| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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101 (505) |
ひふみ神示 | 23_海の巻 | 第13帖 | 表に出て居る神々様に和合して貰ふて世の建替にかかりて下されよ、苦労なしには何事も成就せんぞ、苦を楽しめよ。此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。秘密は秘密でないぞ、火水であるぞ、明らかな光であるぞ、火水のマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったから、秘密となったのであるぞ、秘密は必ず現はれて来るぞ。あと七つの集団が出来るぞ、一には |
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102 (536) |
ひふみ神示 | 24_黄金の巻 | 第25帖 | こんなになったのも この方等が我が強過ぎたからであるぞ。我出すなと申してあろう。この度のイワト開きに使ふ身魂は、我の強い者ばかりが、めぐりだけのこと償って、償ふことぞ。天地かもう神でも我出せんことであるぞ。神々様も懺悔して御座るぞ。まして人民。てん |
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103 (997) |
霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 発端 | 発端 自分が明治三十一年旧二月九日、神使に伴なはれ丹波穴太の霊山高熊山に、一週間の霊的修業を了へてより天眼通、天耳通、自他神通、天言通、宿命通の大要を心得し、神明の教義をして今日あるに至らしめたるについては、千変万化の波瀾があり、縦横無限の曲折がある。旧役員の反抗、信者の離反、その筋の誤解、宗教家の迫害、親族、知友の総攻撃、新聞雑誌、単行本の熱罵嘲笑、実に筆紙口舌のよくするところのものでない。自分はただただ開教後廿四年間の経緯を、きわめて簡単に記憶より呼び起して、その一端を示すことにする。 竜宮館には変性男子の神系と、変性女子の神系との二大系統が、歴然として区別されてゐる。変性男子は神政出現の予言、警告を発し、千辛万苦、神示を伝達し、水をもつて身魂の洗礼を施し、救世主の再生、再臨を待つてをられた。ヨハネの初めてキリストに対面するまでには、ほとんど七年の間、野に叫びつつあつたのである。変性男子の肉宮は女体男霊にして、五十七才はじめてここに厳の御魂の神業に参加したまひ、明治二十五年の正月元旦より、同四十五年の正月元旦まで、前後満二十年間の水洗礼をもつて、現世の汚濁せる霊体両系一切に洗礼を施し、世界改造の神策を顕示したまうた。かの欧洲大戦乱のごときは、厳の御魂の神業発動の一端にして、三千世界の一大警告であつたと思ふ。 変性女子の肉宮は瑞の御魂の神業に参加奉仕し、火をもつて世界万民に洗礼を施すの神務である。明治三十一年の旧二月九日をもつて神業に参加し、大正七年二月九日をもつて前後満二十年間の霊的神業をほとんど完成した。物質万能主義、無神無霊魂説に、心酔累惑せる体主霊従の現代も、やや覚醒の域に達し、神霊の実在を認識するもの、日に月に多きを加へきたれるは、すなはち神霊の偉大なる神機発動の結果にして、決して人智人力の致すところではないと思ふ。 変性男子の肉宮は神政開祖の神業に入り、爾来二十有七年間神筆を揮ひ、もつて霊体両界の大改造を促進し、今や霊界に入りても、その神業を継続奉仕されつつあるのである。 つぎに変性女子は三十年間の神業に奉仕して、もつて五六七神政の成就を待ち、世界を善道にみちびき、もつて神明の徳沢に浴せしむるの神業である。神業奉仕以来、本年をもつて満二十三年、残る七ケ年こそ最も重大なる任務遂行の難関である。神諭に曰く、 『三十年で身魂の立替立直しをいたすぞよ』 と。変性男子の三十年の神業成就は、大正十一年の正月元旦である。変性女子の三十年の神業成就は、大正十七年二月九日である。神諭に、 『身魂の立替立直し』 とあるを、よく考へてみると、主として水洗礼の霊体両系の改造が三十年であつて、これはヨハネの奉仕すべき神業であり、体霊洗礼の霊魂的改造が前後三十年を要するといふ神示である。しかしながら三十年と神示されたのは、大要を示されたもので、決して確定的のものではない。伸縮遅速は、たうてい免れないと思ふ。要するに、神界の御方針は一定不変であつても、天地経綸の司宰たるべき奉仕者の身魂の研不研の結果によつて変更されるのは止むをえないのである。 神諭に、 『天地の元の先祖の神の心が真実に徹底了解たものが少しありたら、樹替樹直しは立派にできあがるなれど、神界の誠が解りた人民が無いから、神はいつまでも世に出ることができぬから、早く改心いたして下されよ。一人が判りたら皆の者が判つてくるなれど、肝心のものに判らぬといふのも、これには何か一つの原因が無けねばならぬぞよ。自然に気のつくまで待つてをれば、神業はだんだん遅れるばかりなり、心から発根の改心でなければ、教へてもらうてから合点する身魂では、到底この御用は務まらぬぞよ。云々』 実際の御経綸が分つてこなくては、空前絶後の大神業に完全に奉仕することはできるものではない。御神諭に身魂の樹替樹直しといふことがある。ミタマといへば、霊魂のみのことと思つてゐる人が沢山にあるらしい。身は身体、または物質界を指し、魂とは霊魂、心性、神界等を指したまうたのである。すべて宇宙は霊が本で、体が末となつてゐる。身の方面、物質的現界の改造を断行されるのは国祖大国常立神であり、精神界、神霊界の改造を断行したまふのは、豊国主神の神権である。ゆゑに宇宙一切は霊界が主であり、現界が従であるから、これを称して霊主体従といふのである。 霊主体従の身魂を霊の本の身魂といひ、体主霊従の身魂を自己愛智の身魂といふ。霊主体従の身魂は、一切天地の律法に適ひたる行動を好んで遂行せむとし、常に天下公共のために心身をささげ、犠牲的行動をもつて本懐となし、至真、至善、至美、至直の大精神を発揮する、救世の神業に奉仕する神や人の身魂である。体主霊従の身魂は私利私欲にふけり、天地の神明を畏れず、体欲を重んじ、衣食住にのみ心を煩はし、利によりて集まり、利によつて散じ、その行動は常に正鵠を欠き、利己主義を強調するのほか、一片の義務を弁へず、慈悲を知らず、心はあたかも豺狼のごとき不善の神や、人をいふのである。 天の大神は、最初に天足彦、胞場姫のふたりを造りて、人体の祖となしたまひ、霊主体従の神木に体主霊従の果実を実らせ、 『この果実を喰ふべからず』 と厳命し、その性質のいかんを試みたまうた。ふたりは体欲にかられて、つひにその厳命を犯し、神の怒りにふれた。 これより世界は体主霊従の妖気発生し、神人界に邪悪分子の萠芽を見るにいたつたのである。 かくいふ時は、人あるひは言はむ。 『神は全智全能にして智徳円満なり。なんぞ体主霊従の萌芽を刈りとり、さらに霊主体従の人体の祖を改造せざりしや。体主霊従の祖を何ゆゑに放任し、もつて邪悪の世界をつくり、みづからその処置に困むや。ここにいたりて吾人は神の存在と、神力とを疑はざるを得じ』 とは、実に巧妙にしてもつとも至極な議論である。 されど神明には、毫末の依怙なく、逆行的神業なし。一度手を降したる神業は昨日の今日たり難きがごとく、弓をはなれたる矢の中途に還りきたらざるごとく、ふたたび之を更改するは、天地自然の経緯に背反す。ゆゑに神代一代は、これを革正すること能はざるところに儼然たる神の権威をともなふのである。また一度出でたる神勅も、これを更改すべからず。神にしてしばしばその神勅を更改し給ふごときことありとせば、宇宙の秩序はここに全く紊乱し、つひには自由放漫の端を開くをもつてである。古の諺にも『武士の言葉に二言なし』といふ。いはんや、宇宙の大主宰たる、神明においてをやである。神諭にも、 『時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎豆にも花の咲く時節が参りて、世に落ちてをりた神も、世に出て働く時節が参りたぞよ。時節ほど恐いものの結構なものは無いぞよ、云々』 と示されたるがごとく、天地の神明も『時』の力のみは、いかんとも為したまふことはできないのである。 天地剖判の始めより、五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒出現の暁となり、弥勒の神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱をたて、苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示し、善を勧め、悪を懲し、至仁至愛の教を布き、至治泰平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したまふ時期に近づいてきたのである。 吾人はかかる千万億歳にわたりて、ためしもなき聖世の過渡時代に生れ出で、神業に奉仕することを得ば、何の幸か之に如かむやである。神示にいふ。 『神は万物普遍の聖霊にして、人は天地経綸の司宰なり』 と。アゝ吾人はこの時をおいて何れの代にか、天地の神業に奉仕することを得む。 アゝ言霊の幸はふ国、言霊の天照る国、言霊の生ける国、言霊の助ける国、神の造りし国、神徳の充てる国に生を稟けたる神国の人においてをや。神の恩の高く、深きに感謝し、もつて国祖の大御心に報い奉らねばならぬ次第である。 |
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104 (999) |
霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 02 業の意義 | 第二章業の意義〔二〕 霊界の業といへば世間一般に深山幽谷に入つて、出世間的難行苦行をなすこととのみ考へてをる人が多いやうである。跣足や裸になつて、山神の社に立籠り断食をなし、断湯を守り火食をやめて、神仏に祈願を凝らし、妙な動作や異行を敢てすることをもつて、徹底的修行が完了したやうに思ひ誇る人々が多い。 すべて業は行である以上は、顕幽一致、身魂一本の真理により、顕界において可急的大活動をなし、もつて天地の経綸に奉仕するのが第一の行である。たとへ一ケ月でも人界の事業を廃して山林に隠遁し怪行異業に熱中するは、すなはち一ケ月間の社会の損害であつて、いはゆる神界の怠業者もしくは罷業者である。すべて神界の業といふものは現界において生成化育、進取発展の事業につくすをもつて第一の要件とせなくてはならぬ。 大本の一部の人士のごとく、何事も『惟神かむながら』といつて難きを避け、易きに就かむとするは神界より御覧になれば、実に不都合不届至極の人間といはれてもしかたはない。少しも責任観念といふものがないのみか、尽すべき道をつくさず、かへつて神業の妨害ばかりしながら、いつも神界にたいし奉り、不足ばかりいつてゐる。これがいはゆる黄泉醜人である。神諭に、 『世界の落武者が出て来るから用心なされよ』 といふことが示されあるを考へてみるがよい。神界の業といふものは、そんな軽々しき容易なものではない。しかるに自分から山林に分入りて修行することを非難しておきながら、かんじんの御本尊は一週間も高熊山で業をしたのは、自家撞着もはなはだしいではないか……との反問も出るであらうが、しかし自分はそれまでに二十七年間の俗界での悲痛な修行を遂行した。その卒業式ともいふべきものであつて、生存中ただ一回のみ空前絶後の実修であつたのである。 世には……釈迦でさへ檀特山において数ケ年間の難行苦行をやつて、仏教を開いたではないか、それに僅か一週間ぐらゐの業で、三世を達観することを得るやうになつたとは、あまりの大言ではあるまいか……と、疑問を抱く人々もあるであらうが、釈迦は印度国浄飯王の太子と生れて、社会の荒き風波に遇うたことのない坊ンさんであつたから、数年間の種々の苦難を味はつたのである。自分はこれに反し幼少より極貧の家庭に生れて、社会のあらゆる辛酸を嘗めつくしてきたために、高熊山に登るまでに顕界の修行を了へ、また幾分かは幽界の消息にも通じてをつたからである。 |
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105 (1003) |
霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 06 八衢の光景 | 第六章八衢の光景〔六〕 ここは黄泉の八衢といふ所で米の字形の辻である。その真中に一つの霊界の政庁があつて、牛頭馬頭の恐い番卒が、猛獣の皮衣を身につけたのもあり、丸裸に猛獣の皮の褌を締めこみ、突棒や、手槍や、鋸や、斧、鉄棒に、長い火箸などを携へた奴が沢山に出てくる。自分は芙蓉仙人の案内で、ズツト奥へ通ると、その中の小頭ともいふやうな鬼面の男が、長剣を杖に突きながら出迎へた。そして芙蓉仙人に向つて、 『御遠方の所はるばる御苦労でした。今日は何の御用にて御来幽になりましたか』 と恐い顔に似合はぬ慇懃な挨拶をしてゐる。自分は意外の感にうたれて、両者の応答を聞くのみであつた。芙蓉仙人は一礼を報いながら、 『大神の命により大切なる修業者を案内申して参りました。すなはちこの精霊でありますが、今回は現、神、幽の三界的使命を帯び、第一に幽界の視察を兼ねて修業にきたのです。この精霊は丹州高倉山に古来秘めおかれました、三つ葉躑躅の霊魂です。何とぞ大王にこの旨御伝達をねがひます』 と、言葉に力をこめての依頼であつた。小頭は仙人に軽く一礼して急ぎ奥に行つた。待つことやや少時、奥には何事の起りしかと思はるるばかりの物音が聞ゆる。芙蓉仙人に、 『あの物音は何でせうか』 と尋ねてみた。仙人はただちに、 『修業者の来幽につき準備せむがためである』 と答へられた。自分は怪しみて、 『修業者とは誰ですか』 と問ふ。仙人は答へていふ、 『汝のことだ。肉体ある精霊、幽界に来るときは、いつも庁内の模様を一時変更さるる定めである。今日は別けて、神界より前もつて沙汰なかりし故に、幽庁では、狼狽の体と見える』 と仰せられた。しばらくありて静かに隔ての戸を開いて、前の小頭は先導に立ち、数名の守卒らしきものと共に出できたり、軽く二人に目礼し前後に付添うて、奥へ奥へと導きゆく。上段の間には白髪異様の老神が、机を前におき端座したまふ。何となく威厳があり且つ優しみがある。そしてきはめて美しい面貌であつた。 芙蓉仙人は少しく腰を屈めながら、その右前側に坐して何事か奏上する様子である。判神は綺羅星のごとくに中段の間に列んでゐた。老神は自分を見て美はしき慈光をたたへ笑顔を作りながら、 『修業者殿、遠方大儀である。はやく是に』 と老神の左前側に自分を着座しめられた。老神と芙蓉仙人と自分とは、三角形の陣をとつた。自分は座につき老神に向つて低頭平身敬意を表した。老神もまた同じく敬意を表して頓首したまひ、 『吾は根の国底の国の監督を天神より命ぜられ、三千有余年当庁に主たり、大王たり。今や天運循環、いよいよわが任務は一年余にして終る。余は汝とともに霊界、現界において相提携して、以て宇宙の大神業に参加せむ。しかしながら吾はすでに永年幽界を主宰したれば今さら幽界を探究するの要なし。汝は今はじめての来幽なれば、現幽両界のため、実地について研究さるるの要あり。しからざれば今後において、三界を救ふべき大慈の神人たることを得ざるべし。是非々々根の国、底の国を探究の上帰顕あれよ。汝の産土の神を招き奉らむ』 とて、天の石笛の音もさはやかに吹きたてたまへば、忽然として白衣の神姿、雲に乗りて降りたまひ、三者の前に現はれ、叮重なる態度をもつて、何事か小声に大王に詔らせたまひ、つぎに幽庁列座の神にむかひ厚く礼を述べ、つぎに芙蓉仙人に対して、氏子を御世話であつたと感謝され、最後に自分にむかつて一巻の書を授けたまひ、頭上より神息を吹きこみたまふや、自分の腹部ことに臍下丹田は、にはかに暖か味を感じ、身魂の全部に無限無量の力を与へられたやうに覚えた。 |
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106 (1004) |
霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 07 幽庁の審判 | 第七章幽庁の審判〔七〕 ここに大王の聴許をえて、自分は産土神、芙蓉仙人とともに審判廷の傍聴をなすことを得た。仰ぎ見るばかりの高座には大王出御あり、二三尺下の座には、形相すさまじき冥官らが列座してゐる。最下の審判廷には数多の者が土下座になつて畏まつてゐる。見わたせば自分につづいて大蛇の川をわたつてきた旅人も、早すでに多数の者の中に混じりこんで審判の言ひ渡しを待つてゐる。日本人ばかりかと思へば、支那人、朝鮮人、西洋人なぞも沢山にゐるのを見た。自分はある川柳に、 『唐人を入り込みにせぬ地獄の絵』 といふのがある、それを思ひだして、この光景を怪しみ、仙人に耳語してその故を尋ねた。何と思つたか、仙人は頭を左右に振つたきり、一言も答へてくれぬ。自分も強て尋ねることを控へた。 ふと大王の容貌を見ると、アツと驚いて倒れむばかりになつた。そこを産土の神と仙人とが左右から支へて下さつた。もしこのときに二柱の御介抱がなかつたら、自分は気絶したかも知れぬ。今まで温和優美にして犯すべからざる威厳を具へ、美はしき無限の笑をたたへたまひし大王の形相は、たちまち真紅と変じ、眼は非常に巨大に、口は耳のあたりまで引裂け、口内より火焔の舌を吐きたまふ。冥官また同じく形相すさまじく、面をあげて見る能はず、審判廷はにはかに物凄さを増してきた。 大王は中段に坐せる冥官の一人を手招きしたまへば、冥官かしこまりて御前に出づ。大王は冥官に一巻の書帳を授けたまへば、冥官うやうやしく押いただき元の座に帰りて、一々罪人の姓名を呼びて判決文を朗読するのである。番卒は順次に呼ばれたる罪人を引きたてて幽廷を退く。現界の裁判のごとく予審だの、控訴だの、大審院だのといふやうな設備もなければ、弁護人もなく、単に判決の言ひ渡しのみで、きはめて簡単である。自分は仙人を顧みて、 『何ゆゑに冥界の審判は斯くのごとく簡単なりや』 と尋ねた。仙人は答へて、 『人間界の裁判は常に誤判がある。人間は形の見へぬものには一切駄目である。ゆゑに幾度も慎重に審査せなくてはならぬが、冥界の審判は三世洞察自在の神の審判なれば、何ほど簡単であつても毫末も過誤はない。また罪の軽重大小は、大蛇川を渡るとき着衣の変色によりて明白に判ずるをもつて、ふたたび審判の必要は絶無なり』 と教へられた。一順言ひ渡しがすむと、大王はしづかに座を立ちて、元の御居間に帰られた。自分もまた再び大王の御前に招ぜられ、恐る恐る顔を上げると、コハそもいかに、今までの恐ろしき形相は跡形もなく変らせたまひて、また元の温和にして慈愛に富める、美はしき御面貌に返つてをられた。神諭に、 『因縁ありて、昔から鬼神と言はれた、艮の金神のそのままの御魂であるから、改心のできた、誠の人民が前へ参りたら、結構な、いふに言はれぬ、優しき神であれども、ちよつとでも、心に身欲がありたり、慢神いたしたり、思惑がありたり、神に敵対心のある人民が、傍へ出て参りたら、すぐに相好は変りて、鬼か、大蛇のやうになる恐い身魂であるぞよ』 と示されてあるのを初めて拝したときは、どうしても、今度の冥界にきたりて大王に対面したときの光景を、思ひ出さずにはをられなかつた。また教祖をはじめて拝顔したときに、その優美にして温和、かつ慈愛に富める御面貌を見て、大王の御顔を思ひ出さずにはをられなかつた。 大王は座より立つて自分の手を堅く握りながら、両眼に涙をたたへて、 『三葉殿御苦労なれど、これから冥界の修業の実行をはじめられよ。顕幽両界のメシヤたるものは、メシヤの実学を習つておかねばならぬ。湯なりと進ぜたいは山々なれど、湯も水も修行中には禁制である。さて一時も早く実習にかかられよ』 と御声さへも湿らせたまふた。ここで産土の神は大王に、 『何分よろしく御頼み申し上げます』 と仰せられたまま、後をもむかず再び高き雲に乗りて、いづれへか帰つてゆかれた。 仙人もまた大王に黙礼して、自分には何も言はず早々に退座せられた。跡に取りのこされた自分は少しく狼狽の体であつた。大王の御面相は、俄然一変してその眼は鏡のごとく光り輝き、口は耳まで裂け、ふたたび面を向けることができぬほどの恐ろしさ。そこへ先ほどの冥官が番卒を引連れ来たり、たちまち自分の白衣を脱がせ、灰色の衣服に着替させ、第一の門から突き出してしまつた。 突き出されて四辺を見れば、一筋の汚い細い道路に枯草が塞がり、その枯草が皆氷の針のやうになつてゐる。後へも帰れず、進むこともできず、横へゆかうと思へば、深い広い溝が掘つてあり、その溝の中には、恐ろしい厭らしい虫が充満してゐる。自分は進みかね、思案にくれてゐると、空には真黒な怪しい雲が現はれ、雲の間から恐ろしい鬼のやうな物が睨みつめてゐる。後からは恐い顔した柿色の法被を着た冥卒が、穂先の十字形をなした鋭利な槍をもつて突き刺さうとする。止むをえず逃げるやうにして進みゆく。 四五丁ばかり往つた処に、橋のない深い広い川がある。何心なく覗いてみると、何人とも見分けはつかぬが、汚い血とも膿ともわからぬ水に落ちて、身体中を蛭が集つて空身の無い所まで血を吸うてゐる。旅人は苦さうな悲しさうな声でヒシつてゐる。自分もこの溝を越えねばならぬが、翼なき身は如何にして此の広い深い溝が飛び越えられやうか。後からは赤い顔した番卒が、鬼の相好に化つて鋭利の槍をもつて突刺さうとして追ひかけてくる。進退これきはまつて、泣くにも泣けず煩悶してをつた。にはかに思ひ出したのは、先ほど産土の神から授かつた一巻の書である。懐中より取出し押しいただき披いて見ると、畏くも『天照大神、惟神霊幸倍坐世』と筆蹟、墨色ともに、美はしく鮮かに認めてある。自分は思はず知らず『天照大神、惟神霊幸倍坐世』と唱へたとたんに、身は溝の向ふへ渡つてをつた。 番卒はスゴスゴと元の途へ帰つてゆく。まづ一安心して歩を進めると、にはかに寒気酷烈になり、手足が凍えてどうすることも出来ぬ。かかるところへ現はれたのは黄金色の光であつた。ハツと思つて自分が驚いて見てゐるまに、光の玉が脚下二三尺の所に、忽然として降つてきた。 |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 12 顕幽一致 | 第一二章顕幽一致〔一二〕 自分が高熊山中における、顕界と、霊界の修業の間に、親しく実践したる大略の一端を略述してみたのは、真の一小部分に過ぎない。 すべて宇宙の一切は、顕幽一致、善悪一如にして、絶対の善もなければ、絶対の悪もない。従つてまた、絶対の極楽もなければ、絶対の苦艱もないといつて良いくらゐだ。歓楽の内に艱苦があり、艱苦の内に歓楽のあるものだ。ゆゑに根の国、底の国に墜ちて、無限の苦悩を受けるのは、要するに、自己の身魂より産出したる報いである。また顕界の者の霊魂が、常に霊界に通じ、霊界からは、常に顕界と交通を保ち、幾百千万年といへども易ることはない。神諭に、……天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する。故に世の中には悲観を離れた楽観はなく、罪悪と別立したる真善美もない。苦痛を除いては、真の快楽を求められるものでない。また凡夫の他に神はない。言を換ていへば善悪不二にして正邪一如である。……仏典にいふ。「煩悩即菩提。生死即涅槃。娑婆即浄土。仏凡本来不二」である。神の道からいへば「神俗本来不二」が真理である。 仏の大慈悲といふも、神の道の恵み幸はひといふも、凡夫の欲望といふのも、その本質においては大した変りはない。凡俗の持てる性質そのままが神であるといつてよい。神の持つてをらるる性質の全体が、皆ことごとく凡俗に備はつてをるといつてもよい。 天国浄土と社会娑婆とは、その本質において、毫末の差異もないものである。かくの如く本質においては全然同一のものでありながら、何ゆゑに神俗、浄穢、正邪、善悪が分るるのであらうか。要するに此の本然の性質を十分に発揮して、適当なる活動をすると、せぬとの程度に対して、附したる仮定的の符号に過ぎないのだ。 善悪といふものは決して一定不変のものではなく、時と処と位置とによつて、善も悪となり、悪も善となることがある。 道の大原にいふ。「善は天下公共のために処し、悪は一人の私有に所す。正心徳行は善なり、不正無行は悪なり」と。何ほど善き事といへども、自己一人の私有に所するための善は、決して真の善ではない。たとへ少々ぐらゐ悪が有つても、天下公共のためになる事なれば、これは矢張善と言はねばならぬ。文王一たび怒つて天下治まる。怒るもまた可なり、といふべしである。 これより推し考ふる時は、小さい悲観の取るに足らざるとともに、勝論外道的の暫有的小楽観もいけない。大楽観と大悲観とは結局同一に帰するものであつて、神は大楽観者であると同時に、大悲観者である。 凡俗は小なる悲観者であり、また小なる楽観者である。社会、娑婆、現界は、小苦小楽の境界であり、霊界は、大楽大苦の位置である。理趣経には、「大貪大痴是れ三摩地、是れ浄菩提、淫欲是道」とあつて、いはゆる当相即道の真諦である。 禁欲主義はいけぬ、恋愛は神聖であるといつて、しかも之を自然主義的、本能的で、すなはち自己と同大程度に決行し、満足せむとするのが凡夫である。これを拡充して宇宙大に実行するのが神である。 神は三千世界の蒼生は、皆わが愛子となし、一切の万有を済度せむとするの、大欲望がある。