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霊界物語 50_丑_祠の森の物語2 17 偽筆 第一七章偽筆〔一三一一〕 高姫の形勢意外にも不穏の景況を呈し、何時低気圧の襲来するやも図り難き殺風景の場面となつて来た。イル以下四人は自棄糞になり、グイグイと又もや酒を飲み始めた。そしてイルは大きな声で、 イル『義理天上日出神の生宮であるぞよ。結構な結構な筆先を生宮に書かすによつて、筆と墨と紙との用意を致されよ』 と呶鳴り出した。サールは矢庭に墨をすり、紙を綴ぢ筆を洗つて恭しくイルに渡した。イルは故意と横柄面をしながら其筆をひつたくり、木机を前に置き、何事か首をふりながら一生懸命に書きつけた。イルは高姫の作り声をして、 イル『これ皆の者共、否八衢人足や、今義理天上日出神がお筆先を書いたによつて、有難く拝読を致すがよいぞや。斯んな結構な筆先は又と見ることは出来ぬぞや。此筆先さへ腹へ入れこめて居れば、万劫末代人が叩き落しても落ちぬお神徳が頂けるぞや。イヒヒヒヒヒ、此筆先は誰にも読ます筆先ではないぞや。後の証拠に書かして置いたなれど、受付に居る役員が肝腎の事を知らぬと話がないから、一寸読ましてやるぞよ』 サール『アハハハハハ、何を吐しやがるのだい。管を巻きやがつて、然し何んな事を書きよつたか。一寸読んでやらうかい。おい、ハル、テル、イク、謹聴するのだぞ』 と云ひながら恭しく押戴き、故意と剋面な顔をして大きな声で読み始めた。 サール『伊豆の霊変性男子がイルの肉体を借りて三千世界の事を書きおくぞよ。しつかりと聞いて置かぬと後で後悔致す事が出来るぞよ。此イルは伊豆の霊と申して湯本館の安藤唯夫殿の身魂が憑りて居るぞよ。サールの身魂は杉山当一殿のラマ教の時の身魂であるぞよ。今はバラモン教をやめて三五教に這入りて居るなれど、何を申しても変性女子のヤンチヤ身魂が憑りて居るから、過激な事を申して仕様がないぞよ。此義理天上日出神の伊豆の身魂が申した位では中々聞きは致さぬぞよ。ラジオシンターでも飲まして目を覚してやらぬ事には駄目だぞよ。それでも治らねば谷口清水と申すドクトル・オブ・メヂチーネの御厄介になるが良いぞよ。伊豆の湯ケ島には因縁があるぞよ。湯本館と云ふ因縁の分りたものは此高姫、オツト、ドツコイ日出神の生宮のイルでないと分りは致さぬぞよ。それぢやによつて沢山の人民が水晶の温泉にイルの身魂と申すぞよ。今の内に改心を致さぬとサールもハルもテルもイクも、皆アオ彦の身魂の憑りて居る北村隆光に書きとめさして置いて、末代名を残さして置くぞよ。それでも改心を致さねば摩利支天の身魂の憑りて居る松村真澄に細かう書き残さすぞよ。それで足らねば夕日の御影、加藤竿竹姫の身魂の手を借りて書き残さすぞよ。義理天上日出神の生宮は蟇の身魂の憑りた黒姫と因縁ありて、伊豆の御魂の御屋敷へ暫らく逗留致し、昔からの因縁を調べておいたぞよ。開いた口がすぼまらぬ、牛糞が天下をとると云ふ事が出来るぞよ。あんまり聞かぬと浅田の様に首もまはらぬ様に致すぞよ。浅田殿は御苦労な御役であるぞよ。そして其身魂はテルの身魂であるから、ラジオシンターをつけ過ぎて困りてをるぞよ。それでも此イルが申す様に致したならば、直に癒してやるかも知れぬぞよ。ハルの身魂は福井の身魂であるぞよ。何時も辛い辛い山葵ばかりを作りて居るから、顔までが辛さうにしがんで居るぞよ。チツと改心致さぬと鼻が高いぞよ。イクの身魂は誠に結構な身魂でありたなれど、あまり慢心を致したによつて守護神は現はしてやらぬぞよ。此方の申す事を誠に致せばよし、聞かぬにおいては杉原の身魂をひきぬいて来て、佐久に酔はして何も彼も白状致さすぞよ。人民が何程シヤチになりても神には叶はぬぞよ。早く此方の申す様に致して下されよ。改心致さぬと『霊界物語』の種と致すぞよ。そこになりたら何程地団駄踏みて口惜しがりても、神は許しは致さぬぞよ。之は大神が申すのではないぞよ。妖幻坊の身魂獅子虎の身魂イルの肉体を一寸借用致して皆の八衢人間に気をつけたのであるぞよ。今に高姫の様に斎苑の館から立退き命令を蒙らねばならぬぞよ。改心なされよ。足もとから鳥が立つぞよ。アハハハハ』 と笑ひ興じてゐる。そこへ斎苑の館より神勅を帯びて出張した二人の役員があつた。一人は安彦、一人は国彦であつた。 安彦『祠の森の受付の主任は誰方で厶るかな。拙者は斎苑の館より教主八島主命の命により出張致したもので厶る。何卒一刻も早く当館の神司珍彦に面会が致したい』 イル『ヤー、これはこれは直使のおいで、先づ先づ之にて御休息願上げ奉りまする。とり乱したる処を御覧に入れ、真に赤面の至りで厶りまする。おい、ハル、テル、サール、イク、早くお二人様のお足の湯を湧かして持つて来ぬか』 安彦『いや、決してお構ひなさるな。珍彦の司にお目にかかりたければ、直様御案内を願ひたい。沢山に徳利が並んでゐられますな。桜の花の如き盃が彼方此方に散つて居る風情は何とも云へぬ風流で厶る。国彦殿、実に羨望の至りでは厶らぬか』 国彦『如何にも、落花狼藉、夜半の嵐に散らされて、打落された桜木の麓の様で厶る』 イル『いや、もう此頃はチツとシーズンは早う厶りますれど、ここは日当りがよいので、早くも桜が散りかけまして厶ります。さア御案内致しませう』 安彦『それは恐れ入ります』 とイルの後に従ひ珍彦の舘に進み行く。後四人は顔見合せ、頭を掻きながら、 テル『おい、如何だ。サツパリぢやないか。エー、こりや一通りの事ぢやないぞ。屹度俺達にキツーイお目玉を頂戴するのかも知れないぞ』 サール『何、俺達にはチツとも関係はないわ』 テル『貴様はラマ教だから放逐の命令に接したかも知れないぞ。あの御直使がお前の顔を非常に覗いて厶つたぢやないか』 サール『何、そんな事があるものかい。祠の森の受付にサール者ありと聞えたる敏腕家は此男だなアと、感嘆の眼を以て御覧になつて居つたのだよ』 テル『さう楽観も出来ないぞ』 サール『俺の考へでは、如何も高姫の身の上に関してぢやなからうかと愚考するのだ』 イク『そら、さうだ。それに決まつてるわ。兎に角、誰の事でもよい。高姫の事としておけば安心ぢやないか。俺等には、よく勤めたによつて賞状を遣はすと云ふ恩命に預かるのかも知れないぞ、何と云つても、あれだけ八釜し家の高姫に、おとなしく仕へてゐるのだからな』 斯く話す所へ、イルはニコニコしながら帰つて来た。 サール『おい、イル、何ぞよい事があるのか。大変嬉しさうな顔ぢやないか』 イル『ウツフフフフ(声色)某は斎苑の館の教主八島主命の直命により、祠の森を主管する珍彦の館に神命を伝達するものなり。確に承はれ。 一、此度、イル事、義理天上日出神の生宮と現はれし上は、汝をして斎苑の館の総監督に任ずべし。水晶魂の生粋の其方なれば、義理天上日出神の生宮として、決して恥かしくなき人格者也。神命ならば謹んでお受け致されよ。(笑声)ウエーヘエツヘヘヘヘヘ。 一、サールなる者、朝から晩まで事務を忽かに致し酒を呷り管を巻き、イルの命令を奉ぜず、同僚が事務の妨害をなすこと、以ての外の悪者也。故に逸早く鞭を加へて放逐致す可きもの也。イツヒヒヒヒヒ。 一、イク事、サールに次ぐ不届者にしてバラモン教を失敗り、行く所なくして已むを得ず祠の森に座敷乞食を勤むる段、中々以て許し難き不届者なれば、之亦鞭を加へて放逐す可きもの也。 一、ハル事、大胆不敵の曲者にして、頭をハル事此上なき名人なり。否侫人也。斯くの如きもの聖場にあつては神の名を汚し、教を傷つくる事最も大也、且酒癖悪く、上げも下しもならぬ動物なれば、これには箒を以て頭を百打叩き、一時も早く放逐す可きもの也。キユツツツツツ、ウツフフフフフ。 一、テル事、比較的好々爺にして、よくイルの申す事を服従するにより、之は少しく教を説き聞かした上、汝が僕に使用すべきもの也。ウエヘツヘヘヘヘヘ、ホホホホホ、エヘヘヘヘヘ』 テル『こりや、イル、馬鹿にするない』 イル『あいや、決して馬鹿には致さぬ。八島主命の御直命なれば、襟を正して行儀よく承はりなされ』 サール『おい、イル、杢助、高姫は如何だ』 イル『やア者共、騒ぐな騒ぐな、静かに致せ。杢助は誠に以て完全無欠なる悪魔なれば、一刻も早く放逐すべし。又高姫は自転倒島の生田の森に追返すべし。珍彦は一切の事務をイルに引継ぎ、逸早く此場を退却す可きもの也。 右の条々決して相違これあるもの也。オツホホホホホ』 サール『ナーンダ、馬鹿にしてゐやがる。俺の胸が雨蛙の様になりよつた。のうイク、ハル、テル。イルの奴、あまり馬鹿にするぢやないか。一つここらで袋叩きにやつてやらうぢやないか』 イク『そりや面白い、併しながらお直使の御入来だから、まアまア今日は見逃しておけ。おい、イルの奴、貴様は仕合せものだ。今日から、しようもない芸当をやると叩きのばすぞ』 イル『叩き伸ばして太るのは鍛冶屋さまだ。然しながら貴様等も本当に形勢不穏だぞ。確り致さぬと、どんな御沙汰が下るやら分らぬから気をつけたが宜からうぞ。本当の事は俺等には分らぬのだ。初稚姫と珍彦さまが奥の間でソツと御用を承はつて厶るのだ』 イク『成程、大方タ印の事だらうよ。何卒うまく行くといいがな』 イル『あんな奴がけつかると参詣者も碌に詣つて来ないからな。然し小さい声で襖の間から初稚姫の声で、イルさまイルさまと仰有るのが聞えたよ。イヒヒヒヒヒ何か此奴ア、宜い事があるに違ひない。何せよ昨夜の夢が乙だからな。その声を聞くと忽ち俺の胸は躍る、腕は鳴る、俺の精神は生れ変つた様になつて来た。人間は一代に一度や二度は運命の神が見舞ふものだから、此風雲に乗ぜなくちや人生は嘘だ。之からこのイルさまは立派な立派な宣伝使になつて驍名を天下に輝かし、月の国へでも行つて大国の刹帝利になるのかも知れぬぞ。さうすれば貴様らを右守、左守の司に任命してやるからな』 サール『ヘン、梟鳥の又宵企みだらう。初稚姫様が何程イルさまと仰有つたつて、あの男は受付にイルか、要らないものか、或は道楽者だから此処にイル事はイルさまと仰有つたかも分らないぞ。兎も角貴様も用心せないと駄目だ。気をつけよ』 イル『ヘン、何と云つても一富士、二鷹、三茄子と云ふ結構な夢を見たのだからな。こんな夢は出世する運のいいものでなければ、メツタに見られぬからのう』 サール『そんな夢が何いいのだ。よく考へて見ろ。富士の山程借金があつて、如何にも斯うにも首が廻らず、鷹い息もようせず、高姫には喚かれ、箒で叩かれ、又その借金は茄子(済す)事も出来ず、高姫の圧迫に対しても如何とも茄子ことが出来ない貴様は腰抜けだよと天教山の木花姫さまが夢のお告げだよ。アツハハハハハ、お気の毒様、のうイク、ハル、テル、俺の判断は当つとるだらう』 テル『そりや貴様、当るに定つてらア。当一と云ふぢやないか。ウヘツエエエエエ』 斯く話す所へ足音高くやつて来たのは高姫であつた。 高姫『これ、イルさま、お前一寸此方へ来てお呉れ。御用が出来たから』 イル『はい、行かぬ事は厶いませぬが、一体何の用で厶りますかな。御用の筋を承はらねばさう軽々しく行く訳には行きませぬ。此イルさまに畏れ多くも今日只今より、斎苑の館の八島主さまより祠の森の神司と任命されたかも知れませぬぞや。それぢやによつて、今迄のイルとはチツと位が違ひますから、御用があればお前さまの方から、言葉を低う頭を下げて尾をふつて賄賂でも喰はへて御出でなさらぬと、貴女の地位は殆ど砂上の楼閣も同様で厶りますぞや』 高姫『エーエ、辛気なこと。早く来なさらぬかいな。誰も斎苑館から来てゐないぢやないか』 イル『高姫さま、貴女「エー辛気」と仰有いましたね。そら、さうでせう。蜃気楼的空想を描いて、此館を独占せむとする泡沫の如き企みだから、蜃気楼が立つのも無理はありませぬわい。イツヒヒヒヒ』 高姫『エーエ、仕方のない男だな。又酒に酔うてゐるのだな。それならイルは今日限り此処を帰つて貰ひませう。其代りにハルや、一寸私の傍へ来ておくれ。御用を云ひ聞かしたい事があるから。お前は一寸見ても賢かりさうな、よう間に合ひさうな顔付きだ』 ハル『はい、参る事は参りますが、何卒箒で叩かぬやうに願ひますよ。私も国には妻子が残してあり……ませぬから、箒なんかで叩かれちや、まだ持たぬ妻子がホーキに迷惑致し、宅の大切の夫やお父さまを虐待したと云つて悔みますからな』 高姫『エーエ、文句を仰有らずに出て来るのだよ』 ハル『おい、俺が行つたら屹度貴様等ア、首だからな。其用意をして居れよ。然し大抵の事なら、俺の高姫様が信認の力によつて、千言万語を費し、弁護の結果助けてやるかも知れないから、俺の後姿を義理天上さまだと思うて、恭敬礼拝してゐるがよからうぞ。エヘン』 と肩肱怒らし、高姫の後から握り拳を固めて空を打ちながら、一寸後を振り返り、長い舌をニユツと出して四人に見せ、腮をしやくり尻を振り従いて行く。 (大正一二・一・二三旧一一・一二・七北村隆光録)
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霊界物語 50_丑_祠の森の物語2 余白歌 余白歌 みろくの世間近くなりて甲子の秋のみまつり遙かに拝むも〈第2章(初版)〉 神の国霊界聖談など読みて秋の長夜を天国に遊ぶ〈第4章(初版)〉 湧き出づる思想の泉汲みておく術さへもなき今日のわれかな〈第4章(初版)〉 神々の御宣を伝へ示さむとおもふ甲斐なき今日の吾なり〈第4章(初版)〉 久験録 瑞月 甲子旧五月二十三朝富士山上現三個太陽 中央白光左右円像赤次自七月十一至十三 晴空月面有薄蝕天変古聖相伝曰国家凶兆 (大正一一、一〇、二二)〈第8章(初版)〉 赤心のあらむ限りを尽しつつ天にとどかむ時待つ久しさ〈第9章(初版)〉 ままならぬ身を横たへて待ち佗びぬ晴れて輝く月日の空を〈第14章(初版)〉 かねてより斯くと知りつつ夜な夜なに世の行く末を今更なげくも〈第14章(初版)〉 言問はむ人さへもなきわが身には窓下の読書頼りなりけり〈第14章(初版)〉 ひむがしの空を眺めて思ふかな生日足日の吉き日あれよと〈第14章(初版)〉 わが思ふ心の一つ通ひなば九十九の峯も安く越ゆべし〈第15章(初版)〉 偉大なる神の光りを力としいつの御年の春を待つなり〈第16章(初版)〉 甲子の空をみとせの艮は世に例しなき雲のゆきかひ〈第17章(初版)〉 三五の月さへ面を曇らしてなげき給はむ巡り来る世を〈第17章(初版)〉 大小の三の災起るともみままにならば確に救はむ〈第17章(初版)〉 唐土の蛸間の山に嵐して野辺の百草寒さに慄ふも〈第18章(初版)〉 事しあらば志古の岩窟押し開き瑞の御魂の世の守り得よ〈第18章(初版)〉 天地は変らざれども曲津見の荒ぶ暗世は亡び失すらむ〈第20章(初版)〉 東の空まだ明けず暁の光の底に吾は雄健ぶ〈第20章(初版)〉 皇道の真意を知らぬ政乱家の得意顔なる御代は淋しき〈第20章(三版)〉 三五の玉〔その二〕 三ツの玉 竜館桶伏山の聖場は金剛不壊の如意宝珠なり 紫の珍の神宝は万寿苑永劫不滅の霊地なりけり 黄金の玉の台は高熊の四十八なす宝座なりけり〈巻末(初版)〉 五ツの玉 紫の麻邇の宝珠は厳御魂瑞の御魂の経綸なりけり 赤色のマニの宝珠は信徒の神国を守る大和魂 白色のマニの宝珠は水晶に研き上げたる御魂なりけり 青色のマニの宝珠は愛信の誠あらはす力なりけり 黄なる色のマニの宝珠は遠近の信徒の持つ誠なりけり〈巻末(初版)〉[この余白歌は八幡書店版霊界物語収録の余白歌を参考に他の資料と付き合わせて作成しました]
