🏠 トップページへ

📖 キーワード検索

番号
(No.)
書籍 内容
261

(2769)
霊界物語 60_亥_イヅミの国3/三美歌/祝詞/神諭 08 土蜘蛛 第八章土蜘蛛〔一五三三〕 玉国別の一行はバーチルの館を立出で、再びアヅモス山のもとの古社の趾に近寄り見れば猩々姫の言葉に違はず、五寸許り上土をめくつて見ると、長方形の石蓋が現はれて来た。 玉国別は先づ石蓋取り除きの祈願を奏上したり。 『スメールの珍の聖地に、宮柱太しく建てて常久に、鎮まり居ますバラモンの、教の御祖大国彦の御舎を、仕へまつりし古き趾の石蓋を、猩々姫の願ひによりて、心を清め身を浄め、珍の言霊宣り上げて、三千年の昔より、封じ置きたる玉手箱、神の恵みを蒙りて、愈開き奉る。仰ぎ願はくは此神業に仕へまつる人々は、心正しく清く直くして、神の霊に帰りし珍の御宝なれば、如何なる神の在すかは知らねども必ず咎め罰め玉ふ事なく、いと安々と之の岩戸を開かせ玉へ。又これの岩窟に忍び入りて神代ながらの秘事を疾く速かに探らせ玉へ。惟神皇大神の御前に慎み敬ひ願ぎ奉る。 一二三四五六七八九十百千万、あゝ惟神霊幸倍坐世惟神霊幸倍坐世』 と珍の宣り言唱へ上げ、忌鋤忌鍬を以て土をかき分け、洗ひ清めし金梃を岩の隙間に押し込み、漸くにして広き厚き岩蓋を取除いた。黒煙濛々として立昇り、少時は咫尺も弁ぜざる如き惨澹たる光景であつた。折から吹き来る科戸の風に黒き煙は何処ともなく散り失せて岩戸の入口は階段まで明かに見えて来た。 玉国別『千早振る昔ながらの秘事を 開き初めたる今朝ぞ目出度き』 バーチル『九頭竜を弥常久に封じたる 岩戸も開く今日の目出度さ』 サーベル姫『神代より云ひつぎ語りつぎ来る タクシャカ竜王に会はむ今日かな』 伊太彦『吾は今此岩窟の奥底を 探り見むとす許させ玉へ』 玉国別『何事も先立たむとする伊太彦の インクリネーション現はれにけり』 伊太彦『何事も人に先立ち進まむと するは吾身のテーストなりけり』 三千彦『伊太彦の其ネーチュア現はれて 危き穴に進まむとぞする』 伊太彦『これしきの岩窟探るは難からじ 朝飯前のメデオーカ事ぞや』 玉国別は伊太彦を総取締となし、ワックス、エル二人を伴はしめ、一同を岩窟の入口に待たせ置き、長き綱の先に鈴をつけて穴の入口に掛けおき、危急の場合は此綱を引けば援兵に何人か来て呉れる様と頼み置き、数千年の秘密の鍵を探るべく蜘蛛の巣を払ひ払ひ階段をドンドンと下つて行く。不思議にも長き深き隧道は燐光燦爛として輝き、あまり足許の悩みを訴へない迄に明かつた。 三人はタクシャカ竜王の幽閉所と聞えたる岩窟を天の数歌を歌ひ乍ら、或は下り或は上り、右に左に折り廻り乍ら足に任せて探り行く。俄にクワツと明るい処がある。近づき見れば直径三尺許りの丸い茶褐色の不思議な物が隧道の真中に横たはり、薄明い燈火を放射して居る。耳をすまして聞き居ればブーンブーンと不思議な声が聞える。三人は少時茫然として此怪しき物体を眺めて居た。俄にブツブツブツと粥の煮える様な音が高く聞えて来た。 エル『おいワックス、此奴ア何でもモンスターに違ひない。此杖で一つポカンと一撃を加へたら如何だらうかな』 ワックス『待て待て、何が出よるか知れぬ。うつかり相手にならうものなら、それこそ大変だ』 伊太彦『アハヽヽヽ、丁度エルさまが牛に踏み潰された代物の様だな。ポツポツと湯気が立つて居る様だ。此奴ア大方田野危平が八畳敷を落して置いたのかも知れないぞ』 エル『曲津の奴、逸早くこんな処へ先走りをしやがつて、俺等の睾丸、オツトドツコイ肝玉を潰さうと企んで、失礼千万な、吾々の行路を遮つてゐやがるのだらう。人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬る程の英雄豪傑、エルさまは到底此儘差許す事は出来ぬ。又飽迄此奴を如何とかせなくては向側へ渡る事が出来ぬぢやないか。のうワックス、貴様も随分横着者だつたが、此奴には閉口したと見え沈黙を守つてるぢやないか。モンスターが恐ろしい様な事で岩窟の探険がどうして出来るものか。もし伊太彦さま、此モンスターを私に処分さして下さいませぬか』 伊太彦『宜しい、お前の力で一つ退散さして見るのもよからう』 エル『そんなら退散さして御覧に入れませう。大山鳴動して鼠一匹かも知れませぬぞ』 と云ひ乍ら杖を真向に振り翳し構へ腰になつて、エイヤと一声、ウンと打つた。忽ち怪物は黒い細長い足が数十本ニユーツと生え出し、丸い体を七八尺許りの中空に浮かしてガサリガサリと逃げ出した。よくよく見れば数千年劫を経たる穴蜘蛛が足を縮めてここに眠つて居たのであつた。 エル『アツハヽヽヽ何だ、蜘蛛の親方奴、エルさまの御威勢に恐れ、長いコンパスを運転させ、体を宙に浮べて雲を霞と逃げ失せやがつた。イヒヽヽヽヽエルさまの神力によつてくもなく退散仕り……後をも見ずになりにける……だ。おいワックス、今度は何が出ても俺はもう構はぬから、お前の番だ、確りやり玉へ』 ワックス『ここの蜘蛛は燐の息を吸うて居ると見えて体迄が光つて居やがる。本当に妙な事があるものだ。サア之から四辺に心を配り十二分の注意を払つて進む事にしよう。伊太彦様、貴方も随分狼狽者、否々何でも先鞭をつけるお方だと玉国別さまが云つて居られたぢやありませぬか。今度は貴方が率先して怪物退治をやつて頂き度いものですな』 伊太彦『玉国別様のお伴をして居る時は、どうしても俺が先駆を勤めねばならない。併し乍ら今日は三人の総統者だから、チツト許り慎重の態度を守つてるのだ。まあエルさま、先走りとなつて噪いで下さい。まさかとなれば此伊太彦宣伝使がお助け申すから』 エル『ヘヽヽヽヽうまい事仰有いますワイ。何ですか、その足許は、膝坊主が大変活動してるぢやありませぬか。急性恐怖病が起つたのでせう』 伊太彦『何、急性沈着病が勃発したのだ。決して心配は要らぬ。サア進んだり進んだり』 エル『何だかチツと許り寂寥の感に打たれて来ました。一つ歌を歌つて元気をつけますから囃して下さい、頼みますよ』 ワックス『アハヽヽヽ、到頭エルの奴、生地を現はしやがつたな。空威張りの睾丸潰しの大将奴、ウツフヽヽヽ』 エル『こりやこりやワックス馬鹿息子オツトドツコイこりや違うた 善言美詞の此教忘れて口を滑らせた ワックスさまよチツト許りお腹が立つかは知らねども 知つてる通りの狼狽者思はぬ口が滑りました 神の心に見直して決して怒つちやなりませぬ 岩戸の口からドンドンと限り知られぬ階段を 下りて又も上りつめ右や左と屈曲し 漸くここに来て見ればパツと光るは摩訶不思議 合点の行かぬモンスター一つ調べて見むものと 金剛杖をば振り翳しウンと許りに打据うる ポンと音して黒煙鳥賊が墨をば吐く様に 四辺を真黒々助に包んで了つた可笑しさよ 暫く眺め居る間に数多のコンパス附着して 怪体な体を中空にヒヨロリヒヨロリと揺りつつ 前方さして逃げて行く此奴あテツキリ蜘蛛の精 何処々々迄もおつついて往生させねば措かないぞ 此方が命をとらるるか向方を往生さしてやるか 二つの中の一つをば選まにやならぬ今の破目 梵天帝釈自在天オツトドツコイ国の祖 国治立の大御神何卒エルに神力を 腕も撓に与へませ偏に願ひ奉る 伊太彦司に従ひて初めて岩窟の探険と 出掛けた吾々両人は到底様子が分らない 如何なる枉の陥穽に陥ちて命を落すやら 今から案じ過ごされるあゝ惟神々々 御霊幸はひましませよ』 斯く歌ひ乍ら又もや曲り角に着いた。角を曲るや否やワックスの現を抜かして恋慕して居たデビス姫が起居物腰淑かに、袖にて赤い口を隠し乍ら、稍伏目勝ちにスツクと立つて居る。エルは勢よく進む途端に、此女に衝突し、 エル『アイタヽヽヽヽこりや阿魔ツ女、往来の真中に黙つて立てつて居やがるものだから、到頭俺の出歯をきつい目に打つて了つたぢやないか。これ見よ、此通り歯の間から黒い血がポトポトと流れてゐる。「悪い事致しました」と一言謝らぬかい。馬鹿だな』 女『ホヽヽヽヽ、貴方は狼狽者のエルさまぢやありませぬか。昼の最中に大道を歩いては牛の尻に衝突し、又斯んな処で妾のお尻に衝突し、出歯を打つとは天下一品のチヨカ助だな』 エル『ヤア、デビス姫様で厶いましたか。腹の悪い、吾々を吃驚さそうと思つて、ソツと階段を下り、あの四辻から、ここへ先廻りして吃驚さす考へですな。本当に姫様も三千彦司の奥さまになつてから大変なお転婆になりましたな。おいワックス、貴様もこんな処で、改心したと云ふものの幾分か未練が残つて居るだらうから、一言怨みの数を陳列して姫様のお聞きに達したらどうだ。こんな好い機会は一生の間に又とは無いぞよ。俺が邪魔になるなら友達の誼で気を利かしてやる。モシ伊太彦さま、少しの間、控へて居りませうかな』 伊太彦『………………』 ワックス『これはこれは、デビス姫様、この恐ろしい岩窟内を女一人で探険とは実に恐れ入りました。いや感心致しました。その健気なお志を看破して此ワックスは何時も心を悩めたので厶いますよ。三千彦様のお側近く膠の様に引ついて喜んで居らつしやるものだからお顔を見乍ら儘ならず、丸で写真を見て居る様だつたが、今日は一言位は言葉をかけて下さるでせうね』 女『ホヽヽこれワックスさま、貴方はそこ迄妾を本当に思つて下さるのですか。本当ならば嬉しいワ』 ワックス『酒も飲まずに、どうして男が女を捉まへて嘘が云へませう。心底からホの字とレの字だから、ここ迄実の所は跟いて来たのですよ。チツトは男の心にも同情を寄せて貰つても余り罰が当りますまいがな』 エル『アハヽヽヽヽおい、ワックス、そこだそこだ、正念場だ、確りやれ、ワツシヨワツシヨ』 女『ホヽヽヽヽあのエルさまの睾丸潰しさま、犬か何ぞの様に嗾をかけなくても宜いぢやありませぬか』 エル『コレ、姫さま、一生懸命ですよ。友人の恋を叶へてやり度いばつかりに骨を折つて居るのですから、余り憎うはありますまい。貴女だつてこんな処に一人待つてる位だから万更ワックスがお嫌ひでない事は百も承知、千も合点の私、随分気を利かして上げますよ。併し乍ら伊太彦さまがチツト許り煙たうなつて来た。モシ伊太彦さま、表は表、裏は裏、滅多に三千彦さまの奥さまをワックスが取らうと云ふのぢやないから、握手位は大目に見てやつて下さるでせうな』 伊太彦『オイ、両人、此女に指一本でも触へる事はならぬぞ。大変な事が出来するからの』 エル『扨ても扨ても融通の利かぬ唐変木だな。おいワックス、俺が三千彦さまに弁解をしてやるから一寸形式だけ握手やつたら如何だ』 女『もし、エルさま、ワックスさまの代理として貴方と握手しようぢやありませぬか、握手したと云つても決して心は貴方に移しませぬよ』 エル『おいワックス、俺が代理権を執行しても滅多に姦通の訴訟は起さないだらうな』 ワックス『うん』 エル『ハヽア、此奴、割とは気の弱い奴だ。恥かしいと見えるな。それでは此エルが暫く弁理公使を勤めてやらう。サア、デビスさま、お手を出して御覧』 女『はい、有難う厶います。サア貴方のお手をズツと伸ばして下さい』 エル『仮令代理権にもせよ、こんなナイスに手を握られるのはチツト気分が悪い……事はないワイ。エヘヽヽヽおい、ワックス、すみませぬな。必ず気を悪うして下さるな、伊太彦さま、何卒ここは宣伝使のお情を以て大目に見て下さい。エツヘヽヽヽヽ』 と嬉し相に笑ひ乍らグツと手をつき出した。女はエルの手を握るや否や赤い唇へペタリと当てたと思ふ途端、エルはキヤツと悲鳴を上げ其場に倒れて了つた。女は忽ち般若の様な面になり、 女『ケラケラケラケラケラ、俺が折角休んでる処を金剛杖で頭を殴りやがつたから其敵討だ、イツヒヽヽヽ』 と腮をしやくる途端に又もとの大蜘蛛となり数限りもなきコンパスをニユツと現はし七八尺上の方に体を浮してノソリノソリと奥を目蒐けて這うて行く。伊太彦は直に近寄つてエルの傷所に息を吹きかけ天の数歌を歌ひ上げた。半時許り経つてエルは漸く正気づき、痛さを堪へ乍ら意気消沈の態で二人の後に従ひおづおづし乍ら進み行く。 (大正一二・四・七旧二・二二於皆生温泉浜屋北村隆光録)
262

(2839)
霊界物語 62_丑_讃美歌2 23 神導 第二三章神導〔一五九八〕 第四七二 一 身体と霊魂までに祖神は 要るべきものを与へ玉ひぬ。 二 花薫る野辺に遊ばせ息休む 汀に清く住まはせ玉ふ。 三 わが魂を生かし尊き御名の故に 正しき道に導き給ふ。 四 皇神は恵みの笞杖をもて 弱き身魂を立たせ給ひぬ。 五 御恵みの露の溢るる盃は わが魂を潤し給ふ。 六 御恵みの花咲く綾の花園に 集ふ身魂ぞ楽しかりけり。 第四七三 一 皇神の定め給ひし大神教を 守らせ給へ朝な夕なに。 二 皇神は言葉の儘にわが魂を 導き給ふ珍の宮居に。 三 清まりし眼に映る神姿は 東雲の空仰ぐ如くなり。 四 外国の人の身魂も照します 神の光を崇めまつれよ。 五 皇神の選み給ひし至聖地は 広き御恵の泉なりけり。 六 大前に捧ぐる百の種子物も 皆皇神の造らししもの。 七 さり乍ら吾等の清き真心を 受けさせ給へいと平かに。 第四七四 一 御恵みの清き御顔をわが上に 照させ給へ幸はひ給へ。 二 大道は普し地のはしばしに 救ひの教を知らさむ為に。 三 朝夕に感謝祈願の太祝詞 宣る氏の子を恵ませ給へ。 四 皇神の現れまして善悪を 審き給はむ時は来にけり。 五 地裂けて宝現れ埋もれし 御玉は清く高く栄えむ。 六 山川もよりて仕ふる神の代に 生れ出でたる人の幸かも。 第四七五 一 瑞御霊現はれ給ふ時来れば 荒野に沙漠に川も流れむ。 二 潤ひを知らぬ国土も御功績に 清き清水の源と変らむ。 三 山犬の棲処も神の代とならば よしあし茂る沼と変らむ。 四 丹波の山の奥にも皇神の 聖き大道は開かれにけり。 五 穢れたる人は聖地に入るを得ず 迷ひの雲の晴れやらぬ間は。 六 さり乍ら恵みの神は穢れをも 憐れみ給ひ濺がせ給ふ。 七 攻め寄せし獅子も来らず鬼大蛇 再び襲ふ事もあるまじ。 八 醜虎の爪磨ぎすまし後より 不意に抱へぬ瑞の御霊を。 九 枉ものも瑞の御霊に清められ 姿を変へて仰ぎけるかな。 一〇 道の辺に深く穿ちし陥穽に 倒れむとして起き上りけり。 一一 皇神の厳の御守りある上は 醜の枉津も襲ふ術なし。 一二 勝鬨の声を揃へて神のます 珍の都へ帰る日勇まし。 一三 歌ひつつ栄光の雲に打乗りて 永久の栄光の聖地に帰る。 一四 悲しみも嘆きも後を隠しけり 獄舎の中も神の栄光に。 一五 元津神厳の御霊や瑞御霊 救ひの主に御栄光あれや。 第四七六 一 天津国の珍の都を地の上に うつし給ひし大本大神。 二 天になる日毎の糧を地の上に 恵み給ひぬ綾の高天原に。 三 われに罪を負はせしものを赦す如く 赦させ給へ世人の罪を。 四 試練に遭はせ給はずわが魂を 悪より救ひ出させ給へ。 五 神の国の御稜威御栄光御権力は 堅磐常磐に神のものなれ。 第四七七 あゝ吾は天地の造り主、全智全能の誠の御祖神大国常立之大神を信ず。その聖き美はしき大御霊より現はれ給ふ厳の御霊、瑞の御霊の二柱、聖霊に導かれて綾の高天原に降らせ給ひ、現世のあらゆる苦患を受け、厳の御霊は奥津城に隠れ給ひ、稚姫君の御霊と共に天津国に上りまし、地の上の総てを憐み恵ませ給ひ、又瑞の御霊は千座の置戸を負ひて黄泉に下り、百二十日あまり六日の間虐げられ、再び甦りて綾の高天原に上り、無限絶対無始無終の皇大御神の大御恵を伝へ、又生ける人と死れる人の霊を清めむが為めに、神の御使として勤み給ふ瑞の御霊の神柱を信ず。又吾は大神の聖霊に充たされたる精霊の変性男子変性女子の肉の宮に下り、教の場と信徒の為に限りなき歓喜と栄光と生命を与へ給ふ事を固く信ず。惟神霊幸倍坐世。 第四七八 一 天津神大国常立之大神の 外に誠の神ありと思はじ。 二 目に見えぬ神を誠の神として 敬ひまつれ諸々の民。 三 徒に神の御名をば称へまじ 穢れ果てたる言霊をもて。 四 清き日は総ての業を休らひて 神を斎きて歌へ舞へかし。 五 地の上の汝の生命の永かれと 父と母との神を敬へ。 六 よしもなき事に生物殺すなよ 皆天地の身霊なりせば。 七 徒に白日床組なす勿れ 神の御業の勤め忘れて。 八 目を偸み宝を盗み日を窃む 人こそ神の罪人と知れ。 九 詐りの証を立ててわが罪を 隣の人に夢なきせまじ。 一〇 仁愛の心忘れて世の人の 総ての業の妨げなすな。 第四七九 一 小雲の川を波枕百の妨げ艱みをも 直日に見直し宣り直し何の憚る処なく 暗路を照らす神の代の奇き尊き物語 言霊車転ぶまに水の流るる音を聞き いと安らかに述べて行く。 二 神のかかりて物されし瑞の言霊聞く人は なやみも罪も速川の波に埋めて曇りなき 光の神の御恵に照らされ乍ら正道を 神と諸共歩むべし。 三 厳の御霊の御言もて述べ初めたる神の物語 穢れ果てたる現世を尊き清き神の代に 立直さむと朝夕に百の司の妨げも 心にかけずスクスクと川瀬の波の淀みなく 神のまにまに述べて行く。 四 高天原に現れし皇大神の御栄光の 冠を頂き勇み立ち白き衣をまとひつつ 瑞の聖霊に充たされて天津御神の歌ふ声に 節を合せて述べて行く此物語拡ごりて 堅磐常磐に栄え行く神の仕組ぞ尊けれ。 第四八〇 一 朝な夕なに積りてし数多の罪科穢れをば 棄てて高天原に参上り心の色も新しく 咲き匂ひたるわが身魂厳の御霊や瑞御霊 聖き尊き御名により昔の神のふまれたる 御跡を慕ひ詳細にその経緯を述べて行く あゝ惟神々々恩頼をたまへかし。 二 八十の枉津の醜魂に穢され果てし烏羽玉の 黒き汚き身体は潮の八百路の八潮路の 千尋の海の藻屑とし恵み普き皇神の 御跡を踏み分け奉り根底の国や中有界 神の御国の有様をいと細々と述べて行く 奇き霊界物語開かせ給へ四方の国。 三 瑞の御霊の救ひより天津御国に上りなば いと新しき神の世に御霊を受けて甦り 浸染なく傷なき日本魂赤き血潮の道筋を 只一条に歩み行くあゝ惟神々々 恩頼ぞ尊けれ。 第四八一 一 和知川の流れに罪を流し捨て 新しき神の御園に進む。 二 御園には宣伝使数多集りて 天津御国の教を伝ふる。 三 古びたるわが身を洗ひ清めつつ 生かせ給ひぬ新しき命に。 四 現界の今日を終りと思ひなして 甦りてむ神の大道に。 五 身を殺す罪の中をば浮び出でて 命の汀に今は立ちぬる。 六 現界の夢は水泡と消え果てて 行かむ花咲き匂ふ神国に。 (大正一二・五・一四旧三・二九隆光録)
263

(2851)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 総説 総説 霊界物語口述開始より、殆んど着手日数二百五十日を要して、漸く六十三巻を口述し終りました。天声社の新築もこの物語出版のためでありました。去る二十五日始めて天声社の二階の間に於て二席を口述し、今日漸く完結する事となりました。 瑞月は近頃大変に身体を痛め、前後二ケ月間口述を怠りました。それ故予定の巻数には達しなかつたので、実に遺憾とする所であります。未だ病気はかばかしからず、又明日頃より転地療養をなし、全快を待つて神の御許しあらば後を続ける考へであります。併し今日迄の口述せし所を熟読なし下さらば、凡て神界の御経綸も大神の御心も判然する筈でありますから、是にて口述が止まつても、神教を伝ふる点に於ては、余り不便を感ずる事は有るまいと思ひます。アヽ惟神霊幸倍坐世。 この上は神の御旨に任すのみ しこの妨げ繁き世なれば。 大正十二年五月廿九日旧四月十四日於天声社
264

