| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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霊界物語 | 11_戌_コーカス山の大気津姫退治 | 03 死生観 | 第三章死生観〔四七〇〕 冴え渡る音楽の声、馥郁たる花の香りに包まれて、忽ち時公は精神恍惚とし、天を仰いで声する方を眺めてゐる。 梅か桜か桃の花か、翩翻として麗しき花瓣は雪の如くに降つて来る。香はますます馨しく、音楽はいよいよ冴え、神に入り妙に徹する斗りなり。 東彦(本当は高彦)『オー、時さま、目の帳は上つただらう、耳の蓋は取れたであらう。鼻も活返つたであらう』 時公『ヤアー、豁然として蓮の花の一度にパツと開いたごとき心持になりました』 東彦(本当は高彦)『是でも私を化物と思ふか』 時公『化物は化物だが、一寸良い方の化物ですなア。是丈では時公もトント合点が行きませぬが、最前貴方のおつしやつた、私の何万年とやら前に生て居つたとか云ふ、その訳を聞かして下さい』 東彦(本当は高彦)『今度は真面目に聞きなさい。人間と云ふものは、神様の水火から生れたものだ。神様は万劫末代生通しだ。その神様の分霊が人間となるのだ。さうして、肉体は人間の容れ物だ。この肉体は神の宮であつて、人間ではないのだ。人間はこの肉体を使つて、神の御子たる働きをせなくてはならぬ。肉体には栄枯盛衰があつて、何時迄も花の盛りで居ることは出来ぬ。されどもその本体は生替り死替り、つまり肉体を新しうして、それに這入り、古くなつて用に立たなくなれば、また出直して新しい身体に宿つて来るのだ。人間が死ぬといふことは、別に憂ふべき事でも何でもない。ただ墓場を越えて、もう一つ向ふの新しい肉体へ入れ替ると云ふ事だ。元来神には生死の区別がない、その分霊を享けた人間もまた同様である。死すると云ふ事を、今の人間は非常に厭な事のやうに思ふが、人間の本体としては何ともない事だ』 時公『さうすれば、私は何万年前から生て居つたと云ふ事が、自分に分りさうなものだのにチツとも分りませぬ。貴方のおつしやる通りなら、前の世には何と云ふ者に生れ、何処にどうして居つて、どういう手続きで生れて来たと云ふ事を覚えて居りさうなものです。さうしてそんな結構な事なれば、なぜ今はの際まで、死ぬと云ふことが厭なやうな気がするのでせうか』 東彦(本当は高彦)『そこが神様の有難いところだ。お前が前の世では、かう云う事をして来た、霊界でこンな結構なことがあつたと云ふ事を記憶して居らうものなら、アヽアヽ、こんな辛い戦ひの世の中に居るよりも、元の霊界へ早く帰りたい、死んだがましだと云ふ気になつて、人生の本分を尽す事が出来ない。総て人間が此世へ肉体を備へて来たのは、神様の或使命を果す為に来たのである。死ぬのが惜いと云ふ心があるのは、つまり一日でもこの世に長く居つて、一つでも余計に神様の御用を勤めさせる為に、死を恐れる精神を与へられて居るのだ。実際の事を云へば、現界よりも霊界の方が、いくら楽いか面白いか分つたものでない、いづれ千年先になれば、お前も私も霊界へ這入つて「ヤア、東彦様」「ヤア時様か」「どうして居つた」「お前は何時死んだのか」「さうだつたかね、ホンニホンニ何時やら死んだやうに思ふなア」ナント云つて互に笑ふ事があるのだ』 時公『アヽそンなものですか。そんなら私の様に、この様に長生をして罪を作るより、罪を作らん中に、早く死ンだ方が却つて幸福ですなア』 東彦(本当は高彦)『サア、さう云ふ気になるから、霊界の事を聞かすことが出来ぬのだ。この世ほど結構なとこは無い。一日でも長生をしたいと思うて、その間に人間と生れた本分を尽し、一つでも善いことを為し、神様の為に御用を勤めて、もう是でよいから霊界へ帰れと、天使の御迎ひがある迄は、勝手気儘にこの世を去る事は出来ぬ。何ほど自分から死に度いと思つても、神が御許しなければ死ぬ事は出来ぬものだ』 時公『一つ尋ねますが、私が子供の時は、西も東も知らなかつた。昔から生通しの神の霊魂であるとすれば、子供の時から、もう少し何も彼も分つて居りさうなものだのに、段々と教へられて、追々に智慧がついて来たやうに思ひます。是は一体どう云ふ訳ですか』 東彦(本当は高彦)『子供の肉体は虚弱だから、それに応ずる程度の魂が宿るのだ。全部本人の霊魂が肉体に移つて働くのは、一人前の身体になつた上の事だ。それ迄は少し宛生れ替るのだ』 時公『さうすると人間の本尊は十月も腹に居つて、それから、あと二十年もせぬと、スツカリと生れ替る事が出来ぬのですか』 東彦(本当は高彦)『マアそンなものだ。併し何ほど霊界が結構だと云つても、人生の使命を果さず、悪い事を云うたり、悪ばかりを働いて死んだら、決して元の結構な処へは帰る事は出来ぬ。それこそ根の国底の国の、無限の責苦を受るのだ。それだから此生の間に、一つでも善い事をせなくてはならぬ』 時公『大分に分りました。一遍に教へて貰うと、忘れますから、又少し宛小出しをして下さい』 東彦(本当は高彦)『サア、行かう、夜の旅は却つて面白いものだ』 時公『エー、終日荒野を歩いて、夜迄も歩くとは、チツト勉強が過ぎはしませぬか。日輪様でも夜さりは黒幕を下してお休みだのに、それは余りです』 東彦(本当は高彦)『夜の旅と云ふ事は寝る事だ。サア、憩うと云ふ事は休むと云ふ事だ、アハヽヽヽヽ。また今晩も茅の褥に肱枕、雲の蒲団でお寝みだ。神の恵の露の御恩を感謝する為に、神言を奏上し、宣伝歌を歌つて寝む事としよう』 時公『新しい宣伝歌は根つから存じませぬ。何でも宜しいか』 東彦(本当は高彦)『先づ私から宣伝歌を唱へるから、お前はお前の言霊に任して歌ふのだ』 と云ひ乍ら東彦は直に立て、 東彦(本当は高彦)『天と地とは永久に陰と陽との生通し 神の水火より生れたる人は神の子神の宮 生くるも死ぬるも同じ事是をば物に譬ふれば 神の世界は故郷の恋しき親のゐます家 此世に生まれた人生は露の褥の草枕 旅に出たる旅人のクス野を辿るが如くなり 辿り辿りて黄昏にいづれの家か求めつつ 是に宿りし其時は此世を去りし時ぞかし 一夜の宿を立ち出て又もや旅をなす時は 又人間と生れ来て神の働きなす時ぞ 生れて一日働いて死んで一夜を又休む 死ぬと云ふのは人の世の果には非ず生魂の 重荷下して休む時神の御前に遊ぶ時 栄えの花の開く時歓喜充てる時ぞかし 又もや神の命令に神世の宿を立出て 再び人生の旅をする旅は憂いもの辛いもの 辛い中にも亦一つ都に至る限りなき 歓喜の花は咲き匂ふ神の御子たる人の身は 生れて死んで又生れ死んで生れて又生れ 死んで生れて又生れどこどこ迄も限りなく 堅磐常盤に栄え行く常磐の松の美し世の 五六七の神の太柱玉の礎搗き固め 高天原に千木高く宮居を造る働きは 神の御子たる人の身の勤めの中の勤めなり 嗚呼頼もしき人の旅嗚呼頼もしき人の身の 人は神の子神の宮神と人とは生替り 死に替りして永久に五六七の世迄栄え行く 五六七の世迄栄え行く』 時公『ヤア、面白い面白い、有難い有難い』 東彦(本当は高彦)『分つたか』 時公『ハイ、今度は根つから葉つからよう分りました』 東彦(本当は高彦)『分つた様な、分らぬ様な答だなア』 時公『分つた様で分らぬ様なのが神の道、人生の行路です。この先にどんな化物が出るか貴方分つてますか』 東彦(本当は高彦)『困つた奴だなア』 時公『奥歯に物のコマツタやうな、困らぬ様な事を云ふ奴だ。アハヽヽヽヽ』 東彦(本当は高彦)『サア、時公、貴様の宣伝歌を聞かう』 時公『災多い世の中にヒヨイト生れた時公の 胸はトキトキ時の間も死ぬのは恐い怖ろしい どうしてこの世に何時までも死なず老ずに居られよかと 朝な夕なに案じたが三五教の宣伝使 石凝姥や梅ケ香の姫の命がやつて来て 穴無い教と云ふ故にコイツアー死なでもよいワイと 思つて居たら東彦人はこの世に生れ来て 墓に行くのが目的と聞いたる時の吃驚は 矢張り墓の穴有教と力も何も落ち果てた 一つ目小僧が現れて一つの穴へ時公を 連れて行かうと云うた時アナ怖ろしやアナ恐や 案内も知らぬ田圃道草押し分けて来て見れば 又も一つの化物が茅の芒の間から ヌツと立ちたる恐ろしさコイツも矢つ張り化物と 一目見るより鉄の杖振つて見せたらヤイ待てと 掛けたる声は魔か人か将た化物か何だろと 胸もドキドキ十木公が狽へ騒ぐ折からに サツト吹き来る木枯の風より太い唸り声 虎狼か獅子鬼か地獄の底を行く様な 厭な気持になつた時天の恵か地の恩か 耳爽かな音楽は聞えて花の雨が降り 心の空も一時にパツと開いた花蓮 コイツアー誠の人間と覚つた時の嬉しさは 生ても忘れぬ死んだとて是が忘れてよからうか どうぞ一生死なぬ様と頼む神さま仏さま 妙見さまもチヨロ臭いウラルの山の法螺吹嶽に 止り玉ふ天狗さまに一つお願ひ掛巻も 畏き神の御利益で人の生死ぬ有様を 聞いたる時の嬉しさよ斯うなるからは何時にても 死んでもかまはぬ時さまのヤツト覚つた虎の巻 嬉しい嬉しい有難いドツコイドツコイドツコイシヨ』 東彦(本当は高彦)『アハヽヽヽヽ、オイ時公、ソンナ宣伝歌があるか。宣り直せ宣り直せ』 時公『宣り直したいとは思へども、生憎旅のこととて肝腎要の女房を、連れて来て居らぬので……』 東彦(本当は高彦)『馬鹿ツ』 時公『馬鹿とはどうです。宣り直したり、宣り直したり』 東彦(本当は高彦)『宣り直せとは抜け目の無い男だなア』 夜は深々と更け渡る。烈しき野分に二人は笠を被つて心持よく寝に就きける。 (大正一一・二・二八旧二・二岩田久太郎録) |
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霊界物語 | 14_丑_小鹿峠(弥次彦・与太彦) | 15 丸木橋 | 第一五章丸木橋〔五六五〕 二十五番峠の頂上より強烈なる烈風に吹き払はれ、谷間に陥りし勝公一行は、息吹き返し起き上り、互に顔を見合せて、 勝『ヤア、此処はコシカ峠の谷底だ。一途の川とやら云ふ並木の松の茂つた一つ家に於て、常世姫や木常姫の悪霊と格闘をやつて居た積りだに、これは矢張り夢だつたかいなア』 弥『アヽ宣伝使様、貴方もソンナ夢を見たのですか、私も見ましたよ、エグイ顔をした婆アだつたねー。目の周囲から鼻の辺りと云ふものは紫色に腫上つて、随分見つともよくない常世姫の寝姿、一目見るよりゾツとした。それに又、星の紋のついた水色の羽織を着た中婆の嫌らしい顔つたら、今思つても身体中がゾクゾクするやうですワ。それに与太公の奴、一つ家の窓を覗いて、芝居がかりに手踊をやるをかしさ、可笑しいやら、恐ろしいやら、気分が悪いやら、腹が立つやら、疳が立つやら、イヤもう三五教の精神も何処かへ行つて仕舞うて、見直し聞き直し、宣り直しと云ふ余裕がなかつた。オイ与太公、六公、貴様は如何だつた。夢の中の一人だつたぞ』 与『俺もチヨボチヨボだ、一途の川だとか、欲しい一図だとか、婆が吐いて居たよ。余程よい血迷ひ婆アだワイ』 六『鬼婆が出刄をもつて、突つかかつて来よつた時にや、この方は無手だ、先方は獲物を持つて居るのだから一寸ハラハラした途端、目が醒めたのだ。アヽ嫌らしい夢を見たものだ。夢の浮世と云ふからには、何処かにかう云ふ事実があるかも知れないよ』 弥『夢と云ふものは神聖なものだ。吾々が社会的の総ての羈絆を脱して、他愛もなく本守護神の発動に一任した時だから、夢の中の事実はきつと過去か、現在か、未来のうちには実現するものだよ』 六『さうだらうかなア、過去の事だらうか、未来の事だらうかな』 勝『それは、この夢の実現は数十万年未来の事だ。二十世紀と云ふ悪魔横行の時代が来た時、八尾八頭や金毛九尾の悪霊が再び発動しよつて、常世姫や木常姫の霊魂の憑り易い肉体を使つて、行りよる事だよ。天眼通力によつて調べて見ると、何でもこれから艮の方に当つて、神さまの公園地に、夢の中の男子とか女子とかが現はれて、ミロクの世の活動を開始されるのを、何でも変性男子の系統の肉体に懸り、善の仮面を被つて教への子を食ひ殺し、玉取りをやる事の知らせであらう。アヽ二十世紀と云ふ世の中の人間は実に可憐さうだ。それにつけても、厳霊、瑞霊や金勝要の神、木花姫の呑剣断腸の御苦しみが思ひやられる哩。嗚呼惟神霊幸倍坐世惟神霊幸倍坐世』 与『吾々は過去現在未来の衆生済度のため、この清らかな川辺に落ち込んだのを幸ひに、御禊を修し、神言を奏上してミロク神政の建設の太柱、男子女子をはじめ、金勝要の神、木花姫の霊の鎮まりたまふ肉の宮の為に、祈りませうか。この世の中が万劫末代維持していけるやうに、善ばかりの花の咲くやうに』 勝『大賛成です、皆サン与太彦サンの提案に従つて即時決行致しませう』 弥、六『吾々も賛成です』 と云ひ乍ら、着衣を川辺に脱ぎ捨て、谷川にザンブとばかり飛込んだ。四人は一度に水に浸り身体を清めて居る際、ブルブルブルと音を立てて、六公は水底に姿を隠して仕舞つた。勝公を初め三人は一生懸命に両手を合せ川上に向つて天津祝詞を奏上し終つてフト傍を見れば六公の姿が見えぬ。 勝『ヤア六サンは何処へ行つた。オーイ六サン何処だ』 と呼べど叫べど何の応へもなく、激潭飛沫の音轟々と聞ゆるのみ。弥次彦は、 弥次彦『ヤア大変だ、六公が何処かへ沈没しよつたな、これや斯うしては居られぬ哩、何とかして捜索をせなくてはならぬ、愚図々々して居ると沢山の水を呑んで縡れては取返しがつかぬ。オイ与太公どうせうかなア』 与『どうせうたつて仕方がないサ、大方六公の奴、潜水艇気取りで何処かの水底に暫時伏艇して居るのだらう。彼奴は水練に妙を得た奴だから、決して溺れるやうな気遣ひはないよ。貴様が松の枝に引つ懸つて居た時も、あの着物のまま谷川を泳ぎ渡つて平気で居る奴だから大丈夫だ。吾々を一寸驚かしてやらうと思うて洒落て居るのだよ』 弥『なにほど水泳の達人だと云つても油断は出来ない、さう楽観する訳にもいかない、諺にも、好く泳ぐものは好く溺る、と云ふ事がある。此奴はどうしても俺の考へでは名替をしよつたに相違ない』 与『名替つて何だい、流れの間違ひだらう』 弥『馬鹿云ふな、川底土左衛門と改名したらうと云ふのだ』 与『土左衛門とは怪しからぬ、真に大変だ。それだから道中に四人連はいかないと云ふのだ。オイ六公、生きて居るのか死んで居るか、ハツキリ返事をせぬかい』 弥『死んで居るものが返事をするかい、気を落着けないか』 与『一息を争ふ水の中だ、愚図々々して居る間に息が切れたらどうするのだ。コンナ時に落着き払つて居る奴は非人道的の骨頂だ。これがどうして周章狼狽せずに居られうかい。オーイオーイ、六公、六道の辻を通るのは未だ早いぞ、コーカス参りの途中ぢやないか、早く浮かばぬか浮かばぬか、何処に踏み迷ふとるのだ。オーイオーイ』 勝『エヽ仕方がない、滅多にこの激流を潜つて上る筈もなし、大方渦に巻込まれて流れたのかも知れませぬよ、谷川伝ひに此処を下つて探して見ませうか』 弥『探さうと云つたつて、アレあの通り碧潭激流、何うする事も出来ぬぢやありませぬか。コンナ時に鷹彦サンが居て呉れば捜索隊になつて貰ふのに大変都合が好いけれどなア、追々日も暮れて来る、困つた事だ。愚図々々して居ると吾々迄がドンナ災難に遇ふかも知れぬ、マア六公は六公で仕方がないとして、吾々三人は神様の大事なお使ひ道具だ。あまり足許の暗くならない間に頂上まで、駆けつけませう』 と先に立つて谷辺を駆け登る。二人も後に従ひ辛うじて黄昏頃、二十五番峠の頂上の山道に辿り着いた。 弥『サア宣伝使様、漸く吾々三人は無事に元の地点に凱旋しましたが、六公の奴困つたものですなア。小山村のお婆アサンが聞いたら、嘸歎く事でせう、老爺サンも中風なり、あれ程喜んで居たものを、アヽ世の中と云ふものは残酷なものだ。本当に煩悶苦悩の娑婆世界だ。何とかして万有一切どこ迄も不老不死で悪魔の襲来や不時の過ちの無い完全なる世界を作りたいものですなア』 与『アヽ人間を老少不定とはよく云つたものだ。無常迅速の感益々深しだワイ』 勝『泣いても悔んでもモウ仕方がない、暮れる時が来れば日は暮れる、人間も死ぬ時節が来たら死なねばならない、桜の花は永久に梢に止まらず、頭の髪は何時迄も黒い艶を保つ事が出来ないのは世の中の習はせだ。アーアもう過ぎ越し苦労はサラリと谷川へ流して刹那心を楽しまうかい』 与『実に切ない刹那心だナア。過越し苦労をせまいと思つても、今の今迄ピンピンと噪いで居つた六公の事がどうして忘れる事が出来やうぞ。一昨日も六公と、お前サン等二人の行方を捜した時には六公の美しい心が現はれて居た。見かけによらぬ親切な男だつた。それはそれは宣伝使様、貴方達のお姿が見えなかつた時には、あの男はどれだけ心配をしよつたか知れませぬぜ。二人の友達がもし国替をして居るのなら、私も一緒に川へ身を投げてお伴をしたいと迄云つた位だ。アヽ可憐さうな事をした。僅一日道連になつても十年の知己のやうに親切を尽す六公の心の麗しさ、これを思へば吾々も六公の道連になつてやりたいやうだ。アヽもう此世では彼奴の顔を見る事が出来ぬのか、情ない可憐さうだ』 と涙含み、身の置処なきさまに大地に身を投げた。 弥『コラコラ与太公、しつかりせぬか、失望落胆するのは貴様ばかりぢやない、俺だつて同じ事だよ』 と、又もや涙をハラハラと澪し顔に袖をあて、道の上にべたりと倒れ、身を揺つて遂には両人声をあげて泣き叫ぶ。勝公も涙の目を瞬たたきながら、 勝『コレコレ弥次彦サン、与太彦サン、さう気投げをするものぢやない、チト確りせぬか。男と云ふものは仮りにも涙を澪すものぢやない、あまり女々しいぢやないか』 と自分も亦落つる涙を袖にて拭ふ。 愁歎の幕は漸く神直日大直日に見直し聞き直し幽かに巻上げられた。短き夜は既に明け離れ足許は仄と明かくなつて来た。一同は六公の身の上が矢張り気に懸ると見え東天に向つて合掌し、天津祝詞を奏上し、次で六公の無事生存せむ事を祈り、終つて又もや急坂を西北さして下り往く。 足並早き下り坂にもいつしか暇を告げて、又もや茫々たる原野を走り行くこと数百丁、丸木橋のかけられた辺に辿りついた。 弥『宣伝使様。大分足も草臥れました。此処に腰をおろして一休み致しませうか』 勝『オヽこの川だつた、六公はこの水上で見失ひ、残念な事をしたが、今頃はどうなつて居るだらう』 与太彦は忽ちウンウンと唸り出し、両手を組んで身体を動揺し始めた。 弥『ヤア又しても神憑りになりよつた。モウ悪魔の襲来は懲り懲りだ。オイ与太公の体に憑依つて居る悪霊共、速に退散致さぬか』 与『ロヽヽヽヽクヽヽヽヽ六ぢや六ぢや』 弥『エヽ碌でもない六の奴、貴様土左衛門になりよつて幽世の人間となりながら未だ娑婆が恋しうて迷うて来たか。好い加減に執着心を去つて、一時も早く霊神になれ。貴様はお竹を残して死んだのだから残り惜からう。残念なのは尤もだが、モウ斯うなつては仕方がない、早く神界へとつとと往つてお竹の場所を拵へて待つて居るがよからう。俺だとて三百年か千年の後かは知らぬが、何れ一度は行くのだから、景色のよい場所を取つて置いて呉れ。閻魔さまと相談して俺の場所だけには、契約済の札を立てて置くのだぞ。その代り俺は娑婆に居て、朝晩貴様のため冥福を祈つてやる。三途の川の鬼婆に出遇つたら、俺の云ふ事は何でも聞くのだから、何なら紹介状を書いてやらうか』 与『オヽヽヽレヽヽヽワヽヽシヽヽ、死んで居らぬ』 弥『定つた事よ、死んだものは娑婆に居らぬのは当然だ。居らぬ筈の貴様が何故コンナ処へ踏み迷ふて来るのだ』 与『オヽレヽヽワヽヽマヽダヽイヽ生て居る、決して決して死んで居らぬぞ、今に肉体を引つ張つて来て見せてやらう』 弥『ハア死んで居らぬと云つたのか、よく分つた、さうすると六の生霊だな、今何処に魔胡ついとるのか』 与『イヽ今に判る、此処で半時ばかり三人とも待つて居て呉れ。烏勘三郎に助けられて命は完全に助かつた。安心してくれ』 弥『ヤアそれや本当か、本当なら俺も嬉しい哩。これこれ宣伝使さま、余り甘い話だが、此奴は邪神が誑かして居るのではあるまいか、貴方一つ審神をして見て下さいな』 勝『神に間違ひはありますまい、軈て六サンの肉体に遇はれませう。暫く此処に坐つて神言を奏上し、神様にお礼を申しませう。モシモシ、六サンとやら、モウ判りました、お引き取りを願ひます。一二三四五六七八九十百千万、惟神霊幸倍坐世、惟神霊幸倍坐世』 六公の生霊は忽ち肉体を離れた。与太彦は元の如くケロリとしながら、 与『アヽ、矢張り六公は生て居ますなア、とうとう憑依つて来よつて、アンナ事を云ひよつた。余り六公々々と思ひ詰めて居たものだから、此方の一心が届いて六の生霊に感応したと見える、私の口を借つて云つた事が本当なら嬉しいがなア』 三人が橋の袂に端坐して稍沈黙に耽る折しも一人の男を背負うて川から上り、ノソリノソリと上つて来る大男がある。後よりガヤガヤと囁きながら十数人の荒くれ男がついて来る。三人は怪訝な顔をして此男を凝視て居る。 男『ヤア貴方は三五教の宣伝使様』 三人『ヤアお前は烏勘三郎だないか』 烏『ハイ左様で御座います、六サンを連れて参りました』 弥『夫は夫は有難い、御苦労だつた。六サンは物言ひますかな、イヤ未だ生て居りますか』 烏『物も言はず動きもしませぬが、身体の一部に温味がありますので、火でも焚いてあたらしたら、此方のものにならうも知れぬと考へて、ブカブカと流れて来るのを吾々一同が命を的に川へ飛び込み拾つて来ました』 勝『それは有難い、唯今の先、六公が此処にやつて来てタツタ今、お目に懸ると云つて居ました』 烏『妙ですなア、先程此処へ来たとは合点が往かぬ。さうすると此奴は六サンぢやないのかなア、大方化物だらう。エヽ偉い苦労をさせよつて、呶狸奴が、打ちつけて蹂躙つてやらうか』 弥『マアマア待つた待つた、ソンナ手荒い事をしてどうなるものか、夫こそ本当に死んで仕舞はア。そつと其辺におろして呉れ、これから霊よびの神業だ』 烏『アヽ何だかテント、訳が分らぬやうになつて来たワイ。マア仕方がない、下さうかい』 と芝生の上にそつと下した。 弥『オヽ六公、貴様は仕合せものだ、待て待て今に魂返しをやつてやらう。サア宣伝使様、天の数歌を始めませうか』 勝彦は無言つて、首肯きながら拍手を打ち声も細く静に落着き払つて、一二三四五六七八九十百千万と二回繰かへした。六公の体はムクムクと動き出し、直に起上り三人の顔をキヨロキヨロと眺め、 六『アヽお前は弥次公、与太公か、ヤア宣伝使様妙な処で遇ひました。三途の川を渡り損ねてスツテの事で二度目の国替をするところだつたが、烏勘三郎と云ふ男、十数人の弟子と共に身を躍らして川に飛び込み私を救ひ上げ、背に負ふて何処ともなしにトントン走り出したと思つたら丸木橋の袂、お前サンはやはり幽界の旅をして居なさるのか、今度は自分一人だと思つて居たのに何処までも交際のよい御親切なお方だ。持つべきものは朋友なりけりだ。アヽ、惟神霊幸倍坐世、惟神霊幸倍坐世』 弥次彦は六公の背を平手で三つ四つ、力を籠めて擲りつけた。 六『アイタヽヽヽ貴様は何をするのだい。驚いたな、娑婆に居る時から乱暴な奴だと思うて居たが、貴様未だ冥途に来ても改心出来ぬか』 弥『此処は冥途ぢやないぞ、二十五番峠を下つて数百丁来たところだ。お前は谷川に溺れて一旦縡れて居つたのだ。それを神様のお引き合せで勘三郎サンの親内の者に助けられ、此処に来たのだ。確りして呉れ』 六公は目を擦りながら今更のやうな顔をして四辺を念入りに見廻し、 六公『ヤア、矢張どうやら娑婆らしい、ヤ、皆サン、偉い御心配をかけました、有難う。これはこれは烏勘三郎サン、その他親内の御一同、よう助けて下さいました。命の親だと思ふてこの御恩は生涯忘れませぬ』 烏『ヤア気がついて何より結構でした。神様にお礼を申しませう』 茲に一同は神言を奏上し、宣伝歌を歌ひ、又もや四人の一行は勘三郎その他に厚く礼を述べ、丸木橋を渡つて二十六番峠を指して進み行く。 (大正一一・三・二五旧二・二七加藤明子録) (昭和一〇・三・一六於嘉義市嘉義ホテル王仁校正) |
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霊界物語 | 15_寅_顕恩郷/スサノオの経綸/高姫登場 | 17 窟の酒宴 | 第一七章窟の酒宴〔五八四〕 四面岩壁を以て包まれたる広き館の内には糸竹管絃の響爽かに、飲めよ、騒げの大乱舞が行はれて居る。ずつと見渡せば中央に黎牛の皮を幾枚とも無く積み重ね、其上に見るも憎さうなる面構への蠑螈別は数多の男女に酌をさせ乍ら、墨の様な黒き酒をグビリグビリと傾けて居る。数十人の男女は何れも一癖あるらしき面構へ、けいを敲く、笛を吹く、弓弦を弾ずる、石と石とを打ち乍ら真裸の儘踊り狂うて居る、恰も百鬼昼行の有様である。 蠑螈別『ヤア大変に酔がまわつた。如何だ、皆の者共、一つ何か面白い芸当をやつて呉れないか』 黒姫『さアさア皆サン、これから須佐之男尊征伐の芝居をやりませう。丁ン助サン、お前が須佐之男尊になるのだよ、黒姫がお前の髭をむしる役、高姫さまは手足の爪を脱く役だよ』 丁ン助『エーエ、滅相な、誰がソンナ役になりませうか、爪を抜かれる様な悪い事は根つからした覚えが御座いませぬ』 黒姫『吐すな吐すな、貴様は爪に火を点して吝な事許り考へ、人を苦しめる奴だ、鷹の様に爪の長い代物だ、喰ひつめ者だ、如何でも斯うでも此婆がつめかけて抜いてやらねば措くものかいヤイ』 丁ン助『爪の長いのは、それやお前サンの事だないか。一途の川辺で往来の旅人を嚇して肝腎の身魂を引きぬく欲婆アサンだ。お前サンから爪を抜きなさい』 黒姫『能うツベコベと理窟を言ふ丁ン助だナア、エーエ憎らしい、頬辺なと抓めつてやらうか』 と鷹の様な鋭利な爪で丁ン助の頬をグツト捻る。 丁ン助『イヽヽヽ痛い哩痛い哩、放サンかい』 黒姫『放さぬ放さぬ、神が爪を掛たら、いつかないつかな放しはせぬぞ。話すのは庚申待ちの晩だ、人の難儀は見ざる、聞かざる、言はざるの苦労人の黒姫だ。尻なつと喰ふとけ、苦労知らずの真黒々助の丁ン助奴が』 丁ン助『ヤアヤア、婆アサン、ヒヽヽヽひどい哩、ソヽヽヽそれや余りぢや、頬辺がチヽヽヽちぎれる哩』 黒姫『チヽヽヽちつとは痛からう、血の出るとこ迄、いや頬がちぎれるとこ迄、いつかないつかな放しやせぬぞや。チンチクリンのチンピラ奴、ちつとは正念が行つたか、貴様は又してもウラナイ教の裏をかく奴ぢや。今にひよつとして三五教の奴が出て来よつたならば、直に黒い黒い燕の様に燕返しの早業をやる代物だ。この黒姫が黒い目でグツと睨んだら違ひはせぬぞや』 丁ン助『もしもし高姫さま、ちつと挨拶して下さいな』 高姫『マアマア十万億土の成敗の事思へば磯の様なものだ。お前の将来のためだよ、もつともつと黒姫さま、首の脱ける処まで捻つてやりなさい、アーア一人の男を悪の道に引き入れ様と思へば骨の折れる事だワイ。もしもし大広木正宗さま、何して御座る、酒ばつかりあふつて居らずに、ちつとお前さまも此丁ン助の成敗をなさつたが宜からうにナア』 丁ン助『もうもうもう、改心致します、之からは善のぜの字も申しませぬ、飽迄も悪を立て通します』 高姫『これこれ丁ン助、何を言ふのだ、善一筋のウラナイ教の教ぢやぞい』 丁ン助『ソヽヽヽそのウラナイ教だから裏を言つて居るのだ。悪と言へば善、善と言へば悪ぢやがなア』 黒姫『はて扨て合点の悪い男ぢや、底には底がある、奥には奥がある、裏には裏がある。エーエ、もうもう手が倦うなつて来た、モウこれで勘へてやらう。いやまだまだ膏をとらねばならぬが、婆の手が続かぬから一寸一服ぢや、エヘヽヽヽ』 丁ン助『何が何だか皆サンの仰有る事は一寸も訳が分りませぬワ。善をすればお気に入るのやら、悪がお気に入るのやら、薩張り訳が分らなくなつて来た。善なら善、悪なら悪と、はつきり言つて下さい、どちらへでも私はつきます』 高姫『善とも悪とも分らぬのが神の教ぢや。人間の分際として、さう善悪がはつきりと分つて堪るものかい。何事も高姫の仰有る通りに、ヘイヘイ、ハイハイと盲目滅法に盲従すれば良いのだよ』 丁ン助『アーア又しても又しても、人の顔を抓つたり殴つたり、爪を抜いたりせねば改心さす事が出来ぬのか、そこになるとアナヽ、アヽヽヽ、何ぢやつた、忘れた忘れた。あないでも、あなでもあつたら隠れ度い様な気がします哩。あな恐ろしや、あな有難や、あな苦しや、あな痛やなア』 黒姫『矢つ張貴様は三五教に未練があるな、よしよしこれから須佐之男尊ぢやないが、頭の毛も髭も爪も一本も無い様に抜いてやらう。これこれ久助、釘抜を持つて来い』 久助『釘抜は此館には一つも御座いませぬ、如何致しませう』 黒姫『アヽそうか、釘抜は無いか、それでは仕方がない。これこれ丁ン助、貴様は余つ程幸福者だ、之と言ふも神様の御慈悲ぢや、ウラナイ教の神様の御恩を夢にも忘れてはならぬぞよ』 蠑螈別はグタグタに酔ひ潰れ、 蠑螈別『オイオイ皆の奴、何か面白い芸当をして見せぬか、折角飲んだ酒が沈んで仕舞ふ、ちつと浮かして呉れ、瓢箪ばかりが浮物ぢやあるまい、偶には人間の心も浮かさねばならぬ、それだから此世を浮世と言ふのだ』 黒姫『アヽ其瓢箪で思ひ出した、水の中に浮かして置いた二人の女、誰か行つて浚へて来い、此処で一つ面白い芸当をさして楽しまう』 蠑螈別『アハヽヽヽ、妙案々々、面白い面白い、サアサ皆の者共、二人の奴を引摺上げて此場へ連れて来い』 黒姫『こら丁ン助、其方は爪抜きの成敗を許してやる、其代りに二人の女を引摺上げて此場へ連れて来い』 丁ン助『はい、畏まつて御座います、然し乍ら私一人では到底手にあひませぬ、誰か助太刀を貸して下さいませ、一人づつ担げて連れて参ります』 黒姫『久助、貴様は丁ン助の後から跟いて、サア早く引き上げて来い』 久助『畏まりました』 と二人は表の石門を開くや否や尻端折つて池の辺を指して一生懸命に走つて来た。見れば池の辺に三男六女の神人が立つてゐる。 丁ン助『オイオイ久公、貴様先へ行かぬかい』 久助『何、俺は貴様の助太刀だ、言はば代理ぢや。貴様が先へ行つて縮尻つたら其控へに俺が出るのだ、先陣は貴様だ、早う行かぬかい』 と、尻をトンと押す拍子に丁ン助はトンと尻餅を搗く、 丁ン助『アイタヽ、ナヽヽヽ何をしやがるのだい、アーア、もう腰が抜けた。貴様が弱腰を無理に突いたものだから、腰の蝶番が折れて仕舞つたよ、貴様が代理するのだ。サアサ行け行け』 久助『触り三百とは貴様の事だ、なまくらな、起んかい。一寸押した位で腰の枢が外れる奴が何処にあるか』 丁ン助『それでも抜けたら仕方が無い、嘘と思ふなら俺を歩かして見い、一寸も歩けやせぬぞ』 久助『エーエ、腰抜け野郎だな』 丁ン助『オヽヽヽ俺は腰抜け野郎だ、それだから貴様行けと言ふのだ』 久助『俺も何だか急に足が抜けた様だ、膝坊主奴が危ない危ないと吐しよる』 丁ン助『何だ、乞食の正月の様に「餅無い餅無い」ナンテ、団子理屈を垂れない、サアサ行け行け、俺は絶対に腰が抜けた。もう一足も歩けぬ、貴様胆玉を放り出してあの池を覗きなつとして来い、帰つて申訳が無いぞ』 亀彦は二人の姿を見てツカツカと間近に進み、 亀彦『ヤア其方は悪神の眷属、能くも三人の女を苦しめよつたナア、サア返報がへしだ。股から引裂き頭から塩をつけて齧つて喰つてやらうか』 と呶鳴りつけた。二人はキアツと声を立て腰の抜けたと言つた丁ン助は真先に韋駄天走りに、雲を霞と逃げ去つた。 話変つて蠑螈別は、 蠑螈別『アーア、何だか今日は心の沈む日だ。皆の奴共、何奴も此奴も芸無し猿の唐変木許りだな、一つ面白い事をやつて見せぬか、アーア頭痛がする』 高姫『これも何かの御都合で御座いませう、さう、おなげき遊ばすには及びませぬ、日の出の神の生宮が一つ踊つてお目に掛けませう』 と高姫はお多福面をニユツと出し、山車尻をプリツプリツと振り乍ら、怪しき腰付で踊り始めた。此時慌しく息せききつて丁ン助、久助は此場に走り来り、 丁ン助、久助『タヽヽヽ大変で御座います』 と言つたきり、丁久二人は息を喘ませて此場にドツと倒れたり。 黒姫『大変とは何事ぞ、二人の女は如何致した』 久助『ドヽヽヽ如何も斯うもありませぬ、タヽヽヽ大変々々、大変と言へば矢つ張り大変で御座います』 黒姫『こら、久助、丁ン助、しつかり致さぬか、何が大変だ』 丁ン助『いやもう、タヽヽヽ大変で御座います、大変と申すより申し上げる言葉も無かりけり、アーン、アンアンアン、オーン、オンオンオン』 黒姫『エー腑甲斐無い奴だ、又歩きもつて夢を見よつたのだらう、臆病な奴だ、しつかり致さぬか』 とキユーと鼻を捻る。 丁ン助『イヽヽヽ痛い、勘忍勘忍』 黒姫『サア、しつかりと申さぬか、様子は如何に』 丁ン助『ヨヽヽヽ様子も何にもあつたものか、ヨヽヽヽ用心なさいませ、酔つぱらつて居るどこの騒ぎぢやありませぬぞ、アヽヽヽ三五教の宣伝使、大きな男が三人とアルマの様な別嬪が而も六人、どうで、ロヽヽヽ碌な事は御座いませぬ哩』 黒姫『貴様の言ふ事は何が何だか、テンと分らぬ、こらこら久助、様子は如何だ。女は何処に居る。』 久助『女どころの騒ぎですかい、たつた今、貴方等の頸は胴を離れますよ、何卒しつかりと用意をして下さい』 高姫『お前達は何を狼狽へ騒ぐのだ、昔の昔のさる昔の根つ本の天地の始まりから、何も彼も調べて調べて調べ上げた此方ぢや、仮令百億万の敵押し寄せ来るとも、此高姫のあらむ限りは大丈夫だ、しつかり致さぬか。してして女は何と致した』 此時門前に勇壮なる宣伝歌の声、四辺を轟かし響き来たりぬ。 高姫、黒姫、蠑螈別を始め、一同は俄に頭痛み胸は引裂く許り苦しくなつて、其場にドツと倒れたり。アヽ此結末は如何なり行くならむか。 (大正一一・四・三旧三・七北村隆光録) (昭和一〇・三・二四於台湾蘇澳駅王仁校正) |
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霊界物語 | 16_卯_丹波物語1 大江山/冠島沓島/丹波村 | 19 文珠如来 | 第一九章文珠如来〔六〇九〕 ヤンチヤ婆アの黒姫は、性来の聞かぬ気を極度に発揮し、青彦、音彦其他に向つて舌端黒煙を吐き、一人も残さず紅蓮の焔に焼き尽さむと凄じき勢なり。 黒姫『コレコレ、最前から其処に、男とも、女とも、訳の分らぬ風をして居る三五教の宣伝使、良い加減に此世に暇乞ひをしても悦子姫の阿婆擦れ女、沢山の荒男を引きつれて、女王気取りで、傲然と構へて御座るが、チト此婆アが天地の根本の道理を噛みて啣める様に言ひ聞かしてやるから、ソンナ蓑笠をスツパリと脱いで、此処へ御座れ、滅多にウラナイ教の為に悪い様な事は申さぬ。問ふは当座の恥、知らぬは末代の恥だ、此山の中で結構な神徳を戴いて、又都会へ出たら、自分が発明した様に、宣伝使面を提げて歩かうと儘ぢや。何でも聴いて置けば損は往かぬ。サアサア婆アの渋茶でも呑みて、トツクリと身魂の洗濯をしなされ。チツト此頃はお前も顔色が悪い。此黒姫が脈を執つて上げよう。……どうやら浮中沈、七五三の脈膊が混乱して居る様ぢや、今の間に療養せぬと、丸気違になつて了ふぜ。今でさへも半気違ぢや。神霊注射を行つてあげようか。それが利かなくば、モルヒネ注射でもしてやらうかい。サアサアトツトと前へ来なさい』 悦子姫『それはそれは、何から何まで御心を附けられまして、御親切有難う御座います』 黒姫『有難いか、ウラナイ教は親切なものだらう。頭の先から足の爪先、神経系統から運動機関は申すに及ばず、食道、消化機関から生殖器、何から何迄、チヤンと気をつけて、根本から説き明かし、病の根を断る重宝な教ぢや。お前も神経中枢に多少異状があると見えて、三五教の木花姫の生宮の様に、女だてら、男の風采をして、男を同伴つて、そこら中を歩きまはすのは、普通ではない。此儘放つとくと、巣鴨行をせなければならぬかも知れやしない。………サアサア此黒姫は耆婆扁鵲も跣足で逃げると云ふ義理堅い義婆ぢや。世間の奴は訳も知らずに、黒姫を何の彼のと申すけれども、燕雀何ンぞ大鵬の志を知らむやだ。三千世界の立替立直しの根本を探ると云ふ、大望なウラナイ教を、三五教の宣伝使位に分つて堪るものか。お前が此処へ来たのも、みなウラナイ教を守護し給ふ、尊き大神様の御引合せぢや。躓く石も縁の端と言つて、世界には道を歩いて居ると、沢山な石が転がつて居る。其幾十万とも知れぬ石の中に、躓く石と云つたら、僅に一つか二つ位なものだよ。これも因縁が無ければ蹴躓く事も出来なければ、蹴躓かれる事も出来やしない。同じ時代に生れ、同じお土の上に居つても、コンナ結構なウラナイ教を知らずに、三五教にとぼけて一生を送る様な事は本当に詰らぬぢやないか。何事も神様のお引合せ、惟神の御摂理、縁あればこそ、斯うしてお前は此山の奥に踏み迷ひ……イヤイヤ神様に引つ張られて来たのだ。決して決して黒姫の我で云うと思つたら量見が違ひますデ、竜宮の乙姫さまが仰有るのだ。今迄永らく海の底のお住居で、沢山の宝を海の底に蓄へて居られたのぢやが、今度艮の金神様が世にお上りなさるに就て、物質的の宝よりも、誠の宝が良いと云つて、五六七神政成就の為に、惜しげも無く綺麗サツパリと、艮の金神さまに御渡しなされると云ふ段取りぢや。併し人間は誠の宝も結構ぢやが、肉体の有る限り、家も建てねばならず、着物も着ねばならず、美味いものも食はねばならず、あいさには酒もチヨツピリ飲みたいと云ふ代物だから、形のある宝も必要ぢや。三五教の奴は「この世の宝は、錆、腐り、焼け、溺れ、朽果つる宝だ、無形の宝を神の国に積め」なぞと、水の中で屁を放いた様な屁理屈を言つて、世界の奴を誤魔化して居るが、お前等も大方其部類だらう……イヤ其通り宣伝して歩くのだらう。……能う考へて見なされ。お前だつて食はず飲まずに、内的生活ばかり主張して居つて、堂して神の道の宣伝に歩行けるか。これ程分り切つた現実の道理を無視すると云ふ教はヤツパリ邪教ぢや。瑞霊の吐す事は、概して皆コンナものだ。言ふ可くして行ふ可らざる教が何になるものか。体主霊従と霊主体従の正中を言ふのが当世ぢや。当世に合ぬ様な教をしたつて誰が聴くものか。神の清き御心に合むとすれば、暗黒なる世の人の心に合ず、俗悪世界の人の心に合むとすれば、神の心に叶はず……なぞと訳の分り切つた小理屈を、素盞嗚尊の馬鹿神が囀りよつて、易きを棄て難きに就かむとする、迂遠極まる盲信教だから、根つから、葉つから、羽が生えぬのぢや。ウラナイ教は斯う見えても、今は雌伏時代ぢや。軍備を充実した上で、捲土重来、回天動地の大活動を演じ、それこそ開いた口が塞がらぬ、牛の糞が天下を取る、アンナ者がコンナ者になると云ふ仕組の奥の手を現はして、天の御三体の大神様にお目にかける、艮の金神の仕組ぢや。三五教は艮の金神の教を樹てとる様な顔して居るが、本当は素盞嗚尊の教が九分九厘ぢや。黒姫はそれがズンとモウ気に喰はぬので、変性男子の系統の肉体の、日の出神の生宮を力と頼み、竜宮の乙姫さまの生宮となつて、外国の行方を、隅から隅迄調べあげて、今度の天の岩戸開に、千騎一騎の大活動をするのぢや。お前も、三五教の宣伝使と云ふ事ぢやが、名はどうでもよい、お三体の大神様と艮の金神様の御用を聴きさへすれば宜いのだらう。サアサア今日限り化物の様な奴の吐す事を、弊履の如く打棄てて、最勝最妙、至貴至尊、無限絶対、無始無終の神徳輝く、ウラナイ教に兜を脱いで、迷夢を醒まし、綺麗サツパリと改心して、ウラナイ教を迷信なされ、悪い事は申しませぬ、ギヤツハヽヽヽ』 悦子姫『ホヽヽヽ、アハヽヽヽ、あのマア黒姫さまの黒い口、……妾の様な口の端に乳の附いてる様な者では、到底あなたの舌鋒に向つて太刀打は出来ませぬ。あなたは何時宣伝使にお成りになりましたか、随分円転滑脱、自由自在に布留那の弁、懸河の論説滔々として瀑布の落ちるが如くですナ』 黒姫『定つた事だよ。入信してからまだ十年にはならぬ。夫れでも此通りの雄弁家だ、是れには素養がある。若い時から諸国を遍歴して、言霊を練習し、唄であらうが、浄瑠璃であらうが、浪花節であらうが、音曲と云ふ音曲は残らず上達して鍛へたのぢや。千変万化、自由自在の口車、十万馬力を掛けた輪転機の様に、廻転自由自在ぢや、オホヽヽヽ』 加米彦『モシモシ悦子姫さま、コンナ婆アに、何時までも相手になつとると、日が暮れますで、一時も早く真名井ケ原に向ひませうか』 悦子姫『アヽさうだ、折角の尊いお説教を聞かして貰うて、お名残惜しいが、先が急きますから此処らで御免蒙りませうか』 鬼虎『アーア、最前から黙つて聴いて居れば、随分能く囀つたものだ。一寸謂はれを聞けば、根つから葉つから有難い様だが、執拗う聞けば、向つ腹が立つ……お婆アさま、ゆつくり、膝とも談合、膝坊主でも抱へて、自然に言霊の停電するまで、馬力をかけ、メートルを上げなさい。アリヨース』 黒姫『待つた待つた、大いにアリヨースだ、様子あつて此婆アは、此魔窟ケ原に仮小屋を拵へ、お前達の来るのを待つて居たのだ。