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書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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霊界物語 | 46_酉_小北山の宗教改革2 | 14 打合せ | 第一四章打合せ〔一二二四〕 松姫館には夜の更くるまで雑談が始まつてゐる。 五三『モシ松彦さま、思はず、暇を小北山で費しましたなア。治国別の宣伝使は、さぞ待つてゐられますでせうなア。何うです、神様をスツパリ祀りかへて行くといふお話ださうですが、これだけ沢山のお宮さまを一々祀りかへて居つた日には、二日や三日では埒があきますまい。そんな事をしとつたら肝腎の御用が後れるぢやありませぬか』 松彦『ソレもさうですが此儘にして行く訳にも行かず、困つたものです。私達は都合によつたらエルサレム迄行つて来なくてはなりませぬ。さうすれば一年位は早くてもかかりますから、イツソの事、松姫に一任しておいたら何うでせうなア』 五三『万公さまも一緒に暫く残しといたら何うでせうか』 アク『モシ先生、こんな男を残しておかうものなら、又狐につままれて駄目ですよ。お寅さまに魔我彦、万公の欺され三幅対です。が、欺され三幅対をこんな処へ置いておかうものなら、又候狐狸の巣窟となつて了ひます。而して万公さまは斎苑の館からお供に連れて治国別さまが厶つたのだから、貴方の勝手にはなりますまい』 松姫『ソラさうですなア、五三公さま、一つ貴方神様に伺つて見て下さらぬか』 五三『ハイ承知致しました。それなら一つ伺つて見ませう』 と言ひながら手を組んで暫く無我の境に入つた。 五三『ヤア解りました。未だ三日ばかしは差支ない様です。明日早朝から神様の御祀りかへをする事に致しませう、それに就てはお寅さま、魔我彦さまの承諾をうけておく必要はありますまいかなア』 松姫『それが第一です。テクさま、すまないが一つお寅さまと魔我彦さまを此処へ来て頂くやうに頼んで下さいなア』 テク『承知致しました』 と座を立つて階段を下り行く。 アク『松姫さま、随分貴女は此処へおいでになつてから日日が経つたやうですが、妙な神さまばかり祀つたものですなア』 松姫『本当にをかしくて怺らぬのです。幾何にでもへぐれてへぐれてへぐれ廻す神さまですからなア』 アク『へぐれ神社に種物神社、生羽神社に大門神社、其他随分妙な名があるぢやありませぬか。ヨウマアこんな出放題な神名や神社名がつけられたものですなア』 松姫『ソレでも世間は広いものですよ。誰も彼も一生懸命になつて詣つて来るのですから、不思議なものですわ』 アク『大変に変性男子をほめて変性女子をくさしてゐるぢやありませぬか』 松姫『二三年前迄は極力変性女子を悪の鏡だとか言つて攻撃して居りましたが、此頃は変性男子の生宮が昇天遊ばしたので、仕方がなく一生懸命に変性女子の弁解ばつかりしてゐるのですよ。男子と女子とが経と緯とで錦の機を織るのだ。而して義理天上日の出神が世界中の事を調べて、変性女子にソツと言うて聞かすのだと、ソレハソレハ偉い権幕でしたわ』 万公『余程改心が出来たと見えますねえ』 松姫『イエイエさうではありますまい。三五教の信者を占領しようと思へば、此頃は女子の勢力が強いのだから、両方をうまく言はねばひつかかつて来ないものですから、策略であんな事を云つとるのですよ。九分九厘行つたとこで女子は悪の鏡だと云つてクレンとひつくり返すのですから油断は出来ませぬよ。併しながら変性女子の眷属がかうして沢山やつて来たものだから、肝腎の教祖が女と手に手をとつて駆落したのも、つまり神罰が当つたのでせう』 松彦『曲神は善の仮面を被りつつ 世を欺くぞゆゆしかりける。 表には愛と善とを標榜し 裏に曲をば包む醜道。 何時の世にも栄ゆるものは偽善者よ 正しきものは衰へて行く。 さりながら五六七の神の生れし上は 最早悪魔の栄ゆ術なし』 松姫『蠑螈別、魔我彦、お寅婆さまの 心は猫の眼なりけり。 夜も昼も酒に腸くさらせつ 曲の宮居となれる憐れさ。 艮の婆さまと自ら称へつつ 坤神何時もこぼちつ。 曲津見の醜の教に迷ひけり 何を言うてもきくらげの耳。 これだけによくも迷ひしものぞかし 誠の教は一言もきこえず』 五三『斎苑館珍の宮居に比ぶれば 天と地との如くなりけり。 小北山峰の嵐はつよくとも 早をさまりて松風の音』 万公『ここへ来て怪しき事の数々を たこになるまで耳に入れける。 耳も目も口鼻迄も痺れける 曲と曲とに囲まれし身は。 さりながら神の御稜威は灼乎に 逃げ失せにけり醜の曲神』 アク『あくせくと心なやむる事勿れ ただ何事も神に任せて。 悪神を追ひそけちらし根本の 神祀るとて世人あざむく』 タク『ユラリ彦、上義の姫の生宮と 信じゐるこそ可笑しかりけれ。 さりながら信じてくれたそのために 小北の山を立直すなり。 高姫や黒姫司がきくならば さぞ懐旧の念に燃ゆべし』 テク『尾白し頭も白し古狐 騙しけるかな三人の人を。 蠑螈別今は何処にひそむらむ お民の後を慕ひ慕ひて。 魔我彦の心はさぞやもめぬらむ 恋にこがれしお民とられて』 これよりお寅、魔我彦、お菊、文助などを加へ、松姫館の奥の間で明朝早くより三五の大神を鎮祭すべく修祓、遷座式其他の件に就て打合せをなし、各自の居間に帰つて其夜を明かす事となつた。 あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一一・一二・一五旧一〇・二七外山豊二録) 因に、本日午前九時より午後十一時まで十四時間に原稿紙八百一枚を口述し終れり。これ今日までのレコード也。(瑞月) |
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霊界物語 | 46_酉_小北山の宗教改革2 | 16 想曖 | 第一六章想曖〔一二二六〕 お寅婆さまは小北山開設以来の打つて変つた活々とした水々しい顔をしながら、身も軽々しく、棕櫚箒や采払を持ちて、パタパタパタパタ、スースースーと心の清潔法をすませ、室内の掃除に余念なかつた。そこへ寒さうに筒袖の中へ手を入れて、フーフーと冷たい空気を吹きながらやつて来たのは魔我彦であつた。殆ど失望落胆の極に達し、地獄の底から捕手の出て来たやうな、えも言はれぬ淋しい容貌を曝け出して入つて来た。 お寅『魔我彦さま、一寸鏡を見て御覧、お前の顔は年の若いにも似ず八十爺さまのやうな萎びやうだよ。チツト心の持方を変へなくちや駄目ですよ』 魔我『余り馬鹿らしくて、世の中が淋しくなり、何とはなしに不平の雲が襲つて来て、地の上に身をおく所もない様な思ひが致します。それにお寅さま、貴女は今日に限つて、大変水々しい愉快さうな顔をしてゐるぢやありませぬか。○○博士の若返り法でも研究なさつたのですか。但しはニコニコ雑誌でも耽読されたのですか。大変な変り様ですワ』 お寅『ニコニコ雑誌や若返り法位で、さう俄に元気が出るものですか。そんな人間の頭脳から捻り出した厄雑物で、何うしてこんな愉快な気分になれるものですか』 魔我彦『それなら何うすればよいのです。何だかそこら中がウヂウヂして来て、冬の冷たい日に雪隠の中へ突つ込まれたやうな、クソ面白くもない空気に襲はれて仕方がありませぬ』 お寅『お前さまは神様に対して、真の理解がないからだ。神様さへ理解すれば、すぐに私のやうに、地獄は忽ち化して天国の境域に進むことが出来るのだよ』 魔我彦『神を理解せよと云つたつて、人間の知慧には限りがあります。これだけウラナイの尊き教を信じ神々様を念じながら、狐につままれて馬鹿を見せられるのだから、私は神の存在を疑ひます』 お寅『神の存在を認めず、神の救ひを忘れた時は心身共に衰耗廃絶するものだ。そして神の愛と神の信とに直接触れ、真に理解した時は忽ち歓喜の夕立、吾全身を浸し、霊肉共に不老不死的に栄えるものだ。併しながらヘグレ神社や種物神社では駄目ですよ。お前さまもよい加減に、義理天上日の出神の雅号を返上しなさい、そして一個の罪人とおなりなさい。卑しき一個の下僕となり、乞食の靴を取る謙譲の徳を心の畠に培ひ養ひさへすれば、忽ち天国は開けますよ』 魔我彦『それだと云つて、今まで一生懸命に信仰して来たユラリ彦様やヘグレ神社、種物神社、大門神社の神々様を捨てる事は出来ませぬ。さうクレクレと此頃の空の様に変つては、誠が貫けますまい』 お寅『お前さまは神素盞嗚大神様の御仁慈を有難く思ひませぬか。救世主だといふ事が理解されませぬか』 魔我彦『何処迄も私は信じられませぬ。お寅さま、よく考へてごらん、素盞嗚尊を信ずるのならば、別にウラナイ教を立てたり、小北山の神殿を造営し、一派を立てる必要はないぢやありませぬか』 お寅『そこが改心といふものだ。間違つて居つたといふことが分れば、直様改めるのが人間の務めだ。何程魔我彦さまが神力が強うても、荒金の土を主管し給ふ瑞の御霊の御神徳に比べては大海の一滴、どうして比較になりませう。チツと胸に手を当てて御考へなさい』 魔我彦『お寅さま、貴女はさう生々として元気さうに言つてゐるのは、要するに三万両のお土産を蠑螈別から貰つたからだらう』 お寅『エヽあた汚い、お前さまはそれだから苦むのだ。吾と吾心に造つた鬼に責められてゐるのだよ。物質的の欲望なんか物の数でもありませぬワ。それよりも、モツトモツト尊い宝が、そこら中にブラついてゐることをお悟りなさい。夢の中で貰つた三万両は、物質的の宝としては使へばなくなるものだ。仮令それが現実の黄金にした所で、一つお宮を建てたら、それで仕舞ぢやないか。何程使つても使ひ切れぬ、使へば使ふ程殖える無限の宝がおちてゐるのだよ。それを拾ふのが神を信仰する者の余徳だ。その尊い神の御余光を毎日日日ふみつけてゐるのだから、駄目だよ。お金で譬へたら、幾十万億両とも知れぬお宝を、私は頂戴したのだ、つまり世界一の富者になつたのだ。それだから此通り若やいで活々としてゐるのだよ』 魔我彦『お寅さま、世の中に阿呆と気違位幸福な者はありませぬネ。お前さまは夜前狐につままれて、三万両の金を貰つたのでせう。そして蠑螈別さまとしつぽり会つたのでせう。それから二世も三世もといふお目出度い情約を締結し、批准交換がすんだと思つて喜んでゐるのでせう。そんな泡沫に等しき喜びは、霧の如く煙の如く、瞬く間に消滅して了ひますよ。其時にアフンとせないやうになさいませや』 お寅『お前も狐に騙され、お民さまと手に手を取つて、二十万両の持参金と共に小北山の教祖になると云つて、顎まで外して居つたぢやないか。なぜそんな目に遇つたのか、分つてゐますか』 魔我彦『三五教の曲津神が善の仮面を被り、六人もやつて来やがつて、いろいろと奇怪な事ばかり致し此聖場を蹂躙せむとして居るのですよ。私は昨日の事からスツカリ目が覚めました。お前さまはまだ年がよつて居るので、精神上の欠陥がヒドイと見えて、依然として狐につままれ、糞壺へ投込まれて結構な温泉へ入つたと思ひ、牛糞や馬糞をつきつけられて結構な牡丹餅と信じ、瓦かけを持たされて三万両の黄金だと思つてゐるのだから、本当にお目出度いものだ。一層の事、お前さまのやうに無知識に生れて来たら、此世を夢現で喜んで暮せるのだけれど、何と云つても知識の光が強いものだから、お前さまのやうな気にはなれませぬワイ。鑑別だとか、認識だとか、肯定だとか、否定だとか、いろいろの什器が心の宝庫に充実してるのだから、私の悲痛な思ひは、要するに将来の歓喜の源泉となるものだ。お前さまの歓喜は、丁度阿片煙草に熟睡して世事万端を忘れ、夢の世界に逍遥し恍惚とし霊肉を蕩かしてるやうなものだ。丁度田螺の母親が、自分の生んだ沢山な子に、体を餌食にされ、いつとはなしになめ尽されて、愉快な気になつてゐる間に、自分の肉体をスツカリ食ひ殺されてる様な愉快さだ。コレ寅さま、チツト気をつけないと駄目ですよ。変性女子の悪御霊が、全力をあげて小北山を滅亡せしめむとして千変万化の画策をめぐらしてゐるのだからなア。灯台下暗しと云ふからは、中々油断がなりませぬぞ。お前さまがそんな心で、何うして此小北山の本山が立つて行きますか。チツトしつかりして貰はないと、淋しくてたまらぬぢやありませぬか』 お寅『あゝ困つた男だなア、これ程言つても目が覚めぬのかなア』 魔我彦『あゝ困つた婆アさまだなア、何と云つても思想が単純だから、私の言ふ事が、充分魂に沁み込まないと見えるワイ。女子と小人は養ひ難しとは、あゝよく言つたものだ』 お寅『本当にお前と私と斯うして寝食を共にし、口の中に入れたものでも食ひ合ふやうにしてゐる親しい近い仲でも、心は千里の距離があるのだから、どうしても容易にバツが合はないのだ。これ魔我彦さま、一つ直日の霊に見直し聞直し、省みたら何うだい』 魔我彦『あゝお寅さまは、たうとう地獄の底へ落ちて了つたのだなア、本当に可哀さうだ。世界の人民も救うてやらねばならないが、肝腎要のお寅さまから救ひ助けておかねば、到底万民を助ける事は出来ない、困つた事になつて来たワイ』 お寅『魔我彦さま、お前は救はれてゐる積かい。貴方御自身が真の神の愛にふれ、真の信仰に接し、真の神を理解することが出来て、お前の魂も肉体も天国浄土の歓喜を味はふ事が出来ましたか。それから一つ聞かして貰ひたい』 魔我彦『始から何事も都合よく行くものぢやない、私は今煩悶苦悩の最中だよ。本当に此世が厭になることが幾度あるか知れない。そこを耐へ忍んで行きさへすれば、所謂天国の門が開かれるのだ。人間は悲境のドン底に沈んだ時に於て始めて幸の種を蒔くものだ。幸の時、得意満面の時に却つて地獄の種を蒔いてゐるのだ。お前は曲神に誑惑されて地獄に落ちながら、まだ目が覚めないのだよ、本当に可哀さうなものだなア。此魔我彦は今や天国の門を開かむとする首途にあるのだ。よい後は悪い、悪い後はよいと云つてなア、今の間に苦みをしておけば、永遠無窮の歓喜の園を開く事になるのだ。あゝ惟神霊幸倍坐世……どうぞお寅さまの曇り切つた魂が豁然として開けますやう、魔我彦がお願ひ致します。ユラリ彦の大神様、五六七成就の大神様……』 お寅『コレ魔我さま、ユラリ彦さまも、ヘグレ神社さまも、モウ言つておくれな、私は本当の信仰を握つたのだから。よく考へて御覧なさい。人間は永遠無窮に生き通しだよ。僅か二百年や三百年の肉体を受得する為に生れて来たのではない。天国浄土に於て永遠無窮に繁り栄え、天国の御用をする為に生れて来たのだ。吾々の意志も観念も記憶も正しい知識も一切残らず高天原の天国へ此儘留存して行くのだから、現肉体のある間に歓喜の雨にぬれ、此身此儘天国の住民となつておかねば、どうして死後の生涯が楽しく送れませうか。此世の中は神の造り給うたものだから悩み苦みなどのあるべき筈がない。豁然として神の真の愛にふれ、真の知慧にふれ、神様を理解する事が出来たならば、此世此儘最上天国だよ。悲痛な思ひをしたり些々たる欲望に心を悩めてゐるのは、所謂此世からなる地獄道に陥没してゐるのだ。お前さまは小智小欲が勝つてゐるから、自ら造つた地獄へ落ち、自ら築いた牢獄に呻吟してゐるのだ。一日でも此世に於て歓喜と感謝の生活を続け、仮令一息の間も悲観などしちや仁慈の神様へ対して大変な罪になりますぞや。人は心の持様一つだよ』 魔我彦『それでも、苦労を致せよ、苦労致さねば誠の花は咲かぬぞよ……と神様は仰有るぢやありませぬか。世の為、人の為、道の為に苦み且つ世を悲しむのは最善の人事ぢやありませぬか。吾身をすてて万民を救ふといふ事は善事中の善事でせう。それだから私は何うなつてもいい、人さへ助かれば、それで人間の本分が尽せるもの、神様に対して忠実な御奉公だと確く信じてゐるのだ』 お寅『ホツホヽヽヽ、何と分らぬ男だこと、どうにも斯うにも助け様がないワ。お前さま、自分が不幸悲哀の淵に沈み、涙の生活を送りながら、どうして人が救へると思つてゐますか、先づ自己を救ひ、自己を了解した上で、始めて世を救ひ、道を伝ふる完全な神力が備はるぢやありませぬか。よう考へて御覧なさい、ここに一人の川はまりがある。今已に溺れ死せむとしてゐる所を人が通る、モシ其人が盲であつたならば、救ひを求むる声は聞えても、決して救ふ事は出来ますまい。此時には水泳に達した人で、体の壮健な、目の見える人間でなければ、其溺没者を救ふといふ事は到底不可能でせう。それだからお前さまも、先づ自己を強くし、自己を照し、自己の神力を十二分に受けなくてはなりませぬ。神力さへ備はらば、自然に歓喜の悦楽が吾身辺を襲うて来るものだ。私も夜前から神の慈光に照されて、悲哀の極、遂に歓楽境に救はれたのだ。どうぞして、お前を私と同じ精神状態に救うてやりたいのだが、余り距離があるので、可哀さうながら救ふ事が出来ないのかな。併し乍ら私も第一着手としてお前を救ふ事が出来ないやうで、何うして万民を救ふ事が出来よう。あゝ私は、大変な神様から試験をうけてるやうだ。魔我彦峠を突破するのは中々容易ぢやないワイ。あゝ神様、あなたの御慈光に依つて、私に誠の光と誠の愛をお与へ下さいまして、魔我彦が心に潜む曲を照し、どうぞ天国浄土へ霊肉共に導かして下さいませ。偏に神の御恩寵を御願ひ申上げ奉ります』 魔我彦『あゝあ、どうしても駄目だなア、可哀さうなものだ。私も此お寅さまを第一着手として救はなくちや到底万民を救ふ事は出来ぬであらう。どうぞユラリ彦の神様、ヘグレ神社の大神様、あなたの栄光と権威と慈愛とに依りまして、可憐なるお寅婆アさま、魔我彦が最も敬愛する此老婦人の心に一道の光明を与へ下さいまして、あなたをよく信じ、あなたを理解し、あなたの愛を徹底的に悟る事が出来ますやうに、特別の御恩寵を此老婦人の上に垂れさせ給はむ事を、偏に希ひ上げ奉ります。あゝ惟神霊幸倍坐世、末代日の王天の神様、五六七成就の大神様、旭の豊栄昇り姫様、義理天上日の出神様、大広木正宗様、大将軍様、常世姫様、偏にお願ひ申上げ奉ります』 お寅『コレ魔我彦さま、モウ其神名は私の前で言つて下さるなといふに、訳の分らぬ人だなア、どしても目が覚めぬのかいなア、あゝ何うしたらよからうぞ、惟神霊幸倍坐世、国治立大神様……』 魔我彦『あゝ何うしたら、お寅さまの迷ひを解く事が出来るだらう、あゝ惟神霊幸倍坐世』 (大正一一・一二・一六旧一〇・二八松村真澄録) |
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霊界物語 | 46_酉_小北山の宗教改革2 | 17 惟神の道 | 第一七章惟神の道〔一二二七〕 お寅婆アさまと魔我彦は互に顔を見合せ、友の一刻も早く善道を悟り、忠実なる神の下僕となり、且つ神の代表者、生宮たる実を挙げしめむと、互に親切にほだされて暫しが間黙然として顔色ばかりを見つめてゐる。一方は老人にも似合はず十七八の娘のやうな色つやを浮べ、ぽつてりと太り、活々としてゐるに引替へ、一方は冬の木の葉が凩に叩き落され、雪に慄へて、えもいはれぬ淋しみを感じた様な悄然たる面を向けてゐる。恰も枯木寒岩に倚る三冬暖気なしといつたやうな、熱のあせた冷やかい気分に包まれてゐる。昨日まで煩悶苦悩の淵に沈み、下らぬ情欲に捉はれ、且黄金に眼をくらましてゐたお寅婆アさまは、神の仁慈に照されて、恰も無碍光如来の様な霊肉に変じ、否向上し、一方魔我彦は悲歎の淵に沈み、万劫末代浮ぶ瀬のない八寒地獄の飢と寒さに泣く亡者の様な容貌をさらし、不安と不平の妖雲に包まれ、頬は痩せこけ、皺は網の目の如く、顔色青白く、唇は紫色に変じ、言葉さへもどことなく力失せピリピリと慄ひ戦いてゐる。実に信仰の光といふものは恐しいものである。同じ山の頂に降る雨も、両半滴の降る場所に依つて、或は東に落ち或は西に落ち、南に北に別れて落ち流るる如く、鵜の毛の端程違つても大変な距離の出来るものである。此両人は恰も峠の上に降つた雨であつた。如何してもお寅婆アさまの雨は旭に向つて流れねばならなくなつてゐた。魔我彦の雨はどうしても夕日の方に向つて流れ落ちねばならない境遇になつてゐた。善悪正邪の分水嶺上に降る雨は、如何しても天から降らねばならぬ、決して人間の身体から雨は降るものでない。茲に悟ると悟らざるとの区別がついて来るのである。お寅婆アさまは恵の雨は天より降るものだといふことを自覚した。そして魔我彦は、自分の知慧や力や考察力や苦労の結果で、自分の身体から自由自在に雨を降らし得るものと考へてゐた。ここに惟神と人ながらの区別のつく所以である。如何なる聖人君子智者勇者と雖も、天の御恵なくしては、到底救はるることは出来ない。広大無辺の天然力即ち神の御威光によらなくては、地上一切の事は何一つ思ひの儘に出来るものでない。吾頭に生えた髪の毛一筋だも、或は黒くし、或は白くし得る力のない人間だ。此真理を理解して始めて宇宙の真相が悟り得るのである。これが所謂惟神であり、魔我彦が最善と思惟して採つたやり方は即ち人ながらであつて、神の御目より見給ふ時は慢心といふことになるのである。 要するに真の惟神的精神を理解とも言ひ又は改心とも言ふ。仮令人の前にて吾力量を誇り、吾知識を輝かし、吾美を現はすとも、偉大なる神の御目より見給ふ時は実に馬鹿らしく見えるものである。否却て暗く汚らはしく、悪臭紛々として清浄無垢の天地を包むものである。故に神は謙譲の徳を以て、第一の道徳律と定め給ふ。人間の謙譲と称するものは其実表面のみの虚飾であつて、所謂偽善の骨頂である。虚礼虚儀の生活を送る者を称して、人間社会にては聖人君子と持て囃されるのだからたまらない。かかる聖人君子の行くべき永住所は、概して天の八衢であることは申すまでもない。 人間が此世に生れ来り、美醜、強弱、貧富、貴賤の区別がつくのも決して人間業でない。何れも皆惟神の依さしの儘に、それ相応の霊徳をもつて地上に蒔きつけられたものである。富める者は何処までも富み、貧しき者は何処までも貧しいのは其霊の内分的関係から来るものであつて、決して外分的関係より作り出されるものでない。貧しき霊の人間が現界に活動し、巨万の富を積み、金殿玉楼に安臥し、富貴を一世に誇ると雖も、依然として其霊と肉とは貧しき境遇を脱する事は出来ない。丁度如何に醜婦が絶世の美人の容貌にならむと、紅白粉を施し、美はしき衣服を装ひ、あらむ限りの人力を尽すと雖も、醜女は依然として醜女たるの域を脱せざると同一である。鼻の低い者は如何に隆鼻術を施すとも、美顔術を施すとも、到底駄目に了る如く、貧者は何処までも貧者である。凡て貧富の二者は物質的のみに局限されたものでない。真に富める人は一箪の食、一瓢の飲を以て、天地の恵を楽み、綽々として余裕を存し、天空海濶たる気分に漂ふ。如何に巨万の財宝を積むとも、神より見て貧しき者は、その心平かならず豊ならず、常に窮乏を告げて欲の上にも欲を渇き、一時たりとも安心立命することが出来ない。金の番人、守銭奴たるの域に齷齪として迷ふのみである。又天稟の美人は美人としての惟神的特性が備はつてゐるのである。美人として慎むべき徳は、吾以外の醜婦に対し、なるべく美ならざるやう、艶ならざるやう努むるを以て道徳的の根本律としてゐるのは、惟神の真理を悟らざる世迷言である。美人は益々装ひを尽せば、ますます其美を増し、神又は人をして喜悦渇仰の念を沸かさしむるものである。之が即ち美人として生れ来りし自然の特性である。これを十二分に発揮するのが惟神の真理である。又醜婦は決して美人を妬みそねまず、自分の醜をなるべく装ひ、人に不快の念を起さしめず、且又美人に対して尊敬の念を払ふのが醜婦としての道徳である。 富者となり貧者となり、貴人となり賤民となり、美人となり醜婦となり、智者となり愚者と生れ来るも、皆宿世の自ら生み出したる因果律に依つて来るものなれば、各自に其最善を尽し、賤民は賤民としての本分を守り、貴人は貴人としての徳能を発揮し、富者は富者としての徳を現はし、貧者は貧者としての本分を守るのが天地惟神の大道である。斯の如く上下の万民が一致的に其本分を守るに於ては、神示に所謂桝かけ引きならして、運否のなき五六七の世が現出したのである。瑞月が斯の如き説をなす時は、頑迷固陋の倫理学者、道徳学者は、必ず異端邪説として排斥するであらう。併し乍ら天地の真理の惟神の大道たる以上は、如何ともすることが出来ない。五六七仁慈の大神の心の儘に説示しておく次第である。 あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一一・一二・一六旧一〇・二八松村真澄録) |
