| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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201 (3684) |
大本神諭 | 神諭一覧 | 大正6年旧1月22日 | 大正六年旧正月二十二日 是迄の世は悪の世で世に出て居れる方の霊が皆俺が上位、身魂が高いと思ふて、何も判らん身魂が悪の経綸で何処迄も行ける様に思ふて国を思ふて仕て居る事が間違ふて居るから此迄の事はチットも用ひられんから、罪科のある国土には夫れ夫れの、罪科のある丈けの懲戒があるから、大出口直にモウ一度詳細とある所を申して与るぞと御筆先に書いて知らして在るぞよ。何なりと問いたい事があるなら、徹底的説いて聞かせるから、不足のある守護神は大本へ出て来て、膝つき合はして御話し為たり聞いたり致して打解けて来ねば、モウ間が無いやうに世界の事が差し迫って来て居るから、仕直しはチットも仕て居れんから、不足言う事の出来ん様に、何も筆先で気が附けてあるから、各自に腹の中の掃除を致して神国の間に合ふ様に成りて居らんと、十年余りて立替が延びたぞよ。世界はドウ仕様も無い事に動きもにじりも出来ん様に成りて来て居るから、始まるも何も一所に成りて来るぞよ。延ばしても早ふ致してもある丈けの事はありて了はねば、何も無しに済ませる事は出来んぞよ。改心の出来る様に大本内え引きよせて早う神徳を取らしたいと思ふて、口で申し筆先きで気を附け噛みて口え入れて呑み込みたら、良い様に為て聞かしても判らん身魂は何も判らん。好意的訓戒が逆様に感得れて早う先え行けんから神も骨が折れるし、其の仁が苦しみが増えて永う苦しむぞよ。身魂を磨かんと悪い霊が憑りて悪く成るから、改心致せよ、身魂を磨けと申して、何時迄も同じ様な事に気を附けて見せても、逆様に感得りて神業が遅く成る斗りで、苦しむ者が我れの心で身を攻めるのであるぞよ。判らん身魂程苦しむぞよ。素直な身魂は早う良くなるぞよ。我意的の心で身を攻めるから、神も永く苦しみて世界中が難渋を致すが、何時迄も同じ様な事を書いて知らせな成らんとは、誠に非道い事に汚りたものであるぞよ。申す様に心の持ち方を変えて居れば、神も喜びが早く成るなり、人民も其の場から心配が無くなりて、喜ぶ方え近ふ成りて何彼の事が経綸通りに成りて来て、末代の世が楽に暮せる様に成るのであるぞよ。天と地との先祖が世の元から此の世に成りて来る事がよく判りて居るので、世の元から仕組みてある事が時節で回りて来るのであるから、違ふ筈は無いぞよ。此の世へ出て守護して居れる守護神には判らん事であるから、変性男子の御魂の宿りて居る大出口直の手で、元の地の先祖の大国常立尊が仕組の事を書き知らすのであるぞよ。 変性男子で無いと今度の筆先は、他の身魂では書けんのであるから、一度書かした事の違はん筆先であるぞよ。 大正六年旧正月二十二日(続) 此の筆先を疑ふ身魂は、思ふ様には行きは為んぞよ。疑ふ身魂は苦しみて何を致しても、仕直し斗りを何時迄も致して、先さえ行く事がチットも出来んぞよ。夫れでも疑はんと申して居りて矢張り疑ふて居ると、物事は成就を致さんのは心に違ふ所があるからぢゃぞよ。是迄の様に思ふて我れの一存で勝手に致しても、充分の事が出来んのが世が変るのであるぞよ。我れの世で無いと充分の事が出来んのであるぞよ。他人の世の間は我が自由に成らんで、何を致しても我れの思わくには行かぬ。我の勝手に成らんのが我が世で無いのじゃ。何も命令を下げて頂いた丈けの事を致せば思ふ様に行くなれど、天地の先祖が世を持たねば、命令を下げる神が違ふたら、チットも物事は成就せんぞよ。 末代の天地の岩戸を開く折に、御手伝ひを初発に遊ばしたのが、女であれども竜宮の乙姫殿であるぞよ。夫れで、大出口直の子日の出の加美に、大望な御用を申し付けて、今に苦労が為せてあるぞよ。結構な大望な御用であるぞよ。身魂の因縁性来の良いので無くば出来ん、大望な用が為して在るから、人民では出来上りて了はんと、見当は取れんぞよ。身魂さえ磨けたら何んな事でも見えも判りも致すなれど、身魂が曇りて居ると、心が汚れて居るから、大本内に引っ着て居りても判らんので、其の事を盲目聾者の世の中で在ると申すので在るぞよ。身魂が揃ふて磨けたら、水晶の世に成りて、何も見え透く結構な世と成るのに、余り心が見苦しいから、皆が思ひ思ひの心に成りて、チットも誠の事は出来は為ぬ、実地の元の生神は、心の誠を好くので在るから、上手口申して機嫌を取る様な身苦しき人民は誠に厭で在るぞよ。神代に成ると神も人民も同じ心だ、夫れを神代と申すぞよ。今迄は神代一代の世の末と成りた末法の世で在るから、外国の害を致すカラミタマに、日本の国の大和魂を引き抜かれて、日本の人民が薩張りハイカラに成りて了ふて、チットも光りが出ん様に、間に合はん様に成りて居るから、天賦至霊至魂に致さうと申して、茲までに神諭ても、上の身魂は判り良いなれど、下素の身魂がドウにも判かりかけが致さんが、茲までは何でも改心を為してと思ふて、ドウゾして日本の国の人民を、大和魂に仕てと思ふて言ふて与る程、一日増しに悪く成る斗りで、改心の仕掛けが出来んから、悪で薩張り詰まりて了もふて、面白い程昇りて了ふて、何も判らん暗雲の世に成りて居る悪の性来を、吃驚箱を開けて、善え立ち復らしたいと思ふて、種々と骨を折りて見ても、性来と言ふものは何時に成りても、金は金の性来で性来を直す事は出来んから、悪が茲まで昇りたのじゃ、今充分気が附て来て居れど、モウ茲までに日本の国を犯侵たのが、悪では将来が違ふから、元え復整す事は出来やうまいがな。日本の国は大和魂に揃へねば、天爾之真旨で無いから、混合雑物はチットも出来んから、金は金で撰り分けて、将来の悪いのは、日本の国には住く事は出来んから、日本の国に生出た守護神は、可成く日本の中で御用が命たいので、神が心を砕くので在るぞよ。茲までに仕放題に上り詰めた悪の世を、善一つの世に致すと言ふ事が、何も無しに変りさうな事は無い、此立替が何よりも大至難な神業で在るぞよ。明治二十五年から大出口直の手で、昔から遺書にも遺言にも書物にも無い事を、茲までに世に落して、智慧学で判らん事を、いろは四十八文字で書きつくして在る事が違いはせんので在るぞよ。二度目の世の立替は、此の世が出来てから無い大望な事で在るのに、人民では判らん事なり、判らねば成らんなれど、此の世が薩張り覆り反りて居るので在るから、是れ程大雄崇な事が、人民が末代集りて掛りて致しても、出来る事で無いと申して、神諭では、知らして在るなれど、何時も鳴く鳥の如うに思ふて、嘲笑明で聞いて居る人民斗りで、辛いのは、大本の中の元の御用を致す、変性男子と変性女子とで、此の御用は外に補助の出来ん、大経緯な御用で在るから、邪魔丈けを致さん様に仕て貰いたいぞよ。大きな邪魔が出来ると、総崩壊に心配を致して、物事が遅く成りて、善い事はチットも出来んぞよ。今に成りて居りても判からんと、大きな邪魔が出来ると、時鳥と同じこと、直の御用は、喉から血を吐きもってでも、仕直しを致さねば成らん、大望な御用で在るぞよ。男子女子の真似も為て貰へんぞよ。時鳥声は聞けども姿は見えぬ、鬼門の金神は陰から守護を仕て居りたなれど、モウ蔭からの守護では、世が立ちて行かんから、表に現りて、天と地との元を建造た先祖が、此の世はコウ言ふ世の持ち方に致さねば、立ちては行かんと言ふ事を、天晴れと世界中へ、天地の吃驚箱を開けて、此れが天地の吃驚函で在ると言ふ事を、世界中へ一度に開いて見せて与ぞよ。今度天地の岩戸が開いたら、末代モウ閉らんぞよ。大望な岩戸開きで在るから、下準備に時日が入りたなれど、始めかけたら、天地の始まりを創造るよりも大事業なことなれど、何も誤計の無い様に、手の掌を覆す如くぢゃぞよ。是れ程大望な事でも、バタバタと成就致すぞよ。末代の世を、ミロク様の教通りの神世に致す、二度目の世の立替で、天地が揃ふて、神力が能く判りて、末代の事が定まるので在るぞよ。此の世を経綸と言ふ事は、余程神力の在る活魂で無いと、末代の世を立る事は出来んぞよ。元の地の先祖を押込めて、茲までに世を開く程、悪力の在る極悪の頭でも、茲までの事より出来んが、夫れと申すは世の持ち方が判らんからぢゃぞよ。天は根本のミロク様なり、地は大国常立尊で、天と地とが揃て来たから、此の先は世の元の生粋の一輪神力の御手伝で、何彼の事を、仕組通りを現はす時節が循りて来たから、何も筆先通りの経綸を開くから、何所も恨む所は無いので在るぞよ。神の申す事が判る人民の無いのは、守護神の業であるから、茲まではドウしてなりと衆を済けてと思ふて、種々と言ひ聞かしたなれど、実地を聞く守護神が無いから、人民にも誠と言ふ事が、腹の奥に無い様に成りて了ふて居るから、何程誠の事を申して与りても、やう判けんので在るぞよ。腹の中に誠が無いと、誠の神徳は、有難い斗りでは、実地の神の申す事が汲取れんから、誠の事が判らんので実地の神徳は渡されんぞよ。誠一つを貫きて来た地の先祖を、誠が強過ぎて、コンナ力の有る神を地の大将に為て貰ふたら、他の神は一人も能う勤めんと、皆の神の心が一つに成りて、ミロク様へ御願ひを成されたら、夫れなれば大勢と一人とは換えられんから、艮い押込めいと、天の御先祖様の御命令で、押込められた御蔭で、本来の御用を為せて頂く時節が循りて来て、実地誠を貫ぬいて来た御蔭で、昔の元のミロク様の世に復帰らせて頂いて、是迄は道が善悪両道在りたのが、是の先きは道を一すじに致して、小言の起きん様に、何も昔の元の結構な神の世と成るので在るから、是迄の行り方の守護神は辛く成りて、大本の中では辛棒をやう為ん守護神が沢山出来るぞよ。 是迄のハイカラは辛く成るぞよ。エラ相に思ふて居りた守護神程辛く成るぞよ。気を附ける中にチト判りて、行儀行ひを変えて居らんと、俄かに今日から、茲まではびこりて浸み切りて居るハイカラが、世を持つ神の道え乗り替える事は、ナカナカ辛ふて、改心しても間に会はず、止むを得ず救からんことが出来致すから、聖連関発の時節が循りて来た折りには、昔の元の根本の御道の事情が判りて居らんと、苦しみてキリキリ舞ひを致しても、ソコに成りてからは、何程力の在る神でも救ける訳には行かんぞよ。能く判る身魂はキリキリ舞を致して喜ぶ事が出来ると言ふ事が、耳に蛸が出来る程知らして居るなれど、実地の判る身魂が無いので、何時迄言ふて居りても、功能が無い事に、永う掛りて居りても、善い事は一つも出来はせんから、実地を初めるから、其処に成りてから不足を申して来ても、神は御相手によう成らんぞよ。天地の先祖と直の取次ぎの心を知りて呉れる身魂が無いので、実地を言ふて聞かせると、ヲドス様に思ふて、神の名を悪く致すし、言はな陽気に成るし、判らん身魂の御機嫌を取のに往生を致すぞよ。判る所へ判りて来たら、善と悪との身魂を立判るから、ソウして立替立判を致さねば、仕掛けが出来んから、日本の仕組通りに判る所へ判りて来るのは、天地の先祖が此の経綸を知食ずに居りたら、判る処へ未だ未だ判らんから、世界が大変此の先は苦しみが出来るなれど、元の仕組通りの制敗に取掛るぞよ。此の先きの世を、日本の経綸通りに致して埒よう致さねば、此の世が立ちて行かんが、何も、外国の経綸を知らん身魂で在りたなら、此の先は泥海に成るかと言ふ境ひの大峠げで在るぞよ。変性男子と変性女子との御魂がこしらへて在りて、此の身魂がビクリとも仕て居らんから、今度の二度目の世の立替が出来るなれど、茲え成りて来た折りには、何彼の用意を致して居りて、難渋な事が世界に在れば、何んと無く何処へも響くから難渋を致さいでもよい様に、神に信頼様に、今に続いて知らしても近傍ほど慢心気味が出て何も判らんから遠国から前に判りて来て膝下が後から徐々と判り掛けるぞよ。実地の生神は暑さ寒さの厭いはせず、夜る昼寝も致さんと実地を致さねば、人民ではよう致さん事が沢山在るから、実地を始じめると申して、筆先に知らして在るなれど、馬の耳に風吹く如く、此の難事業が此の世え出て居れる守護神に、何も判かりて居らん故に、日本の人民に何も判らんので、天地の先祖の骨の折れると云ふものは、此の世が出来てから無い、大難苦業な二度目の世の立替で在るぞよ。何時迄言ひ聞かして居りても判らずに、国の害斗りを致すカラ御魂に成り切りて居るから、正実の無いハイカラと申すので在るぞよ。無惨い様に、ようも是れ丈け何も判らん暗雲の世に成りたものぢゃ。悪い方へは皆うつり安一から、世の元から旧道と新道と道を二条に仕て置て、何方の道行くか見て居れば、楽な方へ皆付て了ふて、旧道えは来る人が無かりたぞよ。楽な方は、物質万能から学の道を造いて、此の学で、モウ一つ悪を強くして、女ももっと生意気に致し、小供をモウ一つ悪賢ふ仕入れて、此の状態で世の立替を致さずに、悪の頭の目的で末代行て行うとの、エライ陰謀を仕て居るなれど、日本の国の霊主体従の国には、モウ一つ深い経綸が仕て有るぞよ。日本の国は国は小さい国であるなれど、是れ丈け広い万国に、何んな事でも、学で出来る世の中で在るのを、学は使はん、世の元の初りのミロク様の、いろは四十八文字で通用を致す様に、昔の元え世を復して、末代の世が続いて行く様の仕組が、日本の始まりから致して在る、水も漏らさん大きな経綸が仕て有るのが、今判る様な、ソンナ浅い仕組は仕て居らんぞよ。国は小さうて神の数は少なふても出来る経綸が、世の始まりから仕組みて在るから、此の時節に成りたら、此の仕組が出て来る、其の世が済みたら、此の時節にはこう言ふ世が循りて来ると言ふ事が、末代の仕組が、世の元から致して在るぞよ。今度の二度目の世の立替は、物が違ふたら喉から血を吐きもってでも仕直しを致して、チットも違はす事の出来ん仕組が致して在るぞよ。末代続かせる世の立替で在るから、嘘を申したり、言ふた事を言はんと申したり、其んな心の変る様な事では、誠の事が成就せんから、何時に成りても変らん松心の、一度申した事は末代用る性来の身魂で無いと、大本の実地の御用は出来んぞよ。人の勧誘に乗たり、巧言令色を申す者に憑る様な悪の性来の守護神は、一人も誠の御用は為せんぞよ。口で巧い事を申して、心に誠の無き身魂は、使ふ事は出来んから、心を許す様な浅い心の身魂では、日々の間に合はんぞよ。トコトン心を試きて見て、是れなら間に合ふと云ふ様に成るのは、抜刀の中に立りて居る如くに思ふて居らんと、誠の神徳は出んぞよ。皆思ひが違ふて居ると言ふ事が、筆先に度々書いて知らして在ろうがな。思ひが違ふと途中で慮見の違ふ事が出来るから、誤解と慢神とが一番恐いぞよ。茲までに気が附けて在るのに、誤解を致したり、一寸心が違ふたら、悪い霊が違ふた心の肉体に掛りて悪い事を為せるから、貧乏動ぎも、気許しと言ふ事は、チットも出来ん大本で在るぞよ。其所まで判りて居る身魂が無いので、元の古き世の神は、何に付けても骨の折れる事で在るぞよ。実地の直接の取次ぎの骨の折れると言ふものは、夜分にも気を許して寝る事も出来んぞよ。大本の経綸が判る身魂は、何に付けても気を許すと言ふ事は、チットも出来は致さんぞよ。悪魔斗りの世の中に、誠と言ふ身魂は一厘で在るぞよ。九分九厘は皆敵ぢゃ。此の方からは敵には致さねど、衆の身魂が敵に成りて、悪き仕組を致すに掛りて居ろうがな。善と悪との立替で、世界中の困難で在るが、悪の方の仕組は、人の苦労で世を盗みて致した事ぢゃに依って、途中で世が乱れて、持ちも卸しも出来ん様に詰まりて了ふぞよ。こんな嘘天偽地で固めた暗雲の世を、善一つに立直すと言ふ事は、普大抵な事で出来んぞよ。善の道は茲まで隠忍不屈て来ねば、何事も出来が致さん、辛い御用で在るぞよ。 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202 (3687) |
大本神諭 | 神諭一覧 | 大正6年閏2月22日 | 大正六年閏二月二十二日 永い経綸の現はれる時節が参りて来たから、世に出て居れる方の守護神、揃ふて改心を致したら、早う世界が良くなるなり、何も判らずに天地の御恩を知らずと、俺は偉いと慢神気味で、綾部の大本へ意見を為て与ろうと思うて、今の行り方の守護神が、肉体を連れて意見心で出て来ても、赤い顔をして、逃げて帰らな成らん所じゃと云ふ事が、毎度御筆先で知らして在るぞよ。慢心と取違が、大怪我の元と成るから、申して在る様に皆成りて来るから、日本の国は日本の行り方で行かねば成らんのに、洋服、靴を穿いて、日本の○がうろうろと飛び歩く様な事では、国が治まりそうな事が無いぞよ。悪の頭の目的はモウ一つ上へ上りて、王の王に成うとのエライ目的で在りたなれど、日本の国の経綸通りに致すから、申す様に致されよ。天地の先祖の命令を背いて何を致しても、性来が現はれて面目無い事に成るから、往生際の悪い守護神は、気の毒な事に成るから、余り悪い事を顕はせずに、余程鎮めて成る御用を為せてと、茲までに気を附けても、取り損いを為て居ると、大きな間違いが出来て、大きな声でものも言へん事が出来るから、夫れでも聞かずとモウ一つ思わくを立てやうとするなら、与りて見よれ。其の守護神も肉体も、一旦出直しと成るぞよ。是からは改心せな為る様に致して、此の先きは水晶の身魂に為て、末代此の世には苦説の無い様に、善一つの誠の道に立替るので在るぞよ。永い間日本の霊の本の一と申して二の無い、結構な世の元の国を、茲までに汚して、盲目聾と同じ事に、やうも是れ丈け汚したな。茲までになりて居るのに、一方も気を附ける神が無いとは酷い事で在るぞよ。元を棄てて枝で思わくを末代立てやうと致しても、智慧学では出来ん事、昔の根本の初まりの先祖で無いと、末代の世を持つと云ふ事は出来んぞよ。 |
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203 (3688) |
