🏠 トップページへ

📖 キーワード検索

番号
(No.)
書籍 内容
121

(1695)
霊界物語 17_辰_丹波物語2 丹波村/鬼ケ城山 07 枯尾花 第七章枯尾花〔六一八〕 味方の人数も大江山魔窟ケ原に穿ちたる 岩窟の中に黒姫は五十路の坂を越え乍ら 歯さへ落ちたる秋の野の梢淋しき返り咲き 此世にアキの霜の髪コテコテ塗つた黒漆 俄作りの夕鴉カワイカワイと皺枯れた 声張り上げてウラナイの道を伝ふる空元気 天狗の鼻の高山彦を三世の夫と定めてゆ 流石女の恥かしげに顔に紅葉を散らしつつ 黒地に白粉ペツタリと生地を秘した曲津面 口喧しき燕や朝な夕なにチユウチユウと 雀百まで牡鳥を忘れかねてか婿欲しと あこがれ居たる片相手星を頂月を踏み 日にち毎日山坂を駆け廻りつつ通ひ来る 男の数は限りなく蓼喰ふ虫も好き好きと 酷い婆アの皺面に惚けて出て来る浅間しさ 広い様でも狭いは世間色は真黒黒姫の 心に叶うた高山彦のタカか鳶か知らね共 烏の婿と選まれて怪しき名に負ふ大江山 魔窟ケ原の穴覗き奥へ奥へと進み入る 一コク二コクと迫り来る三国一の花婿を 取つた祝ひの黒姫が嬉しき便りを菊若や 心頑固な岩高や人の爺を寅若の 情容赦も夏彦や富彦、常彦諸共に 飲めよ騒げの大酒宴岩屋の中は蜂の巣の 一度に破れし如くなり。 黒姫は皺苦茶だらけの垢黒い顔に、白い物をコテコテに塗り、鉄倉の上塗みた様な、真白な厚化粧、白髪は烏の濡羽色に染め、梅の花を散らした派手な襠衣を羽織り、三国一の婿の来るを、今や遅しと、太い短い首筋を細長く延ばして、蜥蜴が天井を覗いた様なスタイルで、入口の岩窟を覗き込み、年の寄つた嗄れ声に色を附け、ワザと音曲に慣れた若い声を出し、 黒姫『コレコレ夏彦、常彦、まだお客さまは見えぬかな。お前は御苦労だが、一寸そこまで迎へに往つて来て下さらぬか。由良の湊までは、フサの国から、天の鳥船に乗つてお越しなのだから、轟々と音が聞えたら、それが高山彦さまの一行だ。空に気をつけ足許にも気を付けて往て来て下さい』 夏彦『ハイハイ承知致しました。遠方の事とは云ひ乍ら、随分暇の要る事ですなア。サア常彦、お迎へに行つて来うぢやないか』 常彦『黒姫さま、今日はお芽出度う。ソンナラ往て来ませうか』 黒姫『何ぢや常彦、改まつて、お芽出度うもあつたものか。あまり年寄りが婿を貰うと思うて冷やかすものぢやない。サアサアトツトと往て来なさい』 常彦『ソンナラ、何と言つて挨拶をしたら好いのですか。今日は芽出たいのぢやありませぬか』 黒姫『芽出たいと云へば芽出たいのぢやが、ナニもう妾は、五十の坂を越えて、誰が好みて婿を貰うたりするものか。これと云ふのも、神様の教を拡げる為に、此黒姫の体を犠牲にして、天下国家の為に尽すのだよ。お芽出たうと云ふ代りに御苦労様と言ひなされ』 常彦『これはこれは五苦労の四苦労、真黒々助の黒姫様、十苦労さまで御座います』 黒姫『エーエーお前は此黒姫を馬鹿にするのかい。十苦労と云ふ事があるものか。あまりヒヨトくりなさるな』 常彦『イエ滅相な、あなたも天下の為に犠牲に御成りなさるのは五苦労さまぢや。又此常彦が三国一の婿さまを、斯う日の暮になつてから、細い山路を迎ひに行くのも、ヤツパリ五苦労さまぢや。お前さまの五苦労と私の五苦労と、日韓併合して十苦労様と云うたのですよ。アハヽヽヽ』 夏彦『常彦、行かうかい』 と、岩穴をニユツと覗き、 夏彦『ヤア占た占た、モウ行かいでも可い』 常彦『行かでも良いとは、ソラ何だい、高山彦さまが見えたのかい』 夏彦『きまつた事だ。モシモシ黒姫さま、お喜びなさいませ。偉い勢で沢山な家来を伴れて見えましたよ』 黒姫『それはそれは御苦労な事ぢや。どうぞ穴の口まで迎ひに行て下され。あまり這入り口が小さいので、行過されてはお困りだからなア』 夏彦は肩から上をニユツと出し、高山彦の一行の近付き来るを待ち居たる。 高山彦『此処は黒姫の住家と聞えたる魔窟ケ原ぢやないか。モウ誰か迎ひに来て居さうなものだに、何をして居るのだらうな』 虎若『ヤア御大将様、此魔窟ケ原は随分広い所と聞きました。何れ先方から遣つて来られませうが、何分予定とは早く着いたものですから、先方も如才なく準備はやつて居られませうが、つい遅くなつたのでせう。御馳走一つ拵へるにも斯う云ふ不便な土地、何事も三五教ぢやないが、見直し聞直し、御機嫌を直してモウ一息お進み下さいませ』 高山彦『それはさうだが、如何に黒姫、部下が無いと云つても、二十人や三十人は有りさうなものだ。三人や五人迎ひに来したつて良いぢやないか。縁談は飯炊く間にも冷ると云ふ事が有る。あまり寒いので、冷たのぢやあるまいか、ナア虎若』 虎若『トラ、ワカりませぬ。何分此通り、あちらにも此方にも雪が溜つて居りますから随分冷る事でせう。私も何だか体が寒くなつて来た。フサの国を出た時は随分暖かであつたが、空中を航行した時の寒さ、それに又此自転倒島へ着いてからの寒さと云つたら、骨身に徹えますワ』 高山彦は苦虫を喰つた様な不機嫌な顔をし乍ら、爪先上りの雪路を進み来る。雪の一面に積つた地の中から、夏彦は首丈を出して、 夏彦『コレハコレハ高山彦のお出で、サアサアお這入り下さいませ。黒姫さまが大変にお待兼で御座います。あなたも遥々と国家の為に犠牲になつて下さいまして有難う御座います』 虎若『ヤア何だ、コンナ所に首が一つ落ちて、物言つて居やがる。……ハヽア此奴ア、大江山の化州だな……オイ化州、這入れと言つても、蚯蚓ぢやあるまいし、何処から這入るのぢやい。入口が無いぢやないか。貴様の体は如何したのぢや。松露か何ぞの様に頭ばつかりで活てる筈もあるまいし、怪体な代物ぢやなア』 夏彦『黒姫さまは高山彦さまに、お惚け遊ばして首つ丈陥つて御座るが、此夏彦は首は外へ出して、体丈はまつて御座るのだ。サアサア不都合な這入口の様だが、中は立派な御座敷、用心の為にワザと入口が細うしてある。高山彦さま、どうぞお這入り下さいませ。一人づつ這入つて貰へば、何程大きな男でも引つ掛らずに這入れます』 と言ふより早く夏彦は窟内に姿を隠しける。 虎若『ヤア妙だ。見た割とは大きな洞が開いて居る。ヤア階段もついて居る。サア高山彦さま、御案内致しませう』 虎若を先頭に、高山彦は数多の従者と共に、ゾロゾロと岩窟の中に潜り入る。黒姫は此時既に奥の間に忍び込み、鏡の前で口を開けたり、目を剥いたり、鼻を摘ンで見たり、顔の整理に余念なかりける。夏彦は此場に走り来り、 夏彦『モシモシ、高山彦の御大将が見えました。どうぞ早く此方へお越し下さいませ』 黒姫『エー気の利かぬ事ぢやなア。何とか云つて、お茶でも出して、口の間で休まして置くのだよ。それまでに化粧をチヤンと整へて、型ばかりの祝言をせなくてはならぬ。菊若、岩高は何をして居るのだ。料理の用意は出来たか。お茶でも献げて世間話でもして待つて貰ふのだよ』 夏彦『今日は芽出度い婚礼、それにお茶をあげては、茶々無茶苦になりやしませぬか。今日はお水を進げたらどうでせう』 黒姫『エー茶ア茶ア言ひなさるな。茶が良いのだ。水をあげると水臭くなると可かぬから……』 夏彦『ハヽア、茶ア茶アと茶ツつく積りで、茶を呑ませと仰有るのかなア……茶、承知致しました』 黒姫『エーグヅグヅ言はずに、あちらへ行つて、高山彦様御一同のお相手になるのだよ。こつちの準備が出来たら、祝言の盃にかかる様にして置きなさい。……アーア人を使へば苦を使ふとは、能う言つたものだ。男ばつかりで、女手の無いのも……ア困つたものだ。清サン、照サンと云ふ二人の若い女は有つたけれども、これは真名井ケ原の隠れ家に置いてあるなり、斯う云ふ時に女が居らぬと便利が悪い。お酒の酌一つするにも、男ばつかりでは角ばつて面白くない。併し乍ら清サン、照サンは十人並優れた美しい女、折角貰うた婿どのを横取しられちや大変だと思つて、伴れて来なかつたが、安心な代りには便利が悪いワイ。サアサアこれで若うなつて来た。化粧と云ふものは偉いものだナア。昔から女は化物だと云ふが……われと吾手に見惚れる様になつた。如何に色男の高山彦でも、此姿を見たら飛び付くであらう。現在女の自分でさへも、自分の姿に見惚れるのだもの……ヤツパリ霊魂が良いと見える。アーア惟神霊幸倍坐世、惟神霊幸倍坐世。………コレコレ常彦……オツトドツコイ、コンナ年の寄つた婆声を出しては愛想を尽かされてはならぬ。端唄や浄瑠璃で鍛へて置いた十七八の娘の声を使はねばなるまい、……コレコレ夏彦、用意が出来たよ。これ夏彦、一寸此方へお越し』 夏彦『エツ、何だ、妙な声がするぞ。黒姫さま、何時の間にか若い照サン、清サンを引ぱつて来たと見える。アンナ別嬪を連れて来たら、婿を横取りに仕られて了うがな……』 黒姫『コレコレ夏彦サン、早う来なさらぬかいな』 夏彦『婆アと違うて、娘の声は何処ともなしに気分が好いワイ。今晩黒姫と高山彦の婆組が婚礼をする。後は照サンと夏彦サンの婚礼だ。これ丈沢山に男も居るのに、あの優しい声で夏彦サンと言ひやがるのは、余つ程思召が有ると見えるワイ。どうれ、一つ、襟でも直して、お目に掛らうかい』 目を擦り、鼻をほぜくり、唇を舐め、襟の合せ目をキチンとし、帯から袴まで検め、 夏彦『ヤアこれで天晴れ色男だ……エツヘン』 足音を変へ乍ら、稍反り返りて、色男然と澄まし顔、一間の障子をガラリと開け、 夏彦『今お呼びとめになつたのは、照サンで御座いますか、何用で御座います……』 黒姫『お前は夏彦ぢやないか。何ぢや其済ました顔は……照サンぢやないかテ…夜も昼も照サンに……照の女に現を抜かしよつて、わしの云うた事が耳へ這入らぬのか』 夏彦『それでも若い女の声がしましたもの、若い女と言へば、今の所では照サン、清サンより無いぢやありませぬか』 黒姫『照や清は真名井ケ岳の隠れ家に置いてあるぢやないか。何をとぼけて居るのぢや。黒姫が呼びたのですよ』 夏彦『ヘエー、何と若い声が出るものですな』 黒姫『きまつた事ぢや。言霊の練習がしてあるから、老爺の声でも、婆の声でも、十七八の女の声でも、赤児の声でも、鳶でも、烏でも、猫でも、鼠でも、自由自在の言霊が使へるのですよ』 夏彦『ア、ハハー、さうですか、さうすると今晩は、鼠の鳴声を聞かして貰はうと儘ですな、アハヽヽヽ』 黒姫『エーエー喧しいワイ。早うお客さまのお相手をして、それからソレ……レイの用意をするのよ』 夏彦『レイの用意だつて……何の事だか分りませぬがなア』 黒姫『レイの上にコンが付くのぢや。アタ恥しい。良い加減に気を利かしたらどうぢや』 夏彦『霜降り頭に黒ン坊を着けて、鍋墨の様な顔に白粉を附けて、華美な着物を着ると、ヤツパリ浦若い娘の様な気になつて、恥かしうなるものかいなア。恥かしい事と言つたら知らぬ黒姫ぢやと思うて居つたのに、流石は女だ。恥かしいと仰有る、アツハヽヽヽ』 其処へ常彦現はれ来り、 常彦『黒姫様、万事万端用意が整ひました。サアどうぞお越し下さいませ』 黒姫はつと立ちあがり、姿見鏡の前に、腰を揺り、尻を叩き、羽ばたきし乍ら、稍空向気味になり、すまし込み、仕舞でも舞う様な足附で、ソロリソロリと婚礼の間に進み行く。 黒姫、高山彦の結婚式は無事に終結した。三々九度の盃、神前結婚の模様等は略しておきます。 黒姫は結婚を祝する為、長袖淑やかに、自ら歌ひ自ら舞ふ。日頃鍛へし腕前、声調と云ひ、身振りと云ひ、足の辷り方、手の操り方、実に巧妙を極め、出色のものなりける。 黒姫『色は匂へど散りぬるを吾が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて浅き夢見しゑひもせず 昨日やきやう(京)の飛鳥川清く流れて行末は 善も悪きも浪速江の綿帽子隠したツノ国の 春の景色に紛ふなる花の容顔月の眉 年は幾つか白雲の二八の春の優姿 皺は寄つても村肝の心の色は稚桜姫 神の命の御教を朝な夕なに畏みて 仕へ奉りし甲斐ありて色香つつしむ一昔 花は紅、葉は緑手折り難きは高山彦の 空に咲きたる梅の花時節は待たにやならぬもの 天は変りて地となり地は上りて天となる さしもに高き高山彦の吾背の命の遅ざくら 手折る今日こそ芽出度けれ疳声高き高姫の 朝な夕なに口角を磨きすまして泡飛ばし 宣る言霊も水の泡アワぬ昔は兎も角も 会うた此世の嬉しさは仮令天地が変るとも 替へてはならぬ妹と背の嬉しき道の此旅出 旅は憂いもの辛いもの辛いと言つても夫婦連 凩荒ぶ山路も霜の剣を抜きかざす 浅茅ケ原も何のその夫婦手に手を取りかわし 互に睦ぶ二人仲二世の夫とは誰が言うた 五百世までも夫婦ぞと世の諺に言ふものを 坊ツチヤン育ちの緯役が世間をミヅの御霊とて 訳の分らぬ事を言ふ表は表、裏は裏 仮令雪隠の水つきと分らぬ奴が吐くとも 斯うなる上は是非もない雪隠千年万年も 浮世に浮いて瓢箪の胸の辺りに締めくくり 縁の糸をしつかりと呼吸を合して結び昆布 骨も砕けし蛸入道烏賊に世人は騒ぐとも 登り詰めたは吾恋路成就鯣の今日の宵 善いも悪いも門外漢の容喙すべき事でない 高山彦の吾夫よ千軍万馬の功を経し 苦労に苦労を重ねたるすべての道にクロトなる 此黒姫と末永く世帯駿河の富士の山 解けて嬉しき夏の雪白き肌を露はして 薫り初めたる兄の花の一度に開く楽しみは 神伊弉諾の大神が妹の命と諸共に 天の瓊矛をかき下しコヲロコヲロに掻き鳴して 山河草木百の神生み出でませし其如く 汝は左へ妾は右右と左の呼吸合せ 明かす誠に裏は無いウラナイ教の神の道 国治立の大神の開き給ひし三五の 神の教も今は早瑞の御霊の混ぜ返し 穴有り教となりにける愈是れから比治山の 峰の続きの比沼真名井豊国姫の現はれし 珍の宝座を蹂躙し誠一つのウラナイの 神の教を永久に夫婦の呼吸を合せつつ 立てねば置かぬ経の教稚桜姫の神さへも 花の色香に踏み迷ひ心を紊して散り給ふ 其古事に神習ひ此黒姫も慎みて 神の御跡を追ひまつる五十路の坂を越え乍ら 浮いた婆アと笑ふ奴世間知らずの間抜者 さはさり乍ら夏彦よ岩高彦よ常彦よ 色々話を菊若よ妾に習つて過つな 年を老つての夫持つ妾は深い因縁の 綱にからまれ是非もなく神の御為国の為 ウラナイ教の御為に心にもなき夫を持つ 陽気浮気で黒姫がコンナ騒ぎをするものか 直日に見直し聞直し善言美詞に宣り直し 必ず悪口言ふでない後になつたら皆判明る 神の奥には奥が有る其又奥には奥がある 昔の昔のさる昔マ一つ昔のまだ昔 まだも昔の大昔神の定めた因縁の 魂と魂との真釣り合ひ晴れて扇の末広く 仰げよ仰げ神心心一つの持ちやうで 此黒姫の言ふ事は善に見えたり又悪に 見えて居るかも知れないが身魂の曇つた人間が 心驕ぶりツベコベと構ひ立てをばするでない 総て細工は流々ぢや仕上げた所を見てお呉れ 身魂の因縁性来の大根本の根本を 知つたる神は外に無い日の出神の生宮と 定まりきつた高姫や永らく海の底の国 お住居なされた竜宮の乙姫さまの肉の宮 此黒姫と唯二人要らぬ屁理屈言はぬもの 心も清きモチヅキの音に耳をば澄ましつつ 三五の月の清らかな心の鏡をみがきあげ ウラナイ教の御仕組何も言はずに見て御座れ 今は言ふべき時でない言はぬは云ふに弥勝る 高山彦や黒姫の婚礼したのも理由がある 人間心で因縁がどうして分らう筈はない 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むとも此因縁は人の身の 窺ひ知らるる事でない今に五六七の世が来れば 唯一厘の神界の仕組をあけて見せてやる それ迄喧しう言ふでない口を慎み、ギユツと締め 瑞の御霊にとぼけたる訳の分らぬ人民は 高山彦や黒姫の此結婚を彼此と 口を極めて誹るだらう譏らば誹れ、言はば言へ 妾の心は神ぞ知る神の御為国の為 お道の為に黒姫が尽す誠を逸早く 世界の者に知らせたい吁、惟神々々 御霊幸倍ましませよアヽ、惟神々々 そろうて酒をば飲むがヨイヨイヨイヨイトサア ヨイトサノサツサ』 黒姫は調子に乗つて踊り狂ひ、汗をタラタラ流し、白粉をはがし、顔一面縄暖簾を下げたる如くなりにける。高山彦は立ちあがり、祝歌を唄ふ。 高山彦『フサの都に生れ出で浮世の風に揉まれつつ 妻子を捨てて遥々とウラナイ教の大元の 北山村に来て見れば鼻高々と高姫が 天地の道理を説き聞かす支離滅裂の繰言を 厭な事ぢやと耳押へ三日四日と経つ内に 腹の虫奴が何時の間かグレツと変つてウラナイの 神の教が面白く聞けば聴く程味が出る 牛に牽かれて善光寺爺サン婆サンが参る様に 何時の間にやらウラナイの教の擒と成り果てて 朝な夕なの水垢離蛙の様な行をして 嬉し嬉しの日を送る盲聾の集まりし ウラナイ教の大元は目あき一人の高山彦が 天津空より降り来し天女の様に敬はれ 持て囃されて高姫の鋭き眼鏡に叶うたか 抜擢されて黒姫が夫となれとの御託宣 断りするも何とやら枯木に花も咲くためし 地獄の上を飛ぶ様に胆力据ゑて高姫に 承知の旨を答ふれば高姫さまも雀躍りし これで妾も安心と数多の家来を差しまわし み空を翔ける磐船を数多準備ひフサの国ゆ 唸りを立てて中空に思ひがけなき高上り 高山彦や低山の空を掠めて渡り来る 大海原の島々も数多越えつつ悠々と 風に揺られて下り来る由良の湊の広野原 イヨイヨ無事に着陸し虎若富彦伴ひて 大江の山を探りつつ魔窟ケ原に来て見れば 見渡す限り銀世界妻の住家は何処ぞと 眼白黒黒姫の岩戸を守る夏彦が 首から先を突出してヤア婿さまか婿さまか 黒姫さまのお待兼ね遠慮は要らぬサア早く お這入りなされと先に立ち頭を隠して段階 ヒヨコリヒヨコリと下り行く虎若、富彦先に立ち 高山彦を伴なひて内はホラホラ岩窟に 潜りて見れば此は如何に名は黒姫と聞きつれど 聞きしに違ふ白い顔夢に牡丹餅食た様な 嬉しき契の今日の宵年は二八か二九からぬ 姿優しき此ナイス幾久しくも末永く 鴛鴦の衾の睦び合ひ浮きつ沈みつ世を渡る 今日の結縁ぞ楽しけれ月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むとも高山彦と黒姫の 妹背の中は何時までもいや常永に変らざれ 八洲の国は広くとも女の数は多くとも 女房にするは唯一人神の結びし此縁 睦び親しむ玉椿八千代の春を迎へつつ ウラナイ教の神の憲四方の国々宣り伝へ 神政成就の神業に仕へ奉りて麗しき 尊き御代を弥勒の世弥勒三会の暁の 鐘は鳴るとも破れるとも二人の中は変らまじ あゝ惟神々々御霊幸はひましませよ』 と謡つて、大きな図体をドスンとおろした其機会に、盃も、徳利も、一二尺飛び上り、俄に舞踏を演じ、思はぬ余興を添へにける。夏彦は、くの字に曲つた腰を、三つ四つ握り拳にて打ち乍ら、土盃を右手に捧げ、オツチヨコチヨイのチヨイ腰になつて、自ら謡ひ、自ら踊り始めける。 夏彦『アヽ芽出たい芽出たいお芽出たい年は老つても色の道 忘れられぬと見えまする娘や孫のある中に 田舎の雪隠の水漬かババアが浮いてうき散らし 顔に白粉コテコテと雀のお宿のお婆アさま 高い山から雄ン鳥を言葉巧に誘て来て 言ふな言ふなと吾々の舌切雀のお芽出たさ 夜さりも昼もチヨンチヨンと皺のよつたる機を織る ハタの見る目は堪らない雀百までをンどりを 忘れぬ例は聞いて居る私も男のはしぢやもの 相手が欲しい欲しいわいナ恋路に迷うと云ふ事は 可愛い男に米辵かけた事ぢやげな 図蟹が泡を福の神恵比須大黒ニコニコと 腹を抱へて踊り出す弁天さまの真似をして 顔コテコテと撫塗り立て月が重なりや布袋腹 膨れて困るは目のあたりそれでも私は黙つてる 長い頭の寿老人さま高山彦を婿に持ち まるビシヤモンを叩き付け上を下への大戦 大洪水に流されて天変地妖の大騒動 黒白も分かぬ暗の夜に思はぬ地震が揺るであろ 地震雷火の車変れば変る世の中ぢや 娘や孫のある人が烏の婿に鷹を取り 目を光らして是からは天が下なる有象無象を 何の容赦も荒鷹の勢猛き山の神 苦労重なる黒姫の行末こそはお芽出たい あゝなつかしや夏彦の夢寐にも忘れぬ照さまは どうして御座るか比治山の黒姫さまの隠家に 肱を枕に寝て御座ろアヽなつかしやなつかしや 高山彦や黒姫の今日の慶事を見るにつけ 心にかかるは照さまの比治山峠の独寝ぢや コンナ所を見せられて羨なり涙がポロポロと 私は零れて来たわいナアヽ惟神々々 ホンに叶はぬ事ぢやわい叶はぬ時の神頼み 比沼の真名井の神さまに一つ願ひを掛けて見よう ウラナイ教に入つてより早十年になるけれど 神の教の信徒は女に眼呉れなよと 高姫さまや黒姫の何時も厳しきお警告 それに何ぞや今日は又黒姫さまが身を扮装し 天女の様に化けかはり返り咲きとは何の事 黒姫さまが口癖に裏と表がある教 奥の奥には奥があると言うて居たのは此事か 俺はあンまり神さまに呆けて居つて馬鹿を見た 馬鹿正直の夏彦もこれから心を改悪し 今まで堪へた恋の道土手を切らしてやつて見る サア常彦よ岩高よ何時も話を菊若の 若い奴等は俺の後を慕うて出て来ひ比治山の 照さま、清さま潜む家に肱鉄砲を覚悟して 訪ねて行かうサア行かう高山彦や黒姫の 今日の結婚済みたなら私はお暇を頂かう グヅグヅしてると年が老る若い盛りは二度とない 皺苦茶爺イになつてから如何に女房を探しても 適当な奴は有りはせぬ時遅れては一大事 花の盛りの吾々は今から心を取直し 女房持つて潔く体主霊従の有丈を 尽して暮すが一生の各自の得ぢやトツクリと 思案定めて行かうかいのサアサ往かうではないかいナ ドツコイシヨウドツコイシヨウウントコドツコイ黒姫さま ヤツトコドツコイ高山彦の長い頭のゲホウさま ドツコイシヨのドツコイシヨ』 と自暴自棄になつて、一生懸命に不平を漏らし躍り狂ふ。常彦、岩高、菊若も、夏彦の唄に同意を表し、杯を投げ、燗徳利を破り、什器を踏み砕き、酔にまぎらし乱痴気騒ぎに其夜を徹かしけるが、流石の黒姫も結婚の祝ひの夜とて一言もツブやかず、夏彦等が乱暴をなす儘に任せ居たりける。 明くれば正月二十七日、黒姫は、高山彦其他の面々を一間に招き、比沼の真名井の豊国姫が出現場なる、瑞の宝座を占領せむことを提議し、満場一致可決の結果、猫も杓子も脛腰の立つ者全部を引連れ、高山彦は駒に跨り、真名井ケ原指して驀地に進撃し、茲に正月二十八日の大攻撃を開始し、青彦、加米彦が言霊に、散々な目に会ひ散り散りバラバラに、再び魔窟ケ原の岩窟に引返し、第二の作戦計画に着手したりける。嗚呼、黒姫一派は如何なる手段を以て、真名井ケ原の聖場を占領せむとするにや。 (大正一一・四・二二旧三・二六松村真澄録)
122

(1696)
霊界物語 17_辰_丹波物語2 丹波村/鬼ケ城山 08 蚯蚓の囁 第八章蚯蚓の囁〔六一九〕 黒姫、高山彦の発議により、愈真名井ケ原の瑞の宝座を蹂躙し、あはよくば占領せむとの計画は定まつた。黒姫夫婦は婚礼の後片付に忙殺を極めて居る。三軍の将と定つた夏彦、常彦、岩高、菊若の四人は入口の間に胡坐をかき、出発に先だち種々の不平談に花を咲かし居たりける。 常彦『人間と云ふものは身勝手のものぢやないか、石部金吉金兜押しても突いても此信仰は動かぬ、神政成就する迄は男のやうなものは傍へも寄せぬ、三十珊の大砲で男と云ふ男は片端から肱鉄砲を喰はすのだ、お前達も神政成就迄は若いと云うても決して女などに目を呉れてはならぬぞ、若い者が女に目を呉れるやうな事では神界の経綸が成就せぬと、明けても暮れても口癖のやうに、長い煙管をポンと叩いて皺苦茶面をして、厳しいお説教を始めて御座つたが、昨夜の態つたら見られたものぢやない、雪達磨がお天道様の光に解けたやうに、相好を崩しよつて、「モシ高山彦の吾夫様」ナンテ、団栗眼を細うしよつて何を吐しよつたやら、訳の分つたものぢやない、俺やもう嫌になつて仕舞つたワ』 岩高『定つた事ぢや、女に男はつきものだ。茶碗に箸、鑿に槌、杵に臼、何と云つたつて此世の中は男女が揃はねば物事成就せぬのだ、二本の手と二本の足とがあつて人間は自由自在に働けるやうなものだ、三十後家は立つても四十後家は立たぬと云ふ事があるぢやないか』 常彦『四十後家なら仕方が無いが彼奴は五十後家ぢやないか、コレコレ常さま、お前は因縁の身霊ぢやによつて、何うしても三十になるまで女房を持つてはいけませぬぞえ、人間は三十にして立つと云ふ事があるなぞと云よるが、此時節に三十にして立つ奴は碌なものぢやない、俺等は既に既に十六七から立つて居るのぢや、今思うと立つものは腹ばかりぢや』 夏彦『貴様等は何を下らぬ事を云うて居るのだ、高姫さまだつて余り大きな声では云はれぬが、何々と何々し、又○○と○○し、夫は夫は口でこそ立派に道心堅固のやうに云うて居るが、口と心と行ひの揃つた奴はウラナイ教には一匹もありやしないワ、俺も魔我彦や、蠑螈別や高姫に限つてソンナ事はあるまい、言行心一致だと初の程は信じて居たが、此の頃は何うやら怪しくなつて来たやうだ、本当に気張る精も無くなつて了つた。今迄は二つ目には黒姫の奴、夏彦何うせう、常彦何うせう、岩高、菊若、斯うしたら好からうかなアと吐しよつて、一から十迄、ピンからキリ迄相談をかけたものだが、昨日から天候激変、ケロリと吾々を念頭から磨滅しよつて、箸の倒けた事まで、ナアもし高山さま、これもしこちの人、何うしませう、斯うした方が宜敷くは御座いますまいかと、皺面にペツタリコと白いものをつけよつて、田螺のやうな歯を剥き出し、酒許り飲ひよつて、俺達には一つ飲めとも云ひよりやせむ、かう天候が激変すると何時俺達の頭の上に雷鳴が轟き、暴風が襲来するか分つたものぢやない、俺はホトホトウラナイ教の真相が分つて愛想が尽きたよ。今更三五教へ入信うと云つた所で、力一ぱい高姫や黒姫の言葉の尻について、素盞嗚尊の悪口雑言をふれ廻して来たものだから、どうせ三五教の連中の耳へ入つて居るに違ひない、さうすれば三五教へ入信る訳にも行かず、ウラナイ教に居ても面白くはなし、厄介者扱のやうな態度を見せられ、苦しい方へ許り廻されて本当に珠算盤があはぬぢやないか、何時迄もコンナ事をして居ると身魂の身代限をしなくてはならぬやうになつて了ふ、今の中に各自に身魂の土台を確り固めて置かうではないか。よい程扱き使はれて肝腎の時になつてから、お前は何うしても改心が出来ぬ、身魂の因縁が悪いナンテ勝手な理屈を云つてお払ひ箱にせられては約らぬぢやないか』 常彦『それやさうだ。高姫は変性男子の系統ぢやと聞いた許りに、変性女子の身魂より余程立派な宣伝使日の出神の生宮だと思うて今迄ついて来たのだ。併し日の出神もよい加減なものだ。各自ウラナイ教脱退の覚悟をしやうではないか』 菊若『オイ、ソンナ大きな声で云うと奥へ聞えるぞ、静にせぬかい』 夏彦『ナニ、今日は何程大きな声で云つたところで俺達の声は黒姫の耳に入るものか、耳へ入るものは高山彦の声許りだ、俺達の声が耳に入る程注意を払つて呉れる程親切があるなら、もとよりコンナ問題は提起しないのぢや、乞食の虱ぢやないが口の先で俺達を旨く殺しよつて、今迄旨く使つて居たのだ、随分気に入つたと見え、枯れて松葉の二人連、虱の卵ぢやないが彼奴ア死ンでも離れつこは無いぞ、アハヽヽヽ』 岩高『併し、そろそろ真名井ケ嶽に出発の時刻が近よつて来たが、お前達は出陣する考へか』 夏彦『否と云つたつて仕方が無いぢやないか、ウラナイ教に居る以上は否でも応でも出陣せねばなるまい、併しながら根つから葉つから気乗がしなくなつて来た、仕方が無いから形式的に出陣し、態と三五教に負けて逃げてやらうぢやないか、さうすれば黒姫は申すに及ばず、高姫もちつとは胸に手を当てて考へるだらう、高山彦だつて愛想をつかして黒姫を捨てて去ぬかも知れぬぞ。今こそ花婿が来たのだと思つて上品ぶつて、大きな鰐口を無理におちよぼ口をしやがつて、高尚らしく見せて居るが、暫くすると地金を出して、又女だてら大勢の中で、サイダーやビールの喇叭飲みをやらかすやうになるのは定つてゐる。鍍金した金属が何時迄も剥げぬ道理はない、俺達もウラナイ教の信者と云ふ鍍金を今迄塗つて居たが、もう耐らなくなつて、そろそろ剥げかけたぢやないか、アハヽヽヽ』 斯る所へ虎若と富彦の両人現はれ来り、 虎、富『ヤア四天王の大将方、高山彦、黒姫様の御命令で御座る、一時も早く真名井ケ原に向つて出陣の用意めされ』 と云ひ捨てて此場を急ぎ立ち去りにけり。 夏彦『エヽ何だ、馬鹿にしてゐる。昨日来た許りの虎若、富彦を使つて吾々に命令を伝へるナンテ、あまり吾々を軽蔑し過ぎて居るぢやないか、如何に気に入つた高山彦の連れて来た家来ぢやと云つて、古参者の吾々を放つて置き勝手に新参者に命令を下し、吾々を一段下に下しよつたな、これだから好い加減に見切らねばならぬと云ふのだよ』 常彦『アヽ、仕方がない、兎も角も形式なりと出陣する事にしやうかい』 黒姫は突然此場に現はれて、 黒姫『これこれ夏彦、常彦、お前今何を云つてゐらしたの』 常彦『ハイ、真名井ケ嶽に出陣の用意をしやうと申て居りました』 黒姫『それは御苦労ぢやつたが、其次を聞かして下さい、其次は何と仰つた』 常彦『ハイハイ、次は矢張其次で御座いますナ』 黒姫『天に口あり、壁に耳と云ふ事をお前達は知らぬか、最前から四人の話を初めから終迄、次の間に隠れて聞いて居りました。随分高山さまや黒姫の事を褒めて下さつたな』 四人一時に頭を掻いて、 四人『イヤ何滅相も御座いませぬ、つい酒に酔うて口が辷りました、どうぞ神直日大直日に見直し聞き直して下さいませ』 黒姫『お前酔うたと云ふが、何時酒を飲みたのだい』 夏彦『ハイ、酒を飲みたのは貴女と高山さまと祝言の杯をなされました時……ぢやから其為に酔が廻つてつい脱線致しました』 黒姫『馬鹿な事を云ひなさるな、酒も飲まぬに酔が廻り、管捲く奴が何処にあるものか、それやお前達、本真剣で云つたのだらう、サアサアウラナイ教はお前さま達のやうな没分暁漢に居て貰へば邪魔になる、サアサア今日限り何処へなりと行つて下さい。エイエイ、お前達のしやつ面を見るのも汚らはしい』 夏彦『そらさうでせう、好きな顔が目の前にちらついて来たものだから、吾々のしやつ面は見るのも嫌になりましただらう』 黒姫『エヽ入らぬ事を云ひなさるな、サアとつとと去んだり去んだり、ウラナイ教では暇を出され、三五教では肱鉄を食はされ、野良犬のやうに彼方にうろうろ、此方にうろうろ、終には棍棒で頭の一つも撲はされて、キヤンキヤンと云うて又元のウラナイ教に尾を振つて帰つて来ねばならぬやうにならねばならぬ事は見え透いて居るわ、ウラナイ教の太元の大橋越えてまだ先に行方分らず後戻り、慢心すると其通り、白米に籾の混つたやうに、謝罪つて帰つて来ても隅の方に小さくなつて居るのを見るのが気の毒ぢや、今の中に改心をしてこの黒姫の云ふ事を聞きなされ、黒姫は口でかう厳しく云つても、心の中は、花も実もある誠一途の情深い性来ぢや、誠生粋の水晶玉の選り抜きの日本魂の持主ぢやぞえ、サアどうぢや、確り返答しなさい、夏彦の昨夜の歌は何ぢや、目出度い時だと思うて辛抱して居れば好い気になつて悪口たらだら、大抵の者だつたらあの時に摘み出して仕舞ふのぢやけれど、神様のお道の誠の奥を悟つた此黒姫は、心が広いから松吹く風と聞き流して許して居たのだ、それに又もや四人の大将株が燕の親方のやうに知らぬ者の半分も知らぬ癖に何を云ふのだい。お前達に誠の神の大御心が分つて耐るものか、知らにや知らぬで黙言つて居なさい』 夏彦『ハイハイ、誠に申訳がありませぬ、何卒今度に限り見直し聞き直して下さいませ』 黒姫『此度に限つて許して置く、此後に於て、一口でも半口でも、高山さまや黒姫の事を云はうものなら、夫こそ叩き払にするからさう思ひなさい、サアサア常彦、菊若、岩高愈出陣の用意だ、高山彦の御大将はもはや出陣の準備が整うたぞへ』 四人一度に、 四人『ハイ確に承知仕りました』 茲に黒姫、高山彦は一族郎党を集め、旗鼓堂々と真名井ケ原に向つて進撃したが、加米彦、青彦の言霊に脆くも打ち破られ、蜘蛛の子を散らすが如く四方に散乱したりけり。 ウラナイ教の鍵鑰を握つて居た黒姫の部下四天王と頼みたる夏彦、岩高、菊若、常彦の閣僚は黒姫結婚以来上下の統一を欠ぎ、自然三五教に向つて其思想は暗遷黙移しつつありき。其の為め、折角の真名井ケ原の攻撃も味方の四天王より故意と崩解し、黒姫が神力を籠めたる神算鬼謀の作戦計画も殆ど画餅に帰し終りたるなりき。嗚呼人心を収攪せむとするの難き、到底巧言令色権謀術数等の虚偽行動をもつて左右すべからざるを知るに足る。之に反して三五教は一つの包蔵もなく手段もなく、唯々至誠至実をもつて神業に奉仕し、ミロクの精神を惟神的に発揮するのみ。されば人心は期せずして三五教に集まり、日に夜に其数を増加し、何時とはなしに天下の大勢力となりぬ。ウラナイ教は広い大八洲国に於て直接に信徒を集めたるもの唯一人もなく、唯々三五教に帰順したる未熟の信者に対し、巧言令色をもつて誘引し、且つ変性男子の系統より出でたる高姫を唯一の看板となし世を欺くのみにして、根底の弱き事、砂上に建てたる楼閣の如く、其剥脱し易き事炭団に着せたる金箔の如く、豆腐の如く、一つの要もなく唯弁に任し表面を糊塗するのみ、其説く所恰も売薬屋の効能書の如く、名のみあつて其実なく、有名無実、有害無益の贅物とは、所謂ウラナイ教の代名詞であらうと迄取沙汰されけり。されど執拗なる高姫、黒姫は少しも屈せず……女の一心岩でも突貫く、非が邪でも邪が非でも仮令太陽西天より昇る世ありとも、一旦思ひ詰めたる心の中の決心は、幾千万度生れ代り死代り生死往来の旅を重ぬるとも、いつかないつかな摧けてならうか……との大磐石心、固まりきつた女の片意地、張合もなき次第なり。 黒姫は力と頼む青彦の三五教に帰順せし事を日夜に惜み、如何にもして再びウラナイ教の謀主たらしめむと、千思万慮の結果、フサの国より高山彦に従ひ来れる虎若、富彦に命じ、青彦が日夜に念頭を離れざるお節を説きつけ、お節より青彦が信仰を落させむものと肝胆を砕きつつありける。 (大正一一・四・二二旧三・二六加藤明子録)
123