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霊界物語 | 46_酉_小北山の宗教改革2 | 22 五三嵐 | 第二二章五三嵐〔一二三二〕 五三公『天教山に現れませる日の出神や木の花の 咲耶の姫の命もて千変万化に身を変じ 卑しき人の体に入り名も五三公と改めて 治国別の弟子となり尊き神の御教を 四方の国々八十の島伝へて世人を天国に 導き救ひ助けむと河鹿峠を乗り越えて 祠の森や山口の大森林に宿泊し 風に曝され雨にぬれ又もや吹雪に追はれつつ 野中の森の木下闇一夜を明かし河鹿山 橋の袂に来て見ればウラナイ教に魂を 曇らせなやむお寅さまお菊親子に廻り会ひ 松彦司と諸共にウラナイ教の本山に 一夜二夜を明かす中醜の曲神は忽ちに 誠の神の神力に恐れて姿をくらましつ 怪しき女を引きつれて跡白浪と消えたまふ 吾はこれよりフサの国月の御国は云ふも更 メソポタミヤの顕恩郷エデンの園を乗り越えて 神の現れますエルサレム黄金山に攻めよせる 醜の曲津を悉く生言霊を打ち出し 一人も残らず天国の花咲き匂ふ楽園に 導きゆかむ吾心思へば思へば勇ましし 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも たとへ大地は沈むとも天は地となり地は天と かへる暗夜が来るとも神の依さしの神業を 如何でか忘れまつらむや松彦司よ万公よ アク、タク、テクの三人連れウラナイ教のお寅さま 神の光に照らされて愛と信とを完全に 悟りし上は世の中にもはや恐るる事もなし 浮木の森に屯せるランチ将軍、片彦や 久米彦如何に勇あるも神の依さしの言霊を いと穏かに打ち出して言向け和し三五の 仁慈の神の高徳を心の底より悟らしめ 地上にさやぐ醜風を科戸の風に吹き払ひ 花咲き匂ひ鳥歌ふ清き涼しき天国を 地上に立てむ、いざさらば進みて行かむ神の道 勇めや勇めや皆勇め進めや進めや皆進め 悪魔の軍勢の滅ぶまで醜の魔神の失するまで あゝ惟神々々御霊幸倍ましませよ』 お寅は道々歌ひ始めた。 お寅『浮木の村に名も高き白浪女の博奕うち 艮婆さまと讃へられ数多の乾児を養ひて 弱きを助け強きをば挫くと云ひしは表向き 其内実は弱きをばいぢめて強きに怯ぢ恐れ 弱肉強食の醜態を現はし居たる浅ましさ 今の世界の侠客はいづれも表裏のあるものぞ 決して弱きを助けない又もや強きに敵せない 唯世の中を渡りゆく手段に如かぬものぞかし 年はおひおひ寄つて来る頭に霜を戴いて 白浪言葉のきかぬ儘に商売替へをせむものと 隙を窺ひ居たる中小北の山にウラナイの 教の射場が開けしと聞くよりお寅は雀躍りし 善の仮面を被りつつ篤き信者と見せかけて 日ごと夜ごとに通ひつめ蠑螈別に取り入つて 内事の司となりすまし会計一切手に握り 一万円の金をため老後の準備を計る中 昔に捨てたる古爺熊公の野郎がやつて来て 外聞の悪い大勢の中で胡床をかきながら 巻舌づくめに呶鳴り立て手こずらしたる苦しさに 忽ち一計案出し熊公を奥に連れ込んで 酒でいためて呉れむものと喋々喃々お世辞をば 雲雀の如く並べたて酒酌み交はし悦に入り 熊公弱らせ神の道酷しく強く言ひ聞かせ 追つ払はむと思ひしに豈計らむや熊公は 悪胴据ゑて白を切り一万円の金出せと 云ひたる時の驚きは身も世もあらぬ思ひなり 五三公さまの仲裁で一千円の手切れ金 その場のごみは濁せどもまだ納まらぬ胸の中 ウラナイ教の神様がきつとお守りある上は 熊公の奴は途中にて体が痺れ口ゆがみ スツパリ改心致しますお金を受取り下されと 吠面かわくであらうぞと思つた事も水の泡 熊公は金を懐に深くもかくしスタスタと 当てどもなしに足まめに逃げ往く時の憎らしさ 神も仏も世の中にこいつアてつきりないものだ こんな事だと知つたなら朝から晩まで水垢離 体を冷たい目にあはせ神を拝むぢやなかつたに 大小幾多の神館砕いて無念を晴らさむと 思ふ折しも白狐さま蠑螈別の姿して 三万円のお土産を渡して呉れた嬉しさに 又もや神を拝まうと悪心忽ちひるがへし 喜ぶ間もなく蠑螈別は黒き狐と早変り 貰うた金は石瓦馬鹿げた夢を見たものと 悔めどかへらぬ胸の暗忽ち晴るる神の声 やつと吾身に立ち復り直日に見直し聞き直し 天地の神に平伏して謝罪し奉れば村肝の 心は俄に明くなり真如の月は心天に 輝き初めしうれしさよ吾等は神に救はれぬ この喜びを独占し居るべき時に非ざらむ 心を尽し身を尽し神の御為め世のために 誠一つの三五の教の道を宣伝し 尊き神の真愛と真智にさとりし高恩の 万分一に報いむと進む吾こそ嬉しけれ 朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 星は天より落つるとも一旦神に誓ひたる 心を如何でかへさむや天地の神も御照覧 艮婆さまの改心を完全に委曲に諾なひて 尊き神の御使にあたらせたまへ惟神 尊き神の御前に謹みゐやまひ祈ぎまつる あゝ惟神々々御霊幸倍ましませよ』 アクはまた歌ふ。 アク『バラモン軍の片彦やランチ将軍一隊の 斥候兵と選まれて妖怪窟と聞えたる 森のかたへに来て見れば俄に足が立ちどまり 魂はをののき魄ふるひやむなく路傍に腰おろし ひそびそ話す折もあれ片方の木蔭に松虫の さへづる如き細い声ホヽヽヽヽツといやらしく 三人の耳をかすめ来るこりや耐らぬと息をつめ 様子を窺ひ居る中に将軍さへも恐れたる 治国別の一行が社のあたりに宿泊し 眠り居たるぞ恐ろしきそれより三人は大野原 枯野を分けてノタノタと野中の森まで四つ這ひに 進み往きしぞ苦しけれ野中の森に現はれし 怪しき声に肝つぶし戦く折しも三五の 教の道の松彦や五三公、万公に助けられ 誠の道に帰順して後に従ひ居たる中 小北の山に導かれ日の出神の義理天上 肉の宮なる魔我彦が失恋話や万公が 夜食に外れた不足顔お寅婆さまの荒びをば 面白をかしく拝見し二夜さ三夜さ息やすめ 変化の変化の変化武者変化神社を初めとし 末代日の王天の神リントウビテン大神宮 種物神社ユラリ彦ブラブラ彦と現はれた 怪しき神を拝まされ面白をかしく日を送り 松彦さまに従ひて悪魔の征途に上るべく 今やここ迄来りけりあゝ惟神々々 神は吾等と倶にあり吾等は神の子神の宮 如何でか曲の敵すべき進めや進めやいざ進め ランチ将軍亡ぶまで片彦、久米彦甲脱ぎ わが軍門に降るまで』 と一足々々拍子を取り、怪しの森をさして進みゆく。 (大正一一・一二・一六旧一〇・二八加藤明子録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 総説 | 総説 最上天界即ち高天原には、宇宙の造物主なる大国常立大神が天地万有一切の総統権を具足して神臨し給ふのであります。そして大国常立大神の一の御名を天之御中主大神と称へ奉り、無限絶対の神格を持し、霊力体の大原霊と現はれ給ふのであります。この大神の御神徳の完全に発揮されたのを天照皇大御神と称へ奉るのであります。そして霊の元祖たる高皇産霊大神は、一名神伊邪那岐大神又の名は日の大神と称へ奉り、体の元祖神皇産霊大神は一名神伊邪那美大神又の名は月の大神と称へ奉るのは、此物語にて屡述べられてある通りであります。又高皇産霊大神は霊系にして厳の御霊国常立大神と現はれ給ひ、体系の祖神なる神皇産霊大神は、瑞の御魂豊雲野大神又の名は豊国主大神と現はれ給うたのであります。この厳の御魂は再び天照大神と顕現し給ひて天界の主宰神とならせ給ひました。因に天照皇大御神様と天照大神様とは、その位置に於て神格に於て所主の御神業に於て大変な差等のある事を考へねばなりませぬ。又瑞の御魂は、神素盞嗚大神と顕はれ給ひ、大海原の国を統御遊ばす神代からの御神誓である事は神典古事記、日本書紀等に由つて明白なる事実であります。然るに神界にては一切を挙げて一神の御管掌に帰し給ひ宇宙の祖神大六合常立大神に絶対的神権を御集めになつたのであります。故に大六合常立大神は独一真神にして宇宙一切を主管し給ひ厳の御魂の大神と顕現し給ひました。扨て厳の御魂に属する一切の物は悉皆瑞の御魂に属せしめ給うたのでありますから、瑞の御魂は即ち厳の御魂同体神と云ふ事になるのであります。故に厳の御魂を太元神と称へ奉り、瑞の御魂を救世神又は救神と称へ又は主の神と単称するのであります。故に此物語に於て主の神とあるは、神素盞嗚大神様の事であります。主の神は宇宙一切の事物を済度すべく天地間を昇降遊ばして其御魂を分け、或は釈迦と現はれ、或は基督となり、マホメツトと化り、其他種々雑多に神身を変じ給ひて天地神人の救済に尽させ給ふ仁慈無限の大神であります。而して前に述べた通り宇宙一切の大権は厳の御魂の大神即ち太元神に属し、この太元神に属せる一切は瑞の御魂に悉皆属されたる以上は神を三分して考へることは出来ませぬ。約り心に三を念じて口に一をいふことはならないのであります。故に神素盞嗚大神は救世神とも云ひ、仁愛大神とも申上げ、撞の大神とも申し上げるのであります。この霊界物語には産土山の高原伊祖の神館に於て神素盞嗚尊が三五教を開き給ひ数多の宣伝使を四方に派遣し給ふ御神業は、決して現界ばかりの物語ではありませぬ。霊界即ち天国や精霊界(中有界)や根底の国まで救ひの道を布衍し給うた事実であります。ウラル教やバラモン教、或はウラナイ教なぞの物語は、大抵顕界に関した事実が述べてあるのです。故に三五教は内分的の教を主とし其他の教は外分的の教を以て地上を開いたのであります。故に顕幽神三界を超越した物語と云ふのは右の理由から出た言葉であります。主の神たる神素盞嗚大神は愛善の徳を以て天界地上を統一し給ひ、又天界地上を一個人として即ち単元として之を統御したまふのであります。譬へば人体は其全分に在つても、其個体にあつても千態万様の事物より成れる如く天地も亦同様であります。人間の身体を全分の方面より見れば肢節あり機関あり臓腑あり、個体より見れば繊維あり神経あり血管あり、斯くて肢体の中にも肢体あり部分の中に部分あれども個人の活動する時は単元として活動する如く、主神は天地を一個人の如くにして統御し給ふのであります。故に数多の宣伝使も亦主神一個神格の個体即ち一部分として神経なり繊維なり血管なりの活動を為しつつあるのであります。天人や宣伝使のかく部分的活動も皆主神の一体となりて神業に奉仕するのは恰も一個の人体中に斯の如く数多の異様あれども、一物としてその用を遂ぐるに当り、全般の福祉を計らむとせざるはなきに由る如きものであります。即ち全局は部分の為に、部分は全局の為に何事か用を遂げずと云ふ事はありませぬ。蓋し全局は部分より成り部分は全局を作るが故に、相互に給養し相互に揖譲するを忘れない。而して其相和合するや部分と全局とに論なく何れの方面から見ても統一的全体の形式を保持し且つ其福祉を進めむとせないものはない。是を以て一体となりて活動し得るのである。主神の天地両界に於ける統合も亦之に類似したまふのである。凡て物の和合するは各其為す所の用が相似の形式を踏襲する時であるから、全社会のために用を為さないものは天界神界の外に放逐さるるのは当然である。そは他と相容れないからであります。用を遂ぐると云ふ事は総局の福祉を全うせむために他の順利を願ふの義であり、そして用を遂げずと云ふは、総局の福祉如何を顧みず、只自家の為の故に他の順利を願ふの義である。此はすべてを捨てて只自己のみを愛し、彼はすべてを捨てて只主神のみを愛すと云ふべきである。天界にあるもの悉く一体となりて活動するは之が為である。而して斯の如くなるは主神よりするのであります。諸天人や諸宣伝使自らの故ではない。何となれば、彼等天人や宣伝使は主神を以て唯一となし、万物の由りて来る大根源となし、主神の国土を保全するを以て総局の福祉と為すからであります。福祉といふは正義の意味である。現世に在つて、国家社会の福祉(正義)を喜ぶこと私利を喜ぶより甚しく、隣人の福祉を以て自己の福祉の如くに喜ぶものは、他生に於ては主神の国土を愛して之を求むるものである。そは天界に於ける主神の国土なるものは、此世に於ける国家と相対比すべきものだからである。自己の為でなく、只徳の故に徳を他人に施すものは隣人を愛することに成るのである。天界にては隣人と称するは徳である。すべて此の如きものは偉人であつて、即ち高天原の中に住するものである。三五教の宣伝使は皆、善の徳を身に備へ、且つ愛の善と信の真とを体現して智慧と証覚とを本具現成してゐる神人計りである。何れも主の神の全体または個体として舎身的大活動を不断に励みつつある神使のみで、実に神明の徳の広大無辺なるに驚かざるを得ない次第であります。願はくは大本の宣伝使たる人は神代に於ける三五教の宣伝使の神業に神習ひ、一人たりとも主の神の御意志を諒解し、国家社会の為に大々的活動を励み、天国へ永住すべき各自の運命を開拓し、且つ一切の人類をして天国の楽園に上らしむべく、善徳を積まれむことを希望する次第であります。太元神を主神と云つたり、救世神瑞の御魂の大神を主神と云つたりしてあるのは前に述べた通り太元神の一切の所属と神格そのものは一体なるが故であります。読者幸に諒せられむことを。 附けて言ふ 主の神なる神素盞嗚大神は神典古事記に載せられたる如く大海原を知食すべき御天職が在らせらるるは明白なる事実であります。主の神は天界をも地の世界をも治め統べ守り給ふと言へば、大変に驚かるる国学者も出現するでせう。然し乍ら天界と言つても天国と云つても矢張り山川草木其他一切の地上と同一の万類があり土地も儼然として存在して居るのであるから、天界地球両方面の守宰神と言つても余り錯誤ではありますまい。天界又は天国と云へば蒼空にある理想国、所謂主観的霊の国だと思つてゐる人には容易に承認されないでせう。天国とは決して冲虚の世界ではありませぬ。天人と雖も亦決して羽衣を着て空中を自由自在に飛翔するものとのみ思つてゐるのは大なる誤解であります。天国にも大海原即ち国土があるのです。只善と真との智慧と証覚を得たる個体的天人の住居する楽土なのであることを思考する時は、主の神の天地を統御按配し給ふといふも決して不可思議な議論ではありませぬ。故に大海原の主宰たる主の神は天界の国土たると地上の国土たるとを問はず守護し給ふは寧ろ当然であります。 大正十二年一月八日 王仁識 |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 02 黒士会 | 第二章黒士会〔一二三五〕 思はぬ不覚をとつた治国別は、竜公を労はりながら、 治国別『オイ竜公、どこも怪我はなかつたかなア。大変な不覚をとつて、深く落ち込んだものだ』 竜公『ハイ有難う厶います、別にどこも怪我は致して居りませぬが、余り深い企みに乗ぜられ、深い穴へ落されて、チツとばかり不快でたまりませぬ。アハヽヽヽ』 治国別『ウフヽヽヽ、貴様も余程三五教式になつたな。如何なる艱難に出会つても、其態度でなくちや駄目だ』 竜公『アナ有難や、穴尊しや、三五教の神様、ヤツパリ、バラモン教は三五教の反対で穴有教ですなア』 治国別『オイ何時迄もこんな所に蟄居して居つても約らぬぢやないか。モウいい加減に這ひ上る工夫をしたら何うだ』 竜公『さうですな、幸ひ沢山な槍を立ててゐやがるし、此通り、蜘蛛の巣の如く、吾々の身体にまきつくやうに網をはつてゐよるのだから、槍の先を皆ぬいて、先ぐり之をくくりつけ、槍の梯子でも拵へて上つてやりませうか。グヅグヅしてゐると、アークの奴沢山の子分をつれて来て、上から槍の雨でも降らされると困りますで』 治国別『ナアニ其時は、これ丈沢山の槍だから、下から上へ向けて槍の雨を降らしてやればいいのだ。マアゆつくりと風の当らぬ空井の底で休養でもして上ることにしようかい。時に穴の縁には誰かゐるぢやないか』 竜公『彼奴ア、タールといふ男です。随分馬鹿ですけれど、人間のいゝ奴ですから、どちらへでも傾く代物です。一つ彼奴を言向け和したらどうでせうかな』 治国別『お前の初陣に一つやつて見よ、治国別はここにて、竜公の言霊戦を観戦するから……』 竜公は、 竜公『ハイ有難う』 と云ひながら、空を打仰ぎ、 竜公『バラモン教の先鋒隊片彦将軍が秘書役、竜公、今更めてタールの奴に申付ける。此竜公は、汝の知る如く、河鹿峠に於て治国別の為に一敗地にまみれ、全軍遁走する折しも、腑甲斐なき味方の敗残見るに忍びず一計を案じ、松公と共に詐つて治国別に降参を装ひ、ここ迄導いて来たのだ。一時も早く此方を縄梯子なりと吊り下して救ひ出せよ。さすれば汝は、アークにまさる手柄者として、ランチ将軍に奏上してやらう。どうぢやタール、此方の神算鬼謀は恐れ入つたであらうがなア』 タール『ハイハイ、そんな事とは存じませず、誠に以て御無礼を致しました。サア何うぞお上り下さいませ。幸ひここに縄梯子が厶いますから、今つり下します。どうぞ貴方丈上つて下さい。そして治国別はどうなりましたか』 竜公『最早治国別にかまふ必要はなくなつた。縄梯子さへつり下したらいいのだ』 タール『それは真に気の毒な様、気の毒でない様なことで厶いますな。芋刺しにでもおなりなさつたのですか。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と云ひながら、縄梯子を暗い陥穽へ吊り下した。治国別は縄梯子を伝うてトントンと上りゆく。 タール『ヤア竜公さま、あゝ結構々々、怪我がなくて何よりでした。どうぞ私の御無礼は平に許して下さいませ』 治国別『タールとやら、拙者は竜公では厶らぬ。治国別だよ』 タール『ヤア、これはこれは真にはや、何ともかとも申上げられませぬ。マンマンマンお目出度う厶います。そして竜公は何うなりましたか』 治国別『ウン、竜公は都合好くなつた。マア大丈夫だよ』 タール『それはマア可哀相なことを致しました。沢山に血が出ましただらうな』 治国別『ウン、今に幽霊となつて、井戸の底から青い火をとぼし、ヒユーとやつて来るだらうよ』 此時早くも竜公は穴の口へ九分ばかり登つて来てゐた。そして両人の話を小耳にはさみ、俄に幽霊気分となつて、目をクルリとむき、口をポカンと開け、舌をたらし、腰をフニヤフニヤさせ、両手を力なげにグナリと前に突出し、 竜公『恨めしや』 と妙な声を絞り出した。タールは、 タール『キヤツ』 と其場に尻餅をつき、 タール『アヽヽヽヽ』 と口をあけて慄うてゐる。 治国別『アハヽヽヽ、オイ、タールさま、嘘だ嘘だ。竜公が悪戯をしてゐるのだ。オイ竜公、朝つぱらから幽霊も、根つからはやらないぞ』 竜公『オイ、タール、実の処は済まなかつたが、井戸の底から俺の言つた事は皆嘘だ。地獄の様な所へ落されたのだから、地獄相応の佯りを云つたのだよ。最早井戸の底から比ぶれば、天国にも比すべき、此平地へ上つて来たのだから、嘘佯りは云ふこた出来ない。サア是から、ランチ将軍の館へさして案内をしてくれ』 タール『ヤ、それで俺も一寸ばかり安心した。併しながら、そんな所へ行かないで、私も一緒に伴れて、宣伝使様に逃げて貰ふ訳には行きますまいか。なモシ治国別様とやら、決して悪いこた申しませぬ、今にアークが沢山の軍勢を引連れて、貴方を召捕りに来るに違ひありませぬ。サ早く引返して下さい。其代り私もお供さして貰ひますから』 治国別『ハヽヽヽヽ、敵を見て旗を捲き、矛を納めて退却するといふことはない、三五教は目的に向つては退却はない。只驀進あるのみだ』 かく話す所へ、馬に跨り、先頭に立つてやつて来たのはアークであつた。アークは数十人の騎士を引連れ、轡を並べてバラバラと治国別一行を取囲み、 アーク『三五教の治国別とやら、最早かうなつては叶ふまい。サ尋常に手をまはし、縛につけ。ランチ将軍の御前に引連れくれむ』 と大音声に呼ばはつた。 治国別は平然として、 治国別『イヤ、アークとやら、出迎へ大儀、治国別は汝が要求なくとも、堂々とランチ将軍に面会すべく進んで来たものだ。必ず心配致すな、逃げも隠れも致さぬ』 アーク『左様なことを申して、吾々に油断をさせ、隙を窺ひ、遁走致す所存であらう。其手は食はぬぞ。ヤア部下の者、治国別を始め、反逆者の竜公諸共召捕れ、縄をかけよ』 と下知をする。治国別は平然として、天の数歌を奏上するや、一同の騎士は身体強直し如何ともするに由なく、パタリパタリと馬上より椿の花が雨にあうて落ちるが如く、地上に顛倒し始めた。アークも馬上から真逆様に転落し、治国別の脚下に大の字になつて、ふん伸びて了つた。治国別は竜公に向ひ、天の数歌を奏上せしめた。竜公は稍心中に不安を感じながら、一生懸命になつて天の数歌を二回ばかり奏上した。不思議や一同の騎士はすこしの怪我もなく強直した身体は元に復し、手早く又馬に跨り、駒に鞭ち、一生懸命、疾風の如く陣屋をさして逃げ帰り行く。後に残るはアーク只一人、何うしたものか、身体の自由が利かない。 竜公『神様、有難う厶います。私の様な悪党が尊き数歌を奏上致しまして、即座に効験を現はし下さいましたのは、全く神様の御恵御稜威と存じます。決して竜公の力では厶いませぬ。どうぞ此上益々厚く私の身体を御使用下さいます様にお願ひ致します。就いては此アーク一人のみ、まだ言霊の神徳を頂かずに、此通り強直状態になつて居ります。どうぞ之も私の口を通してお救ひ下さいます様、御願ひ致します。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と一生懸命に合掌する。何程祈つても、数歌を奏上しても、アークの強直状態は旧に復らなかつた。 竜公『モシ治国別様、何うしたものでせうか、アーク一人は神様がお許し遊ばさぬのでせうかな』 治国別『ウン、此アークは治国別に危害を加へむと致したのだから、拙者が祈願致してやらねば、駄目だらう』 と云ひながら、暫く暗祈黙祷をつづけ、全身に神格の流入充溢せし時を窺ひ……許す……と一言を宣れば、不思議やアークの身体は旧に復した。アークは治国別の前に跪き、涙をたらしながら、重々の無礼を謝した。 治国別『アークとやら、大変なお骨折りで厶つたなア。併しながら治国別はお蔭に仍つて此通り、カスリ疵一つ負うて居らねば、汝に対して少しも恨むることはない。否寧ろ神々様の御警告だと思ひ感謝してゐる。神様は汝が手をとほし、此治国別に、油断の大敵たることをお示し下さつたのであらう。さすれば汝は吾に対して、唯一の導師だ。大に感謝する。サア、アーク殿、そなたもバラモン軍の中に於て、可なり相当の地位を持つてゐる人物らしい。さぞ陣中にも御用もあらう。早く帰つて治国別即刻ランチ将軍に面会の為、参上致すと伝へてくれ』 アーク『ハイ、何とも申上げ様が厶いませぬ。併しながら私はこれより仰せに従ひ、ランチ将軍の前に罷り出で、三五教の教理を申上げ、一時も早く貴方の前に降服致す様取計らひませう。然らば御免下さいませ』 といふより早く駒に跨り、一鞭あてて雲を霞と陣中指して帰り行く。 竜公『ハヽヽヽヽ、たうとうアークの大将、ヘコたれよつたな。併しマア偉相にランチ将軍を改心させるなんて、御託を云つて行きよつたが、彼奴も駄目だ。そばへゆくと、猫の前へ出た鼠のやうにピリピリふるうて、何もよう云はないのだからなア。ランチ将軍の目の動き方や顔の色ばかり考へて、ハートに浪を立たせる代物だから、到底成功は覚束ない。別れる時のお正月言葉だ。キツとランチ将軍の後について、治国別征伐なんて、洒落てやつて来るでせうよ。宣伝使様、決して油断はなりませぬで、あゝいふことはバラモン教一般の常套手段ですからなア』 治国別『ウン、さうかも知れないが、吾々は決して人を疑ふこた出来ない。何事も惟神に任しておけばいいのだ』 タール『オイ竜公さま、さう見くびつたものぢやないよ。バラモン教の中にもチツとは骨もあり、花も実もある人物も交ぜつてゐるからな。アークは此頃、バラモン教軍の中で、一種の決死隊ともいふべき団体を作つてるのだ』 竜公『有名無実の団体が幾らあつたつて、役に立つものかい。そんなことを云つて空威張りをするのだらう。コケ威した、曰く何々団、曰く何々会と、雨後の筍ほどにそこら中に奇々怪々な会が創立されるが、宣言は立派でも実行が出来るためしはないぢやないか。そしてアークの創立した会はどんな会だ、法螺の貝か、溝の貝か、どうでロクなものぢやなからう』 タール『馬鹿云ふな、吾々国士がよつて、国士会といふものを作り、最善のベストを尽してゐるのだ』 竜公『ハハア、まつくろけになつて死ぬ黒死病の会だな。ウンそれで分つた、ペストを尽すのだ。それよりもバラモン省へ掛合つて、一匹の鼠を十銭づつに買上げさせさへすりや、それの方が余程近道だよ』 タール『貴様にはテンデ話が出来ないワ。国士会と云つたら、国家を憂ふる志士の団体だ』 竜公『獅子か虎か狼か豹か鼠か知らぬが、どうでロクな奴の集まる団体ぢやなからう、アークが発頭人だと聞いちや、余り信用も出来ぬぢやないか。そして何か会の趣意書でも出来てゐるのか』 タール『先づ不平党の張本人アークさまが主唱者で、おれ達が賛助員だ。此趣意書を一寸拝読してみよ』 と得意気に懐から小さい印刷物を取出して見せた。竜公は手に取り、趣意書を読み下せば左の文章が書いてある。 趣意書 国事日に非なれども、天下一人の聴従すべき権威者なし、所謂慨世の士、口を開けば思想の変化を言ひ、思想に対するには思想を以てせざる可らざるを説く、其言や不可なしと雖も、漫然たる抽象論は此際寸効なし。況んや公党公人相率ゐて世を欺き、己を欺き、只自ら守るに急にして、心術の陋劣を暴露して憚らず、益々思想の変化を助長しつつあるに於ておや。吾々国民は寧ろ百人の論客よりも一人の志士の立つべきを思ふ。それ難に赴くは士の本領なり、大にしては天下国家の難、小にしては一地方一個人の難、吾党の士は苟くも辞せず、身を挺して之を救はむことを欲す。もし吾党の士一度立つて解決せざる案件あらば、そは士道の汚辱たらむのみ。何とならば吾国士会は名正しからざれば、断じて立たず、誓約十則に示すが如く、悉く士道に率由して行動すればなり、敢て天下に宣す。 年月日 国士会 十則 一、国士はバラモン教男子たることを誇りとす。 二、国士は難に赴くを以て本領とす、但し時処位によるべし。 三、国士は誓つて無名の戦ひを宣せず。但しランチ将軍の命なれば敢て辞せず。 四、国士は対者の為に計つて忠なるを期す。但三五教に対しては此限りにあらず。 五、国士は本来の敵を有せず、故に勝敗に超越す。(河鹿峠の言霊戦に於ける吾軍の行動は其好適例なり) 六、国士は一諾が一死に値するも悔いず、但し最愛の女性に限る。 七、国士は精神を主とし、形式を従とす。但しバラモン軍中に在りては、或は適用せざることあるべし。 八、国士は過去を追はず未来を信ず、但バラモン教の大棟梁大黒主の最後は必ずしも光明ならざることを。 九、国士は無意義なる一日を天に恥づ、但酒宴の時は仮令三日四日たりとも之を恥づることなし。 十、国士は一人の知己を有すれば足れり、但し異性なれば最もよしとなす。 竜公『なアんだ、立派なことを並べてゐるが但書がサツパリ駄目ぢやないか。これだからバラモン式は当にならないといふのだ。羊頭をかかげて狗肉を売るのだからなア』 タール『これが現代の処世法の最優秀なる手段だ。バラモン教の真髄をうがつたものだ、之でなくちや世の中が渡れないからな』 竜公『アハヽヽヽ、モシ先生、どうです、国士会も、随分奇抜なことを云ふぢやありませぬか』 治国別『ウン結構だ、詐らざるバラモンの告白だ。イヤもう感心致した』 竜公『私だつたら、こんな会へは入会しませぬな。エキスキユーズ・ミー………とやりますよ』 治国別『ハヽヽヽヽ、ドラ行かう。タールさまに案内して貰はうかなア。否国士会の賛助員さま、御先導を願ひます』 竜公『国士会員万歳、アハヽヽヽ』 かく笑ひ興じながら、治国別外二人は浮木の村の陣屋を指して、宣伝歌を歌ひながら、朝露をふんで勢よく進み行く。 (大正一二・一・八旧一一・一一・二二松村真澄録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 05 逆襲 | 第五章逆襲〔一二三八〕 (アーク)『見渡す限りの枯野原 万木の梢は羽衣を脱ぎ 肌をたち切るばかりの 寒風に戦慄してゐる。 独り松柏のみは蒼々たり ヒヨやツムギや百舌鳥雀などが 悲しげな声調を搾つて 浮世の無情を訴へてゐる。 吾目に収容さるるものは 生気の褪せた 細氷の波を敷きつめた 銀冷の世界のみだ。 万有一切はあらゆる活動を休止し 所謂 冬籠りの最中である かかる冷酷無残の光景を眺めて 貧しき人は何れも寒気と飢餓に泣く 反対的に富めるものは 雪見の宴を張り 嬋妍たる美姫を招き 青楼に酒盃をかたむけ 体主霊従的歓楽に耽る 社会は真に様々なものだ 冬日積雪のために 労働の機を得ず 生命の糧を求めて泣くもあれば 冷たき雪の景色をながめて 酒類にひたり 一宵千金を浪費濫用して 猶も惜しまぬものあり 顧みれば凡て社会の諸行は無常なり 因果応報の神理に暗き 現代人は科学的知識のみを漁りて 永遠の天国を知らず 又根底の国の何たるを解せず 酔生夢死無意義なる 生涯を送るあり 世間の無情冷酷を歎きて 厳寒の空に戦き慄ひつつ 面白からぬ冬日を送るもあり 人生の暗黒面は 椿の花の梢を去る如く ぽたりぽたりと地上に降る 悲喜交々の社会のおとづれ 人の身の四辺を包む怪しさ。 ○ アヽされどされど 愛善の火と信真の光りに 自ら眼醒めたる吾人は 光栄なり幸ひなり 天地の主なる神の 玉の如き神格の内流を 全身に漲らしつつ 智慧と証覚にひたりてより 世人の怖るる針刺す如き厳冬も 万物声を潜むる冷たき 死んだやうな夜半の空気も 吾人には暖かき春陽の思ひあり アヽ主の神よ主の神よ わが身魂を機関の一部分として いや永久に使はせ給へ 無限絶対無始無終の神格者 愛善の肉と 神真の血を以て 吾等の上に太陽の如く月の如く 降らせたまへ 惟神霊幸はへませ』 と歌つて郊外の散歩をして居るのはアークであつた。