大本神諭 | 神諭一覧 | 大正6年閏2月25日 | 大正六年旧の閏二月廿五日 永らくの間隠伏の守護で在りたなれど、陰の守護ではモウ一寸も先きへは行けんから、何彼の時節が参りて来て、是迄の暗黒の世が日の出の守護と天晴成りて来たから、日の出の守護と成ると、是迄の様なことは為も為せも致しも出来んぞよ。後処からも此処からも護光がさして、眩い成ると言ふ事が、御筆先きで知らして在るぞよ。筆先に出して在る事が其の儘の事に成りて、大本の中は彼方も此方も結構な事に成って居るから、何と無く日に増しに気遣ひに成るから、是迄の心を薩張り放り出して了ふて、水晶の心に成りて来たら、嬉し々々しで暮る様に成るのに、心が見苦しいと結構な神徳もやう取らずに、我れと我が霊魂が身を攻めて、いつも苦しみて居るぞよ。心さえ良くば四方から護光が被して、光り渡る様に成るぞよ。水晶魂の撰り抜きを神の御用に使ふと云うことが、御筆先で知らして在ろうがな。お筆先を能く腹へ入れて置かんと、神容姿が目の前へ御いで遊ばしても拝めんから、腹の中に塵芥の無いやうに為て、誠と云ふ事が腹の中に一つ在りたなら、ドンナ事でも見えも致すし出来も致す、太太元の本然の神世と成る尊とい、世界の大本で在るぞよ。誠の在る人民にはドンナ神徳でも授興して、世界の鑑と致すぞよ。大本の中は申して在る様に、神の守護は成りて居るのに、此の中に居る人、見えも聞こえも致さんと、神の聖慮に叶ん事が出来ては成らんから、成る可く清らかに内外一致て致されよ。古き世の根本からの事が、いろは四十八文字で、大出口直の手で書いて在るから、知れん事が在りたら世界の事は何なりと説いて聞かして与るぞよ。時節で天然に成りて来る事が、皆前つ前つに知らして在るぞよ。経綸が遅く成りた丈けは、何も一処に成りて来て、世界が混雑に成るが、人民の思ひが大きな間違ひと成りて、大きな取違の守護神に使はれて居ると、腰も抜ける腮も外づれる、大きな息も出来ん様な事の無い様に為て居りて下されよ。慢神と誤解とが在りたら、ドレ丈け智慧が在りても、ドンナ学が在りても、智慧学で何れ程考へても見当の取れん経綸が為て在るから、何も皆物事が失敗と成るぞよ。真心に成て生れ赤児の天真に成りて来たら、ドンナ事でも神の経綸は、能く判る様に致してあるなれど、何も判らんのは身魂が曇りて居るから、慢心誤解が出来て判らんのじゃぞよ。二度目の世の立替は是れ程曇り切りて居る此の世界を、洗ひ更への新つの世に致して、是れ程混乱て居る身魂を、三段に立て分けて、目鼻を附けて、末代乱れん水晶の明らかな神代に致すので在るが、立替へ立分けを致して、末代続かして行くと云ふ事は、此の変り際が苦心惨憺な難業で在るぞよ。チヨット曇りが在りたら撰り抜いて、天地の規則通りに照らして了ふと、助かる身魂は読む程より無いから、早う揃うて身魂を水晶に磨く様に、念に念を入れて、昼夜に気を附けるので在るぞよ。経綸が世の元から為て在りて、その通りが時節で成りて来るのが、御筆先に出して在るのじゃから、直の御用は経綸が為て在る通りを、チットも違わぬ様に致すので在るから、夜寝ても寝られん、御用がすむ迄は、抜刀包囲の中に立ちて居る如くで、辛い御用で在るから、推量を為て与りて貰はんと、外に補助の出来ん事で在るから、何に付ても辛い事で在る。大事の仕組を早う申せば邪魔が這入りて、肝腎の事が遅くなるし、言はねば判らず、言へば何も知らん是れ迄の悪の方の眷属が這入り込て、放り出しても帰にはせんし、辛い事で在るなれど、放り出しても帰なん所までの事は判りて居らず、言へば気に障るし、言葉の代りに御筆先で能く判る様に書き知らせ置くから、此れを見て我れの腹の中はドウじゃ、コレではドウじゃ、思ひ違ひは無いかと、各自に審判を致して、身魂の磨き合ひを致されよ。人に言ふて貰ふと腹が立つから、此の先で善と悪とが立判るから、其の鑑を見て改心を致されよ。此の経綸今では見当が取んので、直接の取次ぎは喉から血を吐く如くなれど、口を閉へて、行く所まで成る可く言はん様にして、各自に御蔭を取らんならん、一つ一つ言ふて貰ふ様な事では、此の大本は、御用する人は、目から鼻へ抜け通る程何彼の事が見え透かねば、御用が出来んぞよ。今の守護神は悪の方の霊系、霊統、眷属で在るから、善の方へ復帰りて貰はんと、善の方の御用は普通一般の世に出て居れる方の神では為て貰へんぞよ。神の聖旨に叶ふた身魂の性来で在りたら、善い方へ早う廻して与りて御用を命すなれど、混りの在る間は、綾部の大本の世を開く誠の御用は出来んぞよ。 昔からの永らくかかりた世の元の経綸の判る世が参りて来たから、此の先きは一日増しに仕組みて在る事が能く判るから、早うから綾部の大本へ来て居りて、今に何も判らん様な事では、恥かしいやら面目ない事に成りて、人に顔を合はすのも厭に成るから、初発から女でも誠が在るものはドンナ神徳でも神から賦興すなれど、心が間違ふて居ると、何時に成りても膝下に居りても何も判らん、よいお蔭は貰へんと申して在るぞよ。是から天晴表へ出て守護を致さねば、世界中の大きな難渋と成るから、何彼の準備を立てて、判る人に分けさして、天晴れ表へ出て、世界に小言の無いやうに、元の天地の先祖の生き神が、世界中を一つに丸めて、神国の世に致す仕組がして在るなれど、余り悪の守護で、世界中が暗闇同様、此の誠を誠に受取る人民が無いのは、世に出て居れる方の守護神に判りて居らんから、人民に判らんので在りたぞよ。判る身魂を引き寄して、天地の先祖の仕組通に致して、天地の先祖が世界中の王の王と成りて、二度目の世の立替を致したら、外の霊魂では出来ん経綸を致すので在るから、従がふ所へは服従うて来と、世界が何時に成りても治まると云ふ事が無いから、茲までは何の御魂にも不足の無いやうに、好きな様に為せて在りたので在るから、茲までに致したら是れに不足はよもやあろまい。この末法の世の終了を此の方が受取りて、是れからは此の方の経綸通り、世界中の身魂を上中下と三段に立別けて、法律何彼の事を速やかに変へて了ふぞよ。これまでの守護神の性来は日の本の日本の国には置く事は出来んから、日本の国は日の本の日本魂に為て了ふから、これ迄の様な行り方は為せんから、申す事何なりと背むいて為て見よれ、行く処まで行きたらよく判るぞよ。素直な身魂を此の方は好くから、早く改心致さんと、上も下も難渋に成りて、世界中が総損害に成りては成らんぞよ。 |
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大本神諭 | 神諭一覧 | 大正6年旧5月6日 | 大正六年旧五月六日 大国常立尊変生男子の霊魂も、変生女子の霊魂も、永らく苦労いたして居りた一輪の身魂も、世に落されて居りた、霊魂の肉体は至仁至愛神様の御出現が在る、時節が参りて来たから、悔し残念を堪りて来た身魂は、皆揃ふて世に出て、世の元の初まりの結構な御用が出来るから、良き御用の出来る身魂を見て、我の精神と行状とを考へて見て、神の心に叶ふやうに成りて居らんと、綾部の大本の世界の元の御用は出来んぞよ。外の教会のやうに思ふて、此の大本の御用いたさうと思ふて居りたら、大間違いが出来るぞよ。末代に一度ほか為られん、二度目の世の立替をいたす所へ、是迄の体主霊従主義[*底本では「体主肉従主義」だが七巻本では「体主霊従主義」に修正されているのでそれに準じた。]で、自分本意で早う出世[*底本では「出生」だが誤字と思われる。]が為たい様な、気の小さい守護神に使はれて居る肉体でありたら、今度の間には合んから、肉体から胴を据えて、守護神に言い聞かせるぐらい確りして居らんと、肝腎の御用の間には合んぞよ。是まで世に出て居れた守護神が、善の道へ立帰りて、末代の御用を致さうと思ふたら、是までの行り方を一寸も用ゐんやうに心得て、一から何事も行り変へて下されよ。此大本の中へ来て直きから上の御用がいたしたい様な、霊魂の守護神に使はれて居ると、大きな間違いが出来て、善の御用は為せて貰えず、悄然として居るのを見るのが厭で在から、世に出て居れた守護神が大本へ化けて来ても、一目に判るから、真心に成りて産ぶになりて、霊魂に出来る御用をさせて貰えば、其日から嬉し嬉しで暮るなれど、上へ上がりて直ぐから好い御用を致さうと思ふと、不調法が出来るから、自己の霊魂に似合ふた御用をいたせば安全に勤まるから、此先で仕損いをいたしたら、末代悪い名が残るから、是迄の行方を変へるのには、心が水晶に成らんと、大本の初発の御用は出来んぞよ。是までの心を入れ替て、腹の中に動かん誠が無いと、大本の御用は余程肉体がしっかりして居らんと、立直しが中々の大望であるぞよ。此世の元の天の御先祖様を、斯んな事に永い間御艱難をさせて置て、亦た地の先祖は力が在り過ぎて、手に合んと申して艮へ押籠て、天の光りも地の光もない様にいたして了ふて、物質の世に成りて、日本の霊の元の光といふものが無いやうに、金銀為本国に為て了ふて、日本の国に使はれん、学で末代行りて行うとの、エライ経綸をいたして、茲までは思ふやうに来たなれど、九分九厘の悪の世の終いとなりて来たから、何時手の掌が覆るか分らんから、斯んな事ならモット気を付けて呉そうなもので在りたと申して、地団太を踏んでヂリヂリ悶え致しても、ソコになりてからは後の祭りで、取戻しは出来んぞよ。天地の御先祖様が天晴れ表になりての、御守護があるから、男も女も心間違いの無いやうにして貰はんと、是からは厳しくなるぞよ。我の心の持方一つで、如何な神徳でも今度は神から授すから、水晶の世に成るので在るから、我の身魂を十分に磨いて置いたら、世の元の天地の先祖が何彼の守護をいたすから、思ふやうに何事も行くぞよ。敵対心が一寸でも在りたら、何も思ふ様に行んから、昔から此世に無い事をいたすので在るから、因縁の在る変生男子の身魂には、辛い御用がさして在るぞよ。明治二十五年から筆先に出してある事は、世界中の事で在るから、彼方此方に致さんと、斯んな事が一度に在りたら、何う仕様も成らん様に成るから、彼方や此方に罪穢の烈い処には、夫れ丈の罪穢の借銭であるから、可成は大難を小難に致して、借銭済を仕て了はんと、身魂が罪穢を負ふて居ると、何一つ思ふ様に行んぞよ。今の人民は自己に罪穢のある事を、チットも知らずに居るから、天地の先祖はこの肉体に守護して居る霊魂には、此ういふ罪穢を負ふて居るといふ事を、明白に知りて居るから、何程かくしても、何れほど甘い弁解を致しても、神の目は眛ます事は出来んぞよ。斯世は末代続かせねば成らんから、何事も筆先に出して知らして有るから、此の先は何事も一度に成りて来て、守護神人民の思ふて居る事が、大間違いが出来て、逆様斗りで世に出て居る守護神が、キリキリ舞を致さな成らん様になるから、茲へ成りて来た折に如何したら宜いか、訳が分らん様に成りて、実地の事はつかまゑられず、自己が宜いと思ふて為る事は、誠実地の神の眼から見て居ると、井戸の縁に茶碗を置いて在るのを、見るやうに有るから、筆先で是ほど細々と気を付けて、言い聞かせたなれど、言聞かした位で聞く守護神が、日本の国に無いやうに成りて居るから、此の先は聞かな聞くやうに致すから、是迄の様な心で神の御用したと思ふて、為る事が大きな邪魔に成るぞよ。邪魔を致しておいて、大神が邪魔を為ると申して、悪の行方の向ふの国の頭に湧いた守護神が、何程気張りて善い御用を為て居ると思ふて居りても、逆様斗りを為ておいて、実地の大神を怨める様な心の守護神が何を致しても…………日本の経綸の解る守護神が無いから、実地の大神が今に実現が出来んので在るぞよ。直々の取次は咽喉から血を吐く如く、今に安心がチットも成らん、誤解を世に出て居れる方の守護神がエラソウに、自分ほどのものは無き様に思ふて、慢神を致して、日本の御用を一角エラソウに思ふて致す事が、逆様ばかりを致すから、今迄の筆先にも世に出て居れる方に、大本の実地の御用の出来る守護神が無いと申して今に筆先を出ささな成らんから、実地の日本の天地の御用いたす取次は辛いぞよ。実地の御用が出来る身魂が一人出来て来たら、悪い霊を引抜て、日本の霊の元の生粋の、日本魂と入れ替てやりて、天と地との先祖が守護を致すと、思ふやうに筥指した様に、コトリコトリと行くやうに致すぞよ。 慢心と取違いが在りたら、此後は守護神の性来を表はして、其霊は利かんやうに成るのを、明治二十五年から今に成るまで、守護神人民に気を付けて在るのが、何も時節が一度に出て来るから、茲へ成りた折に心を復へて、日本の元の御用の出来る身魂に成りて居る様に、クドウ知らして居るなれど、思ふて居る事が全部間違ふて居るから、守護神に解らんから、仕損いが出来るので在るぞよ。是まで守護神が自己の勝手に、思ふやうに出来たのは悪の世と成りて居りたから、自分に悪力が有りて、悪の霊が利くほど上へ上れたなれど、モウ手の掌が覆りて居るから、是迄のやうに思ふて居ると、大きな失敗が出来るから、是程気が付けて在るのに失敗を為てをいて、未だ大神の所業の様に思ふて、取違いを為て居る事が、未だ自分に解らんのは、元の性来が悪であるから、日本の元の御用は、悪の性来では出来んので在るぞよ。元は日本の魂でも、外国魂に成切りて居るから、速に解らんのであるぞよ。 日本の性来の大和魂に立帰りて来んと、一寸でも混りがありたなら、世の元の大神様の御用は出来んから、何時まで不調法の無いやうに気を注けてをりても、矢張り思ひが違ふから、違ふた事が出来るので在るぞよ。日々に我の腹の中を能く考えて、自分の審神者を致さんと、大本の御用は、向ふの霊が一寸でも混りて居りたら、間違ふた事が出来るぞよ。各自の霊魂の性来の事ほか、出来は致さんぞよ。末代曇りの懸らん、生粋の水晶の世に致す、二度目の世の立替であるから、何に付けても大望ばかりで在るから、世に出て居れた海外の国の眷属が、何も分らずに修行も致さずに、日本の経綸の解らん方の守護神が、直ぐから世の本の日本の経綸は解りはせんから誠の心に成りて、身魂を研いて居りたなれば、何国へ廻されても、向ふの国へ還されても、成る可く優な方へ廻してやるから、修行した丈けの事は、身魂に徳が就くから、何に依らず素直に致して、辛い修行を致して置けば夫れ丈の御用が出来るぞよ。身魂が曇りて居るのに、日本の世の本の初りの御用は出来んなれど、三段に身魂を分けて、夫れ夫れに目鼻を付けて、改心が出来た産ぶの身魂から、それぞれの事を為せねば成らんから、何が大望と申しても、身魂の立替立分が一番困難な、骨の折れる事であるぞよ。大望な世の立替の中で、立直しが在ると云ふ事も、筆先で先に知らして在るが、立直しの御用が逸く成りて、大変忙しく成るから、是までの様な事はして居れんぞよ。天地の物事が変るから是迄の心と行方を代んと、大本の中には辛ふて居れんやうに成るぞよ。身魂が研けんと此後は辛うて、辛抱を能うせん肉体が出来るぞよ。是迄の世は暗黒の世でありたのが、日の出の守護と成りて来るから、善と悪との立分けの、辛い大峠と成る時節が参りて来たので、世に出て居れた方の守護神は、大変何彼の事が辛くなると申して、知らしてあるぞよ。上の方は大変辛う成るし、人民は穏かになると申して在るが、何も彼も時節が迫りて来るから、出る筆先を先繰り見て置かんと、俄にトチ面目を振る事が出来いたすぞよ。 変生男子の霊魂がビクリとも致さずに、茲まで気は張弓で来て呉れた御蔭で、色々と申して訳は言はずと、ここまで堪ばりて来たのであるから、此大望な事を前に申して、人民に斯ういふ御用を為てくれいと申したとて、一人も仕てくれるものも無いなれど、出口直は因縁のある身魂で在るから、厭とも申さずに辛い御用、勤めて下さりた故に、此所へ成りて来たのであるぞよ。変生男子と変生女子との身魂に、外の身魂では出来ん事が為せて在るなれど、人民は実地の事をして見せて、筆先とキチリキチリと合ふて来んと、未だ今に十ぶんの事が判らんなれど、何彼の経綸が解る時節が参りて来て、身魂が揃ふて来たから、是からは仕組も判りて、御用いたすのが安全に出来だすぞよ。斯んな大望な事を、何も知らん今の人民に、いたして呉れと頼みたら、一人も相手に成りてくれる人民は、在りはせんぞよ。至仁至愛神様と地の先祖は、世の根本の事から末代先の事が、見え透いて在りての深い経綸で、世に出て居れる神にも、判らんやうな尊とい仕組であるぞよ。 茲までは立替の筆先を書して知らしたなれど、立替の中で立直しをいたさねば、成らんと云ふ事が、筆先で知らして在るが、立替済して置いて、後の立直しを緩々する様な事を為て居りたら、是だけ何も分らん暗黒の世の中の盲目聾と同じ人民で在るから、何程智慧が在りても、学力が在りても、智慧や学力で考へては解らん、今度の二度目の世の立替の仕組で在るから、今迄の世の悪の行方為て居れた守護神には、解らん仕組で在るぞよ。一層学力の勝貫た霊魂に、使はれて居る肉体でありたら、筆先が能く解るなれど、中途の学では解らんから、綾部の大本の元の役員は、普通では出来んから、大勢は要らんぞよ。人の心とは余程かはりた、産ぶの心に成りておらんと、斯んな大望なミロクの世に、世を捻ぢ直す世界の大本になる尊い所が、現今では外に無い粗末な事にいたして在るから、見当が取れんなれど、経綸がいたしてある事の、時節が参りて来るから、心の入れ替をいたして、身魂を磨いておりて下さりたら、天地の元の大神が、致すので在るから、量見の違ふ守護神ばかりで、思ふて居る事が、大間違に成るぞと、彼程に日々に筆先で、気が付けて在るから、眼の付け処が違はんやうに為て下されよ。今度の立替は、是迄に無い事であるから、筆先を見て神徳を取らんと、綾部の大本の誠の経綸は判らんぞよ。天地の御先祖の直き直きの御用いたす霊の、元の日本魂は、肝腎の艮の御用であるから、何の守護神にでも、出来るやうな御用で無いぞよ。是までの世の守護神は、悪の世でありたから、悪智慧斗りで、悪い事ばかりを致して、人が困りて難渋を致して居りても、元が悪の性来であるから、人を困らしても、自己さえ好けら好いで悪い事を為る程、上へ上りて出世が出来て、世界中が悪るうなる事ばかりを、外国の性来に移りて、日本の守護神と九分九厘の身魂が、悪い事ばかりを企みて、今の日本の体裁、全部真暗黒界であるから、何んな事を為て居りても、頭が自由に為られて居るから、頭の血統と引方、悪魔に成りて居る眷属とが、一つの心に凝固て、悪い事の為方第、艮の金神の誠の善一つの、経綸が判りかけると、悪の霊魂が善の肉体を道具に使ふて、未だ未だ此大本を悪く申して、出口を引裂に来ると申して、筆先に毎度知らして在るが、何事ありても大丈夫であるから、誠を貫きて、一つ心に成りて居りたら、何処から此大本へ詰かけて参りても、歯節は立んぞよ。我程の者は無きやうに思ふて、慢心をいたすと、悪の守護神に悩められて、悪が善に見えたり、此の結構な大本の誠の教が、逆様に悪の行方に見えて、大きな間違いが出来るぞよ。 是ほど難渋な事になりて居るのに、まだ悪の方の仕組は深ひ目的があるが、其目的は霊が利かんやうの時節が参りて居るから、何程これ迄に覇が利いた守護神でも、世が代りて善の世となるから、悪の守護神は往生いたすより、モウ仕様が無いぞよ。モウ悪では一足も前へ行く事も、後へ戻る事も出来んやうに、悪の世の輪止りとなるから。何を企みていたして見ても、皆外る斗りで、余り思ふやうに行んから、気抜けがして、昼狐を放出したやうになるぞよ。是まで悪を働いた守護神は、一旦は天地へ揃ふて御詫びをいたさんと、赦すといふ事が出来んから、縛られた如くで、我肉体が我の自由にならんやうになるから、我は利巧なものじゃと思ふばかりか、他人が阿房に見えたのが耻ずかしうなりて、ヂリヂリ悶えて困しむからと申して、筆先で知らして置いたが、何彼の事が近うなるぞよと申して知らしてある事は皆でて来るから、産の心に立復りて神心になると、何事がでて参りても安全に暮せるぞよ。 |
