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書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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1 (379) |
ひふみ神示 | 17_地震の巻 | 第2帖 | 天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。何故ならば、自らなる段階的秩序を破るからである。秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。しかし、同一線上に於ける横の交流は、可能である。それは丁度、地上に於ける各民族がお互に交流し、融和し得るのと同様である。総て分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。分類しては、生命の統一はなくなる。其処に、分離と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。一なるものは、平面的には分離し得ない。二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。 |
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2 (472) |
ひふみ神示 | 22_青葉の巻 | 第3帖 | ひかり教の教旨書き知らすぞ、
人民その時、所に通用する様にして説いて知らせよ。
教旨
天地不二、神人合一。天は地なり、地は天なり、不二なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。神、幽、現、を通じ、過、現、未、を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。
次に信者の実践のこと書き知らすぞ。三大実践主義
弥栄実践
祓実践
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3 (1497) |
霊界物語 | 10_酉_黄泉比良坂の戦い | 27 言霊解一 | 第二七章言霊解一〔四五七〕 皇典美曽岐の段 『是を以て伊邪那岐大神宣り玉はく』 『是を以て』とは前の「黄泉大神と事戸を渡し玉ひ」云々の御本文を受けて謂へる言葉であります。 イザナギの命の御名義は、大本言霊即ち体より解釈する時は、イは気なり、ザは誘ふなり、ナは双ことなり、ギは火にして即ち日の神、陽神なり。イザナミのミは水にして陰神なり、所謂気誘双神と云ふ御名であつて、天地の陰陽双びて運り、人の息双びて出入の呼吸をなす、故に呼吸は両神在すの宮である。息胞衣の内に初めて吹くを号けて天浮橋と云ふ。その意義はアは自らと曰ふこと、メは回ることである。ウキはウキ、ウクと活用き、ハシはハシ、ハスと活用く詞である。ウは水にして㎞也。ハは水にして横をなす、即ち㎎である。水火自然に廻り、浮発して縦横を為すを天浮橋と云ふ。大本神諭に『此の大本は世界の大橋、この橋渡らねば世界の事は判らぬぞよ。経と緯との守護で世を開くぞよ。日の大神月の神様は、此世の御先祖様であるぞよ』とあるは此の意味に外ならぬのであります。 天地及び人間の初めて気を発く、之を二神天浮橋に立ちてと云ふのである。孕みて胎内に初めて動くは、天浮橋であり綾の大橋である。是の如く天地の気吹き吹き、人の息吹き吹きて、其末濡りて露の如き玉を為す、是れ塩累積成る島である。水火はシホであり、シマのシは水なり、マは円かと云ふ事で、水火累積て水円を成し、息の濡をなす、その息自づと凝り固まる、之を淤能碁呂嶋と云ふのである。要するに伊邪那岐、伊邪那美二神は、地球を修理固成し、以て生成化々止まざるの御神徳を保有し、且之を発揮し、万有の根元を生み玉ふ大神である。併し一旦黄泉国の神と降らせ玉へる時の伊邪那美の大神は、終に一日に千人を殺さむ、と申し玉ふに立到つたのであります。更に日本言霊学の用より二神の神名を解釈すれば、伊邪那岐命は万有の基礎となり土台となり、大金剛力を発揮して修理固成の神業を成就し、天津神の心を奉体して大地を保ち、万能万徳兼備し⦿の根元を定め、永遠無窮に活き徹し、天津御祖の真となり、善道に誘ふ火水様である。次に伊邪那美命は、三元を統べ体の根元を為し、身体地球の基台となり玉となりて暗黒界を照し玉ふ、太陰の活用ある神様であつて、月の大神様であり、瑞の御霊である。斯の如き尊貴円満仁慈の神も、黄泉国に神去ります時は、やむを得ずして体主霊従の神と化生し給ふのである。此処には御本文により男神のみの御活動と解釈し奉るのであります。 『吾は厭醜悪穢国に到りて在りけり』 アの言霊は天也、海也、自然也、○也、七十五声の総名也、無にして有也、空中の水霊也。これを以て考ふれば、吾とは宇宙万有一切の代名詞である。この宇宙万有一切の上に醜悪汚穢充満して、実に黄泉国の状態に立到つたと曰ふ事である。現代は実に天も地も其他一切の事物は皆イナシコメシコメキキタナキ国と成り果てて居るのである。政治も外交も教育も実業も道義も皆悉く廃れて、神の守り玉ふてふ天地なるを疑ふばかりになつて来て居るのであります。 『故に吾は御身の祓為なと詔りたまひて、筑紫の日向の立花の小門の阿波岐原に到りまして美曽岐祓ひたまひき』 大々的宇宙及び国家の修祓を断行せむと詔りたまうたのである。御神諭に、『三千世界の大洗濯、大掃除を天の御三体の大神の御命令に依りて、艮の金神が立替立直しを致す世になりたぞよ』と示されたるは、即ち美曽岐の大神事であります。 ツは実相真如決断力也、照応力也。 クは暗の交代也、三大暦の本元也、深奥の極也。 シは世の現在也、皇国の北極也、天橋立也。 ノは天賦の儘也、産霊子也、無障也。 ヒは顕幽貫徹也、無狂也、本末一貫也。 ムは押し定む也、国の億兆を成す也、真身の結也。 カは晴れ見る也、際立ち変る也、光り暉く也。 ノは続く言也。 タは対照力也、平均力也、足り余る也。 チは溢れ極まる也、造化に伴ふ也、親の位也。 ハは太陽の材料也、天体を保つ也、春也。 ナは火水也、真空の全体也、成り調ふ也、水素の全体也。 アは大本初頭也、大母公也、円象入眼也。 ハは延び開く也、天の色也、歯也、葉也。 ギは霊魂の本相也、天津御祖の真也、循環無端也。 ハは切断力也、フアの結也、辺際を見る也。 ラは高皇産霊也、本末打合ふ也、無量寿の基也。 以上の言霊を約むる時は、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原は、実相真如の顕彰にして一切の事物を照応し、決断力を具有して、暗黒界を照変し、神政を樹立し、御倉棚の神なる宇宙経綸の三大暦即ち恒天暦、太陽暦、太陰暦の大本元を極めて、深甚玄妙の極を闡明し、現在の世を済する為に天橋立なる皇国の北極に天賦自然の産霊子を生成化育して、障壁なく狂ひなく顕幽貫徹、本末一貫、以て万象を押定め、真身の結に依りて国の億兆を悉皆完成し、光輝以て神徳を発揚し、青天白日の瑞祥を照して、宇宙一切の大変革を最も迅速に敢行し給ひ、上下一致、顕幽一本、平均力を以て、善悪美醜清濁を対照し、全智全能にして、親たるの位を保ち、溢れ極まる霊力を以て造化に伴ひ、太陽に等しき稜威を顕彰して天体を保有し、春の長閑なる松の代を改立し、真空の全体たる霊魂球を涵養し、水素の本元たる月の本能を照して、宇宙一切を完成調理し、万有を結びて一と成し、天地を祭り人道を守り、国家を平けく安らけく治め幸はひ、男性的機能を発揮し、大仁大慈の神心を照し、造化の機関たる位を保ち、元の美はしき神世に突き戻し、円象入眼、総ての霊と体に生命眼目を与へ、大母公として世の大本となり、初頭と現はれ、無限に延び無極に開き、蒼天の色の如く清く、且つ高く広く、生成化育の徳を上下の末葉に及ぼし、天津御祖神の真を体得し、循環極まりなく、各自霊魂の本相を研ぎ尽し、妖邪を切断し世の辺際を見極め、言霊力を以て破邪顕正し、本末相対して世を清め洗ひ、一切無量寿たるの根基を達成すべき霊系高皇産霊の神業を大成する霊場と曰ふことである。現代の世に於て、斯の如き霊場たる神界の経綸地が、果して日本国に存在するであらう乎。若し存在せりとせば、其地点は何国の何れの方面であらう乎、大本人と云はず、日本人と云はず、世界の人類は、急ぎ探究すべき問題であらうと思ふのであります。 次に美曽岐の言霊を解釈すれば、 ミは水也、太陰也、充也、実也、道也、玉と成る也。 ソは風の種也、身の衣服也、⦿を包裏居る也。 ギは活貫く也、白く成る也、色を失ふ也、万に渡る也。 要するに、所在汚穢を清め塵埃を払ひ、風と水との霊徳を発揮して、清浄無垢の神世を玉成し、虚栄虚飾を去り、万事に亘りて充実し、活気凛々たる神威を顕彰し、金甌無欠の神政を施行して、宇内一点の妖邪を留めざる大修祓の大神事を云ふのである。現代の趨勢は、世界一般に美曽岐の大神事を厳修すべき時運に遭遇せる事を忘れては成らぬ。大本の目的も亦、この天下の美曽岐を断行するに在るのであります。 『故投棄つる御杖に成りませる神の御名は衝立船戸神』 御杖の言霊、ツは大金剛力決断力で玉の蔵であり、ヱは中腹に成就し行き進み玉を保つことであつて、即ち神の御力添へをする役目であります。然るに神は、この杖までも投げ棄て玉うたと云ふことは、よくも汚れたものであります。現代で曰へば大政を補弼する大官のことであります。 衝立船戸神の名義は、上と下との中に衝立ち遮り、下情を上に達せしめず、上の意を下に知らしめざる近親の神と云ふことである。現代は何事にも総てこの神様が遮り玉ふ世の中であります。杖とも柱とも成るべき守護神が、却て力に成らず邪魔になると曰ふので、伊邪那岐大神は、第一着に御杖を投げ棄て賜うたのであります。 『次に投棄つる御帯に成りませる神の御名は道の長乳歯の神』 御帯の言霊は、オは霊魂、精神を治め修むることで、亦神人合一の連結帯である。ビは光華明彩、照徹六合の意である。即ち顕界の政を為すに当りては、必ず精神的に天地人道を説き諭し、以て億兆をして帰依せしめ、顕界の政治に悦服帰順せしめねば成らぬのである。是が所謂神の御帯であります。神は此御帯も穢れて使へなく成つたから投げ棄て玉うたのであります。 道の長乳歯の意義は、天理人道を説く宗教家、教育家、倫理学者、敬神尊皇愛国を唱ふる神道家、皇道宣伝者、演説説教家等の大家と曰ふ事である。この帯を投棄て給ふと云ふ事は、総ての教育、宗教、倫理の学説を根本より革正し給ふと曰ふ事であります。 (大正九・一・一五講演筆録谷村真友) |
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霊界物語 | 10_酉_黄泉比良坂の戦い | 31 言霊解五 | 第三一章言霊解五〔四六一〕 『墨江の三前の大神』 スミノエノミマヘの言霊を解説すると、 スは、真の中心也、本末を一轍に貫ぬく也、玉也、八咫に伸び極まる也、出入の息也、不至所無く不為所無き也、天球中の一切也、八極を統ぶる也、数の限り住む也、安息の色也、清澄也、自由自在也、素の侭也。 ミは、瑞也、満也、水也、体也。 ノは、助辞也。 エは、ヤ行のエにして心の結晶点也、集り来る也。胞衣也、悦び合ふ也、撰る也、大也。 ノは、助辞也。 ミは、三也、天地人の三也、太陰也、屈伸自在也、円也、人の住所也。 マは、一の位[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。ここを含め3ヶ所とも同じ(「一の位に当る也」「一の此世に出る也」「一の位を世に照し」)。校正本(三版を校正したもの。p280)では「一」にフリガナは無いが、校定版・愛世版では「いち」とフリガナが付いている。編者が数字の一だと勘違いしたのであろう。霊界物語ネットでは間違わないように「ア」とフリガナを付けた。]に当る也、一[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。041「一の位」の脚注参照。]の此世に出る也、全備也、円也、人の住所也。 ヘは、⦿の堅庭也、動き進む義也、部也、辺也、高天原の内に⦿を見る也。 以上の言霊を総括する時は、明皎々たる八咫の神鏡の如く澄極まり、顕幽を透徹し、真中真心の位に坐し、至らざる所無く、為さざる所無く、清き泉となり、一切の本末を明かにし現体を完全に治め、万物発育の本源となり、以て邪を退け正を撰み用ゐ、温厚円満にして月神の如く、各自の天賦を顕彰し、身魂の位を明かにし、一の位[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。041「一の位」の脚注参照。]を世に照し活動自在にして、地の高天原に八百万の神を集へ、以て⦿を守る三柱の大神と曰ふ事である。故に三柱の大神の御活動ある時は、風水火の大三災も無く、飢病戦の小三災も跡を絶ち、天祥地瑞重ねて来り、所謂松の世五六七の世、天国浄土を地上に現出して、終に天照大神、月読命、須佐之男命の三柱の貴の御子生れ給ひ、日、地、月各自其位に立ちて、全大宇宙を平けく安らけく治め給ふに至るのであります。故に神の御子と生れ天地経綸の司宰者として生れ出でたる人間は、一日も早く片時も速に、各自に身魂を研き清め、以て神人合一の境地に入り、宇内大禊祓の御神業に奉仕せなくては、人間と生れた効能が無く成るのであります。 宇都志日金拆命 宇都志日金拆命は、綿津見神の御子であつて、阿曇の連は其の子孫である。宇都志日金拆命の名義を言霊に照して解釈すると、 ウは、三世を了達するなり、艮の活動也。 ツは、大造化の極力也。平均力也、五六七の活動也。 シは、世の現在也、基也、台也、竜神の活動也。 ヒは、顕幽悉く貫徹する也、本末一貫也、太陽神活動の本元也。 カは、光り輝く也、弘り極まる也、禁闕要の大神、思兼神の活動也。 ナは、智能完備也、万物を兼結ぶ也、直霊主の活動也。 サは、水質也、水の精也、昇り極まる也、瑞の神霊の活動也。 クは、明暗の焼点也、成り付く言霊也、国常立の活動也。 以上の言霊活用に依り、命の御名義を総括する時は、知識明達にして大造化の極力を発揮し、天下の不安不穏を平定し、理想世界を樹立するの基礎となり、鎮台となりて、顕幽を悉皆達観し、一大真理に貫徹して一切事物の本末を糺明し、邪を破り正を顕はし無限絶対無始無終の神明の光徳を宇内に輝かし、皇徳を八紘に弘めて止まず、智能具足してよく万物を兼ね結び合せ国に戦乱なく疾病なく飢饉なく、暴風なく、洪水の氾濫する事なく、大火の災なく、万物を洗ひ清めて、瑞の御霊の心性を発揮し、明暗正邪の焼点に立ちて、能く之を裁断し、以て天国浄土を建設するの活用を具備し成就し給ふ御活動の命と曰ふ事である。即ち宇宙一切は、綿津見神の活動出現に依りて、艮の金神、五六七の大神、竜宮の姫神、太陽神の活動、禁闕要の大神、思兼神、直霊主、稚姫神、月読神、大国常立神等の出現活動に拠りて、万有一切は修理固成され清浄無垢の世界と成りて、終に三貴神を生み給ふ、原動力の位置に在る神と曰ふ意義であります。 阿曇の連 アヅミノムラジの名義は、天之御中主神の霊徳顕はれ出でて、至治泰平の大本源となり、初頭となり、大母公の仁徳を拡充し、大金剛力を発揮して、大造化の真元たる神霊威力を顕彰し、純一実相にして、無色透明天性その侭の位を定め、万民を愛護して、月の本能を実現する真人と曰ふことが、アヅミの活用である。 ムラジは、億兆を悉く強国不動に結び成して、凡ての暴逆無道を押し鎮め、本末能く親和して、産霊の大道たる惟神の教を克く遵守し、万民を能く統轄して、国家を富強ならしめ、一朝事あるときは、天津誠の神理を以て、神明鬼神を号令し、使役する神の御柱を称して、アヅミのムラジと謂ふのであります。アヽ伊邪那岐大神の心つくしの宇宙の大修祓の神功無くして、如何で神人の安息するを得むや。実に現代は大神の美曽岐の大神事の、大々的必要の時機に迫れる事を確信すると共に、国祖国常立尊、国直日主命、稚姫君命の神剣の御発動を期待し奉る次第であります。(完) 瑞の神歌 霊幸ふ神の心を高山の 雲霧分けて照せたきもの 日の光り昔も今も変らねど 東の空にかかる黒雲 この度の神の気吹の無かりせば 四方の雲霧誰か払はむ 葦原に生ひ繁りたる仇草を 薙払ふべき時は来にけり 霊主体従の教を四方に播磨潟 磯吹く風に世は清まらむ (大正九・一・一五講演筆録外山豊二) |
