| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 21 大地の修理固成 | 第二一章大地の修理固成〔二一〕 大国常立尊はそこで、きはめて荘厳な、厳格な犯すことのできない、すばらしく偉大な御姿を顕はし給ひて、地の世界最高の山巓にお登り遊ばされて四方を見渡したまへば、もはや天に日月星辰完全に顕現せられ、地に山川草木は発生したとはいへ、樹草の類はほとんど葱のやうに繊弱く、葦のやうに柔かなものであつた。そこで国祖は、その御口より息吹を放つて風を吹きおこし給うた。その息吹によつて十二の神々が御出現遊ばされた。 ここに十二の神々は、おのおの分担を定めて、風を吹き起したまうたが、その風の力によつて松、竹、梅をはじめ、一切の樹草はベタベタに、その根本より吹倒されてしまうた。大国常立尊はこの有様を眺めたまうて、御自身の胸の骨をば一本抜きとり、自ら歯をもつてコナゴナに咬みくだき、四方に撒布したまうた。 すべての軟かき動植物は、その骨の粉末を吸収して、その質非常に堅くなり、倒れてゐた樹草は直立し、海鼠のやうに柔軟匍匐してゐた人間その他の諸動物も、この時はじめて骨が具はり、敏活に動作することが出来るやうになつた。五穀が実るやうになり、葱のやうに一様に柔かくして、区別さへ殆どつかなかつた一切の植物は、はつきりと、おのおの特有の形体をとるやうになつたのも此の時である。骨の粉末の固まり着いた所には岩石ができ、諸々の鉱物が発生した。これを称して岩の神と申し上げる。 しかるに太陽は依然として強烈なる光熱を放射し、月は大地の水の吸収を続けてゐるから、地上の樹草は次第に日に照りつけられて殆ど枯死せむとし、動物も亦この旱天つづきに非常に困つてゐた。しかし月からは、まだ水を吸引することを止めなかつた。このままで放任しておくならば、全世界は干鰈を焦したやうに燻つてしまふかも知れないと、大国常立尊は山上に昇つて、まだ人体化してをらぬ諸々の竜神に命じて、海水を口に銜んで持ちきたらしめ給うた。 諸々の竜神は命を奉じて、海水を国祖の許に持ちきたつた。国祖はその水を手に受けて、やがてそれを口に呑み、天に向つて息吹をフーと吹き放たれた。すると天上には色の濃い雲や淡い雲や、その他種々雑多の雲が起つてきた。たちまち雲からサツと地上に雨が降りはじめた。この使神であつた竜神は無数にあつたが、国祖はこれを総称して雨の神と名付けたまうた。 ところが雨が降すぎても却て困るといふので、これを調和するために、大国常立尊は御身体一杯に暑いほど太陽の熱をお吸ひになつた。さうして御自分の御身体の各部より熱を放射したまうた。その放射された熱はたちまち無数の竜体と変じて、天に向つて昇騰していつた。国祖はこれに火竜神といふ名称をお付けになつた。(筆に書いては短いが大国常立尊がここまで天地をお造りになるのに数十億年の歳月を要してゐる) 尊はかくの如くにして人類を始め、動物、植物等をお創造り遊ばされて、人間には日の大神と、月の大神の霊魂を賦与せられて、肉体は国常立尊の主宰として、神の御意志を実行する機関となし給うた。これが人生の目的である。神示に『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の大司宰なり』とあるも、この理に由るのである。 しかるに星移り年をかさぬるにしたがつて、人智は乱れ、情は拗け、意は曲りて、人間は次第に私欲を擅にするやうになり、ここに弱肉強食、生存競争の端はひらかれ、せつかく神が御苦心の結果、創造遊ばされた善美のこの地上も亦、もとの泥海に復さねばならぬやうな傾向ができた。 しかるに地の一方では、天地間に残滓のやうに残つてゐた邪気は、凝つて悪竜、悪蛇、悪狐を発生し、或ひは邪鬼となり、妖魅となつて、我侭放肆な人間の身魂に憑依し、世の中を悪化して、邪霊の世界とせむことを企てた。そこで大国常立大神は非常に憤りたまうて、深い吐息をおはきになつた。その太息から八種の雷神や、荒の神がお生れ遊ばしたのである。 それで荒の神の御発動があるのは、大神が地上の人類に警戒を与へたまふ時である。かうしてしばしば大神は荒の神の御発動によつて、地上の人類を警戒せられたが、人類の大多数は依然として覚醒しない。そこで大神は大いにもどかしがりたまひ伊都の雄猛びをせられて、大地に四股を踏んで憤り給うた。そのとき大神の口、鼻、また眼より数多の竜神がお現はれになつた。この竜神を地震の神と申し上げる。国祖の大神の極端に憤りたまうた時に地震の神の御発動があるのである。大神の怒りは私の怒りではなくして、世の中を善美に立替へ立直したいための、大慈悲心の御発現に外ならぬのである。 大国常立尊が天地を修理固成したまうてより、ほとんど十万年の期間は、別に今日のやうに区劃された国家はなかつた。ただ地方地方を限つて、八王といふ国魂の神が配置され、八頭といふ宰相の神が八王神の下にそれぞれ配置されてゐた。 しかるに世の中はだんだん悪化して、大神の御神慮に叶はぬことばかりが始まり、怨恨、嫉妬、悲哀、呪咀の声は、天地に一杯に充ちわたることになつた。そこで大国常立大神は再び地上の修理固成を企劃なしたまうて、ある高い山の頂上にお立ちになつて大声を発したまうた。その声は万雷の一時に轟くごとくであつた。大神はなほも足を踏みとどろかして地蹈鞴をお踏みになつた。そのため大地は揺れゆれて、地震の神、荒の神が挙つて御発動になり、地球は一大変態を来して、山河はくづれ埋まり、草木は倒れ伏し、地上の蒼生はほとんど全く淪亡るまでに立ちいたつた。その時の雄健びによつて、大地の一部が陥落して、現今の阿弗利加の一部と、南北亜米利加の大陸が現出した。それと同時に太平洋もでき上り、その真中に竜形の島が形造られた。これが現代の日本の地である。それまでは今の日本海はなく支那も朝鮮も、日本に陸地で連続してゐた。この時まで現代の日本の南方、太平洋面にはまだ数百里の大陸がつづいてゐたが、この地球の大変動によつて、その中心の最も地盤の鞏固なる部分が、竜の形をして取り残されたのである。 この日本国土の形状をなしてゐる竜の形は、元の大国常立尊が、竜体を現じて地上の泥海を造り固めてゐられた時のお姿同様であつて、その長さも、幅も、寸法において何ら変りはない。それゆゑ日本国は、地球の艮に位置して神聖犯すべからざる土地なのである。もと黄金の円柱が、宇宙の真中に立つてゐた位置も日本国であつたが、それが、東北から、西南に向けて倒れた。この島を自転倒嶋といふのは、自ら転げてできた島といふ意味である。 この島が四方に海を環らしたのは、神聖なる神の御息み所とするためなのである。さうしてこの日本の土地全体は、すべて大神の御肉体である。ここにおいて自転倒嶋と、他の国土とを区別し、立別けておかれた。 それから大神は天の太陽、太陰と向はせられ、陽気と陰気とを吸ひこみたまうて、息吹の狭霧を吐きだしたまうた。この狭霧より現はれたまへる神が稚姫君命である。 このたびの地変によつて、地上の蒼生はほとんど全滅して、そのさまあたかもノアの洪水当時に彷彿たるものであつた。そこで大神は、諸々の神々および人間をお生みになる必要を生じたまひ、まづ稚姫君命は、天稚彦といふ夫神をおもちになり、真道知彦、青森知木彦、天地要彦、常世姫、黄金竜姫、合陀琉姫、要耶麻姫、言解姫の三男五女の神人をお生みになつた。この天稚彦といふのは、古事記にある天若彦とは全然別の神である。かくのごとく地上に地変を起さねばならぬやうになつたのは、要するに天において天上の政治が乱れ、それと同じ形に、地上に紛乱状態が現はれ来つたからである。天にある事はかならず地に映り、天が乱れると地も乱れ、地が乱れると、天も同様に乱れてくるものである。そこで大神は天上を修理固成すべく稚姫君命を生みたまうて天にお昇せになり、地は御自身に幽界を主宰し、現界の主宰を須佐之男命に御委任になつた。 (大正一〇・一〇・二〇旧九・二〇谷口正治録) |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 22 国祖御隠退の御因縁 | 第二二章国祖御隠退の御因縁〔二二〕 大国常立尊の御神力によりて、天地はここに剖判し、太陽、太陰、大地の分担神が定まつたことは、前述したとほりである。しかして太陽の霊界は伊邪那岐命これを司りたまひ、その現界は、天照大御神これを主宰したまふのである。次に太陰の霊界は、伊邪那美命これを司りたまひ、その現界は、月夜見之命これを主宰したまふ。大地の霊界は前述のごとくに大国常立命之を司りたまひ、その大海原は日之大神の命によりて須佐之男命これを主宰したまふ神定めとなつた。 しかるに太陽界と、大地球界とは鏡を合したやうに、同一状態に混乱紛糾の状態を現出した。太陰の世界のみは、現幽両界ともに元のままに、平和に治まつてゐる。ひとり太陰に限つて、なぜ今でも平和に治まつてゐるかと言へば、この理は月の形を地上から観測しても明らかである如く、光はあれども酷烈ならず、水気はあつても極寒ではない。実に寒暑の中庸を得たる至善至美の世界であるからである。これに反して太陽の世界は、非常に凡てのものが峻烈で光は鮮かであり、六合に照徹する神力はあれども、それだけまた暗黒なる陰影が多い。しかしてまた大地は、もとより混濁せる分子の凝り固まつてできたものであるから、勢として不浄分子が多い。したがつてまた邪神の発生するのも、やむを得ない次第である。 そこで稚姫君命は、天稚彦と共に神命を奉じて天に上り、天界の神政を司らうとしたまうたが、御昇天の途上において、地上からつき従うた邪神どもにあやまられ、天地経綸の機織の仕組を仕損じたまひ、つひに地上に降りたまひて国常立命と共に地底に潜ませられ、あらゆる艱難苦労を忍びたまふの已むを得ざるに立ちいたつた。稚姫君命の御失敗の因縁については、後日詳しく述べることにする。 さて、大国常立命は天地間の混乱状態邪悪分子をば掃蕩して、最初の神界の御目的どほりの幽政を布かうと遊ばしたまうた。これについて国祖は、まづ坤金神を内助の役として種々の神策を企図したまひ、また、大八洲彦命を天使長兼宰相の地位に立たして、非常に厳格な規則正しき政を行ひ、天の律法を制定して、寸毫といへども天則に干犯するものは、罰するといふことに定めたまうた。そのために地上の年数にして数百年の間は非常に立派に神政が治まつてゐたが、世が次第に開けゆくにつれて、神界、幽界、現界ともに邪悪分子が殖えてきた。すなはち八百万の神人は、日増に大神の御幽政に対する不服を訴ふるやうになり、山川草木にいたるまで言問ひあげつらふ世になつた。 そこでやむを得ず宰相大八洲彦命は、国常立尊の御意志に背くと知りつつも、和光同塵の神策をほどこし、言問ひ、論争ふ八百万の神々を鎮定慰撫しつつ、ともかくも世を治めてゆかれたのである。 しかるにこのとき霊界は、ほとんど四分五裂の勢となり、一方には、盤古大神(又の御名塩長彦)を擁立して、幽政を主宰せしめむとする一派を生じ、他方には、大自在天神大国彦を押し立てて神政を支配し、地の高天原を占領せむとする神人の集団が出現し、その他諸々の神々の小集団は、或ひは盤古大神派に、或ひは大自在天神派に付随せむとし、また中には、この両派に属せずして中立しながら、国常立尊の神政に反対する神々も生じてきた。 そこで国常立尊はやむを得ず天に向つて救援をお請ひになつた。天では天照大御神、日の大神(伊邪那岐尊)、月の大神(伊邪那美尊)、この三体の大神が、地の高天原に御降臨あそばし給ひ、国常立尊の神政および幽政のお手伝ひを遊ばされることになつた。国常立尊は畏れ謹み、瑞の御舎を仕へまつりて、三体の大神を奉迎したまうた。然るところ、地上は国常立尊の御系統は非常に減少して勢力を失ひ、盤古大神および大自在天神の勢力はなはだ侮り難く、つひには国常立尊に対して、御退位をお迫り申すやうになつた。天の御三体の大神は、地上の暴悪なる神々にむかつて、あるひは宥め、或ひは訓し、天則に従ふべきことを懇に説きたまうた。されど、時節は悪神に有利にして、いはゆる……悪盛んにして天に勝つ……といふ状態に立ちいたつた。 ここに国常立尊は神議りに議られ、髪を抜きとり、手を切りとり、骨を断ち、筋を千切り、手足所を異にするやうな惨酷な処刑を甘んじて受けたまうた。されど尊は実に宇宙の大原霊神にましませば、一旦肉体は四分五裂するとも、直ちにもとの肉体に復りたまひ、決して滅びたまふといふことはない。 暴悪なる神々は盤古大神と大自在天神とを押し立て、遮二無二におのが要求を貫徹せむとし、つひには天の御三体の大神様の御舎まで汚し奉るといふことになり、国常立尊に退隠の御命令を下し給はむことを要請した。さて天の御三体の大神様は、国常立尊は臣系となつてゐらるるが、元来は大国常立尊は元の祖神であらせたまひ、御三体の大神様といへども、元来は国常立尊の生みたまうた御関係が坐します故、天の大神様も御真情としては、国常立尊を退隠せしむるに忍びずと考へたまうたなれど、ここに時節の已むなきを覚りたまひ、涙を流しつつ勇猛心を振起したまひ、すべての骨肉の情をすて、しばらく八百万の神々の進言を、御採用あらせらるることになつた。そのとき天の大神様は、国祖に対して後日の再起を以心伝心的に言ひ含みたまひて、国常立尊に御退隠をお命じになり、天に御帰還遊ばされた。 その後、盤古大神を擁立する一派と、大自在天神を押立つる一派とは、烈しく覇権を争ひ、つひに盤古大神の党派が勝ち幽政の全権を握ることになつた。一方国常立尊は自分の妻神坤金神と、大地の主宰神金勝要神および宰相神大八洲彦命その他の有力なる神人と共に、わびしく配所に退去し給うた。 地上の神界の主宰たる大神さへ、かくのごとく御隠退になるといふ有様であるから、地上の主宰たる須佐之男命も亦、八百万の神々に、神退ひに退はるるの已むなきにいたりたまひ、自転倒嶋を立去りて、世界のはしばしに漂泊の旅をつづけられることになつた。しかし須佐之男命は、現界において八岐大蛇を平げ地上を清め、天照大御神にお目にかけ給うたと同じやうに、神界においても、すべての悪神を掃蕩して地上を天下泰平に治め、御三体の大神様にお目にかけ、地上の主宰の大神となり給ふといふのである。 さて、自分はこれから国常立尊随従の八百万の神人の中でも、主なる神司の御経歴御活動を述べ、また盤古大神および大自在天神を擁立せる一派の八百万の神々の経歴および暴動振りを、神界にて目撃せるままを述べておかふと思ふ。 (大正一〇・一〇・二〇旧九・二〇谷口正治録) |
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3 (1501) |
霊界物語 | 10_酉_黄泉比良坂の戦い | 31 言霊解五 | 第三一章言霊解五〔四六一〕 『墨江の三前の大神』 スミノエノミマヘの言霊を解説すると、 スは、真の中心也、本末を一轍に貫ぬく也、玉也、八咫に伸び極まる也、出入の息也、不至所無く不為所無き也、天球中の一切也、八極を統ぶる也、数の限り住む也、安息の色也、清澄也、自由自在也、素の侭也。 ミは、瑞也、満也、水也、体也。 ノは、助辞也。 エは、ヤ行のエにして心の結晶点也、集り来る也。胞衣也、悦び合ふ也、撰る也、大也。 ノは、助辞也。 ミは、三也、天地人の三也、太陰也、屈伸自在也、円也、人の住所也。 マは、一の位[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。ここを含め3ヶ所とも同じ(「一の位に当る也」「一の此世に出る也」「一の位を世に照し」)。校正本(三版を校正したもの。p280)では「一」にフリガナは無いが、校定版・愛世版では「いち」とフリガナが付いている。編者が数字の一だと勘違いしたのであろう。霊界物語ネットでは間違わないように「ア」とフリガナを付けた。]に当る也、一[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。041「一の位」の脚注参照。]の此世に出る也、全備也、円也、人の住所也。 ヘは、⦿の堅庭也、動き進む義也、部也、辺也、高天原の内に⦿を見る也。 以上の言霊を総括する時は、明皎々たる八咫の神鏡の如く澄極まり、顕幽を透徹し、真中真心の位に坐し、至らざる所無く、為さざる所無く、清き泉となり、一切の本末を明かにし現体を完全に治め、万物発育の本源となり、以て邪を退け正を撰み用ゐ、温厚円満にして月神の如く、各自の天賦を顕彰し、身魂の位を明かにし、一の位[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。041「一の位」の脚注参照。]を世に照し活動自在にして、地の高天原に八百万の神を集へ、以て⦿を守る三柱の大神と曰ふ事である。故に三柱の大神の御活動ある時は、風水火の大三災も無く、飢病戦の小三災も跡を絶ち、天祥地瑞重ねて来り、所謂松の世五六七の世、天国浄土を地上に現出して、終に天照大神、月読命、須佐之男命の三柱の貴の御子生れ給ひ、日、地、月各自其位に立ちて、全大宇宙を平けく安らけく治め給ふに至るのであります。故に神の御子と生れ天地経綸の司宰者として生れ出でたる人間は、一日も早く片時も速に、各自に身魂を研き清め、以て神人合一の境地に入り、宇内大禊祓の御神業に奉仕せなくては、人間と生れた効能が無く成るのであります。 