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書籍 内容
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(125)
ひふみ神示 4_天つ巻 第18帖 何時も気つけてあることざが、神が人を使うてゐるのざぞ、今度の戦で外国人にもよく分って、神様にはかなはん、何うか言ふこときくから、夜も昼もなく神に仕へるからゆるして呉れと申す様になるのざぞ、それには神の臣民の身魂掃除せなならんのざぞ、くどい様なれど一時も早く一人でも多く改心して下されよ、神は急ぐのざぞ。八月七日、一二の
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(361)
ひふみ神示 14_風の巻 第10帖 これからは、人民磨けたら、神が人民と同じ列にならんで経綸致さすから、これからは恐ろしい結構な世となるぞ。もう待たれんから、わからねばどいてみて御座れと申してあろが、わからんうちに、わかりて 下されよ。 肉体あるうちには、 中々 改心は出来んものぢゃから、身魂にして改心するより外ない者沢山あるから、改心六ヶ敷いなれど、 我慢してやり て下されよ。 時節には 時節の 事もいたさすぞ。 時節 結構ぞ。二月十六日、ひつぐの
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(404)
ひふみ神示 18_光の巻 第8帖 何によらず不足ありたら、神の前に来て不足申して、心からりと晴らされよ、どんな事でも聞くだけは聞いてやるぞ、不足あると曇り出るぞ、曇り出ると、ミタマ曇るからミタマ苦しくなりて天地曇るから遠慮いらん、この方に不足申せよ、この方親であるから、不足一応は聞いてやるぞ。気晴らしてカラリとなって天地に働けよ、心の不二晴れるぞ、はじめの岩戸開けるぞ。早のみ込み大怪我の元、じっくりと繰り返し繰り返し神示よめよ、神示肚の肚に入れよ、神示が元ざぞ、今度は昔からの苦労のかたまり、いき魂でないと御用むつかしいぞ。世のたとへ出て来るぞ。神が人の口使ふて云はせてあるのぢゃぞ。神国は神力受けねば立ちては行けんぞ、神なくして神力ないぞ、神なくなれば丸潰れざぞ。まわりに動く集団早うつくれよ。数で決めやうとするから数に引かれて悪となるのざ、数に引かれ困らん様気付けよ。この神示とくのはタマでないと少しでも曇りあったら解けんぞ。悪に見せて善行はなならん事あるぞ。この行中々ざぞ。此の世の鬼平らげるぞよ。鬼なき世となりけるのざぞ。判りたか。キリスト教の取次さん、仏教の取次さん、今の内に改心結構ぞ、丸潰れ近づいて御座るに気付かんのか。同じ名の神二つあるぞ。人民三つ四つにもおろがんで御座るぞ、ふみ出すもよいなれど、神示読むのが先ざぞ。神第一ざぞと申してあらうが。暫し待て。世界のふみ出す時来るぞ。アワの様な今のふみ何にもならんぞ、時待てと申してあらうがな、この巻から謄写もならんぞ、時来る迄写して皆に分けとらせよ。七月二十七日、ひつくの神。三年のたてかへぞ。
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(524)
ひふみ神示 24_黄金の巻 第13帖 神示はちっとも違はん。違ふと思ふことあったら己の心顧みよ。その心曇ってゐるのであるぞ。めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。神が人間になって働くのぞ。判りたか。新しき神国が生れるまでめぐりばかりがうようよと、昔のしたことばかり恋しがってゐるが、そんなこと何時までもつづかんぞ。三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。皆仲よう相談し合って力合せて進め進め。弥栄えるぞ。二つに分れるぞ。三つに分れるぞ。分れて元に納まる仕組。結構結構。理解大切。理解結構。思考しなければこれからは何も出来んぞ。拝み合ふことは理解し合ふことぞ。手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。何故に、心の手合せんのぢゃ。心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。サトルことぢゃ。苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。血ぢゃ。肉ぢゃ。かのととり。一二十
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(609)
ひふみ神示 24_黄金の巻 第98帖 大切なもの一切は、神が人間に与へてあるでないか。人間はそれを処理するだけでよいのであるぞ。何故に生活にあくせくするのぢゃ。悠々、天地と共に天地に歩め。嬉し嬉しぞ。一日が千日と申してあらう。神を知る前と、神を知ってからとのことを申してあるのぞ。神を知っての一日は、知らぬ千日よりも尊い。始めめは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、何時までも自分本位ではならん。止まると悪となるぞ。神の理は弥栄ぞ。動き働いて行かなならん。善と悪との動き、心得なされよ。悪は悪ならず、悪にくむが悪。一月三日
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(868)
ひふみ神示 35_極め之巻 第2帖 青玉の水江の玉ゆいよよ栄えむ。天地咲む神の礼白臣の礼白。天つ神の寿言のままに八十岩明けぬ。 守護神をよく致せば肉体もよくなるぞ。神の道は一本道であるから、多くに見へても終りは一つになるのぢゃ、今が終りの一本道入るところ、この道に入れば新しき代は目の前、神も今迄はテンデンバラバラでありたなれど、今に一つにならねばならぬことに、天が命じてゐるのであるぞ。人民の中と外も同様ぞ。今の人民はマコトが足らんから、マコトを申しても耳に入らんなれど、今度は神が人民にうつりて、又人民となりてマコトの花を咲かす仕組、同じことを百年もづづけてクドウ申すと人民は申すなれど、判らんから申してゐるのであるぞ。
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(1184)
