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霊界物語 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 総説 総説 天地剖判して大地、日、月、星辰現はれ、地上には樹草、人類、、鳥、魚、虫を発生せしめ、各自分掌の神を定めてこれを守護せしめたまひける。 大神は人体の元祖神として天足彦、胞場姫を生みたまひ、天の益人の種と成したまひたり。しかるに天足彦は胞場姫のために神勅にそむきて霊主体従の本義を忘れ、つひに体主霊従の果実を食し、霊性たちまち悪化して子孫に悪念を遺したるのみならず、邪念はおのづから凝つて八頭八尾の大蛇と変じ、あるひは金毛九尾の悪狐と化し、六面八臂の魔鬼となり、世界を混乱紛擾せしめ、国治立大神、国直姫命、大八洲彦命以下の諸神を根の国に隠退せしめ、盤古大神(塩長彦)を奉じて国治立大神の聖職に代らしめ、塩長姫をして国直姫命の職をおそはしめ、八王大神(常世彦)をして大八洲彦命の職を司らしめ、常世姫をして豊国姫命にかはらしめ、和光同塵的神策を布き、一時を糊塗して、大国彦と結託し、世界を物質主義に悪化し、優勝劣敗、弱肉強食の端を開き、つひには収拾すべからざる悪逆無道の暗黒界と化せしめ、その惨状目もあてられぬ光景となりたれば、天の三体の大神も坐視するに忍びず、ここに末法濁世の代を短縮して再び国治立命の出現を命じたまひ、完全無欠の理想の神世の出現せむとする次第を略述せるものなれども、製本上の都合により本巻は、国大立命および金勝要神、大将軍沢田彦命の隠退さるるまでの霊界の消息を伝ふることとせり。ゆゑにこの霊界物語は、あたかも大海の一滴、九牛の一毛にもおよばず、無限絶対、無始無終の霊界の一部の物語なれば、これをもつて霊界の全況となすは誤りなり。願はくはこの書をもつて霊界一部の消息を探知し、霊主体従の身魂に立ちかへり、世界万国のために弥勒の神業に奉仕されむことを懇望する次第なり。数千年間の歴史上の事実のみ研究さるる現代の人士は、この物語を読みて或ひは怪乱狂暴取るにたらざる痴人の夢物語と嘲笑し、牽強附会の言となさむは、むしろ当然の理といふべし。神諭に曰く、 『世の元の誠の生神が、時節きたりてこの世に現はれ、因縁ある身魂にうつりて太古から言ひおきにも、書きおきにもなきことを、筆と口とで世界へ知らすのであるから、世界の人民が疑ふて真実にいたさぬのは、もつとものことであるぞよ云々』 と示されあり。また、 『この神の申すことは、因縁の身魂でないと、到底腹へは這入らぬぞよ』 と示されあり。ゆゑに神縁深き人士にあらざれば、断じて信じ難からむ。 要は、単に一片の小説と見なしたまふも不可なく、また痴人の夢物語として読まるるも可なり。ただ天地の大神たちの天地修理固成の容易ならざる御艱難と御苦心の径路を拝察したてまつり、かつ洪大無辺の神恩に報ひたてまつり、人生の本分を全ふしうる人士の一人にても出現するにいたらば、口述者にとりて、望外の欣幸とするところなり。惟神霊幸倍坐世 大正十一年一月王仁識
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霊界物語 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 09 弁者と弁者 第九章弁者と弁者〔一〇九〕 寒風吹き荒み、牡丹餅雪さへ降りきたる高熊山の巌窟の入口に、霊縛を受け、身動きならぬ苦しさに、二時間ばかりを費やせしと思ふころ、またもや王仁は霊界に逍遥したりける。 たちまち巌壁に紫紺色の雲の戸帳がおろされ、中より荘重なる大神の御声聞こゆると同時に、紫紺色の雲の戸帳は自然にまきあげられ、正面には、えもいはれぬ荘厳なる宝座が設けられ、あまたの天使を従へて国治立命、国直姫命と共に中央に着座され、ふたたび神界探険の厳命を降したまひしが、宝座は忽然として消え去りし刹那に、自分はある高山の頂に登り、鬼城山におこれる種々の経緯を見るとはなしに、見聞しゐたりける。 鬼城山には灰色の玉を鎮祭し、真鉄彦を八王神となし、元照彦を八頭神となし、真鉄姫、元照姫を八王八頭神の妻として、永遠に守護せしむることに決定されたり。しかるに鬼城山にはすでに棒振彦の変名なる美山彦、高虎姫の変名なる国照姫ら、常世姫の権威を笠にきて傍若無人の挙動多く、加ふるに杵築姫、清熊、猿世彦、駒山彦らの邪神とともに武威を輝かし、容易に国治立命の神命を奉ぜず、かつ律法を遵守せず、地の高天原より八王八頭の神司の赴任をさまたげ、魔神を集めてあくまで対抗しつつありしなり。 ここに大八洲彦命は諸神将をあつめ、美山彦の罪状にたいし、 『天地の律法御制定により従前の罪悪を大赦せられたれば、この際本心に立ち帰らせ、神業に参加せしめなば如何』 と提議されたり。諸神将は天使長の御意見に賛成したてまつらむと、満場一致をもつて命の提議を可決したり。されど邪智ふかき美山彦以下の曲人らの一筋縄にては到底城を追ひがたきを知り、竜宮城の侍女にして弁舌に巧みなる口子姫をつかはし、神意を伝達し、すみやかに大神に帰順せしむべく旨を含めて鬼城山に遣はしたまひける。 口子姫は照妙のうるはしき衣を着かざり、二柱の侍女をともなひ、鬼城山にいたり、美山彦をはじめ国照姫に面接を申込みたり。美山彦らは、口子姫を奥の間にみちびき来意を尋ねたるに、口子姫は一礼して後おもむろにいふ。 『このたび天地の律法地の高天原において制定され、世界の各所に十二の国魂を鎮祭し、八王八頭の神司を任命したまひたり。しかして鬼城山は真鉄彦、真鉄姫、元照彦、元照姫の主宰のもとに於かるることに決定されたり。汝はすみやかにこの神命を拝受し、鬼城山の城塞を明けわたし、地の高天原に参上りて神務に奉仕されよ。以上は天使長大八洲彦命の直命なり』 と淀みなく申渡しけるに、国照姫は、膝をすすめてその処置の不当なるを罵り、かつ懸河の弁舌をふるひて滔々と弁駁につとめたり。されど口子姫は名題の弁舌者なれば、負ず、劣らず布留那の弁をふるひて、神命の冒すべからざる理由を極力弁明したりけれども、国照姫もさすがの悪漢、口子姫が一言述ぶればまた一言、たがひに舌鉾火花を散らし鎬を削り、弁論はてしもなく、寝食を忘れて七日七夜を費やしけるが、布留那の弁者口子姫も、つひに国照姫の舌鉾に突き破られて兜を脱ぎ、国照姫の幕下となり、地の高天原に三年を経るも復命せざるのみならず、その身は鬼城山の美山彦に重用され、高天原に一時は反旗を翻すにいたりける。 大八洲彦命はふたたび諸神将を集めていふ。 『鬼城山に遣はせし口子姫は三年を経るもいまだ復命せざるのみか、もろくも国照姫の侫弁に肝をぬかれ、いまや鬼城山の重臣となり、反旗を翻さむとせりと聞く。鬼城山の美山彦一派にたいし膺懲の神軍をむけ、一挙にこれを討滅せむは容易の業なれども如何せむ、天地の律法は厳然として日月のごとく、毫末も犯すべからず、諸神の御意見承りたし』 と諸神司に対しはかりたまひける。ここに天使神国別命すすみいで、 『天地の律法は「殺す勿れ」とあり、仁慈をもつて万物に対するは、大神の御神慮にして、かつ律法の示すところなり。大神は禽虫魚にいたるまで、広く万物を愛せよと宣ひ、かつ律法に定めおかれたり。彼らはいかに猛悪の神なりといへども、一方の頭領と仰がるるにおいておや。望むらくは再び使をつかはして大神の神慮を懇切に説き示し、大義名分を悟らせなば、つひに心底より帰順するにいたらむ。よろしく吾妻別の一子須賀彦を遣はしたまへ』 と進言しければ、天使長はこの言を容れ、須賀彦を第二の使者として、鬼城山に派遣したまひける。 (大正一〇・一一・一五旧一〇・一六森良仁録)
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霊界物語 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 17 岩窟の修業 第一七章岩窟の修業〔一一七〕 万寿山は前述のごとく、神界の経綸上もつとも重要なる地点なれば、これを主管する八王神は他の天使八王神に比してもつとも神徳勝れ、かつ神界、幽界の大勢を弁知し、大神の神慮を洞察せざるべからずとし、八王神なる磐樟彦は、単独にて万寿山城をひそかに出城し、霊鷲山の大岩窟にいたりて百日百夜、すべての飲食を断ち、世染をまぬがれ一意専心に霊的修業をはげみ、つひに三ツ葉彦命の神霊に感合し、三界の真相をきはめ、天晴れ万寿山城の王たるの資格を具有するにいたりける。 磐樟彦は、霊鷲山の大岩窟を深く探究したるに、数百千とも限りなき小岩窟ありて、大岩窟の中の左右に散在して、それぞれ受持の神守護されつつありき。この岩窟はいはゆる宇宙の縮図にして、山河あり、海洋あり、種々雑多の草木繁茂し、禽虫魚の類にいたるまで森羅万象ことごとくその所を得て、地上の神国形成されありぬ。 三ツ葉彦命の霊媒の神力により、数十里に渉れる大岩窟の磐戸を開き、現はれいでたる気品高き美しき女神は、数多の侍女とともに出できたり、磐樟彦に向ひ軽く目礼しながら、 『汝は神界のために昼夜間断なく神業に従事して余念なく、加ふるに百日百夜の苦行をなめ、身体やつれ、痩おとろへ、歩行も自由ならざるに、どの神司も恐れて近付きしことなき、この岩窟の神仙境にきたりしこと、感ずるにあまりあり。妾はいま、汝の熱心なる信仰と誠実なる赤心を賞て、奥の神境に誘ひ、坤の大神豊国姫命の御精霊体なる照国の御魂を親しく拝せしめむとす。すみやかに妾が後にしたがひきたれ』 といひつつ、岩窟の奥深く進みける。磐樟彦は女神の跡をたどりて、心も勇みつつ前進したりしが、はるか前方にあたりて、眼も眩きばかりの鮮麗なる五色の円光を認め、両手をもつて我面をおほひながら恐るおそる近付きける。女神はハタと立留まり、あと振かへり命にむかひ、 『汝の修業はいよいよ完成したり。ただちに両手をのぞき肉眼のまま、御神体なる照国の御魂を拝されよ。この御魂をつつしみ拝せば三千世界の一切の過去と、現世と、未来の区別なく手に取るごとく明瞭にして、二度目の天の岩戸開きの神業に参加し、天地に代る大偉功を万世に建て、五六七の神政の太柱とならせたまはむ。神界の状勢は、この御魂によりて伺ふときは、必然一度は天地の律法破壊され、国治立命は根の国に御隠退のやむなきに立いたりたまひ、坤の金神豊国姫命もともに一度に御退隠あるべし。しかしてその後に盤古大神現はれ、一旦は花々しき神世となり、たちまち不義の行動天下に充ち、わづかに数十年を経て盤古の神政は転覆し、ここに始めて完全無欠の五六七の神政は樹立さるるにいたるべし。汝は妾が言を疑はず、万古末代心に深く秘めて天の時のいたるを待たれよ。神の道にも盛衰あり、また顕晦あり。今後の神界はますます波瀾曲折に富む。焦慮らず、急がず、恐れず、神徳を修めて一陽来復の春のきたるを待たれよ』 と懇に説き諭したまひて、たちまちその気高き美しき女神の神姿は消えたまひける。 磐樟彦は天を拝し、地を拝し、感謝の祝詞をうやうやしく奏上したまふや、今まで光の玉と見えたる照国の御魂は崇高なる女神と化し、命の手をとり、紫雲の扉をおし明け、宝座の許に導きたまひける。 夢か、現か、幻か。疑雲に包まれゐたるをりしも、寒風さつと吹ききたつて、肌を刺す一刹那、王仁の身は高熊山の岩窟の奥に、端座しゐたりける。 (大正一〇・一一・一七旧一〇・一八土井靖都録)