(2855)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 04 山上訓 第四章山上訓〔一六一一〕 玉国別の一行はスダルマ山の麓にて 伊太彦徒弟に立別れ焦つく如き炎天の 音の名高き急坂を汗をたらたら絞りつつ 迦陵嚬伽の鳴く声に慰められつ登り行く 見渡す限り野も山も緑彩どる夏景色 眺めも飽かず頂上に黄昏ちかき夕の空 漸く辿りつきにけり。 真純『お蔭によつて此急坂を漸く無事に登つて参りました。今夜は月を枕に草の褥、蒼空の蒲団を被つて安けき夢を結びませう。天空快濶一点の暗雲もなく、星は稀に月の光は吾等一行を照らし守らせたまふ有難さ愉快さ、旅をすればこそ、こんな結構な恵の露に霑ふ事が出来るのですなア』 三千『本当に愉快だ。スダルマ山の峠の頂上に月の光を浴びて寝ると云ふ事は、実に爽快の気分に漂はされる。四方の山野は宏く遠く展開し、西南方に当つてスーラヤの湖は鏡の如く月に輝き恰も天国のやうだなア。先生是からは下り阪、今晩は此処で寝む事に致しませうか』 玉国『本当に有難い事だ。此処で一夜の雨宿り、恵の露を浴びて霊肉共に天国に進まう。併し乍ら先づ第一に吾々の務めを果し、神様に感謝の言葉を奏上し、それから悠りと話でも交換して華胥の国に入らうぢやないか』 三千『さう願へば実に有難いです』 と茲に一同は声も高らかに、スダルマ山の谷々の木魂を響かせ天津祝詞を奏上し、終つて蓮の実を懐より出し夜食にかへ四方八方の話に時を移し、且つ歌など詠んで楽しんで居る。 玉国別『大空に輝く月も安々と 傾きたまへば軈て明けなむ。 此景色天津御国か楽園か 何に譬へむ術もなければ』 真純彦『スダルマの山の尾上に来て見れば いよいよ高き月の輝く。 真澄空星はまばらに輝けど 月のみ独り世を知し召す』 三千彦『大空に星はみちけり三五の 月の光も天地にみちぬ。 みちみちし神の御稜威を只一人 頂きにけり三千彦の胸に。 さりながら天津御空に照り渡る 玉国別の恵忘れじ』 治道『三五の神の司と諸共に 伊都のみやこに行くぞ楽しき。 村肝の心に宿る曲神も 逃げ散りにけり月の光に』 デビス姫『師の君の御跡慕ひて背の君と 漸く登りぬ恋の山路を。 見渡せば吾故郷は霞みけり テルモン山の雪のみ見えて』 治道『ベル、バット軍の司は今いづこ 早や泥棒となり果てし彼』 三千彦『吾が寝ねし隙を窺ひ抜足に 近よりバット首を掻かなむ。 心して今宵一夜は眠るべし ベルとバットの曲のありせば』 玉国別『ベル、バット如何に力は強くとも 吾には神の守りありけり。 身の外の仇に心を焦すより 吾身の中の仇を恐れよ』 デビス姫『皇神と吾師の君の在す上は 何か恐れむ露の夜の宿も』 真純彦『いざ来れベルもバットも曲津見も 生言霊に服へて見む。 大空に輝く月の影見れば 吾心根の恥かしくなりぬ』 斯く互に歌ひ終り、蓑を敷き雑談に耽つた。 治道『拙者の部下に使つて居たベル、バット其外の連中が軍隊を放れて猛悪な泥坊となり、四方に放浪して数多の人間を苦しめるのを思へば、早や私は立ても居ても居られないやうな苦しい思ひが致します。どうしても人間は境遇に左右せらるるものと見えますなア。吾々は自分の罪は申すも更なり、部下一同の罪を贖ふために将軍職を廃し、治国別様の御教によりて三五教の教の子となり、比丘となりてビクトル山に根拠を構へ同僚三人と共に交る交る天下を遍歴して居ますが、思へば思へば神様に対し恥かしい事です。かう云ふ部下が出来たのも全く私の罪で厶います』 と述懐を述べ、吐息をついて涙に沈む。玉国別は気の毒さに堪へやらぬ面持にて言葉静かに、 『治道居士様、必ず御心配なさいますな。現在親子の間でも、体は生んでも魂は生みつけぬと云ふ譬が厶います。決して貴方の罪では厶いませぬ。其人々の心の垢によつて種々と迷ふのですよ。吾々人間の精神といふものは、いつも健全なものでは無い。時々一時的の変調異常が起るものでこの異常には五つの型があるやうです。 先づ 第一は利欲に迷ふた時だ。利欲に迷ふた時は誰人も冷静な判断と周密な考慮を失ひ易いものだから、利を以て釣らるる事が多いものだ。たとへば他人の物品を預かつて居るやうな場合にフト「是が自分のもので在つたらなア」と云ふやうな心が浮ぶと、責任観念などが無くなり、それを自分が使つた場合の状態などに眩惑されて自分のものに為たり、また平生から欲しい欲しいと思つて居るものが眼の前にあると前後を考へる暇がなくなつて万引をしたりするやうに成る、これは言ふまでも無く副守先生の発動で、利益のために理智を塞がれ健全なる働きをせないといふ事に原因するものです。 第二の型は、強い強い刺戟に接した時だ。単純な蔭口位ゐ聞いても心を乱さない様な人間でも、面と向つて手酷しく痛罵されると、吾身を忘れて予期しなかつた行為をしたり、また普通の異性に対しては普通の態度が保たれ得る人間が、美しく化粧した異性の誘惑的な嬌態に接すると日頃の平静を破られやすいと云ふ様に同じ刺戟でもその程度によつて精神に異常な影響を与へる事がある。無論是等はその人間の先天的性質や後天的教養によつて程度の差が在ることは云ふまでもないが、副守先生の活動に原因する事が最も多いのである。又異常なる強烈な刺戟が人間の精神を異常ならしむると云ふ事は間違ひの無い事実だ。 第三の型は、焦心したり狼狽した時に起る精神の状態だ。こんな時には精神の活動が安静を欠いで居るので精神的の作業にしても、又肉体的の作業にしても過失や失敗を招き易いものだ。少々許りの失策を隠さうと為たために却て、その失策を大きくしたり、又少々の損失に狼狽した結果、大損失を招くやうな事をした事実は、能く世にあることだ。こんな時には副守先生の最も煩悶を続けて居た際である。 第四の型は、失意の時と得意の時だ。失意の時には精神の能率が減退して因循になり、消極的になつて努力を厭ふやうな傾きになり、得意の時には其反対に精神の能率が増進して快活になり、積極的になつて努力を惜まぬやうになるものです。従つて事業の成功と身体の健康慰安のある時と無い時、名誉を得た時と恥を受けた時とは其精神に及ぼす影響は全く正反対だ。そして精神が極端に沮喪した時は余り消極的になる結果、次第々々に社会生活の敗残者となり、極端に精神を発揚した時は積極に進み過ぎた結果、実力以上に仕事をするやうに成つて冒険的や独断的に走るやうに成るものだ。これも副守先生の活動の結果と云つても良い位なものです。 第五は迷信に陥つた時に起る精神状態だ。不健全なる信仰を持て居る人間は其他の方面の事物に就ては普通の判断を誤ることが無いにも拘らず、信仰の方面になると著しい誤解を来たすものです。従つてそれが難病治癒に関する場合であつても又利欲に関して居る場合であつても、冷静な判断や、前後の考へも廻らす余裕がなくなつて遂に、幼者を誘拐したり、死体を発掘したり、或は七夕の夕に七軒の家から物を盗む様になるのです。以上の外に婦人が妊娠、月経などの生理的原因に基いて、一時的に精神に異常を来すことは言ふまでも無いことです。それだから凡ての人間は狂人の未製品だ予備品だ、と言つたのだ。伊都の教祖や美都の教主而己が突発性狂人では無い。本正副守護神さまの容器たる人間は実に不可思議なものです』 治道『有難う御座います。貴師の御説に由つて拙者も漸く安心致しました。人間と云ふものは実に困つたものですなア』 三千『治道様、貴方も先生のお説で御安心なさつたでせう。私も一寸得心致しました。併し乍ら突張の無い蒼雲の天井の下に寝るのですから、何時頭の上に月が落ちて来て目を醒ますか、ベル、バットがやつて来て、玉を取るか分りますまいが、そこは惟神にまかして寝みませうか。比丘さまは経が大事、拙者は明日が大事だ』 治道『アハヽヽヽ。然らば御免蒙つて寝みませう』 茲に一同はスダルマ山の峠の頂上に、河も無きに白河夜船を漕いで眠つて仕舞つた。一塊の黒雲天の一方に起るよと見るまに忽ち満天に急速力をもつて拡がり、今迄皎々と照り輝いて居た月も星も皆呑んで仕舞つた。かかる所へ峠をスタスタと登つて来た二人の覆面頭巾の男があつた。此男は云ふ迄もなく、ベル、バットの泥棒である。二人は鼾の声を聞きつけ小声になつて、 ベル『オイ、バット、何だか暗がりに、フゴフゴと云つたり、粥を炊くやうにグツグツグツグツと云ふやつがあるぢやないか、こんな所に畚売りも登つて来る筈もなし、お粥を炊く婆も居る道理が無い。一体何だらうな、余りバットせぬぢやないか』 バット『これや、ベル、大きな声でシヤーベルない、バットせないのが俺達の豊年だ。此奴はどうしても人間の鼾だよ。一つそつと枕探しでもやつてボロつたらどうだ。こんなよい機会は又とあるまいぞ』 ベル『枕探しと云つても、こんな山の上に枕をして寝て居る奴も無いぢやないか、探さうと云つても真暗で一寸先も分りやしない。どうしたらよからうかなア』 バット『真暗の中を探すからまつくら探しだ、暗がりに仕事が出来ないやうな泥棒が何になるかい』 治道居士は横になつた儘一目も寝ず、玉国別一行の保護の任に当つて居た。夫故ベル、バットの囁き声を残らず聞いて居る。そんな事とは知らぬ両人は声低に尚も囁きを続けて居る。 バット『オイ、鬼治別将軍も、随分耄碌したものぢやないか。あれだけ権要な地位を放り出して身窄しい比丘となり、昨夜も昨夜とて祠の森に寝て居たぢやないか。いい馬鹿だなア。大方彼奴は発狂したのかも知れないねえ』 ベル『そんな事は云ふだけ野暮だよ。喇叭を法螺貝にかへ三千の部下を棄て、只一人墨染の衣を身に纒ひ殊勝らしく乞食に廻ると云ふのだから大抵極つて居るわ。あいつは治国別と云ふ極道宣伝使に霊をぬかれ、呆けて仕舞つたのだよ』 治道居士は一つ喝かしてやろうと、法螺貝を口に当て、ブウブウと吹き立てた。寝耳に水の法螺の声に二人は驚きドスンと其場に尻餅をつき慄い戦いて居る。治道居士は闇の中から細い作り声をしながら、 『諸行無常是生滅法、生滅滅已寂滅為楽』 と称へてみた。 バット『オイ、ベル彼奴は法螺の化者だ、俺達にわざをしようと思うてあんな事を吐きやがる。一つ此方にも武器があるのぢやから対抗せなくてはなるまい。かう云ふ時には悪事災難除けに大自在天大国彦命様のお助けを蒙るために陀羅尼を称へるに限つて居る』 ベル『泥棒が陀羅尼を称へても神様は聞いて呉れるだらうかなア』 バット『きまつた事だ。是から俺が化物に対抗して見るつもりだ。 イテイメーイテイメーイテイメー イテイメーイテイメーニメー ニメーニメーニメー ニメールヘールヘー ルヘールヘースッヘー スッヘースッヘースッヘー スッヘースヷーハー』 ベル『そりや何と云ふことだい。妙なことを吐くぢやないか。痛いわい痛いわい痛いわいなアんて』 バット『これは陀羅尼品の文言だ。是を義訳すれば、「是に於て斯に於て爾に於て氏に於て極甚に我無く吾無く身も無く所無し倶に同じくす己に興し己に生じ己に成じ而して住し而して立ち亦住す嗟嘆亦非ず消頭大疾加害を得る無し」と謂つて有難い御経だ。大病にも罹らず一切の難を受けないと云ふ呪文だ。今の比丘比丘尼どもは、「いでいび、いでいびん、いでいび、あでいび、いでいび、でび、でび、でび、でび、でび、ろけい、ろけい、ろけい、ろけい、たけい、たけい、たけい、とけい、とけい」と囀つて居るのだ。恰度油蝉が樹上に鳴いて居る様に聞こえるから、サンスクリットで唱えたのだ。アハヽヽヽ』 附記註解 陀羅尼品 経語義訳梵語 伊提履(於是)イテイメー 伊提泯(於斯)イテイメー 伊提履(於爾)イテイメー 阿提履(於氏)イテイメー 伊提履(極甚)イテイメー 泥履(無我)ニメー 泥履(無吾)ニメー 泥履(無身)ニメー 泥履(無所)ニメー 泥履(倶同)ニメー 楼醘(己興)ルヘー 楼醘(己生)ルヘー 楼醘(己成)ルヘー 楼醘(而住)ルヘー 多醘(而立)スッヘー 多醘(亦住)スッヘー 多醘(嗟嘆)スッヘー 兜醘(亦非)スッヘー №兜(消頭大疾無得加害)スッヘースヷハー ○ 法螺貝の声は益々高くなつて来る。玉国別外一同は直に夢を破られバットが称ふる陀羅尼の声を興味をもつて聞いて居た。治道居士頓に大きな声で、 『拙者は月の国ハルナの都に名も高き、バラモン教の神司、大黒主の神の幕下、鬼春別将軍のなれの果、今は三五教の信者治道居士と申す比丘であるぞよ。汝ベル、バットの両人早く心を入れ替へ、神の正道につけ』 と厳かに呼ばはれば、二人何となく其言霊に打たれて、『ハイ』と僅かに云つたきり其場に跼んで仕舞つた。黒雲の帳をやぶつて大空の月はパツと覗かせたまふた。一同の姿は昼の如く見えて来た。 治道『黒雲に包まれたまひし月影も 誠の光あらはしたまひぬ。 ベルバット心の雲を押し除けて 玉の光を研き照らせよ』 と詠みかけた。二人は恐る恐る慄ひ声にて、 バット『村肝の心の闇を照らすため 神の恵の燈火ともさむ。 今迄の深き罪咎赦せかし 元津御霊にかへる吾身を』 ベル『盗みする心は露もなけれども 醜の鬼奴に使はれけるかな。 鬼春別軍の君の御前に 拝む吾を赦させたまへ。 三五の清き教の神司 吾を許せよ神のまにまに』 治道『村肝の心の暗の晴れぬれば その身も明かく清まりぬべし』 玉国別『ベル、バット二人の男子に言告げむ 神は誠の恵なるぞや』 バット『有難し司の君の御言葉に 胸は晴れけり心澄みけり。 吾心バット明るくなりにけり 神の教の燈火に遇ひて』 ベル『大空の月に心を照らされて 心恥かしくなりにけるかな。 今迄は醜の曲霊にさやられて 黒白も分かず踏み迷ひけり』 治道『大空に輝く月の御姿を 心となして世を渡れかし』 三千彦『スダルマの山の尾上に仮寝して 今日はうれしき夢を見しかな』 真純彦『村肝の心の空は真純彦 かかるくもなき今宵の嬉しさ』 デビス姫『あら尊月の恵の輝きて 二人の御子の蘇生りぬる』 斯く話す所へ天空に嚠喨たる音楽聞え、月を笠に被りながら一行が前に雲押し分けて悠々と下りたまうた大神人がある。玉国別一同はこの神姿を見るより忽ち大地に平伏し感涙に咽んで居る。この神人は月の御国の大神に在しまして産土山の神館に跡を垂れたまひし、三千世界の救世主、神素盞嗚の大神であつた。大神は一同の前に四柱の従神と共に輝きたまひ、声も涼しく神訓を垂れたまうた。一同は拝跪して感謝の涙に暮れながら一言も漏らさじと謹聴して居た。 神素盞嗚の大神が山上の神訓 一、無限絶対無始無終に坐しまして霊力体の大元霊と現はれたまふ真の神は只一柱在す而已。之を真の神又は宇宙の主神と云ふ。 汝等、この大神を真の父となし母と為して敬愛し奉るべし。天之御中主大神と奉称し、又大国常立大神と奉称す。 一、厳の御霊日の大神、瑞の御魂月の大神は、主の神即ち大国常立大神の神霊の御顕現にして、高天原の天国にては日の大神と顕はれ給ひ、高天原の霊国にては月の大神と顕はれ給ふ。 一、愛善の徳に住するものは天国に昇り、信真の光徳に住するものは霊国に昇るものぞ。 一、此外天津神八百万坐しませども、皆天使と知るべし。真の神は大国常立大神、又の名は天照皇大神、只一柱坐します而己ぞ。 一、国津神八百万坐しませども皆現界に於ける宣伝使や正しき誠の司と知るべし。 一、真の神は、天之御中主大神只一柱のみ。故に幽の幽と称え奉る。 一、真の神の変現したまひし神を、幽の顕と称へ奉る、天国に於ける日の大神、霊国に於ける月の大神は何れも幽の顕神なり。 一、一旦人の肉体を保ちて霊界に入り給ひし神を顕の幽と称え奉る。大国主之大神及び諸々の天使及び天人の類を云ふ。 一、顕界に肉体を保ちて、神の大道を伝え、又現界諸種の事業を司宰する人間を称して顕の顕神と称へ奉る。 而して真に敬愛し尊敬し依信すべき根本の大神は幽の幽に坐します一柱の大神而已。其他の八百万の神々は、主神の命に依りて各その神務を分掌し給ふものぞ。 一、愛善の徳に住し信真の光に住し、神を愛し神を信じ神の為に尽すものは天界の住民となり、悪と虚偽とに浸りて魂を曇らすものは地獄に自ら堕落するものぞ。 斯く宣り終へたまひて以前の従神を率ゐて紫の雲に乗り大空高く月と共に昇らせたまふた。 玉国別『素盞嗚の瑞の御霊の御恵に 教の泉湧き出でにけり。 昔よりためしも聞かぬ御教を 居ながらに聞く事の尊さ』 治道『水火の中をかい潜り求ぎて往くべき道芝の 恵の露に濡れながらスダルマ山の頂上に 聞くも嬉しき御教あゝ惟神々々 神の恵を赤心に留めて感謝し奉る』 三千彦『大空ゆ瑞の御霊の下りまして 生命の清水与へたまひぬ』 デビス『夜の露うけて寝らう身の上に 注がせたまひし恵の御露』 真純彦『大空の雲押し分けて輝きつ 真澄の水の教を賜ひぬ』 治道『あら尊誠の神の御姿に 謁見まつりし吾ぞ嬉しき』 ベル『村肝の心の闇の晴れ往きて 誠の神の光に遇ひぬ』 バット『限りなき神の恵を悟りけり 悔改めて正道に入らむ』 茲にベル、バットの両人は心の底より悔改め、玉国別一行に従ひて聖地エルサレムを指して進む事となつた。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・五・一八旧四・三於教主殿二階加藤明子録)
265

(2856)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 05 宿縁 第五章宿縁〔一六一二〕 伊太彦、カークス、ベースの三人はスダルマ山の麓より間道を通り抜け、スーラヤの湖辺に出た。ここには此湖を渡海する船頭の家が十四五軒建つて居る。三人は一々船頭の家を尋ねて、湖中に浮べるスーラヤ島に渡るべく探して見たが、何れも漁に出た留守と見えて一人も船頭は居なかつた。家に残つたものは爺婆か、嬶子供ばかりである。一軒も残らず尋ねて最後の家に至り、最早船がなければ仕方がない、船頭衆が帰つて来る迄ここに待つ事にしようと、爺さま、婆アさまに渋茶を汲んで貰ひ、遂に其夜は老人夫婦の親切によつて宿泊する事となつた。 庭先には栴檀の木が香ばしく薫つて小さき賤ケ屋の中を包んで居る。爺さま婆アさまの子には二人の男女があつた。兄をアスマガルダと云ひ妹をブラヷーダと云つた。兄妹共に天稟の美貌でキメも細かく兄の方は瑪瑙の様な美しい肌をしてゐるのでそれを名としたのである。アスマガルダと云ふ事は瑪瑙の梵語であり、ブラヷーダと云ふのは梵語の珊瑚である。伊太彦外二人は先づ夕餉を饗応され庭先に向つて天津祝詞を奏上し、再び家に帰つていろいろの話をしたり、「是非とも明日はスーラヤ山に登り夜光の球をとつて来ねばならぬ」と希望を抱いて勇ましく嬉しげに四方八方の話に耽つて居た。 伊太彦はスダルマ山の麓に於て暫らく神懸状態となつてより俄に若々しくなり、体の相好から顔の色迄玉の如く美しくなつて了つた。これは木花姫命の御霊が伊太彦に一つの使命を果さすべく、それに就いては大変な大事業であるから御守護になつたからである。併し乍ら伊太彦は自分の顔や姿の優美高尚になつた事は気がつかず、依然として元の蜴蜥面であると自ら信じてゐた。三人が話をして居ると土間の襖をソツと開けて珊瑚樹の様な顔をした女がチヨイチヨイ偸む様な目をして覗いて居た。伊太彦は「娘が何の意で自分等を覗くであらうか、余り珍妙な顔をして居るので面白がつて、チヨコチヨコと化物の無料見物をやつて居るのだらう。アヽ斯うなつて来ると人間も美しう生れたいものだ。何故俺はこんなヒヨツトコに生れて来たのだらう」と心の底で呟やいて居た。爺さまも婆アさまもカークスもベースも何となく伊太彦の威厳の備はりたるに畏敬尊信の念を起し恰も救世主の降臨の様にあらゆる美しい言葉を並べて、何呉れとなく世話をする。伊太彦は、 『何とまア親切な人もあるものだな。こんな僻地だから人間が純朴で親切なのであらう。まるで神代の様だなア』 と今度は感謝の意味に於て腹の底で囁いた。此老夫婦の名は、爺さまをルーブヤ(銀)と云ひ婆アさまをバヅマラーカ(真珠)と云つた。年はとつて居るものの、何処ともなしにブラヷーダの様に美しい面影が残つて居る。爺さまのルーブヤは嬉しさうに伊太彦の前に進みよつて両手を支へ、 『これはこれは何処のお客さまか存じませぬが、よくもこんな山間僻地を訪ねて来て下さいました。承はりますればスーラヤの島に夜光の玉をおとりの為お渡りとの事ですが、昔からあの島へ渡つて玉を取りに行つたものは一人も生きて帰つたものは厶りませぬ。夜分になると、それはそれは立派な光が出ますので欲に目のない人間はソツと渡つて命をとられるのです。併し貴方はかう見た所で普通の人間と見えませぬ。神様の御化身と思はれます。何卒あの玉をとつてお帰りになれば此村中は申すに及ばず、国人が再び生命をとられる事がなくなります。貴方なれば屹度玉をとつて帰れるでせう。忰のアスマガルダが明日は帰るでせうからお伴を致させます。何卒御成功をお祈り致します。そして私の家は御存じの通り、かう云ふむさくるしい狭い所で厶いますが、まさかの時の用意に裏の林に狭い乍らも新しい亭が建ててありますから何卒それへお寐み下さいませ』 伊太『これはこれはお爺様、俄に御厄介になりまして、さう気を揉んで貰ひましては誠に済みませぬ。庭の隅でも結構です。夜露を凌げたら宜しいのです。私は三五教の宣伝使として山に寝たり野に寝たりして修行に廻るものですから、そんな処に寝まして貰うと畏れ多う厶います』 ルーブヤ『さう仰有らずに何卒老人夫婦の願ひで厶いますから新建へ行つてお寝みを願ひます』 伊太『そこ迄仰有つて下さるのにお断りするのも却て失礼に当りますから、然らば御厄介になりませう』 バヅマラーカ『何卒そうなさつて下さいませ。お床をチヤンとして置きましたから』 伊太『然らば寝まして頂きませう。カークスさま、ベースさま、サア御一緒にお伴致しませう』 カークス、ベースの両人はモヂモヂとして居る。 ルーブヤ『いえいえ、このお二人様は私の宅に寝んで頂きませう。貴方は神様ですから何卒新しい処で寝んで下さいませ』 伊太『左様ならば御主人の御命令に従ひお世話になりませう』 と婆アさまのバヅマラーカに導かれ清洒とした涼しい新建に案内された。 このルーブヤの家は此近辺の里庄をつとめて居るので、見た割とは富裕であつた。それ故万事万端、座敷の道具等が整頓して何とも云へぬ気分のよい住居である。 伊太彦は婆アさまに案内され久し振りに美しき座敷に泊る事を得て非常に喜び、且つ明日の希望を思ひ出すと何だか気が勇んで寝る事が出来ぬので、横に寝たまま目をパチつかせて居た。 子の刻とも思き時、ソツと表戸を開けて足音を忍ばせ乍ら暗に浮いた様な年若い美しい女が、伊太彦の枕辺に近くやつて来た。 伊太『ハテ不思議な事だなア。夜でしつかりは分らぬが、どうやら素敵な美人らしい。此色の黒い蜴蜥面の、自分でさへ愛憎の尽くる様な俺に女が秋波を送つてやつて来る筈もなし、これは屹度此林に居る狐が化て居るのかも知れない。こりや、しつかりせねばなるまい』 と轟く胸を抑へ、稍慄ひを帯た声で、 伊太『誰だ。この真夜中に人の寝所を襲ふ奴は妖怪変化か、但しは人目を忍ぶ盗人か、返答を致せ』 暗の影は幽かの声で恥かしさうに、 『妾はブラヷーダで厶います』 伊太『ブラヷーダさまが此伊太彦に何用あつて今頃おいでになりましたか。御用があらば明日承はりませう。男の寝所へ夜中に御婦人がおいでになるとは、チツと可怪しいぢやありませぬか』 ブラヷーダはモヂモヂし乍ら、 『ハイ、妾は一寸此座敷に忘れ物を致しましたので尋ねに来たので厶います。夜中にお目を覚まして誠に済まない事で厶いました』 伊太『ハテ、合点の行かぬ事を仰有います。貴女の家に貴女の物があるのをお忘れになつたといふ道理はありますまい。又明日お探しになつては如何ですか』 ブラヷーダ『いえいえ是非とも今晩、それを捉まへなくてはならないのですもの』 伊太『その又捉へなくてはならぬと仰有るのは何んなもので厶いますか。何なら私もお手伝ひして探しませうか』 ブラヷーダ『ハイ、有難う厶います。何卒手伝を願ひます』 伊太『品物は何で厶いますか。それを聞かなくちや探す見当がつきませぬがな。簪ですか、櫛ですか、笄ですか』 ブラヷーダ『いえいえ、そんな小さいものでは厶いませぬ。妾の大切の大切の一生の宝のイタ……で厶います』 伊太『それは又不思議なものをお尋ねになるのですな。洗ひ張りでもなさるのですか。ゆつくり明日になさつたらどうです』 ブラヷーダ『いいえ、板ぢや厶いませぬ。あの……彦さまで厶います』 伊太『ますます分らぬぢやありませぬか。板だとか彦だとか、まるで私の名の様なものをお探しになるのですな』 ブラヷーダ『その伊太彦さまを探しに来たので厶いますよ』 伊太『ハヽア、さうするとお前はここのお嬢さまに化けて来てゐるが、大方ナーガラシャーだらう。此伊太彦が明日夜光の玉を取りに行くのを前知し、害を加へにやつて来たウバナンダ竜王の使だらうがな』 ブラヷーダ『いえいえ、決して其様な恐ろしいものでは厶いませぬ。妾は此家の娘、正真正銘のブラヷーダで厶います。貴方は神様のお定めになつた妾の夫で厶います』 伊太『もしお嬢さま、冗談云つちやいけませぬよ。此様な色の黒い菊目石面の蜴蜥面に揶揄つて貰つちや困るぢやありませぬか。自分でさへも愛憎のつきた此面付、そんな事を仰有つても伊太彦は信ずる事は出来ませぬ』 ブラヷーダ『貴方、そんな嘘が見す見す云へますね。三十二相揃ふた女神の様なお姿をして厶るぢやありませぬか。妾はここ一週間程以前に三五の神様のお告げによつて夫を授けてやらうと仰有いましたが、只今神様が妾の耳の辺でお囁きになるのには、お前の夫は、今晩お泊りになるあの宣伝使だと仰有いました。是非とも妾の夫になつて頂き度いもので厶います。否々神様からお定めになつた夫で厶います』 伊太『ハーテ、ますます分らぬ様になつて来たわい。アヽ如何したら宜いかな。嬉しい様な気もするし、何だか、つままれて居るやうな気もするし、神様に済まぬやうな気にもなつて来た。ハハアこいつは神様のお試練だらう。ヤア剣呑々々、惟神霊幸倍坐世』 ブラヷーダ『マアお情のない貴方のお言葉、さうじらすものではありませぬよ』 伊太『それだと云つて余り思ひがけもないぢやありませぬか。マア明日迄待つて下さいな。ゆつくり考へさして貰ひませうから』 ブラヷーダ『明日迄待てる位なら女の身として貴方の居間へ誰が出て参りませう。決して不潔な心で来たのではありませぬから御安心下さいませ。只一言「ウン」と仰有つて頂けばそれで宜しう厶います』 伊太『アヽ兎も角、私にはお師匠様も厶います。又貴女にも御両親やお兄様がありますから、双方相談の上、どんな約束でも致しませう』 ブラヷーダ『仰せ御尤もでは御座いますが、神様のお告げは一刻の猶予も厶いませぬ。そんな事を仰有らずに何卒よい返事をして下さいませ』 伊太『ハテ、どうしたらよからうかな。あゝ惟神霊幸倍坐世』 ブラヷーダ『惟神霊幸倍坐世』 かく両人はお互に問ひつ答へつ暁の鳥の声する迄夜を更かした。果して、如何落着をしたであらうか。 思はざる家に泊りて思はざる 時に思はぬ人に会ひける。 ブラヷーダ明日をも待たず直ここで 返答せよやと迫る割なさ。 (大正一二・五・一八旧四・三於教主殿北村隆光録)
266

(2859)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 08 怪物 第八章怪物〔一六一五〕 紺青の浪を湛へたスーラヤの湖面を稍新しき船に真帆を孕ませ、晩夏の風を受けて、彼方に霞むスーラヤ山を目蒐けて徐々と進み行く。アスマガルダは艪を操りながら欵乃を謡ふ。 『テルはよい所南をうけて スーラヤ颪がそよそよと。 沖に浮べるスーラヤ嶋は 夜は千里の浪てらす。 昼は日輪夜は竜王の 玉の光で澄み渡る。 此海は月の国でも名高い湖よ 浪のまにまに月が浮く。 三五の神の司の伊太彦さまが 今日の門出のお目出度さ。 空高く風澄み渡る此湖面は 底ひ分らぬテルの湖』 伊太彦は謡ひ出した。一同は船端を叩いて拍子をとる。 伊太『三五教の神柱神素盞嗚の大神の 瑞の御言を畏みて玉国別の師の君と 山野を乗り越え海渡り千々に心を砕きつつ 神の依さしのメッセージ尽さむ為に遙々と テルの里まで来て見れば思ひがけなきブラヷーダ 姫の命の現れまして神の結びし赤縄をば 茲に悟らせたまひけり吾等は神の御言もて 大黒主の蟠まるハルナの都へ言霊の 軍に進む身にしあれば途中に於て妻を持ち 夫婦気取で征討に上るも如何と思へども 三千彦司もデビス姫妻に持たせる例あり 吾師の君も此度の赤縄をいなませ給ふまじ 只何事も人の身は神のまにまに進むより 外に道なし伊太彦は茲に夫婦の息合せ スーラヤ山に駆け登り竜の腮の宝玉を 神の助けに手に入れてミロク神政成就の 珍の神器と奉り神の御稜威を四方八方に 完全に委曲に照らすべしあゝ惟神々々 スーラヤ山は高くともナーガラシャーは猛くとも 神の恵を笠に着て誠の道を杖となし 進まむ身には何として醜の曲津の障らむや あゝ勇ましし勇ましし一度に開く木の花姫の 神の命の御守りブラヷーダ姫と諸共に 珍の神業に仕へむと進み行くこそ楽しけれ あゝ惟神々々御霊幸倍ましませよ』 ブラヷーダは又謡ふ。 『父と母とに育くまれ十六才の年月を 蝶よ花よと愛られつ送り来りし身の果報 思へば思へば有難しこれも全く三五の 皇大神の御恵と朝な夕なに感謝しつ 大御恵の万分一報はむものと朝夕に 祈りし甲斐やあら尊天津国より下らしし 御使人の伊太彦に嫁ぎの契結びつつ 言霊軍の門出に立つ白浪と諸共に 彼方に浮ぶスーラヤの御山に進む嬉しさよ ナーガラシャーは猛くともスーラヤ山は高くとも 神の恵に抱かれし吾等は如何で撓まむや 救世の船に身を任せ兄の命に送られて 千尋の湖を進み行く今日の旅路の勇ましさ あゝ惟神々々御霊幸倍ましまして 吾背の君の使命をば遂げさせたまへ大御神 珍の御前に願ぎまつる朝日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも星は空より墜つるとも スーラヤの湖は涸るるとも神に誓ひし赤心は いや永久に動かまじ吾背の君よ兄君よ カークス、ベース両人よ勇ませたまへ惟神 神は汝と共にあり神は吾等を守ります 神と神とに抱かれし人は神の子神の宮 天地の中に恐るべきものは微塵も非ざらむ 進めよ進め此御船吹けよふけふけ北の風 あゝ惟神々々御霊幸倍ましませよ』 今日は一入天気がよいので漁船の影は殊更多く、彼方此方に真帆片帆浪のまにまに浮んで、春野の花に蝶の狂ふが如く翅の様な帆が瞬いて居る。少しく浪は北風に煽られて高けれど、何とも云へぬ爽快な気分である。アスマガルダ、カークス、ベースが汗をたらたら流して漕ぎ往く船は其日の黄昏時に漸く、スーラヤ山の一角についた。磯端は白布を晒した如く、打ち寄する浪が立ち上つて岩にぶつつかり、砕けては散る其光景は可なり物凄じかつた。雪のやうな白い水煙の一丈許りも立つ中を船を漕ぎ寄せ、漸くにして陸地についた。さうして船を高く磯端に上げて繋いで了つた。日は漸くに暮れて来る。俄に暴風吹き荒び、湖面は荒浪立ち狂ひ、ザアザアと物騒がしき音が聞えて来出した。一行五人は上陸地点より一二町許り登つた所の大岩石の蔭に身を潜めて湖上の疲れを休める事とした。さうして明日の払暁を待つて登山する事と定めて仕舞つた。蓑を布き笠を顔の上に乗せて岩蔭に一同は横たはつた。夜はおひおひと更わたり暴風も止み、海の唸りも静まり、四辺は深閑として来た。十四日の月は雲を排して皎々と輝き初めた。伊太彦、ブラヷーダ、アスマガルダの三人は他愛もなく睡つて了つた。カークス、ベースの両人は何だか気が立つて寝られぬので、まぢまぢして居ると、子の正刻と覚しき頃、四辺の密林の枝をガサガサと揺つて怪しき物影が近よつて来る。カークスは慄ひ乍ら、盗むやうにして其姿の行方を見詰て居る。怪しの姿は五人の前に矗と立ち火のやうな赤い顔を晒し、青い舌を五六寸許り前に垂らして錫杖をついて居る。忽ち怪物は雷の如き声を張り上げ、 怪物『イーイーイー、伊太彦の神司とやら、其方はスーラヤ山に、ウバナンダ竜王の玉を取らむとして来た心憎き曲者、これより一足でも登れるなら登つて見よ』 と呶鳴りつけた。此声に伊太彦も兄妹も目を覚まし、きつと声する方を見れば以前の怪物が立つて居る。伊太彦は轟く胸をグツと押へ、「惟神霊幸倍坐世」を高唱し終り、 伊太『アハヽヽヽ。スーラヤ山に年古く棲む其方は古狸であらうがな。吾々を何と心得て居る。勿体なくも大神の使命をうけて大蛇退治に進む神の使だ。汝等が如きものの容喙し得べき限りのものでない。控へ居らう』 アスマガルダ兄妹を初め、カークス、ベースは一所に集まり、顔色まで真青にして慄つて居る。伊太彦は痩我慢を出して一人空気焔を吐いてゐる。怪物には此方から云ひ負たら敗北ると云ふ事を予て聞いて居たので、此方から負かしてやらうと思つて、矗と立ち上り怪物に向つて、 伊太『イーイーイー、斎苑の館の宣伝使、天下無双の勇士、伊太彦とは俺の事だ。種々な事を致して吾々の邪魔を致すと了見は致さぬぞ』 怪物『ロ、ロー、碌でもない女を連れて神聖無比なるスーラヤ山に登るとは何の事だ。汝は聖場を汚す痴漢、今此方が神力によつて其方の体をビクとも動かぬ様にして呉れる。覚悟を致せ。ワハヽヽヽ、ても扨ても可憐さうなものだわい』 伊太『ロヽヽヽ碌でもない、ど倒し者奴、ナヽ何を吐すのだ。妖怪変化の容喙すべき限りでない。早くすつ込み居らう。ぐづぐづすると言霊の発射と出かけようか』 怪物『ハヽヽヽヽ、腹が立つか、恥入つたか、薄志弱行の腰抜宣伝使奴、高が知れたウバナンダ竜王の玉を取るに加勢を頼み、女を連れて来るとは、実に見下げ果てたる腰抜野郎奴』 伊太『ハヽヽ張子の虎のやうに首ばかりふりやがつて何の態だ。サア早く退散致すか、正体を現はすか、何神の化身だと云ふ事を白状致すか、返答次第によつては此方にも考へがあるのだ』 怪物『ニヽヽ憎いか、いや憎らしいと思ふか、其苦い顔は何だ。 ホヽヽ呆け野郎奴、身の程知らずも程があるわい。 ヘヽヽヽ下手な事を致して、後でベースをカークスな。 トヽヽヽ途方途轍もない大それた欲望を起し、栃麺棒を振つてトンボ返りを致し、岩窟のドン底迄おとされて頓死すると云ふ災厄が目の前に近づいて来て居るのを知らないのか。イイ馬鹿だなア』 伊太『チヽヽちやァちやァ吐すな、些も貴様等のお世話に預ら無くてもよいのだ。智謀絶倫の伊太彦、 リヽヽ凛々たる勇気を鼓して、ウバナンダ竜王の館に進む神軍の勇士だ。 ヌヽヽぬかりのない此方、水も漏さぬ仕組を致して茲に、いづ御魂が登山探検と出かけたのだ。すつ込んでおらう。其方の出て来てゴテゴテ申す幕ぢやないのだ』 怪物『ルヽヽ累卵の危きを知らぬ痴呆者奴、類は友を呼ぶと云ふ馬鹿者の好く揃つたものだ。 オヽ大馬鹿者奴、大泥坊奴、大戯気者、神の道を歩きながら、鬼か大蛇のやうになつて竜神の玉を、ぼつたくらうとは此方もおとましうなつて来たわい。身の程知らずの横道者だな』 伊太『ワハヽヽヽ、笑はしやがるない。没分暁漢奴、吾輩のすることに容喙する権利がどこにあるか。悪い事は些しも致さぬ善一筋の宣伝使ぢや。分らぬ事を申さずに、己の住所にトツトと引込んだがよからうぞ』 怪物『カヽヽ構ふな構ふな、惟神だとか神の道だとか何とか、かとか申て、其処辺を騙り歩く我羅苦多宣伝使だらうがな。第一女をイヤ嬶を連れて登つて来るとは以ての外だ。当山の規則を破つた大罪人奴、サア覚悟を致せ、頭からこの大きな口で噛ぶつて食て仕舞つてやらう』 伊太『ヨヽヽ妖怪変化の分際として此方に指一本でも触へられるのなら触へて見よ。下らぬ世迷ひ事を申さずに、もはや夜明に間もあるまいから、気の利いた化物は足を洗うて疾に引込む時間だ。与太リスクを並べずに、よい加減に伏さつたらどうだ』 怪物『タヽヽ痴呆者奴、要らざる頬桁を叩くと叩きつぶしてやるぞ。高が知れた人間の三匹や五匹一口にも足らぬわい。欲の熊鷹股が裂けると云ふ事を貴様は知らぬのか痴呆者奴、 レヽヽ、恋愛至上主義を発揮して神聖なる当山に迄、初めて嬶をもつた嬉しさにトチ迷ひ登つて来ると云ふデレ助だから、吾々仲間のよい慰み者だ』 伊太『ソヽヽ、そうかいやい、そらさうだらう。羨りいなつたか。一寸位手を握らしてやり度いが、矢張それも止めて置こうかい、何だ、その六ケ敷い面つきは。貧相なものだのう』 怪物『ツヽヽ月が空から貴様の脱線振を見て笑つて厶るのも知らぬのか。心の盲、心の聾は仕方がないものだなア。捉まへ所のない屁理屈を並べて其処辺を遍歴致すと云ふ強者、おつとドツコイ、つまらぬ代物だからなア。 ネヽ猫撫声を出しやがつて、夫婦がいちやづいて此島に打渡り、グウースケ八兵衛と睡つて居るとは念の入つた痴呆者だ』 『ナヽヽ、何を吐しやがるんだい。情ない事を云ふて呉れない。何程羨ましうても貴様の女房にしてやる訳には行かず、あゝ難儀のものが出て来たものだ。俺も同情の涙に暮れぬ事もないのう怪物』 怪物『ラヽヽ、らつちも無い事を吐くもんぢやないわい。 ムヽヽ昔から誰一人目的を達した事のない竜王の玉を取らうとは無法にも程がある。ほんに命知らずの無鉄砲者だのう。こりや無茶彦、向つ腹が立つか、ムツとするか、虫が好かぬか、夫れや無理もない。併し乍ら玉が取りたけれや明朝とつとと登つたらよからう。此山の中腹には死線といつて人間の通れぬ所があるのだ。其処へ往くと邪気充満し、其方如きものが其毒にあたると心臓痳痺を起し、水脹れになつて死ぬるのだから、さうすれば俺達が寄つて集つて皆喰つて仕舞つてやるのだ。ても扨ても不愍ものだなア』 伊太『ウフヽヽヽ、五月蠅奴だなア、そんな事を申て俺達の荒肝を取らうと思ふても駄目だぞ。牛の丸焼でも二匹三匹一遍に平げる此伊太彦さまだ。ウゴウゴ致して居るともう堪忍袋の緒が切れるぞよ。 イヽヽ何時迄も何時迄も羨ましさうに夫婦の睦まじい姿を見て指を銜へて見て居るより、いい加減に幻滅致したらどうだい。悪戯も程があるぞよ』 怪物『ノヽヽ、野太い代物だなア。野に寝たり、山に寝たりして露命を繋いで来て、漸くテルの里で満足の家に泊めて貰つたと思つて得意になり、ブラヷーダを女房に持つたと思ふて其はしやぎ方は何だ。天下の馬鹿者、命知らずとは貴様の事だ。イタイタしい伊太彦の我羅苦多奴、イヒヽヽヽ』 伊太『オヽヽお構ひだ、俺のする事をゴテゴテ構ふて呉れない。 クヽヽ苦労の凝の花が咲いたのだ。貴様もこんなナイスが欲しけりや、ちつと誠の道に苦労を致せ』 怪物『ヤヽヽ矢釜敷いわい、夜分に山の中で露の宿を取る厄雑宣伝使奴、八岐大蛇の一の乾児の此方様に今命を取られるのを御存じがないのか。 マヽヽ、負惜みのつよい、真面目腐つた其面付で表面をかざつて居るが、貴様の心の中は地異天変大地震が揺つて居らうがな。どうだ恐れ入つたか』 伊太『ケヽヽ怪体の悪い怪しからぬ奴だ。怪我の無い中に早く帰れといつたら帰らぬか。 フヽヽ、不都合な、フザケた事を致すと、捕縛つて仕舞ふぞ。いや踏み潰してやらうか、何が不足で夜夜中、安眠妨害に出て来せたのだ。不都合な不届きな奴、 コヽヽ耐へ袋が切れるぞよ。こん畜生、八岐大蛇の眷族なぞは真赤な偽り、其方は数千年劫を経た、苔の生えた小狸であらうがな。 エヽヽ、邪魔臭ひ、この金剛杖をもつて叩きつけてやらう。最愛のブラヷーダが安眠の妨害になる』 怪物『テヽヽ、てんごうを致すな、此方の神力と貴様の力とは天地の相違だ。デンデン虫の角を振り立てて気張つて見たとて岩石に蚊が襲来するやうなものだ。 アヽヽ阿呆な限りを尽さずと、早く此処を立ち去れ。グヅグヅして居るとアフンと致して泡を吹くぞよ。それでも聞かねば、アンポンタンの黒焼にして食てやらうか、サヽヽサア、どうだ早速に口が開くまいがな。扨ても扨ても見下げ果てたる腰抜計りだな。 キヽヽ気に喰はぬ怪物だと思ふであらうが、この方を一体誰だと心得て居る。鬼神もひしぐ勇ある結構な五大力様だぞ。 ユヽヽ、夢々疑ふ事勿れ。只今幽界より其方の命を召し取りに来たのだ。ても扨ても愉快な事だなア。 メヽヽヽ迷惑さうな其面付、薩張面目玉を踏み潰され、折角貰ふた嬶には愛想尽かされ、メソメソ吠面かはくのが、可憐さうだわい。サア冥途の旅にやつてやらう』 伊太『ミヽヽ、見て居れ。此伊太彦の神力を、何程貴様が威張つた所が駄目だ。死線だらうが、五線だらうが神力をもつて突破し、一戦に勝鬨をあぐる三五教の宣伝使様だ。え体の知れぬ汝等如き怪物に辟易するやうで、どうしてハルナの都に進む事が出来ようか。タクシャカ竜王でさへも屁込ました此方だ』 怪物『ヒヽヽ仰有りますわい。日向にあてたらハシャぐやうな腕振りまはし、何程威張つて見た所で、 モヽヽもう駄目だ。耄碌宣伝使の伊太彦司、 セヽヽ雪隠で饅頭食ふやうな甘い事を考へても薩張駄目だ。終りの果には糞を垂れるぞよ』 伊太『スヽヽ、好かんたらしい屁理屈を垂れな。酢でも蒟蒻でもいかぬ妖怪だな。一二三四五六七八九十百千万 惟神霊幸倍坐世』 怪物『キヨキヨキヨ京疎い事を致す伊太彦司、また幽冥界でお目にかからう。エヘヽヽヽ』 と体を揺りながら何処ともなく消えて仕舞つた。 伊太『アハヽヽ、仕様の無い古狸がやつて来やがつて、嚇し文句を並べ立て面白い事だつた。アハヽヽヽ』 アスマガルダは漸く胸をなでおろし、四辺をキヨロキヨロ見廻し乍ら、 『アヽ先生随分偉い奴がやつて来たぢやありませぬか。どうなる事かと思つて大変心配しましたよ。併し貴方の我の強いのにも呆れましたよ』 伊太『アハヽヽヽ、実の所は私も一寸面喰つたのだが、こんな事に負てはならないと空元気を出して見た所、キヤツキヤツと云つて逃げた時のおかしさ、いや心地よさ。斎苑の館出立以来のよい経験だよ』 ブラヷーダ『神様の仰の通り妾の夫伊太彦さまは本当に勇壮活溌の神使です。妾はもうこんな強い方を夫にもつならば世に恐るべきものは厶いませぬわ』 カークス『アハヽヽヽ、豪いお惚けで厶いますこと。なあベース、お浦山吹の至りぢやないか』 ベース『ウフツ』 伊太『古狸吾枕辺に現はれて フルナの弁をふるふをかしさ。 ブルブルと慄ひ乍らに古さまの 世迷ひ言をば聞く人もあり』 カークス『恐ろしさカークスと思へど何となく 腹の底から慄ひけるかな』 ベース『恐ろしさにベースをカークス吾々は 地獄におちし心地なりけり』 其後は何事もなく夜はカラリと明けた。是より一行五人は死線を越へてウバナンダ竜王の匿るる岩窟の玉を取らむと進み往く事となつた。 (大正一二・五・二四旧四・九於教主殿加藤明子録)
267

