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(504)
ひふみ神示 23_海の巻 第12帖 神は人民には見へん、たよりないものであるが、たよりないのが、たよりになるのであるぞ。外国行きとは幽界行きの事ぞ。時節来て居れど人民心でせくでないぞ、せくとしくじるぞ。あちらに一人、こちらに一人、と云ふ風に残る位むごい事にせなならん様になってゐるのざから、一人でも多く助けたい親心汲みとりて、早う云ふこと聞くものぢゃ。ここ迄神示通りに出てゐても、まだ判らんのか、疑ふのにも余りであるぞ。地に高天原が出来るのざぞ、天の神地に降りなされ、地の神と御一体と成りなされ大日月の神と現はれなさる日となった、結構であるぞ、肉体の事は何とか分るであろが、タマは判るまい、永遠にタマは生き通しであるから、タマの因縁の判る所は九九の二でより他にはいくらさがしてもないのざぞ。八月二十三日、一二
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(510)
ひふみ神示 23_海の巻 第18帖 人民の我では通らん時となった位判って居らうがな、早よ我捨ててこの方について参れよ、素直にいたせば楽に行けるのざぞ、大峠越せるのざぞ、時節の仕組中々人民には判るまいがな、悪抱き参らす為には我が子にまで天のトガをおはせ、善の地の先祖まで押し込めねば一応抱く事出来んのであるぞ、ここの秘密知るものは天の御先祖様と地の御先祖様より他には無いのであるぞ。我が我がと早う出世したい様では、心変へんと人民は御用六ヶ敷いぞ。神に分けへだてなし、へだては人民の心にあるぞ。此の道は因縁なくしては判らん六ヶ敷い道であれど、此の道つらぬかねば、世界は一平にならんのぢゃ、縁ある人は勇んで行けるのぢゃ、神が守るからおかげ万倍ぢゃ、神の帖面間違ひないぞ、思ふ様にならぬのは、ならぬ時は我の心に聞いて見るがよいぞ、神の仕組は変らねど、此の世では、人民の心次第で良くも悪くも出て来るのぢゃ、仕事は変らねど出て来るのが変るのざ、悪く変ると気の毒なからくどう申してゐるのぢゃぞ。八月二十三日、一二
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(514)
ひふみ神示 24_黄金の巻 第3帖 神は神の中に、宇宙を生み給うたのであるぞ。善の祈りには善、悪の祈りには悪、祈りの通りに何も彼も出て来ること、まだ判らんか。時節には時節のことと申してあらう。十一月十七日。ひつ九のか三
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(539)
ひふみ神示 24_黄金の巻 第28帖 外が悪くて中がよいといふことないのぢゃ。外も中も同じ性もってゐるのぢゃ。時節来てゐるから、このままにしておいても出来るが、それでは人民可哀さうなから、くどう申してゐるのぢゃ。三千年花咲くぞ。結構な花、三年、その後三年であるぞ。二の三年めでたやなあ めでたやなあ、ヒカリのふで裏迄読んで見なされ、よく解ってビシビシその通りになっておろうがな。このほう念じてやれよ。この火この水ぞ。この火ばかりと思ふなよ。火と水ざぞ。善き火に廻してやるぞ、良き水の御用も回してやるぞ。しくじりも人間にはあるぞ。しくじったらやり直せよ。しくじりは火と水の違ひぞ。このことよく心得てなされよ。しくじり、しくじりでなくなるぞ。何も思案投首一番罪深い。皆それぞれに喜び与へられてゐるでないか。何不足申すのざ。かのととり。一二十
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(565)
ひふみ神示 24_黄金の巻 第54帖 目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ。心せよ。雨、風、岩、いよいよ荒れの時節ぢゃ。世界に何とも云はれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。食ふべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。悪を消化する胃袋、早うせねば間に合はん。梅干大切心の。五十二才二の世の始。五十六才七ヶ月 みろくの世。十二月七日一二十
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(591)
ひふみ神示 24_黄金の巻 第80帖 慾が深いから先が見えんのぢゃ。悪神よ、今迄は思ふ通りに、始めの仕組通りにやれたなれど、もう悪の利かん時節が来たのであるから、早う善に立ちかへりて下されよ。善の神まで捲き入れての仕放題、これで不足はもうあるまいぞや。いくら信仰しても借銭なくなる迄は苦しまねばならん。途中でへこたれんやうに、生命がけで信仰せねば借銭なし六ヶ敷いぞ。途中で変る紫陽花では、御用六ヶ敷いぞ。一月三日一二十
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(612)
ひふみ神示 25_白金の巻 第1帖 天地のことわり書き知らすぞ。この巻しろかねの巻。 天国ぢゃ、霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、そんな分けへだてはないのであるぞ。時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのぢゃが、時節到来したので、まことの天地のことわりを書き知らすぞ。三千の世界の中の一つがそなた達の世界であるぞ。この世も亦三千に分れ、更に五千に分れてゐるぞ。このほう五千の山にまつれと申してあろう。今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。人民のタネによっては七つしか分らんのであるぞ。日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であるぞ。人民では六つか七つにしか分けられまいが。イワトがひらけると更に九、十となるぞ。かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判ると申してあらうが。八つの世界とは、、ア、オ、ウ、エ、イであるぞ。八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、と考へてよいのぢゃ。キとは気の気であるぞ。その他に逆の力があるぞ。九と十であるぞ。その上に又霊の霊の個から始まってゐるのであるが、それはムの世界、無限の世界と心得よ。霊界に入って行けば、その一部は知れるなれど、皆直ちには判らないのであるぞ。判らんことは判らんと、わからねばならんと申してあらうがな。天、息吹けば、地、息吹くと申してあろう。このことよくわきまえよ。