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霊界物語 71_戌_玄真坊と千種の高姫 余白歌 余白歌 和妙の綾の高天に天降りたる厳と瑞との光は伊都能売〈序文(初版)〉 奇魂曽富騰の神とあらはれて世を明かしゆく伊都能売の霊〈序文(初版)〉 くら闇の世界を照らす一つ火は伊都能売神の光なりけり〈序文(初版)〉 鵲の声勇ましく聞ゆなり高天原の岩戸開けて〈目次(初版)〉 すたれたる神の教を世に出し暗夜を照らす大本の教〈目次(初版)〉 木の花の匂ふが如く三五のみのりは四方に拡まりゆくも〈目次(初版)〉 時じくに雨ふり来たる鶴山の五月の空の風の寒きも (昭和十年六月二十四日)〈第3章(再版)〉 をさまらぬ世にも大本の神の子は自ら造る天国の苑〈第4章(初版)〉 五十鈴川流れに霊魂洗ひてし人は神代の光りなりけり〈第6章(初版)〉 かけまくも綾に畏き皇神の御宣に生くる人は神なる〈第6章(初版)〉 鶴山の三六高殿に筆採れば篠を乱して梅雨臻れり〈第8章(再版)〉 ゑらゑらにゑらぎ賑はひ治まらむみろくの御代をまつのをしへに〈第9章(初版)〉 海よりも深き恵みに報はむと朝な夕なに大道を宣〈第9章(初版)〉 袈裟衣美々しくつけて曲神が神の御国をくもらせ行くも〈第10章(初版)〉 毛をふいて疵を求むる人々の霊救はむと心もむわれ〈第13章(初版)〉 そむきたる人の霊もすてずして高天に救ふ伊都能売の教〈第13章(初版)〉 何事も神のみむねにまかすべし人の身をもてままならぬ世は〈第15章(初版)〉 白妙の衣の袖は濡れにけり神の恵みの深きをおもひて〈第17章(初版)〉 迫り来るこの世のなやみを救はむと泪に袖をしぼる永年〈第17章(初版)〉 岸を打つ波の音にも魂をこめてし聞けば神の声あり〈第18章(初版)〉 絵に歌に神の教をまつぶさにさとせどくみとる人は少なし〈第18章(初版)〉 きくらげの耳持つ闇の世の人に御宣伝へむことのかたさよ〈第18章(初版)〉 月さかき厳の御魂の御光に常世の闇も晴れ渡るなり〈第19章(初版)〉 さしのぼる朝日に露の消ゆるごと年を重ねてほろぶ曲教〈第19章(初版)〉 栄えゆく神の御園に生れ来て滅びの道を辿るまがかな〈第19章(初版)〉 執筆に疲れたるにや清書子は煙の如く逃げ帰りけり (昭和十年六月二十四日)〈第20章(再版)〉 五十鈴川清き流れを汲みとりて世を清めゆく三五の道〈巻末(初版)〉 高皇産霊神皇産霊の大神のよさしのままに道開くなり〈巻末(初版)〉 敷島の大和心をふり起し外国人も神国に救はむ〈巻末(初版)〉[この余白歌は八幡書店版霊界物語収録の余白歌を参考に他の資料と付き合わせて作成しました]
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霊界物語 □_特別編-入蒙記 大本の経綸と満蒙 大本の経綸と満蒙 愈々大本は開教四十周年を迎へる様になりました。教祖様の御筆先には、三十年で世のきり替へをすると出てゐますが、それが余り世の乱れ様がひどいので更に十年延びたといふ事が書いてあります。本年が開教四十年に相当しますから、十年引いて見ると本年がまる卅年であるから、立替立直しの時期になつた事と信ずるのであります。 卅と書くと世界の『世』といふ字になる。外国では百年一世紀といつて居るが、日本では卅年が一世紀であります。世界の『世』といふ字は十を三ツよせたのである。で人間の一代といふのは約り卅年で、三十歳で世帯を持つて六十になつて隠居するといふ事になる。隠居する時分には殆ど子が三十歳になる。かういふ工合に人間の一世紀といふものは、文字の上から見ても卅年ときまつて居るのであります。 本年は壬申の年であります。結婚なんかに就てよく迷信家は今年は申の年で『去る』だからいかぬと云ふ。然しこれは総ての禍をみづのえさる──水に流し去る年であつて非常に結構な年である。仏法の法は水偏に去である。今年は壬申の年であるから、仏法がすたれて神の御教の発展すべき時になつたのであります。 印度の言葉で法のことをダルマと云ひますが、達磨さまといふのは、本来抽象的の仏であつて、眼を大きく描くのはこの法を表徴したものである。