凡俗はわが妻子眷属のみを愛し、すこしも他を顧みないのみならず、自己のみが満足し、他を知らざるの小貪欲を擅にするものである。人の身魂そのものは本来は神である。ゆゑに宇宙大に活動し得べき、天賦的本能を具備してをる。それで此の天賦の本質なる、智、愛、勇、親を開発し、実現するのが人生の本分である。これを善悪の標準論よりみれば、自我実現主義とでもいふべきか。吾人の善悪両様の動作が、社会人類のため済度のために、そのまま賞罰二面の大活動を呈するやうになるものである。この大なる威力と活動とが、すなはち神であり、いはゆる自我の宇宙的拡大である。 いづれにしても、この分段生死の肉身、有漏雑染の識心を捨てず、また苦穢濁悪不公平なる現社会に離れずして、ことごとく之を美化し、楽化し、天国浄土を眼前に実現せしむるのが、吾人の成神観であつて、また一大眼目とするところである。 (大正一〇・二・八王仁) |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 13 天使の来迎 | 第一三章天使の来迎〔一三〕 自分はなほ進んで二段目を奥深く究め、また三段目をも探険せむとした時、にはかに天上から何ともいへぬ嚠喨たる音楽が聞えてきた。 そこで空を仰いでみると、白衣盛装の天使が数人の御供を伴れて、自分の方にむかつて降臨されつつあるのを拝んだ。さうすると何十里とも知れぬ、はるか東南の方に当つて、ほんの小さい富士の山頂が見えてくるやうな気がした。 自分のその時の心持は、富士山が見えたのであるから、富士山の芙蓉仙人が来たものと思つた。しかしてその前に降りてきた天使を見ると、実に何とも言へぬ威厳のある、かつ優しい白髪の、そして白髯を胸前まで垂れた神人であつた。 神人は自分に向つて、 『産土神からの御迎へであるから、一時帰るがよい』 との仰せであつた。しかし自分は折角ここまで来たのだから、今一度詳しく調べてみたいと御願ひしてみた。 けれども御許しがなく、 『都合によつて天界の修業が急ぐから、一まづ帰れ』 と言はるる其の言葉が未だ終らぬうちに、紫の雲にわが全身が包まれて、ほとんど三四十分と思はるる間、ふわりふわりと上に昇つてゆくやうな気がした。しかしてにはかに膝が痛みだし、ブルブルと身体が寒さに慄へてゐるのを覚えた。 その時には、まだ精神が朦朧としてゐたから、よくは判らなかつたが、まもなく自分は高熊山の巌窟の前に端坐してゐることに、明瞭と気が付いた。 それから約一時間ばかり正気になつてをると、今度はだんだん睡気を催しきたり、ふたたび霊界の人となつてしまつた。さうすると其処へ、小幡神社の大神として現はれた神様があつた。 それは自分の産土の神様であつて、 『今日は実に霊界も切迫し、また現界も切迫して来てをるから、一まづ地底の幽冥界を探究する必要はあるけれども、それよりも神界の探険を先にせねばならぬ。またそれについては、霊肉ともに修業を積まねばならぬから、神界修業の方に向へ』 と仰せられた。そこで自分は、 『承知しました』 と答へて、命のまにまに随ふことにした。 さうすると今度は自分の身体を誰とも知らず、非常に大きな手であたかも鷹が雀を引掴んだやうに、捉まへたものがあつた。 やがて降された所を見ると、ちやうど三保の松原かと思はるるやうな、綺麗な海辺に出てゐた。ところが先に二段目で見た富士山が、もつと近くに大きく見えだしたので、今それを思ふと三穂神社だと思はれる所に、ただ一人行つたのである。すると其処に二人の夫婦の神様が現はれて、天然笛と鎮魂の玉とを授けて下さつたので、それを有難く頂戴して懐に入れたと思ふ一刹那、にはかに場面が変つてしまひ、不思議にも自分の郷里にある産土神社の前に、身体は端坐してゐたのである。 ふと気がついて見ると、自分の家はついそこであるから、一遍帰宅つて見たいやうな気がしたとたんに、にはかに足が痛くなり、寒くなりして空腹を感じ、親兄弟姉妹の事から家政上の事まで憶ひ出されてきた。さうすると天使が、 『御身が今人間に復つては、神の経綸ができぬから神にかへれ』 と言ひながら、白布を全身に覆ひかぶされた。不思議にも心に浮んだ種々の事は打忘れ、いよいよこれから神界へ旅立つといふことになつた。しかして其の時持つてをるものとては、ただ天然笛と鎮魂の玉との二つのみで、しかも何時のまにか自分は羽織袴の黒装束になつてゐた。その処へ今一人の天使が、産土神の横に現はれて、教へたまふやう、 『今や神界、幽界ともに非常な混乱状態に陥つてをるから、このまま放つておけば、世界は丸潰れになる』 と仰せられ、しかして、 『御身はこれから、この神の命ずるがままに神界に旅立ちして高天原に上るべし』 と厳命された。 しかしながら自分は、高天原に上るには何方を向いて行けばよいか判らぬから、 『何を目標として行けばよいか、また神様が伴れて行つて下さるのか』 とたづねてみると、 『天の八衢までは送つてやるが、それから後は、さうはゆかぬから天の八衢で待つてをれ。さうすると神界の方すなはち高天原の方に行くには、鮮花色の神人が立つてをるからよくわかる。また黒い黒い何ともしれぬ嫌な顔のものが立つてをる方は地獄で、黄胆病みのやうに黄色い顔したものが立つてゐる方は餓鬼道で、また真蒼な顔のものが立つてをる方は畜生道で、肝癪筋を立てて鬼のやうに怖ろしい顔のものが立つてゐる方は修羅道であつて、争ひばかりの世界へゆくのだ』 と懇切に教示され、また、 『汝が先に行つて探険したのは地獄の入口で、一番易い所であつたのだ。それでは今度は鮮花色の顔した神人の立つてゐる方へ行け。さうすればそれが神界へゆく道である』 と教へられた。しかして又、 『神界といへども苦しみはあり、地獄といへどもそれ相当の楽しみはあるから、神界だからといつてさう良い事ばかりあるとは思ふな。しかし高天原の方へ行く時の苦しみは苦しんだだけの効果があるが、反対の地獄の方へ行くのは、昔から其の身魂に罪業があるのであるから、単に罪業を償ふのみで、苦労しても何の善果も来さない。もつとも、地獄でも苦労をすれば、罪業を償ふといふだけの効果はある。またこの現界と霊界とは相関聯してをつて、いはゆる霊体不二であるから、現界の事は霊界にうつり、霊界の事はまた現界にうつり、幽界の方も現界の肉体にうつつてくる。ここになほ注意すべきは、神界にいたる道において神界を占領せむとする悪魔があることである。それで汝が今、神界を探険せむとすれば必ず悪魔が出てきて汝を妨げ、悪魔自身神界を探険占領せむとしてをるから、それをさうさせぬやうに、汝を神界へ遣はされるのだ。また神界へいたる道路にも、広い道路もあればまた狭い道路もあつて、決して広い道路ばかりでなく、あたかも瓢箪をいくつも竪に列べたやうな格好をしてゐるから、細い狭い道路を通つてゐるときには、たつた一人しか通れないから、悪魔といへども後から追越すといふわけには行かぬが、広い所へ出ると、四方八方から悪魔が襲つて来るので、かへつて苦しめられることが多い』 と教へられた。間もなく、神様の天使は姿を隠させたまひ、自分はただ一人天然笛と鎮魂の玉とを持ち、天蒼く水青く、山また青き道路を羽織袴の装束で、神界へと旅立ちすることとなつた。 (大正一〇・一〇・一八旧九・一八外山豊二録) |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 17 神界旅行(四) | 第一七章神界旅行の四〔一七〕 神界の場面が、たちまち一変したと思へば、自分は又もとの大橋の袂に立つてゐた。どこからともなくにはかに大祓詞の声が聞えてくる。不思議なことだと思ひながら、二三丁辿つて行くと、五十恰好の爺さんと四十かつかうの婦とが背中合せに引着いて、どうしても離れられないでもがいてゐる。男は声をかぎりに天地金の神の御名を唱へてゐるが、婦は一生懸命に合掌して稲荷を拝んでゐる。男の合掌してゐる天には、鼻の高い天狗が雲の中に現はれて爺をさし招いてゐる。婦のをがむ方をみれば、狐狸が一生懸命山の中より手招きしてゐる。男が行かうとすると、婦の背中にぴつたりと自分の背中が吸ひついて、行くことができない。婦もまた行かうとして身悶えすれども、例の背中が密着して進むことができない。一方へ二歩行つては後戻り、他方へ二歩行つては、又あともどりといふ調子で、たがひに信仰を異にして迷つてゐる。自分はそこへ行つて、「惟神霊幸倍坐世」と神様にお願ひして、祝詞を奏上した。そのとき私は、自分ながらも実に涼しい清らかな声が出たやうな気がした。 たちまち密着してゐた両人の身体は分離することを得た。彼らは大いに自分を徳として感謝の辞を述べ、どこまでも自分に従つて、 『神界の御用を勤めさしていただきます』 と約束した。やがて男の方は肉体をもつて、一度地の高天原に上つて神業に参加しやうとした。しかし彼は元来が強欲な性情である上、憑依せる天狗の霊が退散せぬため、つひには盤古大神の眷族となり、地の高天原の占領を企て、ために、霊は神譴を蒙りて地獄に堕ち、肉体は二年後に滅びてしまつた。さうしてその婦は、今なほ肉体を保つて遠く神に従ふてゐる。 この瞬間、自分の目の前の光景は忽ち一転した。不思議にも自分はある小さな十字街頭に立つてゐた。そこへ前に見た八頭八尾の霊の憑いた男が俥を曳いてやつて来て、 『高天原にお伴させていただきますから、どうかこの俥にお召し下さい』 といふ。しかし「自分は神界修業の身なれば、俥になど乗るわけにはゆかぬ」と強て断つた上、徒歩でテクテク西へ西へと歩んで行つた。非常に嶮峻な山坂を三つ四つ越えると、やがてまた広い清い河のほとりに到着した。河には澄きつた清澄な水が流れてをり、川縁には老松が翠々と並んでゐる実に景勝の地であつた。自分はこここそ神界である、こんな処に長らくゐたいものだといふ気がした。また一人とぼとぼと進んで行けば、とある小さい町に出た。左方を眺むれば小さな丘があり、山は紫にして河は帯のやうに流れ、蓮華台上と形容してよからうか、高天原の中心と称してよからうか、自分はしばしその風光に見惚れて、そこを立去るに躊躇した。 山を降つて少しく北に進んで行くと、小さな家が見つかつた。自分は電気に吸着けらるるごとく、忽ちその門口に着いてゐた。そこには不思議にも、かの幽庁にゐられた大王が、若い若い婦の姿と化して自分を出迎へ、やがて小さい居間へ案内された。自分はこの大王との再会を喜んで、いろいろの珍らしい話しを聞いてゐると、にはかに虎が唸るやうな、また狼が呻くやうな声が聞えてきた。よく耳を澄まして聞けば、天津祝詞や大祓の祝詞の声であつた。それらの声とともに四辺は次第に暗黒の度を増しきたり、密雲濛々と鎖して、日光もやがては全く見えなくなり、暴風にはかに吹き起つて、家も倒れよ、地上のすべての物は吹き散れよとばかり凄じき光景となつた。その濛々たる黒雲の中より「足」といふ古い顔の鬼が現はれてきた。それには「黒」といふ古狐がついてゐて、下界を睥睨してゐる。その時にはかに河水鳴りとどろき河中より大いなる竜体が現はれ、またどこからともなく、何とも形容のしがたい悪魔があらはれてきた。大王の居間も附近も、この時すつかり暗黒となつて、咫尺すら弁じがたき暗となり、かの優しい大王の姿もまた暗中に没してしまつた。ただ目に見ゆるは、烈風中に消えなむとして瞬いてゐる一つのかすかな燈光ばかりである。自分は今こそ神を祈るべき時であると不図心付き、「天照大御神」と「産土神」をひたすらに念じ、悠々として祝詞をすずやかな声で奏上した。一天にはかに晴れわたり、一点の雲翳すらなきにいたる。 祝詞はすべて神明の心を和げ、天地人の調和をきたす結構な神言である。しかしその言霊が円満清朗にして始めて一切の汚濁と邪悪を払拭することができるのである。悪魔の口より唱へらるる時はかへつて世の中はますます混乱悪化するものである。蓋し悪魔の使用する言霊は世界を清める力なく、欲心、嫉妬、憎悪、羨望、憤怒などの悪念によつて濁つてゐる結果、天地神明の御心を損ふにいたるからである。それ故、日本は言霊の幸はふ国といへども、身も魂も本当に清浄となつた人が、その言霊を使つて始めて、世のなかを清めることができ得るのである。これに反して身魂の汚れた人が言霊を使へば、その言霊には一切の邪悪分子を含んでゐるから、世の中はかへつて暗黒になるものである。 さて自分は八衢に帰つてみると、前刻の鬼、狐および大きな竜の悪霊は、自分を跡から追つてきた。「足」の鬼は、今度は多くの眷族を引連れ来たり、自分を八方より襲撃し、おのおの口中より噴霧のやうに幾十万本とも数へられぬほどの針を噴きかけた。しかし自分の身体は神明の加護を受けてゐた。あたかも鉄板のやうに針を弾ね返して少しの痛痒をも感じない。その有難さに感謝のため祝詞を奏げた。その声に、すべての悪魔は煙のごとく消滅して見えなくなつた。 ここで一寸附言しておく。「足」の鬼といふのは烏帽子直垂を着用して、あたかも神に仕へるやうな服装をしてゐた。