霊界物語 04_卯_常世会議/国祖隠退/神示の宇宙 22 窮策の替玉 第二二章窮策の替玉〔一七二〕 いかなる美事善事といへども、天地根本の大神の御許容なきときは、完全に何の事業といへども、成功すること不可能なり。世界の一切はすべて神の意志のままにして、神は宇宙一切をして至美至善の境界に転回せしめむとするが第一の理想にして、かつ生命なり。ゆゑに如何なる善なる事業といへども、第一に神明を祭り、神明の許諾を得て着手せざれば、その善も神をして悦ばしむることを得ず。つまり神の眼よりは、自由行動の所為と見られ、かつ宇宙の大本たる神明の尊厳を犯すものとなるがゆゑなり。いはンや、心中大なる野心を包蔵し、天下の神人を籠絡したる八王大神、および、大自在天一派の今回の常世会議における、紛糾混乱怪事百出するなどは、国祖の神の大御心に叶はざりし確なる證拠なるべし。これを思へば人間はいかなる善事をなすも、まづ神の許しを受けて、至誠至実の心をもつて熱心にとりかからざるべからざるものなり。 ある信徒の中には、抜けがけの功名を夢み、神のため道のため、非常なる努力をはらひ九分九厘の域に達したるとき、その誠意は貫徹せずしてガラリとはづれることあり。その時にいふ、吾々は神のため、道のため、最善の努力をつくすにもかかはらず、神はこれを保護したまはず。神は果してこの世にありや。一歩をゆづつて神が果してありとせば、無力無能理義を解せざるものと嘲罵し、あるひは恨み、つひには信仰より離るる者多し。しかしそれこそ大なる誤解慢心と云ふべし。神が人間をこの世に下したまへる目的は、何事も神の命のまにまに、天地の経綸に当らしめむが為なり。もし、神にして善事ならば自由行動をなしても差支なしとする時は、ここに宇宙一切の秩序を破壊するの端を開くことを忌みたまふが故なり。ゆゑに、一旦神に祈願し着手したることは、たとへその事が万一失敗に終るとも、ふたたび芽を吹き出し、立派に花咲き実る時期あるものなり。これに反して自己の意志よりはじめて失敗したることは、決して回復の時期はなきのみならず、神の怒りに触れて、つひには身を亡ぼす結果をきたすものなり。 八王大神はじめ、常世姫らの連日の献身的大活動も、最初に神の認可を得ず、加ふるに胸中に大野心を包蔵しての開催なれば、成功せざるは当然の理なり。しかして八王大神の壇上にて病気突発したるは、大江山の鬼武彦が、国祖の神命によつて、邪神の陰謀を根本的に破壊せむとしたる結果なり。八王大神の急病によりて、常世城の大奥は非常なる混雑を極め、そのためせつかくの会議も、一週間停会するのやむなきに立ちいたりぬ。八王八頭をはじめ、今回会議に集ひたる神人は、代るがはる八王大神の病気を伺ふべく、夜を日についで訪問したりしが、常世姫は代りてこれに応接し、一柱の神人もその病床に入ることを許さざりける。八王大神は、日に夜に幾回となく激烈なる吐瀉をはじめ、胸部、腹部の疼痛はげしく、苦悶の声は室外に漏れ聞へたり。かかる苦悶のうちにも、今回の大会議の成功せむことを夢寐にも忘れぬ執着心を持ちゐたるなり。大神の病は時々刻々に重るばかりにして、肉は落ち骨は立ち、ちようど田舎の破家のごとく骨の壁下地現はれ、バツチヤウ笠のごとく、骨と皮とに痩きり仕舞ひけり。 常世姫は、重なる神人を八王大神の枕頭に集めて協議を凝らしたり。常世姫はいかに雄弁なりといへども、この大会議をして目的を達せしむるには、少しく物足りなく、不安の感あり。どうしても八王大神の顔が議場に現はれねば、たうてい進行しがたき議場の形勢なりける。 ここに謀議の結果、八王大神と容貌、骨格、身長、態度、分厘の差もなき道彦に、八王大神の冠を戴かせ、正服を着用せしめて、身代りとすることの苦策を企てける。道彦は招かれて八王大神の病室に入りければ、常世姫は前述の結果を手真似で道彦に伝へけるに、道彦は嬉々として、ウーと一声、首を二三度も縦に振りて応諾の意を表しければ、神人らは道彦に衣冠束帯を着用せしめて見たるに、妻の常世姫さへも、そのあまりによく酷似せるに驚きにける。 (大正一〇・一二・二三旧一一・二五加藤明子録)
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(2185)
霊界物語 37_子_出口王仁三郎自叙伝1 10 矢田の滝 第一〇章矢田の滝〔一〇二二〕 葦野山峠の西坂でマンマと牛糞をつかまされ、阿呆らしくて堪らず、稍自暴自棄的になつて、二三日の間朝寝をする、宵寝もする、天津祝詞の奏上や、鎮魂帰神の修業は中止してゐた。そうすると三日目の晩、又もや臍下丹田から例のグルグルが喉元へ舞ひ上り、 『アーアーアー』 と大きな声を連発し、暫くすると、 『阿呆阿呆阿呆!』 と呶鳴りつける。喜楽は思うた……本当に天狗の云ふ通り、阿呆も阿呆、図なしの阿呆だ。併し乍ら誰にも云はずに今まで隠してゐるのだから、大霜天狗無頓着にあんな声で、葦野山峠の失敗事件を喋りでもせうものなら、それこそ親兄弟、近所株内の奴に馬鹿にしられ、神さまの祭壇も取除かれて了うに違ひない、どうぞ大きな声を出してくれねばよいがなア……と心の中に念じてゐた。 大霜『コレ肉体、スツパ抜かうか、チツと貴様も困るだろ。どうせうかな』 とからかひ始める。 喜楽『どうなつと勝手にしなさい。元の土百姓や牧畜業者になつて了ひます。却て素破ぬいた方が諦めがついて宜しい』 大霜『そう落胆するものぢやない。まだお前は十分に身魂が研けて居ないから、モウ一度神が連れて行くから、水行をするのだ。小幡川原の水は体にしみ込んで垢がとれぬから駄目だ。今度此方がよい所へ連れて行つてやるから、其用意をせい。草鞋や脚絆をチヤンと拵へて、今晩の十二時に此処を立つ事にするのだ』 喜楽『又ウソを言ふのぢやありませぬか?』 大霜『嘘も糞もあつたものかい。モウ斯うなつた以上は何事があらうと神に任し、糞度胸を据ゑてかからねば何事も成功しないぞ。あの位の事でフン慨しとるやうな事ぢや駄目だ』 喜楽『モシモシ天狗さま、お前さまは大霜だと云つて居られるが、違ひませう。どうも云ひぶりが松岡さまらしい』 大霜『松岡でも大霜でも構はぬぢやないか、お前の魂さへ研けたらいいのぢや。本当の守護神が分らぬやうなこつては神柱も駄目だ。本当は俺を誰だと思うてるか』 喜楽『松岡さまにきまつてゐますワイ』 松岡『よう当てた、本当は松岡だ。奥山へ金掘りにやつたのも、牛の糞を掴ましてやつたのも皆此松岡だよ、アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ』 喜楽『馬鹿にしなさるな』 松岡『馬鹿の卒業生を馬鹿にせうと思つても、する余地がないぢやないか、エヘヽヽヽ。これからサア身魂の洗濯に連れて行かう。草鞋や脚絆がなければ下駄ばきでいいワ、サア行かう』 と腹の中からどなると共に、喜楽の体は器械的に立上がり、庭の駒下駄をはいたまま、夜の十二時頃に自宅を立出で、小幡川を渡り、スタスタと穴太を東に離れ、重利の車清の側の橋を越え、藪をぬけ、一町許り進むと、自分の足は土中から生えた様にピタリと止まつて了つた。そこには田園に施す肥料をたくはへる糞壺があつて、異様の臭気が鼻をついてゐる。腹の中から塊がクルクルと又もや喉元へつきつけ、 松岡『オイ肉体、真裸になつて此糞壺へ這入り、身魂の洗濯を致せ!』 と呶鳴り出した。体は自然に糞壺の方へ進んで行く。鼻が曲るほど臭うてたまらぬ。 喜楽『コレ松岡さま、こんな所へ這入つたら尚汚れるぢやありませぬか。