| 番号 (No.) |
書籍 | 巻 | 章 | 内容 |
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61 (1578) |
霊界物語 | 13_子_フサの国・半ダース宣伝使 | モノログ | モノログ この霊界物語は、全巻を通じて三大潮流が不断に幹流し、時々大小の渦巻が起つて居りますが、何分にも大編著でありますから、一冊や二冊位拾ひ読みを為たぐらゐでは、到底その真相を捕捉する事は出来ませぬ。先づ全巻を読了された上でなければ、如何なる批判も加へる事は出来ない様に成つて居ります。先づ我身魂を宇宙外に置き、無我無心の境地に立つて本書に抱含されたる大精神を見極めて貰ひ度いものであります。 読者の中には霊界物語もマンザラ捨てたものではないが、天地の剖判だとか、神示の宇宙だとか、常世会議だとか、人間の元祖論の如きは折角の神著をして無価値たらしむるものだ、霊界物語も右様の脱線的文章さへ削除すれば、時代遅れの拙劣な小説として見るべきものに成るだらうと、注意を与へて呉れた人もありました。又中には霊界物語の中の脱線的文章は、口述者に頑迷不霊の悪霊が憑依して喋舌り立てた時の作物だから筆録者に於て之を取捨塩梅して発表すると宜いのだが、何を謂つても絶対的服従を以て最大の善事と誤解して居る迷信家だから、薩張仕末に了へない、小波山人でも呼んで来て訂正させたらおトギ話位には成るだらうと、コボして居る人々もあつたさうです。口述者としても合点の行き兼る点が多少ないでも無いが、何と言つても惟神に任して少しも人意を加へない、神の言葉その儘を写し出すのですから、この点も篤とお考へを願ひたいものです。仁慈無限なる神様の方より、天地間の万物を御覧に成つた時は、一切の神人禽獣虫魚草木に至るまで、一として善ならざるは無く愛ならざるは無いのであります。只人間としての行動の上に於て、誤解より生ずる諸多の罪悪が不知不識の間に発生して其れが邪気となり、天地間を汚濁し曇らせ、自ら神を汚し道を破り、自業自得的に災禍を招くに至るものであります。善悪不二、正邪一如、顕幽一致の真諦は、この神著に依つて明白に成る事と確信する次第であります。この物語は凡て宇宙精神の一斑を説示したものであります。大病人などが枕頭にてこの物語を読み聞かされ、即座に病気の全快する位は何でも無い事実であります、之を見ても人間の頭脳の営養物たる事が判ります。大本の大精神は、この書に依つて感得さるべきものでありますから、大本信徒に取つては最も必用な羅針盤なるのみならず、洋の東西を問はず、人種の如何を論ぜず、修身斉家の基本的教訓書ともなり、大にしては治国平天下の軌範たるべき神書たる事を信ずるのであります。大本信徒諸氏よ、変性男子だとか、変性女子だとかの言句に跼蹐せず、凡ての心の障壁を撤廃し、虚心坦懐以て本書に包含する所の五味の真相を闡開されむことを希望する次第であります。 斯く誌す時しも万寿苑[※万寿苑は亀岡の天恩郷の旧称。]瑞祥閣の上空に二羽の鴻鶴ゆるやかに飛揚しつつありしが、暫くありて大公孫樹に一羽、堀端の松樹の上に一羽留まりて羽根を休め、終には竹林の中にその瑞姿を隠しました。丹波の国にて鶴を見ると云ふ事は、数十年来あまり聞かぬことであつて、大本瑞祥会に対する何かの神示慶徴なるべしと、役員等の口々の評定面白く、記念のため一筆茲に附記しておきます。 大正十一年九月二十日旧七月二十九日午前十一時 王仁識 |
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62 (1617) |
