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ひふみ神示 6_日月の巻 第40帖 ここに伊邪那美の命語らひつらく、あれみましとつくれる国、未だつくりおへねど、時まちてつくるへに、よいよ待ちてよと宣り給ひき。ここに伊邪那岐 命、みましつくらはねば吾とつくらめ、と宣り給ひて、帰らむと申しき。ここに伊邪那美 命九聞き給ひて、 御頭に大雷、オホイカツチ、 胸に火の雷、ホノイカツチ、 御腹には黒雷、黒雷、 かくれに折雷、サクイカツチ、 左の御手に若雷、ワキ井カツチ、 右の御手に土雷、ツチイカツチ、 左の御足に鳴雷、ナルイカツチ。右の御足に伏雷、フシ井カツチ、なり給ひき。 伊邪那岐の命、是見、畏みてとく帰り給へば、妹伊邪那美 命は、よもつしこめを追はしめき、ここに伊邪那岐 命黒髪かつら取り、また湯津々間櫛引きかきて、なげ棄て給ひき。伊邪那美 命二の八くさの雷神に黄泉軍副へて追ひ給ひき。 ここに伊邪那岐 命十挙 剣抜きて後手にふきつつさり、三度黄泉比良坂の坂本に到り給ひき。坂本なる桃の実一二三取りて待ち受け給ひしかば、ことごとに逃げ給ひき。 ここに伊邪那岐 命桃の実に宣り給はく、汝吾助けし如、あらゆる青人草の苦瀬になやむことあらば、助けてよと宣り給ひて、また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり給ひて、おほかむつみの命、オオカムツミノ命と名付け給ひき。 ここに伊邪那美 命息吹き給ひて千引岩を黄泉比良坂に引き塞へて、その石なかにして合ひ向ひ立たしてつつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢 命、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊邪那岐 命しかよけむと宣り給ひき。 ここに妹伊邪那美の命、汝の国の人草、日にちひと 死と申し給ひき。伊邪那岐 命宣り給はく、吾は一日に千五百生まなむと申し給ひき。 この巻二つ合して日月の巻とせよ。十一月三十日、ひつ九のか三。
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(240)
ひふみ神示 8_磐戸の巻 第4帖 この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判の時来てゐるのにキづかぬか、其の日其の時さばかれてゐるのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善とたてわけて、どちらも生かすのざぞ、生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、神の心早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ。一月二日、 のひつ九のか三。
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(1124)
霊界物語 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 17 岩窟の修業 第一七章岩窟の修業〔一一七〕 万寿山は前述のごとく、神界の経綸上もつとも重要なる地点なれば、これを主管する八王神は他の天使八王神に比してもつとも神徳勝れ、かつ神界、幽界の大勢を弁知し、大神の神慮を洞察せざるべからずとし、八王神なる磐樟彦は、単独にて万寿山城をひそかに出城し、霊鷲山の大岩窟にいたりて百日百夜、すべての飲食を断ち、世染をまぬがれ一意専心に霊的修業をはげみ、つひに三ツ葉彦命の神霊に感合し、三界の真相をきはめ、天晴れ万寿山城の王たるの資格を具有するにいたりける。 磐樟彦は、霊鷲山の大岩窟を深く探究したるに、数百千とも限りなき小岩窟ありて、大岩窟の中の左右に散在して、それぞれ受持の神守護されつつありき。この岩窟はいはゆる宇宙の縮図にして、山河あり、海洋あり、種々雑多の草木繁茂し、禽獣虫魚の類にいたるまで森羅万象ことごとくその所を得て、地上の神国形成されありぬ。 三ツ葉彦命の霊媒の神力により、数十里に渉れる大岩窟の磐戸を開き、現はれいでたる気品高き美しき女神は、数多の侍女とともに出できたり、磐樟彦に向ひ軽く目礼しながら、 『汝は神界のために昼夜間断なく神業に従事して余念なく、加ふるに百日百夜の苦行をなめ、身体やつれ、痩おとろへ、歩行も自由ならざるに、どの神司も恐れて近付きしことなき、この岩窟の神仙境にきたりしこと、感ずるにあまりあり。妾はいま、汝の熱心なる信仰と誠実なる赤心を賞て、奥の神境に誘ひ、坤の大神豊国姫命の御精霊体なる照国の御魂を親しく拝せしめむとす。すみやかに妾が後にしたがひきたれ』 といひつつ、岩窟の奥深く進みける。磐樟彦は女神の跡をたどりて、心も勇みつつ前進したりしが、はるか前方にあたりて、眼も眩きばかりの鮮麗なる五色の円光を認め、両手をもつて我面をおほひながら恐るおそる近付きける。女神はハタと立留まり、あと振かへり命にむかひ、 『汝の修業はいよいよ完成したり。ただちに両手をのぞき肉眼のまま、御神体なる照国の御魂を拝されよ。この御魂をつつしみ拝せば三千世界の一切の過去と、現世と、未来の区別なく手に取るごとく明瞭にして、二度目の天の岩戸開きの神業に参加し、天地に代る大偉功を万世に建て、五六七の神政の太柱とならせたまはむ。神界の状勢は、この御魂によりて伺ふときは、必然一度は天地の律法破壊され、国治立命は根の国に御隠退のやむなきに立いたりたまひ、坤の金神豊国姫命もともに一度に御退隠あるべし。しかしてその後に盤古大神現はれ、一旦は花々しき神世となり、たちまち不義の行動天下に充ち、わづかに数十年を経て盤古の神政は転覆し、ここに始めて完全無欠の五六七の神政は樹立さるるにいたるべし。汝は妾が言を疑はず、万古末代心に深く秘めて天の時のいたるを待たれよ。神の道にも盛衰あり、また顕晦あり。今後の神界はますます波瀾曲折に富む。焦慮らず、急がず、恐れず、神徳を修めて一陽来復の春のきたるを待たれよ』 と懇に説き諭したまひて、たちまちその気高き美しき女神の神姿は消えたまひける。 磐樟彦は天を拝し、地を拝し、感謝の祝詞をうやうやしく奏上したまふや、今まで光の玉と見えたる照国の御魂は崇高なる女神と化し、命の手をとり、紫雲の扉をおし明け、宝座の許に導きたまひける。 夢か、現か、幻か。疑雲に包まれゐたるをりしも、寒風さつと吹ききたつて、肌を刺す一刹那、王仁の身は高熊山の岩窟の奥に、端座しゐたりける。 (大正一〇・一一・一七旧一〇・一八土井靖都録)
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(1235)
霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 18 宣伝使 第一八章宣伝使〔二一八〕 ここに天教山(一名須弥仙山ともいふ)に鎮まり坐す木花姫命の招きにより、集つた神人は、 大八洲彦命(一名月照彦神)、大足彦(一名足真彦)、言霊別命(一名少彦名神)、神国別命(一名弘子彦神)、国直姫命(一名国照姫神)、大道別(一名日の出神)、磐樟彦(一名磐戸別神)、斎代彦(一名祝部神)、大島別(一名太田神)、鬼武彦(一名大江神)、高倉、旭の二神合体して月日明神 その他の神人なりける。 それらの神人は、天教山の中腹青木ケ原の聖場に会し、野立彦命の神勅を奉じ、天下の神人を覚醒すべく、予言者となりて世界の各地に派遣せられた。その予言の言葉にいふ。 『三千世界一度に開く梅の花、月日と土の恩を知れ、心一つの救ひの神ぞ、天教山に現はれる』 以上の諸神人はこの神言を唱へつつ、あるひは童謡に、あるひは演芸に、あるひは音楽にことよせ、千辛万苦して窃に国祖の予言警告を宣伝した。 されど、大蛇や金狐の邪霊に心底より誑惑され切つたる神人らは、ほとんどこの予言を軽視し、酒宴の席における流行歌とのみ聞きながし、事に触れ物に接してただちに口吟みながら、その警告の真意を研究し、日月の神恩を感謝し、身魂を錬磨せむとする者は、ほとんど千中の一にも当らぬくらゐであつた。 常世神王は、門前に節面白く「三千世界一度に開く梅の花云々」と歌ひくる月日明神の童謡を聞いて首をかたむけ、大鷹別をして月日明神をともなひ殿中に招き、諸神満座の中にてこの歌を謡はしめた。 月日明神は、面白く手拍子足拍子を揃へ、かつ優美に歌ひ舞ひはじめた。いづれもその妙技に感嘆して見とれゐたり。 神人らは、嬉々として天女の音楽を聴くごとく勇みたち、中には自ら起ちてその歌をうたひ、月日明神と相並んで品よく踊り狂ふものあり。殿内は神人らの歓喜の声に充されて春のやうであつた。独り常世神王は、神人らの喜び勇み踊り狂うて他愛なきに引きかへ、両手に頭を抑へながら苦悶に堪へざる面持にて、始終俯きがちにその両眼よりは涙を垂らし、かつ恐怖戦慄の色をあらはし、何となく落着かぬ様子であつた。 この様子を窺ひ知つたる大鷹別は、常世神王の御前に恭しく拝礼し、かついふ、 『神王は、何故かかる面白き歌舞をみそなはしながら、憂鬱煩慮の体にましますや、一応合点ゆかず、御真意を承はりたし、小子の力に及ぶことならば、いかなる難事といへども、神王のためには一身を惜しまず仕へまつらむ』 と至誠面にあらはれて進言した。 されど、常世神王はただ俯向いて一言も発せず、溜息吐息を吐くばかりであつた。大鷹別は重ねてその真意を言葉しづかに伺つた。常世神王はただ一言、 『月日明神を大切に饗応し、本城の主賓として優待せよ』 といひ残し、奥殿に逸早く姿をかくした。 月日明神は衆神にむかひ、 『世の終りは近づけり、天地の神明に身魂の罪を心底より謝罪せよ』 といひつつ、姿は烟のごとく消えてしまつた。 しばらくあつて常世神王は大鷹別にむかひ、 『旭明神とやらの唱ふる童謡は、普通一般の神人の作りし歌にあらず、天上にまします尊き神の予言警告なれば、吾らは一時も早く前非を悔い、月日と土の大恩を感謝し、天地の神霊を奉斎せざるべからず。是については吾々も一大決心を要す。すみやかに盤古神王の娘塩治姫およびウラル彦の娘玉春姫をアーメニヤの神都に礼を厚くしてこれを送還し、時を移さずロッキー山上に仮殿を建て、すみやかに転居の準備に着手せよ』 と厳命した。大鷹別は神王の真意を解しかね、心中に馬鹿らしく感じつつも、命のごとく数多の神人をして二女性をアーメニヤに送還せしめ、ロッキー山の頂上に土引き均し、形ばかりの仮殿を建設することとなつた。 アーメニヤの神都にては、盤古神王をはじめウラル彦は、常世神王の俄に前非を悔い、心底より帰順したる表徴として安堵し、かつ軽侮の念を高めつつ意気衝天の勢ひであつた。 頃しも仮宮殿の傍近く、 『三千世界一度に開く梅の花』 と謡うて通る言触神(宣伝使)があつた。盤古神王はこの声に耳をそばだて胸を抑へてその場に平伏した。この声の耳に入るとともに頭は割るるがごとく、胸は引き裂くるごとくに感じたからである。 ウラル彦夫妻は、神王のこの様子を見て不審に堪へず、あわただしく駆けよつて介抱せむとした。神王は右の手を挙げて左右に振り、苦しき息を吐きながら、 『ただ今の言触神の声を聴け』 といつた。二神は答へて、 『彼は神人らに食を求めて天下を遍歴する流浪人なり、かくのごとき神人の言を信じて心身を悩ませたまふは、平素英邁にして豪胆なる神王の御言葉とも覚えず、貴下は神経を悩ましたまふにあらざるか』 とやや冷笑を浮べて問ひかけた。 神王は二人の言葉の耳にも入らざるごとき様子にて、両手を合せ、或は天を拝し或は地を拝し、 『月日と土の恩を知れ、月日と土の恩を知れ、世界の神人の罪を赦し、吾ら一族をこの大難より救はせたまへ』 と流汗淋漓、無我夢中に祈願をこらす。 ウラル彦夫妻は、この体を見て可笑しさに堪へかね噴出さむばかりになつたが、神王の御前をはばかつて、両眼より可笑し涙を垂らしてこの場を退きさがつてしまつた。そしてこの場に現はれた言触神は日の出神であつた。 (大正一一・一・九旧大正一〇・一二・一二井上留五郎録)
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(1240)
霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 23 神の御綱 第二三章神の御綱〔二二三〕 聖地ヱルサレムは常世彦、常世姫らの暴政の結果、天地の神明を怒らしめ、怪異続出して変災しきりにいたり、終にアーメニヤに、八王大神は部下の神々とともに逐電し、エデン城もまた焼尽し、竜宮城もまた祝融子に見舞はれ烏有に帰し、橄欖山の神殿は鳴動し、三重の金殿は際限もなく中空にむかつて延長し、上端において東西に一直線に延長して丁字形の金橋をなし、黄金橋もまた地底より動揺して虹のごとく上空に昇り、漸次稀薄となり、大空に於て遂にその影を没して了つた。 丁字形の金橋は、東より南、西、北と緩やかに廻転し始めた。さうして金橋の各部よりは、美はしき細き金色の霊線を所々に発生し、地球の上面に垂下すること恰も糸柳の枝のごとくであつた。さうして其の金色の霊線の終点には、金銀銅鉄鉛等の鈎が一々附着されてある。これを『神の御綱』ともいひ、または『救いの鈎』ともいふ。 言触神は遠近の区別なく山野都鄙を跋渉し、櫛風沐雨、心身を惜しまず天教山の神示を諸方に宣伝しはじめた。さうしてその宣伝に随喜渇仰して、日月の殊恩を感謝し、正道に帰順する神人には、おのおのその頭に『神』の字の記号を附けておいた。されど附けられた者も、附けられない反抗者も、これに気付くものは一柱もなかつた。 中空に金橋廻転し、金色の霊線の各所より放射するを見て、地上の神人は最初は之を怪しみ、天地大変動の神の警告として、心中不安恐怖の念に駆られて、天に向ひ、何者かの救ひを求むるごとく、合掌跪拝しつつあつた。しかるに日を重ね、月を越ゆるにつれて、これを少しも異しむものなく、あたかも日々太陽の東より出でて西に入るもののごとく、ただ普通の現象として之を蔑視し漸く心魂弛み、復び神を無視するの傾向を生じてきた。 このとき天道別命、天真道彦神、月照彦神、磐戸別神、足真彦神、祝部神、太田神その他の諸神は、昼夜間断なく予言警告を天下に宣布しつつあつた。 されどウラル彦の体主霊従的宣伝歌に、あまたの神人らは誑惑され、かつ大にこの歌を歓迎し、致る所の神人は山野都鄙の区別なく、 『呑めよ騒げよ一寸先や暗よ 暗の後には月が出る 時鳥声は聞けども姿は見せぬ 姿見せぬは魔か鬼か』 と盛んに謡ひ、酒色と色情の欲に駆られ、暴飲暴食、淫靡の風は四方を吹捲つた。 言触神の苦心惨憺して教化の結果、得たる神人の頭部に『神』の字の記号を附着されたる神人は、大空の金橋より落下する金色の霊線の末端なる『救ひの鈎』にかけられ、中空に舞上るもの、引揚らるるもの、日の数十となく現はれてきた。八百万の神人の中において、日に幾十柱の神人の救はれしは、あたかも九牛の一毛に如かざる数である。 この鈎にかかりたる神人は、上中下の身魂の中において、最も純粋にして、神より選ばれたものである。同じ引揚げらるる神人のなかにも、直立して『上げ面』をなし、傲然として頭を擡げ、鼻高々と大地を歩み、又は肩にて風をきる神人は、耳、鼻、顎、首、腕などを其の鈎に掛けられ、引揚げらるる途中に非常の苦しみを感じつつあるのが見えた。また俯向いて事業に勉励し、一意専心に神を信じ、下に目のつく神は、腰の帯にその鈎が掛つて少しの苦しみもなく、金橋の上に捲き上げられるのであつた。その他身体の各所を、地上の神人の行動に依つて掛けられ金橋の上に救ひ上げらるるその有様は、千差万別である。中には苦しみに堪へかねて、折角もう一息といふところにて顎がはづれ、耳ちぎれ、眼眩み、腕をれ、鼻まがりなどして、ふたたび地上に落下し、神徳に外れる者も沢山に現はれた。その中にも頭を低くし、下を憐れみ、俯向きて他の神人の下座に就き、せつせと神業をはげむものは、完全に天上の金橋に救ひ上げられた。 このとき天橋には、第二の銀色の橋、金橋とおなじく左右に延長し、また其の各所よりは銀色の霊線を地上に垂下し、末端の鈎にて『中の身魂』の神人を、漸次前のごとくにして救ひ上げるのを見た。 次には同じく銅色の橋左右に発生して、前のごとく東西に延長し、銅橋の各所より又もや銅色の霊線を地上に垂下し、その末端の鉤にて選まれたる地上の神人を、天橋の上に引揚ぐること以前のごとく、完全に上り得るもあり、中途に落下するもあり、せつかく掛けられし其の綱、其の鉤をはづして地上より遁去するもあつた。 [#図救ひの鈎] 図をもつて示せば、前図のとほりである。 (大正一一・一・一〇旧大正一〇・一二・一三外山豊二録)
