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(386)
ひふみ神示 17_地震の巻 第9帖 霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体のをなす。霊の立場よりすれば、霊は善であって、体は悪、体の立場よりすれば、体は善であって、霊は悪である。悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。善あればこそ悪は悪の御用を為し得るのである。悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄える。力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命する。故に生前の霊人は、生前界のみにては善なく、生命なく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命してゆく。地上人は地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄してゆく。而して、尚地上人は死後の世界に通じなければならぬ。死後の世界との関連により複数的悪善におかれる。善悪善の立場におかれる場合が多いために、地上に於ける司宰神としての力を自ら与えられるのである。善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。善のみにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。地上人のもつ想念の本は霊人そのものであり、霊人のもつ想念の本は神であり、神のもつ想念の本は大歓喜である。故に、地上人は霊人によって総ての行為の本をなし、霊人は神により、神は大歓喜によりて総ての行為の本とする。故に、地上人そのもののみの行為なるものはない。何れも、神よりの内流による歓喜の現われであることを知らねばならぬ。歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。霊に属するものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない。しかし、差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。すなわち善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。悪があってもならぬが、悪が働かねばならない。常に、動き栄えゆく、大和のを中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心をとする立体的うごきの中に呼吸しなければならない。それが正しき惟神の歓喜である。惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。故に、永遠の大歓喜となり、大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝くのである。
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(390)
ひふみ神示 17_地震の巻 第13帖 地上人が、限りなき程の想念的段階をもち、各々の世界をつくり出している如く、霊界にも無限の段階があり、その各々に、同一想念をもつ霊人が住んでおり、常に弥栄しつつある。下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。美も醜となり、愛も憎となり、善も真もそのままにして善となり、真と現われ得ない場合がある。其処に偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意がある。と同時に、 -真善- -真善美愛- -歓喜- -大歓喜- と現われる神秘なる弥栄があり、悪の存在、偽の必然性などが判明するのである。故に、下級霊人との交流は、地上人にとっても、霊人にとっても、極めて危険極まりないものではあるが、半面に於ては、極めて尊いものとなるのである。下級霊人自身が-善-なりと信じて行為することが、地上人には-悪-と現われることが多いのである。何故ならば、かかる下級霊と相通じ、感応し合う内的波調をもつ地上人は、それと同一線上にある空想家であり、極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ性をもち、他の世界を知らないからである。それがため、感応してくる下級霊の感応を、全面的に信じ、唯一絶対の大神の御旨なるが如くに独断し、遂には、自身自らが神の代行者なり、と信ずるようになるからである。所謂、無き地獄をつくり出すからである。地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばならない。かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。浄化し、改心し得ないものである。また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。総て戒律的の何ものによっても、霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、半面に於て同様の退歩が必然的に起ってくる。それは強いるが為である。神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ない。戒律あるところ必ず影生じ、闇を生み出し、カスが残るものである。それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、影の世界である。中心に座す太神のお言葉は、順を経て霊人に至り、地上人に伝えられるのであるが、それはまた霊界の文字となって伝えられる。霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成る。直線的なものは、月の霊人が用い、曲線的な文字は、太陽の霊人が使用している。但し、高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなすがあるのみ。また高度の霊界人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。しかしこれは不変のものではなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、地上人の文字に似てくるのである。
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(392)
ひふみ神示 17_地震の巻 第15帖 霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。故に、其処には霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ。住宅は、その住む霊人の生命の高下によって変化する。霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、また、食堂もあり、風呂場もあり、物置もあり、玄関もあり、庭園もある、と云ったふうに、現実世界と殆ど変りがない。と云うことは、霊人の生活様式なり、思想なりが、ことごとく同様であると云うことを意味する。また、内分を同じくする霊人たちは、相集まり、住宅は互に並び建てられており、地上に於ける都会や村落とよく似ている。その中心点には多くの場合、神殿や役所や学校等あらゆる公共の建物が、ほどよく並んでいる。そして、これらの総てが霊界に存在するが故に、地上世界に、それの写しがあるのである。霊界を主とし、霊界に従って、地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。地上人は、物質を中心として感覚し、且つ考えるから、真相が中々につかめない。これら総ての建物は、神の歓喜を生命として建てられたものであって、霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る。また天人の衣類も、その各々がもつ内分に正比例している。高い内分にいる霊人は高い衣を、低いものは低い衣を自らにして着することとなる。彼等の衣類は、彼らの理智に対応しているのである。理智に対応すると云うことは、真理に対応すると云うことになる。但し、最も中心に近く、太神の歓喜に直面する霊人たちは衣類を着していないのである。この境地に到れば、総てが歓喜であり、他は自己であり、自己は他であるが故である。しかし、他よりこれを見る時は、見る霊人の心の高低によって、千変万化の衣類を着せる如く見ゆるのである。また、衣類は総て霊人の状態の変化によって変化して行くものである。霊人はまた、いろいろな食物を食している。云う迄もなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。食べられる霊食そのものも、食べる霊人も何れも、食べると云うことによって歓喜しているのである。地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。そして、食べると云うことは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。これらの行為は、本質的には、地上人と相通ずる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合および表現には大きな差がある。食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判らない程である。また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである。そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。すべての善はより起り、にかえるのと同様、総ての悪もまたより起りにかえる。故に、神をはなれた善はなく、また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。殊に地上人はこの善悪の平衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、悪をとり去るならば、地上人としての生命はなく、また善は無くなるのである。この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だ、と思ってはならない。この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである。地上人は、霊人との和合によって神と通ずる。地上人の肉体は悪的な事物に属し、その心は善的霊物に属する。その平衡するところに力を生じ、生命する。しかし、地上人と、霊人と一体化したる場合は、神より直接に地上人にすべてが通じ、すべてのもののが与えられると見えるものである。これを、直接内流と称し、この神よりの流入するものが、意志からするときは理解力となり、真理となる。また、愛より入るときは善となり、信仰力となって現われる。そして、神と通ずる一大歓喜として永遠に生命する。故に、永遠する生命は愛と離れ、真と離れ、また信仰とはなれてはあり得ないのである。神そのものも神の法則、秩序に逆らうことは出来ない。法則とは歓喜の法則である。神は歓喜によって地上人を弥栄せんとしている。これは、地上人として生れ出ずる生前から、また、死後に至るも止まざるものである。神は、左手にての動きをなし、右手にての動きを為す。そこに、地上人としては割り切れない程の、神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ。地上人は、絶えず、善、真に導かれると共に、また、悪、偽に導かれる。この場合、その平衡を破るようなことになってはならない。その平衡が、神の御旨である。平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、超平衡より超大平衡にと進み行くことを弥栄と云うのである。左手は右手によりて生き動き、栄える。左手なき右手はなく、右手なき左手はない。善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。神は善、真、悪、偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生れ、神の中に育てられつつある。始めなき始めより、終りなき終りに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである。
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(2093)
霊界物語 33_申_玉の御用の完了/高姫と黒姫の過去 余白歌 余白歌 五十鈴川流れに霊を洗ひてし人こそ人の鏡なりけり〈瑞祥(三版)〉 五十鈴川澄み渡りたる一筋の清に流れぞ世を洗ふなり〈瑞祥(三版)〉 ただ一つ夜光の真玉地におとし闇世を照らしたまふ大神〈瑞祥(三版)〉 大方の世人の眠りをさまさむと世の木鐸と生れし神柱〈瑞祥(三版)〉 神言を正しく説きしひとつ火の光は闇世の燈台なりけり〈瑞祥(三版)〉 久方の天の岩戸のとざされしこの暗き世を如何に照さむ〈第1章(三版)〉 八百万神は心を一にして岩戸の闇をひらくべき時〈第1章(三版)〉 身知らずがここを先途と狂ひたち惜しきいのちを軽んずるなり〈第3章(三版)〉 もろもろの禍しげき闇の世に血眼となりて騒ぐ亡者よ〈第3章(三版)〉 天津日の光は強くさしのぼり巌に松のしげる御代かな〈第5章〉 海中の浪に打たるる岩のごとますますかたき大和魂〈第5章〉 浅川の瀬々の流は高けれど深き和知川水音も無し〈第6章〉 よく光る教の林を照り分けてあまねく救ふ天津神国〈第6章〉 国民は神の光に目を覚ましひと日も早く岩戸開けよ〈第10章(三版)〉 国民の心の闇をはらさずば天の岩戸は永久に開けじ〈第10章(三版)〉 草鞋穿きて大道を歩む人々の跡に小判の足型つくなり〈第12章〉 久方の天津み空の主の神の内流うけし人ぞ神なる〈第12章(三版)〉 内流を受けにし人は沢あれど直接内流うけしはひとりのみ〈第12章(三版)〉 ただ独りただわれ独り天津神の御手代となり世を洗ふなり〈第12章(三版)〉 天津神地上のために降したる人の子独り世をしのび泣く〈第13章(三版)〉 世に落ちしまことの玉を悟りたる人こそ神の力なりけり〈第13章(三版)〉 久方の雲井の空をあとにして天降りし神を知るやしらずや〈第13章(三版)〉 天地の神の御教を開きたる人は万代のたからなりけり〈第14章(三版)〉 向ふへ押す浴湯は吾が辺に帰るなり先づ得むとせば人に与へよ〈第15章〉 世のさまをかこち顔なる百合の花ただうなだれて露にしたれる〈第16章〉 月は今地平線下にひそみつつ世の黎明をまつ夜久しき〈第17章〉 雪つもる西伯利亜の野に紅の旗雲風にひらめき初めぬ〈第18章〉 黄昏れて人の面も見えわかぬ闇はいよいよせまり来るかな〈第18章〉 白妙の衣の袖をしぼりつつ世を歎くかな隠れたる身も〈第18章〉 君のため御国のために尽しゐる人をなやむる闇世忌々しき〈第18章(三版)〉 千重八百重曇りはてたる人の世の汚れを流す五十鈴の川〈第25章(三版)〉 高天原紫微の宮より降らせしひとつの魂ぞ世の光なる〈第26章(三版)〉 千早振る神のよさしに天降らせる人の霊魂は顕幽に照る〈第26章(三版)〉 月の宮造りし誠の人の子は常夜の闇の光なりけり〈第26章(三版)〉 軒ゆがみ壁まで落ちし人の家に産声あげし瑞御魂かも〈附録(三版)〉 年若き時より神の名を負ひし人の世にたつ五六七の御代なり〈附録(三版)〉 国直日主の命のいさをしは弥勒を待ちて現はれますかも〈附録(三版)〉[この余白歌は八幡書店版霊界物語収録の余白歌を参考に他の資料と付き合わせて作成しました]
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(2434)
霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 05 逆襲 第五章逆襲〔一二三八〕 (アーク)『見渡す限りの枯野原 万木の梢は羽衣を脱ぎ 肌をたち切るばかりの 寒風に戦慄してゐる。 独り松柏のみは蒼々たり ヒヨやツムギや百舌鳥雀などが 悲しげな声調を搾つて 浮世の無情を訴へてゐる。 吾目に収容さるるものは 生気の褪せた 細氷の波を敷きつめた 銀冷の世界のみだ。 万有一切はあらゆる活動を休止し 所謂 冬籠りの最中である かかる冷酷無残の光景を眺めて 貧しき人は何れも寒気と飢餓に泣く 反対的に富めるものは 雪見の宴を張り 嬋妍たる美姫を招き 青楼に酒盃をかたむけ 体主霊従的歓楽に耽る 社会は真に様々なものだ 冬日積雪のために 労働の機を得ず 生命の糧を求めて泣くもあれば 冷たき雪の景色をながめて 酒類にひたり 一宵千金を浪費濫用して 猶も惜しまぬものあり 顧みれば凡て社会の諸行は無常なり 因果応報の神理に暗き 現代人は科学的知識のみを漁りて 永遠の天国を知らず 又根底の国の何たるを解せず 酔生夢死無意義なる 生涯を送るあり 世間の無情冷酷を歎きて 厳寒の空に戦き慄ひつつ 面白からぬ冬日を送るもあり 人生の暗黒面は 椿の花の梢を去る如く ぽたりぽたりと地上に降る 悲喜交々の社会のおとづれ 人の身の四辺を包む怪しさ。 ○ アヽされどされど 愛善の火と信真の光りに 自ら眼醒めたる吾人は 光栄なり幸ひなり 天地の主なる神の 玉の如き神格の内流を 全身に漲らしつつ 智慧と証覚にひたりてより 世人の怖るる針刺す如き厳冬も 万物声を潜むる冷たき 死んだやうな夜半の空気も 吾人には暖かき春陽の思ひあり アヽ主の神よ主の神よ わが身魂を機関の一部分として いや永久に使はせ給へ 無限絶対無始無終の神格者 愛善の肉と 神真の血を以て 吾等の上に太陽の如く月の如く 降らせたまへ 惟神霊幸はへませ』 と歌つて郊外の散歩をして居るのはアークであつた。一人はタールのバラモン信者である。 タール『オイ大将、俄に悟つたらしいことを云ふぢやないか。俺は悪党だからアークと名をつけたのだ、それだからどこ迄も徹底的に悪をやると主張して居たが、たうとう治国別の宣伝使とぶつつかつて俄に屁古垂れたぢやないか』 アーク『俺があの宣伝使と出会つたお蔭で、今日の地位になつたのぢやないか、エーン、能く考へて見よ、ランチ将軍、片彦将軍の帷幕に参じ、重要会議に参列する身分となつたのは、矢張り治国別さまのお蔭ぢや、併し治国別さまはどうなつたのだらうかなア。よもやあの人格者がオメオメとランチ将軍の陥穽に陥る筈はあるまいしなア………何だか俺は気がかりでならないのだ。何処迄も俺達は表面ランチ将軍に服従し、治国別さまの身辺を気を付けなければならない義務があるのだ。それにつけてもビルの奴、癪に触るぢやないか、ランチの従卒ぢやと思うて、無茶苦茶に威張り散らすのだからなア』 タール『威張りたい奴は威張らして置くさ。朝から晩迄馬のお世話ばかりさされて居るのだから、一寸は威張らしてやつたて好いぢやないか。誰だつて何かの特権がなければ勤まらぬからなア、彼奴だつてさう馬鹿にしたものぢやないよ。俺だつて貴様だつて二三日前迄は随分惨めなものだつたからな。併し人間は一旦ドン底に落ちて来ねば駄目だ。「人生の破調は神を輸入す」とか、どこやらの哲学者が吐いたぢやないか。一旦失脚せなくては、真の神に接し神の神力を受ける事は出来ないものだ』 アーク『さうだなア。何でもエマーソンとか云ふ哲人の言葉だと聞いてゐるが、随分エラーソンに云つたものぢやなア。アハヽヽヽ』 タール『古今東西の偉人傑士と云ふ奴は、大抵孤児か貧児か、もしくは私生児或は極めて惨めな不仕合せ者であつた事を考へて見ると、人間と云ふものは、何うしても悲境の淵に沈んで、社会の辛酸を嘗めて来なくては到底駄目だよ。人間の父母の恩愛は、動もすれば舐犢の愛に流れ易きものだ。貴族の伜が鞭撻ない手に育てられ、人となつた所謂寵児は、往々にして放蕩遊惰の鈍物となるの事実は、世間には随分沢山あるものだからなア。世の諺にも、親はなくても子は育つと云ふぢやないか。人間は何うしても神様の保護を受けなくては、一力で存在する事は出来はしない、誠の神の愛に触れなくちや駄目だ。俺は神様の愛の呼吸と云ふ歌を作つて見たのだが、一つ謹んで拝聴する気はないか』 アーク『どうせ、貴様の事だから碌な歌は詠めはしよまい。併し後生のためだから、一つ辛抱して聞いてやらう』 タールは、エヘンと咳払しながら、 タール『吾輩の詩歌は左の通りだ。 天父の聖心にある 大愛の鼓動は 直に美しく 而も厳粛なる 自然の情調として 促々として吾身に迫り 動もすれば私欲野念のために 昂進し攪乱する 吾心身の脈搏を鎮静し かくて従容として 捨身無為の 本然的活動に入らねば止まない。 如何に安息を求めて 涼しき山奥や 静な海浜に遊ぶも 若し夫れ 心霊の内分に 神と倶に働き 天界を蔵して 天地と呼吸を斉ふべき 霊覚を欠かむか 安息も立命も 只一場の好夢にも比すべき 憐れなる欺幻に 過ぎないであらう』 アーク『成程ちぎる秋茄子、根つから面黒くないわい。併しながら、治国別さまに感化されて俄詩人となつたぢやないか。もう是だけ詩文が綴れるやうになりやタールも文壇の花として、持て囃されるかも知れないよ。アハヽヽヽ』 タール『併し俺は何うしたものか、バラモン軍に籍を置くのが、きつう嫌ひとなつたのだが、それだと云つて外にする事もなし、仕方が無いから先づ暫くは腰掛だと思うて、ランチ将軍や片彦将軍のお髯の塵を心ならずも払ふ事としようかなア。これが処世法の最も優秀なる道だらうよ』 アーク『さうだ、治国別さまが陣中にお出になつたのだから、何と云うても此処は辛抱せなくてはなるまい。ランチ、片彦両将軍も何れは帰順するだらうからなア。さうすれば吾々は三五教の宣伝使となつて天国を地上に移写する事になるのだ。これが人間として最も勝れたる行ひだ。否人間として最も嬉しき事業だ』 タール『時に何だか向ふの方から、甚い勢で鳴物入でアーク神がやつて来るではないか。ヨウヨウ棺が来るぞ、而も二挺だ』 アーク『如何にも章魚にも足八本だ。ヨウあいつはエキスぢやないか。又獲物を旨くチヨロまかして持ち込んだのだらう。彼奴は又、ランチ将軍の御覚え目出度うなつて威張り出しちや、大変だぞ』 エキスは意気揚々として、蠑螈別、お民を駕籠に乗せ、四五人の番卒と共に此方に向つて帰つて来るのであつた。エキスはアーク、タールの両人を見るより、さも得意気に、 エキス『ヤア其方はアーク、タールの御両所、お出迎へ大儀で厶る』 アーク、タールの両人はエキスに「お出迎へ大儀」と云はれ、殆ど目下扱ひをせられたやうな気分になつて業が沸いて耐らないけれど、態と素知らぬ顔をして何気なう、 アーク『やあエキス殿、御苦労で厶つた。嘸ランチ将軍が、お喜び遊ばす事だらう。さうして其駕籠の中の客人は一体何人で厶るかなア』 エキスはさも横柄に、鬼の首を竹篦で切り取つたやうな誇り顔で、 エキス『大切なるお客人、某の弁茶羅、アヽ否、器量によつてお迎へ申して来たのだ。御本人の誰人なるかは、ランチ、片彦両将軍にお目にかける迄発表する事は出来ない。さア御両所、先に立つて御案内めされ』 タール『随分威張つたものだなア。エヽ仕方がない』 アーク『エキスに随いて奥へ進む事にしようぢやないか。大分に最前から郊外散歩をやつたからなア』 エキスは道々歌ひ出した。 