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(3534)
大本神諭 神諭一覧 明治35年旧6月8日 明治三十五年旧六月八日 艮の金神出口の神と現はれて守護にかかるから、何彼の事が大変激烈く成りて、辛い神が段々出来るから、大本の役員は、余程胴を据へて居らんと、色々と申してツマラん神が出て来るぞよ。判りた守護神は御用に使ふて、御働きの上で、夫れ夫れの御用を不調法なしに勤め上りたら、今度はトンダ出世が出来るなれど、何を申しても此の世を持ち荒して、仕放題に仕て居る守護神斗りで在るから、陽気な方の守護神斗りゆえ、何を致しても虚偽虚栄でツクネて在るから、立直しの神業は大望な事で在るぞよ。 初発から我意で縮尻りた此の方、我を折りた御ン蔭で、本来の御用が出来る世が参りたから、今度の世の立替の守護は、我が在りたら縮尻ると、初めから出口の手で怒られもって知らしたが、今度は俺は高い神格じゃと申して居りたとて、此の世が悪る神斗りに成りて、国が潰れる様な事が出来致すから、此の方が表で守護致し出したら、間に合ふ天地精霊純真魂の神は一人も無い、皆恐怖がりて手も出ん神斗りで在るぞよ。此の濁世が来るのが、世の本から能く判りて居りた故に、此の方が頑張りて、万の神の行り方を避けたので在りたが、元に申した世が参りて来ても、此の方を押込め様と目録た神に、力に成りて間に合ふ神はチットも無いなり、苦労致して立直すのは、矢張此方と出口の骨折りで、此の御用を輔佐させる守護神は一人も無いのじゃ。此の事推量致せと申しても、神の心の判らん人民には無理も無いぞよ。此の御ン役を勤め上げたら、此の世に、世界に指一本さえる所は無き様に、大神様へも何処へも恐れる所は無いのじゃぞよ。今コンナ事を申しても誰も誠に致さねど、気も無い中に知して置くぞよ。筆先を能く見て置けば、世界に在る事と大本に在りた事とが能く判るから、クドウ筆先きを見ておけと申すのじゃぞよ。筆先きさえ能く腹へ入れておいたら、世界の事は見え透くぞよ。今は悪く申して居りても、誠が判りて来ると、大本は誰に因らんぞ恋しく成るから、急劇信仰は間に合はんから、永らく出口に知らさしたが、余り人民は悪が強う成りてチットも聞けんから、モウ神も出口も堪忍袋が切れて来たぞよ。此の方出口は隠忍るが変性男子の御役で、永い間の苦労の凝結が今度開けるので在るから、此神業が開けたら世界が鳴り渡るぞよ。コンナ大事業の来ぬ前に、何も知らん人民が苦労無しに人の苦労で徳は獲れんから、夫れ夫れの苦労を為せて、罪穢を取りて与りて、其の上で御用を命して、天下泰平に幽顕を治定めて、それから御ン礼の段に成るのじゃぞよ。物事が成就せん前に駄賃からは与れんから、此の出口を見て居りたら、能く判る様に鏡が出して在るのに、何時の昔からじゃ判らん程永く苦労を命して在りても、未だに此の気苦労をさして居るのに、鏡を横へ除りて置りたから見えなんだから、是から出して手習ひを致さな成らんから、此の事が判りて来ると、筆先がジックリして見て居れん、何彼にが忙しく成るから、淋しくしてある中に、心の在る人は見て置かぬと、誠の徳は獲れんぞよ。十人並の事なら骨は折れんなれど、今が大事の性念場で在るから、神経神綸の一切の事、静かな此の中を能く考へて居る人で無いと、誠の真相は判らんぞよ。表面体飾りて実の無い信心の折に、返って人が寄りて来るが、大きな間違ひじゃ。来るのは今のヒッソリ致して居る折で在るぞよ。因縁ある身魂を天で調査致して在れど、地でモウ一度調査を致して見れば、余り曇りが甚大いので、ナカナカ間に合ふ差添の種にする、天地の経綸を判ける身魂は無いなれど、何でも日々に磨けば光沢が出るから、磨かねばチットも間に合はんぞよ。差添の種はモトに在るから、其の心算で早く磨いて貰はんと、世界は一度に開く梅の花と申して、天地がカへる時節が参りたぞよ。経綸が皆出て来るので在るから、是れ丈に申して置いたら、神出口に落ち度は無いなれど、何事も見る目が辛いから、誰に因らん心配顔を仕て下さるなよ。
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(3563)
大本神諭 神諭一覧 明治36年閏5月23日 明治三十六年閏五月二十三日 日本の国は日本で建てて、外国とは立別けて在りたなれど、世が乱れて来て、世の末と成りて、六茶苦茶に成りて了ふた世を、此の世を創造た元の実地の艮の金神が、此の世を潰ぬ為に、変性男子、変性女子の身魂を造らへて、世界には大きな水も漏さん仕組が為て在りての、二度目の世の立替で在るから、ナカナカ大事業なれど、地固めが出来たら成るのも早いから、日本の人民に一人でも多く、早う日本魂の生粋に復帰らねば成らぬぞよ。此の大本は、世の始まりの世界の大本と申すのは、艮の金神が世を持つ教を致して、神代に間に合ふ日本魂を造る、純真純美の光明彩筆の世の始まりで在るから、此中へ立寄る人よ、其の心得で修行を致して下さらんと、真正の御蔭は判らぬぞよ。役員は皆其の心得で、御用を勤めて下されよ。 日本と外国との大戦ひが此の綾部の大本の中に、縮図が為て見せて在るが、神力は日本なり学力は外国、一分と九分との艮めの大決戦で在るから、余程日本魂を練りて、胴を据へて居らねば成らんぞよ。負けたら従ふて与るし、勝ちたら従はして末代の世を天下泰平に治めるぞよ。魯国から始まりて、世界の大戦に成ると云ふ事が、明治二十八年の十一月に、出口手で書かして在るが、時節が迫々と出て来て、疑ひの雲が晴れ行くやうに成りたぞよ。永い間の大きな経綸であるから。申した事に遅し速しは在る事も在るなれど、一度申した事は何も違はん、其の通りが出て来るのじゃぞよ。 此の世に類無き落ぶれ者の出口直に、昔から未だ無い結構な事が命して在りて、口と手とで世界の事を知らしても、真実に今の人民は致さんから、此の中に実地が為て見せて在れども、判らねば判るやうにして見せて与るぞよ。疑ひの雲も晴行きて、何処から破裂致すやら、ヲドスで無いが、三千世界の幽顕の建替と云ふ様な大規模の神業を為て居りて、是だけ世界から実地が現出て来るのに、改心も致さずに、今に疑ふて居る人民、地部下にならんやうに致されよ。疑ふも際限が在るぞよ。此の世でさえも一ト切りに成りて、世の立替と云ふ様な大神模な経綸を致す大本で在るから、疑ふ様な小さい肝魂を持ちて居りて、神の聖慮も汲み取れんやうな人民は、今度は真正の御神徳もやう得らんから、天地の御用は間に合はんから。省かれるより仕様は無いぞよ。器量が小さいと、自己の損じゃと申して気が附けて在るぞよ。 今度綾部に咲くハナは、昔から未だ此の世始まりてから、類例の無い事のハナが咲くので在るから、其の大本で在るから、世が放漫的開化て汚濁切た今の世の中に、末代萎れん結構な花の咲く基礎工事の御用は、苦労艱難の凝結の花が咲く御用で在るから、軽挙妄動有りては出来んぞよ。 世が変りて、梅と松との世に成るぞよ。梅は寒候に向へば花の準備致す、花の中では一番苦労が永がいなれど、節操正しく良い実を結ぶなり、大本のハナは苦労の凝結で咲くので在るから、梅に譬へて在るぞよ。松は変らん昔から一すじの金院無欠至霊心、此の心に日本の人民よ、皆が揃ふて成りて来んと、今度の日本と外国との戦ひは、彼我も人民では見当の取れん、大きな仕組が出来て居るから、外国の方が良いと思ふ様な、真政理解の無い日本の人民は、仕様無くば外国へ服順と云ふ者が八分も九分も有るが、今度の最後審判の瀬戸際で外国に服従ふた人民は、畜生道へ堕落て万劫末代モウ日本の神国へは帰る事は出来んぞよ。松も梅も皆今度の事の譬へ、心で汲取なされ。出口の筆先は書放題、其れが皆世界から出て来るのじゃぞよ。日本はいろは四十八文字で世界中が見え透くので在るから、荒振神共よ、改心致さな成らん世が参りたぞよ。世の刷新に霊魂の改善整理で在るから、改心せん身魂は自然淘汰から、不足は世界中に何処へも云ふて行く処は無いぞよ。 旅立ちの身風を書き置くぞよ。出口の旅立ちは、世を立替へる大本で在るから、薩張り現今流とは風相を変へる、何処へ行きても木綿着物に晒しの脚線、紙巻草履を穿きて参ると申して在るが、現代は余り世が贅沢て、物的欲望極致から、大本から末代の神政の行り方を創始て見せるぞよ。 鬼門の金神は悪神と世界の人民に言はれた神、悪神で在りたか、善を竭して此の天地を潰さぬ様に、悪に見せて善一つを立て貫きて来た事を、変性男子を顕はして、世界の人民に改心悦服絶対的帰順を為して、賦興安心立命す、綾部の大本は、善と悪との行り方を、世界の人民に見せて、末代の神政の手本を出して、人民に本然感知を致す大本で在るぞよ。悪の行り方は人がドンナ苦労を為てもドウでも良いなり、自我の思はくに行かんと四方八方当たりまくって、小言を申し立てて恨み合ひの行り方、善の行り方は我身を犠牲て人を助けるのが善の行り方で、善と悪との行り方は天地の違ひであるぞよ。此の世は善の行り方で無いと、悪ではテンと行当りて、途中で道が無くなりて、世が難渋な事に成るから、善の行り方の世へ持ち方を改めるぞよ。コンナ事を申すとよい狂気者じゃと申して、一層悪く申すなれど、辛い残念を隠忍りて行かねば成就らん誠の道で在るから、普通並製の身魂で在りたら、辛棒は出来んと申して、筆先に出して在るぞよ。三千世界の大狂者の真似で在るから、辛棒りて行けよ。此の方の行り方は、今では人民の心の通りに見えるぞよ。悪き心の人民には悪神に見るし、善き心の人民には是程善き神は先づは無いなれど、心の事が出来るぞよ。 此の世は是迄は四ツ足の守護で在りたから、腹心の中は腐りて居りても、容色飾りてドンナ罪科の金でも立派に使用ばエライ者じゃと鄭重に致すから、日本の人民が不真不実く堕落て、学と金とが此世の宝と申したが、世を変えて、此の先きは日本の国は、天立本然の日本に致して了ふから、直接の分霊分身は申すに及ばんなり、其の系統の身魂は天下泰平に世が治まりたら、夫れ夫れに御用を仰せ附けるから、本来が結構な天地の霊徳で在るから、日本の人民は天賦精霊を磨きて、心性の容れ変えを致したら、世界中が善くなるのじゃぞよ。 昔の神代が循環り来て、本来の神政へ帰復りて、昔の元へ何事も日本の行ひを復顕から、世界には大きな間違ひが出来て来て、思慮腹案の相異う人が多数に出来るが、是迄は悪が跳梁りた世で在りたなれど、善一つに平定て了ふて、悪は掃蕩げるぞよ。 神代に成ると近い遠いの懸隔は無いぞよ。水晶の真心の信念なら、千里を隔てた所でも利益は与るが、膝下にをりても、神に心の無き人民は構いはせんぞよ。心丈けの事より報酬は与らん此方じゃぞよ。 [#ここから下の文章は、「教祖御直筆」とあるように、艮の金神による大本神諭ではなく、出口ナオによる文章である。天声社の七巻本(第6巻8頁~)には収録されていない。] 出口教祖三千世界を開きます大神の御用致されし御経歴を少し誌し奉らん。原文は教祖御直筆なり。 ……………錮れては置かんと御指図ありて、四月の十五日(教祖出獄の御日)に成る迄に、大槻鹿造が牢の入口へ参りて「家(出口家)を売りて御前(教祖)に気楽に暮らさし度い」と申して、私のやうな者の言ふ事でも聞て下さり、「福知山の叔父様の言はるるやう、また伝吉(教祖第三男)の言ふ事も聞いて呉れたなら、御前(教祖)を牢から出して上げやう」と往生攻めに致したのだ。出口は家も何も要らん、牢から出さえしたら良いのであるよって鹿造の言ふ通り、夫れは良い法立てで在る故結構じゃから、御前の都合に為されと委して置いて、四月十五日に出して貰ふたのでありた。科なきものを牢へ入れて、四十日の間食物も食べずに居りたのも、皆神様からの事で在りました。余り苦酷から牢の中で死のうと思ふて見ても、何程死のうと思ふても、神がキッと憑いて居るから死なれせんぞと、艮の金神様が言ひなされて止めに致したが、死ぬも生きるも皆神様からの都合の事で在りますから、何事も神様にお委任申せば楽なもの、天竺へ行けと神様が言ひなされて、真実に行くのじゃと思ふて、神様や近所へ子供を頼みて置いて、天竺へ行かうと思ふて居りたら、裏の庭園の松の木の余程太い枝が折れてをりた、其の松に嘴が出来、羽翼が出来、大きな鳥に成りて、其の鳥を捕まへたら、何処やら行ったと思ふたら綺麗な室に来て居りて、見ると妙見様が大きな御厨子の中に這入りて居りなされて、又其の次の室へ行きたら、女神様が御ズシの中へ這入りなされて、其の前に七福神と兎が居りました。