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霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 25 姫神の宣示 第二五章姫神の宣示〔二二五〕 月清く星稀にして、銀河は東南の天より西北に流れ、風は微妙の音楽を奏し、天教山の中腹は霞の帯を引き廻し、海面を見渡せば、浪静にして水面に白色の真帆片帆、東西南北に風をはらんで疾走する様、実に竜宮城の神苑に白鷺の降りたるがごとき光景であつた。 木花姫命を中心に、天道別命、天真道彦命、月照彦神、足真彦神、磐戸別神、祝部神、弘子彦神、太田神その他の神々は、勇気凛々たる面持にて、いまや黄金橋をあとにしてこの天教山に息を休め、天眼鏡を片手にとりて、上は天を照らし、下は地上を照らし、天地の光景は手にとるごとく、否、神現幽三界の光景は目睫の間に透見し得らるるその面白さに、われを忘れ異口同音に、 『ヤヤヤ大変大変』 と叫ぶもあれば、 『ヤア面白い』 と叫ぶ神人もある。なかに祝部神は頓狂な声を出して、 『ヨウヨウこいつは大変だ、助けてやらねばなるまい』 と一目散に天教山を駆け下らむとする慌て者である。木花姫命は満面に笑を湛へつつ祝部神を『暫し』と呼びとめられた。祝部神は下りかけたる山路をふたたび登り来りながら、右の手をもつて鼻をこすりあげ、右の目縁より左の目尻にかけてつるりと撫で、手の甲にてはなをかみながら、その手を袖にて拭ひ落し、 『これはこれは、真に失礼いたしました』 とお玉杓子のようなる不格好の顔つきして、かるく目礼するのであつた。 月照彦神は祝部神にむかひ、 『貴下のごとく慌てた挙動にて、いかにして天橋を渡りたまひしか』 と訝しげに問ひかけたまへば、命は雑作なく、 『私は天教山の方のみ見つめてゐましたので、足許などは少しも気にかけませぬ』 と云つて数多の神々を煙にまいた。祝部神はそれでも済ました顔で木花姫命に向ひ、 『私は三界の惨状を目撃してより、一寸の間も安逸に身を置くことは出来ないやうな気になりました。なにとぞ一時もはやく下山を許させたまへ』 といふより早く、木花姫命の宣示も待たず、踵を返してまたもやトントンと青木ケ原に下りゆかむとする。足真彦神は苦笑しながら、 『祝部神、あまり貴下の挙動粗忽に過ぎざるや、未だ大神の御許容なし、自由行動は神人のもつとも慎むべきところならずや』 と声に力を入れて呼び止めた。祝部神はまたもや手ばなをかみながら元の座に現はれた。神々は一度にどつと哄笑し、なかには笑ひこけて腰骨を拳もて叩く神さへもあつた。 木花姫命は神々を集め、天眼鏡を一面づつ神々に授け、且つ紫、青、赤、白、黄、黒等の被面布を渡し、 『汝諸神人ら、いま現幽二界に出で致りて神言を伝へむとするときは、必ずこの被面布を用ゐたまへ、しかし神界は此限りに非ず』 といひつつ各神に各色の被面布を渡された。 茲に神々は八方に手分けなしつつ、神界より野立彦命の神教を宣伝するため、各自変装して地上の神人にむかひ、警告を与ふることとなつた。 このとき天教山は鳴動しはじめた。音響は時々刻々に強烈となつた。木花姫命は神々に向ひ、 『もはや野立彦命の神教を宣伝すべき神々は、黄金橋のもつとも困難なる修業を終へ、難関を渡りたれば、ふたたび邪神に誑惑せらるることなかるべし。今や当山の鳴動刻々に激烈となるは、火球の世界より大神の神霊ここに現はれたまひて、三千世界一度に開く梅の花、開いて散りて実を結び、スの種を世界に間配る瑞祥の表徴なれば、吾はこれより中腹の青木ケ原に転居せむ、諸神はこれよりヒマラヤ山に集まり、野立姫命の再び神教を拝受し、霊魂に洗練を加へ、もつて完全無欠の宣伝使となり、地上の世界を救済されよ』 と容を改め言葉おごそかに宣示された。遉に優美にして愛情溢るるばかりの木花姫命も、この時ばかりは凛乎として犯すべからざる威厳が備はつてゐた。諸神は思はずその威に打たれて地上に跪づき、感涙に咽んだ。鳴動刻々に激しく、遂には山頂より大爆発をなして中空に火花を散らし、得もいはれぬ光景を呈したのである。あゝ今後の天教山は、いかなる神霊的活動が開始さるるであらうか。 (大正一一・一・一〇旧大正一〇・一二・一三加藤明子録)
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霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 27 唖の対面 第二七章唖の対面〔二二七〕 天道別命、月照彦神一行は、ヒマラヤ山の頂上に漸くにして到着し、表門より粛々として列をただし玄関先に進入した。この宮殿を白銀の宮といふ。 高山彦、高山姫は慇懃に一行を出迎へ、ただちに奥殿に案内した。諸神人は襟を正しながら、純銀の玉を斎ける祭壇の前にすすんだ。この時、あまたの女性現はれて一行に一礼し、 『ただいま高照姫神出御あり』 と報告し、足早に奥深く姿をかくした。 暫くありて高照姫神は頭に銀色の荘厳なる冠を戴き、あまたの神々の手をひきながら、悠々として現はれたまうた。天道別命一行の神々はハツと驚かざるを得なかつた。一たん豊国姫命とともに、[※御校正本・愛世版では「一旦豊国姫命及び高照姫命と共に、根の国底の国に退去したりと思ひ居たる高照姫命を初め」だが、「高照姫命」が重複していて意味が通じなくなるため、霊界物語ネットでは校定版・八幡版と同様にその部分を削除して「一たん豊国姫命とともに」とした]根の国底の国に退去したりと思ひゐたる高照姫命をはじめ、天道姫、天真道姫、真澄姫、純世姫、言霊姫、竜世姫、祝姫、太田姫、磐戸姫その他の女性は、欣然としてこの場に現はれたからである。いづれも各自の妻神のみ、その面前に現はれたのである。されど神命をまもり、たがひに目と目を見合せながら、言問ふことを控へ、あたかも唖の対面そのままであつた。 このとき月照彦神は高照姫神にむかひ、 『恐れながら野立姫命は何れにましますぞ、吾らは一度拝顔を得たし』 と奏上した。 高照姫神は顔色やや憂ひを含みながら、 『野立姫命は今は蔭の守護なれば、表面貴神らと面会したまふこと能はず、天教山もその如く、貴神は野立彦命に対面を許され給はざりしならむ、木花姫かはつて神慮を伝へられしごとく、妾も大神にかはつて神示を伝へむ、妾はすなはち野立姫命の代理と心得られよ』 と宣示された。そして高照姫神はいぶかしげに、 『祝部神は何ゆゑ此処に来らざりしや』 と問ひたまうた。 神人一行は初めて祝部神の列座の中にあらざりしに気がついた。その妻たりし祝姫の面貌には、えもいはれぬ暗き影がさしてゐた。 『先づゆるゆる休憩あれ』 と高照姫神は一言を残して、神人とともに奥殿に入らせたまうた。 あまたの女神は列座の神人を名残惜しげに、振り返り振り返り見送りつつ奥殿に姿を隠した。祝姫の顔には涙さへ滴りてをるのが、ありありと目についた。 少彦名神は祝部神の所在を求めむと一行に別れ、しばし休憩の間を利用して正門を出で、神人の声する方に向つて進み行つた。いたり見れば、あまたの神人は各自に大杭を建てて、山の八合目あたりに巨大なる頚槌を振りあげながら、声勇ましくうたひつつ汗みどろになつて働いてゐたのである。よくよく見れば涼しき声をはりあげて捻鉢巻の大活動をはじめてゐるのは、行方不明となつてゐた祝部神である。少彦名神は思はず、 『ヤア』 と叫んだ。 祝部神は平然として、 『ヨー』 と答へたまま、また元のごとく声はりあげて、頚槌をもつて大杭の頭を乱打しつつ歌つてゐた。その歌にいふ、 『打てよ打て打てどんどん打てよ 奈落の底まで打ち抜けよ 地獄の釜の底までも 打つて打つて打ち抜けよ よいとさつさ、よーいとさつさ』 と一生懸命に面白さうに側目もふらず、神人とともに活動しゐたり。 少彦名神は祝部神の頚槌を取りあげ、その手を無理にひいて門内に入らむとするとき、祝部神は頭に手をあげ、 『ああしまつた』 と一言を発した。見れば頭に戴きし冠も、木花姫命より授かつたる被面布も残らず遺失してゐたからである。 祝部神は少彦名神の手を振り切つたまま、一目散に元の場に走りゆき、遠近と冠および被面布の所在を探し求めた。幸にも冠は茨の針にかかり、風に揺られてブラブラとしてゐた。早速これを頭に戴き、遺失せし被面布の所在を探し求めた。 数多の神人はてんでにその被面布を顔に当てて、無我夢中になつて、 『よーよー』 と呆れ声を張りあげながら、山下を遠くあたかも望遠鏡を視るごとき心地して、珍らしがつてゐた。 祝部神は神人らにむかひ、 『その被面布は、吾に返させたまへ』 といふを、神人らは仏頂面をしながら忽ち大地に投げ捨てた。祝部神は、 『勿体なきことを為す馬鹿者かな』 と呟きながら、手ばやく拾ひあげて懐中に納めた。そして再び正門に向つて突進しきたりぬ。 少彦名神は依前として門前に停立し、祝部神の帰るを待ちつつあつた。二神はやつと安心しながら門内に入らむとするとき、祝姫は涙の顔をおさへながら、あわただしく走りきたるに出会した。互に顔を見合し、無言のまま二神は休憩の間に進み入つた。祝姫はやや安堵の体にて、いそいそとしてまたもや奥殿に姿を隠した。 (大正一一・一・一〇旧大正一〇・一二・一三井上留五郎録)
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霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 45 魂脱問答 第四五章魂脱問答〔二四五〕 誠の齢を保つ神国は、世も久方の天津空、寿ぎ合ふ真鶴の、東や西と飛び交ひて、世の瑞祥を謡ひつつ、緑の亀はうれしげに、天に向つて舞ひ上る、目出度き齢の万寿山、主の神と現はれし、この美はしき神国を、堅磐常磐に守るてふ、名さへ目出度き磐樟彦は八洲国、神の救ひの太祝詞、遠き近きの隔てなく、唐土山を踏越えて、雲に浮べるロッキーの、山の嵐に吹かれつつ、さも勇ましき宣伝歌、心も軽き簑笠や、草鞋脚絆に身を固め、何処を当と長の旅、愈々来る常世城、今は間近くなりにけり、磐樟彦の宣伝使、磐戸別の神司と、名も新玉の今朝の春、雪掻きわけて行詰り、塞がる道を開かむと、日も紅の被面布を、押別け来る紅葉の、赤き心ぞ尊けれ。盤古大神八王の、曲の暴威を振ひたる、堅磐常磐の常世城、名のみ残りて今はただ、常世の城は大国彦の、曲の醜夫のものとなり、時めき渡る自在天、常世神王と改めて、輝き渡るその稜威、隈なく光り照妙の、城に輝く金色の、十字の紋章をうち眺め、溜息吐息を吐きながら、風雨に窶れし宣伝使、今はなんにも磐樟の、神の果なる磐戸別、心の岩戸は開けども、未だ開けぬ常世国、常世の闇を開かむと、脚に鞭つ膝栗毛、さしもに広き大陸を、やうやく茲に横断し、浜辺に立ちて天の下、荒ぶる浪の立騒ぎ、ウラスの鳥や浜千鳥、騒げる百の神人を、神の救ひの方舟に、乗せて竜宮に渡らむと、草の枕も数かさね、今や港に着き給ふ。 磐戸別の神は常世の国の西岸なる紅の港に漸く着いた。ここには四五の船人が舟を繋いで、色々の雑談に耽つてゐた。 甲『オイ、このごろの天気はちつと変ぢやないかい、毎日毎夜引き続けに大雨が降つて、河は氾濫し、家は流れ、おまけに何とも知れぬ、ドンドンと地響きが間断なくしてをる。初めの間は、吾々は浪の音だと思つてゐたが、どうやら浪でもないらしい。地震の報らせかと思つて心配してゐたら、今日で三十日も降り続いて、いつかう地震らしいものもない。この間も宣伝使とやらがやつて来よつて、地震雷火の雨が降つて、終末には泥海になると云つて居つたが、或ひはソンナ事になるかも知れないよ』 と心配さうに首を傾けた。 乙『何、火の雨が降る、ソンナ馬鹿なことがあるかい。雨ちう奴は皆水が天へ昇つて、それが天で冷えて、また元の水になつて天降つて来るのだ、水の雨は昔からちよいちよい降るが、火の雨の降つた例はないぢやないか』 甲『それでもこの前に、エトナの火山が爆発した時は、火の雨が降つたぢやないか』 乙『馬鹿云へ、あれは火の岩が降つたのだい。万寿山とやらの宣伝使が、天から降つた様に偉さうに宣伝して居つたが、是もやつぱり天から降つた岩戸開けとか、岩戸閉めとか云ふぢやないか』 甲『火の雨が降らぬとも限らぬよ。この間も闇がり紛れに柱に行当つた途端に、火の雨が降つたよ、確に見たもの、降らぬとは言へぬ』 乙『そりや貴様、柱にぶつつかつて、眼玉から火を出しやがつたのだ。降つたのぢやない、打つたのだらう。地震雷と云ふ事あ、吾々神人は神様の裔だから、吾々自身そのものが神だ。それで自身神也といふのだ、さうして自身神也といふ貴様が、眼から火の雨を降らしたのだ。まあ世の中に、不思議と化物と誠のものはないといつてもゑい位だ』 丙『ソンナ話はどうでもよいが、この間海の向ふに大変な戦争があつたぢやないか』 丁『ウン、ソンナことを聞いたね。其時の音だらうよ、毎日々々ドンドン云ふのは』 丙『戦ひが終んでから、まだドンドン音が聞えるが、そりや何かの原因があるのだらう。竜宮島とやらには、天の真澄の珠とか潮満潮干の珠とかいふ宝が昔から隠してあるとかで、ウラル山のウラル彦の手下の奴らがその珠を奪らうとして、沢山の舟を拵へよつて、闇がり紛れに攻め付けよつたさうだ。さうすると沓島の大海原彦神とやらが、海原とか向腹とかを立ててその真澄の珠で敵を悩まさうとした。しかしその珠は何にもならず、たうとう敵に取られてしまつたさうだよ。そして冠島一名竜宮島には潮満潮干の珠が隠してあつたさうだ。それもまたウラル彦の手下の奴らが攻めかけて奪らうとした。ここの守護神さまは、敵の襲来を悩ます積りで、また潮満とか潮干とかいふ珠を出して防がうとした。これも亦薩張役に立たず、とうたう冠島も沓島も、敵に奪られて仕舞つたと云ふぢやないか。珠々というても、なにもならぬものだね』 丁『そりや定まつた話だよ、よう考へて見よ。真澄の珠と云ふぢやないか。マスミつたら、魔の住んで居る珠だ。それを沢山の魔神が寄つて来て奪らうとするのだもの、合うたり叶うたり、三ツ口に真子、四ツ口に拍子木、開いた口に牡丹餅、男と女と会うたやうなものだ。ナンボ海原とか向腹立とかを立てた海原彦神でも、内外から敵をうけて、内外から攻められて、お溜り零しがあつたものぢやない。また潮満とか潮干とかの珠も、役に立たなかつたと聞いたが、よう考えて見よ、塩は元来鹹いものだ、そして蜜は甘いものだ。鹹いものと甘いものと一緒にしたつて調和が取れないのは当然だ。また潮干の珠とか云ふ奴は、塩に蛭といふ事だ。ソンナ敵同士のものを寄せて潮満の珠とか、潮干の珠だとか一体わけがわからぬぢやないかい。負けるのは当然だよ。その珠の性根とやらを、どつと昔のその昔に厳の御霊とかいふどえらい神があつて、それをシナイ山とかいふ山の頂上に隠しておいた。それを竹熊とかいふ悪い奴がをつてふんだくらうとして、偉い目にあうたといふこと。しかしながら、聖地の神共は勿体ぶつて、一輪の秘密とか一輪の経綸とかいつて威張つてをつたが、とうとうその一輪の秘密がばれて、ウラル彦が嗅ぎつけ、第一番に竜宮島の珠をふんだくつて、直にその山の御性念を引張り出さうと一生懸命に攻めかかつた。その時シナイ山とやらを守つてゐた貴治別とかいふ司が、敵軍の頂辺から、その御性念の神徳を現はして岩石を降らした。ウラル彦の幕下はとうとうこれに屁古垂れよつて、何にもしないで、逃げ帰つたと言ふことだ。それで攻撃を一寸もシナイ山といふのだ』 甲『馬鹿にすな、人に落話を聞かせよつて、もうもう行かうかい。コンナ奴に相手になつてゐると、日が暮れてしまふワイ。それそれ、またど偉い声が聞えてきた。脚下の明るいうちに何処なと逃げようぢやないか』 乙『逃げようたつて、吾々の乗つてゐる大地が動いてをるのだもの、何処へ逃げたつて同じことぢやないか』 雨は益々激しく、地鳴りは刻々に強烈になつて来た。一同は真青な顔して、四方八方に眼を配り、忽ち不安の雲に包まるる折しも、林の茂みを別けて、簑笠脚絆の軽装をした宣伝使が涼しき声を張り上げて、 宣伝使『朝日は照るとも曇るとも千尋の海は干くとも 世界は泥に浸るとも誠の力は世を救ふ』 といふ宣伝歌が聞え始めたり。一同は耳を澄ましてその宣伝歌を聞き入りにける。 (大正一一・一・一四旧大正一〇・一二・一七藤原勇造録)