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霊界物語 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 18 神霊の遷座 第一八章神霊の遷座〔一一八〕 霊鷲山は磐樟彦が修業の霊場にして、天神地祇の中にてももつとも先見の明ある神々のひそみて時を待ちたまふ神仙境なれば、等閑に附すべき所にあらずとし、磐樟彦は諸神司と議り霊窟のほとりに大宮柱太敷く造営し、神人らの修業所として鄭重に設備をほどこし、三ツ巴の神紋は、社殿の棟に燦然として朝日に輝き、夕日に照り映えじつに壮観をきはめたりける。満山ことごとく常磐の老松をもつて覆はれ、得もいはれぬ神々しさなり。社殿の境内には千年の老松、杉、桧、楓、雑木苔生して中天高く聳えたち、諸鳥の囀る声はあたかも天女のきたりて音楽を奏するかと疑はるるばかりなりける。 ここにいよいよ社殿は完全に建て上げられたり。八王神磐樟彦、磐樟姫をはじめ、八頭神なる瑞穂別、瑞穂姫は神霊鎮祭のため神衣を着し、参拝さるることとなりけり。 祭官としては、神世彦斎主となり、守国彦副斎主となり、大川彦は祓戸主となり、国清彦は後取を奉仕し、清川彦は神饌長となり、常立別は神饌副長を奉仕し、供物は海山河野の種々の珍らしきものを横山なして献られける。神饌のなかに鴨、山鳥、猪、海魚、川魚等あまた八足の机代に盛られあり。ここに旗照彦[※「旗照彦」(本章に2回出る)は第3巻第16章では「旗輝彦」になっている。]、久方彦はこの供物を一見して、 『穢らはしき物を神前に献るは何の故ぞ。神は清浄を喜び汚穢を嫌はせたまふ。しかるにかくのごとき禽や魚類の肉を献り、机上や神殿を汚し神慮を怒らせ、加ふるに博く万物を愛せよとの、天地の律法を侵害し生物を殺して神饌に供するは、何たる心得違ひぞ。神は律法を定めて殺生を固く禁じたまへり。神威を冒涜するの罪軽からず。すみやかにこの神饌を撤回し清浄無穢の神饌に改めよ』 と二神司は肩をゆすりながら顔色赤く気色ばみて述べ立てたり。これを聞くより清川彦、常立別は容をあらため襟を正し、二神司に向つていふ。 『貴下らは今吾らが献らむとする神饌にたいして色々と故障をいれたまふは心得ぬことどもなり。いはンやかかる芽出度き大神遷座の席においてをや。せつかく選りに選り、清めし上にも清め千辛万苦の結果、山野河海をあさりて漸く集め得たる宇豆の神饌を、汚穢の供物なればすみやかに撤回せよとの貴下の暴言、実に呆然たらざるをえず。貴下らは祓戸の行事を何ンと心得らるるや。恭しく祓戸の神の降臨を仰ぎ奉り、清きが上にも清き神饌なり。万一これをも汚穢の供物なりとせば、祓戸の神の御降臨は一切無意義にして、ただ単に形式のみに終らむ。吾らは大神の祭典に奉仕せむとする以上は、つねに霊主体従の法則により赤誠をこめて奉仕す。いづくンぞ形式的に祓戸の神業を奉仕し、体主霊従の逆事に習はンや。つつしンで二神司の御熟考を請ひ奉る』 と顔色をやはらげながら陳弁したりしに、旗照彦、久方彦は直ちに反対していふ。 『貴下の言は一応もつともらしく聞ゆれども、すべて大神は仁慈をもつて神の御心となし、博く万物を愛育したまふ。しかるにその広き厚き大御心を無視し、神の愛によりて成り出でたる生物を殺し、天地の律法を破壊し、大罪を犯しながら、なほもこれを大神の清き神饌に供せむとするは何事ぞ。仁慈の神の大御心を無視したる暴逆無道の挙動にして、これに勝れる無礼の行為はなかるべし。是非々々この供物は瞬時も早く撤回されたし。貴下は強情をはり神饌長の職をもつて、このままにして吾らの言を容れず、汚穢に充ちたる祭事を敢行さるるにおいては、我らはただ今かぎり折角の御盛典に列すること能はず』 吾意を固執して動く色なく、清川彦、常立別は大いに当惑しつつありしが、双方の論争を聞きかねたる斎主神世彦は、 『諸神司暫時論争を中止したまへ。我いま大神の神慮を奉伺し神示をえて正邪を決すべし』 と、ただちに件の大岩窟に白き祭服のまま進み入り神の教示を乞ひ、ふたたび祭場にかへりて神教を恭しく諸神に伝へたり。神教はきはめて簡単にして要を得たものなりき。すなはちその教示は、 『神は一切の万物を愛す。神の前に犠牲とさるる一切の生物は幸なるかな。そは一の罪悪を消滅し、新しき神国に生れ出づればなり』 との理義明白なる神示なりける。双方の争論はこの神示を尊重し、うやうやしく祭典を完了し、天地にとどろく言霊の祝詞に四方の神人集まりきたりて、荘厳無比の遷座祭の式は執行されたりけり。 (大正一〇・一一・一七旧一〇・一八栗原七蔵録) (第一六章~第一八章昭和一〇・一・一六於みどり丸船室王仁校正)
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霊界物語 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 45 猿猴と渋柿 第四五章猿猴と渋柿〔一四五〕 天使長高照姫命以下の女天使は、天地の激怒に狼狽し、ほとンど為すところを知らず、部下の神司らは残らず驚きのあまり右往左往に逃げまはり、或ひはつまづき或ひは失神し、とかげの欠伸したるごとき怪しき顔にて呆れ仰天するもあり、石亀の酒壺におちいりて溺れし時のごとき顔付にて、じつに見るも滑稽至極のいたりなりける。 雷鳴は容易にやまざるのみならず、ますます激烈に鳴りとどろき、東北の強風しきりに吹き荒み、暗雲天地に閉してすさまじく、常夜の暗のごとく神人戦慄し、禽虫族にいたるまで、いづれも地に俯伏して息をも発せざるの惨状を現出したるぞ畏こけれ。また四柱の女天使は自我心もつとも強くして、神命さへも抗拒し律法を破りたれば、天地の大神の怒りに触れ、かかる混乱状態に陥りたるぞ是非なき次第なりけり。 待ちまうけたる常世姫の部下、国照姫、杵築姫は、平素の願望を成就するはこの時を逸すべからずとし、国治立命の奥殿に参向し、高照姫命以下の女天使らの神勅を無視し、律法に違反せる罪科を詳細に陳述し、すみやかに四柱の女天使の職を免じ、聖地聖城を追放されたしと進言したり。神明に依怙なし、大神は天地の律法に対し、情に訴へて四天使を赦すわけにもゆかず、つひに涙をのンで四人の聖職を免じ、かつ四人に対し、改心のためとてエデンの園に籠居を厳命したまひける。 四天使は神命と律法にたいしては抗弁するの余地なく、唯々として厳命を拝受し、命のまにまにエデンの園に籠居の憂目を味はふの止むなきに立いたりけり。 四天使の追放とともに、さしも激烈なりし雷鳴も、凄じかりし電火も、烈風強雨も、たちまち鎮まりて清澄なる天地と化し、宇宙は夢の醒めたるごとき光景となりにける。 エデンの園は、東北西の三方青山をもつて囲まれ、南方のみ広く展開して一条の大川清く流れ、自然の城壁を造られあり。四人はこの一定の場所に押込められ、草木の実を食用に供しつつ楽からぬ光陰を送りけり。 エデンの園は、かつて邪神の棟梁竹熊の割拠せし所にして、鬼熊のために占領せられしが、鬼熊、鬼姫の没落後まつたく竜宮城の管下になりゐたりしところなり。 因に、高照姫命は金勝要の神の和魂であり、 真澄姫命は幸魂であり、 言霊姫命は荒魂であり、 竜世姫命は奇魂である。 今まで四魂合一して、神業に奉仕されつつありしが、自我心の強烈なりしために、聖地聖城を追放され、さびしき配所の月に心を慰め、時を待ちたまふの止むをえざるに立いたりしは実に残念のいたりなりける。これについても慎むべきは、自我心と驕慢心なれ。神諭の各所に、 『金勝要之神もあまり自我心が強かつたゆゑに、狭い処へ押込められなさつたぞよ』 とあるも、この消息を漏らされたるなり。 しかるに金勝要の神は、一旦大地神界の根神とまでなりたまひしに、自我心の頑強なりしため、エデンの園に押こめられ、なほも自我を頑強に張りしため、つひには地底の醜めき穢なき国に墜落し、三千年の辛苦をなめたまふに至りしなり。 美山彦、国照姫の一派は、時運の到来をよろこびつつ、かならずや後継の天使長は、常世彦に新任され、自分らの一派は天使の聖職を命ぜらるるものと期待し、肩を怒らし鼻をうごめかし、得意頂点に達し、その吉報を今か、いまかと指をり数へて楽しみ待ちゐたりける。 しかるに豈計らむや、後継の神司は常世彦一派に下らずして、天上より降りきたれる金神の首領なる沢田彦命の一派に降りける。沢田彦命は一名大将軍と諸神将より賞揚されつつありし英雄神におはせり。 常世彦の一派は、案に相違し、猿猴が渋柿を口一杯に含みしごとく、頬をふくらせ渋面を造りながら、悄然として引下がりたるその状、見るも気の毒なる次第なりける。 ここに国治立命は沢田彦命を天使長に任じ、妻沢田姫命を輔佐神司となし、真心彦を天使に任じ、妻の事足姫をして神務を輔佐せしめたまひける。 また沢田彦命の従臣に、八雲彦、八雲姫の夫婦ありしが抜擢されて用ひられ、また真心彦には国比古、国比女の夫婦および百照彦を従臣として奉仕せしめられたり。 百照彦は、真心彦のもつとも寵愛深かりし者にして、真心彦は霜の朝、月の夕に無聊を晴らすためと、百照彦を居室に招き、種々の面白き物語を聞きて心の労を慰めゐたり。百照彦は、いかにして主の心労を慰安せむかと常に焦慮しゐたれども、主の機嫌とるべき物語も、もはや種絶れとなりにける。 いかにせば良からむやと我が居間に端座し、双手を組みて吐息をもらし、思案に沈みてゐたるを、妻なる春子姫は夫の近ごろの様子をうかがひ、夫には何か一大事の出来し、それがために朝夕苦慮をめぐらしたまふならむかと、心も心ならず、思ひきりて夫にむかひ言ふやう、 『近ごろの夫の様子を伺ひまつるに、よほど御心痛のていに見受けたてまつる。天地の間にかけがへなき水ももらさぬ夫婦のあひだに、なにの遠慮懸念のあるべきぞ、苦楽を共にすべき偕老同穴の契を結びたる妻に、心の苦衷を隠したまふは、実に冷酷無慈悲の御仕打ち、妾はこれを恨みまつる』 と涙片手に口説き立つれば、百照彦はやうやく口を開き、 『吾は主の仁慈と恩徳の深きに昼夜感謝の念を断たず。しかるに主真心彦は神務の繁忙に心身を疲労し、日をおひて身体やつれ弱らせたまふを見るにつけ、従臣の身として、これを対岸の火災視するあたはず、いかにもして主の御心を慰め奉らむと日々御側に侍し、神務の閑暇には面白き四方山の物語を御聞に達し、御心を幾分か慰め奉りきたりしに、もはや吾はめづらしき物語もつきたれば、今後はいかにして御心を慰め奉らむと、とつおいつ思案にくるるなり』 と語りて太き吐息をつく。春子姫は何事か期するところあるもののごとく、夫にむかひ笑顔をたたへ見せゐたりけり。 (大正一〇・一二・九旧一一・一一加藤明子録)
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霊界物語 03_寅_十二の国魂/大道別/天使長の更迭 50 安息日 第五〇章安息日〔一五〇〕 天地剖判に先だち、宇宙の大元霊たる無声無形の一神ありけり。 これを神典にては、天之御中主大神ととなへ奉り、神界にては大六合常立尊と申す。西洋にてはゴツドといひ、仏教にては阿弥陀如来といふ。漢土にては古来天帝または天主といふ。吾々はきはめて言語のすくない簡単な御名を選んで、ここでは天主ととなへ奉つて述ぶることにしたいと思ふ。 天主は、過去現在未来に一貫して無限絶対無始無終の大神霊にましまし、その絶対の霊威を発揮して宇宙万有を創造したまうた。 大宇宙の太初にあたつて、きはめて不完全なる霊素が出現し、それが漸次発達して霊の活用を発生するまでの歳月はほとんど十億年を費してゐる。これを神界においては、ヒツカ(一日)といふ。つぎにその霊の発動力たる霊体(幽体)なるものが宇宙間に出現した。これをチカラと称へた。チとは霊または火の意味であり、カラとは元素の意味である。この宇宙に元素の活用するにいたるまでの歳月は、また十億年を費してゐる。この十億年間を神界においてフツカ(二日)といふ。 つぎにこの元素に霊気発生して、現顕の物体を形成するにいたるまでの歳月は、また大略十億年を費してゐる。この十億年間の霊体の進歩を称してミツカ(三日)といふ。ここにいよいよ霊、力、体の三大勢力発揮して、無数の固形体や液体が出現した。太陽、太陰、大地、諸星の発生はつぎの十億年の間の歳月を費してゐる。これを神界にてはヨツカ(四日)といふ。 またつぎの十億年間の歳月を費したる神霊の活動状態を、神界にてはイツカ(五日)といふ。イツは稜威にしてカは光輝の意である。この五日の活動力によりて、動植物の種天地の間に現出した。いよいよ五十億年間の星霜を経て陰陽、水火の活用あらはれ、宇宙一切の万物に水火の活用が加はり、森羅万象の大根元が確立した。この歳月は六億年を費してゐる。この六億年間の神霊の活用をムユカ(六日)といふ。 かくのごとくして天主は宇宙万有一切をムユカに創造された。