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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 01 梅の花香 第一章梅の花香〔一七〇三〕 オーラ山の曲の企みも大杉の怪しき夜這星は神の伊吹に吹消され、一旦包みし木下暗、晴れては清き三千世界の梅の花香、峰の尾上を包みし黒雲もサラリと散りて、宇宙晴の大広原、真夜中の空には、宝石を鏤めた様な一面の星光瞬き、鬼の囁き、猛獣の健び、狐狸の鳴き声も虫の音も、ピタリと止まつて天地静寂、恰もふくらむだ庭の砂に、程々に水を打つたるが如く、一点の風塵もなく、雲霧もなし。微風徐に人の面を吹き、五臓六腑に静涼の気浸み渡る。諸行無常の鐘の声、是生滅法の杜鵑の啼く音、生滅々已の梟の叫び、何れも寂滅為楽の清浄界となり果てぬ。丹花の唇、木蓮の莟の如き鼻の格好、黒豆に露を帯びたやうな優しく床しく光る二つの眼、地蔵の眉、所在美の極、善の極、愛嬌を満面にしたたらして、心に豺狼の爪牙を蔵し、天下を掌握せむと、昼夜肝胆を砕いて、外面如菩薩内心如夜叉、羅刹悪鬼の権化とも譬ふべき山賊の大頭目、ヨリコ姫女帝は、梅公が口より迸る天性の神気に打たれて、忽ち心内に天変地妖を起し、胸には革新軍の喇叭の音響き、五臓六腑一度に更生的活動を起して、専制と強圧と尊貴を願ふ欲念と、自己愛の兇党連は俄に影を潜め、惟神の本性、生れ赤児の真心に立帰り、一身の利欲を忘れ、神に従ひ神を愛し、人を愛し万有一切を愛するの宇宙的大恋愛心に往生したのである。 斯くヨリコ姫が心に悔悟の花開き、愛善の果実みのり、信真の光輝と、慈味に浴したる刹那に於て、其真心は天地に感応し、天は高く清く澄み亘り、一点の雲もなく、七宝を鏤めたるが如き星の大空をボカして、見渡す東の原野より千草を分けて昇り来る上弦の月光、恰も切れ味のよい庖丁を以て、円満具足せる西瓜を真中より二つに手際能く切りわけし如き、輪廓の判然とした白銀の半玉、忽ち天地を照り輝かし、地上に往来する蟻の姿さへも明瞭に見えて来た。 白髪童顔の山賊の巨頭、修験者と化けすまし、三千の部下を使役し、豺狼の欲を逞しうし、ヨリコ姫を謀師と仰ぎ、大親分と崇め、大胆不敵にもハルナの都の大黒主を征伐し、印度七千余国の覇権を握らむと、霜の晨雨の夕、夢寐にも忘れぬ胸裡の秘密深く包んで、雲に聳えたオーラ山に立籠り、霧を帯にし、靄を被衣となし、木の葉のそよぎを扇の風と見做し、青空を天井と定め、草を褥となし、髑髏を仮睡の枕となし、虎狼獅子熊の肉を嗜み、阿修羅王の如く魔王の如く、時あつては彗星の如く、妖邪の気を四方に吐散らし、一本の錫杖に四海を征服し、心に秘めた魔法の剣に、諸天諸善を悩ませ苦しめ、吾儘を振舞ひ、天地を自由に攪乱せむものと、夢の如き、虹の如き蜃気楼の如き空中楼閣的妄念を抱いて、得々として、其無謀なる目的に心身を傾注したる、彼れシーゴーは、三五教の神司梅公が言霊に其心胆を奪はれ、五臓六腑の汚濁を払拭され、彼が神気に打たれ、心気忽ち一転して、夜嵐にそよぐ枯尾花の手振にも驚き慄ふ、いとも弱き落武者とならむとする一刹那、力と頼みしヨリコ姫の打つて変つた言行に、今は尚更反抗の勇気もなく、今迄包みし心天の黒雲はオーラ山の荒風に吹散らされて、心も清き上弦の月、忽ち大地に鰭伏して、其慈愛と温雅と清楚なる月神の美影に渇仰憧憬し、本然の性に立返り、悪魔は忽ち煙と消え、胸の奥深き所に神の囁きを聞き、其霊光に触れ、信真なる愛の情味に接し、全く別人の如く成り、白き長き彼れの髪は白金の色、益々艶やかに、其顔色は天上の女神かと疑はるる許り、純化遷善し、罪もなく穢もなく、一点の憎悪心もなく、欲望の雲霧もなし。只此上は天地神明の加護に依り、誠の道を踏み、誠の業を行ひ、戦々恟々として神を畏れ神を愛し、日夜心力を神に捧げむ事を希求するに至つた。 次に天来の救世主、天帝の化身、オーラ山の活神と揚言し、毒舌を揮つて天下万民を誑惑し、悪事の限を尽さむとしたる、奸侫邪智の曲者、玄真坊、天下唯一の色餓鬼、情欲の焔に苦められ、煩悶苦悩の結果、恥を忘れて獣畜の行為に及ばむとせし、偽救世主、偽予言者なる、彼れ売僧は、三五教の神光に打たれ、正義心の神卒に攻め立てられ、遂に悔悟して、大頭目のヨリコ姫及シーゴーと行動を共にせむ事を誓ふに至つた。オーラ河の水は緩に流れ、深く青くして底さへ見えぬ河の面にきらめく星の大空を映し、そよと吹く小波に月光如来の千々に砕くる慈愛の御影を宿して、天地燦爛光明界の現象を泛ばせたり。東の大空は紅の雲、紫の霞棚引き初め、木々の百鳥は千代々々と永遠無窮の前途を寿ぎ、せせらぎの音は何事か宇宙の神秘を語るが如く、風の響にさへも神の御声の宿るかと疑はる。ヨリコ姫を始め、其他の兇党が心の天地忽然として蓮の花の開くが如く、薫り初めたる一刹那、五色の雲を押し分けて、忽ち昇らせ給ふ黄金鴉、旗雲の中にまん丸き日の丸を印し、愈日の出の神代の祥兆を天地万有に示し給ふ。瑞祥開く聖の御代の魁とぞ、神も人も、此山に集まれる曲人も禽獣虫魚も、一斉に五六七の御世を寿ぎまつる思ひあり。あゝ惟神霊幸倍坐世。 ○ 現幽神の三界を浄め、天地開闢の昔の祥代に立替立直し、神人万有を黄金世界の恩恵に浴せしめ、宇宙最初の大意志を実行せむと天より降りて厳の御霊と現じ、大国常立尊と現はれて神業を開始し給ひし、宇宙唯一の生神、朝な夕なに諄々として神人万有を導き給ふ。愛善と信真の大神教を天下に布衍し、五六七神政出現の実行に着手せむと、ウブスナ山に聖蹟を垂れ、瑞の御霊と現じて三界の不浄を払拭し、清浄無垢の新天地を樹立せむと、神素盞嗚の大神は、世界各山各地の霊場に御霊を止め、数多の宣伝使を教養し、之を天下四方に派遣し給ひぬ。派遣されたる神柱の一人、照国別の宣伝使の従者となり、ハルナの都の魔神の言向戦に従軍したる梅公司は、勇気凛々たる壮者にして、其心鏡は惶々として照り亘り、能く神に通じ、万民が心の奥底迄、玻璃を通して伺ふが如く、通観して過らず、且心は清浄潔白にして神律を弁へ、道理に通じ、挙措常に軽快にして且つ軽からず重からず、中庸を得たる好漢なり。彼れの行く所、百花爛漫として咲き満ち、地獄は忽ち天国と化し、猛獣の猛る原野は鳥唄ひ蝶舞ふ百花爛漫の天国と化するの慨あり。精神剛直にして富貴に阿らず威武に屈せず、常に其職に甘んじ、何事も神意と解して、如何なる境遇に在るも不平を洩らさず、悲しまず、如何なる悲境に沈淪するも悲観せず、悠々閑々として自ら楽み、自ら喜び、災の来る時は、之れ天の恩恵の鞭となし、喜びの来る時は天の誡と警戒し、寸毫も油断なく、且つ楽天主義を以て世に処す。実に神人の典型、宣伝使の模範、言心行何れの方面より見るも、一点の批評をさしはさむの間隙だになし。彼れは照国別に従つて、能く師弟の情誼を守り、自分の師に優れる数多の美点を隠して、其徳を長上に譲り、同情に富み、僚友を能く愛し、目にふるる者、耳に入る物、何れも彼が感化の徳に浴せざるはなし。元来梅公は大神より特に選まれたる神柱にして、無限の秘密を蔵し、神妙秘門の鍵を授かり、宇宙間一の怖るる者なき大神人なり。夫れ故彼は平然として悪魔の巣窟に単騎出入し、豺狼の群に入つて、機に臨み変に処し、一男二女の危難を救ひ、且つ他の宣伝使の如く、千言万語を費すの要なく、さしも兇悪なる悪神の巨頭、ヨリコ姫等の一派を翻然として悔悟せしめたる英雄なり。彼が師の照国別宣伝使も彼が神格の一部分を窺知する事さへ出来なかつた。併し乍ら彼は和光同塵的態度を以て、愛善の徳と信真の光の劣れる照国別を神の経綸として、吾師の君と尊敬し、照公其他の同僚に対しても、常に後輩者として行動せむ事を望んでゐた。果して梅公司は魔か神か真人か、但しは大神の化身か、今後の物語に依つて読者の自ら判知されむ事を望む。 之よりヨリコ姫は梅公花香の勧めにより、タライの村に立帰り、母のサンヨに面会し、今迄の不孝不始末の罪を謝し、今後は悔い改めて、老後の母の心を安んじ、且つ神の御為世の為に、愛善の道に生涯を投ぜむ事を誓つた。母のサンヨは二人の姉妹が梅公司の艱難辛苦の結果と慈愛心の発露に仍つて、無事母子の対面が出来た事を涙片手に感謝し、梅公を真の生神として尊敬して止まなかつた。次にシーゴー坊や玄真坊の両人はサンダーの家に至り、彼が両親に向つて、今日迄の悪業を謝し、且悔改めて天下万民の為に神業の一部に奉仕せむ事を誓つた。サンダーの両親は夢かと許り喜んで、梅公其他に対し、百味の飲食を調理して之を饗応し、且つシーゴーには数多の所有地を与へ開拓の事業に従事せしむる事となつた。彼れシーゴーはサンダー、スガコ姫に従ひ、両人を主人と仰ぎ、スガコ姫が父のジャンクが所有せる無限の山林田畑を開墾し、三千の部下をして之に従事せしめ、大都会を造つて………………新しき村を経営し、タライの村の真人と謳はれて生涯を送つた。父のジャンクは遥にサンダー、スガコの無事に帰宅せし事、梅公司に救はれし事、及シーゴーを一の番頭となし、数千の部下を使役して開墾の業に従事せしめ、日々事業の発展しつつある事を聞知し、大に喜んで、全く神の恩恵となし、一生を神に捧げ、神業に参加し、屍をさらす迄、吾郷里に帰らなかつた。そしてジャンクは義勇軍の勇士としてバルガン城下に驍名を走せた。 一旦悔い改めたる玄真坊は再び悪化して、シーゴーと論争し、三千の部下の中、不平組三百余名を引率し、オーラの峰を渉つて民家を掠奪し乍ら、地教山方面指して姿を隠したのである。 惟神神の心は白梅の 旭に匂ふ姿なりけり。 梅の花香ひ初めたる如月の 空に瞬く珍の星影。 何事も神の教にヨリコ姫 世の神柱となりし雄々しさ。 現世の罪をば恐れシーゴー(死後)を 思ひて神に帰るつはもの。 サンダーやスガコは生れし己のが村に 帰りて新村永久に開きぬ。 光暗行きかふ曲の玄真は 心変りて鬼となりぬる。 村肝の心曇りし曲人と 山野に迷ふ玄真の果。 (大正一三・一一・二三新一二・一九於教主殿松村真澄録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 03 美人の腕 第三章美人の腕〔一七〇五〕 満天の星光燦爛としてハルの湖面に金砂銀砂を沈めし如く、月の光はなけれども名に背ふ大湖水の空は赤く、銀河はオーラ山の頂きより、バルガン城の空に向つて清く流れて居る。東天を仰ぎ見ればスバル星はオレオン星座を重たげに牽引して頭上高く進んで来るやうに見える。太白星は今やオーラ山の山頂の老木の木蔭を宿として、木の葉をすかしてピカリピカリと覗いて居る。帆は痩せて音もなく船の歩みもいと遅く殆ど停船せしかと思ふ許りの静けさである。湖中に散在する大小無数の島嶼は、パインの木に包まれてこんもりと静かに浮んで居る。時々赤児の泣くやうな海鳥の声、アンボイナの翅の羽たたきのみ一同の耳朶を打つ。天は静寂にして声無く、海面穏かにして呼吸せず恰も活力を失ひし睡れる海を往く心地。船客一同は甲板に出で夜露を浴びながら、彼方此方に煙管の雁首から微な火の粉を飛ばして居る。此時八挺艪を漕ぎ乍ら、矢の如く波切丸に向つて猛犬の如く噛みついて来た一艘の船には、十四五人の海賊が乗つて居た。忽ち舷に縄梯子をヒラリと投げかけ、アハヤと云ふ間もなく大刀を提げ上つて来たのは此湖上にて鬼賊と恐れられて居るコーズと云ふ頭目であつた。彼は甲板に立ちはだかり、十四五人の部下と共に抜刀の儘、呶鳴つて居る。 コーズ『此方はハルの湖水の主人公、海賊の頭目コーズの君だ。最早俺の現はれた以上は文句はいらぬ。持物一切何奴も此奴も貴賤貧富の区別なく、吾前に献上せよ。四の五の申して拒むにおいては汝が素首一々引きちぎり、縄をとほして数珠を作りハルナの都の大雲山に献納してやる。どうだ返答を聞かせ』 と傍若無人に強託を並べ出した。一同の乗客は、慄ひ戦いて船底に潜むもの、或は悲鳴を上げてデツキの上を右往左往するもの、声さへも打ち立てず打ち慄ふもの、見るも悲惨の光景であつた。コーズは部下に命じ乗客を一々赤裸体となし用意の綱を取り出し、掠奪品を一纒めとなし吾船に今や投げ込まむとする一刹那、船底よりヌツと表はれて来た名人の画伯が描いたやうな天成の美人、丹花の唇を慄はせながら、生蝋の如き白き腕を薄暗の中に輝かせつつ、 女(ヨリコ姫)『汝はハルの湖水の主と聞えたるコーズと覚えたり。懲しめくれむ』 と云ふより早く、仁王の如き荒男の襟髪を掴んで、エイと一声海上めがけて投げ込めば不意を打たれて、遉のコーズも空中を二三回上手に回転し乍ら、自分の船にドスンと落ちて尻餅をついた。他の乾児共は驚いて前後左右に逃げ廻るを、……エヽ木葉共面倒なり……と将棋倒に掴んでは投げ、掴んでは投げ、瞬く中にデッキの大掃除を終つて了つた。美人は白き歯を現はし乍らさも愉快げに『オホヽヽヽ』と微に笑ひ、悠々として階段を下り、何喰はぬ顔をして吾寝室に入り、腕を枕に熟睡の夢に入つた。乗客一同は怪しき女のどこともなく現はれて、悪漢を海中に投げ込みし噂のみにて喧々囂々と囁き合ふのみであつた。梅公はウツラウツラ睡りつつありしが、人々の囁く声にフツと目を醒まし、何事ならむと耳を澄まして聞き居れば、諸人の声…助けの神が現はれた…とか、…海の竜神の化身が吾等を救つて呉れたのだ…とか、…オーラ山の天狗の娘だ…とか、…海の女だ…とか、種々雑多の憶測を逞しふして居る。船長はやつと安心せしものの如く、怖る怖るデッキの上から海面を見渡せば、コーズの船は見えねども遥に遠き島影に十数艘の賊船が波切丸の前途を要し、手具脛引いて待つものの如く思はれてならなかつた。船長のアリーは双手を組んで思ふやう……今の船路を取らば必ずやコーズの手下の奴に再び脅かされむ。迂回ではあるが、船首を東に転じ、岸辺に近づきつつ進み行かむものと……、部下の水夫に令を下し、艪を操り、櫂を漕ぎ乍ら一生懸命に、鏡の如き海面に俄の波紋を描きつつ、力限りに駆出した。船は忽ち暗礁に乗り上げ、船底はガラガラガラバチバチバチと怪しき音を立て船客一同の肝を潰した。忽ち阿鼻叫喚、助けて呉れい助けて呉れいと悲鳴の声、船の全面より聞え来る。梅公は忽ち舷頭に立ち現はれ、天の数歌を奏上し、音吐朗々として神に対して救助祈願の歌を奉つた。 梅公『浪も静なハルの湖御空は清く水清く 天の河原を空に見て漕ぎゆく御船は棚機の 神を斎きし玉船ぞ守らせたまへ和田の原 所領ぎたまふ竜神よ吾等は睡りに入りながら 花咲き匂ふ天国の清き御園に遊びつつ 皇大神の御前に魂を清むる神の御子 波切丸に身を任せ果しも知らぬ雲の上 諸人共に進むなり大空渡る此船に 暗礁の艱みのあるべきか如何なる神の計らひか はかりかぬれど皇神の教を伝ふる宣伝使 天降りて守りある上は如何なる曲のさやるべき 神の救ひの船にのり救ひの道を伝へ行く 天地の神の御為に誠を尽す梅公が 今日の難みをみそなはし吾言霊の勢に 天津空より科戸辺の神の伊吹を投げたまひ 湖の睡を醒まさせて海馬は鬣打ち振ひ 海底深く潜みたる竜神たちは立ち上り 激浪怒濤を呼び起し隠れし岩に乗りあげし これの御船を中天に捲き上げ乍ら暗礁の 難より救ひたまへかし仮令海賊幾万の 部下を従へ攻め来とも吾には神の守りあり さはさりながら諸人は不浄の人の混はりて 神の怒りを招くらむあゝ皇神よ皇神よ 吾玉の緒の命をば召させたまふもいとはまじ 諸人等の命をば救はせたまへ惟神 三五教の梅公が一生一度の御願ひ 謹み畏み願ぎまつるあゝ惟神々々 御霊幸倍ましませよ大日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも海はあせなむ世ありとも 皇大神の御為めに珍の御霊を世に照し 千代万代も限りなく現幽神の三界に 出入なして神の子の吾は命を守るべし 召させたまへよ吾身体肉の命は滅ぶとも 御魂の命のある限り神の依さしの神業を 謹み仕へまつるべし救はせたまへ諸人を 浮ばせたまへ此船を』 と声高々と謡ふ折しも、東北の天に一塊の黒雲起り、見る見る拡張して満天の星光を呑み、次いでハルの湖を呑んでしまつた。轟々たる颶風の響き、波濤の音、忽ち波切丸は、木の葉の如く、高まる浪に中空に捲き上げられ、其刹那、船底は暗礁を離れて浪に半呑まれつつ、可なり大きい島影に期せずして運ばれた。浪静かなる風裏の島影に船を浮べてホツと一息する間もなく、忽ち満天拭ふが如く晴れ渡り風凪ぎ浪静まりて、余りの変化の早さに夢かと許り驚かぬはなかつた。 惟神神の伊吹の御恵に 玉の御船は救はれにけり。 吾魂は中空に飛び吾船は 浪の谷間に浮き沈みせり。 真心を籠めて祈りし甲斐ありて 一息つきぬ波切の船。 曲神はいづこを指して逃げにけむ 大海原に影だに見せず。 天を呑み島をも呑みし暗の幕 跡かたもなく晴れし嬉しさ。 百鳥の声も漸く聞えけり 浪の響の治まりてより。 青ざめし人の顔やうやくに みかえし初めし夜の湖かな。 天はさけ地は破れむと怪しみし 荒風浪もおさめます神。 くしびなる神の力を見るにつけ 人の力の小さきを恥づ。 師の君はバルガン城に打ち向ひ メラオンナにて吾待たすらむ。 シャカンメラ鬣振ひ吾船に かみつきし時吾もふるひぬ。 鬣を振つて立てるシャカンメラ 大海原の底に入りけむ。 うたかたの泡と消えたるシャカンメラ 御船を守れ神の国まで 何処ともなく柔しき女の唄ふ声。 ヨリコ姫『ハルの湖往き来の人を悩ませる 曲を払ひし時の嬉しさ。 皇神の珍の力にヨリコ姫 いま初めてぞ人を助けし。 今迄は醜の醜業のみなして 罪を造りし事の悔しさ。 罪深き吾ある故に海の神は いましめ給ふかと驚きてけり。 梅公の珍の司の言霊に 奇の御救ひ現はれにけり。 惟神いざ今日よりは大道に 進まむ身こそ楽しかりけり』 海賊の難を避けむとして誤つて暗礁に乗り上げたる波切丸も、梅公が熱誠を籠めたる祈願と言霊に、神も愍れみたまひしか海浪躍動して固着せる船底を浮け放し、漸く沈没破壊の難を免がれしめ給ひぬ。船長を初め乗客一同は梅公の前に跪いて其神徳を讃め称へ、且つ大神に感謝の誠を捧げた。漸くにして夜はホンノリと明け放れ再び魚鱗の浪を湛へたる蒼味だつた水面を南に南に辷り行く。 (大正一三・一一・二三新一二・一九於教主殿加藤明子録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 05 浪の皷 第五章浪の皷〔一七〇七〕 波切丸の甲板の上にて笑の座が開かれ甲乙二人の問答を聞いて、今迄の悪業を改め三五の道に翻然として帰順したるシーゴーは又もや御霊の土台がグラつき出し、再びもとの山賊に立帰り、飽迄大胆不敵に山賊万能主義を発揮せむかと決心の臍を極め、良心忽ち邪鬼となり、悪魔となり大蛇とならむとせし危機一髪の刹那ヨリコ姫が誡の歌に悔悟し、地獄陥落の危険を免れた。ヨリコ姫はタライの村に開墾事業に従事して居ると思つて居たシーゴーが、いつの間にか波切丸に乗り込み吾傍に在りしを見て怪訝の念に打たれ乍ら言葉静に丹花の唇を開いて稍微笑を泛べながら、 ヨリコ『其方はシーゴーさまぢやないか。タライの村に堅気となつて、開墾事業に従事して居らるるだらうと思つて居たのに、いつの間に其方は吾船に乗り込んで居たのだい』 シーゴー『ハイ、宣伝使一行が、ハルの湖を渡つてバルガン城へお出になると聞き、どうかしてスガの港迄お送りしたいと存じ、先へ廻つて波切丸の船底に身を潜め、蔭ながら御保護の任に当つて居たのです。この湖は沢山の海賊が居ますので、もし途中に御難があつてはと存じ、改心と報恩の為に窃に御同船を願つたので厶います』 ヨリコ『これシーゴーさま、御親切は有難いが、何と云つても猪喰つた犬のヨリコが乗り込んで居る以上大丈夫です。其お心遣ひは御無用にして、一日も早く民衆幸福の為めに開墾事業にかかつて下さい。さうして其方は今二人の船客の話を聞いて、折角黎明に向つた霊を暗黒界へ投げ入れやうとして居たではないか。万一妾が傍に居なかつたなら、其方は再び天地容れざる大悪魔となつて身を滅ぼし来世の地獄を作る所だつたよ。男子は一旦決心した事を翻すものではありませぬよ。些と考へて下さい。私は其方の為に大変に気を揉んで居るのだから』 シーゴー『ハイ有難う厶います。動もすれば押へ付けておいた心の鬼が頭を擡げ出し、「此世の中に神も仏もあるものか。善だとか愛だとか、信仰だとか、誠だとか云ふものは偽善者どもが世の中を誑かる道具に過ぎないのだ。女々しい事を思ふな。今の世の中は弱肉強食、優勝劣敗だ。勝てば官軍負れば賊、強者はいつも善人と呼ばれ弱者は悪人視せらるるのが現代の趨勢だ。何を苦しんで男らしくもない改心などをするのだ。なぜ徹底的に悪を遂行しないか。畢竟善と云ひ悪と云ふのも世の中の一種の標語だ。善も悪も有つたものか」と囁きますので開墾事業などはまどろしくなつて、「矢張り遊んで大親分となつて暮す山賊事業が壮快でもあり、男性的でもあり英雄的でもある」と、時々良心の奴がグラついて来るのです。併し乍ら女帝の御訓戒に依つて漸く危険区域を脱出したやうです。何分悪に慣れた私の事ですからスガの港迄どうぞお伴をさして下さい。さうして其間に宣伝使や貴女の御薫陶を受け快濶に善の為めに活動したいもので厶います』 ヨリコ『アヽそれは善い所へ気がついた。妾も一安心をしましたよ。宣伝使の梅公様がこんな事をお聞になつたならばきつと笑はれるでせう。妾もさう心のグラつくお前さまを今迄使つて居たかと思はれては赤面の至りですからなア』 シーゴーは嬉し涙を腮辺に垂らしながら黙々としてヨリコ姫に向ひ合掌して居る。海の静寂を破つて梅公の口より音吐朗々と独唱する神仏無量寿経が甲板上に響渡つた。 神仏無量寿経 第一神王伊都能売の大神の大威徳と大光明は最尊最貴にして諸神の光明の及ぶ所にあらず。或は神光の百神の世界、或は万神の世界を照明するあり。要するに東方日出の神域を照らし、南西北、四維上下も亦復斯の如し。嗚呼盛なる哉伊都能売と顕現し玉ふ厳瑞二霊の大霊光、是の故に天之御中主大神、大国常立大神、天照皇大御神、伊都能売の大神、弥勒大聖御稜威の神、大本大御神、阿弥陀仏、無礙光如来、超日月光仏と尊称し奉る。 それ蒼生にして斯の神光に遭ふものは、三垢消滅し身意柔軟に歓喜踊躍して、愛善の至心を生ず。三途勤苦の処にありて、斯神の大光明を拝し奉らば、孰も安息を得て、又一つの苦悩無く、生前死後を超越し、坐し乍ら安楽境に身を置き、天国の生涯を送ることを得べし。 斯神の大光明は顕赫にして、宇内諸神諸仏の国土を照明したまひて聞えざることなし。只吾が今其の神光霊明を称へ奉る而己ならず、一切の諸神諸仏、清徒声聞求道者縁覚諸々の宣伝使、諸々の菩薩衆、咸く共に歎称悦服帰順し玉ふこと亦復是の如し。若し蒼生ありて其光明の稜威と洪徳を聞きて日夜称説し信奉して、至心にして断えざれば、心意の願ふ所に随ひて、天国の楽土に復活する事を得べし。諸々の宣伝使、菩薩、清徒声聞の大衆の為に、共に歎誉せられて其の洪徳を称へられ、其然る後に成道内覚を得る時に至り、普く三界十方の諸神諸仏、宣伝使、菩薩の為めに、其の光明を歎称せられむこと亦今の如くなるべし。嗚呼吾伊都能売の大神の神光霊明の巍々として殊妙なることを説かむに昼夜一劫すとも尚未だ尽すこと能はず。爾今の諸天人及び後世の人々、神明仏陀の神教経語を得て当さに熟ら之を思惟し、能く其中に於て心魂を端し、行為を正しうせよ。瑞主聖王、愛善の徳を修して、其下万民を率ひ、転た相神令して、各自ら正しく守り、聖者を尊び、善徳者を敬ひ、仁慈博愛にして、聖語神教を遵奉し、敢て虧負すること無く、当さに度世を求めて、生死衆悪の根源を抜断すべし。当さに天の八衢、三途無限の憂畏苦痛の逆道を離脱すべし。 爾等、是に於て広く愛善の徳本を植え、慈恩を布き、仁恵を施こして、神禁道制を犯すこと無く、忍辱精進にして心魂を帰一し、智慧証覚を以て衆生を教化し、徳を治め、善を行ひ、心魂を浄め、意志を正しうして、斎戒清浄なること一日一夜なれば、則ち無量寿の天国に在りて、愛善の徳を治むること百年なるに勝れり。如何となれば彼の神仏の国土には、無為自然に、皆衆善大徳を積みて毫末の不善不徳だも無ければなり。此に於て善徳を修め信真に住すること十日十夜なれば、天国浄土に於て愛善の徳に住し、信真の光明に浴すること、千年の日月に勝れり。其故如何となれば、天国浄土には善者多く、不善者少なく、智慧証覚に充たされ、造悪の余地存せざればなり。唯自然界、即ち現界のみ悪業多くして、惟神の大道に背反し、勤苦して求欲し、転た相欺き心魂疲れ、形体困み、苦水を呑み、毒泉を汲み、害食を喰ひ、是の如く怱務して、未だ嘗て寧息すること無し。 吾爾等蒼生の悲境苦涯を哀れみ、苦心惨澹誨諭して教へて善道を修めしめ、器に応じて開導し、神教経語を授与するに承用せざることなく、意志の願ふ所に在りて悉皆得道せしむ。聖神仏陀の遊履する所、国邑丘聚化を蒙らざることなし。天下和順し、日月清明、五風十雨、時に順ひ、十愁八歎無く、国土豊にして、民衆安穏なり。兵戈用無く、善徳を崇び、仁恵を興し、努めて礼譲を修む。 吾爾等諸天、及び地上蒼生を哀愍すること父母の如く、愛念旺盛にして無限なり。今吾此の世間に於て、伊都能売の神となり、仏陀と現じ基督と化り、メシヤと成りて、五悪を降下し、五痛を消除し、五焼を絶滅し、善徳を以て、悪逆を改めしめ、生死の苦患を抜除し、五徳を獲せしめ、無為の安息に昇らしめむとす。瑞霊世を去りて後、聖道漸く滅せば、蒼生諂偽にして、復衆悪を為し、五痛五焼還りて前の法の如く久しきを経て、後転た劇烈なる可し。悉く説く可からず。吾は唯衆生一切の為に略して之を言ふのみ。 爾等各善く之を思ひ、転た相教誨し聖神教語を遵奉して敢て犯すこと勿れ。あゝ惟神霊幸倍坐世。 伊都能売の大神謹請再拝 ○ ヨリコ姫もシーゴーも花香も船客一同も襟を正し甲板上に坐り直して、合掌しながら感涙にむせびつつ、梅公宣伝使の読経を恭しく聴聞した。梅公は一同に目礼しながら階段を下り、吾居間に入つて休息した。ヨリコ姫、花香、シーゴーも各自分の船室に入り、ドアーを固く鎖して瞑想に耽つて居る。ヨリコ姫は吾居間にあつて神恩の高きを思ひ、暗黒の淵より黎明の天地に救はれたる歓喜の思ひに満ち乍ら、声も静かに神徳を讃美して居る。其歌、 子 伊都の御霊の大御神出現ませし其日より 早三十年を経たまへり法身光明きはもなく 暗黒世界を照らし給ふ。 丑 愛と信との光明は無明の暗を照らしつつ 一念歓喜し信頼しまつらふ人を天国の 真楽園に生ぜしめ給ふ。 寅 皇大神の霊暉より無碍光威徳洪大の 信と愛とを摂受して瑞の御霊と向上し 菩提の清水を汲ませ給ふ。 卯 愛と善との神徳と虚偽と悪との逆業は 水と氷の如くにて氷多きに水多し 障多きに徳多し。 辰 五濁悪世の万衆の選択神に在しますと 信じまつれば不可称辞不可説不可思議もろもろの 御徳は爾の身に充たむ。 巳 愛と善との大徳と信と真との大慈光 蒙ぶる神の道の子は法悦道に進み入り 安養世界に帰命せむ。 午 生死の苦海は極み無し久永に沈める蒼生は 伊都能売主神の御船のみ吾等を乗せて永遠の 天津御苑へ渡すなり。 未 五六七如来の大作願苦悩の有情を捨ずして 万有愛護の御誓ひ信真光をば主となして 愛善心をば成就せり。 申 五六七如来の神号とそれの光徳智証とは 無明長夜の暗を破し所在一切万衆の 志願を充たせ給ふなり。 酉 吾罪業を信知して瑞霊の教に乗ずれば すなはち汚穢の身は清く全天界に昇往し 法性常楽証せしめ給ふ。 戌 厳瑞慈悲の大海は智愚正邪の波も無し 神の誓ひの御船に乗りて苦界を渉り行く その身は愛風に任せたり。 亥 多生曠劫斯の世まで愛護を受けし此の身なり 厳瑞二霊に真心を捧げ奉りて神徳の 高きを称へ奉るべし。 花香姫は梅公宣伝使の広大無辺なる神格や艶麗にして犯すべからざる神格の備はれる其の容貌の尊さを胸に浮かべながら、神の化身ならずやと憧憬のあまり大神の神徳を讃美した。其歌、 子 暗黒無明の現界を憐れみ玉ひて伊都能売の 神の慈光の極みなく無碍光如来と現はれて 安養世界を建て玉ふ。 丑 伊都能売霊魂の光には歓喜清浄愛と信 充満なして其智証顕神幽に貫徹し 天人地人を息ましむ。 寅 顕神幽の三界の天人及び蒼生は 厳瑞二霊伊都能売の御名に依りて信真の 大光明に喜悦せむ。 卯 金剛不壊的信仰の定まる時を待ち得てぞ 伊都能売御魂の聖霊光普く照護し永遠に 生死を超越させたまふ。 辰 悪と虚偽との逆徳に遮断せられて摂取の 大光明は見えねども愛の全徳幸はひて 常に吾身を照らすなり。 巳 東西両洋の聖師等哀愍摂受を怠らず 愛と信とを世に拡め天下の蒼生隔てなく 信楽境に入らしめよ。 午 救世の聖主に遇ひ難く瑞霊の教聞きがたし 神使の勝法聞くことも稀なりと云ふ暗の世に 聴くは嬉しき伊都能法。 未 三千世界一同に輝く光明畏みて 神の御名とおん教聴き得る人は常永に 不退転位に進むなり。 申 聖名不思議の海水は悪逆無道法謗の 屍体も止めず衆悪の万河一つに帰しぬれば 功徳の潮水に道味あり。 