エキス『バラモン教の大教主大黒主の部下となり 産土山の高原に館を建てて世の中を 掻き乱し行く曲津神神素盞嗚の牙城をば 屠らむために進み往くランチ将軍、片彦の 其陣中に名も高きヒーロー豪傑このエキス 神変不思議の妙法を縦横無尽に発揮して 神素盞嗚の尊さへ攻めあぐみたるウラナイの 教の司とあれませる蠑螈別の教主をば 吾言霊に靡かせつ軍用金を献納させ 将軍様の片腕に勧めむためとやうやうに お供をなして帰りけり蠑螈別の勇将が もはや吾手に入るからは神変不思議の妖術を 使うて世人を苦しむる三五教の宣伝使 仮令幾万ありとても如何でか恐るる事やある これも全くバラモンの尊き神の引き合せ ランチ、片彦両将も嘸や満足なさるだらう 此陣中に俺のよな功名手柄を現はした 勇士が又とあるものかアーク、タールの両人よ これから俺は将軍の帷幕に参じ汝等を それ相当の職掌に使うてやらう楽しんで 御沙汰をまつがよからうぞお前も何時迄番卒の 小頭みたよな役をして居つた所で詰らない 世の諺に云ふ通り立ち寄るならば大木の 密葉の影ぞ親方と箸は太いがよいと云ふ 社会の真理を悟るなら今日から俺の御家来と なつて神妙に仕へよや今から注意を与へ置く あゝ惟神々々バラモン教の大御神 御霊幸はへましませよ』 アークは蠑螈別の乗つて居る棒端をグツと握り、 アーク『オイ、此駕籠、一寸待つた』 エキス『待つたとは何うぢや、一時も早く将軍のお目にかけねばならぬ大切なお客様だ、邪魔ひろぐと容赦は致さぬぞ』 アークは、 アーク『こりやエキス、其方は今何と申した。吾々両人は両将軍の片腕となつて帷幕に参列する重役だ。貴様の不在中に任命式が行はれたのだから、知らぬのも無理はないが、余りの暴言ぢやないか。此方に対し「出迎へ大儀」などと部下扱ひをなすとは以ての外の汝の振舞ひ、吾々は上役の職権をもつて其方を放逐致さうか』 エキス『ソヽそんな事ア俺は知らなかつたのだ。間違つて居れば許して貰はなくては仕方がない。併し最も大切なる客人をお連れ申して来たのだから、さう頭ごなしに呶鳴りつけられちや、このエキスも引合はぬぢやありませぬか』 アーク『知らなければ仕方がない、差許す、併しながら、今約束をして置くが、エキス、其方は、将軍様のお見出しに預かつて、吾々と同役になつても決して威張つてはならないぞ。なあエキス、こりやエキスの野郎、よいかエキス』 タール『やい、エキス、今アーク重役さまの言葉を能く腹に入れたか。やいエキス、エー聞いただらうなあエキス、何うだいエキス、返答は』 エキス『さう沢山さうにエキスエキスと云つて貰つちや、お客さまに対し外聞が悪いぢやありませぬか。一口仰有つたら分つて居るぢやありませぬか』 アーク『今は俺が上役だから、今の中に沢山さうに呼びつけにして置かぬと、重役になつたら、もう呼ぶ事が出来ないからなア。エキス、さうだらうエキス、きつと羽張つてはいけないぞ。こりやエキス』 タール『アハヽヽヽ、何か旨い液吸うて来たと見えるな。それでエキスエキスとアークさまが云ふのだらう』 アーク『旨い液を吸うて来よつたのだ。盗人の上前をはねて二千両、蠑螈別から五千両、都合七千両のエキス(液吸う)たから、これ位云うてもよいのぢや』 エキスは、 エキス『ウフヽヽヽヽ』 と私かに笑ふ。 (大正一二・一・八旧一一・一一・二二加藤明子録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 08 中有 第八章中有〔一二四一〕 人間が此世にギヤツと生るるや、其意思の方面から見た時は即ち其吾の儘なる時は悪き事ばかりである。人間は何程立派に博愛だ、善道だ、忠だ、孝だと云つて居つても、詮じつめれば、只自己のみ都合の好い事ばかりを考へて容易に他の事を顧みないものである。斯の如く己のみ良からむ事を願ふ利己心の強い人間は他人の不幸を見て、結句心地よく思ふものが多い様である。他人の不幸が却て自分等の利益となる場合には殊更に福でも降つて来た様に思つて北叟笑をするものである。何故なれば、かかる利己的の人間は総じて他人の利福や名誉たると財力たるとを問はず、何とかして自分の所有になさむ事をのみ願ふものである。かかる不善なる意思を根本的に改めて善に遷らしめむが為に、誠の神様より人間に対し諸々の真理を会得すべき直日の霊の力を賦与されてゐるものである。此真理を判別する所の直日の霊の光によつて、其意思より起る所の一切不善の情動を覆滅し断絶せしめむとし給ふのである。人間が天賦の智性中の真、未だ意思中の善と相和合せざる時は所謂中程の状態にあるものだ、現世の人間は大抵此状態に居る者が多い。彼等は真理の何たるを知り、又知識の上や理性の上にて真理を思惟する事は出来るけれども、其実地行ふ所の真理に至つては、或は多く或は少なく又絶無なるものがある。或は悪を愛する心即ち虚偽の信仰よりして真理に背反せる動作をなすものがある。故に人間は高天原と根底の国との何れか一方に適従する所あらしめむが為め、霊肉脱離後即ち死後先づ中有界一名精霊界に導き入れられるものである。高天原に上るべきものには此中有界に於て善と真との和合が行はれ、又根底の国へ投げ入れらるべき精霊には此八衢に於て悪と虚偽との和合が行はれるものである。何故なれば高天原に於ても根底の国に於ても善悪不決定の心を有する事を許されないからである。即ち智性上に此を思うて意思の上に彼を志すが如き事は許されない。必ずや其志す所を諒知し其知る所を志願せなくてはならない事になつてゐるからである。治国別、竜公両人が今や精霊界に進み、天界地獄の中間状態にその身を置いて伊吹戸主神に種々の霊界の消息を承はつた其大略を此処に述べる事とする。 先づ地獄界の入口は如何なるものなりやを示すならば、一切の地獄界は此精霊界の方面に対しては硬く塞がつてゐるものである。只僅かに岩間の虚隙に似たる穴があり裂け口があり、或は大なる門戸があつて暗い道が僅かに通じ紛々たる臭気を帯びた風が吹いてゐるのみである。地獄の入口には守衛が厳しく立つてゐて、猥りに人間の出入するを許さないことになつてゐる。故に地獄界を探険せむとせば、伊吹戸主神の許しを受けなくてはならない。之も容易には許されない事になつてゐる。 一旦現界へ帰つて現界の人間に霊界の事を説き諭す宣伝使か、或は緊急の必要ある場合に限つて許さるるものである。瑞月が高熊山の聖場に於て地獄界を探険したのも矢張り八衢の神の許可を受けて行く事を得たのである。高天原へ上る道も亦四方が塞がり高天原の諸団体に通ずべき道は、容易に見当らないのである。僅かに一条の小さい道が通つてあつて守衛が之を守つてゐる。然しながら高天原へ上るべき資格のないものの目には到底見る事は出来ないものである。又中有界は山岳と岩石との間にある険しい谷に似た所が多い。此処彼処に折れ曲りの所が沢山にあり、又非常に高い処や低く窪んだ処もある。或は大川が流れ或は深い谷があり、広野があり種々雑多の景色が展開してゐる。そして高天原の諸団体に通ずる諸々の入口は、高天原に上るべき準備を終へたる天人の資格を持つてゐる者でなくては見る事は出来ない。故に中有界に迷うてゐる精霊や地獄行の精霊の目には到底発見する事は出来得ないのである。精霊界から天国の各団体に通ずべき入口は只一筋の細い道があるばかりである。此道をダンダンと上り行くに従つて道は分れて数条となり、追々分れて幾十条とも分らなく各団体にそれぞれの道が通じてゐるのである。又根底の国に通ふ所の入口は、之に入るべき精霊の為めに開かるるものであるから、其外の者は其入口を見る事は出来ない。入口の開くのを見れば薄暗うて恰も煤けた蜂の巣の様に見えて居る。さうして斜に下向しておひおひと深い暗い穴へ這入つて行く事になつてゐる。此暗い入口を探り探りて下つて行くと、先になつて又数個の入口が開いてゐる。此入口の穴から悪臭紛々として鼻をつき出て来る其不快さ、自然に鼻が曲り息塞がり眉毛が枯れる様な感じがして来るものである。故に善霊即ち正守護神は甚だしく之を忌み嫌ふが故に此悪臭を嗅ぐやいなや恐れて一目散に走り逃げ去るものである。然し乍ら地獄の団体に籍をおいてゐる悪霊即ち副守護神は、此暗黒にして悪臭紛々たるを此上なく悦び楽しむが故に、喜んで之を求め勇んで地獄の入口に飛び込むものである。世間の大方の人間が己の自性に属する悪を喜ぶ如く、死後霊界に至れば其悪に相応せる悪臭を嗅ぐ事を喜ぶものである。此点に於ては彼等悪霊の人間は貪婪飽くなき鷲や鷹、狼、虎、獅子、豚の類に比ぶべきものである。彼等の精霊は腐つた屍骸や堆糞等の嘔吐を催さむとする至臭至穢物を此上なく喜び、其臭気を尋ねて糞蠅の如くに集まつて来るものである。是等の人間の霊身は高天原の天人の気息や芳香に合ふ時は、内心の苦しみに堪へず悲鳴をあげて泣き倒れ苦しみ悶えるものである。実に大本開祖の神示にある身魂相応の神の規則とは実に至言と云ふべしである。凡て人間には二箇の門が開かれてある。さうして其一つは高天原に向つて開き、一つは根底の国に向つて開いてゐる。高天原に向つて開く門口は愛の善と信の真とを入れむがために開かれ、一つは所在悪業と虚偽とに居るものの為めに地獄の門が開かれてあるのだ。さうして高天原より流れ来る所の神様の光明は上方の隙間から僅かに数条の線光が下つて居るに過ぎない。人間がよく思惟し究理し言説するは此光明によるものである。善に居り又従つて真に居るものは自ら高天原の門戸は開かれてゐるものである。 人間の理性心に達する道は内外二つに分れて居る。最も高き道即ち内分の道は愛の善と信の真とが大神より直接に入り来る道である、さうして一つは低い道、即ち外部の道である。此道は根底の国より所在罪悪と虚偽とが忍び入るの道である。此内部外部の道の中間に位して居るのが所謂理性心である。以上二つの道は之に向うてゐる故に高天原より大神の光明入り来る限り人間は理性的なる事を得れども、此光明を拒みて入れなかつたならば其人間は自分が何程理性的なりと思ふとも其実性に於ては已に已に滅びて居るものである。人間の理性心と云ふものは、其成立の最初に当つて必ず精霊界に相応するものである。故に其上にある所のものは高天原に相応し、其下にあるものは必ず根底の国へ相応するものである。高天原へ上り得る準備を成せるものにあつては、其上方の事物がよく開けて居るけれども、下方の事物は全く閉塞して、罪悪や虚偽の内流を受けないものである。之に反し根底の国へ陥るべき準備をなせるものにあつては、低き道即ち下方の事物は開けて居るが内部の道即ち上方の事物、霊的方面は全く閉鎖せるが故に愛善と信真の内流を受ける事が出来ない。之を以て前者は只頭上即ち高天原を仰ぎ望み得れども、後者は只脚下即ち根底の国を望み見るより外に途はないのである。さうして頭上を仰ぎ望むは即ち大神を拝し霊光に触れ無限の歓喜に浴し得れども、脚下即ち下方を望むものは誠の神に背いて居る身魂である。 (大正一二・一・八旧一一・一一・二二北村隆光録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 09 愛と信 第九章愛と信〔一二四二〕 大本開祖の聖言には愛の善と信の真とを骨子として説かれてある事は神諭を拝読した人のよく知る所なれば、今更口述者が改めて述ぶる迄もないから、其聖言は略する事とする。 善とは即ち此世の造り主なる大神の御神格より流入し来る神善である。此神善は即ち愛其ものである。真とは同じく大神の御神格より流入し来る所の神真である。此神真は即ち信である。さうして其愛にも善があり悪がある。愛の善とは即ち霊主体従、神より出でたる愛であり、愛悪とは体主霊従と云つて自然界に於ける自愛又は世間愛を云ふのである。今口述者が述ぶる世間愛とは決して世の中の所謂博愛や慈善的救済を云ふのではない。己が種族を愛し、或は郷里を愛し、国土を愛する為に他を虐げ、或は亡ぼして自己団体の安全を守る偏狭的愛を指したのである。それから又信仰には真と偽とがある。真の信仰とは心の底から神を理解し、神を愛し、神を信じ、且つ死後の生涯を固く信じて神の御子たる本分を尽し、何事も神第一とする所の信仰である。又偽りの信仰とは所謂偽善者共の其善行を飾る武器として内心に悪を包蔵しながら、表面宗教を信じ神を礼拝し、或は宮寺などに寄附金をなし、其金額を石又は立札に記さしめて、自分の器量を誇る所の信仰である。或は商業上の便利のために、或はわが処世上の都合のために表面信仰を装ふ横着者の所為を称して偽りの信仰と云ふのである。要するに神仏を松魚節として自愛の道を遂行せむとする悪魔の所為を云ふのである。斯くの如き信仰は神に罪を重ね自ら地獄の門扉を開く醜行である。真の神は愛善と信真の中にこそましませ自愛や偽信の中にまします筈はない、斯る自愛や偽信の中に潜入する神は所謂八岐大蛇、悪狐悪鬼餓鬼畜生の部類である。高天原の天国及び霊国にあつては人の言葉皆其心より出づるものであるから、其云ふ所は思ふ所であり、思ふ処は即ち云ふ所である。心の中に三を念じて口に一つを云ふ事は出来ない。是が高天原の規則である、今天国と云つたのは日の国の事であり、霊国と云つたのは月の国の事である。 真の神は月の国に於ては瑞の御霊の大神と現はれ給ひ、日の国に於ては厳の御霊の大神と現はれ給ふ。さうして厳の御霊の大神のみを認めて瑞の御霊の大神を否むが如き信条の上に安心立命を得むとするものは、残らず高天原の圏外に放り出されるものである。斯くの如き人間は高天原より嘗て何等の内流なき故に次第に思索力を失ひ、何事につけても正当なる思念を有し得ざるに立ち至り、遂には精神衰弱して唖の如くなり、或は其云ふ所は痴呆の如くになつて歩々進まず、其手は垂れて頻りに慄ひ戦き、四肢関節は全く力を失ひ、餓鬼幽霊の如くなつて仕舞ふものである。又瑞の御霊の神格を無視し、其人格のみを認むるものも同様である。天地の統御神たる日の国にまします厳の御霊に属する一切の事物は残らず瑞の御霊の大神の支配権に属して居るのである。故に瑞の御霊の大神は大国常立大神を初め日の大神、月の大神其外一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまふのである。此大神は天上を統御したまふと共に、中有界、現界、地獄をも統御したまふは当然の理である事を思はねばならぬ。さうして厳の御霊の大神は万物の父であり、瑞の御霊の大神は万物の母である。総て高天原は此神々の神格によつて形成せられて居るものである。故に瑞の御霊の聖言にも『我を信ずるものは無窮の生命を得、信ぜざるものは其生命を見ず』と示されて居る。又『我は復活なり、生命なり、愛なり、信なり、道なり』と示されてある。然るに不信仰の輩は高天原に於ける幸福とは、只自己の幸福と威力にありとのみ思ふものである。瑞の御霊の大神は、総ての神々の御神格を一身に集注したまふが故に、其の神より起り来る所の御神格によつて高天原の全体は成就し、又個々の分体が成就して居るのである。人間の霊体、肉体も此神の神格によつて成就して居るのは無論のことである。さうして瑞の御霊の大神より起り来る所の神格とは即ち愛の善と信の真とである。高天原に住める天人は、総て此神の善と真とを完全に摂受して生命を永遠に保存して居るのである。さうして高天原はこの神々によつて完全に円満に構成せらるるのである。 現界の人間自身の志す所、為す所の善なるもの又思ふ所、信ずる所の真なるものは、神の御目より御覧したまふ時は、其善も決して善でなく、其真も決して真でない、瑞の御霊の大神の御神格によりてのみ、善たり真たるを得るものである。人間自身より生ずる善又は真は、御神格より来る所の活力を欠いで居るからである。御神格の内流を見得し、感得し、摂受して茲に立派なる高天原の天人となる事を得るのである。さうして人間には一霊四魂と云ふものがある。一霊とは即ち真霊であり、神直日、大直日と称するのである。さうして神直日とは神様特有の直霊であり、大直日とは人間が神格の流入を摂受したる直霊を云ふのである。さうして四魂とは和魂、幸魂、奇魂、荒魂を云ふのである。この四魂は人間は云ふに及ばず、高天原にも現実の地球の上にも夫々の守護神として儼存しあるのである。そして荒魂は勇を司り、和魂は親を司り、奇魂は智を司り、幸魂は愛を司る。さうして信の真は四魂の本体となり愛の善は四魂の用となつて居る。さうして直霊は瑞の御霊の大神の御神格の御内流即ち直流入された神力である。故に瑞の御霊の御神格は総ての生命の原頭とならせたまふものである。此大神より人間に起来するものは神善と神真である。故に吾々人間の運命は此神より来る神善と神真を、如何に摂受するかによつて定まるものである。そこで信仰と生命とにあつて是を受くるものは其中に高天原を顕現し、又之を否むものは已むを得ずして地獄界を現出するのである。神善を悪となし、神真を偽りとなし、生を死となすものは又地獄を現出しなくては已まない。現代の学者は何れも自然界の法則や統計的の頭脳をもつて不可測、不可説なる霊界の事象をおほけなくも測量せむとなし、瑞の御霊の神示を否むものは暗愚迷妄の徒にして所謂盲目学者と云ふべき厄介ものである。到底霊界の事は現実界の規則をもつて窺知し得べからざる事を悟らないためである。神は斯の如き人間を見て癲狂者となし、或は痴呆となして救済の道なきを悲しみ給ふものである。斯かる人間は総て其精霊を地獄の団体に所属せしめて居るのである。斯かる盲学者は神の内流を受けて伝達したる霊界物語のある個所を摘発して吾知識の足らざるを顧みず、種々雑多と批評を加へ、甚だしきは不徹底なる自己の考察力をもつて之を葬り去らむとする罪悪者である。高天原の団体に其籍を置き、現代に於て既に天人の列に列したる人間の精霊は吾人の生命及び一切の生命は瑞の御霊の御神格より起来せる道理を証覚し、世にある一切のものは善と真とに相関する事を知覚して居るものである、斯かる人格者の精霊を称して地上の天人と云ふのである。 人間の意思的生涯は愛の生涯であつて善と相関し、知性的生涯は信仰の生涯にして真と相関するものである、さうして一切の善と真とは皆高天原より来るものであり、生命一切の事又高天原より来る事を悟り得るのが天人である。故に霊界の天人も、地上の天人も右の道理を堅く信ずるが故に、其善行に対して他人の感謝を受ける事を悦ばないものである、もし人あつて是等の諸善行を彼の天人等の所有に帰せむとする時は天人は大に怒つて引退するものである。人の知識や人の善行は皆其人自してしかるものと信ずる如きは悪霊の考へにして到底天人共の解し得ざる所である。故に自己のためになす所の善は決して善ではない、何となれば夫れは自己の所為なるが故である。されど自己のためにせず善のためになせる善は所謂神格の内流より来る所の善である。高天原は斯の如き善即ち神格によつて成立して居るものである。 人間在世の時に於て自らなせる善、自ら信ずる真をもつて、実に自らの胸中より来るものとなし、又は当然自分の所属と信じて居るものはどうしても高天原に上る事は出来ない、彼の善行の功徳を求めたり、又自ら義とするものは斯の如き信仰を有して居るものである。高天原及び地上の天人は斯の如きものをもつて痴呆となし、俗人となして、大に忌避的態度を取るものである。斯の如き人間は不断に自分にのみ求めて、大神の神格を観ないが故に、真理に暗き痴呆者と云ふのである。又彼等は元より大神の所属となすべきものを己に奪はむとするが故に神より天の賊と称へらるるのである。所謂人間は大神の御神格を天人が摂受するとの信仰に逆らうて居るものである。瑞の御霊の大神は高天原の天人と共に自家存在の中に住みたまふ、故に大神は高天原に於ける一切中の一切である事は云ふ迄もない事である。 (大正一二・一・八旧一一・一一・二二加藤明子録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 10 震士震商 第一〇章震士震商〔一二四三〕 治国別、竜公両人は伊吹戸主の神の関所に於て優待され茶果を饗応せられ、少時休息してゐると、其前をスタスタと勢よく通りかかつたデツプリ肥えた六十男がある。 赤顔の守衛はあわてて、其男を引きとめ、 赤顔の守衛『コラ待てツ』 と一喝した。男は後振返り、不機嫌な顔をして、 男(欲野深蔵)『何だ天下の大道を往来するのに、待てと云つて妨げる不道理な事があるか、エー、俺をどなたと心得て居る。傷死位窘死等死爵鬼族婬偽員欲野深蔵といふ紳士だ。邪魔を致すと、交番へ引渡さうか』 赤顔の守衛『オイ、其方はここをどこと心得て居る』 欲野深蔵『言はいでもきまつた事だ。野蛮未開の北海道ぢやないか』 赤顔の守衛『其方は何うして此処へ来たのだ』 欲野深蔵『空中視察の為、飛行機に乗つて居つた所、プロペラの加減が悪くて、風波でこんな方へやつて来たのだ。何うだ俺を本国へ案内してくれないか、さうすりや腐つた酒の一杯も呑ましてやらぬこともないワイ』 赤顔の守衛『コリヤコリヤ欲野深蔵、ここは冥途だぞ、天の八衢を知らぬか』 欲野深蔵『鳴動も爆発もあつたものかい、そんなメードウな事を云ふない、俺こそはフサの国に於て遠近に名を知られた紳士だ……否紳士兼紳商だ。男のボーイに酒をつがす時には男酌閣下で、自分一人ついで呑む時には私酌閣下だ。エヽーン、そんなおどし文句を並べて、鳴動だの、破裂だのと云はずに、俺の案内でもしたらどうだ、貴様もこんな所で二銭銅貨の様な顔をして、しやちこ張つて居つても、気が利かぬぢやないか。銅銭ロクな奴ぢやあろまいが、俺も大度量をオツ放り出して、椀給で門番にでも救うてやらう』 赤顔の守衛『コリヤ深蔵、貴様はチツとばかり酒に喰ひ酔うてゐるな、今紳士紳商だと吐したが欲にかけたら親子の間でも公事を致したり、又人の悪口を針小棒大に吹聴致し、自己の名利栄達を計り、身上を拵へた真極道だらう、チヤンとここな帳面についてゐるのだ、何程娑婆で羽振がよくても霊界へ来ては最早駄目だ。サ、ここの衡にかかれ、貴様の罪を測量してやらう』 欲野深蔵『さうすると、此処はヤツパリ冥途でげすかなア』 赤顔の守衛『気がついたか、貴様は積悪の酬に仍りて、地震の為に震死した震死代物だらう』 欲野深蔵『成程、さう承はれば朧げに記憶に浮かむで来ますワイ。飛行機に乗つたと思つたのは……さうすると魂が宙に飛んだのかな』 赤面の守衛は帳面をくりながら、 赤顔の守衛『其方は欲野深蔵と云つたな、幼名は渋柿泥右衛門と申さうがな』 欲野深蔵『ハイ、ヨク、深い所まで御存じで厶いますなア、それに間違ひは厶いませぬ』 赤顔の守衛『其方は娑婆に於て、殺人鉄道嵐脈会社の社長兼取締役を致して居つたであらう』 欲野深蔵『ハイ其通りで厶います』 赤顔の守衛『優先株だとか、幽霊株だとか申して、沢山な蕪や大根を、金も出さずに吾物に致しただらう』 欲野深蔵『ハイそんな事もあつたでせう、併しそれを致さねば現界に於ては、鬼族院偽員になる事も出来ず、紳士紳商といはれる事も出来ませぬから、娑婆の規則に依つて止むを得ず優勝劣敗的行動を致しました、コリヤ決して私の罪ではありませぬ、社会の罪で厶います、何分社会の組織制度が、さうせなくちやならない様になつてゐるのですからなア』 赤顔の守衛『馬鹿申せ、そんな法律が何時発布されたか』 欲野深蔵『表面から見れば、左様な事はありませぬが、其内容及精神から考へれば、法文の裏をくぐるべく仕組まれてあるものですから、之をうまく切抜ける者が、娑婆の有力者と云ふ者です、総理大臣や或は小爵や柄杓や疳癪などの高位に昇らうと思へば、真面目臭く、法文などを守つて居つちや、娑婆では犬に小便をかけられ猫にふみつぶされて了ひますワ。郷に入つては郷に従へですから、娑婆ではこれでも立派な公民、紳士中でも錚々たる人物で厶います、ここへ来れば、凡ての行方が違ふでせうが、娑婆は娑婆の法律、霊界は霊界の法律があるでせう、まだ霊界へ来てから善もやつた事がない代りに、悪をやる暇もありませぬ、娑婆の事迄、死んだ子の年をくる様に、こんな所でゴテゴテ云はれちや、やり切れませぬからなア。エヽ、何だか気がせく、斯様な所でヒマ取つては、第一タイムの損害だ、娑婆で金貸しをして居つた時にや、寝とつても起きとつても、時計の針がケチケチと鳴る内に、金の利息が、十円札で一枚づつ、輪転機で新聞を印刷する様に、ポイポイと生れて来たものだが、最早ここへ来ては無一物だ、之から一つ冥途を開拓して、娑婆に居つた時よりもモ一つ勉強家となり、大地主となつて、冥途の一生を送りたい。どうぞ邪魔をして下さるな』 と云ひながら、大股にふん張つて、関所を突破せむとする。 此騒ぎに伊吹戸主の神は関所の窓をあけて、一寸覗かせ給うた。欲野深蔵は判神の霊光に打たれて、アツと其場に悶絶し、蟹の様な泡を吹いて苦み出した。忽ち館の一方より数人の番卒現はれ来り、欲野深蔵の体を荷車に乗せ、ガラガラガラガラと厭らしき音をさせながら、何処ともなく運び去つた。之は地獄道の大門口内へ放り込みに行つたのである。深蔵は暗き門内へ放り込まれ、ハツと気がつき、ブツブツ小言を小声で囁きながら、トボトボと欲界地獄を指して進み行くのであつた。 抑も此八衢の関所は天国へ上り行く人間と地獄へ落ちる人間とを査べる二つの役人があつて、天国へ行くべき人間に対しては、色の白き優しき守衛が之を査べ、地獄へ行くべき人間に対しては形相凄じい赤い顔した守衛が之を査べる事になつてゐる。 竜公は此光景を見て、何とも云へぬ怖れを抱き治国別の袂を固く握り、不安の顔付にて少しばかり慄へながら、息をこらして数多の精霊の取査べらるるのを冷々しながら眺めて居る。暫くすると錫杖をガチヤンガチヤンと言はせながらやつて来たのは、バラモン教の宣伝使であつた。