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(1066)
霊界物語 02_丑_常世姫の陰謀/シオン山攻防戦 14 水星の精 第一四章水星の精〔六四〕 ここに田依彦、中裂彦は麗しき庭園を造り、稚桜姫命を慰め奉らむとし、ヨルダン河の上流にあまたの神々を引きつれ、千引の岩をとり、広き石庭を造らむとした。稚桜姫命はにはかに身体に大痙攣を発し、劇烈なる腹痛に悩まされたまうた。諸神司は驚き集まりて、あるひは天に祈り、あるひは薬を献じ、百方手を尽せども、何の効をも奏せなかつた。このとき小島別は言霊別命の前に出で、命の重病に罹り給ひし原因につきて神界に奉伺し裁断を請ひ、神示を得むことを依頼した。言霊別命は大いに驚き、ただちに神言を奏上し神示を請ひ奉つた。天津神の神示によれば、 『ヨルダン河の上流に、水星の精より出でたる長方形にして茶褐色を帯べる烏帽子型の霊石あり、これを掘りだし持ち帰り、汚れたる地上に奉置し、その上にあまたの岩石を積みたり。水星の霊苦しみにたへず、これを諸神司に知らさむがために稚桜姫命に病を発せしめ、もつて警告せるなり。すみやかに種々の巌岩を取り除きて、その霊石を黄金水にて洗ひ清め、宮を作りてこれを鎮祭せば、命の病はたちまち恢復せむ。しかしてこれを掘り出したるは中裂彦にして、これを汚したるもまた同神司なり。田依彦以下の神司も共に、水星の祟りを受くべきはずなれども、その責任は主神たる稚桜姫命に負はせたまへるなり。されば諸神司は慎みて水星の神に陳謝し恭しくこれを祭れ』 との神示であつた。 小島別はこれを聞きて大いに恐れ慎みてその命のごとく取計らつた。不思議なるかな稚桜姫命の病苦は、霊石を洗ひ清めて恭しく神殿に祭るとともに拭ふがごとく癒えたのである。 ヨルダン河の上流に、この水星の精なる烏帽子型の霊石ありしため、河広く水深く、清鮮の泉ゆるやかに流れて、あたかも水晶の如くなりしを、この霊石を掘り出してより、山上よりは土砂を流し河を埋め、濁水の流れと変化してしまつた。そして中裂彦はここに心狂ひてヨルダン河に身を投じ、その霊は悪蛇と変じ、流れて死海に入り、変じて邪鬼となつた。水星の精を祭りたる水の宮は、言霊別命特に斎主として日夜奉仕さるることとなつた。 一時霊石を祭りて恢復し給ひし稚桜姫命は、その後健康勝れたまはず、時々病床に臥したまふことがあつた。茲に常世姫は信書を認め、熊鷹の足に結びこれを放ち、真道知彦に何事かを報告した。真道知彦は稚桜姫命の長男であつた。この信書を見てたちまち顔色を変じ、怒髪天を衝き竜宮城に参入し、神国別命、花森彦、真鉄彦、小島別その他の神司を集めて、何事か凝議したのである。そしてその結果は、稚桜姫命に進言された。稚桜姫命はこれを聞きて大いに怒り、言霊別命にむかひ、 『汝は水星の霊石を祭りもつて吾を苦しめ、或ひは呪咀し、つひに取つて代らむとの野心ありと聞く、実に汝の心情疑ふにあまりあり。もし汝にして誠意あり、吾が疑ひを晴らさむとせば、すみやかに水星の宮を毀ち、その神体なる霊石を大地に抛ち、これを砕きて誠意を示せ』 と厳しく迫られたのである。あまたの従神は集まり来りて、異口同音に宮を毀ちて、神体を打ち砕けと迫るのであつた。 言霊別命は衆寡敵せず、涙を呑んで天に訴へ、霊石に謝し、恭しく頭上に奉戴し、ついで麗しき芝生の上に擲げつけた。敬神に厚き言霊別命は、このとき熱鉄を呑む心地をせられたであらう。たちまち霊石より旋風吹きおこり、その風玉は高殿に立てる稚桜姫命にあたり、高楼より地上に吹き飛ばされ、腰骨を挫き身体の自由を失ひ、非常に苦悶したまうた。諸神司は群がりきたりて命を介抱し、奥殿に担ぎ入れ、心力をつくして看護に余念なかつた。稚桜姫命は久しうしてやや恢復され、神務に差支なきにいたられた。されど遂に不具となり、歩行に苦痛を感じたまふに立ちいたつた。 言霊別命は庭園の八重梅の枝を切り、御杖を作りてこれを奉つた。これが老衰者の杖を用ふる濫觴である。ここに言霊別命は神威を恐れ千引の巌を切り、うるはしき石造の宮を造り、月読命の従神として永遠に鎮祭し置かれた。[※戦前の二版・愛世版では「月読命の従神として永遠に鎮祭し置かれた」だが、校定版・八幡版では「月読命の従神として、霊石を永遠に鎮祭し置かれた」になっている。意味が通じるようにするため「霊石を」を挿入したのではないかと考えられる。] (大正一〇・一〇・三〇旧九・三〇加藤明子録)
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(1209)