地の規則、天の規則となることあると申して知らしてあらう。この大切こと忘れるでないぞ。おもひの世界が天ぞ。にくの世界が地ぞ。おもひは肉体と一つぞ。二つぞ。三つぞ。おもひ起って肉体動くぞ。肉体動いておもひ動くこともあるぞ。生れ赤児の心になって聞いて下されよ。何も彼も、ハッキリうつるぞ。陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、タカミムスヒとカミムスヒと考へてゐるなれど、別のミナカヌシ、現はれるぞ。、卍、、よく見て下されよ。一であり、二であり、三であらうがな。三が道と申してあろう。陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ。なくてはならん。にもかくれたと現われたとがあるぞ。このこと先づ心得て下されよ。そなた達は父と母と二人から生れ出たのか。さうではあるまいがな。三人から生れ出てゐること判るであらうがな。どの世界にも人が住んでゐるのであるぞ。の中にがあり、その中に又があり、限りないのざと知らせてあらうが。そなた達の中に又人がゐて限りないのぢゃ。このほう人民の中にゐると知らしてあらうがな。そなた達も八人、十人の人によって生きてゐるのぞ。又十二人でもあるぞ。守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、段々変るのであるぞ。自分と自分と和合せよと申すのは、八人十人のそなた達が和合することぞ。それを改心と申すのざぞ。和合した姿を善と申すのぢゃ。今迄の宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであること合点か。一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。地獄ないこと合点か。悪抱き参らせよと申してあること、これで合点か。合点ぢゃナア。各々の世界の人がその世界の神であるぞ。この世ではそなた達が神であるぞ。あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。それがカミと申してゐるものぞ。あの世の人をこの世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないのであるぞ。裏から申せば、神様の神様は人間様ぢゃ。心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな。肉体が心を守ってゐるのであるが、ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。何処迄も下に従ふのぢゃ。順乱すと悪となるぞ。生れ赤児ふみこえ、生れ赤児になって聞いて下されよ。そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。死と云ふことは、その衣、上からぬぐことぢゃ。ぬぐと中から出て来て又八枚十枚の衣つけるやうになってゐるのぢゃ。判るやうに申してゐるのぢゃぞ。取違ひせんやうにせよ。天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、まだまだ地には凸凹あるから、気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。十二月十四日
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(654)
ひふみ神示 26_黒金の巻 第36帖 天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇であるぞ。闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐるぞ。天界は昇り易く、幽界にはおちにくいぞ。神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならんと、今迄は説かしてゐたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ。影しか判らんから、時節が来て居らんから、さう説かしてゐたのであるが、この度、時節到来したので、マコトの道理説いてきかすのぢゃ。神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しとなることぞ。嬉し嬉しとはそのことであるぞ。神と金と二つとも得ること嬉しいであろうがな。その次には霊の霊とも共に仕へまつれよ。まつれるのであるぞ。これが、まことの正しき理であるぞ。今迄の信仰は何処かにさびしき、もの足りなさかあったであらうが。片親がなかったからぞ。天に仕へるか、地に仕へるかであったからぞ。この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな。清くして富むのがまことぢゃ。地に富まねばならんのぢゃと申してあらうが。これから先は金もうけばかりも出来ん。今迄のやうな神信心ばかりも出来ん。神の理を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。金がたまらねば深く省みよ。理に外れて御座るぞ。人は罪の子でない、喜びの子ぞ。 旧九月八日
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(663)
ひふみ神示 27_春の巻 第6帖 喜びが、真、善、美、愛と現はれ、それが又、喜びとなり、又、、真、善、美、愛となり、又現はれ、限りないのぢゃ。喜びの本体はあの世、現はれはこの世、あの世とこの世合せて真実の世となるのぞ。あの世ばかりでも片輪、この世ばかりでも片輪、まこと成就せんぞ。あの世とこの世と合せ鏡。神はこの世に足をつけ衣とし、人はあの世をとして、心として生命しているのぢゃ。神人と申してあろうがな。この十理よくわきまへよ。この世にあるものの生命はあの世のもの、あの世の生命の衣はこの世のもの。くどいようなれどこのこと肚の中に、得心なされよ。これが得心出来ねば どんなによいことをしても、まこと申しても なにもならん、ウタカタぢゃぞ。時節来たのぢゃから、今迄のように一方だけではならんぞよ。
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(789)