宣伝使が此赤門をくぐらうとするや白、赤二人の守衛は門口に立塞がり、 二人の守衛『暫らくお待ちなさい、取調ぶる事がある』 と呼びかけた。宣伝使は後振返り怪訝な顔をして、 宣伝使(ハリス)『拙者は大自在天大国彦命の御仁慈と御神徳を天下に紹介致すバラモン教の宣伝使で厶る。拙者をお呼止めになつたのは何用で厶るかな』 赤『ここは霊界の八衢だ。其方が生前に於ける善悪の行為を査べた上でなくては、此門を通行させることはなりませぬ。ここに御待ちなされ』 宣伝使(ハリス)『ハテ心得ぬ、吾々は大黒主の命を奉じ、月の国を巡回致し、デカタン高原に向ふハリスと申す者、決して吾々は死んだ覚えは厶らぬ。いい加減に戯談を云つておきなさるがよからう。大黒主の御命令、片時も猶予してゐる訳には参らぬ』 と又もや行かむとする。赤は目を怒らし、大喝一声、 赤顔の守衛『偽宣伝使、暫く待てツ』 と呶鳴りつけた。ハリスは此声にハツと気が付き、あたりをキヨロキヨロ見廻しながら、 ハリス『ヤアどうやらこれは霊界の様で厶る、いつの間に斯様な所へ来たのかなア』 赤顔の守衛『其方は世界の人民に神の福音を宣べ伝へ天国へ案内すると申しながら、其実際に於て霊界の存在を信ぜず、神を認めず、半信半疑の状態に在つて、数多の人間を中有界又は地獄へ幾人落したか知れない偽善者だ。今ここで浄玻璃の鏡にかけて、其方が霊肉共に犯したる罪悪を査べてやらう』 ハリス『イヤもう恐れ入りました。仰せの通り社会の人民に対し、勧善懲悪の道を説き又は天国地獄の存在を朝から晩迄説き諭して参りましたが、実際に於て左様な所があるものか、人間は此肉体を去らば、後は煙の如く消え失せるものだ、コーランに示されたる天国地獄の状態は、要するに、社会の人心を調節する方便に過ぎないものだと信じて居りました。それ故何うしてもハツキリとした事は申されず、自分も半信半疑ながら天国地獄の消息を説諭して来たので厶います。今となつて考へてみれば、死後の世界が斯くも儼然として存在するとは、実に驚愕の至りで厶います』 赤顔の守衛『其方は宣伝使のレツテルをつけて世人を迷はした罪は大なりと雖も、又一方に於て朧げながら、神の存在を無信仰者に伝へた徳に依つて、地獄行丈は許して遣はす、少時此中有界にあつて心を研き神の善と真は何如なるものなるかを了解し得る迄、修業を致したがよからう。ここ三十日の間、中有界に止まることを許してやるから、其間に智慧と証覚を得、愛の善と信の真を了得し得るならば、霊相応の天国へ昇り得るであらう。此期限内に万々一改過遷善の実をあげ得ざるに於ては、気の毒ながら地獄へ落さねばならない、サア早く東を指して進んだがよからう』 ハリス『ハイ、特別の御憐愍を以て地獄落の猶予期間をお与へ下さいまして有難う厶います。左様なればこれから中有界を遍歴し、力一杯善の為に善を行ひ、迷ひ来る精霊に対し、十分の努力を以て、私の悟り得たる所を伝へるで厶いませう』 赤顔の守衛『コリヤコリヤ、ハリス、其方が覚り得たと思つたら大変な間違であるぞ、皆神さまの御神格の内流に依つて、知覚し、意識し、証覚を得るものだ。決して汝一力のものと思つたら、忽ち天の賊となつて地獄へ落ちねばならないぞ、ええか、分つたか』 ハリス『ハイ、分りまして厶います、然らば之より東を指して修業に参ります』 赤顔の守衛『期限内に必ずここへ帰つて来るのだぞ、其時改めて汝の改過遷善の度合を査べ、汝が所住を決定するであらう』 ハリス『どうも御手数をかけまして、真にすみませぬ、左様なれば御免下さいませ』 と云ひながら、始めの勢どこへやら、悄然として次第々々に其影はうすれつつ、靄の中に消えて了つた。 竜公は治国別の袖をひき、小声になつて、 竜公『モシ先生、宣伝使も霊界へ来ては、カラキーシ駄目ですなア、現界では丸で救の神様の様に言はれて居つても、茲へ来ると本当に見る影もないぢやありませぬか』 治国別『ウン、さうぢや、俺達もまだ天国へは行けず、中有界に迷うて居るのだからなア、それだから吾々は八衢人足と、信者以外の連中から云はれても仕方がないのだ』 竜公『何うしたら天国へ行けるでせうかな』 治国別『さうだ、心のドン底より、神さまの神格を理解し、神の真愛を会得し、愛の為に愛を行ひ、善の為に善を行ひ、真の為に真を行ふ真人間とならなくちや到底駄目だ。俺達も少しばかり言霊が利くやうになつて、自分が修行した結果神力が備はつたと思うて居つたが、大変な間違ひだつた、何れも皆瑞の御霊神素盞嗚尊様の御神格が吾精霊を充たし、吾肉体をお使ひになつて居つたのだつた。之を思へば人間はチツとも我を出すことは出来ない、何事も自分の智慧だ力だ器量だと思ふのは、所謂大神の御神徳を横領致す天の賊だ。斯様な考へで居つたならば、到底何時迄も中有界に迷ふか、遂には地獄道へ落ちねばならぬ、有難や尊や、神様の御恵に依つて、ハツキリと霊界の様子を見せて頂き、実に感謝の至りである。之から吾々は、今迄の心を入れ替へて、何事も神様に御任せするのだなア、自分の力だと思へば、そこに慢心の雲が湧いて来る。謹んだ上にも謹むべきは心の持方である。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と合掌し感涙に咽ぶのであつた。竜公も亦無言のまま手を合せ、感謝の涙にくれてゐる。伊吹戸主神は二人に会釈し、スーツと座を立つて、館の奥深く入らせ給うた。二人は後を眺むれば、伊吹戸主神の姿は丸き玉の如く光り輝き、其神姿は判然と見えず、月の如き光が七つ八つ或は九つ円球の周囲を取巻き、次第々々に奥の間に隠れ給ふのであつた。 凡て智慧と証覚のすぐれたる神人を、それより劣りし証覚者が拝する時は、光の如く見えて、目も眩くなるものである。神の神格は神善と神真であり、それより発する智慧証覚は即ち光なるが故である。二人は愕然としてものをも言はず、再び八衢の関所に目を放ちここに集まり来る精霊の様子を瞬きもせず窺つてゐた。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三松村真澄録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 13 下層天国 第一三章下層天国〔一二四六〕 高天原の天国の東と西との団体に 住む天人は信愛の其善徳に居るものぞ 東はいとも分明に愛の善徳感得し 西には少しおぼろげに感ずるもののみ住めるなり 南と北との団体は愛信の徳より出で来る 智慧証覚に居れるものいや永久に住居せり 中にも南に住むものは証覚光明明白に 北は証覚おぼろげに光れるもののみ住めるなり 高天原の霊国にある天人と天国に ある天人は皆共に右の順序を守れども 少し相違の要点は一つは愛の善徳に 従ひて進み又一つは善の徳より出で来る 信の光に従うていや永久に住めるなり 此天国にある愛は神に対する愛にして 之より来る真光は全く智慧と証覚ぞ 又霊国にある愛は隣人に対する愛にして 之を称して仁と云ふ此仁愛より出で来る 真の光は智慧なるぞ或は之を信と云ふ ○ 久方の高天原の神国には 時間空間春夏秋冬の区別なし 只天人各自が 情態の変化あるのみ 現し世に於けるが如く、天界の 万事に継続あり進行もあり されど天人は 時間と空間との 概念なし 久方の高天原には 年もなく 月日もあらず時もなし 只情態の変移あるのみ 情態の変移の ありし所には 只情態ばかりあるなり 現界の 凡ての人は 時間てふ 其概念を離るる能はず 天人は 皆情態の 上より之を思惟すれば 人の想念の中に於て 時間より 来れるものは 天人の間に入りては 皆悉く 情態の想念となるものぞ 春と朝は 第一情態に於ける 天人が居る所の 愛の善及び 証覚の境涯に対する 想念となるものぞ 夏と午時は 第二情態にある天人が 居る所の愛善及び 証覚の境涯に対する 想念となるものぞ 秋と夕べとは 第三情態に於ける 天人が居る所の愛善及び 証覚の境涯に対する 想念となるものぞ 冬と夜とは 地獄におちし精霊が 之等の境涯に対する 想念となるものぞ 言依別命は治国別に向つて尚も天国団体の説明を続けて居る。 治国『実に天国と云ふ所は、吾々の想像意外に秩序のたつた立派な国土ですな。到底吾々如き罪悪に充ちた人間は将来此国土に上る見込はない様ですな』 言依別『決して決して左様な道理はありませぬ、御安心なさいませ。此処は最下の天国で、まだ此上に中間天国もあり、最高天国もあるのです。猶其外に霊国と云ふのがあつて、それ相応の天人が生活を続けて居ます』 治国別『其最高天国へ上り得る天人は、非常な善徳を積み、智慧証覚の勝れたものでなければ参る事は出来ますまいな』 言依別『厳の御霊の聖言にもある通り、生れ赤子の純粋無垢の心に帰りさへすれば、直ちに第一天国と相応し、神格の内流によつて案外容易に上り得るものです』 治国別『成程、然し吾々は如何しても赤子の心にはなれないので困ります。然し天国にも矢張り自然界の如き太陽がおでましになるのでせうな』 言依別『アレ、あの通り東の天に輝いて居られます。貴方には拝めませぬかな』 治国別『ハイ、遺憾乍ら未だ高天原の太陽を拝する丈けの視力が備はつて居ないと見えます』 言依別『さうでせう。貴方には未だ現実界に対するお役目が残つて居ますから、現界から見る太陽の様に拝む事は出来ますまい。天国の太陽とは厳の御霊の御神格が顕現して、茲に太陽と現はれ給ふのです。故に現界の太陽とは非常に趣が違つて居ります。霊国にては瑞の御霊の大神月と現はれ給ひ、天国にては又太陽と現はれ給ふのであります。さうして霊国の月は現界から見る太陽の光の如く輝き給ひ、又天国の太陽は現界で見る太陽の光に七倍した位な輝き方であります。さうして日は真愛を現はし、月は真信を現はし、星は善と真との知識を現はし給ふのであります。故に瑞の御霊の聖言には[※以下の6つの聖言はキリスト教聖書に書いてある文言がベースになっている。]、 一、月の光は日の光の如く、日の光は七倍を加へて七つの日の光の如くならむ。[※参考イザヤ書30:26「さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。」〔口語訳聖書〕] 一、我汝を亡ぼす時は空を覆ひ其星を暗くし雲を以て日を蔽はむ。月は其光を放たざるべし。[※参考エゼキエル書32:7「わたしはあなたを滅ぼす時、空をおおい、星を暗くし、雲で日をおおい、月に光を放たせない。」〔口語訳聖書〕] 一、我、空の照る光明を汝等の上に暗くし汝の地を暗となすべし。 一、我は日の出づる時之を暗くすべし。又月は其光を輝かさざるべし。[※イザヤ書13:10「天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。」〔口語訳聖書〕] 一、日は毛布の如く暗くなり、月は地の如くなり、天の星は地に落ちむ。 一、之等の艱難の後、直ちに日は暗く月は光を失ひ、星は空より落つべし。[※参考マタイ福音書24:29「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。」。マルコ福音書13:24-25「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。」〔口語訳聖書〕] とありませう。此聖言は愛と信との全く滅亡したる有様を、お示しになつたのでせう。今日の現界は自然界の太陽や月は天空に輝き渡つて居りますが、太陽に比すべき愛と、月に比すべき信と星に比すべき善と真との知識を亡ぼして居ますから、天国の移写たる現実界も今日の如く乱れ果てたのです。かかる事を称して聖言は……之等の諸徳、亡ぶる時、之等の諸天体暗くなり其光を失ひて空より落つ……と云はれてあるのです。大神の神愛の如何に大なるか又如何なるものなるかは現界に輝く太陽との比較によつて推知する事が出来るでせう。即ち神の愛なるものは頗る熱烈なる事が窺はれませう。人間にして実に之を信ずる事を得るならば、神様の愛は現実界の太陽の熱烈なるに比較して層一層強いと云ふ事が分りませう。大神様は又現実界の太陽の如く直接に高天原の中空に輝き給はず、その神愛はおひおひ下降するに従つて熱烈の度は和らぎ行くものです。此和らぎの度合は一種の帯をなして天界太陽の辺を輝き亘り、諸々の天人は又此太陽の内流によつて自らの身を障害せざらむが為め、適宜に薄い雲の如き霊衣を以て其身を覆うて居るのです。故に高天原に於ける諸々の天国の位置は其処に住める天人が神の愛を摂受する度合の如何によつて大神の御前を去る事或は遠くなつたり、或は近くなつたりするものです。又高天原の高処即ち最高天国に居る天人は愛の徳に住するが故に、太陽と現はれたる大神の御側近く居るものです。されど最下の天国団体にあるものは信の徳に住するものなるが故に、太陽と現はれ給うた大神を去る事最も遠きものであります。ここは即ち其高天原の最下層第三天国の中でも最も低い所ですから、太陽と現はれました大神の御光を拝する事が余程遠くて現界の太陽を拝する如く明瞭に分らないのです。さうして最も不善なるもの、例へば暗国界の地獄に居るものの如きは、大神様の目の前を去る事極めて遠く且つ太陽の光に背いて居るものである。さうして其暗国界に於ける神と隔離の度合は善の道に背く度合に比するものである。故に極悪の者は到底少しの光も見る事が出来ず無明暗黒の最低地獄におつるものであります』 治国別『やア有難う厶いました。吾々はまだ善と真よりする智慧証覚が足りませぬから、大神の御姿を仰ぐ事が出来ないのでせう』 言依別『第三天国の天人等の前に神其儘太陽となつて現はれ給ふ時は、各眼晦み頭痛を感じ苦みに堪へませぬ。それ故大神様は一個の天人となつて、善相応、真相応、智慧証覚相応の団体へお下り遊ばし、親しく教を垂れさせ給ふのであります』 治国別『いや大に諒解致しました。私も之から現界へ帰りますれば、其心得を以て善の為め真の為めに活動をさして頂きませう。あゝ惟神霊幸倍坐世』 言依別『サア之から天人の団体へ御案内致しませう』 治国別、竜公は、 治国別、竜公『ハイ、有難う』 と感謝しながら言依別の後に従ひ欣々として進み行く。 二三丁ばかり丘を下り行くと、忽ち巨大なる火光と化し言依別は天空さして其姿を没し給うた。二人は暗夜に灯をとられし如き心地し、大地に跪き感謝に咽びながら、 治国別『あゝ有難し、勿体なし、吾々の愛と善の徳、全からず信真の光明らかならず、従つて智慧と証覚の光弱き為めに、畏れ多くも皇大神は天国の太陽と現はれ給はず、言依別命と身を現じ、此処迄導いて下さつたのだらう。あゝ有難し有難し、仁慈無限の大神の御神徳よ』 と感謝の涙に暮れてゐる。 竜公『もし先生、之から如何致しませうか。斯様な処に捨てられては如何行つてよいか、少しも分らぬぢやありませぬか。あれ程最前明瞭に見えて居つた東西南北の天人の部落も、何時の間にか吾々の視線内を外れて了つたぢやありませぬか』 治国別『獅子は三日にして其子を谷底へ捨てるとやら、これ全く神様の仁慈無限の御摂理だ。これだから三五教の聖言にも「師匠を杖につくな、人を力にするな、只神のまにまに活動せよ」と仰有るのだ。言依別様の御案内下さるに甘え、気を許し、凭れかかつて居つたが吾々の過ちだ。それだから神様は吾々の想念中より遠ざかり給うたのだ。吾々はまだまだ愛と信とが徹底しないのだ。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と合掌し感涙に咽びつつ主神に祈りを凝すのであつた。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三北村隆光録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 15 公義正道 第一五章公義正道〔一二四八〕 最奥一の天国に在る天人の想念と 其情動と言語とは決して中間天国の 天人共の知覚し得るものには非ず何故ならば 最奥の天国人の一切は中天界の事物より 勝れて超絶すればなりさはさりながら大神の 心に叶ひし其時は中天国の天人は 上天高く仰ぎ見て火焔の如き光彩を 天空高く見るものぞ又中天の天人の 想念及び情動と言語はさながら光明の 如きものとし最下層の天国人より見るを得む 其光彩は輝きていろいろ雑多の色をなし 或は雲と見ゆるあり其雲及び光彩の 上下の模様を初めとし其形態に思索して ある程度迄上天に於ける天人諸々の 言説し居る状態を遥に悟り得らるなり 最高奥の天国はいと円満に具足して 神光輝きみち渡り中天界に比ぶれば 円満の度はいと高し次に最下の天国に 下るに及んで其度合一層低きを加ふべし 又甲天の形式は神より来る内流に よりて全く乙天のために永久に存在す。 高天原の形式を、其細目に亘つて了解する事や、又此形式が如何なる情態に活動し、如何に流通するかを会得するのは、現在天国にある天人と雖も能くし得ざる所である。これを譬ふるならば、最も聰明にして神の智慧に富んだ人が、人体に於ける種々の事物の形態を検査し、これより推して考へる時は、高天原の其形式に関して、或は其大要を悟り得る事が出来るであらう。高天原の全体の形式は、一個の人身に似て居る様である。又人身中に於ける万の事物は総て高天原の事物に相応するものである。故に高天原の形式が如何に人間として解し難く、又説明し難きかは、人間各部を連結する所の神経や繊維を見たならば、略察知する事が出来るであらう。是等の神経繊維は抑何物なるか、又如何にして脳髄中に活動し流行し居るかは、如何なる医学博士と雖も、肉眼を以て、或は顕微鏡をもつて見得るものではない。人間の頭脳中には無数の繊維があつて、交叉する様や其集まれる所より見れば、実に柔かき連絡した一つの固まりに似て居るけれど、意性及び智性よりする所の個々別々の活動は、皆此繊維によつて行はれて居る事は無論である。総て是等の繊維が肉体中にあつて、如何にして相結束し活躍するかは種々様々の中枢機関、例へば心臓肺臓胃腸、其他のものを見れば明かである。又医学上に於て、神経節と呼ばれて居る神経の束を見れば、数多の繊維が各其局部より来つて此処に集まり、茲に交雑し、又種々に連結したる後、再び此処を出で往き、外にあつて各其官能を全うするものである。而して斯の如きもの一再にして止まらない。又各臓腑や各肢体各筋肉にあつても此通りである。証覚者の目を以て是等の事物と其数多の不可思議とを考査する時は、唯々其幽玄微妙なる活動に驚嘆するの外はないのである。併しながら以上は肉眼にて見得る所のほんの僅少の部分的観察に過ぎないのである。其自然界の内面にかくれて、吾人の視覚の及ばない所にある物に至つては、更に一層の不可思議を包んで居るのである。以上の身体上の形式の、高天原の形式と相応すると云ふ事は、其形式の中にあり、之によつて働く所の智性と意性とが、万般に対し発作するを見ても明かである。人間が其意に決する所があれば、皆自らにして此形式の上に発作するからである。又人苟くも何事か思惟する所があれば、其想念は最初の発作点より末端に至つて神経繊維の上に環流せざるはなく、是よりして茲に感覚なるものがある。さうして此形式はやがて想念と意思との形式である故に、又智慧と証覚との形式なりと云つてもよいのである。故に天界の形式は、人体に於ける総ての諸官能の活動に相応するものなる事を知り得らるるのである。又天人の情動と想念とは悉く此形式に従つて、自ら延長するものなる事を知り、彼等天人はこの形式の内にある限り、智慧と証覚とに居るものなる事を知り得らるるのである。併しながら高天原の形式は、其大体の原則すら充分に探究すべからざる事を、自然界の科学万能主義者に知らさむために、人間の身体を例に引いて見たのである。 高天原には三つの度ある如く、各天人の生涯にも亦、三つの度があつて、最高第一の天国及霊国にあるものは、第三度即ち最奥の度が開けて居り、中間の天界と最下の天界とは塞がり、又中間天界に居るものは、第二度のみ開けて、上天と下天とは塞がれ、又最下層の天界にあるものは第一度のみ開けて、中間天界と上天界とは塞がつて居るのである。故にもし上天国の天人にして中天国の団体を瞰下して、之と相語る事あらむには、上天人が有する第三度は忽ち塞がつて了ふのである。而して其閉塞と共に証覚迄も亡ぶのである。何故なれば、上天国の天人の証覚は、第三度に住し、第一及び第二の度に居らないからである。瑞の御霊の聖言に、 一、屋上にあるものは、其家のものを取らむとて下るなかれ。田に居るものは、其衣を取らむとて帰るなかれ。 一、其日には人屋上にあれば、其器具室にあるともこれを取らむとて下るなかれ。又田畑にあるものも帰るなかれ。 と示されたるは右の密意を示されたる言葉である。さうして下層の天界より、上層の天界へは神格の内流なるものがない。それは神の順序に逆らふからである。神は一名順序と讃へ奉つてもよいものである。故に上天界より下天界に向つては内流がある。さうして上天界の天人の証覚は下天界の天人に勝る事万と一とに比例するのである。是亦下天界の天人が上天界の天人と相語る事の出来ない理由である。仮令下天界の天人が仰ぎ望む事あるも、更に更に其姿を見る事を得ず、唯上天界は尚雲が頭上にかかつて居る如く見えるばかりである。これに反し上天界の天人は、下天界の天人を見る事が出来る。併し乍らこれと相語る事は出来ない。もしも下天界人と相語るやうな事があれば、忽ち其証覚を失ふものである。高天原に於ける諸々の団体中の天人は、善と真とに居る事何れも同様なれども、其証覚には様々の程度がある故に、必然の理由として高天原にも又統治の制度が布かれてある。諸天人は何うしても、其順序を守らねばならぬ。さうして順序に関する百般の事項は、どうしても破壊する事は出来ぬ。それから高天原の統治の制度は決して一様ではない。其団体々々に於ける個々の制度が布かれてある。瑞の御霊の大神の司り給ふ霊国即ち月の国を構成する団体にも亦一種の統治制度が布かれてある。各団体の職掌の異るにつれ、其制度にも亦不同あるは止むを得ない。併し高天原に於ては、相愛の制度を外にしては別に制度なるものはないのである。 高天原に於ける統治制度を称して正道と云ふ。大神に対する愛善の徳に住して行ふ所を総て正道と云ふのである。この統治制度は唯大神のみに属するものであつて、大神が御自身に諸天界の天人を導き、又之に処世の事物を教へ給ふ公義上の理法とも云ふべき種々の真理に至りては、各天人中の心中に明かに記憶さるるをもつて、天人として之を識り又之を知覚し、又之を感得し得ないものはない。故に公義上の事件に就いては争議上の種とはならないけれども、正道上の事件即ち各天人が実践躬行上の事件のみは時々疑問となる事がある。斯の如き正道上の事件の起つた時には証覚の少きものより是を自己より勝れたる天人に正し、或は之を直接大神に教を請うて、其結着を定むるものである。故に天人は唯正道に従つて、大神の導き給ふが儘に生息するのをもつて自分等の天界となし、又極秘の歓喜悦楽とするのである。次に大神の霊国即ち月の御国に於ける制度を、公義と云ふ。霊国の諸天人は霊善に居るからである。霊善とは、隣人に対する仁の徳を云ふのである。さうして其実性は真である。而して真は即ち公義に属し、善は正道に属するものである。今茲に月の国と云つたのは、現在地球上の人間が見る月球の事ではない。神の神格によつて構成されたる霊的国土である。この国土に住める諸々の天人は亦大神の導き給ひ、統治め給ふ所なれども、直接ならざるが故に茲には統治者なるものが出来て居る。其統治者の多寡は、各其所属団体の必要によつて設けらるるものである。又茲には律法が制定せられて諸々の天人は之に従ひて群居して居るのである。統治者は其律法によつて数多の事物を統制するの任務に当つて居る。さうして、是等の天人は何れも証覚あるにより、その律法をよく解し、万一疑ふ所あれば、大神が下らせ給うて、之に明白なる解釈を与へ給ふ事になつて居る。天国即ち日の国にあるが如き、善によつて行はるる統治を正道と云ひ、霊国即ち月の国にあるやうな真によつて行はるる統治を公義と云ふのである。天国、霊国の各団体の統治者は現代に於ける各国の統治者の如く、決して自ら尊大振るものでない、却て卑下し且つ謙譲の徳を充たして居るものである。さうして其団体の福利と隣人の事を第一に置いて、自己の福利を最後におくものである。けれども其統治者は非常なる名誉と光栄とを有して居る。是等の統治者は自分に与へられたる光栄と名誉は全く大神の与へられたるものたる事を自覚し、他の天人が自分に服従するのは、これ全く大神の御稜威なる事を知つて居るから、自然に謙譲な徳が具はり尊大振らぬのである。