そして無茶苦茶に大きな眼を描くのは日月に譬へたのである。これは天地日月の法であるといふ意から達磨といふのでダルマは即ち印度の言葉である。今年は所謂ダルマの年であり、弥勒の年であるのであります。この満四十周年に際して、神様が予て御警告になつて居りましたシベリヤ線を花道とするといふ事が愈々実現して来たのでありますから、吾々はジツとして居られない、日本臣民として袖手傍観する事が出来ない場合になつて来たのであります。兎も角吾々の頭の上に火の粉が落ちて来たのであります。この火の粉をどうしても払はねばならぬ。この事あるを私は神様から始終聞いて居りましたので、大正元年頃から今の中に蒙古を日本のものにして置きたい。蒙古に行つて蒙古を独立さして置いたならば日本は仮令外国から経済封鎖をやられやうが、或は外国から攻めて来られようが、自給自足、何処迄も日本の本国を保つ事が出来る。──かういふ考へをもつて大正元年から馬の稽古をやつたのであります。本当にやりかけたのは大正五年からでありますが、何故馬の稽古を始めたかと云ふと、昔から支那では南船北馬と申してゐる通り南に行くには船でなければならず、北に行くには馬でなければならぬので、蒙古の大平原を行くのにはどうしても馬術を知つて置くのが肝腎であると思つたがためであります。一時は金竜、銀竜、金剛、千早といふ馬を四頭も置き、その他の馬にも乗り廻して馬術を稽古して居りましたが、愈々大正十年になつてこれから入蒙を決行しよう、節分祭から行かうと思つて居つた時に、あの十年事件が突発したため、満州でなくて人の来られぬ様な所に一寸はいつて来たのであります。 それから大正十三年に愈々年来の素志を決行したのであります。所が、その時恰度蒙古のタークロンと云ふ所に偉い喇嘛が居つて、昔成吉斯汗が蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目にナランオロスからイホエミトポロハナが出て蒙古を助ける。即ちナランオロス(日出づる国)から生神が出て来て蒙古を救ふといふ予言があつたのであります。それが恰度甲子の年、大正十三年が六百六十六年目に当つて居つたのであります。吾々はさういふ事は知らなかつたけれども、恰度さうなつて居つたのであります。しかもこの蒙古を救ふ人は年五十四歳と云ふのでありましたが、当時私は五十四歳であつたからこれも符号したのであります。その外色々な事が符号した為に蒙古人に歓迎されまして、思ひの外にどんどんと進んだのであります。けれども結局は張作霖の裏切り及び赤軍との戦ひの疲れ、呉佩孚軍との戦ひによつて携帯した所の食料も弾丸もなくなつて了ひ、已むを得ず白音太拉で吾々は捕へられ、銃殺されむとする迄に至つたのでありましたが、その当時には世間の人々及び大本の信者の人は大変に失敗をして来た様に感じて居つた。その時私一人が大成功だと云つて、自分一人で平気で居りましたので、皆が負けをしみが強いと云つて笑つて居つたのであります。けれどもこれが一ツの種蒔きとなつて恰度今時がめぐつて来たのであります。 今皇軍は連戦連勝で東三省は殆ど平定された様な形でありますが、この東三省の民衆の心は未だ未だ服従して居らぬ。これをさせるのにはどうしても宗教をもつて行かねばいけないのであります。 愛といふ事は基督も、マホメツトも説いて居る。仏教は慈悲心を説き、或は十善といふ事を説いてゐる。各神道、各仏教は皆愛と善との外に出てゐないのであります。併し今迄の宗教は国によつて皆垣を造つて居る、出雲八重垣を造つて居る。即ち猶太は猶太の神、支那は支那の神といふ風に自分一国の神様にして居る。この垣を、この出雲八重垣を破るのには、人類愛善といふ大風呂敷を頭から被せて行くのが一番よいのであります。 ラテン語で云うと『人類愛善』と云ふ言葉は『大本』といふ事になる。それで『人類愛善』も『大本』も精神は少しも違はない。併し乍ら『大本』は至粋至純なる日本の神様、日本の国体を闡明する所のものであり、『人類愛善会』は各思想団体及び各宗教一切の融合統一する所のもので、同じ名であつても異なつた働きをして居るのであります。