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霊界物語 52_卯_小北山の文助の改心物語 01 真と偽 第一章真と偽〔一三三七〕 人間の内底に潜在せる霊魂を、本守護神又は正副守護神と云ふ。そして本守護神とは、神の神格の内流を直接に受けたる精霊の謂であり、正守護神とは一方は内底神の善に向ひ、真に対し、外部は自愛及び世間愛に対し、之をよく按配調和して広く人類愛に及ぶ所の精霊である。又副守護神とは其内底神に反き、只物質的躯殻即ち肉体に関する欲望のみに向つて蠢動する精霊である。優勝劣敗、弱肉強食を以て最大の真理となし、人生の避く可からざる径路とし、生存競争を以て唯一の真理と看做す精霊である。而して人間の霊魂には、我神典の示す所に依れば荒魂、和魂、奇魂、幸魂の四性に区分されてゐる。四魂の解説は已に既に述べたれば茲には省略する。荒魂は勇、奇魂は智、幸魂は愛、和魂は親であり、而して此勇智愛親を完全に活躍せしむるものは神の真愛と真智とである。今述べた幸魂の愛なるものは人類愛にして、自愛及び世間愛等に住する普通愛である。神の愛は万物発生の根源力であつて、又人生に於ける最大深刻の活気力となるものである。此神愛は大神と天人とを和合せしめ、又天人各自の間をも親和せしむる神力である。斯の如き最高なる神愛は、如何なる人間も其真の生命をなせる所の実在である。此神愛あるが故に、天人も人間も皆能く其生命を保持する事を得るのである。又大神より出で来る所の御神格そのものを神真と云ふ。此神真は大神の神愛に依つて、高天原へ流れ入る所の神機である。神の愛と之より来る神真とは、現実世界に於ける太陽の熱と其熱より出づる所の光とに譬ふべきものである。而して神愛なるものは太陽の熱に相似し、神真は太陽の光に相似してゐる。又火は神愛そのものを表し、光は神愛より来る神真を表はしてゐる。大神の神愛より出で来る神真とは、其実性に於て神善の神真と相和合したものである。斯の如き和合あるが故に、高天原に於ける一切の万物を通じて生命あらしむるのである。 愛には二種の区別があつて、其一は神に対する愛であり、一は隣人に対する愛である。又最高第一の天国には大神に対する愛あり、第二即ち中間天国には隣人に対する愛がある。隣人に対する愛とは仁そのものである。此愛と仁とは、何れも大神の神格より出で来つて天国の全体を成就するものである。高天原に在つて大神を愛し奉るといふ事は、人格の上から見て大神を愛するの謂ではない、大神より来る所の善そのものを愛するの意義である。又善を愛するといふ事は、其善に志し、其善を行ふや、皆愛に依つてなすの意味である。故に愛を離れたる善は、決して如何なる美事と雖も、善行と雖も、皆地獄の善にして所謂悪である。地獄界に於て善となす所のものは、高天原に於ては大抵悪となる。高天原に於て悪となす所のものは、すべて地獄界には之を善とさるるのである。それ故に神の直接内流によつて、天国の福音を現界の人類に伝達するとも、地獄界に籍をおける人間の心には、最も悪しく映じ且感ずるものである。故に何れの世にも、至善至愛の教を伝へ、至真至智の道を唱ふる者は、必ず之を異端邪説となし、或は敵視され、所在迫害を蒙るものである。併し斯の如き神人にして、地獄界の如何なる迫害を受け、或は身肉を亡ぼさるる事ありとも、其人格は依然として死後の生涯に入りし時、最も聖きもの、尊きものとして、天国に尊敬され且愛さるるものである。次に隣人を愛する仁そのものは、人格より見て其朋友知己等を愛するの謂ではない。要するに大神の聖言即ち神諭より来る所の神真を愛するの意義である。又神真を愛するといふ事は、其真に志し、真を行ふの意義である。以上両種の愛は善と真との如くに分立し、善と真との如くに和合する。 此物語の主人公なる初稚姫は、即ち二種の愛、善と真との完全に具足したる天人にして、言はば大神の化身でもあり又分身でもあり、或時は代表者として其神格を肉体を通して発揮し給ふが故に、能く善に処し、真に居り、如何なる妖魅に出会するとも、少しも汚されず犯されずして、己が天職を自由自在に発揮し得らるるのである。之に反して高姫は総て愛善と信真とを口にすれども、其内底は神に向つて閉塞され、地獄に向つて開放されてゐるが故に、其称ふる所の善は残らず偽善である。偽善とは表面より見て、即ち神を知らざる人の目に至善至徳のものと見ゆる事がある。又至真至誠の言語と見ゆるも、それは総て地獄界に向つてゐる精霊の迷ひより来るものなるが故に、一切虚偽であり狂妄である。例へば雪隠の虫は糞尿の中を至上の天国となし、楽園となし、吾肉体の安住所とし、且此上なき清きもの美はしきものとなすが如く、地獄界に向つて内底の開けたる者は、至醜至穢なる泥濘塵芥及び屍の累々たる所、臭気紛々たる所を以て、此上なき結構な所と看做すものである。併しながら高姫の肉体としては、矢張肉の目を以て善悪美醜を判別する能力は欠いでゐない。それ故に或時は殆ど善に近き行ひをなし、又真に相似せる言語を用ふることがある。けれども肝心の内底が地獄界に向つてゐるのと、外部より来る自愛心と肉体的兇霊界の襲来とによつて、常に其良心を誑惑さるるを以て一定の善と真とに居る事は出来ない。又純然たる悪に居る事も出来得ないのである。併し高姫の善と信ずる所、真と思ふ所は、以上述べた如く、皆偽善なる事は言ふまでもない。 初稚姫は、愛より来る所の大神の神格より帰来する天人の薫陶を、其至粋至純なる霊性に摂受してゐたのである。総て高天原を成就する者は、何れも愛と仁とによらぬ者はない。故に初稚姫の人格そのものは所謂高天原の移写であり、大神の縮図である。故に其美はしき事は到底言語に絶し、形容す可からざる底のものである。其面貌言語乃至一挙手一投足の中にも、悉く愛善の徳を表はし、信真の光を現じ給ふのである。故に初稚姫の如き地上の天人より溢れ出づる円満具足の相は、愛そのものによつて充されてあるが故に、何人と雖も、姫の前に来り、姫の教を受け、其善言美詞に接し、席を交へ交際する時は、衷心よりして自然に動かさるるに至るのである。されども悲しいかな、高姫は普通の人間と異なり、天国、地獄の両界の中に介在する所の中有界に身をおきながら、尚も肉体的精霊即ち兇党界、妖魅界に和合せるが為に、初稚姫の前に出づる時は、忽ち癲狂となり痴呆となり、其美貌を見る時は、何処ともなく直に恐怖心を起し、且嫉妬し、善言美詞に接すれば、忽ち頭痛み、胸つかへ、嫌忌の情を起すに至るを以て、如何に初稚姫が神力を尽し、愛と善と真を以て是に対し、あく迄も和合せむとすれども、之を畏れて受入れないのみならず、陰に陽に排斥し、且滅尽せしめむことを望むのである。而して或時は初稚姫を非常に尊敬する時もあるのである。実に名状す可からざる不可思議なる状態に身を置いてゐるものといふべきである。 斯くの如く時々刻々に其思想感情の、姫に対してのみならず、一般の人に対して変転するは、彼れが自ら称ふるヘグレのヘグレのヘグレ武者たる珍思怪想を遺憾なく暴露してゐるのである。而して高姫はヘグレのヘグレのヘグレ武者を以て唯一の善となし、徳となし、愛の極致となし、信の真と確信してゐるのである。高姫の思想は神出鬼没、動揺常なく、機に臨み変に応じて神業に参加する事を以て、最第一の良法と確信してゐるのだから、如何なる愛を以てするも、信を以て説くも、之を感化する事が出来ない、精神的の不治の難病者である。 総て人間各自の生命に属する所の霊的円相なるものがあつて、此円相は一切の天人や一切の精霊より発し来り、人間各自の身体を囲繞してゐるものである。各人の情動的生涯、従つて思索的生涯の中より溢れ出づるものである。情動的生涯とは愛的生涯の事であり、思索的生涯とは信仰的生涯の事である。総て天人なるものは愛によつて其生命を保つが故に、愛そのものは天人の全体であり、且天人は善徳の全部であると云つても可いのである。愛の善と信の真との権化たるべき初稚姫は、其霊的円相は益々円満具足して、智慧証覚の目より見る時は、其全身の周囲より五色の霊光が常住不断に放射しつつあるのである。之に反して、高姫はすべて虚偽と世間愛的悪に居るを以て、霊的円相即ち霊衣は殆ど絶滅し、灰色の雲の如き三角形の霊衣が僅かに其肉身を囲繞してゐるに過ぎない。之を神界にては霊的死者と名付けてゐる。霊的円相の具足せる神人には、如何なる兇霊も罪悪も近寄ることは出来ない。若し強ひて接近せむとすれば、其光に打たれ眼眩み、四肢五体戦慄し、殆ど瀕死の状態に陥るものである。之に反して円相の欠除せる高姫の身辺には、一切の兇霊が臭きものに蠅が群がる如く、容易に且喜んで集合するものである。現界の愚眛なる人間は、斯の如き悪霊の旅宿否駐屯所たる人間を見て、信仰強き真人と看做し、或は其妖言に誑惑されて、虚偽を真となし、悪を善と認め、随喜渇仰しておかざるものである。実にかかる人間は、神の目より見ては精神上の不具者であり、且地獄の門戸を競うて開かむとする妖怪変化と見得るものである。 人間は其愛の善悪の如何によつて、其面を向ける所を各異にしてゐる。初稚姫の如き天人は、大神及隣人に対して、真の愛を持つてゐるが故に常に其面は大神に向つてゐる。故に何となく威厳備はり、且形容し難き美貌を保つ事を得たのである。又高姫は自愛の心即ち愛の悪強きが故に、其面を常に神に背け、暗黒の中に呻吟しながら思ふやう……かくの如き暗黒無明の世界を、吾々は看過するに忍びない。故に自分は此暗黒時代に処し、天下万民救済の為に、いろいろ雑多に身を変じ、ヘグレ武者となつて、天の岩戸を開き、真の光明に世界を照らし、万民を助けねばならない。天国も浄土もなく、すべて三界は暗黒界と化し去れり。故に吾は神の命を受けて、常暗の世を日の出の御代に捻ぢ戻さねばおかないと、兇霊の言に誤られて蠢動してゐるのである。それ故常に心中に安心する事なく、如何にして自己の向上をなさむか、三界の万霊を救はむかと、狂熱的に蠢動するのである。何ぞ知らむ、開闢の始めより天界の光明は赫灼として輝き給ひ、数多の天人は各団体に住して、其光輝ある生涯を送りつつある事を。併し茲に一言注意すべき事は、大本開祖の神諭に……此世は暗雲になつてゐるから、日の出の守護に致すが為に因縁の身魂が表はれて、五六七成就の御用に尽す……とあるのは、これは決して高姫の言ふ如く三界皆暗しといふ意義ではない。大神より地獄道に陥れる此現界をして、天国浄土の楽土となし、一人も地獄界に堕さざらしめむが為である。要するに霊界現界を問はず、地獄なるものを一切亡ぼし、その痕跡をも留めざらしめむと計らせ給ふ仁慈の大御心より出でさせ給うたのである。然らば人或は云はむ、三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ……とあるではないか、三千世界とは天界、現界、地獄界のことである。天界は已に光明赫々として無限に開け居るにも拘らず、何をもつて三千世界と言はるるか、果してこの言を信ずるならば、天界もまた暗黒界と堕落せるものなりと断定せざるを得ないではないかといはねばならぬ……と。かくの如きは其一を知つて其二を知らざる迂愚者の論旨である。三千世界一度に開くといふは、現界も地獄界も天界も一度に……即ち同様に光明赫々たる至喜至楽の楽園となし、中有界だの、地獄界だの、天界だの、或は兇霊界だのいふ、いまはしき区別を取除き、打つて一丸となし、一個の人体に於けるが如く、単元として統治し給はむが為の御神策を示されたるものたることを悟るべきである。一度に開く梅の花とか、須弥仙山に腰をかけとか云ふ聖言は、要するに神に向はしむるといふ意義である。如何なる無風流な人間でも、梅の花の咲きみち、馥郁たる香気を放つを見れば、喜んで之に接吻せむとするは、人間に特有の情である。また須弥仙山とは宇宙唯一の至聖至美にして崇高雄大なる山の意味である。何人と雖も、雲表に屹立せる富士の姿を見る時は、其雄姿にうたれ、荘厳に憧がれ、之を仰がないものはない。又俯いては決して富士を見る事は出来ない。故に神は所在人間及精霊をして其雄大崇高なる姿を仰がしめ、以て神格に向上せしめ、神の善に向はしめむが為である。併し神に向ひ、或は須弥仙山を仰ぐといふは、現界に於ける富士山そのものを望む時の如く、身体の動作によつて向背をなすものでない。何となれば空間の位地は其人間の内分の情態如何によつて定まるが故に、方位の如きも現界とは相違してゐるのは勿論である。人間の内底の現はれなる面貌の如何によつて其方位が定まるのである。故に霊界にては吾面の向ふ所即ち太陽の現はるる所である。現界にては太陽は東に昇りつつある時と雖も、西を向けば其太陽は背に負うてゐるが、霊界にては総て想念の世界なるが故に、身体の動作如何に関せず、神に向つて内底の開けた者は、いつも太陽に向つてゐるのである。併しながら斯くの如き天人の境遇にある人格者は霊界に在つて、自分より大神即ち太陽と現じ給ふ光熱に向ふにあらず、大神より来る所の一切の事物を喜んで実践躬行するが故に、神より自ら向はしめ給ふ事となるのである。平和と智慧と証覚と幸福とを容るるものは高天原の器である。之を称して神宮壺の内といふ。此壺は愛であつて、大小となく神と相和する所のものを容るる器である。