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三加藤明子録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 16 霊丹 第一六章霊丹〔一二四九〕 天教山にあれませる木花姫の御化身に 案内されて第三の天国界を後にして 五色の雲を踏み分けつ東をさして上り行く 治国別や竜公は如何はしけむ目は眩み 頭は痛み足はなえ胸は轟き両の手は 力も落ちてブルブルと慄ひ出すぞ是非なけれ 木花姫の御化身は順風に真帆をかかげたる 磯の小舟の進むごと何の故障もあら不思議 とんとんとんと上ります治国別や竜公は 吹く息さへも絶え絶えに命限りの声しぼり (治国別、竜公)『これこれもうし木花の姫の命の神司 暫く待たせ給へかし如何なる訳か知らねども 何とはなしに目は眩み意識は衰へ力落ち 進退茲に極まりて最早一歩も進めない 何卒お慈悲に両人をも一度後に引返し お助けなさつて下されや偏に願ひ奉る 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むとも尊き神の御恵は いつの世にかは忘れませう抑天国の存在は 神の慈愛を善真の其高徳に構成され 愛と善とに満ち満ちし神の国土で御座いませう 貴神も尊き神なれば吾等二人の苦みを 決して見捨て給ふまじかへさせたまへ惟神 木花姫の御前に命限りに願ぎまつる 嗚呼惟神々々御霊幸はへましませよ』 と歌ふ声も切れ切れに第二天国の入口迄来てバタリと平太り込んで了つた。竜公は唯一言も発し得ず、痴呆の如く口をポカンと開いたまま僅かに指先を間歇的に動かして居る。木花姫は後ふり向きもせず巨大なる光と化して、天の一方に姿を隠させ給うた。治国別は後打ち眺め、 治国別『あゝ、過つたりな過つたりな。自愛の欲に制せられ、吾身の苦しさに木花姫様の救助を求めた愚かしさよ。「師匠を杖につくな、人を頼りにするな」と云ふ御教を、正勝の時になつて忘れて居たか。あゝ人間と云ふものは、何と云ふ浅ましいものであらう。竜公はもはや虫の息、かかる天国に於て、精霊の命までも捨てねばならぬのか、あゝ何うしたらよからうな。国治立大神様、豊国主大神様、神素盞嗚大神様、何卒々々此窮状を、も一度お救ひ下さいませ』 と色蒼ざめ、殆ど死人の如くなつて、合す両の手もピリピリ慄ひ戦き、実に憐れ至極の有様となつて来た。願へど、祈れど、呼べど、叫べど唯一柱の天人も目に入らず、神の御声も聞えず、四辺寂然として物淋しく、立つても居ても居られなくなつて来た。竜公はと顧みれば、哀れにも大地に蛙をぶつつけた如く手足をのばし、殆ど死人同様になつて居る。されど治国別は何処迄も神に従ひ神に頼り、神の神格を信じ、斯かる場合にも微塵も神に対し不平又は怨恨の念を持たなかつた。治国別は決心の臍を固め、 治国別『あゝどうなり行くも神の御心、吾々人間の如何ともすべき限りでない。神様、御心の儘に遊ばして下さい。罪悪を重ねたる治国別、過分も此清き尊き天国に上り来り、身の程をわきまへざる無礼の罪、順序を乱した吾等の罪悪を、何卒神直日、大直日に見直し下さいまして、相当の御処分を願ひます』 と祈る声も細り行き、最早絶体絶命となつて来た。此時俄に天の戸開けて天上より金色の衣を纏ひたる目も眩きばかりの神人、二人の脇立を従へ、雲に乗つて二人の前に悠々と下らせ給ひ、懐より霊丹と云ふ天国の薬を取り出し、二人の口に含ませたまへば、不思議なるかな二人は正気に返り、勇気頓に加はり、痩衰へた体は元の如く肥太り、顔色は鮮花色と変じ、得も云はれぬ爽快の気分に充されて来た。二人は恐る恐る面を上ぐれば、威容儼然たる男とも女とも判別し難き優しき天人、その前に莞爾として立たせたまふのであつた。治国別は思はず手を拍ち、 治国別『あゝ有難し有難し、大神の御仁慈、罪深い吾々をよくもお助け下さいました。有難う存じます』 とよくよくお顔を見れば、以前に別れた木花姫命が、二人の侍女を連れ立たせ給ふのであつた。 治国別『ヤア、貴神は木花姫命様で厶いましたか。誠に誠に御仁慈の段感謝の至りに堪へませぬ』 竜公『神様、能くまアお助け下さいました。竜公は既に既に天国に於て野垂れ死をする所で厶いました。天国と云ふ所は、真に苦しい所で厶いますなア』 木花姫『総て天国には善と真とに相応する順序が儼然として立つて居りますから、此順序に逆らへば大変に苦しいものですよ。身霊相応の生涯をさへ送れば、世の中は実に安楽なものです。水に棲む魚は、陸に上れば直に生命がなくなるやうなもので厶ります』 治国別『成程御尤もで厶います。八衢に籍を置いて居る分際をも顧みず、神様のお言葉に甘え、慢心を起し、天国の巡覧などを思ひ立つたのは、吾々の不覚不調法の罪、何卒々々大神様にお詫を願ひ上げます』 木花姫『治国別殿、其方は媒介者によつて天国の巡覧に来られたのだから、決して身分不相応だとは申されますまい。貴方は宣伝使としての肝腎要の如意宝珠を道で落しましたから、それで苦しかつたのですよ。殆ど息が絶えさうに見えましたので、妾は急ぎ月の大神様の御殿に上り、霊丹を頂いて再び此処に現はれ、貴方等の御生命をつなぎ留める事を得たので厶りますよ。まア結構で厶いましたなア』 治国別『ハイ、吾々が命の親の木花姫様、此御恩は決して忘れは致しませぬ』 木花姫『妾は貴方の命の親ではありませぬ。貴方の命の親は月の大神様ですよ。妾は唯お取次をさして頂いたのみですよ。左様にお礼を申されては、何だか大神様の御神徳を妾が横領するやうに思はれて、何となく心苦しう厶います。宇宙一切は月の大神様の御神格に包まれて居るので厶います。吾々には御神徳を伝達する事は出来ても、命をつないだり御神徳を授ける事は出来ませぬ。此後は何事がありても、仮令少しの善を行ひましても、愛を注ぎましても、決して礼を云うて貰つては迷惑に存じます。何卒神様に直接にお礼を仰有つて下さい』 治国別『ハイ、理義明白なる御教、頑迷なる治国別も貴神の御伝教によつて、豁然と眠りより醒めたるやうで厶います。あゝ国治立大神様、月の大神様、最高天国にまします天照大御神様、唯今は木花姫様の御身を通して吾等に命と栄えと喜びを授け給ひし事を、有難く、ここに感謝致します』 木花姫『貴方は途中でお落しになつたものを未だ御記憶に浮かびませぬか、如意宝珠の玉ですよ』 治国別『ハイ、私は高姫さまのやうに如意宝珠の玉などは一度も拝んだ事もない、手に触れさせて頂いた事も厶いませぬから、従つて落す理由も厶いませぬ。何かの謎では厶いますまいかな。心愚なる治国別には、どうしても此謎が解けませぬ』 木花姫『高姫さまの執着心を起された如意宝珠は、あれは自然界の形態を具へた宝玉です。天界の事象事物は総て霊的事物より構成されて居りますれば、想念上より作り出す如意宝珠で厶いますよ。先づ御悠りとお考へなさいませ。妾が申上げるのはお易い事で厶いますけれど、これ位の事がお分りにならない位では、到底中間天国の天人に出会つて、一言も交へる事が出来ませぬ。神の愛と神の信に照され、神格の内流をお受け遊ばし、智慧と証覚を得れば、何でもない事で厶います』 治国別は、 治国別『ハイ』 と答へた儘双手を組み、眼を閉ぢ暫く考へ込んで居る。遉鋭敏の頭脳の持主と聞えて居る治国別も、霊界へ来ては殆ど痴呆の如く、何程思索を廻らしても容易に此謎が解けなかつた。竜公は傍より手を打ち嬉しさうな元気のよい声を出して、 竜公『もし先生、霊界の如意宝珠と云ふのは善言美詞の言霊ですよ。中間天国へ上る途中に於て天津祝詞や神言の奏上を忘れたので、姫命様が、お気をつけて下さつたのですよ』 治国別『成程、ヤ、ウツカリして居つた。木花姫様、有難う厶います。ほんに竜公さま、お前は私の先生だ、ヤア実に感心々々』 竜公『先生、そんな事云つて貰ふと大に迷惑を致します。決して竜公の智慧で言つたのではありませぬ。御神格の内流によつて、斯様に思ひ浮べて頂かせられたのです』 木花姫『現界に於きましては、竜公さまは治国別さまのお弟子でありませう。併しこの天国に於ては愛善と信真より来る智慧証覚の勝れたものが最も高き位置につくので厶います。神を信ずる事が厚ければ厚い程、神格の内流が厚いので厶いますから』 治国別『いや実に恐れ入りました。天国に参りましても、やはり現界の虚偽的階級を固持して居つたのが重々の誤りで厶います。あゝ月の大神様、日の大神様、木花姫様の肉の御宮を通し、又竜公さまの肉の宮を通して、愚鈍なる治国別に尊き智慧を与へて下さつた事を有難く感謝致します』 木花姫『サア皆さま、是より天津祝詞の言霊を奏上しながら、第二天国をお廻りなさいませ。左様ならば、是にてお別れ致します』 治国別、竜公両人は、 治国別、竜公『ハイ有難う』 と首を垂れ感謝を表する一刹那、嚠喨たる音楽につれて木花姫の御姿は、雲上高く消えさせ給ふのであつた。 あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三加藤明子録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 18 一心同体 第一八章一心同体〔一二五一〕 高天原の霊国及天国の天人は、人間が数時間費しての雄弁なる言語よりも、僅に二三分間にて、簡単明瞭に其意思を通ずることが出来る。又人間が数十頁の原稿にて書き表はし得ざる事も、只の一頁位にて明白に其意味を現はすことが出来る、又それを聞いたり読んだりする処の天人も能く会得し得るものである。凡て天人の言語は優美と平和と愛善と信真に充ちて居るが故に、如何なる悪魔と雖も、其言葉には抵抗する事が出来ない。すべて天国の言葉は善言美詞に充たされてゐるからである。さうして何事も善意に解し見直し聞直し宣直しといふ神律が行はれてゐる。それから日の国即ち天国天人の言語には、ウとオとの大父音多く、月の国即ち霊国天人の言語にはエとイの大父音に富んでゐる。而して声音の中には何れも愛の情動がある。善を含める言葉や文字は多くはウとオを用ひ、又少しくアを用ふるものである。真を含んでゐる言葉や文字にはエ及びイの音が多い。そして天人は皆一様の言語を有し、現界人の如く東西洋を隔つるに従つて、其言語に変化があり、或は地方々々にいろいろの訛がある様な不都合はない。されども、ここに少し相違のある点は証覚に充された者の言語は、凡て内的にして、情動の変化に富み且つ想念上の概念を最も多く含んでゐる。証覚の少い者の言語は外的にして、又しかく充分でない。愚直なる天人の言語に至りては、往々外的にして、人間相互の間に於けるが如く、語句の中から其意義を推度せなくてはならぬ事がある。又面貌を以てする言葉がある。此言語は概念に依つて抑揚頓挫曲折の音声を発すが如きものにて其終局を結ぶものもある。又天界の表像を概念に和合せしめたる言葉がある。又概念を自らに見る様、成したる言葉もある。又情動に相似したる身振を以てなす語もある。此身振は其言句にて現はれる事物と相似たるものを現はしてゐる。又諸情動及諸概念の一般的原義を以てする言葉がある。又雷鳴の如き言葉もあり其外種々雑多な形容詞が使はれてある。 治国別、竜公は団体の統制者に導かれ、種々の花卉等を以て取囲まれた相当に美はしき邸宅に入る事を得た。此処は此団体の中心に当り他の天人は櫛比したる家屋に住んでゐるにも拘らず、一戸分立して建つてゐる。現界にて言へば丁度町村長の様な役を勤めてゐる天人の宅である。二人は案内されて奥の間に進むと、真善美といふ額がかけられ、そして床の間には七宝を以て欄間が飾られ、玻璃水晶の茶器などがキチンと行儀よく配置され、珊瑚珠の火鉢に金瓶がかけられてある。ここは第二天国に於ても最も証覚の秀れたる天人の団体であり、主人夫婦の面貌や衣服は特に他の天人に比して秀れて居る。治国別は恐る恐る奥の間に導かれ、無言の儘行儀よく坐つてゐる。此天人の名は珍彦といひ、妻は珍姫と云つた。珍彦は治国別の未だ現界に肉体があり精霊として神に許され、修業の為に天国巡覧に来りし事を、其鋭敏なる証覚に仍つて吾居間に通すと共に悟り得たのである。ここに珍彦は始めて治国別の知れる範囲内の言語を用ひて、いろいろの談話を交ゆることとなつた。 珍彦『治国別さま、あなたは未だ精霊でゐらつしやいますのですな。実の所は天国に復活なされた方と存じまして、其考へで待遇致しましたので嘸お困りで厶いましただらう』 治国別『ハイ、実の所はイソの館から大神様の命を奉じ、月の国ハルナの都に蟠まる八岐大蛇の悪霊を言向和すべく出陣の途中、浮木ケ原に於て、吾不覚の為ランチ将軍の奸計に陥り、深き暗き穴に落され、吾精霊は肉体を脱離して、いつとはなしに八衢に迷ひ込み、大神の化身に導かれ、第三天国の一部分を覗かして頂き、又もや木花姫の御案内に依つて、ここ迄昇つて来た所で厶います。何分善と真が備はらず、智慧証覚が足らない者で厶いますから、天人達の言語を解しかね、大変に面喰ひましたよ。丸で唖の旅行でしたワ。アハヽヽヽ』 珍彦『どうぞ、ゆるりと珍彦館で御休息下さいませ。今日は幸ひ、大神様の祭典日で厶いますれば、やがて団体の天人共が吾館へ集まつて参るでせう。其時は此団体に限つて、あなたの精霊にゐらせられる事を発表致します。さうすれば、吾団体の天人は其積りで、あなたと言葉を交へるでせう』 治国別『ハイ、有難う厶います。何分勝手を知らない愚鈍な人間で厶いますから……』 竜公『これはこれは珍彦様、偉い御厄介に預かりました。先生を何分宜しく御願致します』 珍彦『イエイエ、決して私があなたの御世話をしたのぢや厶いませぬ。又御厄介になつたなぞと礼を言はれては大変に迷惑を致します。何事も吾々は大神様の御命令のままに、機械的に活動してゐるので厶いますから、もし一つでも感謝すべき事があれば、直様大神様に感謝して下さいませ。すべて吾々は大神様の善と真との内流に依つて働かして頂くばかりで厶います。吾々天人として何うして一力で虫一匹助けることが出来ませう』 治国『成程、さすが天国の天人様、真理に明るいのには感服の外厶いませぬ』 珍彦『神様の御神格の内流を受けまして、実に楽しき生涯を、吾々天人は送らして頂いて居ります』 竜公『モシ珍彦様、此団体の天人は、何れも若い方ばかりですな。そしてどのお方の顔を見ても、本当に能く似てゐるぢやありませぬか』 珍彦『左様です、人間の面貌は心の鏡で厶いますから、愛の善に充ちた者同士同気相求めて群居してゐるのですから、内分の同じき者は従つて外分も相似るもので厶います。それ故天国の団体には余り変つた者が厶いませぬ。心が一つですからヤハリ面貌も姿も同じ型に出来て居ります』 竜公『成程、それで分りました。併しながら子供は沢山ある様ですが、三十以上の面貌をした老人は根つから見当りませぬが、天国の養老院にでも御収容になつてゐるのですか』 珍彦『人間の心霊は不老不死ですよ。天人だとて人間の向上発達したものですから、人間の心は男ならば三十才、女ならば二十才位で、大抵完全に成就するでせう、而して仮令肉体は老衰しても其心はどこ迄も弱りますまい。否益々的確明瞭になるものでせう。天国は凡て想念の世界で、すべて事物が霊的で厶いますから、現界に於て何程老人であつた所が天国の住民となれば、あの通り、男子は三十才、女子は二十才位な面貌や肉付をしてゐるのです。それだから天国にては不老不死と云つて、いまはしい老病生死の苦は絶対にありませぬ』 治国別『成程、感心致しました。吾々は到底容易に肉体を脱離した所で、天国の住民になるのは六ケしいものですなア。いつ迄も中有に迷ふ八衢人間でせう。実にあなた方の光明に照らされて、治国別は何とも慚愧に堪へませぬ』 珍彦『イヤ決して御心配は要りませぬ。あなたはキツト或時機が到来して、肉体を脱離し給うた時は、立派なる霊国の宣伝使にお成りなさいますよ。如何なる水晶の水も氷とならば忽ち不透明となります。あなたの今日の情態は即ち其氷です。一度光熱に会うて元の水に復れば、依然として水晶の清水です。肉体のある間は、何程善人だといつても証覚が強いと云つても、肉体といふ悪分子に遮られますから、之は止むを得ませぬ。併し肉体の保護の上に於て、少々の悪も必要であります。精霊も人間もヤハリ此体悪の為に現界に於ては生命を保持し得るのですからなア』 治国別『ヤ有難う、其御説明に仍つて、私も稍安心を致しました。あゝ大神様、珍彦様の口を通して、尊き教を垂れさせ給ひ、実に感謝に堪へませぬ。あゝ惟神霊幸はへませ』 竜公『天国に於ては、すべての天人は日々何を職業にしてゐられるのですか。田畑もある様なり、いろいろの果樹も作つてある様ですが、あれは何処から来て作るのですか』 珍彦『天人が各自に農工商を励み、互に喜び勇んで、其事業に汗をかいて、従事してゐるのですよ』 竜公『さうすると、天国でも随分現界同様に忙しいのですなア』 珍彦『現界の様に天国にては人を頤で使ひ、自分は金の利息や株の収益で遊んで暮す人間はありませぬ。上から下迄心を一つにして共々に働くのですから、何事も埓よく早く事業がはか取ります。丁度一団体は人間一人の形式となつて居ります。例へばペン一本握つて原稿を書くにも、外観から見れば一方の手のみが働いてゐるやうに見えますが、其実は脳髄も心臓肺臓は申すに及ばず、神経繊維から運動機関、足の趾の先まで緊張してゐる様なものです。今日の現界のやり方は、ペンを持つ手のみを動かして、はたの諸官能は我関せず焉といふ行方、それでは迚も治まりませぬ。天国では上下一致、億兆一心、大事にも小事にも当るのですから、何事も完全無欠に成就致しますよ。人間の肉体が一日働いて夜になつたら、凡てを忘れて、安々と眠りにつく如く、休む時は又団体一同に快よく休むのです。私は天人の団体より選まれて、団体長を勤めて居りますが、私の心は団体一同の心、団体一同の心は私の心で厶いますから……』 治国『成程、現界も此通りになれば、地上に天国が築かれるといふものですなア。仮令一日なりとも、こんな生涯を送りたいものです。天国の団体と和合する想念の生涯が送りたいもので厶います』 珍彦『あなたは已に天国の団体にお出でになつた以上は、私の心はあなたの心、あなたの智性は私の智性、融合統一して居ればこそ、かうして相対坐してお話をすることが出来るのですよ。只今の心を何時迄もお忘れにならなかつたならば、所謂あなたは、仮令地上へ降られても天国の住民ですよ。併しながら、あなたは大神様より現界の宣伝使と選まれ、死後は霊国へ昇つて宣伝使となり、天国布教の任に当らるべき方ですから、到底其時は、吾々の智慧証覚はあなたのお側に寄り付く事も出来ない様になりますよ。あなたが霊国の宣伝使にお成りなさつた時は、吾団体へも時々御出張を願ふ事が出来るでせう』 治国別『成程、さう承はればさうに間違ひは厶いませぬ』 竜公『先生、慢心しちや可けませぬよ』 治国別『イヤ、決して慢心でない、珍彦様の心は治国別の心と和合し、治国別の心は珍彦様と和合し、珍彦様は大神様の内流を受け、大神様と和合して厶るのだから、少しも疑ふ余地はない。お言葉を信ずればいいのだ。高天原には愛善と信真とより外には無いのだ。疑を抱くのは中有界以下の精霊の所為だ』 竜公『さうすると、あなたは已に天人気取りになつてゐるのですか、まだ精霊ぢやありませぬか』 治国別『已に天人となつてゐるのだ。珍彦様も同様だ』 竜公『ヘーン、さうですか、そら結構です、お目出度う、そして此竜公は何うですか、ヤツパリ天人でせうなア』 治国別『無論天人様だ。大神様の御内流を受けた尊き天人様だよ』 竜公『何だか乗せられてゐる様な気が致しますワ。モシ、先生、からかつちや可けませぬよ』 珍彦『アハヽヽヽ』 治国『ウツフヽヽヽ』 竜公『オホヽヽヽ』 治国別『コレ竜公、オホヽヽヽなんて、おチヨボ口をして女の声を出しちや、みつともよくないぢやないか』 竜公『木花姫様の御神格の内流によりまして、善と真との相応に依り、忽ち神格化し、竜公は何も知らねども、内分の神音が外分に顕現したまでですよ。オツホヽヽヽ』 三人の笑ひ声に引つけられて、勝手元に在つた珍姫は此場に現はれ来り、三人の前に手を仕へ、 珍姫『遠来のお客様、よくもゐらせられました。私は珍彦の妻珍姫と申します』 治国『何と御挨拶を申してよいやら、天国の様子は一向不案内、併しながら今珍彦様に承はれば、同気相求むるを以て、かく和合の境遇にありとのこと、さすればあなたの心は私の心、私の心は貴女の心、他人行儀の挨拶も出来ず、又自分と同様とすれば、自分に対しての挨拶も分らず、実は困つてをります』 珍姫『ハイ私も其通りで厶います。現界的虚礼虚式は止めまして、万年の知己、否同心同体となつて、打解け合うて、珍らしき話を聞かして頂きませう』 治国別『どうも現界の話は罪悪と虚偽と汚穢にみち、かかる清浄なる天国へ参りましては、口にするも厭になつて参りました。それよりも天国のお話を承はりたいもので厶います』 珍姫『ハイ、惟神の許しを得ましたならば、あなたが何程喧しいと仰有つても、如何なることを申上げるか分りませぬ。弓弦をはなれた矢のやうに、当る的に当らねばやまないでせう、ホツホヽヽヽ』 竜公『モシ珍姫さま、あなたは珍彦さまと服装が違ふ丈で、お顔はソツクリぢやありませぬか。ヨモヤ現界に於て双児にお生れになつたのぢやありますまいかなア』 治国別『コレ竜公、何といふ失礼なことを仰有る。チツトたしなみなさい』 竜公『それでも私の心に浮んだのですよ。思ふ所を言ひ、志す所をなすのが天国ぢやありませぬか。そんな体裁を作つて、現界流に虚偽を飾るやうなことは天国には用ひられますまい。天国は信の真を以て光とするのですからなア』 治国別『ヤ、恐れ入りました、アハヽヽヽ、天国へ出て来ると、治国別も失敗だらけだ。かうなると純朴な無垢な竜公さまは実に尊いものだな』 竜公『ソリヤ其通りです、本当に清らかなものでせう。ホツホヽヽヽ』 治国別『又木花姫の御神格の内流かな』 竜公『これは竜公の副守の外流ですよ。モシ珍彦さま、どうぞ私の今の言葉が天国を汚す様なことが厶いますれば直に宣り直します』 珍彦『滑稽として承はれば、仮令悪言暴語でも其笑ひに仍つて忽ち善言美詞と変化致しますから、御心配なさいますな。天国だつて滑稽諧謔が云へないといふことがありますか、滑稽諧謔歓声は天国の花ですよ』 竜公『ヤア有難い、先生、これで私も少し息が出来ますワイ』 治国別『ウン、さうだなア、何だか私は身がしまる様にあつて、何うしてもお前の様に洒脱な気分になれないワ』 竜公『ソラさうでせう、娑婆の執着がまだ残つて居りますからな。あなたは再び肉体へ帰らうといふ欲があるでせう。私は第三天国でいつたでせう、最早娑婆へは帰りたくないから、此処に居りたいと言つたことを覚えてゐらつしやいませう。私は仮令再び現界へ帰るものとしても、刹那心ですからなア。過去を憂へず未来を望まず、今といふ此瞬間は善悪正邪の分水嶺といふ三五教の真理を体得してますからなア』 治国別『大変な掘出物を、治国別は捉まへたものだなア』 竜公『本当に掘出物でせう。先生もこれだけ竜公に証覚が開けてるとは思はなかつたでせう。それだから人は見かけによらぬものだと現界でも言つてませう』 治国別『ハイ有難う、何分宜しう願ひます』 竜公『口先ばかりでは駄目ですよ。心の底から有難う思つてゐますか、まだ少しあなたの心の底には、竜公に対し稍軽侮の念が閃いてゐるでせう』 治国別『ヤ恐れ入りました、あなたは大神様で厶いませう』 竜公『大神様ぢや厶いませぬ。吾精霊に大神様の神格が充ち、竜公の口を通して、治国別にお諭しになつてゐるのですよ。時に珍彦さま、奥さまとあなたと双児の様に能く似た御面相、其理由を一つ説明して頂きたいものですなア』 珍彦『夫婦は愛と信との和合に依つて成立するものです。所謂夫の智性は妻の意思中に入り、妻の意思は夫の智性中に深く入り込み、茲に始めて天国の結婚が行はれるのです。言はば夫婦同心同体ですから、面貌の相似するは相応の道理に仍つて避くべからざる情態です。現界人の結婚は、地位だとか名望だとか、世間の面目だとか、財産の多寡によつて婚姻を結ぶのですから、云はば虚偽の婚姻です。天国の婚姻は凡て霊的婚姻ですから、夫婦は密着不離の情態にあるのです。故に天国に於ては夫婦は二人とせず一人として数へることになつてゐます。現界の様に、人口名簿に男子何名女子何名などの面倒はありませぬ。只一人二人と云へば、それで一夫婦二夫婦といふことが分るのです。それで天国に於て百人といへば頭が二百あります。これが現界と相違の点ですよ。君民一致、夫婦一体、上下和合の真相は到底天国でなくては実見することは出来ますまい。治国別様も竜公様も現界へお下りになつたら、どうか地上の世界をして、幾部分なりとも、天国気分を造つて貰ひたいものですなア』 治国『ハイ微力の及ぶ限り……否々神様の御神格に依つて吾身を使つて戴きませう。あゝ惟神霊幸倍坐世』 かく話す所へ、玄関口より一人の男現はれ来り、 男『珍彦様、祭典の用意が出来ました、サアどうぞ皆が待つて居ります。お宮まで御出張下さいませ』 珍彦『あゝ御苦労でした。直様参りませう。お二人さま、どうです、之から天国の祭典に加はり拝礼をなさつたら……』 治国別『お供致しませう』 竜公『天国の祭典は定めて立派でせう。