で先般満州へ日出麿をやりましたのも、さういふ精神からであります。先づ東三省の人心を統一する事が肝腎である。あらゆる宗教を人類愛善の大風呂敷で包んで了はねばならぬといふ考へで、人類愛善旗を飜して満州の天地に活躍をして居るのであります。私自身でも満州へ行つて活動したいと思つて居ますが、それも余り慌ててもいかぬし落付きすぎて機を逸してもいかぬ。恰度六月時分の柿は未だ渋いが九月から十月頃になると熟して美味しくなつて柿の木の下に行くと、何もしないでも味のよいのが落ちて来る。約り熟柿の落ちる迄待つのが一番賢明なやり方である、と云つても只ジツとして居るのではない。それ迄に総ての準備を整へて置かぬと熟柿も拾へないのであります。 それで信者の中には『もう行かれさうなものである。何時行かれるか何時行かれるか』と尋ねる人があるが、さう簡単なものではない、大きな仕事である。日本の明治維新でも当時内地人は三千万であつたが、矢張り憲法発布迄には廿三年かかつて居るのであります。同じく不思議にも三千万人の東三省の人──此処にはロシア人も居れば支那人も居る。西洋人も居れば日本人も居る、又朝鮮人も居る。かういふ様なゴチヤゴチヤの人種が集り面積は殆ど東三省だけで日本の三倍もありますが、日本の同じ人種、同胞で廿年かかつた、それに今満蒙を統一しようとするのですから、神様の徳によつて割とたやすく出来るとは思ふのでありますが、皆様が考へて居られる様な容易な事ではないのであります。それに就ては私は非常に責任を感じて居るのであります。心は千々にはやつて居ります。心の駒は足掻してゐます。けれどもこの手綱を引きしめて愈々といふ時を考へるといふ事が最も必要な事でありますから、落付いて時の来るのを待つて居るのであります。 今日は出口澄子の誕生祭でもあります。又節分祭でもあります。この節分といふ事はこれは冬から春にかはるのであるが、天の陽気は節分が冬の真中になつてゐるのであります。節分がすめば大寒になつて来る。皆は節分が来れば春と思ふけれども少しも暖かくならぬ。旧の二月にならぬと、梅の花が咲かぬ様に、矢張未だこれから寒くなる。然し、この冬といふものは万物雌伏の時代である。人間も矢張り雌伏する時代であつて大いに考へねばならぬ時である。軽挙妄動をつつしんで極く着実に一年中の事或は将来の事を考へるのには今が最も適当な時期だと思ふのであります。で私もそれに倣つて非常に──若槻さんぢやないが深甚の考慮を払つて居るのであります。今迄は若槻さんを嘘つき礼次郎と云つて居るものがあつたが、今度は犬養首相は修練による心境の変化と云つて居る。嘘を云つても心境の変化と云へばすんでゐるといふ事は、今日の日本としては面白くない事と思ひますけれども、併しさういふ大臣の言葉は今の日本国民の精神を代表して居るのであります。併し吾々は始めから終始一貫何処迄も心境の変化をせない様に貫徹したいものであります。 かう云つて居りましても、時期の変化によつて、約り心境の変化ではなく時期の変化によつて三月に飛び出すか、五月に飛び出すか、それとも本年中飛び出さないかも知れませぬ。そこをよく考へて貰はぬと、もどかしがつて貰うと困ります。今度の事は重大であるから沈黙を守つて居る。よい加減な事であつたならば、とうに騒いで行つたのである。この前に蒙古に行つた時と今度は違ふ。あの時は兎も角先鞭をつけて置きたい、成功するせぬは別として、日本国民に満蒙といふ事を今の中に力強く意識させておかねば日本は滅びると思つたのであります。この点満蒙問題に先鞭をつけた事は非常に効力があつたのであります。 蒙古人はかういふ事を云つて居る『黒蛇が世界中を取巻くその時に愈々世の立替があつて弥勒仏が現れ蒙古の国を救はれる。その時は禽獣草木が人語を囀る』と。今日の世の中は木や草──民草と云へばこれは人間の事であります。木や草がものを云ふ、所謂普選になつて蛙切りでも、田子作でも、議員とかなんとかいふものになつて、ものを云ふ時になつて居る。黒蛇といふ事は鉄道といふ謎で、已にシベリヤ線が出来て蒙古を取り巻いて了つてゐる。かういふ予言があり、然も初めて私が行つた時は六百六十六年目に当つてゐた。六百六十六の獣といふ事がありますが、六六六といふ事は非常に意義のある事であります。六六六はミロクであるから──家を建てるのにも天地上下が揃はないと駄目である。その時から本年は恰度八年になつて居ります。六百六十六年──六百七十四年になつて居る。吾々大本信者は云ふに及ばず、日本国民全体が鉢巻をして大いに考へ、大いに尽さねばならぬ時が来たのでありますから、吾々は世界の戦争が起る、或は日本は世界を相手に戦はねばならぬといふ悲壮なる覚悟を要する時だと思ふのであります。 (昭和七、二、四、みろく殿に於ける講演──三月号神の国誌)