(2860)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 09 超死線 第九章超死線〔一六一六〕 水面を抜く事、七千三百尺のスーラヤ山の中腹迄一行五人は漸く登りつめた。これより上は夜前妖怪の云つた死線地帯である。山の中腹に邪気帯があつて四方を取囲み、何れもこの死線を突破せむとして、邪気にうたれ、身体水症病を起し、ここにパタリパタリと倒れて一人もこれより上に登つたものはない。何程夜光の玉が燦爛と輝き渡り高価な宝が目の前にブラ下つて居つても此死線を越へる事は到底人間業では出来ぬ事であつた。此地帯は殆んど七八十間ばかりの幅であつた。死線の近辺迄来て見ると白骨累々として横たはつて居る。伊太彦は此光景を見て、これは到底一通りでは突破する事は出来ない。神力を得て登るに如かずと、ここに伊太彦を導師として天津祝詞を奏上し、天の数歌を歌ひ終へ乍ら勢に任せて駆け上つた。漸くにして一行五人は死線を突破する事を得た。 伊太『あゝ惟神霊幸倍坐世。開闢以来竜王と雖も此死線を突破して下る事を得ない危険帯を無事に越へられたのも全く神様の御神徳だ。 皇神の恵みの衣に包まれて 危き死線を渡りけるかな。 惟神神に任せば世の中に 恐るべきものはあらじとぞ思ふ』 ブラヷーダ『千早振る神世も聞かぬ死の関を 無事に越へたる人ぞ尊き。 霊幸はふ神の守りのなかりせば 如何で渡れむ醜の死線を』 アスマガルダ『伊太彦の神の司の功績は 神代にも聞かぬためしなりけり。 ウバナンダ・ナーガラシャーも伊太彦の 武者振り見れば驚くなるらむ。 スーラヤの海に浮びし此山に 初めて登る今日の嬉しさ』 カークス『恐ろしき醜の死線を突破して 登り来りぬ山の尾の上に。 ウラル彦神に仕ふる信徒が 屍さらせしスーラヤの山』 ベース『三五の神の力に守られて 安く登りぬ宝の山に。 さり乍ら胸苦しくもなりにけり 醜の死線に触れたる為か』 カークス『吾も亦胸騒がしくなりにけり 守らせ玉へ三五の神』 ブラヷーダ『肉体は俄に重くなり行きて 行きなやみけり此山道を』 伊太彦『村肝の心ひきたて神に拠り 登れば登る道もありけり』 アスマガルダ『何となく胸は騒ぎぬ手も足も 心の儘に動かずなりぬ』 伊太彦『名にし負ふ死線を突破したる身は 少しの悩みは免かれざらまし。 いざさらば心の駒に鞭ちて 進み行かなむ竜王の岩窟に』 伊太彦は先に立つて一行の心を励ませ乍ら自分も重たい足を引摺りつつ峰の尾の上の風に吹かれ、歌を謡つて元気よく進み行く。四人は後に牛の歩みの捗々しからず、汗をタラタラ流し乍ら喘ぎ喘ぎ従ひ行く。 伊太彦『神が表に現はれて善と悪とを立別ける 三五教の宣伝使伊太彦司が今ここに 神の御言を蒙りてナーガラシャーの永久に 守らせ玉ふ瑞の玉神政成就のその為に 吾手に受けてエルサレム貴の都の大前に 献らむと登り来ぬ此山守るウバナンダ ナーガラシャーに物申す汝が命は千早振る 神代の遠き昔より神の怒りを蒙りて スーラヤ山の岩窟に閉ぢ込められて千万の 悩みを受けしいたはしさ三千世界の梅の花 一度に開く時は充ち八大竜王悉く 神の恵の御許しに天津御国に救はれて 尊き神の御柱と仕へまつらむ世となりぬ 喜び給へウバナンダ竜王の前に告げまつる 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むとも誠一つの三五の 神の言葉に二言ない心を平に安らかに 此伊太彦が使命をば諾ひまして逸早く 夜光の玉を渡せかし汝の身霊を之よりは 広き世界に現はして五六七神政の柱とし 天地日月相並び神と人との隔てなく いと安らかに世を照らし醜の曲霊を悉く 言向和し神国の常世の春の花匂ふ 目出度き御代と開き行く此神業を諾ひて 一日も早く帰順せよあゝ惟神々々 神に従ふ武士よ少しの悩みに撓まずに 心を引立て進めかし神は汝と倶にあり 人は神の子神の宮如何に死線を越ゆるとも 障害のあるべき道理なし心一つの持ちやうぞ 来れよ来れ早や来れ竜王の岩窟近づきて 御空を照す光明は昼とは云へど明かに 吾目に映り来りけり勝利の都は近づきぬ 勇めよ勇め言霊の神の使の御軍よ』 カークスは一丁ばかり遅れ乍ら足を引摺りもつて謡ひ初めた。 『あゝ惟神々々神の守りに吾々は さも恐ろしきスーラヤの死線を越へて登りけり さはさり乍ら何となく足許重く胸騒ぎ 歩み倦みし苦しさよ伊太彦司待ち玉へ 如何に心を焦つとも自由にならぬ吾体 憐れみ玉へ今一度伊吹の狭霧に曲津身を 祓はせ玉へ惟神神かけ念じ奉る』 ブラヷーダ『吾背の君よ待ち玉へ踏みも習はぬ高山を 一瀉千里に登りつめ吾肉体も疲れ果て 手足も重くなりにけり汝が命は宣伝使 如何なる枉の棲処をも恐れ玉はずさり乍ら 兄の命のアスマガルダその外二人の伴人が 死線の邪気に襲はれて手足も心もままならぬ 悲しき身とはなりましぬナーガラシャーの岩窟は 吾目の前に横はり夜光の玉の御光は 四辺に輝き玉へども吾等の心は何となく 曇りて黄泉の道芝を辿るが如く覚ゆなり 休ませ玉へ背の君よ偏に願ひ奉る』 伊太彦はブラヷーダの此歌を聞いて四人の者の行歩に悩んで居る事を憐れみ、山頂に碁布せる岩石に腰かけて、暫らく落伍者の追付くを待つ事とした。 カークスは気息奄々として息も絶え絶えに這ふやうにして追付き来り、 カークス『もし先生、神様の御用とは申し乍らどうにも斯うにも苦しくて堪りませぬわ、一つ神様に願つて下さいな』 伊太『神様に願ふのは、お前の心で念じた方が宜い。俺だとて全責任を負ふてゐるのだから足の痛いのも、体の苦しいのも辛抱してここ迄やつて来たのだよ。何れ神界の御用をするのだから、さう楽々に勤まるものではない。神徳さへあれば何でもないのだがナーガラシャーでさへも死線を越へて逃げ出す訳にもゆかず、神代から此処に蟄伏して居る様な険難千万の処を越へて来たのだから、少し位苦しいのは当然だよ。暫らくここの山風に当つて休んで居つたら又元気恢復するだらうよ』 カークス『はい、有難う厶います。何事も神業だと思へば、仮令死んでも怨みとは思ひませぬ』 伊太『そんな気の弱い事を云ふものぢやない。永遠の命の源泉たる瑞の御魂さまがお守り下さる以上は大丈夫だよ。兎に角神を信じ神に祈るより外にないのだ。あゝ惟神霊幸倍坐世』 ベース『先生、私も何だか弱音を吹くやうですが、息がきれさうになつて来ました』 伊太『エー、気の弱い事を云ふ男だな。もう一息だ。神様の御神力に頼つて目的を達せねばなるまい。九分九厘行つた処で成就せない事があるとどうするか。そんな弱虫では現幽一致を守らせ玉ふ神様の御前に、復命する事が出来ぬぢやないか』 ベース『ハイ、お言葉の通りで厶いますが、どうも苦しくて欲にも徳にも換られなくなりました』 伊太『困つたな。兎も角祈祷が肝腎だ』 アスマガルダ『スーラヤの湖水の彼方を眺むれば 父と母との恋しくなりぬ』 伊太彦『千早振る神の大道に進む身は 此世のものを忘るるに如かず。 父母の恵は如何に高くとも 神の恵に比ぶべきやは』 ブラヷーダ『天地の誠の親に抱かれて 神国に登る心地しにけり』 ベース『何事も皇大神の御心の ままと思へば何をか怨みむ。 苦しさの後に楽しみ来るてふ 厳の教を思ひて微笑む』 伊太彦『いざさらば夜光の玉の所在へと 進み行かなむ諸人立てよ』 斯く互に述懐をのべ終り伊太彦は又先頭に立ち竜王の潜むてふ岩窟の側近く立寄つた。 此岩窟は深き井戸の如く縦穴が開いてゐる、そして幾丈とも知れぬ岩窟の底には夜光の玉が目も眩きばかり幾つともなく光つて居る。伊太彦は山の尾の上を捜つて藤蔓を切り之にて太き縄を綯ひ、入口の岩窟に一端を括りつけ綱を伝ふてスルスルスルと底深く下り着いた。一同も勇気を鼓して伊太彦の後に従ひ藤の縄梯子を足にて刻み乍ら、漸くに岩窟の底に安着した。見れば其処から又横穴が開いてゐて無数の玉が光つて居る。奥の方にはウバナンダ竜王が沢山な眷族をつれて蜒々と蟠まつて居るその恐ろしさ、伊太彦は双手を合せ拍手をうち、天津祝詞を奏上せむとしたが、どうしたものか俄に舌硬ばり一言も発し得なくなつて其場に昏倒して了つた。アスマガルダを初め外一同も枕を並べて其場に昏倒した。あゝ五人の運命は如何になり行くであらうか。 (大正一二・五・二四旧四・九於教主殿北村隆光録)
268

(2861)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 10 鷺と鴉 第一〇章鷺と鴉〔一六一七〕 人間が霊肉脱離の後、高天原の楽土又は地獄の暗黒界へ陥るに先んじて何人も踏まねばならぬ経過がありまして、この状態は三種の区別があります。そしてこの三状態を大別して、外面の状態、準備の状態、内面の状態と致します。併し乍ら死後直に高天原へ上る精霊と地獄へ陥る精霊とのあることは、今日迄の物語に於て読者は既に已に御承知の事と思ひます。中有界一名精霊界の準備を経過せずして直に天界又は地獄に行くものは生前既に其準備が出来て居て善悪の情動並に因縁によつて各自霊魂相応の所を得るものです。右の如く準備既に完了せる精霊にあつては只その肉体と共に自然的世界的なる悪習慣等を洗滌すれば直に天人の保護指導に依つて天界の、それ相応の所主の愛に匹敵した楽土に導かるるものであります。之に反して直に地獄に陥る精霊にあつては、現界に於て表面にのみ愛と善とを標榜し且つ偽善的動作のみ行ひ、内心深く悪を蔵し居りしもの、所謂自己の凶悪を糊塗して人を欺くために善と愛とを利用したものであります。中にも最も詐偽や欺騙に富んで居るものは足を上空にし頭を地に倒にして投げ込まれるやうにして落ち行くものです。この外にも種々様々の状態にて地獄へ陥ち行くものもあり、或は死後直に岩窟の中深く投げ入れられるものもありますが、斯の如き状態になるのは凡て神様の御摂理で精霊界にある精霊と分離せむがためであります。或時は岩窟内より取り出され、又ある時は引き入れられる場合もありますが、斯の如き精霊は生前に於て口の先計りで親切らしく見せかけて、世人を油断させ其虚に乗じて自己の利益を計り、且つ世の人に損害を与へたものですが、斯様な事は比較的少数であつて、その大部分は精霊界に留められて神教を授かり精霊自己の善悪の程度によつて神の順序に従ひ、第三下層天国、又は地獄へ入るの準備を為さしめらるるものであります。人間各自の精霊には外面的、内面的の二方面を有しております。精霊の外面とは人間が現世に於て他の人々と交はるに際し其身体をして之に適順せしむる所の手段を用ひる事で特に面色、語辞、動作等の外的状態であり、精霊の内面とは人の意思及びその意志よりする想念に属する状態であつて、容易に外面には現はれないものであります。凡ての人間は幼少の頃より朋友の情だとか、仁義誠実、道徳等の武器を外面に模表する事を習つて居りますが、其意志よりする所の凡ての想念は之を深く内底に包蔵するが故に、人間同士の眼よりは之を観破することは実に不可能であります。現代の人間はその内心は如何に邪悪無道に充ちて居つても、表面生活上の便宜のために似非道徳的、似非文明的生涯を営むのは常であります。現界永年の習慣の結果、人間は精神痳痺し切つて了つて、自己の内面さへ知る事が出来なくなつて居ります。また自己の内面的生涯の善悪などに就いて煩慮することさへも稀であります。況んや自己以外の他人の内面的生涯の如何を察知するに於ておやであります。死後直ちに精霊界に於ける人間精霊の状態はその肉体が現世にありし時の如く依然として容貌、言語、性情等は相酷似し、道徳上、民文上の生活の状態と少しの相違もない。故に人間死後の精霊にして精霊界に於て相遇ふ事物に注意を払はず、又天人が彼精霊を甦生せし時に於ても、自己は最早一箇の精霊だといふことを想ひ起さなかつたなれば、その精霊は依然高姫の如く現界に在つて生活を送つて居るといふ感覚をなすの外は無いのです。故に人間の死といふものは唯此間の通路に過ぎないものであります。 現世を去りて未だ幾何の日時も経ない人間の精霊も又現界人の一時的変調によつて霊界に入り来りし精霊も、先づ以上の如き状態に居るものであつて、生前の朋友や知己と互に相会し相識合ふものであります。何となれば、精霊なるものは、その面色や言語等によつて知覚し又相接近する時はその生命の円相によつて互に知覚するものです。霊界に於て甲が若し乙の事を思ふ時は忽ちその面貌を思ひ之と同時に、その生涯に於いて起りし一切の事物を思ふものです。そして甲に於て之を為すときは、乙は直ちに甲の前に現はれ来るもので丁度態人を使ひに遣つて招いて来るやうなものです。霊界に於て何故斯の如き自由あるかと謂へば霊界は想念の世界であるから自ら想念の交通があり何事も霊的事象に支配されて居りますから、現界の如く時間又は空間なるものが無いからであります。それ故霊界に入り来りしものは其想念の情動によつて、互にその朋友、親族、知己を認識せざるは無く、現世にあつた時の交情によつて互に談話も為し、交際も為し、殆ど現世にありし時と少しの相違もないのです。中にも夫婦の再会などは普通とせられて居ますが、夫婦再会の時は互に相祝し、現世に於て夫婦双棲の歓喜を味はひ楽しんだ程度に比して、或は永く久しく、或は少時間、その生涯を共にするものです。そしてその夫婦の間に真実の婚姻の愛、即ち神界の愛に基づいた心の和合の無い時は、その夫婦は少時にして相別るるものであります。 又夫婦の間に現世に於て互に了解なく嫉妬や不和や争闘や、その他内心に嫌忌しつつあつたものは、此仇讐的想念は忽ち外面に破裂して相争闘し分離するものであります。 霊界にある善霊即ち天人は現界より新たに入り来りし精霊の善悪正邪を点撿すべく、種々の方法を用ふるものです。精霊の性格は死後の外面状態にあつては容易に弁別が付かないものです。如何に凶悪無道なる精霊にても外面的真理を克く語り、善を行ふ事は至誠至善の善霊と少しも相違の点を見出すことが出来ないのです。外面上は皆有徳愛善らしき生涯を送つて居る。現界に於て一定の統治制度の下にあつて法律に服従して生息し、之に由つて正しきもの、至誠者との名声を博し或は特別の恵を受けて尊貴の地位に上り富を蒐めたるものであつて、是等は死後少時は善者有徳者と認めらるるものです。併しながら天人は是等の精霊の善悪を区別するに当り、大抵左の方法に由るものであります。凡て何人も所主の愛に左右さるるものでありますから、即ち凶霊は常に外面的事物にのみ就て談論するを好むこと甚だしく内面的事物に就ては毫も顧みないからであります。内的事物は神の教、又は聖地救世主の神格、及び高天原に関する真と善とに関しては之を談論せず、又之を教ふるも聴くことを嫌忌し更に意に留めず、又神の教を聴いて楽まず、却て不快の念を起し面貌にまで表はすものです。現界人の多くは凡て神仏の教を迷信呼ばはりをなし、且つ神仏を口にする事を大に恥辱の如く考へて居るものが大多数であつて、大本の教を此方から何程親切を以て聞かし、天界に救ひ助けむと焦慮するとも、地獄道に籍を置いた人間には、到底駄目である事を屢実験いたしました。併しながら大慈大悲の大神の御心を奉体し一人たりとも天界に進ませ、永遠無窮の生命に赴かしめ以て神界御経綸の一端に仕へなくては成らないのであります。霊界に於ても現界に於ても同一ですが、地獄入りの凶霊と天界往きの善霊とを区別せむとするには凶霊は屢ある一定の方向に進まむとするを見ることが出来ます。凶霊がモシその意のままに放任される時はそれに通ずる道路を往来するもので、彼等が往来する方向と転向する道路とによりて、その所主の愛は何れにあるかを確めらるるものであります。 現界を去つて霊界に新たに入り来る精霊は何れも高天原とか地獄界とかの或る団体に属して居ないものは有りませぬが、併し之は内的の事ですから、その精霊が尚ほ依然として外面的状態にある間は其内実を現はさない。外面的事物が凡ての内面を蔽ひかくして了ひ、内面の暴悪なるものは、殊に之を蔽ひかくすこと巧妙を極めて居るからです。併し或る一定の期間を経たる後に彼等の精霊が内面的状態に移る時に於て、その内分の一切が暴露するものです。この時は最早外面は眠り且つ消失し内面のみ開かるるからであります。人間の死後に於ける第一の外面的情態は或は一日、或は数日、或は数ケ月、或は一年に渉ることがあります。されど一年を越ゆるものは極めて稀有の事であります。斯の如く各自の精霊が外面状態に長短の差ある所以は、内外両面の一致不一致によるものです。何故なれば、精霊界にあつては何人と雖も思想及び意志と言説又は行動を別にする事を許されないから、各精霊の内外両面が一となつて相応せざればならぬからであります。 精霊界にあるものは、自有の情動たる愛の影像ならぬものはありませぬから、その内面にある所の一切をその外面に露はさない訳にはゆきませぬ。此故善霊なる天人は先づ精霊の外面を暴露せしめ、是を順序中に入らしめて以て其内面に相応する平面たらしめらるるのであります。そして斯の如き順序を取る所は精霊界即ち中有界の中心点たる天の八衢の関所であつて、伊吹戸主神の主管し給ふ、ブルガリオに於て行はるるものであります。 内面的情態は人間の死後或る一定の期間を中有界にて経過し、心即ち意志と想念に属する精霊の境遇を云ふのです。人間の生涯、言説、行為等を観察する時は何人にも内面外面の二方面を有することが知り得られます。その想念にも意志にも内外両面の区別があるものです。凡て民文の発達した社会に生存するものは他人の事を思惟するに当り、その人に対する世間の風評又は談話等に由つて見たり聞いたりした所のものを以て人間の性能を観察する基礎となすものです。されど人間は他人と物語る時に際して自分の心の儘を語るものではありませぬ。たとへ対者が悪人と知つても、又自分の気に合はない人であつても、その交際応接などの点は成る可く礼に合ふべく、又相手方の感情を害せざる様と努むるもので、実に偽善的の行為を敢てするもので、又此でなければ社会より排斥されて了ふやうな矛盾が出来する世の中であります。そして凡ての人は見えすいたやうな嘘でも善く言はれると大変に歓ぶものですが、之に反し真実を其人の前に赤裸々に言明する時は非常に不快の念を起し、遂には敵視する様になり、害を加ふるやうな事が出来るものです。故に現代の人間の言ふ所、行ふ所は、その思ふ所願ふ所と全く正反対のものです。偽善者の境遇にあるものは、高天原の経綸や死後の世界や、霊魂の救ひや聖場の真理や国家の利福や隣人の事を語らしておけば恰も天人の如く愛善と信真に一切基づける様なれども、其内実には高天原の経綸も霊魂の救ひも死後の世界も信じないのみか、只愛する所のものは自己の利益あるのみであります。斯の如き偽善者、偽信者は随分太古の教徒の中にも可なり沢山あつたものですが、現代の三五教の中には十指を折り数へたら最早残るは外面的状態にあるもの計りで、天国に直ちに上り得る精霊は少いやうであります。 凡て人間の想念には内面、外面の区別がありまして、斯の如き人間は、外面的想念によりて言説をなし、内面には却て異様の感情を包蔵して居るものです。そして内外両面を区別する事に努めて、一とならない様にと努むるものです。真に高天原の経綸を扶け聖壇の隆盛を祈り死後の安住所を得むことを思はば如何なる事情をも道のためには忍ぶべきものであります。神様の御用にたて得らるるだけの余裕を与へられたのも皆神様のお蔭である事を忘れ、自有と心得て居るからです。爰に外面内面の衝突を来すことになつて来るのです。併し現代の理窟から言へば、内外両面を区別して考ふる事が至当となつて居ります。そして右様の説に対しては種々の悪名を以て対抗し、且つ悪魔の言と貶すものであります。又斯の如き人は内面的想念の外表に流れ出でて爰に暴露することなからむを勉め、現界的道理によつて、凡てを解決せむとし内面的神善を抹殺するものであります。 さり乍ら人間の創造さるるや、その内面的想念をして相応に由りて外面的想念と相一致せしめなくては成らない理由があるのです。この一致は真の善人に於て見る所であつて、その思ふ所も言ふ所も、唯々善のみだからであります。かくの如き内外両面の想念の一致する事は到底地獄的悪人に於ては見る事が出来ない。何故なれば、心に悪を思ひながら善を口に語り全く善人と正反対の情態にあるものです。外面に善を示して悪を抱いて居る。かくて善は悪のために制せられ、之に使役さるるに至るのであります。悪人はその所主の愛に属する目的を達成せむがために、表に善を飾つて唯一の方便となすものです。故にその言説と行動とに現れる所の善事なるものは、その中に悪き目的を包蔵して居るので、善も決して善でなく、悪の汚す所となるは明白なものです。外面的に之を見て善事となすものは、その内面を少しも知悉せざるものの言葉であります。 真の善に居るものは、順序を乱すこと無く、その善は皆内面的想念より流れて外面に出てそれが言説となり行動となるのは、人間は斯の如き順序のもとに創造せられたものであるからであります。人間の内面は凡て高天原の神界にあり、神界の光明中に包まれて居る。その光明とは、大神より起来する所の神真で所謂高天原の主なるものです。人間は内外両面の想念があり、その想念が内外互に相隔たり居ることは前述の通りであります。想念と言つたのは其中に意志をも包含して併せて言つたのです。盖し想念なるものは意志より来り、意志なければ何人と雖も想念なるものは有りませぬ。又意志及び想念と云ふ時は、この意志の裡にも又情動、愛、及び、是等より起来する歓喜や悦楽をも含んで居ります。以上のものは何れも意志と関連して居るからです。何故なれば人はその欲する所を愛し、之によつて歓喜悦楽の情を生ずるものだからです。又想念といふことは人が由りて以て其情動即ち愛を確かむる所の一切を言ふのです。何んとなれば想念は意志の形式に過ぎないものです。即ち意志が由りて以て自ら顕照せむと欲する所のものに過ぎないからであります。この形式は種々の理性的解剖によつて現れるもので、その源泉を霊界に発し人の精霊に属するものであります。 凡て人間の人間たる所以は全くその内面にあつて内面を放れた所の外面にあらざることを知らねばならない。内面は人の霊に属し、人の生涯なるものは、此の内面なる霊(精霊)の生涯に外ならないからです。人の身体に生命のあるのは此精霊に由るものです。是の理によつて人はその内面の如くに生存し永遠に渉りて変らず、不老不死の永生を保つものです。されど外面は又肉体に属するが故に、死後は必ず離散し消滅し、其霊に属して居た部分は眠り、唯内面のために、是が平面となるに過ぎないのです。かくて人間の自有に属するものと属せざるものとの区別が明かになるのであります。悪人にあつては其言説を起さしむる所の外的想念と、其行動を起さしむる所の外的意志とに属するものは、一も以て彼等の自有と為すべからざるものと知り得るでありませう。只その内面的なる想念と意志とに属するもの而己が自有を為し得るのであります。故に永遠の生命に入りたる時自有となるべきものは、神の国の栄えのために努力した花実ばかりで、其他の一切のものは、中有界に於て剥脱されるものであります。アヽ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・五・二四旧四・九於竜宮館加藤明子録)
269