現界に於て、智慧証覚の劣りし者、又は愛善の徳薄く、信真の光暗かりし者が、天界の天人又は地上の天人やエンゼルと相伍して遂に聖き信仰に入り、愛善の徳を養ひ、信真の光を現はし、遂に智慧証覚を得、高天原の景福を得るに至らしむべく、ここに神は精霊に其神格を充して予言者に来らしめ、地上の高天原即ちエルサレムの宮屋敷に於て、天国の福音を宣べ伝へさせ給うたのは、実に至仁至愛の大御心に出でさせ給うたからである。善の為に善を愛し、真の為に真を愛し、之を一生涯深く心に植ゑ付け、実践躬行したるにより、終に罪悪に充ちたる人間も天国に救はれて、其不可説なる微妙の想を悉く摂受し得べき聖場を開かせ給うた。之を神界にては地の高天原と称へられたのである。 かくも尊き神界の御経綸をも弁へず、且つ信ずること能はずして、自己と世間とのみを愛する者は、仮令膝元に居つても之を摂受することは到底出来ない。自己を愛し、世間のみを愛する者は、却て此等の御経綸地を否定し、或は之を避け、之を拒み、甚しきは神界の経綸場を破壊せむとするに至るものである。されども神は飽く迄も天人の養成器たる人間を愛し給ふが故に、可成く彼等に接近し、彼等の心の中に流入せむとし給へども、彼等は却て之を恐れ、雲霞と逃去つて、忽ち地獄界に飛び入り、又彼等と相似たる自愛を有する者と相交はらむとするものである。……灯台下暗し、足許から鳥が立つても分らぬ盲聾ばかりであるぞよ。神は一人なりとも助けたさに、いろいろと諭せども、こはがりて皆逃げて帰ぬ者ばかりで、助けやうはないぞよ。神は可哀相なれども、余り人民が欲に呆けて、霊を悪神に曇らされてゐるから、真の事が耳へ入らぬぞよ。神も助けやうがないぞよ……と歎声をもらされてあるは、かかる人間に対して愛憐の涙を注ぎ給うた聖言である。 初稚姫の御再誕なる大本開祖は、神命を奉じて地の高天原に降り、万民を救はむと焦慮し給ふに引替へ、其肉身より生れ出でたる肉体に正反対のものあるは、実に不可説の深遠微妙なる御神策のおはします事であつて、大本神諭に……吾児に約まらぬ御用がさして善悪の鏡が見せてあるぞよ云々と。信者たる者は此善悪両方面の実地を観察して、其信仰を誤らない様にせなくてはならぬのである。ああ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・二九旧一一・一二・一三松村真澄録)
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霊界物語 57_申_テルモン山の神館2 序文 序文 伯耆国皆生温泉浜屋旅館の見晴し佳き二階の広間を当がはれ、朝日の光と大山の雄姿を眺め乍ら、大正十二年如月八日より十日迄三日間にていよいよ第五十七巻を口述し了りぬ。 スーラヤ(日天子)チヤンドラ・デーワブトラ(月天子)サマンタガン(普光天子)ラトナブラバ(宝光天子)アワバーサブラ(光耀天子)の守護の下に、漸く印度の国波斯の国境テルモン山の昔物語を大要述べ了りました。顧みれば瑞月が神の大道に入りしより満二十五年に相当する今日、富士の神使に導かれ神教を伝へられたる今日、出雲富士とて名も高き大山の雄姿を拝し、三保の松原に等しき夜見ケ浜の白砂青松の磯辺を筆者[※御校正本・愛世版では「筆者」だが、校定版では「筆録者」に直している。]と共に逍遥し乍ら、今昔の感に打たれ、思はず歎息せざるを得ない。隠岐の嶋は遠く波間に浮び、幽かに山の頂を顕はし、三保ケ関の霊地は眼前に横はり日本海の波に漂へるが如く見えて居る。八大竜王ナンダナーガラーシャ(歓喜竜王)、ウバナンダ(善歓喜竜王)、サーガラ(海竜王)、ワーシュキ(多頭竜王)、タクシャカ(視毒竜王)、マナスヰン(大身大力竜王)、ウッパラカ(青蓮華色竜王)、アナワタブタ(無悩清涼竜王)、は鼓を打つて吾等一行を迎へ給ふ。北村隆光、加藤明子、藤田、松田、紙本の諸氏を始め谷川常清氏、湯浅清高並に米子支部信者、及び近国の信者諸氏の日々の訪問を歓喜し乍ら、神の恵みのまにまに五七の巻を演べ了る。時しも綾の聖地より三代直澄教主は大本瑞祥会会長井上留五郎氏及び前会長湯川貫一氏と倶に来らる。瑞月は感極まつて言ふ所を知らず。茲に序文に代へ一言を記すことと致しました。 大正十二年旧二月十日 於伯州皆生温泉
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霊界物語 58_酉_イヅミの国1(猩々島) 序文 序文 本巻も又例の如く三日の間に口述編纂を終りました。着手(三月廿八日)以来天候険悪にして、夜見の浜に打寄する激浪怒濤の響きや、硝子戸を暴風の揺る音、春雨の声、並に東北隣の旅亭に聞こゆる三味線、安来節の声等に合せ口述の拍子を採りながら諄々として進み行く。 出雲富士ほど苦労はしても 末を松江で気は安来 この歌の文句を栞となし乍ら、末の代のため松の神、五六七の神代の教草の一端にもと、油の渇きし口車、湯茶をガブガブ呑みながら、口述台に安臥して神の儘に儘に述べ終る。筆者は加藤、北村両氏にして前巻も同様なり。アア惟神御霊の恩頼を謹み感謝し奉る。 大正十二年三月三十日午后三時
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霊界物語 62_丑_讃美歌2 12 神教 第一二章神教〔一五八七〕 第三六二 一 この年も神の御業の御為に 捧げまつらむ許させたまへ。 二 たとへ身に幸あらずとも世の為に 尽す身魂となさしめたまへ。 三 いとし子の身に幸のあれかしと 祈るは親の心なりけり。 四 明日の日は如何にならむと村肝の 心なやめず今日を楽しめ。 五 御恵の露はわが身におきそひて 神の大道にさきくあれかし。 六 御教の珍の言霊力にて 世に現さむ神の御稜威を。 七 村雲のよしやわが日常を包むとも 忽ち晴れむ神の光りに。 八 安河に誓約たまひしわが主を 偲びまつりて身をや尽さむ。 第三六三 一 世をしらす我皇神の珍の手に 縋れば世には恐るべきなし。 二 新しき春は長閑に廻り来ぬ 神の恵のとこしへにして。 三 旅枕草の褥にねむるとも 守らせたまひぬ瑞の大神。 四 わが往かむ道に塞がる深霧を 吹きはらひませ科戸辺の神。 五 夜昼の常に行き交ふ世の中は 神より外に頼るべきなし。 六 わが身魂栄ゆる時も衰ふる 折にも神は見捨て給はず。 第三六四 一 皇神の御前に寝ぬる安けさは 夢の浮世に知る人もなし。 二 死出の山過ぎ行く時も厳御霊 瑞の御霊の御名に安けき。 三 我神と倶にありせば幸深し 恐れ難みも逃げ失せゆくなり。 四 安らかに病の床に臥しながら 生命の国を望む楽しさ。 五 御教に眼さむるぞ嬉しけれ 甦り往くわが身思へば。 第三六五 一 世を去りし友の身の上悲しむな 死こそ神国に昇る架橋。 二 死の影の襲ひ来るも厭はまじ 永のやすみは神国にありせば。 三 先立ちし親子兄弟友垣に 廻りあふ日の死出の旅なり。 四 末の日の迫り来らば墓を蹴り 甦りつつ栄を受けむ。 五 死のねむり醒す御声を待ちわびて 埋むる友を涙に送る。 第三六六 一 世に下り世の憂き事をまつぶさに 嘗めさせたまふ瑞の大神。 二 かへり来ぬ人を慕ひて泣く時に 慰めたまふ神の御声。 三 千座をば身に負ひながら嘲罵や 虐げうけし瑞の大神。 四 わが罪を憂ひ悲しむ時こそは 瑞の御霊の助けありけり。 五 千座をば負はせたまひて許々多久の 苦をしのびてし尊き教主なり。 六 神の代の審判を受くる其時に 恵ませたまへ瑞の大神。 第三六七 一 今は早難みのあとも留めずに 御手に曳かれて御園へ進むも。 二 現世の荒き浪風切り抜けて 永久に長閑な岸に渡らむ。 三 死に行くも此世にありて働くも 神の恵に漏るることなし。 第三六八 一 世を去りし友垣跡を偲ぶれば 心淋しくなり勝りゆく。 二 身体は藻脱けのからとなるとても 霊は神国に生きて栄えむ。 三 皇神の清き大道を辿りつつ まめに仕へし人の幸なる。 四 世の中に残しおきたる善き事の 花咲き出でて実る神国。 五 浪風の荒く寄せ来る其日をも 吾等がために守らせたまふ。 六 神に寄りて難みに堪へし心こそ いや永久の実を結ぶなり。 七 現し世に学びし知恵は剥ぎ取られ 富は消えゆく元つ神国なり。 八 唯神の言葉によりて悟り得し 智慧と富とは永久に栄えむ。 第三六九 一 選まれし世人のために築かれし 神国の殿に入る日嬉しも。 二 輝ける神の御国の花園に 待つわが友と逢ふは嬉しき。 三 皇神の御許へ昇るわが霊を 引きな止めそ神のまにまに。 四 いろいろとかけし望みも散る花の 果敢なき此世と思へばうたてき。 五 永久の御栄に入る魂の 留まるべしやはここに暫しも。 六 涙なく苦しみもなく喜びの 尽きぬ神国に昇るは楽しも。 七 瑞御霊厳の功を天人と 謳ふよき日の待たれぬるかな。 第三七〇 一 雷を笛の音となし電を 剣となして天地しらす。 二 天地を豊にしらす皇神の 光は平和を下したまひぬ。 三 正しきを守り平和を守ります 神の懐いとどゆたけし。 四 神の法捨てて大道に逆らひし 吾にも神はやすきをたまへり。 五 御怒りを放ちたまはで親の如 恵ませたまひぬ元津御神は。 六 青雲の棚曳く極み白雲の むかふす限り御名を称へむ。 第三七一 一 天津神厳の御座に現れまして 葦原の国を守らせたまへり。 二 大前に御稜威畏み伏し拝む 其言の葉に喜びあふるる。 三 喜びを如何に包まむ術もなし 神のみやびの言の葉のかげ。 四 蝦夷千島高砂島の外までも わが大君の恵あまねし。 五 国民は君の御功をあがめつつ とこしへなれとひたに祈るも。 六 大空に聳ゆる富士の高山も 地に伏す谷も君の食す国。 七 瑞枝さす林も共に御言葉の 光に遇ひて実を結ぶなり。 八 鄙都へだてもあらにわが主の 御稜威を謡ふ声うるはしも。 (大正一二・五・一二旧三・二七於教主殿明子録)
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霊界物語 62_丑_讃美歌2 29 神洲 第二九章神洲〔一六〇四〕 第五三二 一 宮柱太敷建てし其昔を 偲ぶは一人われのみならず。 二 円山の姿はとみに変れども 御空の月はいよよさやけし。 三 新聞の記者の囁き腐鶏の 暁またで鳴きたつるかな。 四 円山の宮は再び建ちぬべし 打ち砕きたる醜の哀れさ。 五 醜弓のひきて返らぬ過ちに 的射外せし鬼のはかなさ。 第五三三 一 桶伏の山に八重雲棚曳きて 紫の空に月はかがよふ。 二 紫の御空を広くしめながら かがやき渡る円山の月。 三 本宮山木の葉のさやぎ静まりて 洗ふが如き夏月照れり。 四 礎の跡を照らして夏の月 恵の露の雨を濺げり。 五 只さへに清けきものを円山の 月にかがやく礎の露。 第五三四 一 円山の底津岩根に厳かに 昔を語る珍の礎。 二 円山の月にあこがれ登り見れば 露を三年の涙あふるる。 三 月清し礎清し円山の 木々の梢はいとど清しも。 四 金竜の池に浮べる魚族も 醜の嵐を恐れざりけり。 五 西東南ゆ北と醜神の 襲ひし昔も夢となりぬる。 第五三五 一 梓弓春の円山緑して 梢の露に月を宿せり。 二 人の世は百度千度移るとも 月は昔の姿なりけり。 三 限りある人の命は草におく 露の干ぬ間の朝顔の花。 四 円山にかかりし雲のあと晴れて 今はさやけき月を見るかな。 五 みちのくの月を見むとて来て見れば 聖地に劣りて濁れる心地す。 第五三六 一 照る月の光に変りなけれども 人の心の空はいろいろ。 二 円山に啼き残したる杜鵑 心悲しげに仇し野になく。 三 何人も御空の月はめづるものを 花に心を取られ往くなり。 四 仇花の茂り合ひたる仇し野に 色香妙なる白梅はなし。 五 皇神の深き恵を白梅の 花手折らむと仇し野彷徨ふ。 第五三七 一 照る月の真下に住めばわが影の いとも小さく見ゆるものかな。 二 月影の傾く時はわが影の いと長々しく見ゆるものなり。 三 小夜衣かけはなれても赤心の 通ひし友はなつかしきかな。 四 有難さに落つる涙の玉の神諭は わが永久の生命なりけり。 五 空包む夜の帳もあきの空に 輝く月の影の恋しさ。 第五三八 一 木の花の神の命の永久に 鎮まり居ます富士の神山。 二 瑞御霊厳島姫永久に 竹生の島に鎮まりたまふ。 三 高熊の峰に現れます玉照彦の 光輝く時は来にけり。 四 黄金なす峰の麓に現れし 玉照姫の御世となりぬる。 五 桶伏の山にひそめる杜鵑 五月の空を待ちつつ経るも。 第五三九 一 一箸の運びの間にも死の影は 人のまはりをつけ狙ひ居る。 二 もてなしのいと懇な昼食こそ 味も殊更美しきかな。 三 花かざす乙女の玉手にくめる湯は いと香ばしき薫り漂ふ。 四 日に月に清き心のます鏡 のぞくも嬉し金竜のうみ。 五 起き伏しの草の露にも輝きぬ 瑞の御霊の月の御影は。 第五四〇 一 大前に天のさかてを只一人 うつの山鳩下り来にけり。 二 大前の榊にかけし十寸鏡は 清けき神の心なりけり。 三 曇りなき鏡の面を眺むれば わが心根の恥かしきかな。 四 円山に昇る月影いと清く ミロクの御代を守りますらむ。 五 神代より清く流れし和知川の 水瀬に澄める秋の夜の月。 第五四一 一 巌窟をあけし鏡をたづぬれば 御空に澄める月と答へむ。 二 御剣も鏡も玉も瑞御霊 岩戸を開く宝なりけり。 三 神つ代の世の有様をたづねむと 月にとへども月は答へず。 四 地に降り草葉の露に身を寄せて むかしを語る月の大神。 五 榊葉にたれたる瑞の白木綿は 神も心をかけてや見るらむ。 (大正一二・五・一六旧四・一於教主殿明子録)