往くと云つたつて、一寸だつて、此婆が、是れと睨みたら動かすものか』 鬼虎『まるで蛇の様な奴ぢやナア。執念深い……何時の間にか、俺達に魅入れよつたのぢやナ』 黒姫『さうぢや、魅を入れたのぢや、お前もチツト身入れて聞いたが宜からう、蛇に狙はれた蛙の様なものぢや、此処をかへると云つたつて、帰る事の出来ぬ様に、チヤーンと霊縛が加へてある。悪霊注射も知らず識らずの間に、チヤアンと行つて了うた。サア動くなら動いて見よれ』 鬼虎『アハヽヽ、何を吐すのだ。動けぬと云つたつて、俺の体を動かすのは、俺の自由権利だ。……ソレ……どうだ。これでも動かぬのか』 黒姫『それでも動かぬぞ。お前が今晩真名井ケ原に着いて、草臥れて、前後も知らず、寝ンだ時は、ビクとも体を動かぬ様にしてやるワイ』 鬼虎『アハヽヽヽ、大方ソンナ事ぢやろと思うた。……ヤイヤイ黒姫、三五教は起きとる人間を、目の前で霊縛して動けぬ様にするのぢやぞ。一つやつてやらうか、……一二三四五六七八九十百千万……』 黒姫『一二三四五六七八心地よろづウ……ソラ何を言ふのぢや、それぢやから三五教は体主霊従と云ふのぢや。朝から晩まで、算盤はぢく様に数を数へて、一から十まで千から万まで……取り込む事につけては抜目のない教ぢや。神の道は無形に視、無算に数へ、無声に聞くと云ふのぢやないか、…何ンぢや、小学校の生徒の様に、一つ二つ三つと勿体らしさうに、……ソンナことは、三つ児でも知つてるワイ。……大きな声を出しよつて、アオウエイぢやの、カコクケキぢやのアタ阿呆らしい、何を吐すのぢやい……白髪を蓬々と生やしよつた大の男が見つともない、桶伏山の上へあがつて、イロハからの勉強ぢやと云ひよつてな、……小学校の生徒が笑うて居るのも知らぬのか、…良い腰抜だなア、それよりも天地根本の大先祖の因縁を知らずに神の教が樹つものか、三五教の様な阿呆ばつかりなら宜いが、世の中には三人や五人、目の開いた人間も無いとは謂はれぬ。其時に、昔の昔のサル昔からの因縁を知らずに、どうして教が出来るか、馬鹿も良い加減にしといたが宜からう。鎮魂ぢや、暗魂ぢやとか云ひよつて、糞詰りが雪隠へでも行つた様に、ウンウンと汗をかきよつて、何のザマぢやい、尻の穴が詰つて穴無い教と云ふのか、阿呆らしい、進むばつかりの行方で、尻の締りの出来ぬ素盞嗚尊の紊れた教、何が夫程有難いのぢや、勿体ないのぢや、サア鎮魂とやらをかけるのなら、懸けて見い、……ソンナ糞垂腰で鎮魂が掛つてたまるかイ。グヅグヅすると、妾の方から、暗魂をかけてやらうか』 加米彦『ヤア時刻が移る、婆アさま、又ゆつくりと、後日お目にかかりませう』 黒姫『後日お目にかからうと云つたつて、一寸先は闇の夜ぢや。逢うた時に笠脱げと云ふぢやないか、此笠松の下でスツクリと改心して、宣伝使の笠を脱ぎ、蓑を除り、ウラナイ教に改悪しなさい。一時も早う慢心をせぬと、大峠が出て来た時に助けて貰へぬぞや』 加米彦『アハヽヽヽ、オイ婆アさま、お前さま本気で言つてるのかい、お前の言ふ事は支離滅裂、雲煙模糊、捕捉す可らずだがナア』 黒姫『定つた事だイ、広大無辺の大神の生宮、竜宮の乙姫さまのお宿ぢや、捕捉す可らざるは竜神の本体ぢや、お前達の様な凡夫が、竜宮の乙姫の尻尾でも捉へようと思ふのが誤りぢや、ギヤツハヽヽヽ』 音彦『アヽ是れは是れは、加米彦さま、久し振ぢやつたナア』 加米彦『ヤア聞覚えのある声だが、……その顔はナンダ、真黒けぢやないか、炭焼の爺かと思つて居た、……一体お前は誰だ』 音彦『音彦だよ、北山村より此婆アの後に従いて、ドンナ事をしよるかと思つて、ウラナイ教に化け込み伴いて来たのだ。イヤモウ言語道断、表は立派で、中へ這入ると、シヤツチもないものだ、伏見人形の様に、表ばつかり飾り立てよつて、裏へ這入ればサツパリぢや。腹の中はガラガラぢや。ウラナイ教は侮る可らざる強敵と思つて今日迄細心の注意を怠らなかつたが、噂の様にない微弱なものぢや、何程高姫や、黒姫が車輪になつても、最早前途は見えて居る。吾々もモウ安心だ。到底歯牙に掛くるに足らない教理だから、わしもお前の後に伴いて、今より三五教の宣伝使と公然名乗つて行く事にしよう。此婆アさまは、如何しても駄目だ。改心の望みが付かぬ、縁なき衆生は済度し難し、……エー可憐相乍ら、見殺しかいなア』 黒姫『アーア音彦も可憐相なものだナア。如何ぞして誠の事を聞かしてやらうと思ふのに、魂が痺れ切つて居るから、食塩注射位では効験がない哩、アーア気の毒ぢや、いぢらしい者ぢや……それに付けても青彦の奴、可憐相で堪らぬ。……コラコラ青彦モ一遍、直日に見直し聞直し、胸に手を当てて能う省みて、ウラナイ教に救はれると云ふ気はないか。此婆はお前の行先が案じられてならぬワイ』 青彦『アーア、黒姫婆アさま、お前の御親切は有難い、併し乍ら、個人としては其親切を力一杯感謝する、が、主義主張に於ては、全然反対ぢや、人情を以て真理を曲げる事は出来ぬ、真理は鉄の棒の如きもの、曲げたり、ゆがめたり、折つたりは出来ない、公私の区別は明かにせなくては、信仰の真諦を誤るからナア、……左様なら…御ゆるりと御休みなされませ、私は是れから、悦子姫様のお後を慕ひ、一行花々しく、悪魔の征討に向ひます。ウラナイ教が何程、シヤチになつても、釣鐘に蚊が襲撃する様なものだ。三五教は穴が無いから大丈夫だ。水も洩らさぬ神の教、御縁が有つたら又お目に掛りませう』 黒姫『アーア、縁なき衆生は度し難しか、……エー仕方がないワイ………ウラナイ教大明神、叶はぬから霊幸倍坐世、叶はぬから霊幸倍坐世、……ポンポン』 魔窟ケ原の黒姫が伏屋の軒に暇乞ひ 日は西山に傾いて附近を陰に包めども 四方の景色は悦子姫松吹く風の音彦や 秋山彦の門番と身をやつしたる加米彦が 顔の色さへ青彦を伴なひ進む九十九折 鬼の棲処と聞えたる大江の本城左手に眺め 鬼彦、鬼虎、岩、市、勘公引連れてさしも嶮しき坂路を 喘ぎ喘ぎて登り行く地は一面の銀世界 脛を没する雪路を転けつ転びつ汗水を 垂らして進む岩戸口折柄吹き来る雪しばき 面を向くべき由もなく笠を翳して下り行く 夜の帳はおろされて遠音に響く波の音 松の響も成相の空吹き渡る天の原 天の橋立下に見て雪路渉る一行は 勇気日頃に百倍し気焔万丈止め度なく 文珠の切戸に着きにけり。 青彦『アーア、日も暮れたし、前途遼遠、足も良い程疲労れました。アヽ文珠堂の中へ這入つて一夜を凌ぎ、団子でも噛つて休息致しませうか』 悦子姫『何れもさま方、随分御疲労でせう。青彦さまの仰有る通り、あのお堂の中で、兎も角休息致しませうか』 一同此言葉に『オウ』と答へて、急ぎ文珠堂に向つて駆けり行く。 鬼虎『ヤア此処へ来ると、何時やらの事を連想するワイ、恰度今夜の様な晩ぢやつた。此様に雪は積つて居らぬので、あたりは真暗がり、鬼雲彦の大将の命令に依つて、あの竜灯松の麓へ、悦子姫さま達を召捕に行つた時の事を思へば、全然夢のやうだ。昨日の敵は今日の味方、天が下に敵と云ふ者は無きものぞと、三五教の御教、つくづくと偲ばれます。其時に悦子姫さまに霊縛をかけられた時は、どうせうかと思つた。本当に貴女も随分悪戯好の方でしたなア』 悦子姫『ホヽヽヽヽ』 鬼彦『オイオイ鬼虎、貴様はお二人の中央にドツカリ坐りよつて、良い気になつて居たのだらう』 鬼虎『馬鹿言へ、何が何だか、柔かいものの上に、ぶつ倒れて、気分が悪いの、悪くないのつて、何分正体が分らぬものだから、ホーズの化物が出たかと思つて気が気ぢやなかつたよ、それに就けても、生者必滅会者定離、栄枯盛衰、有為転変の世の中無常迅速の感愈深しだ。飛ぶ鳥も落す勢の鬼雲彦の御大将は、鬼武彦の為に伊吹山に遁走し、吾々は四天王と呼ばれ、随分羽振を利かした者だが、変れば替はる世の中だ。あの時の事を思へば、長者と乞食程の懸隔がある。三五教の宣伝使の卵になつて悦子姫さまのお供と迄、成り下つたのか、成上がつたのか知らぬが、モ一度、あの時の四天王振が発揮したい様な気もせぬ事はない。アーア誠の道は結構なものの、辛いものだ。 あひ見ての後の心に比ぶれば昔は物を思はざりけり だ。善悪正邪の区別も知らず、天下を吾物顔に、利己主義の自由行動を採つた時の方が、何程愉快だつたか知れやしない、吁、併し乍ら人間は天地の神を畏れねばならぬ、今の苦労は末の為だ。アーアコンナ世迷言はヨウマイヨウマイ。神直日大直日に……神様、見直し聞直して下さい。私は今日限り、今迄の繰言を宣り直します。アヽ、惟神霊幸倍坐世』 青彦『因縁と云ふものは妙なものですな、同じ此竜灯の松の下蔭に於て、捉へようとした宣伝使を師匠と仰いで、お伴をなさるのは、反対に悦子姫様の擒となつた様なものだ。アハヽヽヽ、吾々も全く三五教の捕虜になつて了つた。それに就けても、執拗なのは黒姫ぢや、何故あれ程頑固なか知らぬ、どうしても彼奴ア改心が出来ぬと見えますなア』 音彦『到底駄目でせう。私もフサの国の北山のウラナイ教の本山へ、信者となり化け込みて、内の様子を探つて見れば、何れも此れも盲と聾ばつかり、桶屋さまぢやないが、輪変吾善と思つてる奴ばつかり、中にも蠑螈別だの、魔我彦だのと云ふ奴は、素的に頑固な分らぬ屋だ。高姫黒姫と来たら、酢でも蒟蒻でもいく奴ぢやない。どうかして帰順さしたいと思ひ、千辛万苦の結果、黒姫の荷持役とまで漕ぎつけ、遥々と自転倒島まで従いて来て、折に触れ物に接し、チヨイチヨイと注意を与へたが、元来が精神上の盲聾だから、如何ともする事が出来ない。私も加米彦さまに会うたのを限として、此処迄来たのだが、随分ウラナイ教は頑固者の寄合ですよ』 加米彦『フサの国で、あなたが宣伝をして居られた時、酒を飲むな酒を飲むなと厳しい御説教、私はムカついて、お前サンの横面を、七つ八つ擲つた。其時にお前サンは、痛さを堪へて、ニコニコと笑ひ、禁酒の宣伝歌を謡うて御座つた、その熱心に感じ、三五教を信じて、村中に弘めて居つた処、バラモン教の捕手の奴等に嗅付けられ、可愛い妻子を捨てて、夜昼なしに、トントントンと東を指して駆出し、月の国まで来て見れば、此処にもバラモン教の勢力盛ンにして、居る事が出来ず、西蔵を越え、蒙古に渡り、天の真名井を横断つて暴風に遭ひ、船は沈み、底の藻屑となつたと思ひきや、気が附けば由良の湊に真裸の儘横たはり、火を焚いて焙られて居た。「アーア世界に鬼は無い、何処の何方か知りませぬが、生命を御助け下さいまして有難う」と御礼を申し見れば秋山彦の御大将、生命を拾つて貰うた恩返しに、門番となり、馬鹿に成りすまし勤めて来たが、人間の身は変れば替はるものぢや、世界は広い様なものの狭いものぢや。フサの国で、あなたを虐待した私が、又あの様な破れ小屋でお目にかからうとは神ならぬ身の計り知られぬ人の運命だ…………アヽ惟神霊幸倍坐世、三五教の大神様有難う御座います、川の流れと人の行末、何事も皆貴神の御自由で御座います。どうぞ前途幸福に、無事神業に参加出来まする様、特別の御恩寵を垂れさせ給はむ事を偏に希ひ上げ奉ります』 悦子姫『サアサア皆さま、天津祝詞を奏上致しませう』 一同は『オウ』と答へ、声も涼しく奏上し終る。 悦子姫『サア皆さま、坊主は経が大事、吾々は又明日が大切だ。ゆつくりとお休みなされませ。妾は皆さまの安眠を守る為、今晩は不寝番を勤めませう』 鬼虎『ヤア滅相な、あなたは吾々一同の為には御大将だ。不寝番は此鬼虎が仕りませう。どうぞお休み下さいませ』 悦子姫『さうかナ、鬼虎さまに今晩は御苦労にならうか』 と蓑を纒うた儘、静かに横たはる。一同は思ひ思ひに横になり、忽ち鼾声雷の如く四辺の空気を動揺させつつ、華胥の国に入る。鬼虎は不寝番の退屈紛れに雪路をノソノソと歩き出し、何時の間にやら、竜灯の松の根元に着き、ふつと気が付き、 鬼虎『あゝ此処だ此処だ、悦子姫に霊縛をかけられた古戦場だ。折から火光天を焦して竜灯の松を目蒐けて、ブーンブーンと唸りを立てて遣つて来た時の凄じさ、今思つても竦然とするワイ。あれは一体何の火だらう。人の能く言ふ鬼火では有るまいか。鬼虎が居ると思つて、鬼火の奴、握手でもせうと思ひよつたのかナア。霊魂もお肉体もあの時はビリビリのブルブルぢやつた。どうやら空の様子が可笑しいぞ、真黒けの鬼が東北の天に渦巻き始めた。今度こそ遣つて来よつた位なら、一つ奮戦激闘、正体を見届けてやらねばなるまい。是れが宣伝使の肝試しだ。オーイ、オイ、鬼火の奴、鬼虎さまの御出張だ、三五教の俄宣伝使鬼虎の命此処に在り、得体の知れぬ火玉となつて現はれ来る鬼火の命に対面せむ』 とお山の大将俺一人気取になつて、雪の中に呶鳴つて居る。忽ち一道の火光、天の一方に閃き始めた。 鬼虎『ヤア天晴々々、噂をすれば影とやら、呼ぶより譏れとは此事だ。鬼虎の言霊は、マアざつと斯くの通りぢや。一声風雲を捲き起し、一音天火を喚起す。斯うなつては天晴れ一人前のネツトプライス、チヤキチヤキの宣伝使ぢや、イザ来い来れ、天火命、此鬼虎が獅子奮迅の活動振り……イヤサ厳の雄猛び踏み健び御覧に入れむ』 言下に東北の天に現はれたる火光は、巨大なる火団となりて、中空を掠め、四辺を照し、竜灯の松目蒐けて下り来る。 鬼虎『ヨウ大分に張込みよつたな、此間の奴の事思へば、余程ネオ的だとみえる。容積に於て、光沢に於て天下一品だ……否天上一品だ。サア是れから腹帯でもシツカリ締て、捻鉢巻でも致さうかい、腹の帯が緩むとまさかの時に忍耐れぬぞよと、三五教の神様が仰有つた。サアサア鬼虎さまの肝玉が大きいか、天火の命の火の玉が大きいか、大きさ比べぢや』 火団は竜灯の松を中心に、円を描き、地上五六尺の所まで下り来り、ブーンブーンと唸りを立て、ジヤイロコンパスの様に、急速度を以てクルクルと回転し居たり。 鬼虎『ヤイヤイ火の玉、何時までも宙にぶら下がつて居るのは、チツト、ノンセンスだないか、良い加減に正体を現はし、此方さまと握手をしたらどうだい。お前は天の鬼火命、俺は地の鬼虎命だ、天地合体和合一致して、神業に参加せうではないか。是れからは火の出の守護になるのだから、貴様のやうな奴は時代に匹敵した代物だ……イヤ無くて叶はぬ人物だ。サアサア早く、天と地との障壁を打破して、開放的にならぬかい。お前と俺と互にハーモニーすれば、ドンナ事でも天下に成らざるなしだ』 火団は忽ち掻き消す如く、姿を隠しけるが、鬼虎の前に忽然として現はれた白面白衣のうら若き美女、紅の唇を開き、 女『ホヽヽヽヽ、お前は鬼虎さまか、ようマア無事で居て下さつたナア』 鬼虎『何ぢやア、見た事も無い、雪ン婆アの様な真白けの美人に化けよつて、雪に白鷺が下りた様に、白い処へ白い者、一寸見当の取れぬ代物だナア。俺を知つて居るとは一体どうした訳だ、俺は生れてから、お前の様な美人に会つた事は一度も無い、何時見て居つたのだ』 女『ホヽヽヽヽ、モウ忘れなさつたのかいなア、覚えの悪い此方の人、お前は今から五十六億七千万年のツイ昔、妾が文珠菩薩と現はれて、此切戸に些やかな家を作り、一人住居をして居つた所へ、年も二八の優姿、在原の業平朝臣の様な、綺麗な顔をして烏帽子直垂で、此処を御通り遊ばしただらう。其時に妾は物書きをして居つたが、何だか香ばしき匂ひがすると思つて、窓から覗けば、絵にある様な殿御のお姿、ホヽヽヽヽおお恥し……其一刹那に互に見合す顔と顔、お前の涼しい……彼の時の眼、何百年経つても忘られようか、妾が目の電波は直射的にお前の目に送られた。お前も亦「オウ」とも何とも言はずに、電波を返した……。あの時のローマンスをモウお前は忘れたのかいなア。エーエ変はり易きは殿御の心、桜の花ぢやないが、最早お前の心の枝から、花は嵐に打たれて散つたのかい……、アーア残念や、口惜しや、男心と秋の空、妾は神や仏に心願掛けて、やつと思ひの叶うた時は、時ならぬ顔に紅葉を散らした哩なア、オホヽヽヽ、恥しやなア』 鬼虎『さう言へば、ソンナ気もせぬでも無いやうだ。何分色男に生れたものだから、お門が広いので、スツカリ心の中からお前の記憶を磨滅して居たのだ。必ず必ず気強い男と恨めて呉れな。是れでも血も有り、涙も有る。物の哀れは百も承知、千も合点だ。サア是れから互に手に手を取かはし、死なば諸共、三途の川や死出の山、蓮の台に一蓮托生、弥勒の代までも楽みませう』 女『ホヽヽヽ、好かぬたらしいお方、誰がオ前の様な山葵卸の様な剽男野郎に心中立するものかいナ。妾は今其処に、天から下りて御座つた日の出神様にお話をしとるのだよ。良い気になつて、お前が話の横取りをして、色男気取りになつて……可笑しいワ、ホヽヽヽ』 鬼虎『エーツ何の事だ。人を馬鹿にしよるな、まるで夢のやうな話だワイ』 女『ホヽヽヽ、夢になりとも会ひたいと云ふぢやないか。妾の様な女神を掴まへて、スヰートハートせうとは、身分不相応ですよ。馬は馬連れ、牛は牛連れ、烏の女房はヤツパリ烏ぢや。此雪の降つた白い世界に烏の下りたよな黒い男を、誰がラブする物好があるものか。自惚も程々になさいませ。オツホヽヽヽ、おかしいワ……』 鬼虎『エー馬鹿にするな、俺を何と思つて居る。大江山の鬼雲彦が四天王と呼ばれたる、剛力無双のジヤンヂヤチツクのジヤンジヤ馬、鬼虎さまとは俺の事だよ。繊弱き女の分際として、暴言を吐くにも程が有る。サアもう量見ならぬ。この蠑螺の壺焼を喰つて斃ばれ』 と力限りに、ウンと斗り擲り付けたり。 悦子姫『アイタタタ…誰だイ、人が休眠みてるのに、……力一杯頭を擲ぐるとはあまりぢやありませぬか』 鬼虎『ヤア、済みませぬ。悦子姫さまで御座いましたか。ツイ別嬪に翫弄にしられた夢を見まして、力一杯擲つたと思へば、貴女で御座いましたか。ヤア誠に済まぬ事を致しました。真平御免下さいませ。決して決して、悪気でやつたのぢや御座いませぬ』 悦子姫『ホヽヽヽ、三五教に這入つても、ヤツパリ美人の事は忘れられませぬなア』 鬼虎『ヤアもう申訳も御座いませぬ。世の中に女がなくては、人間の種が絶えまする。日の出神も素盞嗚尊も、世界の英雄豪傑は、みな女から生れたのです。 故郷の穴太の少し上小口ただぼうぼうと生えし叢 とか申しまして、女位、夢に見ても気分の良い者は有りませぬワ、アハヽヽヽ』 鬼彦『ナヽ何ンぢや、夜の夜中に大きな声で笑ひよつて、良い加減に寝ぬかイ。明日が大事ぢやぞ。貴様は、……今晩私が不寝番を致します……なぞと、怪体な事をぬかすと思つて居たが、悦子姫さまの綺麗な顔を、穴の開く程覗いて居よつただらう。デレ助だなア』 鬼虎『馬鹿を言ふない。俺は職務忠実に勤める積りで居つたのに、何時の間にか、ウトウト睡魔に襲はれ、竜灯松の下へ行つて別嬪に逢うた夢を見て居つたのぢや。聖人君子でなくてはアンナ愉快な夢は見られないぞ。貴様のやうな身魂の曇つた人間は、到底アンナ夢は末代に一度だつて見られるものかい』 鬼彦『アツハヽヽヽ、その後を聞かして貰はうかい。他人の恋女に岡惚しよつて、色男気取りになつて、肱鉄を喰つた夢を見よつたのだらう。大抵ソンナものだよ、アハヽヽヽ。早く寝ぬかい、夜が明けたら又、テクつかねばならぬぞ』 此の時天の一方より、今度は真正の火団閃くよと見る間に、竜灯松を目蒐けて、唸りを立て矢を射る如く降り来り、一同の前にズドンと大音響を発し、爆発したり。火光はたちまち、花火の如く四方に散乱し、数百千の小さき火球となつて、地上二三丈許りの所を、青、赤、白、紫、各種の色に変じ、蚋の餅搗する如くに浮動飛散し始めたる。其壮観に一同魂を抜かして見惚れ居る。吁、此火光は何神の変化なりしか。 (大正一一・四・一六旧三・二〇松村真澄録) |
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霊界物語 | 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 | 05 赤鳥居 | 第五章赤鳥居〔六三三〕 天火水地と結びたる青赤白黄をこき交ぜて 緑滴る足曳の山と山とに包まれし 由良の流れに沿ひ乍ら彼方に立てる紫の 煙目あてに進み行く紫姫の宣伝使 草木も萠ゆる若彦や馬に鞭鞭つ膝栗毛 鹿と踏み締めテクテクと肩も斑鳩、飛ぶ空を 笠西坂の頂上に四人は漸く着きにけり。 若彦『紫姫様、此風景の佳い地点で四方の景色を観望して息を休めませうか』 紫姫『妾もさう思つて居ました、弥仙のお山は紫のお容姿を現はし給ひ、連峰を圧して高く雲表に頭を突出して、実に何とも云へぬ雄大さで御座いますね』 若彦『左様です、春の弥仙山は又格別ですな、彼方に見ゆる四尾の神山、コンモリした木の繁茂、桶伏山もちらりと見えて居ます、実に遠方から見た四尾山は一層の崇高味を増すやうですな、昨夜あの山麓の悦子姫様のお館を訪ねた時は、その様に立派な山ぢやと思ひませなンだが、矢張大きなものは近寄つて見るよりも、遠見の方が余程真相に触れる様ですな』 紫姫『アヽ佳い景色にうたれ、思はず時間を費やしました、そろそろ出掛ませうか』 馬公『もう些と休みていつたら如何です、之から奥へ行けば山と山と、双方から圧搾した様な殺風景な難路許りですよ、充分聖地を此処から憧憬して名残を惜しみ、四尾山に袂別の挨拶を終つて行かうではありませぬか、随分此先は急坂がありますから………』 紫姫『サア、も少し休みませうか』 鹿公『アヽ、さうなさいませ、充分英気を養つて参りませう、一歩々々大江山に接近するのですから、…此安全地帯で充分に浩然の気を養つて行く事に致しませう。然し乍ら最早大江山の鬼雲彦は遁走し、後には鬼武彦の御眷属が御守護して居られるなり、三嶽の岩窟は滅茶々々となり、鬼ケ城亦鬼熊別の敗走以来、敵の影を留めて居ないぢやありませぬか、それに又貴女は吾々を此方面へ用向も仰有らずに引き連れておいでになつたのは、少しく合点が参りませぬ、一体全体如何遊ばす積りですか。少し位お洩らし下さつても滅多に口外は致しませぬがな』 紫姫『いいえ、悦子姫様を通じて大神様の「一切秘密を守れ」との御神命なれば、仮令貴方と妾の仲でも之ばかりは発表する事は出来ませぬ、軈て真相が分るでせう』 鹿公『紫姫様は、吾々二人は元来貴女の従僕、さう叮嚀なお言葉をお使ひ下さつては実に恐れ入ります、何卒今後は鹿、馬と仰有つて下さいませ』 紫姫『いえいえ、今迄の妾なれば極端なる階級制度の習慣で主人気取りになるでせうが、三五教に救はれてより上下の隔壁を念頭よりすつかり散逸させて仕舞ひました。人間の作つた不合理的な階級制度を墨守するは、却て大神様の御神慮に違反する事となりませう。元は一株の同じ神様の分霊ですからな』 鹿公『ハイ、有難う御座います。左様ならば今後は主従の障壁を撤去し、私交上に於ては平等的交際を指して頂きませう。然し乍ら教理の上の事に就いては矢張師弟の関係を何処迄も維持して行き度う御座います、何卒之だけはお認め置きをお願ひ申します』 紫姫『何だか妾がお前さまの師匠なぞと云はれると、足の裏までくすぐつたい様な気がしてなりませぬ』 鹿公『今後は其積りでお願ひ致します、然し乍ら貴女は花の都へは帰り度うは御座いませぬか』 紫姫『それは人間ですもの、故郷に帰り度いは山々ですが、神様の御命令を完全に果さなくてはなりませぬ、それ迄は妾は故郷の事はすつかり念頭から分離して居ます、何卒今後は故郷の事は云つて下さいますな……、サア若彦さま、参りませう』 と潔く駆出す。 紫姫の一行は厳の霊や瑞霊 神の恵を河守駅ややすやす渉る船岡の 深山[※京都府福知山市大江町の豊受大神社が鎮座している船岡山のこと]を左手に眺めつつ人の心のあか鳥居 鬼武彦が眷属の旭明神祀りたる 祠の前に立ちどまり行く手の幸を祈りつつ 又もや北へ行かむとす頃しもあれや山林に 悲しき女の叫び声鳥の啼く音か猿の声か 合点ゆかぬと立ちとまり頭を傾け聞き居れば 助けて呉れいと手弱女の正しく叫びの声なりき。 若彦は此声に引きつけらるる如き面持にて前後を忘れ耳をすまし居る。 馬公『モシモシ若彦さま、何を茫然として居なさる、あの声は如何ですか、悲し相な乙女の救援を求むる声ぢやありませぬか』 若彦『何とも合点のゆかぬ声だ』 叫び声は益々烈しく聞え来る。 紫姫『皆さま、御苦労ですが妾は此祠の前で御祈念を致して待つて居ますから、道は暗う御座いますが気を注け乍ら、あの声を尋ねて実否を調べて来て下さいませぬか』 若彦『ハイ、畏まりました、貴女お一人此処にお待たせしても済みませぬから、鹿公を添へて置きませう』 紫姫『いえいえ、決して御心配下さいますな、妾は之より宣伝使となつて如何なる魔神の中にも単騎進撃をやらねばならない者で御座います、何卒お構ひなく一刻も早くあの声の方に向つてお進み下さいませ』 若彦『委細承知致しました、戦況は時々刻々に報告致させます、サアサア馬公、鹿公、サア出陣だ』 馬公『ここに馬が居ります、千里の名馬、御跨り下さいませ、敵に向つて天晴れ名将の武者振りを発揮するも一寸妙ですぜ』 鹿公『馬でお気に入らねば鹿も居ります、児屋根の命さまは鹿にお乗り遊ばしたぢやありませぬか、成る可くは私に恩命を下し給はらば結構ですが……』 若彦『馬公、鹿公、馬鹿口たたく猶予があるか、サア早く行きませう』 馬、鹿『エー、馬鹿々々しい、突貫々々、お一二お一二』 と暗がりの道を声をあげて進み行く。以前の声はピタリと止まりぬ。三人は暗夜に方向を失ひ当惑に暮るる折しも暗中に人の声、 甲(滝公)『サア、もう之で大丈夫だ、ああして松の下に猿轡を箝めて引括つて置けば逃げる気遣ひはない哩、マアゆつくりと暗がりを幸ひ休息でも遊ばさうぢやないか』 乙(板公)『休息しようと云つたつて俄に暗くなつて寸魔尺哭ぢや、まるで釜を被つた様ぢやないか』 甲(滝公)『釜を被れば空の星は見えない筈だ、あれ見よ、雲の綻びからチラホラと星の光が幽に瞬いて居るぢやないか』 乙(板公)『何、何処もかも天地暗澹、星一つだに見えぬ悲しさだ』 甲(滝公)『之程立派に星が見えて居るのに貴様は又何処を向いて居るのだ、アハヽヽヽ、やられ居つたな、八畳敷に』 乙(板公)『八畳敷て何だい』 甲(滝公)『大方狸に睾丸でも被されよつたのだらう』 乙(板公)『何、ソンナ気遣ひがあるものか、ヤア方角を間違つて居つた。下ばつかり見て居つたものだから、星が見えなかつたのだ、ホンに彼方此方に星の金米糖が光つて居る哩』 甲(滝公)『それこそ方角が天と地がつて居つたのだ』 乙(板公)『何、地と違つた丈だよ、アハヽヽヽ。然し貴様と俺と二人では彼の女を此暗がりに舁いで行く訳にもゆかず、道で又三五教の宣伝使にでも出会つたら大変だからなア』 甲(滝公)『ちつたア出世しようと思へば之位な苦労はせなくちや成らないよ。何時も黒姫さまが苦労は出世の基ぢやと仰しやるぢやないか、ソンナ弱い事を言はずに、サア之から棒片にでも括りつけて、貴様と俺とが舁いで魔窟ケ原の岩窟へ帰るとしよう。さうすれば富彦だつて虎若だつて、俺達に対し今迄の様に無暗に威張らなくなるよ。吾々は殊勲者として黒姫さまの信任益々厚く、鼻高々と高山彦の御大将以上に待遇されるかも知れないよ、アハヽヽヽ』 鹿は俄に女の作り声を出して、 鹿公『コレコレ、滝公、板公、俺は黒姫ぢや、その女を大切に踏縛つて早く舁いで、此黒姫の後に跟いて御座れ、愚図々々して居ると三五教に寝返りを打つた青彦が馬公や鹿公の古今無双の英雄豪傑を引率れ、お前達の首を捻切るかも知れぬ。サアサ早く用意をなされ、コンナ処で愚図々々して居ると云ふ事があるものかいのう』 甲(滝公)『ヤ、呼ぶより誹れとは此処の事か、今の今とて、…へ…一寸……貴女様のお噂を致して居りました。イヤもう骨の折れた事で御座いました。お節の阿魔女随分手が利いて居ましたよ』 鹿公『ア、さうぢやらうさうぢやらう、彼奴は仲々手の利いた奴ぢや、強情な女ぢや、サアサア早く月の出ぬ間に用意をなされ』 甲、乙(滝公、板公)『ハイ、畏まりました、暫時お待ち下さいませ』 鹿公『そのお節は何処に置いてあるのだい』 乙(板公)『ハイハイ、此処から十間許り先方の松の木の麓に猿轡を箝ませ、手足を縛つて根元に確り括つて置きました』 鹿公『それはお骨折ぢやつた、然し息の絶える様な事はして無からうな』 乙(板公)『何、貴女、何うせ連れて帰つて殺すか、此処で殺すか、手間は同じ事ですもの、あの通り猿轡を箝めた以上は、もう今頃はコロリといつて居るかも知れませぬ』 甲(滝公)『イエイエ、滅多に死ンでは居りますまい、此滝公が息の絶れない様に、声を出さない様に、そこは注意周到な者です、大丈夫ですよ』 鹿公『俺も一寸調べがてらにお前の後に跟いて行かうかな』 甲(滝公)『サアサ黒姫様、御実検下さいませ、貴女に実地を見て貰へばお馬の前の功名も同然、いやもう無上の光栄で御座います』 鹿公『それはお手柄お手柄、サア早く見せて下さい』 板公『随分険難な暗がり道で御座いますから、私がお手を把つて上げませう』 鹿公『イヤイヤ、滅相な、年は寄つても未だお前の様な若いお方に助けられる程、耄碌はして居りませぬ哩、手を握られると発覚の……どつこい……八角の糞をこめて気張つても……お節の手を握つて妙な事をするでないぞ』 板公『阿呆らしい、何を仰しやいます、ソンナラ私の後から足音をたよつて来て下さいませ、アヽ暗い暗い』 と探り足に歩き出す。三人は息を凝らし闇を幸ひ跟いて行く。 滝公『オイ、板公、何の辺だつたいな、あまり暗くつて鼻抓まれても分らぬ様だ、テント方向がとれぬぢやないか』 板公『ヤ、此処だ此処だ、オイお節、これから魔窟ケ原の結構な処へ送つてやるのだ、満足だらう。オイお節、返事をせぬか』 滝公『馬鹿云うない、声をたてぬ様に猿轡を箝めて置いた者が返事をするものかい、狼狽へた事を云ふな』 板公『オヽ、さうだつたな、サアサアお節、解いてやらう、ヤア偉い猿轡だ、息を絶らしては面白くない、ちつと緩めてやらう、ヤア暖いぞ暖いぞ、確に此耆婆扁鵲の診察に依れば極めて安心だ。恢復の見込たしかだ。予後良だ』 馬、妙な声を出して、 馬公『ヒユー、ドロドロドロ、怨めしやア、仮令生命はとらるるとも、魂魄此土に留まりて、滝公、板公の素首引き抜かいでやむべきか……』 滝、板は、 滝公、板公『ヤア、出やがつた、こいつア堪らぬ』 と無茶苦茶に駆け出す。過つて傍の谷川へザンブと二人は陥ち込みたり。 馬公は手早く綱を解き猿轡を外し、 馬公『ヤアお節さま、しつかり成さいませ、もう大丈夫です』 お節は初めて気が付いたと見え、 お節『何、汝悪神の家来共、もう斯うなる上はお節が死物狂、目に物見せて呉れむ』 馬公『ヤア、それは違ひます、私は三五教の馬と申すもの、貴女のお声を尋ねてお助けに来たのです、御安心なさいませ。今二人の悪者共は驚いて逃行く途端に、此谷川へ落ち込みました。あまり暗いので如何なつたか知りませぬが、吾々は決して悪者では御座いませぬ。サア鹿公、若彦さま、此お節さまの手を引いて広い道まで連れて行つてあげませうか』 お節は初めて安心の態、 お節『これはこれは危い処をようこそお助け下さいました。アヽ神様有難う御座います』 と天に向つて合掌し感謝する折しも、山を覗いて出る半円の月、忽ち道は判然と見え出しにける。 馬公『アヽ有難いものだ、これで安心だ、サア早く、紫姫さまがお待ちかね、参りませう』 とお節の手を把り、四人は紫姫の暗祈黙祷を凝らす祠の前にやつと帰り来たりぬ。 鹿公『紫姫様、鹿の野郎が功名手柄、お褒め下さいませよ。目的物は首尾よく手に入りました』 紫姫『ア、それはそれは、御苦労様、何処のお方だつたか知らぬが危い処で御座いましたな』 お節『ハイ、有難う御座います、力と頼むお爺さまには死に別れ、お婆アさまにも亦死別れ、今は頼りなき女の一人暮し、許婚の妾が夫の後を慕ひ、聖地に向つて進み来る折しも、道に踏み迷ひ魔窟ケ原を通りました。所が後より「オーイオーイ」と男の声、何は兎もあれ、怪しき奴と一生懸命に長い道を此処まで逃げて参りました、折あしく道中の岩石に躓きバタリと転けて倒れた所を、追ひかけて来た二人の男、折り重なつて妾を高手小手に縛り、松の木の麓に連れて行つて、打つ蹴る殴るの乱暴狼藉、妾は力の限り何れの方かお通りあらばお助け下さるであらうと、女々しくも声をたてました。さうすると二人の悪者は妾の口に箝ます猿轡、最早叶はぬと観念の目を睜り、気も鈍くなりまする際、思はぬお助けに預かりました。此御恩は死すとも忘れませぬ、皆様能くお助け下さいました』 と嬉し涙に泣き伏しける。 鹿公『モシ若彦さま、察する処貴方のれこぢやありませぬか』 若彦『ハイ……』 と云つたきり若彦は俯向き居る。 鹿公『アハヽヽヽ、これはこれは、お恥しう御座るか、久し振りの恋女房の対面、柔和しい言葉の一つも掛けておあげなさつては如何ですか、吾々が居ると思つて云ひ度い事も能う云はず、泣き度うても能う泣かず、吾と吾心を詐つて居らつしやるのでせう。吾々であつたなればソンナ虚偽な事は致しませぬワ、「ア、お前は女房か、能うマア無事に居て呉れた、これと云ふも神様のお蔭、会ひたかつた会ひたかつた」としつかと抱きしめ嬉し涙に暮れにけり……と云ふ場面だ。吾々は暫く退却を致さう、ナア若彦さま、お節さまとゆつくり程経し思ひ出の物語、しつぽりとなされませや、ずつしりとお泣き遊ばせ、紫姫さま、馬公、暫く気を利かせませう』 若彦『イヤ有難う御座います、皆様のお蔭、斯様な処でお節殿に会ふのも神様のお摂理で御座いませう。モシモシお節どの、私を覚えて居ますか、青彦ですよ』 お節『ア、貴方が青彦さま、お懐しう御座います。能うマア無事で居て下さいました』 と嬉しさに前後を忘れ、青彦の手に獅噛み付く様に身体をもだえ泣き叫ぶ。 鹿公『カチカチ、観客の皆さま、これで幕切と致します。今後の成行は又明晩続き物として演じまする、何卒不相変御贔屓を以て賑々しく御入来あらむ事を偏に希ひ上げ奉ります、アハヽヽヽ』 紫姫『オホヽヽヽ、鹿公、時と場合に依ります、洒落もいい加減にしなさいや』 馬公『オイ鹿、何を云ふのだ、サアサア皆さま、月も出ました、もう一息だ、天の岩戸まで急ぎませう』 (大正一一・四・二五旧三・二九北村隆光録) |
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霊界物語 | 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 | 07 神か魔か | 第七章神か魔か〔六三五〕 四方の山々紅葉して錦織なす佐保姫が 衣を飾る秋の空日脚短き山坂を 下つて来るウラナイの道の教のヘボ司。 七八人の荒男、普甲峠の麓の木蔭に休らひ乍ら、雑談に耽り居る。 甲『此頃の比沼真名井の参詣者は、随分沢山にあるではないか。三五教の宣伝使が到頭あの聖地を占領して了ひよつて、終にはウラナイ教の高姫さまの懐刀とまで持て囃された青彦までが、たうとう三五教へ陥落して了ひよつた。音彦、加米彦両人も変な奴だが、何時陥落するか分りやしないぞ。此頃の高姫さまや、黒姫さまの御機嫌の悪い事と云つたらないぢやないか。なぜあの様に何でもない事にツンケンと目に角を立てるのだらう』 乙『きまつた事よ。俺達は毎日日日、路傍宣伝をやつて居つても、一つも土産がないものだから、誰だつて吾々の様な喰ひ潰しを、沢山養うて置くのは詰らぬから、自然に黒姫さまだつて御機嫌が悪くなるのは当然だ。何時も仰有るだらう。お前達一人が一人づつ信者を拵へて来れば、十人で十人の信者が出来る。その信者が又一人づつ殖やして行けば、別に宣伝使がなくても、自然に教線が拡まると仰有つただらう。それに毎日日日、斯うして往来の人を掴まへて宣伝にかかつて居つても、誰一人帰順する者がないぢやないか。比沼の真名井さまは、三月に一遍位三五教の宣伝使が出て来る丈だ。それに自然に信者が殖えて来る。それだから、要するに吾々はモ一つどつかに徹底せない所があるのだらう。今日は何とかして、一人でも入信者を拵へて帰ななくては、合はす顔がないぢやないか』 丙『さうだと言つて、来ぬ者を無理に引つ張つて帰ンだ所で仕方がない。心の底から……アヽ、ウラナイ教は有難い神様だと云ふ感じを与へてやらねば、本当の信仰に導く事は出来ぬぢやないか』 甲『それもさうだが、何ぞ良い方法は有るまいかなア。俺達は一生懸命に言葉を尽し教理を研究して説き立てるのだが、どうしたものか、誰も彼も九分九厘になるとみな逃げて了ふ。偶信者が出来たと思へば、青彦やお節の様に、直に三五教へ走つて了ふ。本当に妙だなア』 丁『目的は手段を選ばずと云ふ事がある。一つ、是れ丈チヨイチヨイ詣る、比沼の真名井の参詣者を計略を以て入信させたらどうだ』 乙『何ぞ良い妙案奇策があるのか』 丁『あるともあるとも、併しお前達の様な馬鹿正直者では、到底出来ない芸当だから、先づ発表は見合はす事にしようかい』 丙『さうだと言つて、今日も又獲物なしに帰る訳にも行かず、日はズツプリ暮れて了つたなり、内へ帰つて大きな顔して、麦飯も頂けぬぢやないか。ドンナ手段でも構はぬ、良い方法があるなら教へて呉れ』 丁『何でも俺の言ふ様にするか、俺の妙案奇策を用ゐたら成功疑ひなしだ。天に口あり壁に耳、大きな声では言はれぬが、実は斯う斯う斯ういふ手段だ』 と一同の耳元に口を寄せ何事か囁いた。一同は、 一同『合点だ合点だ』 と唸き、大道の中央に五人の男、横になつて道を塞ぎ、酒に酔うた気分で寝転ンだ。甲乙丙の三人は依然として傍の森林に身を潜めて居る。日はズツプリと暮れ、誰彼の顔も見えなくなつて了つた。向ふの方より男女の二人、ひそひそと囁き乍ら、斯かる計略のありとは、神ならぬ身の知る由もなく、空の星や山の形、木の枝などを目標に、覚束なげに歩み来り、一人の横腹をグツと踏み、『キヤツ』と驚き逃げむとする途端に、二人は二三人の腹、脚の辺りを踏み、辷つてバツタリと倒れたり。 丑公『タヽヽ誰ぢやい、俺の睾丸を踏みよつて……馬鹿にしやがる』 寅公『俺も何処の奴か、腰を踏みよつた』 辰公『アイタヽヽ、腹をグサと踏みよつて………ヤイヤイ何処の奴だ、人の体を土足にかけて……一体何をするのだ。……オイ皆の奴、起きぬかい、此奴ア何でも夫婦連と見える。モウ量見ならぬ、皆寄つて集つて叩き延ばし、フン縛つて、宮津の海へ放り込ンだろうかい』 一同『賛成々々』 と何れも作り声、滅多矢鱈に四方八方より叩きつける。 男『コレハコレハ誠に済まぬ事を致しました。あまり暗いものですから、足許も見えず……どうぞ御勘弁を遊ばして下さいませ』 寅公『ナーニ勘弁も糞もあるものか。俺を誰だと思つて居やがる。大江山の鬼雲彦の一の乾児、鬼虎だぞ。モウ斯うなる以上は何と云つたつて、叩き延ばし、大江山の本城へ連れ帰り、手足をもぎ取り、酒の肴にしてやるか、さもなくば海へぶち込むか、二つに一つだ、……オイ兄弟、俺達に無礼を加へた代物だ、此奴二人共殺つて了へ』 一同『ヨーシ』 と又もや無性矢鱈に叩く、踏む、蹴る、有らむ限りの打擲をやつて居る。女は悲鳴を揚げ、 女『人殺しイ人殺しイ』 丑公『ナーニ、人殺しとは貴様の事だ、スツテの事で俺を踏み殺さうとしやがつたぢやないか。まかり違へば俺達が殺される所だ。殺すか、殺されるか、どちらかが死ぬのだ、モウ斯うなる以上は何と云つても、思ふ存分制敗をしてやらう』 男『お腹が立ちませうが、知らず知らずの不調法、どうぞ今度ばかりはお見逃し下さいませ』 寅公『ヤア何と言つても一度量見ならぬと言つたら、金輪奈落の底迄量見ならぬのだ。オイ皆の奴、槍だ、刀だ、早く持つて来い。………コラ夫婦の奴、貴様が来ると思つて最前から、数十人の手下を四辺の森林に忍ばせ、待つて居た』 と二人の男女に向つて殻竿勝の様に叩きつける。夫婦は悲鳴をあげ、 夫婦『助けて呉れイ助けて呉れイ』 と声を限りに泣き叫ぶ。忽ち此場に現はれた二三人の大男、 大男『ヤアヤア吾こそはウラナイ教の宣伝使だ。大江山の鬼雲彦が家来の奴輩、仮令何百人一度に攻め来る共、ウラナイ教の神の神力を以て、汝悪魔の一群、片つ端から滅し呉れむ、覚悟を致せ』 寅公『何猪口才な、何程神力があると言つても、多寡が知れた二人や三人の木端武者、味方は殆ど百人、グヅグヅ吐さず、一時も早く此場を立去れツ。吾々に無礼を働いた二人の男女、是れより制敗する所だ。俺達の行動を妨ぐると、汝等諸共手足を縛り大江山の本城へ連れ帰り、五体をグタグタに切つて切つて切り屠り、酒の肴にして呉れむ、覚悟を致せ』 大男『ハヽヽヽ、何を吐しやがる、何ほど鬼雲彦の家来、仮令百万千万一度に攻め寄せ来る共、ウラナイ教の神力、唯一本の指先にて、汝等を縦横無尽に斬り立て薙立て、海の藻屑と致し呉れむ、覚悟を致せ』 辰公『ヤアヤア家来の奴輩、此両人は申すに及ばず、邪魔ひろぐウラナイ教の三人の奴輩、四方より取囲み、槍を以て唯一突き、大江山の本城へ一時も早く連れ帰れ』 一人の男、暗がりより、 男『ヤア鬼の奴輩、ウラナイ教の言霊を喰つて見よ、手も足もビクとも致さぬ様に、霊縛を加へて呉れむ。一二三四五六七八九十百千万』 丑、寅を始め五人の男、 五人『アイタヽヽ。