しかし本来非常に猛悪な顔貌なのだが、一見立派な容子に身をやつしてゐる。また河より昇れる竜は、たちまち美人に化けてしまつた。この竜女は、竜宮界の大使命を受けてゐるものであつて、大神御経綸の世界改造運動に参加すべき身魂であつたが、美しい肉体の女に変じて「足」の鬼と肉体上の関係を結び神界の使命を台なしにしてしまつた。竜女に変化つたその肉体は、現在生き残つて河をへだてて神に仕へてゐる。彼女が竜女であるといふ証拠には、その太腿に竜の鱗が三枚もできてゐる。神界の摂理は三界に一貫し、必ずその報いが出てくるものであるから、神界の大使命を帯びたる竜女を犯すことは、神界としても現界としても、末代神の譴めを受けねばならぬ。「足」の鬼はその神罰により、その肉体の一子は聾となり、一女は顔一面に菊石を生じ、醜い竜の葡匐するやうな痕跡をとどめてゐた。さて一女まづ死し、ついでその一子も滅んだ。かれは罪のために国常立尊に谷底に蹴落され胸骨を痛めた結果、霊肉ともに滅んでしまつた。かくて「足」の肉体もついに大神の懲戒を蒙り、日に日に痩衰へ家計困難に陥り、肺結核を病んで悶死してしまつた。 以上の一男一女は「足」の前妻の子女であるが、竜女と「足」の鬼との間にも、一男が生れた。「足」の鬼は二人の子女を失つたので、彼は自分の後継者として、その男の子を立てやうとする。竜女の方でも、自分の肉体の後継者としやうとして焦つてゐる。一方竜女には厳格な父母があつた。彼らもその子を自分の家の相続者としやうとして離さぬ。「足」の鬼の方は無理にこれを引とらうとして、一人の肉体を、二つに引きち切つて殺してしまつた。霊界でかうして引裂かれて死んだ子供は現界では、父につけば母にすまぬ、母につけば父にすまぬと、煩悶の結果、肺結核を病んで死んだのである。かうして「足」の鬼の方は霊肉ともに一族断絶したが、竜女は今も後継者なしに寡婦の孤独な生活を送つてゐる。 本来竜女なるものは、海に極寒極熱の一千年を苦行し、山中にまた一千年、河にまた一千年を修業して、はじめて人間界に生れ出づるものである。その竜体より人間に転生した最初の一生涯は、尼になるか、神に仕へるか、いづれにしても男女の交りを絶ち、聖浄な生活を送らねばならないのである。もしこの禁断を犯せば、三千年の苦行も水の沫となつて再び竜体に堕落する。従つて竜女といふものは男子との交りを喜ばず、かつ美人であり、眼鋭く、身体のどこかに鱗の数片の痕跡を止めてゐるものも偶にはある。かかる竜女に対して種々の人間界の情実、義理、人情等によつて、強て竜女を犯し、また犯さしめるならば、それらの人は竜神よりの恨をうけ、その復讐に会はずにはゐられない。通例竜女を犯す場合は、その夫婦の縁は決して安全に永続するものではなく、夫は大抵は夭死し、女は幾度縁をかゆるとも、同じやうな悲劇を繰返し、犯したものは子孫末代まで、竜神の祟りを受けて苦しまねばならぬ。 (大正一〇・一〇・一九旧九・一九谷口正治録) |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 18 霊界の情勢 | 第一八章霊界の情勢〔一八〕 ここで自分は、神界幽界の現界にたいする関係を一寸述べておかうと思ふ。 神界と幽界とは時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆゑ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現はれることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。その見ゆる有様は過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである。 霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。 ここに自分が述べつつあることは、霊界において見た順序のままに来るとはかぎらない。霊界において一層早く会ふた身魂が、現界では一層晩く会ふこともあり、霊界にて一層後に見た身魂を、現界にて一層早く見ることもある。今回の三千世界の大神劇に際して、檜舞台に立つところの霊界の役者たちの霊肉一致の行動は、自分が霊界において観たところとは、時間において非常に差異がある。 されど自分は、一度霊界で目撃したことは、神劇として必ず現界に再現してくることを信ずるものである。 さて天界は、天照大御神の御支配であつて、これは後述することにするが、今は地上の神界の紛乱状態を明らかにしたいと思ふ。今までは地上神界の主宰者たる国常立尊は、「表の神諭」に示されたるごとくに、やむを得ざる事情によつて、引退され給うてゐられた。 それに代つて、太古において衆望を担うて、国常立尊の後を襲ひたまうた神様は、現在は支那といふ名で区劃されてゐる地域に、発生せられたる身魂であつて、盤古大神といふ神である。この神はきはめて柔順なる神にましまして、決して悪神ではなかつた。ゆゑに衆神より多大の望みを嘱されてゐたまうた神である。今でこそ日本といひ、支那といひ露西亜といひ、種々に国境が区劃されてゐるが、国常立尊御神政時代は、日本とか外国とかいふやうな差別は全くなかつた。 ところが天孫降臨以来、国家といふ形式ができあがり、いはゆる日本国が建てられた。従つて水火沫の凝りてなれるてふ海外の地にも国家が建設されたのである。さて、いはゆる日本国が創建され、諸々の国々が分れ出でたるとき、支那に生まれたまうた盤古大神は、葦原中津国に来たりたまひて国祖の後を襲ひたまふた上、八王大神といふ直属の番頭神を御使ひになつて、地の世界の諸国を統轄せしめられた。一方いはゆる外国には、国々の国魂の神および番頭神として、国々に八王八頭といふ神を配置された。丁度それは日本の国に盤古大神があり、その下に八王大神がおかれてあつたやうなものである。日本本土における八王大神は、諸外国の八王八頭を統轄し、その上を盤古大神が総攬したまひましたが、八王八頭は決して悪神ではない。天から命ぜられて各国の国魂となつたのは八王であり、八頭は宰相の位置の役である。こういふ風なのが、今日、国常立尊御復権までの神界の有様である。 さうかうするうちに、露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した。これがすなはち素盞嗚命の言向和された、かの醜い形の八頭八尾の大蛇の姿をしてゐたのである。この八頭八尾の大蛇の霊が霊を分けて、国々の国魂神および番頭神なる八王八頭の身魂を冒し、次第に神界を悪化させるやうに努力しながら現在にいたつたのである。しかるに一方印度においては、極陰性の邪気が凝りかたまつて金毛九尾白面の悪狐が発生した。この霊はおのおのまた霊を分けて、国々の八王八頭の相手方の女の霊にのり憑つた。 しかして、また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。しかしながら日本国は特殊なる神国であつて、この三種の悪神の侵害を免れ、地上に儼然として、万古不動に卓立してをることができた。この悪霊の三つ巴のはたらきによつて、諸国の国魂の神の統制力はなくなり、地上の世界は憤怒と、憎悪と、嫉妬と、羨望と、争闘などの諸罪悪に充ち満ちて、つひに収拾すべからざる三界の紛乱状態を醸したのである。 ここにおいて、天上にまします至仁至愛の大神は、このままにては神界、現界、幽界も、共に破滅淪亡の外はないと観察したまひ、ふたたび国常立尊をお召出し遊ばされ、神界および現界の建替を委任し給ふことになつた。さうして坤之金神をはじめ、金勝要神、竜宮乙姫、日出神が、この大神業を輔佐し奉ることになり、残らずの金神すなはち天狗たちは、おのおの分担に従つて御活動申し上げ、白狐は下郎の役として、それぞれ神務に参加することになつた。ここにおいて天津神の嫡流におかせられても、木花咲耶姫命と彦火々出見命は、事態容易ならずと見たまひ、国常立尊の神業を御手伝ひ遊ばすこととなり、正神界の御経綸は着々その歩を進め給ひつつあるのである。それと共にそれぞれ因縁ある身魂は、すべて地の高天原に集まり、神界の修行に参加し、御経綸の端なりとも奉仕さるることになつてをるのである。 そもそも太古、葦原瑞穂中津国は大国主命が武力をもつて、天下をお治めになつてゐた。天孫降臨に先だち、天祖は第三回まで天使をお遣しになり、つひには武力をもつて大国主命の権力を制し給うた。大国主神も力尽きたまひ、現界の御政権をば天命のままに天孫に奉還し、大国主御自身は、青芝垣にかくれて御子事代主と共に、幽世を統治したまふことになつた。 この時代の天孫の御降臨は、現在の日本なる地上の小区劃を御支配なし給ふためではなく、実に全地球の現界を知食すための御降臨であり給うた。しかしながら未完成なる世界には、憎悪、憤怒、怨恨、嫉妬、争闘等あらゆる邪悪が充満してゐるために、天の大神様の御大望は完成するにいたらず、従つて弱肉強食の修羅の巷と化し去り地上の神界、現界は、ほとんど全く崩壊淪亡しやうとする場合に立ちいたつたのである。 かかる情勢を見給ひし天津神様は、命令を下したまひて、盤古大神は地上一切の幽政の御権利を、艮金神国常立尊に、ふたたび御奉還になるのやむなき次第となつた。ここに盤古大神も既に時節のきたれるを知り、従順に大神様の御命令を奉戴遵守したまうた。しかるに八王大神以下の国魂は、邪神のためにその精霊を全く汚されきつてゐるので、まだまだ改心することができず、いろいろと悪策をめぐらしてゐたのである。なかには改心の兆の幾分見えた神もあつた。 かくの如くにして国常立尊が、完全に地上の神界を御統一なしたまふべき時節は、既に已に近づいてゐる。神界の有様は現界にうつりきたり、神界平定後は天津日嗣命が現界を治め給ひ、国常立尊は幽政を総纜したまひ、大国主命は日本の幽政をお司りになるはずである。しかし現在ではまだ、八頭八尾の大蛇、金毛九尾の悪狐および鬼の霊は、盤古大神を擁立して、幽界および現界を支配しやうと、諸々の悪計をめぐらしつつあるのである。 しかしながら従順な盤古大神は、神界に対するかかる反逆に賛同されないので、邪鬼の霊はみづから頭目となり、赤色旗を押立てていろいろの身魂をその眷族に使ひつつ、高天原乗取策を講じてゐる。 そこで天よりは事態容易ならずとして、御三体の大神が地上に降臨ましまして、国常立尊の御経綸を加勢なしたまふことになり、国常立尊は仮の御息所を蓮華台上に建設して、御三体の大神様を奉迎し給ふこととなるのである。 したがつて、御三体の大神様の御息所ができたならば、神界の御経綸が一層進んだ証拠だと拝察することができる。 (大正一〇・一〇・二〇旧九・二〇谷口正治録) |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 21 大地の修理固成 | 第二一章大地の修理固成〔二一〕 大国常立尊はそこで、きはめて荘厳な、厳格な犯すことのできない、すばらしく偉大な御姿を顕はし給ひて、地の世界最高の山巓にお登り遊ばされて四方を見渡したまへば、もはや天に日月星辰完全に顕現せられ、地に山川草木は発生したとはいへ、樹草の類はほとんど葱のやうに繊弱く、葦のやうに柔かなものであつた。そこで国祖は、その御口より息吹を放つて風を吹きおこし給うた。その息吹によつて十二の神々が御出現遊ばされた。 ここに十二の神々は、おのおの分担を定めて、風を吹き起したまうたが、その風の力によつて松、竹、梅をはじめ、一切の樹草はベタベタに、その根本より吹倒されてしまうた。大国常立尊はこの有様を眺めたまうて、御自身の胸の骨をば一本抜きとり、自ら歯をもつてコナゴナに咬みくだき、四方に撒布したまうた。 すべての軟かき動植物は、その骨の粉末を吸収して、その質非常に堅くなり、倒れてゐた樹草は直立し、海鼠のやうに柔軟匍匐してゐた人間その他の諸動物も、この時はじめて骨が具はり、敏活に動作することが出来るやうになつた。五穀が実るやうになり、葱のやうに一様に柔かくして、区別さへ殆どつかなかつた一切の植物は、はつきりと、おのおの特有の形体をとるやうになつたのも此の時である。骨の粉末の固まり着いた所には岩石ができ、諸々の鉱物が発生した。これを称して岩の神と申し上げる。 しかるに太陽は依然として強烈なる光熱を放射し、月は大地の水の吸収を続けてゐるから、地上の樹草は次第に日に照りつけられて殆ど枯死せむとし、動物も亦この旱天つづきに非常に困つてゐた。しかし月からは、まだ水を吸引することを止めなかつた。このままで放任しておくならば、全世界は干鰈を焦したやうに燻つてしまふかも知れないと、大国常立尊は山上に昇つて、まだ人体化してをらぬ諸々の竜神に命じて、海水を口に銜んで持ちきたらしめ給うた。 諸々の竜神は命を奉じて、海水を国祖の許に持ちきたつた。国祖はその水を手に受けて、やがてそれを口に呑み、天に向つて息吹をフーと吹き放たれた。