ひふみ神示 31_扶桑の巻 第1帖 東は扶桑-二三-なり、日--出づる秋は来にけり。この巻扶桑-二三-の巻、つづく六の巻を合せて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示と申せよ。イシもの言ふぞと申してありたが、イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、五の一四がもの言ふのであるぞ、ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。握れば元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、五十連ぞ、判りたか、五十連世に出るぞ。天に神の座あるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ。七の印と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう、地はいろは(意露波)であるぞ。判らん者が上に立つこととなるぞ、大グレン目の前、日本のみのことでないぞ、世界中のことであるぞ、今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカヘではないのであるぞ。何も彼も鏡にうつるのであるぞ。鏡が御神体であるぞ。何もうつらん御神体のカガミは何もならんぞ。
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(800)
ひふみ神示 31_扶桑の巻 第12帖 進る宇都の幣帛きこしめしたべ。 神の御手に巻物があるぞ、その巻物の数は五十巻ぢゃ、この巻物を見たものは今迄に一人もなかったのであるぞ、見ても判らんのぢゃ。巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となって了うのであるぞ、人民には判らんなり。説くことは出来んなり、この巻物は天の文字で書いてあるぞ、数字で書いてあるぞ、無が書いてあるぞ、無の中に有がしるしてあるぞ、心を無にすれば白紙の中に文字が現はれるのであるぞ、時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった、有難いことであるぞ、岩戸がひらけて愈々の時となったのぞ、始めからの巻物よく読んで下されよ、よくより分けて下されよ、何も彼も一切ありやかに刻まれてゐるぞ、残る十二巻と一巻は人民では判らんぞ、無の巻物ぞ、空に書いてあるぞ。
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ひふみ神示 32_碧玉之巻 第10帖 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなばこの千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。 次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下を治しめす御役神であるぞ。天ヶ下は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる-と言ふ-ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル現生る-神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。 神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。 仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。
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(824)
ひふみ神示 33_星座の巻 第2帖 ナルの仕組とは成十(七十)の経綸であるぞ、八が十になる仕組、岩戸(言答)ひらく仕組、今迄は中々に判らなんだのであるが、時節が来て、岩戸がひらけて来たから、見当つくであろう、富士(二二、普字)と鳴門-七 十、成答-の仕組、結構致しくれよ。
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(990)
ひふみ神示 39_月光の巻 第58帖 春が来れば草木に芽が出る。花が咲く。秋になれば葉が枯れるのぢゃ。時節よく気付けて取違ひせんよういたしくれよ。時節程結構なものないが、又こわいものもないのであるぞ。丁度呼吸のようなもので一定の順序あるのぞ。吸の極は呼となり、呼の極は吸となるぞ。これが神の用であるから、神の現われの一面であるから、神も自由にならん。この神も時節にはかなわんのであるのに、そなたは時々この時節を無視して自我で、或ひは時節を取違ひして押しまくるから失敗したり怪我したりするのぢゃぞ。素直にしておれば楽に行けるようになってゐるぞ。時まてばいり豆にも花さくのであるぞ。水が逆に流れるのであるぞ。上下でんぐり返るのであるぞ。上の人が青くなり、下の人が赤くなるのであるぞ。取りちがひないように理解して下されよ。
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(997)
霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 発端 発端 自分が明治三十一年旧二月九日、神使に伴なはれ丹波穴太の霊山高熊山に、一週間の霊的修業を了へてより天眼通、天耳通、自他神通、天言通、宿命通の大要を心得し、神明の教義をして今日あるに至らしめたるについては、千変万化の波瀾があり、縦横無限の曲折がある。旧役員の反抗、信者の離反、その筋の誤解、宗教家の迫害、親族、知友の総攻撃、新聞雑誌、単行本の熱罵嘲笑、実に筆紙口舌のよくするところのものでない。自分はただただ開教後廿四年間の経緯を、きわめて簡単に記憶より呼び起して、その一端を示すことにする。 竜宮館には変性男子の神系と、変性女子の神系との二大系統が、歴然として区別されてゐる。変性男子は神政出現の予言、警告を発し、千辛万苦、神示を伝達し、水をもつて身魂の洗礼を施し、救世主の再生、再臨を待つてをられた。ヨハネの初めてキリストに対面するまでには、ほとんど七年の間、野に叫びつつあつたのである。変性男子の肉宮は女体男霊にして、五十七才はじめてここに厳の御魂の神業に参加したまひ、明治二十五年の正月元旦より、同四十五年の正月元旦まで、前後満二十年間の水洗礼をもつて、現世の汚濁せる霊体両系一切に洗礼を施し、世界改造の神策を顕示したまうた。かの欧洲大戦乱のごときは、厳の御魂の神業発動の一端にして、三千世界の一大警告であつたと思ふ。 変性女子の肉宮は瑞の御魂の神業に参加奉仕し、火をもつて世界万民に洗礼を施すの神務である。明治三十一年の旧二月九日をもつて神業に参加し、大正七年二月九日をもつて前後満二十年間の霊的神業をほとんど完成した。物質万能主義、無神無霊魂説に、心酔累惑せる体主霊従の現代も、やや覚醒の域に達し、神霊の実在を認識するもの、日に月に多きを加へきたれるは、すなはち神霊の偉大なる神機発動の結果にして、決して人智人力の致すところではないと思ふ。 