痛いワ痛いワ、手も足も石地蔵の様になつて動きよらぬ………オイもしウラナイ教の大先生達、如何なる鬼の乾児の吾々も是れには閉口致します。偉い御神力だ。どうぞ霊縛を解いて下さい。決して決してモウ貴方等には相手にはなりませぬ、併し乍ら此二人の男女は吾々を土足にかけた無礼者、これ丈はどうしても貰うて帰ります』 暗中より、 声(浅公、幾公、梅公)『まださう云ふ事を吐すと、今度は言霊の神力に依つて、汝が五体をグタグタに解体しよか。サアどうぢや、一二三四…………』 五人『アイタヽヽ、ヤア叶はぬ叶はぬ、どうぞ勘忍して下さいませ』 暗がりより、 声(浅公、幾公、梅公)『ソンナラ汝を赦して遣はす。二人を此処に残して一時も早く此場を立去れ…………ヤイヤイ森の中の数百人の鬼の眷族共、手足が動かなくなつて物も言へず、憐れな者だ。此方が今日は特別を以て赦してやらう。黙つてサツサと大江山へ帰つて行け…………ヤイそこな腰抜共、貴様も早く立去らぬか』 寅、丑、鷹、辰、鳶、一時に泣き声を出して、 五人『逃げと仰有つても、手も足も、チツトも動きませぬ。どうぞ霊縛を解いて下さいませ』 暗がりより、 声(浅公、幾公、梅公)『オヽさうだつたな、貴様丈を忘れて居つた。サア霊縛を解いてやる、一二三四………これで結構だ、サア早く逃げ帰らう』 五人一度に、 五人『有難う御座います、モウ此れ限り悪い事は致しませぬ。なンとウラナイ教は偉い御神力で御座います、恐れ入りました』 暗がりより、 声(浅公、幾公、梅公)『エー四の五の吐さず、トツトと帰れ』 忽ち五人の影は足音立てて一生懸命、西方指して走つて行く。暗がりより三人一度に、 三人(浅公、幾公、梅公)『ハヽヽヽ人の恐れる悪逆無道の鬼神共、脆いものだ。とうと御神力にくたばりよつたワイ。モシモシ旅のお方、偉い危ない事で御座いました。お怪我はありませぬか』 男(綾彦)『ハイ有難う御座います。私は弥仙山の麓に住居致す、綾彦と申す者、一人は私の女房のお民と申します。比沼の真名井ケ原へ参詣を致し、途中に日を暮らし、由良の湊まで行つて宿をとらうと思ひ、此処までやつて来ました所、大江山の鬼共に取囲まれ、生命を夫婦共取られようとする、危急存亡の場合、お助け下さいましてコンナ有難い事が、天にも地にも御座いませうか。此御恩を如何して返したら宜しう御座いませうか』 お民『誠に誠に、危い所、生命を拾うて下さいまして……貴方様は、吾々夫婦が生命の親で御座います。御恩返しには、如何なる事でも仰せ付け下さいませ。夫婦の者が力の尽せる限り御用を致します』 暗がりより、 三人(浅公、幾公、梅公)『私はウラナイ教の者で御座います。浅、幾、梅と申す三人の者。あなたも是れから神様の御恩報じに、無い生命だと思つて、ウラナイ教の道に入り、神様の為にお働きなさい。それが一番、吾々に対する恩返し……また神様に対する孝行と申すもの、………』 綾彦、お民一時に涙声、 綾彦、お民『ハイ有難う御座います。モウ斯うなる以上は無い生命を拾つて貰うたので御座いますから、仰せに従ひます、如何様の事なつと仰せつけ下さいませ』 浅公『ヤアよしよし、承知致した。サア是れから吾々が館へお越しなさい。斯う云ふ所にグヅグヅして居ると、又剣呑です。私達は急いで帰らねばなりませぬから、あなたも一緒にお越し下さい、何時蒸し返しに来るかも知れませぬよ』 夫婦『それはそれは有難う御座います。生命を助けて戴いた上に、又今晩御世話になるので御座いますか』 浅公『何、ソンナ御心配はチツトも要らない。世界の人を普く救ふのが、ウラナイ教の神様の御趣旨だ。サアサア帰りませう』 夫婦『有難う御座います。然らばあなた様方の御厄介に与りませうか』 浅公『チツとも遠慮は要らぬ、サアお出なさい。あなたは道の勝手も知らないし、マンなかをお出でなさい。吾々は後先を警護して上げませう』 夫婦『何から何まで御親切に……何時の世にかは忘れませう。是れと云ふのも、真名井の神様のおかげ……』 浅公『コレコレ御夫婦、今何と仰有つた、真名井の神様のお蔭と云はれましたが、真名井の神様にお蔭があるなら、参拝した下向の途に、コンナ災難に遭ふ筈がないぢやありませぬか。もしも吾々ウラナイ教の取次が来なかつたならば、あなたは、それこそ大変な目に遇つて居るのですよ。モウ真名井さまの事はスツカリと思ひ切つて、私達の信ずるウラナイ教へ入信しなさい』 夫婦『入信さして下さいますか、有難う御座います』 と三人の中に挟まれ、薄明りの道をトボトボと、魔窟ケ原指して誘はれ行く。魔窟ケ原の中途迄帰り来る折しも以前の丑、寅、鷹、辰、鳶の五人、 五人『ヤアこれは、浅公、幾公、梅公、御苦労で御座いました。今私達が御神前で御祈願をして居りました所、普甲峠の麓に大江山の鬼雲彦の眷族数多現はれ、二人の旅人を捕まへて無体の乱暴、既に生命まで奪らむと致して居るのが天眼に映りました。ヤアこら大変だと、又もや天眼通を光らかし見れば、森蔭に潜む百人余りの鬼の手下共、ヤア此奴ア助けねばなるまいと気を焦てど、何分遠隔の土地、そこへ天眼に映じたのはあなた方三人、二人の叫び声を聞きつけ、韋駄天走りに駆つけるのが見えた時の嬉しさ、吾々五人は神前より一生懸命に霊縛をかけると、鬼の手下の奴共、身体強直し苦み悶へる可笑しさ、蜘蛛の子を散らすが如く逃げ失せよつた。あの時に吾々が、此方から応援せなかつたら、随分貴方等も危いものであつた』 浅、幾、梅の三人、 三人(浅公、幾公、梅公)『それは御苦労でした。併しさう仰ると、吾々の働きはサツパリゼロの様に聞えますなア』 寅公『イヤ決して決して、あなた方が居つて呉れたばつかりに、此方の鎮魂が利いたのだ。全くはあなた方三人の功績が九分九厘だ。……ヤア其処に御座るお二人の方、霊眼で見た通りだ。能うマア貴方、助けて貰ひなさつた。型の良い方だ。サアサア吾々の本拠へお越しなさいませ』 夫婦『これはこれは、あなた方はウラナイ教のお方で御座いますか、いかい御世話になりました。どうぞ宜しうお頼み申します』 寅公『ヤア何事も神様の御引合せだ。モウ斯うなつては兄弟も同様だ。何の隔ても、遠慮も要らぬ。互に心を打明けて神様の為に働きませう。御大将の黒姫様や、高山彦さまも大変に御喜びなさいませう』 夫婦『あなた方の御大将が御座いますのか』 寅公『ヘエヘエ、有りますとも、それはそれは立派な、偉い方ですよ。吾々は影も踏めぬ位な者です。サアサア今日の吾々の手柄を、一つ帰つて御大将に報告致しませう』 夫婦『どうぞ宜しう、あなた方から御頼み下さいませ』 寅公『ヤア心配なさるな。神の道は結構なものですよ。一寸会うても十年の知己の様なものです……サアサア行かう』 と十人の同勢は地底の岩窟指して帰り行く。 (大正一一・四・二五旧三・二九松村真澄録) |
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霊界物語 | 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 | 09 朝の一驚 | 第九章朝の一驚〔六三七〕 晩秋の長き夜はいつしか明けて、朝霧籠むる東南の天に、太陽は霞みて低うかかり居る。高山彦は漸く起き上り、不便の地に似あはぬ贅沢三昧、朝風呂、丹前、長火鉢、入り日の影に当つたやうな細長き体に、長煙管を持つた黒姫と二人睦まじさうに、ニタニタと、昨夜の夢を思ひ出してか、悦に入つて居る。斯る処へ新参者の夫婦連、恭しく両手をつかへ、 綾彦『コレハコレハお二人様、お早う御座います、昨夜はいかい御厄介になりまして、吾々夫婦は暖かく寝さして頂きました。どうぞ今日より、折角の思召では御座いますが、吾々夫婦にお暇を下さいませ』 黒姫、怪訝な顔にて、 黒姫『お前は昨夜来た許りぢやないか、あれ程固い事を云つて居つて、一夜の間にさうグラグラと心をかへて何うするのだい。大方お民を高城山へ遣はすのが、夫婦共お気に入らぬのだらう、ヤアそれは若い夫婦として御無理もない、併しながら此処が辛抱だ、前夜も云つたやうに、一つの苦労心配と云ふ事がなければ、人間は誠の花が咲きませぬぞや』 綾彦『重ね重ねの御教訓、誠に有難う御座います、併し乍ら吾々夫婦は一旦神様にお任せした以上は、仮令夫婦がこの儘生別れにならうとも、ソンナ事に執着心は持ちませぬ。併しながら、夜前承れば皆様のお酒の上のお話に、八人の方が八百長をお行りなされて、私をウラナイ教に引き込む手段で、俄に芝居を仕組まれましたのですから、私のやうな馬鹿正直者は、到底あの方々と共に暮す事は出来ませぬから、どうぞお暇を下さいませ』 黒姫『何と妙な事を仰有るぢやないか、誠正直一方のウラナイ教に、ソンナ八百長芝居があるものか、大方お前旅の疲れで、ソンナ夢でも見たのだらう』 綾彦『イエイエ決して夢では御座いませぬ、夜前貴方様に御挨拶をして、寝さして貰はうと思ひ、廊下を通りますと、皆さまがお酒に酔ひ、面白さうなお話、聞くともなしに吾々夫婦の耳に雷の如くに響いたのは、夜前普甲峠の辛辣な計略、一伍一什の自慢話、私は腹が立つやら恐ろしいやら、一旦有難いと思うた信念も煙と消え、唯口惜しさに二人は一睡もせず、夜の明けるのを待つて泣いて居りました。必ず夢ぢや御座いませぬ、何卒お暇を下さいませ』 黒姫不思議の顔をして、 黒姫『何とお前合点が行かぬ事を仰有る。どうかして居るのぢやないかな、此処の若い者には、毎日噛みて含めるやうに誠の道が説き聞かしてある。鵜の毛で突いたほども嘘を云ふものはない、あまり正直で間が抜けて、当世に役に立たぬやうな代物ばかりぢや、ソンナ筈は断じてありませぬ、それや何かの幻でせう』 お民『イエイエ決して幻でも何でも御座いませぬ、現に夜前のお方が自慢話に仰有つたのをお民は確かに聞きました』 と聞くより黒姫は訝しがり、 黒姫『一寸待つて下さい、妙な事を云ひなさる、今査べて見ませう。これこれ浅公、幾公、梅公、寅公、辰公、鳶公、皆々此処へ、尋ねたい事がある、出て来なさい』 と稍慄ひ声で呶鳴り立てる。此声に一同八人はバラバラと現はれ来り、各自蛙踞ひになつて、 一同『今吾々を、お呼びになつたのは、何御用で御座いますか、ねつから間に合ひませず、偶に人を助けた位で沢山の御馳走を戴き、まだ其上に何彼の恩命を下し給ふのは余り勿体なくて冥加に尽きます、何一つ御恩報じも致さず、誠に恥かしい次第で御座います。ヤアお前は夜前の人、マアマアよかつたねエ、これと云ふのも全くウラナイ教の神様のお蔭だ、次には私達のお蔭だよ、此御恩は何時迄も忘れてはなりませぬぞえ』 綾彦、煮え切らぬ返事、 綾彦『ヘエ』 お民『ヒン』 浅公『これこれお民さまとやら、その返事は何だ。痩馬か何ぞの様にあげづらをしてヒンなぞと、命の恩人に向つて嘲弄するのかい、イヤ挑戦的態度を執るのだな』 お民『ヘン』 黒姫『お前達八人の者、夜前の話をもう一遍詳しうして下さらぬか』 梅、肩を怒らし得意顔で、 梅公『アヽ夜前の吾々の功名手柄話ですか、よう聞いて下さいました。唯一回だけでは折角の神謀奇略、ではない辛苦艱難したことが、貴女のお心に十分徹底しないやうな心持がして物足りないと思つて居ました。それはそれは随分沢山な鬼の手下共』 と針小棒大にべらべらと喋り立てるを黒姫は、 黒姫『アヽそれは嘘ぢやあるまいなア』 梅公『エヽ決して決して嘘と坊子の頭は生れてからいうた事がありませぬ、正真正銘ネツトプライスの物語ですよ』 黒姫『それでもお前、夜前酒を飲みて、種々の手段を廻らし、八百長をやつて此方を無理に信仰させ、引張つて来た手柄話を交る交るやつて居たぢやないか、誠一つの神の教の道に居ながら、何と云ふ事をするのだい。綾彦夫婦が大変残念がつてこれから暇をくれと云うて居らつしやる所だ。何程云つて聞かしてもお前等は駄目だ、サア只今限り浅、幾外六人破門する。エヽ汚らはしい、ウラナイ教を破る者は外からでない、ウラナイ教から現はれるから気をつけよと神様が仰有つた、何程要害堅固な針をもつて固めた丹波栗でも、中からはぢけ落ちるやうに、お前等はウラナイ教の爆裂弾ぢや、神様のお道の面汚し、アヽ汚らはしい、トツトと一時も早く帰つて下さい』 梅公『それは何を仰有います、傘屋の丁稚ぢやないが、骨折つて小言を聞かされては梅公一同も一向算盤が合ひませぬ』 黒姫『それでも蛙は口からと云うて、現在お前の口から自白したぢやないか』 梅公は空とぼけて、 梅公『アヽあれですかい、夜前は沢山なお酒を頂いて気が緩みたものですから、其処へ大江山の悪魔の霊が襲うて来よつて、吾々八人の功名手柄を抹殺しやうと思ひ、私を初め皆にのり憑り、酒は私には余り呑まさず、悪霊が皆飲みて仕舞ひ、遂には私等の口を藉りて反間苦肉の策をやりよつたのですよ、真実に悪霊と云ふものは油断のならぬものですなア、アハヽヽヽ。オイ浅、幾、寅、辰、鳶、鷹公、貴様も余程腹帯を締めぬと昨夜の様に魔霊に襲はれ、鬼の容器になつて仕舞うぞよ』 辰公『偉さうに云ふない、貴様にも矢張鬼が憑いて居るのぢやないか』 梅公『それやさうだ。お互さまぢや、悪平等的に、吾々八人にすつかり憑依しよつたのだ、アヽ何だか気分が悪い、どうぞ高山彦さま、黒姫さま、一遍悪魔の入らぬやう、ウンと神霊注射の鎮魂をして下さいませな』 黒姫『オホヽヽヽ、アヽさうだつたか、大抵ソンナ事だと思うて居た。之から気をつけなさい、追て鎮魂して上げるから、谷川にでも行つて充分体を清めて来るのだよ』 梅公『オイ、大江山の鬼の住宅七軒の奴、サア洗濯だ。又もや鬼の来ぬまに洗濯婆サン婆サン』 と志やり散らし乍ら、尻引きからげ、細い岩戸を潜り谷川目蒐けて走り行く。後には高山彦、黒姫、綾彦、お民の四人。 黒姫『ヤア油断のならぬ悪霊ぢや、折角の綾彦夫婦が善の道に救はれようとなさる最中に、執拗なる鬼の霊がやつて来よつて引落しにかからうとする。高山さま、確りせないと、何時悪霊が襲来するやら分りませぬなア』 高山彦『ヤアさうだなア、これこれお二人のお方、心配なさるな、今お聞の通りだから決してウラナイ教にはソンナ悪いものは居りませぬ、安心なされ』 綾彦『悪霊と云ふものはソンナものですか、ヘエ油断がなりませぬなア』 黒姫『隅から隅まで、蜘蛛の巣を張つたやうに手配りをして居ますから、一寸も油断は出来ませぬよ、貴女は未だウラナイ教は初めてですから、霊の事を云つても分りますまいが、暫く信神して見なさい、何も彼もすつかり分つて来ます、さうしたらお前さまの疑も氷解するでせう』 お民『アヽ左様で御座いましたか、誠にお気を揉ましまして申訳が御座いませぬ、どうぞ宜敷お願ひ致します』 黒姫『アヽ、それで好い好い、奥へ往つて神様にこの解決がついたお礼を云つて来なさい』 二人は叮嚀に頭を下げ、静々と神壇の間に進み行く。 梅公外七人は黒姫の面部にさつと現はれた低気圧の襲来を、危機一髪の間にやつと許され、虎口を逃れた心地して谷川目蒐けて禊のために走り行く。梅公は道々、 梅公『嗚呼恐ろしや恐ろしや剣を渡る心地して あらぬ智慧をば絞り出し反間苦肉の策を立て 漸く目的成就して意気揚々と立ち帰り 黒姫さまの御前に忠臣気取で報告し やつと解けた閻魔顔福禄寿の様なハズバンド 高山彦の目の前で手柄話を諄々と 並べ立つれば黒姫も相好崩して感歎し 褒美の積りで甘酒をどつさり飲まして呉れた故 出会うた時に笠ぬげと世の諺の其儘に 前後を忘れて舌鼓うつて廻つた酒の酔ひ 副守か何か知らねども功名心にかり出され 迂闊と喋つた謀み事天に口あり壁に耳 いつの間にかは綾彦やお民の奴に顛末を 一切残らず聞き取られ知らぬが仏、神心 白河夜船のぐうぐうと夢路を渡り起き上り 互に顔を見合せて旨くやつたな、ようやつた 俺の知識はこの通り文殊菩薩も丸跣 是から信者を集めるは是より外に手段なし これや好い事を覚えたと心窃に誇りつつ 肩肱怒らす折柄に黒姫さまの高い声 こいつアてつきり御褒美と喜び勇み八人が 西瓜頭を並ぶれば電光石火雷の 轟くやうな凄い声胆玉取られ臍ぬかれ 爪を取られて恥をかき此難関を如何にして 突破し呉れむと首ひねる折しも浮かぶ守護神 法螺を副守のべらべらと布留那の弁の黒姫を 煙に捲いて大江山鬼の悪霊の仕業よと 大責任を転嫁する早速の頓智、梅公が 甘い理屈に欺かれ閻魔の顔は忽ちに 急転直下の地蔵顔鬼と仏の入替はり やつと破門を助かつて黒姫さまの命令で 憑依もしない悪霊を放り出すために谷川で 禊をせいと教へられ胸撫で下ろし皺延ばし 国家興亡はまだ愚か危急存亡の身の始末 川に流した心地して漸く此処にやつて来た あゝ面白い面白い孫呉に勝る兵法を 際限もなく編み出し虱殺しに諸人を 一人も残さずウラナイの教の道に引き入れて 鼻高姫や黒姫の笑壺に入るが吾々の 上分別では在るまいか知識の浅い浅公よ 意気地の弱い幾公ようめい智慧出す梅公の 手足の爪でも頂戴し煎じて飲めば偉くなる 寅公、辰公、鳶公よ是から俺の云ふ事を 聞いて出世をするがよい黒姫さまの大将が 口を極めてべらべらとお節を説いてウラナイの 道に入れよと全力を尽して見てもあの通り 弁論よりも実行だ直接行動に限るぞや さは然りながら皆の者夢にもコンナ計略を 高山さまや黒姫に必ず喋舌つちやならないぞ 若しも分つた其時は皆、各々の鼻の下 大旱魃の大恐慌蛙は口から、うつかりと 酒を飲む時や心得よ心一つの遣ひよで 賢も見える又阿呆に見えると思へば口だけは どうぞ慎み下されよ賛成のお方は手をあげて 拍手喝采してお呉れあゝ惟神々々 御霊幸倍坐しませよ月は盈つとも虧くるとも 朝日は照るとも曇るとも仮令大地は沈むとも 黒姫さまが怒るとも金輪奈落この秘密 云うてはならぬぞお互の身の一大事と心得て 必ず口外するでない秘密はどこ迄秘密だよ 神の奥には奥がある其又奥には奥がある 奥の分らぬ梅公の智慧の奥山踏み分けて 確と梅公に従いて来いこいでこいでと松世はこいで 末法の世が来て門に立つ一つ違へば俺達も 門に立たねば、ならぬとこ持つて生れた智慧の徳 大きな顔して黒姫に賞めて貰うて傲然と ウラナイ教の宣伝使あゝ面白い面白い 唯何事も人の世は曲津に見直し聞直し 身の過ちは都合好く宣り直すのが智慧の徳 あゝ惟神々々叶はぬ時があつたなら 頭を下げて梅公にドンナ事でも聞くがよい 聞くは当座の恥なれど聞かずに知つた顔をして 失敗したら末代のそれこそ恥となる程に 阿呆正直今迄の態度すつくり立替へて 権謀、術策、戦略に心の底から立直せ あゝ惟神々々何故に是程よい智慧が 梅公だけは出るであろあゝ其筈ぢや其筈ぢや 厳の霊のお筆先一度に開く梅の花 梅で開いて常磐の松で世界治める神の道 見違ひするなよ皆の奴黒姫さまは偉くとも 高山さまを貰うてから何とはなしにぼつとした これから俺が全軍の参謀総長である程に 参謀本部の梅公の指揮命令に従つて 事を執るなら毛の条の横幅程も違算なし 余程偉い守護神俺に守護をして御座る 必ず俺が云ふでない日の出神や竜宮の 乙姫さまのお脇立中でも一層偉い奴 吾が神勅を軽蔑し必ずぬかりを取らぬやう 皆の奴等に気をつけるあゝ惟神々々 叶はぬ時の神頼みアハヽヽハツハアアハヽヽヽ』 一同『アハヽヽヽ、随分偉くメートルを上げたものだなア』 梅公『何をごてごて吐くのだ、貴様等の命の親だ、お飯の種だ、サアサア黒姫さまがお待ち兼だ。御禊がすみたら帰らう』 一同はバラバラと元の地底の岩窟に向つて帰り行く。 (大正一一・四・二六旧三・三〇加藤明子録) |
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霊界物語 | 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 | 10 赤面黒面 | 第一〇章赤面黒面〔六三八〕 谷川に禊を済まして、梅公一行は再び地底の館に帰り来たり、 梅公『高山彦様、黒姫様、お蔭で大江山の悪霊も、スツカリ退散致しました。そこら中が何ともなしに軽くなつた様で、明晰な頭脳が益々明晰になり、モウ是れで大宇宙の根本が、現界、神界、幽界の、万事万端手に取る如く明瞭に、梅が心鏡に映ずる様になつて来ました。随分御禊と云ふものは結構なものですなア』 黒姫『さうだろさうだろ、何時もそれぢやから、朝と晩と昼と、間さへあれば、お水を頂きなさいと云うとるのぢや。火と水とお土の御恩が第一ぢや。何時も水を被るのは、蛙の行ぢやと言つてブツブツ叱言を云つてらつしやるが、今日は合点がいつただらう』 梅公『ヤアもう徹底的に分りました。有難い事には、日の出神様と竜宮の乙姫さまが私の肉体にお懸り下さいまして、結構で御座いました』 黒姫『これこれ梅公、何と云ふ傲慢不遜な事を言ひなさる。日の出神様は、誠水晶の生粋の根本の元の身魂でなければお憑りなさらず、又竜宮の乙姫さまは、因縁の身魂でなければ、誰にも、彼れにもお憑りなさる筈がない。「昔から神はものを言はなンだぞよ。世の変り目に神が憑りて、世界の人に何かの事を知らせねばならぬから、因縁の身魂に神が憑りて、世界の初まりの事から、行末の事、身魂の因縁性来を細かう説いて聞かして、世界の人民を改心さすぞよ。稲荷位は誰にも憑るが、誠の大神は禰宜や巫子には憑らぬぞよ」と変性男子の身魂が仰有つて御座る。それに何ぞや、下司の身魂にソンナ結構な神様が憑りなさる筈があるものか。日の出神の生宮が、さう二つもあつたり、竜宮の乙姫さまの生宮が、さう彼方にも此方にも出来て堪るものか。お前は一寸良いと直によい気になつて、慢心をするなり、一寸叱られると、直に青くなつてビシヨビシヨとして了ふ。それと云ふのも、モ一つ腹帯が締つて居らぬからぢや。身魂相応の御用をさされるのぢやから、慢心をし、高上りをしてブチヤダレヌ様にしなされや、灯台下はまつ暗がり、自分の顔の墨は分るまい。空向いて世の中を歩かうと思へば、高い石に躓いて、逆トンボリを打たねばならぬぞよ。開いた口がすぼまらぬ様なことのない様に、各自に心得たが宜いぞ』 梅公『ヤア承知致しました。併し乍ら、臨時御降臨遊ばしたのだから仕方がありませぬ』 黒姫『そら何を云ひなさる。神憑には公憑、私憑と二つの種類がある。其中でも私憑と云ふのは、因縁の身魂丈によりお憑りなさらぬと云う事ぢや。国治立命は変性男子の肉体、日の出神は系統の肉体、竜宮の乙姫は又その系統の肉体と、チヤンと定つて居るのぢや。公憑と云うて、上の方の身魂にも、中の身魂にも、下の身魂にも臨機応変に憑ると云ふ様な、ソンナ自堕落な神さまとは違ひまつせ。竜宮の乙姫さまを、何と思うて居りなさる。チツトお筆先でも拝読きなさい。お筆さへ腹へ締め込みておきたら、目前の時に、ドンナ神力でも与へて下さる。兎角お前達は、字が悪いとか、読み難いとか、クドイとか、首尾一貫せぬとか、肉体が混つとるとか、ここは神諭ぢや、此点は人諭ぢやと、屁理屈ばつかり仰有るから、サツパリ訳が分らぬ様になつて了うのだ。日の出神の生宮のお書き遊ばしたお筆先を審神したり、しやうとするから間違ふのだ。是れから、絶対に有難いと思うていただきなさい』 梅公『私はお道を開く因縁の身魂ぢやありませぬか』 黒姫『きまつた事ぢや。因縁なくて、此結構なウラナイ教へ来られるものか』 梅公『因縁の身魂の中でも、私は最も因縁の深いものでせう。高姫さまは高天原に因縁のある名ぢやし、黒姫さまは、くろうの固まりの花が咲くとお筆先に因縁があるなり、私は三千世界一度に開く梅の花と云ふ、変性男子の初発のお筆先に出て居る因縁の名ぢやありませぬか。何と云つても梅は梅、一度に開く役は梅公の守護神のお役でせう』 黒姫『此広い世界に、梅の名のつくのは、お前ばつかりぢやないわいな』 梅公『それでも、今あなた、因縁の身魂ばつかり引き寄せて有ると仰有つたぢやありませぬか。ウラナイ教へ引寄せられた人間の中に、梅の名の付いた者が、一人でもありますか。松で治めると云ふ、松に因縁のある松姫さまは、高城山であの通り羽振りを利かし、なぜ此梅公は、さうあなたから軽蔑されるのでせう』 黒姫『もうチツと修業しなされ。さうしたら又、松姫と肩を並べる様にならうも知れぬ。併し今日は初めて綾彦、お民に、宣伝を、竜宮の乙姫の肉体が、直接にしてあげるから、お前もシツカリ聴きなされ。そして此肉体の宣伝振をよく腹へ締め込みて、世界を誠で開くのぢやぞえ』 梅公『それは有難う御座います。吾々も傍聴の栄を得まして……』 黒姫『コレコレあまり喋るものぢやない……男だてら……口は禍の門ぢや。黙つて謹聴しなさい』 と押へつけ乍ら、少し曲つた腰付をして底太い声を張上げ歌ひ始めたり。 黒姫『昔の昔その昔遠き神代の初めより 国治立の大神は千座の置戸を負ひ給ひ 世を艮に隠れまし三千年の其間 苦労艱難遊ばして此世を永久に開かむと 種々雑多と身をやつし蔭の守護を遊ばされ ミロクの御代を待ち給ふ時節参りて煎豆に 花咲く御代となりかはり変性男子の御身魂 道具に使ふて昔から末の末まで見通され 尊きお筆を出しまし世に落ちぶれた神々を 今度一緒に世にあげてそれぞれお名を賜ひつつ 神の御用に立て給ふ時節来たのを竜宮の 乙姫様は活溌な御察しの良い神故に 今まで生命と蓄へた金銀、珠玉、珊瑚珠も 残らず宝投げ出して大神様へ献つり 穢ない心をスツパリと海へ流して因縁の 身魂と現れし黒姫を神政成就の機関とし 現はれ給うた尊さよ今まで竜宮の乙姫の 醜しかつた御霊丈系統の身魂に憑られて 懺悔遊ばし一番に改心なされた利巧者 三千世界の世に落ちた神々さまは竜宮の 乙姫さまを手本とし力一杯身魂をば 磨いて今度の御大謨にお役に立つた其上で それぞれお名を頂いて結構な神と祀られる 三千世界の梅の花一度に開くと云ふ事は 永らく海の底の底お住居なされた竜宮さま 肉のお宮にをさまりて広い世界の民草に 誠一つのお仕組を現はしなさるお働き 日の出の神と引つ添うて今度の御用の地となり 神の大望成就させ天にまします三体の 大神様へ地の世界斯うなりましたとお目にかけ お手柄遊ばす仕組ぞや此お仕組は三五の 神の教を厳御霊変性男子の筆先に くまめる様に書いてある其筆先の読み様が 足らぬ盲のミヅ御霊変性女子が混ぜ返し 蛙の行列向ふミヅ瑞の御霊と偉相に 日の出神の筆先を何ぢや彼ンぢやとケチをつけ 黒姫までも馬鹿にするされ共此方はどこまでも 耐り耐りて出て来たが余り何時まで分らねば 是非に及ばず帳を切り悪の鑑と現はして 万劫末代書き残す変性男子は唯一人 変性女子も亦一人それに何ぞや三つ御霊 三つもあつてたまるかい此事からが間違ひぢや 変性男子は経の役変性女子は緯の役 経と緯とを和合させ錦の機を織る仕組 日の出神が地となりて竜宮様のお手伝ひ 今度一番御出世を遊ばす事を知らないか 必ず必ず三五の緯の教に迷ふなよ 経が七分に緯三分これでなければ立派なる 誠の機は織れないに三五教の大本は 次第々々に紊れ来て経が三分に緯七分 変性男子は先走り変性女子は弥勒さま 何ぢや彼ンぢやと身勝手な理屈を並べて煙に巻く 此儘棄てて置いたなら変性男子の永年の 艱難苦労も水の泡水の泡にはさせまいと 系統の身魂を選り抜いて日の出神が現はれて 誠の筆先書きしるし一度読めよと勧むれど 変性女子の頑固者どうして此れが読まれよかと 声を荒立て投げつけるそれ程厭なら読までよい 後で吠面かわくなと言うて聞かしてやつたれど 訳の分らぬ頑固者神の恵を仇に取り 何ほど親切尽してもモウこの上は助けやうが 無いと悔みて高姫が何時も涙をポロポロと 零して御座るお慈悲心それに続いて分らぬは 金勝要の大御神この肉体もド渋とい まだまだ渋とい奴がある仮令大地は沈むとも 生命の綱が切れるとも日の出神の筆先は 当にならぬと撥ねつける木の花姫の生宮と 嘘か本真か知らねども現はれ出でた男女郎 火が蛇になろがどうしようが改心させねば置くものか 縦から横から八方から探女醜女を遣はして いろいろ骨を折るけれど固より愚鈍な生れつき 石の地蔵に打向ひ説教するよな塩梅で どしても聞かうと致さない木の花姫の肉体を 改心させねば何時までも神の仕組は成就せぬ ウラナイ教も栄やせぬサア是れからは黒姫の 指図に従ひ身をやつし千変万化に活動し 一日も早く因縁の身魂を改心さす様に 祈つて呉れよ黒姫もこれから百日百夜は 剣尖山の谷川の産のお水で身を清め 一心不乱に祈念するアヽ惟神々々 御霊幸はひましませよ』 と汗をブルブルに掻き、身体一面ポーツポーツと湯気を立て、 黒姫『アーア苦しいこと。……世界の人民を助けようと思へば、並大抵ぢやない、変性男子や高姫さまの御苦労が身に浸みて、おいとしう御座るわいの、オンオンオン』 と泣き崩れる。 これより黒姫は、百日百夜、宮川の滝に水行をなし、高山彦の懇望もだし難く、一旦数多の信徒を宣伝使に仕立てて、自転倒島の東西南北に間配り置き、手に手を把つて、フサの国へ渡り、高姫の身許に着きける。高姫は三五教の勢力侮り難きを黒姫より聞き、黒姫を北山村の本山に残し置き、自らは二三の弟子と共に、自転倒島に渡り、再び魔窟ケ原に現はれ、衣懸松の下にて庵を結び、三五教覆滅の根拠地を作らむとして居たのである。又もやそれより由良の湊の人子の司、秋山彦が館に於て、冠島、沓島の宝庫の鍵を盗り、遂には如意宝珠の玉を呑み、空中に白煙となりて再び逃げ帰りしが、それと行違に黒姫は、又もや魔窟ケ原に現はれ、草庵の焼跡に新に庵を結び、前年高姫と共に築き置きたる地底の大岩窟に居を定め、極力宣伝に従事して居たりしなり。然るに黒姫の部下に仕ふる夏彦、常彦、其他の弟子共は、フサの国より扈従し来り乍ら、少しも黒姫に夫ある事を知らざりける。黒姫は独身主義を高唱し、盛ンに宣伝をして居た手前、今更夫ありとは打明け兼ね、私に高姫に通じて、神界の都合と称し、始めて夫を持つた如く装ひける。高山彦の表面入婿として来るや、以前の事情を知らざりし弟子達は、黒姫の此行動に慊らず、遂にウラナイ教を脱退するに至りたるなり。夏彦、常彦以下の主なる者は、此時高城山に立籠り、東南地方を宣伝し居たれば、梅、浅、幾などの計らひに依りて、新に入信したる綾彦の事は少しも知らざりける。また高城山の松姫が侍女として仕へ居るお民の素性も、気が付かず、唯普通の信者とのみ思ひて取扱ひ居たりしなり。黒姫は又もや剣尖山の麓を流るる宮川に、綾彦外一人を伴ひ、禊の最中、紫姫、青彦の一行に出会し、青彦が再びウラナイ教に復帰せしと聞き、喜び勇みて、この岩窟に意気揚々として帰り来たりしなり。 ○ 黒姫『サアサアこれが妾の仮の出張所だ。大江山の悪魔防ぎに地下室を拵へて有るのだから、這入つて下さいませ。……青彦、お前は勝手をよく知つてる筈ぢや。どうぞ皆さまを叮嚀に案内をしてあげて下さいな』 鹿公『ヤアこれは又奇妙なお住居ですな、三五教の反対で、穴有教だなア、ヤア結構結構、穴有難や穴たふとやだ』 と一人々々、ゾロゾロと辷り込む。 黒姫『モシモシ高山彦さま、極道息子が帰つて来ました。どうぞ勘当を赦してやつて下さい』 高山彦『ヤアお前の常々喧しう言つて居つた……これが青彦だらう』 青彦『ハイ始めてお目にかかります。どうぞ宜しう御願ひ致します』 高山彦『ハイハイ、もう是れからは、あまりグラつかぬ様にして下さい』 青彦『決して決して、御心配下さいますな』 高山彦『ヤアなンと綺麗な娘さまがお出になつたぢやないか』 青彦『此お方は由緒ある都の方で御座いますが、お伊勢様へ御参拝の折、黒姫様の言霊を聞いて、大変感心遊ばし、「どうぞ妾も入信が致したう御座いますから、青彦さま、頼みて下さいな」ナンテ、それはそれはお優しい口許でお頼みになりました。私もコンナ綺麗な方が、男ばつかりの所へお出になつては、嘸御迷惑だらうと思ひましたけれども、折角のお頼み、無下に断る訳にもゆかず、黒姫様に御取次致しました。黒姫さまは二つ返辞で承知して下さいました』 紫姫『ホヽヽヽヽ』 と袖に顔を隠す。 黒姫『コレ青彦、チツと違つては居らぬかな』 青彦『アーさうでしたかなア。あまり嬉しかつたので、精神錯乱致しました。どうぞ見直し聞直しを願ひます』 黒姫『青彦お前は久振で親の家へ帰つたのだから、気を許して奥でゆつくりと寝なされ、今は新顔ばつかりで、お前の知つて居る者は、みなフサの国の本山へ往つたり、高城山へ行つて居る、馴染がなくて寂しいだらうが、気の良い者ばつかりだから、気兼なしにユツクリと休まつしやい。馬公鹿公も、トツトとお休み、又明日になつたら結構な話を聞かしてあげる。……サテ紫姫さまとやら、あなたは三五教の宣伝使におなりになつたのは、何を感じてですかなア。何か一つの動機がなければ、あなたの様な賢明な淑女が、あの様な瑞の御霊の混ぜ返し教に入信なさる道理がない。みな奥へ行つて睡眼みて了つたから、誰も聞く者もないから、遠慮なしに話して下さいな』 紫姫『ハイ有難う御座います、別に是れと云ふ動機も御座いませぬ。国家の為社会の為に舎身的の活動をなさる瑞の御霊の大神さまに同情を表しまして、つい何とはなしに宣伝使になりました』 黒姫『それはそれは結構な事だ。身魂の因縁がなくては、到底尊い宣伝使にはなれませぬ。三五教もウラナイ教も、みな変性男子、変性女子と、経と緯との身魂が現はれて錦の機の仕組をなさるのぢやが、併し乍ら、素盞嗚尊は天の岩戸を閉めるお役で、大神様が、此世の乱れた行方がさしてあると仰有る。ナンボ神様の仰有る事でも……これ丈乱れた世の中を、治める事を措いて、乱れた方の御守護をしられて堪りますか。そこで吾々は元は三五教の熱心な取次だが、今では変性女子の行方に愛想をつかし、已むを得ず、ウラナイ教と名をつけて、神様の御用をして居りますのぢや。同じ事なら三五教の名が附けたいけれど、高姫や黒姫は、支部ぢやとか、隠居ぢやとか言はれるのが癪に障るので、已むを得ず結構な結構なウラル教の「ウラ」の二字を取り、アナナイ教の「ナイ」の二字をとつて、表ばつかり、裏鬼門金神の変性女子の教は一寸も無いと云ふ、生粋の日本魂のウラナイ教ぢや。お前も、同じ宣伝使になるのなら、喰はせものの三五教を廃めてウラナイ教になりなされ。あなたのお得ぢや。否々天下の為ぢや』 紫姫『素盞嗚尊さまは、それ程悪いお方で御座いますか。世界万民の為に千座の置戸を負うて、世界の悪を一身に引受け、人民の悪い事は、みな吾が悪いのぢやと言つて、犠牲になつて下さる神さまぢや有りませぬか』 黒姫『それはさうぢやけれども、モ一つ我が強うて改心が出来ぬものぢやから、神界のお仕組が成就しませぬ。何と言うても、高天原から、手足の爪まで抜かれて、おつ放り出される様な神ぢやから、大抵云はいでも分つとる。お前も能う胸に手を当てて御思案なさいませ』 紫姫『ウラナイ教には、ちツとも……仰有る通り裏がないので御座いますか』 黒姫『勿論の事、見えた向きの、正真正銘、併し乍ら、神様のお仕組は奥が深いからなア、一寸やそつとに、人間の理屈位では分りませぬ。マアマア暫く絶対服従で信神して見なさい。御神徳が段々分つて来るから』 斯く話す折しも、慌ただしく走り帰つた二人の男。 黒姫『ヤアお前は滝と板とぢやないか』 滝公、板公『ハイ左様で御座います』 黒姫『昨日から此処を飛び出した限り、どこをウロウロ迂路ついとつたのだい』 滝公『ハイ昨日遅がけに、一人の女が通りましただらう。それをあなたが捉まへて来いと仰有つたものだから、此奴ア又、梅公の故智に倣つて、一つ大手柄を現はし、あの女を入信させてやるか、あまり諾かねば、何れ三五教の奴だから、叩き潰してやらうかと思うて、あなたの御命令で追ひかけて行きました』 黒姫『誰が叩き潰せと言つたのか。丹波村のお節に違ひないから、捉まへて来いと言つたのだ、そして其お節を如何したのぢやい』 滝公『板公と二人、尻引き捲つて……お節は走る、二人は追ひかける、船岡山の手前までやつて来ると、日は暮れかける。お節は石に躓きパタリと倒れたので、其間に追ひつき、無理無体に手足を括り、暗の林に連れ往つて、グツと縛りつけ、猿轡を箝ませ、再び姿を改ため、……コレコレどこのお女中か知らぬが、コンナ所に悪者に括られて可愛想に……と云つて助けてやる。さうすれば如何なお節もウラナイ教の親切に感じて、三五教を思ひ切るだらう……と思ひまして、一寸智慧を出しました。さうした所が、お前さまがやつて来て、種々と仰有るものだから、暗がり乍ら御案内しました。……あなた覚えが御座いませう……忽ちお節は息が切れ、厭らしい声を出して、化けて出よつた、其途端に私は尻餅を搗いて、暗さは暗し、傍の谷川へサクナダリに落ち滝つ、腰イタツ磐根に打据ゑて、それはそれは酷い目に遭ひました。暫くは気を取り失うて、半死になつて了ひ、苦みて居るのに、あなたは側へ来て居り乍ら私を見殺しにして帰りなさつたぢやないか。何時も人を助ける助けると仰有るが、アンナ時に助けて貰はねば、常に御大将と仰いで居る甲斐がありませぬワ』 黒姫『そら何を云うのだ、妾が何故ソンナ所へ行く必要があるか、又何とした乱暴な事をするのだい。ソンナ事がウラナイ教の教にありますか。モウ今日限り、破門するツ、サア出て行け出て行け』 滝公『悪人は悪人とせず、鬼でも、蛇でも、餓鬼虫けらでも助けるのが、ウラナイ教ぢや有りませぬか。出て行けとはチツと聞えませぬワ』 黒姫『モシ紫姫さま、斯う云ふ取違する者がチヨコチヨコ出来ますので、誠に困ります。併し乍ら、コンナ者ばつかりぢや御座いませぬ。これは大勢の中でも、選りに選つて一番悪い奴で御座います。そして又入信してから、幾らもならぬものですから、つい脱線をしましてナ』 板公『モシモシ黒姫さま、余り甚いぢやありませぬか、私が悪人なら、モツとモツと大悪人が沢山居りますで……綾彦だつて、お民だつて、改心さしたのは、あなた知らぬか知らぬが、それはそれは大変な酷い事をやつて入信させたのだ。私も兄弟子の兵法を倣つて巧くやらうと思つたのが当が外れた丈のものですよ、あれ程喧しう下の者が噂をして居るのに、あなたの耳へ這入らぬ筈はない、一年からになるのに、世界が見え透くと云ふあなたが、知つとらぬとは言はれませぬ。腹の底を叩けば、「権謀術数的手段は用ゐるな。併し俺の知らぬ所では都合よく行れ、勝手たるべし」と云ふ、あなたの御精神でせう』 滝公『ソンナこたア、言はなくても定まつて居るワイ。あれ程、神の取次する者は、独身でなければ可かぬと仰有つた黒姫さまでさへも、ヤツパリ言うた事をケロリと忘れて因縁だとか、御都合だとか理屈を附けて、ハズバンドを持たつしやるのだもの、言ふ丈野暮だよ』 黒姫『何を言ふのだ。早う出て下さい』 滝公『都合が悪うおますかなア……初めての入信者の前ですから、成るべくは、コンナ内幕話は言ひたくはありませぬが、お前さまが今日から除名すると仰有つた以上は、今迄の師匠でもなければ、弟子でもない。力一杯奮戦して、どこまでも素破抜きませうか』 黒姫は唇を震はし、目を逆立て、クウクウ歯を喰ひしばつて、怒つて居る。 滝公『モシ黒姫さま、怒る勿れ……と云ふ事がありますなア。怒つて居るのぢやありませぬか。チツと笑ひなされ』 黒姫『ウームウーム』 と歯を喰ひしばり、目を剥いて居る。 紫姫『これはこれは滝さまとやら、板さまとやら、良い加減にお静まりなさいませ。夜前あなたがお節さまを悩めて御座る所を、妾外三人の者がよく見て居りました。黒姫さまは決してお出でぢやありませぬ。妾の連の鹿と云ふ男が黒姫さまの……暗を幸ひ……声色を使つたのですよ。それに黒姫さまがお出でになつたなぞと仰有つてはお気の毒ですワ、お節さまはこの奥へ来て、スヤスヤ寝みてゐらつしやいますよ』 滝公、板公『エー何と仰有る、お節さまが……そいちやア大変だ』 紫姫『さう御心配なされますな、青彦さまも見えて居ります』 滝公『ヤアうつかりして居ると、ドンナ目に合ふか分らぬぞ。仇討に……岩窟退治に来よつたのだなア。……オイ板公、黒姫さまはどうでも良い。生命あつての物種だ、見付からぬ間に、一刻も早く此場を退却だ』 と滝は駆出す。板も続いて、 板公『オイ合点だ』 と後を追ふ。黒姫は、 黒姫『オイこれこれ、滝公、板公、待つた待つた、言ひたい事がある』 滝板の両人は、岩穴の外から内を覗いて、 滝公、板公『黒姫さま、左様なら、ゆつくりと、青彦やお節に、脂を搾られなさつたが宜からう、アバヨ、アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ』 と云つた限り、何処ともなく……それ限りウラナイ教には姿を見せなくなりにけり。 紫姫は気の毒がり、 紫姫『モシモシ黒姫さま、お腹が立ちませうが、若い人の仰有る事、どうぞ宥して上げて下さいませ、……イヤもう人を使へば苦を使ふと申しまして、御苦心の程、お察し申します』 黒姫『これはこれは、ご親切によう言うて下さいました。無茶ばつかり申しまして困ります。これと言ふのも、決して決して、滝や板が申すのぢや御座いませぬ。又さう云ふ様な悪い事をする男ぢや有りませぬが、素盞嗚尊の悪神の眷属が憑つて、吾々を苦めやうと思うて、アンナ事を言つたり、したりするのです。チツとも油断はなりませぬ。悪神に使はれた、滝公板公こそ不憫な者で御座います、オンオンオン』 と泣き真似をする。 紫姫『黒姫さま、モウお休みなさいましたらどうでせう。大分夜も更けた様です』 黒姫『ハイ有難う、ソンナラお先へ御免蒙りませう。明日又ゆつくりと、根本のお話を聴いて貰ひませう』 紫姫『ハイ有難う』 と互に寝に就きにける。 (大正一一・四・二六旧三・三〇松村真澄録) |
