| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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121 (1748) |
霊界物語 | 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 | 15 山神の滝 | 第一五章山神の滝〔六六〇〕 松姫は来勿止神に導かれ、門の傍の細やけき二間造りの室に案内された。 来勿止神『此の暗夜に女の身として此の神山へ御参拝なされますに就ては、何か深い理由がございませう。私は此の関所を守る役目として一応御尋ねして置く必要がございますから、どうぞ包まず隠さず事情を述べて下さい』 松姫『御恥かしいことで御座いますが、私は今まで大変な取違ひを致して居りましたものでございます。ウラナイ教の分社高城山の麓の館に於て、三五教に対抗し、素盞嗚大神様の御邪魔ばかり致して来ました罪の深い女でございます。私の師匠の高姫、黒姫と云ふ方が大変に素盞嗚尊様に反対の教をなさつたので、私はそれを真に受け、何処までも天下国家のためにウラナイ教を拡張し、素盞嗚尊の一派言依別、八島主神様の主管せらるる三五教を根底から打ち壊す決心を以て、昼夜の活動を続けて来たものでございますが、素盞嗚尊様は吾々凡人の考へて居るやうな方ではなく、大慈大悲の世界の贖主であるといふ事を、第一に高姫様が合点遊ばし、立つても坐ても居られないので、黒姫様と御相談の上私の方へも詳細な手紙が参りました。就ては高姫、黒姫御二方の今迄の罪を許して頂かねばなりませぬので、弟子としての私も立つても坐ても居られませず、何か一つの荒修行を致しまして、功名手柄を顕はし、それを御土産に三五教へ参り、師匠や自分の罪を赦して頂き度いばつかりに、高城山の館を振り捨てて一人とぼとぼと此の霊山に修行がてら、玉照彦様を如何かして御迎へ申し、これを土産に三五教へ帰るつもりで参つたのでございます』 来勿止神『アヽさうでせう。私もうすうす言照姫様より承はつて居りました。併し乍ら貴女は余程御改心が出来て居るやうだが、未だお腹の中に副守護神が沢山に潜伏して居りますから、此儘御出でになつても玉照彦様が御承知下さいますまい。此先に山の神の滝がございますから、其処で七日七夜荒行をなさつて副守護神を追ひ出し、至粋至純の本心に復帰り水晶玉に磨き上げた上、御出でにならなくては駄目ですよ』 松姫『如何にも左様でございませう。どうか如何なる荒行でも厭ひませぬ、どうぞ御命じ下さいませ』 来勿止神『此処の修行は大変に辛いですが、貴女それが忍り切れますか』 松姫『何程辛くても構ひませぬ。仮令生命が亡くなつても、御師匠様の罪が消えさへすれば、それで満足致します』 来勿止神『アヽそれは感心な御心がけだ。それなら是から時を移さず、山の神の滝に於いて修行をなされ、神の道に断飲断食は無けれども、貴女は自分の罪及び、御師匠様の罪、其他部下一般の罪の贖ひのために、七日七夜断飲断食をなし、その上に荒行をせなくては本当に罪は消えませぬぞ』 松姫『何分よろしく御願ひ致します』 来勿止神『勝、竹の両人、一寸此処へ出ておいで』 言下に二人は此場に現はれ、 勝公『何用でございます』 来勿止神『別に外の事ではないが、この松姫様が山の神の滝で、七日七夜の荒行をなさるのだから、お前は十分世話を代る代るして上げて呉れ。荒行の間は決して此の方に同情したり、憫みをかけてはいけませぬぞ。能う限りの虐待をするのだ。さうでなければ神様へ対し重ね重ね御無礼御気障り、到底何時までかかつても罪は消滅するものではないから、松姫様を助けたいと思ふなら、十分厳しき行をさしてあげて呉れなくてはなりませぬ』 勝公『ハイ畏まりました。何分門番も勤めねばなりませぬから、竹さんと私とが代る代る世話をします』 来勿止神『アヽそうだ。若いものをよく監督して、落度の無い様に十分の荒行をさせ、立派な人間に研いて上げて呉れ』 二人は一礼し、 勝公、竹公『サア松姫様、早速ながら是から滝壺へ参りませう。何れ大きな灸を据ゑられると随分熱うて辛いものだが、そのために大病が全快した時の愉快といふものは、口で言ふやうなことでないと同様に、お前さまも是から私が大きな灸を据ゑます。併し乍ら決して憎んでするのぢやないから、悪く思うて下さらぬ様に頼みますぜ』 松姫『罪重き妾、どんな辛い行でも甘んじて致します。何卒よろしう御願ひ申します』 勝公『よしよし、サア斯う来るんだぞ、松姫の女つちよ。愚図々々してゐやがると頭をかち割らうか』 と俄に言葉や行ひに大変動を現はした。 松姫『ハイ』 と答へて随いて行く。 勝は先に立ち、竹は松姫の後より棒千切を以て背を打ち、臀を突き、 竹公『ヤイ松姫、何を愚図々々してゐやがるのだ。早く歩かぬか、あた面倒臭い。日が暮てからやつて来やがつて、俺達が楽に寝ようと思つて居るのに、滝まで送つてやつて貴様を大切に虐待せねばならぬ。今まで慢神をして大神様に敵対うた其のみせしめだ』 と言ひつつ棒千切れを以て、松姫の後頭部をカツンと撲つた。松姫は痛さを堪へ乍ら、 松姫『どうも有難うございます。これでちつとは妾の罪も軽くなりませうか』 竹公『ナニ百や二百撲つたつて、頭をかち割つたつて、貴様の罪は容易に浄まるものか』 勝公『オイ竹公、あまりぢやぞ』 竹公『何があまりぢや。貴様は来勿止神様の御言葉をなんと聞いたか。松姫に親切があるのなら、十分に虐待をしてやれと仰有つたぢやないか』 勝公『ウーそれはさうだが、あまり役たいもないことをするものぢやないぞ。虐待も十分にするが好が、其処は又、それ其処ぢや、人情を呑み込まずにな。好いか』 竹公『貴様は偉さうに先頭に立ちやがつて、来勿止神様の御言葉を無視し、且又松姫の修行を妨げ、重い罪を更に重うしようとするのか』 松姫『モシモシ御二方、妾のことに就て、どうぞ口論はないやうにして下さいませ。神様に済みませぬから』 竹公『エー松姫の奴、何をゴテゴテと干渉するのだ。ふざけた事を吐すとモー一つ御見舞だぞ。イヤ此の棍棒で力一パイ首が飛ぶ程、可愛がつてやらうか』 松姫『重々の御親切有難う存じます。併し乍ら御苦労をかけて済みませぬ。どうぞ貴方もお疲れでせうから、今日はこれ位でお休み下さいませ』 竹公『なにうまい事を言ふな。矢張り頭を撲られるのが苦いと見えるな。俺は此間から何とはなしに、むかついてむかついて其処の岩でも木でも、見つけ次第撲り度うて撲り度うて、腕が唸つて居つたのだ。今日は幸ひ来勿止神様の御命令を遵奉して心地よい程、貴様の頭を可愛がつてやるのだ。有難く思へ。荒行と云ふものは辛いものだらう。ウラナイ教で朝から晩まで、蛙かなんぞのやうにザブザブと水をかぶつとるのとはちつと段が違ふぞ。何程辛くても生命の瀬戸際になつても、僅か七日七夜の辛抱だ。此処で修行をやり損ねたならば、今まで大神様の御道を邪魔した、自らの罪で万劫末代根底の国に落され、無限の苦しみを受けねばならぬぞ。此の位なことはホンの宵の口だ。九牛の一毛にも如かざる苦みだから、勇んで修行をするのだぞ』 松姫『ハイ』 と答へた儘、頭部より流るる血潮の眼に滲み込むを、袖にそつと拭ひつつ、しよぼしよぼと滝の方へ向つて随いて行く。 勝公『サア、これが名題の山神の滝だ。ちつと寒うても真裸体になつて、頭から水をかぶるのだ。此処は猿が沢山居る処だから、顔を引つ掻かれぬやうに用心なさい。昼は大丈夫だが、夜分になると千疋猿がやつて来て悪戯をするから』 松姫『ハイ、有難うございます』 竹公『勝公、御苦労だつた。お前は門の方を守つて呉れ。俺はこれから一つ此の行者を十分に可愛がつてやらにやならぬからな。それから六と初とに棍棒を持つて、至急やつて来るやうに言うて呉れ』 勝公『さう沢山棍棒を持つて来て如何するのだい』 竹公『きまつたことだ。一本位の棍棒では徹底的に可愛がつてやる訳にはいかぬ。助太刀のためだ』 勝公『併しなア、竹公、わが身を抓つて他の痛さを知れと言ふことがあるなア。世界に鬼は無いといふことも、誰やらに聞いたことがあるやうに思ふ』 と、それとは無しに余り虐待をせぬようにと、口には言はねど、其意をほのめかしてゐる。 竹公『なに謎のやうなことを言ひやがつて、貴様は松姫を大切にせいと言ふのぢやらう、否結局憎めといふのだらう。何事も竹の胸中に有るのだ、心配せずに早く帰れ。さうして来勿止神さまに俺が力一パイ虐待して可愛がつて居る実状を、より以上に報告するのだぞ』 勝公『竹の奴が松姫の頭を七八分割り、腕を折り、胴腹に風穴をあけよつたと言つて置かうか』 竹公『そうだ、其処は貴様の都合にして呉れ。マア可成く神様は小さいことはお嫌ひだから、言ふのなら十分大きく言ふのだな。オイ勝、一寸待つて呉れ。二人の奴に棍棒を持つて来るように言つて呉れと云うたが、こんな女一人を虐待するのに応援を頼んだと思はれては残念だ。俺が徹底的にやつて置くから、来勿止神に詳細に報告するのだぞ』 勝公『そんなら松姫さま、暫くの辛抱だ。どうぞ立派な身魂になつて下さいや』 松姫『ハイ有難うございます』 竹公『エー又女にベシヤベシヤと正月言葉を使ひやがつて、早く帰れ』 勝公『帰れと云はなくても誰が斯んな怖ろしい処に居る奴があるか』 とトントンと帰つてゆく。 肌を裂く如き寒風は木々の梢に唸りを立てて見舞うて来る。月は皎々として東の山の頂きから滝壺をのぞいた。 竹公『松姫さま、御気の毒ですが、どうぞ暫らく辛抱して下さい。来勿止神は中々厳格な神で寸分も仮借をしませぬから、私も実は満腔の涙を隠して、失礼なことを致しました。併し乍ら到底貴女の身体では、此の荒行は続きますまい。世は呪と言うて神様は、大難を小難に祭り替へて下さるのだから、私もこれからスツパリと素裸体になつて、貴女の行を助けて上げよう。さうすれば七日のものは三日半で済むといふ道理だ。お前さま、頭を割られて血が出たと思つてゐるだらうが、ありや血ぢやありませぬから安心なさい。私が紅殻の汁を棒の先の革袋に括りつけて撲つたのですよ。血と見えたのは袋の紅殻だ。撲られた割には痛くはありますまいがな』 松姫『ハイ、さうでございました。別に何処も痛んで居りませぬ。斯んなことで神様の御意に召すやうな荒行が出来ませうかな』 竹公『出来ますとも。神様は形だけをすれば赦して下さいます。可愛い世界の氏子に何を好んで辛い目をさせなさいませう。貴女が生命がけの荒行をして、御詫をしようと決心なさつた其の心が、既に貴方の罪を赦して居ります。唯今の貴女は最早ちつとも罪は無いのですよ。本当の生れ赤児の心ですワ。併し乍ら余り気分のよい滝ですから、清めた上に浄めてお出でになつたら宜敷からう。併し来勿止神は、あゝ見えても実際は閻魔さまの化身ですから、中々賞罰を厳重になさるのです。今帰つた勝公だつて本当に優しい、慈悲深い人間です。併し乍ら彼奴は馬鹿正直ですから私が本当に貴女を虐待したのだと思つて心配をして居るのです』 松姫『アヽさうでございますか。なんとも御礼の申しやうは御座いませぬ。何分よろしう御指導を願ひます』 斯くして二三日経つて、四日目の朝になつた。 松姫『なんと荘厳な景色ですな。日輪様が此の滝に輝き遊ばして七色の虹を御描き遊ばし、得も言はれぬ微妙な鳥の声、常磐木の色、まるで天国の様ぢやありませぬか』 竹公『さうですとも、貴女の心が清まつたので宇宙一切が荘厳雄大に見え、環境すべて楽園と化したのですよ』 松姫『高城山も随分景色に富んだ処ですが、到底比べものにはなりませぬワ』 竹公『それは貴女のお心が曇つてゐたからですよ。今度見直して御覧、此の景色よりも層一層立派です』 斯く話す時しも勝公は莞爾々々として馳せ来り、 勝公『アヽ松姫さん、竹さん、御苦労だつた。来勿止神様から今日は行の中途だけれど、モウ修行が済んだから直様御山へ参詣つて宜しいとの御命令が下りました。お悦びなさいませ』 松姫『それは何より有り難うございます』 と滝壺に向ひ、感謝の祝詞を奏上し終つて三人打ち連れ立つて、来勿止神の庵に向つて帰りゆく。 竹公『神様、おかげで無事に松姫様の御修行が終りました』 松姫『来勿止神様、いろいろと厚き広き思召に依りまして、汚い身魂を洗つて頂きました』 来勿止神『アヽそうだつたか、結構々々、モウそれで何処へ出しても立派なものだ。お前さんの修行のおかげで玉照彦様のお迎へも出来ませう。お師匠様の罪も全然赦されませう、よう辛い行をなさいました。アヽ竹公、お前も大変な心配り、気遣ひであつたな。私の心を知つて居るのはお前ばつかりだ』 と嬉し涙を袖にそつと拭ふ。暫くは沈黙の幕が下りた。此時門前に慌しく駆来る四人の男、 男『モシモシ此の門開けて下さいませ』 勝は立上り大石門をギーと左右に開けた。四人の姿を見て勝は驚き、 勝公『ヤアお前は此の間やつて来た不届者、バラモン教の谷丸、鬼丸の両人、又二人も味方を殖やして来居つたのだな。玉照彦様だと思つて大きな岩石を大事さうに抱へて帰り、途中で気がついて又もや二度目のお迎ひに来居つたのだらう。モウモウ余人は知らず貴様に限つて、此門を通過さすことは出来ないと来勿止神様の厳命だ』 谷丸、鬼丸は大地にペタツと坐り、涙を流し乍ら、 谷、鬼『モーシ門番様、今日の谷丸、鬼丸は先日の両人とは違ひます。どうぞ御安心下さいませ』 勝公『違うと云つたつてお前の容貌と云ひ、姿と云ひ、何処に一つ変つたとこがないぢやないか』 谷、鬼『ハイ形の上はちつとも変つて居りませぬが、私の心は天地の相違に変りました』 勝公『いよいよ以て怪しからぬ奴だ。皮は何時でも変るぞよ。霊魂は中々変らぬぞよと神様が教へてござる。それに何ぞや、心が変りましたとは益々合点のゆかぬ奴だ』 谷、鬼『そのお疑ひは御尤もでございますが、今までの取違ひ、慢神の雲霧が晴れまして、すつぱりと青天白日の様な魂に生れ変りました。何程人間が利巧や智慧をだして焦慮つて見た所で駄目だ。神様のお許しない事は九分九厘で掌が覆ると云ふことをつくづくと悟らして頂きました。アーア心程怖ろしいものは御座いませぬ。今迄私は三五教や、ウラル教、ウラナイ教が敵ぢやと思つて、一生懸命に其の敵を征服したいと憂身を窶し、大活動を続けて居ました。然るに豈図らむや、その大悪魔の敵は私等の心の中にみんな潜んで居りました。斯うおかげを頂いた以上は、天ケ下に敵も無ければ、他人も無い、鬼も大蛇も何もありませぬ。吾々は松姫と云ふウラナイ教の宣伝使に対し、非常な暴虐を加へ、大方半死になるとこ迄打擲を致しましたことを、今更乍ら悔いまして、立つても坐ても居堪まらず、四人のものが、どうぞして松姫様の所在を尋ね御詫をせなくてはならないと思うて、そこらを探す内、道で会うた杣人に聞いて見れば、三四日以前の暮れ方に霊山の方に向つて、一人の女が上つたと云ふことを聞き、之は正しく松姫様に間違ひあるまいと、飛び立つ許り悦んで四人が打揃ひ御目にかかつて御詫をしようと出て来たのです。どうぞ此処を通して下さいませ。又先達は貴方等に御無礼を致しました其罪も御詫せなくてはなりませぬ。何事も過去のことは水に流して、吾々の過ちをお赦し下さいますやうに』 勝公『さてもさても妙なことが出来たものだ哩。変り易いは秋冬の空と聞いてゐるが、こりや又大変の地異天変が起つたものだ。一寸皆さま待つて下さい。松姫様もまだ此処にゐられますから、伺つた上で会はせませう』 と門内に影を隠しける。 (大正一一・五・九旧四・一三外山豊二録) |
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122 (1760) |
霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 05 親不知 | 第五章親不知〔六六七〕 黄金の波も宇都山の山と山との谷間を 縫うて流るる宇都の川水も温みて遡り来る 真鯉緋鯉や鮒雑魚鮎の季節も漸くに 漁る人の此処彼処中に勝れて背も高く 何とはなしに逞しき白髪異様の老人は 立つる煙も細竿の先に餌をば取りつけて 永き春日を過ごさむと釣を楽しむ折柄に 川辺を伝ひ上り来る蓑笠着けた二人連れ 諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅為楽と記したる 菅の小笠を頂きつ金剛杖に助けられ 釣する翁の前に立ち釣れますかなと阿呆面 翁は釣に気を取られ見向きもやらぬもどかしさ 行者はツカツカ側に寄りコレコレ爺さまと背叩き 釣れますかなと又問へば情無い浮世の一人者 婆アは川に誤つて寂滅為楽となりました 諸行無常の世の中の是生滅法の道理に 洩れぬ人生を果敢なみて余生を送る川の辺の 吾れは松鷹彦翁汝は夫婦の修験者 本来この世は無東西何処有南北此れ宇宙 迷ふが故に三界城悟るが故に十方空 食うて糞して寝て起きてさて其後は死ぬるのみ 是れが人生の通路ぞや汝は若い年に似ず 行者になるは何故ぞ此れには仔細あるならむ 委曲に語れと促せば若き男は笠を除り 蓑脱ぎ捨てて川の辺にどつかと坐して目を拭ひ バラモン教の修験者宗彦お勝の両人が 一粒種の愛し子に先立たれたる悲しさに 赤児の冥福祈らむと二世を契つた妹と背が 足に任せて雲水の行衛定めぬ草枕 旅に出でたる其日より憂きを三年の夫婦連れ 月日の駒は矢の如く吾れを見棄てて流れ行く 二人の果ては小夜砧宇都山川の水音も 悲しき無情の叫び声万有愛護の御教を 守る吾等は河海に泛び遊べるうろくづの 天津御神の精霊の宿り玉うと聞くからに 翁の釣を見るにつけ諸行無常の感深し 生者必滅会者定離世の慣習と云ひ乍ら 釣魚の歎きは目のあたり見る吾こそは痛ましく 彼れが菩提を弔ひてせめて吾子の冥福を 祈りやらむと松鷹彦が心をこめて釣りあげし 鮒や雑魚の死骸に両手を合せ拝み居る 松鷹彦は驚いて竿投げ棄てて釣りし魚を 川の瀬目蒐けて放ちやり涙流してスゴスゴと 茅屋さして帰り行く宗彦お勝の両人は 悲哀の涙に暮れ乍ら吐息つくづく老人が 後を慕うて探り行く。 川辺に建てる茅屋を、宗彦お勝の両人は、漸く見つけだし、戸の外面より、 宗彦、お勝『頼もう頼もう』 と訪へば、中より以前の翁、 翁『お前は、最前逢うたバラモン教の巡礼だらう。わしはバラモン教は嫌だ。けれど最前お前の言つた事に少しばかり首を傾けて考へねばならぬ事が有るやうだ。此里はバラモン教の信者許りであつたが、つい一年許り前から、三五教に全村挙つてなつたのだから、表向這入つて貰ふ事は出来ないのだが、川辺の一つ家を幸ひ、誰も見て居ないから、そつと這入つて下され。わしも此村の武志の宮の神主をして居る者だ。婆アに先立たれ、余り淋しいので、毎日日々、漁りを楽しみ、婆アの霊前に清鮮な魚を供へて、せめてもの慰めとして居るのだ。それに就てお前に聞きたい事がある。サアサアお這入りなさい』 宗彦『バラモン教でも、三五教でも、道理に二つはない筈だ。開闢の初から、火は熱い水は冷たいと云ふ事は、チヤンと定つて居る。それ程バラモン教を排斤するのならば、お前の宅へ這入る事は中止致しませう。サアお勝、行かうぢやないか』 松鷹彦『お前は年が若いので直に腹を立てるが、マアじつくりとお茶でも飲んで、気を落ち着け、話の交換をしたらどうだな。わしも一人暮しで、川端柳ぢやないが、水の流れを見て、クヨクヨと世を送る者だから』 お勝『宗彦さま、お爺さまの仰有る通り、一服さして貰ひませうか』 宗彦『そうだなア、そんならドツと譲歩して這入つてやらうか』 松鷹彦『サアサア這入つてやらつしやい……(小声で)……バラモン教の奴は、どこまでも剛腹な奴だなア』 と呟き乍ら真黒けの土瓶から、忍草の茶を汲んで勧める。 松鷹彦『お前は、見ればまだ若い夫婦と見えるが、能う其処まで発起したものだなア、是れには深い訳が有るだらう、一つ聞かして貰ひたいものだ』 宗彦『私も実の所は、来世が怖ろしくなつて来たので、罪亡ぼしに巡礼となつて、各地の霊山霊場を巡拝し、今日で殆ど三年、この自転倒島を廻つて来ました。私も今こそ、斯うして猫の様に温順しくなつて了つたが、随分名代の悪者でしたよ。家妻を貰つては赤裸にして追出し、押かけ婿にいつては、其家を潰し、何度となく嬶泣かせの家潰しや、後家倒し借り倒しなど、悪い事の有らむ限りを尽して来た所、最後の女房が私の不身持を苦にして、裏の溜池へドンブリコとやつて、ブルブルブル、波立つ泡と共に寂滅為楽となつて了つた。それから直に此お勝を女房となし、睦じう養家の財産を当に、朝から晩まで差向ひで、酒ばつかり飲んで居つた所、嬶アの霊を祀つた霊壇から夜半頃になると、ポーツポーツと青白い火が燃えて来る。夫婦の者は夜着を被つて、息を凝らして慄へて居ると、冷たい手で二人の顔を撫で廻す厭らしさ。此奴ア先妻のお国の亡霊ぢやと合点し、一言謝罪らうと思うても、どうしたものか声が出て来ぬ。長い夜中厭らしい声がする。冷たい手で撫でる。こいつア堪らぬと、朝から晩までバラモン教のお経を唱へ通して居ると、其夜はお蔭で霊壇の怪は止んだ。さう斯うする間に、ザアザアと雨戸を叩く音、それが又死んだ女房の声に聞えて来る。ソツと窓から透して見れば、お国の陥つた前栽の池から、白い煙が盛に立昇り、髪振り乱した青白い女房の顔、恨めし相に家の中を見詰めて居る。そこで女房に「別れて呉れ、さうしたらお国も解脱するであらうから」と何程頼んでも、此お勝の執念深さ、何うしても斯うしても離れて呉れませぬ。「お前が縁を切るなら切つて下さい。池に身を投げて幽霊になり、お国と一緒に幽霊同盟会を組織して襲撃してやる」……とアタ厭らしい事を吐しやがるので、家に居る事もならず、巡礼姿に化けて我家を飛び出しました。さうすると一年程経つた春の頃、辻堂の前を通れば、一人の女が癪気を起して苦んで居る。……「オイお女中、此人通りのない辻堂で嘸御難儀であらう、介抱してあげませう」と近寄り見れば豈図らむや執念深い此お勝が巡礼姿になつて、私の行衛を探して居るのにベツタリ出会し、アーア何とした甚い惚方だらう、蛇に狙はれた様なものだ。こんな事と知つたなら黙つて通つたらよかつたのに……神ならぬ身の……アヽ是非もなやと、天を仰いで歎息して居ました。死ねばよいのに、お勝の奴、私の顔を見るなり、癪も何もケロリと忘れ、「アイタ、アイタ……イタイはイタイが逢いたかつたのぢや」とぬかしやがる。……エ、仕方がない、色男に生れたが我身の不仕合せ、と因果腰を定め、嫌ひでもない女房を……アタ恰好の悪くも何ともない……かうして伴れて歩いて居りますのだ』 お勝『コレ宗さま、何を言ひなさる。そりやお前の事ぢやらう。飛んで出たのは妾ぢやないか。お前、お国の亡霊が出るのは、妾が後妻に入り込んだのがお気に容らぬのであらう。妾さへ出れば家は無事太平、お国の霊も解脱遊ばすに違ない。是れ丈惚れた爺、何と言つても暇を呉れる気遣はない、妾から飛び出すのが上分別だと、お前に酒をドツサリ飲まし、夜陰に紛れて巡礼姿となり、バラモン教のお経を称へつつ、お国の冥福を祈つて、霊山霊地を参拝して彷徨ふ折しも、辻堂の中で一人の男が、一尺位な光る物をニユツと出し、腹を出して自殺を図らうとして居る者がある。何処の誰人かは知らねども、是れが見捨てて行かれようかと、吾身を忘れて躍りかかり、其光る短刀をひつたくり、……「モシモシ如何なる事情か知りませぬが生は難く死は易し、先づ先づ気を落ち着けなさいませ」……と女の細腕に全身の力を籠めて止むれば、「イヤどこのお女中か知りませぬが、私はどうしても死なねばならぬ深い理由が有る。お慈悲は却て無慈悲となる。どうぞ此腕放しやンせい」……と無理に振放さうとする。妾はバラモン教のお経を一生懸命に唱へて居ると、其男は……「可愛い女房は幽霊が怖さに家を飛び出し、行衛不明となりました。今迄沢山女も有つて見たが、あの位気の好い、綺麗な女房は持つた事がない。あの女房と添はれぬのなら此世の中に生て居つても、何楽みも無い。此広い世の中を十年や二十年探し廻つた所で会へるとも会へぬとも分りませぬ。娑婆の苦を遁れる為に、此場で腹掻き切つて浄土参りをするのだ。ヒヨツとしたら女房も先にいつてるかも知れませぬ」……と云つて見つともない、女の一人位に生命を捨てようとする馬鹿な奴は、どこの何者かと能く能く月影に照して見れば、アタ気色の悪く無い、此人でしたよ。まるで蛇に狙はれた蛙の様なものだと、因果を定めて、此処まで随いて来てやつたのですよ』 宗彦は真赤な顔して俯向く。松鷹彦は、 松鷹彦『アハヽヽヽ、随分おめでたいローマンスを沢山に拝聴致しました。千僧万僧の読経よりも、宅の婆アが聴いて喜ぶ事でせう。此爺だつて素より木や石では無い。若い時にや、随分情話の種を蒔いたものだ。しかし過越苦労は止めて置きませうかい。また姑の十八を言つて誇ると思はれても詰らぬからな、アハヽヽ。併しお前達はさうして夫婦仲良く意茶つき喧嘩をチヨコチヨコやつて、天下を遍歴して居れば随分面白からう。……わしもお前等夫婦の苦楽を共にする状態を見て羨ましうなつて来た。どうしても人間は異性が付いて居らねば、世の中が何ともなしに寂しくて、春の暖かい日も冷たい様な気分がするものだ』 宗彦『あなたのやうに年が寄つて、行先の短い爺さまでも、ヤツパリ女房が要りますかなア』 松鷹彦『定つた事だよ。雀百まで牝鳥忘れぬと云つて、年が寄れば寄る程、皺苦茶婆でも恋しうなるものだ。夫婦と云ふものは、若い時よりも年が寄つてから本当の力になるものだ。若い時には春の蝶が彼方の白い花や此方の黄色の花に飛び交ひて、花の唇にキツスをする様に、花も亦喜んで受けてくれるが、斯う体中に皺が寄り、皮が余つて来、竹笠の様に骨と皮ばつかりになつて、胃病の看板然と痩衰へては、誰だつて見向いてもくれやしない。其時には本当の力になつてくれる者は、爺に対しては婆ア、婆アの力になる者は爺だ。何程可愛い子が沢山有つてもヤツパリ大事の話は、夫婦でなければ、打解けて話せるものぢやない。……アヽ中年にやもを鳥になる者程不幸な者は有りませぬワイ』 宗彦『若い時の心と、年の寄つた時の心とは、それ丈違ふものですかいな。我々から見ると、爺さまが皺苦茶婆を可愛がり、婆アが又目から汁を出し、水ばなを垂れ、歯糞をためて枯木の様になつた、不潔い爺を大切にするのを見ると胸が悪い様な気がするものだが、なんと人間と云ふものは合点のゆかぬものですなア』 松鷹彦『お前達は庚申の眷属の様に、あつちやの枝に止まつては小便を掛け、こつちやの枝に止まつては小便を垂れて、結構な人間を弄物の様に取扱ひ、色が白いの、黒いの、背が高いの短いのと、小言を云つて居られるが、わしの様な世捨人になつて了へば、誰も相手になる者はありやしない。蚊だつて味が悪いと云つて吸ひ付きにも来てくれやしない。本当に寂しいものだ。それで、せめて婆アの幽霊になりと、好な魚を毎日供へてやつて、追懐して居るのだ。わしの真心が通うたと見えて、婆アは毎晩床の間に現はれ、わしと一緒に飯も食ひ、茶も飲み、それはそれは大切にしてくれるが、併し何となしに便りないものだ。嬉しいと云ふ表情は見せるが、唯の一言も爺さまとも、爺どのとも言やアしない。是れ丈が現幽処を異にした為でもあらうが、どうぞお前さまも今晩泊つて、婆アの幽霊を一遍見なさつたらどうだ。お茶位は汲んでくれるなり、冷たい手でお前の様な若い男なら握手して呉れるかも知れやしないぞ。そりやマア親切な者だ。死んでからでも、斯んな目脂、鼻汁を垂れる爺を慕うて来るのだから、わしもドツかに好い所があるのだらう、アハヽヽヽ』 宗彦『お爺さま本当に出るのかい。……イヤお出ましになるのかい。私はもう幽サン丈は真平御免だ。併し随分よう惚けたものですな』 松鷹彦『きまつた事だよ。淋しいやもをの前で艶つぽい意茶つき話を聞かされて、大変にわしも若やいだ。返礼の為に一寸秘密の倉を開けて見せたのだ。夫婦と云ふものはマアざつと斯んなものだ。夫婦の中の愛情は若いお方には一寸には分るものぢやない。併しお前さまは最前柳の木の側で、私が釣して居る時に、一粒種の子に放れたのが悲しさに巡礼に廻つたと云うたぢやないか。今聞けば子に別れたと言ふのは全くの嘘だらう。そんな憐れつぽい事を云つて、世人の同情を買ひ、殊勝な若夫婦だと言はれようと思つて嘘八百を言ひ並べて歩くのだらう』 宗彦『本来無東西、何処有南北、色即是空、空即是色、有ると思へば有る、無いと思へば無い。死んだと思へばヤツパリ死んだのぢや。併し私の子を殺したと云ふのは、ホギヤホギヤと唄ふ子ぢやない。日が暮れるのを待ち兼ねて妙な手つきをして…コレコレ宗彦さま、夜も大分に更けました。隣のお竹さまはモウ就寝しやつたと見えて砧の音が止まつた。あんたも好い加減にお就寝みなさいませ。又明日が大事ですから……と妙な目付して褥を布いて呉れる……猫が死んだと云ふのだ。猫かと思へばチウチウと啼く事もある。猫か鼠か赤ん坊か知らぬが、わしはマア、ニヤンチウ運の悪いものだと、ミカシラベにハラバヒ、御足辺にハラバヒテ泣き給ふ時現れませる神は、ウネヲのコノモトにます泣沢女の神と云ふ』 松鷹彦『アハヽヽヽ、それは古事記の焼き直しぢやないか』 宗彦『古事記の焼き直しぢやから、若夫婦が乞食に歩いとるのだ。お前さまも年を老つた癖に合点の悪い人だな。余程耄碌したと見えるワイ。太公望気取りで、何時まで川の縁で魚を釣つて居つても、西伯文王は釣れやしない。婆アの幽霊だつて喰ひ付きやしませぬぞえ。良い加減に諦めて、殺生は廃めなされ。五生が大事だ、そんな六生な事をすると七生迄浮ばれぬからなア。今斯うして婆アさまの噂をして居ると、冥土に御座るお竹さまが今頃にや八九生と嚔でもして居るだらう。十生も無い爺だと恨んで御座るであらうのに、思へば思へばお爺さま、私も身に詰されて、悲しうも何ともありませぬワイ。……アンアンアン』 と目に唾を付け泣いて見せる。 松鷹彦『年が寄つて目がウトイと思つて、そんな俄作りの同情の涙を零して見せても、声の色に現れて居る。お前さまアタむさくるしい。唾を日月にも譬ふべき両眼にこすりつけて、そんな虚礼虚式的な巧言は廃めて貰ひませうかい。本当に唾棄すべき心事と云ふのは常習乞食の遍歴行者の馬鹿夫婦……オツトドツコイ若夫婦連れ、モウモウわしも何だか胸が悪くなつて来た。サアサア早く此処を立つて貰ひませう』 宗彦『ハハア、俺が宗彦ぢやと思つて、胸が悪うなつたなぞと、爺さま随分腹が悪いな』 松鷹彦『腹が悪いから、ムカつくのだよ。此冬枯れの木の様な寂しい爺イの所へ出て来て、お安くもないローマンスを見せ付けられて堪るものかい。お前も世界を遍歴して、苦労の味が分つて居るなら、気を利かして、トツトと帰つたらどうだ。併し乍らウラル教の言ひ草だないが、一寸先や暗の夜だ、諸行無常だ。随分足許に気を付けて行きなされ。左様なら……』 お勝『モシモシお爺さま、此宗彦はチツト智慧を落して来てますから、どうぞ気に障へて下さいますな。妾だつて斯んな分らずやと旅行するのは、胸が悪いのだけれど、妾が尻を振れば宗さまが腹を立て、腰を据ゑて頑張り、手にも足にも合はないから、口惜し乍ら目を塞いで、鼻持ならぬ香のする男を連れて歩いて居るのだ。本当に好かぬたらしい野郎ですよ』 宗彦『コラコラお勝、貴様は何処までも夫を馬鹿にするのか』 お勝『ヘン、夫なんて、膃肭臍が聞いて呆れますワイ。お前さまは人の宅を、女房の有る身を以て、毎晩々々連子の窓を覗きに来て、水門壺へ落込み恥ぢをかき、結局にはお勝さまを呉れねば、死ぬとか、走るとか、男らしうもない吠面かわいて、近所合壁に迷惑を掛けたぢやないか。それを先妻のお国さまが苦にして病気を起し、とうとう帰らぬ旅に赴かしやつた。墓の土のまだ乾かぬ前に、無理矢理に妾を是非共と言つて、ひつぱり込んだと云ふデレさんだから、妾もホトホトと愛想が尽きて来た。三文一文助けて貰うたのでもなし。嫁入に持つていつた着物も帯も、何も何も六一銀行へ無期徒刑に落して了ひ、本当に仕方のない男だよ。誰か目鼻のついた女が出て来て、お前を喰はへて帰んで呉れるものがないかと、朝から晩まで聞えぬ様に暗祈黙祷を続けて居るのだが、根つから、金勝要大神さまもどうなさつたのか、添ひたい縁なら添はしてもやらう、切りたい縁なら切つてもやらうと仰有る癖に、此頃は神さまも聾になられたと見えて、見向きもして下さらない。……アヽ残念な、口惜しい、……わしはお国の霊魂ぢや、アンアンアン』 宗彦『何だ、最前から俺の……善くもない事の棚卸ばつかりやりやがると思へば、お国と二人連だな。随分厭らしい奴を連れて歩いたものだワい』 お勝『半顕半幽だよ。幽顕一致、霊魂の奥にはおくにさまが納まつて御座るのだ。お国は何処と尋ねて見れば、……アイわたしは阿波の徳島で御座ります、……と云ふ様なものです、オホヽヽヽ』 宗彦『爺さま、一つ……あなたも武志の宮の神主さまと云ふ事だから、一遍此奴を審神して下さらぬか。お国を放り出して、お勝の本当の肉体ばつかりにして下さいな』 松鷹彦『ソリヤお前さま可けませぬぞえ。結構な神様の御神懸りだ。国常立尊様の御分霊かも知れんぞや。イロイロに化けて化けて此世を御守護なさる神様ぢやから……天勝国勝と云つて、お国様がお懸りなさつて御守護して御座るのだ。さうしてお前は女房のお勝に甘いだらう。そこでアマカツ、国カツだ。……結構な国所を立ち退いて来たから、国所立ち退きの命様の御守護だよ。俺の様な者がウツカリ審神でもしようものなら、それこそ又俺が憑りうつられて、年が寄つてから住み慣れし第二の故郷を後に国所立退きの命にならねばならぬから、マア此審判は御免蒙らうかい』 お勝俄に体を振り、神懸り状態になり、 お勝『金勝要大神であるぞよ。切りたい縁なら切つてもやらう。添ひたい縁なら添はしてはやらぬぞよ。宗彦は今迄沢山な女をチヨロまかした罪悪の報いに依りて、唯今限りお勝との縁を切るぞよ。ウーンウンウン』 松鷹彦『アハヽヽヽ、お勝さま、ウマイウマイ、モウ一しきり神懸りをやつて下さい。此奴アどう考へても私憑だ。コレコレ宗彦さま、胸に手を当てて、今迄の事を能う考へて見るが宜い。神様は決して無理な事は仰有いませぬぞ』 宗彦『そうだつて、私の女房を、頼みもせぬのに、縁を切るとはあまりだ。切ると云つても、金輪際こつちから切りませぬワイ』 お勝『エー思ひ切りの悪い男だなア。それだから此肉体が嫌ふのだ。男は断の一字が肝腎だ。どうだ是れから此肉体に先妻のお国に、お光、お福、お三、お四つ、お市、お高が同盟軍を作つて憑依して来るが、それでも其方はまだ未練があるか、どうだ厭らしい事はないか』 宗彦『何が厭らしいかい。どれもこれも因縁あつて仮令三日でも夫婦になつた仲ぢや、肉体の有る女房を数多連れて居ると、経済上困るが、物も喰はん嬶アなら、千人でも万人でも出て来い。アーア色男と云ふものは偉いものだ。幽冥界からまでもヤツパリ電波を送ると見える。何だか知らぬが、肩が重くなつたと思へば、此れ丈沢山な女房に対し、責任を双肩に担つて居るのだから無理もないワイ。正式結婚の女房の霊も、準正式も、雑式も、野合も何も彼もやつて来い。此頃は多数決の流行る時節だ。何程偉い者だつて少数党では目醒ましい仕事は出来やしないワ』 松鷹彦『オホヽヽヽ、宗彦さま、お前の背後を一寸御覧、針金の妄念の様な、蟷螂腕を出して餓利法師が踊つて居るぢやないか』 宗彦『アヽそんな事言うて下さるな。見さへせねば良いのだ。目程不潔いものの、恐ろしいものはない』 お勝は『ウーン、ドスン』と腰を下し、ケロリとした顔で、 お勝『宗サン、妾何か言ひましたかな。夢でも見とつたのか知らぬ。沢山な厭らしい亡者が、柳の木の麓で、「宗彦は生前に我々を機械扱ひにしよつたから、今晩は餓鬼も人数だ。力を協して、素首を引き抜いてやらう」と相談して居りましたよ。その時に妾にも同盟せいと言はれたのです。けれども、あまりお前さまが可哀相だから「さう皆さま慌るに及びませぬ。何れ彼奴も年が寄つたら此処へ来るのだから、其時に苛めてやりさへすれば良いだないか」と一時遁れに其場を切り抜けようとしたが、中々亡者の連中聞きませぬがな。今の間に宗サンの生命を取らねば、死ぬ迄待つて居つたら我々は又もや現界に生れ替り、幽冥界は不在になつて了ふ。そうだから讎を討つのは今の内だと言つて、それはそれはエライ勢でしたよ。用心しなさいや』 宗彦『そりや貴様、本当か、嘘ぢやないか』 お勝『嘘か本真か、今晩中に分りますわいな』 宗彦『そら分るだらうが……どちらだ。実際か、虚言か聞かして呉れ』 お勝『幽冥の秘、妄りに語る可らずと、どこともなしに神様の声が聞えました。マア今迄の年貢納めだと思つて、楽んで日の暮れるのを待ちなさい。あのマア青い顔、オホヽヽヽ』 宗彦『お爺さま、大変な事になつて来た。愚図々々して居ると、忽ち此処にやもめが一人出来ますワイ。何とかして助けて下さいなア』 松鷹彦『わしも此村でやもをの連れが無うて、寂しうて困つて居つたのだから、お前さまも早くやもめが出来る様に死なつしやい、それの方が結句気楽で宜からうぞい』 宗彦『何が何だか、サツパリ分らぬ様になつて来たワイ。夢でも見とるのでは有るまいかなア』 と頻りに頬を抓つて見て居る。かかる所へ捻鉢巻をした二人の男、慌ただしく入り来り、 留公『松鷹彦の神主さま、お前は聞く所に依れば、又してもバラモン教の行者を引張込んで、しやうもないお説教を聴聞しとると云ふ事だ。さう猫の目の様にクレクレと精神を変へて貰うと、村の者が迷つて仕方がない。一体どうする量見だ。お竹さまが死んでから、お前さまは益々変になつたぢやないか』 松鷹彦『チツトは変にならうかい』 留公『変にもならうかいも有つたものかい。改心して殺生を止め、神妙にお宮さまの御用を勤めたらどうだ。あんまりお前の行ひが悪いので、村の者が此間も庚申待に集つてお前をおつ放り出し、三五教の真浦さまを跡釜に据わつて貰はうと云ふ相談があつたぞ。こんな事ども村の連中に聞えようものなら、それこそ今日限り叩き払だ。そうなればお前さまも可哀相だからと思つて、気を注けに来たのだ。お春やお弓の奴、チヤンと知つて、俺に話しよつたから、俺は決して誰にも言ふぢやないと口止めをして来たのぢや。どうだ止めて下さるか』 松鷹彦『わしは武志の宮の神様にお仕へして居るのだ。決して村の人間のお給仕役ぢやない。神様から命じられたものを人間が寄つて集つて動かさうとした所で、そいつア駄目だ。