酉 伊都能売御魂の御神徳尽十方無礙なれば 愛と信との海水に煩悩不脱の衆流も 遂に無限の道味あり。 戌 悪と虚偽とに充されし吾等は神にまつろひて 愛と善との徳に居り信と真との光明に 浴して御国に昇り得む。 亥 聖教権仮の方便に万衆久しく止まりて 三界流転の身とぞなる神に信従する身魂は 一乗帰命す天津国。 ○ 俄に湖面は北風徐に起つて白帆を膨らませ、波上をほどほどに辷りだした。舷を打つ浪の音は、御世太平を謡ふ皷の如く、穏かに聞えて来る。恰も救世の御船に乗つて天国浄土の楽園に進むの思ひがあつた。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一三・一二・二新一二・二七於祥雲閣加藤明子録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 06 浮島の怪猫 第六章浮島の怪猫〔一七〇八〕 波切丸は万波洋々たる湖面を、西南を指して、船舷に皷を打ち乍ら、いともゆるやかに進んでゐる。天気清朗にして春の陽気漂ひ、或は白く或は黒く或は赤き翼を拡げた海鳥が、或は百羽、千羽と群をなし、怪しげな声を絞つて中空を翔めぐり、或は波間に悠然として、浮きつ沈みつ、魚を漁つてゐる。アンボイナは七八尺の大翼を拡げて一文字に空中滑走をやつてゐる。其長閑さは天国の楽園に遊ぶの思ひがあつた。前方につき当つたハルの湖水第一の、岩のみを以て築かれた高山がある。国人は此島山を称して浮島の峰と称へてゐる。一名夜光の岩山ともいふ。船は容赦もなく此岩山の一浬許り手前迄進んで来た。船客は何れも此岩島に向つて、一斉に視線を投げ、此島に関する古来の伝説や由緒について、口々に批評を試みてゐる。 甲『皆さま、御覧なさい。前方に雲を凌いで屹立してゐる、あの岩島は、ハルの湖第一の高山で、いろいろの神秘を蔵してゐる霊山ですよ。昔は夜光の岩山と云つて、岩の頂辺に日月の如き光が輝き、月のない夜の航海には燈明台として尊重されたものです。あのスツクと雲を抜出た山容の具合といひ、全山岩を以て固められた金剛不壊の容姿といひ、万古不動の霊山です。此湖水を渡る者は此山を見なくつちや、湖水を渡つたといふ事は出来ないのです』 乙『成程、見れば見る程立派な山ですな。併し乍ら、今でも夜になると、昔と同じやうに光明を放つてゐるのですか』 甲『此湖水をハルの湖といふ位ですもの、暗がなかつたのです。併し乍らだんだん世の中が曇つた勢か、年と共に光がうすらぎ、今では殆んど光らなくなつたのです。そして湖水の中心に聳え立つてゐたのですが、いつの間にやら、其中心から東へ移つて了つたといふ事です。万古不動の岩山も根がないと見えて浮島らしく、余り西風が烈しかつたと見えて、チクチクと中心から東へ寄つたといふ事です』 乙『成程文化は東漸するとかいひますから、文化風が吹いたのでせう。併し日月星辰何れも皆西へ西へと移つて行くのに、あの岩山に限つて、東へ移るとは少し天地の道理に反してゐるぢやありませぬか。浮草のやうに風に従つて浮動する様な島ならば、何程岩で固めてあつても、何時沈没するか知れませぬから、うつかり近寄るこた出来ますまい』 甲『あの山の頂きを御覧なさい。殆んど枯死せむとする様なひねくれた、ちつぽけな樹木が岩の空隙に僅かに命脈を保つてゐるでせう。山高きが故に尊からず、樹木あるを以て尊しとす……とかいつて、何程高い山でも役に立たぬガラクタ岩で固められ、肝心の樹木がなくては、山の山たる資格はありますまい。せめて燈明台にでもなりや、山としての価値も保てるでせうが、大きな面積を占領して、何一つ芸能のない岩山ではサツパリ話になりますまい。それも昔の様に暗夜を照し往来の船を守つて安全に彼岸に達せしむる働きがあるのなれば、岩山も結構ですが、今日となつては最早無用の長物ですな。昔はあの山の頂きに特に目立つて、仁王の如く直立してゐる大岩石を、アケハルの岩と称へ、国の守り神様として、国民が尊敬してゐたのです。それが今日となつては、少しも光がなく、おまけに其岩に、縦に大きなヒビが入つて、何時破壊するか分らないやうになり、今は大黒岩と人が呼んで居ります。世の中は之を見ても、此ままでは続くものではありますまい。天の神様は地に不思議を現はして世の推移をお示しになると云ひますから、之から推考すれば、大黒主の天下も余り長くはありますまいな』 乙『あの岩山には何か猛獣でも棲んでゐるでせうか』 甲『妙な怪物が沢山棲息してゐるといふ事です。そして其動物は足に水かきがあり、水上を自由自在に游泳したり、山を駆け登る事の速さといつたら、丸切り、風船を飛翔したやうなものだ……との事です。昔は日の神月の神二柱が、天上より御降臨になり八百万神を集ひて、日月の如き光明を放ち、此湖水は素より、印度の国一体を照臨し、妖邪の気を払ひ、天下万民を安息せしめ、神様の御神体として、国人があの岩山を尊敬してゐたのですが、追々と世は澆季末法となり、何時しか其光明も光を失ひ、今や全く虎とも狼とも金毛九尾とも大蛇とも形容し難い怪獣が棲息所となつてゐるさうです。それだから吾々人間が、其島に一歩でも踏み入れやうものなら、忽ち狂悪なる怪獣の爪牙にかかつて、血は吸はれ、肉は喰はれ骨は焼かれて亡びると云つて恐がり、誰も寄りつかないのです。風波が悪くつて、もしも船があの岩島にブツかからうものなら、それこそ寂滅為楽、再び生きて還る事は出来ないので、此頃では、秘々とあの島を悪魔島と云つてゐます。併し大きな声でそんな事言はうものなら、怪物が其声を聞付けて、どんなわざをするか分らぬといふ事ですから、誰も彼も憚つて、大黒岩に関する話を口を閉じて安全無事を祈つてゐるのです。あの島がある為に、少し暴風の時は大変な大波を起し、小さい舟は何時も覆没の難に会ふのですからなア。何とかして、天の大きな工匠がやつて来て大鉄槌を振ひ、打砕いて、吾々の安全を守つてくれる、大神将が現はれ相なものですな』 乙『何と、権威のある岩山ぢやありませぬか。つまり此湖面に傲然と突つ立つて、所在島々を睥睨し、こわ持てに持ててゐるのですな』 甲『あの岩山は時々大鳴動を起し、噴煙を吐き散らし、湖面を暗に包んで了ふ事があるのですよ。其噴煙には一種の毒瓦斯が含有してゐますから、其煙に襲はれた者は忽ち禿頭病になり、或は眼病を煩ひ、耳は聞えなくなり、舌は動かなくなるといふ事です。そして肚のすく事、咽喉の渇く事、一通りぢやないさうです。そんな魔風に、折あしく出会した者は可い災難ですよ』 乙『丸つ切り蚰蜒か、蛇蝎の様な恐ろしい厭らしい岩山ですな。なぜ天地の神さまは人民を愛する心より、湖上の大害物を除けて下さらぬのでせうか。あつて益なく、なければ大変、自由自在の航海が出来て便利だのに、世の中は、神様と雖、或程度迄は自由にならないと見えますな』 甲『何事も時節の力ですよ。金輪奈落の地底からつき出てをつたといふ、あの大高の岩山が、僅かの風位に動揺して、東へ東へと流れ移る様になつたのですから、最早其根底はグラついてゐるのでせう。一つレコード破りの大地震でも勃発したら、手もなく、湖底に沈んで了ふでせう。オ、アレアレ御覧なさい。頂上の夫婦岩が、何だか怪しく動き出したぢやありませぬか』 乙『風も吹かないのに、千引の岩が自動するといふ道理もありますまい。舟が動くので岩が動くやうに見えるのでせう』 甲『ナニ、さうではありますまい。舟が動いて岩が動くやうに見えるのなれば、浮島全部が動かねばなりますまい。他に散在してゐる大小無数の島々も、同じ様に動かねばなりますまい。岩山の頂上に限つて動き出すのは、ヤツパリ船の動揺の作用でもなければ、変視幻視の作用でもありますまい。キツと之は何かの前兆でせうよ』 乙『そう承はれば、いかにも動いて居ります。あれあれ、そろそろ夫婦岩が頂きの方から下の方へ向つて歩き初めたぢやありませぬか』 甲『成程妙だ。段々下つて来るぢやありませぬか。岩かと思へば虎が這うてゐる様に見え出して来たぢやありませぬか』 乙『いかにも大虎です哩。アレアレ全山が動揺し出しました。此奴ア沈没でもせうものなら、それ丈水量がまさり、大波が起つて、吾々の船も大変な影響をうけるでせう。危ない事になつて来たものですワイ』 かく話す内、波切丸は浮島の岩山の間近に進んだ。島の周囲は何となく波が高い。虎と見えた岩の変化は磯端に下つて来た。よくよく見れば牛の様な虎猫である。虎猫は波切丸を目をいからして、睨み乍ら、逃げるが如く湖面を渡つて夫婦連れ、西方指して浮きつ沈みつ逃げて行く。俄に浮島は鳴動を始め、前後左右に、全山は揺れて来た。チクリチクリと山の量は小さくなり低くなり、半時許りの内に水面に其影を没して了つた。余り沈没の仕方が漸進的であつたので、恐ろしき荒波も立たず、波切丸を前後左右に動揺する位ですんだ。一同の船客は此光景を眺めて、何れも顔色青ざめ、不思議々々と連呼するのみであつた。此時船底に横臥してゐた梅公宣伝使は船の少しく動揺せしに目を醒まし、ヒヨロリヒヨロリと甲板に上つて来た。さしもに有名な大高の岩山は跡形もなく水泡と消えてゐた。そして船客が口々に陥没の記念所を話してゐる。梅公は船客の一人に向つて、 『風もないのに、大変な波ですな。どつかの島が沈没したのぢやありませぬか』 甲『ハイ、貴方、あの大変事を御覧にならなかつたのですか。随分見物でしたよ。昔から日月の如く光つてゐた頂上の夫婦岩は俄に揺るぎ出し、終いの果には大きな虎となり、磯端へ下つて来た時分には猫となり、波の間を浮きつ沈みつ、西の方へ逃げて行つたと思へば、チクリチクリと島が沈み出し、たうとう無くなつて了ひました。こんな事は昔から見た事はありませぬ。コリヤ何かの天のお知らせでせうかな』 梅『どうも不思議ですな。併し乍ら人間から見れば大変な事のやうですが、宇宙万有を創造し玉うた神様の御目から見れば、吾々が頬に吸ひついた蚊を一匹叩き殺す様なものでせう。併し乍ら吾々は之を見て、自ら戒め、悟らねばなりませぬ』 乙『貴方は何教かの宣伝使様のやうですが、一体全体此世の中は何うなるでせうか。吾々は不安で堪らないのです。つい一時前迄泰然として湖中に聳えてゐた、あの岩山が脆くも湖底に沈没するといふよな不祥な世の中ですからなア』 梅『今日は妖邪の気、国の上下に充ちあふれ、仁義だの、道徳だのと云ふ美風は地を払ひ、悪と虚偽との悪風吹き荒び、世は益々暗黒の淵に沈淪し、聖者は野に隠れ、愚者は高きに上つて国政を私し、善は虐げられ悪は栄えるといふ無道の社会ですから、天地も之に感応して、色々の不思議が勃発するのでせう。今日の人間は何れも堕落の淵に沈み、卑劣心のみ頭を擡げ、有為の人材は生れ来らず、末法常暗の世となり果てゐるのですから、吾々は斎苑の館の神柱、主の神の救世的御神業に奉仕し、天下の暗雲を払ひ、悲哀の淵に沈める蒼生を平安無事なる楽郷に救はむが為に所在艱難辛苦をなめ、天下を遍歴して、神教を伝達してゐるのです。未だ未だ世の中は、之れ位な不思議では治まりませぬよ。茲十年以内には、世界的、又々大戦争が勃発するでせう。今日ウラル教とバラモン教との戦争が始まらむとして居りますが、斯んなことはホンの児戯に等しきもので、世界の将来は、実に戦慄すべき大禍が横たはつて居ります。夫故、吾々は愛善の徳と信真の光に満ち玉ふ大神様の御神諭を拝し、普く天下の万民を救はむが為に、草のしとね、星の夜具、木の根を枕として、天下公共の為に塵身を捧げてゐるのです』 甲『成程承はれば承はる程、今日の世の中は不安の空気が漂うてゐるやうです。今の人間は神仏の洪大無辺なる御威徳を無視し、暴力と圧制とを以つて唯一の武器とする大黒主の前に拝跪渇仰し、世の中に尊き者はハルナの都の大黒主より外にないものだと誤解してゐるのだから、天地の怒に触れて、世の中は一旦破壊さるるのは当然でせう。私はウラル教の信者で厶いますが、第一、教主様からして、……神を信ずるのは科学的でなくては可かない。神秘だとか奇蹟だとかを以て信仰を維持してゐたのは、太古未開の時代の事だ。日進月歩、開明の今日は、そんなゴマカシは世人が受入れない……と言つてゐらつしやるのですもの、丸切り神様を科学扱ひにし、御神体を分析解剖して、色々の批評を下すといふ極悪世界ですもの。斯んな世の中が出て来るのは寧ろ当然でせう。貴方は何教の宣伝使で厶いますか。神様に対する御感想を承はりたいもので厶いますな』 梅『最前も申上げた通り、斎苑の館の大神様は三五教を御開きになつたのです。そして私は同教の宣伝使照国別様といふ御方の従者となつて、宣伝の旅に立つたもので厶います。それ故貴方等のお尋ねに対し、立派な答は到底出来ませぬ。併し乍ら神様は昔の人のいつた様に、超然として人間を離れた者ではありませぬ。神人合一の境に入つて始めて、神の神たり、人の人たる働きが出来得るのです。故に三五教にては、人は神の子神の宮と称へ、舎身的大活動を、天下万民の為にやつてゐるのです』 甲『何か御教示について、極簡単明瞭に、神と人との関係を解らして頂く事は出来ますまいか』 梅『ハイ、私にもまだ修業が未熟なので、判然した事は申上げ兼ますが、吾宣伝使の君から教はつた一つの格言が厶いますから、之を貴方にお聞かせ致しませう。 神力と人力 一、宇宙の本源は活動力にして即ち神なり。 一、万物は活動力の発現にして神の断片なり。 一、人は活動力の主体、天地経綸の司宰者なり。活動力は洪大無辺にして宗教、政治、哲学、倫理、教育、科学、法律等の源泉なり。 一、人は神の子神の生宮なり。而して又神と成り得るものなり。 一、人は神にしあれば神に習ひて能く活動し、自己を信じ、他人を信じ、依頼心を起す可らず。 一、世界人類の平和と幸福の為に苦難を意とせず、真理の為に活躍し実行するものは神なり。 一、神は万物普遍の活霊にして、人は神業経綸の主体なり。霊体一致して茲に無限無極の権威を発揮し、万世の基本を樹立す』 甲『イヤ有難う。御教示を聞いて地獄から極楽浄土へ転住したやうな法悦に咽びました。成程人間は神様の分派で、いはば小なる神で厶いますなア。今迄ウラル教で称へてをりました教理に比ぶれば、其内容に於て、其尊さに於て、真理の徹底したる点に於て、天地霄壌の差が厶います。私はスガの港の小さい商人で厶いますが、宅にはウラル彦の神様を奉斎してをります。併し乍ら之は祖先以来伝統的に祀つてゐるので、言はば葬式などの便利上、ウラル教徒となつてゐるのに過ぎませぬ。既成宗教は已に命脈を失ひ、只其残骸を止むるのみ。吾々人民は信仰に飢渇き、精神の道に放浪し、一日として、此世を安心に送る事が出来なかつたのです。旧道徳は既に已に世にすたれて、新道徳も起らず、又偉大なる新宗教も勃起せないと云つて、日夜悔んで居りましたが、かやうな崇高な偉大な真宗教が起つてゐるとは、夢にも知らなかつたのです。計らずも波切丸の船中に於て、かかる尊き神様のお使に巡り会ひ、起死回生の御神教を聞かして頂くとは、何たる、私は幸福で厶いませう。私の宅は、誠に手狭で厶いますが、スガの港のイルクと云つて、多少遠近に名を知られた小商人で厶います。どうか、私の宅へも蓮歩を枉げ下さいまして、家族一同に、尊き教をお授け下さいます様にお願ひ致します。そして私は此結構な御神徳を独占せず、力のあらむ限り、万民に神徳を宣伝さして頂く考へで厶いますから、何卒宜しくお願ひ申上げます』 梅公『実に結構なる貴方の御心掛、之も大慈大悲の大神様の御引合せで厶いませう。之を御縁に、私もスガの港へ船がつきましたら、貴方のお宅へ立よらして頂きませう。 思ひきや神の仕組の真人は 御船の中にもくばりあるとは。 此船は神の救ひの船ぞかし 世の荒波を分けつつ進めり』 (大正一三・一二・二新一二・二七於祥雲閣松村真澄録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 10 スガの長者 第一〇章スガの長者〔一七一二〕 港の家々の点燈は湖水に映り、恰も不夜城の如くにみえた。天空冴え渡り、星光きらめき亘つて、えも云はれぬ清新の空気が漂うた。数百人の乗客は先を争うて棧橋を渡り、各家路に帰る者、宿を求めて行く者、一時は非常な雑鬧を極めた。梅公一行は今や船をおりむとする時、船長のアリーはあわただしく梅公司の前に跪き、熱い涙を流し乍ら、 アリー『宣伝使様、思はぬ御縁によりまして、天国の福音を聞かして頂き、又日頃の妄執もサラリと晴れました。之よりは父の仇を報ずる代りに、往来の人を吾子の如くに愛護し、善一筋に立返ります。どうか私たちの身の上に平和と喜びの幸あらむ事をお守り下さいませ。此船が無ければ、私は何処迄もお伴が願いたいので厶いますが、今日の事情許しませぬから、残念乍らお別れ申します。どうぞ途中無事に神業成就して、斎苑の館へ凱旋遊ばすやう、私も朝夕お祈り致して居ります。次にダリヤさま、イルクさま、私は今迄あなたの家庭を仇敵として附け狙つてをりましたが、最早今日となつては三五の神風に吹き払はれ、心中一点の塵も止めない清浄無垢の霊身に立返つたやうな精神が致します。恨み、妬みも憤怒の念も厶いませぬから、どうぞ御安心下さいませ。そしてダリヤさまは私と同じ母の胎内より生れた、いはば私の妹も同様ですから、どうか今後は親しく御交際を願ひたう厶います。お父さまにも宜しく仰有つて下さいませ』 イルク『何事も因縁事で厶いませう。私も今の貴方のお言葉を聞いて安心致しました。実の所は、今迄貴方が私の父を附狙つてゐられるといふ事を、方々の人々から内聞致しまして、内々心配してゐた所で厶いますが、最早其お言葉を聞く上は、私も此世の中が広くなつたやうな心持が致します。ダリヤに対して貴方は兄上さま、又私もダリヤに対しては兄で厶いますから、どうか三人兄妹となつて、仲能う神様の恵に抱かれて、世の中を渡らうぢや厶いませぬか』 アリ『ハイ有難う厶います。こんな嬉しい事は、生れてから一度も味はつた事は厶いませぬ。どうか親子兄妹仲よう暮らして下さいませ。時にダリヤさま、私は月に一回づつ此港へ参りますから、又どうぞ遊びに来て下さい』 ダリ『ハイ、有難う厶います。貴方も此港へお着きになつたならば、キツト私の宅をお訪ね下さいませ。私は本当の兄さまのやうに存じて居りますから』 アリー『有難し皇大神の御恵に 日頃の胸の雲霧はれぬる』 ダリヤ『一度は恐はしと思ひ一度は 恋しと思ひし人に別るる。 恋雲も吾兄上と聞きしより 拭ふが如く晴れにける哉』 アリー『胤違ひ吾妹と知り乍ら 恋のきづなに縛られにける。 あゝされど神の教の畏ければ 道ならぬ道行くすべもなし』 梅公『大空の星冴えわたり両人が きよき心を照りあかしぬる』 ヨリコ姫『いざさらばアリーの君に別れなむ 安くましませ湖の浪路を』 アリー『ヨリコ姫珍の言霊おだやかに 吾魂を打ぬきにける』 花香姫『惟神厳の道芝ふみしより いとさまざまの色をみる哉』 かく互に別れの歌を歌ひ乍ら、軒燈輝くスガの港の市中をイルクが館を指して、宣伝歌を歌ひ乍ら進み行く。 スガの港の百万長者と聞えたるアリスの館は広大なる土塀をめぐらし、数十棟の麗しき邸宅や倉庫が建並び、天を封じて鬱蒼たる庭木が彼方此方に立並び、自然の森をなしてゐた。表門には二人の門番が若主人や姫君の帰宅なきに心を痛め、酒を呑み乍ら小声に囁いてゐる。 甲(カル)『オイ、アル、嬢様は今日で半月許りになるのに、未だお帰りにならないが、一体何うなさつたのだらう。離れ島へ御遊覧の帰り路に海賊にさらはれ遊ばしたきり、何の音沙汰もないのだから、親旦那も此頃の御心配相な顔と云つたら、見るもお気の毒のやうだ。それに若旦那は又十日前から、お嬢さまの行方を探して来ると云つて行かれたきり、之も何の音沙汰もないぢやないか。丸で木乃伊取りが木乃伊になつたやうなものだなア』 アル『何と云つても、目付役が無能だからね。まして海賊に捉はれたなんて云はうものなら、真青な顔をして慄うてゐるのだから、たまつたものだないワ。鼠取らぬ猫は飼うとく必要はないのだけれどなア』 カル『本当に汝のいふ通りだよ。去年の春だつたが、此珍館へ泥棒が忍び込んだ時、俺が一目散に目付役へ飛込んで、目付役に、今泥棒が這入つてゐますから、今すぐに来てしばつて下さいと云つたら、目付役の奴、真青の面しやがつて、地震の孫のやうにビリビリとふるうて斗りゐやがつて、早速に出て来ようとしやがらぬ。そこに七八人の部下の目付がコクリコクリと夜舟をこいでいたが、俺が泥棒が入つたといふ声を聞いて、ビツクリ目をさまし、梟のよな目をさらし、泥棒の人相はどうだ、何人連れか、年はいくつ位だ、どこから入つたか、着物の縞柄はどうだ、男か女か、老人か子供か、跛か眼つかちかなど聞かいでもよいことを聞きやがつて、グヅグヅ時間をのばし、可いかげん泥棒が帰つた頃、ブリキをちやらつかせてやつて来ようと云ふ算段だ。案の定、帰つて来ると、泥棒がグツスリ仕事をして帰つて了つた跡だつた。本当に盲目付の状態だ。到底吾々はこんな泥棒の蔓延する世の中に、安心して暮すこた出来ないワ、目付といふ者は間に合はぬ者だね』 アル『それもさうだらうかい。僅な月給を貰つて、夜も昼もこき使はれ、命がけの仕事をせいと言はれちや、誰だつて尻込みするよ。目付になる奴ア、何奴も此奴も社会の落伍者斗りだからな。チツト斗り気骨のある者なら、誰がそんなつまらぬ役を勤めるものかい、小学校の教員には学が足らずしてなれず、商売せうにも資本はなし、働くのは厭なり、つまり堕落書生上りが食はむが悲しさに奉職してゐるのだから、チツタ、大目に見てやらねばなろまいよ』 カル『併し、目付は月給が安いから、先づ大目にみるとした所で、目付頭の奴、エラ相に大将面をさげて居り乍ら、泥棒と聞いて、腰を抜かさん計りに驚くのだから恐入るぢやないか。今時の役者にロクな奴が有相なこたないけれど、人民保護の任にある目付役がこんなザマでは、天下は益々紛乱する斗りだ。呑舟の魚は法網を破つて逃れ、小魚やモロコは皆ふん縛られて獄中に呻吟してゐる世の中だから、到底お規定を便りに、吾々は安閑と暮す訳には行かぬ。自守団でも組織して自ら守るより途はないだないか』 などと目付役の悪口をついてゐる。そこへイルク、ダリヤの兄妹は宣伝使に送られて悠々と帰つて来た。アル、カルの両人は夢かと許り狂喜し乍ら、 アル『これはこれは、若旦那様、お嬢さま、待かねまして厶います』 カル『マアマアマア無事で能う帰つて下さいました。これで私達も睾丸のしわが伸びました。親旦那様のお顔のしわも今日からのんびりとする事で厶いませう。ヤ、沢山なお連さまで厶いますな』 イルク『さぞお父さまが待つてゐられただらうな。サア早く案内してくれ。イヤ、お父さまに二人が無事に帰つたと申上げてくれ。其間に足でも洗つてゐるから』 『ハイ畏まりました』とカルを門に残しおき、アルはアリスの居間に急ぎかけ込んだ。主人のアリスは奥の一間にウラル彦の神を念じ終り、煙草をくゆらし乍ら、首を傾け、独り言をいつてゐる。 アリス『あゝ私程型の悪い者が世にあらうか。親代々から沢山な財産は譲られて、生活上の困難は少しも感じないが、肝腎の女房はイルクを生んだまま、産後の肥立悪く、冥土黄泉の客となり、三年が間空閨を守つて妻の菩提を弔うてゐた。思ひまはせば吾家へ古くより出入する売薬行商人の女房が自分の亡くなつた妻に其容貌そつくりなので、忽ち煩悩の犬に逐はれ、道ならぬこととは知り乍ら、女房の側へ主人の不在を考へて、幾度となく言いよつてみたが、どうしても頑として応じてくれぬ。恋の炎は吾身をこがさん計りに燃え立つて、到底こばり切れないので、無理と知りつつ彼の女房アンナを手だてを以て、吾館へ引張り込み、倉の中へ閉ぢこめておいて、無理往生に女房となし、遂に妹のダリヤを生んだが、又もやアンナは先妻と同様産後の肥立が悪く、先妻の命日に亡くなつて了つた。そして彼の夫は女房を捕られたのが残念さに、ハルの湖水に身を投げて死んで了つた、思へば思へば自分の運の悪いのも天の為す業であらう。杖とも力とも柱とも頼む二人の愛児は、又もや行方不明となり、只一人巨万の富を抱へて、此世に残つてゐても、何一つの楽みもなく、それだと云つて、死ぬにも死なれず、現世に於て犯した罪の報ひによつて、死後は必ず地獄のドン底に落されるだらう。それを思へば淋し乍らも、一日でも此世に永らへて居りたいやうな気もする。あゝ何うしたら、此苦患から逃れる事が出来るだらう。ウラル彦の神様を念じ乍ら、心の底を神様に見透かされるやうな気がして何だか恐ろしいやうだ。神様の前へ出るのでさへもオヅオヅして来る。あゝ淋しい事だ。最早二人の吾子は、無事に帰つて来る気遣ひはあるまい。あゝ何うしたら可からうかなア』 と首をうな垂れて、悔み涙にくれてゐた。そこへ門番のアルが慌ただしく、ニコニコとして現はれ来り、 アル『大旦那様、お喜びなさいませ。お二人様が無事お帰りになりました』 アリス『ナニ、二人が帰つたか。そしてどちらも機嫌ようしてゐるか』 アル『ハイ、シヤンシヤンしてゐられますよ。何だか四人許りお伴れがあるやうで厶います。詳しいことは存じませぬが、若旦那様もお嬢様も、あの方々に助けられてお帰りになつたのぢやなからうかと思ひます。今お足を洗つてゐられますから、軈てここへお出でになりませう』 アリス『それは何より嬉しい事だ。私は之からウラルの神様へ御礼を申上げるから、お前たちは番頭や下女にさう云つて呉れ。早く夕飯の用意をせよ』 アル『ハイ、畏まりました。左様ならば旦那様』 と云ひ乍ら、勝手元をさして急ぎ行く。アリスは神殿に向ひ感謝の祝詞を奏上してゐる。 アリス『天地万有の大司宰神たるウラル彦の大神の御前に、スガの里の薬屋の主人、アリス謹み敬ひ、感謝の辞を捧げます。日に夜に罪悪を重ね来りし、悪魔に等しき吾々が身魂をも見すて給はず、最愛なる吾倅、吾娘を安全無事に、吾家に帰させ給ひし、其広き厚き御恩徳を、有難く感謝致します。今日迄、吾身は貪瞋痴の三毒にあてられ、五逆十悪の巷に迷ひ、人の貧苦困窮を意に介せず、利己一片の利に走り、大神の御子たる数多の人民を苦めまつり、加ふるに人の妻女を奪ひ、悪逆無道の限を尽して参りました。極重悪人の私をも見すて給はず、御恵み下さいました其広大無辺の御仁慈に対し、感謝にたへませぬ。あゝ神様、私は今日より前非を悔改め、祖先より伝はりし一切の財産をあなたに奉り、スガ山の山元に清浄の地を選み、荘厳なる社殿を営み、吾罪悪の万分一をつぐない、来世の冥福を与へられむ事を祈り奉ります。どうか吾願を平けく安らけく、相うべなひ下さいまして、子孫永久に立栄え、大神の御恩徳に永久に浴し得る様、御守護あらむ事を、ひとへに願ひ奉ります。惟神霊幸倍ませ』 と悔悟の涙をこぼし乍ら、感謝と哀願の祈願をこめてゐる。そこへ兄のイルクを先頭にダリヤ姫、梅公、ヨリコ姫、花香姫、シーゴーの六人連れ、悠々として這入つて来た。 アリス『ヤ、其方は倅か、……娘か、能うマア無事で帰つて来た。父はここ半月の間、夜の目もロクに寝ず、神様におすがり申してゐた。其おかげで、今日はお前達の無事な顔を見ることを得たのだ。モウ私はこれつきり、此世を去つても心残りはない。……何れの方かは知りませぬがよくマア吾子を送つて来て下さいました。謹んでお礼を申上げます』 梅公『始めてお目にかかります、私は三五教の宣伝使のお伴に仕へる梅公と申す者で厶いますが、波切丸の船中に於て、イルクさまと眤懇になり、一夜の宿を御無心にあがりました。どうか宜しうお願致します』 アリス『それは能うこそお出下さいました。御存じの通り、茅屋で厶いますが、家は広う厶いますから、幾人さまたり共お泊り下さいませ』 ダリヤ『お父様、此神司様に妾は助けて頂いたのですよ。此方の御神徳に仍つて、妾は危い所を助けられたやうなものですから、どうぞお礼を申して下さい。それから、此奇麗なお方は、宣伝使様のお伴で、ヨリコ姫さま花香姫さまといふお方で厶います。又白髪のお方はシーゴー様といふ俄道心様で厶いますが、本当に心意気のよい方ですから、無事に吾家へ帰られた喜びを兼ね、家の祈祷をして頂かうと思つて、お伴したので厶います』 アリス『それはそれは、何れも方様、ようこそお越し下さいました。サアどうぞ、くつろいで下さいませ。御遠慮は少しもいりませぬから』 梅公『ハイ有難う厶います。お言葉に従ひ、性来の気儘者、自由にさして頂きます。サア皆さま、御主人のお許しが出たのだから、体の疲れを癒する為横におなりなさい』 ダリヤ『お父さま、此方々は本当の活神様ですから、粗忽があつては可けませぬ。どうぞ私にお世話を任して下さいませぬか』 アリス『よしよし、私もお前達の帰つたのを見て、俄に体がガツカリと草労て来たやうだ。皆さまに失礼だけれど、離室へ行つてゆつくり休まして頂くから、手落のないやう、御無礼のないやう、おもてなしをしておくれや』 と云ひ乍ら、エビの様に曲つた腰を右の掌で二つ三つ打ち乍ら、 アリス『皆様、左様なら、失礼致します』 と一言を残し、離室の座敷に身をかくした。