竜公もお供が叶ひますかなア』 珍彦『ハイ、さうなされませ』 治国『もし叶はなかつたら、木花姫の神格の内流によつて、参拝すれば良いぢやないか、アハヽヽヽ』 竜公『ウーオーアー』 珍彦『竜公さま、どうぞお供をして下さい』 竜公『ハイ有難う』 (大正一二・一・一〇旧一一・一一・二四松村真澄録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 20 間接内流 第二〇章間接内流〔一二五三〕 高天原の天界を区分して天国、霊国の二となす事は前に述べた通りである。概して云へば日の国即ち天国は人身に譬ふれば心臓及び全身にして心臓に属すべき、一切のものと相応して居る。又月の国即ち霊国は其肺臓及び全身にして肺臓に属すべき一切の諸機関と相応してゐる。さうして心臓と肺臓とは小宇宙、小天地に譬ふべき人間に於ける二つの国土である。心臓は動脈、静脈により、肺臓は神経と運動繊維によりて、人の肉体中に主治者となり、力の発する所、動作する所、必ずや右両者の協力を認めずと云ふ事はない。各人の内分、即ち人の霊的人格をなせる霊界の中にも亦二国土があつて、一を意思の国と云ひ一を智性の国と云ふ。意思は善に対する情動より、智性は真に対する情動によつて人身内分の二国土を統治してゐるのである。之等の二国土は又肉体中の肺臓、心臓の二国土とに相応してゐる。故に心臓は天国であり意思の国に相応し、肺臓は霊国であり智性の国と相応するものである。 高天原に於ても亦以上の如き相応がある。天国は即ち高天原の意力にして、愛の徳之を統御し、霊国は高天原の智力にして信の徳之を統御する事になつてゐる。故に天国と霊国との関係は人に於ける心臓と肺臓との関係に全く相応してゐるものである。聖言に心臓を以て意を示し、又愛の徳を示し、肺臓の呼吸を以て智及信の真を示すは此相応によるからである。又情動なるものは心臓中にもあらず、心臓より来らざれども、之を心臓に帰するは相応の理に基く為である。高天原の以上二国土と心臓及肺臓との相応は高天原と人間との間に於ける一般的相応である。さうして人身の各肢体及各機関及内臓等に対しては、斯の如く一般的ならざる相応があるのである。 今茲に高天原の全体を巨人に譬へて説明する事としよう。 巨人即ち天界の頭部に居るものは愛、平和、無垢、証覚、智慧の中に住し、従つて歓喜と幸福とに住するを以て天界到る所、この頭部に於ける善徳に比すべきものはない。人間の頭部及び頭部に属する一切のものに其神徳流れ入つて之と相応するのである。故に人の頭部は高天原の最高の天国、霊国に比すべきものである。 次に巨人即ち天界の胸部にあるものは仁と信との善徳中に住して、人の胸部に流れ入り、之と相応するものである。 一、巨人即ち天界に於ける腰部及生殖器機関に属するものは、所謂夫婦の愛に住してゐる、之は第二天国の状態である。 一、脚部にあるものは、天界最劣の徳即ち自然的及霊的善徳の中に住してゐる。 一、腕と手とにあるものは、善徳の中より出で来る真理の力に住してゐる。 一、目にあるものは智に住し、耳にあるものは注意と従順に住し、鼻口に属するものは知覚に住してゐる。又、口と舌とに属するものは智性と知覚とより出づる言語の中に住し、内腎に属するものは研究し調査し分析し訂正する処の諸々の真理に住し、肝臓、膵臓、脾臓に属するものは善と真と色々に洗練するに長じてゐる。何れも神の神格は人体中に相似せる各局部に流入して之と相応し給ふ。天界よりの内流は諸肢体の働き及用の中に入り、而して具体的結果を現ずるが故に、茲に於てか相応なるものが行はれて来るものである。 一、人は智あり覚ある者を呼んで彼は頭を持つて居るとか、頭脳が緻密であるとか、よい頭だとか云つて称へ、又仁に厚いものを呼んで彼は胸の友だとか、心が美しいとか、気のよい人だとか、心意気がよいとか称へ、知覚に勝れた人を呼んで彼は鋭敏なる嗅覚を持つてゐるとか、鼻が高いとか云ひ、智慮に秀でたものを呼んで、彼の視覚は鋭いと云ひ、或は鬼の目と云ひ、強力なる人を呼んで、彼は手が長いと云ひ、或は利くと云ひ、愛と心を基として志す所を決するものを呼んで、彼の行動は心臓より出づるとか、心底から来るとか、同情心が深いとか称へるのである。 斯の如く人間の不用意の中に使ふ言葉や諺は尚此外に何程とも限りない程あるのは、相応の理に基いて其実は厳の御霊の神示にある通り、何事も神界よりのお言葉なる事は自覚し得らるるのである。 治国別一行は人体に於ける心臓部に相当する第二天国の最も中枢部たる処を今や巡覧の最中である。さうして天国の組織は最高天国が上中下三段に区画され、中間天国が又上中下三段に区画され、最下層の天国亦三段に区画されてある。各段の天国は個々の団体を以て構成され、愛善の徳と智慧証覚の度合の如何によりて幾百ともなく個々分立し、到底之を明瞭に計算する事は出来ないのである。又霊国も同様に区画され、信と智の善徳や智慧証覚の度合によつて霊国が三段に大別され、又個々分立して数へ尽せない程の団体が作られてゐる。さうして又一個の団体の中にも愛と信と智慧証覚の度の如何によつて或は中央に座を占め、或は外辺に居を占め、決して一様ではない。斯くの如く天人の愛信と証覚の上に変移あるは、所謂勝者は劣者を導き、劣者は勝者に従ふ天然律が惟神的に出来てゐるがために、各人皆其分度に応じて安んじ、少しも不安や怨恨や不満足等の起る事なく、極めて平和の生涯を送り居るものである。 さて三人は、とある美はしき丘陵の上に着いた。天日晃々として輝き渡り、被面布を通して其霊光は厳しく放射し、治国別は殆ど目も眩むばかりになつて来た。竜公も稍身体の各部に苦悶を兆して来た。五三公は依然として被面布も被らず此処迄進んで来たのである。 五三『皆さま、大変に御疲労の様ですから、此処で山野の景色を眺めて、暫く休養さして頂きませうか』 治国『ハイ、さう致しませう。何だか神様の霊光にうたれて苦しくなつて参りました』 竜公『ヤア私も何となしに苦痛を感じます。ラジオシンターでもあれば、一杯飲みたいものですな』 五三公『ハヽヽヽヽ、ラジオシンターは貴方等の様な壮健な肉体の飲むものぢやありませぬ。あの薬は人体の組織を害しますからな。然しながら九死一生の病人には、とつたか、みたかですから宜いでせう。あの薬は霊国より地上に下る霊薬であつて、之を服用すれば未だ現界に生きて働くべき人間は速かに元気恢復し、又霊界に来るべき運命にある人間が服用すれば、断末魔の苦痛を逃れ、楽々と霊肉脱離の苦しみを助くるものです。さうだから、あれは霊薬と云つて霊国から下るものです』 竜公『霊体分離の時、地獄におつる精霊は虚空を掴み泡を吹き、或は暗黒色になり、非常な苦悶をするものですが、その様な精霊でも矢張り楽に霊肉脱離の難境を越えられますか』 五三公『さうです。地獄へ直接落下すべき悪霊は此霊薬の力によつて肉体より逸早く逃走するが故に、後には善霊即ち正守護神のみが残り、安々と脱離の境を渡り得るのです。霊国に於ては之を以て霊丹と云ふ薬を作ります。治国別様や貴方が、第二天国の入口に於て木花姫命よりお頂きになつた霊薬は即ちそれです。霊に充ちてゐる薬だから、霊充と云ふのです。これを地上の人間は、ラヂウムと称へて居るのですが、語源は、つまり一つですからな』 治国『ラジオシンターは止めにして、それならもう一度霊丹が頂き度いものですな』 竜公『先生、自分の苦痛を薬によつて治さうなどと云ふ想念が起りますと、神様のお道に対し所謂冷淡(霊丹)になりやしませぬか。それよりも天国は愛の熱によつて充たされてゐるのですから、大神直接の内流たる愛の熱を頂く様に願つたら如何でせう。私は最早霊丹の必要もない様に思ひますが……』 治国別『さうだな、一か八かの時に用ふる霊薬だから、さう濫用するのは勿体ない。それよりも尊い神様の愛の熱を頂く事に致しませう。あゝ惟神霊幸倍坐世』 五三公『治国別さま、如何です、もうお疲れは直りましたか』 治国別『ハイ、御神徳によつて、甦つた様です』 竜公『それ御覧、惟神霊幸倍坐世と今仰有つたでせう。其御神文の方が霊充よりも、霊丹よりも効能が顕著でせう』 治国別『ハイ、有難う厶いました』 大神は斯くの如くにして第三者の口をかり、第二者たる治国別に諸々の真理を悟させ給うたのである。 凡て人を教ふる身は、其人直接に云つては聞かないものである。人間と云ふものは自尊心や自負心が強いものであるから、直接其人間に対して教説らしき事を云へば、其人間は「ヘン其位の事はお前に聞かなくとも俺は知つてゐる。馬鹿々々しい」と、テンデ耳に入れぬものである。故に第二者に直接教説すべき所を第三者たる傍人に問答を発し、其第三者の口より談話的に話さしめて之を第二者の耳に知覚に流入せしむる方が余程効験のあるものである。故に神界に於ても時々第一者と第三者が問答をなし、是非聞かしてやらねばならぬ第二者に対して間接に教示を垂れ給ふ事が往々あるのである。今茲に大神は五三公、竜公の両人をして問答をなさしめ、治国別の心霊に耳を通して諭さしめたのである。 竜公『先生、大変な立派な日輪様がお上りになりましたな。吾々の日々拝する日輪様とは非常にお姿も大きく光も強いぢやありませぬか』 治国別『さうだなア、吾々の現界で見る日輪様は、人間の邪気がこつて中空にさまようてゐるから、其為めに御光が薄らいで居るのだらう。天国へ来ると清浄無垢だから、日輪様も立派に拝めるのだらうよ』 竜公『それでも吾々の拝む日輪様とは何だか様子が違ふぢやありませぬか。もし五三公さま、如何でせう』 五三公『天国に於ては大神様が日輪様となつて現はれ給ひます。地上の現界に於て見る太陽は所謂自然界の太陽であつて、天国の太陽に比ぶれば非常に暗いものですよ。自然界の太陽より来るものは凡て自愛と世間愛に充ち、天国の太陽より来る光は愛善の光ですから雲泥の相違がありますよ。又霊国に於ては大神様は月様とお現はれになります。大神様に変りはなけれども、天人共の愛と信と証覚の如何によつて、或は太陽と現はれ給ひ或は月と現はれ給ふのです』 竜公『やはり天国にても日輪様は東からお上りになるのでせうな』 五三公『地上の世界に於ては日輪様が上りきられた最も高い処を南と云ひ、正に之に反して地下にある所を北となし、日輪様が昼夜の平分線に上る所を東となし、其没する所を西となす事は貴方等の御存じの通りです。斯くの如く現界に於ては一切の方位を南から定めますけれども、高天原に於ては大神様が日輪様と現はれ給ふ処を東となし、之に対するを西となし、それから高天原の右の方を南となし、左の方を北とするのです。さうして天界の天人は何れの処に其顔と体躯とを転向するとも、皆日月に向つて居るのです。其日月に向うた処を東と云ふのです。故に高天原の方位は皆東より定まります。何故なれば、一切のものの生命の源泉は、日輪様たる大神様より来る故である。故に天界にては、厳の御魂、瑞の御魂をお東様と呼んでゐます』 治国『尊き厳の御魂、瑞の御魂の大神様、愚昧なる吾々を教導せむが為に、五三公、竜公の口を通し間接内流を以て吾々にお示し下さいました其御高恩を、有難く感謝致します。あゝ惟神霊幸倍坐世惟神霊幸倍坐世』 (大正一二・一・一〇旧一一・一一・二四北村隆光録)
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霊界物語 47_戌_治国別の天国巡覧1 21 跋文 第二一章跋文〔一二五四〕 その一 一、現代人は霊界一切の事物と、人間一切の事物との間に一種の相応あることを知らず、又相応の何たるを知るものがない。かかる無智の原因には種々あれども、其重なるものは『我』と世間とに執着して自ら霊界殊に天界より遠ざかれるに由るものである。何事をも差し置きて吾と世間とを愛するものは只外的感覚を喜ばし、自己の所欲を遂げしむる所の世間的事物にのみ留意して、曽てその外を顧みず、即ち内的感覚を楽まし心霊を喜ばしむる所の霊的事物に至つては彼等の関心せざる所である。彼等が之を斥くる口実に曰く、『霊的事物は余り高きに過ぎて思想の対境となる能はず』云々。されど古の人なる宣伝使や信者たりしものは、之に反して相応に関する知識を以て一切知識中の最も重要なるものとなし、之に由りて智慧と証覚を得たものである。故に三五教の信者は何れも天界との交通の途を開きて相応の理を知得し、天人の知識を得たものである。即ち天的人間であつた太古の人民は相応の理に基いて思索する事尚天人の如くであつた。之故に古の人は天人と相語るを得たり、又屡主神をも相見るを得て、其教を直接に受けたものも沢山にある。三五教の宣伝使なぞは主の神の直接の教を受けてその心魂を研き、之を天下に宣伝したる次第は此霊界物語を見るも明白である。現代の宣伝使に至つては此知識全く絶滅し、相応の理の何たるかを知るものは宗教各団体を通じて一人も無いと謂つても可い位である。相応の何たるかを知らずしては、霊界に就いて明白なる知識を有するを得ない。斯く霊界の事物に無智なる人間は、又霊界より自然界にする内流の何物たるを知る事は出来ない。又霊的事物の自然的事物に対する関係をすら知る事が出来ない。又霊魂と称する人間の心霊が其身体に及ぼす所の活動や、死後に於ける人間の情態に関して毫も明白なる思想を有する事能はず、故に今何をか相応と云ひ、如何なるものを相応と為すかを説く必要があると思ふ。 抑全自然界は之を総体の上から見ても、分体の上から見ても、悉く霊界と相応がある。故に何事たりとも自然界にあつて其存在の源泉を霊界に取るものは之を名づけて、其相応者と云ふのである。そして自然界の存在し永続する所以は霊界によること、猶結果が有力因によりて存するが如きを知るべきである。自然界とは太陽の下にありて之より熱と光とを受くる一切の事物を謂ふものなるが故に、之に由りて存在を継続するものは、一として自然界に属せないものはない。されど霊界とは天界のことであり、霊界に属するものは、皆天界にあるものである。人間は一小天界にして又一小世界である。而して共に其至大なるものの形式を模して成るが故に、人間の中に自然界もあり霊界もあるのである。その心性に属して、智と意とに関する内分は霊界を作り、その肉体に属して感覚と動作とに関する外分は自然界を作すのである。故に自然界に在るもの即ち彼の肉体及びその感覚と動作とに属するものにして、その存在の源泉を彼が霊界に有する時は、即ち彼が心性及び其智力と意力とより起り来る時は、之を名づけて相応者と謂ふのである。三五教の宣伝使にして以上相応の真理を知悉せざりしものは只の一人も無かつたのは、実に主の神の神格を充分に認識し得た為であります。願はくは此物語に心を潜めて神の大御心のある所を会得し且つ相応の真理を覚り、現界に於ては万民を善道に救ひ、死後は必ず天界に上り天人の班に相伍して神業に参加せられむことを希望いたします。 その二 一、主神の国土は目的の国土である。目的とは用そのものである。故に主神の国土を称して用の国土と云うても可なる訳である。用これ目的である。故に主神は神格の始めに宇宙を創造し、形成し給ふや、初めは天界において為し給ひ、次は世界に於て到る処、動作の上即ち結果の上に用を発揮せむとし給うた。種々の度を経、次第を逐うて自然界の終局点に迄も至らなければ已まない。故に自然界事物と霊界事物即ち世間と天界の相応は用に由つて成就することを知り得るのである。この両者を和合せしむるものは即ち用である。そして此用を中に収むる所のものは形体である。此形体を相応となす即ち和合の媒介である。されど其形態にして没交渉なる時は此の如きことなきを知るべしである。自然界にありてその三重の国土中順序に従つて存在するものは、すべて用を収めたる形態である。即ち用のため用に由つて作られたる結果である。故に斯の如き自然界中の諸物は皆相応者である。されど人間にあつては神の法則に従つて生活する限り、即ち主神に対して愛、隣人に対して仁ある限り、かれの行動は用の形態に現はれたものである。これ天界と和合する所の相応である。主神と隣人を愛するといふのは要するに用を遂ぐることである。人間なるものは自然界をして霊界に和合せしむる方便即ち和合の媒介者なることである。蓋し人間には自然界と霊界と二つのものは具はつて居るものである。人間はその霊的なることに於て和合の媒介者となるけれども、若し然らずして自然的となれば此の事あるを得ないのである。さはいへ神格の内流は人間の媒介を経ずとも、絶えず世間に流れ入り、また人間内の世間的事物にも流れ入るものである。但しその理性的には入らぬものである。 凡て神の法則に従ふものは悉く天界に相応すれども、之と反するものは皆地獄と相応するものである。天界に相応するものは皆善と真とに関係があるが、地獄と相応するものは偽りと罪悪に交渉せないものは無いのである。 霊界は諸々の相応に由つて自然界と和合するが故に、人は諸々の相応によつて天界と交通することを得るものである。在天の天人は人間の如く自然的事物によつて思索せない。人間にして、もし諸相応の知識に住する時は、その心の上にある思想より見て、天人と相伍するものとなすべく、かくして其霊的、内的人格に於て天人と和合せるものである。 地上に於ける最太古の人間は即ち天的人間であつて、相応そのものに由つて思索し彼等の眼前に横たはれる世間の自然的事物は、彼等天的人間が思索をなす所の方便に過ぎなかつたのである。太古の人間は天人と互に相交はり相語り、天界と世間との和合は彼等を通して成就したのである。これの時代を黄金時代と謂ふのである。次に天界の住民は地上の人間と共に居り人間と交はること朋侶の如くであつた。されど最早此時代の人間は相応そのものより思索せずして、相応の知識よりせるに由つて、尚天と人との和合はあつたけれども、以前の様には親密でなかつた。この時代を白銀時代と曰ふ。又この白銀時代を継いだものは相応は知らぬにはあらざれども、其思索は相応の知識に由らなかつた。故に彼等がをる所の善徳なるものは自然的のものであつて、前時代の人の如く霊的たることを得なかつた。これを赤銅時代と曰つたのである。この時代以後は人間は次第々々に外的となり、遂に肉体的となり了へ、従つて相応の知識なるもの全く地に墜ちて天界の知識悉く亡び、霊界に関する数多の事項も追々と会得し難くなつたのである。又黄金は相応に由つて天国の善を表はし、最太古の人の居りし境遇である。又白銀は霊国の善を表はし中古の人の居りし境遇であつた。赤銅は自然界の善を表はし古の人の居りし境遇である。更に下つて、黒鉄時代を現出した。黒鉄なるものは冷酷なる真を表はし、善はこれに居らない時代である。之を思ふに現今の時代は全く黒鉄時代を過ぎて泥土世界と堕落し、善も真も其影を没して了つた暗黒無明の地獄である。国祖の神は斯の如き惨澹たる世界をして松の代、三五の代、天国の代に復活せしめむとして不断的愛善と信真の為に御活動を遊ばし給ひつつあることを思へば、吾々は安閑としてこの現代を看過することは出来ないのである。天下国家を憂ふるの士は、一日も早く神の教に眼を醒まし、善の為に善を励み、真の為に真を光して、空前絶後の大神業に参加されむことを希望する次第であります。 あゝ惟神霊幸倍坐世 (因に爰に主神とあるは、太元神を指したのであります) (大正一二・一・一〇旧一一・一一・二四加藤明子録)
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霊界物語 48_亥_治国別の天国巡覧2 01 聖言 第一章聖言〔一二五五〕 宇宙には霊界と現界との二つの区界がある。而して霊界には又高天原と根底の国との両方面があり、此両方面の中間に介在する一つの界があつて、これを中有界又は精霊界と云ふのである。又現界一名自然界には昼夜の区別があり寒暑の区別があるのは、恰も霊界に天界と地獄界とあるに比すべきものである。人間は霊界の直接又は間接内流を受け、自然界の物質即ち剛柔流の三大元質によつて、肉体なるものを造られ、此肉体を宿として、精霊之に宿るものである。其精霊は即ち人間自身なのである。要するに人間の躯殻は精霊の居宅に過ぎないのである。此原理を霊主体従といふのである。霊なるものは神の神格なる愛の善と信の真より形成されたる一個体である。而して人間には一方に愛信の想念あると共に、一方には身体を発育し現実界に生き働くべき体欲がある。此体欲は所謂愛より来るのである。併し体に対する愛は之を自愛といふ。神より直接に来る所の愛は之を神愛といひ、神を愛し万物を愛する、所謂普遍愛である。又自愛は自己を愛し、自己に必要なる社会的利益を愛するものであつて、之を自利心といふのである。人間は肉体のある限り、自愛も又必要欠くべからざるものであると共に、人は其本源に遡り、どこ迄も真の神愛に帰正しなくてはならぬのである。要するに人間は霊界より見れば即ち精霊であつて、此精霊なるものは善悪両方面を抱持してゐる。故に人間は霊的動物なると共に又体的動物である。精霊は或は向上して天人となり、或は堕落して地獄の邪鬼となる、善悪正邪の分水嶺に立つてゐるものである。而して大抵の人間は神界より見れば、人間の肉体を宿として精霊界に彷徨してゐるものである。而して精霊の善なるものを正守護神といひ、悪なるものを副守護神と云ふ。正守護神は神格の直接内流を受け、人身を機関として天国の目的即ち御用に奉仕すべく神より造られたもので、此正守護神は副守護神なる悪霊に犯されず、よく之を統制し得るに至れば、一躍して本守護神となり天人の列に加はるものである。又悪霊即ち副守護神に圧倒され、彼が頤使に甘んずる如き卑怯なる精霊となる時は、精霊自らも地獄界へ共々におとされて了ふのである。此時は殆ど善の精霊は悪霊に併合され、副守護神のみ我物顔に跋扈跳梁するに至るものである。そして此悪霊は自然界に於ける自愛の最も強きもの即ち外部より入り来る諸々の悪と虚偽に依つて、形作られるものである。かくの如き悪霊に心身を占領された者を称して、体主霊従の人間といふのである。又善霊も悪霊も皆之を一括して精霊といふ。現代の人間は百人が殆ど百人迄、本守護神たる天人の情態なく、何れも精霊界に籍をおき、そして精霊界の中でも外分のみ開けてゐる、地獄界に籍をおく者、大多数を占めてゐるのである。又今日のすべての学者は宇宙の一切を解釈せむとして非常に頭脳をなやませ、研究に研究を重ねてゐるが、彼等は霊的事物の何物たるを知らず、又霊界の存在をも覚知せない癲狂痴呆的態度を以て、宇宙の真相を究めむとしてゐる。之を称して体主霊従的研究といふ。甚だしきは体主体従的研究に堕して居るものが多い。何れも『大本神諭』にある通り、暗がりの世、夜の守護の副守護神ばかりである。途中の鼻高と書いてあるのは、所謂天国地獄の中途にある精霊界に迷うてゐる盲共のことである。 すべて宇宙には霊界、現界の区別ある以上は、到底一方のみにて其真相を知ることは出来ない。自然界の理法に基く所謂科学的知識を以て、無限絶体無始無終、不可知不可測の霊界の真相を探らむとするは、実に迂愚癲狂も甚しといはねばならぬ。先づ現代の学者はその頭脳の改造をなし、霊的事物の存在を少しなりとも認め、神の直接内流に依つて真の善を知り、真の真を覚るべき糸口を捕捉せなくては、黄河百年の河清をまつやうなものである。今日の如き学者の態度にては、仮令幾百万年努力するとも、到底其目的は達することを得ないのである。夏の虫が冬の雪を信ぜない如く、今日の学者は其智暗く其識浅く、且驕慢にして自尊心強く、何事も自己の知識を以て、宇宙一切の解決がつくやうに、否殆どついたものの様に思つてゐるから、実にお目出度いといはねばならぬのである。天体の運行や大地の自転運動や、月の循行、寒熱の原理等に就いても、未だ一として其真を得たものは見当らない。徹頭徹尾、矛盾と撞着と、昏迷惑乱とに充たされ、暗黒無明の域に彷徨し、太陽の光明に反き、僅かに陰府の鬼火の影を認めて、大発明でもしたやうに騒ぎまはつてゐるその浅ましさ、少しでも証覚の開けたものの目より見る時は、実に妖怪変化の夜行する如き状態である。現実界の尺度はすべて計算的知識によつて其或程度までは考察し得られるであらう。併し何程数学の大博士と雖も、其究極する所は、到底割り切れないのである。例へば十を三分し、順を追うて、追々細分し行く時は、其究極する所は、ヤハリ細微なる一といふものが残る。此一は何程鯱矛立になつて研究しても到底能はざる所である。自然界にあつて自然的事物即ち科学的研究をどこ迄進めても、解決がつかないやうな愚鈍な暗冥な知識を以て、焉んぞ霊界の消息門内に一歩たりとも踏み入ることが出来ようか。口述者が霊界より大神の愛善と信真より成れる神格の直接内流や其他諸天使の間接内流に仍つて、暗迷愚昧なる現界人に対し、霊界の消息を洩らすのは、何だか豚に真珠を与ふる様な心持がする。かく言へば瑞月は癲狂者或は誇大妄想狂として、一笑に附するであらう。併し乍ら自分の目より見れば、現代の学者位始末の悪い、分らずやはないと思ふ。