また向ひには福禄寿が立てりて居りなされた思ふたら、矢張り出口の宅で寝て居りたので在りた。其次に龍宮へ行けと言ひなされて、龍宮へ行ったと思ふたら、龍宮の眷属が梯子をさして大勢上りて来た事も見えました。 牢から出て西町(大槻鹿造宅)に二日居りて、八木へ行きたのだ。家も売り道具も売りて、路頭に立ちたなれど綺麗な新つの出口直に成りて、今に成りたら家を売りて下されたのが誠に結構だ。茲まで致さんと此の取り次ぎ(教祖)は出来んのじゃぞ。出口は方々で糸引きて、新つに衣類を造らへて、生れ赤子に成りたのじゃ。皆神が命して在る事ぞ。茲まで世に落して御用を命して居るぞよ。神と人民とは薩張心が反対で在るから、神の御用を聞くものは何か非凡ぞよ。人民は表面体を飾り、金の廻りが良いと誠に重宝がりて、落ぶれた者には言交ふと、汚れるやうに思ふ世の中、世が変るから反対に変るぞよ。 出口牢から出て、四月の十八日に八木へ参りたなれど、四十日牢へ這入りて居りたので、身体は柔弱う成りて、又一ト働き致さねば成らんから、ナカナカ辛い事で御座りました。その中に六月に成り、独言独語は言ふて居れども(教祖は神の霊憑りまして、常住座臥独言独語し玉ふが常なりきも)神様の御容姿は拝めず、頼り無き故、神様の御姿を見せて頂き度いと御願ひ申したら、モウ三十日待ちて呉れいと御指図が在りて、ソウする間に七月の六日の朝御体拝致せば、チット御話も無かりたなれど、達磨さんが金神様は二日間は御留守じゃと申しなされた。其頃は生き達磨じゃと申しなされて、何でも言ふて下さりたのじゃ。ソウする間に天え上りなされて、天で赤装束で明白に御姿を見せなされて、夫れからは夫れ切りで今に御言葉も無いなれど、仏事から神道へ立ち帰ると申しなされたのじゃぞよ。七月六日に天へ御上りなされて、七日の日の暮れに御礼致して居りたらお帰りなされて、天へ二日上りて、位を貰ふて来たのじゃと申しなされたが、夫れからまたお容姿が拝め出したのでありた。福島(八木の人、教祖の御女婿)が誠に結構な事と大事に致して、鄭重に致して下さりたが、亦大槻鹿造は出口の事チットも判らず、狂者待遇に致すので、鹿造の宅へ行くと荒立て鬼か蛇の様に成るなり、八木は金神と言ふ事が良く判りて居るから、誠に結構で在りた。久(教祖第三女)が時計が狂ふて、ドウしても掛りませんからお母さん御伺ひを為て下されと申したから、御伺ひ致したら、大槻鹿造の家に置てある刀と譬への書とを八木へ早う引取りて呉れんと、彼の家に置くと祟るから、一日も早く取寄せて呉れい。其の知らせで時計は狂はしてありたのじゃと、艮の金神様が御言葉ありた。その御言葉ある間に時計が掛りて、これはドウじゃ結構な事と、すぐ福島が手紙を書いて神様の御言葉を大槻鹿造の家へ与りたが聞かず、言伝してもおこさず、福島が大変怒りて居る間に、神様が純(二代様)を連れて、早う帰れと仰せなさる故に、八月の四日に純を連れて帰りましたら、神様御指図の通り、大槻鹿造は刀と譬への書とが祟りて、手が破傷風に成りて、夏中もて余したと、出口の家を売りた、出口の家の再建する金も喰ひ込て了ふたので在りた。此の神様は天でも自由に成さる神様故、時計位ひを掛けなさるのは安き事なれど、御姿も拝めずに伺ふ間に時計がかかるのは、人民からは余程不思議に御座ります。八木に居りた頃、明治二十六年の五月頃に、来春四月から唐(清)と日本との戦争が在ると御指図ありて、コンナ時節に戦争と言ふ様な事は無いと、皆が申して居りたなれど、違い無く戦争、明治二十七八年は大戦争、明治二十九年の大洪水も神様から聞いて居りましたから、福知山の青木さんに、今年は大暴風雨が在りますげなと、明治二十九年の春申して置いたが、えあり大暴れが在りました。明治二十五年に綾部近所がミヤコに成ると、十三日食物をも食べずに叫めいて、昼夜世界の事を言ふて居りました。言ふて在ること皆出て来るぞえ。明治二十六年にカラえ行て呉れいと言ひなされたので在るから、種まきて苗が立ちたら出て行くぞよ。刈込みに成りたら手柄を為せて本へ返すそよと御神示が出たので、苗が立ちた時分にう、唐へ行くので在ろうと思ふて居りたら、明治二十七年の五月の八日に、カラに行って呉れいと御指図ありたから、ハイ参りますと承知致し、ほのぼのと出て行けぞ心淋しく思ふなよ、力に成る人は用意して有ると、又御神示に出た故、一人で出て行きたら、誰そ外国へ連れて行って呉れるものが有るじゃろうと思ふて、用意を致して居りたら、都倉の吉九郎の家内トキと申すものが、御前の御供なら天竺までも着いて行くと申して、御願ひ致したなれど、都合が在りて出口は五月八日立ちにて先きに行って居るなり、トキの来るのが遅いから、子が有りて出難いなれば、子は八木に預かりて置くから、早う御出でと手紙与りたが、余り来るのが遅いので、二三十日待ちて居りた。モウ六月に成り、六月七日には明八日に立てとの神言ありたから、一人行きたら誰ぞ連れて行きて呉れるものあるじゃらうと思ふて八日に八木を出て、亀岡の大橋銀次郎の宅へ一寸寄りまして、私は外国へ行くので御座います、天理王様へ御筆先が与りて有りますから、大和へ参りて其の先きは唐へ行くので在りますと言へば、いづれは行く様に成るが、御前さんが歩いて行かいでも良いのじゃ。大和へも此の暑いに行かいでも良い。綾部へ帰りて人助けなりと為なされ。人が助かるかと申す故、四十人ほど助かりて居りますと申せば、それなら後へ返りて助けなされといふのを聞かずと、王子へ行きて居りたら、都倉のおときどの参りたから、御伺ひ致せば、一時も早く行て呉れいとの御神示が有りて、其の翌朝京都まで行きて、天理王の先生の宅へ宿まりて居りたら、出口の用済みてから、教会まで行って貰い度いと、承りて、河原町の教会へ行きたら、先生が七人居りて、出口の筆先を見せいと申して、奥室へ持って入りて見たれば、天理王のおみきさんの筆先と似て居る事で御座いますと、出て来て申す故、左様かコンナ事が書けたので御座いますに。」「神様に下げて頂かうかと相談致すから、ハイ下げて貰いますと申して、直ぐ水を浴びて神前にへ連れ行きてすれば、戦場へ連れ行けと荒立ちて、夫れから二階へ上りて、種々と神様が出口の体から申しなされば、疑ふて七人の先生が評議致し、是れは狐狸では無い宮嬪さんで有ろうと申したり、ナカナカ判らんので、宿屋へ帰りたが、宿屋も皆心配致し、宿屋の家内が申すには、是が誠の神様で在りたらナヤミが出来て帰なれせぬと申すなり、出口が誠の神様で在るならナヤミを造らへなされと、神様に寝際に申して置きても何の事も無く、夜が明けて居りますれば、おときどのは眠むそうな顔をして夜具を整み居る時、出口の体荒立ちて夜が変るぞよ。此の戦ひ治まりたら、天も地も世界中桝掛け引きた如くに致すぞよ。神も仏事も人民も勇んで暮す世に成るぞよと、御筆先を書かせなさりて、此の筆先を此の宅へ置て帰れとの御言葉ありたから、唐まで行かうと思ふて居るのに残念なと思へ共、御指図通りに致して居る故、残念乍ら王子まで帰りて、直ぐ神様にお伺ひ致せば、出口よ唐へ行けと申したが、行かうと思ふたかと御言葉有りたので、此の出口は唐天竺まで行かうと思ひましたと申したら、偉い者と御ン喜び、行くか行かんか気を引きなされたので在りたぞよ…………。(後略)
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大本神諭 神諭一覧 明治36年旧6月8日 明治三十六年旧六月八日 艮の金神変性男子の御魂が顕はれて、世界の守護を致すには、此の世に今迄に無りた事ばかりを致さねばならんから、実に大事業であるぞよ。永き世の終末となりた世の中を立替るには、世界の人民を守護いたして居る暗雲の守護神の心が、金輪際見苦しき事に化りて了ふて、世の立替を致すのに掛りかけが出来んやうな非道い状態になりて居れども、ドウしても今度は水晶の神代に立替いたさねばならん、変性男子の御魂の天職であるから、何時も直が心配をいたすのを見て居る神も辛いから、大本の内の二人と役員の身魂が水晶に磨けて来んと、誠の教が立たんから、明治二十五年からの筆先を役員と二人とが全部腹へ入れたら、大きな声で物を言ふのも言えんやうに成るから、そう成って貰はんと神が表に現はれる事が出来んぞよ。斯の曇りた世を立替るには、世間から、何ンとした結構な御道で在ると申して、大本の中へ来いでも改心を致す位に、大本の中から成って貰はな、誠の神の威勢は出ぬ由って、日々に大本の中の様子を見て、神と出口とが気苦労をいたすぞよ。 口で言へば行かず、筆に出せば気に障るなり、斯の曇りた世の中の彼方此方の一切の事を構はねば物事は成就いたさんし、今では直が肉体心で勝手に申す如うに、吾児でさえも未だ大本へは立寄らん如うな事なり、肝心の上田会長は一寸も力に成って呉れず、一々反対ばかり致すなり、出口直はまだ一人で辛い事なれど、是が変性男子の御魂の御役であるぞよ。夫れで明治二十六年に出口直が牢へ這入りて居る折に、推量節が作りて在るぞよ。 『今度の推量節は何処から流行る、綾部出口の屋敷から推量々々』と申してあるぞよ。出口が座敷牢へ這入りて居る折、夜の十一時と思ふ時分に、二十歳ぐらいな声で二人が牢の傍で、推量々々と謳ふて居る声が致した事がありたが、翌る日の朝になりて明神の高倉稲荷と鬼嶽稲荷で在りたが、推量節を唐土天竺へ拡めに行くのでありたと云ふ事が直に分りて喜びたぞよ。 推量節が流行て来るやうに成りたらば判りて来るなれど、○○きちの心と出口の心を推量せいとの歌でありたぞよ。それから十一年の今日になるまでの出口直の気苦労と申すものは普通の苦労では無いが、何の教祖でも中々の苦労を致して居るが、此綾部の艮の金神を世に出す教祖は亦た一層の骨が折れるから、普通の身魂では世に落ちた地の先祖の生神を世に出すと云ふ事は六ケ敷ぞよ。後の世継と成る人が山奥に潜みて居る様な落付いた、何事が出て来てもビクともせぬ大精神になりて下さらねば、今の如うな状態では、艮の金神が国常立尊と世界へ現はれて、昔からの因縁を、神の席へ引寄して話して、世界の人民に言ひ聞かすと言ふ所へは未だ未だ行かんぞよ。我身や世界の良くなる事ばかりを何程待ちて居りても、肝腎の行状が不修成と、誠の生神が世界の表面へ現た所で、そこらが醜るしくて神の鎮る所も無いぞよ。俄に土地面貌をふりて神徳の墜る如うな失態のないやうに、胴を据えて居らんと、是からの世界は一日増しに激しく成りて来るぞよ。チョロコイ精神では斯んな誠の神の御用は勤まらんぞよ。艮の金神が体内へ這入りての正実の御用いたすのは、変性男子の身魂で無いと、イツまで掛りたとて今度の二度目の神政成就の経綸は、人民の知らん事であるから六ケ敷のじゃぞよ。今が世界大洗濯の初発であるから、斯大本へ立寄る人は余程精神を改めて来て下されよ。今は掛りであれども日増しに辛くなるから、其覚悟をいたして居らんと、外の教会の行り方とは全然天地の相違であるから、各自に身魂を審判られると辛いぞよ。是迄の世界は夜の食国の守護で在りたから、ドンナ行為を致して居りても罸も当らず、大悪人の覇張るに都合が能く出来て居りて、神の利益と云ふものも微弱位より現はれなんだが、是からは神界で調査て在る事を厳重に現はして了ふぞよ。 斯世が斯う云ふ事に乱れて居ると云ふ事を、出口直の一番姉娘の米に為して見せて在るから、是を見て斯大本へ立寄る人は心得て下されよ。我児にして見せねば、他の児に斯大本から瑕は付けられんから、神と出口の心を推量いたして、各自に身魂を研いて、日本魂に成りて下されよ。今の世の中に清らかな水晶の人民は何程も無いぞよ。何れも皆深い罪過が有り勝ちじゃぞよ。誰も雪蔭で饅頭を喰たやうな顔を致して居れど、神界ではモウ何事も能く調べて在るから、斯大本へ立寄ろうと思ふ人は誰に由らず厳しき調査をいたすから、其覚悟で居りて下されよ。