そう云ふ事をすると村中に神罰が当つて、米も麦も穫れぬ様な饑饉が出て来るぞや』 田吾作『お爺さま、お前の仰有るこたア一応尤もだが、ヤツパリ人間の皮を被つて居る以上は、人間の規則にもチツトは従はねばなるまい。そんな我の強い事を言はずに、チツトは省みたらどうだい』 松鷹彦『馬鹿にするない。人間の皮被つとるなんぞと……骨から腸まで、魂まで、皆人間だ。皮被つとる奴はお前達ぢや』 留公『爺さま、お前さまこそ魂が四つ足ぢやで。其証拠にや、川獺か何ぞの様に、神様の方はそつち除けにして、魚捕ばつかりに憂身をやつし、盆過の幽霊の様に、水ばつかり羨りさうに眺めて暮して居るぢやないか。一体神様にお仕へする者が、殺生をすると云ふ事が有るものかい』 松鷹彦『わしは神様に仕へて居るから魚を捕るのだ。御神前で海河山野の珍味物だとか、鰭の広物、鰭の狭物と称へ乍ら、魚一匹、誰もお供へする者がないのだから、仕方なしに此老人が魚を漁つてお供へするのだ』 留公『ヘン、うまい事言つてるワイ。大方自分の喉の神さまに供へるのだらう。神主は神主らしうやつて居ればいいのだ。猫は鼠を捕るのが商売、猟師は獣を獲り、漁夫は魚を漁ると、チヤンと天則が定まつて居るのだ』 松鷹彦『それだつて、わしが漁つても、漁師が漁つても、生命の無くなるのは同じ事だ、そんな開けぬ事を言ふものだないワイ。息子は嫁取る、娘は婿取ると云つて、お前達は若いから楽しみだが、俺の様な老爺は、あんまり外分が悪くつて、嫁を取る訳にも行かず、仕方が無いから魚を漁るのだ。チツトは大目に見て、長老を敬ふのだぞ。長幼序ありと云ふ事を知つて居るか。今日は養老会と云つて、老人を大切にする会が、彼方にも此方にも開けて居るぢやないか。それに此村の奴ア、年が老つたら姥捨山へでも捨てたら良いものの様に思つて居るから、事が面倒になるのだ。老人は村の宝、生字引だ。俺が此村に居ればこそ、古い事が分るのだないか。俺の体は俺一人のものぢやない。一方はお宮様の召使、一方は此村の骨董品だ……否如意宝珠の玉だ。今こそ貴様達は不潔い爺いだと云つて、沢山さうに思うて居るが、俺が死んでみい、思ひ出す事が幾らでも出来る。……アーア松鷹彦様がモウちつと生きて御座つたら、御尋ねするのに…斯んな事なら生存中に…あれも聞いて置いたら良かつたに、此れも教へて貰つて置けば宜かつたのに………と後悔をして、泣いても、悔んでも後の祭りだ。せめては故人の徳を忘れぬ為だと云つて、宮の境内か川の縁に記念碑を建てて何程拝んだつて、石になつてから物は言やしないぞ』 留公『お前の様な爺さまに聞いたつて、何が分らうかい。併し一つ聞いて置かねばならぬ事がある。其奴ア、どこの淵には魚が余計寄つとるか……と云ふ事だ。なア川獺の先生』 松鷹彦『エー大人嬲りの骨なぶりだ。グヅグヅ言うと、死んだら目が潰れて物が言へなくなり、身体がビクとも動かなくなつて了ふぞ』 留公、肩を上げ下げし、鷹が羽を拡げた様な調子で、体を揺り、舌を出し、 留公『ウフヽヽヽ』 と笑ふ。 松鷹彦『貴様の其状態は何だ。鳶の様なスタイルをしやがつて……』 留公『オイ、お前がバラモン教の駆落巡礼だなア。何だ人気の悪い鯱面をしよつて……此川獺先生の所へ無心に来よつたのか。……コリヤ此村はバラモン教は禁物だ。布教禁制の場所だぞ。而も気楽さうに女房を連れて何の事だい。そんな事で神聖な神様の御用が出来ると思うて居るのか。一時も早う、足許の明かるい間に帰つて了へ。帰るのが厭なら、此川へドブンと飛び込め。さうすりや寧埒が明いて良いワ』 宗彦『ハイハイ、私は御存じの通りバラモン教のお経を唱へて、巡礼に廻つて居る者で吾子の冥福を祈る丈の者、人さんに宣伝なぞは決して致しませぬ。私の身体には大変な地異天変が勃発したので、何所の騒ぎじや御座いませぬワイ。女房が今となつて暇を呉れの、何のと言ふものだから…』 留公『ハツハア、地異天変て、どんな事かと思へば、嬶アにお尻を向けられたのだなア、そりや気の毒だ。俺も覚えが有る。それなら両手を挙げて同情…否賛成だ。オイオイ奥さま、斯んな結構な、青瓢箪然たるハズバンドを持ち乍ら、そんな綺麗な顔したナイスのお前が、こんな所までやつて来て、肱鉄砲を噛ますとはチツト人情に外れては居やせぬかい』 お勝『妾は訳を聞いて貰はねば分りませぬが、あまりの事で、モウ見切りを付けました。同じ事なら…あの…見た様な何々に、何々したう御座います』 と笠に顔を隠す。 留公『ハツハツハア、分つた。お前のホの字とレの字は、トの字とメの字の付く男に秋波を送つて居るのだな。生憎様乍らトーさまには、立派な烏の様な色の黒いおからと云ふ奥さまが御座んすわいな』 お勝『イエイエ妾は若い人や、土臭い蛙切りは虫がすきませぬ。同じ添ふのなら此お爺さまの女房になりたいのですよ。年は老つて居られても、どこともなしに崇高な御容貌、今年で三年が間、広い世界を股にかけて探して見ましたが、こんな立派な気品の高いお方に逢うた事は有りませぬ。まるで太公望の様な御方ですワ。此処へ来るなり、宅のハズバンドが厭になつて了つたのですよ、ホヽヽヽヽ』 留公『是れは又エライ物好も有つたものだナア、ヘーン』 と言つた限り、舌を斜かひに噛み出し、白眼を剥いて、両手の遣り場が無い様な調子で、下前方へ俯向けに手を垂らしシユーツと延ばし、呆れたふりをして見せる。 田吾作『わしは未だ独身だがなア。アーアどつかに合口があつたら、一つ買ひたいものだ』 留公『コリヤコリヤ短刀なんか買つて如何するのだい。過激派取締の喧しい時に、そんな物でも買ひに往かうものなら、それこそポリスに追跡され、終局には高等警察要視察人簿に登録されて了ふぞ』 田吾作『女房を貰つて、警察につけられるのなら、村中の奴ア、みんな高警要視察人ぢやないか』 留公『貴様も訳の分らぬ奴ぢやなア。……破れ鍋に綴蓋と云つて、それ相当の女房を持たねば、遂には破鏡の悲しみを味ははねばならぬぞ。こんな立派なナイスに対して秋波を送るのは、チツと提灯に釣鐘だ。併しお爺さま、枯木に花が咲いたやうなものだ。流石はエライ。それなれば私も賛成だ。貰ひなさい。其代りに私がチヨイチヨイと水汲み位、手伝ひに来てあげるワ』 お勝『オホヽヽヽ』 宗彦はクルクルと着物を脱ぎ棄て、褌まで除つて、川の早瀬へ惜し気も無く、笠も蓑も杖も一緒に投げ込んで了つた。 宗彦『ヤアお爺さま、モウ是れでバラモン教のレツテルを残らず剥がし、生れ赤児になつて了つた。どうぞお前さまの弟子にして下さい。さうして女房は貰つてやつて下さいませ。今日からは女房をあなたの奥さまとして敬ひます。ナアお勝、遠慮は要らぬから宗々と呼びつけにするのだよ』 お勝は又もやクルクルと下帯まで脱ぎ棄て、同じく蓑も笠も、金剛杖も一括にしてザンブとばかり投げ込んだ。 宗彦『アヽやつぱり女房は女房だ。斯うなるとチツとチツと、ミとレンが残つとる様な気がする。併し乍らお爺さま、着物を私に恵んで下さい。何でも宜しいから……』 松鷹彦『さうだと云つて、わしも北国雷ぢやないが着たなりだ。山椒の木に飯粒で、着の実着の儘、どうする事も出来やしない。先祖譲りの洋服で、二人共暫く辛抱するのだなア』 留公『ヤア宅の嬶アの着物を、俺が取つて来て、裸ナイスに進上しよう。田吾作、貴様はお前の一張羅を献上せい』 田吾作『貰うて下さるだらうかな。わしはチツと背が低いから、身に合ふだらうか』 留公『合うても合はいでも、無いより優しだ』 松鷹彦『ヤア留さま田吾作さま、世の中は相身互ひぢや。さうなくてはならぬ。是れもヤツパリ三五教の感化力のお神徳だ……』 (大正一一・五・一三旧四・一七松村真澄録) |
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霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 06 梅花の痣 | 第六章梅花の痣〔六六八〕 松鷹彦は今迄飯よりも好きであつた漁を断念し、武志の宮の社務所に居を転じ、宗彦、お勝の両人と共に朝夕神に仕へ、且三五教の教理を細々乍ら伝へてゐた。田吾作、お春の両人は御宮の参拝を兼ね、爺さんの話を聴く可く立寄つた。 田吾作『お爺さま、お前さまも此頃は大分に村中の評判が善くなつたぞい。朝は早うから御祝詞の声が聞えるお蔭で、村中が無病息災で全く松鷹彦様のお蔭だと言うてゐますぞや。尚宗彦さま、お勝さまの評判も仲々よろしい。併し村の者の話には、お前さまが此処へ来て神主になられてから、随分年も経つたが、お竹さまは亡くなり、後には女房子の無い一人のやもを暮し、本当に御気の毒だ。一層の事宗彦さまとお勝さまを子に貰つて、後を継がしたら如何だらうかとチヨイチヨイ村人の話頭に上りかけましたよ』 松鷹彦『私は最早三五教へ這入つてから、今迄の執着心をすつかりと除つて了ひ、幽界の結構なことも悟つたのだから、後継を貰つて心配をするよりも一層一人で余生を送る方が何程気楽だか知れやしない。此やうな老耄れた爺の子になつて呉れる者は恐らく広い世界にありますまい。私が亡くなつた時は滅多に捨てて置きはせまい。村人の情で何処かへ葬つてくれるだらう。それよりも幽界に行つて姿と一緒に暮す方が、現世に執着心が残らなくてよい』 お春『お爺さま、そりやそうだがお前さまがもしも病気になつた時には、矢張り世話をして呉れるものがないぢやないか。何程村のものだつてさうお前さまの病気に付添うて看病する訳にも行くまい。野良の暇の時ならば兎も角も、田植の最中や、稲刈りの最中に患ひでもなさつたら、それこそ仕方がありますまい。なんとか後継をこしらへて置きなさい』 松鷹彦『イヤもう藁の上から育てた子供なれば、なんとか無理を言つて介抱もして貰へるだらうが、俄に貰つた息子に対して、さうヅケヅケと言へるものでもなしに、却て遠慮をせなくちやならない様なものだから、もう何卒それだけは勧めて下さるな』 田吾作『お前さま、子は無かつたのかい』 松鷹彦『私は元は紀の国で生れたものだが、素盞嗚尊様が高天原を神追ひに追はれて遠い国へ御出ましになつた其時に、世の中は一旦は常暗の夜になつた事がある。其の時だつた、悪魔が横行して男二人、女一人の三人の子供を何者にか攫はれて了ひ、女房と二人が泣きの涙で、十五六年前に此処へ出て来て村人の情に依つて、此の宮守をさして貰ひ余生を送つて居るのだ。アーア我が子は如何なつたであらう。今迄は女房や子の事は好きな漁に心を紛らして忘れてゐたが、こんな話が出ると又思ひ出す』 と涙含む。宗彦は、 宗彦『モシお爺さま、貴方は今紀の国のものだと仰有いましたな。一体何の辺でございます』 松鷹彦『私は熊野の生れだ』 宗彦『ハテ不思議なことを承はります。私も実の所両親がわからず、他人から熊野辺の生れだと子供の時分に聞いたことがあります。私は大台ケ原の山奥の巌窟に悪神に攫へられて、長らく閉ぢこめられて居りました。其処へ立派な神様が現はれて、「お前はこれから浪速の里へ往て苦労せよ。一人前になつたら世界を順礼せい」と仰有いました。それを未だに夢のやうに覚えて居ります。さうして私も兄弟が三人あつたさうです。何処へ行つても親もなければ兄弟もない者は、誰も可愛がつては呉れず、漸く成人して牛馬にも踏まれないやうになつた頃から、徐々酒を呑み、そこら辺りへ養子にも幾度か行つて見、又家も持つて見ましたが、何分子供の時分から乞食のやうに、其処中を彷徨うて育つて来たものですから、家を持つの、養子に往くのと云ふことは窮屈でツイ飛び出し、自棄酒を呑んで女房に心配をかけ、沢山の女房を先立たしました。或人に聞けば私は丙午の年に生れたとかで、女に祟る身魂ぢやさうです。私も今は斯うして若いが、子が出来ないのでお爺さまのことを思ふにつけ、先が案じられてなりませぬ』 松鷹彦『お前さま、腋の下に梅の花のやうな痣がありはせぬかなア』 宗彦『そりや又貴老は何うして御存じですか』 松鷹彦『イヤ私の子供は男の方は二人とも梅の花の痣が付いて居る。兄は左の腋の下、弟の方は右の腋の下にハツキリと出てゐた筈ぢや。それを頼りに夫婦連れ、四五年が間探して見たが、人を捉まへて一々裸体になつて腋を見せて呉れと言ふ訳にも行かず、夏になると海水浴場へ往つて、わが子の年輩位な人の腋の下を一々調べて見たが、何を言つても見え難いところ、温泉へ行つても見当らず、これ位心配したことは無い』 と又俯向く。 宗彦『お爺さま、私の右の腋の下に何だか花のやうな型がありますが、一寸見て下さらぬか』 松鷹彦はビクリツと身を自然的にしやくり乍ら、 松鷹彦『ドレドレ一寸見せて下さい。アーアほんにほんに擬ふ方なき梅の花の痣、五弁の梅が上の方は少し欠けて居つたが、矢張り欠けて居る。さうするとお前は竹と云ふ男ぢやなかつたか』 宗彦『ハイ子供の時は竹と云ひました。バラモン教から宗彦といふ名を貰つたのです』 田吾作は二人の顔を見較べて見て、 田吾作『お爺さま、頭の恰好と云ひ、小鼻のつんもりとした辺から耳の塩梅、よく似てをるぢやないか。ヒヨツとしたらお前さまの子ぢやあるまいかな』 松鷹彦『擬ふ方ない私の息子だ。アーこれ宗彦、ようマア無事で居つて呉れた。これと云ふのも矢張り神様の御神徳だなア』 と泣き伏す。 宗彦『お父さまでございましたか、存ぜぬこととて御無礼を申しました。どうぞ許して下さいませ』 と宗彦は、カツパと伏して嬉し泣きに声を上げて泣く。お勝は手を組み思案に暮れ乍ら、松鷹彦を抱き起し、 お勝『モシモシお爺さま、貴老、一人の息女があつたと仰有いましたなア、其の息女さまには何か特徴は有りませぬか』 松鷹彦は声をかすめて、 松鷹彦『息女の特徴と云ふのは、臍の上に三角形なりに黒子が行儀よく出来て居たやうに覚えて居る。アーア一人の伜に廻り合つて嬉しいが、兄の松や、お梅は何処の何処に暮して居るであらうか。一つ叶へば又一つ、折角除れた執着心が再発して来た、ほんに苦しい浮世だなア』 と打沈む。お勝の胸にグツとこたへたのは臍の上の三角形の黒子、宗彦と夫婦になつて暮して来た関係上、名乗りもならず、一人胸を痛めてゐる。 松鷹彦『妙なことを訊ねるが私の心のせいか、何となくお前が恋しいやうな気がしてならぬのだ。竹に何処ともなしに似たやうな所もあり、女房のお竹にも何処か似て居るやうだが、若しや私の息女ではあるまいか』 お勝は口ごもり乍ら、 お勝『私も親も兄弟もあつたさうですが、行方は今にわかりませぬ。併し乍ら今貴老の仰有る黒子はありませぬ』 松鷹彦『アーさうかな、それは幸ひだつた。万一娘だとすれば血族結婚になり、天則違反で神様に罪せられるから、可愛さうだがマア兄妹でなくて結構だつた』 お勝『兄妹の結婚はそれ程罪が重いのですか。併し乍ら万一知らずに結婚をしたら、それは如何なります?』 松鷹彦『サア、それは何とも私にはわからない。余り例の無い事だから、この年になつても聞いたこともなし、三五教の真浦さまにも教へて貰つたこともないのだから』 宗彦『知らぬ神に祟りなしと云ふぢやありませんか。万一世間にそんな夫婦があるとしても、慈悲深い神様は屹度赦して下さいませう』 お勝は両の袂を顔に当て、身を悶えて泣いて居る。 田吾作『コレコレお勝殿、結構な父子の対面にお前さまが泣くと云ふことがあるものか、ハー羨りいのだなア。宗彦さまは焦れて居つたお父さまに会うて嬉しからうが、私は何時になつたら会へるだらうと思ひ出して泣くのだな。マヽヽ何事も神様に任して時節を待ちなさい。屹度信心の徳に依つてお父さまや、お母さまが現世にござつたら、会はして下さるでせう』 お勝『ハイ有難うございます。よう云つて下さいました。折角親子の……イエイエ親と子と御対面なさつて喜んでゐられるのを御喜びもせず涙を零して見せました。誠に済まぬことでございます。何卒お父様否宗彦さまのお父様、どうぞ私も子の様に思うて可愛がつて下さいませ。これからは打つて変つて親のやうに思つて孝行致します』 松鷹彦『アヽよう言うて下さつた。私も他人のやうには、どうしても思へない。親子も同然互に親切を尽し合うて神様の御用を致しませう』 三人は嬉し涙に暮れて、暫時無言の儘沈黙の幕が下りた。春の日は晃々として武志の森の千年杉の梢にかかつてゐる。烏は卵を孵化し、雌雄互に飛び交ひ、餌を漁つて子烏に与へてゐる。子烏は黄色い口を裂ける程開けてゐる。 田吾作は性来の慌者、 田吾作『ヤア爺さま、宗さま、親子の対面御芽出度う。ドーレこれから帰つて御祝ひでも持つて来ませう。オイお春さま、お前も何か祝はにやなるまい。さア帰らう』 松鷹彦『モシモシ田吾作さま、お春さま、どうぞ暫らく村の人に言うて下さるな。又騒がせると気の毒だから』 田吾作『何を爺さま仰有るのだ。地異天変、手の舞ひ脚の踏む所を知らざる大観喜天様の御来迎、これが黙つて居られますか。サアお春さま、早く早く』 と促し、爺の呼び留るのも聞かばこそ、捻鉢巻をグツと締め、尻ひん捲り、我家を指して馳帰る。 松鷹彦『アーア親切な男だ。ようちよかつく人だが、併し彼れ位心のキレイな方はない、アー見えても心は確りして居る。村中の賞めものだ。どうぞ好い嫁さまをお世話して上げたいものだ』 一方田吾作は何よりも早く留公が離家に居る真浦の宣伝使に報告せむとし、 田吾作『大変大変』 と道々呼ばはり乍ら、近所に火事でも起つた様な周章方で走つて来た。留公は鍬を担げて門口へ出ようとするところであつた。 田吾作は、 田吾作『オイ留公、貴様は鍬を担げて何処へゆくのだ。大変だ、地異天変だ、欣喜雀躍手の舞ひ、脚の踏む所を知らぬ大事件が突発した。サアサア早く貴様も用意をせぬかい、何をグツグツしてゐるのだ、野良仕事位は休んでも好い。天変だ天変だ』 と地団太ふんで踊り廻る。 留公『貴様さう云つたつて理由も言はずに解らぬぢやないか。一体なんだい』 田吾作『なんだつて解つとるぢやないか。芽出度いことだ。タヽヽ大変だ。早く宣伝使の真浦さまに取次で呉れ』 留公『そら取次がぬ事は無いが、ちつと落ちつかぬかい。詳細に報告せなくては事件の真相どころか、端緒も探れぬぢやないか』 田吾作『エー邪魔臭い、愚図々々して居ると喜びが何処かへ消滅して了ふと大変だ。邪魔ひろぐな』 と無理矢理に真浦の居間に走り込んだ。 真浦『田吾作さま、大変な勢ひで何事が起つたのだ』 田吾作『何事が起つたもあるものか。梅ぢや梅ぢや、梅の花ぢや』 真浦『梅だと云つたつて解らぬぢやないか。梅が必要なら裏に沢山なつてゐる。トツトとむしつてゆかつしやれ』 田吾作『そんな事どころか。梅と云つたら梅ぢやな。合点の行かぬ宣伝使だな。親子の対面だ』 斯かる処へ留公は跡を追つて走り来り、 留公『オイ田吾作、貴様は気が違ひ居つたのか。チト確りせぬかい』 と背中を握り拳で二つ三つ叩いた。 田吾作『アイタヽヽ、腕が抜けるやうな目に会はせやがつた。オーそれそれかひなぢや、かひなぢやかひなぢや』 と腋を左の食指で頻りに指し示す。 真浦『腕が何うしたと云ふのだい』 田吾作『腕に梅の花が咲いたのだ。五弁の上の奴がちよつと欠けて居る。それで親子の対面だ。武志の森の社務所で腕に咲いた梅の花、三千世界一度に開く梅の花のやうな喜悦だ』 真浦『とんと合点が行かぬ哩。田吾さま、もうチツト落ちついて云つて下さい』 田吾作『他人の乃公まで、あまり嬉しうて、これが何うして落ちつけよう。梅ぢや梅ぢや。武志の森まで往つて見りや解る』 真浦『益々解らぬことを云ふぢやないか』 と訝かし相に首を傾ける。其処へお春が遅れ馳せにやつて来た。 お春『モシモシ大変な喜びが出来ました。田吾作さまに大体のことは、御聴きでせうから私が申上げるものも二重ですが、本当に結構でございますよ。松鷹彦のお爺さまも到頭親子の対面をなさいました』 真浦『何ツ、お爺さまが親子の対面、して其子と云ふのは誰のことだな』 お春『彼の此間行者になつて出て来た宗彦さまが、お爺さまの子だつた相です。右の腋の下に梅の花の痣があつたので、それで親子と云ふことに気が付いたのです。彼の方は紀の国の生れで、名前は竹さまとか云つたさうです。さうしてまだ松さまといふ兄があり、お梅さまといふ妹があるさうです。それは未だ分りませぬ。併し乍らお爺さまは竹さまに会つたので大変な御喜び、どうぞ貴方も早く武志の森迄いつて神様に御礼を申して下さい。村中明日は総休みをして御祝ひをせなくてはなりませぬから』 真浦『何ツ、三人兄妹、さうして竹と云ふのが彼の男か』 田吾作『オーさうぢやさうぢや、なにを愚図々々して居るのだ。早くいきなさらぬか。お春さま女だてら構はひでも好いワ。早く帰つて御馳走の用意をせないか』 お春は『ハイ』と答へて足早に立ち去つた。真浦は手を組み、 真浦『ハテナ』 と云つたきり、深き思案に沈むものの如くである。 田吾作『ハテナもあつたものかい。サアサア御輿を上げたり上げたり。お前さまは斯んな芽出度いことが何とも無いのか。何を愚図々々してゐるのだ。それだから私に鍬の尖で指を斬られるやうな事が出来るのだ。サア早う早ういつてお呉れなさい』 真浦は何故か太き息を吐き、無言の儘うつむいて頻りに考へてゐる。 田吾作『オー今思ひ出した。此間お前さまが禊身の時に私がチラと見ておいた、お前さまの腋の下に梅の痣がありましたなア。それならひよつとしたら爺さまの子で松と云ふ男かも知れはしない。何うだい、違ひはありますまいがな』 真浦『コレコレ田吾作さま、滅多な事を云つて下さるな。梅の紋の痣のあるものは、広い世界には沢山あるだらう。さう軽率に云つて貰つては困るからなア』 田吾作『なに化物のやうに人間の身体に、梅の花の咲いた奴が、さう沢山あつてたまりますかい。うめい言ひ訳をしなさるな。ドーレ一つこれから爺さまの所へトツ走つて注進だ。ヤア天変だ、天変だ』 と駆出す。 真浦『コレコレ留さま、一寸田吾作さまを捉まへて下さいな』 留公は、 留公『合点だ』 と田吾作の後を追ひ駆る。田吾作は一生懸命走り出す。踏み外して崖下の麦畑へ顛落し、 田吾作『アーアやつぱり地異天変だ。麦一升な目に会つたものだ。オイ留公、この報告は俺が承はつたのだ、先へいつて喜ばしやがると承知せぬぞ』 留公『貴様の言ふことは何が何だか、薩張解らせんワ。俺ん所の麦畑をワヤにしやがつて何うして呉れるのだい』 田吾作『何うも斯うもあつたものかい。麦の一升や二升ワヤになつたつて、此の喜びに替へられるものか。親子の人に寄附したと思へば済むのだ。此の場合になつて吝嗇くさいことを言ふな』 留公は又もや両手を組んで、 留公『ハテナ』 と思案に暮れてゐる。松鷹彦は二人に留守を命じ置き、あかざの杖をつき田吾作の後を追うてヒヨロヒヨロと此処までやつて来た。 留公『ヤア貴方は宮のお爺さま』 松鷹彦『お前は留さまぢやないか。斯んな路傍に何心配さうにして立つてござるのだ』 留公『別に心配も何もありませぬが、田吾作の奴俄に発狂し居つて、これ此通り此の高土手から顛落し、訳のわからぬ事を言つてます』 爺さんは恐相に崖下をソツと覗いた。高所から落ちて腰を痛め、脚の蝶番を破損した田吾作は、爺の顔を見るより、 田吾作『ヨーお爺さま、大変大変、左の腋下にモ一つの梅の花が咲いた』 松鷹彦『それは何処に咲いたのだな』 田吾作『何処にも彼処にも咲いて咲いて咲き乱れて居る。真浦ぢや真浦ぢや、真浦の左の腋下に梅の花の痣があるのだよ。的切りお前の伜の松さまに間違ひなからう。いつて来なさい。私はお前に報告のため、駄賃取らずの飛脚さまで今日一日は、お前のために社会奉仕をするのだよ』 松鷹彦『それはマア妙なことを聞くが実際そんなことがあるのかい。嘘ぢやあるまいなア』 田吾作『嘘を云つた所で一文の徳にもなりはせぬ。早く帰つて親子対面の用意をしなさい。オイ留公、真浦さまを宮の社務所まで引張つて来るのだよ』 と身体の痛みも忘れて、一生懸命に叫んでゐる。松鷹彦は半信半疑乍らも、何か心に期する所あるものの如く、覚束なき足も欣々と軽げに元来し道へ踵を返した。 留公は田吾作を助けむと、少しく迂回して側に近付き、 留公『オイ田吾作、しつかりせぬか、口ばつかり噪やぎ居つて、腰がチツとも立たぬぢやないか』 田吾作『あまり嬉しくて嬉し腰が抜け居つたのだい』 留公『サア、俺が負うてやるから俺の背中に喰ひつくのだ』 田吾作『俺を負ふ人があるのだ。それ迄待つてゐるのだよ。大きに憚りさま』 留公『負惜みの強い奴だな。俺が親切に負うてやらうと言ふのに、何故負はれぬのか』 田吾作『かうして此処に平太つて居れば、屹度通る人があるのだよ。カヽヽエー矢張構うてくれな。何事も惟神に任すのだ』 留公『ハハア、カヽヽと云ひやがつて、大方お勝さまに負うて貰はうと思つてゐるのだらう、サアサ俺がお勝さまの所へ負つて連れて行つてやらう。背中に喰ひつくのだよ』 田吾作はソーと腰を上げてみて、 田吾作『アー妙だ、何時の間にか自然療法で全快し居つた。マア生命に別条はない。安心してくれ』 留公『こんな奴に相手になつて居ると狐につままれたやうなものだ。エヽ怪体の悪い』 とボヤキボヤキ上つて行く。田吾作はシヤンシヤンとして後を追ふ。漸く顛落した箇所までやつて来た。 田吾作『アヽ此処だ、俺の一生一代の放れ業の遺跡だ。臨時に目標でも建てて記念にして置かうかな』 其処へ慌しくやつて来たのは真浦である。 真浦『留さま、田吾作さま、何をしてゐるのだ』 留公『今田吾作が空中滑走の曲芸を演じ、此の留さまに御覧に供した所です』 田吾作『ヤア左の腋の下の梅の花か、サア早く来た。もう爺さんに注進済みだ。屹度四頭立ての黒塗りの馬車か、自動車を以て迎ひに来ますぜ。マア、ゆつくり此の田圃路に待つて居なさい』 真浦はニタリと笑ひ乍ら、足早に武志の森をさして急ぎ行く。二人も捻鉢巻し乍ら大股に宙を飛んで、宮の社務所目蒐けて駆け出した。 (大正一一・五・一三旧四・一七外山豊二録) |
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霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 08 心の鬼 | 第八章心の鬼〔六七〇〕 宗彦は親兄妹に別れを告げ一旦聖地に参ゐのぼり、言依別命より天晴れ宣伝使の役を命ぜられ、心いそいそとして再び宇都山の里に立ち帰り、武志の宮の前に報告祭を行ひ里人に別れを告げて、山奥深く三国ケ岳に割拠する魔神を征服せむと、旅装を整へ宣伝の初旅に就いた。留公、田吾作の二人は村の外れに先廻りして待つて居た。 宗彦『お前は義弟の田吾作ぢやないか、おゝ留さまも其処に居るなア、何処へ行くのだ』 田吾作『何卒私を二三日、宣伝使のお伴に連れて行つて下さいな、留さまと相談の上此処に待伏して居りました』 宗彦『それは折角だが宣伝使は一人のものだと言依別命様より承はつて居る。外の事なら一緒に行かうが、今日は宣伝の初陣だから、御親切は有難いが是非なくお断り申す』 田吾作『私は宣伝使でない以上は、信者としてお伴しても差支ありますまい』 留公『何卒二三日で宜敷いから連れて行つて下さい』 宗彦『お前の足でお前が勝手に行くのなら差支無からう、同じ一条の道を通るのだから……然し宣伝使として宗彦は徹頭徹尾一人旅だ』 留公『貴方は何処を指してお出でになるのですか』 宗彦『そうだなア、言依別命様は明石峠を越え、それから山国を経て三国ケ岳の悪魔を征服して来いとの事だつた。随分高い山だらうなア』 留公『近江の国と若狭、田庭三国に跨る高山です、大変な猛獣や猿が棲み大蛇が居ると云ふ事です』 田吾作『さう聞くと私は貴方一人をやる訳にはゆきませぬ、是非お伴をさして下さいな』 宗彦『絶対になりませぬ』 と首を振り振り先に立つて行く。 折しも秋の初め、田庭名物の深霧に六尺先は少しも見えない。宗彦は足を速めて明石峠をさして進み行く。二人の男は霧に隠れて足を速め、先廻りして明石峠の麓に落つる大瀑布に真裸となり、身禊し乍ら宗彦の進み来るを待つて居た。宗彦は二人の滝にうたれて居るのを霧にさへぎられて気がつかず、 宗彦『何だか大変な水音がして居るなア』 と小声に囁き乍ら坂を登り行く。二人の男は宗彦が我二三間前の道を通過して居るのに少しも気がつかなかつた。宗彦は明石峠の頂上に登り着いた。霧は谷間を埋めて処々に高山の頂きのみ画の様に浮いて居る。 宗彦『アヽ何と霧の海の景色と云ふものは綺麗なものだなア、到底紀の国では見られぬ図だ。此景色を眺めて居る心持は全で第一天国へ遊楽して居る様な気分だ』 と独語して居る。 時しも窶れ果てた四十位の一人の女、見すぼらしき風姿をしてスタスタと霧の中から浮いた様に現はれて来た。 宗彦『イヨー、妙な女がやつて来よつたぞ、大変に忙し相に歩いて居る、何か之には様子があり相だ、一つ此処へ近づいたら訊ねて見よう』 と心に思つて居る。女は宗彦の姿に気がつきキツト立ち止り、怪しの目をぎよろつかせ此方を見詰めて居る。 宗彦『貴女は此高い峠を越えて女の身の只一人、何処へ行くのだ』 女は怖相に、 女『ハイ、私は此下の熊田と云ふ小村の者で御座います。明石の滝へ是から打たれに参ります』 宗彦『明石の滝と云ふのは何処にあるのだ』 女『此山を七八丁許り下つた処に御座います』 宗彦『私も今此坂を登つて来たのだが余りの深霧で気がつかなかつた。道理で水音のした箇所があつた様に思つた。して又滝に打たれに行くと云ふのは何か深い理由があるであらう、それを言つて見なさい』 女『ハイ、私の夫は原彦と申すもの、二三年前からフラフラと患ひつき此頃では大変な大病で御座います。それで明石の滝の神様へお願ひ申して夫の病気を助けたさに、滝に身を浸しに参る者で御座います』 宗彦『何んな病気だな、都合に依つたら神様に願つて助けて上げようと思ふのだが…』 女『ハイ、有難う御座います、夜分になると色々のものが出て参ります、さうして苦めるのです、その度毎に冷汗をグツスリかき日に日に痩衰へ、今は最早骨と皮ばかりに見すぼらしくなつて居ります』 宗彦『そりや何か物の怪の病気であらう。サア一遍調べて見るから案内をしてお呉れ』 女『それは有難う御座います。之から此山坂を下り、四五丁許り行つた所の小さき村で、山の麓に私の茅屋が建つて居ります。御苦労乍らお頼み申します』 と先に立つて案内する。漸く女の家に着いた。大樹の森の下に冠木門をあしらつた一棟の相当に広い家がある、それが此女の邸宅。 女『見すぼらしき茅屋で御座いますが、何卒お這入り下さいませ』 と会釈して内に入る。夫原彦の何物にか魘されて苦しむ声は戸外に迄洩れて来た。女は『又来よつたなア』と小声でつぶやき乍ら、慌てて屋内に飛び込み、病人の枕許に駆け寄つた。宗彦は少し遅れて閾を跨げ、床上に上り天津祝詞を奏上するや、病人は益々苦悶の声を放ち狂ひ廻る。四五人の村人は次の間に控へて何事か話し合つて居た。祝詞の声を聞くより二三人の男其場に現はれ、 男『何処の方かは知りませぬが、定めてお露さまがお連れ申して帰つた方でせう、サア何卒此方へ来て御休息下さいませ』 宗彦は『御免』と云ひつつ招かれて一間に踏込み座に着いた。何事か確とは聞きとれないが、非常に病人はお露を相手に呶鳴つて居る。此声を聞いて宗彦は村人に向ひ、 宗彦『何時も病気はあの通りですか』 甲『此四五日前から一層烈しく成つて来ました「田吾が来る田吾が来る」と云ひ出しまして……それはそれは随分苦しむのです。さうして又ケロリと嘘を吐いた様に癒る事もあるのです。理由の分らぬ病気……何でも死霊の祟りだと云ふ事です』 宗彦『死霊の祟りとは、……そりや又何か心当りがあるのですか』 甲『吾々村人も初めはちつとも病気の原因が分りませなんだが、此頃そろそろ死霊だと云ふ事が分り出したのです。何でも茲二三日の間に生命を取らねば措かぬと口走り、それはそれは大変な藻掻き様です』 乙『何でも此処の主人の原彦は上方の者らしいが、お露さんの婿になつてから早十三年にもなりますのに素姓を明かさないので、何処の人だか、何をして居つたのか分らなかつたのだが、病人の囈言を云ふのを聞いて見れば、大きな声では言はれませぬが、此男は泥棒をして人を殺した奴らしいですよ。そして殺された男の死霊が祟つて居るのだと云ふ事、病人自ら現になつて喋ります。天罰と云ふものは恐ろしいものですなア』 宗彦『人間と云ふものは随分不知不識の間に罪を作つて居るものだ、人を殺し火を放ち、或は強盗、詐偽等の罪悪を犯す者は実に天下の為に憎むべき者であります。然し乍ら其罪を憎んで人を憎まずと云ふ事がある、公平無私な神様は肉体を罰し給ふ様な事はありますまい、屹度其罪の為めに苦しめられて居るのでせう。罪さへとれれば原彦さまも間も無く本復するでせう。世の中には人間の目に見えぬ罪人が沢山ある、中でも一番罪の重いのは学者と宗教家だ。神様から頂いた結構な霊魂を曇らせ、腐らせ、殺すのは、誤つた学説を流布したり、神様の御心を取違へて誠しやかに宣伝したり、或は神様の真似をするデモ宗教家、デモ学者が最も重罪を神の国に犯して居るものですよ』 甲『ヘイ、そんなものですかなア、心に犯した罪や、学者や宗教家の罪は何処で善悪を調べるのですか』 宗彦『到底不完全な人間が善悪ぢやとか、功罪だとか云ふ事は判断のつくものぢやありませぬ。それだから神が表に現はれて善と悪とを立別け遊ばすので、人間は只何事でも善意に解釈し、直霊の神にお願し、神直日大直日に罪を見直し聞直し詔直して貰ふより仕方がありませぬよ。我々は日々一生懸命に国家の為め、お道の為め、社会の為めと思つてやつてる事に大変な罪悪を包含して居ることが不知不識に出来て居るものです。それだと云つて善だと信じた事は何処迄も敢行せねば、天地経綸の司宰者としての天職が務まらず、罪悪になつてはならぬと云つてジツとして居れば、怠惰者の大罪を犯すものですから、最善と信じた事は飽迄も決行し、朝夕に祝詞を奏上し神様に見直し聞直しを願ふより仕方はありませぬ』 乙『今の法律は行為の上の罪許りを罰して、精神上の罪を罰する事はせないのですが、万一霊魂が罪を犯し、肉体が道具に使はれても矢張其肉体が罪人になると云ふのは、神界の上から見れば実に矛盾の甚しいものではありますまいか』 宗彦『そこが人間ですよ、兎も角法律と云ふものは人間相互の生活上、都合の悪い事は皆罪とするのですから……仮令法律上の罪人になつても神界に於ては結構な御用として褒めらるる事もあり、法律上立派な行ひだと認められて居る事が、神界に於て大罪悪と認められる事もあるのです。それだから何事も神様が現はれてお裁き下さらぬ事には善と悪との立別けは人間の分際として、絶対に公平に出来るものではありませぬ。又人間の法律や国家の制裁力と云ふものは、有限的のものであつて、絶対的のものでは無い、浅間山が噴火して山林田畑を荒し、人家を倒し、桜島が爆発して数多の人命を毀損し、地震の鯰が躍動して山を海にし、海に山を拵へ家を焼き人を殺し、財産を全然掠奪して仕舞つても、人間の作つた法律で浅間山や地震や桜島を被告として訴へる処もなし、放り込む刑務所も無し、裁判する事も出来ぬ様なもので到底駄目です。只何事も神様の大御心に任すより仕方がありませぬなア』 斯く話す折しも次の間の病人、いやらしい声を出して、 原彦『ヤア田吾作田吾作、赦して呉れ、俺が悪かつた、お前は大井川から俺に落されて死んで悔しからうが、今となつて如何する事も出来ない、之も何かの因縁ぢやと諦めて何卒俺の生命丈けは助けて呉れ、アヽ悪かつた悪かつた、赦して赦して』 と叫び出した。 宗彦『ハテナ、此辺に田吾作と云ふ人があつたのですか』 乙『田吾作と云つたら皆我々の雅名です。田吾作は田畑を耕し、杢兵衛は山林にわけ入つて樵夫をやつたり薪物を刈つて来る人間の代名詞見た様なものですから、あまり沢山の田吾作で誰が殺されたのやら訳が分りませぬ』 宗彦『それは分りましたが、然し一人に特定の名の付いた田吾作と云ふ男はありますまいかな』 甲、乙一時に、 甲、乙『サア余り聞きませぬなア、何でも宇都山の里に大変な周章者があつて、その男を田吾作と云ふさうですが、それも実際の名か、一般的の百姓の名か、そいつア判然致しませぬ。少し慌ててやり損ひをする男を、此辺では宇都山の田吾作みた様な奴だと云つて居ます、仄に話に聞いて居る許りで実際そんな方が有るのか無いのかそれも分りませぬ』 隣の室より病人の叫び声、 原彦『田吾作の幽霊どの、悪かつた悪かつた、何卒助けて呉れ……何、貴様の様な悪人を助けて堪らうかい、俺の生命をとつた奴だ、貴様の肉体に宿り腸を喰ひ、肺臓を抉り、胃袋を捻切り、苦しめて苦しめて嬲殺しにしてやるのだ。此怨みを晴らさな措かうか』 と原彦は自問自答的に呶鳴つて居る。 甲『不思議な病人でせうがな、何でも腹の中に死霊が這入つたり出たりすると見えます。今は屹度腹へ這入つて居ると見えて本人と変つた声で云つて居ます…あれが殺された田吾作の怨霊に違ひありませぬなア、何卒一つ祈祷をしてやつて下さいますまいか、私達も村中が代る代る五人づつ斯うして不寝の番をして居るのですから、お露さんも気の毒ぢやが、吾々村中の者も大変に手間が取れて困つて居るのです』 宗彦は打ち頷き裏の谷川にて口を嗽ぎ手を洗ひ、天津祝詞を奏上し、徐々と病人の居間に入り来り枕頭に端坐し、両手を組み三五教の奉斎守神[※御校正本でも「主神」ではなく「守神」になっている。]の御名を唱へ、天の数歌を二三回繰返すや否や、病人はムクムクと起き上り、目を剥き鼻を左右に馬の様にムケムケと廻転させ、舌を出し、 原彦『アーラ怨めしやなア、俺は田吾作の怨霊だ、此肉体を何処迄も苦しめ生命をとらいで措くものかア』 と妙な手付をなし衰弱しきつて動けない病人が俄に立つて騒ぎ出す。宗彦は一生懸命に天の数歌を奏上し、 宗彦『これこれ原彦さま、決して田吾作の怨霊が殃をして居るのではない、お前の心の鬼が身を責るのだ。神様にお詫をしてやるから、お前の罪は神素盞嗚尊様の千座の置戸の贖ひの御徳に依つて最早救はれた、安心なされ』 原彦は形相凄じく、 原彦『アラ怨めしやなア、何程救はれたと云つても、生命をとられた田吾作は何処までも祟らにやおかぬ。親を殺し、本人は申すに及ばず、女房の生命をとり、一家親類村中までも祟つてやるぞよ……』 宗彦『お前は田吾作と云ふがその田吾作は今何処に居るのだ』 原彦『田吾作は大井川の大橋の下で肉体は亡びたが、精霊は此処に悪魔となつて憑いて居るのぢや哩のう、怨めしやア怨めしやア』 宗彦『田吾作の顔には何か特徴があるか』 原彦『特徴と云ふのは外でもない、眉間の真ん中に大きな黒子があるばつかりだ、俺の顔を見て呉れ、之が証拠だ』 と原彦は宗彦の前に額を突き出す。 宗彦『別に黒子も何もないぢやないか』 原彦『お前は霊眼が開けて居ないから大方原彦の肉体を見て居るのだらう、私の正体を目を光らして見て呉れたら眉間の黒子が分るだらう。あゝ怨めしい、キヤツキヤツ』 と云ひ乍ら嫌らしい相好を遺憾なく曝して、又元の寝間へクスクス這込み『ウンウン』と苦しさうに呻りを続けて居る。 お露『もうし、宣伝使様、此病人は癒るでせうか』 宗彦『癒りますとも、眉間に黒子のある田吾作は死んでは居ませぬよ、確にピンピンして生きて居ます、今に此処へやつて来るでせう、要するに神経病だ、心に犯した罪悪の鬼に責られて居るのです。今に当人がやつて来て「許す」と一言云つたら全快は請合です』 お露『何と仰有います、あの田吾作さんが生きて居られますか、そりや又如何した訳でせう』 宗彦『どうでも有りませぬ、実際生きて居るのですから今に実物をお目に掛けませう、田吾作が此処へ参る迄、次の室で休息して待つ事に致しませう』 お露『御苦労様で御座いました、何卒奥でお茶なりと召し上り緩々御休息下さいませ』 宗彦は『有難う』と一礼し奥の間に行つて休息した。 甲『何と宣伝使様、妙な病人で御座いますなア、マア千人に一人位な者でせうか、さうして承はれば田吾作さまは生きて御座るとは、そりや又何と云ふ不思議でせう』 宗彦『凡て天地の間は不思議ばかりで満たされて居るのです、菜の葉一枚だつて考へてみれば実に不思議なものです。今の人間は石地蔵を祈つて疣がとれたとか、脚気が癒つたとか云つて不思議がつて居るが、そんな事は不思議とするに足りませぬ。第一人間は、ものを云ふのが不思議ではありますまいか、何程立派な解剖学や生理学の上から調べてみても、声の袋もなし、それに色々の言霊が七十五声際限もなく出て来るのですから、是位不思議な事はありませぬよ』 乙『さう聞けばさうですな、森羅万象一として不思議ならざるは無しですなア』 斯く話す折しも田吾作、留公の両人は門の戸を敲き、 田、留『モシモシ、一寸お尋ね致します、宗彦と云ふ三五教の立派な宣伝使は若しや此家にお立寄りでは御座いませぬか』 此声にお露は慌てて門口に走り出で、田吾作の顔を見るより、 お露『アツ、貴方の眉間に黒子がある、田吾作さまでは御座いませぬか、エライ私の夫が貴方に対し御無礼を致したさうです、何卒堪忍してやつて下さい』 田吾作は何が何やら合点ゆかず、留公と共にお露の後に引添ひ、宗彦の憩へる居間に入つた。 宗彦『アヽ能う来てくれた、さはさり乍ら一寸此方へ来ておくれ』 と原彦の病室に伴ひ原彦を揺すり起した。原彦は病に疲れた身体を漸く起き上り、目を開き田吾作の姿を見るなり『アツ』と一声、又もや寝具の上に打倒れ藻掻き苦しむ。田吾作は原彦の窶れたとは言へ何処とはなしに目付、鼻の恰好、口許の具合の十数年前大井川の橋の上に於て、河中に突き落した泥棒によく似て居るなアと半信半疑の態で打ち見まもつて居る。 宗彦『コレ原彦さま、お前に橋から突き落されて死んだ筈の田吾作は此通りピンピンして居る、お前の迷ひだから気を取り直したが宜からうぜ』 田吾作『オイ、病人さま、久し振りだつたなア、十三年前の月夜の晩だつた、お前は狭い橋の上で俺の懐中の玉を強奪しようとする、俺はとられてはならんと争ひ、遂には組みつ組まれつ戦うた末、足踏外し濁流漲る大井川に真逆様に顛落し、それより心は疎くなり、現世と幽界の境界の山の口迄歩いて行くと、後から大勢の俺を呼ぶ声、振り返る途端に気がついて見れば、高城山の麓の芝生の上に横たはり、大勢の人が火を焚いて介抱をして居てくれた、お蔭で私は生命が助かつた。それから宇都山村の住人となつて此通りピンピンと跳廻つて居るのだ、決して決して露程も怨んでは居らぬ。其時に私が執着心を離しさへすれば斯んな目に遇ふのでは無かつたのだ。エヽ済まぬ事をした、あの人に渡せばよかつたと始終懐中離さず其橋の辺を通り、その方に会うたら心好う進ぜようと思つてゐたのだ、それ……この玉だらう』 と懐中から出して、病人の手に渡した。原彦は初めてヤツと安心した刹那に病気は軽快に向ひ、日を追うて恢復し、漸々肉もつき、十日程の後には全く元の壮健体となつて仕舞つた。 原彦夫婦を初め村人一同は執着心より恐るべき罪の発生し、其罪は忽ち邪気となつて我身を責むると云ふ真理を心の底より悟り、熊田の小村は挙つて宗彦の教を信じ、遂に三五教の信者となつて仕舞つた。 (大正一一・五・一三旧四・一七北村隆光録) |