それより天主は一大金剛力を発揮して、世界を修理固成し、完全無欠の理想世界いはゆる五六七の神代、松の世を建設さるるその工程が七千万年の歳月であつて、これをナナカ(七日)といふ。ナナとは地成、名成、成就、安息の意である。七日の神霊の活用完了の暁にいたつて、至善至美至真の宇宙が完成さるる、之を安息日といふ。 安息日の七千万年間は天主の荒工事ををはつて、その修理固成のために活動さるる時代であつて、世人のいふごとく神の休息したまふ意味ではない。もしも天主にして一日はおろか一分間でもその神業を休めたまふことがありとすれば、宇宙一切の万物はたちまち滅亡してしまふからである。ゆゑにこの安息日は人々神の洪恩を感謝し、かつその神徳を讃美すべく祝すべき日である。 かくして五十六億七千万年を経て、五六七の神政まつたく成就され、天主の経綸の聖代がくるのである。しかるに幸ひなるかな、五六七の歳月もほとんど満期に近づいてをる。いよいよ五六七神政出現の上は、完全無欠、至善至美の世界となり、神人和合して永遠無窮に栄えゆくのである。ゆゑに今日までの世界は未完成時代であつた。ここに天運到来して、神政の開かるる時機となつた。現代はその過渡時代であるから、その前程として種々の事変の各所に突発するのも、神界の摂理上やむを得ざる次第であらうと思う。 この安息日については各教法家の所説も、古今東西の区別なく論議されてをるが、私は世説の如何にかかはらず、神示のままを述べたまでである。 〔附言〕 聖書に、神は六日に世界を造り了へて、七日目は安息せりといふ神言がある[※創世記第一章末から第二章冒頭にかけての一文。「(略)神其造りたる諸の物を視たまひけるに甚だ善りき夕あり朝ありき是六日なり斯天地および其衆群悉く成ぬ第七日に神其造りたる工を竣たまへり即ち其造りたる工を竣て七日に安息たまへり神七日を祝して之を神聖めたまへり其は神其創造為たまへる工を尽く竣て是日に安息みたまひたればなり(略)」(一九三七年、日本聖書協会発行『旧新約聖書』より)。]。この神言について言霊研究の大要を述べてみやうと思ふ。 ナの言霊は宇宙万有一切を兼て統一するといふことである。⦿の凝る形であり、行届く言霊であり、天国の経綸を地上に移すことともなり、⦿の確定ともなり、調理となり成就となり、水素の形となり、押し鎮むる言霊の活用ともなる。 次のナも同様の意義の活用である。 カの言霊は、燥かし固むる活用となり、晴れて見ゆる也、一切の物発生の神力となり、光明となるの活用である。 メの言霊は、世界を見るの活用となり、起り兆となり、本性を写し、女子を生み、天の岩戸を開き、草木の芽となり、眼目となるの活用である。 以上の言霊によりて、神は七日目に安息したまふといふ神語は、実に明瞭となつてくるのである。要するに宇宙万有一切の生物にたいし、神人、樹草、禽、鳥族、虫魚の区別なく、各自その所に安んじて、その天職に奉仕する聖代の現はれである。 ゆゑに七日は現代の暦にいふ日月火水木金土の一週間の日数の意味ではないことも明白なる事実であると思ふ。 (大正一〇・一二・一〇旧一一・一二加藤明子録) (第四八章~第五〇章昭和一〇・一・一九早朝於宮崎市神田橋旅館王仁校正)
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霊界物語 04_卯_常世会議/国祖隠退/神示の宇宙 18 隠忍自重 第一八章隠忍自重〔一六八〕 森鷹彦の壇上における大獅子吼はその実、地の高天原より神命を奉じて、この反逆的会議を根底より改めしむべく、神使として鬼武彦なる白狐出の猛神の変化なりける。森鷹彦はモスコーの八王道貫彦の従臣にして、あくまで強力の男子なるが、いま壇上にその雄姿を表はしたるは、実に鬼武彦の化身なりける。鬼武彦は大江山の守神にして悪魔征服の強神なりけり。 八王大神以下常世国の神人らは、何れも悪鬼、邪神、悪狐、毒蛇の天足と胞場の裔霊常に彼らの身魂を左右し、日夜悪逆無道、天則破壊の行為を続行せしめつつありける。ゆゑに今回の常世会議は、すべて背後にこれらの邪神操縦して居りて、大々的野望を達せむと企てゐたりけるに、地の高天原より大神の命により派遣されたる大江山の猛神鬼武彦のために、さすがの邪神もその魔力を発揮する機会を全く失ひけるぞ心地よき。 すべて天地の間は宇宙の大元神たる大神の御許容なき時は、九分九厘にて打ち覆さるるものなれば、さしもに名望勢力一世に冠絶せる八王大神と大自在天の威力をもつてするも、到底その目的を達し得ざるは、神明の儼乎として動かすべからざるの證拠なり。神は自ら創造したる世界を修理固成せむと、ここに千辛万苦の結果、無限の霊徳をもつて神人を生み出したまひ、天地経綸の大司宰として大神に代りて、世界を至善、至美、至安、至楽の神境となしたまふが大主願なり。併しこの時代は前述せるごとく、世界一体にして地上の主宰者は只一柱と限定されゐたりしなり。しかるに世はおひおひと開け、神人は神人を生み地上に充満するに至つて、各自の欲望発生し、神人みなその天職を忘れて、利己的精神を発生し、つひには自由行動をとり、優勝劣敗の悪風吹き荒み、八王大神のごとき自主的強力の神現はれ、天下を掌握せむとするに立到りたるなり。 ちなみに神人とは現代にいふ人格の優れたる人をいふにあらず、人の形に造られたる神にしてある時は竜蛇となり、猛虎となり、獅子となりて神変不思議の行動を為し得る神の謂なり。ゆゑに神として元形のままに活動する時は、天地をかけり、宇宙を自由自在に遠近明暗の区別なく活動し得るの便宜あり。宇宙の大元神はここにおいてその自由行動を抑圧し、地上の神界を修理せむとして神通力をのぞき、神人なるものに生み代へ変らしめたまひける。 ゆゑに神人なるものは危急存亡の時に到るや、元の姿のままの竜となり、白蛇となり、その他種々の形に還元することあり。されど還元するは神の生成化育、進歩発達の大精神に違反するものにして、一度元形に復し神変不可思議の神力を顕はすや、たちまち天則違反の大罪となりて、根底の国に駆逐さるるのみならず、神格たちまち下降して畜生道に陥るの恐れあり。ゆゑに神人たる名誉の地位を守るためには、いかなる悔しさ、残念さをも隠忍してその神格を保持することに努力さるるものなり。自暴自棄の神人はつひに神格を捨て悪竜と変じ、つひに万劫末代亡びの基を開くなり。現代のごとき体主霊従の物質主義者は、すべてこの自暴自棄してふたたび畜生道に堕落したる邪神と同様なり。これを思へば人間たるものは、あくまでも忍耐の心を持ち大道を厳守して、神の御裔たる品格を永遠に保つべきなり。 人間の中には短慮なるもの在りて危急の場合とか、一大事の場合に際し、身命を擲ちてその主張を急速に達成せむとし、知らず識らずの間に自暴自棄的行動を敢行し、瓦全よりも玉砕主義を選ぶと言ひて誇るものあり。玉砕は自己の滅亡にして、自ら人格を無視するものとなり、神界の大神の眼よりは自暴自棄、薄志弱行の徒として指弾され霊魂の人格までも失墜するに致るものなり。すべて瓦全と玉砕は、人間として易々たる業なり。天地経綸の大司宰として、生れ出でしめられたる人間はあくまでも隠忍自重して、人格を尊重し、いかなる圧迫も、困窮も、災禍も、忍耐力、荒魂の勇を揮つて玉全を計るべきは当然の道なり。アヽ現代の人間にしてこの忍耐を守り、人格を傷害せざるもの幾人かある。人は残らず禽の域を脱すること能はずして、神の造りし世界は日に月に餓鬼、修羅、畜生の暗黒界と化しつつあるは、実に遺憾の極みなりけり。 国祖の神諭にも、 『三千年の永き月日を悔し残念、艱難辛苦を耐へ耐へて、ここまできた艮の金神であるぞよ』 と示されたるも、右の理由に基くものなり。天地万有をみづから創造したまひ、絶対無限無始無終の神徳を完全に具有したまふ宇宙の大元神たる大国治立命にして、固有の神力を発揚し、太古の初発時代の神姿に還元して活動したまふにおいては、如何なる大神業といへども朝飯前の御事業なるべし。されど大神は一旦定めおかれたる天則をみづから破り、その無限の神力を発揮したまふは、みづから天則を造りて自ら之を破るの矛盾を来すものなれば、大神は軽々しくこれを断行したまはざるは、もつともなる次第なりけり。 神諭にいふ、 『艮の金神が、太古の元の姿に還りて活らき出したら、世界は如何様にでも致すなれど、元の姿のままに現はれたら、一旦この世を泥海に致さねばならぬから、神は成るだけ静まりて、世の立替を致そうと思ふて神代一代世に落ちて、世界の神、仏、人民、畜類、鳥類、昆虫までも助けてやらうと思ふて苦労を致して居るぞよ』 と示されたる神示は、我々は十分に味はひおかざるべからず。万々一国祖の神にして憤りを発し、太初の神姿に復帰したまひし時は、折角ここまで物質的に完成したるこの世界を破壊し終らざれば成らぬものなれば、大神はあくまでも最初の規則を遵守して忍耐に忍耐を重ねたまひしなり。アヽ有難き大神の御神慮よ。 常世彦をはじめ、さすがの暴悪無道の神人といへども太古のままの元形に還り、神変不可思議の活動をなすことは知りをり、かつ又その実力は慥に保有してをれども、その神人たるの神格を失ひ、根底の国において永遠無窮に身魂の苦しまむことを恐れて、容易にその魔力を揮はざりしなり。この真理を悟りし神人はたとへ肉体は滅亡するとも、決して根本的に脱線的還元の道は選ばざりしなり。アヽ犯し難きは天則の大根元なるかな。 (大正一〇・一二・二一旧一一・二三出口瑞月)
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霊界物語 04_卯_常世会議/国祖隠退/神示の宇宙 28 武器制限 第二八章武器制限〔一七八〕 神代における神人らの武装撤回は、現代の某会議のごとき、軍艦や潜航艇の噸数を制限する如き不徹底なるものではなく、神人らの肉体上に附着せる天授の武装を一部分、または全部除去することとなりける。太古の竜は厳めしき太刀肌を備へ、かつ鋭利なる利刃のごとき角を、幾本ともなく頭に戴き、敵にたいしてその暴威を揮ふとともに、一方にはこれを護身の要器となし、互ひに争闘を続けゐたりしなり。ゆゑに今回の常世会議に於て八王大神の提議したる、神人各自の武器の廃止は、神界のためにはもつとも尊重すべき大事業なりける。すなはち竜神はその鋭角を二本に定められ、他は残らず抜き取られ、その厳めしき太刀肌は容赦なく剥ぎ取られて、柔軟なる鱗皮と化せしめられたり。中には角まで全部抜き取られて、今日の蛇のごとく少しも防禦力の無きものになりたるもあり。 また猛虎や、獅子や、巨狼や、大熊のごときは鋭利なる爪牙を持てる上に、空中飛行自在の羽翼を有し、かつその毛は針のごとく固くして鋭く、実に攻撃防禦ともに極めて完全なりけるが、それをいよいよ一部分の撤回となりて、これらの猛の神卒はその針毛を抜かれ、空中飛行にもつとも便なる羽翼を無残にも断たれける。 また金毛九尾白面の悪狐、その他銀毛や、鉄毛の狐神などは、その鋭利なる固き針毛を全部脱却させられ、そのあとに軟弱なる毛を生ずるのみに止め、その代償として智慧の力を神人に勝劣なきほどまで与へられ、神界の眷属として、忠実に奉仕する役目と定められたり。しかし狐神にも善悪正邪の別ありて、善良なる狐神は白狐として神界の御用を勤め居るは、太古の世より今にいたるも変らざるなり。世には狐神を稲荷の大神と称へて居るもの沢山あれども、稲荷は飯成の意義にして、人間の衣食の元を司りたまふ神の御名なり。 豊受姫神、登由気神、御饌津神、宇迦之御魂神、保食神、大気津姫神は皆同神に坐しまして、天祖の神業を第一に輔佐したまひたる、もつとも尊き神にして、天の下の蒼生は一人として、この大神の御仁徳に浴せざるもの無し。 要するに狐神はこの大神の御使にして、五穀の種を口に銜へ世界に持ち運び、諸国の平野に蒔き拡げたる殊勲ある使者なり。世はおひおひに開けて、五穀の種も世界くまなく行きわたりたる以上は、狐神の職務も用なきにいたりければ、大神はこの狐に勝れたる智慧の力を与へて、白狐と命名され、すべての神人に世界の出来事を、精細に調査し進白せしめられにける。ゆゑに白狐とは、神人に世界一切の出来事を白し上げる狐の意味にして、決して毛色の白きゆゑにあらずと知るべし。野狐、悪狐等の風来狐でも、年さへ寄ればその毛色は漸次に白色に変ずるものにして、あたかも人間が貴賤の区別なく、老年になりて頭髪の白くなると同様なり。ゆゑに毛色は、たとへ茶でも、黒でも構はぬ、神界に仕へをる狐を白狐とはいふなり。 また空中を飛翔する猛鳥にして、立派なる羽翼を有するうへに咽喉の下に大なる毒嚢を持ちゐたるものありしが、これも今回の会議の結果取り除かれたりければ、地上の神人その他の動物は実に安心して日を送り得るに至りたるなり。また海中に棲める魚族や海蛇はいづれも鋭利なる針毛を鯱のごとくに、または針鼠のごとく全身に具備し攻防の用に供しゐたりしを、その針毛をまた除去され、鰭、鱗、牙のみ残されたるなりといふ。 かくして武装を除去されたる竜族は、漸次に進化して人間と生れ、あるひは神と生るるにいたるものなり。また獅子、虎、豹、熊、狼なぞは、世とともに進化して、人間と変じ、牛馬と生れ、犬猫などと生れ変りたるなり。その中に百の王たりし、獅子や虎豹なぞはその身魂の善進したるものは人間と変化したり。ゆゑに人間、ことに或る人種のごときはその容貌いまに獅子や虎、豹などの痕跡を止め居るなり。かかる人種の性質は、いまに太古の精神までも多少遺伝して、人情冷やかく、色食の欲にのみ耽り、体主霊従の行動を取り居るもの多し。 王仁がかくのごとき説をなす時は、人間を馬鹿にしたといつて怒る人士もあるべし。しかし王仁は元来無学で、人類学なぞ研究したることも無く、ただただ高熊山の神山に使神に導かれて、鎮魂帰神の修業の際、霊感者となり、神界探険の折、霊界にて見聞したる談なれば、その虚実の点については、如何とも答ふる由なきものなり。 (大正一〇・一二・二四旧一一・二六出口瑞月)