宇都志日金拆命 宇都志日金拆命は、綿津見神の御子であつて、阿曇の連は其の子孫である。宇都志日金拆命の名義を言霊に照して解釈すると、 ウは、三世を了達するなり、艮の活動也。 ツは、大造化の極力也。平均力也、五六七の活動也。 シは、世の現在也、基也、台也、竜神の活動也。 ヒは、顕幽悉く貫徹する也、本末一貫也、太陽神活動の本元也。 カは、光り輝く也、弘り極まる也、禁闕要の大神、思兼神の活動也。 ナは、智能完備也、万物を兼結ぶ也、直霊主の活動也。 サは、水質也、水の精也、昇り極まる也、瑞の神霊の活動也。 クは、明暗の焼点也、成り付く言霊也、国常立の活動也。 以上の言霊活用に依り、命の御名義を総括する時は、知識明達にして大造化の極力を発揮し、天下の不安不穏を平定し、理想世界を樹立するの基礎となり、鎮台となりて、顕幽を悉皆達観し、一大真理に貫徹して一切事物の本末を糺明し、邪を破り正を顕はし無限絶対無始無終の神明の光徳を宇内に輝かし、皇徳を八紘に弘めて止まず、智能具足してよく万物を兼ね結び合せ国に戦乱なく疾病なく飢饉なく、暴風なく、洪水の氾濫する事なく、大火の災なく、万物を洗ひ清めて、瑞の御霊の心性を発揮し、明暗正邪の焼点に立ちて、能く之を裁断し、以て天国浄土を建設するの活用を具備し成就し給ふ御活動の命と曰ふ事である。即ち宇宙一切は、綿津見神の活動出現に依りて、艮の金神、五六七の大神、竜宮の姫神、太陽神の活動、禁闕要の大神、思兼神、直霊主、稚姫神、月読神、大国常立神等の出現活動に拠りて、万有一切は修理固成され清浄無垢の世界と成りて、終に三貴神を生み給ふ、原動力の位置に在る神と曰ふ意義であります。 阿曇の連 アヅミノムラジの名義は、天之御中主神の霊徳顕はれ出でて、至治泰平の大本源となり、初頭となり、大母公の仁徳を拡充し、大金剛力を発揮して、大造化の真元たる神霊威力を顕彰し、純一実相にして、無色透明天性その侭の位を定め、万民を愛護して、月の本能を実現する真人と曰ふことが、アヅミの活用である。 ムラジは、億兆を悉く強国不動に結び成して、凡ての暴逆無道を押し鎮め、本末能く親和して、産霊の大道たる惟神の教を克く遵守し、万民を能く統轄して、国家を富強ならしめ、一朝事あるときは、天津誠の神理を以て、神明鬼神を号令し、使役する神の御柱を称して、アヅミのムラジと謂ふのであります。アヽ伊邪那岐大神の心つくしの宇宙の大修祓の神功無くして、如何で神人の安息するを得むや。実に現代は大神の美曽岐の大神事の、大々的必要の時機に迫れる事を確信すると共に、国祖国常立尊、国直日主命、稚姫君命の神剣の御発動を期待し奉る次第であります。(完) 瑞の神歌 霊幸ふ神の心を高山の 雲霧分けて照せたきもの 日の光り昔も今も変らねど 東の空にかかる黒雲 この度の神の気吹の無かりせば 四方の雲霧誰か払はむ 葦原に生ひ繁りたる仇草を 薙払ふべき時は来にけり 霊主体従の教を四方に播磨潟 磯吹く風に世は清まらむ (大正九・一・一五講演筆録外山豊二) |
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霊界物語 | 11_戌_コーカス山の大気津姫退治 | 15 大気津姫の段(一) | 第一五章大気津姫の段(一)〔四八二〕 『於是、八百万の神共に議りて、速須佐之男命に千位の置戸を負はせ、亦鬚を切り、手足の爪をも抜かしめて、神追ひに追ひき』 爰に天照大神と速須佐之男命の天の真奈井の誓約によりて、清明無垢の素尊の御魂、三女神が現はれ玉ひしより、素尊部下の諸神等の不平勃発し、終に天の岩戸の大事変を湧起せしめ、一時は天津神国も、葦原の中津国も常暗の世となり、次で八百万の神等が天の安河原の神集ひに集ひて、神議りに議り玉ひ、結局大海原の主神たりし速須佐之男命に千位の置戸を負はせ、亦鬚を切り、手足の爪をも抜かしめて、天上より神追ひに追ひ玉ふの止むを得ざるに立到つたのであります。 『千位の置戸を負はせて』と云ふ意義は、一天万乗の位で、群臣、百僚、百官の上に立つ高御座を負はせ即ち放棄させてと云ふ事であります。父伊邪那岐大神より、大海原なる大地球の統治権を附与されて、天下に君臨し玉ふべき素尊でありますけれ共、高天原に於ける天の岩戸の変の大責任を負ひて、衆議の結果千万の神の上に立つ千位の置戸を捨て玉ふに致つたのであります。凡て万神万有の一切の罪科を一身に負担して、自ら罪人となつて、天地の神明へ潔白なる心性を表示されたのであります。斯の温順善美なる命の御精霊を称して瑞の御魂と謂ふのである。基督が十字架に釘付けられて万民の罪を贖ふと云ふのも、要するに千位の置戸を負うたと同じ意味であります。世界一切の万類を救う為に身を犠牲に供する事は、即ち千位の置戸を負ふのである。現今の如く罪穢に充ち、腐敗の極に達せる地上も亦、至仁至愛なる瑞の御魂の神の贖罪ある為に、大難も小難と成り、小難も消失するのである。アヽ一日も早く、片時も速かに、天下国家の為に犠牲となる可き、瑞の御魂の守護ある真人の各所に出現して、既に倒壊せむとする世界の現状を救済せむことを希望して止まぬ次第である。 『亦鬚を切り』と云ふ意義は、 ヒは、霊であり、日の御子の朝に仕へて政治を照す言霊であり、 ゲは実名職掌である。 即ち自分が官吏ならば官職を辞し、会社の重役を辞すと云ふ事を、ヒゲを抜くと云ふのである。俗に何も知らずに高い処へ止まつてエラサウに吐すと、鬚を抜いてやらうかなぞと言ふのも、不信任を表白した言葉である。高位高官の人や、大会社の重役や、大教育家なぞが大本の教義でなくては天下国家を救ふ事が出来ない事を心底より承認し乍ら、未だ充分の決心がつかずして現在の地位に恋々として、自己の名利栄達にのみ腐心して、大本の教を人眼を忍んで遠くより研究し、世人に知られる事を憚つて居る如うな立派な人士が沢山に在るが、斯の如き人は至忠思君思国の日本魂を振起して、公然大本の信者と名乗り、現代の高い位地なり、名望を眼中に置かず、止むを得ざれば現位地を擲つて、天下国家の為に、大本の主義を天下に実行する様になつた時が、所謂鬚を切つて、真個神明と大君と社会とに奉仕の出来る時であります。 『手足の爪まで抜かしめて、神追ひに追ひ玉ひき』と云ふ意義は、 手足の爪とは私有財産の事である。手の爪は現代の所謂動産物で足の爪は不動産物である。要するに一切の地位を擲ち、一切の財産を顧みず、物質的欲望を捨てて神明の道を天下に宣伝する事が、神追ひに追ひきと云ふ事になるのである。従来の俗界を離れて、至聖、至美、至直なる大神の道に仕へ奉る事を神やらひと謂ふのである。 ヤラヒの言霊を調べる時は、 ヤは天地自然の大道に帰り、世界の親たる覚悟を以て万民を教へ導き、八方の事物を明かに指示する事である。 ラは、俗より真に反りて、従来の体主霊従的行動を翻然として改め、無量寿にして生死の外に超然として産霊の大道を実行し、霊系高皇産霊神の神業を翼賛し、極乎として間断なく惟神の大道を天下に宣伝し、実行して、寸暇無き神業奉仕者となる事である。 ヒは、天理人道を明かにし、神妙不可測の神機に透徹し、過去、現在、未来を明かに了知し、達観し、天地経綸の大司宰者たる人の本能霊徳を顕はし、以て⦿の根底を結び護り、無上の尊厳を保つ事である。 故に神追ひは、神様を追放したり、退去させたりすると云ふ意義では無い。追の漢字と退の漢字の区別ある事を能く反省すべきである。この点は古事記撰録者の最も意を用ゐたる点にして、実に其の親切と周到なる注意とは感謝すべき事であります。 『神追ひ』と云ふ事を大本に写して見る時は、第一に各役員の如きは、総て鬚を切り手足の爪まで抜きて大本へ神追ひに追はれ玉うた人々であります。併し乍ら現今の社会の総てが右諸子の如くに神追ひに追はれ、且又鬚を切り手足の爪まで抜かしめられては却つて天下の政治を乱し、産業の発達を阻止し、国力を弱める事になりますから、神様は神業に直接奉仕すべき身魂の因縁ある真人のみに綱を掛けて、大本に御引寄せに成つたのであります。故に身魂に因縁の無い人々は、最初から何程熱心に神業に奉仕せむとしても、神様から御使ひに成らぬから、何等かの機会に不平を起して脱退せなくてはならぬ様な破目に陥り、終には某々氏等の如く犬糞的に悪胴を据ゑて、一生懸命に大本の攻撃を始める様に成るのであります。亦深い因縁の有る人士で、鬚を切り兼ね、手足の爪を抜き兼ねて、遠くから奉仕されて居る人々もまだまだ沢山にあります。大本の神業に直接奉仕する真人と、又間接に神業に奉仕されて居る人士とがあります。是は鬚を切ると切らないとの差異でありますが、因縁ある人士は勇猛果断一日も早く、神業に直接参加せられたいものであります。さうで無ければ天下に跳梁跋扈せる八岐の大蛇を亡ぼし、天の下を至治泰平ならしむる神業を完全に遂行する事が出来ないのであります。世の中には小官小吏が鬚計り蓄へて尊大振り真意も了解出来ぬ癖に、鰌や鯰の如うな貧乏鬚を揉みながら、大本は淫祠だの邪教だのと、大きな口を開けて泥を吹き、田螺や蛙を脅かして、大本へ入信せむとする可憐な純良な同胞の精神を濁さむとして居るのが沢山ある。亦世の中には、手足の爪を抜くどころか、爪の先に火を点して利己主義一遍の人物があつて日に夜に爪を研ぎすまし、鷹が雀を狙ふ様に、我れよしに浮身をやつして居る厄介な現代である。亦現代の如き詰込み主義の教育法は常に精神の自由を束縛し、自然の良智良能の発達を妨害して居るのであるから、床の間の飾物に成る鉢植の面白い珍木は出来るが、家の柱となる良材は到底出来るものでない。天才教育を閑却し無理無態に枝を伐つたり曲げたり、細い銅線で縛り付けたり、突介棒をかうたり、葉を断つたり、捻つたり、四方八方へ曲げまはして、小さい樹を拵へて、高価に売り付ける植木商と同じ教育の行り方であるから、到底碌な人材は産れ出づるものでない。一日も早くこの爪を抜き除つて了はねば、帝国の前途は実に風前の灯火であります。現代は個人有つて国家あるを忘れ、自党ありて他党あるを忘れて居る。他党と雖も亦国家社会の一部で、同じく是れ人間の儔侶たるものであるが、全く之を知らざるが如き状況である。故に朋党内に相鬩ぎ、外環境の虎視耽々[※一般的には虎視「眈々」と書くが「耽々」でも意味は似ているのでこのままにしておく。]として間隙に乗ぜむとするの危きに備ふるの道を知らず、実に国家の前途を憂へざらむとするも能はざる次第である。アヽ今の時に於て大偉人の出現し、以て国家国民の惨状を救ふもの無くんば帝国の前途は実に暗澹たりと謂ふべきである。世には絶対の平等も無ければ、亦絶対の差別も無い、平等の中に差別あり、差別の中に平等があるのである。蒼々として高きは天である。茫々として広きは地である。斯の如くにして既に上下あり、何人か炭を白しと言ひ雪を黒しと言ふものがあらう乎。政治家も、宗教家も、教育家も此時此際、差別的平等なる天理天則を覚知し、以て天下万民の為に、汝の蓄ふる高慢なる城壁を除き、以て其大切に思ふ処の鬚を切れ。其の暴力に用ゆる手足の爪を抜き去り、以て不惜身命、天下の為に意義ある真の生活に入れ。斯の如くにして始めて、御国を永遠に保全し、祖先の遺風を顕彰し、以て神国神民の天職を全うする事が出来るのである。 『又食物を大気津比売の神に乞ひたまひき』 食物の言霊返しは、イである。イは命であり、出づる息である。即ち生命の元となるのが食物である。またクイ物のクイはキと約る。衣服も亦、キモノと云ふのである。キは生なり、草也、気なりの活用あり。故に衣と食とは、生命を保持する上に最も必要なものである。故に人はオシ物のイとクイ物のキとに因つて、イキて居るのである。又人の住居をイヘと云ふ。イヘの霊返しは、エとなる。エは即ち餌であり、胞である。要するに、衣食住の三種を総称して、食物と云ひ、エと云ひケと言ふのであります。 大気津姫といふ言霊は、要するに、物質文明の極点に達したる為、天下挙つて美衣美食し大廈高楼に安臥して所在贅沢を尽し、体主霊従の頂上に達したる事を、大気津姫と云ふのであります。糧食[※「りやうしよく」の霊返しは「ケ」にはならない。RyousyokUで「ル」になる。校定版・八幡版では「糧食」の直後に括弧書きで「(かて)」という言葉を挿入しているが、KatEなら「ケ」になる。その次の「被衣(かぶと)」(「かづき」とも読む)の霊返しも「ケ」にはならず、KabutOなので「コ」である。「家居(かくれ)」はKakurEで「ケ」になる。]の霊返しは、ケとなり、被衣の霊返しはケと成り、家居の霊返しは亦ケとなる。故に衣食住の大に発達し、且つ非常なる驕奢に、世界中が揃うてなつて来たことを大気津姫と云ふのであります。 『乞ひ玉ひき』と云ふのは、コは細やかの言霊、ヒは明かの言霊である。要するに、素盞嗚尊は八百万の神に対して、正衣正食し、清居すべき道を、お諭しになつたのを『乞ひ玉ひき』と、言霊学上謂ふのであつて、決して乞食非人が食物を哀求する様な意味では無いのであります。 『爾に大気津比売、鼻、口及尻より、種々の味物を取出で、種々作り具へて進る』 鼻と云ふ事は、華やかなるの意義であつて、立派な高価な衣服のことである。口と云ふ事は食餌を意味する。尻と云ふ事は、尻を落着けて起臥する、家居を意味するのである。『種々の味物』とは、色々な臭気紛々たる獣肉や虫類の事である。亦『種々作り具へて進る』と云ふ事は、獣類の毛皮を被たり、骨を櫛や笄[※髪をとめるかんざしのこと]や、其他の道具に愛用したり、鳥や虫の毛や皮で、日用品を造つたり、人間の住居する家の中に便所を造つたり、天則を破つて人の住居を作るに檜材を用ゐたり、屋根を葺くにも檜皮で、恰も神社の如うに、分に過ぎた事を為したりする事を、種々作り具へて進ると云ふのである。奉ると云ふのは、下から上位の方へ上ることであるが、此の御本文の進ると云ふ意味は、進歩すると云ふことである。要するに物質文明の発達進歩せる結果、国風に合致せざる、衣食住の進歩せる悪風潮を指して、クサグサ進ると云ふのであります。 (大正九・一・一六講演筆録谷村真友) |
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霊界物語 | 11_戌_コーカス山の大気津姫退治 | 16 大気津姫の段(二) | 第一六章大気津姫の段(二)〔四八三〕 『時に速須佐之男命、其の態を立伺ひて、穢汚もの奉るとおもほして、乃ち其の大気津比売神を殺したまひき』 鼻、口、尻なる衣食住の非理非道的に進歩発達したる為に、生存競争の悪風、天下に吹き荒み、その結果は、遂に近来に徴すれば、欧洲大戦争の如き惨状を招来し万民皆塗炭に苦しむの現状は、所謂『穢汚もの奉進る』の実例である。試みに考へて見よ。天地も崩るる許りの大騒動、大戦乱の砲声殷々たる惨状が漸く鎮静したかと思へば、忽ち世界を挙げて囂々たる社会改造の声と化し、一瀉万里、何の国境もなく、雷電の轟き閃くが如く、今や我皇国にも轟き渡つて来たのである。最近起りつつある生活問題も、労働問題も、思想問題も、要するに生活難の響きに起因するのである。只単なる世界の思潮に刺戟せられた一時的の現象であるかと云ふに、決してさうでない。如何に世界的思想であらうが、如何に好事者の巧妙なる煽動、乃至教唆であらうが、国民の要求に於て痛切に感ずる所が無ければ、決して共鳴するものではないのである。故に是を一時的の現象位に思つて、冷然として袖手傍観し、為政者や学者たるものが、何等の反省もせず且又其の起るべき根本の原因を究めずして、狼狽の余り、急速に之を防止しようとして徒に圧迫を加へたりすると、ますます紛糾して、終には救ふ可からざる一大禍乱を激発せないとも限らない。これ実に指導の任に当れる政治家、宗教家、教育家、および有志家の考慮し、奮起し、以てその大原因たる大気津姫から根絶改良せねばならぬのである。大気津姫を殺さむとする、現代の所謂改造の叫びは、何が大原因となつて、天下の人民の多数者が、斯の如く猛烈に共鳴心随するかと謂へば、一つに鼻、口および尻なる衣食住の生活問題に帰するのである。人間の苦しみの最大なりとするものは貧窮である。即ち衣食住の三類の大欠乏である。日々の新聞を見ると、貧苦の為に身を淵川に投げたり、首を吊つたり、鉄道往生や毒薬自殺をしたり、発狂したり等の悲惨事は日に月に増加して居るのである。之を見ても、貧苦と云ふものは、死するよりも辛い苦しいといふことが明かである。死ぬよりつらい処の貧苦を免れんが為に、ここに激烈なる生存競争が起つて来る。其の結果は優勝劣敗弱肉強食と云ふ、人生に於ける惨澹たる餓鬼道の巷となつて来たのである。体主霊従、利己主義の結果は、徳義もなければ、信仰も無く、節操も無く、勝者たる大気津姫神は常に意気傲然として、入つては大廈高楼に起伏し、出ては即ち酒池肉林、千金を春宵に散じて、遊惰、安逸、放縦を之れ事として、天下に憚らない。一方には劣者たる貧者は、営々として喘ぎ、尚ほ且つ粗雑なる食に甘んじ、以て漸くその飢ゑたる口腹を満たすに足らず、疲憊困倒して九尺二間の陋屋に廃残の体躯を横へ、空しく愛妻愛児の饑餓に泣くを聞いて居る。その心情は富者勝者の到底夢裡にだも窺知すべからざるの惨状である。古諺に曰く、『小人窮して乱を為す』と、終に或は非常識となり、軌道を逸し、身投げ、首吊り、または監獄行きを希望するに至るのである。又これが群衆的の行動となる時は、大正七年の米騒動や、進むでは焼打暴動ともなり、同盟罷工や、怠業的行動ともなり、日比谷運動や、革新的気分ともなるのである。