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霊界物語 13_子_フサの国・半ダース宣伝使 18 石門開 第一八章石門開〔五四四〕 巌窟内に、有り得べからざるやうな立派な石壁をもつて囲まれたる邸宅の前に、一行五人は到着した。 音彦『ヨー、立派な構へだ、而も堅牢な石をもつて城壁を繞らし、門扉迄が石造と来て居るワイ。これは容易に侵入する事は出来なからう、琵琶の音の主はてつきり此処だ。恋女の隠棲せる処と思へば心臓の鼓動が激しくなつたやうだ』 亀彦『何を吐くのだ。未通息子か未通娘のやうに、好い年をして心臓の鼓動が激しくなつたもあつたものかい、摺枯しの阿婆摺男めが』 音彦『オイオイ、亀サン、ちつと場所柄を考へて呉れぬと困るぢやないか、想思の女の館の前に来てさう色男をボロクソに云ふものぢやないよ』 駒彦『アハヽヽ、困つたやつだ。又持病が再発したと見えるワイ、気が付くやうに拳骨の頓服剤でも盛つてやらうか』 音彦『ヤアヤア、石門をもつて四辺を築固めたるこれの棲み家、てつきり曲津の巣窟と覚えたり。吾等は三五教の宣伝使、敬神愛民の大道を天下に宣布し、善を勧め悪を懲す神司なるぞ。尋ね問ふべき仔細あり、一時も早く此門開けよ』 と大音声に呼はつた。門内には何の応答もなく森閑と静まり返つて居る。只幽に琵琶の音の漏れ来るのみである。 弥次彦『モシモシ、宣伝使さま、この館の人間は、何れも之も皆聾神さまばかりですから呼んだつてあきませぬよ。そこは此弥次サンでなくては、この神秘の門扉を開く事は不可能だ』 音彦『如何して開くのだ、云つて呉れないか』 弥次彦『最前も云つた通り、要領を得なくては要領を得させないのですから』 音彦『何だか不得要領な事を云ふ男だ。金でも呉れと云ふのか』 弥次彦『マアソンナものかい、お前さまは狡い人だから。要領を得度いと云へば大抵極つたものだ。聾の真似をして居るから、それがホントの金聾と云ふのだ』 音彦『あまり馬鹿らしいから止めとかうかい、如何なつと工夫をすれば開くであらう。聾の神と云よつたからには、大方竜神だらう、聾と云ふ字は龍の耳と書くから、これやてつきり長さまに相違はない、ヨシヨシ、かう分つた以上は弥次サンのお世話にはなりますまい』 この時門内より大声に、 (野呂公)『吾門前に来つてブツブツ囁く奴は何者だ』 音彦『ヤアその方は、聾神の竜神か、耳が聞えねば目で聞け、某は三五教の宣伝使音彦、亀彦、駒彦の一行だ。直に門戸を開いて吾々を歓迎致せ』 門内より、 (野呂公)『アハヽヽヽ、ウラル教のヘボ宣伝使、竜宮の一つ島に三年の間宣伝を試み、櫛風沐雨の苦心惨憺的活動も残らず水泡に帰し、アーメニヤに向つて心細くも帰らむとする途中颶風に遇ひ、又もや森林の中に一夜を明かし、肝玉を押潰され、しよう事なしに、三五教に帰順した、垢の抜けぬ宣伝使の音、亀、駒の三人か。よくも、ノメノメと出て来たなア、盲目蛇に怖ずとは汝の事だ。アハヽヽヽ』 音彦『エイ、矢釜敷いワイ。一時も早く此門を開かぬか、此方にも考へがあるぞ』 門内より、 (野呂公)『アハヽヽヽ、分らぬ奴だ。神秘の門は汝自ら汝の力をもつて開くべきものだ。少しの労を惜み、他人に開門させむとは狡猾至極の汝の挙動、神秘の鍵を持ち忘れたか』 音彦『ヤア、此奴中々洒落た事を云ふワイ、オヽさうだ。これ位の石門が開けないやうな事で、どうして天の岩戸開きの神業が勤まらうか、さうだ、さうだ。余り開門ばかりに精神を傾注して肝腎の神言を忘れて居た。ヤア尤も千万なお言葉だ。サア亀公、駒公、神言だ』 と云ひながら神言を奏上する。祝詞が終ると共に、さしも堅牢なる石門は音もなく易々と左右に開いた。 音彦『アヽ祝詞の通りだ。如此宣らば、天津神は天の磐戸を推披きて、天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞召さむ、国津神は高山の末短山の末に上り坐て、高山の伊保理短山の伊保理を掻分て所聞召さむと云ふ神言の実現だ。サアこれで一切の秘訣を悟つた。一にも祝詞、二にも祝詞だ。なア亀サン、駒サン』 亀、駒無言の儘俯向く。音彦は門内に佇む大男の姿を見て、 音彦『ヤアお前は夢にみた蠎の野呂公ぢやないか、どうして此処に居たのだ』 野呂公『夢と云へば夢、現と云へば現、どうせ今の人間は誰も彼も夢の浮世に夢を見て居るのだ。確りした奴は目薬にする程もあるものぢやない。それでも三五教の宣伝使だと思へば仏壇の底ぬけぢやないが、悲しうて目から阿弥陀が落ちるワイ、アハヽヽヽ』 音彦『何は兎もあれ、臥竜姫に先刻お目にかかつた色男の音彦サンが御来臨ぢやと、報告して呉れ』 野呂公『エヽ仕方がない、今直に申上て来るから、御返事のある迄は此処に神妙に立つて居るのだ。一寸でも許しの無いに此方に這入つてはいかないぞ』 と云ひながら野呂公は姿を隠した。 亀彦『野呂公の奴いつ迄かかつて居るのだらう。何ほど奥が深いと云つても知れたものだが、随分じらしよるぢやないか。ヤア弥次彦、与太彦大に憚りさまだつた。お蔭で門はお手のもので開きました』 弥次彦『門は開いても、開かぬのはお前の心だ。可憐さうなものだよ』 亀彦『無形的精神の門戸が開けたか、開けぬか、ソンナ事がどうして観測出来るか、精神上の事が、体主霊従的人物に分つて耐らうかい。二言目には要領だとか、何とか云つて手を出し、物質欲に憂身を窶す代物に吾々の思想上の明暗が分らう筈がない。余計な無駄口を叩くな』 弥次彦『アハヽヽヽ、さつぱり分らぬ宣伝使だ。弥次彦、与太彦の御両人さまは如何なるお方と心得て居るか。後で吃驚して泡を吹くなよ』 と云ひながら、忽ち赤白の二つの玉となつてブーンと唸りをたてて何処ともなくかけ去つた。 音彦『ヤア何だ。彼奴は唯の代物では無かつたやうだ。それにしても野呂公の奴、何時迄のろのろと埒の明かぬ事だらう、アーア何事も自分がやらねば人頼りにしては埒が明かぬものだ。オイ亀公、駒公、何も躊躇逡巡するに及ばない。此方から出かけて行かうぢやないか。如何なる秘密が包蔵されてあるか知れないから、十分気をつけて進む事にしよう。この臥竜姫の正体を見届けた者が、金鵄勲章功一級、勲一等だ。サアサア構ふ事はない、前進々々、突喊々々』 と、足を揃へて玄関目蒐けて掛登つた。目も届かぬばかりの長い廊下を九十九折に曲りながら、足音荒くドンドンと進み行く。 音彦『ヤア何だ、誰も居ないぢやないか、ピタツと岩に行き詰つて了つた。マアマア此処に寛くり気を落つけて第二の策戦計画に移らうぢやないか』 音(空を仰いで) 音彦『ヤア巌窟に似合ぬ非常に高い天井だ。ヤアヤア日の出別の宣伝使が天の鳥船に乗つて推進機の音高く、航空して居るぢやないか』 この時前方より柔しき女の宣伝歌が聞え来たる。 亀彦『ヤア駒公、これや大変だ、野天ぢやないか』 駒彦『ホンニホンニ、路傍の岩の上だ。合点の行かぬ事だなア』 女宣伝使は、チヨクチヨクと三人の前に進み来り、 女『ヤア貴方は三五教の宣伝使様で御座いますか、只今日の出別の宣伝使様が三人の男女の宣伝使と共に、コシの峠の麓に馬の用意をしてお待ち受けです』 音彦『ヤアこれは合点の行かぬ、テツキリ巌窟の中だと思つて居たのに、果しもなき荒野原。さう云ふ貴女は何れの神様か』 女『ハイ、私は聖地エルサレムの者で、黄金山の埴安彦の神様の教を伝ふる三五教の宣伝使出雲姫と申すもの、長途の宣伝ご苦労で御座いました。サアどうぞ妾に随て此方へお越し下さいまし、寛くり休息の上海山のお話を交換いたしませう。左様ならばお先に失礼』 と云ひながら先に立つて草生茂る野路をトボトボと歩み行く。三人はその後について怪訝の念に駆られつつ進み行く。 (大正一一・三・二〇旧二・二二加藤明子録)
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霊界物語 15_寅_顕恩郷/スサノオの経綸/高姫登場 12 一人旅 第一二章一人旅〔五七九〕 天津神達八百万国津神達八百万 百の罪咎身一つに負ひてしとしと濡れ鼠 猫に追はれし心地して凩荒ぶ冬の野を 母の命に遇はむとて出ます姿ぞ不愍しき 天の岩戸も明放れ一度清き神の代と 輝き渡るひまもなく天足の彦や胞場姫の 醜の霊魂の荒び来る山の尾上や河の瀬は 風腥く土腐り河は濁水満ち溢れ 雨は日に夜に降り続き流れ流れて進む身の 蓑もなければ笠もなくとある家路に立ち寄りて 一夜の宿を訪へばはつと答へて出で来る 荒くれ男の顔みればこは抑も如何にこは如何に 鬼雲彦の夫婦づれ地教の山の山の下 奇石怪巌立ち並ぶ谷の辺に細々と 立つる煙も幽かなる奥に聞ゆる唸り声 神素盞嗚の大神は物をも云はず戸を開き つかつか立ち寄り見給へば八岐大蛇の蜿蜒と 室一面に蟠まり赤き血潮は全身に 洫み渉りて凄じく命を見るより驚愕し 忽ち毒気を吹きかくる鬼雲彦と思ひしは 全く大蛇の化身にて鬼雲姫と思ひしは 大蛇に従ふ金毛の白面九尾の古狐 裏口あけてトントンと後振り返り振り返り 深山をさして逃げて往く神素盞嗚の大神は 天津祝詞の太祝詞声爽かに宣りあげて この曲津霊を言霊の御息に和め助けむと 心を籠めて数歌の一二三四五つ六つ 七八九十の数百千万の言霊に さしもに太き八つ岐の大蛇も煙と消えて行く あゝ訝かしと大神は眼を据ゑて見たまへば 家と見えしは草野原跡方もなき虫の声 不審の雲に蔽はれつ地教の山を目標とし 息もせきせき登ります折柄吹き来る山颪 八握の髯のぼうぼうと風に吹かれて散り果つる 木々の梢の紅葉も命が赤き誠心を 照らしあかすぞ殊勝なる。 素盞嗚尊は、地教山の中腹なる道の辺の巌に腰打ち掛け、高天原に於ける磐戸隠れの顛末を追懐し、無念の涙にくれ居たまふ時こそあれ、忽ち山上より岩石も割るるばかりの音響陸続として聞え来る。 怪しの物音は刻々に近づき来たる。素盞嗚尊は又もや大蛇の悪神襲来せるかと、ツト立ち上り、剣の握に手をかけて身構へしつつ待ち居たまへば、雲突く許りの大男四五十人の手下と共に、尊の前に大手を拡げて立ち塞がり、 男『ヤア、其方は天教山の高天原に於て、天の岩戸に、皇大神を閉ぢ込めまつりたる悪魔の張本、建速素盞嗚尊ならむ。一寸たりともこの山に登る事罷りならぬ』 と呶鳴りつくるを、尊は言葉優しく、 素盞嗚尊『吾は汝が言ふ如く、高天原を神退ひに退はれたる、素盞嗚尊なり。さりながらこの地教の山には、吾母の永久に鎮まり居ませば、一度拝顔を得て、身の進退を決せむと思ひ、遥々此処に来れるものぞ。汝物の哀れを知るならば、一度は此道を開きて、吾を母に会はせかし』 と下から出ればつけ上り、大の男は鼻息荒く仁王の如き腕をニウツと前に出し、 男『男子の言葉に二言は無いぞ、罷りならぬと云へば絶対に罷りならぬ。仮令天地は上下にかへるとも、ミロクの世が来るとも、いつかな、いつかな、吾々が守護する限りは、一分一寸たりとも当山に登る事は許さぬ。たつて登山せむと思はば此方の腕を捻ぢて登れ、此方は天教山に坐し在す大神の命を奉じ、素盞嗚尊万一此山に登り来らば都牟刈の太刀をもつて斬りはふれ、との厳しき御仰せ、万々一其方を此岩より一歩たりとも登すが最後、吾々一族は天地間に居る事は出来ないのだ。汝も元は葦原の国の主宰ならずや、物の道理も分つて居らう、下れ下れ、一時も早く此場を立ち去らぬか』 素盞嗚尊『アヽ是非に及ばぬ、然らば汝の勝手に邪魔ひろげ、吾は母に面会のため、たつて登山致す』 と群がる人々の中を悠然として登り往かむとしたまふを、大の男はぐつと猿臂を延ばし、 男『コラコラコラ、俺を誰方と思うて居るか、実の事を白状すれば、バラモン教の大棟梁、鬼雲彦のお脇立と聞えたる、鬼掴なるぞ』 と云ひながら尊の胸倉をぐつと取りぬ。尊はエヽ面倒と云ひながら、片足をあげてポンと蹴り玉ひし拍子に、鬼掴の体は四五間ばかり空中滑走をしながら片辺の林の中に、ドスンと倒れさまに着陸し、頭蓋骨を打つてウンウンと唸り居る。尊は委細構はず大手を振つて急坂をとぼとぼ登りたまへば、数多の家来は此勢に辟易し、蜘蛛の子を散らすが如く四辺の森林に姿を隠したりけり。 尊は猶も足を速めて急坂を登りたまふ時しもあれ、傍の木の茂みより、又ツト頭を出したる滅法界巨大なる大蛇の姿路上に横はり、尊の通路を妨げて動かず。 尊は大蛇に遮られ、稍当惑の体にて暫し思案に暮れたまふ時、山上より嚠喨たる音楽響き来り、数多の美はしき神人列を正し此場に現はれ給ひ、中に優れて高尚優美なる一柱の女神は、素盞嗚尊に向ひ、 女神『ヤヨ、愛らしき素盞嗚尊よ、妾は汝が母伊邪冊命なるぞ、汝が心の清き事は高天原に日月の如く照り輝けり。さりながら大八洲国になり出づる、数多の神人の罪汚れを救ふは汝の天賦の職責なれば、千座の置戸を負ひて洽く世界を遍歴し、所在艱難辛苦を嘗め、天地に蟠まる鬼、大蛇、悪狐、醜女、曲津見の心を清め、善を助け悪を和め、八岐の大蛇を十握の剣をもつて切りはふり、彼が所持せる叢雲の剣を得て天教山に坐し在す天照大神に奉るまでは、唯今限り妾は汝が母に非ず、汝又妾が子に非ず、片時も早く当山を去れよ、再び汝に会ふ事あらむ、曲津の猛び狂ふ葦原の国、随分心を配らせられよ』 と宣らせ給ふと見れば、姿は煙と消えて後には地教山の峰吹き渡る松風の音のみにして、道に障碍りたる大蛇の影も何時しか見えずなりぬ。 素盞嗚尊は止むを得ず此処より踵をかへし、急坂を下らせたまへば、以前の男、鬼掴は大地に平伏し尊に向つて帰順の意を表し、 鬼掴『私は実を申せば鬼雲彦の家来とは偽り、高天原の或尊き神様より内命を受け、貴神の当山に登らせたまふを道にて遮断せよとの厳命を頂きしもの、嗚呼併しながら此度の天の岩戸の変は貴神の罪に非ず、罪は却つて天津神の方にあり、何れの神も御心中御察し申上げ居る方々のみ。吾は之より心を改め貴神の境遇に満腔の同情を表し奉り労苦を共にせむと欲す、何卒々々世界万民の為に吾が願を許させ給へ』 と誠心表に現はれ涙を流して歎願したりける。尊は、 素盞嗚尊『其方は頭の傷は如何なせしや』 と尋ね玉ふに、鬼掴は畏みながら、 鬼掴『ハイ、お蔭様にて思はず知らず、神素盞嗚の大神様と御名を称へまつりし其刹那より、さしも激烈なる痛みも忘れたる如くに止まり、割れたる頭も元の如くに全快致したり。瑞霊の御神徳には恐れ入り奉る』 と両手を合して涙をホロホロ流し居る。素盞嗚尊は大に喜びたまひ、 素盞嗚尊『吾れ、高天原を退はれしより、時雨の中の一人旅、実に淋しい思ひを致したるが、世の中は妙なものかな、一人の同情者を得たり。いざ之より汝と吾とは生の兄弟となりて大八洲の国に蟠まる悪魔を滅し、万民を救ひ天下に吾等が至誠を現はさむ、鬼掴来れ』 と先に立ち、柴笛を吹きながら足を速めて何処ともなく天の数歌を歌ひつつ、西南指して進みたまふ。 (大正一一・四・二旧三・六加藤明子録) (昭和一〇・三・二〇於彰化神聖会支部王仁校正)
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霊界物語 15_寅_顕恩郷/スサノオの経綸/高姫登場 18 婆々勇 第一八章婆々勇〔五八五〕 高姫、黒姫、蠑螈別を始め、一座の者共は折から聞ゆる宣伝歌の声に頭を痛め、胸を苦しめ、七転八倒、中には黒血を吐いて悶え苦しむ者もあつた。宣伝歌は館の四隅より刻一刻と峻烈に聞え来たる。 黒姫『コレコレ蠑螈別サン、高姫サン、静になさらぬか、丁ン助、久助其他の面々、千騎一騎の此場合、気を確り持ち直し、力限りに神政成就の為め活動をするのだよ、何を愚図々々キヨロキヨロ間誤々々するのだい。これ位の事が苦しいやうなことで、何うして、ウラナイ教が拡まるか、転けても砂なりと掴むのだ、只では起きぬと云ふ執着心が無くては、何うして何うして此大望が成就するものか。変性女子の霊や肉体を散り散りばらばらに致して血を啜り、骨を臼に搗いて粉となし、筋を集めて衣物に織り、血は酒にして呑み、毛は縄に綯ひ、再び此世に出て来ぬやうに致すのがウラナイ教の御宗旨だ。折角今迄骨を折つて天の磐戸隠れの騒動がおつ始まる所迄旨く漕ぎつけ、心地よや素盞嗚尊は罪もないのに高天原を放逐され、今は淋しき漂浪の一人旅、奴乞食のやうになつて、翼剥がれし裸鳥、これから吾々の天下だ。此場に及んで何を愚図々々メソメソ騒ぐのだ。高姫さま貴女も日の出神と名乗つた以上は、何処迄も邪が非でも日の出神で通さにやなるまい。憚りながら此黒姫は何処々々迄も竜宮の乙姫でやり通すのだ。蠑螈別さまは飽までも大広木正宗で行く処迄遣り通し、万々一中途で肉体が斃れても、百遍でも千遍でも生れ替はつて此大望を成就させねばなりませぬぞ。エーエー腰の弱い方々だ。この黒姫も気の揉める事だワイ、サアサア、シヤンと気を持ち直し、大望一途に立て通す覚悟が肝腎ぢや。中途で屁古垂れる位なら、初からコンナ謀反は起さぬがよい。此黒姫が千変万化の妙術をもつて、瑞の霊の素盞嗚の神がもしも此処へやつて来たなら、乞食の虱だ、口で殺して仕舞ふ。海に千年、山に千年、河に千年の苦労を致した黒姫ぢや。高姫さま、蠑螈別さま、お前は未だ未だ苦労が足らぬ、苦労なしに誠の花は咲かぬぞや。これこれ丁ン助、久助何をベソベソ吠面かわくのだ、些と確り致さぬと此黒姫さまの拳骨がお見舞申すぞ。何だ宣伝歌が恐ろしいやうな事で、何うならうかい、女の一心岩でも突き貫く、無茶でも突き貫かねば此婆の顔が立たぬ、何うしてウラル彦の神に申訳が立つか、鬼雲彦に合はす顔があるまいぞ。エーエー、腰抜ばかりだなア。コレコレ高姫さま確りせぬかいなア、此黒姫がお前の傍について居なかつたら、お前さまはとうの昔に素盞嗚尊に骨も筋も抜かれて仕舞ひ、今頃は茹蛸のやうになつて居るお方だ。大将は看板とは云ふものの、これや又滅相弱い看板ぢやナア』 此時宣伝歌は益々激しく、館の四辺より響いて来る。高姫と蠑螈別は逆上したか、互に目を怒らし牙を剥き猿の喧嘩のやうに、噛むやら掻くやらむしるやら、キヤツ、キヤツとキンキリ声を出して、上になり下になり、組んづ組まれつ黒姫の言葉も耳に入らぬ体にて掴み合を始めて居る。並居る数多の者共は互に鉄拳を振り上げ、彼我の区別なく入り乱れて打つ、蹴る、擲る、呶鳴る、泣く、喚く、忽ち阿鼻叫喚修羅の衢と化して仕舞つた。 黒姫は懐剣を逆手に持ち表を指して韋駄天走り、表門を開くや否や、高国別以下勇士一行の姿に肝を潰し、アツと其場に腰を抜かし、蟹のやうな泡を吹き、目玉を二三寸ばかり前に飛び出させ、口をポカンと開けたまま、一言も発し得ず、開いた口が閉まらぬ其為体の可笑しさ、一同は思はず吹き出し、 一同『ワハヽヽヽ、オホヽヽヽ』 (大正一一・四・三旧三・七加藤明子録)