我子、人の子、親、兄弟の隔ては出来んのが神界の規則であるぞよ。改心の出来た守護神に使はれて居る身魂は善く成るし、誠の判らん守護神に使はれて居る人民は可愛想なから、上から改心をさせねば成らんと申して、筆先に毎度出して気を附けて在るぞよ。何事も時節が近よりたから、変性男子の御役は誠に辛いぞよ。人には命せられん約らん事を我子に命して鏡に出して置て、人の心を直さねば成らんと云ふ、実に辛い変性男子の天職であるぞよ。上から下まで、隅から隅まで、薩張暗黒界に化りて居る世を根本から立替て、昔の神代の政治に戻さねば成らん神界からの御役であるぞよ。世界が総体泥水同様に汚れて居るのを、綾部の大本から澄まして、水晶の清らかな世に改復ねばならんから、是迄のやうな行状を仕て居りては、世が元の水晶の神代へ戻らんから、是から大本の中は神が一々気を附けるから、一日増しに激しく成る。斯大本へ這入りて来て、陽気な気楽な精神では一時の間も居る事は出来ぬやうに致すぞよ。出口の口で申す代りに筆先に書して在るから、此大本へ改心いたして来たなれば、外では判らん結構な事を言ふて聞かして身魂を磨いて、日本魂の種に致して遣るから、タタキ落しても人からは能う奪らん、神徳を持たして帰して遣るなれど、其人民が無いので中々骨が折れるぞよ。何事も神の経綸の早く解るのは良き守護神の憑りて居る人民であるぞよ。艮の金神の気に合ふ身魂は、一を申せば十を感得て眼配り心配りを能く致し、人の心が見え透くやうに成らねば、誠の神界の肝腎の御用は勤まらんぞよ。我身が苦労いたして人に罪穢を積せんやう、我身は次ぎにして他人良かれの心でないと、誠の神の心に叶はんぞよ。斯の心の在る身魂でありたなら、一旦は人より一倍苦労を致さねば成らぬなれど、神界から其精神の者は何彼の事を守護いたすから、何事も思ふやうに行くなれど。夫れは水晶の身魂に研かんと、曇りが在りては此世は思ふやうには行きはせんぞよ。思ふやうに斯世で行かんのは我の心の持方が遠ふて居るので在るから、熟々思と考えて見るが良いぞよ。大本の明治二十五年からの神諭を落度の無いやうに見たなれば、何事にも腹が立たぬやうに成るし、一々我の心が耻かしうて黙りて居て改心が出来るなれど、余り激烈くもり如うで斯大本へ罪穢を持って来る斗りであるぞよ。何んな重い罪穢でも大本は引請けて遣るなれど慮見を持代えて来て呉れんと、是からは今迄の如うに思ふて来ると何んと無く気遣いで、罪穢を祓ふて貰ふ所まで辛抱を能ふ致さんぞよ。この高天原へ何も構はずに上りて来ても其行状が出来んと、途中で変るやうな事では、却って神界に罪穢を積む事になるぞよ。初発は好くても後縮りは艮の金神見る眼が辛いから、初発から充分に心得て、誠の御道を一足々々と段々に高天原へ上げて貰ふ様に謹慎みて、油断の無き如うに身魂を研いて下されよ。高天原の神の席へ列ねて頂けば、人民は神の分身魂であるから、何んな事でも出来るやうの神徳が授かるので在るぞよ。 今では未だ判りて居らんから左程には無いなれど、天晴れ表面に現はれたら、モウ一度身魂を審査るから、撰り出すと気の毒な身魂が沢山に有るから、其処へ成りて来て余り明白に審別と可愛想なから、各自に判らん中に心得て置かんと、耻かしき事が出来いたすぞよ。余り面向で申すと誰も能う立寄らんから、口と筆とで曳へるだけは扣えて知らして置くぞよ。今度の七社参拝の御供は我も私もと申して参拝いたすのは結構では在れども、変性男子と変性女子と竜宮の音霊観殿と禁闕金の神殿と四魂揃ふた御礼やら、三代の世継を授けて貰ふた御礼やら、結構に神界の経綸の成就いたした大望な事の御礼やら、弥仙山で神界の岩戸を開いた御礼やら、産土、氏神さまに国々所々の氏子を構ふて貰ふ願いやら、大望な神業ばかりで在るから、何に付けても斯の大本の御用は気づかいな事斗りで、人民には一寸も知らん事で在るから、昔から未だ斯世に無き事やら、人民の知らぬ事を先きに知らして、世界の人民に改心をさせて、三千世界を一とつに丸めて、日本と外国との身魂を立分けて、日本の御魂は開発統一楽天清浄魂ばかりを撰抜て、日本は神国霊主体従で在ると云ふ事を、斯大本から世界へ模範を出して見せねば成らぬ所であるから、今度七社の神へ御礼参拝を致すのは、昔から無き事の深い因縁の在る、大望な神業であるから、余程皆が清らかな心に復りて、後戻りをせぬやうに心得なされよ。 変性男子と変性女子も薩張り守護が代りて、坤の金神の守護と成りた御礼やら、又た此の先の日本と露国との大戦いや、世界中の大戦争の御幽助の御願や色々の深い経綸の御礼の参拝であるから、今度の参拝の御供いたした人に能く言い付けておくぞよ。今度の御供を致してから心間違いやら、神の気勘に叶はぬ事がありたら、誰彼に由らず是からは酷しき懲戒をいたすから、此心得を胸に離さぬ様に致されよ。御供さえ致したら、直ぐに良い利益が貰えるやうに思ふて居ると慮見が違ふぞよ。まだまだ是から世界が悪るく成りて来るから、我一人の御蔭を頂く所へは行かんから出口の手で気を附けておくぞよ。三千世界の世の立替で有るから、我身の都合の良い事ばかりを待ちて居りても、一旦世界が九分九厘まで行くから、松の心で神の道に歩みて居らんと、ヂリヂリ煩悶いたす事が出て来るぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 明治36年旧8月22日 明治三十六年旧八月二十二日 綾部の大本の本部に這入りて、御神徳を貰ふと思ふと、眼配り心配り、是迄の心持ちて居りては、此の大本の御神徳が感得れんぞよ。眼で見いでも心で、何かの事物が黙然として居りて、見え透く如うになりて来んと、日々の御神徳は渡さんから、他人に言挙て貰はな判らん如うなことでは、此の御用は出来んぞよ。何彼の神言を汲み取りて、一を申せば十を知る身魂でありたら、上にも眼が付き、下にも眼が付て、此の方出口の因縁摂理の判る身魂でありたら、今度は大きな御神徳が感得るなれど、器量が小さいと其処迄は気が届かんぞよ。心丈けで他人に判らん神理霊徳は心で感得るのざぞよ。十人並の精神では此の方出口の加美の神心には叶はんぞよ。チト超絶た実行が無いと、此の方出口の万分の一なりと真似の出来た身魂でありたら、特異た利益を遣るなれど、苦労致さん身魂の肉体は、今度の間には合はんぞよ。今度の御用は、大我も無けら御用が勤まらんぞよ。勇猛心はありて、勇猛心は臍下丹田鎮魂て置いて、小我を出さん如うにして、奥に智慧のある人で無いと猿智慧では今度の御用は能う勤め上んから、同一御用は無いぞよ。一人一人に御用が違ふぞよ。身魂の将来で、夫れ夫れの御用を命すから、善き精神の人民善き応果が出来る、悪き精神の人民は悪き神の守護となるから、心の応果を命から、今の世界の人民の心が邪悪堕落て居るから、世界が一平に邪悪汚濁て居るのを、艮の金神若姫岐美命が、出口の加美と顕現れて、二度目の世を建替るのであるから、二度目の世の大修祓革正は、一番に骨が折れるぞよ。此の曇りた世を水晶の世に建替て、曇り無き世に致すのであるから、此の大本は何彼の遣り方が異から、是迄の精神では此の大本には辛うて能う居らんぞよ。チト卓越精神でなくば、神業の真似は出来は致さんぞよ。一とつの事に夫れ丈けに眼が付いて、一とつの事ほか出来ん如うな有様では、此の大本に来て御用し度いと申しても、何彼の資格が揃はんと、此の大本の真実肝腎の御用は奉仕不能ぞよ。是迄は寛大にありたなれど、是からは判るに就いては厳しくなるぞよ。厳しくならねば真価は判らんぞよ。遺書にも書物にも無き神言福音を、四十八文字のイロハで手本無しに、出放題に出口の手で書いて呉れた神示の筆先通りが、世界から皆実現て来るのであるから、如何な学者も大きな口を開けて、アフンとして傍覧て居らなならん結果になるから、余り空を視て居ると、天地が顛倒て空向いて居りた人が、又文字を見習はんならん世が循環て来るから、明治二十五年から出口の手と口とで、世は持ち切りには致させんと申して、何も一切筆先に出して知らしてあるのに、左様な事実があるものかと、空視て居りた人民が、是から思ひが違ふて来て、心を苦しまねばならんぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 明治43年旧4月18日 明治四十三年旧四月十八日 出口直七十五歳、明治四十三年の四月の十八日、新の五月の二十八日 艮の金神は地球の元を創造た変性男子の身魂であるから、元の肉体の其まゝで、末代国を構はな成らん生神であるぞよ。その国常立尊の御魂の半分が変化て、変性男子の身魂となりて居るのが、勿体なくも天照皇太神宮殿の御妹子の稚日女岐美尊であるぞよ。 斯世を拵えるには末代の事の前後の能く見え透く御魂で無い事には末代の世は続かんぞよ。是だけ世が呉れたら、斯う言ふ世に成る、其先きはドウ成るといふ事が判らねば、一日先の判らぬ如うな今の政治の行り方では、到底誠の事は出来んから、日の本の神国は治まりは致さんぞよ。人も一代、世も一代と申す事があるが、今度は神の世が一代呉れた末法の終尾の瀬戸際であるぞよ。 斯の終りの世が来るのが神界には能く分りて居りての、大望な世の立替建直しの経綸が為てあるのじゃぞよ。何事も時節であるから、斯んな惨い世に成るのも、艮の金神が世に落されたのも、世に上るのも昔から定まりた因縁事であるぞよ。時節が参りたらドンナ事業でも完成るぞよ。神の世一代の末になると、魔法の世が来るのも、世の太初から良く分りて居りての今度の経綸が致してありたのじゃぞよ。末法の世と申すのは、地の世界に真正の大将の器が無いやうになりて了ふ事であるから、斯世が立つのは天と地とが揃はな、上ばかり在りても治まらず、下ばかりでは猶治まりは致さんぞよ。天には御三体の大神様の御守護は在るなれど、地の世界に大神が無いやうに成りて居りたから、地の上には厳格神が無い故に、日本の国へは渡りて来られん筈に極りてありた、外国の体主霊従本意極悪神が、斯世を固め〆ん内の泥海の中に居る折からの、露国の悪の先祖の計画であるぞよ。元からの計画は天に坐ます大神様は能く御存知であるなり、地の根本を固めた国常立尊も能く知り抜いて居りたなれど、其外には何も御存知の無い神斗りであるぞよ。斯の世に恐い大神が世に落ちて居りた故に、今まで世に出て居れた神々様の、放縦な行り方で政事を致されて、後も前も構はずに其時良かれで、仕放題の世の持方で、薩張り世は暗黒と成りて了ふて、日本の国に神の威勢が無きやうに成りたから、極悪神の思はく通りの時節と成りたから、露国が最初で、外国の悪の守護神が日本を占領仕組を種々と致して居るから、露国に勝ちたと申して、日本の人民が安心いたして居りたら、十年先きに成りたら脚下から鳥が立ちて、アフンと致さな成らん事が出来いたすから、日本の上の守護神どもにクドウ気を注けるぞよ。外国の極悪神の深い計画は日本の神々も守護神人民も知りたものは無いなれど、艮の金神は昔から世に落ちて隠れて調査が致してありての、今度の二度目の世の建替の御用であるぞよ。今度は日本に備はりて居る霊主体従の、日本魂の根元の神力で無い事には到底叶はんぞよ。日本は結構な国土であるから、外国の悪神が日本の国を奪りて、万古末代住居を致す心算で、悪魔斗りを連れ参りて、日本の人民の身魂を自由自在に致して、国を汚す斗りに、今に一生懸命になりて着手りて居るぞよ。日本の国に神力の無い如うに致して置いて、一戦に奪りて了ふ経綸に永らく掛りて居るから、悪神のおもわくが立ちたら世界は泥海に成るから、そこへ成りたら可愛相でも一旦世界を潰して了ふて、最初の一から仕直しを致さな成らん如うな事になるから、世界には此の先にドンナ事が破裂いたそうやら、筆先通りが出て来るから、一人なりと早く改心いたして、世界の身魂を助けるやうに致さねば、日本の国の役が済まんぞよ。日本は結構な神国と申せども、今の日本は上から下まで薩張り曇り切りて、外国人よりも劣りて居るから、神国の威勢と云ふものは少しも無いから、外国人に見下げられて了ふて、何一つ日本の言い前が立ん事に成って来て居るぞよ。