此時南方の空に向つて鬧の声が聞えて来た。梅公はヨリコ姫と共に庭先に立出で、音する方を眺むれば、大空は大変な雲焼がしてゐる。之れはバルガン城へ大足別将軍の軍隊が攻め入つて、市街を焼払うた大火焔が、空の色を染てゐたのである。 (大正一三・一二・二新一二・二七於祥雲閣松村真澄録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 15 貂心暴 第一五章貂心暴〔一七一七〕 一方バルギーは沢山の部下に酒肴及美食を与へ『今日は奥様の十年祭だから、遠慮会釈もなく呑め喰へ』と命令しおき、コルトンと共にシャカンナの居間に細長い干瓢頭をニユツと突き出した。 バルギー『エー親方様、室外にて承はれば、今晩は最早読経は御廃しになるとの事、……英雄と英雄との会合が何よりの御回向になる……と仰せられたのを承はり、部下に用意の酒肴を与へておきました。大変な御機嫌で厶いますな』 シャカンナ『ウーン、今日はどこ共なく天気も好し、気分の好い日だ。コルトン、汝の骨折で、俺の片腕を拾つて来てくれたやうなものだ。ヤ、感謝する。マア一杯やれ』 コルトン『エー、親方様、合点のいかぬ事仰有いますな。何時も貴方はコルトンは右の腕、バルギーは左の腕と仰有いましたが、此修験者が片腕とならば、一体どうなるので厶います。三本の腕は根つから必要ないやうに考へますがな』 シヤ『ウーン、それで可いのだ。コルトン、バルギー二人を合して左の腕とする、そして此天真坊殿を右の腕とするのだ。之から、さう心得たが可からうぞ』 コル『ハイ、仕方がありませぬ。のうバルギー、それで辛抱せうかな』 バル『ウーン、到頭二つ一だ。随分相場が下落したものぢやないか。早晩こんな事が突発すると思うてゐたのだ。汝が仕様もない修験者を引張つてくるものだから、こんな破目になつたのだ。エー、沢山の乾児に対し、俺は今日から半人前になつたなどと、何うしていはれるものか。狼のやうな連中を、親分の片腕といひ、威喝して、漸く治めて来たのだのに、半片腕となつちや部下の統制も出来まい。あーあ仕方がないなア』 玄『ワツハヽヽヽヽ、オイ、コルトン、バルギー、何といふ情ない面をするんだいエヽン。よく考へてみろ、天帝の化身、天来の救世主と、仮令半分にもせよ、肩を並べるといふ事は汝達にとつては、無上の光栄ぢやないか。何だ其不足相な面は……丸切り梟鳥が夜食に外れたといはうか、折角苦心して盗んで来た松魚節を犬に取られた猫のやうにつまらぬ面付して半泣きになつてるぢやないか。チツとしつかりせぬかい。そんな腰抜を友達に持つたと思へば、俺も泣きたくなつて来るワイ。ウツフヽヽヽ、情ない顔だのう。それでも元の通りになるだらうか。耆婆扁鵲でも頼んで来ねば、快復は到底覚束ないだらう。俺の診察する所に依れば、予後不良だ。瀕死の重病だ、アハヽヽヽ』 シャ『オイ、お前達、兄弟喧嘩はみつともないぞ。兎も角俺に免じて仲能うしてくれ。少々の不平や不満は隠忍するが、俺に対する忠義だ。俺の云ふ事なら、何でも聞きますと、いつも云つてるぢやないか。自分の都合の好い事は二つ返詞で早速聞くなり、チツと許り面白くないと云つて、そんな怪体な面をするものぢやない。余り肝玉が小さうすぎるぢやないか。それよりも玄真殿のつらつて来た棚機姫様の柔かいお手々でお酌でもして貰つて、機嫌を直したら可からう』 コル『エ、何と親方仰せられます。こんな奇麗なお方に……酒をついで貰つて呑め……と仰有るのですか、ヤ、有難い。流石は親分だ。気が利いてる。のうバルギー、こんな事があるから、親分には放れられないといふのだ、エヘヽヽヽ』 バル『オイ、コルトン、みつともないぞ。何だ、汝の口から光つた糸のやうなものが、下つてゐるぢやないか。たぐれたぐれ』 コル『ナアニ、コリヤ棚機姫様が錦の御機をお織遊ばす玉の糸だ。粘液性に富み、そして光沢が鮮かだらう、イツヒヽヽヽ』 玄『オイ、コルトン、バルギー、今日から俺は天帝の化身、玄真坊の頭尾を取つて、天真坊と改名したのだから、今後は天真坊様と呼んでくれよ。其代りに、天真爛漫たる棚機姫さまの柔かいお手々で、お酒のお給仕を、今日一席に限り、許してやらう。どうぢや有難いか』 コル『さう恩にきせられると、根つから有難くもありませぬワ。のうオイ、バルギー、余り勿体なくて目が潰れると困るから、男らしく平に御免を蒙らうぢやないか』 バル『俺や、何と云つても有難いワ。盃に一滴でも可いから注いで貰ひたいな。キツとこんな女神様に酒をついで貰ふと、其徳にあやかつて出世するよ。そしてこんな美しい女房が持てるかも知れないからな』 コル『ヘン仰有います哩。反古の紙撚で編あげた羅漢のやうな面しやがつて、美人の女房も午蒡もあつたものかい。チツと汝の面と相談したら可からうぞ、ウツフヽヽヽ』 女(ダリヤ)『もし、天帝の御化身様、貴方は妾がスガの山に参拝致しました時、天から降つたと仰有いまして、……お前の母は決して死んでゐない。生きて居るから会はしてやらう……と仰有つたぢや厶いませぬか。それを誠と信じ、此処迄お伴をして参りましたのに……泥棒の酒の酌をせよ……とはお情ないお言葉では厶いませぬか。そして貴方は最前から聞いてをれば、此世を許る悪魔の玄真坊さまとやら、オーラ山に立籠り数多の人間をゴマ化して厶つた太いお方のやうです。私はモウ愛想がつきましたからモウ御免を蒙つて独りで帰ります。どうぞこれ迄の御縁と思ひ諦め下さいませ。貴方の素性が判つた以上は、半時だつて側にをれませぬ。そして皆様に申上げておきますが、只今、玄真坊様に……これ迄の御縁と思ひ諦めて下さい……と云つたのは、決して怪しい関係のある意味では厶いませぬ。スガの山から此処迄連れて来られた事を云ふので厶いますからね。一樹の影の雨宿り、一河の流れを汲むさへも他生の縁といひませう。どうか、誤解のないやうに御賢察を願ひます、ホヽヽヽヽ。アタ阿呆らしい、妾は何といふ馬鹿だらう。こんな売僧坊主に誘惑されて、自分で自分に愛想がつきて来た。左様なら。皆さま、ゆつくり御酒でもおあがりなさい』 とツツと立つて帰らうとする。玄真坊は毛だらけの猿臂を伸ばし、グツと力を入れて女の首筋を掴み、其場に捻伏せ乍ら、川瀬の乱杭の様な歯を見せ、大口を開いて、 玄『アハヽヽヽ、ても扨も可い頓馬だなア。此玄真坊様の舌三寸に操られ、こんな岩窟までおびき出されたのは、其方の不覚だ。モウ斯うなる以上は、何程帰らうと云つても帰すものか。お前を此処へ連れて来たのは深い企みのある事だ。因果を定めて服従した方が其方の身の為だらう。ても扨も可愛ものだなア』 女(ダリヤ)『エー、汚らはしい、悪魔の口から可愛い者だなどと、そんな同情的な悪言はやめて下さい。妾は憚り乍ら、スガの港の百万長者アリスの娘、ダリヤ姫で厶いますよ。吾家へ帰れば何不自由なく安心にゆけるものを、何を苦んでこんな不便な土地へ参り、イケ好かない売僧坊主のお前に従ふやうな馬鹿な事は致しませぬから、思ひ切つて、男らしう私を帰らして下さい』 玄『さう片意地を張るものぢやない。人間は浮沈み七度と云つて、いろいろの波風に当らねば、人生の真の幸福は味はへないものだ。何程百万長者の娘でも、一日に一斗の米を食ふ訳にもいかず、着物の十枚も二十枚も着る訳にはゆこうまい。お前の宅に居つても此処に居つても、食ふ丈のことは食はしてやる。決して不自由はさせぬ。どうだ、出家に肌を触るれば、子孫七代繁栄するといふぢやないか。その上、七代前の先祖迄が地獄の苦を逃れ極楽浄土へ登ると云ふ功徳がある。能く祖先や子孫の幸福を思つて、俺の言ひ条につくが、アリス家の為だらうよ。どうだ、合点が行つたか。目から鼻へ突き抜けるやうな賢いお前の事だから、キツと俺の行ふ事が分つただらうなア』 ダリヤ『エー汚らはしい、能うそんな事を仰有いますな。貴方は山賊の親分と結託し、オーラ山の焼直しをやるお考へでせう。そんな危ない事はおよしなさいませ。今度はお命が亡くなりますよ』 玄『アハヽヽヽ、お前の為に命の亡くなるのは本望だ。一層の事お前の其優しい手で殺して欲しい。コレ、ダリヤ、これだけ思ひ込んだ男、さう無下に振り払ふものぢやない。男冥加に尽きるぞよ』 ダリ『エヽ何なつと仰有いませ、私は知りませぬ。此上貴方に対し言葉をかはしませぬ』 玄『エ、さてもさても渋太い女だなア』 コル『アハヽヽヽ、天帝の御化身様も女にかけたら脆いものだな。オイ、バルギー、こんなデレ助と兄弟分になるとは、余り有難すぎるぢやないか。親分も親分だ。どこに見込があるのかな』 バル『久米の仙人でさへも、女の白い腿をみて通力を失ひ、天からおちたと云ふぢやないか。何程天帝の御化身だつて、こんな美しいシャンの面を見りや、堕落するのは当然だよ、ウフヽヽヽ』 シャ『オイ、コルトン、バルギー、酒を注いでくれ。何だか天真様のチンチン喧嘩で、座が白けたやうだ。一杯呑んで大に踊つてくれないか』 コル『ハイ、已に已に胸が踊つて居ります。そして此天帝の化身さまは、棚機姫さまに余程おどつて居りますね。いな劣つてゐるぢやありませぬか』 シャ『オイ、いらぬ事をいふな。天真坊様の御機嫌を損ねちや大変だぞ』 玄『オイ、シャカンナ殿、こんな小童武者は相手にしなさるな。男が下るから……』 コル『ヘン男が下るのは玄真さまぢやないか。俺達の前で、タカが女の一疋や半疋に肱鉄をかまされ、赤恥をかかされ、シヤアつく洒蛙々々然として蛙の面に水、馬耳東風宜しくといふ、鉄面皮だからなア。男のさがることも、恥かしい事もお判りならないのだらう』 バル『そらさうだとも、恥といふ事を知らぬ者に恥かしいといふ観念が有るものか、人間もここ迄徹底すれば、結句面白いだらう、ウツフヽヽヽ』 ダリヤは因果を定めたか、平然として機嫌を直し、シャカンナや玄真坊に愛嬌をふりまき乍ら、酌をして居る。玄真坊は心の中にて、 玄真坊『ヤア占た、ヤツパリ俺は色男だ。ダリヤの奴、人中だと思つて、ワザとにあんな事を吐してゐやがつたのだな。ウンよしよし、ダリヤが其心なら、俺も之から特別大切にしてやらう。愛はすべて相対的だから、何程此方が愛してやらうと思つても、先方が其愛を受けないと何うする事も出来ない。ヤア願望成就だ』 と思はず知らず小声で口走つた。ダリヤは之を聞いて、『ホヽヽヽ』と小さく笑ひ、せつせと四人の男に酒注ぎをやつてゐる。玄真坊は得意然として歌ひ出した。 玄『世の中に酒より大事の物はない 酒より大事の物があるそれは何よと尋ぬれば 花の顔容月の眉天女のやうなダリヤ姫 天の矛鉾を回転しウマンマ之れの山奥に おびき出したる吾手柄鬼神もさぞや驚かむ 呑めよ騒げよ一寸先や暗よ暗の後には月が出る 月より花より雪よりも一層綺麗な此シャンは 玄真さまの宿の妻思へば思へば有難い 之を思へば人間は完全無欠の大知識 甘く活用せにやならぬ智慧と言葉の余徳にて 棚機姫にもまがふなる姿の優しいダリヤさま タニグク山の山麓に岩窟を構へしシャカンナの 珍の御殿に現はれて鈴のやうなる声絞り 愛嬌たつぷりふり蒔いてお酌をなさる手際よさ 姫のたたむき眺むれば象牙細工のやうな艶 爪の色をば調ぶれば瑪瑙のやうな光り方 こんな美人が又と世に二人とあらうかあらうまい ホンに吾身は何としてこんな幸福が見舞ふのか 昔の昔の神代から善をば助け悪人を 戒め来りし余徳だらうこんなナイスと添ふからは ヤツパリ俺の魂も万更すてたものでない 昔の神代は天国の尊き神の御身魂 澆季末法の世を憂ひ神の命令を畏みて 此地の上に降臨し衆生済度を励むべく 命をうけたる御魂だらうあゝ惟神々々 吾れは神なり彼れも神神と神との睦び合 よき日よき時相えらびシャカンナさまの仲介で 天の御柱めぐり合ひ山川草木生み並べ 尊き神の子大空の星の数程産みおとし いよいよ誠の救ひ主生神様とあがめられ 此世に永久の命をば保ちて世人を救ひ行く 誠の神となつてみようシャカンナさまの企てを 之から夫婦が相助け悪人輩を平げて タラハン国の災を科戸の風に吹払ひ 天晴真の生神と天地と共に芳名を 千代万代に照すべしあゝ惟神々々 嬉しい事になつて来た之も梵天自在天 ウラルの神や八百万神々様の御恵み ホンに嬉しい頼もしいダリヤの姫の玉の手に 首をまかれてスヤスヤと白川夜舟の旅をなし 忽ち天国浄土の空へ一夜の中に参りませう コルトン、バルギー両人よこんな所を見せられて さぞやさぞさぞお心がもめるであらうが辛抱せよ やがてお前も時来れば目鼻のついた女房を 俺が世話してやる程に末の末をば楽んで キツと悋気をしてくれなダリヤは俺の女房だ 夢にも秋波を送るなよあゝ惟神々々 皇大神の御前に天真坊が真心を 捧げまつつて両人がダリヤの色香に迷はぬやう 御守り下さる其由を偏に願ひ奉る 偏に願ひ奉る』 シャ『アハヽヽヽ、イヤもう偉い所をみせつけられ、此爺も二十年計り気が若くなつて来た。天真坊殿の御得意思ふべしだな、アハヽヽヽ』 玄『エヘヽヽヽ、なア、ダリヤ、イヒヽヽヽ』 ダリ『……………』 コル『ヘン、馬鹿にしてゐやがる。俺だつて、さう軽蔑したものぢやないワ。おつつけ、立派な女房をどつかで掠奪して来て、天真坊さまの御目の前にブラつかして見せてやるワイ。のうバルギー、さうなとしなくちや、俺達の面が丸潰れだからな』 バル『フン、フン』 ダリ『ハルの湖酒の嵐の吹きあれて 醜の荒波立さわぐかな』 シャ『うるはしきダリヤの花は山風に 吹かれて遂に打靡きける』 玄『月も日もよりて仕ふる吾れなれば ダリヤの姫の慕ふも宜よ。エヘヽヽヽ』 (大正一三・一二・三新一二・二八於祥雲閣松村真澄録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 20 曲津の陋呵 第二〇章曲津の陋呵〔一七二二〕 タラハン城内カラピン王の御前に左守右守を初めとし、数多の重臣が薬鑵頭に湯気を立て太子が知らぬ間に殿内より姿を隠し、踪跡をくらました大椿事につき、いろいろと干からびた頭から下らぬ智慧を絞り出して小田原評定が初まつて居る。 カラピン王『時に左守殿、日頃憂鬱に沈んだ吾太子は今日で三日になつても、まだ帰つて来ないのは、どうしたものだらう。何か、いい考へはつかないかのう』 左守(ガンヂー)『ハイ、誠に恐れ入つた次第で厶ります。殿中監督の任にあり乍ら、此老臣、大王に対し奉り、死を以て謝するより外に道は厶いませぬ』 王『其方の悴も、まだ帰つて来ぬか。余は思ふに、日頃太子の気に入り、其方が悴とどつかの山奥へ踏み迷ふてゐるのではあるまいかのう』 左『不束な悴奴、太子様のお言葉に甘へ、いつも恐れ多くも友人気取りになつて振れ舞ひます。その不遜な行為を、臣は常に憂ひ、いろいろと折檻も致し警告も与へて居りますが、二つ目には薬鑵頭だの、骨董品だの、床の置物だのと、罵詈嘲笑を逞しふし、太子様の御寵愛を傘に着て親の云ふ事を聞きませぬ。誠に困つた不忠不義の痴者で厶います。もし今度幸ひに悴が帰りますれば密室に監禁し、よく物の道理を説き聞かせ、それでも聞き入れねば只一人の悴なれども王家のため、国家のため、臣が手にかけて、悴が命を絶ち、国の災を除く覚悟で厶います。どうか暫く御猶予を願ひます。何れ其中には無事御帰城遊ばすで厶いませうから』 王『ヤ、そちの悴も新教育とやらを受け、余程性質が悪くなつて来たやうだ。然し、吾太子も太子だ。平民主義だとか、平等主義だとか、国体に合ない囈言を申し、貴族生活が気に入らぬ等と駄々をこね、日夜不足さうな面貌を現はし、吾注意を馬耳東風と聞き流し、手におへない人物となつて了つた。之も全く余が一時悪霊に魂を魅せられ天地に容れざる残虐の罪を犯したその報いで、老後の身を以て、あるにあられぬ心の苦労をさせられてゐるのだらう。アヽどうなり行くも宿世の因縁だ。もう左守殿、あまり頭を痛めて呉れな。余も太子の事は只今限り断念する』 左『恐れ多き殿下のお言葉、臣下の吾々、何と申してお詫をすれば宜いやら、実に恐懼の至りで厶います』 王『右守殿、太子が帰らぬとすれば、何とか善後策を講じなくてはなるまい。其方の意見を聞き度いものだ。かかる一大事の場合、少しも遠慮は要らないから、其方が心の底を忌憚なく打明けて呉れよ』 右守(サクレンス)『ハイ恐れ入りまして厶います。太子様の御出奔以来、家中の面々を四方八方に派し、殿下の御行衛を捜索致させましたが、今に何の吉報も得ませぬ。今日で三日三夜、此右守も心を痛め、胸をなやまし、食事も碌にとれませぬ。翻つて国内の事情を顧みれば、到る所に民衆不平の声、いつ大事が勃発するかも知れない形勢になつて居ります。加ふるにバラモン軍が襲来するとの噂喧すしく、人心恟々として山川草木色を失ひ、将に阿鼻叫喚地獄を現出せむとするの形勢で厶います。斯くの如く国家多事多難の際に太子の君が御出奔遊ばされた事は我国家にとつては、痩児に蓮根と申さうか、泣面に蜂と申さうか、実に恐れ多き次第で厶います。風前の燈火にも等しきタラハン国の形勢、国家を未倒に救ひ、大廈の崩れむとするを支ふるのは、倒底一木一柱のよくすべき所では厶いませぬ。何分にも此際には上下一致、億兆一心、あらむ限りの誠心を捧げて国難に殉ずる覚悟が吾々初め、なくては叶ひませぬ。かかる危急存亡の際に、太子の君を唆かし奉り、殿内より誘き出したる左守殿の悴アリナこそは天地も赦さぬ大逆無道の悪臣で厶る。まづ国家民心を治むるには親疎の情を去り、上下の区別を撤廃し、真を真とし、偽を偽とし、悪を悪とし、公平無私的態度を以て賞罰を明かにし、天下に善政の模範を示さなくてはなりますまい。恐れ乍ら、臣は先づ第一着手として、左守の悴アリナの処分をなさねばならないだらうと考へます。ついてはその父たる左守殿は此際責任を感知し、闕下に罪を謝し、下は国民に対する言ひ訳の為め、進んで骸骨をお乞ひなさるが時宜に適したる最善の処為と考へます。否、国法の教ふる所と確信致します。殿下、何卒賢明なる御英断を以て、官規を振粛し頑迷無恥の官吏を退け、以て国民に殿下の名君たる事を周知せしめ度く存じまする』 王『イヤ、右守の言も一応尤もだが今日は未だ太子の行衛も分らず、又アリナの所在も分らぬ混沌の際だから、左守の処分は、さう急ぐには及ぶまい』 右『殿下の仰せでは厶いまするが、国家危急存亡の際、さやうな緩慢の御処置は却て国家を危くするものと考へます。何卒御英断を以て疾風迅雷的に解決し、快刀乱麻を断つの快挙に出られむ事を右守、謹んで言上仕ります』 王『汝右守のサクレンス、汝は王家を思ひ国家を思ふ、その熱誠は実に余は嘉賞する。併し乍ら我国家は余に及んで十五代、王統連綿として何の瑕瑾もなく、国民尊敬の中心となり、仮令小なりと雖タラハンの国家を維持して来たものだ。然るに今太子が貴族生活を嫌ひ、殿内を飛び出すやうになつては、最早王政も専制政治も到底永続する事は出来ない。仮令太子が帰城するにしても、彼は余が後をついでタラハン国に君臨する事は好まないだらう。一層の事、王女のバンナを後継者となし、適当なる養子を入れて、王家を継承させ度いと思ふが、左守、右守その他の重臣共は、どう考へるかな』 左『殿下の宸襟を悩ませ奉り、臣として、ノメノメ生命を長らへ殿下の御心配を坐視し奉るに忍びませぬ。右守の云はるる通り、実に臣と云ひ悴と云ひ、王家の仇国家の潰滅者で厶いますれば申訳のため、今御前に於て皺ツ腹をかき切り、万死の罪を謝し奉ります。右守殿、何卒国家の為忠勤を励んで下さい。殿下、左様ならば』 と云ふより早く用意の短刀、鞘を払つて左の脇腹につき立てむとする一刹那、王女バンナ姫は慌ただしく、簾の中より走り出で、 王女『左守ガンヂー早まるな。今死ぬる命を永らへ、王家のため国家のために何故誠を尽さないのか。死んで忠義になると思ふか。言ひ訳が立つと思ふか。血迷ふにも程があるぞや』 と鶴の一声、左守はハツト許りに両手をつき、白髪頭を床にすりつけ乍ら声を振はせ涙を絞り、述ぶる言葉もきれぎれに、 左『ハイ、誠に無作法な狼狽へた様をお目にかけまして申訳が厶いませぬ。何卒、御宥恕を願ひ奉ります』 右『アハヽヽヽ、左守殿、御卑怯では厶らぬか。一旦男子が決死の覚悟、仮令王女様の御言葉なればとて卑怯末練にも死を惜み、生の執着に憧れ給ふか。左様な女々しき魂を以て、よくも今迄左守の職が勤まりましたな。チツトは恥を知りなされ』 と悪逆無道の右守のサクレンスは左守の自殺を慫慂してゐる。彼は十年以前迄は左守のガンヂーが右守として仕へてゐた頃、家令に抜擢され、右守が左守に栄進すると共に自分も抜擢されて右守の重職に就いたのである。今日の地位を得たのは、全く現左守の斡旋によるものであつた。然るに心汚き右守は大恩あるガンヂーを邪魔物扱になし、今度の失敗につけ込み左守に詰腹を切らせ、自分がとつて左守に代り国政を自由自在に攪き乱し、時節を待つて王女バンナ姫に自分の弟エールを娶はせ吾一族を以て国家を左右し、自分は外戚となつて権勢を天下に輝かし、日頃の非望を達せむと企てたのである。 カラピン王は右守のサクレンスに右の如き野心あるとは夢にも知らず、危機一髪の際、国家を救ふは数多の重臣の中、此右守の外なしと、益々信任の度を厚うした。 されども流石に吾弟のエールを王位に上せ、バンナ姫と相並んで王家を継がせ、万機の政治を総統させる事は口には出し得なかつた。そこで彼は、ワザとに次のやうな事を御前会議の席で喋々喃々と喋りたて、王を初め重臣共の腹を探らうとした。 右『殿下に申上げます。「今日は国家のため遠慮会釈もなく言上せよ」との御令旨、参考のために、殿下を初め一同の重役達に吾意見を吐露致します。御採用下さらうと、下さるまいと、それは少しも臣の意に介する所では厶いませぬ。倩々天下の情勢を考へまするのに、世界の王国は次第々々に倒れ、何れも民衆政治、共和政体と代り行く現代の趨勢で厶います。加ふるに肝腎要の太子の君は平民主義がお好きでもあり、常に共産主義を唱道されてゐるやうで厶います。開国以来、十五代継続遊ばした此王家をして万代不易の基礎を固め王家の繁栄は日月と共に永遠無窮に、月の国の一角に光り輝くべく日夜祈願をこらしてゐましたが、最早今日となつては、どうも覚束ないやうな気分が致します。殿下を初め奉り、諸君の御意見は如何で厶いませうかな』 此意外なる言葉に王を初め左守、その他の重臣は水を打つたる如く黙然として大きな息さへせなかつた。暫くあつてカラピン王は顔面筋肉を緊張させ乍ら、 王『意外千万なる右守が言葉、天の命を受けて君臨したる我王室を廃し、共和政治を布かう等とは不臣不忠の至りだ。右守、汝も時代の悪風潮に感染し、良心の基礎がぐらつき出したと見える。左様な精神で、どうして我国家を支へる事が出来るか。よく考へて見よ』 此言葉に並ゐる老臣等は稍愁眉を開き、一斉に口を揃へて王の宣言に賛意を表した。左守は憤然として立上り両眼に涙を浮べ乍ら、右守の側近くニジリ寄り短刀の柄に手をかけ、声を慄はせ乍ら、 左『汝右守のサクレンス、徒に侫弁を揮ひ、表に忠臣義士を粧ひ、心に豺狼の爪牙を蔵する悪逆無道不忠不義の曲者奴、万代不易の王政を撤回し共和政体に変革せむとは何の囈言、不臣不忠の至り、もう此上は左守が死物狂ひ、汝が一命を断つて国家の禍根を絶滅せむ、覚悟致せ』 と云ふより早く右守に向つて飛びつかむとする。王女のバンナは又もや声をかけ、 王女『左守、暫らく待て、王様の御前であらうぞ。殿中の刃物三昧は国法の厳禁する所、血迷ふたか、狼狽へたか。左守、冷静に善悪理非を弁へよ』 左守は声を励まして、 左『王女様の厳命なれども、もとより不忠不義なる此左守、死して万死の罪を謝し奉る。ついては御法度を破る恐れは厶いませうが、此右守を残しておかば王家を亡ぼし国家を亡ぼす大逆者で厶れば、右守の命を絶つ考へで厶います。何卒此儀はお許し下さいませ』 と又もや斬つてかかる。右守は打驚き松の廊下の師直よろしく、 右守『左守殿、殿中で厶る殿中で厶る』 と連呼し乍ら彼方此方へ逃げまはる。重臣のハルチンは加古川本蔵よろしく、左守の後よりグツと強力に任せて抱きかかへ羽抱絞めにして了つた。左守は、 左『エー、放せ、邪魔召さるな。王家の一大事だ。国家の禍根を払ふのは此時で厶る』 とあせれど藻掻けど、強力のハルチンに抱きつかれ無念の歯噛みし乍らバタリと短刀を床上に落した。右守は此隙に乗じて雲を霞と卑怯未練にも逃げ出して了つた。 かく騒ぎの最中へ太子の君はアリナと共に悠然として城門を潜つた。今や生命からがら髪振り乱し、逃げ出して来た右守のサクレンスは狼狽の余り門口にてアリナの胸にドンと許りつきあたり、二人は共に門前の階段から、二三間許り下の街道へ転げ落ちた。幸ひにアリナは何の負傷もせなかつたが、右守のサクレンスは脛を折りノタノタと四這ひとなり生命カラガラ吾家を指して猫に追はれた鼠よろしく逃帰り行く。 (大正一三・一二・四新一二・二九於祥雲閣北村隆光録)