(1698)
霊界物語 17_辰_丹波物語2 丹波村/鬼ケ城山 10 四百種病 第一〇章四百種病〔六二一〕 真名井ケ原の珍の宝座に参拝せむと、息せき切つて進み行きたるお楢は、ゆくりなくもウラナイ教の鍵鑰を握れる女豪傑黒姫に説き伏せられ、くれりと心機一変し、手の掌足の裏を覆して、スタスタと黒姫一行を伴ひ、漸く丹波村の伏屋に着きにける。 お楢『モシモシ、ウラナイ教の大将様、此処が私の荒屋で御座います。サアサアどうぞお這入り下さいませ。嘸お疲労でせう』 黒姫『ナニ、これしきの雪道で疲労るやうな事で、三千世界の神界の御用が出来ますものか、ウラナイ教にはソンナ弱虫は居りませぬ、オホヽヽヽ』 お楢『どうぞ気をつけてお這入り下さい、大江山の鬼落しが掘つて御座いますから、ウカウカ這入ると大変な事が出来致します。サアサア私の通る処を足をきめて通つて下され、一足でも外を歩くと、陥穽へ落ち込みますから』 黒姫『ナント用心の良い事だナア、アヽ感心々々、何と云うても比沼の真名井に瑞の霊の悪神が現はれる世の中ぢやから、この位の注意はして置かななりますまい。サアサア、照さま、清さま、私の後を踏みて来るのだよ』 お楢『モウ大丈夫で御座います。サアサアどうぞお上り下さいませ』 黒姫『ハヽア、平助どのはこの井戸の水を汲みて倒けたのだな。ホンニホンニ危なさうな井戸ぢや。お婆アさま、お前も随分年をとつて居るから気を付けなされよ』 お楢『有難う御座います。娘も嘸喜ぶことで御座いませう』 お節は夢中になつて、 お節『青彦さま、青彦さま』 と呼ンで居る。 黒姫『ドレドレ、これから神さまへ御祈念をして上げよう。それについても一つ妾の話を篤りと聞いた上の事だ。お婆アさま、聞きますかな』 お楢『有難い神さまのお話、どうぞ聞かして下さいませ』 黒姫『この娘の病気は、全体けつたいな病ぢや。病気には四百種病というて沢山な病がある。其中でも百種の病は放つて置いても癒る。あとの百種は薬と医者とで全快する。又あとの百種は、神さまぢや無いと癒らぬのぢや。そして、あとの百種は神さまでも医者でも薬でも癒りはせぬ。これを四百種病と云ふのだ。この娘は第三番目に言うた神信心で無ければ到底癒らぬ。お医者さまでも有馬の湯でもと云ふ怪体な粋な病気ぢや、青彦々々と云ふのは、大方妾の使つて居るウラナイ教の宣伝使、今は三五教に呆けて、この間も音彦とやらの後についてウロついて居た男ぢや。この娘が快くなつたら青彦を養子に貰ひ、娘から青彦を説きつけて、又旧のウラナイ教に逆戻りさせる神様のお仕組の病気に違ひない。お婆アさま、これを良く承知して居て貰はぬと癒す事は出来ぬぞい』 お楢『ハイハイ、ドンナ事でも生命さへ助けて下されば承はります』 黒姫『サア、これから日の出神様のお筆先を頂くから聞きなされ、このお節の守護神にも読みて聞かして改心致させねば、三五教の悪守護神が憑いて居るから、追ひ出す為に結構な御筆先を聞かして上げよう。謹みて聞きなされや』 筆先『変性男子の系統の御身魂、日の出の神の生宮、常世姫命と現はれて、高姫の肉体を藉りて、三千世界の世の初まりの、根本の根本の、身魂の因縁性来から、大先祖がどう成つて居ると云ふ事を明白に説いて聞かす筆先であるぞよ。変性男子は経の御役、誠生粋の正真の大和魂、一分一厘違へられぬ御役であるぞよ。毛筋の横巾も変性男子の系統の肉体に憑つて書いた事は間違ひは無いぞよ。三千世界の大立替大立直しの根本の結構な御筆先であるぞよ。変性女子の身魂は緯の御用であるぞよ。緯はサトクが落ちたり、糸が切れたり、色々と致すから当にならぬ悪のやり方であるから、変性女子の書いた筆先も、申す事も、行状も真実に致すでないぞよ。一つ一つ審神を致さねば、ドエライ目に会はされるぞよ。女子の御役は悪役で、気の毒な御用であるぞよ。身魂の因縁性来で、善と思うて致す事が皆悪になるぞよ。善にも強い悪にも強い常世姫の筆先、耳を浚へて確り聞いて下されよ。毛筋も違はぬ誠一つの、生粋の大和魂の、日の出神の生宮の常世姫命の性来、金毛九尾の悪神を、一旦キユウと腹に締め込みて改心させる御役であるぞよ。それに就いても黒姫の御用、誠に結構な御役であるぞよ。竜宮の乙姫さまがお鎮まり遊ばして御座るぞよ。魔我彦には日の出神の分霊、柔道正宗が守護致すぞよ。蠑螈別には大広木正宗の守護であるぞよ。此神一度筆先に出したら、何時になりても違ひは致さぬぞよ。違ふ様にあるのはその人の心が違うからだぞよ。唐と日本の戦ひが始まるぞよ。日の出神の教は日本の教であるぞよ。変性女子の教はカラの教であるぞよ。変性男子の筆先と、日の出神の筆先とをよつく調べて見て下されよ。さうしたら変性女子の因縁がすつくり判りて来て、ドンナ者でも愛想をつかして逃げて去ぬぞよ。アフンと致さなならぬぞよ。常世姫の御魂の憑るこの肉体は、昔の昔のさる昔、またも昔のその昔、モ一つ昔の大昔から、此世の御用さす為に、天の大神が地の底に八百万の神に判らぬ様に隠して置かれた誠一つの結構な生身魂であるから、世界の人民が疑ふのは無理なき事であるぞよ。神の奥には奥があり、その又奥には奥があるぞよ。三千年の深い仕組であるから、人民の智慧や学では、ソウ着々と判る筈は無いぞよ。今迄の腹の中の塵埃をすつくりと吐き出して誠正真の生粋の大和魂に成りて下さらぬと、誠のお蔭を取り外すぞよ。アフンと致して眩暈が来るぞよ。何程変性女子が鯱になりて耐りても、誠の神には叶はぬぞよ。此の肉体は元を査せば、変性男子の生粋の身魂から生れて来た女豪傑、若い時分から男子女と綽名を取つた、天狗の鼻の高姫であるぞよ。今はフサの国の北山村のウラナイ教の太元の、神の誠の柱であるぞよ。此世を水晶に立直す為に、永い間隠してありた結構な身魂であるぞよ。世界の人民よ、改心致されよ。誠程結構は無いぞよ。苦労の花が咲くのであるぞよ。苦労無しにお蔭を取らうと致して、変性男子の系統を抱き込みて、我身の我で遣らうと致したらスコタンを喰うぞよ。開いた口がすぼまらぬ、牛の糞が天下を取るとは、今度の譬であるぞよ。神の申す事をきかずに遣つて見よれ、十万億土の地獄の釜のドン底へ落して了ふぞよ、神界、幽界、現界の誠の救ひ主は、変性男子と日の出神の生宮とであるぞよ。女子の身魂は此世の紊れた遣り方を見せるお役、天の岩戸を閉める御苦労なかけ替への無い身魂であるぞよ。これも身魂の因縁性来で、昔の因縁が廻つて来たのであるから、神を恨めて下さるなよ。吾身の因縁を恨みて置こうより仕方が無いぞよ。天にも地にもかけ替への無い日の出神の生宮が、三千世界の神、仏事、守護神、人民に気をつけて置くぞよ。改心さへ出来て、この常世姫の申す事が判りたら、如何な事でも叶へてやるぞよ。病位は屁でも無いぞよ。魂を磨いて改心なされ。常世姫が気をつけた上にも気を付けるぞよ。俄信心間に合はん。信心は正勝の時の杖に成るぞよ。一時も早く身魂の洗濯いたして、神に縋りて下されよ。昔は神はものは言はなかつたぞよ。時節来りて艮の金神世に現はれて、三千世界の立替へ立直しを遊ばすについて、第一番に、御改心なされたのが竜宮の乙姫様であるぞよ。この竜宮の乙姫様は、黒姫の肉体にお鎮まり遊ばして、日夜に神界の御苦労に成りて居るから、粗末に思うたら、神の気ざわりに成るぞよ。高姫の肉体は元の性来が勿体なくも天の大神様の直々の分霊であるから、日の出神が引つ添うて、世の立替の地となつて、千騎一騎の御活動を遊ばす御役となりたぞよ。金勝要の大神、坤金神も、一寸我が強いぞよ。早く改心なさらぬと、神界の御用が遅れるぞよ。神界の御用が遅れると、それ丈、神も人民も難儀を致すから、早く改心致して、変性男子と常世姫の御魂の宿りて居る日の出神の生宮の申す事を聞いて下されよ。きかな聞くやうに致して改心させるぞよ。三五教は神の気障りがあるから、神は仕組を変へて此の肉体に御用をさして居るぞよ。神力と智慧学との力比べ、常世姫の神力が強いか、変性女子の智慧学が強いか、神と学との力比べであるぞよ。神の道には旧道と新道と道が二筋拵へてありて、何の道へ行きよるかと思うて、神がジツと見て居れば、新道へ喜びて行きよるが仕舞にはバツタリ行当りて了うて、又もとの旧道へ復つて来ねば成らぬ様に成つて了うぞよ。大橋越えて未だ先へ、行方判らぬ後戻り、慢神すると其通り、早く改心致さぬと、青い顔してシヨゲ返り白米に籾が混つた様にして居るのを見るのが、此の常世姫が辛いから、腹が立つ程気を付けてやるが、変性女子が我が強うて、慢神致して居るから、神ももう助けやうが無いぞよ。もう勘忍袋がきれたぞよ。それにつけては皆の者、変性女子の申すこと、一々審神を致してかからぬと、アフンと致す事が出来致すぞよ。常世姫の憑る肉体を侮りて居ると、スコタン喰う事が出来るから、クドウ申して気をつけて置くぞよ』 と厳の御魂の筆先の抜萃した高姫の書いた神諭を、声高々と読み聞かして居る。 お楢は畳に頭を擦りつけ、ブルブルと慄ひ泣きに泣いて居る。お節は発熱甚しく、益々『青彦青彦』と夢中になつて叫びはじめたり。黒姫は清子、照子の二人に向ひ、 黒姫『サアサア妾が今お筆先を拝読いたから、今度はお前さまがウラナイ教の宣伝歌を謡ふのぢや、サアサア早う、言ひ損ひの無いやうに謡ひなされ』 二人はハイと答へて座を起ち、病に苦しむお節の枕辺に廻り、声張上げて、 清子、照子『朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むともウラナイ教は世を救ふ 常世の国の常世姫昔の神代のそのままの 大和魂の生粋で日の出神の生宮と 現はれ出でたる高姫の身魂にかかりて筆をとり 三千世界の梅の花一度に開くことのよし 委曲に詳細に説き諭すたとへ大地は沈むとも 月日は西から昇るとも日の出神の生宮が 書いた筆先言うたこと毛筋の横巾ちがはぬぞ 違うと思ふは其人の心間違ひある故ぞ 昔の神代の折からに世界のために苦労した 高姫、黒姫、魔我彦や高山彦や蠑螈別 いづの身魂と現はれて竜宮さまの御守護で 此世の宝を掘り上げて北山村にウラナイの 神の教の射場を建て世界の人を教へ行く 実にも尊き神の代の其の根本の因縁を どこどこ迄も説き諭す常世の姫のお筆先 昔々の神代から隠しおいたる生身魂 日の出神の生魂で唐も日本も悉く 悪の仕組をとり調べ四方の国々島々に 漏れなく知らす神の道いづの身魂の御教 変性男子の御身魂善の身魂の生粋ぞ 変性女子の瑞身魂悪の鏡と定まりた 善は苦労が永けれど悪の苦労は短いぞ 悪の道行きや歩きよい善の道程険しいぞ 険しい道を喜びて歩いて行けば末遂に 誠も開く神の国広い道をば喜びて 進みて行けば末つひにハタと詰つて茨むら 針に身体をひつ掻いて逆転倒を皆うつて ヂリヂリ舞をしたとてもあとの祭ぢや十日菊 誠の神の申すうち聞かずに行るならやつて見よ 善と悪との立別けの千騎一騎の大峠 変性女子をふり捨てて常世の姫の生宮と 現はれ出でたる高姫の日の出神の御経綸 万劫末代芳ばしき名を残さうと思ふなら ウラナイ教の神の道一日も早く片時も 先を争ひ歩めかし畏き神のウラナイの 誠一つの根本の毛筋も違はぬこの教 神の奥には奥があるその又奥には奥がある 大国常立大神の三千年の御仕組 隅から隅まで悟つたるあの高姫の生宮は 三千世界の宝物広い世界の人民よ 今ぢや早ぢやと早鐘を撞いて知らする常世姫 暗に迷うた身魂をば日の出の守護に助けむと 朝な夕なに一筋に誠の教伝へ行く 常世の姫の真心は善の鑑ぢや世の鑑 誠の鑑はここにある身魂を清めて出て来たら 三千世界が見えすくぞ鎮魂帰神をせい出して 変性女子に倣ふより神から出したこの鏡 一つ覗いて見るがよい三千世界の有様は 一目に見えるこの教ウラナイ教は世を救ふ 誠の道の神ばしら日の出神の生宮が 三千世界の太柱グツと握つて居る程に 世界の事は何なりと常世でなけりや判りやせぬ 真名井の神が何偉い瑞の身魂が何怖い 怖いと云うたら吾心心一つのウラナイ教 心も身をも大神に捧げて祈れよく祈れ 祈る誠は神心あゝ惟神々々 身魂幸倍坐しませよ』 と謡ひ了れば、お節は益々苦しみ悶え、遂にはキヤアキヤアと怪しき声を振り絞り、冷汗は滝の如く流れ出で、容態は刻々に危険状態に入りける。 お楢『モシモシ皆さま、御親切に拝みて下さいまして有難う御座いますが、お前さまが此処へ御座つてから、お節の病気は楽になるかと思へば、一息々々、苦しさうに成つて来る、コラマア何うしたら宜しいのだ。オーンオーンオーン』 黒姫『コレコレお婆アさま、勿体ない事を言ひなさるな。これ程結構な日の出神の生宮の御筆先を読みて聞かし、結構な結構な宣伝歌まで唱へて、夫れで悪うなつて死ぬ様な事があつたら、神さまのお蔭やと思ひなされ。妾ぢやとて何うして一刻も早う楽に仕て上げたい、生命を助けて上げたいと思へばこそ、コンナ山路を雪踏み分けて遥々と来たのぢやないか。コンナ繊弱い妙齢の娘を二人まで連れて此処へ来たのも、神から言へば浅からぬ因縁ぢや。何うなるも斯うなるも神様の思召、仮令お節さまが国替なさつた処が、別に悔むにも及ばぬ、如才の無い神さまが、結構な処へ遣つて下さつて、神界の立派な御用をさして下さるのぢや。お前さまの達者を守り、この家を守護する守り神として下さるのぢや。勿体ない、何を不足さうに、吠面をかわくのぢやい、何うなつても諦めが肝腎ぢやぞへ』 お楢『ハイハイ、有難う御座います。然し乍ら妾の生命を取つて、どうぞお節を助けて下さいませ。それがお願ひで御座います』 黒姫『ハテサテ判らぬ方ぢやなア。何程偉い神さまぢやとて、お前の生命とお節さまの生命と交換が出来るものか。ソンナ無茶な事を言ひなさるな』 お節の容態は益々危篤に成つて来る。黒姫は何とは無しに落ち着かぬ様子にて、 黒姫『コレコレ照さま、清さま、今日は神界に大変な御用がある。サア帰りませう。コレコレお婆アさま心配なさるな。気を確り持つて居なさいよ。私は神界の御用が急くから、今日はこれでお暇致します』 お楢『モシモシお節は助かりませうか、助かりますまいか』 黒姫『いづれ楽になるわいナ。屹度癒る、安心なされ』 お楢『楽に成るとはあの世へ往く事ぢやありませぬか、癒ると仰有るのは、霊壇へ御魂に成つて直ると云ふ謎ではありますまいか』 黒姫『アヽ神界の御用が忙しい。照さま、清さま、サアサアお出で』 と雲を霞と比治山の彼方を指してバラバラと走せ帰り行く。あとにお楢はワツと許り泣き伏しぬ。 (大正一一・四・二二旧三・二六東尾吉雄録)
124

(1710)
霊界物語 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 凡例 凡例 一、『霊界物語』が段々発表されて、吾人は始めて従来宣伝してゐた大本の教に幾多の誤謬と錯誤との存したことを知つた。そして同時に吾々は余りに多く所謂大本的知識の過重に煩はされてゐたことをも発見した。 吾々は今や従来の誤れる所謂大本的知識を一掃し、一切の先入的観念を排除して白紙の生れ赤兒の心を以て、大本の教に対さねばならぬ時機に到達した。瑞月師が、嘗て『神霊界』誌上に於て、大本の歴史に関する著作は差支ないが、教義的分子を含みた著作は、神意の分つた人からやめて貰ひたいといふ意味のことを言はれてゐたが、その意味が『物語』の巻を逐うて発表されるに従ひいよいよハツキりとして来た。 一、本巻は、大本と最も神縁深き弥仙山の因縁に就て詳しく説かれたものである。 大正十二年一月編者識
125

(1713)
霊界物語 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 02 厳の花 第二章厳の花〔六三〇〕 山と山との迫りたる春野の花に右左 白や紫黄金なす男蝶女蝶の翩翻と 常世の春を舞ひ遊ぶ紫雲英の花の咲き満ちた 山の麓の田圃道景色も殊に悦子姫 谷の水音潺湲と遠音に響く音彦や 加米彦夏彦諸共に白髪親爺の豊彦が 賤の伏屋へ徐々と石の田楽橋を越え 蒲公英の花を踏みすだき半倒れた萱の家の 漸う表門に着きにける。 豊彦は、三月の菱餅の様になつた門口の戸を敲いて、 豊彦『オイオイ、お婆、お客さまだ、早う開けぬか』 婆(豊姫)『豊彦どのか、マアマア待つて下され、敷居も鴨居も斜になり、戸を噛みて一寸やそつとにや開きはせぬ。お玉はお玉で身体は自由にならず、爺どの、お前も外から力を添へて下さい。アーア貧乏すると戸までが嫌相に歪み出すなり、壁は身上の痩せたせいか骨を出すなり、情無い事だ、コンナ茅屋にソンナ立派なお客さまに来て貰うた処で、腰を掛けて貰ふ処もありやせぬワ』 豊彦は婆アと共に内と外から年寄の金剛力を出し、左の方へグイツとしやくつた其途端に、半破れた古戸は敷居を外れてバタリと中へ転け込みたり。 豊彦『エーエ、気の利かぬ婆だ、戸倒しものだナ、サアサお客さま、ずつと奥へお通り下さいませ』 加米彦は、 加米彦『お爺さま、奥へ通れと云つたつて何処に奥があるのだい、門口へ這入るなり、もう裏口ぢやないか、ウラナイ教なら奥の奥に奥があり、其又奥にも奥があるものだが、こら又何と狭い箱枕の様な家だなア』 音彦は気の毒がり乍ら、 音彦『コラコラ、加米、又はつしやぎよる、ちつと沈黙せぬかい失礼な』 加米彦『ハイ、如何も副守の奴、加米彦の命令を遵奉せないので困る、モシモシお爺さま、何卒気に障へて下さいますな、私の茅屋に這入つて居るお客が申したので御座います』 豊彦『さうだらう、私の茅屋に這入つて来たお客の一人だ、さう八釜しく云ふと娘の身体に障ります、ちつとお静にして下さい』 加米彦、小声になつて、 加米彦『ハイ、承知致しました、然し余り軽蔑して下さるな、斯う見えても娘の身体に障る様な不躾な事は致しませぬワ』 豊彦『コレコレ婆や、座蒲団を出さぬかい、お茶を酌まぬか、モシモシお姫さま、何卒お腰をかけて下さいませ』 婆(豊姫)『皆さま、よう来て下さいました。早速乍らお尋ね致しますが私等夫婦は誠に運の悪いもので御座いまして、一人の息子に嫁を貰ひ、比沼の真名井山へ参拝をさせました其途中に、大江山の鬼雲彦とやら云ふ悪人の手下共に掻攫はれ、生きて居るか死んで居るか。今に便りが御座いませぬ、それに又一人の妹娘は、一年半ほど前から身体が変になりまして、酢い物が食ひ度いと云ひ出し、腹は段々、日に日に太り出し、最早十八ケ月にもなりますのに、脹満でもなければ子でもない様な、訳の分らぬ業病に罹つて苦みて居ります。かう云ふ山奥の一つ家、娘は元来臆病者で、十八才の今日まで親の側を半時だつて離れた事はありませぬ、それだから子の宿る筈もなし、腹を抑へて見れば大きな塊がゴロゴロと動いて居るなり、何が何ぢややら訳が分らず、天にも地にも只一人の娘の為めに、年寄夫婦が泣きの涙で暮して居ります。それに合点のゆかぬは、此間も三五教の宣伝使の英子姫さまとやら云ふお方が、立派な家来をお伴れ遊ばして此茅屋へ立寄つて下さいまして、娘の容態をつくづくと眺め、これは妊娠だから大切にせよとの御言葉、妊娠なれば遠うの昔に生れて居らねばなりませぬが、もう十八ケ月にもなりますのに何の音沙汰も無し、英子姫さまの仰しやるには四五日の間に立派な宣伝使を遣してやるから、それに頼みて無事に子を生まして貰へとの事でした。相手も無いのに子が出来ると云ふ様な事が昔からあるものでせうか』 悦子姫『アヽそれは御心配でせう、一寸妾が見てあげませう』 とお玉の側に寄り添ひ、腹を撫で、 悦子姫『ア、これは全く妊娠です、然し乍ら決して、人間と人間との息から出来た子ではありませぬ、何か心当りは御座いませぬか』 豊彦『さう聞けば無い事もありませぬ、一昨年の秋の初め、私の夢に白髪異様の老人が此茅屋に訪ねて御いでになり、立派な水晶とも瑠璃とも譬方ない玉を五つ下さいまして「之をお前にやるから娘に呑ましてやれ」と仰しやいました。そこで私は「承知致しました、然し乍ら斯んな硬いものが呑めますか」と尋ねましたら、その方の云はれるのには「俺が呑ましてやらう、決して呑み難い物ではない」と仰しやつてお玉の身体をグツと抱へ、胸の辺りに無理に押し込みなさつたと思へば目が覚めました。さうすると娘のお玉がウンウンと魘されて居るので、揺り起こしてやりますと、お玉の身体は一面、汗びしよ濡れになり、私の見た夢と同様の夢を見た、それから身体が何となく苦しくなつて堪らぬと云ひました。何れ夢の事だから明日になつたら苦しいのも癒るだらうと云つて、その晩寝みました。夜が明けて見ればお玉は矢張ウンウンと呻つて居ります。それつきり十八ケ月の今日まで、腹が段々膨れる許りで、身体の自由も利きませず、不思議な事があればあるもので御座います、何か悪神の所作ではありますまいかな』 悦子姫『ヤ、心配なされますな、悪神どころか立派な神様のお霊魂が宿らせられていらつしやいます。厳の御霊の大神が御生れになるのでせう。妾が今神様にお願を致します』 と何事か小声になつて頻りに祈願を凝らしつつある折しも、お玉は『ウン』と一声諸共に初めて起き直り夢中になつて、 お玉『ア、有難う御座います、これで私も助かります、七人の女の随一、厳の御霊の御誕生だと何時やら見えた白髪の神様が仰しやいました、何卒、とり上げの用意をして下さいませ、強い陣痛が催して来ました』 豊彦夫婦は吃驚し、 豊彦夫婦『ヤア、それは大変ぢや、早く湯を沸かさねばなるまい』 悦子姫『お爺さま、お婆アさま、貴方等は此処にぢつとして居て下さい、これ加米彦や夏彦さま、早くお湯を沸かしなさい』 加米彦『ハイ(妙な声で)ナア夏彦、どうで碌な事ぢや無いと思うて居つた、コンナ山奥へ出て来てお産の湯まで沸かさして頂くとは、思ひも寄らぬ光栄ぢやないか』 夏彦『ソンナ勿体ない事を云ふものぢやない、結構な神様が御出産遊ばすのぢや、その御用の端に使うて貰ふのは余程の因縁ぢや無くちや、コンナ御用が仰せ付かるものかいヤイ、あら有難い辱ない』 お玉『ウンウン』 音彦『サア早く、加米彦、夏彦、湯を沸かして上げぬかい』 加米彦、夏彦『ハイハイ』 と破れ鍋に水を盛り、閉蓋をチヤンとのせ、薪をポキポキ折つて火鉢の火を吹き点け、座蒲団で風をおこし、湯沸かしに全力を注いで居る。忽ち聞ゆる赤子の声、 赤子『ほぎやアほぎやアほぎやア』 悦子姫『アヽ目出度い目出度い、サア腹帯を締めてあげよう』 と悦子姫は甲斐々々しくお玉の後に廻り、グツと腹帯を締め、 悦子姫『サア之でもう大丈夫です、お爺さま、お婆アさま、ご安心なさいませ』 爺、婆(豊彦、豊姫)『ハイハイ、有難う御座います、とりあげ迄させまして誠に何とも恐れ入つた事で御座います』 音彦『サア湯が沸いた様です、どれどれ私が湯を浴せてやりませう、ヤア何と長い事腹の中に居られたせいか、立派なお子さまだワイ』 と音彦は赤子を両手に抱へ、湯の手加減をした上、悦子姫と共に行水をさせる。赤子は盥の中で、火でも身体に焦ついた様に真赤な顔をして泣き立て居る。 悦子姫はいそいそとして、 悦子姫『ア、立派な丈夫なお子さまだ。お爺さま、お婆アさま、お玉さま、御安心なさいませよ』 三人黙然として涙を零し俯向き居る。 加米彦『何と不思議な事があるものぢや無いか、ナア夏彦、十八ケ月で子が出来るとは前代未聞だ。俺達は節季が来ると何時もたらい(不足)で泣くが、此赤ン坊は、ほンのりと温う暖まつて矢張たらい(盥)で泣くのだな、アハヽヽヽ』 夏彦『コラコラ加米、又そンな大きな声を出しよると、お玉さまの身体に障つたら如何するのだ』 加米彦『さはるのは加米とはお役が違ふ哩、悦子姫さまがさはつて御座るぢやないか、アハヽヽヽ』 音彦『コラコラ両人、静にせぬか』 夏彦、加米彦『ハイ畏まりました』 お玉『皆様、いかい御世話になりました。生けた子は男で御座いますか、女で御座いますか』 音彦『オヽ、さうさう、あまり嬉しうて調査するのを失念して居た。アア折角乍ら割れて居ますワ』 豊姫『エ、又女で御座いますか、矢張私の家は養子でなければ治まらぬと見えます。伜に嫁を貰つて後を継がさうと思へば、最前申した通り行衛は分らず、矢張妹のお玉に養子をせねばなりませぬ、今度生れた総領も養子を貰ふ様になりました』 加米彦、又もやはしやいで、 加米彦『お爺さま、お目出度う、これで貴方の家の運も開ける、養子が三代続けば長者になると云ふ事だ、お喜びなさい、私も嬉しい、お目出度い、手の舞ひ足の踏む所を知らずだ。どつこいしよどつこいしよ』 と跳上り田楽橋を踏み外し、小溝の中へバサリと落ち、 加米彦『ヤア折角の着物を濡らして仕舞つた』 夏彦『ハヽヽヽ、狼狽者だな』 悦子姫『もうこれでお案じなさる事は要りませぬ、大丈夫です。名はおつけなさいますか』 豊彦『誠に済みませぬが、貴女様のお世話になつた子供で御座いますから、何卒お名をやつて下さいませ』 悦子姫『承知致しました、ソンナラ妾が名をあげませう、玉照姫とつけませう』 豊彦、豊姫、お玉、一時に口を揃へて、 豊彦、豊姫、お玉『有難う存じます』 悦子姫『サアサア私は之からお山へ参拝を致して参ります。又帰りがけに悠くり伺ひます、左様なら』 と早くも門口を跨げる。三人は何も云はず手を合して悦子姫の方に向つて拝ンで居る。音彦は、 音彦『サア、加米彦、夏彦出陣だ』 と悦子姫の後に従ひ旧来し道に引返し、四人は又もや道に這ひ出た急坂の木の根の段梯子を渡つて奥へ奥へと登り行く。 (大正一一・四・二四旧三・二八北村隆光録)
126

(1717)
霊界物語 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 06 真か偽か 第六章真か偽か〔六三四〕 紫姫は紫の姿を装ふ弥仙山 四尾の山や桶伏の珍の聖地を伏し拝み 西坂峠を後に見て若葉もそよぐ若彦や 心の馬公鹿公を伴ひ進む春の道 山追々と迫り来る心も細き谷道を 伝ひ伝ひて河守の里を左手に打ち眺め 船岡山を右に見て日もやうやうに酉の刻 暗の帳はおろされて一行ゆくてに迷ひつつ 道のかたへの小やけき神の祠に立寄りて 息を休むる折柄に俄に女の叫び声 紫姫は立ち上り耳を傾け聞き終り 若彦、馬、鹿三人を声する方に遣はして 様子探らせ調ぶれば思ひがけなき愛娘 闇の林に縛られて息絶え絶えと苦しみの 中を助けて三人が忽ち登る月影に 心照らして帰り来る何処の方と訪へば 若き女の物語驚く若彦一同は 互に労りかばいつつ月の光を力とし 四辺に注意を為し乍ら剣尖山の麓なる 珍の聖地に立向ふ。 三男二女の一隊は、月もる山道を漸くにして皇大神を斎き祀れる大宮の前に無事参向する事を得たり。水も子の刻丑の刻と夜は段々と更け渡り、淙々たる谷川の水の音を圧して聞え来る祈りの声、凄味を帯びて許々多久の、鬼や大蛇や曲津見の、霊寄り来む言霊の濁り、清き流れの谷川にふさはしからぬ配合なり。 紫姫『皆様、妾は神様のお告により、半日許り此お宮の中で御神勅を承はらねばなりませぬ、何卒其間、産釜、産盥の河原の谷水に御禊をなし、神言を奏上して待つて居て下さいませ』 若彦『委細承知仕りました。サアサア馬公、鹿公、お節殿、参りませう』 と神前の礼拝を終り天の岩戸の下方、紫姫が指定の場所に進み往く。夜はほのぼのと明けかかる。谷の向岸を見れば一人の女、二人の従者らしき者と共に産釜、産盥の水を杓にて汲み上げ、頭上より浴び、一生懸命皺枯れた声を絞つてウラナイ教の宣伝歌を唱へ居る。四人はつかつかと進み寄るを、婆アは頻りに四人の来たのも知らずに水垢離を取り居たり。 馬公『モシモシ何処の婆アさまか知らぬが、この聖地へやつて来て、勿体ない神様の御手洗を無雑作に頭から被り、怪体な歌を謡うて何をして居るのだ、些と心得なさい』 婆、水を被りながら、 婆(黒姫)『何処の方か知らぬが、神様のため世界のために誠一心を立てぬく、日本魂の生粋の真正の水晶魂の守護神さまの命令によつて、この結構なお水で身魂を清め、結構な歌を宇宙の神々に宣べて居るのに、お前は何を云ふのだい、結構な言霊がお前には聞えぬのかい』 馬公『一向トンと聞えませぬ哩、何だか其言霊を聞くと悪魔が寄つて来るやうだ』 鹿公『オイ馬公、野暮の事を云ふない、牛の爪ぢやないが先から分つて居るぢやないか。悪魔の大将が、悪魔の乾児を集めやうと思つて全力を尽し、車輪の活動をやつて御座るのだ、人の商売を妨害するものでないぞ』 馬公『別に妨害はしようとは思はぬが、アンナ声出しやがると何だか癪に触つて、反吐が出さうになつて来た。オイ婆アさま、もう好い加減にやめたらどうだい。この産盥はお前一人の専有物ぢやないぞ、好い加減に退却したらどうだ』 婆(黒姫)『何処の若い衆か知らぬが老人が世界のため道のため、命がけで修業をして居るのだ。私の言霊が偉いお気に触ると見えるが、それは無理もない、お前に憑いて居る悪魔が恐れて居るのだ、其処を辛抱して暫く私の言霊を謹聴しなされ、さうして修業の仕方も私のやり方を手本として頭の先から足の裏まで、一分一厘の垢もない処まで落しなされ、さうしたら結構な結構なウラナイ教の神様のお道へ入信を許して上げる。今時の若い者は何でも彼でも新しがつて昔の元の根本の神様の因縁や性来を知らず、誠の事を云うてやれば馬鹿にしてホクソ笑ひをする者許りぢや、十万億土の根の国、底の国へと落されて、万劫末代上られぬやうな目に遇ふもの許りぢやから、それが可憐相で目を開けて見て居れぬから、世界の人民の身魂を立替立直し、大先祖の因縁から身魂の罪障の事から、何も彼も説いて聞かして助けてやる結構のお道ぢやぞよ。お前も縁があればこそ、コンナ結構な私の行を見せて貰うたのぢや。ちと気分が悪うても辛抱して聞きなされ』 馬公『それは大きに御親切に有難う、私も元は都で生れたものだが、御主人の娘さまと比沼の真名井山へ参拝しようと思うて行く途中で、大江山の鬼の乾児に欺され、岩窟の中に放り込まれ、エライ目に遇うた。そこへ偉い人が出て来て私を助けて下さつたので、何でも此辺に結構な神様が御座ると聞いてお礼詣りに来たのだよ』 婆は、一生懸命に水を被りながら此方も向かず声を当に、 婆(黒姫)『さうだらう、さうだらう、真名井山に詣つてお蔭どころか、鬼の岩窟へ釣り込まれたのだな。真名井山と云ふのは、それや云ひ損ひぢや、あれは魔が井さまと云うて神様の擬ひぢや、変性女子の三つの御霊と云うて、どてらい悪神が変性男子の日本魂の根本の生粋の神様の真似をしよつて、善に見せて悪を働いとるのぢや、暫く待ちなさい、私が結構の事を教へて上げる、三五教とやら云ふ教は三五の月ぢやと云うて居るが、三五の月なら満月ぢや、片割れ月の変性女子だけの教が何になるものか、雲に隠れて此処に半分、誠の経綸が聞きたければ私について御座れ、三千年の長い苦労艱難の一厘の経綸を、信仰次第に依つて聞かして上げぬ事もない、マア其辺にヘタつて此方の修業がすむまで待つて居なさい』 と又もや婆は頻りに水を被る。二人の男も影の形に従ふやうに、水を汲み上げてはザブザブと黒い体に浴びせて居る。婆は漸く水行を終り、頭の先から足の裏迄すつくり水気を拭ひ取り、念入りにチヤンと風を整へ、紋付羽織を着用に及び、二人の男を伴ひ、谷川の足のかかる石を、蛇が蛙を狙ふやうな眼つきで、ポイポイポイと兎渡りに渡りつき。 腰を折り両手をもみながら、 お節『黒姫の先生様、久しうお目に掛りませぬ、お健康でお目出度う』 黒姫『ヤアお前はオヽお節ぢやつたか、何と云つてもかと云うても、ひつ括つてでも捉へてでも、聞かさにや置かぬは女の一心、大慈大悲の心をもつて助けてやらうと、滝、板の二人に跡を追はせたが、何処をお前は迂路ついとつたのだエ、サアサア私について御座れ。ヤアお前は青彦ぢやないか、三五教に呆けてまだ目が醒めぬか』 若彦『ハイ有難う、お蔭ではつきり目が醒めました』 黒姫『さうだらう、若い者は能う気の変るもので、彼方へ迂路々々、此方へ迂路々々して仕方の無いものぢや、お前を助けてやり度いと思うて、どれだけ骨を折つたか知れたものぢやない。サア悠くりと私の所までお節と一緒に出て来なされ、三五教も、一寸尤もらしい事を云ひよるが、終には箔が剥げて何程金太郎のお前でも愛想が尽きたらう、肝腎要の厳の霊の本家を蔑にして、新米の出来損ひのやうな三五教に呆けて見た処で、飯に骨があつて喉に通りやせまいがな。一杯や二杯は珍らしいので喉にも触らないで鵜呑みにするが、三杯目位からは、ニチヤづいて舌の先にザラザラ触り、それを無理に呑み込めば腹の具合が悪くなつて下痢を催し、終の果にはソレ般若波羅蜜多と云うて腹を撫でたり、尻の具合迄悪くして雪隠へお千度を踏み、オンアボキヤ、ビルシヤナブツ、マカモダラニブツ、ヂンラバ、ハラバリタヤ[※密教の真言「光明真言」だと思われるが、語句は少々異なる。]と、陀羅尼を尻が称へるやうになつて仕舞ふ、さうぢやから食つてみにや分らぬのだ。加減の好いウラナイ教の御飯を長らく食べて居つて、栄耀に剰つて餅の皮を剥ぎ、まだ甘い事があるかと思うて、三五教に珍しい食物があるかと這入つて見たところ、味もしやしやりも有りやせまいがな、三五教ぢやなく、味無い教ぢや、アヽよい修業をして御座つた。よもや後戻りはしやしまいなア』 若彦『ヘイ、何うして何うして三五教ナンか信じますものか、これから貴方の頤使に従つて、犬馬の労をも惜しまぬ覚悟でございます』 黒姫『それは結構ぢや、お節、あの頑固な爺や婆アが、国替したので悲しいやら嬉しいやら、好な青彦と気楽に添はれるやうになつたのも、全くウラナイ教のお蔭ぢやぞエ、あのマア何と好う揃うた若夫婦ぢやなア』 と打つて変つて機嫌を直し、青彦の背中をポンと叩いて笑ふ。 馬公『お安くない所を拝見さして貰ひましてイヤもう羨望万望の次第で御座います哩』 鹿公『何と妙ぢやないか、此処には産釜、産盥と云うて眼鏡のやうに夫婦の水溜りが綺麗に湧いて居る、河を隔ててお節サンに若彦、オツトドツコイ青彦さま、何と好い配合だ、俺等も早く誰人かの媒妁で配偶したいものだ、ナア馬公………』 黒姫『お前は初めて見た方ぢやが、青彦の弟子ぢやな、さうして名は何と云ふのぢや、最前から聞いて居れば四足のやうな名を呼びて御座るが、本当の名で聞かして下さい、大方副守護神の名だらう、一寸見たところでは馬鹿らしいお顔ぢや、何程立派な女房が欲しいと云うても、そのスタイルでは駄目ぢやなア、四足の守護神をこれからウラナイ教で追つ放り出して、結構な竜宮の乙姫様の御眷属を守護神に入れ替て上げよう、何うぢや嬉しいか、恥かしさうに男だてら俯むいて、気の弱い事だ。併し其処が良い所ぢや、優しいものぢや、人間も恥かしい事を忘れては駄目ぢや、サアサア四人とも私の処へお出なさい。此二人の男も一人は弥仙山の、ではない弥仙山の木花咲耶姫の神様が好きと云つて大変に信仰をして居つたが、モウ一つ偉い日の出神様、竜宮の乙姫様のある事を悟つて、かうして一生懸命に信神をして居るのぢや』 青彦『アヽさうですか、それは熱心な事ですなア』 馬公『お婆アさま、一寸待つて下さい、私には一人連が御座います』 黒姫『極つたこつちや、お前の連は鹿ぢやないか』 馬公『イヤイヤま一人、元は私の御主人であつた紫姫と云ふ結構なお方が居られます』 黒姫『その方は何処に居られるのだ、早う呼びて来なさい』 馬公『三五教の宣伝使に、つい此間からなられまして、今日初めて大神様へ御参拝なされました。今お宮で御祈念をして居られます』 黒姫『アーさうかな、コレコレ青彦、お前は改心をしてウラナイ教に戻つた土産に、其紫姫とやらを帰順させて来なさい、三五教へも暫く這入つて居つたから、長所もあるけれど、短所も沢山知つて居るだらう、其お前が三五教に愛想を尽かした経歴でも説いて聞かして、その紫姫を早く連れて来なさい』 青彦『確に請合つて帰順さして来ます、どうぞ私達を元の如くお使ひ下さいませぬか』 黒姫『使うて上げるとも、ヤア私が使ふのではない、竜宮の乙姫様がお使ひ遊ばすのだ』 斯かる所へ静々とやつて来たのは紫姫なり。 紫姫『若彦さま、馬公、鹿公、エローお待たせ致しました。サアサア下向致しませう』 一同は、 一同『ハイ』 と、どことも無く躊躇気味の生返事をして居る。 黒姫『ヤアお前が紫姫と云ふのか、三五教の宣伝使と云ふ事ぢやが、神界のために御苦労様で御座います、どうぞ精々、世界のために活動して下さい』 紫姫、嬉しさうな顔つきで、 紫姫『ハア貴方は竜宮の乙姫様の生宮、好い所でお目にかかりました。妾は三五教の宣伝使になりましてから、まだ日も浅う御座いますので、何も存じませぬ、何卒老練な貴女様、宜しく御教授を願ひます』 黒姫『アヽ宜しい宜しい、三五教でも結構だ、何れ私の話を聞いたらきつと兜を脱いでウラナイ教にならねばならぬ。発根の合点のゆく迄、お前は矢張三五教の宣伝使の肩書をもつて居なさるが宜敷からう、無理にウラナイ教に入つて下さいとは申しませぬ、神が開かにや開けぬぞよ、無理に引張には行つて下さるなと大神様が仰有つてござる、心から発根の改心でなければお蔭はないから』 紫姫『一寸お見受け申しても、立派な貴女の神格、一目見れば貴女の奉じたまふお道は優れて居ることは愚かな妾にも観測が出来ます。何卒宜敷く御指導を願ひます』 黒姫『ヤア何と賢明な淑女ぢやなア、コンナ物の好う分る方が何うして三五教のやうな教に入つたのだらう、世の中にはコンナ人がちよいちよい隠れて居るから、何処迄も探し求めて、誠の人を集めねばならぬ。誠の者許り引き寄せて大望な経綸を成就致させるぞよとは、大神様のお言葉、アヽ恐れ入りました。変性男子の霊様、真実の根本の変性女子の霊様、サアサア皆様、神様にお礼を申しませう』 と黒姫は意気揚々として祝詞を奏上し、得意の色を満面に浮べ、鼻をぴこつかせ、肩を揺り、歩み振も常とは変つて、いそいそと崎嶇たる山道を先に立ち、魔窟ケ原の隠家さして一行八人[※黒姫と従者2人、紫姫・若彦・馬公・鹿公・お節の、計8人。従者のうち1人は綾彦だということが第10章に記されている(もう1人は名前不明)。]進み行く。 (大正一一・四・二五旧三・二九加藤明子録)
127