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霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 総説嵐の跡 総説嵐の跡 畏くも国祖国治立命は、逆神常世彦以下の不従を征するにも、天地の律法を厳守し、仁慈の矛を振ひて奇策神謀を用ひたまはず、後世湯王の桀を放ち、武王の紂を征誅するごとき殺伐の兵法をもつて、乱虐を鎮定することを好みたまはなかつた。 これに反し常世彦命らは、邪神に使役され、後世いはゆる八門遁甲の陣を張り、国祖をして弁疏するの余地なからしめ、つひに御隠退の止むなきに至らしめた。 狼獺の不仁なるも、また時としては神恩を感謝して魚を供へ、天神を祀り、雛鴉の悪食なるも猶ほ反哺の孝あり、しかるに永年国祖大神の仁慈に浴し、殊恩を蒙りたる諸神の神恩を捨て、邪神の六韜三略の奸計に乗せられ、旗色の可なる方にむかつて怒濤のごとく流れ従ひ、国祖をして所謂『独神而隠身也』の悲境に陥らしめた。 常世城の会議における森鷹彦に変装せる大江山の鬼武彦をはじめ、大道別、行成彦および高倉、旭の奇策を弄し、邪神の奸策を根底より覆へしたるごとき変現出没自在の活動は、決して国祖の関知したまふところに非ずして、聖地の神人の敵にたいする臨機応変的妙案奇策にして、よくその功を奏したりといへども、天地の律法には『欺く勿れ』の厳戒あり、神聖至厳なる神人の用ふべからざる行為なれば、その責はひいて国祖大神の御位置と神格を傷つけた。現に大道別、森鷹彦、鬼武彦らの神策鬼謀は、国祖の直命にあらず、国祖は至仁至直の言霊をもつて邪神らを悔い改めしめ、言向和さむとの御聖意より外なかつた。しかるに血気に逸り、忠義に厚き聖地の神々は、律法の如何を顧みるに遑なく、暴に対するに暴を以てし、逆に対するに逆を以てし、不知不識のあひだに各自の神格を損ひ、国祖の大御心を忖度し得なかつたためである。アヽされど国祖の仁愛無限にして責任観念の強大なる、部下諸神の罪悪を一身に引受け、一言半句の弁解がましきことをなし給はず、雄々しくも自ら顕要の地位を捨て、隠退せられたるは、実に尊さのかぎりである。吾人は国祖の大御心を平素奉戴して、ある人々の言行の不穏と誤解の結果、吾身の災厄に遭遇することしばしばである。されど、心は常に洋々として海のごとく、毅然として山のごとく、動かず騒がず、すべての罪責を一身に引受け、もつて本懐としてゐるのである。すべて人に将たるものは、よく人を知り、人を信じ、人に任じ、その正邪と賢愚を推知して各自その処を得せしめねばならぬのである。しかるに部下の選任を余儀なくして、誤らしめられたるは、自己の無知識と薄志弱行の欠点たるを省み、一言もつぶやかず、大神の仁慈の鞭として感謝する次第である。 アヽ尊きかな、千座の置戸を負ひ、十字架の贖罪的犠牲の行動に於てをや。吾人は常に惟神霊幸倍坐世を口唱す。無明暗黒の現代を救ふの愉快なる神業に於てをやである。天下に二難事あり、その一は天に昇ること、その二は人を求むることである。アヽ国祖大神の天国を地上に建設したまはむとして艱難辛苦をつくされ、神人を得むとして、その棟梁に最適任の神を得たまはざりしごとく、吾人またその例に洩れないのである。国祖大神は、聖地に清き高き美はしき宮殿を造り、至治太平の神政を樹立し、天下八百万の神人の安住する祥代をながめて、歓喜に充せたまうたのも僅に数百年、つひに善神も年と共に悪化して邪神の容器となり、国祖が最初の大目的を破滅せしめたるは、たとへば小高き山上に美はしき家をたて、その座敷から四方の風景を眺めて、その雄大にして雅趣に富めるを歓びつつありしを、家屋の周辺に樹木の尠く、風あたりの激しきを防がむために、種々の必要なる木を植付けたるに、一時は木も短くして、風景の眺望に少しも障害なかりしもの、年を経るにしたがひ、追々と成長して枝葉繁茂し、何時しか遠景の目に入らぬやうになつたのみならず、つひにはその大木に風をふくんで、その木は屋上に倒れ、家を壊し、主人までも傷つけたやうなものである。世の成功者といはるる人々にも、これに酷似した事実は沢山にあらうと思ふ。現に吾人は、家の周囲に植付けられた種々の樹木のために、遠望を妨げられ、暗黒につつまれ、つひにはその家もろともに倒されて重傷を負うたやうな夢を見たのである。されどふたたび悪夢は醒めて、さらに立派な家屋を平地に建て直す機会の到来することを確信するものである。国祖大神の時節を待つて再臨されしごとく、たとへ三度や五度失敗を重ぬるとも、機会を逸するとも、七転八起は、神または人たるものの通常わたるべき道程であるから、幾たび失敗したつて決して機会を逸したとは思はない。至誠神明に祈願し、天下国家のために最善の努力をつくすまでである。現代の人々は、吾身の失敗をことごとく棚の上に祭りこみ、惟神だとか、社会組織の欠陥そのものの然らしむる、自然の結果なりと思ふなぞの詭弁に依帰してしまつて、自己の責任については、少しも反省し自覚するものがない。宗教家の中には『御国を来らせたまへ」とか「神国成就五六七神政』とかいふことを、地上に立派な形体完備せる天国を立てることだとのみ考へてゐるものが多い。そして地上の天国は、各人がまづ自己の霊魂を研き、水晶の魂に建替るといふことを知らぬものが沢山にある。各自の霊魂中に天国を建て、[※御校正本・愛世版では「天国を建てるのは」だが、それでは前後の文脈がおかしくなる。霊界物語ネットでは校定版・八幡版と同様に「るのは」を外して「天国を建て」に直した。]天国の住民として愧かしからぬ清き、正しき、雄々しき人間ばかりとならねば、地上に立派な霊体一致の完全な天国は樹立せないのである。 アヽされど一方より考ふれば、これまた神界の御経綸の一端とも考へられる。暗黒もまた清明光輝に向ふの径路である。雛鳥に歌を教へるには、暗き箱の中に入れておき、外面より声の美はしき親鳥の歌ふ声を聞かしめると同様に、一時大本の経綸も、雛鳥を暗き箱に入れて、外より親鳥のうるはしき声を聞かしむる大神の御仕組かとも思はれぬこともないのである。ゆゑに吾人は大逆境に陥つて暗黒の中にある思ひをするとき、かならず前途の光明を認め得るのは、まつたく神の尊き御仁慈であると思ふ。いかなる苦痛も、困窮も、勇んで神明の聖慮仁恵の鞭として甘受するときは、神霊ここに活気凛々として吾にきたり、苦痛も困窮も、却て神の恩寵となつてしまふ。たとへば籠の中に入れられてゐる鳥でも、平気で歌つてゐる鳥は、最早とらはれてゐるのではない。暢気に天国楽園に春を迎へたやうなものである。これに反して、天地を自由に翺翔する百鳥も、日々の餌食に苦しみ、かつ敵の襲来にたいして寸時も油断することができないのは、籠の鳥の、人に飼はれて食を求むるの心労なく、敵の襲来に備ふる苦心なきは、苦中楽あり楽中苦ありてふ苦楽不二の真理である。牢獄の囚人の苦痛に比して、自由人の却て是に数倍せる苦痛あるも、みな執着心の強きに因るのである。名誉に、財産に、地位情欲等に執着して、修羅の争闘に日夜鎬をけづる人間の境遇も、神の公平なる眼より視たまへば、実に憐れなものである。 神諭にも、 『人は心の持ちやう一つで、その日からどんな苦しいことでも、喜び勇んで暮される』 と示されたのは、じつに至言であると思ふ。一点の心燈暗ければ、天地万有一切暗く、心天明けく真如の日月輝く時は、宇宙万有一切清明である。吾人は平素心天の光明に照らされ、行くとして歌あらざるはない。吾人の心魂神恩を謳ふとき、万物みな謳ひ、あたかも天国浄土の思ひに楽しむ。アヽ『天国は近づけり、悔い改めよ』の聖者の教示、今さらのごとく、さながら基督の肉身に接侍するがごとく、崇敬畏愛の念に堪へない。 アヽ末世澆季の今日、オレゴン星座より現はれきたるキリストは、今や何処に出現せむとするか。その再誕再臨の聖地は、はたして何処に定められしぞ。左右の掌指の節々に、釘の跡を印し、背部にオレゴン星座の移写的印点を有して降誕したる救世主の出現して、衆生に安息を与ふる日は、はたして何れの日ぞ。金剛石も汚穢の身体を有する蟇蛙の頭部より出づることあり、金銀いかに尊貴なりとて、糞尿の植物を肥すに及ばむや。高山の頂かならずしも良材なく、渓間低く暗きところ、かへつて良材を産するものである。平地軟土に成長したる大樹、またいかに合抱長直なりと雖も、少しの風に撓みやすく、折れやすし。宇宙間の万物一として苦闘に依らずして、尊貴の位置に進むものはない。しかるに、天地経綸の大司宰たる天職を天地に負へる人間にして、決して例外たることを得ない。アヽ人生における、すべての美はしきもの、尊きものは、千辛万苦、至善のために苦闘して得なくてはならぬと思ふ。 神諭に曰ふ、 『苦労の塊の花の咲く大本であるぞよ、苦労なしには真正の花は咲かぬから、苦労いたす程、尊いことはないぞよ云々』 吾人はこの神諭を拝する毎に、国祖が永年の御艱苦に省み、慙愧の情に堪へないのである。 ここに八王大神常世彦命は、多年の宿望成就して、天津神の命を受け、盤古大神塩長彦を奉じて、地上神界の総統神と仰ぎ、自らは八王大神として、地上の神人を指揮することになつた。しかるに聖地ヱルサレムは、新に自己の神政を布くについては、種々の困難なる事情あるを慮り、常世姫をして竜宮城の主管者として守らしめ、聖地を捨て、アーメニヤに神都を遷し、天下の諸神人を率ゐて世を治めむとした。一方常世城を守れる大鷹別は、大自在天大国彦を奉じて総統神となし、アーメニヤの神都にたいして反抗を試み、またもや地上の神界は混乱に混乱をかさね、邪神の横行はなはだしく、已むを得ず、諾冊二神の自転倒嶋に降りたまひて、海月如す漂へる国を修理固成せむとして、国生み、嶋生み、神生みの神業を始めたまひし神代の物語は、本巻によつて明らかになることと思ふ。 神ながら宇宙の外に身をおきて 日に夜に月ぬ物語する 王仁は、第一巻において天地剖判の章に致り、金や銀の棒が表現して云々と述べたるにたいし、人を馬鹿にすると言つて、コンナ馬鹿な説は聞くだけの価値なきものだと、一笑に附して顧みないのみならず、他人の研究までも中止せしめむとしてゐる立派な学者があるさうだ。 神諭にも、 『図抜けた学者でないと、途中の鼻高には、神の申す事はお気に入らぬぞよ云々』 と示されてある。宇宙間の森羅万象、一として形体を具ふるもの、金、銀、銅、鉄等の鉱物を包含せないものはない。人間を初め、動植物と雖ども、剛体すなはち玉留魂の守護によらぬはない。金銀等の金気の大徳によつて現出したる宇宙間の森羅万象は、悉皆、鉱物玉留魂の神力を保持してゐるのであるから、金の棒や銀の棒から天地万物が発生し凝固したと言つたとて、別に非科学的でも何でもない。神の言には俗人のごとき七面倒くさきことは仰せられぬ。すべて抽象的、表徴的で、一二言にて宇宙の真理を漏らされるものである。 それで神諭にも、 『一を聞いて十百を悟る身魂でないと、誠の神の御用は勤まらぬぞよ』 と示されてある。半可通的学者の鈍才浅智をもつて、無限絶対無始無終の神界の事柄にたいして喃々するは、竿を以て蒼空の星をがらち落さむとする様なものである。洪大無限の神の力に比べては、虱の眉毛に巣くふ虫、その虫のまた眉毛に巣くふ虫、そのまた虫の眉毛に巣くふ虫の放つた糞に生いた虫が、またその放つた糞に生いた虫の、またその虫の放つた糞に生いた虫の糞の中の虫よりも、小さいものである。 ソンナ比較にもならぬ虫の分際として、洪大無辺の神界の大経綸が判つて耐るものでない。それでも人間は万物の長であつて、天地経綸の司宰者だとは、どこで勘定が合ふであらうか。されど、神の容器たるべき活動力を有する万物の長たる人間が、宇宙間に絶無とは神は仰せられぬのは、いはゆる神界にては無形に視、無声に聴き、無算に数へたまふてふ、道の大原の聖句に由るのであらうと思ふ。 蚤虱蚊にもひとしき人の身の 神の為すわざ争ひ得めや 大正十一年一月三日旧十年十二月六日