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125 (1778) |
霊界物語 | 21_申_高春山のアルプス教 | 05 言の疵 | 第五章言の疵〔六七九〕 玉治別が早速の頓智に、六人の小盗人は始めて其非を悟り、喜んで神の道に帰順し、宣伝使に従つて高春山に向ふ事となつた。日は漸く暮れかかり、月背と見えて山と山とに囲まれし谷道も、どことなく明るくなつて来た。されど東西に高山を負ひたる谷路には、皎々たる月の影は見えなかつた。暫くすると怪しき唸り声が前方に聞え、次いで幾百人とも知れぬ人の足音らしきもの、刻々に聞えて来た。 玉治別『ヨー怪しき物音が聞えて来たぞ。コレヤ大方山賊の大集団の御通過と見える。我々は此処に待受して、片つ端から言向和し、天晴大親分となつてやらう。アヽ面白い面白い。天の時節が到来したか。サア竜、国、遠州、其他の乾児共、抜目なく準備を致すのだよ』 国依別『ハハア、又商売替ですかな』 玉治別『機に臨み変に応ずるは英雄豪傑の本能だよ』 遠州『モシモシあの足音は人間ぢやありませぬ。あれは千匹狼と云つて、時々此路を通過する猛獣です。何程英雄豪傑でも、千匹狼にかかつては叶ひませぬ。サアサア皆さま、散り散りバラバラになつて、山林に姿を隠して下さい。余り密集して居ると狼の目に付いたら大変です』 玉治別『ナアニ、善言美詞の言霊を以て、狼の奴残らず言向け和すのだ』 竜国別『そんな馬鹿言つてる所か、サア早く、各自に覚悟をせよ。畜生に相手になつて堪るものかい。怪我でもしたら、それこそ犬に咬まれた様なものだ……否狼に咬まれては損害賠償を訴へる訳にも行かず、治療代もどつからも出やせぬぞ。オイ国依別、遠州、駿州、一同、玉公の言ふ事を聞くに及ばぬ。今日は俺が臨時の大将だ。サア早く早く』 と傍の樹木密生せる森林の中へ駆込む。国依別外六人は竜国別と行動を共にした。玉治別は依然として路上に立ち、 玉治別『アハヽヽヽ、何奴も此奴も弱い奴だなア。多寡が知れた四つ足の千匹万匹何が怖いのだ。オイ狼の奴、幾らでも出て来い』 と呶鳴つて居る。狼は五六間前まで列を組んでやつて来たが、路の真ん中に立ちはだかり、捻鉢巻をしながら噪やいで居る玉治別の勢に辟易したか、途を転じて谷の向側の山を目がけ、ガサガサと音させ乍ら、風の如くに過ぎ去つて了つた。玉治別は、 玉治別『アハヽヽヽ、弱い奴だな。そんな事で高春山の猛悪な鬼婆が、どうして退治が出来るかい。エーいい足手纏ひだ、単騎進軍と出かけよう』 と四辺に聞ゆる様にワザと大声で喚き乍ら峠を登り行く。竜国別外七人は早くも山を一生懸命に駆あがり、向側に姿を隠して居た。為に玉治別の声も聞えなかつた。玉治別は鼻唄を唄ひ乍ら、峠の頂上に達し赤児岩と云ふ赤子の足型の一面に出来た、カナリ大きな岩石が突き出て居るのを見付け、 玉治別『アヽ結構な天然椅子が人待顔にチヨコナンとやつて居るワイ。オイ岩椅子先生、貴様は余程幸福な奴だ。三五教の大宣伝使兼山賊の大親分たる玉治別命又の御名は田吾作大明神が、少時尻をおろして休息してやらう。此光栄を堅磐常磐に、此岩の粉微塵になる千万劫の後迄も忘れてはならぬぞよ。躓づく石も縁の端、腰掛け岩椅子もヤツパリ縁の端だ。……ヤア始めてお月様のお顔を拝んだ。実に立派な美しい御姿だなア』 と独ごちつつ少しく眠気を催し、フラフラと体を揺つて居る。其処へスタスタと上つて来た二人の荒男、 甲『ヤア来て居る来て居る』 乙『居眠つて居るぢやないか。大分に草臥れよつたと見えるワイ。オイ源州、貴様はこれを持つて、テーリスタンに渡すのだ。俺は今三五教の宣伝使が沢山な乾児を連れて、高春山へやつて来よるから、其準備の為に行くのだから、貴様は此処に金もあれば、一切の作戦計画を記した人名簿もある…しつかりと渡して呉れよ』 玉治別はワザとに声をも出さず、首を二三度上下に振つて包みを受取つた。二人の荒男は追手にでも追ひかけられたやうな調子で、峠を南へ地響きさせ乍ら、巨岩が山上から落下する様な勢で駆下り行く。 玉治別『彼奴はアルプス教の……部下の者と見えるな。俺を味方と見違へて、大切な物を預けて行きよつた。ヤツパリ、アルプス教の奴も巡礼姿になつて居るのがあると見えるワイ。併し乍ら此処に居つては、又やつて来よつて発覚されては面白くない。なんとか位置を転じて、ユツクリと中の書類を調べて見ようかな』 と小声に言ひ乍ら、二三十間許り山の尾を踏んで、月の光を賞めつつ歩み出した。谷底に当つて幽かな火が、木の間に瞬いて居る。これを眺めた玉治別は、 玉治別『アヽ此山奥に火を点して居るのは、此奴ア不思議だ。ヒヨツとしたら山賊の棲家か、但は樵夫か。何は兎もあれ、あの火光を目当に近寄つて、様子を窺うて見よう。旅と云ふものは随分面白いものだなア』 と一点の火を目標に、樹木茂れる嶮しき山を、谷底目蒐けて下りついた。見れば笹や木の皮をもつて屋根を蔽ひたる、小さき木挽小屋である。中には男のしはぶき[※「しはぶき」とは、咳、咳払いのこと。]が聞えて居る。 玉治別『モシモシ、私は巡礼で御座いますが、道に踏みまよひ、行手は分らず、幽かな火を目あてに此処まで参りました。どうぞ、怪しい者ではありませぬから、一晩泊めて下さいな』 中より男の声、 男(杢助)『ハイハイ、此処は御存じの通り、穢苦しい木挽小屋で御座いますが、巡礼様なれば大変結構で御座います。どうぞ御這入り下さいませ』 と快く荒くたい戸を、中からガタつかせ乍ら漸く開いて、奥に案内する。玉治別は案内に連れて、一寸した山中に似合はぬ美しい座敷に通つた。 玉治別『此深山にお前さま、たつた一人暮して居るのかい。門にて聞けば男の泣き声がして居つたやうだが、アレヤ一体、誰が泣いてゐたのですか』 男(杢助)『私は木挽の杢助で御座いますが、家内のお杉が二時許り前に国替を致しまして、それが為に死人の枕許で、此世の名残に女房に向つて泣いてやりました。併し乍ら俄やもをでどうする事も出来ず、霊前に供へる物もないので、握飯を拵へて霊前に供へ、戒名の代りに板切れを削つて、斯うして祀つて置きましたが、あなたは巡礼様ぢやと聞きましたが、どうぞ私がお供へ物の準備や、其外親友や寺の坊さまに知らして来る間、此処に留守して居て下さいますまいか。一寸行つて参りますから……』 玉治別『ヘエそれは真にお気の毒な事ですな。私も急ぐ旅ではあるが、これを見ては、見棄てておく訳にも行かぬ。死人の夜伽をして居るから、サアサア早く行て来なさい』 杢助『是れで安心致しました。どうぞ宜しうお願致します』 とイソイソ戸外に駆出して了つた。玉治別は、 玉治別『エー仕方がない。偶家があると思へば死人の夜伽を命ぜられ、あんまり気分の良いものぢやないワ。それよりも千匹狼と戦争する方が、なんぼ気が勇んで、心持が良いか知れない。併しこれも時の廻り合せだ。泥棒から金を貰ひ、秘密書類を巧く手に入れたと思へば、一時経つか経たぬ間に、忽ち坊主の代りだ。蚊の喰ふのに蚊帳も吊らずに、こんな所にシヨビンと残されて、蚊の施行を今晩はやらねばならぬか。どこぞ此処らに湯でも沸いては居りませぬかな』 と其処辺中を探して見ると、口の欠けた土瓶が一つ手に触つた。 玉治別『ヨー、水も大分に汲んであるワイ。一層のこと、土瓶に湯でも沸かして飲んでやらうかな』 と木の破片屑[※「はつり」は「斫(はつ)り」で、何かを壊したり削ったりすること。]を拾うて竈に土瓶を懸け、コトコトと焚き出した。瞬く間に湯は沸騰つた。 玉治別『サアこれでも飲んで、一つ夜を徹かさうかな』 フト女房の死骸の方に目を注けると、頭の先に無字の位牌を据ゑ、線香を立て、其前に握り飯が供へてある。蒲団の中から細い手を出して握り飯をグツと掴んでは取り、又掴んでは取るものがある。 玉治別『エー幽霊の奴、供へてある握り飯を喰つて居やがる。此奴ア、胃病かなんぞで死んだ奴だらう。喰物に執着心の深い亡者だなア。何だか首の辺りがゾクゾクと寒うなつて来居つた。エー構はぬ、熱い湯でも呑んで元気でも出さうかい』 と口の焼ける様な湯を、欠けた茶碗に注いで、フウフウと吹きもつて飲み始め、 玉治別『ヤア何だ。ここの水は炭酸でも含んで居るのか、怪体な臭気がするぞ。大方女房が薬入れか、炭酸曹達でも入れて居つた土瓶かも知れないぞ。あんまり慌てて中を調査るのを忘れて居つた。ヤア何だか粘つくぞ。大変に粘着性のある水だなア』 と明りに透かして見ると、燻つた中からホンノリと文字が浮いて居る。よくよく見れば「お杉の痰壺代用」としてある。 玉治別『エー怪つ体の悪い、此奴ア失策つた。幽霊は細い手を出して握り飯を食ふ、此方は痰を呑まされる、怪つ体なこともあればあるものだ。……コレヤ最前の男が俺に与れた此包みもヒヨツトしたら蜈蚣か何かが出て来るのぢやあるまいかな。一度ある事は三度あると云ふから、ウツカリ此奴は手が付けられぬぞ。開けたが最後、爆裂弾でも這入つて居つたら大変だ。ヤア厭らしい、又細い手で握り飯を掴んで居やがる。大方喰うて了ひよつた。此奴ア、中有なしに直に餓鬼道へ落ちた精霊と見えるワイ。こんな所に厭らしうて居れるものぢやない。併し一旦男が留守してやらうと請合つた以上は、卑怯にも逃げ出す訳にも行くまい。やがて帰つて来るだらう。それまで其処辺の林をぶらついて、お月様のお顔でも拝んで来よう。斯うなると、我々に同情を表して呉れるのはお月様丈ぢや。竜国別、国依別其他の腰抜は、どつかへ滅尽して了ひ、寂しい事になつて来たワイ』 と門口を跨げ、何時とはなしに二三丁も歩み出し、谷水の流れに水を掬ひ、口に含んで盛に、家鶏が水を飲む様に、一口入れては首を挙げ、ガラガラガラブーブーと吹き、又一口飲んでは仰向き、ガラガラガラガラ、ブーブーブーと、幾度ともなく繰返して居る。 火影を目標に探つて来た竜国別、国依別、遠州、武州外四人は、玉治別の姿を夜目に見て、怪しき者と木蔭に佇み、様子を窺つて居る。 遠州『モシ宣伝使様、ガラガラブーブーが現はれました。ここは一つ家の木挽小屋、何が出るやら知れませぬ。アレヤきつと化州でせう』 国依別『ナニ幽霊が水を飲んでゐるのだ。つまり含嗽をしてるのだよ。貴様行つてしらべて来い』 玉治別は木蔭にヒソビソ語る人声を聞きつけ、 玉治別『オイ何処の何者か知らぬが、俺も連れがなくて、淋しくつて困つて居るのだ。狼でも泥棒でも何でも構はぬ。遠慮は要らぬ。這入つて、マア湯が沸かしてあるから、ゆつくりと飲んだがよからうよ』 竜国別『アヽあの声は玉治別によく似て居るぢやないか』 国依別『左様々々、大方玉公の先生でせう……オイ玉ぢやないか』 玉治別『その声は国だなア。好い所へ来て呉れた。マア面白い見せ物も見ようと儘だし、湯も沢山に沸いてるから、トツトと俺に従いて来い。今日は山中の一つ家の臨時御主人公だ。サア此方へ……』 と手招きし乍ら、月光漏るる谷路を帰つて行く。 遠州『ヤア此家は杢助と云ふ強力者の住まつて居る木挽小屋です。彼奴に随分、我々の仲間は酷い目に遭うたものです。剣術、柔術の達人で、三十人や五十人は手毬の様に投げ付ける奴ですよ。さうして立派な嬶アを持つて居るのです。その嬶アが又中々の強者で、杢助に相当した腕力を持つて居るのだから、誰も此処ばつかりは、怖くてよう窺はなかつた所です。私等は顔をこれまでに見られて居るから剣呑です。貴方がたどうぞお這入り下さいませ。暫時木蔭で待つて居ますから』 竜国別『何、我々が付いて居れば大丈夫だ。遠慮は要らぬ。今日は玉公親分の家長権を持つて居る日だから、トツトと這入つたがよからう』 遠州『それでもあんまり閾が高く跨れませぬワ』 竜国別『ハハア、ヤツパリお前にも羞悪の心がどつかに残つて居るな。そんなら暫く泥棒組は木蔭に待つて居て呉れ』 遠州『泥棒組とは酷いぢやありませぬか。最早我々はピユリタン組とは違ひますかいな』 竜国別『ピユリタン組でも泥棒組でも良いワ。暫く其処辺へドロンと消えて、待つてゐるのだよ』 と云ひ棄て、竜、国の両人はヌツと家中に這入り、 竜国別、国依別『ヤア割りとは山中に似ず、小瀟洒とした家だなア』 玉治別『エヽ定つた事だい。俺が家長権を握つた大家庭だから、隅から隅まで能く行届いて居らうがな。併し俺の嬶が俄の罹病で死亡しよつたのだ。就ては俺に恋着心が残つたと見えて、死んでからでも細い手を出して、十許りの握り飯を既に八つ許り平らげて了ひよつたのだ。マア湯でも呑んでユツクリと嬶アの夜伽をしてやつて呉れ』 国依別『又しても、しようもない。本当に当家に死人があつたのか。貴様泥棒の臨時親方になつたと思うて、強盗をやつて此家の大切な嬶アを殺したのぢやないか』 玉治別『若い時から、女殺しの後家倒し、姫殺しと綽名を取つた玉治別ぢや。口でも殺せば、目でも殺すと云ふ業平朝臣だから、女の一人位、強盗になつて殺すのは当然だよ』 竜国別『マサカ人の女房を殺す様な、貴様も悪人ではなかつたが、三国ケ嶽の鬼婆の霊でも憑きよつたのかなア。エライ事をして呉れたものだワイ』 玉治別『マアどうでも良い。湯が沸いて居るから一杯飲んだらどうだ。これも玉治公がお手づからお沸し遊ばした結構なお湯だ。チヨツと毒試をして見たが、随分セキタン臭い水だ。併し胃病の薬には良いかも知れないわ』 国依別『一寸其土瓶を俺に貸して呉れ。調査る必要があるから。ウツカリ知らぬ宅へ来て、湯でも飲まうものなら、どんな毒薬が仕込んであるか分つたものぢやないわ』 玉治別『ナアニ、抜目のない玉治公がチヤンと査べてある。決して毒ぢやない。これは宝丹の入れ物だ。それで宝丹の匂ひが少しはして居る』 とニヤリと笑ふ。国依別は、 国依別『ナニ放痰、いやマスマス怪しいぞ』 と無理に取り上げ、灯にすかして見て、 国依別『ヤア何だか印が付いて居る……お杉の痰壺代用……エイ胸の悪い』 と云ひなり、不潔さうに土瓶を握つた手を放した。土瓶は庭にバタリと落ちて滅茶々々に破れ、煮湯はパツと四方に飛び散り、三人の顔に熱い臭い奴が、厭と云ふ程御見舞申した。 竜国別『サツパリ男の顔に墨ではなうて、痰を塗りやがつたな。ヤアヤア死人がムクムクと動き出したぢやないか。永久の死人ぢやあるまい。夜分になつたら臨時死ぬると云ふ睡眠状態だらう』 玉治別『そんな死方なら、誰でも毎晩やつて居るぢやないか。お前達の様な怠惰者は日が永いとか云つて、木の蔭で一時も二時も、チヨコチヨコ死ぬぢやないか。そんな死にやうとはチツト違ふのだい。徹底的の永き眠に就いて十万億土へ精霊の旅立の最中だ』 竜国別『それにしては、細い手を出して飯を掴んで食つたり、ムクムク動いて居るぢやないか』 玉治別『オイ国依別、お前は宗彦と云つて、随分に嬶アを沢山に泣かしたり、殺したと云ふ事だが、大方其亡念が此家の死人に憑いて居るのかも知れないぞ』 国依別『何にしても気分の悪い家だ。さうして此家の主人は何処へ行つたのだい』 玉治別『一寸買物に行つて来るから、帰るまで留守を頼むと云つて出たなり、まだ帰つて来ないのだ。随分暇の要る事だなア』 死人を寝かした夜具は、ムクムクと動き出した。五つ六つの女の児がムクツと起きあがり…… 子供『お父さんお父さんお父さん』 と四辺をキヨロキヨロ見廻して居る。三人はヤツと胸撫でおろし、 三人『ヤアこれで細い手も、握り飯掴みも解決がついた』 斯かる所へスタスタと帰つて来たのは主人の杢助、 杢助『巡礼さま、エライ御厄介になりました。何分急いで行つたのですけれど、夜分の事とて先が容易に起きてくれませぬので、つい手間取りまして、エライ御迷惑を掛けました』 玉治別『エー滅相な、どう致しまして……ここに二人居りますのは、我々の兄弟分で御座います。どうぞお見知り置かれますやうに』 子供は、 子供(お初)『お父さん』 と走つて抱きつく。 杢助『アーお前は賢い子だ。よう留守をして居つた。あんな死んだお母アの側に黙つて寝て居るとは、肝の太い奴だ。世の中には大きな男が、宣伝をしに歩いて居つても、死人の側には怖がつて、三人も五人も居らねば、夜伽をようせぬものだが、子供はヤツパリ罪が無いワイ』 玉治別は頭を掻き、 玉治別『ヤア恐れ入りました。私もチツとも怖くはありませぬ』 杢助『女房の霊前にお経を唱へて下さいましたか』 玉治別『ハイ、お茶湯を献げませうと思つて、つい考へて居りました。併し遠距離読経をやつて置きました。それも無形無声の、暗祈黙祷、愈これから始める所で御座います』 と何が何やら間誤ついて、支離滅裂の挨拶をやつて居る。ここに三人は霊前に向ひ、神言を奏上し、お杉の冥福を祈り、遠州外五人の手伝の下に、野辺の送りを無事に済ました。 玉治別『ヤアこれで無事終了、先づ先づお芽出……たくもありませぬ。惟神霊幸はへ坐せ惟神霊幸はへ坐せ惟神霊幸はへ坐せ』 杢助『有難う御座いました』 一同は、 一同『左様ならば……随分御壮健でお暮しなさいませ』 と立つて行かむとする。杢助は、 杢助『モシモシ、此処にこんな風呂敷包が残つて居ます。コレはお前さまのぢやあるまいかな』 玉治別『ヤア到頭忘れて居た。これは私ので御座います』 杢助『お前さまのに間違ひはないか』 玉治別『実の所は峠の岩に休息して居つた時に、乾児がやつて来て、お頭様此通りと言つて渡して行きやがつたのだ。金も随分沢山あるだらう』 杢助『其方は巡礼に見せかけ、大泥棒を働く奴だ。コレヤ此の風呂敷は現在杢助の所持品だ。これを見よ。杢の印が付いて居る。此間の晩に、五六人抜刀で躍り込んで、俺の留守を幸に、包みを持つて帰つた小盗人がある。女房は何時もならば木端盗人の三十や五十、束になつて来た所が感応へぬのだが、何分労咳で骨と皮とになつて居た所だから、ミスミス盗られて了つたのだ。さうすると貴様はヤツパリ泥棒の親分だな。サア斯く現はれし上は百年目、此杢助が片つ端から素首を引抜いてやらう。……何れも皆覚悟せい』 と鉞を揮つて勢鋭く進んで来る。 玉治別『待つた待つた。嘘だ嘘だ。夜前泥棒が俺に渡したのだよ。俺や決して泥棒でも何でもない。マア待て待て……』 杢助『泥棒が泥棒でない者に金を渡すと云ふ事があるかい。貴様もヤツパリ泥棒の張本人だ。サア量見致さぬ』 と今や頭上より玉治別を梨割にせむとする此刹那『一二三四……』の天の数歌を一生懸命に称へ始めた。玉治別の手を組んだ食指の尖端より五色の霊光放射し、杢助は身体強直して其場に忽ち銅像の様になつて了つた。 玉治別『ハヽヽヽヽ』 竜国別『オイ玉公、我々に離れて何処へ行つたかと思へば、泥棒をやつて居たのだな。モウ今日限り貴様と縁を絶るから、さう思へ』 国依別『オイお前は何とした卑しい根性になつたのだ。俺はモウ合はす顔が無いワイ』 と涙声になる。玉治別は一伍一什を詳細に物語り、漸く二人の疑ひは氷解した。杢助は固まつた儘、此実地を目撃して、玉治別の無実を悟つた。玉治別は「ウン」と一声指頭を以て霊縛を解いた。杢助は旧の身体に復し、 杢助『お客さま、失礼な事を申上げました。どうぞ御勘弁下さいませ』 玉治別『分つたらそれで結構です……何も言ふ事はありませぬ。併し此包みはあなた調べて下さい』 杢助『そんなら皆様の前で検べて見ませう』 とガンヂガラミに括つた風呂敷包を解き開いて見れば、金色燦然たる金銀の小玉ザラザラと現はれて来た。さうして一冊の手帳が出て来た。開いて見れば、アルプス教の秘密書類である。三人はこれ幸ひと懐中に収め、後は杢助に返し、九人連れ此家を発つて津田の湖辺に向つて宣伝歌を歌ひ乍ら勢よく進み行く。 (大正一一・五・一七旧四・二一松村真澄録) |
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霊界物語 | 21_申_高春山のアルプス教 | 11 鬼娘 | 第一一章鬼娘〔六八五〕 白雪皚々として四面の山野、白布の褥を被つた如く満目蕭然として一点の塵を留めず、道問ふ人もあら風に向つて進む竜国別の宣伝使は、刻々に降り積る雪を踏み分け、漸く谷と谷との細き十字路頭に出でたり。 太陽は雪雲にしきられて光を中空に包み、東西南北の方向さへも判らなくなつて来た。日は漸く雪雲の西天に没したと見えて、何とはなしに薄暗く寂し。されど雪の光に四面は月夜の如く朦朧と光つてゐる。竜国別は五尺有余の雪に鎖され進退谷まつて、最早凍死せむばかりに困しみつつ、言霊の続く限り天津祝詞を奏上し、夜の明くるを待つの止むなき破目とはなりぬ。 僅か一里許りの山路に一日を費やしたるを見れば、如何に通路の困難なりしかを察するに余りあり。真白の雪の中より白き影、むくむくと膨れ出し、一塊の白き立姿となつて竜国別が佇む前に現はれ来り、物をも言はず冷たき手を伸ばして、竜国別の手を執り進んで行く。 竜国別は心の中に怪しみ乍ら、最早如何ともすること能はず、怪物に手を引かれたる儘に不安の念に駆られて進み行く。怪物は小山の麓の荒屋の中に、竜国別を誘うた。 竜国別『如何なる方か存じませぬが、雪に鎖され身動きもならず、困難の処へお出で下さいまして、斯様な安全地帯へ御案内下さいましたのは、誠に有難う存じます』 怪物『汝は蜈蚣姫の部下か、但は言依別命の部下なるか、返答次第で吾々にも一つの考へがあるから、敵か、味方か聞かして欲しい』 竜国別『さう云ふ貴方は、何と云ふ御婦人でございますか』 怪物『貴方の返答を聞くまで申すまい。吾々の敵ならば今此処で、汝を征伐せなければならず、もし味方ならば何処迄も助ける覚悟だよ。サア、バラモン教か三五教か、二つに一つの返答を聞きませう』 竜国別『仮令バラモン教でも、三五教でも誠の道に変りはありませぬ。私は誠の道の宣伝使です。三五教、バラモン教、又アルプス教と云ふやうな区分した名称に、余り重きを置いては居りませぬ』 怪物『それは誰しも同じこと。併し今汝の属して居る教派は、何教だと尋ねてゐるのだ』 竜国別『何教でも好いぢやありませぬか。兎角天下国家の為に最善を尽くすのが、宣伝使の天職だと心得てゐます』 怪物『アハヽヽヽ、どうも卑怯千万な男だこと。三五教なら三五教だと、キツパリ云つたら如何ですか』 と最後の一言に力を籠め雷の如く呶鳴り立てた。見ればその怪物は拳のやうな目玉をクルクルと廻転させてゐる。 竜国別『先程より妙なことを尋ねる怪物だと思つて居たら、いよいよ怪しき奴だ。其方は古狸であらうがなア。雪に鎖され食料に苦しみ、吾々が腰の弁当が欲しさにやつて来たのだらう。貴様に与へるのは易いこと乍ら、聊か此方が迷惑を致す。マア気の毒乍ら、此処を早く立去つたがよからうぞ。そんな請求は駄目だから』 怪物『お前は人を救ふ宣伝使ぢやないか。わが身を捨てて人を救はねばならぬ職務にあり乍ら、現在飢ゑたる吾々を見殺しに致し、自分さへ腹が膨れたら、それで好いのか、それでも人を救ふ宣伝使と思うて居るか。此世を誑る偽物奴、吾々を化物と申すが、汝こそ真の化物だ。人間の皮を被つては居るものの、汝が身魂は四足同然ぢや』 竜国別『オイ狐か、狸か知らないが、人に食物をねだるのに、そんな驕慢な言葉があるかい』 怪物『誰が貴様のやうな穢れた人間の所持する食物をくれいと云つたか。吾々は失礼乍ら乞食の真似は致さぬ。唯一つ欲しいものがある。それを頂戴すれば好いのだ』 竜国別『お前の欲しいと云ふのは一体何だ』 怪物『外でも無い。其の高い鼻の先を削つて貰ひたいのだ』 竜国別『此鼻は親から預かつた一つの貴重品だ。こればかりは遣ることは出来ない』 怪物『そんなら一つ交換して欲しいものがある。大きな物と、小さい物と交換するのだから、どちらかと云へば俺の方が余程損がゆくやうなものだが、申込んだ方から実物の二倍三倍を提供すると云ふことは、現代人間の不文律だから、俺の物は大きいが交換をして貰ひたい』 竜国別『八畳敷と交換して堪るものかい。歩くのに妨害になつて仕方が無いワ』 怪物『アハヽヽヽ、人間と云ふものは汚いものだな。直にそんなとこへ気を廻しよる。俺の要望するのは、そんなものぢやない。貴様は余り目が小さいから、向ふ先が見えぬ盲目同様の化物だ。それで俺の目と貴様の目と交換して呉れと云ふのだ』 竜国別『その様な大きな目を俺の面に当てやうものなら、一つで一杯になつて了ふワ』 怪物『一つ目小僧と云ふ化物があるそうだ。お前は恰度それに魂が適合して居る。霊肉一致だから交換してくれ』 竜国別『一つの目は余るぢやないか』 怪物『残り一つは後頭部へ付けたらよからう。さうすれば前も後ろも、よくわかつて調法だぞ。サア強圧的に眼玉を抜いて付け替へてやらうか』 竜国別『俺は人間様だ。此目で十分に用を足して居るのだ。此の交換は御免蒙る』 怪物『一旦言ひ出した事は後へ退かぬ某だ。そんなら仕方がない。お前の腐つた魂を受取らう』 竜国別『馬鹿云ふな。俺の魂は水晶玉だ。何処が腐つて居るか。大きな目を剥きよつて、それが見えぬのか』 怪物『貴様は高城山の山麓、松姫の館に於て四足になつた代物ぢやないか。俺の素性が判らぬ筈はあるまい』 竜国別『ハテナー、一体貴様は何者だ。俺の事をよく知つてるぢやないか』 怪物『アハヽヽヽ』 と笑ひ乍ら、被物をツツと脱げばこは如何に、擬ふ方なき松姫であつた。 竜国別『ヤア貴女は松姫さま、随分悪戯をなさいますな。本当に肝玉が転宅しかけましたよ』 怪物『オホヽヽヽ、私が松姫に見えますかな。それだから其の眼の玉を交換しようと云つたのだよ』 竜国別『そんならお前は何者だ』 怪物『雪の精から現はれた雪姫と云ふものだよ』 竜国別『雪にでも霊があるのかなア』 雪姫(怪物)『お前の心の空に真如の太陽が輝き渡らぬ限り、此の雪姫の謎は解けないよ。曇り切つた今日の空のやうな身魂では、可愛相に目も碌に見えまい』 竜国別『毬のやうな目を剥いて現はれて来るものだから、的切り狸のお化と思つたのだ。雪姫はそんなに種々に変化出来るものかなア』 雪姫『ゆき詰つて、行くに行かれぬ橡麺棒を振つた時は、お前でも大きな目を剥き出して困るだらうがなア。さうだからデカイきつい目に遇うたと言ふのだ。モー一つ御望みなら大きな目を剥いて、御覧に入れようか』 竜国別『いやモー沢山だ。めい惑千万、これで御遠慮申して置かう』 雪姫は、 雪姫『これでもかア』 と言ひ乍ら、蛇の目の傘のやうな、大きな目を剥いて見せる。竜国別は驚いて後に倒れる途端に、雪姫は忽ち白狐となつて一目散に山道を駆出し逃げて行く。 竜国別『アヽ偉いビツクリさせよつた。奴狐の野郎、彼奴の正体がモウ斯う判つた以上は別に怖れることもない。跡追つかけて往生させねば宣伝使の役が勤まらぬ。併しこの大雪の中、四足は歩きよからうが、人間は一寸困るワイ』 と独語し乍ら四辺を見れば六尺有余もタマつたと思ふ雪は、僅か一寸許り、狐の足形がついて居る。 竜国別は手を組んでドツカと坐り、 竜国別『アヽ何の事だ、狐の奴、俺を魅み居つたなア。一日骨を折つて深い雪路を進んだ積りだつたが、矢張元の岩蔭だつたワイ。俺はどうかして居ると見える。サアこれから一つ天津祝詞を奏上し、大神の御神力を頂戴して前進することにしよう。思はぬ所で思はぬ夢を見たものだ。どうやら夜が明けたらしい。此の狐の足跡を踏むで行けば、道路が分るだらう』 と薄雪に印した足跡を頼りにドシドシ進み行く。 七八丁許り前進したと思ふ時、一頭の猪が現はれ前を横ぎる。 竜国別『ハテ不思議だ。狐の足跡があると思へば又猪だ。今度目は本当の狸の野郎に出会すのかも知れないぞ』 と佇む折しも、何処ともなく空を切つてヒユウと唸り乍ら、頭上を掠めて一本の流れ矢が猪の面部に発止と突立つ。 猪は狼狽へ騒いで転げ廻り、終に一つの禿山を越えて、向ふの谷に姿を隠したり。 竜国別『アヽ可愛相なことだ。鳥、獣でも助けるのが吾々の役だ。これや神様が吾々の気を惹いて御座るのかも知れない。之を見捨てて行つては大変だ。幸ひ薄雪に残つた足跡を索ねて、猪のお宿を探し、鎮魂を施して助けてやらねばならぬ。又彼の矢を抜いてやらねば到底助かるまい。何は兎もあれこれを救ふが第一だ』 と禿山をトントン登り進み行く。 此処は大谷山の山麓、岩ケ谷といふ芒の生ひ茂つた、人の行つたことのないやうな草原である。彼方此方に落ちたる血糊を索ねて進んで行くと、其処に一つの岩穴があり、以前の猪は既に縡切れてゐる。 竜国別『ハヽア此処が猪の棲処だつたなア。それでも途中で死なずに、自分の棲処まで帰つて倒れたのはまだしも、猪に取つては幸福だ。何処ぞ此処に厚く葬つてやらう』 と手頃の石を拾つて、土をカチカチ掘り初める。 岩穴の中より二十五六の女、角を生やして莞爾々々し乍ら出で来り、矢庭に猪の屍骸に取つき血を吸ひ初める。竜国別は黙つて此様子を眺めて居ると鬼娘は、美味さうにチウチウと音をさせて全身の血をスツカリと吸つて了ひ、腹を両手で撫で乍ら竜国別の立つて居るのに気がついたと見え、目を丸くし、口を尖らし、 女(お光)『ヤアお前は竜若ぢやないか』 と睨めつける物すごさに、竜国別は、 竜国別『オイ、お前はお光ぢやないか。お前の両親は行方が知れぬので毎日日日心配して居つたよ。ウラナイ教の高城山の館へも幾度か参拝して来たが、如何しても知れないので、出た日を命日と定めて立派な葬式を営まれたが、其の時に俺も祭官に列したことがある。サアサアお前は早く親の家へ帰れ。こんな処で鬼娘になつては堪らないぞ。高春山に俺は征伐に行くものだが、これから伴れて行つてやるのは易いけれど、女と同道は許されないから、これから早く家へ帰つたら如何だ』 お光『コレ竜若さん、私は祖母さんの眉毛を剃つて居ました時、誤つて顔を斬り、沢山の血が出たので、驚いて嘗めて見たところ、それから生血の味をおぼえて、人間や獣の血が吸ひたくなり、到頭こんなに頭に角が生えて鬼娘になつて了つたのだ。斯んな態して如何して我家へ帰れませう。お前さんも私の所在を知つた以上は、村に帰つて喋るであらう。さうすれば私は最早身の終りだから、自分の肉体保護の上から、気の毒乍らお前の生命を貰ふのだ。覚悟を為され』 竜国別『そんな無茶な事を云ふない。チツとはお前も恩義と云ふことを知つて居るだらう。此の小父さんが貴様の子供の時には、負うたり、抱いたり、小便をさしてやつたり、うんこの掃除まで世話をやいてやつたのを覚えて居るだらう。ちつとは其の義理ででも、俺を喰ふなんて云ふことが出来るものか。恩を知らぬものは、人間ぢやないぞ。烏に反哺の孝あり、犬は三日飼うて貰つた主人を、一生忘れぬと云ふぢやないか』 お光『そんな事が解つて居つて、如何して鬼娘になれますか。世の中の義理や、人情を構つて居つたら、鬼の修行は出来るものぢやない。サア小父さん、此処で逢うたがお前の運の尽きだ。アヽ美味さうな血の香がして居る。済まないけれどよばれませう』 竜国別『コラコラ俺は今迄の竜若とは違ふぞ。神力無限の三五教の宣伝使、言依別命様の御覚え芽出度き竜国別命ぢや。馬鹿な事を致すと地獄のどん底へ落されて、鬼の成敗に遇はねばならぬぞ。未来を怖れぬか』 お光『ホヽヽヽヽ、鬼娘が地獄の鬼が恐くて、如何なりませう。これでも地獄へ行つたら、立派な鬼娘が来たと云つて、持囃されるのだ。私は鬼になるのが願望だ。お前の生血を吸へば、もう一層立派な鬼娘になれる。猪の生血は最早呑み飽いたから』 竜国別『如何しても俺を喰ふと云ふのか。イヤ血を吸はうと申すのか』 お光『如何しても吸はねば私の身体が燃えて来る。私も苦しいから、義理、人情を省みる遑がない。併しあんまり御世話になつたのだから、何処とはなしに気の毒なやうな感じがする。ちつとばかり吸うてこらへて上げませう』 と手頃の石を以て、竜国別の額をカツカツと打つた。竜国別は気が遠くなり、其の場に倒れた。 お光『アヽ気の毒な小父さんだ。沢山呑むと生命が危いから、一二升許り呑んでこらへて上げよう』 と傷口に口を当て、チウチウと呑み始めた。 お光『アヽ如何したものか、此の血はエグイ。なかなか苦味がある。矢張身魂が曇つて居ると見えて、流れる血まで味が悪いのかなア。サアサア小父さん、モーこらへて上げよう。起きなさい』 と揺り起されて竜国別は吾に帰り、 竜国別『アヽなんだか気分がスイツとした。俄に身体が軽くなり、目までハツキリして来たやうだ』 お光『お前の血管を通つて居る悪霊を薩張吸うて上げたのだから、モーお前さんは結構な赤い誠の血計りになつて了つたのだよ。此上は最早私の手に合はぬ。お前さんは愈大和魂の生粋になつて了つた。併し此事を誰にも話してはなりませぬぞや。話すが最後千里向かふからでも私の耳は聞えるから、宙を駆つて行き、お前の素首を引抜くから、其の覚悟でゐて下さいや。此処で殺すのは易いけれど、お前に助けられたと云ふ弱味があるので、如何に悪党な鬼娘でも如何する事も出来ない。併し私と今約束して、それを破れば、初めてお前さんに破約の罪が出来たのだから、其時は堂々と生命を取りに行くから、其の覚悟で帰つて下さい。これで高春山の征伐も立派に出来るだらう。人間万事塞翁の馬だ。私に酷い目に遇はされて、其結果誠の手柄を現はす様になるので、謂はば私はお前さんの守護神のやうなものだ。感謝しなさい』 竜国別『妙な理屈もあるものだなア。頭をこつかれ、血を吸はれて感謝するとは、開闢以来聞いたことがない。何処で斯うも勘定が違つたのだらう』 お光『定つた事だ。処変れば品変る、お家が変れば風変る、郷に入つては郷に随へだ。世界には賭博のアラを取つて国の会計を助け、国民が安楽に暮して居る国さへもあるぢやないか。また一方の国では賭博を罪悪としてゐるやうなもので、社会が違へば善悪の標準も違ふのだ。併し何処へ行つても約束を破ると云ふ事は罪悪だぞえ。天照大神様と素盞嗚尊様が、天の安の河原を中に置いて誓約を遊ばしたではないか。世の中には現界、幽界、神界の区別なく、約束を守ると云ふことが最も大切なことだ。之を破るのは罪悪の骨頂だ。お前も私の所在を誰にも言はないと云ふことを誓約なされ。さうでなければ、今此処でお前の生命を奪つて了ふ』 竜国別『なに、お前達に生命を奪られるやうな俺では無いが、お前の生命を奪つた所で仕方がない。つまり俺が罪人になるだけだから、此処はうまく妥協して互に言はないと云ふ約束をしよう』 お光『そんなら助けて上げよう。トツトとお帰りなさい。屹度言ひませぬな』 竜国別『ウン、俺も男だ。屹度約束を守るから安心して呉れ』 お光『左様なら』 と云つた限り、岩窟の中深く影を没したり。 竜国別は額の傷を撫で乍ら、元来し路へ引返し、それより左に取つて枯草茂る小径を悄々と上り行く。 (大正一一・五・二〇旧四・二四外山豊二録) |