何程智者でも学者でも叶はん事に成りて居るぞよ。日本は神徳でないと国は立んぞよ。今の内に日本の霊主体従の日本魂の種を拵えて斯世を立て、日本が世界の親に成らねば、世界は外国の今の行り方では何時までも口舌の絶えると云ふ事は無いなれど、日本の人民が皆外国の政治の行り方で、末代世が続くやうに惚れ込みて了ふて居るなれど、十年先を見て御座れよ、外国の悪の行り方は化ケの皮を脱いて見せてやるぞよ。それでも日本の人民の心が余り曇りて了ふて居るから、トコトン迄は改心が出来んぞよ。因縁ある身魂を此大本へ国々から引寄して、日本魂を研き上げさして、今度の二度目の天の岩戸を開いて、三千世界を立直して天地へ御眼に掛けるので在るから、ソコへ成りたら因縁の身魂を世界の大本竜宮館の高天原へ引寄せて、それぞれの守護を致させるから、神の方は大丈夫であるから、今の中チにこの大本へ立寄る人は、余程改心を致して下さらんと、面目無いやら愧かしいやらで、大本へ寄り付けん事が出来いたすから、神は前日前日に気を付けておくぞよ。是だけ世界に沢山王がありては治まらんから、神が表に現はれて、七王、八王を陣曳いたさして、日本の誠の神国の万古末代動かぬ一つの王で、三千世界を治めるぞよ。時節が近よりたから、一日も早く改心いたして夢を醒して下され。太初の地を拵えた生神は残念なぞよ。モウ此さきは神の守護いたす誠の神代の経綸どほりに立替て了ふから、今迄の事思ふて自己本意の行り方いたして居りたら、辛う成りて一寸も動きの取れん事になりて了ふから、改心改心と一点ばりに気を付けたが、モウ気の付けやうがないぞよ。モウ神は一ト切りと致して、天の守護にかゝるからモウ神に落度はあるまいぞよ。 艮の金神国常立尊、若姫岐美尊変性男子の御魂が出口の神と現はれて、直の肉体を籍りて、明治二十五年からガンジリ巻にしてをいて、辛い御用を命したぞよ。出口直に書した筆先は世の本を創造えた国常立尊が体内へ這入りて書くので在るから、チットも間違ひの無い事ばかりで在るぞよ。世界を修理固成た時から、其儘肉体のある生神が、化けて世界中の事を隅々まで、水も漏さぬやうに審査が為てありての二度目の世の建替であるから、斯世初りてから未だ無い大業な神業であるぞよ。是迄の世は世を持たねば成らん誠の生神を世に押込めて、天地が動いても世を持つ事の出来ん素盞嗚尊を表へ出して、政治を致して居りたから、薩張り世が逆様に転覆りて居りたのであるから、三千世界を本の経綸通りに捻戻して、世を持つ身魂に世を持たして、天下泰平に世を治めるのであるぞよ。変性男子と女子との身魂の和合が出来たら、男子は天へ上りて天から天と地とを守護いたすなり、女子は坤の金神と全部表に現はれて、ミロクの大神の御用を致さすから、ソウ成りたら三千年の経綸を明けて見せて遣るから、世界の人民の改心が出来出すぞよ。昔から待ち焦れた松の代が来るから、神は激しく人民は穏になりて、打って代りての結構な世が参るぞよ。今の政治の行り方は一から十まで僞で固めた、其場のがれの行り方であるから、此世が薩張り暗雲で、世の乱れ方と申すものは、神からは目を開けて見られん醜るしき状態に成りて、昔の元から極まりた誠の神の道が無くなりて了ふて、人民の通る道も無いやうに世が下りて居るぞよ。途中から出来た枝の神が斯世を自由に致して、恐いもの無しで世を持ちて居りたから、世界の今の体裁。出口直の御用は天も地も曇り切りて了ふて、誠の道を立て行く身魂が無きやうに成りた世を立直すために、世の元から拵へて、地の底へ埋めて在りた稚日女君の尊の、日本魂の変性男子の身魂を天へ上げて、今度の世の立替の御用を勤めて下さる御役なり、坤の金神の宿りて居れる変性女子の身魂は、ミロクの松の代に立直す因縁の御用であるぞよ。 変性男子の後の御世継は、明治廿五年に初発に出口直の筆先に一度かゝした事は違いは致さん、何事も出口直の後の二代の御用を勤めさすのは、末子のお澄が定めて在るなり、三代の御用いたすのが出口澄の総領の直霊に渡る経綸に定まりて在るぞよ。此三代の直霊が、世の元の水晶の胤であるぞよ。綾部の大本の御用継は末代肉体が婦女であるぞよ。 婦女の肉体は末代神の御用を致さすなり、男子の肉体は末代変性女子の身魂を撰り抜いて世を治めさすなり、此経綸は何時になりても変える事は出来んのであるぞよ。出口直の八人の御子は、名のある人に致すので在るが、今では皆化かしてあるぞよ。 艮の金神が天晴天地へ現はれて、出口直の後見を致して、十分に神徳を渡して、世界の神柱と致すぞよ。末子の澄どのも二代の御用が巡りて来て、禁闕要の大神と成りたら、今の如うな行状は為せんぞよ。海潮も九分九厘いかんと坤の奥役には成らんぞよ。是は此世が乱れ切りて居るから、此大本は世界の写る鏡であるから、斯内部の行り方を見て居りたら、世界はドウ云ふ事に成りて居ると云ふ事が好く判るから、充分に気を付けて下されと申して知らしてあるぞよ。毛筋も違はん筆先、違ふと思ふたら其人の心が違ふて居るのじゃぞよ。 坤の金神に海潮の身魂が成りて了ふて、ミロクの御用を致すやうに成るのは、世界の経綸が九分九厘まで行かんと、それ迄は和光同塵があるぞよ。是も世の本からの神界の動かぬ経綸であるから、時節を待たねば何事も充分には行かんぞよ。今度の世界の大戦争に成りて来んと、大本の国常立尊と皆の生神の神力で在りたと云ふ事は能く判りは致さんぞよ。 出口竹蔵は出口政五郎の跡を継ぐなり、出口澄は出口直の国常立尊の後を、実地の御系統を続かすなり、世界の大本は世の元の根本の国常立尊の世界の大神の血統を末代続かすぞよ。綾部の大本は何処の自由にも成らん大本ぞよ。 で九ちなを七十五さいめいじ四十さんねんの四がつの十八にちしんの五月の二十八にちのしるしぞよ
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大本神諭 神諭一覧 大正元年旧7月4日 大正元年旧七月四日 大精神国永遠無窮強固建立神言返照火水神の御魂が、大神威霊力発場の神と現はれるぞよ。是から天晴神政総統者にあらはれて、世界へ神力を証明てやるぞよ。そうなる迄に世界の人民が、改慎を為ておかんと、天地が覆りて居るのを、大元へ復すのであるから、人民の知恵や学では出来ぬ神業であるぞよ。真実の経綸は智慧や学者や高位高官富者人民では了解は致さぬぞよ。 生れ赤児の本心に復らんと、神の心は分らんから、肝腎の御用は勤まらんぞよ。世に出て居れる加美に、今度の世の革正の出来る守護神は、一方もないから、普通の平民には無い筈であるぞよ。是からは申してあるやうに、善と悪とを立別けて、万民に改過遷善をさせて遣るぞよ。余り人民の我慢が強過ぎて、今までの世は大地を主宰する国祖の大神が、無いやうにして在りたから、地の世界が常暗に成りて了ふて、恐いものが無りたから、今の世界の斯の状態であるぞよ。 何程神力の有る大元の先祖でも、天は天の先祖なり、地は地の先祖が構はねば、天ばかりでは地は思ふやうに守護ぬから、天祖と地祖とが一致になりて統治るぞよ。今までは天地揃ふての世で無りた故に、悪神の世で、利己主義の行り方で在たから、強いもの斗りが上へ上がりて、悪神の恐怖る生神がなかりた故に、渡りて来られん筈の悪鬼邪神が、仏教と学とを輸入て来て、日本の国を茲まで汚したのであるぞよ。 艮の金神は、今までは世界に無い神と為られて、蔭の守護で世界を審査てあるから、モウ貧乏動ぎも成らんやうに、蜘蛛の巣を掛た如くに為てあるぞよ。世の大元の活神を無い神として、悪神が覇張りて能うも茲まで汚したものであるぞよ。是から御礼いたすぞよ。野獣的外国の盗賊邪神が、此世の出来ん先から、天地未剖陰陽未分の際からの悪計で、悪の仕組が茲まではトントン拍子に、面白い程成効なれど、悪神の天下は寿命が短いぞよ。根幹断れて枝葉続くとは思ふなよ。幹が在りてこそ枝も在るぞよ。大本が断れたら枝は枯れるぞよ。大本を無視放棄に致して、途中から経営した事は、末代は続かんぞよ。モウ悪神の世は断末魔ぞよ。日本の国の為政者官公吏連が、外国の施政方策の真似を致して、全然、天立神権君主を看板に致して、利己栄達主義の暴政をいたすから、日本の国の今の此の惨状であるぞよ。 日本の天立君神権政治を立憲君主政治に政治に変更して、至尊様の天権を束縛して了ふた故に、人民の中の鼻高までが、現人神を蔑視して居るぞよ。 外国の世の施政方法は、日本の国には間に合はんぞよ。世を立替いたして、本の日本の世の統治方の国体に建直すのであるぞよ。善の道は永く苦労いたして、悪く謂はれて、トコトン世に落ちて、斯世には為ん事はないと云う処まで令変化たり、和光同塵的活動而艱難をいたした成れど、モウ表現る時節に迫りて来たから、何時までも蔭光ては居れんから、是までの心を改革て居らんと、気の毒な人民が大多数に出来るぞよ。夫れでは可愛想なから、日々今に続いて警告して居るなれど、人民は如何様に懇諭してやりても、能う了解んから、露骨に申して知らしてやるぞよ。出口直の言で其儘を見せて遣りても、能う得心致さぬやうな有様であるから、役員の伝教では、改心が難かしい筈であるぞよ。世界の人民に憑て居る悪霊の妨害が強いから、中々神の申す事は能う解けんので在るぞよ。世の元の活神の顕現地において貰ふのは、チット卓絶た身魂でないと誠の神徳は能う取んぞよ。此の大本の国体へ加入て居りたら、加美の神力を顕彰て呉れる身魂で無いと、目下では左程には無いが、一日一日に神力が強くなるから、何時までも同じやうに思ふて居ると、俄に驚動する事が出来るから、今の世界の人民と心が合ふやうな事では、到底勤まらんぞよ。欲人の心と神の心とは、サッパリ正反対であるぞよ。有難い斗りでは神の御用は出来んぞよ。此大本の中に居りても、実地の判るもので無いと、永らく神の傍へ寄りて、苦労いたした功能がないぞよ。此結構な言葉の代りに、口で噛みて遣りて咽へ入れたら可いやうに、出口直の筆で誌してある神諭が、世界を観て居ると、其の儘の事実が判るやうに予告してあるのに、夫れに大きな取違いを致して、反対ばかり致すと、思ふて居る事が、顛覆に成りて、ヂリヂリ舞を致さんならん事が出来るから、何時までも筆先で諭示してあるぞよ。善悪が明白に立分る時節が参りたから此のさきは何に由らず気遣いになるぞよ。天地初発の火水神は、当罸厳重活神であるから、天神と地祇との御恩の悟了る、身魂の一切の事の見え透く教役者で在りたら、今度の神政復古の御用の間に合ふのであるなれど、今の神の取次いたす人民は、口先斗り立派にあるが、神の事に掛たら盲目斗りであるから、神界の誠の経綸が判らんから、仕損いが出来るのであるぞよ。盲目の取次が一角判りた心算で、手を曳いて地獄の釜へ連れて行く暗雲ばかりで、神の胸の晴れた間は無いぞよ。綾部の大本から、変生男子と、変生女子との身魂が現はれて、世界の人民の能う為ん大神業を致して、三千世界を根本から立直して助けるぞよ。天下修斎の道を拡くのは、苦労が永いぞよ。悔しい残念を今に堪りて、誠ばかりを貫ぬきて、今に成りて居るのに、未だ実地の教いたす方の事が、今に分らんとはむごいものであるぞよ。口では真実らしう申しても、心の中に誠のない者ばかり、世界一同に是から悪魔の世であるから、出口直の筆と語とで、今に続いて知らして有る事が、漸次世界から実現きて、ヂリヂリ舞を向ふの国に致して居るのも、彼方や此方の出来事も、皆今迄に知らしてある事ばかり、毛筋も違いは有ろまいがな。今に実地を教へて居る、太素の活神を押込めるやうな人民であるから、此の悪魔ばかりの社会の、盲目聾者ばかりでは、神の誠の教が本当に不了得のは、無理も無いぞよ。此世へ出て居れる守護神の精神が顛倒覆りて居る故に、世界の人民に判りさうな事は無いぞよ。誠の善一つを立貫きて居る元の活神は、悪神と貶称して居りた故に、今の世界の難渋であるが、真正の国悪が善に見えるから、今の日本の国の見苦しさ、立替を致すにも掛りかけ出来んが、永く掛りたら世界中が行けん事に成るし、急速に致したら世界は滅亡なるし、何方に成ても、モウ一寸も延す事は出来んなり、筆先通りの世が参りて来るから、元の活神の骨折りが解らんやうな、斯世の守護神に使はれて居る肉体にも、モウ少々位は解らんと、天地からの御懲戒があると、世界の人民が可愛想な事が出来るから、明治二十五年から、今に変らずクドウ知らして居るなれど、未だに解る人民が一人も無いぞよ。