変性男子の肉宮は神政開祖の神業に入り、爾来二十有七年間神筆を揮ひ、もつて霊体両界の大改造を促進し、今や霊界に入りても、その神業を継続奉仕されつつあるのである。 つぎに変性女子は三十年間の神業に奉仕して、もつて五六七神政の成就を待ち、世界を善道にみちびき、もつて神明の徳沢に浴せしむるの神業である。神業奉仕以来、本年をもつて満二十三年、残る七ケ年こそ最も重大なる任務遂行の難関である。神諭に曰く、 『三十年で身魂の立替立直しをいたすぞよ』 と。変性男子の三十年の神業成就は、大正十一年の正月元旦である。変性女子の三十年の神業成就は、大正十七年二月九日である。神諭に、 『身魂の立替立直し』 とあるを、よく考へてみると、主として水洗礼の霊体両系の改造が三十年であつて、これはヨハネの奉仕すべき神業であり、体霊洗礼の霊魂的改造が前後三十年を要するといふ神示である。しかしながら三十年と神示されたのは、大要を示されたもので、決して確定的のものではない。伸縮遅速は、たうてい免れないと思ふ。要するに、神界の御方針は一定不変であつても、天地経綸の司宰たるべき奉仕者の身魂の研不研の結果によつて変更されるのは止むをえないのである。 神諭に、 『天地の元の先祖の神の心が真実に徹底了解たものが少しありたら、樹替樹直しは立派にできあがるなれど、神界の誠が解りた人民が無いから、神はいつまでも世に出ることができぬから、早く改心いたして下されよ。一人が判りたら皆の者が判つてくるなれど、肝心のものに判らぬといふのも、これには何か一つの原因が無けねばならぬぞよ。自然に気のつくまで待つてをれば、神業はだんだん遅れるばかりなり、心から発根の改心でなければ、教へてもらうてから合点する身魂では、到底この御用は務まらぬぞよ。云々』 実際の御経綸が分つてこなくては、空前絶後の大神業に完全に奉仕することはできるものではない。御神諭に身魂の樹替樹直しといふことがある。ミタマといへば、霊魂のみのことと思つてゐる人が沢山にあるらしい。身は身体、または物質界を指し、魂とは霊魂、心性、神界等を指したまうたのである。すべて宇宙は霊が本で、体が末となつてゐる。身の方面、物質的現界の改造を断行されるのは国祖大国常立神であり、精神界、神霊界の改造を断行したまふのは、豊国主神の神権である。ゆゑに宇宙一切は霊界が主であり、現界が従であるから、これを称して霊主体従といふのである。 霊主体従の身魂を霊の本の身魂といひ、体主霊従の身魂を自己愛智の身魂といふ。霊主体従の身魂は、一切天地の律法に適ひたる行動を好んで遂行せむとし、常に天下公共のために心身をささげ、犠牲的行動をもつて本懐となし、至真、至善、至美、至直の大精神を発揮する、救世の神業に奉仕する神や人の身魂である。体主霊従の身魂は私利私欲にふけり、天地の神明を畏れず、体欲を重んじ、衣食住にのみ心を煩はし、利によりて集まり、利によつて散じ、その行動は常に正鵠を欠き、利己主義を強調するのほか、一片の義務を弁へず、慈悲を知らず、心はあたかも豺狼のごとき不善の神や、人をいふのである。 天の大神は、最初に天足彦、胞場姫のふたりを造りて、人体の祖となしたまひ、霊主体従の神木に体主霊従の果実を実らせ、 『この果実を喰ふべからず』 と厳命し、その性質のいかんを試みたまうた。ふたりは体欲にかられて、つひにその厳命を犯し、神の怒りにふれた。 これより世界は体主霊従の妖気発生し、神人界に邪悪分子の萠芽を見るにいたつたのである。 かくいふ時は、人あるひは言はむ。 『神は全智全能にして智徳円満なり。なんぞ体主霊従の萌芽を刈りとり、さらに霊主体従の人体の祖を改造せざりしや。体主霊従の祖を何ゆゑに放任し、もつて邪悪の世界をつくり、みづからその処置に困むや。ここにいたりて吾人は神の存在と、神力とを疑はざるを得じ』 とは、実に巧妙にしてもつとも至極な議論である。 されど神明には、毫末の依怙なく、逆行的神業なし。一度手を降したる神業は昨日の今日たり難きがごとく、弓をはなれたる矢の中途に還りきたらざるごとく、ふたたび之を更改するは、天地自然の経緯に背反す。ゆゑに神代一代は、これを革正すること能はざるところに儼然たる神の権威をともなふのである。また一度出でたる神勅も、これを更改すべからず。神にしてしばしばその神勅を更改し給ふごときことありとせば、宇宙の秩序はここに全く紊乱し、つひには自由放漫の端を開くをもつてである。古の諺にも『武士の言葉に二言なし』といふ。いはんや、宇宙の大主宰たる、神明においてをやである。神諭にも、 『時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎豆にも花の咲く時節が参りて、世に落ちてをりた神も、世に出て働く時節が参りたぞよ。時節ほど恐いものの結構なものは無いぞよ、云々』 と示されたるがごとく、天地の神明も『時』の力のみは、いかんとも為したまふことはできないのである。 天地剖判の始めより、五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒出現の暁となり、弥勒の神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱をたて、苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示し、善を勧め、悪を懲し、至仁至愛の教を布き、至治泰平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したまふ時期に近づいてきたのである。 吾人はかかる千万億歳にわたりて、ためしもなき聖世の過渡時代に生れ出で、神業に奉仕することを得ば、何の幸か之に如かむやである。神示にいふ。 『神は万物普遍の聖霊にして、人は天地経綸の司宰なり』 と。アゝ吾人はこの時をおいて何れの代にか、天地の神業に奉仕することを得む。 アゝ言霊の幸はふ国、言霊の天照る国、言霊の生ける国、言霊の助ける国、神の造りし国、神徳の充てる国に生を稟けたる神国の人においてをや。神の恩の高く、深きに感謝し、もつて国祖の大御心に報い奉らねばならぬ次第である。