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霊界物語 | 11_戌_コーカス山の大気津姫退治 | 17 大気津姫の段(三) | 第一七章大気津姫の段(三)〔四八四〕 『故殺さえたまへる神の身に生れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰に麦生り、尻に大豆生りき。故是に、神産巣日御祖命茲を取らしめて、種と成し賜ひき』 『殺さえたまへる』と云ふ事は、大神の御法則に違反せる、汚穢なる衣食住の方法を根本的に撤廃せられたと云ふ意義であります。 『神の身に生れる物は頭に蚕生り』と云ふ事は、頭は総て国民の上に立つ治者の謂である。蚕は言霊学上、 カは、蒙せ、覆ふ活用であつて衣服を意味する、また光輝き、晴れ明けく、気体透明の言義である。 イは身に従ひ成る也、身の足して動かす也。これも衣服の活用である。 コは天津誠の脳髄であり、子の活用である。故に万民の上に立つべき役員は、第一に蚕の如く其身を空しうし、犠牲となつて国家の為めに尽さねばならぬ。 天理人道を明かにし、神智神識を感受し、以て上は一天万乗の大君に純忠の至誠を捧げ、下は人民を愛撫し、以て天津誠の実行者たるの覚悟を持ち、政治は完全無欠、錦繍綾羅の神機を織出すてふ、天下経綸の大道に奉仕するに至る瑞祥の世態を称して、『頭に蚕生り』と謂ふのであります。 『二つの目に稲種生り』と云ふ事は、目は正中を司どるものである。世界の一切を見極め、善悪美醜を判明する神機である。二つの目とは左右両眼の意義で、左は上を代表し、右は下を代表する目である。万有一切皆この目の無いものはない。然るに上流社会は上流のみの事を知り、下流社会は下流のみの事より見ないとすれば、所謂片目である。現代は大抵皆片目の政治家や教育家計りであつて、二つの目の活用が足りないので、天下は益々無明、暗黒、常暗となつて来るのである。また顕幽両界を達観し得る人は、所謂二つの目が照るのであります。 稲種の イは成就る言霊で、大金剛力であり、基である。 ナは万物を兼ね統る言霊にして、能く行届く事である。 イナはまたイネと云ひ、五穀の主であり、眼である。イネの霊返しは餌となる、また米の返しはケとなる。大気津姫の気である。またよねとも云ふ。よねの返しもまた餌であり、糧の返しはケとなる。人の眼は夜分に寝るを以て夜寝[※校定版・八幡版ではここに括弧書きで(米)という文字を入れている。]と云ひ、寝るを以て、寝[※校定版・八幡版ではここに括弧書きで(稲)という文字を入れている。]ると云ふ。人の眼に似て形小なるが故に、小目(米)と云ふのも、言霊学上面白き解釈である。 凡て穀食を為す時は、心血自然に清まりて、明けく、敏く、顕幽を達観し、上下を洞察し、以て天下の趨勢を知悉し得るのである。故に万民の頭に立つべき治者は、心血を清め、神智を備へて、天下に臨まねばならぬのである。是の原理天則が、頭に立つ人々に判つて来て、汚穢の食を廃し皇国固有の正食に改め、以て善政良治を布くに致る事を、『二つの目に稲種生り』と謂ふのであります。 また宗教家なれば、第一に顕幽一本の真理を達観して、生死往来の神機を知悉し、万民を教化するに致りたるを『二つの目に稲種生り』と謂ふのであります。顕幽一致、上下合一、陰陽和合、君民和平、内外親睦、神人合一の境地に入れる真相を称して、また『二つの目に稲種生り』と謂ふ事が出来るのであります。 『二つの耳に粟生り』と云ふ事は、二つは前に述べた通り、左右の意義であり、左は上流、右は下流社会なる事は勿論である。耳の言霊の約りはミである。ミは農工商の三種であり、実業であり、形体具足の言義であり、身体である。要するに、一切の生産機関を総称して耳と云ふのである。故に左は資本家や、大地主を意味し、右の耳は労働者や、小作人を意味するのである。また耳は一方よりその活用を調ぶる時はキクと曰ふ事が主眼である。手が利く、耳が利く、目が利く、鼻が利く、口を利く、腹が利く、舌で酒を利く、腰が利く、これを八ツ耳と曰ふのである。また霊的方面に於ても同一に、神眼、神耳、天言等やはり八ツ耳である。斯の如く霊体共に完全無欠なる、幽顕十六耳の意義を取りて十六菊の御紋章を制定されたのは最も深遠なる御慮の御在します所である。神八井耳命、彦八井耳命、忍穂耳命、または聖徳太子を八ツ耳命と申すなぞは、みな前述の意義から、名付けられたものであります。 『粟生り』の アの言霊は大物主であります、地であり、顕体であり、大本である。 ハの言霊は、延び開く也、花実也、数多き也の活用である。 要するに『粟生りき』と云ふ意義は、物質、霊界共に円満に発達し、国利民福を招来し、鼓腹撃壤の聖代の、出現せし事であります。御神諭に、 『今の人民は盲と聾計りであるから、何程結構な誠を為て、眼の前に突出してやりても一つも見えず、一寸先は真の暗であるぞよ。神は世界を良く致して、上下揃へて人民を歓ばして安楽な神世に致して、花を咲かし、実を結ばして、松の世、五六七の神世に立直して与らうと思うて、明治二十五年から、色々と申して、呼ばはりて聞かしても、耳が蛸に成りてをるから、狂婆が何を吐すと申して、我身の足下に、火が燃えて来て居りても、少つとも耳に入れぬが、見て居じやれよ、今に盲が目が明き、聾が耳が聞える様に成りて来るが、さうなりてから、俄に周章て神の申す事を聞く気に成りても、モウ間に合ぬぞよ。聞くなら今の中に聞いて置かぬと、後の後悔間に合はぬぞよ、眼も鼻も開かぬ如うな、惨い事が今に出て来るが、神の申す誠の警告を聴く人民は、世界にないぞよ、困つたものであるなれど、是を説いて聞かして、耳へ入れさして置かねば、神の役が済まぬから、嫌になる所まで、クドウ気を付けるから耳の穴を能く掃除致しておくが良いぞよ』云々 とあるのは、耳に粟を生り出でしめむとの、神様の深き思召しであります。 『鼻に小豆生り』と云ふ事は華美なる衣服を改め、実務に適する制服を改定されると云ふ事である。大臣は大臣の服装、小臣は小臣、神職は神職、僧侶は僧侶、軍人は軍人、農工商は農工商の制服を定め、主人は主人、僕婢は僕婢の制服を一定し、一見してその官吏たり、宗教家たり、農夫たり、主人たり僕婢たり、労働者たる事の、弁別し易き服装を制定さるる事を『鼻に小豆生り』と曰ふのであります。現代の如く服制に厳格なる定規なく、神職や僧侶なぞが洋服を着用したり、僕婢が紋附羽織を着流し、絹の足袋を穿ち大道を憚らず濶歩するが如きは、実に不真面目の至りにして、亡国の因となるのである。アヅキのアは光り輝く事で、照妙、和妙なぞの、高貴なる織物であります。アは顕誉の地位に在る真人である。故に大臣とか、神官神職とかの、着用すべき衣服である、その他の臣民の着用すべきものでないのだ。絹物は着ぬもの也との滑稽語は、実際の戒めとして服膺すべき言葉である。アヅキのヅキは着キと云ふ事であつて、治者たる大臣高官および神官神職に限りて着用すべきものであると云ふ事を、決定されたのを『鼻に小豆生り』と曰ふのであります。鼻は人体に取つては呼吸の関門であつて、人民生息の主要点である。故に一国の安危を背負つて立てる国家の重臣を鼻と云ふのである。神諭にも、 『此の事成就致したら、艮の金神の鼻は、カラ天竺は愚、天まで鼻が届くぞよ』 と予告されてあるのも、世人が尊重畏服するとの神意である。世俗が一つの功名手柄を顕はしたる時に於て、鼻が高うなると謂ふのも人の上に卓絶したる意義である。今日のやうに国家の重臣や、清浄なる神明に奉仕する神官等が、小豆を着用せずして、獣畜の毛皮を以て作れる、衣服を着用するなぞは、実に天則違反の行為であります。 『陰に麦生り』と云ふ事は、西洋人は麦を常食とすると云ふ意義であります。日本及其他の東洋諸国は陽の位置にある国土であるから、陽性の食物たる米を常食とするのが、国土自然の道理である。西洋は陰の位置にある国土であるから陰性の食物たる麦を常食とするのが国土自然の道理である。故に西洋人は麦で作つたパンを食ひ、東洋人殊に日本人は米食をするのが天賦の本性である。然るに、今日の日本人は上流に成るほど西洋崇拝者が多く現はれ、文明人らしき顔付をして、自慢でパンに牛酪なぞを附けて無味ものを美味さうに、平気で喰つて居るが、麦は日本では、牛馬の喰ふべき物と決定つて居るのである。故に日本人は米を喰ひ、陰所たる西洋に生れた人種は、麦を喰ふことに成るのが『陰所に麦生り』と云ふのであります。 『尻に大豆生りき』と云ふ事は、同じ日本国でも北海道などは、日本国の尻である。大豆は脂肪に富んだ植物であるから、寒い国の人間は、如何しても大豆類を食する必要がある。大豆を喰つて居れば、寒い国でも健康を害すると曰ふ如うな事はない。併し是は大豆計り喰ふと曰ふ意味では無い。米と混じたり或は炙つたり、粉末にして喰へば良いのである。北海道に後志と云ふ国名のあるのも尻の意味であります。筑後の国をミチノシリと訓むのも、国の端と云ふ意味である。要するに、此の段の古事記御本文は、第一に各自の国土に応じたる食制を、神界より定め玉うたのであります。 『故、是に神産巣日御祖命、茲を取らしめて、種と成し賜ひき』高御産巣日御祖神は霊系の祖神であり、神産巣日御祖神は、物質界体系の祖神である。『茲を取らして』と云ふ事は、前記の御本文の御食制を、採用されてと云ふ事で、素盞嗚尊の食物に関する御定案を、直に御採用遊ばした事であります。『種と成し玉ひき』と云ふ事は、この食制を基として、天地改良の神策を樹立し玉うたと云ふ事であります。故に人間は此の天則に違反して、暴食する時は大切なる神の宮居たる身体を毀損するやうな事になつて、天寿を全うする事が出来ぬやうに成るのであるから、人間は日々の食物には、充分に注意を払ふ可きものであります。 (大正九・一・一七講演筆録谷村真友) |
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霊界物語 | 14_丑_小鹿峠(弥次彦・与太彦) | 07 難風 | 第七章難風〔五五七〕 小鹿峠の急阪を、弥次彦、与太彦、勝彦、六公の一行は、岩根に躓き、木の根に足を掻き、右に倒れ左に転けどつくりの口から出任せ、野趣満々たる俄作りの宣伝歌を謳ひ乍ら、爪先上りの雨に曝され掘れたる路を、千鳥の足の覚束なくも、喘ぎに喘ぎ上り行く。塵も積れば山となる、一尺一尺跨げた足も、始終休まぬ四十八坂を、心ばかりの勝彦が、自慢お箱の十八番の阪の上に、やつと上つて、鼈に蓼を噛ました様な荒息を継ぎ乍ら親も居らぬにハア(母)ハアと息をはづませ辿り行く。 勝『皆サン、此見晴らしの佳い所で、暫くコンパスの停車をして、浩然の気を養つたらどうですか』 弥『サア誰に遠慮会釈もありませぬワ、公然と休養致しませう、天洪然を空しうする勿れだ。しかし休養序に一つ石炭の積込をやりませうかい、斯う云ふ適当な港口は、この先には滅多に有りますまい、どうやら機関の油が涸れさうになつて来ました』 勝『何分アンナ堅い所へ格納されて居たものだから、サツパリ倉庫は空虚になつて了つた、何をパクついて可いか、肝腎の原料はないのだから仕方がありませぬワ、腹の虫が咽喉部まで突喊して来て、切りに汽笛を吹きます、せめて給水なりとやつて、芥を濁したいが、生憎谷は深し、起臥進退維谷まると云ふ腹具合ですワイ、何とか良い腹案はありますまいかな』 弥『オー此処にお粗末な、火にも掛けぬのに焦げた様な色のした握飯が、〆て二個ありますワイ、三途川の鬼婆アサンから記念の為に貰つて来た、形而上の弁当だ、噛む世話も要らねば、五臓六腑にお世話になる面倒も無い。これなつと食つて、唾液でも呑み込んで、食つた気分になりませうかい』 与『オイオイ弥次彦、あた汚い、貴様はまだ娑婆の妄執………オツトドツコイ幽界の妄執が除れぬと見えて、婆アだの、ハナ飯だのと、不潔い事を囀る奴だ、可い加減に思ひ切つたらどうだい』 弥『山に伐る木は沢山あれど、思ひ切るきは更にない………あの婆アサンの、厭らしい顔をして、歯糞だらけのくすぼつた歯を、ニユーツと突出し「親譲りの着物をこつちやへ渡せ」と吐しよつた時の面付を、どうして思ひ切る事が出来るか、飯食ふたびに握り飯のことを思ひ出して、ムカムカして来るワイ』 与『どこまでも弥次式だな、夫れほど恐ろしい婆アに、なぜ貴様は一蓮托生だとか、半座を分けて待つて居るとか、ハンナリとせぬ、変則的なローマンスをやりよつたのだ、得体の知れぬ唐変木だなア』 弥『そこは、外交的手腕を揮つたのだよ。燕雀何ぞ大鵬の志を知らむやだ、至聖大賢の心事が、朦昧無智の人獣に分つてたまるものかい』 与『人獣とは何だ、俺が人獣なら貴様は人鬼だ』 弥『定つた事だよ、天下一品の人気男だもの、それだから、閻魔サンでさへも跣足で逃げる様な、あの鬼婆アが、俺にかけたら、蛸か、豆腐のやうに骨無しになつて仕舞ひよつて目まで細くして、ミヅバナの混つた涎を垂れよつた位だもの………貴様は俺の人気男を実地目撃した正確な保証人だ、勝彦や、六公にも吹聴せぬかい、俺の戦功を報告するのは貴様の使命だ、縁の下の舞と埋没されては、吾々が苦心惨憺の神妙鬼策も何時の日か天下に現はれむやだ』 与『アハヽヽヽ、貴様どこまでも弥次式だな』 弥『定つた事だ、シキだよ、天下一品の色魔だよ。老若男女、貴賎貧富の区別なく、猫も杓子も、鼬も鼈も、蝸牛もなめくぢりも、牛も馬も、この弥次サンに向つては皆駄目だ。アヽ人気男と言ふものは随分気の揉めるものだ。冥土へ行けば行くで、優しうもない脱衣婆アまでが、強烈なる電波を向けるのだから、人気男の色男といふ者は変つたものだよ、古今にその類例を絶つと云ふチーチヤーだ、チーチヤー貴様もこの弥次彦にあやかつたらどうだ』 勝『アハヽヽヽ、ナント面白い人足………オツトドツコイ人気男に出会したものだナア』 弥『ヤア勝サン、お前は私の知己だ、英雄の心事を知る者は、君たつた一人だよ。人気応変、活殺自在、神変不思議の、赤門出のチヤキチヤキのチーチヤアだからネ』 与『アハヽヽヽ、開いた口が塞がらぬワイ』 弥『開いた口が塞がるまい、牛糞が天下を取るぞよ、コンナお粗末な弥次の弥次馬でも、馬糞の天下を取る時節が来るのだから、あまり軽蔑して貰ふまいかい、アンナものがコンナものになつたと云ふ仕組であるぞよ』 与『イヤー吹いたりな吹いたりな、三百十日の大風のやうだのう』 弥『三百十日と云ふ事があるかい、二百十日だらう』 与『馬鹿言へ、貴様は三百代言をやつておつた男だ、十人十日口だと吐して、その日暮しの貧苦の生活に苦しみ、三つ違の兄サン………と云ふて暮して居るうちに』 弥『何を吐しよるのだ、そりや貴様の事だよ、俺ん所は人も知る如く、高取村の豪農だ、下女の一人も使ひ、僕の半人も使つた門閥家だぞ』 与『アハヽヽヽ、半人の僕とは、そらナンダイ』 弥『きまつたことよ、允請ポリスを置いた事だよ』 与『ポリスでも判任官か……判任官の目下ぢやないか』 弥『その点はしつかりと判任せぬワイ、マアどうでも好いワ、貴様も一人前の人間になるのだ。一人一党主義で、快活に誰憚る所もなく、無限の天地に活躍するのが人間の本分だ』 与『エーソンナ雑談は中止解散を命じます』 弥『聴衆一時に立ち、喧々囂々収拾す可らずと云ふ幕だな、アハヽヽヽ』 勝『何と云つても、吾々は米喰ふ虫だ、腹が減つては戦が出来ない、何とか兵糧を工面せなくてはなりますまい』 六『御心配なされますな、今日の兵站部は私が担任致しませう、お粗末な物であなた方等のお口には合ひますまいが、大事なければ、召あがつて下さいませ』 と背中の風呂敷から固パンを出した。 勝『アー有難い、腹がカツカツして殆ど渇命にも及ばむとする所だつたよ』 弥『コラコラ六でもない事を言ふない、六公、人様に物を上げるのに、粗末だとか、お口に合ひますまいとか、そら何んだ、チツト言霊を慎まないか。これは美味しいから献げませう、うまいから食つて見て下さいと言ふのが礼儀ぢやないか……、ナンダ失敬な、食はれぬ様な物や、粗末なものを人に進上するといふ事があるかい。神様に物を献げるのにも、蜜柑の五つ位のピラミツドを拵へて、蕪や大根人参位をあしらひ、千切や昆布、和布、果実、小鮎、ジヤコ位をチヨンビリ奉つて、海河山野種々の美味物を、八足の机代に横山の如く置足らはして奉る状を、平けく安らけく聞し召せ、ポンポン………とやるぢやないか』 六『ハイハイ、あなたの御趣意は徹底しました。併し乍ら私の本心は、この麺包は美味しい結構なものだと思つて居るのだが、一寸遠慮をして、お粗末だとか、お口に合ふまいと言つたのですワ』 弥『口と心の違ふ横道者だナア、虚偽虚飾パノラマ式の生活を続けて、得々然として居るとは、何と云ふ心得ちがひだ。ソンナ事を言ふ奴は、五十万年未来の十九世紀から二十世紀の初期にかけて生れた、人三化七の吐く巧妙な辞令だ、チツト確乎せぬかい』 六『益々以て不可解千万、合点の虫がどうしても検定済みにして呉れませぬワイ』 弥『まだ貴様は分らないのか』 六『日本や支那の道徳を混乱して言つたつて和漢乱は当然ぢやないか、神様は正直と誠実の行ひをお喜びなさるのに、ナンダ、お粗末の物を、ホンの後家婆アの世帯ほど八百万の神様に奉つて、相嘗めに聞し召せとか、海河山野の種々の美味物だとか、横山の如く置足らはしてとか、現幽一致に御透見遊ばす神様の前に、虚偽を垂れて、商売繁昌、家運長久、子孫繁栄、無病息災、願望成就、天下泰平、国土成就、五穀豊穣なぞと、斎官共が吐すぢやないか、一体全体この点が腑に落ちないのだよ』 弥『分らぬ奴だなア、この天地は言霊の幸はふ国だ、悪い物でも善く詔直すのだ。少い物でも沢山なやうに宣り直すのだ、貴様の様に、善い物を悪いと言ひ、美味い物をまづいと云ふのは、言霊の法則を破壊すると云ふものだ。世は禁厭と言つて、勇んで暮せば勇む事が、とつかけ引つかけ現はれて来る、悔めば悔むほど悔み事が続発するものだ、それだから人間は、言霊を清くせなくてはならないのだよ』 六『モシモシ弥次彦サン、チツトの物を沢山だと言ひ、味無い物を美味い物と云ふのは、いはゆる羊頭を掲げて狗肉を売るといふものぢやないか。ソンナ事をすると、現行刑法第何条に依つて詐欺取財の告発を為られますよ。訳の分らぬ盲ばつかりの人間が集つてたかつて拵へた法律でさへも、是丈に条理整然として居るのだ、况して尊厳無比なる神様の御前に、詐欺をやつて良い気で済まして居れると思ふのか、無感覚にも程が有るぢやないか』 弥『定つた事だい、人間は神様の水火から生れた神の子だ、少しでも間隔があつて堪らうかい、無かんかくが当然だよ』 六『ヤア妙な所へ脱線しよつたな、本当に脱線もない………』 弥『脱線は流行ものだい、工事請負人と○○と結托して○○をやるものだから、広軌鉄道であらうが、電鉄だらうが、直に脱線転覆する世の中だ、善人は悪人と見做され、悪人は脱線して善人になると云ふ暗がりの世の中だ、吁脱線なる哉脱線なる哉だ、アハヽヽ』 勝『広軌鉄道とか電鉄とか云ふものは、それや何処に敷設されてるものですか』 弥『ヤア此れから数十万年後の、餓鬼道の世の中の、文明の利器と云ふ名の付く化物のことだよ。アハヽヽヽ』 六『随分あなたの滑車は能く運転しますな、万丈の気焔を吐いて、我々を煙に巻き、雲煙糢糊として四辺を包む態の鼻息、イヤモウ恐縮軍縮の至りですよ』 与『随分巨大なクルツプ砲が装置されて有ると見えますワイ、ホー砲、砲、砲、ホー』 弥『定つた事だよ、与太公や六公の様な、与太六とはチツト原料が違ふのだ、特別大極上等の、豊富なる原料を以て、鍛錬に鍛錬を加へ、製造したる至貴至重なる身魂の持主だ、古今に類例を絶つと云ふ逸物だから、何と言つたつて、弥次彦の足型をも踏めさうな事はないのだ』 勝『モシモシ弥次彦サン、あなたは余程自尊心の旺盛強烈なる御人格者ですネー、自分を称して弥次彦サンと敬語を使ひ、友人に対しては、与太公だの、六公だのと、恰も君王が僕に対する様な傲慢不遜の御態度、三五教の信者にも似合はぬお振舞、どこで勘定が違つたのでせう。これもやつぱり脱線の世の中の感化をお受けになつたのぢやありますまいかな』 弥『ソンナラ是から与太彦サン、六公サンと詔り直しますが、しかしよく考へて見なさい、神を敬する如く人を敬し、我身を敬すべしと云ふ信条が三五教の何処に有つたやうに思ひます。我々は無限絶対力の至貴至尊の大神様の水火を以て生れ出で、天地経綸の司宰者たる特権を賦与されて居る者ではありませぬか、人は神なり、神は人なり、神人合一して茲に無限の権力を発揮するのでせう。吾々の霊肉共に決して私有物ではありませぬ、みな神様の預り物です、さうだから、弥次彦サンと云つたつて別に少しの矛盾も撞着もないぢやありませぬか。神素盞嗚尊様は、大蛇を退治て、串稲田姫と芽出度く偕老同穴の契を結び給ふた時に、自分の胸を抑へて「あが御心すがすがし」と、自分が自分の心を敬はせ給ひ、天照大神様は「われは天照大神なり」と自ら敬語をお使ひになつた。