綺麗な水で洗濯してやらうと言ひ乍ら、糞壺へ這入れとはチツと間違ひぢや厶いませぬか』 松岡『錆た刀を砥ぐ時も、生灰をつけたり、泥をつけたりする様に、お前のやうな製糞器は糞で研いてやるのが一番だ。糞より汚い身魂を持つてゐ乍ら、糞が汚いとは何を吐すのだ』 と大声に呶鳴り立てた。喜楽はビツクリして、 喜楽『ハイ、そんなら裸になつて這入ります。どうぞ大きな声を出さぬやうにして下さい』 と帯を解かうとする。 松岡『オイ待て待て、それさへ分ればモウよい。お前の体は機関だ、生宮だ。そんな所へ這入つて貰ふと俺も一寸困るのだ、アハヽヽヽ』 喜楽『私は元からの土ン百姓で、糞位は何とも思つて居りませぬ。糞がなければ五穀野菜が育ちませぬから、一遍這入つて見ませうか』 松岡『這入るなら勝手に這入れ。其代り此松岡は只今限り守護致さぬからそう思へ。あとはもぬけのから、狸の容物にでもなるがよからう』 斯う言はれると何となしに未練が湧いて来る。松岡神が人の体へ這入つて、ウソ計り言ひ何遍も失敗をさせよる仕方のない奴、こんな邪神は一時も早く退散させたいと思ふ事は度々であつたが、サテ之れ限り立退くと云はれると、何だか惜い様な気がして来るのが不思議である。 喜楽『そんなら、あなたの仰に従ひます。サア是から美しい水の所へ連れて行つて下さい』 松岡『コレから一里許り東へ行くと、矢田の滝というて東向きに落ちてゐる、形計りの滝がある。そこで水行をするのだ、サア行ケ!』 と号令し乍ら、喜楽の肉体を自由自在に操つて、足早に硫黄谷を越え、大池の畔を伝うて、亀岡の産土矢田神社の奥の谷に導き水行を命じた。そして一週間の間毎夜此滝に通ふ事を肉体に厳命した。喜楽はそれより毎夜々々淋しい山道や池の畔や墓場を越え矢田の滝へ通ふ事となつた。 矢田の滝へ通ひ始めてから七日目、今晩が行の上りと云ふ時になつて、なんとなく心の底に恐怖心が湧いて来た。奥の間にかけてあつた大身鎗をひつさげ、十二時頃自宅を立つて、穴太の村外れまで進んで来ると、自分の持つて居る鎗が心の勢か勝手に動き出し、リンリンと唸り声がして来る。鎗の穂先は夜でハツキリは見えぬが、自然に曲り鎌首を立ててゐる様な気がしてならぬ。黒い古ぼけた鎗を握つた積りでゐたのがいつの間にか太い蛇を握つてる様な気がして来たので、麦畑の中へ矢庭に放り込み、車清の方へ向つて進みかけた。此鎗を棄ててから余程恐怖心が薄らいで来た。 追々進んで硫黄谷の大池の側へ来て見ると、周囲一里もあると云はれてゐる山間の大池の中に二三丈計りあらうと思はる背の高い、それに恰好した太さの、赤い丸顔の男が深い池水に腰あたりまでつけて、バサリバサリと自分の方を向いて歩んで来る様に見える。髪の毛は縮み上る、胸は動悸が高くなる。一心不乱に『惟神霊幸倍坐世』を称へ乍ら池端を東へ東へと走りゆく。此怪物はどうなつたか、後は分らなかつた。前方に当つて青い火が、いつも灯つてゐない所に見える。進みもならず退きもならず暫く途中に立つて思案をしてゐると体がオゾオゾと慄ひ出す、益々怖くなつて来る、四方八方から厭らしい化物に襲撃されるやうな気がしてならない。あゝこんな時に松岡さんが憑つてくれるといいのにと思ひ、 喜楽『松岡天狗さま、松岡さま』 と大きな声で叫んでみた。自分乍ら声は大きうても、其の声に波が打ち、ふるひが籠つてゐた。かうなると自分の声まで厭らしくなつて来る。怖いと思ひかけたら、如何にも斯うにも仕方のないものである。……マア此処で暫く静坐して公平な判断をつけねばなるまい……と道の傍の芝生の上に腰を下し、姿勢を正しうして両手を組んで見た。されど自分の体も腰も手も足も、骨なしの蛸のやうになつて、グラグラして一寸も安定を保つ事が出来なかつた。たつた一声腹の中から、 『突進!』 といふ声が聞えて来た。其声を聞くと共に、俄に糞落着きに落着く事が出来た。そして心の中で……エー之れが霊学の修業だ、何れ霊界の事を研究するのだから、現界と同じやうな事では研究の価値がない、これが却て神さまの御守護かも知れぬ、今日は一週間目の修業の上りだ、高熊山の修業中にいろいろと霊界の事を見せて貰ひ、教へても貰うて居る。随分其時も厭らしい事や恐ろしい事があつた、これ位な事は霊界探険当時の事を思へば、ホンの門口だ……と直日に省み漸く腰を上げて、青い火の方へ進んで行つた。怖々火の側へ寄つて見れば青く塗つた硝子の行灯に火が点してある。途のわきがすぐ墓になつてゐて今日埋けたばかりの新墓に白い墓標が立つてゐる。気をおちつけて見れば、亀岡の稲荷下げをして居つた婆アで、御嶽教の教導職を勤めて居た六十婆アが死んだので、此処に葬つたのだと云ふ事が白い墓標の文字で明かになつた。ヤツと安心して漸く矢田神社の境内にさしかかり、社前の水で体を清め、御社の前で天津祝詞を奏上し、瞑目静坐などして夜の明けるのを待つてゐた。最早これから奥へ夜中に行く丈の勇気が臆病風に誘はれて無くなつてゐたからである。 夜はホノボノと明けて来た。そこらの様子が何となく昼らしくなつたので俄に元気を出し、細谷川を伝うて、一週間歩き馴れた谷路を登つて行く。併し実際は夜が明けてゐるのではなかつたと見え、再びそこらが薄暗くなつて来た。空を包んでゐた雲がうすらぎ、東の空から月が昇つたのが薄雲を通して光つたからであつた。二三町許り行つた所に、五十五六の骨と皮とになつた、痩た可なり背の高い婆アが、一方の手を前に出したり後へ引いたり、切りに樵夫が前挽をひくやうな事をやつてゐる。……ハテ怪体な奴が出やがつた。夜が明けたと思へば暗くなつて来る。そこへ川に臨んで婆アが妙な手つきをして体を揺つて居る。此奴ア、ヒヨツとしたら稲荷山の峰つづきだから、奴狐がだましてゐるのかも知れぬ。心よわくては駄目だ……と俄に空元気を出し、婆アの近くによつて、一生懸命の声で、 喜楽『コラツ!』 と呶鳴つて見た。婆アは此声に驚いて、折角発動してゐた手をピタリと止め、腰を屈めて、 婆『ハーイ、どなたか知りませぬが、何か御無礼な事を致しましたかな。妾は樽幸の稲荷さまに信心して居りまして、御台さまから神うつりの伝授を受け、今日で三年許り毎晩此処へ修業に来て居ります。おかげで右の手丈此通り御手うつりが出来出しました。モウ三年すれば又左の手に御手うつりがあり、それから胴うつり、頭にうつり、御口が切れるのが、マアマアザツと之から十年の修業で御座います。お前さまは此頃評判の高い、穴太の天狗さまぢや御座いませぬか』 喜楽『お婆サン、そんな年寄りがこれから十年も修行して居つたら、口の切れるのと死ぬのと一時になるぢやないか。モツと早う口の切れるやうにして上げようか。私が修業さしたら、一週間にはキツと口を切つて上げる』 婆『ハヽヽヽヽさうかが易く神様が憑つたり、口が切れるやうな事なら、此婆もこんな永い修行は致しませぬワイナ。早う口の切れるやうな神は碌なものぢやありませぬ。どうで狐か狸でせう』 と自分が豆狸にうつられて居乍ら、狐狸をくさしてゐる其可笑しさ。