霊界物語 | 14_丑_小鹿峠(弥次彦・与太彦) | 07 難風 | 第七章難風〔五五七〕 小鹿峠の急阪を、弥次彦、与太彦、勝彦、六公の一行は、岩根に躓き、木の根に足を掻き、右に倒れ左に転けどつくりの口から出任せ、野趣満々たる俄作りの宣伝歌を謳ひ乍ら、爪先上りの雨に曝され掘れたる路を、千鳥の足の覚束なくも、喘ぎに喘ぎ上り行く。塵も積れば山となる、一尺一尺跨げた足も、始終休まぬ四十八坂を、心ばかりの勝彦が、自慢お箱の十八番の阪の上に、やつと上つて、鼈に蓼を噛ました様な荒息を継ぎ乍ら親も居らぬにハア(母)ハアと息をはづませ辿り行く。 勝『皆サン、此見晴らしの佳い所で、暫くコンパスの停車をして、浩然の気を養つたらどうですか』 弥『サア誰に遠慮会釈もありませぬワ、公然と休養致しませう、天洪然を空しうする勿れだ。しかし休養序に一つ石炭の積込をやりませうかい、斯う云ふ適当な港口は、この先には滅多に有りますまい、どうやら機関の油が涸れさうになつて来ました』 勝『何分アンナ堅い所へ格納されて居たものだから、サツパリ倉庫は空虚になつて了つた、何をパクついて可いか、肝腎の原料はないのだから仕方がありませぬワ、腹の虫が咽喉部まで突喊して来て、切りに汽笛を吹きます、せめて給水なりとやつて、芥を濁したいが、生憎谷は深し、起臥進退維谷まると云ふ腹具合ですワイ、何とか良い腹案はありますまいかな』 弥『オー此処にお粗末な、火にも掛けぬのに焦げた様な色のした握飯が、〆て二個ありますワイ、三途川の鬼婆アサンから記念の為に貰つて来た、形而上の弁当だ、噛む世話も要らねば、五臓六腑にお世話になる面倒も無い。これなつと食つて、唾液でも呑み込んで、食つた気分になりませうかい』 与『オイオイ弥次彦、あた汚い、貴様はまだ娑婆の妄執………オツトドツコイ幽界の妄執が除れぬと見えて、婆アだの、ハナ飯だのと、不潔い事を囀る奴だ、可い加減に思ひ切つたらどうだい』 弥『山に伐る木は沢山あれど、思ひ切るきは更にない………あの婆アサンの、厭らしい顔をして、歯糞だらけのくすぼつた歯を、ニユーツと突出し「親譲りの着物をこつちやへ渡せ」と吐しよつた時の面付を、どうして思ひ切る事が出来るか、飯食ふたびに握り飯のことを思ひ出して、ムカムカして来るワイ』 与『どこまでも弥次式だな、夫れほど恐ろしい婆アに、なぜ貴様は一蓮托生だとか、半座を分けて待つて居るとか、ハンナリとせぬ、変則的なローマンスをやりよつたのだ、得体の知れぬ唐変木だなア』 弥『そこは、外交的手腕を揮つたのだよ。燕雀何ぞ大鵬の志を知らむやだ、至聖大賢の心事が、朦昧無智の人獣に分つてたまるものかい』 与『人獣とは何だ、俺が人獣なら貴様は人鬼だ』 弥『定つた事だよ、天下一品の人気男だもの、それだから、閻魔サンでさへも跣足で逃げる様な、あの鬼婆アが、俺にかけたら、蛸か、豆腐のやうに骨無しになつて仕舞ひよつて目まで細くして、ミヅバナの混つた涎を垂れよつた位だもの………貴様は俺の人気男を実地目撃した正確な保証人だ、勝彦や、六公にも吹聴せぬかい、俺の戦功を報告するのは貴様の使命だ、縁の下の舞と埋没されては、吾々が苦心惨憺の神妙鬼策も何時の日か天下に現はれむやだ』 与『アハヽヽヽ、貴様どこまでも弥次式だな』 弥『定つた事だ、シキだよ、天下一品の色魔だよ。老若男女、貴賎貧富の区別なく、猫も杓子も、鼬も鼈も、蝸牛もなめくぢりも、牛も馬も、この弥次サンに向つては皆駄目だ。アヽ人気男と言ふものは随分気の揉めるものだ。冥土へ行けば行くで、優しうもない脱衣婆アまでが、強烈なる電波を向けるのだから、人気男の色男といふ者は変つたものだよ、古今にその類例を絶つと云ふチーチヤーだ、チーチヤー貴様もこの弥次彦にあやかつたらどうだ』 勝『アハヽヽヽ、ナント面白い人足………オツトドツコイ人気男に出会したものだナア』 弥『ヤア勝サン、お前は私の知己だ、英雄の心事を知る者は、君たつた一人だよ。