(2865)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 14 嬉し涙 第一四章嬉し涙〔一六二一〕 黒雲濛々として天地四方を包み、夜とも昼とも見別のつかぬやうな光景となつて来た。吹き来る風は何となく腥く、且つ湿つぽく、表面は冷たく、どこやらに熱気を含み、体から沾つた汗の滲む空気である。伊太彦一行は足に任せて、方向も定めず、膝栗毛の続く限り進んで行くと、相当に高い岩骨の山の麓に行き当つた。相当に高い山らしいが、五合目あたりから、灰色の雲が包んで巓を見る事が出来なかつた。一行は此山を登るより道がない。針のやうな草や、荊の間を種々と苦心して右へ避け左へ避け、板壁のやうな嶮しい所を登つて往く。四方八方から、何とも知れぬ悲しいやうな嫌らしいやうな泣声が聞えて来る。猿の声でもなければ秋の夕の虫の音でもない。実に絶望の淵に沈んだ時のやうな嘆声である。一行は天津祝詞を奏上せむとしたが、どうしても唇が強直して声を発する事が出来なかつた。灰色の雲の中へ身を没するやうになると、スーラヤ山の死線を越えた時のやうな再び不快の気分に襲はれた。一同は不言不語運を天に任し、伊太彦の後に従ひ登つて往くと、山の巓は、蠣殻を打ちあけたやうな小石が一面に被さつて居て恰も剣の山を登るが如くであつた。伊太彦は頂上のバラの花のやうな形した岩の上にソツと腰を下した。後れ馳せながら四人はヘトヘトになり、顔色蒼白め、唇を紫色に染め、さも絶望の淵に沈んだやうな面貌で辿りつき、気息奄々として夏犬のやうに舌を垂らし、胸に浪をうたせながら蠣殻のやうな小石の上に倒れて仕舞つた。 其処へ下の方からスタスタ偉ひ勢で登つて来た一人の婆がある。一同の屁古垂れた姿を見て婆は大口を開いて、 婆『オホヽヽヽ。これや伊太に阿魔女に三人のガラクタ共、往生致したか。もう此処迄来た以上は往も戻りもならず、此処で露の命を捨てて八万地獄へ落ちるのだが、夫でもお詫を致して助けて貰ふ気はないか。三五教の宣伝使だなどと申て、よくもよくも世界を股にかけて歩きよるな。俺を誰だと思ふて居るか。高姫の守護を致して居る銀毛八尾のお稲荷様だぞ。これや開いた口が窄まるまい。一口でも喋るなら喋つて見い。アスマガルダの馬鹿者が、此方の肉の宮を打擲せむと致し嚇かしやがつた為めに、此方の生宮は、とうとう吾家を飛び出し行衛不明となつて仕舞つたのだ。恨を晴らさうと思ひ此方の計略によつて、此山に踏み迷はしてやつたのだ。サア、心を改めてウラナイ教に帰順致すか、どうだ、きつぱりと返答致せ。いやいや返答は出来まい。耳は聾、口は開かず、言葉も出ぬものだから、併し耳は少し聞えるだらう。此方の申すやうに致すなら首を縦にふれ。ても扨てもいげつないものだなア、ても扨ても小気味よい事だなア、オツホヽヽヽ』 伊太彦は発言機関の止まつた悲しさに、一言も発する事を得ず、頻に首を横に振つて居る。外四人も伊太彦に做らつて機械人形のやうに首を横に振る。 婆『ても扨ても、ど渋太い奴だなア。絶対絶命の場合になつても、まだ俺の云ふ事が分らぬのか。銅屑の霊と云ふものは因果なものだなア。これや伊太彦』 と茨の笞をふり上げて、伊太彦の頭を続け打ちに十二三打ち続けた。頭部からは、花火の薄のやうに血がボトボトと線を劃して流れ出づる其痛ましさ。伊太彦は目をつぶつたまま、仮令死んでも三五教の教は捨てぬ。如何な責苦にあつても、ウラナイ教に帰順するものかと益々首を横に振る。婆は又々鞭を加へる。此体を見たベースは驚いて、そろそろ首を縦に振り出した。妖婆はさも嬉しさうに、忌やらしい笑を泛べて、 婆『オホヽヽヽ。お前はベースだな。よしよし偉いものだ。本当に水晶玉だ。五人の中でお前一人。「改心すれば其日から楽になるぞよ」と仰有るのだから、みせしめのため此処で一つお前に天国の楽みを与へてやらう』 と云ひ乍ら、懐から、小さい玉のやうなものを取り出しブーブーと口に当て吹くと、フワリとした綾錦の座布団が七八枚、其処に現れた。 婆『ホヽヽヽ、これやどうだ、銀毛八尾様のお働きはこんなものだよ、さあベース、さぞ足が痛からう。此上に坐りなされ。さあチヤツと坐りなされ。そして、腹が空いただらう。此玉を吹きさへすればお前の望み通りの美味の物が出て来るのだ』 と云ひ乍ら、ベースの体を鷲掴みにして七八枚重ねた柔かい布団の上に坐らした。ベースは四人の者に気兼し乍ら坐つた。婆はいろんな果物や、葡萄酒などを玉を吹ひては拵へ、ベースに与へて居る。アスマガルダも、ブラヷーダも、カークスも伊太彦同様で依然として首を横に振つて居る。妖婆は之を見て、さも慨歎したやうに、 婆『ても扨ても因縁の悪いみ魂だなア。此やうに結構にして助けてやらうと思ふのに、こんな責苦に遇ふてもまだ我を立て通しよる。何奴も此奴も首を横に振りやがつて、エヽ俺が善悪の鏡を出して見せてやらう。皆がベースのやうにすればよいのだ。俺だつて何も此様なひどい事をしたくはないが、八岐大蛇様からの御命令だから仕方なしにやるのだ』 と云ひ乍ら、又もや茨の笞で三人を打ち据ゑる。流血淋漓として目も当てられぬ無残さ、四人は運を天に任して心の中に神を念じて居た。何処とも無く山岳を崩るる許りの犬の声、 『ウーワウワウワウ』 此声を聞くより妖婆は忽ち銀毛八尾の正体を現はし、倒けつ輾びつ雲を霞と逃げて行く。伊太彦、ブラヷーダ、アスマガルダ、カークスの四人は此声の耳に入るや俄に元気回復し言霊を自由に発する事を得た。さうして今迄滴つて居た血潮は痕跡も留めず、元の如く元気よき面貌となり矗と立ち上り、天津祝詞を奏上した。ベースはと見れば猿取荊の中に突つ込まれてウンウンと唸つて居る。 伊太『あゝ惟神霊幸倍坐世』 三人も一度に、 『惟神霊幸倍坐世』 カークス『もし伊太彦の宣伝使様、怪体の事があるものぢやありませぬか。高姫の守護神奴がこんな所迄やつて来まして、吾々を試みようと致しましたが、犬の声が聞えると忽ち正体を現はして逃げて仕舞つたぢや厶いませぬか。矢張神様は信仰せねばなりませぬなア』 伊太彦は有難涙を流し乍ら、 伊太『アヽ、何とも有難くて言葉も出ませぬわい。時にベースは何処へ行つたのでせうな』 アスマガルダ『ここの猿取荊の中に真裸体にせられ血塗になつて苦しんで居ます。何とかして助けてやりたいものですなア』 伊太『吾々一同が神様にお願ひして救ふて頂くより仕方がないなア。サアお願ひせう』 と茲に四人は一同に天津祝詞を奏上し、ベースの取違をお詫し、稍暫し汗みどろになつて祈願を凝らした。ベースはウンウンと唸つて居る許りである。其処へ忽然として猛犬スマートを引き連れて現はれたのは初稚姫の精霊であつた。四人は姫の姿を見るより喜びと驚きとにうたれ暫時、言葉もなく、姫の端麗なる顔を見詰めて居る。 初稚『伊太彦さま、貴方は試験に及第致しました。サアこれからウバナンダ竜王の玉を受取つて聖地にお出なさいませ。妾は貴方がスーラヤ山にお登りになつたと聞き、スマートと共に船を雇うて当山に登り貴方の身の安全を守護して居りました。最早安心なさいませ』 と云ひながら迦陵嚬伽のやうな麗しい声を出して天津祝詞を奏上したまふた。ハツと気がついて見れば伊太彦以下四人は竜王の岩窟に、邪気に打たれて倒れて居たのである。 伊太『あゝ矢張り此処は竜王の岩窟で厶いましたかなア。大変な所へ往つて居りました。よくまアお助け下さいました、有難う厶います』 外四人は嬉し涙を垂らしながら、両手を合せ、初稚姫を伏し拝んで居る。斯る所へ岩窟の奥の方より、鏡の如く光る大火団現れ来り、一同の前に爆発するよと見る間に、得も云はれぬ優美高尚なる美人が、十二人の侍女を従へ現はれ来り、初稚姫に向ひ手を仕へ、 竜女『妾は神代の昔より大八洲彦命様に改心の為め此岩窟に閉ぢ込められ、今迄修業を致して居りましたウバナンダ竜王で厶います。此度神政成就について如何なる悪神もお赦し下さる時節が参りましたので、誰かお助けに来て下さるだらうと、今日迄この宝玉を大切に保護して待つて居りました。所が伊太彦の宣伝使様が四人の伴を連れて、お出でになりましたが、斯う申すと何で厶いますが、もう些し御神力が奥さまに引かされて薄らいで居ますので、私が解脱する事も出来ませず、困つて居りました。すると伊太彦様外御一同は竜神の毒気に打たれ、精霊が脱け出され死人同様になられ困つた事だと思つて居ました所、神力無限の貴女様がお出になりまして言霊を聞かして下さつたので、昔の罪障も解け、執着心も取れて今迄の醜しかつた姿も消え、こんな天女となりました。併しこの玉は伊太彦さまにお授け致しますから、エルサレムに行き此玉を献じお手柄をなさつて下さい。妾は十二人の侍女と共に天に登り、ハルナの都の言向け和しに影乍らお助けを申ます』 と云ひながら、夜光の玉を伊太彦に渡した。伊太彦は手足を慄はせ乍ら押し戴き、叮嚀に布を以て包み懐に入れた。 初稚『竜王殿お目出度う厶います。嘸神様も御満足遊ばす事で厶いませう』 竜王『ハイ、お蔭で助けて頂きました。此御恩は決して忘れは致しませぬ』 竜王『久方の天津国より天降りませし 姫の命に救はれにけり。 いざさらば天津御国にまひのぼり 月の御神に仕へまつらむ』 初稚姫『古ゆ、暗きにかくれたまひたる 汝が命を救ひし嬉しさ。 久方の月の御国に登りまさば 吾神業を伝へたまはれ』 竜王『有難し此有様を委曲に 申上なむ月の御神に』 伊太彦『タクシャカのナーガラシャーを言向けて 心傲りし吾ぞうたてき』 ブラヷーダ『背の君の厳の力を包みたる 妾は醜の曲津神なりし。 さりながら心改め今よりは 神の大道に専ら仕へむ』 初稚姫『皇神をまづ第一と崇めつつ 伊太彦司をいつくしみませ』 ブラヷーダ『有難し姫の命の御教は 胸に刻みて忘れざらまし』 アスマガルダ『伊太彦やわが妹に従ひて 思はぬ恵に逢ひにけるかな』 カークス『もろもろの神の試に遇ひながら 今は嬉しき光見るかな』 ベース『曲神にたぶらかされて思はずも 道に背きし吾ぞ悲しき。 暗国の山の尾上に登りつめ 心を変へし身の恥かしさよ。 御恵の限知られぬ皇神は 此罪人も赦したまひぬ』 初稚姫『いざさらばウバナンダ竜王永久の 住家を捨てて御国に入りませ』 竜王『ありがたし姫の命の御言葉に 天翔りつつ神国に往かむ』 かく互に歌を取り交し竜王に別れを告げた。竜王は十二人の侍女と共に岩窟より雲を起し空中に舞ひ上り、忽ち姿は煙の如く消えて仕舞つた。初稚姫は岩窟の細き穴を伝ふて磯端に出た。此処は平素波荒く巨巌屹立し船の近づく事の出来ぬ難所である。さうして外に出れば底ひも知れぬ水の深さに、船を置く場所もなく、スーラヤの湖の大難所と称へられ、船人の恐れて近寄らなかつた所である。初稚姫、スマートの後に従ひ五人は細い穴を潜つて出て見ると其処には玉国別、治道居士の一行が船を横付けにして待つて居る。伊太彦は飛び立つばかり喜んで船に飛び乗り、玉国別に獅噛みつき嬉し泣きに泣いて居る。玉国別も唯、嬉し涙に咽んで落涙する計りであつた。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・五・二五旧四・一〇於教主殿加藤明子録)
270

(2868)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 17 峠の涙 第一七章峠の涙〔一六二四〕 ハルセイ山の峠の頂上に古き木株に腰打掛け、疲れを休むる一人の男、過ぎ来し方の空を眺めて独語、 男『春過ぎ夏も去り、漸く初秋の風は吹いて来た。名に負ふ夏の印度の国も、此高山の峠に登つて見れば、ヤハリ秋の気分が漂ふて居る。玉国別の師の君に従ひ凩荒ぶ冬の頃、斎苑の館を立出でて難行苦行の結果、漸くここ迄来るは来たものの、吾身に積る罪悪の重荷に苦しみ、もはや一歩も歩けなくなつて来た。あゝ如何にせば吾罪を赦され、神の任さしの使命をば果すことが出来ようか。スダルマ山の山麓にて吾師の君に別れ、スーラヤ山の岩窟にナーガラシャーの宝玉を得むと勃々たる野心に駆られ、カークス、ベースの両人を道案内にして、漸くにしてスダルマの湖水の一角に辿りつき、ルーブヤが家に一夜の雨宿り、ゆくりなくもブラヷーダ姫に見そめられ、ハルナの都に上る途中とは知り乍らも、同僚の三千彦が嬪に做らひ、師の君の許しをも得ずして神勅を楯に自由の結婚談を定め、それより夫婦気取りになつて兄に送られ、スーラヤ山に登り五大力とか何とか称する神に途中に出会し、いろいろの教訓を受け乍ら、妖怪変化とのみ思ひつめ、死線を越へて、岩窟に忍び込み霊界現界の境迄一行五人は進み入り、高姫の精霊の試しに会はされ、神の化身に助けられ、漸く蘇生し、又もや竜王に辱られ、初稚姫様のおとりなしによつて此通り夜光の玉を頂き、一先づエルサレムを指して上る此伊太彦が体の痛み、死線の毒にあてられし其艱苦は今に残れるか、頭は痛み胸は苦しく、足はかくの如く腫れ上り、もはや一足さへ進まれぬ。吾は如何なる因果ぞや。許させ玉へ天津神、国津神、玉国別の吾師の君よ。惟神霊幸倍坐世。それにつけてもブラヷーダ姫は孱弱き女の一人旅、何処の野辺にさまようであらうか。山野河海を跋渉したる此伊太彦の健足でさへ、斯の如く痛むものを、歩みもなれぬ孱弱き女の身の、その苦しみは如何許りぞや。思へば思へば初めて知つた恋のなやみ、皇大神の御言葉と師の言葉には背かれず、さりとて此儘、思ひ切られぬ胸の苦しさ、最早かくなる上は吾はハルセイ山の頂にて朝の露と消ゆるのではあるまいか。仮令仮にもせよ、千代を契つたブラヷーダ姫に夢になりとも一目会ふて、此世の別離が告げ度いものだ。あゝ如何にせむ千秋の怨み、万斛の涙、何れに向つて吐却せむや』 と、胸を躍らせ、息もたえだえに涙は雨と降りしきる。 かかる処へ二人の杣人に担がれて色青ざめ半死半生の態にて登つて来たのは夢寐にも忘れぬ恋妻のブラヷーダ姫であつた。伊太彦は一目見るより、嬉しさ、悲しさ胸に迫り、涙の声を絞り、僅かに、 『あゝ、其女はブラヷーダ姫であつたか。お前の其様子、嘸苦しいであらう、此伊太彦も死線を越えた時のなやみが、まだ体内に残つて居ると見え、今は九死一生の場合、せめては一目なりと、お前に会うて天国の旅がしたいものだと思つてゐたのだ。あゝ斯様の処で会はうとは夢にも知らなかつた。之も神様の大慈大悲のおとりなし。あゝ有難し有難し、惟神霊幸倍坐世』 と合掌する。ブラヷーダ姫は糸の如き細き声を張り上げて息も苦しげに、 『あゝ嬉しや、貴方は吾背の君伊太彦様で厶いましたか。妾はまだ年端も行かぬ女の身、旅に慣れない孱弱き足許にて貴方に会うた嬉しさ。スーラヤ山の険を越え、生死の境に出入し、神の仰を畏みて、神力高き御一行様に立別れ、踏みも習はぬ山道をトボトボ来る折もあれ、俄に体は疲れ果て、魂は宙に飛び、最早臨終と見えし時、此杣人の情によりて、漸くここに救ひ上げられ参りました。何卒伊太彦様、妾の命は最早断末魔と覚悟を致して居ります。此世の名残に今一度、貴方のお手をお貸し下さいませ。さすれば仮令此儘死するとも少しも此世に残りは厶いませぬ。あゝ生みの父様、母様、兄様が、妾夫婦の事をお聞きなされば如何にお歎き遊ばす事であらう。そればつかりが黄泉路の障り、あゝ如何にせむか』 と伊太彦の側らに身を投げ出して泣き叫ぶ。其痛はしさ。流石豪気の伊太彦も女の情にひかされて恩愛の涙に袖を絞り乍ら、 『あゝ其方の云ふ事も尤もだが、大切なる神の使命を受けて、此夜光の玉をエルサレムの宮に献じ、ハルナの都に進まねばならぬ身の上、仮令肉体は亡ぶとも精霊となつてでも此使命を果さねば、どうして神界に申訳が立たう。初稚姫を通しての大神様のお言葉、吾師の君の御教訓、順序も守らねばならぬ神の使が、如何に恋しき妻の身なればとて、どうして妻の手を握る事が出来よう。もしも此玉の神霊が吾懐より逃ぐる事あれば、それこそ末代の不覚、ここの道理を聞分けて、ブラヷーダ姫、そればつかりは許して呉れ。仮令此世の運命尽きて霊界に至るとも、互に相慕ふ愛善の思ひは弥永久に失するものではあるまい。仮令此世で長命をするとも日数に積れば二三万日の日数、此短き瞬間に恋の魔の手に囚はれて幾億万年の命の障害になるやうな事があつては、吾も汝も、とり返しのならぬ罪悪を重ねねばなるまい。真に、其方を愛する伊太彦は、其女に無限の生命を与へ無窮の歓楽に浴せしめ度いからだ。必ず悪く思ふては呉れなよ』 と息もちぎれちぎれに苦しげに説き諭す。ブラヷーダ姫は首を左右に振り、 『いえいえ、何と仰せられましても臨終の際に只一回の握手位許されない事がありませうか。恋に燃え立つ妾の胸、焦熱地獄の苦しみを救はせ給ふは吾背の君の御手にあり、仮令未来に於て如何なる責苦に会ふとても夫婦が臨終の際に互に介抱をし相助け相救ふ事の出来ない道理がありませうか。物固いにも程が厶います。妾の心も少しは推量して下さいませ』 と云ひつつ伊太彦に縋り付かむとする。伊太彦は儼然として、たかつた蜂を払うやうな態度にて金剛杖の先にてブラヷーダ姫を突き除け、刎ね除け、 『これブラヷーダ姫、慮外な事をなさるな。大神様のお言葉、吾師の君の御教訓を何とする考へであるか。今の苦みは未来の楽み、左様の事に弁別のない其方とは思はなかつた。とは云ふものの、同じ思ひの恋しい夫婦、あゝ如何にせば煩悶苦悩を慰する事が出来ようか』 と胸に焼鉄あてし心地、差俯向いて涙に暮れて居る。二人の杣人は声高らかに打笑ひ、 杣人の一『アハヽヽヽヽ、扨ても扨ても固苦しい旧弊な男だな。最前からの二人の話を聞いて居れば随分お目出度い恋仲と見えるが、永い月日に短い命だ。未来がどうの、こうのと云つても、一旦死んだものが又生きる道理もなし、人間の命は水の泡と消えて行くのだ。長い浮世に短い命を持ち乍ら、何開けぬ事を云ふのだ。これこれ夫婦の方、未来があるの、神様が恐ろしいのと、そんな馬鹿な事云ふものではない。況して、二人の此断末魔の様子、死際になつて思ひ合つた夫婦が手を握つてはならぬ事があるものか。それだから宣伝使と云ふものは時代遅れと云ふのだ。誰に憚つてそんな遠慮するのだ。これ伊太彦さまとやら、こんなナイスに思はれて据膳喰はぬ男があるものか。可愛がつてやらつせい』 伊太『あなたは此辺りの杣人、よくまア、ブラヷーダを御親切に助けて下さつた。又只今のお言葉、実に御親切は有難う厶いますが、未来を信ずる吾々には、どうして、左様な天則違反が出来ませうか』 杣の一『山の奥まで自由恋愛だとか、ラブ・イズ・ベストだとか、言ふ新しい空気が吹いて居るのに、之は又古い事を仰有る。三五教と云ふ宗教は実に古臭いものだな。此広い天地に自在に横行濶歩し、天地経綸の司宰をする人間が些々たる女一人に愛を注いだと云つて、それを罰すると云ふやうな開けぬ神があらうか。もし神ありとせば、そんな事云ふ神は野蛮神の、盲神だよ。いや宣伝使様、悪い事は申しませぬ。この可愛らしい、まだ年の行かぬナイスが之丈け、命の瀬戸際になつて、云ふ事を聞かぬとは無情にも程がある。お前さまも、よもや木石でもあるまい。暖かい血も通つてゐるだらう。人情も悟つて居るだらう。吾々両人がここに居つては、恰好が悪いと思ひ、躊躇してるのではあるまいか。さうすれば吾々両人はここを立退くから、泣くなり、笑ふなり、意茶つくなり、好きの通りにしなさい。おい兄弟、行かう。斯うして夫に渡して置けば、俺等も安心と云ふものだ』 杣の二『さうだな兄貴の云ふ通り両人が居つては恰好が悪くて意茶つく事も出来まい。此世の中は偽りの世の中だから、人の前では思ふ所を言葉に出し、赤裸々に自分の信念を吐く事は誰だつて出来まい。さうだ俺等が此処に居るので断末魔の夫婦の別れを惜む事も出来ぬのだらう。そんなら兄貴、行かうぢやないか』 伊太『もしもし杣人様、決して御心配下さいますな。世間の人間のやうに吾々は決して裏表はありませぬ。思ふ処を云ひ、思ふ所を行ふのみです。吾々は痩ても倒けても三五教の宣伝使、決して外面的の辞令は用ひませぬ。それ故に天地の神に恥づる事なき二人の行動、貴方がお聞き下さらうが、少しも差支は厶いませぬ。何卒誠に済みませぬが、左様な事を仰有らずに、もう暫らく私の最後を見届けて下さい。おひおひ体は重くなり、足は一歩も歩けませぬ。もし吾々夫婦が此儘死んだならばウバナンダ竜王が持つて居た此夜光の玉をエルサレムへ持つて行く事が出来ませぬ。何卒御面倒でせうが乗掛けた舟だと思つて息のある中に此玉を貴方に渡して置きますから、貴方代つて何卒これをエルサレム迄行つて大神様へ奉つて下さいませぬか。沢山はなけれども此懐の金を旅費として、神様の為めと思つて行つて下さいませぬか』 杣の一『ハヽヽヽ気の弱い男だな。お前も神の道の宣伝使ならば、何故も少し男らしくならないのか。醜い弱音を吹いて人に泣顔を見せると云ふのは不心得では厶らぬか、喜怒哀楽を色に現はさずと云ふのが男の中の男で厶らうぞ』 伊太『成程、貴方のお説も尤もだが、人間は悲しい時に泣き、腹の立つた時に怒り、嬉しい時に笑ふのが本当の神心、喜怒哀楽を色に現はさぬ人間は偽り者か化物ですよ。今日の世の中は、それだから虚偽虚飾、世の中が真暗になるのです。吾々宣伝使は之を匡正する為、道々宣伝し乍らハルナの都に進むのです』 杣の二『成程一応御尤もだ。然し乍ら一枚の紙にも裏表がある。最愛の妻が臨終の願ひ、それを聞かない道理が厶いませうか。貴方は余り理智に走り過ぎる、情がなければ人間ではありませぬよ。広い心に考へて世の中は、さう狭く考へるものではありませぬ。変幻出没窮まりなく、時に臨み変に応じ、うまく此世を渡つて行くのが、神の御子たる人間ではありますまいか。ナアお姫さま、さうで厶いませう』 ブラヷ『はい、伊太彦さまのお言葉も御尤もなり、貴方のお言葉も御尤もで厶います』 杣の二『伊太彦さまのお言葉も御尤も、俺の言葉も御尤も、とはチツト可怪しいぢやありませぬか。どちらか、尤もと不尤もの区別がありさうなものだ。さアお姫様、貴女の思惑通りなされませ。斯うして様子を考へて見れば、最早此世の別れと見える。伊太彦さまも体に毒が廻り何れは死なねばならぬ命、生命のある間に互に手を握つて天国とかへ行く準備をなさいませ。決して悪い事は申しませぬ』 伊太『ブラヷーダ姫初めお二人のお言葉、その御親切は骨身に浸み渡つて、何とも云へぬ有難さを感じますが、どうあつても私は神様が恐ろしう厶います。神様の教の為には如何なる愛も、如何なる宝も総てを犠牲にする考へですから、もう之きり何とも仰有らずに下さいませ。あゝ惟神霊幸倍坐世』 杣の一『扨ても扨ても固苦しい男だな。成程之では世に容れられないのも尤もだ。矢張バラモン教が時勢に適当してるわい。俺も実はバラモン教の信者だが、まだ一度も斯んな固苦しい宣伝使に会ふた事はない。押せども引けども少しも動かぬ千引岩のやうな宣伝使だな。斯様な無情な男に恋をなさる姫様こそ実に不幸なお方だな。あゝどうしたら宜からうかな』 (大正一二・五・二九旧四・一四於天声社北村隆光録)
271

