| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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1 (133) |
ひふみ神示 | 4_天つ巻 | 第26帖 | 天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、青人草の苦瀬なほしてやるぞ。天明は神示書かす御役であるぞ。九月十一日、ひつ九 |
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2 (136) |
ひふみ神示 | 4_天つ巻 | 第29帖 | この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざからあり難い仕組ざから喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよ、この方病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。九月十三日、一二 |
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3 (259) |
ひふみ神示 | 9_キの巻 | 第2帖 | 神示読めば何も彼も判る様になりてゐること分らぬか、おはりの御用御苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組通りになりてゐる、臣民心配するでないぞ、一の宮は桜咲く所へつくれよ、わかりたか、天之日津久 神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀り呉れよ、祭典、国民服の左の胸に八たれのシデ二本つけてキヌのシデつけて当分奉仕してよいぞ。道場は一の宮と一つ所でよいぞ、イイヨリの御用タニハの御用御苦労であったぞ。皆の者愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌しめよ、グレンざぞ。二月二十六日、ひつぐの神。 |
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4 (328) |
ひふみ神示 | 12_夜明けの巻 | 第8帖 | 直会も祭典の中ぞ。朝の、夕の、日々の人民の食事皆直会ぞ。日々の仕事皆まつりぞ。息すること此の世の初めのまつりぞ。まつれまつれと申してあろが。おはりの御用は はじめの御用ぞ。まつりの御用ぞ。オワリノ十ノヤマにまつり呉れよ。世につげて呉れよ。役員皆宮つくれよ。宮とは人民の申す宮でなくてもよいのざぞ。一の宮、二の宮、三の宮と次々につくり呉れよ。道場も幾らつくってもよいぞ。神の申した事、なさば成るのざぞ。宮と道場つくり神示読んでまつれまつれ、まつり結構ぞ。奥山にはオホカムツミの神様もまつり呉れよ。守りは供へてから皆に下げて取らせよ。五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、三十六柱、四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱、世の元ぞ。八月の二日、アメのひつくの神。 |
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5 (951) |
ひふみ神示 | 39_月光の巻 | 第19帖 | 釈迦、キリスト、マホメット、其の他、世界の生命ある教祖及びその指導神を、み光の大神様とたたえまつれと申してあろが。 |
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6 (1422) |
霊界物語 | 08_未_日の出神の弟子たちの南米物語 | 42 言霊解四 | 第四二章言霊解四〔三九二〕 『其妹伊弉冊命吾に辱見せたまひつと言したまひて、即ち黄泉醜女を遣はして追はしめき』と云ふ事は、以上の如くに乱れ果てたる醜状を、神の光なる一つ火に照らされ、面の皮を曳剥られて侮辱されたと言つて、大本であれば心に当る醜悪なる教信徒が一生懸命に大本や教主に反抗すると云ふことであり、世界で言へば、益々立腹して大本を圧迫し、窮地に陥れむとする人物の出現すると云ふ事で在るから、誠の教を開くと云ふ事は、随分六ケ敷事業であります。今日のやうな無明闇黒の社会に容れられる様な教なら別に苦労艱難は要らぬ、四方八方から持て囃されるで在らうが、その様な教なら現代を覚醒し、人心を改造する事は出来ない。国家を泰山の安きに置き奉らむとするの志士仁人は凡ての迫害と戦ひ、総ての悪魔に打ち克ち、身を以て天下に当るの勇猛心を要するのであります。黄泉醜女は決して悪い魔女の事では無い。今日の人間は上下共に男も女も、八九分通りまで醜女であります。何処にも一点の男子らしき、勇壮なる果断なる意気を認むる事は出来ぬ。斯ういふやうな黄泉醜女らが、大本の一つ火の明光に照されて、夏の虫の如くに消しに来ては却つて自分が大怪我をするのであります。今日の大本は四方八方から攻め立てられ、人民を保護す可き職に在る人々までが、時には逆様に攻撃妨害を加へむとして居るのであります。是が大本を四方突醜目で見てをると云ふのであります。 然し至誠思国の吾々大本人は、所在総ての圧迫と、妨害に打ち克つ為に、一つの力を貯へねば成らぬ如く、世界に対しても我国は、充分の準備を整へねばならぬ。即ち神典に所謂黒御鬘を投げ打つて掛らねば成らぬのであります。 