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大本神諭 神諭一覧 (年月日不明) 年月日不明 至仁至愛の神の御出ましに御成なさる時節が参りて大国常立尊が出口の手で書き知らして置いた世が迫りて来たから、世界中の人民が改心を致さねば、この世では最う一寸も先へは行けず、後へ戻ることも出来んぞよ。 この世の来ることを明治二十五年から今につづいて知してをるのにチットモ聞入れが無いが、国同士の人の殺し合いといふやうな斯んな約らん事はないぞよ。 一人の人民でも神からは大切であるのに屈強ざかりの人民が皆無くなりて老人や小児ばかり残して前後を構はずのやりかたであるぞよ。こんな大きな天地の罪を犯してまだ人の国まで取らうと致してをるのは向先きの見えぬ悪魔の所作であるから、何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ。出かけた船であるから、どちらの船も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁もはいらず、つまらんことが出来るから、外国の守護神に長らくの間気が付けてありたぞよ。 あまり我が強いとしくじるぞよと何時も筆先で気が往けてあるぞよ。 何国にも負けん強い国で在ると思ふて我よしのやりかたで頑張ると為損ひが出来るからと申してくどう知らしてありたが今の有様は其通りではないか。これからは神代の世になるから今までの様に余り頑張ると我れの思ふやうには此の先は一寸も行かんぞよ。我の強い守護神ほど思はくは立ちはせんぞよ。 これまでの心を全然入れ替て了ふて天と地との元を創造た太元の神へお詫を致さねば、我の一力で行りて居ると思ふのが大間違であるぞよ。何事も皆神からの事であるから取り違いをいたすなよと先に気を往けてあろうがな。 我一力で仕て居ると思ふて居ることを霊魂の性来因縁だけの事を天地の神からさせられて居るのであると云ふ事が判然とわかる時代が回りて来たので在るから、これ迄の悪の守護神のやりかたも九分九厘まではトントン拍子に思ふやうに来たなれどモウ九分九厘で悪のみたまのやりかたは輪止りとなるのが今の事であるぞよ。今までは悪のみたまの覇の利く時節でありたぞよ。是が暗りの世でありたぞよ。 この先は学や智恵や仏では国は建たんぞよ。一日も早く往生いたさんと世界の物事が遅ておるから筆先でいつも同じ事を気を付けるぞよ。向ふの国の有様は筆先どうりになりて来てをるから日本の国の守護神に早く判らんと立替が十二年遅くなりてをるから、何かの事の実地が始まると、まだまだ世界には烈しき事が来るぞよと申して在るが一度申したことは違ゐはせんぞよ。世の元から神は能く判りておるので在るから向ふの国に彼れだけの事があるのに日本の人民は我さへ善けら国はどうなりても構はぬとは全然獣ものであるぞよ。神の直々の善き御魂を貰ふてをるからは末には神にも祭られる結構なものであり乍ら人は倒ようが仆れようが我さえ善けりゃ好いでは万物の長とは白されんぞよ。 世界は今が罪の借銭済であるから罪悪のひどい処ほどきびしき戒があるぞよと申して知してあるがこの世界は後にも前にも無いみせしめが出て来るぞよ。 用意をなされよ世の立替は新つの洗い替であるから、みろくの神の世に立返りて万古末代善一筋の世になる尊ひ事の初りであるから皆の人民の思ひが違ふてあるぞよ。あやべの大本は今では粗末なとこで在るなれど此の広い世界に外に亦とない大神の世の元の尊とひとこであるから全部判けて見せたならば余り大きな仕組であるから思ひが大違いで驚愕いたすぞよ。