(2871)
霊界物語 63_寅_伊太彦の物語 20 道の苦 第二〇章道の苦〔一六二七〕 ブラヷーダ『月照彦の昔より遠津御祖の仕へてし 三五教の信徒とテルの里庄のルーブヤが 家に生れしブラヷーダバラモン教の醜神の 教のために朝夕に虐げられて表面 三五教を打ち捨てバラモン教を奉じつつ 家の柱に穴うがち神の御名をば刻みこみ 密かに拝みまつりつつ時まつ程に三五の 神の司の伊太彦が鳩の如くに下りまし 父と母との許し得て妹背の縁を結ばせつ 兄の命も嬉しみて伊太彦司の神業を 助けむためとてスーラヤの湖水の波を打ち越えて 海抜三千有余尺竜王の潜む岩窟に 進みて諸の苦しみを味はひ遂に根の国の 入口迄も進み往き神の恵の御教を いと懇にさとされつ初稚姫に救はれて 岩窟の隙よりぬけ出し姫の御船に助けられ 漸くエルの港まで安着したる折もあれ 神の教に従ひていとしき夫に生別れ 踏みも習はぬ一人旅草鞋に足を食はれつつ 道の小草をあけに染め杖を力にハルセイ山の 今や麓につきにけり音に名高き月の国 大高山と聞えたる此山越えてエルサレム 聖地に渡る吾なれど如何はしけむ身は疲れ 息も苦しくなりにけり死線を越えし其時の 妖邪の空気の体に未だ潜むと覚えたり 玉国別の師の君や伊太彦司は今何処 様子聞かまく思へども神の戒め強くして 遇はむよしなき旅の空国に残せし父母や 兄の命は嘸やさぞ昼はひねもす終夜 二人の身をば案じつつ神に願ひをかけまくも 畏き厳の御恵を二人の上に与へよと 祈らせ給ふ事ならむ雲路遥に進み来る 吾は孱弱き女の身後ふり返り眺むれば 限りも知らぬ大野原蓮華の花は遠近に 咲き匂へども百鳥は声も涼しく謡へども 言問ふよしも泣き逆吃此山口にたち並ぶ 沙羅の古木に霊あらば吾が垂乳根や兄君や 伊太彦司の消息を完全に知らして呉れるだらう あゝ惟神々々神に任せし此身体 取り越し苦労は禁物と教の言葉を身に刻み 心に銘して忘れねど又もや起る慕郷心 拭はせたまへ惟神御前に願ひ奉る 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むとも三五教の御教は 此現世は云ふも更吾魂の何処迄も つづく限りは捨てはせぬ誠一つの大道を 進む吾身は曲神のさやらむ恐れはなけれども 心にひそむ曲者が又もや頭擡げつつ 清き乙女の魂を恋の暗路にさそひ往く 晴れぬ思ひの吾体救はせたまへ惟神 御前に祈り奉る』 斯く謡ひながら、漸くにしてハルセイ山の峠を中程迄登りつき、茲に息を休めて来方行末の事を思ひ案じ、一人旅の淋しさに袖を霑して居る。日は漸く西山に没し、四辺は薄墨の幕を卸したやうになつて来た。花は扉をとぢて眠りにつき鳥は塒をもとめて彼方此方の森林目蒐けて忙しげに翅を早めて居る。ブラヷーダ姫は独言、 『あゝ味気なき浮世ぢやなア、テルの里の酋長の娘と生れ、朝な夕なに三五の神様を心私かに念じつつ、幾度となくバラモンの司に虐げられ、心にもなきバラモンの信者となり済まし、吾一家は云ふも更、村人迄が心にも無き信仰を強られ、月に三度の火渡り水底潜り、裸体の修業、荊蕀の室にと投ぜられ、是が神様の御心を安める第一の勤めと、阿鼻叫喚の苦みを忍びて漸く孱弱き此身も十六の春を迎へ、天運茲に循環して、尊き三五教の神司と廻り会ひ、親子兄弟納得の上、夫婦の契を結び如何なる艱難辛苦も吾背の君と一つにせばやと父母や兄に別れ、此処迄ぼつぼつ後を慕ふて来たものの、もはや一歩も進めなくなつて来た。あゝ如何にせば、此苦しみが免れるだらう。是も矢張表面を偽り、バラモンの神を祭り勿体なや大慈大悲の三五教の神様をせま苦しい柱の穴を穿つて祭り込んだ其天罰が報ひ来たのであらうか。「燈火をともして床の下に置くものはない」とは聖者のお言葉、其お言葉に背き、バラモンの悪神を尊敬して来た重々の罪業廻り来て、吾身は如何なる苦しみを受けやうとも、最早因縁づくと諦めて決して恨みは致しませぬ。神様何卒、垂乳根の父母や兄や、吾背の君や村人の罪をお許し下さいまして、天晴御神業にお使ひ下さるやう、偏に願ひ奉ります。あゝ斯うなつては最はや諦めねばなるまい。あゝ俄に胸が痛くなつて来た。薬の持ち合せもない。もはや吾身の罪を神様にお許し願ふ訳にもゆくまい。吾罪が許されて、父母や吾背の君に戒めが往くやうであつてはならない。どうぞ神様、妾の身をお召し下さつて、一同の罪を許して下さいませ。それに付いても、恋しい伊太彦様に臨終の際に一目お目にかかりたいものだ。あゝどうしたらこの煩悶を消す事が出来やうぞ』 と一人道傍の草の上に腰を卸し、悲歎の涙に暮れて居る。猛獣の声は四方八方より山岳も揺るぐ許り聞えて来た。遉気丈のブラヷーダも此恐ろしき唸り声には身の毛も弥立ち、死を決した身にも恐怖の波の打ち寄する憐れさ。ブラヷーダは絶え入る許り泣き叫びながら、路傍の草の上に身をなげ伏せてひしひしと泣き叫んで居る。 三千彦『三五教の宣伝使玉国別に従ひて 山野を渡り河を越へテルモン館に立ちよりて 種々雑多と村肝の心を砕き身を砕き 館の難儀を救ひつつ風塵茲におさまりて デビスの姫を妻となし吾師の君と諸共に キヨメの湖水を横断しアヅモス山の山麓に 広き館を構へたるバーチル主従の命をば 神の恵に救ひ上げタクシャカ竜王を言向けて 夜光の玉や如意宝珠授かりながら師の君と 珍の都へ進み往くスーラヤ湖水を乗越えて エルの港につきし折三五教の神柱 御稜威輝く初稚姫に迷ひの雲を晴らされて 吾師の君と袂をばいよいよ別ちデビス姫と 恋しき袂を別ちつつ踏みもならはぬ山野をば いと雄々しくも進み往く此処は名に負うハルセイ山の 嶮しき峠の登り口俄に聞ゆる猛獣の 声は地震か雷か身も毛も弥立つ許りなり 神の教を世に伝ふ吾は男子の身なれども かく怖ろしき心地する此山路を何として デビスの姫やブラヷーダ進まむよしもなかるべし 思へば思へば可憐しや神の御為道のため 世人の為めとは云ひながらかくも苦しき草枕 旅に出で立つ女子の行末思ひ廻らせば いとど憐れを催して涙の袖はひたされぬ あゝ惟神々々御霊幸倍ましまして 吾師の君は云ふも更デビスの姫やブラヷーダ 二人の繊弱き女子をば神の御稜威に守らせて いと易々と神業を果たさせたまへ惟神 御前に謹み願ぎまつる旭は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも仮令大地は沈むとも 誠一つの三五の教を進む吾なれば 怖るる事はなけれども神の教も悟り得ぬ 弱き女の如何にして此難関を越ゆるべき 守らせたまへ天地の皇大神の御前に 謹み願ひ奉る』 三千彦はかく謡ひ乍ら、厭らしい唸り声のする山路をとぼとぼと登つて行く。幽かに聞ゆる悲しげなる女の泣き声、耳に入るより三千彦は気を取り直し、 三千『さてあの泣声は正しく女と見える。此夜の山を通ふ女はよもや他にはあるまい。正しく、デビス姫かブラヷーダ姫に間違ひなからむ。いで一走り実否を探り見む』 と俄に足を早め、爪先上りの山路を勢込んで上り行く。見れば道の傍の草の上に悲しげな女の姿が横たはつて居る。三千彦は驚き乍らツト傍により、 三千『もしもしお女中様、此山路に唯お一人倒れて厶るのは何処の人か、折悪く月は黒雲に包まれて、お姿はハツキリ分らねど、どうやらブラヷーダ姫様の様に思ひますが、もし間違つたらお許しを願ひます。私は決して怪しい者ではありませぬ。三五教の宣伝使三千彦と申す者、サア早く起き上つて有し次第をお話し下さいませ』 ブラヷーダ姫は三千彦の情の籠もつた言葉にノアの方舟に出遇つたが如く喜び、重き身をやうやうに起き上り、 ブラヷーダ『ハイ妾は伊太彦の妻で厶います。貴方は神徳高き三千彦様、ようまア尋ねて下さいました。何を云つても罪の多い此体、神様の戒めに遇ひましたか、モウ一足も歩けなくなつて、この草路に断末魔の声を絞つて恥しながら泣いて居りました』 三千彦は此体を見るより涙をハラハラと流し声迄曇らせ乍ら、 三千『御安心なさいませ。神様は屹度貴女の御身をお守り下さるでせう。否魂迄も永久に御守護下さいます。私が貴女をお連れ申してエルサレムまでお送り致し度いは山々ですが、神様の仰せは、貴女もお聞き及びの通り大層厳しくなりまして、御同行は叶ひませぬ。併し乍ら人は心が肝腎で厶います。心さへ生々して居れば、肉体位は何の雑作も厶いませぬ。何程疲れたと云ふても休めば直に回復するもので厶います。気を確にお持ちなさいませ。あゝ惟神霊幸倍坐世。……あゝ三五教の神様、繊弱き女のブラヷーダをお救ひ下さるやう一重にお願ひ申ます。夫れについては、デビス姫も繊弱い女の一人旅、何卒貴神の御恩寵をもつて無事に聖地に御参詣の叶ふやう、お取り計らひを偏に願ひ奉ります。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と合掌しながら二人の間には暫し無言の幕が卸された。猛獣の声は一層激しく彼方此方の谷々より百雷の一時に落つるが如く響き来る。 (大正一二・五・二九旧四・一四於天声社加藤明子録)
272

(2879)
霊界物語 64_上_卯エルサレム物語1 03 聖地夜 第三章聖地夜〔一六三二〕 ブラバーサはエルサレムの停車場でバハーウラーに袂別し、プラツトホームを出で、稍広き街道を散歩し初めた。既に黄昏近くなつた近辺の山々の背景を、美しい夕日が五色の雲の線を曳いて色彩つて居る。併し何となく寂し気な印象が刻まれて来る。シオンの城を正面に控へながら、路の両側の畑丘に映えて居る落付いた緑色の葉が、痛々しげに塵埃のために灰白色に化つて居る橄欖の木を懐かしみながら、車馬の往来繁き大通をエルサレムの市街へと進む。 後の方から『モシモシ』と呼ぶ婦人の声が聞える。ブラバーサは後振り返り、立止まつてその婦人の近づくのを待つとはなしに待つて居た。見れば曼陀羅模様のある厚いブエールで顔全部を覆ふて居るユダヤの婦人で、死の国からでも逃げて来た様な気味の悪い姿であつた。ブラバーサは月光の下に、初めて此市中に於て声を掛られたユダヤの婦人の姿を見て、ギヨツとしながら例の丸い眼を嫌らしく光らした。 マリヤ『見ず知らずの賤しき婦女の身として、尊き聖師様を御呼び止め致しまして済まないことで御座いますが、妾はアメリカンコロニーの婦女で、マグダラのマリヤと申す基督信者で御座います。神様の御摂理に由つて貴師の爰に御降り遊ばす事を前知し、急いで聖地の御案内を兼ね、尊き御教を承はり度く罷出でました者で御座います。決して決して怪しき婦女では御座いませぬから、何うぞ妾に聖地の案内を命せて下さいませぬか』 と真心を面に現はして頼む様に云ふ。 ブラバーサは土地不案内のこの市中で、思はぬ親切な婦人の言葉を聞いて打喜びながら、 ブラバーサ『ハイ有難う御座います。私は高砂島より遥々と神命に由つて、聖地へ参向のために来たものですが、何分初めての事ですから土地も一向不案内の処へ、貴婦が案内をして遣らふと仰有るのは、全く神様の御引合はせで御座いませう。併し最早今日は夜分になりましたから、何処かのホテルへ一泊致し、明朝緩くりと橄欖登山致し度きもので御座いますが、適当なホテルを御示し下さいますまいか』 マリヤ『貴師も定めて御疲労で御座いませうから、今晩はホテルに御一泊なさるが宜しいでせう。聖地巡礼者のために設けられた大仕掛なホスビース・ノートルダム・ド・フランスと云ふ加持力の僧院が御座いまして、其設備は一切ホテルと少しも変りなく、且つ大変親切で宿料も一宿が一ポンド内外ですから、それへ御案内致しませうか』 ブラバーサ『カトリックの僧院ですか。夫れは願ふても無き結構な所、どうか其処へ案内を願ひませう』 マリヤ『ハア左様なさいませ。妾も貴師と今晩は同宿して、種々の珍らしい高砂島の御話を承はりたう御座います』 と先導に立ち、カトリックの僧院ホテルへと案内され、今宵は爰に一宿する事となつた。両人は二階の一室に案内され、夕餉を済ませ、窓外を遠く見やると、折しも十六夜の満月が皎々として下界を隈なく照らして居る。大きな僧院にも似ず宿泊者は僅かに四五人で、何れも各宗の僧侶であつた。マリヤはブラバーサに向かひ、 マリヤ『聖師様、今晩の月は亦格別美はしき空に澄み切つて聖師の御来着を祝して居るやうですなア。斯様な良い月の夜を室内に明かす事は、少し計り勿体ないぢや有りませぬか。何うでせう、一つ月明かりに散歩でもして御寝みになりましたら、妾もこの月を見ては室内計りに蟄居する気になりませぬわ』 ブラバーサ『成る程良い月です。高砂島で見た月も今この聖地で見る月も、余り変りはありませぬが、何だか月が懐かしくなつて参りました。無為に一夜を明かすのも神界へ対して済まない様な心地がします。何うか案内を願ひませうかなア』 マリヤ『ハイ宜しう御座います』 と早くもマリヤは二階の階段を下りかけた。ブラバーサもマリヤの後からホテルを忍ぶ様にして門外に出た。両人は市街の外側を西の城壁に添ふてダマスカスの門を目当に歩を運ぶ。上部が凹凸になつた厳めしいこの城壁や門は、皆中世に造られたものだが、何となく古い市街には応はしい感覚を与へる。この門からダマスカスへの道路が通じて居る。両人は月光を浴びながら、門を潜つて市街の北部を横断し、聖ステフアンの門へと出た。荒い敷石の道路は、所々に低いトンネル様のアルカードで覆はれて居て、月光の輝く下では内部の深い深い暗黒面が殊更寂しく物すごく感じられた。道路の両側の所々に、赤いトルコ帽を被つたアラブが小さい茶碗で濃いコーヒーを呑んだり、フラスコ様の大仕掛な装置で水を通過させて長いゴム管で吸入する強い煙草をのん気さうに呑み乍ら、両人の方へ迂散な奴が来よつたなアと云つた様な顔付きで睨んで居た。 ブラバーサ『彼の男は吾々の姿を見て、異様の眼を光らして居ましたが、何かの信仰を以て来て居るのですか』 マリヤ『彼の人等は極端なアセイズムを主唱する人々で、妾が聖地を巡拝するのを見て、ボリセイズムだと云つて嘲つて居るのですよ。物質文明にかぶれてアセイズム者と成つて居るのですから、容易に信仰に導くことは出来難い人達ですわ』 ブラバーサ『斯る聖地にも依然アセイズム者が入込んで居るのですか』 マリヤ『アセイズム者は愚か、ソシアリストもコンミユニストもアナーキストもニヒリストも沢山に入込んで来て居ります。そして此聖地に詣で来る信徒に対して種々の嘲罵を浴びせます。妾も何とかして神様の尊き御道に救ひたいと思つて、毎日毎夜エルサレムの市街に立つて、声をからして演説をいたしましたが、彼等は神の力の声を聞いても立腹いたします。そして大変な強迫的態度に出で、遂には鉄拳の雨を降らすのです。印度の釈尊も縁なき衆生は度し難しと仰有つた相ですが、現界から既に已に身魂の籍を地獄に置いて居る人達には、如何なる神の福音も到底耳には入りませぬ。夫れ故妾の団体アメリカンコロニーの人々は、迷信者扱ひを受け、人間らしく附合つて呉れないのです。モウ此上は聖メシヤの再臨を待つより仕方がありませぬわ』 ブラバーサ『高砂島でも、依然今の貴女の御話と同様に、吾々の信奉するルートバハーの教やその信者を迷信者扱ひをなし、あらゆる圧迫と妨害を加へ、大聖主までも邪神扱ひに致して、上下の民衆が挙つて反抗的態度に出ると云ふ有様です。然し是も時節の力で解決が付くものと私は堅く信じて居ります。メシヤが聖地へ雲に乗つて御降りになる暁は、如何なる智者学者も悪人も太陽の前の星の如く影を隠し、屹度メシヤの膝下に跪付くやうになるでせう。今暫らくの辛抱ですよ』 マリヤ『一時も早くメシヤの降臨を仰ぎ度きもので御座います。真正のメシヤは何時の頃になつたら出現されるでせうか』 ブラバーサ『既に已にメシヤは、或る聖地に降誕されて諸種の準備を整へて居られますから余り長い間でもありますまい。併しメシヤは只今の処では十字架の責苦に逢つて、万民の為めに苦しみて居られますが、軈て電の東天より西天に閃く如く現はれたまふでせう。私はメシヤ再臨の先駆として参つたものです』 マリヤ『それは何より耳寄りの御話し緩りと橄欖山上に於て承り度いものですなア』 ブラバーサ『是非聞いて戴かねばなりませぬ』 マリヤ『聖師様、是が有名な聖ステフアンの門で御座いますよ』 ブラバーサ『聖者が曳き出され石で打ち殺されたといふ、伝説のある聖ステフアンの門ですか。ヘエー』 と首を傾けて少時憂愁に沈む。 マリヤ『妾は此門を通過する毎に、聖者の熱烈なる信仰力を追想して、益々信仰の熱度を加へたので御座います』 と稍傾首て涙ぐむ。 ブラバーサ『アヽ惟神霊幸倍坐世。信仰力弱きこのブラバーサをして、無限の力を御与へ下さいませ。一イ二ウ三イ四、五ツ六ユ七八九十百千万』 と天の数歌を奏上し、暫し感歎止まなかつた。 ○ 聖ステフアンの門を潜ると、少しく下り坂になつて居る。マリヤの後に従いてゲツセマネの有名な園に近づいた。橄欖山は呼べば答ふる様に近くなつて来た。分の厚い丈けの高い、石造の垣で厳重に囲まれて居るのがゲツセマネの園である。処々にサイブレスの木が頭を出して居るのが見えるばかりで、一見して外側からは墓地のやうな感じを与へる。夜の事とて門扉が固く鎖され、内部は見ることが出来ない。そこから団子石のゴロ付いて居る峻しい坂路を攀て、目的の橄欖山へ登るのである。反対側の山の頂に王座して居る月光に由つて装れたエルサレムの市街、美しい気高いシオンの娘の姿は眼前に横たはつて居る。その美しさは現実に存在して居るのか、夫れともキリストに伴ふ聯想が幻影を造り出したのかと、ブラバーサの想像は瞬間に世界歴史の全体を通つて走る。丁度、高砂島の聖地桶伏山の蓮華台上の廃墟の前に立つた時と同様に、然しその二つの感想は、ブラバーサに取つては名状しがたきコントラストであつた。キリスト教とヘレニズムの葛藤、夫れは過去二千年間の人類の歴史を解くための悲哀なる鍵となるのであつた。 そして此マリア婦人を始め、コロニーの人達や、純真なる数多の奉道者が今に至るまで神を求め、真善を極め美に焦がるる純な心を痛めて来た事を思ひ浮かべては、そぞろに涙の溢るるのも覚えなくなつて了つた。アヽこの悲哀なる不調和は一時も早く取り除きたいものだ。キリスト教は何処までも現世界を灰色に染なければ止まないであらうか。アクロポリスに踵を向ける事なしにエルサレムに巡礼する事には成らぬのであらうか。何故神様は、此の世をモウ少し調和的に造り玉はなかつたのであらうかと、今更の如く愚痴と歎息を漏らさざるを得なかつた。 ブラバーサは黙然として追懐久うして居る。 マリヤ『聖師様、何か頻りに考へ込んで居らつしやる様ですが、妾の行動に就いて御気に召さない事が御座いますか。遠慮なく仰有つて下さいませ。如何様にも悪き点は改めますから』 ブラバーサ『イエイエ、決して決して貴女に対して気に合はない道理が御座いませうか。只々私はこの聖地の状況を見るに付け、古の歴史が胸に浮かびて参りまして、感慨無量の涙に暮れて居たのです』 マリヤは軽く、 マリヤ『そりやさうでせう共、妾だつて幾度聖地に来てから、古の歴史を追懐して泣いたか分りませぬわ。然し今晩は夜も更けましたから、ホテルへ一先づ引返し、又明日はゆるゆる案内さして頂きませう』 と先に立つていそいそと歩み出した。爰にブラバーサ、マリヤの二人は月光の下をキドロンの谷をエルサレムの側へ渡り、市街の東南隅の城壁に添ふて、ダング・ゲート(汚物の門)へ進んで来た。 ダング・ゲートは昔此門から汚物を運び去つた所と伝へられて居る。シロアムの村が眼下に展開して居る。その門を這入つてユダヤ人街とマホメツト教徒街との間を通過し、ジヤツフアの門へと出た。 現今のエルサレムの市街はアラブ、ユダヤ人、アルメニヤ人の住みて居る三ツの区域によつて仕切られて居る。 神殿の跡に近い暗いアルカードの傍に、二三人のアラブが立つて居て、手真似で訳の分らない言葉で両人を呼び止めた。両人は気味悪る相に聞かぬ風を装ひスタスタと足を早めた。 ダマスカス、聖ステフアン、ゲツセマネと斯う云ふ名は熱烈な信仰者の胸に深刻な感動を与へるものである。ブラバーサは傾首きながら一足一足指の尖に力を入れ、ウンウンと独り心に囁きながら、マリヤの後について行く。 然し現代の多数の基督教徒、それ等に対して宗教は無意味な形式、死し去つた伝統に過ぎない。呑気な基督教徒中に真にダマスカスの道にある使徒パウロの心を自身に体験し、キリストのゲツセマネの園における救世主の御悩みの一端だに汲み得る信徒が幾人あるであらうか、と慨歎の涙に暮れて知らず識らずにマリヤに半町ばかりも遅れてしまつた。 (大正一二・七・一〇旧五・二七北村隆光録)
273

(2881)
霊界物語 64_上_卯エルサレム物語1 05 至聖団 第五章至聖団〔一六三四〕 ブラバーサはスバツフオードに伴はれて、アメリカンコロニーへと歩を運んだ。百人ばかりの信者が、祭壇の前で一生懸命になつて祈願を凝らす最中であつたので、老紳士と共に末席の方から礼拝をなし、天下万民の為に一日も早く聖主の降臨されて神業を開きたまふ日の来れかしと祈りつつありけり。 一同礼拝を終つて、珍らしき客のスバツフオードの傍に端座せるを見て不思議の眉を潜めて眺めて居る。スバツフオードは一同に向ひ、言葉静に、 スバッフォード『皆さま、此御方は高砂島から神命を奉じて遥々お越しになつたブラバーサと云ふ聖師ですよ。僧院ホテルに御宿泊の方だが、メシヤ再臨の先駆として御出張になつたのですから、お互に親しく交際をさして戴かうぢやありませぬか』 一同はこの言葉に生き復つた様な面色を浮べて、異口同音に『サンキウサンキウ』と連呼するのであつた。 ブラバーサは一同に向かひ厚く礼を復し、且つ一場の挨拶的演説を始めかけた。 ブラバーサ『御一同様、私は最前聖師の御紹介下さつた如く、高砂島から神命を帯びてメシヤ再臨の先駆として派遣されましたルート・バハー団の宣伝使ブラバーサと申す者で御座います。八千哩の海洋を渡り漸く昨日の夕方、尊きエルサレムの停車場へと安着いたしました処が、初めての当地の到着にて土地の勝手も分らず、如何にして橄欖山へ行かうかと心配しながら、夕暮れの大道を歩んで居りますと、貴団の信者マリヤ様に図らずも途中に御目に掛り、カトリックの僧院ホテルへ案内して頂きました上、夜分にも拘はらず市中の案内までして頂き、慕はしき橄欖山まで参拝さして貰ひましたのは、全く貴団の公平無私にして克く神様の大御心を体得し遊ばしたその賜と、深く深く感謝いたした次第で御座います。加ふるに御親切なるスバツフオード聖師までが、態々ホテルまで御訪問下さいまして、種々と結構な御教訓を承はり、貴団の純なる信仰の模様と愛の結晶とも云ふべき美はしき生活の有様を拝聴しまして、感涙に咽びました。悪魔横行の暗黒なる世界にも、貴団の如き真善美愛の聖なる団体が造られてあるかと思へば、神様の仁慈の大御心と周到なる御経綸とには感謝せざるを得なく成つて参りました。私も今日は神様の仁愛の光に照らされまして、大神の愛の深く尊き事を悟りましたが、世界の人類はイザ知らず、私の出生した高砂島などは今より五十年前までは、御話するさへも恥かしい様な状態で御座いました。基督の愛、孔子の仁、仏陀の慈悲なぞ申す事は、私共に取つては非常に神秘的な了解し難い、到底凡人の手の届かぬ高遠なものの様に教へられて来たもので御座います。各宗各教の宣教者が余りに神仏の教に勿体を付け過ぎて、仁だの愛だの慈悲なぞの神理を此世の外のものの様に仕て了つたのです。然るに天運循環の神律に由つて、神の御国と称へられた極東の高砂島に厳瑞二柱の救世主あらはれ玉ひて、高大博遠なる愛は私共に極めて手近いもの親しきものにして、日々の生活から放さうとしても放され得ないものと成つたのです。何と有難い尊いことで御座いませう。御一同様も、又愛の真諦を能く体得遊ばされ、キリストの再臨を誠心誠意待望されつつ国籍と宗教の障壁を脱却して聖団を創立されました事は、天下万民のために実に洪大無限の大神業だと考へまして、貴団の御精神のある事に感謝措かない次第で御座います。自国の恥を申し上げるではありませぬが、今日は国籍や宗教の如何に関係なく、世界人類愛の上より御参考の為一言申上げ度いと思ひます。貴団の方々や現今の若い人達には、殆ど想像も出来ない程に我生国高砂島は、三百諸侯の小さい敵国に分割されて居りましたのが、今より僅かに五十年以前の状態でありました。甲州と乙州とはおろか、同じ乙州でもアールとセンダーに於ても、シエルとアンターとの間に於ても、全く敵国の状態で、所謂郷関を一歩出づるが最後、生命の保証が出来ないやうな実状で御座いました。そればかりか、各自腰に秋水を帯び家を出づれば男子は七人の敵ありと覚悟して居るのが武士道の尊い所と謂はれ、神国魂の精華としられて居りました。又武士は切捨御免と言つて、平民を切り殺す位なことは武士の普通の特権とさへ見られて居つたのです。現に今より三十年前に有つても、甲州人とか乙州人とか言ふ言語には、如何にもヨソヨソしい意味を以て居つたのです。又今日と雖も官吏とか、平民とか云ふ言葉には、一種の強固な障壁が築かれてある様な感じを与へて居ります。私共の父即ち維新の戦ひに参加した人達は、常に私共の子供の時代を見て、今日の青年や子供は大変に柔順になつたと言つて驚いた位です。私共の子供の時分はそれでも他の町村内の子供に対しては一種の敵意を持つて町村と町村との子供の喧嘩は余り珍らしいものではありませぬでした。他町村の子供を見て石瓦を投げ付け、怪我をさせて快哉を叫ぶ事なぞは普通の事としられて居りました。それ位だから、維新前即ち三百諸侯の各地に割拠して絶えず争つて居た時代は、中々殺伐なもので有つた事は、古老の談話を聞いて見れば驚かされる位であります。それが今日では子供の喧嘩でさへ頗る珍らしくなつて来ました。町村の子供と町村の子供とが互に敵視する様なことは、今日の子供には想像が付かない様になりました。是は何の為かと考へて見れば、高砂島の三百諸侯の我利我利連が一天万乗の大君の思召によつて何れも前非を悔い、帰順の誠を輸して大君の下に畏服し、一切を投げ出して了つたからでありませう。それが為に人心大に和らぎ、四方平等的の精神が国民の間に貫流する様になつたので御座います。何が野蛮だと言つても、互に敵意を持つて争ふ程野蛮なことは有りますまい。故に野蛮人とは其親愛の範囲の極めて狭小なるものを意味し、文明人とは親愛の範囲の極めて広大なるを意味するものとすれば、貴団の如きは実に世界に先んじて文明の中の大文明の花を開かせ玉ふたものと、衷心より感謝に堪へない次第で御座います。大慈大悲の大神様は全地上の世界をして、天国浄土と為し、万民に安息と栄光を与へむが為に三千年の御経綸を遊ばして、今や高砂島に聖跡を垂れ玉ひました。そして大神の元の御屋敷たる此エルサレムに御降臨遊ばす、その準備として瑞の御魂の聖主を下し、万民の罪を贖ひたまふこととなつたので御座います。又神の選民たるイスラエル民族の方々が主唱者となつて各国の人々をこの聖地に集め、メシヤの再臨を信じてアメリカンコロニーの如き立派な殿堂を作られて居られる事は、私に採りまして実に何とも言へぬ有難い嬉しい頼もしい事だか判りませぬ。願はくは私もこの聖団員の一人に加へて頂きますれば、身の光栄是に過ぎませぬ。アヽ惟神霊幸倍坐世』 と拍手の内に勇まし気に降壇した。老紳士は直に登壇して、 スバッフォード『只今聖師のお話によつて、今回の聖地御出向も了解いたしました。この団員も定めて私と同じ御意見だと思ひます。個々分立して日に夜に争闘の絶間が無かつたと云ふ高砂島が、今より五十年以前に於て統一せられ、又厳瑞二柱の救世主が現はれたまふたのも、メシヤ再臨世界一体の大神様の深遠なる御経綸で御座いませう。国内の凡ての障壁が取り除かるる事によつて、今日の向上と繁栄を来たす事になつた以上は、猶も進んで世界中が争闘を止めて相親愛し、各国各人種などと云ふ根本的敵愾心を取り去る事によつて、人類の文化は神聖なものとなり之と同時にその福利の程度も大変に高めらるること疑なき真理であります。要するに吾々お互の親愛の範囲の大小によつて、野蛮ともなり文明ともなるのです。世界の平和を来さむがため、即ち五六七の神政出現のためには、各国国民間の有形と無形の大障壁を第一着に取り除かねば駄目です。この挙に出ずして世界の平和、五六七神政の成就を夢みるは恰も器具を別々にして、水の融合を来さうとするものと同様の愚挙では有りますまいか。それ故、吾々団体員は世界に率先して平和の真諦を示し、メシヤ再臨の準備に従事して居るもので御座います。今日は高砂島の聖師の御来着によつて、私は神界の御経綸の洪大無辺なるに感喜の余り、茲に一言蕪辞を述べ御挨拶に代へました。何うか団員諸氏もこの聖師と共に空前絶後の大神業の完成に尽されむ事を希望いたします』 と悠然として演壇を下つた。団員一同は拍手してスバツフオード聖師の説に賛同し和気藹々として堂に溢るるばかりであつた。今迄うつむき勝で感涙に咽んで居たマグダラのマリヤは、やをら身を起してツカツカと演壇の上に立ち上り、謹厳な態度を以て一場の演説を始めかけた。一同は拍手してマリヤの講演を迎へた。 マリヤ『妾は只今両聖師の御演説を承はりまして、大に心強く感じました。海洋万里の遠方から遥々御越しになり、エルサレムの停車場前の街路に於て妾と会合されました事は実に奇蹟中の奇蹟だと考へます。ブラバーサ様は全く神様の御使命を帯び、メシヤ再臨の先駆として御光来になつた事は寸毫も疑ふ余地は御座いませぬ。妾は皆さまと共に世界万民の為に、聖師の光臨を祝し且つ満腔の喜悦に堪へないので御座います。メシヤの降臨キリストの再臨、五六七神政成就とは名称こそ変つて居りますが、要するに同じ意味だと考へます。斯る目出度き世界になるのも全く神様の御経綸で御座いますが、その神業に奉仕する生宮が現はれなくては成りませぬ。先づ第一に神の子神の生宮たる吾々は、世界にあらゆる有形無形この二つの大なる障壁を取り除かねばなりませぬ。有形的障害の最大なるものは対外的戦備≪警察的武備は別≫と国家的領土の閉鎖とであります。又無形の障壁の最大なるものとは、即ち国民及び人種間の敵愾心だと思ひます。又宗教団と宗教団との間の敵愾心だと思ひます。此世界的の有形の大障壁を除く為には先づ無形の障壁から取り除いて掛らねば成らないと思ひます。聖キリストは天国は爾曹の内に在りと言はれて居ます。聖アブデユル・バハーは世界の平和の人々の心の内に建てられねば成らぬと教へられて居ます。仏陀は慈悲の心を十方世界に拡めて限界を設けるなと教へられて居ます。ツルク聖主の御示教も先づ第一に世界人類の和合を以て五六七神政成就の絶対条件として居られます。神聖とか精神とか霊的とか申すことは、別に不可思議な神秘なものでは無く、人類愛の心即ち他の国民や人種に対して少しの障壁も築かず、胸襟を披いて自分の友人に対すると同様に友愛の心を持つ事で御座います。この障壁をなす唯一の根元は自己心と自我心です。幸に我聖団は自己自愛の心を脱却し、唯何事も大神様の御心に任す人々の集まりで御座いますから、大神様も御嘉賞遊ばして遥々と高砂島から聖師を招き、我々の聖団に与へて下さつたものと厚く深く感謝する次第であります。アーメン』 マリヤは茲まで演じ了り、一同に向つて軽く一礼しながら壇を降る。拍手の声は急霰の如く場の外まで響き渡つて居る。 アヽ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・七・一〇旧五・二七北村隆光録)
274