一人はタールのバラモン信者である。 タール『オイ大将、俄に悟つたらしいことを云ふぢやないか。俺は悪党だからアークと名をつけたのだ、それだからどこ迄も徹底的に悪をやると主張して居たが、たうとう治国別の宣伝使とぶつつかつて俄に屁古垂れたぢやないか』 アーク『俺があの宣伝使と出会つたお蔭で、今日の地位になつたのぢやないか、エーン、能く考へて見よ、ランチ将軍、片彦将軍の帷幕に参じ、重要会議に参列する身分となつたのは、矢張り治国別さまのお蔭ぢや、併し治国別さまはどうなつたのだらうかなア。よもやあの人格者がオメオメとランチ将軍の陥穽に陥る筈はあるまいしなア………何だか俺は気がかりでならないのだ。何処迄も俺達は表面ランチ将軍に服従し、治国別さまの身辺を気を付けなければならない義務があるのだ。それにつけてもビルの奴、癪に触るぢやないか、ランチの従卒ぢやと思うて、無茶苦茶に威張り散らすのだからなア』 タール『威張りたい奴は威張らして置くさ。朝から晩迄馬のお世話ばかりさされて居るのだから、一寸は威張らしてやつたて好いぢやないか。誰だつて何かの特権がなければ勤まらぬからなア、彼奴だつてさう馬鹿にしたものぢやないよ。俺だつて貴様だつて二三日前迄は随分惨めなものだつたからな。併し人間は一旦ドン底に落ちて来ねば駄目だ。「人生の破調は神を輸入す」とか、どこやらの哲学者が吐いたぢやないか。一旦失脚せなくては、真の神に接し神の神力を受ける事は出来ないものだ』 アーク『さうだなア。何でもエマーソンとか云ふ哲人の言葉だと聞いてゐるが、随分エラーソンに云つたものぢやなア。アハヽヽヽ』 タール『古今東西の偉人傑士と云ふ奴は、大抵孤児か貧児か、もしくは私生児或は極めて惨めな不仕合せ者であつた事を考へて見ると、人間と云ふものは、何うしても悲境の淵に沈んで、社会の辛酸を嘗めて来なくては到底駄目だよ。人間の父母の恩愛は、動もすれば舐犢の愛に流れ易きものだ。貴族の伜が鞭撻ない手に育てられ、人となつた所謂寵児は、往々にして放蕩遊惰の鈍物となるの事実は、世間には随分沢山あるものだからなア。世の諺にも、親はなくても子は育つと云ふぢやないか。人間は何うしても神様の保護を受けなくては、一力で存在する事は出来はしない、誠の神の愛に触れなくちや駄目だ。俺は神様の愛の呼吸と云ふ歌を作つて見たのだが、一つ謹んで拝聴する気はないか』 アーク『どうせ、貴様の事だから碌な歌は詠めはしよまい。併し後生のためだから、一つ辛抱して聞いてやらう』 タールは、エヘンと咳払しながら、 タール『吾輩の詩歌は左の通りだ。 天父の聖心にある 大愛の鼓動は 直に美しく 而も厳粛なる 自然の情調として 促々として吾身に迫り 動もすれば私欲野念のために 昂進し攪乱する 吾心身の脈搏を鎮静し かくて従容として 捨身無為の 本然的活動に入らねば止まない。 如何に安息を求めて 涼しき山奥や 静な海浜に遊ぶも 若し夫れ 心霊の内分に 神と倶に働き 天界を蔵して 天地と呼吸を斉ふべき 霊覚を欠かむか 安息も立命も 只一場の好夢にも比すべき 憐れなる欺幻に 過ぎないであらう』 アーク『成程ちぎる秋茄子、根つから面黒くないわい。併しながら、治国別さまに感化されて俄詩人となつたぢやないか。もう是だけ詩文が綴れるやうになりやタールも文壇の花として、持て囃されるかも知れないよ。アハヽヽヽ』 タール『併し俺は何うしたものか、バラモン軍に籍を置くのが、きつう嫌ひとなつたのだが、それだと云つて外にする事もなし、仕方が無いから先づ暫くは腰掛だと思うて、ランチ将軍や片彦将軍のお髯の塵を心ならずも払ふ事としようかなア。これが処世法の最も優秀なる道だらうよ』 アーク『さうだ、治国別さまが陣中にお出になつたのだから、何と云うても此処は辛抱せなくてはなるまい。ランチ、片彦両将軍も何れは帰順するだらうからなア。さうすれば吾々は三五教の宣伝使となつて天国を地上に移写する事になるのだ。これが人間として最も勝れたる行ひだ。否人間として最も嬉しき事業だ』 タール『時に何だか向ふの方から、甚い勢で鳴物入でアーク神がやつて来るではないか。ヨウヨウ棺が来るぞ、而も二挺だ』 アーク『如何にも章魚にも足八本だ。ヨウあいつはエキスぢやないか。又獲物を旨くチヨロまかして持ち込んだのだらう。彼奴は又、ランチ将軍の御覚え目出度うなつて威張り出しちや、大変だぞ』 エキスは意気揚々として、蠑螈別、お民を駕籠に乗せ、四五人の番卒と共に此方に向つて帰つて来るのであつた。エキスはアーク、タールの両人を見るより、さも得意気に、 エキス『ヤア其方はアーク、タールの御両所、お出迎へ大儀で厶る』 アーク、タールの両人はエキスに「お出迎へ大儀」と云はれ、殆ど目下扱ひをせられたやうな気分になつて業が沸いて耐らないけれど、態と素知らぬ顔をして何気なう、 アーク『やあエキス殿、御苦労で厶つた。嘸ランチ将軍が、お喜び遊ばす事だらう。さうして其駕籠の中の客人は一体何人で厶るかなア』 エキスはさも横柄に、鬼の首を竹篦で切り取つたやうな誇り顔で、 エキス『大切なるお客人、某の弁茶羅、アヽ否、器量によつてお迎へ申して来たのだ。御本人の誰人なるかは、ランチ、片彦両将軍にお目にかける迄発表する事は出来ない。さア御両所、先に立つて御案内めされ』 タール『随分威張つたものだなア。エヽ仕方がない』 アーク『エキスに随いて奥へ進む事にしようぢやないか。大分に最前から郊外散歩をやつたからなア』 エキスは道々歌ひ出した。 エキス『バラモン教の大教主大黒主の部下となり 産土山の高原に館を建てて世の中を 掻き乱し行く曲津神神素盞嗚の牙城をば 屠らむために進み往くランチ将軍、片彦の 其陣中に名も高きヒーロー豪傑このエキス 神変不思議の妙法を縦横無尽に発揮して 神素盞嗚の尊さへ攻めあぐみたるウラナイの 教の司とあれませる蠑螈別の教主をば 吾言霊に靡かせつ軍用金を献納させ 将軍様の片腕に勧めむためとやうやうに お供をなして帰りけり蠑螈別の勇将が もはや吾手に入るからは神変不思議の妖術を 使うて世人を苦しむる三五教の宣伝使 仮令幾万ありとても如何でか恐るる事やある これも全くバラモンの尊き神の引き合せ ランチ、片彦両将も嘸や満足なさるだらう 此陣中に俺のよな功名手柄を現はした 勇士が又とあるものかアーク、タールの両人よ これから俺は将軍の帷幕に参じ汝等を それ相当の職掌に使うてやらう楽しんで 御沙汰をまつがよからうぞお前も何時迄番卒の 小頭みたよな役をして居つた所で詰らない 世の諺に云ふ通り立ち寄るならば大木の 密葉の影ぞ親方と箸は太いがよいと云ふ 社会の真理を悟るなら今日から俺の御家来と なつて神妙に仕へよや今から注意を与へ置く あゝ惟神々々バラモン教の大御神 御霊幸はへましませよ』 アークは蠑螈別の乗つて居る棒端をグツと握り、 アーク『オイ、此駕籠、一寸待つた』 エキス『待つたとは何うぢや、一時も早く将軍のお目にかけねばならぬ大切なお客様だ、邪魔ひろぐと容赦は致さぬぞ』 アークは、 アーク『こりやエキス、其方は今何と申した。吾々両人は両将軍の片腕となつて帷幕に参列する重役だ。貴様の不在中に任命式が行はれたのだから、知らぬのも無理はないが、余りの暴言ぢやないか。此方に対し「出迎へ大儀」などと部下扱ひをなすとは以ての外の汝の振舞ひ、吾々は上役の職権をもつて其方を放逐致さうか』 エキス『ソヽそんな事ア俺は知らなかつたのだ。間違つて居れば許して貰はなくては仕方がない。併し最も大切なる客人をお連れ申して来たのだから、さう頭ごなしに呶鳴りつけられちや、このエキスも引合はぬぢやありませぬか』 アーク『知らなければ仕方がない、差許す、併しながら、今約束をして置くが、エキス、其方は、将軍様のお見出しに預かつて、吾々と同役になつても決して威張つてはならないぞ。なあエキス、こりやエキスの野郎、よいかエキス』 タール『やい、エキス、今アーク重役さまの言葉を能く腹に入れたか。やいエキス、エー聞いただらうなあエキス、何うだいエキス、返答は』 エキス『さう沢山さうにエキスエキスと云つて貰つちや、お客さまに対し外聞が悪いぢやありませぬか。一口仰有つたら分つて居るぢやありませぬか』 アーク『今は俺が上役だから、今の中に沢山さうに呼びつけにして置かぬと、重役になつたら、もう呼ぶ事が出来ないからなア。エキス、さうだらうエキス、きつと羽張つてはいけないぞ。こりやエキス』 タール『アハヽヽヽ、何か旨い液吸うて来たと見えるな。それでエキスエキスとアークさまが云ふのだらう』 アーク『旨い液を吸うて来よつたのだ。盗人の上前をはねて二千両、蠑螈別から五千両、都合七千両のエキス(液吸う)たから、これ位云うてもよいのぢや』 エキスは、 エキス『ウフヽヽヽヽ』 と私かに笑ふ。 (大正一二・一・八旧一一・一一・二二加藤明子録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 07 酔の八衢 | 第七章酔の八衢〔一二四〇〕 天に輝く日月も黒雲とざす時は 忽ち其光を没する如く智仁勇兼備の 三五教の宣伝使治国別も忽ち妖雲に霊眼を交錯されて 悪虐無道のランチ将軍が奸計に陥り 暗黒無明の地下の牢獄へ忽ち顛落し 気絶せしこそ是非なけれ。 肺臓の呼吸は漸く微弱となり、情動は全くとまると共に、心臓の鼓動休止し、治国別は竜公と共に、見なれぬ山野を彷徨することとなつた。行くともなしに、吾想念の向ふまま進んで行くと、一方は屹立せる山岳、一方は巨大なる岩石に挟まれた谷間の狭い所に迷ひ込んだ。ここは中有界の入口である。中有界は、善霊、悪霊の集合地点である。一名精霊界とも称へる。 竜公は四辺の不思議な光景に、治国別の袖をひき、 竜公『モシ先生、此処はどこでせうかな。ランチ将軍の奥座敷で酒を呑んで居つたと思へば、局面忽ち一変して、斯様な谷底、何時の間に来たのでせう』 治国別『どうも変だなア、幽かに記憶に残つてゐるが、何でも片彦の案内で、立派な座敷へ入つたと思へば、忽ち暗黒の穴へおち込んだやうな気がした。ヒヨツとしたら吾々は肉体を脱離して、吾精霊のみが迷つて来たのではあるまいかな』 竜公『何だかチツと空気が違ふ様ですな。併し斯様な所に居つても仕方がありませぬ。行ける所まで進みませうか』 治国別は少時双手を組み、幽かな記憶を辿りながら、二つ三つうなづいて、 治国別『ウンウンさうださうだ、ランチ、片彦将軍の計略にウマウマ乗ぜられ、生命をとられて了つたのだ。アヽ困つた事をしたものだな』 竜公『モシ先生、生命をとられた者が、かうして二人生きて居りますか、変な事を仰有いますなア』 治国別『人間界から言へば、所謂命をとられたのだ。併し乍ら人間は霊界に籍をおいてゐる。肉体はホンの精霊の養成所だ。霊界から言へば、死んだのではない、復活したのだ。サア之から吾々が生前に於て、現界にて尽して来た善悪正邪を検査する所があるに違ひない。そこで一つ検査を受けて天国へ昇るか地獄へおとされるかだ』 竜公『エヽそりや大変ですな、マ一度娑婆へ帰る工夫はありますまいかな』 治国別『何事も神素盞嗚の大神様の御心の儘だから、精霊界にふみ迷ふも、或は天国へ復活するも、現実界へ逆戻りするのも、吾々人間の左右し得べき所でない。最早かくなる上は、神様にお任せするより道はなからうよ』 竜公『私はあなたから、死後の世界があると云ふ事は聞いて居りましたが、斯うハツキリと死後の生涯を続けるとは思ひませなんだ。気体的の体を保ち、フワリフワリと中空をさまよふものだと考へて居りましたが、今となつては、吾々の触覚といひ、知覚といひ、想念といひ、情動といひ、愛の心といひ、生前よりも層一層的確になつたやうな心持が致します。実に不思議ぢやありませぬか。死後の世界はあると云ふ事は承はつて居りましたなれど、是程ハツキリした世界とは思ひませなんだ』 治国別『人間の肉体は所謂精霊の容物だ。精霊の中には天国へ昇つて天人となるのもあれば、地獄へおちて鬼となるのもある。天人になるべき霊を称して、肉体の方面から之を本守護神と云ひ、善良なる精霊を称して正守護神といひ、悪の精霊を称して副守護神と云ふのだ』 竜公『人間の体の中には、さう本正副と三色も人格が分つて居るのですか』 治国別『マアそんなものだ。吾々は天人たるべき素養を持つてゐるのだが、肉体のある中に天人になつて、高天原の団体に籍をおく者は極めて稀だ。今の人間は大抵皆地獄に籍をおいてゐる者ばかりだ、少しマシな者でも、漸くに精霊界に籍をおく位なものだよ。此精霊界に於て善悪正邪を審かれるのだから、最早過去の罪を償ふ術もない。あゝ之を思へば、人間は肉体のある中に、一つでも善い事をしておきたいものだなア』 かく話す所へどこともなく、一人の守衛が現はれて来た。 守衛は治国別に向ひ、 守衛『あなたは三五教の治国別様では厶いませぬか』 治国別『ハイ左様で厶います。エヽ一寸お尋ね致しますが、ここは天の八衢ではございませぬかな』 守衛『お察しの通り、ここは精霊界の八衢で厶います、サア是から関所へ案内を致しませう』 治国別『有難う厶います。オイ竜公、ヤハリ吾々は最早娑婆の人間ぢやないのだよ。覚悟せなくちや可けないよ』 竜公『仮令八衢へ来た所で、此通り意思想念共に健全なる以上は、決して死んだのぢやありませぬから、何とも思ひませぬワ』 守衛『竜公さまとやら、お気の毒ながら、あなたは八衢に於て少しく暇取るかも知れませぬ。そして治国別様とお別れにならなきやならないでせう』 竜公『エヽ何と仰有います、別れよと仰有つても私は治国別様の家来ですから、どこ迄も伴いて行きます。家来が主人の後へ従いて行かれぬと云ふ、何程霊界でもそんな道理はありますまい』 守衛『それは御尤もですが、併しながら貴方の善と信と智慧と証覚とが、治国別様と同程度になつて居れば、無論放さうと思つても放れるものぢやありませぬ。併しながら貴方の円相が余程治国別様に比べて見劣りが致しますから、私の考へでは、どうも御一緒は六かしいやうに感じられます。併しながら八衢の関所までお出でになつて、伊吹戸主の神様のお審きを受けねば、到底私では決定を与へる事は出来ませぬ。又決定を与へる丈の資格も権能もありませぬからなア』 治国『惟神霊幸倍坐世、三五教を守り給ふ国治立の大神、豊国主の大神、守り給へ幸はへ給へ』 竜公はしきりに、 竜公『惟神霊幸はへませ。一二三四五六七八九十百千万』 と数歌をうたふ。守衛は谷道に立止まり、 守衛『治国別様、此竜公さまをあなたにお任せ致しますから、どうぞ此処をズツと東へ取つてお出で下さいませ。少しくあの山をお廻りになると、稍平かな所が厶います。そこが天の八衢の関所で厶いますから、私は之から又次へ出て来る連中がありますから、それを案内して来ます。左様なら、之で失礼を……』 と言ひながら電光石火の如く、空中に一の字を画いて、光となつて西方指して飛んで行く。二人は崎嶇たる山道をドシドシと、三十丁ばかり登りつめた。見れば万公が首を傾け、口をポカンとあけ、憂鬱気分で此方を指して進んで来るのを、四五間ばかり手前で見つけた。竜公は、治国別の袖をひいて、 竜公『モシ先生、あこへ来るのは万公ぢやありませぬか。何だか心配らしい顔をして歩いて来るぢやありませぬか』 治国別『ウン確に万公だ、併しながら言葉をかけちやいかないよ。向ふがもの言ふまで黙つてゐるがいい。先方がもの言つても、こちらはもの言つちや可けないよ』 かく話す折しも、万公は行歩蹣跚として、二人の前に立ちふさがり不思議相な顔をして、二人を眺めてゐる。治国別は心の内にて、天の数歌を奏上してゐる。竜公はあわてて、治国別の戒めた事を打忘れ、 竜公『オイ万公ぢやないか、何だみつともない、其ザマは、シツカリせぬかい』 と背中をポンと叩きかけた拍子に、万公はプスツと煙の如くに消えて了つた。 竜公『アヽ万公かと思へば、何だ、化物だなア。ヤツパリ霊界は霊界だなア。万公に冥土の狐奴、化けてゐやがつたのだなア』 治国別『エヽ仕方のない男だなア、ありや万公に間違ひないのだ。肉体はまだ現界に居つて精霊のみが俺達の身の上を案じて、捜しに来てゐるのだ。肉体のある精霊に言葉をかけるものぢやない。肉体のある精霊は霊界にゐる者が言葉をかければ、すぐに消えるものだ。それだから俺が気をつけておいたのに、困つた男だな、これから伊吹戸主の神様の関所へ行くのだから、余程心得ないと可かないぞ』 竜公『ハイ、キツと心得ます。あなたがモシヤ天国へお出でになつたら、私をどこ迄も伴れて行つて下さりませうねエ』 治国別『どこへ俺が行つても従いて来るといふ真心があるのか、それなら俺は若も天国へ行く時には、八衢の神に願つて伴れてゆく。併しながら、俺も随分若い時にウラル教で悪事をやつて来た者だから、善悪のハカリにかけられたら、大抵は地獄行だ。地獄へ落ちてもついて来るかなア。万劫末代上れない悪臭紛々たる餓鬼道へおちても従いて来る考へか』 竜公『先生がメツタにそんな所へ落ちなさる気遣ひがありますものか。どこ迄もお供を致します』 治国別『地獄へでもついて来るなア』 竜公『ハイ、従いて行きます。其代りにモシモ私が地獄へ落ちた時には、先生もついて来てくれますだらうなア』 治国別『そりやキマつた事だ。お前を見すてて行く事が何うして出来よう。霊界も現界も凡て愛といふものが生命だ。愛を離れては天人だつて、精霊だつて、人間だつて存在は許されないのだ』 竜公『あゝそれを聞いて安心致しました。どうぞ、どこ迄も私を伴れて行つて下さい』 治国別『ヤア、あこに赤門が見える、どうやらアコが関所らしいぞ。サア急いで行かう』 治国別は先に立つて進んで行く。赤門の側へ近付いて見れば、二人の守衛が立つてゐる。一人は光明輝く優しい顔付の男とも女とも知れぬ者、一人は赤面の唐辛をかんだやうな顔した男、衡の前に儼然として控へてゐる。 治国別『ヤア皆さま、御苦労ですなア、ここで吾々の罪の軽重を査べて頂くのですかな』 優しき守衛は面色を和らげて、 優しき守衛『イヽヤ、あなたは査べるには及びませぬ、どうぞ奥へお通り下さいませ……一人のお方、一寸ここへ残つて下さい。査べますから……』 竜公『ヤア此奴ア大変だ。サ先生、断り云つて下さいな』 治国別『霊界の規則だから仕方がないワ。先づ地獄行か天国行か査べて貰ふがよからうぞ』 竜公『モシモシ、門番さま、現代の娑婆では何事も簡略を尊びますから、そんな看貫でかけるよな七面倒臭い事はおやめになつたら何うですか』 赤顔の守衛はグルリと目をむき、竜公を睨みつけながら、 赤顔の守衛『不届き者ツ、霊界の法則を蹂躙するかツ』 と呶鳴りつける。竜公はちぢみ上り、不承不承にカンカン[※「看貫秤(かんかんばかり)」(貫目を看る)のこと。台秤。]の上へ身を載せた。一方は地獄行、一方は天国行と金文字で記してある。 赤顔の守衛『地獄行の方が下つたら、気の毒ながら、之から苦しい暗い所へ落ちて貰はにやなりませぬ。又天国行の方が重かつたら、天国へ行つて貰ひませう。ここは一厘一毛も掛値のない、正直一方の裁判所だから、地獄へ仮令落ちても、決して無実の罪ぢやないから、満足だらう』 と云ひつつ、懐から帳面を出して、 赤顔の守衛『三五教の信者竜公竜公』 と、厚い緯に長い帳面を繰り広げてゐる。 赤顔の守衛『ハヽア、お前はアーメニヤの生れだな、そしてウラル教に這入つて居つたな。随分後家倒しや女殺をやつて来たとみえる。チヤンとここに記いてゐるぞ』 竜公『モシモシ善の方面を一つ査べて下さい』 赤顔の守衛『宜しい、ハヽア、善の方は丸がしてある』 竜公『ヤア有難い、満点ですかなア』 赤顔の守衛『なに、零点だ。零点以下廿七度といふ冷酷漢だと見えるわい。気の毒ながらマア地獄行かなア、併し未だお前は生死簿には死期が来てゐない。まだ五六十年は娑婆で活動すべき代物だ。娑婆へ帰つたならば、地獄へ落ちない様に、善を行ひ、神を信仰し、人の為に誠を尽すがよからうぞ。今此儘で肉体を離れようものなら、気の毒ながら地獄落だ』 竜公『エヽさうすると、マ一度娑婆へ帰れますかな』 赤顔の守衛『まだ心臓に微弱な鼓動が継続してゐる、そして肺の呼吸も微弱ながら存在してゐるから、キツト娑婆へ帰るだらう』 竜公『ヤア、それは有難い、併し宣伝使さまは何うですかな。一寸帳面を査べて下さいませぬか』 赤顔の守衛『宣伝使様は天国行の霊だから、此帳面には記してない。モシ白さま、あなた一寸査べて見て下さい』 白い顔の守衛は懐から帳面を取出し、 白顔の守衛『三五教三五教』 と云ひながら、見出しを読み中程をパツとめくつて、 白顔の守衛『ヤア此方もまだ、寿命がありますわい。現世に於てまだまだ数十年、活動して貰はなくちや、ハア、なりませぬよ。併しながら、伊吹戸主の神様の御意見を聞かなくちやシツカリしたこた言へませぬワ』 竜公『私の罪の測量は免除して下さいますだらうな』 赤顔の守衛『エヽ今すぐに地獄へやるべき精霊でもないから、査べた所で駄目だ。数十年の後に更めてハカる事にしませう』 竜公『ヤアそりや有難い、皆さま、エライお気をもませました』 赤顔の守衛『ハヽヽ、吾々は日々之が役目だから、別に気も揉ましないが、お前は随分気をもんだだらう』 竜公『モシ先生、今の白い守衛のお言葉をお聞になりましたか、あなたは今から天国行の資格がある相ですなア』 治国別『ヤア実に汗顔の至りだ。まだ寿命があるさうだから、モ一度現界へ往つて、大神様の為、世の中の為に、一働きをさして頂かうかなア』 斯く話す所へ、ヘベレケに酔うた一人の男、行歩蹣跚として八衢の赤門にドンと行当り、 男(権太)『ドヽドイツぢやい、バヽバカにすない、俺を誰だと考へてゐる?おれはヤケ酒の権と云つたら、誰知らぬ者のない哥兄さまだぞ、エヽーン、こんな所へ赤い門を立てやがつて、往来の妨げをするといふ事があるかい。叩きこはせ叩きこはせ』 赤顔の守衛『コリヤコリヤ、ヤケ酒の権太とやら、ここを何処ぢやと心得てゐる』 権太『ドコも、クソもあつたものけえ、ここは帝大の入口だ、赤門ぢやないか。俺が酒に酔うとると思うて余り馬鹿にするない、俺だつて足があるのだから、赤門位はくぐるのだからなア。永らく校番を勤めて居つたのだから、学士連中よりも赤門の勝手はよく知つてゐるのだい。何時の間に門番奴、代りやがつたのだ、エヽーン、何だ其面ア、真白けな面しやがつて、男だてら白粉をぬり、チツクをつけ、おれやそれが癪にさはつてたまらぬのだ。今の学士や青年に学生といふ奴ア、皆貴様のやうな代物ばかりだ。何でえ、そんなコハイシヤツ面しやがつて、睨んだつて、何が恐いか、江戸つ児の哥兄さまだぞ。鬼瓦みたやうな面しやがつて、門番が酒に酔つぱらつてそんな赤い顔するといふ事があるかい。今日から免職だ。サア、トツトと去ね……』 赤『コリヤコリヤ権太、ここは冥土の八衢だぞ。何と心得て居るか』 権太『ヤア、成程、道理でチツトそこらの様子が違ふと思うて居つたワ。どこぞ、ここらにコツプ酒でも売つてる所はないか、エヽー、チツト案内してくれたら何うだ』 赤顔の守衛『此奴ア、余り、酔うてゐるので手に合はぬ。コレ白さま、一寸伊吹戸主の大神様に、何う致しませうと云つて伺つて来て下さらぬか』 白はうなづきながら門内に姿を隠した。暫くすると、金冠を頂いた仏画でみる閻魔大王の如き厳しい容貌をした伊吹戸主の神、四辺を光明に照しながら、悠々と現はれ給うた。此光明に照らされて、竜公は目もくらむばかり、ヨロヨロと大地に倒れ、地上にかぶりついて慄うてゐる。治国別は莞爾として判神に向ひ、叮嚀に会釈してゐる。判神も亦治国別に向つて礼を返した。 赤『コリヤ権太、伊吹戸主様のお出ましだ。サア此処で其方の罪を査べるのだから、此衡にかかれ』 権太『こりや衡をようせよ、ハカリが悪いと地獄へ落ちるぞ。高い高い酒を売りやがつて、ハカリで誤魔化さうと思つても駄目だ。朝から晩まで汗水たらして働き、日の暮になつて、一日の疲れを休むべく大切の金を使つて、俺たち貧乏人は酒を買ひに行くのだ。それにハカリを悪うすると冥加が悪いぞ』 赤顔の守衛『チエツ、エヽまだ酔うてゐやがる。コリヤここは地獄の八丁目だぞ』 権太『地ゴク御尤もだ、八升でも九升でも、タダの酒なら何ぼでも持つて来いだ、メツタにあとへは引かぬのだからなア』 赤は劫をにやし、ピシヤツと横面を力に任せて擲りつけた。権太はビツクリして、ハツと気がつけば、光明輝く判神が儼然と吾前に立つてゐる。そして赤鬼が衡を持つて大きな目で睨みつけてゐる。 権太『モシ、ここは何といふ所で厶います』 赤顔の守衛『目が醒めたか、ここは八衢だ、今其方の娑婆に於ける行ひの善悪を査べて、之から地獄へやるか、天国へ救うてやるかといふ所だ。サア判神様の前だ、神妙にこの衡の上にのれ。そして正直に白状するのだぞ。其方の娑婆に於て尽した善悪は全部此処につけとめてあるから、正直に申上げよ』 権太『ハイ、申上げます、私は……エー……権太と申すのは仇名で厶いまして、……エー実は、酔どれの熊公と申しやす』 赤顔の守衛『成程、それに間違ひない、其方は余り酒に喰ひ酔うて、社会的勤めを致さないによつて、お寅といふ女房に逃げられた事があらうがな』 権太(熊公)『ハイ恐れ入りました。確に厶います』 赤顔の守衛『そして其後其方は焼糞になり、隣の屋敷迄抵当に入れて金を借り、皆呑んで了つただらう』 権太(熊公)『ハイ、夫れに相違は厶いませぬ』 赤顔の守衛『それから浮木の村で其方の女房だつたお寅が侠客をして居つた時、幾度も酒に酔うてグヅを巻きに行つたであらうがな』 権太(熊公)『ハイ、それも其通りで厶います』 赤顔の守衛『併し何時とても袋叩きに遇ひ、無念をこらへて辛抱致した、それ丈は感心だ。此忍耐力に仍つて、今迄の悪事は棒引だ』 権太(熊公)『ハイ有難う厶います』 赤顔の守衛『それから其方は小北山のウラナイ教の本山に行つて、お寅と蠑螈別を脅迫し、一千両の金をフンだくり、皆呑んで了つたであらうがな』 権太(熊公)『ハイ、それに相違は厶いませぬ』 赤顔の守衛『なぜさういふ悪い事を致すのか』 と声を尖らして言ふ。 権太(熊公)『余りムカツパラが立つてたまりませぬので、ウヽヽヽヽついグヅつてやる気になりました。どうせお寅婆アの事だから、一文生中も出す気遣はひない……が……ダダでもこねて、無念晴しをしようと思ひやして、一寸試みにゴロついてみた処、悪党婆アに似合はず意外にも気が折れて、一千両くれましたので、これ幸ひと懐にたくし込み、それから呑んで呑んで呑み続けました。まだここに五百両ばかり残つてゐます、どうぞ、……地獄の沙汰も金次第と言ひますさうですから、此金をあなたに上げますから、……地獄行丈はこらへて下さいませ……』 赤顔の守衛『馬鹿を申せ、至正至直、寸毫も虚偽を許さぬ此八衢に於て、賄賂を提供するとは以ての外だ。