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霊界物語 | 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 | 11 相身互 | 第一一章相見互〔六三九〕 降りみ降らずみ空低う四辺は暗く黄昏れて 山時鳥遠近に本巣かけたか、かけたかと 八千八声の血を吐いて声も湿りし五月空 憂に悩める人々を教へて神の大道に 救はむものと常彦が鬼ケ城山後にして 足もゆらゆら由良の川蛇が鼻、長谷の郷を越え 生野を過ぎての檜山須知、蒲生野を乗り越えて 駒に鞭打つ一人旅観音峠の頂上に シトシト来る雨の空遠く彼方を見渡せば 天神山や小向山花の園部も目の下に 横田、木崎と開展し高城山は雲表に 姿現はす夜明け頃眼下の野辺を眺むれば 生命の苗を植つける早乙女達の田の面に 三々伍々と隊をなし御代の富貴を唄ふ声 さながら神代の姿なり。 常彦は峠の上の岩石に凭れ、夜の旅路の疲れを催し、昇る旭を遥拝しつつ、知らず識らずに睡魔に襲はれ居る。 観音峠の頂上さして、東より登り来る二人の乞食姿、 甲(滝公)『人間も、斯う落魄れては、どうも仕方がないぢやないか。何程男は裸百貫だと云つても、破れ襦袢を一枚身に着けて、斯うシヨボシヨボと、雨の降る五月雨の空、どこの家を尋ねても、戸をピツシヤリ閉めて、野良へ出て居る者ばつかり、茶一杯餐ばれる所も無し、谷川の水を掬つて飲めば、塩分はあるが、忽ち腹の加減を悪うして了ふ。裸で物は遺失さぬ代りに、何か有りつかうと思つても、せめて着物丈なつとなければ、相手になつて呉れる者もなし。純然たるお乞食さまと、誤解されて了ふ。実に残念だなア』 乙(板公)『天下を救済するの、誠の道ぢやのと、偉相に言つて居るウラナイ教の高城山の松姫も、今迄とは態度一変し、飯の上の蠅を払ふ様に虐待をしよつたぢやないか。これと云ふのも、ヤツパリ此方の智慧が足らぬからぢや。雨には嬲られ、風にはなぶられ、おまけに蚊にまで襲撃され、七尺の男子が、此広い天地に身を容るる所もなき様になつたのも要するに、智慧が廻らぬからだよ。あの梅公の奴を始め、松姫の如きは、随分陰険な代物だが、巧妙く黒姫に取入つて、今では豪勢なものだ。何とかして、モウ一度黒姫の部下になる訳にはいかうまいかなア』 甲(滝公)『一旦男子が広言を吐いて、此方から暇を呉れた以上、ノメノメと尾を掉つて帰ぬ事が出来ようか。鷹は飢ゑても穂を喙まぬ……と云ふ事がある。ソンナ弱音を吹くな、暗の後には月が出るぢやないか』 乙(板公)『人間の運命と云ふものは定まつて居ると見える。黒姫や高姫、松姫はどこともなしに、丸い豊な顔をして居るが、丸顔に憂ひなし、長顔に憂ひありと云つて、俺達は金さへ有れば、社会にウリザネ顔だと言つて、歓待る代物だけれど、今日の様な態になつては、ますます貧相に……自分乍ら見えて来る。自分から愛想をつかす様な物騒な肉体、何程馬鹿の多い世の中だと言つて、誰が目をかけて呉れる者が有らうか。アーア仕方がない。何とか一身上の処置を附ける事にしようかい。ヌースー式をやつては、神界へ対して罪を重ね、万劫末代苦しみの種を蒔かねばならず、実、さうだと言つて、自殺は罪悪であり、死ぬにも死なれず、困つた者だ。どうしたら此煩悶苦悩が解けるであらう。否スツパリと忘れられるだらう』 甲(滝公)『心一つの持ちやうだ。刹那心を楽むんだよ』 乙(板公)『貴様はまだ、ソンナ気楽な事を言つて居るが、衣食足りて礼節を知るだ。今日で三日も何も食はずに、胃の腑は身代限りを請求する。一歩も歩む事も出来なくなつて、どうして刹那心が楽めよう。刹那々々に苦痛を増ばつかりぢやないか。アーアこれを思へば、黒姫の御恩が今更の如く分つて来たワイ』 甲(滝公)『ヤア情ない事を言ふな。そら其処に三五教の宣伝使が立つて居るぞ』 乙(板公)『モウ斯うなつちやア、三五教もウラナイ教も有るものぢやない。食はぬが悲しさぢや。飢渇に迫つてから、恥しいも何も有つたものかい』 と常彦の佇む前に進み寄り、 乙(板公)『モシモシ、あなたは三五教の宣伝使ぢやありませぬか』 と力無き声に、常彦はフツと目を醒し、 常彦『アーア夜の旅で草臥れたと見えて、知らぬ間に寝込んで了うたワイ。……ヤアお前は乞食と見えるな。何ぞ御用で御座るか』 乙は何にも言はず、口と腹を指し、飢に迫れる事を示した。 常彦『ヤア一人かと思へば、二人連ぢやな。幸ひ、ここに握り飯が残つて居る。失礼だが之をお食りなさらぬか』 乙(板公)『ハイそれは有難う御座います。早速頂戴致しませう。……オイ滝公、助け船だ兵站部が出来たぞ。サア御礼を申せ』 滝公『アーそんなら頂戴しようかなア、恥しい事だ。旅人の弁当を貰つて食ふのは、生れてから始めてだ』 と四個の握り飯を分配し、二ツづつ、飛び付く様に平げて了ひ、 乙(板公)『アーアこれで少し人間らしい気がして来た。……イヤ宣伝使様、有難う御座います。……併し乍ら此先は又どうしたら宜からうかなア』 滝公『刹那心だよ。又神様がお助け下さる。心配するな。……何れの方か知りませぬが有難う御座いました。これでヤツと、こつちのものになりました』 と見上ぐる途端にハツと驚き顔を隠す。 常彦『ヤア失礼乍らあなたは、ウラナイ教の滝公さまぢやありませぬか。ヤアあなたは板公さま、どうしてそんな姿におなりなさつた。何か様子が御座いませう。差支なくばお聞かせ下さいませいなア』 板公『恥しい所、お目にかかりました。実は斯うなるも身から出た錆、何とも言ひ様がありませぬが、実の所は、あまり宣伝の効果が挙がらないので、一寸した事をやりました。それが此通り大零落の淵に沈む端緒となつたのです』 滝公『誠に赤面の至り、智慧も廻らぬ癖に、人真似をして、大変な失敗を演じ、闇の谷底へ転落し、生命カラガラな目に遭ひ、終には黒姫の御機嫌を損ねたのみならず、青彦、お節に踏み込まれ、一生懸命逃げて来ました。それから私等二人は高城山へ参り、松姫の前に尻を捲つて、ウラナイ教の内幕を暴露してやらうと、強圧的に出た所、中々の強者、吾々の智嚢を搾り出した狂言も、松姫に対しては兎の毛の露程も脅威を与へず、シツペイ返しを喰つて、生命からがら此処までやつて来ました。併し乍ら窮すれば乱すと云ふ諺もありますが、吾々は一旦誠の道を聞いた者、仮令餓死しても人の物を失敬する事は絶対に厭で堪らず、最早生命の瀬戸際、一生の大峠となつた所、あなたに巡り会ひ、一塊のパンを与へられて、漸く人間心地が致しました。これもアカの他人に恵まれるのであつたならば残念ですが、有難い事には、一旦御心易うして居たあなたに救はれたと云ふのも、まだ天道は吾々を棄て給はざる証と、何となく勇気が出て来ました』 常彦『今のお言葉に、青彦お節が黒姫の所へ往つたと仰有つたが、ソレヤ本当ですか』 滝公『ヘエヘエ本当も本当、一文生中の、掛値も御座いませぬ。今頃は黒姫も、青彦お節其他の二三人の男女に欺かれて、道場を破られ、フサの国へでも逃げて行つたかも知れますまい、高城山の松姫の様子が何だか変で御座いましたから……』 板公『ナーニ黒姫はそんな奴ぢやない。キツと青彦、お節は袋の鼠、舌の先で巧くチヨロまかされて居るに違ひない。それよりも惜しいと思うのは、紫姫さまに、馬公鹿公と云ふ若い男だ。キツと、ウラナイ教に沈没して居るに相違ない』 常彦『ハテナ、吾々も御両人の知らるる通り、ウラナイ教のカンカンであつたが、余り内容が充実せないのと、黒姫の言心行一致を欠いだ其点が腑に落ちず、又数多の信者に対して、吾々部下の宣伝使として弁解の辞がないので、アヽ最早ウラナイ教は前途が見えた。根底から崩れて了つた。斯う云ふ事で、どうして天下の修斎が出来ようぞ、信仰に酔払つた連中は今の所、稍命脈を保つて居るが、酔払つた酒は何時しか醒める如く、信仰も追々冷却するは当然の帰結と、前途を見越して、ヤツパリ天下を救ふは三五教だと、直に三五教に入信し、鬼ケ城の邪神退治と出掛け、それより諸方を宣伝し廻つて居るのだ。それにしても合点のゆかぬは、あれ程決心の堅かつた青彦、お節に紫姫さまぢや。これには何か深い様子が有る事であらう。コラ斯うしても居られない。一時も早く魔窟ケ原へ行つて、事の真偽を確め、其上で又作戦計画を定めねばなるまい。アーア困つた事が出来たワイ』 と手を組んで太い息をつく。 滝公『これに就て常彦さま、あなたは何かお考へがありますか。ならう事なら、私達も共々に三五教の為に尽さして頂きたいのですが、何を言うても零落れた此体、あなたの顔にかかはりますから……』 常彦『ソラ何を仰有る。衣服は何時でも替へられる。あなたの今迄の失敗の経験に会つて鍛へ上げられたる其身魂は、容易に得られるものでない。何は兎も角一緒に参りませう。また都合の好い所が有れば、衣服でも買つて上げませう。兎も角青彦以下の救援に向はねばならぬ。サア滝公、板公、参りませう』 二人は何にも言はず、嬉し涙に暮れ乍ら、常彦の後に従ひ、西北指して、今迄の衰耗敗残の気に充された態度は忽ち枯木に花の咲きし如く、イソイソとして従いて行く。 山頭寒巌に倚りて立てる古木も春の陽気に会ひて深緑の芽を吹き出したる如く、青ざめた顔は忽ち桜色と変り、常彦に絶対服従の至誠を捧げつつ、花咲き匂ふ枯木峠を打渡り、神の救ひをエノキ峠の急坂後に見て、握り拳をホドいて夏風に、そよぐ蕨の野辺を打渡り、とある茶店に立入りて、再び腹を拵へ忽ち太る大原の郷、テクテク来る須知山峠の絶頂に、青葉を渡る涼しき夏の風を受け乍ら、かたへの巌に腰打掛け、 常彦『アヽ早いものだ、モウ一息で聖地に到着する。世継王山の山麓には、悦子姫さまの経綸場が出来たと云ふ事だ。一つ立寄つて見ようかな。大抵青彦の様子も分らうから………イヤイヤ今度は素通をして、青彦に対面し、救はるるものならば、どこまでも誠を尽して忠告を与へ、其上にて悦子姫様の庵を御訪ねする事にしよう。幸に青彦以下が改心をして、三五教に復帰したとすれば、先へ妙な事をお耳に入れ置くのは却て青彦の為に面白くない。友人の道として絶対秘密にしてやるが本当だらう』 滝公『青彦さまはよもや、ウラナイ教になつて居る気遣ひは有りますまい』 板公『何とも、保証がでけぬ、突然の事で吾々も岩窟退治に来たのだと思つて驚いたが、後になつてよくよく考へて見れば、どうも黒姫と云ひ、青彦、紫姫さま其他の顔色に少しも変な色が浮かんで居らなかつた。黒姫の魔術に依りて剣尖山の滝の麓でうまくシテやられたのかも知れない、兎も角も常彦さまをお頼み申して、吾々も弟子となつた以上は、青彦さま一行を元の道へ救はねばなりますまい。これから首尾能く凱旋する迄、悦子姫様の庵を訪ねなさらぬ方が、万事の都合が良い様に思ひます。ナア常彦さま』 常彦『アヽ私はさう考へるのだ。何に付けても大事件が突発した様なものだ』 と話す折しも、坂を登り来る二人の男、 男(荒鷹、鬼鷹)『ヤアあなたは常彦さまぢやありませぬか。何処へお出でになつて居ました?吾々二人は丹州と共に弥仙山の麓に当つて、紫の雲、日々立昇るのを見て、コレヤ何か神界の経綸が有るのだらうと其雲を目当に参りました。所が近くへ寄つて見れば、恰度虹の様で、其雲は一寸向ふの方に靉靆いて居る。コレヤ大変だ、どこまで行つても雲を掴むとは此事だと、丹州さまにお別れをして、ここまでやつて来ました』 常彦『ヤアお前は鬼ケ城言霊戦の勇士、荒鷹、鬼鷹のお二人さま、どこへ行く積りだ』 荒鷹『丹州さまは吾々に向ひ仰有るには、一寸神界の御用があるから弥仙山を中心として暫く此辺を探険しようと思ふから、お前達はこれから聖地を指して進んで行け。併し乍ら聖地に立寄る事はならぬ。須知山峠を指して行けとの御言葉、どこを目的ともなくやつて来ました。其時々に神が懸つて知らしてやるから、安心して行けとの事、大方伊吹山の邪神退治に行くのではなからうかと思つて参りました。併しあなたのお顔を見るなり、何だか向ふへ行くのが張合が抜けた様な気がしてなりませぬワイ』 常彦『それは不思議な事を聞くものだ。何か外に聞いた事は有りませぬか』 鬼鷹『ヤア有ります有ります、大変な変つた事があるのですよ』 常彦『変つた事とは何ですか』 鬼鷹『弥仙山の麓の村に、お玉と云ふ娘があつて、夫も無いのに腹が膨れ、十八ケ月目に生み落したのが女の子、玉照姫とか云つて、生れてから百日にもならないのに、種々の事を説いて聞かせる、さうして室内を自由に立つて歩くと云ふ噂で……あの近在は持切りで御座います。それに就て、ウラナイ教の黒姫の奴、抜目のない……其子供を何んとか彼とか云つて、手に入れようとし、幾度も使を遣はし、骨を折つて居るさうですが、爺と婆アとが、中々頑固者で容易に渡さない。家の血統が断れると云つて居るさうです。なかなかウラナイ教も抜目がありませぬなア』 常彦『不思議な事が有るものだなア。兎も角吾々も一度其子が見たいものだが、それよりも先に定めた問題から解決せなくてはならぬ。其問題さへ解決がつかば、黒姫の様子も分り、子供の因縁も分るだらう。併し鬼鷹さま、荒鷹さま、あなたは何処へ行く積りか』 荒、鬼『まだ行先不明……私の行く所は何処で御座います……と実はあなたにお尋ねしたいと思つて居るのです』 常彦『兎も角丹州さまのお言葉通り、行く所までお出でなさいませ。神の綱に操られて居るのだから、今何を考へた所で仕方が有りますまい。併し丹州さまは……あなた方、何と思うて居ますか』 荒鷹『どうもあの方は、吾々としては、正とも邪とも、賢とも愚とも、見当が取れませぬ。つまり一種の……悪く言へば怪物ですなア。併し何とも言はれぬ崇高な所があつて、自然に吾々は頭が下がり、何程下目に見ようと思うても、知らぬ間に吾々の守護神は服従致します』 鬼鷹『私も同感です。何でも特別の神界の使命を受けた方に違ひありませぬワ、元吾々が使つて居つた其時分から、少し変だなアと思うて居た。今日の所では、兎も角不可解な人物だ。時々頭上より閃光を発射したり、眉間からダイヤモンドの様な光が放出して忽ち人を射る。到底凡人の品等すべき限りではありませぬワ』 常彦、手を組み、首をうな垂れ、思案に暮れて居る。荒鷹、鬼鷹は、 荒鷹、鬼鷹『左様なら常彦さま、又惟神に再会の時を楽みませう』 と一礼して、スタスタ坂を南へ下り行く。常彦は少しも気付かず、瞑目して俯むいて居る。 滝公『モシ常彦さま二人の方はモウ行かれました』 と背中を揺る。常彦は夢からさめた様な心地、 常彦『ナニ、二人はモウ行かれたと……エー何事も神様のお仕組だらう。とも角、弥仙山麓へ往つて見たいやうな気がするが、始めに思ひ立つた青彦の事件から解決するのが順序だ。サア皆さま、参りませう……』 (大正一一・四・二八旧四・二松村真澄録) |
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霊界物語 | 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 | 02 交嘴の嘴 | 第二章鶍の嘴〔六四七〕 足踏む隙も夏草の、生茂りたる魔窟ケ原、山時鳥悲しげに、血を吐く思ひの岩窟の中、高姫、高山彦、黒姫の三人は、奥の一室に鼎坐して、紫姫や青彦の、消息如何にと待ち居たる。頃しもあれや梅公は、辰、鳶二人を従へて、息せき切つて馳せ帰りきぬ。 寅若『ヨオ、梅公ぢやないか、何処へ行つて居たのだ。甚う顔の色が晴れ晴れして居ないぢやないか、何時も快活なお前に似合はず、どこともなく影が薄う見えて仕方がないワ』 梅公『エヽ、何でもない、お前の出る幕ぢやないから柔順しく待つて居ろ』 寅若はニタリと笑ひ、 寅若『ヘン、やられよつたな、鼈に尻をやられたと云はうか、嘘を月夜に釜を抜かれたと云ふ為体、又も違つたら梟鳥が夜食に外れたと云ふ塩梅式だな、黒姫さまもよい家来をお持ちになつて仕合せだワイ、イヒヽヽヽ』 梅公『エヽ喧敷う云ふな、其処退け、ソンナ狭い入口に貴様が立つて居ては這入る事も出来やしないワ』 寅若『ハヽヽヽ、可成這入らぬが好からうぜ、御注進申上げるや否や形勢不穏、大地震でも勃発してみよ、此岩窟はガタガタだ。此寅若は御信任が無いから駄目だが、併し紫姫さまや、青彦さま、それに次で梅公と来たら豪いものだよ。一つ今回の失敗、否、お手柄話を聞かして貰はうかい、何時も黒姫は目が黒いと仰有る、間違ひはあるまい、此眼で一目睨みたら些とも違はぬと仰せられるのだからなア、アハヽヽヽ』 と頤をしやくつて入口に立ち塞がり、きよくつた[※「きよくつた」は「曲(きょく)った」か?「曲(きょく)る」とは、冷やかすとか、からかうという意味。]やうな笑ひをする。奥の一室には高姫、高山彦、黒姫三人、鳩首謀議の真最中なりける。 高姫『これ黒姫さま、紫姫や青彦が出立してから、もう一週間にもなるぢやありませぬか、それに今になつて、猫が嚔をしたとも、膿ンだ鼻が潰れたとも云ふ便りが無いぢやありませぬか、貴女のお眼識に叶つた許りか、選抜してお遣りになつたのだから、如才はありますまいが、万一あつては大変だと気に懸つてなりませぬワ』 黒姫は稍不安の面持にて、 黒姫『何分突飛な談判に遣つたものだから、摺つた揉ンだと、毎日問題が次から次へと提出され、家庭会議でも開いて連日連夜小田原評定に時を費やして居るのでせう。早く成るものは破れ易く、遅く成るものは破れ難し、大器晩成と云つて暇の要る程脈があるのですよ、一年にすつと伸びて花の咲く草木は秋が来れば萎れて仕舞ひます。梅桜、桃椿などの喬木になると、二年や三年に花は咲かない代りに、天を衝くやうに其幹は成長し、毎年々々花も咲く、私の眼識に叶つた紫姫、青彦の事ですから、よもや寝返りを打つと云ふ事はありますまい、ナア高山彦さま』 高山彦『サア、何とも保証の限りではないなア』 黒姫、目に角を立て、 黒姫『エヽ何と仰有る、高山彦さま、余り紫姫や、青彦を見損つてはいけませぬよ。お前さまの身魂は昔鬼城山にあつて木常姫さまに悪い事を教へ、今度は南高山の宝取りには道彦の為に大失敗を演じ、今又ウラナイ教へ帰つてくると云ふ身魂だから、ソンナ考へが出るのだよ、自分の心を標準として青彦や紫姫の心を測量なさるとは、些と残酷と云ふものだワ』 高山彦は少し声を高うして、 高山彦『昔は昔今は今ぢや、身魂に経験を積みて来て居るから、大概の人の心の底はよく分つて居る。何時も俺は柔順しくして不言実行主義を採つて居れば、貴様は何時も先に出て何から何迄、掻いて掻いて掻き廻し、一言云へば直ちに眉を逆立て鼻息を荒くし、口から泡を飛ばすぢやないか、俺は五月蠅いから何時も黙つて居るのだ。今日は幸ひ高姫様の前だから、俺の思つて居る事を忌憚なく吐露したのだ』 黒姫『そりや何を云ひなさる、貴方は此家の主人ぢやないか、私の云ふ事を聞くやうな素直な身魂ですかいな、何でも彼でも一つ一つケチをつけねば置かぬ因果な身魂だから』 高山彦『今度の青彦、紫姫を派遣したのはお前の発案だらう、其時俺は貴様に剣呑だからそつと寅若でもつけてやつたら何うだと云うたぢやないか、其時貴様は首を振り、大変な荒びやうだつた、アヽ、又毎度の病気が出た哩と思つて辛抱して居たのだ。此奴は屹度不成功、否不成功のみならず、青彦、紫姫は三五教の間諜だつたに違ひない』 黒姫『何を云ひなさるのだい、マア見て居なされ、屹度今に分る。玉照姫を連れて青彦が帰つて来ますよ。若し連れて帰つて来なかつたら、二度とお前さまにも高姫さまにもお目にかかりませぬ哩なア』 と頤をしやくり、上下の歯をぐつと噛みしめ、前に突き出して見せける。高山彦はムツとしたか蠑螺のやうな拳骨を固めて黒姫の横面を撲らむとする。スワ一大事と高姫は仲に割つて入り、 高姫『ヤア待つた待つた、犬も食はぬ喧嘩をすると云ふ事がありますか、些と心得なさい。お前さま二人はウラナイ教の柱石たる重要人物ぢやないか、ソンナ事で皆の者に教訓が出来ますか』 黒姫『ハイハイ、左様で御座います、何分宅のがヒヨツトコですから』 高山彦『こりや黒、ヒヨツトコとは何だ。俺がヒヨツトコなら貴様はベツトコだ』 高姫『コレコレ、お二人とも詔直しだ詔直しだ、言霊をお慎みなさらぬか』 斯かる所へ寅若を先頭に、梅、辰、鳶の三人は現はれ来り、 寅若『黒姫様、三人の、私へ隠してのお使が偉い勢なくして帰つて参りました、何卒詳しくお聞き取り下さいませ』 黒姫『お前は梅公、辰公、鳶公、首尾は何うだつたな、紫姫、青彦を旨くやつたらうなア?』 梅公『ヘエヘエ、流石の青彦、紫姫で御座います、梅いことをやつて、此三人ぢやないが鳶辰やうにトツトと凱歌を奏して、何々の何へ向つて帰りましたワ』 黒姫『アヽ、さうかさうか、それは御苦労であつた。サア早く玉照姫様のお居間のお掃除を為し、皆様の御飯やお酒の用意をして置きなさい』 梅公『ヘイ、根つから其必要は認めませぬがなア』 黒姫『そりや梅公、お前何と云ふ事を云ふのぢや、必要を認めるの認めないのと何故私の云ふ事を聞かないのかい、これこれ辰公、鳶公、お前も御苦労ぢやつた。どうぞ詳しく高姫さまの前で、青彦や紫姫さまの天晴功名した事を聞かして下さい』 鳶公『エー、もう余りの事で申上げます事も出来ませぬ』 辰公『何と云つても六日の菖蒲、十日の菊、何が何ンだやら薩張神様の御都合を頂いて来ました』 寅若『アハヽヽヽ、此奴余程弱つて居やがるな、御都合と云ふのは卑怯者の適当な遁辞だ。モシモシ黒姫さま、こいつは屹度ものにならなかつたのですよ、蛸の揚壺を食つて帰つたとより見えませぬな』 黒姫『これ寅若、お前に誰が物を尋ねたかい、弥仙山へ往つて失敗をして帰つて来たやうな男だから、今度の事は彼是云ふお前には資格がない、一段下りて庭へ下がつて其処の掃除でもしなさい。これこれ梅公早く云ひなさいよ』 梅公は左の手で頭を三遍ばかりも、つるつると撫でながら、 梅公『ハイ、私は紫姫、青彦その他一行の後を見え隠れに監視して参りました。さうした処流石の青彦さま、綾彦お民の両人を前に出して豊彦爺をアツと云はせ、ヤアお前は綾彦であつたか、お民であつたか、ヤア父さまか、母さまか、妹か、兄さまかと一場の悲喜劇が現はれ、其処へ平和の女神然たる紫姫さまが、おチヨボ口をぱつと開いて仰有るには、何事も皆神様のなさる事、豊彦さまも斯うして若夫婦が帰つて御座つた以上は、神様へ御恩返しにお玉さま始め、玉照姫様を神様に奉らねばなりますまいと、さも流暢な弁で談判になりますと、豊彦爺は、喜ぶの喜ばないのつて、首を滅多矢鱈に振つて振つて振りさがし、千切れはせぬかと思ふ程首肯いて、仕舞の果にはドンと尻餅を搗き、眼を暈しかけました。マアさうして爺の云ふのには、アヽ結構な事だ、嬉しい時には欣喜雀躍、手の舞ひ足の踏む所を知らずと云ふ事だが、俺は余り嬉しくて目のまひ、家のまひ、身体の居る所を知らずぢや、と云ひまして、それはそれは大変喜びましたよ。あれ位喜びた事は生れてから見た事も、聞いた事もありませぬワ』 黒姫『アヽ、さうだらうさうだらう、喜びたらうな、これ高山さまどうですかい、これでも文句がありますかい、高姫さま、もうこれで、大きな顔で本山に帰つて貰はうと儘ですワイ、オホヽヽヽ、サア其次を梅公云ひなさい、瞬く間も待ち遠しいやうな心持がする』 梅公『サア、これから先は時間の問題ですな、云はぬ方が却つて先楽しみで宜しからう。オイ鳶、辰、貴様も些と云はぬかい』 辰公『ヘン、よい所ばつかり食つて糟粕ばつかり人に食はさうと思つたつて駄目だよ、貴様が報告した後に……サアサア其次を諄々と掛け値の無い所を申上げてお目玉を頂戴するのだな』 梅公『エヽ何も彼も大将になると責任が重い、エイエイ仕方がない、ソンナラ私が申上げます、黒姫さま喫驚なさいますな』 黒姫『何喫驚するものか、喫驚するのは高山さまぢや、余り嬉しいて喫驚する者と、余り阿呆らしくて会はす顔がなくて喫驚する者と出来ませうぞい』 梅公『エヽ、紫姫、青彦はお玉、玉照姫様を連れて意気揚々と、吾々を何々し、何々の何々へ何々して仕舞ひました』 黒姫『これ梅公、アタもどかしい、早く云はぬかいナ、いつ迄私を焦らすのだい』 梅公『イエイエ、決して焦らすのぢやありませぬ、知らすのですよ、知らず識らずの御無礼御気障、知らぬ神に祟りなし、どうぞ私だけは今日の所は帳外れにして下さいませ』 黒姫『怪体な事を云ふぢやないか、さうして青彦の一行はいつ帰つて来るのだい』 梅公『それはいつになるとも判然お答へが出来ませぬなア、是も矢張時の力でせう』 高姫『黒姫さま、青彦初め、紫姫は三五教へ帰つたのですよ』 梅公『マアマア、高姫さまの天眼力にて御観察の通り、誠に以てお気の毒千万、青彦、紫姫其他は共にグレンをやりました。今頃は世継王山の麓で祝ひ酒でも呑みて居るでせう』 と頭を抱へ小隅にすくみける。 黒姫『エヽソンナ青彦ぢやない、又紫姫も紫姫ぢや、三五教へ行くなぞと、そりや大方副守護神を放かしに往つたのだらう、屹度戻つて来る確信がある』 高姫『黒姫さま、もう駄目だ。高山彦さま、お前さまも立派な奥さまを持つて御満足でせう、この忙しいのに永らく逗留してお邪魔をしました。エライ馬鹿を見せて下さいましたナ、アーア、併しこれも何かの御都合だ。左様なら、帰ります』 高山彦『どうぞ私も連れて帰つて下さい』 高姫『お前さまの勝手になされ、黒姫さまを大切にお守りなさるがお徳だらう、左様なら』 と、大勢の止むるをも聞かず、額に青筋を立て、偉い気色で表へかけ出し、鶴、亀来れと二人を伴ひ魔窟ケ原を驀地に、由良の港を指して走り行く。 高山彦『こりや大変』 と捻鉢巻、七分三分に尻からげ、細長いコンパスに油をかけ、飛び出さうとする。黒姫はグツと袂を握り、 黒姫『高山さま、血相変へて何処へお出るのだえ』 高山彦『定つた事だ。肝腎の玉照姫は申すに及ばず、青彦、紫姫迄三五教に取られて、どうして高姫さまに申訳が立つか、是より此高山彦が世継王山の悦子姫の館にかけ込み、玉照姫を小脇にヒン抱き帰らで置かうか、愚図々々致せば高姫さまは飛行機に乗つてフサの国へお帰りだ、それ迄に玉照姫様を手に入れてお詫をせにやならぬ、邪魔ひろぐな』 と蹶飛ばし、突飛ばし、一生懸命にかけ出したり。黒姫も声を限りにオーイオーイと髪振り乱し、帯を引きずり乍ら高山彦の後を追ひ、足に任せて走り行く。 (大正一一・五・六旧四・一〇加藤明子録) |
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31 (1764) |
霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 09 童子教 | 第九章童子教〔六七一〕 九重の花の都の山背畏き神代に近江路や 色も若狭に丹波の三国に跨る三国ケ嶽 木立の茂みは大空の月日を封じて物凄く 昼さへ暗き大高峰鬼か大蛇か魔か人か 見るさへ凄き婆一人聳えて高き岩の根に 仮の庵を結びつつ蛇や蛙を捕喰ひ 其日を送る物凄さ此山麓に立並ぶ 形ばかりの破れ家の小さき棟も三四十 浮世離れし別世界老若男女は谷川の 蟹や蛙を漁りつつ餌食となして日を送る 鬼婆一人を棟梁と仰いで遠く夜に紛れ 山城丹波近江路や若狭能登まで手を延ばし 赤児の声を探しつつ隙さへあらば引捉へ 山の尾伝ひに逃げ帰り婆の餌食に奉る 此曲津見は何者か言向け和し世の中の 悩みを払ひ救はむと神素盞嗚大神の 御言畏み高天の原に現れます言依別は 聖地に上り来りたる心も清き宗彦に 依さし玉へば喜びて一も二もなく承諾し これぞ布教の初陣と親兄妹に暇乞 明石峠を乗越えて道の熊田の一つ家 病に悩む原彦が心の迷ひ吹き払ひ 奇しき御稜威を現はして里の老若男女をば 三五教の大道に一人も残らず帰順させ 少時足をば休めつつ原彦、田吾作、留公の 三人の信者を伴ひて青垣山を繞らせる 平野の里や山国の一本橋を打渡り 宮村、花瀬を後にして三国ケ嶽の山麓に 四人は漸く着きにける。 さしも三国に渡る大高山、杉の木立は鬱蒼として風を孕み、咆哮する声、数百千の獅子狼が一度に雄猛びする如く聞えて来る。夏とは言ひ乍ら何となく底冷たき空気漂ひ、谷川の音も何処となく物凄く、悪魔の囁くが如く耳を打つ。猿の群は梢を伝ひて、キヤツキヤツと鳴き叫ぶ。四人は山麓を流るる深谷川の畔にドツカと坐し、旅の疲れを休め乍ら、ヒソビソ話に耽つて居る。 留公『随分薄気味の悪い谷間だないか。山国の丸木橋を越えてからと云ふものは、人の子一人出会つた事もなし、時々左右の密林から怪しの声、どうしても此処は大江山以上の魔窟らしい。オイ田吾作、此処までは喜び勇んでやつて来たものの、首筋がゾウゾウとして、何んとも言へぬ気分になつて了つたぢやないか』 田吾作『宇都山村で、魚を漁つたり、麦畠に鍬杖ついて、雲雀の糞を頭から浴びせられて居るのとは、そりやチツとは骨が有るワイ。こんな山奥へ悪魔退治に来たのだもの、どうせ満足に生命を持つて帰れないのは、出発の際から定りきつた話だ。貴様宅を出る時の勢はどうだつた。鬼でも大蛇でも虎でも、狼でも、何でも来い。此留公の腕には骨が有ると、力味返つた時の事を考へて見よ。こんな所でそんな弱音を吹いて宣伝使のお伴が出来ると思ふか』 留公『そらそうだ。併し乍らモウ少し暖かい山ぢやと思うて居たに、夏の最中に斯う寒くつては耐れないぢやないか。斯んな事と知つたなら、袷の一枚も持つて来るのだつたが、薄い単衣一枚では堪へられない。俺は一つ、宇都山村まで引返して、着物を着替て出直して来るから、お前御苦労だが、宣伝使の御伴をしてボツボツ登りかけて呉れ』 田吾作『ハヽヽヽ、隣近所か何ぞの様に、さう着々と着替に帰ねるものか。巧い辞令を作つて、態よく遁走するつもりだらう。口程にもない代物だなア。ヨー今からビリビリ慄うて居よるなア』 留公『何程留めようと思つても、ガチガチと歯が拍子木を打つものだから仕方がないワ。モシモシ宣伝使様、私を此処から……実際の事言へば、帰らして貰ひたいのです』 宗彦『それだから伴れて行かぬと言ふのに、お前が無理に来たのぢやないか。宣伝使は一人旅、決して同伴はならぬのだ。私に相談は要らぬ、自由行動を取つたがよからう』 留公『ハイ有難う御座います。お蔭で命が助かりました。あなた方も、どうぞ無事で帰つて下さいませ。キツと、私は此処でお別れしても、あなたの事は忘れませぬ。お茶湯でも献げて冥福を祈ります』 田吾作『オイ留公、冥福を祈るとは何だ。死ぬに定つた様な事を言ひやがつて、吾々の首途を祝する事を措いて、貴様は弔ふのだな』 留公『弔ふのか、呪ふのか、祝ふのか、どつちか一つの内だ。エー長居は恐れ、こんな生臭い風が吹くからには、太い長い奴がノロノロと今にやつて来るだらう。宣伝使は一人と仰有つた。遠慮は要らぬ、原彦、お前は先へ行け。さうして田吾作は俺の尻に従いて帰るのだ。サアサア帰つたり帰つたり』 原彦『私は生命を助けて貰つた御恩返しに、御案内役となつて来たのですから、宣伝使の為に生命を棄てた所で、別に欠損にもなりませぬ。元々です。此場に及んで男らしくもない、帰れますものか』 留公『生命の安い奴は行つたが宜からう。……オイ田吾作、貴様は生命が大事だらう。お勝の事もチツとは思うてやれ』 田吾作『お勝がなんだ。神様の御用のお伴をするのに、そんなことを気に掛けて居つて勤まるものかい。貴様勝手にしたがよからう』 留公は、 留公『蛙の行列向う見ず、生命知らずの馬鹿者』 と口ぎたなく罵り乍ら、坂路指して韋駄天走りに、霧の中に姿を没した。 田吾作『ハヽヽヽ、宣伝使様、随分妙な活劇否悲劇が演ぜられましたなア。何れ彼奴は今言つた様な臆病者ぢやないから、先駆けの功名手柄をやらかさうと思つて、キツト単騎登山と道を変へて出かけやがつたのでせう。途中でアツと言はせる様な芸当を演ずるのかも知れませぬから、怪しき者が出たら油断をなさいますなや。キツト留公の化者に定つてゐます。彼奴は何時でもああ云ふ事をして喜ぶ癖があるのです。それで私も勝手に帰んだがよからうと、あなたの御言葉を幸ひに帰なしてやりました』 宗彦『面白い男ですな。何れ岩窟の附近まで往つたら、鬼婆の真似でもして現はれるのでせう。原彦さん、サア案内を頼みませう』 原彦『私も御案内とは申しましたが、実は初めての事で一向不案内です。併し私の通る所は貴方も通れるでせう。露払や蜘蛛の巣払に、先へ行きますから、従いて来て下さい』 と不案内の路を谷に沿うて、トントンと登り行く。二人は後を追ふ。前途に激潭飛沫の谷川が横たはつて居る。四五人の男女が熊の皮を洗ひ晒らして木の梢に架け渡し風を当てて乾かして居る。さうして何れも此れも皆、黒い熊の皮や、赤い猪の皮を身に纏うて立働いて居た。 原彦『オーイ、オイ、其処に居る五六人の御連中さま、三国ケ嶽の婆アの岩窟は、どつちやへ行つたら良いのかな』 川向ひの男、無言の儘、指先で……此谷川を渡り、東へ指して行け……と手真似で知して居る。 原彦『アヽ此奴ア唖と見えるワイ。併し乍ら此谷川を渡つて東の方へ行けと云うたのだらう。……モシモシ宣伝使様、私が一寸瀬踏みをして見ませう。大変流れも急なり、水量も多いから、万一私が死ぬ様な事があつたら、キツト渡らない様にして下さい。先づお毒見……否お水見を勤めませう』 と尻を捲つて早くも谷川を渡らうとする。 田吾作『オイ原彦、死ぬのはチツと惜しいぢやないか。お水試なんかせなくとも分つてる。どれ程水の達者な河童の兄弟分でも、此急流がどうして渡れるものか。マア危きに近寄らんがよからうぞ』 原彦『私は命を既に宣伝使様に差上げてあるのだから、運を天に任して渡つて見る』 と無理無体に川瀬を横ぎり、漸く辛うじて対岸に着いた。五人の男女は之を見て驚き、『ア、ア、アー』と声を立て、一目散に歩み慣れし山の細路を伝うて、霧の林に姿を没した。 原彦『ヤア有難い。沢山な熊の皮が並べてある。乾いた奴も相当に有るワイ。サア此奴を一つ身に纏うて登つてやらう。……オイオイ田吾作、早う渡つた渡つた。割とは浅かつた。大丈夫だよ』 田吾作『サア宗彦さま、お渡りなさいませ。私が後から従いて行きます。もしも誤つて水の藻屑にならしやつた所が、義理の兄弟の私が、決して棄てては置きませぬ。キツト死骸は拾つてあげます。サアあなたからお先へお渡りお渡り』 宗彦『そこまで徹底的に受合つて貰へば、私も安心だ』 と戯談半分に喋舌り乍ら、尻を捲つて漸く対岸に着いた。田吾作は手を拍つて、 田吾作『アハヽヽヽ、本当の登り路は此方にあるのだ。そんな方へ行かうものなら、近江の国へ往つて了ふぞ』 原彦は川の向うから大きな声を出して、 原彦『コレ田吾作、そんな事が分つて居るのなら何故早くに知らして下さらぬのだ』 田吾作『知らしてなるものか。俺のお土産に其猪の皮を全部ひつ抱へて此方へ渡るのだ。宣伝使様も四五枚掻攫へてお帰りなさい。其為に此田吾作が計略で、向ふへ渡らしたのだ』 宗彦『ハヽハア、一杯喰はされましたな。併し失敗が幸ひになるとは茲の事だ。何れ他人にも要るだらうし、原彦さま、お前と二人、持てる丈持つて向ふへ渡らうかな』 と大きな熊の皮をひん抱き谷川に足を入れる。原彦も体一面に熊の皮をくくりつけ、漸くにして再び谷川を渡り、田吾作の前に引返して来た。 田吾作『皆さま大い御苦労で御座いました。お土産に一番飛切の上等を頂戴致しませう』 原彦『イエイエ是れは私の分丈だ。生命も危ない此谷川を、どうして二人前も背負うて渡れるものか、お前の分はチヤンと向ふに、屑ばつかり残してある。人の苦労で徳を取るといふ事は、神様の大変に戒め玉ふ所だ。サアサア自分の物は自分で処置をつけるのだよ』 田吾作『そんな事は、遠の昔から御存じの田吾作だ。釈迦に経を説く様な事を言うて貰ふまいかい』 早くもザブザブと対岸へ渡り、洗ひ立ての選り残りのヅクヅクばつかり引抱へ、 田吾作『ヤア重い奴ばつかり除けて置きやがつた。併し己れの欲する所能く人に施せ。欲せざる所は人に施す勿れと云ふ事が有るなア』 とワザと大音声に呼はり乍ら、藤蔓に残らず縛りつけ、自分の腰に結ひ、ザアザアと引ずり乍ら帰つて来た。 田吾作『宣伝使さま、私の智慧は大したものでせう。神智神策、水も洩らさぬ所まで水を利用し、此通り沢山の獲物を占領して来ました。ヤツパリ役者が七八枚も上だ。千両役者だからなア』 と独り悦に入つて居る。 原彦『チツと絞つてあげませうか。こりや干さねば重たくて持つて往けますまい』 田吾作『不言実行だよ』 原彦『不言実行とは初めて聞きますが、どう云ふ意味ですか。言つて下さいな』 田吾作『言はないのに気がついて実行するのが不言実行だ。言つてやるとよいが、天機を洩らすと雨が降る。不言の教無為の化だ。マアマア考へて社会奉仕を励むが、御神徳の入口だな、アハヽヽヽ』 原彦『宣伝使様、不言実行の訳を聞かして下さいませぬか』 宗彦は黙々として、濡れた皮を取り上げ、一生懸命に絞つては木の枝に引つかける。原彦も黙つて見て居る訳にも行かず、同じく皮を絞つては懸け、絞つては懸けて風に乾かさうと、車輪の活動を行つて居る。田吾作は、 田吾作『アヽそれが不言実行だよ。分つたか』 原彦『まだ分りませぬ』 田吾作『分らなくても、実地さへ出来ればよいのだ。現今の奴は宣伝だけは立派だが少しも実行が伴はない。併しマアマア漸く及第点に達した。宗彦様は率先して不言実行をやられたから六十五点、お前は漸く四十五点だ。五点の事で落第点になる所だよ』 原彦『ますます分りませぬ』 田吾作『原の腹が暗くつて、胸が開けぬから、実地の事が目が有つても見えず、田吾作の立派な生きた教が耳へ這入らず、嗅出す事も出来ず、舌は有つても味はふ事が出来ないのだ。斯う思へば何にも知らずに実行する者位幸福な者はないワイ』 宗彦『有難う御座いました。お蔭で田吾作の宣伝使より六十五点頂戴しました。サア是れでモウ三十五点頂戴致しませうか』 と一番立派な熊の皮を選り出して、田吾作の背中に着せる。 田吾作『ヨシヨシ、モウ試験済だ。希望通り三十五点を与へる。これで満点だ。満天下に神教を宣伝しても恥ぢることなき大宣伝使だ。お芽出たう。銀のセコンドでも賞与に与りたいのだが、生憎持つて居ないから、親譲りのヘソンドで辛抱するのだなア、これでも十二時が来るとよく知つて居る』 原彦『私にも、せめて二十点下さいな』 と自分の攫へて来た中より、最も優れたる毛皮を取り出し、田吾作の背中に乗せる。 田吾作『ヨシヨシ、物品一点俺に呉れたから、一点を増してやらう。総計四十六点だ、アハヽヽヽ』 田吾作は原彦の顔を眺め乍ら、又もや、 田吾作『不言実行不言実行不言実行』 と節をつけて謡ふ様に繰返して居る。原彦は狼狽へて、彼方の皮をかやして見、此方の皮を嬲つて見、田吾作の背中を撫でて見るやら、宣伝使の足許の草鞋が切れて居るのではなからうかと、キリキリ舞ひをして居る。田吾作は一層大きな声で、節をつけて、 田吾作『不言実行不言実行不言実行』 を又もや繰返して居る。原彦はハツと膝を叩いて、片方に落ちてゐた棒の様な木切を拾ひ、毛皮を両端に括りつけ、肩に担いで、 原彦『サア私が不言実行のお伴を致します。不言菩薩に実行菩薩様、サアお出でなさいませ』 田吾作『普賢菩薩は聞いた事があるが、実行菩薩は聞き始めだ』 原彦『実行菩薩といへば、ミロク様の事だよ。瑞の御霊の大神さまだ。本当に月光(結構)な神さまと云ふ事だよ』 田吾作『アハー月光菩薩の洒落だな。洒落所かい、是から先は不言実行で勝つのだ。最前の五人の男女を見い。一口も言はず、不言実行の標本を示して、手早く逃げやがつたぢやないか。あれ位慈悲深い奴は有つたものぢやない。其お蔭で吾々は月光な恩恵に浴したのだ、アハヽヽヽ、ドレ田吾作も不言実行菩薩と出かけようかい』 と先に立ちて羊腸の小径を辿り辿り進んで行く。田吾作は歩み減らした細い路を、曲々と舞ひ乍ら、先に立ちて稍平坦な地点に着いた。 田吾作『アヽ不言実行組は何をして居るのか。足の遅い事だなア』 と呟いて居る。そこへ横合から三人の五六才と覚しき男の子、一人は赤裸となり顔に手を当てて泣いて居る。一人は裸の儘で面ふくらして怒つて居る。一人はニヤニヤと笑ふ。 田吾作『ヤア此奴ア三国ケ嶽の化物だな。こんな所で三人上戸が出て来やがつて、酒でも有つたら不言実行してやるのだが。生憎酒もなし……ハヽハ赤裸だ。ヨシヨシ考へがある。早く原彦の奴、毛皮を持つて来やがると良いのだけれどなア』 と云ふ折しもハアハアと息を喘ませ、両人は登つて来た。田吾作は物をも言はず、原彦の担いで居る荷をボツタクり、手早くほどいて、其中の小ささうな皮を選り別け出した。