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 18 霊界の情勢 第一八章霊界の情勢〔一八〕 ここで自分は、神界幽界の現界にたいする関係を一寸述べておかうと思ふ。 神界と幽界とは時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆゑ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現はれることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。その見ゆる有様は過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである。 霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。 ここに自分が述べつつあることは、霊界において見た順序のままに来るとはかぎらない。霊界において一層早く会ふた身魂が、現界では一層晩く会ふこともあり、霊界にて一層後に見た身魂を、現界にて一層早く見ることもある。今回の三千世界の大神劇に際して、檜舞台に立つところの霊界の役者たちの霊肉一致の行動は、自分が霊界において観たところとは、時間において非常に差異がある。 されど自分は、一度霊界で目撃したことは、神劇として必ず現界に再現してくることを信ずるものである。 さて天界は、天照大御神の御支配であつて、これは後述することにするが、今は地上の神界の紛乱状態を明らかにしたいと思ふ。今までは地上神界の主宰者たる国常立尊は、「表の神諭」に示されたるごとくに、やむを得ざる事情によつて、引退され給うてゐられた。 それに代つて、太古において衆望を担うて、国常立尊の後を襲ひたまうた神様は、現在は支那といふ名で区劃されてゐる地域に、発生せられたる身魂であつて、盤古大神といふ神である。この神はきはめて柔順なる神にましまして、決して悪神ではなかつた。ゆゑに衆神より多大の望みを嘱されてゐたまうた神である。今でこそ日本といひ、支那といひ露西亜といひ、種々に国境が区劃されてゐるが、国常立尊御神政時代は、日本とか外国とかいふやうな差別は全くなかつた。 ところが天孫降臨以来、国家といふ形式ができあがり、いはゆる日本国が建てられた。従つて水火沫の凝りてなれるてふ海外の地にも国家が建設されたのである。さて、いはゆる日本国が創建され、諸々の国々が分れ出でたるとき、支那に生まれたまうた盤古大神は、葦原中津国に来たりたまひて国祖の後を襲ひたまふた上、八王大神といふ直属の番頭神を御使ひになつて、地の世界の諸国を統轄せしめられた。一方いはゆる外国には、国々の国魂の神および番頭神として、国々に八王八頭といふ神を配置された。丁度それは日本の国に盤古大神があり、その下に八王大神がおかれてあつたやうなものである。日本本土における八王大神は、諸外国の八王八頭を統轄し、その上を盤古大神が総攬したまひましたが、八王八頭は決して悪神ではない。天から命ぜられて各国の国魂となつたのは八王であり、八頭は宰相の位置の役である。こういふ風なのが、今日、国常立尊御復権までの神界の有様である。 さうかうするうちに、露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した。これがすなはち素盞嗚命の言向和された、かの醜い形の八頭八尾の大蛇の姿をしてゐたのである。この八頭八尾の大蛇の霊が霊を分けて、国々の国魂神および番頭神なる八王八頭の身魂を冒し、次第に神界を悪化させるやうに努力しながら現在にいたつたのである。しかるに一方印度においては、極陰性の邪気が凝りかたまつて金毛九尾白面の悪狐が発生した。この霊はおのおのまた霊を分けて、国々の八王八頭の相手方の女の霊にのり憑つた。 しかして、また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。しかしながら日本国は特殊なる神国であつて、この三種の悪神の侵害を免れ、地上に儼然として、万古不動に卓立してをることができた。この悪霊の三つ巴のはたらきによつて、諸国の国魂の神の統制力はなくなり、地上の世界は憤怒と、憎悪と、嫉妬と、羨望と、争闘などの諸罪悪に充ち満ちて、つひに収拾すべからざる三界の紛乱状態を醸したのである。 ここにおいて、天上にまします至仁至愛の大神は、このままにては神界、現界、幽界も、共に破滅淪亡の外はないと観察したまひ、ふたたび国常立尊をお召出し遊ばされ、神界および現界の建替を委任し給ふことになつた。さうして坤之金神をはじめ、金勝要神、竜宮乙姫、日出神が、この大神業を輔佐し奉ることになり、残らずの金神すなはち天狗たちは、おのおの分担に従つて御活動申し上げ、白狐は下郎の役として、それぞれ神務に参加することになつた。ここにおいて天津神の嫡流におかせられても、木花咲耶姫命と彦火々出見命は、事態容易ならずと見たまひ、国常立尊の神業を御手伝ひ遊ばすこととなり、正神界の御経綸は着々その歩を進め給ひつつあるのである。それと共にそれぞれ因縁ある身魂は、すべて地の高天原に集まり、神界の修行に参加し、御経綸の端なりとも奉仕さるることになつてをるのである。 そもそも太古、葦原瑞穂中津国は大国主命が武力をもつて、天下をお治めになつてゐた。天孫降臨に先だち、天祖は第三回まで天使をお遣しになり、つひには武力をもつて大国主命の権力を制し給うた。大国主神も力尽きたまひ、現界の御政権をば天命のままに天孫に奉還し、大国主御自身は、青芝垣にかくれて御子事代主と共に、幽世を統治したまふことになつた。 この時代の天孫の御降臨は、現在の日本なる地上の小区劃を御支配なし給ふためではなく、実に全地球の現界を知食すための御降臨であり給うた。しかしながら未完成なる世界には、憎悪、憤怒、怨恨、嫉妬、争闘等あらゆる邪悪が充満してゐるために、天の大神様の御大望は完成するにいたらず、従つて弱肉強食の修羅の巷と化し去り地上の神界、現界は、ほとんど全く崩壊淪亡しやうとする場合に立ちいたつたのである。 かかる情勢を見給ひし天津神様は、命令を下したまひて、盤古大神は地上一切の幽政の御権利を、艮金神国常立尊に、ふたたび御奉還になるのやむなき次第となつた。ここに盤古大神も既に時節のきたれるを知り、従順に大神様の御命令を奉戴遵守したまうた。しかるに八王大神以下の国魂は、邪神のためにその精霊を全く汚されきつてゐるので、まだまだ改心することができず、いろいろと悪策をめぐらしてゐたのである。なかには改心の兆の幾分見えた神もあつた。 かくの如くにして国常立尊が、完全に地上の神界を御統一なしたまふべき時節は、既に已に近づいてゐる。神界の有様は現界にうつりきたり、神界平定後は天津日嗣命が現界を治め給ひ、国常立尊は幽政を総纜したまひ、大国主命は日本の幽政をお司りになるはずである。しかし現在ではまだ、八頭八尾の大蛇、金毛九尾の悪狐および鬼の霊は、盤古大神を擁立して、幽界および現界を支配しやうと、諸々の悪計をめぐらしつつあるのである。 しかしながら従順な盤古大神は、神界に対するかかる反逆に賛同されないので、邪鬼の霊はみづから頭目となり、赤色旗を押立てていろいろの身魂をその眷族に使ひつつ、高天原乗取策を講じてゐる。 そこで天よりは事態容易ならずとして、御三体の大神が地上に降臨ましまして、国常立尊の御経綸を加勢なしたまふことになり、国常立尊は仮の御息所を蓮華台上に建設して、御三体の大神様を奉迎し給ふこととなるのである。 したがつて、御三体の大神様の御息所ができたならば、神界の御経綸が一層進んだ証拠だと拝察することができる。 (大正一〇・一〇・二〇旧九・二〇谷口正治録)