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霊界物語 | 21_申_高春山のアルプス教 | 12 奇の女 | 第一二章奇の女〔六八六〕 竜国別は小声に宣伝歌を歌ひながら、大谷山の谷深く進み入る。 夕べを告ぐる鐘の声、諸行無常と鳴り響く。空に烏の幾千羽、塒求めてカアカアと物憂げに啼き立つる。身に沁む風は樹々の梢を七五三に揺つて居る。竜国別は年古りたる松の木立に立ち寄りて一夜の雨露を凌がんと、傍を見れば小さき祠がある。 竜国別『アヽ有難い、何れかの神様のお社が建つて居る。大方、山口の神様が祭つてあるのだらう』 と独言ちつつ神前に恭しく拍手叩頭し、天津祝詞を奏上し、宣伝歌をうたつて祠の後に横はる。其歌、 竜国別『三五教の宣伝使玉治別や国依別の 神の使と諸共に津田の湖辺に到着し 鷹依姫が力とも杖とも頼む秘密文 ふとした事より手に入れて敵の配置を悉く 手に取る如く探索し茲に間道潜りつつ 山野を伝ひて来るうち日は漸くに暮れ果てて 行手も見えずなりければ千引の岩の岩が根に そつと立ち寄り降る雪を凌ぎて一夜を明かすうち 現はれ来る妙齢の花をあざむく一婦人 赤子を胸に抱きつつ寒気に閉ぢられ手も足も 儘にならねば一夜の我に暖気を与へよと 身辺近く襲ひ来る我は此世を救うてふ 神の教の宣伝使高春山の曲神を 言向け和し帰るまで女に肌は触れまじと 唯一言に断れば女は又もや手を合せ 火を焚き呉れよと願ひ入るふと傍に目をやれば 天の与へか枯小柴忽ち燧を打ち出でて 火を点ずれば炎々と四辺は真昼の如くなり 女の顔はありありと生地迄スツカリ見えて来た 男尊女卑の言論と女尊男卑の弁舌に 天の瓊鉾(舌)を磨ぎ澄まし火花を散らして戦へば 女もさるもの中々に我言霊に怖れない 既に危く見えし時彼方此方の谷々の 木霊を響かせ進み来る法螺貝吹いた大男 忽ち此場に現はれて魔性の女を一睨み 女は驚き抱きし子を直に火中に投げ捨てて 雲を霞と逃げて行く我は睡魔に襲はれて 夢路を辿る折柄に揺り起されて目を開き 四辺きよろきよろ見廻せば大江の山に現はれし 鬼武彦の白狐神続いて言依姫神 我が眼前に現はれて急場を救ひ給ひつつ 妙音菩薩の音楽に連れて此場を消えたまふ 竜国別は唯一人巌を背にうとうとと 睡りながらに明けを待つ雪は頻りに降り来り 道も塞がり進退の自由を失ひユキ詰まる 中をも厭はず荒魂勇気を鼓してザクザクと 進む折しもむくむくと雪の中より現はれし 不思議の女に手をひかれ破れた小屋に伴はれ 種々雑多の問題を吹きかけられて困り入り 如何はせんと思ふうち傘のやうなる目を剥いて パツと消えたと思ひきや忽ち変る大白狐 山路を目蒐けて駆出だすよくよく見ればこは如何に 五尺有余も積りたる雪の山路はいつとなく 消えて僅かな薄雪に不審の胸を抱きながら ふと傍を眺むれば豈図らんや岩の根に くだらぬ夢路を辿りつつ心の眼を閉ぢて居た 朝日の光を身に浴びて此処を立ち出でスタスタと 雪に印した足跡を索ねて進む折もあれ 雪踏み分けて駆来る野猪に出遇ひ暫くは 道に佇み眺め入る空を掠めて何処よりか 白羽の征矢の飛び来り猪の頭に突き立てば 猪は驚き右左前や後に狂ひつつ 峰の尾上を打ち渡り谷間に身をば隠したり 鳥獣の末までも救ひ助くる神の道 これが見捨てて置かれうか助けやらんと足跡を 探りて谷間に下り往く萱茫々と生ひ茂り 人跡絶えし谷の底血糊を標べに来て見れば 自然に穿てる岩の洞其傍に横はる 猪の屍を愍れみて天津祝詞を奏上し 蘇らせて助けんと思ふ折しも岩窟の 中より出づる鬼娘忽ち猪にかぶりつき 血汐を吸ひ込む嫌らしさはて訝かしとよく見れば 高城山の近村にお竜が娘と生れたる お光の顔によく似たりお光は血汐を吸ひ終り 我顔じつと打ち眺めお前は隣の小父さまか お前はお光か何としてこの山奥に忍び住む 早く帰れと促せばお光は首をふりながら 猪の血糊は吸ひ飽いた美味い香のするお前 喰はしておくれと強要よるこれや大変と驚いて なだめ慊しついろいろと義理人情を教ふれば お光はフンと鼻の先馬耳東風と聞き流し 義理人情を弁へて如何して鬼になれますか お前の生血を唯一度飲ましてくれいと云ひながら 手頃の石を手に持つて忽ち砕く我が額 血潮は川と迸る我は脆くも気絶して 前後も知らずなりけるが俄に吹き来る寒風に 眼覚ませばこは如何に額は少し痛けれど 霊肉共に清々と洗つたやうな心地して 鬼の娘と誓約しつやつと虎口を逃れ出で 崎嶇たる山路辿りつつ漸く此処につきにけり 月は御空に輝けど木立の茂み深くして 我影だにも見えかぬる椿の森の宮の下 明日はいよいよ大谷の山を踏み越え高春山の 曲の砦に向ふなりあゝ惟神々々 御霊幸倍ましまして三五教の宣伝使 高姫黒姫両人を救ひ出させ給へかし 野立の彦や野立姫神素盞嗚大御神 木花姫の御前に竜国別の神司 遥に祈り奉る』 と歌ひ終つて古社の床下に横はり居る。 夜は深々と更け渡り、寂然として木の葉のそよぎもピタリと止まつた丑満の頃、猿を責めるやうな女の泣き声、刻々に近づき来る。竜国別は目を醒まし耳を傾けて、何者なるかと息を凝らして考へて居る。バタバタと数人の足音、女を一人此場に連れ来り、 甲『サア、もう斯うなつた上は、じたばたしても駄目だ。体よくカーリンスの宣伝使の奥さまになつて、左団扇で数多の乾児を頤で使ふ身分となるのが、却つてお前の身に取つて幸福だらう。土臭い田舎者に心中立てをしたつて何になるか、サア早うウンと云へ』 女(お作)『お前は立派な男の癖に、私のやうな繊弱き一人の女を寄つて集つて、無理往生をさせようとは些と卑怯ではありませぬか。カーリンスとか云ふ人に、それだけの徳望があれば、天下の女は何程袖で蜂を掃ふやうにして居つても、獅噛みついてゆきます。世間から高春山のカーリンスの鬼と噂され、蚰蜒か蛇のやうに嫌はれて居るお方に、誰が靡くものが有りませう。お前等はその蚰蜒に頤で使はれて居る人間だから、なほ更鼻持のならぬ男だ。エヽ汚らはしい、もう触つて下さるな』 乙『此奴中々剛情な女だ、よしよし貴様がさう出れば此方にも覚悟がある』 女(お作)『其覚悟を聞かして貰ひませう』 乙『そんな事は俺達の秘密だ、貴様に聞かす必要が何処にあるか』 女(お作)『ありますとも、私は貴方等の目的物、云はば当局者である。秘密を知らずにどうして一日だつて治まつて行きますか』 甲『エヽ、女の癖に何をツベコベと吐くのだ、引き裂いてやらうか』 女(お作)『口を引き裂きなさつても宜しい。併し乍ら万々一私がカーリンスの女房になると定つたら、お前は私の家来ぢやないか。さうすれば主人の口を引き裂き、折角綺麗な女を傷者にしたと云ふ罪を、何うしてカーリンスにお詫をなさるか、お詫の仕方がありますまい』 甲『たつて引き裂かうとは申しませぬ。併し乍ら我々の要求を容れて、奥さまになつて下さいますか』 女(お作)『ホヽヽヽヽ、好かんたらしい、カーリンスの嫁になる位なら烏の嫁に行きますワ』 甲『七尺の男子を貴様は翻弄するのか』 女(お作)『定つた事ですよ。女と云ふものは強いものです。女の髪の毛一条あれば大象も繋ぐと云ふ魔力をもつて居る。ヒヨツトコ野郎の五人や六人、束になつて来た所が到底駄目ですワ、そんな謀反は大抵にしてお止めなさい。山も田も家も倉も、舌の先や目の先で一遍に消滅させたり、顛覆させたりするのは女の力です。お前達は男に生れたと言つてエラさうにして居るが、多寡の知れた青瓢箪のお化見た様なカーリンスに、口汚なく酷き使はれて、満足をして居るやうな腰抜けだから、思へば思へば気の毒なものだよ』 丙『これや女、そんな劫託を並べる癖に、何故キヤツキヤツと悲鳴を挙げたのだ。そんな空威張りをしたつて駄目だぞ』 女(お作)『ホヽヽヽヽ、キヤアキヤアと云ふ声は泣き声ですか。お前こそ女の腐つたやうな猿とも人間とも弁別のつかぬ代物は、キヤアキヤアと云うて泣くだらうが、私はお前等のする事が余り可笑しいので、キヤツキヤツと云つて笑つたのですよ』 丁『何とマア強太い女もあればあるものだなア。俺は生れてからこんな女に出遇つた事がないワ』 女(お作)『出遇つた事がない筈、世界の女はお前の姿を見ても、お前の方から風が吹いても、嫌がつて皆逃げて仕舞ふ。それもお前が強いとか、怖いとか云うて逃げるのではない。汚らはしくつて、怪体な臭がして鼻持ちがならないから、化物だと思つて逃げるのですよ』 丙『仕方のない女だなア。こんな女を連れて帰つて、カーリンスの奥さまにでもしようものなら、俺達の却つて迷惑になるかも知れやしないぞ』 女(お作)『ナニ決して迷惑にやなりませぬ。キヨロキヨロ間誤ついて居ると、ちよいちよい長煙管がお前等のお頭にお見舞申す位なものだよ。けれども生命には別条はないから安心なさい、ホヽヽヽヽ』 甲『女子と小人は養ひ難し、到底弁舌では俺達は敗軍だ。不言実行に限る。サア各自に手足を取り、高春山に帰つてゆかう。これや女、何んぼ頤が達者でも直接行動には叶ふまい、男は口は下手だが実地の力は強いぞ』 女(お作)『ホヽヽヽヽ、たつた一人の繊弱い女に対し見つともない、五人も六人も一丈の褌をかいた荒男が、蚯蚓を蟻が寄つて集つて巣へ引き込むやうにせねば、一人の女を引捉へて、その目的を達する事が出来ないとは、何と男程困つたものはないものだなア』 甲『偉さうに云ふない、男は裸百貫と云つて、体が一つあれば世の中に立派な一人前の大丈夫として通用するのだ。女は蔭ものだ。もつと女らしく淑やかにしたら如何だい。女の徳は柔順にあるのだぞ』 女(お作)『私は柔順なんか大の嫌ひだ。私の女としての徳は柔術だ。一つ見本にお前達六人を、お月さまの世界迄も放りあげて見ようか』 甲『オイ皆の奴、如何しようかなア。こんな女を迂濶連れて帰らうものなら、何んな大騒動が勃発するか知れたものぢやないぞ』 乙『それだと云つて、連れて帰らねばカーリンスの親方に合す顔がなし、困つた事になつたものだなア』 女(お作)『一つ柔術をお目にかけませうかな、オホヽヽヽ』 甲『エヽ、この上は直接行動だ。乙、丙、丁、戊、己、一度にかかれ』 一同『ヨシ、合点だ』 と六人の男は手取り足取り無理に女を担ぎ行かむとする。女は又もやキヤツキヤツと頻りに叫ぶ。祠の後より、 (竜国別)『暫く待てツ、大自在天大国別命これにあり、申し渡す仔細がある』 と雷の如く呶鳴りつけた。六人は女を其場に投げ捨て雲を霞と逃げ散つた。女は静々と神前に詣で、拍手しながら何事か暗祈黙祷をして居る。 (大正一一・五・二〇旧四・二四加藤明子録) |
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霊界物語 | 21_申_高春山のアルプス教 | 15 化地蔵 | 第一五章化地蔵〔六八九〕 バラモン教の其一派アルプス教を樹立して 高春山に巣窟を構へて住める鬼婆の 鷹依姫が悪業を言向け和し救はむと 三五教に名も高き高姫黒姫両人は 鳥の岩樟船に乗り意気揚々と中天に 雲押し開き分け上り高春山の麓まで 二人は無事に着陸し黄金の草の茂りたる 胸突坂を攀じ登り岩窟並ぶ天の森 祠の前に休らひて天の瓊矛を振り廻し 言霊戦の最中にテーリスタンやカーリンス 鷹依姫の両腕と頼む曲津に誘はれて 岩窟の中に引き行かれ音信も今に知れざれば 二人を救ひ出さむと言依別の神言もて 竜国別や玉治別の神の使と諸共に 遠き山路を打渉り漸う此処に津田の湖 竜国別は北の路玉治別は湖水をば 横断り乍ら進み行く国依別の宣伝使 鼓の滝を右に見て神と君とに真心を 尽くす誠の宝塚峰を伝ひて六甲の 御山を指して登り行く。 国依別は杖を力に巡礼姿の甲斐々々しく、六甲山の頂上目蒐けて登り行くに路の傍への枯草の中にスツクと立てる石地蔵がある。 国依別『アヽ大変にコンパスも疲労を訴へ出した。一つ此石地蔵を相手に一服しようかなア。……オイ地蔵さま、お前は何時も美しい顔をして慈悲の権化とも云ふ様に見せて御座るが、随分冷酷なものだなア。どこを撫でてもチツとも温味はありやしない。何程地蔵だと云つても斯う蒲鉾の様に石に半身をくつつけて、半分体を出した所は、まるで磔刑に遇うた様なものだよ。今の世界悪の映像は、恰度お前が好い代表者だ。外面如地蔵、内心如閻魔の世の中の型が映つて居るのだなア』 地蔵は石から離れて浮き出た様に、ヒヨコヒヨコと錫杖を突いて、一二間許り歩み出し、 地蔵『オイ国依別、イヤ女殺しの後家倒しの、宗彦の巡礼上りの宣伝使、貴様の翫弄した女達に、今此処で会はしてやらうか。俺の悪口を言ひよつたが、貴様も随分悪い奴だよ。貴様こそ心に鬼を沢山抱擁し、外面は三五教の宣伝使なぞと、チツとチヤンチヤラ可笑しいワイ。其様な者を言依別命が信任するとは、ヤツパリ暗がりの世は暗がりの世だ。盲目ばかりの暗黒世界だなア』 国依別『コレコレ石地蔵さま、否化地蔵さま、お前はチツト言霊が悪いぢやないか。大方幽界で高歩貸でも行つて居るのだらう。中々娑婆気があつて面白いワイ』 地蔵『今の社会の奴ア、追々と渋とうなつて来やがつて、俺の商売もサツパリ算用合うて銭足らず。あちらからも小便を掛け、こちらからも小便をかけ、まるで世界の奴ア、犬の様なものだよ。借る時にや尾を掉つて出て来るが、返せと言へば鬼権だとか何とか云つてかぶり付く、咬犬の様な奴ばつかりだ。俺も仕方がないで、高歩貸をフツツリと断念し、菩提心を起して石地蔵になり、世界の亡者を助けてやらうと思つて、終始一貫不動の精神を以て、路の辻に鯱こばつて居れば、俺に金を借つた奴、借る時の地蔵顔、済す時の閻魔顔、悪魔道に落ちた報ひで、情ない、犬に性を変じて再び娑婆に現はれ、又しても小便をかけて通りよる。本当に人間と云ふ奴は仕方のないものだ。お前は高歩貸は苦めなかつたが、女は随分苦めたものだのう。キツト貴様も其報いで、今度は猫に生れ変るのは、閻魔の帳面にチヤンと記いて居たぞ。国依別と云ふのは娑婆に居る間の雅号だ。貴様の名はヤツパリ竹公又の名は宗彦、右の腕に梅の花の斑紋があると云ふ事が記してある。どうだ間違ひか』 国依別『それはチツとも間違がない。併し冥土へ行けば美人は沢山居るだらうな』 地蔵『居らいでかい。しかし乍ら婦人同盟会が創立されて、第一、宗彦と云ふ奴が出て来たら、集つてかかつて、血の池へブチ込んでやらうと云ふ事に、チヤンと定まつて居るよ』 国依別『お前は一体男か女か』 地蔵『それを尋ねて何にするのだ。若し俺が女だと云ふ事が分つたら、又何か地金を出して註文でもするのだらう』 国依別『誰がそんな冷たい奴に秋波を送る馬鹿があるかい』 地蔵『幽界に居る女は、誰もかれも氷の様な冷たい体ばつかりだぞ』 国依別『お前は坤の金神の別名で、実に優しい神の権化ぢやと聞いて居つたが、違ふのか』 地蔵『地蔵にもイロイロの種類がある。俺は借る時の地蔵顔、済す時の閻魔顔と云つて善悪両面を兼ねた活仏だ。地獄の沙汰も金次第、俺がお前に対し、柔かく親切に持ちかけるのも辛く当るのも、みんなお前の心一つだ。善も悪も全部此地蔵の方寸にあるのだ。昔から地蔵(地頭)に法なしと云つて、天下は地蔵の自由だ。馬鹿正直な、善だの悪だのと、俄上人になつて迂路付くものぢやない。なぜ生地其儘の正体を現はさぬのか』 国依別『お前の様に人を三文もせぬ様に言つて了へばそれまでだが、これでも娑婆世界に於いては最優等の身魂を持つて居る神のお使だぞ』 地蔵『何は兎もあれ、俺を背中に負うて六甲山の頂上まで連れて往つて呉れ。俺もこんな谷底に何時までも立ん坊になつて居つては面白くない。そこらの景色も見飽いて了つた。チツと世間を広く見たいからなう……』 国依別『それや事と品によつたら、負うて行つてやらない事もない。併し地獄の沙汰も金次第だ、金を幾ら出すか』 地蔵『俺は貴様の実地目撃する通り石の地蔵だ、金があらう筈はないよ』 国依別『そんなら止めて置かうかい。アタ重たい。此山坂を自分の体丈でも持て余して居るのに、此上重量を追加しては堪つたものぢやないワ』 地蔵『貴様も割とは弱音を吹く奴だなア。そんな事で高春山の鷹依姫が帰順すると思ふのか。俺を山頂まで連れて行く丈の勇気がなければ、どうせ落第だ。貴様の連れの玉治別は津田の湖水で、遠州、駿州、武州の為に亡ぼされ、竜国別は鬼娘に喰はれて了つたぞ。後に残るは貴様一人だ。到底此言霊戦は駄目だから、俺を負うて上まで能う行かぬ位なら、寧ろ兜を脱いで、是から引返したがよからうぞ』 国依別『何ツ、竜国別は鬼娘に喰はれたと。それや本当かい』 地蔵『それや本当だ。地蔵(自業)自得だ』 国依別『コレヤ石地蔵、貴様は洒落てるのか。嘘だらう』 地蔵『誰が嘘の事を言つて、あつたら口に風を引かす馬鹿があるかい。玉治別は寂滅為楽の運命に陥り、頭に三角の霊衣を被つて、たつた今やつて来る。マア暫く待つて居るが宜からう』 国依別は「ハテナア」と手を組み大地にドツカと坐し、鎮魂を修し、自ら虚実の判断に心力を熱中して居る。 地蔵『ハヽヽヽヽ、何時まで考へたつて、一旦国替した者が帰る気遣ひはない。早く俺の要求を容れないか』 国依別『八釜しく云ふない。自分の体も自由にならぬ中風地蔵奴。負うて行つてやるも、やらぬも、俺の考へ一つだ。今臍下丹田、地の高天原に八百万の神を神集ひに集ひ、神議りに議らむとして、諸神を鎮魂にて招ぎまつり居る最中だ』 地蔵は何時の間にか、なまめかしい美人の姿と化して了つた。 女『サア国さまえ、妾はお前さまに娑婆で随分嬲られたお市ですよ』 国依別『ナニ、お市だ、馬鹿を言ふな。大方金毛九尾の奴狐め。俺を誑す積りだらうが、そんな事に誑される国依別と思つて居るかい』 女『妾は最早幽界の人間、お前も、何と思つてらつしやるか知らぬが、此処は六甲山ぢやない、六道の辻ぢやぞえ。よう考へて見なさい。そこらの光景が娑婆とはスツカリ違ひませうがな』 国依別『馬鹿を言ふない。何処に違つたとこがあるか。グツグツ吐すと、狐の正体を現はしてやらうか』 女『ホヽヽヽヽ、あの宗さまの気張りようわいなう。腹の底から恐ろしくなつて来たと見え、汗をブルブルかいて、あらむ限りの力を出して、空威張りして居らつしやるワ、そんなこつて、どうして鷹依姫が往生しますかい』 国依別『往生さす、ささぬは此方の自由の権だ。女だてら我々の行動を、喋々と容喙する権利があるか』 女『あつても無くても、妾は妖怪だから容喙するのが当然だ。お前さまは現界に居つた時から、沢山の女を誘拐しなさつただらう。それだから今度は幽界へ来て、反対に女から何も彼も容喙されるのは、過去の作つた罪業が酬うて来たのですよ、ホヽヽヽヽ、あのマア不快らぬさうなお顔……』 国依別『エー放つときやがれ』 女『放つとけと仰有つても、お前さまの様な悪党は何程気張つても仏にはなれませぬぞえ。鬼にもなれず、マア石地蔵に小便をかけて歩く犬位なものだ。けれども幽界では顔丈は人間たる事を許される。それだから人犬と云ふのだ。人犬番犬妻王の馬と云つて妾を今まで馬にして来たが、今度は妻王の馬にしてあげるのだ。サア其処に四這ひに這ひなさいよ』 国依別『どこまでも男をチヨン嬲るのか。男の腕には骨があるぞ』 女『女だつて骨はありますよ。細うても樫の木、お前の腕は太く見えても新米竹の様な、中が空虚でヘナヘナだ。娑婆では腕を振廻して、こけ嚇しが利いただらう。新米竹の竹さんと云つて、威張つて行けたが、幽界ではチツと様子が違ひますよ』 国依別『エー雀の親方見たいに、女と云ふ奴は娑婆でも囀るが、幽界へ来てもヤツパリ囀るのかなア。雀女奴が』 女『竹さんに雀は品よくとまる、とめて止まらぬ恋の道だ。あちらからも青い顔して細い手を出し、こちらからも細い手を出して、竹さん来い来いと招んで居る……あの厭らしい亡者の姿を御覧。それ芒原の彼方から、お前に翻弄された雀女が、沢山に頭を出してゐるぢやないか。チツとは思ひ知つただらう』 国依別『オモイ知るも、軽い知るもあつたものかい。女なら亡者であらうが、化物であらうが、ビクとも致さぬ竹さん兼宗彦兼国依別命様だ。サアお市、気の毒だが貴様ここへユウカイして来て呉れ。俺が一々因縁を説いて、諒解の行く様にしてやる。ワツハヽヽヽ。女と云ふ奴は化物でも気分の良いものだワイ』 お市『お前は娑婆で、石灰竈の鼬のやうにコテコテ塗つた魔性の女や、化女、売淫女、夜鷹なぞに、何時も現を抜かして、鼻毛を抜かれ、眉毛を数まれ、涎を垂らかし、骨まで蒟蒻の様に為られて来た代物だから、化物は好い配偶だ。どんな奴でも構はぬ物喰ひのよい助作だから、ヤツパリ幽界へ来ても其癖が止まぬと見える。娑婆から幽界へ、そんな糟を持越して貰つては、閻魔さまも聊か迷惑だらう。地蔵顔してお前の巾着ばつかり狙つて居る魔性の女は、幽界にも多数に居るから、御註文なら幾らでも召集して来ませうか』 国依別『オイ一寸待つた。物も相談ぢやが、貴様一旦暇をやつたのだが、今度は一つ焼き直し、ドント張り込んで焼木杭に火が点いた様に、旧交を暖めたらどうだ。さうすれば貴様も沢山な女を集めて来て、修羅を燃やし修羅道へ落ちる心配はないぞ』 お市『ホヽヽヽヽ、自惚も良い加減にしたがよいワイナ。誰がお前の様なヒヨツトコから暇を貰ふものかいナ。暇を貰ふ所までクツついとる馬鹿があるものかい。憚り乍ら、お市の方から肱鉄を喰はして、鼻毛を抜いてお暇を呉れたのだ。三行半は誰が書いたのだ。お前覚えがあるだらう』 国依別『幽界へ来てまで、そんな恥を曝すものぢやない。俺ばつかりの恥辱ぢやないぞ。女は温順なのが値打だ。一旦女房になつたら、仮令夫が馬鹿でもヒヨツトコでも、泥棒でも、どこまでも女としての貞操を尽すのが良妻賢母だ。それに滔々と女の方から暇をやつたなぞと、天則違反的行為を自ら曝け出すと云ふ不利益な事があるか。閻魔さまに聞えたら、キツト貴様は冥罰を蒙るに定つて居るぞ』 お市『ホヽヽヽヽ、ガンザカ箒の様な男が、どこを押したらそんな真面目くさつた言葉が出るのですかい。貴方はそんな事を云ふ丈の資格はありませぬよ』 国依別『アヽしようもない。石地蔵や亡者女に妨げられて、思はぬ光陰を空費した。サア是れから高春山へ出陣せねばならぬ、そこ退け』 女『退けと云つたつて、どうして退けませう。妾だつてアヽ云ふものの、ヤツパリ、仮令三年にもせよ、お前と、夫よ妻よと呼んで暮した仲だもの、チツとは同情心が残つて居るのだから、お前も酷い女だと思はずに、腹の底をよく考へて下さらぬと困りますよ。此位な事に怒る様では、人犬たる資格はありませぬぞえ。夫婦喧嘩は犬も食はぬと云ふぢやありませぬか。お前もあんまり夫婦喧嘩に角を立てて怒ると、外の人犬が見て馬鹿にしますよ。そこらの女に小便を掛けさがし高利を借つては糞を掛けさがしたか……そいつア知らぬが、後家倒しの婆喰ひの人犬ぢやないか。お前に喰はれた後家婆アも、臭い顔して随分沢山に色欲道の辻に待つて居りますぜ。これからがお前の性念場だ。マア楽しんで行かつしやい。妾は夫婦の交誼でこれ丈の注意を与へて置く。何と言つても地蔵(自業)自得だから諦めて行きなさい』 国依別『俺は何時の間に幽界に来たのだらうかなア。オイお市、俺にはテンと顕幽分離の時期が分らない。貴様は知つて居るだらう。言つて呉れないか』 女『オホヽヽヽ、分りますまい。お前がモウ此後七十年経つた未来に、斯うして妾に会ふのだよ』 国依別『なあんだ。それならまだ大丈夫だ』 女『お前は丙午の年だから、随分これから女を沢山に殺して、七十年後になれば今の何十倍と云ふ亡者が出来て、歓迎会でも開くだらうから、苦しんで待つて居るがよからう』 国依別『お構ひ御無用だ。俺は楽しんで待つて居る。楽天主義の統一主義の進展主義の清潔主義を標榜する三五教の宣伝使だ』 女『如何にもお前は畜生道へ落転主義だらう。さうして現界で高春山を征服し、鬼婆に糞をかけられ、天の真名井へ泣きもつて、吠面かわいて立帰り、他の宣伝使からドツサリ氷の様な冷たい水を打掛けられ、アヽこれで清潔主義の実行だと喜ぶのだらう。折角人犬になつた魂を曇らして、再び鼬となり、人に最後屁をひりかけ、業を経て貂に進む、進貂主義を実行なさいませ』 国依別『娑婆にある間は、どうしようと斯うしようと俺の腕にあるのだ。お構ひ御無用だ。亡者は亡者らしく石塔の下へ蟄伏して、時々風が吹いたら首を突出し、糠団子でも喰て居れば好いのだ、マア暫く楽しんで待つて居れ。七十年未来になれば、俺の殺した女亡者に限り、全部統一主義を実行し、幽冥界に一つの国依別王国を建設するから、それまでにイロイロと世の持方の研究をして置くのだよ。其時には貴様を伴食大臣に登庸してやる』 お市『誰が、お前の部下になるものが一人でもありますかい。エー娑婆臭い事を言ひなさるな』 斯かる所へ五六人の男、茨の杖を突き乍ら走せ来り、 男『オイ三五教の……貴様は宣伝使だらう。俺は高春山のテーリスタンの部下の者だ。早く起きぬかい』 国依別『ハハア、貴様は悪業充ちて幽界へ来せたのだなア。良い加減に改心せぬかい。貴様等は何奴も此奴も独身生活と見えるが、何程幽界へ来ても、女房は欲しいだらう。チツト使ひ古しでお気に入らぬか知らぬが、俺のお古が一寸十打程此処にあるのだ。一つ手を叩けば「アーイ」と言つてやつて来るのだ。「旦那さん、こんちは」と云つてお出でになるぞ。中にや随分素敵な奴もあるから、何れなつと選り取り見取りだ。一品が一銭九厘屋で御座い』 甲『オイ貴様は何寝惚けて居やがるのだ。辻地蔵の前に寝転びやがつて、シツカリさらさぬかい』 此声に国依別は四辺をキヨロキヨロ見まはし、 国依別『ハハア、なあんだ。夢を見て居つたのか……オイ貴様は何処の奴だい』 甲『俺は言はいでも知れた、高春山の鷹依姫様の御家来だ。貴様は唯一人高春山へ何しに行くのだ。此処は南の関所だぞ』 国依別『アヽさうだつたか。マアゆつくり一服せい。相談がある』 甲『貴様に相談をかけられるのは、碌な事ぢやあるまい』 国依別『其落ちつかぬ様子はなんだい。戦はぬ間から負けてるぢやないか、地震の神懸をしやがつて………チツと胴を据ゑないか』 甲『貴様は国依別のヘボ宣伝使だらう。サア白状せい』 国依別『アハヽヽヽ、天晴れ堂々たる天下の宣伝使だ。貴様の様な小童武者に、何隠す必要があるか。国依別命とは俺の事だ』 乙(常公)『ヤア貴様は竹公ぢやないか。何時やら俺の妹をチヨロまかした曲者奴』 国依別『ウンお前はお松の兄貴の常公だつたなア。言はば義理の兄貴だ。併し貴様もよく零落したものだなア。さうしてお松はどうなつたか』 常公『貴様余程迂濶者だなア。俺の妹のお松は生意気な奴で、俺と信仰を異にし、到頭ウラナイ教の高姫の乾児になりやがつて、高城山で松姫と名乗り、立派にやつてけつかるのだ。俺は心が合はないから行つた事がないが、中々俺の妹だけあつて善にもせよ、悪にもせよ、傑出した所があるワイ』 国依別『何ツ、あの松姫がお松だと云ふのか。其奴ア大変だ。さう云へば何だか合点がゆかぬと思つて居たのだ。松姫は中々俺達とは違うて、今は三五教の錚々たる宣伝使だ。ヤツパリ俺に秋波を送る様な奴だから、代物がどつか違つた所があるのだな、アハヽヽヽ』 丙『オイ斯んな所で惚気を聞かしやがつて、何だ、チツと確乎せぬかい』 国依別『羨ましいだらう。随分松姫は別嬪だぞ。知慧もあれば力もあり、愛嬌もあり、あんな奴ア、滅多にあつたものぢやない。俺もさう聞くと、松姫が一層崇高な人格者の様に見えて来たワイ』 一同は、 一同『ワツハヽヽヽ』 と笑ひ転ける。甲、乙、丙、丁、戊、己の六人は遂に国依別に言向け和され、心の底より国依別の洒脱なる気品に惚込み、信者となつて高春山へ筒井順慶式を発揮すべく、がやがや囁きながら進み行く。 (大正一一・五・二一旧四・二五松村真澄録) |
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129 (1799) |
霊界物語 | 22_酉_鷹鳥山の鷹鳥姫 | 04 玉探志 | 第四章玉探志〔六九六〕 言依別命に従ひて黒姫、鷹依姫、竜国別、テーリスタン、カーリンスの五人は錦の宮に参拝し、言依別命は宮殿深く神務の為めに進み入り、五人は各家路に帰らむとする時しも、高姫、紫姫、若彦の三人と十字街頭にピタリと出会した。 高姫『これはこれは黒姫さま、鷹依姫さま、その他御一同、一寸高姫の宅まで来て下さい。折入つてお訊ねしたい事が御座います』 意味あり気な此の言葉に黒姫はハツと胸を刺される心地がした。されど、さあらぬ態にて、 黒姫『ハイ、何用か存じませぬが、妾は今参拝の帰り路で御座います。何時参りましたら宜しいでせうか』 高姫『皆さま、妾等三人は参拝して来ますから、先へ妾の宅まで帰つて居て下さい。直に帰りますから。鷹依姫さまも、竜国別さまも、テーさまも、カーさまも御一緒に待つて居て下さい』 と撥ねた様な言葉尻を残して忙しさうに参拝道に進み行く。黒姫は胸に一物、思案に暮れながら高姫の宅に立寄り、帰宅を五人一同打揃ひ待つて居た。 テーリスタン『モシ黒姫さま、高姫さまの顔色が変つて居ましたな。悪事千里と云つて、今朝の騒ぎが高姫さまの耳へ這入つたのぢやありますまいか』 黒姫『サア、何だか何時もに変る気色だつた、困つた事になりましたな。お前、仕様もない事をするものだから各々に心配をするのだよ』 テー、カーは首を傾け、 テーリスタン、カーリンス『ハイ、私が悪う御座いました。併し教主様がお赦し下さつたのだから、もう彼の話は言はぬやうに致しませうかい。折角教主の言葉を無にしてガヤガヤ騒ぐと、世間へ洩れてはなりませぬから』 黒姫『ヘン、貴方には都合が宜しからうが、責任者たる妾は大変に面目玉を潰しました。本当に油断のならぬお方ぢやなア。テーリスタン、これから口の物を喰ひ合ふ様な仲でも油断は出来ませぬぜ、本当に困つた人だ。もう是きり改心をするでせうな』 カーリンス『玉から事件が方角違ひに外れて居るのだから仕方がない。まあまあ兎も角、吾々両人が盗んだ事に成つて居るのだから、何と言はれても仕方がないさ』 黒姫『ヘン、なつて居るから仕方がないとは能う言へたものだよ。オホヽヽヽヽ』 斯く言ふ処へ高姫は身体をプリンプリンと振りながら、チヨコチヨコ走りに慌しく帰り来り、 高姫『サア若彦さま、紫姫さま、お這入りなさいませ』 と先に立つ。 若彦、紫姫『ハイ』 と答へて両人は奥へ通つた。 黒姫『高姫様、えらう早う御座いましたな』 高姫『いつもの様に、ゆつくりと御礼も出来ませぬわ。能うマアお前さま、ヌツケリと落着いて居られますなア。黄金の玉の行方は分りましたかい』 黒姫『エー、未だに………分り…………ませぬ。然し貴女は誰にお聞きなさいましたか』 高姫『貴女は誰も知らぬかと思つて居らつしやるが、夜前から貴女等の喧嘩を誰も知らない者は一人もありませぬよ。みんな聞いて居ましたよ』 黒姫『寔に申訳なき事で御座います』 高姫『申訳がないと言つて肝腎要の御神宝を紛失し、能う安閑として居れますなア』 テーリスタン『もし高姫様、黒姫様が悪いのぢや御座いませぬ。私とカーリンスと二人が何々したのですワ』 高姫『エー聞きますまい、あた穢はしい。そんな事あ、ちやんと妾の耳に入つて居る。併し乍ら肝腎の責任は黒姫様にあるのだ。黒姫様何となさいます。一つ御了簡を承はり度い』 黒姫『何事も言依別命様が御引受け下さいましたから申しますまい』 高姫『それで貴女、責任が済むと思ひますか、言依別命様に何も彼も塗りつけて、能うお前さま、平気の平左で済まして居られますな。無神経にも程があるぢやありませぬか』 黒姫『さうだと言つて如何も仕方がないぢやありませぬか。八岐の大蛇の執念深き企みに依つて、バラモンの手に疾の昔、手に這入つて了つたものを、如何してこれが元へ帰りませう。妾がテー、カーの様な者を使つたのが過失です』 高姫『これ、テーにカー、お前如何する積りだい』 テーリスタン『ハイ、申訳がありませぬ』 カーリンス『仕方がありませぬ』 高姫『能う、そんな事が言へますワイ。これ黒姫さま、この責任を果す為めにお前さまは生命のあらむ限り草を分けても探ね出し、再び手に入れて神政成就のお宝を御返し申さねば済みますまい。何をキヨロキヨロして居なさる』 と坐つた膝を畳が凹む程打つけて雄猛びした。 黒姫『妾も決心して居りますよ』 高姫『二言目には刃物三昧の決心は廃めて貰ひませう。そんな無責任な事がありますか。サアサアとつとと出なさい。さうして其玉が手に入らぬ事には再びお目には懸りませぬよ。鷹依姫さま、お前さまも嫌疑が掛つた身体ぢや、黙としては居られますまい。竜国別さまは、親の疑を晴らす為に是も黙としては居られまい。テー、カーの両人も本当に盗つたか盗らぬか、そりや知らぬが、もう一苦労して世界に踏み出し、五人が五大洲に別れて探して来ねばなりますまい。さうぢやありませぬか。若彦さま、紫姫さま、黄金の玉を盗られた玉無しの宮を、ヌツケリと番して居る訳にはゆきますまい。紫姫さま、若彦さま、返答を聞かせなさい』 と無関係の両人にまで腹立ち紛れに八つ当りに当る。 若彦『あゝあ、何処へ飛沫が来るか分つたものぢやない。併し私は言依別さまの御意見を伺つて其上に致しませう。紫姫さまも今では重要な位置に居られるのだから、之も自分の自由にはなりますまい』 高姫『お前さまに直接責任がないと言つて、そんな平気な事を言つて居られますかいなア。言依別命様は柔弱な奴灰殻ぢやから、斯んな黒姫さまの失態を何とも処置をつけないのだ。然し教主として誰を悪いと云ふ訳にもゆかず、瑞の御魂の本性を現はし、表面は何喰はぬ顔して平気に見せて御座るが、心の裡は矢張り御心配して御座るに間違ひない。一を聞いて十を悟る身魂でないと、肝腎の御用は勤まりますまい。サア黒姫さま、如何なさいます、言依別の教主が赦されても、此高姫が承知致しませぬぞや。妾も一度はウラナイ教を樹て、お前さま等と共に変性女子に背いて見たが、それも素盞嗚尊様のお心を取違ひして居つたからだ。変性女子の身魂からお生れ遊ばした言依別命様も自分が其罪を一身に御引受け遊ばして御座るのぢや、それを思へば妾はお気の毒で堪らない。地の高天原は此高姫が是から玉照彦さま、玉照姫さまを守り立てて立派に御用を勤めて見せます。サア早く何とか準備を為さらぬか』 黒姫『妾も三五教の宣伝使、屹度何とか働いてお目に掛けます』 竜国別『吾々も母上様の嫌疑を解く為め、お暇を頂いて世界漫遊に出かけます。さうして玉の在処を探ねて来ます』 鷹依姫『いや妾も年寄と云つても元気がある。何処迄も此玉を探し当てる迄世界中を巡歴して来ます』 高姫『それは大に宜しからう、さうなくてはならぬ筈だ。これ、テー、カー、お前等は如何する心算だい』 テーリスタン『仮令八岐の大蛇の腹の中を潜つてでも、玉の在処を探さねば措きませぬ』 カーリンス『私も其通りだ。然し高姫さま、言うて置くが、何卒如意宝珠の玉と紫の玉を紛失せない様に、言依別の神様を助けて保管を願ひますよ』 高姫『ハイハイ、そんな事は言つて貰はいでも、気を付けた上にも気を付けて居ます。心配をせずに一日も早く玉の在処を探ねにお出でなさい。さうして在処が分つたら、無言霊話を早速掛けて下さい。皆さまも其のお積りで…………宜しいか』 と叩きつける様に言ひ放つた。 五人(黒姫、鷹依姫、竜国別、テーリスタン、カーリンス)『ハイ承知致しました。然らば之より言依別の教主様に一寸お暇乞ひを致して来ませう』 と五人が立ち上らむとするを、高姫は押し止め、 高姫『まあお待ちなさい。貴女方が神様の為に尽くすのなら、此儘言依別の教主に分らない様にするのが誠だ。教主は涙脆いから、又甘い事を仰有ると、忽ちお前さま達の腰が弱つて了ふから、妾が善き様に申し上げて置く。サア早くお出ましなさいませ』 竜国別『あゝあ、偉い災難で、高姫さまに高天原を追ひ出されるのかなア』 高姫『嫌なら行かいでも宜しい』 と高姫は睨め付ける。五人は是非なく高姫の宅をスゴスゴと立ち出で錦の宮を遥に拝し、各旅装を整へ世界の各地に向つて玉の捜索に出かけた。 (大正一一・五・二四旧四・二八北村隆光録) |