肥持ちが糞の臭を知らぬのと同じやうなものだなアと思ひ乍ら、此場を立去らうとすると、婆アサンは又右の手を樵夫が木をひくやうに動かせ乍ら、腰をキヨクンキヨクンと揺り動かし、動かぬ方の手をニユツと前に出し、 婆『コレもし、穴太の天狗さま、どうで御世話になりますが、一遍樽幸の稲荷さまに伺うた上頼みますワ。此間西町の御台さまが、樽幸の稲荷さまの弟子で居乍ら、余部の稲荷さまの方へ肩替しやはつたら、其罰で死なはりました。昨日葬式がありました。神さまの御機嫌を損ずると恐ろしいから、とつくり樽幸の稲荷さまに伺うた上御世話になりますワ』 喜楽『樽幸の稲荷さまはキツと反対するにきまつてゐる。此方は天狗さま、そちらは黒サンだからなア』 婆『コレコレ、何といふ勿体ない事を仰有る。あの神さまは正一位天狐御剣大明神さまだ。一の峰に御守護遊ばすお山一の御守護神さま。勿体ない、黒サンぢやなどと、狸にして了うとは、罰が当りますぞえ。そんな御方に御世話にならうものなら、どんな事が起るか知れませぬ。モウ是ぎりお前さまも妾の事を忘れて下さい、妾も忘れます。妙な因縁の綱がからまると互に迷惑しますからなア。六根清浄六根清浄南無妙法蓮華経……』 と一生懸命に唱へ始めた。喜楽はここを見捨てて二町許り上手の東向きの滝へ行つて見ると、いつも余り太くない滝が一丈程落ちて居るのに、今日は又如何したものか、五六間こつちから滝を見ると、真白けの者が立つてゐる。朧月夜にすかし乍ら、滝壺の前まで近よつて見ると、二十五六の女が白衣をつけて髪をふり乱し、滝にかかつてゐる。喜楽は神憑りと見て取り、 喜楽『何神さまで御座いますか、お名を聞かして下さい』 とやつて見た。滝にかかつた白衣の女は両手を組んだまま、頭上高く差し上げ、背伸びをし、少しく反り返つて、 女『力松大明神……』 と甲声で呶鳴つた。 喜楽『力松大明神とは何処の守護神ですか?』 女『稲荷山、奥村大明神の御眷族、力松大明神だ。此方を信仰致せば病気災難一切をのがらしてやるぞよ。其方は穴太の天狗であらう。今日で一週間の修行の上りと聞いた故、此肉体の外志ハルを、此方が誘ひ出し、其方に面会させる為に待つて居つたのだ。随分途中で怖かつただらうのう』 喜楽『分りました、どうぞ御引取を願ひます』 女『引取れと申さいでも、此力松大明神はそちの心をよく知つとるから引取るぞよ。ウンウン……』 と云つたぎり、亀岡旅籠町の外志ハルと云ふ神憑りは正気に帰つて了うた。 さうかうする間に夜はカラリと明け渡つた。二人はいろいろと神様の話をし乍ら外志ハルの頼みに依つて、旅籠町に廻り、夫の筆吉といふに面会して、互に道の為に助け合ふ事を約し、穴太へ帰つて来た。 (大正一一・一〇・九旧八・一九松村真澄録)
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霊界物語 42_巳_黄金姫&清照姫の入那の国の物語2 21 応酬歌 第二一章応酬歌〔一一四六〕 北光神『神が表に現はれて善神邪神を立別ける 抑神が人間を此世に下し給ひしは 天国浄土の繁栄を開かむための思召し 選り清めたる魂と魂高天原に現はれて 夫婦の道を開きつつ現界人と同様に 霊的活動を開始して情と情との結び合ひ 天人男女は相共に美斗能麻具倍比なしながら 清き正しき霊子を地上の世界に生み落し 人間界に活動する夫婦の体に蒔きつける 天より降せし霊子は父と母との御水火にて 忽ち母体に浸入し動静解凝引弛分合の 八つの力や剛柔流三つの体をもととして 十月の間母の身に潜みて身体完成し 霊子の宮を機関とし此世に現はれ来るなり 人の子として生れたる神の御子なる人々は 地上に於ける教育を完全無欠に受けながら 霊肉ともに発達し其成人の暁は 此世を捨てて天国の御園に帰るものぞかし 抑人間の肉体は天津御国に住ひたる 天人どもの霊の子が発育遂ぐる苗代ぞ 種蒔き苗立ち天国の田畑に移植する時は 人は愈現界を離れて天に復活し 天国浄土の神業に参加しまつる時ぞかし あゝ惟神々々神の御国は目のあたり 此地の上に建設し天国浄土の移写として 短き此世を楽しみつ元津御霊を健かに 磨きつ育てつ雲霧を押分け帰る神の国 あゝ有難し有難しイルナの都の刹帝利 セーラン王も今までは天津御国の消息を 知らざるために種々と地上に於ける欲望に 心を駆られ居たりしが三五教の御教を 聞きてやうやう人生の尊き使命を悟りつつ 短き此世に欲望を達成せむと企みたる 悪逆無道の右守をば直日に見直し聞直し 救ひ与へし健気さよ吾は北光彦の神 天の目一つ神司高照山を立ち出でて 汝が命の身辺を守り救はむその為に 暗に紛れて来て見れば実にも目出度き今日の空 月日の光も爽かに入那の城は永久に 花咲き匂ふ世となりぬ黄金姫や清照姫の 貴の命やヤスダラ姫竜雲司を始めとし テームス、レーブ、カル、リーダー其他百の司等の 清き心の花を見て喜び勇む胸の裡 三五教の御教が普く地上に亘りなば 敵もなければ味方なし善悪邪正おしなべて 尊き神の御恵に潤ひまつり天国の 姿を地上に現はすは今目のあたり見る如し 実にも尊き国の祖国治立大御神 瑞の御霊の大御神天教山に在れませる 木花咲耶姫の神大地をかねて守ります 金勝要大御神御稜威輝く日の出別 日の出神の神徳に忽ち開く常暗の 天の岩戸は永久に塞がであれや惟神 神の御前に北光の天の目一つ神司 至仁至愛の神の心もて天地万有一切に 代りて願ひ奉るあゝ惟神々々 御霊幸はへましませよ』 と歌ひながら、北光の神は悠然として奥の間より現はれ来る其不思議さ。セーラン王始め一同は突然の目一つ神の降臨に驚嘆やるかたなく、最敬礼を以て之を遇し、北光神を正座に招ぎ奉つた。 北光神は莞爾として一同を見廻し、 北光神『千早振る神の教の開け口 誠一つの手力男神。 手力男神の命は何処なる 誠を守る人の心に。 高天の原の御国は何処なる 誠に強き人の心に。 国治の立命の御舎は 汝が肉体の臍下丹田に。 入那山木の葉のさやぐ醜風も 凪ぎて静けき今日の空かな。 高照の山を立出で北光の 神の光は輝きにけむ』 セーラン『霊幸はふ神の光に照らされて 入那の闇は晴れ渡りけり。 恋ひ慕ふヤスダラ姫の肉体を 忘れ果てけり神のまにまに。 ヤスダラ姫神の命よ心せよ 汝をば憎む心にあらぬを。 さりながら誠の道に照らされて 消え失せにけり恋の黒雲。 美はしくいとしく思ふ吾胸は 今も昔も変らざりけり。 道の為め世人のために荒れ狂ふ 心の駒を引きしばり行く。 心にもあらぬ美辞を述ぶるより 神のまにまに打明かしおく』 ヤスダラ『有難し吾大君の御心は 幾世経ぬとも忘れざらまし。 大君よサマリー姫と常永遠に 御国を守れ神のまにまに。 今よりは三五教の神司 世人のために鹿島立ちせむ。 サマリーの姫の命に物申す 誠を捧げ王に仕へよ』 サマリー『心安く思召しませ姫命 朝な夕なに清く仕へむ。 君行かば後に残りし吾々は 心淋しく日を送るらむ。 さりながら神の御手に抱かれし 吾身の上を案じ給ふな。 大君に誠心を捧げつつ 吾国民を安く守らむ』 黄金『村肝の心の悩み失せにけり 姫と姫との和らぎを見て』 清照『天津日は御空に高く清照の 姫の心は輝き渡る。 