第二九章泣沢女〔二七九〕
神伊邪那岐の大御神神伊邪那美の大神は
清き正しき天地の陽と陰との呼吸合せ
スの言霊の幸ひに天の御柱国柱
生り出でまして山川や草木の神まで生み了ほせ
青人草や諸々の呼吸あるものを生み満たせ
栄ゆる神代を楽みて喜び玉ふ間もあらず
天津御空の星の如浜の真砂の数多く
青人草は生り成りて鳴りも合はざる言霊の
呼吸の穢れは天地や四方の国々拡ごりつ
清き正しき大御呼吸濁りに濁り村雲の
塞がる世とはなりにけり開け行く世の常として
天津御空に舞ひ狂ふ天の磐樟船の神
天の鳥船影暗く御空を蔽ひ隠しつつ
人の心は日に月に曇り穢れて常闇の
怪しき御代となり変り金山彦の神出でて
遠き近きの山奥に鋼鉄を取りて武器を
互に造り争ひつ体主霊従の呼吸満ちて
互に物を奪ひ合ふ大宜津姫の世となりぬ
野山に猛き獣の彼方此方に荒れ狂ひ
青人草の命をば取りて餌食と為しければ
ここに火の神現はれて木草の繁る山や野を
一度にどつと焼速男世は迦々毘古となり変り
山は火を噴き地は震ひさも恐ろしき迦具槌の
荒振世とはなりにけり国の柱の大御神
此有様を見そなはし御魂の限りを尽しつつ
力を揮はせ玉へども猛き魔神の勢に
虐げられてやむを得ず黄泉御国に出でましぬ
糞に成ります埴安彦の神の命や埴安姫の
神の命のいたはしく世を治めむと為し玉ひ
尿に成ります和久産霊世を清め行く罔象女
神の命は朝夕に心を尽し身を尽し
遂に生れます貴の御子この世を救ふ豊受姫の
神の命の世となりぬ嗚呼奇なる神の業。
伊邪那岐命は、伊邪那美命の黄泉国、すなはち地中地汐の世界に、地上の世界の混乱せるに驚き玉ひて逃げ帰り玉ひしを、いたく嘆きてその御跡を追懐し、御歌を詠ませ玉ひぬ。
その歌、
『神の神祖とましませる高皇産霊の大御神
神皇産霊の大神の清き尊き命もて
女男二柱相並び天の瓊矛を取り持ちて
黄金の橋に立ち列び海月の如く漂へる
大海原の渦中をこおろこおろに掻き鳴らし
淤能碁呂島に降り立ちて島の八十島八十国や
山川草木の神を生み天の下をば平けく
神の御国を治めむと誓ひし事も荒塩の
塩の八百路の八塩路の塩路を渡り黄泉国
汝は独で出ましぬ振り残されし吾独
如何でこの国細かに神の御胸に適ふ如
造り治めむ吾は今熟々思ひめぐらせば
黄金の橋に立ちしより天教山に天降り
撞の御柱右左伊行き廻りて誓ひたる
その言の葉の功も何とせむ方泣く泣くも
涙を絞る夜の袖汝の頭に御後辺に
匍匐ひ嘆く吾が胸を晴らさせ玉へうたかたの
定めなき世の泣き沢女定めなき世のなきさはめ』
と謡ひて別れを惜しみ、再び淤能碁呂島に、女神の帰り来まさむことを謡ひたまふ。是より神伊邪那岐の神は、女神に別れ一時は悄然として、力を落させ玉ひける。
されど、ここに神直日大直日に省み、荒魂の勇みを振り起し、天の香具山の鋼鉄を掘り、自ら十握の剣を数多造りて、荒振る神共をば、武力を以て討ち罰めむと計らせ玉ひける。
(大正一一・一・二一旧大正一〇・一二・二四藤原勇造録)
(第二九章昭和一〇・二・一五於淡の輪黒崎館王仁校正)
No.: 1300