霊界物語 04_卯_常世会議/国祖隠退/神示の宇宙 47 神示の宇宙その二 第四七章神示の宇宙その二〔一九七〕 前節に述べたるところを補ふために、更に少しく断片的に説明を加へ置くべし。併し自分の宇宙観は凡て神示の儘なれば、現代の天文学と如何なる交渉を有するや否やは全然自分の関知するところにあらず。 自分は神示に接してより二十四年間、殆ど全く世界の出版物その物から絶縁し居たり。随つて現在の天文学が如何なる程度にまで進歩発達しゐるかは無論知らざるなり。故に自分の述ぶる宇宙観に対して、直ちに現代の天文学的知識を以て臨むとも、俄に首肯し難き点少なからざるべし。 前節に引続き太陽のことより順次述ぶる事とせり。 太陽は暗体にして、太陽の色が白色を加へたる如き赤色に見ゆるは、水が光り居るが故なり。暗夜に赤布と白布とを比較して見れば白布の方がハツキリ見ゆるものなり。これに依りて見るも水の光りゐることが判じ得るなり。 大宇宙間の各小宇宙は互に牽引してゐるものにして、それと同じく太陽がその位置を支持するは諸星の牽引力によるものなり。故に天主は太陽を支持する為に先づ諸星辰を造りたり。(第一篇天地剖判の章参照) 太陽と我が地球との距離は、小宇宙の直径五十六億七千万里の八分の一に当り、而て大空の諸星は皆それ自体の光を放ちつつ太陽の高さ以上の位置を占めゐるなり。太陽の光は、決して大空に向つては放射されず、恰も懐中電燈の如く、凡て大地に向つてのみ放射さるるなり。 普通我々は太陽の昇る方角を東としてゐるが、本来宇宙それ自体より言へば、東西南北の別なし。仏説に、 『本来無東西何処有南北』 とあるも、この理に由る。今、東西南北の区別を立つれば、大地の中心たる地球が北極に当る。北とは気垂、水火垂、呼吸垂、の意なり。南とは皆見えるといふ意味の言霊なり。 地球は前述の如く、世の学者らの信ずる如き円球にあらずして地平なり。我々の所謂地球は、大地の中心なる極めて一小部分にて、大地は第一図に示す如く、悉く氷山なり。而て其の氷山は所謂地球を相距る程愈嶮峻になり行く。普通氷山の解けるといふことは、地球の中央に接近せる氷山の解けるのみにして、大部分の氷山は決して解くることはなきものなり。 地球説の一つの証拠として、人が海岸に立ちて沖へ行く舟を眺める場合に、船が段々沖へ行くに従つて、最初は船体を没し、次第に檣を没して行くといふ事実を挙げられるやうだが、それは我々の眼球がすでに円球に造られてあるが故である。望遠鏡は凹鏡であるから、人間の瞳との関係で、遠方が見えるのである。故に地球説を固執する人々は先づ人間の眼球そのものの研究より始めねばなるまい。 地球は又一種の光輝を有し、暗体ではない。 宇宙全体の上に最も重大なる役目を有するのは、太陰即ち月である。太陽の恩恵によつて万物の生成化育し行くことは誰でも知つてゐるが、蔽はれたる月の洪大無辺なる恩恵を知る者は殆ど全く無い。 宇宙の万物は、この月の運行に、微妙にして且つ重大なる関係を有つてゐる。月は二十九日余即ち普通の一月で、中空を一周する。但し、自転的運行をするのではなく、単に同一の姿勢を保つて運行するに過ぎない。大空に於ける月の位置が、たとへば月の三日には甲天に、四日には乙天と順次に変つて行くのは、月が静止してゐるのでなくして西より東に向つて運行してゐる證拠である。 月が我々の眼に見えるのは、第一図の上線を月が運行してゐる場合で、下線を通過してゐる時は全然我々には見えない。月が上線を運行する時は、月読命の活動であり、下線を運行する時は素盞嗚尊の活動である。 次に月を眺めて第一に起る疑問は、あの月面の模様である。昔から猿と兎が餅を搗いてゐるといはれるあの模様は、我々の所謂五大洲の影が月面に映つてゐるのである。それ故、何時も同じ模様が見えてゐる。蝕けた月の半面に朧げな影が見えるのは、月それ自体の影である。つまり月の半面たる火球の部分が見えてゐるからである。 月蝕の起るは、月が背後から太陽に直射された場合である。日蝕は、月が太陽と地球との中間に入つて、太陽を遮ぎつた場合である。 銀河は、太陽の光が大地の氷山に放射され、それが又大空に反射して、大空に在る無数の暗星が其の反射の光によつて我々の眼に見えるのである。銀河の外椽に凸凹あるは氷山の高低に凸凹あるが為めである。 又彗星は大虚空を運行し時に大地より眺められる。大虚空とは此の小宇宙の圏外を称するので、青色を呈してゐる。大空の色は緑色である。併し、我々は大空の色のみならず、青色の大虚空をも共に通して見るが故に、碧色に見えるのである。 此の小宇宙を外より見れば、大空は大地よりはずつと薄き紫、赤、青等各色の霊衣を以て覆はれ、大地は黄、浅黄、白等各色の厚き霊衣を以て包まれてゐる。そしてこの宇宙を全体として見る時は紫色を呈してゐる。これを顕国の御玉といふ。 わが小宇宙はこれを中心として他の諸宇宙と、夫れ夫れ霊線を以て蜘蛛の巣の如く四方八方に連絡し相通じてゐるのであつて、それらの宇宙にも、殆ど我々の地球上の人間や動植物と同じ様なものが生息してゐない。但此の我が小宇宙に於ける、地球以外の星には神々は坐ませども、地球上に棲息する如き生物は断じてゐない。この小宇宙と他の宇宙との関係を図によりて示せば、第五図の如くである。 [#図第五図大宇宙の図] (大正一〇・一二・一五旧一一・一七桜井重雄録)
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(1496)