天地のビックリ箱が明くぞよと申してあるが此のビックリ箱が明いて手の掌をかやしたら何んな人でも驚愕いたして改心せずには居れん事になるが其処まで行かん中にチット判らんと約らん事があるぞよ。 この大本に日々かぶり付て居るものにチト早く判らんと何処からも是からは判る守護神が出て来るから、耻かしうなるぞよ。何事も、ちっと判りて居んと面目ない事が出来るぞよ。慢神と誤解が一番こわいぞよ。 たれに由らず慢神すると我の心が大変ゑらい様に思へて、人から見て居ると鼻が高うて見にくいぞよ。 腹の中に誠さえありたなれば何んな事でも出来るなれど上から見てよくても心の中に誠が無いと実地の誠が成就いたさんぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 明治36年旧2月9日 明治三十六年旧二月九日 艮の金神稚姫岐美命出口の神と顕はれるは、変性男子の身魂が顕はれて、出口の手で書きおくぞよ。 五六七の教を致すには、此の大本の行ひを、薩張り立替を致すから、はしり水の使ひ方から、火の燃し方から、炭の焚き方から、変へさすぞよ。 此の大本はみろくの世の教とゆふことがわかりてくると、人がでて来だすから、モチトの間のとこが辛いなれど、しばらくのとこを忍りて居りて下さりたら、誠をして見せてやるから、申してあることが、皆でて来るぞよ。上が裸で、下が袴をはくとゆふことが申してあるが、申してあること皆でてくるぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 明治36年旧12月10日 明治三十六年旧十二月十日 艮の金神若姫岐美命出口の守と現はれるは、変性男子の身魂が顕はれると、太古からのこと、因縁が解りて来て珍らしきことが、此の世に無き事が判りて来て、結構な事やら、恐い事やら、人民の知らん事が判りて来て、開いた口が閉まらんことが此の世には出来て来るから、嬉れしうてキリキリ舞ひを致す人が出来て来るし、是迄上へあがりて、仕放題にして居りた人は叶はんことが出来て来るし、世は持ちきりには致されんから、良かりた人民悪くなるぞよ。悪かりた人民は良くなるぞよ。上にあがりて苦労無しの仕放題にして居りて、何時迄もこの世で続くと思ふて居りた人民が、逆立になりて苦しむぞよ。人の苦労で仕放題の暮しをして居りた、上へあがりて月給取りて、栄耀栄筆の仕放題の身の持ち方、此の上はくだろうよりも、あがるとこがもう無いから、十分あがりたら、下るより仕方が無いぞよ。 何程出世を致したとて、慢神も出来んぞよ。苦しみた折の事を忘れんやうに、尻抜けんやうに、腹の真中に何時になりても、大事に致して持ちて居らんと、途中から変る事が出来るぞよ。変性男子の筆で気を付けて置くぞよ。 其の事を奥歯に噛み締めて居らんと、途中に変るのは、根本の苦労を忘れて仕舞ふて、如何様して居りても、行けるように思ふて慢神が出るから、挫けるのざぞよ。 二度目の世の立替を致したら、神は激しくなるのは、世が乱れん如うにもうこの先は、万古末代世を続かせねばならんから、磐に松の世に致すと申すのであるぞよ。 此の先は是迄のやうな世の持ち方では行けんと申すのは、是迄の世は恐いものが無かりた故に、此の如うな世の持ち方を致して、吾れさへよけら、人が倒けやうが什れやうが、国を奪られやうが、吾れ良かれの強いもの勝ちの世の持ち方でありたから、ここまで世を持ち荒らしたら、是に不足はよもやあろまい。あとはなにによらんぞよ。 よきあとは、わるき事が出て来るよつて、良いと申しても余り鬼の心を持ちて居ると、吾れが世に堕ちて、難渋が出て来た折に、困る事が出来て来るから、世に堕ちて居るものは、上から良くしてやらねば、立つ処が無いから、二度目の世の立替を致すと、此の世には、運不運の無き事に致すから、是迄世に出て居れた守護神、是迄の精神では、此の先は変性男子が現はれて、みろくの世の教を致さすぞよ。