原彦は、 原彦『不言実行だつて、泥棒まで実行して良いのか』 と脹れる。田吾作は三人の童子を指し示した。宗彦、原彦は見るより『ヤア』と倒れむばかりに驚いた。よくよく見れば三人の童子の背後から五色の光明が輝き、麗しき霊衣に包まれて居る。田吾作は少しも気が付かず、慌てまはして、適当の毛皮を取り出し、三人に一々着せて廻つた。三人は黙つて毛皮を取り外し、大地にパツと敷いて、各自其上に行儀よくキチンと坐つた。 宗彦『これはこれは何神様かは知りませぬが、よくマア現はれて下さいました。私は是れより山頂の岩窟に割拠する鬼婆を言向け和す為に参ります。どうぞ御守護を御願ひ致します』 笑童子『アハヽヽヽ、七尺の男子が……而も宣伝使の肩書を持ち、岩窟の鬼婆を退治せむと、此処まで勇み進んで登り来乍ら、人の助けを借らうとするのか。ハツハツハ可笑しい可笑しい、依頼心の強い男だなア』 宗彦『恐れ入りました。モウ決して依頼は致しませぬ。何れの神様か知りませぬが、ついお頼み申すとか、御守護を願ひますとか云ふ事が、吾々の常套語になつて居ますので心にもなき卑怯な事を申したので御座います。どうぞ見直し聞直して下さいませ』 泣童子『アンアンアン、情無い宣伝使ぢやなア。三人も荒男が、たつた一人の婆アを当に出て来よつて、何の態ぢや。斯んな事でどうして三五教の神徳が現はれようぞ。思へば思へば厭になつて来た。これでは国治立大神様、素盞嗚尊様が何程骨を折り、心を砕かしやつても、こんなガラクタ宣伝使ばつかりでは、神政成就も覚束無いわいの、……オンオンオン』 宗彦『どうぞモウ見直し聞直し下さいませ。是からキツと勇猛心を発揮し、婆アの千匹や万匹は、善言美詞の言霊の神力に依つて吹き散らしますから、どうぞ泣いて下さいますな』 泣童子『捕らぬ狸の皮算用をしよつて、当もない事に威張つて居る……其心根が可憐らしい。一寸先は暗の世ぢや。なんにも知らぬ人民は、足許に火が燃えて来る迄分らないのか。アヽア可哀相なものぢや。どうして人間は是れ丈、物が分らぬのだらうな……オンオンオン』 宗彦『誠に汗顔の至りで御座います。さう仰しやれば……さうですが、何事も神様にお任せ致して進むので御座います』 怒つた顔の童子、面ふくらし目を剥き、 童子『惟神、惟神と口癖の様に言ひやがつて、難を避け易きに就き、自分の責任を神様に転嫁し、惟神中毒病を起し、大きな面をして天下を股にかけ、濁つた言霊の宣伝歌を謡ひ、折角の結構な世の中を濁す奴は貴様の様な代物だ。チツとも足元に目が付かず、尻が結べぬ馬鹿者だ。それでも誠の道の宣伝使かい。貴様の様な穀潰しが沢山に世の中に、ウヨウヨと発生やがるものだから、世界の人民が苦むのだ、エーエー腹立たしい。神を笠に着たり、杖に突いたり、尻敷にしたり、汚らはしい、盗んで来た熊の皮を俺達の背中に乗せよつて、ケツケツけがらはしいワイ。尻敷にしてやつてもまだ虫が承知せないのだ。コラ斯う小さい子供の様に見えても、至大無外、至小無内、千変万化の結構な神様のお使ひだぞ。貴様の量見次第で、閻魔ともなれば、鬼ともなり、大蛇ともなつて喰て了うてやらうか。イヤ背筋を立ち割り鉛の熱湯を流し込んで、制敗をしてやらうか。三国ケ岳に大蛇が居るの、鬼婆が居るのと吐して、言向け和すの、征服するのとは何の事だい。鬼婆も大蛇も、鬼も悪魔も、貴様の胸に割拠して居るのを知らぬのか。鬼婆を言向け和さうと思へば、貴様達の腹の中の鬼婆から先へ改心さして出て行きやがれ。大馬鹿者奴。ウーン』 と目を剥き出し、大きな口を開け、咬り付く様な勢で、突つ立ち上り、三人の顔をギヨロギヨロと睨めまはす。三人は一度に大地に頭を下げ、 三人『誠に取違ひを致して居りました。イヤもう結構な御神徳を戴きました。モウこれから改心を致します』 笑童子『アハヽヽヽ、一寸よいと得意がつて無暗に噪やぎ、一寸叱言を聞いては直に悄気返るカメリヲンの様な男だな。大きな図体をして、こんなチツポケな子供に叱られて、それが怖いのかい。神界にはそんな妙な弱い弱い人足は一人も居りはせぬぞや。神界の喜劇よりも、よつぽど面白い面白い。アハヽヽヽアハヽヽヽ』 と臍を抱へて笑ひ転ける。 泣童子『アーア情無い事を見せられたものだ。これでも現界では選りに選つて選まれた特別選手ぢやさうなが、其他は推して知るべしだ。瑞の御霊の祖神様も嘸御骨の折れる事だらう。オイオイオイ。あまり悲しうて涙も出やせぬわいなア。宣伝使と云ふ者は、何とした腑甲斐ないものだらう。蛸の様に骨も何も有りやせぬワ。こんな事で、どうして八岐の大蛇が退治が出来るものか、世の中は益々悪鬼羅刹の横行濶歩を擅にさせるのみだ。どうして現界には誠らしい者が無いのだらうか、アンアンアン』 田吾作『モシモシ子供の神さま、さうお歎きなさいますな。広い世界には一人や二人は立派な者が無いとも言へませぬ。現に此処に唯一人有るぢやありませぬか。さう取越し苦労をして、泣くものぢやありませぬ。世の中は何事も善言美詞に宣り直すのが天地の御規則だ。泣いて暮すも一生なら、笑つて暮すも一生だ。結構な此世の中に、何が不足でメソメソと泣くのだ。わしは「悔み事と泣き事は大の嫌ひであるぞよ。勇んで暮して下されよ」と云ふ神様の教を守つて、世の中を大楽観して活動して居るのだ。お前さまもチツとは思ひ直して改心なさつたらどうだ。「悔めば悔む事が出来て来るぞよ」……と云ふ事を知つとりますか。ヤ、まだ子供だから分らぬのも無理はない』 泣童子『わしも朝から晩まで泣いて暮した事はない。今日初めて泣かねばならぬ事が出来たのだわいのう…アンアンアンアン…折角骨折つて、生命懸けで熊を捕り、皮を綺麗に洗ひ、爺さま婆アさまの着物にしようと思つて、楽しんで居つた人間の物品を、横奪した泥棒根性の宣伝使に説教を聞かされるかと思へば、残念で残念で、是が泣かずに居られようか。モウどうぞ今日限り泥棒根性はやめて下さい……アンアンアン…それに付けても言依別神様から、大切な御命令を受た宗彦のデモ宣伝使、二人の奴が盗人をするのに、なぜ黙つて居つたか、…イヤ自分から率先して泥棒の手本を見せよつたぢやないか。斯んな事でどうして誠の道が開けると思ふか。アーア日暮れて道遠しの感益々深しだ。どうしたら人間らしい人間が、一人でも出来るだらう。泥棒に聖山を汚されて取返しのならぬ事をした哩……アンアンアンアン』 宗彦『イヤ決して決して泥棒をすると云ふ様な考へはチツとも有りませぬ。あの様な所に棄てておいては、又泥棒が攫へて行つちやならない………それよりも吾々が暫く拝借して、又帰りがけにや、旧の所へ御返しをして帰る積りだつた。世の中は相身互だからと思つて、一寸借つたのですよ。心の底から泥棒する根性は有りませぬ』 怒童子『エーつべこべと此期に及んで卑怯未練な言ひ訳をするのが気に喰はぬワイ。貴様は女殺しの後家倒し、其上嬶泣かせの家潰し、沢山な人を泣かして来た揚句、不知不識とは云ひながら、平気の平三でお勝と〇〇になつて居た汚れた人足だ。何程言依別神様から大任を仰せ付けられたと言つて、一も二もなく御受けして来ると云ふ事が有るものか。貴様はそれでも清浄潔白な人間だと思うて居るのか。此の岩窟の鬼婆よりも、モ一つ悪い奴だ。心の底から改心すればよし、マゴマゴして居ると、天狗風を吹かして吹き飛ばしてやるぞ。天下の娑婆塞ぎ奴。ここを何処だと心得てゐる。貴様の目には悪神の巣窟と見えるであらうが、誠の神の目から見れば、どこもかしこも皆天国浄土だ。貴様の心に地獄が築かれ、鉄条網が張られ、鬼が巣を組んで居るのが分らぬか』 三人は頭を鉄槌にて打砕かるる様な心地し、一言も発し得ず、大地にピタリと鰭伏し、暫くは頭を得上げず、慄ひ戦いて居た。半時ばかり経ちしと思ふ頃、得も謂はれぬ美はしき天然の音楽耳を澄まして響きわたる。三人はフト頭を擡げ四辺を見れば、童子の影もなく又一枚の獣皮も無くなつて居る。 田吾作『神様から大変なお目玉を頂戴したものだ。原彦の奴率先して不言窃盗をやるものだから、斯んな目に遭つたのだよ。併し乍らマアマア結構な教訓を受けたものだ。先づ自分の心の中の鬼婆を征服して掛らねば、何程努力しても駄目だワイ』 原彦『三人の愁笑怒の神様が現はれて、噛んで呑む様に、詳細に堂々と教へて下さるのに、お前が口答へをするものだから、到頭怒鳴りつけられ、縮みあがつて、大きな七尺の男が斯んな馬鹿な態を見たのだ。チツト是れから言霊を控へて貰はねば、此先はどんな事が突発するか分つたものぢやありませぬワイ。ナア宗彦の宣伝使様』 宗彦『何事も神様のなさる事。惟神に我々は任すより仕方が有りませぬ』 田吾作『それ又覚えの悪い、今惟神と云つて怒られたぢやありませぬか。惟神中毒をすると、怒り神さんが又現はれますぞや。貴方こそ慎んで貰はねばなりませぬ』 宗彦『さうだと云つて、我々は惟神の道に仕へて居る者だ。惟神を言はなければ、宣伝も何も出来ぬぢやないか。鶏にコケコーと鳴くな、烏にカアカア囀るな、釣鐘になんぼ敲かれてもゴンゴンと鳴らずに沈黙せよと云ふ様な註文だないか。そんな天地不自然な事がどうして実行出来るものかい』 田吾作『惟神、不言実行さへすれば良のですよ。何事も心と行ひを惟神にして、口だけは暫く言はない方が宜しかろ。材木でもカンナがらをかけて見なさい、一遍々々細くなるぢやないか。あまり執拗うカンナがらを使つて居ると、結局にや糸の様になつて、結構な宣伝使神柱の資格が消滅して了ひますワ』 宗彦『ハヽヽヽ、余程怒り神様の御言が感応へたと見えるワイ。ありや一体どこから来た神様だと思つて居るのだ』 田吾作『神界の事は我々に分るものぢや有りませぬが、マア天から天降られたと云ふより仕方が有りますまい』 宗彦『馬鹿言ふな、あの怒り神さまは宗彦さまの本守護神だ。泣神さまが貴様の本守護神、笑ひ神さまが留公の守護神だ。チツト貴様改心せぬとあの通り守護神がベソを掻いて居るぢやないか』 田吾作『そりやチト違ひませう。笑つて居るのが私の守護神、怒つて居るのがあなたの守護神、泣いとる奴が留公の守護神に違ひありませぬワイ。結構な御用を仰せ付かり乍ら、お前さまはまだ腹の底に曇りがあると見えて、本守護神が怒つて居るのだ。良い加減に改心をしなさらぬと、どんな地異天変がおこつておこつて、おこりさがすか知れませぬぞ。お前さまの大将面して威張つて歩くのがあまり可笑しうて、田吾さんの本守護神が笑つて居るのだ』 宗彦『どうでも良いぢやないか。怒る神もあれば笑ひ神もあり、泣き神もある。実際のこたア、三柱の神共共通的に守護して御座るのだ』 原彦『モシモシ私丈は本守護神がどうなりました』 田吾作『お前の本守護神はまだ現はれる幕ぢやない、地平線下の身魂だから、土の上へ出る所へは往かぬ。併し乍ら孟宗竹でさへも土を割つてニユーと首を突出すのだから、どつか其辺に頭をあげかけてゐるかも分らぬぞ。チツト探して見たらどうだ』 原彦『アハヽヽヽ、身魂と筍と一つに見られちや、原彦も迷惑だ。丸でドクトルの身魂の様に、田吾さんが仰しやいますワイ。疑ふのぢやありませぬけれど、随分道理に違うた事を言ふお方ですな。 「竹の子の番人見れば藪にらみ」 アハヽヽヽ、オイ藪にらみの田吾竹さま』 田吾作『議論は後にせい。筍の身魂と云ふ事は、モウつい、日日薬で竹々と分つて来る。チクと身魂を練薬して、俺の言ふ事を膏薬(後学)の為に聞いて置くのだな。……エー何を薬々と笑ふのだい。薬価い(厄介)者奴、それよりも身魂の煎薬(洗濯)が一等だぞ』 原彦『これはこれはイカい(医界)お世話になりました。漸く医師(意思)が疎通しました。モウ此上決して、医(異)議は申しませぬ』 田吾作『キツト医薬(違約)をするでないぞ。俺の云ふ事を守れば、キツト薬九層倍の報いが出て来る。力一杯薬(約)を守つて、此上は口答へをしてはならぬぞ。俺の云ふ事はチツトは苦い事もある。併し良薬は口に苦しだ。薬(厄)雑魂を下痢させて、神霊の注射を為し、身体一面何の医(異)状もないとこまで清めて、是れから悪魔征伐に向ふのだ。心に煩ひのある時は病が起ると云ふ、其病の問屋が山の神を置去りにして、斯んな深い山い(病)あがつて来るものだから、到頭逆上して不健窃盗病が勃発するのだ、アハヽヽヽ』 宗彦『サアもう行こう。グヅグヅして居ると、中途で日が暮れて薬鑵が風を引いて了ふぞ』 二人は黙つて座を立ち、宗彦の後よりエチエチと小柴を分け、這ふ様にして胸突坂を掻きあがる。忽ち右方の谷間に当つて女の悲鳴が聞えて来た。 田吾作『イヨー怪しい声がするぞ。婆アの声にしては少し若い様だ。併し婆ア許りぢやない、沢山な女も居るであらうから、一つ声を当に実地検分と出かけたらどうでせう。ナア宗彦さま』 宗彦『追々と叫び声が高くなつて来るやうです。何か此には秘密が伏蔵されて居るでせう。私は此処に原彦さまと待つて居るから、一寸偵察して来て貰へませぬかなア』 田吾作『ハイ診察して参ります。探険家のオーソリチーの田吾作ですよ』 と早くも小柴の中に姿を隠した。宗彦は、 宗彦『アハヽヽヽ、口も達者な男だが、随分足も達者だ…ヨウヨウ、一人の声かと思へば大勢らしいぞ。こりや安閑としては居られない。私も行つて調べて見ようかな』 と首を傾げて居る。原彦は、 原彦『マア少時御待ちなさいませ。今に田吾さまが帰へつて来れば、様子が分りませうから、大方最前出た泣きの守護神が極端に泣きの本性を発揮してるのかも知れませぬぜ。最前の様なお叱言を頂戴すると困りますから、マアゆつくりと此処に待ちませうかい』 宗彦『そうだな。待つてもよいが、併し何だか気がイライラして来た。田吾作一人遣つて置くのも心許ない。………そんなら此処に待つて居るから、原さま、お前往つて来て呉れないか』 原彦『ハイ、そりやモウさうです。あまり何ですから、何となく気分が何しませぬ。ならう事なら、何々様と御一緒に願ひたいものですなア』 宗彦『分つたやうな分らぬやうな事を云ふぢやないか。ハツキリと言つたらどうだ』 原彦『現在私の心が、あなたには分りませぬか。天眼通、天耳通、漏尽通、宿命通、自他神通、感通に天言通、七神通の阿羅耶識を得たと云ふ宣伝使ぢやありませぬか、「一を聞いて十を知る身魂でないと、誠の御用は出来ぬぞよ」……と神様が仰有いませう。さうすれば貴方は最前の百点を返上なさらねばならぬ破目に陥りますよ』 宗彦『俺は天言通はお神徳を戴いて居るが、どうもまだ人語通は得て居ないのだ。況して曇つた身魂の囁きは尚更判別がつきかねる。何程近くに居つても、御神諭の通り「灯台下は真暗がり、遠国からわかりて来るぞよ」……と云ふのが本当だからなア』 原彦『左様か、左様ならばあなたも何々の割とは何々ですな。私は今迄チツト許り八丁笠を買ひ被つて居りました』 宗彦『さうだらう、御互様だ。お前もモウチツト勇気が有るかと思へば、実に脆いものだ、田吾作でさへも、一人で探険にいつたのに、わしの側にくつついて、慄うて居るとは実に見上げたものだ。生命を宣伝使に差上げると云つた癖に、ヤツパリ生命が惜いと見えるワイ。きつく俺も買ひ被つたものだワイ』 原彦『初めに言つたのは、アラ見本ですよ。見本通の物品を製造して輸出でもしようものなら、海関税を沢山取られて、今日の烈しい商業戦争に零敗を取りますワ』 宗彦『アハヽヽヽ、お前は口ばつかりの男だなア』 原彦『さうですとも、ハラから出口の神が表に現はれて、此世を悪に立直し、善の身魂を改心させるお役ですもの……』 宗彦『悪に立直し、善の身魂を改心さすとは、そら何を言ふのだ』 原彦『イヤ一寸違ひました。「ニ」と「ヲ」との配置を誤つたのです。悪を立直し、善の身魂に改心させるのです。上に付くか、下に付くか、「に」……にか、「を」にか、どつちやにせよ、チツト許りの間違ひだ。さう一字や二字配置が違つたと言つて、気の小さい事を言ふものぢやありませぬワ。アハヽヽヽ』 俄に傍の小柴の中よりガサガサと音を立て、現はれて来たのは田吾作であつた。 宗彦『ヤア田吾作か、様子はどうだなア』 田吾作『最早讐敵は攻め寄せて候へば、あなたに代つて一戦、御身は早く此場を遁れて下さりませ……と口には言へど御名残……チヽヽヽヽヽヽチンチンだ』 宗彦『ハヽヽヽヽ、そんな冗談言つてる所ぢやなからう。どんな事が起つて居つたか、早く聞かして呉れい』 田吾作『ハイ申上げます。一方の大将は大岩石を楯に取り、一丈有余の大木の小枝に甲冑を鎧ひ、一生懸命に阿修羅王の如く荒れ狂ひ、采配採つて号令をなすあり、此方の谷間よりは、又古今無双の豪傑樹上に陣取り、負ず劣らず声を限りにキヤツキヤツキヤツキヤツの言霊戦、勇ましかりける次第なり、ハアハアハアハアだ。ウツフツフツウツフツフツフウ』 宗彦『なアンだ、ちツとも分らぬぢやないか』 田吾作『ソラさうでせうとも。実地目撃した私でさへも、テンと了解の出来ない、猿芝居、否猿合戦ですもの……』 宗彦『ハヽヽヽヽ、千匹猿の喧嘩だつたのか。なアーンだ、しやうもない。……サアサア愚図々々しては居られまいぞ。此前途で又々大蛇の芝居か、熊のダンスでも開演されて居るだらう、面白い無料観覧と出かけよう』 (大正一一・五・一四旧四・一八松村真澄録) |
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霊界物語 | 22_酉_鷹鳥山の鷹鳥姫 | 09 清泉 | 第九章清泉〔七〇一〕 天津御神の賜ひてし生言霊の一二三 四尾の峰の山麓に厳の御霊と現はれて 五六七の神世を造らむと神素盞嗚の大神が 生の御子と現れませる八人乙女の其中に 秀でて貴き英子姫悦子の姫と諸共に 錦の宮の九十百千万の神策を 幾億年の末までも堅磐常磐に固めむと 天津御神の神言もて金剛不壊の如意宝珠 黄金の玉や紫の貴の宝を永久に 秘め隠したる桶伏の山の岩戸を何時しかに 開きて茲に黒姫や胸の動悸も高姫が 玉失ひし苦しさに天地の神に言解の 言葉もなくなく高姫は千々に心を砕きつつ 夜に紛れて四尾の山の麓を出立し 六甲山の峰続き蜈蚣の姫の一族が 立籠りたる魔谷ケ岳玉の行方は分らねど 執念深き曲神の八岐大蛇の計画と 早合点の高姫は鷹鳥山に小やけき 庵を結び夜も昼も鷹鳥ならぬ隼や 鵜の目に隙を窺ひつ水も洩らさぬ三五の 教をここに経となし緯さしならぬ身の破目を 押開かむと村肝の心に包み岩が根に 二三の信徒伴ひて時を待つこそ忌々しけれ。 春の陽気も漂うて、山桜の此処彼処、お多福面ではなけれども、花より葉が前に出る、谷路伝うてスタスタと登り来る二人の男、山桜の古木の根元に腰打ち掛け、竹の子笠を大地に投げ棄てヒソビソ話に耽る。 甲『此通り四方の山々新装をこらし、春の英気を含んで、木々の木の芽は時々刻々に際限もなく新芽を吹き出し、常世の春を寿ぎ、花は笑ひ、鳥は歌ひ、実に何とも云へぬ気分になつて来た。併し乍ら吾々の奉ずるバラモン教も、一時は大江山の鬼雲彦さまが鬼ケ城山の鬼熊別と南北相呼応して、遠近を風靡さした隆盛に引き替へ、今日のバラモン教は恰度冬が来たやうなものだなア。吾々は三国ケ岳の砦を三五教の為に取り毀たれてより、一旦本国へ帰り、時を待つて捲土重来せむものと、蜈蚣姫様に幾度諫言を試みたか知れなかつたが、どうしてもお聞きなさらず、又もやアルプス教の鷹依姫と共に、大自在天様の御威徳を発揮せむと主張し、此魔谷ケ岳にお越しになつてから早三月も経つた。併し乍ら高春山の没落以来影響を受け、折角集まつて来た信者も、日向の氷の如く、日に日に消滅の運命を繰返し、吾々の知つた事か何ぞの様に蜈蚣姫の御大将の不機嫌、日夜の八当り、実に困つたものぢやないか。今日は何とか一つお土産を持つて帰らねば、あの難かしい顔が元の鞘に納まらない、何とか良い名案はあるまいかなア』 乙『名案と云つて、吾々の智嚢の底を搾り切つた上の事だから、モウ此上逆様に振つても虱一匹産出……否落ちて来る気遣ひがない。要するに非常手段を用ゐるより方法はあるまいよ。鷹鳥山の鷹鳥姫は相当な年増で、蜈蚣姫と同じ様な年輩だが、まだ此方へ現はれてから幾らにもならぬのに大変な勢だ。何時も四つ時からかけて鷹鳥山の岩の根に道を説く鷹鳥姫の庵に通ふ老若男女は非常なものだ。何でも鷹鳥姫は紫の玉、金剛不壊の宝珠を腹に呑み込んで居ると云ふ事だから、一つ彼奴を直接行動で何々して了へば、後はバラモン教の天下だ。それに就て、彼が股肱と頼む玉能姫と云ふ頗る美人が居る。先づ其女から巧妙く説きつけて、此方のものにしさへすれば、鷹鳥姫に接近の機会を得ると云ふものだ。大樹を伐る者は先ず其枝を伐る……』 甲『将を射むとする者は先づ其馬を射ると云ふ筆法だな。併しさうウマく計画通りに行くだらうか。当事と牛のおもがひは向ふから外れると云つて、実に不安心なものだ』 乙『その玉能姫は何時も谷川に水を汲みにやつて来るさうだ。表口へ廻れば沢山の参詣者だから、到底目的は達し得なからうが、玉能姫は裏坂の椿谷の清泉に何時も下り立ち、霊泉を汲みに来ると云ふ事を探知して居るのだ。あの水は何でも非常な薬品を含んで居る。それを御神水だと云つて、鷹鳥姫が数多の者に与へるので、凡ての病気は奇妙に全快するさうだ。之を鷹鳥姫の奴、御神力だと称し、股肱の臣たる玉能姫にソツと汲ませ、神前に供へさせて置くさうだ。第一玉能姫を巧妙く此方の手に入れて、其上で本城へ駆け向へば、成功疑なしだよ。サア清泉まで僅か二三丁だ。早く行かう』 とカナンボール、スマートボールの両人は、崎嶇たる谷道を笠を手にしながら、チクチクと登り行く。 カナン、スマートの両人は鷹鳥山の清泉に漸く辿り着いた。急坂を太き竹製の手桶を両手に提げ、背恰好、容貌、寸分違はぬ三人の女、ニコニコしながら二人の前に現はれ来り、 甲女『あなたは、バラモン教のカナンさまでせう』 カナン『御察しの通りカナンです。此奴ア、スマートと云つて、私の乾児です。どうぞ此面を能くお目に止められまして、お忘れなき様に……』 甲女『ホツホヽヽヽ、忘れようと云つたつて、其お顔が如何して忘れられませう』 スマート『オイ、カナン、一目見てさへ、斯う云ふ美人が忘れられぬと云ふのだから、大した者だらう』 甲女『ホヽヽヽヽ』 と腹を抱へて女は蹲む。 スマ『コレコレお女中さま、何をお笑ひなさる。どつか私の顔に特徴がありますか……どつかお気に入つた所が御座いますかなア』 カナン『オイ、スマート、貴様は余程良い馬鹿だなア。一寸水鏡に照らして見よ。随分立派な顔だぞ』 三人の女は、一度に臍を抱へて笑ひ倒ける。 スマート『ハテナ』 と不審そうにスマートは清泉に顔を照らし眺めようとする。見られては大変と言はぬ許りに、カナンは手頃の石を拾ふより早く泉の中へ投げ込んだ。忽ち波立ち、スマートの顔は細く長く横に平たく、前後左右に随意活動、伸縮自在、真黒けの姿が映る。 スマート『何だかチツとも見えないワ。此泉には黒ん坊の霊が浮いて居るぢやないか』 カナン『アハヽヽヽ、俺も可笑しうてカナンワイ、のうスマート』 と又笑ふ。三人の女は益々笑ひ倒ける。スマートは合点行かず、波の静まつたのを見定め、又もや覗きかける。カナンは石を投げ込む。スマートは、 スマート『馬鹿にするない。何故水鏡を見ようと思ふのに、邪魔をするのだ』 カナン『貴様の顔を貴様が見ると、俺も一寸カナン事があるのだよ。アハヽヽヽ、随分黒う人だなア』 スマート『何だか俺の顔は今朝から鬱陶敷て仕方がない。スマートな気がせないよ。実際は如何なつたのか』 カナン『お目出度い奴だ。蜈蚣姫さまが何方へ向いとるか分らぬ様にと、墨を塗つて置かしやつたのだ。貴様の顔一面墨だらけだよ。俺は面黒くてカナンボールだ』 スマート『そりや大変だ。スマートも一つ此処で手水を使はうかなア』 カナン『イヤイヤそんな事しようものなら大変だぞ。貴様は注意が足らぬので、三国ケ岳で玉の在処をお玉の方に知らした奴だと蜈蚣姫さまに睨まれて居るのだ。大変な恥辱を与へよつた……蜈蚣姫の顔に墨を塗りやがつたから、あの玉を奪り返す迄はスマートの顔に墨を塗つて置くのだから……と云つてな、貴様が酒に喰ひ酔うて寝てる間に、ペツタリコと左官屋を遊ばしたのだ』 スマート『そりや余り殺生ぢやないか。斯う云ふナイスにそんな面を見られては堪らない。スマートはあんな黒い奴だと、三人女の印象に何時までも残つちや堪らない。一つ墨を洗ひ落して、好男子振りを認めて置いて貰はぬと詮らぬからなア』 と無理矢理に水を掬ひ、顔の垢を落す。如何したものか、さしもに清冽なる泉は墨を流した如く真黒になつて了つた。三人の女は、 三人『あれ、マア何うしませう』 と顔をかくす。スマートはスツカリと墨を落した。生れ付きの好男子である。 スマート『オイ、カナン、俺の顔を塗りよつたのは、蜈蚣姫さまぢやなからう。貴様は怪体な御面相だから、俺と一緒に歩くと目立つと思つて悪戯をしたのだらう』 カナン『マア何うでも好いワ。すべて神の道に在る者は、犠牲的精神が肝腎だから、誰がしたにもせよ、俺がした事にして置けば良いのだよ』 スマート『兎も角、三人のお方、貴女は玉能姫さまとか云ふ方ぢやありませぬか。どうぞスマートを鷹鳥山へ連れて往つて下さいますまいかな』 甲女『ホヽヽヽヽ、あなたの様な瓜実顔を連れて帰らうものなら、青物屋と間違へられますわ。カナンさまの南瓜顔、どうぞそれ計りは勘忍へて頂戴な』 カナン『オイ女、南瓜とは何だ。瓜実顔とは何ぢや。馬鹿にするない。八百屋ぢやあるまいし、サアもう斯うなつた以上は、否でも応でも、魔谷ケ岳へ担げて帰る。覚悟をせい』 乙女『誰が汚らはしい。お前の様なヒヨツトコに担がれて行く者がありますかい』 スマート『ますます貴様は七尺の男子を、馬鹿にするのだな。こりや、俺を誰様と心得て居る。バラモン教の蜈蚣姫が左守の神と聞えたる、スマートさまぢやぞ。斯う見えても何から何まで、知らぬ事のないチヤアチヤアだ。玉能姫、覚悟をせい』 甲女『本当の玉能姫が……それ丈能く分るお前さまなら……何れだか当てて御覧……』 スマート『一人は玉能姫、二人はお化けだよ』 甲女『どれがお化けで、どれが本物ですか』 スマート『オイ、カナン、此奴三人共引括つて伴れて帰らう。何れがどうだか余り能う化けて居よつて、見当が取れぬぢやないか』 カナン『さうだなア。併し斯う云ふ美人を担いで帰ぬと、途中で又魔がさし、中途でボツたくられると困るから、幸ひ此泉の水を塗り付け、真黒けにして帰らうかい。宅へ帰つて軽石や曹達で擦れば、現在の様な綺麗な面になるのだからのう……オイ女、此処へ来い。一つお黒いを塗つてやらう』 三人の女一度に、 三人『ホツホヽヽヽ』 と笑ひこける途端に、シユウシユウと立ち昇る白煙、忽ち四辺を包んで了つた。二人は息も詰るやうな苦しさに其場にパタリと倒れた。三人の女は真黒の水を手桶に掬ひ、二人の顔から手足一面に注いだ。両人は焼木杭の様な色になつて、其側に倒れた儘気絶して居る。三人の女は、 三人『旭さま……月日さま……ヤア高倉さま……さア帰りませう』 と互に白狐と還元し、魔谷ケ岳の蜈蚣姫が館を指して進み行く。 此処へ上つて来たバラモン教の部下四五人、 甲『オイ、スマートにカナンの大将は、此鷹鳥山の庵へ進むべく、教主の命を奉じて登つた筈だが、どうなつただらう。最早日も暮れかかつて居る。何とか便りがありさうなものだなア』 乙『折角働いて、是から休まして貰はうと思つて居るのに、大将が帰りが遅いものだから、こんな危険区域へ派遣されて、堪つたものぢやない。此山は随分恐ろしい化物の出る所ぢやから、迂濶して居ると、又此間の様に真黒黒助の怪物が出て、目玉を剔り抜かれるか知れやしないぞ。転公は目玉を抜かれたきり、たうとうあの通り不自由な盲目となつて了つた』 甲『なアに、あれは黒ン坊の化もんぢやない。此森林を暗がり紛れに歩きやがつて、松の枯枝に目玉を突当て飛び出たのだ。目を突くが最後其辺が見えなくなつたものだから、黒ン坊の化物が目を剔つたなどと云つてるのだ。用心せないと、どんな目に遇ふかも知れないぞ』 乙『イヤイヤ、松の木ぢやない。本当に黒ン坊が出たさうだ。用心せよ。そろそろ暮れかかつたからなア』 と云ひながら登つて来る。カナンはフト気が付き見れば、赤裸にしられた真黒の男が傍に横たはつて居る。 カナン『オイ、スマート、何処へ往つた。早く来て呉れ。此間転公の目を抜きよつた黒ン坊の化物が、茲に一匹横たはつて居よるワイ。オーイ、早よ来ぬかい』 スマートは此声にムクムクと動き出した。 スマート『ヤア、お前の声はカナンぢやないか』 カナン『オウさうだ。貴様は化物だらう。又目をとらうと思つて出よつたのだらう。其手は喰はぬぞ』 スマート『貴様こそカナンに化けた黒ン坊だ。俺が了簡せぬのだ。覚悟せい』 と足許のガラガラした石を拾つて投げつける。カナンも亦石を拾つて投げつける。双方より石合戦の真最中、 『アイタヽヽ』 『アイタヽヽ』 と云ひながら大格闘を始め、真黒けに濁つた清泉の中へ組んづ組まれつ、ドブンと落込んだ。薄暗がりに上つて来た五人の男、 甲『オイ、何だか妙な音がしたぢやないか』 乙『さうだなア。一つ調べて見ようか。何でも此辺には鷹鳥姫の庵に仕へて居る、玉能姫と云ふ美人が、チヨコチヨコ現はれるさうだから、ヒヨツとしたら、水汲みに来やがつて薄暗がりに過つて、ドンブリコとやつたのかも知れないぞ。蜈蚣姫さまが彼奴さへ手に入れば、後はどうでもなると仰有つて、カナン、スマートの大将に言ひつけて御座る位だから、俺達が手柄をして彼奴等の上役にならうぢやないか。此清泉へ今頃に水汲みに来る奴は、玉能姫より外にありやせぬぞ』 丙『オイ、愚図々々云つて居ると、水を呑んで死んで了つたら何にもならぬぢやないか。サア早く助けてやらう』 と清泉の傍に五人は探り探り立ち寄つた。余り深くない泉の中、二人の黒ン坊は組んづ組まれつ無言の儘掴み合うて居る。黒さは益々黒く、腸まで浸み込んで了つた。 甲『コレコレ、玉能姫さま、お危ないこつて御座いました。サア私が助けてあげませう。余り暗くつて一寸も分らぬ。それにお前さま黒い着物を着て居るものだからサツパリ見当が付かぬ。私の声のする方へお出でなさい』 横幅三間縦五六間の泉の中で、バサバサと一生懸命に格闘して居る。黒い水は両人の耳の穴に吸収され、知らぬ間に聾になつて居る。目玉まで真黒け、一寸先も見えなくなつて了つた。 乙『オイ、玉能姫にしてはチツと様子が違ふぢやないか』 甲『何、何時も三人同じ様な別嬪が此泉へ現はれると云ふ事だ。大方一人陥つたので二人が助ける積りで飛び込んで居るのだらう。同じ人を助けるのにも、あゝ云ふ美人を助けるのは気分が良い。……「どこのお方か知りませぬが、大切な生命をお拾ひ下さいまして、此御恩は忘れませぬ」……とかなんとか言つて、俺達に秋波を送るのは請合だ。三人の女を三人寄つて助ける事にしよう。皆同じ別嬪だから、甲乙がなくて後の争論も起らず、大変都合が好い。……オイ、熊、蜂、貴様は其処に番ついて居れ。吾々三人が功名手柄をするのだから……』 と囁いて居る。黒い影はビシヤン、バシヤンと相変らず向ふの方で水煙を立てながら格闘を続けて居る。清泉の真黒けになつた事は、薄暗がりで少しも五人には気が付かなかつた。甲は真裸となつて救い出さむと飛び込んだ。乙丙も吾劣らじと飛び込み、 乙、丙『コレコレお女中、玉能姫さま、私が助けてあげませう』 と進み行く。此奴も真黒けになり、三人共盲聾の真黒けの体に変じ、五人は互に同志打を始めて居る。夜は追々と暗の帳が深く下りて来た。熊公は、 熊『オイ蜂、コラ一体どうなるのだらうなア。オイ、金公、銀公、鉄、何してるのだ。玉能姫は如何なつたのだ。良い加減に上つて来ぬか。温泉か何ぞへ這入つたやうに気楽さうに泉の中で意茶付いとるのだな。……オイ早くあがらぬかい』 と呼べど叫べど、盲聾の真黒黒助には少しも分らず、遂には甲乙丙の区別を取違へ、一生懸命に格闘して居る。此時以前の女神又もやパツと此場に現はれた。さうしてアークライトの様な光は頭上に輝いて来た。五人の目は、始めてボーツと明りが見えて来出した。 カナン『ヤア此奴あ失策つた。何時の間にか美人が又やつて来よつた。オイ、スマート、斯んな所で喧嘩をして居る時ぢやない。何だ、貴様の姿は真黒けぢやないか。矢張りスマートぢやなからう。化衆ぢやなア』 スマート『貴様はカナンの声を使つて、馬鹿にするな。……コリヤ女、俺達をこんな所へ落しよつて、高所で見物すると云ふ事があるかい』 金、銀、鉄の三人も女神の姿に驚いて俄に這ひあがつた。 甲女『危い所をお助け下さいまして、お蔭で助かりました。此御恩は決して忘れませぬ』 金『ハイハイ、滅相もない。併し何時お上りになりました。私は貴女をお助けしたいと思うて、此通り飛び込み大活動を致して居りました。……それはまア結構でした。併し御礼を言はれるのはチツと不思議だ。救ひ上げた覚えがないのだから』 乙女『銀さまとやら、あなたは妾を救うて下さつた御恩人ですよ』 丙女『鉄さま、能う助けて下さつた』 鉄『へー、有難う……ナニ、滅相な、何方を言つて良いか訳が分らぬやうになつて来たワイ、助けてあげたやうにも思ふし、助けてあげない様にも思ふし、……こりやマア、如何なつたのだらう』 甲女『金さま、お前さまは、何とした黒い姿にならしやつたのだ。妾、残念で御座います』 金公始めて気が付き体を見れば、空地なきまで墨の化物の様になつて居る。銀、鉄はと見れば、これも真黒黒助。 金『ヤア、此光に照らし見れば、誰も彼も何故斯う黒くなつたのだらう』 甲女『妾の生命の御恩人、金さま、銀さま、鉄さま、どうぞ此方へ来て下さい。妾が拭き取つてあげませう』 と雪の様な手を延べ、四辺の草をむしつて牛馬の行水でもさせる様に、カサカサと擦り始めた。金、銀、鉄の三人は、元の黒ン坊が黄疸を病んだ様な肌、忽ち純白色となつて了つた。 乙女『ホツホヽヽヽ、綺麗だこと。三人さま、一寸御覧なさいませ。玉子の様な綺麗な肌付におなりなさいました』 三人はフト自分の体を見て、純白色に変じて居るのに且驚き且喜び、天にも昇る心地して、思はず手を拍ち飛び上つた。三人の女は美はしき衣を各々取り出し、金、銀、鉄の三人に着せた。何とも云へぬ立派な好男子になつて了つた。カナン、スマートは真黒けに染つた儘恨めしさうに眺めて居る。 甲女『スマートさま、カナンさま、随分お黒うおなりやしたネー。妾は斯うして三人の美しき殿御を持ちました。羨りい事は御座いませぬか』 と嬉しさうに手を取つて、 甲女『サア、金さま、銀さま、鉄さま、斯う舞ふのだよ。妾とダンスを致しませう』 と三男三女は手を握つてキリキリと舞うて見せる。二人は這ひあがり、指を啣へて、 カナン『アーア、夢かいな。夢なれば結構だが、斯んな真黒けになつて了つては、宅へ帰つて嬶アにだつて追払はれて了ふワ』 熊、蜂『オイ金、銀、鉄、貴様等は三人の美人を助けて、そんな陽気な事をしやがつて俺達を馬鹿にするのか。チツと俺にも分配したらどうだ』 金『生憎三人の美人だから、パンか何かの様に割つて与へる訳にも行かず、まあ時節を待つのだなア。カナンにスマートの御大将でさへも、あの通り黒ン坊になつて了つたのだから、其事を思へば貴様はまだ元の生地の儘保留されて居るのだから、せめてもの喜悦として、グヅグヅ言はぬが得だらう。俺はこれから此ナイスと共に鷹鳥山に立向ひ、鷹鳥姫様にお目にかかつて、御馳走に預かつて来る。まアゆつくり黒い水でも飲んで、俺達の凱旋祝の準備でもして居て呉れ。カナン、スマートの御大将、アリヨース。サアサア三人の御姫さま、こんな所で黒ン坊を眺めてゐても殺風景です。どつかへ転地療養と出かけませうか』 甲女『新婚旅行と洒落て、これから鷹鳥山、再度山、魔谷ケ岳、六甲山と、天然都会を漫遊致しませう』 カナン『オイ、金公、待たぬかい』 と呶鳴つて居る。忽ちアーク灯の様な光はブスツと消えた。六つの白い姿は闇に浮いた様に山上目蒐けて薄れ行く。 (大正一一・五・二六旧四・三〇松村真澄録) |
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霊界物語 | 22_酉_鷹鳥山の鷹鳥姫 | 14 初稚姫 | 第一四章初稚姫〔七〇六〕 杢助『神が表に現はれて善と悪とを立別ける 此世を造りし神直日心も広き大直日 唯何事も人の世は直日に見直せ聞き直せ 身の過ちは宣り直す三五教の宣伝使 誠の道を踏み外し心鷹ぶる高姫が 小さき意地に囚はれて錦の宮を守ります 玉照彦や玉照の姫の命や言依の 別の命の御心を空吹く風のいと軽く 聞き流したる身の報い鷹鳥山の頂きに 現はれ給ひし黄金の神の化身が誡めの 礫に谷間へ顛落し苦しみ悶ゆる娑婆世界 心一つの持ちやうで神の造りし此国は 天国浄土地獄道自由自在に開けゆく 吾身の作りし修羅畜生心の中の枉鬼に 虐げられて高姫は清泉忽ち濁り水 湧きかへりたる胸の中聞くも無残な今日の春 花咲き匂ひ風薫り小鳥は歌ひ蝶は舞ふ 花と花とに包まれし常世の春も目のあたり 神の大道を白煙深く包まれ目も鼻も 口さへ利かぬ浅ましさそれに続いて若彦が 血気にはやる雄健びのたけび外して久方の 天津空より降り来る神の礫に身を打たれ 忽ち地上に倒れ伏し息絶え絶えの瞬間に 心の開く梅の花天国浄土の楽園を 初めて覚る胸の中今迄犯せし身の罪や 心の汚れ忽ちに悟りの風に吹き払ひ 初めて此処に麻柱の真の司となりにけり あゝ高姫よ若彦よ娑婆即寂光浄土ぞや 神も仏も枉鬼も大蛇醜女も狼も 心を焦つ針の山身を苦しむる火の車 忽ち消ゆる水の霊神素盞嗚大神の 千座置戸の勲に心の空の雲霧を 払はせたまふ神言を朝な夕なに嬉しみて 尊き恵を忘れなよ神は汝と倶にあり とは云ふものの拗けたる身魂の主に何として 正しき神の坐まさむやあゝ惟神々々 恩頼を蒙りて心の岩戸を押し開き 誠明石の浦風に真帆をあげつつ往く船の 浪のまにまに消ゆるごと一日も早く八千尋の 海より深き罪咎を祓戸四柱大御神 祓はせ給へ神の子と生れ出でたる高姫や 若彦つづいて玉能姫金助、銀公其他の バラモン教に仕へたるスマートボールを始めとし カナンボールや鉄、熊や其他数多の教子よ 早く身魂を立て直せ神が表に現はれて 善と悪とを立て別ける朝日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも仮令大地は沈むとも 誠一つの神の道幾千代迄も変らまじ 変らぬ誠の一道に向ひまつりて松の世の 光ともなり花となり塩ともなりて世の中の 汚れを清め味をつけ神の柱とうたはれて 恥らふことのなき迄に磨き悟れよ神の子よ 神に仕へし杢助が赤き心を立て通し 初稚姫の命もて玉能の姫の神魂を 此処に伴ひ来りたり汝高姫、若彦よ 神の御声に目を醒ませ心にかかる村雲も 忽ち晴れて日月の光照らすは目のあたり あゝ惟神々々御霊幸はひましませよ』 と歌ひつつ時置師神の杢助は、初稚姫を背に負ひ、玉能姫と諸共に此場を指して現はれた。 此宣伝歌の声に鷹鳥姫、若彦、金、銀の四人は身体元の如く自由となりて立ち上り、杢助の前に嬉し涙に咽びながら両手を合せ、感謝の意を表し、恭しく首を垂れて居る。 杢助『皆さま、大変なおかげを頂きましたなア』 鷹鳥姫『ハイ、有難う御座います。余り吾々の偉い取違ひで、今迄開いた口のすぼめやうが御座いませぬ』 若彦『御神諭の通りアフンと致しました』 杢助『随分沢山な警護の役人が、竹槍を持つて御守護遊ばして居られますな。此方々は何時お出になつたのですか』 鷹鳥姫『ハイ、吾々の心に潜む悪魔を追出しに来て下さつた御恩の深いお方計りです』 若彦『此方々はバラモン教の蜈蚣姫さまの部下の方ださうです。厚いお世話になりました。何卒貴方から宜敷くお礼を云うて下さいませ』 体は棒のやうになつて強直したバラモン教の連中も、首から上は自由が利くので互に首を掉り、顔を見合せ、小声になつて、 スマート『オイ、カナン、嫌らしい事を云ふぢやないか。散々悪口をつかれ、危ない目に遇はされた俺達に向ひ、礼を云つて呉れと吐しやがる。この御礼は中々骨があるぞ。確りして居らぬと、中空より飛行機墜落惨死の幕が切つて落されるかも知れない。困つたものだなア』 カナン『何と云うても、この通り不動の金縛りを食うたのだから謝罪るより仕方がない。抵抗しようと云うた所で、こんな木像では何うする事も出来ぬぢやないか』 と囁いて居る。杢助の背から下された初稚姫は一同の前に立ち、忽ち神憑り[※三版・愛世版では「神憑り」、校定版では「神懸り」。]状態になつて仕舞つた。一同は期せずして初稚姫に視線を向けた。初稚姫は言静に、 初稚姫『三五教の宣伝使鷹鳥姫、若彦其他一同の人々よ、八岐大蛇の猛り狂ふ世の中、暗黒無道の娑婆世界とは云ひながら、汝等が心の岩戸開けし上は暗黒無明の此世も、もはや娑婆世界ではない、天国浄土である。娑婆即寂光浄土の、至歓至楽のパラダイスだ。汝等は八岐大蛇を言向け和し、ミロク神政の神業に参加せむと欲せば、先づ汝が心の娑婆世界をして天国浄土たらしめよ。この世界は汝が心によりて天国ともなり又地獄ともなるものぞ。風は清く山は青く、河悠久に流れ、木々の梢は緑の芽を吹き出し、花は笑ひ小鳥は歌ひ、蝶は舞ひ、自然の音楽は不断に聞え、森羅万象心地よげに舞踏し、吾等の目を楽しましめ、耳を喜ばせ、馨しき匂ひは鼻を養ふ。木の実は実り五穀は熟し、魚は跳ね、野菜は笑を含みて吾等が食ふを待つ。大道耽々として開け、鉄橋、石橋、木橋は架渡され、道往く旅人も夕になれば旅宿ありて叮寧に宿泊せしめ、湯を与へ食を与へ暖かき寝具を提供し、往くとして天国の状況ならざるはない。遠きに往かむとすれば汽車あり、電車あり、郵便電信の便あり、斯くの如き完全無欠の神国に生を託しながら、是をしも娑婆世界と観じ、暗黒無明の世と見るは何故ぞ、汝の心が暗きが故なり、身魂の汚れたる為なり。宣伝歌に云はずや「此世を造りし神直日、心もひろき大直日」と、あゝ斯の如き直日の神の神恩天の高くして百鳥の飛ぶに任すが如く、海の深く広くして魚鼈の踊るに任すが如き、直日の心を以て一切衆生に臨めば、何れも皆神の光ならざるはなく恵ならざるはなし。鬼もなければ仇もなし、暗もなければ汚れもなし。一日も早く真心に省み、一切に対して心静に見直せ聞き直せ、以前の誤解は速かに宣り直せよ。これ惟神なるミロクの万有に与へ給ふ大御恵なるぞよ。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と云ひ終つて初稚姫は元に復し、再び杢助の背に愛らしき幼き姿を托した。 鷹鳥姫、若彦は一言も発し得ず地に噛りつき、感謝の涙止め度なく身を慄はして居た。今迄玉能姫と見えしは幽体にて、かき消す如く消え失せた。杢助父子の姿も、如何なりしか目にも止まらず、スマートボール以下の人々も何時しか消えて、白雲の漂ふ天津日は煌々として此光景を見下したまひつつあつた。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一一・五・二七旧五・一加藤明子録) |