霊界物語 10_酉_黄泉比良坂の戦い 26 貴の御児 第二六章貴の御児〔四五六〕 神の御稜威も弥高く、恵みも深き和田の原、抜き出て立てる不二の山、雲を摩したる九山八海の、神の集まる青木ケ原に、黄泉軍を言向けて、凱旋したる神伊弉諾大神は、上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱しと詔り玉ひ、初めて中瀬に降潜きて、美はしき身魂を滌ぎ、選り分け各々の司の神を定め給へり。 大国彦を八十禍津日神に命じ、美山別、国玉姫、広国別、広国姫をして、八十禍津日神の神業を分掌せしめ給ひ、次に淤縢山津見をして大禍津日神に任じ、志芸山津見、竹島彦、鷹取別、中依別をして、各その神業を分掌せしめ給ひぬ。大禍津日神は悪鬼邪霊を監督し或は誅伐を加ふる神となり、八十禍津日神も亦各地に分遣されて、小区域の禍津神を監督し、誅伐を加ふる神となりぬ。(詳しき事は言霊解を読めば解ります) 次に豊国姫を神直日神に任じ、月照彦神、足真彦神、少彦名神、弘子彦神をして其の神業を分担せしめ給ひ、国直姫をして大直日神に任じ、高照姫、真澄姫、純世姫、竜世姫、言霊姫をして其の神業を分掌せしめ給ふ。何れも皆霊的主宰の神に坐しける。 次に木の花姫神、日の出神をして、伊豆能売神に任じ給ひぬ。(言霊解を見る可し)総て神人の身魂は、其の霊能の活用如何に依りて優劣の差別あり。之を上中下の三段に大別され、猶も細別をすれば、正神界も邪神界も各百八十一の階級となる。邪神は常に正神を圧迫し誑惑し、邪道に陥れむと昼夜間断なく隙を窺ひつつあるものにして、第三段の身魂の垢を洗はむが為に、底津綿津見神、底筒之男神を任じ給ひ、第二段の身魂を洗ひ清むる為に、中津綿津見神、中筒之男神を任じ給ひ、第一段の身魂を洗ひ清むる為に、上津綿津見神、上筒之男神を任じ給へり。何れも瑞の御魂の活動にして、大和田原の汐となりて世界を還り、雨となり、雪となりて、物質界の穢れをも洗ひ清め生気を与ふる御職掌なり。 斯くの如く分掌の神を任け給ひ、いやはてに左の御眼を洗ひ給ひて、天照大御神を生ませ給ひ、太陽界の主宰となし給ふ。次に右の御眼を洗ひ給ひて、月読命を生み給ひ、太陰界の主宰となし給ひ、いやはてに陰陽の火水を放ち給ひて、豊国姫の身魂を神格化して神素盞嗚尊と名づけ、大海原の司に任じ給ふ。豊国姫命より神格化せる神素盞嗚尊の又の御名を本巻にては国大立命といふ。国大立命は四魂を分ちて、月照彦神、足真彦神、少彦名神、弘子彦神となり、現、神、幽の三界に跨りて神業に参加し給ひつつあることは前巻既に述べたる所なり。 (大正一一・二・二六旧一・三〇外山豊二録)
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(1501)
霊界物語 10_酉_黄泉比良坂の戦い 31 言霊解五 第三一章言霊解五〔四六一〕 『墨江の三前の大神』 スミノエノミマヘの言霊を解説すると、 スは、真の中心也、本末を一轍に貫ぬく也、玉也、八咫に伸び極まる也、出入の息也、不至所無く不為所無き也、天球中の一切也、八極を統ぶる也、数の限り住む也、安息の色也、清澄也、自由自在也、素の侭也。 ミは、瑞也、満也、水也、体也。 ノは、助辞也。 エは、ヤ行のエにして心の結晶点也、集り来る也。胞衣也、悦び合ふ也、撰る也、大也。 ノは、助辞也。 ミは、三也、天地人の三也、太陰也、屈伸自在也、円也、人の住所也。 マは、一の位[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。ここを含め3ヶ所とも同じ(「一の位に当る也」「一の此世に出る也」「一の位を世に照し」)。校正本(三版を校正したもの。p280)では「一」にフリガナは無いが、校定版・愛世版では「いち」とフリガナが付いている。編者が数字の一だと勘違いしたのであろう。霊界物語ネットでは間違わないように「ア」とフリガナを付けた。]に当る也、一[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。041「一の位」の脚注参照。]の此世に出る也、全備也、円也、人の住所也。 ヘは、⦿の堅庭也、動き進む義也、部也、辺也、高天原の内に⦿を見る也。 以上の言霊を総括する時は、明皎々たる八咫の神鏡の如く澄極まり、顕幽を透徹し、真中真心の位に坐し、至らざる所無く、為さざる所無く、清き泉となり、一切の本末を明かにし現体を完全に治め、万物発育の本源となり、以て邪を退け正を撰み用ゐ、温厚円満にして月神の如く、各自の天賦を顕彰し、身魂の位を明かにし、一の位[※「一」は数字の一ではなく水茎文字のアである。041「一の位」の脚注参照。]を世に照し活動自在にして、地の高天原に八百万の神を集へ、以て⦿を守る三柱の大神と曰ふ事である。故に三柱の大神の御活動ある時は、風水火の大三災も無く、飢病戦の小三災も跡を絶ち、天祥地瑞重ねて来り、所謂松の世五六七の世、天国浄土を地上に現出して、終に天照大神、月読命、須佐之男命の三柱の貴の御子生れ給ひ、日、地、月各自其位に立ちて、全大宇宙を平けく安らけく治め給ふに至るのであります。故に神の御子と生れ天地経綸の司宰者として生れ出でたる人間は、一日も早く片時も速に、各自に身魂を研き清め、以て神人合一の境地に入り、宇内大禊祓の御神業に奉仕せなくては、人間と生れた効能が無く成るのであります。 宇都志日金拆命 宇都志日金拆命は、綿津見神の御子であつて、阿曇の連は其の子孫である。宇都志日金拆命の名義を言霊に照して解釈すると、 ウは、三世を了達するなり、艮の活動也。 ツは、大造化の極力也。平均力也、五六七の活動也。 