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霊界物語 | 22_酉_鷹鳥山の鷹鳥姫 | 08 鬼の解脱 | 第八章鬼の解脱〔七〇〇〕 頭髪に霜を戴きし此世を半過ぎ去つた 皺くちや婆の一人旅枯野にすだく虫の音も 細く聞ゆる断末魔風のそよぎも何となく 淋しさ交る荒野原杖を力に進み行く。 道の傍の薄原に埋つた頭の欠けた石塔七つ八つ、苔生して字も碌に見え兼ねるばかり古びて居る。側に頭のとれた石地蔵、左手に玉を載せ、右手に親指と中指を合して輪となし、食指をツンと空に立て、地蔵も銭なき衆生は度し難しと、首まで刎られても執念深く、未だ金銭の欲が放せないと見え、此処にも亦執着心を遺憾なく暴露して居る。 一人の婆は地蔵の玉をツクヅクと打眺め打眺め、 婆(高姫)『オイ、お前は何者ぢや、其玉は勿体なくも如意宝珠の玉ではないか、此高姫が秘蔵せし神宝を何時の間にか盗みよつて其天罰で貴様の首は此通り、サア早く此方へ渡せ』 と石地蔵の手から無理にむしり取らうと藻掻いて居る。石塔の裏から萱の穂をガサガサ言はせながら、ヌツと現はれた二人の婆に三人の男、力なき声で、 五人(黒姫、鷹依姫、竜国別、テーリスタン、カーリンス)『高姫高姫』 と呼び止める。高姫は此声に驚いて萱原に目を注げば、豈図らむや、黒姫、鷹依姫、竜国別、テーリスタン、カーリンスの五人連れである。 高姫『これ、黒姫さま、黄金の玉は如何なつた。お前達は五人連れで手分けして、世界中を探ね廻り、あの玉を受取り無言霊話を掛けよと吩咐けて置いたのに、斯んな所で何愚図々々して居るのだい』 黒姫『妾は貴方に無体な事を言はれ、それが残念で残念で堪らなくなつて、到頭丹後の海へ五人一度に身を投げて死んだワイ喃。この怨恨を晴らさむ為めにお前に憑依いて生命をとつたのだ。サア之から五人が寄つて集つて、首を抜き手を抜き足を抜き、嬲殺にしてやらう、覚悟をなされ』 と蒼白な顔を曝け出し、両手を乳の辺から蟷螂の様に前に下げ、風のまにまにフワリフワリと高姫の前後左右に押し寄せて来る。 高姫『此処は何処と心得て居る、お前達は冥途へ行つて、まだ迷うて居るのか。エー死んだ奴は仕方がないから、もう許してやらう、早く成仏したが宜からうぞ』 鷹依姫『お前の為めに母子二人が此難儀、お前は現界の積りだらうが、此処は地獄の八丁目だ、精神錯乱してお前は最早地獄の旅をして居るのだよ』 高姫『はて、不思議』 と頭に手を当てて見れば、何時の間にか三角形の紙の帽子を被せられて居る。 高姫『ヤア、こりや大変だ、いつの間に死んだのかなア。もう斯う成つては神政成就も糞もあつたものぢやない。死んだ人間が二度死ぬ例はあるまい。此上は破れかぶれ、生命を的にお前達を滅して地獄の釜のどん底へ連れて行つてやらう。覚悟をせよ』 と目を釣つて呶鳴りつけた。竜国別は威丈高になり、 竜国別『こりや高姫、俺等母子を斯んな目に遇はせよつたのも、元は貴様故ぢや。何程貴様が頑張つても此方は五人其方は一人、到底衆寡敵する事は出来まい。サア覚悟をせい』 と細い腕でグツと高姫を掴みにかかる。テーリスタン、カーリンスは棍棒を持ち、両方から叩き潰して呉れむと打つてかかる。黒姫、鷹依姫は肩を揺り腮をしやくり、小気味よささうに、 黒姫、鷹依姫『ホヽヽヽヽ、ホウホウホウ』 と笑つて居る。流石の高姫も進退維れ谷まり、生命からがら枯野ケ原を当途もなく逃げて行く。後より五人は、 五人『オーイオーイ、待つた待つた』 と追ひ駆け来る。ピタツと行き当つた大川、愚図々々して居れば五人に取捉まるかも知れぬ。地獄の釜の一足飛び、行く処まで行かむと決心の臍を固めた高姫は、身を躍らして濁流へバサンと飛び込み、流れ渡りに向岸に着いて、着衣を換へて忽ち洗濯婆となつて了つた。続いて二人はバサンバサンと飛び込んだ。三人の男は真裸となり、着衣を頭に括りつけ泳いで此方へ渡つて来る。高姫は、 高姫『こりや大変』 と濡れた着物を引抱へ、真裸のまま枯れた薄ケ原を身体中擦傷を負ひながら、呼吸を限りに何処ともなく駆けだした。五人は執念深く追つ駆けて行く。 高姫は身を没する許りの枯れた薄の中に蹲んで居る。五人は一生懸命駆けつけ来り、 五人『ヤア、臭いぞ臭いぞ、高姫の臭がするぞ』 と其処中を犬の様に嗅ぎつけ廻る。高姫は薄の中から怖々五人の姿を見れば黒姫、鷹依姫、竜国別、テーリスタン、カーリンスと見えしは謬まり、何れも青、赤、黒の鬼の姿で金棒を打ち振り、萱原を片端から将棋倒しに叩いて廻り、高姫の在処は何処ぞと厳重に捜索し始めた。五人の男女の鬼は、 五人『アヽ疲れた。もう此処まで探して居らねば先方へ逃げたのだらう。思惑とは脚の達者な奴だ。現界では口達者だと評判な奴だが、口八丁足八丁とは此奴の事だ。グヅグヅして居ると俺等の関門を突破して、天国へ遁走するかも知れないぞ。サア早う行かう』 と駆け出す。一人の鬼は、 一人『オイ、貴様達四人、先へ行け。俺は未だ此処に暫時残つて再調査をやつて見るから……如何も俺の鼻には高姫の臭がして仕方がない』 四人の鬼は、 四人『あと確り頼んだぞ』 と息せききつてバタバタ駆け出す音、高姫の耳に雷の如く響いて来る。高姫は二三間薄を隔てて赤鬼が角突き立て、巨眼を剥き出し砂煙草を吸うて居るのに、心も心ならず、呼吸さへようせず小さくなつて慄へて居る。 鬼『あゝ俺も生存中は黒姫と言つて色が黒い黒いと言はれた者だが、斯う冥途へ来て見れば身体中が真赤けの赤鬼となつて了つた。然し高姫さまは、あゝ言ふものの気の毒な事だ。如何かして助けて上げたいものだなア。何でも此辺に居るに違ひない。皆の奴をあゝしてまいた以上は、もう大丈夫だ。一時も早く嗅ぎつけて高姫さまを救ひ出さねばなるまい。ヤア四人の奴は大分先方へ行つた』 と小声に呟きながら、高姫の潜める場所へ萱の穂を踏み分け現はれ来り、 赤鬼(黒姫)『高姫さま、久振りでしたなア』 高姫『ハイ、貴方は誰方で御座いますか。何卒お許し下さいませ』 赤鬼(黒姫)『私は赤鬼ぢや、お前さまの知つている通り黄金の玉を盗られた、その悔しさ残念さが残つて今此処に赤鬼となつて現はれたのだ。お前さまも玉を盗られて悔しからう。グヅグヅして居ると又鬼の群がやつて来て何んな目に遭はすか知れませぬぞえ。サア私の背中に負ぶさつて下さい、之から向ふの山へお伴致しませう。其処は幽界第一の安全地帯です』 と恐ろしい顔に似ず親切な言葉に、高姫はヤツと安心し、 高姫『あゝお前は黒姫であつたか、何卒妾を助けて下さい』 赤鬼(黒姫)『承知しました』 と高姫を仁王が三つ児を負うた様に軽々しく背に負ひ、金棒を引抱へ、 赤鬼(黒姫)『ヨイシヨヨイシヨ』 と足拍子をとりながら、茨だらけの嶮しき野山を何の苦もなく韋駄天走りに踏み越え踏み越え、殆ど二三十ばかりの山を登りつ下りつ、瞬く間に蒼々した玉草の生えて居る池辺へ下した。 此時池の波、俄に風もなきに立ち騒ぎ始めた。高姫は不審の雲に包まれつつ池の面を目を放さず凝視て居る。赤鬼は忽ちザブンと波たつ池中に身を躍らして飛び込んだ。あとに残るは金棒ばかりである。 高姫『こりや、大変な重いものを持つたものだナ』 と手に握り見れば、桐の樹で作つた張子の金棒であつた。 高姫『へん、莫迦にして居る。何だ、大きな金棒だと思つて居たのに、斯んな鼻糞で的を貼つた様な苧殻同然の金棒だ、こんな奴なら五本や十本、仮令千本万本でも一遍に踏み躙つて了つてやる。それにしても黒姫の赤鬼、此池に身を投げて死んだのであらうか、真に不愍な事だ』 と金棒を持つや否や、俄に自分の姿は真黒けの黒鬼と化して了つた。暫くすると黒姫の姿は水面に浮び上がつた。 高姫『あゝ黒姫さま、鬼の姿は如何なつた』 黒姫『妾は其金棒に執着が残つて居つて、鬼となつて了つたのだが、此処へ来て金棒を放擲し、運を天に任し此池の中へ身を投じた処、池中に竜宮の乙姫さまの様な立派な女神さまが現はれて、妾の鬼の皮を剥ぎとり、旧の肉体にして下さつたのです。お前さまも其金棒を放かしなさい。そんな物に執着があると、其通り忽ち鬼になつて了ひますよ。金棒は愚、形ある玉なんかに執着すると、ま一つ苦しい地獄へ陥ちねばなりませぬ』 と波の上に浮ぶ葭の葉に軽く止まつて気楽さうに笑つて居る。 此時以前の四人の鬼、金棒を提げ一目散に此場に現はれ、 四人『ヤア、高姫は此処に居つたか、覚悟を致せ。何時の間にやら俺の仲間になりよつた。僣越至極、サア打ち倒めしてやらう。覚悟をせよ』 と四方より金棒を以て打つてかかる。 高姫『何ツ、苧殻の様な金棒が何恐ろしいか。さア来い』 と自分も黒姫の捨てた鉄棒を拾ひ、打つてかからうと構へる折しも、水面に浮んだ黒姫は、 黒姫『そんな物に執着してはなりませぬ。放かしなさいよ』 と声を限りに叫ぶ。其言葉にハツと気がつき、池畔に投げ棄て、身を躍らして高姫は蒼味だつた池の面目蒐けてバサンと飛び込む。続いて四人の鬼は同じく鉄棒を投げ、同様にバサンバサンと身を躍らした。忽ち水底に沈んだ時、麗しき女神の一柱此場に現はれ、言葉淑かに、 女神『汝は未だ幽界に来るべき者に非ず、一刻も早く立ち帰れ。執着心の悪魔に引き摺られ斯んな所まで迷うて来たのだ。妾は小和田姫命、亦の名は地蔵菩薩だ。早く此鬼の衣を脱げ』 と諭しの言葉に五人はハツと鰭伏す途端に元の姿に復つて了つた。池の水は何時しか影もなく、黄紅白紫に咲き乱れたる美はしき原野の真中に花と花とに囲まれ、涼しき風を身に浴びながら立つて居た。忽ち聞ゆる祝詞の声、空を見上ぐれば、言依別命、言依姫命、玉治別、国依別、紫姫、若彦、お玉の方、時置師神、言照姫、お初を始め玉照彦、玉照姫、雲に乗り悠々として此場に降り来るよと見る間に、忽ち全身冷水を浴びたる如く涼しさを感ずると共に目を開けば、時置師神に抱かれ、言依別命以下の枕辺に端座して、天津祝詞や数歌を奏上しつつあつた。 是より高姫の病気は、拭ふが如く全快した。今後高姫は如何なる活動をなすであらうか。 枯野ケ原を只一人道問ふ人もあら涙 胸の動悸も高姫がとぼとぼ進む暗の路 かたへの淋しき薄野に顔痩せこけた五人連 よくよく見ればコハ如何に鷹依姫を始めとし 心の黒姫竜国別テーリスタンやカーリンスが 亡者となつて高姫の姿見かけて攻め来る コリヤ叶はぬと雲霞一目散に逃げ出せば 途に横たふ大河の波に胸をば躍らせつ 後振り返り眺むれば五人は忽ち鬼となり 金棒打振り追ひ来る南無三宝や一大事 前後も水の激流にザンブとばかり飛び込んで 流れ渡りに向ふ岸ヤツト一息濡衣を 搾る折しも鬼共は河を渡りて追ひ迫る 一生懸命高姫は丈なす萱の茂みへと 身を忍びつつ震ひ居る五人の鬼は執拗に 高姫臭いと遠近を探し廻るぞ恐ろしき 四ツの鬼奴は赤鬼を一つ残して一散に 姿求めて走り行く残りし鬼は高姫を 鬼に似合はぬ親切に背に負ひつつ山谷を 幾つも越えて清水の漂ふ池の袂まで 誘ひ行きて金棒を忽ち投げ棄て池中に 身を躍らして沈み入る時しも四ツの鬼共は 高姫此処かと駆け来り金棒翳して打向ふ 進退茲に谷まりて高姫池中に飛び込めば 四鬼も続いて池の底へたちまち水は右左 サツと別れて美はしき女神の姿ありありと 現はれ給ひ執着心を洗ひ落せば高姫も 五つの鬼も元の如尊き身魂と還るよと 見ればたちまち夢破れ四辺を見れば言依別の 神の命を始めとし杢助お初その外の 人々病床に集まりて天津祝詞や言霊の 神に奏上のまつ最中流石頑固の高姫も いよいよ覚りて執着の心を捨てて三五の 誠の道を真解し言依別の神言を 守りて道に尽すべく霊魂研きの御経綸 実に神界の御事は凡夫の如何にあせるとも 窺知し得べくもあらたふとかしこき神のお取なし 高姫始めて中心の的を掴みし物語 ここにあらあら誌しおくあゝ惟神々々 御霊幸はへましませよ。 (大正一一・五・二五旧四・二九北村隆光録) |
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霊界物語 | 22_酉_鷹鳥山の鷹鳥姫 | 17 生田の森 | 第一七章生田の森〔七〇九〕 三千世界の梅の花薫りゆかしく実を結び 四方の春野を飾りたる桜も散りてむらむらと 咲き乱れたる卯の花の白きを神の心にて 生田の森の片ほとり花を欺く玉能姫 初稚姫の二人連初夏の景色を眺めつつ 再度山の山頂に神の御告を蒙りて 登り行くこそ床しけれ。 杢助は唯一人神前に祝詞を奏上する折しも、門戸を叩き、 国依別『頼まう頼まう』 と訪るる一人の宣伝使があつた。杢助は神前の礼拝を終り、門の戸を開き、 杢助『ヤア、其方は国依別の宣伝使、何用あつて杢助が館を御訪ねなさつたか』 国依別はツと門の敷居を跨げ、杢助と共に座敷に通り、煙草盆を前に置きながら二人向ひ合せ、 国依別『今日参つたのは余の儀では御座らぬ。あなたは折角三五教に入りながら此頃の御様子怪しからぬ事を承はる。事の実否を探らむ為、国依別宣伝の途中、紀の国より取る物も取り敢へず引返し、ここに参りました。あなたは太元教とかを立てて居られるさうだ。神様に対し御無礼では御座いませぬか』 杢助大口を開けて高笑ひ、 杢助『何事ならむかと思へば、左様な御尋ねで御座るか。杢助が折角の信仰を翻し、太元教を新に開いたのは余の儀では御座らぬ。其理由と致す所は、此杢助三五教の信者を標榜し居ると、腰抜の宣伝使や信者が、言依別様の御命令だとか何だとか言つて、旅費を貸せとか、履物を出せとか、いろいろ雑多の厄介をかけ、小便や糞をひりかけ後は知らぬ顔の半兵衛さん。それも一人二人なれば辛抱致すが、絡繹として蟻の甘きに集ふが如く、イナもう煩雑くて堪り申さぬ。杢助の家でさへも此通りだから、其他の信徒の迷惑は思ひやらるる。それ故心の内にて三五教を信ずれども、表面は太元教と、見らるる如く大看板を掲げたので御座る。国依別殿、其方も其亜流では御座らぬか』 国依別『そんな奴は三五教には一人もない筈です。大方バラモン教の奴が、三五教の仮面を被つて居るのでせう』 杢助『バラモン教もチヨコチヨコやつて来る。併し乍ら教の建て方が違ふものだから、先方も遠慮を致して居ると見えて、唯杢助が忙しきタイムを奪つて帰る位なものだ。金銭物品まで借用しようとは申さぬ。宣伝使たる者は未だ教の及ばざる地方又は人に対してこそ宣伝の必要あれ、一旦入信したる者の宅に何時となく訪問致し、厄介を掛け、安を求むる如きは、宣伝使の薄志弱行を自ら表白するものだ。そなたも杢助館に訪問する時間があらば、なぜ其光陰を善用して、未信者の宅を訪問なさらぬか。半時の間も粗末に空費する事は、宣伝使として慎むべき事でせう。サア一時も早く帰つて下され。お茶を進ぜたいが、茶を飲ませては、信者の吾々忽ち貧乏神に襲はれねばならない。仮令番茶の一杯でも小判の端だ。それを進ぜた所で……何だ杢助は、折角訪問してやつたのに番茶を飲まして追ひ返した……と云はれては一向算盤が合ひ申さぬ。愚図々々して御座ると、第一タイムの損害、畳が汚れる。さすれば又もや表替をそれ丈早く致さねばならぬ道理だ。最早杢助は三五教に食はれ、飲まれ、借り倒され、逆様になつても血も出ない様な貧乏になつて了つた。斯んな貧乏神の館へ出て来るよりも、巨万の富を積みながら、此世の行末を案じ、吾身の無常を託ちつつある憐れな精神上の極貧者は、世界に幾らあるか分らない。物質に富み、無形の宝に飢ゑたる人を求めて神の教を説き諭し、錆びず朽ちず、火に焼けず、水に流れぬ尊き宝を与へて、物質上の宝を自由自在に気楽に使用したが宜からう。精神上の宝に充たされ、物質上の宝に欠乏を告げたる此杢助の館に、宣伝使の必要は少しも御座らぬ』 国依別『あなたは此春頃から心機一転、余程吝臭くなられましたなア』 杢助『何だかお前さまの声を聞くと直に、此通り吝臭くなつたのだ。心貧しき力弱き其方の守護神が、杢助の体内に飛び込んで、斯様な事を吐ざいて居るのだ。此杢助は何にも知らぬ、早く国依別さま、心の貧乏神、柔弱神を追ひ出して、連れて帰つて下さい。杢助真に迷惑千万で御座る。アハヽヽヽヽ』 と腹を抱へ、体を大きく揺つて、ゴロンと笑ひ転けて了つた。 国依別『さうして初稚姫様、玉能姫様はどこへお出でになりましたか』 杢助仰向になつた儘、足をニユーと天井の方に直立させ、 杢助『初稚姫、玉能姫は「国」とか云ふ貧乏神がやつて来るから、憑依されてはならないと云つて一時許り前に逃げ出しました。折角結構な神様が杢助の館にお鎮まり遊ばすのに、腰抜神の貧乏神がやつて来るものだから、肝腎の玉能姫……オツトドツコイ魂までが脱け出して了つた。オイ魂抜けの国依別、どうぞ早く帰つて呉れ。此杢助もそなたの霊が憑つて、此通り四つ足になつて了つた。其四つ足もまだ俯向いて居れば歩く事も出来るが、この通り腹と背中を換へて了つては、何程藻掻いて見ても空を掻くばかり、畳に平張付いて動きが取れない。アヽ国依別、たまたま訪ねて来て、四つ足のお土産は真平御免だ。三五教の宣伝使がやつて来ると、手足を藻掻いても、如何しても、動きの取れないことになつて了ふ。馬に灸で貧窮だ。狐に灸で困窮だ。其方は牛に灸で何ぞモウギウな事がないかと思つて来たのであらうが、最早灸も茲まで据ゑられては、艾もあるまい。モグサモグサ致さずトツトと帰つたがよからう』 国依別『杢助さま、火の付いた様な火急なお言葉、あなたは杢助さまではなくて、ヤイトをすゑる艾助さまになつて了ひましたなア。これはこれは真にアツイ御志……否御教訓、どつさり此四つ足の守護神もヤイトを据ゑられました。それなら四つ足は唯今限り帰ります。あなたもどうぞ元の杢阿弥……オツトドツコイ杢助さまに帰つて下さい』 杢助『ハイ有難う。それなら改めて国依別の宣伝使様、三五教の杢助改めて対面仕らう、今迄は四つ足同志の掛合で御座つた。アツハヽヽヽヽ』 と笑ひながら起き直り、庭の泉に手を洗ひ、口を漱ぎ、礼装を着し、 杢助『サア、国依別様、神前に拝礼致しませう』 と促しながら、拍手再拝、天津祝詞を奏上し始めた。国依別も杢助の背後に端坐し、恭しく祝詞を奏上し終つた。 杢助『国依別様、あなたは是れから何処へお出でになる心組ですか』 国依別『ハイ私の今迄の教[※「教」では意味が通じないためか、校定版・八幡版では「心」に直している。]は、実を申せば貴方の御宅に参り、一つお尋ねをせなくてはならない事があつたものですから、ワザワザやつて来たのですが、モウ申しますまい。これで貴方の深き御精神も了解致しましたから……』 杢助『アツハヽヽヽ、若彦一件でお出になつたのですな。若彦は今紀州に居りますか』 国依別『ハイ、紀州の熊野の滝で大変に荒行を致して居る事を聞きました。それで私は熊野の滝へ参つた所、若彦は唯一言も申さず、無言の行を致して居る。手真似で尋ねても文字を地に書いて糺して見ても、何の答も致さず、石仏同様、取り付く島もなく、鷹鳥山に於て何か感じた事があるのだらう、其峰続きに御住ひ遊ばす貴方にお尋ねすれば、様子は分らうかと存じまして参りました。併し唯一言……杢助さま有難う………と若彦の言つた言葉幽に聞えたので、何もかも様子を御存じだらう。あの喧しやの若彦が、あの通り神妙になつて了つたのは、貴方の感化に依るのだと信じます。過去を繰返すは御神慮に反するでせうが、御差支なくば少しなりと御漏らし下さらば安心致します』 杢助『若彦は鷹鳥山に立籠り、悪魔に憑依され、四つ足となつて門口まで参りました。私は「モウ一つ修業をして来い、四つ足に用はない………」と云つて、杓に水を汲んで犬の様にぶつかけてやつたら、尾を掉つて駆け出したきりですよ。ヤツパリ若彦は人間らしう立つて歩いて居ましたかなア。イヤもう四つ足の容物ばかりで困つて了ひますワイ。アツハヽヽヽヽ』 国依別『さうすると私もチヨボチヨボですな』 杢助『チヨボチヨボなら結構だが、愚図々々すると、コンマ以下のチヨボチヨボに落ちて了ふから、気を付けねばなりますまい。お前さまも折角今、宣伝使に始めてなつたのだから、どうぞチヨボチヨボにならぬ様に願ひますよ。貴方がさうなると、私までも感染しては、最前のやうに二進も三進も行かぬ苦境に陥り、キウ窮言はねばなりませぬからな、アツハヽヽヽヽ』 国依別『アツハヽヽヽヽ』 と笑ひ合ふ。門口へ又もや婆の声、 鷹鳥姫(高姫)『生田の森の杢助さまのお宅は此処で御座いますか。チヨツト開けて下され』 杢助『国さま、又もやチヨボチヨボがやつて来たやうです。お前さま一つ私に代つて応対をして下さい。私は奥へ行つて少しく神さまに承はらねばならぬ事が御座いますから』 と云ひ棄て、慌しく姿を隠した。国依別はツと立ち、門口の戸をガラリと引開け、 国依別『此処は太元教の御本山だ。何処の四つ足か知らぬが、トツトと帰つて呉れ』 鷹鳥姫『何ツ、杢助が太元教を樹てたとは、噂に聞いたが、ヤハリ事実だなア。なぜ左様な二心をお出しなさるか』 国依別は黄昏を幸ひ、ワザと杢助の声色を使つて居る。 鷹鳥姫『わしは鷹鳥姫だが、お前さまに一つ御礼を申さねばならぬ事もあり、御意見をせなくてはならぬ事があるからお訪ねしたのだ』 国依別『何とか彼とか口実を設けて、三五教の宣伝使や信者が、金を貸せの、履物を貸せ、飯を食はせ、茶を飲ませ、小遣銭を渡せと、まるで雲助の様な事を吐し、小便、糞を垂れながして帰る奴ばかりだから、此杢助も愛想をつかし、心は三五教でも表は太元教と標榜して居るのだ。最早神の恵に浴し、神徳充実した杢助には意見は御無用だ。掛り合つて居れば大切なタイムまでも盗まれて了ふ。番茶一杯飲まれてもそれ丈欠損がゆく。身代限り、家資分散の憂目に遭はねばならぬから、一足なりとも這入つて呉れな。お前に礼を言はれる道理はない。トツトと早く帰つたが宜からう』 鷹鳥姫『何と云つても、そんな事を聞く以上は、ますます動く事は出来ぬ。コレ杢助さま、心機一転もあまりぢやないか』 国依別『オイ、其心機一転だ。暫くの間現はれて消える蜃気楼、名あつて実なき鷹鳥姫の宣伝使、それなら這入る丈は許してやらう。其代り番茶一杯飲ます事もせぬ。何程無料で湧いた水でも、飲ましちやそれ丈減るのだから、其覚悟で這入つたが宜からう』 鷹鳥姫『大変貴方は吝坊になつたものだなア。執着心の大変に甚い方だ。御免なさい』 と蓑笠を脱ぎ棄て、ツカツカと座敷にあがる。国依別は又もや煙草盆を前に据ゑ、杢助気取りになつて坐り込んだ。 鷹鳥姫『コレ杢助さま、お前さまは俄に小さい事を仰有ると思へば、体まで小さくなつたぢやないか』 国依別はゴロンと仰向けになり、尻を鷹鳥姫の方に向け、手足をヌツと天井の方に伸ばして見せ、 国依別『金剛不壊の如意宝珠の玉や紫の玉が喉から出て了つたものだから、此通り瘠せて人間が小さくなり、元の杢助ではなうて杢阿弥。神徳も何もなくなつて了ひ、鷹鳥山で已むを得ず若彦、玉能姫を召し連れ、バラモン教の蜈蚣姫がてつきり隠して居るのに相違ないから、何とかして取返さねば聖地の役員信徒に対し合はす顔がないと、執着心に駆られ言依別の教主の篤き心を無にして行つて居つた所、俄に山の頂に黄金の像現はれ、身の丈五丈六尺七寸、てつきり弥勒様の御出現、鷹鳥姫の信心の力に依りて愈五六七神政の太柱を握つた。誠の霊地は四尾山麓ではない、鷹鳥山にきはまつたりと、鼻の鷹鳥姫が得意顔に雀躍りしながら、チヨツと薄気味悪さうに近付き見れば、黄金像は高姫の素首をグツと鷲掴み、猫でも放る様にプリンプリンと、鷹鳥山の教の庭にドスンと落下し、人事不省となり、ピリピリピリと蛙をぶつつけた様になつて了ひ、其処へ此杢助がやつて往つて、生命丈は助けてやつた。其為に此杢助は……コレ此通り足が上を向き背中が下を向いて、サツパリ自由の利かぬ四つ足になつて了つたのだ。併し乍ら此杢助は信神堅固の勇士……斯んな事になる筈はない。鷹鳥姫の副守護神が憑依したのだから、どうぞ早う、こんな……土産はスツ込めて下さい。なア鷹鳥姫さま、お前も却々執着心が酷いと見える。同じ四つ足でも下向いて歩けるものならまだしもだが、斯うなつては天地顛倒、背中に腹を換へられて、どうして此世が渡られうか。……アツハヽヽヽヽ……。オイ笑ふ所か、高姫の守護神此国……オツトドツコイ神の国に出て来て、神の教を建てるなんて、あんまり精神が顛倒して居るではないか。元の杢阿弥の杢助の真心に立返り、早く副守護神を連れて帰つて呉れ。杢助誠に迷惑だ。国、クニ、苦になつて仕方がない。依りにヨツて、別のわからぬ副守護神を連れて来るものだから、玉能姫さまも初稚姫さまも、チヤンと御存じ、どつかへ蒙塵遊ばしたぞ。杢助の本守護神も愛想を尽かして隠れて了つたぞ。ウンウンウン』 鷹鳥姫『コレコレ杢助さま、お前さまは何とした情ない事になつたのだい。結構な三五教を見限つて太元教なんて、そんな謀叛を起すものだから、天罰で四つ足になつて了ひ、肩身が狭う小さくなつたのだよ。それだから油断は大敵、改心なされと云ふのだ。何程大持てにモテる積りでも、大モテン教だ。早く改心なされ、神様は人間が子を思ふと同じ事、片輪の子や悪人程可愛がらつしやるのだから、わしも斯んな悲惨な態を見て、此儘帰る訳にも行かぬ。サアこれから鎮魂をして誠の教を聞かしてあげよう。エーエー困つた事が出来た。此高姫の守護神が憑つたのだなどと、よう言へたものだ。悪神と云ふ者は、どこどこまでも抜目のない奴だ。到頭守護神の悪の性来を現はしよつたか。アーア杢助さまの肉体が可哀相だ。オイ四つ足、杢助さまの肉体を残してトツトと魔谷ケ岳へ帰つてお呉れ。愚図々々吐すと、日の出神の生宮が承知を致さぬぞや』 国依別『此杢助は最早お前さまの副守になつて了つた。お前さまは何時も口からものを言はず、ものを尻で聞いたり人の言葉尻を取り、尻でもの言ふから、屁理屈ばつかりだ。鼻持ならぬ匂がする。何程三五教でも尻の締りがなければヤツパリ穴有り教ぢや。終局には気張り糞を放つて、此通り四つ足に還元して了ふ。早く杢助の肉体から退かぬかいなア。杢助は大変な御迷惑様だ。アツハヽヽヽヽ』 と自ら可笑しさを耐へ、忍び笑ひに笑ひ、体中に波を打たせて居る。 鷹鳥姫『なんだ。低い所から声が出ると思へば、暗がりで分らなかつたが、お前さま失礼な寝て話をすると云ふ事があるものか、チト失敬ぢやないか』 国依別『霊界物語でさへも、寝て足を上げたり、下したりして言ふぢやないか。お前さま位な四つ足に話すのは寝とつて結構だよ』 鷹鳥姫『到頭変性女子の四つ足の守護神が現はれましたなア。早く改心をなさらぬと、頭を下にし足を上にして、ノタクラねばならぬ事が出来致すぞよと、大神様のお筆にチヤンと誡めてあります。鼻を撮まれても分らぬ程身魂が曇つて居るものだから、お前さまは天と地と間違へて居るのではなからうか。どうやら足が天井の方を向いて居るぢやないか』 国依別は、 国依別『アーア、悪性な守護神を連れて来て私に憑すものだから、段々足が上へあがり頭が下になつて了ひ、手で歩かねばならぬ様になつて来たぞよ』 と云ひながら逆立になり、両の手で座敷を歩いて見せた。七手許り歩いた途端に、体の中心を失つて、高姫の頭の上へドスンと倒れた。 鷹鳥姫『コレコレ杢助さま、妾にはそんな守護神は居りませぬぞえ。日の出神様に、何時までもそんな巫山戯た態をなさると承知なさらぬぞ。あゝモウ駄目だな。初稚姫さまも玉能姫さまも逃げて行かつしやる筈だワイ。わしも鷹鳥山を断念し、此処迄来るは来たものの、こんな悲惨な幕を目撃しては、帰りもならず、居る事も出来ず、困つた事だ。ドレこれから神様に御願して助けてやつて貰はう。仕方がない』 国依別は、 国依別『不言実行だよ。高姫さま』 とからかふ所へ、手燭を左の手に持ち、ノソリノソリとやつて来た真正の杢助、 杢助『ヤアお前は鷹鳥姫に能く似た化物だなア。此処にも一人、お前の分霊が倒れて居る。ヤアもう此頃は沢山の狐が人間の皮を被つて、杢助を誤魔化しに出て来よるので油断も隙もあつたものでない』 鷹鳥姫『ヤアお前さまは本当の杢助さま。どうして御座つた』 杢助『何うしても御座らぬ。最前から闇に紛れて、四つ足同志の珍妙な芸当を拝見致して居つたのだ。何でもタカとか鳶とか、クモとか国とか云ふ怪体な代物が、断りもなく杢助の身魂や住家を蹂躙し、エライ曲芸を演じて居つた。まるで此化物は鷹鳥山の鷹鳥姫に似た様な脱線振りを、遺憾なく発揮しよるワイ。アツハヽヽヽヽ』 国依別は、 国依別『ワツハヽヽヽ、オツホヽヽヽ』 と笑ひながらムツクと起き、ワザとカンテラの前に顔を突き出し、鷹鳥姫に俺の首実験せよと言はぬ許りにさらけ出した。 鷹鳥姫『何ぢや。お前は国依別の理屈言ひの宣伝使ぢやないか。みつともない、四つ足の真似をしたり………チツト慎みなさい。モシモシ杢助さま、これでも分りませうがなア。サツパリ正体が現はれて、御覧の通り本当に悲惨なもので御座いますワイ。こんな精神病者を、お前さまもお預りなさつて、大抵のこつちや御座いますまい』 杢助『今の今迄何ともなかつたのですが、お前さまが持つて来た……否お前さまの執着とか名のついた副守護神が憑つたのですよ。アヽ、どうやら、私も変になつて来た。体中にウザウザと毛が生える様な気分が致しますワイ』 国依別『杢助さま、国もどうやら茶色の毛が生え出して来ました。風邪を引いたのか、俄に腹の中でコンコンと咳をして居ます。今晩と云ふ今晩は実に不思議な宵ですな』 鷹鳥姫『なんとお前さま達は、これ程神界が御多忙なのに、気楽な洒落をなさつて日を送りなさるのは、チツト了簡が違やしませぬか。利己主義の守護神が極端に発動して居りますなア、妾の守護神が憑依したなんて、ヘンよう仰有りますワイ。これから日の出神様が御神力を現はして見せませうか。そこらが眩うて目もあけて居られぬ様になりますぜ』 杢助は笑ひながら、 杢助『「何を言つても、私は折角呑み込んだ二つの玉を、杢助の娘のお初に叩き出されて了つたものだから、サツパリ腰は抜け、鷹鳥山もサツパリ駄目になり、これから何処へ迂路ついて行かうか。若彦は姿を隠すなり、せめて杢助さま宅へでも往つて……此間はエライ御世話になりました……と御礼をきつかけに、何とかよい智慧を借りたいものぢやと、ノコノコやつて来て見れば杢助さまは御座らつしやらず、理屈言ひの捏廻し上手の国依別が人を嘲弄しやがる。エー此上は如何したら宜からうかなア。アンアンアン」……斯う云ふ声は杢助の言葉では御座らぬ。鷹鳥姫の薄志弱行と名の付いた守護神が、私にこんな事を囁かすのだ。早く此守護神を放り出し、自分も此館を放り出て、どこかへお道の為に行つて貰ひたいものだ。杢助も大変に迷惑だ。アツハヽヽヽ』 高姫は暫く腕を組み、首を頻りに振り、思案に沈む。国依別は、 国依別『あの高姫さまの心配さうな顔、どうしたら元の通りになるだらう。………オウ分つた、あの玉の在処を知らしてやりさへすれば、元の日の出神の生宮で威張れるだらう、さうすりやキツト全快するに定つて居る。ヤツパリ言ふまいかなア。又呑まれ、今迄の様に噪がれると困る、当る可からざる万丈の気焔を吐かれると、側へも寄りつけないやうになるから……』 高姫『何、宝珠の行方を、お前知つて居るのかい』 国依別『知つて居らいでかい、国さまだもの』 高姫『そんならお前が妾を困らさうと思つて隠したのだなア。油断のならぬ男だ。サア杢助さま、蛙は口からわれと吾手に白状しました。締木に懸けても言はしめて、玉の在処を探して見ませうかい』 杢助『サア如何だかなア。大方蒟蒻玉か何ぞと間違つて居るのだらう。それが違うたら瓢六玉か、狸の睾玉位なものだ。アツハヽヽヽ』 国依別『ナアニ杢助さま、本当に玉の在処を発見したのですよ。これから私がコツソリと其玉を拾ひあげ、高姫さまぢやないが、腹へ呑み込んで、一つ大日の出神となる心算だ………オツト失敗つた。高姫さまの居る所で言ふぢやなかつたに………秘密が暴露したワイ、アハヽヽヽ』 高姫『神政成就の御宝、一日も早く現はして御用に立てねばなりますまい。三五教は日に日に衰へて行くぢやありませぬか』 国依別『ヤツパリ国の夢やつたかいな………イヤイヤ夢ではない、現実だ。併し高姫さまの前では夢にしとかうかい。鷹鳥姫が忽ち玉取姫に早変りすると、折角発見した私の功績が無になる。言依別の神様に御褒めの言葉を戴き、それから三五教の総務になつて、日の出神の生宮を腮で使ふと云ふ段取だ。高姫さま、お気の毒ながら時世時節と諦めて下さい。あゝこんな愉快な事があらうか』 高姫『本当にあるのなら、二つの玉を、一つお前に上げるから、一つは妾に手柄を譲つて下さい。別に呑み込んで了ふのぢやないから………』 国依別『何でも呑み込みのよいお前さまだから剣呑なものだ。それなら一つ相談をしよう。紫の玉はお前さまが預るとして、私は金剛不壊の如意宝珠を預かる事にしよう。それさへ決定れば、何時でも知らしてあげる』 高姫『そりやチツト虫がよすぎる。金剛不壊の如意宝珠は、永らく妾の腹の中に鎮座ましました宝玉だ。謂はば妾の生御魂も同然だ。お前さまは紫の玉で辛抱しなさい』 国依別『滅相な、鷹鳥姫がアルプス教の御本尊として居た位な紫の玉は、如意宝珠に比べては余程劣つて居る。身魂相応だから、お前さまが紫の玉だ。私は何と云つても如意宝珠を取るのだから、さう覚悟しなさい』 高姫『エー訳の分からぬ男だなア。モウ斯うなる以上は何と云つても承知せぬ。奴盗人奴が、サア引摺つて往つてでも在処を白状させる』 国依別『世界見え透く日の出神さまの生宮が、私の様な人間を連れて行かねば、玉の在処が知れぬとは、実に気の毒なものだなア』 高姫『妾の悪口を言ふのなら辛抱もするが、畏れ多い、日の出神様の悪口まで言ひよつたなア、サアもう了簡ならぬ』 といきなり胸倉をグツと取つて締めつける。国依別は、 国依別『何ツ、猪口才な高姫の奴』 と又胸倉を取り、両方から睨み合つて、真赤な顔を膨らして居る。杢助は、 杢助『コレ高姫さま、国依別さま、お鎮まりなさい。同じ三五教の宝、誰が手に入れても同じ事ぢやないか』 高姫『イエ、斯んな奴に如意宝珠の玉を弄らさうものなら、それこそ穢れて了ひます。如何しても斯うしても、一歩譲つて紫の玉だけは発見した褒美としてなぶらしてやるが、仮令天が地になり地が天となつても、如意宝珠ばかりは、こんな奴に持たして堪らうか……』 国依別『ナアニ発見主は俺だ。先取権があるのだから、グヅグヅ云ふと、二つながら俺が預るのだ』 高姫『何ツ、玉盗人の分際として広言を吐くか』 と高姫は組んづ組まれつ、座敷中をのたうち廻り、終局には金切声を張上げて、汗みどろになつて大活動を始めて居る。杢助は、 杢助『コラコラ国依別さま、お前、本当に其玉の在処を知つて居るのか』 国依別『ナアニ発見したら……と云ふ話です。夢にでも見たら俺が見つけたのぢやから、如意宝珠の玉を俺が預ると云つたばかりです。まだ皆目在処は分らぬのです、アツハヽヽヽ、あまり一生懸命で嘘が真実になつて了つた。アツハヽヽヽ』 高姫『何ツ、お前嘘を云つたのか。なアんの事だいな。あーア、要らぬ苦労をやらされて了つた。そこらが茨掻だらけだがな』 杢助『アツハヽヽヽ、又執着と云ふ魔が憑いて、面白い演芸を無料観覧させて呉れたものだな、アツハヽヽヽヽ』 と腹を抱へて笑ふ。 (大正一一・五・二八旧五・二松村真澄録) |
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霊界物語 | 22_酉_鷹鳥山の鷹鳥姫 | 20 三の魂 | 第二〇章三の魂〔七一二〕 時置師神は、神の仕組の時津風、吹き渡る初夏の青葉の薫りを身に浴び乍ら窓外を眺め居る。時しも森の木蔭より玉能姫は初稚姫の手を携へ、二人の荒男と共に欣然として帰り来る。杢助は窓を引き開け拍手して之を迎へて居る。二三日前より此家に訪ね来りし高姫、国依別は、杢助と教理を闘はし乍ら此処に逗留して居た。 高姫『杢助さま、貴方は今東の窓から手を拍ちましたが、日天様は西の方へ廻つて居られますよ』 杢助『いや、今此処へ日天様や、月天様が御いでになりましたから』 国依別『国依別には日天月天の往かぬ事を仰有いますな』 と云ひながら窓を覗き、 国依別『ヤア、お帰りになりました。杢助さま、お目出度う、今迄御心配でしたらう』 杢助『ハイ、杢助も一寸心配して居りましたよ』 高姫は妙な顔しながら、 高姫『貴方は口では平気で言つて居らつしやるが、矢張り初稚姫様の事が気に懸ると見えますなア』 杢助『別に初稚姫様の事に就ては、神様がついて御座るから心配は致しませぬが、大切な御用を巧く勤めあげたか知らぬと思つて居つたので……然しあの顔色で見れば、巧く御用が出来たらしいですよ』 高姫『大切の御用とは………それや又どんな事で御座いますか。高姫にも聞かして下さいな』 杢助はニコニコ笑ひながら、 杢助『ハイ言依別命様から大切な秘密の御用を……玉能姫、初稚姫の御両人が承はりましたのですよ』 高姫『妾の様な日の出神の生宮を差措き、あの様な子供や若彦の女房に大切な御用を仰せ付けるとは……言依別も些と聞えませぬ。それだから人を使ふ目が無いと言ふのだ。困つたハイカラの教主だなア』 杢助は、 杢助『アハヽヽヽ』 と嬉しさうに笑ふ。国依別は門の戸を押し開き、丁寧に出迎へ、 国依別『皆さま、御苦労で御座いました。無事に納まりましたかな』 二人は顔に笑を湛へながら一言も発せず、丁寧に腰を屈め、二人の男と共に欣々と這入つて来た。杢助は見るより、 杢助『初稚姫様、玉能姫様、谷丸さま、滝公さま、御苦労で御座いました』 谷丸『私は言依別命様より佐田彦の宣伝使と名を賜はりました。滝公さまは波留彦の宣伝使と名を賜はりましたから、何卒今後は、其お心組で呼んで下さい。お節………いやいや玉能姫様、初稚姫様のお伴を致しまして神島………ではない、神様の御用に参つて来ました。いやもう大変な結構な事で御座いましたわ』 杢助『何は兎もあれ、神様に御礼を申し上げ、お祝の御神酒を頂戴する事に致しませう』 高姫『アヽ、それは結構で御座いますな。然し如何な御用で御出でになさつたのか、高姫にも様子を聞かして下さいませ。これ玉能姫さま』 玉能姫『此事ばかりは三十五万年の間、申し上げる事は出来ませぬ。何れ未来でお分りになるでせう』 高姫『何と……マア遠い……気の長い事だなア』 杢助『何処の地点に納めたと云ふ事は申し上げ難いが、実際は貴方の一旦呑んで居た金剛不壊の如意宝珠と紫の宝玉が三五教の教主の手に返り、其御用を仰せ付かつて或る霊地へ埋蔵の御用に行つたのですよ。黄金の玉は言依別の教主自ら何処かの霊地へ埋蔵されたさうだ。これで三つの御玉が揃ひまして……高姫さま、お喜びなさいませ』 高姫、怪訝な顔して舌を捲き目を剥き、 高姫『ヘエ、ケヽヽヽ結構ですなア』 と云つたきり、嬉しい様な、悲しい様な、不興くさい様な顔して俯向く。国依別、手を拍つて笑ひ、 国依別『ハヽヽヽヽ、日の出神の生宮も薩張り往生遊ばしたか、誠にお気の毒の至り。然し乍ら矢張り高姫さまも喜ばねばなりますまい。もう之で貴方の副守護神の断念が出来るでせう。是から一意専心、教主の意見に従つて、神界の御用をなさいませ』 高姫『ハイ、如何も神様は皮肉な事をなさいますな。寝ても醒めても玉の行方を探し、神政成就の御用を勤めあげむと、千騎一騎の活動を致して居る此高姫をアフンと致さして、思ひも寄らぬ人達に、肝腎な一厘の経綸を吩咐けるとは……妙な神様も……いや教主もあるものだ。教主のきやうは獣扁に王さまだらう、オホヽヽヽヽ』 佐田彦『是は聞き捨ならぬ高姫の言葉、その脱線振りは何事で御座るか。今迄の谷丸ならば黙つて居るが、最早教主より命ぜられたる宣伝使だ。宣り直しなさねば承知せぬ』 波留彦『佐田彦宣伝使の言はれた通り、速に宣り直しなさるが宜からうと、波留彦は思ひます』 高姫『高姫鉄道の終点、アフンの駅に着いたのだから、脱線の余地も無く、のり直し様もなく、乗り替へも何の駅もないぢやありませぬか。オホヽヽヽヽ』 ○ 因に言依別命は、一旦高熊山の霊地に神秘の経綸を遂行し、聖地に帰りて神業に参じ、錦の宮の神司玉照彦命、玉照姫命の神示を海外にまで弘布し、八岐大蛇の征服に従事する数多の神人を教養し、其名を天下に轟かした神代の英雄神である。また杢助は元の時置師神と現はれ、聖地の八尋殿に於て教主を助け、初稚姫と共に忠実に奉仕し、三五教の柱石と呼ばれる事となつた。玉能姫は生田の森に止り、或神命を帯びて稚桜姫命の神霊を祀り、五六七神政の魁を勤めた。 若彦は自転倒島全体を巡歴し、終に神界の命によりて玉能姫と共に神霊に奉仕する事となつた。国依別は兄の真浦が波斯の国へ出で行きしを以て、已むを得ず宇都山郷の武志の宮に仕へて神教を伝へ、父の松鷹彦に孝養を尽した。 高姫は聖地にあつて錦の宮に仕へつつありしが、黒姫のあとを追うて海外に渡り、真正の日の出神に出会し、初めて自己の守護神の素性を悟り、悔い改めて大車輪の活動を続けた。佐田彦、波留彦は言依別命の膝下にあつて、神業を輔佐することとなつた。 ○ 大正壬戌の年卯月の二十八日に 二十二人の生魂三つの御玉の隠し所 述べ終りたる今日の日は楽しき神世を五六七殿 日の神、月の大御神天照皇大神や 此世の祖神と現れませる国常立之大御神 豊国主の大御神大本教を守ります 百千万の神々の貴の御前に飛び降る 神の使の霊鷹は生田の森や再度山の 峰の尾の上の御仕組鷹鳥姫の改心の 瑞祥祝ふ其為めに三度舞ひ来る鷹津神 さしもに広き殿内を右や左と翔び交ひて 画竜の額に翼休め仮設劇場の梁に 悠々翼を休めたる今日の生日の足日こそ 瑞の御魂の生れたる生日に因みて七百と 十二の章も面白く松雲閣の奥の間に 今日は珍し身を起し神の教を敷島の 筆者を烟に巻き乍ら遠き神代の物語 今に写して眺むるも少しも変らぬ言の葉の 栄ゆる御代を松村氏天津御空も海原も 心真澄の玉鏡海の内外の隔てなく 諸越山も乗り越えて豊九二主の分霊 瑞の神徳天地に輝く時も北村の 空澄み渡り隆々と光り普き神の道 亜細亜、亜弗利加、欧羅巴亜米利加藤く高砂の 島の果まで説き明す近藤の霊界物語 道も貞か二成り行きて山の尾の上や野の末も 教の花の馥郁と薫も床しき佐賀の奥 神の伊佐男は遠近に秀妻の国を初めとし 自転倒島の中心地野山も青く茂りつつ 神代を祝ふ今日の空神世の秘密洩らさじと 御空を隠す雲の戸を開いて此処に松の雲 松雲閣の奥の室で初夏の風をばあびながら 二十二巻の物語目出たくここに述べをはる あゝ惟神々々御霊幸はひましませよ (大正一一・五・二八旧五・二北村隆光録) (昭和一〇・六・五王仁校正) |