(1721)
霊界物語 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 10 赤面黒面 第一〇章赤面黒面〔六三八〕 谷川に禊を済まして、梅公一行は再び地底の館に帰り来たり、 梅公『高山彦様、黒姫様、お蔭で大江山の悪霊も、スツカリ退散致しました。そこら中が何ともなしに軽くなつた様で、明晰な頭脳が益々明晰になり、モウ是れで大宇宙の根本が、現界、神界、幽界の、万事万端手に取る如く明瞭に、梅が心鏡に映ずる様になつて来ました。随分御禊と云ふものは結構なものですなア』 黒姫『さうだろさうだろ、何時もそれぢやから、朝と晩と昼と、間さへあれば、お水を頂きなさいと云うとるのぢや。火と水とお土の御恩が第一ぢや。何時も水を被るのは、蛙の行ぢやと言つてブツブツ叱言を云つてらつしやるが、今日は合点がいつただらう』 梅公『ヤアもう徹底的に分りました。有難い事には、日の出神様と竜宮の乙姫さまが私の肉体にお懸り下さいまして、結構で御座いました』 黒姫『これこれ梅公、何と云ふ傲慢不遜な事を言ひなさる。日の出神様は、誠水晶の生粋の根本の元の身魂でなければお憑りなさらず、又竜宮の乙姫さまは、因縁の身魂でなければ、誰にも、彼れにもお憑りなさる筈がない。「昔から神はものを言はなンだぞよ。世の変り目に神が憑りて、世界の人に何かの事を知らせねばならぬから、因縁の身魂に神が憑りて、世界の初まりの事から、行末の事、身魂の因縁性来を細かう説いて聞かして、世界の人民を改心さすぞよ。稲荷位は誰にも憑るが、誠の大神は禰宜や巫子には憑らぬぞよ」と変性男子の身魂が仰有つて御座る。それに何ぞや、下司の身魂にソンナ結構な神様が憑りなさる筈があるものか。日の出神の生宮が、さう二つもあつたり、竜宮の乙姫さまの生宮が、さう彼方にも此方にも出来て堪るものか。お前は一寸良いと直によい気になつて、慢心をするなり、一寸叱られると、直に青くなつてビシヨビシヨとして了ふ。それと云ふのも、モ一つ腹帯が締つて居らぬからぢや。身魂相応の御用をさされるのぢやから、慢心をし、高上りをしてブチヤダレヌ様にしなされや、灯台下はまつ暗がり、自分の顔の墨は分るまい。空向いて世の中を歩かうと思へば、高い石に躓いて、逆トンボリを打たねばならぬぞよ。開いた口がすぼまらぬ様なことのない様に、各自に心得たが宜いぞ』 梅公『ヤア承知致しました。併し乍ら、臨時御降臨遊ばしたのだから仕方がありませぬ』 黒姫『そら何を云ひなさる。神憑には公憑、私憑と二つの種類がある。其中でも私憑と云ふのは、因縁の身魂丈によりお憑りなさらぬと云う事ぢや。国治立命は変性男子の肉体、日の出神は系統の肉体、竜宮の乙姫は又その系統の肉体と、チヤンと定つて居るのぢや。公憑と云うて、上の方の身魂にも、中の身魂にも、下の身魂にも臨機応変に憑ると云ふ様な、ソンナ自堕落な神さまとは違ひまつせ。竜宮の乙姫さまを、何と思うて居りなさる。チツトお筆先でも拝読きなさい。お筆さへ腹へ締め込みておきたら、目前の時に、ドンナ神力でも与へて下さる。兎角お前達は、字が悪いとか、読み難いとか、クドイとか、首尾一貫せぬとか、肉体が混つとるとか、ここは神諭ぢや、此点は人諭ぢやと、屁理屈ばつかり仰有るから、サツパリ訳が分らぬ様になつて了うのだ。日の出神の生宮のお書き遊ばしたお筆先を審神したり、しやうとするから間違ふのだ。是れから、絶対に有難いと思うていただきなさい』 梅公『私はお道を開く因縁の身魂ぢやありませぬか』 黒姫『きまつた事ぢや。因縁なくて、此結構なウラナイ教へ来られるものか』 梅公『因縁の身魂の中でも、私は最も因縁の深いものでせう。高姫さまは高天原に因縁のある名ぢやし、黒姫さまは、くろうの固まりの花が咲くとお筆先に因縁があるなり、私は三千世界一度に開く梅の花と云ふ、変性男子の初発のお筆先に出て居る因縁の名ぢやありませぬか。何と云つても梅は梅、一度に開く役は梅公の守護神のお役でせう』 黒姫『此広い世界に、梅の名のつくのは、お前ばつかりぢやないわいな』 梅公『それでも、今あなた、因縁の身魂ばつかり引き寄せて有ると仰有つたぢやありませぬか。ウラナイ教へ引寄せられた人間の中に、梅の名の付いた者が、一人でもありますか。松で治めると云ふ、松に因縁のある松姫さまは、高城山であの通り羽振りを利かし、なぜ此梅公は、さうあなたから軽蔑されるのでせう』 黒姫『もうチツと修業しなされ。さうしたら又、松姫と肩を並べる様にならうも知れぬ。併し今日は初めて綾彦、お民に、宣伝を、竜宮の乙姫の肉体が、直接にしてあげるから、お前もシツカリ聴きなされ。そして此肉体の宣伝振をよく腹へ締め込みて、世界を誠で開くのぢやぞえ』 梅公『それは有難う御座います。吾々も傍聴の栄を得まして……』 黒姫『コレコレあまり喋るものぢやない……男だてら……口は禍の門ぢや。黙つて謹聴しなさい』 と押へつけ乍ら、少し曲つた腰付をして底太い声を張上げ歌ひ始めたり。 黒姫『昔の昔その昔遠き神代の初めより 国治立の大神は千座の置戸を負ひ給ひ 世を艮に隠れまし三千年の其間 苦労艱難遊ばして此世を永久に開かむと 種々雑多と身をやつし蔭の守護を遊ばされ ミロクの御代を待ち給ふ時節参りて煎豆に 花咲く御代となりかはり変性男子の御身魂 道具に使ふて昔から末の末まで見通され 尊きお筆を出しまし世に落ちぶれた神々を 今度一緒に世にあげてそれぞれお名を賜ひつつ 神の御用に立て給ふ時節来たのを竜宮の 乙姫様は活溌な御察しの良い神故に 今まで生命と蓄へた金銀、珠玉、珊瑚珠も 残らず宝投げ出して大神様へ献つり 穢ない心をスツパリと海へ流して因縁の 身魂と現れし黒姫を神政成就の機関とし 現はれ給うた尊さよ今まで竜宮の乙姫の 醜しかつた御霊丈系統の身魂に憑られて 懺悔遊ばし一番に改心なされた利巧者 三千世界の世に落ちた神々さまは竜宮の 乙姫さまを手本とし力一杯身魂をば 磨いて今度の御大謨にお役に立つた其上で それぞれお名を頂いて結構な神と祀られる 三千世界の梅の花一度に開くと云ふ事は 永らく海の底の底お住居なされた竜宮さま 肉のお宮にをさまりて広い世界の民草に 誠一つのお仕組を現はしなさるお働き 日の出の神と引つ添うて今度の御用の地となり 神の大望成就させ天にまします三体の 大神様へ地の世界斯うなりましたとお目にかけ お手柄遊ばす仕組ぞや此お仕組は三五の 神の教を厳御霊変性男子の筆先に くまめる様に書いてある其筆先の読み様が 足らぬ盲のミヅ御霊変性女子が混ぜ返し 蛙の行列向ふミヅ瑞の御霊と偉相に 日の出神の筆先を何ぢや彼ンぢやとケチをつけ 黒姫までも馬鹿にするされ共此方はどこまでも 耐り耐りて出て来たが余り何時まで分らねば 是非に及ばず帳を切り悪の鑑と現はして 万劫末代書き残す変性男子は唯一人 変性女子も亦一人それに何ぞや三つ御霊 三つもあつてたまるかい此事からが間違ひぢや 変性男子は経の役変性女子は緯の役 経と緯とを和合させ錦の機を織る仕組 日の出神が地となりて竜宮様のお手伝ひ 今度一番御出世を遊ばす事を知らないか 必ず必ず三五の緯の教に迷ふなよ 経が七分に緯三分これでなければ立派なる 誠の機は織れないに三五教の大本は 次第々々に紊れ来て経が三分に緯七分 変性男子は先走り変性女子は弥勒さま 何ぢや彼ンぢやと身勝手な理屈を並べて煙に巻く 此儘棄てて置いたなら変性男子の永年の 艱難苦労も水の泡水の泡にはさせまいと 系統の身魂を選り抜いて日の出神が現はれて 誠の筆先書きしるし一度読めよと勧むれど 変性女子の頑固者どうして此れが読まれよかと 声を荒立て投げつけるそれ程厭なら読までよい 後で吠面かわくなと言うて聞かしてやつたれど 訳の分らぬ頑固者神の恵を仇に取り 何ほど親切尽してもモウこの上は助けやうが 無いと悔みて高姫が何時も涙をポロポロと 零して御座るお慈悲心それに続いて分らぬは 金勝要の大御神この肉体もド渋とい まだまだ渋とい奴がある仮令大地は沈むとも 生命の綱が切れるとも日の出神の筆先は 当にならぬと撥ねつける木の花姫の生宮と 嘘か本真か知らねども現はれ出でた男女郎 火が蛇になろがどうしようが改心させねば置くものか 縦から横から八方から探女醜女を遣はして いろいろ骨を折るけれど固より愚鈍な生れつき 石の地蔵に打向ひ説教するよな塩梅で どしても聞かうと致さない木の花姫の肉体を 改心させねば何時までも神の仕組は成就せぬ ウラナイ教も栄やせぬサア是れからは黒姫の 指図に従ひ身をやつし千変万化に活動し 一日も早く因縁の身魂を改心さす様に 祈つて呉れよ黒姫もこれから百日百夜は 剣尖山の谷川の産のお水で身を清め 一心不乱に祈念するアヽ惟神々々 御霊幸はひましませよ』 と汗をブルブルに掻き、身体一面ポーツポーツと湯気を立て、 黒姫『アーア苦しいこと。……世界の人民を助けようと思へば、並大抵ぢやない、変性男子や高姫さまの御苦労が身に浸みて、おいとしう御座るわいの、オンオンオン』 と泣き崩れる。 これより黒姫は、百日百夜、宮川の滝に水行をなし、高山彦の懇望もだし難く、一旦数多の信徒を宣伝使に仕立てて、自転倒島の東西南北に間配り置き、手に手を把つて、フサの国へ渡り、高姫の身許に着きける。高姫は三五教の勢力侮り難きを黒姫より聞き、黒姫を北山村の本山に残し置き、自らは二三の弟子と共に、自転倒島に渡り、再び魔窟ケ原に現はれ、衣懸松の下にて庵を結び、三五教覆滅の根拠地を作らむとして居たのである。又もやそれより由良の湊の人子の司、秋山彦が館に於て、冠島、沓島の宝庫の鍵を盗り、遂には如意宝珠の玉を呑み、空中に白煙となりて再び逃げ帰りしが、それと行違に黒姫は、又もや魔窟ケ原に現はれ、草庵の焼跡に新に庵を結び、前年高姫と共に築き置きたる地底の大岩窟に居を定め、極力宣伝に従事して居たりしなり。然るに黒姫の部下に仕ふる夏彦、常彦、其他の弟子共は、フサの国より扈従し来り乍ら、少しも黒姫に夫ある事を知らざりける。黒姫は独身主義を高唱し、盛ンに宣伝をして居た手前、今更夫ありとは打明け兼ね、私に高姫に通じて、神界の都合と称し、始めて夫を持つた如く装ひける。高山彦の表面入婿として来るや、以前の事情を知らざりし弟子達は、黒姫の此行動に慊らず、遂にウラナイ教を脱退するに至りたるなり。夏彦、常彦以下の主なる者は、此時高城山に立籠り、東南地方を宣伝し居たれば、梅、浅、幾などの計らひに依りて、新に入信したる綾彦の事は少しも知らざりける。また高城山の松姫が侍女として仕へ居るお民の素性も、気が付かず、唯普通の信者とのみ思ひて取扱ひ居たりしなり。黒姫は又もや剣尖山の麓を流るる宮川に、綾彦外一人を伴ひ、禊の最中、紫姫、青彦の一行に出会し、青彦が再びウラナイ教に復帰せしと聞き、喜び勇みて、この岩窟に意気揚々として帰り来たりしなり。 ○ 黒姫『サアサアこれが妾の仮の出張所だ。大江山の悪魔防ぎに地下室を拵へて有るのだから、這入つて下さいませ。……青彦、お前は勝手をよく知つてる筈ぢや。どうぞ皆さまを叮嚀に案内をしてあげて下さいな』 鹿公『ヤアこれは又奇妙なお住居ですな、三五教の反対で、穴有教だなア、ヤア結構結構、穴有難や穴たふとやだ』 と一人々々、ゾロゾロと辷り込む。 黒姫『モシモシ高山彦さま、極道息子が帰つて来ました。どうぞ勘当を赦してやつて下さい』 高山彦『ヤアお前の常々喧しう言つて居つた……これが青彦だらう』 青彦『ハイ始めてお目にかかります。どうぞ宜しう御願ひ致します』 高山彦『ハイハイ、もう是れからは、あまりグラつかぬ様にして下さい』 青彦『決して決して、御心配下さいますな』 高山彦『ヤアなンと綺麗な娘さまがお出になつたぢやないか』 青彦『此お方は由緒ある都の方で御座いますが、お伊勢様へ御参拝の折、黒姫様の言霊を聞いて、大変感心遊ばし、「どうぞ妾も入信が致したう御座いますから、青彦さま、頼みて下さいな」ナンテ、それはそれはお優しい口許でお頼みになりました。私もコンナ綺麗な方が、男ばつかりの所へお出になつては、嘸御迷惑だらうと思ひましたけれども、折角のお頼み、無下に断る訳にもゆかず、黒姫様に御取次致しました。黒姫さまは二つ返辞で承知して下さいました』 紫姫『ホヽヽヽヽ』 と袖に顔を隠す。 黒姫『コレ青彦、チツと違つては居らぬかな』 青彦『アーさうでしたかなア。あまり嬉しかつたので、精神錯乱致しました。どうぞ見直し聞直しを願ひます』 黒姫『青彦お前は久振で親の家へ帰つたのだから、気を許して奥でゆつくりと寝なされ、今は新顔ばつかりで、お前の知つて居る者は、みなフサの国の本山へ往つたり、高城山へ行つて居る、馴染がなくて寂しいだらうが、気の良い者ばつかりだから、気兼なしにユツクリと休まつしやい。馬公鹿公も、トツトとお休み、又明日になつたら結構な話を聞かしてあげる。……サテ紫姫さまとやら、あなたは三五教の宣伝使におなりになつたのは、何を感じてですかなア。何か一つの動機がなければ、あなたの様な賢明な淑女が、あの様な瑞の御霊の混ぜ返し教に入信なさる道理がない。みな奥へ行つて睡眼みて了つたから、誰も聞く者もないから、遠慮なしに話して下さいな』 紫姫『ハイ有難う御座います、別に是れと云ふ動機も御座いませぬ。国家の為社会の為に舎身的の活動をなさる瑞の御霊の大神さまに同情を表しまして、つい何とはなしに宣伝使になりました』 黒姫『それはそれは結構な事だ。身魂の因縁がなくては、到底尊い宣伝使にはなれませぬ。三五教もウラナイ教も、みな変性男子、変性女子と、経と緯との身魂が現はれて錦の機の仕組をなさるのぢやが、併し乍ら、素盞嗚尊は天の岩戸を閉めるお役で、大神様が、此世の乱れた行方がさしてあると仰有る。ナンボ神様の仰有る事でも……これ丈乱れた世の中を、治める事を措いて、乱れた方の御守護をしられて堪りますか。そこで吾々は元は三五教の熱心な取次だが、今では変性女子の行方に愛想をつかし、已むを得ず、ウラナイ教と名をつけて、神様の御用をして居りますのぢや。同じ事なら三五教の名が附けたいけれど、高姫や黒姫は、支部ぢやとか、隠居ぢやとか言はれるのが癪に障るので、已むを得ず結構な結構なウラル教の「ウラ」の二字を取り、アナナイ教の「ナイ」の二字をとつて、表ばつかり、裏鬼門金神の変性女子の教は一寸も無いと云ふ、生粋の日本魂のウラナイ教ぢや。お前も、同じ宣伝使になるのなら、喰はせものの三五教を廃めてウラナイ教になりなされ。あなたのお得ぢや。否々天下の為ぢや』 紫姫『素盞嗚尊さまは、それ程悪いお方で御座いますか。世界万民の為に千座の置戸を負うて、世界の悪を一身に引受け、人民の悪い事は、みな吾が悪いのぢやと言つて、犠牲になつて下さる神さまぢや有りませぬか』 黒姫『それはさうぢやけれども、モ一つ我が強うて改心が出来ぬものぢやから、神界のお仕組が成就しませぬ。何と言うても、高天原から、手足の爪まで抜かれて、おつ放り出される様な神ぢやから、大抵云はいでも分つとる。お前も能う胸に手を当てて御思案なさいませ』 紫姫『ウラナイ教には、ちツとも……仰有る通り裏がないので御座いますか』 黒姫『勿論の事、見えた向きの、正真正銘、併し乍ら、神様のお仕組は奥が深いからなア、一寸やそつとに、人間の理屈位では分りませぬ。マアマア暫く絶対服従で信神して見なさい。御神徳が段々分つて来るから』 斯く話す折しも、慌ただしく走り帰つた二人の男。 黒姫『ヤアお前は滝と板とぢやないか』 滝公、板公『ハイ左様で御座います』 黒姫『昨日から此処を飛び出した限り、どこをウロウロ迂路ついとつたのだい』 滝公『ハイ昨日遅がけに、一人の女が通りましただらう。それをあなたが捉まへて来いと仰有つたものだから、此奴ア又、梅公の故智に倣つて、一つ大手柄を現はし、あの女を入信させてやるか、あまり諾かねば、何れ三五教の奴だから、叩き潰してやらうかと思うて、あなたの御命令で追ひかけて行きました』 黒姫『誰が叩き潰せと言つたのか。丹波村のお節に違ひないから、捉まへて来いと言つたのだ、そして其お節を如何したのぢやい』 滝公『板公と二人、尻引き捲つて……お節は走る、二人は追ひかける、船岡山の手前までやつて来ると、日は暮れかける。お節は石に躓きパタリと倒れたので、其間に追ひつき、無理無体に手足を括り、暗の林に連れ往つて、グツと縛りつけ、猿轡を箝ませ、再び姿を改ため、……コレコレどこのお女中か知らぬが、コンナ所に悪者に括られて可愛想に……と云つて助けてやる。さうすれば如何なお節もウラナイ教の親切に感じて、三五教を思ひ切るだらう……と思ひまして、一寸智慧を出しました。さうした所が、お前さまがやつて来て、種々と仰有るものだから、暗がり乍ら御案内しました。……あなた覚えが御座いませう……忽ちお節は息が切れ、厭らしい声を出して、化けて出よつた、其途端に私は尻餅を搗いて、暗さは暗し、傍の谷川へサクナダリに落ち滝つ、腰イタツ磐根に打据ゑて、それはそれは酷い目に遭ひました。暫くは気を取り失うて、半死になつて了ひ、苦みて居るのに、あなたは側へ来て居り乍ら私を見殺しにして帰りなさつたぢやないか。何時も人を助ける助けると仰有るが、アンナ時に助けて貰はねば、常に御大将と仰いで居る甲斐がありませぬワ』 黒姫『そら何を云うのだ、妾が何故ソンナ所へ行く必要があるか、又何とした乱暴な事をするのだい。ソンナ事がウラナイ教の教にありますか。モウ今日限り、破門するツ、サア出て行け出て行け』 滝公『悪人は悪人とせず、鬼でも、蛇でも、餓鬼虫けらでも助けるのが、ウラナイ教ぢや有りませぬか。出て行けとはチツと聞えませぬワ』 黒姫『モシ紫姫さま、斯う云ふ取違する者がチヨコチヨコ出来ますので、誠に困ります。併し乍ら、コンナ者ばつかりぢや御座いませぬ。これは大勢の中でも、選りに選つて一番悪い奴で御座います。そして又入信してから、幾らもならぬものですから、つい脱線をしましてナ』 板公『モシモシ黒姫さま、余り甚いぢやありませぬか、私が悪人なら、モツとモツと大悪人が沢山居りますで……綾彦だつて、お民だつて、改心さしたのは、あなた知らぬか知らぬが、それはそれは大変な酷い事をやつて入信させたのだ。私も兄弟子の兵法を倣つて巧くやらうと思つたのが当が外れた丈のものですよ、あれ程喧しう下の者が噂をして居るのに、あなたの耳へ這入らぬ筈はない、一年からになるのに、世界が見え透くと云ふあなたが、知つとらぬとは言はれませぬ。腹の底を叩けば、「権謀術数的手段は用ゐるな。併し俺の知らぬ所では都合よく行れ、勝手たるべし」と云ふ、あなたの御精神でせう』 滝公『ソンナこたア、言はなくても定まつて居るワイ。あれ程、神の取次する者は、独身でなければ可かぬと仰有つた黒姫さまでさへも、ヤツパリ言うた事をケロリと忘れて因縁だとか、御都合だとか理屈を附けて、ハズバンドを持たつしやるのだもの、言ふ丈野暮だよ』 黒姫『何を言ふのだ。早う出て下さい』 滝公『都合が悪うおますかなア……初めての入信者の前ですから、成るべくは、コンナ内幕話は言ひたくはありませぬが、お前さまが今日から除名すると仰有つた以上は、今迄の師匠でもなければ、弟子でもない。力一杯奮戦して、どこまでも素破抜きませうか』 黒姫は唇を震はし、目を逆立て、クウクウ歯を喰ひしばつて、怒つて居る。 滝公『モシ黒姫さま、怒る勿れ……と云ふ事がありますなア。怒つて居るのぢやありませぬか。チツと笑ひなされ』 黒姫『ウームウーム』 と歯を喰ひしばり、目を剥いて居る。 紫姫『これはこれは滝さまとやら、板さまとやら、良い加減にお静まりなさいませ。夜前あなたがお節さまを悩めて御座る所を、妾外三人の者がよく見て居りました。黒姫さまは決してお出でぢやありませぬ。妾の連の鹿と云ふ男が黒姫さまの……暗を幸ひ……声色を使つたのですよ。それに黒姫さまがお出でになつたなぞと仰有つてはお気の毒ですワ、お節さまはこの奥へ来て、スヤスヤ寝みてゐらつしやいますよ』 滝公、板公『エー何と仰有る、お節さまが……そいちやア大変だ』 紫姫『さう御心配なされますな、青彦さまも見えて居ります』 滝公『ヤアうつかりして居ると、ドンナ目に合ふか分らぬぞ。仇討に……岩窟退治に来よつたのだなア。……オイ板公、黒姫さまはどうでも良い。生命あつての物種だ、見付からぬ間に、一刻も早く此場を退却だ』 と滝は駆出す。板も続いて、 板公『オイ合点だ』 と後を追ふ。黒姫は、 黒姫『オイこれこれ、滝公、板公、待つた待つた、言ひたい事がある』 滝板の両人は、岩穴の外から内を覗いて、 滝公、板公『黒姫さま、左様なら、ゆつくりと、青彦やお節に、脂を搾られなさつたが宜からう、アバヨ、アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ』 と云つた限り、何処ともなく……それ限りウラナイ教には姿を見せなくなりにけり。 紫姫は気の毒がり、 紫姫『モシモシ黒姫さま、お腹が立ちませうが、若い人の仰有る事、どうぞ宥して上げて下さいませ、……イヤもう人を使へば苦を使ふと申しまして、御苦心の程、お察し申します』 黒姫『これはこれは、ご親切によう言うて下さいました。無茶ばつかり申しまして困ります。これと言ふのも、決して決して、滝や板が申すのぢや御座いませぬ。又さう云ふ様な悪い事をする男ぢや有りませぬが、素盞嗚尊の悪神の眷属が憑つて、吾々を苦めやうと思うて、アンナ事を言つたり、したりするのです。チツとも油断はなりませぬ。悪神に使はれた、滝公板公こそ不憫な者で御座います、オンオンオン』 と泣き真似をする。 紫姫『黒姫さま、モウお休みなさいましたらどうでせう。大分夜も更けた様です』 黒姫『ハイ有難う、ソンナラお先へ御免蒙りませう。明日又ゆつくりと、根本のお話を聴いて貰ひませう』 紫姫『ハイ有難う』 と互に寝に就きにける。 (大正一一・四・二六旧三・三〇松村真澄録)
128

(1722)
霊界物語 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 11 相身互 第一一章相見互〔六三九〕 降りみ降らずみ空低う四辺は暗く黄昏れて 山時鳥遠近に本巣かけたか、かけたかと 八千八声の血を吐いて声も湿りし五月空 憂に悩める人々を教へて神の大道に 救はむものと常彦が鬼ケ城山後にして 足もゆらゆら由良の川蛇が鼻、長谷の郷を越え 生野を過ぎての檜山須知、蒲生野を乗り越えて 駒に鞭打つ一人旅観音峠の頂上に シトシト来る雨の空遠く彼方を見渡せば 天神山や小向山花の園部も目の下に 横田、木崎と開展し高城山は雲表に 姿現はす夜明け頃眼下の野辺を眺むれば 生命の苗を植つける早乙女達の田の面に 三々伍々と隊をなし御代の富貴を唄ふ声 さながら神代の姿なり。 常彦は峠の上の岩石に凭れ、夜の旅路の疲れを催し、昇る旭を遥拝しつつ、知らず識らずに睡魔に襲はれ居る。 観音峠の頂上さして、東より登り来る二人の乞食姿、 甲(滝公)『人間も、斯う落魄れては、どうも仕方がないぢやないか。何程男は裸百貫だと云つても、破れ襦袢を一枚身に着けて、斯うシヨボシヨボと、雨の降る五月雨の空、どこの家を尋ねても、戸をピツシヤリ閉めて、野良へ出て居る者ばつかり、茶一杯餐ばれる所も無し、谷川の水を掬つて飲めば、塩分はあるが、忽ち腹の加減を悪うして了ふ。裸で物は遺失さぬ代りに、何か有りつかうと思つても、せめて着物丈なつとなければ、相手になつて呉れる者もなし。純然たるお乞食さまと、誤解されて了ふ。実に残念だなア』 乙(板公)『天下を救済するの、誠の道ぢやのと、偉相に言つて居るウラナイ教の高城山の松姫も、今迄とは態度一変し、飯の上の蠅を払ふ様に虐待をしよつたぢやないか。これと云ふのも、ヤツパリ此方の智慧が足らぬからぢや。雨には嬲られ、風にはなぶられ、おまけに蚊にまで襲撃され、七尺の男子が、此広い天地に身を容るる所もなき様になつたのも要するに、智慧が廻らぬからだよ。あの梅公の奴を始め、松姫の如きは、随分陰険な代物だが、巧妙く黒姫に取入つて、今では豪勢なものだ。何とかして、モウ一度黒姫の部下になる訳にはいかうまいかなア』 甲(滝公)『一旦男子が広言を吐いて、此方から暇を呉れた以上、ノメノメと尾を掉つて帰ぬ事が出来ようか。鷹は飢ゑても穂を喙まぬ……と云ふ事がある。ソンナ弱音を吹くな、暗の後には月が出るぢやないか』 乙(板公)『人間の運命と云ふものは定まつて居ると見える。黒姫や高姫、松姫はどこともなしに、丸い豊な顔をして居るが、丸顔に憂ひなし、長顔に憂ひありと云つて、俺達は金さへ有れば、社会にウリザネ顔だと言つて、歓待る代物だけれど、今日の様な態になつては、ますます貧相に……自分乍ら見えて来る。自分から愛想をつかす様な物騒な肉体、何程馬鹿の多い世の中だと言つて、誰が目をかけて呉れる者が有らうか。アーア仕方がない。何とか一身上の処置を附ける事にしようかい。ヌースー式をやつては、神界へ対して罪を重ね、万劫末代苦しみの種を蒔かねばならず、実、さうだと言つて、自殺は罪悪であり、死ぬにも死なれず、困つた者だ。どうしたら此煩悶苦悩が解けるであらう。否スツパリと忘れられるだらう』 甲(滝公)『心一つの持ちやうだ。刹那心を楽むんだよ』 乙(板公)『貴様はまだ、ソンナ気楽な事を言つて居るが、衣食足りて礼節を知るだ。今日で三日も何も食はずに、胃の腑は身代限りを請求する。一歩も歩む事も出来なくなつて、どうして刹那心が楽めよう。刹那々々に苦痛を増ばつかりぢやないか。アーアこれを思へば、黒姫の御恩が今更の如く分つて来たワイ』 甲(滝公)『ヤア情ない事を言ふな。そら其処に三五教の宣伝使が立つて居るぞ』 乙(板公)『モウ斯うなつちやア、三五教もウラナイ教も有るものぢやない。食はぬが悲しさぢや。飢渇に迫つてから、恥しいも何も有つたものかい』 と常彦の佇む前に進み寄り、 乙(板公)『モシモシ、あなたは三五教の宣伝使ぢやありませぬか』 と力無き声に、常彦はフツと目を醒し、 常彦『アーア夜の旅で草臥れたと見えて、知らぬ間に寝込んで了うたワイ。……ヤアお前は乞食と見えるな。何ぞ御用で御座るか』 乙は何にも言はず、口と腹を指し、飢に迫れる事を示した。 常彦『ヤア一人かと思へば、二人連ぢやな。幸ひ、ここに握り飯が残つて居る。失礼だが之をお食りなさらぬか』 乙(板公)『ハイそれは有難う御座います。早速頂戴致しませう。……オイ滝公、助け船だ兵站部が出来たぞ。サア御礼を申せ』 滝公『アーそんなら頂戴しようかなア、恥しい事だ。旅人の弁当を貰つて食ふのは、生れてから始めてだ』 と四個の握り飯を分配し、二ツづつ、飛び付く様に平げて了ひ、 乙(板公)『アーアこれで少し人間らしい気がして来た。……イヤ宣伝使様、有難う御座います。……併し乍ら此先は又どうしたら宜からうかなア』 滝公『刹那心だよ。又神様がお助け下さる。心配するな。……何れの方か知りませぬが有難う御座いました。これでヤツと、こつちのものになりました』 と見上ぐる途端にハツと驚き顔を隠す。 常彦『ヤア失礼乍らあなたは、ウラナイ教の滝公さまぢやありませぬか。ヤアあなたは板公さま、どうしてそんな姿におなりなさつた。何か様子が御座いませう。差支なくばお聞かせ下さいませいなア』 板公『恥しい所、お目にかかりました。実は斯うなるも身から出た錆、何とも言ひ様がありませぬが、実の所は、あまり宣伝の効果が挙がらないので、一寸した事をやりました。それが此通り大零落の淵に沈む端緒となつたのです』 滝公『誠に赤面の至り、智慧も廻らぬ癖に、人真似をして、大変な失敗を演じ、闇の谷底へ転落し、生命カラガラな目に遭ひ、終には黒姫の御機嫌を損ねたのみならず、青彦、お節に踏み込まれ、一生懸命逃げて来ました。それから私等二人は高城山へ参り、松姫の前に尻を捲つて、ウラナイ教の内幕を暴露してやらうと、強圧的に出た所、中々の強者、吾々の智嚢を搾り出した狂言も、松姫に対しては兎の毛の露程も脅威を与へず、シツペイ返しを喰つて、生命からがら此処までやつて来ました。併し乍ら窮すれば乱すと云ふ諺もありますが、吾々は一旦誠の道を聞いた者、仮令餓死しても人の物を失敬する事は絶対に厭で堪らず、最早生命の瀬戸際、一生の大峠となつた所、あなたに巡り会ひ、一塊のパンを与へられて、漸く人間心地が致しました。これもアカの他人に恵まれるのであつたならば残念ですが、有難い事には、一旦御心易うして居たあなたに救はれたと云ふのも、まだ天道は吾々を棄て給はざる証と、何となく勇気が出て来ました』 常彦『今のお言葉に、青彦お節が黒姫の所へ往つたと仰有つたが、ソレヤ本当ですか』 滝公『ヘエヘエ本当も本当、一文生中の、掛値も御座いませぬ。今頃は黒姫も、青彦お節其他の二三人の男女に欺かれて、道場を破られ、フサの国へでも逃げて行つたかも知れますまい、高城山の松姫の様子が何だか変で御座いましたから……』 板公『ナーニ黒姫はそんな奴ぢやない。キツと青彦、お節は袋の鼠、舌の先で巧くチヨロまかされて居るに違ひない。それよりも惜しいと思うのは、紫姫さまに、馬公鹿公と云ふ若い男だ。キツと、ウラナイ教に沈没して居るに相違ない』 常彦『ハテナ、吾々も御両人の知らるる通り、ウラナイ教のカンカンであつたが、余り内容が充実せないのと、黒姫の言心行一致を欠いだ其点が腑に落ちず、又数多の信者に対して、吾々部下の宣伝使として弁解の辞がないので、アヽ最早ウラナイ教は前途が見えた。根底から崩れて了つた。斯う云ふ事で、どうして天下の修斎が出来ようぞ、信仰に酔払つた連中は今の所、稍命脈を保つて居るが、酔払つた酒は何時しか醒める如く、信仰も追々冷却するは当然の帰結と、前途を見越して、ヤツパリ天下を救ふは三五教だと、直に三五教に入信し、鬼ケ城の邪神退治と出掛け、それより諸方を宣伝し廻つて居るのだ。それにしても合点のゆかぬは、あれ程決心の堅かつた青彦、お節に紫姫さまぢや。これには何か深い様子が有る事であらう。コラ斯うしても居られない。一時も早く魔窟ケ原へ行つて、事の真偽を確め、其上で又作戦計画を定めねばなるまい。アーア困つた事が出来たワイ』 と手を組んで太い息をつく。 滝公『これに就て常彦さま、あなたは何かお考へがありますか。ならう事なら、私達も共々に三五教の為に尽さして頂きたいのですが、何を言うても零落れた此体、あなたの顔にかかはりますから……』 常彦『ソラ何を仰有る。衣服は何時でも替へられる。あなたの今迄の失敗の経験に会つて鍛へ上げられたる其身魂は、容易に得られるものでない。何は兎も角一緒に参りませう。また都合の好い所が有れば、衣服でも買つて上げませう。兎も角青彦以下の救援に向はねばならぬ。サア滝公、板公、参りませう』 二人は何にも言はず、嬉し涙に暮れ乍ら、常彦の後に従ひ、西北指して、今迄の衰耗敗残の気に充された態度は忽ち枯木に花の咲きし如く、イソイソとして従いて行く。 山頭寒巌に倚りて立てる古木も春の陽気に会ひて深緑の芽を吹き出したる如く、青ざめた顔は忽ち桜色と変り、常彦に絶対服従の至誠を捧げつつ、花咲き匂ふ枯木峠を打渡り、神の救ひをエノキ峠の急坂後に見て、握り拳をホドいて夏風に、そよぐ蕨の野辺を打渡り、とある茶店に立入りて、再び腹を拵へ忽ち太る大原の郷、テクテク来る須知山峠の絶頂に、青葉を渡る涼しき夏の風を受け乍ら、かたへの巌に腰打掛け、 常彦『アヽ早いものだ、モウ一息で聖地に到着する。世継王山の山麓には、悦子姫さまの経綸場が出来たと云ふ事だ。一つ立寄つて見ようかな。大抵青彦の様子も分らうから………イヤイヤ今度は素通をして、青彦に対面し、救はるるものならば、どこまでも誠を尽して忠告を与へ、其上にて悦子姫様の庵を御訪ねする事にしよう。幸に青彦以下が改心をして、三五教に復帰したとすれば、先へ妙な事をお耳に入れ置くのは却て青彦の為に面白くない。友人の道として絶対秘密にしてやるが本当だらう』 滝公『青彦さまはよもや、ウラナイ教になつて居る気遣ひは有りますまい』 板公『何とも、保証がでけぬ、突然の事で吾々も岩窟退治に来たのだと思つて驚いたが、後になつてよくよく考へて見れば、どうも黒姫と云ひ、青彦、紫姫さま其他の顔色に少しも変な色が浮かんで居らなかつた。黒姫の魔術に依りて剣尖山の滝の麓でうまくシテやられたのかも知れない、兎も角も常彦さまをお頼み申して、吾々も弟子となつた以上は、青彦さま一行を元の道へ救はねばなりますまい。これから首尾能く凱旋する迄、悦子姫様の庵を訪ねなさらぬ方が、万事の都合が良い様に思ひます。ナア常彦さま』 常彦『アヽ私はさう考へるのだ。何に付けても大事件が突発した様なものだ』 と話す折しも、坂を登り来る二人の男、 男(荒鷹、鬼鷹)『ヤアあなたは常彦さまぢやありませぬか。何処へお出でになつて居ました?吾々二人は丹州と共に弥仙山の麓に当つて、紫の雲、日々立昇るのを見て、コレヤ何か神界の経綸が有るのだらうと其雲を目当に参りました。所が近くへ寄つて見れば、恰度虹の様で、其雲は一寸向ふの方に靉靆いて居る。コレヤ大変だ、どこまで行つても雲を掴むとは此事だと、丹州さまにお別れをして、ここまでやつて来ました』 常彦『ヤアお前は鬼ケ城言霊戦の勇士、荒鷹、鬼鷹のお二人さま、どこへ行く積りだ』 荒鷹『丹州さまは吾々に向ひ仰有るには、一寸神界の御用があるから弥仙山を中心として暫く此辺を探険しようと思ふから、お前達はこれから聖地を指して進んで行け。併し乍ら聖地に立寄る事はならぬ。須知山峠を指して行けとの御言葉、どこを目的ともなくやつて来ました。其時々に神が懸つて知らしてやるから、安心して行けとの事、大方伊吹山の邪神退治に行くのではなからうかと思つて参りました。併しあなたのお顔を見るなり、何だか向ふへ行くのが張合が抜けた様な気がしてなりませぬワイ』 常彦『それは不思議な事を聞くものだ。何か外に聞いた事は有りませぬか』 鬼鷹『ヤア有ります有ります、大変な変つた事があるのですよ』 常彦『変つた事とは何ですか』 鬼鷹『弥仙山の麓の村に、お玉と云ふ娘があつて、夫も無いのに腹が膨れ、十八ケ月目に生み落したのが女の子、玉照姫とか云つて、生れてから百日にもならないのに、種々の事を説いて聞かせる、さうして室内を自由に立つて歩くと云ふ噂で……あの近在は持切りで御座います。それに就て、ウラナイ教の黒姫の奴、抜目のない……其子供を何んとか彼とか云つて、手に入れようとし、幾度も使を遣はし、骨を折つて居るさうですが、爺と婆アとが、中々頑固者で容易に渡さない。家の血統が断れると云つて居るさうです。なかなかウラナイ教も抜目がありませぬなア』 常彦『不思議な事が有るものだなア。兎も角吾々も一度其子が見たいものだが、それよりも先に定めた問題から解決せなくてはならぬ。其問題さへ解決がつかば、黒姫の様子も分り、子供の因縁も分るだらう。併し鬼鷹さま、荒鷹さま、あなたは何処へ行く積りか』 荒、鬼『まだ行先不明……私の行く所は何処で御座います……と実はあなたにお尋ねしたいと思つて居るのです』 常彦『兎も角丹州さまのお言葉通り、行く所までお出でなさいませ。神の綱に操られて居るのだから、今何を考へた所で仕方が有りますまい。併し丹州さまは……あなた方、何と思うて居ますか』 荒鷹『どうもあの方は、吾々としては、正とも邪とも、賢とも愚とも、見当が取れませぬ。つまり一種の……悪く言へば怪物ですなア。併し何とも言はれぬ崇高な所があつて、自然に吾々は頭が下がり、何程下目に見ようと思うても、知らぬ間に吾々の守護神は服従致します』 鬼鷹『私も同感です。何でも特別の神界の使命を受けた方に違ひありませぬワ、元吾々が使つて居つた其時分から、少し変だなアと思うて居た。今日の所では、兎も角不可解な人物だ。時々頭上より閃光を発射したり、眉間からダイヤモンドの様な光が放出して忽ち人を射る。到底凡人の品等すべき限りではありませぬワ』 常彦、手を組み、首をうな垂れ、思案に暮れて居る。荒鷹、鬼鷹は、 荒鷹、鬼鷹『左様なら常彦さま、又惟神に再会の時を楽みませう』 と一礼して、スタスタ坂を南へ下り行く。常彦は少しも気付かず、瞑目して俯むいて居る。 滝公『モシ常彦さま二人の方はモウ行かれました』 と背中を揺る。常彦は夢からさめた様な心地、 常彦『ナニ、二人はモウ行かれたと……エー何事も神様のお仕組だらう。とも角、弥仙山麓へ往つて見たいやうな気がするが、始めに思ひ立つた青彦の事件から解決するのが順序だ。サア皆さま、参りませう……』 (大正一一・四・二八旧四・二松村真澄録)
129