シは、世の現在也、基也、台也、竜神の活動也。 ヒは、顕幽悉く貫徹する也、本末一貫也、太陽神活動の本元也。 カは、光り輝く也、弘り極まる也、禁闕要の大神、思兼神の活動也。 ナは、智能完備也、万物を兼結ぶ也、直霊主の活動也。 サは、水質也、水の精也、昇り極まる也、瑞の神霊の活動也。 クは、明暗の焼点也、成り付く言霊也、国常立の活動也。 以上の言霊活用に依り、命の御名義を総括する時は、知識明達にして大造化の極力を発揮し、天下の不安不穏を平定し、理想世界を樹立するの基礎となり、鎮台となりて、顕幽を悉皆達観し、一大真理に貫徹して一切事物の本末を糺明し、邪を破り正を顕はし無限絶対無始無終の神明の光徳を宇内に輝かし、皇徳を八紘に弘めて止まず、智能具足してよく万物を兼ね結び合せ国に戦乱なく疾病なく飢饉なく、暴風なく、洪水の氾濫する事なく、大火の災なく、万物を洗ひ清めて、瑞の御霊の心性を発揮し、明暗正邪の焼点に立ちて、能く之を裁断し、以て天国浄土を建設するの活用を具備し成就し給ふ御活動の命と曰ふ事である。即ち宇宙一切は、綿津見神の活動出現に依りて、艮の金神、五六七の大神、竜宮の姫神、太陽神の活動、禁闕要の大神、思兼神、直霊主、稚姫神、月読神、大国常立神等の出現活動に拠りて、万有一切は修理固成され清浄無垢の世界と成りて、終に三貴神を生み給ふ、原動力の位置に在る神と曰ふ意義であります。 阿曇の連 アヅミノムラジの名義は、天之御中主神の霊徳顕はれ出でて、至治泰平の大本源となり、初頭となり、大母公の仁徳を拡充し、大金剛力を発揮して、大造化の真元たる神霊威力を顕彰し、純一実相にして、無色透明天性その侭の位を定め、万民を愛護して、月の本能を実現する真人と曰ふことが、アヅミの活用である。 ムラジは、億兆を悉く強国不動に結び成して、凡ての暴逆無道を押し鎮め、本末能く親和して、産霊の大道たる惟神の教を克く遵守し、万民を能く統轄して、国家を富強ならしめ、一朝事あるときは、天津誠の神理を以て、神明鬼神を号令し、使役する神の御柱を称して、アヅミのムラジと謂ふのであります。アヽ伊邪那岐大神の心つくしの宇宙の大修祓の神功無くして、如何で神人の安息するを得むや。実に現代は大神の美曽岐の大神事の、大々的必要の時機に迫れる事を確信すると共に、国祖国常立尊、国直日主命、稚姫君命の神剣の御発動を期待し奉る次第であります。(完) 瑞の神歌 霊幸ふ神の心を高山の 雲霧分けて照せたきもの 日の光り昔も今も変らねど 東の空にかかる黒雲 この度の神の気吹の無かりせば 四方の雲霧誰か払はむ 葦原に生ひ繁りたる仇草を 薙払ふべき時は来にけり 霊主体従の教を四方に播磨潟 磯吹く風に世は清まらむ (大正九・一・一五講演筆録外山豊二)
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(1574)
霊界物語 12_亥_天の岩戸開き 28 三柱の貴子 第二八章三柱の貴子〔五二四〕 神代の太古、伊邪那岐命よりお産れ遊ばした天照大御神様、この神様は日の大神様と申上げて、本部綾部に御祀りしてあります所の神様であります。このへんから申上げます。 伊邪那岐命が 『筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐ケ原に於て禊身し玉ふ時、左の御目を洗ひ給ひて成りませる神の御名は天照大御神、次に右の御目を洗ひ給ひて成りませる神の御名は月読命』 といふことが書いて御座います。目といふものは吾々肉体から申しますると、右と左と両方に持ちて居りまして物を視るといふことの上に最も大切なものであります計りか、眼は心の窓と申します位重要なもので御座います。所が一歩進んで考へて見ますと、総てこの宇宙間に形を持つて居るものは森羅万象残らず目すなはち眼目といふものがなくてはならぬ。実際凡ゆるものに眼目があると云ふ事は吾人は常に之を認め得るのであります。姿こそ人間のやうな姿ではないけれど、他の動物に於てもこの眼をもつて居ります。禽獣虫魚草木の類に至るまで此眼のないものはありませぬ。また一つの文章を読みましても、この中にも必ず眼目といふものがあります。御勅語の中にも眼があります。 『皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ、汝臣民克ク忠ニ克ク孝ニ』 これが教育勅語の眼目であります。また戊申詔書には、 『淬礪ノ誠ヲ輸サバ国運発展ノ本近ク斯ニ在リ』 これが詰り眼になつて居る。その通り初め天地をお造りになるに当つても、この宇宙を治める為にはどうしても、眼といふものが必要であるといふので、そこで伊邪那岐命は天地の主をお創めになつたのであります。すなはち伊邪那岐命は、先づ天の主をこしらへたい、この霊界の主宰者をこしらへたいと思召しになりまして左の目を洗ひ給うた、この左の目といふのは日であります。太陽神であつて上である。右の目といふのが太陰神であつて下であります。言霊の天則から申しますと左は男、右は女と、これは既に神様の御代から定まつた掟である。然るにこの左の目を洗うてお生れになつたのが日の大神、天照大御神であつて、右の目を洗うてお生れになつたのが月読命、さうすると目からお生れになつたのは、変性男子女子でありました。