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霊界物語 | 22_酉_鷹鳥山の鷹鳥姫 | 15 情の鞭 | 第一五章情の鞭〔七〇七〕 時置師神、初稚姫、玉能姫は、忽然として此の場に姿を隠した。何時の間にか押寄せ来りしバラモン教のスマートボール以下数拾人の人影も、煙の如く消えて了つた。鷹鳥姫、若彦は互に顔を見合せ、不審の念に駆られながら、 鷹鳥姫『これ若彦さま、なんと不思議ぢやありませぬか。私は貴方に御留守を頼み、此山の頂に玉能姫さまと登つて見れば、黄金の立像四辺眩ゆき許りに輝き給ひ、荘厳無比にして近づくべからざるやうでしたが、勇気を出して御側近く立寄つたと思へば、左右の御手を伸ばして吾等二人を中空に投り上げ給ひ、後は夢心地、覚めて見れば吾庵の庭先に倒れてゐました。さうして天より神さまの声聞え、いろいろの教訓を賜はりし時は、実に畏れ入つて自分の今までの罪が山の如く前に現はれ来り、何とも云へぬ心の苦しさ。今迄の取違ひを全く覚り、神さまに罪を赦されたと思へば、バラモン教の人は竹槍を以て、妾等二人を突き滅ぼさむと攻め寄せ来る危機一髪の際、杢助さまは初稚姫様を背に負ひ、玉能姫さまを伴ひ、宣伝歌を歌ひながら此場に現はれ、初稚姫様を背より下し給うたと思へば、初稚姫様は神懸状態に御成り遊ばし、娑婆即寂光浄土の因縁を細々と御説き下され、ヤレ有難やと伏し拝むと見れば、三人の御姿は煙と消えて了はれた。不思議な事があればあるものだなア』 若彦『私も其の通りで御座います。天から女神の声聞え、いろいろの尊き教訓を賜はり、杢助様一行は現に此処に御出でになつたのは、決して夢でも現でもありますまい。又蜈蚣姫の部下の人々が攻め寄せて来たのも事実です。吾々両人は杢助様親子に救はれたも同様ですから、黙つて居る訳には行きますまい。是から杢助様の御宿を訪ね、御礼に参らねばなりますまい』 鷹鳥姫(高姫)『さうですかなア、貴方御苦労だが妾は此処に神様の御給仕をしながら、留守をしてゐます。一度御礼に行つて来て下さい。金さま、銀さま、貴方も共に助けて頂いたのだ。若彦さまと一緒に杢助さまの宅迄、御礼に行つてお出でなさい』 金、銀一度に、 金助、銀公『ハイ、有難う、御伴致します』 と感謝の涙に咽ぶ。茲に若彦は口を嗽ぎ手を洗ひ、高姫、金、銀二人と共に、神前に向ひ恭しく天津祝詞を奏上し、神言を宣り、庵を後に崎嶇たる山坂を伝ひ伝ひて下り行く。 山麓の稍平坦なる大木の茂みに差掛る時しも、午睡をしてゐた拾数人の男、三人の姿を見るよりスツクと立ち上り、前途に大手を拡げ、 男たち『ヤー、其方は三五教の若彦であらう。汝は玉能姫と云ふ魔神を使つて、俺達を清泉に投げ込んだ悪神の張本、手足も顔も傷だらけに致しやがつた。サア、これからは返報がやしして呉れむ、覚悟をせよ』 と四方八方より棍棒打振り攻め来る。 若彦は飽く迄無抵抗主義を支持すれども、敵の勢余り猛烈にして危くなりければ、四辺の枝振りよき松を目蒐けて猿の如く駆け上つた。金助、銀公の二人は松の小株を楯に取り、 金助『オイ、スマートボール、カナンボールの阿兄、その腹立は最もだが、此の宣伝使の知つたことぢやない。貴様等が作つた心の穽に落ち込んだのだ。敵は汝の心に潜んでゐるぞ。マア気を落着けよ。貴様は今杢助の娘初稚姫に危急を救はれて、雲を霞と遁げ去りながら、其の御恩を忘れ、未だ三五教に敵意を含むのか。貴様冷静に考へて見よ』 スマート『考へるも考へぬもあつたものかい。俺が何時杢助の娘に救けられたか。莫迦を云ふない、テンで鷹鳥姫の庵に行つたこともない。なア、カナン、妙なことを金助の奴吐すぢやないか』 金助『吐すも吐さぬもあつたものかい、白々しい。僅か一人や二人の宣伝使に向つて、竹槍隊を引率し、芋刺しにして呉れむと、大人気なくも襲撃して来よつたぢやないか。余り空惚けない』 スマートボール『貴様はちつと逆上せてゐよるなア。これから俺が谷水でも掬つて飲ましてやらう』 金助『逆上せて居るのは貴様等ぢや。皆神様が貴様等のやうな分らん屋には相手になるなと云つて、若彦さまを此の松の木の頂上まで上らせてござるのだ。ちつと上せ様が違ふぞ。水を飲ましてやると云ひよつたが、俺の欲する水は、飲めば直様、汗や小便になるやうな水ではない。乾くことなく、尽くることなき身魂を洗ふ生命の水だ。瑞の身魂の救ひの清水だ。サア、これから俺が飲ましてやらう。確り聞けよ』 カナン『金助の奴、貴様は筒井順慶式だな。腹の黒い裏返り者、サア、一つ目を覚ましてやらう。覚悟を致せ』 と迫り来る。 金助『アハヽヽヽ、俺の腹が黒いと吐すが、貴様が大将と仰ぐ蜈蚣姫は何うだい。身体一面真黒ぢやないか。其の股肱と仕へてゐる貴様の顔は野山の炭焼きか、炭団玉か、但は屋根葺爺か、アフリカの黒ン坊か、烏のお化けか、紺屋の丁稚か、岩戸を閉めた曲神か、得体の分らぬ真黒黒助。アハヽヽヽ』 と肩を大きく揺り、二三度足で大地に餅搗きながら笑つて見せた。スマート、カナンは烈火の如く憤り、 スマートボール、カナンボール『腹黒の二枚舌、腰抜け野郎奴、云はして置けば際限もなき雑言無礼、最早勘忍相成らぬ、覚悟致せ』 と武者振りつく。金、銀二人は拾数人を相手にコロンツ、コロンツと格闘を始めた。 松の大木の上より若彦は声を張り上げて歌ひ出した。 若彦『神の造りし神の国恵みの露に潤ひて 大神宝と生れたる世界の人は神の御子 人のみならず鳥獣魚貝の端に至るまで 神の造りし貴の御子互に憎み争ふは 吾等を造りし祖神の深き心に背くなり スマートボール其他のバラモン教の人々よ 吾等も同じ天地の神のみ息に生れたる 断つても断れぬ同胞よ愛し愛され助け合ひ 聖き尊き此の世をば一日も長く存らへて 皇大神の降らします恵の雨に浴し合ひ 互に心打ち解けて四海同胞の標本を 世界に示し神の子と生れし実をめいめいに 挙げよぢやないか人々よ三五教やバラモンと 名は変れども世を救ふ誠と心は皆一つ 一つ心に睦び合ひ下らぬ争ひ打切りて 手を引合うて神の道花咲く春をやすやすと 心楽しきパラダイス進み行く世を松の上 松の緑の若彦が皇大神に照らされし 心の魂を打開けて神より出でし同胞に 真心籠めて説き諭すあゝ諸人よ諸人よ 三五教やバラモンと小さき隔てを打破り 尊き神の御子として清き此世を永遠に 千代も八千代も暮さうか返答聞かせ早聞かせ 汝が心の仇波は汝が心に立ち騒ぐ 波の鎮まる其の間この若彦は何時迄も 松の梢に安坐して改心するを待ち暮す あゝ惟神々々御霊幸はひましませよ 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むとも神は吾等の御親ぞや 人は残らず神の御子人と人とは同胞よ 親子兄弟睦び合ひ五六七の神代を永遠に 手を引合うて楽まむ神が表に現れまして 善と悪とを別け給ふ此世を造りし神直日 心も広き大直日唯何事も吾々は 互に胸を明かし合ひ過ちあらば御互に 諫め交して天地の神の心に叶ひつつ 二つの教を解け合せ誠一つの神界の 道に復ろぢやないかいな道に進もぢやないかいな これ若彦が一生のバラモン教の人々に 対して願ふ真心ぞあゝ惟神々々 御霊幸はひましませよ』 と歌ひ終つた。 俄に吹き来る春風に、松葉の戦ぎそよそよと、梢を伝ひ下り来る。此の言霊に辟易し、スマートボールを始めとし、数多の人々一散に、雲を霞と走り行く。金、銀一度に、 金助、銀公『若彦さま、貴方の宣伝歌に依つて一同の者は、頭を抱へ尻引からげ、初めの勢にも似ず、雲を霞と遁げ散つて了ひました。併し乍ら彼等とても良心の閃きはありませうが、さうぢやと云つて決して油断はなりませぬ。気をつけて参りませうか』 若彦『マア急ぐに及ばぬ。バラモン教の人々に対し、私の宣伝歌が功を奏したか、奏しなかつたかは知りませぬが、兎も角吾々の進路を開いて呉れただけでも結構だ。此の松の木の麓に於て大神さまに感謝の祝詞を献げませう』 と言ひ終り早くも拍手再拝、鷹鳥山の絶頂を目標に祝詞を奏上し始めた。若彦外二人が汗を流して奏上する英気に充ちた顔を、遠慮えしやくもなく山の春風が吹いて通る。 再度山の山麓、生田の森の中に庵を結ぶ杢助の仮住居、形ばかりの門戸を開いて入り来る三人の男があつた。その中の一人は若彦である。若彦は、 若彦『頼みます頼みます』 と門の戸を叩いて訪へば、 (杢助)『オー』 と答へて出で来る以前の杢助、素知らぬ顔にて、 杢助『ヤーお前さまは若彦の宣伝使さま、鷹鳥山の庵に於て身魂を研き、旁御教を鷹鳥姫と共に四方に宣伝して御座ると聞いて居たが、今日は又如何なる風の吹き廻しか、此の杢助が隠家を訪ねて御越し遊ばしたのは、如何なる御用でございますか』 若彦『最前は鷹鳥姫様始め吾々一同、いかい御世話になりました。御礼を申さむかと思ふ間もなく、貴方は初稚姫さま、玉能姫と共に御帰り遊ばしたので、鷹鳥姫さまも一つ、言葉の御礼に行つて来ねば済まないから「若彦、お前御礼に行つて来い」との仰せ、遅れながら只今参りました』 杢助『此の日の暮紛れに三人連れで、此処へやつて来るとは合点が行かぬ。此の杢助は二三日前から閾一つ跨げた事はござらぬ。随つて貴方を最前とやら御助け申した覚えはござらねば、何うぞ此儘御帰り下さいませ』 と膠も杓子もなく、榎で鼻を擦つたやうな挨拶振り、稍面を膨らし、目を凝視めて不機嫌顔、若彦は合点行かず、暫し答ふる言葉も知らなかつたが、思ひ切つたやうに、 若彦『玉能姫は貴方の宅に御世話になつて居りませぬか』 杢助『それを訊ねて何となさる。三五教の宣伝使たるものは、一切を神様に任せ、総ての執着を去り、師匠を杖につかず、人を相手とせず、親子女房血類を力にすなとの教ではござらぬか。何を血迷うて鷹鳥山の霊場に玉能姫を伴れ込み、穢らはしくも此の杢助の宅に玉能姫は居ないかなぞと以ての外の御心得違ひ、左様な腐つた魂の宣伝使には今日限り絶縁致します。此の閾、一歩でも跨げるなら、サア、跨げて見なさい』 奥には玉能姫の咳払ひ、若彦の耳には殊更刺激を与へた。玉能姫は杢助に救はれ、此処に病気の身を横へながら、若彦との問答を心痛めて聞いて居る。飛び立つばかり会ひたさ見たさに、玉能姫は心は矢竹に焦れども、人目の関や、抜きさしならぬ杢助の堅き言葉に遮られ、何と返答もないじやくり、夜具に食ひつきハラハラと涙を袂に拭ひつつあつた。 杢助は二人の心を察し得ない程の木石漢にはあらねども、二人を思ふ慈悲心の波にせかれて涙を隠し、態と呶鳴声、 杢助『ヤイ、黄昏のこととて顔は慥かに分らねど、其の声は若彦によく似たり。恐らくは若彦に間違ひなからうかも知れぬ。併し乍ら三五教には不惜身命的宣伝使の数多綺羅星の如く、心の玉を輝かし神の教の道を猛進し、世人を導く身分として女房に心を奪はれ、教の館を捨てて遥々訪ね来る如き腰抜けは一人も御座らぬ。汝は神の名否宣伝使の雅号をサツクとなし、此世を誑かる泥坊の類ならむ。汝の如き偽物、諸方を徘徊致すに依つて、第一三五教の面汚し、獅子身中否志士集団の団体をして腰抜教と天下に誤解せしめ、神の神聖を冒涜するもの、汝は是より己が住家へ帰り、一意専念身魂を研き、名実相合する神人となつて、然る後宣伝使が希望ならば宣伝使となれ。それが嫌なら只今の儘流浪人となつて人の門戸を叩き、乞食の恥を曝すがよからう。斯く申す杢助の心は千万無量、推量致して名誉泥坊の二人と共に疾く此場を立去れ。又玉能姫とやらの宣伝使は、神界のため夫に暫く離れて素盞嗚大神の御楯となり、華々しき功名を致す迄、夫に面会は致すまいぞ』 と声張り上げて夫婦に聞かす杢助が情の言葉、若彦は胸に鎹打たるる心地、両手を合せ杢助の庵を伏し拝み、名残惜しげに振返り振返り、二人の男と共に、闇の帳に包まれてしまつた。 後に杢助は声を湿らせながら独言、 杢助『大神のため、世人のためとは云ひながら、生木を裂くやうな杢助が仕打ち、若彦必ず恨んで呉れな。それに就ても玉能姫、せめて一目なりと会はして呉れたら良ささうなものだのに、気強い杢助であると嘸恨んで居るであらう。最前初稚姫様の御知らせに依つて鷹鳥山へ救援に向ふ折りしも玉能姫は御伴をしようと云つた。其時無下に叱りつけ初稚姫様を背に負ひ、後に心を残しつつ宣伝歌を歌ひながら鷹鳥姫が館に行つて見れば、神の御告に寸分違はず、悲惨の幕が下りて居た。玉能姫の幽体は又見えつ隠れつ来て居つたやうだ。嗚呼無理もない。併し乍ら今会はせるは易けれど、言依別命様の御内命もあり、且又至仁至愛の大神様の厳しき御示し、何程玉能姫の心情を察すればとて、神さまの仰には背かれず、神の教と人情の締木にかかつた此の杢助の胸の苦しさよ。アヽ両人、今の辛き別れは勝利の都に達する首途、杢助が心の中も些は推量して下され』 と流石剛毅の杢助も情に絡まれ、潜々と落涙に咽んでゐる。奥には初稚姫、玉能姫が奏づる一絃琴の音、しとやかに鼓膜をそそる。 (大正一一・五・二七旧五・一外山豊二録) |
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霊界物語 | 22_酉_鷹鳥山の鷹鳥姫 | 18 布引の滝 | 第一八章布引の滝〔七一〇〕 初稚姫、玉能姫は霊夢に感じ、杢助の庵を立ち出で、青葉も薫る初夏の山路を再度山の山頂目蒐けて登り行く。淙々たる滝の音が間近く聞えて来た。 玉能姫『初稚姫様、あの音は布引の滝に近くなつたのでせう。一つ御禊をしてお夢にお示しの山頂に参り、言依別の教主より玉を預かつて帰りませうか』 初稚姫『小さな声で仰有つて下さい。此辺は曲神の悪霊が充満して居りますから、神界の秘密を探り、又もや妨害を加へられては大変ですから』 玉能姫『アヽさうでしたね。兎も角滝の音を目当てに、霧を分けて参りませう』 と夕霧籠むる谷間を、玉能姫は初稚姫の手を取り労はりつつ谷深く進み入る。 見上ぐる許りの瀑布の傍、飛び散る狭霧の玉は雨の如く降りしきり、周囲の樹木は何れも誕生の釈迦のやうになつて居る。二人は佇み、滝の雄大さを褒めて居る。霧押し分けて現はれ出でたる十数人の荒男、 甲『オイ、カナンボール、此間は山桜の盛りの時だつたがなア、鷹鳥山の清泉まで往つた時、出て来よつたお化の女、玉能姫が現はれたぞ。其時には同じ姿が三人連れとなり俺達を偉い目に遇はしよつたが、今度は手を替へて二人となり、一人はあんなチツポケな小娘に化けて出よつた。さアこれから一方口の此谷間、逃げようと云つたつて逃げられない屈強の場所、一つ彼奴を取捉へて魔谷ケ岳に連れ帰り、蜈蚣姫さまの御褒美に預からうぢやないか』 スマート『貴様の云ふ事は実に名案だ。愚図々々して居ると、又もや三五教の奴が出て来ては大変だ。善は急げだ。早く片付けて仕舞はう。何でも此辺に鷹依姫が持つて居た紫の玉が隠してあると云ふ事だから、彼奴を捉へて詮議すれば明白になるであらう。序に三五教の本山ではモウ二つの玉が紛失したと云うて騒いで居るが、大方玉能姫が何々しやがつて、此処に匿して居るに違ひないと云ふ噂だ。さア今度こそぬかつてはならないぞ。オイ皆の奴、其辺にすつこんで逃げ道を警戒し、万一も三五教の奴が出て来よつたら合図の柴笛を吹くのだぞ』 鉄公『ハイ、承知致しました。皆の奴を監督して違算なきやうに鉄条網となつて、如何なる強敵も、一歩たりとも侵入しないやうに致します。御安心下さい』 と霧に隠れて谷口の樹木の中に姿を隠した。 スマート『オイ、それなる女、汝は鷹鳥山の魔性の女、玉呑姫であらうがな。三つの玉を何処へ呑んだか、否隠したか。キリキリちやつと白状致し、此方に渡せばよし、渡さぬなどと吐すが最後、汝が素首取捉まへて魔谷ケ岳の霊場へ連れ帰り、水責め火責めはまだ愚か、剣の責苦に遇はしてでも白状させる。ならう事なら俺達も神に仕ふる身分だ。苦しめたくはない、早く白状致すが汝の得策だらう。手具脛引いて待つて居た。此処へ来たのは汝に取つて最早百年目、因果を定めて返答せい』 玉能姫『エヽ、誰人かと思へばバラモン教の蜈蚣姫が部下のスマートボールさまにカナンボールの大将さま、私が如何に玉能姫ぢやと云つて、玉を持つて居るとは些と可笑しいぢやありませぬか。それは貴方のお考へ違ひでせう』 カナン『考へ違ひもあつたものかい。三五教の裏返り者。貴様は三つの玉を持ち出して隠し場所に困り、狼狽へて居やがると云ふ事は、聖地へ入り込ましてある天州の報告によつて明かなる処だ。三五教でさへも皆貴様の所作だと目星をつけ、その在処を、四方八方に宣伝使が探ね廻つて居る。貴様は三五教の宣伝使にぶつつかるや否や、笠の台がなくなる代物だ。それよりも綺麗薩張と白状致し、バラモン教に其玉を献上致し、蜈蚣姫様の片腕となり、俺と共に神業に奉仕する気はないか』 玉能姫は微笑しながら、 玉能姫『これは偉い迷惑、三五教の人達までが、さう私を疑つて居るのですか。そりや嘘でせう』 初稚姫は小声で、 初稚姫『嘘です嘘です、玉能姫さま、真実にしちやいけませぬよ。三五教には一人として貴女を疑つて居るものはありませぬ。安心なさいませ。あんな事を云つて気を引くのですからな』 玉能姫『ハヽアさうでせう。油断のならぬ奴ですな』 スマート『こりやこりやコメツチヨ、要らぬ智慧をつけやがるない。何だツ、チンピラの癖に、子供は子供らしくせい。これこれ玉能姫、何と云つても調べ抜いてあるのだから、このスマートボールの云ふ事に間違はあるまい。玉がないならないで、玉呑姫でも連れて帰らねばならない。さア返答はどうだ。今度は化けようと云つたつて化けさせぬぞ』 玉能姫『オホヽヽヽ、貴方等は徹底した没分漢ですな。玉で見当違ひですよ』 スマートボール『見当の取れぬ仕組と云ふぢやないか、その見当を取るものがバラモン教だ。最早矢は弦を離れたも同然、てつきり俺の的は外れつこはない。一度放つた矢は行く処まで行かねば落ちつかないぞ。何と云つても貴様はバラモン教の恨みの的、否目的物だ。さアさア、ゴテゴテ云はずに、俺達の申す通りに包み隠さず云つて仕舞へ。それが却てお前の出世の因だ』 玉能姫『オホヽヽヽ、私は別に出世なんかしたくはありませぬ。そんな執着心は疾うの昔に神様にお供へして仕舞ひました。病気も、罪も、汚れも、一切残らず三五教の大神様に奉納した私、この滝水のやうに綺麗薩張、今では水の御魂の水晶玉。お生憎様、なんにも御座いませぬよ』 スマートボール『何ツ、水晶だと、それさへあれば三つの玉よりも優つて居る。さア其玉此方へ渡せ』 玉能姫『オホヽヽヽ、何処迄も訳の分らぬ玉抜け男だ事。こんなお方にお相手して居つては処方がたまらぬ。御免なさいませ』 と先へ進まうとする。 カナン『コレコレ女、かう見えてもバラモン教の蜈蚣姫が左守、右守の神様だ。玉能姫は三五教で、何れだけ地位をもつて居るか知らないが、到底俺達に比べものにはなるまい。些つとは礼儀を弁へて居るだらう、なぜ解決をつけてゆかないか』 玉能姫『オホヽヽヽ、色のお黒い蜈蚣姫さまの御眷属だけあつてお二人様、お色の黒い事、黒いにかけては天下無類の豪傑でせう。私は根つから、色の黒いのは虫が好きませぬ』 カナンボール『何だツ、善言美詞を使ふと云ふ三五教の信者が、人の顔の品評までやると云ふ事があるものか。他の顔が黒いなんて、女の分際で男を嘲弄致すのか』 玉能姫『ホヽヽヽヽ、貴方は色の黒いのが御自慢でせう。烏は黒いのが重宝、白鷺は白いのが重宝でせう。蜈蚣姫のお気にいる貴方等だから黒いといつたのは、畢竟私が尊敬を払つたのです。悪く取つて貰つちや困りますなア。あのまアお二人様とも揃ひも揃うてお黒い事、何方向いて御座るのか、近よつて見なくては分りませぬ』 カナン『オイ、スマート、なんぼ尊敬を払ふと云つたつて、色が黒いと云はれるのは、根つから有難うないぢやないか』 スマート『何、此奴ア海千、川千、山千の化物だから、尊敬どころか、体のよい辞令を使つて俺達を極端に罵倒して居るのだよ。サアもう斯うなつては俺も承知がならぬ。オイ皆の奴、出て来い。此奴をふん縛つて布引の滝へ投り込むのだ』 『オーイ』 と答へて四辺の樹の茂みより十数人、バラバラと二人の周囲に駆け集まつた。 玉能姫『コレコレ初稚姫さま、確かりして居て下さいや。是から一つ私が奮闘して、皆の奴に一泡吹かせて改心をさせて見せませう。言霊戦も結構だが、彼様な心の盲聾には言霊の効能は覚束ない。先づ第一着手として女の細腕が続く限り、直接行動を開始致しませう』 と懐中より襷を取り出し、十文字にあやどり、裾を高くからげ、大地に四股を踏み、両手をひろげ、 玉能姫『サア来い、来れ、木端武者共。三五教の玉能姫が武勇の試し時』 と両手に唾しながら身構へた。六才の初稚姫も捩鉢巻を凛と締め、襷を十文字にあやどり、袴の股立締め上げ、これ亦両手を拡げ唾しながら、 初稚姫『ヤアヤア、バラモン教を奉ずる小童共、初稚姫が幼の腕力を試すは此時、さア来い、来れ』 と雄健びする其凛々しさ。 スマート『アハヽヽヽ、些つと洒落てけつかる。小さい態をして何だ。オイ皆の奴、こんな女二人位に大勢の男がかかつたと云はれては末代の恥だ。俺一人で沢山だ。貴様等はこの活劇を観覧してをれ。サア女、この腕を見よ。中まで鉄だよ』 玉能姫『腕ばかりか、体一面黒い黒い鉄の様な真黒黒助。水晶玉の玉能姫が、今汝の垢を落してやらう。サア来い、勝負だ』 スマートボール『何ツ猪口才な、其大言後に致せ』 と頑丈な腕をぶんぶん云はせながら玉能姫に打つてかかる。玉能姫はヒラリと体をかはしスマートが足を掬つた途端、滝壺へドブンと真逆様。こりや大変だとカナンは忽ち捩鉢巻し、又もや鉄拳を振うて打ちかかる。初稚姫は、 初稚姫『ホヽヽヽヽホ、ホヽヽ』 と体をしやくつて笑うて居る。玉能姫は、 玉能姫『エヽ面倒な。汝も共に滝壺へ水葬だ。覚悟致せ』 と飛びつき来るカナンボールの首筋に手を掛くるや否や、エイツと一声、中空を二三遍廻転し、滝壺へ又もやザンブと落ち込んだ。十余の荒男は二人の危急を見て、死物狂ひに前後左右より打ち掛かる。玉能姫は右から来る奴は左に投げ、左から来る奴は右へ投げ、前から来る奴は後へ放かし、後から抱きつき喰ひつく奴は身を縮めて前方の谷底へステンドウと放り投げた。初稚姫は飛鳥の如く飛び廻り、 初稚姫『ホヽヽヽヽ、ホヽヽ』 と笑ひ専門の活動をやつて居る。 此時数十人の足音が聞えて来た。近より見れば霧の中より現はれた真黒黒助の蜈蚣姫、 蜈蚣姫『ヤアヤア、汝は三五教の玉能姫なるか、よくも吾等が部下を悩ましよつたな。此蜈蚣姫が現はれた以上はもう叶ふまい。サア尋常に降伏致すか。この谷口は数十人の部下を以て守らせあれば、汝が身は袋の鼠も同然、サア何うぢや。往生致したか』 玉能姫『ホヽヽ、噂に聞き及ぶ蜈蚣姫とは汝の事なるか。聞きしに勝る黒い婆アさま、雪より白い玉能姫が、此滝壺へ放り込んで洗濯してやらう。サア来い』 と手に唾きして身構へすれば、蜈蚣姫はカラカラと笑ひ、 蜈蚣姫『蟷螂の斧を揮つて竜車に向ふが如き、危い汝の振舞ひ。大人嬲りの骨嬲り、神妙に降伏致したが汝の為であらう』 玉能姫『誠一つを貫ぬく三五教の宣伝使、汝が一族の身魂を此滝水にさらし、水晶魂に研いて呉れむ。有難く感謝せよ』 と婆の皺苦茶腕を取らむとすれば、婆もしれ者、その手を引きはづし、玉能姫にウンと一声当身を喰はせた。玉能姫は脆くも其場に倒れてしまつた。後に残つた初稚姫は又もや小さき両手を拡げ、 初稚姫『ヤア、蜈蚣姫、吾は三五教の信者、汝が眷属共を残らず滝壺に放り込み、身魂の洗濯をしてやつて居るのに其御恩も知らず、玉能姫に当身を喰はすとは理不尽千万、もう斯うなる上は初稚姫が了簡ならぬぞや。サア来い、蜈蚣姫』 と手に唾する。 蜈蚣姫『オホヽヽヽ、玉能姫さへも此婆の手にかかつて、一溜りもなく気絶致したではないか、コメツチヨの分際として武力絶倫なる蜈蚣姫に口答へ、否手向ひしようとは不埒千万、道理が分らぬも程がある。ヤア無理もない、何を云うてもまだ子供だからな』 初稚姫『満六才になつた初稚姫の細腕の力を喰つて見よ』 蜈蚣姫『何ツ、猪口才千万な』 と武者振りつく。初稚姫は右へ左へ体を躱し、暫時が程は挑み戦ひしが、遂に蜈蚣姫の為に組み敷かれ、今や息の根を絶たれむとする時しもあれ、滝の上方より宣伝歌の声が聞えて来た。蜈蚣姫は此声に驚き、ハツと滝壺の上を見上ぐる機に手が緩んだ。初稚姫はその虚に乗じ、ムツクと立ち上り、 初稚姫『ヤア蜈蚣姫、もう此上は勘忍ならぬ。覚悟せい』 と小さき拳を固め、又もや打つてかかる。滝の上の二人の男、 (谷丸)『ヤイ滝公、あれは確に初稚姫様ぢやないか』 滝公『思はぬ御遭難、お助け申さねばなるまい。オイ谷丸、俺に続け』 と壁の如き岩に纏へる藤葛、木の枝などを力に、猿の如く下りて来た。谷丸は、 谷丸『ホー、貴女は初稚姫様』 初稚姫『ヤア谷丸、滝公、よく来て下さつた。玉能姫さまは気絶して居られます』 滝公『何ツ、玉能姫さまが』 と両人は玉能姫に向つて滝水を含み、面部に吹きかける。 蜈蚣姫『エヽもう一息と云ふ処へ怪体な奴がやつて来よつて、俺達の邪魔を致すのか、覚悟を致せ』 と婆は谷丸に武者振りつく。谷丸は体を躱した途端に婆の足を浚へた。蜈蚣姫は傍の谷底へ、筋斗うつて顛落し、狐鼠々々と霧に紛れて逃げ出した。スマートボール、カナンボール其他の連中は、思ひ思ひ濃霧を幸ひ四方に散乱してしまつた。 玉能姫は滝公の介抱に初めて正気づき、四辺をきよろきよろ見廻し、 玉能姫『初稚姫様初稚姫様』 と呼び立てる。初稚姫は傍近く寄り添ひ、 初稚姫『玉能姫様、安心して下さい、此通り無事で居ります。蜈蚣姫以下の悪者共は残らず退散致しました。谷丸さまや滝公さまが危急の場合に現はれて、私達の危難を救うて下さつたのですよ。これも全く神様の助け船、お喜びなさいませ』 玉能姫は此言葉にやつと胸撫で下し、 玉能姫『アヽ初稚姫様、御無事で何よりでした。谷丸様、滝公様、有難う、よう来て下さいましたなア』 と嬉し涙に沈む。各滝に身を清め、初稚姫の導師にて天津祝詞を奏上し終つて、二三町許り谷道を下り、稍平坦なる芝生の上に身を横たへ息を休めた。 玉能姫『不思議な所へ貴方等がお越し下さいまして、加勢をして頂き、何ともお礼の申しやうが御座いませぬ。さうしてお二人さま、何御用あつて、此処へお越しになつて居たのですか』 谷丸は、 谷丸『実は貴女だから申上げますが、言依別さまの御供をして再度山の山頂迄参り、教主さまは一生懸命に何事かお祈りをして居られます。何でも大変な神様の御用ださうです。つい今の先教主様は俄に神懸りにお成り遊ばして「汝等両人、吾に構はず布引の滝へこれから参れ、御用がある」と仰せになりましたので、両人は何事ならむと山を駆け下り、滝の上より眺めて見れば今の有様、私の用と申すのは此事で御座いましたでせう』 玉能姫『それは御苦労で御座いました。吾々二人は神様のお夢に感じ、此お山の頂に大変な御用があると承はり、生田の森の杢助さまの館を立ち出で、初稚姫様の手を曳いて滝の麓迄やつて来ました所、バラモン教の一味の者に取り囲まれ、既に危き所で御座いました。これと申すも神様の吾々への御試錬でせう。いつもなら言霊をもつて言向け和すのですが、何だか今日に限つて腕を揮ひたくなつて参りました。実にお恥かしい事で御座います』 滝公は、 滝公『イヤ、何事も神界の御都合でせう。此先幾多の悪者、続出するかも知れませぬ、千騎一騎の時に用ふる武術ですから、強ち罪にもなりますまい』 初稚姫は優し味のある声にて、 初稚姫『是より言依別の教主に面会し、神界経綸上必要なる宝玉をお預り致し、或地点に埋蔵すべく吾等は神務を帯びて居るのです。宝を付狙ふ悪魔は数限りもなく居ますから、武術を応用するも已むを得ませぬ。きつと神様はお許し下さりませう。谷丸、滝公両人、吾等二人を固く守り此山頂に案内致されよ』 と云つて神懸りは元に復した。谷丸、滝公は二人の前後を警護しながら、山頂目蒐けて登り往く。 言依別命は山頂の麗しき巌の上に、十重二十重に包みたる三個の玉を安置し、一生懸命に祈願を凝らす最中であつた。谷丸は、 谷丸『教主さま、唯今帰りました。大変な事が出来致して居ました』 言依別命『それは御苦労であつた。初稚姫様、玉能姫様は御無事であつたかな』 谷丸『ハイ、危機一髪の時両人が参りましたので、先づ生命だけは助かりました、やがて滝公がお守り申して登つて来ませう。私は一足先に御報告のために、途中から急いで帰りました』 言依別命『あゝそれは御苦労であつたなア』 と言依別命はニコニコ嬉しさうに笑つて居る。 滝公『やつとこどつこい、うんとこしよ』 と一歩々々に拍子を取り、急坂を登つて来た滝公は、峰の尾上に立ち、 滝公『サアお二人さま、もう楽です。つい其処に教主が居られます。何でも貴女に結構なものをお渡し遊ばすさうです。御神諭にも「何んな人が、何んな御用をするやら分らぬ」と示されて居ますが、肝腎の幹部のお歴々様には、素知らぬ顔をして、女や子供に御神徳、否肝腎な御用を御命じになるさうです。吾々は実に羨ましう御座います。併し乍ら聖地に於ては門掃き、草むしりばかりやらせられて居つた吾々両人が、肝腎の教主様の御微行の御供をさして頂いたのですから、実に有難いものですよ。神様は公平無私ですから、人間の勝手に決めた階級などに頓着遊ばさない。さうでなければ吾々も耐まりませぬからなア』 と教主の前に一歩々々近寄つて来る。 言依別命『皆さま、よく来て下さいました。随分この山は嶮岨で御困りでしたらう』 玉能姫『イエイエ、神様のお蔭で知らぬ中に登つて参りました。昨夜神様の霊夢に感じ、初稚姫様を伴ひ当山に参ります途中、布引の滝に於てバラモン教の一派に包囲せられ、進退谷丸処へ、布引の瀑布のやうな清い滝公さまを初め、谷丸さまがお越し下さいまして、一切の悶着も滝水の如くさらさらと落着致しました。何か神界の御用を妾達に仰せつけ下さいますのでせうか』 言依別命『貴女は霊夢に感じながら、直ぐさま山頂に登らず、体を清めようなぞと思つて、わき道をなさつたものですから、一寸神様に誡められたのですよ。今後は何事も柔順になさいませ』 玉能姫『有難う御座います』 初稚姫『教主様、御機嫌宜敷う御座います』 と小さき手を地に突いて挨拶する。言依別命も亦大地に手をつき丁寧に応答し、終つて、 言依別命『初稚姫様、玉能姫様、貴方等は是から大望な御用を勤めて頂かねばなりませぬ。それについては心の底迄見抜いた谷丸、滝公の両人をして御供をさせますれば、何卒極秘密にして勤め上げて下さい。金剛不壊の如意宝珠の玉と紫の玉を、瀬戸の海の一つ島に埋蔵する御用をお任せ致します。私が参るのは易い事ですが、余り目立つては却つて秘密が破れますから、此処でお目にかかつたのです』 玉能姫『エヽ、何と仰有います。あの紛失したと云ふお宝物が、これで御座いますか。錚々たる立派な幹部の方々がおありなさるのに、私のやうな女風情が、斯様な大切な御用を承はつては分に過ぎます。何卒幹部の方に仰せつけられますやうに』 言依別命『沢山の宣伝使は居りますが、余り浅薄で執着心が深くて、嫉妬心が盛んで功名心に駆られ、且つ口の軽い連中ばかりで、誠の御用を命ずるものは一人も御座いませぬ。私は此事について日夜憂慮して居りました処、錦の宮の大神様に、玉照彦様、玉照姫様がお伺ひの結果、教主の私をお招きになり、「貴女等にこの御用をさせよ」との厳格なる御命令で御座いました。是非共是は御辞退なされては御神慮に背きます。是非此御用にお仕へ下さいませ』 玉能姫『ぢやと申して、余り畏れ多いぢや御座いませぬか』 初稚姫『玉能姫様、教主様のお言葉の通り、謹んでお受けなさいませ。私も喜んで、御用を承はりませう』 玉能姫『左様ならば不束ながらお使ひ下さいませ』 言依別命『早速の御承知、大神様も嘸御満足に思召すで御座いませう。さア是より谷丸、滝公の両人は、お二方を保護し、二つの玉を埋蔵すべく御供をして神島に渡つて呉れ』 谷、滝両人はハツと頭を下げ、 谷丸『私等の如き卑しき者に、此御用仰せつけ下さいまして有難う存じます』 言依別命『今より谷丸に対し佐田彦と名を与へ、滝公に対し波留彦と名を与ふ。是よりは佐田彦、波留彦となつて大切なる御神業に奉仕されよ』 二人は有難涙に暮れつつ、 谷丸『大切な御用を仰せつけられた上、結構な御名迄賜はりまして、吾々身に取りて此上なき光栄で御座います』 言依別命『お礼には及ばぬ、皆大神様の御命令だ。今日から佐田彦の宣伝使、波留彦の宣伝使と任命する』 二人は夢かと許り打ち喜び、地上に頭を下げ歓喜の涙に暮れて居る。 言依別命『この玉は金剛不壊の如意宝珠、初稚姫さまにお預け申す。是は紫の玉、玉能姫さまにお預け申す。も一つ黄金の玉、これは言依別が或霊山に埋蔵して置きます』 玉能姫『教主様は神島へはお渡りになりませぬか』 言依別命『三十余万年の未来に於て、此宝玉光を発する時、迎へに参ります。それ迄は断じて渡りませぬ。サア四人の方、此峰伝ひに明石の海辺を通り、高砂の浦より、窃かにお渡り下さい。これでお別れ致します』 と言依別命は峰を伝ひ足早に姿を隠した。 此黄金の玉は高熊山の霊山に埋蔵され、ミロク出現の世を待たれたのである。其時の証として三葉躑躅を植ゑて置いた。三個の宝玉世に出でて光り輝く其活動を、三つの御魂の出現とも云ふのである。 (大正一一・五・二八旧五・二加藤明子録) |
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36 (1819) |
霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 01 玉の露 | 第一章玉の露〔七一三〕 経と緯との機を織る錦の宮の御経綸 玉照彦や玉照姫の神の命の神勅を 四方に伝ふる宣伝使国依別や玉治別の 神の命は神徳も大台ケ原の峰つづき 日の出ケ岳より流れ来る深谷川の畔をば 青葉滴る木の茂み飛沫を飛ばす千仭の 谷の絶景眺めつつ足を休らふ折柄に 追々近付く宣伝歌後振り返り眺むれば 草鞋脚絆の扮装に金剛杖に饅頭笠 二つの影はゆらゆらと此方に向つて進み来る。 国依別『玉治別さま、あなたも随分永らく無言の行をやつて居ましたネー。若彦の宣伝使が熊野の滝で荒行をやつて居ましたが、どうでせう、まだ依然として継続して居るでせうか』 玉治別『私も実は若彦さまに会ひたいので、やつて来た途中、ゆくりなくも貴方にお目にかかり、様子を伺ひたいと思つた所です』 国依別『玉能姫さまが、あれ丈の御神業を遊ばしたのだから、若彦の宣伝使も聞いたら大変に喜ぶ事でせう。それに就ては何時までも紀の国路に居つて貰ふ訳にはゆかないから、実は言依別命様の内命を奉じて、お迎へに来たのですよ』 玉治別『私も堅い秘密を守り、玉能姫の御神業を口外する事は出来ないのだが、貴方と二人の中だから云つても差支あるまいが、併し乍ら悪霊は吾々の身辺を付け狙うて居るから、迂濶した事は云ひますまい。……時に彼の宣伝歌はどうやら三五教らしいですな。何人か、近寄つて来る迄、此絶景を眺めて待ちませうか』 国依別『ヤアもう顔が判然する程近寄つて来ました。兎も角待つ事にしませう』 斯く言ふ折しも、宣伝歌は俄に歇んで、二つの笠追々と、木の茂みを分けて近寄つて来た。見れば魔我彦、竹彦の両人、二人の端座せるに驚いた様な声で、 魔我彦『ヤア貴方は玉治別、国依別の宣伝使で御座つたか。何れへ宣伝にお出でになるお考へですか』 国依別『誰かと思へば、魔我彦さまに竹彦さま。あなたこそ何方へ、何用あつて御出でになります。言依別の教主より御命じになつたのですか。此紀の国の方面は若彦の宣伝区域と定つて居る。其処へ貴方がお出でになるのは、チツト合点が行きませぬ』 と問はれて魔我彦稍口籠り、手持無沙汰の様な顔付して、 魔我彦『ハイ……私は宣伝に来たのでは有りませぬ。熊野の滝へ、罪穢れを洗ふ為に荒行にやつて来たのです』 玉治別『遥々斯んな所まで荒行に来なくても、聖地には立派な那智の滝が落ちて居るぢやありませぬか』 魔我彦はソワソワし乍ら、 魔我彦『なんと、天下の絶景ですな。緑滴る木々の梢と云ひ、此谷川の水音と云ひ、実に勇壮ですなア』 と成るべく話を外へ転ぜようと努めて居る。玉、国の二人は其意を察し、ワザと忘れた様な風をなし、 玉治別『流石は大台ケ原に源を発した丈あつて、随分に立派な流れです。あの渓川の巨岩怪石に水の噛み付いて、水煙を立て、白銀の玉を飛ばす光景と云つたら、実に天下の絶勝です。斯う云ふ所にせめて三日も遊んで居れば、生命が延びるやうな気が致しますワイ』 魔我彦は恐相に谷底を覗き見て、驚いた様に、 魔我彦『アヽ大変々々』 と足掻をする。玉、国の二人は其驚きに何事か大事の突発せるならむと、慌て谷底を覗く。魔我彦は竹彦に目配せし乍ら、全身の力を籠めて二人の背後よりドツと押した。何条堪るべき、二人は千仭の谷間に風を切つて顛落した。木々の青葉は追々黒ずんで、太陽の高山の頂きに姿を隠し、黄昏の空気四辺を圧する。 魔我彦『アハヽヽヽ、何程立派な宣伝使でも、斯うなつては駄目だ、玉、国の両人、言依別の教主に巧く取り入り、変性男子の系統の高姫さまに揚壺を喰はし、若彦の女房…元のお節や杢助の女つちよに御用をさせる様にしよつたのは、皆此奴等の企みだ。是れから先、生かして置けば、どんなに邪魔をしやがるか分つたものぢやない。一つはお道の為、国家の為ぢや。竹彦、巧く行つたぢやないか』 竹彦『俄に其処らが暗くなつて来て分りませぬが、うまく寂滅したでせうか。万一此中の一人でも生き残つて居ようものなら、忽ち陰謀露顕、吾々は到底此儘で安楽に神業に参加する事は出来ますまい』 魔我彦『アハヽヽヽ、そんな取越苦労はするものでない。断崖絶壁屹立した、岩ばかりの所へ落ちたのだから、体は忽ち木端微塵、こんな者が助かるなら、それこそ煎豆に花が咲くワ。アハヽヽヽ』 と心地よげに笑ふ。 竹彦『それでも煎豆に花の咲く時節が来ると、神様が仰有つた以上は、油断がなりませぬぞ』 魔我彦『そりや比喩事だよ。そんな事を心配して居て思惑が成就するか。高姫様を表面へ出さねば、到底五六七の神政は完全に樹立するものでない。吾々は天下国家の害毒を除いた殊勲者だ。万一一人や半分生き残つて居つて不足を云つた所で、肝腎の高姫さまの勢力さへ旺盛ならば何でもない。勝てば善軍、敗くれば魔軍だ。何程平等愛の神様の教でも力が肝腎だ。力が無ければ国祖国常立大神様でも、むざむざと艮へ押籠められなさるのだから、兎も角吾々は勢力を旺盛にし、部下を多く抱へ、一方には害物を除却せねばならぬ。摂受の剣と折伏の剣は、平和の女神でさへも持つて居るのだから……』 竹彦『こんな宣伝使の二人位葬つた所で、肝腎の言依別命が頑張つて居る以上は何にもならぬぢやないか。根本的治療を施さんとすれば、先づ言依別を第一の強敵と認めねばなるまい』 魔我彦はニタリと笑ひ、 魔我彦『天機漏らす可からず。吾神算鬼謀、後にぞ思ひ知らるるであらう』 竹彦『大樹を伐らむとする者は、先づ其枝を伐るの筆法ですかな』 魔我彦『音高し音高し。天に口、壁に耳、モウ此話は只今限り言はぬ事にせう。是れから熊野の滝へ下り、若彦に会つて其上に分別をするのだから、ウツカリ喋舌つてはならないぞ。お前は表面俺の随行者となつた心持で、何を若彦が尋ねても、知らぬ存ぜぬの一点張で居るが宜からうぞ』 竹彦『委細承知しました。併し乍ら私の副守護神が喋つた時は如何しますか』 魔我彦『そんな副守護神を何時までも抱へて居る様な奴は、忽ち……ムニヤムニヤ』 竹彦『忽……の後を瞭然聞かして下さい』 魔我彦『そんな事聞く必要が何処に有るか』 竹彦『我身に係はる一大事、どうも意味有り気なお言葉でした。猿の小便ぢやないが、キに懸つてならない。それを聞かねば、私も一つの考へがある』 魔我彦『ハテ困つた事を言ひ出しやがつたものだ』 竹彦『こんな事なら竹彦を連れて来なんだがよかつたに……併し乍ら二人の奴を、谷底へ転るのには、一人では都合好う行かず……アーア一利あれば一害ありだ。肝腎の処になつて竹彦の副守護神が発動し、斯んな事を素破抜かうものなら、高姫も、魔我彦一派も、それこそ大変だ。アーア後悔しても仕方がない。……と云ふ様な貴方の心理状態でせう。御心配なさいますな。私も同じく共謀者だから滅多に拙劣な事は申しませぬ。併し国依別、玉治別の亡霊が貴方や私に憑依して喋つた時は、コリヤ例外だから仕方がない、アハヽヽヽ』 と気楽相に笑ひ転ける。魔我彦は双手を組み、蒼白な顔になつて、肩で息をし乍ら思案に暮れて居る。夜の張はますます濃厚の色を増し、遂には相互の姿さへ闇に没して了つた。木々の梢を揉む暴風の音、何となく騒がしく、陰鬱身に迫り、鬼哭啾々恰も根底の国に独り彷徨ふ如き不安寂寥を感じた。二人は互に負ん気を出し、何となく心の底の恐怖を抑へ、強い事を話し合つて、此寂しさと不安を紛らさうとして居る。風はますます烈しく、夜は追々更けて来る。女を責める様な小猿の声、彼方にも此方にも、キヤアキヤアと聞えて来るかと思へば、山岳も震動する許りの狼の声刻々に高まり来る。青白い火は闇の中よりポツと現はれ、ボヤボヤと燃えては消え、燃えては消え、二人の身辺を取り巻き、遂には頭上を唸りを立てて燃え狂ふ。二人は目を塞ぎ、耳を詰め、頭抱へて大地にかぶり付いて了つた。首筋の辺りを、誰ともなく氷の如うな手で撫でるものがある。頭の先から睾丸までヒヤリと氷の如き冷たさを感じて来た。竹彦は慄い声を出して、 竹彦『のー恨めしやなア。如何に魔我彦、騙し討ちとは卑怯未練な奴。モウ斯うなる上は汝が素つ首を引抜き、根の国底の国に落して呉れむ。覚悟せーよ』 と暗がりに霊懸りをやり出した。魔我彦は、 魔我彦『オイ竹彦、厭らしい事をするものではない。チツと落着かぬか。そりや貴様、神経だ。今から発狂して如何なるか。チト気を大きう持たぬかい』 竹彦『何と云つても此恨み晴らさで置かうか……押しも押されもせぬ宣伝使の玉治別、国依別を亡き者にせうと企んだ、汝の心の鬼が今此処に現はれ、竹彦の肉体を借つて讐を討つてやるのだ。其方も今迄高姫の部下となり、変性女子を苦めよつた揚句、猶飽き足らいで、我々両人を谷底に突き落し殺すとは、極悪無道の痴者。只今幽界の閻魔の庁より命令を受けて、汝を迎へに来たのだ。サア最早逃るるに由なし。尋常に覚悟を致せ。花は三吉野、人は武士だ。せめてもの名残に潔く散つたがよからう』 と冷たい手で首の周囲を撫でまはす。青い火は燃えては消え、燃えては消え、ブンブンと唸りを立てて魔我彦の周囲を飛び廻る。猿の声、狼の声は刻々に烈しくなつて来る。魔我彦は余りの恐さに魂消え、其場に人事不省になつて了つた。竹彦も亦其場にバタリと倒れて、後は風の音のみ。やがて下弦の月は研ぎすました草刈り鎌の様な姿を現はし、熊野灘から浮上り、二人の姿を怪しげに覗いて居る。夜は漸くにして明け放れた。小猿の群、何処ともなく両人の前に飛び来り、足の裏を掻き、顔を掻いた。其痛さに気が付き、両人は期せずして一度に起きあがりたり。 魔我彦『アヽ夜前は大変な恐ろしい目に遇うた。お蔭で新しい日天様が出て下さつて、稍心強くなつて来た。これと云ふも全く日の出神様のお助けだ。月の御魂と云ふものは出たり出なかつたり、大きうなつたり、小さくなつたり、まるで変性女子の様なものだ、チツとも当になりやしない。天地から鑑を出して見せてあるぞよ……と仰有つたが、本当に愛想がツキの神ぢや。何時も形も変らず晃々と輝き給ふのは日の出神様ばかりぢや。それだから俺は日の出神の生宮でなければ夜が明けぬと云ふのだ。月の御魂なんて、精神の定らぬ事は、天を見ても分つて居るぢやないか。それに就て坤の金神ぢや。未や申と云ふ奴は碌な奴ぢやない。紙を喰らつたり、人を掻きまはしたりする奴だよ』 竹彦『本当にさうだなア。猿の奴悪戯しやがつて、そこら中を掻きむしりやがつた。此方が吃驚して起きるが最後、一目散に逃げて了ひやがつたぢやないか。是れもヤツパリ坤の金神の力の無いと云ふ証拠だ。アハヽヽヽ』 魔我彦『併し昨夜の両人は如何なつただらうかなア』 竹彦『どうも斯うもあるものか。人の体に幽霊となつて憑つて来やがつた位だから、心配は最早有るまい』 魔我彦『そらさうだ。青い火を点して、パツパツとアタ煩雑さい、出て来やがつて、思ひ切りの悪い奴だなア。サアこれから若彦の居所を訪ね一つの活動をするのだ。グヅグヅして居ると険難だから、早く目的地点まで往かう』 と先に立ちスタスタと坂路を、又元の如く蓑笠を着け、金剛杖を突いて、ケチンケチンと音させ乍ら岩路を下つて行く。 ○ 谷底には一人の男、赤裸となつて水行をやつて居た。そこへ薄暗がりに二つの影、青淵へ向つてドブンと許り落ち込んで来たものがある。男は驚いて手早く二人を救ひ上げ、イロイロと人口呼吸を施したり、指を曲げたりして蘇生せしめた。 男『モシモシあなたの服装を見れば、夜陰にて確には分りませぬが、宣伝使の様に見えますが、一体どなたで御座いますか』 国依別『悪者に突き落され、思はず不覚を取りました。其刹那、吾身は最早粉砕の厄に遭うたものと覚悟をして居ましたが、よう助けて下さいました』 玉治別『私も実は宣伝使です。此れだけ沢山の岩が並んで居るのに、少しの怪我もなく、此青淵へうまく落込んだのも、神様のお蔭、又貴方様のお助けで御座います。此御恩は決して忘れませぬ』 男『確かに分らぬが、お前さまは何処ともなしに聞覚えの有る声だ。玉治別さまに国依別さまぢやありませぬか』 と問はれて二人は、 玉、国『ハイ左様で御座います。さうして貴方は何れの方で……』 と皆まで聞かず男は、 男『アヽそれで安心致しました。私は初稚姫様のお指図に依つて、言依別の教主の承諾を得、此谷川へ、何故か急に派遣され、水行をしかけた所へ、あなた方が落ちて来られたのです。モウ少し私の来るのが遅かつたならば大変な事でした。私は杢助ですよ』 と聞いて二人は、安心と喜悦の念に堪へず、杢助の体に喰ひついて、嬉し泣きに泣くのであつた。 杢助『随分暗い夜さだが、其二人の声で少しも疑う余地はない。斯様な所に長らく居つては面白くない。今回の私の使命はこれで終つたのだらうから、どつか平坦な所へ行つて、詳しう話を承はりませう。何を言つても此谷川の水音では、十分の話が出来ませぬ』 と云ひつつ、闇に白く光つた羊腸の小径を、探り探り下つて行く。路が木の蔭に遮られて見えなくなると、白い白狐の影一二間前をノソノソと歩む。杢助は其跡を目当に七八丁許り降り、平たき岩の上に腰をおろし、 杢助『サアサア御二人さま、此処でゆつくりと夜明けを待ちませうかい』 二人は『ハイ』と言ひ乍ら、濡れた着物を脱いで、一生懸命に絞り直し、岩にパツと拡げて乾かして居る。昼の暑さに岩は焼けたと見え、非常な暖かみがある。着物は少時の間に元の如く乾燥した。 国依別『天道は人を殺さずとはよう言つたものだ。何処も彼も夜露で冷やかうなつて居るのに、此岩計りは全然ストーブの様だ。日輪様もお上りなさらぬのに、着物が乾くと云ふ事は珍しい事だ。これもヤツパリ神様の御恵だらう。サア皆さま、神言を奏上致しませう』 と茲に三人は天地も揺ぐばかりの大音声を発して、スガスガしく神言を奏上し、宣伝歌を歌つて、暫く夜明けを待つ事にした。夜は漸くに明け放れ、木々の梢に置く露に一々太陽の光宿つて、恰も五色の果実一面に実のるが如く麗はしくなつて来た。 玉治別『スンデの事で、玉治別も魂の宿換へする所だつたが、東天には金烏の玉晃々と輝き玉ひ、一面の草木には吾輩の分身分魂、空間もなく憑依して居る。ヤツパリ玉治別の宣伝使に限りますよ。なア杢助さま』 杢助『アハヽヽヽ、体や着物が燥やいだと見えて、徐々燥やぎかけましたなア』 国依別『オイ玉公、そんな気楽な事言つてる時ぢやないぞ。昨夜の讐を討つと云ふ……そんな気は無いが、併し吾々二人にあゝ云ふ非常手段を用ひた以上は、何かこれには深い計略が有るに違ない。余程これは考へねばなるまいぞ。杢助さま、どうでせう』 杢助『さうだ。グヅグヅして居る時ではない。余程注意を払つて居らねば、此辺は某々らの陰謀地だから……。さうして其悪者は誰だい。名は分つて居ますかなア』 玉治別『分つたでもなし、分らぬでもなし。他人の事は言はぬが宜しからう』 国依別『マガな隙がな吾々の行動を阻止せむと考へて居るマガツ神の容器でせう。何れ心のマガつた奴に違ありますまい』 玉治別『悪人タケタケしい世の中だから、誰だと云ふ事は、マア止めにして推量に任しませうかい』 杢助『モクスケして語らずと云ふ御両人の考へらしい。ヤア感心々々。それでこそ三五教の宣伝使だ。今迄の二人に加へた悪虐無道を無念には思つて居ませぬか』 玉治別『過越苦労は禁物だ』 国依別『刹那心だ。綺麗さつぱりと谷川へ流しませう。天下の政権を握る内閣でさへも、敵党に渡して花を持たす志士仁人的宰相の現はれぬ時節だから……アハヽヽヽ……マア此岩の上でカトウ約束をして、杢助内閣でも組織し、熊野の滝へ政見発表と出かけませうかい』 杢助外二人は蓑、笠、金剛杖、草鞋、脚絆に小手脛当て、宣伝歌を歌ひ乍ら、熊野の滝を指して進み行く。 (大正一一・六・一〇旧五・一五松村真澄録) (昭和一〇・六・四王仁校正) |
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霊界物語 | 24_亥_豪州物語1(高姫と蜈蚣姫) | 05 蘇鉄の森 | 第五章蘇鉄の森〔七三五〕 生命の綱と頼みてし三つの神宝の所在をば 執念深く何処までも探さにや置かぬと高姫が 夜叉の如くに狂ひ立ち積る思ひの明石潟 浪の淡路の島影に船打ち当てて沈没し 九死一生の大難を玉能の姫に助けられ 感謝するかと思ひきや心の奥に潜むなる 自尊の悪魔に遮られ生命の親をさまざまに 罵り嘲り東助が操る船に身を任せ 玉の所在は家島ぞと心を焦ちて到着し イロイロ雑多と身を尽し心砕きし其揚句 絶望の淵に身を沈め如何はせむととつおいつ 思案に暮るる折柄に浜辺に繋げる新調の 小舟に身をば任せつつ貫州従へ玉の緒の 生命の瀬戸の海面を力限りに漕ぎ出し 小豆ケ島へ漂着し又もや玉の所在をば 探らんものと国城の山を目蒐けて駆登り 岩窟の中にてバラモンの神の司の蜈蚣姫 館に思はず迷ひ込み早速の頓智高姫は 蜈蚣の姫が心汲み表面ばかり親善の 姿装ひ漸うに敵の毒手を逃れつつ 蜈蚣の姫を利用して玉の所在を探らむと 再び船に身を任せ一行数人波の上 馬関海峡打過ぎり西へ南へ進み行く 蜈蚣の姫は第一に玉の所在を索めつつ 恋しき娘の所在をば探らむ為の二つ玉 愛と欲とに搦まれてスマートボール其外の 供を従へ高姫が船に棹さし進み行く 心そぐはぬ敵味方さしもに広き海原の 波は凪げども村肝の心の海に立つ波は 穏かならぬ風情なり。 焦つく様な暑い日光を浴びた一行は、汗を滝の如くに搾り出し、渇を感じ水を需めむと、やうやうにして海中に泛べる大島の磯端に船を横たへ、彼方此方と淡水を求めつつ草木を別けて互に『オーイオイ』と声を掛け、連絡を保ち乍ら、島内深く進み入つた。渇き切つたる喉よりは最早皺嗄れ声も出なくなりにけり。 高姫は漸くにして蘇鉄の森に着きぬ。一丈許りの蘇鉄の幹は大蛇の突立つて雨傘を拡げた如く、所狭き迄立並ぶ。蘇鉄のマラを眺めて矢庭に貫州に命じ、むしり取らしめてしがみ始めたるに、何とも知れぬ甘露の如き甘き汁、噛むに従つて滲み出で、漸く蘇生の思ひをなせり。………蜈蚣姫一行も漸くにして此場に現はれ、高姫がむしり取つたるマラに目を注ぎ渇を医する為に、餓鬼の如く喰ひ付かんとする一刹那、マラの実は忽ち延長し一丈許りの大蜈蚣となつてノロノロと這ひ出し、其儘蘇鉄の幹にのぼり、次から次へと条虫の如く延長して蘇鉄の幹を残らず巻き、一指をも添へざらしめむとせり。蜈蚣は長さと太さを時々刻々に増し、一時程の間に此大島全体を巻き尽したりける。 高姫、蜈蚣姫其他の一行は、樹木と共に蜈蚣に包まれ、息も絶え絶えに天津祝詞を奏上し、バラモン教の経文を唱へ、只管身の安全を祈る事のみに余念なかりけり。 マラの変化より成出でたる蜈蚣は、大島を十重二十重に巻き、四面暗澹として暗く、得も言はれぬ不快の空気に、呼吸器の働きも停止せむ許りとなりき。九死一生の破目に陥りたる高姫は、最早是までなりと総ての執着心に離れ、運命を惟神に任せ、観念の眼を閉ぢ死を待ちつつありける。 忽ち頭上より熱湯を浴びせかけた如き焦頭爛額の苦みを感ずると共に、紫磨黄金の肌を露はしたる巨大の神人、忽然として此場に現はれ来り、 神人『汝日の出神の生宮と称する高姫、今茲に悔い改めずば汝は永遠に今の苦みを味はひ、根底の国の消えぬ火に焼るべし』 と云つた儘姿は消へたり。一方蜈蚣姫は、頭上より氷の刃を以て突き刺されし如き大苦痛を感じ、七転八倒身を踠く折しも、墨の如き黒き巨顔を現はし、眼球は紅の如く輝きたる異様の怪物、首から上許りを暗黒の中にも殊更黒き輪廓を現はし乍ら、長き舌を出して蜈蚣姫の頭部面部を舐めた其恐ろしさ、流石気丈の蜈蚣姫も其厭らしさに身の毛もよだち、何の応答も泣く許り、怪物の舌の先よりは無数の小さき蜈蚣、雨の如くに現はれ来り、蜈蚣姫の身体を空地もなく包み、所構はず無数の鋭き舌剣を以て咬みつける其苦しさ『キヤツ』と叫んで其場に倒れ、右に左に転げ廻る。此時高姫は漸く正気に復し四辺を見れば、酷熱の太陽は晃々と輝き亘り、数多の樹木青々として、吹き来る海風に無心の舞踏をなし居たり。高姫は、 高姫『アヽ夢であつたかイナア。それにしても此怪しき蘇鉄、斯かる怪異の続出する島に長居は恐れ、一時も早く此島を離れ、宝の所在を探らむ。貫州来れツ』 と四辺を見れば、貫州はドツカと坐し、瞑目した儘腕を組み、石像の如くに固まり居る。高姫は一生懸命に祝詞を奏上し、頬を抓り、鼻を摘み、イロイロ介抱をすること半時ばかりを費したり。されど貫州は血の気の通はざる石像の様に、何処を撫でても少しの温か味も無くなり居る。高姫は何となく寂しさに襲はれ、泣き声まぜりになつて、 高姫『コレ貫州、今お前に斯んな所で死なれて、どうなるものか、……チツト確かりしてお呉れ』 と泣き口説く。貫州は漸くにして左の目をパツチリ開けた。されど黒球はどこへか隠れ、白眼計り剥き出し、木の根の様な筋に赤き血を漲らし、赤き珊瑚樹の枝の様に顔面が見えて居る。 高姫は一生懸命に祈願を凝らす。此時今迄大地に打つ倒れて居た蜈蚣姫は無言の儘ムクムクと立上り、高姫の前にヌツと現はれ、怒りの形相凄じく、拳を固め、平家蟹の様な面をさらして睨付け出した。又もやスマートボールむくむくと立上り、白玉計りの両眼を剥き出し、口を尖らせ、蟷螂の様な手付をし乍ら、鶴嘴を以て土方が大地を掘る様に、高姫の頭上目蒐けてコツンコツンと機械的に打ち始めた。其手は鉄の如く固くなつて居る。高姫は此鋭鋩を避くる為、身をかはさむと焦れども、土中より生えたる木の如く、一寸も身動きならず、止むを得ず同じ箇所を幾回となく、拳の鶴嘴につつかれて居るより仕方なかりけり。 此時天上の雲を押し開き、天馬に跨り此方に向つて下り来る勇壮なる神人あり。数百人の騎馬の従卒を伴ひ、鈴の音シヤンシヤンと一歩々々空中を下り来り大音声にて、 神人『汝は高姫ならずや。日の出神と自称する汝が守護神は、常世の国のロツキー山に発生したる銀毛八尾の悪狐なるぞ。只今汝が霊縛を解かむ。今日限り悔い改め、仮りにも日の出神などと名乗る可らず。我こそは真正の日の出神なり。一先づ此場は神直日大直日に見直し開き直し、汝が罪を赦すべし。是れより汝は蜈蚣姫の一行と共に南洋に渡り、竜宮の一つ島に到りて、黒姫を救へ。ゆめゆめ疑ふな』 と云ひ棄てて馬首を転じ、数多の従神と共に、轡を並べて天上高く昇らせ玉ひぬ。此時何処ともなく空中より大なる光玉現はれ来り、高姫が面前に轟然たる響と共に落下し、火は四辺に爆発飛散し、高姫一行の身は粉砕せしかと思ふ途端に目を醒せば、大蘇鉄の下にマラをしがみながら倒れて居た。蜈蚣姫其他一同は、炎天の草の上に頭の巨大なる虻蠅などに、或は刺され、或は舐められ乍ら、息も絶え絶えに倒れ居たり。貫州はと見れば、そこらに影もない。高姫は力限りに、 高姫『オイ、オーイ、貫州々々』 と叫び始めたるに、あたりの森林の雑草を踏み分けて、大なる瓢箪に水を盛り、ニコニコとして此処に現はれ来る男の姿を見れば、擬ふ方なき貫州なり。 貫州『高姫様、お気が付きましたか。サア此水をおあがり下さいませ』 と自ら手に掬うて高姫に啣ませた。高姫は初めて心神爽快を覚え、 高姫『アヽ持つべき者は家来なりけり、お前がなかつたら妾は如何なつたか分らない。就ては幸ひ蜈蚣姫其他の連中は此通り昏倒つて居れば、今の間にお前と二人、あの船に乗つて竜宮島へ渡り、玉の所在を探さうぢやないか』 と云ひ乍ら稍首を傾げ笑みを湛へて貫州の顔を覗き込み、貫州の返辞をもどかしげに待ちわび居る。貫州は高姫にむかい、 貫州『それだから貴女は不可ないのです。仮令敵でも味方でも助くるのが神の道、此島へ斯の如く弱り切つた人々を残し、我々両人が船を操り逃げ帰るなどと、左様な残酷な事がどうして出来ませうか。貴女はまだ改心が出来て居ないのですなア』 高姫『大功は細瑾を顧みず、天下国家の為には少々の犠牲を払はなければならぬぢやないか。お前はそれだから困るのだよ。まるで女の腐つた様な気の弱い男だから……サア貫州、妾に従いておいで、是れから二人が出世の仕放題、こんな奴を連れて行かうものなら足手纏ひになるばかりか、大変な邪魔者だ。サア行かう』 と元気恢復したのを幸ひに、夢の裡の日の出神の訓戒を忘れ、功名心に駆られスタスタと先に立ちて磯辺に進まうとする。貫州は高姫の顔を心無げに見遣り乍ら、耳に入らざるものの如く装ひ、瓢箪の清水を蜈蚣姫の口に啣ませた。蜈蚣姫は初めて生きたる心地し乍ら起きあがり、両手を合せて貫州に感謝の意を表する。貫州は是れに力を得てスマートボールを初め、其他一同に水を与へたり。高姫は此態を見て目を釣り上げ、面をふくらせ眺めて居る。蜈蚣姫は立あがり、 蜈蚣姫『高姫様の御指図に依つて、貫州様は厭々乍ら、主人の命だと思ひ、私達に結構な水をドツサリ与へて元気を恢復させて下さいました。お陰で私の身内の者も皆助かりました。主人の心下僕知らずとやら、仁慈無限の高姫様の大御心に反抗する貫州さまは、余程可愛い人です。貴女等主従の御争論を、妾は一伍一什聞かして頂きました。……高姫様、御親切有難う御座います。此御恩はキツトお返し申します。オホヽヽヽ』 と肩を揺り、厭らしさうに笑ふ。スマートボールは立あがり、 スマートボール『コリヤ貫州、……貴様は余程腹の悪い奴ぢや……無いワイ。よう俺を助けて呉れやがつた。キツト御礼を申すから、さう思うて居れ。……モシ高姫さま、貴女は三五教に反旗を掲げて、ウラナイ教を創立なさつた様な日の出神の偽宮だから、流石は仁慈に富み、申分の無い善人ぢや……無い。よう我々を助けてやらうと思ひくさらなんだ。アツクアツク御礼申しますぞ』 高姫『オツホヽヽヽ、皆さまの態のよい当てこすりワイの。こりや決して高姫の精神から言つたのぢやない。蜈蚣姫様やお前達の守護神が高姫の体内を藉つて言つたのだ。高姫の守護神は臨時貫州に憑つたのだよ。それだから昔の根本の身魂の因縁が分らぬと、善が悪に見えたり、悪が善に見えたり致しますぞや。神様のイロイロとして心をお引き遊ばす引つかけ戻しのお仕組だから、人が悪に見えたら、自分の心を省みて改心なされ。人の悪いのは皆我が悪いのだ。此高姫は水晶玉の世界の鑑、皆の心の姿が映るのだから、キツト取違ひをしては可けませぬぞや。アーア蜈蚣姫様も余程身魂の研けたお方ぢやと思うたが、日の出神の生宮の前に出て来ると、まだまだ完全な所へは往けませぬワイ』 蜈蚣姫は吹き出し、 蜈蚣姫『オホヽヽヽ』 一同は、 一同『アハヽヽヽ』 と共笑する。貫州は、 貫州『アー何が何だか、サツパリ見当が取れなくなつて来たワイ』 高姫は腮をシヤクリ、 高姫『きまつた事だよ。見当の取れぬお仕組と、変性男子が仰有つたぢやないか。此事分りて居る者は世界に一人よりない……とお筆に現はされて居るだらう。お前達に誠の仕組が分りたら、途中に邪魔が這入りて、物事成就致さぬぞよ。オホヽヽヽ』 と大きう肩を揺つて雄叫びする。蜈蚣姫は眉毛にそつと唾をつけて素知らぬ顔…… 蜈蚣姫『モシ高姫さま、貴女は大自在天様の御眷族の生宮だと仰有るかと思へば、日の出神の生宮とも仰有る様だし、実際の事は何方の守護神がお懸りなのですか』 高姫『変幻出没千変万化、自由自在の活動を遊ばす大自在天様の御守護神だから、時あつて日の出神と現はれ、又大国別命の眷族……実際の所は大黒主命の御守護が主なるものです』 蜈蚣姫『日の出と大クロと………大変な懸隔ですなア。蜈蚣姫には、善悪の区別が全く裏表の様に思へますワ』 高姫『お前さまにも似合はぬ愚問を発する方ですなア。顕幽一致、善悪不二、裏があれば表があり、表があれば裏がある。表裏反覆常なき微妙の大活動を遊ばすのが真の神様ぢや。馬車馬的の行動を取る神は、畢竟人を指揮する資格の無いもの、妾等は大黒主命の生宮たる以上は、すべての神人を、大自在天様に代つて、指揮命令する特権を惟神に具備して居る。所謂日の出神の岩戸開きの生宮で御座る。神はイロイロとして心を曳くから引掛戻しに懸らぬ様に御用心をなされませ』 蜈蚣姫『何時の間にやら、貴女も顕恩城の信者に化け込んで居られた時とは、口車が余程運転する様になりましたなア。蜈蚣姫も感心致しましたよ』 高姫『化け込んだとはソラ何を仰有る。誠正直生粋の日本魂で大自在天様を信仰して居りました。ウラナイ教と謂つても、三五教と言つてもバラモンでもジアンナイ教でも、元は一株、天地根本の大神様に変りはない。併し乍ら今日の所ではお前さまの奉ずるバラモン教の行方が一番峻酷で、不言実行で、荒行をなさるのが御神慮に叶ふと思つたから、国城山でお目に掛つてより、層一層バラモンが好になつたのですよ。サアサア斯うなれば姉妹も同様、一時も早く所在を探しに参りませう』 蜈蚣姫『私は最早玉なんかに執着心はありませぬ。それよりも心の玉を研くのが肝腎だと気がつきました』 高姫『ホヽヽヽヽ、重宝なお口だこと。天にも地にも唯一人の小糸姫様の所在が分りかけたものだから、玉所の騒ぎではない。一刻も早く小糸姫さんに遇ひたいと云ふのが貴女の一念らしい。それは無理もありませぬ。何と云つても目の中へ這入つても痛くない一人娘の事だから、国家興亡よりも自分の娘が大切なのは、そりや人情ですワ』 と嘲る様に云ふ。蜈蚣姫は高姫の言葉にムツとしたが、何を云うても唯一艘の船、高姫の機嫌を取らねば目的地へ達する事が出来ないと思つて、ワザと機嫌よげに、 蜈蚣姫『ホヽヽヽヽ、これはこれは高姫さまの御教訓、感じ入りました。つい吾子の愛に溺れ、大事を誤りました私の不覚、はしたない女とお笑ひ下さいますな。そんなら此れより神第一、吾子第二と致しませう』 高姫『第三に玉ですか、あなたのお説の通り、そこまで研けた以上は、有形的の玉よりも、貴女は小糸姫様に会ひさへすれば結構なのでせう。モウ玉なんかに執着心を持たぬ様になされませ。其代りに妾は其玉を発見次第御預り致し、妾の手より大自在天様に御渡し申しませう。宜しいか。一旦貴女のお口から出たこと、吐いた唾液を呑み込む訳にもいきますまい』 と目を据ゑて蜈蚣姫の顔を一寸見る。蜈蚣姫はワザとに顔を背け、何喰はぬ顔にて、 蜈蚣姫『何事も貴女に任せませう』 スマートボール『モシモシ蜈蚣姫様、そりや目的が違ひませう。貴女も魔谷ケ岳に永らく御苦労なさつたのも、玉の所在を探さむ為でせう。何と云ふ気の弱い事を仰有るのだ。仮令高姫さまが何と仰有つても、スマートが承知しませぬぞ』 蜈蚣姫『何事も私の胸に有るのだから黙つて居なさい』 高姫『胸に有るとは、蜈蚣姫さま、何があるのですか。余程陰険な事を仰有るぢやありませぬか。さうすると今妾に仰有つた事は詐りでせう』 蜈蚣姫『仮にも神様に仕へる妾、鬼熊別の女房、どうして嘘偽りを言ひませう。あまり軽蔑なさると、此蜈蚣姫だつて此儘には置きませぬぞ』 と肩を怒らし口をへの字に結んで歯ぎりし乍ら、形相凄じく高姫の顔を睨みつけたり。 高姫『ホヽヽヽヽ、平家蟹が陀羅助を喰つた様なお顔をなされますな。貴女もヤツパリ腹が立ちますか。忍耐と云ふ宝を如何なさいました』 蜈蚣姫『それは貴女のお見違ひ、妾は腹が俄に痛くなつて苦しみ悶えた結果、顔付が怖くなつたのです。アヽお陰様で大分に緩んで来ました。サアサア皆さま、仲ようして一つの船でこの荒波を渡りませう。十分お水の用意をして………』 と各自に器の有り丈を引抱へ、檳榔樹の生え茂る林の中を潜り、貫州に導かれて、谷間の水溜りを求め、辛うじて水を充たせ、漸く船に積み込み、月明の夜を幸ひ、折からの順風に帆を上げ西南に舵を取り、海上に起伏する小島を縫うて進み行く。 (大正一一・七・二旧閏五・八松村真澄録) |
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霊界物語 | 24_亥_豪州物語1(高姫と蜈蚣姫) | 15 諏訪湖 | 第一五章諏訪湖〔七四五〕 玉治別は初稚姫、玉能姫と共にアンナヒエールのタールス郷を三五教の霊場と定め、黒ン坊を残らず帰順せしめ、チルテル以下数十人の者に送られて、イルナの郷の入口に袂を別ち『ウワーウワー』の声と共に東西に姿を消したりける。 三人は谷を幾つとなく越え、森林の中の広き平岩の上に腰打ち掛け、休息し乍ら回顧談に耽つた。玉治別は、ジヤンナの谷底にジヤンナイ教の教主テールス姫と面会せし事や、友彦との挑戯などを面白可笑しく物語り、次で此処を立ち出でアンナヒエールの里に到る折しも、両女の祝詞の声を聞きつけ、谷間に下りて其辺一面に二人の後を探ね廻る折しも大蛇に出会し、猩々の群に救はれて遂にアンナヒエールのタールス教の本山に担ぎ込まれ、意外の待遇を受け居る際、初稚姫、玉能姫に面会せし奇遇談を、大略物語りけり。 玉能姫は静に、 玉能姫『妾は或谷間に御禊をなし祝詞を上げて居ました処、傍の岩穴より鬼武彦は白狐の月日、旭と共に現はれ給ひ、二人の袖を銜へて穴の底に引込んで下さいました。はて不思議と思ひながら曳かるる儘に穴の中に身を没し、小声に宣伝歌を唱へて居ますと、妾の潜んで居る穴の前の谷川の向岸に当つて蜿蜒たる大蛇が現はれ、三四尺もあらうと思ふ長い舌を出して穴を目蒐けて睨んで居たが、鬼武彦以下の御威徳に畏れ、近よりも得せず暫く睨むで居りました。其とき貴方の声として妾共の名を呼んで下さいました。何うしたことか一言も声が出ず、ええヂレツタイ事だと踠いて居りますうち、山岳も崩るる許りの音を立てて、胴の周囲三四丈もあらうかと思はるる長さ数十間の太刀膚の大蛇、尾の先に鋭利な剣を光らせ乍ら、夫婦と見えて二体、谷川を一杯になつて通り過ぎた時の恐ろしさ、今思つても、身の毛がよだつやうに御座います。白狐の姿は忽ち消えて四辺は森閑としたのを幸ひ、貴方に遇はんと岩窟を這ひ出で其辺を探ねましたが、些ともお姿は見えず、あゝ彼の大蛇に何うかされなさつたのだらうかと気が気でならず、もしや其辺に身を潜めて居られるのではあるまいかと思ひ、態と宣伝歌を声高く歌つて通る折しも、タールス教のチルテル初め数多の人々、我々両人を矢庭に担いであの岩窟に連れ参り、貴方に不思議の対面をなし、漸く危険を免がれ、其上神様のお道の宣伝をなし、残らず帰順させる事の出来ましたのも、全く三五教の大神の御守護と今更ながら有難涙に暮れまする……アヽ惟神霊幸倍坐世』 と合掌すれば初稚姫も小さき手を合せ感謝の涙に暮れ居たり。 斯く話す折しもキヤツと息の切れるやうな悲鳴が聞えて来た。三人は此声に思はず腰を上げ耳を澄まして聞き居れば、谷底に当つて蜿蜒たる大蛇、二人の男女をキリキリと捲きながら今や大口を開けて呑まんとする真最中であつた。玉治別是を見るより一目散に夏草の生茂る灌木の中を駆け潜り、近づき見れば此有様、直に天津祝詞を口早に奏上し、天の数歌を謡ひあげ、ウンと一声指頭を突き出し、五色の霊光を発射して大蛇に放射した。大蛇は忽ちパラパラと解けて其場に材木を倒したやうにフン伸びて仕舞つた。二人は最早正気を失ひ、虫の息にて胸の辺りをペコペコと僅かに動悸を打たせて居つた。此間に玉能姫、初稚姫は後追ひ来り、三人力を合せ谷水を汲み来りて面部に吹きかけ、口に喞ませ、いろいろと介抱をなし、天の数歌を謡ひ上げて魂返しの神業を修するや、忽ち息吹き返し二人は両手を合せ、 両人『何れの方かは存じませぬが、危ふき所をよくも助けて下さいました。此御恩は死んでも忘れは致しませぬ』 と涙と共に感謝しける。玉治別は、 玉治別『ヤア、貴方は……久助さま、お民さまぢや御座いませぬか、危い事で御座いました』 と頓狂な声を出して呼びかけたり。夫婦はハツと顔を上げ、久助は、 久助『ヤア、貴方は玉治別様、玉能姫様、初稚姫様、よう来て下さいました。ネルソン山の山頂より烈風に吹き散らされ、各自四方に散乱し、貴方方は何うなつた事かと、今の今まで心配致して居りました。此広い竜宮嶋、仮令三年や五年探しても一旦別れたが最後、面会する事は到底出来ない筈だのに、折好くも斯んな所でお目に懸るとは全く神様のお引合せ、アヽ有難や勿体なや』 と又もや天津祝詞を五人一緒に声も涼しく奏上した。二匹の大蛇も、そろそろ尾の方よりビクリビクリと動き出し、次第々々に元気を増し鎌首を上げ、五人に向つて謝罪するものの如く、両眼より涙を流し居たり。玉治別は大蛇に向ひ、 玉治別『オイオイ大蛇先生、何の因果でソンナ姿に生れて来たのだ。可憐さうなものだ、早く人間に生れ代るやうに神言を奏上してやらう』 大蛇の雌雄は首を揃へて幾度となく首を下げ、感謝の意を表した。五人は幾回となく祝詞を奏上した。大蛇は忽ち白煙となり、大空目蒐けて細長く蜿蜒として雲となり中空に消えて仕舞つた。これ全く誠心誠意、玉治別一行が天津祝詞を奏上したる功徳によつて、大蛇は天上に救はれたるなり。 一行五人はイルナの山中を宣伝歌を歌ひ乍ら、土人の住家を宣伝せむと崎嶇たる山道を足を痛めながら、草鞋を破り跣となつて進み往く。久助は初稚姫を労り背に負ひ最後より随ひ往く。 向ふの方より数十人の一群の荒くれ男、顔一面に嫌らしき文身をしながら此場に現れ来り、眼を怒らせ五人をバラバラと取巻いた。左は断崖絶壁、千仭の谷間には青々とした激流泡を飛ばして流れ居たり。進退維谷まりし五人は如何はせむと案じ煩ふ折しも、久助の背に負はれたる初稚姫は、 初稚姫『玉治別殿、先に立たれよ』 と云ふ。玉治別は先に立ち、荒男の前につかつかと進み寄る。荒男の名はタマルと云ふ。タマルは玉治別の赤き鼻を見て大いに驚き俄に態度を一変し、凶器を大地に抛げ捨て、両手を合せ跪き、 タマル『オーレンス、サーチライス、ウツポツポウツポツポ、アツタツターアツタツター』 と尊敬の意を表した。更たまつたる此態度に一同は柄物を投げ捨て大地に跪き、異口同音に「オーレンス、サーチライス」と繰返し、尊敬の意を表したりけり。玉治別は、 玉治別『アーメーアーメー、自転倒嶋に現はれ給ふ三五教の教主言依別の命を奉じ、此一つ島に神の福音を宣べ伝へむが為めに、遥々渡り来れるものぞ。汝等今より我道を信じ、神の愛児となり、霊肉共に永遠無窮に栄えよ。天国の門は開かれたり、神政成就の時は到れり、悔い改めよ』 と宣示したり。此言葉はタマル以下一同には言語の通ぜざるため何の意味かは分らざりしが、何分尊き救世主の御降臨と信じ切つたる彼等は嬉しげに後に随ひ、険峻なる道を大男の背に五人を負ひながら、大地一面に金砂の散乱せる大原野に導きぬ。此処はアンデオと云ふ広大なる原野にして、又人家らしきもの数多建ち並び、小都会を形成せり。土人の祀つて居る竜神の祠の前に五人を下し、手を拍つて喜び、何事か一同は祈願を籠めたりけり。 社の後には目も届かぬ許りの湖水が蓮の形に現はれ、紺碧の浪を湛へて居る。水鳥は浮きつ沈みつ愉快気に右往左往に游泳し、時々羽ばたきしながら、水面に立ち歩み駆け狂うて居る面白さ。一同は天津祝詞を奏上し終り、此湖水の景色に見惚れ、やや暫し息を休めて居た。玉治別は祠の前に停立し、 玉治別『自転倒島を立ち出でて神の教を伝へむと 南洋諸島を駆け廻り愈ここに竜宮の 一つの島へと到着し厳の都の城下まで 進み来れる折柄に蜈蚣の姫や黄竜の 姫の心を量り兼ね神の経綸か白雲の かかる山辺を十柱の教の御子は攀登り 山の尾上を踏み越えてネルソン山の絶頂に 佇み四方を眺めつつ雄渾の気に打たれ居る 時しもあれや山腹より昇り来れる黒雲に 一行十人包まれて咫尺も弁ぜず当惑し 天津祝詞を声限り奏上なせる折りもあれ 空前絶後の強風に吹き捲くられて各自は 木の葉の如く中天に捲き上げられて名も知らぬ 深き谷間に墜落し息も絶えむとしたりしに 三五教の大神の恵の露に霑ひて 漸く息を吹き返し彼方此方に蟠まる 大蛇の群を悉く天津祝詞の太祝詞 天の数歌謡ひつつ言向け和せ漸うに 数多の人に送られて初めて此処に来て見れば 瞳も届かぬ諏訪の湖千尋の底の弥深き 神の恵の現はれて魚鱗の波は金銀の 花咲く如き眺めなりあゝ惟神々々 御霊の幸を蒙ぶりて我等一行五つ身魂 これの聖地に導かれ心の空も爽かに 天国浄土に上る如嬉し楽しの今日の日は 神の恵の尊さを一層深く知られけり 神が表に現はれて善と悪とを立て別ける 此世を造りし神直日心も広き大直日 唯何事も人の世は直日に見直せ聞き直せ 身の過ちは宣り直す三五教の神の教 宣り伝へ行く楽しさは三千世界の世の中に 是に増したる業はなし三千世界の梅の花 一度に開く木の花の開いて散りて実を結ぶ 時は来にけり時は来ぬ五弁の梅の厳御霊 厳の教を経となし瑞の教を緯として 錦の宮に現れませる国治立大神や 埴安彦や埴安姫の神の御言を畏みて 此世を開く宣伝使暗夜を晴らす朝日子の 日の出神の御守り天教山に現れませる 神伊弉諾大神や地教の山に永久に 鎮まりまして現世を堅磐常磐に守ります 神伊弉冊大神や高照姫の御前に 慎み敬ひ鹿児自物膝折り伏せて願ぎまつる あゝ惟神々々御霊幸倍ましまして 初稚姫や玉能姫玉治別の宣伝使 久助お民の信徒が堅磐常磐の後の世も 神の経綸に漏れ落ちず太しき功績を建てしめよ 神は我等を守ります神に任せし此身魂 天地の間に生けるもの他人もなければ仇もなし 父子兄弟睦じく世界桝かけ引きならし 貴賤揃うて神の世の楽しき月日を送るまで 神に受けたる玉の緒の命を長く守りませ 三五教の御光を三千世界に隈もなく 照らさせ給へ諏訪の湖千尋の底に永久に 鎮まりゐます竜姫の皇大神よ平けく いと安らけく聞し召せ神の教の道にある 厳の御霊の五つ柱慎み敬ひ願ぎまつる あゝ惟神々々御霊幸倍ましませよ あゝ惟神々々御霊の幸を給へかし』 と歌ひ終るや、初稚姫は又もや立ち上り、諏訪の湖面に向つて優しき蕾の唇を開き祝歌を歌ふ。 初稚姫『私の父は三五の神の教の宣伝使 天と地とは一時に開き初むる時置師 神の命の杢助ぞ言依別の神言もて 自転倒島の中心地高天原に千木高く 鎮まりゐます綾の里錦の宮の神司 玉照彦や玉照姫の貴の命の御仰せ 畏み仕へまつりつつ我は幼き身なれども 神と神との御教をうなじに固く蒙ぶりて 玉治別や玉能姫教司と諸共に 浪風猛る海原を神の恵に渡りつつ 黄金花咲く竜宮の一つの島に着きにけり 厳の都を後にして山野を渡りネルソンの 高山越えて谷の底アンナヒエールの里を越え 山々谷々数越えて漸う此処に皇神の 社の前に着きにけり思へば深し諏訪の湖 千尋の底に永久に鎮まりゐます竜姫よ 心平に安らかに我が願ぎ事を聞し召せ 天火水地と結びたる言霊まつる五種の 珍の御玉を賜へかし三五の月の御教は いよいよ茲に完成し三千世界の梅の花 一度に開く常磐木の松の神世と謳はれて 海の内外の民草は老も若きも隔てなく うつしき御代を楽しまむあゝ惟神々々 御霊幸倍ましまして十歳にも足らぬ初稚が 万里の波濤を乗り越えて世人を救ふ赤心に 曳かれて此処迄出で来る思ひの露を汲めよかし 神は我等の身辺を夜と昼との別ちなく 守らせ給ふと聞くからは神政成就の御宝 厳の御霊のいち早く我等に授け給へかし 謹み敬ひ願ぎまつるあゝ惟神々々 御霊幸倍ましませよ朝日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも仮令大地は沈むとも 誠は神に通ふべし誠一つの三五の 神の教の宣伝使宣る言霊を悉く 完全に委曲に聞し召せ仮令大地は沈むとも 神に誓ひし我魂は如何なる艱難来るとも ミロクの世迄も変らまじミロクの世迄もうつらまじ』 と歌ひ終り拍手して傍の芝生の上に腰打ち下ろし息をやすめた。玉能姫は又もや立上り湖面に向つて歌ふ。 玉能姫『皇大神の勅もて言依別命より 金剛不壊の如意宝珠また紫の神宝を 堅磐常磐の経綸地隠し納むる神業を 仕へまつりし玉能姫初稚姫の両人が 神の教を伝へむと島の八十島八十の国 大海原を打ち渡り暑さ寒さの厭ひなく 虎伏す野辺も狼の狂へる深山も何のその すこしも厭はず三五の神の教の御為に 身も魂も奉げつつ玉治別に従ひて 漸う此処に詣でけり此湖に遠津代の 神代の古き昔より鎮まりゐます竜姫よ 御国を思ふ一筋の妾が心を汲み取らせ 三五教の神の道岩より堅く搗き固め 神界幽界現界の救ひの為に海底に 隠し給ひし五つみたま天火水地と結びたる 大空擬ふ青き玉紅葉色なす赤玉や 月の顔水の玉黄金色なす黄色玉 四魂を結びし紫の五つの御玉を我々に 授けたまへよ矗々に我は疾く疾く立帰り 国治立大神が神政成就の神業の 大御宝と奉り汝が御霊の功績を 千代に八千代に永久に照しまつらむ惟神 御霊の幸を賜はりて我等の願ひをつばらかに 聞し召さへと詔り奉るあゝ惟神々々 御霊幸倍ましませよ』 と歌ひ終つて拍手し、傍の芝生の上に息を休めけり。久助は又もや湖面に向つて、 久助『自転倒島の瀬戸の海誠明石の磯の辺に 生れ出でたる久助は三五教に入信し 玉治別の宣伝使其他二人の神司 導き給ふ其儘に御跡を慕ひ神徳を 蒙りまつり世の為に力の限り尽さむと 大海原を遥々と越えて漸う一つ島 大蛇に体を捲かれつつ九死一生の苦みを 神の御稜威に助けられ漸う此処に来りけり 我は信徒三五の神の司に非ざれど 御国を思ひ大神に仕ふる道に隔てなし 諏訪の湖底に永久に鎮まりゐます皇神よ 我等夫婦が真心を憐み給へ何なりと 一つの御用を仰せられ神の教の御子として 恥かしからぬ働きを尽させ給へ惟神 神の御前に村肝の赤き心を奉り 慎み敬ひ願ぎまつる畏み畏み願ぎ申す あゝ惟神々々御霊幸倍ましませよ』 と歌ひ終つて同じく芝生の上に息をやすめたり。お民は又もや立上り諏訪の湖面に向つて拍手し、声淑やかに、 お民『尊き国の礎や百姓の名に負ひし 君と神とに真心を麻柱ひ奉る民子姫 神の御前に平伏して国治立大神の ミロク神政の神業に仕へまつらむ事のよし 完全に委曲に聞し召し誠の足らぬ我なれど 神の大道は片時も忘れたる事更になし 守らざる事片時も無きを切めての取得とし この湖底に昔より鎮まりゐます竜宮の 皇大神よ惟神大御心も平けく いと安らけく思召し足らはぬ我等が願言を 見棄て玉はず諾ひて其程々の功績を 立てさせ玉へ諏訪の湖鎮まりゐます御神の 御前に畏み願ぎまつるあゝ惟神々々 御霊幸倍ましませよ』 紺碧の湖面は忽ち十字形に波割れて、湖底は判然と現はれたり。殆ど黄金の板を敷き詰めたる如く、一塊の砂礫もなければ、塵芥もなく、藻草もない。恰も黄金の鍋に水を盛りたる如き、清潔にして燦爛たる光輝を放ち、目も眩む許りの荘厳麗媚さなりき。波の割れ間より幽かに見ゆる金殿玉楼の棟実に床しく、胸躍り魂飛び魄散るが如く、赤珊瑚樹は林の如くにして立並み居る。珊瑚樹の大木の下を潜つて、静々と現はれ来る玉の顔容月の眉、梅の花か海棠か、但は牡丹の咲き初めし婀娜な姿に擬ふべらなる数多の女神、黄金色の衣を身に纒ひ、黄金造りの竜の冠を戴き乍ら、長柄の唐団扇を笏杖の代りに左手に突きつつ、右手に玉盃を抱え、天火水地結の五色の玉を各五人の殊更崇高なる女神に抱かせ乍ら、玉依姫命は徐々と湖を上り五人が前に現はれ玉ひて、言葉静かに宣り玉ふ。 玉依姫命『汝は初稚姫、玉能姫、玉治別、信徒の久助、お民の五柱、よくも艱難を凌ぎ辛苦に堪へ、神国成就の為に遥々此処に来りしこと感賞するに余りあり。併し乍ら汝初稚姫は大神よりの特別の思召しを以て、金剛不壊の如意宝珠の神業に参加せしめられ、又玉能姫は紫の宝玉の御用を仰せ付けられ、今や三五教挙つて羨望の的となり居れり。玉治別外二人は未だ斯の如き重大なる神業には奉仕せざれども、汝等が至誠至実の行ひに賞で、竜宮の神宝たる五種の宝を汝等五人に授くれば、汝等尚も此上に心身を清らかにし、錦の宮に捧持し帰り、教主言依別命にお渡し申すべし。今汝に授くるは易けれど、未だ一つ島の宣伝を終へざれば、暫く我等が手に預りおかむ。華々しき功名手柄を現はし、重大なる神業を神より命ぜらるるは尤もなりと、一般人より承認さるる迄誠を尽せ。此一つ島はネルソン山を区域として東西に別れ、東部は三五教の宣伝使黄竜姫守護し居れども、未だ西部に宣伝する身魂なし。汝等五人は此処に七日七夜の御禊を修し、此島を宣伝して普く世人を救ひ、大蛇の霊を善道に蘇へらせ、且黄竜姫、梅子姫、蜈蚣姫其他一同の者を心の底より汝の誠に帰順せしめたる上にて改めて汝の手に渡さむ。初稚姫には紫の玉、玉治別には青色の玉、玉能姫には紅色の玉、久助には水色、お民には黄色の玉を相渡すべし。されど此神業を仕損じなば、今の妾の誓ひは取消すべければ、忍耐に忍耐を重ねて、人群万類愛善を命の綱と頼み、苟且にも妬み、そねみ、怒りの心を発するな。妾はこれにて暫く竜の宮居に帰り時を待たむ。いざさらば……』 と言ひ残し、数多の侍女神を随へ、忽ち巨大なる竜体となりて、一度にドツと飛び込み玉へば、十字形に割れたる湖面は元の如くに治まり、山岳の如き浪は立ち狂ひ、巨大の水柱は天に沖するかと許り思はれた。五人は感謝の涙に暮れつつも、恭しく拍手をなし、天津祝詞や神言を奏上し、天の数歌を十度唱へ、宣伝歌を声張り上げて歌ひ終り、再び拍手し、それより七日七夜湖水に御禊を修し、諏訪の湖面に向つて合掌し、皇神に暇を請ひ、宣伝歌を歌ひ乍ら、荊棘茂れる森林の、大蛇猛獣の群居る中を物ともせず、神を力に誠を杖に進み行くこそ雄々しけれ。あゝ惟神霊幸倍坐世。 玉依姫は空色の衣服にて、玉を持てる五人の女神の後に付添ひ玉ひしと聞く。 (大正一一・七・五旧閏五・一一加藤明子録) |