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霊界物語 62_丑_讃美歌2 30 神座 第三〇章神座〔一六〇五〕 第五四二 一 仰ぎ見る此世の月に比ぶれば 霊国の月は光妙なり。 二 登り行く足跡見れば惜きかな 真白に積める雪の円山。 三 谷水の流るるままにわが行衛 定めおきたし神にたよりて。 四 跡たれて幾世経ぬらむ水無月の 社の松も神さびてけり。 五 千早振る神代ながらの月影は わが玉の井の底に宿れる。 第五四三 一 天国の花をかざして大神の 御前を祀る天使等。 二 朝日照る桶伏山の神の丘に 光を添ゆる秋の夜の月。 三 朝日刺す月澄み渡る円山の 台は神の厳の御社殿。 四 今の世も後の世も亦皇神の 恵にたよる外なかりけり。 五 愛はしと皇大神もみなそこの すめる心をみそなはすらむ。 第五四四 一 万代に御栄光あれと朝夕に 祈る心を神は愛づらむ。 二 本宮山裾を流るる和知川の 水は此世のみそぎなるらむ。 三 小雲川並木の松も老いにけり 吾身も老いぬ神のまにまに。 四 二十五年神に仕へて漸くに 霊国の様を悟り初めけり。 五 二年や三年四年の宮仕へに いかで悟らむ神の経綸を。 第五四五 一 光をば和らげ塵に同はりて 世人を守る月の大神。 二 寝て祈り起きて祈りぬ愚なる 吾身に幸の永久にあれよと。 三 千早振る富士の高山雪清く 深きは神の心なりけり。 四 如意宝珠玉拾はむと千早振る 神の光に求ぎて行くかも。 五 玉鉾の道を歩める身ながらも 人は難波のよしあしを謂ふ。 第五四六 一 世の為と祈る真人ぞ尠けれ そこの心は吾が身の為のみ。 二 世を祈るわが真心に詐りの あら尊けれ神のみぞ知る。 三 罪穢あら人神の安かれと 朝な夕なに神前に祈る。 四 わが植ゑし常磐の松は繁りけり 三つの柱の幹を揃へて。 五 幾千代も忘れざらまし吾植ゑし 常磐の松に心とどめて。 第五四七 一 此松の栄ゆる如く教へ草の 永久なれと祈りつつ植ゑぬ。 二 死るとも此松ケ枝に魂かけて 五六七の御代を守らむとぞ思ふ。 三 霊ちはふ神の大道を歩む身は 世のうき事も楽しみと見る。 四 此道の堅磐常磐に動かざれと 石の玉垣仕へまつりぬ。 五 冴え渡る八雲小琴のすがかきを 神も愛でつつ聞し召すらむ。 第五四八 一 松ケ枝に桜の花に降る雨も 同じ御神の恵なりけり。 二 紅の花も清けき白梅も 同じ恵の雨に咲くなり。 三 神垣の風にしられぬ法燈は 根底の国まで照し行くなり。 四 消えやらぬ神の御前の燈火に 闇き心を照されて行く。 五 来て見れば思ひしよりも勝りけり 桶伏山の珍の聖地は。 第五四九 一 玉の井の水の面に心とめて 輝きにけり三五の月。 二 皇神の大道を歩む心しあれば 迷ひの暗もやすく晴れなむ。 三 山の上の池の心は仇なれや 氷も水も名のみ残れる。 四 名ばかりの水なき池に如何にして 月の姿の映るべしやは。 五 月の水たえてし無くば草も木も 如何で芽含まむ此地の上に。 第五五〇 一 皇神の教の真清水清ければ 流れ流れて世を洗ふなり。 二 玉の井の同じ清水を掬ぶ身は 瑞の御霊の永久の友。 三 三十年の厳の御霊の御教に まだ現はれぬ光見るかな。 四 薄雲におほはれ居たる月の光を 今も仰ぎぬ目無き司は。 五 薄雲の逃げ去り行きし後の月の 光に照りて慄ひ戦く。 第五五一 一 かりそめに説きおかれたる言の葉に 眼とどめて迷ふ人あり。 二 さまざまに説けども説き得ぬ言の葉を 聞かずして聞く人は稀なり。 三 曇りたる人の心を照さむと 厳と瑞との鏡かがやく。 四 情知らぬ春の嵐も神の里の 主ある花は避けて吹くらむ。 五 更生主再び下る世に会ひて 誠の神の教を聞くなり。 (大正一二・五・一六旧四・一隆光録)
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霊界物語 62_丑_讃美歌2 31 神閣 第三一章神閣〔一六〇六〕 第五五二 一 常闇の夜の帳は降されて 初めて慕ふ月の影かな。 二 足引の五十路の山を二つ越えて 三つの神ます花園に進む。 三 一人行くも惜しくぞ思ふ花の山 ふりかへりつつ招く友垣。 四 暁を告ぐる御殿の太鼓の音に 長き眠りをさましつつゆく。 五 人は皆深き暗路を渡り川 清き流れに更生主一人立つ。 第五五三 一 傾きし月に心の澄みぬれば 仇に一夜も寝られざりけり。 二 紫の雲棚曳きて大空に 傾く月を慕ひ見るかな。 三 大空に慄ひて澄める月影は 地の凩を歎ち顔なる。 四 小夜更けて山川草木静かなり 只月のみぞ空に冴えぬる。 五 わくらはに心の月の澄みぬるは 悟りに入るの初めなりけり。 第五五四 一 玉の井の底に沈むも大空に 著けき月も同じ光ぞ。 二 白梅の花は匂ひていつしかに 疎みし人も尋ね来るかな。 三 神垣を後に見捨てて行く雁の 中にも残る一列ありけり。 四 白梅の匂ふも待たで行く雁の 心の空は淋しかるらむ。 五 神垣の春もあさ野の若草に かくれて雉子鳴き渡るなり。 第五五五 一 円山の木々の梢の呼子鳥 誰を招くらむ声も静けく。 二 神園の梅手折らむと来て見れば 早くも散りて実は結びたり。 三 白梅の外にかぐはし友もなし 散りたる後の心淋しさ。 四 散るとてもまた来る春を松ケ枝に 緑の色のすがすがしくあれ。 五 凩の荒みし跡の円山に 照る月影はいとも長閑けし。 第五五六 一 三五の月は御空を唯一人 わがもの顔に澄み渡るなり。 二 久方の天津日影も月影も 元津御神の光なりけり。 三 時鳥五月の空に里なれて 夜の更くるまで啼き渡るかな。 四 金竜の池のみぎはもさみだれて 菖蒲の花の紫に咲く。 五 皇神の恵もわけて大八洲 松の木の間に迦陵頻伽鳴く。 第五五七 一 和田の原澄み渡りたる月影の 傾く見れば淋しかりけり。 二 金竜の池の氷の解けてより 水底深くうつる月影。 三 空高く立つ河霧の隙間より 漏れ来る月の光慕はし。 四 長き夜も明けて悔しく思ふかな 月の光のあせて見ゆれば。 五 神垣の空を包みし黒雲を すかして照れる有明の月。 第五五八 一 月出でて松の緑は栄えけり 紅葉散り敷く凩の後に。 二 呉竹の筧の水におく露も 月の光をうけて輝ふ。 三 富士の根に積む白雪のいと清く 永久に消えざる心ともがな。 四 富士の雪の永久に消えざる心もて 清く御前に仕へまつらむ。 五 霜の褥月の枕を数重ね 神国のために道伝へ往く。 第五五九 一 山川に風のかけたる花の橋を 渡らむとすも今の世人は。 二 光無き谷の底にも岩躑躅 月の恵の露に匂へる。 三 世の為に建てし宮居を醜司 真金の鉾を打ちふり砕きぬ。 四 世のために尽すと言ひし醜司の 醜の限りを尽したるかな。 五 ひたすらに世を安かれと祈るかな 朝な夕なに神の御前に。 第五六〇 一 神垣の松の心の誓ひにて 主が千歳を朝夕祈る。 二 千早振神代は知らず老松の 梢に澄める月はさやけし。 三 綿津海の真砂の数はかぞふとも 数へきれぬは神の御恵。 四 白梅の花も常磐の色添ひて 八重神垣に匂ひけるかな。 五 世の人の心の闇や晴れぬらむ 澄み渡りたる円山の月に。 第五六一 一 大空の月も澄みけり池水も 澄み渡りたる神垣の庭。 二 御禊する小雲の川の小波の 日数重ねて神に祈りつ。 三 皆人のやがて渡らむ三瀬川 せき留むるよしも無き涙かな。 四 白妙のわが衣手は濡れにけり 露と消えにし可憐児のため。 五 草の葉におく白露のいつまでも 醜の嵐に散らぬものかは。 (大正一二・五・一六旧四・一於教主殿明子録)
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霊界物語 64_下_卯エルサレム物語2 11 狂擬怪 第一一章狂擬怪〔一八一七〕 守宮別、お花の両人は漸くにして橄欖山上に登り、涼しい樹蔭に佇み、風に面をさらし乍らくだけたやうな、嬉しさうな顔をして、暫く抱擁キツスをやつてゐると、後の林からバタバタバタと妙な音がしたので二人はビツクリして猫が交尾むだあとのやうに両方にパツと三間許り分れて了つた。 お花『何だいな、人をビツクリさして、私は又、お寅さまぢやないかと思つたのに、鷹の奴、本当に私の肝玉をデングリかへしよつたわ』 守宮別『ハヽヽヽヽ、お寅は昔の高姫の身魂の再来だから、鷹が現はれてビツクリさせよつたのも、マンザラ因縁のない事もあるまい、フツフヽヽヽ』 お花『ア、いやらしい、あのタのつく奴に碌なものは一つもありやしないわ。狸に田吾作にタワケに高姫、まだまだタントタント、タ印はあるけれど、気に喰はないもの許りだわ、それに一番いかない奴は高歩貸、猪飼野の権さまだつて、到頭鬼になつて了つたぢやありませぬか』 守宮別『ウツフヽヽヽヽ、同じタでも高天原は、どうだい』 お花『そのタと此タとはタの種類が違ひますわ』 守宮別『叩き潰して喰ふタはどうだい』 お花『好きな人に叩き潰され、喰はれるのは満足ですわ』 守宮別『タゴール博士やスタール博士はどうだい』 お花『青目玉の赤髭の毛唐人さまなんて、ネツカラ虫が好きませぬわね。初めて自転倒島からお寅さまと一緒に来た時、旦那さまと英語でペチヤペチヤ云つてゐた毛唐さまも、矢張タがついてゐたやうですな』 守宮別『ウン、ありやお前、有名なお札博士のスタールさまと云ふシオン大学の先生だよ』 お花『大学の先生ナンテよい加減のものですな。貴方のやうな立派なお方や、私のやうな美人を、よう認めなかつたぢやありませぬか』 守宮別『何と云つてもお寅の、あのスタイルでは一寸見た所、威厳が無いからのう。私だつて鉛を銀だと云ひ鷺を烏として紹介するのは大変に苦しかつたよ。うすいうすいメツキのかかつた救世主だもの、直に生地が見えるのだから、どうする事も出来なかつたよ。然しお前なら容易に生地は見えまい、何と云つても都育ちだからなア、お寅のやうに山のほ寺の荒屋住ひで年を取つた代物とは、テンで比べ物にならないからな、あの時お前が日出神と名乗つてゐたなら、うまくいつたかも知れないよ』 お花は嬉しさうに、 お花『そら、さうでせうね、何程研いても金は金、瓦は瓦ですもの。もし旦那さま、これから私が救世主と名乗つても成功するでせうかな』 守宮別『そりや無論の事だ。お前なら大丈夫だ。正札付の救世主だよ』 お花『これ、旦那さま、物も相談ぢやが、一つお寅さまの向ふを張り、ブラバーサの面皮をむく為に、新ウラナイ教を立てようぢやありませぬか。そして世界万民の救世主と仰がれて見ようぢや厶いませぬか』 守宮別『そら、面白からう、然し救世主の役はお前か、私か、どちらにしたら宜いか』 お花『そら、云はいでも、きまつてゐますがな。天照大御神様でも女でせう。平和の男神と云ふものはありませぬからな』 守宮別『いかにも、さう聞けや、さうだ』 お花『キリスト教だつて聖母マリヤがあしらつてあればこそ、その宗教が天下に拡まつてゐるのですよ。仏教だつて阿弥陀さま丈では駄目です。お釈迦さまを産んだ麻耶夫人もあり、又三十三相具備した観世音菩薩や弁才天があしらつてあるものだから、仏教は燎原の火のやうに世界に燃え拡がり、三千年も立つた今日迄命脈を保つてゐるのですよ。三五教だつて坤の金神と云ふ女神さまをあしらつてあるぢやありませぬか。どうしても宗教を開かうと思へや女をあしらはねば駄目ですわ』 守宮別『さうすると、何だな、世の中はサツパリ女尊男卑にして了ふのだな』 お花『そら、さうですとも、三五教でさへも霊主体従と云つてるでせう。霊は女性を意味し、体は男性を意味してるぢやありませぬか』 守宮別『いかにも、御尤も、分つてる。ソンナラ、之からお前をお花大明神と崇め奉らう』 お花『いやですよ、お花なぞと、私は難浪津に咲くや此花冬籠り、今を春べと咲くや木花と、帰化人の王仁博士が歌つておいた、難浪津に生れたチャキチャキのお花ですもの、どうか木花姫命と云つて下さいな、あの雲表に聳えてゐるシオン山を御覧なさい、あの山だつて日出島の富士山に、よく似てるでせう。世界の国人は、あの山を尊称してシオンの娘と云つてるぢやありませぬか』 守宮別『ナル程、どうしてもお前は俺よりは役者が一枚上だ。そんなら今日から改めてお前をシオンの娘、木花姫命、新ウラナイ教の大教主と尊称を奉らうかな』 お花は嬉しさうにニコニコし乍らチツト許りスネ気分になり、体をプイとゆすつて口に手をあて、 お花『ホヽヽヽ、何うなと御勝手になさいませ』 守宮別『お気に入りましたかな、イヤ重畳々々。これで愈三千世界の救世主もきまり新ウラナイ教の組織も出来たと云ふものだ。サア之から一万円の資本を以て大々的活躍を試みようかい』 お花『これ旦那さま、又しても一万円一万円と仰有いますが、此一万円だつて使つたら、減つて了ひますよ。此金はマサカの時の用意とし、貴方と二人の生活費位は新宗教の所得で補ふやうにせなくちや駄目ですよ』 守宮別『何と、お前は大変な経済家だのう』 お花『そら、さうですとも、生馬の目をぬくやうな競争の烈しい大都会の真中で、一文なしから立派な家屋敷を買求め、あやめのお花と云つて満都の有情男子の肝を焦らしたと云ふ兵士ですもの。世の中は経済を知らなくちや何事も成功しませぬよ。金さへあればバカも賢う見え、貴族院議員だ、衆議院議員だ、国家の選良だと、持て囃されませうがな。矛盾議員だつて、着炭議員だつて、楠の子の墓議員だつて、墓標議員だつて、ヤツパリお金の力ですわ。私だつて文なしの素寒貧だつたら、旦那さまの目には馬鹿に映るでせう。又一層、顔の皺が深く見えるでせう』 守宮別『成程感心だ、然し乍らこれから新宗教を樹立しようと思へばチツト許りは資本が要るよ。先づ第一に政府に運動して、宗教独立の認可を受けねばならぬなり、相当の出資は覚悟せなくちやなるまい。お前だつて一足飛びに世界の救世主となるのだもの、少し位の犠牲は覚悟して貰はなくちやならないよ』 お花『それや、チツト許り運動費の要る位の事は私だつて知つてゐますわ』 守宮別『○○教[※聖師校正前は「天理」教]が独立したのも運動費の百万円は要つたさうだし、××教[※聖師校正前は「金光」教]の独立の際も五十万円の金を撒いたと云ふ事だ。陣笠議員に出ようと思つても五万や十万の金は飛ぶのだからな。そして万一、マンが悪くて落選でもして見よ。十万円の金を溝に放つたやうなものだ。そして、おまけに落選者の名を天下に吹聴されるのだ。その事を思へば一万円の運動費位費つた処で落選する事はないのだから安いものだよ』 お花『一万円も運動費を費つて教主になつた所でつまりませんわ。せめて三千円位で成功出来ますまいかな』 守宮別『そら、さうだ。表から運動と出かけりや、到底二万や三万の端金では駄目だが、そこは運動の方法によつて三千円でも漕ぎつけない事はない。然し此芸当は俺ぢやなくちや打てない芝居だ』 お花『そら、さうでせうとも。貴方、手続きをどうしてするお考へですか』 守宮別『マア、さうだな。幸に日出島へやつて来られた時、懇意になつたお札博士のスタールさまも、此大学に居られるし、タゴール博士も今迄二三回も文通をしておいたし、キツト成功疑なしだよ。どうしても今の世の中はレツテルの流行る世の中だから博士とか大臣とか華族とかの名を列べて、顧問にせなくちや、嘘だからな』 お花『「前車の覆へるのは後車の警め」と云ふ事が厶いませう。