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大本神諭 | 神諭一覧 | 大正6年旧8月22日 | 大正六年旧八月二十二日 何彼の事が迫りて来て、お筆先で出して居る通りに何事も世界が成りて来るぞよ。従来の事は何も些とも用ゐられん様に成るのが世が変るのであるぞよ。信心を致しても、従来の精神では神徳は無いぞよ。何もお筆先に出すから、お筆出したら、大国常立尊の言葉の代りに、大出口直に書かせるのであるから、温順に致す守護神に使はれて居る肉体でありたら、何事も思ふやうに行くなれど、従来通り、自己一力で、自己の勝手に致さうと思ふても、何も思惑は立たんぞよ。世が変るのはその事であるぞよ。上流から下流まで、些少い取違でないと云ふ事が、何の筆先にも気がつけてあるぞよ。お筆先を読むばかりでは何も分りも致さんぞよ。あれ丈に同一事が未然に書いて知らしてありたら、これは何うであると考へて………。世に出て居れる方の学で出世をして居れる守護神は、いろはの勉強は、阿呆らしうて改心が出来ず、学では間に合はず、此転換期に大変辛い守護神が多数あるから、思ふて居る事が大間違であると申して未然に知らしてあるが、今に気の附く守護神が無いぞよ。直の初発は、親子三人は他人から見ると大発狂者でありたが、世界の事を、何も世の元から何んな事でも説いて聴かせる三千世界の大発狂者であるぞよ。世界の事が何も逆様に成りて了ふて居りた世を、本様に、昔の弥勒様の世にねじ直すのであるから、何につけても大事業なことであるなれど、世界の大本に成る所であるのに、未だこの村、綾部の町は何も解らんが、世界へ恥かしい事の無いやうに致されよ。遠国から解りて来るから、神は困らねど、世界へ面目ないやうに御筆先で気が附けて置くから、お筆戴いたら違はんぞよ。後の後悔は間に合はんぞよ。 旧九月に成ると世界は最う一つ激しう成るから、日本の国の仕組通りにして立て別て了ふから、従前のやうには行かんから、何事も月も日限も決まりて居るから、其用意を其所へ成る迄に致されよ。日本の規則は従来の様な放縦な事は致さんから、上へあがりて居りて、日本の国を自由に爰までは出来たなれど、爰までは夜の守護でありたから、眼を塞いで居りたなれど、時節参りて日之出の守護と成りて来たから、心で皆揃ふて用意を致さんと、世界中へ面目無い事が出来て来て、潜かに改心を致して、温順に致す方が結構であるぞよ。自己が致さうと思ふても、従来の霊が利かん様に成るが、世が変るのであるから、自己の守護神がこれ迄のやうに、一力では最う些とも行けんやうに成りたぞよ。上へあがりて爰まで日本の国を自由に致したら、これに不足はモー在るまい。根本の先祖は爰迄の苦労、口惜しい事、残念を十分耐りつめて来て、今に残念を耐り詰めて居るなれど、絶命に世が迫りて来て、一度に開く梅の花、御筆先通りの事に世界は成るぞよ。一度の改心は後へ戻るから、気を附けた上にも気が附けてあるから、向后は何時も三四月、八九月といふ事とお筆先に毎度出してあろうがな。何があらうとも最う知らせる事が無いから、末代に一度ほか無い、天地の岩戸が開けるといふやうな、二度目の世の立替であるから、天地の御恩といふ事が今度は分るぞよ。悪に反りて居る身魂が、徹底的一日の日の間に改心を致さんと、爰へ成る迄にすッくり改心致して、善一つの心に成りて居らんと、九月の月に成ると何も一度に成りて来て混雑と成るから、爰へ成る迄には、些と神の間に合ふ人民を造へて、神の御用の出来るやうにと、神は昼夜、暑さ寒さを厭ひなく、人民には見えも分りも致さねど、根本の活神はお筆先に書かしてあるが、お筆先通りがあれ程実地ても、眼前に為て見せんと、眼前に在りても身体が暑う成りて来んと、今の人民に守護して居る守護神が、苦労知らずの守護神ばかりであるから、他人の苦労が眼に附かんから、現今の行方は利己本位の行方であるから、何れ丈実際を書いて見せても、実地の事を申して聞かしても、心が反対であるから、是非なく、何れは厭な事が世界にはあるなれど、今度世の立替を致すには、世に出て居れる守護神に、お手伝いをさせる守護神が些とも無いとは、能うも爰まで曇らしたものであるぞよ。世に出て居れる方の守護神が、霊主体従へ立ちかへりて、日本丈が大和魂の性来が出来て来たら、埒良う立替が出来るなれど、体主霊従の性来に成り切りて居るから、日本の実地の根本の活神は骨が折れるぞよ。 大本へ来て居る人は、男も女も他人から見て、彼の人は違ふ人と言はれて、眼の着くやうの行状が出来んと、大本は世界の亀鑑の出る所であるから、何事を致して居りても、お筆先肚へよく入れて置かんと、人が出て来出すと、余程の神力を貰ふて居らんと、これから出て来る人は迅う解るから、これ迄の心の持方をさッぱり変へて、言葉の使用法を直さねば、従来の様なことでないぞよ。外国の方が早う解るといふ事もお筆先で知らしてあるぞよ。日本の国は大和魂と口では申して居るが、日本の国に大和魂の性来がありたら神もこれ程には思はねど、日本の国が余り酷い身魂に成りて居るので、直の取次は咽から血を吐かんばかりで苦みて御用を致して居るなれど、輔佐をさせる身魂が無いのであるぞよ。変性男子と変性女子との御役は、他の身魂に佐て貰ふことの出来ん辛い御役、各自に勤め上げて了はねば成らん辛い御用であるぞよ。変性男子の御役は誠一つを貫いて、嘘といふことは一言も申されず、つくらひ事といふ事も出来ず、依まれた事は致さんならず、誠の道は辛いぞよ。さるかはりに貫いたら亦と再びこの世に無い事であるから、綾部の大本の御用を致す人は、一と通りの身魂では、一寸の御用でも、他所の様なことには行かんから、男も女も余程の行が出来んと途中で変ることがあるから、抜刀の中に立ち居るやうの心で、何時に成りても気ゆるしの成らん気遣な世界の大本に成る尊い所であるぞよ。今では化たり化して、大望な御役がさしてあるから、此盲者聾者の世の中へ言ひ切ることは出来んなり、辛い所であるなれど、未然には大事の仕組は申されず、機織る人が何んな模様が出来て居るといふ事の解らん、仕組の言はれん所であるから、爰まで来るのが骨が折れたなれど、何彼の時節が参りて来て明けの烏と成りて来て、この先き日之出の守護に成りて来るから、大事のことも何も一度に開けて来るから、身魂を磨いて居らんと良い御用が出来んぞよ。解りて来たらそれぞれの御用の命令がさがるなれど、向后の行方は従来とは天地に変るぞよ。些とは天地の根本の先祖の初まりの心の思ひやうといふ事が無いと、此世の人民は万物の長と申して、人民を神の次ぎに造へて、神の容器に致してある尊い肉体が造へてあるのぢゃぞよ。今度の二度目の折には人民を使ふて神は人民を助ける也、人民は神の道具と成りて働く也。今度二度目の世の立替は、末代の世の事が決るのであるから、人民の精神を直すのが何より大事業であるぞよ。弥勒様は、余り善の深い、底の分らん御方、天から御守護遊ばしなさるなれど、何の様にでも成るやうに思ふて、表面から敬ふやうに見せて、肚の中は体主霊従で、肚の中に誠が無いから、地の先祖は力量があり過ぎて手に合はんと申して、皆の心が揃ふて、末代この世へは出さん所思で押込めて、これで楽ぢゃ、これからは好きなやうにして世を持つぢゃと申して、皆の心がよく揃ふて、一方も、それは可かんと気の附く神が無かりたとは偉い慢心を致したものであるぞよ………。上へあがりて大将附々に成りて、今に頑張りて居るのを旧九月一パイにはあらはして、三段に分けてある違ふて居る血筋を速やかにあらはすから、あらはせずに立替を致して徹底の改心を致せば、善へ立ちかへらして従ふ心に成りたら、この先きは結構に致してと、爰迄何うぞ何うぞと思ふて、直接の取次致して呉れる変性男子も女子も辛い目に逢はして居るぞよ。この上に聴き入れ無くばこの方も最う勘忍袋が切れるから、この上は何ういふ事が世界にはあらうとも、天地を怨むことはよもやあろまい。世界には人が二三分に成ることが初発から申してあるが、これ丈天地の元の先祖が色々と致して、何でもこの世、人民を善く致してと思ふ程、人民の心が悪るくなりて来るから、爰へ成る事が世の元からよく分りて居るのであるから、助けやうが無いから、成るべく従来の醜しき心を入れかへさして、身魂の洗濯と一同に洗濯を致して、成るべく不遇に致さんやうに、向后はお筆通りに上から致すから、上が致せば、血筋眷属が致さねば致すやうにして改心を致さすぞよ。今往生を致せば、すッくり名を露はせずと、世の立替を致して、大難を小難にまつり替へて、天之弥勒様へ御詫を致して、その悪るい霊魂の性来を、善の道へ立ちかへらしてと、今に何うぞ何うぞと思ふて居るなれど、最う大変迫りて来たから、向后に世界には何う云ふ事がありても、神、取次に不足をよもや言はれまい。 人民も守護神も従来のやうに自己一力では何も出来んぞよ。大本の御筆通りに何事も、天地の命令の降下らんことを勝手に致したら、向后は大変厳しう成るぞよ。自己が偉いと思ふて勝手に致したら初発は行けるなれど、九分九厘行くと、後戻を致さな成らんぞよ。従来のやうな放縦な行方はさッぱり変へて了ふから、心見ぬいた其上で、地の世界の先祖の大国常立尊から命令降下らんことには、他の命令では何も勝手には為られんやうに厳しう成るぞよ。従来の事は何も用ゐんやうに大変りが致して、日之出の守護と成りて来ると気づかひに成るぞよ。これまでは上が下へ成りて下の身魂が上へあがりて、身魂が上下に引ッくり返りて居るのを、天地が引ッくり返りて居ると申したのであるぞよ。 |
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大本神諭 | 神諭一覧 | 大正6年旧9月5日 | 大正六年旧九月五日 『日本は別として』王、天下は永うは続かんと云ふ事が、是迄の筆先に書いて知らして在ろうがな、何彼の時節が参りて、何事も一度に出て来るぞよ。善い事も悪い事も皆一度に現れて、外国には惨酷ことが頻々在ると申して知らした事が、実地に成りて来るぞよ。外国は余り精神が悪いから、良い事は一寸も出来んぞよ。天竺が彼の通りエライ見せしめに遇い、その次ぎが外国であると申て知らしてありたが、一つも違いは致さんぞよ。日本の国にも人気の悪い処には、在ると知らして在るぞよ。日本も余り外国の真似を致して、全部外国の性来に成りて了ふて居るので、上の守護神と人民に、一日も早く改心致せと申しても、改心致すやうな優しい守護神が無いから、モウ神は一切りに致すより仕様が無いぞよ。外国の性来は前後構はずに、行り放第の行り方で在るから、トンと行き当りた所で、何う仕様方法もない、無茶九茶の暗雲で在るぞよ。悪が強いと一寸先きが目が届かむぞよ。外国の守護神がエライ経綸は為て居るが、悪の世は九分九厘行った所で、世が無くなると申して、明治二十五年から茲まで知らした事の、実地の現はれる時節が来たから、此の先きで是までのやうに思ふて居ると、大間違いが出来るぞよ。大きな誤解や慢心致して居りた守護神が、キリキリ舞を致して苦しむ事が、先繰り出て来るから、其苦しむのを見るのが厭であるから、変性男子は辛い役であるぞよ。変性男子が一度申した事は、何時になりても皆出て来るから、神の申した言を反いて致したら、取返しの成らん心配が出来て来て、ヂリヂリ舞いを致さな成らんやうに成るぞよ。三千世界の大立替であるから、今迄の一切の事を、根本から変えて了ふので在るから、今迄の事申して、エラソウに覇張りて居ると、肝腎の神に見放されて、矢張り仏の方が結構じゃと申して、悪魔の容器にしられて、斯世の中の役に立たぬ、蛆虫に成りて了ふぞよ。慢心ほど恐いものは無いぞよ。今までは、心の中に何程悪が在りても、学さえありて上に立ちて居りたら、立派に人民からは見えたなれど、世の立替に就いて、昔の生神が現はれて、審神者を致すから、我と我手に身魂の性来が現はれて来て、耻かしうて世間へ顔出しが出来んやうに成るから、何時までもクドウ気を附けるなれど、根本から外国御魂に成り変りて居るから、神が可愛想でも助けやうが無いぞよ。奥山の紅葉の在る中にと思へども、それは心で取るが良いぞよと申して、今迄の筆先に書して在ろうがな。改心出来ねばモウ何事が在りても、神と出口を恨める所は無いぞよ。表面ばかり立派な事を申して居りても、心の中に塵埃ありては、神国の御用には使はむぞよ。悪神が守護致すと自分がエラウ見えて、誠の人が阿房に見えたり、悪魔により見えは致さんから、取返しの附かぬ大間違が出来るので在るぞよ。気の毒なものじゃぞよ。外国の悪の仕組は、九分九厘で世が無くなると申して、明治廿五年から続いて知らしたが、チトは耳へ這入る守護神が在りても、悪の方の味方が多いから、心の弱い守護神人民は、直ぐに悪魔に頭を押えられて腰を折るから、何時までも世の立替が後れるから、世界の難渋が日に増しに激しく成る斗りで在るぞよ。日本は神国、霊主肉従の尊い国であるから、チトは日本魂の研けた人民が在りさうなものなれど、今の日本の国は、上から下まで外国の魂に化けて了ふて、我れさえ良くば、元の根本を無いやうに致して、我が苦労も致さずに他の苦労で行ろうと為ても、末代の世は続きは致さんぞよ。天地の大神も良し、守護神も人民も良しといふ様に成らねば、誠の日本魂とは申さんぞよ。世に落ちて居りた元の神が、神国の世に立帰りて、善一つの世に致すので在るから、是までの心を全部入れ替を致して、心を持ち直せば、神国の世に成れば誠に結構であるぞよ。玉水の龍宮館へ、御上りに成りて御出ます、乙姫様の御心を、今度は皆揃ふて上へ上りて居れる守護神が、茲で速かに是までの心の入れ代が出来んと、誠に此先きで気の毒が出来るから、今が一か八かの処であるぞよ。上の守護神に気が附いて来たら、世界中が善く成るなり、上に気が附かな、此先きは世界中の大きな難渋と成るが、モウ此先は悪では世が立ては行かんぞよ。斯の暗黒の世に、何んな事を為て見せても、書いて見せても、言ひ聞しても、気の附く守護神人民が無いが、悪の仕組ではジリジリと身魂が減って了ふから、向ふの国の云ふやうに為て居りたなら、モウ遠からん内に、日本との大戦争に成りて来るが、日本の国も外国と同じ事になりて、屈強盛りの人民が無く成る斗り、金の費るのは程が知れんぞよ。段々人が減る斗りで、何程人民がありたとて、人民力では到底行きは致さんぞよ。上から下まで、余り大きな誤解を致して居るから、悪の頭の仕組はモウ一足も、日本の国の御地の上では出来ん仕組が、日本の国には今に知った事で無いぞよ。茲へ成りて来ることは、天の大神様と、地の先祖の大国常立尊とは、元から日本の国に、一輪の経綸が為てありたのじゃぞよ。日本の人民が、日本魂の本の性来に成りて来んと、向ふの国には科学で、エライ仕組を致して居るから、何方へ附て良いと云ふ事が解らんやうな人民が、沢山に出て来るぞよ………。大きな取違いを致して居りたと云ふ事が、日本の上の守護神や、下たの人民に解りて来るのは、何れは向ふの国から攻めて来るから、昔の世の本から、日本の国には、斯んな大望な経綸が為て在りた事が、何方の国にも解りて来て、世界の人民がアフンと致して、手も足も能う出さずに、途方に呉れる事が出来するぞよ。斯の状態で神が構はずに見て居りたら、何方の国も後へ引くと云ふ事は致さんから、此処へ為りて来るから、明治廿五年から筆先で、何彼の事が知らしてありた通りの、時節が廻りて来て居るのに、人民といふものは実地の正末が出て来んと、誠に致さんから、俄かにヂリヂリ舞な成らん事に成るのじゃぞよ。人民は少とも先の見えんもので在るから、常に何彼の心得を致して置んと、マサカの時に狼狽へるぞよ。信心は常に在るぞよ。日々神に縋りて、身魂を綺麗に研いて居る人民と、斯世に神は無きものと申して居る人民とは立分るから、夫れで常から信神を致せと申すので在るぞよ。俄信神は間に合はんぞよ。何彼の事が迫りて、色々と是だけ大本の内と、御屋敷には真正の御神様が、彼方此方に御守護があるのに、厭な事を目の前に為て見せて遣らんと、承知が行かん浅間敷もので在るから、俄かにヂリヂリ舞はな成らん事が出て来るぞよ。そう成りてから走り込んで来て、何卒助けて呉れと申しても、ソンナ事には掛りて居れんやうに忙しくなりて、何んところで無いぞよ………。龍宮の乙姫殿が御守護あり出たら、世界はモ一つ何彼の事が騒がしく成るぞよ。向ふの国には悪の経綸で、何処までも行り抜こうとの企みであるなれど、日本の国にも神が蔭から動かん仕組が致して在るから、何方の行り方で末代の世が続いて行くものじゃ、善の道で続くか、悪の道で続くか、善と悪との力比べの大戦であるから、勝ちた方の道で、此の先の末代の世を、持ちて行くやうに成るので在るぞよ。今の日本の上に立ちて居る守護神は、九分九厘までは外国の行り方を、結構なやうに思ふて居るが、今に大きな了見違いで在りたと申す事が判りて来て、頭を掻いてヂリヂリ悶えを致すぞよと申して、明治廿五年から変性男子の手で書して在りたが、一分一厘の違いも無いぞよ。旧九月五日の朝の間に、出口直が神に御礼拝を致して居りた折に、明日から乙姫殿の御守護になると申して知らしたが、猶ほ筆でも知らしてあるぞよ。今迄に申して在る通りに、何も成りて来るぞよ。九分九厘に成ると手の掌が覆りて、綾部の此村と、綾部の町を動かして遣ると申して在ろうがな。世界と一同に動かすと申して、筆先に出して在ろうがな、皆出て来るぞよ。大きな目醒しが天地から在るぞよ。世界の事は何も彼も、筆先通りに成りて来るぞよ。十分に知らして在るから、チトは遅く成る事も在るなれど、人民の改心さえ出来たなら、余りイヤな事の無いやうに、良い方へ立替て、夫れ夫れの御用の命令を下げて、良い霊を入れ替て与ると、皆が勇みて良い御用が出来るから、一日の日の間にでも手の平を覆して、良く為て興るなれど、外国の悪い性来が移りて居るから、日本の国の守護神が、矢張り外国に化りて了ふて居るから、今の心では霊魂にして、国替でもさして洗濯を致さねば、到底言い聞かした位で聞くやうな、優しい身魂が無いぞよ。世に出て居れる方の守護神が、気が附いて来たら、元は日本で湧いたので在るから、日本の中にをいて守護さして与りたいなれど、外国に化りて了ふて居るから、八九分の身魂を出直しに致さねば、斯処へ成りてからは、モウ日の間が無いから、早く日本の身魂に立帰れば、此の先きは大国常立尊の、斯世は自由であるから、善の心に立帰りたら、善の身魂に致して、此の先は良く致してやりて、上へ上りて、日本の国を茲までに外国の性来に為て了ふた、其悪の名を表はさずに許して与るぞよ。 