すると天上には色の濃い雲や淡い雲や、その他種々雑多の雲が起つてきた。たちまち雲からサツと地上に雨が降りはじめた。この使神であつた竜神は無数にあつたが、国祖はこれを総称して雨の神と名付けたまうた。 ところが雨が降すぎても却て困るといふので、これを調和するために、大国常立尊は御身体一杯に暑いほど太陽の熱をお吸ひになつた。さうして御自分の御身体の各部より熱を放射したまうた。その放射された熱はたちまち無数の竜体と変じて、天に向つて昇騰していつた。国祖はこれに火竜神といふ名称をお付けになつた。(筆に書いては短いが大国常立尊がここまで天地をお造りになるのに数十億年の歳月を要してゐる) 尊はかくの如くにして人類を始め、動物、植物等をお創造り遊ばされて、人間には日の大神と、月の大神の霊魂を賦与せられて、肉体は国常立尊の主宰として、神の御意志を実行する機関となし給うた。これが人生の目的である。神示に『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の大司宰なり』とあるも、この理に由るのである。 しかるに星移り年をかさぬるにしたがつて、人智は乱れ、情は拗け、意は曲りて、人間は次第に私欲を擅にするやうになり、ここに弱肉強食、生存競争の端はひらかれ、せつかく神が御苦心の結果、創造遊ばされた善美のこの地上も亦、もとの泥海に復さねばならぬやうな傾向ができた。 しかるに地の一方では、天地間に残滓のやうに残つてゐた邪気は、凝つて悪竜、悪蛇、悪狐を発生し、或ひは邪鬼となり、妖魅となつて、我侭放肆な人間の身魂に憑依し、世の中を悪化して、邪霊の世界とせむことを企てた。そこで大国常立大神は非常に憤りたまうて、深い吐息をおはきになつた。その太息から八種の雷神や、荒の神がお生れ遊ばしたのである。 それで荒の神の御発動があるのは、大神が地上の人類に警戒を与へたまふ時である。かうしてしばしば大神は荒の神の御発動によつて、地上の人類を警戒せられたが、人類の大多数は依然として覚醒しない。そこで大神は大いにもどかしがりたまひ伊都の雄猛びをせられて、大地に四股を踏んで憤り給うた。そのとき大神の口、鼻、また眼より数多の竜神がお現はれになつた。この竜神を地震の神と申し上げる。国祖の大神の極端に憤りたまうた時に地震の神の御発動があるのである。大神の怒りは私の怒りではなくして、世の中を善美に立替へ立直したいための、大慈悲心の御発現に外ならぬのである。 大国常立尊が天地を修理固成したまうてより、ほとんど十万年の期間は、別に今日のやうに区劃された国家はなかつた。ただ地方地方を限つて、八王といふ国魂の神が配置され、八頭といふ宰相の神が八王神の下にそれぞれ配置されてゐた。 しかるに世の中はだんだん悪化して、大神の御神慮に叶はぬことばかりが始まり、怨恨、嫉妬、悲哀、呪咀の声は、天地に一杯に充ちわたることになつた。そこで大国常立大神は再び地上の修理固成を企劃なしたまうて、ある高い山の頂上にお立ちになつて大声を発したまうた。その声は万雷の一時に轟くごとくであつた。大神はなほも足を踏みとどろかして地蹈鞴をお踏みになつた。そのため大地は揺れゆれて、地震の神、荒の神が挙つて御発動になり、地球は一大変態を来して、山河はくづれ埋まり、草木は倒れ伏し、地上の蒼生はほとんど全く淪亡るまでに立ちいたつた。その時の雄健びによつて、大地の一部が陥落して、現今の阿弗利加の一部と、南北亜米利加の大陸が現出した。それと同時に太平洋もでき上り、その真中に竜形の島が形造られた。これが現代の日本の地である。それまでは今の日本海はなく支那も朝鮮も、日本に陸地で連続してゐた。この時まで現代の日本の南方、太平洋面にはまだ数百里の大陸がつづいてゐたが、この地球の大変動によつて、その中心の最も地盤の鞏固なる部分が、竜の形をして取り残されたのである。 この日本国土の形状をなしてゐる竜の形は、元の大国常立尊が、竜体を現じて地上の泥海を造り固めてゐられた時のお姿同様であつて、その長さも、幅も、寸法において何ら変りはない。それゆゑ日本国は、地球の艮に位置して神聖犯すべからざる土地なのである。もと黄金の円柱が、宇宙の真中に立つてゐた位置も日本国であつたが、それが、東北から、西南に向けて倒れた。この島を自転倒嶋といふのは、自ら転げてできた島といふ意味である。 この島が四方に海を環らしたのは、神聖なる神の御息み所とするためなのである。さうしてこの日本の土地全体は、すべて大神の御肉体である。ここにおいて自転倒嶋と、他の国土とを区別し、立別けておかれた。 それから大神は天の太陽、太陰と向はせられ、陽気と陰気とを吸ひこみたまうて、息吹の狭霧を吐きだしたまうた。この狭霧より現はれたまへる神が稚姫君命である。 このたびの地変によつて、地上の蒼生はほとんど全滅して、そのさまあたかもノアの洪水当時に彷彿たるものであつた。そこで大神は、諸々の神々および人間をお生みになる必要を生じたまひ、まづ稚姫君命は、天稚彦といふ夫神をおもちになり、真道知彦、青森知木彦、天地要彦、常世姫、黄金竜姫、合陀琉姫、要耶麻姫、言解姫の三男五女の神人をお生みになつた。この天稚彦といふのは、古事記にある天若彦とは全然別の神である。かくのごとく地上に地変を起さねばならぬやうになつたのは、要するに天において天上の政治が乱れ、それと同じ形に、地上に紛乱状態が現はれ来つたからである。天にある事はかならず地に映り、天が乱れると地も乱れ、地が乱れると、天も同様に乱れてくるものである。そこで大神は天上を修理固成すべく稚姫君命を生みたまうて天にお昇せになり、地は御自身に幽界を主宰し、現界の主宰を須佐之男命に御委任になつた。 (大正一〇・一〇・二〇旧九・二〇谷口正治録) |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 23 黄金の大橋 | 第二三章黄金の大橋〔二三〕 地の高天原は、盤古大神塩長彦系と大自在天大国彦系の反抗的活動によつて、一旦は滅茶々々に根底から覆へされむとした。故にその実状を述べるに先きだち、地の高天原の状況を概略述べておく必要がある。 自分の霊魂は今まで須弥仙山の上に導かれて、総て前述の状況を目撃してゐたが、天の一方より嚠喨たる音楽聞えて、自分の霊体は得もいはれぬ鮮麗な瑞雲に包まれた。その刹那、場面は一転して元の神界旅行の姿に立返つてゐた。 或ひは細く、或ひは広き瓢箪なりの道路を進んで行くと、そこには大きな河が流れてゐる。これは神界の大河でヨルダン河ともいひ、又これをイスラエルの河ともいひ、また五十鈴川ともいふのである。さうしてそこには非常に大きな反橋が架つてゐる。 この橋は、全部黄金造りで丁度住吉神社の反橋のやうに、勾配の急な、長い大きな橋であつた。神界旅行の旅人は、総てこの橋の袂へ来て、その荘厳にして美麗なのと、勾配の急なのとに肝を潰してしまひ、或ひは昇りかけては橋から滑り落ちて河に陥込むものもある。また一面には金色燦爛としてゐるから、おのおの自分の身魂が映つて本性を現はすやうになつてゐる。それで中には非常な猛悪な悪魔が現はれて来ても渡られないので、その橋を通らずに、橋の下の深い流れを泳いで彼岸に着く悪神も沢山ある。それは千人に一人くらゐの比例であつて、神界ではこの橋のことを黄金の大橋と名づけられてある。 自分はこの大橋を足の裏がくすぐつたいやうな、眩しいやうな心持でだんだんと彼岸へ渡つた。少し油断をすると上りには滑り、下りになれば仰向けに転倒するやうなことが幾度もある。要するにこの黄金の大橋は、十二の太鼓橋が繋がつてゐるやうなもので、欄干が無いから、橋を渡るには一切の荷物を捨てて跣足となり、足の裏を平たく喰付けて歩かねばならぬ。 さうしてこの橋を渡ると直に、自分はエルサレムの聖地に着いた。この聖地には黄金とか、瑪瑙とかいふ七宝の珠玉をもつて雄大な、とても形容のできない大神の宮殿が造られてある。 さうしてこの宮はエルサレムの宮ともいへば、また珍の宮とも称へられてゐる。ウといふのはヴエルの返し、サレムの返しがスであるから、珍しい宮といふ言霊の意義である。さうしてこの宮の建つてゐる所は、蓮華台上である。この台上に上つて見ると、四方はあたかも屏風を立てたやうな青山を廻らし、その麓にはヨルダン河が、布をさらしたやうに長く流れてゐる。また一方には金色の波を漂はした湖水が、麓を取囲んでゐる。その湖水の中には、大小無数の島嶼があつて、その島ごとに宮が建てられ、どれもこれも皆桧造りで、些しの飾りもないが非常に清らかな宮ばかりである。それからそこに黄金の橋が架けられてあり、その橋の向ふに大きな高殿があつて、これも全部黄金造りである。これを竜宮城といふ。 空には金色の烏が何百羽とも知れぬほど翺翔し、またある時は、斑鳩が沢山に群をなして飛んでをる。さうして湖上には沢山の鴛鴦が、悠々として游泳し、また大小無数の緑毛の亀が遊んでゐる。 この島嶼はことごとく色沢のよい松ばかり繁茂し、松の枝には所々に鶴が巣を構へて千歳を寿ぎ、一眼見ても天国浄土の形が備はつて、どこにも邪悪分子の影だにも認められず、参集来往する神人は、皆喜悦に満ちた面色をしてゐる。これは、国常立尊の治めたまふ神都の概況である。さうしてこの竜宮を占領して、自ら竜王となり、地の高天原の主権を握らむとする一つの神の団体が、盤古大神系である。この団体が、蓮華台上を占領せむとする大自在天(大国彦)一派の悪神と共に、漸次に聖地に入りこみ、内外相呼応してエルサレムの聖地を占領せむと企らんでゐた。 蓮華台上に昇り、珍の宮に到りうる身魂は、既に神界より大使命を帯たる神人であり、また竜宮に到りうるところの身魂は、中位の神人であつて、今までの総ての罪悪を信仰の努めによりて払拭し、御詫を許され、始めて人間の資格を備へ得たものの行く処である。この蓮華台上の珍の宮は、天国のままを移写されたものであつて、天人天女のごとき清らかな身魂の神人らが、天地の神業に奉仕する聖地である。また竜宮は主として竜神の集まる所で、竜神が解脱して美しい男女の姿と生れ更る神界の修業所である。 さうしてこの竜宮の第一の宝は麻邇の珠である。麻邇の珠は一名満干の珠といひ、風雨電雷を叱咤し、自由に駆使する神器である。ゆゑに総ての竜神はこの竜宮を占領し、その珠を得むとして非常な争闘をはじめてゐる。されどこの珠はエルサレムの珍の宮に納まつてゐる真澄の珠に比べてみれば、天地雲泥の差がある。また竜神は実に美しい男女の姿を顕現することを得るといへども、天の大神に仕へ奉る天人に比ぶれば、その神格と品位において著しく劣つてをる。また何ほど竜宮が立派であつても、竜神は畜生の部類を脱することはできないから、人界よりも一段下に位してゐる。ゆゑに人間界は竜神界よりも一段上で尊く、優れて美しい身魂であるから神に代つて、竜神以上の神格を神界から賦与されてゐるものである。 しかしながら人間界がおひおひと堕落し悪化し、当然上位にあるべき人間が、一段下の竜神を拝祈するやうになり、ここに身魂の転倒を来すこととなつた。 (大正一〇・一〇・二一旧九・二一外山豊二録) |
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霊界物語 | 01_子_霊界探検/玉の争奪戦 | 附記 霊界物語について | 附記霊界物語について 瑞月出口王仁三郎 霊界物語は総計壱百二十巻をもつて完成する予定になつてをります。しかしながら是だけ浩瀚な著述を全部読了せなくては、神幽現の三界の経緯が判らないなどと思ふのは間違ひの甚だしきものです。経を訓むには、冒頭の一篇を充分に玩味して腹に畳み込めば、すべての精神が明瞭に解し得らるるものです。どんな人間といへども最初の一瞥によつて其の内容や心が読めるものです。刀剣は鯉口一寸の窓さへ開けて視れば、その名刀たり鈍刀たることが判り、蛇は三寸ばかり見ればモウそれで全体の見当がつくものである。詩経も最初の周南篇に自余の篇が包まれてあり、周南は『関々たる雎鳩は河の洲にあり』の首語に包まれてゐることが判るやうに、本書もまた第一巻の或る一点を読めば全巻の精神が判るはずである。本書の基本宣伝歌三章だけでも全部の大精神が判る。教祖の書き残された一万巻の筆先も初発に現はれた、 『三千世界一度に開く梅の花艮の金神の世になりたぞよ。須弥仙山に腰を懸け世の元の生神表に現はれて三千世界を守るぞよ。神が表になりて上下運否の無きやうに桝掛ひきならして、世界の神、仏、人民の身魂を改めて弥勒の世に立替立直して天地へお目に掛ける云々』 の神示で全部の御経綸や大神の意志が判るものであります。キリスト教の聖書だつて、『神世界を創造たまへり。又初めに道あり、道は神なり、神は道と倶にありき、万物これによつて造らる』の聖句さへ腹に畳み込めば聖書の全体の精神が判るのである。たとへば茶室の中に一輪の朝顔が床柱に掛けてあるのも、見やうに由つて茶室内は愚か天地全体が朝顔化するものである。凡て物は個体に由つて全体が摂取され得るものである。華厳経の一花百億国とは、一微塵に三千世界を包むといふの意義であります。こういふ見地に立つた時は、何ほど大部の本書もただ一章の註釈に過ぎないのであります。最奥天国の天人になると、智慧証覚が他界の天人に比して大変に勝つてゐるので、他界の天人が数百万言の書を読んでも、まだ充分に理解し得ないやうなことでも、簡単なる一二言に由つて良く深遠微妙なる大真理を悟るものである。要するに未だ第一天国天人の境域にその霊性の達してゐない人のために、神意に従ひ斯くのごとき長物語を著述したのであります。読者諸氏幸ひに御諒解あらむことを、茲に一言述べておきます。 |