人気応変、活殺自在、神変不思議の、赤門出のチヤキチヤキのチーチヤアだからネ』 与『アハヽヽヽ、開いた口が塞がらぬワイ』 弥『開いた口が塞がるまい、牛糞が天下を取るぞよ、コンナお粗末な弥次の弥次馬でも、馬糞の天下を取る時節が来るのだから、あまり軽蔑して貰ふまいかい、アンナものがコンナものになつたと云ふ仕組であるぞよ』 与『イヤー吹いたりな吹いたりな、三百十日の大風のやうだのう』 弥『三百十日と云ふ事があるかい、二百十日だらう』 与『馬鹿言へ、貴様は三百代言をやつておつた男だ、十人十日口だと吐して、その日暮しの貧苦の生活に苦しみ、三つ違の兄サン………と云ふて暮して居るうちに』 弥『何を吐しよるのだ、そりや貴様の事だよ、俺ん所は人も知る如く、高取村の豪農だ、下女の一人も使ひ、僕の半人も使つた門閥家だぞ』 与『アハヽヽヽ、半人の僕とは、そらナンダイ』 弥『きまつたことよ、允請ポリスを置いた事だよ』 与『ポリスでも判任官か……判任官の目下ぢやないか』 弥『その点はしつかりと判任せぬワイ、マアどうでも好いワ、貴様も一人前の人間になるのだ。一人一党主義で、快活に誰憚る所もなく、無限の天地に活躍するのが人間の本分だ』 与『エーソンナ雑談は中止解散を命じます』 弥『聴衆一時に立ち、喧々囂々収拾す可らずと云ふ幕だな、アハヽヽヽ』 勝『何と云つても、吾々は米喰ふ虫だ、腹が減つては戦が出来ない、何とか兵糧を工面せなくてはなりますまい』 六『御心配なされますな、今日の兵站部は私が担任致しませう、お粗末な物であなた方等のお口には合ひますまいが、大事なければ、召あがつて下さいませ』 と背中の風呂敷から固パンを出した。 勝『アー有難い、腹がカツカツして殆ど渇命にも及ばむとする所だつたよ』 弥『コラコラ六でもない事を言ふない、六公、人様に物を上げるのに、粗末だとか、お口に合ひますまいとか、そら何んだ、チツト言霊を慎まないか。これは美味しいから献げませう、うまいから食つて見て下さいと言ふのが礼儀ぢやないか……、ナンダ失敬な、食はれぬ様な物や、粗末なものを人に進上するといふ事があるかい。神様に物を献げるのにも、蜜柑の五つ位のピラミツドを拵へて、蕪や大根人参位をあしらひ、千切や昆布、和布、果実、小鮎、ジヤコ位をチヨンビリ奉つて、海河山野種々の美味物を、八足の机代に横山の如く置足らはして奉る状を、平けく安らけく聞し召せ、ポンポン………とやるぢやないか』 六『ハイハイ、あなたの御趣意は徹底しました。併し乍ら私の本心は、この麺包は美味しい結構なものだと思つて居るのだが、一寸遠慮をして、お粗末だとか、お口に合ふまいと言つたのですワ』 弥『口と心の違ふ横道者だナア、虚偽虚飾パノラマ式の生活を続けて、得々然として居るとは、何と云ふ心得ちがひだ。ソンナ事を言ふ奴は、五十万年未来の十九世紀から二十世紀の初期にかけて生れた、人三化七の吐く巧妙な辞令だ、チツト確乎せぬかい』 六『益々以て不可解千万、合点の虫がどうしても検定済みにして呉れませぬワイ』 弥『まだ貴様は分らないのか』 六『日本や支那の道徳を混乱して言つたつて和漢乱は当然ぢやないか、神様は正直と誠実の行ひをお喜びなさるのに、ナンダ、お粗末の物を、ホンの後家婆アの世帯ほど八百万の神様に奉つて、相嘗めに聞し召せとか、海河山野の種々の美味物だとか、横山の如く置足らはしてとか、現幽一致に御透見遊ばす神様の前に、虚偽を垂れて、商売繁昌、家運長久、子孫繁栄、無病息災、願望成就、天下泰平、国土成就、五穀豊穣なぞと、斎官共が吐すぢやないか、一体全体この点が腑に落ちないのだよ』 弥『分らぬ奴だなア、この天地は言霊の幸はふ国だ、悪い物でも善く詔直すのだ。少い物でも沢山なやうに宣り直すのだ、貴様の様に、善い物を悪いと言ひ、美味い物をまづいと云ふのは、言霊の法則を破壊すると云ふものだ。世は禁厭と言つて、勇んで暮せば勇む事が、とつかけ引つかけ現はれて来る、悔めば悔むほど悔み事が続発するものだ、それだから人間は、言霊を清くせなくてはならないのだよ』 六『モシモシ弥次彦サン、チツトの物を沢山だと言ひ、味無い物を美味い物と云ふのは、いはゆる羊頭を掲げて狗肉を売るといふものぢやないか。ソンナ事をすると、現行刑法第何条に依つて詐欺取財の告発を為られますよ。