カールチン右守の司に物申す 吾悪戯を許し給はれ。 何事も見直しするは神の道 もとより悪しき心ならねば』 カールチン『有難し清照姫の御言葉は 淋しき吾の生命なりけり。 今日よりは賤しき心取直し 神と君とに誠を尽さむ』 セーリス『斯くすれば斯くなるものと知りながら 引くに引かれぬ場合なりけり 天地の皇大神よ許しませ 知りて犯せし詐りの罪を』 北光『何事も皆惟神々々 霊幸はへませ教子の上に。 善しと云ひ悪ししと云ふも人の世の かりの隔てと聞直す神。 吾こそは天津誠の御教を 四方の国々開く神司。 さりながら月に村雲花に風 雪に朝日のあたる世の中。 何事も神の御胸にまかすこそ 高天の原にのぼる架橋』 セーラン王は声も涼しく歌ふ。其歌、 セーラン王『神が表に現はれてイルナの城に蟠まる 醜の枉津を追ひ払ひ言向け給ひし尊さよ 吾はイルナの刹帝利バラモン教の神司 鬼熊別の御教を朝な夕なに謹みて 仕へまつりし甲斐ありて妻子と在れます黄金の 姫の命や清照の貴の司に助けられ 又もや北光神司其外忠義の人々に 身を守られて入那城再び王と君臨し 世を常久に守り行く嬉しき身とはなりにけり 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むとも三五教の御教は 堅磐常磐に忘れまじ三五教やウラル教 バラモン教と種々に教の名称は変れども 天地を造り給ひたる誠の神は一柱 国治立大神の一つに帰するものぞかし 梵天帝釈自在天盤古大神塩長の 彦の命の御守護愈高く深くして 宇内唯一の三五の教に導き給ひたる 宏大無辺の神徳を謹み感謝し奉る 左守の司のクーリンス右守の司のカールチン 心を清め身を浄めいざこれよりは入那城 セーラン王の聖職を輔翼しまつり国民に 塗炭の苦しをば逃れしめ天国浄土の真諦を 導き諭し天国を地上に細さに建設し 人と生れし天職を上下睦み親しみて 仕へまつらむ吾心麻柱ひませよ惟神 神に誓ひて諸々の司の前に宣り伝ふ あゝ惟神々々御霊幸はへましませよ』 (大正一一・一一・二五旧一〇・七北村隆光録)
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霊界物語 □_特別編-入蒙記 06 出征の辞 第六章出征の辞 大正十年二月十二日、陰暦正月五日晴天白日の空に上弦の月と、太白星は白昼燦然として浪花の空に異様の光気[※底本(全集)では「光気」だが校定版や愛善世界社版では「光輝」に修正されている。]を放ち、天地の変動を示してゐる。此日日出雄は大阪市の玄関口梅田駅頭に、大正日々新聞社長として社務を総理してゐた。 此日は例の大本事件の勃発した日であつて、日出雄は同新聞社より京都府警察部へ招致され、次いで京都地方裁判所予審判事の形式的取調を受けて京都監獄に投ぜられた──大本にとつて実に印象深い日であつた。此天空に於ける異様の現象は之に止まらず、下つて大正十三年二月十二日、而も同日の天空に楕円形の月と太白星が白昼燦然と輝き出した。日出雄は天空を仰いで去る大正十年の二月十二日を追懐せずには居られなかつた。而も満三ケ年を経た同月同日の白昼に、天空に同様の異変あるは決して只事ではあるまい。愈々自分が神命を奉じ万民救済の為、人類愛実行の為、天より我にその実行を促すものと考へたのである。これより彼は俄に渡支の決心を定め、今夜の中に出発せむことを数名の側近く侍する役員に告げた。あまり急激な彼の宣言に侍者は稍狼狽の気味であつた。けれ共彼は神命を信じ、是非今夜出発せむと決心した上は、彼の平素のやり方に対し到底その考へをひるがへすことは出来ない事を知つてゐた。 和知川の清流、並木の松を逆に映し、魚は松樹の枝に躍つてゐる。颯々たる松風の音、水面に魚鱗の波をただよはしてゐる。その傍に悄然として建てる祥雲閣は、彼が病躯を横へて十万枚の原稿を口述したる霊界物語の発祥地であつた。 此日彼は俄に旅行の決心を定め、祥雲閣の主人中野岩太氏に別れを告ぐる為、二三の従者と共に訪ねて来た。東京より来合せてゐた佐藤六合雄、米倉嘉兵衛、米倉範治を初め、十数人の熱心なる信者が期せずして集つて来た。此時彼は神示の経綸実行の一歩を進むべく蒙古入の決心を打明け、且つ一場の演説を試みた。彼の演説 日出雄『神縁に依つて私が茲に神の経綸の一端に奉仕し、今晩を期して愈々渡支渡蒙を決行せむとするに当り、招かずしてお集りになつた諸氏は必ずや神界の深き経綸の糸に引かれて、お出になつた方々と固く信じます。我大本は既成宗教の如く、現界を厭離穢土となし未来の天国や極楽浄土を希求するのみの宗教ではありませぬ。国祖の神の仁慈無限なる神勅に依り、日本神州の民と生れたる我々皇国の臣民は、此の尊き大神様の御神示を拝し、上は御一人に対し奉り、下は同胞の平和と幸福の為めのみならず、東亜諸国並に世界の平和と幸福を来すべき神業に奉仕せなくてはならない責任を持つてゐるのは大本信者でありませう。御神示にある通り「大正十年の節分が済みたら変性女子の身魂を神が人の行かない処に連れ行くぞよ」とお示しになつて居ることは、皆さま御承知のことと思ひます。その神示は毫末の間違ひもなく、二月十二日私は御承知の京都監獄に投ぜられたのでありました。そして又本回も節分祭のすみた十二日に、人のよう行かない処へ行かねばならぬ神の使命が下つて来たやうに考へられてなりませぬ。私は日本建国の大精神を天下に明にし、万世一系の皇室の尊厳無比なる事を洽く天下に示し、且つ日本の建国の精神は征伐に非ず、侵略に非ず、善言美詞の言霊を以て万国の民を神の大道に言向和するにある事を固く信じます。凡て世界の人民を治むるは武力や智力では到底駄目です。結局は精神的結合の要素たる、凡ての旧慣に囚はれざる新宗教の力に依るより外はないと信じます。 つらつら現今の我国情を考へて見まするに、我国の人口は年々七十万宛の増加を以て進みつつあると統計学者は云つて居ります。此割合で進んで行けば大正三十一年には七千七百万の同胞となり、同じく五十一年には一億余万人に達すると云ふ計算になります。兎に角我国人口の増加は年々の事実の証明する処であつて、之に要する食糧品たる米麦が現に年々七八十万石の不足を告げつつある事も亦事実である以上、此人口と食糧との不均衡は、我国存立の上に於て一問題たらねばなりませぬ。国内現在の未墾地を開拓し耕地の整理を徹底的に断行すれば、約二百万町歩の水田火田が得られ、二千万石の米麦の増収が出来るとの説もありますが、乍然此開墾や整理は何時になつたら完成されるでせうか。仮令我官民が熱誠努力の結果、幾十年かの後にそれが完成されるものとしても、その時には人口は既に一億以上になつてゐる筈であります。此の人口と食糧との均衡が依然として保たれるでせうか。国家の前途を案ずれば百千年の長計を目途とせねばならぬ。一時の糊塗策は決して国家永遠の存立を保障することは出来得ないでせう。