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霊界物語 68_未_タラハン国の国政改革2 11 宮山嵐 第一一章宮山嵐〔一七三五〕 タラハン城より正南に当つて三千メートル許りの地点に千年の老木鬱蒼として生え茂る風景のよき小高き独立したる山がある。是を国人はタラハンの大宮山と称へて居る。山の周りに深い池が廻つて居て碧潭を湛えて居る。此山にはウラル教の祖神盤古神王が宮柱太敷建て、開闢の昔より鎮祭されタラハン王家の氏神として王家の尊敬最も深く市民は此地を唯一の遊園地として公園の如くに取り扱かつて居た。八日の月は楕円形の姿を現はして宮山の空高く輝いて居る。幾百とも知れぬ時鳥の鳴き声は何とも云へぬ雅趣を帯び、文人墨客の夜な夜な杖を曳くもの引きも切らない有様である。然るにタラハン市の大火災が起つてからは時鳥を聞きに行くやうな閑人もなく、又あつた所が世間を憚かつて足を踏み込む者も無かつた。左守ガンヂーの悴アリナは取締所の捜索隊を避けて、盤古神王を祭りたる古き社殿の中に身を忍び時の至るを待つて居た。民衆救護団の団員として聞えたるハンダ、ベルツの両人は、目付の鋭鋒を避けて社の階段の中程に腰打ちかけヒソビソと囁いてゐる。 ハンダ『オイ、ベルツ、惜しい事をしたぢやないか。も些し目付連の出動が遅ければ、右守の館も遣つ付けて仕舞ふのだつたのに、取返しの付かぬ事を遣つて了つたぢや無いか。彼の際に遣り損ねたものだから目付の奴、四方八方にスパイを廻し、危くつて手も足も此頃は出す事が出来ない。何とかして彼奴を片付けねば、到底吾等の目的は達せられないだらうよ』 ベルツ『今となつて死んだ子の年を数えるやうに愚痴つて見た所で仕やうが無いぢやないか。まアまア時節を待つのだなア。併し乍ら惜しい事には左守のガンヂーを取逃したのが残念だ。彼の夜さ彼奴は玉の原の別荘に居やがつたので、死損ひの命を助かりやがつたのだ。も些と彼奴の居処を調べてから遣つたら宜かつたのだけれどもなア』 ハンダ『何あんな老耄爺、放つて置いても、もう爰三年と寿命は有るまい。手を下さずに敵を亡ぼさうと儘だ、放つとけば自然死ぬる代物だ』 ベルツ『俺だつて年が寄つたら死ぬるぢやないか。是丈国民の苦しむで居る世の中に、彼んな奴を一日でも生かして置けば一日丈でも国家の損害だ、彼奴が、一日早く死ねば、少くとも千人位の人が助かるのだ。彼奴が十日此世に居れば万人の人が饑餓て死ぬる勘定だ。夫れだから俺は「一刻も猶予ならぬ」と主張したのだが、大体貴様のやり方が緩漫だから蜂の巣を突いたやうな事をやつて仕舞つて、二進も三進も仕やうのないやうな事になつて了つたぢやないか。大頭目のバランス女史は取締所へ引かれると云ふ有様、先づ吾々の計画が甘く図に当つて漸く取返しは仕たものの、其後と云ふものは七八人のスパイが尾行して居るから、何程英雄豪傑のバランス親分だつて、手の出しやうが無いぢやないか』 ハ『まアさう慌てるものぢやない。親分はあゝして尾行付として置けば、取締所の奴は凡暗だから、安心して段々と目配線を緩めるに相違ない。其時はバランス親分に成り代り、俺とお前が国内の団員を煽動して水も漏らさぬ計画の下に、クーデターを決行しようぢや無いか。今日のやうにスパイが迂路つき圧迫を受けて居ては、如何に智謀絶倫の俺だと云つても手の着けやうが無い。まアまア時節を待つ事だなア』 ベ『左守右守を取り逃がしたのは残念だが、併し彼の左守の悴アリナと云ふ奴は、今はあゝして居るけれど、実際は吾等の味方だよ。今度事を挙げても彼奴ばかり、助けねば成るまい』 ハ『ウンさうかも知れない。此頃は大目付に憎まれて何処かへ逃げたと云ふ事だ。鳶が鷹を生むと云ふ譬があるが、本当に彼のアリナと云ふ奴は、吾々に取つては頼母しい人物かも知れない。此間からサクレンスの屋敷を四五人の部下に交る交る伺はして居るが、彼の大火災以来警戒が厳になり、屋敷の周囲には数十人の目付を以て固め、外出の時には侍に鉄砲を担がせて登城すると云ふ厳重の目配振りだから、マア暫くの間は彼奴の命も預かつて置くより仕方が無いワ』 ベ『左守の悴、アリナは何処かへ逃げたと云ふ事だが、噂に聞けば妙法様も亦行衛が不明だと云ふ事ぢや無いか、彼の太子も余程新らしい思想を以て居るらしい。彼のアリナを唯一の寵臣として使つて居た事を思へば、カラピン大王のやうな没分暁漢では有るまい。俺達は別に妙法様が世に出て立派な政治をさへして下されば、何所までも喜んで従ふのだ。唯憎らしいのは君側を汚す右守、左守、其他の重臣共だ。そして第一気に喰はないのは大小名や物持ちの奴等だ。是丈け民衆の声が彼奴等の奴聾の耳には通ら無いのだから、寧ろ憐むべき代物だ。地雷火の伏せて有る上に安閑として睡つて居る代物だよ』 ハ『オイ、ベルツ、何だか階段を登つて来る影が見えるぢやないか』 ベ『成る程、あの提灯は左守家の印が這入つて居る。左守の奴、沢山の守侍を連れて遣つて来たのだ。何うやら俺達を取り押へに来らしいよ。オイ、油断は大敵だ、逃げろ逃げろ』 と云ひ乍ら二人は階段を上り、社殿の後へ廻り一生懸命に下樹の生ひ茂つた森の中を倒けつ転びつ茨にひつかかれ顔と手とを傷つけながら森を潜り宮山の南麓の一本橋を渡つて一生懸命に並山の方面さして逃げて行く。左守のガンヂーは太い杖を突き乍ら漸く階段を昇り来り、二十人の護衛兵に四方を取り巻かせ祠の前に坐り込み、拍手の音も静に一生懸命に祈願を籠め初めた。 『掛巻も畏き大宮山の上つ岩根に宮柱太敷き立てて永久に鎮まります盤古神王塩長彦命の大前にタラハン城の柱石と仕へまつる左守の司ガンヂー謹み敬ひ畏み畏み祈り奉ります。如何なる曲神の曲禍にや、カラピン王様は思ひがけない重病に罹らせたまひ、お命の程も計られず、お蔭様によつて殆んど御臨終かと大小名一同が憂ひに沈みましたが、漸く此頃は少しく御快よき方にならせられましたなれど、何を云つても御老体、到底此儘では平年の御寿命も難からうと存じます。今やタラハン国は、各地に暴動起り国家の危急目前に迫り居ります際、国の要のカラピン王殿下が万一御昇天でも遊ばすやうな事が御座いましては、吾々大名を初め国民の歎きは如何ばかりか計り知られませぬ、何卒々々大王殿下の御病気が大神様の御神徳に依りまして、一日も早く御全快遊ばしますやう、偏に祈り奉ります。次には妙法太子様、先日の火災の有りし日より、踪跡を晦まし給ひ今に御行衛も分明ならず、大名共は日夜殿内に集まり種々と協議を為し、目付連を四方に派遣し捜索に勤めて居りますが、今に何の頼りも御座いませぬ。何卒々々一日も早く太子のお行衛が分りまして城内へお迎へ申す事が出来ますやうに、お祈り申します。不幸にして大王殿下が御昇天遊ばす様な事が御座いましたら、直様王位を継承遊ばさねばならぬ太子様のお行衛が知れぬやうな事では此乱れたる国家を治める事は到底不可能で御座います。どうぞ太子様が御無事でいらせられまして、一時も早く城内へお帰り下さいますやう、大神様の御守護を祈り上げ奉ります。又私の悴アリナと申すもの、去る五日の火災の夜より行方不明となりまして厶いますれば、是も恐れ乍ら無事に帰つて参りますやう、さうして彼は太子様を唆し種々の好からぬ智慧をつけましたもので厶いますから、彼を一時も早く捕縛致しまして、民衆の前で重き刑に処さねば、何時までも此国は治りませぬ。盤古神王様、何卒々々此老臣が願ひをお聞き下さいますやう、王家の為め国家の為め赤心を捧げて祈り奉ります』 アリナは社の中に身を潜め乍ら、父ガンヂーの祈願を残らず聞き終り、 『や、こいつは大変だ。爺までがグルに成つて俺を探し出し民衆の前で殺す積りだな。よし一人より無い子を殺さうと云ふ鬼心なら、此方も此方だ。父々たらずんば子々たらずとは聖者の金言、よし一つ神様の仮声を使つて爺の肝玉を挫いて呉れむ』 と独り諾き乍ら、社殿もはじける許りの唸り声を出し、臍下丹田に息を詰めて、 『ウーウー』 と唸り出した。左守のガンヂーを初め守侍共は殿内の唸り声に肝を潰し、体を慄はせ乍ら大地に蹲まつて仕舞つた。 アリナ『此方は大宮山に斎き祭れる盤古神王塩長彦大神の一の眷族天真坊で厶るぞよ。汝ガンヂーとやら、其方は不届至極にも十年の昔モンドル姫を唆かし悪逆無道を敢行せしめ、カラピン王の精神迄も狂はせ、無二の忠臣左守のシャカンナを城内より追ひ出し、己取つて代つて左守となり、国民を苦しめ、国家を乱せし悪逆無道の張本人だ。去る五日の城下の大騒動も元を糺せば汝がため。なぜ責任を悟つて自殺を遂げ、王家及び国民に其罪を謝さないのか、不届至極の痴漢奴。其皺腹を掻き切る位が惜しいのか、否命が惜しいのか。痛さに怯えてよう切らないのか。てもさてもいい腰抜野郎だなア』 ガンヂーは慄ひ声を出し乍ら、 『いやもう恐れ入つて厶います。老先短かき吾命、決して惜しみは致しませぬが、今此際私が目を眠りますればタラハン国は瞬く間に滅亡致し、王家は滅び、遂に赤色旗が城頭に立てらるる様に成るで御座りませう。是を思へば大切な私の命、国家の為を思へば死ぬ事は出来ませぬ』 ア『其方が此世にある事一日なれば一日国家の損害だ。国家の滅亡を早めるのは其方が生て居るからだ。真に国家国民を救はむとする赤心あらば、一時も早く自殺を致すか、それがつらいと思はば一切の重職を王家に返上し、焼け残つた別荘も国家に献じ民衆の娯楽場と為し、其方は罪亡ぼしの為め乞食となつて天下を流浪致し、下万民の生活状態を新しく調べて見るがよからう。どうだ合点が行つたか』 ガン『ハハ、ハイ、左様心得まして厶います。併し乍ら私は乞食になつても国家の為めなら厭いませぬが、あの悴奴を代りに助けて下さいませ。さうして細々乍らも左守の家を継ぎますやう、御守護を願ひ奉ります』 ア『これやこれや老耄、汝は狼狽たか、血迷うたか。「悴のアリナを一時も早く捕縛し、民衆の面前にて重き刑に処せなくては民心を治める事が出来ない」と唯今申したではないか。汝は神の前に来つて口と心の裏表を使ふ不届至極の奴だ。待て、今に神が手づから成敗を致してくれむ、ウー』 と社殿も割る許りの大音声にて唸り立てた。守侍はガンヂーを捨てて吾先にと階段を下り、武器を捨て命辛々逃げて行く。ガンヂーも亦、怖さ淋しさに居耐まらず百二十段の階段を毬の如く転げ乍ら落ち下り、数ケ所に打ち創を負ひ、はふはふの体にて玉の原の別荘さして杖を力に帰り行く。アリナは父ガンヂー其他の逃げ帰りしを見て、やつと胸を撫で下し、宮山を南に下り危げな一本橋を渡つて山と云はず河と云はず、膝栗毛に鞭ちて月照る夜の途を、薄の穂にも怖乍ら、もしや追手に出遇ひはせぬかと安き心もなく西南の空を目当てに逃て行く。 父と子が内と外との掛合を 聞きて御神は笑ませたまはむ。 赤心は確かアリナの悴とは 知りつつ爺御前に訴ふ。 或時は吾子を憎み或時は いとしと思ふ親心かな。 タラハンの城の曲神も大宮の 佯り神に恐れて帰りぬ。 守侍は吾職掌を打ち忘れ 主をすてて帰る卑怯さ。 (大正一四・一・六新一・二九於月光閣加藤明子録)
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霊界物語 68_未_タラハン国の国政改革2 14 会者浄離 第一四章会者浄離〔一七三八〕 青春の血に燃ゆる若き男女に取つては恋愛なるものは実に生命の源泉である。恋愛熱の高潮した時は、倫理道徳の覊絆を脱し理智を捨て、富貴何物ぞ、名誉何物ぞ、尚も進んでは親兄弟を忘れ、朋友知己を忘るるに至る。然し乍ら恋愛其ものより見る時は、理智や道徳の範囲内に入る事は出来ぬ。どこ迄も拡大性を帯び、且つ流通性を備へて居る。もし理智を加味した恋愛ならば、恋愛其者の生命は既に已に滅亡して居るのである。実にやタラハン国のスダルマン太子は、尊貴の家に生れ九五の位に上るべき身でありながら、今年十五の春を迎へた山奥育ちの乙女に満身の心血を注ぎ、十二分に恋を味ははむとして国家の危急を忘れ、父が瀕死の状態に陥りつつ有る事も見捨てて、大原山の谷間に古くより立てる破れ寺に落ち延び、密かに恋を味はつて居る。左守の悴アリナは太子の品行を乱したる大罪人として、逮捕命令を出されたる蔭裡の身、遉に繁華な都大路にも住み兼ね比丘の姿に身を窶し、昼は山林に伏し、夜はトボトボと野路を伝うて、広い世界に吾身一つの置き所もなく彷徨ひ廻りしが、辛うじて大原山の谷間の古ぼけた破れ寺に一夜の宿を過さむと立ち寄り見れば、本堂の須弥壇の後に若き男女の囁き声、傷もつ足のアリナは暫し佇み息を凝らして内の様子を考へてゐた。因に云ふ、彼アリナは殿中を逃出す時、最愛のシノブに囁いて云ふ、 『余は是より少時の間大宮山の盤古神王の社の中に潜伏し、世の中の稍治まるをまつて帰り来るべければ、汝はどこ迄もこの殿中を離れな』 と告げておいた。シノブはそれ故アリナは依然として、大宮山の社殿の中に居るものとのみ信じて居たのである。彼が右守の耳に囁いたのも矢張これである。 ○ スバール『太子様、貴方どこ迄も妾を見捨てず愛して下さるでせうなア』 太子『ハヽヽヽ。そんな心配はして呉れな。お前との恋愛を遂げむが為めに、太子の位迄捨ててこんな所へ匿れてゐるのぢやないか。お父様は御大病、何時御昇天遊ばすかも知れない、此場合にも恋にはかへられず、世の中の粋を知らぬ人間は定めて余を「不孝ものだ、馬鹿者だ、腰抜け男だ」と笑つて居るだらう。何程笑はれてもお前の愛には換へられないのだ』 ス『殿下が其お心なら妾はどこ迄も貴方に貞操を捧げます。仮令野の末深山の奥、猛獣毒蛇の棲処でも殿下と共に苦労をするのなら些しも厭ひませぬ。山奥の生活に慣れた妾で厶いますれば、木の実を漁り芋を掘つてでもきつと殿下を養ひまする。どうぞ御安心して下さいませ』 太子はスバールの優しき言葉に絆されて思はず知らず落涙した。 ス『いや殿下は泣いていらつしやいますの。妾が云つた言葉がお気に障りましたか。もし障りましたらどうか御容赦下さいませ』 太『いやいや、気に障る所かお前の心が嬉しうて思はず知らず感謝の涙が迸つたのだよ』 ス『エヽ勿体ない事を仰られますな。殿下の為めならば命を捧げても満足で厶います。それにつけても浅倉山の谷間に残しておいた父上はどうしていらつしやるでせうか。定めて都の大変を聞き、吾子はどうして居るかと、御心配を遊ばして厶るでせう。どうか一度父に廻り会うて二人が無事な所を見せたいもので厶いますわ』 太『お前がさう思ふのも無理もない。余だつて其通りだ。殊に病気の父を、あの混乱状態の危い中に残して、お前と此処に忍んで居る心はどれだけ苦しいか。スバール、私の心も推量して呉れ』 ス『親も大切なり又恋愛も猶大切なり、此世の中は思ふやうには行かないもので厶いますなア』 太『山はさけ海はあせなむ世ありとも 汝が身を恋ふる心は散らじ』 ス『有難し太子の君のみことのり わが胸板を射抜くやうなる』 太『父君の身は思はぬに有らねども 恋の覊絆に引かれてぞ住む』 ス『恋衣よしや破るる世ありとも 君が赤心如何で忘れむ』 太『よしやよし吾身は野辺に朽つるとも 照らして行かむ恋の暗路は』 ス『吾君の情の露に霑ひて 開き初めけり梅の初花』 太『野に咲ける白梅の花手折りつつ 今日山奥に生けて見るかな』 ス『手折られて生けたる花はいつの世か 萎れむためしあるぞ悲しき』 太『山奥の匂へる梅を根こぎして 都大路に植つけて見む』 ス『土埃り立つ都路は梅の花も 匂ひのあするためしあるべし。 いつまでも此山奥に植られて 実を結ぶなる春に遇ひたし』 太『恋と云ふものの辛きを今ぞ知る 嬉し悲しの中を隔てて』 ス『嘆きつつ又楽しみつ喜びつ 恋の淵瀬に浮きつ沈みつ』 太『恋と云ふものに涙のなかりせば 枯木の如く淋しかるらむ』 ス『遇ひ見ての後の心は猶更に 昔にまさる恋衣かな』 太『世の中の人は何とも云はば云へ 不思議極まる恋の路芝』 ス『恋の暗わけ行く二人の身の果は 天津御国の住ゐなるらむ』 太『目の当り天津御国に遊ぶなる 恋の広道進む吾なり』 アリナは外より、 『吾が慕ふ太子の君はこの寺に たしかありなと尋ね来しかな。 都路の百の騒ぎを余所にして 深山の奥に居ます君かな。 スバールの姫と諸共ましますか 優しき声の吾耳に入る』 太『夢現あこがれ居たりし汝の声 耳に入るこそ嬉しかりけり。 村肝の心嬉しく吾胸の 高鳴り如何に止むるよしなし』 太子はスバールと共に須弥壇の裏より表に出で、すつくと立てる比丘姿のアリナを見るより、吾を忘れて駆けより、堅く其手を握り涙を腮辺に垂らし乍ら、 太子『ヤア、アリナ、よく尋ねて来て呉れた。遇ひたかつた、見たかつたぞや』 アリナ『ヤ殿下、好くまア無事で居て下さいました。今の殿下の安全なる御様子を見て、私は最早此の世に思ひの残る事は厶いませぬ。御覧の如く私は修験者となり、世の中の一切と断ち、山に伏し野に寝ね、一生を念仏三昧に送る考へで厶います。一笠一蓑一杖の雲水の身の上、何処の並木の肥にならうやら、再び殿下の御壮健のお顔を見る事が出来ますやら、味気なき浮世で厶いますれば、何事も因縁づくだと諦めどうか私にお暇を下さいませ。そして殿下はスバール姫様と末永く恋を味はつて頂きたう厶います』 太子はほつと一息吐き乍ら、青醒めたる顔にて力なげにアリナの手を揺すり乍ら、 太『オイ、アリナ、も一度思ひ直して都に帰つて呉れる事は出来ないか。余は最早王位を捨てて妻と共に乞食生活を送る決心ではあるが、其方は時勢を解した前途有望の青年、今から修験者となつて朽ち果つるは国家の為め惜しい事だ。どうか父を助けて再びタラハン城の柱石となり、余が意志を継いでは呉れまいか』 アリナは声を湿ませ乍ら、涙を両眼にしたたらして、 『殿下の思召は実に有難う存じます。併し乍ら最早今日の私は刑状持で厶います。仮令大赦を蒙つて再び都の地へ無事に帰りませうとも、民心を失つた父左守の悴で厶いますれば、どうして国民が私の赤心を認めて呉れませう。最早私は政治欲に放れました。そして情欲も断ちました。雲水を友として天下の民情を視察し一生を送る考へで厶いますから、どうか此事許りは仰せられないやうにお願ひ致します』 太子は太き吐息をつき乍ら、 『あゝ是非もない。タラハンの国家は最早滅亡したのかなア』 スバールはアリナの前に進み出で、悲嘆の涙にくれながら、 『アリナ様、貴方はまア何と見すぼらしいお姿におなり遊ばしたのですか、おいとしう厶います』 アリナ『いや、是は是は姫様必ず必ず御心配下さいますな。私の心から斯様に零落たので厶います。今の境遇は私の身にとつて結局幸福で厶います。一箪の食一瓢の飲、山水を友として天下を遍歴するのも亦一興で厶います。どうぞ私の身については御懸念下さいますな』 ス『待ち詫し親しき友と廻り会ひ またも嘆きの種をまくかな。 如何にせむ逸り男の敏心を 止めむ力の欠けし吾身は』 ア『何事も神の守らす世の中に 人の思ひの通るべしやは。 行く雲の空を眺めて折々に 吾身の末を偲び来にけり』 太『右左互に袂を別つとも 魂は互に添ひてありけむ』 ア『有難し忝なしと拝むより 外に術なき今日の吾かな。 吾君の貴の御心いつもながら 身に染み渡り涙こぼるる』 太『世の中に汝とスバール姫おきて 外に力と頼むものなし。 片腕をもがれし如き心地して 今別れ行く胸の苦しさ』 ス『如何にしてアリナの君の御心を 翻さむか果敢なきの世や』 ア『姫君よ心やすけく思召せ 汝には神の守りありせば。 吾君も汝も吾身も神の御子 神の捨てさせたまふべしやは。 いざさらば太子の御子と姫君に 惜しき袂を別ち行かなむ。 いつ迄も安く健在おはしませ 神の恵の露に濡れつつ』 斯く別れの歌を残してアリナは又もや法螺貝を吹き、山野の邪気を清め乍ら、何処を当ともなく山奥さして進み入る。後見送つて太子、スバールは大地に転び伏し、 『オーイオーイ、アリナよアリナよ、も一度顔を見せてたべ』 と呼べど叫べど法螺の音の響に遮られて、二人の声は彼の耳に入らぬものの如く、後をも振り返らず、足早に密樹の蔭に姿を没した。アリナは道々歌ふ、 『雲霧四方にふさがりて黒白も分かぬ常暗の 獣の世とはなりにけり朝日は空に昇れども 下界を照らすよしもなく月は地中に潜めども 世をあかすべき術もなし雲井の空は日に月に 怪しき星の出没し妖邪の空気を地の上に 散布しながら火の雨や剣の雨を吹きおろす 風の響きも何となく滅びの声と聞ゆなり 虎狼や獅子熊の吠猛る野を進み往く 吾身は神に守られていや永久の臥床をば 求めて進む修験者神が此世にましまさば 曇り果てたる世の中を一度は照らさせたまふべし 如何に権威があればとて神ならぬ身の人草の 如何でか此世が治まらむ抑人間は神の子と 誇りまつれど実際は夏の草葉に宿りたる 旭の前の露の身ぞ永遠無窮の神業に 如何でか仕へまつるべきあゝ惟神々々 霊幸倍ましませよ吾行く後のタラハンの 神の造りし御国をいとも平に安らかに 守らせたまひて大王の万機の政を助けませ 心汚き吾父の深き罪をば赦しませ 右守の司の逆心を戒めたまひて御代の為め 天が下なる人草を労り助けタラハンの 国の司と歌はれて名を万世に残すべく 鞭ちたまへ大御神偏に祈り奉る 先づ第一にタラハンの君の太子とましませる 若君様の御身の上守らせたまひて永久に 国の柱と立ちたまひ吾国民の幸福を 来させたまふ名君とならしめたまへ大御神 深く包みし恋雲を科戸の風に吹き払ひ 天と地とは清らけく明け渡りたる御心に かへし玉へよ惟神偏に祈り奉る 偏に願ひ奉る』 (大正一四・一・七新一・三〇於月光閣加藤明子録)
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霊界物語 68_未_タラハン国の国政改革2 17 地の岩戸 第一七章地の岩戸〔一七四一〕 三五教の宣伝使梅公別は白馬に跨り、渺茫として天に続くデカタン高原の大原野を東へ東へと那美山の南麓を目当に進み来り、古ぼけた水車小屋の前に駒を留め独言、 梅公『ハテ、訝かしや、今この附近に人声が確に聞えたやうだ。駒を早めて近寄り見れば人の住みさうにもないこの破屋一つ。水車はあれど運転中止の有様、何かこの小屋には秘密が潜んでゐるに相違ない。どれ一つ調べて見よう』 と駒をヒラリと飛び下り、水車小屋の柱に縛りつけおき乍ら、いろいろと四辺を耳をすまして伺つて見た。どこともなしに人の声が聞えて来る。地の底のやうでもあり、又上の方から聞えて来る様でもあり、声の出所が解らぬ。梅公別は菰を敷きて端坐し瞑目して祈願を籠めた其結果は、「地下室に立派な人が投げ込まれて居る」と云ふ事が解つて来た。四辺をよくよく調べ見れば、鞋に摺りみがかれた床板がある。グツと手をかけ一枚めくつて見ると、地下室へ相当の階段が通つてゐる。梅公別はこの階段を四五間許り右に左に折れ曲り乍ら降つて往くと、其処に二人の男が抱き合うて慄つて居る。 『やア其方は何者だ。察する所何か良からぬ秘密の伏在する魔窟と見える。有体に申上げろ』 サ『ハイ、ワヽヽ私はサヽサーマンと云ふヒヽヽ一人の人間で厶います。何も別に悪い悪事を致した覚えは更に厶いませぬ。右守の司様の御命令に依りまして、此処に勤めて居るので厶います。どうぞ今日の所は見逃して下さいませ。お慈悲です、お情です、頼みます。コヽコラ、カーク、貴様もチヽ些と云ひ訳の弁解を致さぬか』 カ『いや申し宣伝使様、私はカークと申まして余り悪くもない、良くもない世間並の人間で厶います。実の所は右守の司が大変な謀叛を企らみ、カラピン王の太子スダルマン太子を、二千円の懸賞付で取つ捉まえて呉れと、内々御命令が下りましたので、二十人のものが、ソヽその百円づつ確に儲けさして頂きました。どうぞ御量見下さいませ。何時でも取る金は取つたのですから、太子様は何時でもお返し申ます。のうサーマン、ソヽさうぢやないか』 サ『ソヽそれでも太子様をコヽ此人に渡さうものなら、俺達のクヽ首が飛ぶぢやないか』 梅『お前等の云ふ事は些とも要領を得ない。要するにタラハン城の太子様を右守に頼まれて何処かへ匿したと申すのだな』 サ『ハイ、其通りで厶います。毛頭相違は厶いませぬ。何処かへ匿しまして厶います』 梅『何処かでは解らぬぢやないか。かつきりと在所を云つたらどうだ』 サ『ハイ、たうとう……所へ匿しました』 梅『何と云ふ所へ匿したのだ』 サ『ハイ、チヽチのつく所です。オイ、カークお前も半分云へ。俺も秘密を明しては責任があるからなア。一口づつ云はうぢやないか』 カ『ハイ、宣伝使様、包まず隠さず申上げます。カーに匿しました』 サ『シーに匿しました』 カ『ツーに匿しました』 梅『何、チーとカーとシーとツーと、アヽ地下室か。地下室と云へば此処ではないか』 サ『サーで厶います』 カ『ヨーで厶います』 梅『オイ、邪魔臭い。左様で厶いますと云へば可いぢやないか』 サ『こんな秘密を申上やうものなら、右守の司から打ち首に合はされますから、夫れで態と解らぬやうに言葉を分けて申しました。御推察下さいませ、貴方の明敏の頭脳でお考へ下されば解るでせう』 梅『成程、それも一理がある、面白い。それでは二人が分けて話して呉れ。自分は言霊別だから一言聞けば大抵解る。さうして此地下室に押し込まれて居る方は一人か二人かどうだ』 二人は互に一言づつ、 『フ、タ、リ、サ、マ、デ、ゴ、ザ、リ、マ、ス。ソ、シ、テ、ヒ、ト、リ、ハ、ス、ダ、ル、マ、ン、タ、イ、シ、サ、マ、ヒ、ト、リ、ハ、ス、バー、ル、ヒ、メ、サ、マ、デ、ゴ、ザ、イ、マ、ス。ミ、ツ、カ、マ、ヘ、カ、ラ、ナ、ニ、モ、ク、ハ、ズ、ノ、マ、ズ、ニ、オ、シ、コ、メ、ラ、レ、ク、ル、シ、ン、デ、イ、ラ、レ、マ、ス』 梅『ヤ、もう解つた。貴様達は此処を些とも動く事はならぬぞ』 カ『ハイ動けと仰有いましても此通り腰が抜けて仕舞つたものですから、動く事は出来ませぬ』 梅『荒金の土の洞穴底深く 繋がれ給ふ君を救はむ。 吾こそは三五の道の神司 君を救はむと忍び来にけり』 太子は石牢の中よりさも爽かなる声にて、 『惟神神の恵の幸はひて 岩戸の開く時は来にけり。 三五の神の司の御恵の 露に霑ふ若緑かな。 吾妹子は隣の牢屋に繋がれぬ とく救ひませ吾より先に』 スバール姫は最前から此様子を考へて居たが、地獄で仏に遇うたる心地、喜びに堪えず、さも嬉し気に、 『訝かしきこれの牢屋にとらはれて 泣き暮らしけり吾等二人は。 皇神の珍の御光現はれて 常夜の暗を照らす嬉しさ』 梅公別は牢獄の鍵を探せども何処にも鍵らしきものが見当らないので、両人に向ひ厳しく訊問して見ると牢獄の鍵は右守の司が持つて帰つたとの答である。梅公別は途方に暮れ乍ら一生懸命に天の数歌を奏上し祈り初めた。不思議や牢獄の岩の戸は自然にパツと開けて五色の光明が室内を射照した。太子もスバール姫も転ぶが如く牢獄を走り出で、梅公別の体に前後より喰ひつき嬉し涙にかきくれ、少時言葉さえ出し得なかつた。 梅『承はれば殿下はタラハン城の太子様、又貴女はスバール姫様との事、どうしてまア斯様な所へ押し籠められ玉うたので厶いますか』 太『恥し乍ら吾々二人は恋におち城内を密に脱け出で、山奥の破れ寺に入つて匿れ忍んで居りました所、心汚なき右守のサクレンスなるもの、王家を奪はむ企みより、吾々を邪魔者と見做し、悪漢に命じ金を与へてふん縛らせ、斯様な所へ連れ参り、吾等二人を干し殺さむとの企み、もはや決心の臍は極めて居りましたが、思ひも寄らぬ貴方のお助け、斯様な嬉しい事は厶いませぬ』 ス『宣伝使様、有難う厶います。お蔭で命を救うて頂きました。此御恩はミロクの世迄も忘れは致しませぬ。命の親の神司様、辱なふ存じます』 梅『人を救ふは宣伝使の役、其様に礼を云はれては却つて迷惑を致します。神様が私の体を通して貴方等をお救ひ遊ばしたのですから、国祖国常立大神様、豊雲野大神様にお礼を仰有つて下さいませ。サア私と一緒に声を揃へてお礼を致しませう』 『ハイ、有難う』 と両人は梅公別司と共に、心のどん底より満腔の赤誠を捧げて、感謝の辞を大神に奏上し終り、梅公別は両人に向ひ、 梅『サア皆さま、かやうな所に永居は恐れが厶います。これから私がタラハン城へお送り致しませう。今迄の間違つた心を取り直し城内へお帰り遊ばし、大王殿下の宸襟をお安め遊ばしませ』 太『ハイ、何から何迄、御親切に有難う厶います。併し乍ら此女は父には内証で連れて居りますので、此女を連れて帰る訳には参りませぬ。それだと云つて今更捨ててゆく事も可愛さうで出来ませぬ。又私の恋愛至上主義より見ても捨てる訳には行きませぬから、何卒お慈悲に此処から二人をお見捨て下さいませ。一生のお願で厶います』 梅『アーそれは間違つたお考へ、どうあつても私がお伴を致しませう。さうしてお二人の恋愛は敗れないやうに私が媒介となつて、父王殿下の御承諾を得る事に致しませう。必ず御心配なくお館へお帰りなさいませ』 太『父は大変に頑固で厶いますから、神司のお言葉と雖も到底承知は致しますまい』 梅『それは貴方の心の偏見と申すもの。天の下に子を愛せない親が厶いませうか。貴方がこのスバール様を愛して居られるよりも百層倍増て貴方の父上は貴方を愛して居られますよ。愛する貴方の心を慰むる恋人をどうしてお憎み遊ばしませう。宣伝使の言葉に二言はありませぬ。生命を賭しても貴方の恋を完全に成功させませう。承はればタラハン国は紛擾絶間無く国家は危機に瀕して居るやうです。御父殿下も御心配の折柄、天にも地にも一人子の太子様のお行衛が分らないやうな事では層一層父殿下の御心配は増す許り、国家の擾乱は日を逐うて激烈を増す計りです。その虚に乗じて悪臣共が非望を企て世は一日と修羅の巷となる許りでせう。是非私に跟いてお帰りなさいませ』 太『ハイ重ね重ねの御教訓有難う厶います。そんならお言葉に従ひ一先づ城内に帰る事に決心致します。真に済みませぬが、どうか送つて下さいますやう』 梅『やア早速の御承知、遉はタラハン国の太子様、私も満足致しました』 ス『妾もお言葉に甘へ、宣伝使様のお伴を致しまして太子様と共に参らして頂きませう。どうか宜敷うお願ひ致します』 梅『や、御心配遊ばすな。きつと円満に解決をつけてお目にかけませう。何事も神様にお任せ申せば大丈夫ですから。併し太子様、此両人はどう遊ばしますか』 太『ハイ、許し難い悪人で厶いますれば、此両人を牢獄へぶち込み懲しめてやり度いは山々で厶いますが、私も牢獄生活の苦しみを味はひましたので、吾身を抓つて人の痛さを知れとやら、どうも可憐さうで放り込んでやる気も致しませぬ。この処置については宣伝使様の御判断に任せませう』 カ『アヽ、もしもし宣伝使様、決して私は此後に於て悪事は致しませぬから、どうぞ牢獄へ入れる事だけは許して下さいませ。その代りお馬の別当でも何でも致します』 梅『人を救けるは宣伝使の役だ。併し乍ら恐れ多くも太子殿下を苦しめ奉つた其方共なれば、一人だけ助けてやらう。一人は気の毒ながら此牢獄に打ち込んでおく積りだ。太子様どちらが比較的善人で厶いますか』 太『ハイ、私としては甲乙の区別がつきませぬ。揃ひも揃つて悪い奴で厶いますから』 サ『もし太子様私は何時も貴方に対し同情を持つて居たぢや厶いませぬか。このカークと云ふ奴、私が「太子様にお腹が空くだらうから、焼甘藷の蔕でも買つて来てソツと上げたらどうだらう」と云うた所、大悪党のカークの奴、「私はそんな宋襄の仁はやらない、断乎として水一杯も呑ます事は出来ない。右守の司にそんな事が聞えたら、俺の首が飛ぶ」と極端に自己愛を発揮した奴で厶いますから、どうか私をお助け下さいませ』 梅『アツハヽヽヽ、オイ、カーク、お前はサーマンが今云つたやうな事を申したのか』 カ『ハイ、是非は厶いませぬ。神様の前で匿したつて駄目で厶います。あの通り申しました。誠に今となつて思へば申訳のない事を致しました。どうか私を牢獄に投げ込んで帰つて下さいませ。サーマンは女房も有る事なり、私は一人身、どうなつても構ひませぬ。妻も無く、子も無く、何時死んでも泣く者さえ厶いませぬから』 梅『ハヽヽヽ、割とは正直な奴だ。どうやらお前の方が善人らしい。さう有体に白状した上はお前の罪は消えて了つた。気の毒乍らサーマンを牢屋に投げ込むより仕方が無からう。太子様、殿下のお考へは如何で厶いますかなア』 太『や、それは面白いでせう。人の秘密を明して自分が助からうと云ふやうな悪人は懲しめの為め何時迄も冷たい牢獄に投げ込んでおくが宜敷いでせう』 サ『もし太子様、殿下様、どうぞ今迄の悪事は大目にみて下さいませ。其代り殿下の為めならば、今死ねと仰有つても死にますから』 太『やア面白い。然らば牢獄に投げ込む事は許してやらう。どうぢや嬉しいか』 サ『ハイ嬉しう厶います。ようまアお助け下さいました。今後は殿下の為めなら何時でも命を差し出します』 太『やア愛い奴だ。そんなら余の身代りとなつて今此処で死んで呉れ。汝の首を提げて右守司の前に差出し、スダルマン太子の生首と申し、首桶に入れて進物にいたす考へだから』 サ『メメ滅相な、今此処で命を取られては助けて貰つた甲斐が厶いませぬ』 太『ハヽヽヽヽ、汝の如き生首がどうして余の身代りにならうか。瓦は金の代りにはなるまい。あゝ総て人間の心は皆こんなものだらう。父王殿下の御側に親しく仕へ侍る老臣共は「大王殿下の為めならば何時でも命を的に働きます」と、臆面もなく口癖のやうに申て居たが、五月五日の大騒擾の勃発した時は、左守、右守を始め重臣共は四方に逃散り、唯の一人も参内したものは無かつた。高禄に養はれた重臣でさへも其通りだから、匹夫の汝が命を惜むのは無理もない。余は宣伝使に救はれた祝として、汝等両人を立派に放免する。何処へなりと勝手に行つたがよからうぞ』 太子のこの情の籠もつた言葉を聞くより、今迄腰を抜かして居た両人はムクムクと起き上り、長居は恐れ又もや御意の変らぬ内にと云つたやうな調子で、「ア、リ、ガ、ト、ウ、サ、マ」と互に一言づつ謝辞を述べながら、一目散に階段を昇り雲を霞と吾家をさして馳帰り行く。梅公別は遥の原野に遊んで居る二頭の野馬を捉へ来つて両人に勧めた。スバール姫は騎馬の経験がないので、梅公別が乗り来つた鞍付の馬に乗せ、二人の男は荒馬に跨り乍ら駒の蹄に土埃を立て、東北の空を目当に駆けて行く。 捉はれし太子の御子も三五の 神の恵に放たれてけり。 (大正一四・一・七新一・三〇於月光閣加藤明子録)