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霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 21 小天国 第二一章小天国〔二二一〕 橙園王以下の住民の襲撃により、一敗地にまみれ、神人の信望を失墜したる南天王夫妻は、夜陰に乗じモスコーに帰つた。ここに顕恩郷は再び主宰者を失ひ、日夜不安の感に打たれてゐた。 されど最も信頼するは、棒岩の上に安置せる鬼武彦の石神像である。神人らは南天王の失踪せしより、一意専心にこの石神像にむかつて祈願を籠め、日夜礼拝を怠らなかつた。さうして南天王の後任として蟹若といふこの郷のもつとも強き神人をおし立て、南天王の後を継がしめた。されど郷神人はどことなく不安の念にかられ、真正の天津神の降臨されむことを、石神像にむかつて昼夜祈願しつつあつた。 頃しも一天俄に掻き曇り、地上の一切を天空に捲きあげむばかりの猛烈なる旋風が起つた。神人らはいづれも九死一生の思ひをなして、石神像の岩下に集まり、天地に拝跪して救助を祈りつつあつた。 雲はおひおひ低下して石神像のもとに降りきたり、雲中より剣光閃くよと見るまに、石神像に寸分違はぬ容貌の生神が忽然として現はれた。この神はたちまち光芒陸離たる両刃の剣をもつて中空にむかひ左右左に打振つた。さしもの強雨烈風もパタリとやんで紺碧の空と化し、日光燦然として輝きわたりはじめた。 神人らは蘇生の思ひをなし、思わずウローウローと叫びつつ、その生神の周囲に集まり、合掌礼拝感謝の涙をながした。これは大江山の鬼武彦にして、今は天教山の野立彦命の命を奉じ、この郷に大江神と改名して、予言警告を与ふるために出現したるなり。神人らは石神像に寸毫の差なきを見て、石神の霊化して生神と現はれたまひしものと固く信じ、ただちに輿に乗せて顕恩郷の宮殿に奉迎し、祝杯をあげて勇みたつた。 大江神はおもむろに口を開き、 『三千世界一度にふさがる泥の海、月日と地の恩を忘れな、心次第の救け神』 と声高らかに唱へだした。神人らは一向合点ゆかず、 『かかる平和にして且つ天恵の充分なる顕恩郷の、いかでか泥の海とならむや』 と怪しみて、口々に反問した。 大江神は、大神の神意を詳細に語り伝へ、 『この際心を悔い改め、月日と大地の四恩を感謝し、博く神人を愛し、公平無私なる行動をもつて天地の神明に奉仕し、神人たるの天職をつくせよ。すべて神の神人をこの土に下したまふや、神の広大無辺なる至仁至愛の理想を実現し、天国を地上に建設し、天下の蒼生をして禽虫魚に至るまで各その安住の所を得せしめ、神とともに至治太平の聖代を楽まむがためなり。しかるにこの顕恩郷は、神の深き四恩によつて風暖かく、風雨は時を違へず、花は香ばしく、果実は豊にしてその味はひ美はし。しかるにエデンの大河を限りとし、南岸の橙園郷は、南方に山高くして日光を遮り、かつ北風強く果実常に実らず、住民は飢餓に迫り、精神自ら荒涼と化し、ほとんど人民たるの資格を保持せざるに至れり。これぞ全く、衣食住の豊ならざるに基因するものなり。しかるにこの顕恩郷は、衣食足り余り、美はしき果実は地に落ち、腐蝕するに任せ、天恩を無視すること甚し。かくのごとくして歳月を経過せば、つひには天誅たちどころに至つて、南天王のごとく郷神に襲はれ、つひには橙園王に討伐され、天授の恩恵を捨てざるべからざるの悲境に沈淪し、あたかも餓鬼畜生の境遇に堕するに至らむ。汝ら神人らは天地の大神の至仁至愛の大御心を察知し奉り、地広く果実多きこの顕恩郷をして汝ら神人らの独占することなく、橙園郷の住民の移住を許し、相ともに天恵の深きを感謝せよ』 と言葉おごそかに説示した。 神人らはこの教示を聞いて、初めて天地の神意を悟り、何事も大江神の指揮に従ふこととなつた。大江神は、神人らの一言にしてわが言に心服せしことをよろこび、深く歎賞しつつ蟹若その他の神人らを引率し、エデンの大河を渡つて、みづから橙園郷に致り、橙園王に面会を求め、その神意を伝へた。 橙園王は、初めのうちは大江神の神威に恐れて戦慄し、近づき来らず、かつ部下の住民は、先を争うて山深く姿をかくした。されど、大江神の仁慈の言葉に漸く安堵して、その命に従ひ郷民を全部引率して、顕恩郷に移住することとなつた。 顕恩郷の神の数は、以前に三倍することとなつた。されど無限の天恵は、衣食住に余裕を存し、住むに十分の余地をなしてゐたのである。彼我の神人は、仁慈無限の大江神の教示を遵奉し、今まで犬猿ただならざりし両郷の種族も、今は親子兄弟のごとく、相親しみ相愛して、ここに小天国は建設されたるなり。 (大正一一・一・九旧大正一〇・一二・一二外山豊二録) (第五章~第二一章昭和一〇・三・二九於吉野丸船室王仁校正)
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霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 24 天の浮橋 第二四章天の浮橋〔二二四〕 竜宮城の三重の金殿より顕国玉の神威発揚して、あたかも両刃の剣を立てたるごとき黄金の柱中空に延長し、その末端より発生したる黄金橋はこの柱を中心に東西に延長し、その少しく下方よりは左右に銀橋を発生し、そのまた下方部よりは銅橋を発生して東西に延長し、地球の上面を覆うたことは前述の通りである。 そして各橋より垂下する金銀銅の霊線の鉤に身体をかけられ、上中下三段の身魂が各自身魂の因縁によつて金銀銅の橋上に救ひ上げられ、或は中途に地上に落下する有様を、訝かしげに眺めつつ見惚れてゐた瑞月の前に、銀色の霊線が下りきたり、その末端の鉤は腹部の帯に引掛るよと見るまに、眼も眩むばかりの速力にて空中に引きあげられた。あまりの恐ろしさに、思はず眼を閉ぢ口を塞ぎ、両手をもつて耳を塞ぎつつあつた。俄に、 『眼を開けよ』 といふ声が、頭上の方にあたつて聞えた。その声に思はず眼を開けば、遥の中空に捲揚げられ、自分は銀橋の上に立たされてゐた。銀橋の上には、ところどころに神人が引き揚げられてゐるのを見た。いづれも恐ろしげに緊張しきつた態度で、地上を瞰下してゐるのであつた。このとき吾頭上にあたつて、 『吾は国姫神なり、汝に今より小松林命といふ神名を与へむ。この綱にすがりて再び地上に降り、汝が両親兄弟朋友知己らに面会して天上の光景を物語り、悔い改めしめ、迷へる神人をして神の道につかしむべし』 と言葉終るとともに頭上より金線は下つてきた。そして国姫神の姿は声のみにて、拝することは出来なかつたのである。下りくる金色の霊線を両手に握るよとみるまに、ガラガラと釣瓶の車をまはすごとき音して地上に釣瓶落しに卸されて了つた。 降れば身は何ともいへぬひろびろとした原野に立つてゐた。ここには吾親らしきものも兄弟知己らしき人間もなく、ただ虎、狼、山狗、狐狸の群がところどころに散在してゐるのであつた。不思議にも是らの猛は白壁造りの庫を建てて、或は立派な門構へをなし、美しき広き家に住まつてゐるのである。どう考へても猛狐狸の棲むべき住家とは思はれなかつた。これはどうしても人間の住むべき家である。しかるに何ゆゑ、此のごとき類のみ住みをるやと、訝かりつつあつた。 このとき国姫神の声として、 『天上より此黒布を与へむ』 と云はるるかと見るまに、黒き布は風にヒラヒラとして吾前に下り来つた。手早くこれを持つて面部を覆うた。黒布を透してその猛狐狸の群をながむれば、あにはからむや、いづれも皆立派なる人間ばかりである。中には自分の親しく交はつてゐた朋友も混つてをるには、驚かざるを得なかつた。 それよりこの黒布を一瞬の間も離すことをせなかつた。そのゆゑは、此眼の障害物を一枚除けば、前述のごとく猛虎や狐狸の姿に変つて了ひ、実に恐ろしくてたまらなかつたからである。 さうかうする間、又もや天上より吾前に金色の霊線が下つてきた。以前のごとく吾腹帯に鈎は引かかつた。今度はその黒布を手ばやく懐中に入れ、両手を以て確と金色の霊線を掴みながら、前のごとく一瀉千里の勢にて上空に引き揚げられて了つた。 やや久しうして、 『眼を開けよ』 と叫びたまふ神の声が聞えた。眼を開けば今度は最高点の黄金橋の上に引き揚げられてゐたのである。まづ安心とあたりを見れば、国姫神は莞爾として四五の従神とともに吾前に現れ、 『この橋は黄金の大橋といひ、また天の浮橋ともいひ、地球の中心火球より金気昇騰して顕国の玉となり、この玉の威徳によりて国の御柱は中空に高く延長し、その頂上は左右に分れ、左は男神の渡るべき橋にして、右は女神の渡る橋なり、この黄金橋は滑にして、少しの油断あらば滑りて再び地に顛落し、滅亡を招くの危険あり。汝は抜身の中に立つごとく心を戒め、一足たりとも油断なく、眼を配り、耳を澄ませ、息を詰め、あらゆる心を配りてこの橋を東方に向つて渡れ。また此橋は東南西北に空中を旋回す、その旋回の度ごとに橋体震動し、橋上の神人は動もすれば跳飛ばさるる恐れあり、また時には暴風吹ききたつて橋上の神人を吹き落すことあり。欄干もなく、足溜りもなく、橋とはいへど黄金の丸木橋、渡るに難し、渡らねば神の柱となることを得ず、実に難きは神柱たるものの勤めなり』 と言葉嚴かに云ひ渡された。 王仁は唯々諾々として其教訓を拝し、東方に向つて覚束なき足下にて、一歩々々跣足のまま歩を進めた。 忽ち黄金橋は東より南に廻転を初めた。じつに危険身に迫るを覚え、殆ど顔色をなくして了つた。このとき何神の御声とも知れず、 『勇猛なれ、果断なれ、毅然として神命を敢行せよ。神は汝の背後にあり、夢恐るるな』 といふ声が耳朶を打つた。 王仁はこの声を聞くとともに、恐怖心も何も全部払拭され、光風霽月、心天一点の暗翳も留めざる思ひがした。 金橋はますます廻転を速め、東より南に、南より西へ、西より北へと中空をいと迅速に旋回し、また元の東に戻つた。 黄金橋の東端は、ある一つの高山に触れた。見れば是は世界の名山天教山の頂きであつた。このとき木花姫命を初め数多の神人は、吾姿を見て、 『ウローウロー』 と両手を挙げて叫び、歓迎の意を表された。 いつの間にか王仁の身は天教山の山頂に、神々とともに停立してゐた。金橋は何時のまにか東南隅に方向を変じてゐた。 時しも山上を吹き捲くる吹雪の寒さに、頬も鼻も千切れるばかりの痛みを感ずるとともに、烈風に吹かれて山上に倒れし其の途端に前額部を打ち、両眼より火光が飛び出したと思ふ一刹那、王仁の身は高熊山の岩窟に静坐し、前額部を岩角に打つてゐた。 (大正一一・一・一〇旧大正一〇・一二・一三井上留五郎録)