左の目をお洗ひになつて直ぐお生れになつたのが変性男子の天照大御神でありました。これで詰り左を宇宙霊界とし、右を地球として、天上天下の君をお生みになつた訳であります。 『次に御鼻を洗ひ給ひしときに成りませる神の御名は建速須佐之男命』 はなは初めに成るの意義で即ち初めである。物質の元であります。花が咲いて而して後から実を結びます。人間の身体が出来るにつきましても、先づ胎内に於て人間の形の出来る初めは鼻である。それから眼が出来る。絵師が人間の絵を描きましても、その輪廓を描くのに何より先に鼻を描く、鼻は真中である。鼻を先へ描いて然る後に目を描き口を描いてそこで都合好く絵が出来るのである。この初めて出来た統治の位地にお立ちになるのが須佐之男命であります。俗に何でも物の完成したことを眼鼻がついたと申します。神様も此世界をお造りになつて、さうしてそこに初めて眼鼻をおつけになつたのであります。 『此時伊邪那岐命太く歓喜して詔り給はく』 愈天地が完全に出来たから、神様は非常にお喜びになつた。これまでに神様は随分沢山な御子達をお産みになつて居りますが衝立船戸の神様から十二柱ありました。その次に三柱お生れになつてをるので都合十五柱であります。男神様は我はかやうに沢山の子を産むだが、しかし今度の様な眼鼻になる所の子は初めてである。 『吾は御子生みて、生みの果に三柱の貴子得たり』 と仰せられまして、やがて、 『其御頸珠の玉の緒母由良に取りゆらかして』 即ちむかしの勾玉と申したやうな、高貴な人が飾りとしてかけて居つた頸珠であります。丁度今で申しますと大勲位章とか、大綬章とか、一等勲章とか云ふ意味の、曲玉のやうなのを掛けて居られたかと思はれます。 そこでこの玉を自分からお取り脱しになつて天照大御神にお渡しになつた。母由良にとりゆらかしてといふことは何でも非常に喜んで物を渡すときには、自然に手や身体が揺れる。一面から云へば揺つて渡す。頂くときにも亦揺つて頂く、今は然う云ふやうなことでは御座いませぬけれども、本当に嬉しいときには然うなつて来るのであります。さて之を揺りよい音鳴りをさせながら天照大御神に賜ひまして詔給はく、 『汝が命は高天の原を知らせ』 と高天原を主宰せよと仰せになつて珠をお授けになつたのであります。 『かれ其御頸珠の名を御倉板挙之神と申す』 此の御倉板挙之神といふことは、言霊学上から見ても、神様の方で申されまする暦――此世界には恒天暦、太陽暦、太陰暦の三つの暦が常に運行循環して居るのであります。で、此御頸珠をお授けになつたといふのは、所謂御倉板挙之神、即ち恒天暦、太陽暦、太陰暦をお授けになつたのであります。 『次に月読命に詔給はく「汝が命は夜の食国を知らせ」と事依さし給ひき』 右の眼よりお生れになつた月読命に夜の主宰をせよと仰せられた。知らせといふことは、大事に守護り能く治めよといふ意味で、太陰の世界を主宰せよと仰有つた。高天原は全大宇宙である。夜の食国は昼の従である。それで月読命はどこまでも天照大御神を扶けて宇宙の経綸に当れと、斯う云ふ詔であります。 『次に建速須佐之男命に詔給はく「汝が命は海原を知らせ」と事依さし給ひき』 須佐之男命は鼻からお生れになつた方であります。海原といふのは此地球上のことであります。地球は陸が三分の一しかありませぬ、三分の二といふものは海であります。で地球を総称して大海原と申すのであります。斯うして伊邪那岐命様は深いお考へから夫々其知ろしめす所を、各々にお分けになつて、汝は高天原を、汝は夜の食国を、汝は地球上即ち大海原を知ろしめせと、御神勅になつたのであります。今日は天照大御神の三代の日子番能邇々芸命が、どうも此お国が治まらぬといふので天から大神の神勅を奉じて御降臨になつて、地球上をお治め遊ばして、さうして我皇室の御先祖となり、其後万世一系に此国をお治めになつてあるのでありますが、それより以前に於きましては、古事記によりますと須佐之男神が此国を知召されたといふことは前の大神の神勅を見ても明白な事実であります。 『故各々依し給へる御言の随に、知らしめす中に、速須佐之男命、依さし給へる国を知らさずて、八拳髯胸前に至るまで啼いさちき』 須佐之男命は大神の仰に随つて地上に降臨遊ばされた。地上を治める為めに、お降りになりましたけれども、その時この地上は乱れて居つて、神代にも丁度今日のやうな世があつたものと見えます。で今日のやうに政治であらうが、宗教であらうが、教育であらうが、何から何まで一切のものが行き詰つて了うて、もう行きも戻りも上げも下しも出来ぬ様になつて居つた。それで須佐之男命様は、この世の中を安らけく平けく治めて大神を安堵させ奉る事が出来ないから非常にお歎きになつて、『八拳髯胸前に至るまで』長く長く髯が延びて胸前の所まで下つて来るまで御心配をなすつた。人といふものは髯を拵へたり髪を整へたり、いろいろのことをして、容貌を整へなくてはならぬけれども、此国を治めようといふ事に、余り御心配を遊ばしたのでありますから、知らぬ間にこの髯が八拳に長く伸びて居つたのであります。 『泣きいさちき』 といふのは、世の中の一切悉くのものが、もうどうしても、これから進むで行くとか、開けて行くとか、どうしたらよいかといふ方法がない、手のつけやうがないといふまでに非常に行き詰つて了つた状態を、お歎きになるさまに形容したのであります。 