誠実の事を口では誰も申すなれど、口と心と行ひが違ふから、真正の日本魂の人民は、上流にも下流にも無いぞよ。それで世界の立替立直しが、困難であると申すのであるぞよ。世界には困難が在る故に、元の生神が永らくの艱難と、悔しき事を今に堪りて諭示して居るのに、今の世の行り方の、安楽な方へうつる人民斗りであるぞよ。現代の施政は初発は可いやうなれど、生命が短いぞよ。此世界の大本に成る、綾部の竜宮館の高天原の、大本へ出て来て、都合が宜かりたら神界の御用を致すなり、面白く無くば、自己の欲望を、立ようと思ふて居る、守護神に頤使れて居る肉体は、今後は違ふた事が出来るから、今の今まで気を付けておくぞよ。守護神と肉体と同一精神状態であるぞよ。此大本へ出て来て、誠の御用を致さうと思ふ人は、中々に苦労があるぞよ。苦労を致さな誠の事は出来上らんぞよ。世界の修斎であるから、祭政一致の直接の御用を致さうと願ふ人は、陽気浮気では勤め上らんぞよ。世界には何から破裂いたさうやら、知れんと云ふ事が申して在ろうがな。戦争ばかりで無い、天災ばかりでも無いぞよ。何事も一切の改革であるぞよ。二度目の世の革正は、新つの天地を創造るよりも骨が折れるぞよ。綾部の大元は世界の加賀美の出る大神策地で在るから、大本に在りた事は世界に実現から、書いてある事も、出口直の口で言した事も、毛筋も違はん皆在るから、世界は一旦は日に増に混雑に成りて来るぞよ。是までは太素の生神を斯世に無い神と致して、枝の神やら輸入て来た国悪の、邪神の心に移りて了ふて、日本の忠良心を引抜かれてしまふて、今度の神政維新の神業に間に合ふ守護神も肉体も、今に無いといふ有様であるから、止むを得ず立替立直しが後れて来て、世界は日に日に困難斗りが殖えて来るから……斯の神を表面に出すには、如何辛抱でも致すといふ心のある、守護神に使はれて居らんと、肉体には出来ん事であるぞよ。皆霊魂の因縁性来の事より出来は致さんから、筆先通りが出て来るのであるぞよ。天運循環時機到来のであるぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 大正4年旧1月23日 大正四年旧正月二十三日 天の王と地の王とで、根本から三千世界の立替を致して、世界には国の奪り合ひと云ふ事の無いやうに、日本の国の霊主体従の生神が守護いたしての、二度目の世の立替であるぞよ。末代の世を持つのは、普通の事を為て居りては、何時までも小言の絶えると云ふ事は六ケ敷ぞよ。善一つの誠の道で行かねば、我好しの行方では世界に口舌が絶えんし、又何程頭が苦労致してドンナ行を致しても、上に立つ大将の量見が悪るくば、世は立ちては行かず、直の御側附の精神が悪くば、上も立たず下にも口舌が絶えんぞよ。今度の二度目の世の立替は、後にも前にも一度より無い大望で、世界中の三段に分けて在る御魂を立別けて了ふて、悪の霊魂は日本の国には置ん事に致すぞよ。一寸でも悪が混りたら、日本の地の上には居れんやうに、何う言ひても成りて来るのが世が変るのであるぞよ。天然に何うせいでも時節が来たら何事も成就致すから、時節ほど結構なものの恐いものは無いから、何事も此の先は素直に、神の申す如うに致さねば、世は何時までも立んぞよ。天地の元の先祖が斯世を持ちて行かねば、今の世に出て居れる守護神の世の持方では、途中に乱れて末代の世は持てんぞよ。斯世一切の事が依然して居りて、一度に見え透く身魂で無いと、世界の事が判らんやうな身魂では、到底治まりはせんぞよ。何程守護神に智慧が在りても、エライ学でも、昔の元のミロク様の御艱難のいろはからの勉強は、物質の学では出来も致さず判りもせんぞよ。いろはからの勉強を致すのは、日本の霊主体従の元の生粋の、其儘で末代変らぬ天の御先祖様と、地の世界の先祖との世であると云ふ事を、天地から実地を為て見せて、世界中へ改心をさせねば、今の日本の人民では解らんぞよ。根本のいろはからの事を、世界中へ一度に解けて見せて遣るから、明治二十五年から吃驚箱が明くと云ふ事を、出口直の手で国常立尊が引き続いて知らして居るなれど、今に判らん人民斗り、改心の為かけの出来ん守護神ほど今に頑張て居るが、筆先に違はん事が書いて在るから。九分九厘になりたら手の掌を覆すぞよと申してあるが、そうならんと守護神も人民も改心を致さんが、恐さの改心は真の改心で無いから間に合んぞよ。今度の二度目の世の立替は、現世へ出て居れる守護神に、余り大きな取違いが在るから、執念深気を附けて置ぞよ。是程曇りて居る世の中へ、昔の元の万古末代動かぬ生神、生魂のミロク様の、神道へ立帰り成さる世が廻りて来て、国常立尊が元の世を拵らへて、天地の生神が揃ふて全部表面にあらはれて、末代の世を構はねば、外の身魂では万古末代の世は持てんぞよ。身魂が違ふので世の持方が判らんから、世の立替を致して了ふぞよ。臭い物に蓋を致した如うな行方では、チット行きよると亦た世が跡へ戻りて、日本も外国も何時までも国が治まると云ふ事は無いぞよ。国の取り合ひ斗りで、弱い方が何時も負けて苦しむ斗り、天地の神は何時までも、斯んな世界を見殺しには致さんぞよ。日本の国の霊主体従の、今度世に出る天地の生神が昔から仕組て居りて、二度目の世の大立替を致すから、国は立ては行くなれど、今度の御用に使ふ守護神、人民に一寸でも混りが在りたなら、又段々と元の如うに乱れて来て、国を奪れて了ふて、鬼と悪魔の世に成りて、何う仕様にも手も足も出せぬ如うに成るから、今度の立替は中々神に骨が折れるぞよ。今度天地の先祖が現はれて守護致さなんだら、世界中が泥海となりて、人種も無いやうに成るので在るから、天地の神は此世を潰さぬ為に、永らくの艱難辛苦を致すのであるぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 大正4年旧6月12日 大正四年旧六月十二日 天之御三体の大神様の御手伝いといふやうな大望な事が出て来て居るのに、何時大望は来るのぢゃといふやうな守護神、使はれて居る肉体は気楽なものぢゃ。大本が宜けりや立寄るし、些と思ふやうに無いと、斯ンな所に居りても詰らん位に思ふ守護神がこれまでに在りたから、今になりてから斯ンな辛い所は叶はんと申して、去なんやうに、真実ある守護神でありたら肉体も其心に成るぞよ。皆守護神の型であるぞよ。爰迄来るのは仇な事では来られんぞよ。心に真実がありたなら何んな辛抱でも出来るなれど、真実の無い身慾信心で来て居ると、肉体も同一心である。水晶の身魂でありたら楽に御用が出来るなれど、曇りのある身魂では、此中に居りよる程、辛う成りて、出世は為たいなれど斯ンな辛い所は最う叶はんと申して、迯げて去ぬ守護神もあるといふ事は、初発から書いて知らしてあるぞよ。実地の神に使はれるのは、一と通りの事をして居りては、世の元の天地の神の気には入らんぞよ。さる代りに貫いたら、天でも見え透く様に成る、地の高天原であるから、放埓な守護神では勤まらんぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 大正4年旧6月13日 大正四年旧六月十三日 根本の天と地との先祖の大神が、仏界に権現て、世界の守護して居りたなれど、何彼の時節が循りて来て、天の御先祖様と地の先祖が、昔の弥勒様の神道へ立帰りて、昔から査べてありた御魂を立替立直して、安心な世に致すぞよ。仏教と学問とで、爰まで日本の霊の元の大神の国を汚して、天から降りて大神の休む所も無いやうに汚したのは、世界の御土の上は降さんやうに致し、一と申して二の無い日本の国を、山の谷々、野の隅々までも、さッぱり汚して、大神は不用んものと、致してありたであろうがナ。誰の手にも合はん地の先祖の、国常立尊を艮へ押し込めて、此世には最う無い神としておいて、悪魔の仕組で、末代この世を維持うと致し、最う一ツ悪を強う致して、日本の国を悪の先祖の仕組通りに致して、末代悪でやり抜く心算であらうがナ。昔の根本からの事から、何知らん事のない天と地との活証文の、天地の先祖であるから、帳面に記てある如くに、何一ツ知らん事の無い此方を、視損ひを致して居りたが、今度は些と判りかけたであらう。何であらうと、此方の眼で一度睨みたら、滅他に違はんぞよ。小さい事でも、世界の事の大きな事も、眼で見いでも、人の腹の中が見え透く神であるから、此内部は一日ましに気遣ひになるから、これまでの世に出て居れた守護神では、此前途は能く承知を致して居らんと、筆先通りになりて来るから、気をつけるのであるぞよ。末代に一度ほか無いといふやうな、大望な御魂の立替立別であるから、誤解と慢心とが一番にこの内部は畏いぞよ。これ程上り切りた世の中へ、昔から此世出来てから無いと云ふやうな、大望な事が、これほど日々明白に御守護がありても、見えも聞えも致さんと云ふやうナ、惨い事になりて居るのが、暗闇であるぞよ。水晶霊に磨けんと海外の国の申すことを、おっとまかせで居ると、かなはんことが出来てくるぞよ。確乎いたして、元の日本魂の性来に、男も女も成りて居らんと、日本の国の間に合はんから、婦人でも男子が敵はん位に日本魂を固めておくがよいぞよ。皆ンな揃ふて、従来の悪のやり方を全然棄てて了ふて、大和魂の性来に成りて居らんと、外国魂では、日本の国が三全世界を救済るといふ事は六ケ敷いぞよ。天地の根本の大神は、何う云ふ事で今日まで御苦労なされたと云ふ事を弁へて居らんと、真の事が判らんぞよ。世界の人民、鳥類、畜類、虫族まで、息ある物をよくしてやりたいとの、深い思召を汲み取る守護神人民が、今にないといふやうな惨い事に致して居るが、此度の天からの御手伝いが、大本の内部に、これ程結構にあるのに、盲者、聾者と同じこと故、言へば気に障るし、言はな何も判りはせんし、元の日本魂に立返りたら、天の事が視え透いて、人間界が厭になるぞよ。天からは水晶魂ばかりが降りるやうになりて、御三体の大神様の御手伝が明白にあるが、人間界は醜くて、神とは何も反対ばかりで、善と思ふて為す事が、神には気障りのことばかりであるぞよ。神の為にと思ふてして呉れる事が、皆反対の事ばかりより出来ては居らんぞよ。天地の大神様を、一日も早く顕はさんことには、大本の信者と成りた甲斐が無いぞよ。一日も早く、これ丈のことがあるのに、些ッとは判りさうなものではないか。出口直の前に、これ丈の事があるのに、真実に致す人民が無いが、能くもこれまで、曇りたものである。実証をこれだけ見せても詐欺師とより見えぬぞよ。言ふてやりても、未だ真実に致す人民が無いなれど、そンな事に心を悩んやうに致して、日々出る筆先を人民に見せんと、何時になりても、御蔭が取れんぞよ。世界中が総曇りであるから、善き事をして居りても、左程に思ひはせんし、悪い事を仕て居りても、それ位な事は当然ぢゃといふやうナ、混乱ナ真暗がりの中に居る人民であるから、大出口直に実地を見せておいて、その実地を筆先に書いて見せるから、それを見て改心を致さねば、日本の国の御地の上には、置いて貰へんやうになる守護神が多数出来るぞよ。耳にタコが出来る程言ひきかしてあるぞよ。今の守護神につかはれて居る人民は、外国の性来になりて了ふて居るから言ひきかした位に、聴く者が無いぞよ。一ッ平に上流と下流とが、いッち改心が出来難いぞよ。三段に区分てある身魂を立替立直して、眼口鼻を着けねばならんのであるから、何につけても大難事であるぞよ。身魂の立替立直しが中々の大事業であるから、人民の思ふて居るやうナ、小さいことで無いぞよ。二度目の世の立替を致して万古末代の事をきめて、今後は悪といふやうナ道を、さッぱり平げて了ふて、昔の弥六様のお造りに成りた善一ツの真正の道を開くから、これまで悪で思惑立てた身魂の性来を、平げて了ふから、悪の霊は利かんやうに致してやるぞよ。善に立返るなら、亦善くしてやるなり。