乍然我国の植民政策はかかる基調から発足してゐるやうであります。殊に我国家将来の存立及発展に就ては単に米麦が満足に得らるるのみではすまされませぬ。日進月歩の世界の前途には、鋼鉄や綿類や毛布皮革等を主として幾多の物資が無限に需要さるる事は、今日に於ても明なる題目であるのに、我国に於ては之を将来に充実せしむべき安全なる政策が立つて居りますか、実に思うて見れば心細い次第であります。一朝有事の時に、海外からその供給を断たれたならば、我国は如何なる方法を以てその需要を充たす事が出来やうか、思うて此処に至れば実に慄然たらざるを得ないのであります。我国為政の局に当る人々は国家の前途を焦慮した結果、植民政策なるものを立て、過剰の人口を他に移して、その移住者の生活の安定を得せしめむとして居ります。 先づ第一に合衆国の如き異人種憎悪に富んでゐる国土の外、メキシコや、南米や、南洋諸島を目的としてゐるやうですが、国家万年の長計からすれば、此等の遠隔の諸地方へ農耕移民を送つた計りでは済みますまい。我接境の比隣には国家としての支那や露西亜があり、相互の関係は善にもあれ、悪にもあれ到底離るべからざるものがあるのであります。又我領土内には朝鮮あり、その将来については所謂識者と云はるる人々が不断に頭をなやましてゐるやうです。我皇国がその永遠存立を安全ならしめ、関係諸国と共に共存共栄の福利を楽しまむとすれば、是非とも之に添ふべき一大国策を樹立せなくてはなりませぬ。所謂帝国の満蒙政策は即ち此目的精神から立てられたものであります。蓋し満蒙の地はその位置が支那本部と露領シベリアとの中間にはさまり、我朝鮮とは鴨緑の水を隔てて相連つてゐるのみならず、あらゆる産業の資源備はらざるなく、開発の前途は実に春風洋々の感があり、而も近世の歴史的関係は必然的に我皇国がその開発任務を負はねばならぬやうになつたのであります。故に今我国が上下一致努力して既定の開発策を徹底せしむるには、我対支政策全部の基調を満蒙におくことにより、行詰つた日支関係の現状を相互的に善導し得ると共に、将来永遠の円満策を樹立する事が出来るでせう。又ロシアとの交渉の中継点とする事が出来るでせう。鮮人多数に生活の安定を得せしめて、朝鮮統治上の有力なる補助とする事も出来るでせう。人口食糧調節の上にも実に偉大なる効験をなし得らるるでせう。又我重要物資の供給地たらしむる事も出来るでせう。我皇国国防の第一線要地たらしむる事も出来るでせう。乍然満蒙の経営は議論と実地は大変に径庭がある。如何なる有識者の徹底せる立策と雖も、肝腎要のその人を得ざれば到底完成するものでは無い。渺々として天に連る満蒙の大沙漠、此処には無限の富源が天地開闢の当初より委棄されてある。此の蒙古の大平原こそ天が我国に与へたる唯一の賜物でなければならぬ。 我国の為政者が満蒙開発策として満鉄を敷設し、鄭家屯や、洮南府や、パインタラの東蒙古の一部に少し計り手をつけてゐる位では、到底此開発策は物にはならないであらう。どうしても我皇国存立の為、東亜安全の為、世界平和の為に、我国が率先して天与の大蒙古を開拓せなくてはならない位置にある事を私は固く信じます。そしてその目的を達するには、旧慣に囚はれざる新宗教の宣伝を以て第一の手段方法と考へるのであります。我国に於ける既成宗教の現状を見れば、宗教の発展どころか、現状維持に汲々たる有様ではありませぬ乎。気息奄々として瀕死の境にある我国の既成宗教が、如何にして此大事業に着手するの余裕がありませう。又一人の英雄的宗教家の輩出せむとする気配もなき、我国の瀕死的宗教に頼るの愚なる事は言をまたないでありませう。故に私は日本人口の増加に伴ひ発生する生活の不安定を憂慮し、朝鮮に於ける同胞の安危を憂ひ、次いで東亜の動乱の発生せむ事を恐るるのあまり、愈々神勅を奉じて徒手空拳二三の同志と共に長途の旅に上らむとするのであります。私は御承知の通り支那語も蒙古語も皆目知りませぬ。さうして蒙古は我国の面積に比べて殆ど十六倍の面積があり、その民は慓悍にして支那民衆の古来恐怖する獰猛の民である。加ふるに馬賊の横行甚しく、旅人を掠め生命を奪ひ、日支人の奥地に入るものは一人の生還者もないと伝へられてゐる蒙古の地に、大胆と云はふか、無謀と云はふか、殆ど夢に等しい経綸を胸に描いて出て行く私としては、実に名状すべからざる感慨に打たれるのであります。然し乍ら私は天地創造の神を信じます。天下万民の為に十字架を負ひあらゆる艱難を嘗め、生死の境に出入することを寧ろ本懐とするものであります。今の時に於て満蒙開発の実行に着手せなくては、金甌無欠の我皇国も前途甚だ心細い事になるであらうと憂慮に堪へないのであります。吾々は神の国に生れ、神の国の粟を喰み、神の国の大君に仕へ、神に選まれたる民として、今日の世界の現状を坐視するに忍びないのであります。どうか今此の席にお集りになつた神縁深き諸氏は、今回の私の遠征の首途に対し御諒解あらむことを希望致します。云々』 と述べ終り、記念の為とて祥雲閣の襖に左の如き文章ともつかず、詩ともつかないやうな文字を書いた。 推倒全身之智勇。開拓万里之荒原。神竜雖潜淵。曷池中物。天運茲循環来而。代天地樹立鴻業。嗚呼北蒙之仙境。山河草木凝盛装。歓呼而待望我神軍到矣。英雄之心事亦々非壮快哉。[※全身の智勇を推倒し、万里の荒原を開拓す。神竜、淵に潜むと雖も、いづくんぞ池中の物ならむや。天運ここに循環し来たり、天地に代はりて鴻業を樹立す。ああ北蒙の仙境、山河草木盛装を凝らし、歓呼して我が神軍の到るを待望す。英雄の心事、またまた壮快に非ずや。] 又彼は発車の間際まで嘻々として快活に東亜の経綸を談じつつ頻りに筆紙を動かして居た。傍より伺ふ者の目には、寸時の後に海外万里の未開国に向つて出発する人の態度とは見えなかつた。彼が出発の際に詠んだ沢山な歌がある。その中の一首を左に紹介しよう。 日地月星の団子も食ひ飽きて今や宇宙の天海を呑む ここに至つて彼の心理状態の益々異状なるに驚かざるを得ない。神か、魔か、人か、誇大妄想狂か、二重人格者か、将又変態心理の極地に達せる狂人か、殆ど評するの言葉も出ない。 (大正一四、八、一五、加藤明子筆録)