『其泣き給ふ状は』 どういふ工合であつたかといふと、 『青山を枯山なす泣き枯らし』 今まで山などの草木が青々と生ひ繁つて居たのに、世が行き詰つた為に枯れて了うた。枯らして了うた。山がすつかり一変して枯山となつてしまうた。これは今日の状態によつく似て居るではありませぬか。今まで十年計画、百年計画といふやうな風にいろいろな事業が企てられた。何会社が立つの、或は何事業が起されたと、無茶苦茶に四五年前から本年の春までは偉い勢で、好景気を謳歌して、青々とした山の如くに有頂天になつて居りましたが、青山がいつまでも天空につかへないが如くに、なんぼ木が伸びたつて天につかへる気遣ひのないやうに、一朝行きつまれば最早さう云ふ勢はすつくり枯れて了ふ。今年の春からこの方、元も子もなくなつて、青山は枯山になつた。どうしても伸びる方法もない、火の消えたるが如き有様になつて了つたのであります。 『河海は悉に泣き乾しき』 山が枯山となつたと同じく、河も海も悉く乾いて了うて、一滴の水もなくなつたといふのであります。今日の世の中に譬へて申しますれば、郵船会社とか、商船会社とか其他いろいろの海運業も追々と仕事がなくなつて二進も三進も行かなくなつた。すると此海河の労働仕事に従事して居るものは、稼殖の途のなくなるのは勿論、稼業に離れる、職に離れるといふことになつて来ると一家は子供に至るまで、悉く泣き乾しになる。最早や食ふ道がないやうになると、もう乾干になるより仕様がない。総て海に稼いで居る者も、河に従事して居る者も、其他一切のことに従事して居る者も、みんな泣き乾しになつて了うたのである。 『是を以て悪神の音なひ、狭蠅なす皆沸き、万の物の妖悉に発りき』 神代に於ても世が行き詰つて来れば、そこにいろいろの不祥なる事件が起つて来たものと見えます。 畏くも明治天皇陛下が、 『之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ』[※教育勅語の一節] と仰せられましたやうに、真理といふものは何れの時代にも適応するので御座います。既に古事記の明文にある所で御座います。今日の状態を考へて見れば、丁度此岩戸開き前の状態と克く似て居る。世がどん底に行き詰つて労働しようにも仕事がない、仕事がなければ妻子眷族を養ふことが出来ない。生活といふことが出来なくなるとそこで悪神の音なひとなり、いろいろの騒動が起つて来る、人間の心が荒んで来る。衣食足つて礼節を知る、今まで善い魂を持つて居つたものも、だんだん悪い魂の力に押へられて悪化して了ふ。食ふか食はぬか、死ぬか生きるか、喰うて死ぬか食はずに死ぬか、斯う云ふ苦しい立場になりますと、人心は日増しに悪化して善くないことが往々始まる。甚だしきは警察へ行つて御厄介になつた方が楽で、養なつて呉れて安全だといふものが出来る。監獄に入れば食はして呉れる、金銭はなくても可いといふ具合に自暴自棄的に悪神の音なひが始まる。此音なひといふのは、神様の御真意に背いた所の、いろいろの論説が出て来るといふので、あちらからも此方からも異端邪説が叢り起ることであります。然うした結果が、うるさい所の五月蠅のやうにブンブンブンといろいろの事が湧いて、 『万の物の妖悉に発りき』 一切のものに災禍が起つて来る。外交の上に於きましても、内治の上に於きましても、商工業の上にも、一切万事、何も彼にも、世の中のありと凡ゆるものに向つて、みな災禍が起つて来るのであります。そこで天から伊邪那岐大神が之を御覧になつて、 『速須佐之男命に詔給はく』 仰有るのには、 『何とかも、いましは、事依させる国を治さずて泣きいさちる』 そなたは、此大海原の国を治めよと言うてあるのに、何故それを治めぬのか、世の中を斯う云ふ難局に陥らせたのか、何うして騒がしい世の中として了うたのか、と大変にお責になつたのであります。すると須佐之男命は、誠に相済まぬ事であります。兎も角これは私に力が足らぬからであります。私が悪いのでありますとお答へになつた。併し斯うなつて来ては如何なる人が出て来ても、此時節には敵はない。治まるときには治めなくても治まるが、治まらぬときに之を治めるといふ事は難かしいものであります。人盛んなれば天に勝ち、天定まつて人を制す、悪運の強い時には如何なる神もこれを何うも斯うもする事が出来ない。艮の金神様も此時節の勢には敵はぬと仰せられて、それで三千年間あの世に隠れて、今日の神政成就の時節を待つて、現在に顕はれ天の大神様の御命令を奉じて、三千世界の立替立直しをなさらうといふのであります。大神様でさへもさう仰せに成るのでありますから、況して須佐之男命が大変に行き詰つた地上を治めようとなさつてもどうして治まらう筈がありませう。然らば何故須佐之男命御一人では治まらないのであるかと申せば、それは今日文武百官がありまして、亦た政党政派が互に相争ひ、一方が斯うすれば一方が苦情を持ち出して思ふやうにならぬ如く前に申しましたやうに既にいろいろの神様達が沢山あつて、其神々様が各自に天津神の御心を取り違へて、所謂体主霊従に陥つて居られたので、一人の須佐之男命がどれ程誠の途を開かうとなすつた所で、更に耳に入れるものがない、各自に勝手な真似をなさる。