この先きの世を、団子に致さうと、棒に致さうと、三角に致さうと、四角に致さうと、此世を自由に致すぞよと、毎度申して筆先に出して知らしてあるやうに、何も出て来るぞよ。玉水の竜宮の乙姫どのが、日の出の神と引ッ添ふて、筆先通りに致すぞよ。玉水の竜宮館が、高天原と定まりて、昔の天の規則を地の高天原で決めてあるから、此規則を背いたら、今後は末代まで赦しはなき事にきびしくなるぞよ。 直の規則破りの御魂は、二度目の世の立替の御用を勤め上げて、赦して貰ふて、今後は善と悪との亀鑑を先繰にだすから、悪の亀鑑にはならんやうに、誰によらず致されよ。今後の懲罰は、末代御赦るしが無いから、此大本の内部は、男も女も身を慎みて不調法の無いやうにして下されよ。今後は大本の内部は、大変日に増しに、きびしくなるぞよ。初発から大分悪い亀鑑が出て居るぞよ。大本に善き事も悪るい事も、末代名を書き残して、不調法の出来ぬやうにきびしくなるぞよ。何も時節がまゐりたから、従来の世に出て居りたズンダラナ守護神では、この大本の勤めは辛いぞよ。今では好きなやうにさせてあるなれど、善悪を立て別けて、規則を決めると、天と地とが揃ふて来て、上下揃へて昔の神代へ世が戻るから、この内部も今のやうなズンダラな事はさせんぞよ。一度何でも申したことは用ふる人民でないと、天地の大神はズンダラな人民は使はんぞよ。この綾部の大本からは善悪の鏡が何時になりても出るぞよ。現在の醜誤人を、さッぱり立別て了はんと、何彼の事が判らんから、日に日に自己の精神が間違ふて居らぬかと、自己の腹の中を日々改めて下されよ。人民といふものは、ちょッと行きよると、知らぬ間に自己の心が上り詰めて居りても判らんぞよ。他人からは能く判るから、取違と慢心とが一番に怪我の元となるから、気をつけた上にも気を付けるぞよ。神の気を付ける折に気がつかんと、此大本は後で何程お詫びを致しても、聴き入れは無いから、これまでの世は、前後構はずに、その場のがれの処世術で、嘘でつくねた世でありたから、誠実は些ッとも無いから、天地の大神の御心に叶はん、やり方でありたぞよ。毛筋の横幅でも混ぜりの無いやうに、立替を致すのであるから、世に出て居れる方の守護神には、大分辛くなるから、今ぢゃ早ぢゃと申して、急き込みたなれど、今に判らん守護神に、使はれて居れた人民が可哀想なから、今に気を付けるのであるぞよ。天地の大神は、大の字が上を向いて、元へ戻るから、結構になるなれど、天地の大神を無いやうにして置いて、利己主義で、下の御魂が上へあがりて、神はこの世には不用ものと申して、末流の神やら、渡りて来た身魂が上に登りたなれど、以後は最う降るより為様は無いぞよ。今後は上る身魂と下る身魂とで世界中の混雑となり、掌は反るし、ビックリ筥は開くし、何彼の事が一度になりて来て、盲目が眼が明き、聾者が耳が聞えるやうになりて、其辺が、眩うて、耳が鳴りて、彼方からも此方からも、変な所からも護光が射すぞよ。眼の前で光り、耳の側で鳴るばかりで、何が何やら判らぬやうになるぞよと、毎度筆先で気が付けてあるが、申してあるやうになりて来るぞよ。燈台脚下は真ッ暗がり、此村の人引ッ付いて居りても、心がないと判らんぞよ。昔から無い事であるから、御魂に因縁が無いと判りはせんから、改心が出来難いのであるぞよ。外国の身魂では、耳に這入りかけが致さんぞよ。可哀想なものであるぞよ。神といふものは、暑さ寒さの厭いもなく、昼夜も構はずに守護致して居りても、人民には判ろまいがナ。大出口直には判るであろうがナ。人民といふものは万物の長でないか。日本の霊の元の大和魂の性来でありたら、何も見え出して、今の人民の中には、居るのが厭になるぞよ。天地が光り渡り出すぞよ。斯ンな結構な世になるのに、外国の身魂になり切りて居るから、何実地の事を申しても、善い加減な事を申して居る位に見えようが、実地が来るぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 大正4年旧8月28日 大正四年旧八月二十八日 大国常立尊変生男子の身魂が、大出口の守と現はれて、世界の守護を致さねば成らん世が参りたから、何事も前に知らせるぞよ。何彼の事が天地の守護と成りて来たから、今出る筆先に書した事は速いから、直きの筆先を斯人と思ふ人には読まして置かんと、大神の守護になると、一日増しに烈しうなりて来て、是だけの筆先を見やうが足らんと、俄に忙しう成ると、間違いが出来るから、何彼の落度の無いやうに、此内部の事、行儀行為も、初発から神の精神に叶ふ行状の出来て居る人と、行ひの悪い守護神の肉体とは立別けが在るから、何んな行為して居りても、御用は出来ると言ふ事はないぞよ。天地の先祖の実地の御用を致すには、水晶の身魂でないと、大神の名を汚す如うな守護神の肉体には、誠の御用は出来んぞよ。 天の御先祖様は日の大神様なり、天照皇大神宮殿、地の世界の先祖が大国常立尊、龍宮の乙姫殿、日出の火水を御使い成されて、夫婦揃ふて、天地の大神の片腕に成りなされての、御活動であるぞよ。岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の大神殿、金神殿の行状の、何も揃ふて出来る御方、選り抜いて使ふぞよ。金神の中でも放縦不規なのは使はんぞよ。厳しく成るから爰に成るまでに皆が解りて居らんと、逆立に成りて困しまんならん、守護神が沢山出来るから、明治二十五年から、昼夜に皆の神々に気が注けて在りたぞよ。今度大神様が御揃ひに御成りなさるのに、間に合ふ守護神は世に出て居れる方には、チットモ無いと云ふやうな、惨い事に世が乱れて了ふて居るぞよ。斯うなる事は世の元から能く解りて居りての、何彼の大望である、斯んな惨い事に成りて居りても、実地の大神様の御苦労に成りて居りても、解らんと云ふ如うな時節に成りて了ふて、暗闇で何も解らん世界の守護神に、明治二十五年から知らしてありたが、道を二途拵えて、辛い道と楽な道と二筋こしらへて見て居れば、皆が楽な方へ就いて、楽な行り方で行きよるが、この道は少時するとトント行き当りて、行く先が無くなると云ふ事も、筆先で知らして在るが、知らした事は皆実現くるぞよ。遅し速しは在るなれど、皆出て来るぞよ。今出る筆先は早いぞよ。 昔から無い事が世界には出来て来て、人民からは出来上がりて了はんと、実地の事は感得んから、筆先に書すのは、天と地との言葉の代りに、先にある事を前日前月に書くのが、変生男子の御役であるぞよ。変生女子の御役も御苦労であるから、何方の御用も外の身魂では出来ん、大望な事であるぞよ。変生女子には斯世の是までの、乱れた方の事がさして在りて、澄子には世に出て居れた、天之宇受売命殿と摺替て在りたから、夫婦共に是迄の世の行り方がさして在りたから、○○○○○○○何彼の事が九分九厘と成りて来て、大神様の直接の御守護と成りてきたから、大本の内部の行り方を更て、男子は男子の行動、女子は女子の行状を為て貰はんと、此先は是迄の如うには為せんから、気は張弓、抜刀の中に居るやうに思ふて、心得て居らんと、肝腎の御用は出来んぞよ。善の御道一筋で行りて行かねば、世が立ちて行かんぞよ。斯世はエライ事に成りて居るから、何事も筆先に書いて知らせるから、一度申した事を素直に聞いて、其行いを致さな成らんから、一度で何事も聞く身魂で無いと、此大本へこの先は段々と、遠国からも近国からも人が出て来て、此中の行為に皆眼を着けるから、今迄の行状では、出て来る人が承知を致さんから、是だけ厳敷筆先で気が付て在るのじゃぞよ。神の威勢を出して貰ふのは、此大本から、此中の行動を見て、御蔭を感得て、人に御蔭を取らすやうに致さな成らんから、○○○○○神は何んな教も致し、何んな行いも致すなれど、人民は来た折は恐い如うに思ふなれど、腹の中から抜けんやうに持て居らんと是迄のやうには行かんから、この先は立分けが始まるから、大本の中も外も、天地の違いに一日増しに変るから、代りかけたら速いから、是迄の如うに思ふて居りた守護神が、逆立に成りて苦しむものが沢山あるから、其れを見るのが、此方も地王もイヤで在るから、是ほどクドウ気を付けたなれど、世に出て居れる守護神が、苦労知らずの、行も致さんと楽な行り方で、斯んな良い政治があるものかと申して、前後の見えん、前途は何うなる斯うなると云ふ事の、末代見透く火水神の申す事は用ゐずに、仕放題の我良しの守護神人民は、我に苦労が為てないから、人の苦しむのが面白いと云ふ如うな、悪魔に化り切りて居るなれど、此後は逆立に成りて苦しまねば成らん事が出て来るが、夫れを見るのが厭であるから、日々今に続いて気を付けたが、実地をして見せる世が参りて来て、モウ何程御詫を致しても叶はんやうに迫りて来て、実地を致して、選り分けて処置を付けな、何時まで言ひ聞かしても聞く守護神無いぞよ。新つの洗い替の世を拵へる方が仕宜いぞよ。向後は結構なれど、此変り目がイヤな事であるぞよ。今度は天地の先祖の申すやうに致して、日本の霊主国に残して貰ふた身魂は、末代結構であるぞよ。鬼の性来悪魔の御魂に成りて居る海外の国の眷属の狸の性来が、悪るシブトウて、天地の御恩の有難い事も知らず、恐い事も無し、斯性来が日本の国では一寸混りても、此後は焼払ひに致して、日本の大和魂斗りに揃えんと、一寸でも残りて居りたら、選り抜きて焼き亡ぼして了ふて、天と地との先祖が揃ふて、末代の世を続かせな成らん世が参りて来たから、是迄の善悪混交の世では、一寸も前へ行く事もならず、後へ還る事は猶ホ出来ず、往きも還りも成らんのが今の事であるが、是迄の世は四ツ足の世で在りたから、如何して居りても安楽な行り方で恐い事のない世でありたから、斯ういふ難渋な事が廻りて来るのも、皆時節であるぞよ。此時節の来るのも、元は大神様の付々の守護神の精神が、悪でありたからであるぞよ。 善一つの御先祖様の、一の番頭二の番頭が、表面から見ては善に見えて、心腹の中が極悪でありたからであるぞよ。何も彼も腹の中まで見え透く、天地の先祖の肉体の、今に其儘で居れる活神が、昔から根本の経綸が為てありての、今度の二度目の世の立替であるぞよ。ドチラの仕組も中々一通りの身魂では判る事ではない、大望な経綸であるぞよ。悪の方もエライ経綸を致して居るぞよ。善の方も見当は取れん経綸が為てあるぞよ。善の経綸も悪の経綸も、世の元から致してあるのであるぞよ。夫れで斯世には昔から、双方の国にも口舌が絶えなんだので在りたぞよ。善は苦労が永いぞよ。解るにも暇が要りたので在るぞよ。悪は苦労なしに為放題で、思ふやうにトントン拍子に昇れたなれど、悪の生命は短いぞよ。九分九厘で悪の世は平らげてしまふぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 大正5年旧5月18日 大正五年旧五月十八日 太初の根本からの事を説て聞さねば成らぬ、時節が循りて来たぞよ。天地の創造時代の事から、天の御先祖様が永い御艱難を為された事、地の先祖が押込められて、茲まで悔しい残念を隠忍り詰めて来た事から、変性男子の御魂と変性女子の御魂との因縁の事から、竜宮の乙姫殿、金勝金之大神、坤の金神殿の事、一輪の御手伝ひを成さる荒神様、木花咲耶姫殿、彦火々出見尊殿の事、神にも御存知の無い身魂の、因縁性来の判る時節が参りて来たぞよ。是れからは、昔の根本の始まりの、ミロク様の教どうりを致すから、二度目の世の立替を致したら、是れ迄の途中から出来た教理は間に合ん事に変るぞよ。綾部の大本は二度目の世の立替を致して、世の経綸法を改める大本で在るから、光華明彩の世に致さねば成らぬから、天地が矛盾不整理て居りたのが、本然え立直りて、人民に改心が出来て、善の道へ復順りたら、夫れで神世と成るので在るから、悪の霊はチットもきかぬ様に成りて、世界のお土の上には薩張り居れん様に変りて了ふから、一日の間にでも改心致して、善の道と成りて下されよ。世が変ると申すのは、身魂が悪に返りて居りたのが、ミロク様の元え直る事で在るぞよ。