其方がお寅から奪ひとつた一千両の罪は実に重いけれど、其為にお寅婆アと魔我彦とに改心の動機を与へた功徳に仍つて、其方の功罪を比較し、第三天国へ遣はすべき所であつたが、此神聖なる八衢に於て賄賂を使はむと致した罪に仍つて、ヤツパリ地獄落だ。有難う思へ』 権太(熊公)『それなら、モウ此五百両は提供しませぬから、どうぞ天国へやつて下さい。頼みます』 赤顔の守衛『モシ伊吹戸主の神様、如何取計らひませうか』 伊吹戸主『此権太事、酔どれの熊はまだ五百両の酒代を残してゐるから、此金がなくなる迄娑婆へ帰してやつたがよからう。冥土へかやうなムサ苦しい金などを持込まれては、大変だから……』 赤顔の守衛『コリヤ権太、其方はまだここへ来るのは早い、此五百両の金がとこ、酒を呑んで了ふ迄、娑婆へ帰つたがよからう。長生がしたくば、此金を使はずに、酒を辛抱して居つたがよからうぞ』 権太(熊公)『ハイ有難うございます、併しながら何程死ぬのが厭だと云つても、現在五百両の金を持ちながら呑みたい酒を呑まずに居れませうか。それならコレからマ一度娑婆へ出てお酒を頂戴して参ります』 赤は、 赤顔の守衛『サア早く帰れ』 と云ひさま、背中をポンと叩いた拍子に、権太は煙となつて消えて了つた。権太の熊公はお寅から奪ひ取つた金で酒を呑み歩き、衣笠村の酒屋の門口でブツ倒れ、一時は人事不省になつてゐたが、漸く目がさめ、 権太(熊公)『あゝあ、怖い夢を見た。モウ酒はコリコリだ』 と言ひながら、懐から金を取り出し、人通の多い街道に出で、乞食らしい者の通る前に一円二円とまきちらし、施しをなし、遂には善良なる三五教の信者となり、善人の評判を取つて一生を送る事となつた。此熊公の物語は後に述ぶる事があるであらうと思ふ。あゝ惟神霊幸はへませ。 (大正一二・一・八旧一一・一一・二二松村真澄録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 08 中有 | 第八章中有〔一二四一〕 人間が此世にギヤツと生るるや、其意思の方面から見た時は即ち其吾の儘なる時は悪き事ばかりである。人間は何程立派に博愛だ、善道だ、忠だ、孝だと云つて居つても、詮じつめれば、只自己のみ都合の好い事ばかりを考へて容易に他の事を顧みないものである。斯の如く己のみ良からむ事を願ふ利己心の強い人間は他人の不幸を見て、結句心地よく思ふものが多い様である。他人の不幸が却て自分等の利益となる場合には殊更に福でも降つて来た様に思つて北叟笑をするものである。何故なれば、かかる利己的の人間は総じて他人の利福や名誉たると財力たるとを問はず、何とかして自分の所有になさむ事をのみ願ふものである。かかる不善なる意思を根本的に改めて善に遷らしめむが為に、誠の神様より人間に対し諸々の真理を会得すべき直日の霊の力を賦与されてゐるものである。此真理を判別する所の直日の霊の光によつて、其意思より起る所の一切不善の情動を覆滅し断絶せしめむとし給ふのである。人間が天賦の智性中の真、未だ意思中の善と相和合せざる時は所謂中程の状態にあるものだ、現世の人間は大抵此状態に居る者が多い。彼等は真理の何たるを知り、又知識の上や理性の上にて真理を思惟する事は出来るけれども、其実地行ふ所の真理に至つては、或は多く或は少なく又絶無なるものがある。或は悪を愛する心即ち虚偽の信仰よりして真理に背反せる動作をなすものがある。故に人間は高天原と根底の国との何れか一方に適従する所あらしめむが為め、霊肉脱離後即ち死後先づ中有界一名精霊界に導き入れられるものである。高天原に上るべきものには此中有界に於て善と真との和合が行はれ、又根底の国へ投げ入れらるべき精霊には此八衢に於て悪と虚偽との和合が行はれるものである。何故なれば高天原に於ても根底の国に於ても善悪不決定の心を有する事を許されないからである。即ち智性上に此を思うて意思の上に彼を志すが如き事は許されない。必ずや其志す所を諒知し其知る所を志願せなくてはならない事になつてゐるからである。治国別、竜公両人が今や精霊界に進み、天界地獄の中間状態にその身を置いて伊吹戸主神に種々の霊界の消息を承はつた其大略を此処に述べる事とする。 先づ地獄界の入口は如何なるものなりやを示すならば、一切の地獄界は此精霊界の方面に対しては硬く塞がつてゐるものである。只僅かに岩間の虚隙に似たる穴があり裂け口があり、或は大なる門戸があつて暗い道が僅かに通じ紛々たる臭気を帯びた風が吹いてゐるのみである。地獄の入口には守衛が厳しく立つてゐて、猥りに人間の出入するを許さないことになつてゐる。故に地獄界を探険せむとせば、伊吹戸主神の許しを受けなくてはならない。之も容易には許されない事になつてゐる。 一旦現界へ帰つて現界の人間に霊界の事を説き諭す宣伝使か、或は緊急の必要ある場合に限つて許さるるものである。瑞月が高熊山の聖場に於て地獄界を探険したのも矢張り八衢の神の許可を受けて行く事を得たのである。高天原へ上る道も亦四方が塞がり高天原の諸団体に通ずべき道は、容易に見当らないのである。僅かに一条の小さい道が通つてあつて守衛が之を守つてゐる。然しながら高天原へ上るべき資格のないものの目には到底見る事は出来ないものである。又中有界は山岳と岩石との間にある険しい谷に似た所が多い。此処彼処に折れ曲りの所が沢山にあり、又非常に高い処や低く窪んだ処もある。或は大川が流れ或は深い谷があり、広野があり種々雑多の景色が展開してゐる。そして高天原の諸団体に通ずる諸々の入口は、高天原に上るべき準備を終へたる天人の資格を持つてゐる者でなくては見る事は出来ない。故に中有界に迷うてゐる精霊や地獄行の精霊の目には到底発見する事は出来得ないのである。精霊界から天国の各団体に通ずべき入口は只一筋の細い道があるばかりである。此道をダンダンと上り行くに従つて道は分れて数条となり、追々分れて幾十条とも分らなく各団体にそれぞれの道が通じてゐるのである。又根底の国に通ふ所の入口は、之に入るべき精霊の為めに開かるるものであるから、其外の者は其入口を見る事は出来ない。入口の開くのを見れば薄暗うて恰も煤けた蜂の巣の様に見えて居る。さうして斜に下向しておひおひと深い暗い穴へ這入つて行く事になつてゐる。此暗い入口を探り探りて下つて行くと、先になつて又数個の入口が開いてゐる。此入口の穴から悪臭紛々として鼻をつき出て来る其不快さ、自然に鼻が曲り息塞がり眉毛が枯れる様な感じがして来るものである。故に善霊即ち正守護神は甚だしく之を忌み嫌ふが故に此悪臭を嗅ぐやいなや恐れて一目散に走り逃げ去るものである。然し乍ら地獄の団体に籍をおいてゐる悪霊即ち副守護神は、此暗黒にして悪臭紛々たるを此上なく悦び楽しむが故に、喜んで之を求め勇んで地獄の入口に飛び込むものである。世間の大方の人間が己の自性に属する悪を喜ぶ如く、死後霊界に至れば其悪に相応せる悪臭を嗅ぐ事を喜ぶものである。此点に於ては彼等悪霊の人間は貪婪飽くなき鷲や鷹、狼、虎、獅子、豚の類に比ぶべきものである。彼等の精霊は腐つた屍骸や堆糞等の嘔吐を催さむとする至臭至穢物を此上なく喜び、其臭気を尋ねて糞蠅の如くに集まつて来るものである。是等の人間の霊身は高天原の天人の気息や芳香に合ふ時は、内心の苦しみに堪へず悲鳴をあげて泣き倒れ苦しみ悶えるものである。実に大本開祖の神示にある身魂相応の神の規則とは実に至言と云ふべしである。凡て人間には二箇の門が開かれてある。さうして其一つは高天原に向つて開き、一つは根底の国に向つて開いてゐる。高天原に向つて開く門口は愛の善と信の真とを入れむがために開かれ、一つは所在悪業と虚偽とに居るものの為めに地獄の門が開かれてあるのだ。さうして高天原より流れ来る所の神様の光明は上方の隙間から僅かに数条の線光が下つて居るに過ぎない。人間がよく思惟し究理し言説するは此光明によるものである。善に居り又従つて真に居るものは自ら高天原の門戸は開かれてゐるものである。 人間の理性心に達する道は内外二つに分れて居る。最も高き道即ち内分の道は愛の善と信の真とが大神より直接に入り来る道である、さうして一つは低い道、即ち外部の道である。此道は根底の国より所在罪悪と虚偽とが忍び入るの道である。此内部外部の道の中間に位して居るのが所謂理性心である。以上二つの道は之に向うてゐる故に高天原より大神の光明入り来る限り人間は理性的なる事を得れども、此光明を拒みて入れなかつたならば其人間は自分が何程理性的なりと思ふとも其実性に於ては已に已に滅びて居るものである。人間の理性心と云ふものは、其成立の最初に当つて必ず精霊界に相応するものである。故に其上にある所のものは高天原に相応し、其下にあるものは必ず根底の国へ相応するものである。高天原へ上り得る準備を成せるものにあつては、其上方の事物がよく開けて居るけれども、下方の事物は全く閉塞して、罪悪や虚偽の内流を受けないものである。之に反し根底の国へ陥るべき準備をなせるものにあつては、低き道即ち下方の事物は開けて居るが内部の道即ち上方の事物、霊的方面は全く閉鎖せるが故に愛善と信真の内流を受ける事が出来ない。之を以て前者は只頭上即ち高天原を仰ぎ望み得れども、後者は只脚下即ち根底の国を望み見るより外に途はないのである。さうして頭上を仰ぎ望むは即ち大神を拝し霊光に触れ無限の歓喜に浴し得れども、脚下即ち下方を望むものは誠の神に背いて居る身魂である。 (大正一二・一・八旧一一・一一・二二北村隆光録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 09 愛と信 | 第九章愛と信〔一二四二〕 大本開祖の聖言には愛の善と信の真とを骨子として説かれてある事は神諭を拝読した人のよく知る所なれば、今更口述者が改めて述ぶる迄もないから、其聖言は略する事とする。 善とは即ち此世の造り主なる大神の御神格より流入し来る神善である。此神善は即ち愛其ものである。真とは同じく大神の御神格より流入し来る所の神真である。此神真は即ち信である。さうして其愛にも善があり悪がある。愛の善とは即ち霊主体従、神より出でたる愛であり、愛悪とは体主霊従と云つて自然界に於ける自愛又は世間愛を云ふのである。今口述者が述ぶる世間愛とは決して世の中の所謂博愛や慈善的救済を云ふのではない。己が種族を愛し、或は郷里を愛し、国土を愛する為に他を虐げ、或は亡ぼして自己団体の安全を守る偏狭的愛を指したのである。それから又信仰には真と偽とがある。真の信仰とは心の底から神を理解し、神を愛し、神を信じ、且つ死後の生涯を固く信じて神の御子たる本分を尽し、何事も神第一とする所の信仰である。又偽りの信仰とは所謂偽善者共の其善行を飾る武器として内心に悪を包蔵しながら、表面宗教を信じ神を礼拝し、或は宮寺などに寄附金をなし、其金額を石又は立札に記さしめて、自分の器量を誇る所の信仰である。或は商業上の便利のために、或はわが処世上の都合のために表面信仰を装ふ横着者の所為を称して偽りの信仰と云ふのである。要するに神仏を松魚節として自愛の道を遂行せむとする悪魔の所為を云ふのである。斯くの如き信仰は神に罪を重ね自ら地獄の門扉を開く醜行である。真の神は愛善と信真の中にこそましませ自愛や偽信の中にまします筈はない、斯る自愛や偽信の中に潜入する神は所謂八岐大蛇、悪狐悪鬼餓鬼畜生の部類である。高天原の天国及び霊国にあつては人の言葉皆其心より出づるものであるから、其云ふ所は思ふ所であり、思ふ処は即ち云ふ所である。心の中に三を念じて口に一つを云ふ事は出来ない。是が高天原の規則である、今天国と云つたのは日の国の事であり、霊国と云つたのは月の国の事である。 真の神は月の国に於ては瑞の御霊の大神と現はれ給ひ、日の国に於ては厳の御霊の大神と現はれ給ふ。さうして厳の御霊の大神のみを認めて瑞の御霊の大神を否むが如き信条の上に安心立命を得むとするものは、残らず高天原の圏外に放り出されるものである。斯くの如き人間は高天原より嘗て何等の内流なき故に次第に思索力を失ひ、何事につけても正当なる思念を有し得ざるに立ち至り、遂には精神衰弱して唖の如くなり、或は其云ふ所は痴呆の如くになつて歩々進まず、其手は垂れて頻りに慄ひ戦き、四肢関節は全く力を失ひ、餓鬼幽霊の如くなつて仕舞ふものである。又瑞の御霊の神格を無視し、其人格のみを認むるものも同様である。天地の統御神たる日の国にまします厳の御霊に属する一切の事物は残らず瑞の御霊の大神の支配権に属して居るのである。故に瑞の御霊の大神は大国常立大神を初め日の大神、月の大神其外一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまふのである。此大神は天上を統御したまふと共に、中有界、現界、地獄をも統御したまふは当然の理である事を思はねばならぬ。さうして厳の御霊の大神は万物の父であり、瑞の御霊の大神は万物の母である。総て高天原は此神々の神格によつて形成せられて居るものである。故に瑞の御霊の聖言にも『我を信ずるものは無窮の生命を得、信ぜざるものは其生命を見ず』と示されて居る。又『我は復活なり、生命なり、愛なり、信なり、道なり』と示されてある。然るに不信仰の輩は高天原に於ける幸福とは、只自己の幸福と威力にありとのみ思ふものである。瑞の御霊の大神は、総ての神々の御神格を一身に集注したまふが故に、其の神より起り来る所の御神格によつて高天原の全体は成就し、又個々の分体が成就して居るのである。人間の霊体、肉体も此神の神格によつて成就して居るのは無論のことである。さうして瑞の御霊の大神より起り来る所の神格とは即ち愛の善と信の真とである。高天原に住める天人は、総て此神の善と真とを完全に摂受して生命を永遠に保存して居るのである。さうして高天原はこの神々によつて完全に円満に構成せらるるのである。 現界の人間自身の志す所、為す所の善なるもの又思ふ所、信ずる所の真なるものは、神の御目より御覧したまふ時は、其善も決して善でなく、其真も決して真でない、瑞の御霊の大神の御神格によりてのみ、善たり真たるを得るものである。人間自身より生ずる善又は真は、御神格より来る所の活力を欠いで居るからである。御神格の内流を見得し、感得し、摂受して茲に立派なる高天原の天人となる事を得るのである。さうして人間には一霊四魂と云ふものがある。一霊とは即ち真霊であり、神直日、大直日と称するのである。さうして神直日とは神様特有の直霊であり、大直日とは人間が神格の流入を摂受したる直霊を云ふのである。さうして四魂とは和魂、幸魂、奇魂、荒魂を云ふのである。この四魂は人間は云ふに及ばず、高天原にも現実の地球の上にも夫々の守護神として儼存しあるのである。そして荒魂は勇を司り、和魂は親を司り、奇魂は智を司り、幸魂は愛を司る。さうして信の真は四魂の本体となり愛の善は四魂の用となつて居る。さうして直霊は瑞の御霊の大神の御神格の御内流即ち直流入された神力である。故に瑞の御霊の御神格は総ての生命の原頭とならせたまふものである。此大神より人間に起来するものは神善と神真である。故に吾々人間の運命は此神より来る神善と神真を、如何に摂受するかによつて定まるものである。そこで信仰と生命とにあつて是を受くるものは其中に高天原を顕現し、又之を否むものは已むを得ずして地獄界を現出するのである。神善を悪となし、神真を偽りとなし、生を死となすものは又地獄を現出しなくては已まない。現代の学者は何れも自然界の法則や統計的の頭脳をもつて不可測、不可説なる霊界の事象をおほけなくも測量せむとなし、瑞の御霊の神示を否むものは暗愚迷妄の徒にして所謂盲目学者と云ふべき厄介ものである。到底霊界の事は現実界の規則をもつて窺知し得べからざる事を悟らないためである。神は斯の如き人間を見て癲狂者となし、或は痴呆となして救済の道なきを悲しみ給ふものである。斯かる人間は総て其精霊を地獄の団体に所属せしめて居るのである。斯かる盲学者は神の内流を受けて伝達したる霊界物語のある個所を摘発して吾知識の足らざるを顧みず、種々雑多と批評を加へ、甚だしきは不徹底なる自己の考察力をもつて之を葬り去らむとする罪悪者である。高天原の団体に其籍を置き、現代に於て既に天人の列に列したる人間の精霊は吾人の生命及び一切の生命は瑞の御霊の御神格より起来せる道理を証覚し、世にある一切のものは善と真とに相関する事を知覚して居るものである、斯かる人格者の精霊を称して地上の天人と云ふのである。 人間の意思的生涯は愛の生涯であつて善と相関し、知性的生涯は信仰の生涯にして真と相関するものである、さうして一切の善と真とは皆高天原より来るものであり、生命一切の事又高天原より来る事を悟り得るのが天人である。故に霊界の天人も、地上の天人も右の道理を堅く信ずるが故に、其善行に対して他人の感謝を受ける事を悦ばないものである、もし人あつて是等の諸善行を彼の天人等の所有に帰せむとする時は天人は大に怒つて引退するものである。人の知識や人の善行は皆其人自してしかるものと信ずる如きは悪霊の考へにして到底天人共の解し得ざる所である。故に自己のためになす所の善は決して善ではない、何となれば夫れは自己の所為なるが故である。されど自己のためにせず善のためになせる善は所謂神格の内流より来る所の善である。高天原は斯の如き善即ち神格によつて成立して居るものである。 人間在世の時に於て自らなせる善、自ら信ずる真をもつて、実に自らの胸中より来るものとなし、又は当然自分の所属と信じて居るものはどうしても高天原に上る事は出来ない、彼の善行の功徳を求めたり、又自ら義とするものは斯の如き信仰を有して居るものである。高天原及び地上の天人は斯の如きものをもつて痴呆となし、俗人となして、大に忌避的態度を取るものである。斯の如き人間は不断に自分にのみ求めて、大神の神格を観ないが故に、真理に暗き痴呆者と云ふのである。又彼等は元より大神の所属となすべきものを己に奪はむとするが故に神より天の賊と称へらるるのである。所謂人間は大神の御神格を天人が摂受するとの信仰に逆らうて居るものである。瑞の御霊の大神は高天原の天人と共に自家存在の中に住みたまふ、故に大神は高天原に於ける一切中の一切である事は云ふ迄もない事である。 (大正一二・一・八旧一一・一一・二二加藤明子録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 10 震士震商 | 第一〇章震士震商〔一二四三〕 治国別、竜公両人は伊吹戸主の神の関所に於て優待され茶果を饗応せられ、少時休息してゐると、其前をスタスタと勢よく通りかかつたデツプリ肥えた六十男がある。 赤顔の守衛はあわてて、其男を引きとめ、 赤顔の守衛『コラ待てツ』 と一喝した。男は後振返り、不機嫌な顔をして、 男(欲野深蔵)『何だ天下の大道を往来するのに、待てと云つて妨げる不道理な事があるか、エー、俺をどなたと心得て居る。傷死位窘死等死爵鬼族婬偽員欲野深蔵といふ紳士だ。邪魔を致すと、交番へ引渡さうか』 赤顔の守衛『オイ、其方はここをどこと心得て居る』 欲野深蔵『言はいでもきまつた事だ。野蛮未開の北海道ぢやないか』 赤顔の守衛『其方は何うして此処へ来たのだ』 欲野深蔵『空中視察の為、飛行機に乗つて居つた所、プロペラの加減が悪くて、風波でこんな方へやつて来たのだ。何うだ俺を本国へ案内してくれないか、さうすりや腐つた酒の一杯も呑ましてやらぬこともないワイ』 赤顔の守衛『コリヤコリヤ欲野深蔵、ここは冥途だぞ、天の八衢を知らぬか』 欲野深蔵『鳴動も爆発もあつたものかい、そんなメードウな事を云ふない、俺こそはフサの国に於て遠近に名を知られた紳士だ……否紳士兼紳商だ。男のボーイに酒をつがす時には男酌閣下で、自分一人ついで呑む時には私酌閣下だ。エヽーン、そんなおどし文句を並べて、鳴動だの、破裂だのと云はずに、俺の案内でもしたらどうだ、貴様もこんな所で二銭銅貨の様な顔をして、しやちこ張つて居つても、気が利かぬぢやないか。銅銭ロクな奴ぢやあろまいが、俺も大度量をオツ放り出して、椀給で門番にでも救うてやらう』 赤顔の守衛『コリヤ深蔵、貴様はチツとばかり酒に喰ひ酔うてゐるな、今紳士紳商だと吐したが欲にかけたら親子の間でも公事を致したり、又人の悪口を針小棒大に吹聴致し、自己の名利栄達を計り、身上を拵へた真極道だらう、チヤンとここな帳面についてゐるのだ、何程娑婆で羽振がよくても霊界へ来ては最早駄目だ。サ、ここの衡にかかれ、貴様の罪を測量してやらう』 欲野深蔵『さうすると、此処はヤツパリ冥途でげすかなア』 赤顔の守衛『気がついたか、貴様は積悪の酬に仍りて、地震の為に震死した震死代物だらう』 欲野深蔵『成程、さう承はれば朧げに記憶に浮かむで来ますワイ。飛行機に乗つたと思つたのは……さうすると魂が宙に飛んだのかな』 赤面の守衛は帳面をくりながら、 赤顔の守衛『其方は欲野深蔵と云つたな、幼名は渋柿泥右衛門と申さうがな』 欲野深蔵『ハイ、ヨク、深い所まで御存じで厶いますなア、それに間違ひは厶いませぬ』 赤顔の守衛『其方は娑婆に於て、殺人鉄道嵐脈会社の社長兼取締役を致して居つたであらう』 欲野深蔵『ハイ其通りで厶います』 赤顔の守衛『優先株だとか、幽霊株だとか申して、沢山な蕪や大根を、金も出さずに吾物に致しただらう』 欲野深蔵『ハイそんな事もあつたでせう、併しそれを致さねば現界に於ては、鬼族院偽員になる事も出来ず、紳士紳商といはれる事も出来ませぬから、娑婆の規則に依つて止むを得ず優勝劣敗的行動を致しました、コリヤ決して私の罪ではありませぬ、社会の罪で厶います、何分社会の組織制度が、さうせなくちやならない様になつてゐるのですからなア』 赤顔の守衛『馬鹿申せ、そんな法律が何時発布されたか』 欲野深蔵『表面から見れば、左様な事はありませぬが、其内容及精神から考へれば、法文の裏をくぐるべく仕組まれてあるものですから、之をうまく切抜ける者が、娑婆の有力者と云ふ者です、総理大臣や或は小爵や柄杓や疳癪などの高位に昇らうと思へば、真面目臭く、法文などを守つて居つちや、娑婆では犬に小便をかけられ猫にふみつぶされて了ひますワ。郷に入つては郷に従へですから、娑婆ではこれでも立派な公民、紳士中でも錚々たる人物で厶います、ここへ来れば、凡ての行方が違ふでせうが、娑婆は娑婆の法律、霊界は霊界の法律があるでせう、まだ霊界へ来てから善もやつた事がない代りに、悪をやる暇もありませぬ、娑婆の事迄、死んだ子の年をくる様に、こんな所でゴテゴテ云はれちや、やり切れませぬからなア。エヽ、何だか気がせく、斯様な所でヒマ取つては、第一タイムの損害だ、娑婆で金貸しをして居つた時にや、寝とつても起きとつても、時計の針がケチケチと鳴る内に、金の利息が、十円札で一枚づつ、輪転機で新聞を印刷する様に、ポイポイと生れて来たものだが、最早ここへ来ては無一物だ、之から一つ冥途を開拓して、娑婆に居つた時よりもモ一つ勉強家となり、大地主となつて、冥途の一生を送りたい。どうぞ邪魔をして下さるな』 と云ひながら、大股にふん張つて、関所を突破せむとする。 此騒ぎに伊吹戸主の神は関所の窓をあけて、一寸覗かせ給うた。欲野深蔵は判神の霊光に打たれて、アツと其場に悶絶し、蟹の様な泡を吹いて苦み出した。忽ち館の一方より数人の番卒現はれ来り、欲野深蔵の体を荷車に乗せ、ガラガラガラガラと厭らしき音をさせながら、何処ともなく運び去つた。之は地獄道の大門口内へ放り込みに行つたのである。深蔵は暗き門内へ放り込まれ、ハツと気がつき、ブツブツ小言を小声で囁きながら、トボトボと欲界地獄を指して進み行くのであつた。 抑も此八衢の関所は天国へ上り行く人間と地獄へ落ちる人間とを査べる二つの役人があつて、天国へ行くべき人間に対しては、色の白き優しき守衛が之を査べ、地獄へ行くべき人間に対しては形相凄じい赤い顔した守衛が之を査べる事になつてゐる。 竜公は此光景を見て、何とも云へぬ怖れを抱き治国別の袂を固く握り、不安の顔付にて少しばかり慄へながら、息をこらして数多の精霊の取査べらるるのを冷々しながら眺めて居る。暫くすると錫杖をガチヤンガチヤンと言はせながらやつて来たのは、バラモン教の宣伝使であつた。宣伝使が此赤門をくぐらうとするや白、赤二人の守衛は門口に立塞がり、 二人の守衛『暫らくお待ちなさい、取調ぶる事がある』 と呼びかけた。宣伝使は後振返り怪訝な顔をして、 宣伝使(ハリス)『拙者は大自在天大国彦命の御仁慈と御神徳を天下に紹介致すバラモン教の宣伝使で厶る。拙者をお呼止めになつたのは何用で厶るかな』 赤『ここは霊界の八衢だ。其方が生前に於ける善悪の行為を査べた上でなくては、此門を通行させることはなりませぬ。ここに御待ちなされ』 宣伝使(ハリス)『ハテ心得ぬ、吾々は大黒主の命を奉じ、月の国を巡回致し、デカタン高原に向ふハリスと申す者、決して吾々は死んだ覚えは厶らぬ。いい加減に戯談を云つておきなさるがよからう。大黒主の御命令、片時も猶予してゐる訳には参らぬ』 と又もや行かむとする。赤は目を怒らし、大喝一声、 赤顔の守衛『偽宣伝使、暫く待てツ』 と呶鳴りつけた。ハリスは此声にハツと気が付き、あたりをキヨロキヨロ見廻しながら、 ハリス『ヤアどうやらこれは霊界の様で厶る、いつの間に斯様な所へ来たのかなア』 赤顔の守衛『其方は世界の人民に神の福音を宣べ伝へ天国へ案内すると申しながら、其実際に於て霊界の存在を信ぜず、神を認めず、半信半疑の状態に在つて、数多の人間を中有界又は地獄へ幾人落したか知れない偽善者だ。今ここで浄玻璃の鏡にかけて、其方が霊肉共に犯したる罪悪を査べてやらう』 ハリス『イヤもう恐れ入りました。仰せの通り社会の人民に対し、勧善懲悪の道を説き又は天国地獄の存在を朝から晩迄説き諭して参りましたが、実際に於て左様な所があるものか、人間は此肉体を去らば、後は煙の如く消え失せるものだ、コーランに示されたる天国地獄の状態は、要するに、社会の人心を調節する方便に過ぎないものだと信じて居りました。それ故何うしてもハツキリとした事は申されず、自分も半信半疑ながら天国地獄の消息を説諭して来たので厶います。今となつて考へてみれば、死後の世界が斯くも儼然として存在するとは、実に驚愕の至りで厶います』 赤顔の守衛『其方は宣伝使のレツテルをつけて世人を迷はした罪は大なりと雖も、又一方に於て朧げながら、神の存在を無信仰者に伝へた徳に依つて、地獄行丈は許して遣はす、少時此中有界にあつて心を研き神の善と真は何如なるものなるかを了解し得る迄、修業を致したがよからう。ここ三十日の間、中有界に止まることを許してやるから、其間に智慧と証覚を得、愛の善と信の真を了得し得るならば、霊相応の天国へ昇り得るであらう。此期限内に万々一改過遷善の実をあげ得ざるに於ては、気の毒ながら地獄へ落さねばならない、サア早く東を指して進んだがよからう』 ハリス『ハイ、特別の御憐愍を以て地獄落の猶予期間をお与へ下さいまして有難う厶います。左様なればこれから中有界を遍歴し、力一杯善の為に善を行ひ、迷ひ来る精霊に対し、十分の努力を以て、私の悟り得たる所を伝へるで厶いませう』 赤顔の守衛『コリヤコリヤ、ハリス、其方が覚り得たと思つたら大変な間違であるぞ、皆神さまの御神格の内流に依つて、知覚し、意識し、証覚を得るものだ。