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大本神諭 神諭一覧 明治36年旧12月10日 明治三十六年旧十二月十日 艮の金神稚姫岐美命、出口の守と顕はれるは、変性男子の身魂が現はれると、世界には是迄の行り方して居ると物事がひっくりかえるぞよ。それを疑ふなら敵対ふて致して見よれ。物事が逆様にかへりて、大変苦しみが、誰によらん出来るから、ひどく苦しまんうちに、聞くが良いぞよ。 これからの苦しみは、是迄の苦しみとは、厳しきぞよ。叛いて致して見よれ、此の大本、鏡が出して見せてあるぞよ。 時世時節の遣り方を致さな此の世は行けは致さんぞよ。時節には、艮の金神も蔭から控へて見て居りたぞよ。口惜しかりたなれど、時節が到来りて、表面に顕はれて、世界中を主宰はねばならん世になりたから、是迄の如うに思ふて居ると、慮見が違ふから、一人なりと早く、みろくの世の教に基づかんと、大変困る事が差し来りて居るから、末法の行り方して居りたら、微躯とも出来ん如うになりて来るから、一人でも熱心の信者の人は、知らん人民に言ひ聞かして下されよ。 此の遣り方で行けると、世界の人民が、未た人気が直る位に、思ふて居る人民許り、途中の鼻高一番困るぞよ。何彼の化が暴露れて来て、上になりて偉さうにして居りた鼻高が、鼻を折りて下に落ちんならん時節が到来りたぞよ。申してある神示が、皆実現て来て、可愛相な人民許りで、それを見るのが辛いから、気も無い内から、気が付けてあれども、余り疑ひが永かりた故に、一度に改心致さなならん世が、切迫りて来たから世界は辛くなるぞよ。
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(3593)
大本神諭 神諭一覧 明治36年旧12月25日 明治三十六年旧十二月二十五日 艮の金神、稚姫岐美命、出口の加美と顕はれるは、変性男子の身魂が顕はれると、世界には変りた事が出来て来るから、是迄の慮見で居ると、思惑が違ふから、早うから知らして居るなれど、皆吾の身体に火が付いて来て、熱なるまで判らんから地団駄を踏まねばならんことが出来するぞよ。それでは日本の人民、大和魂ざ、万物の長ざとは申されんぞよ。無惨い事に身魂が曇りたものざ、磨くにもかかり掛けが出来んが、日本の人民今の間にチトなりと身魂の洗濯致さんと、一度の洗濯は辛い事があるから、気も無い中から知らしてあるが、時節が来ると、何も一度に成りて来るから、今度は身魂の洗濯。世界の此地面が、余り醜しくて、実地の神が現はれて住居を致す処が無い如うに化りて居るから、世界は大洗濯であるぞよ。霊魂の洗濯尚大望であるから、骨が折れると申すのであるぞよ。是丈け悪に化りきりた身魂を、善一とつのみろくの世にして仕舞ふのであるから、今度の世の立替を致したら、是迄の世の持ち方を薩張り替へて仕舞ふて、水晶の世に致して仕舞ふのであるから、此の転換期が辛いぞよ。薩張り立替であるからチットでも身魂に曇りのある人民は、綾部の大本に這入りて来られん如うになるから、化かしてある間に実地の御神徳がとれるなれど、申してやりても、物事が出て来んと、真実に致さんから、良い御神徳を取り外すのざぞよ。天晴世界の皆の人民に解りてからなら、誰でも改心も致すし御神徳もとれるなれど、発根と吾れに判りて来て、これは結構な処と、吾れの発根に改心の出来ての事で無いと、大本の真実の御神徳はとれんぞよ。此の広い世界に他には無い事の、世に出て居れる神にも人民にも知らん事の、言ひ置きにも、書物にも無き事を変性男子の筆で、四十八文字で、手本無しに書き放題に書いた事が、世界から、書いてある事と、きたりきたりと合ふ如うに、先の事を前つ前つに、変性男子はさきにあることを、知らせる御役であるぞよ。何につけても辛い御役であるぞよ。今度の二度目の世の立替は、此世始まりてからの大望な世の立替であるから、天地がひつくりかへるのであるから、今度の世の立替を致したら、水晶の世に致して、曇りありたら、其の身魂は、水晶の魂に曇りのかからん如うに、此の先きは致すのであるから、其の身塊は今では差添の役員の身魂が其の種であるから、此の種を見習ふて、日本魂の根元は、綾部の大本であるといふ事を、是から世界へ知らせる大本であるから、この内部揃うて是迄の心を入れ替へんと、此の大本が一層難しうなるぞよ。