昔の帝様は葛城山に狩猟をなされた時にも、その御腕に虻が食ひ付いた、その時に「あが御腕虻かきつき」と詔らせ給ふたぢやありませぬか、これを見ても敬語と云ふものは、どこまでも使用せなくてはなりませぬよ、決して等閑に附すべき問題ではなからうと拝察するのです。今の奴は、君主でもない友人に対して、君とか、賢兄とか言ひ、僕でもないのに僕だとか拙者だとか云つて、虚偽の生活を送り得意がつて居る逆様の世の中だ、自分の父ほど賢い者は無い、母ほど偉い者は無いと心の中で褒めて居乍ら、愚父だとか、愚母だとか言ひ、自分の息子は悧巧だ、他家の息子は馬鹿だ、天保銭だと心に思ひ乍ら、自分の子を称して、愚息だとか、拙息だとか豚児だとか吐き、他人の馬鹿息子や、鼻垂小僧を御賢息だとか、御令息だとか言つて、嘘で固めてゐる世の中だ。本当に冠履転倒とはこの事だ。女郎の言ひ分ぢやないが、「口で悪う言ふて心で褒めて、蔭ののろけが聞かしたい」と云ふ様な、娼婦的奴根性の人間許りだから、世の中は逆様ばつかり出来るのだ。一日も早く三五教の教理を天下に宣明して、第一着手として、この言霊の詔直しを始めなくては、何時までも五六七の神政は樹立さるるものではありませぬワイ』 勝『イヤア是は是は結構な御託宣を承はりました、斯う云ふお話は度々教へて下さいませ。私も宣伝使となつて、この通り変幻出没、自由自在の活動を続けて来ましたが未だその点に気が付いて居なかつたのです…………吁、何処にドンナ人が隠れて居るやら、何時神様が口を藉つて、戒めて下さるやら、分つたものぢやない。アヽ有難い有難い、惟神霊幸倍坐世、惟神霊幸倍坐世』 与『コレコレ弥次彦サン、お前は又、日頃の言行にも似ず、今日に限つて何故ソンナ深遠な教理を説いたのだい』 弥『ナニ、ナンダカ口が辷つて、中から何者かが言ひよつたのだい、弥次彦の知つた事かい、アハヽヽヽ』 勝『ヤア六サン、結構なお弁当を沢山頂戴いたしました、これで元気も快復しました。サア徐々御一同様、テクル事に致しませうかな』 弥『コレコレ勝彦サン、表は表、裏は裏だ、この道中にソンナ几帳面な挨拶は免除して下さいな、互に無駄口の叩き合で、われ、俺で行きませうかい、何だか肩が凝つて疲労の度を増す様だから…………のう勝公、与太六』 与『与太六とはあまり酷いちやないか』 弥『面倒臭いから、与太公と六公とを併合したのだ、会社でもチツト左前になると併合するものだよ』 与『今俺はパンを鱈腹食つたのだ、空腹前所か、これ見い、この通りの太つ腹だ』 弥『ホンにホンに、全然鰒の横飛見たやうな土手つ腹だな、蟇の行列か、鰒の陳列会か、イヤモウ何んともかとも形容の出来ないお姿だ、コンナ所を三面記者にでも見つけられた位なら、直に新聞の材料だよ。アハヽヽヽ』 折から小鹿山の山颪、木も倒れ岩も飛べよと許りに吹き来る。 弥『ヨー風の神、一寸洒落てゐよるなア。吹くなら吹け、大砲の弥次彦がご通行だ、反対に吹飛ばしてやらうか』 与『アハヽヽヽ、偉い元気だのう、しかし何ほど弥次サンが黄糞をこいて、金の目を剥いて気張つた所で、的サンは洒々落々、風馬牛といふ御態度だから、如何ともする事は出来まいかい』 弥『ヨーヨーこれや意外の強風だぞ、二人づつ肩と肩とをから組んで進まうかい…………与太六、貴様は一組だ、弥次彦は勝公と手を組んで、単梯陣を張つて、驀地に進軍だ。小舟に乗つて大海を渡る時にも、暴風怒濤に出会つた時には、舟と舟と二艘一所に合はして連結んで置くと、容易に顛覆せないものだ。舟じやないけれど、吾々は風に対する風船玉の難を避ける為に、連結んで風の波を漕ぎ渡る事とせうかい。グヅグヅして居ると小鹿峠の渓谷へ顛覆沈没の厄に遭ふかも知れない。サアサア早く早く、連結んだ連結んだ』 四人は二人づつ肩と肩とを組み合せ、風に向つて強圧的に、前方三十五度の傾斜体で坂路を跋渉する。 与『イヨー此奴ア猛烈だ、今日に限つて風の神の奴、どう予算を狂はせよつたのか、勿体なくも、天地経綸の司宰者たる人間様が御通行遊ばすのに、恐れ気もなく前途を抗塞するとは、不都合千万だ。ヤア六公、しつかりせぬかい、吹き飛ばされるぞ』 六『これ位な風に吹飛ばされる気遣はないが、弥次彦サンの気焔には随分吹飛ばされさうだ。アハヽヽヽ』 弥『コラコラ、貴様何をグヅグヅ言つて居よるのだい、この烈風に確乎勇気を出して進まないと、内閣の乗取は不可能だぞ、グヅグヅしてると、九分九厘行つた所で流産内閣になつて了ふかも知れないぞ』 与『エー八釜しう言ふない、如何に神出鬼没の勇将でも、ハヤこの風に向つて、どうして突喊が出来るものかい、千引の岩でさへも中空に巻きあげると云ふ様な風の神の鼻息だ、チツト風の神も、聞直して呉れさうなものだな、この谷間へでも落ちて見よれ、又候幽界の旅行をやらねばならぬぞ』 弥『そら何を幽界、悲観するな、モツト愉快になつて、風を突いて突進するのだ』 与『何と云つても貴様のやうな無茶な事は、俺には到底不可能だ。如何に人間が賢いと云つてもコンナ記録破りの暴風に出会しては、人間としては到底不可抗力だ、………オイ一寸そこらで一服したらどうだい』 弥『三五教に退却の二字はないぞ、どこ迄も唯進むの一事あるのみだ。一度に開く梅の花、何時までも風の神だつて、さう資本が続くものぢやない。グヅグヅ吐かすと足手纏ひになるから、貴様と俺とは最早国交断絶だ、旅券を交附してやるから、サツサと本国へ引返したが宜からうぞ』 与『アーア仕方のない頓馬助だナア……オイ六公、マア見とれ、向意気ばつかり強いが、タツタ今風に煽られて、再幽冥界の探険と出かけるのが落だぞ』 この時山岳も崩れ、蒼天墜落するかと思はるる許りの音響と共に、最大強烈なる暴風吹き来るよと見る間に、弥次彦の羽織袴の袂に風を含んで、勝彦と手を組んだまま、中空に吹あげられ、空中飛行の曲芸を演じつつ、風に追はれて谷間の彼方に、悠々として姿を隠した。不思議や烈風は、嘘をついた様にケロリと歇んだ。 与『ヤア大変だ、意地の悪い風だないか、弥次彦を吹飛ばして置きよつて、それを合図にピタリと休戦の喇叭をふきよつた様なものだ』 六『あまり弥次公は大法螺をふくものだから、風の神の奴、一つ懲しめてやらうと思つて、何でも早うから作戦計画をやつて居つたのに違ないぞ、何だか夜前から雲行が悪いと思つて居つた。ヤア夫れにしても吾々はこの儘に放任して置く訳には行かず、滅多に天上した気遣はなからうから、吾々両人は此処で一つ捜索をせなければなるまいぞ』 与『ナアニ、彼奴ア風に乗つて、コーカス山へお先へ失礼とも何とも言はずに、参詣しよつたのだらうよ。アハヽヽヽ』 六『ソンナ気楽な事を言ふて居る場合じやあるまい、是から両人協心戮力して、両人が在処を探さうじやないか』 与『探すもよいが、拙劣に間誤つくと、冥土の道伴にならねばならないかも知れないぞ、俺はモウ冥土の旅は一度経験を積んだのだから、余り苦しいとも思はぬが、貴様は初旅だから勝手も分らず、随分困るだらうよ』 六『エーろくでもない事を言ふものじやないワ、言霊の幸はふ世の中だのに』 与『風玉の災する世の中だ、アハヽヽヽ』 二人は弥次彦、勝彦の散りて行つた方面を指して、顔の色を変へ乍ら、急いで元来し道に引返し、二人の所在を捜索することとなつた。吁、二人の行衛はどうなつたであらう。 (大正一一・三・二四旧二・二六松村真澄録) |
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7 (1904) |
霊界物語 | 26_丑_麻邇宝珠が錦の宮に奉納 | 余白歌 | 余白歌 世の中はいはゆる学者のみにして真言の物識り人は少なし〈目次(三版)〉 学者とは学ぶ者なり無学者は学ぶ用なき者の謂なり〈目次(三版)〉 学ばずも宇宙の真理は悉くわれはさとれり真言の力に〈目次(三版)〉 伊都能売の神とあらはれ瑞霊となりて万事をわれは説くなり〈序歌(三版)〉 言霊は総てのものの初めなり天地万有これより生まるる〈総説歌(三版)〉 大宇宙森羅万象悉く言霊の水火の幸より生まれし〈総説歌(三版)〉 言霊の光を知らず如何にして神の大道のひらかるべきやは〈総説歌(三版)〉 政治宗教教育美術悉く言霊知らずば全きを得じ〈第1章(三版)〉 たまさかに言霊の道説く人も一知半解物にはならず〈第1章(三版)〉 神と言ふは万物普遍の霊なり人は天地の経綸につかふ〈第3章(三版)〉 人にして神人合一の境にあらば無限絶対の力徳を発揮す〈第3章(三版)〉 言霊の幸はふ国の日の本に言霊知らぬ人ばかりなる〈第4章(三版)〉 深遠なる真理は到底今の世の言霊知らぬ人にはわからず〈第4章(三版)〉 移りゆく世の有様をまつぶさに吾はさとれり真心に〈第4章(三版)〉 言霊の真言の光と力より外に開かむ道なかりけり〈第5章(三版)〉 行き詰りゆき詰りたる世を開く力と光は言霊の幸なり〈第5章(三版)〉 千早振る神代からなる神国を汚さじものと心配りつ〈第6章(初版)〉 知る人もなき谷底の本宮に世の根の神ぞ現れましにける〈第6章(初版)〉 言霊は生ける神なり言霊を知らでこの世の治まるべしやは〈第6章(三版)〉 天津御神国津御神の御勲功に万のものは生き通すなり〈第7章(初版)〉 言霊の道の真実は千早振る神の御稜威の教なりけり〈第7章(初版)〉 ものみなの精神は神の賜ぞ尊き卑しき大き小さき〈第7章(初版)〉 我利我欲のみに心をくもらせて真言を知らぬ人のあはれさ〈第8章(三版)〉 神にして人なり人にして吾はまた神なりと自覚せるなり〈第9章(三版)〉 天地の真理を知らず神界の経綸をしらぬ常暗の世なり〈第12章(三版)〉 愛善の心は神に通ふなり神は愛なり善なるがゆゑ〈第13章(再版)〉 澄みきりし心の眼に天地の一切は吾にうつりてあるも〈第15章(三版)〉[この余白歌は八幡書店版霊界物語収録の余白歌を参考に他の資料と付き合わせて作成しました] |
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8 (1965) |
霊界物語 | 29_辰_南米物語1 鷹依姫と高姫の旅 | 10 国治の国 | 第一〇章国治の国〔八三二〕 高姫は一同の不思議さうな顔をして高姫を見つめ居るに、何となく気分面白からず、又もやソロソロ憎まれ口を叩き出した。 高姫『あのマア折角言依別や国依別と腹を合せ、ウマウマとこんな御殿を造りて、三千世界のお宝を隠し、よもや高姫はこんな所迄、後追ひかけて来る筈はないと安心をして厶つたのに、梟鳥が夜食に外れたやうな、皆さまのあのむつかしい顔ワイの。ホヽヽヽヽ、……悪は一旦は思惑が立つやうなけれど、九分九厘まで行つた所でクレンと返してやるぞよと、変性男子のお筆先に出てゐませうがな。善は苦労が永くて分るのが遅いけれど、分りて来たら、万劫末代しほれぬ花が咲くぞよと、変性男子のお筆先に出て居りますぞえ。チツト四股を入れてお筆先をいただきなさい。何程われ程偉い者はない、甘く高姫を瞞してやつた、ここに納めておけば、堅城鉄壁と思うて居つても、神様は遠近、明暗、広狭の区別なく、一目に見すかして御座るから、到底悪の企みは長続きは致しませぬぞえ。素直に改心するのが、お主のお得策だ。サア、早く玉番さま、素直にお出しなされ。素直にさへすれば、どう云ふ深い罪科でも、大慈大悲の神様がお赦し下さいますぞや』 国玉依別『これはこれは存じもよらぬ迷惑で御座る。私はヒルの国テーナの里の酋長アール、アルナと云ふ夫婦者で御座いまして、祖先代々三五教の教を信じ、朝夕に神様のお給仕を致して居る者で御座いました。所が鏡の池に月照彦神さまが再び現はれ玉うて、玉を献じたき者は、一日も早く持来れよと御宣示あらせられると聞き、先祖代々より大切に保護致して居つた黄金の玉を献上せむと、鏡の池へ来て見れば、竜国別と云ふ審神者様や、テーリスタン、カーリンスと云ふお側付、それに又月照彦神様は勿体ない、お婆アさまの姿となり、現はれ玉うて、吾々夫婦に尊き名を賜はり、それより朝夕神のお道を宣伝致し、遂には信者の真心に依つて、かような立派な御殿迄出来上り、吾々は朝夕に真心をこめて神前にお仕へいたしてをる者で御座います。玉と申せば鏡の池の傍に積み重ねてあるもの許り、そして吾々の献つた黄金の玉は竜国別様がお持帰りになり、其代りに瑪瑙の玉を御神体とし、此御神殿に祀つて御座います。金剛不壊の如意宝珠とか麻邇の玉とかは、此処に祭つてをりませぬ。又私共は拝んだこともありませぬ。もし其玉をお捜しならば、外をお捜し下さい。ここには決して決して左様な玉は一個もありませぬ』 高姫『何、竜国別が黄金の玉を持つて帰つたとは、ソラ何時のこつて御座いますか。そして、テー、カー、の両人が従いて来て居りましたかなア。お前の目に婆アの生神と見えたのは、そりやキツと竜国別の母親で鷹依姫と云ふ身魂の大変に悪い婆ですよ。ヨウお前も騙されたものだなア。オツホヽヽヽ』 国玉依別『鰯の頭も信心からと申しまして、何程だまされても、神徳さへ立てば結構で御座います。私の様な者は一通や二通で神界へ入れて貰ふことは出来ませぬから、いろいろと神様が人の手をかり、口をかつて導いて下さつたのだと、朝夕神様に感謝いたしてをります。併し乍ら鷹依姫さまは悪人かは知りませぬが、こう申してはすみませぬが、お前さまに比ぶれば、幾層倍と知れぬ人格の高いお婆アさまでした。あの人ならば、私は月照彦神だと仰有つても誰一人疑ふ者はありませぬ。お前さまは何程日の出神の生宮だと自家広告をなさつても、私のやうな素人の目より見れば、如何しても金毛九尾の容物とより見えませぬ。すべて縁は合縁奇縁と申しまして、虫の好く方と虫の好かぬものと御座います。アハヽヽヽ』 と円滑な辞令を以て、高姫を罵倒して居る。 高姫『ヘン、あなたのお目は偉いものですな。悪魔は光明を忌み、悪人は善人を嫌ふとやら、世の中はようしたものだ。……お前嫌でも又好く人が、なけりや私の身が立たぬ、捨てる神があれば、拾ふ神もある。お気に入らねばモウ日の出神は居つてやりませぬぞえ』 国玉『ハイどうぞお願ひで御座います。一時も早く居つてやらぬ様になさつて下さいませ。御願致します』 高姫『ナニ、お前は変性男子の系統の此高姫を追ひ出さうと云ふのかい。此懸橋御殿は三五教の神様の物、三五教の大神様は国治立命様、変性男子と現はれて、世界の御守護を遊ばす、其系統の高姫を追ひ出さうとは、ソリヤ又、何と云ふ心得違だ。左様な量見では三五教の取次は許すことは出来ませぬ。今日限り系統の生宮が免職を言ひつけます。サアトツトと早く、三五教の神の館を、夫婦共立退いて下さい。これから高姫がここに居すわり、そして、立派に立派に日の出神の神力を現はし、三千世界の大立替大立直しを致しますぞ。訳の分らぬガラクタ役員が沢山居ると、足手纏ひになつて御神業がはかどりませぬ。誠の分りた者が、三人ありたら、神の仕組は立派に成就致すもので御座いますぞや』 国玉『誠の分つた方は、モウ三人揃ひましたか』 高姫『確に揃ひました』 国玉『其お方の御名は何と申しますか』 高姫『変性男子の系統が一人、日の出神の生宮が一人、三五教の神司高姫が一人、三位一体の世の元の大神の御用を致す、三人世の元、結構な結構な神柱さへあれば、ガラクタ神は一人も居なくても、宜しいわいな。ホヽヽヽヽ……余り盲聾の世の中で、神も骨が折れますワイ』 国玉依別は高姫の勝手気儘な議論に愛想をつかし、こんな連中に掛り合つてゐては、却て馬鹿を見なくてはならない、又国、玉、竜、別、依などの幹部に対しても、信用を落す訳だと、玉竜姫を伴ひ、 国玉『高姫様、暫く失礼を致します。どうぞユルリと遊ばしませ。御思案が付きましたら、一時も早く御退場を御願致します。……常彦さま、春彦さま、あなたも大抵ぢや御座いますまいが、どうぞそこは宜しき様に御取計らひを願ひます』 と云ひ捨て、逃げる様にして、玉竜姫の手を取り、睦じげに別館に立つて行く。高姫は少しく目の上の瘤の様に迷惑がつてゐた夫婦が別館に姿をかくしたのに、ヤツと胸を撫でおろし、ソロソロ言霊の連発を始めかけた。 高姫『コレコレ懸橋御殿に御奉公致す皆さま達、是れから誠生粋の大和魂の因縁を説いて聞かしますから、私の云ふ事が分つたら、此館に隠してある金剛不壊の如意宝珠を始め、麻邇の宝の所在を綺麗サツパリと、素直に白状しなされや。……アレ御覧なさい、宮番夫婦は日の出神の御威勢に恐れて、別館へコソコソと逃げてゐたぢやありませぬか』 常彦『モシ高姫さま、自惚するにも程がありますよ。御夫婦の方々は貴女の御威勢に恐れて逃げられたのぢやありませぬ。余り脱線だらけの事を、ベラベラと際限もなく、お前さまがまくし立てるので、うるさがつて逃げて行かしやつたのですよ。慢心すると嫌はれて居つても、恐れて逃げられた様に見えますかいな。いかに善意に解する教だと云つても、高姫さまの善意は一寸趣が違ふ。……コレコレ皆様方、必ず気にさへて下さいますな、御存じの通の代物ですから……』 高姫『コレ常、ソラ何を言ふのだ。人民のゴテゴテ云ふ幕ぢやありませぬぞや。世界のことは隅から隅まで、イロハ四十八文字で解決のつく三五教の教ですよ。此高姫は、人民共の作つた学は知りませぬが、正真正銘の神直々の知慧が、無尽蔵に湧いてくるのだから、皆さま、心を清め身を謹んでお聞きなさい。 いゝゝ一番此世の中で尊い宝は誠と云ふ一つの大和魂ですよ。それさへあれば三千世界の物事はキタリキタリと何の躊躇もなく、成就致しますぞや』 国『いゝゝ一番尊いお宝が大和魂なら、なぜお前さまは無形の魂を尊重せずに、高砂島三界まで金剛不壊の如意宝珠を捜しに来たのだい。ヤツパリ形ある宝の方がお前さまにはお気に入ると見えますな』 高姫『ろゝゝ碌でもない理窟を云ふものでない。金剛不壊の如意宝珠は、神様の御宝、大和魂は人間の宝だよ。神と人とを一緒にしてはなりませぬぞえ』 国『ろゝゝ論より証拠、お前さまは何時も神人合一と云ふことを称へてゐるぢやありませぬか。神人合一は神さまと人と一緒になつた事ぢやありませぬか』 高姫『はゝゝはしたない人間の知慧を以て、神の申す事をゴテゴテと云ふものぢやありませぬワイ。花は桜木人は武士と云つて、潔うするものだ。女の腐つた様に何をツベコベと小理窟を云ひなさる。何とか、彼とか云つて、如意の宝珠を渡そまいとしても駄目ですよ』 国『はゝゝゝゝ腹がよれるワイ。これ丈脱線されては、安心して汽車に乗る事も出来ませぬワイ』 高姫『にゝゝ日本の神の道さへ歩いてをれば脱線する気遣ひはありませぬ。……走り行く汽車の足許眺むれば、ヤハリにほんの道を行くなり。……日本の道を大切に守り、外国の教をほかしさへすれば脱線所か一瀉千里の勢で希望の都へ達しますぞや。外国とは外れた国と書きませうがな。