決して汝一力のものと思つたら、忽ち天の賊となつて地獄へ落ちねばならないぞ、ええか、分つたか』 ハリス『ハイ、分りまして厶います、然らば之より東を指して修業に参ります』 赤顔の守衛『期限内に必ずここへ帰つて来るのだぞ、其時改めて汝の改過遷善の度合を査べ、汝が所住を決定するであらう』 ハリス『どうも御手数をかけまして、真にすみませぬ、左様なれば御免下さいませ』 と云ひながら、始めの勢どこへやら、悄然として次第々々に其影はうすれつつ、靄の中に消えて了つた。 竜公は治国別の袖をひき、小声になつて、 竜公『モシ先生、宣伝使も霊界へ来ては、カラキーシ駄目ですなア、現界では丸で救の神様の様に言はれて居つても、茲へ来ると本当に見る影もないぢやありませぬか』 治国別『ウン、さうぢや、俺達もまだ天国へは行けず、中有界に迷うて居るのだからなア、それだから吾々は八衢人足と、信者以外の連中から云はれても仕方がないのだ』 竜公『何うしたら天国へ行けるでせうかな』 治国別『さうだ、心のドン底より、神さまの神格を理解し、神の真愛を会得し、愛の為に愛を行ひ、善の為に善を行ひ、真の為に真を行ふ真人間とならなくちや到底駄目だ。俺達も少しばかり言霊が利くやうになつて、自分が修行した結果神力が備はつたと思うて居つたが、大変な間違ひだつた、何れも皆瑞の御霊神素盞嗚尊様の御神格が吾精霊を充たし、吾肉体をお使ひになつて居つたのだつた。之を思へば人間はチツとも我を出すことは出来ない、何事も自分の智慧だ力だ器量だと思ふのは、所謂大神の御神徳を横領致す天の賊だ。斯様な考へで居つたならば、到底何時迄も中有界に迷ふか、遂には地獄道へ落ちねばならぬ、有難や尊や、神様の御恵に依つて、ハツキリと霊界の様子を見せて頂き、実に感謝の至りである。之から吾々は、今迄の心を入れ替へて、何事も神様に御任せするのだなア、自分の力だと思へば、そこに慢心の雲が湧いて来る。謹んだ上にも謹むべきは心の持方である。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と合掌し感涙に咽ぶのであつた。竜公も亦無言のまま手を合せ、感謝の涙にくれてゐる。伊吹戸主神は二人に会釈し、スーツと座を立つて、館の奥深く入らせ給うた。二人は後を眺むれば、伊吹戸主神の姿は丸き玉の如く光り輝き、其神姿は判然と見えず、月の如き光が七つ八つ或は九つ円球の周囲を取巻き、次第々々に奥の間に隠れ給ふのであつた。 凡て智慧と証覚のすぐれたる神人を、それより劣りし証覚者が拝する時は、光の如く見えて、目も眩くなるものである。神の神格は神善と神真であり、それより発する智慧証覚は即ち光なるが故である。二人は愕然としてものをも言はず、再び八衢の関所に目を放ちここに集まり来る精霊の様子を瞬きもせず窺つてゐた。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三松村真澄録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 11 手苦駄女 | 第一一章手苦駄女〔一二四四〕 人間の肉体は所謂精霊の容器である。そして天人の養成所ともなり、或は邪鬼、悪鬼共の巣窟となるものである。斯の如く同じ人間にして種々の変化を来すのは、人間が主とする所の愛の情動如何に依つて、或は天人となり、或は精霊界に迷ひ、或は地獄の妖怪的人物となるのである。さうして、人間が現世に住んでゐる間は、すべての思索は自然的なるが故に、人間の本体たる精霊として、其精霊の団体中に加はることはない、併しながら其想念が迥然として肉体を離脱する時は、其間精霊の中にあるを以て或は各自所属の団体中に現はるることがある。此時或精霊が彼を見る者は容易に之を他の諸々の精霊と分別することが出来るのである。何とならば肉体を持つてゐる精霊は、前に述べた万公の精霊の如く、思ひに沈みつつ、黙然として前後左右に徘徊し、他を省みざること、恰も盲目者の如くに見ゆるからである。若しも精霊が之とものを言はむとすれば、彼の精霊は忽然として煙の如く消失するものである。人間は如何にして肉体を脱離し、精霊界に入るかと云ふに、此時の人間は睡眠にも居らず、覚醒にもあらざる一種異様の情態に居るものであつて、此情態に在る時は、其人間は、只自分は充分に覚醒して居るものとのみ思うて居るものである。而して此際に於ける諸々の感覚は醒々として、恰も肉体の最も覚醒せる時に少しも変りはないのである。五官の感覚も、四肢五体の触覚も特に精妙となることは肉体覚醒時の諸感覚や触覚の到底及ばざる所である。此情態にあつて、天人及び精霊を見る時は、其精気凛々として活躍するを認むべく、又彼等の言語をも明瞭に聞く事を得らるるのである。尚も不可思議とすべきは、彼等天人及び精霊に親しく接触し得ることである。此故は人間肉体に属するもの、少しも此間に混入し来らないからである。此情態を呼んで霊界にては肉体離脱の時と云ひ、現界より見ては之を死と称するのである。此時人間は其肉体の中に自分の居る事を覚えず、又其肉体の外に出て居ることをも覚えないものである。人間は其内分即ち霊的生涯に於て精霊なりといふ理由は、其想念及び意思に所属せる事物の上から見てしか云ふのである。何とならば此間の事物は人の内分にして即ち霊主体従の法則に依つて活動するから、人をして人たらしむる所以である。人は其内分以外に出づることを得ないものであるから、精霊即ち人間である。人の肉体は人間の家又は容器と云つても可いものである。人の肉体にして即ち精霊の活動機関にして、自己の本体たる精霊が有する所の諸々の想念と諸多の情動に相応じて、其自然界に於ける諸官能を全うし得ざるに立到つた時は、肉体上より見て之を死と呼ぶのである。精霊と呼吸及心臓の鼓動との間に内的交通なるものがある。そは精霊の想念とは呼吸と相通じ、其愛より来る情動は心臓と通ずる故である。夫だから肺臓心臓の活動が全く止む時こそ、霊と肉とが忽ち分離する時である。肺臓の呼吸と心臓の鼓動とは、人間の本体たる精霊其ものを繋ぐ所の命脈であつて、此二つの官能を破壊する時は精霊は忽ちおのれに帰り、独立し復活し得るのである。 斯くて肉体即ち精霊の躯殻は其精霊より分離されたが故に次第に冷却して、遂に腐敗糜爛するに至るものである。 人間の精霊が呼吸及心臓と内的交通をなす所以は、人間の生死に関する活動に就いては、全般的に、又個々肺臓心臓の両機関に拠る所である。而して人間の精霊即ち本体は肉体分離後と雖も、尚少時は其体内に残り、心臓の鼓動全く止むを待つて、全部脱出するのである。而して之は人間の死因如何に依つて生ずる所の現象である。或場合には心臓の鼓動が永く継続し、或場合は長からざることがある。此鼓動が全く止んだ時は、人間の本体たる精霊は直に霊界に復活し得るのである。併しながらこれは瑞の御霊の大神のなし給ふ所であつて、人間自己の能くする所ではない。 而して心臓の鼓動が全く休止する迄、精霊が其肉体より分離せない理由は、心臓なるものは、情動に相応するが故である。凡て情動なるものは愛に属し、愛は人間生命の本体である。人間は此愛に依るが故に、各生命の熱があり、而して此和合の継続する間は、相応の存在あるを以て、精霊の生命尚肉体中にあるのである。 人の精霊は肉体の脱離期即ち最後の死期に当つて其瞬間抱持した所の、最後の想念をば、死後暫くの間は保存するものであるが、時を経るに従つて、精霊は元世に在つた時、平素抱持したる諸々の想念の内に復帰するものである。さて此等の諸々の想念は、彼れ精霊が全般的情動即ち主とする所の愛の情動より来るものである。人の心の内分即ち精霊が、肉体より引かるるが如く、又殆ど抽出さるるが如きを知覚し、且つ感覚するものである。古人の諺に最後の一念は死後の生を引くと云つてゐるのは誤謬である。どうしても平素の愛の情動が之を左右するものたる以上は、人間は平素より其身魂を清め、善を云ひ善の為に善を行ひ、且つ智慧と証覚とを得ておかなくてはならないものである。 さて治国別、竜公は極めて謹慎の態度を以て、赤、白の守衛がここに進み来る精霊との問答を一言も洩らさじと、小男鹿の耳ふり立てて聞き入つた。そこへノコノコやつて来たのは男女二人の精霊であつた。赤面の守衛は両人に向ひ、 赤顔の守衛『ヤアヤアそれなる両人、暫く待て。ここは八衢の関所だ。汝生前の行動に就いて取査べる必要がある』 と呶鳴りつけた。二人はオヅオヅしながら、 二人『ハイ』 と云つたきり、路上にうづくまつて了つた。 赤顔の守衛『其方両人は何者だ』 男(徳)『ハイ、私は呉服屋の番頭で徳と申します』 女(叶枝)『私は叶枝と申す芸者で厶います』 赤顔の守衛『ウンさうだらう、其方両人は情死を致して、ここ迄気楽相に手に手を取つて意茶ついて来たのだらう。さてもさても暢気な代物だなア』 徳『ハイ、誠に面目次第も厶いませぬ。中々何うして何うして、気楽所か、今此先で、三途の川を渡り、お婆アさまに散々膏をとられた上、いろいろと恥をかかされ、ヤツとのことで此処まで逃げて参りました』 赤顔の守衛『其方徳とやら、暫く此方へ来て待つてをれ。女の方から査べてやる』 徳『ハイ、どうぞ一緒に、なることならば………査べて頂き度う厶います。二世も三世も、仮令野の末山の奥、どこへ行つても離れないといふ固い約束を結んで参つたので厶いますから、仮令一分間たりとも離れることは出来ませぬ』 赤顔の守衛『そんな勝手な事が、霊界では通ると思ふか。暫く控へて居らう………オイ白さま、暫く此徳を豚箱の中へ放り込んでおいて下さい』 白顔の守衛『コレ徳さま、辛からうが、少時の間だから、マアこちらへ来てゐなさい。三五教の宣伝使も一服してゐられるから………豚箱なんどに入れやしないから、霊界のお茶でも呑んで、叶枝さまの査べが済むまで、此方でお休みなさい』 徳は涙を流しながら……… 徳『ハイ有難う厶います。あなたの様に同情のあるお言葉でいつて下されば、半日や仮令一日位離れた所で別に苦しいことは厶いませぬ。頭から役人面して、怖い顔で呶鳴り立てられると一寸の虫にも五分の魂、チツとはムカツきますからなア』 赤は目を怒らし、 赤顔の守衛『黙れ!人間の分際として左様なことを申すと直様地獄へ落してやるぞ』 徳『ハイ………どうせ、私は男地獄、叶枝は女地獄と、娑婆でさへも仇名をとつてきた位で厶いますから、地獄落は覚悟して居ります。併しながら、どんな辛い所でも構ひませぬから、二人一緒にやつて下さい。そればつかりが一生の御願で厶います』 赤顔の守衛『エヽ喧しい、白さま、早く徳を隔離して下さい』 白顔の守衛『サア徳さま、こちらへお出でなさい』 徳『オイ、叶枝、おれのことを忘れちやならないよ。俺もお前のこた、一瞬間も忘れないからなア』 叶枝は何の応答もなく、うつむいてメソメソ泣いて居る。徳は色白き守衛に導かれ館の玄関指して行く。 赤は帳面をくりながら、 赤顔の守衛『オイ女、其方は随分悪い事を致して居るが、逐一此処で白状致すのだぞ』 叶枝『ハイ、別に悪い事を致した覚えは厶いませぬよ』 赤顔の守衛『バカを申せ、其方は芸者で在りながら、芸を売らずに肉を売つてゐるぢやないか』 叶枝『ハイ、芸を売つても肉を売つても、商売に二つは厶いませぬ。歌を唄つたり三味をひいたり、太鼓や鼓を拍つのは遊芸で厶います。そして肉をうるのは岩戸開きの神楽舞、曲芸をやつて、お客さまに喜ばせ楽します清き商売で厶います。それ故相場師か博奕打の様に片一方が喜び片一方が悔むといふよなことは、決してやつた覚えは厶いませぬ。どのお客さまも此お客さまも、皆、アハヽヽ、オホヽヽ、エヘヽヽと笑ひ興じ、まるで天国の春に逢うたやうだと仰有つて、喜んで下さる方ばかりで厶います。両方のよい商売といふのは、芸者と頬冠り位なものです。これ程人間を喜ばして来た芸者に罪が厶いますなら、政治家や宗教家、一番悪いのはお医者さま、其外娑婆に居る一般の人間は皆大悪人で厶います。私は一旦言ひ交した男に心中立てをして、命まですてて、ここ迄やつて来た貞節な女で厶います。どうぞ私の清い美しい心をお調べ下さいまして、どうぞ天国へやつて下さいませ。そしてあの徳さまだつて、決して悪い人ぢや厶いませぬ。どうぞ私と一緒に天国の旅をさして下さいます様に御願致します』 赤顔の守衛『馬鹿を申せ、徳のこと迄、貴様がゴテゴテ云ふ場所ぢやない。貴様のことばかり白状すればいいのだ。何だベラベラと自己弁護ばかしやりやがつて、おマケに情夫の事迄口出しするとは、中々以ての外の代物だ。斯うなると何うしても、貴様達両人は一緒におくことは出来ぬ』 叶枝『あ、左様で厶いますか、折角ここ迄ついて来ましたけれど、あなた様の御命令で引分けて下さるのならば、冥土の規則だと思うて、妾はチツとも異議は申しませぬ。実の所私は無理心中をさされましたのです。現界といふ所は思ふ様に行かぬ所で厶いまして、好きなお方は色々故障が出来て、常住会ふ訳には行かず、お金はなし、これに反して、嫌ひで嫌ひで仕方のない男は金を持つて、丸で大根畑へネチがついた程、うるさい位しがみつきに来ますなり、本当に浮世がイヤになつて了つたのですよ。…… 嫌なお客に笑うてみせて 好きの膝にて泣きくらす といふ憐れな生涯を続けて来ました。実際のこと申しますれば、あの徳といふ男、御存じの通り、頭迄がトク頭病で、そしてヅぬけたトク等の馬鹿で厶います。とくとお査べの上、どうぞ私と一所に居らない様に、特別の御取扱を御願致します』 赤顔の守衛『アハヽヽヽ、貴様は余程やり手だつたと見えるのう。およそ幾人ばかり地獄へおとしたか』 叶枝『ハイ、私が落したのぢや厶いませぬが、勝手にお客さまの方から落ちたのです』 赤顔の守衛『それでも貴様が原動力だ。直接におとさいでも、間接に落して居るのだ。現に今来た徳公でもさうぢやないか』 叶枝は稍言葉馴れ、娑婆で人間をあやつつて来た地金を出し、赤の肩先を平手で三つ四つポンポン叩き、おチヨボ口に袖をあてながら、 叶枝『ホヽヽヽヽ、あの六かしい顔わいな。わたえ、そんな赤い面した、目のクルリと大きい、口の大きい男らしい男、本当に好きだワ。なア赤さま、チツと可愛がつて頂戴ね』 赤顔の守衛『コリヤ怪しからぬ、何と心得てゐる。ここは言はば霊界の予審廷だぞ。審判官に向つて、何といふ失礼なことを申すか』 叶枝『ホヽヽヽヽ、あのマア、六かしい顔しやんすことえな。あたえ、ますます可愛くなつてよ』 赤顔の守衛『エヽ、馬鹿に致すな。何と心得て居る』 叶枝『お気に障りましたら御免なさいませ。併しながら霊界だつて、愛の情動に変りはありますまい。現界の役人だつて六かしい顔をして被告人を裁いてゐやはりますが、女の被告が行きますと、忽ち目を細うし、涎をくらはります。あんただつて、女に対する男やおまへんか、さう七六かしう、四角ばつてゐなしては、世の中が殺風景でたまりませぬワ。どこもかも行詰り、不景気風に吹捲られて、娑婆の人間は青息吐息の為体、憂鬱に沈んでゐる亡者共を、妙音菩薩にも比すべき芸者が、慰安を与へ、小口から天国に救うて上げて来たのですよ。お前さまだつて、何時迄もこんな所に、そんな六かしい顔をして、しやちこばつてゐるよりも、私と一緒に天国へでも新婚旅行と洒落たらどうだす………余り悪い心持やしませぬで。わたえの荷位は持たして上げますワ』 赤顔の守衛『エヽ仕方のない代物だなア。貴様余程娑婆で暴威を揮うて来たのだらう。中々弁舌はうまいものだ』 叶枝『ホヽヽヽヽ、その声で蜥蜴くらふか時鳥、外面如菩薩内心如夜叉、表裏反覆常なきは世の中の真相ですよ。お前さまもチツと世間を知つて来なさい。さうすりや、そんな偏狭な頭が改造されて、新しい男の仲間に這入れないものでもありませぬワ、大臣だつて国会議員だつて、元帥だつて、紳士紳商だつて、片つ端からこの靨の中へ、皆吸ひ込んで了ふ技能を持つてゐる、天然の美貌、千変万化の魔力を使ふ女ですもの、門番さまの一人や二人位、噛んだり吐いたりするのは、屁のお茶でもありませぬワ。お前さまも有名な芸者の叶枝にこれ丈言葉をかけて貰うたら、余程の光栄ですよ、本当に仕合せな御方ねえ』 竜公は思はず知らず、 竜公『ウツフヽヽ』 と吹き出した。 赤顔の守衛『貴様の調べは一朝一夕に行かない。人の庫を呑み、山を呑み、田畑を呑み、数多の亡者を製造したしたたか者だから、又追つて調べてやる。サア立てツ』 と云ひながら、松の木の荒皮の様な腕をグツと突出し、葦の芽の様な柔こい腕をグツと握り、岩の戸をパツとあけて、岩窟内へ放り込みおき、再び徳を此場に引ずり来り、鹿爪らしい顔をして査べ始めた。 赤顔の守衛『其方は生前に何商売を致して居つたか』 徳『ハイ、最前申した様に呉服屋の番頭に間違ひ厶いませぬ』 赤顔の守衛『其方は幾らの月給を貰つて居つたか』 徳『ハイ、月に親方の食事持で十円ばかり頂いて居りました』 赤顔の守衛『其方は月に十五六回も叶枝の側へ通うたであらう。チヤンと此帳面に記してあるぞ』 徳『ハイ仕方がありませぬ、仰有る通で厶います』 赤顔の守衛『一度遊びに行くと幾らの金が要るか』 徳『ハイ、少い時が七八円、多い時は五十円も要ります』 赤顔の守衛『僅か一ケ月十円の給料で、何うして其金が出来るのだ』 徳『ハイ、私の役徳によつて、それ丈生み出します』 赤顔の守衛『バカを申せ。帳面づらをゴマかしたのだらう』 徳『帳面づらをゴマかすのは悪う厶いますか。娑婆の人間は筆の先で一遍に五万両、十万両とゴマかして居りますよ。現に積善銀行を御覧なさい。二千万円も筆の先でゴマかしたぢや厶いませぬか。それでもヤツパリ紳士とか紳商とか、有力者とかの名を恣にして居ります。そして政府は余り之を厳しく詮議立て致しませぬ。之を思へば一つでもウマく帳面づらをゴマかした奴が、所謂社会の善人です。私の様な者をお責めなさるよりも、モツと大きな奴をお査べなさりませ。月に金の百両や二百両誤魔化した弱い人間や、米の一升や金の五十銭位盗んだ憐れな人間を査べるよりも、なぜモツと大きな悪人の巨頭をお査べなさらぬのですか。そんなことで何うして八衢審判所の権威が保たれませうか。現界に於ても微罪不検挙の内規が行はれて居りますよ』 赤顔の守衛『馬鹿を申せ、現界と違つて、霊界の審判所は、一厘一毛の相違も許さぬのだ。仮令塵切れ一本でも取つた奴は盗人だ』 徳『それなら何故冥土の法律を現界へ発布して下さらぬのか。私達は現界の最善を尽さうと思へば、霊界へ来て咎められる、本当に善悪の去就に困ります。それ程、今となつて小さいこと迄詮議立てなさるのなら、なぜ夢になりとも、冥土の法律は斯うだと知らしては下さらぬのだ。丸で人間を陥穽へおとすよな、そんな残酷な法律がどこにありますか。私は決して左様な不徹底な不完全な法律命令には絶対服従致しませぬ。それよりも、あなた、大切な私の女房をどこへ隠しましたか。あべこべに誘拐罪で、冥府の審判所へ告発致しますぞ』 赤顔の守衛『今の娑婆に居る奴は、ドイツも此奴も、皆弱肉強食、優勝劣敗を以て最善の生活法ときめてゐやがるからサツパリ始末に了へない。スツカリ良心が痳痺し、癲狂痴呆の境遇に陥落して居るのだから、罪の断じやうもない、癲狂者や痴呆に対し、法律の適用は出来ないから、貴様は放免する。其代り一生八衢の四辻に立つて、亡者の道案内なと致すがよからう』 徳『構うて下さるな、自由の権です。お前さま達が人間を審く権利がどこにあるか。人間を審く者は神様より外にない筈だ。ヘン余り偉相に言ふな、婦人誘拐者奴が、今度は俺の方から承知をしないのだ。サ早く叶枝をここへ出せばよし、出さぬに於ては死物狂ひだ。荒れて荒れて荒れまはしてやらうか』 赤顔の守衛『あゝあ、困つた気違の夫婦がやつて来たものだなア。現界の人間は何奴も此奴も皆こんなものだ。なア白さま、コリヤ一つ現界から根本改良やらねば駄目だなア』 白顔の守衛『あゝさうだから、大神様から厳の御霊、瑞の御霊の神柱を現界に送り、今や改造に着手されつつあるのですよ。やがて四五年も先にゆけばキツと効果が現はれ、癲狂者や痴呆や、盲聾の数が減るでせう。さうすれば吾々も御用が勤めよくなるでせう』 竜公『モシ先生、厳の御霊、瑞の御霊の神柱が現界へ出してあると言はれましたなア。大方変性男子、変性女子の事ぢやありますまいか』 治国別『ウンさうだ。俺達も余程シツカリ致さねばならないわい。お前も之から十分注意をして娑婆へ帰つたら、舎身的活動をやるのだなア』 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三松村真澄録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 12 天界行 | 第一二章天界行〔一二四五〕 高天原の各団体に居住する霊国天人及び天国の天人は愛を生命とし、而して一切を広く愛するが故に人の肉体を離れて上り来る精霊の為にも所在厚誼を尽し、懇篤なる教訓を伝へ、或は面白き歌を歌ひ、舞曲を演じ、音楽を奏しなどして、一人にても多く之を高天原の団体へ導き行かむと思ふ外、他に念慮は少しもないのである。之が所謂天人の最高最後の歓喜悦楽である。併乍ら精霊が人の肉体を宿とし、現世に在りし頃善霊即ち正守護神の群に入るべき生涯や、或は天人即ち本守護神の群に至るべき生涯を送つて居らなかつたならば、彼等精霊は之等の天国的善霊を離れ去らむと願ふものである。斯の如くにして精霊は遂に現世に在つた時の生涯と一致する精霊と共に群居するに非ざれば、どこ迄も此転遷を休止せないものである。 斯の如く自己生前の生涯に準適せるものを発見するに及んで、彼れ精霊は茲に又在世中の生涯に相似せるものと共に送らむとするものである。実に霊界の法則は、不思議なものと云ふべきである。 凡て人間の身には善と悪と二種の精霊が潜在してゐる事は前に述べた通りである。而して人間は善霊即ち本守護神又は正守護神に仍つて高天原の諸団体と和合し、悪霊即ち副守護神に仍つて地獄の団体と相応の理に依りて和合するものである、此等の精霊は高天原と地獄界の中間に位する中有界即ち精霊界に籍を置いてゐる。此精霊が人間に来る時には、先づ其記憶中に入り、次に其想念中に侵入するものである。而して副守護神は記憶及想念中にある悪き事物の間に潜入し、正守護神は其記憶や想念中にある最も善き事物の裡に侵入し来るものである。されど精霊自身に於ては其人間の体中に入り、相共に居る事は少しも知らないものである。而も精霊が人間と共なる時は凡て其人間の記憶と想念とを以て、精霊自身の所有物と信じてゐる。又彼等精霊なるものは、人間を見ることはない。何故なれば、現実の太陽界に在る所の者は、彼等精霊が視覚の対境とならないからである。大神は此等の精霊をして、其人間と相伴へる事を知らざらしめむが為に大御心を用ひ給ふ事頗る甚深である。何故なれば彼等精霊がもし此事を知る時には、即ち人間と相語ることあるべく、而して副守護神たる悪霊は人間を亡ぼさむ事を考へるからである。副守護神即ち悪霊は根底の国の諸々の悪と虚偽とに和合せるものなるが故に、只一途に人間を亡ぼし地獄界へ導き、自分の手柄にしようと希求するの外、他事ないからである。而して副守護神は啻に人間の心霊即ち其信と愛とのみならず、其肉体をも挙げて亡ぼさむことを希求するものである。故に彼等の悪霊が人間と相語らふことがなければ、自分は人間の体内にあることを知らないのだから、決して害を加へないのである。彼等悪霊は其思ふ所、其相互に語る所の事物が、果して人間より出で来るものなりや否やを知らないのである。何となれば彼等精霊の相互に物言ふは、その実は人間より来る所のものなれども、彼等は之を以て自分の裡よりするものなりと信じ切つてゐる。而して何れの人も自分に属する所を極めて尊重し、且之を熱愛するが故に、精霊は自ら之を知らないけれども、自然的に人間を愛し、且つ尊重せなくてはならない様になるのである。これ全く瑞の御霊大神の御仁慈の御心を以て、かく精霊に人間と共なることを知らしめざる様取計らひ給うたのである。 天国の団体に交通する精霊も、地獄界と交通せる精霊も亦同じく人間に付添うてゐるのは前に述べた通である。而して天国の団体に交通してゐる精霊の最も清きものを真霊又は本守護神と云ひ、稍劣つたものを正守護神と云ひ、地獄と交通する精霊を悪霊又は副守護神といふのである。併し人間が生るるや直に悪の裡に陥らねばならない事になつてゐる。故に当初の生涯は全く此等精霊の手の裡に在りと云つてもいいのである。人間にして若しおのれと相似たる精霊が付添うて守るに非ざれば、人間は肉体として生くることは出来ない。又諸々の悪を離れて善に復ることも出来ないことになるのである。人間の肉体が悪霊即ち副守護神に仍つて、おのれの生命を保持し得ると同時に又善霊即ち正守護神に仍つて、此悪より脱離することを得るものである。人間は又此両者の徳に仍つて、平衡の情態を保持するが故に意思の自由なるものがある。此自由の意思に仍つて以て、諸々の悪を去り又善に就くことを得、又其心の上に善を植ゑつくることを得るのである。人間が若しも斯の如き自由の情態に非ざる時は、決して改過遷善の実を挙ぐることは出来ない。然るに一方には根底の国より流れ来る悪霊の活動するあり、一方には高天原より流れ来る善霊の活動するありて、人間は此等両者の中間に立ち、天国、地獄両方の圧力の間に挟まらなくては、決して意思の自由はあるべきものでない。 又人間に自由のない時は、生命あることを得ない。又善を以て他人に強ゆる事は出来ない、人から強ひられたる善其ものは、決して内分の霊魂に止まるものでない、心の底に何うしても滲み込む事は出来ない、但自由自在に摂受した所の善のみは、人間の意思の上に深き根底を下して、宛然其善をおのれの物の如くする様になるものである。 霊的現的一切の所在ものに相対し 自然的なる事物より推考するに非ざれば 思索すること能はざる現代人の通弊は 神的即ち霊的の人格さへも肉的や 自然的なるものなりと思惟する故に彼の輩の 結論する所見る時は果して神は一個なす 人格ならば大いさは全大宇宙と同等に あるべきものと唱導し果して神が天地を 統御按配するとせば世上に於ける君王の 如くに多数の官人を用ゆるならむと臆測す げにも愚の至りなりかかる愚昧の人間に 対して高天原の霊界は現実世界に於ける如 空間的の延長なしと告げ諭すとも直様に 容易に会得せざるべし何故なれば自然界 及び自然の光明を唯一の標準と相定め 思惟する者は目の前に認むる如き延長を 除いて外は何うしても考察し得ざる故ぞかし 高天原の延長は世界に於ける延長と 事情全く相反す自然界なる延長には 一種の限定ある故に容易に測知し得べけれど 高天原の延長には元より限定なき故に 人心小智のやすやすと測知し得べき事ならず そも人間の眼界は如何に遠きに達すとも 極めて遠き距離のある太陽、太陰、星辰も 容易に認め得べしとは何人もよく知れるなり 又今少し心をば深くひそめて思考せば 我内分の視覚力即ち想念界の視覚力は 尚も遠方に相達し尚も進んで内辺の 視力の至る極みには其眼界は尚更に 遠大なるべきことを知る果して然らば何者か 神的視力の現界外に出づるを得るとなさざらむ 神的視力は現実に一切視力のいと深き 内的にして且高上なるものぞ想念中に此の如き 延長の力ある故に高天原の一切の 事物は此処に住む者のすべてに伝はらざるはなし 高天原を成就し遍満したる主の神の 其神格より来るもの凡ては又も斯の如 ならずと云ふ事更になしあゝ惟神々々 御霊幸はへましませよ。 