(1723)
霊界物語 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 12 大当違 第一二章大当違〔六四〇〕 月傾いて山を慕ひ人老て妄りに道を説くとかや 弥仙の山の麓なる賤が伏家の豊彦は 三五教の宣伝使悦子の姫の一行に 娘のお玉を助けられ世にも優れし初孫の 顔を眺めて老夫婦蝶よ花よと労はりつ 神の教を説き諭す此事四方に何時となく 風のまにまに伝はりて於与岐の郷の爺さまは 弥仙の山と諸共に其名も高くなりにける 老若男女は絡繹と蟻の甘きに集ふが如く 豊彦老爺の教示をば神の如くに敬ひて 昼は終日夜は終夜救ひを求めて詣り来る。 中に目立つて三人の大男、宣伝使の服を着けながら、 男『御免なさいませ。私は富彦、寅若、菊若と申す者、此度弥仙山のお宮に参拝を致し、神勅に依りて承はれば、此山麓の一つ家に豊彦と云ふ方現はれ、誠の教を伝ふる故、汝等三人は帰路に立寄り、彼れ豊彦をウラナイ教に誘ひ帰れ、娘のお玉及び今度生れた玉照姫を本山に迎ひ帰れ……との、有り有りとの御神示、神様のお言葉は疑はれずと、弥仙の山麓を彼方此方と探す内、道行く人に承はれば於与岐の森の彼方の一つ家こそ、豊彦さまの住宅と聞いた故、御神勅により出張仕りました』 と門口に立つた儘呶鳴つて居る。幸ひ今日は参詣者もなく、老夫婦と娘、孫の四人、弥仙の神霊を祀りたる霊前に、拝跪黙祷する最中であつた。豊彦は拝礼を終へ、門口近く進み来り、 豊彦『どなたか知らぬが、門口に何か尋ぬる人が有るらしい、何れの方か、先づ戸を開けてお這入りなされませ』 寅若『ハイ有難う』 と斜交になつた雨戸をガラリと開け、 寅若『ヤア随分立派な家だなア……オイ富彦、菊若、這入れ、……汚い家に不似合な綺麗な娘さまが御座るなア、下水に咲いた杜若と云はうか、谷底の山桜、これはどつか良い所へ植替へたならば、随分立派な者になるだろう』 豊彦『コレコレお前さまの仰有る通りムサ苦しい茅屋なれど、これでも私の唯一の休養場ぢや、……あまり失礼ぢやありませぬか』 と足音荒く、破れ畳を威喝し乍ら、上り口に下りて来て、ジロジロと三人の顔を睨みつけて居る。 寅若『ヤアこれはお爺さま、誠に失言を致しました。決して悪く申したのぢや御座いませぬ。少しも飾りのない、正直正銘な、心に映じた儘を申上げたのだから、お悪く思つて下さいますな、歪みかかつた家を、立派な家だと云つた方が却つて嘲弄した事になりませう。お多福を掴まへて、お前は別嬪だと言へば、お多福は馬鹿にしたと言つて怒る様なもので、兎も角も神の道に仕へて居る者は、チツとも斟酌とか巧言とかが有りませぬ、お気に障りましたら、どうぞ宥して下さいませ』 豊彦『ソレヤお前の言ふ通りぢやが、併し碌に挨拶もせないで、イキナリ吾々の住宅を非難すると云ふのは、あまり此方も気の良いものぢやない。お前も宣伝使だと仰有つたが、斯う云うたら人が感情を害するか、害せないか位は分りさうなものだなア』 寅若『只今申したのは決して寅若では有りませぬ。弥仙山に鎮まります大神の眷属、寅若天狗が言つたのです。天狗と云ふ奴は世に落ちぶれて、神様の下働きばつかりやつて居ますから、行儀も無ければ、作法も知らず、酒呑みの極道天狗もあり、どうぞお赦し下さいませ。何分身魂が研け過ぎて居るものだから、感じ易うて直に憑られて困ります、アハヽヽヽ』 豊彦『さうして御神勅の趣はどう云ふ事だ、早く聞かして貰ひませう』 寅若『御存じの通り、私はあまり素直な身魂で、種々の神が憑依致しますから、余程審神をせねばなりませぬが、此富彦と云ふ宣伝使は、それはそれは立派な者で御座います。実は富彦に御神勅が有つたのです。サア富彦さま、御神勅の次第をお爺さまにお知らせなされ』 富彦、両手を組み、威丈高になり、 富彦『コヽヽ此方は、弥仙山に守護致す木花咲耶姫であるぞよ。此度汝が家に、木花姫の御霊、玉照姫を遣はしたのは、深き仕組の有る事ぢや、何事も皆神からさせられて居るのだから、吾子であつて、吾子ではないぞよ。体内に宿つて十ケ月目に生れ出でたる此玉照姫は、神のお役に立てる為に、昔から因縁の身魂を探して、其方が娘に御用をさせたのであるぞよ。サア是れからは其玉照姫を神の御用に立てるが良いぞよ。神の申す事を諾かねば諾く様に致して諾かしてやるぞよ。返答はどうぢや、豊彦、承はらう』 豊彦、平気な顔でニタリと笑ひ、三人の顔をギヨロギヨロ眺め、 豊彦『ハヽヽヽヽ、お前達、巧妙い事を行りますなア。田舎の老爺ぢやと思うて、一杯欺けようと企んで来ても、斯う見えても此爺はナカナカ、酢でも蒟蒻でも行く奴ぢやない。お前達とは役者が七八枚も上だから、其手は喰ひませぬワイ、アツハヽヽヽ、なる程人間の子は十月で生れるだらうが、此方の子はそんな仕入とはチツと種が違ふのだ。神さまもタヨリ無いものだなア。実際お前様に大神が懸つて仕組まれたのならば、此玉照姫は何時宿つて、何ケ月目に分娩したか、又何と云ふ方が取上げて下さつたか分つて居る筈だ。サアそれを聞かして下さい』 富彦、汗をタラタラ出し、真青な顔をして、 富彦『ヤア大神と云つたのは実は眷属だ。……ケヽヽ眷属はモウ引取る。今度は本当の大神様がお憑りなさるから、御無礼を致してはならぬぞ。ウーム』 と言つた限り、パタリと倒れ、又もや手を振つて、姿勢を直し、 富彦『今度こそは真正の神だ。頭が高い、下れ下れ下り居らう……』 豊彦『ヘン、又かいな、どうで碌な神ぢやあるまい。大方羽の無い天狗か、尾の無い狐なんかだらう。随分此暑いのに、そんな芸当を無報酬でやつて見せて下さるのも大抵ぢやない。あんたは慈悲心の深い人ぢや、其点丈は此爺も大いに感謝する。今朝も二三人参つて来よつたが、お前の様な野天狗憑がやつて来て、法螺を吹くの吹かんのつて、随分面白かつた。お前もウラナイ教の宣伝使なら、モ一つ修業をなされ。其様な事で衆生済度なぞとは、思ひも寄りませぬぞい』 富彦『大神に向つて無礼千万な、其方は此神を嘲弄致すか。量見ならぬぞ』 豊彦『ハヽヽヽヽ、此方から量見ならぬ。サア一つ審神してやらう。……娘のお玉の妊娠の日は何時ぢや。何ケ月孕んで居つた、ハツキリ云うて見よ。十月位で出来た様な普通の粗製濫造品とはチツと違ふのだ。特別神界から念に念を入れて、鍛錬に鍛錬を加へ調製された玉照姫だよ。サアサア当てて御覧なさい』 富彦『十二ケ月だ。間違ひなからう。此お玉は牛の綱を跨げたに依つて、十二ケ月掛つたのぢや。どうぢや恐れ入つたか』 豊彦『アハヽヽヽ、これ富彦さんとやら、良い加減に、そんな芸当はお止めなさい。随分エライ汗だ』 富彦『大神は折角結構な事を言うて聞かしてやらうと思ひ、因縁の身魂に憑つて知らしてやれ共、此爺は我が強うて、少しも改心致さぬから、神は已むを得ず、帳を切つて引取るより仕方はないぞよ。後で後悔致さぬ様に気を付けて置くぞよ』 豊彦『ヘエヘエ有難う御座んす。お狸さまか、お狐さまか知らぬが、斯う見えても、此家は神様の立派なお宮だ。エー四足の這入る所ぢやない。穢らはしい、出て下さい、玉照姫様が大変御機嫌が悪い。サアサア帰なつしやい帰なつしやい』 と箒を把つて掃き立てる。富彦は手持無沙汰に、手拭で顔を拭いて居る。 寅若『オイ爺さま、あまりぢやないか。人を埃か何ぞの様に、箒で掃き出すと云ふ法があるか。よい年して居つて、チツと位行儀作法を心得たらどうだい』 豊彦『エーエー神様のお宮の中へ、ノコノコ這入つて来る四足に、行儀も何も要るものかい、行儀と云ふものは人間同士、又は人間か、より以上の神様に対してこそ必要だ。グヅグヅ吐すと、此箒が頭の上まで参るぞ』 菊若は爺の振り上げた箒をクワツと掴み、 菊若『モシモシお爺さま、お静まり下さい。短気は損気だ。さうお前の様に神懸をけなしては話が出来ぬ。マア静まつた静まつた』 豊彦『お前達に説教を聴く耳持たぬ。斯う見えても、此豊彦は神様の御神徳を頂いて、何処の教にもつかず、独立独歩で、神様直接の御用を致して居るのだ。人を助けるのは神の道だから、お前さへ改心して、低うなつて来れば、どんな結構な事でも教へてやるが、そんな態度では一息の間も置く事は出来ぬ。サアサア帰つた帰つた』 お玉『お爺さま、あまり酷い事を言はぬが宜しい』 豊彦『コレコレお玉、お前は黙つて居なさい。又こんな奴に因縁を附けられては煩雑いから……』 寅若『ヤアお玉さま、話せる、さうなくては女ではない。ヤツパリ社交界の花は女だ。挨拶は時の氏神、そこを巧く斡旋の労を取つて下さい。お前さま所の床の置物を御覧なされ。私等が此処の門を潜るや否や、能うお出やす……と云つて、あの長い頭をうちつけて、福禄寿の像が叮嚀に挨拶をして居るぢやないか。あんな無心の福禄寿さまでも、吾々の御威勢には……いや神格には感応して、畏まつて御座る。それに此お爺さまはあまり剛情が過ぎる。私達が言つても、中々年寄りの片意地で諾かつしやるまいから……娘にかけたら目も鼻も無い爺さまに、お玉さまからトツクリと気の軟らぐ様に言つて下さい』 お玉『ホヽヽヽヽ』 豊彦『エー帰ねと言つたら帰なぬか』 と床が落ちる程四股を踏む。三人は、 三人『エーお爺さま、又お目にかかります。今日は大変天候が悪いから……又日和を考へてお邪魔に参ります』 豊彦『エーグヅグヅ言はずに、早く帰んで呉れ、玉照姫様の御機嫌が悪くなると困るから……オイ婆ア、塩持つて来い。そこらを一つ浄めないと、何だか四足の香がして仕方がないワ、アハヽヽヽ』 三人は突出される様に怪訝な顔して此家を立出で、スタスタと弥仙山の急坂にさしかかる。 菊若『オイ此処らで一つ、一服しやうぢやないか』 寅若『あまり怪体が悪くつて、黒姫さまに会はす顔がない。休む気にもならぬぢやないか。そこらの蝶々や糞蛙まで、俺達の顔を見て、馬鹿にして居やがる様な心持がする。どつか、蛙や蝶の居らぬ所へ行つて一服しやうかい』 と胸突坂を後から追手にでも追ひかけられる様な、慌てた姿で、三本桧の麓までやつて来た。 三人『アヽ此処に良い休息所がある。清水も湧いて居る。水でも飲んで、ゆつくりと第二の作戦計画に着手する事としやうかい』 三人は樹下に涼風を入れ乍ら、雑談に時を移した。 菊若『これ程名高くなつた豊彦と云ふ爺も、あの玉照姫と云ふ赤ん坊が出来て、それがイロイロの事を知らすと云ふのが呼びものになつて、毎日日日、桃李物言はずして小径をなす様に、あちらこちらから、信者が集まるのだ。黒姫さまが毎朝起きて、行水をなさると東の天に当つて紫の雲が靉靆くから、何でも弥仙山の方面に違ひないから一遍偵察に行て来いと言はれ、此間、俺一人此山麓まで来て見ると、大変な人気だ。紫の雲の出所は、どうしても、あの茅屋に間違ひない。そして毎晩東の天に当つて大変な綺麗な星が輝き始めた。偉人の出現には、キツと天に明星が現はれると云ふ事だが、テツキリそれに間違ないと、直に立帰つて報告をした所、黒姫さまは……「マア待て、一週間水行をして、ハツキリと神勅を受ける」と仰有つて、夜、丑の刻から起き出でて、皆の知らぬ間に、何百杯とも知れぬ水行を遊ばした結果、イヨイヨそれに間違ない。グツグツして居ると、三五教の奴に取られて了ふから、お前達早く外の者に秘密で、其子供を貰つて来い……との御仰せ、あんな茅屋の娘、二つ返事でウラナイ教に、熨斗を付けて献上するかと思ひきや、今日の鼻息、到底一通りや二通りでは、梃子に合はぬ。それに寅若の先生、最初からヘマな神懸り[※三版・御校正本・愛世版では「神懸り」、校定版では「神憑り」。]を行つて爺に睨まれ、第二線として現はれた富彦は、老爺の審神に睨まれ、ヨロヨロと受太刀になり……これはヤツパリ野天狗で御座いました……と出直した所は巧いものだが、今度又大神と、太う出やがつて、零敗を喰はされ、最早回復の見込みなく、終局の果てにや、箒で掃出された無態さ……斯んな事を、怪我の端にでも、黒姫さまや外の連中に聞かれようものなら、馬鹿らしくつて、外も歩けやしない。何とか一つ智慧を絞り出して、会稽の恥を雪がねばなるまい。何ぞよい考へはなからうか』 寅若『別に方法手段もないが、先づ梅公式だなア。それが最後の手段だ』 富彦『梅公式を行り損なうと、滝板式になり、終局におつ放り出されにやならぬ様な事になると大変だ。此奴ア一つ、熟思熟考の余地は充分に存するぞ』 寅若『ナーニ、目的は手段を選ばずだ。善の為にするのだから、別に罪になると云ふ事もあるまい。一つ決行しやうぢやないか』 菊若『アヽ結構々々、結構毛だらけ、猫灰だらけだ。弥仙山の大神さまは、猫が使者だと云ふ事だ、何でも今度は猫を被つて、梅滝流を行らうぢやないか』 富彦『梅滝流とはソラ何だ』 菊若『其正中を行くのだ。普甲峠の梅公の行り口は、味方八人も居つたものだから、大変に都合が好かつた。船岡山の近所で行つた滝板の芝居は、何分役者が少いものだから、バレて了つたのだよ。併し吾々三人では、どうする事も出来ぬぢやないか、三人寄れば文珠の智慧と云つても、程よい考案が浮んで来ない。ハテ困つた事だなア』 寅若『噂に聞けば、明日はお玉が七十五日の忌明で、弥仙山へお参りするさうだ。どうぢや。吾々三人は一つ、体一面に日蔭葛でも被つて、お玉の参詣路を脅かし、グツと括つて猿轡を箝め、山伝ひに連れ帰り、さうして外の連中を爺の家へ差し向け、「お前さまの家は、大事のお玉さまを悪者の為に拐かされたさうぢや。気の毒なが、何と吾々が力一杯骨を折つて探して来るから、其褒美に玉照姫さまを、三日でも、四日でもよいから、貸して下さらぬか」……と云つて、チヨロまかすより外に途は有るまい、どうだ賛成かなア』 菊若、富彦『ヤアあまり名案でもないが、斯うなれば仕方が無い。マアそれ位な事で辛抱しやうかい。併し巧くいかうかな』 寅若『何は兎も角一遍都合よくいく様に、お空の大神様へ参拝をして来う。今晩中三人が一生懸命に、木花姫様の御分霊の前で、祈つて祈つて祈り倒すのだ、さうすれば神さまだつて……終局にや五月蠅いから……エー仕方がない、一遍は諾いてやらう……と仰有るに違ひない。さうでなくちや、どうしてウラナイ教へ帰る事が出来ようか。青彦さまや、紫姫さまに恥かしいぞ』 と云ひ乍ら、山上目蒐けて進み行く。一夜は頂上の社前に夜を明かし、一生懸命に願望成就の祈願を凝らし居る。果して大神様は御聴許遊ばすであらうか。 (大正一一・四・二八旧四・二松村真澄録)
130

(1726)
霊界物語 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 15 遠来の客 第一五章遠来の客〔六四三〕 米価の騰貴る糠雨が、赤い蛇腹を空に見せて居る。八岐大蛇に憑依されしウラナイ教の頭株、鼻高々と高姫が、天空高く天の磐船轟かしつつフサの国をば後にして、大海原を乗越えて、由良の港に着陸し、二人の伴を引き連れて、大江の山の程近き、魔窟ケ原に黒姫が、教の射場を立てて居る、要心堅固の岩窟に勢込んでかけ来る。 梅公は目敏く高姫の姿を見て、叮嚀に会釈しながら、 梅公『ヤア、これはこれは高姫様、お達者でしたか、遠方の所ようこそ御飛来下さいました。黒姫様がお喜びで御座いませう、サアずつと奥へお通り下さいませ』 高姫は四辺きよろきよろ見廻しながら、 高姫『嗚呼大変に其辺あたりが変りましたね、これと云うのもお前さま達の日頃の丹精が現はれて、何処も彼もよく掃除が行届き、清潔な事』 梅公『エヽ、滅相な、さう褒めて頂いては実に汗顔の至りで御座います、サア奥へ御案内致しませう』 高姫『黒姫さまは在宅ですかな』 梅公『ハイ高山さまも、御両人とも朝から晩迄それはそれは羨ましい程お睦まじうお暮しで御座います』 斯る処へ黒姫はヌツと現はれ、 黒姫『マア高姫様、ようこそお出下さいました。何卒悠くりお休み下さいませ』 高姫『黒姫さま、久し振りでしたねえ、高山彦さまも御機嫌宜敷いさうでお目出度う御座います』 黒姫『ハイ、有難う御座います、頑固なお方で困つて居ります』 高姫『ヤア、人間は頑固でなければいけませぬ、兎角正直者は頑固なものですよ、変性男子式の身霊でなくては到底神業は成就致しませぬからな。時に黒姫さま、貴女は日々この自転倒島の大江山の近くに、紫の雲が立ち昇り、神聖なる偉人の出現して居る事は御存じでせうね』 黒姫『ハイハイ委細承知して居ります』 高姫『承知はして居ても又抜かりなく、其玉照姫とやらをウラナイ教に引き入れる手筈は調うて居ますか』 黒姫『仰しやる迄もなく、一切万事羽織の紐で、黒姫の胸にチヤンと置いて御座います。オホヽヽヽ』 高姫『ヤアそれで安心しました、愚図々々して居ると、また素盞嗚尊の方へ取られ仕舞つては耐りませぬからなア、私は夫れ許りが気にかかつて、忙しい中を飛行機を飛ばして態々やつて来ました。そうして肝腎の目的物はもう手に入りましたか』 黒姫『イヤ、今着々と歩を進めて居る最中なんです。それについては斯様斯様こうこうの手段で』 と耳に口寄せて、綾彦夫婦の人質に使用する事も打ち明けて、得意の顔を輝かす。 高姫『善は急げだ。如才はあるまいが一日も早くやらねばなりませぬぞえ、私もそれが成功する迄は気が気ぢやありませぬ、私も此処で待つて居ませう、玉照姫が手に入るや否や、飛行機に乗せてフサの国に帰りませう』 黒姫『高姫さま、お喜び下さいませ、一旦三五教に堕落して居た青彦が、神様の御神力に往生して帰つて来ました』 高姫『何と仰有る、あの青彦が帰りましたか、それはマアマアよい事をなさいました。遉は千軍万馬の功を経た貴女、いやもうお骨が折れたでせう、貴女の敏腕家には日の出神も感服致しました。時に夏彦、常彦は何うなりましたか、なんだか居ないやうですな』 黒姫『ヘイ、彼奴はたうとう三五教に眈溺して仕舞ひました。併し乍ら之も時間の問題です、きつと呼び帰して見せます。何か神界のお仕組でせう、ああして三五教に這入り、帰りには青彦のやうに沢山の従者を連れて帰るかも知れませぬ』 高姫『さう楽観も出来ますまいが、艮の金神様は何から何迄抜け目のない神様だから屹度深い深いお仕組があるのでせう』 黒姫『貴女にお目にかけ度い方が一人あります、それはそれは行儀と云ひ、器量と云ひ、知識と云ひ、言葉遣ひと云ひ、何から何まで穴のない三十三相揃うた観自在天のやうな淑女が信者になられまして、今は宣伝使の仕込み中で御座います、何うか立派な宣伝使に仕立てあげて、貴女様に喜んで頂かうと思つて日々骨を折つて居ります、まア一遍会うて見て下さい、幸ひ其方も青彦も、青彦の連れて来た鹿公も、馬公と云ふそれはそれは実に男らしい人物も来て居ります、真実に掘出しものです、きつとウラナイ教の柱石になる人物ですなア』 高姫『それは何より結構です』 と話す折しも高山彦は、羽織袴の扮装、此場に現はれて、 高山彦『ヤア高姫さま、久し振りで御座いました、ようマア遥々と御入来、御疲労で御座いませう、サアどうぞ悠くりして下さいませ』 高姫『ヤア高山彦さま、貴方は幾歳でしたいなア、大変にお若く見えますよ、奥さまの待遇が好いので自然にお若くなられますなア、私は此通り年が寄り、歯が抜けてもうしやつちもない婆アですが、貴方とした事わいなア、フサの国に居らした時よりも余程お元気な、お顔の色が若々として、私でも知らず識らずに電波を送るやうになりましたワ。オホヽヽヽ』 高山彦『高姫さま、何うぞ冷やかさずに置いて下さい、若い者ぢやあるまいし、いやもう斯う見えても年と云ふものは嘘を吐かぬ者で、気許り達者で体が何となしに無精になります』 高姫『余り奥さまの御待遇が好いので、いつも家に許り居らつしやるものだから、自然に体が重くなるのでせう、私も貴方のやうな気楽な身になつて見度う御座いますワ、オホヽヽヽ』 黒姫『今日は遠方からの高姫さまのお越し、それについては青彦、紫姫、其他一同の者を集めて貴女の歓迎会やら祝を兼ねて、お神酒一盃頂く事にしませうか』 高姫『何うぞお構ひ下さいますな、併し私の参つた印に皆さまにお神酒を上げて貰へば尚更結構です』 黒姫はツト立つて「梅梅」と呼んだ。 此声に梅公は慌ただしく走り来り、 梅公『何御用で御座いますか』 黒姫『今日は高姫様の久し振のお越しですから、皆々お神酒を頂くのだから、其用意をして下さい』 梅公『ハイ畏まりました、嘸皆の者が喜ぶことでせう』 といそいそとして納戸の方に姿を隠した。紫姫は青彦と共に此場に現はれ、叮嚀に手をつかへ、 紫姫『これはこれは高姫様で御座いますか、貴い御身をもつて能くも遠方の所入来られました。私は都の者、元伊勢様へ二人の下僕を連れて参拝致します折、黒姫さまの熱心なる御信仰の状態を目撃しまして、それから俄に有難うなり、三五教の信仰を止め、お世話になつて居ます。何うぞ今後は御見捨てなく宜敷く御指導をお願ひ致します』 青彦『私は御存じの青彦で御座います、誠に不調法許り致しまして、大恩ある貴女のお言葉を忘れ、三五教に眈溺致し、大神様へ重々の罪を重ね、何となく神界が恐ろしくなりましたので、再び黒姫様にお詫を申し、帰参を叶へさして頂きました、何うぞ宜敷くお願ひ致します』 高姫『ヤア紫姫さまに青彦さま、皆因縁づくぢやから、もう此上は精神をかへては不可ませぬぞえ、貴女は黒姫さまに聞けば、立派な淑女ぢやと仰有いましたが、如何にも聞きしに勝る立派な人格、日の出神の生宮も、全く感服致しました』 紫姫『さうお褒め下さいましては不束かな妾、お恥かしうて穴でもあれば這入り度くなりますワ』 高姫『滅相な、何を仰有います、貴女は身魂がよいから、もう此上御修業なさるには及びますまい、貴女は此支社に置いておくのは勿体ない、私と一緒に北山村の本山へ来て貰つて、本山の牛耳を執つて貰はねばなりませぬ。これこれ青彦、お前も確りして今度は私について来なさい、此処に長らく置いておくと剣呑だ、大江山の悪霊が何時憑依して又もや身魂を濁らすかも知れないから、今度は或一つの目的が成就したら、高姫と一緒にフサの国の本山に行くのだよ』 青彦『アヽそれは何より有難う御座います、私の変心したのをお咎めもなく、本山迄連れて帰つてやらうとは、何とした御仁慈のお言葉、もう此上は貴女の御高恩に報ゆるため、粉骨砕身犬馬の労を厭ひませぬ』 高姫『アヽ人間はさうなくては叶はぬ、空に輝く日月でさへも、時あつて黒雲に包まれる事がある。つまり貴方の心の月に三五教の変性女子の黒雲が懸つて居たのだ。迷ひの雲が晴るれば真如の日月が出るのぢや、アヽ目出度い目出度い、これと云ふのも黒姫さまのお骨折り』 と高姫は一生懸命に褒めそやして居る。かかる処へ、 梅公『モシモシ、準備が出来ました。皆の者が待つて居ます、何うぞ皆さま奥の広間へお越し下さいませ』 黒姫『ヤア、それは御苦労であつた。サア高姫さま、紫姫さま、高山さま、青彦さま参りませう』 と先に立つ。高姫は鷹の羽ばたきしたやうな恰好しながら、いそいそと奥に入る。一同は高姫導師の下に神殿に向ひ天津祝詞を奏上し、続いて日の出神の筆先の朗読を終り弥々直会の宴に移つた、高姫は歌を謡つた。 高姫『フサの御国の空高く鳥の磐樟船に乗り 雲井の空を轟かせ一瀉千里の勢ひで 西より東へ電の閃めく如くかけ来り 世人の胸を冷しつつ高山、低山乗り越えて 天の真名井も打ち渡り安の河原を下に見て 瞬くひまに皇神の日の出の守護の著く 由良の港に着陸し鶴亀二人を伴ひて 千秋万歳ウラナイの教の基礎を固めむと 東に輝く明星を求めて此処に来て見れば 神の経綸の奥深く凡夫の眼には弥仙山 山の彼方に現はれし玉照姫の厳霊 弥々此処に出現し三千年の御経綸 開く常磐の松の代を待つ甲斐あつて高姫が 日頃の思ひも晴れ渡る時は漸く近づきぬ アヽ惟神々々御霊幸倍坐し在して 誠の道にさやり来る頑固一つの瑞霊 変性女子が改心をする世とこそはなりにけり 月は盈つとも虧くるとも旭は照るとも曇るとも 仮令大地は沈むともウラナイ教の神の道 唯一厘の秘密をばグツと握つた高姫が 仕組の奥の蓋あけて腹に呑んだる如意宝珠 玉の光を鮮かに三千世界に輝かし 鬼や大蛇や曲津神三五教も立直し 金勝要の大神や木花姫の生宮を 徹底、改心さして置きグツと弱つた、しほどきに 此高姫が乗り込んでサアサア何うぢや、サアどうぢや 奥をつかんだ太柱弥改悟をすればよし 未だ分らねば帳切らうか変性男子の御血統 神の柱となりながらこんな事では、どうなるか 誠の事が分らねば早く陣引きするがよい 後は高姫、乗り込んで唯一厘の御仕組 天晴成就させて見せう斯うして女子を懲らすまで 一つ無くてはならぬもの弥仙の山に現はれた 玉照姫を手に入れて是をば種に攻寄れば 如何に頑固な緯役の変性女子も往生して 兜を脱ぐに違ひない一分一厘、毛筋程 間違ひ無いのが神の道三五教やウラナイ教 神の教と表面は二つに分れて居るけれど 元を糺せば一株ぢや雨や霰や雪氷 形変れど徹底の落ち行く先は同じ水 同じ谷をば流れ往く変性女子の御霊さへ グヅと往生させたなら後は金勝要の神 木花咲耶姫の神彦火々出見の神霊 帰順なさるは易い事邪魔になるのは緯役の 此世の乱れた守護神此奴ばかりが気にかかる アヽさりながらさりながら時は来にけり、来りけり 此世を造りし神直日心も広き大直日 唯何事も人の世は直日に見直し、宣り直す 三五教やウラナイの神の教の神勅 高天原に高姫が天晴れ表に現はれて 誠の道を説き明かしミロクの神の末長う 経のお役と立直し緯の守護を亡ぼして 常世の姫の生魂や世界の秘密を探り出し 日の出神や竜宮の乙姫さまの神力で 堅磐常磐の松の世を建つる時こそ来りけり アヽ惟神々々御霊幸倍坐ませよ』 黒姫も稍、微酔機嫌になつて低太い声を張り上げて謡ひ始めたり。 黒姫『遠き海山河野越え遥々此処に帰ります ウラナイ教の根本の要、掴んだ高姫さま よくもお出まし下されて昔の昔のさる昔 国治立の大神の仕組み給ひし大謨を 一日も早く成就させ世に落ちたまふ神々を 残らず此世に、あげまして三千世界の民草を 上下運否の無いやうに桝かけひいて相ならし 神政成就の大業をいよいよ進めたまはむと 出ます今日の尊さよ朝日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも仮令、天地を探しても こんな結構なお肉体日の出神の生宮が 又と世界にあるものかまた竜宮の乙姫が 憑りたまひて艮の金神様のお経綸で 骨身、惜まぬお手伝いこんな誠の神様が 又と世界にあるものかアヽ惟神々々 今迄、種々態々に神のお道を彼是と 要らぬ心配して見たが時節参りて煎豆に 花咲き実る嬉しさよ』 と謡ふ折しも表の岩戸の方に当つて、消魂しい物音聞え来たる。 嗚呼鼻の高姫さまよ、お色の黒い黒姫さまの長たらしい腰曲り歌や、青彦の舌鼓、紫姫の淑やかな声、馬公、鹿公、梅、浅、幾、丑、寅、辰、鳶、鶴、亀その他沢山の酒に酔うた場面を霊眼に見せられて、余り霊肉両眼を虐使した天罰、俄に眠くなつて来た。一寸これで切つて置きます。 (大正一一・四・二八旧四・二加藤明子録)
131

(1732)
霊界物語 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 凡例 凡例 一、本巻には、主として玉照彦の御因縁に就て物語られてありますが、玉照彦は第十八巻の玉照姫と相並びて五六七神政の生御魂となられます。その意味に於て第十八巻と本巻は姉妹巻を成すものといえます。 一、本巻の第一章『高熊山』は謡曲の形式に作られたものです。 大正十二年二月編者識
132

(1736)
霊界物語 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 03 千騎一騎 第三章千騎一騎〔六四八〕 高山彦は魔窟ケ原の岩窟を後にし、一生懸命に聖地を指して進み行く。漸く白瀬川の畔に着けば、降り続く五月雨に河水汎濫し、波堆く渡川は絶対に不可能となりぬ。 高山彦は川の岸を下りつ、上りつ、地団太踏みて口惜しがり、現在目の前に聖地世継王山を眺め、玉照姫の御座所は彼方かと憧憬の念に駆られて狂気の如くなり居たり。斯る処へ息せき切つて馳来りしは、妻の黒姫なりける。 高山彦『ヤーお前は黒姫か、何しに出て来たのだ』 黒姫『高山さま、ソラ何を言はつしやる。此儘にして置く訳には行きますまい。あれ彼の向ふに見ゆるは世継王の神山、三五教の隠れ場所、玉照姫様は彼の森のしげみに御座るであらう。サアサア早く渡りなさい』 高山彦『渡れと云つたつて此の激流が、どうして渡れやうか』 黒姫『生命を的に渡るのだよ。それだから男は真逆の時に間に合ぬと云ふのだ。お前さまも鼻高の守護神の御厄介になつて中空高く渡りなさい』 高山彦『ソンナことを言つたつて、さう易々と元の体に還元することは出来ないよ』 黒姫『還元出来ないと云ふ道理があらうか、貴方の信仰が足らぬからだ。火になつても蛇になつても、此の川渡らな置くものか』 と云ふより早く、見るも恐ろしき大蛇の姿となり、激流怒濤の真ン中を目蒐けて、ザンブとばかり飛び込み、漸く対岸に渡り付きたり。 高山彦は此の気色に恐れ戦き、ガタガタ慄ひの最中、蛇体の身体より黒雲起り一団となりて、川の上空を此方に渡り高山彦の身体を包むよと見る間に、高山彦は川の対岸にバタリと落ち来たりぬ。蛇体は忽ち元の黒姫と変じ、 黒姫『サア高山さま、コンナ放れ業は一生に一度より出来ないのだが、千騎一騎の此場合、黒姫が信念の力が現はれたのだ。サアサアこれに怖れず、今後は斯様なことは無い程に、妾に続いてお出でなさい』 高山彦は慄ひ声で、 高山彦『ナント女と云ふ奴は恐ろしいものだなア』 黒姫『コレ高山さま、お前はモーこれで愛想がつきただらうな。愛想をつかすなら、つかして見なさい、此方にも一つ考へがありますよ』 と冷やかに笑ふ。高山彦は眼を瞬たき、高き鼻を手の甲で擦り乍ら、 高山彦『イヤ何事も黒姫さまに御任せする、此後は一切構ひ事は致さぬ。貴女のお好きの様に御使ひ下さいませ』 黒姫『大分改心が出来ましたナア、それでこそ妾の立派なハズバンドだ。サアサア往きませう、エヽなンとした足つきじやいな、確りしなさらぬか、此川を渡るが最後、油断のならぬ敵の縄張りだよ』 高山彦『さうだと云つて、ナンダか脚がワナワナして歩けないのだもの』 黒姫『エー何とした卑怯な人だらう。誰が恐いのだい。たかが知れた紫姫、青彦の連中ぢやないかいナ』 高山彦『青彦、紫姫も、ナンニも恐くはない。恐いのはお前の性念だよ』 黒姫『高山さま、斯う見えても矢張女は女だよ。御心配なさるな。これでも又大事にして可愛がつて上げますワ』 高山彦はブルブル慄ひ乍ら、 高山彦『ヤーもう可愛がつて貰はいでも結構です。私の様なものは貴女のお側に寄るのは勿体ない。畏れ多い。どうぞ草履持になつとして下さいな』 黒姫『エー此人は又何とした卑怯なことを云ふのだらう。アヽもうすつかり愛想が尽きちやつた、嫌になつて了ふワ』 高山彦『どうぞ愛想をつかして下さいな。嫌になつて貰へば大変に好都合です』 黒姫は声を尖らし、 黒姫『ソリヤ何を云ふのだい、嫌になつて呉れと言つたつて、今となつて誰がソンナ軽挙なことをするものかいな。蛇に狙はれた蛙ぢやと思つて諦めなさいよ』 高山彦『ハイ諦めます。何事も因縁づくぢやと思つて、コンナ悪縁も辛抱致しませう。前生の悪い因縁が報うて来たのだから』 黒姫『何が悪縁だへ。お前さまは男の心と秋の空、直に飽縁だらうが、妾は何処迄も秋の空で、何処々々迄も好いて好いてすき透つてゐますよ、ホヽヽヽヽ』 高山彦『モシモシ黒姫様、何卒人を一人助けると思つて私の罪を赦して下さいな』 黒姫『そりや又何を言ふのだえ、モー斯うなる上は赦してたまるものか。竜宮の海の底まで伴れて行つて呑みたり、噛みたり、舐つたり大事にして上げようぞへ』 高山彦『モー大事にして貰はいでも結構です。何卒其の御心遣ひは御無用になさつて下さいませ。返礼の仕方がありませぬワ』 黒姫『エーわからぬ男だ。話は後で悠くりして上げよう。サア一時も早く往かねばなるまい。恰度日も暮れて来た』 と高山彦を先に立たせ、夏草茂る露野ケ原を世継王の山麓指して辿り行く。 五月十三夜の月は、楕円形の鏡を空に照してゐる。馬公、鹿公は月の光を眺め、 馬公『アヽ何といい月ぢやないか、のう鹿公』 鹿公『ソリヤ馬公、きまつた事だ。五月五日の宵に玉照姫様がお越し遊ばし、記念すべき月だもの。古往今来コンナよい月があるものかい。それに就ても可哀相なのは黒姫ぢやないか。この通り御空に水晶の玉照姫様が輝き渡り、この又屋内にもお玉さまに、玉照姫さまぢや、之を三つ合せて三つの御魂と云つても宜いワ。アヽ、 濡れて出たやうに思ふや雨後の月 とは如何だ』 馬公『ヤー鹿公、貴様俳句を知つて居るのか』 鹿公『ハイ句でも、歌でも、何でも知らぬものは無い。何なと言うて見よ。当意即妙、直に作つて御目にかける鹿公だよ』 馬公『ソンナラ今彼のお月さまに黒雲がさしかかり、今や隠さうとして居る。彼れを一つやつて見よ』 鹿公『黒姫に玉照姫は包まれて馬鹿を見むとす青彦の空』 馬公『何と云ふ縁起の悪い歌を詠むのだ。宣り直さぬかい、鹿公奴』 鹿公『大方馬公がさうお出ると思つて居た。今度が真剣だよ。 青彦や紫姫の大空に月の玉照姫ぞ輝く とは如何だ』 馬公『ヨーシモー一つやれ』 鹿公『いくらでも、月を題にするのなら月は先祖よ。月の大神様が此世の御先祖様であるぞよ。馬公志つかり聞けよアーン、 月に叢雲花には嵐東に旗雲箒星 天の河原は北南星の流れは久方の フサの御国に落ちて行く高山彦や短山の 嶺より昇る月影も今日は芽出度き十三夜 たとへ黒姫かかるとも伊吹の狭霧に吹き散らし 忽ち変る大御空紫姫や青彦の 清き姿となりにけり。 とは如何だ』 馬公『随分長い歌だのう、鹿公』 鹿公『長いとも長いとも、今に長い奴が黒い顔してやつて来るのだ。横に長い奴と、縦に長い高山彦の青瓢箪だ。うまくやらぬと馬鹿を見るぞよ。変性男子の申す事は一分一厘違ひはないぞよ』 馬公『何を吐すのだ、モー好い加減に止めて貰はうかい。オイオイ彼れを見よ、二つの影が蠢いて居るぢやないか、鹿とは判らぬけれど』 鹿公『ヨオ来居つたぞ、太い短い奴と細い長い奴だ。ヤー此奴は高山彦に黒姫だ。愚図々々して居ると空のお月さまの様に、黒姫に呑まれて了つちや、玉照姫様が一大事だ、サアサア戸を締めろ』 と云ふより早く、鹿公は飛込みてピシヤリと錠を下ろしたり。 馬公『オイ俺も入れて呉れないか』 鹿公『エー邪魔臭い。貴様は何処か叢の中へ潜伏して居れ、馬じやないか。俺は中から此の関所を死守するのだ』 二つの影は段々近寄つて来る。鹿公は何うしても開けぬ。馬公は已むを得ず茅のしげみに身を隠して慄ひ居る。 二人の影は戸口に現はれたり。一人は女、一人は男、 女(黒姫)『モシモシ一寸此処を開けて下さいな』 鹿公『ナンダ、暮六つ下つてから他の家を訪れる奴があるかい。夜は魔の世界だ、用があれば明日出て来い。此門口は鹿公は絶対に開けることは出来ないぞよ』 女(黒姫)『左様で御座いませうが、ホンのチヨイトで宜しい、一尺許り開けて下さい。申し上げ度い一大事がございます』 鹿公、戸口に立つて、 鹿公『其方で一大事があつても此方も亦一大事だ。ナント言つても開けないよ。モシモシ青彦さま、貴方一寸来て下さいな。どうやら黒姫がやつて来たやうですワ』 青彦は奥の間より、 青彦『誰がなんと言つても開けられないぞ』 鹿公『さうだと言つて馬公が外に、這入り損ねて隠れて居ますがな』 黒姫は此の声を聞き、辺りの叢を尋ね、 黒姫『ヤアお前は馬公ぢやな。サアもう大丈夫だ。コレコレ高山さま、用意の綱をお出しなさい。エー何をビリビリ地震の様に慄ふて居なさる。気の弱い獣だな』 と云ふより早く自分の細帯を解いて、馬公を縛つて了ひ、 黒姫『サア馬公、此方へ来るのだよ。此戸を開ける迄、お前は人質だ。若し開けなかつたら此黒姫が正体を現はして、一呑みに呑みて了はうか』 馬公『エーコンナことだと思つて居つた。それだから神様が言霊を慎めと仰有るのに、鹿公の奴、黒姫が何うだの斯うだのと言ひよるものだから、コンナ破目に陥るんだ。オイ馬公は括られたよ、鹿公開けて呉れないか』 鹿公『貴様は括られる役だ、俺は中で長くなつてグツスリ休む役だ。マア夜が明ける迄、其処で立往生するがよいワ。お優しい黒姫さまと、色男の高山さまとのお伴れだもの、あまり淋しくもあるまいがな』 馬公『ソンナ冷酷なことを言ふものぢやないよ、お前もちつとは朋友の道を弁へて居るだらう』 鹿公『マア待て、今これから紫姫様が十八番の言霊の発射を為さるところだ。さうすれば黒姫だつて高山彦だつて風に木の葉の散る如く、悲惨な目に会つて滅て了ふのだ』 馬公『さうしたら俺は何うなるのだ』 鹿公『貴様の事まで、未だ研究はして居らぬ哩。オイ黒姫の奴、誠に以てお気の毒千万、御心中御察し申す。高姫様に嘸お叱言を頂戴なさつたでせう。併し乍ら何程お前さまが玉照姫様をお迎へしようと思つてもモー駄目だから足許の明るい間に、トツトと帰りなさい。其処に馬が一匹居るから、ソレに乗つてお帰りなさいよ』 馬公『コラ鹿公、無茶ばつかり言ふない、俺は決して黒姫さまの馬ではないぞ』 黒姫『どうしても開けませぬか、開けな宜しい。黒姫は道成寺の釣鐘ぢやないが此の家を大蛇となつて、十重二十重に取捲き、熱湯にして見せうか』 鹿公『モシモシ紫姫さま、青彦さま、確りして下さい。トツケもないことを言ひますぜ』 紫姫は言葉静に、 紫姫『ホヽヽヽヽ、御心配なさいますな。鹿さま、確かりと戸を締めて置きなさいや、モシモシ黒姫さま、誠に貴女には御気の毒でございますが、神界の為め、世の中の為には貴女に対して不親切なことを致すのも已むを得ませぬ。どうぞ帰つて下さいませ』 黒姫『何と云つても帰らない。青彦と紫姫の素首を引抜いて、フサの国の高姫様にお目にかけ、玉照姫様を御迎へ申さねば置きませぬぞや』 青彦『何と執念深い婆アさまぢやな、青彦も呆れたよ。いい加減に執着心を放棄したらどうだい』 黒姫『執着心はお前のことだよ。お前から除つたがよからう。さうして玉照姫さまと、お玉さまを此方へ渡しなさい』 青彦『此の執着心だけは何処までも放されない。決して個人の私有すべきものでない、神政成就の大切な御宝だ。たとへ天地が覆へるとも、こればかりは承諾は出来ない、どうぞ早くお帰りになつて下さい』 黒姫『何と云つても黒姫は帰りませぬ』 紫姫『玉照姫様は三五教に於ても無くてはならぬ結構な神様でございます。又ウラナイ教にも必要な神様でございます。さうだと申して両方の欲求を充すと云ふ事は、到底出来ませぬから、いつその事貴方が御改心をなさつて、三五教にお入り下さつたら如何ですか。貴方が御改心なさつた以上は、高姫さまも自然御改心になりませうから、紫がさう云つたと高姫さまに伝へて下さいませ』 黒姫『権謀術数を弄し折角妾が望みた玉照姫様を計略を以て、横領なさつたお前さまこそ改心を為され。どちらが善か、悪か、心の鏡に照して御覧なさい。貴方の行り方は三五教の精神を破壊する行り方、つまり優勝劣敗利己主義ではありませぬか』 鹿公『エー八釜敷い云ふない、黒姫の奴、貴様こそ利己主義ぢやないか。此の玉照姫様は三五教の神様が御経綸遊ばして悦子姫様が取り上げまでなさつた因縁があるのぢや。何と云つても正義だ、先取権があるのだ。他の宝に垂涎して要らぬ謀叛を起し煩悶をするよりも、すつかりと思ひ切つて気楽になつたら如何だ、鹿公は腹が立つワイ』 黒姫『何と云つても是れ許りは貫徹させなくては置くものか。仮令千年万年かかつても祈つて祈つて祈り勝つて見せよう。ヤアコンナ馬公を人質に取つたところが、何の役にも立たない。サア馬公、世界中放し飼だ。何処なと勝手にお出でなさい』 と縛を解けば、馬公は、 馬公『ヤアヤア黒姫さま有難う。ヤアどつこい、お前に縛られて、お前に解かれたのだ、有難うと云ふ筋が無い。エー取返しのならぬ失策をやつたものだ。馬鹿々々しい』 此時紫姫の涼やかな声にて、天の数歌が轟き渡りける。忽ち黒姫は頭部真白と変じ、高山彦の手を引き雲を霞と西北指して逃て行く。 馬公『オイ鹿公、モー黒姫夫婦は逃て了つたよ。どうぞ開けて呉れないか』 鹿公『ヨシヨシ』 と戸をガラリと引き開け、 鹿公『オイ馬公どうだつたい、貴様縛られて居つたぢやないか』 馬公『ウン縛られたよ。併しチツトモ痛くはなかつた。黒姫の奴、俺を縛るときに一生懸命に小声になつて、「大神様済みませぬ、赦して下さい。罪も無い馬公を縛ります、これも御道の為ですから、神直日、大直日に見直し、聞直して下さいませ」と念じて居つた。人の性は善なりとは、よく言うたものだなア』 青彦はこれを聞いて両手を組み、頭を首垂れ思案に沈む。紫姫は直に神前に感謝の祝詞を奏上する。玉照姫は俄にヒシるが如く泣き出し給ひける。お玉は驚きあはてて玉照姫の背を撫で擦り、慰め居たり。 空には白き魚鱗の波を湛へた雲の切れ目に月は朧に輝き、悲しげに山杜鵑の声峰の彼方に聞え居る。 (大正一一・五・六旧四・一〇外山豊二録)
133