脱線は即ち外れるのだ。分つたかなア』 国『にゝゝ二本の道か四本の道か知らぬが、お前さまの仰有る事は、どうも四本足が云うとる様に聞えますぞや。四本足は所謂四つ足だ。ゴテゴテと六でない事を七むつかしく、八かましう、九ちから出任せにこきちらし、十りとめもなく、百千万遍喋り立てる、百舌鳥か雲雀の親方が此頃一匹高砂島へ飛んで来たと云ふ事だ。百舌鳥かと思へば小鳥を取つて食ふ目玉の鋭い鷹ぢやさうな。ワツハヽヽヽ』 高姫『ほゝゝ吐くな吐くな、深遠無量の神の御経綸がお前たちに分るものか。不言実行だ、ゴテゴテ云はずに、ホヽヽ宝玉を早く渡して、素直に改心なさるが第一の得策ぢやぞえ。お前はここの総取締ぢやないか。お前から改心せねば皆の者が助かりませぬぞや。一人さへ改心いたしたら外の者は皆一度に改心致す仕組だから、人間界の理窟はやめて、神の生宮の言ふ事に絶対服従しなさい。ゴテゴテと理窟の云ひたい間は、まだ御神徳が充実してゐないのだよ』 国『ほゝゝ放つといて下され、私には立派な国玉依別様と云ふお師匠さまが御座います。別にお前さまに下らぬ事を教へて貰ふ必要もなければ、仮令宝玉が有つたとしても、お前さまに渡す義務がありませぬ。オツホヽヽヽ』 高姫『へゝゝ屁理窟許り、能く垂れる男ぢやな。流石は国依別の仕込み丈あつて、偉いものだワイ』 国『へゝゝ臍が茶を沸かしますワイ。如何に私の名が国ぢやと云つて、見た事もない国依別さまとやらの仕込みぢやなどとは、能くも当推量したものだ。私の国は国依別さまの国ぢやありませぬぞ。此世の御先祖の国治立命様の国で御座いますワイナ。ヘン……ちつと済みませぬが、秀妻国と常世国と程国が違うのだから、余り人の事までクニ病んで下さいますな。余りクニクニ思うと寿命がちぢまりますぞえ。早くクニ替へをせにやならぬ事がないようにクニクニも気をつけておきますぞよ』 高姫『とゝゝとへうもない事を言ひなさるな。国治立命様の国ぢやなんて、慢心するにも程がある。慢心は大怪我の元ぢやぞえ』 国『とゝゝ途方途徹もない駄法螺を吹く、唐変木、トチ呆けの尻切蜻蛉の捉へ所のない、団子理窟を囀る、常世姫の身魂の性来を受けた罪人の身魂の宿つた肉の宮を日の出神の生宮ぢやなんて、とつけもない法螺を吹いてをると、今に化が現はれて、栃麺棒を振り、途方に暮て吠面かわかねばならぬことが出来致しますぞや。 ちゝゝちつと胸を手を当て考へて御覧。 りゝゝ理窟許り並べたつて、神徳のない者に誰が往生するものか。 ぬゝゝ糠に釘、豆腐に鎹だ。 るゝゝるるとして千万言を連らねても誰も聞き手がありませぬぞや。 をゝゝをどし文句を並べ立てて、我意を立通し、玉を吐き出さそうとしても、お前さま等の口車に乗る馬鹿はありませぬワイ』 高『わゝゝ吾よしの守護神奴、人の言霊を横取して、先言うと云ふ事があるものか。今言うたチリヌルヲ如何して呉れるのだ。訳が分らぬと云うても程があるぢやないか、此高姫が言うた後で力一杯、辻褄の合はぬ言訳を致すのならまだしもだが、人より先へ先へ行かうと致す、其我慢心が所謂四つ足根性ぢやぞえ。本当に性来の悪い男だなア』 国『わゝゝ悪かろが善かろが自由の権、放つといて下され。 かゝゝ構立にはして下さるなや。 よヽヽ善からうが悪かろが、誠の神様が裁いて下さるぞや。 たゝゝ高姫の干渉する問題ぢやありませぬぞ。 れゝゝ礼儀も作法も知らずに そゝゝそそつかしい、人の館へ這入つて来て、挨拶も碌に致さず つゝゝ月照彦神様に戒めをくひ乍ら ねゝゝねぢけ曲つた魂は何時までも直らず なゝゝ何も分らぬ癖に、三千世界の事はどんな事でも知つてをるとか、知つて居らぬとか、駄法螺を吹き、 らゝゝ乱脈振と云つたら、到底御話しのしかけが出来ませぬ。 むゝゝ六かしい面をして、人が聞いても うゝゝウンザリする様な、身勝手な事許り並べ立て ゐゝゝ意地の悪い事許りまくし立て のゝゝ野天狗、野狐、野狸の囀る様な脱線理窟を喋々と弁じ おゝゝ恐ろしい執着心を極端に発揮し くゝゝ国さまに向つて玉の所在を知らせと何程云つても、駄目ですよ。そんな馬鹿な事は やゝゝ止めておきませうかい。八岐の大蛇の金毛九尾の狐の霊の憑つた、どこやらのお方には、仮令天地がかへる共、此玉許りは渡す事は罷りなりませぬワイ。 まゝゝ誠一つの心の持様で、手に入らぬ玉も手に入る事があり、罷り誠をふみ外せば、目の前にある玉でも握れぬやうな事が出てくるし、 けゝゝ毛筋の横巾でも、此国さまの御機嫌を損ねたら、立派な玉を上げたいと思うても、中途でひつこめて了ひますぞ。 ふゝゝふくれ面して威張つてをる間は、高姫さまも駄目ですよ。 こゝゝ是丈道理を解き聞かしても分らぬやうな御方なら、トツトと帰つて下され。 えゝゝ枝の神や末の神の分際として、此御殿に納まつてをる御神宝を、持帰らうとは身の程知らずと云ふものだ。 てゝゝテンから物にならぬ企みをするより あゝゝアツサリと思ひ切つて さゝゝサツサと帰つて下さい。 きゝゝ気分が悪なつて来た。アハヽヽヽ、イヒヽヽヽ、ウフヽヽヽ、エヘヽヽヽ、オホヽヽヽ』 と体を面白くゆすつて、キヨくつて見せる。 高姫『ゆゝゝ言はしておけばベラベラと際限もなく、こけ徳利のよに、口から出任せに、泥水を吐く醜魂だな。 めゝゝ盲の垣覗きと云ふ事はお前の事だ。盲万人目明一人の世の中だから、日の出神の様な目明は又と二人、三千世界にないのだから、無理はないけれど、盲なら盲らしうして居なさい。盲蛇におぢずと云うて、恐い事知らぬ奴になつたら、仕方のないものだ。お前さまの様な盲に、手引せられる盲信者こそ気の毒なものだ。今の取次盲聾許り、其又盲が暗雲で、世界の盲の手を引いて、盲めつぽに地獄の暗へおちて行く……と神様のお筆に出てをりますぞえ。チツとしつかり目を醒ましなさい。 みゝゝ見えもせぬ節穴の様な団栗目をキヨロつかしても、足許の溝が分りますまいがな。 しゝゝしぶといどうくづの身魂程、改心さしてやりたいと思うて大慈大悲の神様が御心配をなさる、其お心根がおいとしいわいの、勿体ないわいの。オンオンオン』 国『ゑゝゝゑらう御心配遊ばして下さいますな。併し乍ら、泣くの丈は止めて下さいませ。 ひゝゝ日の出神の生宮ともあらうものが、余り見つともよくありませぬぞ。 もゝゝ諸々の邪念を去つて、今日限り此館に納めてある、結構な御神宝に対する執着心を綺麗サツパリと脱却なさいませ。 せゝゝ雪隠で饅頭食うたよな顔をして、人の苦労で得をとり、自分が発見したやうな顔して聖地へ帰り、威張りちらさうと思うても駄目ですよ。 すゝゝ澄み渡る月照彦神の申す事、能く耳へ入れて、高砂島を一日も早く立去り、自転倒島の中心地、冠島沓島に麻邇の宝玉隠しあれば、其方は、鷹依姫、竜国別等と共に其玉を掘出し、錦の宮に持帰り、言依別命の留守番を神妙に致すがよからう。ウンウンウン』 ドスンと飛び上り…… 国『あゝ何だか随分、喧しう囀つた様ですなア。皆さま、私はどんな事を云ひましたな。覚えて居つて下さいますやらうねエ』 高姫『コレ、国さまとやら、人を盲にしなさるのか。本当の神様か神様でないか、世界一の此審神者が見届けたら間違ひありませぬぞえ。そんな嘘の神懸をして、国依別が生田の森で私を騙さうとしたやうな、古い手は食ひませぬぞえ。ホヽヽヽヽ、若し誰が何と云つても是から家探しして、玉の所在を捜すのだ。……サア常、春、ここが千騎一騎の性念場だ』 と云ひ乍ら、つかつかと神殿目がけて走せ上りけり。 (大正一一・八・一二旧六・二〇松村真澄録) |
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霊界物語 | 39_寅_大黒主調伏相談会/言霊隊の出発 | 附録 大祓祝詞解 | 附録大祓祝詞解 (一) 大祓祝詞は中臣の祓とも称へ、毎年六月と十二月の晦日を以て大祓執行に際し、中臣が奏上する祭文で延喜式に載録されてある。 従来此祝詞の解説は無数に出て居るが、全部文章辞義の解釈のみに拘泥し、其中に籠れる深奥の真意義には殆ど一端にさへ触れて居ない。甚だしきは本文の中から『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪』の件を削除するなどの愚劣を演じて居る。自己の浅薄卑近なる頭脳を標準としての軽挙妄動であるから、神界でも笑つて黙許に附せられて居るのであらうが、実は言語道断の所為と云はねばならぬ。大祓祝詞の真意義は古事記と同様に、大本言霊学の鍵で開かねば開き得られない。さもなければ古事記が一の幼稚なる神話としか見えぬと同様に、大祓祝詞も下らぬ罪悪の列挙、形容詞沢山の長文句位にしか見えない。所が一旦言霊の活用を以て其秘奥を開いて見ると、偉大と云はうか、深遠といはうか、ただただ驚嘆の外はないのである。我国体の精華が之によりて発揮せらるるは勿論のこと、天地の経綸、宇宙の神秘は精しきが上にも精しく説かれ、明かなる上にも明かに教へられて居る。之を要するに皇道の真髄は大祓祝詞一篇の裡に結晶して居るので、長短粗密の差異こそあれ、古事記、及び大本神諭と其内容は全然符節を合するものである。 言霊の活用が殆ど無尽蔵である如く、大祓祝詞の解釈法も無尽蔵に近く、主要なる解釈法丈でも十二通りあるが、成るべく平易簡単に、現時に適切と感ぜらるる解釈の一個をこれから試みやうと思ふ。時運は益々進展し、人としての資格の有無を問はるべき大審判の日は目前に迫つて居るから、心ある読者諸子は、これを読んで、真の理解と覚醒の途に就いて戴きたい。 (二) 『高天原に神つまります、皇親神漏岐、神漏美の命もちて、八百万の神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り玉ひて、我皇孫命は豊葦原の水穂の国を、安国と平けく所知食と事依し奉りき』 △高天原に『タカアマハラ』と読むべし、従来『タカマガハラ』又は『タカマノハラ』と読めるは誤りである。古事記巻頭の註に『訓高下天云阿麻』[※高(たか)の下の天(てん)の訓(くん)は「あま」と云う]と明白に指示されて居り乍ら従来何れの学者も之を無視して居たのは、殆ど不思議な程である。一音づつの意義を調ぶれば、タは対照力也、進む左也、火也、東北より鳴る声也、父也。又カは輝く也、退く右也、水也、西南より鳴る声也、母也。父を『タタ』といひ、母を『カカ』と唱ふるのもこれから出るのである。又アは現はれ出る言霊、マは球の言霊、ハは開く言霊、ラは螺旋の言霊。即ち『タカアマハラ』の全意義は全大宇宙の事である。尤も場合によりては全大宇宙の大中心地点をも高天原と云ふ。所謂宇宙に向つて号令する神界の中府所在地の意義で『地の高天原』と称するなどがそれである。この義を拡張して小高天原は沢山ある訳である。一家の小高天原は神床であり、一身の小高天原は、臍下丹田であらねばならぬ。ここでは後の意義ではなく、全大宇宙其物の意義である。之を従来は、地名であるかの如く想像して、地理的穿鑿を試みて居たのである。 △神つまりますかみは日月、陰陽、水火、霊体等の義也。陰陽、水火の二元相合して神となる。皇典に所謂産霊とは此正反対の二元の結合を指す。日月地星辰、神人其他宇宙万有一切の発生顕現は悉くこの神秘なる産霊の結果でないものはない。又つまりとは充実の義で、鎮坐の義ではない。ますはましますと同じ。 △皇親皇(スメラ)は澄すの義、全世界、全宇宙を清澄することを指す。親(ムツ)は『ムスビツラナル』の義で、即ち連綿として継承さるべき万世一系の御先祖の事である。 △神漏岐、神漏美神漏岐は霊系の祖神にして天に属し、神漏美は体系の祖神にして地に属す。即ち天地、陰陽二系の神々の義である。 △命もちて命(ミコト)は神言也、神命也。即ち水火の結合より成る所の五十音を指す。元来声音は「心の柄」の義にて、心の活用の生ずる限り、之を運用する声音が無ければならぬ。心(即ち霊魂)の活用を分類すれば、奇魂、荒魂、和魂、幸魂の四魂と之を統括する所の全霊に分ち得る。所謂一霊四魂であるが、此根源の一霊四魂を代表する声音はアオウエイの五大父音[※『神霊界』大正7年9月1日号(名義は「浅野和邇三郎」)では「アイウエオの五大母音」。初版では「アイウエオの五大父音」。校定版・愛世版では「アオウエイの五大父音」。霊界物語ネットでも「アオウエイの五大父音」に直した。次の箇所も同じ。]である。宇宙根本の造化作用は要するに至祖神の一霊四魂の運用の結果であるから、至祖神の御活動につれて必然的にアオウエイの五大父音が先づ全大宇宙間に発生し、そして其声音は今日といへども依然として虚空に充ち満ちて居るのだが、余りに大なる声音なので、余りに微細なる声音と同様に、普通人間の肉耳には感じないまでである。併し余り大ならざる中間音は間断なく吾人の耳朶に触れ、天音地籟一として五大父音に帰着せぬは無い。鎮魂して吾人の霊耳を開けば、聴こゆる範囲は更に更に拡大する。扨前にも述ぶるが如く、声音は心の柄、心の運用機関であるから天神の一霊四魂の活用が複雑に赴けば赴く丈け、声音の数も複雑に赴き停止する所はない。其中に在りて宇宙間に発生した清音のみを拾ひ集むれば四十五音(父母音を合せて)濁音、半濁音を合すれば七十五音である。これは声音研究者の熟知する所である。拗音、促音、鼻音等を合併すれば更に多数に上るが、要するに皆七十五音の変形で、あらゆる音声、あらゆる言語は根本の七十五声音の運用と結合との結果に外ならぬ。されば宇宙の森羅万象一切は是等無量無辺の音声即ち言霊の活用の結果と見て差支ない。これは人間の上に照して見ても其通りである事がよく分る。人間の心の活用のある限り、之を表現する言霊がある。『進め』と思ふ瞬間には其言霊は吾人の身体の中府から湧き、『退け』と思ふ瞬間にも、『寝よう』と思ふ瞬間にも、『行らう』と思ふ瞬間にも、其他如何なる場合にも、常に其言霊は吾人の中心から湧出する。即ち人間の一挙一動悉く言霊の力で左右されるというても宜しい。従つて言霊の活用の清純で、豊富な人程其の使命天職も高潔偉大でなければならぬ。 △八百万の神等八百のヤは人、ホは選良の義、万は沢山、多数の義である。 △神集へに云々神の集会で神廷会議を催すことである。 △我皇御孫之命五十音の中でアは天系に属し、ワは地系に属す。故に至上人に冠する時に我はワガと言はずしてアガといふ也。皇(スメ)は澄し治め、一切を見通す事、御(ミ)は充つる、円満具足の義、孫(マ)はマコトの子、直系を受けたる至貴の玉体。命は体異体別の義、即ち独立せる人格の義にして、前に出でたる命(神言)から発足せる第二義である。全体は単に『御子』といふ事である。元来霊も体も其根本に溯れば、皆祖神の賜、天地の賜である。故に皇典では常に敬称を附するを以て礼となし、人間に自他の区別は設けられてないのである。 △豊葦原の水穂国全世界即ち五大洲の事である。之を極東の或国の事とせるが従来の学者の謬見であつた。日本を指す時には、豊葦原の中津国、又は根別国などと立派に古事記にも区別して書いてある。 △所知食は衣食住の業を安全に示し教ふる事を云ふ。地球は祖神の御体であるから、人間としては土地の領有権は絶対に無い。例へば人体の表面に寄生する極微生物に人体占領の権能がないのと同様である。人間は神様から土地を預り、神様に代りて之を公平無私に使用する迄である。うしはぐ(領有)ものは天地の神で主治者は飽迄知ろしめすであらねばならぬ。国土の占領地所の独占等は、根本から天則違反行為である。神政成就の暁には独占は無くなつて了ふ。 (大意)全大宇宙間には陰陽二系の御神霊が実相充塞しそれは即ち一切万有の父であり又母である。陰陽二神の神秘的産霊の結果は先づ一切の原動力とも云ふべき言霊の発生となつた。所謂八百万の天津神の御出現であり、御完成である。天界主宰の大神は云ふまでもなく天照皇大神様であらせらるるが、其次ぎに起る問題は地の世界の統治権の確定である。是に於て神廷会議の開催となり其結果は天照大神様の御霊統を受けさせられた御方が全世界の救治に当らるる事に確定し、治国平天下の大道を執行監督さるべき天の使命を帯びさせらるる事になつたのである。無論人間の肉体は世に生死往来するを免れないが、其霊魂は昔も今も変ることなく千万世に亘りて無限の寿を保ちて活動さるるのである。 (三) かく依さし奉りし国中に荒振神等をば、神問はしに問はし玉ひ、神掃ひに掃ひ給ひて、語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて、天之磐座放ち、天之八重雲を伊頭の千別に千別て、天降し依さし奉りき。 △荒振神天界の御命令にまつろはぬ神、反抗神の意である。 △神問はしに云々神の御会議。罪あるものは神に向ひて百万遍祝詞を奏上すればとて、叩頭を続くればとてそれで何の効能があるのではない。況ンや身欲信心に至つては、言語道断である。神様に御厄介を懸けるばかり、碌な仕事もせぬ癖に、いざ大審判の開始されむとする今日、綾部を避難地でもあるが如くに考ふるやうな穿き違ひの偽信仰は、それ自身に於て大罪悪である。神は先づ其様な手合から問はせらるるに相違ない。 △神掃ひに云々掃ひ清むること、神諭の所謂大掃除大洗濯である。 △語問し諸々の罪の糾弾である。 △磐根樹立草の枕詞、即ち磐の根に立てる樹木の、その又根に立てる草の義。 △草の片葉草は青人草、人のこと、又片葉は下賤の人草の意である。 △語止めて議論なしに改悟せしむるの意である。 △天之磐座放ち磐座は高御座也、いはもくらも共に巌石の義。放ちは離ち也。古事記には、『離天之石位』とあり。 △八重雲弥が上にも重なりたる雲。 △伊頭の千別に云々伊頭は稜威也。即ち鋭き勢を以て道を別けに別けの義。 △天降し依さし奉りき『天降し……の件を依さし奉りき』の義にて中間に神秘あり。天降しは天孫をして降臨せしむる事、換言すれば天祖の御分霊を地に降し、八百万の国津神達の主宰として神胤が御発生ある事である。 (大意)既に地の神界の統治者は確定したが、何しろ宇宙の間は尚未製品時代に属するので、自由行動を執り、割拠争奪を事とする兇徒界が多い。これは最も露骨に大本開祖の御神諭に示されて居る所で、決して過去の事のみではない。小規模の救世主降臨は過去にあつたが、大規模の真の救世主降臨は現在である。『七王も八王も王が世界にあれば、此世に口舌が絶えぬから、神の王で治める経綸が致してあるぞよ』とあるなどは即ち之を喝破されたものである。其結果是等悪鬼邪神の大審判、大掃除、大洗濯が開始され所謂世の大立替の大渦中に突入する。さうなると批評も議論も疑義も反抗も全部中止となり稜威赫々として宇内を統治し玉ふ神の御子の世となるのである。 (四) 如此依さし奉りし四方の国中と大日本日高見之国を安国と定め奉りて、下津磐根に宮柱太敷立、高天原に千木多加知りて、皇御孫命の美頭の御舎仕へ奉りて、天の御蔭日の御蔭と隠り坐して、安国と平けく所知食む国中に成出でむ天の益人等が過ち犯しけむ雑々の罪事は。 △四方の国中宇宙の大中心。 △大日本日高見之国四方真秀、天津日の隈なく照り亘る国土を称へていふ。但宇宙の大修祓が済んでから初めて理想的になるのである。 △下津磐根地質が一大磐石の地で即ち神明の降臨ある霊域を指す。 『福知山、舞鶴は外囲ひ、十里四方は宮の内』とあるも亦下津磐根である。 △宮柱太敷立宮居の柱を立派に建てる事。 △千木多加知屋根の千木を虚空(高天原)に高く敷きの義。千木は垂木也。タリを約めてチといふ。 △美頭麗しき瑞々しき意。 △仕へ奉り御造営の義。 △天の御蔭云々天津神の御蔭、日の大神様の御蔭と自分の徳を隠したまふ義。神政成就、神人合一の時代に於ては人は悉く神の容器である。世界統一を実行すとて、其功績は之は天地の御恩に帰し奉るが道の真随で、忠孝仁義の大道は根源をここから発する。坐ながらにして其御威徳は宇内に光被し、世は自然と平けく安らけく治まるのである。 △天の益人天は敬称である。益人は世界の全人類を指す。マスラヲといふ時は男子のみを指す。マは完全、スは統治の義。又ヒは霊、トは留まる義。 △罪事ツミは積み也、又包み也。金銭、財宝、糧食等を山積私有するは個人本位、利己本位の行為で、天則に背反して居る。又物品を包み隠したり、邪心を包蔵したり、利用厚生の道の開発を怠つたりする事も堕落腐敗の源泉である。かく罪の語源から調べてかかれば罪の一語に含まるる範囲のいかに広いかが分る。法律臭い思想では其真意義はとても解し難い。 (大意)天祖の御依託によりて救世主が御降臨遊ばさるるに就きては、宇宙の中心、世界の中心たる国土を以て宇内経綸、世界統一の中府と定め給ひ、天地創造の際から特別製に造り上げてある神定の霊域に、崇厳無比の神殿を御造営遊ばされ、惟神の大道によりて天下を知ろしめされる事になる。神諭の所謂『神国の行ひを世界へ手本に出して万古末代動かぬ神の世で三千世界の陸地の上を守護』さるるのである。それに就きては直接天津神の手足となり、股肱となりて活動せねばならぬ責任が重い。いかなる事を為ねばならぬか、又如何なる事を為てはならぬか、明確なる観念を所有せねばならぬ。次節に列挙せらるる雑々の罪事といふのは悉く人として日夕服膺せねばならぬ重要事項のみである。 (五) 天津罪とは、畔放ち溝埋め、樋放ち頻蒔き串差し、生剥逆剥尿戸許々太久の罪を、天津罪と詔別けて、国津罪とは、生膚断、死膚断、白人胡久美、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪、昆虫の災、高津神の災、高津鳥の災、畜殪し蠱物せる罪、許々太久の罪出む。 △天津罪天然自然に賦与せられたる水力、火力、電磁力、地物、砿物、山物、動植物等の利用開発を怠る罪をいふ。前にも言へる如く、所謂積んで置く罪、包んで置く罪也。宝の持腐れをやる罪也。従来は文明だの進歩だのと云つた所が、全然穿き違の文明進歩で一ツ調子が狂へば忽ち饑餓に苦しむやうなやり方、現在世界各国の四苦八苦の有様を見ても、人間が如何に天津罪を犯して居るかが解る。神諭に『結構な田地に木苗を植たり、色々の花の苗を作りたり、大切な土地を要らぬ事に使ふたり致し人民の肝腎の生命の親の米、豆、粟を何とも思はず、米や豆や麦は何程でも外国から買へると申して居るが、何時までもさう行かぬ事があるから猫の居る場にも五穀を植付けねばならぬやうになりて来るぞよ。皆物質本位の教であるから、神の国には神国の世の行方に致さして、モーぼつぼつと木苗も掘り起させるぞよ』とあるなどは実に痛切骨に徹する御訓戒である。現在の神国人とても欧米人と同じく決して天津罪人の数には漏れぬ人間ばかりである。採鉱事業などになると今の人間は余程進歩して居る所存で居るが、試掘と分析位で地底に埋没せる金銀宝玉等が出るものではない。之に比べると、幾分霊覚を加味した佐藤信淵[※佐藤信淵は江戸後期の思想家、医師。]の金気観測法などの方が何れ丈か進歩して居る。神霊の御命令と御指示がなくんば、金銀其他は決して出ない。大本神諭に『五六七大神の御出ましにお成なさるるにつき、国常立尊が現はれるなり、国常立尊が現はれると、乙姫殿は次ぎに結構な大望な御用が出来て乙姫殿の御宝を上げて新規の金銀を綾部の大本に………。二度目の立替を致して、何も新規に成るのであるから、乙姫殿の御財宝を綾部の大本へ持運びて、新規の金銀を吹く準備を致さな成らぬから云々』とあるなどは時節到来と共に実現して、物質万能機械一点張りの連中を瞠若たらしむ事柄なのである。又現在人士は電力、火力、水力、其他の利用にかけて余程発達進歩を遂げた心算で居るが、一歩高所から達観すると、利用どころか悪用ばかり間接又は直接に人類の破滅、天然の破壊に使用されぬものが幾何かある。是等の点にかけて現在の人士は、所謂知識階級、学者階級ほど血迷ひ切つて居る、天津罪の犯罪者である。 △畔放ち天然力、自然力の開発利用の事。畔(ア)は当字にてアメを約めたもの也。田の畔を開つなどは単に表面の字義に囚はれたる卑近の解釈である。 △溝埋め水力の利用を指す。埋めには補足の義と生育の義とを包む。湯に水をうめる、根を土中にうめる、種子を地にうめる、孔をうめる、鶏が卵をうむなど参考すべし。 △樋放ち樋は火也。電気、磁気、蒸気、光力等天然の火力の開発利用を指す。 △頻蒔き山の奥までも耕作し不毛の地所などを作らぬ事。頻(シキ)は、敷地のシキ也、地所也。蒔きは捲き也、捲き収める也、席巻也、遊ばせて置かぬ也、遊猟地や、クリケツト、グラウンドなどに広大なる地所を遊ばせて、貴族風を吹かせて、傲然たりし某国の現状は果して如何。彼等が世界の土地を横領せる事の大なりし丈、彼等が頻蒔の天則を無視せる罪悪も蓋し世界随一であらう。併し其覚醒の時もモー接近した、これではならぬと衷心から覚る時はモー目前にある。イヤ半分はモー其時期が到着して居る。併しこれは程度の差違丈で、其罪は各国とも皆犯して居る。 △串差しカクシサガシの約にて、前人未発の秘奥を発見する事。 △生剥ぎ一般の生物の天職を開発利用する事。生物といふ生物は悉く相当の本務のあるもので、軽重大小の差異こそあれそれぞれ役目がある。鼠でも天井に棲みて人間に害を与ふる恙虫などを殺すので、絶対的有害無効の動物ではない。剥ぎは開く義、発揮せしむる義也。蚕をはぐなどの語を参考すべし。 △逆剥逆(サカ)は、栄えのサカ也。酒なども此栄えの意義から発生した語である。剥(ハギ)は生剥の剥と同じく開発の義。即ち全体の義は栄え開く事で、廃物をも利用し荒蕪の地を開墾し、豊満美麗の楽天地を現出せしむる事を指す。 △尿戸宇宙一切を整頓し、開発する義。クは組織経綸、ソは揃へる事、整頓する事、へは開発する事。 △許々太久其他種々雑多の義。 △天津罪と詔別て以上列挙せる天然力、自然物の利用開発を怠る事を、天津罪と教へ給ふ義也。 △国津罪天賦の国の徳、人の徳を傷つくる罪を指す。 △生膚断天賦の徳性を保ち居る活物の皮膚を切ること也。必要も無きに動物を害傷し、竹木を濫伐する事等は矢張罪悪である。霊気充満せる肉体に外科手術を施さずとも、立派に治癒する天賦の性能を有して居る。人工的に切断したり切開したりするのは天則違反で、徒に人体毀損の罪を積ぬる訳になる。 △死膚断刃物を以て生物一切を殺す罪。 △白人胡久美白昼姦淫の事。白日床組といふ醜穢文字を避け、態と当字を用ひたのである。淫欲は獣肉嗜好人種に随伴せる特徴で、支那、欧米の人士は概して此方面の弊害が多い。日本人も明治に入つてから大分其影響を受けて居るが、元来は此点に於ては世界中で最も淡白な人種である。淫欲の結果は肺病となり、又癩病となる故に白人胡久美を第二義に解釈すれば白人は肺病患者、又は白癩疾者を指し、胡久美は黒癩疾者を指す。 △己が母犯せる罪母の一字は、父、祖先、祖神等をも包含し、極めて広義を有するのである。大体に於て親といふ如し。犯すとは其本来の権能を無視する義也。換言すれば親、祖先、祖神に対して不孝の罪を重ぬる事である。 △己が子犯せる罪自己の子孫の権能を無視し、非道の虐待酷使を敢てする事。元来自分の子も、実は神からの預かり物で、人間が勝手に之を取扱ふ事は出来ない。それに矢鱈に親風を吹かせ、娘や伜などを自己の食ひ物にして顧みぬなどは甚だしき罪悪といふべきである。 △母と子と犯せる罪、子と母と云々上の二句『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪』を更に畳句として繰返せる迄で別に意義はない。 △畜犯せる罪獣類の天賦の徳性を無視し、酷待したり、殺生したりする事。 △昆虫の災天則違反の罪をいふ。蝮、ムカデなどに刺されるのは皆偶然にあらず、犯せる罪があるにより天罰として刺されるのである。故にかかる場合には直に反省し、悔悟し、謹慎して、神様にお詫を申し上ぐべきである。 △高津神の災天災、地変、気候、風力等の不順は皆これ高津神の業にして罪過の甚い所に起るのである。災は業はひ也、所為也。鬼神から主観的に観れば一の所為であるが、人間から客観的に観れば災難である。今度の国祖の大立替に、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、其他八百万の眷属を使はるるのも祝詞の所謂高津神の災である。皆世界の守護神、人民の堕落が招ける神罰である。 △高津鳥の災鳥が穀物を荒す事などを指すので矢張り神罰である。 △畜殪し他家の牛馬鶏豚等を斃死せしむる事。一種のマジナヒ也。 △蠱物呪咀也、マジナヒ物也。丑の時参りだの、生木に釘を打つだのは皆罪悪である。 (大意)人間は神の容器として宇内経綸の天職がある。殊に日本人の使命は重大を極め世界の安否、時運の興廃、悉く其責任は日本人に係るのである。神諭に『日本は神の初発に修理へた国、元の祖国であるから、世界中を守護する役目であるぞよ。日本神国の人民なら、チトは神の心も推量致して、身魂を磨いて世界の御用に立ちて下されよ』とある通り、天賦の霊魂を磨き、天下独特の霊智霊覚によりて、天然造化力の利用開発に努めると同時に、他方に於ては天賦の国の徳、人の徳を発揮することに努め、そして立派な模範を世界中に示さねばならぬのである。然るに実際は大に之に反し、徒に物質文明の糟粕を嘗め、罪の上に罪を重ねて現在見るが如き世界の大擾乱となつて来た。無論日本人は此責任を免るる事は出来ない。併しこれは天地創造の際からの約束で、進化の道程として、蓋し免れ難き事柄には相違ない。されば此祝詞の中に『許々太久の罪出む』とあり、又国祖の神諭にも『斯うなるのは世の元から分つて居る』と仰せられて居る。要するに過去の事は今更悔むには及ばぬ。吾々は現在及び将来に向つて、いかなる態度を執り、いかなる処置を講ずれば宜いかを考究すべきである。次節に其要道を示されて居る。 (六) 如此出でば、天津宮言以て、天津金木を本打切末打断て、千座の置座に置足はして、天津菅曾を本苅絶末苅切て、八針に取裂きて天津祝詞の太祝詞言を宣れ、如此宣らば、天津神は天の磐戸を推披来て、天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞召む。国津神は高山の末短山の末に登り坐て、高山の伊保理短山の伊保理を掻分けて所聞召む。 △天津宮言宮言は『ミヤビノコトバ』の義也。正しき言霊也。宇宙の経綸は言霊の力によりて行はるる事は、前にも述べた。我天孫民族は世界の経綸を行ひ、天下を太平に治むべき、重大なる使命を帯びて居る。然るに現在は肝腎の日本人が、霊主体従の天則を誤り天津罪、国津罪、数々の罪を重ねて、其結果世界の大擾乱を来して居る。之を修祓し、整理するの途は、言霊を正し、大宇宙と同化するが根本である。換言すれば、肚の内部から芥塵を一掃し、心身共に浄化して、常に善言美詞のみを発するやうにせねばならぬ。悪声を放ち蔭口をきき又は追従軽薄を並べるやうな人間はそれ丈で其人格の下劣邪悪な事が分る。世界の経綸どころか人として次ぎの新理想時代に生存すべき資格の有無さへ疑問である。日夕祝詞を奏上しても、斯んな肝要至極の点が、さつぱり実行が出来ぬでは仕方がない。お互に反省の上にも反省を加へねばならぬ事と思ふ。 △天津金木則神算木也。周易の算木に相当するものであるが、より以上に神聖で正確である。本来は長さ二尺の四寸角の檜材なのであるが、運用の便宜上、長さ二寸の四分角に縮製さる。其数三十二本を並べて、十六結を作製し、其象を観て、天地の経綸、人道政事一切の得失興廃等を察するのである。それは宇内統治の主が大事に際して運用すべきもので、普通人民が矢鱈に吉凶禍福などを卜するに使用すべきものではない。無意無心の器物を用ゐて神勅を受くるのであるから、ややもすれば肉体心の加味し勝ちな普通の神憑りよりも、一倍正確な事は云ふ迄もない。 △本打切末打断神算木を直方形に作製する仕方を述べたまでである。 △千座の置座云々無数の神算木台に後からズンズン置き並べる事。 △天津菅曾周易の筮竹に相当するが其数は七十五本である。これは七十五声を代表するのである。長さは一尺乃至一尺二寸、菅曾は俗称『ミソハギ』と称する灌木、茎細長にして三四尺に達す。之を本と末とを切り揃へて使用する也。 △八針に取裂て天津菅曾の運用法は先づ総数七十五本を二分し、それから八本づつ取り減らし其残数によりて神算木を配列するのである。 △天津祝詞の太祝詞即ち御禊祓の祝詞の事で、正式に奏上する場合には爰で天津祝詞を奏上するのである。大体に於て述べると、あの祝詞は天地間一切の大修祓を、天神地祇に向つて命ぜらるる重大な祝詞である。太(フト)は美称で、繰返して、天津祝詞を称へた迄である。 △宣れ神に向つて願事を奏上するの義也。 △天の磐戸天津神のまします宮門から御出動の義にて、人格的に写し出せるのである。 △伊頭の千別き云々前に出たから略す。 △国津神地の神界に属する神々、及び霊魂の神を以て成立し、各自の霊的階級に応じて大小高下、それぞれの分担権限を有す。 △高山の末云々末は頂上の義。 △伊保理隠棲也、隠れたる也。伊保理の伊保も、いぶかしのいぶも、烟などのいぶるも、皆通音で同意義である。 (大意)天津罪、国津罪の続発は悲しむべき不祥事ではあるが、出来た上は致方がない。よく治乱興廃、得失存亡の理を明かにし、そして整理修祓の法を講ぜねばならぬ。世界主宰の大君としては、天津金木を運用して宇内の現勢を察知し、そして正しき言霊を活用して天津祝詞を天津神と国津神とに宣り伝へて、其活動を促すべきである。これが根本の祭事であると同時に、又根本の政事であつて、祭と政とは決して別途に出るものではない。さうすると、天津神も国津神もよく之に応じて威力を発揮せられる。神諭の所謂『罪穢の甚い所には、それぞれの懲罰がある』又は『地震、雷、火の雨降らして体主霊従をつぶす』といふやうな神力の発動ともなるのである。 (七) 如此所聞食ては、罪といふ罪は不在と、科戸の風の天の八重雲を吹放つ事の如く、朝の御霧夕の御霧を、朝風夕風の吹掃ふ事の如く、大津辺に居大船を、舳解放ち艫解放ちて大海原に押放つ事の如く、彼方の繁木が本を、焼鎌の敏鎌以て打掃ふ事の如く、遺る罪は不在と、祓賜ひ清め玉ふ事を。 △かく所食てはきこしめすの意義は、単に耳に聴くといふよりも遥に広く深い。きくは利く也。腕が利く、鼻がきく、眼がきく、酒をきく、(酒の品位を飲み分けること)などのきくにて一般に活用を発揮し、威力を利用する義である。天津神、国津神達が整理修祓の命に応じて活動を開始する事を指していふ。 △罪といふ罪は不在と罪といふ限りの罪は一つも残さずの意。 △科戸の風の云々以下四聯句は修祓の形容で、要するに『遺る罪は不在と祓賜ひ清め賜ふ』事を麗しき文字で比喩的に描いたものである。科戸は風の枕詞、古事記に此神の名は志那都比古と出て居る。シは暴風(アラシ)のシと同じく風の事である。ナはノに同じく、トは処の義。 △朝の御霧云々御霧は深き霧の義。 △朝風夕風云々朝風は前の『朝の御霧』に掛り、夕風は『夕の御霧』に掛る。 △大津辺に居る云々地球に於て、肉体を具備されたる神の御出生ありしは、琵琶湖の竹生島からは、多紀理毘売命、市寸島比売命、狭依毘売命の三姫神、又蒲生からは天之菩卑能命、天津彦根命、天之忍穂耳命、活津日子根命、熊野久須毘命の五彦神が御出生に成つた。これが世界に於ける人類の始祖である。かく琵琶湖は神代史と密接の関係あるが故に、沿岸附近の地名が大祓祝詞中に数箇所出て居る。大津の地名も斯くして読み込まれたものである。 △舳解放云々泊居る時に舳艪を繋いで置くが、それを解き放つ意。 △大海原海洋也。 △繁木が下繁茂せる木の下。 △焼鎌の敏鎌焼鎌とは、鎌で焼きて造る故にいふ。敏鎌は利き鎌の義。 △遺る罪は不在と前に『罪といふ罪は不在』とあるのに、更に重ねてかく述ぶるは、徹底的に大修祓を行ふ事を力強く言ひなしたのであらう。 (大意)八百万の天津神と国津神との御活動開始となると、罪といふ罪、穢といふ穢は一つも残らず根本から一掃されて仕舞ふ。大は宇宙の修祓、国土の修祓から、小は一身一家の修祓に至るまで、神力の御発動が無ければ、到底出来るものではない。殊に現代の如く堕落し切つた世の中が、何うしても姑息的人為的の処分位で埒が附くものでない。清潔法執行の声は高くても、益々疾病は流行蔓延し、社会改良の工夫は種々に凝らされても、動揺不穏の空気はいよいよ瀰蔓するではないか。艮之金神国常立尊が御出動に相成り、世の立替立直しを断行さるるのも誠に万止むを得ざる話である。されば大祓祝詞は、無論何れの時代を通じても必要で、神人一致、罪と穢の累積を祓清むる様に努力せねばならぬのだが、殊に現在に於ては、それが痛切に必要である。自己の身体からも、家庭からも、国土からも、更に進んで全地球、全宇宙から一時も迅速に邪気妖気を掃蕩してうれしうれしの神代に為ねば、神に対して実に相済まぬ儀ではないか。 大修祓に際して、神の御活動は大別して四方面に分れる。所謂祓戸四柱の神々の御働きである。祓戸の神といふ修祓専門の神様が別に存在するのではない、正神界の神々が修祓を行ふ時には、此四方面に分れて御活動ある事を指すのである。以下末段迄は各方面の御分担を明記してある。 (八) 高山の末短山の末より、作久那太理に落、多岐つ速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神、大海原に持出なむ、如此持出往ば、荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速秋津比売といふ神、持可々呑てむ。