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大本神諭 神諭一覧 明治32年旧2月(日不明) 明治三十二年旧二月 出口直の御子八人を名の有る御ン方に致して御礼申すぞよ。此の出口直には艮の金神は大恩が在る故に、珍らしき事を致して御礼申すぞよ。此の因縁は何神も中古に出来た神では知らん事、太古から経綸の致して在ることで在るから、直の因縁は天では御三体の御神様丈けなり地では金勝金之神様と龍宮の乙姫様丈けより御存じ無いのじゃぞよ。世を開く神の経綸も知りて居いでる神が無いから誠に改心させるのに骨が折れるなれど何も間違ひの無い事、皆元源へ降参致して来ねば行けぬ様に成りて来るぞよ。判りた御ン方から良く致してやるので在れども、此の者こそと思ふて綱を掛けて見ても、人民ではナカナカ判らん事が在る故に、神の力に成るやうな誠の人民が無いから、是から直を何処へ連れ参らうやう判らんぞよ。余り世界が悪開けに開けて居るから、何を申して与りても悪うよりやう感得らんから、助かる身魂までが止むを得ず助からんやうな事が出来て、気の毒なもので在るぞよ。今の人民天地の親神の誠心を捨てて、我れの勝手から我が身を攻めて居るので在るから、此の儘で人民の力で、末代の世を続かさうと思ふても、モウ行けん事に世が迫りて来たぞよ。 艮の金神は今迄の悪道な世を、善一ツに立替致す神で在るから、此神の信心は、腹の底から改心致して、誠の日本魂に立帰りて下さらんと、チットも利益は与らんぞよ。さる代りには世界を助ける為には、ドンナ忍耐でも致すと言ふ位な精神の在る人民なれば、ドンナ神徳でも授与して、世が治まりてから結構に御礼申すぞよ。世界の人民の心を直す神で在るから、病ひ位は水晶の心で頼むならば、直ぐに利益は与るぞよ。ドンナ利益でも与るなれど、改心致さそうと思へば辛いと申して逃げて了ふやうな、気のアカン器の小さい人民斗り、世界の御用に立てるやうな身魂はナカナカ無いが、出掛た舟で在るから、是でも見ておざれよ。昔から神が経綸致した一厘の御ン種で、三千世界を開いて見せるぞよ。霊徳を落すやうな人民は、イヅレは気の毒が出来るなれど、モウ神にも出口にも是れに落度は在ろまいから、不足は申して下さるなよ。力に成る御ン方は夫れ夫れ用意が致して在るぞよ。慢神致すと結構なお蔭を他所へ取られるぞよ。此の神は御用に立てやうと思ふたら、トコトン迄気を引くぞよ。十分胴をすへて居らねば、チョカツくと後の鳥が先に成りて、羞かしき事が出来るぞよ。 ○ 今迄とは神の守護が変るから、法律制度が変りて、是迄の事は何も用ひん、元の神国へ世を復帰すから、従前の事を申して威張りて居りても何の効も無いぞよ。従前の世は逆様の世で、世界を創造た神、世界を守る神が人民にアヤマリて居りたが、神の神力が出る世が参りて、是れからは覿面に、何によらず色別て見せるぞよ。天地が本然へ復帰りて、神が上に成り人民が下に成らねば、世は治まりは致さんぞよ。艮の金神は使ひホカシには致さんぞよ。何なりと御用を勤めて下さりたら、其の人の心の通りの御礼は致すぞよ。結構に世話を致して下さる御ン方ほど、御礼は遅く成れど、遅いのは結構なのじゃ。心の改め次第で御礼は万倍にして御返し申すぞよ。 ○ 世の立替といふ様な大事業な事を致さな成らん時節が参りて来て居るのに、我れの事など致すどころで無いぞよ。盲者聾者斗りが、先途の事はチットも判らずに、今日さえ好けりゃ良いで、皆が欲斗りにホウけて居るが、世が変るから前途の欲は致さいでも、神に信頼て居りたら、世界の身魂が皆調査て在るから、一人もツツボには致さぬぞよ。人民は皆神の子で在るから、皆和合致して仲能く生活を致して下さりたら神も安心致すなれど、人民が神を押込めて、我が大将に成りて、天地の所有物を我が力で取り勝ちに致して居るが、世界の洗濯致すに付いては、世界の万有は一旦天地へ取り上げるぞよ。裸体の刀剣に袴を穿かして、見せて在ろうがな。今迄上へ上りて好かりた人民は裸に成りて苦しむし、下へ落て苦労致して居りた神は好く成るのじゃぞよ。田地求めて家倉土蔵を建て、金銀を積で我が物と思ふて居りても、皆天地から世話が命して在るので在るから、欲を致して人の苦労に憐情の無い人民は、大掃除が始まると気の毒が出来るぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 明治36年旧8月16日 明治三十六年旧八月十六日 是までの世は魔法の世で、悪神悪人の世で在りたから、斯世に良き事をして居ると思ふて為て居る事が、逆様斗りをして居るから、斯世は真逆様に成りて居るといふ事が、大の字を逆様に書いて、何処の宮にも路傍にも、弁天堂にも、不動の祠にも、電信の柱にも、平岩にも、行先に書いて見せて在るなれど、其様な事に気の附く人民が無いぞよ。今の世界の人民には、何結構な事の実地をして見せても、解ける人民一人も無いぞよ。出口直は商内に行て、先々で○に十、大の字逆様の書いてあるのを見て、之は変な事じゃと思ふて立てりて、肝腎の商内を忘れて考へて居りたぞよ。皆艮の金神が人に憑りて、書して置いたので在るぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 大正6年旧3月9日 大正六年旧三月九日 天地の御恩の解りた身魂が無い故に、斯世が真暗りに成りて了ふて、盲目聾者の世であるから、神界の深い経綸や思召が解らんから、日本の霊の元の国が無情ほど惨い事に成りて居るのを、神国の○と申しても余りで無いか。何う致す事も出来んやうに成下りて了ふて、天の御先祖さまへ何と申訳をいたすので在るか。早く神の申す事を、誠に致して聞入れぬと、末代の世を持つといふ事は出来んから、一日も早く改心致して、御先祖の神様の光を出さねば、三千世界の総損害になりて、世界は全部泥海に成るより仕様がないから、艮金神が三千年余りて世に落ちて居りて、世界を助けたさに苦労艱難をいたして来たが、時節参りて変生男子の霊魂の宿りて居る出口直の体内を借りて、日本の元の大神の光を出すのであるから、確りと致さんとこの世は此儘では治まらんぞよ。世に落ちて居る出口直に言はす事であるから、上に立ちて居る守護神の耳へは這入にくいなれど、今に斯世は上下に覆るから、今の中に聞いて其覚悟を致さんと、今迄のやうな世の持方は何時までも為せては置んから、各自に其覚悟を致すが宜いぞよ。今聞いて其様の行ひに代へて居らんと、大峠が近よりたからモウ改心の間が無いから、モウ一度気を附けるぞよ。彼所此所に守護神が人民の肉体を借りて、今度の世の立替は己が為ると申して、大分気張りて居るなれど、如何したら世が代るといふ肝心の事が、外の身魂では解らんので、到底九分九厘までより成就いたさんから、腹の中の塵埃を皆大河へ流して了ふて、其上に改心を致して、この大本へ御出なされよ。力を付けて手を引き合ふて、世の立替の止めを刺して手柄を致さすぞよ。今度の事は外では経綸が上十いたさんぞよ。