(1739)
霊界物語 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 06 和合と謝罪 第六章和合と謝罪〔六五一〕 一葉落ちて天下の秋を知るとかや。神の教も不相応ぬフサの国、北山村の本山ウラナイ教の頭株、心も驕る高姫が、執着心の胸の闇、鼻高山彦や黒姫は、奥の一間に差し籠もり、ウラナイ教の前途に就いて、コソコソ協議を凝らし居る。 高姫『栄枯盛衰、会者定離は人生の常とは云ひ乍ら、よくも是だけウラナイ教は、庭先の紅葉の風に散る如く凋落したものだ。彼れ程熱心に活動して居つた蠑螈別は煙の如く此本山から消えて了ひ、数多の部下や信徒は四方に散乱し、全で蟹の手足をもがれた様な敗残のウラナイ教、何とか回復の道を講ぜねばなりますまいよ』 黒姫『日の出神さまも此際、ちつとどうかして居らつしやるのではありますまいかなア』 高姫『日の出神様は外国での御守護、世界の隅々迄も調べに往つて御座るのだから今はお留守だ。何れお帰りになれば、日の出の守護になるのは定つて居りますが、さうだと云つて此儘放任して置けば此本山は、孤城落日、土崩瓦解の憂目に会ねばなりませぬワ。それよりも黒姫さま、竜宮の乙姫様は此頃はどうして御座るのでせう。随分気の利かぬ神様ですねエ。コンナ時に御活動下されば宜しいのに』 黒姫『竜宮の乙姫様は貴方もお筆先で御存じの通り、日の出神様に引添うて一所に外国で御守護して居られるに定つて居るぢやありませぬか。高姫様は、玉照姫の一件から何処ともなしに、ボーとなさいましたなア』 高姫『黒姫さまも御同様ぢやありませぬか。貴女は、高山彦さまが、あちらにお出でになつてから、日増に、ボンヤリなされましたさうですよ。御自分の事は御自分には分りますまいが、寅若がそう云つてましたぞえ』 黒姫『何を仰有います。そう人を見損なつて貰つては困ります。高山さまがお出でになつて以来といふものは、層一層活動しました。それよりも高姫さま、斯う云うとお気に障るか知れませぬが、蠑螈別さまが此本山から姿を隠されてより、層一層気抜けがなさつた様な、燗ざましの酒を十日も放つて置いて飲みた様な塩梅式ですよ。お互に気を取直して確りと仕様ではありませぬか。あの三五教を御覧なさい。旭日昇天の勢、まるでウラナイ教なぞとは比較物になりませぬワ』 高姫『憎まれ子世に覇張る、と云つて、悪が栄える世の中だ、その悪の世に栄ゆる教だから大概分つて居りますよ。併し九分九厘迄悪の身魂は世に覇張る、善の身魂は落ちて居ても一厘でグレンと覆ると日の出神様が仰有る。三五教は何程沢山集まつて居ても烏合の衆ですよ。何れ内裏から内閣瓦解の運命が萌しかけて居ります。ウラナイ教は少数でも、善一筋の誠生粋の大和魂の堅実な信仰の団体だ。万卒は得易く一将は得難しと云つてな、少数なのは結構ですよ。余り瓦落多人足がガラガラ寄つて居ると、遂に虫がわきまして水晶の水が臭くなり、孑孑がわいて鼻持ちならぬ臭がし出し、終局には此孑孑に羽が生えて飛散し、遂には人の頭に留まつて生血を絞る様になります哩。必ず必ず御心配なさいますな。日の出の守護になれば一度にグレンと覆るお仕組がして御座います』 黒姫『さうすると善許り選り抜いて、身魂の曇つた者は一人も寄せないと云ふ神様の御方針ですかな』 高姫『其処は惟神ですよ。無理に引張に行つた処で寄らなきや仕方がありませぬワ。又何程引留めたつて綱を付けて縛つて置く訳にもゆかず、脱退する者は是も惟神に任して、自由行動を取らして置くのですな。来る者は拒まず、去る者は追はずと云ふのが神様の思召だ。無理に引張りに行つて下さるなよ、時節参りたら神が誠の者を引寄せて誠の御用をさすぞよ。と仰有るのだから、そうヤキモキ心配するには及びませぬ哩』 黒姫『それでも玉照姫さまを無理に引張て来いと御命令をなさつたぢやありませぬか』 高姫『それはあなたの量見違だ。無理に引つぱらうとするから、取り逃したのだ。向うの方から何卒玉照姫様をお預り下さいと云つて来る様に、上手に仕向けぬから、そンな事にかけては抜目のない素盞嗚尊は甘い事をやつたぢやないか。お前さまも随分賢いお方ぢやが、千慮の一失とか云つて、此度あの件に限つては黒姫さまの失敗でしたよ』 黒姫『そうだと云つて、愚図々々して居れば三五教に八九分取られて了ふ様になつて居たのだから、ソンナ廻り遠い事をして居つては、六菖十菊の悔いを残さねばならぬと思つたから非常手段をやつただけの事です。勝敗は時の運、今になつて死ンだ児の年を数へたつて仕方がありませぬワ。貴方も余程愚痴つぽくなつて、取返しのつかぬ愚痴な事を言ひなさいますな』 高姫は眉をキリリとつり上げ、ドシンと四股を踏み、畳を鳴らしプリンと尻を向け、次の間に姿を隠したり。 高山彦『コレコレ黒姫さま、お前は何と云ふ御無礼な事を仰有るのだい。大将や師匠は無理を云ふものだと思へと何時も部下の者に云つて聞かせて居乍ら、何故一つ一つ口答へをしたり、言ひ込めたりなさるのだ。仲に立つた柱の私は何とも挨拶の仕様が無いではないか』 黒姫は目に角立てて、 黒姫『コレお前さま、以前由良の川を渡つた時に、何でも彼でも絶対服従すると云つたぢやないか、草履取にでもして呉れと云つたではないか。今良い亭主面をして竜宮の乙姫様の生宮の云ふ事に一々干渉なさるのか。黙つて引込みて居なさい、お前さまが首を突き出して出しやばる幕ぢやないのだ。余り差出口をしなさると箝口令を励行しますぞ』 高山彦『ハイハイ竜宮様の御逆鱗、もう是れからは沈黙を守りますワイ』 黒姫『何程黒姫が砲弾を発射しても、高山砲台は沈黙を守つて決して応戦してはなりませぬぞや。二〇三高地の性念場になつて居るのに傍から敵の援軍が来て堪るものか』 高山彦『ハイハイ仕方がありませぬ。どつか、渤海湾の海底にでも伏艇して形勢観望と出かけませう。併し乍ら黒船が敵弾を受けて苦戦の最中を見て居る私は、どうしても中立的態度は取れませぬワ。何とか応援を致し度い様な気が致します』 黒姫は稍機嫌を直し、 黒姫『アヽさうかいなア、それが真心の現はれと云ふものだ。矢張り気になるかいなア、夫婦となれば気にかかると見える。矢張黒姫のハズバンドとして相当の資格を保有して御座る。元は赤の他人でも夫婦の愛情と云ふものは又格別なものだ』 と又ニコニコ笑ひ出すおかしさよ。 一天黒雲漲り暴風吹き起り雷鳴轟くかと思ひきや、高山彦の円滑なる言霊の伊吹によつて黒雲忽ち四方に飛散し、明皎々たる満月の光、中天に綺羅星の現はれたる如き天候と一変したりける。 黒姫『コレコレ高山彦さま、お前さまは見掛けに依らぬ親切な人だつた。其親切を吐露して高姫さまの御機嫌を直して来て下さい。併し親切を尽くすと云つても程度がありますよ』 高山彦『随分難かしい御註文ですなア。其程度が一寸分りませぬ、何処迄と云ふ制限を与へて下さいな』 黒姫『エヽ不粋な人だなア。そこはそれ、不離不即の間に立つて円満解決を計るのだ。電波を送るなぞは絶対に禁物ですからな』 高山彦『誰がアンナ婆アさまに電波を送つて堪るものか、安心なさい』 黒姫『婆アさまに電波を送らぬと仰有つたが、高姫さまが婆アさまなら、私はもう一つ婆アさまだ、そうするとお前は余程険呑な人だナア。これだから折角出て来たお民を、巧い事を云つて高城山迄放り出したのだ。コレ高山さま、ソンナ事に抜け目のある様な、素人とは違ひますよ。此道にかけたら、世界一の経験者だから、お前の様な雛子とは違ひますよ、確りとやつて来なさい。これからは婆アと云ふ事は云つて貰ひますまい。年は取つても心は二八の花盛り、霊主体従の仕組と云つて心に重きを置くのだよ』 高山彦『同じ、婆アどつこい、昔の娘でも貴方は又格別ぢや、どことは無しに、良い処があります哩』 黒姫『それはそうだらう、七尺の男子を手鞠の様に飜弄すると云ふ黒姫の腕前だから、何程高山さまが、地団太踏んだつて、足許へも寄り付けるものか。然し乍ら、良く気を付けて、昔の娘の高姫さまに旨く取り入つて御機嫌を回復して来るのだ。呉れ呉れも送つてはなりませぬぞや』 高山彦は迷惑相な顔付で高姫の居間を訪れた。高姫は、夜着を頭迄グツスリ被つて、捨鉢気味になつて横たはつて居る。 高山彦『モシモシ高姫さま、高山で御座います』 高姫『コレお前さま、戸惑ひをして居るのかな、私は黒姫さまぢやありませぬよ。貴方のお出でになる処は方角違ですよ。サアサアトツトとあつちへ往つて下さい、黒姫さまに痛くも無い腹を探られちやお互の迷惑だからなア』 高山彦『イエイエ決して決して御心配下さいますな。山の神様の公然認可を得て参りました。実の処、黒姫がお詫に参りますので御座いますが、どうも余り失礼な事を物の機で申上げ、貴方に合す顔がないところから、私に代つて旨く御機嫌をドツコイ、十分に御得心の往く様にお詫をして来いと仰有いました。何卒黒姫さまの脱線振りは、神直日大直日に見直し聞直し不調法は宣り直して上げて下さいませ』 高姫『コレコレお前さまは、何時の間にやら下鶏になつて了つた。何故それ程主人のクセに奥様に敬語を使ふのだい』 高山彦『ハイハイこれには、曰く因縁が御座います』 高姫『因縁があるか何だか知らぬが、貴方がさう御丁寧な言霊を使ひなさると、自然に夫婦仲が良くなつてお目出度い。それだから嬶大明神で、高山彦さまはお目出度いと人が云ひますよ。ホヽヽヽヽ』 高山彦『何でも結構です。何卒貴方も御機嫌を直して下さい。さうすれば此お目出度い男が尚お目出度くなりますから、和合して下さい』 高姫『和合して下さいとはそれは何を云ひなさる。一方の大将と大将の争ひを平和にするのは和合だが、何と云つても、私と黒姫さまとは師弟の間柄ぢやないか。師匠の私に和合して呉れなぞとチツと僣越ぢやありませぬか。今迄のお気に障つた処は何卒お許し下さいませと謝罪するのが当然だ、それをソンナ傲慢不遜の態度では、高姫の腹の虫が容易にチヤキチヤキと承諾致しませぬよ』 高山彦『御説御尤も、夫婦の仲と師弟の間を混同して居ました。これは黒姫と私との間に用ゆる言葉で御座います。高姫のチヤチヤ様、何卒黒姫の御無礼、寛大な大御心に見直し聞直し許してやつて下さいませ』 高姫『アヽさうかいな、さう物が分かれば、元より根のない喧嘩だ。どちらも神を思ひお道を思うての争ひなのだから、私人としての恨みはチツとも無いのだ。どうぞ黒姫さまに早く此処に来て貰つて下さい』 高山彦『承知致しました。黒姫さまも嘸お喜びになる事で御座いませう』 高姫『ソレ又々、貴方は奥さまに対して敬語を使ひなさる。余り見つともよくない、慎みなさいや』 高山彦『ハイハイ以後は慎みます』 と此場を立ち、 高山彦『アヽ敬語を使はねば、黒姫さまには叱られるなり、困つた事だ』 と呟きつつ黒姫の居間に帰り来り、高山彦は怖さうに、襖をスーツと開き、半分逃げ腰になつて、顔許り突出し、形勢観望の態度を取つて居る。黒姫は目敏くこれを眺めて、 黒姫『コレコレお前は高山さまぢやないか。其態度は一体どうしたのだい』 と震ひ声で呶鳴り付けた。 高山彦『ハイ、ドドドーモ致しませぬ』 と云ひつつびつくりして閾の外にドスンと尻餅を搗きアイタヽヽヽ、 黒姫『コレ高山さま、何をしとるのだい。這入つて来て早く注進なさらぬかい』 高山彦はもぢもぢし乍ら、云ひ難さうに、 高山彦『高姫さまがそれはそれは御機嫌麗はしく、和合は和合、謝罪は謝罪、そこで和謝何も彼も中立と合罪』 黒姫『何だか歯切れのせぬ返事だな。何は兎もあれ、高姫さまのお居間にお伺ひしよう、何時迄兄弟牆に鬩ぐ様な内輪喧嘩を継続して居ても、お互の不利益だ。どれ、これから和合して来ませう』 高山彦『モシモシ黒姫さま、和合はいけませぬよ』 黒姫『何、和合が不可と、喧嘩をせいと云ひなさるのか』 高山彦は周章気味で、 高山彦『イエ高姫さまが、喧嘩株式会社を創立なさつて、株券を募集したり、社債(謝罪)を起したりするとか何とか云つてましたよ。何でも些細な間違ひで、いつ迄も蝸牛角上の争闘を続けて居るのは、国家の内乱も同様だから可成く平和の解決を致します』 黒姫は委細かまはず、ドスンドスンと床を響かせ乍ら、高姫の居間をさして進み入り、 黒姫『高姫様、御機嫌は如何で御座います。御無礼の段は平にお詫を致します』 高姫『イヤ御無礼はお互様で、何卒これからは感情の衝突は一掃し車の両輪となつて、神国成就の為めに活動致さうぢやありませぬか』 黒姫『有難う御座います。何分宜しく御願ひ致します』 高姫『時に黒姫さま、自転倒島の魔窟ケ原に残してある梅公、其他の宣伝使の方々は、愚図々々して居ると、又もや三五教に、青彦や常彦、夏彦の様に沈没すると困りますから、今の内に本山に迎へ取つたらどうでせうか』 黒姫『ハア御意見通り、黒姫も賛成致します。飛行船を二艘許り、鶴、亀の両人に操縦さして迎へて帰つてはどうでせうか』 高姫『それは至極適任でせう。コレコレ鶴公、亀公』 と高姫は金切声を出して呼び立て居る。軈て鶴、亀の二人は、二艘の飛行船を操縦して四五の随員と共に天空を轟かして進み行く。 (大正一一・五・七旧四・一一藤津久子録)
134

(1740)
霊界物語 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 07 牛飲馬食 第七章牛飲馬食〔六五二〕 厳の御霊の大御神、その和魂を祭りたる、神の光の元伊勢の、大御前に額づきて、天津祝詞を奏上し、心の空の雲霧を晴らせ給へと、汗をたらたら祈り居る、三男二女の信徒ありけり。 若彦『コレコレ馬公に鹿公、お前御苦労だが是から、魔窟ケ原の黒姫さまの岩窟館を訪ねて往つて貰へまいかな、私は玉照姫様を御保護申上げて、紫姫様、お玉さまと此御神殿に円満解決の祈願を凝らして待つて居るから、黒姫さまに会つて、とつくりと吾々の真心を伝へて貰ひたいのだ』 馬公『ハイハイ、かうなればもう破れかぶれだ。神様の仰有る事は何が何だか訳が分らない、行つて参りませう』 若彦『分らない所に妙味があるのだらう、往く所迄行かねば到底吾々の限りある知識では御神慮を窺知し奉る事は出来ない。此度は十分に低う出て、黒姫さまが、何と云うても一言も口答へをしてはならないよ』 鹿公『ソンナラ馬公、兎も角偵察がてら行つて来ませう。何だか張合の無いやうな気が致します哩。併し乍ら黒姫が居なかつたらどうしませう』 若彦『万一フサの国へでも帰られた後であつたならば、誰か代理者が置いてあらうから、其代理者に懸け合つて来ればよいのだ』 鹿公『代理者が居なかつたら何うしませう。万一留守であつたら何うなるのです』 若彦『エヽ、ソンナ事迄尋ねる必要が無いぢやないか。臨機応変でやつて来るのだ』 馬、鹿両人一度に、 馬公、鹿公『委細承知仕りました。オイ兄弟、駆歩だ』 と早くも尻引きからげ飛び出さむとするを、若彦は、 若彦『オイオイ両人、用向は知つて居るか』 馬公『ハイ知つて居ます。黒姫が居るか居らぬか見て来たらよいのでせう』 鹿公『黒姫が居なかつたら、代理を見て来る。代理が居なかつたら臨機応変、酒でもあつたら一杯飲みて来るのでせう』 紫姫『ホヽヽヽヽ』 若彦『ハヽヽヽヽ、狼狽者だなア、黒姫さまが被居らなかつたら、吾々両人は紫姫様や、若彦の代理にお詫に参りました。玉照姫様を献上致しますから、今迄の御立腹は河に流して下さいませ、是非とも宜敷くお願ひ致します。と云うて返事を聞いて来るのだよ』 馬公『ソンナ察しの無い馬公とは違ひます哩。亀彦のお直使がお出でになつた時からチヤンと筋書は分つて居るのだ。なア鹿公』 鹿公『鹿り鹿り、サア往かう。三人様、玉照姫さまを大切にして御保護なさいませや、たつた今黒姫の手に渡すかと思へば、何だかお世話の仕甲斐が無いやうな気が致しまするが、これも成行だ。因縁づくぢやと諦めましてな、是非とも宜敷うお頼み申やす』 と云ひ捨てて谷川伝ひ、崎嶇たる小径を魔窟ケ原指して驀地に駆けり往く。 話変つて魔窟ケ原の岩窟には主人の留守の間鍋たき、梅公の留守師団長、丑、寅、辰、鷹、鳶其他七八名は、食つては寝、寝ては起き、朝から晩迄、土竜のやうに穴住ひ許りに日を暮し、宣伝にも行かず、貯蔵せし酒や米を出し放題に出して、白蟻が柱を食ふやうにちびちびと、獅子身中の虫の本領を遺憾なく発揮して居る。 寅若『コレコレ梅の大将、去年の此頃だつたねエ、普甲峠の突発事件、黒姫さまに分つた時にや随分ひやひやしたぢやないか』 梅公『過ぎ去つた事は云ふものぢやない哩。あれが抑もの序幕で、玉照姫の事件が起り、それが失敗の原因となつて、意地癖の悪い高山彦夫婦が、吾々に城を明け渡してフサの国の本山へ帰つて行つた。お蔭で目の上の瘤が取れて毎日ウラル教ぢやないが、飲めよ騒げよ一寸先ア闇よと、牛飲馬食が続けられるのだ。矢張これも梅公の方寸から出たのだ。一年前から見越しての梅公の計画と云ふものは偉いものだらう。黒姫迄おつ放り出すと云ふ土台を作つた凄い腕前だから、何と云うても哥兄さまだよ』 寅若『ソンナ自慢は置いて貰はうかい。此新しがる世の中に、黴の生えたやうな一年越の自慢話は買手がないぞ。それにつけても漁夫の利を占たのは三五教の奴だ。一敗地に塗れ馬鹿を見たのは黒姫さまだよ。紫姫や、青彦を特別待遇で下にも置かぬ様な信任振を発揮して居たが、豈図らむや、妹図らむやだ。あの態つたらないぢやないか。アンナ奴は又三五教で愛想尽かされて、盆過ぎの幽霊の様に矢張ウラナイ教が誠だつた、改心致しましたなぞと尾を掉つて帰つて来るかも知れやしないぞ。今度はドンナ事があつても相手になつてはいけないよ』 梅公『何程鉄面皮の青彦だつて、さう何度も謝罪つて来られた態ぢやあるまい。ソンナ事は絶対にないと俺は確信して居る、マアマア悠くり飲みて騒ぐがよからうぞ。一寸先は暗の世だ。ある中に飲ンだり食つたりして置かない事には、三五教は兎も角バラモン教の残党が押し寄せて来て奪つて行くかも分つたものぢやない。兎に角腹の中に入れて置けば損は無いのだから、人数は減つたなり、二年ぶりの食糧や酒があるのだから、お前方勉強して胃の腑を働かし、毎日日日、五六人前宛勉強せないと神様に済まないぞ』 と他愛もなく、酒に酔うて勝手な理屈を囀り居る。 此時門口より岩の戸を覗いて『オイオイ』と呼ぶ男ありき。 寅若『オイ鷹公、鳶公、何だか入口からオイオイと云つて居やがるぢやないか。何処の奴か知らないが、敵でも味方でも構はぬ、引張込んで飯を鱈腹喰はせ、酒を十分飲ませて穀潰しの御用をさせるんだ。早く行つて引張つて来い。是から酒責め、飯責め、御馳走責めだ』 『オイ合点だ』と鳶、鷹の両人は握り飯を片手に持ち、片手に酒徳利を各自提げながら、穴の入口迄やつて来る。 馬公『モシモシ、私は馬で御座います。どうぞ通して下さいませぬか』 鳶公『ウン、荷つけ馬か、乗馬馬か、木馬か、尻馬か知らぬが、マアこのうまい酒を飲んで握り飯でも食へ。さうして誠意を現はすのだ』 馬公『飯相な、何う致しまして、お酒を頂戴しては済みませぬ。実は謝罪りに参りました。是非共宜敷くお願ひ致します』 鳶公『エヽ、ちよろ臭い、徳利の顔を見て謝罪る奴があるか。二升や三升グツとやつて其上で謝罪るのなら筋が立つが、徳利の顔をみて謝罪る奴が何処にあるかい』 馬公『イエイエ、私は黒姫さまに反対致しました青彦や、紫姫の部下の者で御座います。誠に済まない事で、黒姫さまにお詫に参りました』 鳶公『ウン、あの黒姫の奴か、彼奴はお前達のお蔭で縮尻りやがつた。とうの昔フサの国の本山に引き上げよつた、其後と云ふものは毎日日日、食つたり飲んだり、気楽なものだ。青彦様々だ。お前も其家来であらば尚々結構だ。マアマア祝ひに一杯やれ』 馬公『オイ鹿公、何うやらこいつは風並が変だよ』 鹿公『変でも何でも唯飲めと云ふのだから飲んだらいいぢやないか。モシモシ皆さま、是非共宜敷く、私は決して決して謝罪りなどは致しませぬ』 鳶公『ヤアお前は鹿公だつたな。ウンよしよし、一寸話せる、我党の士だ。サア是から酒責め、飯責め、牡丹餅責めの御馳走責めだ。去年の返報がへしだ。おぢおぢせずに男らしう牛飲馬食するのだぞ。黒姫が留守になつたから梅公の会長で、牛飲馬食会の本部が設立されたのだ。貴様も成績次第で幹部にしてやらぬ事も無いし、特別会員に推薦しないにも限らない、 岩窟にも春は来にけり酒の花 だ。アハヽヽヽ、サア這入つたり這入つたり』 鷹、鳶の両人は、馬、鹿の手を無理無体に引張り、大勢の前に連れて来た。 梅公『ヤアお前は三五教の連中ぢやないか』 馬公『今日から牛飲馬食会へ入会を願ひます』 梅公『ヤア、二人だな、本会創立以来創立者の外に、入会を申込んだのは君達が最初だ。普通なれば飲みぶり、食ひぶりを検査した上に会員の等級を定めるのだが、今日は祝意を表する為、特別会員に推薦するから、特別会員の名誉を保持する為に、腹が破れる程食つて、天が地になり、地が天になる所迄酒を飲むのだ。いいか、合点か』 馬公『これはこれは特別の御詮議を以て』 鹿公『しかも特別会員に列せられまして有難う。飽迄頂戴仕ります』 梅公『ヤア、これで同志がざつと二人増加した。黒姫の信徒募集とは余程早い哩。否効果が挙がると云ふものだ』 寅若『オイ皆の奴、会長万歳を三唱しようぢやないか』 一同『オー宜からう宜からう、牛飲馬食会万歳、会長さん万歳、馬、鹿両人万歳、会員一同万々歳、ワハヽヽヽ』 と岩窟も崩るる許り笑ひ倒ける。此時岩窟の外には鶴、亀の両人四五の従者を引き連れやつて来た。 鶴公『これこれ亀公、随分賑やかな声がするぢやないか』 亀公『オウ、そうだなア、何でも此中に天眼通の利く奴があつて、吾々の歓迎会でも開いて前祝でもしとるのだらう』 鶴公『それだけ天眼の利いて居る奴があるのなら、何故吾々を迎ひに来ないのだらう』 亀公『余り嬉しいので酒に喰ひ酔うて忘れたのかも知れない。併し霊は屹度迎ひに来て居るよ。何事も善意に解するのが安全第一だ』 鶴公『併し何だかチと変梃だ。鬼の来ぬ間に体の洗濯、睾丸の皺伸ばしをやつて居るのぢやなからうかなア。何は兎もあれ一つ呶鳴つて見ようぢやないか』 斯く話す折しも、鳶、鷹の二人は行歩蹣跚として入口に現はれ来り、 鳶公、鷹公『ダヽヽ誰人だ。羨望りさうに入口から覗きよつて、何も遠慮は要らない。サア思ひ切り飲んで、思ひ切り食つて踊るんだ。今日は三五教からも二人も入会者があつた。ヤア七八人も連れて居やがるな。牛飲馬食会の隆盛、旭日昇天の勢だ。今日の祝意を表するため、特別会員に推薦してやる。そんなに入口に乞食のやうに立つて居ないで、トツトと辷り込めい』 鶴公『貴様は鷹公と鳶公ぢやないか。黒姫の留守役たる梅公は何をして居るか。此方はフサの国の本山より出張致したる鶴、亀の両人だ。一刻も早く梅公の奴に注進致せ』 鷹と鳶とは此の声を聞いて一度に酔を醒まし、ぶるぶる慄へながら、 鷹公、鳶公『ヤア、これはこれは鶴公に亀公、鷹公に鳶公、馬公に鹿公、鶴公に亀公、鷹公に鳶公、馬公に鹿公』 鶴公『何を云つて居るのだ。狼狽へやがつて、早く注進せぬかい』 鷹公『オイ鳶公、気の利かぬ奴だ。早く今の内に奥に行つて皆に注進して、酒徳利や何かを隠すのだ。それ迄俺は何とか彼とか云うて閉塞隊の御用を務めて居るから』 亀公『オイ、鷹公、その狭い入口に何をうごうごして居るのだ。早く退かぬかい、這入れないぢやないか』 鷹公『今這入られて何う耐らう。出口入口一寸一つ門、徳利の口で一口ぢや、土瓶の口ぢや二口ぢや、口は幸福の門、今日の口はどうやら禍の門ぢや。謹んで漫りに口を開くぢやないぞ。口は禍の基だぞよ。口程恐いものはないぞよ。今に天の岩戸を開いて見せるぞよ』 鶴公『コラ鷹公、貴様酒に喰ひ酔つて居るな、大方誰も彼も残らず酒を喰ひ、御馳走に飽いて居るのぢやらう』 鷹公『滅相な滅相な、何うして何うして、黒姫様のお留守中は慎んだ上にも慎まねばなりませぬ、その故に牛飲馬食会が創立されました』 鶴公『何、牛飲馬食会、そりや何をする会だ』 鷹公『エイエイ、それは彼の何です。大江山に八岐の大蛇が現れまして大きな牛を五六匹も一遍にぎうと飲み、馬も七八匹一遍に食つたと云ふ事です。それで呑のが商売の八岐の大蛇の牛飲馬食をやつて居る其型を一寸して見たのですよ。ちと位酒を飲んで飯を食つたつて矢張一升袋は一升だ。何れ留守中の事だからチツと位不都合があつても大目に見なさるがよからう。兎に角憎まれるのは損だ。八方美人主義が当世だから』 奥の方では鳶公の注進によつて俄の大騒ぎ、徳利を持つて雪隠に隠るる奴、丼鉢を抱へて床下に這ひ込む奴、着物を前後に着る奴、大騒ぎをやつて居る。鶴、亀両人は遂に鷹公を蹴飛ばし、六人の従者と共にこの乱痴気騒ぎの現場に現はれ来たり、 鶴公『ヤア御大将梅公さま、仲々の元気ですなア。流石は黒姫様が留守師団長に選抜せられるだけあつて好く隅から隅迄行き届いて居ます。余程貴方の御政治が良いと見えて四辺の草木は申すに及ばず、室内の徳利や土瓶、膳、椀、箸にいたる迄貴方の余徳で交歓抃舞雀躍手の舞ひ足の踏む所を知らずと云ふ有様ですな』 梅公『イヤもう、さう云はれましては答弁の辞が御座いませぬ。何分有力な黒姫様がお留守になつたものですから、吾々は粉骨砕身大車輪の活動を致さねばならぬと思うて、部下の者共に奨励を致して居ます。其感化力に依りまして、土瓶から徳利の端に至る迄活溌に働いて見せて呉れます哩。アハヽヽヽ』 亀公『コレコレ梅公、それは何と云ふ不真面目な云ひ分だ。一体此態は何だ、落花狼藉名状すべからざる為体ぢやないか』 鳶、グダグダに酔ひながら、 鳶公『お前は亀ぢやな、亀は酒の好きなものだ。そんな四角張つた面構へをせずにちつと命の水を飲んだら何うだい。酒は百薬の長だ、酒位元気な、曲芸をする奴はないぞ』 亀、儼然として、 亀公『吾こそは、フサの国北山村の本山より、高姫の使者として罷り越したるものである。これより汝等一同の者はフサの国へ連れ帰るから其用意を致されよ。ヤア梅公、其方は特別をもつて亀公の御伴申付ける』 梅公『斯くある事とかねて承知を致して居りました。それ故先見の明ある吾々、敵に糧を渡すも約らぬと存じ、皆の奴等に昼夜間断なく勉強して牛飲馬食をさせ置いて御座る。斯くの如く体内に滲み込ませて置けば、今後一年や二年、半粒の米も一滴の水も飲ます必要は御座らぬ。アハヽヽヽ』 鷹公『オイ鳶公、辰、寅、皆の奴、梅の大将甚い事を吐すぢやないか。俺達を蛇か蛙のやうに思ひやがつて夏中餌食みさせて、二年三年はもう喰はいでもよいなぞと云うて居やがるぜ。こんな処にいつ迄も居つたら蛙の干乾になつて仕舞ふぞ。今の内に逃げ出さうかな』 梅公『オイ丑公、皆の奴が逃げ出さぬやう一方口に立塞がり、槍をもつて立番を致せ。無理に逃走を企てた奴があれば容赦なし芋刺しにするのだぞ』 丑公『畏まりました』 と長押の槍を取るより早く、一方口に立ち塞がり、儼然として警戒の任に当つて居る。梅公は馬、鹿の両人が此場に混り居るに初めて気がついたものか、目を丸くして頓狂な声で、 梅公『ヤア、お前は三五教の馬、鹿と云ふ男ぢやないか』 馬公『ヘイ、さうでげす。最前貴方様の前に於て特別会員に推薦されました馬、鹿の両人、吾々も特別会員に列せられたチヤキチヤキです。もしもしフサの国からお越しになつた鶴公さま、亀公さま、よい所でお目に懸りました。実の処、特別火急のお願ひがあつて黒姫さまにお目に懸からうと出て参りました処、生憎御不在の上、梅公の会長の下に盛な牛飲馬食会が開会されて居ましたので、吾々も鷹公、鳶公の推薦によつて特別会員たるの光栄を得ました。併し乍ら鶴公さま、貴方は黒姫さまに一つ吾々の願を取次で下さいますまいかな』 鶴公『是は又妙な事を聞きます。一体取次げと云ふ要件は何んな事で御座いますか』 鹿公『実は紫姫、青彦が改心を致しまして、折角手に入れた玉照姫様母子を黒姫様に献じ度いと申し出たので御座います』 鶴公暫し首を傾け稍思案に暮れ居たりしが、亀公は不思議さうに、 亀公『又そんな事を云つてウラナイ教を打ち返しに来るのだらう。そんな下手な計略はよしたがよからうぜ』 鹿公『是非とも宜敷うお願ひ申します』 鶴公は手を打つて、 鶴公『嗚呼流石は神様だ、斯うなくては叶はぬ道理だ、イヤ承知致しました。直様お伝へ致しませう。馬公、鹿公、貴方は一時も早く帰つて皆さまに報告して下さい。私は一寸飛行船を飛ばしてフサの本山に立帰り、高姫、黒姫様の御両人様の御意見を承はつて参りませう』 馬公『是非共宜敷くお頼み申します』 鹿公『私も同じく是非共宜敷う』 と、いそいそとして門番の丑公に事情を明かし、元伊勢指して帰り行く。 (大正一一・五・七旧四・一一加藤明子録)
135