何卒博士や大臣、華族を引張込むのなら、手段として止むを得ませぬが、人物のよしあしを調べてかかつて下さいや。三五教の変性女子のやうに、シヤツチもない、ガラクタ文学士の鼻野高三さまや、鼻野中将なぞ、ドテライ爆裂弾を抱へ込みて数十万円の借金を負はされ、後足で砂かけられるやうな下手な事になつちやつまりませぬからな』 守宮別『ソンナ事に抜目があるものかい。マア安心したがよからう』 かく話す所へシオン大学の教授を終り、白い帽子を頭に頂き乍ら、太いステッキをついて彼方へ向つてボツボツ歩み出す紳士があつた。守宮別は一目見るより、 守宮別『ヤア、お花、あれが有名なタゴール博士だよ。あの人に頼めば大丈夫だからな。しかし、運動費が先立つから、お前一寸三千円許り貸てくれないか』 お花『今、ここに現金は所持して居りませぬ。郵便局に行つて来にや、間にあひませぬわ』 守宮別『いかにもさうだつたね。それでは一つ俺が博士に会つて話して見るから、お前が来ると却て、いかないから、一寸ここに待つてゐてくれ。どうやら西坂から帰られるやうだからね』 お花『この機会を逸せず、早くおつついて掛合つてみて下さいな』 守宮別『よし、ソンナラ行つて来る。お花、暫くここに待つてゐてくれ。どこの男が通つても話しちやいけないよ』 と云ひ乍ら横向いてペロリと舌を出し、 守宮別『サア愈お花の懐から三千円の現ナマを引出す手蔓が出来た』 とホクホクし乍ら、タゴールの後を追ふて西坂の下り口へと駆り行く。お花は吉凶如何にと、片唾をのんで木蔭に佇み、のび上り乍ら様子を見てゐる。守宮別はタゴールの後から坂を下つて行く。二人の白い帽子が空中を歩いてゐるやうに見えた。 守宮別『もし貴方はタゴール博士ぢやありませぬか』 タゴールは一寸立止まり、後振り向いて、 タゴール『ハイ、拙者はタゴールです。貴方はどなたで厶りますか。ネツカラお目にかかつた事は厶いませぬが?』 守宮別『ハイ、私は日出島から宗教視察に参りました守宮別と云ふ海軍軍人で厶います。シオン大学も仲々立派に建築が出来ましたね。これも全く貴方等のお骨折の結果で厶いませう』 タゴール『ハイ、有難う、仲々学校事業と云ふものは思つたよりも費用の要るもので、容易に完備する所へは行きませぬ。貴方も宗教視察においでになつたのなら、どうです、シオン大学に入学なさつては』 守宮別『ハイ、有難う厶います、此頃一寸許り脳を痛めてゐますので、エルサレム病院になりと入院致し、全快しました上お世話になりませう。どうかその時は宜しくお願ひ申します』 タゴール『ハイ、承知致しました。十分の便宜を図りますから御安心下さいませ』 守宮別『ソンナラ、どうか宜しくお願ひ致します。貴方の権威と勢望によつて私の目的を達成するやう御尽力下さいませ。お願ひ致します』 タゴール『ハイ、確に承はりました。左様なら』 と軽き挨拶を交し坂道を下り行く。 何事にも疑ひ深い、あやめのお花は実否を探らむものと差足、抜足、守宮別とタゴールの問答を聞かむものとやつて来たが『頼む、承知した』の一言を耳に入れ、やつと安心しホクホクしてゐる。守宮別は、 守宮別『サア、之から、うまくお花をちよろまかさう』 と後振りかへり見れば坂道の木の茂みからお花がニユツと顔を出した。守宮別は……サア失敗た……、とサツと顔色が変つたが、元来の横着物、そしらぬ顔で、 守宮別『ヤア、お花、お前ここへ来て居たのか、博士と私の話を残らず聞いたのだらう』 お花『ハイ、全部は聞きませなかつたが、流石は守宮別さま、偉いお腕前、お花も感心致しました、どうやら博士が承知して呉れたやうですな』 守宮別は此言に虎穴を逃れたやうな心持で、ソツと胸を撫で下ろし、鼻の先でフーンと息し乍ら、 守宮別『オイ、お花、俺の腕前は大したものだらう。かうなりや三千円の運動費は出さねばなるまい。又お前の懐をゑぐつて済まないけどな』 お花『目的が成就する為のお金なら、たとへ一万両要つたつて構ひませぬわ。サア之からシオン大学の立派な建築を拝見して帰りませうよ』 守宮別『帰らうと云つたつて、霊城を飛び出した以上宿がないぢやないか。一体どこへ帰るつもりなのだい』 お花『ホヽヽヽヽ、守宮別さまの初心な事。あんなトルコ亭の路地のやうな処にある霊城なんかに居つたつて、世間の聞きなれが悪くて仕方がありませぬわ。堂々と僧院ホテルの間借りでもして活動にかからうぢやありませぬか』 守宮別『成程、そいつは面白い。サア早く帰らう、どうやら機関の油が切れさうだ。酒のタンクが空虚を訴へ出した』 お花『ホテルに行つて、又シツポリ御酒でも頂きませう、ホヽヽヽ』 と笑ひ乍ら橄欖山を下らむとするところへ、霊城の受付をやつてゐたヤクがスタスタとやつて来るのに出会つた。ヤクは息をはずませ乍ら、 ヤク『ヤアお二人様、大変に探して居りました、サア帰りませう』 お花『これ、ヤクさま、お寅さまの様子を聞いただらうな』 ヤク『ハイ、エルサレムの町を貴方の行衛を尋ねて、ブラついて来ますと十字街頭に黒山の如き人の影、何事の珍事が突発せしかと、人込の中からソツと窺つて見ればお寅さまが目をまかして居る。警察医が飛んで来て注射したり、いろいろと介抱をした結果、お寅さまがたうとう息を吹きかへしました。トンクとテクの奴、お寅さまを俥に乗せ、自分も後前を俥で警固し乍ら、霊城さして帰り行く姿を確に認めました。又二三日して身体がよくなつたら煩さい事でせうよ』 お花『これ、ヤクさま、お前は、あれ丈私に毒ついておいて、何しに来たのだい』 ヤク『何しに来たつて、貴方の家来にして貰はうと思つたからですよ。職業紹介所へ行つて就職口を世話して貰はうと思ひましたが、あまり沢山な希望者で、三百人の就職口に五千人の希望者があるのですもの、到底お鉢が廻りませぬわ。どうか男一匹助けると思つて使つて下さいな。その代りに碗給で結構で厶いますから』 お花『私は今日改めて守宮別さまと結婚をしたのだから、その積りで居つて下さいや。そしてお寅さまの動静時々を洞察して報告して下さい。それさへ立派につとまるのならば、番犬を一匹飼ふたと思つて、使つて上げますわ、ホヽヽヽヽ』 ヤク『もしお花さま、否奥さま、番犬とは殺生ぢやありませぬか、なア旦那さま』 と守宮別の顔を見る。 守宮別『フヽヽヽヽ、マア大切にして上げるよ。私と二人に使はれて見なさい。お寅さまのやうなヒドイ使ひやうはせないからな』 ヤク『ハイ有難う、お役に立つ事なら、どんな事でも致しませう』 ここに三人は、急ぎ橄欖山を下り、僧院ホテルに宿をとるべく、山麓より自動車をかつて意気揚々と進み行く。 (大正一四・八・二〇旧七・一於由良北村隆光録)
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霊界物語 72_亥_スガの港(宗教問答所) 10 清の歌 第一〇章清の歌〔一八一九〕 夜は久方の空高く輝き照す月の国 トルマン国のスガの山千歳の老松苔蒸して 百鳥千鳥朝夕に御代を寿ぎ千代々々と 囀る声の勇ましく樟の古木の梢には 鷲が出て来る巣を造る常磐の松の色深く 田鶴なき渡り巣をかける山水明媚の神の山 山王神社の御祠幾千年の雨風に 破ぶれ歪めど神徳は七千余国の月の国 隈なく輝き渡りけりハルの湖洋々と 浪を湛へて吹き来る風の香りも馨く 稲麦豆粟よく実り牛、馬、羊、豚、駱駝 家畜一切よく育つ神の恵の足ひたる 珍神国と知られける此国中に聳り立つ 大高山の峰続きスガの神山鬱蒼と 茂れる見ればトルマンの国の栄のほの見えて 神代の姿偲ばるるヨリコの姫や花香姫 主のイルクと諸共に村人多く呼び集へ 心の色もスガ山の大峡小峡の木を伐りて 本と末とは山口の皇大神に奉り 朝から晩迄チヨンチヨンと削る忌斧忌鉋 鋸の声勇ましく木を切りこなす面白さ 山王の宮の大前に展開したる広庭の 岩切り開き清めつつ五色の幣を立て並べ 石搗祭を始めたり石搗祭の神歌は 今左に述ぶる如くなり。 ○石搗き歌 スガの町の薬種問屋ヨーイヨーイドンと打て 地獄の底迄打ち抜けよスガの神山切り開き 土ひきならし塩撒いて上津岩根に搗きこらし 下津岩根に搗き固めヨーイヨーイドンと打て 竜宮の底の抜ける迄スガの港の薬種問屋 天地を創造り玉ひたる仁慈無限の大神が 常磐堅磐の御舎と仕へ奉るぞ尊けれ ヨーイヨーイドンと打て地獄の釜の割れる迄 スガの港の薬種問屋ヨーイヨーイドンと打て 産砂山の聖場に天降りましたる瑞霊 神素盞嗚の大神の厳の御言を畏みて 月第一の景勝地バラモン教やウラル教 神の司が幾度も尋ね来りて求めたる 此聖場も今は早や輝き渡る世となりぬ ヨーイヨーイドンと打て竜宮の底の抜ける迄 スガの港の薬種問屋ヨーイヨーイドンと打て 三五教の宣伝使梅公別の神司 オーラの山に立ち向ひ玄真坊やシーゴーと 名も怖ろしき強賊や売僧坊主を言向けて 凱歌をあげつつ梓弓ハルの湖渡らしつ 乗合船の其中でダリヤの姫の危急をば 救ひ給ひし聖雄ぞ此神司在す上は スガの神山雲深く包みて悪魔の襲ふとも 鬼や大蛇の攻め来とも如何でか恐れむ惟神 神の光に消え失せむヨーイヨーイドンと打て 竜宮の底の抜けるまでスガの港の薬種問屋 ヨーイヨーイドンと打てヨリコの姫や花香姫 天より降りし七夕の栲機姫か千々姫か 天教山に現れませる咲耶の姫の再来か 面は白く眉細く髪は烏の濡羽色 一目拝むも気がうとく眼も霞む艶姿 ヨーイヨーイドンと打て地獄の釜の割れるまで スガの港の薬種問屋ヨーイヨーイドンと打て 弁天様の御化身が二人も天降ります限り 此大宮は神徳も日に夜に月に輝きて 月の御国の闇の空清く晴れなむ惟神 神の御稜威ぞかしこけれヨーイヨーイドンと打て 地獄の釜の割れるまでスガの港の薬種問屋 ヨーイヨーイドンと打て。 斯くして地鎮祭も済み、次で立柱式、上棟式、完成式など僅六十日の間に大工、左官、手伝人などの精励の結果遷座式を行ふこととなつた。待ちに待たる五月五日、いよいよスガの宮の落成式を挙行することとなり、神谷村の玉清別を斎主となし、主人のイルクは神饌長となり、ヨリコ、花香、ダリヤの三人の姫御子は手長をつとめ、八雲琴、箏、篳篥、太皷の声も賑々しく、無事遷座式を終了した。是よりスガ山の山下なる、神饌田に於て田植式の祭典を行ふ事となつた。祭典の次第を略述すれば、 五月五日早朝祭員一同神の座に着く。土地の農夫等神饌田の畔に列立し、次いで神饌を供し祝詞を奏上し、次に祭員、参詣者一同礼拝し、終つて祭員は撒饌に移る。農夫は神酒を戴き、次に田植の行事に着手す。斎主の玉清別は音頭の発声をなし、謳歌者声を次ぐ。農夫等神饌田に入りて耕の式をなし、道歌を歌ひながら神饌田を東西南北に列を作つて進行し、鍬を揃へて神田を耕し、終つて神饌田の正中に幣を立ておく儀式である。 ○音頭 あれみさいスガの山のー横ー雲ー ホーイホーイヤーァホイ横雲下こそ 私等が祖国ーホーイホーイヤーァホイ ○  ヤレー見上て見ればオホー(大)カン(寒)鳥 ホーイホーイヤーァホイ見おろせば スガの名所は船着ホーイホーイヤーァホイ ○  ヤレー吾夫は河鹿の浜で網を曳く ホーイホーイヤーァホイかかれかし 九反の網の目毎にホーイホーイヤーァホイ ○  ヤレー目出度いものは芋の種ホーイホーイヤーァホイ 茎長く葉広く子供数多にーホーイホーイヤーァホイ 此様の床の間にかけし掛物ホーイホーイヤーァホイ 鴛鴦に千鳥に梅に鶯ホーイホーイヤーァホイ 此様の七つの倉の倉開きホーイホーイヤーァホイ 白銀や黄金の徳利盃々ホーイホーイヤーァホイ ヤレー十や七つが柳の下で芹を摘む ホーイホーイヤーァホイ芹はなし柳は撚れてからまーる ホーイホーイヤーァホイ十よ七つが待てならレードの出先で ホーイホーイヤーァホイヤーマ(山)を見てやれ、それでは早い 早ければー、爺の息が切れ候。 愈々耕済み、水が入ると、此度は早乙女が赤襷十文字に綾どり、美々しき衣服を着飾つて水田に下りる。 ○早乙女の歌 代田は富士の山程御座る日はしんとうと山の端にかかる ○  オーラ(俺)の所の小旦那はうす田をこのむ うす田千石厚田も千石 ○  十よ七つ八つ諸舞なれば月星出でて蚊のなく迄も ○  私と汝と何処で田を植ゑ初めた九下八つのよし家のもとで ○  十よ七つ八つ細田の清水見る人達が手をかけたがる ○  十よ七つの腰は品よい腰よ品よい腰に鳴子をつけて ○  日暮し烏は汚い鳥よ上れや終へと笠の上を廻る ○  雷さまは浮気な神よ太皷の撥を質におき 色町通ひをするさうだ。 スガの港の薬種問屋のアリスの家は俄に一陽来復の春が来た。スガの宮は無事建設を終り、アリスの病は拭ふが如く癒え、行衛不明となつて居たダリヤ姫は、神谷村の玉清別に送られて祭典の二日前に帰つて来た。只恨むらくは、梅公別宣伝使の未だ到着なき事であつた。アリスは日の丸の扇を開き乍ら喜び祝して酒宴の席にて舞ふ。 ○謡曲 アリス『世は久方の空高く天の羽衣ふりはへて スガの御山の奥深く天降りましたる木の花姫の 神の姿に似たるかなヨリコの姫や花香姫 ダリヤの姫の顔は瑞の霊の帯ばせ給ふ 十束の剣を三段折り天の安河を中におき 天の真奈井にふりすすぎぬなとももゆらに取ゆらし さがみにかみて吹き打ち給ふ伊吹きの狭霧になりませる 市岐島姫、多紀理姫多紀都の姫のあで姿 今眼の当り拝がむ心地木枯すさぶ冬の夜に まがふべらなる老の身の春に遇ひたる心地かな 仰ぎ敬へ天地の神の功のただならず 月の御国の空高く輝き渡る日月の 光にまさる如くなりイーイーー 抑々スガの山元は遠き昔の神代より 皇大神の御舎と云ひ次ぎ伝へ来りし 珍の御里なれば北に清けきハルの湖 南に高き大高の峰東に聳ゆる鐘ケ岳 西に聳ゆる青雲山山の屏風を立て並べ 天津御神や国津神集り玉ふ珍宮と 仕へ奉りし嬉しさは早や天国に住む心地 あな有難や尊やな勇めよ勇めよ家の子よ 祝へよ祝へよ国人よ千秋万歳限りなく 国の栄も松翠果てしも知らぬ白雲の 国の外まで御恵の露に霑ふ神代かな 露に霑ふ神代かな』 (大正一五・六・三〇旧五・二一於天之橋立なかや旅館加藤明子録)