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霊界物語 39_寅_大黒主調伏相談会/言霊隊の出発 附録 大祓祝詞解 附録大祓祝詞解 (一) 大祓祝詞は中臣の祓とも称へ、毎年六月と十二月の晦日を以て大祓執行に際し、中臣が奏上する祭文で延喜式に載録されてある。 従来此祝詞の解説は無数に出て居るが、全部文章辞義の解釈のみに拘泥し、其中に籠れる深奥の真意義には殆ど一端にさへ触れて居ない。甚だしきは本文の中から『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪』の件を削除するなどの愚劣を演じて居る。自己の浅薄卑近なる頭脳を標準としての軽挙妄動であるから、神界でも笑つて黙許に附せられて居るのであらうが、実は言語道断の所為と云はねばならぬ。大祓祝詞の真意義は古事記と同様に、大本言霊学の鍵で開かねば開き得られない。さもなければ古事記が一の幼稚なる神話としか見えぬと同様に、大祓祝詞も下らぬ罪悪の列挙、形容詞沢山の長文句位にしか見えない。所が一旦言霊の活用を以て其秘奥を開いて見ると、偉大と云はうか、深遠といはうか、ただただ驚嘆の外はないのである。我国体の精華が之によりて発揮せらるるは勿論のこと、天地の経綸、宇宙の神秘は精しきが上にも精しく説かれ、明かなる上にも明かに教へられて居る。之を要するに皇道の真髄は大祓祝詞一篇の裡に結晶して居るので、長短粗密の差異こそあれ、古事記、及び大本神諭と其内容は全然符節を合するものである。 言霊の活用が殆ど無尽蔵である如く、大祓祝詞の解釈法も無尽蔵に近く、主要なる解釈法丈でも十二通りあるが、成るべく平易簡単に、現時に適切と感ぜらるる解釈の一個をこれから試みやうと思ふ。時運は益々進展し、人としての資格の有無を問はるべき大審判の日は目前に迫つて居るから、心ある読者諸子は、これを読んで、真の理解と覚醒の途に就いて戴きたい。 (二) 『高天原に神つまります、皇親神漏岐、神漏美の命もちて、八百万の神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り玉ひて、我皇孫命は豊葦原の水穂の国を、安国と平けく所知食と事依し奉りき』 △高天原に『タカアマハラ』と読むべし、従来『タカマガハラ』又は『タカマノハラ』と読めるは誤りである。古事記巻頭の註に『訓高下天云阿麻』[※高(たか)の下の天(てん)の訓(くん)は「あま」と云う]と明白に指示されて居り乍ら従来何れの学者も之を無視して居たのは、殆ど不思議な程である。一音づつの意義を調ぶれば、タは対照力也、進む左也、火也、東北より鳴る声也、父也。又カは輝く也、退く右也、水也、西南より鳴る声也、母也。父を『タタ』といひ、母を『カカ』と唱ふるのもこれから出るのである。又アは現はれ出る言霊、マは球の言霊、ハは開く言霊、ラは螺旋の言霊。即ち『タカアマハラ』の全意義は全大宇宙の事である。尤も場合によりては全大宇宙の大中心地点をも高天原と云ふ。所謂宇宙に向つて号令する神界の中府所在地の意義で『地の高天原』と称するなどがそれである。この義を拡張して小高天原は沢山ある訳である。一家の小高天原は神床であり、一身の小高天原は、臍下丹田であらねばならぬ。ここでは後の意義ではなく、全大宇宙其物の意義である。之を従来は、地名であるかの如く想像して、地理的穿鑿を試みて居たのである。 △神つまりますかみは日月、陰陽、水火、霊体等の義也。陰陽、水火の二元相合して神となる。皇典に所謂産霊とは此正反対の二元の結合を指す。日月地星辰、神人其他宇宙万有一切の発生顕現は悉くこの神秘なる産霊の結果でないものはない。又つまりとは充実の義で、鎮坐の義ではない。ますはましますと同じ。 △皇親皇(スメラ)は澄すの義、全世界、全宇宙を清澄することを指す。親(ムツ)は『ムスビツラナル』の義で、即ち連綿として継承さるべき万世一系の御先祖の事である。 △神漏岐、神漏美神漏岐は霊系の祖神にして天に属し、神漏美は体系の祖神にして地に属す。即ち天地、陰陽二系の神々の義である。 △命もちて命(ミコト)は神言也、神命也。即ち水火の結合より成る所の五十音を指す。元来声音は「心の柄」の義にて、心の活用の生ずる限り、之を運用する声音が無ければならぬ。心(即ち霊魂)の活用を分類すれば、奇魂、荒魂、和魂、幸魂の四魂と之を統括する所の全霊に分ち得る。所謂一霊四魂であるが、此根源の一霊四魂を代表する声音はアオウエイの五大父音[※『神霊界』大正7年9月1日号(名義は「浅野和邇三郎」)では「アイウエオの五大母音」。初版では「アイウエオの五大父音」。校定版・愛世版では「アオウエイの五大父音」。霊界物語ネットでも「アオウエイの五大父音」に直した。次の箇所も同じ。]である。宇宙根本の造化作用は要するに至祖神の一霊四魂の運用の結果であるから、至祖神の御活動につれて必然的にアオウエイの五大父音が先づ全大宇宙間に発生し、そして其声音は今日といへども依然として虚空に充ち満ちて居るのだが、余りに大なる声音なので、余りに微細なる声音と同様に、普通人間の肉耳には感じないまでである。併し余り大ならざる中間音は間断なく吾人の耳朶に触れ、天音地籟一として五大父音に帰着せぬは無い。鎮魂して吾人の霊耳を開けば、聴こゆる範囲は更に更に拡大する。扨前にも述ぶるが如く、声音は心の柄、心の運用機関であるから天神の一霊四魂の活用が複雑に赴けば赴く丈け、声音の数も複雑に赴き停止する所はない。其中に在りて宇宙間に発生した清音のみを拾ひ集むれば四十五音(父母音を合せて)濁音、半濁音を合すれば七十五音である。これは声音研究者の熟知する所である。拗音、促音、鼻音等を合併すれば更に多数に上るが、要するに皆七十五音の変形で、あらゆる音声、あらゆる言語は根本の七十五声音の運用と結合との結果に外ならぬ。されば宇宙の森羅万象一切は是等無量無辺の音声即ち言霊の活用の結果と見て差支ない。これは人間の上に照して見ても其通りである事がよく分る。人間の心の活用のある限り、之を表現する言霊がある。『進め』と思ふ瞬間には其言霊は吾人の身体の中府から湧き、『退け』と思ふ瞬間にも、『寝よう』と思ふ瞬間にも、『行らう』と思ふ瞬間にも、其他如何なる場合にも、常に其言霊は吾人の中心から湧出する。即ち人間の一挙一動悉く言霊の力で左右されるというても宜しい。従つて言霊の活用の清純で、豊富な人程其の使命天職も高潔偉大でなければならぬ。 △八百万の神等八百のヤは人、ホは選良の義、万は沢山、多数の義である。 △神集へに云々神の集会で神廷会議を催すことである。 △我皇御孫之命五十音の中でアは天系に属し、ワは地系に属す。故に至上人に冠する時に我はワガと言はずしてアガといふ也。皇(スメ)は澄し治め、一切を見通す事、御(ミ)は充つる、円満具足の義、孫(マ)はマコトの子、直系を受けたる至貴の玉体。命は体異体別の義、即ち独立せる人格の義にして、前に出でたる命(神言)から発足せる第二義である。全体は単に『御子』といふ事である。元来霊も体も其根本に溯れば、皆祖神の賜、天地の賜である。故に皇典では常に敬称を附するを以て礼となし、人間に自他の区別は設けられてないのである。 △豊葦原の水穂国全世界即ち五大洲の事である。之を極東の或国の事とせるが従来の学者の謬見であつた。日本を指す時には、豊葦原の中津国、又は根別国などと立派に古事記にも区別して書いてある。 △所知食は衣食住の業を安全に示し教ふる事を云ふ。地球は祖神の御体であるから、人間としては土地の領有権は絶対に無い。例へば人体の表面に寄生する極微生物に人体占領の権能がないのと同様である。人間は神様から土地を預り、神様に代りて之を公平無私に使用する迄である。うしはぐ(領有)ものは天地の神で主治者は飽迄知ろしめすであらねばならぬ。国土の占領地所の独占等は、根本から天則違反行為である。神政成就の暁には独占は無くなつて了ふ。 (大意)全大宇宙間には陰陽二系の御神霊が実相充塞しそれは即ち一切万有の父であり又母である。陰陽二神の神秘的産霊の結果は先づ一切の原動力とも云ふべき言霊の発生となつた。所謂八百万の天津神の御出現であり、御完成である。天界主宰の大神は云ふまでもなく天照皇大神様であらせらるるが、其次ぎに起る問題は地の世界の統治権の確定である。是に於て神廷会議の開催となり其結果は天照大神様の御霊統を受けさせられた御方が全世界の救治に当らるる事に確定し、治国平天下の大道を執行監督さるべき天の使命を帯びさせらるる事になつたのである。無論人間の肉体は世に生死往来するを免れないが、其霊魂は昔も今も変ることなく千万世に亘りて無限の寿を保ちて活動さるるのである。 (三) かく依さし奉りし国中に荒振神等をば、神問はしに問はし玉ひ、神掃ひに掃ひ給ひて、語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて、天之磐座放ち、天之八重雲を伊頭の千別に千別て、天降し依さし奉りき。 △荒振神天界の御命令にまつろはぬ神、反抗神の意である。 △神問はしに云々神の御会議。罪あるものは神に向ひて百万遍祝詞を奏上すればとて、叩頭を続くればとてそれで何の効能があるのではない。況ンや身欲信心に至つては、言語道断である。神様に御厄介を懸けるばかり、碌な仕事もせぬ癖に、いざ大審判の開始されむとする今日、綾部を避難地でもあるが如くに考ふるやうな穿き違ひの偽信仰は、それ自身に於て大罪悪である。神は先づ其様な手合から問はせらるるに相違ない。 △神掃ひに云々掃ひ清むること、神諭の所謂大掃除大洗濯である。 △語問し諸々の罪の糾弾である。 △磐根樹立草の枕詞、即ち磐の根に立てる樹木の、その又根に立てる草の義。 △草の片葉草は青人草、人のこと、又片葉は下賤の人草の意である。 △語止めて議論なしに改悟せしむるの意である。 △天之磐座放ち磐座は高御座也、いはもくらも共に巌石の義。放ちは離ち也。古事記には、『離天之石位』とあり。 △八重雲弥が上にも重なりたる雲。 △伊頭の千別に云々伊頭は稜威也。即ち鋭き勢を以て道を別けに別けの義。 △天降し依さし奉りき『天降し……の件を依さし奉りき』の義にて中間に神秘あり。天降しは天孫をして降臨せしむる事、換言すれば天祖の御分霊を地に降し、八百万の国津神達の主宰として神胤が御発生ある事である。 (大意)既に地の神界の統治者は確定したが、何しろ宇宙の間は尚未製品時代に属するので、自由行動を執り、割拠争奪を事とする兇徒界が多い。これは最も露骨に大本開祖の御神諭に示されて居る所で、決して過去の事のみではない。小規模の救世主降臨は過去にあつたが、大規模の真の救世主降臨は現在である。『七王も八王も王が世界にあれば、此世に口舌が絶えぬから、神の王で治める経綸が致してあるぞよ』とあるなどは即ち之を喝破されたものである。其結果是等悪鬼邪神の大審判、大掃除、大洗濯が開始され所謂世の大立替の大渦中に突入する。さうなると批評も議論も疑義も反抗も全部中止となり稜威赫々として宇内を統治し玉ふ神の御子の世となるのである。 (四) 如此依さし奉りし四方の国中と大日本日高見之国を安国と定め奉りて、下津磐根に宮柱太敷立、高天原に千木多加知りて、皇御孫命の美頭の御舎仕へ奉りて、天の御蔭日の御蔭と隠り坐して、安国と平けく所知食む国中に成出でむ天の益人等が過ち犯しけむ雑々の罪事は。 △四方の国中宇宙の大中心。 △大日本日高見之国四方真秀、天津日の隈なく照り亘る国土を称へていふ。但宇宙の大修祓が済んでから初めて理想的になるのである。 △下津磐根地質が一大磐石の地で即ち神明の降臨ある霊域を指す。 『福知山、舞鶴は外囲ひ、十里四方は宮の内』とあるも亦下津磐根である。 △宮柱太敷立宮居の柱を立派に建てる事。 △千木多加知屋根の千木を虚空(高天原)に高く敷きの義。千木は垂木也。タリを約めてチといふ。 △美頭麗しき瑞々しき意。 △仕へ奉り御造営の義。 △天の御蔭云々天津神の御蔭、日の大神様の御蔭と自分の徳を隠したまふ義。神政成就、神人合一の時代に於ては人は悉く神の容器である。世界統一を実行すとて、其功績は之は天地の御恩に帰し奉るが道の真随で、忠孝仁義の大道は根源をここから発する。坐ながらにして其御威徳は宇内に光被し、世は自然と平けく安らけく治まるのである。 △天の益人天は敬称である。益人は世界の全人類を指す。マスラヲといふ時は男子のみを指す。マは完全、スは統治の義。又ヒは霊、トは留まる義。 △罪事ツミは積み也、又包み也。金銭、財宝、糧食等を山積私有するは個人本位、利己本位の行為で、天則に背反して居る。又物品を包み隠したり、邪心を包蔵したり、利用厚生の道の開発を怠つたりする事も堕落腐敗の源泉である。かく罪の語源から調べてかかれば罪の一語に含まるる範囲のいかに広いかが分る。法律臭い思想では其真意義はとても解し難い。 (大意)天祖の御依託によりて救世主が御降臨遊ばさるるに就きては、宇宙の中心、世界の中心たる国土を以て宇内経綸、世界統一の中府と定め給ひ、天地創造の際から特別製に造り上げてある神定の霊域に、崇厳無比の神殿を御造営遊ばされ、惟神の大道によりて天下を知ろしめされる事になる。神諭の所謂『神国の行ひを世界へ手本に出して万古末代動かぬ神の世で三千世界の陸地の上を守護』さるるのである。それに就きては直接天津神の手足となり、股肱となりて活動せねばならぬ責任が重い。いかなる事を為ねばならぬか、又如何なる事を為てはならぬか、明確なる観念を所有せねばならぬ。次節に列挙せらるる雑々の罪事といふのは悉く人として日夕服膺せねばならぬ重要事項のみである。 (五) 天津罪とは、畔放ち溝埋め、樋放ち頻蒔き串差し、生剥逆剥尿戸許々太久の罪を、天津罪と詔別けて、国津罪とは、生膚断、死膚断、白人胡久美、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪、昆虫の災、高津神の災、高津鳥の災、畜殪し蠱物せる罪、許々太久の罪出む。 △天津罪天然自然に賦与せられたる水力、火力、電磁力、地物、砿物、山物、動植物等の利用開発を怠る罪をいふ。前にも言へる如く、所謂積んで置く罪、包んで置く罪也。宝の持腐れをやる罪也。従来は文明だの進歩だのと云つた所が、全然穿き違の文明進歩で一ツ調子が狂へば忽ち饑餓に苦しむやうなやり方、現在世界各国の四苦八苦の有様を見ても、人間が如何に天津罪を犯して居るかが解る。神諭に『結構な田地に木苗を植たり、色々の花の苗を作りたり、大切な土地を要らぬ事に使ふたり致し人民の肝腎の生命の親の米、豆、粟を何とも思はず、米や豆や麦は何程でも外国から買へると申して居るが、何時までもさう行かぬ事があるから猫の居る場にも五穀を植付けねばならぬやうになりて来るぞよ。皆物質本位の教であるから、神の国には神国の世の行方に致さして、モーぼつぼつと木苗も掘り起させるぞよ』とあるなどは実に痛切骨に徹する御訓戒である。現在の神国人とても欧米人と同じく決して天津罪人の数には漏れぬ人間ばかりである。採鉱事業などになると今の人間は余程進歩して居る所存で居るが、試掘と分析位で地底に埋没せる金銀宝玉等が出るものではない。之に比べると、幾分霊覚を加味した佐藤信淵[※佐藤信淵は江戸後期の思想家、医師。]の金気観測法などの方が何れ丈か進歩して居る。神霊の御命令と御指示がなくんば、金銀其他は決して出ない。大本神諭に『五六七大神の御出ましにお成なさるるにつき、国常立尊が現はれるなり、国常立尊が現はれると、乙姫殿は次ぎに結構な大望な御用が出来て乙姫殿の御宝を上げて新規の金銀を綾部の大本に………。二度目の立替を致して、何も新規に成るのであるから、乙姫殿の御財宝を綾部の大本へ持運びて、新規の金銀を吹く準備を致さな成らぬから云々』とあるなどは時節到来と共に実現して、物質万能機械一点張りの連中を瞠若たらしむ事柄なのである。又現在人士は電力、火力、水力、其他の利用にかけて余程発達進歩を遂げた心算で居るが、一歩高所から達観すると、利用どころか悪用ばかり間接又は直接に人類の破滅、天然の破壊に使用されぬものが幾何かある。是等の点にかけて現在の人士は、所謂知識階級、学者階級ほど血迷ひ切つて居る、天津罪の犯罪者である。 △畔放ち天然力、自然力の開発利用の事。畔(ア)は当字にてアメを約めたもの也。田の畔を開つなどは単に表面の字義に囚はれたる卑近の解釈である。 △溝埋め水力の利用を指す。埋めには補足の義と生育の義とを包む。湯に水をうめる、根を土中にうめる、種子を地にうめる、孔をうめる、鶏が卵をうむなど参考すべし。 △樋放ち樋は火也。電気、磁気、蒸気、光力等天然の火力の開発利用を指す。 △頻蒔き山の奥までも耕作し不毛の地所などを作らぬ事。頻(シキ)は、敷地のシキ也、地所也。蒔きは捲き也、捲き収める也、席巻也、遊ばせて置かぬ也、遊猟地や、クリケツト、グラウンドなどに広大なる地所を遊ばせて、貴族風を吹かせて、傲然たりし某国の現状は果して如何。彼等が世界の土地を横領せる事の大なりし丈、彼等が頻蒔の天則を無視せる罪悪も蓋し世界随一であらう。併し其覚醒の時もモー接近した、これではならぬと衷心から覚る時はモー目前にある。イヤ半分はモー其時期が到着して居る。併しこれは程度の差違丈で、其罪は各国とも皆犯して居る。 △串差しカクシサガシの約にて、前人未発の秘奥を発見する事。 △生剥ぎ一般の生物の天職を開発利用する事。生物といふ生物は悉く相当の本務のあるもので、軽重大小の差異こそあれそれぞれ役目がある。鼠でも天井に棲みて人間に害を与ふる恙虫などを殺すので、絶対的有害無効の動物ではない。剥ぎは開く義、発揮せしむる義也。蚕をはぐなどの語を参考すべし。 △逆剥逆(サカ)は、栄えのサカ也。酒なども此栄えの意義から発生した語である。剥(ハギ)は生剥の剥と同じく開発の義。即ち全体の義は栄え開く事で、廃物をも利用し荒蕪の地を開墾し、豊満美麗の楽天地を現出せしむる事を指す。 △尿戸宇宙一切を整頓し、開発する義。クは組織経綸、ソは揃へる事、整頓する事、へは開発する事。 △許々太久其他種々雑多の義。 △天津罪と詔別て以上列挙せる天然力、自然物の利用開発を怠る事を、天津罪と教へ給ふ義也。 △国津罪天賦の国の徳、人の徳を傷つくる罪を指す。 △生膚断天賦の徳性を保ち居る活物の皮膚を切ること也。必要も無きに動物を害傷し、竹木を濫伐する事等は矢張罪悪である。霊気充満せる肉体に外科手術を施さずとも、立派に治癒する天賦の性能を有して居る。人工的に切断したり切開したりするのは天則違反で、徒に人体毀損の罪を積ぬる訳になる。 △死膚断刃物を以て生物一切を殺す罪。 △白人胡久美白昼姦淫の事。白日床組といふ醜穢文字を避け、態と当字を用ひたのである。淫欲は獣肉嗜好人種に随伴せる特徴で、支那、欧米の人士は概して此方面の弊害が多い。日本人も明治に入つてから大分其影響を受けて居るが、元来は此点に於ては世界中で最も淡白な人種である。淫欲の結果は肺病となり、又癩病となる故に白人胡久美を第二義に解釈すれば白人は肺病患者、又は白癩疾者を指し、胡久美は黒癩疾者を指す。 △己が母犯せる罪母の一字は、父、祖先、祖神等をも包含し、極めて広義を有するのである。大体に於て親といふ如し。犯すとは其本来の権能を無視する義也。換言すれば親、祖先、祖神に対して不孝の罪を重ぬる事である。 △己が子犯せる罪自己の子孫の権能を無視し、非道の虐待酷使を敢てする事。元来自分の子も、実は神からの預かり物で、人間が勝手に之を取扱ふ事は出来ない。それに矢鱈に親風を吹かせ、娘や伜などを自己の食ひ物にして顧みぬなどは甚だしき罪悪といふべきである。 △母と子と犯せる罪、子と母と云々上の二句『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪』を更に畳句として繰返せる迄で別に意義はない。 △畜犯せる罪獣類の天賦の徳性を無視し、酷待したり、殺生したりする事。 △昆虫の災天則違反の罪をいふ。蝮、ムカデなどに刺されるのは皆偶然にあらず、犯せる罪があるにより天罰として刺されるのである。故にかかる場合には直に反省し、悔悟し、謹慎して、神様にお詫を申し上ぐべきである。 △高津神の災天災、地変、気候、風力等の不順は皆これ高津神の業にして罪過の甚い所に起るのである。災は業はひ也、所為也。鬼神から主観的に観れば一の所為であるが、人間から客観的に観れば災難である。今度の国祖の大立替に、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、其他八百万の眷属を使はるるのも祝詞の所謂高津神の災である。皆世界の守護神、人民の堕落が招ける神罰である。 △高津鳥の災鳥が穀物を荒す事などを指すので矢張り神罰である。 △畜殪し他家の牛馬鶏豚等を斃死せしむる事。一種のマジナヒ也。 △蠱物呪咀也、マジナヒ物也。丑の時参りだの、生木に釘を打つだのは皆罪悪である。 (大意)人間は神の容器として宇内経綸の天職がある。殊に日本人の使命は重大を極め世界の安否、時運の興廃、悉く其責任は日本人に係るのである。神諭に『日本は神の初発に修理へた国、元の祖国であるから、世界中を守護する役目であるぞよ。日本神国の人民なら、チトは神の心も推量致して、身魂を磨いて世界の御用に立ちて下されよ』とある通り、天賦の霊魂を磨き、天下独特の霊智霊覚によりて、天然造化力の利用開発に努めると同時に、他方に於ては天賦の国の徳、人の徳を発揮することに努め、そして立派な模範を世界中に示さねばならぬのである。然るに実際は大に之に反し、徒に物質文明の糟粕を嘗め、罪の上に罪を重ねて現在見るが如き世界の大擾乱となつて来た。無論日本人は此責任を免るる事は出来ない。併しこれは天地創造の際からの約束で、進化の道程として、蓋し免れ難き事柄には相違ない。されば此祝詞の中に『許々太久の罪出む』とあり、又国祖の神諭にも『斯うなるのは世の元から分つて居る』と仰せられて居る。要するに過去の事は今更悔むには及ばぬ。吾々は現在及び将来に向つて、いかなる態度を執り、いかなる処置を講ずれば宜いかを考究すべきである。次節に其要道を示されて居る。 (六) 如此出でば、天津宮言以て、天津金木を本打切末打断て、千座の置座に置足はして、天津菅曾を本苅絶末苅切て、八針に取裂きて天津祝詞の太祝詞言を宣れ、如此宣らば、天津神は天の磐戸を推披来て、天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞召む。国津神は高山の末短山の末に登り坐て、高山の伊保理短山の伊保理を掻分けて所聞召む。 △天津宮言宮言は『ミヤビノコトバ』の義也。正しき言霊也。宇宙の経綸は言霊の力によりて行はるる事は、前にも述べた。我天孫民族は世界の経綸を行ひ、天下を太平に治むべき、重大なる使命を帯びて居る。然るに現在は肝腎の日本人が、霊主体従の天則を誤り天津罪、国津罪、数々の罪を重ねて、其結果世界の大擾乱を来して居る。之を修祓し、整理するの途は、言霊を正し、大宇宙と同化するが根本である。換言すれば、肚の内部から芥塵を一掃し、心身共に浄化して、常に善言美詞のみを発するやうにせねばならぬ。悪声を放ち蔭口をきき又は追従軽薄を並べるやうな人間はそれ丈で其人格の下劣邪悪な事が分る。世界の経綸どころか人として次ぎの新理想時代に生存すべき資格の有無さへ疑問である。日夕祝詞を奏上しても、斯んな肝要至極の点が、さつぱり実行が出来ぬでは仕方がない。お互に反省の上にも反省を加へねばならぬ事と思ふ。 △天津金木則神算木也。周易の算木に相当するものであるが、より以上に神聖で正確である。本来は長さ二尺の四寸角の檜材なのであるが、運用の便宜上、長さ二寸の四分角に縮製さる。其数三十二本を並べて、十六結を作製し、其象を観て、天地の経綸、人道政事一切の得失興廃等を察するのである。それは宇内統治の主が大事に際して運用すべきもので、普通人民が矢鱈に吉凶禍福などを卜するに使用すべきものではない。無意無心の器物を用ゐて神勅を受くるのであるから、ややもすれば肉体心の加味し勝ちな普通の神憑りよりも、一倍正確な事は云ふ迄もない。 △本打切末打断神算木を直方形に作製する仕方を述べたまでである。 △千座の置座云々無数の神算木台に後からズンズン置き並べる事。 △天津菅曾周易の筮竹に相当するが其数は七十五本である。これは七十五声を代表するのである。長さは一尺乃至一尺二寸、菅曾は俗称『ミソハギ』と称する灌木、茎細長にして三四尺に達す。之を本と末とを切り揃へて使用する也。 △八針に取裂て天津菅曾の運用法は先づ総数七十五本を二分し、それから八本づつ取り減らし其残数によりて神算木を配列するのである。 △天津祝詞の太祝詞即ち御禊祓の祝詞の事で、正式に奏上する場合には爰で天津祝詞を奏上するのである。大体に於て述べると、あの祝詞は天地間一切の大修祓を、天神地祇に向つて命ぜらるる重大な祝詞である。太(フト)は美称で、繰返して、天津祝詞を称へた迄である。 △宣れ神に向つて願事を奏上するの義也。 △天の磐戸天津神のまします宮門から御出動の義にて、人格的に写し出せるのである。 △伊頭の千別き云々前に出たから略す。 △国津神地の神界に属する神々、及び霊魂の神を以て成立し、各自の霊的階級に応じて大小高下、それぞれの分担権限を有す。 △高山の末云々末は頂上の義。 △伊保理隠棲也、隠れたる也。伊保理の伊保も、いぶかしのいぶも、烟などのいぶるも、皆通音で同意義である。 (大意)天津罪、国津罪の続発は悲しむべき不祥事ではあるが、出来た上は致方がない。よく治乱興廃、得失存亡の理を明かにし、そして整理修祓の法を講ぜねばならぬ。世界主宰の大君としては、天津金木を運用して宇内の現勢を察知し、そして正しき言霊を活用して天津祝詞を天津神と国津神とに宣り伝へて、其活動を促すべきである。これが根本の祭事であると同時に、又根本の政事であつて、祭と政とは決して別途に出るものではない。さうすると、天津神も国津神もよく之に応じて威力を発揮せられる。神諭の所謂『罪穢の甚い所には、それぞれの懲罰がある』又は『地震、雷、火の雨降らして体主霊従をつぶす』といふやうな神力の発動ともなるのである。 (七) 如此所聞食ては、罪といふ罪は不在と、科戸の風の天の八重雲を吹放つ事の如く、朝の御霧夕の御霧を、朝風夕風の吹掃ふ事の如く、大津辺に居大船を、舳解放ち艫解放ちて大海原に押放つ事の如く、彼方の繁木が本を、焼鎌の敏鎌以て打掃ふ事の如く、遺る罪は不在と、祓賜ひ清め玉ふ事を。 △かく所食てはきこしめすの意義は、単に耳に聴くといふよりも遥に広く深い。きくは利く也。腕が利く、鼻がきく、眼がきく、酒をきく、(酒の品位を飲み分けること)などのきくにて一般に活用を発揮し、威力を利用する義である。天津神、国津神達が整理修祓の命に応じて活動を開始する事を指していふ。 △罪といふ罪は不在と罪といふ限りの罪は一つも残さずの意。 △科戸の風の云々以下四聯句は修祓の形容で、要するに『遺る罪は不在と祓賜ひ清め賜ふ』事を麗しき文字で比喩的に描いたものである。科戸は風の枕詞、古事記に此神の名は志那都比古と出て居る。シは暴風(アラシ)のシと同じく風の事である。ナはノに同じく、トは処の義。 △朝の御霧云々御霧は深き霧の義。 △朝風夕風云々朝風は前の『朝の御霧』に掛り、夕風は『夕の御霧』に掛る。 △大津辺に居る云々地球に於て、肉体を具備されたる神の御出生ありしは、琵琶湖の竹生島からは、多紀理毘売命、市寸島比売命、狭依毘売命の三姫神、又蒲生からは天之菩卑能命、天津彦根命、天之忍穂耳命、活津日子根命、熊野久須毘命の五彦神が御出生に成つた。これが世界に於ける人類の始祖である。かく琵琶湖は神代史と密接の関係あるが故に、沿岸附近の地名が大祓祝詞中に数箇所出て居る。大津の地名も斯くして読み込まれたものである。 △舳解放云々泊居る時に舳艪を繋いで置くが、それを解き放つ意。 △大海原海洋也。 △繁木が下繁茂せる木の下。 △焼鎌の敏鎌焼鎌とは、鎌で焼きて造る故にいふ。敏鎌は利き鎌の義。 △遺る罪は不在と前に『罪といふ罪は不在』とあるのに、更に重ねてかく述ぶるは、徹底的に大修祓を行ふ事を力強く言ひなしたのであらう。 (大意)八百万の天津神と国津神との御活動開始となると、罪といふ罪、穢といふ穢は一つも残らず根本から一掃されて仕舞ふ。大は宇宙の修祓、国土の修祓から、小は一身一家の修祓に至るまで、神力の御発動が無ければ、到底出来るものではない。殊に現代の如く堕落し切つた世の中が、何うしても姑息的人為的の処分位で埒が附くものでない。清潔法執行の声は高くても、益々疾病は流行蔓延し、社会改良の工夫は種々に凝らされても、動揺不穏の空気はいよいよ瀰蔓するではないか。艮之金神国常立尊が御出動に相成り、世の立替立直しを断行さるるのも誠に万止むを得ざる話である。されば大祓祝詞は、無論何れの時代を通じても必要で、神人一致、罪と穢の累積を祓清むる様に努力せねばならぬのだが、殊に現在に於ては、それが痛切に必要である。自己の身体からも、家庭からも、国土からも、更に進んで全地球、全宇宙から一時も迅速に邪気妖気を掃蕩してうれしうれしの神代に為ねば、神に対して実に相済まぬ儀ではないか。 大修祓に際して、神の御活動は大別して四方面に分れる。所謂祓戸四柱の神々の御働きである。祓戸の神といふ修祓専門の神様が別に存在するのではない、正神界の神々が修祓を行ふ時には、此四方面に分れて御活動ある事を指すのである。以下末段迄は各方面の御分担を明記してある。 (八) 高山の末短山の末より、作久那太理に落、多岐つ速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神、大海原に持出なむ、如此持出往ば、荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速秋津比売といふ神、持可々呑てむ。如此可々呑ては、気吹戸に坐す気吹戸主といふ神、根の国底の国に気吹放ちてむ。如此気吹放ちては、根の国底の国に坐す速佐須良比売といふ神、持佐須良比失ひてむ。如此失ひては、現身の身にも心にも罪と云ふ罪は不在と、祓給へ、清め給へと申す事を所聞食と恐み恐みも白す。 △高山の末云々高き山の頂、低き山の頂からの義。 △作久那太理に佐久は谷也、峡也。那太理はなだれ落つる義、山から水が急転直下し来る事の形容。 △落多岐つ逆巻き、湧き上りつつ落つる事。滝(タキ)、沸(タギル)等皆同一語源から出づ。 △速川急流也。 △瀬織津比売云々古事記の伊邪那岐命御禊の段に、『於是詔之上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬降迦豆伎而。滌時。所成坐神名八十禍津日神、次大禍津日神。此二神者所到其穢繁国之時因汚垢而。所成之神者也』[※この漢文は御校正本ではフリガナはなく、返り点が付いている。霊界物語ネットでは戦後の版を参考にしてフリガナをつけた。また返り点は削除した。]と出て居るが、瀬織津の織は借字にて瀬下津の義、即ち於中瀬降迦豆伎たまふとある意の御名である。此神は即ち禍津日神である。世人は大概禍津日神と禍津神とを混同して居るが、実は大変な間違である。禍津神は邪神であるが、禍津日神は正神界の刑罰係である。現界で言へば判検事、警察官、又は軍人なぞの部類に属す。罪穢が発生した場合には、常に此修祓係、刑罰係たる禍津日神の活動を必要とする。修祓には大中小の区別がある。大は天上地上の潔斎、中は人道政事の潔斎、小は一身一家の潔斎である。若し地球に瀬織津比売の働きが無くんば、万の汚穢は地上に堆積して新陳代謝の働きが閉塞する。所が地の水分が間断なく蒸発して、それが雲となり、雨となり、其結果谷々の小川の水が流れ出て末は一つに成りて大海原に持出して呉れるから、天然自然に地の清潔が保たれるのである。現在は地の表面が極度に腐敗し切り、汚染し切り、邪霊小人時を得顔に跋扈して居る。神諭に『今の世界は服装ばかり立派に飾りて上から見れば結構な人民で、神も叶はぬやうに見えるなれど誠の神の眼から見れば、全部四つ足の守護に成りて居るから、頭に角が生えたり、尻に尾が出来たり、無暗に鼻計り高い化物の覇張る、闇雲の世に成りて居るぞよ』『余り穢うて眼を開けて見られぬぞよ』『能うも爰まで汚したものぢや。足片足踏み込む所もない』等と戒められて居る通りである。此際是非とも必要なるは、世界の大洗濯、大清潔法の施行であらねばならぬ。爰に於てか先づ瀬織津姫の大活動と成りて現はれる。七十五日も降りつづく大猛雨なぞは此神の分担に属する。到底お手柔な事では現世界の大汚穢の洗濯は出来さうも無いやうだ。神諭にも『罪穢の甚大い所には何があるやら知れぬぞよ』と繰返し繰返し警告されて居る。世界の表面を見れば、そろそろ瀬織津比売の御活動は始まりつつあるやうだ。足下に始まらなくては気が附かぬやうでは困つたものだ。 △荒塩の塩の八百道の云々全体は荒き潮の弥が上に数多寄り合ふ所の義。八は弥の意、八百道は多くの潮道の事、八塩道は上の塩の八百道を受け重ねていへる丈である。八百会は沢山の塩道の集まり合ふ所。 △速秋津比売古事記に『水戸神、名速秋津日子神。次妹秋津比売命』とあるが如く河海の要所を受持ちて働く神也。 △持可々呑てむ声立ててガブガブ呑むの義也。汚れたる世界の表面を洗滌する為には既に瀬織津比売の働きが起りて大雨などが降りしきるが、河海の水門々々に本拠を有する秋津比売が、次ぎに相呼応して活動を開始する。大洪水、大海嘯、大怒濤、此神にガブ呑みされては田園も山野も、町村も耐つたものではない。所謂桑田変じて碧海と成るのである。 △気吹戸近江の伊吹山は気象学上極めて重要な場所である。伊吹は息を吹く所の義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中の伊吹戸とも云ふべきは近江の伊吹山である。最近伊吹山に気象観測所が公設されたのは、新聞紙の伝ふる所であるが、大本では十年も二十年も以前から予知の事実である。 △気吹戸主大雨、洪水、海嘯等の活動に続いては、気象上の大活動が伴うて妖気邪気の掃蕩を行はねばならぬ。元寇の役に吹き起つた神風の如きも、無論この伊吹戸主の神の御活動の一端である。 △根の国底の国地球表面に於ては北極である。神諭に『今迄は世の元の神を、北へ北へ押籠めて置いて、北を悪いと世界の人民が申て居りたが、北は根の根、元の国であるから、北が一番善く成るぞよ………。人民は北が光ると申して不思議がりて、いろいろと学や智慧で考へて居りたが、誠の神が一処に集りて、神力の光を現はして居る事を知らなんだぞよ』とあるが、真に人間の智慧や学問では解釈の出来ない神秘は北に隠されて居る。北光、磁力は申すに及ばず、気流や、気象なども北極とは密接の関係がある。即ち地球の罪穢邪気は、悉く一旦北極に吹き放たれ、爰で遠大なる神力により処分されるのである。序に一言して置くが、罪を犯した者が根の国、底の国に落ちるのは、詰まり神罰で、これも一つの修祓法執行の意義である。別に根の国底の国といふ地獄めきたる国土が存在するのではない。何処に居ても神罰執行中は其処が根の国底の国である。 △速佐須良比売佐須良は摩擦(サスル)也、揉むこと也、空にありては雷、地にありては地震、皆これ佐須良比売の活動である。要するに全世界の大修祓法は、大雨で流し、洪水海嘯等で掃ひ、大風で吹き飛ばし、最後に地震雷で揺つて揺つて揺り滅すのである。それが即ち神諭の世界の大洗濯、大掃除、第二次の大立替である。『天の大神様がいよいよ諸国の神に、命令を降しなされたら、艮金神国常立尊が総大将となりて雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、八百万の眷族を使ふと一旦は激しい』とあるのは、祓戸四柱の神々の活動を指すのである。詳しく言へば雨、荒、風、地震の神々がそれぞれ瀬織津比売、秋津比売、気吹戸主、佐須良比売の神々の働きをされるので、岩の神が統治の位置に立つのである。学問の末に囚はれた現代人士は、是等の自然力を科学の領分内に入れて解釈しようと試みて居るがそれは駄目だ。実は皆一定の規律と方針の下に行はるる所の神力の大発動である。その事は、今年よりは来年、来年よりは来々年といふ具合に、段々世界の人士が承服する事に成るであらう。 △所聞食と八百万の神達に宣り上ぐる言葉である。神々に向つて活動開始、威力発揮を祈願する言葉である。即ち天地の神々様も、此宣詞をしつかり腹に入れ、四方面に分れて、大修祓の為に活力を発揮し玉へと云ふ事である。我惟神の大道がいかに拝み信心、縋り信心と天地の相違あるかは、此辺の呼吸を観ても分るであらう。