天の吃驚箱が開くと、昔から、仏事と学理とで、世界中が暗黒界と成りて居りたのが、日の出の守護と化りて来て、末代に一度より開く事の出来ん、天地の岩戸が開ので在るから、今迄どうりの事を申して居る守護神人民は、余り大きな間違ひで、吃驚致して、大きな声で語も言へん様な事が在るぞよと毎度知らして在るぞよ。今の内に充分準備を致して、神力を十分受けて居らぬと、俄か信神は何の間にも合はん事に成るぞよ。悪の行り方で茲迄はトントン拍子に来たなれど、悪の世はモウ平らげる。一日増しに天地の経綸通りに成りて来て、是迄の行り方では行きも戻りも成らん様に成りて来るから、世界の事変が何も一度に成りて来て、一度に開く梅の花、梅で開いて松で治める世が参るぞよ。此の世の人民よ、是迄の心の持ち方を薩張り捨てて了ふて、水晶のミロク様の世に成る教通りに素直に致すと、此の先は神の守護で、何事も明らかな、極致極真六合帰一の世に成るのじゃぞよ。是迄は天地の先祖神が隠の守護で在りたから、日本の国の天地経綸の本場所の国が、暗闇の世に成りて、根本の先祖の威光も無かりたから、今の日本の国の見苦しさ。天から降りて休み所も無い様に、山の谷までも、やう汚したものじゃ。竜宮へ落ちて居りた元の肉体の在る生神が、竜宮館の元の宮へ立帰りて、早く世に表はれて、揃ふて守護致さねば、今に日本の尊とい国が、外国の害を致すカラ身魂に自由に為られて了ふぞよ。此の方が表に成りて、天の御先祖様の御命令を奉戴きて、夫れ夫れの御用の命令を、根本の肉体の其儘で御いで遊ばす荒神さまえ下げるなり、又選用て何彼の事を見届けて、此の身魂なら間に合と見たら、先繰り御用を仰せ付けるのは、地の先祖の大国常立尊の何彼の差図を致すのであるぞよ。 綾部の大本へ来て偉そうな事を申したり、力量の無いのに口で学理万能主義的口吻を弄しても、艮え隠されて、世界の事は何も世の本からの事が、帖面に付け留めて在る同様に、種々と化けて、天地の此の世界を、隅々まで審査て在りての、二度目の世の立替を致す大本で在るから、他に仕組が為て在りても、此の方の仕組で無いから、今度は艮の金神の経綸で無いと、天地の岩戸は開かんぞよ。永い間の悔し残念を伏忍りて来た、天と地との先祖の御魂、末代の事が何も見え透く、世の元の根本の先祖の経綸で無いと、肝腎の止めは刺せぬぞよ。其の行り方では永うは続かん、此の行り方で無いとと言ふことが、先きの見え透く身魂が世を持たねば、世は途中で乱れて了ふぞよ。此の方は何も世の元から判りて居りたのじゃ。天地の先祖を押込て置いて、体主霊従の行り方で行らうと仕ても、初発は良い様なれど、暮れて行きよると段々と世が乱て、神世一代の世の末と為ると、末法万年の悪い世が永く続く時代が来ると言ふ事も、初発から天地の先祖は何も知らん事は無いのじゃ。其の末法の世が今の事、コンナ世が万年も続いたら、世界が潰れて了ふから、世を縮めて、ミロク様の世へ立直す仕組が致して在るのじゃぞよ。ミロク様の御艱難の万分一の、「い」の万分一の事が分りて来たら、勿体無うて、人民は万物の長と言はれて、神の御用を致さな成らぬと云ふ事が判るぞよ。此の難渋な大峠と成りた折には、成る可く人民が神の御用を致す様に、神は苦労を致すぞよ。日本の国の人民は、本来に大仁愛主義精霊魂が天賦けて在るなれど、其の身魂が今度の二度目の世の立替に間に合ふ様に急き込みたなれど、今では日本の国に大仁愛主義玉霊玉魂の性来が惨う無い様に成りて居るから、日本の国がコンナ見苦しき身魂では、世の元の先祖の威徳と云ふ事がチットも無いから、天地の元の先祖の神力を見せるのには、日本の人民が日本魂の性来に皆揃ふて成りて貰はんと、天地の神力は判りは為んぞよ。燈火の消ゆる世の中今なるぞ、差添え致す種ぞ恋しきと申して在らうがな。今が燈火が消えて真暗黒界で在るぞよ。天地の神の、思ひて言ふ事が人民に無い様に成りて了ふて居るぞよ。茲までに悪開に開化たのも、何も都合の事で在るぞよ。善い事も世界には悪い事もドンナ事も、末代の事を、変性男子と変性女子とに解き置かせるぞよ。変性男子の容物は、大出口直で在るから、同じ御魂が男では末代の世が続かんから、大国常立尊の御魂を、半分の御魂が、勿体なくも天の天照皇大神宮殿の御妹御の稚日女君之命と女に変化て、男と女とに分れて、ドチラの身魂も他の身魂では、やう為ん事の克う忍耐ん事を、茲までに致して来たのが、時節で二つに分て居りた御魂が一つに成りて、大出口の大神と成りて、改めて三千世界を守護う様に成りたぞよ。変性男子の御魂は、茲まで血を吐く如くの苦労を致して御用を勤め上げて、天の規則破りの咎示を許いて貰ふて、変性女子の身魂をスックリ表はして、男子と女子との因縁を表はして了はんと、天のミロク様の御出坐しが無いので在るから、天晴れミロク様に出て頂だいても、元の根本の天地の元の因縁から表はさねば、地の世界が曇り切りて居るから、物がアラコラに成りて、誠の事が成就せんぞよ。元の因縁の事が判りて来て、綾部の大本から其の通りの事を表はして見せるぞよ。綾部の大本は、代々女の御用継ぎと申して在らうがな。男では末代の世が立ちて行かんので在るぞよ。 此れ程善一つの元の根本の、御先祖様の元の大神様を、茲までに仏事の守護で在りて、天地の光りも無いと言ふ様な惨い事に仕て在りたのも、此の世が出来ん内から悪い霊魂が在りて、末代の陰謀を仕て居りたのじゃ。夫れから此の世界を建造えたので在るぞよ。悪神の陰謀を元から能く御存知で、此の身魂を日本の国え上げたらドモ成らんから、ミロク様は天へ御上りに成りて貰ふて、大国常立尊が地の世界の先祖と成りて、初発は善一つの行り方で、善の世の間は何とも言へん、良い世で在りたなれど、暮れて行きよると善の厭いな守護神の、元からの目的で叛謀が起き出して、末代の叛謀を起こしたのじゃ。何事も皆天の御先祖様が本で在るから、肝腎の元の御骨折りも判らずに、我れの目的を立てやうとしても、反って思惑が外づれる事に成るぞよ。他の身魂は枝であるから、元の此世の元からの事を、知りて居る身魂は無いので、二度目の世の立替の折には、此の世が世界中、暗雲の世に成る事が能く判りて居りて、日本の国にはドンナ経綸も仕て在るぞよ。向ふの国の悪神の陰謀もエライ陰謀で在るなれど、頭と尾と斗りで、肝腎の胴体が無いから、大事の所が抜けて居るから、サアと言ふ所で間に合はん、日本の国が世界の胴体で在るから、肝腎の大事の経綸は、世界の真中の政教の元の威霊の元の大本元の日本の真中の新宮本宮の元の宮で経綸た事で無いと、一厘の艮の所が成就せんぞよ。日本の国は大和魂で無いと天然地真で無いから、日本魂に仕て在りたなれど、向ふの国の霊とスリ変へられて、日本の威霊が、日本には無い様に成りて了ふて、今では、日本の国の精神が外国の精神に化りて、日本の国では用ゐる事の出来ん事を喜こびて、神の気障りの事斗りを致して、誠の神が地へ降りて、守護致す事の出来ん様に、汚りて了ふて居るぞよ。綾部の陸の竜宮館の高天原には、結構な神が降り昇がりを成されて、世の立替に付いて歴然と神謀神策な現象を、変性男子の御魂には見えるなり、曇りた身魂の肉体は、何結構な事を申して与りてもよう判けんが、神徳が無いと誠の事が判らんから、御用為せる事が出来んから、皆揃ふて身魂を磨て置けと申すのじゃぞよ。是迄の見苦しき心の守護神は、日本の地では御用が出来んやうに成るから、そう成ると厭でも外国へ去んで貰はんと、日本の御土の上には居れん様に、天地から成るから、日本の国は元の水晶のミロク様の世に、成りなさる時節が参りて来たから、毎度御筆先きで、日々続いて知らして在るのに、今に真実に聞いて、其の行ひを致す守護神が無いから、何彼の経綸が遅く成りて、世界中の人民が誠に難渋を致すぞよ。是迄は体主霊従国の守護に、日本の国が下落りて居りたから、心に間違ひの在る神、ドナイ為て居りても御用が出来る様に思ふて居ると、大間遠かひが今度は皆出来るから、明治二十五年から御筆先きで日々警告して居るなれど、改心の出来て居る守護神が今に無いが、気の毒なれど、モウ知らせやうが無いから、何事在りても恨めに行く所は世界に無いから、我れの心を恨めて居ろうより仕様が無いぞよ。天然の時節が循りて来るので在るから、末代肉体の在る地の先祖の申す事を誠に致して居ると、申して在る事が皆出て来るから、良い御用が出来るなれど、慢神と取違いと疑いとが有りたら、恐い事が出来るぞよ。 昔の根本から何知らん事の無い生神を敵対ふて見ても歯節は立たぬから、素直に致してウブの心に成りて、申す様に仕て居ると、思ふ様に、改心を致して其日から嬉しう暮らせるなれど、手向ふて来て、何なりと仕て見よれ、一つも思ふ様に行きはせんぞよ。元の古き世の根本からの因縁が判りて来て、天地の岩戸が開く時節が参りて、爪も立たん様に仕組が仕て在るから、改心が一等ぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 大正6年旧1月22日 大正六年旧正月二十二日 是迄の世は悪の世で世に出て居れる方の霊が皆俺が上位、身魂が高いと思ふて、何も判らん身魂が悪の経綸で何処迄も行ける様に思ふて国を思ふて仕て居る事が間違ふて居るから此迄の事はチットも用ひられんから、罪科のある国土には夫れ夫れの、罪科のある丈けの懲戒があるから、大出口直にモウ一度詳細とある所を申して与るぞと御筆先に書いて知らして在るぞよ。何なりと問いたい事があるなら、徹底的説いて聞かせるから、不足のある守護神は大本へ出て来て、膝つき合はして御話し為たり聞いたり致して打解けて来ねば、モウ間が無いやうに世界の事が差し迫って来て居るから、仕直しはチットも仕て居れんから、不足言う事の出来ん様に、何も筆先で気が附けてあるから、各自に腹の中の掃除を致して神国の間に合ふ様に成りて居らんと、十年余りて立替が延びたぞよ。世界はドウ仕様も無い事に動きもにじりも出来ん様に成りて来て居るから、始まるも何も一所に成りて来るぞよ。延ばしても早ふ致してもある丈けの事はありて了はねば、何も無しに済ませる事は出来んぞよ。改心の出来る様に大本内え引きよせて早う神徳を取らしたいと思ふて、口で申し筆先きで気を附け噛みて口え入れて呑み込みたら、良い様に為て聞かしても判らん身魂は何も判らん。好意的訓戒が逆様に感得れて早う先え行けんから神も骨が折れるし、其の仁が苦しみが増えて永う苦しむぞよ。身魂を磨かんと悪い霊が憑りて悪く成るから、改心致せよ、身魂を磨けと申して、何時迄も同じ様な事に気を附けて見せても、逆様に感得りて神業が遅く成る斗りで、苦しむ者が我れの心で身を攻めるのであるぞよ。判らん身魂程苦しむぞよ。素直な身魂は早う良くなるぞよ。我意的の心で身を攻めるから、神も永く苦しみて世界中が難渋を致すが、何時迄も同じ様な事を書いて知らせな成らんとは、誠に非道い事に汚りたものであるぞよ。申す様に心の持ち方を変えて居れば、神も喜びが早く成るなり、人民も其の場から心配が無くなりて、喜ぶ方え近ふ成りて何彼の事が経綸通りに成りて来て、末代の世が楽に暮せる様に成るのであるぞよ。天と地との先祖が世の元から此の世に成りて来る事がよく判りて居るので、世の元から仕組みてある事が時節で回りて来るのであるから、違ふ筈は無いぞよ。此の世へ出て守護して居れる守護神には判らん事であるから、変性男子の御魂の宿りて居る大出口直の手で、元の地の先祖の大国常立尊が仕組の事を書き知らすのであるぞよ。 変性男子で無いと今度の筆先は、他の身魂では書けんのであるから、一度書かした事の違はん筆先であるぞよ。 大正六年旧正月二十二日(続) 此の筆先を疑ふ身魂は、思ふ様には行きは為んぞよ。疑ふ身魂は苦しみて何を致しても、仕直し斗りを何時迄も致して、先さえ行く事がチットも出来んぞよ。夫れでも疑はんと申して居りて矢張り疑ふて居ると、物事は成就を致さんのは心に違ふ所があるからぢゃぞよ。是迄の様に思ふて我れの一存で勝手に致しても、充分の事が出来んのが世が変るのであるぞよ。我れの世で無いと充分の事が出来んのであるぞよ。他人の世の間は我が自由に成らんで、何を致しても我れの思わくには行かぬ。我の勝手に成らんのが我が世で無いのじゃ。