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 22 国祖御隠退の御因縁 第二二章国祖御隠退の御因縁〔二二〕 大国常立尊の御神力によりて、天地はここに剖判し、太陽、太陰、大地の分担神が定まつたことは、前述したとほりである。しかして太陽の霊界は伊邪那岐命これを司りたまひ、その現界は、天照大御神これを主宰したまふのである。次に太陰の霊界は、伊邪那美命これを司りたまひ、その現界は、月夜見之命これを主宰したまふ。大地の霊界は前述のごとくに大国常立命之を司りたまひ、その大海原は日之大神の命によりて須佐之男命これを主宰したまふ神定めとなつた。 しかるに太陽界と、大地球界とは鏡を合したやうに、同一状態に混乱紛糾の状態を現出した。太陰の世界のみは、現幽両界ともに元のままに、平和に治まつてゐる。ひとり太陰に限つて、なぜ今でも平和に治まつてゐるかと言へば、この理は月の形を地上から観測しても明らかである如く、光はあれども酷烈ならず、水気はあつても極寒ではない。実に寒暑の中庸を得たる至善至美の世界であるからである。これに反して太陽の世界は、非常に凡てのものが峻烈で光は鮮かであり、六合に照徹する神力はあれども、それだけまた暗黒なる陰影が多い。しかしてまた大地は、もとより混濁せる分子の凝り固まつてできたものであるから、勢として不浄分子が多い。したがつてまた邪神の発生するのも、やむを得ない次第である。 そこで稚姫君命は、天稚彦と共に神命を奉じて天に上り、天界の神政を司らうとしたまうたが、御昇天の途上において、地上からつき従うた邪神どもにあやまられ、天地経綸の機織の仕組を仕損じたまひ、つひに地上に降りたまひて国常立命と共に地底に潜ませられ、あらゆる艱難苦労を忍びたまふの已むを得ざるに立ちいたつた。稚姫君命の御失敗の因縁については、後日詳しく述べることにする。 さて、大国常立命は天地間の混乱状態邪悪分子をば掃蕩して、最初の神界の御目的どほりの幽政を布かうと遊ばしたまうた。これについて国祖は、まづ坤金神を内助の役として種々の神策を企図したまひ、また、大八洲彦命を天使長兼宰相の地位に立たして、非常に厳格な規則正しき政を行ひ、天の律法を制定して、寸毫といへども天則に干犯するものは、罰するといふことに定めたまうた。そのために地上の年数にして数百年の間は非常に立派に神政が治まつてゐたが、世が次第に開けゆくにつれて、神界、幽界、現界ともに邪悪分子が殖えてきた。すなはち八百万の神人は、日増に大神の御幽政に対する不服を訴ふるやうになり、山川草木にいたるまで言問ひあげつらふ世になつた。 そこでやむを得ず宰相大八洲彦命は、国常立尊の御意志に背くと知りつつも、和光同塵の神策をほどこし、言問ひ、論争ふ八百万の神々を鎮定慰撫しつつ、ともかくも世を治めてゆかれたのである。 しかるにこのとき霊界は、ほとんど四分五裂の勢となり、一方には、盤古大神(又の御名塩長彦)を擁立して、幽政を主宰せしめむとする一派を生じ、他方には、大自在天神大国彦を押し立てて神政を支配し、地の高天原を占領せむとする神人の集団が出現し、その他諸々の神々の小集団は、或ひは盤古大神派に、或ひは大自在天神派に付随せむとし、また中には、この両派に属せずして中立しながら、国常立尊の神政に反対する神々も生じてきた。 そこで国常立尊はやむを得ず天に向つて救援をお請ひになつた。天では天照大御神、日の大神(伊邪那岐尊)、月の大神(伊邪那美尊)、この三体の大神が、地の高天原に御降臨あそばし給ひ、国常立尊の神政および幽政のお手伝ひを遊ばされることになつた。国常立尊は畏れ謹み、瑞の御舎を仕へまつりて、三体の大神を奉迎したまうた。然るところ、地上は国常立尊の御系統は非常に減少して勢力を失ひ、盤古大神および大自在天神の勢力はなはだ侮り難く、つひには国常立尊に対して、御退位をお迫り申すやうになつた。天の御三体の大神は、地上の暴悪なる神々にむかつて、あるひは宥め、或ひは訓し、天則に従ふべきことを懇に説きたまうた。されど、時節は悪神に有利にして、いはゆる……悪盛んにして天に勝つ……といふ状態に立ちいたつた。 ここに国常立尊は神議りに議られ、髪を抜きとり、手を切りとり、骨を断ち、筋を千切り、手足所を異にするやうな惨酷な処刑を甘んじて受けたまうた。されど尊は実に宇宙の大原霊神にましませば、一旦肉体は四分五裂するとも、直ちにもとの肉体に復りたまひ、決して滅びたまふといふことはない。 暴悪なる神々は盤古大神と大自在天神とを押し立て、遮二無二におのが要求を貫徹せむとし、つひには天の御三体の大神様の御舎まで汚し奉るといふことになり、国常立尊に退隠の御命令を下し給はむことを要請した。さて天の御三体の大神様は、国常立尊は臣系となつてゐらるるが、元来は大国常立尊は元の祖神であらせたまひ、御三体の大神様といへども、元来は国常立尊の生みたまうた御関係が坐します故、天の大神様も御真情としては、国常立尊を退隠せしむるに忍びずと考へたまうたなれど、ここに時節の已むなきを覚りたまひ、涙を流しつつ勇猛心を振起したまひ、すべての骨肉の情をすて、しばらく八百万の神々の進言を、御採用あらせらるることになつた。そのとき天の大神様は、国祖に対して後日の再起を以心伝心的に言ひ含みたまひて、国常立尊に御退隠をお命じになり、天に御帰還遊ばされた。 その後、盤古大神を擁立する一派と、大自在天神を押立つる一派とは、烈しく覇権を争ひ、つひに盤古大神の党派が勝ち幽政の全権を握ることになつた。一方国常立尊は自分の妻神坤金神と、大地の主宰神金勝要神および宰相神大八洲彦命その他の有力なる神人と共に、わびしく配所に退去し給うた。 地上の神界の主宰たる大神さへ、かくのごとく御隠退になるといふ有様であるから、地上の主宰たる須佐之男命も亦、八百万の神々に、神退ひに退はるるの已むなきにいたりたまひ、自転倒嶋を立去りて、世界のはしばしに漂泊の旅をつづけられることになつた。しかし須佐之男命は、現界において八岐大蛇を平げ地上を清め、天照大御神にお目にかけ給うたと同じやうに、神界においても、すべての悪神を掃蕩して地上を天下泰平に治め、御三体の大神様にお目にかけ、地上の主宰の大神となり給ふといふのである。 さて、自分はこれから国常立尊随従の八百万の神人の中でも、主なる神司の御経歴御活動を述べ、また盤古大神および大自在天神を擁立せる一派の八百万の神々の経歴および暴動振りを、神界にて目撃せるままを述べておかふと思ふ。 (大正一〇・一〇・二〇旧九・二〇谷口正治録)