『爾伊弉諾命黒御鬘を取りて投げ棄て玉ひしかば、乃ち蒲子生りき』 之を今日の大本に譬へると、幽玄美はしき神の御教を、天下に宣伝する事を『投げ棄て玉ひき』といふのであります。『蒲子生りき』と云ふ事は、美はしき誠の新信者が出来たと云ふ事であります。黄泉神醜女は、また之に向つて一人々々に種々の圧迫妨害を加へると云ふ事が、『是を拾ひ食む』と云ふのであります。何れの教子にも悉く四方突軍が御蔭を堕さしに廻つて居る。その間に又一つの戦闘準備に着手する事を『逃げ出でますを』と云ふのであります。 『猶追ひしかば、亦其の右の御角髪に刺せる、湯津津間櫛を引闕て、投げ棄てたまひしかば乃ち笋生りき』 蒲子とも言ふべき信仰の若い信者を、片端から追詰め引落しにかけ乍ら、なほもそれに飽き足らずして、大々的妨害を加へむとの乱暴には、神も終に堪忍袋の緒が断れたので、右の御角髪にまかせる湯津津間櫛を引闕て、乃ち神界の一輪咲いた梅の花の経綸を表顕して、所在四方突醜女に向つて宣伝した所が、終に箏と云ふ、上流貴紳[※身分の高い人という意]の了解を得、至誠天に通じて、いよいよ大本の使命の純忠純良なる事を、天下に知らるるやうに成るのを箏生りきと云ふのであります。是は全地球上の出来事に対する御神書であれども、総ての信徒に了解の出来易いやうに、現今の大本と将来の大本の使命を引用して、説明を下したのであります。 『是を抜き食む間に逃行でましき』 又々邪神の頭株が、大本の折角の経綸を破壊せむと、百方苦心しつつ在る内に、いよいよ神国の危急を救ふ可き、諸々の準備を整へ、何時にても身命を国家に捧げ奉つて、君国を守るべき用意を整へて行くと云ふ事が、『是を抜き食む間に逃行でましき』と云ふ意義であります。 『旦後には其の八種の雷神に千五百の黄泉軍を副へて追はしめき』 之を大本に譬へて見ると、八種の雷(前に詳述)に加ふるに社会主義者または仏教家、基督教徒などの、数限りなき露骨なる運動を起して、力限り攻撃の矢を向け来る事であります。之を世界に対照する時は、前述の八種の悪魔の潜在する上に、千五百軍即ち或る国から、日本の霊主体従なる神国を攻めて来ると云ふ事になるのであります。黄泉軍と云ふことは、占領とか、侵略とか、利権獲得とか、良からぬ目的の為に戦ひを開く国の賊軍隊の謂ひであります。 『爾御佩せる十拳剣を抜きて、後手に揮きつつ逃げ来ませるを』 霊主体従の神軍は戦備を整へながら即ち十拳剣を抜きながら、充分に隠忍し敢て戦はず、なるべく世界人類平和の為め、治国安民の為に言向平和さむとする意味を指して『後手に揮きつつ逃げ来ませる』と云ふのであります。 『其の坂本なる桃の子を三個取りて待撃ちたまひしかば悉く逃げ帰りき』 ヒラサカのヒの言霊は明徹也、尊厳也、顕幽皆貫徹する也、照智也、光明遍照十方世界也、日の朝也、大慈大悲五六七の神徳也。ラの言霊は、高皇産霊神也、霊系の大本也、無量寿の大基也、本末一貫也。 サの言霊は⦿に事ある也、栄ゆ也、水の音也、水の精也。 カの言霊は、蒙せ覆ふ也、光り輝く也、懸け出し助くる也。 以上ヒラサカ四言霊の活用を約むる時は、尊厳無比にして六合を照し、世界を統一し以て仁慈を施し、霊系の大本神たる日の大神の本末一貫の徳と、万世一系の皇徳を備へ、⦿に変ある時は、水の精なる月光世に出で、皇国の栄えを守り、隠忍したる公憤を発して、駆け出し向ひ戦ひ、神威皇徳を世界に輝かすてふ、神軍の謂ひであります。 又坂本は神国の栄え行く大元といふ事であります。大本といふも坂本の意義である。桃は百の意義で、諸々の武士といふ事であります。霊主体従日本魂の種子が乃ち桃の実であります。『三箇取りて待ち討ちたまひし』とは日本男子の桃太郎が、智仁勇に譬へたる、猿犬雉を以て、戦ふと云ふ事であります。猿は智に配し、雉は仁に配し、犬は勇に配するのであります。亦三ツと云ふ事は、変性女子なる三女神の瑞霊の御魂であります。そこで三ツの御魂即ち十拳剣の精なる神の教に依て悠然として、待ち討ちたまうた時に、黄泉軍は悉く敗軍遁走して了つたと云ふ意義であります。 『爾に伊弉諾命桃子に告り曰はく。汝吾を助けし如、葦原の中つ国に、有らゆる現在人民の苦瀬に落ちて苦患む時に、助けてよと告りたまひて、意富加牟豆美命といふ名を賜ひき』 茲に於て日の大神様から、聖なる至誠の団体や、三つの御魂に向つて、能く忠誠を尽し、国難を救うて呉れたと、御賞めになり、なほ重ねて世界人民が戦争の為に、塗炭の苦みを受けるやうな事が、今後において万一にも出来したら、今度のやうに至誠報国の大活躍をして、天下の万民を救うて遣つて呉れよ。汝にはその代りに意富加牟豆美命と名を賜うと仰せになつたのであります。このオホカムツミの言霊を奉釈すると次の如くであります。 オの言霊は、霊治大道の意である。 ホの言霊は、透逸卓出の意である。 カの言霊は、神霊活気凛々の意である。 ムの言霊は、組織親睦国家の意である。 ツの言霊は、永遠無窮に連続の意である。 ミの言霊は、瑞の身魂善美の意である。 之を一言に約むる時は、霊徳発揚神威活躍平和統一高照祥光瑞霊神剣発動の神と言ふ事であります。即ち惟神の大道を天下に宣伝する至誠至忠の聖団にして、忠良なる柱石神なりとの御賞詞であります。アヽ現代の世態に対し、神の大命を奉じて日本神国のために身心を捧げ、麻柱の大道を実行する大神津見命は、今何処に活躍するぞ。天下の濁流を清め妖雲を一掃し、災禍を滅し、世界万有を安息せしむる神人は、今や何処に出現せむとする乎。実に現代は黄泉比良坂の、善悪正邪治乱興廃の別るる大峠の上り口であります。 (大正九・一一・一於五六七殿外山豊二録) (大正一一・二・一一旧一・一五谷村真友再録) |