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伊都能売神諭 神諭一覧 大正8年2月20日 大正八年二月二〇日 大正八年二月二十日旧正月二十日 艮の金神国常立之命の御魂が瑞の御魂の宿りて居る言霊幸彦之命の手を藉りて世界の根本の成立を書きおくぞよ。天は日の大神月の大神様は御両神が御固め遊ばしで結構で在れど、地の世界は八百万の荒神を使ふて所々の持場をそれぞれに凝めたなれど、山にも野にも草木一本もなく、全然炮烙を伏せた如うな有様で在つたから、国常立之尊が一旦天へ登りて御両方の大神様に地上繁栄の御指示を御願申上げたら、天の御二方様が仰せには、世界の大体を固めるには勇猛な神力が要るから、○○の姿でなければ活動が出来ぬなれど、斯の通山川海野が出来上りた上は山野に草木を生やさねば成らぬから、天にも夫婦が水火を合して活動したので在るから、地にも夫婦と云ふ事を拵らえて陰陽を揃えねば成らぬとの御神言で在つたから、艮役の金神が女房を御授け下されたいと御願申上げると、天に坐ます御二方様が頭に角の四本ある○○のヒツジ姫命[*底本では「ヒツジ」ではなく「ヒツシ」になっているが誤字と思われる。]を女房に御授け下さりたから、艮の金神は未姫の神と夫婦と成り両神が水火を合して山に向つて、ウーとアーの言霊を産み出し、一生懸命に気吹を致すと山の上に雌松が一本生えたのが木の世界に現はれた根元であるぞよ。 松が一本限りでは種が出来ぬから、今度はヒツジ姫が一神で気吹放ちを致すと、又た雄松が一本出来たので、二本の松の水火から松傘が実のり種を生みして今の様な世界の良き土地に限りて、松が繁り栄えるやうに成りたので在るぞよ。松を木の公と申すのは世界に一番先きに出来たからで在るぞよ。綾部の大本は天地の初発の神が現はれて世界の経綸を致す霊地であるから、松の大本とも申すので在るぞよ。 天に坐ます日の大神伊邪那岐之尊様が九天の日向のアオウエイ五大母音のカサタナハマヤラワで禊身し給ひ、祓戸四柱の神様を生み遊ばし、最後に右の御眼を洗ひて月球を造り、左の御眼を洗ひて日球を造り、御鼻を洗ひ給ひて素盞嗚之命を生み遊ばし、御自分は天の日能若宮に鎮まり遊ばし、月の大神様は月界の御守護を遊ばす事に成り、天照大御神様は天上の御主宰と成られたが、素盞嗚命は海原を知召す可しと仰せられたので、天より御降りに成り海原の守護と成られたので在るぞよ。海原の守護と申す事は全地上の主宰であるが、艮の金神坤の金神が既に大体を修理固成いたした所へ大地の主宰神が御降りに成つたので、天にも御両方の神様が御固め遊ばした所を天照皇太神宮様が総主権を御持ち遊ばしたので在るから、地の世界も天に従ふて主権を素盞嗚尊に御譲り申上げ艮の金神坤の金神は地の上の一切の世話を致して時節を待つ事に致して居りたぞよ。此大神様は神代の英雄で何事もハキハキと万事を片付ける器量の在る神様で在れど、余り行り方が激しかつたので、地の上の守護神が色々と苦情を申して終には大神の御命令を一柱の神も聞かぬ如うに立到つたので、大神様も地の世界が厭に成り、月の大神様の守護遊ばす夜見の国へ行くと云ふ覚悟を遊ばしたのであるが、夫れまでに天に坐ます姉神の天照皇太神宮に暇乞を成さんと仰せられ、大変な御勢いで天へ御登りに成つたから、山川も国土も一度に震動して大変な事変に成つたので在る。そこで天上に坐ます天照大御神様が非常に驚きなされて、彼の如うな勢いで天へ上り来るのは此の高天原を弟神素盞嗚尊が占領する心算で在ろうと思召して、大変な戦いの用意を為して御待受けになり、天の八洲河原に於て互に誓約を遊ばし、御両神様の御魂から五男三女の八柱の神が御生れ遊ばしたので在るが、是が神が人間の肉体に成りた初りで在るぞよ。口で申せば短いなれど、此の誓約を遊ばして八柱の神を御生みに成る間と云ふものは数十万年の永い月日[*ママ]が掛りて居るぞよ。其間に艮の金神と坤の金神が相談いたして天照皇太神宮様の御妹神若日女君命を天から下げて戴き、地の世界の主宰神と仰ぎ奉り、世界経綸の機を織りつつ世界を治めて居りたので在るぞよ。若姫君之尊は三男五女神の八柱神を養育して立派に神代の政治を遊ばして居れた処へ元の素盞嗚之命様が又た地の世界へ降りて非常に御立腹遊ばして若姫君の命の生命を取り天も地も一度に震動させ再び常夜の暗となり、万の妖神が荒れ出し何うにも斯うにも始末が付かぬ如うに成りたので天に坐ます天照大御神様は終に地球之洞穴へ御隠れ遊ばし、天も地も真の暗みと成つて了ふたので、八百万の神々が地の高天原の竜宮館に神集ひして、艮の金神は思兼神となりて色々と苦心の末に天之岩戸を開き天地は再び照明に成つたので在るぞよ。 そこで神々様の協議の結果、素盞嗚尊に重き罪を負はせて外国へ神退いに退はれたので、素盞嗚尊は神妙に罪を負ひ贖罪の為に世界中の邪神を平定遊ばし終には八岐の大蛇を退治して、叢雲の剣を得之を天照皇大神に奉られたので在るぞよ。其時に退治された八頭八尾の大蛇の霊が近江の国の伊吹山に止まり、日本武命に危害を加へて置いて元の露国の古巣へ迯げ帰り、色々として世界を魔の国に致す企みを致して今度の世界の大戦争を初めたので在るぞよ。日本を一旦は覗ふたなれど、余り神力の強い国土であるから、海を渡りて支那や、印土を乱だし、露国までも潰ぶし、モ一とつ向ふの強い国の王まで世に落し、まだ飽き足らいで今度は一番大きな国へ渡り日本の神国を破りて魔の国に致す仕組を致して居るから、日本の人民は日本魂を研き上げて、一天万乗の大君を守り大神を敬まい誠を貫かねば、今の人民の如うに民主主義に精神を奪られて居るやうな事では、今度は八岐の大蛇に自由自在に潰されて了ふから、日本神国の人民は一日も早く改心致して下されと、クドウ神が申すので在るぞよ。 素盞嗚命は外国へ御出遊ばして一旦は陣曳を遊ばしたので、地の世界に肝心の主宰神がなく成りたから、撞の大神様が元の地の世界を締固めた国常立之尊に改めて守護致すやうにとの御命令が下りたので、夫婦揃ふて一旦潰れて了ふた同様の世界を守護いたして居りたなれど、余り厳しい固苦しい世の治方であるから、八百万の神々が心を合はして天の大神様へ艮の金神根の国へ退去するやうの御願いを成されたので、天の大神様は兎も角も時節の来るまで差控へよとの厳命でありた故に、神教の通り素直に艮へ退去いたしたので在りたぞよ。其時から艮の金神は悪神と云ふ名を八百万の神から付けられて悔し残念を堪り詰て来た御蔭で、一旦斯世が泥海に成る所を受取りて世の立替の後の立直しの御用を勤めさして頂くやうに成りたので在るから、何事も時節を待てば、煎豆にも枯木にも花の咲く事があるから、時節の力くらい恐いものの結構なものはないから、人民も物事を急かずに時節さえ待ちたら何事も結構が出て来るから、辛抱が肝要であるぞよ。 艮の金神が世の初りに地の世界を造り固め、次に夫婦が呼吸を合して、種々の樹木や草を生み出した其間が数万年、夫れから蛇体の神計りでは世界の隅々まで細やかに開く事が出来ぬから、八百万の神の知らぬ間に人間を作る事を考がえ終に夫婦の人間を水と火と土とで造りたのが永い間掛りて苦労致したので在るぞよ。五男三女の八柱神は竜体から変じて生れられたので在れど、普通の人間は土の中で蒸し湧したので在るぞよ。今は暗りでも人民が安々と出来るやうに世が開けて人民が腹に児を孕むやうに容易い事になりて居れども、矢張り艮坤の両神が守護いたさぬ事には猫の子一疋産むと云ふ事は出来ぬので在れども、今の人民は男と女と寄りさへすれば何時でも勝手に児が生れるやうに取違いを致して居るから、神の恩と云ふ事を一つも思はぬから、我児が我の自由に言ふ事を聞かぬ様に成るので在るぞよ。我の体内を借りて生れるから、仮に我児と名を付けさして在れど、実際は神が天地経綸の為に道具に使ふやうに生まして在るのじやぞよ。