地上人が、
限りなき
程の
想念的段階をもち、
各々の
世界をつくり
出している
如く、
霊界にも
無限の
段階があり、その
各々に、
同一想念をもつ
霊人が
住んでおり、
常に
弥栄しつつある。
下級段階で
正なりとし、
善を
思い、
美を
感じ、
真なりと
信じ、
愛なりと
思う、その
想念も
上級霊界に
於ては
必ずしもそうではない。
美も
醜となり、
愛も
憎となり、
善も
真もそのままにして
善となり、
真と
現われ
得ない
場合がある。
其処に
偉大にして、はかり
知られざる
弥栄の
御神意がある。と
同時に、

-
真善-

-
真善美愛-

-
歓喜-

-
大歓喜-と
現われる
神秘なる
弥栄があり、
悪の
存在、
偽の
必然性などが
判明するのである。
故に、
下級霊人との
交流は、
地上人にとっても、
霊人にとっても、
極めて
危険極まりないものではあるが、
半面に
於ては、
極めて
尊いものとなるのである。
下級霊人自身が

-
善-なりと
信じて
行為することが、
地上人には

-
悪-と
現われることが
多いのである。
何故ならば、かかる
下級霊と
相通じ、
感応し
合う
内的波調をもつ
地上人は、それと
同一線上にある
空想家であり、
極めて
狭い
世界のカラの
中にしか
住み
得ぬ
性をもち、
他の
世界を
知らないからである。それがため、
感応してくる
下級霊の
感応を、
全面的に
信じ、
唯一絶対の
大神の
御旨なるが
如くに
独断し、
遂には、
自身自らが
神の
代行者なり、と
信ずるようになるからである。
所謂、
無き
地獄をつくり
出すからである。
地獄的下級霊の
現われには、
多くの
奇跡的なものをふくむ。
奇跡とは
大いなる
動きに
逆行する
動きの
現われであることを
知らねばならない。かかる
奇跡によりては、
霊人も
地上人も
向上し
得ない。
浄化し、
改心し
得ないものである。また、
霊人と
地上人との
交流によるのみでは
向上し
得ない。
脅迫や、
賞罰のみによっても
向上し
得ない。
総て
戒律的の
何ものによっても、
霊人も
地上人も
何等の
向上も
弥栄も
歓喜もあり
得ない。
半面、
向上の
如くに
見ゆる
面があるとも、
半面に
於て
同様の
退歩が
必然的に
起ってくる。それは
強いるが
為である。
神の
歓喜には、
強いることなく、
戒律する
何ものもあり
得ない。
戒律あるところ
必ず
影生じ、
闇を
生み
出し、カスが
残るものである。それは、
大神の
内流によって
弥栄する
世界ではなく、
影の
世界である。
中心に
座す
太神のお
言葉は、
順を
経て
霊人に
至り、
地上人に
伝えられるのであるが、それはまた
霊界の
文字となって
伝えられる。
霊界の
文字は、
主として
直線的文字と
曲線的文字の
二つから
成る。
直線的なものは、
月の
霊人が
用い、
曲線的な
文字は、
太陽の
霊人が
使用している。
但し、
高度の
霊人となれば
文字はない。ただ
文字の
元をなす

と

と

があるのみ。また
高度の
霊界人の
文字として、
殆ど
数字のみが
使用されている
場合もある。
数字は、
他の
文字に
比して
多くの
密意を
蔵しているからである。しかしこれは
不変のものではなく、
地上人に
近づくに
従って
漸次変化し、
地上人の
文字に
似てくるのである。
No.: 390