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霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 02 副守囁 | 第二章副守囁〔七一四〕 罪も穢れも那智の滝、洗ひ流した若彦は、心もすがすがしく三五教の教理を遠近に伝ふべく、普陀落山の麓に館を造り、教を四方に布きつつあつた。門を叩いて、 『頼まう頼まう』 と訪ふ二人の宣伝使がある。門番の秋公、七五三公は此声に眠りを醒まし、大欠伸をしながら、 七五三公『オイ秋公、誰だか門外に訪ふ人がある。早く起きて開けてやらないか』 秋公『夜も碌に明けてゐないのに、此の門開ける必要があるか。少し時刻が早いから、マア一寝入したがよからう』 門を叩く声益々忙はしい。七五三公は夜具を被つた儘、 七五三公『オイオイ開けるのは秋公の役だ。早く起きぬかい』 秋公『夫程喧しく言ふなら、貴様開けてやれ』 七五三公『オレは其名の如くしめる役だ。愚図々々して居ると、又若彦の大将からお目玉を頂戴するぞ。エー仕方の無い奴だ』 と寝巻の儘、仏頂面を下げて片足に下駄、片足に草履を穿き、三尺帯を引摺り乍ら、門をガラガラと開いた。二人は丁寧に会釈し、 二人の宣伝使『若彦の宣伝使は御在宅ですかな』 七五三公『そんな難かしいことを言つて解るかい。居るか、居らぬかと云ふのか。さうしてお前は何と云ふ宣伝使だ』 男『ハイ私は魔我彦、外一人は竹彦と云つて三五教の宣伝使です。大神様の御命令に依つて、遥々参つたのですから案内して下さい』 七五三公『曲つたとか、曲らぬとか、案内とか、門内とか、お前の言ふ事は全然訳が分らぬ。そんな英語を使はずに俺達に分る様に云つて呉れ』 魔我彦『アハヽヽヽ、訳の分らぬ門番もあつたもんぢやなア。こんな奴が門番して居る位だから、大抵若彦の御手並も分つてゐるワイ』 七五三公『一寸待つて呉れ。今お前は此家の御主人を若彦と云つたなア。何故若彦さまと言はないのだ。そんな無茶なこと云ふ奴は、此の門は通されぬのだ。大方魔谷ケ岳の蜈蚣姫の乾児だらう。三五教の宣伝使だなんて、うまく化て来たのではないかな。……オイ秋公、貴様起きて来い。大変な奴がやつて来居つたぞ』 秋公は此声に驚いて、寝巻の儘此場に現はれ来り、 秋公『大変な奴とは此奴か。如何したといふのだ』 七五三公『此方の主人を若彦なんて呼びつけにしやがるものだから、むかつくのだよ秋公』 秋公『それはむかつくとも、オイ何処の奴か知らぬが今日は帰つて呉れ』 魔我彦『其方は謂はば若彦の門番でないか。大神様の御命令で来た吾々を、通すの通さぬのと云ふ権利があるか。早く案内を致せ』 と稍怒りを帯びた語気で呶鳴りつけた。二人は頭を掻き乍ら、 秋公『マア是から吾々門番は手水を使ひ、着物を着換へ、朝飯を食つて悠くりと案内をしてやるから、それ迄其処に待つてゐるが好いワイ』 竹彦『魔我彦さま、広いと云つてもたかが知れた若彦の屋敷、サア、行きませう』 と先に立ち奥に入る。若彦は涼しさうな薄衣を着て、庭先の掃除に余念無く、箒目を正しく砂の上に画いてゐる。 魔我彦『アヽ彼れが何うやら若彦の宣伝使らしい。大将は朝早くから彼の通り、箒を以て園丁の役を勤めて居るのに、門番の奴グウグウと寝やがつて、ポンついてゐやがる。ウラナイ教の北山村の本山でも、依然さうだつた。門番は威張るばかりで働かぬものだ。なア竹彦、貴様も波斯の国ではウラナイ教の門番をしてゐた時、依然さうだつたなア』 竹彦『そんなことを今頃に持ち出すものぢやありませぬぞ。さうしてウラナイ教なんて、疾の昔に消滅して了ひ、今は吾々は立派な三五教の宣伝使だ。昔の門番を、こんな処で担ぎ出されると吾々の沽券が下る。そんな過去つたことを云ふのなら、青山峠の谷間の突発事件を此処で開陳しようか』 魔我彦『シーツ』 竹彦『シーツとはなんだ。人を四足扱ひにしやがつて、シーシー云うと、死んだ奴が又恨めしやーナアーとやつて来るぞ。縁起を祝ふ神の道だ。四と九とは言はぬやうに慎んだがよからう』 と佇んで若彦の掃除を見乍ら二人が囁いてゐる。其の声が耳に入り若彦は、箒を手にしながら両人の姿を眺めて、 若彦『アヽ貴方は魔我彦さまに竹彦さま、朝早くから、よくお入来になりました。どうぞ奥へ通つて下さい。一別以来の御話しも悠くり承はりませう』 魔我彦は儼然として、 魔我彦『私は玉照彦、玉照姫様の御使として、遥々参つたもので御座います』 竹彦『謂はば神様の御使、謹みて御聴きなさるがよろしからう』 と傲然と構へてゐる。若彦は腰を屈め、 若彦『何は兎もあれ、奥へ御通り下さいませ』 と先に立つ。二人は離れ座敷に招かれ、茶湯の饗応を受け、暫く打寛いで四方山の話に耽る事となつた。若彦は表に出で部下の役員信者と共に、神殿に朝の拝礼を為し、一場の説教を了り朝飯を喰つて居る。侍女は膳部を拵へ、離れ座敷の二人の前に持運び、朝飯をすすめて居る。若彦は朝餉を済まし、衣紋を繕ひ、離座敷の二人が前に現はれ、 若彦『これはこれは御両人様、長らく御待たせ致しました。遥々の御越し、何の御馳走も無く誠に済みませぬ』 魔我彦『三五教の教理は一汁一菜と云ふ御規則で御座る。それにも関はらず、イヤもう贅沢な御馳走に預りました。聖地に於ては到底玉照彦様でも、こんな御馳走は見られたことも御座りませぬ。併し乍ら折角の御志、無にするも如何かと存じ、快く頂戴致しました。アハヽヽヽ』 若彦『吾々も三五教の宣伝使、一汁一菜の御規則はよく守つて居ります。併し乍ら今日は神様の御入来ですから、神様に御馳走を奉つたのです。魔我彦さまや、竹彦さまに御上げ申したのでは御座らぬ。貴方は神様に上げたものを、気の毒だから御食れましたと仰有つたが、神様の分まで御食りになつたのですか』 と竹篦返しを喰はされ、二人はギヤフンとして円い目を剥く。 魔我彦『今日吾々の参つたのは大神様の御命令、玉照彦、玉照姫の二柱の神司より、御神慮を伝ふべく出張致しました。貴方は聖地の大変を知つて居りますか』 若彦『聖地は無事安穏に神業が栄えて居るぢやありませぬか』 魔我彦『さてさて貴方は長らく聖地を離れてゐるから解らぬと見えるワイ。貴方の御存知の杢助と云ふ奴、全然聖地へ入り込み、初稚姫の少女の言ふ事を楯に取り、横暴を極め、誰も彼も人心離反し、今に大変動が起らんとして居る。それで高姫さまも非常に御心配を遊ばして御座るのです』 若彦『さうすると貴方は高姫さまの旨を奉じて来られたのか、或は言依別の教主様の旨を奉じて御入来になつたのか、それから第一番に聴かして貰ひませう』 竹彦『そんな事は如何でも好いぢやないか』 と言はんとするを魔我彦は周章て押し止め、 魔我彦『コレコレ竹彦さま、お前は約束を守らぬか。お前の言ふべきところではない、謂はば従者ぢやないか』 竹彦『従者か何か知らぬが依然表面は魔我彦と同格の立派な宣伝使だ。余り偉さうに言つて貰ひますまい。青山峠の絶頂は何うですな』 と顔を覗き込む。 魔我彦『青山に日が隠らば烏羽玉の夜は出なむ。朝日の笑み栄え来て、拷綱の白き腕淡雪の若やる胸を、素手抱き手抱きまながり、真玉手玉手さし巻き、腿長にいほしなせ、豊御酒奉らせ。アハヽヽヽ』 と笑ひに紛らす。 竹彦『ヘン、うまい処へ脱線するワイ』 魔我彦『沈黙だ』 若彦『杢助が何うしたと言ふのですか』 魔我彦『杢助はお前さまを紀州下りまで追ひやつて置き、お前の女房玉能姫をうまく抱き込み、聖地へ連れて行き、言依別の命に密と○○させて、それを手柄に威張つて居るのだ。それが為に聖地の風紀は紊れ、「町内で知らぬは亭主ばかりなり」と云ふ事が突発して居ますよ。お前さんは杢助や、言依別を何と思ひますか。肝腎の女房を○○されて、それで安閑としてゐるのですかな。高姫さまが大変に憤慨なされて「アヽ若彦さんは気の毒ぢや、何卒一日も早く此事を知らして上げ、私と一緒に力を協して聖地を改革せねばならぬ」と仰有つて、錦の宮に御願ひを遊ばしたところ、玉照彦、玉照姫の神司に大神が御降臨遊ばし、「不届至極の言依別、今日より其職を免じ、高姫に一切万事を委任する。就ては杢助を叩き出し、若彦さんを総務にするのだから早く聖地へ帰つて貰へ」との有り難き御言葉、それ故吾々は遥々と参りました』 若彦『それは御苦労でした。併し乍ら貴方の仰有る大変とは、そんなものですか。それはホンの小さい問題ぢやありませぬか。例令玉能姫が○○されたと言つても、吾々さへ黙つて居れば済むことだ。其の位な事が、何大変であらう。アハヽヽヽ』 と手も無く笑ふ。魔我彦はキツとなり、 魔我彦『これは怪しからぬ。自分の女房を○○され乍ら平気で笑うてゐるとは、無神経にも程度がある。イヤ、貴方は玉能姫以上のナイスが出来たので、これ幸ひと思つてゐるのでせう』 若彦『私は神界に捧げた身の上、玉能姫を措いて他に女などは一人もナイスだ。アハヽヽヽ』 と木で鼻を擦つたように笑つて取り合はぬ。 魔我彦『それよりも未だ未だ一大事がある。如意宝珠や、紫の玉や、黄金の玉を隠した張本人は言依別命だ。可愛相に黒姫さまや、竜国別、鷹依姫其他の連中は、玉探しに世界中へ出て了つた。さうして言依別の教主は何でも目的があつて、自分一人で何処かへ隠して了ひよつたのだから、何処までも詮議立をしなくてはなりませぬ。何を云つても玉能姫を○○するために、お前さまを斯んな遠国へ、杢助と諜し合せて追ひやるやうな代物だからなア』 若彦『アヽさうですか、私は言依別様が何をなさらうとも、神界に仕へて居る方だから、少しも異存は申しませぬ、絶対服従ですから』 魔我彦『服従も事に依りますよ。些と冷静に御考へなさい。天下の大事ですから。教主一人と天下とには換られますまい』 若彦『彼の賢い抜目の無い玉治別や、国依別が付いて居るのですから、滅多なことはありますまい。もしも左様なことがあれば、屹度知らして来る筈になつて居るのですから』 竹彦『玉治別や国依別は、モウ現世には………』 と言ひかけるのを、魔我彦は『シーツ』と制し止める。 竹彦『又人をシーなんて馬鹿にするない。シーシー死骸、死人、しぶとい、知らぬ神に祟り無し。死んだがマシであつたかいなア』 と首を篦棒に振り、長い舌を出してゐる。魔我彦は心も心ならず、 魔我彦『若彦さま、此男は些と逆上してゐますから、何を云ふか解りませぬ。チツとキ印ですから其のつもりで聴いて下さい』 若彦『玉治別と国依別さまの消息は御存知でせうな』 魔我彦『………』 竹彦『此の竹彦は知つても知りませぬ。併し乍ら副守護神が能く知つてゐますよ』 魔我彦は矢庭に両手を組み、竹彦に向つてウンと一声、魔我彦は、 魔我彦『副守の奴、除けーツ』 と呶鳴り立てゐる。 竹彦『ウヽヽ油断を致すと谷底へ突落されるぞよ。一旦谷底へ落した上で神が救けて、誠の御用を致さすぞよ。此世は神の自由であるから、人間のうまい計画は成就致さぬぞよ。蛙は口から、われとわが手に白状致さして面の皮を引剥くぞよ』 魔我彦『下れ下れ、下り居らう。其方は野天狗であらう』 竹彦『野天狗でも何でも可いわ、谷底ぢや、押も押れもせぬ三五教の宣伝使でも、矢張押されて谷底へ落ちてアフンと致すことがあるぞよ。今に上が下になり下が上になるぞよ。神が表に現はれて善と悪とを立別るぞよ』 魔我彦『エー喧しい野天狗だ。下れと云つたら下らぬか』 竹彦『ウヽヽ若彦殿、気をつけたがよからうぞよ。悪の誘惑に乗つてはならぬぞよ。何程うまいこと申して来ても、神に伺うた上でなければ、聞いてはならぬぞよ。マガマガマガ』 魔我彦『モシモシ若彦さま、困つた邪神が憑依したものですなア』 若彦『イヤ邪神でもありますまい。大方此の守護神の言ふことは、事実に近いやうですよ。国依別、玉治別の宣伝使は、若しや或はマガタケル彦に谷底へ突き落されたのではありますまいかな』 竹彦『ウヽヽ流石は若彦の宣伝使だ。汝の天眼通、天晴れ天晴れ』 魔我彦は顔蒼白め、ソロソロ遁腰になつて此場を立去らうとする。 若彦『マア魔我彦さま、悠くりなさいませ。天が下には敵も無ければ味方も有りませぬよ。神様が善悪は御審判き下さいますから、吾々は何事が起らうとも惟神に任して居れば好いのですよ。サア、お茶なつと召上りませ』 と茶を汲んで突き出す。魔我彦は身体ワナワナと戦き出した。 斯る処へ召使のお光と云ふ女、あわただしく走り来り、 お光『只今三人のお客様が見えました。何う致しませう』 若彦『表の奥の間へ御通し申して置け』 魔我彦『モシモシ其の三人の方と云ふのは、何んな御方で御座いますか』 お光『なんでも宣伝使さまのやうです。大変大きな御方が一人混つてゐられます』 魔我彦の面色はサツと変つた。竹彦は身体をブルブルと慄はせ乍ら、又神憑りになつて、 竹彦『それ来たそれ来た、谷ぢや谷ぢや、玉ぢや玉ぢや、クニクニクニモクモクモク』 と呶鳴り出した。若彦は、 若彦『コレお光や、四五人の男を此処へ招んで来てお呉れ』 『ハイ』と答へて、お光は表を指して姿を隠し、暫くありて甲、乙、丙、丁、戊の五人の大男を伴れて来た。 若彦『ヤア五人の男ども、私は表のお客さまに少し用があるから、二人のお客さまを見放さないやうに、大切に保護をして居るのだよ。出口入口に気をつけて悪魔の侵入せないように守つてあげて呉れ。遁げられては一寸都合が悪いからなア』 甲『ハイ何事もチヤンと私の胸に御座います。御心配下さいますな』 若彦『何分宜しう頼む。モシ魔我彦さま、竹彦さま、私は表の客人に一寸会つて来ます。何うぞ悠くりお茶でも上つて遊んで下さいませ』 と五人の男に目配せし、悠々と此場を立つて表屋の方に姿を隠す。 (大正一一・六・一〇旧五・一五外山豊二録) |
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霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 06 神異 | 第六章神異〔七一八〕 胸の思ひも秋彦や心も勇む駒彦は 親子不思議の対面に互に心も解け合ひつ 一夜々々と日を送る。 ここへ来てから三日目の朝、一人の男、門の戸をガラリと開け、ノソノソと入り来り、 男『常楠の爺さま、お前の内に旅人が泊つては居りませぬかな』 常楠『アヽ誰かと思へば助公か、何用あつて朝早うからお出でになつたのだ』 助『別に用と云つてはないのだが、よくお前の宅に旅人が泊るから、事に依つたらお尋ねしたい事があり、御願もしたいと思つて尋ねに来たのだよ。二三日前から二人のお客が来て居る筈だが……』 常楠『お前の云ふ通り宣伝使が二人泊つて御座るのぢや、どんな用があるのだい』 助『アヽ一寸した事が………、一先づ内へ帰つて、着物でも着替て、改めて来る事にせう。こんな風では失礼だからな』 と云ふより早く踵を返し立ち去らうとする。常楠は無理に呼び止め、 常楠『アヽコレコレ、お前の内へ帰らうと云つても随分遠い道程だ。そんなむつかしい方だないから、御尋ねする事があれば、其儘尋ねて帰つたがよからう』 助『別に頼む事はないが、一つ訊問すべき訳があるのだ。此間の晩にここへ泊つて居る二人の男が、竜神の宮の柿を盗んで食つたと云ふ事だ。酋長さまのお耳に神様からチヤンと御知らせがあつて調査に来たのだから、爺イさま、其二人を取逃さぬ様にして置きなさい。万々一取逃しでもしようものなら、二人の代りにお前達夫婦が生命を取られねばなろまい。つい其付近迄酋長さまが数多の手下を引きつれ召捕に見えて居るのだ。つまり俺の来たのは、実の所を言へば偵察に来たのだよ。モウつい此処へ見えるだらうから………俺は帰つて酋長に……不在ではなかつた……とか、不在だつたとか云ふ積りだから、そこはお前の心に何々したがよからう。余り可哀相だからなア。グヅグヅして居るとモウつい見えるかも知れぬ。………アヽ此処は裏口があり、木の茂みもあり、風景の佳い所だなア』 と今の内に逃げよと云はぬ許りの口吻を漏らし、スタスタと帰つて行く。 常楠は驚いて奥に入り、 常楠『お久に馬、一寸ここへ来て呉れ、大変な事が起つて来た。秋彦さまに馬は竜神の宮様の柿をむしつて食やせぬかな』 駒彦『宮の前に神様を拝んで居ると、美味さうな柿が風に揺られて、顔のふちへ触つて来たものだから、二人が取つて食ひました。随分味の佳い柿でしたよ。なア秋彦、美味かつたなア』 お久『それは又何とした不調法をして呉れたのだ。そんな事をしようものなら此村は荒れて荒れて難儀をせなくてはならぬ。それで酋長さまが厳しく御禁制になつて居るのぢや、何時でもあの柿を取つた者があると直に、酋長の耳の側へ竜神さまが告げに行かつしやるので、皆荒れが恐さに柿をとつた人間を早速人身御供に上げる事になつて居るのだが………アーア折角親子対面して嬉しいと思へば、又憂目を見るのか、お軽には四五日前に別れ、又兄の馬に死別れるとは、何とした因果な吾々夫婦であらう』 と泣き伏しける。 常楠『この場に及んで、泣いても悔んでも、最早後へは戻らない。何事も前生の因縁ぢやと諦めて、吾々老夫婦が身代りになつて行かう。サア早く、馬に秋彦の宣伝使様、あなたは未だ行先が長い、是れから世の中の為に尽さねばならぬから、どうぞ裏口から一時も早く逃出して下され。二人を逃がした罪は老人夫婦が引受けるから………アーア折角久し振りで忰に会うたと思へば、モウ別れねばならぬか』 と流石気丈な常楠も男泣きに泣き立てる。 駒彦『御両親様、御心配には及びませぬ。柿の五つや十取つたと云つて、村中荒れると云ふ様な分らずやの神なれば、てつきり邪神でせう。善悪の立替をなさる……我々は神々を背中に負うて歩いて居る宣伝使だから、一つ其竜神を往生さして、此村の害を除く事にしませう。決して決して御心配下さいますな』 秋彦『吾々はよい研究材料を得たのだ。ヤア面白うなつて来た。日高川が川止めになつたのも全く神様の御摂理であつたらしい。其お蔭で竜神を言向け和し、此附近の土地を安楽にしてやる様にするのは、吾々宣伝使の好んで為さねばならぬ神業だ。サア駒彦さん、行きませうか』 常楠『コレコレ両人、お前達は年が若いから、そんな無茶な事を言ふが、昔から八岐の大蛇の一の眷属ぢやと云うて、大変な強い竜神さまが、あの滝には鎮まつて御座るのだから、必ず必ずそんな処へ行つてはなりませぬ。サア早く此裏口から逃げて帰つて下され。あとは老人夫婦が身代りになるから………アーア是れが吾子の見納めか』 と又泣き沈む。お久も目を腫らし涙に暮れて顔さへえあげず、畳に喰ひ付いて、肩で息をして居る。 秋彦『吾々二人が老人夫婦を見棄てて立去る訳にはどうしてもゆかない。どうだ一層の事、一人づつ背に負ぶつて、此山伝ひに安全地帯まで逃げる事にしようか。なア駒彦、それより上分別はあるまい』 駒彦『吾々は敵を見て退去するのは、何ともなしに心が済まぬ。斯う云ふ時にこそ言霊の威力を以て如何なる強敵も言向け和すのが吾々の職責ではないか』 秋彦『あゝそれもさうだ。そんなら捕手の来るまで此処に待つことにしよう』 斯く話す折しも門の外俄に騒がしく、数多の人の足音刻々に近寄り来る。酋長の木山彦は十数人の従者を伴ひ物をも言はず表戸を引開け、ドヤドヤと入来り、 木山彦『ヤア常楠夫婦、汝が宅には竜神の宮の柿を盗み食つたる二人の宣伝使が匿まひありと聞く。サア速に両人を此場に引摺り出し、手渡しせよ』 と厳かに言ひ渡し、家の周囲に手下を間配つて逃がすまじと厳重に構へて居る。常楠夫婦は答ふる言葉もなく『ハイ』と言つた限り、俯むいて涙の目をしばたたいて居る。奥の一間より秋彦、駒彦の両人は躍り出で、 秋彦『ヤア木山彦の酋長とやら、お役目御苦労で御座る。如何にも吾々は竜神の宮の柿を腹一杯取つて喰つた者で御座る、如何すると仰有るのですか』 木山彦『昔から竜神の宮の柿を取喰ふ者ある時は、竜神の祟りに依つて、日高山一帯の地方は大洪水、大風、大地震の天災地変が起つて来るのだ。一昨夜も吾耳許に竜神現はれ、駒彦、秋彦と云ふ二人の男、柿を取喰ひ、今常楠の家に逗留し居ると御知らせになつた。可哀相だが汝等二人を、今晩は人身御供にあげ、お詫を致さねばならぬ。これも此村の昔からの掟だから、観念して吾々の申す通り、神妙に人身御供にあがるがよからう』 と声も曇らせ乍ら、稍俯むき同情の思ひに暮れて居る。駒彦、秋彦は木山彦の心を察し、 駒彦『ハイ有難う。どうぞ私を人身御供にやつて下さい。今度は悪業をなす竜神をスツカリ改心させ、柿の木を根元より掘起し、竜神の宮を叩き壊し、向後の害を除きませう。サアサアどうぞ早く吾々両人を引張つて往つて下さい』 木山彦『早速の御承知、吾々満足に思ふ。が併し宮を潰し木を伐るなどとの暴言は止めて貰はねばならぬ』 常楠涙の顔を上げ、 常楠『モシ酋長さま、実の所此男は三才の時に天狗に攫はれて、行方の分らなかつた馬楠で御座います。二三日以前にフトした事から、親子巡り会ひ、喜ぶ間もなく斯んな悲しい事になりました。妹のお軽は賊に殺され、二人の子供は老夫婦を後に残して、冥土の旅立を致さねばならぬ破目になつたのも、私の深き前生の罪がめぐつて来たので御座いませう。御推量下さいませ』 と涙を拭ひ俯く。お久は身を慄はせ泣く計りであつた。木山彦も悲歎の涙に暮れ乍ら、 木山彦『アヽ彼の馬楠と云ふ子は此人だつたのか、実にお歎きの程お察し申します。併し乍らお前の子も天狗に浚はれたが、仮令三日でも、親子の対面が出来て別れるのだからまだしもだ。吾々は恰度お前の伜と同じ様な年輩で鹿と云ふ子があつた。それが何者に浚はれたか今に行方は知れず、比叡山を立出てそれより大和、河内、紀の国と所在を探し、漸う漸う此処で観念の臍を固め、最早死んだものと諦め、村人に選まれて酋長になつたのだが、お前が伜に面会した喜びを思ふに付けて、私も何だか失うた子供の事を思ひ出し悲しうなつて来た。アヽ仕方がない。何事も運命だ。サア二人の方、気の毒乍らチヤンと用意が出来て有る。此唐櫃に這入つて下さい』 秋彦は木山彦の言葉、鋭く耳に入り腕を組み呆然として居る。常楠夫婦は声を限りに泣き叫ぶ。木山彦は涙を隠し、声を荒らげ、 木山彦『時遅れては一大事サア早く早く』 と迫き立てる。駒彦、秋彦は直に唐櫃の中に飛び込まうとするを、木山彦は押止め、 木山彦『アヽお二人さま、一寸待つて下さい。ここに白装束が持つて来てある。お前さまの着物をスツクリ脱ぎ捨て、此れと着換て往て貰ひたい』 二人は『あゝ久し振りで新しき御仕着せを頂戴致します。……サア是れから千騎一騎の活動だ』と心に喜び乍ら唐櫃の中に這入つて了つた。木山彦は『助公々々』と呼び立てる。言下に助公始め十数人の男はバラバラと集まり来り、唐櫃の戸を固く締め、七五三縄を以て縛り付け、大勢に担がせ、此家を立出でんとする時、老夫婦は慌て門口へ送り出で、其儘そこに昏倒して了つた。木山彦は二三の男を後に残し、老夫婦の看護をさせ、漸く息を吹き返さしめた。酋長は老人夫婦を労り慰め、悠々として家路に帰つた。 一方二台の唐櫃は竜神の宮指して、人夫の唄の声と共に遠ざかり行く。老人夫婦は互にしがみつき悲歎の涙遣る瀬なく、身を悶え居る時しも、押入れの中よりムクムクと現はれ出たる駒彦、秋彦の二人、老夫婦の背を撫で、 駒彦『モシモシ馬で御座います。……秋彦で御座います。御安心下さい。コレ此通り無事に居ります』 と聞いて夫婦は二度ビツクリ、夢か現か幻かと二人の顔を看まもり、暫しは言葉もえ出さず呆れて居る。稍あつて常楠は、 常楠『ハテ不思議な事もあるものだなア。如何して此処へお前達は帰つて来たのか。又もや追手が迫つて来はせぬか。サア早く何とかせねばなるまい』 と嬉しさ恐さに身をもがく。 駒彦『御両親さま、御案じ下さいますな。只今大神様へお願致しました所、高倉、旭の明神現はれ、身代りになつて行つて呉れられました。モウ大丈夫です。併し乍らここに居つては一大事、サア今の内に我々四人、手に手を取りて日高川を渡り、熊野方面指して参りませう。必ず御心配は要りませぬ。吾々は神様と二人連れ、滅多な事はないから、一時も早く此処を立去る事に致しませう』 老夫婦は雀躍りし、一も二もなく二人の言葉に賛意を表し匆々此家に火をかけ、急いで日高川の岸辺を指して進み行く。 ○ 木山彦は二三の従者と共に我館に立帰り、ものをも言はず奥の一間に入りて、双手を組み溜息をつき、思案に暮れて居る。此場に茶を汲んで現はれた妻の木山姫は、夫の普通ならぬ顔に不審を起し、恐る恐る両手を突き、 木山姫『今日に限つて心配さうなあなたの御顔、何か又大事が突発致しましたか』 と尋ねる。木山彦は妻の言葉の耳に入らざるが如く、黙然として俯むき、両眼よりは紅涙滴々として滴るのであつた。木山姫は合点行かず、側近く寄り添ひ、 木山姫『モシ吾夫様、何か御心配な事が出来ましたか』 と云ふ声に始めて気がつき、 木山彦『アヽ木山姫か』 木山姫『今日に限つてハツキリせぬあなたの御顔、どうぞ包み隠さず仰有つて下さりませ』 木山彦『アーア人間位果敢ないものは無い。私も三人の子供があつたが二人迄、村の者が竜神の宮の柿を取り、何処かへ遁走したので、其身代りに二人の娘は奪られ、一人の伜は何者に攫はれたか、幼少の時より行方知れず、斯うして二人が日高の庄の酋長と仰がれ、老の余生を送つては居るものの、思へば思へば寂しい事だ』 と又俯向く。 木山姫『今日に限つた事では御座いませぬ。どうぞ過去つた事は思ひ出さずに、ハンナリとして暮して下さいませ。妾も女の身乍ら既に諦めて居ります』 木山彦『若しも紛失致した伜の鹿公が此世に居つたら、お前は如何思ふか』 木山姫『お尋ねまでもなく、そんな嬉しい事は御座いませぬ。して又伜の行方が貴方にお分りになつたのですか』 木山彦『イヤ分つたでもなし、分らぬでもなし。……アーア実に残念な事ぢや。会はぬがマシであつたワイ』 木山姫『エヽ何と仰せられます。会はぬがマシ…………とは心得ぬお言葉。あなたは伜にお会ひになつたのでせう。なぜ如何とかして連れて帰つては下されませぬ』 木山彦『連れて帰りたいは山々なれど、儘にならぬは浮世の慣ひだ。あの常楠の老夫婦も一人の娘を賊に殺され、永らく分らなかつた伜に遇うたと思へば、竜神の宮の人身御供にあげられ、言ふに謂はれぬ悲歎の涙に暮れて居た。アヽ可哀相だ。他人の事かと思へば吾身の事だ。日頃心にかけて慕うて居つた伜の鹿公も………アヽモウ言ふまい言ふまい』 と又もや俯向き吐息をつく。 木山姫『それはそれは常楠の老夫婦も可愛相な事をしましたなア。併し伜の鹿にお会ひになつた様な貴方のお言葉、それは一体如何なつたので御座います』 木山彦『モウ仕方がない。驚いて呉れな実は鹿公に会うて来た。名乗もならず、暗々と常楠の伜と共に人身御供にやつて了うた』 と耐ばり切つたる悲しさの堤も切れて、大声に男泣きに泣き立てた。木山姫もハツと驚き共に涙に正体なく身を揺つて泣き倒れる。斯る所へ息急き切つて走つて来た小頭の助公は、 助公『申上げます。唯今竜神の宮へ二人の人身御供を持つて参りますと、神殿俄に鳴動致し、中より白髪異様の恐ろしき神が現はれ、唐櫃の戸を叩き破りました途端に、二人の宣伝使は躍り出で、白髪異様の神を相手に組んづ崩れつ大格闘をやつて居りましたが、遂には宣伝使の力が勝れて居つたと見え、神さまは二つに引き裂かれて、谷川へドツと許りに投げ込まれ、川水は忽ち血の川となつて了ひました。吾々共は大地に平太張り恐々此活劇を見て居りました所、二人の宣伝使は吾々に向ひ……最早竜神の宮の悪神は退治致したれば、今後は決して人身御供などを請求する気遣ひはない。又今後は柿の実は汝等勝手に取つて食つて差支ない………と仰せられ、且私を特に近くお召しなされ………一時も早く此事を木山彦の酋長に伝達せよ………との厳命で御座りました。ハツと驚き承知の旨を答へますると、二人の宣伝使は谷川伝ひに猿の如く何れへか姿を隠されました、最早今後は人身御供の憂へも御座りませぬから、御安心下さりませ』 と詳細に物語るを聞いた木山彦は立ち上り、 木山彦『ナニ竜神の宮の神様を退治致したと……さうして其宣伝使の行方は分らぬか』 助公『ハイ余り御足が早いので、追つ付いておたづね申す事も出来ずどこへお出になつたか皆目見当が付きませぬ。已むを得ず帰路に就けば常楠の家はドンドンと燃えて居ります。あゝ可愛相に老人夫婦は助けてやりたいと思ひ、探して見ても影も形もなく、大方自ら火を放ちて、夫婦が焼け死にでもしたので御座いませう。実に可愛相な事を致しました』 木山彦『それは御苦労であつた。さぞ村人も喜ぶ事であらう。併し乍ら二人の宣伝使は何か落して行かれなかつたか』 と問はれて助公は、 助公『ハイ斯様な物が落ちて居りました』 と守袋を懐から取出し手に渡せば、木山彦は、 木山彦『コリヤ木山姫、此守袋はお前覚えがないか』 と木山姫の前に突出せば、木山姫は、 木山姫『一寸見せて下さいませ』 と手に取り上げ、裏表を打かへし眺めて、 木山姫『あゝ確かに覚えが御座います。余り古びて居りますので、ハツキリは分りませぬが守袋の底に○に十の字を印して置きましたが、未だにウツスリと残つて居ります。これは全く伜の守袋に間違は御座いませぬ』 木山彦『それならば確かに伜に間違ひない。兎の様な尖つた耳で時時耳を動かせる所、鼻の先の尖つた所はお前に生写、アヽ偉い者だなア。よう伜助かつて呉れた。常楠の伜もそれでは無事だつたか。あゝ有難い、全く熊野の神様の御守護だ。サア女房、吾々も此館を暫く明けて熊野へ夫婦連れ、御礼参りをしようではないか。又神様の御引合せで伜に遇へるかも知れぬ、善は急げだ、早く用意をせよ』 木山姫『先づ先づジツクリと気を落ち着けて下さりませ。急いては事を仕損ずると云ふ諺もありますから……』 木山彦は周章て、 木山彦『お前厭なら来なくてもよい、サア助公、随伴の用意だ』 助公『ハイ畏まりました、直様用意に取掛りませう』 木山姫『左様なれば妾も一緒にお伴指して下さいませ。併し留守は如何したら宜しいか』 木山彦『留守も何も要つたものか。家財よりも何よりも、大切な宝は吾子よりないのだ。子に会へさへすれば、財産も何も要るものか。如何なろと構はぬ。サア早く往かう』 助公は家の戸締り万端に気を付け、夫婦の後に随ひ、熊野を指して出て行く。 (大正一一・六・一一旧五・一六松村真澄録) (昭和一〇・六・五旧五・五王仁校正) |
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霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 07 知らぬが仏 | 第七章知らぬが仏〔七一九〕 秋彦、駒彦の宣伝使は、常楠、お久の老夫婦と共に、木山の里を立出で漸う栗栖川の畔、栗栖の森に着いた。老人の事とて疲労を感じ、此処に駒彦の父常楠は、俄に胸腹部の激痛を感じ、発熱甚しく、身動きもならぬやうになつて了つた。お久を始め秋彦、駒彦の両人は、如何にもして常楠の病気を恢復せしめむと、栗栖の宮の半破れたる社務所に立寄り、いろいろと介抱に手を尽したが、病は追々重るばかりで、命旦夕に迫つて来た。 二人の宣伝使は栗栖川の上流に妙薬ありと聞き、手配して山深く薬草を求むべく進み入つた。後にお久は夫の看病に余念なく、心力を尽して老の身の労苦も打忘れ、看護に努めた。人里離れし淋しき此栗栖の宮の森は人声もなく、時々烏の声、百舌鳥の囁きが聞ゆるばかり、凩は時を仕切つて吹いて来る。さすが暖国の冬も、今日に限つて殊更厳寒を感じ、身に寒疣を現はすばかりであつた。 夜は深々と更け渡り、月は皓々と中天に輝き、憐れな老夫婦の境遇を憐れ気に見下ろし給ひつつあるものの如く、時々月の面を掠めて淡い雲が来往してゐる。其度毎にパツと明くなつたり、又パツと薄暗くなり、空には薄茶色の雲、白雲に混つて脚速く右往左往に彷徨して居る。 此時覆面した二人の大男、何事かヒソビソと囁き乍ら、此森に向つて進み来り、社務所の中に老夫婦のあるをも知らず、縁側に腰打かけ、ヒソビソ話に耽つて居たが、遂には興に乗つて声高に囀り始めた。 甲『オイ虻公、此頃は泥棒商売も薩張り冬枯れで、懐も寒いことだないか。なんぞ好い鳥がやつて来さうなものだな。木山の里で爺と婆アの家に泊り込み、奪つて来た金子は大方使ひ果し、最早二進も三進も行かなくなつて了つたぢやないか。此処で一つ大きな仕事をせぬことには、持ちもせぬ乾児を養ふことも出来ず、乾児の嬶や子供までが薩張乾上つて了ふ。何とか好い思案は出ないだらうかなア』 虻公『オイ蜂公、貴様は金子が手に入ると、大風に灰撒くやうに、直にバラバラと撒き散らしやがるものだから困つて了ふワ。貴様は乾児も少し、一人生活ぢやないか。俺のやうに有りもせぬ乾児の十人も持ち、近所の杢平が七八人の家族を抱へてゐては到底小さい働きではやりきれない。木山の里で奪つた金子も百両ばかりあつたが、貴様は山分けにして五十両持つて帰つたのだから、余程使ひでがなければならぬ。俺達とは責任が大変違ふのだから……』 蜂公『何と云つても五十両は五十両だ。家内が少いと云つて五十両が百両に使へる道理も無し、又家内や乾児が多いと云つても、五十両は依然五十両だ。滅多に二十両になる気遣ひは無い。そんな吝なことを云ふない』 虻公『其癖貴様は可愛相に彼の娘を○○して、両親の前でばらしたぢやないか。ヨウま彼んな鬼のやうな事が出来たものだ』 蜂公『ヘン俺が鬼なら貴様も鬼だ』 虻公『鬼にも善悪があつて、貴様のは特別製の角鬼だ、所謂雄だ。俺のは雌だから角の無い鬼だからなア』 蜂公『定つたことだ。鬼なら鬼で、何処迄も徹底的に鬼たるの本分を尽さねばなるまい、貴様のやうに少し金子が出来ると、仏の道とか、金の道とかに逆転しやうとする様なことで、何うして大きな仕事が出来るものか』 と話してゐる。社務所の中より苦悶の声、両人の耳を刺した。 虻公『ヤア何だか妙な声がするぢやないか』 蜂公『ほんに怪体な声が聞えて来た。全で狼の唸り声のやうだ。一体何物だらう。一つ調べて見たら何うだ』 虻公『おけおけ、君子は危きに近付かずだ。幽霊かも知れないぞ』 蜂公『君子が聞いて呆れるワ。貴様のやうな悪党が、何処の盲が見たつて君子と思ふ奴があるか。お軽の幽霊が貴様達が此処へ来ると思つて、待つてゐやがるのかも知れぬぞ。何だか俺は首筋元がゾクゾクして来た。外は寒い風が吹くなり、中には嫌らし声が聞えるなり、遣り切れなくなつたぢやないか』 虻公『そんなチヨロ臭いことを云つて居ると、貴様と俺の名ぢやないが虻蜂取らずになつて了ふぞ。ひよつとしたら旅人が沢山金子を持つて寝てゐやがるかも知れぬぞ、山吹色の奴がウンウンと唸つてゐるのだらう。一つ勇気を出して踏ん込み、ウンの正体を見届けやうぢやないか。ひよつとしたら吾々の運の開け口かも知れぬぞ』 蜂公『うつかり遣り損ふとウンが下つて尻から出るウンにならぬやうにせよ。貴様は何時も狼狽者だから尻の局はついた事はない。年が年中手を出しては糞垂れる奴ぢやから、アハヽヽヽ』 と笑ふ。お久は此笑ひ声を聞いて、待ちに待つたる二人の宣伝使の帰つたのだと早合点し、中より戸を開いて、 お久『アヽ待ち兼ねました、お二人の方、早く這入つて下さい。嘸寒かつたでせう』 二人一度に、 虻公、蜂公『ヤア誰かと思へば貴方は此家の御主人か。兎も角それでは一服さして貰ひませう』 と内に入る。微な明りに映つた虻、蜂二人の顔。お久は之を眺めて、 お久『アツ、お前等は此間我が家に泊り込み、娘の生命を奪り、有金をすつかり浚へて逃げ居つた泥棒ぢやないか。サア、斯うなる以上は我が子の仇敵、モウ承知を致さぬ。覚悟せい』 と懐剣を逆手に持つて形相凄じく、上段に構へこんだ。虻、蜂の二人は大口を開けて、『アハヽヽヽ』と高笑ひする。 お久『盗人猛々しいとは其方のこと。此の婆が死物狂ひの働き、覚悟を致せ、最早死んでも惜しうない年寄の生命だ』 と斬つてかかる。二人は長刀をスラリと引抜き、 虻公、蜂公『サア、来い』 と腰を据ゑ、寄らば斬らむと控へて居る。お久も二人の荒武者の身構へにつけ入る隙もなく、瞬きもせず隙あらば斬りかからんと狙つて居る。二人はジリジリと抜刀を両手に、腹の辺りに柄を握り乍ら詰め寄つて来る。 常楠は発熱甚しく夢中になつて『ウンウン』と唸つて居る。斯かる処へ秋彦、駒彦の両人は、歩を速めて帰り来り、駒彦先づ中へ這入つて見れば此の状態。 駒彦『ヤア某は三五教の宣伝使駒彦と申すものだ。汝は泥棒と見受るが、老人ばかりの家にやつて来て、何を奪らうと云つたつて奪るものは有るまい。要らざることを致すより、早く此場を立去つたがよからうぞ。