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霊界物語 □_特別編-入蒙記 01 水火訓 第一章水火訓 神の稜威も高熊山の山の麓に生れたる 神徳四方に三葉彦神の精霊を相宿し 黄金世界を開かむとこがねの鶏黎明を 告ぐる夕の月の空干支に因みし十二の日 小判千両掘出して神の御国に献り 三千世界の蒼生を浦安国の心安き 天国浄土に救はむと一二三四五つ六つ 七つの春の弥生空富士の高根に仕へたる 松岡神使が現はれて朝な夕なに身魂をば 守らせ玉ひ二十まり八つの御年も如月の 白梅かほる夕月夜うづの霊地に伴ひて 現幽神の三界の其真相をつばらかに すべての業放擲し不二の神山に参まうで 神のみゐづを身に受けて心の色も丹波の 再び郷里に立返り西や東や北南 神のまにまに全国に教を伝達したりけり 明治は三十一年の文月下旬となりければ 神の御言を畏みて西北さして出でてゆく 西の御空を眺むれば半国山は巍然と 雲を圧して聳えたち東に愛宕の霊峰は 城丹両国睥睨し南に妙見聳え立ち 北に帝釈大悲山などの峻峯青垣を めぐらす中の穴太より北へ北へと歩を運ぶ 浮世はなれし坊主池心も高砂池の辺を 辿りて数多の信徒を救ひやらむと只一人 小松林の神霊に送られ乍ら進み行く 小林小河鷹林千原川関のりこえて 虎天堰に来てみれば並木の松の片ほとり いとも小さき一つ家が物淋しげに建つてゐる 渇を医せむと門の戸をくぐつて茶湯を求むれば 此家の妻と思はしき一人の婦人が現はれて かけた茶碗を揺る様にガチヤガチヤガチヤと喋り出す ガチヤガチヤ話を聞きつけてやおら腰掛はなれつつ 船井の都会八木の町道の広瀬や鳥羽の里 風さへ暑き室河原小山松原乗越えて 花の園部に安着し暫しはここに歩をとどめ 観音坂や須知町蒲生野こえて桧山 歩みも一二三の宮神歌を歌ひ声さへも 枯木峠や榎山大原神社を伏拝み 台頭須知山乗こえて風吹きわたる小雲川 風にゆらるる並木松水無月神社を右に見て 国照姫のあれませる裏町館に着きにけり あゝ惟神々々神の使命の重くして 二十五年の其間[※王仁三郎が大本入りした明治32年(1899年)から入蒙する大正13年(1924年)までの満25年という意味か?]艱難辛苦を堪へ忍び 時節来りて神業の実現間際となりければ 言霊別の精霊を身魂にみたし真澄別 名田彦守高両人を添へていよいよ大海を 渡り蒙古の大原野神政成就の先駆と 大活躍を始めたる神霊界の物語 時節来りて説きそむる大国常立大御神 神素盞嗚の大御神恩頼をくだしまし うまらにつばらに真相を述べさせ玉へと願ぎ奉る。 国照姫は国祖大神の勅を受け、水を以て所在天下の蒼生にバプテスマを施さむと、明治の二十五年より、神定の霊地綾部の里に於て、人間界の誤れる行為を矯正し、地上天国を建設すべく、其先駆として昼夜間断なく、営々孜々として、神教を伝達された。水を以て洗礼を施すといふは、決して朝夕清水を頭上よりあびる計りを云ふのではない。自然界は凡て形体の世界であり、生物は凡て水に仍つて発育を遂げてゐる。水は動植物にとつて欠く可からざる資料であり、生活の必要品である。現代は仁義道徳廃頽し、五倫五常の道は盛に叫ばるると雖も、其実行を企てたる者は絶えてない。神界に於ては先づ天界の基礎たる現実界に向つて、改造の叫びをあげられたのである。国常立尊の大神霊は精霊界にまします稚姫君命の精霊に御霊を充たし、予言者国照姫の肉体に来らしめ、所謂大神は間接内流の法式に依つて、過去現在未来の有様を概括的に伝達せしめ玉ふたのが、一万巻の筆先となつて現はれたのである。此神諭は自然界に対し、先づ第一人間の言語動作を改めしめ、而して後深遠微妙なる真理を万民に伝へむが為の準備をなさしめられたのである。凡て現世界の肉体人を教へ導き、安逸なる生活を送らしめ、風水火の災も饑病戦の憂もなき様、所謂黄金世界を建造せむとするの神業を称して水洗礼といふのである。 国照姫の肉体は其肉体の智慧証覚の度合によつて、救世主出現の基礎を造るべく、且其先駆者として、神命のまにまに地上に出現されたのである。国照姫の命のみならず、今日迄世の中に現はれたる救世主又は予言者などは、何れも自然界を主となし、霊界を従として、地上の人間に天界の教の一部を伝達してゐたのである。釈迦、キリスト、マホメツト、孔子、孟子其他世界の所在先哲も、皆神界の命をうけて地上に現はれた者であるが、霊界の真相は何時も説いてゐない。釈迦の如きは稍霊界の消息を綿密に説いてゐるようではあるが、何れも比喩や偶言、謎等にて茫漠たるものである。其実、未だ釈迦と雖、天界の真相を説くことを許されてゐなかつたのである。キリストは、吾弟子共より天国の状態は如何に……と尋ねられた時『地上にあつて地上のことさへも知らない人間に対し、天国をといたとて、どうして天国のことが受入れられうぞ』と答へてゐる。神は時代相応、必要に仍つて、教を伝達されるのであるから、未だキリストに対して、天国の真相を伝へられなかつたのである。又其必要を認めなかつたのである。然るに今日は人智漸く進み、物質的科学は殆ど終点に達し、人心益々不安に陥り、宇宙の神霊を認めない者、又は神霊の有無を疑ふ者、及無神論さへも称ふる様になつて来た。かかる精神界の混乱時代に対し、水洗礼たる今迄の予言者や救世主の教理を以ては、到底成神成仏の域に達し、安心立命を心から得ることが出来なくなつたのである。故に神は現幽相応の理に仍つて、火の洗礼たる霊界の消息を最も適確に如実に顕彰して、世界人類を覚醒せしむる必要に迫られたので、言霊別の精霊を地上の予言者の体に降されたのである。 曾てヨハネはヨルダン川に於て、水を以て下民に洗礼を施してゐた時、今後来るべき者は我よりも大なる者である。そして我は水を以て洗礼を施し、彼は火を以て洗礼を施すと予言してゐた。それは所謂キリストを指したのである。併し乍らキリストはヨハネより水の洗礼を受け、之より進んで天下に向つて火の洗礼を施すべく準備してゐた時、天意に依つて、火の洗礼を施すに至らず、遂に十字架上の露と消えて了つたのである。彼は死後弟子共の前に姿を現はし、山上の遺訓なるものを遺したといふ。併し此遺訓は何れも現界人を信仰に導く為の神諭であつて、決して火の洗礼ではない。故に彼は再び地上に再臨して火の洗礼を施すべく誓つて昇天したのである。火の洗礼と云つても東京の大震災、大火災の如きものを云ふのではない。大火災は物質界の洗礼であるから、之は矢張り水の洗礼といふべきものである。火の洗礼は霊主体従的神業であつて、霊界を主となし、現界を従となしたる教理であり、水の洗礼は体主霊従といつて、現界人の行為を主とし、死後の霊界を従となして説き初めた教である。故に水洗礼に偏するも正鵠を得たものでないと共に、火洗礼の教に偏するも亦正鵠を得たものでない。要するに霊が主となるか、体が主となるかの差異があるのみである。 茲にいよいよ火の洗礼を施すべき源日出雄の肉体は言霊別の精霊を宿し、真澄別は治国別の精霊を其肉体に充たし、神業完成の為に、野蛮未開の地より神教の種子を植付けむと、神命に仍つて活動したのである。あゝ惟神霊幸はへませ。 (大正一四、八、一五、松村真澄筆録)
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霊界物語 □_特別編-入蒙記 30 岩窟の奇兆 第三〇章岩窟の奇兆 夏期に相当する二三ケ月の間は、蒙古奥地は西比利亜方面と同じく夜が非常に短い。西北の空に夕焼の名残が消えたかと思ふと、間もなく早や東天紅を潮すると云つた調子である。月なき夜でも午前二時過ぎる頃から、危険な山路でも安全に旅行が出来るのである。張彦三の所謂神譴の雨を岩影に避けた全軍も、其中雨が小歇みになつたのでヤツと胸を撫で下し、六月七日(陰暦五月六日)午前二時半頃全軍に出発命令が伝はつた。騎馬にての旅行は兎も角、二頭或は三頭立の牛車や騾馬と(馬と驢馬との混血にて牽引力最も強き種類)三四頭立の轎車が、山と云はず川と云はず岩石崎嶇たる難路を、相当の重量を積んで無茶苦茶に進み行くのだから、便乗した人は中々安き心もなかつた。頭を打ち、肱を打ち、時には転落の犠牲も払はねばならぬと云ふのだから……荷物があつては黄金の大橋は渡れんぞよ……といふ大本の警告の如く、人世の行路はヤハリ身軽に限るてふ感を禁ずるを得ない。此日岩山を乗り切つて次第々々に高原地帯を、山と山との間を縫ふて進んでゆく。空は漸く晴れて赫々たる太陽は冬服その儘の全軍を照しつける。而も行けども行けども牧草はあつても、一滴の溜水も見付からない。携帯の食糧は已に残り少くなつてゐる。無論人家は見付からず『アーア』と云ふ歎息の声が何処からともなく聞えて来る。水を探ねて馬を急がす者、食糧車を待ち合す者、隊は遂に三々五々となつた。此時日出雄の側には真澄別、守高、坂本、白凌閣、温長興、王瓚璋、康国宝の七人が轡を列ねて居た。坂本は堪へかねて、 坂本『先生皆先へ行つて了つた様ですけれども、先生のお荷物や食糧品を積んだ轎車はまだ遅れてますから、どつかそこらで一服したらどうでせう。人も馬もこれではヘトヘトになつて了ひますよ』 日出雄『さうだね、では此処は可なり牧草もある様だから一休みしよう』 坂本『先生、私は今少し位辛抱も致しませうが富士ちやんが可愛相です』 富士と云ふのは坂本の乗馬の名で、実際交通機関不備の地方を旅行すると馬が唯一の友であり、馬亦騎乗者を慕ひ、人間同士に此情愛が保てさへすれば、喧嘩など夢にも起らないであらうと思はれる位だ。而して日出雄の馬は白金竜、真澄別の馬は白銀竜、守高の馬は金剛と命名され皆白馬であつた。馬は鞍を外されて牧草の間に放たれ、人はポケツトに残つた煙草を譲り合ひつつ青草の上に寝ころび、紫の煙りを天に向つて吹き出し乍ら、相変らず減らず口の叩合をして轎車を待つてゐる。併し轎車は何等か故障の起つたものか、中々追ひついて来ない。遅れ来る兵士に訊いても『まだまだ大分後方だ』と云ふ。日出雄は『ナアニ牛や馬の喰ふ物が人間に喰へない筈はない』とて、其処等の草を引抜いては美味い美味いと喰べ初める。附添ふ人々も『なる程そらさうだ』とムシヤリムシヤリとやり出した。 坂本『併し盧占魁は怪しからぬ奴ですな、先生に何の答もなしで自分が大将面をして轎車に乗つて先へ行つて了ひよつた。自分が護衛を直接に申し上げるから、外の者の側へ御越しにならぬ様になんて云つておき乍ら……』 守高『何でも劉陞三と盧占魁との間に、先生を中心として勢力争ひが起つてるといふ評判もあるがね』 坂本『それなら尚更先生のお側を離れなきや可いぢやありませぬか』 真澄別『マアそれはそれとして兎に角、も少し位水のある場所がないとも限らぬから、モウ一息進みませう。其間轎車も参りませうから』 日出雄『それが宜からう』 と再び鞍上の人となり、宣伝歌やら出鱈目歌を唄ひ乍ら行を続けた。日は益々照り渡り綿入の肌着は愈々熱して来る。雨少なく空気が乾燥してゐる地方だから余り汗は出ないが、喉の渇く事夥しい。何うしたものか此日に限つて水らしい物は馬の小便の溜すら見付からぬ、さりとて他に取るべき手段もない、行路を馬に任せつつ進むうち、奇岩を折り重ねた如うな岩山の麓に達した。時既に午後五時を過ぐる頃であつた。岩山を取り巻く麓の青野原の一部に、土地の一間許り陥落した場所があり、地下層解氷の為か真黒い水が湧きこぼれてゐる。馬を其畔に近付けて見ると、馬は喜び先を争うてガブガブと呑み出した。スルト如何にしけん日出雄は『俺はモウ此処から動かぬのだ』と大喝したかと思へば、もう其姿は見えず、其馬は素知らぬ面で草を食むでゐる。坂本は早速下馬してウロウロと捜し廻り、軈て走せ来つて真澄別に向ひ、 坂本『先生は彼の山の腹に岩窟がありますが、其中に瞑目静坐してゐられます。何うしたら可いでせう』 真澄別は守高と共に直ちに岩窟に到り見れば、日出雄は神懸[※全集(6巻p204)と愛世版は「神懸」、校定版は「帰神(かむがかり)」。]となつてゐる。真澄別はその意を悟り、 真澄『守高さん、今の進路は吾々の想うて居るのと違ふ様だし、大分怪しい点もあるから、暫く此処を根城とする事にしようぢやないか』 守高『さうだ、僕も賛成だ此処は高熊山の岩窟に能く似てもゐるし、尋常事ぢやなからう』 一行は此処に当分宿営の決心を定め、王瓚璋をして此事を報告せしむべく盧占魁の後を追はしめた。日出雄の荷物即ち西王母の服、宣伝師服[※宣伝師服の「師」は底本通り。全集、校定版、愛世版とも。]その他手廻り品並に食糧の残品を積んだ二台の轎車は約一時間半遅れて此処に到着した。此二台の轎車は山田文次郎[※第13章の山田文治郎と同一人物か?]が便乗監督し、洮南より軍需品等を積載して索倫に来り、其儘帰途の危険を慮つて随伴したのである。轎車より材料を取出して野営の準備に着手される、一方、馬の渇を医やした真黒の水は、明礬を利用して飲料用に浄化せられる。枯木の枝を集めて之を沸かす、『茶を入れたら黒インキになつたから、こら鉄鉱泉ですよ』と騒ぎ立てるのは坂本である。 日は漸く西に臼搗き空に星の輝き初むる頃、張彦三の部隊が殿りとして到着し来り、真澄別より事情を聴取り、 張彦三『それでは私が盧に代つて御保護申上げます、私の方には未だ米も牛肉も幾らかあります、先生がお動きにならねば、私も何時迄もお側に止まつて御保護いたします』 とて部下に命じて炊き出しを開始し、スツカリ腰を据ゑて了つた。やがて日出雄も岩窟より出で来り賑やかな野天食堂が開かれた。 此時王瓚璋馳せ帰り、盧以下全部隊は約五十支里前方に屯営し居り、其処には人家四五軒あれど飲料水の不足なる事や、盧は水を索めて急いだのであるが部隊整理次第直ぐ迎ひに来る事など報告した。真澄別は更に岡崎と萩原に対し何事か名刺の裏に認め、温長興を使として前方の駐屯所に向ひ馬を急がしめ、茲に一同寝に就くこととなつた。 (大正一四、八、筆録)