是からは善一つの、天と地との御先祖様の教に立代えて、悪と云ふやうな見苦しい、イヤな血統は無い様に致して、昔の御先祖様の御血統の生粋の世に、日本の国を致しておいて、今度の二度目の世の立替を致さねば、斯世はこの儘では立ちて行かんから、此大本の変性男子と変性女子との人民には、見当の取れん御用が、神の経綸でさして在るから、何程人民が智慧、学で考えても、解りは致さんぞよ。是が人民に解りたら、三千年余りての大望な経綸が、成就いたさんから、一輪の仕組は今の今まで申さんぞよ。三段に分けて在る霊魂を、目鼻を付けねば成らんなり、何の様にも目鼻が一寸には附かんから、血筋が混ぜこぜの無茶苦茶に成りて了ふて、是迄の筆先に、大略は判りて居りても、肝腎の事が未だ出して無いから、是が中々大望と申すので在るぞよ。大望と口で申しても本真に致さんぞよ。大事の性念場と成りて、動きの取れん事に成らんと気が附かんが、其所で気が附いても世間並で、何にも仕様が無いから、因縁ある身魂をこの大本へ、神が綱を掛けて引き寄して、知らして居れど、余り慢心がヒドイので、改心の出来る身魂が何程も無いから、物事が遅れて神の迷惑どころか、世界の何も知らぬ人民が、永う苦しむのが可愛想で、神が目を明けて見て居れんから、大本へ立寄る人は、因縁の深い身魂斗りであるから、大本の中から一番に、改心いたして下されよ。 日本の国には神から大望な仕組が為て在る、向ふの国も大きな仕組を致して居るが、戦争と天災とが初りたら、人民が三分に減ると、初発の筆先に書いてあるなれど、茲に成ると世界に残る人民が、二分位より無いぞよ。日本の国には誠の者が二分残る仕組で在れど、向ふの国はまだ約らん仕組をダラダラと致して、キマリの無い行り方で、行ける所まで行く、後前構はずで、何時まで掛りても頓着は致さず、自分の代に奪略な子の代に奪る、子の代に奪れな孫の代に取ると云ふ、気長な仕組を仕て居るから、日本の人民は男子は当然なり、女子も小供も、霊主肉従の日本魂の性来に成りて了はねば、今の如うなハイカラの心は、外国の身魂に成り限て居るから………、外国の仕組は先の約らん、行ける所まで行きて、行けんやうに成りた所に、モ一つと云ふ経綸がして無いから、外国の云ふやうに、今日本の守護神人民が致して居りたら、世界の身魂がヂリヂリ減りに無くなりて、元の泥海に成るぞよ。是ほど天地の神が茲まで苦労艱難、悔しき事を耐り約めて来た事が、水の泡には出来んから、成可は人民を減らさんやうに致したいと思ふて、変生男子の身魂が、余り苦労致して来たから、人の苦労が身に泌みて、心が沈みて、門へ出るのも厭がりて居るが………、是迄の人民の心では、如何しても何方の国も人が減る、一度の改心は人が減るから、是までの心を入れ替て、新つの世に致すので在るから、どうぞ一時も早く改心を致して下されよ。 |
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大本神諭 | 神諭一覧 | 大正6年旧9月30日 | 大正六年旧九月三十日 天の御先祖様が天御中主大神であるぞよ。全智全能神様であるぞよ。地の世界では天体之精、大霊魂球之主、一出現世と現はれて、隠れて守護致しなされたのを、世界の人民は何も知らずに、禅宗のダルマと混ぜ交ぜに致して、弄びにまで化りて、世に落されて御出遊ばした結構な神様を、今度世に表はして御神徳を拡めるのが、変性男子の御役であるぞよ。 形体具足成就、霊能完美、成付言霊の大神様は、弥勒菩薩と仏事に化りて御出遊ばしたなり、日の大神様は光明如来と化りて、仏事に落ちてお出遊ばしたのを、今度の世の立替で全部現はれて、御神力を御見せ成さる時節が循りて来たぞよ。天照皇大神宮殿も表面は神道で立て、奥の院は矢張り仏事が祭りて在りたぞよ。大国常立尊は余り力が強すぎたので、斯んな猛烈き神を斯世の大将に仕て貰ふたら、外の神は一柱も能う勤めむと、神々の心が一致して、天のミロクの大神様へ御願い在りたゆへ、夫れなれば一柱と多神とは代えられんと仰せありて、艮へ押込よとの御命令が下り、八百万の神に艮へ追退られて、艮能金神と名を付けられ、独神と成りて、日の本の大神が仏事の守護致して、茲までは来たなれど、何彼の時節が廻りて来て、仏事の世の終が末法の世と申して、未だ万年も続くので在りたのを、世を縮めて、艮の金神の世と致して、結構な神代に捻ぢ直すので在るぞよ。艮の金神は永らく世に押込られて、苦労艱難悔し残念を堪り詰て来た報で、太初からの経綸通りの世が循りて来たから、霊主体従の経綸通りになりて、善と悪との立別けを致す世に成りたから、悪の身魂は隠しても隠されず、我と我身に露はれて来るのが、天地の冥加に尽たので在るぞよ。天地の先祖の苦労で創造た斯世界を、悪魔と四ツ足との自由自在に致したが、茲まで斯世を持荒したら本望で在ろう。天地の先祖が悪の身魂を露はせずに、赦して遣りても、筆先には書いて置んと、斯んな事に成りて居るのに、知らずに居りたかと云はれては、天地の先祖も、元の御血筋も、威徳に傷が付くから、是非なく書残すぞよ。今迄で斯世を悪で搦て来た八頭、八尾の経綸も茲までの事より出来んぞよ。九分九厘で体主霊従の守護の輪止りと成りて○○○、この先は霊主体従の経綸の設備は致してあるぞよ。今迄善の方の御血統は、暗黒の世に成りて了ふて居りた世が、日の出の守護と成りて来たから、今度の二度目の世の立替を致すには、太元を拵らえた覚えの在る霊魂で無いと出来んぞよ。元のミロク様の世へ戻したら、悪の血筋は現世には無い様に、善一ツで世を立て行かねば、悪の性来が微塵程でも混りたら、斯世は立ては行かんぞよ。斯う成る事が世の元から能く判りて居るから、元から仕組が為てありた世が廻りて来たのであるから、国常立尊が奈袁の手で書きおくぞよ。口で申した丈では取遺しが在てはならんから、書しておくぞよ。世の立替を致したら末代の事が定りて、巌に松の世に成りて、天地の先祖が神界から世を構うから、中々激しき世と成るぞよ。斯世に判りた身魂が無いので、変性男子も変性女子も、中々骨の折れる事であるぞよ。今の人民は表面から見た丈により何事も見えんから、余り世に落して、結構な御用が命して在るから、筆先に書してある事が、世界から出て来ねば、誰も本真に致さんから、改心が出来いで、暇が要るのであるぞよ。天地の元の一輪の御血統の御手伝をなさる守護神を、三段に分けてあるから、三段の身魂に夫れ夫れの目鼻を附けねば世は治まらぬから、何に付ても大望斗りで在るぞよ。事の分らん強い斗りでは、世は治まらぬぞよ。斯世を持ちて行くのは、何の身魂でもと云ふ事には行かぬ、末代の事の判りて居る霊魂が、斯世を持ちて行かねば、世は途中に乱れて了ふて、往も還りも成らん事になると云ふ事が、筆先で知して在ろうがな。日本の国に経綸が為て無りたら、此先は世に出て居れる方の守護神には、末代の世を持ちて行く神は無いぞよ。有るなら申して出て下されよ。末代の規則を制定場所は、綾部の大本と末代きまりたので在るぞよ。天のミロクの大神様と、地の国常立尊が天地の王で、末代の規則を制定ぞよ。今迄は変化たり化したり致して、茲までの御用を命たが、世に出て居れる守護神人民に解らん事で在るから、暇が要るなれど、明治廿五年から書しておいた事は、皆出て来て居るぞよ。昔から無い事であると申して在ろうがな。無い事が皆出て来るから、筆先で先に知らして在るのじゃぞよ。元のミロク様の世の間は、誠に善き世で在りたなれど、呉て行くに従ひ、元の御血筋の行方では、辛うて能う堪らん神が出来て、終には多勢の神の自由に致して来たのであるぞよ………。斯世一切の事を致すには、何の身魂も拵えて置ねば成らんから、上の霊魂と下の霊魂と中の霊魂と、三段に立別けて在りたのが、暮て行く世に連れて、下の霊魂にエライ間違が出来て、上の霊魂を押込る如うに成り、上が下に、下が上に、大の字逆様の大きな間違が出来て来る事が、能く見えて居りたから、○に十を書して、白い所を二分、八分は真黒に致して、明治廿五年の初発に知らしてある通りに、世界が成りて居るぞよ。何事も物事が皆逆様に覆りて居る斯世を、本へ捻ぢ直さねば成らぬから、何に付ても大望ばかりで在るぞよ。日本の身魂が外国の身魂に化り切て了ふて居るから、皆四ツ足の精神であるぞよ。外国の四ツ足の頭が日本へ渡りて来て、外国よりも勝りて悪き行方に致して、今の体裁、日本の国の○○○自由に致して、畜生の毛を衣て、足には皮を履して、田舎へ連れ参りて…………昔には…………夫婦を○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○、御簾を揚げ○○○○○○○○○○○申た位で在りたのに、今の体裁、外国人に化されて、能うも茲までに汚されたものじゃ。悪の頭に自由自在に為られて、天地の大神様へ何う申訳が出来るか、申訳が出来る守護神が一方でも有るの乎。天地の畏で盲聾ばかりで在うがな。何も今に判ろまいがな。判らんのは外国の性来に化り切て居るから…………。日本の国の倭魂で在りたなら、天地の先祖が書して在る筆先が判りて、天地の御恩が判らん成らんぞよ。日本の人民が外国よりも下の身魂に化りて、余り惨い事であるから、顕はす事も出来ず、天地の大神を茲までに能くも致した。悪の頭に抱込れて、洋○○○○○○○○、そこら辺りをウロウロと○○共出て歩く所まで、四ツ足に自由に為られるのが、元の四ツ足の性来を露はせられて居るのが未だ判らんか。余りの事で末代遺す、世の本からの履歴を書き遺してあるぞよ。天地の先祖が此先の、末代の世を持て行ねば成らん、時節が廻りて来たぞよ。鬼でも蛇でも悪魔でも、時節には叶はんから、従ふ処へは従ふて行けば嬉しい事になりて、何とした結構な事に成りたと申して、上から下まで歓びて、善一つの道で、嬉し嬉しの生花が開くぞよ。今が大峠となる所で在るから、皆が辛いなれど、日本の人民に判りて来て、元の日本魂に成て来たら、元のミロク様の世と成て、人民の寿命も長くなり、神は烈敷なるなれど、人民は穏かに暮す如うに成るぞよ。人民が歓こべば上の大神の御歓こびと成るぞよ。是迄は上ばかりが得意時代で、下人民はヒシと行けなんだが、余り斯世に大きな運否運が在りて、好き者は好い斗り、貧窮者は不運斗りで、何時に成りても頭が上らず、可愛相で神が見て居れんぞよ。上の人民が贅沢なから、下までが見習ふて又贅沢を致すが、何時までも斯んな行方では続かんぞよ。天地の先祖の構ふ世に成れば、今迄の様な贅沢な行方を、根本から変えさせねば、此儘で行り放題にさして置たら、上も下も総潰れと成りて、斯世は立ん事に成るぞよ。是までの世の持方は、後前構はん利己主義の行方で在るから、強いもの勝で、弱い者は路頭に立ちたぞよ。上斗り宜くても下が立ねば、この世は治まらんから、上下揃ふて勇む神代に立替致して、天の御先祖様に御渡し申すぞよ。何程上を大事に思ふても、下が立て行ねば、上も何と無く淋[*ルビ「さぶ」は底本通り]しく成るぞよ。上に立つ神に何程力が在たとて、附々の一の眷属、二の眷属に豪神が無い事には、上は立ては行んぞよ。眷属の神が善く無りたら上の神も立んぞよ。初発のミロク様でも、彼れ位に御神力が在りても、地の先祖に何程神力が在ても、時節には何も叶はんぞよ。一の眷属二の眷属に謀反が在たら、何程大将が独り気張ても世は立んぞよ。是迄の世は附々にエライ謀反が在た故に、今の上の体裁、九分九厘で何彼の事が露はれて来て、善と悪との立替で、上る身魂と下る身魂とで、世界は大混雑に成るぞよ。悪の頭の仕組では悪る力は何程でも出るなれど、善の神の世に時節が成るので在から、悪の世の終の悪る力では、世は治まらんから、時節には叶はんから、素直に改心致すが宜いぞよ。素直な身魂から引立て、身魂相応の事を命して遣るから、其日から心が楽になりて、嬉し嬉しで暮る如うに成るなれど、何程気を注けて遣りても、我は豪いと慢心を為て居ると、皆が愛想を尽して了ふて、浪に取れた沖の船、何処へ取付く嶋も無く成ぞよ。 |
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大本神諭 | 神諭一覧 | 大正7年旧1月12日 | 大正七年旧正月十二日 至仁至愛神の御出ましに成る時節が参りたぞよ。天ではミロク様なり、地の世界は大国常立尊が守護ねば、立ちては行かぬ斯世であるぞよ。根本の天の御先祖様を、口で崇めて心の中では、斯世に無ても良いと云ふやうに成りて了ふて居りた故に、地の先祖を押込ねばならぬやうに成りたのであるぞよ。地の先祖の大国常立尊は、神力が有り過ぎて邪神の手には合んから、邪神の精神が皆一致して瑞霊大神への御願を致して、此方を艮へ押込みて、サア是で安心じゃと申して、皆の悪神が喜こびて、斯世を自由に致して茲までに乱したのであるぞよ。筆先に書いては速いやうなれど、永い間の事実であるぞよ。概略の事は初発に書して在るなれど、一度には書けんから、間々に細々の事を書かせると申して知らし在りたぞよ。ドノ筆先も同じことじゃと申して、可い加減な見様をして居ると、実地の筆先通りが来た折には、余りに思ふて居りた事が大きな取違いで、ヂリヂリ舞を致さな成らん事が出て来るから、念に念を押して執念深く知らして在るのじゃぞよ。未だ筆先の読み様が足らん人勝ちであるぞよ。思ふて居るとは大間違いであるから、夫れで筆先を充分に繰返して、読て下されと申して気が附けてあるのじゃぞよ。悪の頭が余り大きな取違いを致して居りたから、世界中の大きな難渋であるぞよ。今からの改心は出来もせず、間にも合はんぞよ。筆先の実地が出て来だしたら、続いて世界が一度に破乱けて、余りの事で鬼でも蛇でも極悪神でも叶はん、往生いたさな成らん事に成るぞよ。悪神に今の中に此の次第が判りて来て、善道へ立帰りたら豪いなれど、向ふの国の守護神の仕組は、ダラダラと何時まで掛りても頓着は致さん、気の永い仕組を致して居るから、今度は大分慮見の違ふ守護神が出来るなれど、日本の経綸は迅速な経綸が致して在るから、何程向ふの極悪神でも、日本の世の元からの仕組を始めたら兎ても叶はんぞよ。余り見損いが大きなから、大間違いが出来てきて見当が取れず、何うしたら良かろうかと途方に暮て、降参も出来ず、茲に成りてからドレ丈の御詫を申して来ても、世界の大峠となりたら、そんな事には掛りては居れんから、今の内に聞いて改心を致して、身魂を研いて居らんと、今度は彼我の国も国が無くなるか、一つ二つの大峠であるぞよ。是からは国が無くなる乎、泥海になる乎の境目であるから、○○の身魂が水晶になりたら、末代の世が立ちて行くなり、今の儘で今の心で在りたなら、向ふの国の悪神の頭が、モ一つ悪を強く致して、日本の国を奪略のは最容易ことに思ふて居るぞよ。日本の国は小さいから、人民も尠いのは当然であれども、霊主体従国には誰も能う為ん秘密の経綸が、神界から致してあるから、往生を致させて、万古末代刃向ひは出来んやうに致すぞよ。今向ふの国の悪の頭は、日本の国を下たに見降して居るから、九分九厘と一厘とで斯世が泥海に成る所を、一厘の秘密で跡は水晶の身魂斗りに致して、末代の世を続かす経綸が致してあるから、悪の方の身魂では、日本の神国の経綸は見当は取れんぞよ。悪の開けるのは速いなれど、善と云ふ御道を開くのは、中々一通りの事を為て居りては開けんぞよ。ドンナ行も斯世一切の事は何を問はれても、是一色知らんといふ事は無いやうに行を致さねば、これだけは知らんと云ふ様な事では善の御道は開けんぞよ。善の道を開くのは陽気心が一寸でも有るやうな事をして居りたら、坂に車を廻す如くであるぞよ。是までに苦労を致した事が、直ぐに後へ戻りて仕直し斗りで、誠の事は出来は致さんぞよ。善と悪との行り方は天地の大違いであるから、夜の眼も気楽に寝る事もならん、辛い行り方であるぞよ。善と悪との立分けで世界が動くぞよと申して、筆先で毎度知らしてあるなれど、人民と申すものは何事も実地をして見せんと、ソレソレと申して知らしても、人民では神の心が汲取れんから、思ふ事が逆様ばかりで、六ケ敷いのであるぞよ。今の守護神が余り粗末な身魂であるから、実地の生神の気に入りさうな事が無いのは当然、解りさうな事が無いから、素直に致すが一等であるぞよ。 この曇り切りた世の中へ、実地の世の本の大神が其儘の姿を顕はして、言ひ聞かしたとて、恐いばかりで、傍へも寄付く事が出来んから、何れは矢張り天地の大神と申して居りても、悪神に相違ないと未だ申すのは当り前であるぞよ。人民にそんな事が判る筈が無いのが道理、一旦帰幽にさして、霊魂斗りに致して、新つの世に致さねば、言い聞して聞くやうな身魂は、向ふの国にはチットも有りはせんから、初発から違ふた事は今に一つも無いぞよ。違いは致さんぞよ。其霊魂に日本の国の霊魂が憑りて、向ふの国を良いと思ふて居るのが、何に付けても大間違いであるぞよ。何から何まで向ふの国の為る事が、良いと思ふて居る事が、真の元の大神から見ると、眼を明けて見る事の出来んほど、見苦しき有様であるぞよ。 天地の違いと云ふ事は譬に申すなれど、譬よりは一層ヒドイ大間違の行り方で、たとゑにも成らん如うな取違いを致して居るから、世界には斯様な難渋な事が出来て来るのであるぞよ。実地の大本を無いものに致して居るのが、何うしても今度は言訳は出来よまい。この先は一日ましに何事も、世の本からの事柄や所作柄が、別に此方から顕はせずに堪忍て遣ろうと思ふ程、我の為る事を我の口からざんげを晒して各自に、神からは何も問はいでも、我の口から吐き出して了ふて、斯世で大きな取違いをして居りたと云ふ事が、発根と天地から判りて来て、抜き差しの出来ん事になるぞよ。是迄の世は真暗黒の世でありたから、何も分らん向ふの守護神が、コンナ良い世が有るものかと申して、何も知らずに慢心を致して、日本へ来られなんだ悪の守護神やら、四ツ足の守護神ばかりが、好き寸法の行り方を致して、日本の国を畜生の国にして了ふた、その暗がりの中に出来た盲目や、聾ばかりの世に成りて、世界中が何う仕様も無い事に成るから……………。爰へ成りて来た折には、天地から斯んな身魂では斯世に居れん事が出来てくるから、是までの心を持替て身魂を研いて居らんと、世界一度に難渋な事になるから、二十七年の間引続いて知らして居るなれど、まだそんな事があるものかと、足元へ火が燃えて来て居るのに、悪度胸を据えて、世界が潰れたら皆な並であると申して、平気で今に居る如うな守護神に使はれて居る人民が、ドウ仕様も無い事が何れは出て来るから、素直に申す事を聞いて居る守護神に使はれて居る肉体は、ドエライ難渋は致すまいなれど、余り良い気で居る肉体は、思ひが違ふ事になりて来るぞよ。 