グヅグヅ致して居ると、汝の利益にならぬぞ』 お久は始めて此声に気がつき、短刀を振かざし乍ら、 お久『伜の駒彦か、ようマア危ない処へ帰つて下さつた。……秋彦さま、何うぞ加勢して下さい。此奴が私の娘を殺し、金子を盗つて逃げた悪人で御座いますよ』 と聞いて二人は忽ち両手を組み、満身の霊力を籠めてウンと一声、霊縛をかけた。二人は身構へした儘、身体強直し木像の如くになつて了ひ、眼ばかりギヨロつかせて居る。 駒彦『アハヽヽヽ、マア一寸斯うして置いて、悠くりお父さまに薬を上げ御恢復の上、此の面白い木像を慰みに御目にかけることにせう。秋彦さま、霊縛の弛まないやうに気をつけて下さい。私はこれより父の看護を致しますから。………お母さま、危険いところで御座いましたな』 お久は稍安堵して短刀を鞘に納め、ドツカと坐し、 お久『アーお前の帰るのがモウ一息遅かつたら、爺も婆も又もや此奴のために生命を奪らるるところだつた』 と嬉しさ余つて声さへ曇つてゐる。起死回生の妙薬忽ち効験顕はれ、常楠は俄に元気恢復し、起き上つて二人の泥棒の姿を見、 常楠『アヽ御かげで病気が余程よくなつたと思へば、又しても此間出て来た大悪党奴、刀を抜いて執念深くも吾々夫婦を付け狙うて居るのか。偖も偖も度し難き代物だ。こんな奴は必定根の国、底の国の成敗を受けねばならぬ奴だ。想へば想へば可愛相になつて来た、娘の仇とは言ひ乍ら何うしたものか、此奴の精神が気の毒になつて、日頃の恨みも、腹立ちも何処かへ往つて了つた。オイ泥棒、お前も好い加減に改心をしたら何うだ。未来のほどが恐ろしいぞよ』 泥棒は目をキヨロキヨロ回転させるばかり、唇を微に動かしたきり一言も発し得ず、固まつた儘苦悶して居る。 駒彦『お父さま、是等両人は妹を殺した奴で御座いますか。本当に仕方のない悪人ですな。併し乍ら吾々宣伝使の神力を以てしては、此様なものの五人や十人は、小指の先にも当りませぬが、貴方の仰せの通り罪を憎んで人を憎まず、誠の道に帰順すれば救けてやりませうかなア…オイ泥棒、貴様等はまだ此上悪事をやる考へか、但は今日限り薩張改心を致すか何うだ。口利く丈は霊縛を解いてやるから、直に返答致せ』 虻公は漸く重たさうに口を開いて、 虻公『ハイ、カ…イ…シ…ン…イ…タ…シ…マ…ス』 と千切れ千切れに機械的にヤツと答へた。 駒彦『ウン、よし、それに間違ひはないなア。モウ一人の奴は何うだ。貴様も改心するか』 蜂公は機械のやうに幾度となく、頭を縦に曲線的に振つてゐる。 駒彦『ウン、よし、改心するに違ひはないな。そんなら秋彦さま、霊縛を解いてやつて下さい、万一暴れ出したら其時又霊縛をかけるまでの事だから……』 秋彦『承知しました』 と秋彦は両手を組合せ、天の数歌を一回唱へ、『許す』と一言、言霊を発射するや両人の身体は自由自在の旧に復した。二人は夕立の如き涙をボロボロと落しながら、両手を合せ床に頭を摺つけ、懺悔の念に堪へざるものの如く啜り泣きさへして居る。 常楠は両人の姿をツクヅクと眺め、 常楠『コレ二人の泥棒、お前も生れ付いてからの悪人ではあるまい。人間と云ふものは育ちが大切だ。大抵泥棒になつたりする奴は、若い時に親に離れるか、或は継母育ちか、継父の家庭に育つたものが多い様だが、お前の親は何うなつたのだ。子の可愛くない親は世界にない筈だが、何うぞして家の伜も一人前に育て上げ、世間から偉い奴だと賞めて貰ひたいのは親心、今に両親が生て厶るならば、御心配をして厶るであらう。今より綺麗薩張と心を入れ換へ善の道に立帰りなされや。私もお前さん等に大事の娘を殺されたが、お前にも両親があるだらう。娘の仇だと云つて、仇を討てば私は気分がサラリとしやうが、お前の両親が聞いたら嘸歎かつしやることだらう。之を思へばお前さまに娘の仇として、一太刀報いることも出来ぬやうになつて来た。何卒今日限り生命が失くなつたと思つて誠の心になつて下され。これが老先短き年寄の頼みだ。お前の親の代りに意見をするのだから、何卒忘れぬやうにしてお呉れ』 虻公『ハイ有難う御座います。翻然として今迄の夢が醒めました。私には親があつたさうで御座いますが、未だに分りませぬ。印南の里の森に菰に包まれ、生れた直き直き捨てられて居つたのを、情深い村人が救ひ上げて、子の無いのを幸ひに私を子として育てて下さつたのですが、私が六才の時に大恩ある育ての両親は、俄の病で国替をなされまして、それから私は取りつく島もなく、乞食の群に入り漸く成人して女房を持ちましたが、子供の時より悪い事をやつて来た癖は今に直らず、好い事は一つも致したことはありませぬ。貴方の只今の御教訓は生みの親の慈悲の御言葉のやうに感じまして、心の底より有難涙が溢れます。モウ今日限り悪いことは致しませぬ』 常楠『アヽさうかさうか、よう言うて下さつた。それで私も安心した。さうしてお前は捨児されたと云はつしやつたが、何か其時の印は無かつたか』 虻公『ハイ私は虻公と申して居りますが、私の肌に添へてあつた守り刀に、「常」と云ふ字が書いてあつたさうで御座います。今は擦れて字も見えなくなりましたが、之を証拠に生みの親を探ねんと、斯んな悪人に似合はず、始終肌身に離さず持つて居ります。何うぞして一度此世でお父さまやお母さまに会ひたいもので御座います。何しろ生れ落ちると捨児になるやうな不運なもので御座いますから、到底此世では会ふことは出来ますまい』 と身の果敢なさを思ひ浮かべて、泥棒に似合はずワツと許り其場に泣き倒れた。 常楠は首を傾けて吐息を洩らして居る。暫らくあつて、 常楠『其の守り刀を一寸見せて下さらぬか』 虻公『サア、何うぞ御覧下さいませ』 と懐より取出し押戴いて手渡しする。常楠は手に取上げ、ためつ、すかめつ鞘を払つてツクヅク眺め、 常楠『擬ふ方なき我家の紋所、○に十が記してある。此刀は私の大切な、若い時からの守刀であつた。斯うなれば女房の前で白状するが、実の所は女房の目を忍び、下女のお竜に子を妊娠せ、已むを得ず自分の知り合にお竜を預つて貰ひ、生み落したのが男の子、女房の悋気を恐れて我が家へ連れ帰る訳にも行かず、何処の誰人かの情で育つであらうと、後の印に此の守り刀を付け、「常」と云ふ印をして置きました。アヽそれならお前は私の子であつたか。悪いことは出来ぬものだ。お前が此様な悪人になつたのも、みんな私が天則に背いたからだ。コレ伜、赦して呉れ。何事もみんな私が悪いのだから……』 此物語に一同ハツと呆れて、常楠と虻公の顔を見較べるのみであつた。虻公は常楠に縋りつき、 虻公『アヽ貴方は父上様で御座いましたか。存ぜぬこととて御無礼を致し、可愛い妹まで彼んな目に会はして、誠に申訳が御座いませぬ。何うぞ重々の罪は御赦し下さいませ』 駒彦『そんなら私の兄弟であつたか。これと云ふのも全く神様の御引合せだ。有り難し、辱なし』 と両手を合せ、感謝の涙に沈む。 お久は又もや腕を組み思案に暮れてゐる。此態を見て常楠は、 常楠『コレ女房、怺へて呉れ。お前は今の話を聞いて大変気嫌を悪うしたやうだが、これも私の罪だ。あつて過ぎたことは何と云つても仕方が無い。これ此通りだ、赦してお呉れ』 と両手を合せ、お久の前に頭を下げ謝らんとするを、お久は押止め、 お久『コレコレ親父さま、勿体ない、何を言はつしやるのだ。妾こそ貴方にお詫をせねばならぬことが御座います。妾が白状すれば嘸貴方は愛想を御尽かしなさるでせうが、妾も罪亡ぼしに此処で懺悔を致します。人さまの前又夫や吾が子の前で、年が寄つて昔の恥は言ひたくはなけれど、天道は正直、何時まで隠して居つても罪は亡びませぬから、一応聞いて下さい』 と涙ぐみつつ夫の顔を打看守る。 常楠『なアに夫婦の仲に遠慮は要るものか。何でも構はぬ、皆云つて呉れ。其方が互に心が解け合つて、何程愉快だか分つたものぢやない』 お久『妾は今迄隠して居りましたが、貴方の家へ嫁ぐ前に若気のいたづらから、親の許さぬ男を持ち一人の子を生み落し、爺さまのやうに熊野の森へ捨児を致しました。それもクリクリとした立派な可愛い男の子であつた。お爺さまの捨児に会はれたのを見るにつけ、私の捨てた彼の児は如何なつたであらうと思へば、立つても居ても居られなくなりました。……アヽ捨てた児よ、無残な母と恨めて下さるな。事情があつてお前を捨てたのだから……』 と又もや泣き倒れる。蜂公は怪訝な顔をして、 蜂公『ヤア今承はれば、お婆アさまは熊野の森に捨児をなさつたと云ふことだ。それは何年前で御座いますか』 婆は涙を拭ひ乍ら、 お久『ハイもう彼是四十年にもなるだらう。今居れば恰度お前さま位に立派な男になつて居る筈ぢや。アヽ妾も其子が此世に生きて居るのなら、此世の名残りに一度見て死にたいものだ。そればかりが冥途の迷ひだ。若い時は気が強くて何とも思はなかつたが、年が寄ると捨児の事を心に思はぬ間はありませぬ。さうしてお前さま、其の捨児の事に就て御聞き及びの事はありませぬか』 蜂公『ハイ別に何とも聞いては居りませぬが、私は熊野の森に捨てられて居つたのを、或山賊の親分が見つけて、私を大台ケ原の山砦に伴れ帰り、立派に成人させて呉れました。私が十八才になつた時、三五教の宣伝使がやつて来て、岩窟退治を致した時に生命からがら其処を脱け出し、それから諸方に彷徨ひ、女房を持ち相変らず泥棒をやつて居りました。最前から貴方の御話を聞くにつけ、何だか貴方が母上のやうに思はれてなりませぬ』 お久は、 お久『其時に何か印は無かつたかな』 蜂公『ハイ、私は水児の時に捨てられたので何も存じませぬが、他の話を聞けば守り刀が付いて居つたさうです。併し其守り刀も大台ケ原の岩窟の騒動の時に取り落しました。それには蜂の印が入つて居つたさうで、私を蜂々と呼ぶやうになつたと聞いて居ります』 お久は飛びつく許りに驚いて、 お久『アヽそれ聞けばてつきり我が子に間違ひありませぬ。何とした嬉しい事が一度に出て来たものだらう。コレコレ親父どの、此子は貴方に嫁ぐ迄の子でありますから、何うぞ赦して下さい。今迄包んで居つた罪も何うぞ今日限り赦すと仰有つて下さい。御願ひで御座ります』 と夫に向つて手を合し頼み入る。 常楠『そんなことは相身互だ。罪人同志の寄合ひだから、モウこれ限り今迄の事は川へ流し、改めて二人の子が分つた喜びの御礼を此処で神様に奏上し、明日は早く此処を立去つて熊野へ御礼に参りませう』 一同は涙混りに秋彦の導師の許に、感謝祈願を覚束無げに奏上し了つた。東の空は茜さし、金色の燦然たる太陽は、晃々と海の彼方より昇らせ給ふ。 (大正一一・六・一一旧五・一六外山豊二録) |
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霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 09 高姫騒 | 第九章高姫騒〔七二一〕 若彦の門を潜つて入り来る一人の美人があつた。門番の秋公、七五三公の両人は此姿を見て、 秋公『モシモシ、何処のお女中か知りませぬが、何の御用で御座るか、門番の私に一応御用の趣を聞かして下さいませ』 女『少しく様子あつて……兎も角主人に会ひ度う御座いますから』 七五三公『名も分らぬ女を通す事は罷り成りませぬ』 女『お前は此処の門番ではないか、妾が如何なる者か分らぬ様な事で、門番が勤まりますか』 とたしなめ乍ら、足早に奥深く進み入つた。 七五三公『アヽ薩張駄目だ、女と言ふ奴は押し尻の強いものだ。然し彼奴は何処ともなしに気品の高い女であつたが一体何だらうかなア』 秋公『ひよつとしたら大将のレコかも知れぬぞ』 と小指を出して見せる。 七五三公『当家の大将に限つてそんな者があつて堪らうかい。玉能姫様と言ふ立派な奥様があるのだが、今は再度山の麓の生田の森に、三五教の館を建てて熱心に活動して居られると言ふ事だ。御夫婦は遥々国を隔てて忠実に御神業を為さると言つて、大変な評判だから、そんな事があつて堪るものか』 秋公『さうだと言つて思案の外と言ふ事がある。ひよつとしたら玉能姫さまが御入来になつたのぢやあるまいかな』 七五三公『馬鹿を言へ、玉能姫様がどうして一人お入来になるものか。少なくとも一人や二人のお供は、屹度従いて居らねばならぬ筈だ』 秋彦『そこが……微行と言ふ事がある。きつと大将が恋しくなつて、御微行と出掛けられたのだらう』 と門番は美人の噂に有頂天になつて居る。 美人は奥深く進み入り玄関先に立ち、小声になつて、 女『若彦様は御在宅で御座いますか』 と訪うた。玄関番の久助は此声に走り出で、 久助『ハイ、若彦の御主人は今奥に居られます。誰方で御座いますか、御名を聞かして下さいませ』 女『少しく名は申し上げられぬ仔細が御座います。お会ひ申しさへすれば分りますから、何卒「女が一人お訪ねに参つた」と伝へて下さいませ』 久助『私は姓名を承はらずにお取次を致しますると、大変に叱られますから、何卒名を言つて下さい、さうでなければお取次は絶対に出来ませぬ』 女『左様なれば妾から進んでお目に掛るべく通りませう』 久助『是は怪しからぬ事を仰有る。此処は私の関所、さう無暗に通る事は罷りなりませぬ』 女『左様なれば取次いで下さいませ』 久助『見れば貴女は相当の人格者と見えるが、私の言ふ事が分りませぬか。玄関番は玄関番としての職責を守らねばなりませぬから、何程通して上げ度くとも、姓名の分らない方は化物だか何だか知れませぬ。気の毒乍ら何卒お帰り下さいませ』 美人は稍声を高め、 女『コレ久助、お前はまだ聖地に上つた事もなく、生田の森へ来た事も無いので分らぬのも無理はないが、名を名告らずとも玄関番をして居る位なら、大抵分りさうなものだ。何と言つても妾は通るのだから邪魔をして下さるな』 と何処やらに強味のある言ひ振り。 久助は首を傾け、 久助『ハテナ、貴女は奥様では御座いませぬか。ア、いやいや奥様ではあるまい。尊き玉能姫様は結構な御神業を遊ばして、今では女房とは言ひ乍ら、格式がズツと上になられ、当家の御主人様も容易にお側へ寄れないと言ふ事だ。そんな立派な方が供を連れずに、軽々しく一人御入来遊ばす道理がない。アヽ此奴は、てつきり魔性のものだ。……こりやこりや女、絶対に通る事は罷りならぬぞ』 と大声に呶鳴りつけてゐる。若彦は久助の大声に何事の起りしかと、座を起つて此場に現はれ来り、美人の姿を見て打ち驚き、 若彦『ア、お前は玉……』 と言ひかけて俄に口をつぐみ、居直つて、 若彦『何れの女中か存じませぬが、何卒奥へお通り下さいませ』 女『ハイ、有り難う御座います。御神務御多忙の中を御邪魔に上りまして、誠に御迷惑様で御座いませう。左様なればお言葉に従ひ、奥に通して頂きませう』 若彦『サア私に従いて御入来なさいませ。コレ久助、お前は此処にしつかりと玄関番をして居るのだよ、一足も奥へ来てはいけないから』 と言ひ捨てて両人は奥の間に姿を隠した。後見送つた久助は首を稍左方に傾け舌を斜に噛み出し、妙な目付をして合点の往かぬ面持にて天井を眺めて居る。若彦は奥の間に女と二人静かに座を占め、 若彦『貴方は玉能姫殿では御座らぬか。大切な御神業に奉仕しながら、何故案内も無く一人で此処へお入来になりましたか。私は神様へ誓つた以上、貴女と此館で面会する事は思ひも寄りませぬ』 玉能姫『お言葉は御尤もで御座いますが、之には深い仔細があつて参りました。貴方の御存じの通り、言依別様より大切な神業を命ぜられ、次で生田の森の館の主人となりましたが、それに就いて高姫さまの部下に仕へて居る人達が、「三個の神宝は、屹度妾と貴方とが申し合せ当館に隠してあるに相違ないから、若彦の生命をとつてでも、其神宝の所在を白状させねばならぬ」と言つて、大変な陰謀を企てて居りますから、妾もそれを聞いて心落ち着かず、何にも御存じの無い貴方に御迷惑を掛けては、妻たる妾の責任が済むまいと思つて、長途の旅を只一人忍んで御報告に参りました』 若彦『左様で御座つたか。それは御親切に有難う御座います。然し乍ら何事も神様に任した私、仮令高姫が如何なる企みを以て参りませうとも、神様のお力に依つて切り抜ける覚悟で御座います。何卒御安心の上、休息なされたら一時も早くお帰り下さいませ。万一此事が他に洩れましてはお互の迷惑「若彦、玉能姫は立派な者だと思つて居たのに、矢張人目を忍んで夫婦が会合して居る」と言はれてはなりませぬから、教主のお許しある迄は絶対にお目に掛る事は出来ませぬ。その代り私も何処までも独身で道を守つて居りますから、御安心下さいませ』 玉能姫『貴方に限つて左様な気遣ひは要りますものか。互に心の裡は信用し合つた仲ですから、決して決して左様なさもしい心は起しませぬ。御承知で御座いませうが何れ遠からぬ中、高姫さまか、又は部下の方々が食物を以て見えませうから、決してお食りになつてはなりませぬ。是だけは特にお願ひ致して置きます』 若彦『ハイ、有り難う御座います、何から何まで御注意下さいまして御親切の段、何時迄も忘却致しませぬ』 玉能姫は嬉し気に若彦の言葉を聞いて笑顔を作り、嬉し涙を滲ませて居る。 斯かる処へ玄関に当つて争ひの声おいおい高くなつて来る。二人は何事ならんと耳を澄ませ聞き入れば、高姫の癇声として、 高姫『此処へ玉能姫が来たであらう』 久助の声『イヤイヤ決して決して女らしい者は一人も来ませぬ。此館は御主人の命令に依つて当分の間、女は禁制で御座る』 高姫の声『何と言つて隠してもチヤンと門番に聞いて来たのだ。女が一人此処へ這入つて来た筈だ、上も下も心を合せ、しやうも無い女を引き摺り込み、体主霊従のあり丈けを尽し、表面は誠らしく見せて居る若彦の企みであらう。彼奴は青彦と言つて、妾が育ててやつた男だ。エー、通すも通さぬもあるか、言はば弟子の館に師匠が来たのだ。邪魔致すな』 と呶鳴り立て、久助の止むるを振り払ひ、三四人の男を玄関に待たせ置き、畳を足にて強く威喝させ乍ら若彦の居間に進み来り、 高姫『オホヽヽヽ、若彦さま、悪い処へカシヤ婆が参りまして誠に御迷惑様、折角意茶つかうと思ひなさつた処を、風流気の無い皺苦茶婆が這入つて来て、折角の興を醒ましました。お前さまは羊頭を掲げて狗肉を売る山師の様な宣伝使ぢや。玉能姫殿、此高姫の眼力に違はず、表面は立派な事を……ヘン……仰有つて言依別の教主を誤魔化して御座つたが、今日の醜態は何で御座りますか。貴方の御身分で一人の伴も連れずに、大切な神業を遊ばす夫の側へ忍んで来るとは、実に立派な貴方の行ひ、高姫も実に感心致しました。本当に凄いお腕前、爪の垢でも煎じて頂き度う御座いますワ。オホヽヽヽ』 若彦『これはこれは高姫様、遠方の所ようこそいらせられました』 高姫『よう来たのでは無い、悪く来たのですよ。お前さまも気持良く楽しまうと思つて居た処へ、皺苦茶婆アがやつて来て、折角の楽しみを滅茶々々にされて胸が悪いでせう。月に村雲、花には嵐、世の中は思ふ様には往きますまいがな。西は妹山、東は背山、中を隔つる高姫川、本当に悪い奴が出て参りました。コレコレ玉能姫さま、恥かし相に赭い顔して何ぢやいな。阿婆擦女の癖に、殊勝らしう見せようと思つて、そんな芝居をしても、他のお方は誤魔化されませうが、此高姫に限つて其手は喰ひませぬぞエ。「その手でお釈迦の顔撫でた」と言ふのはお前さまの事だ。アヽア怖い怖い、こりや一通りの狸ではあるまい。愚図々々して居ると高姫の睾丸……オツトドツコイ……胆玉まで抜かれますワイ』 玉能姫『これはこれは高姫様、遠方の処御苦労様で御座いました。今承はれば貴方は色々と我々夫婦の事に就いて、誤解をして居らつしやいますが、決して左様な考へを以て来たのでは御座いませぬ』 高姫『そんな事は今々の信者に仰有る事だ。蹴爪の生えた高姫には、根つから通用致しませぬワイなア』 と小面憎気に頤をしやくつて見せる。玉能姫は返す言葉も無く迷惑相に俯向いて居る。 高姫『コレ、玉能姫さま、イヤお節さま、悪い事は出来ますまいがな。誠水晶の生粋の日本魂ぢやと教主が見込んで、大切な御神業を言ひ付けられた貴女の精神が、さうグラ付く様な事では如何なりますか。妾は是から貴女の夫婦会合を実地に目撃した証拠人だから、三五教一般に報告致しまして信者大会を開き、お前さまの御用を取上げて仕舞はねば、折角大神様の三千年の御苦労も水の泡になります。サア如何ぢや、返答をしなされ。三つの玉は何処へ隠してある。それを聞かねば、お前さまの様なグラグラする瓢箪鯰には秘密は守れませぬ。サア玉能姫さま、若彦さま、夫婦共謀してドハイカラの言依別を誤魔化して居つたが、最早化けの現はれ時、何と言つても高姫が承知しませぬぞエ。一般に報告されるのが苦しければ……魚心あれば水心ありとやら……此高姫も血もあれば涙もある。決してお前さま達の御迷惑を見て、心地よいとは滅多に思ひませぬ。サア玉能姫さま、お前さまはチツと妾の言ひ様が強うて腹も立つであらうが、そこは神直日大直日に見直し聞き直して、御神宝の所在を妾にソツと言つて下さい。さうすればお前さま等夫婦のアラも分らず、妾も亦誠の御神業が出来て結構だから』 玉能姫『妾は一度教主様から玉はお預り致しましたが、不思議な方が現はれて遠い国へ持つて行かれましたから、実際の事は何処に隠されてあるか、妾風情が分つて堪りますか。又仮令知つて居りましても、三十万年の間は口外は出来ない事になつて居りますから、それ許りは如何仰有つても申し上げられませぬ。何卒貴女の天眼通と日の出神の御守護とで、玉の所在を御発見なさるが宜しう御座いませう』 高姫『エー、ツベコベと小理屈を言ふ方ぢやなア。そんな事を勿体ない、日の出神に御苦労を掛けたり、天眼通を使うて堪りますか。お前さまが只一言「斯う斯うぢや」と言ひさへすれば良いぢやないか』 若彦『現在夫の私にさへも仰有らぬのですから、何程お尋ねになつても駄目ですよ』 高姫『エー、お前までが横槍を入れるものぢやない。夫婦が腹を合して隠して居るのであらう。そんな事はチヤーンと分つて居るのだ』 若彦は稍語気を荒らげ、 若彦『知つて居るのなら何故貴女勝手にお探しなさらぬか。貴女の仰有る事は矛盾撞着脱線だらけぢやありませぬか』 高姫『脱線とはお前の事だ。教主の御命令がある迄夫婦顔を合さぬと誓ひ乍ら、今日の脱線振りは何の事だ。矛盾撞着はお前等夫婦の事ぢやないか。余り人の事をけなすと屑が出ますぞ。オホヽヽヽ』 と嘲る様に笑ふ。 玉能姫『若彦様、妾は之でお暇致します。高姫様、何卒御ゆるりと遊ばしませ。左様なら』 と立ち上らうとするを、高姫はグツと肩を押へ、 高姫『コレコレ、逃げ様と云つたつて逃しはせぬぞえ。金輪奈落の底迄、神宝の所在を白状させねば措きませぬぞ』 玉能姫『何と仰有つても是許りは申し上げられませぬ』 高姫『何と、マア、夫婦がよく腹を合したものだ。本当に羨ましい程、仲の良い御夫婦様ぢや。オホヽヽヽ』 玉能姫『何卒高姫様、其処放して下さいませ。妾は生田の森へ帰らねばなりませぬから、一時の間も神業を疎略に出来ませぬ』 高姫『オホヽヽヽ、一時の間も疎略に出来ない御神業を振り棄てて、夫の側へなれば幾日も幾日もかかつて、遥々紀の国迄お越し遊ばすのだから、実に立派なものだ』 玉能姫『それでも退引きならぬ御用が出来ましたので、多忙の中を神様にお願ひ申して参つたので御座います』 高姫『その用とは何事で御座るか、サア、それを聞かして貰はう。妾に聞かせぬ様な御用なら何れ碌な事ではあるまい。お前達若夫婦は寄つて如何な企みをして居るか分つたものぢやない。サアもう斯うなつては私も勘忍袋の緒が切れた。何と云うても舌を抜いてでも言はして見せる』 と癇声に呶鳴り立てて居る。 此時玄関に騒々しき人の足音が聞えて来た。暫らくすると秋彦、駒彦、木山彦夫婦外四人兄弟、慌しく奥の間の声を聞きつけて此場に現はれ来り、八人一度に手をついて若彦の前に平伏した。 若彦『ヤア、其方は駒彦、秋彦の宣伝使では御座らぬか、何用あつてお越しなされた』 駒彦『ハイ、熊野の大神様へお礼の為めに参拝致しました』 高姫はカラカラと打笑ひ、 高姫『アハヽヽヽ、オホヽヽヽようもようも揃つたものだ。何かお前達は諜し合はせ大陰謀を企てて居た所、アタ間の悪い、憎まれ者の高姫がやつて来て居るので肝を潰し、熊野の大神様へお礼詣りをしたとは、子供騙しの様な逃口上、立派な聖地には大神様が御座るぢやないか。それにも拘はらず熊野へお礼詣りとは方角違ひにも程がある。何事も嘘言で固めた事は直剥げるものだ。オホヽヽヽ、あの、マア皆さんの首尾悪相な顔わいな。梟鳥が夜食に外れてアフンとした様な其様子、写真にでも撮つて置いたら、よい記念になりませうぞい』 と言葉尻をピンと撥ねた様に捨台詞を使つて居る。駒彦一行は何が何やら合点往かず途方に暮れ、黙然として看守つて居る。 若彦『皆様、後でゆつくりとお話を承はりませう。何卒御神前へおいで遊ばして、お礼を済まして来て下さいませ。……オイ久助、御神殿へ此方々を御案内申せ』 久助は玄関より若彦の声を聞きつけ走り来り、 久助『サア、皆様、大広間へ御案内致しませう』 高姫『コレコレ悪人共、イヤ同じ穴の狐衆、暫くお待ちなされ。若彦と腹を合はせ、御神殿へお礼と云ひ立て、巧く此場を逃げて行く御所存であらう。そんなアダトイ事を成さつても、世界の見え透く日の出神の生宮はチヤンと知つて居りますぞえ。何故男らしう此場で斯様々々の次第と白状なさらぬのだ。今日三五教に於て、誠の神力の備はつた神の生宮は此高姫で御座る。高姫の申す事を聞くか、若彦の言葉を聞くか。サア事の大小、軽重を考へた上、速かに返答なされ。返答次第に依つて此高姫にも量見が御座るぞや』 秋彦、駒彦は口を揃へて、 秋、駒『私は第一に言依別の教主、其次には玉能姫様、其次には若彦さまの崇敬者ですよ。何程高姫様が御神力が強いと言つて、自家広告を為さつても、根つから我々の耳には這入りませぬ。サア皆さま、御神殿へ参拝致しませう』 と此場を立つて行かうとする。高姫は夜叉の如く立腹し、秋彦、駒彦の襟髪を両手にひん握り、力をこめて後へドツと引き倒した。常楠、木山彦は余りの乱暴にムツと腹を立て、 常楠『何処の何人か知らぬが、罪も無い我々の伜を打擲するとは言語道断、年は寄つても昔執つた杵柄の腕の冴えは今に変りは致さぬ。さア高姫とやら、思ひ知れよ』 とグツと襟首を掴みて常楠が強力に任せて、猫を抓んだ様に館の外に放り出した。高姫はそれきり如何なつたか暫く姿を見せなかつた。一同は神殿に向ひ感謝の祝詞を奏上して高姫の無事を祈りけるこそ殊勝なれ。 (大正一一・六・一一旧五・一六北村隆光録) |
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霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 10 家宅侵入 | 第一〇章家宅侵入〔七二二〕 晴れては曇る秋冬の空高姫は改心の 真如の月を曇らせて心の海に荒波の 立騒ぎては又曇る慢心改心行き交る 心の色も定めなき執着心のムラムラと 又もや頭を抬げつつ金輪奈落どこまでも 三つの神宝の所在をば探さにや置かぬと焦だちて 四人の従者を伴ひつ山の尾渉りやうやうと 南の果に紀の国の道の熊野も恙なく あてども那智の滝水に胸を打たれてシホシホと 若彦館に立向ひ胸の炎の燃ゆるまに 無理難題を吹きかけて若彦夫婦其他の 信徒達を悩ませつ常楠爺さまの腕力に 館の外に放り出され無念の歯切り噛み締めて 後振り返りふりかへり館を睨みスゴスゴと 四人の男と諸共に心さかしき山路を 登りつ降りつ浪速江のよしもあしきも白妙の 衣を纏ひ引返す再度山の山麓に 新に建ちし神館初稚姫の守りてし 生田の森に帰り行く。 高姫『アヽ此処が意地クネの悪い杢助の元の館だ。玉能姫は今迄聖地に羽振りをきかして、ピカピカと螢の様にチツと許り光つて居つたが、到頭慢心強く、欲心が深いものだから、杢助の奴にウマウマと計略にかけられ、結構な聖地を飛び出し……お前は如何しても生田の森に因縁があるから、御苦労だが再度山麓の神館の守護をして呉れ……なんて巧い辞令にチヨロまかされ、こんな所へ左遷せられて、有頂点になつて喜んで居る様なお目出度い奴だ。誑す狐が騙されたとは此事だ。実に気の毒なものだワイ。悪人には悪人が寄ると見えて、若彦館に集まつて来よつた連中のあの面と云つたら、泥坊でもしさうな奴ばかりぢやつた。……是れからお前達も充分に気を付けて、誰が何と云つても、日の出神の命令に反く事は出来ないぞえ。貫公、武公、しつかりなされや』 貫州『委細承知致しました。併し是れから日の出神様は聖地へ御帰り遊ばすので御座いますか、但は他の方面へ御出張になりますか、一寸伺つて下さいませな』 高姫『何と云ふお前は頭脳の悪い事だ。日の出神様に伺つて呉れとは、そりや何を言ふのだ。日の出神様と高姫と別々に考へて居るのだな。それがテンから間違だ。高姫は即ち日の出神、日の出神は即ち高姫だ。霊肉一致、誠生粋の大和魂の高姫だ』 貫州『それでも貴女、何時も日の出神の生宮と仰有るぢや御座いませぬか。宮と云ふものは物も言はず動きもせぬものだが、あなたの宮はどこへでもよく動きますな』 高姫『エー分らぬ男だなア。どこへでも思うた所へ行きよるから、イキ宮と云ふのだ。お前は、霊肉一致の此水火が分らぬから仕方がない。余程偉い男だと見込んで遥々紀の国まで連れて行つたのだが、此日の出神が若彦館からつまみ出されて腰を打ち、苦んで居るのに、一口の応対もようせず、蒸し返しも致さず、菎蒻の化物の様にビリビリ慄うて泣き声を出し……モシモシ高姫さま、一体如何なるので御座いませう……なぞと、アタ甲斐性のない、あまり阿呆らしうて、愛想が尽きました。アーア何奴も此奴もマサカの時になつたれば弱いものだ。ここへ来て居る四人連は高姫様の為になれば何時でも死にますの、生命を差上げますのと、よう言はれたものぢや。それ丈の勇気が有るのなら、なぜ生命を的に、若彦や其他の乱暴者を打懲さなんだのぢや。内覇張りの外すぼりとはお前の事ぢやぞえ。是れからチツと腹帯を締め、心を入れ直して貰はぬと、肝腎要の御神業に奉仕する事は出来ませぬぞえ。是れから心を入れ替へて何でも日の出神の云ふ事を聞きますか。サア返答を改めて聞かして下さい。今迄の様なヨタリスクはモウ喰ひませぬから、駄目ですよ』 貫州『ハイ今日限り心を改めて、どんな事でも貴女の言は絶対服従を致します』 高姫『仮令妾がお前に死ねいと云つても、死にますかな』 貫州『ハイ一旦約束をした上は、私も一丈二尺の褌を締めた男だ。決して間違は御座いませぬワイ』 高姫『アヽそれでヤツと安心をした。コレコレ武公、清公、鶴公、お前等は如何だな』 武公『ハイ私も略同意見で御座います。事と品に依れば生命でも差上げます』 高姫『略同意見とはソラ何事ぢや。優柔不断瓢鯰主義の言依別命の御霊にまだ感染されて居ると見えるワイ。そんな筒井式の連中は、今日限り絶縁しますから、トツトと帰つて下さい』 武公『さうだと云つて、一つよりない生命を、さう無暗に貴女に上げられますか。私は大神様に差上げた生命、さう貴女の自由にはなりませぬ。絶対服従と云つてもヤツパリ制限的絶対服従ですから………なア貫州、貴様の絶対服従は先づここらだらう』 貫州『………』 鶴公『オイ貫州、貴様は高姫さまに絶対服従し、源平の戦ひぢやないが、長門の壇の浦迄行く積りか知らぬが、俺等三人が高姫様に破門された時は如何する考へだ。我々四人は何処までも行動を共にすると誓つてある事を忘れはせまいなア』 貫州『そりや決して忘れては居らぬ。互に忘れてはならぬぞと云ふ約束はしたが、まだ細目は定つて居ないのだから、そこは自由意志に任して貰はなくちや可けないよ。其代りに忘れなと云ふ約束は、どこまでも守つて忘れないから、安心して呉れ』 鶴公『何を吐しやがるのだい。実行が肝腎だ。忘れる忘れぬは畢竟末の問題だ。俺達三人は是れから……高姫さまに暇を頂いたのだから、貴様と絶縁をする。其代りに月夜許りぢやないからな。暗の晩には用心なさりませ』 貫州『さう団子理屈を捏ね廻したり、脅喝されては堪らぬぢやないか。チツと淡泊な精神になつて、俺の言ふ事を善意に解して貰はぬと困るぢやないか』 武公『何と云つても我々は執着心の強い高姫さま仕込だから、淡泊になれよと云つたつてなれるものかい。鳶にカアカアと鳴け、鶴にコケコツコウと唄へと云ふ様な注文だ』 高姫『コレコレお前達は大変な御神業を前に扣へ乍ら、妾が一口云つたと云うて、其言葉尻を掴まへて何をゴテゴテ云ふのだ。お前達の心を鞭撻する為に酷い事を云うたのだ。此高姫だとてコレ丈味方が無くなり………オツト……ドツコイ無形の味方が沢山あるわいな。此場合に一人でも大切だ。誰が破門したい事があるものか。そこは推量せなくてはならぬぢやないか。なア鶴公、清公、皆さま、さうぢやないか』 と、たらす様に云ふ。 鶴公『貴女からさう砕けて出て下されば、我々も別に額口に癇筋を立て、糊付け物の様に鯱張りたい事は御座いませぬ。何でも承はりますから、どうぞ御用を仰せ付け下さいませ』 高姫『あゝそれでヤツと内乱も無事に鎮定しました。又してもお前達は革命気分を唆るやうな事を云ふから困つて了ふ。サア是から日の出神の生宮の云ふ事を聞きなされや』 鶴公『ハイハイ承はりませう。何事なりと御遠慮なく仰せ付け下さいますれば、有難う存じます』 と芝生の上に端坐し、両手をついてワザと丁寧に挨拶をする。 高姫『そんなら此館は今戸締りぢやが、錠を捩切つてでも中へ這入つて、調査て来て下され。玉能姫の奴、どんな事をして居るか知れやしない。箪笥の抽斗を一々点検して、秘密書類でもあつたら、抜目なく持出して来るのだよ』 鶴公『主人の不在宅に這入る事は、何となしに心持があまりよう御座いませぬがなア、そんな事すれば、家宅侵入罪とか無断家宅捜索とかになりはしませぬか。予審判事の令状が無ければ到底執行する事は出来ませぬだらう』 高姫『お前はそれだから可かぬのだ。舌の根の乾かぬ内に、直に反抗的態度を執るぢやないか。勿論不在宅へ這入ることは出来ないが、ここは三五教の支社ぢやないか、謂はば吾々の部下でもあり、居宅も同然だから、そんな遠慮は要らぬ。命令に服従しなされ』 鶴公『オイ貫州、武公、清公、如何しようかなア』 貫州『モシ高姫様、貴女先へお這入り下さいませ。大将より先に立つと云ふ事は御無礼で御座います。私は貴女のお出でになる所は、どこまでもお供を致す従者ですから……さうでないと天地の道理が合ひますまい』 高姫『エー間に合ぬ男だなア』 と無理に戸を捩あけようと焦つて居る。斯る所へ玉能姫は虻公、蜂公両人を伴ひ、スタスタ帰り来り、 玉能姫『貴女は高姫様、仮りにも妾の不在宅を、誰に断つてお開けなさるのだ。チツと乱暴では御座いませぬか』 高姫『イヤお節か、要らぬおセツ介ぢや。三五教の支社を自由自在に開けるのは、日の出神の特権ぢや。玉隠しの大罪人の分際として、何をゴテゴテ云ふ資格があるか。今日から此館は日の出神の仮の御住居、お前は是れから引返し、御苦労だがマ一遍紀の国へ行つて、恋しい男と末永う楽んで暮しなさい。さうすればお前さまも思惑が立ち、面白い月日が送れるだらう。此閾一歩たりとも跨げる事は許しませぬぞや』 玉能姫『何と仰有つても此館は妾の監督権内にあるもの、何程日の出神様でも、指一本触へる事は許しませぬぞ』 と優しき女に似ず、稍言葉に力を入れて極めつけた。 高姫『あのマアおむつかしい顔ワイナ。ホヽヽヽヽ、若彦に会うて、甘つたるい言葉を聞かされて居なさつた時の顔と、今の顔とはまるで地蔵と閻魔の様に変つて居る、あゝそりや無理もない。憎うて憎うてならぬ邪魔者の高姫と、可愛て可愛てならぬ若彦とだから、無理もありますまい。思ひ内に在れば色外に露はるとやら、結局お前は正直なからだ』 と肩を揺り腮をしやくる憎らしさ。 玉能姫『何と仰有つても、高姫様を此館へ入れてはならぬと厳命を受けて居りますから……』 高姫『何と言ひなさる。厳命を受けたとは、そりや誰から受けたのだ。そんな権利を持つて居る奴は三五教には一人もない筈だ。大方僣越至極な行動を敢てする言依別か杢助の指図だらう。サア此一言を聞いた上は、どこまでも白い黒いを別けねば置かぬ。……誰が言うたのだ。有態に白状を致されよ』 と威丈高になる。 玉能姫『オホヽヽヽ、高姫様の恐ろしいお顔、モ少し淑やかに低い声で仰有つて下さいましても、玉能姫の耳はよく通じますのに……妾は日の出神から厳命を受けました』 高姫『日の出神とは妾の事ぢや。妾が何時そんな命令を致しましたか』 玉能姫『ハイ何時も厳しく仰せられます。自分の守つて居る館は、仮令教主でも、如何なる長上の方でも、生神様でも、黙つて入れてはならぬ。絶対に其処を守り、他の者は寄せ付けるでないと、貴女は始終仰有つたぢやありませぬか。教主も妾の長上なれば貴女もヤツパリ長上の仲間です。又自分以下の役員様、信者と雖も、自分の守護神の許さぬ事は絶対にならないと、貴女の日の出神様の厳しきお警告でせう。妾は日の出神様に絶対服従ですから……』 高姫『それならば何故日の出神に服従せないのだ。お前は日の出神には服従しても、高姫の云ふ事は聞かぬと云ふ精神だなア。高姫が即ち日の出神、日の出神が即ち高姫、密着不離の関係を知らぬのか。それが分らぬ様な事で、如何して此結構な神館が守れますか』 玉能姫『………』 高姫『口が開きますまい。無理を通さうと云つても、屁理屈や無理は日の出神の前では三文の価値も有りますまいがなア。オツホヽヽヽ』 玉能姫『何と仰有つても、妾は這入つて貰ふ事は出来ませぬから………』 高姫『何と剛腹な女だなア。理屈は抜にして、同じ道に居る吾々、チツとは融通を利かしたらどうだな』 玉能姫『融通を利かす様な行方は、変性女子の言依別の行方だ、日の出神は一言云うたら、どこまでも間違へられぬのだと仰有つたでせう。それだから何処までも其御神勅を遵奉致しまして、お気の毒乍ら今回はお断り申しませう』 虻公『コレコレ高姫さまとやら、貴女は館の主人がこれ程事を解て仰有るのに、なぜ分りませぬか』 高姫『エー喧しいワイ。新米者の癖に………泥棒面をさげやがつて……玉能姫に従いて来る様な奴に碌な奴は一人も居りやせぬ。二人が二人乍ら、どつかで泥棒でも働いて居つた様な面付をして居る』 蜂公『是れは怪しからぬ。何時私がお前さまの物を窃盗しましたか。お前さまこそ、人の不在宅を窃盗しようと思つて予備行為をやつて居つた所、玉能姫様に見つけられたぢやないか。泥棒の上手な奴は、滅多に夜間這入るものぢやない。