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 39 白玉の行衛 第三九章白玉の行衛〔三九〕 黄金水の精より出でたる十二の宝玉は、個々別々に使用しては何の効用も現はれないものである。しかしこれを拾ひ得たる十二柱の神司も、竹熊の一派もその真相を知らず、一個を得れば一個だけの活用あり、二個を得れば二個だけの神力の現はるるものといづれの者も確信してゐた。 そこで竹熊は、第一番に田依彦の持つてをる白色の玉を、手に入れむことを計画したが、どうしても田依彦を説服して、その自分に譲らしむることの容易ならざるをさとり、ここに竹熊は一計を案出し、田依彦のもつとも信頼措かざる魔子彦を、物質欲をもつて甘く自分の参謀にとりいれた。魔子彦は容姿端麗なる美男である。さうして田依彦の姉にして豆寅の妻なる草香姫といふのがあつた。これもまた非常な麗しき容貌を備へていた。しかるに草香姫はいつとなく、魔子彦に思ひをかけてゐた。 このとき竹熊は魔子彦に種々の珍しき宝を与へ、また非常に麗しき衣服を与へた。ここに魔子彦はその美衣を身に着し、薫香つよき膏を肉体一面に塗りつけ、草香姫が吾に恋愛の情を深からしめむとした。この行動は竹熊の内命に従つたものである。 ここに草香姫はますます恋慕の情が募つてきた。されども、あからさまに心の思ひを魔子彦に打ちあけることを愧ぢて、日夜悶々の情に堪へかねてゐた。つひに草香姫は気鬱病になり、病床に臥して呻吟し、その身体は日一日と痩衰へ、生命は旦夕に迫つてきた。弟田依彦は大いに驚き、かつ悲しみ、いかにもして草香姫の病を癒やし救はむと、百方苦慮しつつあつた。 時に田依彦は自分の信ずる魔子彦が、内々竹熊の参謀役になつてをることは夢にも知らず、魔子彦をよんで、草香姫の病気をいかにせば全快せむやと、顔の色をかへ吐息をつきながら相談をしかけた。 魔子彦は時節の到来と内心ひそかに打ち喜びつつ、田依彦に向つて言葉をかまへていふ。 『われ一昨夜の夢に、高天原にまします国常立尊、枕頭に現はれたまひて、言葉厳かに宣り給ふやうは、……草香姫はもはや生命旦夕に迫る。これを救ふの道は、ただ単に田依彦のもてる白色の玉を草香姫に抱かしめ、日十日、夜十夜これを枕頭より離れざらしめなば、病はたちまち癒ゆべし……との大神のお告であつた。しかし貴下はわが夢に見しごとき美しき白玉を果して所持さるるや、夢のことなれば信を措くにたらず、痴人夢を語るものと失笑したまふ勿れ』 と空とぼけて、田依彦の心を探つてみた。 田依彦は平素信任する魔子彦の言を、少しも疑ふの余地なく、ただちに自分が件の玉を拾つて珍蔵してをることを、あからさまに答へ、その玉の神力によつて姉の命が救はるるものならば、これに越したる喜びなしと雀躍し、肩を揺りながら直ちに草香姫の許にいたり、魔子彦の神夢の次第を語り、 『この玉を十日十夜抱きて、寝ねよ』 と告げ、玉を草香姫に渡し、会心の笑を漏らして帰つてきた。 ここに草香姫は田依彦の厚意を喜び、教へられし如くにして、五日を経過た。しかるにその病気に対しては少しの効力もなく、身体は日夜衰へゆくのみであつた。時分はよしと魔子彦は、美麗やかに衣服を着かざり、身に薫香を浴びつつ四辺を芳香に化してしまつた。その香ばしき匂ひは、病の床にあつて苦悶しつつある草香姫の鼻に、もつとも強く感じた。 草香姫はこの匂ひを嗅ぐとともに、すこしく元気が恢復したやうな心持になつた。しばらくあつて魔子彦は病気見舞と称して、いと静かに這入つてきた。さうして田依彦に偽り伝へた神夢を、さも真実しやかに草香姫に物語つた。草香姫は真偽を判別するの暇なく、一方は弟の言葉といひ、一方は日ごろ恋慕する魔子彦の親切なる言葉なれば、あたかも大慈大悲の大神の慈言の如く驚喜した。さうして玉の神力の数日を経ても、顕はれないにかかはらず、 『貴下の麗しき御姿を拝してより、にはかに元気恢復して、精神涼しく爽快さを感じたり』 と顔を赧めつつ、小声で呟くやうに心のたけをのべ伝へた。 してやつたり、願望成就の時こそ今と、魔子彦は、後をむいて舌を出し、素知らぬ顔に言葉をもうけていふやう、 『すべて神の授けたまふ神玉は、熱臭き病人の肌に抱くは、かへつて神威を汚涜するものなり。この玉を抱いて、病を癒やさむとせば、まず汝が身体に薫香の強き膏を塗布し、芳香を四辺に放ち、室の空気を一変し、天地清浄ののちに非ざれば、効なかるべし』 と告げた。草香姫は、 『薫香の膏は、いづれにありや』 と反問した。魔子彦はすかさず腮をしやくりながら、 『この膏は容易に得らるべきものにあらず、シオン山の南方にある小さき峰の頂に、時あつて湧出するものなり』 と、その容易に得べからざることの暗示を与へた。 ここに草香姫は口ごもりつつ、 『この玉を貴下の肌に抱きたまひて玉を清め、玉の神力を発揮せしめ給はずや』 と嘆願した。魔子彦はわざと躊躇の色を見せながら、内心欣喜雀躍しつつ、なまなまに玉を抱くことを承諾した。不思議にも草香姫の病は、白色の玉が魔子彦の懐に抱かれるとともに、ほとんど癒えたやうな気分になつた。 魔子彦は庭園の景色を賞めつつ、何くはぬ顔にて徜徉しつつありしが、庭内に聳えたつ一本の老松の枝に手をかけ、樹上に昇るや否や、西方より翺けきたる天鳥船に身を托し、雲上高く姿を隠した。しかるにこの玉を乗せたる鳥船は、中空において大虎彦の乗れる鳥船に衝突し、玉は飛んで大虎彦の鳥船に入り、魔子彦は中空よりシナイ山の渓谷に墜落して、霊体ともに粉砕滅亡してしまつた。 大虎彦の手に入つた玉は、やがて竹熊の手に渡された。竹熊は謀計の後に破れむことを恐れて、中途に大虎彦をして魔子彦を亡ぼさしめたのである。悪霊の仕組は実にどこまでも注意深い、いやらしきものである。 (大正一〇・一〇・二四旧九・二四谷口正治録)
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 45 黄玉の行衛 第四五章黄玉の行衛〔四五〕 時彦は黄金の玉を生命にかへても、神政成就の暁まで之を保護し奉らねばならぬと決心し、既に竜宮神の不覚不注意より九個の玉を竹熊に奪はれ、無念やるかたなく、せめてはこの玉をわれ一人になるとも保護せむとて竜宮城にいたり、言霊別命[※言霊彦命は第2巻から登場するので、ここにある言霊彦命は大八洲彦命または美山彦命(言霊彦命の旧名)の間違いか?]の許しをえて諸方を逍遥し、つひにヒマラヤ山に立て籠つた。そしてヒマラヤ山に巌窟を掘り、巌中深く之を秘め、その上に神殿を建て時節のいたるを待ちつつあつた。居ること数年たちまち山下におこる鬨の声、不審にたへず殿を立ちいで声するかたを眺むれば、豈計らむや、大八洲彦命は大足彦、玉照彦を両翼となし数多の天津神竜宮の神司と共に、デカタン高原にむかつて錦旗幾百ともなく風に靡かせ、種々の音楽を奏しつつ旗鼓堂々として進行中である。 時彦は山上より遠くこれを見渡せば、十二個の同型同色の神輿をあまたの徒歩の神司が担いで進みくるのである。時彦は直ちに天の鳥船を取出し、従臣をして地上に下り一行の動静を窺はしめた。従臣はその荘厳なる行列と大八洲彦命の盛装を見て肝を潰し、あはただしく鳥船に乗じてヒマラヤ山にその詳細を復命したのである。 時彦は大八洲彦命の一行と聞きて心も心ならず、吾は徒に深山にかくれて、ミロク神政の神業参加に後れたるかと大地を踏んで残念がり、ただちに天の鳥船に打乗りて地上に下り、大八洲彦命の一行の後に出でて恐るおそる扈従した。されども時彦は吾が身の神業に後れたるを恥ぢて、花々しく名乗も得せず、デカタン高原に着いたのである。 