是からは霊魂の善悪が全部別るから、明治二十五年から申してある事の時節が参りて来たから、何所から何事が始まるやら知れんぞよと申してあるやうに、何彼のことが世界中の大困難で、昔から末代に一度ほか無い、大望な二度目の世の立替であるから、人民の思ふよりも大望であるから、始まると何う仕様も無い事が出来て、何処へ迯げて行うにも行く処の無い様になるから……………。日本の人民が向ふの国の性来になりて居るから、平気で、今に成っても判らん守護神に使はれて居るやうな肉体は、日本に事がありたら外国へ迯げて行く位に思ふて、国の事ども何んとも思はずに、気楽に思ふて居るで在ろうがな。外国は夫れまでにまだまだ激い事があるから、何処へも迯げて行く所は無いぞよ。我では行けん時節が廻りて来たから、素直に致さうより仕方はないぞよ。此先は頑張るほど微躯りとも成らんやうになるぞよ。我を出して縮尻た地の先祖が、爰までに善一つを立貫きて、今度の二度目の世の立替を首尾能く致した其上では、世界中の生あるものは皆良くして遣りたいと思ふて、永らくの間悔し残念を堪忍たなれど、外国は余り非道い悪の頭と眷属とが、善といふ事の道の判らん極悪であるから、埒良く致さねば成らんから、一旦は未だ天地の大神は矢張り悪神であると、皆の者が申すなれど、実地の善の身魂は、斯世の変り目には極悪のやうに見えるぞよ。細工は流々、仕上げた所を見て貰はんと、人民からは出来もせず、解る事でも無い。一厘の秘密で三千世界を水晶に立替、立直すのであるぞよ。用意を成されよ。足元から鳥が立つぞよ。時節が近よりたぞよ。 三千世界一度に開く梅の花、艮の根神の守護の世になりたぞよと、明治二十五年から出口直の手を借り、口を借りて知らした事の、実地が現はれる時節が近寄りて来たぞよ。今迄の世は悪神の覇張る世で、何事も好き寸法、利己主義の行り方で、此世を乱して来たが、モウ是からは昔の元の生神が世に現はれて、三千世界を守護やうに時節が参りたから、思ひの違ふ守護神、人民が大多数に出来て来るぞよ。今度の二度目の世の立替へ、天の磐戸開きは、悪の身魂が毛筋の横巾でも混りてありたら成就いたさぬ大望な、末代に一度より為られん神界の経綸であるから、茲まで悪神の覇張た暗黒の世を、生粋の水晶の如うな明らかな、何時までも変らぬ神世に致さねば成らぬから、神も中々骨の折れる事で在るぞよ。 昔のミロク様の純粋の、何時になりても変らぬ其儘の秘密の経綸の凝結で、末代動かん巌に松の仕組、何神にも解らぬ様に為てある善一つの誠の道であるから、途中に精神の変るやうな身魂では出来も致さず、判りも為ぬぞよ。此の世の元を創造て、世界中の一切の事、何一つ知らんといふ事の無い身魂でないと、今度の二度目の世の立替は、世界を創建るよりも何程骨が折れるか知れんぞよ。限り無しの潰ぶされぬ末代の経綸、世の立替、立直しといふことは、爰まで悪神が覇張りて、モ一とつ日本の国を奸賢しこう人民をいたして、未だ未だ悪神の力を強して、善の神の道は立てさせぬ如うに、悪神の体主霊従主義で貫く仕組を致して居るから、日本の人民は余程魂を研いて、日本魂を元へ戻して光を出して置かねば、万古末代日本は外国の自由に為られて了ふぞよ。 昔から露国へ上りて居りた悪神の頭目が、モ一つ向うの国(独逸)へ渡りて、人民の頭を自由自在に、我れの思惑どほりに悪を働き、世界中の大困難を構はず、何処までも暴れて暴れて暴れまわして世界を苦しめ、又た露国を自由に致して我れの手下たに附けて、今に日本へ攻めて来る経綸を致して居るが、そんな事に微躯つく如うな日本の守護神、人民でありたら日本は到底続きは致さんぞよ。是から神が蔭から手伝ふて、日本の軍隊に神力を附て与るから、今度は大丈夫であれども、向ふの国同士が戦争は到底叶はんと申して、可い加減な事で仲直りを致して、一腹に成って今度は日本へ押詰て来るから、日本の守護神も人民も腹帯を占て掛らな、万古末代取返しの出来ん事になるぞよと申して、明治二十五年から出口直の手を籍り口を籍りて知らして置いた事の実地が迫りて来たぞよ。外国は悪が強いから、ドコ迄も執念深う目的の立つ迄行り通うすなれど、九分九厘と云ふ処まで来た折に、三千年の神が経綸の[*「三千年の神が経綸の」は底本通り]奥の手を出して、外国を往生いたさすので在るから、日本は大丈夫であれども、罪穢の深い処には罪穢の借銭済しが在るから今の中に改心をいたさんと、日本にも酷しき徴罸が天地から在るぞよ。 霊主体従主義の行り方で末代の世が立つか、体主霊従の施政方針で世が末代続く乎、今度は善と悪との力量比べであるから、勝ちた方へ末代従ふて来ねばならんぞよ。それで神界は茲まで煉りに煉りたので在るぞよ。 この先は善一つの誠の道を立貫かねば、斯世に安住て貰えんやうに酷しく成るから、爰まで永らく言ひ聞かしたので在るぞよ。善と悪との境界の大峠であるから、爰まで十分に煉らねば悪の性来には聞けんから、今の今まで煉りたのであるが、チットは腹へ浸み切りて居る身魂が在るであらう。爰までに言い聞かしても判らん如うな身魂は体能く覚悟をいたさんと、是迄のやうな心で居りたなら又た天地を汚して了ふから、善へ心底から従ふ身魂で無いと、今迄の如うな心の人民が在りたら総損害になりて、モ一つ遅れるから、艮の金神も助けて遣る事も出来ず、天の御三体の大神様へ申訳の無いやうな事に成りて来るから、止を得ず気の毒でもモウ経綸どほりに致すぞよ。世の立替が段々と近寄りたから、是までの如うな事には行かんから、一か八と云ふ事を向ふの国の悪の頭に書いて見せて置くが良いぞよ。今の日本の番頭のフナフナ腰では兎ても恐がりて、コンナ事を書いて見せて遣るだけの度胸は在りは致すまいなれど、神の申すやうに致したら間違いは無いぞよ。一の番頭の守護神が改心が出来たら肉体に胴が据はるなれど、到底六ケ敷いから、今に番頭を取り替て了ふぞよ。モウ悪の頭の年の明きであるから、悪い頭から取払ひに致すぞよ。何事も時節が一度に参りて来て、世界中の困難が到来すると云ふ事が毎度申して知らした事が実地になりて、一度に開く梅の花、追々分らなんだ事が明白に判りて来て、キリキリ舞をいたさな成らん、夜の目も眠られん如うな事に成ると申して置いたが、一度筆先に出した事は皆出て来るぞよ。能く念を押して置くぞよ。念に念を押して、クドイと云はれても復た念を押して在るから、モウ是からは神界の事情も能く解る様に一度に成りて来るから、誠で無いと此先は誠一つの善の道が拵えて在るから、一日も早く善の道へ立復りて日本魂に捻ぢ直して下されよ。悪の世は齢が短いから、体主霊従の身魂が大変困しむ事が出来るから、明治二十五年から怒られる程申して在りたぞよ。日本の人民は男も女も腹帯を確り〆て掛らんと、一旦は堪れん如うな混雑になるぞよ。 明治二十五年から九度いと申して怒られもって、今に立替の神諭を書して居るぞよ。何時までも同じ事に間々に細々能く判る様に抜目の無い様、落度の無い様に知らしたなれど、ソンナ事が在るものかと申して、今に疑ふて居る人民斗り、実地が出て来て青白い顔をして腰が抜けて足も立たず、腮が外れて足が上に成り頭が下たに成りて、ソコラ中をヌタクラナ成らん事が出て来るぞよと知らして在るが、モウ近うなりて来たぞよ。悪の昇るのは迅いなれど降るのも又速いぞよ。善の分るのは手間が要るなれど、善の道の開けたのは万古末代の栄えであるから、爰まで悪る開けに開けた世界を根本から革正いたして、今後は体主霊従主義と云ふ様な醜るしき世は無い如うに致すので在るから、是ほど大望な事は末代に一度ほか為られんのであるから、神も中々骨が折れるぞよ。是ほど世界中が曇り切りて居る世の中を、世界中を水晶に致すのであるから、骨が折れるのも当然であるぞよ。斯の極悪の世を立替て了ふて、末代口舌の無い如うに大神様の御血筋一つの世に立直しをいたさねば世界の苦舌が絶えんから、人民の心が悪るなる斗り、何時になりても国の奪り合ひ斗りで治まりは致さんぞよ。 日本の国は本が霊主体従であるから、外国の霊魂は来る事の成らん様に立別けて在りたので、誠に穏かに在りたなれど、世が逆様に覆りて今日本の状態であるぞよ。薩張り上下たへ世が覆りて了ふて、日本の神国を四ツ足が渡りて来て、上から下までの醜るしさと云ふものは、天地の誠の神からは眼を明けて見る事が出来んぞよ。斯世を結構と申して大きな取違いを為て居りて、良いと云ふ事も悪いと云ふ事も、可非の判らん見苦しき四ツ足が上へ上りて大将なぞとは凄まじき事なれど、斯う言ふ世が一旦は出て来ると申す事は、地球を創造る折から良く判りて居るので、日本の国には外の身魂では能う為もせず、解りも致さんぞよ。一輪の火水(言霊)の経綸がいたして在りて先が見え透いて居るから、爰までに辛い事も堪り詰て来られたので在るぞよ。今度の二度目の世の建替は、智恵でも学でも機械でも、世界中の大戦いには手柄は出来んぞよ。何程悪の頭でも到底是からの世は今迄の行方では行かぬと云ふ事に気が附いて、綾部の大元へ今の内に願いに来る守護神でありたら、善一つの道へ乗替へさして末代の世を構はして、毛筋の横巾も悪の性来の混りの無い結構な神代に助けて遣るから、早く改心なされよ。何程我を張りて見ても時節には叶はんぞよ。 善一筋の純粋の元の御血筋で、末代の世を立て行く結構な仕組の解る世が参りて来たから、爰までに知らしても、未だ今に成って凝ふて居る守護神や人民斗りで、可憐なものなれど、モウ神からは人民に知らせ様が無いから、何時までも邪魔を致す極悪の頭から平げると云ふ事を、永らく筆先で知らして在る通りに時節が迫りて来るぞよ。余り何時までも高上りを為て居ると、時分の過ぎた色花の萎れる如く、今日の間にも手の掌が覆るぞよ。今の中に発根からの改心が一等であるぞよ。疑ふて居りて何事が出来しても神はモウ知らんぞよ。 悪の霊を曳抜いて元の日本魂の霊と入替て遣ると申して、爰までに知らして在るなれど、余り向ふの霊魂が悪る渋とうて手に合はんから○○○○○。日本の霊魂が向ふの悪るシブトイ性来に成切りて居るから、言ひ聞かした位に聞く如うな優しい身魂は在りはせんぞよ。今の日本の人民は外国の行り方が良く見えるのであるから、何程言い聞しても聞きはせぬぞよ。困ったものであるぞよ。外国ほど良い国は無いと心に錠を降して了ふて居るから、何程実地の事を言ひ聞しても逆様斗りに取るから、助けて遣り様が無いぞよ。是でもモチト先に成りたら大きな取違いを致して居りたと云ふ事が、上へ上がりて覇の利いて居りた人民に自然的に判りて来るぞよ。今迄の様に、自分好しの目的はトントン拍子には行かぬ如うになるぞよ。 日本の人民確り致さんと今に大変な事になりて来るから、吾妻の国も危ないと申して彼方此方へと狼狽まはして、行く処に迷ふぞよ。○○を守護いたす安全な処は綾部の大本より外には無いぞよ。綾部は三千年余りて昔からの神の経綸の致して在る結構な所であるから、大本の教を聞いて居る人民は余程シッカリいたして居らんと、油断が在りたら肝腎の経綸を他国から取りに来るぞよ。何程奪ろうと致しても神が奪しは致さんなれど、物事が遅れるだけ世界の困難が永びくから、十分に覚悟をいたして正勝の時の御用を勤めて下されよ。三千世界の鏡の出る大本であるぞよ。『○○の鎮まる○○は大和にしようか、尾張にしようか、一層信州が良かろうか、但しは備前か常陸かと、上の番頭も守護神も人民も、トチメンボウを振るぞよ。何程あせりても艮を刺すのは綾部であるぞよ』今の人民は神がいつまで言ふて聞かしても、人を威す位にほか能う取らんから、一度にバタツイても間に合はんぞよ。俄かの信心は役に立たぬから、常から神信いたせと申して知らして在るぞよ。世界に恐い事が出て来だしたと申して迯げ込で来ても、大峠の真最中に成りたなら、何程力量の在る神でもソンナ事には掛りては居れんやうに忙しく成るから、常に信心を致せと申して爰までに気が付けてあるぞよ。善の行り方と悪の行り方とを、末代書いて遺す綾部の大本であるから、変性男子の身魂の出口直が書いた筆先を、坤の金神が変性女子と現はれて説いて聞して、守護神、人民に改心を致さす御役であるから、世界の人民よ、筆先の事が聞たくば綾部の大本へ参りて来て細々と聞かして貰ふたら、世界の事が心相応に解りて来て、世界に何事ありても驚きは致さん如うになるぞよ。 向ふの国の極悪神の頭が、日本の人民を一人も無いやうに致す仕組を為て居るなれど、日本にも根本から動かぬ経綸が致して在るから、国も小さいし人民も尠いなれど、初発から一厘と九分九厘との大戦いで在ると申して、何時までも同じやうな事を書して在る通り、口で言はして在る事がドチラの国にもあるから、神力と学力との力比べの大戦いであるから、負けた方が従がはねば成らんと申して筆先に出して在る通り、実地に出現て来るから、此先で神から不許と申す事を致したり、我の一力で行ろうと思ふても、世が薩張り変りて了ふから、是までの事はチットも用ゐられんぞよと度々気を付けて在るのに、聞かずに吾の我で行りたら、彼方へ外れ此方へ外れて、一つも思ふ様には行かんぞよ。素直にさえ致せば何事も思ふやうに箱差した様に行くのが神代の政治であるぞよ。今の人民は余り我が強いから、是迄は神の申す事も聞かずに、守護神の自由に一力で思惑に行けたのは、地の上に誠の大将と申すものが無りたから、世に出て居る方の守護神が、向ふの国の大将に気に入る様な悪る力が在りたなら何処までも上げて貰える邪神等の世と成りて居りたから、悪い事の仕放題、悪神の自由で在りたなれど、モウ時節が廻りて来たから、其時節の事を致さな世は立ちては行かんぞよ。今迄は物質の世でありたから、学が茲まで蔓りて学力でドンナ事でも九分九厘までは成就いたしたなれど、モウ往生いたさな成らん如うに成りて来たぞよ。茲に成るまでに悪の守護神を改心さして助けて遣りたいと思ふて、明治二十五年から深い因縁のある出口直の身魂に知らさしたのであるなれど、我ほど豪いものは無きやうに思ふて、チットモ改心の出来ん罪人ばかり、神も是には往生いたさな仕様が無いぞよ。現世の鬼を平らげて、世界のものに安心を致さすぞよと云ふ事が、初発に筆先にかかして在るが、世界の大洗濯をいたして、元の水晶の身魂やら天地の大神の直系の御血筋の世に致して、天に坐ます御三体の大神様に御眼に懸ねば成らぬ御役であるぞよ。来いで来いでと松の世を待ちて居りたら、松の世の初まりの時節が参りて来たなれど、肝腎の悪の性来の改心をいたして貰はんと、何時までも頑張るやうな事では、斯世は水晶にならんから、ドウシテも聞ねば聞くやうに致すより仕様は無いぞよ。国には代えられんから、此先の規則通りに制配を致さねば御三体の大神様へ申訳が無いから、二度目の世の立替をいたしたら、悪の性霊は微塵も無い如うに洗い替をして、巌に松の動かぬ世にいたす、綾部の大本は世界の大本と成る尊い所であるから、余り何時までも疑ふて居ると、天地の大神様へ大きな御無礼になるから、今一度気を附けておくから、素直に致すが徳であるぞよ。本宮村、綾部の町の人。 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大本神諭 | 神諭一覧 | 大正7年旧1月13日 | 大正七年旧正月十三日 守護神人民に最う一つ気を附けて置くぞよ。甚大い取違が今にあるから、最う延期すことが出来んから、日本の仕組通りに致して迅う埒を附けんと、外国の申すやうにして居りたら、日本の国は何う斯うない呵成的に奪られるぞよ。日本の国の人民が現今の心では、日本の国にも半分はあるといふ事が知らしてあるが、日本の人民が皆大和魂に元へ戻らんと、人口が減るから、世の元の生粋の大和魂の性来に世を戻すのであるから、一旦は世界が寂しうなるぞよ。外国の計略は未だ偉い計略をして居るが、九分九厘と一厘との戦であるから、日本の国の人民が、現在の心では現在の行り方は体主霊従の行り方であるから、さっぱり水晶の心に成りて了はねば、心の事ほか出来んから、従来の様な放縦なことは最う為して置かんから辛う成るぞよ。今度の二度目の天地のビックリ箱が開いたら、いかな極悪神でも、天地のビックり箱には、智慧でも学問でも分らん仕組がしてあるから、往生を致さねば何彼の実地が参りて来て、動[*ルビ「いご」は底本通り]きも蹂りも出来ん時節がまはりて来たぞよ。爰へ成りた折には、すっくり従来の心を持ちかへて、行方をかへて居る様に日日知らしてあれども、日本で居りて日本を奪りに来るのに、外国方に成りて、今に頑張りて居る守護神が気の毒なものであるぞよ。素直に致せばこの方が守護致すから、為る事が思ふ様に行きて、善と悪とを立て別けるが、善の鑑と悪の鑑とを見て、お神徳を迅う取らんと、今度は御神徳を取らうと落さうと心一つの持ちやう一つであるから、この世に誠程強いものは無いから、腹の中に誠があれば、向后は天の弥勒様と地の先祖とが、大国常立尊と現はれて、日の出の守護と成りて、世界中が動くから、今度の二度目の世の立替は末代に一度の天地の岩戸を開くのであるから、日本の国で醸成して貰ふた身魂は、日本の国のお土の上に置いて貫ふて、何なりと出来ることを為せて貰へば、向後善い名と悪るい名とが末代残りて行くのであるぞよ。それは各自の心一つの持ち様で、善にも成れるし悪にも反るから爰迄知らしたのであるぞよ。人民には出現て了はんと分らんから、分らん事であるから、因縁のある身魂に書せるなれど、大国常立尊が書のであるぞよ。変生男子の身魂は国常立尊の霊魂が、半分の霊魂を女の霊魂に致して、変化た霊魂でないと、大国常立尊は他の霊魂の肉体の中へは入りて言葉も使へず手も使へぬ。変生男子の肉体でないと此方が入りて守護が出来んので、直に苦労を為したなれど、何事も御用を聞いて呉れたので、神の出来が致したぞよ。これから実地を始めるから、守護神、人民の素直に致すのを、混ぜりの無い日本の大和魂の性来にかへてやると日本の御用が出来るから、素直に致すのが何より結構であるぞよ。大和魂の身魂でありたなら、数は少なうても実地の活神が為せるから、大和魂に成るやうに何時迄も気を附けたのであるが、我と慢心と取違とが大きな邪魔になるから、素直な心でありたら改心も迅う出来るし、分るのも迅いから改心一等、改心致さな善くなりは致さんぞよ。自己の心が慢心がありたら今度の御用は出来は致さんぞよ。産の心に持ちかへんと、己は偉いと思ふて居りたら、向后は彼方で鼻打ち、此方で鼻打ち、些とも頭は上りはせんから、早うから気を附けてあるぞよ。外国の性来は利己主義で自己が偉いと思ふて、利己主義の向ふ見ずの前後構はん行り方であるから、強いばかりで前後に手が廻して無いぞよ。日本の仕組は奥が深いぞよ。奥に奥があるから、表面から見ては分らんから、智慧、学問では分りはせんぞよ。これ程長い間の仕組を、外国の国へ知らせる様な浅い仕組はして無いぞよ。生粋の水晶の世にして了ふのであるから、日本の国は国も小いし、国が小いから人民も少いから、人民同士の戦でありたら何う彼う無い呵成的に奪られるなれど、外の守護神人民にも分らん仕組がしてあるから、これが日本の神力の仕組で、九分九厘と一厘との大戦であるから、勝ちた方へは従はねばならん仕組がしてあるぞよ。今度が止めを刺さねばならんから、この世を造営へた天地の大神が止めを刺して、二度目の世の立替を致して………。末代の世を善一つの世で立てて行くのは、この世を造営へた天と地との、根本から善一つの、何時に成りても変らん霊魂でないと、末代の世は立ちては行かんぞよ。 |