治国別、竜公両人は暫く関所の館に休息してゐた、そこへ東方の空を輝かして一個の火弾が空中に筋を描いて近寄り来り、二人の前に落下し、忽ち麗しき天人の姿と変つた。何時の間にやら、二人は想念に引ずられて第三天国に昇つてゐた。神人の姿をよくよく見れば、豈はからむや、三五教の宣伝使言依別命であつた。治国別は驚きと喜びとに打たれ、ハツと首を下げ、静かに天の数歌を奏上し始めた。 言依別『治国別さま、大変な好都合で厶いましたなア。一度高天原の諸団体を御案内申上げたいと思うて居りましたが、遂に其機会を得ませぬでした。幸ひあなたの肉体はバラモン教の為に苦められ、あなたの精霊は肉体を脱離して漸くここにお越しになることを得たのです。十分に天国をお調べになつた上、再び現界へ立返り、神様の為に衆生済度の為にモウ一働きやつて頂かねばなりませぬよ』 治国別『思はぬ所で、貴神にお目にかかり、余り嬉しうて言葉も出でませぬ。併しながら人間の肉体は二十四時間を過ぐれば既に腐敗糜爛し、再び精霊の容器となることは出来ないと聞きましたが、最早私はここへ参つてから殆ど十時間ばかりも費した様な気が致します。余す所はあと十三四時間、かかる短い時間の間に天国の巡覧が出来ませうかなア』 言依別『御心配なさいますな、霊界の一日は現界の一年に当ります、貴方はまだ霊界より見れば一分間も経つて居りませぬ、十時間もたつたやうに思はれたのは、現実界の反映でせう。又霊界には時間もなければ空間もありませぬ。まして天国には秋冬もなければ夜もない、只情動の変化があるのみです。凡て霊界は想念の世界ですから、時間などは問題にはなりませぬ。マアゆつくりと私に従いて、天国の諸団体を巡覧なさるが宜しからう』 治国別『ハイ有難う厶います、然らば仰に従ひ、お供を仕りませう』 竜公『モシ先生、どうぞ私もお供をさして下さいませ』 治国別『ウンさうだなア、言依別命様に御伺ひしてみようかな』 言依別『竜公さまは未だ天国を巡覧する丈の善と信と智慧証覚が備はつて居りませぬから、到底巡覧は出来ないのですが、幸ひ拙者は大神の命に仍つて、媒介天人と任命されて居りますから、特別を以てお供を許しませう』 治国『ハイ有難う厶います、何分宜しく御願申します』 竜公『ア特別の御引立に与かりまして、身に余る光栄で厶います』 言依別『竜公さま、あなたはまだ精霊界に籍がある方だから、天国へ行つたならば、眼くらみ、息苦くて到底堪へ切れないでせう。ここに被面布がありますから、之を御被りなさい、さうすれば、どうなりかうなりお供が叶ふでせう』 と懐より黒き被面布を取出し、竜公の面上めがけて投げ付くれば、不思議や竜公の顔にはキチンとして被面布がかけられた。 言依別『サア是れで先づ第三天国の或団体から案内致しませう』 治国別、竜公『ハイ有難う』 と治国別、竜公は後に従ひ、恐る恐る進み行く。 俄に美妙の音楽が聞え来り、馥郁たる芳香は四辺をとざし、えもいはれぬ爽快な気分になつて来た。言依別は或小丘の上に二人を導き、美はしき岩石に腰打ちかけながら、眼下の青野ケ原を見おろし説明の労を執つた。 言依別『治国別さま、あの東の方を御覧なさい。あこに一つの小高き丘陵があつて、沢山の家が建つてゐるでせう。あれが第三天国の或一部の団体で、愛と信とに秀でたる天人の住居する団体です。さうして此真西に当る所にも同じく一つの部落がありませう、それは善と真との徳稍薄く、光も少しく朧げなる天人共の住居致して居る団体であります。東の団体に比ぶれば余程西の方は凡ての光景が劣つて居るでせう。これは其団体に於ける天人等の愛善と信真の徳の厚薄に依つて、斯の如く差等が惟神的についてゐるのです。同気相求むると云つて、同じ意思想念の者が愛の徳に仍つて集まるのであります。故に東の団体に比ぶれば、西の方は余程劣つて居ります』 治国別『同じ天人でも、東の団体に住む者と西の団体に住む者とは大変な幸不幸があるぢやありませぬか、西の方の団体が甲団体を羨望して移住して行く様な事はありますまいかな』 言依別『決して決して左様な案じはありませぬ。すべて神格よりする愛其ものの情動如何に依つて、各自の運命が定まるのですから、西の団体が東の団体の光明を羨望して行つた所で、自分の徳が足らないで、苦しくて居られないのです。それ故個々団体の天人は決して他へ自由に移るといふやうな事はありませぬ、すべて高天原には順序が第一重んぜられて居ります。此順序を誤る者は、到底天国の生活は望まれないのです。大神様の神格は順序が第一に位してゐるのですから、地上の世界の如く、決して決して秩序紊乱などの虞は、夢にもありませぬ。これ故に天国は永遠に平和が保たれてゆくのです』 治国別『成程、厳の御霊の御神諭にも、身魂相応の徳を与へると示されてありますが、いかにも恐れ入つた次第で厶いますなア、さうして天人等は日々何をして居るのですか』 言依別『現界の人間は、高天原の天人は年が年中歌舞音楽に耽り、歓楽に酔うてゐる様に考へて居りますが、決して天国だとて、のらのらと放蕩遊惰に日を送つてゐる者はありませぬ。すべて神様が宇宙をお造り遊ばしたのは一つの目的があるためです、其目的とは即ち用であります。故に用のなき人間は霊界にも現界にも決して存在を許されない筈です、彼等天人は各自の天職を楽み、営々として神業に参加し、士農工商の業務を営んで居ります。さうして月に三回公休日があつて、其時には天人等は神の家に集まつて、力一杯歓楽を尽し、神をほめ称へ、且つ神の恵に十二分に浴するのです』 治国別『成程、実に結構な御経綸がしてあるものですなア』 言依別『現界の如く、労資の衝突だとか、労働問題だとか、地主対小作争議だとか、思想問題、政治問題、経済問題などは夢にも起りませぬ、実に平和な幸福な生涯ですよ。現界人が一度天国の情況を見たならば、再び現界へ帰るのは厭になつて了ひますよ』 治国別『さうですな、吾々も此儘天国の生涯を送りたくなりました』 竜公『先生、言依別命様に願つて、再び娑婆へ追ひ帰されないやうにして下さいな、本当にいい所ですなア』 治国別『何事も神様の仰せのままに、吾々は使はれるべき身分だから、左様な勝手気儘な願望を起しちやならないぞ。只々人間は神さまの御用を神妙にお勤めさへすればいいのだ』 竜公『ハイ畏まりました。併し余り良い所で、実際の事、帰るのが厭になりました、が併し神さまの御命令ならば仕方がありませぬ』 言依別は又南の方を指し、 言依別『治国別さま、あの南の方に小さき丘陵が見えませう、あれは智慧と証覚とに充ちたる天人共の住居する団体です。さうして此真北に当る所に又一つの丘陵があつて一部落が見えませう、あれは愛善と信真の徳よりする智慧証覚に充ちたる天人共の居住する一個の団体でありまして、南の団体よりは少しく劣つてゐる天人が群居して居ります。少し、之から見ても朧気に見えるでせう』 治国別『なる程、仰せの通りですなア、ヤハリ情動の如何に依つて、運命が定まるのですかなア。同じ智慧や意思の人間ばかりが、一所に集まつて居る程、愉快な事はありますまい』 言依別『あゝさうです、愛の善といふものは凡て吸引力の強いもので、又無限の生命を保有してゐるものです。天人であらうと現界人であらうと地獄界の人間であらうと、それ相応の愛に仍つて生命が保たれてゐるのですからなア、そして其愛なるものは凡て厳の御霊、瑞の御霊の御神格より内分的に流れ来るものですから、実に無始無終の生命ですよ、あゝ惟神霊幸倍坐世』 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三松村真澄録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 13 下層天国 | 第一三章下層天国〔一二四六〕 高天原の天国の東と西との団体に 住む天人は信愛の其善徳に居るものぞ 東はいとも分明に愛の善徳感得し 西には少しおぼろげに感ずるもののみ住めるなり 南と北との団体は愛信の徳より出で来る 智慧証覚に居れるものいや永久に住居せり 中にも南に住むものは証覚光明明白に 北は証覚おぼろげに光れるもののみ住めるなり 高天原の霊国にある天人と天国に ある天人は皆共に右の順序を守れども 少し相違の要点は一つは愛の善徳に 従ひて進み又一つは善の徳より出で来る 信の光に従うていや永久に住めるなり 此天国にある愛は神に対する愛にして 之より来る真光は全く智慧と証覚ぞ 又霊国にある愛は隣人に対する愛にして 之を称して仁と云ふ此仁愛より出で来る 真の光は智慧なるぞ或は之を信と云ふ ○ 久方の高天原の神国には 時間空間春夏秋冬の区別なし 只天人各自が 情態の変化あるのみ 現し世に於けるが如く、天界の 万事に継続あり進行もあり されど天人は 時間と空間との 概念なし 久方の高天原には 年もなく 月日もあらず時もなし 只情態の変移あるのみ 情態の変移の ありし所には 只情態ばかりあるなり 現界の 凡ての人は 時間てふ 其概念を離るる能はず 天人は 皆情態の 上より之を思惟すれば 人の想念の中に於て 時間より 来れるものは 天人の間に入りては 皆悉く 情態の想念となるものぞ 春と朝は 第一情態に於ける 天人が居る所の 愛の善及び 証覚の境涯に対する 想念となるものぞ 夏と午時は 第二情態にある天人が 居る所の愛善及び 証覚の境涯に対する 想念となるものぞ 秋と夕べとは 第三情態に於ける 天人が居る所の愛善及び 証覚の境涯に対する 想念となるものぞ 冬と夜とは 地獄におちし精霊が 之等の境涯に対する 想念となるものぞ 言依別命は治国別に向つて尚も天国団体の説明を続けて居る。 治国『実に天国と云ふ所は、吾々の想像意外に秩序のたつた立派な国土ですな。到底吾々如き罪悪に充ちた人間は将来此国土に上る見込はない様ですな』 言依別『決して決して左様な道理はありませぬ、御安心なさいませ。此処は最下の天国で、まだ此上に中間天国もあり、最高天国もあるのです。猶其外に霊国と云ふのがあつて、それ相応の天人が生活を続けて居ます』 治国別『其最高天国へ上り得る天人は、非常な善徳を積み、智慧証覚の勝れたものでなければ参る事は出来ますまいな』 言依別『厳の御霊の聖言にもある通り、生れ赤子の純粋無垢の心に帰りさへすれば、直ちに第一天国と相応し、神格の内流によつて案外容易に上り得るものです』 治国別『成程、然し吾々は如何しても赤子の心にはなれないので困ります。然し天国にも矢張り自然界の如き太陽がおでましになるのでせうな』 言依別『アレ、あの通り東の天に輝いて居られます。貴方には拝めませぬかな』 治国別『ハイ、遺憾乍ら未だ高天原の太陽を拝する丈けの視力が備はつて居ないと見えます』 言依別『さうでせう。貴方には未だ現実界に対するお役目が残つて居ますから、現界から見る太陽の様に拝む事は出来ますまい。天国の太陽とは厳の御霊の御神格が顕現して、茲に太陽と現はれ給ふのです。故に現界の太陽とは非常に趣が違つて居ります。霊国にては瑞の御霊の大神月と現はれ給ひ、天国にては又太陽と現はれ給ふのであります。さうして霊国の月は現界から見る太陽の光の如く輝き給ひ、又天国の太陽は現界で見る太陽の光に七倍した位な輝き方であります。さうして日は真愛を現はし、月は真信を現はし、星は善と真との知識を現はし給ふのであります。故に瑞の御霊の聖言には[※以下の6つの聖言はキリスト教聖書に書いてある文言がベースになっている。]、 一、月の光は日の光の如く、日の光は七倍を加へて七つの日の光の如くならむ。[※参考イザヤ書30:26「さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。」〔口語訳聖書〕] 一、我汝を亡ぼす時は空を覆ひ其星を暗くし雲を以て日を蔽はむ。月は其光を放たざるべし。[※参考エゼキエル書32:7「わたしはあなたを滅ぼす時、空をおおい、星を暗くし、雲で日をおおい、月に光を放たせない。」〔口語訳聖書〕] 一、我、空の照る光明を汝等の上に暗くし汝の地を暗となすべし。 一、我は日の出づる時之を暗くすべし。又月は其光を輝かさざるべし。[※イザヤ書13:10「天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。」〔口語訳聖書〕] 一、日は毛布の如く暗くなり、月は地の如くなり、天の星は地に落ちむ。 一、之等の艱難の後、直ちに日は暗く月は光を失ひ、星は空より落つべし。[※参考マタイ福音書24:29「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。」。マルコ福音書13:24-25「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。」〔口語訳聖書〕] とありませう。此聖言は愛と信との全く滅亡したる有様を、お示しになつたのでせう。今日の現界は自然界の太陽や月は天空に輝き渡つて居りますが、太陽に比すべき愛と、月に比すべき信と星に比すべき善と真との知識を亡ぼして居ますから、天国の移写たる現実界も今日の如く乱れ果てたのです。かかる事を称して聖言は……之等の諸徳、亡ぶる時、之等の諸天体暗くなり其光を失ひて空より落つ……と云はれてあるのです。大神の神愛の如何に大なるか又如何なるものなるかは現界に輝く太陽との比較によつて推知する事が出来るでせう。即ち神の愛なるものは頗る熱烈なる事が窺はれませう。人間にして実に之を信ずる事を得るならば、神様の愛は現実界の太陽の熱烈なるに比較して層一層強いと云ふ事が分りませう。大神様は又現実界の太陽の如く直接に高天原の中空に輝き給はず、その神愛はおひおひ下降するに従つて熱烈の度は和らぎ行くものです。此和らぎの度合は一種の帯をなして天界太陽の辺を輝き亘り、諸々の天人は又此太陽の内流によつて自らの身を障害せざらむが為め、適宜に薄い雲の如き霊衣を以て其身を覆うて居るのです。故に高天原に於ける諸々の天国の位置は其処に住める天人が神の愛を摂受する度合の如何によつて大神の御前を去る事或は遠くなつたり、或は近くなつたりするものです。又高天原の高処即ち最高天国に居る天人は愛の徳に住するが故に、太陽と現はれたる大神の御側近く居るものです。されど最下の天国団体にあるものは信の徳に住するものなるが故に、太陽と現はれ給うた大神を去る事最も遠きものであります。ここは即ち其高天原の最下層第三天国の中でも最も低い所ですから、太陽と現はれました大神の御光を拝する事が余程遠くて現界の太陽を拝する如く明瞭に分らないのです。さうして最も不善なるもの、例へば暗国界の地獄に居るものの如きは、大神様の目の前を去る事極めて遠く且つ太陽の光に背いて居るものである。さうして其暗国界に於ける神と隔離の度合は善の道に背く度合に比するものである。故に極悪の者は到底少しの光も見る事が出来ず無明暗黒の最低地獄におつるものであります』 治国別『やア有難う厶いました。吾々はまだ善と真よりする智慧証覚が足りませぬから、大神の御姿を仰ぐ事が出来ないのでせう』 言依別『第三天国の天人等の前に神其儘太陽となつて現はれ給ふ時は、各眼晦み頭痛を感じ苦みに堪へませぬ。それ故大神様は一個の天人となつて、善相応、真相応、智慧証覚相応の団体へお下り遊ばし、親しく教を垂れさせ給ふのであります』 治国別『いや大に諒解致しました。私も之から現界へ帰りますれば、其心得を以て善の為め真の為めに活動をさして頂きませう。あゝ惟神霊幸倍坐世』 言依別『サア之から天人の団体へ御案内致しませう』 治国別、竜公は、 治国別、竜公『ハイ、有難う』 と感謝しながら言依別の後に従ひ欣々として進み行く。 二三丁ばかり丘を下り行くと、忽ち巨大なる火光と化し言依別は天空さして其姿を没し給うた。二人は暗夜に灯をとられし如き心地し、大地に跪き感謝に咽びながら、 治国別『あゝ有難し、勿体なし、吾々の愛と善の徳、全からず信真の光明らかならず、従つて智慧と証覚の光弱き為めに、畏れ多くも皇大神は天国の太陽と現はれ給はず、言依別命と身を現じ、此処迄導いて下さつたのだらう。あゝ有難し有難し、仁慈無限の大神の御神徳よ』 と感謝の涙に暮れてゐる。 竜公『もし先生、之から如何致しませうか。斯様な処に捨てられては如何行つてよいか、少しも分らぬぢやありませぬか。あれ程最前明瞭に見えて居つた東西南北の天人の部落も、何時の間にか吾々の視線内を外れて了つたぢやありませぬか』 治国別『獅子は三日にして其子を谷底へ捨てるとやら、これ全く神様の仁慈無限の御摂理だ。これだから三五教の聖言にも「師匠を杖につくな、人を力にするな、只神のまにまに活動せよ」と仰有るのだ。言依別様の御案内下さるに甘え、気を許し、凭れかかつて居つたが吾々の過ちだ。それだから神様は吾々の想念中より遠ざかり給うたのだ。吾々はまだまだ愛と信とが徹底しないのだ。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と合掌し感涙に咽びつつ主神に祈りを凝すのであつた。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三北村隆光録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 14 天開の花 | 第一四章天開の花〔一二四七〕 治国別、竜公両人は一心不乱に油断と慢心の罪を謝し、一時も早く吾精霊に神格の充たされむ事を祈願しつつあつた。 そこへ天国には居るべき筈もない臭気紛々たる弊衣を着し、二目とは見られぬ様な醜面を下げ、膿汁のボトボトと滴る体をしながら、三尺ばかりの百足虫の杖をつき二人の前に現はれ来り、忽ち岩石に躓き苦悶し初めた。竜公は驚いて、 竜公『もし、先生、天国には決して斯様な穢いものは居らない筈です。こりや何時の間にか慢心して地獄へ逆転したのぢやありますまいか。此通り四方は暗雲に包まれ、一丁先は見えぬ様になり、得も云はれぬ陰鬱の気が襲うて来たぢやありませぬか』 治国別『否々決して地獄ではあるまい。最下層の天国に相違ない。然しながら矢張り天国にも不幸な人があると見え、斯様な業病に罹り苦んでゐる方がゐると見える。何とかして救うてやらねばなるまいが、吾々が救ふと云ふのは之亦慢心だ。何うか神様の御神格を頂いて御用に使つて頂き度いものだ』 と神に合掌し初めた。竜公は袖を引いて小声になり、 竜公『もし、先生、こんな穢い人間に触らうものなら、霊身が穢れて忽ち地獄の団体へ落転せねばなりますまい。決してお構ひ遊ばすな。大変で厶ります』 治国別『いや、さうではない。天国は愛善の国だ。神は愛と信とを以て御神格と遊ばすのだ。吾々も神様の愛と信とを受けなくては生命を保つ事は出来ない。さうして神より頂いた此愛と信を洽く地上に分配せねばなるまい。地獄におつるのを恐れて現在目の前に苦んでゐる此憐れな人々を救はないと云ふのは、所謂自愛の心だ、自愛の心は天国にはない。仮令此場所が地獄のドン底であらうとも、自愛を捨て善と愛との光明にひたる事を得るならば、地獄は忽ち化して天国となるであらう』 竜公『さう承はればさうかも知れませぬな。然し乍ら斯様な天国へ来て居りながら、あの様な穢い人間に触れて、折角磨きかけた精霊を穢す様な事があつては、多勢の人間を娑婆へ帰つて救ふ事が出来ますまい。只の一人を助けて精霊を穢すよりも、此場は見逃して多勢の為めに愛と信との光を輝かす方が、何程神界の為になるか知れませぬぜ。此処は一つ考へ物ですな』 治国別『いや決してさうではない。目の前に提供された、いはば吾々の試験物だ。此憐れな人間を見逃して行過ぐる位ならば、到底吾々の愛は神の神格より来る真の愛ではない。矢張り自然界と同様に自愛だ、地獄の愛だ。斯様な偽善的愛は吾々の採るべき道ではない』 斯く話す時しも、前に倒れた非人は治国別を打眺め、 非人『おい、そこな宣伝使、俺は今斯様に業病を煩ひ、剰つさへ岩に躓き、此通り足を挫き苦み悶えて居るのだ。早く来て抱き起して呉れないか』 治国別は、 治国別『ハイ、承知致しました』 と、ツと側に寄り体を抱き起さうとすれば、臭気紛々として鼻をつき、身体一面に蛆がわき、いやらしき種々雑多の虫共が体一面にウヨウヨと、肉体の腐つた部分から数限りもなくはみ出してゐる。治国別がかけた手には幾百とも限り知られぬ蛆がゾウゾウと伝うて、治国別の全身を瞬く間に包んで来る。竜公は之を見て、 竜公『もし先生、何ぼ何でも、そんな腐つた人間を相手になさつちや、いけませぬよ。到底助かる見込はありませぬよ。それ御覧なさい、体一面蛆がわいてるぢやありませぬか』 治国別は言葉静かに、 治国別『何処の誰方様か知りませぬが、嘸御難儀で厶りませう。サア私の肩にお縋り下さい。何処迄なりとお宅迄送つて上げませう』 非人『うん、俺の云ふ事は何でも聞くだらうな』 治国別『ハイ、如何なる事でも吾々の力の及ぶ限りは御用を承はりませう』 竜公『先生、宜い加減に止めたら如何ですか。あんまり物好きぢやありませぬか。何程人を助けるが役だと云つても、二目と見られぬ体を抱起して貰ひながら、まるで主人が僕に対する様な言葉を用ゐ、馬鹿にして居やがつて……お礼の一言位云つた処で宜しからうに……其様な恩も義理も知らぬ位だから、此天国に来てもやつぱり苦んでゐるのですよ。神様の罰が当つてゐるものを、何程宣伝使だつて構はぬでもいいでせう。臭い臭い、エグイ香がして来た』 非人『こりや竜公、慢心を致すな。此方の足を擦れ』 竜公『チヨツ、エー』 治国別『おい竜公、俺の命令だ。此非人さまの云ふ通り、お足を揉まして貰へ』 竜公『ぢやと申して、それが……』 治国別『何が「ぢやと申して」だ。左様な不量見の奴は、只今限り師弟の縁を切る。俺はもうお前と何処へも一緒には行かない』 竜公『エーエ、ぢやと申して、それが如何して……』 非人『こりや竜、俺の尻を嘗め。早く嘗めぬかい』 竜公『エー、馬鹿にして居やがる。貴様等のアタ穢い尻を嘗める位なら、俺や死んだがましだ。アーンアーンアーン』 非人『表に善を標榜する偽善者奴、今に貴様も俺の様な病気にかかるが、それでも宜いか』 竜公『そ……そんな業病にかかる様な……ワヽヽ悪い事はした事はないワイ。あんまり馬鹿にすない。俺の大切のお師匠さまを、僕か何ぞの様に使つて、二目と見られない体を介抱させ、尚其上に世話をさせやがつて……エー、もう先生、こんな奴はいい加減にしておきなさいませ』 治国別『これも神様の御恵みだ。袖ふり合ふも他生の縁、かかる尊き天国に於て、かうしてお目にかかるのも何かの御神縁だらう。何程汚き人間様でも、神様の愛の神格に照らされてからは、少しも汚穢を感じない。実に有難く感じてゐる。お前も此方に会うたのを幸ひに、身の罪を償ふべく介抱をさして頂いたら如何だ』 非人『おい、治国別、俺の足の裏を一寸嘗めて呉れ。大分に膿が出て居る様だ。此膿を吸ひとらねば如何しても歩く事は出来ない』 治国別『ハイ、有難う厶ります。御用さして頂きます』 と云ひながら、足の裏の膿をチウチウと吸ひかけた。竜公は堪りかね、 竜公『無礼者』 と云ひながら、拳骨をかためて非人の頭をポカンと殴つた。拍子に醜穢見るに忍びなかつた非人の姿は、忽ち容色端麗なる妙齢の美人と変り、得も云はれぬ笑をたたへながら、 女(木花姫)『治国別さま、貴方は本当に神の愛が徹底しましたよ。サア妾と天国の旅行を致しませう。竜公さまの様な無情漢は、此処に放つといてやりませうよ』 治国別『私は、憐れな精神上の不具なる此竜公を直してやらず、捨てて行く事は出来ませぬ。竜公と共に天国の巡覧が出来ねば、最早仕方がありませぬ。彼と苦楽を共にする考へなれば、何卒貴女はお一人おいでなさいませ』 女(木花姫)『成程、さうでなくては神の愛が徹底したとは云へない。治国別殿、天晴々々、妾は天教山の木花姫で厶るぞや』 治国別は二足三足後へしざり、大地に手をついて一言も発し得ず、感謝の涙にくれてゐる。木花姫は言葉淑やかに、 木花姫『治国別さま、貴方はよくそこ迄善の道に徹底して下さいましたね。嘸大神様も御満足で厶りませう。最前言依別命と現はれ給うたのは、国治立尊様で厶りましたよ』 治国別『ハイ、初めの間は智慧暗く証覚うとき治国別、全く言依別命様とのみ思ひ居りましたが、如何やら大神様の御化身なりし事をおぼろげに考へさして頂きまして、感謝の涙にくれて居りました処へ、貴方様の御試みに預り、願うてもなき御神徳を頂戴致しました。何卒々々、此竜公も私同様にお目をかけてやつて下さいませ』 木花姫『竜公さま、貴方も随分義の固い人ですな。もう少し愛が徹底すれば天国が立派に被面布をといて上れますよ。師匠を思ふ真意は実に感服致しました。其忠良なる志によつて、貴方の愛の欠点を補ふ事が出来ますから、益々魂を磨いて天国の巡覧を成さいませ』 竜公は感涙に咽びながら、 竜公『重々の御懇切なる御教訓、有難う厶ります。左様なれば、お供をさして頂きませう』 木花姫『ここは最下層の天国、これより中間の天国団体へ案内致しませう。中間天国の天人の証覚や智慧及び愛と信は、下層の天国に住む天人に比ぶれば、万倍の光明が備はつて居ります。それ故此天国より一万倍の愛の善と信の真、智慧証覚を備へなくては、仮令天国へ無理に上るとも、眼くらみ、頭痛甚だしく、力衰へ、殆ど自分の生死の程も分らない様になるものですよ。竜公さまは被面布を頂かれて、先づ之で第二天国の探険も出来ませうが、治国別様は其儘では到底参れますまい。妾が所持の被面布を上げませう』 と云ふより早く懐中より取出し、手早く治国別の頭部にかけ給うた。之より治国別、竜公は木花姫の後を慕ひ、足に任せて東を指して一瀉千里の勢ひで進み行くのであつた。 あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三北村隆光録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 15 公義正道 | 第一五章公義正道〔一二四八〕 最奥一の天国に在る天人の想念と 其情動と言語とは決して中間天国の 天人共の知覚し得るものには非ず何故ならば 最奥の天国人の一切は中天界の事物より 勝れて超絶すればなりさはさりながら大神の 心に叶ひし其時は中天国の天人は 上天高く仰ぎ見て火焔の如き光彩を 天空高く見るものぞ又中天の天人の 想念及び情動と言語はさながら光明の 如きものとし最下層の天国人より見るを得む 其光彩は輝きていろいろ雑多の色をなし 或は雲と見ゆるあり其雲及び光彩の 上下の模様を初めとし其形態に思索して ある程度迄上天に於ける天人諸々の 言説し居る状態を遥に悟り得らるなり 最高奥の天国はいと円満に具足して 神光輝きみち渡り中天界に比ぶれば 円満の度はいと高し次に最下の天国に 下るに及んで其度合一層低きを加ふべし 又甲天の形式は神より来る内流に よりて全く乙天のために永久に存在す。 