末段祓戸四柱神の解釈説明を下すに当り、自分は全体の統一を慮り、又大本神諭との一致を失はぬやう、主として地球全体世界全体経綸の見地から筆を下した。併しこれは、より大きくも、又より小さくも解釈が出来る事は前にも述べた通りである。宇宙の神人、万有一切の事は皆同一理法に支配せられ、宇宙に真なる事は地球にも真、地球に真なる事は一身一家にも又真である。参考の為めに爰に簡単に他の一二の解釈法を附記して置かう。個人潔斎の上から述べると瀬織津比売の働きは行水、沐浴等の事、秋津比売は合嗽の事、伊吹戸主は深呼吸などの事、佐須良比売は冷水摩擦、按摩等の事である。人身生理の上から述べると、瀬織津比売は口中にて食物咀嚼の機能、秋津比売は食道から胃腸に食物を運ぶ機能、気吹戸主は咀嚼して出た乳汁を肺臓に持ち出す機能、佐須良比売は肺臓にて空気に触れ、それから心臓に帰り、そして全身へ脈管で分布せらるる機能を指すのである。かくの如く大祓祝詞は大小に拘はらず、ありとあらゆる有機組織全部に必要なる新陳代謝の自然法を述べたものである。 (大意)さて地球の表面の清潔法施行のためには、先づ大小の河川を司どる瀬織津姫が御出動になり、いよいよとなれば、大雨を降らして苛くも汚れたものは家庫たると、人畜たるの区別なく大海へ一掃して了ふ。之に応じて速秋津姫の活動が起り、必要あれば逆に陸地までも押し寄せ、あらゆる物を鵜呑みにする。邪気妖気掃除の目的には気吹戸主神が控へて居り、最後の大仕上げには佐須良姫が待ち構へて、揉みに揉み砕き、揺りに揺り潰す。これでは如何に山積せる罪穢も此の世から一掃されて品切れになる。従来は大祓の祝詞は世に存在しても其意義すら分らず、従つて其実行が少しも出来て居なかつた。其大実行着手が国祖国常立尊の御出動である。神国人の責務は重いが上にも重い。天地の神々の御奮発と御加勢とを以て首尾克く此大経綸の衝に当り神業に奉仕するといふのが、これが大祓奏上者の覚悟であらねばならぬ。(完)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 17 天人歓迎 第一七章天人歓迎〔一二五〇〕 木の花姫に助けられ治国別や竜公は 心いそいそ中間のさしもに広き天国を 当途もなしにイソイソと東を指して進み行く 金銀瑪瑙硨磲瑠璃や玻璃水晶の色つやを 照して立てる木々の間を宣伝歌をば歌ひつつ 足を揃へて進み行く。 治国別『高天原に八百万尊き神ぞつまります 神漏岐、神漏美二柱皇大神の神言もて 日の神国をしろしめす神伊弉諾の大御神 筑柴の日向の橘の小戸の青木が清原に みそぎ祓はせ給ふ時生り出でませる祓戸の 貴四柱の大御神吾身に犯せる諸々の 罪や汚れや過ちを祓はせ給へ速に 清がせ給へと願ぎ申す吾言霊を小男鹿の 八つの耳をばふり立てて聞しめさへとねぎまつる 世の太元とあれませる皇大神よ吾一行 守らせ給へ村肝の心を清め給へかし あゝ惟神々々御霊幸はへましませよ 治国別は謹みて天津御神や国津神 百の御神の御前に神言申し奉る 珍の御国の神の国高天原に八百万 尊き神ぞつまります此世をすぶる大御祖 神漏岐、神漏美二柱厳の神言を畏みて 覚りの神と現れませる此世を思兼の神 百千万の神たちを安の河原に神集ひ 集ひ給ひて神議り議らせ給ひ主の神は 豊葦原の瑞穂国いと安国と平らけく しろしめさへと事依さし固く任けさせ給ひたり 斯くも依させし国中に荒ぶり猛ぶ神等を 神問はしに問はしまし神掃ひに掃ひまし 語り問はして岩根木根立木や草の片葉をも 語り止めさせいづしくも天の磐座相放ち 天にふさがる八重雲を伊頭の千別に千別まし 天より降り依さします神の守りの四方の国 其真秀良場と聞えたる大日本日高見の国を 浦安国と定めまし下津磐根に宮柱 いとも太しく立て給ひ高天原に千木高く すみきりませる主の神の美頭の御舎仕へまし 天津御蔭や日のみかげ被りたりと隠りまし 心安国と平らけくしろしめします国中に 生れ出でたる益人が過ち犯し雑々の 作りし罪は速かに宣り直しませ惟神 珍の御前に願ぎまつる天津罪とは畔放ち 溝埋め樋放ち頻蒔きし串差し生剥ぎ逆剥ぎや 屎戸許々多久罪科を詔別け給ふ天津罪 国津罪とは地の上の生膚断や死膚断 白人胡久美吾母を犯せし罪や吾子をば 虐げ犯す百の罪母子共々犯す罪 けものを犯し昆虫の醜の災天翔り 国翔りといふ高神の醜の災高津鳥 百の災禍獣をたふし蠱物なせる罪 いや許々太久の罪出でむかく数多き罪出でば 天津祝詞の神言もて天津金木の本末を 打切り打断ち悉く千座の置座におきなして 天津菅曾を本と末刈りたち刈り切り八つ針に 取り裂きまつり皇神の授け給ひし天津国 みやび言霊の太祝詞完全に委曲に宣らせませ 斯く宣る上は天津神は天の磐戸を推しひらき 天にふさがる八重雲を伊頭の千別に千別つつ 心おだひに聞しめせ国津御神は高山と 小さき山の尾に登り高き低きの山々の いほりを清くかきわけて百の願を聞しめす かく聞しては罪といふあらゆる罪はあらざれと 科戸の風の八重雲を気吹放てる事の如 朝の霧や夕霧を科戸の風の心地よく 気吹き払ひし事の如浪うちよする大津辺に つなぎし大船小舟をば舳を解きはなち艫解きて 千尋の深き海原に押し出し放つ事の如 彼方に繁る木の元をかぬちの造る焼鎌や 敏鎌を以て打払ふ神事の如く塵ほども 残れる罪はあらざれと清め払はせ給ふ事を 高山の末短山の末より強く佐久那太理 おち滝津瀬や速川にまします瀬織津比売の神 大海原に持出でむかくも持出でましまさば 罪も汚れも荒塩の塩の八百道の八塩道の 塩の八百重にましませる瀬も速秋津比売の神 忽ち呵々呑み給ひてむかくも呵々呑み給ひなば 気吹の小戸にましませる気吹戸主と申す神 根の国底の国までも気吹放たせ給ふべし 斯くも気吹放ち給ひては根底の国にあれませる 速佐須良比売と申す神総てを佐須良比失はむ 斯くも失ひましまさば現世に在る吾々が 身魂に罪とふ罪科は少しもあらじと惟神 払はせ給へいと清くあらはせ給へと大前に 畏み畏み願ぎ申すあゝ惟神々々 御霊幸はへましませよ』 斯く祝詞くづしの宣伝歌を歌ひながら、或天国団体の一劃に着いた。数多の天人は男女の区別なく、数十人道の両側に列を正し、『ウオーウオー』と、愛と善のこもつた言霊を張り上げて、二人の来るを歓迎するものの如くであつた。 茲に一つ天人の衣服と其変化の状態に就て、一言述べておく必要があると思ふ。抑も天人の衣類は其智慧と相応するが故に、天国にある者は皆其智慧の度の如何に依つてそれぞれの衣服を着用してゐるものである。其中でも智慧の最も秀れた者の衣類は、他の天人の衣服に比べてきわ立つて美しう見えて居る。又特に秀でた者の衣類は恰も火焔の如く輝き渡り、或は光明の如く四方に照り渡つてゐる。其智慧の稍劣つた者の衣服は、輝きはあつて真白に見えて居るけれども、どこともなくおぼろげに見えて、赫々たる光がない、又其智慧の之に次ぐ者は、それ相応の衣類を着用し、其色も亦さまざまであつて、決して一様ではない。併しながら最高最奥の天国霊国に在る天人は、決して衣類などを用ひる事はない。天人の衣類は其智慧と相応するが故に又真とも相応するのである。何故ならば、一切の智慧なるものは、神真より来るからである。故に天人の衣類は智慧の如何によるといふよりも、神真の程度の如何に依るといふのが穏当かも知れない。而して火焔の如く輝く色は、愛の善と相応し、其光明は善より来る真に相応してゐるのである。其衣類の或は輝きて且純白なるも、光輝を欠いでゐるのもあり、其色又いろいろにして一様ならざるあるは、神善及神真の光、之に輝く事少くして、智慧尚足らざる天人の之を摂受する事、種々雑多にして、一様ならざる所に相応するからである。又最高最奥の天国霊国に在る天人が衣類を用ひないのは、其霊身の清浄無垢なるに依るものである。清浄無垢といふ事は即ち赤裸々に相応するが故である。而して天人は多くの衣類を所有して、或は之を脱ぎ、或は之を着け、不用なるものは暫く之を貯へおき、其用ある時に至つて又之を着用する、そして此衣類は皆大神様の賜ふ所である。其衣類にはいろいろの変化があつて、第一及第二の情態に居る時には、光り輝いて白く清く、第三と第四との情態に居る時には、稍曇つた様にみえてをる。これは相応の理より起来するものであつて、智慧及証覚の如何によつて、斯く天人の情態に、それぞれ変化がある故である。序に地獄界にある者の、衣類のことを述べておく。 根底の国に陥つてゐる者も亦一種の衣類の着用を許されて居る、されど彼等の悪霊は、総ての真理の外に脱出せるを以て、着する所の衣服は其癲狂の度と虚偽の度とによつて、或は破れ、或は綻び、ボロつぎの如く見苦しく、又其汚穢なる事は到底面を向くるに堪へない位である。併し彼等は実にこれ以外の衣類を着用する事が出来ないのである。又地獄界にゐる悪霊は美はしき光沢の衣類を着用する時は、相応の理に反するが故に、身体苦しく、頭痛み、体をしめつけられる如くで、到底着用することが出来ないのである。故に大神が彼等の霊相応の衣類を着用することを許し給うたのは、其悪相と虚偽と汚穢とが赤裸々に暴露する事を防がしめむが為の御仁慈である。 種々さまざまの衣服をつけたる諸々の天人は、治国別、竜公両人の此団体に入り来ることを、大神の宣示に仍つて前知し、歓迎の準備を整へて、今や遅しと待つてゐたのである。数多の天人の中から、最も美はしく光り輝いてゐる清浄の衣類を着用した一人の天人は、治国別の側近く進み来り、『ウーオー』と言ひながら、心の底より歓迎の意を表示してゐる。治国別も意外の待遇に且つ驚き且喜びながら、叮嚀に会釈をなし、固く天人の手を握りしめて、何事か言はむとしたが、何故か口舌硬直して、一言も発することが出来なかつた。茲に於て治国別は其顔面の表情を以て、感謝の意を示す事としたのである。数多の天人は治国別の前後左右に群り来り、『ウオーウオー』と叫びながら、且歌ひ、且舞ひ踊り狂うて、其旅情を慰めむと吾を忘れて其優待に全力を尽してゐる。竜公は余りの嬉しさに口をあけた儘、ポカンとして、只『アーアー』とのみ叫んでゐる。併し天国に於ては、『ア』といふ声は喜びを表白する意味であるから、竜公の此一言は治国別の無言に引替へ、最も天人間から尊重され、且賞揚の的となつたのである。天人が総て人間と相語る時は、天人は決して自らの言語を用ひず、其相手の言語及相手が知れる所の言語を用ひ、其人の知らざる言語は一切用ひない事になつてゐる。天人の人間ともの云ふ時は、自己を転じて人間に向ひ、これと相和合するものである。此和合は両者をして相似の想念情態中に入らしむるものである。併しながら、治国別は天人の団体に於ては、これを肉体のある精霊とは思はなかつた為に、天人の語を用ひたから、治国別が面くらつたのである。 凡て人間の想念は記憶に附着して、其言語の根源となるが故に、此両者は共に同一の言語中にありと云つても良いのである。且又天人及精霊の人間に向ひ来るや、自ら転じて彼に向ひ、彼と和合するに至れば、其人のすべての記憶は、天人の前に現出するものである。天人が人間と談話するに当り、其人と和合するは、人の霊的思想とつまり和合するものであるけれども、其霊的想念流れて、自然界想念中に入り、其記憶に附着し離れざるに仍り、其人の言語は天人の如く見え、又其人の知識は天人の知識の如く見ゆるものである。斯の如きは大神の特別の御恵に依つて、天人と人間との間に和合あらしめ給ひ、恰も天界を人間の内に投入したるが如くならしめ給ふに仍るのである。併しながら現代人間の情態は、太古に於ける天的人間の観なく、天人との和合も亦難かしい。却て天界以外の悪精霊と和合するに立至つたのである。精霊は斯く物語る者の、人間なることを信ぜず、この人の内にある自分共なりと信じ切つて居るのである。 茲に治国別は自分が未だ肉体のある精霊なる事を告げて、未だ天人の域に進んでゐない事をあから様に告げようと努めたけれど、何故か一言も発することが出来なかつた。其故は第二天国の天人に相応すべき愛善と信真と智慧と証覚とが、備はつてゐなかつたからである。ここに治国別は天人の諸団体に歓迎され、唖の旅行を続けて、只アオウエイの五大父音を僅に発する様になり、辛うじて余り大きな恥をかかず、此一つの団体を首尾良く巡覧し、且つ天人に比較的好感を与へて此処を去る事を得たのは、実に不思議と云へば不思議な位であつた。是より治国別は再び木花姫命の御導きに仍つて、智慧と証覚を与へられ、第二天国の各団体を巡歴し、進んで最高第一天国及霊国に進む物語は次節より口述する事とする。 惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三松村真澄録)
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霊界物語 60_亥_イヅミの国3/三美歌/祝詞/神諭 14 神言 第一四章神言〔一五三九〕 三五教の祝詞 天津祝詞 高天原に元津御祖皇大神数多の天使を集へて永遠に神留ります。 神漏岐神漏美の御言以ちて 神伊邪那岐尊九天の日向の立花の小戸の阿波岐ケ原に。御禊祓ひ玉ふ時に成り坐せる。 祓戸の大神等 諸々の曲事罪穢を。 祓ひ玉へ清め賜へと申す事の由を 天津神、国津神、八百万の神等共に 天の斑駒の耳振立て聞食せと 恐み恐みも白す。 神言 高天原に神留り坐す。元津御祖皇大神の命以て。八百万の神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り玉ひて。伊都の大神美都の大神は豊葦原の水穂の国を。安国と平けく所知食さむと天降り玉ひき。如此天降り玉ひし四方の国中に荒振神等をば。神問しに問し玉ひ神掃ひに掃ひ給ひて、語問し磐根樹立草之片葉をも語止て。天之磐座放ち天之八重雲を伊頭の千別に千別て天降り賜ひき。如此天降り賜ひし四方の国中を安国と定め奉りて下津磐根に宮柱太敷立。高天原に千木多加知りて皇大神の美頭の御舎仕奉りて。天の御蔭日の御蔭と隠り坐して。安国と平けく所知食さむ国中に成出む天の益人等が、過犯しけむ雑々の罪事は。天津罪とは。畔放ち溝埋め樋放ち頻蒔き串差し、生剥ぎ逆剥ぎ屎戸許々太久の罪を。天津罪と詔別て国津罪とは。生膚断、死膚断、白人胡久美。己が母犯せる罪、己が子犯せる罪。母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪。畜犯せる罪、昆虫の災。高津神の災、高津鳥の災。畜殪し蠱物せる罪、許々太久の罪出む。如此出ば天津宮言以て。天津金木を本打切末打断て。千座の置座に置足はして。天津菅曽を本刈絶末刈切て八針に取裂て。天津祝詞の太祝詞言を宣れ、如此宣らば。天津神は天の磐戸を推披きて。天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食む。国津神は高山の末短山の末に上り坐て。高山の伊保理、短山の伊保理を掻分て所聞食む。如此所聞食ては罪と云ふ罪は不在と。科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く。朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹掃ふ事の如く。大津辺に居る大船を舳解放ち艫解放ちて大海原に押放つ事の如く。彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打掃ふ事の如く。遺る罪は不在と祓ひ賜ひ清め玉ふ事を。高山の末短山の末より佐久那太理に落。多岐つ速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神。大海原に持出なむ、如此持出往ば。荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速秋津比売と云ふ神。持可々呑てむ、如此可々呑ては。気吹戸に坐す気吹戸主と云ふ神。根の国底の国に気吹放てむ、如此気吹放ては。根の国底の国に坐す速佐須良比売と云ふ神。持佐須良比失てむ如此失ては。現身の身にも心にも罪と云ふ罪は不在と。祓給へ清玉へと申事を所聞食と。恐み恐みも白す。 (附言)『天津祝詞神言の二章は古代の文なれば現今は使用せず』