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大本神諭 | 神諭一覧 | 大正7年旧1月23日 | 大正七年旧正月廿三日 艮の金神国常立尊が、変性男子の身魂の出口直の手を籍り口を籍りて、明治の廿五年から今に引続いて知らして置いた事が、何も彼も一度に破裂いたす時節が近よりて来たから、何時までも我を張り慾に迷ふて、利己主義の行り方斗り致して居る守護神よ人民よ、茲までに神が気を附けて与りて居るのを、何時も啼く烏の如うに思ふて油断を致して居ると思ひ掛無い事が出来いたして、ビックリ虫が出るぞよ。小さい取違いでは無い、余り大きな取違いで、腰が抜けて腮が外づれて、物も碌々に言はれず、アフンと致して四ツ這に成りて苦しむ如うな事が出来いたすぞよと、毎度申して知らして在る事の実地が現はれて来るに近うなりて来たぞよ。今迄の人民は神が良い可減な嘘を申して、人民を恐喝やうに思ふて誠に信て居らんから、今に神が知らして気を附けるのであるぞよ。嘘の事なら是だけ何時までも執念強は申しは為んぞよ。実地が一度に突発て来たら、何うにも斯うにも仕様の無い事が日本の国にも実顕るから、万古末代モウ取返しの出来ん事であるから、是だけに気を附けるので在るぞよ。 外国には何う云ふ事が在ろうとも仕様は無いなれど、日本の霊主体従国に余りの災過が出現ては成らんから、初発から日本の守護神と人民が皆揃ふて大和魂に復んと、此の結構な神国に産霊して貰ふて、是ほど結構な教を口に含める如うに言ひ聞して貰ふても、余り悪心が強ふて利己主義で、チットモ神の申す事が耳へ這入らんとは、誠に天地の神へ恐れの程が勿体無うて冥加に尽るぞよ。日本の国は世界中に亦と無い結構な神国であれども、今の人民は冥加が尽て居るから、外国の方が何も彼も日本よりは良いと申して、是までに外国人に精神から従ふて了ふて、今の日本の上下の体裁、往きも還りも出来よまいがな。茲へ成る事が神は能く分りて居るから、昔から因縁の深い変性男子の身魂に永らくの苦労、艱難を命して、この大望が在る故に、神の世一代の御魂の致した苦労と申すものは、口や筆では尽されぬ如うなエライ目に逢ふて来て、其上で現世ヘ一寸出して貰ふたと思へば、一層辛い目に逢ふて来た御魂であるが、今度は出口直に生れ代りて来て、結構な神政成就天下統一の御用を奉仕すので在るなれど、一と通りの事を致して居りては成就いたさぬから、中々に骨の折れた事であるぞよ。天地の先祖の誠の御用はチット優秀た身魂でないと成就は致さんぞよ。是までの行り方は、日本の国民が外国風に化りて了ふて、世に出て居れる守護神が皆体主霊従であるから、日本魂の生粋が只の一厘より無いぞよ。九分九厘が皆向う方であるから、実地を神が始めると中々の大望であるから、何に付けても骨の折れる大事業であるぞよ。日本人の身魂が薩張り外国人の身魂に成り切りて居るから、是ほど世界の苦しみが多く成りて来るのであるぞよ。それで神界から日本の人民に早く精神を入れ直せと申して、是ほど直々の取次に永い間の苦しみを命せて居るぞよ。今の世の中は体主霊従の身魂に皆の人民が化りて了ふて居るから、尻へ手の廻る守護神は在るまいがな。テンと行き当りた折には何うする積りじや。前後を構はずに行き放題の仕放題の行方、トンと約りた折には何うする事も出来は致さんが、斯んな行り方で何時までも続くと思ふて居るのか、明き盲目にも程度があるぞよ。是から先きに何事が出来いたしても騒がず、狼狽えずに、斯う成りたら彼する、彼なりたら斯うすると言ふ、確固不抜な経綸が判りて居らずに、行き放第の行りカンボウでは、トンと行き詰りた折には、人民が皆飢餓に及ぶ事が出て来るぞよ。畜生国の如うに終には人民を餌食に為んならん如うな事が出来やうも知れんが、何程約りて来ても日本の国は友喰いと云ふ如うな事は出来んぞよ。本は神国の霊主体従であるから、土壌を大切に致して、一鍬でも草を生やして荒らす事は成らんと云ふ事が、筆先で初発から知らして在るぞよ。お土から出来た物であれば、ドンナ物を喰ても辛抱が出来るから、大根の株でも尻尾でも赤葉でも、常から粗末にするで無いぞよと申して、毎度気を附けてあるぞよ。平生から心得の良いものは最后の時に能く判るぞよ。お土を大切に思ふ人は、神が天地から何時も見届けて在るぞよ。天地の神から誠の神力を頂いて居る人は、正勝の時には余り困りは致さぬぞよ。天地の大神を真実誠一とつの心で信心致す身魂で在りたら、何程難渋な中でも神が握み上げて与るなれど、他人は何うなろうが我さえ信心いたして、良く為て貰いたいと云ふやうな未熟な精神では十分な守護は無いから、万度参りを致したとて、実地が出て来てからの改心は間に合はんなれども、改心さえ出来たなら、今日の間にでも、善の方へ代えて遣るから、一日も早く天地へ御詫を申して許して貰ふより外に仕様は無いから、発根と心を持直すより仕様はないぞよ。 悪い事の為放題を致して置いて、モウ兎ても叶はんやうに成りて来たと申して、天地の大神へ御詫を致すのはチト遅いなれど、外に良い方法はモウ無いぞよ。 外国の守護神が何時までも、体主霊従の世が続くやうに思ふて、向ふの国の今の経綸で、日本へ攻て来て一戦下に奪略て、世界中を我の物に致す仕組を為て居るなれど、今度は何方の国も叶はん処まで行くなれど、向ふの国の悪神の目的はトコトンまで戦って行り了ふせて、向ふの国の大将の遊園地に致して、世界中を悪神の頭の領有と致して、モウ一段上へ上りて王の王に成りて、末代の世を此儘で続かして行ろうとの大きな計略を致して居るぞよ。今度の二度目の世の立替は、末代に一度より為られん大望な事であるから、向ふの国の仕組は、普通の霊魂では能うせん深い経綸を仕て居るから、日本の人民の今の精神では、日本の昔の本の生神の経綸がして無りたら、何うも斯うも無しに一転倒に奪取れて了ふぞよ。けれども日本は神国であるから、外国の霊魂では出来も解りも致さん経綸が為てあるから、日本の元の一輪の霊魂には到底叶はんぞよ。日本身魂の生神が御一方御出坐に成って御守護在り出しても、外国の身魂は往生いたさな成らん経綸が致してあるから、筆先の初発に書してある事を又た繰返して書して知らして置くから、立替も立直しの経綸もチットも変りは致さんぞよ。何時になりても同じ仕組で在るから、途中に変るやうな浅い経綸は日本の国には為てないぞよ。一度筆先に出したら其通りが初まりて来るから、○○の改心さえ出来たら早く良く成るなり、頑固を張りて居りたら約らん事が出来るなり、一度言ひ聞したら違ふた事は無いから、可成は改心をさして善へ立復らして、日本の国に産霊した身魂は、ドウゾして成とも日本の国に置いて遣りたいと思ふて、是まで永らく知らして在れど、向ふの国の性来に化り切て居るので、誠と云ふ事が薬にする程も無く、他人は何うなろう共チットも頓着せずに、利己主義の悪の性来であるから、悪い事ならドンナ奸計もいたすなり、人の困る事なら何程でも平気で致す四ツ足で在るから、善し悪しを天晴立別けて身魂を薩張り露はして、実地の神界の仕組を為て見せて、正体を露はして遣らん事には、何時までも神の威勢は判らんぞよ。斯の結構な日本の神国を、斯の如うな醜悪き有様に致して、悪の頭の皮を脱いで、全部化を現はして了ふぞよ。日本の国は二度目の天の岩戸開きを致して、日本は日本の誠の御血筋と、元の天照大御神様の世へ神政を捻ぢ直して、世の大本からの御血筋で、万古末代世を建て行く世が参りて来たから、体主霊従霊魂の世の末であるから、可い加減に往生いたすが徳であるぞよ。如何な悪神の頭が強ふても、此先は天地の元の御血筋には到底叶はんから、此経綸の邪魔を致すやうな守護神は、二度目の世の立替の規則通りに制配を致さな成らんから、今度の神界の規則は酷しいから、是迄の心をみな持代えるやうに、明治廿五年から昼夜に気永う知らしてあるぞよ。此さきは一度で素直に聞いて改心いたす身魂で無いと、是からは今までの神界とは大変りが致すぞよ。それで取返しが成らんから、是ほど厳しく申して何時までも気を附けるので在るぞよ。是迄の体主霊従と利己主義の行り方を薩張り立替て了はんと、是からは向うを向ひて歩行んやうに酷しく為るぞよ。今までは地の上に誠の大将が無い如うに為て在りたから、ドンナ無茶な事をして居りても恐いもの無しの世で、暗夜で四ツ足の身魂が威張りて、今の世界の此の有様、惨い事に世が乱れたものであるぞよ。 斯世を昔の天照大御神様の神政に復古して、日本の国を霊主体従で建て行かねば、天地の直接の御系統で、万世一系天壌無窮チットも混血無しの世に致す経綸であるから、爰までに来るのには普通一般の身魂では能う辛抱を致さんぞよ。爰までに日本の国を四ツ足の自由に為られて、実地の大本を無いも同様にいたして置いて、末代の世を末だ此儘で行りて往かうとの悪知恵を搾り出して、前後構はず一生懸命に気張て居るが、到底成就は九分九厘の処で致さん気の毒なもので在るぞよ。 二度目の世の立替を致すには、日本の国を大本から薩張り改革めて、世の元の根本の御血筋で、善一筋で立て行かねば、一寸でも、微塵ほどでも悪神の血筋が混合たならば、又たチット世が経れて行くと、其悪の血筋が段々と栄えて来て目的が出来るから、悪い方へは誰も付き良いから、悪の胤は今度は残らず平げて了ふて、二度目の世の規則通りに、善一とつの道に為て了ふぞよ。そうして置て外国へ善の模範を見せて、悪の頭を改心さして助けて与らねば、日本の神と人民の天職が済んのであるぞよ。モウ是からは悪の性来の醜るしき身魂は、日本の国は申すに及ばず、斯の世界の御地の上には一寸の場所にも置かれん事に末代の規則が制定るから、チットでも混りがありたら、撰り出して厳重に戒めを致すぞよ。斯世は天地の大神の世であるから、外の身魂では立ちては行かんから、是から先の世は何の身魂でもと云ふ事には行かんぞよ。茲へ成りて来る事は初めから能く判りて居るから、外の身魂に永らくの間気が附けて、口で含めるやうに、言葉と筆先で知らしてある通りに、世界の事が実現て来るから、守護神も人民も大きな間違いが出来て来るぞよ。世界のビックリ箱が明くと申して毎度知らしてあるが、何彼の時節が参りて世界中の大騒動と成るぞよ。向ふの国にも日本の身魂にも大部困しむ事があるぞよ。日本の国が外国の身魂と同じ事になりて居るから、天地のビックリ箱を明けて、一度に眼を覚ましてやらねば、余り悪シブトウて改心の出来かけが致さんぞよ。茲まで色々と致して気を附けて知らしたからは、是に落度はヨモヤ有ろまい。天地の元の生神、昔から其儘で肉体のある、末代変らぬ誠の神が斯世を治めてやらんと、又た途中で国家が無いやうになるから、今度の世界の立替は根本から行り変えて了ふて、万古末代の政治を定るので在るから、何に付けても大望ばかりであるぞよ。天地の岩戸が開ける時節に廻りて来たから、世に出て居れる方の守護神や、上の人民には解らぬ事で在るから、誰にも解らん大望な、言ふに言はれず、説くに説かれん火水の経綸であるから、途中の鼻高が何程シャチに成りて考えても、解りかけが致さんのが当り前であるぞよ。此大本の変性男子と女子とに書す筆先は、何程智恵や学のある人民でも、神徳が無かりたら皆逆様に取れるから、夫れで慢心は大怪我の本と申して何時も気が附けてありたぞよ。細工は流々仕上げた所を見て貰はむと、今から何も解りは致さんぞよ。それで素直に神の申す様に致せと申してあるぞよ。斯んな経綸が全部今の鼻高に解りたら、途中から邪魔が這入りて、三千年の経綸が百日の説法屁一発にも成らん事になるから、滅多な事は致して無いぞよ。世界に出来て来る日々の事を考えて見て、明治二十五年からの筆先を、赤心で調べたら大抵の事は解りかけるなれど、それも一寸でも慢神が出たら何も解らぬやうに成る仕組であるぞよ。 二度目の世の立替、立直を致して了ふたら、守護神にも人民にも、何彼の事が能く解るやうに致して在れど、今の人民は皆霊魂が曇り切りて、外国の物質の学に沈溺込んで居るから、何一とつ解らん明盲目も同様であるぞよ。斯ふ言ふ盲目や聾に直ぐに解るやうな浅い教でありたら、到底万古末代続く経綸とは申されんぞよ。今の人民の心を薩張り入れ替て、新つの心に持ち替て居らんと、是迄の心では今に土地面貌を振るぞよ。天地の吃驚箱が開くのはドンナ事かと云ふ事は、今の守護神、人民が何程賢こうても解らん事であるから、今に大きな取違いがあるから、筆先に細々と能く解るやうに書してあるなれど、一柱も知りた神も人民も無いので、今度の二度目の世の立替は、一通りや二通りや百通りの骨折では無いぞよ。余り古い事の深い事ばかりが書してあるから、今の守護神や人民の霊体では百年かかりても解りさうな事はないぞよ。是を解けたら天地に無い智者、学者であれど、暗黒の世の中で出来た人民には、肝腎の霊魂が曇りて居るから無理は無いぞよ。夫れで我を出したら失策と申して気が付けて在るのに、学でドンナ事でも解ると思ふて、エライ慢心を致して居るが、いろはの本を知りて居る守護神が無いから、人民には尚ほ解らず、六ケ敷世の中であるから、素直に致して神の申す事を致すと、其日から心配なしに暮せるなり、何事も物が速やかに埒が着いて気楽に御用が勤まるぞよ。いろは四十八文字の経綸の判る身魂は変性男子と変性女子の外には、世界中を鉦や太鼓で探がしても今では無いのであるから、斯の二たつの身魂が無りたら、日本も世界も是から先きは潰れるより仕様の無い事になるから、斯二人の身魂は天地の先祖の霊体の取次ぎであるぞよ。この変性男子と女子との身魂の、昔からの誠の因縁さえ解りて来たら、外の事は何も解らいでも、今度の御用は勤め上るので在るから、約らん理窟を申して何時迄も頑張りて居ると、段々解らんやうに成りて来るぞよ。体主霊従の心を持替て了はんと、神の申す事は皆逆様に得れるぞよ。モウ神は人民の訳の判らん、途中の鼻高に相手に成りて居るやうな暇が無いから、訳の解らん人民は後へ廻してをいて、三千年の仕組通りに早く埒能く致さんと、是迄のやうな優柔不断な事はモウ為て居れんから、バタバタと致して、厳重に埒を附けるから、改心の間が無いから、一時も早く覚悟を為されよ。上の守護神も人民もチットの取違いでない、根本からの大間違いを致して居るが、モウ神も知らせやうが無いぞよ。今の守護神も人民も、天地の先祖の思ひがテンで判らんから、出来上りたらアフンと致さなならんぞよ。余り何時までも体主霊従の精神で居ると、後の悟悔間に合はん事に成るぞよ。人民が何程熱心に神界の事を研究しても容易に判りはせんぞよ。神の事は人民で判るもので無いと云ふ事が判る人民でありたら、夫れこそまことの神界の判りた人民であるぞよ。判りたと申す人民は何も判りては居らんので在るぞよ。 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大本神諭 | 神諭一覧 | 大正7年旧3月15日 | 大正七年旧三月十五日 天の御先祖様が、此世には何うでも宜いといふやうな事に成りて居り、押し籠まれて居りた地の先祖が無いやうに成りて居りた故に、この世が闇雲に成りて了ふて現今の体裁、えらい事に成りたものであるぞよ。この時代が来る事が、世の元からよく分りて居りて、日本の霊の本には、一輪の仕組がしてありて、よく解るやうに、変生男子の手で大国常立尊が書いたり、言葉とで、爰へ成りた折には改心を致して、身魂を磨きて居るやうに、今に知らして居るなれど、人民には解らん筈、守護神に解らんから、肉体に解らなんだが、何彼の時節が参りて来たから、御筆先通りに何も一度に成りて来て、一度に開く梅の花、遅く成りて居る丈一度に開けるから、何彼の事が天地から見せてあるから、開け出したら迅いぞよ。天地の大神、元の活神は昼夜といふ事も無し、暑つい寒いといふ厭はないから、仕組通りに何彼の事が成りて来たから、一日増しに仕組みてある事が順に出現て来るぞよ。長う掛りて居りたら、何方の国も潰れて了ふから、九分九厘で悪の世の終末と成りて、二度目の世の立替を致して末代の事が決りて、従来の習慣制度を薩張変へて了ふから、申すやうに致さん身魂は為な為るやうに変さすぞよ。向后で慢心と従来の遣方を一寸でも致した守護神に使はれて居りたら、規則通りにして了ふぞよ。天地の相違に何事も変りて了ふぞよ。為損ひの無いやうに皆致されよ。爰まで口と手とで知らしたらこれに落度はよもやあるまい。この上は各自に自己の心を自己が審査めて、此大本は善いと悪との鑑が出るから、鑑を見て善い方へ写るやうに致さんと、悪い方へうつりたら、末代善い方へは上る事は出来ん規則が決るから、今の転換期に、充分取違ひをさせんやうに………。向后の規則は善の方も末代であるぞよ。悪も末代、底の国仕舞であるから、従来の心と遣方を変へて了はんと、悪の遣方致す守護神に使はれたら、向后未代嬉しい事の無い所へ落されるから、今に成りて居るのにまだ念を入れて書かして置くぞよ。善と悪との鑑を見て善の遣方へうつるやうに、心を持ちかへて貰はんと、向后は何彼の事が大間違が出来るぞよ。 時節には、何も敵はんと申してあるが、何彼の時節がまはりて来て、善悪の根本の事を説いて聞かせる時節が参りて来たから、上へあがりて居れる守護神に使はれて居れる肉体が、何となく心が寂しく成りて来るといふ事が、明治二十五年から世界中の事が、伊呂波四十八文字で書かしてある事が響へて来て、発根と改心を致す守護神は結構であるが、今に大きな目的のある守護神は可哀相なれど、余り大きな取違、何彼の事が近う成りて来て居るから、最う揃ふて解らんと、一度にキリキリ舞はな成らん事が出来て来て、何所へ取り附く島は無い、何う仕様も無い事が近うなりて来て居るぞよ。何彼の事が時節が来たぞよ。歓ぶ身魂と悲しみてキリキリ舞はな成らん身魂とが出来るから、申す事を疑はずと、発根の改心を致さんと、世の元の天地の先祖も爰へ成る事を待ちて居りたのであるぞよ。松の世を待ちた松の世が参りて来て、仕組みてある時節が廻はりて来たから、二度目の世の立替を致し、悪も善に立替て、向后は善一つの世に致して、皆手を引き合ふて行きたいのであるのに、取違があると、見る眼が厭であるぞよ。 