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霊界物語 | 02_丑_常世姫の陰謀/シオン山攻防戦 | 序 | 序 本書は王仁が明治三十一年旧如月九日より、同月十五日にいたる前後一週間の荒行を神界より命ぜられ、帰宅後また一週間床縛りの修業を命ぜられ、その間に王仁の霊魂は霊界に遊び、種々幽界神界の消息を実見せしめられたる物語であります。すべて霊界にては時間空間を超越し、遠近大小明暗の区別なく、古今東西の霊界の出来事はいづれも平面的に霊眼に映じますので、その糸口を見付け、なるべく読者の了解し易からむことを主眼として口述いたしました。 霊界の消息に通ぜざる人士は、私の『霊界物語』を読んで、子供だましのおとぎ話と笑はれるでせう。ドンキホーテ式の滑稽な物語と嘲る方もありませう。中には一篇の夢物語として顧みない方もあるでせう。また偶意的教訓談と思ふ方もありませう。しかし私は何と批判されてもよろしい。要は一度でも読んでいただきまして、霊界の一部の消息を窺ひ、神々の活動を幾分なりと了解して下されば、それで私の口述の目的は達するのであります。 本書の述ぶるところは概してシオン山攻撃の神戦であつて、国祖の大神が天地の律法を制定したまひ、第一に稚桜姫命の天則違反の罪を犯し幽界に神退ひに退はれたまへる、経緯を述べたのであります。本書を信用されない方は、一つのおとぎ話か拙い小説として読んで下さい。これを読んで幾分なりとも、精神上の立替立直しのできる方々があれば、王仁としては望外の幸であります。 『三千世界一度に開く梅の花。艮の金神の世になりたぞよ。須弥仙山に腰を掛け、鬼門の金神、守るぞよ』との神示は、神世開基の身魂ともいふべき教祖に帰神された最初の艮の金神様が、救世のための一大獅子吼であつた。アゝ何たる雄大にして、荘厳なる神言でありませうか。『三千世界一度に開く』とは、宇宙万有一切の物に活生命を与へ、世界のあらゆる生物に、安心立命の神鍵を授けたまへる一大慈言でありますまいか。 口述者はいつも此の神言を読む度ごとに、無限絶対、無始無終の大原因神の洪大なる御経綸と、その抱負の雄偉にして、なんとなく吾人が心の海面に、真如の月の光り輝き、慈悲の太陽の宇内を一斉に公平に照臨したまひ、万界の暗を晴らしたまふやうな心持になるのであります。 そして、『三千世界一度に開く』と宇宙の経綸を竪に、しかと完全に言ひ表はし、句の終りにいたつて『梅の花』とつづめたるところ、あたかも白扇を拡げて涼風を起し、梅の花の小さき要をもつて之を統一したる、至大無外、至小無内の神権発動の真相を説明したまひしところ、到底智者、学者などの企て及ぶべきところではない。 またその次に『須弥仙山に腰をかけ、艮の金神守るぞよ』との神示がある。アゝこれまたなんたる偉大なる神格の表現であらうか。なんたる大名文であらうか。到底人心小智の企及すべきところではない。そのほか、大神の帰神の産物としては、三千世界いはゆる神界、幽界、現界にたいし、神祇はさらなり、諸仏、各人類にいたるまで大慈の神心をもつて警告を与へ、将来を顕示して、懇切いたらざるはなく、実に古今にその類例を絶つてゐる。 かかる尊き大神の神示は、俗人の容易に解し難きはむしろ当然の理にして、したがつて誤解を生じ易きところ、口述者は常にこれを患ひ、おほけなくも神諭の一端をも解釈をほどこし、大神の大御心の、那辺に存するやを明らかに示したく、思ひ煩ふことほとんど前後二十三年間の久しきにわたつた。されど神界にては、その発表を許したまはざりしため、今日まで御神諭の文章の意義については、一言半句も説明したことは無かつたのであります。 しかるに本年の旧九月八日にいたつて、突然神命は口述者の身魂に降り、いよいよ明治三十一年の如月に、『神より開示しおきたる霊界の消息を発表せよ』との神教に接しましたので、二十四年間わが胸中に蓄蔵せる霊界の物語を発表する決心を定めました。しかるに口述者は、本春以来眼を病み、頭脳を痛めてより、執筆の自由を有せず、かつ強て執筆せむとすれば、たちまち眼と頭部に痛苦を覚え如何ともすること能はず、殆んどその取扱ひについて非常に心神を悩めてゐたのであります。その神教降下ありて後、十日を過ぎし十八日の朝にいたり、神教ありて『汝は執筆するを要せず、神は汝の口を藉りて口述すべければ、外山豊二、加藤明子、桜井重雄、谷口正治の四人を招き、汝の口より出づるところの神言を筆録せしめよ』とのことでありました。 そこで自分はいよいよ意を決し、並松の松雲閣に隠棲して霊媒者となり、神示を口伝へすることになつたのであります。二十四年間心に秘めたる霊界の消息も、いよいよ開く時津風、三千世界の梅の花、薫る常磐の松の代の、神の経綸の開け口、開いた口が閉まらぬやうな、不思議な物語り、夢かうつつか幻か、神のしらせか、白瀬川、下は音無瀬由良の川、和知川、上林川の清流静かに流れ、その中央の小雲川、並木の老松川の辺に影を浸して立ならぶ、流れも清く、風清く、本宮山の麓なる、並松に、新に建ちし松雲閣書斎の間にて五人連れ、口から語る、筆を執る、五人が活気凛々として、神示のままを口述発表することとなつたのであります。 大正十年十一月旧十月九日 於松雲閣瑞月出口王仁三郎誌 |
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霊界物語 | 02_丑_常世姫の陰謀/シオン山攻防戦 | 総説 | 総説 神界における神々の御服装につき、大略を述べておく必要があらうと思ふ。一々神々の御服装に関して口述するのは大変に手間どるから、概括的に述ぶれば、国治立命のごとき高貴の神は、たいてい絹物にして、上衣は紫の無地で、下衣が純白で、中の衣服が紅の色の無地である。国大立命は青色の無地の上衣に、中衣は赤色、下衣は白色の無地。稚桜姫命は、上衣は水色に種々の美はしき模様があり、たいていは上中下とも松や梅の模様のついた十二単衣の御服装である。天使大八洲彦命、大足彦のごときは、上衣は黒色の無地に、中衣は赤色、下衣は白色の無地の絹の服である。その他の神将は位によつて、青、赤、緋、水色、白、黄、紺等、いづれも無地服で、絹、麻、木綿等に区別されてゐる。 冠もいろいろ形があつて纓の長短があり、八王八頭神以上の神々に用ゐられ、それ以下の神司は烏帽子を冠り、直衣、狩衣。婦神はたいてい明衣であつて、青、赤、黄、白、紫などの色を用ゐられ、袴も色々と五色に分れてゐる。また神将は闕腋に冠をつけ、残らず黒色の服である。神卒は一の字の笠を頭に戴き、裾を短くからげ、手首、足首には紫の紐をもつて結び、実に凛々しき姿をしてをらるるのである。委しく述ぶれば際限がないが、いま述べたのは国治立命が御隠退遊ばす以前の神々の御服装の大略である。 星移り、月換るにつれ、神界の御服装はおひおひ変化し来たり、現界の人々の礼装に酷似せる神服を纒はるる神司も沢山に現はれ、神使の最下たる八百万の金神天狗界にては、今日流行の種々の服装で活動さるるやうになつてをる。 また邪神界でもおのおの階級に応じて、大神と同一の服装を着用して化けてをるので、霊眼で見ても一見その正邪に迷ふことがある。 ただ至善の神々は、その御神体の包羅せる霊衣は非常に厚くして、かつ光沢強く眼を射るばかりなるに反し、邪神はその霊衣はなはだ薄くして、光沢なきをもつて正邪を判別するぐらゐである。しかるに八王大神とか、常世姫のごときは、正神界の神々のごとく、霊衣も比較的に厚く、また相当の光沢を有してをるので、一見してその判別に苦しむことがある。 また自分が幽界を探険した時にも、種々の色の服を着けてゐる精霊を目撃した。これは罪の軽重によつて、色が別れてゐるのである。しかし幽界にも亡者ばかりの霊魂がをるのではない。現界に立働いてゐる生きた人間の精霊も、やはり幽界に霊籍をおいてをるものがある。これらの人間は現界においても、幽界の苦痛が影響して、日夜悲惨な生活を続けてをるものである。これらの苦痛を免るる方法は、現体のある間に神を信仰し、善事を行ひ万民を助け、能ふかぎりの社会的奉仕を務めて、神の御恵を受け、その罪を洗ひ清めておかねばならぬ。 さて現界に生きてゐる人間の精霊を見ると、現人と同形の幽体を持つてゐるが、亡者の精霊に比べると、一見して生者と亡者の精霊の区別が、判然とついてくるものである。生者の幽体(精霊)は、円い霊衣を身体一面に被つてゐるが、亡者の幽体は頭部は山形に尖り、三角形の霊衣を纒うてをる。それも腰から上のみ霊衣を着し、腰以下には霊衣はない。幽霊には足がないと俗間にいふのも、この理に基づくものである。また徳高きものの精霊は、その霊衣きはめて厚く、大きく、光沢強くして人を射るごとく、かつ、よく人を統御する能力を持つてゐる。現代はかくの如き霊衣の立派な人間がすくないので、大人物といはるるものができない。現代の人間はおひおひと霊衣が薄くなり、光沢は放射することなく、あたかも邪神界の精霊の着てをる霊衣のごとく、少しの権威もないやうになつて破れてをる。大病人などを見ると、その霊衣は最も薄くなり、頭部の霊衣は、やや山形になりかけてをるのも、今まで沢山に見たことがある。いつも大病人を見舞ふたびに、その霊衣の厚薄と円角の程度によつて判断をくだすのであるが、百発百中である。なにほど名医が匙を投げた大病人でも、その霊衣を見て、厚くかつ光が存してをれば、その病人はかならず全快するのである。これに反して天下の名医や、博士が、生命は大丈夫だと断定した病人でも、その霊衣がやや三角形を呈したり、紙のごとく薄くなつてゐたら、その病人は必ず死んでしまふものである。 ゆゑに神徳ある人が鎮魂を拝授し、大神に謝罪し、天津祝詞の言霊を円満清朗に奏上したならば、たちまちその霊衣は厚さを増し、三角形は円形に立直り、死亡を免れるものである。かくして救はれたる人は、神の大恩を忘れたときにおいて、たちまち霊衣を神界より剥ぎとられ、ただちに幽界に送られるものである。 自分は数多の人に接してより、第一にこの霊衣の厚薄を調べてみるが、信仰の徳によつて漸次にその厚みを加へ、身体ますます強壮になつた人もあり、また神に反対したり、人の妨害をしたりなどして、天授の霊衣を薄くし、中には円相がやや山形に変化しつつある人も沢山実見した。自分はさういふ人にむかつて、色々と親切に信仰の道を説いた。されどそんな人にかぎつて神の道を疑ひ、かへつて親切に思つて忠告すると心をひがまし、逆にとつて大反対をするのが多いものである。これを思へばどうしても霊魂の因縁性来といふものは、如何ともすることが出来ないものとつくづく思ひます。 ○ 大国治立尊と申し上げるときは、大宇宙一切を御守護遊ばすときの御神名であり、単に国治立尊と申し上げるときは、大地球上の神霊界を守護さるるときの御神名である。自分の口述中に二種の名称があるのは、この神理に基づいたものである。 また神様が人間姿となつて御活動になつたその始は、国大立命、稚桜姫命が最初であり、稚桜姫命は日月の精を吸引し、国祖の神が気吹によつて生れたまひ、国大立命は月の精より生れ出でたまうた人間姿の神様である。それよりおひおひ神々の水火によりて生れたまひし神系と、また天足彦、胞場姫の人間の祖より生れいでたる人間との、二種に区別があり、神の直接の水火より生れたる直系の人間と、天足彦、胞場姫の系統より生れいでたる人間とは、その性質において大変な相違がある。そして神の直接の水火より生れ出たる人間は、その頭髪黒くして漆の如く、天足彦、胞場姫より生れたる人間の子孫は赤色の頭髪を有している。[※「そして神の直接の」から「頭髪を有して居る。」まで、校定版・八幡版では削除されている。]天足彦、胞場姫といへども、元は大神の直系より生れたのであれども、世の初発にあたり、神命に背きたるその体主霊従の罪によつて、人間に差別が自然にできたのである。 されども何れの人種も、今日は九分九厘まで、みな体主霊従、尊体卑心の身魂に堕落してゐるのであつて、今日のところ神界より見たまふときは、甲乙を判別なし難く、つひに人種平等の至当なるを叫ばるるに立いたつたのである。 ○ 盤古大神塩長彦は日の大神の直系にして、太陽界より降誕したる神人である。日の大神の伊邪那岐命の御油断によりて、手の俣より潜り出で、現今の支那の北方に降りたる温厚無比の正神である。 