(1743)
霊界物語 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 10 馬鹿正直 第一〇章馬鹿正直〔六五五〕 雲を抜き出てそそり立つ高城山の峰伝ひ 松樹茂れる神の山木の間に閃く十曜の神紋 国治立の大神や埴安神や木の花の 姫の命の御教を四方に伝ふるウラナイの 神の教の出社と鳴り響きたる神館 五六七の御世を松姫が朝な夕なに真心を こめて祈りの言霊に百の神たち寄り集ひ 醜の教と云ひ乍ら御国を思ひ世を思ふ 其御心を諾なひて守らせ給ふぞ尊けれ。 松姫館の表門には、受付兼門番の溜り所が設けられてある。竜若、熊彦、虎彦の三人は、あどけなき話に冬の短き日を潰して居る。 竜若『此春頃は陽気も良し、日々木の芽を萌く様に、求道者が踵を接し、随分吾々も受付や門の開閉に繁忙を極めたものだが、春逝き、夏過ぎ、秋去り、冬来る今日此頃、雪は散らつく、凩は吹く、梢は真裸となり白い白い花が咲く様になつた様に、ウラナイ教の此館も、一葉落ちて天下の秋を知る処か、全葉落ちて寂寥極まる天下の冬となつて来たぢやないか。如何に栄枯盛衰は世の習ひだと云つても、ウラナイ教の凋落と云つたら、実に哀れ儚なき有様だ。我々は斯うチヨコナンとして用も無いのに、借つて来た狆の様にして居るのも、何だか気が利かない。松姫様に対しても気の毒な様な気がしてならないワ。嗚呼ウラナイ教にも、冷酷無残の冬が来たのかなア』 熊彦『それが身魂の恩頼だ。冬が有りやこそ春が来るのだ。神様は引懸け戻しの仕組ぢやと仰有るぢやないか。海の波だつて風だつて其通りだ。七五三と風が吹き、波は立つ、ウラナイ教も此春頃は七の風が吹き、七の波が立つて居た。夏になると五の風や五の波、秋の末から冬のかかりにかけて、三の風が吹き、三の波が打つて居る様なものだ。又世の中の歴史は繰返すものだから、花咲く春は屹度ウラナイ教に見舞うて来るよ。天下の春にウラナイ教計り何時迄も、冬の冷酷を眺めて居る様な事はあるまい、さう悲観したものぢやないよ』 虎彦『熊公、随分お前は楽観者だなア。蜘蛛が巣をかけて、虫が引つかかるのを待ち受ける様なやり方では何時迄経つても、ウラナイ教に春は見舞うて呉れない。矢張能ふ限り最善の努力を費やさねば駄目だ。運と云ふものは手を束ねて待つて居たつて、来るものではない。矢張こちらから、活動を開始せねばならないぢやないか。それに此頃は館の松姫様も、宣伝使の布教をお止めなさつたぢやないか。一体吾々は諒解に苦まざるを得ないのだ』 竜若『吾々一同の宣伝使が御神慮に叶つて居ないのだから、十分に此静かな間に、身魂を研き上げ、御神慮を悟り、本当の神様の大御心を体得して、神様から是れなら宣伝をしにやつても差支へ無いと御認めになる迄、吾々は修行をさされて居るのだ。月日の駒は再び帰り来らず、一日再び晨成り難し、此機会に、吾々は充分の魂磨きをやつて置くのだ。今迄の様な脱線だらけの宣伝をしたつて、世の中を益々混乱誑惑させるだけだ。一かど立派な神様の御用を勉めた積りで、お邪魔許りして居たのだから、神様が戒めの為に、此頃の様に宣伝もお止めなさつたり、求道者もお寄せにならないのだらうよ。吾々一同の者が、本当の誠の神心が解つたならば、宣伝にもやつて下さらうし、因縁の身魂も寄せて下さるだらう。神様は何処から何処迄抜け目が無いからなア』 熊彦『それに就いても三五教は比較的隆盛ぢやないか。高姫さまや、黒姫さまの大頭株が得意の神算鬼智を発輝して、玉照姫様をウラナイ教に奉迎せむとなさつたが、薩張三五教の紫姫や、青彦の奴に裏をかかれて馬鹿を見たと云ふのだから、油断も隙もあつたものぢやない。それに又合点のゆかぬは松姫さまぢや。青彦の裏返り者の女房お節が、此間から猫撫で声を出しよつて、旨く松姫さまに取り入り、今では奥の間の御用を務めて居るぢやないか。又黒姫の二の舞を演じてアフンとなさる様な事はあるまいかなア。何程、清濁併せ呑む大海の様な松姫さまの御心でも、お節の様な危険人物を奥に住み込ませて置くのは、爆裂弾を抱へて寝る様なものだ。此位な分り切つた道理がどうして松姫さまは気が付かぬのだらうか』 虎彦『何は兎もあれ、権謀術数至らざるなき、素盞嗚尊の悪神の一派だから千変万化に身を窶し、大胆不敵にも、女の分際としてこんな所へ、恐れ気もなくやつて来居つた危険性を帯びた化物だから、一つでもお節の欠点を発見したら、それを機会に松姫の大将が何と仰有つても、吾々は職を賭してお諫め申し、お節をおつ放り出さねばなるまいぞ』 竜若『それもそうだ。女でさへも三五教へ這入つた奴は、あれだけの胆力が据わつて居るのだから、男は尚更手に合はぬ奴計りだ。又何時三五教の奴がやつて来居つて、魔窟ケ原の岩窟の二の舞ひをやらうと掛るかも知れないから良く気を付けて、三五教の連中だつたら、此門内へ一足でも入れさす事は出来ないぞ。箒で掃出すか、それも聞かねば六尺棒で袋叩きにしても懲らしめてやらねば、ウラナイ教は何時根底から顛覆さされるやら分つたものぢやない。松姫さまは狼であらうが、虎であらうが、老若男女の区別なく、物食ひがよいから困つて了ふ。腹の中へ毒薬を呑み込んで平気で居るのだから実に剣呑千万だ。もうこれからは、一々出て来る奴を誰何して、身魂を調べた上でなければ、通行させる事は出来ないぞ。此門の出入を許否するは吾々一同の権限でもあり大責任だから、今後吾々は三角同盟を形造り、結束を固うして、毛色の変つた怪しき人物は、断乎として通過させない事にして締盟仕様ぢやないか、日の出神の生宮でも竜宮の乙姫さまの生宮でも、月夜に釜を抜かれた様な馬鹿らしい、悲惨な目に遭はされ給ふのだから、余程警戒を厳重にせなくては国家の一大事だ。此門一つが危急存亡の分るる所だからなア』 斯かる処へ馬、鹿の両人、潜り戸をガラガラと開けて這入り来たり。 熊彦『ヤア、門番の吾々に何の応答もなく、潜り戸を開けて這入つて来るとは、怪しからぬぢやないか、サア出て下さい』 馬公『ヤアこれは誠に失礼を致しました。余り森閑として居たものですから、貴方等が厳しい御装束をして門を守つて御座るとは露知らず、心急く儘ついお応答もせず御無礼致しました。何卒此不都合は、神直日大直日に見直し聞直し下さいまして通過させて下さいませ』 熊彦『成らぬと云つたら絶対にならぬのだ。事と品によつたら通してやらぬ事もないが、貴様に限つて通す事出来ぬ哩。其理由とする処は今貴様が、神直日大直日に見直し聞き直して呉れと云つたぢやないか。そんな文句を称へる者は、此広い世界にウラナイ教と三五教の二派あるのみだ。併し乍ら貴様はウラナイ教の人間ぢやない。てつきり三五教の瓦落多だらう。貴様の様な奴を此館へ侵入させ様ものなら、それこそ館の中は忽ちぢや、さうならば、我々も何々に何々しられては矢張忽ちぢや。忽ち変る秋の空、冬の来るのにブルブルと、面の皮剥ぎオツポリ出されて、七尺の男子も矢張忽ちぢや』 馬公『ヤアヤアそれは誠に御親切有難う。我々三五教の馬、鹿の二人が此処へ参る事を、流石明智の松姫様が御存じ遊ばして、門番に命じ吾々を歓迎の為め立待ちさせて置かしやつたのだな。たちまち開く心の門、是れから愈日の出の守護になるであらう、サア鹿公、御免を蒙つて奥へ参りませうかい』 熊彦『何だ、怪つ体な、馬だとか鹿だとか、道理で馬鹿な面付をして居やがる哩。コラコラ此門は善一筋、誠一つの神様や人間の通行門だ。四足の通るべき処ぢやない。トツトと帰らぬか』 馬公『如何にも吾々の名は馬、鹿、四足に間違ひありませぬが、此御門を御覧なさい、これも矢張四足ぢやないか。それにお前の名も、竜とか熊とか、虎とか云うぢやないか。矢張四足だらう。四足門を、四足が守るとは、余程よいコントラストだ、アハヽヽヽ』 虎彦『トラ何を吐しやがるのだ。それ程コントラストが望みなら、貴様の薬鑵を此棍棒でコントラストと叩き付けてやらうか』 と云ふより早く傍の六尺棒を以て、馬、鹿の前頭部を二つ三つ撲り付けた。 鹿公『随分ウラナイ教は、手荒い事をなされますなア』 虎彦『何、ウラナイ教が手荒い事をするのだ無い、貴様の悪心が此虎彦をして、貴様を打たしめるのだ。心の虎が身を責めると云ふのは此事だ。名詮自性、馬鹿な事を云つて通過を懇望するものだからそれで御註文通り、棍棒を頂かしてやつたのだ。今後は謹んで、斯様な乱暴な事を致すでないぞよ。馬、鹿の守護神、勿体なくも、虎彦さんの肉体を使つて馬鹿にしてけつかる、アハヽヽヽ』 馬公『重々私が悪う御座いました。何卒御勘弁下さいませ』 熊彦『悪いと云ふ事が分つたか。悪かつたら勘弁せい、と云つて、それで勘弁が出来ると思ふか。結構な御神門を、四足門だの、吾々三人を四足だのと失敬千万な、劫託を吐きやがつて、何だ、三五教はそんな無茶な身勝手な理屈は通るか知らぬが、誠一途のウラナイ教ではそんな屁理屈は通らぬぞ』 鹿公『イヤもう、通つても通らひでも結構です、吾々の目的は此門を通りさへすれば宜いのだ。黙つて門を開けたのは誠に済まないけれど、諺にも「桃李物云はず」と云ふ事がある。それだから、物静かに敬虔の態度を以て通行したのです』 虎彦『エヽツベコベと、よう囀る奴だ。愚図々々吐すと、鬼の蕨がお見舞ひ申すぞ』 と骨だらけの握拳を固めて、鹿の顔を二つ三つガツンとやつた。 鹿公『アイタヽヽ、随分気張り応があります哩』 虎彦『定つた事だ、斯う見えても、朝から晩迄、剣術に柔術で鍛え上げた百段の免状取りだ。全身鉄を以て固めた、虎彦さまの鉄身、鉄腸、槍でも鉄砲でも持つて来て、撃つなと、突くなとやつて見よ。鋼鉄艦にブトが襲撃する様なものだ、アハヽヽヽ』 と得意の鼻を蠢かし、四角な肩を不恰好に腰迄揺つて嘲笑する。馬公、鹿公は堪忍袋の緒が今やプツリと切かけた。エヽ残念だ、もう此上は善も悪もあつたものかい、三人の奴を片ツ端から打のめし、三五教の腕力を見せてやらうか。イヤイヤ、なる勘忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍だ。訳の分らぬ下劣な奴を相手にしての争ひは自ら好んで人格を失墜するのみならず、延いては、大神様の御心に背き、三五教の名誉を毀損する生死の境だ。仮令叩き殺されても柔和と誠を以て、彼等悪人を心の底より、改心させるのが吾々信者の第一の務めだ。国治立の大神様や素盞嗚大神様の御事を思へば、これ位の口惜残念は宵の口だ。怒りに乗じ手向ひすれば、一時の胸は治まるだらうが、叩かれた者は、安楽に夜分も寝られる、叩いた者は夜分に寝られぬといふ事だ。嗚呼、何事も大慈大悲の大神様の深遠なる恵の鞭だ。吾々は大神様の試錬を受けて居るのだ。紫姫様のお身の上に関する様な失敗を演じては済まない。と、馬、鹿両人は一度に、心中の光明に照されて、嬉し涙をタラタラと流し大地にカヂリ付いて神恩を感謝して居る。 虎彦『オイ馬、鹿、どうだ、往生致したか。初めの高言に似ずメソメソと泣面掻きやがつてチヨロ臭い。女郎の腐つた様な奴だなア。貴様は何時の間にか、睾丸を落して来やがつたのだらう。オイ熊彦、貴様は馬の睾丸を検査するのだ。俺は鹿の睾丸を実地検分してやらう』 と目と目を見合せ両人の尻を引捲り、三つ四つ臀部を叩き、 虎彦『ヤア腰抜けだと思つたら、矢張此奴の体は女に出来て居やがる。骨盤が非常に大いぞ。ヤア長い睾丸を垂らして居やがる』 とギユツと握り、無理無体に後向けに引張つた。 馬、鹿両人は睾丸を引張られ痛さに堪らず、後向けにノタノタと這ひ乍ら、門の外へ引摺り出された。 熊彦、虎彦両人は、手早く門内に駆入り、潜り戸の錠前を下ろし、 熊、虎『アハヽヽヽ、態ア見やがれ、ノソノソとやつて来ると又こんなものだぞ。早く帰つて三五教の奴に、酷い目に遭はされましたと報告しやがれ』 馬公『モシモシ、それは余りで御座います。開けて下さいと無理に申しませぬ、何卒、馬、鹿の両人が、門の外迄参りました、と松姫さまに報告して下さいませ』 虎彦『報告すると、せぬとは、吾々の自由の権利だ。犬の遠吠の様に、見つともない、門の外で、ワンワン吐すな』 鹿公『左様で御座いませうが、どうぞ、何かのお話の序に、一言でも宜しいから、仰有つて下さいませ』 虎彦(大きな声で)『喧しう云ふない。貴様が言つて呉れなと云つたつて、此手柄話を黙つて居る馬鹿が何処にあるかい。ウラナイ教の邪魔計り致す、三五教の馬、鹿の両人の睾丸を掴んで、門外におつ放り出してやつたと云ふ、古今独歩、珍無類の功名手柄を包み隠す必要があるか、縁の下の舞は、我々の取らざる所だ、一時も早く帰らぬか、愚図々々致して居ると、薬鑵に熱湯を浴びせてやらうか。シーツ、シー、こん畜生ツ、アハヽヽヽ。是れで俺も日頃の鬱憤が晴れ、溜飲が下つた。サアこれから、松姫様に申上げて喜んで頂かう、さうすれば又、御褒美に御神酒の一升もお下げ下さるかも知れぬぞ、オホヽヽヽ』 馬公『オイ鹿公、随分結構な神様の試錬に遭つたぢやないか。ようお前も辛抱して呉れた。俺は、お前が短気を起しはせぬかと思つて、どれだけ胸を怯々さして心配したか知れなかつたよ。それでこそ俺の親友だ、有難い、此通りだ、手を合して拝むワ』 と涙を滝の如くに流し男泣きに泣き沈む。 鹿公『そうだな、本当に結構な御神徳を頂いた。これで俺達も、余程、身魂に力が出来て胴が据わつた。身魂に千人力の御神徳を与へて下さつた。アヽ神様、あなたの深き広き御恵み、身に浸み渡つて有難う感謝致します』 と嬉し涙に掻きくれる。 馬公『オー鹿公、よう云うて呉れた。嬉しい』 と、しがみ付く。鹿公も亦、馬公の体にしがみ付き、互に抱き合ひ、忍び泣きに泣いて居る。 秋の名残りの柿の実、只二つ、冬枯れの梢に淋しげにブラ下つて居る。 凩に煽られて、烏の雌雄連れは忽ち此柿の木に羽を休め、悲しさうに可愛い可愛いと啼き立てる。 嗚呼此結果は、如何なるならむか。 (大正一一・五・八旧四・一二藤津久子録)
136

(1751)
霊界物語 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 霊の礎(五) 霊の礎(五) 一、高天原に復活したる人間の霊身は、地上現実界に生存せし時の如く、思想感情意識等を有して楽しく神の懐に抱かれ、種々の積極的神業を営むことを得るは前に述べた通りである。 扨て人間は何うして現界に人の肉躰を保ちて生れ来るかと云ふ問題に至つては、如何なる賢哲も的確な解決を与へて居ない。併し是は実に止むを得ない所である。物質的要素を以て捏ね固められたる人間として無限絶対なる精霊界の消息を解釈せむとするのは恰も木に倚りて魚を求め、海底に潜みて焚火の暖を得むとするやうなものである。故に現界人は死後の生涯や霊界の真相を探らむとして、何程奮勉努力した所で到底不可能不成功に終るのは寧ろ当然である。一度神界の特別の許可を得たるものが、無数の霊界を探り来たり、之を現界へその一部分を伝へたものでなくては到底今日の学者の所説は臆測に過ぎないことになつて了ふ。 一、抑も高天原の天国に住む天人即ち人間の昇天せし霊身人は地上と同様に夫婦の情交を行ひ、終に霊の子を産んで是を地上にある肉体人の息に交へて人間を産ましめるものである。故に人は神の子、神の宮といふのである。地上は凡て天国の移写であるから天国に於て天人夫婦が情交を行ひ霊子を地上に蒔き落す時はその因縁の深き地上の男女は忽ち霊に感じ情交を為し胎児を宿すことになる。その胎児は即ち天人の蒔いた霊の子の宿つたものである。その児の善に発達したり悪に落つるのも亦その蒔かれた田畑の良否に依つて幾分かの影響をその児が受けるのは止むを得ない。智愚正邪の区別の付くのも止むを得ない。石の上に蒔かれた種子は決して生えない。又瘠土に蒔かれた種子は肥沃の地に蒔かれた種子に比すれば大変な相違があるものだ。之を思へば人間は造次にも顛沛にも正しき清き温かき優しき美はしき心を持ち、最善の行ひを励まねばならぬ。折角の天よりの種子を発育不良に陥らしめ或は不発生に終らしむるやうなことに成つては、人生みの神業を完全に遂行することは出来なくなつて宇宙の大損害を招くに至るものである。人間が現界へ生れて来る目的は、天国を無限に開く可く天よりその霊体の養成所として降されたものである。決して数十年の短き肉的生活を営むためでは無い。要するに人の肉体と共にその霊子が発達して天国の神業を奉仕するためである。天国に住む天人は是非とも一度人間の肉体内に入りてその霊子を完全に発育せしめ現人同様の霊体を造り上げ、地上の世界に於て善徳を積ませ、完全なる霊体として天上に還らしめむがためである。故に現界人の肉体は天人養成の苗代であり学校であることを悟るべきである。 一、胎児は母体の暗黒な胞衣の中で平和な生活を続け十ケ月の後には母体を離れて現界へ生れ喜怒哀楽の為に生存するものだと言ふことは知らないが、併し生るべき時が充つれば矢張り生れなくてはならぬ如く、人間も亦天国へ復活すべき時が充つれば如何なる方法にても死といふ一つの関門を越えて霊界に復活せなくてはならぬのである。胎児は月充ちて胞衣といふ一つの死骸を遺して生るる如く人間も亦肉体といふ死骸を遺して霊界へ復活即ち生るるのである。故に神の方から見れば生通しであつて死といふ事は皆無である。只々形骸を自己の霊魂が分離した時の状態を死と称するのみで要するに天人と生れし時の胞衣と見れば可いのである。胎児の生るる時の苦みある如く自己の本体が肉体から分離する時にも矢張相当の苦しみはあるものである。併しその間は極めて短いものである。以上は天国へ復活する人の死の状態である。根底の国へ落ちて行く人間の霊魂は非常な苦しみを受けるもので、恰度人間の難産のやうなもので産児の苦痛以上である。中には死産と謂つて死んで生れる胎児のやうに最早浮かぶ瀬が無い無限苦の地獄へ落されて了ふのである。故に人間は未来の世界のある事が判らねば真の道義を行ふことが出来ぬものである。神幽現三界を通じて善悪正邪勤怠の応報が儼然としてあるものと云ふことを覚らねば人生の本分は何うしても尽されないものである。 一、天国に住める天人は地上を去つて天国へ昇り来るべき人間を非常に歓迎し種々の音楽などを奏して待つて居るものである。故に天国を吾人は称して霊魂の故郷と曰ふのである。 真神即ち主なる神は人間の地上に於て善く発達し完全なる天人となつて天国へ昇り来り天国の住民となつて霊的神業に参加する事を非常に歓び玉ふのである。天国の天人も亦人間が完全な霊体となつて天国へ昇り来り天人の仲間に成ることを大変に歓迎するものである。 譬へば爰に養魚家があつて大池に鯉の児を一万尾放養し其鯉児が一尾も残らず生育して呉れるのを待つて歓び楽んで居る様なものである。折角一万尾も放養しておいた鯉が一定の年月を経て調べて見ると其鯉の発育悪く満足に発育を遂げたものが百分一に減じ其他は残らず死滅したり、悪人に捕獲されて養主の手に返らないとしたら其養主の失望落胆は思ひやらるるであらう。併し鯉の養主は只物質的の収益を計るためであるが、神様の愛の欲望は到底物質的の欲望に比ぶることは出来ない。故に人間は何処までも神を信じ神を愛し善の行為を励み、その霊魂なる本体をして完全なる発達を遂げしめ、天津神の御許へ神の大御宝として還り得るやうに努力せなくては、人生の本分を全うすることが出来ない而已ならず、神の最も忌みたまふ根底の国へ自ら落行かねばならぬやうになつて了ふのである。 アヽ惟神霊幸倍坐世。 大正十一年十二月 (昭和一〇・六・四王仁校正)
137

(1756)
霊界物語 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 01 武志の宮 第一章武志の宮〔六六三〕 常世の暗を晴らさむと神の御稜威も高熊の 静の岩窟の奥深き恵の露の雨となり 雪ともなりて空蝉の醜世を洗ひ照さむと 空に輝く旭子の光も強き玉照彦の 伊豆の命を奉按し言照姫の神霊や 数多の神に送られて五六七の神代を松姫が 心イソイソ山坂を渉りて来る玉鉾の 道も広らに世継王山東表面の峰続き 紅葉の色も照山の麓に立てる仮の殿 神の御言を畏みて悦子の姫が守りたる 珍の宮居に木の花の姫の命の御水火より 出でし玉照彦の神勇み進んで送り来る 天火水地と結びたる紫姫や若彦は 喜び勇み彦神を迎へ奉りて玉照の 姫の命の夫神と称へまつらむ真心の 限りを尽し仕へ居る神素盞嗚の大神は 英子の姫を遣はして五六七の神代の礎の 百の仕組に仕へしめ国治立の大神が 国武彦と現はれて曇り果てたる末の世を 照し清むる先駆と姿隠して桶伏山 黄金の玉と諸共に御稜威は四方に輝きぬ 言依別の宣伝使斎苑の館を立出でて 雲路押分け遥々と綾の聖地に着き玉ひ 心の空に玉照彦の神の命や姫命 経と緯との皇神の分の御霊と嬉しみて 三五教を弥固にいや遠永に宣り伝ふ。 言依別命は、神素盞嗚大神の命を奉じ、照山と桶伏山の山間に、国治立の大神、豊国姫の大神の、貴の御舎を仕へまつりて、其威霊を鎮祭し、玉照彦、玉照姫をして宮仕へとなし、世界経綸の神業の基礎を樹立せむとしたまひ、遠近の山野の木を伐り、瑞の御舎を仕へまつつた。神人等の道を思ひ、世を思ふ真心凝結して、荘厳無比の瑞の御舎は瞬く中に建造された。称して錦の宮と云ふ。玉照彦、玉照姫は幼時より数多の神人に秀で、神徳高く、神格勝れ、神代に於ける救世主として、天下万民の尊敬を集めたまふに到りけり。 言依別命は、素盞嗚大神の命を奉じ、錦の宮を背景として、自転倒島に於ける三五教の総統権を握り、コーカス山、斎苑の館と相俟つて、天下修斎の神業を宇内に拡張し給ふ事となつた。三五教の宣伝使は云ふも更なり、ウラナイ教を樹て、瑞之御霊に極力反抗したる高姫、黒姫、松姫は、夢の覚めたる如く心を翻し、身命を三五教に奉じ、自転倒島を始め、海外諸国を跋渉して、神徳を拡充することとなつた。茲に元照彦の御霊の再来、天の真浦は、大台ケ原の山麓に生れ、木樵を業となし其日を送り居たるが、綾の高天に錦の宮の建造され、神徳四方に光り輝くと聞きて、樵夫の業を廃し、遥々聖地に訪ね来り、言依別命に謁し、新に宣伝使となることを得た。天の真浦は大に喜び、昼夜の区引なく宣伝歌を謡ひ乍ら、先づ自転倒島に向つて、神徳宣布の神業を試みむとし、聖地を後に唯一人、霧の海原押分けて風のまにまに、人の尾峠の西麓に着いた。道行く人も見えぬ許りの粉雪、滝の如くに降り来り、見る見る一尺許りも地上に積もり、日は黄昏れて、道いよいよ遠く、真浦は行手に迷ひ、進みもならず、退きもならず、蓑笠を着けたる儘、路上に佇立して、声低に天津祝詞を幾度となく繰返しつつあつた。怪しき獣の影幾十となく隊をなして、山上より降り来る。されど真浦は滝と降り来る雪に眼を遮られ、足許に進み来るまで知らざりき。唯何となく雪踏み砕く何者かの足音、追々近づく声のみ耳に入る。真浦は独言、 真浦『今迄暖かい国に育ち、此様な深雪は見た事がなかつた。始めて神様のお道に入り、百日百夜の修行を積み、漸く許されて今茲に宣伝使補となり、足に任せて進みて来たが……アヽゆき詰つたものだ。言依別命様より「汝は是れより人の尾峠を越え、河水清き宇都の郷に初宣伝を試みよ」と仰せられた。併し乍ら、斯う降り積る大雪、況して樹木茂れる此谷間、日は暮かかる……アーア宣伝使も辛いものだ。追々積る雪の量、罷り違へば我身は雪に埋まつて、冷たくなつて了うであらう。進退惟谷まるとは此事だなア』 と心細げに呟く折しも、最前の足音追々近づき来る。見れば数十頭の熊の群、真浦が足許を勢込んで走り行く。真浦は驚いて雪の中に路を避けた。熊の群は何の遠慮もなくスタスタと列を組んで、西方さして走り行く。 真浦はホツと息をつき、 真浦『アヽ、有難い、沢山の熊が現はれて雪路を踏み分けて、立派な通路を開いて呉れた。是れも全く神様の御神徳であらう…………有難し有難し』 と感謝しながら、熊の足跡を踏み分け上り行く。道の傍に一軒の茅屋が有ることが目に付いた。屋内には幽かな火影が瞬いて居る。風が持て来る雪しばき益々烈しく、熊の折角開いて呉れた雪の新道も、瞬く間に閉塞して了つた。屋内には気楽さうに笑ひさざめく声。真浦は此愉快気に笑ふ声を聞き、 真浦『ホンに羨ましい事だなア。我れは神命とは言ひ乍ら、此雪路に悩み、玉の緒さへも切れなむとする極寒の苦しみ、血管を流るる血潮も凝結せむとする辛さに引替へ、此家の内の面白さうな笑ひ声、…………実に人の境遇位運否のあるものはない。併し乍ら我れも神の道を伝ふる宣伝使の初陣、斯の如き雪に恐れ、人の家に這入つて、一夜の宿を請はんとするも、何となくウラ恥かしい、アヽ如何にせむか』 と躊躇ふ折しも、屋内より男の声、 男『オイ、どこの乞食だか知らぬが、此雪の降るのに、何を愚図々々して居るのだ。チツと俺の宅へでも這入つて休んだらどうだ。あつたかい湯も沸いてある。沢山な火も焚いてあるぞ』 真浦『ハイ有難う御座います。併し乍ら私はどうしても此峠を越さねばなりませぬ。御志は有難う御座いますが……』 男『ナニ、俺の宅で休むのは厭だと云ふのか、馬鹿な奴だなア。俺は此辺の杣人だ。少しの雪はチツとも苦にならない男だが、流石山猿の俺でさへも、一歩も今日の雪には歩む事は出来ない。どうして此坂が登れると思ふのか。マアそんな馬鹿な事を言はずに旅は道連れ世は情だ。一樹の蔭の雨宿り、一河の流れを汲む人も、深い縁の有るものだ。サア遠慮は要らぬ、這入つて休息したがいい』 真浦は其言葉に稍心動き、 真浦『どなたか知りませぬが、御親切に有難う御座います。左様ならば暫く休息をさせて頂きませう』 男『アヽそれが良い。サアサアお這入りなさい』 と真浦の手を取り引き入れ、斜に歪んだ雨戸をピシヤツと閉めた。 男『大変な大雪で、倒けかかつた家が益々怪しくなつて来た。愚図々々して居ると雪の重みで、此家も平太つて了ふかも知れないぞ。………オイ駒公、お客さまだ。どつさりと薪木を燻べて御馳走するのだぞ。寒い時には火が一番御馳走だ』 駒公『馬鹿言ふな。どこの馬の骨か、鹿の骨か分りもせぬ代物を、物好きにも駒さんの承諾も得ず、引き摺り込みやがつて、火を焚けも有つたものかい。貴様は何でも取込む事ばつかり考へて居やがる。チツと執着心を脱却せぬかい。取り込むことなら犬の葬式でも喜んで引張り込むと云ふ代物だから困つて了ふ。そんな事で此の立派な家が、どうして立つて行くと思ふのか、秋公の不経済家には俺も本当にアキが来た。寒い時に俄に体を火に近づけると、却て凍傷を起すものだ。どこの奴か知らぬが、赤裸にして頭から冷水でも、ドツサリ御馳走してやるのだなア。貴様と二人斯うして雪に閉されて居つても、チツとも面白味がない。此奴の衣服万端を奪ひ取り、其上赤裸にして水をかけ、それを肴に一杯やつたら面白からう』 真浦『なんだ、其方らは甘言を以て此方をひつぱり込み、泥棒を致すのか』 秋彦『アハヽヽヽ、好い頓馬だなア。そんな事を尋ねるのが馬鹿だ。俺も今日が泥棒の初陣だ。此家は実は吾々の物ではない。老爺と婆アとが居つたのだが、凄い文句を並べてやつた所、昨日の日の暮頃、どつかへ逃げて行きよつた。彼奴は雪爺に雪婆だつたと見えて俄にこんな大雪が降つて来た。サア皮を剥いてやらう』 と真浦の身に着けたる衣服を剥奪せむとする。 真浦『それは、あまりぢや。一寸待つて呉れ』 秋彦『松も檜も有つたものか。袋の鼠、どうしたつて剥かねば置かぬ』 真浦『此家を立去る時に脱ぎませう。それまで此衣服を私に貸して下さいませぬか』 駒彦『オイ秋公、仕方がない、貸してやれ。……オイ何程借賃を出す?それから約束して置かねば喰逃げされては、泥棒商売も棒が折れるからなア。ワハヽヽヽ』 真浦『自分の着物に利息をつけて貸して貰ふとは、又妙な規則の出来たものですなア』 駒彦『愚図々々言ふない。郷に入つては郷に従へだ。是れが泥棒社会の規則だ』 真浦『貴様達は丸でバラモン教みたやうな奴だなア』 駒彦『きまつた事だ。鬼雲彦様の乾児だよ。秋、駒と云つたら、それは本当に翔つ鳥も落すやうなバラモン教の有名な宣伝使だぞ。貴様は三五教の宣伝使、無抵抗主義を標榜して居る腰抜教の奴だから、指一本俺に触へても、抗言一つ致しても、抵抗した事になる。頭をカチ割られようが、黙つて辛抱するのだぞ』 真浦『アーア困つた事になつたもんだワイ。三五教には噂に聞けば、もとは馬、鹿と云ふ紫姫様の家来があつて、それが高城山の松姫さまを帰順させ、駒彦、秋彦と云ふ名を貰つたさうだが、お前の名は秋と云ひ、駒と云ひ、能く似て居る。何か因縁の糸が結ばれて居る様だ。もしや三五教の駒彦、秋彦ではなからうかなア』 秋彦『そんな腰抜の秋彦や、駒彦とはチト相場が違ふのだぞ。俺は三五教の宣伝使真浦と云ふ新米者が宇都山の郷へ初陣に往くので、言依別の神様から……』 駒彦『オイ秋公、何を言ふのだ。ウツカリした事を言ふものでないぞ』 真浦『アハヽヽヽ、大方そんな事だと思つた。言依別の神様が俺の信仰力を試す為に、貴様を此処へ廻しおき、そうして此道を通れと仰有つたのだなア……オイ秋彦、駒彦、モウ駄目だぞ。泥棒でも、バラモンでも、ベラボウでもない、貴様の襟の印は何だ』 駒、秋『アハヽヽヽ、到頭陰謀発覚したか。エヽ仕方がない。そんなら事実をスツカリ白状致して遣はす』 真浦『イヤもう沢山だ。何も承はる必要は有りませぬワイ』 駒公『先づ宣伝使の点数六十五点だ。速に言依別の神様に成績表を書留郵便で送つて置かう。夜が明ける迄三人鼎坐してお神酒を戴いて御日待をしようではないか』 真浦『またそんな事言つて、点数を減らすのではないか』 秋彦『心配するな。一旦認めた以上は減点は決してしない。其代り俺の事もよく報告するのだぞ』 真浦『能く報告してやらう。コンミツシヨンとしてモウ四十五点あげて呉れ』 秋彦『六十五点に四十五点を加へると満点以上になつて了ふ。それでは試験官として報告の仕方がないワ』 真浦『俺の改心は百点以上だ。其代り貴様は百八十点に俺から報告してやらう。併し二人合計してだから……』 と他愛なき雑談に一夜を明かしたりける。 天の真浦の宣伝使秋彦駒彦諸共に 神の教を伝へむと人の尾峠の急坂を 雪かき分けて登り行く地は一面の銀世界 金烏の光りキラキラとまたたき初めて大空は 拭ふが如く晴れ渡り茲に三人は勇ましく 谷の流れに沿ひ乍ら足踏みなづみ進み行く 旭輝く雪は照る神の恵も白妙の 雪に包まる宇都の郷武志の宮を祀りたる 浮木の里に辿り着く又もや降り来る雪しばき 茲に三人は大宮の脇に建ちたる社務所に 雪を凌いで車座になつて暖をば採り乍ら 携へ持てる握り飯ムシヤリムシヤリと平げて 四方の話に耽る折雪かき分けて登り来る 怪しの翁唯一人覚束無げに杖を突き 宮の階段登り来る真浦秋彦駒彦は 眼を据ゑて眺むれば怪しの翁は神前に やうやう近づき拍手の音も涼しく太祝詞 称ふる声の麗しく三人の耳に透きとほる 神の使か真人か但は悪魔の化身かと 怪しみ乍ら秋彦は此場を立ちてザクザクと 雪踏み鳴らし神前に額づく翁に打向ひ 汝は何処の何人ぞ人里離れし此森に 雪を冒して参来たり祈願するは何故ぞ 聞かまほしやと尋ぬれば翁は漸く顔を上げ 胸に垂れたる白鬚を二つの手にて撫で乍ら 四辺キヨロキヨロ見廻して武志の宮の神司 朝な夕なに真心を尽して仕へ奉る 吾れは松鷹彦の司汝は何処の何人ぞ 訝かしさよと問ひ返す其容貌のどことなく 得も言はれざる気高さに秋彦思はず手を突いて 三五教の宣伝使心の色も紅葉の 錦の宮に仕へたる秋彦駒彦二人連れ 天の真浦も諸共に宇都山郷に現はれし バラモン教の曲神を言向け和す鹿島立ち 雪を冒してやうやうに此処まで進み来りしぞ 雪に埋まる山里の家並も見えぬ淋しさに 武志の宮の社務所を借りて休らひ居たりけり 綾の高天に現はれし玉照彦や玉照姫の 宇豆の命の仕へます三五教の司神 言依別の御言もてあもり来りし三人連れ 汝松鷹彦の司吾等三人を宇都山の バラモン館に伴なひて太しき功績を建てませよ 応答如何と詰め寄れば松鷹彦は畏みて 老の歩みもトボトボと雪の階段降りつつ 天の真浦や駒彦が前に現はれ会釈なし 先頭に立たむと誘へば三人は勇み喜びつ 翁の後に従ひて武志の宮に一礼し 東を指して進み行く。 松鷹彦は雪路を杖を突き乍ら先頭に立ちて、バラモン教の宣伝使と聞えたる友彦館に案内すべく進み行く。真浦は翁の後に七八尺遅れて、一歩々々深雪の中の足跡を目標に進む折しも、秋彦、駒彦は物をも云はず、真浦を引抱へ、数丈の崖下に突落した。突落された真浦は何の負傷もせず、高く積もれる雪の上にニコニコと安坐して三人の姿を仰ぎ見て居る。 秋彦『モシ真浦さま、どうだ、御気分は宜しいかな。どこもお怪我は御座いませぬか』 真浦『ハイ有難う、無事着陸致しました』 駒彦『サア六十五点に三十五点を加へて百点だ。肉体は高所から落第したが、御霊はいよいよ立派な宣伝使に及第したのだから喜び給へ』 松鷹彦、目を円くし、 松鷹彦『コレコレお前達は何と云ふ乱暴な事をするのだい。世界の人民を助けて天国へ救ふ役であり乍ら、地獄のやうな断崖から突落すと云ふ事が有るものか、グヅグヅして居ると此老人まで、どんな事をするか分つたものぢやない』 秋彦『お爺さま御心配下さいますな。身魂調べの為に、吾々両人は言依別様の御命令に依りて、あの男の修業をさせに来たのです。ここで腹を立てる様な事では、宣伝使の資格がないのだから、謂はば我々は宣伝使の試験委員だ。是れであの男も立派な宣伝使になりました』 松鷹彦『こんな絶壁から落されては、どうする事も出来ない。何とか工夫をして此処まで救ひ上げて来なさらねばなりますまい』 秋彦『何も御心配は要りませぬよ。獅子は児を産んで三日目に谷底へ棄て、上つて来た奴を又突落し、三遍目に上がつた奴を、始めて自分の子にすると云ふ事だ。こんな所から一遍や二遍突落されて屁古垂れる様な者なら、到底駄目だ。悪魔の栄ゆる世の中の宣伝使にはなれませぬ。上つて来よつたら、又突き落す積りです』 松鷹彦『それだと言つて、それはあまり残酷ぢやないか。早く助けてお上げなさい』 秋彦『そんな宋襄の仁は却つてあの男を憎む様なものだ。可愛いから此断崕から突き落してやつたのです』 松鷹彦『なんと妙な可愛がり様も有つたものだなア。私も此年をして居るが、そんな愛は聞いた事が無い』 と不思議さうに覗き込んで居る。 駒彦『お爺さま、お前も一つ可愛がつてあげようか』 松鷹彦『イヤもう結構々々、お前等に可愛がられようものなら、生命も何も無くなつて了ふ。若い者は兎も角も、此老人がどうなるものか。恐ろしい人達だなア』 と蒼惶として走り去る。 駒彦『アハヽヽヽ、到頭老爺さま肝を潰して逃げて了ひよつた。サア秋彦、モウ用が済んだ。是れから各自手分けをして、命ぜられた方面へ行く事にしよう。…コレコレ真浦さま、マアゆつくりと雪の上でお鎮魂でもなさいませ。これでお暇致します。其代りに百点だよ』 と両手を拡げて見せ、雪路を一生懸命に何処ともなく左右に別れて走り行く。真浦は苦心惨憺の結果、漸く廻り路を見出して、元の所に駆上り、四辺をキヨロキヨロ見廻し乍ら、 真浦『アヽ誰も彼も皆どつかへ埋没して了つた。エヽ仕方がない、足型を便りに後追つかけよう』 と独語しつつ雪に印した草鞋の跡を、犬が鋭利な嗅覚で猪の後を逐ふ様な調子で進んで行く。雪は鵞毛と降り頻り、足跡の窪みは殆ど埋没して了つた。見渡す限りの白雪の野を、一歩々々探る様にして、遂には大川の畔に辿り着いた。河の堤に細い烟の破風口より立昇る小さき茅屋が淋しげに立つて居る。真浦は『御免』と押戸を開けて入り見れば以前の老爺が、婆アと二人茶を啜つて居る。 松鷹彦『ヤアお前は最前の宣伝使だつたなア。能う来て下さつた。随分乱暴な男も有つたものだ。あれは大方バラモンの残党であらう。お前気を付けないと、どんな目に遭はされるか知れませぬぞや』 真浦『ハイ有難う御座います。実は人の尾峠の西麓に於て、盗賊に出会ひました。それから其盗賊さまに武志の宮まで送つて頂いたのです』 松鷹彦『何か盗られましたかなア』 真浦『イエ別に……盗られる処か結構な物を沢山頂戴致しました。盗難品は唯の一点も無く、貰つたものは前後二回で百点ばかりです。実に結構な御神徳を頂きました。最前もアノ絶壁から突き落され、其時にも三十五点呉れましたよ』 松鷹彦『ハテ合点のゆかぬ事を仰有る。その代物はどこに御所持なさるかなア』 真浦『ハイ残らず私の腹の中にしまつてあります。要するに無形の宝ですよ』 松鷹彦、両手を拍ち、打諾づき乍ら、 松鷹彦『ハヽヽヽ、年を老つて、わしも余程耄碌したと見えるワイ、ホンにそうだ。わしもお前さまから宝を四五十点頂戴した。実に忍耐と云ふ宝は結構なものだ。さうでなくては誠の道は拡まりますまい。バラモン教は随分荒行を致しますが……私も元は三五教を奉じて居りました。それから三五教の宣伝使の行方があまり脱線だらけで、愛想が尽き、同じ事なら大勢の者の信ずるバラモン教の方が処世上の便利だと思ひ、一旦は入信しましたが、これ亦どうしても私の腑に落ちない点が沢山ある。そうかうして居る間にバラモン教の一部を採り、ウラル教の或点を加味し、三五教を加へて、新に起つたウラナイ教と云ふ新しき教が出て来たので、又もやウラナイ教に間男をしました。そうして神様を武志の宮にお祀りした処が、その夕から夫婦の者が俄に病気付き大変な発熱で、幾度も死ぬ様な目に遭ひ……コリヤやつぱり元の神様にすがらねばなるまい……と夫婦の者が三五教の大神に謝罪をした処、不思議にも其時より熱が段々に降り、婆アは二三日の後ケロリと嘘を吐いた様に全快して了つた。私は此れから一里許りある下の村の者から選まれて、武志の宮の神主をして居る者だが、村人にさう幾度も幾度も神様を出したり入れたりすると思はれては、信用がないから、ソツとウラナイ教の高姫さまが祀つて呉れた御神号を河に流し、今では三五教の神様をお祀りしたいのだが、一旦御神号を流して了つたので、戴く訳にもゆかず、空の宮を……今日も今日とて謝罪旁拝みに行きました。今日で此雪路を三七廿一日、毎日通ひましたが、不思議な事には、あなた方に宮様の前でお目にかかつたのは、全く神様の御引き合せで御座いませう。併し詳しい教理は存じませぬが、三五教の宣伝使はみな貴方の様に忍耐が強い方ばかりですか』 真浦『昔の三五教は随分乱暴な宣伝使もあり脱線者も沢山出たさうです。併し此頃は玉照彦、玉照姫と云ふ立派な神様の生れ替はりが、聖地に現はれ玉うてより、誰も彼も、緊張気分になり、忍耐を第一として天下に宣伝を始めて居ります。恥かし乍ら私は大台ケ原山麓の暖かい所に生れ、楽に育つて来た報いで、此雪国へ始めて宣伝に参り、余程苦みました。さうして今日が宣伝の初陣です。僅かの時日、神様の教を聞かして頂き、言依別の教主様から許されて、宣伝に参つた者ですから、詳細しい事はまだ存じませぬ』 松鷹彦『さうすると、あなたは今日が始めてですか。それはそれは本当に結構です。宣伝使は分らぬ間こそ却て神徳もあり、人徳も備はるものだ。少し物が分ると知らず識らずに慢心が出て、終には信仰に苔が生え、又元の邪道に逆転するものだ。私もさう云ふ初心な宣伝使に一度会ひたいと思うて居つた。どうぞ貴方はこれから私の茅屋に逗留し、武志の宮の御神体を斎つて下さい。さうして村の者にも教を伝へ、バラモン教を改めさせたいものです』 真浦『神様を祀ると云つても、私の様なものでは、到底それだけの資格が有りませぬ。時を得て聖地にあなたも参拝し、言依別命様に面会して、御神体を奉迎してお帰りなさいませ。それが何より結構でせう。我々は宣伝をするばかりの役、神様の御神体を扱ふ事は出来ませぬ』 松鷹彦『如何にも、さう聞けばさうです。物品か何かの様に軽々しう扱ふ事は出来ますまい。時機をみて御願ひする事に致しませう。さうして三五教の教の樹て方は、大体どう云ふ事が眼目になつて居りますか』 真浦『あなたは最前も、三五教に入信て居たと仰有つた。私よりは、謂はば古参者、能くお分りでせう』 松鷹彦『唯々世界統一の神様だと信じ、此曇つた世の中を早う安楽な、潔白な世にしたい許りに信仰を続けて居たのみで、言はば徹底せない信仰で有りました。それ故あちら此方と迂路付いて見たのだが、どうしても三五教が斎る神様に御神力がある様だ。何とはなしに恋しくなつて来ました』 真浦『私が知つて居る事の大体だけを簡単に申しますれば、……世界を神の慈愛の教に依りて、道義的に統一し、世の立替立直しを断行する事。能ふ限り神様の道を宣揚し、体主霊従の物質的教に心酔せざる様教ふる事。如何なる事も神様にお任せ申し、自分の我を出さずに能ふ限り道に依りて力を尽す事。天地神明の鴻恩を悟り、造次にも顛沛にも、感謝祈願の道を忘れざる事。常に謙譲の徳を養ふ事。如何なる難儀に遇うとも、誠の道の為ならば少しも恐れず、誠を以て切り抜ける事。社会の為に全力を尽し、天下救済の神業に奉仕する事なぞを以て、吾々は宣伝使の尽すべき職務と確信して居ります。併し乍ら、中々思つた様に行ひが出来ないので、神様に対して何時も恥入つて居る次第で御座います』 松鷹彦『オウ、それで大体の御主意が分りました。今までの三五教の宣伝使は、三五教には退却の二字は無いと云つて、随分乱暴な喧嘩もしたものです。然るに今日あなたの御説の通り、三五教自身に立替が出来た以上は、最早天下何者をか恐れむやである。其実行さへ出来れば、此宇都山の里人も残らず帰順するでせう。どうぞ武志の宮の社務所にお止まり下さつて、不言実行の手本を見せて下さい。それが第一の宣伝です』 真浦『有難う御座います。何分宜しく御願ひ致します。私の初陣として、あなたの御病気の全快を神様に祈らして下さいませぬか』 松鷹彦『それは是非共頼まねばならぬ。併し乍ら不言実行だ。お前さまが私の宅へ来て間もなく、私の病気が知らぬ間に癒る様になさらぬか。願はして呉れ……なぞと仰有るのが間違つて居る。まだお前さまはチツと許り名誉欲の魔が憑いて居ますな』 真浦『ハイ恐れ入りました。それならモウ決して祈りませぬ。あなたの病気には無関係ですから、さう思つて下さい』 松鷹彦『ハイハイ分つた分つた。御互に神様の御子ぢや。右の手より施す物を左の手が、知らぬ様にするのが、誠の不言実行、三五の教だ』 真浦『あなたは何も彼も能く知つて居て、私を実地教育して下さるのだなア。有難う御座います。アヽ神様は人の口を藉つて、イロイロと修業をさして下さるか、思へば思へば有難い、勿体ない』 と涙を袖に拭ふ。 松鷹彦『わしは何にも知らない。唯お前さまと話をして居る際、俄に体が変になつて、あんな失礼な事を言ひました。どうぞ気に止めて下さるな……アヽ有難い、今迄ヅキヅキとウヅいて居つた私の足が、何時の間にかスツカリ癒つて了つた』 と拍手再拝、真浦を神の如くに手を合して拝み立てる。 雪に閉され四五日真浦は、老夫婦の親切にほだされて、教話を説き乍ら冬の日を消した。 松鷹彦『此処は御存じの通り、山と山とに囲まれて不便の土地、御馳走も一度上げたいと思へども、斯う雪に閉されては、どうする事も出来ぬ。幸ひ此川の淵には、沢山な小魚が居つて、つい其処の淵には、冬の寒さで一所に籠つて居る。これを掬うて来て、お前さまの御馳走にして上げませう』 真浦『ア、それは有難う』 と言ひつつ、後は小声で、 真浦『不言実行が肝腎だなかつたかなア』 と幽かに呟いた。老爺さまは玉網を担げ、雪掻き分けて川縁に行つた。そうして玉網を淵に突つ込み、荐りに骨を折つて居る。此家の座敷から能く見える距離である。婆アさまと真浦は、爺さんの川漁を面白げに眺めて居た。松鷹彦はどうした動機か、誤つてドブンと川に落込み、チツとも浮いて来ない。婆アさまは素知らぬ顔して眺めて居る。真浦は驚いて、 真浦『ヤアお爺さまが川へ落ち込んだ。助けてあげねばなるまい』 と立ちあがる。婆アさまは初めて口を開き、 婆(お竹)『不言実行だ』 真浦『恐れ入りました。これから私もお前さまに代つてあの青淵目蒐けて、バサンと飛び込み、ヂイさまを救はう』 婆(お竹)『お手並拝見の後御礼を申しませう。何は兎も有れ不言実行ですからなあ』 真浦は尻ひつからげ雪の中を倒けつ転びつ飛んで行く。爺イは此時柳の木に取り付き、ムクムクと上つて来た。 真浦『お爺さま、結構でした。能う助かつて下さつた。実は私もビツクリして助けに来たのだ』 松鷹彦『あなたは有言不実行だ、アハヽヽヽ』 真浦は黙つて老爺さまの着物を搾りかけた。 松鷹彦『自分の着物は自分が絞る。モツと忘れたものがあるだらう』 真浦は黙つて引返し、矢庭に座敷の中をキヨロキヨロ見乍ら、おやぢさまの着替を見付け、小脇に抱へて飛出した。婆アは、 婆(お竹)『コレコレお前さま、それはおやぢの着物だ。老爺の陥つたのを幸ひ、大切な着替を不言実行して、どこへ浚へて行くのだ。……ホンにホンに油断のならぬ人だなア、オホヽヽヽ』 真浦『エー夫の危難を前に見乍ら、一言も頼みもせず、不言実行だなんテ、謎をかけやがつて、おまけに俺を盗人扱ひにして洒落て居やがる。此奴ア普通の狐……オツトドツコイ女ぢやあるまい。……早く行かぬと、爺が凍てて了ふ』 と裏口を跨げかける。婆アは、 婆(お竹)『真浦さま、早く早く、不言実行だ』 真浦は物をも言はず、爺の所に走り着いた。老爺は赤裸となりて真浦の持つて来た着物を、手早く身に着け『大きに』とも、『御苦労』とも言はず、黙つてスゴスゴと吾家に帰る。真浦は濡れた着物や網を引抱へ、 真浦『アヽ本当に不言実行歩と出よつたな。油断のならぬ化物爺だ。モウこれからは暫時唖の修業だ』 と独ごちつつ、爺の家に帰つて来た。 婆(お竹)『流石三五教の宣伝使ぢや。能う気が付いた。これでお前も又一点程点数が増えましたデ、ホヽヽヽヽ』 松鷹彦『アイタヽヽ、又しても痛くなつた。此奴ア病気が撥ね返るのではあるまいか。非常な激痛だ』 と顔を顰め、 松鷹彦『不言実行不言実行』 と呶鳴つて居る。婆アは、 婆(お竹)『折角御神徳を戴き乍ら……爺さま、お前は二口目には不言実行と仰有るが、取らぬ狸の皮算用をする様に、棚の牡丹餅をおろして喰ふ様に、慢心して、真浦さんに御馳走をしてあげようかなんテ、仰有るものだから、忽ち神様の御戒めを食つて、有言不実行になり、そんな土産を頂戴して苦むのだよ。チツと神様に謝罪をなさらぬか』 松鷹彦『俺は神様に対して不言実行、暗祈黙祷を行つて居るのだ。どつか其辺らに不言実行者が、モウ出さうなものだ。アイタヽヽ』 真浦は赤裸となり、裏の川にザンブと飛び込み、御禊をなし、一生懸命で何事か祈願し始めた。爺イの足の痛みは不思議にもピタリと止まつた。 松鷹彦『真浦様、有難う。御神徳を頂きました。サアどうぞ此方へ来て下さい。火を焚いてあたらしてあげませう』 真浦は川より這ひ上り、身体の露を拭ひ乍ら、 真浦『お老爺さま、火を焚くのもヤツパリ不言実行だ、アハヽヽヽ』 (大正一一・五・一二旧四・一六松村真澄録)
138