日天様のカンカンお照り遊ばした時、公然と不在宅へ大勢連れで、近所の人にワザと用がある様な顔して這入るのが奥の手だ。お前さまも随分鍛練したものだなア。実に感心致しますワイ。永らく泥棒をやつて居つた蜂……オツトドツコイお方と見えて、中々肝玉が据わつて居るワイ』 高姫『的切りお前は泥棒商売をやつて居つた奴に違ひない。さうでなければそんな秘訣が分る筈がない。玉隠しの玉能姫に従く様な奴だから、ようしたものだ。類は友を呼ぶと云つて玉盗人の家来だから、キツト泥棒しとつたに違なからう。日の出神の目で睨んだら間違はあるまいがな』 蜂公『ハイ、どうも若い時から何々を商売にやつて居つたものだから、何れそんな臭気がするかも知れぬが、今日は清浄潔白、水晶魂の真人間だから、あまり昔の事を言つて、過越苦労をせぬ様にして下さい』 高姫『ハヽヽヽ、ヤツパリ泥棒上りぢやな。泥棒と聞く以上は、折角の水晶魂が泥に汚されては大神様に申訳がない。サア貫州、武公、清公、鶴公、妾に従いて来なさい、グヅグヅして居ると、お前達も折角身魂の垢が除れかけた所、又逆転して泥まぶれになると険難だから……、サアサア早く妾に従いてお出でなさるが宜からう。コレコレお節、お前は良い家来が出来ました。後でゆつくりと、三人三つ眼になつて、此世を紊す御相談でもなさるが性に合うて居りませうぞい。オホヽヽヽ』 と嘲り笑ひ乍ら、早くも此場を見棄てて森の彼方へ姿を隠す。四人は心無げに従いて行く。高姫は生田の浜辺に着いた。四五艘の舟の中に玉能丸と書いた船を見つけ、 高姫『ハハア、此奴は何でも宝を隠しに行きよつた時に使用つた船らしい。他人の船に乗つて行けば泥棒になるが、此奴ア同じ三五教の所有の船だ。そして又隠しよつた船に乗つて探しに行くのは縁起がよい。コレコレ貫州外三人、早く船の用意をなさつたがよからう』 かかる所へ二三人の船頭現はれ来り、 船頭『コラコラ何処の奴か知らぬが、俺達の監督して居る船を、自由にどうするのだ』 高姫『コレはお前達の船かな』 船頭『俺の船ではないが、監督を頼まれて居るのだ。生田の森の玉能姫様の所有船だ。毎月一遍づつ此船に乗つて島へ行かつしやるのだよ』 高姫『大略何日程往復にかかつて、玉能姫様は帰つて来られるかな』 船頭『早い時は日帰りの事もあり、風波が悪いと三日もかかられる事がありますワイ』 高姫『さうするとお前さんの考へでは、どこらあたり迄往く様に思ふかな』 船頭『マアさうだな、家島辺りだらう。俺達も風波の良い日は家島へ往復するが、恰度一日のよい航程だから、何でも家島辺に結構な神様があつてそこへお参詣なさるのだらう』 高姫『同伴者は何時も何人位あるのかな』 船頭『あの人は綺麗な別嬪の癖に、自分一人で艪を漕いで、此荒波を渡つて行くのだから、吾々船頭仲間も偉い女だ、神様の様な人だと云つて呆れて居るのだ』 高姫は舌を巻いて、 高姫『なんと偉い奴だなア。併し宝の隠し場所は何でも其辺に違ない。あゝ好い事を聞いた。あゝこれで前途が明かるくなつた様な気がする。船頭さま、お前一つ御苦労だが家島までやつて呉れぬか。此船に乗つて……』 船頭『なんと仰有りましても行きませぬ。お前は三五教の宣伝使でせう。笠の印にチヤンと現はれて居る。三五教の宣伝使が来たら、何と言つても渡す事はならぬと、今聖地へ往つて偉い者になつて御座る杢助さまや、玉能姫さまから頼まれて居るのだから、何程金をくれても出す事は出来ませぬワイ』 高姫『何と云つても、行つて呉れませぬか』 船頭『船頭仲間にもヤツパリ一種の道徳律がありますから、そんな、約束を破らうものなら、竜神さまに如何な罰を被るか分つたものぢやない。船頭は誰も彼れも貧乏人ばつかりだが、併し乍ら金銭の為に動く奴は一人も無い。そんな事は何程頼んでも駄目だ。オイ源州、金州、早く取締の宅まで往かう。グヅグヅして居ると又叱責を言はれるからなア』 金州『オウさうだ。急いで行かう。……オイオイ女宣伝使、決して此船に指一本触へてはならぬぞ』 高姫『アヽ仕方がない。そんなら妾も帰らうかなア』 と四人に目配せし乍ら、生田の森の方面指して走り行く。三人の船頭はヤツと安心し乍ら此場を立去つた。 高姫『オツホヽヽヽ、どうやら船頭の奴、安心して帰つて行きよつたらしい、サアお前達、是れから玉能丸に乗込み、一生懸命に家島に向つて漕ぎ出すのだ』 とクレツと踵を返し、浜辺に駆けつけ手早く綱をほどき、艪を操り櫂を漕ぎ乍ら、黄昏の空を暗に紛れて力限り走り行く。暫くあつて、玉能姫は船頭の報告に依り、二人の男を引連れ浜辺に来て見れば、玉能丸は既に見えなくなつて居る。玉能姫は、 玉能姫『アヽ失敗つた。高姫一派の者、宝の所在を嗅つけ船に乗つて往つたのに違ひない。コラ斯うしては居られぬ。我船はなくとも後から断りを言へば良いのだ。サア虻公、蜂公、用意をして下さい。一刻も猶予はなりませぬ』 虻公『此暗いのに船を出した所で方角も分りませぬ。明日になさつたら如何ですか』 玉能姫『イヤ一刻も猶予はなりませぬ。サア早く用意をなされ。一刻遅れても一大事だから……』 虻公『私は船を操つた事は、生れてから有りませぬ。蜂公と云つても其通り、如何したらよからうかな』 玉能姫『そんならお前達は、又高姫一派が不在宅へやつて来ると困るから、早く帰つて留守番をして下さい。妾の帰るのが仮令一日や二日遅くなつても心配せずに、神妙に留守して居て下されや』 虻公『貴女は如何なされますの』 玉能姫『アヽどうでも宜しい。早く帰つて下さい』 蜂公『それでも貴女の御行方を承はつて置きませぬと困りますから……』 玉能姫『妾は家島へ行くのだ』 と云ふより早く艫綱を解き、櫓を操り、星のキラめく海面を、矢を射る如く辷り出した。二人は是非なく館へ帰り行く。 (大正一一・六・一二旧五・一七松村真澄録) |
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霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 12 家島探 | 第一二章家島探〔七二四〕 負ぬ気強き高姫は折から漕来る漁夫船 是幸ひと飛び乗りて海の底より尚深き 執着心に駆られつつ三つの宝の所在をば 諸越山の果て迄も探し当てねば措くものか 仮令蛇となり鬼となり屍は野べに曝すとも 海の藻屑となるとても此一念を晴らさねば 大和魂が立つものか日の出神の生宮と 自ら謳うた手前ある愈実地を嗅出して 日の出神の神力を現はし呉れむと夜叉姿 髪振り乱し海風に身を梳り荒浪を 乗り切り乗り切り漸くに高砂沖にと着きにける。 船頭『もしもしお客さま、右手に見ゆるはあれが有名な高砂の森、それから続いて石の宝殿、曽根の松の名所、如何です、一寸彼処へお寄りになつては』 高姫『や、妾はそんな事どころぢやない。一時も早く家島迄行かねばならぬのだ。お前、御苦労だが何卒気張つて一刻でも早く漕つて下さい。それそれ後から今の五人の悪党者が追ひ駆て来る。追ひ付かれては大変だからなア』 船頭『儂も力一杯漕いで居るのだが、何と言うても向方は五人だから、交る交る身体を休め以て来るのだから旨いものだ。然し乍ら儂も此界隈にては艪では名を売つたもの、船頭の東助と言へば名高い者ですよ。其代り賃銀は他人の三人前払うて貰はねばなりませぬ』 高姫『三倍でも五倍でも十倍でも構ふものか。一歩でも早く着きさへすれば払つてやる。然し一歩でも後れる様の事があつては矢張三人前ほか払ひませぬぞや』 東助『有難う、それなら是から一気張り致しませう。何程上手な者でも此東助には叶ひませぬからな』 と捩鉢巻を締め浸黒い膚を出して凩に向ひ汗を流し乍ら、一層烈しく艪を漕出した。 高姫『これこれ、船頭さま、左手に饅頭の様な島が浮いて居るが、あれは何と言ふ島だい』 船頭『あれですか、あれは瀬戸の海の一つ島と言ひ神島とも言ひましてな、それはそれは恐ろしい島ですよ。昔から私の様な船頭でも寄りついた事は無いのですから』 高姫『あの島へ去年の五月の五日に船を漕いで行つた女があるだらう。お前、聞いて居るだらうなア』 東助『滅相も無い事仰有いますな。常の日でさへも彼の島へ船は着きませぬ。况して五月五日と言へば神島の神様が高砂の森へお渡り遊ばす日だから、船頭は総休みです。此辺一帯は昔から五日の日に限つて船は出しませぬ。万一我慢をして船を出さうものなら、忽ち船は顛覆し生命をとられて仕舞ふのだから、何処の阿呆だつて、そんな日に船を出したり恐ろしい神島などへ渡りますものか』 高姫『あの島には何か宝物でも隠してある様な噂は聞きはせぬかな』 東助『沢山の船頭に交際て居ますが、そんな話の気位も聞いた事はありませぬワイ。神様の話を言つても海が荒れると言ふ位だから、もう此話は是きりにして下さい』 高姫『さうかなア、矢張さうすると家島に違ひない。さア早く頼みます』 東助『承知しました』 と一生懸命、向う風に逆らひつつ漸く家島の岸に着いた。 高姫『あゝ御苦労だつた。流石は東助さま、よう早う着けて下さつた。お礼は沢山に致しますぞえ、後からの連中が来ても妾が此山へ登つたと言つてはいけませぬぞえ。若しも尋ねたら、高姫は神島に上がらしやつたと言うてお呉れ、屹度だよ』 東助『はい、承知致しました』 高姫はパタパタと忙がしげに老樹こもれる山林の中に姿を隠して仕舞つた。東助は只一人舷に腰を掛け松葉煙草をくゆらして居る。 半時ばかり経つと、玉能姫の一行を乗せた小船は矢を射る如く此場に寄り来り、 玉能姫『あ、お前さまは高姫さまを乗せて来た船頭さま、まア御苦労で御座いましたな。高姫さまは此山へお登りでしたか』 東助『え……その……何で……御座います』 と頭をガシガシ掻いて居る。其間に船は岩端に繋がれ五人は上陸した。 玉能姫『あなたの乗せた来た女の方は此山へ登られましたか』 東助『はい、登られたか、登られぬか、つい……昼寝をして居つたものですから根つから分りませぬ。貴女等が若し此処へおいでになつてお尋ねになつたら、神島へ行かしやつたでせう』 鶴公『ハヽヽヽヽ、何と歯切れのせぬ、どつちやへも付かずの答だな。一体船頭さま、お前は神島へ寄つたのかい』 東助『滅相も無い、誰があんな所へ寄せ着けますかい』 鶴公『そんなら、如何して高姫さまが神島へ寄つたのだ、実の処は此家島へ着いたのだけれど、神島へだと言つてスコタンを喰はして呉れと頼まれたのだらう。それに違ひない。お前は船頭に似合はず腹の黒い者だな』 東助『何を言つても金のもの言ふ世の中ですからな。船頭だつて金儲けは矢張大切ですワイ』 鶴公『ハヽヽヽヽ、分つた分つた、てつきり此島だ。玉能姫様、さア早く登りませうか。貴女の大切な宝を掘り出して呑まれて了はれちや大変ですぜ』 玉能姫『それもさうですが、余り慌るには及びませぬ。探すと言つたつて是だけ広い島、さう容易に見当るものぢやありませぬわ、まア一服致しませう』 貫州『玉能姫様の仰有る通り慌るには及ばぬぢやないか。高姫は高姫で勝手に探すだらう、一日や二日歩いたつて探しきれるものぢやないから。まア、玉能姫様、先づゆつくりとさして貰ひませう。随分疲労れましたから』 玉能姫『あ、さう為さいませ。私は実の所、宝の所在は存じませぬ。只一度手に触れた計り、後は竜神様が何処かへお隠しなされたのですから……此広い世界の何処かの島に隠してあるのでせう。妾が此処へ追つ駆てきたのは、高姫様のお身の上を案じ、お気が違うては居らぬかと、宣伝使としてまさかの時にお助け申さうと思つて来たのですから、斯んな危い山に上るのは止しませう。まアまア木蔭へでも這入つて、風の当らぬ暖い処で日向ぼつこりを致しませう』 と先に立ち二三丁山を登り、日当りよき処にて休息する。見れば非常に大きな清水を漂はした池が展開して居る。 鶴公『何と好い景色で御座いますな。こんな高い山に大きな池があるとは不思議ですわ』 玉能姫『此処は陸の竜宮かも知れませぬな』 東助『此島には斯んな小さい池だけぢやありませぬ。山の頂上にも中程にも大変大きな深い池があつて、底知らずぢやと言ふ事です。実に不思議な島ですわ。此広い島に昔から誰一人住んだ人がないのも一つの不思議、何でも大きな大蛇が出て来て、人の臭がすると皆呑んで仕舞うといふ噂ですから、誰だつて、此処に住居する者はありませぬ』 貫州『さうかな、随分恐ろしい所と見えるわい。斯んな所に一人放かして置かれたら堪るまいなア』 清公『そりや、さうとも。誰だつてやりきれないわ』 色々雑談に耽り一時ばかり光陰を空費した。 貫州『さア玉能姫様、高姫さまは屹度此山の頂上さして登られたに違ひありませぬ。宝を先に掘り出し呑まれて仕舞つては大変ですから、ボツボツと出掛けませうな』 玉能姫『妾は少し足を痛めましたから、此処に休んで待つて居ます。何卒御苦労だが貴方等五人連れ行つて下さい』 貫州『いや、それはなりませぬ。もう斯うなれば本音を吹くが、吾々は絶対に高姫崇拝者だ。こりや、お節、斯うなる以上はジタバタしてもあかないぞ。綺麗薩張と玉の所在を白状致せ。四の五のと吐すが最後、此池へ岩を括り着け、四人の荒男が放り込んで仕舞ふが如何だ』 玉能姫『今更そんな啖呵をきらなくても、淡路島より船を出した時から、高姫と八百長喧嘩をし、目と目と合図をして居たでせう。そんな事の分らぬ玉能姫ですか。そんな嚇し文句を並べたつて迂濶と乗る様な不束な女とはチツと違ひますぞ。繊弱き女と思ひ侮つての其暴言、此玉能姫は斯う見えても若彦が妻、教主言依別命様より御信任を辱ふした抜目のない女です。お前さん等の五人や十人が何程捩鉢巻をして気張つた処で何になりますか。ウンと一声、霊縛をかけるが最後、気の毒乍ら万劫末代動きのとれぬ石地蔵になつて仕舞ひますよ。それでも御承知なら、何なりと試みにやつて御覧』 貫州『あゝ仕方の無い女だなあ』 鶴公『もしもし玉能姫様、嘘言ですよ。貫州はいつもあんな狂言をやつて空威張りをする癖があるのです。アハヽヽヽ』 東助『何だ、お前達は山賊か知らぬと思つたら、此山中で気楽さうに芝居をしてゐるのか、随分下手な芝居だなア』 玉能姫『何でも宜しいよ。之から高姫さまに会うて玉の所在でも知らして上げませうかな』 貫州『やア流石は玉能姫様ぢや。実に立派な御精神、貫州誠に感服仕りました。宣伝使はさうでなくては往きますまい。堅いばつかりが女ぢや御座いませぬ。まアよう其処まで打解けて下さいました。貴女がさう出て下されば、敵もなく味方もなく三五教は益々天下泰平、大発展は火を睹る如く明かで御座います。さア玉能姫様、お手を引いて上げませうか。……おい清公、貴様はお腰を押してお上げ申せ。俺はお手を引いて此急坂を登るから』 玉能姫『ホヽヽヽヽ、年寄か何ぞの様に如何に女の身なればとて、これしきの山が苦しうて如何なりますか。何卒お構ひ下さいますな。さアさアお先へお上り下さい。妾は一番後から参ります』 貫州『いや、さうはなりませぬ。高姫さまの御命令ですから……オツトドツコイ……そりや嘘言だ。中途に逃げられては虻蜂とらずになつて仕舞ふ。あゝ迂濶副守の奴、囁来よつた。もしもし玉能姫様、此奴ア皆私に憑依してる野天狗が混ぜ返すのだから、お心に触へて下さいますな』 玉能姫『霊肉一致の野天狗様が仰有つたのでせう、ホヽヽヽヽ左様なれば貴方等の御心配成さらぬ様に真ん中に参りませう。玉能姫が逃げない様に十分御監督なされませ』 貫州『別に貴女を監督する必要もありませず、悪い所へ気を廻して貰つては困りますよ』 玉能姫『何れそちらは高姫様を加へて荒男や神力の強い方が六人、此方は一人、到底衆寡敵しますまい。一層の事此池へ飛び込んで死にませうかな』 鶴公『それは何と云ふ事を仰有るのだ。死ぬのはお前さんの勝手だ。然し乍ら此方が困る、宝の所在を白状した上では死ぬるなつと生るなつと勝手になされ。それ迄はどうあつてもお前に死なれては高姫さまの願望が成就致しませぬから、何程死なうと踠いたつて、斯う五人の荒男が付いて居る以上は駄目ですよ。観念なさいませ、あゝ然し乍ら可惜美人を死なすのも勿体ないものだなア』 玉能姫『それでお前さま達の腹の底はすつかり分りました。妾にも覚悟がある』 と言ふより早く後から跟いて来る三人を苦も無く突倒し、急坂目蒐けて韋駄天走りに元来し道へ降り来る。五人は捩鉢巻を締め乍ら、 五人『オーイ、玉能姫、待つた、逃がして堪らうか、おいおい皆の奴、彼奴が船に乗る迄に引つ掴まへねばなるまい。さア急げ急げ』 と一生懸命に追つ駆ける。玉能姫は阿修羅王の如く髪振り乱し、血相を変へて力限りに下り来る。道の真ん中に大手を拡げて立ち現はれた一人の婆は高姫であつた。 高姫『オホヽヽヽ、到頭高姫の計略にかかり此島まで引摺り廻されて来よつた。いい馬鹿者だな。さアもう斯うなる以上は何程踠いても駄目だ。何処にお宝を隠したのか、神妙に白状するが宜い。此期に及んで愚図々々言ふなら、お前の生命でもとつて仕舞ふまいものでもない。此高姫の身の上にもなつて見て貰ひ度い。いい年をして、お前の様な若い女や初稚姫の様なコメツチヨに馬鹿にしられて、如何して世の中が歩けませうぞ。賢相でも流石は若い丈けあつて、肝腎の知慧がぬけて居る。さア如何ぢや、玉能姫、もはや否応はあるまい』 玉能姫『オホヽヽヽ、何処までも疑ひ深い訳の分らぬ方ですこと。知らぬ事は何と仰せられても知りませぬ。仮令首が千切れても言はぬと云つたら言ひませぬから、其心組で覚悟遊ばせ』 斯く争ふ処へ五人の男、地響き打たせ乍ら此場にドヤドヤとやつて来た。玉能姫の身辺は危機一髪に迫つて来た。流石の玉能姫も進退谷まり如何はせむと案じつつ一生懸命に『木花姫命助け給へ』と祈願を籠めた。忽ち四辺は濃霧に包まれ咫尺を弁ぜず、恰も白襖を立てた如く見えなくなつて仕舞つたのを幸ひ、玉能姫は少しく道を横にとり、あと振り返り見れば濃霧は高姫一派の附近に極限され、外は一面の快晴である。玉能姫は神恩を感謝し乍ら磯端に漸く辿り着いた。 玉能姫の消息如何にと案じ煩ひ、虻、蜂の両人は一艘の船を操り乍ら、丁度此場についた所である。 玉能姫『ア、お前は虻、蜂の両人、よう来て下さつた。話はまア後でゆつくりしよう』 虻公『何卒此船に乗つて下さい』 玉能姫『いえいえ妾は乗つて来た船がある。一人で操つて帰りますから、お前さまは其儘妾に従いて帰つて下さい』 と言ふより早く船に飛び乗り、高姫の乗り来りし船の綱を解き放ち、波のまにまに漂はせ置き二艘の船は矢を射る如く再度山の麓を指して帰り行く。 (大正一一・六・一二旧五・一七北村隆光録) |
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霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 16 蜈蚣の涙 | 第一六章蜈蚣の涙〔七二八〕 バラモン教の御教を自転倒島に広めむと はやる心の鬼ケ城鬼熊別の妻となり 朝な夕なに仕へてし蜈蚣の姫は一心に バラモン教の回復を心に深く誓ひつつ 三国ケ岳に立籠り千々に心を悩ませて 三五教の神宝黄金の玉を奪ひ取り 筐底深く納めつつ得意の鼻を蠢かせ 又もや第二の計画に取りかからむとする時に 天の真浦の宣伝使お玉の方に看破され 難攻不落と誇りたる三国ケ岳の山寨も 木端微塵に砕かれて無念の涙遣る瀬なく 瞋恚の炎を燃やしつつ心も固き老の身の 企を通す魔谷ケ岳スマートボールを始めとし 数多の教徒を呼集へ鷹鳥山に立て籠る 三五教の宣伝使鷹鳥姫の神策を 覆さむと朝夕に心を砕き身を砕き 尽せし甲斐も荒風に散りて果敢なき夢の間の 願は脆くも消え失せて歯がみしながら執拗に 又もや此処を飛出し曇りし胸も明石潟 朝夕祈る神島や家島を左手に眺めつつ 身も魂も捨て小舟此世の瀬戸の浪を越え 大島、小島、小豆島浪打ち際に漂着し 三つの宝の所在をば探らむものと国城の 山を目蒐けて一行の頭の数も四十八 醜の岩窟に陣取りて手下を四方に配りつつ 山の尾上や河の瀬を隈なく探し求めつつ 此岩窟を暫時の間仮の住家と繕ひて 時待つ折しも高姫が神の仕組も白浪の 上を辷つて上陸し又もや此処に出で来る 不思議の縁に蜈蚣姫心の角を生しつつ 肩肱怒らし剛情の日頃の固意地どこへやら 解けて嬉しきバラモンの道の友なる高姫と 聞くより顔色一変し打つて変つた待遇に 仕済ましたりと高姫は後を向いて舌を出し 素知らぬ顔にて奥の間へ進み入るこそ可笑しけれ 高姫『久し振で御座いましたなア。貴女が魔谷ケ岳に時めいて居られました時、妾も鷹鳥山に庵を結び、バラモン教に最も必要なる、如意宝珠の玉を尋ねあてむものと、三五教の馬鹿正直の信徒を駆使し、一日も早く手に入れて、大自在天様に献納仕度いと明けても暮れても心を悩ませ、何うかして貴女に面会の機会を得度いものと考へて居りましたが、何を云うても人目の関に隔てられ、思ふに任せず、遇ひたさ見たさを耐へて今日が日迄暮して来ました。天運循環と云ひませうか、今日は又日頃お慕ひまうす貴女に、斯様な安全地帯で拝顔を得たと云ふのは、是全く大自在天様の高姫が誠意をお認め遊ばして、こんな嬉しい対面の喜びを与へて下さつたのでせう。妾は余り嬉しうて何からお話をしてよいやら分りませぬ』 蜈蚣姫『時世時節で、今日はバラモン教となり、明日は三五教と変ずるとも、心のドン底に大自在天様を思ふ真心さへあれば、人間の作つた名称雅号は末の末です。大神様はキツとお互の心を鏡にかけた如く御洞察遊ばして、目的を遂げさせて下さるでせう「雪氷、雨や霰と隔つとも、落つれば同じ谷川の水」とやら、機に臨み変に応じ円転滑脱、千変万化、自由自在の活動をなすだけの用意がなければ到底神業に参加する事は出来ませぬ。メソポタミヤの本国には綺羅星の如く立派な神司は並んで居りますが、何れも猪突主義の頑愚度し難き、時勢に合ない融通の利かぬ者計りで、お前さまのやうな豁達自在の活動をする人は一人もありませぬので、あゝバラモン教も立派な教理はありながら、之を活用する人物がないと明け暮れ心配して居りました。然るに貴女のやうな抜目のない宣伝使が、バラモン教の中に隠れて居たかと思へば、勿体なくて嬉し涙が零れます。神様は何時も経綸の人間を拵へて神が使うて居るから、必ず心配致すな、サアと云ふ所になりたら、因縁の身魂を神が引き寄せて御用を勤めさせて、立派に神政成就をさして見せる程に、何処に何んな者が隠してあるか分りは致さぬぞよ。敵の中にも味方あり味方の中にも敵があると仰有つた神様の御教示は争はれぬもの、もう此上は何事も心配致しませぬ。何卒高姫さま、是からは打ち解けて姉妹となり、神業に参加しようではありませぬか』 高姫『何分不束な妾、行き届かぬ事ばかりで御座いますから、何卒貴女の妹だと思うて、何かにつけて御指導を願ひます』 蜈蚣姫『互に気の付かぬ事は知らせあうて、愈千騎一騎の活動を致し、夫の汚名を回復致さねば、女房の役が済みませぬからなア。高姫様、貴女の夫美山様に対し申訳がありますまい』 高姫『妾の夫美山別は御存知の通り人形のやうな男で、妾が右へ向けと云へば「ハイ」と云うて右を向き、左と云へば左を向くと云ふ、本当に柔順しい結構な人ですから、妾が願望成就、手柄を表はして見せた所で、余り喜びも致しますまい。その代り失敗しても落胆もせず、何年間斯う妾が家を飛び出し、神様の御用をして居ましても、小言一つ云はないと云ふ頼りない男ですから、まどろしくて最早相手には致しませぬ、生人形を据ゑて置いたやうな心組で居りますよ、ホヽヽヽヽ』 蜈蚣姫『妾もそんな柔順な夫に添うて見度う御座いますわ。なんと高姫さま、貴女は世界一のお仕合せ者、さういふ柔順な男計り世の中にあつたら、此頃のやうな女権拡張だの、男女同権だのと騒ぐ必要はありませぬ。妾の夫も柔順しい事は柔順しいが、柔順やうが些と違ふので困ります、オホヽヽヽ』 高姫『斯んな所で旦那様のお惚気を聞かして貰うちや遣り切れませぬわ、ホヽヽヽヽ』 と嫌らしく笑ふ。 蜈蚣姫『高姫さま、笑ひ所ぢやありませぬ。此長の年月、妾は今日迄笑ひ声を聞いた事もなし、妾も嬉しいと思うた事は唯の一ぺんも御座いませぬ。メソポタミヤの顕恩郷は、素盞嗚尊の家来太玉神や、八人乙女に蹂躙され、止むを得ず鬼雲彦の棟梁様は遥々海を渡り、大江山に屈竟の地を選み館を建て、立派に神業を開始し遊ばした所、部下の者共が余り心得が悪いのと利己主義が強いため、丹波栗ぢやないが、内からと外からと瓦解され、お痛はしや折角心を痛めて造り上げた立派な大江城を捨て、伊吹山に逃げ去り、此処で又もや素盞嗚尊の一派に悩まされ、やみやみとフサの国へ逃げ帰り、素盞嗚尊の隠れ家を脅かさむと、鬼雲姫の奥さまと共に帰られました。アヽ思へば思へばお気の毒で堪りませぬ。それにつけても妾の夫の鬼熊別は、副棟梁として鬼ケ城に砦を構へ、鬼雲彦様の御神業を誠心誠意お助け致して居りましたが、是れ又脆くも三五教の宣伝使や、味方の裏返りの為、破滅の厄に遇ひ、アヽ痛ましや鬼熊別の我夫は、棟梁の後を追うて波斯の国に帰つて仕舞ひました。其時夫は妾の手を握り「これ女房、私は棟梁様の御為に波斯の国へ別れて行くが、何卒お前は三国ケ岳に立て籠り、会稽の恥を雪ぎ宝の所在を探し出し、功名手柄を現はして帰つて呉れ」と云うて、涙をホロリと流された時は、妾の心は何んなで御座いましたらう。天にも地にも身の置き所が無いやうな心持が致しました。人間として難き事天下に二つある。其一つは天国に昇る事、も一つは立派な家来を得る事で御座います。バラモン教もせめて一人立派な家来があれば、斯んな惨めな事にはならないのですが、アヽ思へば思へば残念な事だ』 と皺面に涙を漂はせ、遂には声を放つて泣き伏しにける。 高姫『そのお歎きは御尤もで御座います。併し乍ら日の出神の生宮、オツトドツコイ大自在天様の御眷族の憑らせ給ふ真の生宮高姫が現はれて、貴女と相提携して活動する上は、最早大丈夫で御座います。何卒お力を落さず、もう一働き妾と共に遊ばして下さいませ。あの玉さへ手に入らば、バラモン教は忽ち暗夜に太陽の現はれた如く、世界に輝き渡るは明かで御座いますから……、蜈蚣姫さま、此岩窟は大江山の鬼ケ城とはどちらが立派で御座いますか』 蜈蚣姫『とても比べものにはなりませぬ。三国ケ岳の岩窟に比ぶればまアざつと三分の一位なものです。妾も立派な鬼ケ城を追はれ、だんだんとこんな狭い所へ入らねばならないやうに落ちて仕舞ひました。思へば思へば残念で耐りませぬ。それでも何とかしてこの目的を遂げたいと朝夕神様を祈り、何卒御大将御夫婦が御健全で此目的を飽迄も遂行遊ばすやうに、又我夫の無事に神業に奉仕するやうにと、夢寐にも忘れずに祈願致して居ります。是からは貴女と二人で腹を合せ、飽迄も初志を貫徹せねばなりませぬ』 高姫『左様で御座います。何分に宜敷く御指導を願ます。併し乍ら此立派な岩窟に似ず今日はお人が少い事で御座いますな』 蜈蚣姫『ハイ、今日は神前の間で祭典を致して居りますので、誰も此処には居りませぬ。あの通り音楽の声が聞えて居るでせう。あれが祭典の声です』 高姫『妾も一度参拝させて頂き度いもので御座います』 蜈蚣姫『何卒後で緩りと参拝して下さいませ。中途に入りますと皆の者の気が散り、完全にお祭が出来ませぬから、……時に高姫さま、貴女のお連れになつた二人の男は、ありや一体何者で御座いますか』 高姫『ついお話に身が入つて貴女に申上げる事を忘れて居ましたが、彼はバラモン教の宣伝使の友彦と云ふ男、も一人は妾の召使の貫州と云う阿呆とも賢いとも、正とも邪とも見当の付かない男で御座います』 蜈蚣姫『何と仰せられます。バラモン教の友彦が来たとは、それは又妙な神様のお引合せ、……余り姿が変つて居るので見違へて居つた。アヽさう聞けば鼻の先に赤い所があつたやうだ。彼奴は私の一人娘をチヨロまかし、手に手を取つて何処ともなく姿を隠した男、廻り廻つてこんな所へ来るとは是又不思議、あれに尋ねたら定めて娘の消息が分るであらう。……コレコレ高姫さま、此事は秘密にして置いて下さい。妾が直接に遠廻しに聞いて見ますから』 と心臓に波を打たせながら、そはそはとして居る。高姫は此場を立つて次の間に現はれ両人に向ひ、 高姫『友彦さまに貫州、退屈だつたらう。蜈蚣姫さまが一寸奥へ通つて呉れと仰有るから通つて下さい。此処もバラモン教の射場だから……、友彦さま、お前は親の家へ戻つたやうなものだ。久し振りで蜈蚣姫様に御面会が出来るから喜びなさい』 友彦『何と仰有る。此処が蜈蚣姫様のお館ですか、そりや違ひませう。世界に同じ名は沢山御座います。まさか本山に居られた、副棟梁の鬼熊別の奥さまの蜈蚣姫さまではありますまい』 高姫『さうだともさうだとも、チツとは不首尾な事があらうが辛抱しなくては仕方がない。逃やうと云つたつて逃げられはせぬワ。お前も可愛い娘の婿だから、さう酷くも当らつしやるまい。安心して妾に伴いて御座れ』 友彦は顔色忽ち蒼白となり、恐る恐る高姫の後について奥の間に進み往く。 (大正一一・六・一三旧五・一八加藤明子録) |
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霊界物語 | 23_戌_木山の里/竜宮島へ出発 | 17 黄竜姫 | 第一七章黄竜姫〔七二九〕 高姫の後に従いて蜈蚣姫の居間にやつて来た友彦は、忽ち頭を床にすりつけ乍ら、 友彦『コレはコレは蜈蚣姫様、久し振りで御壮健なる御尊顔を拝し、友彦身に取つて恐悦至極に存じ奉りまする。唯何事も神直日、大直日に見直し、聞き直し下さいまして、今迄の重々の罪科を御赦し下さいます様、懇願仕りまする』 蜈蚣姫『オホヽヽヽ、コレ友彦、お前も長らく世間をして来た徳に依つて、随分弁舌は巧になつたものだなア。お前は顕恩郷に於て、我が一人の娘小糸姫をチヨロマカし、飛び出て了つた不届きな男だが、一体小糸姫は何処へ隠してあるのだ。可愛い娘の恋男だから、成る可く親として添はしてやりたいは山々なれど、苟くもバラモン教の副棟梁鬼熊別の養子としては、余り御粗末だから我が夫は何うしても御承諾遊ばさず、妾は母親の事とて娘の恋を叶へさしてやりたいばつかりに、いろいろと申し上げたが中々御聞き遊ばさず、其間にお前は、天にも地にも一人より無い我が大事な大事な娘を誘拐して、行方を晦ました太い男だ。其娘を一体何うして呉れたのだ。サ有体に白状しなさい。妾にも一つ考へがある。お前の出様に依つては又添はしてやらぬものでもない。さうすればお前も立派な鬼熊別の御世継だ』 友彦『ハイ、貴女の御言葉は肝に銘じて感謝致しまする。併し乍ら小糸姫様は私の鼻の先が赤いとか、口が不恰好だとか、出歯だとかいろいろと愛想づかしを並べられ、一年ばかり添うて居りましたが、或夜のこと遺書を残して私の側を離れて了ひました。それ故私はモー一度探して会ひたいと思ひ、片時の間も小糸姫様の事を思はぬ暇はありませぬ。誠に済まぬ事を致しました』 蜈蚣姫『さうするとお前は娘に愛想を尽かされたのだな。アーア矢張り私の娘だ。一目見ても反吐の出るやうなお前の面つき。何うして彼の綺麗な娘がお前に恋慕したのだらうと、不思議でならなかつた。お前は娘の幼心につけ込み、いろいろと威嚇文句を並べて、無理に伴れ出したのだらう』 友彦『イエイエ滅相も無い、初の間は何処へ往くにも、影の如くに付き纏ひ、煩さくて怺らなかつた位です。決して私の方から恋慕したのぢや御座いませぬ。小糸姫さまの切なる御願ひに依つて、私も已むを得ず応じました。一度刎ねて見ましたところ、小糸姫様は「妾はお前が初恋ぢや。それに斯う無下に肱鉄砲を喰はされては、最早此世に恥かしくて生て居る甲斐が無い。妾の思ひを叶へさして呉れればよし、さうでなければ今此処で自害をする。妾の恋路は普通一般の恋では無い。何処迄も九寸五分式だ」と光つたものを出して、吾れと吾咽喉を突き立て給はむとする時、私は跳びついて「ヤア、逸まり給ふな」と九寸五分を奪ひ取り、思はず互にキツスを致しました。それが縁となつて到頭わり無き仲となつたので御座います』 蜈蚣姫『小糸姫に限つてお前のやうな男に、さう血道を分けて呆ける筈が無い。片相手が居らぬと思つて、そんな嘘を云ふのだらう。サアサ、本当の事を言つて下され』 友彦『実の事は恥しい話ですが、最前も申した通り、私に肱鉄を喰はし、たつた一枚の遺書をかたみに雲を霞と遁げて了はれたので御座います。私は何うしても貴女の御側へ帰つて居られるものと思ひ詰て居りますが、何うぞ隠さずに一度で宜しい、会はして下さいませ』 蜈蚣姫『モシ高姫さま、なんと困つた男ぢやありませぬか。よう図々しい、あんな事が云へたものですなア』 高姫『コレコレ友彦さま、お前は余程性質が悪いぞえ。さうして其の遺書とかは今持つて居りますか』 友彦『ヘーイ、其の一枚の遺書が私の生命の綱だ。之を証拠に一度邂逅り会つて旧交を温め、万一叶はずば恨の有り丈を言つて、無念晴しをするつもりで、大切に御守りさまとして持つて居ります』 蜈蚣姫『なに、娘の書いたものをお前は持つて居るか。それを一つ此処へ見せて下さい……』 友彦『見せないことはありませぬが、貴女読めますかな。何だか符牒のやうな文字が書いてあつて、テント私には読めませぬ。二三人の友達にも見せましたけれど、こんな文字は見たことが無いと云つて、誰一人読むものは無し、何が何だか解りませぬ。淵川へ身を投げて死ぬと書いてあるのか、或は又何処かへ行つて待つて居るから来いと云ふのか、薩張り私には受取れませぬ』 蜈蚣姫『兎も角妾に一寸お貸し』 と云ひ乍ら、友彦の手より之を受取り、ももくちやだらけの紙を両手で皺を伸ばし乍ら、 蜈蚣姫『ハヽア、これはスパルタ文字で記してあるから、余程の学者で無いと解らぬワイ。エー……』 一、妾事一時の情熱に駆られ、善悪美醜を省みる遑も無く、両親の御意に背き、お前様の千言万語を尽しての誘惑に陥り、今日で殆ど一年ばかり枕を共に致しましたが初めに会うた時とは打つて変つて野卑と下劣の生地現はれ、妾としては女として鼻持ち相成り難く、気の毒乍ら此の紙一枚を記念として、お前に与へる。今後は決してお前の面と相談し、余り謀叛気を出してはなりませぬぞ。又妾のやうに恥を掻かされ、肱鉄砲を喰はされて悲しまねばなりませぬ。妾は是より黒ん坊の沢山居る、オースタリヤの一つ島へ渡り、黒ん坊の女王となつて栄耀栄華に暮しまする。何程色が黒くてもお前様のシヤツ面に比ぶれば幾ら優しか知れませぬから、今迄の縁と諦めて、此の書を見ても決して跡を追うて出て来るなどの不了見を出してはなりませぬぞ。万々一後を追うて来るやうな事を致したならば、数多の乾児に命じ、お前を嬲殺しに致すから、其の覚悟をしたがよい。必ず生命が大事と思はば、今日限り一場の良い夢を見て居つたと思つて、諦めたがよからう。苟くもバラモン教の副棟梁鬼熊別の娘と生れ、お前のやうな馬鹿男に汚されたかと思へば、残念で、恥しくて、父母にも世界の人にも、何うして顔が会はされやう、アヽ此の文を書くのも胸が悪くなつて来た。水で書くのは余り勿体ないから、お前の小便の汁で墨をすつて、茲に一筆書き遺し置きます。 天下の賢明なる淑女小糸姫様より 振られ男の友彦殿 と記しありぬ。蜈蚣姫は之を見て思はず大口を開け、 蜈蚣姫『オホヽヽヽ、コレ友彦、お前も余程よい抜作だなア。今改めて読んで聞かしてやらうか。イヤイヤ恥を掻かすも気の毒ぢや。読まぬがよからう。娘の恥にもなることだから……。モシ高姫様、随分間抜けた男ですワ。さうして恋しい娘の行方は分りました。サアこれからお宝を探しがてら、娘の後を追うて参りませう。高姫さま、貴女は此の館を守つて下さいませぬか』 高姫『滅相もないこと仰有いますな。三つの宝を探し出し、大自在天様に献上する迄は、妾の身体は安閑と斯様な処に居ることは出来ませぬ。何処までも貴女とシスターとなつて目的を成就する迄は参らねばなりませぬ』 蜈蚣姫『アヽそれもさうだ。そんなら相提携して活動を致しませう。アヽ娘の所在が分つてこんな愉快なことは無い。噂に聞いて居る竜宮島の黄竜姫といふのが、オースタリヤの声望高き女王と云ふことだ。そんなら彼の女王は我が娘であつたか。嬉しや嬉しや、高姫さまの御かげで、到頭娘の所在が分りました。これと云ふのも大神様の御引合せ、有り難う御座います』 と手を合し涙と共に拝み居る。 友彦『モシモシ、高姫さまに伴れられて来たのではありませぬ。私は勝手に此の岩窟の入口迄参りますと、高姫さまが来て居られたのです。高姫様に逢うたのも今日が初めてだ。高姫さまに御礼を仰有るなら、何故私に御礼を仰有らぬか』 蜈蚣姫『措きなされ、面の皮の厚い、妾が是れ丈け心配をしたのも、可愛い娘が知らぬ他国へ行つて苦労をして居るのも、元を糺せばみんなお前が悪い故だ。何処を押へたら、そんな音が出るのだ。本当に訳の分らぬ奴だ、一国の女王にもなると云ふ、流石の小糸姫が肱鉄を喰はしたのも無理もない。乞食婆だとてお前のやうな男に、秋波を送る奴があるものか。自惚も好い加減にしなされ。泥棒面をさらして何の態だ。娘の行方が分つた以上はお前に用は無い。サア、トツトと帰つて貰ひませう』 友彦『神様は慈愛を以て心となし給ふ。神直日大直日に見直し聞き直しと云ふ事は御忘れになりましたか』 蜈蚣姫『アヽ仕方がない、それもさうぢや。改心さへ出来たら、どんな罪でも赦して下さる神さまだから、私も惟神に赦してやりませう』 友彦『早速の御赦免、有り難う御座います。何うぞ私も貴女の御供をして、オースタリヤの一つ島迄伴れて行つて下さいませ』 蜈蚣姫『それや絶対になりませぬぞ。又病が再発すると親が迷惑するから、中途迄は御供を許して上げるが、彼の島へは絶対に伴れて行くことは出来ませぬ』 友彦『モシモシ高姫さま、袖振り合ふも多生の縁だ。貴女、其処を好いやうに挨拶して下さいなア。……オイ貫州、私に代つて一つ御大に御願ひして赦して貰つて呉れないか』 高姫『私も木石を以て造つた肉体ぢやないから、酸いも、甘いもよく知つて居る。併し今は水のでばなだ。マア控へなされ。折を見て何とか挨拶をして上げるから』 貫州『高姫さまの仰せのやうに、マア暫らく辛抱するのだなア』 蜈蚣姫『誰が何と云つても一旦言ひ出した上は、後へは退きませぬぞや』 貫州『オイ友彦、斯う低気圧がひどく襲来しては駄目だ。グツグツして居ると風雨雷電、如何なる地異天変が勃発するか分らせぬぞ。マア取越苦労は止めて、刹那心で従いて行くのだなア』 友彦『アーア、昔の古疵が、今となつてうづき出して苦しいことだワイ』 (大正一一・六・一三旧五・一八外山豊二録) |