故に恐るべきは、この結果を醸成する所の生活問題である。之を閑却して、思想の悪化や労資の衝突を防止せむとして、如何に政治家や、教育家や、宗教家が力説怒号して見た所で生命の無い政治家や、宗教家、教育家の力では、容易にその効果の現はるるものではない。故に大本は、神示に依りて明治二十五年以来、是が救済の神法を、天下に向つて指導しつつあるのである。古来名君と仰がれ、賢相と謳はれた人々は国民生活の安定を以て、先決問題としたのである。而して一方に於ては、宗教と教育の権威を発揮して以てその無限の欲を塞ぎ、その奢侈を矯め、公共心の涵養に務め、貧富の平均を保つて来たのである。既に生活の安定さへ得れば、民の之に従ふや易しで、喜びて善に向ふものである。要するに、現代の生活問題を、根本的に改善せむとするには、どうしても、大気津姫の改心に待たなければならぬのであります。 『種々』と云ふ事は、臭々の意味であつて、現代の如く、一も二も無く、上下一般に四足動物を屠殺しては舌鼓を打ち、肉食の汚穢を忌み、正食のみを摂つて、心身の清浄を保つてゐる我々大本人を野蛮人民と嘲笑するに立到つたのは、心身上に及ぼす影響の実に恐るべきものがあるのである。肉食のみを滋養物として、神国固有の穀菜を度外する人間の性情は、日に月に惨酷性を帯び来り、終には生物一般に対する愛情を失ひ、利己主義となり、かつ獣欲益々旺盛となり、不倫不道徳の人非人となつて了ふのである。虎や狼や、獅子なぞの獰猛なるは常に動物を常食とするからである。牛馬や象の如くに、体躯は巨大なりと雖も、極めて温順なるは、生物を食はず、草食または穀食の影響である。故に肉食する人間の心情は、無慈悲にして、世人は死なうが、倒れやうが、凍て居らうが、そんな事には毫末も介意せない。只々自分のみの都合をはかり、食色の欲の外天理も、人道も、忠孝の大義も弁知せない様に成つて了ふのである。斯う云ふ人間が、日に月に殖ゑれば殖ゑる程、世界は一方に、不平不満を抱くものが出来て、終には種々の喧しき問題が一度に湧いて来るのである。為政者たるものは、宜しく下情に通ずるを以て、急務とし、百般の施設は、之を骨子として具体化して進まねばならぬのである。素盞嗚尊は止むを得ずして、天下の為に大気津姫命を殺し玉ひ、食制の改良を以て第一義と為し玉うたのである。西郷南洲翁は、政とは、情の一字に帰すると断じ又孟子は、人に忍びざる心あれば茲に人の忍びざる政ありと云つて居る。然るに為政者は、果してこの心を以て、之に立脚して社会改良を企画しつつあるであらう乎。政治家なるものを見れば、徹頭徹尾、党閥本位であり、権力の闘争であり、利権の争奪である。斯の如き勢利のみに没頭せる人間に依つて組織され、運用される政治なるものは、因より国利民福と没交渉なるべきは、寧ろ当然であらうと思ふ。斯の如き世界の政治に支配されつつある国民が、不安の終極は、改造の叫びと成つて来るのは之も当然かも知れぬ。併し乍ら斯の如き肉食尊重、利己主義一遍の政治家を推選したる国民は全く自業自得にして、神界の戒めである。自ら火を採つてその手を焼いた様なものである。アヽ一日も早く皇祖の御遺訓と御事跡に鑑み、上下挙つて日本固有の美風良俗に還らねば、到底現代の不安、暗黒の社会を改良し、以て神国の一大使命を遂行する事は出来ないのである。先づ何よりも、大本神諭に示させ玉へるが如く、第一に肉食を廃し身魂を清めて、神に接するの道を開くを以て、社会改良の第一義とせねばならぬのであります。 (大正九・一・一六講演筆録松村仙造) |
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霊界物語 | 11_戌_コーカス山の大気津姫退治 | 24 顕国宮 | 第二四章顕国宮〔四九一〕 春霞棚引き初めてコーカスの、山の尾の上や百の谷、大峡小峡の樹々の枝、黄紅白紫色々と、咲き乱れたる顕国、霊の御舎雲表に、千木高知りて聳え立ち、黄金の甍三つ巴、輝く旭日に反射して、遠き近きに照り渡る、神須佐之男の大神は、宮の主と現れまして、堅磐常盤に鎮まりて、大海原に漂へる、秋津島根を心安の、美しき神世に開かむと、瑞の御霊の三葉彦、神の教を広道別[※御校正本・愛世版では「広国別」だが、校定版・八幡版では「広道別」に修正している。太玉命と名を変へたのは広道別であり、広国別は別人である。したがって霊界物語ネットでも広道別に修正した。]の、三五教の宣伝使、太玉の命と名を変へて、栄え芽出度き松代姫、妹背の道を結ばせつ、天津御神や国津神、八百万在す神等に、太玉串を奉る、卜部の神と任け給ひ、顕国玉の宮の司となし給ふ。青雲別の其御稜威、高彦神の宣伝使、天の児屋根と改めて、天津祝詞の神嘉言、詔る言霊の守護神、顕国玉大宮の、祝の神と任け給ひ、梅ケ香姫と妹と背の、契を結ばせ給ひけり。白雲別の宣伝使、教を開き北光の、神の司の又の御名、天の目一つ神司、竹野の姫を娶はして、アルプス山に遣はしつ、石凝姥と諸共に、鏡、剣を鍛はしめ、国の御柱樹て給ふ、神縁微妙の神業を、四方の神達人草の、夢にも知らぬ久方の彦の命の雲道別、名も大歳の神司、五穀の食を葦原の、四方の国々植ゑ拡め、神の恵みも高倉や、月日も清く朝日子の、白狐の神の此処彼処、生命の苗を配りて、青人草の日に夜に、食ひて生くべき水田種子、守り給ふぞ尊けれ。 コーカス山の山上にウラル彦、ウラル姫の贅を尽し美を竭して建造したる顕国の宮殿には大地の神霊たる金勝要神、大地の霊力たる国治立命及び大地の霊体の守護神神須佐之男大神を鎮め奉り、荘厳なる祭典を行ひ三柱の神の神力に依つて、天ケ下を統御せむと体主霊従の根本神たる天足彦、胞場姫の再来、八岐の大蛇や悪狐、其他の邪鬼妖魅に天授の精魂を誑惑されて、ウラル彦、ウラル姫以下の曲神は、最後の経綸場としてコーカス山を選み、宮殿を造り八王神を数多集へて、アーメニヤにも劣らざる神都を開きつつありける。 斯かる処へ石凝姥命、天之目一箇神、天之児屋根命、正鹿山津見神の娘大神津見と現はれたる松代姫、竹野姫、梅ケ香姫、時置師神、八彦、鴨彦等の神現はれて、天津誠の神言を奏上し宣伝歌を唱へたれば、流石のウラル姫も以下の神々も天津誠の言霊に胆をうたれ、胸を挫がれ、全力を集注して経営したる可惜コーカス山を見捨てて、生命からがらウラル山、アーメニヤの根拠地に向つて遁走し、コーカス山は今は全く三五教の管掌する処となりにける。 茲に神須佐之男命は地教の山を後にして顕国の宮に入らせ給ひ、天之目一箇神をして十握の剣を鍛へしめ顕国の宮の神実となし、天下の曲神を掃蕩すべく天之児屋根命、太玉命をして昼夜祭祀の道に鞅掌せしめ給ひぬ。神須佐之男大神は十握の剣を数多作り供へて、曲神の襲来に備へむため天之目一箇神をアルプス山に遣はし、鋼鉄を掘らしめ数多の武器を作る事を命じ給へり。アルプス山はウラル彦、ウラル姫の一派の武器製造の原料を需めつつありし重要の鉱山なりき。これより天之目一箇神は竹野姫と共にアルプス山に向ふ事となり、淤縢山津見神、正鹿山津見神、月雪花の宣伝使はアーメニヤの神都に向つて魔神を征服すべく、神須佐之男大神の命を奉じてアーメニヤに向ひける。又アルプス山には石凝姥神を添へて、天之目一箇神、竹野姫と共に銅鉄を需めしむべく出発せしめ給ひける。 此事忽ち天上に在す天照皇大神の御疑ひを懐かせ給ふ種となり、遂に須佐之男命は、姉神に嫌疑を受け神追ひに追はれ給ふ悲境に陥り給ひたるなり。 (大正一一・三・四旧二・六北村隆光録) |
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霊界物語 | 12_亥_天の岩戸開き | 24 言霊の徳 | 第二四章言霊の徳〔五二〇〕 手力男神は正門に現れ、儼然として敵軍の襲来を心待に待つて居る。 天菩比命は数多の軍勢を引連れ、軍卒は手に手に松明を持ち、四辺に火をつけ焼き滅ぼしつつ進み来る。後よりは一隊の軍勢、血刀を振つて登り来る。その光景恰も地獄道の如く思はれけり。 菩比命は門前に現れ、手力男神に向ひて、 菩比命『オー、汝は何神なるか、速須佐之男の悪逆無道なる邪神に従ふ曲津神、我は天教山に在します撞の御柱神の神命を奉じ、汝等を征伐せむが為に立向うたり。最早この嶋は殆ど焼き尽し、汝等が部下の将卒は、大半刃の錆と消え失せたれば、最早抵抗するの余力もなかるべし。イザ尋常に此門を開き降伏せよ』 と馬上に跨つた儘、威丈高に呼はり居る。手力男神は莞爾として、門を左右にサツと開き、 手力男神『サアサア、門は斯の如く開放致しました。何卒御自由に御這入り下さいませ。数多の軍卒等に於ても、嘸お疲れで御座いませう。是丈の嶋に火を放つて焼きなさるのも並大抵の御苦労では御座いますまい。御蔭でこの嶋を荒す猛獣毒蛇も殆ンど全滅致しました。お腹が空いたでせう、喉がお乾きでせう。此処に沢山の握り飯、酒も用意がして御座います。何万人のお方が御上り下さつても恥を掻きませぬ。どうぞ緩りと御上り下さいませ。その様に恐い顔をして、肩臂怒らし、固くなつて居られては御肩が凝りませう。我々は善言美詞の言霊を以て、直日に見直し宣り直す、神須佐之男大神の御神慮を奉戴するもの、決して決して酒にも飯にも毒などは入れて居りませぬ、御緩りとお召し上り下さいます様に』 菩比命『ヤアー、汝は百計尽き、毒を以て、我等を全滅せむとの巧であらう。その手は食はぬぞ』 手力男神『是は是は、迷惑千万。然らば手力男が御毒見を致しませう』 と云ひ乍ら、酒樽に柄杓を突き込み、掬うては二三杯グツと飲み、握り飯を矢庭に五つ六つ頬張つて見せた。 菩比命『然らば暫く休息いたす。今の間に館内の者共、城明渡しの準備を致せ』 手力男神『マアマア、さう厳しく仰せられるに及びませぬ。同じ天地の神の水火より生れた人間同志、心一つの持様で敵もなければ味方もない、何れも神の水火より生れた我々、天下の喜びも天下の悲しみも皆一蓮托生で厶る』 菩比命『汝はこの場に望んで気楽千万な事を申す奴、何か深い秘密が包まれてあるに相違なからう。左様な事に欺かるる菩火ではないぞ』 手力男神『手力男の秘密と申せば七十五声の言霊、美言美詞の神嘉言の威徳に依つて、天地清明国土安穏、病無く争ひ無く、天下太平にこの世を治める、言霊の秘密より外には何物も御座いませむ』 高杉別はこの場に立現れ、 高杉別『オー、手力男殿、唯今奥殿に進み入り、深雪姫の御前に致つて、御神慮を伺ひ奉るに、瑞の御霊の御仰せ、言霊を以て荒ぶる神を言向け和せとの御戒め。イヤハヤ貴神の遣り方には高杉別も感服致した。大国別様も貴神と同様の御意見で御座る』 手力男神『左様で御座らう。オー、菩比命様、斯の如く当館は表は武器を以て飾り、勇敢決死の武士も数多養ひ居れども、御覧の如く、貴神が獅子奮迅の勢を以て、血染焼尽しの攻撃軍に向ひ、悠揚せまらず御覧の如く、剣は鞘に弓は袋に納まり返つた此場の光景、刃に血塗らずして敵を喜ばせ、敵を味方と見做して取扱ふは、仁慈の神の思召よくよく大神の御誠意を御認識の上、撞の御柱の大神に具さに言上あらむ事を望みます』 菩比命『案に相違の貴神らの振舞、今まで逸り切つたる勇気も、何処やらへ消え失せた様な心地で御座る。ヤアヤア部下の将卒共、菩比命が命令だ、直ちに甲冑を脱ぎ捨て、武器を放し、この場に一同集まつて休息を致せ』 此一言に、逸り切つたる数多の将卒は、武装を解き、この場に喜々として現れ来り、酒に酔ひ握り飯に腹を膨らせ、歓喜を尽して踊り舞ひ修羅は忽ち天国と化したり。 この時深雪姫命は大国別に導かれ、門内の広庭に、数多の軍卒及び部下将卒の他愛もなく酒酌み交し喜び戯るる前に現れ、声も涼しく歌ひ始め賜ふ。 深雪姫『コーカス山に現れませる瑞の御霊の御言もて 御山を遠くサルヂニヤこの神嶋に現れて 世の有様を深雪姫八十の曲津の猛びをば 鎮めむ為に言霊の珍の息吹を放てども 曇り切つたる曲津見の服らふ由もなきままに 神の御霊の現れませる十握の剣を数多く 造りそなへて世を守る神の心は徒らに 剣を以て世を治め弓矢を以て曲神を 言向け和す為ならず心の霊を固めむと 玉の剣を打たせつつ神世を開く神業を 天教山に現れませる撞の御柱大神は いよいよ怪しと思召し深くも厭はせ嫌ひまし 菩比命に言任けて此処に攻め寄せ玉ひしは 我等が心を白波の瀬戸の海よりいや深く 疑ひ玉ふ験なり七十五声の言霊に 世の悉は何事も直日に見直し聞直し 言向和し宣り直す誠一つの一つ島 天の真名井にふり滌ぎさ嚼に嚼みて吹き棄つる 気吹の狭霧に生れたる我は多紀理の毘売神 心平に安らかに神須佐之男大神の 赤き心を真具さに天に帰りて大神の 命の前に逸早く宣らせたまへや菩比の神 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 君に対して村肝の穢き心あるべきか 天津御神も見そなはせ国津御神も知ろしめせ 空に輝く朝日子の日の出神の一つ火に 照して神が真心を高天原に細やかに 宣らせ玉へよ菩比の神善と悪とを立別ける 神が表に現れて疑ひ深き空蝉の 心の闇の岩屋戸を開かせ玉へスクスクに 唯何事も人の世は直日に見直し聞直し 宣り直しませ天津神御空も清く天照らす 皇大神の御前に謹み敬ひ畏こみて 猛く雄々しく現れし十握の剣は姫神の 神言の剣いと清く光り輝く神御霊 瑞の御霊を大神の御前に捧げ奉る』 と歌ひ了れば、菩比命は思ひ掛無きこの場の光景に力脱け、懺悔の念に堪へ兼て、さしもに猛き勇将も、涙に暮るる計りなりける。 忽ち天空を轟かし、この場に舞ひ降る巨大の火光、彼我両軍の頭上を、前後左右に音響をたてて廻転し始めたり。神々は一斉に天を仰ぎ、この光景を見詰めつつあつた。火光はたちまち変じて麗しき男神となり、空中に佇立して一同の頭上を瞰下し玉ひつつありき。 この神は伊弉諾命の珍の御子日の出神であつた。正邪善悪の証明の為に天教山より神勅を奉じて、降り玉うたのである。 忽ち白煙となつて中空に消え玉ひ、後は嚠喨たる音楽聞え、次第々々に音楽の音も遠くなり行きぬ。いよいよ菩比命の降臨によつて、須佐之男命の麗しき御心判明し、命は直に高天原に此由を復命さるる事とはなりける。 (大正一一・三・一一旧二・一三岩田久太郎録) |
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霊界物語 | 12_亥_天の岩戸開き | 25 琴平丸 | 第二五章琴平丸〔五二一〕 高光彦、玉光彦の宣伝使は時置師神と共に橘島を立出て、呉の港に上陸し、宣伝歌を歌ひながら、天地暗澹たる大野原を進み進みて琵琶の湖の辺に着きぬ。折しも浪高く風烈しく出船を待つこと七日七夜の久しきに亘り、船客は出船待つ間の無駄話に耽り居る。 甲(鶴公)『随分困つた世の中になつたものぢやないか。この琵琶の湖は何時も穏かな湖面で、天女が琵琶を弾ずる様な浪音を立てて、船の往来をして居る安全第一と言はれた湖だのにこの頃の湖の荒れ様、今日で五日も六日も船が出ないと云ふ様な事は、昔からあつた事はない、どうしたものだらう』 乙『定つた事だ。天も暗く地も闇いこの頃、草木も色を失ひ、悪魔は天下に横行濶歩する常暗の世の中だ。琵琶の湖だつてやつぱり天地の間にあるのだもの、チツト位荒れるのは当然だよ。それよりも瀬戸の海の大戦があつた事を聞いて居るか』 甲(鶴公)『イヤ未だ聞いた事はない。どんな戦があつたのだ』 乙『なンでも大きな喧嘩があつたと云ふ事だ。喧嘩の大きなのは戦だ』 甲(鶴公)『そンな事言つたつて、訳を話さな分るかい』 乙『分るも分らんもあるか、戦は戦だ。貴様が何時も女房と嫉妬喧嘩をするやうなものだ。貴様が嬶の横つ面をピシヤリと擲る、嬶が怒つて貴様の腕に咬り付く。「コラ嬶、何を為やがるのだ。放さぬか、放さなドタマをかち割るぞ」と拳骨を振りあげる。女房の奴、腕にかぶりついた儘で、オンオンと泣声を出して、「殺すなら殺せ、殺されても此腕は放さぬ」と云つて一悶着をやる。隣の八公が出て来て「コラコラ鶴公、お亀さま、何を喧嘩するのだ。鶴は千年亀は万年、夫婦喧嘩は犬も喰はぬ。千年も万年も仲好う暮さなならぬ夫婦の間柄で、何と云ふ不心得な事をするのだ」と挨拶に出る。さうすると鶴公………貴様が「イヤ八さま、放つといて下さい。此奴は虫が得心せぬ、今日限り暇を遣るのだ」と力味返る。貴様の女房お亀の奴、四這になりよつて「モシモシ八さま、何卒放つといて下さい。この人には愛想が尽きたのだ。酒を喰ひ博奕をうつ、すべた女の尻を追かける。一寸も取得の無いガラクタ爺だ。これが幸妾は不縁にして貰ひます。今は斯うして別れても、三年先には子供の二人も拵へて、立派な男と手を引いて、モウシモウシ鶴さまへ、三年前にはエライお世話になりました。お蔭でこんな結構な夫を持ち、立派な良い児が出来ました。阿呆なおやぢに連添うて居ると、妾までが阿呆になる。折角子を生むでも、間抜た面した天保銭のやうな小忰より出来やしない。ヨウ別れて下さつた」と言つて礼に来る様なものだよ。兎も角夫婦喧嘩だといふ事だ。イヅとかミヅとかいづもみづ臭い、神様でさへも戦があつたと云ふことだよ』 甲(鶴公)『貴様の云ふ事は、黙つて聞いて居れば、俺ンとこの事まで、大勢の中に曝け出しよつて、怪しからぬ奴だナ』 乙『それでも神島とか、お亀島とか云ふ島の喧嘩だもの、何れ貴様の山の神と喧嘩したことを連想せずには居れぬぢやないかい』 丙『貴様等は良い加減な事を聞囓つて、大勢の中で見つともない。