(1758)
霊界物語 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 03 山河不尽 第三章山河不尽〔六六五〕 留公はドンドンと地響きさせ乍ら性凝りもなく芋畑の赤子を御丁寧に再び蹂躙り、 留公『エイ、此芋の野郎、俺に影響を及ぼしやがつた、芋だつて油断のならぬものだ、エヽもう斯うなる上は善いも、悪いも、恐いも、可愛いも、難かしいも、嬉しいも、悲しいもあつたものかい、三度芋の野郎、何処までも六本の指で蹂躙してやらう。アタいもいもしい』 と足に力を入れて心ゆく許り踏み砕いて居る。そこへ走つて来たのは真浦の宣伝使、此態を見て、 真浦『留さん、何をして居なさる』 留公『之はしたり、大変な所を発見されました。然し何卒もう宣伝歌丈けは許して下さい、頭の数が幾つにも分家する様な心持がしますから……』 真浦『よしよし嫌とあれば沈黙しませう、然し今お前の踏んで居るのは芋ではないか』 留公『ハイ、物価騰貴の今日、斯う沢山に赤子が殖えては、第一国民が食糧に困ります。三度芋と云つて年に三度も子を生む奴ぢや、産児制限の為めにサンガー夫人がやつて来て、今此処に大活動を開始した所ですよ。何卒大目に見て上陸を拒否せない様に願ひます、アハヽヽヽ』 真浦『そんな事しては困るぢやないか、天津御空の星の数程人を殖やし、浜の真砂の数程赤子を生まねばならぬ神様のお道ぢや、生成化育の大道を無視してその様な乱暴な事をして良いものか』 留公『私は之が国家の経済上から見ても、人類共存上の学理から考へても最も神の意志に適した良法だと確信して居ます。何卒私の演説を一つ聞いて見なさい、能く徹底して居ますよ』 真浦『演説は中止、否絶対に解散を命じます』 斯る処へ以前の男、鍬を担げ乍ら怒髪天を衝いて走り来り、 男(田吾作)『こらこら又しても大切の大切の赤子を殺すのか』 留公『オヽ、バラモン教と取換へこして迄、赤子を征伐する覚悟をきめたのだから、何と云つても中止はせない。マア之も前世の因縁だと諦めて鄭重に弔ひでもしてやるが良からう』 男は怒り心頭に達し鍬を真向に翳し留公の頭を目蒐けて打ち下ろした。留公はヒラリと体を躱した機に、鍬は外れて真浦の足の小指を斬り落した。真浦は顔を顰め落ちた指を手早く拾つて傷口にあてた。指は其儘に密着した。余り慌てたと見えて小指の先は裏表に付けて仕舞つた。之迄は真浦に対し守彦と云ふ名が付いて居たが茲に初めて真浦と云ふ名が出来たのである。 男(田吾作)『之は之は失礼な事を致しました、何卒赦して下さいませ。勿体ない、宣伝使の指を斬るなんて……私は如何して此罪を贖うたら宜しいでせう、神界に対して取返しのならん不調法を致しました』 と泣き沈む。 留公『世界を救ける生神の宣伝使様だ。指の一本や手の半本位取れたとて、そんな事で弱へる様では宣伝使ぢやない。それよりも貴様の所の赤子の生命、随分無残な事になつたものだのう』 男(田吾作)『之だけ丹精を凝らして作つた芋種を台なしにして置き乍ら、まだ業託を吐きやがるか。エーもう堪忍袋の緒がきれた、覚悟をせよ』 と又もや鍬を振り翳し留公に迫る。宣伝使は此鍬の柄を確と受止め、 真浦『マアマアお待ちなさい、短気は損気だ。芋も大切だが人の生命も大切だ』 男(田吾作)『朝から晩まで自分の産んだ子も同然に肥料を掛けたり、草を引いたり、色々と世話をして来た可愛い芋の子、それをムザムザ踏み潰されて……育ての親が如何して黙つて居れませう。芋は芋だけの精霊が宿つて居る。屹度苦しんで居るでせう。可哀相に……此赤子は誰に此無念を訴へる事が出来ませう、私が怒つてやらねば此赤子は能う浮びますまい……アヽ芋の子よ、可憐相な者だが、もう斯うなつては仕方が無い、俺が之からお前の冥福を祈つてやるから心残さずに幽冥界に旅立して安楽に暮してくれ、アンアン』 と態と男泣きに泣き立てる。 留公『アハヽヽヽ、それだから田吾作、貴様は馬鹿だと云ふのだよ、それ程可愛い芋なら大きうなつた奴を何故釜煎にしたり庖丁にかけて喰ふのだ。そんな矛盾な事を云ふからキ印だと云はれるのだ。モシ宣伝使さま、ちつと理屈が合はぬぢやありませぬか』 としたり顔に云ふ。 田吾作『それはそうだけれど……何だか可憐相で仕方が無い哩、西も東も知らぬ弱い赤子を無残にも斯んなに虐殺すると云ふ事があるものか、芋は芋としての寿命がある筈だ。秋が来て蔓が枯れた時は寿命の尽きた時だ、そこで喰ふのなら芋も得心するであらう、折角お前も生れて来て不運な奴だのう』 と又も涙含む。 留公『オイ田吾作、貴様は人の命が大切か、芋の子が大切か、何方を主とするのだ』 田吾作『きまつた事よ、貴様は芋で譬たら良い喰ひ頃だ。此世に最早用の無い代物だから別に惜しくも無ければ、国家の損失でも無い。却つて社会の塵埃掃除が出来た様なものだい』 真浦『アハヽヽヽ、随分面白い芋論を聞かして貰ひました、併し乍ら万物一切皆神様の霊が宿つてゐるのだから、貴賤老幼草木器具の区別なくそれ相当の霊魂がある。万有一切は総て神様の大切なる御霊が宿つてるから、木の葉一枚だつて粗末にしてはなりませぬぞや』 田吾作『そら見たか、留州、キ印の阿呆の云つた事でも矢張天地の真理に適つて居るのが、ちと妙ではないか』 留公は首を傾け手を組んで青芝の上に端坐し何事か頻りに考へて居る。漸くにして顔を上げ、 留公『ヤ、何事も氷解しました。田吾作どの、どうぞ怺へて呉れ、之からは決してもう斯んな事はせないから……』 田吾作『何と云つても斯うなつた以上は仕方は無い、今後は気をつけて呉れ。芋ばつかりぢやないよ、豆だつて麦だつて皆其通りだからなア』 留公『ハイ承知致しました、ちつと心得ます』 と以前に変つて丁寧に挨拶する。 真浦『アヽ之で凡ての解決がついた、芋の死骸で最早平和克復だ。サア之からバラモン教の友彦さんにお目に掛つてお話を承はりませうか』 と行かむとするを留公は引き留め、 留公『モシ、宣伝使様、一寸待つて下さい、貴方只一人でお出でになつては大変です、私等は勝手を能く覚えて居ますが、私の離座敷に宣伝使が置いてある、そこに神様も祀つてあります。然し乍ら家の周囲に広い深い溝が掘つてあつて迂濶跨げようものなら……それこそ大変……生命が無くなりますぜ』 真浦『それは本当の話か』 留公『本当ですとも、現在私の家ですもの、何間違つた事を云ひませう。軒下を貸して母屋を取られると云ふ譬の通り、初め乞食の様な態をしてやつて来た友彦の宣伝使が、今では大変な勢で私の座敷や本宅を我物顔に振舞ひ、私は丁稚役、主客顛倒も之位甚しい事はありませぬ。私は初めの頃は実に立派な宣伝使だと思つて現を抜かし、云ふが儘にして居りましたが、此頃の宣伝使の言行の一致せない事、実にお話になりませぬ。けれども私が率先して村中の者に勧め廻つたと云ふ廉があるので、今更責任上此宣伝使は喰はせ者だつたと云つて告白する訳にもゆかず、本当に困り抜いて居つた所ですが、最前松鷹彦の宅へ使に行つた時、奥の間に何百人とも知れぬ人声で宣伝歌が聞えて来た。その声の恐ろしさ、実に無限の威力が備はつて居ました。私はバラモン教は愛想がつき三五教へ入信したいので御座いますが、あの様な頭の割れる宣伝歌を謡はれては困るなり、如何したら良いでせうかなア』 真浦『宣伝歌は聞けば聞く程気分が良くなつて来るものだ。お前に憑依して居る副守護神が嫌ふのだ、それさへ体内より放逐して仕舞へば何でも無いのだ。さうしてあの小さい家に百人も居る筈がない、其実は私一人より居らなかつたのだ』 留公『イエイエそれでも沢山なお声でした。年寄の声、若い者の声、鈴の様な綺麗な女の声も聞えましたがなア』 真浦『そら、そうだらう、沢山な神様が集まつて宣伝歌を合唱遊ばす事が始終あるからだ。そりやお前の神徳の頂け口だ、天耳通の開けかけだから安心して吾々の唱ふるお道へ這入るが宜からう』 留公『そんなら私を入信させて下さいますか』 真浦『アヽ宜しい宜しい、何卒入信して下さい』 留公『之は有難い、もう斯うなる上は百人力だ。オイ田吾作、お前も仲直りをした以上は、俺と同様に此方に従つて三五教を信仰しようぢやないか』 田吾作『ウンそうだ、さうなれば此村も天下泰平だ。毎日日にち血を見る残酷な行を強圧的にさせられる心配も要らず、定めて女子供が喜ぶ事だらう』 真浦『然し私がお前の宅へ出張すれば、友彦の宣伝使が随分妙な顔をするだらうなア』 留公『そりや致しませうとも、今迄は無鳥郷の蝙蝠気取りで随分威張つて居ましたが、上には上があるから何時迄も世は持ちきりにはなりますまい、之が良い切り替へ時でせう。サアサア世の立替立直しは之からだ、天の岩戸の開け口だ』 と雀躍し乍ら先に立ち二人を伴ひ吾家を指して帰り行く。 留公は矢庭に友彦の割拠せる離座敷に躍り入り、 留公『サア友彦、今日から一寸都合があるので此家を開けて貰ひ度いのだ。俺も今迄はバラモン教のお世話係をやつて来たが、お前さんから除名されてからは何時迄も此家を貸す訳にはゆかない。之から三五教の宣伝をしようとするのだから、未練残さずトツトと帰つてお呉れ』 友彦は怪訝な顔して、 友彦『オイ留公、そりや何を云ふのだ。貴様、初めに何と云つた、……私の家はお粗末乍ら一切神様にお供へします。……と大勢の前に立派に誓つたぢやないか』 留公『そりや誓ひました、否違ひました。然し神様に上げるも上げぬもない、世界中皆神様のものだ。仮令上げると云つた所でお前に上げたのぢやない、天地の元の大神様に奉つたものだから、何卒出て呉れやがれ』 友彦『左様な不都合な事を申すと神罰は立所に当るぞ、それでも宜いか、此友彦だつて天地の大神様、殊に大国別の神様の生宮だ、神様の生宮が神様の家に居るのだ、貴様の様な四足の容器とは違ふぞ、エヽ穢らはしい、トツト出てゆけ。左様な無体な事を申すと神様は兎も角として村中の信者が承知致すまいぞ』 と信者をバツクに落日の孤城を固守せむとする。 留公『何といつても、もう駄目だよ。零落ぶれて袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知らるると云つてな、除名された俺は村中の除外者になり、何処へ頼る所もなし、自暴自棄となつて田吾作の芋畑に駆込み、事の起りは此奴ぢやと芋の赤子を片端から踏み殺す最中に、一人で百人の声を出すと云ふ立派な三五教の宣伝使が其処に忽然として現はれ給ひ、此留公の頭を、膝に上つた猫でも撫でる様な調子で可愛がり、一の乾児にして下さつたのだ。サアサア早く出立致さぬと表に三五教の御大将が見張つて御座るぞ』 友彦『何、三五教の宣伝使が見張つて居るとな、大方武志の宮の神主の宅に去年の冬から潜伏して居た守彦と云ふ弱腰宣伝使だらう。バラモン教の友彦が威勢に恐れて今まで蟄伏して居た蛙の様な代物だ、そんな者が仮令千匹万匹やつて来たとて驚くものかい。万々一此場へ進んで来ようものなら、それこそ神界の御仕組の陥穽に真逆様に顛倒し生命を捨つるは目の当りだ。心配致すな、貴様も今日限り除名処分を取消すから安心せい』 留公『何を吐きやがるのだ、取消も何もあつたものかい、三五教の宣伝使は俺の詳細なる報告に依つて陥穽の箇所は全部承知して御座るのだ。さうして俺は案内役だから滅多に別条は無い、吾身の一大事が迫つて来て居るのにお前、人の疝気を頭痛に病む様な馬鹿な真似はなさいますなや。大きに御心配……有難う』 と長い舌を出し、両手を鳶が羽翼を拡げた様な風にして二三遍虚空を掻き、尻をニユツと突出して舞うて見せる。 友彦は祭壇の前に額き祈願の詞を奏上し、言霊戦を以て真浦の宣伝を撃退せむと、声張り上げて謡ひ初めたり。 友彦『常世の国を守ります大国彦の大神の 珍の御裔と現れませる大国別の大神は 仁慈無限の救世主常世の国より遥々と イホの国迄渡りまし霊主体従の御教を 開かむ為に霊幸ふ神に等しき鬼雲の 彦の命や鬼熊別や其他数多の神々を 豊葦原の中津国メソポタミヤの顕恩郷 果実豊な楽園に本拠を定めフサの国 ツキの国まで教線を拡め給ひて自転倒の 島に又もや下りまし大江の山を中心に 神の光を三岳山鬼をも拉ぐ鬼ケ城 伊吹の山まで開きまし世人を救ひ助けむと 心を尽し魂を錬り此世を乱す悪神の 神素盞嗚の枉津見が下に仕ふる悦子姫 鬼武彦や高倉や旭、月日の白狐等が 悪逆無道の振舞に時を得ずして本国へ 一先づ退却し給へど必ず捲土重来の 時こそ今に近づきてコーカス山やウブスナの 山に建つたる斎苑館黄金山はまだ愚 自転倒島の中心地世継王の山の辺傍 錦の宮を忽ちに手の掌翻す其如く 土崩瓦解は目の当り先の見えたる三五の 神の教は風前の灯火の如く日に月に 危険益々迫り行く実に憐れな其教義 それをも知らぬ守彦が天の使と名乗りつつ 図々しくもバラモンの神の使の友彦が 館を指して来るとは飛んで火に入る夏の虫 それに従ふ留公や田吾作野郎の蚯蚓きり 蛙もきれぬ分際で神徳高き友彦に 刃向ひ来るとは何事ぞ身の程知らぬも程がある 天が地となり地が天と変る此の世が来るとても 三五教に迷ふなよ霊主体従の此教義 誠一つの神界の深き経綸は三五の 浅き教ぢや分らない飯守彦の宣伝使 留公田吾作諸共に今から心を立直し バラモン教の神徳を受けて身魂を研き上げ 神世を来す神業に心を尽し身を尽し 天地に代る功績を千代万代に樹てよかし これ友彦が詐らぬ誠一つの言葉ぞや 言霊幸はふ世の中に善ぢや悪ぢやと何の事 朝日が照るとか曇るとか月が盈つとか虧くるとか 大地が泥に沈むとか世人欺くコケ嚇し そんな馬鹿げた言霊を之だけ開けた世の中の 人が如何して聞くものか馬鹿を尽すも程がある 一時も早く目を覚せ神の心は皆一つ 世界の氏子を助けむと大国別の御言もて 憂瀬に沈む民草を救はせ給ふ有難さ 一度は喰つて味はへよ喰はず嫌ひは仕様がない 苦けりや吐き出せ甘ければ遠慮は要らぬドシドシと 心ゆく迄喰ふがよい善の中にも悪がある 悪の中にも善がある三五教は表向 善と雖も内実は悪鬼悪魔の囈言ぞ バラモン教は表から眺めて見ても善である 裏から見ても亦善ぢや其内実は殊更に 善一筋で固めたる昔の元の神の道 斯んな結構な御教を調べもせずに一口に 悪の雅号で葬りて此世を潰さうと企む奴 憎さも憎い三五教一時も早く留公よ 飯守彦と云ふ奴の甘い言葉にのせられて お尻の毛迄抜かれなよ憐れみ深い友彦が 真心籠めて気をつける大国別の神様よ 彼等が心に生命を与えて再びバラモンの 神の教に救ひませあゝ惟神々々 御霊幸はひ坐ませよあゝ惟神々々 御霊幸はひ坐ませよ』 と口から出任せに汗をブルブル流し乍ら呶鳴り立てて居る。留公は此歌を聞いて躍起となり、 留公『オイ、バラモン教の御大将、随分立派な言霊だのう。雲烟模糊として捕捉すべからず、支離滅裂、聞くに堪へざる亡国の悲歌、そんな事を囀ると天地が暗くなつて仕舞ふ哩。サア之から此留公が十一七番の宣伝歌を謡つてやらう、耳を浚へて謹聴せい』 と長々と前置してエヘンと一つ咳払ひ、鷹が翼を拡げた様な手付で腰を屈め足を踏ん張り、右や左へ身体を揺ぶり乍ら奇声怪音を放つて揺ひ出した。 留公『此処は名に負ふ秘密郷四面深山に包まれて 中を流るる宇都の川流れも清く澄み渡る 武志の宮の御住家大江の山を破壊されて 逃げて出て来たバラモンの言霊濁るども彦が 鳥なき里の蝙蝠か蛇なき里の青蛙 威張散らして村人を何ぢやかんぢやとチヨロまかし 霊主体従を標榜し利己一片の強欲心 最極端に発揮して宇都山村の婆、嬶を 有難涙に咽ばせつ遂に進んで吾々も 慣用手段の口の先一寸うまうま乗つて見た さはさり乍らつくづくと胸に手を当て真夜中に 臥せりもやらず窺へば表面を包む金鍍金 愈色は剥げかけた時しもあれや三五の 誠一つの宣伝使天の使の守彦が 雲路を分けて下りまし武志の宮の御前に 現はれました雪の道雪より清い神心 松鷹彦の住む家に去年の冬から出でまして 世界の立替立直し天地百の神等を 宇都の川辺に呼び集め神徳茲に備はつて バラモン教の枉神を言向け和し如何しても 往生致さな是非はない神の定めの根の国や も一つ違うたら底の国万劫末代上れない 根底の底のまだ底の真黒暗のドン底へ 落してやらうかこりや如何ぢや此世でさへも限りがある 早く心をきり替へて瓦落多教に暇呉れて 誠の神の開きたる三五教に帰順せよ 俺も長らく友彦を師匠と仰いで来た誼 別れに際して親切に誠心で気をつける 気をつけられた其中に聞かねば後は知らぬぞよ 神の心を取り違へ留公さまの真心を 無にするならばするがよい皆お前の身の上に かかつて来ること許り俺はもう早や三五の 神の教に帰順したバラモン教に用は無い とは言ふものの人は皆同じ御神の分霊 世界同胞の誼もて一度は忠告仕る 早く改心して呉れよ決して俺に損得の 一つも関はる事ぢやないみんなお前が可愛から お前が改心するなれば宇都山村の神村も 天下泰平無事安穏五穀成就目のあたり 改心せなけりや是非も無い留の腕には骨がある 天地の神になり代り貴様の雁首引き抜こか 眼玉を抜こか舌抜こか地獄の鬼ぢやなけれども 止むに止まれぬ大和魂とめてとまらぬ留公が 思ひ詰めたる善の道道に迷うた里人を 助けにやならぬ此場合先づ第一に友彦が 改心すれば三五の神の司と手を引いて 元は一つの神の道腹を合して仲好くし お道を開く気はないか早く薫しい返事せよ 返事がなければ是非が無い芋の赤子を潰す様に 片つ端から踏みにじり鬼の餌食にしてやろか サアサア早うサア早うお返事なされよ三五の 誠一つの宣伝使言霊戦を開いたら とても敵はぬ尻に帆を掛けて走らにやなるまいぞ そんな見つとも無い事をするより早く我を折つて 改心なされ改心をすれば忽ち其日から 喜び勇んで神界の御用が屹度出来ますぞ 三五教が善なるか又悪なるか俺や知らぬ 俺の感じた動機こそ不言実行の誠のみ バラモン教は善の道善ぢや善ぢやと謡へども 言心行が一致せぬ一致を欠いだ御教は 半善半悪雑種教斯んな教が世の中に 若しも拡まるものならば世界の人は悉く みんな不具者になつて仕舞ふ生血に飢ゑたる枉神の 醜の企みと知らないかお前も天地の御徳にて 生れ出でたる神の宮悪魔の巣ふ破れ屋と なつて天地の神々に如何して言訳立つものか 早く改心してお呉れ留公さまが一生の 誠尽しのお願ぢや之程誠で頼むのに 首を左右に振るならばもう是非なしと諦めて 直接行動にとりかかる返答聞かせ友彦よ 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むともお前一人は如何しても 改心させねば措かないぞあゝ惟神々々 御霊幸はひ坐しまして頑固一途の友彦が 心を照させ給へかし身魂を光らせ給へかし』 と敵やら味方やら訳の分らぬ歌を謡ひ首をすくめ、糞垂れ腰になつて、左右の手を胸の四辺にかまきりがすくんだ様な手付し、ピリピリ慄ひ乍ら左右の足を一所にキチンと合せ待つて居る。その可笑しさに友彦も、跟いて来た田吾作も、思はず声を上げて笑ひ転けたり。 (大正一一・五・一二旧四・一六北村隆光録)
139

