伊邪那岐尊および伊邪那美尊に命じ、天の瓊矛を賜ひて天の浮橋に立たしめ、地上の海原を瓊矛を以つて掻きなさしめ給ひぬ。 この瓊矛と云ふは、今の北斗星なり。北極星は宇宙の中空に位置を占め、月の呼吸を助け、地上の水を盛ンに吸引せしめたまふ。北斗星の尖端にあたる天教山は、次第に水量を減じ、漸次世界の山々は、日を追うて其の頂点を現はしにける。 数年を経て洪水減じ、地上は復び元の陸地となり、矛の先より滴る雫凝りて、一つの島を成すといふは、この北斗星の切尖の真下に当る国土より、修理固成せられたるの謂なり。 太陽は復び晃々として天に輝き、月は純白の光を地上に投げ、一切の草木は残らず蘇生し、而て地上総ての蒼生は、殆ど全滅せしと思ひきや、野立彦、野立姫二神の犠牲的仁慈の徳によりて、草の片葉に至るまで、残らず救はれ居たりける。 神諭に、 『神は餓鬼、虫族に至る迄、つつぼには落さぬぞよ』 と示し給ふは、この理由である。 アヽ有難きかな、大神の仁慈よ。唯善神は安全にこの世界の大難たる大峠を越え、邪神は大峠を越ゆるに非常の困苦あるのみなりき。 而て仁慈の神は、吾御身を犠牲となし禽獣魚介に至る迄、これを救はせ給ひけり。世の立替へ立直しを怖るる人よ。神の大御心を省み、よく悔い改め、よく覚り、神恩を畏み、罪悪を恥ぢ、柔順に唯神に奉仕し、その天賦の天職を盡すを以て心とせよ。 惟神霊幸倍坐世。 (大正一一・一・一八旧大正一〇・一二・二一外山豊二録)