デカタン高原には荘厳なる殿堂が幾十とも限りなく建て列べられ、八百万の神司は喜々として神務に奉仕してゐる。四辺は得もいはれぬ香気をはなてる種々の花木に廻らされ、天人天女の歓び狂ふ有様は、実に天国、浄土、地の高天原の光景であつた。 大八洲彦命は中央の荘厳なる殿堂に立ち、八百万の神司らにむかつて宣して曰く、 『ミロクの世は未だ時期尚早なれども、国常立尊の天に嘆願されし結果、地上の神人を救ふため、末法の世を縮めて天の岩戸を開き、完全なる神代を現出せしめ、このデカタンの野を地の高天原と定めたまへり。されど悲しむべし、黄金水より出たる十二個の宝玉はもはや十一個まで悪神の手に占領されたるを、大神の神力によりてこれを敵より奪り還し、ここに十二の神輿を作りて、この地の高天原の治政の重要なる神器として、永遠に保存すべしとの神命なり。されど一個の黄色の玉の行衛は今に判明せず、この玉なきときは折角のミロクの世も再び瓦壊するの恐れあり、かの黄玉を携へたる竜宮城の従臣たりし時彦は、今いづこに在るや、彼が持てる一個の宝玉は、この十一個の玉に匹敵するものなり。もし時彦にして後れ馳せながらも、いづれよりか其の玉を持ちきたらば、神界の殊勲者として吾は之を天神に奏上し、わが地位を譲らむ』 と大声に呼ばはりたまうた。 このとき、時彦思へらく、「われ多年苦心惨憺して此の玉を保護す。しかるに今大八洲彦命の教示を聞き喜びに堪へず、この時こそ吾は花々しく名乗りを上げ、もつて神界の花と謳はれむ」と笑みを満面にたたへ、恐るおそる大八洲彦命の御前に出で九首三拝して、 『時彦ここに在り、黄色の玉を持参仕り候』 と言葉すずしく言上した。あまたの神司は、突如として名告り出たる時彦の様子を見て感に打たれたもののごとく、時彦は神司らの羨望の的となつた。 大八洲彦命は大いに喜び、かつ時彦を招き殿内深く入りたまうた。殿内には十二の同色同型の立派な神輿が奉安されてある。大八洲彦命は正中にある一個の神輿の扉を開き、 『十一個は各色の玉をもつて充たされあり、されど見らるる如くこの神輿は空虚なり。速やかに汝が玉を是に奉安し、ミロクの代のために尽されよ』 と厳命した。この時、時彦は歓天喜地身のおくところを知らず、ただちに玉を取出し神輿の中深くこれを納めた。そこでいよいよ十二の神輿に種々の供へ物を献じ、荘厳なる祭典がおこなはれた。ついで十二の神輿はデカタン国の麗しき原野を神司らによつて担ぎまはされた。実に賑しき得もいはれぬ爽快な祭典であつた。原野の中心に各自神輿を下し神司らの休憩を命じたまうた。 折から天の一方に妖雲おこり、たちまち雲中より種々の鮮光があらはれた。その光景はあたかも花火を数百千ともなく一度に観るやうな壮観であつた。神司らは、皆天の一方に心を惹かれて見つめてゐた。そのあひだに大八洲彦命、大足彦は神輿の位置を変更しておいた。いづれの神輿も同型同色のものである。 にはかに天の一方より黒雲おこり雨は地上に滝のごとく降そそいだ。あまたの神司は狂気のごとく神輿の中より各自に黄色の玉を取りだし四方に解散した。時彦は驚いて吾が奉れる玉を保護すべく神輿に近づき、その玉を懐中に入れむとした。いづれの者も四方八方に四散して、宮殿はいつしか荒涼たる原野に化してゐた。 時彦は夢に夢見る心地してその玉を取りだし点検した。こはそも如何に、容積において光沢において、少しも変化はない。されど重量のはなはだ軽きを訝かり、混雑に紛れて吾が玉を取換られしやと歯がみをなして口惜しがつた。 このとき空中に声あり、 『大馬鹿者!』 と叫ぶ。今まで、大八洲彦命と見えしは武熊別の変身であり、大足彦以下の正神と見えしは彼が部下の邪神であつた。アゝいかに信仰厚く、節を守るとも、時彦のごとく少しにても野心を抱く時は、ただちに邪神のために誑らかされ、呑臍の悔を遺すことあり。注意すべきは、執着心と功名心である。 花と見て来たであらうか火取虫 (大正一〇・一〇・二五旧九・二五桜井重雄録)
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霊界物語 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 46 一島の一松 第四六章一島の一松〔四六〕 ここに竹熊は武熊別と共に、あまたの者を集め、大祝宴を張つた。その理由は、十二個の宝玉はわが神智神策をもつて十個まで手に入れたり、余すところただ二個のみ。いかなる神力の強き神人なりとて、これを奪取するに何の苦心かあらむと、おのが智略に誇り、ここに一同を集め祝宴を張つてゐた。 時しも末席より鬼彦肩を揺りながら立ち現はれ、竹熊、武熊別の前に出で、 『今日は実に大慶至極の日なり。しかるによき事の続けばつづくものかな。ただ今竜宮城より高杉別、森鷹彦の二神司、二個の玉を持ち献上せむことを申込みたり。いかが取計らつてよかるべきや』 と述べた。酒宴の酒に酔ひて酔眼朦朧たる竹熊らは、願望成就の時節到来と欣喜雀躍し、ともかく二神司を引見せむことを承諾した。ややありて高杉別、森鷹彦は侍者の案内に伴れて、殿中深く竹熊の前に現はれ一礼をなし、且つおのおの玉を献上せむことを申込んだ。 竹熊は胸を躍らせた。注意深き武熊別は二神司にむかひ、 『この貴重なる竜宮城の神宝を何ゆゑ吾らに譲与せらるるや。その理由を聞かまほし』 と詰つた。二神司は喜色満面を粧ひながら、おもむろに答ふるやう、 『貴下等の神算鬼謀は吾らをして舌を巻かしむるに足る。既に十個の玉は貴下の手に入れり。われ二個の玉を以て貴下と争ふといへども、十対二の比例をもつて、何ぞよく貴下の軍に勝たむや。それよりも潔く吾らは此の玉を貴下に献じ、たがひに和親を結び、もつて天下泰平を祈らむのみ』 と、言葉涼しく答ふるのであつた。 竹熊は二個の玉を熟視して大いに驚き、その光沢に感激止まなかつた。このとき高杉別、森鷹彦は言葉を設けて曰く、 『この玉は十二個のうち特殊の神力あり、故に悪臭に触れ、悪風にあたらば霊力迸出して何の効用も為さじ。いづれの者にも拝観を許さず、ただちに函を作り十重二十重に之をつつみて奥殿深く奉安し、危機一髪の場合にこれを使用したまへ』 と述べた。竹熊も武熊別も二神の誠意を疑はず、ただちに言のごとく之を幾重にも函に包み、固く封じて奥殿深く蔵めたのである。 しかるにこの玉は真赤な偽玉であつた。注意深き二神司は竹熊の機先を制し、もつて真玉の奪取を免れたのである。その後高杉別、森鷹彦は竹熊の気にいりとなり、重く用ゐられた。しかして真正の玉は、森鷹彦は大八洲彦命に献り、高杉別は従臣の杉高に命じ、口に呑ましめて地中海に羅列せる嶋嶼に之を永遠に秘蔵し、杉高をこの島の守護神に任命した。一つ島に堅き岩窟を掘り、玉を深く蔵め、その上に標の松を植ゑておいた。これを一つ島の一つ松といふ。 これより二神司は竹熊の信任をえ、武熊別と列んで三羽烏と称せられ、帷幕に参ずるにいたつた。アゝ今後の高杉別、森鷹彦は如何なる行動に出づるであらうか。 (大正一〇・一〇・二五旧九・二五外山豊二録)