プラス、マイナスを唯一の武器として、絣や金米糖を描き、現界の研究さへも未だ其門戸に達してゐない自称学者が、霊界のことに嘴を容れて審神者をしようとするのだから、実に滑稽である。故に此『霊界物語』も之を読む人々の智慧証覚の度合の如何によつて、其神霊の感応に応ずる程度に、幾多の差等が生ずるのは已むを得ないのである。 宇宙の真理は開闢の始めより、億兆万年の末に至るも、決して微塵の変化もないものである。併し乍ら之に相対する人間の智慧証覚の賢愚の度によつて、種々雑多に映ずるのであつて、つまり其変化は真理そのものにあらずして、人間の知識そのものにあることを知らねばならぬのである。もし現代の人間が大神の直接統治し給ふ天界の団体に籍をおき、天人の列に加はることを得たならば、現代の学者の如く無性矢鱈に頭脳を悩まし、心臓を痛め肺臓を破り、神経衰弱を来さなくても、容易に明瞭に宇宙の組織紋理が判知さるるのである。 憎まれ口はここらでお預かりとして、改めて本題に移ることとする。茲に霊界に通ずる唯一の方法として、鎮魂帰神なる神術がある。而して人間の精霊が直接大元神即ち主の神(又は大神といふ)に向つて神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神といふのである。帰神とは、我精霊の本源なる大神の御神格に帰一和合するの謂である。故に帰神は大神の直接内流を受くるに依つて、予言者として最も必要なる霊界真相の伝達者である。 次に大神の御神格に照らされ、知慧証覚を得、霊国に在つてエンゼルの地位に進んだ天人が、人間の精霊に降り来り、神界の消息を人間界に伝達するのを神懸といふ。又之を神格の間接内流とも云ふ。之も亦予言者を求めて其精霊を充たし、神界の消息を或程度まで人間界に伝達するものである。 次に、外部より人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行ふ所の邪霊がある。之を悪霊又は副守護神といふ。此情態を称して神憑といふ。 すべての偽予言者、贋救世主などは、此副守の囁きを人間の精霊自ら深く信じ、且憑霊自身も貴き神と信じ、其説き教へる所も亦神の言葉と、自ら自らを信じてゐるものである。すべてかくの如き神憑は自愛と世間愛より来る凶霊であつて、世人を迷はし且つ大神の神格を毀損すること最も甚しきものである。斯の如き神憑はすべて地獄の団体に籍をおき、現界の人間をして、其善霊を亡ぼし且肉体をも亡ぼさむことを謀るものである。近来天眼通とか千里眼とか、或は交霊術の達人とか称する者は、何れも此地獄界に籍をおける副守護神の所為である。泰西諸国に於ては今日漸く、現界以外に霊界の在ることを、霊媒を通じて稍覚り始めたやうであるが、併し此研究は余程進んだ者でも、精霊界へ一歩踏み入れた位な程度のもので、到底天国の消息は夢想だにも窺ひ得ざる所である。偶には最下層天国の一部の光明を遠方の方から眺めて、臆測を下した霊媒者も少しは現はれてゐる様である。霊界の真相を充分とは行かずとも、相当に究めた上でなくては、妄りに之を人間界に伝達するのは却て頑迷無智なる人間をして、益々疑惑の念を増さしむる様なものである。故に霊界の研究者は最も霊媒の平素の人格に就てよく研究をめぐらし、其心性を十二分に探査した上でなくては、好奇心にかられて、不真面目な研究をするやうな事では、学者自身が中有界は愚か、地獄道に陥落するに至ることは想念の情動上已むを得ない所である。 さて帰神も神懸も神憑も概括して神がかりと称へてゐるが、其間に非常の尊卑の径庭ある事を覚らねばならぬのである。大本開祖の帰神情態を口述者は前後二十年間、側に在つて伺ひ奉つたことがある。開祖は何時も神様が前額より肉体にお這入りになると云はれて、いつも前額部を右手の拇指で撫でてゐられたことがある。前額部は高天原の最高部に相応する至聖所であつて、大神の御神格の直接内流は必ず前額より始まり、遂に顔面全部に及ぶものである。而して人の前額は愛善に相応し、顔面は神格の内分一切に相応するものである。畏多くも口述者が開祖を審神者として永年間、茲に注目し、遂に大神の聖霊に充たされ給ふ地上唯一の大予言者たることを覚り得たのである。 それから又高天原には霊国、天国の二大区別があつて、霊国に住める天人は之を説明の便宜上霊的天人といひ、天国に住める天人を天的天人といふことにして説明を加へようと思ふ。乃ち霊的天人より来る内流(間接内流)は人間肉体の各方面より感じ来り、遂に其頭脳の中に流入するものである。即ち前額及び顳顬より大脳の所在全部に至る迄を集合点とする。此局部は霊国の智慧に相応するが故である。又天的天人よりの内流(間接内流)は頭中小脳の所在なる後脳といふ局部即ち耳より始まつて頸部全体にまで至る所より流入するものである、即ち此局部は証覚に相応するが故である。 以上の天人が人間と言葉を交へる時に当り、其言ふ所は斯の如くにして、人間の想念中に入り来るものである。すべて天人と語り合ふ者は、又高天原の光によつて其処にある事物を見ることを得るものである。そは其人の内分(霊覚)は此光の中に包まれてゐるからである。而して天人は此人の内分を通じて、又地上の事物を見ることを得るのである。即ち天人は人間の内分によつて、現実界を見、人間は天界の光に包まれて、天界に在るすべての事物を見ることが出来る。天界の天人は人間の内分によつて世間の事物と和合し、世間は又天界と和合するに至るものである。之を現幽一致、霊肉不二、明暗一体といふのである。 大神が予言者と物語り給ふ時は、太古即ち神代の人間に於けるが如く、其内分に流入してこれと語り給ふことはない。大神は先づおのが化相を以て精霊を充たし、此充たされた精霊を予言者の体に遣はし給ふのである。故に此精霊は大神の霊徳に充ちて其言葉を予言者に伝ふるものである。斯の如き場合は、神格の流入ではなくて伝達といふべきものである。伝達とは霊界の消息や大神の意思を現界人に対して告示する所為を云ふのである。 而して此等の言葉は大神より直接に出で来れる聖言なるを以て、一々万々確乎不易にして、神格にて充たされてゐるものである。而して其聖言の裡には何れも皆内義なるものを含んでゐる。而して天界に在る天人は此内義を知悉するには霊的及び天的意義を以てするが故に、直に其神意を了解し得れども、人間は何事も自然的、科学的意義に従つて其聖言を解釈せむとするが故に、懐疑心を増すばかりで到底満足な解決は付け得ないのである。茲に於てか大神は、天界と世界即ち現幽一致の目的を達成し、神人和合の境に立到らしめむとして、瑞霊を世に降し、直接の予言者が伝達したる聖言を詳細に解説せしめ、現界人を教へ導かむとなし給うたのである。 精霊は如何にして化相によつて大神より来る神格の充たす所となるかは、今述べた所を見て、明かに知らるるであらう。大神の御神格に充たされたる精霊は、自分が大神なることを信じ、又其所言の神格より出づることを知るのみにして、其他は一切知らない。而して其精霊は言ふべき所を言ひ尽す迄は、自分は大神であり、自分の言ふことは大神の言であると固く信じ切つてゐるけれども、一旦其使命を果すに至れば、大神は天に復り給ふが故に俄に其神格は劣り、其所言は余程明晰を欠くが故に、そこに至つて、自分はヤツパリ精霊であつたこと、又自分の所言は大神より言はしめ給うた事を知覚し、承認するに至るものである。大本開祖の如きは始めより大神の直接内流によつて、神の意思を伝へ居ること及び自分の精霊が神格に充たされて、万民の為に伝達の役を勤めてゐたことを能く承認してゐられたのである。其証拠は『大本神諭』の各所に明確に記されてある。今更ここに引用するの煩を省いておくから、開祖の『神諭』に就いて研究さるれば此間の消息は明かになることと信ずる。 開祖に直接帰神し給うたのは大元神大国治立尊様で、其精霊は、稚姫君命と国武彦命であつた。故に『神諭』の各所に……此世の先祖の大神が国武彦命と現はれて……とか又は……稚姫君の身魂と一つになりて、三千世界(現幽神三界)の一切の事を、世界の人民に知らすぞよ……と現はれてゐるのは、所謂精霊界なる国武彦命、稚姫君命の精霊を充たして、予言者の身魂即ち天界に籍をおかせられた、地上の天人なる開祖に来つて、聖言を垂れさせ給うことを覚り得るのである。 前巻にもいつた通り、天人は現界人の数百言を費さねば其意味を通ずることの出来ない言葉をも、僅かに一二言にて其意味を通達し得るものである。故に開祖即ち予言者によつて示されたる聖言は、天人には直に其意味が通ずるものなれども、中有に迷へる現界人の暗き知識や、うとき眼や、半ば塞がれる耳には容易に通じ得ない。それ故に其聖言を細かく説いて世人に諭す伝達者として、瑞の御霊の大神の神格に充たされたる精霊が、相応の理によつて変性女子の肉体に来り、其手を通じ、其口を通じて、一二言の言葉を数千言に砕き、一頁の文章を数百頁に微細に分割して、世人の耳目を通じて、其内分に流入せしめむ為に、地上の天人として、神業に参加せしめられたのである。故に開祖の『神諭』を其儘真解し得らるる者は、已に天人の団体に籍をおける精霊であり、又中有界に迷へる精霊は、瑞の御霊の詳細なる説明に依つて、間接諒解を得なくてはならぬのである。而して此詳細なる説明さへも首肯し得ず、疑念を差挟み、研究的態度に出でむとする者は、所謂暗愚無智の徒にして、学で知慧の出来た途中の鼻高、似而非学者の徒である。斯の如き人間は已に已に地獄界に籍をおいてゐる者なることは、相応の理によつて明かである、斯の如き人は容易に済度し難きものである。何故ならば、其人間の内分は全く閉塞して、上方に向つて閉ぢ、外分のみ開け、その想念は神を背にし、脚底の地獄にのみ向つてゐるからである。而して其知識はくらみ霊的聴覚は鈍り、霊的視覚は眩み、如何なる光明も如何なる音響も容易に其内分に到達せないからである。されど神は至仁至愛にましませば、斯の如き難物をも、種々に身を変じ給ひて、其地獄的精霊を救はむと、昼夜御心を悩ませ給ひつつあるのである。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・一二旧一一・一一・二六松村真澄録)
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霊界物語 48_亥_治国別の天国巡覧2 02 武乱泥 第二章武乱泥〔一二五六〕 浮木の館の陣営に於ける幕僚室には、例のアーク、タールの両人が火鉢を真中にして、茶を飲みながら、雑談に耽つてゐる。タールは切りに土瓶の茶を注ぎながら、 タール『オイ、アーク、最前から大分、天の沼矛を虐使したので、喉がかわき、口角の泡も非常に粘着性を帯びて来たぢやないか。マア茶なつと一杯やり給へ。茶は鬱を散じ、心気を養ひ、且又心魂をして安静せしむるものだからなア』 アーク『茶には色がある。色は即ち能くうつらふものだ……花の色はうつりにけりな徒に、わが身世にふる眺めせしまに……とか未来のナイスが言つたさうだ。俺は茶は嫌ひだ、それよりも少しも色なき水晶の様な清水が好きだ。其透徹振は正に自足他に求むるなき君子の坦懐、道交を表するものだ。かく一杯の水にも、神の恵のこもらせ給ふ以上は、ポートワインの美酒も、遂に及び難き道味の淡然として、掬して尚尽くるなきものがある。仁者は山を楽み、智者は水を楽むとか云つてな、吾々には水晶の水が霊相応だよ。而して山をも水をも併せ楽む此アークさまは、所謂智者仁者の典型だ』 タール『智仁兼備の聖人君子の名を盗まうとする白昼の野盗、一言天下を掩有せむとする曲漢、そこ動くな………と一刀を引抜き、切つてすつべき所なれども、今日はランチ将軍の帷幕に参ずる顕要な地位に上つた祝として忘れて遣はす』 アーク『アツハヽヽ唐変木だなア。茶の好きな人間の精神はヤツパリ滅茶苦茶だ。茶目小僧的人格者だ。そんなことでランチ将軍の帷幕に参ずるなどとは、サツパり茶目だ、否駄目だよ』 タール『吾々は殊更に山に入つて山を楽み、水に近付いて水を楽まなくても、人生の一切を客観して冷然として之に対することが出来るのだから、紅塵万丈の裡、恩愛重絆の境域尚其処に、山中の静寂と清水の道味を楽む事が出来るのだ』 アーク『随分小理窟がうまくなつたねえ』 タール『きまつた事だ。治国別さまのお仕込みだもの、今までの狂乱痴呆兼備の勇者たる乱痴将軍の教とは、天地霄壌の差があるのだからなア』 アーク『コリヤそんな大きな声で言ふと、耳へ這入るぞ、チツとたしなまないか』 タール『ナーニ何程大きな声でいつた所で、神格の内流を受けたる証覚者の聖言が耳へ通る気遣ひがあるかい。ランチ将軍の耳へ通ずる言葉は、虚偽と計略と悪欲と女色位なものだ。さういふ地獄的言葉は、何程小さい声で囁いてをつても直に聞えるものだ。要するに其内分が塞がり外分のみが開けて居るのだからなア。世間的罪悪に充ちたバラモン軍の統率者に、吾々の聖言が聞える道理はない、先づ安心し給へ。それよりも、あの蠑螈別を見よ、本当に馬鹿にしてゐよるぢやないか。如何に世間の交際は黄金多からざれば交り深からずと云つても、実に呆れたものぢやないか。今日の交際は水臭いと云ふよりも寧ろ銅臭いものだ。僅かに五千両の軍用金を献納しよつて、エキスの野郎に駕で送られ、腐つたやうな女を伴れて堂々とランチ将軍に面会を申込み、将軍も亦顔の相好を崩して、抱擁キツスはどうか知らぬが、固き握手を交換したぢやないか。俺やモウ本当に厭になつて了つた』 アーク『本当にさうだねえ。黄金万能の世の中とは能く言つたものだ。併しながら治国別様は根つからお顔が見えぬぢやないか、何うしたのだろ』 タール『俺の観察する所に依れば、何とはなしに余り目出度い御境遇に居られる様に思はれないがなア』 アーク『タール、お前もさう思ふか、俺は何だか気がかりになつて仕方がないワ。ヒヨツとしたら、あの、それ、秘密牢へでも計略を以て放り込んで了つたのぢやあるまいかな。今まで俺達が、伺つても、喧しい言葉はなかつた奥座敷を、吾々の幕僚にさへ見せない様にしてゐるのだから怪しいものだぞ。もし治国別様が危難にお遇ひなさる様な事があつたら、お前は何うする考へだ』 タール『一旦心の中に於て師匠と仰いだ以上は、死を以て之を守る考へだ。仮令治国別様の為に死んでも、敢て厭ふ所ではない。士は己れを知る者の為に死すといふからな』 アーク『ランチ将軍だつて、片彦将軍だつて、ヤツパリ吾々の主人であり師ぢやないか。師といふ段になつては、少しも変りはない筈だ。そして諺にも忠臣二君に仕へずといふ以上は、何うしても前の主人たるランチ将軍に忠義を尽さねばなろまい……ぢやないか』 タール『そりや、どちらも主人だ。併しながらランチ将軍に今迄仕へて居つたのは、彼が有する暴力と権威に恐れたが為だ。つまり言へば表面上の主従であつて、精神上から言へば仇敵も同様だ。どうして馬鹿らしい、精神的仇敵の為に貴重な生命が捨てられようか』 アーク『さうだな、俺も同感だ。併しタール、まさかの時になつたら、親の為に或は主の為に師匠の為に、死ぬこたア出来まい。俺だつてさうだ、併しながら子孫の為には死んでみせてやる、それも霊体脱離の時期が来たら……だ。アハヽヽヽ』 タール『オツホヽヽヽ、何を吐しやがるのだい。人を馬鹿にして居やがる。チツと真面目にならないか。エヽー』 アーク『此様な化物の横行する世の中に、何うして真面目に着実にして居れようかい。真面目な正直な仁義に篤い人間は、現代に於ては却て悪人と見做されるからなア。天下の為、社会の為、人の為だと、うまい標語を語つて、何奴も此奴も自己の欲望を達せむことのみを望んでゐる世の中だ。俺達はさういふ贋物は嫌ひだ。清明無垢の小児の如き、赤裸々の言葉と行ひが好きなのだ』 かかる所へ一人の従卒現はれ来り、 従卒『モシモシ、只今ランチ将軍様の御命令で厶いますが、珍客が見えましたので、御接待に来て貰ひ度いとの事で厶います。どうぞ速にお居間へお越し下さいませ』 アーク『ヨシヨシ、只今参りますと言つてくれ。併し、珍客といふのは、どこからお出でになつたのだ』 従卒『ハイ、私にはどこの方だか分りませぬが、随分綺麗な女神さまのやうな方が二人、ズンズンと奥へお通りになりました。大方其方の事で厶いませう』 アーク『ウン、ヨシ、直様参ると申上げてくれ』 従卒『ハイ』 と答へて従卒は此場を立去つた。後に二人は顔見合せ、 アーク『オイ、タール、どう思ふか、此陣屋は何だか変梃になつて来たぢやないか。蠑螈別がお民をつれてやつて来るかと思へば、又二人の美人が来たとは、益々合点が行かぬぢやないか』 タール『ウン、さうだなア、大方化物だらうよ。これ程殺風景な陣営へ、そんな美人が二人も、大胆不敵にも侵入して来るとは、何うしても解せない。併しながら将軍の命令、反く訳にも行くまい、行つたら何うだ』 アーク『無論行く積だが、併し大体の様子を考へた上でなくちや、取返しのならぬ失敗を演ずるかも知れないぞ』 タール『ナーニ刹那心だ、構ふものかい』 斯く話す所へ、酒にズブ六に酔うて、ヒヨロリヒヨロリと千鳥をふみながらやつて来たのは蠑螈別であつた。蠑螈別は狐と兎と猫との目をつき交ぜた様な妙な目付をしながら、臭い息を吹きつつ、 蠑螈別『ヤア、お歴々、何ぞ面白い話が厶るかな。一つ私にも聞かして下さい』 アーク『コレハコレハ、蠑螈別の御大将、大変な上機嫌と見えますなア、お話も承はりたいなり、又しみじみと御懇談も申上げたいのだが、只今将軍よりお呼び出しになりましたので、生憎ゆつくり話の交換も出来ませぬ。失礼ながら御免を蒙りませう』 蠑螈別『ヤア、実の所はランチ将軍様の使で来たのだ。今三五教の清照姫、初稚姫といふ頗る付のシヤンが、突然降つて来たので、両将軍の恐悦斜ならず、従卒を以て、アーク、タールの幕僚をお呼よせになつた所、今来られちや、肝腎の性念場が台なしになるといふので……蠑螈別殿、彼奴等両人は中々口の達者な理窟つぽい奴だから、そなた行つて、うまく喰ひとめて来て下され……とのお頼みだ。それ故実の所は一時ばかり暇取らせ、其間に両将軍がシツポリと要領を得ようといふ段取だ。アハヽヽヽヽ』 アーク『ヤア、そりや勿怪の幸ひだ。なア、タール、一つここで蠑螈別のローマンスでも聞かして貰はうかい』 タール『所望だ所望だ』 蠑螈別『ナニ、俺のローマンスを聞きたいといふのかアー。聞きたくば聞かしてやらう。併しながら余り口数が多いので、どの方面から糸口をたぐつたらいいか分らない。アーア、困つた註文を受けたものだ。エヘヽヽヽヽ』 アーク『モシモシ、涎がおちますよ』 蠑螈別『エヘヽヽヽヽ、イツヒツヒ』 タール『大分に嬉しかつたと見えますね。智者は対者の一言を聞いて、其生涯を知るとか云ひましてなア、このタールは蠑螈別さまの其顔面筋肉の動き方と、エヘヽヽイヒヽヽの言霊によつて、貴方の歓喜生活の生涯をほぼ悟る事を得ました』 アーク『ナヽ何を吐しよるのだ。よう囀る奴だな。貴様がそれ程分つてゐるなら、蠑螈別さまに代つて、ここで俺に聞かしたら何うだ』 タール『御本人の前で、御本人の講談は如何なる名人でも行りにくいからなア。講談師見て来た様な嘘をつき……と何程真実を語つても、頭から相場をきめられちや、折角の骨折が無駄になる。それよりも直接御本人から承はつた方が、愚昧な貴様の頭には、余程有難く感ずるだらう。』 蠑螈別『実の所は、ウーン、今伴れて来たお民といふ女、随分別嬪でせう。エヘヽ、貴方も御覧になりましたか』 アーク『一寸横顔を拝まして貰ひましたが、随分稀体の尤物らしいですなア。併しそんなお惚気話を聞かして貰ふのは、実ア、有難迷惑だ。一杯奢つて貰はなくちや約らないですからなア』 蠑螈別『真面目に聞いて貰へるなら、此ブランデーを進ぜる』 と云ひながら、懐からガラガラ言はせながら、峻烈な酒を盛つた二個の瓶を取出し、二人に一個づつ渡した。二人は話はそつちのけにして、グビリグビリと喉をならして呑み始めた。蠑螈別は一生懸命に惚気話を虚実交々相交へて喋り立てる。二人は馬耳東風と聞き流し、ブランデーに気を取られて、 (アークかタール)『アーア、よう利く酒だ、エヽー、何と甘いぢやないか』 (アークかタール)『あゝ甘い甘い、何と気分がいいなア』 と酒ばかりほめてゐる。蠑螈別は一生懸命にお民との情交関係を喋り立ててゐる。そして二人の声を耳に挟み、 蠑螈別『本当にお前の言ふ通り、ウマイものだらう。聞いても気分がいいだらう』 アークは額を切りに叩きながら、 アーク『あゝ酔うた酔うた、実に感謝の至りだ』 蠑螈別『本当に完全な恋のローマンスを聞いて、酔うただらう。頭を叩いて感心せなくちや居られまい、本当にこんな取つとき話を拝聴して、お前も嬉しかろ、感謝すると云つたねえ』 タール『エーエ、俺もモ一本欲しいものだなア、本当に気分のいいものだ。蠑螈別さま、モ一つ下さいな』 蠑螈別はうつつになり、 蠑螈別『本当に気分のいい女だらう、一目見ても恍惚として酔うたらう。併し下さいと云つても、お民ばかりはやる事は出来ないよ。それ丈は御免だ。蠑螈別の命の親だからなア』 タール『本当に百薬の長だ、命の親だ、それだから欲しいといふのだ。なア、アーク、エーエン、本当に心持がよくなつたぢやないか。こりや何うしても此儘でしまふこたア出来ない、お民さまにでもついで貰つて、二次会でもやらうかなア』 蠑螈別『お民を何うするといふのだ。酒をつがさうと云つても、お民の手は、さう易々と貴様の酒ア、つがないぞ、エヽン、此蠑螈別様一人に限つて、お酒をつぐ為に製造してある雪の様なお手々だ。身の程知らぬもキリがあるぞよツ』 と呶鳴りながら、ブランデーの空瓶で、アークの前頭部をカツンとやつた。アーク、タールの両人はヒヨロヒヨロになつた儘、蠑螈別に向つて又もやブランデーの空瓶をふり上げ、打つてかかる。されど三人が三人共キツい酒に足を取られ、彼方へヒヨロヒヨロ此方へヒヨロヒヨロとヒヨロつきまはつた途端に、三つの頭が一所に機械的に集まり、烈しき衝突を来し、パチン、ピカピカピカと目から霊光を発射し、ウンとばかり其場に倒れて了つた。此時お民は、蠑螈別の所在を尋ねて、現はれ来り、此態を見て打驚き、 お民『アレ、マア蠑螈別さま』 と云ひながら、抱起さうとする。蠑螈別は眼眩み、アークをお民と間違へ、 蠑螈別『コレお民、すまなかつた、お前の何時もの言葉を軽んじ、内証でブランデーをやつたものだから、足腰が立たぬやうになつた。こんな所を将軍さまに見られちや大変だから、どつかへ隠してくれないか。チツト酔ひが醒めるまで……』 お民は蠑螈別の顔の疵を見て、 お民『アツ』 と驚き、殆ど失心状態になつてゐたので、蠑螈別がアークをお民と間違へてる事に気がつかなかつた。タールは目まひが来て、お民の傍にリの字形になつて倒れてゐる。アークは蠑螈別が自分をお民と間違へてゐるなア……と早くも悟り、舌のまはらぬ口から女の作り声をして、 アーク『コレ、蠑螈別さま、お前さまは、本当にヒドイ人だよ、いつもいつも私にこれ丈心配かけて、それ程私が憎いの、サアもうお暇を下さい、今日限りモウ私はアカの他人ですよ。エヽ憎らしい』 といつては耳を引掻き、横面をピシヤピシヤとなぐり、鼻をつまもうとすれど、アークも余り酔ひつぶれてゐるので、手が何うしても命令を聞かず、蠑螈別の鼻をこすつたり、頬べたを撫でたり、耳を引張つてゐる。蠑螈別は余りアークの手がキツクさはらないので、ますますお民の手と信じ、 蠑螈別『アヽお民、すまなかつた、どつかへ一つ酔の醒める迄かくしてくれ』 と叫ぶ。アークは又作り声で、 アーク『サ、蠑螈別さま、次の間の押入の中へかくして上げませう。酔のさめる迄静かにお休みなさいませ』 蠑螈別『流石はお民だ、親切な女だなア。是だから蠑螈別が命迄投込むのも無理もない。お前になら仮令どんな所へ連込まれても満足だ。ゲーガラガラガラウツプー、あゝ苦しい苦しい』 アークはニタニタしながら、蠑螈別を肩にかけ、水門壺の前まで行つて、 アーク『蠑螈別さま、ここが押入だよ』 と言ふより早く、水門壺へ蠑螈別を突きおとさうとした。蠑螈別は一生懸命に腕を握つてはなさない。押した勢に二人はヒヨロヒヨロとヨロめいて、水門壺の中へドブンと一緒におち込んで了つた。此物音に驚いて、外面の見廻りをしてゐた二三の番卒は駆けより、二人を水門壺より救ひ上げ、火を焚きなどして二人の気をつけた。そして蠑螈別は依然としてお民と一緒に落込んだものと信じてゐた。アークもタールも、蠑螈別もお民も一度に正気を失つて了つたのだから、番卒共の介抱は少しも知らず、気がついたのは何れも同時であつた為に、知らぬ神に祟りなしで、アーク、蠑螈別の間に、此事に関しては少しの紛擾も起らなかつた。 茲に四人はスツカリ酔がさめ、正気になる迄一日ばかり寝た上、其翌日になつて、昼狐を追出したやうな顔をして、ランチ将軍の前にヌツクリと顔を出した。 (大正一二・一・一二旧一一・一一・二六松村真澄録)