高天原の形式を、其細目に亘つて了解する事や、又此形式が如何なる情態に活動し、如何に流通するかを会得するのは、現在天国にある天人と雖も能くし得ざる所である。これを譬ふるならば、最も聰明にして神の智慧に富んだ人が、人体に於ける種々の事物の形態を検査し、これより推して考へる時は、高天原の其形式に関して、或は其大要を悟り得る事が出来るであらう。高天原の全体の形式は、一個の人身に似て居る様である。又人身中に於ける万の事物は総て高天原の事物に相応するものである。故に高天原の形式が如何に人間として解し難く、又説明し難きかは、人間各部を連結する所の神経や繊維を見たならば、略察知する事が出来るであらう。是等の神経繊維は抑何物なるか、又如何にして脳髄中に活動し流行し居るかは、如何なる医学博士と雖も、肉眼を以て、或は顕微鏡をもつて見得るものではない。人間の頭脳中には無数の繊維があつて、交叉する様や其集まれる所より見れば、実に柔かき連絡した一つの固まりに似て居るけれど、意性及び智性よりする所の個々別々の活動は、皆此繊維によつて行はれて居る事は無論である。総て是等の繊維が肉体中にあつて、如何にして相結束し活躍するかは種々様々の中枢機関、例へば心臓肺臓胃腸、其他のものを見れば明かである。又医学上に於て、神経節と呼ばれて居る神経の束を見れば、数多の繊維が各其局部より来つて此処に集まり、茲に交雑し、又種々に連結したる後、再び此処を出で往き、外にあつて各其官能を全うするものである。而して斯の如きもの一再にして止まらない。又各臓腑や各肢体各筋肉にあつても此通りである。証覚者の目を以て是等の事物と其数多の不可思議とを考査する時は、唯々其幽玄微妙なる活動に驚嘆するの外はないのである。併しながら以上は肉眼にて見得る所のほんの僅少の部分的観察に過ぎないのである。其自然界の内面にかくれて、吾人の視覚の及ばない所にある物に至つては、更に一層の不可思議を包んで居るのである。以上の身体上の形式の、高天原の形式と相応すると云ふ事は、其形式の中にあり、之によつて働く所の智性と意性とが、万般に対し発作するを見ても明かである。人間が其意に決する所があれば、皆自らにして此形式の上に発作するからである。又人苟くも何事か思惟する所があれば、其想念は最初の発作点より末端に至つて神経繊維の上に環流せざるはなく、是よりして茲に感覚なるものがある。さうして此形式はやがて想念と意思との形式である故に、又智慧と証覚との形式なりと云つてもよいのである。故に天界の形式は、人体に於ける総ての諸官能の活動に相応するものなる事を知り得らるるのである。又天人の情動と想念とは悉く此形式に従つて、自ら延長するものなる事を知り、彼等天人はこの形式の内にある限り、智慧と証覚とに居るものなる事を知り得らるるのである。併しながら高天原の形式は、其大体の原則すら充分に探究すべからざる事を、自然界の科学万能主義者に知らさむために、人間の身体を例に引いて見たのである。 高天原には三つの度ある如く、各天人の生涯にも亦、三つの度があつて、最高第一の天国及霊国にあるものは、第三度即ち最奥の度が開けて居り、中間の天界と最下の天界とは塞がり、又中間天界に居るものは、第二度のみ開けて、上天と下天とは塞がれ、又最下層の天界にあるものは第一度のみ開けて、中間天界と上天界とは塞がつて居るのである。故にもし上天国の天人にして中天国の団体を瞰下して、之と相語る事あらむには、上天人が有する第三度は忽ち塞がつて了ふのである。而して其閉塞と共に証覚迄も亡ぶのである。何故なれば、上天国の天人の証覚は、第三度に住し、第一及び第二の度に居らないからである。瑞の御霊の聖言に、 一、屋上にあるものは、其家のものを取らむとて下るなかれ。田に居るものは、其衣を取らむとて帰るなかれ。 一、其日には人屋上にあれば、其器具室にあるともこれを取らむとて下るなかれ。又田畑にあるものも帰るなかれ。 と示されたるは右の密意を示されたる言葉である。さうして下層の天界より、上層の天界へは神格の内流なるものがない。それは神の順序に逆らふからである。神は一名順序と讃へ奉つてもよいものである。故に上天界より下天界に向つては内流がある。さうして上天界の天人の証覚は下天界の天人に勝る事万と一とに比例するのである。是亦下天界の天人が上天界の天人と相語る事の出来ない理由である。仮令下天界の天人が仰ぎ望む事あるも、更に更に其姿を見る事を得ず、唯上天界は尚雲が頭上にかかつて居る如く見えるばかりである。これに反し上天界の天人は、下天界の天人を見る事が出来る。併し乍らこれと相語る事は出来ない。もしも下天界人と相語るやうな事があれば、忽ち其証覚を失ふものである。高天原に於ける諸々の団体中の天人は、善と真とに居る事何れも同様なれども、其証覚には様々の程度がある故に、必然の理由として高天原にも又統治の制度が布かれてある。諸天人は何うしても、其順序を守らねばならぬ。さうして順序に関する百般の事項は、どうしても破壊する事は出来ぬ。それから高天原の統治の制度は決して一様ではない。其団体々々に於ける個々の制度が布かれてある。瑞の御霊の大神の司り給ふ霊国即ち月の国を構成する団体にも亦一種の統治制度が布かれてある。各団体の職掌の異るにつれ、其制度にも亦不同あるは止むを得ない。併し高天原に於ては、相愛の制度を外にしては別に制度なるものはないのである。 高天原に於ける統治制度を称して正道と云ふ。大神に対する愛善の徳に住して行ふ所を総て正道と云ふのである。この統治制度は唯大神のみに属するものであつて、大神が御自身に諸天界の天人を導き、又之に処世の事物を教へ給ふ公義上の理法とも云ふべき種々の真理に至りては、各天人中の心中に明かに記憶さるるをもつて、天人として之を識り又之を知覚し、又之を感得し得ないものはない。故に公義上の事件に就いては争議上の種とはならないけれども、正道上の事件即ち各天人が実践躬行上の事件のみは時々疑問となる事がある。斯の如き正道上の事件の起つた時には証覚の少きものより是を自己より勝れたる天人に正し、或は之を直接大神に教を請うて、其結着を定むるものである。故に天人は唯正道に従つて、大神の導き給ふが儘に生息するのをもつて自分等の天界となし、又極秘の歓喜悦楽とするのである。次に大神の霊国即ち月の御国に於ける制度を、公義と云ふ。霊国の諸天人は霊善に居るからである。霊善とは、隣人に対する仁の徳を云ふのである。さうして其実性は真である。而して真は即ち公義に属し、善は正道に属するものである。今茲に月の国と云つたのは、現在地球上の人間が見る月球の事ではない。神の神格によつて構成されたる霊的国土である。この国土に住める諸々の天人は亦大神の導き給ひ、統治め給ふ所なれども、直接ならざるが故に茲には統治者なるものが出来て居る。其統治者の多寡は、各其所属団体の必要によつて設けらるるものである。又茲には律法が制定せられて諸々の天人は之に従ひて群居して居るのである。統治者は其律法によつて数多の事物を統制するの任務に当つて居る。さうして、是等の天人は何れも証覚あるにより、その律法をよく解し、万一疑ふ所あれば、大神が下らせ給うて、之に明白なる解釈を与へ給ふ事になつて居る。天国即ち日の国にあるが如き、善によつて行はるる統治を正道と云ひ、霊国即ち月の国にあるやうな真によつて行はるる統治を公義と云ふのである。天国、霊国の各団体の統治者は現代に於ける各国の統治者の如く、決して自ら尊大振るものでない、却て卑下し且つ謙譲の徳を充たして居るものである。さうして其団体の福利と隣人の事を第一に置いて、自己の福利を最後におくものである。けれども其統治者は非常なる名誉と光栄とを有して居る。是等の統治者は自分に与へられたる光栄と名誉は全く大神の与へられたるものたる事を自覚し、他の天人が自分に服従するのは、これ全く大神の御稜威なる事を知つて居るから、自然に謙譲な徳が具はり尊大振らぬのである。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三加藤明子録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 17 天人歓迎 | 第一七章天人歓迎〔一二五〇〕 木の花姫に助けられ治国別や竜公は 心いそいそ中間のさしもに広き天国を 当途もなしにイソイソと東を指して進み行く 金銀瑪瑙硨磲瑠璃や玻璃水晶の色つやを 照して立てる木々の間を宣伝歌をば歌ひつつ 足を揃へて進み行く。 治国別『高天原に八百万尊き神ぞつまります 神漏岐、神漏美二柱皇大神の神言もて 日の神国をしろしめす神伊弉諾の大御神 筑柴の日向の橘の小戸の青木が清原に みそぎ祓はせ給ふ時生り出でませる祓戸の 貴四柱の大御神吾身に犯せる諸々の 罪や汚れや過ちを祓はせ給へ速に 清がせ給へと願ぎ申す吾言霊を小男鹿の 八つの耳をばふり立てて聞しめさへとねぎまつる 世の太元とあれませる皇大神よ吾一行 守らせ給へ村肝の心を清め給へかし あゝ惟神々々御霊幸はへましませよ 治国別は謹みて天津御神や国津神 百の御神の御前に神言申し奉る 珍の御国の神の国高天原に八百万 尊き神ぞつまります此世をすぶる大御祖 神漏岐、神漏美二柱厳の神言を畏みて 覚りの神と現れませる此世を思兼の神 百千万の神たちを安の河原に神集ひ 集ひ給ひて神議り議らせ給ひ主の神は 豊葦原の瑞穂国いと安国と平らけく しろしめさへと事依さし固く任けさせ給ひたり 斯くも依させし国中に荒ぶり猛ぶ神等を 神問はしに問はしまし神掃ひに掃ひまし 語り問はして岩根木根立木や草の片葉をも 語り止めさせいづしくも天の磐座相放ち 天にふさがる八重雲を伊頭の千別に千別まし 天より降り依さします神の守りの四方の国 其真秀良場と聞えたる大日本日高見の国を 浦安国と定めまし下津磐根に宮柱 いとも太しく立て給ひ高天原に千木高く すみきりませる主の神の美頭の御舎仕へまし 天津御蔭や日のみかげ被りたりと隠りまし 心安国と平らけくしろしめします国中に 生れ出でたる益人が過ち犯し雑々の 作りし罪は速かに宣り直しませ惟神 珍の御前に願ぎまつる天津罪とは畔放ち 溝埋め樋放ち頻蒔きし串差し生剥ぎ逆剥ぎや 屎戸許々多久罪科を詔別け給ふ天津罪 国津罪とは地の上の生膚断や死膚断 白人胡久美吾母を犯せし罪や吾子をば 虐げ犯す百の罪母子共々犯す罪 けものを犯し昆虫の醜の災天翔り 国翔りといふ高神の醜の災高津鳥 百の災禍獣をたふし蠱物なせる罪 いや許々太久の罪出でむかく数多き罪出でば 天津祝詞の神言もて天津金木の本末を 打切り打断ち悉く千座の置座におきなして 天津菅曾を本と末刈りたち刈り切り八つ針に 取り裂きまつり皇神の授け給ひし天津国 みやび言霊の太祝詞完全に委曲に宣らせませ 斯く宣る上は天津神は天の磐戸を推しひらき 天にふさがる八重雲を伊頭の千別に千別つつ 心おだひに聞しめせ国津御神は高山と 小さき山の尾に登り高き低きの山々の いほりを清くかきわけて百の願を聞しめす かく聞しては罪といふあらゆる罪はあらざれと 科戸の風の八重雲を気吹放てる事の如 朝の霧や夕霧を科戸の風の心地よく 気吹き払ひし事の如浪うちよする大津辺に つなぎし大船小舟をば舳を解きはなち艫解きて 千尋の深き海原に押し出し放つ事の如 彼方に繁る木の元をかぬちの造る焼鎌や 敏鎌を以て打払ふ神事の如く塵ほども 残れる罪はあらざれと清め払はせ給ふ事を 高山の末短山の末より強く佐久那太理 おち滝津瀬や速川にまします瀬織津比売の神 大海原に持出でむかくも持出でましまさば 罪も汚れも荒塩の塩の八百道の八塩道の 塩の八百重にましませる瀬も速秋津比売の神 忽ち呵々呑み給ひてむかくも呵々呑み給ひなば 気吹の小戸にましませる気吹戸主と申す神 根の国底の国までも気吹放たせ給ふべし 斯くも気吹放ち給ひては根底の国にあれませる 速佐須良比売と申す神総てを佐須良比失はむ 斯くも失ひましまさば現世に在る吾々が 身魂に罪とふ罪科は少しもあらじと惟神 払はせ給へいと清くあらはせ給へと大前に 畏み畏み願ぎ申すあゝ惟神々々 御霊幸はへましませよ』 斯く祝詞くづしの宣伝歌を歌ひながら、或天国団体の一劃に着いた。数多の天人は男女の区別なく、数十人道の両側に列を正し、『ウオーウオー』と、愛と善のこもつた言霊を張り上げて、二人の来るを歓迎するものの如くであつた。 茲に一つ天人の衣服と其変化の状態に就て、一言述べておく必要があると思ふ。抑も天人の衣類は其智慧と相応するが故に、天国にある者は皆其智慧の度の如何に依つてそれぞれの衣服を着用してゐるものである。其中でも智慧の最も秀れた者の衣類は、他の天人の衣服に比べてきわ立つて美しう見えて居る。又特に秀でた者の衣類は恰も火焔の如く輝き渡り、或は光明の如く四方に照り渡つてゐる。其智慧の稍劣つた者の衣服は、輝きはあつて真白に見えて居るけれども、どこともなくおぼろげに見えて、赫々たる光がない、又其智慧の之に次ぐ者は、それ相応の衣類を着用し、其色も亦さまざまであつて、決して一様ではない。併しながら最高最奥の天国霊国に在る天人は、決して衣類などを用ひる事はない。天人の衣類は其智慧と相応するが故に又真とも相応するのである。何故ならば、一切の智慧なるものは、神真より来るからである。故に天人の衣類は智慧の如何によるといふよりも、神真の程度の如何に依るといふのが穏当かも知れない。而して火焔の如く輝く色は、愛の善と相応し、其光明は善より来る真に相応してゐるのである。其衣類の或は輝きて且純白なるも、光輝を欠いでゐるのもあり、其色又いろいろにして一様ならざるあるは、神善及神真の光、之に輝く事少くして、智慧尚足らざる天人の之を摂受する事、種々雑多にして、一様ならざる所に相応するからである。又最高最奥の天国霊国に在る天人が衣類を用ひないのは、其霊身の清浄無垢なるに依るものである。清浄無垢といふ事は即ち赤裸々に相応するが故である。而して天人は多くの衣類を所有して、或は之を脱ぎ、或は之を着け、不用なるものは暫く之を貯へおき、其用ある時に至つて又之を着用する、そして此衣類は皆大神様の賜ふ所である。其衣類にはいろいろの変化があつて、第一及第二の情態に居る時には、光り輝いて白く清く、第三と第四との情態に居る時には、稍曇つた様にみえてをる。これは相応の理より起来するものであつて、智慧及証覚の如何によつて、斯く天人の情態に、それぞれ変化がある故である。序に地獄界にある者の、衣類のことを述べておく。 根底の国に陥つてゐる者も亦一種の衣類の着用を許されて居る、されど彼等の悪霊は、総ての真理の外に脱出せるを以て、着する所の衣服は其癲狂の度と虚偽の度とによつて、或は破れ、或は綻び、ボロつぎの如く見苦しく、又其汚穢なる事は到底面を向くるに堪へない位である。併し彼等は実にこれ以外の衣類を着用する事が出来ないのである。又地獄界にゐる悪霊は美はしき光沢の衣類を着用する時は、相応の理に反するが故に、身体苦しく、頭痛み、体をしめつけられる如くで、到底着用することが出来ないのである。故に大神が彼等の霊相応の衣類を着用することを許し給うたのは、其悪相と虚偽と汚穢とが赤裸々に暴露する事を防がしめむが為の御仁慈である。 種々さまざまの衣服をつけたる諸々の天人は、治国別、竜公両人の此団体に入り来ることを、大神の宣示に仍つて前知し、歓迎の準備を整へて、今や遅しと待つてゐたのである。数多の天人の中から、最も美はしく光り輝いてゐる清浄の衣類を着用した一人の天人は、治国別の側近く進み来り、『ウーオー』と言ひながら、心の底より歓迎の意を表示してゐる。治国別も意外の待遇に且つ驚き且喜びながら、叮嚀に会釈をなし、固く天人の手を握りしめて、何事か言はむとしたが、何故か口舌硬直して、一言も発することが出来なかつた。茲に於て治国別は其顔面の表情を以て、感謝の意を示す事としたのである。数多の天人は治国別の前後左右に群り来り、『ウオーウオー』と叫びながら、且歌ひ、且舞ひ踊り狂うて、其旅情を慰めむと吾を忘れて其優待に全力を尽してゐる。竜公は余りの嬉しさに口をあけた儘、ポカンとして、只『アーアー』とのみ叫んでゐる。併し天国に於ては、『ア』といふ声は喜びを表白する意味であるから、竜公の此一言は治国別の無言に引替へ、最も天人間から尊重され、且賞揚の的となつたのである。天人が総て人間と相語る時は、天人は決して自らの言語を用ひず、其相手の言語及相手が知れる所の言語を用ひ、其人の知らざる言語は一切用ひない事になつてゐる。天人の人間ともの云ふ時は、自己を転じて人間に向ひ、これと相和合するものである。此和合は両者をして相似の想念情態中に入らしむるものである。併しながら、治国別は天人の団体に於ては、これを肉体のある精霊とは思はなかつた為に、天人の語を用ひたから、治国別が面くらつたのである。 凡て人間の想念は記憶に附着して、其言語の根源となるが故に、此両者は共に同一の言語中にありと云つても良いのである。且又天人及精霊の人間に向ひ来るや、自ら転じて彼に向ひ、彼と和合するに至れば、其人のすべての記憶は、天人の前に現出するものである。天人が人間と談話するに当り、其人と和合するは、人の霊的思想とつまり和合するものであるけれども、其霊的想念流れて、自然界想念中に入り、其記憶に附着し離れざるに仍り、其人の言語は天人の如く見え、又其人の知識は天人の知識の如く見ゆるものである。斯の如きは大神の特別の御恵に依つて、天人と人間との間に和合あらしめ給ひ、恰も天界を人間の内に投入したるが如くならしめ給ふに仍るのである。併しながら現代人間の情態は、太古に於ける天的人間の観なく、天人との和合も亦難かしい。却て天界以外の悪精霊と和合するに立至つたのである。精霊は斯く物語る者の、人間なることを信ぜず、この人の内にある自分共なりと信じ切つて居るのである。 茲に治国別は自分が未だ肉体のある精霊なる事を告げて、未だ天人の域に進んでゐない事をあから様に告げようと努めたけれど、何故か一言も発することが出来なかつた。其故は第二天国の天人に相応すべき愛善と信真と智慧と証覚とが、備はつてゐなかつたからである。ここに治国別は天人の諸団体に歓迎され、唖の旅行を続けて、只アオウエイの五大父音を僅に発する様になり、辛うじて余り大きな恥をかかず、此一つの団体を首尾良く巡覧し、且つ天人に比較的好感を与へて此処を去る事を得たのは、実に不思議と云へば不思議な位であつた。是より治国別は再び木花姫命の御導きに仍つて、智慧と証覚を与へられ、第二天国の各団体を巡歴し、進んで最高第一天国及霊国に進む物語は次節より口述する事とする。 惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・九旧一一・一一・二三松村真澄録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 20 間接内流 | 第二〇章間接内流〔一二五三〕 高天原の天界を区分して天国、霊国の二となす事は前に述べた通りである。概して云へば日の国即ち天国は人身に譬ふれば心臓及び全身にして心臓に属すべき、一切のものと相応して居る。又月の国即ち霊国は其肺臓及び全身にして肺臓に属すべき一切の諸機関と相応してゐる。さうして心臓と肺臓とは小宇宙、小天地に譬ふべき人間に於ける二つの国土である。心臓は動脈、静脈により、肺臓は神経と運動繊維によりて、人の肉体中に主治者となり、力の発する所、動作する所、必ずや右両者の協力を認めずと云ふ事はない。各人の内分、即ち人の霊的人格をなせる霊界の中にも亦二国土があつて、一を意思の国と云ひ一を智性の国と云ふ。意思は善に対する情動より、智性は真に対する情動によつて人身内分の二国土を統治してゐるのである。之等の二国土は又肉体中の肺臓、心臓の二国土とに相応してゐる。故に心臓は天国であり意思の国に相応し、肺臓は霊国であり智性の国と相応するものである。 高天原に於ても亦以上の如き相応がある。天国は即ち高天原の意力にして、愛の徳之を統御し、霊国は高天原の智力にして信の徳之を統御する事になつてゐる。故に天国と霊国との関係は人に於ける心臓と肺臓との関係に全く相応してゐるものである。聖言に心臓を以て意を示し、又愛の徳を示し、肺臓の呼吸を以て智及信の真を示すは此相応によるからである。又情動なるものは心臓中にもあらず、心臓より来らざれども、之を心臓に帰するは相応の理に基く為である。高天原の以上二国土と心臓及肺臓との相応は高天原と人間との間に於ける一般的相応である。さうして人身の各肢体及各機関及内臓等に対しては、斯の如く一般的ならざる相応があるのである。 今茲に高天原の全体を巨人に譬へて説明する事としよう。 巨人即ち天界の頭部に居るものは愛、平和、無垢、証覚、智慧の中に住し、従つて歓喜と幸福とに住するを以て天界到る所、この頭部に於ける善徳に比すべきものはない。人間の頭部及び頭部に属する一切のものに其神徳流れ入つて之と相応するのである。故に人の頭部は高天原の最高の天国、霊国に比すべきものである。 次に巨人即ち天界の胸部にあるものは仁と信との善徳中に住して、人の胸部に流れ入り、之と相応するものである。 一、巨人即ち天界に於ける腰部及生殖器機関に属するものは、所謂夫婦の愛に住してゐる、之は第二天国の状態である。 一、脚部にあるものは、天界最劣の徳即ち自然的及霊的善徳の中に住してゐる。 一、腕と手とにあるものは、善徳の中より出で来る真理の力に住してゐる。 一、目にあるものは智に住し、耳にあるものは注意と従順に住し、鼻口に属するものは知覚に住してゐる。又、口と舌とに属するものは智性と知覚とより出づる言語の中に住し、内腎に属するものは研究し調査し分析し訂正する処の諸々の真理に住し、肝臓、膵臓、脾臓に属するものは善と真と色々に洗練するに長じてゐる。何れも神の神格は人体中に相似せる各局部に流入して之と相応し給ふ。天界よりの内流は諸肢体の働き及用の中に入り、而して具体的結果を現ずるが故に、茲に於てか相応なるものが行はれて来るものである。 一、人は智あり覚ある者を呼んで彼は頭を持つて居るとか、頭脳が緻密であるとか、よい頭だとか云つて称へ、又仁に厚いものを呼んで彼は胸の友だとか、心が美しいとか、気のよい人だとか、心意気がよいとか称へ、知覚に勝れた人を呼んで彼は鋭敏なる嗅覚を持つてゐるとか、鼻が高いとか云ひ、智慮に秀でたものを呼んで、彼の視覚は鋭いと云ひ、或は鬼の目と云ひ、強力なる人を呼んで、彼は手が長いと云ひ、或は利くと云ひ、愛と心を基として志す所を決するものを呼んで、彼の行動は心臓より出づるとか、心底から来るとか、同情心が深いとか称へるのである。 斯の如く人間の不用意の中に使ふ言葉や諺は尚此外に何程とも限りない程あるのは、相応の理に基いて其実は厳の御霊の神示にある通り、何事も神界よりのお言葉なる事は自覚し得らるるのである。 治国別一行は人体に於ける心臓部に相当する第二天国の最も中枢部たる処を今や巡覧の最中である。さうして天国の組織は最高天国が上中下三段に区画され、中間天国が又上中下三段に区画され、最下層の天国亦三段に区画されてある。各段の天国は個々の団体を以て構成され、愛善の徳と智慧証覚の度合の如何によりて幾百ともなく個々分立し、到底之を明瞭に計算する事は出来ないのである。又霊国も同様に区画され、信と智の善徳や智慧証覚の度合によつて霊国が三段に大別され、又個々分立して数へ尽せない程の団体が作られてゐる。さうして又一個の団体の中にも愛と信と智慧証覚の度の如何によつて或は中央に座を占め、或は外辺に居を占め、決して一様ではない。斯くの如く天人の愛信と証覚の上に変移あるは、所謂勝者は劣者を導き、劣者は勝者に従ふ天然律が惟神的に出来てゐるがために、各人皆其分度に応じて安んじ、少しも不安や怨恨や不満足等の起る事なく、極めて平和の生涯を送り居るものである。 さて三人は、とある美はしき丘陵の上に着いた。天日晃々として輝き渡り、被面布を通して其霊光は厳しく放射し、治国別は殆ど目も眩むばかりになつて来た。竜公も稍身体の各部に苦悶を兆して来た。五三公は依然として被面布も被らず此処迄進んで来たのである。 五三『皆さま、大変に御疲労の様ですから、此処で山野の景色を眺めて、暫く休養さして頂きませうか』 治国『ハイ、さう致しませう。何だか神様の霊光にうたれて苦しくなつて参りました』 竜公『ヤア私も何となしに苦痛を感じます。ラジオシンターでもあれば、一杯飲みたいものですな』 五三公『ハヽヽヽヽ、ラジオシンターは貴方等の様な壮健な肉体の飲むものぢやありませぬ。あの薬は人体の組織を害しますからな。然しながら九死一生の病人には、とつたか、みたかですから宜いでせう。あの薬は霊国より地上に下る霊薬であつて、之を服用すれば未だ現界に生きて働くべき人間は速かに元気恢復し、又霊界に来るべき運命にある人間が服用すれば、断末魔の苦痛を逃れ、楽々と霊肉脱離の苦しみを助くるものです。さうだから、あれは霊薬と云つて霊国から下るものです』 竜公『霊体分離の時、地獄におつる精霊は虚空を掴み泡を吹き、或は暗黒色になり、非常な苦悶をするものですが、その様な精霊でも矢張り楽に霊肉脱離の難境を越えられますか』 五三公『さうです。地獄へ直接落下すべき悪霊は此霊薬の力によつて肉体より逸早く逃走するが故に、後には善霊即ち正守護神のみが残り、安々と脱離の境を渡り得るのです。霊国に於ては之を以て霊丹と云ふ薬を作ります。治国別様や貴方が、第二天国の入口に於て木花姫命よりお頂きになつた霊薬は即ちそれです。霊に充ちてゐる薬だから、霊充と云ふのです。これを地上の人間は、ラヂウムと称へて居るのですが、語源は、つまり一つですからな』 治国『ラジオシンターは止めにして、それならもう一度霊丹が頂き度いものですな』 竜公『先生、自分の苦痛を薬によつて治さうなどと云ふ想念が起りますと、神様のお道に対し所謂冷淡(霊丹)になりやしませぬか。それよりも天国は愛の熱によつて充たされてゐるのですから、大神直接の内流たる愛の熱を頂く様に願つたら如何でせう。私は最早霊丹の必要もない様に思ひますが……』 治国別『さうだな、一か八かの時に用ふる霊薬だから、さう濫用するのは勿体ない。それよりも尊い神様の愛の熱を頂く事に致しませう。あゝ惟神霊幸倍坐世』 五三公『治国別さま、如何です、もうお疲れは直りましたか』 治国別『ハイ、御神徳によつて、甦つた様です』 竜公『それ御覧、惟神霊幸倍坐世と今仰有つたでせう。其御神文の方が霊充よりも、霊丹よりも効能が顕著でせう』 治国別『ハイ、有難う厶いました』 大神は斯くの如くにして第三者の口をかり、第二者たる治国別に諸々の真理を悟させ給うたのである。 凡て人を教ふる身は、其人直接に云つては聞かないものである。人間と云ふものは自尊心や自負心が強いものであるから、直接其人間に対して教説らしき事を云へば、其人間は「ヘン其位の事はお前に聞かなくとも俺は知つてゐる。馬鹿々々しい」と、テンデ耳に入れぬものである。故に第二者に直接教説すべき所を第三者たる傍人に問答を発し、其第三者の口より談話的に話さしめて之を第二者の耳に知覚に流入せしむる方が余程効験のあるものである。故に神界に於ても時々第一者と第三者が問答をなし、是非聞かしてやらねばならぬ第二者に対して間接に教示を垂れ給ふ事が往々あるのである。今茲に大神は五三公、竜公の両人をして問答をなさしめ、治国別の心霊に耳を通して諭さしめたのである。 竜公『先生、大変な立派な日輪様がお上りになりましたな。吾々の日々拝する日輪様とは非常にお姿も大きく光も強いぢやありませぬか』 治国別『さうだなア、吾々の現界で見る日輪様は、人間の邪気がこつて中空にさまようてゐるから、其為めに御光が薄らいで居るのだらう。天国へ来ると清浄無垢だから、日輪様も立派に拝めるのだらうよ』 竜公『それでも吾々の拝む日輪様とは何だか様子が違ふぢやありませぬか。もし五三公さま、如何でせう』 五三公『天国に於ては大神様が日輪様となつて現はれ給ひます。地上の現界に於て見る太陽は所謂自然界の太陽であつて、天国の太陽に比ぶれば非常に暗いものですよ。自然界の太陽より来るものは凡て自愛と世間愛に充ち、天国の太陽より来る光は愛善の光ですから雲泥の相違がありますよ。又霊国に於ては大神様は月様とお現はれになります。大神様に変りはなけれども、天人共の愛と信と証覚の如何によつて、或は太陽と現はれ給ひ或は月と現はれ給ふのです』 竜公『やはり天国にても日輪様は東からお上りになるのでせうな』 五三公『地上の世界に於ては日輪様が上りきられた最も高い処を南と云ひ、正に之に反して地下にある所を北となし、日輪様が昼夜の平分線に上る所を東となし、其没する所を西となす事は貴方等の御存じの通りです。斯くの如く現界に於ては一切の方位を南から定めますけれども、高天原に於ては大神様が日輪様と現はれ給ふ処を東となし、之に対するを西となし、それから高天原の右の方を南となし、左の方を北とするのです。さうして天界の天人は何れの処に其顔と体躯とを転向するとも、皆日月に向つて居るのです。其日月に向うた処を東と云ふのです。故に高天原の方位は皆東より定まります。何故なれば、一切のものの生命の源泉は、日輪様たる大神様より来る故である。故に天界にては、厳の御魂、瑞の御魂をお東様と呼んでゐます』 治国『尊き厳の御魂、瑞の御魂の大神様、愚昧なる吾々を教導せむが為に、五三公、竜公の口を通し間接内流を以て吾々にお示し下さいました其御高恩を、有難く感謝致します。あゝ惟神霊幸倍坐世惟神霊幸倍坐世』 (大正一二・一・一〇旧一一・一一・二四北村隆光録) |