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霊界物語 60_亥_イヅミの国3/三美歌/祝詞/神諭 25 三五神諭(その六) 第二五章三五神諭その六〔一五五〇〕 大正六年旧二月九日 神の国には、世の根本の大昔から、天地の先祖が仕組が致してあるので、二度目の天の岩戸開は末代に一度より為られんのであるから、何に附けても大謨な事であるぞよ。肝腎の事は、あとへ廻はして何も知らぬ厭な方の神や、下劣の守護神が大事の仕組も知らずに、利己主義の経綸でここまでトントン拍子に出て来たなれど、九分九厘といふ所で往生致さなならん世になりたぞよ。 九分九厘の御魂が天地の御恩といふ事が判りて来たなれば、現世は斯んな惨い事に成りはせんなれど、盲目や聾と同じ事で、全然暗黒界であるぞよ。今の守護神と人民とは岩戸開の手伝致すどころか、大きな邪魔を致すぞよ。悪の方から見れば、誠の方が悪に見えて、悪の方が善く見えるので、何事も皆逆様ばかりより出来んのであるぞよ。 悪の守護神が大本の中へ這入りて来て、何彼の邪魔を致すから、気ゆるしは些とも出来んから、物事が遅くなりて、世界中の苦しみが永うなると申す事が毎度筆先に出して知らしてあるぞよ。大本には、世界の事が映るから、大本の中の様子を見て居りたら、世界の事の見当が、明白に判りて来るぞよ。筆先に一度出した事は、チト速し遅しは在るなれど、毛筋も違はん事許りであるから、皆出て来るぞよ。霊の本の国と申しても、惨い事に成りて居るのを、知りて居る守護神も、人民も、誠になさけ無いほど尠いから今の世界の困難であるぞよ。神国魂と申して威張りて居れど、神国魂の性来はチツトも無いやうに惨い事になりて居るぞよ。 世界を一つに丸めて、神国の世に致すには、此世を拵へた天と地との根本の真で治める時節が参りて来たから、明治二十五年から今に続いて知らしてあるぞよ。世界の今度の大戦争は世界中の人民の改信の為であるぞよ。まだまだ是では改信が出来ずに、神の国を取る考へを致して居るぞよ。神の国は神の誠の守護致してある国であるから、何程邪神に神力が沢山ありたとて、知識や学がありたとて、神国には到底も叶はん仕組が世の本から致してあるから、九分九厘で掌を返して、万古末代潰れぬ守護を致して三千世界を丸めて人民を安心させ、松の世、仁愛神の世、神世といたして、天地へ御目に掛ける時節が近うなりたぞよ。天地の間に一輪咲致梅の花、三千世界を一つに丸めて一つの王で治めるぞよ。悪神のしぐみは、今迄はトントン拍子に来たなれど、九分九厘でもう一足も先へも行けず、後へも戻れず、往きも帰りも成らんといふのが、今の事であるぞよ。茲へ成りた所で、悪神の頭が充分改信を致して、善へ立返りて、善の働きをいたさんと、世界中の何も知らん人民が、此先でエライ苦しみを致すぞよ。此の大本の中にも、悪の身魂の守護神が化けて来て居るが、もう化けを現はして、皆に見せてやるぞよ。 ○ 大正七年旧正月十二日 三千世界一度に開く梅の花、艮金神の守護の世になりたぞよ。明治二十五年から出口直の手を借り口を借りて知らした事の、実地が現はれる時節が近寄りて来たぞよ。今迄の世は悪神の覇張る世で何事も好き寸法、利己主義の行り方で、此世を乱して来たが、モウ是からは昔の元の生神が世に現はれて、三千世界を守護やうに時節が参りたから、思ひの違ふ守護神人民が大多数に出来て来るぞよ。今度の二度目の天の磐戸開きは、悪の身魂が毛筋の横巾でも混りてありたら成就いたさぬ大謨な末代に一度より為られん神界の経綸であるから、茲まで悪神の覇張りた暗黒の世を生粋の水晶の如うな明かな、何時までも変らぬ神世に致さねば成らぬから、神も中々骨の折れる事であるぞよ。 昔のミロク様の純粋の、何時になりても変らぬ其儘の秘密の経綸の凝結で、末代動かん巌に松の仕組、何神にも解らぬ様に為てある善一つの誠の道であるから、途中に精神の変るやうな身魂では出来も致さず、判りもせぬぞよ。此世の元を創造へて、世界中の一切の事、何一つ知らんといふ事のない身魂でないと、今度の二度目の天の岩戸開は、世界を創造へるよりも、何程骨が折れるか知れんぞよ。限り無しの潰されぬ末代の経綸、天の岩戸開といふことは、爰まで悪神が覇張りて、モ一つ奸賢しこう人民をいたして、未だ未だ悪神の力を強くして、善神の道は立てさせぬ如うに体主霊従主義で貫く、仕組を致して居るから、神国の人民は余程魂を研いて、水晶魂を元に研いて光を出して置かねば、万古末代邪神の自由に為られて了ふぞよ。 昔から露国へ上りて居りた悪神の頭目が、モ一つ向ふの国へ渡りて、人民の頭を自由自在に、吾の思惑どほりに悪を働き、世界中の大困難を構はず、何処までも暴れて暴れて暴れまはして世界を苦しめ、又露国を自由に致して吾の手下に附けて、今に神国へ出て来る経綸を致して居るが、そんな事にビクつく如うな守護神、人民でありたら到底続きは致さんぞよ。是から神が蔭から手伝ふて軍隊に神力を附けて与るから、今度は大丈夫であれども、国と国同士が戦争は到底叶はんと申して、可い加減な事で仲直りを致して、一腹になつて、今度は押詰めて来るから、守護神も人民も腹帯を締て掛らな、万古末代取返しの出来ん事になるぞよ申して、明治二十五年から出口直の手を藉り口を藉りて、知らして置いた事の実地が、迫りて来たぞよ。邪神は悪が強いから、ドコ迄も執念深う目的の立つ迄行り通すなれど、九分九厘と云ふ所まで来た折に、三千年の神が経綸の奥の手を出して、邪神を往生いたさすので在るから、大丈夫であれども、罪穢の深い所には罪穢の借銭済しが在るから今の中に改信を致さんと、神国にも酷しい懲罰が天地から在るぞよ。霊主体従主義の行り方で、末代の世が立つか、体主霊従の施政方針で世が末代続く乎、今度は善と悪との力量比べであるから、勝ちた方へ末代従うて来ねばならぬぞよ。それで神界は茲まで煉に煉たので在るぞよ。 この先に善一つの誠の道を立貫かねば、斯世に安住て貰へんやうに酷しく成るから、爰まで永らく言ひ聞かしたので在るぞよ。善と悪との境界の大峠であるから、爰まで充分に煉らねば、悪の性来には聞けんから、今の今まで煉りたのであるが、チツトは腹へ浸み切りて居る身魂が在るであらう。爰まで言ひ聞かしても判らん如うな身魂は、体能く覚悟をいたさんと、是迄のやうな心で居りたなら、又天地を汚して了ふから、善へ心底から従ふ身魂で無いと、今迄の如うな心の人民が在りたら総損害になりて、モ一つ遅れるから、艮金神も助けて遣る事も出来ず、天の御三体の大神様へ申訳が無いやうな事になりて来るから、止むを得ず気の毒でもモウ経綸どほりに致すぞよ。天の岩戸開が段々と近寄りたから、是までの如うな事には行かんから、一か八かと云ふ事を、悪の頭に書いて見せて置くが良いぞ。今の番頭のフナフナ腰では、兎ても恐がりて、コンナ事を書いて見せて遣るだけの度胸はありは致すまいなれど、神の申すやうに致したら間違は無いぞよ。一の番頭の守護神が改信が出来たら、肉体に胴が据わるなれど、到底六ケ敷いから、今に番頭が取替へられるぞよ。モウ悪の頭の年の明きであるから、悪い頭から取払ひに致すぞよ。何事も時節が一度に参りて来て、世界中の困難が到来すると云ふ事が、毎度申して知らした事が実地になりて、一度に開く梅の花、追々分らなんだ事が明白に判りて来て、キリキリ舞を致さな成らん、夜の目も眠られん如うな事に成ると申して置いたが、一度筆先に出した事は皆出て来るぞよ。能く念を押して置くぞよ。念に念を押して、クドイと云はれて復念を押してあるから、モウ是からは神界の事情も能く解る様に一度に成りて来るから、誠で無いと、此先は誠一つの善の道が拵へて在るから、一日も早く善の道へ立復りて、神国魂に捻ぢ直して下されよ。悪の世は齢が短いから、体主霊従の身魂が大変困む事が出来るから、明治二十五年から怒られる程申して在りたぞよ。人民は男も女も腹帯を確り締めて掛らんと、一旦は堪れん如うな混雑になるぞよ。 明治二十五年から煩いと申して怒られもつて、今に岩戸開の筆先を書かして居るぞよ。何時までも同じ事に間々に細々能く判る様に抜目の無い様に知らしたなれど、ソンナ事が在るものかと申して、今に疑うて居る人民許り、実地が出て来て青白い顔をして、腰が抜けて足も立たず、腮が外れて足が上に成り、頭が下に成りて、ソコラ中をヌタクラな成らん事が出て来るぞよと知らして在るが、モウ近うなりて来たぞよ。悪の昇るのは迅いなれど、降るのも亦速いぞよ。善の分るのは手間が要るなれど、善の道の開けたのは、万古末代の栄えであるから、爰まで悪開けに開けた世界を、根本からあらためて、今後は体主霊従主義といふ様な醜しき世は無い如うに致すのであるから、是ほど大望な事は末代に一度ほか為られんのであるから、神も中々骨が折れるぞよ。是程世界中が曇り切りて居る世の中を、水晶に致すのであるから、骨が折れるのも当然であるぞよ。斯の極悪の世の岩戸を開いて、末代口舌のないやうに、大神様の善一つの世に、立直しをいたさねば、世界の苦舌が絶えんから、人民の心が悪なる許り、何時になりても国の奪り合ひ計りで、治まりは致さんぞよ。 神の国は本が霊主体従であるから、誠に穏かにありたなれど、世が逆様に覆りて今の状態であるぞよ。薩張り上下へ世が覆りて了ふて、神国に悪神が渡りて来て、上から下まで醜しさと云ふものは、天地の誠の神からは、眼を開けて見る事が出来んぞよ。斯世を結構と申して大きな取違ひを為て居りて、良いと云ふ事も悪いと云ふ事も、可非の判らん見苦しき世が、一旦は出て来ると申す事は、地球を創造へる折から良く判りて居るので、外の身魂では能う為もせず解りも致さんぞよ。一輪の火水(言霊)の経綸がいたして在りて先が見え透いて居るから、爰まで辛い事も堪り詰めて来られたのであるぞよ。今度の二度目の岩戸開きは、知識でも学でも機械でも、世界中の大戦ひには、手柄は出来んぞよ。何程悪の頭でも到底是からの世は今迄の行方では行かんと云ふ事に気が附いて、綾部の大本へ今の内に願ひに来る守護神でありたら、善一つの道へ乗替へさして、末代の世を構はして、毛筋の横巾も悪の性来の混りの無い結構な神代に助けて遣るから、早く改信なされよ。何程我を張りて見ても時節には叶はんぞよ。 善一筋の純粋で末代の世を立てて行く結構な仕組の解る世が参りて来たから、爰までに知らしても未だ今に成つて疑うて居る守護神や人民許りで、可憐相なものなれど、モウ神からは人民に知らせ様が無いから、何時までも邪魔を致す極悪の頭から平げると云ふ事を、永らく筆先で知らしてある通りに、時節が迫りて来るぞよ。余り何時までも高上りをして居ると、時分の過ぎた色花の萎れる如く、今日の間にも手の掌が覆るぞよ。今の中に発根からの改信が一等であるぞよ。疑うて居りて何事が出来しても神はモウ知らんぞよ。 悪の霊を抽抜いて元の水晶の霊と入替へて遣ると申して、爰まで知らして在るなれど、余り世界の霊魂が悪渋とうて手に合はんから、皆の霊魂が悪シブトい性来に成り切りて居るから、言ひ聞かした位に聞く如うな優しい霊魂はありはせんぞよ。今の人民は悪のやり方が良く見えるのであるから、何程言ひ聞かしても聞きはせぬぞよ。困つたものであるぞよ。是ほど良い国は無いと心に錠を降して了ふて居るから、何程実地の事を言ひ聞かしても、逆様計りに取るから、助けてやり様が無いぞよ。是れもモチト先に成りたら、大きな取違ひを致して居りたと云ふ事が、上へあがりて覇の利いて居りた神に自然的に判りて来るぞよ。今迄の様に自分好しの目的は、トントン拍子には行かぬ如うになるぞよ。 世界の人民確り致さんと、今に大変な事になりて来るから、何れの国も危ないと申して、彼方此方へと狼狽へまはりて、行く所に迷ふぞよ。神道を守護致す誠の所は、綾部の大本より外には無いぞよ。綾部は三千年余りて、昔からの神の経綸の致してある結構な所であるから、大本の教を聞いて居る守護神は余程シツカリいたして居らんと、油断が在りたら肝腎の経綸を他国から取りに来るぞよ。何程奪らうと致しても神が奪らしは致さんなれど、物事が遅れるだけ世界の困難が永びくから、充分に覚悟をいたして正勝の時の御用を勤めて下されよ。三千世界の鏡の出る大本であるぞよ。今の人民は神がいつまで言ふて聞かしても、人を威す位にほか能う取らんから、一度にバタツイても間に合はんぞよ。俄の信心は役に立たぬから、常から信心いたせと申して爰まで気を附けてあるぞよ。善の行り方と悪の行り方とを末代書いて遺す綾部の大本であるから、変性男子の書いた筆先を、坤金神が変性女子と現はれて説いて聞かして、守護神人民に改信を致さす御役であるから、世界の人民よ、真の事が聞き度くば綾部の大本へ参りて来て、細々と聞かして貰ふたら、世界の事が心相応に解りて来て世界に何事ありても驚きは致さんやうになるぞよ。 昔からの極悪神の頭が神国の人民を一人も無いやうに致す仕組を為て居るなれど、神国にも根本から動かぬ経綸が致して在るから、国も小さいし、人民も尠いなれど、初発から一厘と九分九厘との大戦ひで在ると申して、何時までも同じやうな事を書かして在る通り、口で言はしてある事がドチラの国にもあるから、神力と学力との力比べの大戦ひであるから、負た方が従はねば成らんと申して、筆先に出してある通り、実地に実現て来るから、此先で神から不許と申す事を致したり、吾の一力で行らうと思ふても、世が薩張り変りて了ふから、是までの事はチツトも用ゐられんぞよと、度々気を附けてあるのに、聞かずに吾の我で行りたら、彼方へ外れ、此方へ外れて、一つも思ふ様には行かんぞよ。素直にさへ致せば何事も思ふやうに箱差した様に行くのが神代であるぞよ。今の人民は余り我が強いから、是迄は神の申す事も聞かずに、守護神の自由に一力で思惑に行けたのは、地の上に誠と申すものが無かりたから、世に出て居る方の守護神が、悪神の大将に気に入る様な悪る力がありたなら、何処までも上げて貰へる世と成りて居りたから、悪い事の仕放題、悪神の自由で在りたなれど、モウ時節が廻りて来たから、其時節の事を致さな世は立ちては行かんぞよ。今迄は物質の世でありたから、学が茲まで蔓りて、学力でドンナ事でも九分九厘までは成就いたしたなれど、モウ往生いたさなならん如うに成りて来たぞよ。茲に成るまでに悪の守護神を改信さして、助けて遣りたいと思ふて、明治廿五年から深い因縁のある出口直の身魂に知らさしたのであるなれど、吾程豪いものは無きやうに思ふて、チツトも改信の出来ん罪人ばかり、神も是には往生いたさな仕様がないぞよ。現世の鬼を平げて、世界のものに安心を致さすぞよと云ふ事が初発に筆先にかかしてあるが、世界の大洗濯を致して、元の水晶の身魂やら天地の大神の教どほりの世に致して、天に坐ます御三体の大神様に、御目に懸けねば成らぬ御役であるぞよ。来いで来いでと松の世を待ちて居りたら、松の世の始まりの時節が参りて来たなれど、肝腎の悪の性来の改信をいたして貰はんと、何時までも頑張るやうな事では、此世は水晶にならんから、ドウシテも聞かねば聞くやうに致すより仕様は無いぞよ。世界には代へられんから、此先の規則通りに制配を致さねば御三体の大神様へ申訳がないから、二度目の天の岩戸開をいたしたら、悪の性来は微塵も無い如うに洗ひ替をして、巌に松の動かぬ世にいたす世界の大橋と成る尊い所であるから、余り何時迄も疑ふて居ると、天地の大神様へ大きな御無礼になるから、今一度気を附けておくから素直に致すが徳であるぞよ。 (大正一二・四・二七旧三・一二北村隆光再録) (昭和一〇・六・一五王仁校正)
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大本神諭 神諭一覧 大正7年旧1月12日 大正七年旧正月十二日 至仁至愛神の御出ましに成る時節が参りたぞよ。天ではミロク様なり、地の世界は大国常立尊が守護ねば、立ちては行かぬ斯世であるぞよ。根本の天の御先祖様を、口で崇めて心の中では、斯世に無ても良いと云ふやうに成りて了ふて居りた故に、地の先祖を押込ねばならぬやうに成りたのであるぞよ。地の先祖の大国常立尊は、神力が有り過ぎて邪神の手には合んから、邪神の精神が皆一致して瑞霊大神への御願を致して、此方を艮へ押込みて、サア是で安心じゃと申して、皆の悪神が喜こびて、斯世を自由に致して茲までに乱したのであるぞよ。筆先に書いては速いやうなれど、永い間の事実であるぞよ。概略の事は初発に書して在るなれど、一度には書けんから、間々に細々の事を書かせると申して知らし在りたぞよ。ドノ筆先も同じことじゃと申して、可い加減な見様をして居ると、実地の筆先通りが来た折には、余りに思ふて居りた事が大きな取違いで、ヂリヂリ舞を致さな成らん事が出て来るから、念に念を押して執念深く知らして在るのじゃぞよ。未だ筆先の読み様が足らん人勝ちであるぞよ。思ふて居るとは大間違いであるから、夫れで筆先を充分に繰返して、読て下されと申して気が附けてあるのじゃぞよ。悪の頭が余り大きな取違いを致して居りたから、世界中の大きな難渋であるぞよ。今からの改心は出来もせず、間にも合はんぞよ。筆先の実地が出て来だしたら、続いて世界が一度に破乱けて、余りの事で鬼でも蛇でも極悪神でも叶はん、往生いたさな成らん事に成るぞよ。悪神に今の中に此の次第が判りて来て、善道へ立帰りたら豪いなれど、向ふの国の守護神の仕組は、ダラダラと何時まで掛りても頓着は致さん、気の永い仕組を致して居るから、今度は大分慮見の違ふ守護神が出来るなれど、日本の経綸は迅速な経綸が致して在るから、何程向ふの極悪神でも、日本の世の元からの仕組を始めたら兎ても叶はんぞよ。余り見損いが大きなから、大間違いが出来てきて見当が取れず、何うしたら良かろうかと途方に暮て、降参も出来ず、茲に成りてからドレ丈の御詫を申して来ても、世界の大峠となりたら、そんな事には掛りては居れんから、今の内に聞いて改心を致して、身魂を研いて居らんと、今度は彼我の国も国が無くなるか、一つ二つの大峠であるぞよ。是からは国が無くなる乎、泥海になる乎の境目であるから、○○の身魂が水晶になりたら、末代の世が立ちて行くなり、今の儘で今の心で在りたなら、向ふの国の悪神の頭が、モ一つ悪を強く致して、日本の国を奪略のは最容易ことに思ふて居るぞよ。日本の国は小さいから、人民も尠いのは当然であれども、霊主体従国には誰も能う為ん秘密の経綸が、神界から致してあるから、往生を致させて、万古末代刃向ひは出来んやうに致すぞよ。今向ふの国の悪の頭は、日本の国を下たに見降して居るから、九分九厘と一厘とで斯世が泥海に成る所を、一厘の秘密で跡は水晶の身魂斗りに致して、末代の世を続かす経綸が致してあるから、悪の方の身魂では、日本の神国の経綸は見当は取れんぞよ。悪の開けるのは速いなれど、善と云ふ御道を開くのは、中々一通りの事を為て居りては開けんぞよ。ドンナ行も斯世一切の事は何を問はれても、是一色知らんといふ事は無いやうに行を致さねば、これだけは知らんと云ふ様な事では善の御道は開けんぞよ。善の道を開くのは陽気心が一寸でも有るやうな事をして居りたら、坂に車を廻す如くであるぞよ。是までに苦労を致した事が、直ぐに後へ戻りて仕直し斗りで、誠の事は出来は致さんぞよ。善と悪との行り方は天地の大違いであるから、夜の眼も気楽に寝る事もならん、辛い行り方であるぞよ。