何も命令を下げて頂いた丈けの事を致せば思ふ様に行くなれど、天地の先祖が世を持たねば、命令を下げる神が違ふたら、チットも物事は成就せんぞよ。 末代の天地の岩戸を開く折に、御手伝ひを初発に遊ばしたのが、女であれども竜宮の乙姫殿であるぞよ。夫れで、大出口直の子日の出の加美に、大望な御用を申し付けて、今に苦労が為せてあるぞよ。結構な大望な御用であるぞよ。身魂の因縁性来の良いので無くば出来ん、大望な用が為して在るから、人民では出来上りて了はんと、見当は取れんぞよ。身魂さえ磨けたら何んな事でも見えも判りも致すなれど、身魂が曇りて居ると、心が汚れて居るから、大本内に引っ着て居りても判らんので、其の事を盲目聾者の世の中で在ると申すので在るぞよ。身魂が揃ふて磨けたら、水晶の世に成りて、何も見え透く結構な世と成るのに、余り心が見苦しいから、皆が思ひ思ひの心に成りて、チットも誠の事は出来は為ぬ、実地の元の生神は、心の誠を好くので在るから、上手口申して機嫌を取る様な身苦しき人民は誠に厭で在るぞよ。神代に成ると神も人民も同じ心だ、夫れを神代と申すぞよ。今迄は神代一代の世の末と成りた末法の世で在るから、外国の害を致すカラミタマに、日本の国の大和魂を引き抜かれて、日本の人民が薩張りハイカラに成りて了ふて、チットも光りが出ん様に、間に合はん様に成りて居るから、天賦至霊至魂に致さうと申して、茲までに神諭ても、上の身魂は判り良いなれど、下素の身魂がドウにも判かりかけが致さんが、茲までは何でも改心を為してと思ふて、ドウゾして日本の国の人民を、大和魂に仕てと思ふて言ふて与る程、一日増しに悪く成る斗りで、改心の仕掛けが出来んから、悪で薩張り詰まりて了もふて、面白い程昇りて了ふて、何も判らん暗雲の世に成りて居る悪の性来を、吃驚箱を開けて、善え立ち復らしたいと思ふて、種々と骨を折りて見ても、性来と言ふものは何時に成りても、金は金の性来で性来を直す事は出来んから、悪が茲まで昇りたのじゃ、今充分気が附て来て居れど、モウ茲までに日本の国を犯侵たのが、悪では将来が違ふから、元え復整す事は出来やうまいがな。日本の国は大和魂に揃へねば、天爾之真旨で無いから、混合雑物はチットも出来んから、金は金で撰り分けて、将来の悪いのは、日本の国には住く事は出来んから、日本の国に生出た守護神は、可成く日本の中で御用が命たいので、神が心を砕くので在るぞよ。茲までに仕放題に上り詰めた悪の世を、善一つの世に致すと言ふ事が、何も無しに変りさうな事は無い、此立替が何よりも大至難な神業で在るぞよ。明治二十五年から大出口直の手で、昔から遺書にも遺言にも書物にも無い事を、茲までに世に落して、智慧学で判らん事を、いろは四十八文字で書きつくして在る事が違いはせんので在るぞよ。二度目の世の立替は、此の世が出来てから無い大望な事で在るのに、人民では判らん事なり、判らねば成らんなれど、此の世が薩張り覆り反りて居るので在るから、是れ程大雄崇な事が、人民が末代集りて掛りて致しても、出来る事で無いと申して、神諭では、知らして在るなれど、何時も鳴く鳥の如うに思ふて、嘲笑明で聞いて居る人民斗りで、辛いのは、大本の中の元の御用を致す、変性男子と変性女子とで、此の御用は外に補助の出来ん、大経緯な御用で在るから、邪魔丈けを致さん様に仕て貰いたいぞよ。大きな邪魔が出来ると、総崩壊に心配を致して、物事が遅く成りて、善い事はチットも出来んぞよ。今に成りて居りても判からんと、大きな邪魔が出来ると、時鳥と同じこと、直の御用は、喉から血を吐きもってでも、仕直しを致さねば成らん、大望な御用で在るぞよ。男子女子の真似も為て貰へんぞよ。時鳥声は聞けども姿は見えぬ、鬼門の金神は陰から守護を仕て居りたなれど、モウ蔭からの守護では、世が立ちて行かんから、表に現りて、天と地との元を建造た先祖が、此の世はコウ言ふ世の持ち方に致さねば、立ちては行かんと言ふ事を、天晴れと世界中へ、天地の吃驚箱を開けて、此れが天地の吃驚函で在ると言ふ事を、世界中へ一度に開いて見せて与ぞよ。今度天地の岩戸が開いたら、末代モウ閉らんぞよ。大望な岩戸開きで在るから、下準備に時日が入りたなれど、始めかけたら、天地の始まりを創造るよりも大事業なことなれど、何も誤計の無い様に、手の掌を覆す如くぢゃぞよ。是れ程大望な事でも、バタバタと成就致すぞよ。末代の世を、ミロク様の教通りの神世に致す、二度目の世の立替で、天地が揃ふて、神力が能く判りて、末代の事が定まるので在るぞよ。此の世を経綸と言ふ事は、余程神力の在る活魂で無いと、末代の世を立る事は出来んぞよ。元の地の先祖を押込めて、茲までに世を開く程、悪力の在る極悪の頭でも、茲までの事より出来んが、夫れと申すは世の持ち方が判らんからぢゃぞよ。天は根本のミロク様なり、地は大国常立尊で、天と地とが揃て来たから、此の先は世の元の生粋の一輪神力の御手伝で、何彼の事を、仕組通りを現はす時節が循りて来たから、何も筆先通りの経綸を開くから、何所も恨む所は無いので在るぞよ。神の申す事が判る人民の無いのは、守護神の業であるから、茲まではドウしてなりと衆を済けてと思ふて、種々と言ひ聞かしたなれど、実地を聞く守護神が無いから、人民にも誠と言ふ事が、腹の奥に無い様に成りて了ふて居るから、何程誠の事を申して与りても、やう判けんので在るぞよ。腹の中に誠が無いと、誠の神徳は、有難い斗りでは、実地の神の申す事が汲取れんから、誠の事が判らんので実地の神徳は渡されんぞよ。誠一つを貫きて来た地の先祖を、誠が強過ぎて、コンナ力の有る神を地の大将に為て貰ふたら、他の神は一人も能う勤めんと、皆の神の心が一つに成りて、ミロク様へ御願ひを成されたら、夫れなれば大勢と一人とは換えられんから、艮い押込めいと、天の御先祖様の御命令で、押込められた御蔭で、本来の御用を為せて頂く時節が循りて来て、実地誠を貫ぬいて来た御蔭で、昔の元のミロク様の世に復帰らせて頂いて、是迄は道が善悪両道在りたのが、是の先きは道を一すじに致して、小言の起きん様に、何も昔の元の結構な神の世と成るので在るから、是迄の行り方の守護神は辛く成りて、大本の中では辛棒をやう為ん守護神が沢山出来るぞよ。 是迄のハイカラは辛く成るぞよ。エラ相に思ふて居りた守護神程辛く成るぞよ。気を附ける中にチト判りて、行儀行ひを変えて居らんと、俄かに今日から、茲まではびこりて浸み切りて居るハイカラが、世を持つ神の道え乗り替える事は、ナカナカ辛ふて、改心しても間に会はず、止むを得ず救からんことが出来致すから、聖連関発の時節が循りて来た折りには、昔の元の根本の御道の事情が判りて居らんと、苦しみてキリキリ舞ひを致しても、ソコに成りてからは、何程力の在る神でも救ける訳には行かんぞよ。能く判る身魂はキリキリ舞を致して喜ぶ事が出来ると言ふ事が、耳に蛸が出来る程知らして居るなれど、実地の判る身魂が無いので、何時迄言ふて居りても、功能が無い事に、永う掛りて居りても、善い事は一つも出来はせんから、実地を初めるから、其処に成りてから不足を申して来ても、神は御相手によう成らんぞよ。天地の先祖と直の取次ぎの心を知りて呉れる身魂が無いので、実地を言ふて聞かせると、ヲドス様に思ふて、神の名を悪く致すし、言はな陽気に成るし、判らん身魂の御機嫌を取のに往生を致すぞよ。判る所へ判りて来たら、善と悪との身魂を立判るから、ソウして立替立判を致さねば、仕掛けが出来んから、日本の仕組通りに判る所へ判りて来るのは、天地の先祖が此の経綸を知食ずに居りたら、判る処へ未だ未だ判らんから、世界が大変此の先は苦しみが出来るなれど、元の仕組通りの制敗に取掛るぞよ。此の先きの世を、日本の経綸通りに致して埒よう致さねば、此の世が立ちて行かんが、何も、外国の経綸を知らん身魂で在りたなら、此の先は泥海に成るかと言ふ境ひの大峠げで在るぞよ。変性男子と変性女子との御魂がこしらへて在りて、此の身魂がビクリとも仕て居らんから、今度の二度目の世の立替が出来るなれど、茲え成りて来た折りには、何彼の用意を致して居りて、難渋な事が世界に在れば、何んと無く何処へも響くから難渋を致さいでもよい様に、神に信頼様に、今に続いて知らしても近傍ほど慢心気味が出て何も判らんから遠国から前に判りて来て膝下が後から徐々と判り掛けるぞよ。実地の生神は暑さ寒さの厭いはせず、夜る昼寝も致さんと実地を致さねば、人民ではよう致さん事が沢山在るから、実地を始じめると申して、筆先に知らして在るなれど、馬の耳に風吹く如く、此の難事業が此の世え出て居れる守護神に、何も判かりて居らん故に、日本の人民に何も判らんので、天地の先祖の骨の折れると云ふものは、此の世が出来てから無い、大難苦業な二度目の世の立替で在るぞよ。何時迄言ひ聞かして居りても判らずに、国の害斗りを致すカラ御魂に成り切りて居るから、正実の無いハイカラと申すので在るぞよ。無惨い様に、ようも是れ丈け何も判らん暗雲の世に成りたものぢゃ。悪い方へは皆うつり安一から、世の元から旧道と新道と道を二条に仕て置て、何方の道行くか見て居れば、楽な方へ皆付て了ふて、旧道えは来る人が無かりたぞよ。楽な方は、物質万能から学の道を造いて、此の学で、モウ一つ悪を強くして、女ももっと生意気に致し、小供をモウ一つ悪賢ふ仕入れて、此の状態で世の立替を致さずに、悪の頭の目的で末代行て行うとの、エライ陰謀を仕て居るなれど、日本の国の霊主体従の国には、モウ一つ深い経綸が仕て有るぞよ。日本の国は国は小さい国であるなれど、是れ丈け広い万国に、何んな事でも、学で出来る世の中で在るのを、学は使はん、世の元の初りのミロク様の、いろは四十八文字で通用を致す様に、昔の元え世を復して、末代の世が続いて行く様の仕組が、日本の始まりから致して在る、水も漏らさん大きな経綸が仕て有るのが、今判る様な、ソンナ浅い仕組は仕て居らんぞよ。国は小さうて神の数は少なふても出来る経綸が、世の始まりから仕組みて在るから、此の時節に成りたら、此の仕組が出て来る、其の世が済みたら、此の時節にはこう言ふ世が循りて来ると言ふ事が、末代の仕組が、世の元から致して在るぞよ。今度の二度目の世の立替は、物が違ふたら喉から血を吐きもってでも仕直しを致して、チットも違はす事の出来ん仕組が致して在るぞよ。末代続かせる世の立替で在るから、嘘を申したり、言ふた事を言はんと申したり、其んな心の変る様な事では、誠の事が成就せんから、何時に成りても変らん松心の、一度申した事は末代用る性来の身魂で無いと、大本の実地の御用は出来んぞよ。人の勧誘に乗たり、巧言令色を申す者に憑る様な悪の性来の守護神は、一人も誠の御用は為せんぞよ。口で巧い事を申して、心に誠の無き身魂は、使ふ事は出来んから、心を許す様な浅い心の身魂では、日々の間に合はんぞよ。トコトン心を試きて見て、是れなら間に合ふと云ふ様に成るのは、抜刀の中に立りて居る如くに思ふて居らんと、誠の神徳は出んぞよ。皆思ひが違ふて居ると言ふ事が、筆先に度々書いて知らして在ろうがな。思ひが違ふと途中で慮見の違ふ事が出来るから、誤解と慢神とが一番恐いぞよ。茲までに気が附けて在るのに、誤解を致したり、一寸心が違ふたら、悪い霊が違ふた心の肉体に掛りて悪い事を為せるから、貧乏動ぎも、気許しと言ふ事は、チットも出来ん大本で在るぞよ。其所まで判りて居る身魂が無いので、元の古き世の神は、何に付けても骨の折れる事で在るぞよ。実地の直接の取次ぎの骨の折れると言ふものは、夜分にも気を許して寝る事も出来んぞよ。大本の経綸が判る身魂は、何に付けても気を許すと言ふ事は、チットも出来は致さんぞよ。悪魔斗りの世の中に、誠と言ふ身魂は一厘で在るぞよ。九分九厘は皆敵ぢゃ。此の方からは敵には致さねど、衆の身魂が敵に成りて、悪き仕組を致すに掛りて居ろうがな。善と悪との立替で、世界中の困難で在るが、悪の方の仕組は、人の苦労で世を盗みて致した事ぢゃに依って、途中で世が乱れて、持ちも卸しも出来ん様に詰まりて了ふぞよ。こんな嘘天偽地で固めた暗雲の世を、善一つに立直すと言ふ事は、普大抵な事で出来んぞよ。善の道は茲まで隠忍不屈て来ねば、何事も出来が致さん、辛い御用で在るぞよ。