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霊界物語 05_辰_顕恩郷/天の浮橋/言触神 29 神慮洪遠 第二九章神慮洪遠〔二二九〕 天道別命、月照彦神以下の宣伝神選定され、各地に配置されてより、今まで天空を廻転しゐたる金銀銅の天橋の光は、忽然として虹のごとく消え失せ、再び元の蒼天に復し、銀河を中心に大小無数の星は燦然たる光輝を放射し出した。 時しも東北の天にあたつて十六個の光芒強き大星一所に輝き始めた。その光色はあたかも黄金のごとくであつた。又もや西南の天にあたつて十六個の星光が一所に現はれた。その光色は純銀のごとくであつた。地上の神人は、この変異に対して或は五六七聖政の瑞祥と祝し、あるひは大地震の兆候となして怖れ、あるひは凶年の表徴となし、その観察は区々にして一定の判断を与ふるものがなかつた。 忽ちにして蒼天墨を流せしごとく暗黒となり、また忽ちにして満天血を流せしごとく真紅の色と変じ、あるひは灰色の天と化し、黄色と化し、時々刻々に雲の色の変り行く様は、実に無常迅速の感を地上の神人に与へたのである。地は又たちまち暴風吹き荒み、樹木を倒し、岩石を飛ばし、神人を傷つけ、妖気地上を鎖すと見るまに、たちまち光熱強き太陽は東西南北に現出し、暑熱はなはだしく、地上の草木、神人その他の動物はほとんど枯死せむとするかと思へば、寒風俄に吹き来り、雹を降らし、雷鳴満天に轟き、轟然たる音響は各所に起り、遠近の火山は爆発し、地震、海嘯ついで起り、不安の念にかられざるものはなかつた。 「かなはぬ時の神頼み」とでも云ふのか、今まで神を無視し、天地の恩を忘却しゐたる地上の神人は、天を仰いで合掌し、地に伏して歎願し、その窮状は実に名状すべからざる有様であつた。烈風の吹き通ふ音は、あたかも猛の咆哮するがごとく、浪の音は万雷の一斉に轟くがごとく、何時天地は崩壊せむも計り難き光景となつて来たのである。 かくのごとき天地の変態は、七十五日を要した。このとき地上の神人は、神を畏れて救ひを求むるものあれば、妻子、眷属、財産を失ひて神を呪ふものも現はれた。中には自暴自棄となり、ウラル彦神の作成したる宣伝歌を高唱し、 『呑めよ騒げよ一寸先や暗よ 暗の後には月が出る 月には村雲花には嵐 嵐過ぐれば春が来る ヨイトサ、ヨイトサ、ヨイトサノサツサ』 と焼糞になつて踊り狂ふ神は大多数に現はれた。 そもそも七十五日間の天災地妖のありしは、野立彦神、野立姫神を始め、日の大神、月の大神の地上神人の身魂を試したまふ御経綸であつたのである。このとき真の月日の恩を知り、大地の徳を感得したる誠の神人は、千中の一にも如かざる形勢であつた。 大国治立尊は、この光景を見て大に悲歎の涙にくれたまうた。 『アヽわが数十億年の艱難辛苦の結果成れる地上の世界は、かくも汚れかつ曇りたるか。如何にして此の地上を修祓し、払拭し、最初のわが理想たりし神国浄土に改造せむや』 と一夜悲歎の涙にくれ給うた。大神の吐息を吐き給ふ時は、その息は暴風となつて天地を吹きまくり、森羅万象を倒壊せしむるのである。大神の悲歎にくれ落涙し給ふ時は、たちまち強雨となりて地上に降りそそぎ、各地に氾濫の災害を来す事になるのである。 大神はこの惨状を見給ひて、泣くにも泣かれず、涙を体内に流し、吐息を体内にもらして、地上の災害を少しにても軽減ならしめむと、隠忍し給ふこと幾十万年の久しきに亘つたのである。大国治立尊の堪忍袋は、もはや吐息と涙もて充され、何時破裂して体外に勃発せむも計りがたき状態となつた。 されど至仁至愛の大神は、宇宙万有を憐れみ給ふ至情より、身の苦しさを抑へ、よく堪へ、よく忍び、もつて地上神人の根本的に革正するの時機を待たせ給ふのである。されど御腹の内に充ち満ちたる神の涙と慨歎の吐息は、もはや包むに由なく、少しの感激にも一時に勃発破裂の危機に瀕しつつあつた。アヽ宇宙の天地間は、実に危機一髪の境に時々刻々に迫りつつある。 大神は多年の忍耐に忍耐を重ね給ひしより、その御煩慮の息は、鼻口よりかすかに洩れて大彗星となり、無限の大宇宙間に放出されたのである。一息ごとに一個の大彗星となつて現はれ、瞬くうちに宇宙間に数十万の彗星は、宇宙の各所に現はれ、漸次その光は稀薄となつて宇宙に消滅した。 されどその邪気なる瓦斯体は、宇宙間に飛散し、遂には鬱積して大宇宙に妖邪の空気を充満し、一切の生物はその健康を害し、生命を知らず識らずの間に短縮する事となつた。ゆゑに古来の神人は、短くとも数千年の天寿を保ち、長きは数十万年の寿命を保ちしもの、漸次短縮して今は天地経綸の司宰者たる最高動物の人間さへも、僅かに百年の寿命を保し難き惨状を来すことになつた。 アヽ無量寿を保ち、無限に至治泰平を楽しむ五六七出現の聖代は、何時の日か来るであらう。吾人は霊界における大神の御神慮と、その仁恵を洞察し奉る時は、実に万斛の涙のただよふを感ぜざるを得ない。 神諭に、 『恋し恋しと松世は来いで、末法の世が来て門に立つ』 と述懐されたる大国治立尊の御聖慮を深く考へねばならぬ。 (大正一一・一・一一旧大正一〇・一二・一四外山豊二録)
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 総説 総説 太古の神霊界における政治の大要を述べて見ようと思ふ。固より数百万年以前の事であつて、吾々人間としては、その真偽を的確に判別する事は到底不可能であります。然し王仁の述ぶるところは、臆説や想像ではない。また創作物でもない。高熊山における霊学修行中に、見聞したる有りのままを、覚束なき記憶より呼び出して、僅かにその片鱗を吐露したばかりであります。 現代文明の空気に触れたる、天文地文学者や国学者および宗教家、哲学者などの、深遠なる知識から、この物語を見るならば、実に欠点だらけで、中には抱腹絶倒、批判の価値なきものと、断定さるるでありませう。しかし王仁の物語は、寓意的の教訓でもなければ、また虚構でもない、有りのままの見聞談である。 総て霊界の話は現界とは異つて、率直で簡明であり、濃厚複雑等の説話は、神の最も忌み玉ふところ、女にも子供にも、どんな無知識階級にも、なるべく解り易く、平易簡単にして、明瞭なるを主眼とするが故である。 本巻は、いよいよ天津神の命により諾冊の二尊が、天照大御神の御魂の大御柱を中心に、天より降り、天の浮橋に立ちて、海月なす漂へる国を修理固成し玉ひ、現代の我日本国即ち豊葦原の瑞穂の中津国を胞衣となし、かつ神実として、地上のあらゆる世界を修理固成し玉うた神界経綸の大略を述べたものであります。それゆゑ舞台は、地球上一般の神人界に渉つた出来事であつて、区々たる極東我神国のみの神話を写したものでない事は勿論である。 ○ 総て太古の御神政は神祭を第一とし、次に神政を行ひ、国々に国魂神があり、国魂神は、その国々の神王、又は八王などと云つて八尋殿を建てられ、殿内の至聖処に祭壇を設け、造化三神を鎮祭し、神王および八王は、同殿同床にて神明に奉仕された。さうして神政は左守神又は右守神(或は八頭神とも云ふ)に神示を伝へ神政を司掌らしめ玉うたのであります。さうして国治立命御神政の時代は、[※御校正本・愛世版では「国治立命御隠退の時代」だが、天使長という聖職があったのは国祖隠退後ではなく、国祖神政中であり、意味がおかしくなる。そのため霊界物語ネットでは校定版・八幡版に準じて「隠退」を「神政」に直した]天使長と云ふ聖職があつて、国祖の神慮を奉じ、各地の国魂たる八王神を統轄せしめつつあつたのが、諾冊二尊の、淤能碁呂嶋へ御降臨ありし後は、伊弉諾の大神、八尋殿を造りて、これに造化の三神を祭り玉ひ、同殿同床の制を布き、伊弉冊尊を、国の御柱神として、地上神政の主管者たらしめ玉うたのであります。しかるに地上の世界は、日に月に、体主霊従の邪気漲り、物質的文明の進歩と共に、地上神人の精神は、その反比例に悪化し、大蛇、鬼、悪狐の邪霊は天地に充満して有らゆる災害をなし、収拾すべからざるに立ち致つた。そこで神界の神人の最も下層社会より、所謂糞に成り坐すてふ埴安彦神が現はれて、大神の神政を輔佐し奉るべく、天地の洪徳を汎く世界に説示するために教を立て、宣伝使を天下に派遣さるる事となつたのである。 また国祖国治立命は天教山に隠れ、世界の大峠を免るることを汎く地上の神人に告げ諭し、大難を免れしめむとして、宣伝使神を任命し、地上の世界に派遣せしめ玉うた。これが神代における、治教的宣伝の濫觴であつたのである。さうして宣伝使神の任にあたる神は多芸多能にして、礼、楽、射、御、書、数の六芸に通達してゐた神人ばかりである。さうして一身を神に捧げ、衆生救済の天職に喜びて従事されたのである。 それより後、埴安彦、埴安姫の二神司が地上に顕現して麻柱教を説き、宣伝使を任じて世界を覚醒し、神人の御魂の救済に尽さしめた。その宣伝使もまた、士、農、工、商の道に通達し、天則を守り忍耐を唯一の武器として労苦を惜まず、有らゆる迫害を甘受してその任務を尽したのである。現今の各教各宗の宣教師の、安逸遊惰なる生活に比すれば、実に天地霄壤の差があるのである。 総て神の福音を述べ伝ふる宣伝使の聖職に在るものは、神代の宣伝使神の心を以て心とし、克く堪え忍び以て神格を保持し、世人の模範とならねばならぬのである。 ○ 太古の人民の生活状態は、今日のごとく安全なる生活は到底望まれ得なかつた。家屋と云つても、木と木とを組み合せ、杭を地上に打ち、藤蔓の蔓を以てこれを縛り、茅や笹の葉や木の葉を以て屋根を覆ひ、纔に雨露を凌ぐものもあり、岩窟の中に住むもの、山腹に穴を穿ち、草を敷きて住むもの、巨岩を畳み、洞穴を造つてこれに住むものなどで、衣服のごときも、一般の人民は皮を身に纏ひ、或は木の葉を編み、草を編み、麻の衣を着るものは人民の中でも最も上等の部である。また絹布を纏へるは最も高貴なる神人のみであつた。 夫れでも古代の人間は天地の大恩を感謝し、生活を楽しみ、和気靄々として楽しくその日を暮して居つたのである。さうして村々には酋長の如きものがあつて、これを各自に統一してゐた。遂には地上に人間の数の殖えるに従つて、争奪をはじめ、生存競争の悪社会を馴致し、弱肉強食の修羅場と化するに至つた。その人心を善導すべく、神の大御心に依つて教なるものが興り、宣伝使の必要を招来するに至つたのであります。 大正十一年一月二十五日旧十年十二月二十八日 出口王仁三郎
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 07 旭光照波 第七章旭光照波〔二五七〕 鬼大蛇虎狼や曲霊の醜女探女の訪ひは 峰の嵐か鬼城山落ちゆく滝のナイヤガラ 水音高き雄健びの中に落ち合ふ四柱は 神の御国を立てむとて鬼の棲家を竜館 荒ぶる神の訪ひも松吹く風と変る世の 汚れを流す河水に禊ぐ身魂ぞ麗しき 花の顔月の眉焦眉の急を救はむと 神の教への弥深き谷に落ち合ふ宣伝使 右に左に名残を惜しみ別れの涙拭ひつつ 東と西に立雲の雲路を分けて月照彦の 神の司や足真彦春立ち初めし春日姫 木々の梢は青々と綻び初めし春姫の 長閑けき胸も夢の間の儚なき別れ暁の 鐘の響きに撞き出され歩みも慣れぬ旅の空 岩根に躓き転びつつ何処をあてとも長の旅 常世の国の常闇の荒野さまよふ痛ましさ ここに四人の宣伝使神の御言を畏みて 各も各もが独り旅折角遇ひし四柱の 厳の司の生き別れくつろぐ暇もナイヤガラ 滝のごとくに流れ行く淋しき山野を辿りつつ 心の駒ははやれども疲れはてたる膝栗毛 歩みに難む姫御前の心の空はかき曇り 浪風荒き現世の救ひの船と現はれて 雲か霞か春日姫花の姿を曝しつつ 春とはいへどまだ寒き霜の晨や雪の空 月を頂き星を踏み天涯万里の果しなき 心淋しき独り旅草を褥に木葉を屋根に やうやう浜辺に着きにけり。 ここに四人の宣伝使がゆくりなくも、鬼城山の虎穴に入りて目出度く対面を遂げたるは、全く大神の経綸の糸に操られたるなるべし。四人の神司は仁慈の鞭を揮ひ、美山彦一派の邪悪を言向け和し、意気揚々として谷間を下り、音に名高きナイヤガラの大瀑布に禊を修し、ホツと一息つく間もなくなく涙の袖の生別れ、我が天職を重ンじて、東西南北に袂を別ちたるなり。総て大神の宣伝に従事するものは飽迄も同行者あるべからず。他人を杖につくやうな事にては、到底宣伝者の資格は無きものなり。山野河海を跋渉し、寒さと戦ひ、飢を忍び、あらゆる艱難辛苦を嘗め、吾が身魂を錬磨し、浮世の困苦を自ら嘗め、或は蛇の室屋に、或は蜂の室屋に出入して、神明の依さしたまへる天職を喜ンで尽すべきものなり。宣伝使に下したまへる裏の神諭に云ふ。 『汝ら神の福音を宣べ伝ふ時、前途に当つて深き谷間あり。後より、虎、狼、獅子などの猛襲ひ来り、汝を呑まむとする事あるも、少しも恐るる事なかれ。神を力に誠を杖に、寄せ来る悪魔を言向けやはせ。一人の旅とて恐るる勿れ、誠の神は誠ある汝を守り、汝の背後に付き添ひて太き功を立てさせむ。厳霊を元帥に、瑞霊を指揮官に直日の御魂を楯となし、荒魂の勇みを揮ひ、和魂の親みをもつて、大砲小砲となし、奇魂の覚りと、幸魂の愛を、砲弾または銃丸となし、よく忍びよく戦へ。神は汝と共にあり』 神人茲に合一して、神と人との真釣合、神の勅を身に受けて、いよいよ高天原を伊都能売魂の神の命、荒磯の浪も鎮まる長閑さよ。春日姫は尊き神の守護の下に、夜に日をついて北東へ北東へと進みつつ、常世国の東岸に現はれける。 天青く山清く、浪静かに紺碧の海面は大小無数の島嶼を浮べ、眼界遠く見わたす東の海面に金色の一字形の光は横に長く靉き、雲か浪かと疑ふばかり、その麗しきこと言語の尽す限りにあらず。ややありて浮び出でたるごとく、金色の太陽は浪を破り、雲を排し分け悠々と清き姿を現はしたまひ、その光は静かな海面をサーチライトのごとく照破して、金色の漣は広き海面に漂ふ。此方を目がけて純白の真帆を揚げ静かに寄せくる一艘の船あり。見れば紫の被面布をかけたる宣伝使は船の舳に直立し、白扇を高くさしあげて、何事か謡ひつつ船は岸辺に刻々と近寄り来たりぬ。 (大正一一・一・一七旧大正一〇・一二・二〇加藤明子録)