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霊界物語 68_未_タラハン国の国政改革2 21 祭政一致 第二一章祭政一致〔一七四五〕 スダルマン太子は宣伝使に送られ、一行と共に無事タラハン城内に立帰り、父の大王に面会し、今迄の不都合を謝し、且つ今後は心を改めて、父の後を継ぎ、国家万機の政事を総攬せむ事を誓つた。カラピン王は太子の姿を見るより、喜びの余り気が緩み、ガツカリとした其刹那、忽ち人事不省に陥り、四五日を経て八十一才を一期となし、此世に暇を告げた。太子は父王の位を継承しカラピン王第二世と称し、天下に仁政を布き、国民上下の区別を撤回し、旧習を打破し、国民の中より賢者を選んで、夫れ夫れの政務に就かしめ、下民悦服して皷腹撃壤の聖代を現出した。アリナ及びバランスは国法の命ずる所に従ひ、一時牢獄に投ぜられたが、太子が王位に即くと共に大赦を行ひ、両人は僅に一週間の形式許りの牢獄住居を遁れ、アリナは天晴右守司となつて国民上下の輿望を担ひ、輔弼の重任を尽し奉つた。そして民衆救護団長たりし大女のバランスを妻に迎へ、アリナの家は子孫代々繁栄した。又バランスはスダルマン太子の即位と共に民衆救護団の必要なきを感じ、部下一般に対して、解散の命を下した。左守司のガンヂーはカラピン王の後を逐うて、之亦眠るが如く帰幽した。浅倉山の山奥に隠れてゐた前左守司シャカンナは新王に召されて、城中に入り元の如く左守の職に就き、国政の改革に全力を傾注し、国民一般の大に信任を得た。太子の最も寵愛せしスバール姫は王妃の位に上り、殿内の制度を自ら改革し、従前の因習や情実的採用法を全廃し、賢女を集めて殿内の革正に努めた。又向日の森の辺に住む茶坊主のタルチンはスバール姫に終身仕ふる事となつた。毒婦シノブの為にインデス河に投込まれた王女のバンナ姫はバランスの部下に救はれ芽出度宮中に送り帰され、トルマン国の太子に懇望されて其妃となつた。大宮山の盤古神王の社は梅公別の宣伝使が指揮に従ひ、以前よりも数倍宏大にして且つ立派なる社殿を造営し、社を三棟となし、中央には大国常立尊、豊雲野尊を祭り、左側の宮には神素盞嗚尊、大八洲彦命を鎮祭し、右側の宮には盤古神王及国魂の神を鎮祭し、カラピン王家の産土神として永遠に王自ら斎主となり奉仕する事となつた。 カラピン大王や左守ガンヂーの葬祭式には上下挙つて会葬し、開闢以来の盛儀と称せられた。次いで大宮山の遷宮式並に太子の即位式や結婚式等にて、タラハン城市に全国より祝意を表して集まり来る者引も切らず、期せずして大火災に会ひしタラハン市は一年ならずして復興し、以前に優る事数倍の繁栄を来たした。何れも新王が民意を容れ、平等博愛の政治を布き給ひし恩恵として子供の端に至る迄其徳を慕ひ、不平を洩らす者は只一人もなかつたといふ。即位式の状況に付いては茲に省略し、祝歌のみを紹介する。 新王『久方の天津御神の御心を 麻柱まつり国を治めむ。 国民の日々の暮しの安かれと 朝な夕なに神に祈らむ。 親々の開き給ひし神の国を 謹み畏み守りまつらむ。 新しき国の政を開きつつ 野に在る聖広く求めむ。 大宮の下つ岩根に千木高く 鎮まりゐます神ぞ尊き。 三五の神の教を今よりは あが国民に教へひろめむ』 妃『吾君の勅のままに服ひて 御国の母と仕へまつらむ。 天つ神国津御神を斎ひつつ 吾神国の御民を治めむ。 諸々の珍の司を率ゐつつ 吾大君の道を助けむ。 有難き神の恵の露に会ひて 今日九重にわれは輝く。 世の中の御民よ永遠に安かれと 祈るはおのが願なりけり』 アリナ『大君は遠く御国に昇りまし 天にゐまして御代をしらさむ。 吾父は吾大君に従ひて 神の御国に昇りますらむ。 足曳の山の名画と謳はれし 后の宮のうまし御姿。 吾は今右守司と任られて あが大君の御前に侍る。 天はさけ地ゆり海はかかる共 君の恵は忘れざらまし。 大神と吾大君の御為に 心も身をも捧げまつらむ』 シャカンナ『神去りしあが大君に仕へてし われは再び世に出でにけり。 新たなるあが大君の恵にて 吾まな娘人となりぬる。 山奥に匂ひ初めたる梅の花 今日は高天に実を結ぶなり。 親と子の称へはあれど大君の 后とゐます君に従ふ。 十年振珍の都に立帰り 君に仕ふる事の嬉しさ。 今よりは心の駒を立直し 御民の心なごめまつらむ』 バランス『バランスは鄙に育ちし身ながらも 今日九重の空にすむ哉。 背の君と手を携へて政 輔けまつらむ事の嬉しさ。 タルチンの館に三年忍びつつ 仇に返せし事の苦しさ。 ブルジョアや資本階級悉く 打払はむとすさびせしかな。 都路に火を放ちたる曲業も 御代を救はむ心なりけり』 タルチン『力なき小さき吾身も御恵の 露にうるほひ甦りける。 有難し后の宮の手を取りて 茶道教ゆる身こそ嬉しき』 梅公別『皇神の貴の御光現はれて 世の基をば開く今日哉。 大宮山の聖場に大宮柱太しりて 斎ひまつりし大神の御前を畏み願ぎまつる 抑もこれの神国は遠つ神代の昔より 民の心を心とし国の司は天地の 神の心を心とし上下の隔てを取去りて 中取り臣と現はれて国の国王となり給ひ 四方の民草平けくいと安らけく撫で給ふ 畏き御代も中つ世に押よせ来れる曲道に 皆汚されて神国は悪魔の荒ぶる世となりぬ 上に仕ふる司等は名利の欲に心をば 晦ませ鬼と成変り民の苦み気にかけず 利己主義一途に相流れ世は日に月に弱りはて 怨嗟の声は野に山に都大路の隅々に 轟きわたる恐ろしさ時しもあれや皇神の 化身とあれますスダルマン太子の君は逸早く 能く民情に通じたるアリナの君を抜擢し 股肱の臣と愛給ひ心を合せ力をば 一つになして国民の苦難を救ひ助けむと 心を砕かせ給ひしが曇り切つたる九重の 御空の雲は深くして晴らす由なき常暗の 曲の健びは手を下す術さへもなく一時は 館を出でて山に野に彷徨ひ給ひ千万の 悩みをうけさせ給ひしが一陽来復時来り 今や王位に登りまし諸政の改革断行し 新に国を開きつつ慈母の赤子に於ける如 万の民を撫で給ふ畏き御世とはなりにけり あゝ惟神々々五六七の御代の魁か 仰げば高し久方の尊き神の御恵みか 称へ尽せぬ御稜威仰ぎまつれよ諸人よ 上は国王を初とし司々の端々も 神を敬ひ大君を慕ひまつりて邪の 心を改め惟神神の心に叶ひたる 勤めをなせよ惟神神に代りて梅公が 名残に一言述べておくあゝ惟神々々 御霊幸はひましませよ旭は照る共曇る共 月は盈つ共虧くる共仮令大地は沈む共 誠一つは世を救ふ神が表に現はれて 善と悪とを立わける此世を造りし神直日 心も広き大直日只何事も人の世は 直日に見直し聞直し世の過ちは宣り直し 珍の祭を永久に執らせ給へよ大君よ 三五教の宣伝使梅公別が謹みて 神の御旨を宣べ伝ふ』 梅公別の宣伝使は新王を始め並ゐる重臣共に神の教を諄々と説き諭し、再び白馬に跨り、タラハン城を後に眺めて、照国別の隊に合すべく、蹄の音も勇ましく、矢を射る如く帰り行く。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一四・一・七新一・三〇於月光閣松村真澄録) (昭和一〇・六・二三王仁校正)
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霊界物語 69_申_南米ウヅの国の国政改革 01 大評定 第一章大評定〔一七四六〕 太平大西両洋に跨り、常世の波をせきとめて、割つた屠牛の片脚の如うにブラ下つてゐる南米大陸は、春夏はあつても秋冬の気候を知らぬ理想的の天国である。太洋より絶えず吹き来る清風は、塩分を含んで土地を益々豊饒ならしめ、人頭大の果実は随所に豊熟し、吾人が坐して尚余りある如き数多の花は四方に咲きみだれ、数万種の薬草は至る所の山野に芳香を放つて繁茂し、アマゾン河におち込む数千の支流には数十万種の魚族が棲息し、山には金銀銅鉄石炭等の鉱物を豊富に包蔵し、特に石炭の産額は全世界に其比を見ざる所である。乍併現今は未だ充分に採掘の方法が備はつてゐないので、可惜宝庫を地に委してゐる次第である。 アンデス山脈は高く雲表に聳え、海抜一万四五千尺より三万尺の高地がある。そして山の頂きには狭くて十里、広きは数十里に亘る高原が展開してゐる。樹木の数も我国より見れば仲々多い。又ブラジル国を流るるアマゾン河の川幅は、日本全国を縦に河中に放り込んでも、まだ余る様な世界一の大河である。特にペルウ、ブラジル、アルゼンチン等の原野には、日本の柿の木の如うな綿の木が所々に天然に繁茂し、青、黄、赤、紫、白等自然の色を保つた綿が年中梢にブラ下つてゐる。又竹の如きも日本内地のすすき株の様にかたまつて生え、太さは横に切つて、棺桶や手桶が造れる位である。蕗の如きは一枚の葉の下に十人位集まつて雨を凌ぐことが出来るやうなのがある。牛馬羊豚などは際限もなき原野に飼放しにされてゐるが、それでも持主はめいめい定まつてゐる。味の良き苺やバナナ、無花果などは少し低地になると厭になる程沢山に出来てゐる。そして猿に鹿、野猪などは白昼公然と人家近くよつて来て平気で遊んでゐる。鷹のやうな蝶や蝙蝠、又蜂のやうな蟆子、雀のやうな蜂、拳のやうな蠅が風のまにまに群をなしてやつて来ることもある。すべてが大陸的で日本人の目から見れば実に肝を冷すやうなこと計りである。乍併瑞月は伊予の国道後温泉のホテルの三階に横臥したまま目に映じたことを述べたに過ぎないから、或は間違つてゐるかも知れない。南米の事情に詳しき人が此物語を読んだならば、始めて其虚実が分るであらう。只霊眼に映じた儘を述べたに過ぎない。 三五教の宣伝使国依別命が、神素盞嗚大神、言依別命の命に依り、瑞の御霊の大神が八人乙女の末女末子姫に娶ひて、アルゼンチンの珍の都の国司となりしより、天下泰平国土成就して四民和楽し、珍の天国を永久に築き上げ、国民は国司の仁徳を慕ふて、天来の主師親と仰ぎ仕へまつることとなつてゐた。然るに常世の国よりウラル教の思想何時とはなく、交通の発達と共に輸入し来り、日を追ひ月を重ねて、漸く国内には妖蔽の兆を呈して来た。到る所に清家無用論や、乗馬階級撤廃論が勃発し、互に党を作り派を争ひ、さしもに平和なりしアルゼンチンは、漸く乱麻の如き世態を醸成するに至つたのである。国依別は漸く年老ひ、城内の歩行にも杖を用ゐるに至り頭に霜を戴き、前頭部は殆んど電燈の如くに光り出した。末子姫も漸く年老ひ、中婆さまとなつて了つた。国依別末子姫二人の中に国照別、春乃姫といふ一男一女があつた。国照別は父国依別の洒脱にして豪放な気分を受け、幼少より仁侠を以て処世の方針としてゐた。そして清家生活を非常に忌み嫌ひ、隙間があれば、城内をぬけ出し簡易なる平民生活をなさむと考へてゐたのである。 国司を補佐して忠実につとめてゐた松若彦、捨子姫も漸く年老ひ、松依別、常盤姫の二子をあげてゐた。そして松若彦の部下に伊佐彦、岩治別の左右の重職があつて、松若彦の政務を補佐しつつあつた。 神素盞嗚の大神が皇大神の経綸を 遂行せむと斎苑館後に眺めてはるばると 天の岩樟船に乗りアルゼンチンの珍の国 珍の都に天降りまし八人乙女の末子姫 国の司と定めつつ国依別の神司 夫と定めて合衾の式を挙げさせ勇み立ち 再びフサの産土の厳の館に帰りしゆ 三十三年の星霜を経にける今日の都路は 薨も高く立並び数十倍の人の家 建てひろがりて南米に並ぶ者無き大都会 交通機関は完成し数多の役所は立並び 大商店は櫛比して昔のおもかげ何処へやら うつて変りし繁栄に驚かざるはなかりけり 国依別と末子姫二人の中に生れたる 国照別や春乃姫容色衆にぬきんでて 珍の都の月花と南米諸国に鳴りわたり 若き男女の情緒をばそそりて血をばわかせたる 遠き神代の物語褥の上に横たはり 言霊車ころぶまに面白可笑しく述べて行く あゝ惟神々々御霊幸ひましませよ。 珍の都の高砂城内評定所の別室には、大老松若彦を始め、伊佐彦、岩治別の老中株が首を鳩めて秘密会議を開いてゐた。空はドンヨリとして何となく蒸暑く、一種異様の不快な零囲気が室内を包んでゐる。松若彦は二人の老中株に打向ひ、水ばなをすすり乍ら、骨と皮との赤黒い腕を前へニユツと出し、招猫宜しくの体で歯のぬけた口から、慄ひ慄ひ先づ火葢を切つた。 『御両所殿、今日は御多忙の処早朝より能く御来城下さつた。今日御招き申したのは、折入つて御両所に相談したきことがあつて、自分の決心を忌憚なく吐露し、御両所の御援助を得たいと思ふのだ』 と云ひ乍ら、コーヒーを一口グツと飲んで、顎鬚にしたたる露を、分の厚いタオルでクリクリと二三遍拭ふた。 伊佐『御老体の身を以て、何時も国家の重職に身命を捧げ下さる段、誠に感謝に堪へませぬ。そして今日吾々をお招きになつた御用件は如何なる事か存じませぬが、吾々の力の及ぶ事ならば、国司の為、珍の国の為、あらむ限りの努力を払ふで厶いませう』 松若『イヤ、それを聞いて松若彦安心を致した。岩治別殿、貴殿も亦伊佐彦殿と御同感で厶らうなア』 岩治『いかにも、左様、吾々は元より身命を君国の為に捧ぐる者、閣下の御言葉に対し一言半句たり共、違背致す道理は厶いませぬ。乍併今日の世は大に改まつて居ります。革新の気分が漲つて参りました。それ故慨世憂国の吾々、閣下の御言葉に依つては或は国家の将来を慮るについて背かねばならないかも分りませぬ。そこは予め御承知を願つておきます』 松若『成程貴殿の云はるる通り、今日の社会は昔日の社会ではない。日進月歩殆んど止まる所を知らない世の中の情勢で厶る。就ては松若彦が御両所に御相談と申すのは、御承知の通り老齢職に堪へず、大老の職を辞し、新進気鋭の御両所に吾が職を譲り、退隠の身となり、光風霽月を楽しみ、閑地につきたいと欲するからで厶る。何と御両所に於て吾が希望を容れ、後任者たる事を承諾しては下さるまいか』 伊佐『これは怪しからぬ閣下の仰せかな。閣下は珍一国の柱石では厶らぬか。上下の一致を欠き、清家と衆生との争闘烈しき今日、国家の重鎮たる閣下が今日の場合、万々一退隠さるる様の事あつては、それこそ乱れに紊れし国家はいやが上にも争乱を勃発し、社稷を危うするの端を開くのは最も明かなる道理で厶る。何卒此儀許りは思ひ止まつて頂きたう存じます』 松若『貴殿の勧告は一応尤も乍ら、老齢職に堪へざる身を以て国家重要の職に居り、後進者の進路を壅塞し、国内の零囲気をして益々腐乱せしむるは、拙者に於て忍びざる所、何卒々々吾希望を容れ、御両所の中に於て大老の職を預かつて貰ひたい』 岩治『成程、松若彦様のお言葉の通り、齢幾何もなき老人が国政を執るは国家の進運を妨ぐること最も甚しく、且惟神の大道に違反するものならば、お望みの通り御退隠なさいませ。拙者は実の所は数年前より只今のお言葉を期待して居りました。実に賢明なる閣下の御心事、イヤ早感激の至りに堪へませぬ』 伊佐彦は憤然として言葉をあららげ、 『コレハコレハ御両所共、以ての外のお言葉、左様な意志薄弱なる事では民を治むる事は出来ますまい。飽く迄も国家の為に犠牲的精神を発揮遊ばすのが大老の御聖職では厶らぬか。岩治別殿は松若彦様に対し、御諌言申上ぐることを忘れ、自ら其後釜に坐り、畏れ多くも、国司様の代理権を執行せむとする其心底野望の程、歴然と現はれて居りますぞ。左様な野心を有する役人が上にあつては、下益々乱れ遂には収拾す可らざる乱世となるでせう。拙者はあく迄も松若彦様の御留任を希望して止みませぬ』 岩治『これは怪しからぬ伊佐彦の言葉、拙者は決して野心なんか毛頭持つてゐませぬ。よく考へて御覧なさい。松若彦様は已に御頽齢、かやうな時には、新進気鋭の若者でなくては国家を支持し、民心をつなぐ事は出来ますまい。さすが賢明なる松若彦様、此間の消息を御推知遊ばされ、進んで自決の途に出でられたのは天晴国家の柱石と称讃申上ぐる外はありますまい。及ばずながら御心配下さるな。みごと拙者が松若彦の後任者となつて、上は国司に対し、下国民に対して、至真至粋至美至愛の善政を布き、珍の天地を神素盞嗚大神が降らせ玉ひし、昔の天国浄土に立直して御覧に入れませう』 伊佐『おだまりなされ。貴殿は老中の地位に在りと雖、無能無策、到底国家の重任に堪へざるは、上下一般の認むる所で厶る。常に大言壮語を吐き、私立大学を創立して不良青年を収容し、国家顛覆の根源を培ふ悪魔の張本、到底城中の政治を左右する人格者では厶らぬ。それだと云つて外に適任者はなし、御苦労乍ら松若彦様に今一度の御奮発を願はなくては、忽ち貴殿の如き非国家主義者が政権を掌握さるる事となつて了ふ。之れ国家の為に最も恐るべき大事変で厶る。貴殿にして一片報国の至誠あらば体よく老中の地位を去り、爵位を奉還し、野に下つて、民情をトクと視察し其上更めて意見を進言なされ。此伊佐彦のある限り、どこ迄も貴殿の欲望は遂げさせませぬぞ』 松若彦は心の中にて……到底今日の世の中、今迄通りではやつて行けないことは、百も千も承知してゐた。されど投槍思想を帯びた岩治別に政権を渡せば、忽ち国家の根底を覆すであらうし、真に国家を思ふ伊佐彦に政権を渡せば、時勢おくれの保守主義を振りまはし、益々民心離反の端を開くであらう、ハテ困つた事だなア、退くには退かれず進むにも進まれず、国内一般の民情を見れば、上げもおろしも、自分の力ではならなくなつて来た。到底清家政治や閥族政治のいつ迄も続くべき道理がない…否斯の如く乗馬階級の政治的権力は最早最後に瀕してゐる。何とかして国内の空気を一新し、人心の倦怠を救ひ、思想の悪化を緩和し、上下一致の新政を布きたいものだ。あゝ何うしたら可からうかな、……と水ばなをすすり、腕をくみて両眼よりは涙さへ滴らしてゐる。三人は何れも口を噤んで互に顔を見守つてゐる。 そこへ浴衣の上へ無雑作に三尺帯をグルグル巻にして鼻唄を唄ひながらやつて来たのは国照別であつた。 国照『ヨー、デクさまの御集会かな、到底、干からびた古い頭では、碌な相談もまとまりはしまい、…ヤアー松若彦、お前は泣いてゐるのか、お前もヤツパリ年が老つた加減か、余程涙つぽくなつただないか、……ヤア保守老中の伊佐彦に投槍老中の岩治別だな、…ヤ面白からう、一つ大議論をやつて退屈ざましに僕に聞かしてくれないか。僕も実の所は清家生活がイヤになつて、どつかへ飛出さうと思つてゐるのだが、何をいつても籠の鳥同様、近侍だとか、衛士だとか旧時代の遺物が僕の身辺にぶらついてゐるものだから、何うすることも出来やしない。之も要するに頭の古い大老の指図だらう。僕の親爺は、決してこんな窮屈なことは、好まない筈だ。オイ酒でも呑んで、いさぎようせぬかい。高砂城内で涙は禁物だからのう』 松若彦は手持無沙汰に涙をかくし乍ら二三間許り座をしざり、畳に頭をすりつけ乍ら、 『コレハコレハ、若君様で厶いますか、エライ御無礼を致しました。何卒々々神直日大直日に見直し聞直し、無作法をお赦し下さいませ』 国照『オイ、爺、ソリヤ何をするのだ。左様な虚礼虚式的な事は、僕は大嫌ひだ。モウちつと活溌に直立不動の姿勢を執つて、簡単に挙手の礼をやつたら何うだ、余りまどろしいぢやないか』 松若『恐れ入りました。併し乍ら城内には城内の規則が厶いますから、有職故実を破る訳には参りませぬ。礼なくんば治まらずと申しまして、国家を治むるには礼儀が第一で厶いますから、之計りは何程お気に入らなくても許して頂かねばなりませぬ。之は珍の国の国粋とも申すべき重要なる政治の大本で厶います。礼儀なければ国家は直にみだれ、長幼の序は破れ、君臣父子夫婦の道は亡びて了ひます』 国照『ウンさうか、それも結構だが、お前が若しも国替をして、居らなくなつても、有職故実は保存されると思うてゐるのか、今日の人間の心はそんなまどろしい事は好まないよ。何事も手つ取早く埒をつける事が流行する世の中だ。昔の様に歌をよんだり、長袖を着てブラブラと遊んで居つた時代とは世の中が変つてゐる。昔の百倍も千倍も事務が煩雑になつてゐるのだから、そんな辛気臭い事は到底、永続すまいよ』 岩治『実に痛み入つたる若君様のお言葉、岩治別、実に感激に堪へませぬ。斯の如き若君様を得てこそ、珍の国家は万代不易、国家の隆昌を期する事が出来るでせう。親君様は最早御老齢、何時御上天遊ばすかも知れぬ此場合、賢明なる若君様の御心を承はり、岩治別、イヤもう、大変な喜びに打たれ、勇気が勃々として湧いて参りました。此若君にして此臣あり、老中の仲間に加へられたる吾々なれど、未だ心まで老耄はして居りませぬ。何卒若君様、微臣を御心にかけさせられ、重要事務は微臣に直接御命令下さいませ。松若彦殿は老齢職に堪へずとして、只今吾々の前に辞意をもらされました』 国照『ウンさうか、松若彦もモウ退いても可いだらう。伊佐彦も随分古い頭だから、此奴も駄目だし、岩治別は少し許り今日の時代に進みすぎてるやうでもあり、又遅れてるやうな所もあり、到底完全な政治はお前たちの腕では出来相もない。僕が親爺に勧告して退職をさせ、簡易なる平民生活に入れてやり、安楽な余生を送らせたいと思つてゐるのだから、一層のこと、お前たちも大老や老中なんか廃して、安逸な田園生活でもやつたら何うだ。僕も大に覚悟してゐるのだからな』 三人は国照別の顔を無言のまま、盗む様にして打守つてゐる。国照別は無雑作に、 『高砂城の床の置物、無神経質の骨董品殿、三人よれば文珠の智慧だ。トツクリと衆生の平和と幸福とを擁護し、人民の思想を善導すべく神算鬼謀を巡らしたが可からう。あゝ六かしい皺苦茶面を見て肩が凝つて来た。ドーラ、馬にでも乗つて馬場でもかけ廻つて来うかな』 と云ひすて、足音高く奥殿さして進み入る。後見送つて松若彦は又も涙を垂らし乍ら、 『肝心要の後継者たる若君様が、あのやうなお考へでは最早珍の国家は滅亡するより仕方ない。あゝ困つた事になつたものだ、なア伊佐彦殿』 伊佐彦は真青な顔して、唇をビリビリふるはせ乍ら禿げた頭をツルリと撫で、 『閣下の云はるる通り、困つた事で厶る。どうして珍の衆生を安穏ならしめ、お家を永遠に栄ゆべき方法を講じたら宜しう厶いませうか。深夜枕を擡げて国家の前途を思ひみれば、実に不安の情に堪へませぬ』 岩治『アツハヽヽ、此行詰つた現代を流通させ、衆生が皷腹撃壤の天国的歓楽に酔ひ、各業を楽む善政を布くは何でもない事で厶る。御両所等は斯う申すと憚り多いが、頑迷固陋にして時代を解し玉はざる為で厶いませう。時代の潮流を善導してさへ行けば、珍の衆生は国司の徳を慕ひ、忽ち天国の社会が展開されるは明かな事実で厶いますぞ。兎も角退隠遊ばすが国家の進展上第一の手段だと考へます。徒に旧套を墨守して衆生の心を抑へ、社会の進歩を妨ぐるに於ては何時如何なる大事が脚下から勃発するかも知れませぬぞ。拙者は決して自己の権利を得むが為、又は政権を壟断せむが為に論議するのではありませぬ。国家を救ふのは拙者の考ふる所を以て最善の方法と思ふからです。御両所に於かせられても、速に色眼鏡を撤回して拙者の真心を御透察下さらば、自らお疑が解けるでせう』 松若『侫弁を以て己が野心を遂行せむとする貴殿の内心、いつかないつかな、其手に乗る松若彦では厶らぬ。及ばず乍ら拙者は珍の国の柱石、かくなる上は最早御心配下さるな。拙者は命のあらむ限り、君国の為に、老齢乍ら奮闘努力致して見よう。就いては伊佐彦殿、今日只今より岩治別に対し、老中の職を解くから、貴殿もさう考へなされ。そして今後は何事も拙者と御相談な仕らう』 伊佐彦は喜色満面に泛べ乍ら、「ヤレ邪魔者が排斥された」……と云はぬ許りの態度にて、 『閣下の仰、御尤も千万、国家の為、謹んで祝し奉ります。岩治別殿、大老よりのお言葉、ヨモヤ違背は厶るまい。サア速に此場を退出召され』 と居丈高になつて罵つた。 岩治『これは怪しからぬ両所のお言葉、拙者は貴殿等より任命された者では厶らぬ。永年国務に鞅掌致した功労を思召され、国司より老中の列に加へられたる者、然るを大老の身を以て吾々に免職を言ひつくるとは、実に不届き千万では厶らぬか。貴殿等は神権を無視し、国政を私するものと言はれても遁るる言葉は厶りますまい。乱臣賊子とは貴殿等のことで厶る』 と居丈高になり声荒らげて睨めつけた。 松若彦、伊佐彦は目配せし乍ら、ソツと此場を立つて国依別国司の御殿に進み入る。 後に岩治別は双手を組み、越方行末のことなど思ひ浮かべて、慨世憂国の涙にくれてゐた。そこへ若君の国照別はあわただしく只一人入来り、 『オイ、岩治別殿、一時も早く裏門より逃れ出でよ。汝を捉へて獄に投ぜむと、二人の老耄爺が大目付を呼び出し手配りさしてゐる。サア、時遅れては取返しがつかぬ、早く早く』 とせき立てた。岩治別は挙手の礼を施し乍ら『ダンコン』と只一言を残し、夕暗を幸ひ、姿を変じて裏門より何処ともなく消えて了つた。 三五の月は東の山の端を照して、高砂城内の騒ぎを知らぬ顔にニコニコと眺めてゐる。 (大正一三・一・二二旧一二・一七於伊予山口氏邸、松村真澄録)