そンな話を今時知らぬ者があるかい』 乙『偉さうに言うな、それなら貴様逐一言つてみい』 丙『目から、鼻から、耳から、口まで能う抜けた此方だ。何も彼も透き通つた新煙管のやうな此方だよ』 鶴公『さらぎせるテ何だい』 丙『よう通つた男と云ふ事だよ』 鶴公『何を吐しよるのだい。サツパリ新煙管なら、詰らぬ男と言ふ事だらう。アハヽヽヽ』 乙『こンな新煙管に聞いた所が、こつちが詰らぬ。誰か詳しい事を知つて居る者が在りさうなものだなア』 丁『万人の中に一人位はあるものだよ。掃溜にも鶴が降りると云ふ事があるから、併し此鶴さまは嬶取られの鶴さまだから例外だよ』 丙『それなら、その掃溜の鶴と云ふのは誰のことだい』 丁『定つた事だ、大抵顔の色を見ても分りさうなものじやないか。口許の凛とした、目の涼やかな、鼻筋の通つた男だ』 と自分の鼻を押へ乍ら、 丁『真面目に云ふから、真面目に聴けよ。抑もコーカス山には大気津姫命と云ふお尻の大い神様があつた。その神様が多数の八王とかビツコスとか云ふ奴を沢山寄せて、何でも、偉い偉い神様を祀つて都を拵へて居つた所が、そこへ松茸とか椎茸とか干瓢とか何でも美味さうな名のつく小便使が遣つて来て、大尻姫の尻ぢやないが、そこら中に小便やら糞を放かけさがして、流石の大尻姫も大尻に帆をかけて、アーメニヤヘスタコラヨイヤサと逃出したり。後に松茸、椎茸、干瓢さまが酒の燗を須佐之男命とか云ふ、酒の好な神さまを祀り込むで、ツル……ギとかカメとかを御神体にして居つた。さうして月とか鼈とか、花とか、何ぢや六つかしい女の神がお宮のお給仕を勤めて居たが、世が段々曇つて来たので、コーカス山も厭になつたと見え、三人の娘神は、巨きな大蛇となつて、雲を起して天に舞上り、一疋の大蛇は呉の海の橘島に巣を構へ、綺麗な別嬪に化けて居ると云ふ事、モ一つは此琵琶の湖の竹島に大蛇となつて降りて来たといふ事だ。それからモ一つの鼈とか、雪とか云ふ女神は是また白蛇となつて、瀬戸の海の一つ島に住居をして、素的な別嬪と現はれ、多数の家来を連れて住むで居つた。そこへ天教山から変性男子のお使で、天菩比命とやらが、ドツサリと強そな家来を連れて、サルヂニヤの嶋を攻め囲み、火をつけて焼滅して了つたさうだ。ナント偉い事が出来たものじやないか』 鶴公『馬鹿云ふな、サルヂニヤは喧嘩ぢやない、男の方は喧嘩腰で、乱暴な事を行りよつたが、女神の方は沢山な御馳走を拵へて、これはこれはよう来て下さいました。何も御座いませぬがお酒なつと充分に召しあがれと云つて、相手にならなかつたのだ。一方が相手にならねば喧嘩ぢやない』 丁『理窟を言ふな、それでも半分喧嘩だ』 鶴公『男が多数の家来を連れて、女に喧嘩を吹きかけに往つても、一方が相手にならねば間の抜けたものだ。暖簾と腕押しするやうなもので、力の抜けた事だらう』 斯く話す傍に、目を塞いで静に聴いて居た石凝姥神は、 石凝姥神『オー、是は大変だ、道聴途説とは言ひ乍ら匹夫の言にも信ずべき事ありだ。いよいよ厳霊と瑞霊の誓約が始まつたらしい、まさか違へば天の岩戸隠れにならうも知れない。ヤア時置師神殿、行平別殿、此処でお別れ申す。我は是よりアルプス山に上り日の像の八咫鏡を鍛たねばならぬ。天の目一箇神も大方出かけて居るであらう。貴神は是より竹島に渡つて、秋月姫の安否を探り給へ。さらば……』 と云ひ棄てて、雲を霞とアルプス山目蒐けて進み行く。 時置師『ヤア、石凝姥の宣伝使も、重大な使命を帯びて居られるのだから仕方がない。何だか此処で別れるのは、物足らぬ様だが、これも御神業の一部と思へば結構だ。サア初さま、船が出さうだ、船の中で又ゆつくりと話さうかい』 と云ひ乍ら船に向つて進み行く。百数十人の乗客は、先を争うて琴平丸に乗込んだ。船は真帆に風を孕ませ乍ら、凪ぎ渡つたる湖原を、船底に浪の琴を弾じつつ、東北指して一目散に辷り行く。 船の一方に座を占めたる小賢しき四五人の男、車座になつて四方八方の話に耽つて居る。時置師、行平別の宣伝使も何喰はぬ顔にて、その傍に雑談を聴き居たり。 甲『この間もあまり世の中が悪くなつて治まらぬと云ふので、善い神様は皆天に上り、竜宮に集まり、地上は魔神計りの暗黒界、どうする事も出来なくなつたと云つて、コーカス山の素盞嗚尊様が高天原とかへ、お越し遊ばしてからと云ふものは、彼方にも此方にも、地震が揺る、海嘯が起る、悪い病は蔓延する、河は干る、草木は枯れる五穀は実らず、大変な事になつて来た。そこで天の高天原の撞の御柱の神様が、素盞嗚尊様に何でも悪い心があるとか言つて、大変御立腹なされ、弓矢を用意し、剣や鉾を設け備へて、素盞嗚尊様を討滅さうとなさつたさうだ。そこで、素盞嗚神さまは「私は決して決してその様な汚穢い卑劣しい心は持ちませぬ。モウ此地の上が厭になりましたから、母神の御座る月の国へ帰りたい。それ迄に姉神様に一目お目に掛りたさに来たのだ」と仰有つても、姉神様はお疑が深うて、容易に納得遊ばさず、たうとう、安の河原(太平洋)を中において、天の真名井(日本海)に霊審判とか誓約とか遊ばすので、此頃は大変な事だ。サルヂニヤの一つ島に、素盞嗚尊様の瑞霊の一柱、深雪姫様が多紀理姫神となりて、この世の為に神様をお斎り遊ばして御座つた所が、姉神様はこれを疑ひ、自分の御珠に感じてお生れになつた天菩比命とか云ふ血染焼尽の神様を遣はして、全島を焼滅ぼし、最後になつて、深雪姫様は案に相違の美しき瑞霊の神様であつたと云ふ事が分り、アフンとして帰られたといふ事だ。この湖の竹の島にも、秋月姫と言ふ瑞霊の中の一人の綺麗な神様が鎮まつて居られるのを今度は天津彦根命と云ふ、菩比命の弟神が現はれて、竹の島の宮殿を破壊したり、人民を悪者と見做し、虱殺に屠り殺すと云つて行かれたさうだ。又サルヂニヤの深雪姫様のやうに柔かく出られて、アフンとして帰られるだらう』 乙『それは妙な事だなア、神様でもそンな酷い喧嘩をなさるのか。さうすれば我々が夫婦喧嘩をするのは当然だなア。一体この辺は何の神様がお守護ひ遊ばすのだ』 甲『きまつた事だよ。天の真名井から此方の大陸は残らず、素盞嗚尊の御支配、天教山の自転倒島から常世国、黄泉島、高砂島は姉神様がお構になつて居るのだ。それにも拘らず、姉神様は地教山も、黄金山も、コーカス山も全部自分のものにしようと遊ばして、種々と画策をめぐらされるんだから、弟神様も姉に敵対もならず、進退維れ谷まつて此地の上を棄てて月の世界へ行かうと遊ばし、高天原に上られて、今や誓約とかの最中ださうぢや。姉神様の方には、珠の御徳から現はれた立派な五柱の吾勝命、天菩比命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命といふ、それはそれは表面は美しい女の様な優しい神様で、心は武勇絶倫、勇猛突進、殺戮征伐等の荒い事を為さる神様が現はれて、善と悪との立別を、天の真名井で御霊審判をして御座る最中だと云ふ事ぢや、姉神様は玉の如く玲瓏として透き通り愛の女神の様だが、その肝腎の御霊から現はれた神様は、変性男子の霊で、随分烈しい我の強い神さまだと云ふ事だ。弟神様の方は、見るも恐ろしい鋭利な十握の剣の霊からお生れになつたのだが、仁慈無限の女神様で、瑞霊といふ事だ。此処で天の安河原を中に置いて、真名井の水に其玉と剣をふり滌いで善悪の立別けが出来ると云ふ事だよ。それだから、三五教が昔から、「神が表に現はれて善と悪とを立別ける、此世を造りし神直日」とかナンとか言つて居るのだ』 時置師『一寸皆さまにお尋ね致しますが、御姉弟の神様が、誓約なさると云ふ事は、何処でお聞になりましたか』 甲『イヤどこでも聞きませぬ、何だか最前から頭が重くなつたと思へば知らず識らずに、私の口からあンな事を喋つたのですよ。怪体な事があればあるものですなア』 乙『オイ貴様。現に貴様の口から云つたぢやないか。何だ、しらじらしい。とぼけよつて、正直な貴様に似合はぬ、何故そンな無責任な事を言ふのだ』 甲『それだと言つて仕方がないわ。俺の心にもない事を言ふのだもの……』 丙『モシモシお客さま、此奴はこの頃の陽気で、どうかして居ります。何申すか分りませぬから、どうぞ取上げて下さいますな』 時置師『イヤ結構です、大変に参考になりました。全く此方が言はれたのでありますまい、神様の我々に対するお示しでせう』 丙『ヘーン、貴方も一寸、云うと済まぬが、どうかして居やしませぬか。こンな気違の言ふ事を一も二もなく鵜呑にして、あまり軽卒ではありますまいか』 甲『わしは秋月姫命の使神である。その方は我言葉を気違と申したが、尤もだ。汝はウラル教の間諜だから、我直言がきつく耳に障ると見えるワイ』 丙『コラ、何を呆けよるのだ、良い加減に馬鹿な真似をしておけ』 斯く話す折しも、船はチクチクと竹の島に近づき居る。忽ち起る矢叫びの声、鬨の声、阿鼻叫喚、地獄の惨状を見るが如き、竹島の磯端に激烈なる惨劇が演ぜられつつある光景、手に取る如く見え来たる。 (大正一一・三・一一旧二・一三松村真澄録) |
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霊界物語 | 12_亥_天の岩戸開き | 28 三柱の貴子 | 第二八章三柱の貴子〔五二四〕 神代の太古、伊邪那岐命よりお産れ遊ばした天照大御神様、この神様は日の大神様と申上げて、本部綾部に御祀りしてあります所の神様であります。このへんから申上げます。 伊邪那岐命が 『筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐ケ原に於て禊身し玉ふ時、左の御目を洗ひ給ひて成りませる神の御名は天照大御神、次に右の御目を洗ひ給ひて成りませる神の御名は月読命』 といふことが書いて御座います。目といふものは吾々肉体から申しますると、右と左と両方に持ちて居りまして物を視るといふことの上に最も大切なものであります計りか、眼は心の窓と申します位重要なもので御座います。所が一歩進んで考へて見ますと、総てこの宇宙間に形を持つて居るものは森羅万象残らず目すなはち眼目といふものがなくてはならぬ。実際凡ゆるものに眼目があると云ふ事は吾人は常に之を認め得るのであります。姿こそ人間のやうな姿ではないけれど、他の動物に於てもこの眼をもつて居ります。禽獣虫魚草木の類に至るまで此眼のないものはありませぬ。また一つの文章を読みましても、この中にも必ず眼目といふものがあります。御勅語の中にも眼があります。 『皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ、汝臣民克ク忠ニ克ク孝ニ』 これが教育勅語の眼目であります。また戊申詔書には、 『淬礪ノ誠ヲ輸サバ国運発展ノ本近ク斯ニ在リ』 これが詰り眼になつて居る。その通り初め天地をお造りになるに当つても、この宇宙を治める為にはどうしても、眼といふものが必要であるといふので、そこで伊邪那岐命は天地の主をお創めになつたのであります。すなはち伊邪那岐命は、先づ天の主をこしらへたい、この霊界の主宰者をこしらへたいと思召しになりまして左の目を洗ひ給うた、この左の目といふのは日であります。太陽神であつて上である。右の目といふのが太陰神であつて下であります。言霊の天則から申しますと左は男、右は女と、これは既に神様の御代から定まつた掟である。然るにこの左の目を洗うてお生れになつたのが日の大神、天照大御神であつて、右の目を洗うてお生れになつたのが月読命、さうすると目からお生れになつたのは、変性男子女子でありました。左の目をお洗ひになつて直ぐお生れになつたのが変性男子の天照大御神でありました。これで詰り左を宇宙霊界とし、右を地球として、天上天下の君をお生みになつた訳であります。 『次に御鼻を洗ひ給ひしときに成りませる神の御名は建速須佐之男命』 はなは初めに成るの意義で即ち初めである。物質の元であります。花が咲いて而して後から実を結びます。人間の身体が出来るにつきましても、先づ胎内に於て人間の形の出来る初めは鼻である。それから眼が出来る。絵師が人間の絵を描きましても、その輪廓を描くのに何より先に鼻を描く、鼻は真中である。鼻を先へ描いて然る後に目を描き口を描いてそこで都合好く絵が出来るのである。この初めて出来た統治の位地にお立ちになるのが須佐之男命であります。俗に何でも物の完成したことを眼鼻がついたと申します。神様も此世界をお造りになつて、さうしてそこに初めて眼鼻をおつけになつたのであります。 『此時伊邪那岐命太く歓喜して詔り給はく』 愈天地が完全に出来たから、神様は非常にお喜びになつた。これまでに神様は随分沢山な御子達をお産みになつて居りますが衝立船戸の神様から十二柱ありました。その次に三柱お生れになつてをるので都合十五柱であります。男神様は我はかやうに沢山の子を産むだが、しかし今度の様な眼鼻になる所の子は初めてである。 『吾は御子生みて、生みの果に三柱の貴子得たり』 と仰せられまして、やがて、 『其御頸珠の玉の緒母由良に取りゆらかして』 即ちむかしの勾玉と申したやうな、高貴な人が飾りとしてかけて居つた頸珠であります。丁度今で申しますと大勲位章とか、大綬章とか、一等勲章とか云ふ意味の、曲玉のやうなのを掛けて居られたかと思はれます。 そこでこの玉を自分からお取り脱しになつて天照大御神にお渡しになつた。母由良にとりゆらかしてといふことは何でも非常に喜んで物を渡すときには、自然に手や身体が揺れる。一面から云へば揺つて渡す。頂くときにも亦揺つて頂く、今は然う云ふやうなことでは御座いませぬけれども、本当に嬉しいときには然うなつて来るのであります。さて之を揺りよい音鳴りをさせながら天照大御神に賜ひまして詔給はく、 『汝が命は高天の原を知らせ』 と高天原を主宰せよと仰せになつて珠をお授けになつたのであります。 『かれ其御頸珠の名を御倉板挙之神と申す』 此の御倉板挙之神といふことは、言霊学上から見ても、神様の方で申されまする暦――此世界には恒天暦、太陽暦、太陰暦の三つの暦が常に運行循環して居るのであります。で、此御頸珠をお授けになつたといふのは、所謂御倉板挙之神、即ち恒天暦、太陽暦、太陰暦をお授けになつたのであります。 『次に月読命に詔給はく「汝が命は夜の食国を知らせ」と事依さし給ひき』 右の眼よりお生れになつた月読命に夜の主宰をせよと仰せられた。知らせといふことは、大事に守護り能く治めよといふ意味で、太陰の世界を主宰せよと仰有つた。高天原は全大宇宙である。夜の食国は昼の従である。それで月読命はどこまでも天照大御神を扶けて宇宙の経綸に当れと、斯う云ふ詔であります。 『次に建速須佐之男命に詔給はく「汝が命は海原を知らせ」と事依さし給ひき』 須佐之男命は鼻からお生れになつた方であります。海原といふのは此地球上のことであります。地球は陸が三分の一しかありませぬ、三分の二といふものは海であります。で地球を総称して大海原と申すのであります。斯うして伊邪那岐命様は深いお考へから夫々其知ろしめす所を、各々にお分けになつて、汝は高天原を、汝は夜の食国を、汝は地球上即ち大海原を知ろしめせと、御神勅になつたのであります。今日は天照大御神の三代の日子番能邇々芸命が、どうも此お国が治まらぬといふので天から大神の神勅を奉じて御降臨になつて、地球上をお治め遊ばして、さうして我皇室の御先祖となり、其後万世一系に此国をお治めになつてあるのでありますが、それより以前に於きましては、古事記によりますと須佐之男神が此国を知召されたといふことは前の大神の神勅を見ても明白な事実であります。 『故各々依し給へる御言の随に、知らしめす中に、速須佐之男命、依さし給へる国を知らさずて、八拳髯胸前に至るまで啼いさちき』 須佐之男命は大神の仰に随つて地上に降臨遊ばされた。地上を治める為めに、お降りになりましたけれども、その時この地上は乱れて居つて、神代にも丁度今日のやうな世があつたものと見えます。で今日のやうに政治であらうが、宗教であらうが、教育であらうが、何から何まで一切のものが行き詰つて了うて、もう行きも戻りも上げも下しも出来ぬ様になつて居つた。それで須佐之男命様は、この世の中を安らけく平けく治めて大神を安堵させ奉る事が出来ないから非常にお歎きになつて、『八拳髯胸前に至るまで』長く長く髯が延びて胸前の所まで下つて来るまで御心配をなすつた。人といふものは髯を拵へたり髪を整へたり、いろいろのことをして、容貌を整へなくてはならぬけれども、此国を治めようといふ事に、余り御心配を遊ばしたのでありますから、知らぬ間にこの髯が八拳に長く伸びて居つたのであります。 『泣きいさちき』 といふのは、世の中の一切悉くのものが、もうどうしても、これから進むで行くとか、開けて行くとか、どうしたらよいかといふ方法がない、手のつけやうがないといふまでに非常に行き詰つて了つた状態を、お歎きになるさまに形容したのであります。 『其泣き給ふ状は』 どういふ工合であつたかといふと、 『青山を枯山なす泣き枯らし』 今まで山などの草木が青々と生ひ繁つて居たのに、世が行き詰つた為に枯れて了うた。枯らして了うた。山がすつかり一変して枯山となつてしまうた。これは今日の状態によつく似て居るではありませぬか。今まで十年計画、百年計画といふやうな風にいろいろな事業が企てられた。何会社が立つの、或は何事業が起されたと、無茶苦茶に四五年前から本年の春までは偉い勢で、好景気を謳歌して、青々とした山の如くに有頂天になつて居りましたが、青山がいつまでも天空につかへないが如くに、なんぼ木が伸びたつて天につかへる気遣ひのないやうに、一朝行きつまれば最早さう云ふ勢はすつくり枯れて了ふ。