(2882)
霊界物語 64_上_卯エルサレム物語1 06 偶像都 第六章偶像都〔一六三五〕 ブラバーサ、マリヤの二人は又もやエルサレムの市街を巡覧し始め、市内で一番重要なモニユーメントになつて居る聖セバルクル寺院を見るべく寺門を潜りぬ。 マリヤ『聖師様、此お寺は聖キリスト様を磔刑に処した場所で、ゴルゴタの地の上に建てられてあるのだと伝へられて居りますが、併し聖書に由つて考へてみると、ゴルゴタは市の外部に存在して居なければ成らぬ筈です。若しも現在の城壁が当時のものよりも拡張して居るものとすれば、問題にも成り得るでせうが、同一の場所にありとすれば、ダマスカスの門の外にある一見頭骸骨状の目下墓地になつて居る岩丘を以て、ゴルゴタの地と認めなければ成らないと思ひますわ』 ブラバーサ『吾々人間としては到底真偽は判りませぬ。大聖主が御降臨の上御定めなさることでせう。時に、この寺院の由来を聞かして頂き度いものですな』 マリヤ『このお寺の由来を申せば、コンスタンチン帝の命令に由つて発掘された結果、キリスト様の埋葬され遊ばした洞窟が発見せられましたので、帝の母上なる聖ヘレナ様がエルサレムに巡礼して来られ、爰でキリストの十字架を発見しられたので、弥この地をゴルゴタの聖蹟と認めて、紀元三百三十六年初めてここに寺院を建立されたと云ふことですが、それを又六百十四年に波斯人のために焼亡ぼされた為、直に改築をされましたと云ふことです。その後に於ても幾度となく破壊改築修繕等相次ぎ今日に至つたのだと聞いて居ります。一度お寺の内部を拝観なさいませぬか。妾が御案内いたしますから』 ブラバーサ『ハイ有難う』 とマリヤの後より寺内へ深く進み入る。 寺院内へ這入つて見ると、迷宮の様な構造で随分複雑して居て、加ふるに太陽の光線が十分徹らない薄暗闇で、何んとなく寂しい感じがする。それぞれ手に蝋燭を携帯せなければ成らなくなつて居る。寺内の空気は重くしめり勝で余り気分の良い所ではない。敷石は全部湿気で濡れて居るため、ウカウカして居ると脚下が辷つて転倒せむとすること屡である。平和にして清潔なるものは寺院だと思つて居た高砂島の明るい生活に馴れたブラバーサの心に取つては意外の感じに襲はれ、危険がチクチクと身に迫る様に何となく不安の雲に包まれにける。 外のユダヤ人街から来るのか、内部から発したのか知らぬが、一種異様の厭な臭気が襲つて来る。そして内部は凡てキリストの磔刑に関するあらゆる由緒ある場所に由つて充されて居て、何となく物悲しい寂しい感じを与へる。精霊が八衢を越えて地獄の入口に達した時の様な気分になつて来る。 マリヤはブラバーサを顧みながら初めて口を開き、さも愁た気に、 マリヤ『聖師様、この長方形の石はニコデモがキリスト様の体に油の布を以て捲くために御身体をのせたと伝へられるもので御座います。これがヨセフの墓で此方がアリマヂエの墓で、その少し向ふにあるのはニコデモの墓で御座いますよ。そして彼所がキリストの復活された後母の眼に現はれたまふたといふ聖所ですよ』 キリストを刺した鎗、キリストを投入した牢獄、兵卒がキリストの衣をわかつた場所なぞ一々叮嚀に指し示すのであつた。 ブラバーサ『天下万民のために犠牲とお成り下さつた救世主の御遺跡を拝観いたしまして、何とも言ひ得ない程私は御神徳を頂きました。何時の世にも善人は俗悪世界の人間から迫害されると云ふ事は古今一徹ですな。ルート・バハーの大聖主も肉体こそ保存されて在りますが、精神的に牢獄に投げ込まれ銃剣にて突き刺され、あらゆる社会の侮辱と嘲罵とを浴びせられ、且つ大悪人の如く扱はれて居られますが、何うか一日も早く天晴れ世界の人類が真の救世主を認める様になつて欲しいもので御座いますよ。ツルク大聖主の墓は官憲の手に暴破れ聖壇は破壊され数多の聖教徒は圧迫に堪へ兼ねて四方に離散し、今は純信な神に生命を捧げたものばかりが殉教的精神を以てウヅンバラ・チヤンダー聖主夫妻を唯一の力と頼んで、天下万民のために熱烈なる信仰を続けて居るのです。アヽ惟神霊幸倍坐世』 マリヤは涙に暮れながら、聖師の先に立つてキリストの十字架を建てた正確な地点や、聖母のマリヤが十字架から降ろされたキリストの亡骸を受取つた場所を案内するのであつた。是等の地点には、それぞれそれに因んだ名を附したチヤペル(礼拝堂)が設けられありぬ。 マリヤ『是がアダムの墓で御座いますが、一番に聖地でも不思議と呼ばれて居ります。そしてキリストの聖き御血が岩の裂れ目からその頭に浸み込むや否や、この原人アダムは忽ち蘇生したと言ひ伝へられて居るのですよ』 と少しく怪し気に笑つて居る。 ブラバーサは感慨無量の思ひに充ちて一言も発せず、マリヤの後から心臓の動悸を高め乍ら従いて行く。寺院の東の端の方には聖ヘレナの礼拝堂が建つて居る。北の神壇はキリストと共に十字架に釘付けられた一人の悔改めたる盗人のために捧げられたものだと伝へて居る。主なる神壇は皇后聖ヘレナのために捧げられたものと伝へられて居る。その側面を地下へ十三段下つた処に、又十字架発見のチヤペルが建てられて居る。茲に聖ヘレナが夢の啓示に由つて三つの十字架を発見したと云ふ。 ブラバーサ『聖ヘレナ様が夢の啓示に由つて三つの十字架を発見されまして、爰にチヤペルをお建てになつたのですが、その発見された三つの内でも何れがキリストの架けられた十字架だか分らなかつたので、そこで一つ一つ大病人に触れさせて試みた所、その中の一つが病人を癒したのでそれをキリストのものとして保存されてあると云ふ事で御座います。そしてキリストの縛り付けられなさつた円柱が在るのですが、併しそれは神壇の壁の奥に深く隠れて居るので容易に拝することは出来ないのです。所がその壁には丸い穴があいて居て、信心の深い礼拝者はそこにおいてある摺子木様の棒をその穴に差し込み、その円柱にふれて棒に接吻するのです。サア是からキリスト様の御墓を御案内申し上げませう』 とマリアは前導に立ちて奥へ奥へと進み入る。 寺の中央に独立した長方形の大理石で造られたキリストの墓の前についた。両人は恭敬礼拝稍久しふして救世主を追慕する念に打たれ、思はず知らず落涙して居る。沢山な古風を帯た燭灯に由つて照され、十八本の柱から成つた円形の建築の中に置かれてある。そこに一人の番僧が居て、 マリヤ『良くこそ御参拝に成りました。どうかキリスト様の御墓へ御賽銭をお上げ成さいませ。後生のため現世の幸福のためで御座います』 と抜目なき言葉でお賽銭を強要して居る。 ブラバーサは心の内にて、 ブラバーサ『アヽ聖キリスト様もお気の毒だ。賤しき番僧等の糊口の種に使はれたまふか。世は実に澆季末法だなア』 と歎息しながら懐中を探つて少しばかりの賽銭を墓の前に捧げた。番僧は餓虎の如く其場で賽銭を拾ひ上げ、懐中へ隠して了つた。 マリヤ『この寺院内の各種のチヤペルや墓や、神壇や其他寺内の各部分、又は聖き墓を照して居るランプに至るまで、ギリシヤ・オルソドツクス及びローマ・カトリックや其他アルメニヤ派の間にそれぞれ所有がきまつて居るのです。それは此お寺ばかりでは無く、エルサレムの内外に散在して居る宗教上の由緒ある場所に付いても同様です。実に皮肉なアイロニーぢやありませぬか。そしてこのお寺が彼の有名な十字軍の戦争の目的物であつたのです。「聖墓を記憶せよ」との声は、第二回十字軍の出征に際して欧羅巴諸国の町々や村落を通じての叫びだつたので御座います』 ブラバーサ『欧州の国々が聖墓を慕つて十字軍まで起した時代は、その信仰も至つて熱烈なものだつた様ですが、今日では最早信仰も堕落して了つて物質的観念のみ盛んになつて来ました為に、斯る聖地の聖蹟も余り世人に顧みられない様ですなア。時節には神も叶はぬとルート・バハーの教にも示されて在りますが、一時も早く聖キリストの再臨されて聖地をして太古の隆盛に復活させ、世界万民を安養浄土の悦落に浴せしめ、キリストの恩恵を悟らせ度きものですなア』 マリヤ『左様で御座います。妾の加入して居ます聖団は只々キリスト・メシヤの再臨のみを待つて居るのです。一時も早く高砂島とやらに再誕されたメシヤの此地に再臨して下さる事が待ち遠しく成つて参りましたわ』 是より両人は寺門を出て市街を歩行し初めた。肉屋や野菜物店や、其他土地にふさはしい物を売つて居る雑貨店等が、みつしりと軒を並べて居る狭いオリエルタルな通りを過ぎて所謂「苦痛の路」へ出た。 マリヤ『聖師様、ここは苦痛の路と謂つてキリスト様がピラトの宮殿からゴルゴタの地即ち今の聖セバルクル迄歩ませられたと伝ふる旧蹟で御座います。そして此路の上には十四の地点が指定されてあります。サア是から一々御案内申しませう』 と前に立ちて進む。 ブラバーサは「成る程成る程」とうなづき、趣味深く味はひながらついて行く。 マリヤ『爰がキリスト様が磔刑の宣告を受けたまふた悲しい場所で御座います。その次が十字架を負はせ奉つた場所です。この東側のチヤペルを拝して御覧なさいませ。其時の光景がチヤンと浮彫で以て現はしてあります』 と話しながらズンズンと歩みを進め、 マリヤ『爰がキリスト様が母上様に会見遊ばした所で、熱烈な信徒の立止まつて動かない地点で御座います。彼所に「此人を見よ」のアーチが御座いませう。あれはピラトの訊問を受けた後にキリスト様がユダヤ人の群集の前に引出され種々の迫害と嘲罵とを受けたまふた所です』 と涙ぐまし気にそろそろと歩みながら、後ふり返つてはブラバーサの顔を見詰めて、 マリヤ『イエス荊の冕を被ぶり紫の袍を着て外に出づ。ピラト彼等に曰ひけるは「見よ是人の子也」と馬太伝に誌されてある事実で、キリスト様が二度目に倒れたまふた地点は爰だと云ふ事です。そしてキリスト様に従つて来たと話された地点は爰ですわ。このチヤペルにチヤンと彫込んであります』 と叮嚀親切に案内したりける。 ○ キリスト教の偶像を以て飾られたる聖地エルサレムは、異教徒の場合よりも勝つてブラバーサの心を痛めしめたのは、後世の僧侶輩が聖書に録されたる一々の場所や由緒なぞを捏造して、巡礼者の財布をねらつて居ることである。一寸見ると単純なる信仰の発露だらうと、神直日大直日に見直し聞直し宣り直すことも吾々に採つては出来得ない事も無いが、一般の信仰なき民衆やデモ基督教徒の眼には却つて不快に感ずるものたる事を恐れたのである。又後世の僧侶や信者がその内部的知識に空なるがため、外部に徴を求めむとして居る事の嘆ずべき一つの証拠では有るまいか。アヽ後世まで唯一の遺宝たる福音書の中に彼れ自身の姿を認め、それから霊泉を汲み得ることの出来ない信徒等の心の淋しさより、斯様な偶像を作り出してせめてもの慰安の料にして居るのでは有るまいか、なぞと又もや心の内にて長大嘆息をして居る。 マリヤ『聖師様、沢山の偶像的事物を御覧になつて非常に嘆息されて居る様で御座いますが、何時の世にも聖キリスト様は正しくは信仰され、又理解されなかつた様で御座います。キリスト様が迫害されなさつた当時と、今日とを問はず、世間から誤解されて居られます。そして普く世界から崇敬され玉ふ様になつた後の世は真のキリスト様では無くて人間が勝手にキリスト様に似せて作つた偶像を崇め、キリスト教そのものを信ずる代りに、それから流れ出づる美しい果実のみを夫と誤認して了ひ、終にキリスト教は肝心の精神を失ひ神の国の教である代りにそれは良き意味に於てではありますが、地上の幸福をもたらす手段と堕落して了つたので御座います。夫れゆゑ妾も此の聖地が偶像のみにて充たされ飾られ、真のキリスト様を認識し得ない事の矛盾を悲しむので御座います』 と悔やみながらマリヤは猶も市中を歩み続ける。 (大正一二・七・一一旧五・二八加藤明子録)
275

(2888)
霊界物語 64_上_卯エルサレム物語1 12 誘惑 第一二章誘惑〔一六四一〕 ブラバーサは蒼空の月を眺め乍ら只一人シヨンボリと立つてゐる。そこへスタスタやつて来た女は、一ケ月以前から真心をこめて聖地の案内をしてくれたマリヤであつた。 マリヤ『聖師様、あなたお一人で御座りますか。妾は又サロメ様と御一緒かと思つてゐました』 ブラバーサ『あゝ貴女はマリヤ様で御座りましたか。貴女もお一人で夜分によくお出になりましたな』 マリヤ『ハイ、あなたのお後を慕つて御迷惑とは存じ乍らコロニーをソツと脱け出して参りましたのですよ。折角サロメ様とシツポリ話さうと思つて御座る所へ、エライ邪魔者が参りまして、お気を揉ませます。月に村雲、花に嵐とやら、世の中は思ふ様に行かないもので御座いますよ。ホヽヽヽヽ』 ブラバーサ『これは又、妙なお言葉を承はります。サロメ様も時々当山へお参りになり、私も二三回此山上で偶然お目にかかりましたが、別にサロメ様と内密で話さねばならぬやうな訳もありませぬから、何卒気をもみて下さいますな。私は貴女の御親切な態度に満心の感謝を捧げて居ります』 マリヤ『聖師は嘘を仰有らぬもの、其お言葉に間違なくば妾も安心致しました。時に一つお願ひし度い事が御座いますが、聞いて貰ふ訳には行きませぬか。此間差上げました手紙はお読下さつたでせうな』 ブラバーサ『成る程二三日以前にアラブが貴女からの手紙だと云つてカトリックの僧院迄届けて呉れましたが、その儘、まだ開封もせずに懐に持つて居ります』 マリヤ『貴方は私の真心がお分りにならぬのでせう。いやお嫌ひ遊ばすのでせう。海洋万里を越えて遥々聖地にお越し遊ばし、清きお身体に黴菌が附着した様に思召して、穢い女の手紙なんか、読まないと云ふ御精神でせう。それならそれで宜しい、妾は一つ考へねばなりませぬから、読んで貰はない手紙なら、貴方に差上げても無駄ですから返して下さい』 ブラバーサ『マリヤさまさう立腹して貰つちや困りますよ。別にそんな考へがあつたのぢやありませぬ。あまり聖地の研究に没頭してゐましたので遂失念して居つたのです』 マリヤ『妾の手紙を忘れられる位なら妾等は念頭に無いのでせうな、アヽ悔しい!』 ブラバーサ『マリヤさま、どうして貴女を忘れませう。エルサレムの停車場へ着くと匆々、あの街道で貴女にお目にかかり、見知らぬ異郷の空で思はぬ貴女とお会ひした、あの時の印象は一生私は忘れませぬ。どうぞ悪くは思つて下さいますな』 マリヤ『貴方は聖地巡覧の折、どこ迄も妾を愛すると仰有つたぢやありませぬか。妾はその温かいお言葉が骨身に浸み渡り、もはや今日となつては恋の曲物に捕はれ、どうする事も出来ませぬ。妾の命は貴方の掌中に握られたも同様で御座ります。何卒その手紙を月影に照らし一度読んで下さいませ。そしてキツパリと御返事を承はり度いもので御座ります』 ブラバーサ『左様ならば折角の御思召、お言葉に従ふか、従はぬかは後の問題として、兎も角もここで拝見しませう』 と懐より信書を取り出し、封押し切つて、胸轟かせ乍ら読み初めた……………… 一、吾最も敬愛するルートバハーの聖師ブラバーサ様に一書を差上げ、切なる妾が心の丈を告白致します。聖師様、あなたは全世界の人類や凡てのものの為に朝な夕なにお苦しみ遊ばすのは実に尊く感謝に堪へませぬ。そこへ又妾のやうな大罪人がお近づきになりまして益々お苦しみを増なさる事を深く謝罪致します。妾は初めてお目にかかつてより云ふに云はれぬ愛の情動にからまれ、日夜苦悶を続けて居ります。此苦しみを免れむと朝夕神様に祈り、大勇猛心を発揮し自ら心を警め、幾度か鞭をうつてもうつても粉にして砕いても、此猛烈な情熱の煩悩火は弱い女の意志では消す事が出来ませぬ。妾は煩悶苦悩の淵に沈み、心の鬼に責られて居ります。あゝ此妾の霊肉共に救うて下さるものは誰人で御座りませうか。聖師様の尊い温かい愛より外には何物もありませぬ。妾はどこ迄も聖師様の愛情の籠もつた、寛かな御懐に抱かれ度いので御座ります。身も魂も全部を捧げ奉つて、さうして暫く無意識状態になつて眠つて見たう御座ります。聖師様は、はしたない賤しき女と思召さるるでせうが、貴方に抱かるるのは妾の生命を生かし、妾をして間もなく、美しい芽を吹き大活動をさして下さる準備となるのではありますまいか。妾の霊も体も恋の焔の為に疲れきつて居ります。もはや玉の緒の火の消えむばかりになりました。大慈大悲の神の教を伝ふる聖師様、妾と云ふものを、どうか、も一度甦らせて下さいませ。あまり人の来ない閑寂な処で、シンミリと聖師様の温かい愛の御手に抱きしめて復活せしめて下さいませ。万一それがために仮令幾万の敵を受けるとも、幾万人の罵詈嘲笑を受くるとも決して恐るるものではありませぬ。之も神様の何か一つの御旨だと信じます。そして妾を生かして働かしめて下さる事は聖師様が天下に活躍して下さる事になるのではありますまいか。聖師様の苦みは妾の苦みであると共に妾の苦みは聖師様の苦みであるに相違ありませぬ。可憐なる女の一人を生かさうと殺さうと、お心一つにあるので御座りますから。又妾の死は師の君の死でなくてはなりませぬ。エルサレムの停車場で海洋万里を隔てた男女がお目にかかつたのは実に不可思議な何者かが両人の間に結びついて、どうしても一体とならねばならぬやうな、前世からの約束だと信じます。妾は貴方と妾と息を合せて神業に奉仕する事を以て、全く神様の御経綸だと固く信じて居ります。弥勒の神政建設の為ならば神様の御旨とある以上、如何なる事にても従ひまつらねばなりますまい。妾が師の君を恋愛する事は決して決して罪悪だとは考へられませぬ。何卒絶対の愛を以て妾を愛して下さいませ。決して永久の愛を要求するのでは御座りませぬ。もはや妾の霊肉ともに一変すべき時機が近づいたのです。仮令一分間でも貴方の温かき懐に抱かれさへすれば善いので御座ります。妾は身命を神国成就のために師の君様へ差上げて居るので御座ります。何卒色よい返事を至急に願ひ度いもので御座ります。 あゝ惟神霊幸倍坐世マリヤより 師の君様へ ブラバーサは一巡読み了はり、ハツと吐息をつき無言のまま双手を組んで俯向いて居る。 マリヤ『師の君様、可憐な妾の心、妾の願をキツと聞いて下さるでせうな』 ブラバーサ『貴方の真心はよく諒解致しました。併し乍ら一夫一婦の制度のやかましいルートバハーの教を奉ずる宣伝使として、何程貴女が熱烈に愛して下さらうとも恋愛関係を結ぶ訳には参りませぬ、どうぞこればかりは見直し宣直し下さいませ』 マリヤ『さう仰有いますと、貴方は妾を見殺しにせうと仰有るのですか。一夫一婦の制度も亦人倫の大本もよく存じて居ります。併し乍ら、それは理性的の見解で御座りまして、愛の情動はそんな規則張つたものぢや御座りませぬ。恋にやつれ息もたえだえになつて居る此女をして悶死せしめ玉ふので御座りますか。貴方に会ひさへしなければ妾はこんな煩悶苦悩は起らないので御座ります。貴方は妾を日出島から亡ぼしにお越しなさつた悪魔だと思ひますわ。神様は吾々に恋愛と云ふ貴重なものを与へて下さつたのです。もし此恋愛を自由に働かす事が出来なければ、日夜神に仕へる妾にどうして此んな考へを起さしめられたでせうか。そんな事仰有らず一滴同情の涙あらば、妾の願を叶へさして下さいませ。決して乱倫乱行の罪にもなりますまい。貴方の奥さまにして頂きたいとは申しませぬ。今ここで貴方に素気なく刎ねられたが最後、妾はガリラヤの海を最後の場所と致します。さすれば貴方の名誉でもありますまい。それ故妾の死は貴方の死ではあるまいかと此手紙に記したので御座ります』 ブラバーサは双手を組み吐息をつき乍ら、 ブラバーサ『あゝ、誘惑の魔の手はどこ迄も廻つてゐるものだな。岩石に等しき固き男の心も僅か女一人の心に打砕かれむとするのか。寸善尺魔の世の中とはよく云つたものだ。あゝどうしたら、宜からうかな』 と小声に呟き乍ら深き思ひに沈む。マリヤは飛鳥の如くブラバーサに背後より喰ひつき満身の力をこめて抱きしめた。ブラバーサは驚き乍ら心の中に思ふやう、 ブラバーサ『あゝ仕方がない、此通り猛烈な恋におちた女を素気なく振り放せばキツと過ちがあるだらう。天則違反か知らねども暫く彼女の云ふ通り任せおき、徐に道理を説き目を覚ましてやらねばなるまい』 と心に頷づき乍ら言葉を改めて、 ブラバーサ『いや、マリヤ様、よくそこ迄思つて下さいます。実に感謝に堪へませぬ。併し乍ら私はここに参りましてから、一ケ月に足りませぬ。私はあと七十日の間身体を清潔にして或使命は果さねばなりませぬから百日の行を済ます迄、何卒御猶予を願ひます』 マリヤ『ソンナ気休めを云つて妾をお騙しなさるのぢやありませぬか。その場逃れの言ひ訳とより思へませぬ。どうか的確なお言葉を賜はりたいもので御座ります』 ブラバーサは吐息をつき乍ら永い沈黙に陥つた。マリヤも暫く無言の儘打慄ふてゐたが、思ひきつたやうに口を開いてブラバーサの手を固く握り、 マリヤ『妾は貴方に初めてお目にかかつてから今日で殆ど一ケ月、どうしたものかセリバシー生活をやつて来た身であり乍ら、その時から恋におち、此一月の間も殆ど千年のやうに長きを感じました。妾のあまり永い沈黙の恋は妾の頭脳を腐らし破つて了ひました。そして妾は今恋の煩悶苦悩を味はつてゐます。私は之を何時迄も秘密として葬り去る事が出来ないのです。何卒一人の女を救ふと思つて妾の恋を諒解して下さい。此猛烈な恋愛を笑ふなら笑つて下さい。又誹るなら誹つて下さい。もはや妾は恋に悩む狂人です。妾の目に浮かぶものは山川草木一切が恋しい師の君のお姿になつて見えるのですもの、狂つてるのかも知れませぬ。あゝ苦しい、こんな不思議な恋を誰がさせたので御座いませうか。エルサレムの町でお目にかかつてから妾はスツカリ恋の捕虜となつて了ひました。妾は神様から与へられた恋だと思つて居ります。恋を与へられた時は思ひきり恋を味はひつつ生るもので御座いませう。妾が師の君を恋ふる事は決して不合理でも不道徳でも御座いますまい。神様の御旨だと信ぜられてなりませぬ。厳粛な神聖な恋が変つて博愛となつた時は、尊さと偉大さと美しさとを知る事が出来ませう。ルートバハーの御教の人類愛は斯様な意味を云ふのではありますまいか。人類愛そのものを愛するの愛、それは神様の愛で、即ち自分を見出す為めの愛であり、自分自身を建設すべき天国に昇るべき愛の初めであり終りでありませう。師の君が妾を理解して下さらぬ事は実に絶大なる悲しみで御座います。妾もアメリカンコロニーに籍をおき、救世主の再臨を待ち、全世界救済の使命を持ち乍ら、どうして戯れの恋に浮かれて居れませうか。妾は師の君の手によつて新に生れなくてはならないのです。霊肉ともに復活せねばならぬのです。師の君と愛し愛され、貴方と結ぶ事によつて新に力を与へらるるので御座ります。もし此妾の恋愛が不合理だと仰有るのならば貴方の神力で取去つて下さいませ。とは云ふものの一度恋ひ慕ふた師の君の温い御顔とそのやさしいお言葉は妾の全身に流れて血となつて居ります』 ブラバーサ『私は厳粛なる神様の御命令を頂き神聖にして犯すべからざる此聖地に於て恋愛問題にぶつかるとは夢にも思ひませぬでした。然し愛の情動は何れの国の人も変らないものと見えますなア。貴女の御親切を決して葬り去るやうな勇気も厶いませぬ。然し乍ら怪しき関係を結ばなくても心と心と融け合ひさへすれば、それで恋愛は完全に保たれて行くぢやありませぬか。凡て霊主体従の教を奉ずる吾々……然らば霊的の恋仲となりませう。さあ何卒その手を放して下さいませ』 マリヤ『いえいえ妾はいつ迄も師の君様の愛の御手に昼も夜も抱いて慰めて欲しいので御座います。いつも尊い懐に抱かれ微笑つつ恋を歌つて見たいのです。……あゝ妾の恋しい慕はしい師の君の御上に幸多かれ……と』 ブラバーサ『御親切は有難う御座いますが、何卒百日の行が済む迄は触らないで下さい。怪しい考へが起つては修行の邪魔になりますからな』 マリヤ『貴方の御身辺に危い事が迫つて来た事がお分りになりませぬか。妾はそれが心配でならないのです。それ故アメリカンコロニーの牛耳を握る妾と締結して下さるのならば貴方の危難を逃れるのは当然ですよ。ユダヤ人は同化し難い人種ですからな』 ブラバーサ『何か私の身の上について危険が迫つて居るのですか。仮令如何なる敵が来ても神様にお任せした私、左様な事に驚く事はありませぬから、先づ安心して下さい』 マリヤ『貴方は、さう楽観して居られますが、貴方の周囲には沢山の悪魔が取囲んで居りますよ。今妾は師の君の言葉に従ひ恋愛を思ひきり路傍相逢ふ人の如き態度を採らうと思つても、それが出来ないのです。貴方のお身の上を思へば涙が出てたまりませぬ。それで貴方の側を離れたくはありませぬ』 ブラバーサ『マリヤさま、そんな事云つて強迫するのぢやありませぬか。随分悪辣な手段を廻らして恋の欲望を遂げむとなさるのではあるまいかと思はれてなりませぬわ』 マリヤ『いえいえどうしてどうして誠の神様の教を信ずるピユリタンの一人として嘘偽りが申されませうか。神様の冥罰が恐ろしう御座います。妾は師の君様の身辺を守るため仮令恋せなくても離れ度くはないのです。此エルサレムの町へ貴方がおいでになつてから、日の出島の聖師々々と云つて貴方に帰順する人が沢山出来ましたが、真に貴方を愛する人が果して幾人ありませうか。凡ての人が師の君に対して力一杯敬して居るやうですが、然し妾は案ぜられてならないのです。また此方へおいでになつてから間もなく、土地人情もお分りになつてゐないのですからな』 ブラバーサ『然らば貴女の御意見に任します。どうなつとして下さいませ。然し乍らここ七十日の間は特に猶予を願ひ度いので御座います。貴女の要求を容れました上は相対的に私の要求も容れて貰はねばなりませぬからな』 マリヤ『どうも仕方がありませぬ。然らば隠忍致します。どうぞ注意をして外の女に相手にならぬやうに願ひます。サロメさまにお会ひになつても言葉をお交しになつちやいけませぬよ。貴方のお身の上に危険が、そのため襲来してはなりませぬからな』 ブラバーサ『ハヽヽヽヽ最前からマリヤさまが私の身辺に悪魔が狙つてゐる、危険が襲ふてゐると仰有つたのは、分りました。いや随分抜け目のない……貴女も女ですな、アツハヽヽヽ』 マリヤ『エツヘヽヽヽ何なつと勝手に仰有いましな。然し呉々もお気をつけなさいませや。さあ之から妾と一緒に帰りませう』 ブラバーサ『ソンナラ私はお山を一まはりして帰りますから貴女は一足先にお帰り下さい。七十日さへ経てば夜も昼も駱駝のやうに二人連で歩かして頂きませう。アハヽヽヽ』 マリヤ『お気に入らないものはお先へ帰りませう。夜が明けるまでお待ちなさいませ。夜鷹でも参りませうから』 と捨台詞を残し橄欖山を下り行く。 後見送つてブラバーサは吐息をつき乍ら胸を撫で下ろし、 ブラバーサ『あゝ困つたものだな。どうして此難関を切り抜けやうか。これも大方神様のお試しだらう。あゝ惟神霊幸倍坐世、国治立大神様、何卒悪魔の誘惑に陥らぬやう御守護を願ひ奉ります。心の弱き私に対し絶対力をお授け下さいませ』 と両手を合せて天地に向かつて拝謝し乍ら橄欖山の頂を隈なく逍遥し初めた。古ぼけた小さい祠の前に一つの影が蠢いてゐる。月は薄雲の帳を被つて昼ともなく夜ともなく一種異様の光を地上に投げて居る。 (大正一二・七・一二旧五・二九北村隆光録)
276