(1760)
霊界物語 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 05 親不知 第五章親不知〔六六七〕 黄金の波も宇都山の山と山との谷間を 縫うて流るる宇都の川水も温みて遡り来る 真鯉緋鯉や鮒雑魚鮎の季節も漸くに 漁る人の此処彼処中に勝れて背も高く 何とはなしに逞しき白髪異様の老人は 立つる煙も細竿の先に餌をば取りつけて 永き春日を過ごさむと釣を楽しむ折柄に 川辺を伝ひ上り来る蓑笠着けた二人連れ 諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅為楽と記したる 菅の小笠を頂きつ金剛杖に助けられ 釣する翁の前に立ち釣れますかなと阿呆面 翁は釣に気を取られ見向きもやらぬもどかしさ 行者はツカツカ側に寄りコレコレ爺さまと背叩き 釣れますかなと又問へば情無い浮世の一人者 婆アは川に誤つて寂滅為楽となりました 諸行無常の世の中の是生滅法の道理に 洩れぬ人生を果敢なみて余生を送る川の辺の 吾れは松鷹彦翁汝は夫婦の修験者 本来この世は無東西何処有南北此れ宇宙 迷ふが故に三界城悟るが故に十方空 食うて糞して寝て起きてさて其後は死ぬるのみ 是れが人生の通路ぞや汝は若い年に似ず 行者になるは何故ぞ此れには仔細あるならむ 委曲に語れと促せば若き男は笠を除り 蓑脱ぎ捨てて川の辺にどつかと坐して目を拭ひ バラモン教の修験者宗彦お勝の両人が 一粒種の愛し子に先立たれたる悲しさに 赤児の冥福祈らむと二世を契つた妹と背が 足に任せて雲水の行衛定めぬ草枕 旅に出でたる其日より憂きを三年の夫婦連れ 月日の駒は矢の如く吾れを見棄てて流れ行く 二人の果ては小夜砧宇都山川の水音も 悲しき無情の叫び声万有愛護の御教を 守る吾等は河海に泛び遊べるうろくづの 天津御神の精霊の宿り玉うと聞くからに 翁の釣を見るにつけ諸行無常の感深し 生者必滅会者定離世の慣習と云ひ乍ら 釣魚の歎きは目のあたり見る吾こそは痛ましく 彼れが菩提を弔ひてせめて吾子の冥福を 祈りやらむと松鷹彦が心をこめて釣りあげし 鮒や雑魚の死骸に両手を合せ拝み居る 松鷹彦は驚いて竿投げ棄てて釣りし魚を 川の瀬目蒐けて放ちやり涙流してスゴスゴと 茅屋さして帰り行く宗彦お勝の両人は 悲哀の涙に暮れ乍ら吐息つくづく老人が 後を慕うて探り行く。 川辺に建てる茅屋を、宗彦お勝の両人は、漸く見つけだし、戸の外面より、 宗彦、お勝『頼もう頼もう』 と訪へば、中より以前の翁、 翁『お前は、最前逢うたバラモン教の巡礼だらう。わしはバラモン教は嫌だ。けれど最前お前の言つた事に少しばかり首を傾けて考へねばならぬ事が有るやうだ。此里はバラモン教の信者許りであつたが、つい一年許り前から、三五教に全村挙つてなつたのだから、表向這入つて貰ふ事は出来ないのだが、川辺の一つ家を幸ひ、誰も見て居ないから、そつと這入つて下され。わしも此村の武志の宮の神主をして居る者だ。婆アに先立たれ、余り淋しいので、毎日日々、漁りを楽しみ、婆アの霊前に清鮮な魚を供へて、せめてもの慰めとして居るのだ。それに就てお前に聞きたい事がある。サアサアお這入りなさい』 宗彦『バラモン教でも、三五教でも、道理に二つはない筈だ。開闢の初から、火は熱い水は冷たいと云ふ事は、チヤンと定つて居る。それ程バラモン教を排斤するのならば、お前の宅へ這入る事は中止致しませう。サアお勝、行かうぢやないか』 松鷹彦『お前は年が若いので直に腹を立てるが、マアじつくりとお茶でも飲んで、気を落ち着け、話の交換をしたらどうだな。わしも一人暮しで、川端柳ぢやないが、水の流れを見て、クヨクヨと世を送る者だから』 お勝『宗彦さま、お爺さまの仰有る通り、一服さして貰ひませうか』 宗彦『そうだなア、そんならドツと譲歩して這入つてやらうか』 松鷹彦『サアサア這入つてやらつしやい……(小声で)……バラモン教の奴は、どこまでも剛腹な奴だなア』 と呟き乍ら真黒けの土瓶から、忍草の茶を汲んで勧める。 松鷹彦『お前は、見ればまだ若い夫婦と見えるが、能う其処まで発起したものだなア、是れには深い訳が有るだらう、一つ聞かして貰ひたいものだ』 宗彦『私も実の所は、来世が怖ろしくなつて来たので、罪亡ぼしに巡礼となつて、各地の霊山霊場を巡拝し、今日で殆ど三年、この自転倒島を廻つて来ました。私も今こそ、斯うして猫の様に温順しくなつて了つたが、随分名代の悪者でしたよ。家妻を貰つては赤裸にして追出し、押かけ婿にいつては、其家を潰し、何度となく嬶泣かせの家潰しや、後家倒し借り倒しなど、悪い事の有らむ限りを尽して来た所、最後の女房が私の不身持を苦にして、裏の溜池へドンブリコとやつて、ブルブルブル、波立つ泡と共に寂滅為楽となつて了つた。それから直に此お勝を女房となし、睦じう養家の財産を当に、朝から晩まで差向ひで、酒ばつかり飲んで居つた所、嬶アの霊を祀つた霊壇から夜半頃になると、ポーツポーツと青白い火が燃えて来る。夫婦の者は夜着を被つて、息を凝らして慄へて居ると、冷たい手で二人の顔を撫で廻す厭らしさ。此奴ア先妻のお国の亡霊ぢやと合点し、一言謝罪らうと思うても、どうしたものか声が出て来ぬ。長い夜中厭らしい声がする。冷たい手で撫でる。こいつア堪らぬと、朝から晩までバラモン教のお経を唱へ通して居ると、其夜はお蔭で霊壇の怪は止んだ。さう斯うする間に、ザアザアと雨戸を叩く音、それが又死んだ女房の声に聞えて来る。ソツと窓から透して見れば、お国の陥つた前栽の池から、白い煙が盛に立昇り、髪振り乱した青白い女房の顔、恨めし相に家の中を見詰めて居る。そこで女房に「別れて呉れ、さうしたらお国も解脱するであらうから」と何程頼んでも、此お勝の執念深さ、何うしても斯うしても離れて呉れませぬ。「お前が縁を切るなら切つて下さい。池に身を投げて幽霊になり、お国と一緒に幽霊同盟会を組織して襲撃してやる」……とアタ厭らしい事を吐しやがるので、家に居る事もならず、巡礼姿に化けて我家を飛び出しました。さうすると一年程経つた春の頃、辻堂の前を通れば、一人の女が癪気を起して苦んで居る。……「オイお女中、此人通りのない辻堂で嘸御難儀であらう、介抱してあげませう」と近寄り見れば豈図らむや執念深い此お勝が巡礼姿になつて、私の行衛を探して居るのにベツタリ出会し、アーア何とした甚い惚方だらう、蛇に狙はれた様なものだ。こんな事と知つたなら黙つて通つたらよかつたのに……神ならぬ身の……アヽ是非もなやと、天を仰いで歎息して居ました。死ねばよいのに、お勝の奴、私の顔を見るなり、癪も何もケロリと忘れ、「アイタ、アイタ……イタイはイタイが逢いたかつたのぢや」とぬかしやがる。……エ、仕方がない、色男に生れたが我身の不仕合せ、と因果腰を定め、嫌ひでもない女房を……アタ恰好の悪くも何ともない……かうして伴れて歩いて居りますのだ』 お勝『コレ宗さま、何を言ひなさる。そりやお前の事ぢやらう。飛んで出たのは妾ぢやないか。お前、お国の亡霊が出るのは、妾が後妻に入り込んだのがお気に容らぬのであらう。妾さへ出れば家は無事太平、お国の霊も解脱遊ばすに違ない。是れ丈惚れた爺、何と言つても暇を呉れる気遣はない、妾から飛び出すのが上分別だと、お前に酒をドツサリ飲まし、夜陰に紛れて巡礼姿となり、バラモン教のお経を称へつつ、お国の冥福を祈つて、霊山霊地を参拝して彷徨ふ折しも、辻堂の中で一人の男が、一尺位な光る物をニユツと出し、腹を出して自殺を図らうとして居る者がある。何処の誰人かは知らねども、是れが見捨てて行かれようかと、吾身を忘れて躍りかかり、其光る短刀をひつたくり、……「モシモシ如何なる事情か知りませぬが生は難く死は易し、先づ先づ気を落ち着けなさいませ」……と女の細腕に全身の力を籠めて止むれば、「イヤどこのお女中か知りませぬが、私はどうしても死なねばならぬ深い理由が有る。お慈悲は却て無慈悲となる。どうぞ此腕放しやンせい」……と無理に振放さうとする。妾はバラモン教のお経を一生懸命に唱へて居ると、其男は……「可愛い女房は幽霊が怖さに家を飛び出し、行衛不明となりました。今迄沢山女も有つて見たが、あの位気の好い、綺麗な女房は持つた事がない。あの女房と添はれぬのなら此世の中に生て居つても、何楽みも無い。此広い世の中を十年や二十年探し廻つた所で会へるとも会へぬとも分りませぬ。娑婆の苦を遁れる為に、此場で腹掻き切つて浄土参りをするのだ。ヒヨツとしたら女房も先にいつてるかも知れませぬ」……と云つて見つともない、女の一人位に生命を捨てようとする馬鹿な奴は、どこの何者かと能く能く月影に照して見れば、アタ気色の悪く無い、此人でしたよ。まるで蛇に狙はれた蛙の様なものだと、因果を定めて、此処まで随いて来てやつたのですよ』 宗彦は真赤な顔して俯向く。松鷹彦は、 松鷹彦『アハヽヽヽ、随分おめでたいローマンスを沢山に拝聴致しました。千僧万僧の読経よりも、宅の婆アが聴いて喜ぶ事でせう。此爺だつて素より木や石では無い。若い時にや、随分情話の種を蒔いたものだ。しかし過越苦労は止めて置きませうかい。また姑の十八を言つて誇ると思はれても詰らぬからな、アハヽヽ。併しお前達はさうして夫婦仲良く意茶つき喧嘩をチヨコチヨコやつて、天下を遍歴して居れば随分面白からう。……わしもお前等夫婦の苦楽を共にする状態を見て羨ましうなつて来た。どうしても人間は異性が付いて居らねば、世の中が何ともなしに寂しくて、春の暖かい日も冷たい様な気分がするものだ』 宗彦『あなたのやうに年が寄つて、行先の短い爺さまでも、ヤツパリ女房が要りますかなア』 松鷹彦『定つた事だよ。雀百まで牝鳥忘れぬと云つて、年が寄れば寄る程、皺苦茶婆でも恋しうなるものだ。夫婦と云ふものは、若い時よりも年が寄つてから本当の力になるものだ。若い時には春の蝶が彼方の白い花や此方の黄色の花に飛び交ひて、花の唇にキツスをする様に、花も亦喜んで受けてくれるが、斯う体中に皺が寄り、皮が余つて来、竹笠の様に骨と皮ばつかりになつて、胃病の看板然と痩衰へては、誰だつて見向いてもくれやしない。其時には本当の力になつてくれる者は、爺に対しては婆ア、婆アの力になる者は爺だ。何程可愛い子が沢山有つてもヤツパリ大事の話は、夫婦でなければ、打解けて話せるものぢやない。……アヽ中年にやもを鳥になる者程不幸な者は有りませぬワイ』 宗彦『若い時の心と、年の寄つた時の心とは、それ丈違ふものですかいな。我々から見ると、爺さまが皺苦茶婆を可愛がり、婆アが又目から汁を出し、水ばなを垂れ、歯糞をためて枯木の様になつた、不潔い爺を大切にするのを見ると胸が悪い様な気がするものだが、なんと人間と云ふものは合点のゆかぬものですなア』 松鷹彦『お前達は庚申の眷属の様に、あつちやの枝に止まつては小便を掛け、こつちやの枝に止まつては小便を垂れて、結構な人間を弄物の様に取扱ひ、色が白いの、黒いの、背が高いの短いのと、小言を云つて居られるが、わしの様な世捨人になつて了へば、誰も相手になる者はありやしない。蚊だつて味が悪いと云つて吸ひ付きにも来てくれやしない。本当に寂しいものだ。それで、せめて婆アの幽霊になりと、好な魚を毎日供へてやつて、追懐して居るのだ。わしの真心が通うたと見えて、婆アは毎晩床の間に現はれ、わしと一緒に飯も食ひ、茶も飲み、それはそれは大切にしてくれるが、併し何となしに便りないものだ。嬉しいと云ふ表情は見せるが、唯の一言も爺さまとも、爺どのとも言やアしない。是れ丈が現幽処を異にした為でもあらうが、どうぞお前さまも今晩泊つて、婆アの幽霊を一遍見なさつたらどうだ。お茶位は汲んでくれるなり、冷たい手でお前の様な若い男なら握手して呉れるかも知れやしないぞ。そりやマア親切な者だ。死んでからでも、斯んな目脂、鼻汁を垂れる爺を慕うて来るのだから、わしもドツかに好い所があるのだらう、アハヽヽヽ』 宗彦『お爺さま本当に出るのかい。……イヤお出ましになるのかい。私はもう幽サン丈は真平御免だ。併し随分よう惚けたものですな』 松鷹彦『きまつた事だよ。淋しいやもをの前で艶つぽい意茶つき話を聞かされて、大変にわしも若やいだ。返礼の為に一寸秘密の倉を開けて見せたのだ。夫婦と云ふものはマアざつと斯んなものだ。夫婦の中の愛情は若いお方には一寸には分るものぢやない。併しお前さまは最前柳の木の側で、私が釣して居る時に、一粒種の子に放れたのが悲しさに巡礼に廻つたと云うたぢやないか。今聞けば子に別れたと言ふのは全くの嘘だらう。そんな憐れつぽい事を云つて、世人の同情を買ひ、殊勝な若夫婦だと言はれようと思つて嘘八百を言ひ並べて歩くのだらう』 宗彦『本来無東西、何処有南北、色即是空、空即是色、有ると思へば有る、無いと思へば無い。死んだと思へばヤツパリ死んだのぢや。併し私の子を殺したと云ふのは、ホギヤホギヤと唄ふ子ぢやない。日が暮れるのを待ち兼ねて妙な手つきをして…コレコレ宗彦さま、夜も大分に更けました。隣のお竹さまはモウ就寝しやつたと見えて砧の音が止まつた。あんたも好い加減にお就寝みなさいませ。又明日が大事ですから……と妙な目付して褥を布いて呉れる……猫が死んだと云ふのだ。猫かと思へばチウチウと啼く事もある。猫か鼠か赤ん坊か知らぬが、わしはマア、ニヤンチウ運の悪いものだと、ミカシラベにハラバヒ、御足辺にハラバヒテ泣き給ふ時現れませる神は、ウネヲのコノモトにます泣沢女の神と云ふ』 松鷹彦『アハヽヽヽ、それは古事記の焼き直しぢやないか』 宗彦『古事記の焼き直しぢやから、若夫婦が乞食に歩いとるのだ。お前さまも年を老つた癖に合点の悪い人だな。余程耄碌したと見えるワイ。太公望気取りで、何時まで川の縁で魚を釣つて居つても、西伯文王は釣れやしない。婆アの幽霊だつて喰ひ付きやしませぬぞえ。良い加減に諦めて、殺生は廃めなされ。五生が大事だ、そんな六生な事をすると七生迄浮ばれぬからなア。今斯うして婆アさまの噂をして居ると、冥土に御座るお竹さまが今頃にや八九生と嚔でもして居るだらう。十生も無い爺だと恨んで御座るであらうのに、思へば思へばお爺さま、私も身に詰されて、悲しうも何ともありませぬワイ。……アンアンアン』 と目に唾を付け泣いて見せる。 松鷹彦『年が寄つて目がウトイと思つて、そんな俄作りの同情の涙を零して見せても、声の色に現れて居る。お前さまアタむさくるしい。唾を日月にも譬ふべき両眼にこすりつけて、そんな虚礼虚式的な巧言は廃めて貰ひませうかい。本当に唾棄すべき心事と云ふのは常習乞食の遍歴行者の馬鹿夫婦……オツトドツコイ若夫婦連れ、モウモウわしも何だか胸が悪くなつて来た。サアサア早く此処を立つて貰ひませう』 宗彦『ハハア、俺が宗彦ぢやと思つて、胸が悪うなつたなぞと、爺さま随分腹が悪いな』 松鷹彦『腹が悪いから、ムカつくのだよ。此冬枯れの木の様な寂しい爺イの所へ出て来て、お安くもないローマンスを見せ付けられて堪るものかい。お前も世界を遍歴して、苦労の味が分つて居るなら、気を利かして、トツトと帰つたらどうだ。併し乍らウラル教の言ひ草だないが、一寸先や暗の夜だ、諸行無常だ。随分足許に気を付けて行きなされ。左様なら……』 お勝『モシモシお爺さま、此宗彦はチツト智慧を落して来てますから、どうぞ気に障へて下さいますな。妾だつて斯んな分らずやと旅行するのは、胸が悪いのだけれど、妾が尻を振れば宗さまが腹を立て、腰を据ゑて頑張り、手にも足にも合はないから、口惜し乍ら目を塞いで、鼻持ならぬ香のする男を連れて歩いて居るのだ。本当に好かぬたらしい野郎ですよ』 宗彦『コラコラお勝、貴様は何処までも夫を馬鹿にするのか』 お勝『ヘン、夫なんて、膃肭臍が聞いて呆れますワイ。お前さまは人の宅を、女房の有る身を以て、毎晩々々連子の窓を覗きに来て、水門壺へ落込み恥ぢをかき、結局にはお勝さまを呉れねば、死ぬとか、走るとか、男らしうもない吠面かわいて、近所合壁に迷惑を掛けたぢやないか。それを先妻のお国さまが苦にして病気を起し、とうとう帰らぬ旅に赴かしやつた。墓の土のまだ乾かぬ前に、無理矢理に妾を是非共と言つて、ひつぱり込んだと云ふデレさんだから、妾もホトホトと愛想が尽きて来た。三文一文助けて貰うたのでもなし。嫁入に持つていつた着物も帯も、何も何も六一銀行へ無期徒刑に落して了ひ、本当に仕方のない男だよ。誰か目鼻のついた女が出て来て、お前を喰はへて帰んで呉れるものがないかと、朝から晩まで聞えぬ様に暗祈黙祷を続けて居るのだが、根つから、金勝要大神さまもどうなさつたのか、添ひたい縁なら添はしてもやらう、切りたい縁なら切つてもやらうと仰有る癖に、此頃は神さまも聾になられたと見えて、見向きもして下さらない。……アヽ残念な、口惜しい、……わしはお国の霊魂ぢや、アンアンアン』 宗彦『何だ、最前から俺の……善くもない事の棚卸ばつかりやりやがると思へば、お国と二人連だな。随分厭らしい奴を連れて歩いたものだワい』 お勝『半顕半幽だよ。幽顕一致、霊魂の奥にはおくにさまが納まつて御座るのだ。お国は何処と尋ねて見れば、……アイわたしは阿波の徳島で御座ります、……と云ふ様なものです、オホヽヽヽ』 宗彦『爺さま、一つ……あなたも武志の宮の神主さまと云ふ事だから、一遍此奴を審神して下さらぬか。お国を放り出して、お勝の本当の肉体ばつかりにして下さいな』 松鷹彦『ソリヤお前さま可けませぬぞえ。結構な神様の御神懸りだ。国常立尊様の御分霊かも知れんぞや。イロイロに化けて化けて此世を御守護なさる神様ぢやから……天勝国勝と云つて、お国様がお懸りなさつて御守護して御座るのだ。さうしてお前は女房のお勝に甘いだらう。そこでアマカツ、国カツだ。……結構な国所を立ち退いて来たから、国所立ち退きの命様の御守護だよ。俺の様な者がウツカリ審神でもしようものなら、それこそ又俺が憑りうつられて、年が寄つてから住み慣れし第二の故郷を後に国所立退きの命にならねばならぬから、マア此審判は御免蒙らうかい』 お勝俄に体を振り、神懸り状態になり、 お勝『金勝要大神であるぞよ。切りたい縁なら切つてもやらう。添ひたい縁なら添はしてはやらぬぞよ。宗彦は今迄沢山な女をチヨロまかした罪悪の報いに依りて、唯今限りお勝との縁を切るぞよ。ウーンウンウン』 松鷹彦『アハヽヽヽ、お勝さま、ウマイウマイ、モウ一しきり神懸りをやつて下さい。此奴アどう考へても私憑だ。コレコレ宗彦さま、胸に手を当てて、今迄の事を能う考へて見るが宜い。神様は決して無理な事は仰有いませぬぞ』 宗彦『そうだつて、私の女房を、頼みもせぬのに、縁を切るとはあまりだ。切ると云つても、金輪際こつちから切りませぬワイ』 お勝『エー思ひ切りの悪い男だなア。それだから此肉体が嫌ふのだ。男は断の一字が肝腎だ。どうだ是れから此肉体に先妻のお国に、お光、お福、お三、お四つ、お市、お高が同盟軍を作つて憑依して来るが、それでも其方はまだ未練があるか、どうだ厭らしい事はないか』 宗彦『何が厭らしいかい。どれもこれも因縁あつて仮令三日でも夫婦になつた仲ぢや、肉体の有る女房を数多連れて居ると、経済上困るが、物も喰はん嬶アなら、千人でも万人でも出て来い。アーア色男と云ふものは偉いものだ。幽冥界からまでもヤツパリ電波を送ると見える。何だか知らぬが、肩が重くなつたと思へば、此れ丈沢山な女房に対し、責任を双肩に担つて居るのだから無理もないワイ。正式結婚の女房の霊も、準正式も、雑式も、野合も何も彼もやつて来い。此頃は多数決の流行る時節だ。何程偉い者だつて少数党では目醒ましい仕事は出来やしないワ』 松鷹彦『オホヽヽヽ、宗彦さま、お前の背後を一寸御覧、針金の妄念の様な、蟷螂腕を出して餓利法師が踊つて居るぢやないか』 宗彦『アヽそんな事言うて下さるな。見さへせねば良いのだ。目程不潔いものの、恐ろしいものはない』 お勝は『ウーン、ドスン』と腰を下し、ケロリとした顔で、 お勝『宗サン、妾何か言ひましたかな。夢でも見とつたのか知らぬ。沢山な厭らしい亡者が、柳の木の麓で、「宗彦は生前に我々を機械扱ひにしよつたから、今晩は餓鬼も人数だ。力を協して、素首を引き抜いてやらう」と相談して居りましたよ。その時に妾にも同盟せいと言はれたのです。けれども、あまりお前さまが可哀相だから「さう皆さま慌るに及びませぬ。何れ彼奴も年が寄つたら此処へ来るのだから、其時に苛めてやりさへすれば良いだないか」と一時遁れに其場を切り抜けようとしたが、中々亡者の連中聞きませぬがな。今の間に宗サンの生命を取らねば、死ぬ迄待つて居つたら我々は又もや現界に生れ替り、幽冥界は不在になつて了ふ。そうだから讎を討つのは今の内だと言つて、それはそれはエライ勢でしたよ。用心しなさいや』 宗彦『そりや貴様、本当か、嘘ぢやないか』 お勝『嘘か本真か、今晩中に分りますわいな』 宗彦『そら分るだらうが……どちらだ。実際か、虚言か聞かして呉れ』 お勝『幽冥の秘、妄りに語る可らずと、どこともなしに神様の声が聞えました。マア今迄の年貢納めだと思つて、楽んで日の暮れるのを待ちなさい。あのマア青い顔、オホヽヽヽ』 宗彦『お爺さま、大変な事になつて来た。愚図々々して居ると、忽ち此処にやもめが一人出来ますワイ。何とかして助けて下さいなア』 松鷹彦『わしも此村でやもをの連れが無うて、寂しうて困つて居つたのだから、お前さまも早くやもめが出来る様に死なつしやい、それの方が結句気楽で宜からうぞい』 宗彦『何が何だか、サツパリ分らぬ様になつて来たワイ。夢でも見とるのでは有るまいかなア』 と頻りに頬を抓つて見て居る。かかる所へ捻鉢巻をした二人の男、慌ただしく入り来り、 留公『松鷹彦の神主さま、お前は聞く所に依れば、又してもバラモン教の行者を引張込んで、しやうもないお説教を聴聞しとると云ふ事だ。さう猫の目の様にクレクレと精神を変へて貰うと、村の者が迷つて仕方がない。一体どうする量見だ。お竹さまが死んでから、お前さまは益々変になつたぢやないか』 松鷹彦『チツトは変にならうかい』 留公『変にもならうかいも有つたものかい。改心して殺生を止め、神妙にお宮さまの御用を勤めたらどうだ。あんまりお前の行ひが悪いので、村の者が此間も庚申待に集つてお前をおつ放り出し、三五教の真浦さまを跡釜に据わつて貰はうと云ふ相談があつたぞ。こんな事ども村の連中に聞えようものなら、それこそ今日限り叩き払だ。そうなればお前さまも可哀相だからと思つて、気を注けに来たのだ。お春やお弓の奴、チヤンと知つて、俺に話しよつたから、俺は決して誰にも言ふぢやないと口止めをして来たのぢや。どうだ止めて下さるか』 松鷹彦『わしは武志の宮の神様にお仕へして居るのだ。決して村の人間のお給仕役ぢやない。神様から命じられたものを人間が寄つて集つて動かさうとした所で、そいつア駄目だ。そう云ふ事をすると村中に神罰が当つて、米も麦も穫れぬ様な饑饉が出て来るぞや』 田吾作『お爺さま、お前の仰有るこたア一応尤もだが、ヤツパリ人間の皮を被つて居る以上は、人間の規則にもチツトは従はねばなるまい。そんな我の強い事を言はずに、チツトは省みたらどうだい』 松鷹彦『馬鹿にするない。人間の皮被つとるなんぞと……骨から腸まで、魂まで、皆人間だ。皮被つとる奴はお前達ぢや』 留公『爺さま、お前さまこそ魂が四つ足ぢやで。其証拠にや、川獺か何ぞの様に、神様の方はそつち除けにして、魚捕ばつかりに憂身をやつし、盆過の幽霊の様に、水ばつかり羨りさうに眺めて暮して居るぢやないか。一体神様にお仕へする者が、殺生をすると云ふ事が有るものかい』 松鷹彦『わしは神様に仕へて居るから魚を捕るのだ。御神前で海河山野の珍味物だとか、鰭の広物、鰭の狭物と称へ乍ら、魚一匹、誰もお供へする者がないのだから、仕方なしに此老人が魚を漁つてお供へするのだ』 留公『ヘン、うまい事言つてるワイ。大方自分の喉の神さまに供へるのだらう。神主は神主らしうやつて居ればいいのだ。猫は鼠を捕るのが商売、猟師は獣を獲り、漁夫は魚を漁ると、チヤンと天則が定まつて居るのだ』 松鷹彦『それだつて、わしが漁つても、漁師が漁つても、生命の無くなるのは同じ事だ、そんな開けぬ事を言ふものだないワイ。息子は嫁取る、娘は婿取ると云つて、お前達は若いから楽しみだが、俺の様な老爺は、あんまり外分が悪くつて、嫁を取る訳にも行かず、仕方が無いから魚を漁るのだ。チツトは大目に見て、長老を敬ふのだぞ。長幼序ありと云ふ事を知つて居るか。今日は養老会と云つて、老人を大切にする会が、彼方にも此方にも開けて居るぢやないか。それに此村の奴ア、年が老つたら姥捨山へでも捨てたら良いものの様に思つて居るから、事が面倒になるのだ。老人は村の宝、生字引だ。俺が此村に居ればこそ、古い事が分るのだないか。俺の体は俺一人のものぢやない。一方はお宮様の召使、一方は此村の骨董品だ……否如意宝珠の玉だ。今こそ貴様達は不潔い爺いだと云つて、沢山さうに思うて居るが、俺が死んでみい、思ひ出す事が幾らでも出来る。……アーア松鷹彦様がモウちつと生きて御座つたら、御尋ねするのに…斯んな事なら生存中に…あれも聞いて置いたら良かつたに、此れも教へて貰つて置けば宜かつたのに………と後悔をして、泣いても、悔んでも後の祭りだ。せめては故人の徳を忘れぬ為だと云つて、宮の境内か川の縁に記念碑を建てて何程拝んだつて、石になつてから物は言やしないぞ』 留公『お前の様な爺さまに聞いたつて、何が分らうかい。併し一つ聞いて置かねばならぬ事がある。其奴ア、どこの淵には魚が余計寄つとるか……と云ふ事だ。なア川獺の先生』 松鷹彦『エー大人嬲りの骨なぶりだ。グヅグヅ言うと、死んだら目が潰れて物が言へなくなり、身体がビクとも動かなくなつて了ふぞ』 留公、肩を上げ下げし、鷹が羽を拡げた様な調子で、体を揺り、舌を出し、 留公『ウフヽヽヽ』 と笑ふ。 松鷹彦『貴様の其状態は何だ。鳶の様なスタイルをしやがつて……』 留公『オイ、お前がバラモン教の駆落巡礼だなア。何だ人気の悪い鯱面をしよつて……此川獺先生の所へ無心に来よつたのか。……コリヤ此村はバラモン教は禁物だ。布教禁制の場所だぞ。而も気楽さうに女房を連れて何の事だい。そんな事で神聖な神様の御用が出来ると思うて居るのか。一時も早う、足許の明かるい間に帰つて了へ。帰るのが厭なら、此川へドブンと飛び込め。さうすりや寧埒が明いて良いワ』 宗彦『ハイハイ、私は御存じの通りバラモン教のお経を唱へて、巡礼に廻つて居る者で吾子の冥福を祈る丈の者、人さんに宣伝なぞは決して致しませぬ。私の身体には大変な地異天変が勃発したので、何所の騒ぎじや御座いませぬワイ。女房が今となつて暇を呉れの、何のと言ふものだから…』 留公『ハツハア、地異天変て、どんな事かと思へば、嬶アにお尻を向けられたのだなア、そりや気の毒だ。俺も覚えが有る。それなら両手を挙げて同情…否賛成だ。オイオイ奥さま、斯んな結構な、青瓢箪然たるハズバンドを持ち乍ら、そんな綺麗な顔したナイスのお前が、こんな所までやつて来て、肱鉄砲を噛ますとはチツト人情に外れては居やせぬかい』 お勝『妾は訳を聞いて貰はねば分りませぬが、あまりの事で、モウ見切りを付けました。同じ事なら…あの…見た様な何々に、何々したう御座います』 と笠に顔を隠す。 留公『ハツハツハア、分つた。お前のホの字とレの字は、トの字とメの字の付く男に秋波を送つて居るのだな。生憎様乍らトーさまには、立派な烏の様な色の黒いおからと云ふ奥さまが御座んすわいな』 お勝『イエイエ妾は若い人や、土臭い蛙切りは虫がすきませぬ。同じ添ふのなら此お爺さまの女房になりたいのですよ。年は老つて居られても、どこともなしに崇高な御容貌、今年で三年が間、広い世界を股にかけて探して見ましたが、こんな立派な気品の高いお方に逢うた事は有りませぬ。まるで太公望の様な御方ですワ。此処へ来るなり、宅のハズバンドが厭になつて了つたのですよ、ホヽヽヽヽ』 留公『是れは又エライ物好も有つたものだナア、ヘーン』 と言つた限り、舌を斜かひに噛み出し、白眼を剥いて、両手の遣り場が無い様な調子で、下前方へ俯向けに手を垂らしシユーツと延ばし、呆れたふりをして見せる。 田吾作『わしは未だ独身だがなア。アーアどつかに合口があつたら、一つ買ひたいものだ』 留公『コリヤコリヤ短刀なんか買つて如何するのだい。過激派取締の喧しい時に、そんな物でも買ひに往かうものなら、それこそポリスに追跡され、終局には高等警察要視察人簿に登録されて了ふぞ』 田吾作『女房を貰つて、警察につけられるのなら、村中の奴ア、みんな高警要視察人ぢやないか』 留公『貴様も訳の分らぬ奴ぢやなア。……破れ鍋に綴蓋と云つて、それ相当の女房を持たねば、遂には破鏡の悲しみを味ははねばならぬぞ。こんな立派なナイスに対して秋波を送るのは、チツと提灯に釣鐘だ。併しお爺さま、枯木に花が咲いたやうなものだ。流石はエライ。それなれば私も賛成だ。貰ひなさい。其代りに私がチヨイチヨイと水汲み位、手伝ひに来てあげるワ』 お勝『オホヽヽヽ』 宗彦はクルクルと着物を脱ぎ棄て、褌まで除つて、川の早瀬へ惜し気も無く、笠も蓑も杖も一緒に投げ込んで了つた。 宗彦『ヤアお爺さま、モウ是れでバラモン教のレツテルを残らず剥がし、生れ赤児になつて了つた。どうぞお前さまの弟子にして下さい。さうして女房は貰つてやつて下さいませ。今日からは女房をあなたの奥さまとして敬ひます。ナアお勝、遠慮は要らぬから宗々と呼びつけにするのだよ』 お勝は又もやクルクルと下帯まで脱ぎ棄て、同じく蓑も笠も、金剛杖も一括にしてザンブとばかり投げ込んだ。 宗彦『アヽやつぱり女房は女房だ。斯うなるとチツとチツと、ミとレンが残つとる様な気がする。併し乍らお爺さま、着物を私に恵んで下さい。何でも宜しいから……』 松鷹彦『さうだと云つて、わしも北国雷ぢやないが着たなりだ。山椒の木に飯粒で、着の実着の儘、どうする事も出来やしない。先祖譲りの洋服で、二人共暫く辛抱するのだなア』 留公『ヤア宅の嬶アの着物を、俺が取つて来て、裸ナイスに進上しよう。田吾作、貴様はお前の一張羅を献上せい』 田吾作『貰うて下さるだらうかな。わしはチツと背が低いから、身に合ふだらうか』 留公『合うても合はいでも、無いより優しだ』 松鷹彦『ヤア留さま田吾作さま、世の中は相身互ひぢや。さうなくてはならぬ。是れもヤツパリ三五教の感化力のお神徳だ……』 (大正一一・五・一三旧四・一七松村真澄録)
140

(1763)
霊界物語 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 08 心の鬼 第八章心の鬼〔六七〇〕 宗彦は親兄妹に別れを告げ一旦聖地に参ゐのぼり、言依別命より天晴れ宣伝使の役を命ぜられ、心いそいそとして再び宇都山の里に立ち帰り、武志の宮の前に報告祭を行ひ里人に別れを告げて、山奥深く三国ケ岳に割拠する魔神を征服せむと、旅装を整へ宣伝の初旅に就いた。留公、田吾作の二人は村の外れに先廻りして待つて居た。 宗彦『お前は義弟の田吾作ぢやないか、おゝ留さまも其処に居るなア、何処へ行くのだ』 田吾作『何卒私を二三日、宣伝使のお伴に連れて行つて下さいな、留さまと相談の上此処に待伏して居りました』 宗彦『それは折角だが宣伝使は一人のものだと言依別命様より承はつて居る。外の事なら一緒に行かうが、今日は宣伝の初陣だから、御親切は有難いが是非なくお断り申す』 田吾作『私は宣伝使でない以上は、信者としてお伴しても差支ありますまい』 留公『何卒二三日で宜敷いから連れて行つて下さい』 宗彦『お前の足でお前が勝手に行くのなら差支無からう、同じ一条の道を通るのだから……然し宣伝使として宗彦は徹頭徹尾一人旅だ』 留公『貴方は何処を指してお出でになるのですか』 宗彦『そうだなア、言依別命様は明石峠を越え、それから山国を経て三国ケ岳の悪魔を征服して来いとの事だつた。随分高い山だらうなア』 留公『近江の国と若狭、田庭三国に跨る高山です、大変な猛獣や猿が棲み大蛇が居ると云ふ事です』 田吾作『さう聞くと私は貴方一人をやる訳にはゆきませぬ、是非お伴をさして下さいな』 宗彦『絶対になりませぬ』 と首を振り振り先に立つて行く。 折しも秋の初め、田庭名物の深霧に六尺先は少しも見えない。宗彦は足を速めて明石峠をさして進み行く。二人の男は霧に隠れて足を速め、先廻りして明石峠の麓に落つる大瀑布に真裸となり、身禊し乍ら宗彦の進み来るを待つて居た。宗彦は二人の滝にうたれて居るのを霧にさへぎられて気がつかず、 宗彦『何だか大変な水音がして居るなア』 と小声に囁き乍ら坂を登り行く。二人の男は宗彦が我二三間前の道を通過して居るのに少しも気がつかなかつた。宗彦は明石峠の頂上に登り着いた。霧は谷間を埋めて処々に高山の頂きのみ画の様に浮いて居る。 宗彦『アヽ何と霧の海の景色と云ふものは綺麗なものだなア、到底紀の国では見られぬ図だ。此景色を眺めて居る心持は全で第一天国へ遊楽して居る様な気分だ』 と独語して居る。 時しも窶れ果てた四十位の一人の女、見すぼらしき風姿をしてスタスタと霧の中から浮いた様に現はれて来た。 宗彦『イヨー、妙な女がやつて来よつたぞ、大変に忙し相に歩いて居る、何か之には様子があり相だ、一つ此処へ近づいたら訊ねて見よう』 と心に思つて居る。女は宗彦の姿に気がつきキツト立ち止り、怪しの目をぎよろつかせ此方を見詰めて居る。 宗彦『貴女は此高い峠を越えて女の身の只一人、何処へ行くのだ』 女は怖相に、 女『ハイ、私は此下の熊田と云ふ小村の者で御座います。明石の滝へ是から打たれに参ります』 宗彦『明石の滝と云ふのは何処にあるのだ』 女『此山を七八丁許り下つた処に御座います』 宗彦『私も今此坂を登つて来たのだが余りの深霧で気がつかなかつた。道理で水音のした箇所があつた様に思つた。して又滝に打たれに行くと云ふのは何か深い理由があるであらう、それを言つて見なさい』 女『ハイ、私の夫は原彦と申すもの、二三年前からフラフラと患ひつき此頃では大変な大病で御座います。それで明石の滝の神様へお願ひ申して夫の病気を助けたさに、滝に身を浸しに参る者で御座います』 宗彦『何んな病気だな、都合に依つたら神様に願つて助けて上げようと思ふのだが…』 女『ハイ、有難う御座います、夜分になると色々のものが出て参ります、さうして苦めるのです、その度毎に冷汗をグツスリかき日に日に痩衰へ、今は最早骨と皮ばかりに見すぼらしくなつて居ります』 宗彦『そりや何か物の怪の病気であらう。サア一遍調べて見るから案内をしてお呉れ』 女『それは有難う御座います。之から此山坂を下り、四五丁許り行つた所の小さき村で、山の麓に私の茅屋が建つて居ります。御苦労乍らお頼み申します』 と先に立つて案内する。漸く女の家に着いた。大樹の森の下に冠木門をあしらつた一棟の相当に広い家がある、それが此女の邸宅。 女『見すぼらしき茅屋で御座いますが、何卒お這入り下さいませ』 と会釈して内に入る。夫原彦の何物にか魘されて苦しむ声は戸外に迄洩れて来た。女は『又来よつたなア』と小声でつぶやき乍ら、慌てて屋内に飛び込み、病人の枕許に駆け寄つた。宗彦は少し遅れて閾を跨げ、床上に上り天津祝詞を奏上するや、病人は益々苦悶の声を放ち狂ひ廻る。四五人の村人は次の間に控へて何事か話し合つて居た。祝詞の声を聞くより二三人の男其場に現はれ、 男『何処の方かは知りませぬが、定めてお露さまがお連れ申して帰つた方でせう、サア何卒此方へ来て御休息下さいませ』 宗彦は『御免』と云ひつつ招かれて一間に踏込み座に着いた。何事か確とは聞きとれないが、非常に病人はお露を相手に呶鳴つて居る。此声を聞いて宗彦は村人に向ひ、 宗彦『何時も病気はあの通りですか』 甲『此四五日前から一層烈しく成つて来ました「田吾が来る田吾が来る」と云ひ出しまして……それはそれは随分苦しむのです。さうして又ケロリと嘘を吐いた様に癒る事もあるのです。理由の分らぬ病気……何でも死霊の祟りだと云ふ事です』 宗彦『死霊の祟りとは、……そりや又何か心当りがあるのですか』 甲『吾々村人も初めはちつとも病気の原因が分りませなんだが、此頃そろそろ死霊だと云ふ事が分り出したのです。何でも茲二三日の間に生命を取らねば措かぬと口走り、それはそれは大変な藻掻き様です』 乙『何でも此処の主人の原彦は上方の者らしいが、お露さんの婿になつてから早十三年にもなりますのに素姓を明かさないので、何処の人だか、何をして居つたのか分らなかつたのだが、病人の囈言を云ふのを聞いて見れば、大きな声では言はれませぬが、此男は泥棒をして人を殺した奴らしいですよ。そして殺された男の死霊が祟つて居るのだと云ふ事、病人自ら現になつて喋ります。天罰と云ふものは恐ろしいものですなア』 宗彦『人間と云ふものは随分不知不識の間に罪を作つて居るものだ、人を殺し火を放ち、或は強盗、詐偽等の罪悪を犯す者は実に天下の為に憎むべき者であります。然し乍ら其罪を憎んで人を憎まずと云ふ事がある、公平無私な神様は肉体を罰し給ふ様な事はありますまい、屹度其罪の為めに苦しめられて居るのでせう。罪さへとれれば原彦さまも間も無く本復するでせう。世の中には人間の目に見えぬ罪人が沢山ある、中でも一番罪の重いのは学者と宗教家だ。神様から頂いた結構な霊魂を曇らせ、腐らせ、殺すのは、誤つた学説を流布したり、神様の御心を取違へて誠しやかに宣伝したり、或は神様の真似をするデモ宗教家、デモ学者が最も重罪を神の国に犯して居るものですよ』 甲『ヘイ、そんなものですかなア、心に犯した罪や、学者や宗教家の罪は何処で善悪を調べるのですか』 宗彦『到底不完全な人間が善悪ぢやとか、功罪だとか云ふ事は判断のつくものぢやありませぬ。それだから神が表に現はれて善と悪とを立別け遊ばすので、人間は只何事でも善意に解釈し、直霊の神にお願し、神直日大直日に罪を見直し聞直し詔直して貰ふより仕方がありませぬよ。我々は日々一生懸命に国家の為め、お道の為め、社会の為めと思つてやつてる事に大変な罪悪を包含して居ることが不知不識に出来て居るものです。それだと云つて善だと信じた事は何処迄も敢行せねば、天地経綸の司宰者としての天職が務まらず、罪悪になつてはならぬと云つてジツとして居れば、怠惰者の大罪を犯すものですから、最善と信じた事は飽迄も決行し、朝夕に祝詞を奏上し神様に見直し聞直しを願ふより仕方はありませぬ』 乙『今の法律は行為の上の罪許りを罰して、精神上の罪を罰する事はせないのですが、万一霊魂が罪を犯し、肉体が道具に使はれても矢張其肉体が罪人になると云ふのは、神界の上から見れば実に矛盾の甚しいものではありますまいか』 宗彦『そこが人間ですよ、兎も角法律と云ふものは人間相互の生活上、都合の悪い事は皆罪とするのですから……仮令法律上の罪人になつても神界に於ては結構な御用として褒めらるる事もあり、法律上立派な行ひだと認められて居る事が、神界に於て大罪悪と認められる事もあるのです。それだから何事も神様が現はれてお裁き下さらぬ事には善と悪との立別けは人間の分際として、絶対に公平に出来るものではありませぬ。又人間の法律や国家の制裁力と云ふものは、有限的のものであつて、絶対的のものでは無い、浅間山が噴火して山林田畑を荒し、人家を倒し、桜島が爆発して数多の人命を毀損し、地震の鯰が躍動して山を海にし、海に山を拵へ家を焼き人を殺し、財産を全然掠奪して仕舞つても、人間の作つた法律で浅間山や地震や桜島を被告として訴へる処もなし、放り込む刑務所も無し、裁判する事も出来ぬ様なもので到底駄目です。只何事も神様の大御心に任すより仕方がありませぬなア』 斯く話す折しも次の間の病人、いやらしい声を出して、 原彦『ヤア田吾作田吾作、赦して呉れ、俺が悪かつた、お前は大井川から俺に落されて死んで悔しからうが、今となつて如何する事も出来ない、之も何かの因縁ぢやと諦めて何卒俺の生命丈けは助けて呉れ、アヽ悪かつた悪かつた、赦して赦して』 と叫び出した。 宗彦『ハテナ、此辺に田吾作と云ふ人があつたのですか』 乙『田吾作と云つたら皆我々の雅名です。田吾作は田畑を耕し、杢兵衛は山林にわけ入つて樵夫をやつたり薪物を刈つて来る人間の代名詞見た様なものですから、あまり沢山の田吾作で誰が殺されたのやら訳が分りませぬ』 宗彦『それは分りましたが、然し一人に特定の名の付いた田吾作と云ふ男はありますまいかな』 甲、乙一時に、 甲、乙『サア余り聞きませぬなア、何でも宇都山の里に大変な周章者があつて、その男を田吾作と云ふさうですが、それも実際の名か、一般的の百姓の名か、そいつア判然致しませぬ。少し慌ててやり損ひをする男を、此辺では宇都山の田吾作みた様な奴だと云つて居ます、仄に話に聞いて居る許りで実際そんな方が有るのか無いのかそれも分りませぬ』 隣の室より病人の叫び声、 原彦『田吾作の幽霊どの、悪かつた悪かつた、何卒助けて呉れ……何、貴様の様な悪人を助けて堪らうかい、俺の生命をとつた奴だ、貴様の肉体に宿り腸を喰ひ、肺臓を抉り、胃袋を捻切り、苦しめて苦しめて嬲殺しにしてやるのだ。此怨みを晴らさな措かうか』 と原彦は自問自答的に呶鳴つて居る。 甲『不思議な病人でせうがな、何でも腹の中に死霊が這入つたり出たりすると見えます。今は屹度腹へ這入つて居ると見えて本人と変つた声で云つて居ます…あれが殺された田吾作の怨霊に違ひありませぬなア、何卒一つ祈祷をしてやつて下さいますまいか、私達も村中が代る代る五人づつ斯うして不寝の番をして居るのですから、お露さんも気の毒ぢやが、吾々村中の者も大変に手間が取れて困つて居るのです』 宗彦は打ち頷き裏の谷川にて口を嗽ぎ手を洗ひ、天津祝詞を奏上し、徐々と病人の居間に入り来り枕頭に端坐し、両手を組み三五教の奉斎守神[※御校正本でも「主神」ではなく「守神」になっている。]の御名を唱へ、天の数歌を二三回繰返すや否や、病人はムクムクと起き上り、目を剥き鼻を左右に馬の様にムケムケと廻転させ、舌を出し、 原彦『アーラ怨めしやなア、俺は田吾作の怨霊だ、此肉体を何処迄も苦しめ生命をとらいで措くものかア』 と妙な手付をなし衰弱しきつて動けない病人が俄に立つて騒ぎ出す。宗彦は一生懸命に天の数歌を奏上し、 宗彦『これこれ原彦さま、決して田吾作の怨霊が殃をして居るのではない、お前の心の鬼が身を責るのだ。神様にお詫をしてやるから、お前の罪は神素盞嗚尊様の千座の置戸の贖ひの御徳に依つて最早救はれた、安心なされ』 原彦は形相凄じく、 原彦『アラ怨めしやなア、何程救はれたと云つても、生命をとられた田吾作は何処までも祟らにやおかぬ。親を殺し、本人は申すに及ばず、女房の生命をとり、一家親類村中までも祟つてやるぞよ……』 宗彦『お前は田吾作と云ふがその田吾作は今何処に居るのだ』 原彦『田吾作は大井川の大橋の下で肉体は亡びたが、精霊は此処に悪魔となつて憑いて居るのぢや哩のう、怨めしやア怨めしやア』 宗彦『田吾作の顔には何か特徴があるか』 原彦『特徴と云ふのは外でもない、眉間の真ん中に大きな黒子があるばつかりだ、俺の顔を見て呉れ、之が証拠だ』 と原彦は宗彦の前に額を突き出す。 宗彦『別に黒子も何もないぢやないか』 原彦『お前は霊眼が開けて居ないから大方原彦の肉体を見て居るのだらう、私の正体を目を光らして見て呉れたら眉間の黒子が分るだらう。あゝ怨めしい、キヤツキヤツ』 と云ひ乍ら嫌らしい相好を遺憾なく曝して、又元の寝間へクスクス這込み『ウンウン』と苦しさうに呻りを続けて居る。 お露『もうし、宣伝使様、此病人は癒るでせうか』 宗彦『癒りますとも、眉間に黒子のある田吾作は死んでは居ませぬよ、確にピンピンして生きて居ます、今に此処へやつて来るでせう、要するに神経病だ、心に犯した罪悪の鬼に責られて居るのです。今に当人がやつて来て「許す」と一言云つたら全快は請合です』 お露『何と仰有います、あの田吾作さんが生きて居られますか、そりや又如何した訳でせう』 宗彦『どうでも有りませぬ、実際生きて居るのですから今に実物をお目に掛けませう、田吾作が此処へ参る迄、次の室で休息して待つ事に致しませう』 お露『御苦労様で御座いました、何卒奥でお茶なりと召し上り緩々御休息下さいませ』 宗彦は『有難う』と一礼し奥の間に行つて休息した。 甲『何と宣伝使様、妙な病人で御座いますなア、マア千人に一人位な者でせうか、さうして承はれば田吾作さまは生きて御座るとは、そりや又何と云ふ不思議でせう』 宗彦『凡て天地の間は不思議ばかりで満たされて居るのです、菜の葉一枚だつて考へてみれば実に不思議なものです。今の人間は石地蔵を祈つて疣がとれたとか、脚気が癒つたとか云つて不思議がつて居るが、そんな事は不思議とするに足りませぬ。第一人間は、ものを云ふのが不思議ではありますまいか、何程立派な解剖学や生理学の上から調べてみても、声の袋もなし、それに色々の言霊が七十五声際限もなく出て来るのですから、是位不思議な事はありませぬよ』 乙『さう聞けばさうですな、森羅万象一として不思議ならざるは無しですなア』 斯く話す折しも田吾作、留公の両人は門の戸を敲き、 田、留『モシモシ、一寸お尋ね致します、宗彦と云ふ三五教の立派な宣伝使は若しや此家にお立寄りでは御座いませぬか』 此声にお露は慌てて門口に走り出で、田吾作の顔を見るより、 お露『アツ、貴方の眉間に黒子がある、田吾作さまでは御座いませぬか、エライ私の夫が貴方に対し御無礼を致したさうです、何卒堪忍してやつて下さい』 田吾作は何が何やら合点ゆかず、留公と共にお露の後に引添ひ、宗彦の憩へる居間に入つた。 宗彦『アヽ能う来てくれた、さはさり乍ら一寸此方へ来ておくれ』 と原彦の病室に伴ひ原彦を揺すり起した。原彦は病に疲れた身体を漸く起き上り、目を開き田吾作の姿を見るなり『アツ』と一声、又もや寝具の上に打倒れ藻掻き苦しむ。田吾作は原彦の窶れたとは言へ何処とはなしに目付、鼻の恰好、口許の具合の十数年前大井川の橋の上に於て、河中に突き落した泥棒によく似て居るなアと半信半疑の態で打ち見まもつて居る。 宗彦『コレ原彦さま、お前に橋から突き落されて死んだ筈の田吾作は此通りピンピンして居る、お前の迷ひだから気を取り直したが宜からうぜ』 田吾作『オイ、病人さま、久し振りだつたなア、十三年前の月夜の晩だつた、お前は狭い橋の上で俺の懐中の玉を強奪しようとする、俺はとられてはならんと争ひ、遂には組みつ組まれつ戦うた末、足踏外し濁流漲る大井川に真逆様に顛落し、それより心は疎くなり、現世と幽界の境界の山の口迄歩いて行くと、後から大勢の俺を呼ぶ声、振り返る途端に気がついて見れば、高城山の麓の芝生の上に横たはり、大勢の人が火を焚いて介抱をして居てくれた、お蔭で私は生命が助かつた。それから宇都山村の住人となつて此通りピンピンと跳廻つて居るのだ、決して決して露程も怨んでは居らぬ。其時に私が執着心を離しさへすれば斯んな目に遇ふのでは無かつたのだ。エヽ済まぬ事をした、あの人に渡せばよかつたと始終懐中離さず其橋の辺を通り、その方に会うたら心好う進ぜようと思つてゐたのだ、それ……この玉だらう』 と懐中から出して、病人の手に渡した。原彦は初めてヤツと安心した刹那に病気は軽快に向ひ、日を追うて恢復し、漸々肉もつき、十日程の後には全く元の壮健体となつて仕舞つた。 原彦夫婦を初め村人一同は執着心より恐るべき罪の発生し、其罪は忽ち邪気となつて我身を責むると云ふ真理を心の底より悟り、熊田の小村は挙つて宗彦の教を信じ、遂に三五教の信者となつて仕舞つた。 (大正一一・五・一三旧四・一七北村隆光録)