今年の春からこの方、元も子もなくなつて、青山は枯山になつた。どうしても伸びる方法もない、火の消えたるが如き有様になつて了つたのであります。 『河海は悉に泣き乾しき』 山が枯山となつたと同じく、河も海も悉く乾いて了うて、一滴の水もなくなつたといふのであります。今日の世の中に譬へて申しますれば、郵船会社とか、商船会社とか其他いろいろの海運業も追々と仕事がなくなつて二進も三進も行かなくなつた。すると此海河の労働仕事に従事して居るものは、稼殖の途のなくなるのは勿論、稼業に離れる、職に離れるといふことになつて来ると一家は子供に至るまで、悉く泣き乾しになる。最早や食ふ道がないやうになると、もう乾干になるより仕様がない。総て海に稼いで居る者も、河に従事して居る者も、其他一切のことに従事して居る者も、みんな泣き乾しになつて了うたのである。 『是を以て悪神の音なひ、狭蠅なす皆沸き、万の物の妖悉に発りき』 神代に於ても世が行き詰つて来れば、そこにいろいろの不祥なる事件が起つて来たものと見えます。 畏くも明治天皇陛下が、 『之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ』[※教育勅語の一節] と仰せられましたやうに、真理といふものは何れの時代にも適応するので御座います。既に古事記の明文にある所で御座います。今日の状態を考へて見れば、丁度此岩戸開き前の状態と克く似て居る。世がどん底に行き詰つて労働しようにも仕事がない、仕事がなければ妻子眷族を養ふことが出来ない。生活といふことが出来なくなるとそこで悪神の音なひとなり、いろいろの騒動が起つて来る、人間の心が荒んで来る。衣食足つて礼節を知る、今まで善い魂を持つて居つたものも、だんだん悪い魂の力に押へられて悪化して了ふ。食ふか食はぬか、死ぬか生きるか、喰うて死ぬか食はずに死ぬか、斯う云ふ苦しい立場になりますと、人心は日増しに悪化して善くないことが往々始まる。甚だしきは警察へ行つて御厄介になつた方が楽で、養なつて呉れて安全だといふものが出来る。監獄に入れば食はして呉れる、金銭はなくても可いといふ具合に自暴自棄的に悪神の音なひが始まる。此音なひといふのは、神様の御真意に背いた所の、いろいろの論説が出て来るといふので、あちらからも此方からも異端邪説が叢り起ることであります。然うした結果が、うるさい所の五月蠅のやうにブンブンブンといろいろの事が湧いて、 『万の物の妖悉に発りき』 一切のものに災禍が起つて来る。外交の上に於きましても、内治の上に於きましても、商工業の上にも、一切万事、何も彼にも、世の中のありと凡ゆるものに向つて、みな災禍が起つて来るのであります。そこで天から伊邪那岐大神が之を御覧になつて、 『速須佐之男命に詔給はく』 仰有るのには、 『何とかも、いましは、事依させる国を治さずて泣きいさちる』 そなたは、此大海原の国を治めよと言うてあるのに、何故それを治めぬのか、世の中を斯う云ふ難局に陥らせたのか、何うして騒がしい世の中として了うたのか、と大変にお責になつたのであります。すると須佐之男命は、誠に相済まぬ事であります。兎も角これは私に力が足らぬからであります。私が悪いのでありますとお答へになつた。併し斯うなつて来ては如何なる人が出て来ても、此時節には敵はない。治まるときには治めなくても治まるが、治まらぬときに之を治めるといふ事は難かしいものであります。人盛んなれば天に勝ち、天定まつて人を制す、悪運の強い時には如何なる神もこれを何うも斯うもする事が出来ない。艮の金神様も此時節の勢には敵はぬと仰せられて、それで三千年間あの世に隠れて、今日の神政成就の時節を待つて、現在に顕はれ天の大神様の御命令を奉じて、三千世界の立替立直しをなさらうといふのであります。大神様でさへもさう仰せに成るのでありますから、況して須佐之男命が大変に行き詰つた地上を治めようとなさつてもどうして治まらう筈がありませう。然らば何故須佐之男命御一人では治まらないのであるかと申せば、それは今日文武百官がありまして、亦た政党政派が互に相争ひ、一方が斯うすれば一方が苦情を持ち出して思ふやうにならぬ如く前に申しましたやうに既にいろいろの神様達が沢山あつて、其神々様が各自に天津神の御心を取り違へて、所謂体主霊従に陥つて居られたので、一人の須佐之男命がどれ程誠の途を開かうとなすつた所で、更に耳に入れるものがない、各自に勝手な真似をなさる。丁度強情な盲と聾との寄合のやうであります。そこに千仭の谷があつても盲は顛覆へるまでは知らぬ顔をしてをる。どれ程雷が鳴つても聾は足下に落ちるまでは平気である。それに強情を張つて誰が何と注意しても聴かない。神代の人もそのやうに体主霊従で、どうしても命の命令を聴かなかつた。それで須佐之男命は、これは取りも直さず自分の責任である、自分の不徳の致す所である、到底自分の力では及ばないのであると、自らをお責めになつて、 『あは妣の国、根の堅洲国に罷らんと思ふが故に泣く』 私はもうお暇を頂いて、母の国に帰らうと仰せられたのであります。根の堅洲国と申すのは母神の伊邪那美命がおいでになつてゐる所であります。尤もこれまでの或る国学者達は根の堅洲国といふのは地下の国であると云つて居りますが、併し一番に此伊邪那美命は月読命と同じく月界に御出でになつたのでありますから、月界を根の堅洲国と言つたのであります。で須佐之男命は自分の力が足らないのである、不徳の致す所であるからして自ら身を引いて、根の堅洲の国へ行かうと仰有つて、一言も部下の神々の不心得や、其悪い行状を仰せられなかつた。如何にも男らしい潔白なお方で御座います。所が伊邪那岐命は非常に御立腹になつた。 『然らばみまし此国にはな住みそ』 其方のやうな此海原を治める力量の無いものならば、二度と此国に住むではならぬ。勝手に根の堅洲国へ行つたがよからう。一時でも居つてはならぬぞとお叱りになつたけれども、伊邪那岐命は須佐之男命の心中は疾くに克く御存知である。自分の子がどうして此国を治める事が出来ないか、どうして自分の珍の児の言ふことを万の神々が聴かぬか、腹の底では充分に御存知でありますが、それを彼此仰有らない。心の中には千万無量のお悲しみを持つて居られまするけれども、他に多くの神々に傷をつけるといふことは考へ物である。それで須佐之男命に刑罰を与へて罪人としたならば、その他の八百万の神、これに随いて居る所の神等はそれを見て皆改心するであらう、その悪かつたことを悟るであらうと思召して大神様は自分の子を罰せられたのでありまして、普通の者の出来難いことで御座います。その広大なるお情深い御心は、誠に勿体ない次第でありませぬか。此須佐之男命を罪に問うたならば、あれこそ吾々の為めに罪せられたのである、誠に済まないことであるから、吾々は悔い改めて本当の政治をしなければならぬ、改心を早く致して命の罪を赦されむ事を八百万の神々が思ふであらうと思召して伊邪那岐命は此処置をお取り遊ばしたのであるが、矢張体主霊従に陥られた八百万の神達は容易にそれがお解りにならず、あれは当然である、政治の主権をあんな者が握つて居つては国の治まらう筈がない、あれが居なくなれば又善い神様が来るに違ひない、否吾々の力で充分に世を治めようといふやうな頗る冷淡な間違つた考へを有つて居つたのであります。寔にこんな世の中を治めようとするには並大抵の事ではないので御座います。 (大正九・一〇・一五講演筆録) (大正一一・三・五再録谷村真友録) |
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10 (1575) |
霊界物語 | 12_亥_天の岩戸開き | 29 子生の誓 | 第二九章子生の誓〔五二五〕 そこで須佐之男命がお父さんの伊邪那岐命に申上げられましたのには、然らば私は根の堅洲国に参ります。併しそれにつきましては、高天原に坐す姉君の天照大御神に一度お暇乞ひを致して参り度と存じます。高天原に上りますと申されて、 『乃ち天に参上りますときに、山川悉く動み、国土皆震りき』 天にお上りになるといふ此天は大本で言へば高天原で、今日に譬へて見たならば国の政治の中心で現代日本の高天原は東京であります。神界にも政治の中心が高天原にあつたのは当然で御座います。そこでいよいよ高天原に上り給はむとするとき山も川も悉く動いた。国土皆震ひ出しました。即ち物質界の上にも精神界の上にも、大地震があつたのであります。併しこれは形容であつて、社会万民総てのものが今更のやうに驚き、国土の神々が一度に震駭した。今日の言葉で言へば内乱が起つたといふやうな意味で非常な騒ぎであります。須佐之男命がこれから根の堅洲国においでになるに就ては、今度お暇乞ひの為に高天原にお上りになるといふので、国中非常な大騒ぎで、終に騒乱が起つたのであります。一方天照大御神様は、今度須佐之男命が天に上るに就て、国中大騒ぎであるといふことを聞し召されて、大いにお驚きになつて、 『あが汝兄の命の上り来ます由は、必ず美しき心ならじ、我が国を奪はむと欲すにこそ』 と詔り給うて弟の須佐之男命が海原を治さずして、高天原に上つて来るといふことであるが、これは必ず美しい心ではなからう。我此主宰する所の高天原を占領に来るのであらうと仰せになつて、 『御髪を解き御美髪に纏かして』 男の髪のやうに結ひ直して大丈夫の装束をして数多の部下を整列せしめ、戦ひの用意をなさつたのであります。元来変性男子の霊性はお疑が深いもので、わしの国を奪りに来る、或は自分の自由にする心算であらう、斯う御心配になつたのであります。丁度これに似たことが、明治二十五年以来のお筆先に非常に沢山書いてあります。変性女子が高天原へ来て潰して了うと云つて、変性女子の行動に対して非常に圧迫を加へられる。また女子が大本全体を破壊して了うといふやうなことが、お筆先に現れて居ります。それで教主初め役員一同、教祖の教の通りに此皇国の為め、霊主体従の神教を説いて日夜務めて居るので御座いますが、併し大本教祖も変性男子の霊魂であつて矢張疑が深いといふ点もあります。天照大御神様は、疑ひ深くも弟の美しい心を、これは悪い心を以て来たのではあるまいかとお疑になつたのであります。教祖もさう云ふ工合に変性男子の神界の型が出来て居るのであります。さうして、 『左右の御美髪にも御鬘にも、左右の御手にも、各八坂の勾玉の五百津の御統真琉の珠を纏き持たして、背には千入の靱を負ひ』 矢筒や弓をお持ちになりて、 『伊都の竹鞆を取り佩して弓腹を振り立てて』 弓を一生懸命に、ギユツト満月の如く引き絞つて、 『堅庭は向股に踏みなづみ、沫雪なす蹶散かして、伊都の男健び踏み健びて待ち問ひ給はく』 男健びといふのは、角力取りが土俵に上つてドンドンと四股を踏んで、全身の勇気を出す有様であつて、弟が軍勢を引き連れて来たならば一撃の下に討ち亡ぼして了うて遣らうと、高天原の軍勢を御呼び集めになつたのであります。 如何にも女神の勇ましさと、偉い勢を形容してあります。弟の須佐之男命が上つて来るのは、高天原を攻め落さうと思つて来るのではないかと、非常に御心配になつてそれに対する用意をしてお待ちになつたのであります。今日世人や新聞雑誌記者や既成宗教家や学者などが、大本が何か妙なことを考へて居るのではあるまいかと、変な所へ気を廻して居るのと同じことであります。そこで、 『何故上来ませると問ひ給ひき』 汝は海原を治めて居ればよいのである。然るに今頃何が為めに高天原へ出て来たかとお問ひになつた。すると須佐之男命が答へられた。私が今来て見れば、大変な防備がしてある。大変な軍備がして有りますが、これは私に対する備へでせうが、私は決して然う云ふ穢い考へは持つて居りませぬ。ただ父君伊邪那岐命が何故その方は泣くかとお尋ねになりましたから、実状を申上げるのはどうも辛う御座いますし、親様に心配をかけるのは畏れ多いと思つて、私は母の国に参らうと思ひますと申し上げました所が、父の大御神は以ての外のお怒りで、此国を治めるだけの力無きものなら、勝手に行けと仰有つて、手足の爪を抜き、鬚をぬき、髪の毛を一本もないやうに、こんな風にせられました。で私はこれから母の国に参りますといふことを姉上に申上げに参つたのであります。然うしますると天照大御神様は、果して然らば、汝は何によつてその心の綺麗なことを証明するか、証拠を見せて貰ひ度いと仰せられた。そこで須佐之男命は、 『各誓ひて御子生まな』 誓ひといふことは、誓約のことであります。若しも私が悪かつたならば斯々、善かつたならば斯々といふ誓ひであります。 『故爾に各天の安河を中に置きて誓ふときに』 天の安河といふのは、非常に清浄な所を意味するのであります。総て河の流れのやうに、少しも滞らない留まらない所は綺麗であります。物を溜るといふことは腐敗を意味します。この綺麗な清らかな、公平無私な所を、天の安河といふのであります。それを真中にして、本当の公平無私なる鏡を茲に立てて、さうして両方から誓約をせられました。どう云ふ誓約であるかといふに、須佐之男命は十拳の剣を持つて居られた。剣といふものは男の魂であります。昔から我国では刀を武士の魂又は大和魂と申して居ります。女の魂は鏡であります。乃ちお前の魂である所の剣を渡せと天照大御神が仰せられたから、それをお渡しになると、天照大御神は三つに折つて、 『天の真名井に振り滌ぎてさ嚼みに嚼みて吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は』 第一番にお生れになつた神は多紀理姫命、次に市寸嶋比売命、次に多気津姫命の三女神で現に竹生嶋に祀つてあります。安芸の宮嶋に祀つてありますのは市杵島姫命であります。次に多紀理姫命、多岐津比売命、この三人の女神がお生れになつた。今度は須佐之男命、この神様は非常に怖い、絵で見る鐘馗さんみたいな暴悪無類の神様のやうに見える、おまけに剣まで佩ひて居られる、その剣をお調べになると、三人の綺麗な姫様がお生れになつて居るのである。この三女神は竹生島その他の神社に祀つてあります。三女神の神名を言霊上より解釈すれば『多紀理姫命は尚武勇健の神』『市寸島姫は稜威直進、正義純直の神』『多気津姫命は突進的勢力迅速の神様』で是が真正の瑞の御魂の霊性であります。この竹生島とは竹生と書きまして昔から武器の神様としてあります。即ち武器といふのは、竹が初まりであつて、先づ竹槍を造つた。そして竹で箭を造り、弓を拵へることを発明したといふやうな工合に、今の武器の初めは竹であつた故に武の字をタケと読むのであります。そこで今建速須佐之男命の持つて居られました剣、つまり須佐之男命様の御霊である所の刀からは三人の姫神がお生れになつた。刀を持つて居るから建速と申すとも言ひます。多紀理比売は手切姫で斬る。多岐都比売は手で突くといふ意味にもなります。伊突姫も突刺す意味である。すると槍とか剣とかは伊突き、手切り、手断突の働きになつて居ります。兎に角立派な綺麗な極従順な鏡の如き姫神様でありました。それで之れを瑞の霊とも、三人の瑞の霊[※御校正本・愛世版では「三人の瑞の霊」だが、校定版・八幡版では「三人の霊」に直している。]とも申します。三月三日の節句を女の節句として祝ひますのも然う云ふ所から出て居ります。それから今度は須佐之男命が天照大御神の御用ゐになつて居ります珠、平和の象徴たる所の飾りの八坂の勾瓊を御受けになつて、天の真名井の綺麗な水にお滌ぎになつて、 『さがみにかみて吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は』 玉と云ふものは元来清く美しい光り輝く真善美のものであつて、刀の如くに斬つたり突いたりするものではありませぬ。実に平和に見えるものであります。これは左とか右りとか沢山ありますけれども長くなりますから委しく申上げませぬ。而して気吹の狭霧になりませるとありますのは、此処はつまり鎮魂であります。初め先づ鎮魂して各自の霊を調べるのであります。吾々の静坐瞑目して致して居ります所の鎮魂と同じ意味であります。如何なる守護神が現はれてゐるか、霊魂の集中を審めて見るので御座います。そこでお生れになりましたのが、正勝吾勝勝速日天の忍穂耳命、不撓不屈勝利光栄の神、次に鎮魂してお生れになつたのが天の菩卑能命、血染焼尽の神。次が天津日子根の命、破壊屠戮の神。次に活津彦根命、打撃攻撃電撃の神。次が熊野久須毘命、両刃長剣の神。都合五柱の男の命がお生れになつたのであります。天照大御神は姿は女である。女の肉体をお有ちであつたので御座いますが、その霊は以上述べた如く実に勇壮無比の男神でありました。鎮魂の結果お生れ遊ばしたのは五柱の男の神様の霊性が現はれた、それで姿は女であつて男の御霊を備へて居られますから、天照大御神を変性男子と申し、厳の御魂と申し、須佐之男命は姿は男であつても女の霊をおもちであつたから変性女子と謂ひ瑞の御魂といふので御座います。而して前の三女の霊に対して、この五柱の命を五男の霊とも申します。之を仏教では八大竜王と唱へまして、京都の祇園では八王子というて御祭りになつて在ります。 茲で初めて須佐之男命は表面怖い暴逆な神様であるけれども実は極く優美しい、善い心の神様であるといふことが解り、これに引きかへ天照大御神は極くお優しい、鏡からぬけ出たやうな玲瓏たるお方でありますけれども、前の言霊解の如き御霊があつたのであります。 