善と悪との立分けで世界が動くぞよと申して、筆先で毎度知らしてあるなれど、人民と申すものは何事も実地をして見せんと、ソレソレと申して知らしても、人民では神の心が汲取れんから、思ふ事が逆様ばかりで、六ケ敷いのであるぞよ。今の守護神が余り粗末な身魂であるから、実地の生神の気に入りさうな事が無いのは当然、解りさうな事が無いから、素直に致すが一等であるぞよ。 この曇り切りた世の中へ、実地の世の本の大神が其儘の姿を顕はして、言ひ聞かしたとて、恐いばかりで、傍へも寄付く事が出来んから、何れは矢張り天地の大神と申して居りても、悪神に相違ないと未だ申すのは当り前であるぞよ。人民にそんな事が判る筈が無いのが道理、一旦帰幽にさして、霊魂斗りに致して、新つの世に致さねば、言い聞して聞くやうな身魂は、向ふの国にはチットも有りはせんから、初発から違ふた事は今に一つも無いぞよ。違いは致さんぞよ。其霊魂に日本の国の霊魂が憑りて、向ふの国を良いと思ふて居るのが、何に付けても大間違いであるぞよ。何から何まで向ふの国の為る事が、良いと思ふて居る事が、真の元の大神から見ると、眼を明けて見る事の出来んほど、見苦しき有様であるぞよ。 天地の違いと云ふ事は譬に申すなれど、譬よりは一層ヒドイ大間違の行り方で、たとゑにも成らん如うな取違いを致して居るから、世界には斯様な難渋な事が出来て来るのであるぞよ。実地の大本を無いものに致して居るのが、何うしても今度は言訳は出来よまい。この先は一日ましに何事も、世の本からの事柄や所作柄が、別に此方から顕はせずに堪忍て遣ろうと思ふ程、我の為る事を我の口からざんげを晒して各自に、神からは何も問はいでも、我の口から吐き出して了ふて、斯世で大きな取違いをして居りたと云ふ事が、発根と天地から判りて来て、抜き差しの出来ん事になるぞよ。是迄の世は真暗黒の世でありたから、何も分らん向ふの守護神が、コンナ良い世が有るものかと申して、何も知らずに慢心を致して、日本へ来られなんだ悪の守護神やら、四ツ足の守護神ばかりが、好き寸法の行り方を致して、日本の国を畜生の国にして了ふた、その暗がりの中に出来た盲目や、聾ばかりの世に成りて、世界中が何う仕様も無い事に成るから……………。爰へ成りて来た折には、天地から斯んな身魂では斯世に居れん事が出来てくるから、是までの心を持替て身魂を研いて居らんと、世界一度に難渋な事になるから、二十七年の間引続いて知らして居るなれど、まだそんな事があるものかと、足元へ火が燃えて来て居るのに、悪度胸を据えて、世界が潰れたら皆な並であると申して、平気で今に居る如うな守護神に使はれて居る人民が、ドウ仕様も無い事が何れは出て来るから、素直に申す事を聞いて居る守護神に使はれて居る肉体は、ドエライ難渋は致すまいなれど、余り良い気で居る肉体は、思ひが違ふ事になりて来るぞよ。 是からは霊魂の善悪が全部別るから、明治二十五年から申してある事の時節が参りて来たから、何所から何事が始まるやら知れんぞよと申してあるやうに、何彼のことが世界中の大困難で、昔から末代に一度ほか無い、大望な二度目の世の立替であるから、人民の思ふよりも大望であるから、始まると何う仕様も無い事が出来て、何処へ迯げて行うにも行く処の無い様になるから……………。日本の人民が向ふの国の性来になりて居るから、平気で、今に成っても判らん守護神に使はれて居るやうな肉体は、日本に事がありたら外国へ迯げて行く位に思ふて、国の事ども何んとも思はずに、気楽に思ふて居るで在ろうがな。外国は夫れまでにまだまだ激い事があるから、何処へも迯げて行く所は無いぞよ。我では行けん時節が廻りて来たから、素直に致さうより仕方はないぞよ。此先は頑張るほど微躯りとも成らんやうになるぞよ。我を出して縮尻た地の先祖が、爰までに善一つを立貫きて、今度の二度目の世の立替を首尾能く致した其上では、世界中の生あるものは皆良くして遣りたいと思ふて、永らくの間悔し残念を堪忍たなれど、外国は余り非道い悪の頭と眷属とが、善といふ事の道の判らん極悪であるから、埒良く致さねば成らんから、一旦は未だ天地の大神は矢張り悪神であると、皆の者が申すなれど、実地の善の身魂は、斯世の変り目には極悪のやうに見えるぞよ。細工は流々、仕上げた所を見て貰はんと、人民からは出来もせず、解る事でも無い。一厘の秘密で三千世界を水晶に立替、立直すのであるぞよ。用意を成されよ。足元から鳥が立つぞよ。時節が近よりたぞよ。 三千世界一度に開く梅の花、艮の根神の守護の世になりたぞよと、明治二十五年から出口直の手を借り、口を借りて知らした事の、実地が現はれる時節が近寄りて来たぞよ。今迄の世は悪神の覇張る世で、何事も好き寸法、利己主義の行り方で、此世を乱して来たが、モウ是からは昔の元の生神が世に現はれて、三千世界を守護やうに時節が参りたから、思ひの違ふ守護神、人民が大多数に出来て来るぞよ。今度の二度目の世の立替へ、天の磐戸開きは、悪の身魂が毛筋の横巾でも混りてありたら成就いたさぬ大望な、末代に一度より為られん神界の経綸であるから、茲まで悪神の覇張た暗黒の世を、生粋の水晶の如うな明らかな、何時までも変らぬ神世に致さねば成らぬから、神も中々骨の折れる事で在るぞよ。 昔のミロク様の純粋の、何時になりても変らぬ其儘の秘密の経綸の凝結で、末代動かん巌に松の仕組、何神にも解らぬ様に為てある善一つの誠の道であるから、途中に精神の変るやうな身魂では出来も致さず、判りも為ぬぞよ。此の世の元を創造て、世界中の一切の事、何一つ知らんといふ事の無い身魂でないと、今度の二度目の世の立替は、世界を創建るよりも何程骨が折れるか知れんぞよ。限り無しの潰ぶされぬ末代の経綸、世の立替、立直しといふことは、爰まで悪神が覇張りて、モ一とつ日本の国を奸賢しこう人民をいたして、未だ未だ悪神の力を強して、善の神の道は立てさせぬ如うに、悪神の体主霊従主義で貫く仕組を致して居るから、日本の人民は余程魂を研いて、日本魂を元へ戻して光を出して置かねば、万古末代日本は外国の自由に為られて了ふぞよ。 昔から露国へ上りて居りた悪神の頭目が、モ一つ向うの国(独逸)へ渡りて、人民の頭を自由自在に、我れの思惑どほりに悪を働き、世界中の大困難を構はず、何処までも暴れて暴れて暴れまわして世界を苦しめ、又た露国を自由に致して我れの手下たに附けて、今に日本へ攻めて来る経綸を致して居るが、そんな事に微躯つく如うな日本の守護神、人民でありたら日本は到底続きは致さんぞよ。是から神が蔭から手伝ふて、日本の軍隊に神力を附て与るから、今度は大丈夫であれども、向ふの国同士が戦争は到底叶はんと申して、可い加減な事で仲直りを致して、一腹に成って今度は日本へ押詰て来るから、日本の守護神も人民も腹帯を占て掛らな、万古末代取返しの出来ん事になるぞよと申して、明治二十五年から出口直の手を籍り口を籍りて知らして置いた事の実地が迫りて来たぞよ。外国は悪が強いから、ドコ迄も執念深う目的の立つ迄行り通うすなれど、九分九厘と云ふ処まで来た折に、三千年の神が経綸の[*「三千年の神が経綸の」は底本通り]奥の手を出して、外国を往生いたさすので在るから、日本は大丈夫であれども、罪穢の深い処には罪穢の借銭済しが在るから今の中に改心をいたさんと、日本にも酷しき徴罸が天地から在るぞよ。 霊主体従主義の行り方で末代の世が立つか、体主霊従の施政方針で世が末代続く乎、今度は善と悪との力量比べであるから、勝ちた方へ末代従ふて来ねばならんぞよ。それで神界は茲まで煉りに煉りたので在るぞよ。 この先は善一つの誠の道を立貫かねば、斯世に安住て貰えんやうに酷しく成るから、爰まで永らく言ひ聞かしたので在るぞよ。善と悪との境界の大峠であるから、爰まで十分に煉らねば悪の性来には聞けんから、今の今まで煉りたのであるが、チットは腹へ浸み切りて居る身魂が在るであらう。爰までに言い聞かしても判らん如うな身魂は体能く覚悟をいたさんと、是迄のやうな心で居りたなら又た天地を汚して了ふから、善へ心底から従ふ身魂で無いと、今迄の如うな心の人民が在りたら総損害になりて、モ一つ遅れるから、艮の金神も助けて遣る事も出来ず、天の御三体の大神様へ申訳の無いやうな事に成りて来るから、止を得ず気の毒でもモウ経綸どほりに致すぞよ。世の立替が段々と近寄りたから、是までの如うな事には行かんから、一か八と云ふ事を向ふの国の悪の頭に書いて見せて置くが良いぞよ。今の日本の番頭のフナフナ腰では兎ても恐がりて、コンナ事を書いて見せて遣るだけの度胸は在りは致すまいなれど、神の申すやうに致したら間違いは無いぞよ。一の番頭の守護神が改心が出来たら肉体に胴が据はるなれど、到底六ケ敷いから、今に番頭を取り替て了ふぞよ。モウ悪の頭の年の明きであるから、悪い頭から取払ひに致すぞよ。何事も時節が一度に参りて来て、世界中の困難が到来すると云ふ事が毎度申して知らした事が実地になりて、一度に開く梅の花、追々分らなんだ事が明白に判りて来て、キリキリ舞をいたさな成らん、夜の目も眠られん如うな事に成ると申して置いたが、一度筆先に出した事は皆出て来るぞよ。能く念を押して置くぞよ。念に念を押して、クドイと云はれても復た念を押して在るから、モウ是からは神界の事情も能く解る様に一度に成りて来るから、誠で無いと此先は誠一つの善の道が拵えて在るから、一日も早く善の道へ立復りて日本魂に捻ぢ直して下されよ。悪の世は齢が短いから、体主霊従の身魂が大変困しむ事が出来るから、明治二十五年から怒られる程申して在りたぞよ。日本の人民は男も女も腹帯を確り〆て掛らんと、一旦は堪れん如うな混雑になるぞよ。 明治二十五年から九度いと申して怒られもって、今に立替の神諭を書して居るぞよ。何時までも同じ事に間々に細々能く判る様に抜目の無い様、落度の無い様に知らしたなれど、ソンナ事が在るものかと申して、今に疑ふて居る人民斗り、実地が出て来て青白い顔をして腰が抜けて足も立たず、腮が外れて足が上に成り頭が下たに成りて、ソコラ中をヌタクラナ成らん事が出て来るぞよと知らして在るが、モウ近うなりて来たぞよ。悪の昇るのは迅いなれど降るのも又速いぞよ。善の分るのは手間が要るなれど、善の道の開けたのは万古末代の栄えであるから、爰まで悪る開けに開けた世界を根本から革正いたして、今後は体主霊従主義と云ふ様な醜るしき世は無い如うに致すので在るから、是ほど大望な事は末代に一度ほか為られんのであるから、神も中々骨が折れるぞよ。是ほど世界中が曇り切りて居る世の中を、世界中を水晶に致すのであるから、骨が折れるのも当然であるぞよ。斯の極悪の世を立替て了ふて、末代口舌の無い如うに大神様の御血筋一つの世に立直しをいたさねば世界の苦舌が絶えんから、人民の心が悪るなる斗り、何時になりても国の奪り合ひ斗りで治まりは致さんぞよ。 日本の国は本が霊主体従であるから、外国の霊魂は来る事の成らん様に立別けて在りたので、誠に穏かに在りたなれど、世が逆様に覆りて今日本の状態であるぞよ。薩張り上下たへ世が覆りて了ふて、日本の神国を四ツ足が渡りて来て、上から下までの醜るしさと云ふものは、天地の誠の神からは眼を明けて見る事が出来んぞよ。斯世を結構と申して大きな取違いを為て居りて、良いと云ふ事も悪いと云ふ事も、可非の判らん見苦しき四ツ足が上へ上りて大将なぞとは凄まじき事なれど、斯う言ふ世が一旦は出て来ると申す事は、地球を創造る折から良く判りて居るので、日本の国には外の身魂では能う為もせず、解りも致さんぞよ。一輪の火水(言霊)の経綸がいたして在りて先が見え透いて居るから、爰までに辛い事も堪り詰て来られたので在るぞよ。今度の二度目の世の建替は、智恵でも学でも機械でも、世界中の大戦いには手柄は出来んぞよ。何程悪の頭でも到底是からの世は今迄の行方では行かぬと云ふ事に気が附いて、綾部の大元へ今の内に願いに来る守護神でありたら、善一つの道へ乗替へさして末代の世を構はして、毛筋の横巾も悪の性来の混りの無い結構な神代に助けて遣るから、早く改心なされよ。何程我を張りて見ても時節には叶はんぞよ。 善一筋の純粋の元の御血筋で、末代の世を立て行く結構な仕組の解る世が参りて来たから、爰までに知らしても、未だ今に成って凝ふて居る守護神や人民斗りで、可憐なものなれど、モウ神からは人民に知らせ様が無いから、何時までも邪魔を致す極悪の頭から平げると云ふ事を、永らく筆先で知らして在る通りに時節が迫りて来るぞよ。余り何時までも高上りを為て居ると、時分の過ぎた色花の萎れる如く、今日の間にも手の掌が覆るぞよ。今の中に発根からの改心が一等であるぞよ。疑ふて居りて何事が出来しても神はモウ知らんぞよ。 悪の霊を曳抜いて元の日本魂の霊と入替て遣ると申して、爰までに知らして在るなれど、余り向ふの霊魂が悪る渋とうて手に合はんから○○○○○。日本の霊魂が向ふの悪るシブトイ性来に成切りて居るから、言ひ聞かした位に聞く如うな優しい身魂は在りはせんぞよ。今の日本の人民は外国の行り方が良く見えるのであるから、何程言い聞しても聞きはせぬぞよ。困ったものであるぞよ。外国ほど良い国は無いと心に錠を降して了ふて居るから、何程実地の事を言ひ聞しても逆様斗りに取るから、助けて遣り様が無いぞよ。是でもモチト先に成りたら大きな取違いを致して居りたと云ふ事が、上へ上がりて覇の利いて居りた人民に自然的に判りて来るぞよ。今迄の様に、自分好しの目的はトントン拍子には行かぬ如うになるぞよ。 日本の人民確り致さんと今に大変な事になりて来るから、吾妻の国も危ないと申して彼方此方へと狼狽まはして、行く処に迷ふぞよ。○○を守護いたす安全な処は綾部の大本より外には無いぞよ。綾部は三千年余りて昔からの神の経綸の致して在る結構な所であるから、大本の教を聞いて居る人民は余程シッカリいたして居らんと、油断が在りたら肝腎の経綸を他国から取りに来るぞよ。何程奪ろうと致しても神が奪しは致さんなれど、物事が遅れるだけ世界の困難が永びくから、十分に覚悟をいたして正勝の時の御用を勤めて下されよ。三千世界の鏡の出る大本であるぞよ。『○○の鎮まる○○は大和にしようか、尾張にしようか、一層信州が良かろうか、但しは備前か常陸かと、上の番頭も守護神も人民も、トチメンボウを振るぞよ。何程あせりても艮を刺すのは綾部であるぞよ』今の人民は神がいつまで言ふて聞かしても、人を威す位にほか能う取らんから、一度にバタツイても間に合はんぞよ。俄かの信心は役に立たぬから、常から神信いたせと申して知らして在るぞよ。世界に恐い事が出て来だしたと申して迯げ込で来ても、大峠の真最中に成りたなら、何程力量の在る神でもソンナ事には掛りては居れんやうに忙しく成るから、常に信心を致せと申して爰までに気が付けてあるぞよ。善の行り方と悪の行り方とを、末代書いて遺す綾部の大本であるから、変性男子の身魂の出口直が書いた筆先を、坤の金神が変性女子と現はれて説いて聞して、守護神、人民に改心を致さす御役であるから、世界の人民よ、筆先の事が聞たくば綾部の大本へ参りて来て細々と聞かして貰ふたら、世界の事が心相応に解りて来て、世界に何事ありても驚きは致さん如うになるぞよ。 向ふの国の極悪神の頭が、日本の人民を一人も無いやうに致す仕組を為て居るなれど、日本にも根本から動かぬ経綸が致して在るから、国も小さいし人民も尠いなれど、初発から一厘と九分九厘との大戦いで在ると申して、何時までも同じやうな事を書して在る通り、口で言はして在る事がドチラの国にもあるから、神力と学力との力比べの大戦いであるから、負けた方が従がはねば成らんと申して筆先に出して在る通り、実地に出現て来るから、此先で神から不許と申す事を致したり、我の一力で行ろうと思ふても、世が薩張り変りて了ふから、是までの事はチットも用ゐられんぞよと度々気を付けて在るのに、聞かずに吾の我で行りたら、彼方へ外れ此方へ外れて、一つも思ふ様には行かんぞよ。素直にさえ致せば何事も思ふやうに箱差した様に行くのが神代の政治であるぞよ。今の人民は余り我が強いから、是迄は神の申す事も聞かずに、守護神の自由に一力で思惑に行けたのは、地の上に誠の大将と申すものが無りたから、世に出て居る方の守護神が、向ふの国の大将に気に入る様な悪る力が在りたなら何処までも上げて貰える邪神等の世と成りて居りたから、悪い事の仕放題、悪神の自由で在りたなれど、モウ時節が廻りて来たから、其時節の事を致さな世は立ちては行かんぞよ。今迄は物質の世でありたから、学が茲まで蔓りて学力でドンナ事でも九分九厘までは成就いたしたなれど、モウ往生いたさな成らん如うに成りて来たぞよ。茲に成るまでに悪の守護神を改心さして助けて遣りたいと思ふて、明治二十五年から深い因縁のある出口直の身魂に知らさしたのであるなれど、我ほど豪いものは無きやうに思ふて、チットモ改心の出来ん罪人ばかり、神も是には往生いたさな仕様が無いぞよ。現世の鬼を平らげて、世界のものに安心を致さすぞよと云ふ事が、初発に筆先にかかして在るが、世界の大洗濯をいたして、元の水晶の身魂やら天地の大神の直系の御血筋の世に致して、天に坐ます御三体の大神様に御眼に懸ねば成らぬ御役であるぞよ。来いで来いでと松の世を待ちて居りたら、松の世の初まりの時節が参りて来たなれど、肝腎の悪の性来の改心をいたして貰はんと、何時までも頑張るやうな事では、斯世は水晶にならんから、ドウシテも聞ねば聞くやうに致すより仕様は無いぞよ。国には代えられんから、此先の規則通りに制配を致さねば御三体の大神様へ申訳が無いから、二度目の世の立替をいたしたら、悪の性霊は微塵も無い如うに洗い替をして、巌に松の動かぬ世にいたす、綾部の大本は世界の大本と成る尊い所であるから、余り何時までも疑ふて居ると、天地の大神様へ大きな御無礼になるから、今一度気を附けておくから、素直に致すが徳であるぞよ。本宮村、綾部の町の人。