如此可々呑ては、気吹戸に坐す気吹戸主といふ神、根の国底の国に気吹放ちてむ。如此気吹放ちては、根の国底の国に坐す速佐須良比売といふ神、持佐須良比失ひてむ。如此失ひては、現身の身にも心にも罪と云ふ罪は不在と、祓給へ、清め給へと申す事を所聞食と恐み恐みも白す。 △高山の末云々高き山の頂、低き山の頂からの義。 △作久那太理に佐久は谷也、峡也。那太理はなだれ落つる義、山から水が急転直下し来る事の形容。 △落多岐つ逆巻き、湧き上りつつ落つる事。滝(タキ)、沸(タギル)等皆同一語源から出づ。 △速川急流也。 △瀬織津比売云々古事記の伊邪那岐命御禊の段に、『於是詔之上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬降迦豆伎而。滌時。所成坐神名八十禍津日神、次大禍津日神。此二神者所到其穢繁国之時因汚垢而。所成之神者也』[※この漢文は御校正本ではフリガナはなく、返り点が付いている。霊界物語ネットでは戦後の版を参考にしてフリガナをつけた。また返り点は削除した。]と出て居るが、瀬織津の織は借字にて瀬下津の義、即ち於中瀬降迦豆伎たまふとある意の御名である。此神は即ち禍津日神である。世人は大概禍津日神と禍津神とを混同して居るが、実は大変な間違である。禍津神は邪神であるが、禍津日神は正神界の刑罰係である。現界で言へば判検事、警察官、又は軍人なぞの部類に属す。罪穢が発生した場合には、常に此修祓係、刑罰係たる禍津日神の活動を必要とする。修祓には大中小の区別がある。大は天上地上の潔斎、中は人道政事の潔斎、小は一身一家の潔斎である。若し地球に瀬織津比売の働きが無くんば、万の汚穢は地上に堆積して新陳代謝の働きが閉塞する。所が地の水分が間断なく蒸発して、それが雲となり、雨となり、其結果谷々の小川の水が流れ出て末は一つに成りて大海原に持出して呉れるから、天然自然に地の清潔が保たれるのである。現在は地の表面が極度に腐敗し切り、汚染し切り、邪霊小人時を得顔に跋扈して居る。神諭に『今の世界は服装ばかり立派に飾りて上から見れば結構な人民で、神も叶はぬやうに見えるなれど誠の神の眼から見れば、全部四つ足の守護に成りて居るから、頭に角が生えたり、尻に尾が出来たり、無暗に鼻計り高い化物の覇張る、闇雲の世に成りて居るぞよ』『余り穢うて眼を開けて見られぬぞよ』『能うも爰まで汚したものぢや。足片足踏み込む所もない』等と戒められて居る通りである。此際是非とも必要なるは、世界の大洗濯、大清潔法の施行であらねばならぬ。爰に於てか先づ瀬織津姫の大活動と成りて現はれる。七十五日も降りつづく大猛雨なぞは此神の分担に属する。到底お手柔な事では現世界の大汚穢の洗濯は出来さうも無いやうだ。神諭にも『罪穢の甚大い所には何があるやら知れぬぞよ』と繰返し繰返し警告されて居る。世界の表面を見れば、そろそろ瀬織津比売の御活動は始まりつつあるやうだ。足下に始まらなくては気が附かぬやうでは困つたものだ。 △荒塩の塩の八百道の云々全体は荒き潮の弥が上に数多寄り合ふ所の義。八は弥の意、八百道は多くの潮道の事、八塩道は上の塩の八百道を受け重ねていへる丈である。八百会は沢山の塩道の集まり合ふ所。 △速秋津比売古事記に『水戸神、名速秋津日子神。次妹秋津比売命』とあるが如く河海の要所を受持ちて働く神也。 △持可々呑てむ声立ててガブガブ呑むの義也。汚れたる世界の表面を洗滌する為には既に瀬織津比売の働きが起りて大雨などが降りしきるが、河海の水門々々に本拠を有する秋津比売が、次ぎに相呼応して活動を開始する。大洪水、大海嘯、大怒濤、此神にガブ呑みされては田園も山野も、町村も耐つたものではない。所謂桑田変じて碧海と成るのである。 △気吹戸近江の伊吹山は気象学上極めて重要な場所である。伊吹は息を吹く所の義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中の伊吹戸とも云ふべきは近江の伊吹山である。最近伊吹山に気象観測所が公設されたのは、新聞紙の伝ふる所であるが、大本では十年も二十年も以前から予知の事実である。 △気吹戸主大雨、洪水、海嘯等の活動に続いては、気象上の大活動が伴うて妖気邪気の掃蕩を行はねばならぬ。元寇の役に吹き起つた神風の如きも、無論この伊吹戸主の神の御活動の一端である。 △根の国底の国地球表面に於ては北極である。神諭に『今迄は世の元の神を、北へ北へ押籠めて置いて、北を悪いと世界の人民が申て居りたが、北は根の根、元の国であるから、北が一番善く成るぞよ………。人民は北が光ると申して不思議がりて、いろいろと学や智慧で考へて居りたが、誠の神が一処に集りて、神力の光を現はして居る事を知らなんだぞよ』とあるが、真に人間の智慧や学問では解釈の出来ない神秘は北に隠されて居る。北光、磁力は申すに及ばず、気流や、気象なども北極とは密接の関係がある。即ち地球の罪穢邪気は、悉く一旦北極に吹き放たれ、爰で遠大なる神力により処分されるのである。序に一言して置くが、罪を犯した者が根の国、底の国に落ちるのは、詰まり神罰で、これも一つの修祓法執行の意義である。別に根の国底の国といふ地獄めきたる国土が存在するのではない。何処に居ても神罰執行中は其処が根の国底の国である。 △速佐須良比売佐須良は摩擦(サスル)也、揉むこと也、空にありては雷、地にありては地震、皆これ佐須良比売の活動である。要するに全世界の大修祓法は、大雨で流し、洪水海嘯等で掃ひ、大風で吹き飛ばし、最後に地震雷で揺つて揺つて揺り滅すのである。それが即ち神諭の世界の大洗濯、大掃除、第二次の大立替である。『天の大神様がいよいよ諸国の神に、命令を降しなされたら、艮金神国常立尊が総大将となりて雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、八百万の眷族を使ふと一旦は激しい』とあるのは、祓戸四柱の神々の活動を指すのである。詳しく言へば雨、荒、風、地震の神々がそれぞれ瀬織津比売、秋津比売、気吹戸主、佐須良比売の神々の働きをされるので、岩の神が統治の位置に立つのである。学問の末に囚はれた現代人士は、是等の自然力を科学の領分内に入れて解釈しようと試みて居るがそれは駄目だ。実は皆一定の規律と方針の下に行はるる所の神力の大発動である。その事は、今年よりは来年、来年よりは来々年といふ具合に、段々世界の人士が承服する事に成るであらう。 △所聞食と八百万の神達に宣り上ぐる言葉である。神々に向つて活動開始、威力発揮を祈願する言葉である。即ち天地の神々様も、此宣詞をしつかり腹に入れ、四方面に分れて、大修祓の為に活力を発揮し玉へと云ふ事である。我惟神の大道がいかに拝み信心、縋り信心と天地の相違あるかは、此辺の呼吸を観ても分るであらう。末段祓戸四柱神の解釈説明を下すに当り、自分は全体の統一を慮り、又大本神諭との一致を失はぬやう、主として地球全体世界全体経綸の見地から筆を下した。併しこれは、より大きくも、又より小さくも解釈が出来る事は前にも述べた通りである。宇宙の神人、万有一切の事は皆同一理法に支配せられ、宇宙に真なる事は地球にも真、地球に真なる事は一身一家にも又真である。参考の為めに爰に簡単に他の一二の解釈法を附記して置かう。個人潔斎の上から述べると瀬織津比売の働きは行水、沐浴等の事、秋津比売は合嗽の事、伊吹戸主は深呼吸などの事、佐須良比売は冷水摩擦、按摩等の事である。人身生理の上から述べると、瀬織津比売は口中にて食物咀嚼の機能、秋津比売は食道から胃腸に食物を運ぶ機能、気吹戸主は咀嚼して出た乳汁を肺臓に持ち出す機能、佐須良比売は肺臓にて空気に触れ、それから心臓に帰り、そして全身へ脈管で分布せらるる機能を指すのである。かくの如く大祓祝詞は大小に拘はらず、ありとあらゆる有機組織全部に必要なる新陳代謝の自然法を述べたものである。 (大意)さて地球の表面の清潔法施行のためには、先づ大小の河川を司どる瀬織津姫が御出動になり、いよいよとなれば、大雨を降らして苛くも汚れたものは家庫たると、人畜たるの区別なく大海へ一掃して了ふ。之に応じて速秋津姫の活動が起り、必要あれば逆に陸地までも押し寄せ、あらゆる物を鵜呑みにする。邪気妖気掃除の目的には気吹戸主神が控へて居り、最後の大仕上げには佐須良姫が待ち構へて、揉みに揉み砕き、揺りに揺り潰す。これでは如何に山積せる罪穢も此の世から一掃されて品切れになる。従来は大祓の祝詞は世に存在しても其意義すら分らず、従つて其実行が少しも出来て居なかつた。其大実行着手が国祖国常立尊の御出動である。神国人の責務は重いが上にも重い。天地の神々の御奮発と御加勢とを以て首尾克く此大経綸の衝に当り神業に奉仕するといふのが、これが大祓奏上者の覚悟であらねばならぬ。(完) |
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霊界物語 | 50_丑_祠の森の物語2 | 01 至善至悪 | 第一章至善至悪〔一二九五〕 本巻物語の主人公たる初稚姫及び高姫の霊魂上の位置及び其情態を略舒して参考に供することとする。 初稚姫は清浄無垢の若き妙齢の娘である。而して別に現代の如く学校教育を受けたのではない。只幼少より母を失ひ、父と共に各地の霊山霊場に参拝し、或は神霊に感じて、三五教の宣伝使と共に種々雑多の神的苦行を経たるため、純粋無垢なる霊魂の光は益々其光輝を増し、玲瓏玉の如く、黒鉄時代に生れながら、其本体即ち内分的生涯は、黄金時代の天的天人と向上して居た。故に宣伝使としても又地上の天人としても、実に優秀な神格者であつた。大神の神善と神真とを能く体得し、無限の力を与へられ、神の直接内流を其精霊及び肉身に充せ、其容貌並に皮膚の光沢、柔軟さなどは殆どエンゼルの如くであつた。故に初稚姫は大神の許しある時は、一声天地を震撼し、一音風雨雷霆を叱咤し、地震雷海嘯その外風水火の災をも自由に鎮定し得る神力を備へてゐた。されど初稚姫は愛善の徳全く身に備はり、謙譲なるを以て処世上の第一となしゐたれば、容易に神力を現はす事を好まなかつた。而して姫の精霊は大神の直接神格の内流に充され、霊肉共に一見して凡人ならざるを悟り得らるるのであつた。姫は能く天人と語り、或は大神の御声を聞き、真の善よりする智慧証覚を具備したる点は、三五教きつての出藍のほまれを恣にしてゐた。それ故八岐大蛇の跋扈する月の御国へ神軍として出征するにも、只一人の従者もつれず、真に神を親とし主人とし、師匠とし、愛善の徳と信真の徳を杖となし或は糧となし、天上天下に恐るるものなく、猛獣毒蛇の荒れ狂ふ深山幽谷曠野をも、天国の花園を過ぐるが如き心地し、目に触るるもの、身に接近するもの、悉く之を親しき友となし、且此等の同士となつて和合帰順悦服等の神力を発揮しつつ進むことを得たのである。故に如何なる現界的智者学者に会ひて談話を交ふる時も、一度として相手方に嫌悪の情を起さしめたる事なく、其説く所は何れも霊的神的にして、愛と信とに充されざるはなく、草野を風の行過ぎるが如く風靡し、帰順し、和合せしめねばおかなかつた。天稟の美貌と智慧証覚は何れも愛善の徳と真善の光なる大神より来るが故に、姫が面前に来る者は、何れも歓喜悦服せざるはなかつたのである。且又理性的にしてものに偏せず、中庸、中和、大中などの真理を超越してゐた。 抑も此理性は神愛と神真の和合より来る所の円満なる情動によつて獲得し、此情動よりして真理に透徹するものである。さて真理には三つの階級がある。而して人間は此三階級の真理にをらなければ、到底神人合一の境に入る事は不可能である。法律、政治の大本を過たず能く現界に処し、最善を尽し得るを称して、低級の真理に居るものと言ひ、又君臣夫婦父子兄弟朋友並に社会に対し、五倫五常の完全なる実を挙げ得る時は、これを中程の真理に居る者といふのである。併しながら如何に法律を解し政治を説き、或は五倫五常を詳細に説示し了得すると雖も、之を実践躬行し得ざる者は所謂偽善者にして、無智の賤人にも劣るものと霊界に於て定めらるるのである。又愛の善と信の真に居り、大神の直接内流を受け、神と和合し、外的観念を去り、万事内的に住し得るものを称して最高の真理に居る者と云ふのである。故に現代に於て聖人君子と称へられ或は智者識者と称せられ、高位高官と崇めらるる人物と雖も、最高の真理に居らざる者は、霊界に於ては実に賤しく醜く、且中有界又は地獄界に群居せざるを得ざる者である。霊界に行つて現界に時めく智者学者又は有力者といはるる者の精霊に出会し、其情況を見れば、何れも魯鈍痴呆の相を現はし、身体の動作全く不正にして四肢戦き慄ひ、少しの風にも吹き散りさうになつてゐるものである。是凡てが理性的ならざるが故である。現代の人間が理性的とか理智的とか、物知り顔に云つてゐる其言説や又は博士学士等の著書を見るも、一として理性的なるものはない。何れも自然界を基礎とせる不完全なる先賢先哲と言はれたる学者の所説や教義を基礎とし、古今東西の書籍をあさり、之を記憶に存し、其記憶を基として種々の自然的知識を発育せしめたるものである。故に只記憶のみにして、決して理性的知識ではない。現代の総ての学者は主神大神の直接又は間接の内流を受入るる事能はず、何れも地獄界より来る自愛及び世間愛に基く詐りの知識に依つて薫陶されたるものなれば、彼等は霊体分離の関門を経て精霊界に至る時は、生前に於る虚偽的知識や学問の記憶は全部剥奪され、残るは只恐怖と悲哀と暗黒とのみである。凡て自愛より出づる学識智能は何れも暗黒面に向つてゐるが故に、神のまします天界の光明に日に夜に遠ざかりゐたれば、精霊界に入りし時は霊的及び神的生涯の準備一もなく、否却つて魯鈍無智の人間に劣ること数等である。魯鈍無智なる者は、常に朧気ながらも霊界を信じ且つ恐るるが故に、驕慢の心なく、心中常に従順の徳に居りしが故に、霊界に入りし後は神の光明に浴し、神の愛を受くるものである。 又現界に在りては、到底人間の其真相は分らないものである。されど初稚姫の如く肉体其儘にて天人の列に加はりたる神人は、よく其人の面貌及び言語動作に一度触るれば、其生涯を知り、其人格の如何をも洞破し得るのである。如何に現代人が法律をよく守り、或は大政治家と賞められ、智者仁者と云はるる事あるとも、肉体の表衣に包まれ居るを以て、暗冥なる人間はこれが真相を悟り得ることは出来ない。肉体人は其交際に際し、心に思はざる所を言ふことあり、或は思はざる所、欲せざる所を為さねばならぬことがある。怒るべき時に怒らず、或は少々無理なことでも、何とかして表面を装ひ、世人をして却つて之を聖者仁者と思はしめてゐる事が多い。又肉体人は如何なる偽善者も虚飾も判別するの力なければ、賢者と看做し、聖人と看做して、大いに賞揚することは沢山な例がある。故に瑞の御霊の神諭にも……人の見て善となす所、必ずしも善ならず、人の見て悪となす所、必ずしも悪ならず、善人と云ひ悪人と云ふも、只頑迷無智なる盲目世間の目に映じたる幻像に外ならない……と示してあるのは此理由である。瑞月嘗つて高熊山に修業の折、神の許しを受けて霊界を見聞したる時、わが記憶に残れる古人又は現代に肉体を有せる英雄豪傑、智者賢者といはるる人々の精霊に会ひ、其状態を見聞して意外の感にうたれたことが屡々あつた。彼等の総ては自愛と世間愛に在世中惑溺し、自尊心強く且神の存在を認めざりし者のみなれば、霊界に在りては実に弱き者、貧しき者、賤しき者として遇せられつつあつたのである。之を思へば現代に於ける政治家又は智者学者などの身の上を思ふにつけ、実に憐愍の情に堪へない思ひがするのである。如何にもして大神の愛善の徳と信真の光に、彼等迷へる憐れな地獄の住人を、せめて精霊界にまで救ひ上げ、無限の永苦を免れしめむと焦慮すれども、彼等の霊性は其内分に於て神に向つて閉され、脚底の地獄に向つて開かれあれば、之を光明に導くは容易の業でない。又如何なる神人の愛と智に充てる大声叱呼の福音も、霊的盲目者、聾者となり果てたるを以て、如何なる雷鳴の轟きも警鐘乱打の響も、恬として鼓膜に感じないのである。吁憐れむべき哉、虚偽と罪悪に充てる地獄道の蒼生よ。ここに初稚姫の神霊は再び大神の意思を奉戴し、地上に降臨し、大予言者となつて綾の聖地に現はれ、其純朴無垢なる記憶と想念を通じて、天来の福音を或は筆に或は口に伝達し、地上の地獄を化して五六七の天国に順化せしめむと計らせ給ふこと、殆ど三十年に及んだ。されど頑迷不霊の有苗的人間は之を恐れ忌むこと甚だしく、恰も仇敵の如くに嫉視し、憎悪するに至つたのである。ああ斯くも尊き大神の遣はし給ふ聖霊又は予言者の言を無視し、軽侮し、益々虚偽罪悪を改めざるに於ては、百の天人は大神の命を奉じ、如何なる快挙に出で給ふやも計り難いのである。 次に高姫の霊界上の地位に就いて少しく述ぶる必要がある。宇宙には天界、精霊界、地獄界の三界あることは屡々述べた所である。而して精霊界は霊界現界の又中間に介在せりと云つてもいい位なものである。故に精霊界には自然的即ち肉体的精霊なるものが団体を作つて、現界人を邪道に導かむとするものある事を知らねばならぬ。肉体的精霊とは、色々の種類あれども、其形は人間に似て人間にあらざるあり、或は天狗あり、狐狸あり、大蛇あり、一種の妖魅ありて、暗黒なる現界に跋扈跳梁しつつあり。此等は地獄界にも非ず、一種の妖魅界又は兇党界と称し、人間に譬ふれば、所謂不浪の徒である。彼等は人間の山窩の群の如く、山の入口や川の堤や池の畔、墓場の附近等に群居し、暗冥にして頑固なる妄想家の虚を窺ひ、其人間が抱持せる欲望に附け入つて虚隙を索めて入り来るものである。此肉体的精霊も亦人間の想念と和合せずして其体中に侵入し来り、其諸感官を占有し、其口舌を用ひて語り、其手足を以て動作するものである。而して此等の精霊は其憑依せる人間の物を以てすべて吾物とのみ思ふてゐる。或時は人間の記憶と想念に入つて大神と自称し、或は予言者をまね、遂に自ら真の予言者と信ずるに至るものである。されど此等の精霊は少しも先見の明なく、一息先の事は探知し得ないものである。何故なれば其心性は無明暗黒の境域に居るが故である。憑依された人間が、例へば開祖の神諭を読み耽り、之を記憶に止め想念中に蓄へおく時は、侵入し来りし悪霊即ち妖魅は、之を基礎として種々の予言的言辞を弄し、且又筆先などと称して、似たり八合なことを書き示し、頑迷無智なる世人を籠絡し、遂に邪道に引き入れむとするものである。開祖の神諭に……先の見えぬ神は誠の神でないぞよ……と示されたるは此間の消息を洩らされたものである。又熱狂なる人間は吾記憶を基礎として、其想念を働かせて入り来りし精霊の吾記憶に反けることを口走り、或は書き示す時は、忽ち審神的態度となり……汝は大神の真似を致す邪神にはあらざるか、サ早く吾肉体を去れ……などと反抗的態度に出づるものもある。