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霊界物語 69_申_南米ウヅの国の国政改革 06 背水会 第六章背水会〔一七五一〕 珍の城下深溝町の俥帳場に、車夫と化け込んでゐた国愛別の愛州は、取締上りの幾公と共に、横小路に可なり広い邸宅を借受け、賭場を開帳してゐた。数百人の乾児は忽ち集まり来り、親分々々と尊敬し、親分の命令とあらば生命を鴻毛よりも軽んじ、如何なる事にも善悪共に其頤使に甘んじ、難に殉ずるを以て、乾児たる者の光栄としてゐた。愛州は普通の侠客とは違つて、元がヒルの国楓別の国司の悴丈あつて、何処とも無く気品が高く、且豪胆にして少しも物に動ぜず、一旦頼まれた事は決して厭と云はなかつた侠客である。世の中の一般の行り方が癪に障つて堪らぬので、遙々遠き山阪を越え、尊貴の身を捨てて、珍の都迄やつて来たのである。 生れついての皮肉家で、世の中を革正する為とて、内面には博奕を渡世となし、表看板には万案内所と云ふ看板を金文字で現はしてゐた。 『一、因循姑息お望の方は最寄の取締所へお出で下され度候 一、頑迷無恥お望の方は、世悉く濁る吾独り澄むと自惚れてゐる梨田ドラック氏へお訪ね下され度候 一、喧嘩乱暴お望の方は惑酔会へお訪ね下され度候。又口先計りの自称対命舎及政党屋をお訪ね下され度候 一、不親切お望の方は口実職業紹介所へお訪ね下され度候 一、多角関係お望の方は妃向国の新しき村へお出で相成度候 一、偽善生活お望の方は一度花の都の一灯園東田地香氏方をお訪ね下され度候。併し乍ら同氏に対し、少しにても利益を与ふる掛合ならば極めて親切に取扱ひくれ候 一、山子欺お望の方は変態愛国者苦糟大異へお訪ね下され度候。但し畸形的愛国者に限り申候事 一、没常識お望の方は珍の都の四ツ辻便所へお出で下され度候 一、金儲お望の方は富人世界雑誌社並に心零犬灸会同人へお訪ね下され度候 一、厚顔無恥お望の方は新聞ゴロ及労働ブローカーへお訪ね下され度候 一、時代錯誤お望の方は石火暴死団へお訪ね有之度候 一、其他何事に仍らず矛盾と誤解と虚偽と偽善とお望の方は嘔吐白住持社へお訪ね下され度候 一、公平社と争論希望の方は惑酔会へお訪ね下され度候』 と云ふ様な大きな看板を掲げて、往来の人の足を止めてゐた。其処へ面を顰めて、十手を下げてやつて来た一人の取締がある。 取締『コリヤコリヤ当家の主人は居るか』 門口を掃いて居た乾児の八公は取締の姿を見て、 『ハイ、親分は奥に居られますが、滅多に博奕は打つて居りやせぬから、何卒帰つて下つせい』 取締『イヤ、博奕は今打つて居なくても、拘引せうと思へば何時でも拘引出来るのだ。新刑法に仍つて賭博常習犯人とブラツクリストについて居るのだから、非現行犯で引張つてやらうかな』 『ヘーン、そんな細い体をして、キラキラ光る物をブラつかせ威喝したつて駄目でい。そんなことに驚く親分だ厶いやせぬ哩。わつち達の仲間は一遍でも余計芸務所の門を潜つたら顔が好う成るのでげすから、マア奥へ這入りなさい。卑怯未練に逃げる様な侠客ア一人も居りませぬよ。横町の蜈蚣の権太の親分の様に、取締が来たと云ふて二階から飛出し、脛を折つたり、腕を折つたりして、取つ捉まる様なヘマなこたア致しやせぬ』 取締『汝では訳が分らぬ、親分を此処へ呼んで来い』 八『ヘン、吾々に取つては神様同様に、命迄捧げて仕へてる親分、さう易々動かす訳には行きやせぬ哩。愚図ぐづして居ると、お前さま、笠の台が無くなりますよ。早く御帰りなさい』 斯く話して居る所へ、奥から兄貴分の照公が二三人の兄弟分と共に現はれ来り、 照『ナヽ何だ何だ』 八『兄貴、今此取締先生が、ゲン糞の悪い朝つぱらからやつて来て、グヅグヅ云つてるのだ。俺昨晩負けて来て、今日はムカついて堪らないのに、グヅグヅ吐かすんだもの、癪に障つて仕方がねいんだ。早くボツ帰して呉れないかね』 照『ヘー、わつちや、愛州の乾児でげして、照公と申し、チツタア、珍の都で名を知られた、ケチな野郎でげす。どうかお見知りおかれまして、可愛がつて下せい。侠客渡世はして居りましても、面にも似合はねえ優しい男でげすよ。八公がどんな無礼なことを申しやしたか知りやせぬが、如何かわつちの面に免じて許してやつて下つせえ。そして今日お出になつたのは何の御用でげすかなア』 取締『外でもない、役頭の命令に依つて、当家の看板を撤回させに来たのだ。不穏文書を張出し、怪しからぬと云ふので、誰か訳の分る男に屯所迄来て貰ひたいのだ。そして一時も早く本漢の目の前で引落し、片付けて了ひ、人心悪化の極に達した今日、斯様な看板を掲載されたら、取締所として黙過する訳にや行かない。サ、早くお神の命令だ、撤回しろ』 照『何の御用かと思へば、わつちの商売の看板を除れと仰有るのですか、ソリヤなりませぬ』 取締『お神の許可を受けた上で、掲揚するならしても可からう。兎も角速に下ろしたが可からう』 照『あゝ、コリヤわつちんとこの親分の商売でげすから、商売の妨害迄は、何程取締権が絶対だと云つても、其処迄の干渉は出来ますまい。断じて撤廃は致しませぬ。抑も此案内の看板に書いてあることは少しも虚偽はありませぬ。事実有りの儘の事が記してあるのですから、別に詐欺でもなければ悪事でもありますまい。事実のことをやつて居るのが悪いのですか。こんな小さいことを咎めるよりも、モツト大きい泥棒をお調べなさいやせ。何十万円何百万円と云ふ大泥棒が、玩具をピカつかせて、都大路を横行濶歩してるのが、貴方達のお目につきませぬか。自分の金で自分が勝負してるのに、賭博犯だと云つて、拘引したり、牢へ打ち込んだり、そんな末の末の問題に頭を悩ますより、法の権威を極端に発揮し、天下の大道を白昼に横行してる大泥棒を挙げなさい。何程其方が国家の為だか知れやせぬよ。お前さまも僅かな月給でチボの後を追ひかけたり、門で片肌脱いだり小便こいてる人間を叱り飛ばしてるよりも、どうだい、俺達の仲間へ這入つて、一生を面白う可笑しく快活に暮したら、可いでせう、どうでげす』 取締『生活の道は保証して呉れるだらうな』 照『宅の親分は頼むと云はれて、後へ引く様な安つぽい腰抜男とは違ひやす。サアサア合羽を脱いだり脱いだり、ヤ、男は決心が第一だ。斯うやつて出て来る取締を片つ端から乾児にし、珍の都に取締が一人も無い所迄やつてやらうと云ふ、背水会の主義綱領だ』 取締『イヤ、モウ君等に掛つたら命武者だから仕方がない。そんなら僕も、女房があるでなし、何時雄とか雌とかを貰ふか分らぬのだから、安全地帯の親分の膝下に跪くことにせうかな』 照『ヨーシ、呑込んだ。直接の親分の乾児にはなれぬぞ。俺の直参だ。俺の上には又兄貴がある。其兄貴の兄貴の兄貴の親分が大親分だ。先づ軍隊で云へば、俺は少佐位な者だから、さう思うて俺の云ふことを聞くのだぞ。其代りに三日も飯を食はぬと居らうとママだし、寒の中裸で慄はうとママだし、アイサに拳骨を二つや三つ喰はされようとママだから、マアさうして胆力を練るのだなア、アツハヽヽヽ』 取締『ウツフツフヽ』 取締の名は佐吉と云つた。到頭照公の言霊に打捲られて、取締から侠客社会へ背進して了つた。 大親分の愛州は二三の幹部を伴ひ、裏口からソツと脱け出で珍の都の十字街頭に立ちつつ呶鳴り始めた。群衆は喧嘩だ、狂人だ、大事件の突発だと口々に呼はり乍ら、蟻の如くに愛州の周囲を取捲いた。愛州は手近にあつた饂飩屋の牀几を無断で道路の真中に引つ張出し、其上に直立して雷声を張り上げ、 『珍の国を守ると云ふ武士達よ。汝の自己愛的なる厳めしき鎧甲を脱げ。排他と猜疑と狡猾と無恥とに飾られた宗教家よ、汝の着する法衣を脱げ。政治家も教育家も一般衆生も、汝が朝夕身に纏へる虚偽と虚礼と虚飾の衣服を脱げ。更始革新の今日、一切の旧衣を捨て、新らしき愛と真との浄衣と着替へよ。汝等の纏へる旧衣に、旧き思想と矛盾の蚤が巣ぐつて居る。偽善的精神や奴隷的根性の蛆虫が蔓つて居るぞ。汝等は斯の如き弊衣を脱がない限り、汝等の生活は虚偽の生活だ、真の人間生活では無いぞ。人間として人間の生活の出来ない位詰らぬものは無からうぞ。一時も早く眼を覚せよ。一時も早く新らしき浄衣と着かへて真実の人間生活に入れよ。この浄衣には人間生活に必要なる新思想の光明が燦然として輝いて居るぞ。芳ばしき蘭麝の香が充ちて居るぞ。何を愚図々々躊躇するか。万々一この更衣の神業に妨害するものあらば、汝等の仇敵として其奴を倒せ。然らずんば汝等は自ら着せる旧衣の為に自滅の厄難に遭ふであらう。此目的を貫徹するには、何人も背水の陣を張つてかかれ。是位の事が出来ぬ様では、人間としての価値は絶無だ。体能く人間を廃業したが良からう。僕は背水会の会長泥池の蓮公さまだ。権門勢家に尾を掉るな。金銀に腰を屈するな。時代は浸々乎として潮の如く急速に流れて居るぞ。珍の国の衆生は文明の世界に於ける落伍者を以て甘んずるものでは無からう。畏くも神素盞嗚尊の子孫の神臨し玉ふ光輝ある歴史を持つた国民では無いか。豪毅と果断とは汝等祖先以来の特性ではないか。時は今なり、時は今なり、三千万の同胞背水会の宣言綱領に眼を覚ませ』 と滔々として傍若無人的に演説する時しも、数十人の取締は前後左右より襲来して愛州を引摺り落とした。群衆はワアイワアイと動揺めき立ち、衆生と取締との血迷ひ騒ぎが各所に演ぜられた。 愛州は幸か不幸か、数十人の取締に取巻かれ、高手小手に縛り上げられ、ボロ自動車に乗せられて、珍の城下の暗い牢獄へ投込まれて了つた。数多の乾児共は此話を聞くより、躍気となり、列を作つて赤襷に赤鉢巻をし乍ら、棍棒、竹槍、薙刀、水鉄砲等を携へ、牢獄めがけて潮の如く押寄せ、忽ち附近は修羅の巷と化して了つた。取締は逐々繰出す。時々刻々に侠客の連中は得物を持つて蝟集し来る。一方に百人殖ゆれば一方に百人殖ゆるといふ有様で、人を以て附近の広場は埋められた。そこへ弥次馬が侠客の声援をなすべく、面白半分にやつて来て、後の方から石を投げる。忽ち大混乱大争闘の幕がおりた。そこへ兄の在所を尋ねてゐた春乃姫は、葦毛の馬に鞭ち、此場にかけ来り群集の騒ぐのを見て、まつしぐらにかけ入り、馬上につつ立ち乍ら、 春乃『双方共、解散せよ』 と優しい涼しいカン声で呼はつた。数多の取締は春乃姫の姿を見て、抗弁する訳にもゆかず、唯々諾々として一人も残らず根拠地へ引上げて了つた。跡にワイワイと鬨の声をあげて、侠客の乾児連や弥次馬がドヨメキ立つてゐる。春乃姫は一同に向ひ、 『如何なる間違か知らぬが、妾がキツとあとを聞いてあげるから、一先づお退きなさい』 乾児の源州は恐る恐る前に現はれ、 『今日の場合となつては、後へひくことは出来ませぬが、国司様のお姫い様のお言葉を畏み、一先づ此の場は退却致します。私は珍の都の侠客愛州の身内の者、親分愛州が取締の為に捕へられ牢獄に投ぜられましたので、之を取返さむと乾児共が押寄せました所で厶います。何分宜しくお願申しやす』 春乃『あゝさうであつたか。親分一人の為に、数多の乾児が命をすてて救に来たのか、ヤ感心だ。人間はさうなくてはならぬ。併し乍ら窮屈な法規が布かれてある法治国だから、妾の自由にさう着々と解放する訳にはゆかぬ。併し乍ら妾が仲裁に這入つた以上は、キツト汝等の親分を救ひ出し無事に渡すであらう。先づ安心して引取つて下さい。今すぐといふ訳にもゆくまいが、今後十日の間にはキツト助けてやる程に、妾の言葉を信用して早くお退きなさい』 源州は有難涙にくれ乍ら、 『何分宜しくお願申ます』 と幾度も頭も下げ、数多の乾児を引つれて、横小路の親分館へと帰つて行く。あゝ此結果は如何に落着するであらうか。 (大正一三・一・二二旧一二・一二・一七伊予於山口氏邸、松村真澄録)
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霊界物語 69_申_南米ウヅの国の国政改革 14 暗枕 第一四章暗枕〔一七五九〕 国照別主従はアリナ山の中腹に止むを得ず一夜を明す事となつた。咫尺を弁ぜざる濃霧は陰々として身に逼り来るかとみれば、忽ち空は黒雲漲り、夕立の雨が礫の如く二人の衣を打ち、吹き飛ばすやうな風がやつて来る。深霧、靄、大雨、大風と交る交る走馬燈の様に迫つて来る其淋しさ苦しさに、流石の国照別も初めて知つた旅の悩み、心の底より天地に拝跪して一時も早く黎明の光を仰がむ事を祈願した。されども時の力は何程祈願しても左右することは出来ず、夜は深々として更ゆく計り、四辺は益々暗く互の所在さへ目に入らなくなつて了つた。 国照『雨風にさらされ霧につつまれて 行手に迷ふ吾身魂かな』 浅公『気の弱い親分さまのお言葉よ いつ迄暗の続くものかは』 国照『浅公の生言霊をめで給ひ 朝日の御空恵ませ給はむ。 朝茅生の野辺を渡りて今ここに 誠アリナの峰に休らふ。 夜の雨峰の嵐におびえつつ ふるひゐるかも木々の梢は』 浅公『主従がふるひゐるかと思ひしに 木々の梢で先づは安心。 親分が慄ふ様では曲神の すさぶ世の中渡るすべなし』 国照『ふるふといふ吾言霊は世の中の あらゆる塵をふるふ謎なり』 浅公『負ぬ気の強い国照別さまよ 気をつけ給へ漆の木蔭を。 右左前も後も見えわかぬ 暗の山路はいとど静けき』 国照『浅公よ静かなりとは嘘だらう 心の淋しさ語るにやあらむ』 両人は何となく寂寥の気に打たれ、膝をすり合して阿呆口を駄句つてゐる。どこともなしに細い淋しい糸の様な声が聞えて来た。浅公は国照別の腰に喰ひつき、ビリビリと慄うてゐる。 浅『オヽ親分さま、デデ出ましたぞ』 国照『ウーン、出たの』 浅『どうしませう』 国照『何うでも可いワ、惟神に任すのだな。屹度神の試練だよ。お前のやうな臆病者を伴れてゆくと、俺の手足纒ひになると思つてアリナ山の魔神が気を利かし、お前を片付けてやらうと思つて、出現したのかも知れないよ、アツハヽヽ、テモ扨も暗い事だワイ。若し汝と間違へられて、俺が頭からガブリとやられちや大変だから、オイ浅、二三尺間隔をおいて喋らうだないか。之丈暗くては化物だつて、目が見え相な道理がない。声さへ出しておればそれを標的にかぶるだらうから、フツフヽヽ』 浅『親分さま、貴方は随分水臭い事を云ひますね。乾児の難儀を助けて下さるのが親分ぢや厶いませぬか。自分が助かる為に乾児を魔神に喰はさうとなさるのですか』 国照『勿論だよ、お前は俺の乾児になる時、何と云つて誓つた……親分さまの御身に一大事があれば、命をすてて尽します。命は親分に捧げました……と云つて、小指迄切つて渡しただないか、御苦労だなア、ハツハヽヽ、持つべき者は乾児なりけりだ。若しも汝がゐなかつたなれば、身代りがない為、俺が喰はれて了ふのだ。浅公のお蔭で俺も命が全ふ出来るワイ。南無浅公大明神、殺され給へ、喰はれ給へ、叶はぬから霊幸はへませ、エツヘヽヽヽヘ』 浅『ソヽそれは、チヽチツと違ひませう。親分が喧嘩の時とか、又強きを挫き弱きを扶け遊ばす時に、お伴にいつて命をすてるのなら、捨甲斐もありますが、こんな淋しい山の奥で、エタイの分らぬ化物に喰殺されちや本当に犬死ですからなア』 国照『そりや汝のいふ通り、全くの犬死だ、縁の下の舞だ。然し乍らそれを犠牲といふのだ。親分がまさかの時に犠牲にする為、汝を乾児にしておいたのだ。俺だつて、たつた一人の乾児を魔神に喰はしたくはないが、それでも自分の命をすてるよりは辛抱がしよいからのう、ホツホヽヽヽ』 最前の怪しい口笛を吹くやうな声は細い帯の様に地上七八尺の上の方に線を劃して聞えてゐる。 『ヒユーヒユー、ヒーユー』 実際は梢を疾風の渡る音であつた。されど浅公の身には妖怪とより聞えなかつた。国照別は始めから風の声だといふ事は承知してゐたが、余り浅公が驚くので、面白半分に揶揄つてみたのである。浅公は慄ひ声を出して、 『国治立大神様、瑞の御霊大神様、何卒々々只今現はれました怪しき神を追ひのけて下さいませ。親分も大切なら、私の体も大切で厶います。親分の代りに私が喰はれますのは少しも厭はぬことは……厶いませぬが、同じことなら、親分乾児共にお助け下さいませ。今私がここで喰はれましては、親分さまも知らぬ他国で一人旅、御苦労御艱難をなさるのがお気の毒で厶います。私だつてこんな所で死にたくは厶いませぬ、惟神霊幸倍坐世、惟神霊幸倍坐世』 と祈つてゐる。暗は益々深くして、なまぬるい風が腰のあたりを嘗めて通る。 国照『人の命を取り食ふ曲津の数多アリナ山 暗の帳に包まれて茲に二人の石枕 眠る間もなく人食ひの怪しき神が現はれて 其泣く声を尋ぬれば国照別の肉の宮 一目見てさへうまさうだそれに従ふ浅公の 奴の体はどことなく味が悪さうな穢なさうな こんなヤクザ者喰た所で腹の力になりもせぬ 腹を損じて明日の夜は七転八倒せにやならぬ それ故浅公の肉体を食つてやるのは止めておかう 本当に食ひたい食ひたいと喉がなるのは親分の 国照別の肉の香ださはさり乍ら神徳が 体一面充ち満ちて歯節の立たぬ苦しさに 此場を見すてて帰りゆく之から浅の乾児等に うまい物をば沢山に喰はして肉を肥満させ 脂の乗つた其上で改めお目にかかるだらう 国さま浅さま左様なら之でおいとま致します ……と唄ひもつて魔神の奴、下駄を預けて帰りよつた。オイ浅公、確りせぬと助からぬぞよ』 浅『オヽ親分、そんな事を魔神が云ひましたか、嘘でせう』 国照『お前の耳には聞えなかつただらう、俺が魔神の言霊を翻訳すると、つまりあゝなるのだ。珍の国の人間とテルの国の人間とは日々使ふ言葉が変つてるやうに、人間と魔神とは又言葉が違ふのだ。鳥でも獣でも皆言葉があつて互に意思を通じて居るのだからなア』 浅『さうすると親分、貴方は神さまみた様な御方ですな。結構な城中に生れ、珍の国の国司になる身を持ち乍ら、物好にも程があると思ひ思ひ、乾児に使はれて来ましたが、魔神の言葉が分るとは、本当に感心致しました。親分々々といふのも勿体なくなりましたよ』 国照『兎も角、お前の体は穢しうて、味が悪くつて、喰へないと云つたから、マア安心せい。険呑なのは俺だ。俺は若い時から栄耀栄華に育てられ、体が柔かく出来てるとみえ、国の体が喰ひたいと云つたが、お蔭で御神徳があるので、屁古垂れて帰りよつた。併し浅公は甘い物をくはせ充分脂を乗せておいて呉れ、其時に又現はれて、バリバリとやると云つてたよ。随分用心せないと可けないよ。だから甘い物があつたら、皆俺に食はせ、お前は糟計り喰つてゐたら脂ものらず、魔神も見すててくれるのだ、イヽか。命が惜くなければ精出して美食をするのだな、ハヽヽヽ』 浅公は思ひの外の正直者である。国照別の言葉を一も二もなく丸呑にして了つた。 浅『親分さま、貴方は神さま侠客だからメツタに嘘は仰有る気遣ひはありますまい。さうすりや、わつちや、之から一つ考へねばなりますまい。うまい物は喰はれませぬなア』 国照『さうだ、うまい物は皆俺に食はせと云つたよ』 浅『ヘーン、うまい事をいひますね。魔神の奴仲々気が利いてるワイ』 国照『魔神も退却したなり、之から一つ宣伝歌を歌つて暗を晴らし、東雲を待つことにせうかい』 浅『宜しう厶いませう』 国照別『故郷の空遥に出で行く二人の仁侠 あはれ今宵はアリナ山の 野宿に肝をひやす 比較的融通の利く侠客の睾丸 人間の想念界に於けると同様 伸縮自在なるも亦可笑し 仁侠を以て誇る浅公親分の 股間の珍器今何処にかある 珍の荒野に彷徨ふか 但しは遠く海を渡つて 竜宮に走るか聞かまほし、珍器の所在 雨はしげし、靄は深く包む 魔神の怪声は頻りに至り 寂寥の空気刻々身に迫る あゝ人間の腋甲斐なさ 暗夜に会へば 忽ち寂寥にをののく いかにして天地の奉仕者 万物の霊長たるを得む 故里の空遠く回顧すれば 珍の都に残れる相思の人々 吾魂を引き留むるが如く覚ゆ 進まむとせば小胆なる浅公のあるあり 退かむとせば故郷の友人に恥かし あゝ如何にせむ アリナ山の夜露の宿 星もなく月もなく 八重雲のふさがる下に 臆病武士と相共に ふるふて一夜を送る吾ぞ果敢なき あゝ惟神々々 御霊幸はひましませよ』 浅公『アリナ山下りてここに来てみれば 暗の帳に包まれて 行手も知れぬ苦しさよ 魔神は夜半に現はれて 親分乾児の胸冷す 健気にもわが命 取り食はむといひし魔神の叫び 一寸味をやりよるワイ さり乍ら此浅公は 全身骨を以て固めたる 歯節も立たぬ剛力に 呆れたのか魔神の群 豊かに育ちし親分の君 肉柔かく血の香芳ばしく わが身の食料には最適当だと 言葉をのこして帰り行く 魔神も仲々食へぬ奴 味な事をいひよるワイ 思へば思へば あぢ気なき浮世だなア 暗は益々深くして胸は益々打ふるふ 血管の血は凍り肉は引きしまり 髪の毛は立つ あゝ惟神救はせ給へ わが弱き魂を あゝ惟神開かせ給へ わが清き強き魂の光を』 斯く二人はいろいろな事を口ずさみ乍ら一夜をあかし、ホンノリと足許の見ゆる頃、又もや急阪を下り、アリナの滝の懸橋御殿を指して進み行く。 (大正一三・一・二四旧一二・一二・一九伊予於山口氏邸、松村真澄録)
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霊界物語 69_申_南米ウヅの国の国政改革 15 四天王 第一五章四天王〔一七六〇〕 国州、浅州の両人は午前の十時頃辛うじて、国玉依別命が主管してゐるアリナの滝の懸橋御殿の大広前に辿りついた。国玉依別、玉竜姫夫婦は祭服を着し、数多の信徒と共に、月例の祭典を了り、宣伝歌を奏上してゐる。 国玉依『アリナの滝の水清く此谷間のいや深き 神の恵に包まれて懸橋御殿に朝夕に 真心ささげ仕へゆく吾は国玉依別の 神に仕ふる宣伝使玉竜姫と諸共に 皇大神の御教をアリナの山の空高く テルの荒野のいや広く海の外迄伝へゆく あゝ惟神々々世は常暗となりつれど 遠き神代の昔より神の恵は変りなく 四方の民草恵みまし世の荒風も醜雨も 凌ぎて安く世をわたるテルの国こそめでたけれ 旭は清くテルの国夕日も清くテルの国 月は御空に鮮かに天伝ひつつテルの国 浜の真砂の数多く御空の星もテルの国 月照彦の皇神の現はれ玉ひし鏡池 常夜の暗を照らしつつ稜威輝くテルの国 天照神の恵にて野山は青く水清く 大海原より打よする波も静に漁りの わざも豊に国原は稲麦豆粟よく稔り 地上に生ふる人草は朝な夕なに嬉しみて 神を敬はぬ者ぞなしげに高砂の名に負へる 底津岩根のテルの国領有玉ふ国魂の 聖き御前に鹿児自物膝折りふせて大稜威 神嘉ぎ仕へ奉るあゝ惟神々々 身魂の恩頼を謝し奉る一二三四五つ六つ 七八九つ十たらり百千万の国人が 朝な夕なに大前にい寄りつどひて御恵の 千重の一重に酬いむと三五の月の照り渡る 今日の生日に月例の御祭仕へ奉り 海川山野くさぐさのうまし物をば横山の いとさわさわに置足ひ真心捧げ仕へゆく 旭は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 大西洋はあするともアリナの山は崩るとも 滝の流は干るとても千代に尽きせぬ神恩の 露に霑ふ民草の心の色ぞ麗はしき 心の花ぞ麗しき此世を造り玉ひたる 無限絶対無始無終神徳強き国の祖 国治立の大御神世人を洽く救ひます 神素盞嗚大神の貴の御前に畏みて 天津祝詞の太祝詞たたへまつるぞ嬉しけれ あゝ惟神々々御霊の恩頼を謝しまつる』 と歌ひ了り、四拍手して神前を退き、二柱は数多の信徒に笑を湛へて目礼し乍ら、己が居間へと進み入る。 国、浅の両人は信徒の中に交はりて此祭典に列してゐた。浅州は国照別の耳に口を寄せ、 『何と荘厳な宣伝歌だありませぬか。そして此処の神司は随分老耄の様だが、其言霊は十七八の若者の様な涼しい清らかな声を出すだありませぬか。あの声を聞くと私はふるひ附く程好になりました』 国『心さへ清浄潔白にあれば、言霊も濁らないから、あゝいふ美しい声が出るのだ。俺達も之からは魂を清めて声の年がよらないやうにしたいものだ。ここは昔俺の親爺から聞いてゐるが、親爺の友達の竜国別といふ宣伝使が、自分の母親や弟子共と共に、玉よせの芝居をやつた所ださうな。其時に竜国別母子がソツト黄金の玉を失敬してアリナ山を遙々越え珍の原野迄いつた所、神様の戒に会うて悔い改め、其次に高姫といふ我の強い宣伝使がやつて来て、又其玉の為に神様に脂を搾られ改心したといふ歴史の残つてゐるお宮様だ。竜国別が中途で神様に取上げられた黄金の玉が御神体となつて、此お社に祀つてあるといふ事だから、俺達も三五教の信者たる以上は、満更縁のない者でもない。どうだ、今晩此処でお通夜でもやつて御神徳を頂き、アリナの滝で身をうたれ、それからボツボツ目的地へ行かうぢやないか』 浅『それは誠に至極結構でせう。何なら親分、ヒルの国なんて、山河数百里も隔てた遠国へ行くよりも、山一つ越ゆれば、自分の生れた国だから、一層の事、此処で暫く尻を据ゑたら何うでせう。別にヒルの国迄行かなくても、侠客にはなれますよ』 国『一旦男子が思立つた事は中途にやめる訳には行かない。絶壁前に当るとも、白刃頭上に閃くとも、一旦言あげした事は実行せなくちや男とはいはれない。まして男の中の男一匹と、世間に持てはやされ、仁侠を以て世を救ふ大望を抱いた吾々、そんな腰の弱い事が出来ようか。お前は厭なら厭で可いから、此処に何時迄も固着してゐるが良からう、俺は一人でやつて来るからのう』 浅『どこ迄もお供致します。然し三日や四日はお骨休め、足休めの為、此処でお籠りしたら何うでせうか』 国『先づ二三日滝に打たれて、体を浄め、鏡の池の神様に神勅をうけ、そしてボツボツ行く事にせう』 浅『ヤ、それで安心しました。そんなら之からお滝へ参りませうか』 国『ヨーシ、先づ第一に身禊をやつて来う』 といひ乍ら、拍手再拝し、口の奥で天の数歌を称へてゐると、信者の風をした十四五人の男、前後左右よりバラバラと取囲み、両人の首筋をグツと握り、剛力に任して押へつけた。浅公は驚いて、 『アイタヽヽヽ、ナヽ何をさらすのだ。コリヤお前達ア、神様を信心してる信者ぢやないか。人の首筋を押へて何うするつもりだ。イイ痛いワイ、何ぢやい。人の手を後へ廻しやがつて……何俺が悪い事したか……モシ親分、タヽ助けて下さいな』 国照別は剛力に押へられ、俯向いた儘、阿呍の息を凝らし、隙をねらつてゐた。息の調子を計つて、パツとはね起き、矢庭に大の男四五人を取つて投げた。浅公を押へてゐた大男も吃驚して手を放した。浅公は矢庭に座敷の真中につつ立上り、大手をひろげ、手に唾し乍ら、 『サー来い、珍の都に於て隠れなき白浪男の浅公さまとは、こなはんのことだ。いらざるちよつかいを出して後悔を致すな。乾児の俺でさへも此通だ、俺の親分を何と心得てゐるか、珍の一国の国の柱の国さまだぞ』 此中の最も大将らしき奴、行儀よく畳の上にキチンと坐り両手をついて、 男『誠に失礼をいたしました。私は伊佐彦老中の部下に仕ふる、はした役人共で厶いまするが、国照別の世子様が、珍の都に身をおとして、お忍びになつたといふ事が城下一般にひろがり、それから大勢の者が手配りを致しましたが、どうしても御行衛が知れぬので、ヒヨツとしたら他国へ逐電されるかも知れないと、十数人の手下を引つれ、一方口の此館に信者と化込み、様子を考へてゐた所、今日計らずも、世子様のお出で、誠に恐れ多い事で厶いますが、吾々がお供を致しますから、どうぞ国へお帰り下さいませ』 国『お前達は誠に御苦労な役だ。願によつて帰つてやるのは易い事だが、俺も最早決心した以上は、一歩も後へ返す事は出来ない、諦めて帰つてくれ。何れ永遠に珍の国を見すてるのではない。俺には俺の考へがあつての事だから、素直に帰つたが可からう』 男『私は深溝役所の目付で厶いまして、駒治といふ者で厶います。左様な事を仰せられずに、一先づ御帰り下さいませ。珍の城下は大変な騒で厶いますから、一度帰つて頂かねば、衆生が塗炭の苦みに陥ります。衆生を愛し下さる真心があるなら、どうぞ私がお供を致しますから、此場より御帰りを願ひます。貴方が御帰り下さらねば、吾々は再び都へ帰る訳には参りませぬ』 国『別に都へ帰る必要はないぢやないか。生活の保証は俺がしてやるから、どうだ。俺は国州といふ侠客と還俗したのだから、汝等も俺の乾児となり、天下の男伊達と名を売つたらどうだ。そして腕を研いた上俺は故国へ帰り国の真柱となる積りだ。其時はお前も抜擢して、大取締位に使つてやるが、ここは一つ思案の仕所だ、どうだ、俺のいふ事が合点がいたら、否応なしにすぐに其十手をこの谷川へ捨てて了へ』 駒治は心の中にて……一層の事、侠客にならうかなア、何といつても、珍一国の御世子だ。其方が斯うして身をおとし、白浪男になつて世の中を救はうとなさるのだから、何時迄も役人の端に加はつて居つても、先が見えてゐる。一層潔よく降参せうかな……と早くも決心して了つた。然し乍ら大勢の部下に対し、直ちに服従する訳にも行かず、部下の顔色をソツと窺つてゐる。 国『オイ一同の者共、今日から俺の乾児だ。侠客でなくつても、高砂城の未来の国司だ。さうすりやお前たちは皆俺の乾児だ。どうだ否応あるまい。其ペラペラした十手をねぢ折つて谷川へ放る気はないか』 駒治『何卒私を貴方の直参の乾児にして下さいませ。如何なる事でも御命令に服従致します。証拠は此通で厶います』 と十手を、眼下の谷底へ投込んで了つた。他の捕手連中は去就に迷ひ、目を白黒させて駒治の顔を見つめてゐたが、市公、馬公の両人を除く外、十手に手をかけたまま、列をつくり、駆足の姿勢で、怖さうに館を逃げ出しアリナ山を指して逃げ帰りゆく。後見送つて国照別は、 『ハヽヽヽヽ駒治、市に馬、誠の者は三人になるかも知れぬぞよ……とはよく言つた事だ、三人世の元結構々々だ。お前達新帰順新侠客が三人、俺達二人を合すれば五人となる、厳の御霊だ。三五の明月だ。ヤ、目出たい目出たい、サア是から神様に御礼を申上げやう』 駒治『御世子様、そんなら今日から、誠にすみませぬが、貴方を親分と申しても宜しう厶いますか』 国『きまつた事だ、親分国州さまと云つてくれ。市も馬も其通だぞ。窮屈な取締をやめて脛一本、沼矛一本の男一匹になるのは男子の本懐だ。汝も之で救はれたのだ。ヤツパリ霊がいいとみえて、俺の心が分つたと見えるワイ、アツハヽヽヽヽ』 駒治『エー、親分に申上げますが、早く此場を立去らないと、今帰つた十三人の奴、都へ帰り、伊佐彦老中へ報告するに間違ひありませぬ。さうすりや捕手がやつて来る、険呑ですから、何とか身隠しをせななりますまい』 国『ナアニ、心配するな、此急阪を登り下りして、それから広い野を渡り、都へ帰るにも五日や六日はかかる。それからやつて来た所で、又五日や六日は時日が要る。マアここ十日位は大丈夫だ。ゆつくり身禊でもして神勅を受け、それから自分の方針を徹底的にきめるのだ。そんな事に齷齪して頭を痛めてゐるやうな事では到底侠客にはなれないぞ。ヤ面白い面白い、俺も〆て乾児が四人出来たか、四天王の勇士、しつかり頼むよ』 浅『モシモシ親分さま、四人の中で順序を立てておかねばなりませぬが、誰が此中では一番兄貴になるのですか、キツと私でせうね』 国『時間に於てはお前が兄貴だ。併し乍ら胆力と腕力に於ては怪しいものだなア。何は兎もあれ、お滝へ身禊に行く事にせう、一二三四』 と言ひ乍ら懸橋御殿を後に、水音轟々として響きわたる瀑布の傍に一行五人辿りついた。無心の滝水は何を語るか。囂々鼕々として地をゆるがせ、無数の飛沫には日光が映じて、えも言はれぬ宝玉の雨を降らしてゐる。 (大正一三・一・二四旧一二・一二・一九伊予於山口氏邸、松村真澄録)