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霊界物語 | 27_寅_麻邇宝珠の紛失/琉球物語 | 01 高姫館 | 第一章高姫館〔七八三〕 五六七の神世の経綸地青垣山を繞らせる 霊山会場の蓮華台桶伏山の東麓に 旭を受けて小雲川清き流れを瞰下する 風景絶佳の岩が根に丸木柱に笹の屋根 厚く葺いたる神館静かに建てる冠木門 天然石を敷き並べ梅と松との庭園を 可なりに広く繞らして建てる館は四間造り 奥の離れの一棟は高姫さまが書斎の間 萩の小柴を編み立てて造り上げたる文机 天然石の硯をばお鍋が味噌を摺る様に 焼木杭をクリクリと連木の様に摺り減らし 竹の篦にて造りたる筆に墨をば染ませつつ 青く乾きし芭蕉葉に何か知らねどスラスラと 書き記し居る時もあれ門を開いて入り来る 高山彦や黒姫の姿眺めて下男 勝公安公両人は竜宮様の御入来と いと丁寧に腰屈め敬意を表せば黒姫は 高姫様は在宅か高山彦の夫婦連れ 参りましたと奥の間へ伝へてお呉れと促せば ハイハイと答へて勝公はコレコレ安公門の番 しつかり頼むと言ひ捨てていそいそ奥へ駆けて行く 暫くありて勝公は二人の前に腰屈め 高姫さまの仰せには待兼山の時鳥 お二人共に奥の間へ早くお進み下さんせ 以ての外の御機嫌と話せば黒姫羽撃きし 高山彦も教服の塵打払ひ悠々と 細き廊下を伝ひつつ奥の間さして忍び入る 高姫は別棟の書斎から廊下伝ひに袴も着けず、板縁をめきめき云はせ乍ら、稍空向き気味になつて奥の間に現はれ、木の株を切抜いた火鉢を前に据ゑ、煎餅の様な薄い座蒲団の上に四角張つて、 高姫『コレハコレハ高山彦さまに黒姫さま、お仲の良いこと。独身者の高姫の前にそんなお目出度いとこを展開して貰ひますと、堪りませぬワ。オホヽヽヽ、まあまあ御遠慮は要りませぬ。ズツと奥へ御通り下さい。………さう遠慮をして貰うと、肝心要の話も見えず、お顔も聞えず、大変に都合がよくありませぬワ』 と態とに顔が聞えぬの、話が見えぬのと、脱線振を発揮して、高山彦夫婦に対し大日の照るのに、昼日中気楽相に夫婦連れでやつて来たのは、チツト脱線ぢやないかとの意味を仄かして居る。 黒姫の顔はサツと変り、高山彦の袂をチヨイチヨイと引張り、早く気を利かして貴方はお帰りと云ふ意味を私かに示した。 高山彦『コレ黒姫、お前は何時も人の袂をチヨイチヨイ引張るが、唖でもあるまいに、何故明瞭と言はないのだ。わしはそんな、狐鼠々々と手真似や仕方で以心伝心の使分けは嫌ひだからなア』 黒姫『エー気の利かぬ……瓢六爺だなア。高姫さまが最前の御言葉、貴方は何と聞きましたか。竹生島でも仰有つた通り、夫婦ありては御用の出来ぬ御道だのに、高山さまを貰うてから、私の間が抜けたとキツパリ仰有りましたでせう』 高山彦『オホヽヽヽ、いやもう恐れ入りました。此高山彦も高姫様の御精神に、大賛成です』 黒姫目に角を立て、少しく口角より泡を滲ませ乍ら、 黒姫『それ程何々さまがお気に入りますれば、どうぞ御好きな様になさいませ。何と云つても何時も貴方の仰有る通り、色の黒い烏の嫁に、首や手足の長い鶴の婿さまは釣合ひませぬ。ヘン……此頃の空と男の心、折角御邪魔を致しましたが、私は是で御免を蒙ります。高山彦に鷹鳥姫様、高と鷹との情意投合、私も是にて断念致します。こんな厄介な爺を誰が好き好んでハズバンドにしたい者が御座いませうか。高姫さまの御紹介だと思つてお道の為、国家の為に今迄辛抱して参りました。男鰥に蛆が湧く、女鰥夫に花が咲く、ヘン…済まないが私だつて……ヘーン』 高山彦『大変な所へ鋒鋩を向けるのだなア。ここを何と心得てる』 黒姫『ヘン、仰有いますな、そんな事の分らぬ様な黒姫ですかいな。擬ふ方なき高姫さまの御館、桶伏山の朝日の直刺す景勝の地、小雲川の畔で御座んすぞえ』 高姫『オホヽヽヽ、随分御気楽なことですな。私等は春の花も仲秋の月も、楽しむ暇は無く、何だか神様の為にかうヂツとして居ても、気が焦々し、忙しくつてなりませぬワ。小心者の高姫に比べては、余裕綽々たる御夫婦仲、実にお羨ましう御座います。ホツホヽヽ』 黒姫『今日は左様な貴女の嘲罵的御話を聞きに参つたのぢや御座いませぬ。国依別が高姫さまに進上して呉れと云つて、妙な物を持つて来ました。開けて見れば大変な立派な重の内、上に一つの短冊が載つてゐる。其文面には………鮒もろこ、鯰からかぎ鯉に鱒、酒の肴に鰌ニヨロニヨロ、ふんぞくらいに砂くぐり、石食ひ魚に釜掴み、直におあがり下さらねば、直に石に変化する虞あり………と書いてありました。こら妙だと開けて見れば、不思議も不思議、上の重も中の重も下の重も残らず石ばつかり、何程国依別が悪戯好きだと云つても、まさか石を初から持つては来ますまい。貴女に怒られると大変だと思ひ、一寸私の宅に其儘預つておきました。どう致しませうかな』 高姫俄に面を膨らし、 高姫『黒姫サン』 と言葉尻をピンと撥ね、 高姫『お前さまは余程良い馬鹿ですね』 黒姫『ヘー……』 高山彦『何分にも竜宮の乙姫様が一つ島とやらへ、御旅行遊ばした不在宅のガラン洞ですからなア、アハヽヽヽ』 黒姫『情意投合のお二人様、どうなつと仰有りませ。あなたは何時もサカナ理屈を言うておイシが悪いから、意趣返しに団子理屈………オツトドツコイ団子石を国依別が態と持つて来たのでせう。そんな事の気の付かぬ様な黒姫ぢや御座りませぬ。金剛不壊の宝珠でさへも御呑み遊ばす高姫さまだから、今度はお生憎様、堅い玉がないから、これなつと御あがり遊ばして、腹の虫を御癒やしなされと云ふ、国依別の皮肉な謎ですよ』 高姫『兎も角国依別を招んで来ませうか。本人に直接承はれば一番近道だから………コレコレ安公さま、お前ちよつと御苦労だが、杢助館の隣の豚小屋の様な小さい家に、国依別が今頃は昼寝の夢でも見て居るに違ひないから、高姫さまが此間の御礼に御馳走をあげたい。就いては折入つて御頼みしたい事があるから、最大急行で御出で下さいと、呼んで来るのだよ』 安公『ハイ、さう御註文通り、国依別さまが来て呉れませうかな』 高姫『来いでかい。もし来なかつたら……系統の生宮の命令を何故聞かないか、日の出神を何と心得て御座る……と一本、槍を突つ込んでおくのだ。さうすると国依別は取るものも取り敢ず、スタスタとやつて来るよ。サア早く往つてお呉れ』 安公『アイ』 と一声後に残し、国依別の矮屋の前に走り着いた。 安公『もしもし、国の大将さま、大変だ。高姫さまの御居間で高山彦と黒姫が夫婦喧嘩をおつ始め、組んず組まれつ、乱痴気騒ぎ、イヤもう大変な事ですよ。それに就て、国依別が愚図々々吐すと、日の出神の生宮だ、系統の身魂を何と心得てる……と云うて剣突を……ドツコイ違うた。槍を一本突つ込んで帰れと仰有つた。もう邪魔臭いから何も彼も一緒に申し上げますワ』 国依別『アハヽヽヽ、夫婦喧嘩ぢやあるまい、石の問題だらう、此頃は陽気が悪いで、早く料理するか、煮しめん事にや、石に変化して了ふさうだ。山の芋が鰻になつたり、鮒が化石したり、青雲山ぢやないが、木の枝に魚が実つたり、川の瀬に兎が泳いだりする例しもあるからなア』 安公『国さま、最大急行だよ。早う来て貰はないと、高姫館は地震雷火の車、地異天変のガラガラ、ドタンバタンの幕が下りる。急行々々』 と国依別の手を取りて無理に表へ引摺り出す。 国依別『オイ安公、手を放せ。コレから往つてやらう』 と先に立ち高姫の館に行かんとする時、秋彦は後より走り寄つて、 秋彦『国依別さま、どこへ御出で遊ばす、高姫館ぢやありませぬか』 国依別『オウさうだ。これから一談判始まる所だ。お前も来ぬか、随分面白いぞ』 秋彦『有難う、サア参りませう。……オイ安公、しつかり案内せいよ。何分天地暗澹、黒姫の世の中ですから、道路の石の高姫に躓いて、鼻の高山彦を台無しにしちや堪らないからなア、アツハヽヽヽ』 と嘲笑ひ乍ら、スタスタと高姫の門前迄立向うた。秋彦は形計りの門を開いて先へ飛び込み、少しく腰を曲げ、右の手指を固めて細くし乍ら、 秋彦『コレハコレハ国依別の宣伝使様、妾が如き見窄らしき茅屋へよくこそ御入来下さいました。日の出神の生宮、心の底より光栄に存じます。又先達ては黒姫様の御手を通し、結構な結構な堅いお魚を沢山に頂戴致しまして有難う厶います。何か御返礼をしたいと思ひましても、御存じの通り貧家に暮す高姫、御礼の仕様も厶いませぬ。併し乍ら折釘のかます子に、最後屁のかます、手製の左巻き、かいちう虫の饂飩、雪隠虫の汁の子、青菜に塩の蛭の素麺、蛇の蒲焼、蛙の吸物、なめくじの胡瓜揉み、どうぞ御遠慮なく、サア奥へチヤツと行つて腹一杯おあがり下さいませ。ホツホヽヽヽ、あのマア国依別さまの御迷惑相な御顔付…』 国依別『コレコレ鹿さま……ではない……お鹿さま。いい加減に戯談仰有いませ』 秋彦『お鹿さまが申すのでは厶いませぬ。高姫さまの副守護神が此門を入るや否や神憑り[※初版・校定版では「神憑り」、愛世版では「神懸り」。]されまして、斯様な事を仰有ります。決して秋彦のお鹿が言うたとは思つて下さいますな、オホヽヽヽ』 と出歯の口を無理にオチヨボ口にしようと努むる可笑しさ。 国依別『左様ならば、遠慮なしに罷り通るツ。出歯鹿殿、案内召され』 安公『アハヽヽヽ、門芝居がお上手な事、高姫さまが御覧になつたら嘸御笑ひでせう…イヤ腮を外してひつくり返り、又もや外科医者を頼みに行かねばならない様なことが突発したら、又候……安公さま、御苦労乍ら、お前一寸外科医の山井養仙さま所へ、最大急行で頼みに往つて呉れ……なんて仰有るのは目のあたりだ、腮阿呆らしい。ワツハヽヽヽ』 国依別『汝安公とやら、今日只今より国依別が直接の家来となし、名を安彦と授くる。其積りで国依別に随いて来るがよからう』 安公『コレハコレハ思ひもよらぬ御恩命、安彦の宣伝使、確かに御恩命を拝しませぬ、アタ阿呆らしい、言依別神様から頂くのなら、結構だが、巡礼上りの胸の悪い宗彦に宣伝使を任命されて堪らうかい』 秋彦『どうでも良いぢやないか。兎も角頂戴しておけ。お前は松鷹彦になるのだよ。さうしておれはお勝になつて、此宗彦さまと巡礼に歩くのだ。少し川は届かぬけれど、あの小雲川を宇都山川と見做し、高姫館を松鷹彦の茅屋に擬し、茲で一つ面白い芝居をやるのだな』 安公『そんな事言つたつて、松鷹彦がどうするのか、ちつとも分らぬだないか』 国依別『そこは臨機応変だ。そこは……此方から言ふのに応じて答へればよいのだ。お前は霊界物語の如意宝珠の未の巻を読んで居ないから、其間の消息が分るまいが、其時は又其時の絵を書くのだ』 安公『よし、棹が無いが、茲にチツと太いけれど物干し竿がある、これでマア鷹や鴉を釣ることにしようかい。サア早く巡礼御夫婦、やつて来なさいや』 国依別『よし、ここを川辺と見做し、向ふから宣伝歌を歌ひつつやつて来るから、お前は太公望気取りで竿を垂れて居るのだ』 と云ひ乍ら国依別、秋彦は門を出て一二丁後返りをなし、出鱈目の歌を歌ひ乍ら進んで来る。 安公は庭先の飛石を川の瀬と見做し、物干し竿の先に藤蔓を糸の代りに付け、太公望気取りで魚釣りの真似をして居る。そこへ勝公が飛んで来て、 勝公『オイ安、貴様何して居るのだ。最前から高姫さまが大変に御待兼だ、まだ使に行かぬのか』 安公『喧しく云ふない、無声霊話をかけて招んであるのだ。俺は武志の宮の松鷹彦だぞ。まあグヅグヅして居るより見てをれ、かうして居れば国依別や秋彦が引つかかつて来るのだよ。俺が此竿を振るや否や、妙な宣伝歌を歌つてツルツルツルと引摺られて来るのだ』 勝公『そんな馬鹿な事があるものか。是から高姫様に注進するぞ』 と云ひすてて、屋内に隠れた。国依別はどこで寄せて来たか、蓑笠を被り、俄作りの金剛杖を突き、 国依別『嬶が表に現はれて善ぢや悪ぢやと立騒ぐ 此世の困つた娑婆塞ぎ乞食心の高姫が 只玉々と朝夕に心を焦つ気の毒さ われは宗彦バラモンの神の教の修験者 殺生するのは善くないと高姫さまが言うた故 小雲の川におり立つて生物擁護の実行と 無心無霊の団子石魚と見做して釣り上げる 手間暇要らぬ漁りは経済上の大便利 刃物も要らねば煮る世話も一寸も要らぬ石の魚 さざれ石さへ年経れば巌となりて苔が蒸す 瓢箪からも駒が出る団子石とて馬鹿にはならぬ 如意の宝珠や紫の玉に変るか分らない サア是からは是からは宇都の河原の川辺に 松鷹彦の庵を訪ひ一つ談判してやらう 秋公来れ早来れオツと違うた妻お勝 教の道の兄弟が夫婦気取で面白く 高姫川の川堤やつて来たのは安公が 芝居気取の太公望もうしもうしお爺さま お前は古い年をして水なき川に竿を垂れ 何を釣るのか気が知れぬ諸行無常や是生滅法 高姫さまの目的は寂滅為楽となるであろ 黒姫さまや高山の女大黒福禄寿面 欲の川原に竿たれて金剛不壊の玉の魚 釣らむとするも辛からう欲につられて高姫が 南洋三界駆け巡り黒くなつたる面の皮 つらつら思ひ廻らせば燻り返つた釣られ鯛 睨み合うたる二人仲恵比須でさへも尾を巻いて 跣足でサツサと逃げて行くあゝ気の毒や気の毒や 安公までが国さまの言葉に釣られて欲の川 物干竿に綱をつけ宗彦お勝の巡礼が 茲に来るを待暮すあゝ惟神々々 叶はん事が出来て来た高姫さまが腹を立て コレコレ国よ国公よ日の出神の生宮を 馬鹿にするのも程がある何程呑み込みよい妾も 歯節の立たぬ団子石団子理屈を捏ねやうと 二重三重に封をして持つて来たのが憎らしい 此因縁を聞かうかと面ふくらして飛びかかり 胸倉とつて一騒ぎおつ始まるに違ない スワ一大事と言ふ時に逃げる用意をしておかう 秋公横門開けておけまさか厠の股げ穴 脱け出す訳にも行かうまい太公望の安公よ もう釣竿は流すのだ是から釣るのは高姫ぢや もうしもうし高山の福禄寿爺と黒さまは 当家におゐで遊ばすか一寸お尋ね致します』 此声聞いて勝公は戸口をガラリ引あけて 勝公『賤しき巡礼の二人連国依別や秋彦に よう似た声を出しやがつて瞞しに来てもそりやあかぬ スツカリ駄目だと諦めて早く帰つて下さんせ 巡礼なぞのノソノソと出て来る場所ではない程に 高姫さまが見付けたら長い柄杓に水汲んで 頭の上からザブザブと熱吹きかけるに違ない 犬ぢやなけれど尾を振つて一時も早くイヌがよい ワンワンワンといがみ合ひ喧嘩をされては堪らない 巡礼に化けた国さまや秋さま二人の宣伝使 危険区域を逸早く逃れてお帰り下さんせ 奥に高姫黒姫が額の静脈血を充たし 青筋立てて控へ居る』早く早くと手を拡げ つき出す様な真似をする。 高姫は門口の怪しき声に、黒姫、高山彦を奥の間に残し、自ら茲に現はれ、 高姫『勝公さま、お前今何を言つて居たの、どこに私が青筋を立てて居ますか』 勝公『イイエ滅相もない、そんな事は申した覚えはテンで厶いませぬ。今そんな男が一寸やつて来ましたので、高姫さまのお目にかけたら、嘸お笑ひ遊ばすだらうと云つて居たので厶います……それ、そこに乞食巡礼が二人立つて居ませうがなア。一人は宗彦、一人はお勝、もう一人は松鷹彦、欲の川で竿をたれ、鷹とか鴉とかつるとか言つて居ました。……ヘーまあ、何で厶います、ザツと此通りで』 とモヂモヂして頭を掻く。 高姫『お前は国依別さま、秋彦の両人でせう。大それた悪戯をなさつて、此高姫に合す顔がなくなり、蓑笠を被つて元の宗彦時代に立返り、心の底から改心を致しました、と云ふ証拠でやつて来たのだらう。そんな芸当は世界の見え透く日の出神の前では通用致しませぬぞえ。サアサア早く正体を現はして這入つて下さい』 国依別『幽霊の正体見たり枯尾花。 たそがれて山低う見る薄かな』 高姫『俄に風流人めいた事を言つて、誤魔化さうと思つてもあきませぬぞや。サアサアとつとと這入つて下さい。お前さまに尋ねたい因縁があるのだから……』 国依別『因縁の玉を集むる此館……因縁つける高姫大根…… 旅役者大根と聞いて顔しかめ。 大根役者どこやらとなく魂が脱け。 玉おちのラムネぶつぶつ泡を吹き。 今抜いたラムネの泡や高姫……オツト高く飛び。 黒姫の様な葡萄酒萩の茶屋。 高山も低う見ゆるや萩の花。 如意宝珠空に輝く秋の月。 秋彦の空高くして馬は肥え』 高姫『コレコレ、国さま、何を愚図々々言つて居るのだ。這入れと云つたら、這入りなさい』 国依別『這入れよと言はれて躊躇ふ熱い風呂。 風呂吹を喰はぬ役者の子供哉。 大根の役者の芝居チヨボ葱』 高姫『エー、辛気臭い。気が咎めて閾が高いのだな』 国依別『高姫の敷居の欲に股が裂け。 股裂けた五つの玉は不在の間に。 黒姫は酒より男好きと言ひ。 高山に黒雲起り日は隠れ。 東天に日の出の光暗は晴れ。 堂々と国依別は進み入り』 と言ひ乍ら秋彦を伴ひ、高姫に先立つて奥の間に進み入る。 高姫、黒姫、高山彦、国依別、秋彦の五つの頭は火鉢を中に置いて、五弁の梅の花の開いた様に行儀よく並んだ。 国依別『明月や高山頭に照り渡り。 高山を透かして見れば星低し』 高姫『国依別さま、此間は御心を籠められた沢山な魚を頂戴致しまして、有難う御座います。これには何か御意趣のあることで御座いませう。サア其因縁から包まず隠さず聞かして下され』 国依別『和知川に洗ひ曝した石の玉、我は尊き人に捧げつ。 身魂相応堅くなつたる石の玉。 石よりも堅い決心感じ入り。 激流に揉まれて石は円くなり。 瀬を早み岩に堰かれて石の魚』 高姫『エーもどかしい。そんなむつかしい事を言つて分りますかいな。救世軍のブース大将が言つた事を知つて居ますか。例へば一軒の家でも一番小さい三つ児か、無学な下女に分る言葉でなければ名語ぢやありませぬぞ。俳人気取りで何を駄句るのだ。お前さまチツト此頃はどうかしとりますねえ。小雲川で一つ顔を冷し目を醒まして来なさい』 国依別『底までも澄みきりにけり秋の水。 秋の水腐つて居れどいと清し。 清らかな水には棲まぬ鮒もろこ。 濁江の深きに魚は潜むともなど川蝉の取らでおくべき』 高姫『おきなさんせ、大石内蔵之助の真似をしたり、何も知らぬと言へば調子に乗つて、人の歌まで自分が作つた様な顔をしようと思つて……本当にお前は歌泥坊だ』 国依別『床の下深きに玉は隠すとも など高姫の取らでおくべき。アツハヽヽヽ』 高姫『コレ国さま、どこまでも人を馬鹿にするのかい』 国依別『馬鹿野郎夜這の晨狼狽しゆき詰りては胸も高姫。………動悸は玉の置所。 竜宮へおと姫したかと気を焦ち世界隈なく探す馬鹿者』 高姫『コレ黒姫さま、国さまに是丈馬鹿にされてお前さま何ともありませぬか。チツト日頃の弁舌をお使なさつたらどうですかい』 黒姫『何だか人間らしうないので、話の仕様がありませぬもの』 国依別『人間を超越したり神司。 黒雲に包まれ星は影潜め。 高山に黒雲懸り雨は降り。 涙川忽ち濁る玉の雨』 黒姫『コレ高山さま、今国さまがどうやらお前さまや妾の事を、俳句とやらで罵倒して居るやうだ。お前さまも立派な男だないか、何とか一つ言霊で遣り返し、国を遣り込めて了ふ丈の甲斐性は無いのかい』 高山彦『苦にするな国依別けて大切な げほう頭は如意宝珠……光は玉の如くなりけり』 黒姫『高山さま、自分の事を言つてるのだないか。国さまに対して言ふのだよ。エーエ、鈍な男に緞子の羽織、女房も随分気の揉める事だなア。そんなら妾が代つて言ひませう。聞いて居なされ、斯う云ふのだよ。…… 黒姫の黒い眼で睨んだら 神の国依別もなく散る 桜の花は神風に 吹かれてバラバラバラモン信者 聞いてもムネ彦悪くなる 負てもお勝の尻を追ひ 肥桶担ぎの玉治別に 玉を取られし気の毒さ 泣面に蜂 止まつて咬んだ如くなりけり』 国依別『アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ、此奴ア面白い。始めて聞いた名歌だ。柿本人麿も丸跣足だ。与謝野晶子の所へ持つて往つたら、屹度秀逸点を呉れるだらう。イヒヽヽヽ、エヘヽヽヽ、オホヽヽヽ…… 黒姫の歌にお臍が宿替へし。 脇の下キユウキユウキユウと鼠鳴き。 名歌の徳床板迄が動き出し。 睾玉の皺まで伸ばす此名歌』 高姫『黒姫さま、こんな男にかかつちや、口八丁手八丁の高姫だつて、三舎を避けねばなりませぬワ。もうそんな歌などで話しちや駄目ですよ。……コレ国さま、お前さまは何の為にあの様な物を、私に贈つたのだ。失礼ぢやありませぬか。何程物喰のよい豚だつて石は喰ひませぬよ』 国依別『豚よりも物喰ひのよき人もあり。 如意宝珠玉さへ噛る狂女哉。 今の世は砂利さへ喰ふ人もあり。 嫁入の祝ひに据ゑる石肴二世を固めの標なるらむ。 マアざつと斯う云ふ精神で、貴方の堅固な精神をお祝ひ申し、お賞め申した国依別の真心。 岩さへも射貫く女の心哉。 と云ふ様なものですワイ。悪気を廻して貰つちや、折角の国依別の志が水泡に帰しまする。魚だつて……魚が水に棲めば、此石だつて綺麗な流水にすみきつて、神世の昔から永久に川底に納まりきつて居つた石肴ですよ。別に喰つて下されと云つて贈つたのぢやありませぬ。お目にかけると云つたのだから、食へる食へぬはお前さまの御勝手、そんな問題は些いと的外れでせう』 高姫『流石はドハイカラの仕込み丈あつて、巧いものだワイ。オホヽヽヽ。コレコレ黒姫さま、高山彦さま、お前も随分鉈理屈が上手だが、国さまにかけちや側へも寄れますまい。言霊の幸はふ世の中だ。チツト是から言霊の練習をなされませ』 斯かる所へ夏彦、常彦両人は、言依別の目を忍び系統の高姫に御機嫌伺ひの為、太平柿を風呂敷に包み、やつて来た。勝公は直に奥の間に進み入り、 勝公『もしもし高姫さま、夏彦、常彦の両人が御機嫌伺ひだと云つて今見えました。如何致しませう』 高姫したり顔に、嫌らしく笑ひ乍ら、国依別、秋彦に目を注ぎ、 高姫『勝公さま、どうぞ御両人様、ズツと奥へ御通り下さい、と丁寧に御迎へ申してお出で………アーアやつぱり身魂の良い者は分るワイ。 落魄れて袖に涙のかかる時人の心の奥ぞ知らるる だ。妾が聖地へ帰つてから今日で三日目だ。それに言依別を始め、杢助迄が不心得千万な、系統のお帰りを邪魔者扱に致して、馬鹿にして居る………エー、今に見ておぢやれよ、アフンと致さして見せるぞよと、日の出さまが仰有るので、先づ神様にお任せして辛抱して居るのだ。人間と云ふ者は薄情なものだ。冷酷無惨の浮世とは云ひ乍ら、人情薄きこと紙の如しだ』 国依別『此国さまは人情厚きこと神の如しでせう』 高姫『さうでせうとも、偶の挨拶に団子石を贈つて来る様な、無情……オツトドツコイ親切なお方ですからな』 国依別『イヤその御礼には及びませぬ。沢山なもので厶いますから……』 斯る所へ勝公に導かれ、夏彦、常彦は目をギヨロつかせ乍ら、此場に恐る恐る現はれ来り、国依別や秋彦の其場に端坐せるを見て、聊か手持無沙汰な顔付にて、ドギマギして居る可笑しさ。夏、常両人、丁寧に高姫の前に手をつかへ、 両人『是は是は高姫様、御遠方の所永らく御苦労様で厶いました』 高姫『イヤもう御挨拶痛み入ります。何分身魂が研けぬもので厶いますから、不調法計り致して居ります』 両人『滅相もない、貴方は決して無駄では厶いませぬ。神様の御筆にも、人民から見れば何でもないやうだが、神の方からは大きな御用が出来て居るぞよ……と現はれて居りますから、屹度結構な御用が出来てをるに違ひありませぬ。兎角神界のことは人民では分りませぬから、形の上で彼此申すのは、申す人が分らぬので御座いませう』 高姫『ハイ、有難う』 と涙含む。 両人『是は是は高山彦様、黒姫様、つい申し遅れました。あなたも永らく神界の為に御苦労様で厶いました。直様御伺ひ致すのが本意で厶いますけれど、二三日前から杢助さまに………エー、一寸…何で厶いますので………つい遅れまして厶います。マア御無事で御両所共御帰り下さいまして、聖地は益々御神徳が上がるであらうと、一同影から御喜び申してをる様な次第で厶います』 高山彦『ヤア常彦さま、夏彦さま、あなたも御無事で御目出度う』 黒姫『ヨウ親切に此婆アを訪ねて下さいました。年がよると腰が屈む、目汁鼻汁……イヤもう醜くるしいもので、誰もふりかへつて呉れるものは御座いませぬワイ。力と頼むは大神様と、日の出神様、竜宮の乙姫様計りで厶います。人情紙の如き軽薄な世の中に、ようマア御訪ね下さいました。あなたも御無事で結構で厶いますなア』 両人『ハイ、有難う。……ヤア国依別さま、秋彦さま、あなたは何時御越しになりましたか』 国依別『………』 秋彦『つい、最前参りました。お三方が久し振で御帰りになつたので、我々も何となく心勇み、御祝ひ旁お訪ねしたのですよ』 国依別『来客に其場を外す悧巧かな。 心から除けて見たきは襖かな。 石よりも堅き心の集ひかな。 鐘一つ年は二つに分かれけり』 と口吟み、一同に、 国依別『御密談の御邪魔になりませうから、我々両人は御遠慮致します』 との意を示し、目礼し乍らスタスタと帰つて行く。門をくぐり出た両人、互に顔を見合せ乍ら、ニタリと笑ひ、 国依別『高姫も大分に我が折れたねえ。あれなればもう気遣ひあるまいね』 秋彦『さうでせう。黒姫も、高山彦も余程変つて来ましたよ。何時もなら、あんな石でも贈らうものなら、忽ち低気圧が襲来して雷鳴轟きわたり、地異天変の勃発するところですが、矢張苦労はせんならぬものですなア』 国依別『アヽ是で杢助さまに対し、相当の報告が出来るワイ。神様の御経綸は到底我々には分るものでない。それにつけても貧乏籤を引いたのは此国依別だ。いつとても揶揄役を仰せ付けられて居るのだから、堪つたものぢやない』 秋彦『身魂の因縁で善の御用をするものと、悪の御用をするものとあるのだから、御苦労な…あなたも御役ですな』 国依別『三千世界改造の大神劇の登場役者だから、仕方がない。併し乍ら悪役ばつかりは御免蒙りたいワ』 秋彦『末になりたら、皆一所に集まつて互に打解け合ひ、あゝ斯うであつたか、さうだつたかと云つて、力一杯神様に使はれて、こんなことを思つて居つたのかと、笑ひの止まらぬ仕組ださうですから、さう気投げをしたものぢやありますまいで、常彦や夏彦が忠義顔して、高姫の前で味噌を摺つて居るのも、あれも何かの御仕組の一端でせう。一寸聞くとムカツキますがなア。よく考へて見ると、どんな仕組がしてあるか分りませぬからなア』 国依別『そらさうだ。マア細工は流々仕上げを御覧うじと仰有るのだから、改造鉄道の終点迄行かねば分らぬなア。ヤアもう何時の間にか、国依別館の門前まで来て了つた』 秋彦『ハヽヽヽヽ、何処に門があるのですかい』 国依別『有つても無うても、有ると思へばある、無いと思へば無いのだ。俺の居宅は九尺二間の豚小屋の様に、お前の眼では見えるだらうが、国依別の天空海濶なる霊眼を以て見る時は、錦の宮の八尋殿同様に広く見えるのだからな。これ丈広い世界も心の持様一つで、我七尺の体を置く所もない様に見えたり、又こんな小さい居宅が宇宙大に見えたりするのだから、色即是空、空即是色だ。娑婆即寂光浄土の真諦はこんな小さい家の中に居つて、魂を研くとよく了解が出来るよ。アハヽヽヽ』 秋彦『そんなものですかいな。私の眼には如何しても八尋殿と同じ様には見えませぬワイ。裏口出た所に厠が附着いたり、小便壺が有つたり、その横に井戸が在つたり、走りに竈、何だか醜くるしい様な気分がするぢやありませぬか。一寸聞くと、あんたの御言葉は痩我慢を言つてるやうに聞えますで。何程無形的に広いと云つても、現実が斯う矮小醜陋では、余り大きなことも云へますまい。これから国依別さま、私になら何を言つてもよろしいが、人の前でそんなことを仰有ると、皆が取違して、国依別は負惜みの強い奴だ、減らず口を叩く奴だと却て軽蔑しますよ』 国依別『形ある宝は錆び、腐り、焼け、亡び、流れ壊るる虞がある。起きて半畳寝て一畳だ。広い館に住んで居れば、あつたら光陰を掃除三昧に空費し、肝腎の神業の妨害になるだないか。小さいのは結構だ、何かに都合が好い。第一経済上から云つても得策だからなア』 秋彦『あなた掃除をなさつた事があるんですか。雪隠の虫が竈の前に這うて居るぢやありませんか』 国依別『……ここ暫し家の美醜は忘れけり神大切に思ふ計りに…… と云ふ様なものだな』 秋彦『ヘーエあなたも余程高姫化しましたねえ。弁舌滔々風塵を捲く。実に揶揄役のあなたは、高姫さまに接するの度が多いから余程の経験が積んだと見えますワイ。都合の悪い時には、発句か川柳か、鵺式の言葉を使つて駄句り続け、腰折歌を並べ随分側から聞いてると苦さうでしたよ』 国依別『苦中楽あり、楽中苦ありだ。それも見やうによるのだよ。一葉目を蔽へば、大空一度に隠れ、一葉を掃へば、大空我目に映ずと云つて、凡て物は見方に依るのだ、見方が大切だ』 秋彦『味方計り大切だと云つて愛する訳には行きますまい。神様は敵する者を愛せよと仰有るぢやありませぬか』 国依別『それだから高姫さまに対し、私は何時も適対ふのではない、適当の処置を取つて居るのだ。ヤツパリ見方によつては味方に見えるだらう』 秋彦『何程贔屓目に見ても、あなたが高姫さまに対して為さることは、余り同情のある遣り方とは見えませぬぜ。何時も高姫さまの鼻をめしやげたり、手古摺らしては痛快がつてるぢやありませぬか』 国依別『……心なき人は何とも言はば言へ世をも怨みじ人も恨みじ…… 燕雀何ぞ鴻鵠の志[※「鴻鵠」は一般には「こうこく」と読むが、ここでは「こうこう」とフリガナが付いている。誤字か?]を知らんやだ。紫蘭満路に咲く、芳香何ぞ没暁漢の知る所ならんやだ。アハヽヽヽ』 (大正一一・七・二二旧閏五・二八松村真澄録) |
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40 (1934) |
霊界物語 | 28_卯_台湾物語(日楯と月鉾) | 06 麻の紊れ | 第六章麻の紊れ〔八〇六〕 泰安の都に於けるカールス王は、最愛のヤーチン姫を失ひ、怏々として楽まず、且つ蛇蝎の如く忌み嫌ひし、サアルボースの娘セールス姫を無理矢理に王妃に強要され、懊悩の結果遂に病を発し、淡渓の畔にささやかなる館を作り、これに静養の名の下に、蟄居せしめらるる事となつた。而して四五の役員、館の内外を警固し、他人の出入を厳禁しつつあつた。 セールス姫は吾父のサアルボースを宰相となし、吾叔父に当るホーロケースを副宰相として、新高山以北の政権を握り、且バラモン教の教主を兼ねて居た。セールス姫の従兄にセウルスチンと云ふ美男子があつた。これはホーロケースの独息子である。 茲にセールス姫の発起にて、泰安の館を改築し、城塞を築き、国民を使役し、殆ど三年を費やして漸くにして宏大なる城廓は築造された。何時の間にやら、セウルスチンとセールス姫の間には怪しき糸が結ばるる事となつた。セウルスチンは殆ど城中に坐臥し、セールス姫の背後に在りて、凡ゆる暴政を行はしめた。 茲に城内の重臣共はセウルスチンの傍若無人なるに愛想をつかし、怨嗟の声城の内外に溢るるに至つた。国内は各所に騒擾勃発し、掠奪闘争日々に行はれ、乱麻の如き状態となつて了つた。茲に心有る正しき人々は、泰安城を窃に脱出して、遠く玉藻山の聖地に逃れ、真道彦命、ヤーチン姫の教に従ひ、花鳥風月を友として、時の到るを待つ者踵を接するに至つた。 泰安城にはセウルスチンの意を迎へて、吾身の名利栄達を望む悪人のみ跋扈し、政教は日に月にすたれて、殆ど収拾す可らざるに至り、国内の各地には革命の煙花上つて、騒擾を起し、民家を焼き、婦女を辱め、財物を掠奪し、乱暴狼藉到らざるなく、恰も餓鬼畜生修羅道を現出せし如く、混乱に混乱を重ね、呪咀の声は五月蠅の如く湧き充ちた。猛獣毒蛇は白昼に濶歩し、鰐、水牛などは池、沼などを根拠とし、民家近く襲ひ来つて、人を傷つけ、国内恰も阿鼻叫喚の惨状を呈するに至つた。され共民心を失ひたる泰安城のセールス姫を始め、サアルボース、ホーロケースの威力を以てしても、最早如何ともする事能はざるに立到つた。 泰安城は最早風前の灯火と、誰云ふとなく称ふるに至つた。数多の国人は遠く難を避けて、アーリス山を越え、天嶺、泰嶺を始め、玉藻山の聖地に避難する者日夜踵を接した。中にも、 ホールサース。マールエース。テールスタン。ホーレンス。ユウトピヤール。ツーレンス。シーリンス。エール。ハーレヤール。オーイツク。ヒユーズ。アンデーヤ。ニユージエール。 などの錚々たる人物はヤーチン姫を中心として三五教の幹部を組織し、表面的教理を宣布し乍ら、時の到るを待つて、泰安城の佞人輩を却け、カールス王を城内に迎へ入れ、ヤーチン姫を元の如く妃となして、新に善政を布かむ事を心私かに期待しつつ、盛に教理を宣布し、新高山以北の地まで隈なく勢力を扶植しつつあつた。 セールス姫は国内の日々に乱れ行くを、吾身の不心得より来りしものとは夢にも知らず、セウルスチンを始め其他の邪神共の誣言を信じ、斯の如く吾領内の日々に乱れ行くは全く玉藻山の霊地に、三五教の教を樹つる真道彦命頭領となり、ヤーチン姫、マリヤス姫の王族を擁立し、城内の重臣を言葉巧に引付け、時を待つて泰安城を攻め亡ぼし、真道彦命自ら、台湾全島を統一し、政教の両権を握るものとなし、怨恨止み難く、種々の画策をめぐらせ共、阿里山を区域として、東南の地は容易に近付く可らず、千思万慮の結果、土民の中より二三の者を抜擢し、敵地に深く入り込ませ、其内情を探らしめつつありき。 アーリス山を区域として東南の地方は、花森彦命の子孫及び遠祖真道彦命の裔、国内に充ち、清廉潔白の民最も多きに引替へ、新高山以北の地は玉手姫の魔神の子孫蕃殖して、邪悪行はれ、天災地妖切りに到り、住民は常に塗炭の苦みに陥り、一日として安き日とてはなかつたのである。 花森彦命の直系なるアークス王の奇禍に係つて上天せし後は、カールス王病に罹り殆ど幽閉同様の身となりたれば、玉手姫の血を引けるサアルボースの娘セールス姫の政権を握りてより、其混乱は急速度を以て増し来り、今や国民怨嗟の声は天に冲する如く、さしもに難攻不落として築造させし泰安城も、何時根底より顛覆するやも計り難き情勢に差迫つて居た。 ○ 話変つて、日楯は天嶺の聖地を後に、玉藻の湖辺にユリコ姫の手を携へ、二三の従者と共に湖面を眺めて逍遥しつつあつた。此時捩鉢巻をした男、額に血をタラタラと流し乍ら、勢ひ込んで駆来り、従者の一人に衝突し、ヨロヨロとして其場にパタリと倒れて人事不省となつた。日楯は従臣に命じ、湖水の水を彼が面部に注がしめた。彼は漸くにして正気に返り、額の血汐を拭ひ乍ら、 男『何れの方様かは存じませぬが、御無礼を致しました上に、生命迄も御助け下さいまして……此御恩は決して忘れは致しませぬ。私はアーリス山の渓谷に住居致す樵夫の一人で厶います。泰安城のセールス姫が部下の悪者に虐げられ、生命カラガラ何処を当途ともなく、ここ迄逃げて参りました。斯く云ふ間にも如何なる追手が来るやも計り知れませぬ。どうぞ一時も早く私を御匿まひ下さいますまいか』 と落つかぬ態に頼み入る。 日楯『汝はアーリス山の渓谷に住む樵夫と聞きしが、何故セールス姫の部下に追はるる理由あるか。詳細に物語れよ』 となじれば、其男は涙を払ひ、 樵夫『私には親一人、子一人の大切なヨブと云ふ娘が御座いました。私の名はハールと申します。セールス姫がセウルスチンと云ふ立派な大将とアーリス山に数多の家来を召連れ、狩にお越し遊ばした時、吾草庵に立寄り玉ひ、吾娘ヨブを見て……此女を吾侍女に奉れよ……と仰せられました。天にも地にも、親一人子一人の間柄、最愛の娘を泰安城内深く連れ行かれては、最早吾々は一生涯親子の対面は叶ふまじと思ひました故、いろいろと言葉を尽して、御断りを申上げますれば、セウルスチンと云ふ御大将の御言葉に……然らば此娘は吾女房に遣はすべし……と数多の家来に命じ、無理矢理に泣き叫ぶ娘を引抱え、連れて行かれました。私は一生懸命後を追はむとすれば、セウルスチンは一刀を引抜き、吾眉間に斬りつけ、猶も数多の家来に命じ……彼が生命を取れよ……と下知致しました。数多の家来衆は私の後を追つかけ来る。され共山途の勝手を知悉したる私は、巧く間道を通り抜け、漸くにして此処迄逃げのびました様な次第で御座います。何卒々々早く御匿まひ下さいませ』 と両手を合せ涙と共に頼み入る。日楯を始めユリコ姫は之を憐み、二三の従者に彼が身辺を守らせ、天嶺の聖地に連れ帰り親切に介抱させ、漸くにして額の疵は全快し、茲に日楯の従僕となつて忠実に仕ふる事となつた。併し此男はセールス姫が意を含めて遣はしたる間者なりけり。 ヤーチン姫やマリヤス姫の珍の命やカールス王の 泰安館を出でしより鳥なき里の蝙蝠と 羽振りを利かしセールス姫が傍若無人の悪政に 居たたまらず重臣は次第々々に逃走し 玉藻の山の霊場に身を忍びつつ三五の 教司と身を変じ花咲く春を待ち居たる サアルボースやホーロケースの両人はカールス王を淡渓の 森の彼方に放逐し形ばかりの館を建てて 四五の部下をば派遣しつ人の出入を警戒し 苦しめ居たるぞ忌々しけれ。セールス姫は只一人 閨淋しさに従兄なるセウルスチンを寝間近く 招きて秘密の謀計酒池肉林の贅沢を 極めて民の苦しみは空吹く風と聞き流し あらむ限りの暴政を行ひければ国人は 益々塗炭の苦みに堪りかねてか遠近の 山の尾の上や川の瀬に三人五人と集まりて 大革命の謀計目引き袖引き語り合ふ 暗夜とこそはなりにけれ。ヤーチン姫やマリヤス姫の 珍の命は国内の此惨状を耳にして 心は矢竹と逸れども詮術もなき今の身の 神に祈りて木の花の開くる春を待つばかり 松の名に負ふ高砂の胞衣と聞えし此島も 今は果敢なき曲津身の荒ぶる世とはなりにけり あゝ惟神々々御霊幸はひましませと 朝な夕なに真心をこめてぞ祈る神の前 真道彦を始めとし日楯、月鉾諸共に 日月潭の湖に朝な夕なに禊して 高砂島の安泰を只管祈る真心は いつしか願ひ竜世姫国魂神の功績に 常夜の暗も晴れ渡り天津御空に日の神の 影も豊に昇りまし神の御稜威も高砂の 尾の上の松の末永く栄えよ栄え何時迄も 世は平けく安らけく治まりませと一同が 朝な夕なの神言を神も諾なひ玉ふらむ あゝ惟神々々御霊幸はひましまして 三五教の御教を此神島に隈もなく 完全に委曲に宣り伝へ昔の神代の其儘の 清き心に上下の司も民も睦び合ひ 栄え久しき松の世を来させ玉へと真心を こめて祈るぞ尊けれ。 セールス姫の間者として入り込みしハールを始め、其外数名の間者、日月潭を始め、玉藻の山の聖地に入り込みたる件は、一々述ぶるも、くどくどしければ、今は之れを略し事の序に述ぶる事となすべし。 (大正一一・八・六旧六・一四松村真澄録) |