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霊界物語 48_亥_治国別の天国巡覧2 10 天国の富 第一〇章天国の富〔一二六四〕 現界即ち自然界の万物と霊界の万物との間には、惟神の順序によりて相応なるものがある。又人間の万事と天界の万物との間に動かすべからざる理法があり、又其連結によつて相応なるものがある。そして人間は又天人の有する所を総て有すると共に、其有せざる所をも亦有するものである。人間はその内分より見て霊界に居るものであるが、それと同時に、外分より見て、人間は自然界に居るのである。人の自然的即ち外的記憶に属するものを外分と称し、想念と、これよりする想像とに関する一切の事物を云ふのである。約言すれば、人間の知識や学問等より来る悦楽及び快感の総て世間的趣味を帯ぶるもの、又肉体の感官に属する諸々の快感及び感覚、言語、動作を合せて之を人間の外分となすのである。是等の外分は何れも大神より来る神的即ち霊的内流が止まる所の終極点に於ける事物である。何故なれば、神的内流なるものは決して中途に止まるものでなく、必ずや其窮極の所まで進行するからである。この神的順序の窮極する所は所謂万物の霊長、神の生宮、天地経綸の主宰者、天人の養成所たるべき人間なのである。故に人間は総て神様の根底となり、基礎となるべき事を知るべきである。又神格の内流が通過する中間は高天原にして、其窮極する所は即ち人間に存する。故に、又この連結中に入らないものは何物も存在する事を得ないのである。故に天界と人類と和合し連結するや、両々相倚りて継続存在するものなる事を明め得るのである。故に天界を離れたる人間は鍵のなき鎖の如く、又人類を離れたる天界は基礎なき家の如くにして、双方相和合せなくてはならないものである。 斯の如き尊き人間が、其内分を神に背けて、高天原との連絡を断絶し、却て之を自然界と自己とに向けて、自己を愛し、世間を愛し、其外分のみに向ひたるにより、従つて人間は其身を退けて再び高天原の根底となり、基礎となるを得ざらしめたるによつて、大神は是非なく、茲に予言者なる媒介天人を設けて之を地上に下し、其神人をもつて天界の根底及び基礎となし、又之によつて天界と人間とを和合せしめ、地上をして天国同様の国土となさしめ給ふべく、甚深なる経綸を行はせたまうたのである。この御経綸が完成した暁を称して、松の代、ミロクの世、又は天国の世と云ふのである。そして厳の御霊、瑞の御霊の経緯の予言者の手を通じ口を通じて聖言を伝達し、完全なる天地合体の国土を完成せしめむとしたまうたのである。大本開祖の神諭に『天も地も一つに丸めて、神国の世に致すぞよ。三千世界一度に開く梅の花、須弥仙山に腰を掛け艮の金神守るぞよ。この大本は天地の大橋、世界の人民は此橋を渡りて来ねば、誠のお蔭は分らぬぞよ』と平易簡明に示されて居るのである。されど現代の人間は却てかかる平易簡明なる聖言には耳を藉さず、不可解なる難書を漁り、是を半可通的に誤解して其知識を誇らむとするのは実に浅ましいものである。 治国別は竜公と共に言霊別命の化相身なる五三公に案内され、珍彦の館を後にして中間天国の各団体を訪問する事となつた。五三公は得も云はれぬ麗しき樹木の秩序よく間隔を隔てて点綴せる、金砂銀砂の布きつめたる如き平坦路をいそいそとして進んで往く。道の両方には、天国の狭田、長田、高田、窪田が展開し、得も云はれぬ涼風にそよぐ稲葉の音はサヤサヤと心地よく耳に響いて来る。天人の男女は得も云はれぬ麗しき面貌をしながら、瑪瑙の如く透き通つた脛を現はし、水田に入つて草取をしながら勇ましき声に草取歌を歌つて居る。太陽は余り高からず頭上に輝きたれども、自然界の如く焦げつくやうな暑さもなく、実に入り心地のよい温泉に入つたやうな陽気である。さうして此天国には決して冬がない、永久に草木繁茂し、落葉樹の如きは少しも見当らない。田面は金銀色の水にて満たされ、稲葉は青く風に翻る度毎に金銀の波を打たせ、何とも筆舌の尽し難き光景である。五三公は途中に立ち止まり、二人を顧みて微笑みながら、得も云はれぬ喜びの色を湛へて、 五三公『治国別様、御覧なさいませ、天国にも矢張り農工商の事業が営まれて居ます。さうしてあの通り各人は一団となつて其業を楽しみ、歓喜の生活を送つて居ります。実に見るも愉快な光景ぢやありませぬか』 治国別『成程、実に各人己を忘れ一斉に業を楽しむ光景は、到底現界に於て夢想だも出来ない有様で厶いますな。さうして矢張彼の天人共は各自に土地を所有して居るので厶いますか』 五三公『イエイエ、土地は全部団体の公有です。地上の世界の如く大地主、自作農又は小作農などの忌はしき制度は厶いませぬ、皆一切平等に何事も御神業と喜んで額に汗をし、神様のために活動して居るのです。さうして事業に趣味が出来て、誰一人不服を称ふる者もなく、甲の心は乙の心、乙の心は甲の心、各人皆心を合せ、何事も皆御神業と信じ、あの通り愉快に立ち働いて居るのです』 治国別『さうすれば天国に於ては貧富の区別はなく、所謂社会主義的制度が行はれて居るのですか』 五三公『天国にも貧富の区別があります。同じ団体の中にも富者も貧者もあります。併しながら、貧富と事業とは別個のものです』 治国別『働きによつて其報酬を得るに非ざれば、貧富の区別がつく筈がないぢやありませぬか。同じやうに働き、同じ物を分配して生活を続ける天人に、どうして又貧富の区別がつくのでせうか』 五三公『現界に於ては、総て体主霊従が法則のやうになつて居ます。それ故優れたもの、よく働くものが多く報酬を得るのは自然界のやり方です。天国に於ては総てが神様のものであり、総ての事業は神様にさして頂くと云ふ考へを何れの天人も持つて居ります。それ故天国に於ては貧富の区別があつても、貧者は決して富者を恨みませぬ。何人も神様のお蔭によつて働かして頂くのだ、神様の御神格によつて生かして頂くのだと、日々感謝の生活を送らして頂くのですから、貧富などを天人は念頭に置きませぬ。そして、貧富は皆神様の賜ふ所で、天人が各自の努力によつて獲得したものではありませぬ。何れも現実界にある時に尽した善徳の如何によりて、天国へ来ても矢張り貧富が惟神的につくのです。貧者は富者を見て之を模範とし、善徳を積む事のみを考へて居ります。天国に於ける貧富は一厘一毛の錯誤もなく、不公平もありませぬ。其徳相応に神から授けらるるものです』 治国別『天国の富者とは、現界に於て如何なる事を致したもので厶いませうか』 五三公『天国団体の最も富めるものは、現界にある中によく神を理解し、愛のために愛をなし、善のために善をなし、真の為に真を行ひ、自利心を捨て、さうして神の国の建設の為に心を尽し身を尽し、忠実なる神の下僕となり、且又現界に於て充分に活動をし、其余財を教会の為に捧げ、神の栄と道の拡張にのみ心身を傾注したる善徳者が所謂天国の富者であります。約り現界に於て宝を天国の庫に積んで置いた人達であります。さうして中位の富者は、自分の知己や朋友の危難を救ひ、又社会公共の救済の為に財を散じ、隠徳を積んだ人間が、天国に来つて大神様より相応の財産を賜はり安楽に生活を続けて居るのです。そして天国で頂いた財産は総て神様から賜はつたものですから、地上の世界の如く自由に之を他の天人に施す事は出来ませぬ。ただ其財産を以て神様の祭典の費用に当てたり、公休日に天人の団体を吾家に招き、自費を投じて馳走を拵へ大勢と共に楽しむので厶います、それ故に天国の富者は衆人尊敬の的となつて居ります』 治国別『成程、実に平和なものですな、本当に理想的に社会が造られてありますなア』 竜公はしやしやり出で、 竜公『モシ五三公さま、もしも私が天国へ霊肉脱離の後、上る事を得ましたならば、定めて貧乏人でせうな』 五三公『アヽさうでせう、唯今直に天国の住民となられるやうな事があれば、貴方はやはり第三天国の極貧者でせう。併し再び現界に帰り、無形の宝と云ふ善の宝を十分お積みになれば、天国の宝となり、名誉と光栄の生涯を永遠に送る事が出来ませう』 竜公『それでは聖言に、貧しきものは幸なるかな、富めるものの天国に到るは針の穴を駱駝の通ふよりも難し、と云ふぢやありませぬか』 五三公『貧しきものは常に心驕らず、神の教に頼り、神の救ひを求め、尊き聖言が比較的耳に入り易う厶いますが、地上に於て何不自由なく財産のあるものは、知らず知らずに神の恩寵を忘れ、自己愛に流れ易いものですから、其財産が汚穢となり暗黒となり或は鬼となつて地獄へ落し行くものです。若しも富者にして神の為に尽し、又社会のために隠徳を積むならば、天国に上り得るの便利は貧者よりも多いかも知れませぬが、世の中はようしたもので富者の天国に来るものは、聖言に示されたる如く稀なものです。其財産を悪用して人の利益を壟断し、或は邪悪を遂行し、淫欲に耽り、身心を汚し損ひ、遂に霊的不具者となつて大抵地獄に落つるものです。仮令天国に上り得るにしても、天国に於ける極貧者です』 竜公『治国別さまが、今天国の住民となられましたら何んなものでせう、相当の富者になられませうかなア』 五三『ハヽヽヽヽ』 と笑つて答へず。 竜公『ヤア先生も怪しいぞ、矢張これから天国の宝をお積にならねばなりますまい』 五三『サア是から霊陽山の名所に御案内致しませう』 と早くも歩を起した。二人は後に従ひ、麗しき原野を縫うて、樹木点綴せる天国街道を歓喜に満たされながら進んで往く。五三公は霊陽山の麓に辿りついた。 五三公『此処が第二天国の有名なる公園地で厶います。今日は公休日で厶いませぬから、余り天人の姿も見えませぬが、これ御覧なさいませ、あの山の景色と云ひ、岩石の配置、樹木の色、花の香、到底地上の世界では見られない景色で厶いませう』 治国『ハイ、何だかぼんやりとして、私の目には入りませぬ』 五三公『被面布をお被りなさい、さうすればハツキリと分るでせう』 治国別『ハイ』 と答へて治国別は直に被面布を被つた。竜公も同じく被面布に面を包んだ。 治国『何故、吾々の目には被面布がなくては、此麗しき景色が目に入らないのでせうか』 五三公『失礼ながら、天国の智慧に疎きものは此樹木花卉が目に入らないのです。総て神の智慧に居るものの前には、各種各様の樹木花卉にて満ちたる楽園の現はれるものです。是等の樹木は最も麗しき配列をなし、枝々交叉して得も云はれぬ装ひをなし、薫香を送るものです。総て天国は想念の国土でありますから、貴方に神的智慧が満つれば、直ちに天国の花園が眼前に展開致します。園亭あり、行門あり、行径あり、行く道の美麗なる事、言語の尽す所ではありませぬ。故に神の智慧に居るものは、斯の如き楽園の中を漫歩しながら、思ひ思ひに花を摘み花鬘を作りなどして、楽しく嬉しく暮し得るものです』 治国別『成程、此楽園には被面布を透して眺めますれば、種々雑多の樹木、花卉の吾々地上に嘗て見ざるものが沢山ございますな』 五三公『是等の麗しき樹木は正しき神の知識に居るものの愛の徳如何によりて花を開き実を結ぶものです。厳の御霊の神諭にも「一度に開く梅の花、開いて散りて実を結び、スの種を養ふ」とあるでせう。開く梅の花とは、智慧と証覚とに相応する情態の謂であります。斯くなる時は、天国の園亭や楽園に実を結ぶ樹木及び花卉は神の供へ物として、又天人各自の歓喜の種として各自の徳によつて現前するものです。高天原には斯の如き楽園のある事は聞いては居りますが、唯是を実際に知る者は、唯神よりする愛善の徳に居る者及び自然界の光と其偽りとによつて自己の胸中にある所の天界の光を亡ぼさなかつた者に限つて居ります。故に高天原に対して目未だ見えざるもの、耳未だ聞えざるものは、現に其場に近づき居ると雖も、此光景を見る事も亦斯の如き麗しき音楽の声を聞く事も出来ませぬ』 治国別『種々の御教諭、いや有難う厶いました。これで吾々も大変に神様の御恵を頂き、どうやら被面布を取つてもこの花園の光景が見えるやうになつて参りました。嗚呼神様、言霊別命様の御化身なる五三公様の口を通して、天国の福音をお示し下さつた其御恵を有難く感謝致します。アヽ惟神霊幸倍坐世』 (大正一二・一・一三旧一一・一一・二七加藤明子録)
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霊界物語 48_亥_治国別の天国巡覧2 11 霊陽山 第一一章霊陽山〔一二六五〕 高天原に発生せる樹木は、仏説にある如く金、銀、瑪瑙、硨磲、瑠璃、玻璃、水晶等の七宝を以て飾られたるが如く其幹、枝、葉、花、果実に至るまで、実に美はしきこと口舌の能く尽し得る所ではない。神社や殿堂や其他の住宅に於ても、内部に入つて見れば、愛善の徳と信真の光明に相応するによつて、これ亦驚く許りの壮観であり美麗である。大神のしろしめす天国団体を組織せる天人は大抵高い所に住居を占めてゐる。其場所は自然界の地上を抜く山岳の頂上に相似して居る。又大神の霊国団体を造れる天人は、少し低い所に住居を定めて居る。恰も丘陵の様である。されど高天原の最も低き所に住居する天人は、岩石に似たる絶景の場所に住居を構へてゐる。而して之等の事物は凡て愛と信との相応の理によつて存在するものである。 大神の天国は、凡て想念の国土なるを以て、内辺の事は高き所に、外辺の事はすべて低い所に相応するものである。故に高い所を以て天国的の愛善を表明し、低い所を以て霊国的の愛善を現はし、岩石を以て信真を現はすのである。岩石なるものは万世不易の性質を有し、信真に相応するが故である。併しながら霊国の団体は低き所に在りとはいへ、矢張地上を抜く丘陵の上に設けられてある。丁度綾の聖地に於ける本宮山の如きはその好適例である。霊国は何故天国の団体よりも稍低き所に居住するかと云へば、凡て霊国の天人は信の徳を主とし、愛の徳を従として居る。所謂信主愛従の情態なるが故に、此国土の天人は智慧と証覚を研き、宇宙の真理を悟り、次で神の愛を能く其身に体し、天国の宣伝使として各団体に派遣さるるもの多きを以て、最高ならず最低ならず、殆ど中間の場所に其位置を占むる事になつてゐるのである。故に世界の大先祖たる大国常立尊は海抜二百フイート内外の綾の聖地に現はれ給ふにも拘はらず、木花咲耶姫命は海抜一万三千尺の天教山に其天国的中枢を定め給ふも、此理によるのである。併しながら木花姫命は霊国の命を受け、天国は云ふに及ばず、中有界、現実界及び地獄界まで神の愛を均霑せしむべき其聖職につかはせ給ひ、且神人和合の御役目に当らせ給ふを以て、仮令天国の団体にましますと雖も時々化相を以て精霊を充たし、或は直接化相して万民を教へ導き給ふのである。 又天人の中には団体的に生活を営まないのがある。即ち家々別々に住居を構へてゐるのは、丁度前に述べた珍彦館の如きは其例である。而して此等の天人は其団体の中心地点及大なるものに至つては高天原の中央を卜して住居を構へてゐる。何故なれば彼等は天人中に於ても、最も愛と信とによる智慧証覚の他に優れて、光明赫灼として輝き渡り、惟神的に中心人物たるが故に、大神の摂理によりて、其徳の厚きと相応の度の高きによるが故である。而して高天原は想念の世界なるが故に、其延長は善の情態を表はし、其広さは真の情態を表はし、其高さは善と真との両方面を度合の上より見て区別することを表はすものである。又霊界に於ては先に述べた通り、時間空間などの観念は少しもない、只情動の変化あるのみである。而して其想念は、時間空間を超越し、無限に其相応の度によつて延長し拡大し且高まるものである。 治国別、竜公二人が浮木の陣営に於て片彦将軍等の奸計に陥り、暗黒なる深き陥穽に墜落し、茲に人事不省となり、其間中有界及最下層の天国より最高の天国、霊国を巡覧したる期間は余程長い旅行の様であるが、現界の時間にすれば、殆ど二時間以内の間失神状態に居つたのである。されど想念の延長によりて、現界人の一ケ月以上もかかつて巡歴した様な長時間の巡覧をなしたのである。而して情動の変化が多ければ多い程、天国に於ては延長さるるものである。 治国別、竜公は言霊別命の化相神なる五三公に導かれ、天国の消息を詳細に教へられながら、霊陽山の殆ど中央まで登りつめた。此時五三公は目も呟き許りの小さき光団となつて、驀地に東を指して、空中に線光を描きながら、何処ともなく姿を隠して了つた。二人は霊陽山の頂上に立つて、四方の景色を瞰下しながら、天国の荘厳をうつつになつて褒め称へてゐた。さうして五三公の此場に姿を隠したことは少しも気がつかず、 竜公『モシ先生、此処は霊陽山とか聞きましたが、実にいい所ですなア、最早此処は最高天国ではありますまいか。四辺の樹木と云ひ、山容と云ひ、如何なる画伯の手にも到底描くことは出来ますまい。どうかして早く現界の御用を了へ、斯様な所に楽しき生涯を送りたいものですなア』 治国別『いかにも結構な所だ。現界人が美術だとか、耽美生活だとか、文化生活だとか、いろいろと騒いでゐるが、此光景に比ぶれば、其質に於て、其量に於て、其美に於て、到底比較にならないやうだ。そして何とも言へぬ吾心霊の爽快さ、ホンに斯様な結構な所があるとは、夢想だにもしえなかつた所だ。此治国別は第一天国ともいふべき斎苑の館に永らく仕へながら、未だ愛信の全からざりし為、瑞の御霊の大神のまします地上の天国が、さまで立派だとは思はなかつた。矢張如何なる荘厳麗美と雖も、心の眼開けざる時は到底駄目だ。恰も豚に真珠を与へられたやうなものだ。これを思へば吾々はあく迄も神に賦与されたる吾精霊を研き浄め、大神の神格に和合帰一せなくてはならない。アヽ実に五三公様の口を通して、かやうな至喜と至楽の境遇に吾々を導き、無限の歓喜に浴せしめ給ひしことを、有難く大神様の御前に感謝致します。アヽ惟神霊幸倍坐世』 と云ひながら拍手をうち、天津祝詞を奏上し了つて、天の数歌を歌ひ、あたりを見れば、豈計らむや、五三公の姿は眼界の届く所には其片影だにも認め得なかつた。治国別は驚いて、 治国別『ヤア竜公さま、五三公さまは何処へ行かれたのだらう、今迄月の如く輝いてゐられたあの霊姿を拝めなくなつたぢやないか』 竜公『成程、コリヤ大変だ、何う致しませう』 治国別『どうしようと云つても、仕方がない、之も神様の御試しだらうよ。四辺の光景に憧憬の余り、五三公様の御親切な案内振を念頭より取除いてゐた。凡て天国は相応と和合の国土だ。愛と信とによつて和合し、結合するものである。即ち想念によつて尊き神人と共にゐることを得たのだ。吾々が情動の変転によつて、吾心の中より五三公様を逃がして了つたのだ。アヽ惟神霊幸倍坐世』 と又もや合掌する。 竜公『成程、さうで厶いましたなア、私も余り嬉しいので、五三公様の御導きによつて未だ中有界に彷徨ふべき身が、かかる尊き天国まで導かれながら、うつかりと自分が勝手に上つて来たやうな気分になつて、無性矢鱈に天国を吾物のやうに思ひましたのが誤りで厶います。先生、何と厳の御霊の神諭にあります通り、高天原は結構な所の恐ろしい所で厶いますな。油断をすれば忽ち天国が変じて地獄となり、明は変じて暗となり、神は化して鬼となるとお示しの通り、実に戒慎すべきは心の持方で厶いますなア』 治国別『ハイ左様、吾々は最早斯うなる以上は、再び中有界へ帰り、現界へ復帰すべき道も分らない、又どこをどう歩いたらいいか、方角さへも判然せない、天国の迷児になつたやうなものだ。アヽ心の油断ほど恐ろしいものはない。只大神様にお詫をなし、救ひをお願ひするより道はなからう』 と話す折しも、足下の土をムクムクムクと土鼠のやうに膨らせながら、ポカンと頭をつき出したのは、片彦将軍であつた。二人は驚いて、無言の儘よくよく見れば、擬ふ方なき将軍は泥酔になつて、全身を山上に現はし、 片彦『ワハツハヽヽ』 と山も崩るるばかり高笑ひした。 治国『ヤア其方は河鹿峠にてお目にかかつた片彦将軍では厶らぬか』 片彦『ワハツハヽヽヽ、其方は盲宣伝使の治国別であらう。そしてマ一匹の小童武者は某が奴、暫く秘書を命じておいた竜公であらう。悪虐無道の素盞嗚尊に諛びへつらひ、大自在天大国彦命の宣伝使兼征討将軍の片彦に向つて刃向ひを致した極重悪人奴、能くもマア悪魔にたばかられ、斯様な処へ彷徨つて来よつたなア。天下一品の大馬鹿者奴、某が計略によつて、八岐大蛇や金毛九尾の悪狐を使ひ、汝を、天国とみせかけ、此処まで連れて来たのは此方の計略だ、どうだ、大自在天の神力には恐れ入つたか、アハツハヽヽヽハア、何とマア不思議さうな顔を致してをるワイ、イヒヽヽヽ、オイ竜公、其方も其方だ。主人に反いた大逆無道の痴者、どうだ、此霊陽山と見せかけたのはバラモン教の霊場、大雲山の頂辺で厶るぞ。あれ、あの声を聞け、雲霞の如き大軍を以て、当山を十重二十重に取巻きあれば、いかに抜山蓋世の智勇あるとも、到底逃るることは出来まい、治国別、返答はどうだ』 治国別は、 治国別『ハテ心得ぬ』 と云つたきり、双手を組んで暫し想念をたぐつてゐる。竜公も亦無言の儘、俯いてゐる。 片彦『アツハヽヽヽ、エツヘヽヽヽ、如何に治国別、モウ斯うなる以上は何程考へても後へは引かぬ。サアどうだ。キツパリと素盞嗚尊の悪神を棄てて、大自在天様に帰順致すか』 治国別『サアそれは……』 片彦『早く返答致せ。返答なきは不承知と申すのか。アイヤ家来の者共、治国別、竜公の両人をふん縛り、嬲り殺しに致せ』 竜公『将軍様、暫くお待ち下さいませ』 片彦『アハヽヽヽ、往生致したか。ヨシ、然らば此処に此通り黄金を以て作りたる素盞嗚尊の像がある。治国別、竜公共に命が助かりたくば、此像に向つて小便をひつかけ、其上此岩石を以て木端御塵に打砕き、大自在天様に帰順の誠を表はせ。否むに於ては、其方が身体は木端微塵、地獄に突き墜し、無限の責苦を加へるが、どうだ』 治国別は初めて顔をあげ、大口あけて高笑ひ、 治国別『アハヽヽヽ、拙者は厳の御霊、瑞の御霊の大神を信仰致す誠の宣伝使だ、仮令汝如き悪神に脅迫され、或は責め殺さるることありとも、吾心霊は万劫末代、大神に信従するのみだ。治国別はこれ以外に汝に答ふることはない、どうなりと勝手に致したがよからう』 片彦『勝手に致せと申さいでも、此方が制敗を致してくれる。併しながら竜公、其方は憎くき奴なれど、一旦某が部下となつたよしみによつて制敗は許して遣はす。其代りに治国別をこの金剛杖を以て打ちのめせ、さうすれば汝の誠が分るであらう。何うぢや、治国別を打ちのめす勇気はないか。矢張其方は二心を持つてゐるのか。返答致せツ』 と呶鳴りつけた。其声に不思議にも、あたりの山岳はガタガタガタと震動し始めた。竜公は少時双手を組み思案にくれてゐたが、忽ち威丈高になり、 竜公『コリヤ、悪神の張本片彦奴、汝は拙者の一時主人に間違ひはない。其主人に離れたるのは汝が行動天に背き、善に離れたるが故だ。仮令拙者が汝の為に一寸刻みか五分だめしに遇はされようとも、恩情深き治国別様の御身に、何うして一指をそむることが出来ようか。ここを何と心得て居る、第二天国の神聖な場所だ、大雲山などとは思ひもよらぬ、詐りを申すな。天国には虚偽と迫害と悪はない筈、其方は要するに天国の魔であらう』 と云ひながら………「厳の御霊、瑞の御霊、守り給へ幸はへ給へ」と拍手し、音吐朗々と怖めず臆せず神言を奏上し始めた。治国別も竜公と共に神言をいと落着いた調子で奏上し始めた。片彦は何時の間にやら数多の部下を集め、金棒をふり上げ、只一打に両人を粉砕せんず勢を示してゐる。治国別、竜公両人は胆力を据ゑ、声調ゆるやかに騒がず焦らず、神言を奏上し終り、「惟神霊幸倍坐世」と唱ふるや否や、今迄ここに立つてゐた片彦他一同の姿は煙の如く消え失せ、四辺に芳香薫じ、嚠喨たる音楽さへ頻りに聞え来るのであつた。 竜公『アハヽヽヽ、猪口才千万な、バラモン教を守護致す八岐大蛇奴、畏くもかかる天国迄化けて来やがつて、尊き神言に面喰ひ、屁のやうに消え散るとは、さてもさても神様の御神力は尊いものだ。アヽ有難う厶います。惟神霊幸倍坐世』 治国別『竜公さま、ここは第二天国、しかも霊陽山の頂だ。八岐大蛇の来るべき道理がない、大方これは神様の御試しだつたらう。私も一度は悪魔の襲来かと考へてみたが、よくよく思ひ直せば、かかる天国に悪魔の来るべき理由がない。若しも彼果して悪魔なりとせば、吾等は天国と思ひ、慢心して地獄に墜ちてゐたのであらう……と考へてみたが、忽ち心中の天海開けて神様の御神格の内流に浴し、矢張第二天国なることを悟り、且片彦と見えしは尊きエンゼルの、吾等が心を試させ給ふ御所為と信ずるより外に途はない、必ず必ず悪魔などと、夢にも思つてはなりませぬぞや』 竜公『仰せ御尤もで厶います。サア先生、どうでせう、これから霊陽山を下つて、又天国の団体を修業さして頂きませうか』 かくいふ所へ、忽然として現はれ給うたのは、三十恰好の美はしき容貌をもてる一柱の神人であつた。神人は治国別の側近く寄り、其手を固く握り、 神人『治国別さま、第二天国の団体は無数無辺にありますが、貴方は第二天国の試験に合格致しました。又竜公さまも其通り、余程証覚を得られたやうです。之から拙者が最奥第一の天国及び霊国を御案内致しませう。併しながら此第二天国に比ぶれば、最高天国の光明は殆ど万倍に匹敵するものです。而して其天国に住む諸天人は、善と真とより来る智慧証覚に充ち、容易に面を向くることが出来ませぬ。其団体の天人に会ふ時は忽ち眼くらみ、言句渋り、頭は痛み、胸は塞がり、四肢五体萎縮して非常な苦痛で厶いますが、貴方等両人は天国の試験に合格されましたから、其被面布を以て最奥天国の巡覧的修業をなさいませ。拙者が案内を致しませう』 と先に立ち、雲を踏み分けてのぼり行く。二人は一生懸命に神言や天津祝詞を交る交る奏上しながら、フワリフワリと雲の橋を渡つてのぼり行く。此神人は言霊別命であつた。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・一三旧一一・一一・二七松村真澄録)