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霊界物語 69_申_南米ウヅの国の国政改革 18 老狽 第一八章老狽〔一七六三〕 清香姫『千早振、神代の昔天教の山より天降り給ひたる 日出神の神柱吾祖先を導きて 此世を清むる三五の教を開かせ給ひしゆ 神の御稜威は四方の国島の崎々磯の隈々 落ちなく漏れなく拡ごりて天の下には曲も無く 青人草は村肝の心の中より睦び合ひ さながら天津御国の天国の姿映せしヒルの国 インカの裔と崇められ親と親とは底津根の 堅磐常磐の岩の上に珍の宮居を築きつつ 珍の柱のいや太く立栄えたる神柱 諸人仰がぬ者もなし近き御代より常世国 邪の教蔓りて天を曇らせ地汚し 青山をば枯山となし世人の心荒び果て 昔の儘の神国は今や魔国とならむとす 深夜枕を擡げつつ世の行先を窺へば ヒルの都に醜鬼の棲家ありとふ神の宣 八岐大蛇も狼も虎獅子熊の猛獣も 爪を隠して待ち居ると御神の御告げ聞くにつけ 胸は痛みぬ心さやぎぬあゝ妾は如何にして 国司の御子と生れしぞ鄙に育ちし身にしあれば 斯かる悩みもあらまじものを清家とふ忌まはしき空衣に包まれて 身動きならぬ苦しさよ愍み給へ天地の神 兄に誓ひし言の葉を守りて出づるヒルの城 夜に紛れて山路を伝ひ伝ひて進み行く 道の行手の隈も無く安く守らせ給へかし 高倉山の此城を守らせ給ふ氏の神 ヒルの御国を永久に領有ぎ給ふ国魂の神の 大御前に八雲の小琴を弾じつつ心すがすがすが掻きの 糸は二筋真心は只一筋に祈るなり あゝ惟神々々御霊の恩頼を賜へかし』 斯く歌つて居る折しも、烏羽玉の夜は襲ふて来た。清香姫は密かに身の廻りの準備などして子の刻の至るを待つた。 城内の灯も消えて四辺は閑寂の気漂ひ、只天井に鼠の走る音がシトシトシトと幽かに聞ゆるのみであつた。時分はよしと、清香姫は私かに吾居間を忍び出でむとする所へ、侍女の春子姫は足音を忍ばせ来り、 『姫様、未だお寝みぢや厶いませぬか』 此声に清香姫はハツと驚き乍ら、素知らぬ顔して、 『あ、其方は春子姫か、お前まだ寝めないの』 春子『ハイ、何だか、今晩に限つて目がさえざえと致しまして、姫様のお身の上が気にかかり、何だか寝られないので厶りますよ』 清香『お前も寝られないかね、妾も何だかチツトも寝めないワ』 春子『姫様、歌でも詠んで夜を明しませうか』 清香姫は迷惑し乍らも、 『妾もやがて眠れるだらうが、併し一二首歌を詠んで別れませう』 春子『ハイ、有難う厶います』 と春子姫は姫の側近く座を占め、 『高倉の表に立てる鉄門守 其まなざしの血走りて見えぬ。 十五夜の月光覗く裏門は いとも静けし風さへもなし』 清香姫は初めて春子姫が、自分が今夜脱け出すことを悟り、裏門から逃げ出せと教へて呉れたのだらうと感謝し乍ら、 『行春の月の光に照されて 清く香れる梅の初花。 匂ふとは誰も白梅の奥深き 谷間にもゆる姿かしこし』 と互に歌をかはし、清香姫は、 『月の庭園をチツトばかり逍遥して来ますから、春子、其方は此琴を弾じて待つてゐて下さい』 と云ひ乍ら裏口へと忍び行く。裏口には蓑笠、手甲脚絆、杖其他一切旅に必要なものがチヤンと整へてあつた。春子姫は涙を泛べ乍ら、 『姫様決して、貴女お一人の旅はさせませぬ、どうぞ御安心なさいませ』 と小声で云へば、清香姫は後振返り、 『何処へ行くのも神様と二人連れ、気を揉んで下さるな』 と云ひ残し、見つけられては一大事と裏口へ出で、手早く身づくろひをなし、裏門からソツト脱け出し、馬場の木立の下を潜つて南へ南へと急ぐのであつた。後に春子姫は二絃琴を執り、隔ての襖に錠をかけて、琴を弾じつつ歌つて居る。 『此処は夜なきヒルの国ヒルの都の中心地 神の御稜威も高倉山の岩根に建ちし珍の城 日出神の昔より三五教の大神を 斎きまつりし珍の城さはさり乍ら星移り 月日は流れ行くに連れ人の心は漸くに あらぬ方へと移ろひて世は刈菰と乱れゆく 実に浅ましき此天地清めむ為に皇神の 御心深く悟りまし若君始め姫様の 思ひ切つての鹿島立思へば思へば吾涙 淵瀬と流れて止め度なし此世に神のます限り 若君様や姫君は太き功を立てまして 軈てはヒルの神柱救ひの君と仰がれて これの御国は云ふも更高砂島の端々を 皆其徳に服へて昔に変るインカの栄え 松も目出度き高砂の慰と姥との末永く 治まる御代ぞ待たれけるあゝ惟神々々 皇大神の御恵に姫君様の行衛をば 何卒安く珍の国兄の命のましませる 霊地に無事に送りませ御側に近く仕へたる 春子の姫が赤心を捧げて祈り奉る』 秋山別、モリスは吾家に帰つて居たが、何だか胸騒ぎがしてならぬので、姫の身の上に変事はなきかと、両人期せずして、子の刻過に表門を潜つて入来り、各自の事務室に入つて監視の役を努めて居る。姫の居間よりは流暢な琴の音が聞えて来た。秋山別、モリス両人は琴の音を聞いて一先づ安心し、両人は愉快気に声高らかに談話を始めて居る。 秋山『モリス殿、此深夜に御老体の貴殿、御苦労千万で厶る。何か急用でも出来たので厶るかな』 モリス『別に之といふ急用も無けれども、何だか胸騒ぎが致し、或は城中に姫様の身の上に就て変事の突発せしに非ずやと、取る物も取敢ず、夜中乍らも、供をも連れずソツト出て参つた次第で厶る。そして貴殿も亦夜陰に御登城になつたのは、何か感ずる所があつての事で厶るかな』 秋山『吾々も貴殿の御考への如く、何だか胸騒ぎが致すので、姫の身の上に変つた事はなきやと心配でならず罷り越したので厶る。然し乍ら姫の御居間近く伺ひ寄つて、様子を探れば、いと流暢なる琴の音色、ヤレ安心とここ迄引返して休息致して居る所で厶る。どうやら姫様もお気が召したと見えて、明日の日が待たれてならぬか、一目も寝ずに琴を弾じて居られるとは、之迄にない事で厶る。テも扨も喜ばしい瑞祥では厶らぬか』 モリス『如何にも御説の通り吾々も若返つた様な気が致すで厶る。モ一度元の昔の若い身の上になつて見たい様で厶るワイ。アツハヽヽヽ』 秋山『時にモリス殿、姫様は何号がお望みであらうかな』 モリス『あの歌によれば、一号二号三号四号は駄目でせう、先づ五号を御採用になるでせう。秋山別殿、御芽出度う厶る。貴殿の御子息では厶らぬか』 秋山『成程、拙者の悴菊彦も果報者で厶るワイ。拙者と貴殿とは当城の御娘子紅井姫様に対し、大変に苦労を致して、遂にはあの結果、実に若気の至りとは申し乍ら、エライ恥をかいたもので厶るが、吾悴は父に勝つて、姫様の御意に叶ふとは、テもさても世の中も変つたもので厶るワ、オツホヽヽヽ』 と笑壺に入つて居る。 一方春子姫は……最早姫様も落のびられたであらう、ヨモヤ追手もかかるまい。サア之から妾もお後を慕ひ、姫の御身を保護せねばなるまい。照国街道の一筋道、夜明けに間のない寅の刻、グヅグヅしては居られない……と足装束を固め、裏門より一散走りに逃げ出した。 城内の洋犬の吠える声がワウワウワウと頻りに響き来る。秋山別、モリスは此声に耳を澄ませ、 秋山『何時にない犬の泣声、コリヤ一通では厶るまい。第一、姫様のお身の上が気づかはしい』 と云ひ乍ら、姫の居間の前に駆つけて見ると、琴の音はピタリと止んで居る。 秋山『姫様、御免』 と云ひ乍ら、隔の襖をガラリと引開け、覗き見れば豈計らむや、琴の主は藻脱けの殻、若しや便所ではあるまいかと、捜し廻れども、姫の気配もせぬ。春子姫を起して尋ねむかと、春子の居間へ行つて見れば、之も亦藻脱けの殻…… 秋山『コリヤ大変だ、然し乍らこんな失態を演じ乍ら、国司御夫婦に申上げることは出来まい。前には若君を取逃し、今度又姫君を取逃したと云はれては、吾々両人は皺つ腹を切つて申訳をするより道は無からう。幸まだ誰も知らぬ内だ。モリス殿、貴殿と両人がソツと捜さうでは厶らぬか』 モリス『秋山別殿、如何にも左様、吾々の大責任で厶れば、城内の人々に分らぬ内、余り遠くは参りますまい、捜索致しませう。表門は人の目に立つ、先づは裏門より』 と裏門指して急ぎ行く。裏門の戸は無造作に開け放たれ、女の半巾が一つ落ちて居る。モリスは早くも半巾を拾ひ上げ、夜明前の月光に照して見れば、春の印がついて居る。……テツキリ之は春子が姫様と諜し合せ、逐電したに違ひない……と云ひ乍ら、両人は裏門外の階段をトントントンと下り乍ら、杖を力に転けつ輾びつ、馬場の木の茂みを指して追つかけ行く。 (大正一三・一・二四旧一二・一二・一九伊予於山口氏邸、松村真澄録)
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霊界物語 69_申_南米ウヅの国の国政改革 20 声援 第二〇章声援〔一七六五〕 清香姫、春子姫は夜を日についで、高照山の山麓迄辿りついた。本街道を行くと、追手の虞があるので、本街道に添うた山林や野原を忍び忍び進んで行くので、比較的道に暇がとれる。谷川の涼しき木蔭に二人は腰打かけ息を休め述懐を歌つてゐる。 清香『久方の天津御空を伝ひ行く旭も清きヒルの国 高倉山の下津岩根に宮柱太しく立てて三五の 皇大神を斎つつ日出神の御教を 伝へ伝へて世を救ふインカの流れ清くして 四方の民草勇みつつ恵の露に霑へる 其神国もいつしかに黄泉国より荒び来る 醜の魔神に犯されて払ふすべなき暗の世の ヒルの御国も夜の如暗の帳に包まれて 黒白も分かぬ人心あが足乳根の父母は 赤き心の紅葉彦楓の別と次々に 赤き心を大前に捧げまつりて仕へまし 世人を導き給へども時世に暗き老臣が 心の暗は晴れやらずヒルの天地は日に月に 常夜の暗となりはてて阿鼻叫喚の鬨の声 春野に咲ける花の香も梢に囀る鳥の声も 秋野にすだく虫の音も皆亡国の気配あり 此世此儘すごしなばインカの国は忽ちに 修羅の巷と成果ててわが衆生は根の国や 底の国なる苦みをうけて亡ぶは目のあたり 時代に目覚めし兄の君はわれと語らひ逸早く 神の御為国の為世人の為に高倉の 堅磐常磐の堅城をあとに見捨てて天さかる 鄙に下りて身と魂を練り鍛へつつ新しく 生れ来らむ世の中の柱とならむと雄健びし 神に誓約を奉り生でさせ給ひし健気さよ 妾は元よりなよ竹の力も弱き身なれども 御国を思ひ道思ふ雄々しき心に変りなし すき間の風も厭ひたる床に飾りし姫百合の 仮令萎るる世なりとも赤き心の実を結ぶ 時を待ちつつ霜をふみ慣れぬ旅路をやうやうに 進み来りし嬉しさよあゝ天地の大御神 妾兄妹両人が清けき赤き真直なる 心を諾なひ給ひつつ今日の首途をどこ迄も 意義あらしめよ幸あらしめよヒルの御国の空打仰ぎ 高倉山に斎きたる国魂神の御前に 空行く雲に吾心のせて通ひつ願ぎ奉る あゝ惟神々々御霊のふゆを願ぎまつる あゝ惟神々々御霊の恩頼を願ぎまつる』 春子姫も亦歌ふ。 『故里の空打仰ぎ思ふかな わが大君はいかにますかと。 ヒルの空打仰ぎつつ思ふかな モリス秋山別の身の上。 あの雲は灰色ださうしてヒルの空から 走つて来る痛ましや 秋山別モリスの神柱の青息吐息の 余煙だらうあゝ痛ましや灰色の 雲に包まれてヒルの国の衆生は さぞ苦しき雰囲気の中に世を喞ちて 悩んでゐるだらう春の野の 百花千花も牡丹の花の清香姫も あの灰色の雲も否みて こき紫の雲の漂ふ珍の空へ 逃て行く気になつたのだものあゝ天津風時津風 南から北へ吹けよさうして 紫の雲をヒルの空に送れあの灰色の雲は 常世の国に吹散らせよ国愛別の世子の君は 早くも珍に坐しますかあの珍の空の雲の色のめでたさよ 高照山の空にはまだ灰色がかつた 淡い雲が往来してゐる之を思へば われ等二人の身の上はまだハツキリと晴れて居ないだらう あゝ味気なき浮世の雲よ 灰色の空よ天も地も 山も河も皆灰色に包まれた 今日の景色国魂の神の 怒りに触れてや四方に怪しき雲の竜世姫 恵ませ給へ科戸の風を 起させ給へ清めの風を』 清香姫は又歌ふ。 『久方の天津御空を打仰ぎ 世の行先を歎くわれかな。 天も地も皆灰色に包まれて 世は常暗とならむとぞする。 いかにせば此灰雲の晴れぬらむ わが言霊の力なければ。 時津風吹けよ大空に又地の上に われ等が上に陰鬱な 此雰囲気の何時迄もかからむ限り人草は 次第に次第に亡びなむ頑迷固陋の獅子の声 新進気鋭の馬の声北と南に響きつつ 地震となり雷となりやがては割るるヒルの国 之を思へば片時も身を安んじて高倉の 山に月をば楽しまむや花は匂へど 月は照れど鳥は唄へど わが目にはわが耳には 皆亡国の色と見え地獄の声と聞ゆ あゝ痛ましき今の世を清め澄まして古の インカの御代に立直し四民平等鳥唄ひ 花咲き匂ふ天国のヒルの都を来たせたい あゝ惟神々々花のうてなの清香姫 木の芽もめぐむ春子姫踏みもならはぬ高砂の 足を痛むる初旅を恵ませ給へ天津神 国魂神の御前に谷の戸出づる鶯の かよわき声を張上げて偏に祈り奉る 偏に祈り奉る』 斯かる所へ覆面頭巾の山賊の群十数人、バラバラと現はれ来り、二人の姿を見て泥棒の親分らしき奴、巨眼を開き、二人を包囲し乍ら、長刀をズラリと引抜き、 親分『オイ、女つちよ、其方は何処の何者だ。一寸見た所、其方の容貌といひ、持物といひ、衣服といひ、普通の民家に生れた女ではあるまい。一伍一什、其方の素性を源九郎の前に白状致せ。違背に及ばば、此方にも覚悟があるぞ』 清香姫は始めて泥棒に出会つた恐ろしさに、顔の色迄かへて慄うてゐる。春子姫は姫の身を庇護ひ乍ら……仮令泥棒の二十人や三十人押寄せ来り、兇器を持つて向ふとも、日頃鍛へた柔術の奥の手をあらはし、一人も残らず、谷川に投込み、懲らしめて呉れむ……と覚悟をきはめ乍ら、そ知らぬ体にて、ワザとおとなしく、両手をつき、 春子『ハイ、妾は高倉山を守護致す天人で厶います。大変な偉い権幕で、妾に何かお尋ねの様で厶いますが、人間は、仮令泥棒にもせよ、礼儀といふものが厶いませう。孱弱き女だと思召し、頭から威喝せうとは、チツト男にも似合はぬ、御卑怯では厶いませぬか。何の御用か存じませぬが、天地を自由自在に致す天女で厶いますれば、誠のことならば何でも聞いて上げませう、其代り道に外れたことならば、少しも許しませぬぞ』 とキツパリ言つてのけた。源九郎は度胸の据つた春子姫の言葉に稍ド胆を抜かれたが……タカが知れた女の二人、自分は十数人の命知らずの荒武者をつれてゐる。天人か天女か知らぬが、こんな女に尻込みしては、今後乾児を扱ふ上に於て、信用を失墜する。飽迄も強圧的に出たのだから、無理押しで押さへつけてやらむ……と覚悟をきはめ、ワザと居丈高になり、 源『アツハヽヽヽ、吐したりな、すべた女、天人とはまつかな詐り、吾々が恐ろしさの其場遁れのテレ隠し、左様なことに誑かられる源九郎さまぢやないぞ。高照山の山寨に数百人の手下を引つれ、往来の男女を脅かす悪魔の源九郎たア俺のことだい。四の五の吐さず、衣類万端脱いで渡すか、さもなくば、源九郎の女房になるか、サアどうだ。速に返答を承はらう』 春子姫は益々度胸がすわつて来た。清香姫は一生懸命、神の救ひを心中に祈つてゐる。 春子『ホツホヽヽヽヽ悪魔の源九郎とやら、好い所へ現はれて来た。妾は其方の出現を待つてゐたのだ。邪魔臭い、木偶の坊を二十や三十連れて来た所で、歯ごたへがせぬ。乾児を残らず引つれ、吾前に並べてみよ。片つぱしから、窘めてくれむ。悪魔退治に出陣の途中、悪魔の張本源九郎に会ふとは、何たる幸先のよい事だらう。一人二人は面倒だ。源九郎、サア一度にかかれ、天人の神力を現はして、汝が肝を冷しくれむ』 といふより早く、襷十字にあやどり、優しい顔に後鉢巻を締め、懐剣の柄に手をかけ身構へした。此勢に清香姫も気を取直し、又もや赤襷に白鉢巻、懐剣の鞘を払つて源九郎目懸けて、ヂリヂリとつめよせた。春子姫は十数人の乾児に目を配り、寄らば斬らむと身構へしてゐる。源九郎が一令の下に、乾児は二人に向つて、切りつくることとなつてゐた。併し乍ら頭梁の源九郎は二人の姿を見て、稍恋慕の念を起し……何程強いといつても、女の二人、片腕にも足らないが、併し斯様な、美人をムザムザ殺すのは惜いものだ、何とかして助けたい……と早くも恋に捉はれてゐる。 春子『源九郎とやら、其方は大言を吐き乍ら、なぜ孱弱き二人の女に手出しをせぬのか、吾々の威勢に恐れてゐるのか、返答せい。妾は天下を救ふ宣伝使だ。汝如きに怖れを抱いて、どうして天人の職が勤まらうぞ、卑怯未練な男だなア』 源『ナアニ、タカが女の一人や二人、片腕にも足らねども、可惜名花を散らすは惜いものだ。それ故暫時、根株を切つた鉢植の花だと思つて眺めてゐるのだ。やがて果敢ない終りを告げるだらうと思へば、聊か同情の涙にくれぬ事もないわい。テモ偖も見れば見る程、美しい……イヤいぢらしい者だワイ』 春子『エヽ汚らはしい、泥棒の分際として、天人に向ひ、いぢらしいとか、美しいとか、チツと過言であらうぞ。要らざる繰言申すよりも旗をまき尾をふつて、此場を早く立去れ、エヽ汚らはしい、シーツシーツ』 と猫でも逐ふ様な大胆不敵の挙動に、源九郎は怒り心頭に達し、 源『要らざる殺生はしたくなけれ共、モウ斯うなれば後へは退かれぬ男の意地、コリヤ女、今に吠面かわかしてみせる、覚悟をいたせ……ヤアヤア乾児共、両人に向つて斬りつけよ』 と下知すれば、心得たりと、十数人の乾児は二人の女に向つて、阿修羅王の如くに迫り来る。春子姫は一方の手で、清香姫を庇ひ乍ら、力限りに防ぎ戦へども、剛力無双の敵の襲撃、早くも力尽きて、彼が毒牙にかからむとする危機一髪の場合となつて来た。源九郎は岩上に腰打かけ、平然として煙草を燻らし乍ら、此光景を見下ろしてゐる。清香姫は今や捉へられむとする一刹那、あたりの空気を振動させて宣伝歌が聞えて来た。あゝ此結果は何うなるであらうか。 (大正一三・一・二五旧一二・一二・二〇伊予於山口氏邸、松村真澄録)
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霊界物語 70_酉_トルマン国の国政改革 01 信人権 第一章信人権〔一七六八〕 往古文化の中心、仏祖の出現地なる七千余ケ国をかためて一団となしたる印度は浄行、刹帝利、首陀、毘舎其他各種の階級が設けられて居た。殊に印度はバラモン教の根元地とも云ふべき国である。さうしてウラル教はデカタン高原の一角に、相当に勢力を保ち、バラモン教の本城ハルナの都に向つて、ややもすれば教線を拡張し、大黒主の根底を覆へさむとするの慨があつた。茲に大黒主は宣伝将軍を四方に遣し、殊にこの方面は大足別将軍に数千の兵を与へて討伐のみを主たる目的にて出発せしめたのである。扨てデカタン高原内の最も土地肥たるトルマン国は余り大なる区域ではないが、相当に沢山な人が住んで居る。さうして地理上の関係からウラル教を奉じて居た。トルマン国の王の名はガーデンと云ふ。ガーデンはウラル教を信ずるでもなく、又排斥するでもなく、祖先伝来の宗教として、弔ひの儀式にのみ用ふる位の観念を持つて居た。然るに国民の過半数はウラル教を奉じ、一部分はバラモン教に入り、二三分通りはスコブツエン宗に新に入信する事となり、其勢ひは燎原を焼く火の如くであつた。ハルナの都の大黒主はバラモン教の宣伝使を遣はして、トルマン国を全部バラモンの勢力範囲になさむものと、いろいろ苦心の結果、到底バラモンの名にてはこの国の人心に投じない事を悟り、狡猾にして万事抜目のない大黒主は、日頃手慣けおいた、寵臣のキユーバーに命じ、バラモン教の名を避けて、スコブツエン宗と云ふ、変名同主義の宗教を築かせ、先づ第一にトルマン王を帰順せしめむと百方尽力して居たのである。トルマン王のガーデンには千草姫と云ふ王妃があり、太子はチウイン、王女はチンレイと云つた。左守の司をフーランと云ひ、妻モクレンとの中にテイラと云ふ一人娘があつた。右守の司はスマンヂーと云ひ妻は已に此世を去り、ハリスと云ふ一人の娘をもつて居た。然るに王を初め、左守右守はバラモン教はもとより、スコブツエン宗には何程勧められても入信せず、体的方面の政治のみに没頭して居たのである。茲にバラモン軍の大足別が、俄にトルマン城の攻撃を開始した経緯について、其大略を述べて見ようと思ふ。 トルマン城を去る十数里を隔てた、或小さき山里の古ぼけた祠の前で、二人の首陀が何事か頻に囁き合つて居た。春の初とは云へど、未だ風は寒く青草の芽は去年の記念物たる長い枯草の間から細長く空を覗いて居る。 レール『信仰的に自覚した吾々の擡頭を見て、バラモン階級の鬼畜どもは周章狼狽し、尠からず戦慄し恐怖を感じたものと見える。彼奴等は自分等の占有せる支配の地位たる宗教上、経済上より顛覆しつつある己れ自身を解し、哀れ至極にも泣き面をかわき、勃興せる三五運動の大征伐に向つて今や死物狂ひになつて居る。溺れむとするものは毒蛇の尻尾でも生命限りに掴まむとするものである、諺通りの彼奴等の狂態は、噴飯の価値以外には全くゼロだ』 マーク『さうだねー、浪速節語の屁放爺……………に奏任待遇を与へたり、若衆に僧服を纒はせたり、老衆に民風作興を卸売りしたり、糞造機の似而非宗教家に思想善導の元売捌きを許したのを見ても、愈彼奴等が境遇を暴露せるもので、思へば実に哀れな次第ではないか。是を見ても今迄に虐げられた吾々三五教徒に取つては溜飲が下がる様だ、痛快千万だアハヽヽヽ。併し乍ら今日の場合吾々は毫も油断は出来ない。尚ほ層一層この運動に大努力を要する天下別目の時期だ。バラモン教徒の滅亡は自業自得の結果として拱手傍観すべきでは無い。自業自得の必然性を認むればこそ、且つ鼬の最期屁の害毒の甚大なるを悟ればこそ、吾々は最善の戦法を選んで一刻も早く宗教戦の勝利を得るやうに、奮闘努力せなければならぬ。彼奴等のこの自業自得の収獲こそ人類史上、最大罪悪の裁判の結果で、一点の恕すべき所はないのだ。只吾々は彼奴らの滅亡を一日も早く断行し、促進することが寧ろ彼奴等に対してせめてもの優遇だ、弔ひだ、ハナムケともなるべき慈善だ。アハヽヽヽ』 レ『俺等仲間の第一癪に障る事は暴利の権化とも云ふべきブル的宗教家の今日のやり方だ。好景気時代に、己れ先づシコタマ信徒の油を搾り懐中をふくらせやがつて、最後にお義理的に申訳的に、渋々吾々三五教信者へホンの鼻糞ほどのお守り札を呉れよつて、恩情主義だの何のと臆面もなく誤託を吐き、俺等の汗や油を搾つて妾宅を造り、栄華の夢に酔ひ潰れ、一朝不景気風が吹き初めると、何は扨て置きイの一番にお札の値下げだの、お払ひ箱だのと大鉈を振り上げ、人間の生命を制し、ミイラを製造しておき乍ら、己れは依然として甘い汁をシコタマ吸収し、そして吐すことを聞けば………宗教界に不景気風が吹き荒み、真価は日を追ふて暴落として来た。こんな悪現象を招来した原因は信仰律低下と、教義の余りに高尚に過ぐるからだ………と吐きやがるのだ。そして洒々として澄まし込んで居やがる。ブル宗教家連中も矢張り吾々同様に白い米を喰つて黄色い糞を垂れる人間の片割れだ。こんな奴が覇張つて居る宗教界は何時になつても駄目だないか』 マ『そりや其の通りだ、俺も同感だ。併し今日の僧侶共は実に怪しからぬ代物ではないか。俺等の仲間に対して吐すことには、「お前等の如うな悪信仰の没分暁漢連が八釜敷云つて飛び廻るものだから、宗教は日に月に悪化し混乱状態に陥るのだ」と吐きやがる。こんな僧侶の盲目共は、梵鐘を鳴らしたから火事が起つたと吐かす没分暁漢だ。更に又「人間社会に貧乏と云ふ怪物が現はれるのは、食物の生産力に比して人口の加増率が一層多き為だから、是を救済する唯一の良法は貧乏人等が節制して、余り沢山な子を産まない様にするのが、社会救治策の最善なる方法手段だ」と主張する馬鹿な学者も現はれて来た。さて何れも理窟は抜きにして、斯の如き坊主が社会に公然として生存し得るのも、畢竟宗教家第一主義の社会なればこそだ、思へば涙の溢れる程有難きお目出度き次第だ。 バラモン主義の現代の社会に於て横綱たる、ブル宗教家力士の土俵入りに従ふ雑僧の太刀持や、露払ひを勤むる御用学者の出場なぞは、実に見物人の吾々に取つては立派で見事である。此土俵入りを拝見する為には、随分種々の美はしい名目で、過重な見料を否応なしに徴集されるのだから、吾々の貧弱な骨と皮との痩肉には錦上更に花を飾ると云ふお目出度い状態だ。アヽ吾々信徒はこのお目出度に対して祝福の言を述べねばならぬ。一層声を大きくして、横綱力士の今に土俵の外に転げ出て、手足を挫き吠面を曝らす幕切りを見たいものだ、アハヽヽヽ』 レ『一日も早くその土俵入りの盛観と幕切りを拝見したいものだ。腕を撫し固唾を呑み拳骨でも固めて………』 マ『それはさうとして、僕の友人なる首陀のバリー君に大喇嘛が「貴様は首陀の分際であり乍ら、浄行の言語を使用し、頭髪を長くしやがつて怪しからぬ奴だ」と云ふ罵詈雑言の末、如意棒をブラ下げた髯のある立派な番僧に散々つぱら毒付かれたのだ、「首陀のくせに浄行の語を使ひくさる」とは、首陀と浄行とは別国人だ。印度人では無いと云ふ以上に軽蔑の意味が充分に含まれて居るのだ。此番僧が大喇嘛から「浄行語を使ふ首陀は用捨なく蹴り倒せ、擲り付けよ」との命令を受けて居たか否かは別問題として、首陀向上運動の煽動者であることだけは君も知つて居るだらう。故に吾々は不逞首陀団と目されて居る憐れな運動者よりも、先づ所謂番僧連を、信徒安定の上から見て厳粛に取締らねば成るまいと思ふのだ。実に思ふても馬鹿々々しい問題だが、番僧連は片手で浄首融和会と云ふ魔酔薬を突出し、片手では「浄行語をエラソウに使ひくさるから」とて拳骨を突出して居るのだ。併し首陀向上団の連中から聞いて見ると、幸か不幸か魔酔薬も拳骨も余り好感を以て迎へられて居ないさうだ』 レ『僕はそれだから、近頃途上では成るべく浄行の番僧には会はない様にと注意してゐるのだ。「貴様は首陀階級の癖に俺の顔を見るとは生意気千万な奴だ」と直ぐに擲られるのが嫌だからだ。ホントに馬鹿々々しいぢや無いか』 マ『馬鹿らしい事と云つたら、一夕俺の亡妻の追悼会を催した事があつたが、数日の後に婆羅門総本山から、番僧が御出張遊ばされて「お宅の追悼会を少しも知らなかつた所、今日本山から散々に小言を云はれ、大に目玉の飛び出る程叱られた。それでお宅様の追悼会には誰々が集まつたか、どんな弔辞があつたか聞かして呉れろ」との仰せだ。僕は葬婚の礼儀さへ弁へ知らぬ番僧連にはホトホト呆れ返つて、開いた口が早速に閉まらなかつた。そこで余り業腹が立つので「幾ら番僧だつて葬式や婚儀にまで干渉する権利はありますまい。宗権を蹂躙するものだから、そんな事は答弁の限りでは御座らぬ」とキツパリ温順に云つて退けてやつた。さうすると斯の頓馬番僧、其翌朝から毎日六ケ敷御面相を遊ばして宅の表に如意棒をブラ下げ乍ら頑張つて御座るが、何れの目的がお在り遊ばすのか俺には合点が行かない。又その番僧の非常識なやり方を遊ばすのは、何の理由だか知る由もないが、大喇嘛から叱られた時は尚ほ「一層酷しく首陀向上会をヤツつけろ」と云ふ約束が番僧間の金科玉条とされて居るのか、兎にも角にも不都合な話だ。実に吾々には迷惑の至りだ。ウラナイバラニズムの好い見本だ。キヽヽヽだ』 レ『兎も角一日も早く吾々の向上運動を進めて、根本的に大運動、否荒料理のメスを振はなくては駄目だ。吾々首陀信徒は自滅するより外に進むべき道は無いのだ。何と云つても黴菌を怖れ、難病を避ける医学博士、毒蛇や毒草を避けて通る博物学者、テンデ貧乏人には接近しない活仏や、弱い者を虐める牧師の公々然として頭を擡げる暗黒世界だもの、況んや俗の俗たる婆羅門僧侶に於てをやだ。吾々は飽くまでも婆羅門どもの根城を根本の土台から転覆させん事には、信仰独立権を保持することさへ六ケしからうよ』 二人の三五信者なる首陀が盛に森蔭に腰を下ろして談じて居る所へ、錫杖をガチヤつかせて悠然と現はれたのは、婆羅門教の宣伝使キユーバーであつた。二人は宣伝使の姿を見るより又もやバラスパイが来よつたなーと、俄に話頭を転じて、 レール『この間死んだ俺の倅から幽冥通信があつたが、その音信に「地獄界は僧侶や牧師ばかりで満員だ。普通の人間では殺人、放火ぐらいなもので、余り罪が軽すぎて滅多に地獄に入れては呉れない。併し坊主や牧師なら其名称だけでも幾人でも割り込む事が出来る」とのことだつたよ』 キユーバー『君たちは今何を話して居ましたか、穏かならぬ事を喋つて居た様だなア。お前の姓名は何と云ふか、聞かして貰ひたいものだ』 レール『俺の名は俺だ、友人の名は友人だ。坊主は何処までも坊主だ。オイ兄弟、サア行かう』 と尻に帆かけて一目散に逃げ出した。キユーバー(急場)に迫つた時は三十六計の奥の手だと、頭を抱へてトントントンと畔路を倒けつ転びつ走り行く。 彼れ婆羅門教の宣伝使はスコブツエンと云ふ一派の宗旨を開いた新婆羅門の教祖であつて、婆羅門の大棟梁大黒主が意を承け、私に第二の準備に取りかかつたのである。大黒主は万々一婆羅門教が、ウラル教又は三五教に潰された時は、スコブツエン教に身を托すべく、彼れキユーバーに数多の機密費を与へ、且つ特殊の権利と地位を与へて、隠密の役目を申付けて居たのである。故に彼れキユーバーは何の不自由も感ぜず、傲然として高く止まり、官民を睥睨しつつ天下を横行濶歩して居たのである。大足別将軍も、彼れが特殊の地位に居ることと、絶大なる権威を大黒主に授与されて居る事を知つて居るので、抜目の無き大足別はキユーバーに対しては色々と媚びを呈し、且つ彼の前に出でては、殆ど従僕の如き態度を以て望み、維れ命維れ従ふのみであつた。 扨てキユーバーが東地の都の大黒主の内命を受けて開いて居る婆羅門教の別派、スコブツエン宗は由来難行苦行を以て神に奉仕の誠を捧ぐるものと為し、聞くだに恐ろしき苦行の教団である。百千の苦行を信徒に向つて強る点は、婆羅門教と少しも異りはないが、殊に甚だしき苦行は婦人がヱマスキユレート即ち男性化の修業で、変性男子の願を立てて女性たることを脱せむとする事が、最も重要とされて居る。其方法には卵巣除去法と乳房除却法とがあつて、卵巣除去法の修業になると、百人の中九十九人迄生命を殞すに至る、実に惨酷なる修業であり、乳房除却法に至つては、白熱せる火箸を以て婦人の乳房を焼き切るのである。斯くした者に対して教主及び重役人が婆羅門大神へ奉仕を標章するため焼印を押す。之を熱火の洗礼と称へて居る。斯くして切り落された乳房は聖壇に供へられ、之を捧げたる犠牲者は聖座に安置されて、神の如くに崇敬されるのである。そして聖晩餐の食物中には、乳房の断片が混ぜられ、会衆一同之を喫し終るや、犠牲者の周囲に熱狂せる舞踏が演ぜられるのである。その光景は実に凄惨極まるもので、正しき神々の所為でないことは之を見ても判るのである。抑も乳房は女性のシンボルであり、美のシンボルであり、又婦人生殖器の一部とさへ考へられて居た。畢竟、婦人を代表さるものは乳房だと云ふ観念の下に立てられた邪教なのである。印度に興つた宗教の説は概して、自我の世界は纒綿の世界であるとか、出纒の行と述ひ、無我と道ひ、空と謂ひ、解脱と曰ひ、涅槃と説つて所謂転迷開悟に専らなる諸々の宗教が発生するだけあつて、土地と気温の関係の然らしむる為か、印度と曰ふ国は恐ろしく美しい、且つ物凄く壮大な自然に包まれた、何百種かの人間が幾百種の階級を作り、幾百種の言語を使つて居る国だけあつて、樹上に三年、石の上に十年も立つたり坐つたりして居たり、穴の中の逆立を三ケ月間も続けて修行するとか、水ばかり呑んで生きるだけ生きるとか、木乃伊となるために氷雪の裡、岩角の上に飲食物を絶つて坐つて修行すると云ふやうな迷信、妄信、愚信、悪邪信の醗酵地であり、持戒、精進、禅定、忍辱などと八釜敷く叫び乍らも、淫靡、不浄、惰弱で始末に了へない国民性である。それ故に自然の結果としてスコブツエン宗の如きものが発生し得たのである。 彼れ教祖のキユーバーは凄い眼をギヨロつかしながら、レール、マークの二人の談話を耳敏くも聴き取つて、大黒主の国家を覆へすものと憂慮し、二人の逃げ行く姿を追跡せむと金剛杖を力に、一生懸命に焦慮出したのである。然るに彼の二人は逸早くも山林に姿を隠し、谷川の水を掬つて咽喉を潤しながら、 レール『オイ、マーク大変な奴に出会したものだないか。彼奴は大黒主の邸内に数年前まで出入して、大黒主の御覚え目出度かつたと云ふスコブツエン宗の親玉ぢやないか、下手に魔誤付いて居たら大黒主より重罰に処せられる危ない処だつた。彼んな坊主が何故あれほど威張り散らしよるのだらう。何故あんな不完全極まる宗教が亡びないのだらうか』 マーク『印度七千余国には幾百の小さい宗教があるが、何れの宗教も完全なものは一つも無いにきまつて居るよ。殊に彼の宗教は殊更不完全極まる未成品宗だから、命脈を保つて居るのだ。凡て不完全なものには将来発達すべき余地があり、未来があるのだ。完全は行詰りを意味し、結局滅亡の代名詞に外ならないのだ、アハヽヽヽ』 レ『さうすると吾々の運動も成功せない未完成の間が、花もあり、香もあり、実もあり、世人からも注目されるのだな。アハヽヽヽ』 マ『ナアニ俺達はブルジョア宗教やラマ階級に圧迫され苦しめられ、明敏な頭脳が滅茶苦茶になつたので、チツト許り小理窟を覚えて居るのを利用して、実は滅茶苦茶な革正運動をやるやうに成つたのだ。然し斯う曰ふ頭悩でなければ、創意創見は生れて来ないのだ。復古を叫ぶ人間は必ず覚明家だ。石火坊子団は即ち石下坊主団だ。日露協約の結果は白雪までも赤化したぢやないか、アハヽヽヽ。それだから吾々は天の表示を確信して驀地に進まむとするのだ。アヽ一日も早く吾々の目的を達成せなくては、到底吾々三五信者兼首陀向上会員は身の置き所がなくなつて了ふわ。「白雪も日露協約で赤く化し」』 かくて両人は又もやキユーバーの悪口に花を咲かせ、不平の焔を燃やす折しも、執念深いキユーバーの窺ひ寄る姿が木の間を透かしてチラチラと見え出したのに肝を潰し、尻はし折つて山林深く逃げ出して了つた。 (大正一四・二・一三旧一・二一加藤明子録)