丁度強情な盲と聾との寄合のやうであります。そこに千仭の谷があつても盲は顛覆へるまでは知らぬ顔をしてをる。どれ程雷が鳴つても聾は足下に落ちるまでは平気である。それに強情を張つて誰が何と注意しても聴かない。神代の人もそのやうに体主霊従で、どうしても命の命令を聴かなかつた。それで須佐之男命は、これは取りも直さず自分の責任である、自分の不徳の致す所である、到底自分の力では及ばないのであると、自らをお責めになつて、 『あは妣の国、根の堅洲国に罷らんと思ふが故に泣く』 私はもうお暇を頂いて、母の国に帰らうと仰せられたのであります。根の堅洲国と申すのは母神の伊邪那美命がおいでになつてゐる所であります。尤もこれまでの或る国学者達は根の堅洲国といふのは地下の国であると云つて居りますが、併し一番に此伊邪那美命は月読命と同じく月界に御出でになつたのでありますから、月界を根の堅洲国と言つたのであります。で須佐之男命は自分の力が足らないのである、不徳の致す所であるからして自ら身を引いて、根の堅洲の国へ行かうと仰有つて、一言も部下の神々の不心得や、其悪い行状を仰せられなかつた。如何にも男らしい潔白なお方で御座います。所が伊邪那岐命は非常に御立腹になつた。 『然らばみまし此国にはな住みそ』 其方のやうな此海原を治める力量の無いものならば、二度と此国に住むではならぬ。勝手に根の堅洲国へ行つたがよからう。一時でも居つてはならぬぞとお叱りになつたけれども、伊邪那岐命は須佐之男命の心中は疾くに克く御存知である。自分の子がどうして此国を治める事が出来ないか、どうして自分の珍の児の言ふことを万の神々が聴かぬか、腹の底では充分に御存知でありますが、それを彼此仰有らない。心の中には千万無量のお悲しみを持つて居られまするけれども、他に多くの神々に傷をつけるといふことは考へ物である。それで須佐之男命に刑罰を与へて罪人としたならば、その他の八百万の神、これに随いて居る所の神等はそれを見て皆改心するであらう、その悪かつたことを悟るであらうと思召して大神様は自分の子を罰せられたのでありまして、普通の者の出来難いことで御座います。その広大なるお情深い御心は、誠に勿体ない次第でありませぬか。此須佐之男命を罪に問うたならば、あれこそ吾々の為めに罪せられたのである、誠に済まないことであるから、吾々は悔い改めて本当の政治をしなければならぬ、改心を早く致して命の罪を赦されむ事を八百万の神々が思ふであらうと思召して伊邪那岐命は此処置をお取り遊ばしたのであるが、矢張体主霊従に陥られた八百万の神達は容易にそれがお解りにならず、あれは当然である、政治の主権をあんな者が握つて居つては国の治まらう筈がない、あれが居なくなれば又善い神様が来るに違ひない、否吾々の力で充分に世を治めようといふやうな頗る冷淡な間違つた考へを有つて居つたのであります。寔にこんな世の中を治めようとするには並大抵の事ではないので御座います。 (大正九・一〇・一五講演筆録) (大正一一・三・五再録谷村真友録)
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霊界物語 76_卯_世界の神話/朝香比女の神の物語 ミクロネシヤ創造説 ミクロネシヤ創造説 太初には、天も地もありませんでした。有るものは、果しなく広がつた海と、アレオブ・エナブといふ年老いた蜘蛛とだけでした。蜘蛛は漫々たる大海原にふわふわと漂うてゐました。 ある日蜘蛛は、非常に大きな貝を見つけました。蜘蛛はそれを取り上げて、 『どこにか口がありさうなものだな。あつたら中に這ひ込んでやるが』 と、四方八方から眺めて見ましたが、どこにも口が開いてゐませんでした。彼は貝を叩いて見ました。すると空洞のやうな響を立てましたので、 『とにかく、中には何もはいつてゐないな』 と独言をいひました。 蜘蛛は、どうにかして口を開けさせたいと思つて、頻りに呪文を唱へてゐますと、やつと少し蓋が開きました。蜘蛛はすかさず貝の中に潜り込みましたが、蓋が少ししか開いてゐないので、立ち上ることも出来ませんでした。 蜘蛛は貝の中を根気よく這ひまはつてゐるうちに、一匹の蝸牛を見つけ出しました。彼は蝸牛に元気をつけてやるために、それを腋の下に入れて三日が間眠りつづけました。それからまた、あちらこちらと探し廻つてゐると、更に大きな蝸牛を見つけました。蜘蛛は又それを腋の下に入れて、三日が間眠つてゐました。目が覚めると、小さい方の蝸牛に対つて、 『どうも貝の天井が低くて困る。せめて坐れるくらゐ天井をおし上げてもらひたいが、お前にそれが出来るかね』 と尋ねました。小さい蝸牛は、 『出来ますとも』 と答へて、少し天井を押し上げました。蜘蛛はお礼を言つて、その蝸牛を貝の西の方に据ゑつけて、それを月に変へました。 月が現れたので、貝の中が少し明るくなりました。蜘蛛は月の光で一匹の大きな蠐螬を見つけました。彼は蠐螬に対つて、 『お前は、今よりも一層高く天井を押し上げることが出来るかね』 と尋ねますと、虫は、 『出来ますとも』 と答へて、天井を押し上げ始めました。天井は次第に高くなりましたが、あまり骨がをれるので、蠐螬の体から汗がどんどん流れ出しました。