併し乍ら遂には其悪霊の為に説伏せられ、或はいろいろの肉体上に苦痛を与へられ、遂にその妖魅の言に感服するに至るものである。サア斯うなつた時は、最早上げも下しも出来なくなつて、如何なる神の光明も説示も承認するの力なく、只単に……われは天下唯一の予言者なり、無上の神人なり、吾なくば此蒼生は如何せむ……と狂的態度に出づるものである。此物語の主人公たる高姫は即ち此好適例である。故に彼れ高姫は自己の記憶と想念と、憑霊の言葉の外には一切を否定し、且熱狂的に数多の人間を吾説に悦服せしめむと焦慮するのである。其熱誠は火の如く暴風の如く又洪水の如し。如何なる神人も有徳者も之を説得し帰順せしめ、善霊に帰正せしむることは天下の難事である。故に高姫は一旦改心の境に入りし如く見えたれども、再びつきまとへる兇霊は彼が肉体の虚隙を見すまし、又もや潮の如く体内に侵入し来り、大狂態を演ずるに至つたのである。 斯かる狂的憑霊者の弁舌と行為は最も執拗にして、昼夜間断なくつき纏ひ、吾所説に帰服せしめねば止まない底の勇猛心を抱持してゐる。斯かる兇霊の憑依せる偽予言者に魅入られたる人間は、如何なる善人と雖も、稍常識ありと称へられてゐる紳士でも、又奸智に長けたる人間でも、思索力を相当に有する人物でも、遂には其術中に巻込まれて了ふものである。かかる例は三十五万年前の神代のみではない、現に大本の中に於ても斯かる標本が示されてある。これも大本の神示に依れば、神の御心にして、善と悪との立別けを示し、信仰の試金石と現はし給ふものたることを感謝せなくてはならぬ。一旦迷はされたる精霊や人間は、容易に目の醒めるものでない。併しながら斯の如き渦中に陥る人間は、霊相応の理によつて、已むを得ずここに没入するのである。されど神は飽くまでも至仁至愛にましますが故に、弥勒胎蔵の神鍵を以て宝庫を開き、天国の光明なる智慧証覚を授け、愛善の徳に包んで、之をせめて中有界までなりと救ひ上げ、ここに霊的教育を施し、一人にても多く天国の生涯を送らしめむとなし給ひ、仁愛に富める聖霊を充して、予言者に来り、口舌を以て天国の福音を宣り伝へ給ふこととなつたのである。吁されど頑迷不霊の妖怪、人獣合一の境域に墜落せる精霊及び人間は、天国に救ふこと恰も針の穴へ駱駝を通すよりも難きを熟々感ずる次第である。大本の神諭にも……神と人民とに気をつけるぞよ……とあるは即ち精霊と肉体人とに対しての御言葉である。吁如何にせむ、迷へる精霊よ、人間よ、殊に肉体的兇霊に其身魂を占領されたる妖怪的偽予言者の身魂をや。 序に祠の森に於て杢助と現はれたる妖怪は、兇悪なる自然的精霊即ち形体的兇霊にして高姫の心性に相似し、接近しやすき便宜ありしを以て、互に相慕ひ相求め、風車の如く、廻り灯籠の如く、終生逐ひまはりなどして狂態を演出し、現界は云ふに及ばず霊界の悪魔となりて神業の妨害をなし、遂には神律に照され、神怒に触れ、根底の国の最底に投下さるるまで其狂的暴動を止めないものである。吁憐れむべきかな、肉体的兇霊よ、其機関となりし人間の肉体よ、精霊よ。思うても肌に粟を生ずるやうである。ああ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・二〇旧一一・一二・四松村真澄録) |
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霊界物語 | 64_上_卯エルサレム物語1 | 02 宣伝使 | 第二章宣伝使〔一六三一〕 カンタラ駅からスエズ運河を横ぎつて、エルサレム行の軍用列車に乗り込みし一人の東洋人ありき。汽車は茫々たる大砂漠の真中を一瀉千里の勢で馳走して居る。窓外は、森林も田畑も、河川も村落も人の影さへも、眼に入らない寂寥さである。所々に小屋の様な、殺風景な停車場が黙々として建つて居る。シナイ山は遥の遠方にボンヤリと霞んでゐる。ユデヤの高地に掛つたと見えて、丘が刻々に急勾配になつて、橄欖の樹が窓外に追々と見えて来る。四十歳前後の、一人の眼のクルリとした色の浅黒い、何処ともなしに凛々しい東洋人らしき宣伝使は、高砂島から派遣されて数十日間の海洋を渡り、メシヤ再臨の先駆として神の命により遥々出て来たルートバハーの教主ウヅンバラ・チヤンダーに先だつて来た、ブラバーサと云ふ紳士なり。 ブラバーサは世界各国の言語にも通じ、且つ近来流行のエスペラント語にも精通し居たり。それ故特にルートバハーの宣伝使として抜擢され、万里の海洋を打渡り、異域の空に聖跡を尋ねてメシヤ再臨の先鋒として赴任したのである。このブラバーサには郷国高砂島に一人の妻と一人の愛娘が残つて居る。ブラバーサは窓外の際限もなく広く展開せる砂漠を眺めて、聖者の古の事蹟を思ひ浮べ、感慨無量の体で吐息を漏らし居たり。 隣席に控えてシガーを燻らして居た白髪の老紳士は、ブラバーサの傍近く寄つて、さも馴々しげに握手を求めた。ブラバーサは海洋万里の不見不識の国で同じ車上に於て握手を求められたのは実に意外の歓びに打たれざるを得なかつた。ブラバーサは直に立つて老紳士と握手を交へた一刹那、百年の知己に逢つた様な懐しさを覚えた。 老紳士は馴れ馴れしく、 バハーウラー『私はバハイ教のバハーウラーと申すものですが、メシヤの再臨の近づきし事を神様より承り、老躯を提げて常世国から今日漸と茲まで無事到着致しました。貴師は何れより御越しで御座いますか。一寸拝顔しただけでも普通の御人とは見えませぬ。聖者と御見受いたしますが、御差支なくば御話しを願ひたいものですなア』 ブラバーサ『ハイ有難う御座います。私も貴師の様な聖者に、異域の空で而も同じ車中に御眼にかかり、互に御道の談を交換さして致だくのは望外の幸ひで御座います。実は私は高砂島の中心地点に宮柱太敷立てて鎮まりたまふ、大国治立大神の御許に仕へ奉るプロパガンディストで、ブラバーサと申すもので御座いますが、暫くエルサレムの霊気に触れ、神界の御経綸の一端に奉仕いたしたきものと神命のまにまに遥々出向致しましたものです。何分宗教や信仰には、国籍や人種別などの忌はしき障壁は御座いませぬから、何卒同胞として親交を願ひます』 バハーウラー『イヤ、お互様に御懇親を願ひませう。私は現代の宗教家の態度に飽き足らない一人で御座います。同じ太陽の光の下に生育する吾々人類は、何処までも神様の最愛の御子として、相愛し相助け合つて行かねばなりませぬ。そして凡ての迷信から脱離した宗教、過去の死神死仏は言ふ迄も無く、黴の生えた形式から解放された宗教、宗派根性を超越した真善美愛に徹底した宗教、種々の伝説や附会や迷信を交へた上に紛雑した教理と註訳に織込まれた曼陀羅的の教典から離脱した宗教、名実一致、霊肉一体、神人合一、聖凡不二を実現した宗教、其時代に必要あつて起れる教祖を以て唯一の救世主となし、教祖の教示を万世不易の聖言となす偏狭固陋なる牢獄的信仰の束縛を解いて、万聖の大集会即ち≪世界の国会開き≫を出現せしむる宏大無辺の宗教、一夫一婦の大道を明示した宗教、世間と出世間の障壁を除却して、真に一実在の生ける道を教ふる宗教、善と悪、信者と不信者、救済と罪悪、天界と地獄とを区別して争論の種を蒔く狭隘な宗教から脱却して、心底から親愛の目的として凡ての人類を見る所の真の救世の宗教、国語、労働、国際等の問題、学術と宗教との問題等一切を解決し、世界人類をして平等に光明世界の住民たらしむる権威ある宗教の必要に迫られて、数十年間あらゆる迫害や艱苦と戦つて来たもので御座いますから、貴師もルートバハーの神使として聖地へ御出張遊ばした以上は、互に神の子の兄弟として相提携し、万国の民を天界に救ふため、持ちつ持たれつの親交を願ひたきものです』 ブラバーサ『バハーウラー様、只今貴師の御言葉には実に感服いたしました。私が奉ずるルートバハーも、その主義精神に於て寸毫の相違点をも見出す事が出来ませぬ。高砂島に於けるルートバハーの教と、貴教とは東西符節を合する如くで御座いますよ。何うか今後は姉妹教として永遠の親交をお願ひいたしたく存じます』 バハーウラー『何卒よろしく御願ひいたします。時にブラバーサ様、現今世界の有様は如何でせう。吾々人類のために、天の神様より懲戒的大鉄槌を下される様な形勢になつて来たぢや在りませぬか』 ブラバーサ『昨日も船中でロンドンタイムスを読んで見ましたが、其中に吾々としては依然として落着いて居られない様な記事が載つて居ましたよ。ルートバハーの教と全然同一でしたワ』 バハーウラー『ドンナ記事が載つて居ましたか』 ブラバーサ『表題が二号活字で麗々しく「死んだ新聞王の霊が探偵小説家のコナン・ドイル氏に世界の大災厄が来ると云ふことを囁いた」と出て居りましたよ。今懐に持つて居りますから朗読いたしませう』 と云ひつつ、懐より細かく折つた新聞を取り出し、押し開いて、 ブラバーサ『目下米国にあるコナン・ドイル氏は、三十一日、桑港に於て左の奇抜な発表をなした。曰く「新聞王故ノース・クリフ卿の霊が余に囁くに、「汝等の生存中この世界に一大災厄が来る。若し人間が霊的に改造されて、この災厄を除かなければ、千九百十四年の世界大戦よりも更に恐ろしい運命に陥る」一体○国人は余り齷齪し過ぎる。余も生存中同様の誤謬を敢てしたが、物質的進歩の競争のため、人間の智慮は滅び遂に災厄が来るものであると云ふことを初めて理解するに至つたと、ドイル氏は全く真剣に真面目に右の言明をして居る』云々 と読み了り、 ブラバーサ『吾々の信仰いたしますルートバハーも亦同様の神示を三十年以前から主張して来ましたが、物質的研究にのみ焦心して居る世界の学者も、其他の同胞も容易に信じて呉れないのみか、流言浮説をなして人を誑惑するものだと言つて聖主を始め信者は所在社会上下の圧迫を受けて来ました。聖主の教にも、右同様に人心の悪化は宇宙に邪気を発生し、遂には地異天変を招来するものだと説かれてあります。天地が今に覆るぞよ。吃驚箱が開くぞよ。脚下から鳥が飛つぞよ。霊魂を研いて改心致して下されよ。神は世界の人民は皆最愛の我子であるから、一人なりとも助けてやり度いのが胸一杯であるから、永らく予言者の口と手に由りて世界の人民に気を付けて居るなれど、余り今の人民は科学に凝り固まりて神の申す真誠の教が耳に這入らぬので、神も大変に心を砕いて居るぞよと仰せられて居ます』 バハーウラー『如何にも、真に結構な御神示ですなア。それに寸毫の間違ひも御座いますまい。私も神示によつて、貴師の御説と同様のことを承はりましたので、バハイ教を開いて世界の同胞に警告を与へて居るのです。最早メシヤの再臨も余り長くは有りますまい』 ブラバーサ『左様です。メシヤの再臨は世界の九分九厘に成つて、此エルサレムの橄欖山上に出現されることと確信いたして居ります。既にメシヤは高砂島の桶伏山麓に再誕されて居りますよ。再誕と再臨とは少しく意義が違ひますからなア』 バハーウラー『救世主が最早再誕されたと仰有るのですか。大聖主メシヤたる可き神格者には九箇の大資格が必要ですが、左様な神格者は容易に得られますまい。先づ第一に、 一、大聖主は世界人類の教育者たること 二、其教義は世界的にして人類に教化を齎すもの成ること 三、其智識は後天的のものに非ずして自湧的にして自在なる可きこと 四、彼は所在賢哲の疑問に明答を与へ、世界の所在問題を決定し、而して迫害と苦痛を甘受す可きものなること 五、彼は歓喜の給与者にして、幸福の王国の報導者なる可きこと 六、彼の智識は無窮にして、理解し得べきものなる可きこと 七、其言説は徹底し、其威力は最悪なる敵をも折伏するに足るの人格者なる可きこと 八、悲しみと厄難は、以て彼を悩ますに足らず、その勇気と裁断は神明の如く、而して彼は日々に堅実を加へ、熱烈の度を増可きこと 九、彼は世界共通の文明の完成者、所在宗教の統一者にして、世界平和の確定と世界人類の最も崇高卓絶したる道徳の体現をなす可き人格を有すること以上 「爾等が此等の条件を具備したる人格者を世に求むる時には、初めて彼によつて嚮導をうけ光照を被るを得む」と吾バハーの聖主アブデユル・バハーは仰有いました。果して右九箇の大資格を備へた聖主が再誕されて在るとすれば、吾々は実に至幸至福の身の上で御座います。併し人各信仰に異同のあるものですから、私はアブデユル・バハーこそ大聖主と信じて居るものであります』 ブラバーサ『成程大聖主はアブデユル・バハー様でせうが、最早現界に生存遊ばさない上は、如何に九箇の大資格を備へたまふとも、今や来らむとする世界の救済事業に対しては、御手の下し様がありますまい。勿論聖主の教を汲みて、後の弟子達が完成さるれば兎も角もですが』 バハーウラー『貴師の仰有るメシヤの平素の言心行について、一応御話を承はり度いものですな』 ブラバーサ『先に貴師は九箇の大資格を羅列して説明下さいましたが、其大資格者に私は朝夕接従して居りましたから、大略申し上げて見ませう。虚構も誇張も方便も有りませぬから、そのおつもりでお聞きを願ひます』 バハーウラーは襟を正し、さも謹厳な態度で、ブラバーサの談話を耳を傾けて聞き初めた。 汽車は早くもユデヤの高丘を足重たげに刻みて上り行く。 ブラバーサ『私のメシヤと云ふ人格者は目下高砂島の下津岩根に諸種の準備を整へて居られます。そして其名はウヅンバラ・チヤンダーと謂つて、実に慈悲博愛の権化とも称すべき神格者です。世界人類に対して、必須の教育を最も平易に懇切に、施し玉ひつつあるのです。故に宗教家も教育家も、政治家も、経済学者も、天地文学者も軍人も職工も農夫も皆訪ね来つてそれ相応の教を受け、歓んでその机下に蝟集して居ます。如何なる難問にも当意即妙な答を与へられ、何れも満足して居ります。是が只今貴師の仰せられた第一の資格たる 「大聖主は世界人類の教育者たるべきこと」の条項に匹敵するやうに思ひます』 バハーウラー『成程御尤もです』 と頭を三ツ四ツ振つてうつむく。 ブラバーサ『ツルク大聖主が伊都の御魂と顕はれ玉ふて、三千大千世界一度に開く梅の花の大獅子吼を遊ばしましたが、此御方は約りヨハネの再臨だと信じられて居られます。そして基督とも謂ふべき美都の御魂の神柱、ウヅンバラ・チヤンダーと云ふ聖主が現はれて、世界的の大教義を宣布し、凡ての人類に教化を与へたまひ、今や高砂島は言ふに及ばず、海外の諸国から各種の宗教団体の教主や代表者が、聖主を世界の救世主と仰いで参り、其教義の公明正大にして且つ公平無私なるに感化され、日に月に笈を負ふてその門下に集まつて来て居ります。今貴師の仰せになつた第二の大資格たる 「その教義は世界的にして人類に教化を齎す可きものなること」の条項に合致するものでは有りますまいか』 バハーウラー『御尤もです。第三の資格に合致した点の御説明を願ひます』 ブラバーサ『我聖主ウヅンバラ・チヤンダー様は、小学校へ通ふこと僅かに三年で、しかも世界智識の宝庫とまで言はるる程の智識を有し玉ひ、天地万有一切の物に対して深遠なる理解を有し、三世を洞観し、天界地獄の由来より過去現在未来に渉りて、如何なる質問にも尠しも遅滞せず即答を与へ、且つ苦集滅道を説き道法礼節を開示し、泉の如く淆々として湧出するその智識には、如何なる反対者と雖も感服して居りますよ。天文に地文に、政治に宗教に、道徳に芸術に、医学に暦法に、詩歌に文筆に演説等、何れも自湧的に無限に其真を顕はし得ると云ふ稀代の神人であります。幼時より八ツ耳、神童又は地獄耳などの仇名を取つて居た方ですからなア。今も猶、神政成就の神策に関する神秘的神示を昼夜執筆されつつあります。世界各国の国語と雖も、未だ一度も学んだ事の無いお方が、凡ての国の言語が習はずして口から出て来るのですから、吾々はどうしても凡人だとは思ひませぬ。何人も聖主を指して生神だ生宮だと崇めて居りますよ。所謂貴師の仰せに成つた 「その智識は後天的のものに非ずして、自湧的なる可きこと」に合致するぢやありませぬか』 バハーウラー『ヘエー、何と不思議な方ですな。それこそ真正の大聖主メシヤですな』 ブラバーサ『それから瑞の御魂の聖主は、あらゆる賢人哲人の疑問に対し、即答を与へて徹底的に満足せしめ、且つ世界に所在種々の大問題に対し決定を与へ、種々雑多の迫害と苦痛を甘受し、常に平然として心魂にも止めず、部下の罪科を一身に負担して泰然自若、日夜感謝の生涯を送つて居られるのです。如何なる迫害も苦痛も聖主に対しては、暴威を振ふ事は出来ないと見えます。是が第四の条件に匹敵せる大聖主の資格の一ではありますまいか』 バハーウラー『なる程感心いたしました。それから第五の条件は如何で御座いますか』 ブラバーサ『聖主は実に歓喜の給与者とも云ふべきウーピーなお方です。如何なる憂愁の雲に閉されたる時にも、聖主の御側に在れば忽ち歓喜の心の花が開きます。そのお言葉を聞けば直ちに天国の福音を聞く如く、楽園に遊ぶが如く、何事も一切万事忘却し、歓喜の情に溢れ、病人は忽ち病癒え、失望落胆の淵に沈むものは希望と栄光に充たされ、一刻と雖も御側を離るる事が出来ない様な気分になつて了ひます。又身魂共に至幸至福の花園に遊び、天国を吾身内に建設する様になつて了ひます。実に仁慈と栄光との権化とも云ふべき神人で御座いますよ。斯くてこそ三千世界の救世主だと思ひます。次に第六の資格としては、聖主の深遠宏大なる内分的智識です。その深遠なる智識に由つて、無限無窮に人類の身魂を活躍せしめ、老若男女智者愚者の区別なく、直に受け入るる事の出来る自湧の智識と言霊を用ゐて衆生を済度されます。それ故、一度聖主に面接し又はお言葉を聞いたものは、決して忘れる様な事はなく、且つ時々思ひ出して歓喜に酔ふのです。婦女や愚人にも理解し易く、且つ宏く深き真理を、平易に御開示下さいます。 また第七の資格としては、過去現在未来に渉る一切万事の解説は、終始克く徹底し、前人未発の教義を極めて平易に簡単に了解し易く説示し、内外種々の反抗者や圧迫者に対しても、凡て大慈大悲の雅量と神直日大直日の神意に従ひ敵を愛して、終には敵をして心底より悦服せしめ、善言美詞の言霊を以て克く言向和し、春野を風の渡るが如くその眼前に来れるものは、一人も残らず善道に導きたまひ、自己に対して種々の妨害を加へ災厄を齎したる悪人に対しても、聊かの怨恨を含まず、貴賤老幼の別なく慈眼を以て見給ふ所は、第七の大資格に合致して居られる様に思ひます。 また第八の資格として茲に申上げますれば、聖主は暗黒なる社会又は宗教方面より非常な圧迫を受け、終には今や八洲の川原の誓約の厄に逢ひ、千座の置戸を負はせられ、髭を根底よりむしられ、手足の生爪まで抜き取られ、血と涙とを以て五濁の世を洗ひつつ、あらゆる困苦と艱難に当つて益々勇気を振り起し、世界人類のために大活躍を昼夜間断なく続けられて居られます。