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霊界物語 70_酉_トルマン国の国政改革 02 折衝戦 第二章折衝戦〔一七六九〕 トルマン城の会議室には、王のガーデンを始め、王妃千草、左守司フーラン、右守司スマンヂーの首脳部が首を鳩めてヒソビソ重要会議を開いてゐる。 ガーデン『エー、左守、右守の両人、突然重大問題が勃発したので、汝等両人を急使を以て引寄せたのだが、其方の智慧を貸して貰ひたい。トルマン国にとつては国家興亡の一大事だから……』 左守右守は一度にハツと頭を下げ、畏まつて、王の第二の発言を待つてゐる。王は目をしばたたき乍ら、 『外でもないが、昨夜半頃頻りに門戸を叩く者あり。門番のタマ、タルの両人よりの急使に仍り、寝所を立出で、応接間に至り見れば、大足別将軍の使者と称し、此頃淫祠邪教を、吾国内に布教宣伝致し居るスコブツエン宗のキユーバーと申す妖僧、吾面前をも憚らず威丈高となり、……貴国は従来ウラル教を奉じ、国政の補助となし居らるる由、最早命脈の絶えたるウラル教を以て、人心を収めむとするは危険此上なかるべし。此度大足別将軍、大黒主の大命を奉じ、印度七千余国をスコブツエン宗に改宗せしむとの御上意、天下万民を塗炭の苦より救ひ、安養浄土に蘇生せしめむとの有難き御心なれば、謹んでお受けなされ。万一違背に及ばば、仁義の軍は忽ち虎狼の爪牙を現はし、トルマン城を屠り、王を始め、一般民衆の目をさまし呉れむ。王の御答弁如何に依つて、国家の安危の分るる所、速に返答召され……との強談、其暴状は言語に絶し、立腹の余り卒倒せむ許りに存じたが、いや待て少時、何とか斯とか此場の言葉を濁し、汝重臣共に親しく協議を遂げ、其上諾否を決せむと、キユーバーに向ひ、三日間の猶予を与ふべく申渡せし所、彼妖僧の勢、仲々猛烈にして、首を左右に振り、……只今返答承はらむ……との厳談、仮にも一国の主権者が、僅一人の妖僧に圧迫さるべき理由なし。さり乍ら、只一言の下に叱咤せむか、彼は時を移さず、大足別の軍を率ゐて当城を十重二十重に取囲まむず鼻息残念乍ら、千言万語を費し、一日の猶予を請ひ、返答すべき事に致しておいた。左守右守殿、如何致さば可からうかな』 左守『何事かと存じ、取る物も取り敢ず、登城致し、承はれば容易ならざる出来事で御座ります。仮にも一天万乗の国王殿下に対し、素性も分らぬ怪僧の暴言、聞捨なり申さぬ。最早此上は折衝も答弁も無用で御座ります。速に国内の兵を集め、大足別の軍勢を殲滅致し、国家の災を艾除致したく存じます』 王『成程、汝が言、余の意に叶へたり。サア、一刻も早く募兵の用意を致せ。城内の兵士にも厳命を下し、防備の用意に取かからしめよ』 左守『ハイ、殿下の御上意、謹んで御受け致します。右守殿、貴殿は一刻も早く国内に伝令使を派し、国家の危急を救ふべく軍隊をお集めなさい』 右守『これはこれは左守殿のお言葉とも覚えぬ。左様な無謀な戦を致して、天壤無窮のトルマン国を亡ぼす左守殿の拙策。最早かくなる上は、暫時キユーバーの意見に従ひ、王家を始め、国民一般、彼が唱ふる宗旨に帰順せば、天下は無事泰平、国民は塗炭の苦より免れ、仁君と仰がれ給ふで御座らう。万々一雲霞の如き大軍を向方へ廻し、全敗の憂目に会はば万劫末代取返しのつかざる大失敗で御座らう。殿下を始め左守殿、此所をトクとお考へ下され。王家の為、国家の為、右守身命を賭して諫言仕ります』 王『此場に及んで、卑怯未練な右守の言条、国帑を消費して、平素軍隊を養ひおきしは何の為だ。かかる国難に際し、挙国一致的活動をなし、外敵を防ぐべき用意の為ではないか。かかる卑怯未練な魂を以て、優勝劣敗の現代、殊に七千余国の国王は各軍備を整へ、虎視耽々として、国防に余念なき此際、祖先伝来のウラルの神の教を放擲する如きは神の威厳を損ひ破り、御無礼此上なく、却て国家の滅亡を早めるであらう。此トルマン国はウラルの神の厚き守護あり、何を苦んで、かかる妖教に腰を曲げむ。しつかりと性根を据えて、所存の臍を固めよ』 右『君の仰せでは御座いまするが、此際余程冷静にお考へを願はねばなりませぬ。取返しのつかぬ事で御座いますから』 王『然らば汝の意見は、何うせうと云ふのだ、腹蔵なく申して見よ』 右『ハイ、恐れ乍ら申上げます。敵は目に余る大軍、城下近く押寄せ来る此際、遅れ走せに軍隊を召集すればとて、何の役に立ちませうぞ。城内の守兵は僅に五百人、敵の総勢三千騎、国内全部の兵員を集めた所で、漸く二千五百人では御座らぬか。五百人の兵を以て三千人の精鋭に当るは、恰も蟷螂の斧を揮つて竜車に向ふがごときもので御座ります。国内の総動員を行ひ、いよいよ戦闘準備の整ふ迄には、何程早く共三日間の時日を要します。さすれば、既に既に戦争の済んだ後、六菖十菊の無駄な仕業と存じます。かかる見易き道理を無視し戦ふに於ては、国家の滅亡、風前の灯火よりも危う御座います。何卒此際右守の進言を御採用下さらば、国家の為、実に幸福と存じます』 千草姫『王様を始め左守右守殿の御意見を承はれば、何れも御尤も千万、併し乍ら妾は右守の説を以て、最も時宜に適した方法と考へまする。殿下何卒、右守の説を御採用あらむ事を御願ひ致しまする』 王『馬鹿を申せ、其方迄が夫の説を抹殺せむと致すか。其方の平素の挙動は腋に落ちぬと思つてゐた。国家滅亡の原因は女性にありといふ事だ。殷の紂王が国を失ふたのも矢張女性の横暴からだ。女童の知る事でない、下がり居らうツ』 と百雷の一時に落下したる如き怒声、千草姫は縮み上つて顔色蒼白となり、其場に慄ひつつ倒れて了つた。王は此有様を目にもかけず、尚も言葉を続けて、 『ヤ、左守、最早かうなる上は、余と汝と両人力を併せ、外敵を殲滅致さう。余は之より陣頭に立ち、三軍を指揮するであらう。サ、左守、其準備に取かかれよ』 左『年は寄つても、武術を以て鍛へた此腕つ節、仮令大足別の軍勢、百万騎を以て押寄せ来る共、何かあらむ、盤古神王の御神力を頭に頂き、八岐大蛇の悪魔の守る大足別が軍勢を、千変万化の秘術を以て駆け悩まし、奇兵を放つて殲滅し呉れむ。いざ右守殿、用意を召され』 右『これは心得ぬ、御両所のお言葉、薪に油を注ぎ、之を抱いて火中に投ずる如き危険極まる無謀の抗戦、いかでか功を奏せむ。先づ先づ思ひ止まらせ給へ』 王『左守、右守の如き逆臣を相手に致すな。千草姫は平素余が目をぬすみ、右守と……を結んでゐるといふ事は、某々等の注進によつて、一年以前より余は承知してゐる。かかる逆賊を城内に放養するは、恰も虎の子を養ふに等しからむ。一時も早く縛り上げよ』 千草『王様のお情ないお言葉、決して決して妾は左様な疑を受けやうとは夢にも存じませぬ。良薬は口に苦く、忠言は耳に逆ふとかや。右守殿は王家の為国家の為、命を捧げて居りまする。時代の推移を明知し、政治の大本を弁へ居る者は、右守をおいて外には御座いませぬ。今日の世の中は、余程変つて居りまする。徒に旧套を墨守し、国家を立てむとするは愚の骨頂で御座います。何者の誣言かは存じませぬが、妾に対して不義の行為あるが如く内奏致すとは、言語道断、不忠不義の曲者、かかる乱臣賊子の言に御耳を傾け給はず、妾が進言を冷静に御考へ下さいませ。最早かくなる上は周章狼狽も何の効果もありますまい。落ちついた上にも落ついて、国家百年の大計をめぐらさねばなりますまい』 王『汝こそ、金毛九尾の霊に魅せられたる亡国の張本人だ。綸言汗の如し、一度出でては再び復らず。汝が如き亡国の世迷言、聞く耳持たぬ』 と立上り、弓矢を執つて、左守と共に立出でむとする。斯かる所へ、スコブツエン宗の妖僧キユーバーは数十人の武装せる兵士に守られ乍ら、悠々と現はれ来り、 『スコブツエン宗の大棟梁キユーバー、大黒主の命により、大足別の軍を率ゐて向ふたり、速に返答致せツ』 と呼はつてゐる。千草姫、右守司は矢庭に玄関に走り出で、 千草『これはこれは、御神徳高き救世主様、よくこそお越し下さいました。仁慈無限の大黒主の思召、何条以て反きませう。祖先以来のウラル教を、放擲し、貴僧のお言葉に従ひ、スコブツエン宗に国内挙つてなりませう。どうか軍隊を以て向はせらるるは穏かならぬ御仕打、兵を引上げ下さいませ。妾が身命を賭して、御請合申上げます』 キユ『アハヽヽヽヽヽ、流石頑強なガーデン王も往生致したか、左守はどうだ。異存は無からうか、両人の確なる降服状を渡して貰ひたい。さもなくば大黒主様大足別に対しても、愚僧の言訳が立ち申さぬ。サ、早く屈服状を御渡し召され』 斯く話してゐる内に、ガーデン王、左守は兵営に走り行き、数多の将士に厳命を伝へ、敵を撃退すべく準備に取かかつてゐた。キユーバーは王を始め左守は奥殿に戦慄し、蚤の如く虱の如く寝所に忍んでゐるものとのみ慢心して気を許し、降服状を受取らむと応接の間にどつかと尻を卸し、椅子にかかり茶を啜りつつ、 『アハヽヽヽ、これこれ千草姫殿、右守殿、大黒主の御威勢は大したもので御座らうがな。其方の計らひ一つによつて、此トルマン城も無事に助かり、耄碌爺のガーデン王も、左守のフーランも先づ之で首がつなげると云ふもの、まづまづお目出たう存ずる』 千草姫は王や左守の主戦論者たる事を悟られては一大事、何とかして二人の我が折れる様と、心中深く祈りつつ、素知らぬ顔にて、 『キユーバー様、貴方はトルマン国に対し、救世の恩人、億万年の後迄も此御恩は決して忘れませぬ。これこれ右守殿、王様始め左守其他の重臣に、此由を御伝へ下さい。キユーバー様は妾が御接待申して居るから……』 右守は千草姫の心を推知し、此間に王及左守の心を和らげ、後は兎も角此場合キユーバーを欺いて、帰順した如くに見せかけ、徐に策をめぐらさむと、王の居間に入つて見れば藻脱けの殻、コラ大変と、軍務署へかけつけて見れば、既に城内の兵士は武装を整へ、王も亦甲冑をよろひ、槍を杖について、今や、一斉に総攻撃に出でむとする間際であつた。 右守『若し若し殿下、話は甘く纒まりました。どうか暫く御待ち下さいませ』 王『キユーバーが降服致したのか、如何纒まつたのだ』 右守『ハイ、キユーバーは数十の精兵を引連れ、厳然と控へて居りまする。それにも拘らず、大足別の大軍は今や返答次第によつて、本城を屠らむとして居りまする。一時敵を欺いて、油断させ、其間に国内の総動員を行ひ、城の内外より挟撃にするのが、軍術の奥の手と存じ、詐つてスコブツエン宗に降伏致しておきました。何卒々々武装を解き、左守殿と共にキユーバーにお会ひ下さいませ』 王はクワツと怒り、 『不忠不義の曲者右守奴、吾許しも無く勝手に左様な国辱的行動をなすとは、鬼畜に等しき其方、最早勘忍ならぬ、覚悟せよ』 と言ふより早く、槍をしごいて、右守の脇腹に骨も徹れとつつ込めば、何条以て堪るべき、右守は其場にドツと倒れ伏し、虚空を掴んで息絶えて了つた。 王『アハヽヽヽヽ、首途の血祭に国賊を誅したのは幸先よし。サ、之より千草姫、キユーバーの両人を血祭にせむ』 と云ひ乍ら、左守に軍隊を監督させおき、自ら数十名の精兵を従へ、応接間を指して勢猛く出でて行く。 千草姫は何となく、形勢不穏の気がしたので、キユーバーに対し、秋波を送り乍ら、密室に伴ひ、ドアの錠を中から卸し、声を忍ばせ乍ら、王始め左守の強硬なる意思を伝へ、キユーバーの身の危険なる事を告げた。千草姫は決して右守司と醜関係を結んでゐなかつた。只国家を思ふ一念より、時代を解する彼を厚く信じてゐたのみである。智慧深き千草姫は仮令一時キユーバーを亡ぼす共、後には大足別控へ居れば、最後の勝利は覚束なし。若かずキユーバーの歓心を買ひおき、国家の安泰を守らむには……と、自分が国内切つての絶世の美人たるを幸ひ、彼を薬籠中の者として了つたのである。暴悪無道のキユーバーも千草姫の一瞥に会ふて骨迄和らぎ、まんまと姫の術中に陥つたのは幸か不幸か、神の審判を以て処決さるるであらう。 (大正一四・八・二三旧七・四於丹後由良秋田別荘松村真澄録)
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霊界物語 70_酉_トルマン国の国政改革 03 恋戦連笑 第三章恋戦連笑〔一七七〇〕 千草姫はキユーバーを一室に伴ひ行き、あらゆる媚を呈し彼の心胆を蕩かし、凡ての秘密の泥を吐かしめむと百方尽力してゐた。キユーバーは千草姫の美貌を見て天津乙女かエンゼルか、ネルソンパテーか楊貴妃か、小野の小町か照手姫か、平和の女神かとドングリ目を細うし眉毛や目尻を七時二十五分過にさげおろし、口角よりねばつたものをツーツーと、ほし下しの芸当を演じ、ハンカチーフにてソツト拭ひ乍ら、茹章魚のやうになつてその美貌に見惚れてゐる。もう、かうなる上は千草姫の一顰一笑はキユーバーの命さへも左右する力があつた。キユーバーは自分の目的や大足別との経緯もスツカリ忘れて、只宇宙間、神もなく仏もなく、大黒主もなく、天も地もなく、只、目にとまるものは、艶麗なる千草姫、耳に聞ゆるものは姫のなまめかしい玉の声のみとなつて了つた。 千草姫『もうし、救世主様、貴方は何とした立派なお方で御座りませう。何程盤古神王様が御神力があると申しても、大国彦様がお偉いと云つても、已に既に過去の神様で御座ります。どんなに手を合せても、ウンともスンとも云つて下さいませぬ。それに何ぞや、天来の救世主の君に親しくお目にかかり、天の御声をそのまま聞かして頂く妾は、何と云ふ幸福でせう。貴方の御姿を霊的に窺はして貰ひますれば、玲瓏玉の如く、金剛石の如く御身体一面にキラキラと輝いてゐます。妾は目も眩みさうで御座りますわ。そして貴方の玉の御声、一言聞いても皆、妾の肉と力になつて了ふのですもの。何と云ふ立派な神様が現はれなされたものでせう。どうかキユーバー様、この結構な玉のお声を妾以外のものに聞かして貰つちやいやですよ。この結構なお姿を世界の人間の目に入れちや困りますよ。アーア儘になるなら三千世界の人間を皆盲にして了ひたいわ。そして世界中の人間の耳を木耳にし度う御座りますわ。ねーあなた、恋しきキユーバー様』 とあらむ限りの追従を並べたて、蕩けた奴を尚々蕩かさうとする。恰も骨のない章魚に蕎麦粉をかけたやうにズルズルになつて了ひ口から涎を出す、オチコからはなを垂れる、千草姫の玉の肌に触れぬ中から、キユーバーは五つの穴から体の肥汁を搾取され、秋の夕暮れの霜をあびたバツタのやうになつて了つた。 キユーバー『これ千草姫、俺を、どうしてくれるのだ。これでもスコブツエン宗の教祖大黒主の片腕、三千世界を一目に見透すマハトマの聖雄だ。俺の骨迄筋迄グニヤグニヤにして了ふとは、本当に凄い腕前ぢやないか』 千草『ホヽヽヽヽヽ、あの、マア、キユーバー様の仰有いますこと。大黒主の片腕だとか、救世主だとか、そんなちよろこい霊では、貴方は御座りませぬわ。棚機姫の化身として、玉の御舟黄金の楫を操りトルマン国へ、天降つて来たこの千草姫を、マルツキリ蒟蒻のやうにして了ふと云ふ、貴方は凄い御腕前、否立派な男前、女殺しの罪なお方、妾は昼とも夜とも、西とも東とも判別がつかなくなりました。惚れた弱味か知れませぬが、貴方の鼻息の出やうによつて妾の生命に消長があるのですもの。妾が可愛いと思召すなら、どうぞ長生をさして下さいや。刃物持たずの人殺しは嫌ですよ。スコブツエン宗の法力によつて、貴方と一緒に千年も万年も不老不死で暮したう御座りますわ』 キユ『エツヘヽヽヽヽヽ、よしよし、お前と俺とさへ幸福にあれば、世の中は暗にならうと、潰れやうと、そんな事は頓着ないわ。天下無双の美人だと思つてゐたらその筈、お前は棚機姫の天降りだつたのか。いかにも、どこともなしに気品の高いスタイルだ。天下の幸福をお前と俺と二人して独占すればいいぢやないか。もう、かうなれば大黒主もヘツタクレもない。俺の決心は動かないから安心してくれ。千草姫、あまり俺だつて憎うはあるまいがな、エツヘヽヽヽヽヽ』 千草『オツホヽヽヽヽヽ』 と高く笑ひ、 『此夫にして此妻あり、お日さまにお月さま、お天道さまにお地球さま。キユーバーさまに千草姫。猫に鰹節。これ丈けよう揃ふた夫婦が三千世界に御座りませうかね』 キユ『アツハヽヽヽヽヽ、此奴は面白い。人間も一生に一度は幸運に出会すと云ふ事だ。此キユーバーも大神の御利益によつて初めての安心立命を得た。其方は俺に対して大救世主だ。弥勒如来だ、メシヤだ、キリストだ、瑞の御霊だ。お前をおいて救世主が何処にあらう。お前と俺と二柱、天上高く舞ひ上り、天の浮橋に乗り、大海原に漂へる国々の民を安養浄土に助けてやらうぢやないか。どうだ姫、よもや異存はあるまいな』 千草『いやですよ。最前も云つたぢやありませぬか。貴方の姿は妾以外に見せるのは嫌ですよ。玉の御声は妾以外に聞かしちや嫌ですよ。貴方は気の多いお方だから、三千世界の蒼生にまで、この尊いお姿を拝ましてやり、そして慄いつき度い程味のある、天人の音楽にも勝る玉の御声を、万人にお聞かせ遊ばすお考へでせうが、その御声は妾一人が聞かして頂く約束ぢや御座りませぬか』 キユ『これ、千草姫、お前も仲々したたか者だな。やさしい顔をして居つて、あまり欲が深過るぢやないか。このキユーバーは天下万民を救ふため天降つて来たのだ。それでは、少し天の使命に反くと云ふものだがな』 千草姫は故意とプリンと背を向け、 『ヘン勝手にして下さいませ。妾は、もう死ますから、(泣声)オーンオーンオーンオーンオーン』 キユ『これこれ千草姫殿、さう怒つて貰つちや困る。お前の悪い事云つたのぢやなし、マア、トツクリと俺の云ふ事を聞いてくれ。世界万民に対して愛を注がうと云ふのぢやないからな』 千草『エー、知りませぬ。妾のやうなお多福は到底、お気に入りますまい。ウオーンウオーンウオーン』 キユ『アツハヽヽヽヽヽ、丁度芋虫のやうだ。プリンプリンと右と左へ、お頭をお振り遊ばすわい。これ姫さま、さう悪く思つちやいけない。マア、トツクリと俺の腹の底を聞いて下さい』 千草姫は又もやプリンと体を廻し、ペタリと地上に倒れ、左右の袂で顔を被ひ乍ら、 『ハイ芋虫で御座ります。芋虫は芋助の厄介になればよいのです。分相応と云ふ事が御座りますからね、アーンアーンアーンアーン』 キユ『何とマア、ヒステリックだな。芋虫と云つたのが、それ程お気に触つたのか』 千草『ハイ妾は芋虫で御座りませう。貴方の目から御覧になつたら、雪隠虫のやうに見えませう。エーくやしい、アーンアーンアーンアーンもう知りませぬ知りませぬ。妾のやうな者は此世にをりさへせなかつたら、いいんですわ。気の多い貴方のやうなお方に恋慕して、悩殺されるよりも、体よう舌をかんで死んだがましで御座りますわい、ウオーンウオーン』 キユ『コーレ、姫さま、トツクリと聞いて下さい。このキユーバーを可愛いと思召すなら、さう気をもまさずにおいて下さい。どうやら俺の方が悩殺されさうになつて来た。エー、泣き度くなつて来た。一つ惚れ泣きを思ふ存分し度いと思つたのに、姫から先鞭をつけられたので大変な損をした。此方から御機嫌を取らにやならぬやうになつて来たわい。アーア、恋も仲々並や大抵で成立しないものだな』 千草『キユーバーさま、貴方本当にひどい人ですわ。妾を泣かして泣かして焦れ死さそうと思つてゐなさるのでせう。サアどうぞ殺して下さい。頭の先から爪の先迄、貴方に任したのですから、もうかうなりやお屁一つ弾じる勇気も御座りませぬわ』 キユ『俺だつて、お前のために鰻の蒲焼ぢやないが、背骨を断ち割られて了つたやうだ。これ丈けの心尽しをチツともお前は汲みとつてくれないのか』 千草『ヱー残念やな残念やな。貴方こそ、妾の心を汲みとつて下さらないのだもの』 と云ひ乍らキユーバーの顔を目がけて一寸斗りも伸ばした爪を、無遠慮に額から胸先かけて、ゲリゲリと二三べん掻き下ろした。 キユ『アイタツタヽヽヽヽヽ、これ姫、無茶をすない。顔一面に蚯蚓脹れが出来るぢやないか。こんな事されちや外分が悪くて、外出出来はせぬわ』 千草『そりやさうですとも。外の女に顔を見せないやうに意茶つき喧嘩の印を、尊き尊き可愛いお顔につけておいたのですもの。これでも妾の心底が分りませぬか』 キユ『アハヽヽヽヽヽ、アイタツタヽヽヽ、笑ふと顔の筋が引張つて、アツハヽヽヽヽ、アイタツタヽヽヽヽヽ、ひどい事をする女だな、お前は』 千草『そらさうでせうとも。相見互ひですわ。妾の命を貴方に捧げたのですもの、貴方だつて妾に生命を呉れるでせう。薄皮位むいたつてそれが何です。小指一本貰ひませうか』 キユ『そりや小指の一本位お前の為にや、やらぬ事はないが、神さまから与へられた完全の体を傷つけるには及ばぬぢやないか。それよりも俺の魂を受取つてくれ。魂が肝腎だからのう』 千草『貴方の魂をやらうと仰有つたが、どうしたら下さいますか』 キユ『俺の魂と云ふのは真心だ。言心行の一致だ』 千草『そんなら、どうか真心を表はす為に、何でも云ふ事、聞いて下さるでせうな』 キユ『ウン、聞いてやる。お前の為にや、生命でも何時でもやるのだ』 千草は嬉しさうな顔してニタニタ笑ひ乍ら、 『キユーバー様、貴方の真心が分りました。嬉しう御座りますわ。これで暗が晴れました』 と何とも云へぬ愛嬌の滴る、眼光に露を含んでキユーバーを注視した。キユーバーはこのニコリと笑つた千草姫の顔に益す夢現となり、垂涎滝の如く『エツヘヽヽヽヽ』と顔の紐まで解いて、清水焼の布袋の出来損ひのやうな面になつて了つた。 千草『サア、キユーバー様、今妾に何時でも命をやらうと仰有いましたね』 キユ『ウン、確に云ふた。俺も男だ、やると云ふたらやる。お前の事だつたら何でも聞いてやる。仮令大黒主の命令に反いてもお前の命令には反かぬからのう』 千草『アヽそれ聞いて安心しました。サア早速命を頂戴しませう』 と懐剣をスラリと引抜き身構へする。流石惚けきつたキユーバーも短刀を見るや、本当に命をとられるのかと蒼くなり慄い声を出し乍ら、 キユ『待つた待つた、ソウ気の早い、お前に命をやつてどうするのだ。俺が死んだら俺の綺麗な顔を見る事も出来ず、俺の玉の声を聞く事も出来ぬぢやないか。恋に逆上せるのもいいが、そこまで行つちやいけないよ、マア、チツト気を落ちつけたらどうだ』 千草『恋愛の真の味ひは生命を捨てる処にあるのですよ。涙から真の恋愛が生れるのですもの、貴方は命をやらうと云ひ乍ら、何故実行をして下さらないのですか。言心行一致と申されましたが、ヤツパリ妾を、かよわき女だと思つて、お嬲遊ばしたのですか、エー悔しい悔しい、残念やな残念やな』 と短刀を、其場に捨てて泣き伏す。 キユーバーはヤツト安心し、胸を撫で下ろし乍ら、 『アツハヽヽヽヽヽ、面白い面白い、恋愛もここ迄出て来ぬと、神聖味が分らぬわい。何と可愛いものだな』 千草『貴方は妾を騙してそれ程面白う御座りますか。そら、さうでせう。三千世界の女を皆、済度しようと仰有るやうな気の多いお方ですもの。言心行一致が聞いて呆れますわ』 キユ『今の人間は心に思はぬ事でも口で云ふぢやないか。このキユーバーは三千世界の救世主だ。決して心にない事は云はない。今の人間は口と心と行ひが一致せぬのみか、心と口とが一致してゐない。俺は心に思ふた事を口へ出して、お前に云つたのだから言心一致だよ、ハツハヽヽヽヽヽ』 千草『言心一致なんて、そんな誤魔化しは喰ひませぬ。も一つの行ひの実行を見せて下さい』 キユ『なんとむつかしい註文だな。さうむつかしう云はなくても、いいぢやないか。俺の心を買つてくれ。千年も万年も、生永らへてお前を楽ましてやらうと思つてこそ命を惜むのだ。これもヤツパリお前の為だ』 千草は故意とニコニコし乍ら、 千草『ア、それで分りました。どうか、エターナルに可愛がつて頂戴ね。外に心を移すことは、いやですよ』 キユ『ハツハヽヽヽヽヽ、ヤア之で先づ先づ平和克復だ。象牙細工のやうな白いお手に瑪瑙の爪、縦から見ても横から見ても、ホントに棚機姫に間違ないわ。オイ姫、どうか一つ握手してくれないか』 千草『ハイ、お安い事で御座ります』 と毛ダラケの岩のやうな真黒気の手をソツと握る。 キユ『オイ、姫、モチト確り握つてくれ。どうも頼りないぢやないか。そんなやさしい握り方では、どうしても恋愛の程度が分らないわ』 千草『ハイ、そんな事仰有いますと、お手が砕ける程握りますよ』 キユ『ヨーシ俺の息がとまる所迄握つてくれ、ハツハヽヽヽヽヽ』 と又もや口から粘液性の、きつい糸を垂らしてゐる。千草姫は柔道の手を以て脈処を力限りにグツと握り〆た。キユーバーはウンと一声真蒼になつて、その場に平太て了つた。 千草姫はニツコと笑ひ、 『ホヽヽヽヽヽ、この悪魔奴、かうして置けば暫らく安心だ。たうとう気絶した様だわい、ホツホヽヽヽヽヽ』 城の内外には激戦が初まつてゐると見え、ドンドンキヤアキヤア、と陣馬の犇く声、飛道具の音、刻一刻と高まり来る。 (大正一四・八・二三旧七・四於由良秋田別荘北村隆光録)