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 13 谷間の囁 第一三章谷間の囁〔二六三〕 八百八谷の谷々の、流れもここに鴨緑江の、その水上の岩が根に、腰打ちかけて、四五の山人は、弓矢を携へ、水音高き谷川の巌に腰をうちかけて、囁く声はあいなれの水瀬を圧するばかりなりけり。深霧罩めし長白の峰は屹然と、雲に頭を現はして、さも雄渾の気に充たされ居たる。 甲『オイ今日はどうだつたい、何か獲物があつたかの、吾々は谷から谷へ駆け廻り、兎や猪の足跡を考へ附け狙つたが、どうしたものか一匹の獲物もないのだ。大きな顔をして弓矢を持つて家へ帰れた態ぢやない。お前たちの獲つたものでも、一寸俺に貸してくれないか、手ぶらで帰るとまた山の神の御機嫌斜なりだ。いつもいつも夫婦喧嘩は見つともないからなア』 乙『俺らだつて同じことだよ、一体このごろ四足どもは何処へ行きよつたのだらうか。影も形も見せない。俺らア合点がゆかぬが、きつと大変だぜ』 丙『察するところ、つらつら考ふるに、天地開闢の初め、大国治立命御退隠遊ばしてより……』 甲『何ぢや、ひち六か敷い御託ばかりこきよつて、いつも貴様のいふ事は尻が結べた事はありやしない、黙つてすつこみて居れ』 丁『イヤ丙のいふ通りだ、終りまで聞いてやれ、この間からチト天の様子が変ぢやないか。彼方の天にも此方の天にも金や銀の星が集合つて、星様が何か相談しとるぢやないか。ありやキツと大地震か、大風か、大雨を降らす相談だらうぜ』 丙『しかり而うして、そもそも天上の諸星鳩首謀議の結果は』 甲『貴様のいふ事は訳が分らぬ。すつこみて居れと云つたら、すつこみて居らうよ』 丙『貴様は、いつも吾輩の議論を強圧的に圧迫して、抑へつけようとするのか……』 甲『強圧も、圧迫も、抑へつけるもあつたものか。同じ事ばかり並べよつて、此奴は余程どうかして居るぜ』 丙『どうかして居るつて何だい。本来俺が一言いふと頭から強圧しよつたらう。二度目にはまた圧迫しよつて、三度目には抑へつけよつたらう。面倒くさいから三度のを一遍にいうたのだ。無学の奴は憐れなものだナア』 乙『そんな話はどうでもよい、第一地響きは毎日ドンドンと続くなり、雨はベチヤベチヤ降り続くなり、猪や兎の奴一匹も、どこかへ行きよつて、俺らも最早蛙の干乾にならなくちや仕方がないのだ。俺らの生活上の大問題だよ』 丁『要するに、貴様たちのやくざ人足は何も知らないからだ。この間も宣伝使とかいふ奴がやつて来てね、「猪や兎などは三日前から何でも知つて居る。お前たちの眼はまるで節穴だ」と云つて通りよつたが、大方このごろ山に、鳥やの居らなくなつたのは、大洪水の出るのを知つて、長白山の奴頂辺にでも避難したのかも分らないよ。道理でこの谷川の名物緑の鴨も、一羽もそこらに居らないぢやないか。晴天でお太陽様の光が木間から漏れて、この谷川に美しい鴛鴦が浮いて居るときの光景は、何ともいはれなかつたが、今日の殺風景はどうだい。この間の雨で谷水は濁る、水はだんだん増加る、おまけに間断なく雨は降る、これ見ても吾々は何とか考へねばなるまい。キツと天地の大変動の来るべき前兆かも知れないよ』 丙『江山の風景は必ずしも晴天のみに限らず、降雪、降雨、暴風のときこそかへつて雅趣を添へるものなりだ。エヘン』 甲『また始まつた、貴様のいふことは一体訳が分らないワ』 丙『黙言つて終まで聞かうよ。昔から相似の年といつて、長雨も降つたり、地震も揺つたり、星が降つたり、凶作が続いたり、鳥が居なくなつたりした事は幾度もあるよ。世の中の歴史は繰返すといつてな、少々地響がしたつて、雨が降つたつて、星が集会したつて、さう驚くに及ばぬのぢや。察するところお前たちの臆病者の腹の中は、もはや天変地妖が到来して、獲物が無いので山の神に雷でも、頭の上から落されるのが恐くつて震うて居よるのだらう。つらつら惟るに、エヘン、お前たちは臆病神に誘はれたのだねえ、エヘン、オホン』 丁『ヤア、そこへ五六羽の鴨が来たではないか』 ヨウ、ヨウ、と言ひながら一同は弓に矢を番へて身構へする。 乙『待て待て大変だ。この谷は鴨猟は厳しく禁じてあるぢやないか、そんな物ども獲つたら大変だよ。この鴨は昔八頭の妻磐長姫が、悋気とか陰気とかの病で河へ飛び込んで、その亡霊が鴨になつたといふ事だ。それでその鴨は八頭様の奥様の霊だから、それを撃たうものなら大変な刑罰を受けねばならぬ。そしてその鴨を食つた奴の嬶は、すぐにこの谷川へ飛び込んで、鴨になつて仕舞ふと云う事だよ』 丙『そンな事は疾の昔に委細御承知だ。迷信臭い事をいつ迄もぬかす奴があるかい、背に腹はかへられぬ。食はずに死ぬか、食うて死ぬかぢや。罰があたりや、当つたでよい。一寸先は闇よ。宣伝使の云ひ草ではないが、天は地となり地は天となる、たとへ大地が沈むとも間男の力は世を救ふのだ。せせつ細しい善とか悪とかに拘泥してゐたら、吾々はミイラになつて仕舞わア、そンな訳の分らぬ迷信はさつぱりとおいて欲しぼしぢや、梅干ぢや、蛙の干乾ぢや、土用干ぢや、お玉り小坊子や膝坊子や、カンカン』 とただ単独、調子にのつて下らぬことを喋りてをる。 このとき西方の谷間にあたりて、山も割るるばかりの音響聞ゆると思ふ刹那、身の廻り三丈もあらうと思ふ真黒の大蛇が、谷川めがけて下り来たり、間もなく、少し赤味を帯びたる同じ大きさの二三百丈もある長い大蛇が、引き続いて谷川めがけて驀地に下り来るを見つつ、一同は息を殺し、目を塞ぎ、岩に噛りつき、大蛇の通過するを震ひ震ひ唇まで真蒼にして待ち居たりける。 (大正一一・一・一八旧大正一〇・一二・二一加藤明子録)
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 15 大洪水(一) 第一五章大洪水(一)〔二六五〕 天より高く咲く花の、天教山に坐しませる、木花姫の御教も、地教の山に隠ります、高照姫の垂教も、八百八十八柱の、宣伝使の艱難も、盲目聾者の世の中は、何の効果も荒風の、空吹く声と聞き流し、肯諾ふ者は千柱の、中にもわづか一柱、一つの柱は見る者を、金銀銅の天橋に、救はむための神心、仇に過せしその報い、雨は頻りに降りきたり、前後を通じて五百六十七日の、大洪水と大地震、彗星処々に出没し、日月光を押し隠し、御空は暗く大地の上は、平一面の泥の海、凄まじかりける次第なり。 宣伝使の神示を嘲笑して耳にも入れざりし長白山の磐長彦以下数多の神人は、追々地上の泥水に覆はれて逃げ迷ひ、草木はいづれもずるけ腐り、禽虫魚は生命を保たむため、あらゆる附近の山に先を争うて駆け登りける。 されど、連日連夜の大雨に洪水はますます地上に氾濫し、遂には小高き山もその姿を水中に没するに致りぬ。 神示の方舟は暴風に揉まれつつ、木の葉の散るごとき危き光景にて、高山の巓めがけて漂着せむと焦りをる。 この方舟は一名目無堅間の船といひ、ちやうど銀杏の実を浮べたる如くにして、上面は全部樟の堅固な板で、中高に円く覆はれ居り、わづかに側部に空気孔が開けあるのみなりける。 船の中には神人を初め、牛馬、羊、鳥等が一番宛各自に入れられ、また数十日間の食物用意されありける。 種々の船に身を托し、高山目蒐けて避難せむとする者も沢山ありたれど上方に屋根なき舟は、降りくる雨の激しさに、溜り水を汲み出す暇なく、かつ寄せくる山岳のごとき怒濤に呑まれて、数限りなき舟は残らず沈没の厄に逢ひける。 されど鳥の啼声や、類のいづれも山に駆け登るを見て、朧気ながらにも世界の大洪水を知り、逸早く高山に避難したる人畜はやうやく生命を支へ得たりしなり。 一般蒼生は数多の禽や虫のために、安眠することも出来ず、雨は歇まず、実に困難を極めたりける。ここに一般人は宣伝使の宣伝歌を今更のごとく想ひ出し、悔悟の念を喚び起し、俄に神を祈願し始めたれど何の効験もなく、風はますます激しく、雨は次第に強くなるのみなりき。総ての神人は昼夜不安の念に駆られ、ここにいよいよ世の終末に瀕せることを嘆き悲しみけり。 現代の賢しき人間は、天災地妖と人事とには、少しも関係無しと云ふもの多けれど地上神人の精神の悪化は、地上一面に妖邪の気を発生し、宇宙を溷濁せしめ、天地の霊気を腐穢し、かつ空気を変乱せしめたるより、自然に天変地妖を発生するに至るものなり。 凡ての宇宙の変事は、宇宙の縮図たる人心の悪化によつて宇宙一切の悪化するのは、恰も時計の竜頭が破損して、時計全体がその用を為さないのと同じ様なものである。故に大神の神諭には、 『神の形に造られて、神に代つて御用を致す人民の、一日も早く、一人でも多く、心の立替立直しをして、誠の神心に成つてくれよ』 と示し給ふたのは、この理に基くものである。また、 『人民くらゐ結構な尊いものは無いぞよ。神よりも人民は結構であるぞよ』 と示されあるも、人間は万物普遍の元霊たる神に代つて、天地経綸の主宰者たる可き天職を、惟神に賦与されて居るからである。 古今未曾有のかくのごとき天変地妖の襲来したのも、全く地上の人類が、鬼や大蛇や金狐の邪霊に憑依されて、神人たるの天職を忘れ、体主霊従の行動を敢てし、天地の神恩を忘却したる自然的の結果である。 神は素より至仁至愛にましまして、只一介の昆虫といへども、最愛の寵児として之を保護し給ひつつあるがゆゑに、地上の人類を初め動植物一切が、日に月に繁殖して天国の生活を送ることを、最大の本願となし給ふなり。また、 『神を恨めてくれるな。神は人民その他の万物を、一つなりとも多く助けたいのが神は胸一杯であるぞよ。神の心を推量して万物の長と云はるる人民は、早く改心いたしてくれ。神急けるぞよ。後で取返しのならぬ事がありては、神の役が済まぬから、神は飽くまでも気を付けたが、もう気の付けやうが無いぞよ。神は残念なぞよ』 との神諭を、我々はよく味はねばならぬ。 (大正一一・一・一八旧大正一〇・一二・二一井上留五郎録)