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霊界物語 | 47_戌_治国別の天国巡覧1 | 21 跋文 | 第二一章跋文〔一二五四〕 その一 一、現代人は霊界一切の事物と、人間一切の事物との間に一種の相応あることを知らず、又相応の何たるを知るものがない。かかる無智の原因には種々あれども、其重なるものは『我』と世間とに執着して自ら霊界殊に天界より遠ざかれるに由るものである。何事をも差し置きて吾と世間とを愛するものは只外的感覚を喜ばし、自己の所欲を遂げしむる所の世間的事物にのみ留意して、曽てその外を顧みず、即ち内的感覚を楽まし心霊を喜ばしむる所の霊的事物に至つては彼等の関心せざる所である。彼等が之を斥くる口実に曰く、『霊的事物は余り高きに過ぎて思想の対境となる能はず』云々。されど古の人なる宣伝使や信者たりしものは、之に反して相応に関する知識を以て一切知識中の最も重要なるものとなし、之に由りて智慧と証覚を得たものである。故に三五教の信者は何れも天界との交通の途を開きて相応の理を知得し、天人の知識を得たものである。即ち天的人間であつた太古の人民は相応の理に基いて思索する事尚天人の如くであつた。之故に古の人は天人と相語るを得たり、又屡主神をも相見るを得て、其教を直接に受けたものも沢山にある。三五教の宣伝使なぞは主の神の直接の教を受けてその心魂を研き、之を天下に宣伝したる次第は此霊界物語を見るも明白である。現代の宣伝使に至つては此知識全く絶滅し、相応の理の何たるかを知るものは宗教各団体を通じて一人も無いと謂つても可い位である。相応の何たるかを知らずしては、霊界に就いて明白なる知識を有するを得ない。斯く霊界の事物に無智なる人間は、又霊界より自然界にする内流の何物たるを知る事は出来ない。又霊的事物の自然的事物に対する関係をすら知る事が出来ない。又霊魂と称する人間の心霊が其身体に及ぼす所の活動や、死後に於ける人間の情態に関して毫も明白なる思想を有する事能はず、故に今何をか相応と云ひ、如何なるものを相応と為すかを説く必要があると思ふ。 抑全自然界は之を総体の上から見ても、分体の上から見ても、悉く霊界と相応がある。故に何事たりとも自然界にあつて其存在の源泉を霊界に取るものは之を名づけて、其相応者と云ふのである。そして自然界の存在し永続する所以は霊界によること、猶結果が有力因によりて存するが如きを知るべきである。自然界とは太陽の下にありて之より熱と光とを受くる一切の事物を謂ふものなるが故に、之に由りて存在を継続するものは、一として自然界に属せないものはない。されど霊界とは天界のことであり、霊界に属するものは、皆天界にあるものである。人間は一小天界にして又一小世界である。而して共に其至大なるものの形式を模して成るが故に、人間の中に自然界もあり霊界もあるのである。その心性に属して、智と意とに関する内分は霊界を作り、その肉体に属して感覚と動作とに関する外分は自然界を作すのである。故に自然界に在るもの即ち彼の肉体及びその感覚と動作とに属するものにして、その存在の源泉を彼が霊界に有する時は、即ち彼が心性及び其智力と意力とより起り来る時は、之を名づけて相応者と謂ふのである。三五教の宣伝使にして以上相応の真理を知悉せざりしものは只の一人も無かつたのは、実に主の神の神格を充分に認識し得た為であります。願はくは此物語に心を潜めて神の大御心のある所を会得し且つ相応の真理を覚り、現界に於ては万民を善道に救ひ、死後は必ず天界に上り天人の班に相伍して神業に参加せられむことを希望いたします。 その二 一、主神の国土は目的の国土である。目的とは用そのものである。故に主神の国土を称して用の国土と云うても可なる訳である。用これ目的である。故に主神は神格の始めに宇宙を創造し、形成し給ふや、初めは天界において為し給ひ、次は世界に於て到る処、動作の上即ち結果の上に用を発揮せむとし給うた。種々の度を経、次第を逐うて自然界の終局点に迄も至らなければ已まない。故に自然界事物と霊界事物即ち世間と天界の相応は用に由つて成就することを知り得るのである。この両者を和合せしむるものは即ち用である。そして此用を中に収むる所のものは形体である。此形体を相応となす即ち和合の媒介である。されど其形態にして没交渉なる時は此の如きことなきを知るべしである。自然界にありてその三重の国土中順序に従つて存在するものは、すべて用を収めたる形態である。即ち用のため用に由つて作られたる結果である。故に斯の如き自然界中の諸物は皆相応者である。されど人間にあつては神の法則に従つて生活する限り、即ち主神に対して愛、隣人に対して仁ある限り、かれの行動は用の形態に現はれたものである。これ天界と和合する所の相応である。主神と隣人を愛するといふのは要するに用を遂ぐることである。人間なるものは自然界をして霊界に和合せしむる方便即ち和合の媒介者なることである。蓋し人間には自然界と霊界と二つのものは具はつて居るものである。人間はその霊的なることに於て和合の媒介者となるけれども、若し然らずして自然的となれば此の事あるを得ないのである。さはいへ神格の内流は人間の媒介を経ずとも、絶えず世間に流れ入り、また人間内の世間的事物にも流れ入るものである。但しその理性的には入らぬものである。 凡て神の法則に従ふものは悉く天界に相応すれども、之と反するものは皆地獄と相応するものである。天界に相応するものは皆善と真とに関係があるが、地獄と相応するものは偽りと罪悪に交渉せないものは無いのである。 霊界は諸々の相応に由つて自然界と和合するが故に、人は諸々の相応によつて天界と交通することを得るものである。在天の天人は人間の如く自然的事物によつて思索せない。人間にして、もし諸相応の知識に住する時は、その心の上にある思想より見て、天人と相伍するものとなすべく、かくして其霊的、内的人格に於て天人と和合せるものである。 地上に於ける最太古の人間は即ち天的人間であつて、相応そのものに由つて思索し彼等の眼前に横たはれる世間の自然的事物は、彼等天的人間が思索をなす所の方便に過ぎなかつたのである。太古の人間は天人と互に相交はり相語り、天界と世間との和合は彼等を通して成就したのである。これの時代を黄金時代と謂ふのである。次に天界の住民は地上の人間と共に居り人間と交はること朋侶の如くであつた。されど最早此時代の人間は相応そのものより思索せずして、相応の知識よりせるに由つて、尚天と人との和合はあつたけれども、以前の様には親密でなかつた。この時代を白銀時代と曰ふ。又この白銀時代を継いだものは相応は知らぬにはあらざれども、其思索は相応の知識に由らなかつた。故に彼等がをる所の善徳なるものは自然的のものであつて、前時代の人の如く霊的たることを得なかつた。これを赤銅時代と曰つたのである。この時代以後は人間は次第々々に外的となり、遂に肉体的となり了へ、従つて相応の知識なるもの全く地に墜ちて天界の知識悉く亡び、霊界に関する数多の事項も追々と会得し難くなつたのである。又黄金は相応に由つて天国の善を表はし、最太古の人の居りし境遇である。又白銀は霊国の善を表はし中古の人の居りし境遇であつた。赤銅は自然界の善を表はし古の人の居りし境遇である。更に下つて、黒鉄時代を現出した。黒鉄なるものは冷酷なる真を表はし、善はこれに居らない時代である。之を思ふに現今の時代は全く黒鉄時代を過ぎて泥土世界と堕落し、善も真も其影を没して了つた暗黒無明の地獄である。国祖の神は斯の如き惨澹たる世界をして松の代、三五の代、天国の代に復活せしめむとして不断的愛善と信真の為に御活動を遊ばし給ひつつあることを思へば、吾々は安閑としてこの現代を看過することは出来ないのである。天下国家を憂ふるの士は、一日も早く神の教に眼を醒まし、善の為に善を励み、真の為に真を光して、空前絶後の大神業に参加されむことを希望する次第であります。 あゝ惟神霊幸倍坐世 (因に爰に主神とあるは、太元神を指したのであります) (大正一二・一・一〇旧一一・一一・二四加藤明子録) |
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霊界物語 | 48_亥_治国別の天国巡覧2 | 01 聖言 | 第一章聖言〔一二五五〕 宇宙には霊界と現界との二つの区界がある。而して霊界には又高天原と根底の国との両方面があり、此両方面の中間に介在する一つの界があつて、これを中有界又は精霊界と云ふのである。又現界一名自然界には昼夜の区別があり寒暑の区別があるのは、恰も霊界に天界と地獄界とあるに比すべきものである。人間は霊界の直接又は間接内流を受け、自然界の物質即ち剛柔流の三大元質によつて、肉体なるものを造られ、此肉体を宿として、精霊之に宿るものである。其精霊は即ち人間自身なのである。要するに人間の躯殻は精霊の居宅に過ぎないのである。此原理を霊主体従といふのである。霊なるものは神の神格なる愛の善と信の真より形成されたる一個体である。而して人間には一方に愛信の想念あると共に、一方には身体を発育し現実界に生き働くべき体欲がある。此体欲は所謂愛より来るのである。併し体に対する愛は之を自愛といふ。神より直接に来る所の愛は之を神愛といひ、神を愛し万物を愛する、所謂普遍愛である。又自愛は自己を愛し、自己に必要なる社会的利益を愛するものであつて、之を自利心といふのである。人間は肉体のある限り、自愛も又必要欠くべからざるものであると共に、人は其本源に遡り、どこ迄も真の神愛に帰正しなくてはならぬのである。要するに人間は霊界より見れば即ち精霊であつて、此精霊なるものは善悪両方面を抱持してゐる。故に人間は霊的動物なると共に又体的動物である。精霊は或は向上して天人となり、或は堕落して地獄の邪鬼となる、善悪正邪の分水嶺に立つてゐるものである。而して大抵の人間は神界より見れば、人間の肉体を宿として精霊界に彷徨してゐるものである。而して精霊の善なるものを正守護神といひ、悪なるものを副守護神と云ふ。正守護神は神格の直接内流を受け、人身を機関として天国の目的即ち御用に奉仕すべく神より造られたもので、此正守護神は副守護神なる悪霊に犯されず、よく之を統制し得るに至れば、一躍して本守護神となり天人の列に加はるものである。又悪霊即ち副守護神に圧倒され、彼が頤使に甘んずる如き卑怯なる精霊となる時は、精霊自らも地獄界へ共々におとされて了ふのである。此時は殆ど善の精霊は悪霊に併合され、副守護神のみ我物顔に跋扈跳梁するに至るものである。そして此悪霊は自然界に於ける自愛の最も強きもの即ち外部より入り来る諸々の悪と虚偽に依つて、形作られるものである。かくの如き悪霊に心身を占領された者を称して、体主霊従の人間といふのである。又善霊も悪霊も皆之を一括して精霊といふ。現代の人間は百人が殆ど百人迄、本守護神たる天人の情態なく、何れも精霊界に籍をおき、そして精霊界の中でも外分のみ開けてゐる、地獄界に籍をおく者、大多数を占めてゐるのである。又今日のすべての学者は宇宙の一切を解釈せむとして非常に頭脳をなやませ、研究に研究を重ねてゐるが、彼等は霊的事物の何物たるを知らず、又霊界の存在をも覚知せない癲狂痴呆的態度を以て、宇宙の真相を究めむとしてゐる。之を称して体主霊従的研究といふ。甚だしきは体主体従的研究に堕して居るものが多い。何れも『大本神諭』にある通り、暗がりの世、夜の守護の副守護神ばかりである。途中の鼻高と書いてあるのは、所謂天国地獄の中途にある精霊界に迷うてゐる盲共のことである。 すべて宇宙には霊界、現界の区別ある以上は、到底一方のみにて其真相を知ることは出来ない。自然界の理法に基く所謂科学的知識を以て、無限絶体無始無終、不可知不可測の霊界の真相を探らむとするは、実に迂愚癲狂も甚しといはねばならぬ。先づ現代の学者はその頭脳の改造をなし、霊的事物の存在を少しなりとも認め、神の直接内流に依つて真の善を知り、真の真を覚るべき糸口を捕捉せなくては、黄河百年の河清をまつやうなものである。今日の如き学者の態度にては、仮令幾百万年努力するとも、到底其目的は達することを得ないのである。夏の虫が冬の雪を信ぜない如く、今日の学者は其智暗く其識浅く、且驕慢にして自尊心強く、何事も自己の知識を以て、宇宙一切の解決がつくやうに、否殆どついたものの様に思つてゐるから、実にお目出度いといはねばならぬのである。天体の運行や大地の自転運動や、月の循行、寒熱の原理等に就いても、未だ一として其真を得たものは見当らない。徹頭徹尾、矛盾と撞着と、昏迷惑乱とに充たされ、暗黒無明の域に彷徨し、太陽の光明に反き、僅かに陰府の鬼火の影を認めて、大発明でもしたやうに騒ぎまはつてゐるその浅ましさ、少しでも証覚の開けたものの目より見る時は、実に妖怪変化の夜行する如き状態である。現実界の尺度はすべて計算的知識によつて其或程度までは考察し得られるであらう。併し何程数学の大博士と雖も、其究極する所は、到底割り切れないのである。例へば十を三分し、順を追うて、追々細分し行く時は、其究極する所は、ヤハリ細微なる一といふものが残る。此一は何程鯱矛立になつて研究しても到底能はざる所である。自然界にあつて自然的事物即ち科学的研究をどこ迄進めても、解決がつかないやうな愚鈍な暗冥な知識を以て、焉んぞ霊界の消息門内に一歩たりとも踏み入ることが出来ようか。口述者が霊界より大神の愛善と信真より成れる神格の直接内流や其他諸天使の間接内流に仍つて、暗迷愚昧なる現界人に対し、霊界の消息を洩らすのは、何だか豚に真珠を与ふる様な心持がする。かく言へば瑞月は癲狂者或は誇大妄想狂として、一笑に附するであらう。併し乍ら自分の目より見れば、現代の学者位始末の悪い、分らずやはないと思ふ。プラス、マイナスを唯一の武器として、絣や金米糖を描き、現界の研究さへも未だ其門戸に達してゐない自称学者が、霊界のことに嘴を容れて審神者をしようとするのだから、実に滑稽である。故に此『霊界物語』も之を読む人々の智慧証覚の度合の如何によつて、其神霊の感応に応ずる程度に、幾多の差等が生ずるのは已むを得ないのである。 宇宙の真理は開闢の始めより、億兆万年の末に至るも、決して微塵の変化もないものである。併し乍ら之に相対する人間の智慧証覚の賢愚の度によつて、種々雑多に映ずるのであつて、つまり其変化は真理そのものにあらずして、人間の知識そのものにあることを知らねばならぬのである。もし現代の人間が大神の直接統治し給ふ天界の団体に籍をおき、天人の列に加はることを得たならば、現代の学者の如く無性矢鱈に頭脳を悩まし、心臓を痛め肺臓を破り、神経衰弱を来さなくても、容易に明瞭に宇宙の組織紋理が判知さるるのである。 憎まれ口はここらでお預かりとして、改めて本題に移ることとする。茲に霊界に通ずる唯一の方法として、鎮魂帰神なる神術がある。而して人間の精霊が直接大元神即ち主の神(又は大神といふ)に向つて神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神といふのである。帰神とは、我精霊の本源なる大神の御神格に帰一和合するの謂である。故に帰神は大神の直接内流を受くるに依つて、予言者として最も必要なる霊界真相の伝達者である。 次に大神の御神格に照らされ、知慧証覚を得、霊国に在つてエンゼルの地位に進んだ天人が、人間の精霊に降り来り、神界の消息を人間界に伝達するのを神懸といふ。又之を神格の間接内流とも云ふ。之も亦予言者を求めて其精霊を充たし、神界の消息を或程度まで人間界に伝達するものである。 次に、外部より人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行ふ所の邪霊がある。之を悪霊又は副守護神といふ。此情態を称して神憑といふ。 すべての偽予言者、贋救世主などは、此副守の囁きを人間の精霊自ら深く信じ、且憑霊自身も貴き神と信じ、其説き教へる所も亦神の言葉と、自ら自らを信じてゐるものである。すべてかくの如き神憑は自愛と世間愛より来る凶霊であつて、世人を迷はし且つ大神の神格を毀損すること最も甚しきものである。斯の如き神憑はすべて地獄の団体に籍をおき、現界の人間をして、其善霊を亡ぼし且肉体をも亡ぼさむことを謀るものである。近来天眼通とか千里眼とか、或は交霊術の達人とか称する者は、何れも此地獄界に籍をおける副守護神の所為である。泰西諸国に於ては今日漸く、現界以外に霊界の在ることを、霊媒を通じて稍覚り始めたやうであるが、併し此研究は余程進んだ者でも、精霊界へ一歩踏み入れた位な程度のもので、到底天国の消息は夢想だにも窺ひ得ざる所である。偶には最下層天国の一部の光明を遠方の方から眺めて、臆測を下した霊媒者も少しは現はれてゐる様である。霊界の真相を充分とは行かずとも、相当に究めた上でなくては、妄りに之を人間界に伝達するのは却て頑迷無智なる人間をして、益々疑惑の念を増さしむる様なものである。故に霊界の研究者は最も霊媒の平素の人格に就てよく研究をめぐらし、其心性を十二分に探査した上でなくては、好奇心にかられて、不真面目な研究をするやうな事では、学者自身が中有界は愚か、地獄道に陥落するに至ることは想念の情動上已むを得ない所である。 さて帰神も神懸も神憑も概括して神がかりと称へてゐるが、其間に非常の尊卑の径庭ある事を覚らねばならぬのである。大本開祖の帰神情態を口述者は前後二十年間、側に在つて伺ひ奉つたことがある。開祖は何時も神様が前額より肉体にお這入りになると云はれて、いつも前額部を右手の拇指で撫でてゐられたことがある。前額部は高天原の最高部に相応する至聖所であつて、大神の御神格の直接内流は必ず前額より始まり、遂に顔面全部に及ぶものである。而して人の前額は愛善に相応し、顔面は神格の内分一切に相応するものである。畏多くも口述者が開祖を審神者として永年間、茲に注目し、遂に大神の聖霊に充たされ給ふ地上唯一の大予言者たることを覚り得たのである。 それから又高天原には霊国、天国の二大区別があつて、霊国に住める天人は之を説明の便宜上霊的天人といひ、天国に住める天人を天的天人といふことにして説明を加へようと思ふ。乃ち霊的天人より来る内流(間接内流)は人間肉体の各方面より感じ来り、遂に其頭脳の中に流入するものである。即ち前額及び顳顬より大脳の所在全部に至る迄を集合点とする。此局部は霊国の智慧に相応するが故である。又天的天人よりの内流(間接内流)は頭中小脳の所在なる後脳といふ局部即ち耳より始まつて頸部全体にまで至る所より流入するものである、即ち此局部は証覚に相応するが故である。 以上の天人が人間と言葉を交へる時に当り、其言ふ所は斯の如くにして、人間の想念中に入り来るものである。すべて天人と語り合ふ者は、又高天原の光によつて其処にある事物を見ることを得るものである。そは其人の内分(霊覚)は此光の中に包まれてゐるからである。而して天人は此人の内分を通じて、又地上の事物を見ることを得るのである。即ち天人は人間の内分によつて、現実界を見、人間は天界の光に包まれて、天界に在るすべての事物を見ることが出来る。天界の天人は人間の内分によつて世間の事物と和合し、世間は又天界と和合するに至るものである。之を現幽一致、霊肉不二、明暗一体といふのである。 大神が予言者と物語り給ふ時は、太古即ち神代の人間に於けるが如く、其内分に流入してこれと語り給ふことはない。大神は先づおのが化相を以て精霊を充たし、此充たされた精霊を予言者の体に遣はし給ふのである。故に此精霊は大神の霊徳に充ちて其言葉を予言者に伝ふるものである。斯の如き場合は、神格の流入ではなくて伝達といふべきものである。伝達とは霊界の消息や大神の意思を現界人に対して告示する所為を云ふのである。 而して此等の言葉は大神より直接に出で来れる聖言なるを以て、一々万々確乎不易にして、神格にて充たされてゐるものである。而して其聖言の裡には何れも皆内義なるものを含んでゐる。而して天界に在る天人は此内義を知悉するには霊的及び天的意義を以てするが故に、直に其神意を了解し得れども、人間は何事も自然的、科学的意義に従つて其聖言を解釈せむとするが故に、懐疑心を増すばかりで到底満足な解決は付け得ないのである。茲に於てか大神は、天界と世界即ち現幽一致の目的を達成し、神人和合の境に立到らしめむとして、瑞霊を世に降し、直接の予言者が伝達したる聖言を詳細に解説せしめ、現界人を教へ導かむとなし給うたのである。 精霊は如何にして化相によつて大神より来る神格の充たす所となるかは、今述べた所を見て、明かに知らるるであらう。大神の御神格に充たされたる精霊は、自分が大神なることを信じ、又其所言の神格より出づることを知るのみにして、其他は一切知らない。而して其精霊は言ふべき所を言ひ尽す迄は、自分は大神であり、自分の言ふことは大神の言であると固く信じ切つてゐるけれども、一旦其使命を果すに至れば、大神は天に復り給ふが故に俄に其神格は劣り、其所言は余程明晰を欠くが故に、そこに至つて、自分はヤツパリ精霊であつたこと、又自分の所言は大神より言はしめ給うた事を知覚し、承認するに至るものである。大本開祖の如きは始めより大神の直接内流によつて、神の意思を伝へ居ること及び自分の精霊が神格に充たされて、万民の為に伝達の役を勤めてゐたことを能く承認してゐられたのである。其証拠は『大本神諭』の各所に明確に記されてある。今更ここに引用するの煩を省いておくから、開祖の『神諭』に就いて研究さるれば此間の消息は明かになることと信ずる。 開祖に直接帰神し給うたのは大元神大国治立尊様で、其精霊は、稚姫君命と国武彦命であつた。故に『神諭』の各所に……此世の先祖の大神が国武彦命と現はれて……とか又は……稚姫君の身魂と一つになりて、三千世界(現幽神三界)の一切の事を、世界の人民に知らすぞよ……と現はれてゐるのは、所謂精霊界なる国武彦命、稚姫君命の精霊を充たして、予言者の身魂即ち天界に籍をおかせられた、地上の天人なる開祖に来つて、聖言を垂れさせ給うことを覚り得るのである。 前巻にもいつた通り、天人は現界人の数百言を費さねば其意味を通ずることの出来ない言葉をも、僅かに一二言にて其意味を通達し得るものである。故に開祖即ち予言者によつて示されたる聖言は、天人には直に其意味が通ずるものなれども、中有に迷へる現界人の暗き知識や、うとき眼や、半ば塞がれる耳には容易に通じ得ない。それ故に其聖言を細かく説いて世人に諭す伝達者として、瑞の御霊の大神の神格に充たされたる精霊が、相応の理によつて変性女子の肉体に来り、其手を通じ、其口を通じて、一二言の言葉を数千言に砕き、一頁の文章を数百頁に微細に分割して、世人の耳目を通じて、其内分に流入せしめむ為に、地上の天人として、神業に参加せしめられたのである。故に開祖の『神諭』を其儘真解し得らるる者は、已に天人の団体に籍をおける精霊であり、又中有界に迷へる精霊は、瑞の御霊の詳細なる説明に依つて、間接諒解を得なくてはならぬのである。而して此詳細なる説明さへも首肯し得ず、疑念を差挟み、研究的態度に出でむとする者は、所謂暗愚無智の徒にして、学で知慧の出来た途中の鼻高、似而非学者の徒である。斯の如き人間は已に已に地獄界に籍をおいてゐる者なることは、相応の理によつて明かである、斯の如き人は容易に済度し難きものである。何故ならば、其人間の内分は全く閉塞して、上方に向つて閉ぢ、外分のみ開け、その想念は神を背にし、脚底の地獄にのみ向つてゐるからである。而して其知識はくらみ霊的聴覚は鈍り、霊的視覚は眩み、如何なる光明も如何なる音響も容易に其内分に到達せないからである。されど神は至仁至愛にましませば、斯の如き難物をも、種々に身を変じ給ひて、其地獄的精霊を救はむと、昼夜御心を悩ませ給ひつつあるのである。あゝ惟神霊幸倍坐世。 (大正一二・一・一二旧一一・一一・二六松村真澄録) |