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霊界物語 73_子_太元顕津男の神の物語1 総説 総説 三千大千世界の大宇宙を創造し給ひし大国常立の大神は、ウ声の言霊の御水火より天之道立の神を生みたまひ、宇宙の世界を教へ導き給ひたるが、数百億年の後に至りて、稚姫君命の霊性の御霊代として尊き神人と顕現し、三千世界の修理固成を言依さし給ひ、又アの言霊より生り出でし太元顕津男の神の御霊も神人と現れ、共に神業を励み給ひける。天の時茲に到りて厳の御霊稚姫君命は再び天津御国に帰り給ひ、厳の御霊の神業一切を瑞の御霊に受け継がせ給ひける。ここに厳の御霊瑞の御霊の活動を合して伊都能売の御霊と現れ、万劫末代の教を固むる神業に奉仕せしめ給ひたるなり。 厳の御霊は荒魂の勇と和魂の親を主とし、奇魂の智と幸魂の愛は従となりて活き給ひ、瑞の御霊は奇魂の智と幸魂の愛主となり、荒魂の勇と和魂の親は従となりて世に現れ、今や破れむとする天地を修理固成すべく現れ出でたるなり。而して厳の御霊は経の神業なれば言行共に一々万々確固不易なるに反し、瑞の御霊の神業は操縦与奪其権有我の力徳を以て神業に奉仕し給ふ神定めなり。神諭にも、経の御用はビクとも動かれず鵜の毛の露程も変らぬが、瑞の御霊は緯の御用なれば機の緯糸のごとく、右に左に千変万化の活動あることを示されたり。しかるに今や伊都能売の御霊と顕現したれば、経緯両方面を合して神代の顕現に従事し給ふこととなりたれば、益々その行動の変幻出没自由自在なるは到底凡夫の窺知し得べきものにあらず。斯くして大宇宙の神界治まり、三千世界の更生となりて、全地上の更生の神業は成就すべきなり。この消息を知らずして大神業に奉仕せむとするものは、恰も木に拠つて魚を求むる如く、海底に野菜を探り、田園に蛤を漁るが如し。 神は至大無外至小無内在所如無不在所如無底のものなれば、従来の各種の宗教や賢哲の道徳率を標準としては、伊都能売神の御神業は知り得べき限りにあらず。例へば機を織るにしても経糸はビクとも処を変ぜず緊張し切りて棚にかかり、緯糸は管に巻かれ杼に呑まれて小さき穴より一筋の糸を吐き出し、右に左に経糸の間を潜り立派なる綾の機を織上ぐる如きものなり。機を織る緯糸は一度通ずれば二度三度筬にて厳しく打たれつつ、ここに初めて機の経綸は出来上るものなり。 綾機の緯糸こそは苦しけれ 一つ通せば三度打たれつ 神界の深遠微妙なる経綸については千変万化極まりなく、善悪相混じ美醜互に交りて完全なる天地は造られつつあるなり。伊都能売神の神霊も亦その如く三十三相は言ふも更なり、幾百千相にも限りなく臨機応変して神業に依さし給へば、凡人小智の窺知すべき限りにあらざるを知るべし。 且つ厳の御霊の教は神人一般に対し、仁義道徳を教へ夫婦の制度を固め、仮にも犯すべからざるの神律なり。故に瑞の御霊の大神は紫微天界の初めより太元顕津男の神と現れまして、国生み神生みの神業に奉仕し給ひ、万代不動の経綸を行ひ給ひつつ若返り若返りつつ末世に至るまでも活動給ふなり。其間幾回となく肉体を以て宇宙の天界に出没し、無始無終に其の経綸を続かせ給へば、他の神々は決して其の行為に習ふべからざるを主の神より厳定されつつ今日に至れるなり。 神諭に経の御用は少しも動かされず変へられないが、緯の御用は人間の知恵や学問にては悟り得べきものにあらざれば、神に仕ふる信徒達は其の心にて奉仕せざれば神界経綸の邪魔となると示されてあるのは、此間の消息を伝へられたるものなり。 故に本書は有徳の信者又は上根の身魂にして神理を解し得る底の身魂にあらざれば授与せざるものとす。この物語を読みて神理を覚悟する人士は従来の心の持方を一掃し、三千世界更生の為に其の力を添へられむ事を希望して止まざるなり。賢哲の所謂中庸、中和、大中、其の中は神府の中とは大に異れり。故に現代人の見て善と為す事も、神の眼より視て悪なる事あり、又現代人の目より悪と視ることも神界にては善と為すことあり。是を善悪不二の真諦といふ、嗚呼惟神霊幸倍坐世。 いよいよ本巻よりは、我古事記に現れたる天之御中主神以前の天界の有様を略述し、以て皇神国の尊厳無比なるを知らしめむとするものなり。 本書は富士文庫に明記されたる天の世を初めとし、天之御中之世、地神五代の世より今日に至る万世一系の国体と、皇室の神より出でまして尊厳無比なる理由を闡明せむとするものにして、先づ天の世より言霊学の応用により著はせるものなれば、決して根拠なき架空の説にあらざるを知るべし。富士文庫神皇記の天の世の神の御名を列記すれば、 一天之峯火夫神 二天之高火男神 三天之高地火神 四天之高木比古神 五天之草男神 六天之高原男神 七天之御柱比古神 以上七柱の天神七代を天の世と称し、天之御中主神より以下七代を天之御中之世と称へ奉るなり。茲に皇国固有の言霊学の力をかりて、大虚空に於ける最初の神々の御活動を謹写せむとして著はしたる物語なり。又神生み国生みの物語も、最初の神々は幽の幽に坐しませば、現代人の如く肉体を保ち給はず全く気体に坐しますが故に、現代人の如く男女の関係は無く、只言霊の水火と水火を結び合せて国を生み神を生み給ひしを知るべし。最初の神々は何れも幽体隠神に坐すが故に、男神は比古を附し、女神は比女の字を藉り顕しあれば、後世に於ける彦神姫神とは大に異なれるを知るべきなり。 太元顕津男の神の神名は、ア声の言霊南西に活き給ひて顕れ給ふ神名にして、国を生み神を生まし給ふと雖も、国を開拓し玉ふ神業を国生みと言ひ、国魂の神を選ませ又は生せ給ふを神生みと称へ奉るは、皇典古事記の御本文に徴するも明白なり。又八十比女神の国生み神生みの神業も、只単に言霊の水火の組合せによりて、言霊神の生り出で給ふ根本の御神業なるを知るべし。 (昭和八・一〇・四旧八・一五於高天閣森良仁謹録)
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伊都能売神諭 神諭一覧 大正7年12月22日 大正七年一二月二二日 艮の金神国常立の尊の御魂が、竜宮館の高天原に現はれて、世の立替立直しの筆先を書きおくぞよ。三千世界の立替の御用致さす為に、変性男子の身魂大出口直に永らく苦労をさしてあるぞよ。天保七年十二月十六日、天照皇太神宮殿の御誕生日に斯世へ出してから二十七年の間、直は結構に気楽に暮さしてあるぞよ。さう申しても世間並の気楽さでは無いぞよ。中々いろいろと肉体に就て人に変りた事がさしてありたぞよ。二十八歳の冬から五十七歳まで三十年の間、人民界では誰も能う堪らん艱難苦労をさして、現世の衣を脱がして御用に立てたぞよ。五十七歳の正月元日から、艮の金神が体内へ這入りて、今年で二十七年の間神界の経綸で筆先を書かせ、口で世の立替を知らしたぞよ。何時も三十年で世の立替と致すと申して知らした事が、モウ一分になりて、跡三年残りたなれど、水も漏らさぬ仕組であるから、三年の間は変性女子の手を借りて立替立直しの御用を致すから、是からは一日ましに世界から判りて来るから、何程の鼻高でも成程と往生をいたすやうになりて了ふぞよ。変性女子は神界の経綸で明治四年の七月の十二日に斯世へ出して、二十七年の間は是も普通の人民では出来ぬ苦労を致させ、二十八歳の二月九日から、神が高熊山へ連れ参りて、身魂を研かして、世の立直しの御用の経綸が致してあるぞよ。二十八の歳から此の大本へ引寄して、有るにあられん気苦労を致さして、いよいよ身魂が研きかけたから、三十九歳からボツボツと大本の経綸にかからしてあるが、此の先まだ十年の気苦労を致さすから、其積りで居りて下されよ。三年さきになりたら余程気を付けて下さらぬと、ドエライ悪魔が魅を入れるぞよ。辛の酉の年は、変性女子に取りては、後にも前にも無いやうな変りた事が出来て来るから、前に気を付けて置くぞよ。外国から今に六ケ敷難題が持かけて来るが、今の番頭の弱腰では到底能う貫ぬかんぞよ。是も時節であるから、何程智慧学がありても今度は一文の価値も無いから、日本の人民が揃ふて改心いたせば良し、到底改心が出来ぬなら止むを得ず気の毒が出来いたすぞよ。世界の九分九厘が近よりて来たぞよ。一厘の仕組で三千世界を立直すのは、綾部の大本より外には無いぞよ。今この仕組が日本の人民に判りたら、三千年の神界の仕組が成就いたさんから、今の今までは誠の元の一厘の所は申さんから、疑ふ人民は未だ未だ有るぞよ。 富士と鳴戸の昔からの経綸が判りて来たら、世界は激しく成りて、外国が薩張り帰順いたして日本へ末代従ふやうに成るぞよ。東京の経綸はミノヲハリ、尾張の経綸は世の終り、伊勢は丹波に丹波は神都、みやこの経綸は万古末代つづくぞよ。続く血筋は世の本の天と地との直系の日の大神と地の神、天地揃ふて水晶の誠一とつの末永き結構な神代に致すぞよ。神代に成りたら人民の身魂にも御光が刺すぞよ。暑さ凌いで秋吹く風を待てど、世界は淋しくなるぞよと、今迄出口直の筆先に知らして置いたが、今が其時節であるぞよ。未だ未だ世界は安心な所へは行かぬぞよ。是からが彦火々出見の初りであるぞよ。目無堅間の神船はこれから出て来るぞよ。水火地の大名は何処に現れて居るか、これを知りた人民今に一人も無いが、燈台元暗の誓えの通りの世であるぞよ。 艮の金神が明治二十五年に、竜宮館に出口の守と現はれた折の初発に、竜宮の乙姫殿が御越なされて、今日の御祝儀お目出度存じますると仰しやつて、今まで海の底に溜めて置かれた御宝を、陸の竜宮館の高天原へ持運びて、艮の金神様にお渡し申すと仰せになりたが、海の中には金は幾何程でもあるから、竜宮様の御改心で今度はいよいよ受取りて、新つの金を吹く時節が参りたぞよ。斯世一切の事は皆神の自由であるから、何程人民が智慧や学で考えても、神の許し無き事には、肝腎の艮めを差すといふ事は、何時になりても出来は致さんぞよ。竜宮の乙姫殿は誠に欲の深い御神様で在りたなれど、今度の二度目の世の立替のある事を、世の初発から能く御存知であるから、第一番に御改心が出来て、艮の金神の片腕となりて御働き遊ばすから、是からはこの大本の内部も、世界を日増に大変りを致すぞよ。三千世界の宝は皆国常立尊の拵らえたもの斗りで在るから、世が元へ戻りて、何も彼も艮の金神が自由に致す時節が参りたから、今迄の事を思ふて頑張りて居るとスコタンを喰ふ事になりたぞよ。人民の力で行れるなら我を出して何なりと行りて見よれ、初めはチト良きやうに在るが、先へ行く程つまりて途が無くなりて、行きも帰りも成らぬやうに致されるぞよ。是が今迄の世とは違ふと申すのであるぞよ。珍らしき事を致して、三千世界の善の鏡と悪の鏡とを出す世界の大本は、何彼の事が厳しくなるぞよと申してあろうがな。キカねばキクやうにして改心さすと申してあるが、今が大事の性念場であるから、心に当る人民は一日も早く我の欲を捨て、神界の御用第一に致すか結構であるぞよ。神は困まらねど其人が可愛さうなから、神がクドウ気を付けておくぞよ。今の人民は永らく体主霊従の中に染り切りて居りたから、容易一寸には改心が出来にくいなれど、モウ時節が来たから、改心さす間が無いから、今までの学や智慧を横へ遣りておいて、只一心に神の申すやうに致されよ。考へたり研究いたしたりするやうな気楽な時では無いぞよ。モウ二進も三進も成らぬ所まで世が差迫りて来て居るぞよ。何程道の為じや御国の為じやと申しても、誠生粋の道思ひ国思ひの人民は尠ないから、人民の申す事は嘘が多いから、神も中々油断が出来ぬやうに成りて来たぞよ。今の人民の盲目聾の欲に抜目の無いのには、神も閉口いたして居るぞよ。利己主義の行り方ばかり致して居ると、夫れが世が代りて居るから、自滅自亡の種になる二度目の世の立替であるぞよ。此の大本の行り方と世界とを比べて見たら善と悪との鏡が出して在るから、改心せずには居れぬ事に仕てあるぞよ。世の立替が初りたら、世界は上り下りで騒がしくなると申してありたが、外国の王の今の有様、まだまだ斯んなチヨロコイ事ではないぞよ。何処へ飛火が致さうも知れんぞよ。夫れで永らくの間艮の金神が出口直の身魂を使ふて、脚下へ火が燃えるぞよ。鳥がたつぞよ気を付けよと申して知らしたが、日本の人民は上から下まで欲斗りで目が眩みて了ふて居るから、今に判りて居る人民が何程も無いが、今に成りてからバタ付ても、モウ守護神人民の力では到底叶はんから、艮の金神の申すやうに、今迄のやうな利己主義の精神を立直して、水晶の生れ赤子の心に成つて、今度の肝腎の御用を勤めたなら、末代名の残る結構な事が出来るなり、今までの心で行りて行くなら、十人並のお出直し誠に気の毒な事が出来いたすぞよ。神の申す事毛筋も間違は無ぞよ。 東京で経綸をするが身の終りと申して知らしてありたが、キモがアノ通りの失敗をいたし、次にイヤが真似してアノ通り、カカが金を掘り出すと申して失敗り、マサがまた思はく立たず、是だけ鏡を出して見せても未だキカねばキクやうに為て改心させるなれど、其処へ成りての改心はモウ遅いから、一日も早く今の内に行方を薩張り替えて下され、取返しのならん事が出来いたして、世間へ顔出しのならん事に成るぞよ。今大本の教えを拡め行くと申して、ソハのそはそはしひ遣り方、斯んな弱ひ誠の無い精神で、三千世界の大神の御用が勤まると思ふて居るか。大慢神も大間違いも程があるぞよ。トモもモウ少し筆先を調べて下さらぬと、抜きも差しも出来ぬやうな事になるぞよ。大本の役員信者一同に気を付けるが、今が何より肝腎要めの性念場であるぞよ。早く眼を覚して下されよ。外国の体主霊従金銀為本之政策で、何時までも世が続くやうに思ふて、一生懸命に四脚の守護神が操掻いで御座るが、モウ世が済みたから、何程骨を折りて見た所で、百日の説法屁一つにも成らぬぞよ。猿も狐も狗も蛙も皆奥山に隠れて了ふて、今の体主霊従の経綸の真最中であるが、気の毒ながら日本の神国の行方は四脚の手には合はぬから、要らぬ御心配は止めて下されよ。武蔵野に今は狸の腹鼓たたいて鳴らして、八畳敷まで拡げた○○の跡の始末は何ふする積りか。人民では斯終局は就くまいぞよ。日本の神国を茲まで四脚が曇らして置いて、未だ飽き足らひで今日の世の持方、神はモウ肝忍袋の緒が切れたぞよ。日本の上に立ちて外国の下を働らく四足の守護神よ、気の毒ながら、神の申す間に聞かぬと、昔からの経綸通りに気の毒でも致さねば、神界の永らくの大神業の邪魔に成るから、其仕組の蓋を開けるから、跡から神に不足は申して下さるなよ。神は気を付けた上にも気を注けて在るぞよ。 斯大本の役員も余程確り致さぬと、未だ肝腎の仕組が解りて居らんから、俄にバタ付かねば成らん事になるが、夫れで大本の役員と申しても世界へ申訳の無い事が出来いたすぞよ。出口直が上天いたしてからは、斯大本は一段に厳しく成るから、其覚悟で居らぬと、トチメンボウを振らねばならぬ事になるぞよ。筆先を充分腹へ入れて能く消化して居らぬと、筆先が間に合はぬから、モ一度念を押して置くぞよ。 艮の金神は是から暫時の間は、大出口直の代りに変性女子の身魂を籍りて、色々と化かして御用致さすから、余程気を付けて居らぬと大きな取違いを致して、跡で愧かしき事が出来いたすぞよ。三千世界の大化物じやと申して、是までの大出口直の筆先に毎度出さして在ろうがな。