また大自在天神大国彦は、天王星より地上に降臨したる豪勇の神人である。いづれもみな善神界の尊き神人であつたが、地上に永住されて永き歳月を経過するにしたがひ、天足彦、胞場姫の天命に背反せる結果、体主霊従の妖気地上に充満し、つひにはその妖気邪霊の悪竜、悪狐、邪鬼のために、いつとなく憑依されたまひて、悪神の行動を自然に採りたまふこととなつた。それより地上の世界は混濁し、汚穢の気みなぎり、悪鬼羅刹の跋扈跳梁をたくましうする俗悪世界と化してしまつた。 八王大神常世彦は、盤古大神の水火より出生したる神にして、常世の国に霊魂を留め、常世姫は稚桜姫命の娘にして、八王大神の妃となり、八王大神の霊に感合し、つひには八王大神以上の悪辣なる手段を用ゐ、世界を我意のままに統轄せむとし、車輪の暴動を継続しつつ、その霊はなほ現代にいたるも常世の国にとどまつて、体主霊従的世界経綸の策を計画してをる。 ゆゑに常世姫の霊の憑依せる国の守護神は、今になほその意志を実行せむと企ててをる。八王大神常世彦には天足彦、胞場姫の霊より生れたる八頭八尾の大蛇が憑依してこれを守護し、常世姫には金毛九尾白面の悪狐憑依してこれを守護し、大自在天には、六面八臂の邪気憑依してこれを守護し、ここに艮の金神国治立命の神系と盤古大神の系統と、大自在天の系統とが、地上の霊界において三つ巴になつて大活劇を演ぜらるるといふ霊界の珍しき物語である。 自分はここまで口述したとき、何心なくかたはらに散乱せる大正日日新聞に眼をそそぐと、今日はあたかも大正十年陰暦十月十日午前十時であることに気がついた。霊界物語第二巻の口述ををはつた今日の吉日は、松雲閣において御三体の大神様を始めて新しき神床に鎮祭することとなつてゐた。これも何かの神界の御経綸の一端と思へば思へぬこともない。 ついでに第三巻には、盤古大神(塩長彦)、大自在天(大国彦)、艮能金神(国治立命)三神系の紛糾的経緯の大略を述べ、国祖の御隠退までの世界の状況、神々の驚天動地の大活動を略述する考へであります。読者諸氏の幸に御熟読あつて、それが霊界探求の一端ともならば、口述者の目的は達せらるる次第であります。 アゝ惟神霊幸倍坐世 大正十年旧十月十日午前十時十分 於松雲閣口述者識 (註)本巻において、国治立命、豊国姫命、国大立命、稚桜姫命、木花姫命とあるは、神界の命により仮称したものであります。しかし真の御神名は読んで見れば自然に判明することと思ひます。 |
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霊界物語 | 02_丑_常世姫の陰謀/シオン山攻防戦 | 07 天地の合せ鏡 | 第七章天地の合せ鏡〔五七〕 ここに天使稚桜姫命は、天使天道別命をして竜宮城を守らしめ、天使天真道彦命、神国別命をして地の高天原を守らしめ、滝津彦をして橄欖山を守らしめ、斎代彦をして黄金橋を守らしめ、はじめて後顧の憂ひなきをみて、稚桜姫命は金竜にまたがり、大八洲彦命は銀竜に、真澄姫は金剛に、芙蓉山より現はれいでたる木花姫命は劒破の竜馬にまたがり、あまたの従臣を率ゐて天馬空を駆けりて、高砂の島に出で行きたまひ、新高山に下らせたまふ。 天までも高く匂ふや梅の花 この高砂の神島は国治立命の厳の御魂の分霊を深く秘しおかれたる聖地であつて、神国魂の生粋の御魂を有する神々の永遠に集ひたまふ経綸地で、神政成就の暁、この聖地の神司の御魂を選抜して使用されむがための、大神の深き御神慮に出でさせられたものである。故にこの島は四方荒浪をもつて囲み、みだりに邪神悪鬼の侵入を許されない。天地の律法まつたく破れて、国治立命御隠退ののちは邪神たちまち襲来して、ほとんどその七分どほりまで体主霊従、和光同塵の邪神の経綸に全く汚されてしまつた。されど三分の残りし御魂は、今に神代のままの神国魂を抱持する厳正なる神々が、潜んで時節を待つてをらるるのである。稚桜姫命はこの中央なる新高山に到着し、あまたの正神司を集め、神界の経綸をひそかに教示しおかれた。 ここにこの島の正しき守り神、真道彦命は岩石を打ち割り、紫紺色を帯びたる透明の宝玉を持ちだし、これを恭々しく稚桜姫命に捧呈された。この玉は神政成就の暁、ある国の国魂となる宝玉である。 つぎに奇八玉命は海底に沈み日生石の玉を拾ひきたつて捧呈した。この玉は神人出生の時にさいし、安産を守る宝玉である。この玉の威徳に感じて生れいでたる神人は、すべて至粋至純の身魂を有する霊主体従の身魂である。そこで真鉄彦は谷間へ下りて水晶の宝玉を取りだし、これを稚桜姫命に捧呈した。この玉は女の不浄を清むる珍の神玉である。ここに武清彦は山腹の埴を穿ちて黄色の玉を取りいだし恭しく命に捧呈した。この玉は神人の悪病に罹れるとき、神気発射して病魔を退くる宝玉である。つぎに速吸別は頂上の巌窟の黄金の頭槌をもつて静に三回打ちたまへば、巨厳は分裂して炎となり中天に舞ひのぼつた。空中にたちまち紅色の玉と変じ、宇宙を東西南北に疾走して火焔を吐き、ついで水気を吐き、雷鳴をおこし、たちまちにして空中の妖気を一掃し、美しき紅色の玉と変じ、命の前にあまたの女性に捧持させてこれを命に献つた。この玉はある時は火を発し、ある時は水を発し、火水をもつて天地の混乱を清むるの神宝である。 稚桜姫命の一行は、馬上はるかに海上を渡りて地の高天原に帰還したまへるとき、天の八衢に鬼熊の亡霊は化して鬼猛彦となり、大蛇彦とともに命の帰還を防止し、かつその神宝を奪取せむと待ちかまへてゐた。ここに稚桜姫命は紅色の玉を用ひるは、いまこの時なりとしてこの玉を用ひむとしたまひし時、木花姫命はこれをとどめていふ。 『この玉は一度使用せば再び用をなすまじ。かかる小さき魔軍にむかつて使用するは実に残念なり。この魔軍を滅ぼすはこれにて足れり』 と懐より天の真澄の鏡をとりだして鬼猛彦の魔軍にむかつて逸早くこれを照らしたまうた。魔神はたちまち黒竜と変じ、邪鬼と化して、ウラル山目がけて遁走した。 天地の真澄の鏡照りわたり 醜の曲霊も逃げうせにけり 稚桜姫命一行は無事帰還された。さうしてこの玉を竜宮島の湖に深く秘めおかれた。さきに木花姫命より大足彦に賜はりしは国の真澄の鏡である。天地揃うて合せ鏡という神示は、この二個の神鏡の意である。また五個の神玉は海原彦命、国の御柱神二神の守護さるることとなつた。 (附言)後世女神および婦人らの簪に玉をつけ、また玉を連ねて頸飾りとなして、悪事を払ひ、幸福を求め、賢児を得むとするのはこの因縁に因るものである。 (大正一〇・一〇・二八旧九・二八桜井重雄録) |
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霊界物語 | 02_丑_常世姫の陰謀/シオン山攻防戦 | 39 太白星の玉 | 第三九章太白星の玉〔八九〕 竜宮城の従臣鶴若は、黄金水より出たる十二の玉の中、一個の赤玉を命にかへてアルタイ山に逃れ守つてゐたが、竹熊一派の奸策に陥り、つひにこれを奪取されて無念やる方なく、つひには嘆きのあまり、精霊凝つて丹頂の鶴と変じたるは、さきに述べたところである。 丹頂の鶴は昼夜の区別なく、天空高く、東西南北に翔めぐつて声も嗄れむばかりに啼き叫んだ。その声はつひに九皐に達し、天の太白星に伝はつた。太白星の精霊生代姫命はこの声を聞き、大いに怪しみ、その啼くゆゑを尋ねられた。ここに鶴若は、 『われは、わが身の不覚不敏より大切なる黄金水の宝を敵に奪はれ、大八洲彦命に謝する辞なく、いかにもして、この玉を探し求め、もつて竜宮城に帰参を願ひ、再び神人となり、この千載一遇の神業に参加せむと欲し、昼夜の区別なく地上を翔めぐり探せども、今にその行方を知らず、悲しみにたへずして啼き叫ぶなり』 と奉答した。生代姫命は、 『そは実に気の毒のいたりなり。われは十二の白鳥を遣はし、黄金水の宝に優れる貴重なる国玉を汝に与へむ。汝が敵に奪はれたる玉は今や死海に落ち沈めり。されどこの玉はもはや汚されて神業に用ふるの資格なし。されば、われ新に十二の玉を汝に与へむ。この玉を持ちて竜宮城に帰還し、功績を挙げよ』 と言葉をはるや、忽然としてその神姿は隠れ、白気となりて太白星中に帰還された。たちまち鳩のごとき白鳥天より降るをみとめ雀躍抃舞した。されど鶴若は、わが身一つにして十二の白鳥の後を追ふはもつとも難事中の難事なり、いかがはせむと案じ煩ふをりしも、天上より声ありて、 『汝は天空もつとも高く昇り詰め、玉の行方を仔細に見届けよ』 といふ神の言葉が聞えてきた。 鶴若はその声を聞くとともに天上より引つけらるるごとき心地して、力のかぎり昇り詰めた。このとき十二の白鳥は諸方に飛散してゐたが、たちまち各地に降下するよと見る間に白き光となり、地上より天に冲して紅霓のごとく輝いた。 鶴若はその光を目あてに降つた。見れば白鳥は一個の赤玉と化してゐる。鶴若は急いでこれを腹の中に呑み込んだ。また次の白気の輝くところに行つた。今度はそれは白玉と化してゐた。これまた前のごとく口より腹に呑み込んだが、かくして順次に赤、青、黒、紫、黄等の十二色の玉をことごとく腹に呑み込んだ。鶴若は、身も重く、やむをえず低空を飛翔して、やうやく芙蓉山の中腹に帰ることをえた。 芙蓉山の中腹には種々の色彩鮮麗なる雲立ちあがつた。この光景を怪しみて、清国別は訪れて行つた。すると其処には立派なる女神が一柱現はれて、十二個の玉を産みつつあつた。清国別は怪しみて、 『貴神は何神ぞ』 と尋ねた。女神は答ふるに事実をもつてし、かつ、 『この玉を貴下は竜宮城に送り届けたまはずや』 と頼んだ。この女神は鶴野姫といふ。 清国別はここに肝胆相照らし、夫婦の約を結び、竜宮城に相携へて帰還し、この玉を奉納せむとした。 しかるに夫婦の契を結びしより、ふたりはたちまち通力を失ひ、次第に身体重く、動くことさへままならぬまでに立ちいたつた。 ふたりは神聖なる宝玉はともかく、夫婦の契によりてその身魂を涜し、通力を失ひたることを悔い、声をはなつて泣き叫ぶ。 その声はアルタイ山を守る守護神大森別の許に手にとるごとく聞えた。大森別は従臣の高山彦に命じ、芙蓉山にいたつてその声の所在を探らしめた。 高山彦は命を奉じ、ただちに芙蓉山に天羽衣をつけて、空中はるかに翔り着いた。見ればふたりは十二の玉を前に置き泣き叫んでゐる。高山彦は大いにあやしみ、 『汝、かかる美しき宝玉を持ちながら、何を悲しんで歎きたまふや』 と問ふた。ふたりは答ふるに事実をもつてし、かつ、 『貴神司はこの十二の玉を竜宮城に持ちゆき、大八洲彦命に伝献したまはずや』 と口ごもりつつ歎願した。 高山彦はこの物語を聞き、しばし頭を傾け、不審の面持にて思案の体であつた。たちまち物をも言はず、ふたたび羽衣を着し、アルタイ山めがけて中空はるかに翔り去つた。 後にふたりは絶望の念にかられ、その泣き声はますます高く天上に届くばかりであつた。ふたりのまたの名を泣沢彦、泣沢姫といふ。 高山彦はアルタイ山に帰り、大森別に委細を復命した。大森別は、 『こは看過すべからず。汝も共にきたれ』 といふより早く天の羽衣を着し、芙蓉山に向つた。さうして心よくふたりの請を入れ、十二個の玉を受取り、ただちに竜宮城にいたり、この玉を奉献した。 大八洲彦命は大いに喜び、これを千載の神国守護の御玉とせむと、シオン山に立派なる宮殿を造営し、これを安置した。 シオン山は竜宮城の東北に位し、要害堅固の霊山にして、もしこの霊山を魔軍の手に奪はれむか、地の高天原も竜宮城も衛ることのできない重要な地点である。 ここに棒振彦仮の名美山彦、高虎姫仮の名国照姫は、この霊地を奪ひ、かつ十二の宝玉をとり、ついで竜宮城および地の高天原を占領せむとして、主としてシオン山に驀進した。かくていよいよシオン山の戦闘は開始さるるのである。 (大正一〇・一一・六旧一〇・七谷口正治録) |