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霊界物語 48_亥_治国別の天国巡覧2 12 西王母 第一二章西王母〔一二六六〕 高天原の総統神即ち大主宰神は大国常立尊である。又の御名は天之御中主大神と称へ奉り、其霊徳の完全に発揮し給ふ御状態を称して天照皇大神と称へ奉るのである。そして此大神様は厳霊と申し奉る。厳と云ふ意義は至厳至貴至尊にして過去、現在、未来に一貫し、無限絶対無始無終に坐ます神の意義である。さうして愛と信との源泉と現れます至聖至高の御神格である。さうして或時には瑞霊と現はれ現界、幽界、神界の三方面に出没して一切万有に永遠の生命を与へ歓喜悦楽を下し給ふ神様である。瑞と云ふ意義は水々しと云ふ事であつて至善至美至愛至真に坐まし且円満具足の大光明と云ふ事になる。又霊力体の三大元に関聯して守護し給ふ故に三の御魂と称へ奉り、或は現界、幽界(地獄界)、神界の三界を守り給ふが故に三の御魂とも称へ奉るのである。要するに神は宇宙に只一柱坐ますのみなれども、其御神格の情動によつて万神と化現し給ふものである。さうして厳霊は経の御霊と申し上げ神格の本体とならせ給ひ、瑞霊は実地の活動力に在しまして御神格の目的即ち用を為し給ふべく現はれ給うたのである。故に言霊学上之を豊国主尊と申し奉り又神素盞嗚尊とも称へ奉るのである。さうして厳霊は高天原の太陽と現はれ給ひ、瑞霊は高天原の月と現はれ給ふ。故にミロクの大神を月の大神と申上ぐるのである。ミロクと云ふ意味は至仁至愛の意である。さうして其仁愛と信真によつて、宇宙の改造に直接当らせ給ふ故に、弥勒と漢字に書いて弥々革むる力とあるのを見ても、此神の御神業の如何なるかを知る事を得らるるのである。善悪不二、正邪一如と云ふ如きも、自然界の法則を基礎としては到底其真相は分るものでない。善悪不二、正邪一如の言葉は自然界の人間が云ふべき資格はない、只神の大慈大悲の御目より見給ひて仰せられる言葉であつて、神は善悪正邪の区別に依つて其大愛に厚き薄きの区別なき意味を善悪不二、正邪一如と仰せらるるのである。併しながら自然界の事物に就ても亦善悪混淆し美醜互に交はつて一切の万物が成育し、一切の順序が成立つのである。故に人は霊主体従と云つて自然界に身を置くとも、凡て何事も神を先にし、愛の善と信の智を主として世に立たねばならないのである。然るに霊的事物の何たるを見る事の出来ない様になつた現代人は、如何しても不可見の霊界を徹底的に信じ得ず、稍霊的観念を有するものと雖も、要するに暗中模索の域を脱する事が出来ない。それ故に人は何うしても体を重んじ、霊を軽んじ物質的欲念に駆られ易く地獄に落ち易きものである。かかる現界の不備欠点を補はむが為に大神は自ら地に降り其神格に依つて精霊を充し、予言者に向つて地上の蒼生に天界の福音を宣伝し給ふに至つたのである。凡て人間が現実界に生れて来たのは、云はば天人の胞衣の如きものである。さうして又天人の養成器となり苗代となり又霊子の温鳥となり、天人の苗を育つる農夫ともなり得ると共に、人間は天人其ものであり又在天国の天人は人間が善徳の発達したものである。さうして天人は愛善と信真に依つて永遠の生命を保持し得るものである。故に人間は現界の生を終へ天国に復活し、現界人と相似せる生涯を永遠に送り、天国の円満をして益々円満ならしむべく活動せしむる為に、大神の目的に依つて造りなされたものである。故に高天原に於ける天国及び霊国の天人は一人として人間より来らないものはない。大神様を除く外、一個の天人たりとも天国に於て生れたものはないのである。必ず神格の内流は終極点たる人間の肉体に来り、此処に留まつて其霊性を発達せしめ、而して後天国へ復活し、茲に初めて天国各団体を構成するに至るものである。故に人は天地経綸の司宰者と云ひ、又天地の花と云ひ、神の生宮と称ふる所以である。愚昧なる古今の宗教家や伝教者は概ね此理を弁へず、天人と云へば、元より天国に在つて特別の神の恩恵に依つて天国に生れたるものの如く考へ、又地獄にある悪鬼どもは元より地獄に発生せしものの如く考へ、其地獄の邪鬼が人間の堕落したる霊魂を制御し或は苦しむるものとのみ考へてゐたのである。之は大なる誤解であつて、数多の人間を迷はす事、実に大なりと云ふべしである。茲に於て神は時機を考へ、弥勒を世に降し、全天界の一切を其腹中に胎蔵せしめ、之を地上の万民に諭し、天国の福音を完全に詳細に示させ給ふ仁慈の御代が到来したのである。されど大神は予言者の想念中に入り給ひ、其記憶を基礎として伝へ給ふが故に、日本人の肉体に降り給ふ時は即ち日本の言葉を以て現はし給ふものである。科学的頭脳に魅せられたる現代の学者又は小賢しき人間は「神は全智全能なるべきものだ。然るに何故に各国の民に分り易く、地上到る所の言語を用ひて示し給はざるや」と云つて批判を試み、神の遣はしたる予言者の言を以て怪乱狂妄と罵り、或は無学者の言とか或は不徹底の言説とか何とかケチをつけたがる盲が多いのは、神の予言者も大に迷惑を感ずる所である。 高天原と天界は至大なる一形式を備へたる一個人である。さうして高天原に構成されたる天国の各団体は之に次げる所の大なる形式を備へたる一個人の様なものである。さうして天人は又其至小なる一個人である。人間も亦天界の模型であり、小天地である事は屡述べた所である。神は此一個人なる高天原の頭脳となつて其中に住し給ひ、万有一切を統御し給ふ故に、又地獄界も統御し給ふは自然の道理である。人間も亦其形体中に天国の小団体たる諸官能を備へ種々の機関を蔵し、而して天国地獄を包含してゐるものである。 扨て高天原の如き極めて円満具足せる形式を有するものには、各分体に全般の面影があり又全般に各分体の面影がある。其理由は高天原は一個の結社の様なものであつて、其一切の所有を衆と共に相分ち、衆は又一切の其所有を結社より受領して生涯を送る故である。かくの如く天界の天人は一切の天的事物の受領者なるによつて、彼は又一個の天界の極めて小なるものとなすのである。現界の人間と雖も、其身の中に高天原の善を摂受する限り、天人の如き受領者ともなり、一個の天界ともなり、又一個の天人ともなるのである。 治国別、竜公両人は言霊別命の案内によつて第一天国の或個所に漸く着いた。此処には得も云はれぬ荘厳を極めた宮殿が立つてゐる。これは日の大神の永久に鎮まります都率天の天国紫微宮であつて、神道家の所謂日の若宮である。智慧と証覚と愛の善と信の真に充されたる数多の天人は此宮殿の前の広庭に列をなし、言霊別一行の上り来るを歓喜の情を以て迎へて居たのである。言霊別命は遥か此方より此光景を指さし、 言霊別『治国別様、あの前に金色燦然として輝いてゐるのは、エルサレムで厶ります。さうしてあの通り巨大なる石垣を以て造り固められ、数百キユーピツトの城壁を囲らしてあるのを御覧なさいませ』 治国別『ハイ、有難う厶ります、如何したものか吾々は円満の度が欠けて居りまするために、エルサレムは何処だか、石垣は何処にあるか、城壁の高さも分りませぬ。只私の目に映ずるのは赫灼たる光と天人の姿が幽かに見ゆるばかりです。さうしてエルサレムとか仰有りましたが、それは小亜細亜の土耳古にある聖地では厶りませぬか』 言霊別『エルサレムの宮とは大神様の御教を伝ふる聖場の意味であります。又高き処の意味であつて即ち最高天界の中心を云ふのです。石垣と申すのは即ち虚偽と罪悪との襲来を防ぐ為の神真其ものであります。度と申すのは性相其ものであつて、聖言に云ふ、人とは凡ての真と善徳とを悉く具有するものの謂であります。即ち人間の内分に天界を有するものを人と云ひ、天界を有せないものを人獣と云ふのです。ここには決して人なる天人はあつても現界の如き人獣は居りませぬ。然し私が今人獣と云つたのは霊的方面から云つたのです。凡て神の坐します聖場及び其御教を伝ふる聖場を指して貴の都と云ひ、或はエルサレムの宮と云ふのです』 治国別『さう致しますと、現界に於けるウブスナ山の斎苑館を始め、黄金山、霊鷲山、綾の聖地及び天教山、地教山、万寿山其他の聖地は凡て天国であり、エルサレムの宮と云ふのですか』 言霊別『さうです、実に神格によつて円満なる団体の作られたものは凡てエルサレムとも云ひ、地上に於ては地の高天原と称ふべきものです。地上の世界は要するに高天原の移写ですから、地上にある中に高天原の団体に籍をおいておかなくては、霊相応の道理順序に背いては、死後天国の生涯を送る事は出来ませぬ。サア之より最奥天国の中心点、大神の御舎に御案内致しませう』 と先に立つて歩み出した。二人は足の裏がこそばゆい様な気分に打たれ、いと恥かし気に従ひ行く。路傍に堵列せる数多の天人は『ウオーウオー』と手を拍つて叫び、愛善の意の表示をなしてゐる。二人は言霊別命の背後に従ひ、被面布を冠りながら心落ち着き、静々と日の若宮の表門を潜り入る。 言霊別命は二人を門内に待たせ置き悠々として奥深く入り給うた。二人は門内に佇み園内に繁茂せる果樹の美しきを眺めやり、舌うちしながら頭を傾け『アーア』と驚きに打たれ吐息を洩らしてゐる。暫くすると庭園の一方より目も眩むばかりの光を放ち悠々と入り来り給ふ妙齢の天女があつた。二人は思はずハツと大地に踞み敬礼を表した。此女神は西王母と云つて伊邪那美尊の御分身、坤の金神であつた。西王母と云ふも同身異名である。女神は二人の手をとりながら言霊別命の奥殿より帰り来る間、庭園を巡覧させむと桃畑に導き給うた。二人は恐る恐る手を曳かれながら芳しき桃樹の園に導かれ行く。此処には三千株の桃の樹が行儀よく繁茂してゐる。さうして前園、中園、後園と区劃され、前園には一千株の桃樹があつて美はしき花が咲き且一方には美はしき実を結んだのも尠なくはない。此前園の桃園は花も小さく又其実も小さい。さうして三千年に一度花咲き熟して、之を食ふものは最高天国の天人の列に加へらるるものである。さうして此桃の実は余程神の御心に叶つたものでなければ与へられないものである。西王母は二人に一々此桃の実の説明をしながら中園に足を踏み入れた。ここにも亦一千株の桃の樹があり、美はしき八重の花が咲き充ち又甘さうな実がなつて居る。之は六千年に一度花咲き実り、之を食ふものは天地と共に長生し、如何なる場合にも不老不死の生命を続けると云ふ美はしき果物である。西王母は又もや詳細に桃畑の因縁を説き諭し、終つて後園に足を入れ給うた。此処にも亦一千株の桃樹が行儀よく立ち並び、大いなる花が咲き匂ひ、実も非常に大きなのが枝も折れむばかりに実つてゐる。此桃の樹は九千年に一度花咲き実り、之を食ふものは天地日月と共に生命を等しうすると云ふ重宝至極な神果である。西王母は此因縁を最も詳細に治国別に諭し給うた。然し此桃の密意については容易に発表を許されない、然しながら桃は三月三日に地上に於ては花咲き、五月五日に完全に熟するものなる事は、此物語に於て示されたる所である。之によつて此桃に如何なる御経綸のあるかは略推知し得らるるであらう。西王母は一度地上に降臨して黄錦の御衣を着し、数多のエンゼルと共に之を地上の神権者に献げ給ふ時機ある事は、現在流行する謡曲によつても略推知さるるであらう。 却説、西王母は桃園の案内を終り、二人の手を引きながら元の門口に送り来り、 西王母『治国別殿、竜公殿、之にてお別れ申す』 と云ふより早く桃園内に神姿を隠し給うた。二人は其後姿を伏し拝み、王母が説明によつて神界経綸の深遠微妙なる密意を悟り、思はず合掌して感涙に咽びつつあつた。 かかる所へ紫微宮の黄金の中門を開いて現はれ来る美はしき天女、五色の光輝に充ちた羽衣を着しながら出で来る其荘厳さ、天国の天人は何れも美はしく円満の相を具備すれども、未だ嘗て斯の如き円満なる妙相を備へたる神人を見るのは二人とも天国巡覧以来初めてであつた。 因に羽衣とは決して謡曲にある如き中空を翔ける空想的のものでない。最も美はしき袖は手より数尺長く、裾は一二丈も後に垂れてゐる神衣の事である。 扨て十二人の天女は、無言の儘二人を指し招き、前に六人、後に六人、二人を守りながら黄金の中門を潜つて迎へ入れるのであつた。此時今まで聞いた事もない様な微妙な音楽四方より起り、芳香馥郁として薫じ、二人は吾身の何処にあるやも忘るるばかり歓喜に充されながら、微の声にて天津祝詞を奏上しつつ欣々として進み入る。 (大正一二・一・一三旧一一・一一・二七北村隆光録)
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霊界物語 48_亥_治国別の天国巡覧2 14 至愛 第一四章至愛〔一二六八〕 治国別、玉依別は最高の霊国を後にして、帰途中間霊国を横断し、最下層の天国に降つて来た。往がけは其証覚、両人共今の如くならざりし故、非常にまばゆく感じたりしが、日の若宮に於て神徳を摂受したる二人は、最早第三天国の旅行は何の苦痛もなかつた。併しながら第一、第二、第三と下降し来るにつれて、吾ながら其神力の減退する如く思はれ、また明確なる想念も甚しく劣りし如く思はるるのは、実に不思議であつた。漸くにして二人は、八衢の関所に着いた。伊吹戸主の神は数多の守衛を率ゐて二人を歓迎した。二人は館の奥の間に導かれ、茶菓の饗応を受け、霊界に関する種々の談話を交換した。 伊吹『治国別様、首尾克く最奥天国、霊国がきはめられましてお目出度う厶います。さぞ面白きお話が厶いませうねえ』 治国別『何分徳が足らないものですから、何れの天国に於ても荷が重すぎて、非常に屁古たれました。併しながら諸エンゼルの導きによつて、辛うじて最奥天国まで導かれ、其団体の一部を巡拝し、漸く此処まで帰つて参りました。併しながら不思議な事には、下層天国より順を追うて最奥天国へ上る時の苦さは譬へられませぬ。丁度三才の童子に重き黄金の棒を負はせたやうなもので、余り結構過ぎて、それに相応する神力なき為、到る所で恥を掻いて参りました』 伊吹戸主神『お下りの時はお楽で厶いましたらうなア』 治国別『ハイ、帰りは帰りで又苦しう厶いました。何だかダンダンと神徳が脱ける様で厶いましたよ』 伊吹戸主神『すべて霊界は想念の世界で厶います、それ故情動の変移によつて、国土相応の証覚に住するのですから、先づそれで順序をお踏みになつたのです。高天原の規則は大変厳格なもので、互に其範囲を犯す事は出来ない様になつて居ります。最高天国、中間天国、下層天国及び三層の霊国は、厳粛な区別を立てられ、各天界の諸天人は互に往来する事さへも出来ないのです。下層天国の天人は中間天国へ上る事は出来ず、又上天国の者は以下の天国に下る事も出来ないのが規則です。もしも下の天国より上の天国に上り行く天人があれば必ず痛く其心を悩ませ、苦み悶え、自分の身辺に在る物さへ見えない様に、眼が眩むものです。ましてや上天国の天人と言語を交ゆる事などは到底出来ませぬ。又上天国から下天国へ下り来る天人は忽ち其証覚を失ひますから、言語を交へむとすれば、弁舌渋りて重く、其意気は全く沮喪するものです。故に下層天国の天人が中間天国に至るとも、亦中間天国の天人が最奥天国に至るとも、決して其身に対して幸福を味はふ事は出来ませぬ。吾居住の天国以上の天人は、其光明輝き、其威勢に打たるるが故に、目もくらみ、只一人の天人をも見る事が出来ませぬ。つまり内分なるもの、上天国天人の如く開けないが為であります。故に目の視覚力も明かならず、心中に非常な苦痛を覚え、自分の生命の有無さへも覚えない様な苦しみに遇ふものです。併しながら貴方等は大神様の特別のお許しを受け、媒介天人即ち霊国の宣伝使に伴はれて、お上りになりましたから、各段及び各団体に交通の道が開かれ、其為巡覧が首尾よく出来たのです。而して大神様は上天と下天の連絡を通じ給ふに、二種の内流によつて之を成就し給ふのです。而して二種の内流とは、一は直接内流、一は間接内流であります』 玉依『直接内流、間接内流とは如何なる方法を言ふので厶いますか』 伊吹戸主神『大神様は上中下三段の天界をして、打つて一丸となし、一切の事物をして、其元始より終局点に至るまで悉く連絡あらしめ、一物と雖も洩らさせ給ふ事はありませぬ。而して直接内流とは大神様から直に天界全般に御神格の流入するものであり、間接内流とは各天界と天界との間に、神格の流れ通ずるのを言ふのです』 治国『如何にも、それにて一切の疑問が氷解致しました。私は之よりお暇を申し、現界へ帰らねばなりませぬ。併しながらどちらへ帰つてよいか、サツパリ分らなくなりました。最高天国から下るに就いて、折角戴いた吾証覚が鈍り、今では元の杢阿弥、サツパリ現界の方角さへも見えなくなつて了ひました。之でも現界へ帰りましたら、神様に賜はつた神力が依然として保たれるでせうか』 伊吹戸主神『現界に於て最奥天国に於けるが如き智慧証覚は必要がありませぬ。只必要なるは愛と信のみです。其故は最高天国の天人の証覚は第二天国人の知覚に入らず、第二天国人の証覚は第三天国人の能く受け入るる所とならない様に、中有界なる現界に於て、余り最高至上の真理を説いた所で有害無益ですから、只貴方が大神様に授かりなさつた其神徳を、腹の中に納めておけば可いのです。大神様でさへも地上に降り、世界の万民を導かむとなし給ふ時は、或精霊に其神格を充し、化相の法によつて予言者に現はれ、予言者を通じて現界に伝へ給ふのであります。それ故神様は和光同塵の相を現じ、人見て法説け、郷に入つては郷に従へとの、国土相応の活動を遊ばすのです。貴方が今最高天国より、段々お下りになるにつけ、証覚が衰へたやうに感じられたのは、之は自然の摂理です。之から現界へ出て、訳の分らぬ人間へ最高天国の消息をお伝へになつた所で、恰も猫に小判を与ふると同様です。先づ貴方が現界へ御帰りになれば、中有界の消息を程度として万民を導きなさるが宜しい。其中に於て少しく身魂の研けた人間に対しては、第三天国の門口位の程度でお諭しになるが宜しい。それ以上御説きになれば、却て人を慢心させ害毒を流すやうなものです。人三化七の社会の人民に対して、余り高遠なる道理を聞かすのは、却て疑惑の種を蒔き、遂には霊界の存在を否認する様な不心得者が現はれるものです。故に現界に於て数多の学者共が首を集め頭を悩ませ、霊界の消息を探らむとして霊的研究会などを設立して居りますが、之も霊相応の道理により、中有界の一部分より外は一歩も踏み入るる事を霊界に於て許してありませぬ。それ故貴方は現界へ帰り学者にお会ひになつた時は、其説をよく聴き取り、対者の証覚の程度の上をホンの針の先程説けば可いのです。それ以上お説きになれば彼等は忽ち吾癲狂痴呆たるを忘れ、却て高遠なる真理を反対的に癲狂者の言となし、痴呆の語となし、精神病者扱をするのみで少しも受入れませぬ。故に現界の博士、学士連には、霊相応の理によつて肉体のある野天狗や狐狸、蛇などの動物霊に関する現象を説示し、卓子傾斜運動、空中拍手音、自動書記、幽霊写真、空中浮上り、物品引寄せ、超物質化、天眼通、天言通、精神印象鑑識、読心術、霊的療法等の地獄界及び精霊界の劣等なる霊的現象を示し、霊界の何ものたるをお説きになれば、それが現代人に対する身魂相応です。それでも神界と連絡の切れた人獣合一的人間は非常に頭を悩ませ、学界の大問題として騒ぎ立てますよ。アツハヽヽヽ』 玉依『モウシ、伊吹戸主神様、私は日の若宮に於て、王母様より玉依別といふ名を賜はりましたが、これは最高天国で名乗る名で厶いませうか、現界に於ても用ひて差支ありますまいか』 伊吹戸主神『現界へお帰りになれば、現界の法則があります。貴方は治国別様の徒弟たる以上は、現界へ帰ればヤハリ竜公さまでお働きなされ。治国別様がお許しになれば、如何なる名をおつけになつても宜しいが、貴方が現界の業務を了へ、霊界へ来られた時始めて名乗る称号です。霊界で賜はつた事は霊界にのみ用ふるものです。併しマア復活後は、結構な玉依別様と云ふ称号が既に既に頂けたのですから、お目出度う厶います。決して霊界の称号を用ひてはなりませぬぞや』 玉依別『ハイ、畏まりました、然らば只今より竜公と呼んで下さいませ』 伊吹戸主神『モウ暫く玉依別さまと申上げねばなりませぬ』 玉依別『アーア、玉依別さまもモウ少時の間かなア、折角最高天国まで上つて、結構な神力を頂いたが、現界へ帰れば又元の杢阿弥かなア。お蔭をサツパリ落して帰るのかと思へば、何だか心細くなりました』 伊吹戸主神『決してさうではありませぬ。貴方の精霊が頂いた神徳は、火にも焼けず、水にも溺れず、人も盗みませぬ。三五教の神諭にも……御魂に貰うた神徳は、何者も盗む事は能う致さぬぞよ……と現はれてありませう。貴方の天国に於て戴かれた神徳は、潜在意識となつて否潜在神格となつて、どこ迄も廃りませぬ。此神徳を内包しあれば、マサカの時にはそれ相当の神徳が現はれます。併しながら油断をしたり慢心をなさると、其神徳は何時の間にやら脱出し元の神の御手に帰りますから、御注意なさるが宜しい。而して仮りにも現界の人間に対し、最奥天国の神秘を洩らしてはなりませぬぞ。却て神の御神格を冒涜するやうになります。霊界の秘密は妄りに語るものではありませぬ。愚昧なる人間に向つて分不相応なる教を説くは、所謂豚に真珠を与ふるやうなものです。忽ち貴重なる真珠をかみ砕かれ、一旦其汚穢なる腹中を潜り、糞尿の中へおとされて了ふやうなものですよ』 玉依別『治国別さま、駄目ですよ、私は天国の消息を実見さして戴き、之から現界へ帰つて、先生と共に現界に於ける霊感者の双璧となり、大に敏腕を揮つてみようと、今の今まで楽しんで居りましたが、最早伊吹戸主様のお説を聞いてガツカリ致しました。さうするとヤツパリ身魂の因縁だけの事より出来ぬのですかなア。宝の持腐れになるやうな気がして聊か惜しう厶いますワ』 治国別『アツハヽヽヽヽ』 伊吹戸主神『私は伊邪那岐尊の御禊によつて生れました四人の兄弟です。されど其身魂の因縁性来によつて祓戸の神となり、最高天国より此八衢に下り、斯様なつまらぬ役を勤めて居りますが、之も神様の御心の儘によりならないのですから、喜んで日々此役目を感謝し忠実に勤めて居るのです。まだまだ私所か妹の瀬織津姫、速佐須良姫、速秋津姫などは実にみじめな役を勤めて居ります。言はば霊界の掃除番です。蛆のわいた塵芥や痰唾や膿、糞小便など所在汚き物を取除き浄める職掌ですから、貴方の神聖なる宣伝使の職掌に比ぶれば、実に吾々兄弟は日の大神の貴の子でありながら、つまらぬ役をさして頂いて居ります。併し之は決して吾々兄弟が此役目を不足だと思つて申したのではありませぬ、貴方等の御心得の為一例を挙げたまでで厶います』 玉依『ハイ、大神様の御仁慈、実に感じ入りました』 と感涙にむせぶ。治国別は憮然として、 治国別『アヽ実に大神様の御恵、感謝に堪へませぬ。厳の御霊の神諭にも……我子にはつまらぬ御用がさしてあるぞよ。人の子には傷はつけられぬから……とお示しになつてゐますが、実に大神様の御心は測り知られぬ有難きもので厶いますなア』 と云つたきり、吐息を洩らして差俯いてゐる。 伊吹戸主神『私ばかりぢやありませぬ、月照彦神様、弘子彦神様、少彦名神様、純世姫様、真澄姫様、竜世姫様、其他結構な神々様は皆、厳の御霊や瑞の御霊の大神の直々の御子でありながら、何れも他の神々の忌み嫌ふ地底の国へお廻りになつて、辛い御守護をしてゐられます。之を思へば貴方等は実に結構なものですよ。厳の御霊の御神諭にも……人民位結構な者はないぞよ……と示されてありませうがなア』 治国『成程、実に大神様の御心の程は、吾々人間の測り知る所ではありませぬ。あゝ惟神霊幸はへませ、五六七の大神様……』 と涙を滝の如く流し、神恩の甚深なるに感じ、竜公と共に合掌して其場に打伏した。伊吹戸主神は目をしばたたきながら、 伊吹戸主神『御両人様、其心で、どうぞ現界に於て神の為、道の為、世人の為に御活動を願ひます。左様ならば之にてお別れ致しませう』 と云ふより早く忙しげに奥の間に姿を隠した。二人は後姿を見送り、恭しく拝礼しながら館を立出で、赤門をくぐり、白赤の守衛に厚く礼を述べ、八衢街道を想念の向ふ所に任せて歩み出した。アヽ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・一四旧一一・一一・二八松村真澄録)