(2889)
霊界物語 64_上_卯エルサレム物語1 13 試練 第一三章試練〔一六四二〕 ブラバーサは祠の前の人影を見て、 ブラバーサ『御祠の御前に居ます物影は いづれの人か聞かまほしけれ 吾こそは日の出の島を立ち出でて 登り来ませるプロパガンディストぞや』 一人の男 スバッフォード『アメリカンコロニー守る神司 スバツフオードの翁なるぞや 大空の月淡雲に包まれて 君の御姿見擬ひぬるかな』 ブラバーサ『貴方は、スバツフオード様で御座いましたか、これはこれは失礼致しました。御老体として今頃に唯お一人伴をも連れずにお出なさいましたには、何か理由が御座いませうなア』 スバッフォード『いやもう、年はとつても心は矢張元の十八、どこともなしに愛熱に浮かされてコンナ所迄引張られて参りました。アハヽヽヽ、何程大神様の道を遵奉し、女に目をかけまいと思つても心に潜む心猿意馬と云ふ曲者が、五尺の男子を自由自在に翻弄致します。人間と云ふものは本当に意志の弱いものですよ。一挙手三軍を叱咤する勇将も、繊弱き女の一瞥に会つて忽ち骨も肉も砕いて仕舞ふ世の中で御座いますからなア。アハヽヽヽ』 ブラバーサはハツと胸をつき……最前からのマリヤとの話をもしや此老人に聞かれたのではあるまいか意味ありげの今の言葉、はて恥かしい事だわい、かう老人の方から先鞭をつけられては何も云ふ事が無くなつて了つた。罰は覿面だ、なぜあの時マリヤの脅迫を郤けなかつたのだらう、吾ながら意志の弱いのにはあきれた。いやいや決して意志の弱いのではない、心の中の曲者の為だ。八千哩を隔てた日の出の島に妻子を残し、一人身の淋しさをつくづくと感じ絶対無限の神様の力を頼る事を忘れて居た為に、吾心中に悪魔が擡頭してあのやうな弱い一時逃れの偽りを云つたのだ。あゝ済まない事をした。何と云つてこの翁に答へやうかなア…… と双手を組んで俯向いて居る。 スバッフォード『アハヽヽヽ、ブラバーサ様、仮にもルートバハーの宣伝使として一時逃れの言葉を用ゆるやうな事はなさいますまいなア、女と云ふものは比較的正直なもので御座いますから、男の言葉を真面目に信ずるものです。若し男子の言葉に一言たりとも偽りある事を発見した時には、それこそ命がけになるものです。貴方は誰か女と約束を為さつた事はありませぬか』 ブラバーサ『ハイ、エー何で御座います。止むを得ず一寸約束を致しました。本当にお恥かしい事です。貴方は吾々の秘密話をすつかりお聞なさつたのですか』 スバッフォード『アハヽヽヽ、年は寄つても耳は未だ隠居を致しませぬ、あれだけ大きな声で、情約や談判をして居られたものですから、手に取るが如く聞えました。一伍一什承はりましたよ。随分貴方も思はれたものですなあ。アハヽヽヽ』 ブラバーサ『実に困りましたよ、九寸五分を咽喉もとへつきつけられての談判同様ですから、私としてはあれより応戦の仕方がないので思はぬ事を申しました。決して心から宣伝使の身として女なんかに恋着致しませうか』 スバッフォード『さうすると貴方はあのマリヤさまに対し偽りを云つたのですか。実に怪しからぬぢやありませぬか。日の出島の人間は嘘つきだ、油断がならぬと聞いて居りましたが、まさか誠の道を宣伝する貴方に限り塵程も偽りはあるまいと思ひましたが、宣伝使にして斯の如しとすれば日の出島の人間は一人も信用する事が出来ますまい。左様な所からどうして救世主が現はれませう。あゝ心細い事だなア』 ブラバーサ『イエイエ決して決して日の出島だと云つて嘘言者ばかりではありませぬ。私は止むを得ずあの女を助けるため心にもない事を云つたのです。恋に熱しきつた彼の女をたつた一時でも安心させたいと、止むを得ず予約をしたので御座います』 スバッフォード『ソンナ意志の弱い事でどうして神政成就の神業が勤まりませうか。其方も見かけによらない意志の弱い方ですな。吾々ユダヤ人は二千六百年以前に国を滅され亡国の民となつて世界の人類より土芥の如く卑しめられ漸く二千六百年の辛苦を経て神様の賜つたパレスチナの地を恢復したので御座います。ユダヤ人には一人として貴方のやうな意志の弱い人間は御座いませぬよ』 ブラバーサ『ヤ、恐れ入りました。さう云はれては一言の辞も御座いませぬ。これから心を取り直し、誠一つを立て貫てユダヤ人に負ない熱烈さと信仰力を養ひませう』 スバッフォード『貴方は今マリヤさまに仰有つた言葉を反古となさず、実行なさるでせうな。ユダヤ人の女に嘘でも仰有らうものならそれこそ大変ですよ。貴方の御身のため、道のために老婆心ながら御注意を申し上げて置きまする。実際の所は貴方にマリヤさまが遇ふてから後と云ふものは恋に陥ち、朝夕吐息を漏らし見るに見られぬ憐れさ、どうかして私が仲媒をせうと思ふて一足先へ廻りお二人の談判を伺ふて居たので御座います。どうか約束を違へないやうにしてやつて貰ひたいものです。彼の女はほんたうに信仰の強い赤心の女で御座いますから、もし違約でもなさらうものなら神様を偽つたも同様で御座います。あなたの御身に忽ち禍が報ふて来るかも知れませぬ。サアどうかキツパリと私に、も一度云つて下さいませ。さすれば七十日の間マリヤさまに私が申付けて貴方の行の邪魔にならないやうに致しますから』 ブラバーサは退つ引ならぬ翁の言葉に胸を痛め如何はせむと案じ煩つて居る。暫くあつて種々と思案の結果思ひ切つたやうに、 ブラバーサ『ハイ、キツと約束を守ります。マリヤさまにも安心なさるやうに云つて下さいませ』 スバッフォード『貴方はさうすると日の出島でも独身生活をして居られたのでせうな。さうで無ければたとへ女が恋したからつて冗談にも約束を結ぶ道理はありますまい。マリヤが貴方を慕ふやうに、もし貴方に妻女がありとすればその妻女はきつと貴方を慕つて居られるでせう。神の道を伝ふる宣伝使として仮にもそんな無慈悲、いや不貞の事はなさいますまいな』 ブラバーサは進退茲に谷まつて返す言葉もなく、一層のこと云ひ訳の為めガリラヤの海へ身を投じ苦痛を免がれむかと思案に暮れて居る。スバツフオードは大声をあげて打ち笑ひ、 スバッフォード『アハヽヽヽガリラヤの海へ投身した所で貴方の偽の罪は消えるものではありませぬよ。サアどうなさいますか』 ブラバーサ『あゝ仕方がない、こんな羽目に陥らうとは夢にも知らず、一時逃れにマリヤさまをたらして帰したのが悪かつた。あゝ惟神霊幸倍坐世。国治立大神許したまへ』 と涙と共に詫入る。暫くあつて首をあぐれば以前の老人は姿も見えず、月は淡雲の衣の綻びより皎々と古き祠の屋根を照して居る。ブラバーサは訝かりながら祠に拝礼をなし、スタスタと元来し道へ引返し吾身の暗愚を嘆きつつ橄欖山を下り僧院ホテルを指して帰り往く。 因に云ふ。祠の前に現はれた、スバツフオードと見えた老人は国治立大神の化身であつた。 大神はブラバーサの身魂を錬へむと、化相をもつて現はれ訓誡を垂れたまふたのである。 ゲツセマネの園の壁際迄帰つて来た時に白い淡い被衣を被つて背のすらりと高い、色の飽迄白い一人の美人が急ぎやつて来るのに出遇つた。ブラバーサは立ちとまり何れの女かと丸い目をむいて眺めて居ると、女はつかつかと遠慮気もなく傍に寄り来たり、無雑作にブラバーサの手を握り二つ三つゆすりながら、 サロメ『今日はえらう早う御座いましたねえ。妾は未だ貴方がお山に居られるかと思ふて急いで参りました、マリヤさまはもうお帰りになりましたか』 ブラバーサは其声を聞いてサロメなる事を知つた。さうしてマリヤの名を呼ばれて今日はいつになく胸を躍らせ頬を紅に染めた。サロメは層一層固く手を握りしめ、 サロメ『遉は日の出島の宣伝使、貴方の御名望はエルサレム市中に誰一人知らぬものはありませぬよ。妾だつて貴方のやうな人気のあるお方の傍へ唯一時でも置いて欲しう御座いますわ』 ブラバーサ『貴方はサロメ様では御座いませぬか。姫君様のあられもない貴族のお姫様の身をもつて何と云ふ冗談を仰有います、どうぞよい加減に揶揄つて置いて下さいませ。随分貴女も悪戯がお上手ですね』 サロメ『ホヽヽヽヽ、悪戯のお上手なのは貴方ぢや御座いませぬか。男と云ふものは随分女を玩具のやうに扱ふものですが、女の恋は真剣ですよ、一つ違へばお腹が膨れ命がけですからな。女に冗談や戯れはありませぬ。貴方もマリヤさまをどうか末長う可愛がつて上げて下さいませや。もし貴方がマリヤさまに対し約束を破るやうな事をなさいませうものなら、ユダヤ人は団結が固う御座いますから、貴方を恨んでどんな事をするか分りませぬよ。御注意なさいませ』 ブラバーサ『ハイ有難う御座います。未だ別に堅い約束をしたと云ふのでもなく、ほんの予備行為をたつた今やつた所で御座います。マリヤさまだつてどうして吾々のやうなものに恋慕される筈が御座いませう。橄欖山は霊地で御座いますから神様がマリヤさまとなつて私の気を引かれたのかと思ひます。いやもう結構な所の恐ろしい所で御座いますわ。貴女も是からお一人で橄欖山にお登りなさるので御座いますか、よくまあ御信神が出来ますなあ』 サロメ『妾が橄欖山へ女の身で唯一人参りますのも聖師にお目にかかり度いばかりで御座います。貴方がお帰りとあれば妾も一所に登山はやめてお宿迄送らせて頂きませう。気の多い貴方に滅多に情約締結を迫るやうな事は致しませぬから、安心して下さいませ。オホヽヽヽ』 ブラバーサ『これこれサロメ様、あまり揶揄つて下さいますな。ほんたうに姫様にも似合はず、お意地が悪いでは御座いませぬか』 サロメ『それでも貴方、アラブのクリー[※クリーとは「もとインド・中国の下層労働者の呼称。転じて、東南アジア諸地域の筋肉労働者」」(広辞苑)のことで、クーリー、苦力とも呼ぶ。]と手を繋いで歩くより私と手を繋ぐ方が幾分かお心持がよいでせう』 ブラバーサ『いやもう結構で御座います。どうか放して下さい、もう沢山です。アイタヽヽ指が痺れさうで御座いますわ』 サロメ『さうでせうともマリヤさまには指の二本や三本は切つてお与へなさつても痛くはありますまいが、私の手が触れるとそれだけ御気分が悪いのでせう。私も女の意地です。滅多にマリヤさまには選挙競争をして負るやうな事は御座いませぬよ。御覚悟なさいませ。ほんとに海洋万里を渡つて二人の女に恋慕される貴方は天下の幸福者ですよ。オホヽヽヽ』 ブラバーサ『そのオホヽヽヽが気に入りませぬわい。本当に六尺の男子を、腹の悪い玩具になさいますのか、ユダヤ人は油断がなりませぬなア』 サロメ『油断がならぬからユダヤ人と云ふのですよ。ホヽヽヽヽ』 ブラバーサ『ヤア此奴は些怪しいぞ、化州だな。本当のサロメさまがどうしてこんなお転婆式の事を仰有るものか。大方金毛九尾白面の悪狐が瞞して居るのだらう。今山上で大神様に叱られて来た所だ』 と眉毛に唾をつけて居る。 サロメ『もし聖師様、眉毛に唾をつけたりして貴方は妾を侮辱するのですか、狐や狸ではありませぬ。正真正銘のサロメです。余り見違ひをして下さいますな』 ブラバーサ『ヘン、何程甘く化たつて駄目だ。日の出島から選抜されて来るやうな、プロバガンディストだから其手には乗らないのだ。今に尻尾を現はしてやらう。ド狐奴』 と後の一言を雷の如く呶鳴りつけた。サロメは、 サロメ『オホヽヽヽ』 とおちよぼ口で笑ひながらクレツと尻を捲つた途端に毛の生えた真白の狐となり、箒のやうな尾をプリプリと振り乍らのそりのそりと這ひ出した。ブラバーサは匆徨として慄ひ乍ら、カトリックの僧院に立ち帰り、ソフアの上に横はり漸く寝についた。 (大正一二・七・一二旧五・二九加藤明子録)
277

(2890)
霊界物語 64_上_卯エルサレム物語1 14 荒武事 第一四章荒武事〔一六四三〕 アメリカンコロニーの奥の一室には、スバツフオードとマリヤが煙草盆を中において、ヒソビソ話に耽つてゐる。 スバッフォード『マリヤさま、あなた此頃は何となしにソハソハしてゐるぢやありませぬか。沈着な貴女に似ず、此頃の様子と云つたら、丸で恋に狂ふた野良犬のやうだと、団体員が言つてゐましたよ。チと心得て貰はないと、コロニーの統一が出来ないだありませぬか。私はかうして老人であるし、何時昇天するか知れませぬ。さうするとあなたが一人でコロニーを背負つて立たねばなりませぬ。噂に聞けば貴女は日出島から来てる聖師に大変恋慕してゐられるさうだが、あの方はお国に妻子があるといふことだ。妻子のある方に恋慕したつて、目的は達しませぬよ。今迄何程よい縁があつても、神政成就迄は夫は持たない、男に目はくれないと、独身生活を主張した貴女に似合はず、変だと皆の者がヒソビソ話してゐますよ。何程強いことを言ふてもヤハリ女といふ者は弱い者ですな。狐独の淋しみに堪へられないと見えますワイ。モウ少時の所だから、チツと辛抱をして貰はねばなりますまい。キツと貴女のお気に入る適当な夫が現はれて来るでせう。神様は最後迄忍ぶ者は救はるべし……と仰有るだありませぬか』 マリヤ『ハイ、妾は最後迄忍んで来たのですよ。モウ此上忍ぶ事は生命に関しますもの……そんなこと仰有るのは、チト残酷ですワ。妾は神様の御摂理によつて夫を定めましたから、どうぞ御承諾を願ひたう御座います』 スバッフォード『さうすると、人の噂といふものはバカにならぬものだなア。そして其夫といふのはどこの何と云ふ方だなア、ヨモヤ、妻子のある日出島の聖師ではあろまいなア』 マリヤ『あの……妾は……聖師……否々生死を共にせうと約したお方が御座います。併し乍らネームを告げる丈は少時猶予を願ひたう御座います』 スバッフォード『心機一転も甚だしいぢやありませぬか。お前さまはブラバーサ様に恋してゐるのだらう。何と云つても其顔に現はれてゐる、年寄の目で睨んだら、メツタに間違ひはありますまい。左様なことをなさつては、アメリカンコロニーも破滅に陥らねばなるまい。あゝ何とした悪魔が魅入れたものだらうなア』 マリヤ『ソリヤ何を仰有います。女が夫をもてないと云ふ道理が何処に御座いませう。妾も最早三十、いい加減に夫を有たなくちや御子生みの御神業が勤まらぬぢやありませぬか、グヅグヅしてゐると、歳月は妾をすてて省みず、年がよつてから、何程夫をあさつてみた所で、乞食だつて来てくれは致しませぬワ。花も半開の中が値打があるのです。妾の花は最早満開、一つ風が吹いても散らうとしてる所です。散らない中に夫を持たなくちや人生の本分を、何うして尽すことが出来ませう』 スバッフォード『モウ永いことぢやない。やがてキリストの再臨があるのだから、そこ迄待つても余りおそくはあらうまい。あのサロメさまを御覧なさい。貴族の家に生れ、どんな夫と添はうとママな身を持ち乍ら、キリストの再臨を待ちかね、独身生活をつづけてゐられるだありませぬか』 マリヤ『あの方は再臨のキリストを理想の夫として空想を画いてをるのですから、別物ですよ。妾は左様な野心は御座いませぬから、相当の夫を有たうと思ふので御座います。そんな開けないことを言はずに、コロニーの連中に、あなたから一口、神界の都合に依つて、斯う斯うだと発表して下さいませ。さうすれば、団体員は仏が法とも小言を云ふ者は御座いますまい』 スバッフォード『コレ、マリヤさま、お前さまも天の選民たるユダヤ人の女だないか。なぜ今となつて、モウ一息といふ所の辛抱が出来ないのですか』 マリヤ『ハイ、之から七十日が間辛抱致します。七十日経ちさへすれば、仮令貴師が何と仰有らうとも、大神様がお姿を現はしてお叱り遊ばさう共、最早私の意志の自由に致す考へで御座います。どうぞ広き心に見直して御承諾を願ひたいもので御座いますワ』 スバッフォード『七十日?ソレヤ又何うしてさう云ふ日限を切つたのだなア、人の噂も七十五日と聞いてゐるが、七十日とは何か意味があり相だ。コレ、マリヤさま、七十日の因縁を聞かして下さい』 マリヤ『百日の行の上りに夫婦になつてやらうと仰有いました。それで七十日と云つたので御座います』 スバッフォード『ハヽヽヽヽ、てつきり、日出島の聖師と約束をしたのだなア。いかにも聖師は百日の行をすると仰有つたが已に三十日を経過した。併し乍ら聖師ともあらう者が、そんなことを約束さるる道理が……ないがなア、コレ、マリヤさま、お前だまされてゐるのだなからうな』 マリヤ『決して決して、大磐石ですよ。妾も女のはしくれ、男に欺かれるやうなヘマは致しませぬ』 スバッフォード『ハーテナ、合点の行かぬことを云ふぢやないか。貴女は何うかしてゐますね』 マリヤ『何程同化し難きユダヤ人でも、女と男ですもの、同化もしませうかい。どうぞ此結婚問題ばかりは本人の自由意志に任して下さいませ。貴師のやうに年が老つて血も情も乾き切つた、聖きお方と、青春の血に燃ゆる若い女とは、同日に語る訳には行きませぬからねえ』 スバッフォード『アハヽヽヽ、こなひだから余り陽気が悪うて、空気の流通が悪く、蒸すので、年老の私も頭がポカポカとして来た。大方お前は精神に異状を来して居るのだあるまいかな。さうで無ければ鬼の霊にでも憑依されたのだらう。此頃ゲツセマネの園の近辺に悪い狐がウロつくといふことだが、其奴の霊にでも憑依されたのであるまいかな。これマリヤさまチツと用心なさいよ。キツと狐の霊ですよ。コンコンさまにつままれたのですよ』 マリヤ『ホヽヽヽヽ、信心堅固な妾、何うしてさやうな者につままれませうか。ケツでもコンでも構ひませぬ、妾はケツコンさへすれば可いのですもの、ホヽヽヽヽ』 スバッフォード『アヽ、何となく怪体な風が吹いて来たぞ。あゝ一つ窓でも開けて気を晴らさうかな』 マリヤ『ホヽヽヽヽ、あのスバツフオードさまの仰有ることワイノ。窓を開けたつて、ついてゐない狐はメツタに飛出す気遣はありませぬよ』 スバッフォード『丸で春情期の犬の様だなア』 と小声に呟く。マリヤはスバツフオードに向ひ、 マリヤ『モシ老師様、妾は之から聖地の巡拝に行つて参ります。どうぞお留守を願ひますよ。前以て申しておきますが、妾も女です。七十日の間メツタにブラバーサ様のホテルを訪ねるやうなことは致しませぬから、御安心下さいませ』 と予防線を張り早くも門口に飛出した。 橄欖山の中腹、橄欖樹の下に腰打ちかけて雑談に耽つてゐる三人のアラブがあつた。各手にスコツプを持ち乍ら、木の株に腰打かけ、 テク『オイ、此頃、アメリカンコロニーのマリヤといふ女、チツと様子が変だないか、目も何も釣上つてゐるやうだなア』 ツーロ『彼奴ア有名な独身生活の女だが、ヤツパリ性欲は押へ切れないとみえて、橄欖山へ参拝を標榜し、男をあさつてゐるのかも知れないよ。何うだ一つ彼奴を甘く抱き込んで、俺達の者にしたら面白からうぞ。アラブアラブとユダヤの奴に軽蔑されてゐるのだから、ユダヤ人のカンカンを甘くおとさうものなら、それこそアラブ全体の面目を輝かすといふものだ。やがて来る時分だから、何とか一つ工夫をせうだないか』 トンク『ソリヤ面白からう、併し乍ら三人の男に一人の女、此奴ア紛擾の種をまくやうなものだから、先づ此計画は中止した方が安全かも知れないよ。ラマ教ならば多夫一妻でよからうが、吾々はそんなことしたら天則違反で神様から罰せられるからなア』 テク『さう心配するな、俺達のやうな色の黒い、唇の厚い醜男人種が、何程あせつたつて、一瞥も投げてくれないのは当然だ。先づ相手にならぬ方が安全かも知れないよ』 ツーロ『気の弱いことを云ふな、断じて行へば鬼神も之をさく。躊躇逡巡するは男子の執らざる所だ。今にもやつて来よつたら、大勇猛心を発揮して獅子奮迅の活動をやるのだ。一人は足をさらへ、一人は猿轡をはませ、一人はかついでキドロンの谷底へでもつれて行き、厭応云はせず此方のものにするのだ』 テク『オイ、汝は酒の気のある時ばかり、そんな強いことを言ひやがるが、酔のさめた時何うだい、其元気をどこ迄も持続することが出来れば、おれだつて汝と同盟して決行せないことはないが、何分弱味噌だから、先が案じられて、する気にもなれないワ。のうトンク、さうだないか』 トンク『ナアニ成敗は時の運だ。一つ肝玉をおつぽり出して決行と出かけやう。ゴテゴテいつたらこの聖地を立去り、アラビヤの本国へ帰れば可いだないか。聖地に居らなくても救はれる者は救はれるのだからなア、俺達がマリヤを何々せうといふのは決して肉欲の為だない。大にアラブの気前を見せる為だ。言はば四千万のアラブ人を代表してのアラブ仕事だから、大したものだぞ。親譲りのハンドルが利かぬとこ迄こき使はれて、僅に半弗より貰はれぬのだからバカげて仕方がないワ。婦人国有の議論さへ、独逸では起つたでないか。何、かまふものかい、三人同盟でマリヤを国有にせうぢやないか、サア斯うきまつた以上は、速に決行と出かけやう』 テク『どこへ出かけやうと云ふのだい。コロニーには百人ばかりの団体がゐるだないか』 トンク『そんな所へ行かなくても、キツと此処へやつて来るのだ』 と云つてゐる。そこへソンナこととは夢にも知らぬマリヤは細い杖を力に、九十九折の坂をソロソロと登つて来た。三人は互に目くばせし、物をも言はず、マリヤの体に喰ひつき、担ぎ出した。マリヤは悲鳴を上げて、「人殺し人殺し」と叫ぶ。斯かる折しもあたりの木魂を響かして宣伝歌の声聞え来たりぬ。 ブラバーサ『神が表に現はれて善と悪とを立分ける 時世時節は近づきぬオレゴン星座を立はなれ ウヅの聖地に雲に乗り降らせ玉ふキリストの 御声は近く聞えけり日出の島に日の神の 現はれまして中天に光り輝き進むごと 暗夜も漸く開け近く夜の守護は忽ちに 光明世界と進み行くあゝ惟神々々 神は吾等と共にあり自転倒島を立出でて 万里の波濤を打渡り音に名高きエルサレム 神の定めし聖場に下り来りし吾こそは 救ひの神の先走り名さへ目出度きブラバーサ いかなる神の経綸かユダヤの女に恋慕され 進退維に谷まりて首もまはらぬ破目となり 朝な夕なに橄欖の山に詣でて禍を 除かむ為に登り行く国治立大御神 神素盞嗚大御神何卒吾身の災を 厳と瑞との御光に救はせ玉へ惟神 神の御前に願ぎまつる朝日は照る共曇るとも 月は盈つとも虧くる共仮令大地は沈むとも 神に任せし此体仮令野の末山の奥 屍をさらす苦みも何か厭はむ道の為 国に残せし妻や子はいかに此世を送るらむ 聖地にいます師の君のあらはれませる日は何時ぞ 神の集まるエルサレム聖き都と聞き乍ら 何とはなしに村肝の心淋しくなりにけり 思へば思へば人の身の果敢なき弱き有様を 今目のあたり悟りけり恵ませ玉へ三五の 皇大神の御前に畏み畏み願ぎまつる』 此声に驚いて三人はマリヤを其場に投棄て、雲を霞と逃げ去りにけり。 マリヤは余りの驚きと大地に投げられたはずみに気絶して了ひ、坂路に大の字となつてふん伸びてゐる。ブラバーサは魔法瓶から清水を出し、倒れたる女の顔に注ぎかけた。よくよく見れば自分を恋ひ慕ふてゐるマリヤであつた。ブラバーサはマリヤの気のついたのを幸ひ、顔をかくして一生懸命にかけ出す。マリヤは後姿を見て、それと悟つたか、苦痛を忘れ、尻端折つて夜叉の如く後を追つかけ進み行く。ブラバーサは林の繁みに身をかくしマリヤの通り過ぎたあとで、ホツと息をつぎ、両手を合せ、 ブラバーサ『あゝ惟神霊幸倍坐世』 (大正一二・七・一二旧五・二九松村真澄録)
278

(2892)
霊界物語 64_上_卯エルサレム物語1 16 天消地滅 第一六章天消地滅〔一六四五〕 マリヤ『晴れもせず曇りも果てぬ橄欖山の 月の御空に無我の声する 行先は無我の声する所まで 無我の声あてに旅立つ法の道 父母の愛にも勝る無我の声 ○ ほんに可愛しいあの人の 恋しなつかし此手紙 涙で別れた其夜から どこにどうして御座るかと 寝た間も忘れず居つたのに なんぼなんでも余りな 今更切れとは何かいな 情ないやら悔しいやら 無情いお方になりました ほんにいとしい彼方と 思へば泣いても泣き切れず 諦められぬこの手紙 いとしいとしと思ふ程 憎い言葉のあの人が 妾はほんとに懐かしい』 と云ひ乍ら橄欖山の頂上をウロついて居る一人の女がある。これはアメリカンコロニーの牛耳を取つて居るマリヤであつた。ブラバーサはマリヤの女難を避けむ為、逸早くも僧院ホテルを立ち出てシオン山の渓谷に草庵を結び隠れて居たのである。マリヤは斯の如く歌つて恋に憔れ乍ら、ブラバーサの後を探して居るのである。かかる所へ橄欖山上の木の茂みから優しき女の歌ひ声が聞えて来た。 サロメ『緑の風に花は散り逝く春の宵歎きつつ 己が心に夏は来ぬ夕胡蝶の床に臥し 晨輝く花思ふ悩ましの夢今さめぬ 現実の月空高く青葉は光る橄欖の山に せめて憩はむ吾が心』 と歌ひつつ静々朧の月夜に浮いたやうに出て来たのはサロメであつた。折々両人は此山上で月下に出会すのである。されど互に余り心易くもせず、又沁々と話した事もない。双方とも期せずして同情の念にかられ、何物にか惹かるる如く二人は朧月夜にもハツキリ顔の分る所迄近づいた。 マリヤ『行水の帰らむよしもなし 散る花を止めむよしもなし』 サロメ『桜の花の盛りこそ 君と睦みし月日なり 月は幾度かはれども 日は幾日か重なれど 君に遇ふべきよしもない』 マリヤ『涙の中に夏は来ぬ 夜毎に飛び交ふ螢こそ こがるる吾身に似たるかな』 サロメ『今は悲しき思ひ出の 夜毎に飛び交ふ螢こそ 焦るる吾身に似たるかな』 かく両人は意気投合して何れも恋の敗者となりし述懐を打明け歌つた。是よりマリヤ、サロメの両人は姉妹の如く親しくなり、互に心胸を打ち明けて語り合ふ事となつた。 サロメ『マリヤ様、貴女の今のお歌によりまして妾の境遇とソツクリだと云ふ事を悟りました。ほんたうに世の中は思ふやうにならないもので御座いますなア』 マリヤ『ハイ、有難う御座います。もはや此世の中が嫌になつて参りました。思ひ込んだ男に捨てられ、もはや此世に何の楽しみも御座いませぬ。オリオン星座よりキリストが現はれたまふとも人間として恋に破れた以上は、もはや何の楽しみも御座いませぬ。キリストの再臨なんか物の数では御座いませぬわ』 と半狂乱の如くになつて居る。 サロメ『あなたは永らく独身生活を続けなさつたのも、キリスト再臨を待つ為では無かつたのですか』 マリヤ『妾の待望して居るキリストは左様な高遠な神様では御座いませぬ。妾の愛の欲望を満して下さる愛情の深い清らかな男子で御座います。妾の一身に取つてキリストと仰ぐのは日出の島からお出になつた、ブラバーサ様で御座います』 サロメ『妾だつてキリストの再臨を待つて居るのですよ。併し乍ら自分の心を満して呉れる愛情の深い方があれば、其方こそ妾に対して本当のキリストで御座いますわ。乾き切つたる魂に清泉の水を与へ、朽果てむとする心に生命を与へて下さる方が所謂キリストですわ。さうしてブラバーサ様は何処へお出になつたか分らないのですか』 マリヤ『ハイ百日の行をすると云つて聖地を巡覧遊ばして居られましたが、百日も立たない中にお姿が見えなくなつたのですよ。あの方は雲に乗つて来たと云つて居られましたから、竹取物語の香具耶姫様のやうにオリオン星座へでもお帰りになつたのではあるまいかと、毎晩々々空を仰いで其御降臨を待つて居るので御座いますよ。本当にあの方は普通の人ではありませぬ、きつと神様の化身ですわ』 サロメ『何程これと目星をつけた男でも、神様の化身では仕方無いではありませぬか。どれ程あなたがモウ一度下つてほしほしと毎日天を仰いで居たつて駄目で御座いませう。そんな遠い天の星を望むよりも間近にオリオン星座があるではありませぬか。この地も天に輝く星の一つでせう。ドンと四股を踏んでも直ぐと答へて呉れるのは地球と云ふこの星ぢやありませぬか。きつと此星の中に貴女の恋人は隠れて居ませう。どこ迄も探し出してユダヤ婦人の体面を保つて貰はねば、妾だつて世界へ合はす顔がありませぬわ。妾も一旦相思の恋人が御座いましたが、花はいつ迄も梢に留まらぬが如く、夜の嵐に吹かれ、たうとう生木を裂くやうな悲惨な目に会ひ、それからと云ふものは恋に狂ふて、この霊地にお参りするのをせめてもの心慰めとして居るので御座います。貴女の恋人と仰有るブラバーサ様は、三四回も此お山でお目にかかりましたが、ほんとに神様の様なお方でした。妾だつて貴女の恋人でなければキツト捕虜にして居るのですけれども、人の恋人を取つたと云はれてはユダヤ婦人の体面にかかると思ふて、どれだけ恋の悪魔と戦つたか知れはしませぬわ。自分の好く人、又人が好くと云ひまして、男らしい男は誰にも好かれるものですなア。さうかと云つて今後ブラバーサ様を発見しても、決して妾は指一本さえない事を誓つておきますから安心して下さいませ』 マリヤ『あなたの恋人と仰せらるるのはヤコブ様ぢや御座いませぬか。薄々噂に承はつて居りました』 サロメ『ヤコブ様と妾の中には何の障壁もなく、極めて円満に清い仲で御座いましたが無理解な両親が中に入つて引き分けてしまつたので御座います。かうなつて別れると妙なもので恋の意地が募り、どこ迄も添ひ遂げねばおかないと云ふ敵愾心が起つて来たのですよ。貴女もユダヤ婦人としてどこまでも奮闘なさいませ。妾も此儘泣き寝入るのでは御座いませぬからなア。かうして二人も失恋の女が、橄欖山上に出遇はすと云ふのも何かの因縁で御座いませうよ』 マリヤ『サロメ様、妾は夜も更けましたから、今晩はこれで帰らうと思ひます。コロニーのスバツフオード様が余り遅くなると大変矢釜しく仰有いますから、又明日ここで貴女と楽しくお目にかかりませう』 サロメ『左様ならば一歩先へ帰つて下さいませ。妾はもう暫く祈願してお山を下る事と致しませう』 と別れをつげ、サロメはシオン大学の基礎工事の施してある傍の作事場に行つて腰を下ろし、暫く身体をやすめ、再び祈願にかかつて居た。 シオンの谷に恋の鋭鋒をさけて隠れて居たブラバーサは、もはや夜も深更になつたればマリヤがよもや来て居る筈は無からうと高を括り橄欖山上に於てキリストの無事再臨を祈るべく登つて来た。作事場の中に優しい女の祈り声が聞えて居る。ブラバーサはもしやあの声はマリヤであるまいか、もしマリヤであつたら又とつつかまへられて五月蠅い事であらう、併しあれだけ慕ふて来る女をむげに捨てるのも残酷のやうであり、さればとて彼の意志に従へば罪悪を犯したやうな心持がするなり、大神様の御化身からは叱られ、吁どうしたらよからう、辛い事だな。マテマテ世界万民を救ふのも一人の女を救ふのも救ひに二つはない、一人の女を見殺しにして世界の人民を助けたつて最善の行方で無いかも知れない。吁、私は自己愛に陥ちて居たのかも知れない、仮令あの女を助けるために地獄に陥ちてもあの女を助けるが赤心だ。エーもうかうなれば善も悪もない、シオンの谷に身を隠し女に罪を作らせるよりも自分が罪人となつて、マリヤを助けてやらう、それが男子たるものの本分だ。自分が居なくても、又失敗つてもウヅンバラチヤンダーの再臨の邪魔にはなるまい。キリストは万民のために十字架に、おかかりなされたのだ。国に残した妻には済まないが、妻だつて宣伝使の妻だ。その位の犠牲は忍ぶだらう、エーもう構はぬ、これだけ熱烈の女を見殺しにするのも余り善ではあるまいと心の中に問ひつ答へつ思案を定め、作事小屋の中に進み入つた。 ブラバーサは斯く決心をきめた上は、もはや宇宙間に何者も無くなつて了つた。此広い世界にマリヤの姿が唯一つあるのみである。今迄聞えて居た山鳩の声も虫の音も無く、一切万事何処かへ消えて了ひ、天もなく地もなく心にうつるものはマリヤの姿のみとなつて了つた。それ故サロメの姿がすつかりマリヤと見えて了つて、どうしても他の人と考へ直す暇は微塵も無かつた。 一方サロメはヤコブの事を思ひ乍ら祈願をこらして居たが、心の中に思ふやう、 サロメ『たとへ両親が何と云はうとも、世間の人が堕落女と譏らうとも、そんな事に構ふものか。自分の恋を自分が味はふに何の構ふ事があるものか。あの人の為には天も無く地も無い。森羅万象をすべて葬り去つても吾心を生すものはヤコブさまより無いのだ、地位や、名誉が何になる、貴族の生が何だ。鳥や獣でも自由に恋を味はつて居る。万物の霊長たる人間が恋を味はふに何の不道理があらう筈がない。草を分けても捜し出し、ヤコブ様を見つけ出して、地位や名誉を投げ出して今迄のお詫をせう。妾の意志が弱かつた為ヤコブ様に思はぬ歎をかけた……。ヤコブ様許して下さいませ。仮令地獄に堕ちた所で貴方との約束を実行致しませう。それが女の本領で御座いますから……』 と傍に人無きを幸ひ、知らず知らず大きな声を出して了つた。 ブラバーサは、サロメがヤコブのことを云つて居るのを聞いてゐながら、やつぱりマリヤとしか思へなかつた。二人の男女は一所に集まつて互にかたく抱き締めた。そして天も地も、橄欖山も自分の体もどこかへ消滅したやうな無我の域に入つて了つた。暫くあつてサロメは、ホツト気がついたやうに、 サロメ『あゝヤコブ様、ヨウ来て下さいました。妾の一念が貴方の魂に通じたので御座りませう。もう此上は身も魂もあなたに捧げまして決して外へは心を散らしませぬから可愛がつて下さいませ』 ブラバーサはヤコブと云ふ声を聞いて大に怒り、 ブラバーサ『こりや不貞腐れのマリヤ奴、よう私を翻弄して呉れたなア。お前の熱愛して居るヤコブの代理に己を使ふとは、馬鹿にするのも程があるではないか。己はマリヤより外に愛する女は無いのだと思つて居たのにエヽ汚らはしい、勝手にどうなとしたがよからう。俺もこれで胸の迷ひが取れた。あゝ惟神霊幸倍坐世』 サロメはやつぱり現になつてブラバーサをヤコブと思ひつめて居た。マリヤより愛する女が無いと云ふのを聞いて、 サロメ『エヽ悪性男のヤコブ奴、ようもようも此サロメを馬鹿にしよつたなア。命を捨てた此体、もう此上は破れかぶれ思ひ知つたがよからう』 と護身用の短刀を抜いて切つてかかる。ブラバーサはマリヤ待つた待つたと作事小屋のぐるりを逃げ廻つて居る。かかる所へ疑ひ深いマリヤは、サロメがアンナ事をいつて、ブラバーサを隠して居るのでなからうかと、中途より引返し来り、此体を見て打驚き、 マリヤ『もしサロメ様、マア待つて下さいませ』 と腕に食ひつく。サロメは夜叉の如くに怒り狂ひ、 サロメ『エヽ恋の敵マリヤ奴、ヤコブを取りよつた恨だ、覚悟を致せ』 と猛り狂ふ。其処へ又現はれて来たのはサロメの後を追ふてやつて来た失恋男のヤコブであつた。ヤコブは大声をあげて、 ヤコブ『これこれサロメさまお気が狂ふたのか一寸待つて下さい。私はヤコブで御座います』 サロメは此声に勢抜け茫然として短刀を握つたまま衝立つて居る。月は皎々として山の端を照らし初めた。四人の顔は一度にハツキリして来た。マリヤは慄ふて居るブラバーサの手を固く握り、 マリヤ『聖師様何処へ行つてゐらしたの。妾どの位たづねて居たのか分りませぬのよ』 ブラバーサ『ウンお前がマリヤであつたか。夜中の事とて甚い人違ひをしたものだ。あの活劇を見て居つたであらうなア』 マリヤは、 マリヤ『ホヽヽヽヽ』 サロメも、 サロメ『ホヽヽヽヽ』 ヤコブ『何だ人違ひか、サア、サロメさま、ヤコブはどこ迄も貴女と離れませぬから覚悟して下さい、命がけですよ』 サロメ『妾だつて命がけですわ。ブラバーサ様があなたに見えたので甚い間違ひを致しました。マア無事で怪我が無くて何より結構で御座いました。皆様茲で神様に感謝を致しませう』 と男女四人は地上に端座し、恋の成功を感謝した。ヨルダン川の流れも峰吹く風の音も天も地も漸く四人の前に開展して来た。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・七・一二旧五・二九加藤明子録)
279