又諸事物に対しては神明の如く明確なる裁断を下し、即座に解決を与へ、且つその信念は日に月に堅実を増し、熱烈の度を加へ、今や官海方面より強烈なる圧迫を受けつつ泰然自若として天下万民のために心力を傾注し、五六七神政の福音を口に筆に開示されつつあります。開闢以来深く閉されつつあつた神秘の門も、漸次聖主に由つて開放されつつあります。何れの世にも勝れたるものは、世界の圧迫を一度は受けるものですが、我聖主の如きは、十字架を負ひ玉ひし基督の贖罪にも優つた程の世の圧迫と疑惑と嘲罵とを浴せかけられて少しも撓まず屈せず、殆ど旅人の春の野を行く如き状態で身を処し、能く神の教に従つて忍耐されつつ居られます』 バハーウラー『どうも有難う。貴師のお談によつて私も大に心強さを感じました。何うか今一つ第九の資格に就いて、聖主の御行動に関する御説示を願ひます』 ブラバーサ『聖主は人類愛善は言ふに及ばず、山河草木禽獣虫魚の端に至るまで博く愛し玉ふことは、平素の行動に由つて一般信者の崇敬感謝措く能はざる所です。凡ての宗教に対し該博なる観察力を以て深く真解を施し、生命を与へ、以て世界の宗教の美点を揚げ、抱擁帰一の大精神を以て対したまひますが故に、凡ての宗教家の白眉たる人士は雲の如く膝下に集まり、何れも皆満足をしてその教を乞ふて居ります。世界平和の確定と宗教の統一、世界共通的文明の建設者にして、最も卓絶したる真善美の道徳体現者だと信じます。やがて時来らば、天晴メシヤとして万人に仰がれ玉ふ時が来るであろうと、私共は固く信じて疑ひませぬ。アブデユル・バハー大聖主の再来か、その聖霊の再現か、何れにしても暗黒無明なる現社会の光明だと信じて止まないので御座います』 バハーウラー『いろいろと御懇切なる御説示に預かりまして、私も大に得る所が御座いました。どうやらエルサレムに着車した様ですから、茲で御別れ致しませう。私はパレスタインの或る高丘に、大聖主の後嗣が居られますので、一寸御訪ねいたし、再び橄欖山上にお目にかかり、結構なる御説示を蒙り度いと存じて居りますから、今後宜敷く御指導を願ひます。そして私はアメリカンコロニーへ訪問したいと思つて居ります』 ブラバーサ『私も貴師と同道を願ひたいものですが、少しばかり神命を帯びて来て居りますので、先づ第一に橄欖山へ参り、神様の御都合に由つてアメリカンコロニーや貴師の御在所を御訪ねするかも知れませぬから、何分にも宜敷く御願申上げます』 と、茲に両人は又もや固き握手を交換し、互に車窓を急いでプラツトホームへ出たり。 ○ 三千世界の人類や禽獣虫魚に至るまで 救ひの御船を差向けて誠の教をさとし行く 神幽現の大聖師太白星の東天に 閃く如く現はれぬ一切万事救世の 誠の智慧を胎蔵し世間のあらゆる智者学者 凡ての権威に超越し迫害苦痛を一身に 甘受し世界を助け行く歓喜と平和を永遠に 森羅万象に供給し至幸至福の神恵の 精神上の王国を斯の土の上に建設し 無限の仁慈を経となし無窮の智識を緯として 小人弱者の耳に克く理解し易き明教を 徹底的に唱導す如何なる悪魔も言霊の 威力に言向和しつつ寄せ来る悲哀と災厄を 少しも心に掛けずして所信を飽くまで貫徹し 裁制断割の道極め神人和合の境に立ち 悪魔の敵に会ふ毎に心は益々堅実に 信仰熱度を日に加へ三千世界に共通の 真の文明を完成し世界雑多の宗教や 凡ての教義を統一し崇高至上の道徳を 不言実行体現し暗黒無道の社会をば 神の教と神力に照破し尽し天津日の 光を四方に輝かす仁慈の神の神業に 奉仕するこそ世を救ふ大神人の任務なれ あゝ惟神々々御霊幸倍坐ませよ。 (大正一二・七・一〇旧五・二七加藤明子録) |
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霊界物語 | 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 | 06 浮島の怪猫 | 第六章浮島の怪猫〔一七〇八〕 波切丸は万波洋々たる湖面を、西南を指して、船舷に皷を打ち乍ら、いともゆるやかに進んでゐる。天気清朗にして春の陽気漂ひ、或は白く或は黒く或は赤き翼を拡げた海鳥が、或は百羽、千羽と群をなし、怪しげな声を絞つて中空を翔めぐり、或は波間に悠然として、浮きつ沈みつ、魚を漁つてゐる。アンボイナは七八尺の大翼を拡げて一文字に空中滑走をやつてゐる。其長閑さは天国の楽園に遊ぶの思ひがあつた。前方につき当つたハルの湖水第一の、岩のみを以て築かれた高山がある。国人は此島山を称して浮島の峰と称へてゐる。一名夜光の岩山ともいふ。船は容赦もなく此岩山の一浬許り手前迄進んで来た。船客は何れも此岩島に向つて、一斉に視線を投げ、此島に関する古来の伝説や由緒について、口々に批評を試みてゐる。 甲『皆さま、御覧なさい。前方に雲を凌いで屹立してゐる、あの岩島は、ハルの湖第一の高山で、いろいろの神秘を蔵してゐる霊山ですよ。昔は夜光の岩山と云つて、岩の頂辺に日月の如き光が輝き、月のない夜の航海には燈明台として尊重されたものです。あのスツクと雲を抜出た山容の具合といひ、全山岩を以て固められた金剛不壊の容姿といひ、万古不動の霊山です。此湖水を渡る者は此山を見なくつちや、湖水を渡つたといふ事は出来ないのです』 乙『成程、見れば見る程立派な山ですな。併し乍ら、今でも夜になると、昔と同じやうに光明を放つてゐるのですか』 甲『此湖水をハルの湖といふ位ですもの、暗がなかつたのです。併し乍らだんだん世の中が曇つた勢か、年と共に光がうすらぎ、今では殆んど光らなくなつたのです。そして湖水の中心に聳え立つてゐたのですが、いつの間にやら、其中心から東へ移つて了つたといふ事です。万古不動の岩山も根がないと見えて浮島らしく、余り西風が烈しかつたと見えて、チクチクと中心から東へ寄つたといふ事です』 乙『成程文化は東漸するとかいひますから、文化風が吹いたのでせう。併し日月星辰何れも皆西へ西へと移つて行くのに、あの岩山に限つて、東へ移るとは少し天地の道理に反してゐるぢやありませぬか。浮草のやうに風に従つて浮動する様な島ならば、何程岩で固めてあつても、何時沈没するか知れませぬから、うつかり近寄るこた出来ますまい』 甲『あの山の頂きを御覧なさい。殆んど枯死せむとする様なひねくれた、ちつぽけな樹木が岩の空隙に僅かに命脈を保つてゐるでせう。山高きが故に尊からず、樹木あるを以て尊しとす……とかいつて、何程高い山でも役に立たぬガラクタ岩で固められ、肝心の樹木がなくては、山の山たる資格はありますまい。せめて燈明台にでもなりや、山としての価値も保てるでせうが、大きな面積を占領して、何一つ芸能のない岩山ではサツパリ話になりますまい。それも昔の様に暗夜を照し往来の船を守つて安全に彼岸に達せしむる働きがあるのなれば、岩山も結構ですが、今日となつては最早無用の長物ですな。昔はあの山の頂きに特に目立つて、仁王の如く直立してゐる大岩石を、アケハルの岩と称へ、国の守り神様として、国民が尊敬してゐたのです。それが今日となつては、少しも光がなく、おまけに其岩に、縦に大きなヒビが入つて、何時破壊するか分らないやうになり、今は大黒岩と人が呼んで居ります。世の中は之を見ても、此ままでは続くものではありますまい。天の神様は地に不思議を現はして世の推移をお示しになると云ひますから、之から推考すれば、大黒主の天下も余り長くはありますまいな』 乙『あの岩山には何か猛獣でも棲んでゐるでせうか』 甲『妙な怪物が沢山棲息してゐるといふ事です。そして其動物は足に水かきがあり、水上を自由自在に游泳したり、山を駆け登る事の速さといつたら、丸切り、風船を飛翔したやうなものだ……との事です。昔は日の神月の神二柱が、天上より御降臨になり八百万神を集ひて、日月の如き光明を放ち、此湖水は素より、印度の国一体を照臨し、妖邪の気を払ひ、天下万民を安息せしめ、神様の御神体として、国人があの岩山を尊敬してゐたのですが、追々と世は澆季末法となり、何時しか其光明も光を失ひ、今や全く虎とも狼とも金毛九尾とも大蛇とも形容し難い怪獣が棲息所となつてゐるさうです。それだから吾々人間が、其島に一歩でも踏み入れやうものなら、忽ち狂悪なる怪獣の爪牙にかかつて、血は吸はれ、肉は喰はれ骨は焼かれて亡びると云つて恐がり、誰も寄りつかないのです。風波が悪くつて、もしも船があの岩島にブツかからうものなら、それこそ寂滅為楽、再び生きて還る事は出来ないので、此頃では、秘々とあの島を悪魔島と云つてゐます。併し大きな声でそんな事言はうものなら、怪物が其声を聞付けて、どんなわざをするか分らぬといふ事ですから、誰も彼も憚つて、大黒岩に関する話を口を閉じて安全無事を祈つてゐるのです。あの島がある為に、少し暴風の時は大変な大波を起し、小さい舟は何時も覆没の難に会ふのですからなア。何とかして、天の大きな工匠がやつて来て大鉄槌を振ひ、打砕いて、吾々の安全を守つてくれる、大神将が現はれ相なものですな』 乙『何と、権威のある岩山ぢやありませぬか。つまり此湖面に傲然と突つ立つて、所在島々を睥睨し、こわ持てに持ててゐるのですな』 甲『あの岩山は時々大鳴動を起し、噴煙を吐き散らし、湖面を暗に包んで了ふ事があるのですよ。其噴煙には一種の毒瓦斯が含有してゐますから、其煙に襲はれた者は忽ち禿頭病になり、或は眼病を煩ひ、耳は聞えなくなり、舌は動かなくなるといふ事です。そして肚のすく事、咽喉の渇く事、一通りぢやないさうです。そんな魔風に、折あしく出会した者は可い災難ですよ』 乙『丸つ切り蚰蜒か、蛇蝎の様な恐ろしい厭らしい岩山ですな。なぜ天地の神さまは人民を愛する心より、湖上の大害物を除けて下さらぬのでせうか。あつて益なく、なければ大変、自由自在の航海が出来て便利だのに、世の中は、神様と雖、或程度迄は自由にならないと見えますな』 甲『何事も時節の力ですよ。金輪奈落の地底からつき出てをつたといふ、あの大高の岩山が、僅かの風位に動揺して、東へ東へと流れ移る様になつたのですから、最早其根底はグラついてゐるのでせう。一つレコード破りの大地震でも勃発したら、手もなく、湖底に沈んで了ふでせう。オ、アレアレ御覧なさい。頂上の夫婦岩が、何だか怪しく動き出したぢやありませぬか』 乙『風も吹かないのに、千引の岩が自動するといふ道理もありますまい。舟が動くので岩が動くやうに見えるのでせう』 甲『ナニ、さうではありますまい。舟が動いて岩が動くやうに見えるのなれば、浮島全部が動かねばなりますまい。他に散在してゐる大小無数の島々も、同じ様に動かねばなりますまい。岩山の頂上に限つて動き出すのは、ヤツパリ船の動揺の作用でもなければ、変視幻視の作用でもありますまい。キツと之は何かの前兆でせうよ』 乙『そう承はれば、いかにも動いて居ります。あれあれ、そろそろ夫婦岩が頂きの方から下の方へ向つて歩き初めたぢやありませぬか』 甲『成程妙だ。段々下つて来るぢやありませぬか。岩かと思へば虎が這うてゐる様に見え出して来たぢやありませぬか』 乙『いかにも大虎です哩。アレアレ全山が動揺し出しました。此奴ア沈没でもせうものなら、それ丈水量がまさり、大波が起つて、吾々の船も大変な影響をうけるでせう。危ない事になつて来たものですワイ』 かく話す内、波切丸は浮島の岩山の間近に進んだ。島の周囲は何となく波が高い。虎と見えた岩の変化は磯端に下つて来た。よくよく見れば牛の様な虎猫である。虎猫は波切丸を目をいからして、睨み乍ら、逃げるが如く湖面を渡つて夫婦連れ、西方指して浮きつ沈みつ逃げて行く。俄に浮島は鳴動を始め、前後左右に、全山は揺れて来た。チクリチクリと山の量は小さくなり低くなり、半時許りの内に水面に其影を没して了つた。余り沈没の仕方が漸進的であつたので、恐ろしき荒波も立たず、波切丸を前後左右に動揺する位ですんだ。一同の船客は此光景を眺めて、何れも顔色青ざめ、不思議々々と連呼するのみであつた。此時船底に横臥してゐた梅公宣伝使は船の少しく動揺せしに目を醒まし、ヒヨロリヒヨロリと甲板に上つて来た。さしもに有名な大高の岩山は跡形もなく水泡と消えてゐた。そして船客が口々に陥没の記念所を話してゐる。梅公は船客の一人に向つて、 『風もないのに、大変な波ですな。どつかの島が沈没したのぢやありませぬか』 甲『ハイ、貴方、あの大変事を御覧にならなかつたのですか。随分見物でしたよ。昔から日月の如く光つてゐた頂上の夫婦岩は俄に揺るぎ出し、終いの果には大きな虎となり、磯端へ下つて来た時分には猫となり、波の間を浮きつ沈みつ、西の方へ逃げて行つたと思へば、チクリチクリと島が沈み出し、たうとう無くなつて了ひました。こんな事は昔から見た事はありませぬ。コリヤ何かの天のお知らせでせうかな』 梅『どうも不思議ですな。併し乍ら人間から見れば大変な事のやうですが、宇宙万有を創造し玉うた神様の御目から見れば、吾々が頬に吸ひついた蚊を一匹叩き殺す様なものでせう。併し乍ら吾々は之を見て、自ら戒め、悟らねばなりませぬ』 乙『貴方は何教かの宣伝使様のやうですが、一体全体此世の中は何うなるでせうか。吾々は不安で堪らないのです。つい一時前迄泰然として湖中に聳えてゐた、あの岩山が脆くも湖底に沈没するといふよな不祥な世の中ですからなア』 梅『今日は妖邪の気、国の上下に充ちあふれ、仁義だの、道徳だのと云ふ美風は地を払ひ、悪と虚偽との悪風吹き荒び、世は益々暗黒の淵に沈淪し、聖者は野に隠れ、愚者は高きに上つて国政を私し、善は虐げられ悪は栄えるといふ無道の社会ですから、天地も之に感応して、色々の不思議が勃発するのでせう。今日の人間は何れも堕落の淵に沈み、卑劣心のみ頭を擡げ、有為の人材は生れ来らず、末法常暗の世となり果てゐるのですから、吾々は斎苑の館の神柱、主の神の救世的御神業に奉仕し、天下の暗雲を払ひ、悲哀の淵に沈める蒼生を平安無事なる楽郷に救はむが為に所在艱難辛苦をなめ、天下を遍歴して、神教を伝達してゐるのです。未だ未だ世の中は、之れ位な不思議では治まりませぬよ。茲十年以内には、世界的、又々大戦争が勃発するでせう。今日ウラル教とバラモン教との戦争が始まらむとして居りますが、斯んなことはホンの児戯に等しきもので、世界の将来は、実に戦慄すべき大禍が横たはつて居ります。夫故、吾々は愛善の徳と信真の光に満ち玉ふ大神様の御神諭を拝し、普く天下の万民を救はむが為に、草のしとね、星の夜具、木の根を枕として、天下公共の為に塵身を捧げてゐるのです』 甲『成程承はれば承はる程、今日の世の中は不安の空気が漂うてゐるやうです。今の人間は神仏の洪大無辺なる御威徳を無視し、暴力と圧制とを以つて唯一の武器とする大黒主の前に拝跪渇仰し、世の中に尊き者はハルナの都の大黒主より外にないものだと誤解してゐるのだから、天地の怒に触れて、世の中は一旦破壊さるるのは当然でせう。私はウラル教の信者で厶いますが、第一、教主様からして、……神を信ずるのは科学的でなくては可かない。神秘だとか奇蹟だとかを以て信仰を維持してゐたのは、太古未開の時代の事だ。日進月歩、開明の今日は、そんなゴマカシは世人が受入れない……と言つてゐらつしやるのですもの、丸切り神様を科学扱ひにし、御神体を分析解剖して、色々の批評を下すといふ極悪世界ですもの。斯んな世の中が出て来るのは寧ろ当然でせう。貴方は何教の宣伝使で厶いますか。神様に対する御感想を承はりたいもので厶いますな』 梅『最前も申上げた通り、斎苑の館の大神様は三五教を御開きになつたのです。そして私は同教の宣伝使照国別様といふ御方の従者となつて、宣伝の旅に立つたもので厶います。それ故貴方等のお尋ねに対し、立派な答は到底出来ませぬ。併し乍ら神様は昔の人のいつた様に、超然として人間を離れた者ではありませぬ。神人合一の境に入つて始めて、神の神たり、人の人たる働きが出来得るのです。故に三五教にては、人は神の子神の宮と称へ、舎身的大活動を、天下万民の為にやつてゐるのです』 甲『何か御教示について、極簡単明瞭に、神と人との関係を解らして頂く事は出来ますまいか』 梅『ハイ、私にもまだ修業が未熟なので、判然した事は申上げ兼ますが、吾宣伝使の君から教はつた一つの格言が厶いますから、之を貴方にお聞かせ致しませう。 神力と人力 一、宇宙の本源は活動力にして即ち神なり。 一、万物は活動力の発現にして神の断片なり。 一、人は活動力の主体、天地経綸の司宰者なり。活動力は洪大無辺にして宗教、政治、哲学、倫理、教育、科学、法律等の源泉なり。 一、人は神の子神の生宮なり。而して又神と成り得るものなり。 一、人は神にしあれば神に習ひて能く活動し、自己を信じ、他人を信じ、依頼心を起す可らず。 一、世界人類の平和と幸福の為に苦難を意とせず、真理の為に活躍し実行するものは神なり。 一、神は万物普遍の活霊にして、人は神業経綸の主体なり。霊体一致して茲に無限無極の権威を発揮し、万世の基本を樹立す』 甲『イヤ有難う。御教示を聞いて地獄から極楽浄土へ転住したやうな法悦に咽びました。成程人間は神様の分派で、いはば小なる神で厶いますなア。今迄ウラル教で称へてをりました教理に比ぶれば、其内容に於て、其尊さに於て、真理の徹底したる点に於て、天地霄壌の差が厶います。私はスガの港の小さい商人で厶いますが、宅にはウラル彦の神様を奉斎してをります。併し乍ら之は祖先以来伝統的に祀つてゐるので、言はば葬式などの便利上、ウラル教徒となつてゐるのに過ぎませぬ。既成宗教は已に命脈を失ひ、只其残骸を止むるのみ。吾々人民は信仰に飢渇き、精神の道に放浪し、一日として、此世を安心に送る事が出来なかつたのです。旧道徳は既に已に世にすたれて、新道徳も起らず、又偉大なる新宗教も勃起せないと云つて、日夜悔んで居りましたが、かやうな崇高な偉大な真宗教が起つてゐるとは、夢にも知らなかつたのです。計らずも波切丸の船中に於て、かかる尊き神様のお使に巡り会ひ、起死回生の御神教を聞かして頂くとは、何たる、私は幸福で厶いませう。私の宅は、誠に手狭で厶いますが、スガの港のイルクと云つて、多少遠近に名を知られた小商人で厶います。どうか、私の宅へも蓮歩を枉げ下さいまして、家族一同に、尊き教をお授け下さいます様にお願ひ致します。そして私は此結構な御神徳を独占せず、力のあらむ限り、万民に神徳を宣伝さして頂く考へで厶いますから、何卒宜しくお願ひ申上げます』 梅公『実に結構なる貴方の御心掛、之も大慈大悲の大神様の御引合せで厶いませう。之を御縁に、私もスガの港へ船がつきましたら、貴方のお宅へ立よらして頂きませう。 思ひきや神の仕組の真人は 御船の中にもくばりあるとは。 此船は神の救ひの船ぞかし 世の荒波を分けつつ進めり』 (大正一三・一二・二新一二・二七於祥雲閣松村真澄録) |