| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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1 (202) |
ひふみ神示 | 6_日月の巻 | 第29帖 | 一日一日みことの世となるぞ。神の事いふよりみことないぞ。物云ふなよ。みこと云ふのぞ。みこと神ざぞ。道ぞ。アぞ。世変るのぞ。何もはげしく引上げぞ。戦も引上げぞ。役に不足申すでないぞ。光食へよ。息ざぞ。素盞鳴 尊まつり呉れよ。急ぐぞ。うなばらとはこのくにぞ。十一月二十五日、一二 |
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2 (205) |
ひふみ神示 | 6_日月の巻 | 第32帖 | おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ。月の神様まつりて呉れよ。此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れよ。火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。それを一二三と云ふぞ、一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。言霊ぞ、祓ひぞ、 |
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3 (210) |
ひふみ神示 | 6_日月の巻 | 第37帖 | 天にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様ある様に、地にもあまてらすすめ大神様、あまてらす大神様あるのざぞ。地にも月読の大神様隠れて御座るのざぞ。素盞鳴の大神様罪穢れ祓ひて隠れて御座るのざぞ。結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮して居りながら、その神様あることさへ知らぬ臣民ばかり。これで此の世が治まると思ふか。神々まつりて神々にまつはりて神国のまつりごといたして呉れよ。詰らぬ事申してゐると愈々詰らぬ事になりて来るぞ。十一月三十日、ひつ九の神しらすぞ。 |
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4 (216) |
ひふみ神示 | 7_日の出の巻 | 第3帖 | 次の世とは通基-月-の世の事ざぞ、一二の通基-二-の世ぞ、 |
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5 (218) |
ひふみ神示 | 7_日の出の巻 | 第5帖 | 右に行かんとする者と左りに行かんとするものと結ぶのが |
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6 (222) |
ひふみ神示 | 7_日の出の巻 | 第9帖 | 人、神とまつはれば喜悦しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、それが真実の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、 |
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7 (807) |
ひふみ神示 | 32_碧玉之巻 | 第4帖 | 真の懺悔は正法をおさむることであるぞ、掃除することであるぞ。先づ御め、次に治め、次に知めねばならんぞ、素盞鳴の大神は先づ滄海原を御め給ひ、更に蒼海之原を治め給ひ、次に天下を知め給うたのであるぞ。素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。 |
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8 (813) |
ひふみ神示 | 32_碧玉之巻 | 第10帖 | 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなばこの千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。 次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下を治しめす御役神であるぞ。天ヶ下は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる-と言ふ-ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル現生る-神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。 神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。 仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。 |
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9 (814) |
ひふみ神示 | 32_碧玉之巻 | 第11帖 | 宇宙の総てが高天原であるぞ。天照大神は高天原を治し、また高天原を御し、また高天原を知らす御役、月読大神は天照大神と並びて天のことを知らし、またあほうなはらの汐の八百路を治し、また夜の食す国を知らす御役、素盞鳴の大神はあほうなはらを治らし、又滄海之原を御し、又、天下を知-治-らす御役であるぞ。 |
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10 (839) |
ひふみ神示 | 33_星座の巻 | 第17帖 | 土のまんぢうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、地は血(智)であるぞ、素盞鳴命様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変であるぞ。 |
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11 (848) |
ひふみ神示 | 34_竜音の巻 | 第1帖 | この巻竜音の巻、つづく巻五は極の巻、巻六は至恩の巻、巻七は五葉の巻ぞ。この五十黙示の七巻は神、人共に与へたもの、一巻からつづいたものぞ。同じ意をもつものが天国にもあるのであるぞ。合せて三十巻、これで岩戸までの神示の終りぞ、前に出した黄金の巻からの七巻(日月地聖典下編)は人民に与へたものであるぞ。 言やめて草の片葉も陽にのび行かな。八十隈手行きにし神は今かへります。素盞鳴の命しらせる海原ぞやよ。天ヶ下おつるくまなく照らす大神。高低の伊百理かきわけきこし召すらむ。罪と言ふ罪はあらじな神の子なれば。ひふみ百千万と咲ます元つ太神。八十伴男百足り足りて仕へまつらむ。行く水に清めて仕ふ極みの宮殿。言霊の栄ゆる御歌にはらひてましを。みそぎして祝ふ生命ぞ弥栄ましませ。安国の瑞穂の国と御し給ひぬ。八重雲の十重雲千別き千別き天降りぬ。千木高知り美頭の御殿咲み仕へなむ。許々太久の罪はあらじな大岩戸あく。四方の国咲み集うらし真中の国に。よきあしき皆はらひませ科戸の風に。 |
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12 (866) |
ひふみ神示 | 34_竜音の巻 | 第19帖 | 霊の発動をとめて、静かにする法は 国常立大神守り給へ幸はへ給へと三回くり返すこと。又 素盞鳴大神守り給へ幸はへ給へと三回くり返すこと、 又は 太日月地大神守り給へ幸はへ給へと三回くり返すこと。 世界そのものの霊かかり、日本の霊かかり、早うしづめんと手におえん事となるが、見て御座れよ、見事な事を致してお目にかけるぞ。 |
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13 (886) |
ひふみ神示 | 35_極め之巻 | 第20帖 | 今の学者には今の学しか判らん、それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、三千世界の岩戸ひらきであるから、少しでもフトマニに違ってはならんぞ。廻りくどいようなれどとつぎの道から改めなされよ、出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、岩戸はひらけんぞ。新しき世界の宮は土地-十千--神智-であるぞ、住所-数真意-であるぞ、永遠に在す神は住む-澄む、数務-土地-十千-であるぞ、下には永遠の腕-宇丁-があるぞ。 |
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14 (896) |
ひふみ神示 | 36_至恩之巻 | 第10帖 | 国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地-智-にゆかりのある神々は皆、九-光-と十-透-の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治らすのぞと知らしてあろうが、天運正にめぐり来て、千-智-引の岩戸-言答-はひらかれて、これら地-智-にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。 |
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15 (928) |
ひふみ神示 | 38_紫金之巻 | 第10帖 | この巻五葉の巻と申せよ、四つの花が五つに咲くのであるぞ、女松の五葉、男松の五葉、合せて十葉となりなりなりて笑み栄ゆる仕組、十( |