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霊界物語 | 02_丑_常世姫の陰謀/シオン山攻防戦 | 余白歌 | 余白歌 夢ならばいつかは醒めむ夢の世の夢物語聞いて目さませ〈序前〉 古へゆ今に変らぬ神の世の活物語するぞうれしき〈序前〉 天地のあらむ限りは人の世の光とならむこの物語〈序前〉 浮き沈み憂きを美山の彦神と化けおふせたる棒振彦の神〈第2章(初版)〉 苦にならぬ国照姫の名をかたる鼻高虎の醜の曲津見〈第2章(初版)〉 奸策を種々さまざまに振りまはす棒振彦の汚れたる身は〈第2章(初版)〉 高虎の醜女の神はロツキーの山の鼻高姫を使いつ〈第2章(初版)〉 顕はれて間なく隠るる二日月〈第4章〉 四日月を三日月と見る二日酔〈第4章〉 空海も必ず筆を選むなり〈第4章〉 美山彦国照姫は名を替へて言霊別や言霊姫となりぬ〈第5章〉 病神どこへうせたか春の風〈第5章〉 神徳は山より高し天真坊〈第6章(初版)〉 天地の律法を正す天道坊〈第6章(初版)〉 尻尾まで別れて逃げる古狐〈第8章(初版)〉 春霞棚引きそめて久方の高天原の教の花咲く〈第8章(初版)〉 久恵彦の足は行かねど天の下世の悉々は覚りましけり〈第8章(初版)〉 人皆の夢にも知らぬ幽事を覚すは神の教なりけり〈第8章(初版)〉 惟神道の奥処に別け入れば心の罪の恐ろしきかな〈第8章(初版)〉 冠を足にはきつつよろこびて沓をかしらにかぶる世の中〈第9章(初版)〉 良き人はしいたげられて曲者のもてはやさるる暗の世の中〈第9章(初版)〉 毒よりも気の毒としれ曲つ神〈第10章(初版)〉 毒々し曲津の毒の巧みごと〈第10章(初版)〉 気を付けよ味方の中に敵潜む〈第10章(初版)〉 虎よりもおそろしき口を人は持ち〈第11章〉 しこめとは我大神をおしこめしからの身魂の使なりけり〈第12章(初版)〉 まごころを貫きとほす槍の穂に常世の鬼も逃げうせにけり〈第13章〉 蜂かこむ室屋を出て大巳貴須世理の姫の比礼に免れつ〈第13章〉 烏羽玉の暗き天地照らさむと雲押し別けて月は出でけり〈第13章〉 惟神宇宙の外に身をおきて日に夜に月の光あらはすも〈第13章〉 炉の傍に居ても寒けき冬の夜の御空に澄める月もありけり〈第13章〉 いつはりの無き世なりせば斯くばかり心も身をも砕かざらまし〈第14章(初版)〉 初めてぞ神の恵みの知られけり苦しき坂を登り終ふせて〈第15章〉 病む時は神の御前に平伏して心の罪の在所たづねよ〈第15章〉 梟や宵になく声朝のこゑ〈第16章(初版)〉 登りゆく神路の山の山松に神の恵の露の玉散る〈第17章〉 八島国島の悉々照り渡る神の威徳に隈蔭もなし〈第17章〉 大空にきらめき渡る星かげものぼる旭にかくろひにけり〈第19章〉 一切のことに疑問を抱く内はまだ小人の境を脱せず〈第22章〉 世の中の総ては区々の感情の争ひなりせば神に在れ人〈第22章〉 幸福は家内揃うて睦まじく暮すにまさる歓びはなし〈第23章〉 産業の外の事業の一切は皆空業と覚るべきなり〈第23章〉 現し世の濁りに濁り乱るるはみな黄金の禍ひなりけり〈第25章〉 神界の真の神業は産業にあらねど唯一の実業と知れ〈第25章〉 奇魂智慧の光は村肝の心の暗を照り明すなり〈第26章〉 奇魂智の道の程々に世の物事を裁く義しさ〈第26章〉 世を救ひ国を開きて曲津まですくふ言霊別の雄々しさ〈第28章〉 国々に御名を変へさせ玉ひつつ救ひの為に降ります主〈第29章〉 天のはて地のきはみもおつるなく照らす光と現はれし救主〈第29章〉 老人も若きも男子女子も上る神路の山は変らじ〈第30章〉 あし原の中つ御国は異人の夢にも知らぬ宝ありけり〈第30章〉 教とは人の覚りの及ばざる神の言葉の御告なりけり〈第30章〉 躊躇の心打ち捨て勇ましく思ひし善事遂ぐるは義し〈第34章〉 国人を幸ふために身を忘れ難みに殉ふ心義しさ〈第34章〉 一家内和合なければ自棄自暴遂には離散の憂目見るべし〈第36章〉 咲く花の散り行く見ればいとど猶身の果敢なきを忍ばるるかな〈第37章〉 身体はよし死るとも霊魂は幾千代までも生きて栄ゆる〈第37章〉 みづみづしをしへの主の御姿は空照り渡る月のかんばせ〈第40章〉 春の朝露にほころぶ白梅の花にもまして美しき救主〈第40章〉 万有に通ずる真の神力は自信の光に如くものは無し〈第42章〉 わが祈る誠を愛でて惟神奇しき力を授け玉へよ〈第44章〉 天照神の教は神国の人のふむべき大道なりけり〈第44章〉 釈迦孔子や外の聖の唱へたる教も一つは善き節もあり〈第44章〉 今の世は神の職の多けれど神の真教を知る人まれなり〈第44章〉 時つ風吹き荒ぶとも真木柱立てし初めの心ゆるめな〈第49章〉 醜草を薙ぎて放りて神国の日本魂の松の種蒔け〈第49章〉 いろいろと世は紫陽花の七変り変らぬ道は天津日の道〈第49章〉 道のため書き記したる教典の千代万代に栄えとぞ思ふ〈第50章〉 この道の光も知らぬ人草は醜の魔風に靡き伏しつつ〈第50章〉[この余白歌は八幡書店版霊界物語収録の余白歌を参考に他の資料と付き合わせて作成しました] |
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霊界物語 | 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 | 総説 | 総説 天地剖判して大地、日、月、星辰現はれ、地上には樹草、人類、獣、鳥、魚、虫を発生せしめ、各自分掌の神を定めてこれを守護せしめたまひける。 大神は人体の元祖神として天足彦、胞場姫を生みたまひ、天の益人の種と成したまひたり。しかるに天足彦は胞場姫のために神勅にそむきて霊主体従の本義を忘れ、つひに体主霊従の果実を食し、霊性たちまち悪化して子孫に悪念を遺したるのみならず、邪念はおのづから凝つて八頭八尾の大蛇と変じ、あるひは金毛九尾の悪狐と化し、六面八臂の魔鬼となり、世界を混乱紛擾せしめ、国治立大神、国直姫命、大八洲彦命以下の諸神を根の国に隠退せしめ、盤古大神(塩長彦)を奉じて国治立大神の聖職に代らしめ、塩長姫をして国直姫命の職をおそはしめ、八王大神(常世彦)をして大八洲彦命の職を司らしめ、常世姫をして豊国姫命にかはらしめ、和光同塵的神策を布き、一時を糊塗して、大国彦と結託し、世界を物質主義に悪化し、優勝劣敗、弱肉強食の端を開き、つひには収拾すべからざる悪逆無道の暗黒界と化せしめ、その惨状目もあてられぬ光景となりたれば、天の三体の大神も坐視するに忍びず、ここに末法濁世の代を短縮して再び国治立命の出現を命じたまひ、完全無欠の理想の神世の出現せむとする次第を略述せるものなれども、製本上の都合により本巻は、国大立命および金勝要神、大将軍沢田彦命の隠退さるるまでの霊界の消息を伝ふることとせり。ゆゑにこの霊界物語は、あたかも大海の一滴、九牛の一毛にもおよばず、無限絶対、無始無終の霊界の一部の物語なれば、これをもつて霊界の全況となすは誤りなり。願はくはこの書をもつて霊界一部の消息を探知し、霊主体従の身魂に立ちかへり、世界万国のために弥勒の神業に奉仕されむことを懇望する次第なり。数千年間の歴史上の事実のみ研究さるる現代の人士は、この物語を読みて或ひは怪乱狂暴取るにたらざる痴人の夢物語と嘲笑し、牽強附会の言となさむは、むしろ当然の理といふべし。神諭に曰く、 『世の元の誠の生神が、時節きたりてこの世に現はれ、因縁ある身魂にうつりて太古から言ひおきにも、書きおきにもなきことを、筆と口とで世界へ知らすのであるから、世界の人民が疑ふて真実にいたさぬのは、もつとものことであるぞよ云々』 と示されあり。また、 『この神の申すことは、因縁の身魂でないと、到底腹へは這入らぬぞよ』 と示されあり。ゆゑに神縁深き人士にあらざれば、断じて信じ難からむ。 要は、単に一片の小説と見なしたまふも不可なく、また痴人の夢物語として読まるるも可なり。ただ天地の大神たちの天地修理固成の容易ならざる御艱難と御苦心の径路を拝察したてまつり、かつ洪大無辺の神恩に報ひたてまつり、人生の本分を全ふしうる人士の一人にても出現するにいたらば、口述者にとりて、望外の欣幸とするところなり。惟神霊幸倍坐世 大正十一年一月王仁識 |
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霊界物語 | 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 | 23 鶴の一声 | 第二三章鶴の一声〔一二三〕 崑崙山には紅色の国魂を、紅能宮を造営して鄭重に鎮祭され、八王神には磐玉彦を任じ、妻磐玉姫は神務を輔佐し、八頭神は大島彦が任ぜられ、大島姫妻として神政を内助し、紅能宮の司には明世彦、明世姫の二神奉仕し、崑崙山一帯の地方は、きはめて太平無事に治まりゐたりける。 磐玉彦は名利に薄く、かつ忠誠無比にして、一切の宝玉、珍品を地の高天原に献納し、自己を薄くし、下を憐み、善政を布きたまひて、四辺よく治まり、鼓腹撃壌して神人その業を楽み、小弥勒の神政は樹立されたる姿なり。ために天上の日月は清く晴れわたり、蒼空一点の妖気をとどめず、五風十雨の順序ととのひ、地には蒼々として樹草繁茂し、五穀ゆたかに、鳥啼き花笑ひ、四季ともに春陽の気充ちて、世界第一の楽土と羨望さるるにいたりける。 磐玉彦は、 『天下克く治まり、神人みづから田を耕して食し、井を穿つて飲み、室に憤怨の声なく、神人和楽の色あり。かかる瑞祥の世には、天地の律法も徒に空文と化し、八王神の聖職もまた無用の長物たるに似たり。日夜無事に苦しみつつ高位にあるは、天地に対し何ンとなく心愧かしさに堪へず。すみやかに八王神の聖職を辞退して下に降り、神人とともに神業を楽まむ』 と決意し、ひそかに八頭神大島彦を招き、その意を告げたまひける。 大島彦はこの言を聞きておほいに驚き、暫時黙然として何の答弁もなく、八王神の顔を眺めつつありしが、たちまち首を左右に振り涙を流して諫めていふ。 『崑崙山一帯の今日の至治太平なる祥運は、貴神司の神徳の致すところにして、我らをはじめ下万神万民の貴神司を慕ひたてまつりて、感謝措く能はざるところなり。しかるに貴神司にして聖位を捨て、野に下らせたまへば、いづれの神司か、よくこの国土を治むべき。上を敬ひ下を愛撫し、もつて社稷を安全に保つは聖者の天賦的聖職なり。願はくば大慈大悲の聖徳によりて、なにとぞ退位の儀は、断念させたまへ』 と声涙交々下つて、諫言よく努めけるに、磐玉彦は答へて、 『我は八王神として、高天原の大神より重職を忝なうし、何の功労もつくさず、日夜神恩の深きを思ふごとに、慙愧の念胸に迫りて苦しく、一日として心を安んずることあたはず。下神人は日夜営々兀々として神業に奉仕し、汗油をしぼりて勤勉神業を励むなる世に、吾はいたづらに雲深く殿中にありて安逸の生を送り、何の活動をもなさず、曠職いたづらに光陰を消するは、天地の大神に対したてまつり恐懼にたへず。今日の至治泰平は、要するに貴下らが誠実と苦心の賜なり。すみやかに吾の思望を許し、貴下は直ちに八王神の位に昇りて神務を主管されたし。吾はこれより夫妻ともに山野に隠れ、修験者となりて神明に祈り、神政の万歳を守らむ。男子たるもの一度決心したるうへは、いかなる諫言も拒止も耳にはいり難し』 と決心の色面に現はれ容易に動かすべからず。大島彦も、平素寡欲にして恬淡水のごとき八王神なれば、如何ともするに由なく、ただ黙然として深き憂に沈みゐたりしが、ヤヽありて大島彦は口をひらき、 『貴神司の潔白なる御神慮は、神人ともに常に歎賞おかざるところ、今更いかに諫めたてまつるとも、初志を翻させ給ふことなからむ。されど貴神司の身魂は貴神司の単独に処置さるべき軽々しきものに非ず、遠き神世の因縁によりて上下の名分定まり、天地の大神の優渥なる御委任に出づるものなれば、吾らはこれより直ちに地の高天原に参上がり神示を蒙りしうへ、その結果を詳しく奏上せむ。何はともあれ、それまでは何事も吾らに一任あらむことを』 と力をこめて歎願したりしに、磐玉彦は、 『貴下の言道理にかなへり、万事は一任すべし。よきやうに計らひくれよ』 と言を残して奥深く姿をかくしたまひける。 大島彦はただちに天の磐船に乗り、従者をともなひ空中風をきつて竜宮城に到着し、大八洲彦命に謁をこひ、八王神の退隠の件につき、裁断を下されむことを奏請したりける。ここに大八洲彦命は、すぐさま地の高天原の大宮にいたりて国直姫命に拝謁し、前述の次第を逐一奏上し、神勅の降下を願ひしに、国直姫命は衣服を更め、身体を清め、大神殿に進みいり、恭しく神勅を乞ひたまひ、大八洲彦命を近く召し、容姿をあらため厳かに神示のおもむきを伝達されたり。その神示の大要は、 『磐玉彦は遠き神代よりの御魂の因縁によりて、崑崙山に八王神の聖職を拝するは動かすべからざる神界の一定不変の経綸なり。君は万古君たるべく、臣はまた万古末代臣たるべし。王にして臣となり、あるひは下賤の地位に降り、臣にしてたちまち王の位に進むごときは、天地の真理に違反し、かつ大神の御神慮を無視するものなり。神勅一度出てはふたたびこれを更改すべからず。神の一言は日月のごとく明らかにして一毫も犯すべからず。かつ名位は神の賦与する正欲にして、長者たるものの欠くべからざる栄誉なり。磐玉彦いかなればかかる明瞭なる問題を提出して、大神の御神慮を悩ませ奉るぞ。たとへ生くるも死するもみな大神の御心のままなり。一時も早く片時もすみやかに神慮を反省し、もつて神勅のまにまに八王神の聖職を奉仕し、今後ふたたびかかる問題を提出し神慮を煩はすこと勿れ』 との厳命なりける。 大八洲彦命は神示を拝し、恭しく礼を述べ、大島彦を近く招きて、神示を詳細に諭達したまへり。 大島彦はおほいに歓び急ぎ崑崙山に飛還し、八王神に一切の神示を恭しく復命奏上したりけり。素より正義純直の八王神は、神勅を重ンじ前非を悔い、ふたたび元の聖職につき、その後数百年のあひだは、実に至治至楽、泰平の聖代は継続されたり。神命の犯すべからざるは、これにても窺ひ知らるべし。 (大正一〇・一一・二〇旧一〇・二一出口瑞月録) (第二一章~二三章昭和一〇・一・一六於亀の井旅館王仁校正) |