爰までに致した世を水晶の世に立替るのであるから、中々骨の折れる事であるなれど、此世を造営へた天地の根源を造営へた覚えのある、肉体其儘で末代その儘で居り、爰までは蔭から守護をして居りた天の弥勒様と、地のお地の先祖とでないと、二度目の世の立替は他の身魂では何うして世の立替をするといふ事が解らんのであるから、世界中の守護神人民が末代掛りても出来んから、分散てある身魂を引き寄して、身魂の性来の御用さすから、従来は暗がりの世でありたから、何も解らなんだなれど、何彼の時節が参りて来て、日の出の守護と成りて来たから、解らなんだ事が解りて来て、向后は嬉し嬉しの末代凋落れん生花の咲く世が参りて来て、嬉し嬉しで御用が出来るから、従ふ所へは従ふて温順に致せば、其日から嬉し嬉しで暮して行ける時節が循りて来たぞよ。温順な守護神に使はれて居る肉体から良く致してやるから、一寸でも敵対て来る守護神は、自己の身体は我が自由に成りはせんぞよ。善と悪との鑑が出るから、善い鑑を見て改心を致されよ。お筆先通りの世が参りて来て、温順な守護神に使はれて居る肉体は大変良くなるが、敵対て見よれ、自己の身体がわが自由に成らんのが、自己が為て居ると思ふて居るのが、させられて居るのであるぞよ。向后は日の出の守護と成るから、何事もよく解るぞよ。爰までは暗がりの世でありたから何も解らなんだなれど、時節が参りて来て、日の出の守護となりて来たから、向后は物事が迅いぞよ。御筆に出してある事も、直の口で言はしてあることも、遅い事、速い事はあるなれど、皆出て来るぞよ。便りしやうにも伝言しやうにも、人に言はれん隠身であるから、日の出と成りて現はれるぞよ。乙姫殿の御働きは、世に出て居れる方の守護神では小指の真似も出来はせんから、昔から末代其儘の御姿のある、混ぜりなしの御手伝を遊ばす、元の生粋の一輪の大神のお手伝がありたなら、霊魂の神が何程集りて来ても、お一方のお働があり出したら、霊魂の神では今度の二度目の世の立替は、元の其儘のお姿のお働には到底敵はんから、今の内に気を附けて置くぞよ。従来の世は地の世界に大将無しに、世に出て居りた守護神が自己一力で狡猾ありたら上へあがりて出世が出来たなれど、二度目の世の立替を致したら、何彼の事が天地にかはるから、充分お筆先を見て置かんと、量見が違ふから、向后お筆先に出した事を用ひんと、自己の思ふやうに為やうと思ふても行きはせんぞよ。他人を見ても能く解るから、他人を見て改心を致されよ。外国見て日本の守護神が改心を致さな成らんやうに大変りが致すぞよ。外国の心を善いと思ふて、外国の真似を致して、日本の国が大きな取違をして居りて、世界中の大きな難渋であるから、日本の国の霊の元の大和魂に立返りて、元の弥勒様の教通りを致さんと世が立ちては行かんから、従来の守護神は俄に大変辛く成るから、長らく気を附けたのでありたが、今に分らん守護神が気の毒にあるなれど、最う此上に知らせやうが無いぞよ。 所々に宮柱を立てて先走りがさしてありたが、九分九厘まではよく分りて居るなれど、肝腎の一輪の仕組で、綾部の大本には大事業な仕組の元であるから、向后は遠方から開けて来て、近所の人が余り取違で、面目無うて、大きな声で物も言えん、アフンと致して見て居らな成らん様な事の無いやうに、爰まで知らしてやりて歓ばしたいのであるなれど、余り惨う分らんので、お蔭が後廻はしと成りて気の毒であるなれど、この御道は引っ張りには行かんから、気が附いて来たら出て御座れ。聴き度くば、何んな事でも説いて聴かせる世界の大本であるから、昔から言置きにも書置きにも、書物にも無い事………。元の根本の事から将来の事からを、伊呂波四十八文字で書いてある事が皆出て来るから、伊呂波の勉強は今では学者には阿呆らしいやうにあるなれど、伊呂波の勉強を為て置かんと、日本の大和魂に成れんぞよ。日本の国は伊呂波でない事には、真正の天地の大神の御用が出来んぞよ。何事も伊月波へ戻すのであるから、世界中の人民の思が余り大きな間違で、腰が抜けるやら、顎が外れて耻かしいやら面目無うて、大きな声で物も言えんやうな事になると云ふ事が毎度気が附けてあるぞよ。 男も女も大本へ早うから来て居りて、何をして居りたじゃと云ふやうな事の無いやうに、早うから来て居る人は些と効能が無いと、他に面目無いやうな事の無いやうに神徳を貰ふて居らんと、向后は段々善く分る人が参りて来て、アチラコチラに成りて、結構なお話を聴かして貰ふやうな事の無いやうに………。肚の中に誠といふ精神を有ちて居ると、善いお話が何となく耳へ入りて、結構が腹へ滲み込みて、他から見てあの人は違ふた人であるといふ事がよく分りて、他が崇めるし、神徳が受かるから人徳が出来るし、一つは各自の行為善くば神徳がよく分りて来るなり、従来とは違ふて、今度の二度目の世の立替は、さっぱり何彼の事、精神の持方を変へて貰はんと、従来の事は些とも用ゐられんから、守護神が辛くなるぞよ。従来の遣り方は誠の無い、表面を飾る世でありたから、上から見て立派にありたら宜い世でありたなれど、二度目の世の立替で末代の事が決るのであるから、従来の心の持方を変へて、遣方を薩張変へさすから、今が転換期で誠に辛い所であるぞよ。辛いのが行であるぞよ。元の其儘で末代居る活神は、此世の来る事を世の根元から良く分りて居る故に、何んな苦労も為たり為せたりして居りて、爰迄の辛抱が出来たのである。世の根本から爰へ成る事が良く分りて居りて、世に押込まれるのも、何もよく承知で、爰までの行を為せて戴いたお蔭で………。爰までの行をして置かんと世が元へ戻るのであるから、何一と種知らんといふ事の無いやうに行をして置かんと、向后に成ると、何んな事でも新規の世に成るのであるから、問はれた事に弁解の出来んやうな事では、天の御先祖様の御威徳が分らんやうな事では、弥勒様のお傍附とは申されんぞよ。この世は天の御先祖様の弥勒様であるから、元を大事に致さんと、体主霊従にもせよ、爰まで開けた此世界を、元は天の弥勒様の御艱難で、鉄の棒が針に成る所までの御艱難を汲み取りて、誠に致す守護神が無い故に………。自己に苦労を為て来んと誠の事は分りはせんぞよ。苦労は出世の基であるぞよ。地の先祖には一と通りの守護神では勤まらんから、弥勒様が初発に造へ成さりてお出であそばす先祖を、力量が有り過ぎると申して、他の神の邪魔に成ると申して、弥勒様へお願遊ばしたら、弥勒様は、多勢と一人とは換へられんから、艮へ押込めいとの御命令が下りて、さあ甘い事じゃと皆の神に、一人も此方へ附いてくださる守護神が無りたが、押込められた御蔭で爰迄の行が出来たから、何事も弥勒様が為せなされたのであるぞよ。向后は最う世の立替は出来んのであるから、爰迄の行が出来て居らんと末代の世が続いては行かんから、弥勒様が為せなされたのであるぞよ。皆の守護神の御蔭で、今に成ると誠に結構でムります。一と通りでは爰迄の行は出来んなれど、弥勒様からの御神徳を戴いて爰い成りて誠に結構なれど、今に世に出て居れる守護神に大事の実地が分らんので、大きな間違出来ては成らんから、温順に皆為て貰ひ度いのが此方の願ひであるぞよ。慢心が大怪我の基であるから、無調法が出来るから、何彼の時節が参りて来て、大本へ遠国から分る守護神が追々と仕組通りに成りて来るが、お一方でも早く来て分けてくだされ。共々手を引き合ふて善の世へ立替れば、前途ほど広き善き道が造へてあるから、御用が勇みて出来るから、お一方でも綾部の仕組通りを開いてくだされよ。悪も善へ立返りて一つの心に成りて天地の御用を致せば、元の弥勒様の御歓びで、改心の出来た御守護神から天地の善い御用が出来るのであるから、守護神に分りたら肉体に分りて来て、うれしうれしで結構な御用が出来る世界の大本であるのに、上から下まで余り大きな間違で、向ふの国の今の体裁、気の毒なものであるなれど、行く所まで行かんと限が醒めんのであるが、悪へかへりて仕舞ふて居るから、何程実地を申しても結構を書いて見せても、自己の心が引っ繰りかへりて了ふて居るから耳へ這入らんが、雁も鳩も立ちて了ふてからそろそろ気が附いて気の毒なものなれど、それは国の御魂の借銭であるから、罪穢の甚い所には甚い事が有ると、皆お筆先に気がつけてあるなれど、何程気を附けても自己ほど偉いものは無いと思ふて居るから、気を附ける程悪う取りて、まだ今に逆様に取りて、聴く温順な身魂がないから、モー気の附けやうが無いぞよ。長い間の国同志の人の殺し合ひを致して何効能がある。まだえらい目的を立てて居るがまだ気が附かんが、今の精神では外国は気の毒なものであるぞよ。日本の国には大望な仕組がしてあるが、其事は外国の霊魂では分るまいがな。向うの国の仕組はドイライ仕組であるなれど、艮を刺すのは日本の霊の元でないと刺せんぞよ。気を附ける間に気が附かんと、何うしても聴かねば仕組通りの規則通りにして、悪の霊を平げて了ふて、国に口舌の無い様に、悪といふ醜しい霊は世界に無い様に致すのであるから、何につけても二度目の世の立替は大事業であると申して十分知らしてあるぞよ。お筆先に書かしたら天地の規則であるから、変へる事は出来ず、其通りを致さな成らんお筆先を、今沢山に出ると思ふて粗末に致したら、先へ行くほど心配が出来て取戻しの成らん事が出来るから、毎度お筆先で気が附けてあるぞよ。今度の二度目の世の立替は、太初の事から、天と地と世界中の事から、この世へ出てお出でる神の因縁から、守護神の将来の事から、何も一切の事を速やかに査めを致して、三段に別けてある霊魂の性来の事から、何彼の事、神界、仏界、人民、鳥類、畜類、餓鬼に成りて居るものまでも助けな成らん大望な二度目の立替であるから、何につけても大事望ばかりであるぞよ。この前途は何彼の事が早う成りて来るから申すやうに致されよ。世は持ち切りには致させんぞよ。世はグルグルと変るから、何も時節には敵はんから、従ふ所へは従ふて早う帰順を致さんと、後と廻しにしられたら敵はんぞよ。慢心を致して頑張りて居る程後廻はしと成るから、温順に致せば霊の入れ替をしてやりて、改心の出来た身魂から大本へ引寄して天地の御用を致せば、この世にこれ程結構な事はないぞよ。体主霊従では日本のお土の上には、一寸の場の上にも置いて貰へん時節がまはりて来たから、日本の内地に居り度くば、今の中に温順に致してくだされよ。天地の間に発生してある皆類の者である。破滅には為とも無いなれど、自己の心で破滅に成らんやうに致されよ。 従来の世の遣方は表面から見ては立派にありたなれど、余り贅沢過ぎて世が持って行けんから、金錢を只出来たやうに思ふて、衣類、道具を飾り立てて、天地へ冥加の程が恐ろしいから、従来は天地の御恩といふ事が些とも分りて居らなんだから、肝腎の弥勒様御夫婦様、天照皇太神宮殿、御三体の大神様の御神力といふ事を左程に思はずと、自己の力で何事もやりて行けるやうに思ふて居りた事が、何彼の事が大間違で、この世の息ある者は、何うして出来たといふ事も分ろまい。天地の大神様の御三体の大神様の日々の御心の分りた霊魂が無かりた故に、永い間の口惜しき事も分らず、地の世界の先祖を力量が有り過ぎてお邪魔に成ると申して押籠めて、爰迄は蔭の守護でありたなれど、蔭の守護では最う行けぬから、日の出の守護と相更はりて、向后はお三体の大神様の御威徳を、日本の霊の元の仕組通りに何彼の事を致して埒良う致して、日本の国の神徳と向ふの国の学力との力競べの、国と国と、神と神との大戦ひであるから、戦ちた方へ従はな成らん正念場であるぞよ。外国の七尾も八尾もある王を平げて、一つの王の元の天地の王で治めるぞよ。十分気が附けてあるから、最う気の附けやうが無いから、何彼の実知を始めるから、不足を申して呉れなよ。天と地との先祖が爰迄に何彼の事に気を附けて知らしてあるぞよ。まだ取違ひをして悪るい鑑に成らんやうにして下されよ。今度取違をして、悪るい鑑に成りたら、世界中へ面目無うて何言ふことも出来ず、悶死を致すより仕様無いぞよ。余り頑張らんと温順に致さんと、向后は従来格合には行かんぞよ。止めの大峠と成りてから、従来の事を何の様にでもお詫を致しますで恕して下されと申して来ても、モー其様な事には掛りて居れんぞよ。何もお筆先通りに世界が廻りて来たから、向后は各自に、吾身の心を考へて見て、心の事を自己が審判を致すやうに成らんと、お蔭は取れんぞよ。神は何程でもお蔭は渡すから、お蔭取るのは自己の心で取るのであるぞよ。肚の中に誠といふ何人が何う申しても、誠がありたらビクリとも致さんのが誠であるから、この世には誠ほど強い者が無いから、誠の心に持ちかへて、従来の心は大川へ流して了へと申して、お筆先で毎度知らしてある誠の心に持ちかへんと誠の御蔭が取れんから、誠、誠と申すのぢゃ。誠の生花が咲く世になりて来て居るのに、正味の無い灰穀の心では二度目の世の立替を致したら、従来の遣り方は些とも用ゐられんやうに大変りが致すぞよ。天地の大神様は今の習慣制度をお嫌ひ為さるから、日本の国は今の灰殻を誠にお嫌ひ遊ばすから、何彼の遣り方から心を、昔の根本の遣り方に程なく返さすから、今が転換期で何彼の事が六ケ敷なれど、向后は申してあるやうに何彼の事が一度に成りて来て、一度に開く梅の花、筆先通りに成りて来て、世界は一日増しに騒がしうなるぞよ。 これまでは天の大神様を此世には何うでも可い、自己が神であるといふやうな何も分らん利己主義の遣り方、御苦労致された天の御先祖様も、日の大神様も、天照皇大神殿も、地の世界の先祖も、元の大神、天の大神様の御艱難の思ひといふ事を知らずに、此世が自然的に出来たやうに思ふて、苦労無しの向ふの守護神が、余り大きな取違を今にして居りて、元の大神様の御恩を知りた守護神一人も無いといふやうな惨い事に世界中の守護神が成りて今の難渋、大神様の御守護で、爰までは結構に、天からは弥勒様は御水の御守護、日之大神様は火の御守護遊ばすのが、人民では分ろまいがな。分りた人民一人でもあるなら、改心致して身魂に些とも曇りの無いやうに、水晶に磨いて来たら、大本には事実があるから………。大本の内部には六年後から、明亮な勿体ない事がありて、一日増しに結構が出来るのに………。この事は二階に大神様をお祭りがしてある折に、勿体なくも天照皇大神宮様が大出口直にお憑り遊ばして、直が余り大望な御役であるから、三体の大神様が下へ降り上りを致して、手伝をしてやらんと、余り大望な御用であるとお言葉を戴いた事が、六年後から大本の内部にもお邸の内に実地のお姿が、彼方此方にお出でますなれど、余り曇りた世の中であるから、この内部お邸を余程清らかにして、男も女も生神ばかりの中に居るのであるぞよ。この大本は他の教会とは違ふから、世の元の実地の生神ばかりであるから、一と通りの事を思ふて居ると大間違が出来ては成らんから、その心でこの内部を清らかに致されよ。世の元の根本の大神は、天も構ひ地の世界も構ひ、御水と御火と、お土とで、この世が立ちて行くのであるぞよ。 |
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伊都能売神諭 | 神諭一覧 | 大正7年12月23日 | 大正七年一二月二五日 艮の金神元の国常立之尊変性男子の御魂が、下津岩根の高天原に現はれて、世界の事を書き知らすぞよ。東の国は一晴れの実のりの致さぬ薄の○○、実のり致さな国は栄えぬぞよと申して、今までの筆先に毎度繰返し繰返し知らして在りた事の、実地が近うなりて来たぞよ。○○の天津御空には黒雲塞がり、地には泥水溢れて、人民の憂瀬に沈み苦しむ者は数知れず、餓鬼畜生の今の世の有様、誠の神なら之を依然として高見から見物いたしては居れん筈なれど、今の世に出て居れる方の守護神にも、誠の日本魂の臭ひも無いから、其日暮しの今の世の持方、是でも日本神国の神と申されようか。力量が無いと申しても無経綸と申しても余りでないか。一日前の世界の出来事も判らんやうな暗い御魂では、世界どころ乎、小さい日本の国だけでも治める事は出来ぬでは無いか。何も彼も一切万事が行き詰りて了ふて、進も退りも成らぬ様になりて居りても、未だ心が賤しいから、大事に抱へて能う放さん厄介な守護神斗りであるが、外国に彼れだけの見せ示がしてありても未だ気が付かぬか。岩を抱いて海へ這入る様な事斗りいたして居るが、神界の誠の生神の目からは危険うて見て居れんぞよ。日本の国の上の守護神よ、確かり致さんとハラが今に破れて、三千世界の耻晒しにならねば成らぬ様な事が、内と外から持ち上るぞよ。根本から曇り切つた鏡には神の申す誠の姿は写るまいなれど、何処までも神は人民を助けたさにクドウ知らして与るぞよ。是で聞かねばモウ此の先に何事が突発て来ても知らんから、神と出口に後で不足は申して下さるなよ。モウ何も知らんぞよ。ナヅナ七草の用意を早く致して置かぬと、今に唐土の鳥が渡りて来るぞよ。唐土の鳥が羽が強ふて口嘴が長く鋭いぞよ。脚も長いし数も沢山にあるぞよ。日本の鳥は余程しつかりと神力が無いと、天空から蹴り落される様な事が出来いたすぞよ。鵲の橋が落ちかけるから、神が守護は致して居れど、日本の守護神の改心が遅れたら、一旦は何う成ろうやら知れんから、神が心を苦しみて、日夜の守護を致して居れど、日本の神にも守護神にも今ではチツトも気が付かんぞよ。五十鈴の滝が濁つて来たぞよ。川下の人民が是からは可愛相であるぞよ。時節参りて綾部の大本竜宮館の高天原から水の御魂が現はれて、濁り水を澄まして、水晶の流れに付け代えて、世界の人民を泥から助けて、誠の神の身魂に清めて助けるぞよ。じやと申して心の直らぬ人民は、助けると云ふ事は出来んぞよ。世界の難儀を幸ひに致して、彭れた袋鳥は袋が破れ、腹が引裂け、夜食に外づれてアフンと致して開いた口は閉さがらず、六ケ敷貌を致して泡を吹くのは、今目の前に出て来るぞよ。欲に迷ふて慢心いたすと其通り、誠に気の毒なれど、各自の心からで在るから仕様はないぞよ。今に折角造りた立派な巣を潰すやうに成るぞよ。上から下まで大きな間違いが出来てくるぞよ。天が地に成り地が天となるぞよ。天災地妖が続いて起るぞよ。目も鼻も口も開かぬ様な事が来るぞよ。餓鬼が段々殖えるぞよ。思はぬ国替を致す人民も沢山あるぞよ。段々人気が悪るなる斗りであるぞよ。医者と坊主と葬式屋の豊年は続くぞよ。米は段々欠乏する斗りで何程金銀出しても手に入らぬ事になるぞよ。用意が肝心であるぞよ。日本の上の守護神に気を付けておくぞよ。大きなものは一時にバタバタと潰れて了ふぞよ。広い城の馬塲で俄の天狗風が吹き出すと、合羽干の爺さんもハラをもむなれど、到底人民力では治まらんぞよ。狼狽え騷いだ其上ケ句の果が、堀へ落込み土左衛門と成るのが定まつた道筋、何処に一つも重い押えが無いから、ドウにも斯うにも始末が付かんやうに成りて来るぞよ。神が構ふて与らねば治りは付きは致さんぞよ。比日谷ケ原へ何程糞蛙の盲目虫が集まつて喧ましう鳴き立てても、斯の天狗風は妨げんぞよ。目の無い千鳥、彼方へヒヨロヒヨロ此方らへヒヨロヒヨロ、兵糧尽まわつてトコトンの果は、手の鳴る方へ頼らねば成らん事になるぞよ。手の鳴る方は神の大前ぞよ。神は天地を拵らえた肉体の今に其儘生きて居る元の生神、国常立之尊であるぞよ。 大正七年十二月二十五日冬至の日、変性女子の手を借りてしるす。 |