(2895)
霊界物語 64_上_卯エルサレム物語1 19 祭誤 第一九章祭誤〔一六四八〕 高城山の峰つづき、小北山の松林を切り開いて沢山な小宮やチヤーチを建てたルートバハーの脱走教があつた。ここの主人を虎嶋久之助と云ひ、女房は虎嶋寅子と云ふ。生れつき自我心の強い女であつたが変性男子の系統と云ふのを奇貨としてユラリ教と云ふ変則的なる教団をたてユラリ彦命を祀つて、盛んにルートバハーの教主ウヅンバラチヤンダーに反抗的態度をとつてゐる。そして自分は底津岩根の大弥勒、日の出神と自称し、朝から晩まで皺枯声を出して濁つた言霊で四辺の空気を灰色に染て居る。ここへ集る信徒の中には随分色々な変り者があつて、中にも最も寅子の信任を得たのは、善も悪きも難波江の菖蒲のお花と云ふ、あまり色の白くない背の低い横太い年増婆アさまである。そして寅子の最も信任してゐるのは守宮別と云ふ海軍の士官上りの外国語をよく囀る男であつた。寅子は日の出神の生宮と自称し乍ら此守宮別と共に宅を外にして曲霊軍の襷を掛け、日の出島の東西南北を隈なく巡教し、軍艦布教までやつてヤンチヤ婆アさまの名を売つた、したたか者である。守宮別は日の出神と腹を合せ如何にしても変性女子のウヅンバラチヤンダーを社会の廃物となし、自分等がとつて代らむと苦心の結果、守宮別は四方八方に反対運動を開始し、終には六六六の獣を使つてウヅンバラチヤンダーの肉体の自由まで奪つた剛の者である。 目の上の瘤として居た人物を、うまく圧倒した上は、もはや天下に恐るべきものなしと、菖蒲のお花を筆頭に守宮別、曲彦、木戸口、お松等の連中と謀り小北山に拝殿を建て、一時も早く願望成就致しますやうと祈願をこらして居た。さうして地の高天原へ乗込んで一切の教権を握らむと聖地の古い役員をたらし込み、九分九厘と云ふ所へウヅンバラチヤンダーが帰つて来たので、肝をつぶしホウボウの態にて再び小北山へ逃げ帰り守宮別は海外に逃げ出し、後に寅子姫、お花、曲彦の三人は首を鳩めて第二の策戦計画にとりかかつた。先づ第一に日の出神の筆先を書いてルートバハーの信者を籠絡し、変性女子の勢力を失墜せむものと難波の里の高山某に軍用金を寄附させ、日出島全体の神社仏閣を巡回し、身魂調べと称し、口碑伝説を探つていろいろの因縁をつけ、筆先を作つて誠しやかに少数の信徒を誤魔かして居る。 今日は春季大祭の為五六十人の信徒が集つて来た。祭典は無事に済んで信者は各家に帰つた。あとには曲彦、寅子、菖蒲のお花、久之助、高山彦等が首を鳩めて協議を凝して居る。曲彦は先づ第一に口を開いて、 曲彦『皆さま、お神徳によりまして春季大祭も無事終了致し、さしもに広き霊場も立錐の余地なき迄に信者が集まらず、却て、込みあはずお神徳を頂きました。之も日頃熱心に御布教して下さる日の出神様を初め竜宮の乙姫様の御活動の結果と有難く感謝致します。就いては御存じの通り、吾々がかねて計画してゐた玉照彦、玉照姫の御結婚もたうとう此世を乱す悪神の憑つた瑞の霊の為に挙行されて了ひ、本当に苦辛した甲斐もなく誠にお目出度う御座いませぬわい。貴方はいつもいつも此結婚は変性女子には指一本さえさせぬ、此日の出神が許して天晴れ結婚をさし、ルートバハーの教を立直すと仰有いましたが、一体どうなつたので御座います』 寅子は、 虎嶋寅子『ソレハ神界の都合によつてお仕組を変へたのだよ。玉照彦、玉照姫もたうとう変性女子の悪霊に感染して了ひ、水晶魂が泥魂になりかけました。さあ之から吾々の正念場だ。グヅグヅしてゐては駄目ですよ。もはや期待してゐた玉照彦様、玉照姫様も駄目だから此日の出神の生宮が、もう一働きやらねば到底神政成就は出来ませぬぞや。神様は控えは何程でもあるぞよ、肝腎の事は系統にさしてあるぞよとお筆に出してゐられませうがな。その系統は誰の事だと思ひますか。金勝要神の身魂もサツパリ駄目だし、日の出神が居らなくては、もう此三千世界の立替立直しは出来ますまい。艮金神、坤金神、金勝要神、日の出神、四魂揃ふて御用を致さすぞよ、とお筆に出てゐるでせう。艮金神の御魂はもはや御昇天遊ばし、坤金神の生宮は悪霊にワヤにされて了ひ、金勝要神は我の強い神で役員達に祭り込まれて慢心致し、到底神政成就どころか、ルートバハーの維持も出来ませぬ。四魂の中、三魂迄役に立たねば、九分九厘の処で一厘の仕組でクレンと覆すとお筆に出てゐるでせう。それだから此の日の出神が一厘のところで掌をかへすのですよ。宜しいかな。取違ひを致しなさるなや』 曲彦『それほど変性女子の霊が曇つとるのなら、何故大祭毎に頼みさがして、変性女子に来て貰ふのですか。チツと矛盾ぢやありませぬか』 寅子『エー、分らぬ人ぢやな。変性女子さへ詣らしておけばルートバハーの信者が「ヤツパリ小北山の神殿は因縁があるに違ひない。あれだけ悪く云はれても変性女子が頭を下げに行くから、矢張偉い神様だ」と思はせる……一厘の仕組をしてるのだよ。神の仕組は人間に分りませぬよ。神謀鬼策の仕組を遊ばすのが日の出神の御神策だよ』 曲彦『ヤア、それで貴女の権謀術数、悪にかけたら抜目のない、やり方が分りましたよ。ヘン糞面白くもない』 とあとは小声で呟く。 寅子『ヘン、措いて下され、私が悪に見えますかな。神様のお仕組は悪に見えて善を遊ばすのだよ。何もかも昔からの根本の因縁を十万億土のドン底まで行つて調べて来た日の出神の生宮、何程お前さまは賢うても軍人上りぢやないか。軍人が神界の事が分りますかい。お前さまは早く女子の留守の中に拝殿を建て、事務所を建て、そして費用は何ぼでも出すと云ひ乍ら愈となれば、スツタモンダと云つて一円の金も出さぬぢやないか、そんな事でゴテゴテ云ふ資格がありますかい。スツ込んで居りなさい』 曲彦『ヤア、どうも日の出神様の御威勢には楯つく事は出来ませぬわい。何と云つても一寸先の見えぬ人民ですから、何と口答へする訳にも行かず、マア時節を待ちませう』 寅子『あ、それが宜いそれが宜い、何事も日の出神の生宮の申す通りに致さねば神界の仕組がおくれて仕方がない。これ久之助さま、お前さまも私のハズバンドなら、少しシツカリしなさらぬかい。菖蒲さまも何して御座る。曲彦にアンナ事を云はして黙つてる事がありますかいな』 菖蒲のお花『私も間がな隙がな、曲彦さまに御意見を申して居りますが、何と云つても若い人だから到底婆の云ふ事は聞いて下さいませぬ。然し乍ら寅子姫さま、私は一つ妙な事を聞きましたが、それが本当とすれば、かうしてグヅグヅしてゐる訳にも行きますまい』 寅子『お前さまの妙な事と云ふのは一体ドンナ事かいな。差支なくば云つて下さい。此方にも考へがありますから』 お花『それなら申しませうが、変性男子のお筆に西と東にお宮を建てて神がうつりて守護を致すぞよと出て居りませう。東と西のお宮とは、あなた一体どこの事だと思つて居りますか』 寅子『オツホヽヽヽヽ、お花さま、お前は何を恍けてゐるのだい。東のお宮といふのは小北山の神殿ぢやないか。人間の初り、五穀の初りは所謂此小北山ですよ。そして西のお宮と云ふのは聖地の桶伏山ぢやありませぬか。桶伏山の神殿はあの通り叩きつぶされましたが、東のお宮は旭日昇天の勢ひで誰一人指一本支へるものがないぢやありませぬか。これを見ても神徳があるかないか分るぢやありませぬか。ルートバハーの信者は馬鹿だから変性女子の為に騙され、壊された宮の跡へ集まつて、 壊たれる宮の為に 過ぎ去りし偉大のために 吾等は地に伏して泣く あゝ惟神霊幸倍坐世 なぞと、憐れつぽい声を出して毎日日日吠面かわいてゐるぢやありませぬか。それを見ても神様が居られるか、居られないか分るでせう。善の道の分るのはおそいと神は云はれますが、今は此小北山はルートバハーの信者からは馬鹿にされて居りますが、今に金色燦爛たるお宮が建つて桶伏山尻でも喰へと云ふ様になるのですよ。それだからお前さま等しつかりなされと云ふのですよ。イツヒヽヽヽヽ』 お花『寅子さま、西と東にお宮を建てると云ふのはチツと見当違ひぢやありませぬか。私は桶伏山の御神殿こそ東のお宮と思ひます。神様の御仕組はそんな小さいものぢやありますまい』 寅子『ホヽヽヽヽ、日輪様のおでましになるのが東、お隠れになる方を西と云ふ事が分つてるぢやありませぬか。小北山が西ぢやと思ひますか。貴女も分らぬ方だな。お前も桶伏山の山麓に蟄居してゐたので、女子の悪霊に憑られてソロソロ恍けかけましたね。ウツフヽヽヽヽ』 斯かる所へ洋服姿の守宮別が忙がしげに帰り来たるを見て一同は嬉しさうに、 一同『ヤア、守宮別さま、御苦労で御座いました。外国のお仕組はどうで御座りましたな。定めし日の出神様のお仕組も行渡つて居るでせうな』 守宮別『兎も角お酒を一杯出して下さい。お神酒を頂きもつて、守宮別がゆつくり物語りを致しませう』 (大正一二・七・一三旧五・三〇北村隆光録)
280

(2923)
霊界物語 64_下_卯エルサレム物語2 17 茶粕 第一七章茶粕〔一八二三〕 ブラバーサの親切を罵詈と叱咤を以て報ひ、箒で掃出さむ許りの待遇をして追返した。その翌日、狭苦しい霊城の日の丸の掛軸の前に、オコリが直つたやうな調子でお寅はチョコナンと坐り、天津祝詞を奏上し始めたり。 (祝詞)『小北の山を始めエルサレムの霊城に神つまります、底津岩根の大弥勒の大神、日出神の命もちて、三千世界の救世主、寅子姫命、つまらぬ餓鬼を腹立ち連の、ヤクザ身魂の為に、身禊払ひ玉はむとして、現はれませる荒井戸の四柱の大神、もろもろの曲事罪穢を払ひ玉へ清め玉へ、ブラバーサ、お花の悪魔を退け玉へと申す事の由を、天の大神地の大神、底津岩根の神達共に、徳利聞し召せと畏みも申す。ミロク成就の大神様、上義姫の大神様、義理天上日出大神様、大広木正宗彦命様、木曽義仲姫命様、朝日の豊阪昇り姫命様、岩根木根立彦命様、天の岩倉放ち彦命様、厳の千別彦命様、四方の国中彦命様、荒ぶる神様、貞子姫命様、言上姫命様、その外世に落ちて御苦労遊ばした神々様、一時も早く世にお出まし下さいまして、神政成就、万民安堵の神世が立ちますやう、偏にお願申します。あゝ惟神霊幸倍坐世』 ポンポンポンポンと四拍手し終り、 お寅『これトンクさま、もうお茶が沸いただらうな』 トンク『ハイ、夜前から沸いて居りますよ』 お寅『さうかいな、ソンナラ一寸、ここへ持つて来ておくれ。久し振りで大神様にお祝詞をあげたものだから、喉が渇ついて仕方がない。あんまり熱いと舌をやけどするから、そこは飲みかげんにして、トツトと持つて来ておくれや』 トンク『ハイ、今持つて参じます。オイ、テクの奴、早く土瓶をかけぬかい』 テク『土瓶をかけと云つたつて、夕べの騒ぎで、天にも地にも掛替のない土瓶君、切腹して了つたぢやないか』 トンク『エー、気の利かぬ、今の中に、それ表の瀬戸物屋へ行つて買つて来るのだ。同じ事なら白湯の沸いたのがあつたら、白湯ぐち買つて来ればいいぢやないか。サアサア、ソツトソツト、足音を忍ばせて』 テクは小便しに行くやうな顔してソツと表へ出て了つた。 お寅『これこれ、何を愚図々々してゐるのだい。早くお茶をおくれと云ふのに』 トンク『ハイ、今差上げます。一寸待つて下さいや』 お寅『何とまア、早速間に合はぬ男だこと。あまりの愚図で、可笑しうて臍がお茶を沸かしますぞや』 トンク『私だつて夕べの生宮様と、ブラバーサとの掛合を聞いて居つて、臍が夕から茶を沸かして居りますよ。本当にブラバーサの態つたら、なかつたぢやありませぬか』 トンクは話を横道へ外らし、一寸でも暇を入れて、テクが帰つて来る時間を保とうとして居る。お寅はブラバーサの攻撃らしい事をトンクが云つたので、喉の渇いたのも忘れて了ひ、 お寅『そら、さうだろ。お前だつてのう、トンク、あの態を見たら臍がお茶を沸かす所か、睾玉まで洋行するだらう』 トンク『ヘーヘー、そらさうですとも。肝が潰れて、おつたまげる所か睾丸はまひ上る、おへそは腹がやける程、熱い茶を沸かします。イヤ、モウ、茶々無茶で厶いましたわい。チヤンチヤラ可笑しい。何程偉さうに云つても生宮様の前に現はれたら、丁度猫の傍へ鼠が来たやうなものですが、ニャーんともチュのおろしやうが厶いませぬわい。エー、テクの奴、気の利かない野郎だな。土瓶を折角買つて来た処で湯が沸く間が五分や十分かかるだらうし、此間何と云つてごまかしておかうかな』 と口の中で呟いてゐる。 お寅『これこれトンクさま、今小さい声で云つた事、いま一度、云つて下さい。ごまかすとは、ソラ、誰をごまかすのだい』 トンク『ヘー、何で厶います。ブラバーサも立派な宣伝使だと威張つてゐますが、生宮様の鼻の息に、もろくも散つた処を考へて見ますと、籾粕か胡麻かすか、かるい代物だなア……、とこのやうに云ふたのですわい』 お寅『ホヽヽヽ、籾粕ぢやのうて、揉み消すのだらう。胡麻粕ぢや無うて、うまい事生宮を、ごまかす積りだらうがな。ソンナ嘘を喰ふやうな生宮ぢや厶いませぬぞや』 トンク『イエイエ、決して決して、勿体ない、大弥勒様の生宮を、ごまかすなぞと、人民の分際として、そんな大それた事が出来ますものか。第一、私の頭が世の中の悪潮流に、もみにもみ潰され、悪者共に、ごまかされ、脳髄が、ひつからびて、カスカスになつてゐますもの、どうして生宮様のやうに当意即妙の智慧が出ますものかい』 お寅『これ、トンク、早くお茶を、おくれぬかいな』 トンク『ハイ承知致しました。実の処は土瓶の奴、あの、何です。ブラバーサの態度に呆れたものと見えまして、腮を外し、腹迄破つて、てこねて居るのですよ。それだから、最も新しい、真新な、清新な土器を買つて来て、今日の初水を沸かし、進ぜ度いと存じまして、今テクに買ひにやつた所で厶います。どうぞ一寸、お待ち下さいませ』 お寅『いかにも、そりや結構だ、いい処へ気がついた。何と云つても生宮様のお飲り遊ばす土瓶と、トンク、テクの奴連中と、今迄のやうに一つの土瓶で茶を沸かして居つたのが間違だ。今日から新しくなつて、イヤ誠に結構だ。神様もさぞ御満足遊ばすだらう』 トンク『それに、生宮様、よう考へて御覧なさい。半狂人の曲彦や、お花さまが使つてゐた土瓶ですもの。夕べの騒ぎで、生宮様のお臂を使ひ、神様がお土瓶様を、滅茶々々にお割り遊ばしたのだと、私はこのやうに、おかげを頂かして貰ひますわ』 お寅『成程、お前の云ふ通り、妾の聞く通り、チツとも間違ありますまい。ホヽヽヽ』 かかる処へ、テクは青土瓶をひつ下げて帰り、 テク『イヤ、これはこれは、お早う厶います。サアお茶が沸きました。どうぞお飲り下さいませ』 お寅『これテクさま、新の土瓶を買つて来て下さつて誠に結構だが、湯を沸かすのなら、何だよ、初めてだから、あまり熱いお湯を沸かすと、お尻が割れますぞや。そして燻べぬやうにせないと、直お前の顔のやうに真黒になるからな。上等の炭火で沸かして下さいや』 テク『ヘー、瀬戸物屋の爺、仲々気の利いた奴で、新の土瓶で湯を沸かすのは仲々むつかしい、商売柄、一つ教へてあげませう、と云ひましてな、それはそれは立派な唐木で作つた角火鉢の上に、ソツとのせて、上等のお茶をチヨツトつまみ、ガタガタガタと沸かして呉れました。本当に飲み加減ださうで厶いますよ』 お寅『そりや仲々気が利いてゐる。サア一つこのコツプについで下さい』 テク『ハイ、承知致しました』 と路地口でソツと垂れ込んでゐた小便の汁を七分許りついで、恭しく手盆に乗せ、おち付き払つてお寅の前につき出す。お寅は喉が渇いてゐるので、小便とは気が付かず、飛びつくやうにして、グイグイグイと飲み終り、 お寅『ハ、何だか、妙な香がするぢやないか』 テク『何と云つても、土瓶が新で厶いますから、薬の香がチツトは出るさうです。どうです、も一杯、つぎませうか』 お寅『イヤ、もう結構だ、とは云ふものの、コンナ結構なお土瓶のお新のお茶をお粗末にお取扱する御訳にはお行き申さぬから、も一杯ついで下さい』 テク『ヘー承知致しました』 と云ひ乍ら又もやコツプに今度は九分五厘迄注いで見た。 お寅『ホヽヽヽヽ、何と、色よう出てゐること、エー今日は御褒美に大弥勒の太柱、日出神の生宮のお下りを、お前にも飲まして上げやう。結構な結構なお茶様ぢやぞえ。サア、テクさま、頂いて下さい。滅多に生宮様の口のついたお茶碗で頂くと云ふ事は出来ませぬよ』 テク『イヤ、もう沢山で厶います。今日は何だか腹が張つて居りますので、水気は一切、欲しくは厶いませぬ』 お寅『このお茶さまはな、御供水も同然だ。生宮が頂けと云つたら、反く事は出来ませぬぞや』 テク『どうか、おかげを、トンクに譲つてやつて下さいませぬか』 トンクは、テクの奴どうも怪しい、途中で小便でもこいておきやがつたのぢやあるまいかと、やや疑ひ初めてゐた最中なので、 トンク『ヤー、俺も結構だ。今日は水気一切飲み度くない。テク、お前が生宮様から頂かして貰つたのだから一滴もこぼさず、御神徳だ、グツと、思ひ切つてやつておき玉へ。俺としては、どうも、何々ぢや、マア自業自得だ。サアサア頂いた頂いた』 お寅『これほど結構なお茶様が、お気に入らぬのかいな。ソンナラ仕方がない、このお茶さまは、下げて、あげる。イヤ、お茶さまは放かしなさい。そして、土瓶を灰でスツクリ中から外迄柄迄、研いておくのだよ』 テク『ハイ、承知致しました』 と匆々に裏口の溝溜りへ鼻に皺寄せ乍ら打ちあけ、灰と水と笹[※校定版では「簓(ささら)」という文字に直している。]とで大清潔法を行ひ、チヤンと走りの棚に安置しておいた。 お寅『これ、テク、トンクの両人、俄かに、干瓢が欲しくなつたから、町へ出て一斤程買つて来て下さいな』 テク『ハイ、エー、私一人お使に参ります。お気に入りのトンクは、どうかお側に於てやつて下さい』 お寅『イヤイヤお前のやうな口穢いものは、一人やると、道で干瓢をしがみて了ふから目方が減つて大変な損害だ。口近いものはヤツパリ行儀のよい、トンクに買つて来て貰はう。その代りにお前は一寸使に行つて下さい。エルサレムのお宮へ、私の病気が本復したのでお礼詣りにだよ』 テクとトンクは『ハイハイ』と二つ返事で小銭を、引ツつかみ立つて行く。干瓢はツヒ近くの店にあるので、十分たたぬ間にトンクは一斤程買求めて帰つて来た。 トンク『生宮様、えらう遅うなつて済みませぬ』 お寅『おそい所か、お前は夏の牡丹餅だよ。本当に足が早いぢやないか。使歩きは、お前に限るよ。今日は、この生宮が干瓢を煮いて神様にお供へをしたり、お前にも頂かしたいから手づから、お料理をしませう。テクの奴、エルサレムのお宮へ詣れと云つておいたのに、又どこに、外れて行くか分らないから、お前、御苦労だが一寸調べて来て下さらないか』 トンク『成程、委細承知致しました』 と云ふより早く、窮屈の皺苦茶婆アの小言を聞いて居るより、外の空気に触れた方が面白いと、匆々に出でて行く。その後でお寅は干瓢に鰹のだしを入れ、グツグツと膨れる処迄煮き上げ、神様にもお供へをし、自分とトンクとの分をしまひおき、あとの残つた干瓢を、暫らく水に浸し、甘味をぬいて了ひ、再び土瓶の中へつツ込み、シスセーナをやつて、再び火鉢に土瓶をかけ、グツグツグツとたぎらし、テクの膳を出して、皿に一杯盛つておいた。暫くすると、トンク、テクは怖さうに帰つて来た。 トンク『もし生宮様、エー途中でテクに出会ひまして、無事に帰りまして厶います』 お寅『アヽそれはそれは御苦労千万、さア腹が減つただらう、朝御飯を食つて下さい。私もお前さまと一緒に御飯を食らうと思つて、空腹をかかへて待つて居つたのだよ』 トンク『それはそれは。炊事迄生宮様にさせまして、オイ、テク、頂かうぢやないか。大弥勒様のお手づからの御料理だ。コンナ光栄は、滅多にあるまいぞ』 お寅『今日は生宮が炊事をするけれど、明日からはトンクさまに願ひますよ』 トンク『はい、承知致しました』 と三人は食卓を囲み、干瓢の副食物で、朝飯をパクつき初めた。 トンク『何とマア、干瓢の味がいいぢやありませぬか。何ともかとも知れぬ味が致しますワ』 テク『ン、うまいな、然し、チツと臭いぢやないか』 トンク『何、臭いのが価値だ、鰹の煮だしの香だよ』 テク『さうだらうかな』 と云ひ乍ら、お寅もトンクも、甘さうに喰つてゐるので、自分も怪しいと思ひ乍ら、一切れも残さず平げて了つた。 お寅『ホヽヽヽヽ、これテク、どうだつたい。お前には特別の御守護が与へてあるのだよ。最前の返礼にな。チツと許り、お報いしたのだから、悪う思つて下さるなや、ホヽヽヽヽ』 テクは小田の蛙の、泣きそこねたやうな面をし乍ら、ダマリ込んで了つた。そこへスタスタ帰つて来たのはツーロであつた。 ツーロ『御免なさい。えらう遅くなつて済みませぬ。只今かへりました。ヤア、トンク、テクお前は、もう帰つてゐるのかい』 トンク『貴様、どこへ行つて居つたのだい。生宮様は大変に立腹して厶つたぞ。まるで鉄砲玉のやうな奴だな。出たら帰る事を知らないのだから、困つたものだよ』 ツーロ『ナニ、大変暇がいつて、すまなかつたが、その代り生宮様に対し、ドツサリとお土産を持つて来たのだ。お釈迦様でも御存じないやうな、秘密を探つて来たのだからなア』 お寅『これ、ツーロ、妾におみやげとは、ドンナ事ぢやいな。大方お花と大広木さまとの秘密でも探つて来たのだらう』 ツーロ『イヤ、御賢察恐れ入ります。私も実は、ヤクの後をおつかけて参りました所、行衛が知れないので申訳がないと存じ、二三日アメリカン・コロニーの食客をやつてゐましたが、大広木正宗さまとお花さまとが、カトリックの僧院ホテルで新ウラナイ教を立てられると云ふ事を聞き、ソツと見に行つた処、ヤクの奴、階子段の下に大の字になつて、フンのびてゐるぢやありませぬか。大勢のボーイがよつて、ワイワイ騒いでゐる、医者が出て来る、大変な騒動でしたよ』 お寅『何と、マア天罰と云ふものは、恐ろしいものだな。此生宮の面態を泥箒でなぐつた報ひだらうよ。それで一寸、溜飲が下りました。どうも神さまと云ふものは、偉いものだわい。そしてお花や大広木正宗さまの様子は聞いて来なかつたかい』 ツーロ『ヘーヘー、聞くの聞かぬのつて、大変な事が起つて居ります。守宮別の大広木さまはお花さまと結婚式を挙げ、新宗教を樹てやうとして厶つた所へ、有明屋の綾子と云ふ白首が会ひに来たものですから、お花さまと大喧嘩が起り、大広木さまは種茄子を引張られて目をまかすやら、お花さまは頭を殴られて発熱し、囈言許り云ふので、博愛病院へ入院しました』 お寅『ホヽヽヽ、何とマア神さまは偉いお方だな。誠さへ守りて居りたら神が敵を打つてやるぞよと、いつも日出さまが仰有るが、ヤツパリ悪は善には叶ひますまいがな、然し有明屋の綾子と云ふ女、気の利いた奴だ。蹴爪の生えたお花と喧嘩するなぞと、本当に末頼もしい。ドーレ、それでは、守宮別さまの御見舞に行かねばなるまい。所在が分つた以上は、一刻も猶予は出来ぬ。トンク、テク、お前は神妙にお留守をしてゐて下さい。必ず小便茶なぞを沸かしてはなりませぬぞや。これツーロ、案内しておくれ』 ツーロ『ハイ、承知致しました』 と先に立ち出でて行く。お寅はダン尻をプリンプリンと中空に、ブかつかせ乍ら、表街道へ出て、ツーロと共に自動車を雇ひ、カトリックの僧院ホテルを指して急ぎ行く。 (大正一四・八・二一旧七・二北村隆光録)