蜘蛛はその汗を集めて海をこしらへました。それと同時に押し上げられた貝の上蓋が天空となり、下の蓋が大地となりました。蜘蛛は大きな方の蝸牛を貝の東の方に据ゑつけて、太陽に変へました。 天地、日月、海などはかうして出来たのでした。(ナウリ島) また一説に、世界の始めには、海だけでした。海の南に暗礁があり、海の北に沼がありました。ロアといふ神が、海に対つて、 『汝の暗礁を見よ』 と言ひました。すると忽ち暗礁が海の面に浮び出て陸となりました。ロアが更に、 『汝の砂を見よ』 と言ひますと、陸はすぐに砂に覆はれました。 『汝の樹を見よ』 ロアがかう言ひますと、忽ち陸地にいろんな樹が生えました。ロアは更に、 『汝の鳥を見よ』 と叫びますと、忽ち多くの鳥が現れました。そしてその中の海鴎が舞ひ上つて、大地の上に大空を拡げました。(マーシヤル群島) また一説に、太初一本の大きな樹が、逆しまに生えてゐました。その樹の根は大空の中に広がつてゐるし、その枝は海原に広がつてゐました。 この世界樹の枝のうちに、一人の女が生れ出ました。と、エラファズといふ天空神が一握の砂を女に与へて、 『これを撒きちらすがいい』 と言ひました。女が海の面に砂を撒きちらしますと、それが忽ち変じて大地となりました。 註他の神話によると、天がまだ大地に接し、大地がまだ海と分れなかつた頃、タブリエリックといふ神が鳥に変じて、この混沌たる世界の上を翔り、それからリギといふ蝶が大地と海との上を飛んで、この二つを分ち、更に他の神々が天を大地と分つて、上に押しあげたといふのであります。 日月神話 大昔ナ・レアウが、一人の男と一人の女とを造つたあとで、彼等に対つて、 『わしは、お前たちをこの大地に留めておくから、よく大地の番をするがいい。が、お前たちは、決して子供を生んではいけないよ。わしは人間が殖えるのを好まないのぢや。もしわしの命令に背いたら、ひどい罰を与へるから、さう思ふがいい』 と言つて、天界に去りました。 二人の人間──それはデ・バボウといふ男と、デ・アイといふ女でした──は、しかし神さまの命令に背いて、三人の子を産みました。するとナ・レアウの召使である一匹の鰻が、早くもそれを見つけて、ナ・レアウに、 『神さま、人間どもは、あなたさまの御命令に背いて、三人までも子を産んだのでございます』 と告げ知らせました。これを聞くと、ナ・レアウは大変怒つて、大きな棒を手にして、二人の男女を留めて置いた島に降つて来ました。二人は神さまの厳かな姿を見ると、その言葉に背いた恐ろしさの余り、ペタリと大地に坐り込んで、 『どうかお赦し下さい。お言葉を破つた罪は幾重にもお詫びします、でも生れた子供は、わたくしたちの生活に大層役に立つのでございます。太陽は光を与へてくれます。そのお蔭でわたくしたちはものを見ることが出来ます。太陽が沈むと、月がその代りに現れて、光を与へます。それから海は、わたくしたちに沢山の魚を与へて、食物に不自由なくしてくれるのでございます』 と言ひました。ナ・レアウは、二人の言葉を聞くと、心の中で、 『なるほど、二人の言ふことは本当だ。赦してやることにしよう』 と言つて、そのまま天界に帰つて行きました。 かうして太陽や月や海が、世界にあるやうになつたのでした。(ギルバート群島) 註一ペリュー群島にも、簡単な日月神話があります。それによりますと、大昔二人の神が手斧で大きな石を削つて、太陽と月とをこしらへて、天空に投げ上げたといふのであります。 註二デ・バボウ及びデ・アイといふ二人の男女が、太陽と月と海とを産んだといふ一事は、わが国の古史神話に伊弉諾、伊弉冊の二神が、天照大神と月読命と素盞嗚命とをお産みになつたとあることを思ひ出させます。 人類の起原 ミクロネシアには、余り念の入つた人類創生神話が見出されません。みな簡単な素朴なものばかりです。カロライン群島の神話によると、リゴブンドといふ神が、空から大地に降つて来て、三人の子を生み、そしてその三人が人類の祖先になつたと言ふのであります。また同群島に存する他の神話に従へば、ルクといふ神が大地を造つて、これに樹を栽ゑつけたあとで、自分の娘のリゴアププをそこに降しました。リゴアププは大地に降ると、大変喉が渇きましたので、樹の洞にたまつてゐる水を飲みました。水の中に小さい動物が入つてゐましたが、かの女はそれに気がつかないで、水と一しよに嚥み下しました。すると間もなく身重になつて、一人の女の子を産みました。女の子が大きくなつて、一人の娘が出来、その娘がまた一人の男の子を産みました。男の子が大きくなると、その脇腹の骨の一本から男が出来、その男がリゴアププと夫婦となつて、この二人が人間の祖先になつたと言ふのであります。 更にモルトロク島の神話によりますと、リゴアププが、樹の洞にたまつてゐる水を飲んで、一人の女を産み、その女の腕から一人の男が生れ、双の眼から男と女とが生れて、それ等が人類の先祖となつたと言はれてゐます。 またギルバート群島の神話によると、ナレウアといふ神が、一本の樹に火をつけますと、その火花と灰とから、人間どもが生れ出ました。ナレウアはそれ等の人間に言ひつけて、世界の諸地方に分れ住むやうにさせました。それが人類の祖先であると言つてゐます。