此の大化物が全部世界へ現はれる時節が近ふなりて来たぞよ。神が一度筆先に出したら何時になりても違ひは致さぬぞよ。斯の大化物は三千世界の晒し物であるから、今の普通の人民では見当が取れんやうに致して在るが、今に何も彼も皆判りて来て、日本の人民がアフンと致して、眼舞いが来る者が沢山に現はれて来るぞよ。珍らしき事の判る世界の大本で在るぞよ。世は持切りには致させんと申すのは、今度明白に判りて来るぞよ。外国の八尾八頭の守護神が、渡りて来られん筈の日本の神国へ渡りて来て、日本の女を自由に致して、今では機械同様、神は誠に残念なぞよ。是でも見て居ざれよ、今に善悪の身魂の審判が始まるぞよ。天王台の神庭会議が始りたら、何如な守護神でも薩張尾を出して、化けの皮を表はすやうに成るぞよ。そうなりては可愛想なから、其所に成るまでに改心をさして、化けを表はさずに此儘で続いて行らしたいと思へども、余りの事で改心の為せやうが無いぞよ。思ひの違ふ人民斗りが現はれて、世界は開いた口が塞がらぬ事斗り出来するぞよ、是の判りた人民今に無いぞよ。 艮の金神国常立之尊が三千年の経綸いたして、待ちに待ち兼た松の代五六七の神代が廻りて来たから、今年からは何彼の経綸の蓋が開いて、何も知らぬ世界の人民がアフンと致すやうな大事業が完成て来るぞよ。一番に斯大本へ世界の宝を竜宮殿の御手伝で世に上げて、三千世界を鳴らすぞよ。松の老木に鶴が巣を組む時節が来たぞよ。鶴と亀とが此の大本へ舞ひ下るぞよ。人民には今では判らねども、跡に成りたら判りて来るぞよ。十二の卵を産み並べ、名も高砂の尉と姥、夫婦揃ふて大地の掃除を致したら、跡は結構な云ふに言はれぬ楽もしき世となるぞよ。アとスとの御用は誠に結構であるぞよ。夫れに就けてはキの御用御苦労であるぞよ。神の経綸の開く初発の肝腎の五六七の御用であるぞよ。この大本は因縁の身魂でないと、何事も肝腎の御用は致させんぞよ。二十七年も此の大本へ立寄りて居るテハの身魂は、昔から悪に強い身魂の性来で、元の生神を艮へ押込めた身魂であるから、元からの性来は一寸やソツトには直らぬから、今に成りても陰になり陽になり、大本へ這入りて邪魔斗り致す事を考へて居るが、是も神から鏡に出してあるのであるから、改心いたせば助けて遣るなれど、何時までも改心出来ねば、天地の規則通りに致して了ふぞよ。気の毒でも身魂に改心が出来ねば、天地の規則はナンボ神でも変えると云ふ事は出来んから、助け様が無いから、神が気苦労致せども、守護神と其人の心とは世の元の神の心と正反対であるから、何う致す事も出来ぬぞよ。 暑さ凌いで秋吹く風を待てど、世界は淋しく成るぞよと申して、毎度警告して置いたが、世界の大戦争が一寸片付いて、是から世界の人民は安神に暮せると思ふて居れど、是から先きは段々と約りて来て世界は淋しく、一旦は火の消えたやうになるとの神言でありたぞよ。戦争は是で済みたのでは無いぞよ。戦争と申しても殺合ひの喧嘩斗りでないぞよ。何に就けても大戦争であるぞよ。少しでも食物の用意を致さねば、後で地団太蹈んでも追付かぬ事になるぞよ。四足の餌の奪り合ひが始まりて来るぞよ。未と申とが腹を減らして惨たらしい酉やいが初まるぞよ。今迄世界の人民の苦しむ大戦争を喜こんで、結構な事に成りて金銀を積んで高振つて居りた人民は気の毒ながら、真逆様に地獄のドン底に落ちて苦しむぞよ。我欲本意の行方では永うは続かんと知らして在りた事の実地を神から為て見せてやるぞよ。是を見て世界の人民は一時も早く改心を致されよ。我の所有は天地の間に木の葉一枚も無いぞよ。頭の毛一筋でも下駄の裏に付いた砂一つでも、神が造りたもので在るぞよ。今の人民は余り結構すぎて冥加と云ふ事を知らぬから、世の立替の折には、天地からの戒めに逢ふて驚愕いたして、頭を下に致して歩行かねば成らぬやうに今に成りて来るから、艮の金神は夫れを見る眼が辛いから、明治廿五年から大出口直の体内を借りて色々と苦労をさして、世界の守護神と人民とに気を付けたので在りたぞよ、今この大本へ色々と世界の心になりて居りた体主霊従の守護神を、神から引寄せて居るから、大本の役員は御苦労であれども昔の事から後の世の事まで説き聞かして改心さして、神世の柱を研かねばならぬから、第一に役員から水晶に成りて下さらんと、一寸でも濁りが在りたら、世界から出て来る守護神人民を改心さして、神の柱に用ふ事が出来んから、片時の間も早く誠を覚りて下されよ。判りたと思ふても未だ未だ中々誠の事は解りては居らんぞよ。茲で役員が誤解を致すと、三千年の永らくの経綸が遅れて来て、世界は遅れた丈けは永らく苦しまねばならぬぞよ。斯大本は世界へも移り世界からも移りて来るから、大本の中からキチンと立替立直しを致して、アレでならこそ世界の立直の大本じやと、世間の人民が申すやうに成る所まで、各自に身魂を研ひて下されよ。モウ時節が迫りて来て、改心の間がないぞよ。大地の上は邪神の眷属やら四ツ足の守護神に脚一本置く所も無いまで汚されて了ふて、昔の天地の元の生神の居る所も無いやうになりたから、綾部の大本は昔から神の経綸で隠して在りた結構な所であるから天地の神が昇降を致して今度の二度目の天の岩戸を開く地場であるから、塵一本でも無いやうに清らかに致して下され。今までは誠の元の生神は、丹后の男島女島と播磨の神島とに隠れて、三千世界の守護いたして居りたぞよ。時節参りて天の大神様の御命令を頂きて、竜宮館の高天原に現はれて、水晶の世の御用を致すのであるから、人民は猶更この大本へ引寄せて貰ふた人民は、余程心を清らかに持ちて、善の道へ立帰らぬとウカウカ大本へ参りて致して居りたら、御神徳いただく所で無い恐い事が出来て来るぞよ。是からは神は日増に烈敷くなるぞよ。人民も改心せずには居られんやうに成るぞよ。この大本は誠に結構な所の恐ろしい所であるぞよ。大化物が隠くして在るぞよ。この化け物は普通の化け物でないから、現はれたら心の悪るき守護神人民は腰が抜けて了ふて、四ツ這ひに成つて苦しむぞよ。 この大本には三千世界の大気違いやら大化物が表はれて、世の立替立直しの神界の御用を致して居るから、普通の人民の眼からは見当は一寸取れ難いなれど、世界の大本に現はれた気違いが申した事は、一分一厘間違いのない、チト実のある気違いであるぞよ。神から見れば今の日本の人民は真正の狂人斗りで、言ふ事も為る事も皆間違ひだらけであるぞょ。それで今の人民の致す事はチツトも尻が結べて居らぬから、何時も縮尻るので在るぞよ。毎日毎夜嘘つく事ばかり勉強いたして、是が文明開化世の行方と申して居るが、今の人民の致した事は、政治に因らず教育に由らず、何一つも碌な事は出来ては居ろまいがな。夫れで日本神国の人民と申されやうか、判らぬと申しても盲目と申しても余りであるぞよ。外国人に自由自在に致され、眉毛の数まで読まれて居りても、未だ気が付かず、ケツのケまでも抜かれて了ふて居り乍ら、未だ眼尻を下げて歓こんで居ると云ふ、今の日本の○○○○の体裁、開いた口が塞がらぬと申すのは、此所の事であるぞよ。今に脚下から唐土の烏がたつが判ろまいがな。○○の○○と申しても余りで無いか。一日も早く○○いたして下されよ。梅で開いて松で治める、竹は外国の守護と致して、万古末代世界中を泰平に治める経綸の致してある、神国の○○と人民が何も判らむとは、惨い事に曇り切りたものであるぞよ。是から三千年の経綸、竜宮館の玉手箱を明けのカラスと致して、日の出の守護に掛るから、日本の守護神の内にも大分慮見の違ふ御方が出来るぞよ。明治二十五年から艮の金神が無間の鐘を掘り出して、地の高天原で変性男子と女子の身魂が力限り根かぎり打ち鳴らして、世界の守護神人民に警告せ共、聾か生倉か一人も誠の者が無りたなれど、大正五年の五月に、五六七の大神様が大本へ御降臨あそばしてから、余程判る人民が大本へボツボツ参りて来るやうになりて、今では世界の大本と申しても、余り耻かしう無い様なれど、神から見れば未だ未だいろはのいの片方までも判りては居らんぞよ。この節分を堺といたして、ソロソロと経綸の玉手箱を開けるから、浦島太郎の日本男子よ、腹帯を確りと〆て御座れよ。今迄一生懸命に成りて善と思ふて歓こんで致して来た事が、薩張煙と成つて消えて了ふから、了見の違ふ守護神人民が大多数出現ぞよ。今の人民の精神の持方では、余程改心致さんと、日本男子の桃太郎殿も、何程かしこい猿智慧でも、何程強い犬を使ふても、雉子長泣女の先導でも、鬼が島の征伐が六ケ敷いぞよ。正反対に鬼に征服れるやうな事になるぞよ。変性男子と変性女子の尉と姥の申す事が、耳へ這入らぬやうな事では、日本の神国は到底も立ちては行かぬから、神は昔から斯世が来るのが能く判りて居りての、三千年の永い経綸であるから、攻めては大本の教を一口なりと聞いた守護神は、其覚悟を致して、神界の御助けを致して下され。神は取りもぎには致さんぞよ。今度日本が潰れたら世界中が暗黒となりて、悪神の自由になるから、斯の暗き世を、天照す皇大御神の神の子が、日本の国の光を現はして世界を照さねば、天地の祖神様へ申訳が立たぬ事になるぞよ。日本の人民は天の大神様の分霊なり。肉体は国常立之尊の守護であるから、人民は神と同じ事であるぞよ。この結構な神の御宮の玉を追出して、薩張り悪神やら四足の住宅に致されて居るのであるから、今の人民の所作柄と申す者は、サツパリ鬼か蛇か畜生にも劣りて居るぞよ。夫れで今の人民の致す事は、逆様斗りより出来は致さんので在るぞよ。それで今度は天と地とを拵らえた元の生神が、綾部本宮の世の本の地場に現はれて、今度の世界を構ふて遣らねば、何時までも天下泰平には成らんから、経と緯との機織の仕組が世の元から致してありたのじやぞよ。 機の初り丹波の綾部、あやの神戸にあるわいなと、昔から歌が遺してありたのは今度の世界の立替立直しに就ての譬であるぞよ。経糸はモウ出来上りて天へ上りたから、是から先は変性女子が御苦労なれど、緯糸をかけて棚機姫殿の御用を致さすのであるぞよ。珍らしき機の仕組であるぞよ。 二十七年に渡りて、艮の金神が出口直の手と口とで知らして置いた事の実地が今年から判りて来るから、此の大本は何彼の事が忙はしく成りて、目の廻る如くに成るから、モチト役員しつかり致して、神界の忙がしいやうに、人間界も急いで御用いたして下されよ。一日が愚かでないぞよ。片時も早く人間界で出来る丈けの仕組にかかりて下されよ。今の大本の立廻りの人民余り気楽過ぎるぞよ。斯んな事で神界の御用には成らんぞよ。我一と骨を折りて勤め上げねば今の立廻り心が緩みて居るぞよ。怠惰な人民が一人でも居ると何彼の一切の邪魔になるから、可愛相でも暫らく成就する迄控えさして下されよ。大本の上の枝に頼むぞよ。今の大本には外国の御魂は寄せられんぞよ。十日も大本に居りて、未だ神の事が解らいで疑ふやうな人民は帰らすがよいぞよ。却て神界の仕組の邪魔に成るぞよ。一寸でも邪魔が這入りた丈は、神界の経綸世の立直しが遅れるから、一日でも遅れただけは世界が苦しまねば成らぬから、大本の上の枝になりた役員は遠慮は要らぬから、ビシビシと筆先通りに致して下され。今が一大事の時であるぞよ。出口直の神影は金銀取りては下げられんぞよ。神界に伺ふて許可を請けてからで無いと、売物に致したら厳しき戒があるから、一寸気を付けて置くぞよ。出口直の神影には人民の名を出す事は相成らんぞよ。是は変性女子の御用であるから、神影は神が憑りて書すなれど、女子の身魂は日増に忙がしう成るから、因縁の在る身魂に御手伝いを許すぞよ。神の姿は何程大事の役員でも妄りに筆を執られんぞよ。能く心得て居りて下され。教監役員に気を付けて置くぞよ。 大正七年十二月二十二日、旧十一月の二十日、竜宮館に女子の体内を借りて国常立尊が書きおくぞよ。
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伊都能売神諭 神諭一覧 大正8年3月11日 大正八年三月一二日 大正八年三月十二日旧二月十一日 大正八年三月八日、旧二月七日に、遠州から納まりた旭昇石は、昔の神代の折に五六七の大神様が地へ分霊を下だして、此世を陰から御守護遊ばしたのである、結構な天降石の神宝であるから、人民の自由に致す事の出来ぬ尊とき御神体であるぞよ。本宮山に御宮が建ちたら、御神体として御鎮まりなさるので在るぞよ。次に同じ日に東京から綾部へ参り、同月の十一日に大本へ納まりた白蛇の霊石は、富士山神霊の金神の分霊市杵島姫命の身魂であるから、是は竜神の御宮に鎮まり遊ばす御神体であるぞよ。本宮山の空に三体の大神様の御宮が立ちたら次の中段の所へ国常立之尊の宮を建て、坤の金神の御宮を阿奈太に建て、日出の神の宮をも立てて、天下泰平に世を治めたなれば、跡は七福神の楽遊びと成るぞよ。そうなる迄に此の大本は世界の守護神が沢山寄りて来るから、余程確り身魂を研いて、日本魂に立帰りて居らんと、耻かしき事が出来いたすぞよ。チヨロコイ身魂では能う堪らんぞよ。それで何時も腹帯を確り締て居らぬと、弥々の時になりて神徳を取り外づすから、至仁至愛の神心に成りて下されと、クドウ気を付けたのであるぞよ、鳥も通わぬ山中の一つ家、出口の神屋敷に、八百万の神が澄きりて、神の都を築く世界の大本、地の高天原であるから、世界の人民の思ひとは雲泥万転の相違であるぞよ。丹福鄰県の綾部の本宮山の山中に、国常立之尊の一つ屋を建て、神の都と致すに付いて、弥々天地の守護神人民が尻曳き捲り、東奔西走の結果、旧正月二十五日に弥々大本の支配と成りたのも、昔から定まりた日限であるぞよ。里の童か尻捲りはやつた、今日は二十五日と申して尻を捲つて走り遊ぶのは、今度の五六七の大神の御宮の地場が神の手に入る神示であるぞよ。一度に開く梅の花と申して在るのも、此二十五日に因縁あるぞよ。菅公の祭礼は二十五日、梅は定紋なり、二月は梅の開く月、其月の二十五日にはカミから此の大本の教や行り方を取調べに参りたのも、神徳発揚の守護であるぞよ。旧二月の十日いよいよ本宮山がカミの手続を終り、天晴れ神界の経綸の土台が出来上り、三月八日には遠州より旭昇石が納まりたのも、弥々神威発揚の瑞徴であるぞよ。大正の義士四十八の神御魂、志士十六の芳ばしき花の経綸の成就して、天津日継の礎は、千代万世に動きなく治まる御代は大八洲、世界国々悉く、神と皇上との洪徳に、歓び集ひ奉る代の、来る常磐の美し御代、松竹梅の国の大本。