ここで一つよく考へなければならぬ事は天照大御神のお言葉に、 『言向け和はせ』 と書いてありますが、言葉を以て世界を治めよといふことになります。さうしますと天照大御神は外交の難しい事について御子孫にお示しになつたのでありまして、どこまでも此珠を以て充分に平和を旨として治めて行かなくてはいかぬといふ御心でありました。然るに須佐之男命は根の堅洲国へ行くについても、武備を非常に盛んにして軍艦を沢山に拵へ、大砲を沢山造るといふ、所謂武装的平和のお心である。斯う考へますと、今の外国の主義が須佐之男命のと同じである。体主霊従である。天照大御神は日本国になつて居るといつてもよいと思ひます。日本人の心の中には武備がある。大和魂がある。けれども表面には武装がないのである。いざといふ場合には稜威の雄健び、踏健びをしなくてはならぬがその間には常に極く平和に落着いて居る。然るに外国は始終刀を有てゐる。外に向つて十拳の剣を握つてゐるけれども、愈戦ふとなれば、あちらは三人の女の神様であるのに反して、表面弱い如くに見えても五人の男の神様の霊性が出て来るのである。この霊および身魂のことに就てはお筆先にも出て居ります。身魂の善悪を改めると申されてあります。 『是に天照大御神、須佐之男命に告り給はく』 後から生れた所の五柱の神はわしの有つて居る珠から出て来たものであるから自分の子である。所謂自分の魂から出た男神はみな自分の子である。それから先刻生れた姫御児はその種が汝が魂十拳の剣から出たのだからこれは汝の子であると仰有つた。これで身魂の立て分けが出来た。須佐之男命は変性女子で、天照大御神は変性男子であるといふことが明かになつた。所が須佐之男命は、姉天照大御神は今迄は私の心を疑うて御座つたが、これで私の清明潔白な事は証拠立てられた。私の心の綺麗な事は私の魂から生れた手弱女によつて解りませう。あの弱々しい女子では戦をする事は出来ますまい。斯う考へたならば最前あなたは、私が高天原を奪りに来たらうと仰られたがあれは間違ひでせう。私の言ふことが本当でせう。 『これによりて言さば自ら我勝ぬと言ひて、勝さびに天照大御神の営田の畔離ち、溝埋め、亦其の大嘗聞し召す殿に屎まり散らしき』 この言葉は少いけれども、この意味は、当時須佐之男命様にも尚ほ沢山の臣下が在つた。茲に須佐之男命に反対するものと、味方するものとが出来て来たので迷ひが起つたのであります。須佐之男命がお勝になつて、増長なさつたといふよりも寧ろ、私の綺麗な心は解つた筈である。然るに尚悪いと仰せになるのは心地が悪い、不快であるといふので終に自暴自棄に陥つたのであります。やけくそを起した結果が、田の畦を壊したり、溝を埋めたり、御食事をなさる所へ糞をやり散らして、いろいろ乱暴のあらむ限りを、須佐之男命に味方する系統の者が行つたのであります。天照大御神は此状態を御覧になり、弟は決してあの多量の糞をまいたりする筈はない、酒に酔つて何か吐いたのであらう。畔を離ちたり、溝を埋めるのは、丁度今でいふ耕地整理のやうなもので、いらぬ畔や溝を潰して沢山米が出来るようにする為めだらうと、所謂直日に見直し詔り直して、一切のことを総て善意に御解釈されて所謂詔り直し給うたのであります。何でも善い方に解して行けば波瀾は少いもので御座います。天照大御神も善意に解して居られましたけれども、御神意を悟らぬ神等の乱暴は愈長じて遣り方が余りに酷くなる。八百万の神様方がどうしてもお鎮まりがない。世の中が大騒ぎになつた。彼方でも此方でも暴動が起る。無茶苦茶な有様になつた。そのうちに、 『天照大御神、忌服屋に坐まして、神御衣織らしめ給ふときに、其の服屋の頂を穿ちて、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入るるときに、天の御衣織女、見驚きて梭に陰上を衝きて死せき』 斯う云ふ事件が起つたので御座います。ここで機を織るといふことは、世界の経綸といふことであります。経と緯との仕組をして頂いて居つたのであります。すると此経綸を妨げた。天の斑馬暴れ馬の皮を逆剥にして、上からどつと放したので、機を織つて居た稚比売の命は大変に驚いた。驚いた途端に梭に秀処を刺し亡くなつてお了ひになつたのであります。さあ大変な騒動になつて来た。 (大正九・一〇・一五講演筆録) (大正一一・三・六旧二・八谷村真友再録) |
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霊界物語 | 12_亥_天の岩戸開き | 30 天の岩戸 | 第三〇章天の岩戸〔五二六〕 今迄耐へに耐へておいでになつた天照大御神は、余りの事に驚き且お怒り遊ばして是ではもう堪らぬといふので、天の岩屋戸を建てて直様その中にお入りになり、戸を堅く閉してお籠りになつて了つた。是も亦形容でありまして、小さく譬て見ますれば、この東京市は市長が治めて居る。然るに到底私の力では東京は治まらない、仕方がないと言つて辞職して了ふ。市役所に出て来ない様になる。一国に就て言へば総理大臣が私の力でこの国は治まらないからと言つて辞職して了ふ。一国にしても一市にしても、主宰者が居らぬでは外の者にはどうする事も出来ないと云ふ其人に辞職されて了うたなら其国なり其市なりはどうでせう。詰り此只今でいふ辞職といふのが、天の岩屋戸へ天照大御神がお籠りになつたと同じ様なことであります。 『即ち高天原皆暗く葦原の中津国悉に闇し』 真暗闇では何うしようにも方針がつかない、葦原の中津国の大政府が仆れた為に其所在地たる高天原を初め全国が火の消えたる如くになつて了つた。下の方の者では施政の方針は分らない。どうもかうも手のつけ様がない。 『茲に万の神のおとなひは、五月蠅なす皆湧き、万の妖悉に発りき』 今度はもう昼も夜もない真暗がりぢや。斯うなつて来ると世の中はどうなり行くか、丁度今日に就て考へて見ると面白い。政治は勿論教育も経済も、内治も外交も滅茶苦茶である。一切万事真暗がりの世になつてゐる。どこにどうしようにも見当がつかない。斯うなつて来ると、此に発して来るのは各階級の風俗の紊乱であります。不良人民が殖ゑ窃盗が横行し、強盗が顔を出す、神代に於ても、万の妖が総ての事に、彼方にも此方にも五月の蠅の如くに発生して来たのである。之を天の岩屋戸隠れと申すのでありますけれども、今日の世態を考へますと、恰も神代に於ける岩屋戸の閉てられた時と同じやうに思はれます。 『是を以て八百万の神』 はどうする事も出来ないから、 『天の安河原に神集ひに集ひて』 相談をなされた。之を高天原即ち天上の議場に集まつたのだと云ふ人もあります。平等なる神々様が、物を洗ふ、流すと云ふ意味の公平無私なる土地に集まつたのであります。安ということは安全と云ふことで、この安らかなる地点即ち風水火なり饑病戦なりその他総ての禍災を防ぐことの出来る、然も何等圧迫を被ることのない場所であります。さうしてこの清らかな場所へは、上下貴賤の区別なく総ての人々が、国を憂ひ、国家を救はなくてはならぬと云ふ、潔らかな精神を以て集まつて来たのであります。 『高御産巣日の神の御子、思兼の神に思はしめて』 この思兼の神は今日でいうと枢密院の議長といふ様な役目であります。一番思慮の深い人、さうして神の教を受けた人、この人に天の岩屋戸を開き天下を救ふべき方法を尋ねまして、その結果、 『常夜の長鳴鳥を集へて鳴かしめて』 常夜といふのは常闇の世の事であります。即ち永遠無窮に日月と共に、国事に就て憂ひ活動をして居る神、此等の神等を集めて泣かせるといふのは各自に意見を吐かせると云ふ事である。その結果、 『天の安の河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄を取りて、鍛人、天津麻羅を求ぎて、伊斯許理度売の命に科せて鏡を作らしめ』 この堅い石を取るといふことは、皇化万世動かぬ岩に松といふ、天から下つた所の教を取るといふことである。天の金山の鉄を取るといふことはどちらもカネである。鍛人、これは鍛冶屋といふ意味でありますけれども、総て世を治めるに必要なる道具、一切の武器などを拵へたのであります。次に鏡を造らしめる。鏡は人物の反映である。霊能の反映である。故に歴代の天皇は之を御祀りになつて居る。鏡は皇室の宝物になつて居るのであります。鏡は神であります。さうして言霊であります。言霊七十五音を真澄の鏡と申します。三種の神器の一を八咫の鏡と申すのは即ち七十五声の言霊であります。それから言霊が日本人のは非常に円満清朗であるといふのは、是は日本の国に金の徳があるからであります。地の中に金といふものが多い、外国と違うて黄金の精が多い。故に日本人の音声は清いのであります。鳴物でも金が入つて居ると善い音が出ます。金の多いと云ふ事の為に天の金山の鉄を取りてと出て居るのであります。それから伊斯許理度売命に鏡を作らしめるとは、伊斯許理度売命の伊は発音であつて、斯許理といふのは熱中することで、一生懸命に国の為に奔走する神、さういふ神を寄せて言霊の鏡を作らせたのであります。次に、 『珠を作らしめ』 又 『天の香山の真男鹿』 の角を取つて占なはしめることになつた。天の香山といふのは鼻成山と云ふ意義で、神人を生かす山の事であります。此 『天の香山の真男鹿の肩を打抜きに抜きて』 さうして何ういふことをしたらよいか神勅を乞はれたのであります。今の神占は殆どそんなことはありませぬが、昔は鹿の骨を火に焼いて、その割目で吉凶を占うた。実際八百万の神が集まつて、種々雑多なことをして国の為めにどうしたらよいかと考へた。其中には易を見る神もあつたので御座います。易を見て方針を決めたり、其他いろいろに考へ、四方八方から考へて行つた結果、そこで初めて、岩屋戸を開くに就ては祭典をして天神地祇を祭らなくてはいかぬといふことに決つた。先づ、 『真賢木を、根抜に掘て、上枝に八咫の勾珠の、五百津の御統麻琉の玉を取り著け、中枝には、八咫鏡を取りかけ、下枝に、白丹寸手、青丹寸手を取り垂でて』 つまりこれは今日で言ふ神楽であります。伊勢神宮では昔から十二組の大神楽がありますが、これは岩屋戸開きの事をお示しになつて居るのであります。 前にも申上げましたやうに現代の世態を考へますると今日は所謂世界の大神楽を奏しなくてはならぬときであります。あのお神楽のときに出て参りまする翁獅子、あれは既に大きなおそろしい面をした獅子を被つて、刀を口にくはへ毛を下らして居る。この形は何であるか。眼は金、鼻の孔も金、歯も金、而も其口を動かして、本当に恐ろしいやうであるけれど、真中には人が入つて操つて居るばかりか、頭の方こそ立派だが後の方には尾も何もない。だんだらの条のやうなものが入つてゐる布に過ぎない。そこにも人が隠れて居て前の者と調子を合せて操つて居る。これが獅子舞の真相であります。所で今日の世界の外交術は皆この獅子舞であります。表面は非常に大きないはゆる獅子口を開けて、今にも噛みつきさうにして、怖ろしいやうであるが、中に入つて見ると、人が獅子の口を開けて舞うてゐるのである。ちやうど今日は神楽をあげてゐるのである。それから大神楽のときに芸人が鞠を上げたり、下したりする。これは霊の上り下りを示して居るのである。また一尺位の両端に布切れの付いた妙な棒のやうなものを上げたり下したりする。これは世の中の柱が、上のものは下敷となり下のものは上になりて行く、即ち立替をするといふことを示してあるのである。それから盆の上や傘の背に一文銭を転がせて一生懸命きりきり廻して居る。これは何をして居るのであるかといふと、今日の世の中は金融が逼迫して、一文の金も一生懸命に走り廻つてゐる。千円の財産でもつて一万円も二万円もの仕事をしてゐる。だから一朝経済界の変調が起るとポツツリ運転が止つて了ふ。そう云ふ工合に金融が切迫してゐると云ふ事を表してゐる。次に剣の舞をやつて居る。頭を地につけて反り身になつて一生懸命にやつてゐる。これはいはゆる危険な相互傷き倒れると云ふ戦争をして居る意味である。それから茶碗に水をつぎ込み長い細い竹の先にのせて、下から芸人がキリキリ廻して居る。あの通り危い。茶碗が落ちたらポカンと割れる。無論水はこぼれる。所が落ちないのはこのキリキリ廻して居る竹の所が要であるからで、すなはち要を握つて居るからであります。要と云ふものは中心である。いはゆる神であるからして引つくり覆らぬ。又おやまの道中と云ふ事をやりますが神楽が出来て、獅子舞姿でおやまの道中をして居る真似をする。ちやうど今日の世の中の様に男の頭の上に女が上つて居るやうな工合になつて居る。それから獅子の後持といふのがある。さうしておやまの道中には傘をさして妙な獅子舞を致しますが、今日の世の中に於きましても男が下になり女が上になつて之を使つてるのと同じ事でありますが、またこの獅子舞は達磨大師の真似をして見せる。足を下にして大の字になつたり、逆様にひつくり返つたりして見せる。上になつたり下になつたりキリキリ舞をしてゐる。後持が大の字になつて見せたり逆様になつて見せたりする。上のも大の字、中のも大の字、あとのも大の字逆様ぢやと申して一生懸命やつてゐる。一方では大神楽の親父と云ふのがあつて、片方で芸人の真似をしては邪魔をしたり、いらぬ口を叩いたりして、頭をポンと敲かれたり、突かれたりしてお客さまを笑はせる。笑はせる丈ならよいが大変な邪魔をする。この親父は唖や聾の真似をして舞もせずに邪魔をする。今日の世の中にもかう云ふ獅子舞の親父がゐる。元老とか何とか言うて、若い屈強盛りの者が一生懸命に芸当をやつてゐる所へ口嘴を出したり、邪魔をしたりする、時には頭をポンとやられる。さうして一番しまひに弐円なり五円なりの金をせしめる、芸をすませて、親父はアバババと言うて帰つてしまふ。このアバババは言霊から申しますと、総ての物の終り、大船が海上で沈没をした時や、開いた口が閉がらぬ様な困つて失望したとき、どうもこうも出来ぬやうな苦境に陥つてしまつたと云ふ時の表示であります。兎に角、今日の世の中は大神楽を廻して居る時であります。神代の岩戸開きの神楽と、今日の世の神楽とは余程変つて居りますけれども、その大精神に於ては同一であります。 神楽舞の時に囃子が太鼓を打つのは大砲や小銃弾や爆裂弾の響き渡る形容であり笛を吹くのはラツパを吹き立てる形容であり、銅鉢を左右の手に持つてチヤンチヤン鳴らし立てるのは、世界が両方に別れて互に打合ふといふ事の暗示であります。 そこで、 『天の宇受売命、天の香山の天の蘿を、手次に繋けて、天の真析を鬘として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の岩屋戸に空槽伏せて』 いろいろの葉を頭につけたり、葛を襷にかけたりして、岩屋戸の前へ行つて、起きたり逆様になつたり、足拍子を取つてどんどんどんどんやつた。 『踏み動響し、神懸して、胸乳を掻き出で、裳紐を陰上に押し垂れき』 岩屋戸を開く為に、宇受売の命が起きたり、逆様になつたり、一生懸命に神懸りをやつた。神懸りに就いてはここには省略する。これはその人一人の事ではありませぬ。宇受売と云ふのは、女の事を申しますが、俗に男女と言はれる女であつて、男のやうな強い人をオスメまたはオスシと言ひます。これは宇受売から初まつたのである。女は女らしくしなければならないので御座いますけれども、然し乍ら、天の岩屋戸の閉つたと言ふ様な国の大事の際には、女だとて女らしくして居られない場合があります。男も女も神様がなされました様に一生懸命になつて国事に奔走せなければならぬ。総て女と云ふ者は人の心を柔げる所の天職を有つて居ります。今誰も彼も、皆の者が岩戸開きの為に心配をしてゐる。顔をしかめて考へ込んでゐるその際に、宇受売命、すなはち男勝りの女が出て来て、とんだり、跳ねたり、腹匐うたり、面白い事をして見せたり、いはゆる国家的大活動をした為に、 『かれ高天原、動りて八百万の神、共に咲ひき』 一度にどつと笑つた。非常に元気づいて国家の一大難局を談笑快楽の中に治めて了つたのであります。現代に於ても女の方も活動して下されまして岩屋戸の開く様にせなければならぬと存じます。昔もさうでありました。 『ここに、天照大御神、怪しと思ほして、天の岩屋戸を細目に開きて、内より告り給へるは』 岩屋戸に隠れてゐられました大神様は、今私は岩屋戸に隠れて了つた以上は、葦原の中つ国も、天地も共に真闇になつて、さぞ神々は困つてゐるであらう、と思ふに何故か岩屋戸の外で、太鼓を打つ、鐘を叩く、笛を吹く、どんどん足拍子がする、宇受売の命が嬉しさうに噪ぐ、八百万の神たちが一緒になつてどつと笑ひ楽ぶ。余り不思議に思はれて中から仰せになつた。 『吾が隠れますに因りて、天の原自ら闇く、葦原の中津国も皆闇けむと思ふを、何故天宇受売は楽びし、亦八百万の神、諸々笑ふぞ』 何故そんなにをかしいか。すると天宇受売命が、 『汝が命に益りて、貴き神坐すが故に、歓咲ぎ楽ぶと申しき』 何でもその国に大国難が出来たときは皆なの顔色は変るものである。お筆先にも『信仰がないと正勝のときには大方顔色が土のやうになるぞよ』とあります。信仰が出来て神諭の精神が解り神の御心に叶へばやれ来たそれ来たと、勇むで大国難を談笑遊楽の間に処理する事が出来るのである。