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伊都能売神諭 | 神諭一覧 | 大正8年2月21日 | 大正八年二月二一日 大正八年二月二十一日旧正月二十一日 艮の金神国常立之尊が竜宮館の地の高天原の神屋敷に現はれて、天照彦之尊の御魂の宿りた言霊幸彦命の体内を借りて世界改造の筆先を誌しおくぞよ。明治二十五年から大出口直の手を借りて世界に出現事変一切を日本の守護神人民に警告てをいた事の実地が近よりて来たぞよ。日本の神国に生れて来た身魂は皆日本魂の性来が授けて在りて上中下の三段の身魂が天から降して世界を経綸させるやうに天国の政治が地上に写して、君と臣と民とに立別けて在れども、今は世が逆様に成りて居るから、民の身魂が大臣小臣となり、大臣小臣の身魂が民の位置に落ち、其上に八頭八尾の邪神が守護いたして、斯世を体主霊従の行り方に乱して了ふて今の世界の此の惨害、是を何んとも思はぬやうに成りたのは、日本及び世界の人民が皆な四ツ足に欺され切つて居るからであるぞよ。世界を経綸する天職の備はりた日本の人民は日本魂が薩張り抜けて了ふて、九分まで獣蓄の身魂に成つて居るぞよ。天地開闢の初の世からの約束の時節が参りたから、愚図々々致して居れんから、今の静まりて在る間に一日も早く身魂を研いて居らんと、東の大空から西の谷底へ天の火が降る事が出来いたしたら俄に、栃面貌を振つてアフンと致さな成らぬやうになるぞよ。それで一日も早く日本魂を研けと申すので在るぞよ。日本魂と申すものは天地の先祖の神の精神と合一した心で在るぞよ。至仁至愛の大精神にして、何事にも心を配り行届き、凶事に逢ふとも、大山の如く微躯とも致さず、物質欲を断ちて精神は最も安静な心であるぞよ。天を相手とし凡人と争はず、天地万有山野海川を我の所有となし、春夏秋冬も昼も夜も暗も雨も風も雷も霜も雪も皆我言霊の自由に為し得る魂であるぞよ。如何なる災禍に逢ふも艱苦を甞るも意に介せず、幸運に向ふも油断せず、生死一如にして昼夜の往来する如く、世事一切を惟神の大道に任かせ、好みも無く憎みも為さず、義を重んじて心裏常に安静なる魂が日本魂であるぞよ。常に心中長閑にして、川水の流るる如く、末に至る程深くなりつつ自然に四海に達し、我意を起さず、才智を頼らず、天の時に応じて神意に随つて天下公共の為に活動し、万難を撓まず屈せず、無事にして善を行ふを日本魂と申すぞよ。奇魂能く活動する時は大人の行ひ備はり、真の智者となり、物を以て物を見極め、自己に等しからん事を欲せずして身魂共に平静なり。小人なるものは自己を本として物を見、自已に等しからん事を欲するが故に、常に心中静かならず、之を体主霊従の精神と申すぞよ。今の世の中一般の心は皆この心で在るぞよ。誠の日本魂のある人民は其意志平素に内にのみ向ひ、自己の独り知る所を慎み、自已の力量才覚を人に知られん事を求めず、天地神明の道に従ひ交はり、神の代表となりて善言美辞を用ひ、光風霽月の如き人格を具へて自然に世に光輝を放つ身魂であるぞよ。心神常に空虚にして一点の私心無ければ、常永に胸中に神国あり、何事も優れ勝りたる行動を好み、善者を喜こびて友となし、劣り汚れたるを憐み且つ恵む、富貴を欲せず羨まず、貧賤を厭はず侮らず、只々天下の為に至善を尽す事のみに焦心す、是の至心至情は日本魂の発動であるぞよ。我身富貴に処しては君国の為に心魂を捧げ、貧に処しては簡易の生活に甘んじ、欲望を制し暇にも他を害せず、自暴自棄せず、天命を楽みて自己応分の天職を守る、是が日本魂の発動であるぞよ。天下修齋の大神業に参加する共決して周章ず騷がず、身魂常に洋々として大海の如く、天の空うして鳥の飛ぶに任すが如く、海の広くして魚の踊るに従ふが如き不動の精神を常に養ふ、是が神政成就の神業に奉仕する身魂の行動でなけねば成らぬのであるぞよ。凡人の見て善事と為す事にても神の法に照して悪しき事は是を為さず、凡人の見て悪と為す事にても神の誠の道に照して善き事は勇みて之を遂行すべし。天意に従がひ大業を為さんとするものは一疋の虫と雖も妄に之を傷害せず、至仁至愛にして万有を保護し、世の乱に乗じて望を興さぬ至粋至純の精神を保つ、是が誠の日本魂の発動であるぞよ。今度の二度目の天之岩戸開きの御用に立つ身魂は是丈の身魂の覚悟が無ければ到底終りまで勤めると云ふ事は出来んから、毎度筆先で日本魂を研いて下されと申して知らして在るぞよ。今の日本の人民は九分九厘まで日本魂が曇り切りて了ふて居るから、今の人民の所作柄と申すものは薩張り精神を利害のために左右せられて、一寸先きは暗黒であるから、何時も心が急ろしうて、一寸の事変にも狼狽え騷いで顏の色まで変えて了ふ人民計りで在るぞよ。是では到底日本の神国の人民とは申されんぞよ。今の人民の精神と申すものは体主霊従であるから心は平素外面ばかりに走り、人前だけは殊勝らしく慎しみて居れど、内心と申すものは頑空妄慮であるから、少しの事にも微躯付いて外国の四ツ足に喰えて振るやうな難に逢されて居りても未だ気が付かぬ厄介な人民であるぞよ。今の人民は霊界の事実が頭から少とも解りて居らんから、万古末代生き通しの真理を弁まへず、現世でさえ立派に暮したら死後は堂でも搆はぬと云ふ一般の馬鹿な身魂で在るから、天地神明の御威光も畏れず、現世の富貴安逸快楽のみに心を奪られて貧を蛇蠍の如くに忌み嫌い、精神が腐ろうが天則を外そうが其んな事には毛程も心配いたさず、黄金万能主義の信者に落ち込み、国家の為に身命を捧げんとする真人を馬鹿ものの如うに詈り嘲り、死ぬ事を厭ひ下らぬ体欲に耽りて、肝心の天の使命の降つた神の生き宮の身魂である事を忘れて居るから、世界は日に増しに悪事災害が発生いたすので在るぞよ。少し順境に向えば千年も万年も生き度いと申し、少し逆境に落つれば直に斯の結構な神国を畏れ果敢なみ、名聞に恥るが故に誠を忘れ利欲に眼眩みて義を弁へず天命を覚らず、自己よりも富貴の人を羨やみ且つソネミ、自己よりも貧賤なる人を侮り軽蔑み凌ぎ苦しめ、才智芸能の自己より勝れたる人に従ひ学ぶ事を為さず、却て之を譏り、自己の足らざるを補ふ精神毫もなく、善かれ悪かれ自己を賞め、且つ自己に追従するものを親しみて害毒を招き、遂に又た之を悪み、智者賢者に問ふ事を愧ぢて一生無知愚鈍の生活を送る憐れな今の世界の人民の度根性で在るから、何時までも世の中が暗黒界で、我と我手に要らん困難を致す人民計りで、神の眼からは可愛想で見て居れんから、今度は神が表に現はれて世界の人民の目を醒して改心さして結構な神代に立直すので在るぞよ。余り世界の曇りやうが激しいから、神界も中々骨が折れるぞよ。世界の人民の中の悪の身魂を平げて了ふて、世の立直し致すのなれば容易なれど神は世界の人民を一人もツツボに致し度もないから、色々と申して永らく出口直の手で警告たので在れども、余り何時までも守護神人民が聞いて下さらぬと止むを得ずの事に致さねば成らぬから、神も中々辛い思ひを致して居るから、日本の人民ならチツトは神の心も推量いたして早く身魂を研いて神国の行動を為て下され。何時までも神は人民に説き諭して居る暇がないから、改心いたすなら今の間であるぞよ。今の人民の心に合ふやうな行為は誠の神の心に叶はず、神の心に叶ふ行為いたす人民は俗悪世界の鼻の高い人民の心に叶はぬから、腰の弱い日本魂の腐りた人民は残らず今の世界の人民に従いて了ふて、譬え天道に叶はぬ事でも世界の人民の善いと申す事は靡くなり、天道に叶ふた結構な事業でも世界から悪く言はれたら直ぐに止めて了ふなり、只眼の前の名利を求め、形の欲に迷ふて天津誠を知らず、故に斯の結構な地の高天原の誠の教を迷信教とか、怪宗とか、危険集団とか申して、新聞にまで書いて悪く申すので在るが、今の俗悪世界の新聞などに良く言はれる様な世間向きのする教で在りたら却て斯の大本の教は悪の教であるぞよ。悪く言はれて良く成る経綸であると明治二十五年から知らして置いた事の実地が出て参りたので在るから、世間から悪く言はれる程此の大本の教は結構になるので在るぞよ。今の人民は人から褒められると過ぎた事でも大変に歓こび且つ人にほこり高振りたがり、又自己を譏るのを聞いては実際なれば驚き周章て顏の色まで蒼くし、無い事を譏られると大変に立腹いたして名譽恢復の訴訟を起し、自己の過失を飾り、又は隠し、非を遂げて改心する事を知らず、自己の心の邪悪なるを知りつつ人が賞めて呉れると自己の邪悪は誰も知らぬと気を赦し、自己の欲する事は譬え少々罪悪なりと承知しながら善人の諫言を耳に入れず、却て其誠の人を悪人扱ひに致すやうに成りた今の世の中であるから、况して誠の神の申す事は聞きさうな筈はなけれども、天から貰ふた直霊の御魂にチツトは尋ねて見たら神の申す事は解らねば成らぬ筈で在るぞよ。結構な直霊を我身に抱え乍ら、小人罪を作りて知らぬとは余りで在るぞよ。間がな隙がな人の非事を探したり、人の名与を毀けて自己の眼識が高く成つたやうに考がへ且つ又たそれを偉いやうに思ふて自慢を致したり、天道に背いて俗悪世界の名与を求めたり、義に背いて利己主義を立貫き高貴に媚びへつらい、以て我身の栄達を計り人の目を眩まして利を企み、浮雲の如き富貴を希望して一生懸命に心身を労し、終には子孫断絶の因と成るを覚らず、我霊魂の永苦を省みず、只現在に於てのみ自己在る事を知つて人在る事を知らず、自己に利益あれば公道を破り、人を害ふをも顧みずして近きは其身を亡ぼし、遠きは其家を亡ぼす事を知らず、我程の立派な利発ものはなしと慢心して獣族境界に安んじ、親子兄弟他人の区別もなく、利害の為には互に敵視する今の世の中の有様。此様な沒義道な汚らはしき世が何時までも続きそうな事はないぞよ。此世が何時までも此調子で行く如うな事で在りたら天地の間は神は一柱もないので在るぞよ。今度は地の高天原の竜宮館から天地に神が在るかないかを明白に解けて見せて、世界の人民に改心さして松の世ミロクの神代と致して、世界一列勇んで暮すやうに世を替へて了ふのであるぞよ。夫れに成る迄に世界の黄泉津比良坂が在るから、今の世の中の精神を根本から立替て了ふて誠の日本魂に立帰り、神国成就の御用を勤めて、末代神国の名を残して下され、神が誠のものにはドンナ神力も蔭から渡して与るぞよ。一日も早い改心が結構であるぞよ。 明治二十五年からの筆先は充分に腹へ入れて見て貰はぬと、大変な取違いを致すものが出来るぞよ。この綾部へ出て来ねば神徳が貰えんやうに思ふて、一家を挙げて移住したり、今迄の結構な職業まで捨てたり、学校を退学したりして迄大本へ出て来るやうな事は神慮に叶はぬぞよ。大本の祝詞の中にも学びの術に戦の法に益々も開け添はりて玉垣の内津御国は細矛千足国心安国と云々と出てあらうがな。学びの術を捨てまで信心いたせとは申さんぞよ。それとも事情止むを得ぬ事があれば仕方はなけれども、悔しい残念を忍耐ることの出来んやうな身魂でありたら到底神の御用どころか我身一つさえも修まらんぞよ。是から大本の中も充分気を付け合ふて落度のなき様に心得て下さらんと斯の結構な神国の教の名を汚す事に成りて却て世界から悪るく申されても弁解の出来ぬ事が出来するぞよ。此の大本の名を汚すものは大本の中から出現するぞよ。外部からは指一本さわる事は出来ぬ完全で在と毎度筆先に出て知したが余程是からは何彼の事を気配いたして神の教に背かぬ様に善一筋の行ひを致して神の善き名を出やうに致して下されよ。何も分らずに人民の心の騒ぐ様な事を申で無ぞよ気を付るぞよ。 |
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伊都能売神諭 | 神諭一覧 | 大正8年6月3日 | 大正八年六月三日 大正八年六月三日筆 大国常立尊が永く、出口直霊主命の手を借り言を籍りて、世界の事を知らして置たが、斯世界は最早断末魔に近よりて来、昔からの悪神の仕組が、判然と解る時節に成りて来たぞよ。害国の悪神の頭が、昔からの永がい陰謀で、学と智恵と金の力とで、世界中を自由自在に混乱て来て、今度の様な大戦争を起して、世界中の人民を困しめ、人民の心を日増しに嶮悪いたして、自己の目的を立てやうと致し、満五ケ年の間に、トコトンの陰謀を成就いたす考でありたなれど、只一つの日本の国の日本魂が、悪神の自由に成らぬので、今に種々と手を代え品を代え、目的を立てようと致して、山の谷々までも手配りをいたして居るから、一寸の油断も出来ぬ事に成りたぞよ。 三千世界の九分九厘と成りて、今に動の取れん事に成りたから、昔からの神界の経綸で、竜宮館の地の高天原に変性男子と女子とが現はれて、天の大神様の御経綸を昼夜に、声を嗄して叫ばせども、学と智識と金力より外に何も無いと思ひ込で居る、世界の人民で在るから、何程神が気を付けて遣りても、一つも誠に致さぬから、神も助けやうが無いぞよ。此の世の裁判を致す迄に、早く改心致して、身魂を水晶に研いて居らぬと、何時始まるやら人民には判らんぞよ。神は日々に天からも地からも、言霊で知らして居れども、今の人民薩張り悪魔の器になり切りて、言霊の耳が無いから、脚下に火が燃えて来て居るのに気が付かぬから、又た神は日月なり、星にまで変りた事をして見せて気を付けて居るが、夫れでもまだ判らぬとは、克くも悪神に身魂を曇らされたものじやぞよ。天の大神様が経綸の蓋を御開け遊ばす時節が来たから、モウ改心の間が無いから、斯世に置いて欲しくば、一日も片時も迅く日本魂に立帰りて、神の分霊と申す丈けの行状を致して、天地の大神様へ御詫びを致すが何より結構で在るぞよ。 ◎ 撞賢木天照大神様の御命令を戴きて、三千世界の立替の為に、由良川の水上に神代開祖出口守が現はれて、清けき和知の玉水に、人の身魂を洗い世を清め、神政成就瑞純霊が、再び地の高天原へ現はれて、救ひの舟を造りて待てど、乗りて助かる身魂は千人に一人も六ケ敷今の世の有様、神が誠の事を申せば、今の人民は悪神に迷はされて、日夜勝手気儘の遣り方題、自己主義の者ばかりで在るから、力一杯誠の神の教を詈り嘲り其上に侮り辱かしめ、遂ひには此大本を打ち潰しに、新聞までが掛る様な、暗黒な悪の世で在るから、容易神の申す事は、今の人民は聞きは致さんから、モウ神は一限りと致すより仕様は無いぞよ。五年に満ちた大戦争も首尾能く片付き、世界は平和の栄光に輝き、人民は歓喜乱舞をいたして勇んで居れど、是れも夢の間で在るから、未だ未だ大きな戦争が出来て来るから、一日も早く神に縋りて、日本人の行状を致して居らんと、俄に吃驚り致す事が出て来るぞよ。日本も中々安心な処へは行かぬぞよ。腹帯を〆て掛れと申すのは、是からの事であるぞよ。木に日が掛り小里の者が騒ぎ出し、一人の小里の反対が、大変な騒ぎに成るぞよ。其他にも種々の市場が立つて、八釜敷なるぞよ。是も時節であるから、落行く所までは落ち行かさねば仕様が無いぞよ。今千騎一騎の活動を致して神界の御用に立たねば成らぬ時機であるのに、未だ気楽な事を申して、大本の中の遣り方を愚図々々申すものが在るが神界の仕組が人間に判と思ふから、慢心いたして小言を申すのであるぞよ。今度は天からの命令を、変性男子と女子との身魂が戴きて致す事であるから、何程利巧な人民でも学者でも判る筈が無いから、素直に致して、神の申す通りに赤子の心で居りて呉れよと、毎時筆先で知らして在ろうがな。神界の事が人民で判ると思ふて居るのが、夫れが慢神と申すもので在るぞよ。慢神と誤解が大怪我の基に成ると申して在ろうがな。早く心を入れ替て我を捨て神の申す様に致さぬと、取返しのならぬ不調法が出来するぞよ。 播州の上島が神界に深き因縁ありて、瑞の御魂の太古から鎮りて在りた、清らかな霊地であるのに、肝心の者が汚はしい獣の皮や毛で造りたものを持つて参りて汚したから、海上が大変に荒れたのであるぞよ。女子の御詫の徳で一日後れて無事[*ママ]に参拝を許して遣りたなれど、今後はモウ赦さむぞよ。上島は瑞の御霊の許し無しに参りたら大変な事が起るぞよ。肝川の竜神へも勝手に参拝致すと、後になりてから易りた事が身魂に出来て来るから、一寸気を付けておくぞよ。疑ふなら聞かずに行て見よ、其時は何事も無いが後で判る事が出来るぞよ。一度神が申した事は毛筋も違はむぞよ。大○○○部神○○○部チト気を付けて下さらぬと、取返しの成らん事になるぞよ。天災地変は何時の世にも在るものじや、政治、宗教、思想の変遷は、自然の大勢じやと申して油断を致して居ると世の終りの近づきた事が薩張り分らぬ様に成りて了ふて、後で悟悔いたさな成らぬぞよ。天地経綸の主宰者とも言はるる人民が、是だけ日に夜に天地から実地を見せて警告しても心の盲目、心の聾斗りであるから、其れで斯世は暗りじやと申すので在るぞよ。今の世界は一旦は治まりた如うに、表面からは見えるなれど、神の眼からは日に増しに騒がしく成りて居るぞよ。神の知らす内に、チツトは胸に手を当て考がへて見ぬと、互に恥かしき事が今に出来いたすぞよ。今の○○の役員の精神はゴタゴタで在るから、早く改心を致して、小我をほかして、大和心に立帰りて貰はむと、却つて大本の邪魔に成るぞよ。世界統一の神の御用致さな成らん○○の役員信者で在り乍ら、僅かの人民が寄りて居りて、夫れが統一出来ぬといふやうな次第で、堂して神界の誠の御用が勤まると思ふて居るか、判らんと申しても余りで在るぞよ。京都では○の会合所の行り方は、神を松魚節に致す行り方で在るぞよ。村○○の行り方も神の気勘に叶はむから、今の内に改めむと、神から取払ひに致すから、神界から気を付けておくぞよ。此大本は包み隠しの一つも出来ん所であるから、敵味方の区別は致さむぞよ。神の目から見れば、世界に一人も敵は無いなれど、人民が敵に成りたがるので在るぞよ。是からは少しでも間違ふた教を致したり、勝手な行り方を致したら、神界の大変な邪魔に成るから、筆先で遠慮なしに気を付けるぞよ。世界は大芝居に誓へて在りたが、三番叟も初段も済みて、二段の幕が開いたから、一日半時も猶予は成らぬから、神は厭なことでも構はずに厳しく警告すぞよ。自己の事斗りを先に致して、神の御用を序に致す位は未だ愚か、神を看板にいたして居る者も大分出来て居るが、今に目醒しを見せて遣るぞよ。 |