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 18 天の瓊矛 第一八章天の瓊矛〔二六八〕 この大変乱に天柱砕け、地軸裂け、宇宙大地の位置は、激動の為やや西南に傾斜し、随つて天上の星の位置も変更するの已むを得ざるに致りける。 さて大地の西南に傾斜したるため、北極星および北斗星は、地上より見て、その位置を変ずるに至り、地球の北端なる我が国土の真上に、北極星あり、北斗星またその真上に在りしもの、この変動に依りて稍我が国より見て、東北に偏位するに致りける。 また太陽の位置も、我が国土より見て稍北方に傾き、それ以後気候に寒暑の相違を来したるなり。 ここに大国治立命は、この海月成す漂へる国を修理固成せしめむとし、日月界の主宰神たる伊邪那岐尊および伊邪那美尊に命じ、天の瓊矛を賜ひて天の浮橋に立たしめ、地上の海原を瓊矛を以つて掻きなさしめ給ひぬ。 この瓊矛と云ふは、今の北斗星なり。北極星は宇宙の中空に位置を占め、月の呼吸を助け、地上の水を盛ンに吸引せしめたまふ。北斗星の尖端にあたる天教山は、次第に水量を減じ、漸次世界の山々は、日を追うて其の頂点を現はしにける。 数年を経て洪水減じ、地上は復び元の陸地となり、矛の先より滴る雫凝りて、一つの島を成すといふは、この北斗星の切尖の真下に当る国土より、修理固成せられたるの謂なり。 太陽は復び晃々として天に輝き、月は純白の光を地上に投げ、一切の草木は残らず蘇生し、而て地上総ての蒼生は、殆ど全滅せしと思ひきや、野立彦、野立姫二神の犠牲的仁慈の徳によりて、草の片葉に至るまで、残らず救はれ居たりける。 神諭に、 『神は餓鬼、虫族に至る迄、つつぼには落さぬぞよ』 と示し給ふは、この理由である。 アヽ有難きかな、大神の仁慈よ。唯善神は安全にこの世界の大難たる大峠を越え、邪神は大峠を越ゆるに非常の困苦あるのみなりき。 而て仁慈の神は、吾御身を犠牲となし禽魚介に至る迄、これを救はせ給ひけり。世の立替へ立直しを怖るる人よ。神の大御心を省み、よく悔い改め、よく覚り、神恩を畏み、罪悪を恥ぢ、柔順に唯神に奉仕し、その天賦の天職を盡すを以て心とせよ。 惟神霊幸倍坐世。 (大正一一・一・一八旧大正一〇・一二・二一外山豊二録)
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 21 真木柱 第二一章真木柱〔二七一〕 伊弉諾大神の又の御名を、天の御柱の神といひ、伊弉冊大神の又の御名を、国の御柱の神といひ、天照大神の又の御名を、撞の御柱の神といふ。 この三柱の神は、天教山の青木ケ原に出でまして、撞の御柱の神を真木柱とし、八尋殿を見立て給ひて、天津神祖の大神を祭り、月照彦神を斎主とし、足真彦、少名彦[※校正本では「少彦」]、弘子彦、高照姫、真澄姫、言霊姫、竜世姫、祝部、岩戸別その他諸々の神人たちを集へて、天津祝詞の太祝詞を詔らせ給へば、久方の天津御空も、大海原に漂ふ葦原の瑞穂の国も、清く明く澄み渡りて、祓戸四柱の神の千々の身魂の活力に復び美はしき神の御国は建てられたるなり。 ここに伊弉諾神は撞の御柱を中に置き、左より此の御柱を行き廻り給ひ、伊弉冊神は右より廻り合ひ給ひて、ここに天地を造り固めなし給ひ、国生み、島生み、神生み、人生み、山河百の草木の神を生み成し給ふ善言美詞を謡はせ給ひける。その御歌、 伊弉諾神『限り無く果てしも知らぬ大空のその大空の本津空 天津御空の果てのはて九山八海の火燃輝のアオウエイの アオウエイの五柱カサタナハマヤラワ この九つの御柱の父と母との言霊に 鳴り出る息はキシチニヒミイリヰ クスツヌフムユルウケセテネヘメエレヱ コソトノホモヨロヲこれに続いて ガゴグゲギザゾズゼジ ダドヅデヂバボブベビ パポプペピ七十五声生みなして 果てしも知らぬ天地を造り給ひし大御祖 国治立の大神の左守の神と在れませる 其の霊主体従の霊高き高皇産霊の大御神 瑞の身魂の本津神神皇産霊の大神の 御息は凝りて天の原大海原を永遠に 搗き固めたる神の代と寄し給へる高天原の 神の祖の詔畏み仕へまつりつつ 常磐堅磐につき立てし撞の御柱左より い行きて廻りさむらへば照る日の影も明らかに 月の光もさやさやに輝き渡る青木原 大海原も諸共に清く治まる神の国 清く治まる神の国好哉えー神の国 あなにやしえー神の園』 と謡ひながら、撞の御柱を左より廻り始め給ひける。 このとき撞の御柱を右よりい行き廻りて、茲に二柱神は、双方より出会給ひ、国の御柱の神は、男神の美はしき、雄々しき御姿をながめ給ひて喜びに堪へず御歌を詠ませ給ひぬ。その御歌、 『久方の天津空より天降りまし黄金の橋のその上に 月と撞との二柱二神のつまに手をひかれ 天の浮橋度会の月雪花の神祭り 斎ひ治めて伊弉諾の神の命は畏くも 撞の御柱行き廻りめぐりめぐりて今ここに 嬉しき君に相生の千代万代も動きなく 松の神代の礎を築き固めたる宮柱 うつしき神代を五六七の世仁愛三会の鐘の音も 鳴り響きたる青木原御腹の胞衣は美はしく 生ひ立ち侍り天の下山川木草もろもろの 人を生みまし鳥昆虫魚に至るまで 天津御空の星の如生みふやします其の稜威 見れども飽かぬ御姿の清きは真澄の鏡かな 清きは真澄の鏡かも月日と光をあらそひて 月日の神と生れませる神の御霊やあなにやし 愛ー男や、愛ー男斯る芽出度き夫神の 天をば翔り地駆けり何処の果を求むとも 求め得ざらめあら尊天の御柱夫神の 雄々しき姿あなにやし愛ー男や、おとこやと 今日の祭りに嬉しくも善言美詞ほぎ奉る 七十五声鈴の音もすべて芽出度き天の原 皇御国と鳴り響く皇御国と鳴り響く 一二三四五六七八九十百千万の神嘉言 一二三四五六七八九十百千万の神嘉言 百代も千代も変らずに百代も千代も変らずに 汝と吾とは天地の鏡とならめ永遠に 神祖とならめ永遠に』 と祝し給ひて、淡島を生ませ給ひぬ。この淡島は少名彦神、国魂神として任けられたまひぬ。されどこの島は御子の数に入らず、少名彦神は野立彦神の御跡を慕ひて、幽界の探険に発足さるる事とはなりける。 (大正一一・一・二〇旧大正一〇・一二・二三外山豊二録) (第二一章昭和一〇・二・一〇於勝浦支部王仁校正)
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 24 富士鳴戸 第二四章富士鳴戸〔二七四〕 二柱は茲に撞の御柱を廻り合ひ、八尋殿を見立て玉ひ、美斗能麻具波比の神業を開かせ玉ひぬ。美斗能麻具波比とは、火と水との息を調節して、宇宙万有一切に対し、活生命を賦与し玉ふ尊き神業なり。撞の御柱の根に清き水を湛へたまひぬ。これを天の真奈井と云ひまた後世琵琶湖と云ふ。撞の御柱のまたの御名を伊吹の御山と云ふ。天の御柱の神は九山八海の山を御柱とし、国の御柱の神は塩の八百路の八塩路の泡立つ海の鳴戸灘をもつて胞衣となし玉ひ、地の世界の守護を営ませ玉ふ。また鳴り鳴りて鳴りあまれる、九山八海の火燃輝のアオウエイの緒所と云はれて居るは不二山にして、また鳴り鳴りて鳴り合はざるは、阿波の鳴戸なり。『富士と鳴戸の経綸』と神諭に示し玉ふは、陰陽合致、採長補短の天地経綸の微妙なる御神業の現はれをいふなり。鳴戸は地球上面の海洋の水を地中に間断なく吸入しかつ撒布して地中の洞穴、天の岩戸の神業を輔佐し、九山八海の山は地球の火熱を地球の表面に噴出して、地中寒暑の調節を保ち水火交々相和して、大地全体の呼吸を永遠に営み居たまふなり。九山八海の山と云ふは蓮華台上の意味にして、九山八海のアオウエイと云ふは、高く九天に突出せる山の意味なり。而て富士の山と云ふは、火を噴く山と云ふ意義なり、フジの霊反しはヒなればなり。 茲に当山の神霊たりし木花姫は、神、顕、幽の三界に出没して、三十三相に身を現じ、貴賤貧富、老幼男女、禽虫魚とも変化し、三界の衆生を救済し、天国を地上に建設するため、天地人、和合の神と現はれたまひ、智仁勇の三徳を兼備し、国祖国治立命の再出現を待たせ玉ひける。木花姫は顕、幽、神における三千世界を守護し玉ひしその神徳の、一時に顕彰したまふ時節到来したるなり。これを神諭には、 『三千世界一度に開く梅の花』 と示されあり。木花とは梅の花の意なり。梅の花は花の兄と云ひ、兄をこのかみと云ふ。現代人は木の花と云へば、桜の花と思ひゐるなり。節分の夜を期して隠れたまひし、国祖国治立の大神以下の神人は、再び時節到来し、煎豆の花の咲くてふ節分の夜に、地獄の釜の蓋を開けて、再び茲に神国の長閑な御世を建てさせ玉ふ。故に梅の花は節分をもつて花の唇を開くなり。桜の花は一月後れに弥生の空にはじめて花の唇を開くを見ても、木の花とは桜の花に非ざる事を窺ひ知らるるなり。 智仁勇の三徳を兼備して、顕幽神の三界を守らせたまふ木花姫の事を、仏者は称して観世音菩薩といひ、最勝妙如来ともいひ、観自在天ともいふ。また観世音菩薩を、西国三十三箇所に配し祭りたるも、三十三相に顕現したまふ神徳の惟神的に表示されしものにして、決して偶然にあらず。霊山高熊山の所在地たる穴太の里に、聖観世音を祭られたるも、神界に於る何彼の深き因縁なるべし。瑞月は幼少の時より、この観世音を信じ、かつ産土の小幡神社を無意識的に信仰したるも、何彼の神の御引き合はせであつたことと思ふ。惟神霊幸倍坐世。 附記 三十三魂は瑞霊の意なり。また天地人、智仁勇、霊力体、顕神幽とも云ひ、西王母が三千年の園の桃の開き初めたるも三月三日であり、三十三は女の中の女といふ意味ともなるを知るべし。 (大正一一・一・二〇旧大正一〇・一二・二三加藤明子録)
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霊界物語 06_巳_大洪水/国生み神生み/三五教の誕生 29 泣沢女 第二九章泣沢女〔二七九〕 神伊邪那岐の大御神神伊邪那美の大神は 清き正しき天地の陽と陰との呼吸合せ スの言霊の幸ひに天の御柱国柱 生り出でまして山川や草木の神まで生み了ほせ 青人草や諸々の呼吸あるものを生み満たせ 栄ゆる神代を楽みて喜び玉ふ間もあらず 天津御空の星の如浜の真砂の数多く 青人草は生り成りて鳴りも合はざる言霊の 呼吸の穢れは天地や四方の国々拡ごりつ 清き正しき大御呼吸濁りに濁り村雲の 塞がる世とはなりにけり開け行く世の常として 天津御空に舞ひ狂ふ天の磐樟船の神 天の鳥船影暗く御空を蔽ひ隠しつつ 人の心は日に月に曇り穢れて常闇の 怪しき御代となり変り金山彦の神出でて 遠き近きの山奥に鋼鉄を取りて武器を 互に造り争ひつ体主霊従の呼吸満ちて 互に物を奪ひ合ふ大宜津姫の世となりぬ 野山に猛きの彼方此方に荒れ狂ひ 青人草の命をば取りて餌食と為しければ ここに火の神現はれて木草の繁る山や野を 一度にどつと焼速男世は迦々毘古となり変り 山は火を噴き地は震ひさも恐ろしき迦具槌の 荒振世とはなりにけり国の柱の大御神 此有様を見そなはし御魂の限りを尽しつつ 力を揮はせ玉へども猛き魔神の勢に 虐げられてやむを得ず黄泉御国に出でましぬ 糞に成ります埴安彦の神の命や埴安姫の 神の命のいたはしく世を治めむと為し玉ひ 尿に成ります和久産霊世を清め行く罔象女 神の命は朝夕に心を尽し身を尽し 遂に生れます貴の御子この世を救ふ豊受姫の 神の命の世となりぬ嗚呼奇なる神の業。 伊邪那岐命は、伊邪那美命の黄泉国、すなはち地中地汐の世界に、地上の世界の混乱せるに驚き玉ひて逃げ帰り玉ひしを、いたく嘆きてその御跡を追懐し、御歌を詠ませ玉ひぬ。 その歌、 『神の神祖とましませる高皇産霊の大御神 神皇産霊の大神の清き尊き命もて 女男二柱相並び天の瓊矛を取り持ちて 黄金の橋に立ち列び海月の如く漂へる 大海原の渦中をこおろこおろに掻き鳴らし 淤能碁呂島に降り立ちて島の八十島八十国や 山川草木の神を生み天の下をば平けく 神の御国を治めむと誓ひし事も荒塩の 塩の八百路の八塩路の塩路を渡り黄泉国 汝は独で出ましぬ振り残されし吾独 如何でこの国細かに神の御胸に適ふ如 造り治めむ吾は今熟々思ひめぐらせば 黄金の橋に立ちしより天教山に天降り 撞の御柱右左伊行き廻りて誓ひたる その言の葉の功も何とせむ方泣く泣くも 涙を絞る夜の袖汝の頭に御後辺に 匍匐ひ嘆く吾が胸を晴らさせ玉へうたかたの 定めなき世の泣き沢女定めなき世のなきさはめ』 と謡ひて別れを惜しみ、再び淤能碁呂島に、女神の帰り来まさむことを謡ひたまふ。是より神伊邪那岐の神は、女神に別れ一時は悄然として、力を落させ玉ひける。 されど、ここに神直日大直日に省み、荒魂の勇みを振り起し、天の香具山の鋼鉄を掘り、自ら十握の剣を数多造りて、荒振る神共をば、武力を以て討ち罰めむと計らせ玉ひける。 (大正一一・一・二一旧大正一〇・一二・二四藤原勇造録) (第二九章昭和一〇・二・一五於淡の輪黒崎館王仁校正)