私は永年間御神諭を拝し、かつ御神意を少し許り了解さして頂いただけでも、心中平素に安く楽しき思ひに充ち、如何なる難事に出会しても左迄難事とも思はず、何事も神の思召と信じて、人力のあらむ限りを安々と尽さして頂いて居ります。凡て事業は大事業だとか、大難事だとか思ふやうでは、回天の神業は勤まらない。三千世界の立替立直しに対しても夫れが完成は浄瑠璃一切り稽古する位により思つて居らないのですから、実に平気の平左で日夜神業に面白く楽しく奉仕して居ります。然う云ふ工合に、総ての神様が信仰の下に、喜び勇んで元気よく活動されたのであります。それで何故、諸々笑ふぞとお尋ねになつた。そこで、あなたに優つた偉い神様がおいでになつたから喜び勇んで居りますと答へられた。 すでにその前に天の児屋根命、これは祭祀のことを掌つた神様、後には中臣となつて国政を料理した藤原家の先祖であります。この神様がその時天神地祇にお供へをしたり、太玉命が太玉串を奉つて神勅を受け、一方占の道によつて、万事万端、ちやんと手筈が整つてあつたので御座います。所へ案の如く天照大御神様は、 『愈奇しと思ほして』 そつと細目に戸をお開けになつた。するとそれがパツと鏡に映つたので、 『天の手力男神、其手を取りて引き出しまつりき』 其間に布刀玉命が注連縄をその後に引き渡して、此処より中にはもうお入り下さいますなと申した。これで天地は照明になつた。この鏡に天照大御神の御姿が映つたとありますのは、つまりは言霊で御座います。八咫の鏡は今は器物にして祀られて天照大御神の御神体でありますが、太古は七十五声の言霊であります。各々に七十五声を揃へて来た。すなはち八百万の誠の神たちがよつて来て言霊を上げたから岩屋戸が開いたのであります。天津神の霊をこめたる言霊によつて再び天上天下が明かになつたのであります。決して鏡に映つたから自分でのこのこ御出ましになつたと言ふやうな訳ではありませぬ。つまり献饌し祝詞を上げて鎮魂帰神の霊法に合致して、一つの大きな言霊と為して天照大御神を、見事言霊にお寄せになつたのであります。それから注連縄、これは七五三と書きます。その通り、この言霊と云ふものは総て七五三の波を打つて行くものであります。さうして注連縄を引き渡してもう一辺岩屋戸が開いた以上は、再び此が閉がらぬやうにと申上げた。 『かれ、天照大御神、出で坐せる時に、高天原も葦原の中津国も自ら照り明りき』 言霊の鏡に天照大御神の御姿が映つて、総ての災禍はなくなり、愈本当のみろくの世に岩屋戸が開いたのであります。そこで岩屋戸開きが立派に終つて、天地照明、万神自ら楽しむやうになつたけれども、今度は岩屋戸を閉めさせた発頭人をどうかしなければならぬ。天は賞罰を明かにすとは此処で御座います。が岩屋戸を閉めたものは三人や五人ではない、殆ど世界全体の神々が閉めるやうにしたのである。で岩屋戸が開いたときに、之を罰しないでは神の法に逆らふのである。併し罪するとすれば総ての者を罪しなければならぬ。総てのものを罰するとすれば、世界は潰れて了ふ。そこで一つの贖罪者を立てねばならぬ。総てのものの発頭人である、贖主である。仏教でも基督教でも斯う云ふので御座いますが、とにかく他の総ての罪ある神は自分等の不善なりし行動を顧みず、勿体なくも大神の珍の御子なる建速須佐之男命御一柱に罪を負はして、鬚を斬り、手足の爪をも抜き取りて根の堅洲国へ追ひ退けたのであります。要するに大本の教は変性男子と変性女子との徳を説くのであります。変性男子の役目と云ふものは総て世の中が治まつたならば余り六ケ敷い用は無い、統治さへ遊ばしたら良いのであります。之に反して変性女子の役はこの世の続く限り罪人の為めに何処までも犠牲になる所の役をせねばならぬので御座います。岩屋戸開きに就てはこれからさきに申し上げますと尚いろいろのことがありますけれども、今日はまづ岩屋戸が開いて結末がついた所まで申上げておきます。 (大正九・一〇・一五講演筆録) (大正一一・三・七旧二・九再録高熊山御入山二十五年記念日松村真澄谷村真友録) (昭和九・一二・九王仁校正) |
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霊界物語 | 14_丑_小鹿峠(弥次彦・与太彦) | 11 河童の屁 | 第一一章河童の屁〔五六一〕 勝公の宣伝使を始め弥次彦、与太彦は六公の後を追跡して漸く二十峠の麓に着いた。 与『サア又之からが危険区域だ、敵の防禦網を突破して善戦善闘、秘術を尽し神軍の威力を示すべき時は迫つた』 勝『アヽさうだ、各自に腹帯をしつかりと締めて、四辺に気をつけ登阪する事としよう。それにしても六公は何処へ磨滅して仕舞つたのだらうか、三人では如何も話し相手のバランスがとれない、仲々の慌て者だからなア』 弥『何でも彼奴、お竹の顔を見るより猫のつるんだ後の様に両方へパツと逃げ散つた。その時の可笑しさ、之は何か込み入つたローマンスが伏在して居るのかも知れないぞ』 与『何、ローマンスなんて、アンナ男にあつて堪るものかい』 弥『さう見絞つたものじや無い、縁は異なもの乙なものだ。今に六公がお竹を連れて「ヤア六サンか、お前は如何して居つたのだ、その袴は何事ぞ、此お召物は」と取り付いて涙片手に掻き口説く、そこで六公の奴「ヤアお竹、如何成り行くも因縁づくぢやと諦めて呉れよ、昨日に変る今日の空、定めなき世の習ひに洩れぬ二人が切ない恋路、アーア、天道様も聞えませぬ」等と何処か途中で悲劇の幕を演じ、ヤツト機嫌をとり直し手に手を把つて二十峠を目蒐けて現はれ来り「天下の色男はマアこの通り、比翼連理を契つた仲、切つても切れぬ二人が恋路」なんて惚けよつて首を其場へヌツと現はすかも知れないぞ、アハヽヽヽ』 与『ウツフヽヽヽ、アーア、馬鹿な事を言ふて呉れない、臍が弛くなつて、足がガブリガブリするワ』 弥『勝彦サン、コンナ足が笑ふ様な奴に構はずに二人仲良く進みませうかい。三人の道中と言ふものは何だか一人空手が出来て、話しもつて歩くのに如何も都合が悪い』 与『ヘン俺を放つといて二人先に行つたら面白からう、丁度四足の旅行だから早く先へ行つて路瑞の草でも噬ぶるか、石地蔵に小便でもかけたが良い哩』 弥『コラ、馬鹿にするない、牛馬か犬の様に草を喰への、小便をひつかけろのと余り馬鹿にするない』 与『ヤア割とは気の小さい奴だナ、コンナ事に腹の立つ様な事で宣伝使のお伴が出来るかい、娑婆幽霊奴い、ツベコベ囀ると又、松の梢から踏み外して腰を抜かさなならないぞ。此処は小鹿峠だが後になれば弥次彦のこしぬかし峠と名がつくだらう。オイ腰抜け先生、御勝手にお越しなさい、もう貴様とは只今限り国交断絶だ、旅券を交付して与るから蒸汽に乗つて早く帰国致せ』 弥『アハヽヽヽ、与太の奴、真面目になりよつて其面ア何だ、まるで夜鷹の様な団栗眼を剥きよつて嘴を鋭らして、あまり見つとも良くないぞ。之から与太を改名して夜鷹と言つたが宜からう、夜鷹と言ふ奴はござをひつかけて暗い辻に立てつて居よる奴だ』 与『アヽそうか(惣嫁)とけつかる哩』 弥『お前と俺との仲は何うやら形勢不穏になつて来かけた、サア勝公の宣伝使の御目の前で平和克復の条約を結ばうかい』 と言ひ乍ら、尻を捲つて、 弥『サアサ屁いはこく吹くだ』 与『アハヽヽヽ、屁と言ふ奴は笑顔の好い奴だな、然し乍ら貴様の屁は、あまり牡丹餅を沢山格納したので瓦斯が猛烈に発生して、異様の臭気紛々として鼻を向くべからずと言ふ臭の臭の醜たるものだ、アハヽヽヽ、臭い臭い、貴様の尻から行くと年が年中雪隠の中で年期奉公をしてる様なものだよ、真実に吾輩も不平満々だ』 弥『俺の屁は臭の臭の秀逸だらう、臭気紛々として恰も麝香の如しだ。臭いのが屁の生命だ、臭うない屁は既に已に屁たるの資格を失つたものだ。河童の屁の様に匂ひのせぬ奴は屁の腐つたのだよ。屁をこくなら生きた屁をこけ、死屁は縁起が悪いぞ』 与『貴様の屁は伊勢参宮の道中屁だ、堅い堅い屁を放るから石部だ、音は大津で後は草津だ、真実に威勢(伊勢)の良い事だ、アハヽヽヽ』 弥『軍学の名人、兵法の達人とは弥次彦の事だよ。今に砲兵工廠でも建設して大砲を製造し盛に砲列を敷いて戦闘準備に着手する考へだよ、アハヽヽヽヽ』 与『オイ弥次屁衛、貴様はこれから兵助、文助、久助と、尊名を奉らう。有難く頂載せい』 弥『ヘイヘイ有難う、確に頂戴仕りませう、マア斯うなれば二人の仲もへな戸の風にへ解き放ち艫解き放ちて大海の原に、大津べに居る大船を押し放つ事の如くへい和の風はソヨソヨと春の海面を撫でて天下泰へい最後屁和こく土成就だ。愈へい和克復の曙光を認めた、へこく(四国)へち十へつか所(八十八ケ所)何んぼ(南無)放いても大師遍照金剛だ、アハヽヽヽ』 与『モシモシ勝彦サン、貴方はよつぽど真面目な人ですな、コンナ可笑しい事が貴方は何ともありませぬか』 勝『お前達は屁でもない様な事が可笑しいのか、水中に放屁した様な下らぬ喧嘩をオツ始めて平和克復もあつたものか、人を屁煙に捲いて、吾等は聊か閉口頓首の至りだ』 弥『この与太公は屁放り腰の屁古垂男だから、もちつと向ふへ行つたら屹度屁古垂れますぜ、アハヽヽヽ』 与『お前は膝栗毛の弥次郎兵衛と云ふ屁こき爺だ。あまり調子に乗ると社会の弊害になるから良い加減に筒口を閉門した方が宜からうぞ、アハヽヽヽ』 勝『まるで鼬や馬や屁こぎぶんぶと道連れの様だワイ、オツホヽヽヽ』 弥『ヨーヨー何時の間にか話につられて頂上へやつて来ました。矢つ張り此処にも平坦な道が開平されてあるですな。遠く彼方を見渡せば目も届かぬ許りの之も大平原、矢つ張り天下太平の世の中だワイ、アハヽヽヽ』 勝、与『ウツホヽヽヽ』 弥『何だか、チツと腹が変になつて来ました、一寸そこ迄失礼いたします、ここらに屁太張つて待つてゐて下さいませ、ヘイ御免なさいませよ』 とチヨコチヨコ走り、樹の繁みに姿を隠した。 与『ハツハヽヽヽ、何処かに芋を植ゑに行きよつたな、太い奴を、アハヽヽヽ。アーア胸が悪くなつた、折角喰つた牡丹餅もどうやら嘔吐り相になつて来た哩』 一方の森林の中よりウンウンと言ふ呻り声、弥次彦の隠れた方にも亦もやウンウンといふ呻り声が聞えて居る。 与『ヤア此奴は堪まらぬ、右と左より、敵に挟撃されてる様なものだ、オイオイ、ウンウン吐かす奴は何処の糞奴だい』 忽ちガサガサと現はれて来た一人の男がある、見れば何だか見覚えのある顔だ。 与『ヤア六公の奴、何をしてゐたのだい』 六『何…………、一寸…………ホンノ…………僅かなものだよ…………、俄に陣痛が来たので産婆は居らぬけれど一人でトツクリお産をやつてゐたのだ』 与『フンさうかい、彼方にも此方にも子を生みよつて吾々は糞攻めに遭ふて、実に糞慨の至りだ。オイ弥次兵衛、よい加減に出て来ないか、汽笛が鳴つたぞ、発車時間に乗り遅れても知らぬぞよ』 弥『八釜しう言ふな、今発射の最中だ。貴様も其処でお山の大将俺一人と言ふ調子でハシヤイで居れ、糞八釜しい』 与『オイ六公、貴様ア一体、お竹の顔を見て、血相を変へて逃げ出したのは、あらア何だ』 六『ヤア何卒それ丈けは聞いて呉れな、後生だから』 与『ご生でも六升でも構はぬ、吾等一同(一斗)の者に一石(一刻)も早く事情逐一申し上げぬかい』 六『ヤアお竹の事思へば一石どころか万斛の涙が零れる哩、それはそれは歯の浮く様なローマンスがあるのだ、アーア』 与『アーアとは何だい』 六『アーアは矢つ張りアーアだ』 弥次彦はガサリガサリと笹原を踏み分けて現はれ来り、 弥『御一同様、お待たせ申しました。ヨウ六公、其処に居るのか、能うマア鼠にも引かれずに無事で此処まで来て呉れた、偉い偉い、ヤレヤレ二十峠の頂上で愈四魂が揃ふた、サア之からは原(腹)の下り阪ぢや、鵯の谷渡りぢや、ピーピーだ、全隊進め、オ一、二、三、四』 四人は急阪を飛ぶが如くに自然的に足に任せて速度を加へ雪崩の如く下つて行き、漸く麓に着いた。 弥『サア、上る身魂と下る身魂で世界は一旦騒がしくなるぞよ、後は結構な神世となるぞよ、松のミロ九の世が参るぞよ、改心致して下されよ、改心ほど結構は無いぞよ、改心すればその日から屁をこいた様に腹の中までスツと致して気楽に暮らされる様になるぞよ、この世の鬼を往生さして世界の人民に安心をさせるぞよ』 与『そら、何を言ふのだい、勿体無いぞ』 弥『三五教のお筆先だ、貴様等のホヤホヤ信者に分つて堪まらうかい』 与『屁をこいた様に腹が空いて楽になるぞよなぞと、ソンナ事を神様が仰有るものかい、大方貴様の入れ事だらう』 勝、六『アハヽヽヽヽヽ』 傍の丈なす雑草の中より覆面の男十七八人、ムクムクと現はれ手槍を扱き乍ら、 男『ヨー其方は三五教の宣伝使の一行、吾こそはウラル教の大目付役、鷲掴源五郎の身内に於て三羽烏と聞えたる烏勘三郎だ。サア斯うなる上はジタバタ藻がいてもモウ駄目だ、神妙に手を廻せ』 弥『ハヽヽヽ、吐くな吐くな、抑も天教山に現はれ給ふ野立彦の大神、木花姫命、まつた黄金山に現はれ給ふ埴安彦、埴安姫、コーカス山に時めき給ふ須佐之男命の御名代日の出別命の御家来の弥次彦とは俺の事だ、吾名を聞いて胆を潰すなウフヽヽヽ』 勘『ワツハツハヽヽヽ、この場に及んで切端つまり、コケ嚇しの豪傑笑ひ、今に吼え面かわかして見せう、ヤア者共、彼奴等四人に一度にかかれ』 勝『ワツハヽヽヽ、洒落な洒落な、今に三五教の宣伝使が、目に物見せて呉れむ』 と言ふより早く両手を組み食指の先より五色の霊光を発射し、勘三郎初め一同の捕手に対つて速射砲的に霊弾をさし向けたれば、勘三郎始め一同は俄に頭痛み、胸裂くる許りウンウンと苦悶を始め柄物を大地に投げ捨て七転八倒、息も絶えむ許りの光景となりぬ。 勝『アハヽヽヽ、脆いものだワイ、一つ宣伝歌を歌つて一同の奴等を帰順させ、コーカス山に伴ひ行きて吾手柄を表はし呉れむ。ヤアヤア、弥次彦、与太彦、六公、宣伝歌を吾と共に声高々と歌ふのだぞ』 勝彦外一同声を揃へて 一同『神が表に現はれて善と悪とを立別ける 此世を造りし神直日心も広き大直日 只何事も人の世は直日に見直せ聞き直せ 身の過ちは詔り直せ身の過ちは詔り直せ』 と歌ひ終つた。勘三郎始め一同はこの言霊の神徳に救はれて、さしも厳しき霊縛は解かれ涙声を絞り乍ら茲に一同帰順の意を表し神恩を感謝するに至りたり。 (大正一一・三・二四旧二・二六北村隆光録) |
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霊界物語 | 15_寅_顕恩郷/スサノオの経綸/高姫登場 | 11 大蛇退治の段 | 第一一章大蛇退治の段〔五七八〕 『故、退はれて、出雲の国の肥河上なる鳥髪の地に降りましき』(古事記の大蛇退治の段) 出雲国は何処諸の国と云ふ意義で、地球上一切の国土である。肥河上は、万世一系の皇統を保ちて、幽顕一致、神徳無窮にして皇朝の光り晴れ渡り、弘り、極まり、気形透明にして天体地体を霊的に保有し、支障なく神人充満し、以て協心戮力し、完全無欠の神政を樹立する至聖至厳至美至清の日本国といふ事なり。 鳥髪の地とは、十の神の顕現地と云ふ事にして、厳の御魂、瑞の御魂が経と緯との神業に従事し、天地を修斎し玉ふ神聖の経綸地といふことなり。要するに世界を大改良せむ為めに素盞嗚尊は普く天下を経歴し、終に地質学上の中心なる日本国の地の高天原なる至聖地に降臨し玉ひたるなり。明治三十一年の秋八月に、瑞の御魂の神代として高座山より神退ひに退はれて綾部の聖地に降りたるは、即ち素盞嗚尊が、一人の選まれたる神主に憑依し給ひて、神世開祖の出現地に参上りて神の経綸地たることを感知されたるも同様の意味なり。古事記の予言は古今一貫、毫末も変異なく、且つ謬りなき事を実証し得るなり。 『此時しも箸其の河より流れ下りき』 ハシの霊返しはヒなり。ヒは大慈大悲の極みなり。ハシの霊返しのヒなるもの、ヒノカハカミより流れ来たると云ふ明文は実に深遠なる意義の包含されあるものなり。又箸は凡てを一方に渡す活用あるものにして、川に架する橋も、食物を口内へ渡す箸もハシの意味に於ては同一なり。悪を去り善に遷らしむる神の教のハシなり。暗黒社会をして光明社会に改善せしむる神教もハシなり。故に御神諭にも、綾部の大本は世界の大橋であるから、此大橋を渡らねば、何も分りは致さむぞよ云々とあるも、改過遷善、立替立直しの神教の意味なり。その箸は肥の河より流れ下りきとは、斯る立派な蒼生救済の神教も、邪神の為に情無くも流し捨てられ、日に日に神威を降しゆく事の意味なり。是を大本の出来事に徴して見るに、去る明治三十一年に瑞の御魂の神代として十神の聖地に降りたる神柱を、某教会や信者が中を遮り、以て厳の御魂、瑞の御魂の合致的神業を妨害し、瑞霊の神代を追返し、彼等の徒党が教祖を看板として至厳至重なる神教を潜め隠し、某教会を開設したる如き状態を指して『ハシ其の河より流れ下りき』といふなり。 『於是須佐之男命其の河上に人有りけりとおもほして尋ね上りて往まししかば老夫と老女と二人在りて童女を中に置きて泣くなり』 茲に顕幽両界の救世主たる須佐之男命は、肥の河上なる日本国の中心、地の高天原に神人現はれ、世界経綸の本源地有りと御考へになり尋ねて御上りありしが、変性男子の身魂現はれて、国家の騒乱状態を治めむと血涙を吐き乍ら昼夜の区別なく、世人を教戒しつつありしなり。二人といふ事は、艮の金神様の男子の御魂と、教祖出口直子刀自の女子の身魂とが一つに合体して神業に従事し玉へると同じ意義なり。ヒトとは霊の帰宿する意義で人の肉体に宇宙の神霊憑宿して天地の経綸を遂行し玉ふ、神の生宮の意なり。老夫と老女と二人とあるは女姿男霊の神人、出口教祖の如き神人を意味するなり。 『童女を中に置きて泣なり』とはオトメは男と女の意味にして、世界中の老若男女を云ふ。又老と若ともなり、現在の世界の人民を称して老若男女と云ふ。霊界にては国常立大神、顕界にては神世開祖出口直子刀自の老夫と老女とが、世界の人民の身魂の、日に月に邪神の為に汚され亡ぼされむとするを見るに忍びず、手を尽して足を運びて救助せむと艱難辛苦を嘗めさせられ、天地の中に立ちて号泣し給ふことを、童女を中に置きて泣くなりと云ふなり。 亦神の御眼より御覧ある時は世界の凡ての人間は、神の童子なり女子なり。故に世界の人民は皆神の童女なる故、人民の親がその生みし子を思ふ如くに、神は人民の為に昼夜血を吐く思ひを致して心配を致して居るぞよ、と御神諭に示させ給へる所以なり。亦オトメの言霊を略解する時は、 オは親の位であり、親子一如にして、大地球を包む活用であり。 トは十全治平にして、終始一貫の活用であり。 メは世を透見し、内に勢力を蓄へて外面に露はさざる意義なり。 之を約むる時は、日本固有の日本魂の本能にして、花も実もある神人の意なり。 『汝等は誰ぞと問ひ賜へば、其の老夫僕は国津神大山津見神の子なり、僕が名は足名椎、妻が名は手名椎、女が名は櫛名田比売と謂すと答す』 明治三十一年の秋瑞の御魂の神代に須佐之男神神懸したまひて綾部の地の高天原に降りまし、老夫と老女の合体神なる出口教祖に対面して汝等は誰ぞと問ひたまひし時に、厳の御魂の神代なる教祖の口を藉りて僕は国津神の中心神にして大山住の神也。神の中の神にして天津神の足名椎となり手名椎となりて、天の下のオトメを平かに安らかに守り助けむとして、七年の昔より肥の河上に御禊の神事を仕へ奉れり。又この肉体の女の名は櫛名田姫と申し、本守護神は禁闕要の大神なりと謂し玉ひしは、以上の御本文の実現なり。クシナダの クシは神智赫々として万事に抜目なく一切の盤根錯節を料理し、快刀乱麻を断つの意義なり。 ナは、万物を兼ね統べ、能く行届きたる思ひ兼の神の活用なり。 ダは、麻柱の極府にして大造化の器であり、対偶力であり、主従師弟夫妻等の縁を結ぶ神なり。 要するに、櫛名田姫の守護厚き天壌無窮の神国、大日本国土の国魂神にして、神諭の所謂大地の金神なり。 『亦、汝の哭由は何ぞと問ひたまへば、吾が女は八稚女在りき。是に高志の八岐遠呂智なも、年毎に来て喫ふなる。今その来ぬべき時なるが故に泣くと答白す』 以上の御本文を言霊学の上より解約すると、吾が守護する大地球上に生息する、息女即ち男子や女子は、八男と女と云つて、種々の沢山な神の御子たる人種民族が有るが、年と共に人民の霊性は、鬼蛇の精神に悪化し来り至粋至醇の神の分霊を喫ひ破られて了つた。高志の八岐の遠呂智と云ふ悪神の口や舌の剣に懸つて歳月と共に天を畏れず地の恩恵を忘れ、不正無業の行動を為すものばかり、人民の八分迄は、皆悪神の容器に為れて、身体も霊魂も、酔生夢死体主霊従に落下し、猶も変じて八岐の遠呂智の尾となり盲従を続けて、天下の騒乱、国家の滅亡を来しつつ、最後に残る神国の人民の身魂までも、喫ひ破り亡ぼさむとする時機が迫つて来たので如何にしてか此の世界の惨状を救ひ助け、天津大神に申上げむと、心を千々に砕き天下国家の前途を思ひはかりて、泣き悲しむなりと答へ玉うたと曰ふことなり。 高志といふ意義は、遠き海を越した遠方の国であつて、日本からいへば支那や欧米各国のことなり。海外より種々雑多の悪思想が渡来する。手を替へ品を替へて、宗教なり、政治なり、教育なりが盛んに各時代を通じて、侵入して来り敬神尊皇報国の至誠を惟神的に具有する、日本魂を混乱し、滅絶せしめつつある状態を称して、高志の八岐の遠呂智の喫ふなると云ふなり。亦外国の天地は、数千年来此悪神の計画に誑らかされて、上下無限の混乱を来し、国家を亡ぼし来たりしが、彼今猶其計画を盛んに続行しつつ、遂に日本神国の土地まで侵入し、天津神の直裔なる日本オトメの身魂まで、全部喫ひ殺さむとする、それが最近に迫つて居る、只一つ神国固有の日本魂なるオトメが後に遺つた許りである。之を悪神の大邪霊に滅ぼされては、折角天祖国祖の開き玉へる大地球を救ふ事は出来ない。どうかして之を助けたいと思つて艱難辛苦を嘗めて居るのである。実に泣くにも泣かれぬ、天下の状態であると云つて、之を根本的に救ふ事は出来ない。どうして良いかと途方に暮れ、天地に向つて号泣して居りますとの、変性男子の身魂の御答へなりしなり。 『其の形は如何さまにかと問ひたまへば、彼が目は赤加賀知なして、身一つに頭八つ尾八つあり。亦其の身に苔、及び桧、すぎ生ひ、其の長さ渓八谷、峡八尾を渡りて、其の腹を見れば、悉に常血爛れたりと答白す。(此に赤加賀知といへるは、今のほほづきなり)』 そこで其形は如何さまにかと、問ひたまへばと云ふ意義は、八岐の遠呂智なす悪思想の影響は如何なる状態に形はれ居るやとの須佐之男命の御尋ねなり。 そこで変性男子の身魂なる老夫と老女は、彼悪神の経綸の事実上に顕現したる大眼目は、赤加賀知なして身一つに、頭八つ尾八つありと云つて、悪神の本体は一つであるが、その真意を汲んで、世界覆滅の陰謀に参加して居るものは、八人の頭株であつて、此の八つの頭株は、全地球の何処にも大々的に計画を進めてをるのである。政治に、経済に、教育に、宗教に、実業に、思想上に、其他の社会的事業に対して陰密の間に、一切の破壊を企てて居るのである。就ては、尾の位地にある、悪神の無数の配下等が、各方面に盲動して知らず識らずに、一人の頭目と、八つの頭の世界的大陰謀に参加し、終には既往五年に亘つた世界の大戦争などを惹起せしめ、清露其他の主権者を亡ぼし、労働者を煽動して、所在世界の各方面に、大惑乱を起しつつあるのである。赤加賀知とは砲煙弾雨、血河死山の惨状や、赤化運動の実現である。実に現代は八岐の大蛇が、いよいよ赤加賀知の大眼玉をムキ出した所であり、既に世界中の七オトメを喫ひ殺し、今や最後に肥の河なる、日本までも現界幽界一時に喫はむとしつつある処である。要するに八つ頭とは、英とか、米とか、露とか、仏とか、独とか、伊とかの強国に潜伏せる、現代的大勢力の有る、巨魁の意味であり、八つ尾とは、頭に盲従せる数多の部下の意である。頭も尾も寸断せなくては成らぬ時機となりつつあるなり。 『亦其身に苔及び桧すぎ生ひ、其長さ、渓八谷、峡八尾を渡りて其の腹を見れば、悉に常も血爛れりと答白す』といふ意味は地球上の各国は皆この悪神蛇神の為に、山の奥も水の末も暴され、不穏の状態に陥り、終には尼港事件の如く、暉春事件の如く、染血虐殺の憂目に人類が遇つて、苦悶して居ることの形容である。また苔と云ふ事は、世界各国の下層民の事であり桧と云ふ事は上流社会の人民であり、すぎと云ふ事は国家の中堅たる中流社会である。要するに上中下の三流の人民が常に不安の念に駆られて居る事であつて、実に六親眷属相争ひ、郷閭相鬩ぎ戦ふ、悲惨なる世界の現状を明答されたといふ事である。御神諭に、『今の人民は外国の、悪神の頭と眷属とに、神から貰うた結構な肉体と御魂を自由自在に汚されて了うて、畜生餓鬼の性来になりて居るから、欲に掛けたら、親とでも兄弟とでも、公事を致すやうな悪魔の世になりて居るが、是では世は続いては行かぬから、天からは御三体の大神様がお降り遊ばすなり、地からは、国常立尊が変性男子と現はれて、新つの世に立替立直して、松の五六七の世に致して、世界の人民を歓ばし、万劫末代勇んで暮す神国の世に替へて了はねばならぬから、艮の金神は、三千年の間長い経綸を致して、時節を待ちて居りたぞよ。八つ尾八つ頭の守護神を、今度はさつぱり往生いたさすぞよ』云々と明示されてあるのも、要はこの御本文の大精神に合致して居る一大事実である。 『爾、速須佐之男命、其の老夫に是汝の女ならば、吾に奉らむやと詔たまふに、恐けれど御名を覚らずと答白せば、吾は天照大御神の同母男なり。故今天より降り坐つと答へたまひき。爾に足名椎、手名椎、然坐さば恐し立奉らむと白しき』 右御本文の老夫にとあるは艮の金神国常立尊神霊に対しての御言である。また足名椎手名椎神と並び称せるは、肉体は出口直子であつて手名椎の神であり霊魂は国常立尊の足名椎の意である。 茲に天より降り給へる須佐之男命は、老夫なる国常立尊の神霊に対し玉ひて、是は汝の守護し愛育する所の、至粋至醇の神の御子たる優しき人民であるなれば、吾に是の女の如き可憐なる万民の救済を一任せずやと、御尋ねになつた事である。そこで国常立尊は実に恐縮の至りではありますが、貴方は如何なる地位と、御職掌の在す神で居らせらるるや。御地位と御職名とを覚らない以上は御一任する事は出来ませぬと白し給ひければ、大神は至極尤もなる御尋ねである。然らば吾が名を申し上げむ、吾は天津高御座に鎮まり坐ます、掛巻も畏き天照大御神の同母弟であつて、大海原を知食すべき職掌である。されば今世界の目下の惨状を黙視するに忍びず、万類救護の為に、地上に降り来たのである。故に国津神たる汝の治むる万類万民を救はむが為に、吾に其の職掌を一任されよ然らば汝と共に八岐の大蛇の害を除いて天下を安国と平けく進め開かむと仰せになつたのである。茲に変性男子の身魂は、大変に畏み歓び玉うて、左様に至尊の神様に坐ますならば吾女なる可憐なる人民を貴神に御預け申すと、仰せられたのである。是は去る明治三十一年の秋に変性男子と変性女子との身魂が二柱揃うて神懸りがあつた時の御言であつて、実に重大なる意義が含まれて在るのである。然し乍ら是は神と神との問答でありまして、人間の肉体上に関する問題ではないから、読者に誤解の無いやうに御注意願つておく次第である。 『爾速須佐之男命、乃ち、其の童女を湯津爪櫛に取成して、御角髪に刺して、其の足名椎、手名椎神に告りたまはく、汝等、八塩折の酒を醸み、且、垣を造り迴し、その垣に八つの門を造り、門毎に八つの棧敷を結ひ、その棧敷毎に酒船を置きて船毎にその八塩折の酒を盛りて、待ちてよと、のりたまひき』 湯津爪櫛の言霊を略解すれば、 ユは、天地、神人、顕幽、上下一切を真釣合せ、国家を安寧に、民心を正直に立直す大努力の意であり、 ツは、日の大神の御稜威を信じ、大金剛の至誠心を振り起し、言心行一致の貫徹を期し、以て神霊の極力を発揮するの意である。 ツは、生成化育の大本合致し、大決断力を発揮し、実相真如の神民たりとの意である。 マは、人種中の第一位たる資格を保ち、胸中常に明かにして無為円満なる意である。 グは、暗愚を去つて賢明に帰し、万事神助を得て意の如く物事成功するの意である。 シは、信仰堅く、敬神尊皇報国の忠良なる臣民の基台なりとの意である。 以上の六言霊を総合する時は、霊主体従の真の日本魂を発揮せる神の御子と立直し玉ふ、神の経綸を進むると謂ふことである。 御角髪の言霊を略解すれば、 ミは、形体具足成就して、日本神国の神民たる位を各自に顕はし定めて真実を極め、以て瑞の御魂に合一する意である。 ミは、⦿の御威徳を明かに覚知し、惟神の大道を遵奉し実行し、以て玲瓏たる玉の如き身魂と成るの意である。 ツは、神の分身分霊として天壌無窮に真の生命を保全し、肉体としては君国を守り、霊体としては神と人民とを助け守るの意である。 ラは、言心行の三事完全に実現し、本末一貫、霊主体従の臣民と成りて、自由自在に本能を発揮するの意である。 以上の四言霊を総合する時は、愈日本魂の実言実行者となりて、其の霊魂は神の御列に加はるべき真の御子と成りたる意である。 要するに、瑞の霊魂なる速須佐之男命は、二霊一体なる神政開祖の神人より、男と女の守護と化育とを一任され一大金剛力を発揮して、本来の日本魂に立替へ立直し、更に進んで其の実行者とし賜ふた事を『其のオトメをユツツマグシに取成して御角髪に刺して』と言ふのである。 斯の如く、天下の万民の身魂の改良を遊ばして、足名椎、手名椎の御魂に御渡しになるに就ては、相当の歳月を要したのである。或は神徳を以てし、或は物質力を以てし、或は自然力を以てし、或は教戒を以てし、慈愛を以てし、種々の御苦辛を嘗めさせ玉ふ其神恩を忘れては成らぬのである。そこで速須佐之男命は、足名椎手名椎なる変性男子の霊魂に対つて告り給ふた御言葉は左の通りである。幸ひ残れるオトメは斯の如く、湯津爪櫛に取成し、御角髪に刺て立派に日本魂を造り上げたと云ふ事は、全く天津神の御霊徳と、吾御魂の活動と、汝命の至誠の賜であるから、第一に天地八百万の神に、精選した立派な美味なる、所謂八塩折の神酒を醸造し、且つ汚穢を防ぐ為に清らかな瑞垣を四方に作り廻して、其の垣毎に祭壇を設け(八つ門)て、祭壇毎に祝詞座を拵へ、酒を甕の戸高知り甕の腹満て並べて神々に報恩謝徳の本義を尽すべく、詔りたまふたのである。凡て酒と云ふものは、大神に献る時は、第一に御神慮を和げ勇ませ歓ばせ奉る結構な供へ物であるが、体主霊従的の人間が之を飲むと決して碌な事は出来ないのである。同じ種類の酒でも、人間は御魂相応に、種々の反応を来すものであつて、悪霊の憑つた人間が呑めば直ちに言語や、動作や精神が悪の性来を現はし、且つ酔ひ且つ狂ひ乱れ暴れるものである。或は泣くもの、笑ふもの、怒るもの、妙な処へ行きたくなるものなぞ、種々雑多に変化して、身魂の本性は現はし、吐たり倒れたり苦しみ悶えたりするものである。常に至誠至実の人にして、心魂の下津岩根に安定したものは、仮令酒を常に得呑まぬ人でも、少々位時に臨んで戴いた所が、決して前後不覚になつたり、倒れたり苦しんだり、動作や言舌や精神の変乱するもので無く、心中益々壮快を覚え、笑み栄え勇気を増し、神智を発揮するものである。故に酒は神様に献る所の清浄なる美酒と雖も、心の醜悪なるものが呑む時は、忽ち身魂を毒し弱らしむるものである。同じ酒を甲は一合呑んで酔ひ潰れて了ふかと思へば、乙は一升呑んでも酔はず、丙は三升位呑まなくては少しも酔うた如うな心持がしないと、云ふ区別の附くのは、乃ち身魂の性質に依りて反応に差異ある事の証である。甲は呑んで笑ひ、乙は怒り、丙は泣くと云ふ如うに、同じ味のある同じ種類の酒でも、区別の附くと云ふのは、実に不思議なもので、是はどうしても身と魂との性来関係に依るものである。 『故、告りたまへる随にして、如此設け備へて待つ時に、其の八岐大蛇、信に言ひしが如来つ。乃ち、船毎に、己々頭を垂入て、その酒を飲みき、於是、飲み酔ひてみな伏寝たり。爾ち速須佐之男命、その御佩せる十拳剣を抜きて、その大蛇を切散りたまひしかば肥の河、血に変りて流れき』 そこで変性男子の身魂は命の随々芳醇なる神酒を造りて、天地の神明を招待し、以て歓喜を表し賜ひ、神恩を感謝し給うたのである。八岐の大蛇の霊に憑依された数多の悪神の頭目や眷族共が大神酒を飲んで了つた。丁度今日の世の中の人間は、酒の為に腸までも腐らせ、血液の循環を悪くし、頭は重くなり、フラフラとして行歩も自由ならぬ、地上に転倒して前後も弁知せず、醜婦に戯れ家を破り、知識を曇らせ、不治の病を起して悶え苦しんで居るのは、所謂「飲み酔ひて皆伏寝たり」と云ふことである。爾に於て瑞の御霊の大神は、世界人民の不行跡を見るに忍びず、神軍を起して、此の悪鬼蛇神の憑依せる、身魂を切り散らし、亡ぼし給うたのである。十拳剣を抜きてと云ふ事は遠津神の勅定を奉戴して破邪顕正の本能を発揮し給うたと云ふことである。そこで肥の河なる世界の祖国日の本の上下一般の人民は、心から改心をして、血の如き赤き真心となり、同じ血族の如く世界と共に、永遠無窮に平和に安穏に天下が治まつたと云ふ事を「肥の河血に変りて流れき」と云ふのである。流れると云ふ意義は幾万世に伝はる事である。古事記の序文に、後葉に流へんと欲すとあるも、同義である。 『故其の中の尾を切りたまふ時、御刀の刄毀けき。怪しと思ほして、御刀の端もて刺割きて見そなはししかば、都牟刈之太刀あり。故此太刀を取らして、怪異しき物ぞと思ほして天照大御神に白し上げたまひき。是は草薙太刀なり』 中の尾と云ふ事は、葦原の中津国の下層社会の臣民の事である。其臣民を裁断して、身魂を精細に解剖点検し玉ふ時に、実に立派な金剛力の神人を認められた状態を称して、御刀の刄毀けきと云ふのである。アヽ実に予想外の立派な救世主の身魂が、大蛇の中の尾なる社会の下層に隠れ居るわい。是は一つの掘り出しものだと謂つて、感激されたことを、怪しと思ほしてと云ふのである。御刀の端もてと云ふ事は、天祖の御遺訓の光に照し見てと云ふ事である。 『刺割きて見そなはししかば都牟刈之太刀あり』と云ふことは今迄の点検調査の方針を一変し、側面より仔細に御審査になると、四魂五情の活用全き大真人が、中の尾なる下層社会の一隅に、潜みつつあつたのを初めて発見されたと云ふことである。都牟刈之太刀とは言霊学上より解すれば三千世界の大救世主にして、伊都能売の身魂と云ふ事である。故、此太刀なる大救世主の霊魂を取り立て、異数の真人なりと驚歎され、直ちに天照大御神様、及びその表現神に大切なる御神器として、奉献されたのである。凡ての青人草を神風の吹きて靡かす如く、徳を以て万民を悦服せしむる一大真人、日本国の柱石にして世界治平の基たるべき、神器的真人を称して、草薙剣と云ふのである。八岐大蛇の暴狂ひて万民の身魂を絶滅せしめつつある今日、一日も早く草薙神剣の活用ある、真徳の大真人の出現せむことを、希望する次第である。 また草薙剣とは、我日本全国の別名である。この神国を背負つて立つ処の真人は、即ち草薙神剣の霊魂の活用者である。 (大正九・一・一六講演筆録谷村真友) |