訳の分らぬ盲ばつかりの人間が集つてたかつて拵へた法律でさへも、是丈に条理整然として居るのだ、况して尊厳無比なる神様の御前に、詐欺をやつて良い気で済まして居れると思ふのか、無感覚にも程が有るぢやないか』 弥『定つた事だい、人間は神様の水火から生れた神の子だ、少しでも間隔があつて堪らうかい、無かんかくが当然だよ』 六『ヤア妙な所へ脱線しよつたな、本当に脱線もない………』 弥『脱線は流行ものだい、工事請負人と○○と結托して○○をやるものだから、広軌鉄道であらうが、電鉄だらうが、直に脱線転覆する世の中だ、善人は悪人と見做され、悪人は脱線して善人になると云ふ暗がりの世の中だ、吁脱線なる哉脱線なる哉だ、アハヽヽ』 勝『広軌鉄道とか電鉄とか云ふものは、それや何処に敷設されてるものですか』 弥『ヤア此れから数十万年後の、餓鬼道の世の中の、文明の利器と云ふ名の付く化物のことだよ。アハヽヽヽ』 六『随分あなたの滑車は能く運転しますな、万丈の気焔を吐いて、我々を煙に巻き、雲煙糢糊として四辺を包む態の鼻息、イヤモウ恐縮軍縮の至りですよ』 与『随分巨大なクルツプ砲が装置されて有ると見えますワイ、ホー砲、砲、砲、ホー』 弥『定つた事だよ、与太公や六公の様な、与太六とはチツト原料が違ふのだ、特別大極上等の、豊富なる原料を以て、鍛錬に鍛錬を加へ、製造したる至貴至重なる身魂の持主だ、古今に類例を絶つと云ふ逸物だから、何と言つたつて、弥次彦の足型をも踏めさうな事はないのだ』 勝『モシモシ弥次彦サン、あなたは余程自尊心の旺盛強烈なる御人格者ですネー、自分を称して弥次彦サンと敬語を使ひ、友人に対しては、与太公だの、六公だのと、恰も君王が僕に対する様な傲慢不遜の御態度、三五教の信者にも似合はぬお振舞、どこで勘定が違つたのでせう。これもやつぱり脱線の世の中の感化をお受けになつたのぢやありますまいかな』 弥『ソンナラ是から与太彦サン、六公サンと詔り直しますが、しかしよく考へて見なさい、神を敬する如く人を敬し、我身を敬すべしと云ふ信条が三五教の何処に有つたやうに思ひます。我々は無限絶対力の至貴至尊の大神様の水火を以て生れ出で、天地経綸の司宰者たる特権を賦与されて居る者ではありませぬか、人は神なり、神は人なり、神人合一して茲に無限の権力を発揮するのでせう。吾々の霊肉共に決して私有物ではありませぬ、みな神様の預り物です、さうだから、弥次彦サンと云つたつて別に少しの矛盾も撞着もないぢやありませぬか。神素盞嗚尊様は、大蛇を退治て、串稲田姫と芽出度く偕老同穴の契を結び給ふた時に、自分の胸を抑へて「あが御心すがすがし」と、自分が自分の心を敬はせ給ひ、天照大神様は「われは天照大神なり」と自ら敬語をお使ひになつた。昔の帝様は葛城山に狩猟をなされた時にも、その御腕に虻が食ひ付いた、その時に「あが御腕虻かきつき」と詔らせ給ふたぢやありませぬか、これを見ても敬語と云ふものは、どこまでも使用せなくてはなりませぬよ、決して等閑に附すべき問題ではなからうと拝察するのです。今の奴は、君主でもない友人に対して、君とか、賢兄とか言ひ、僕でもないのに僕だとか拙者だとか云つて、虚偽の生活を送り得意がつて居る逆様の世の中だ、自分の父ほど賢い者は無い、母ほど偉い者は無いと心の中で褒めて居乍ら、愚父だとか、愚母だとか言ひ、自分の息子は悧巧だ、他家の息子は馬鹿だ、天保銭だと心に思ひ乍ら、自分の子を称して、愚息だとか、拙息だとか豚児だとか吐き、他人の馬鹿息子や、鼻垂小僧を御賢息だとか、御令息だとか言つて、嘘で固めてゐる世の中だ。本当に冠履転倒とはこの事だ。女郎の言ひ分ぢやないが、「口で悪う言ふて心で褒めて、蔭ののろけが聞かしたい」と云ふ様な、娼婦的奴根性の人間許りだから、世の中は逆様ばつかり出来るのだ。一日も早く三五教の教理を天下に宣明して、第一着手として、この言霊の詔直しを始めなくては、何時までも五六七の神政は樹立さるるものではありませぬワイ』 勝『イヤア是は是は結構な御託宣を承はりました、斯う云ふお話は度々教へて下さいませ。私も宣伝使となつて、この通り変幻出没、自由自在の活動を続けて来ましたが未だその点に気が付いて居なかつたのです…………吁、何処にドンナ人が隠れて居るやら、何時神様が口を藉つて、戒めて下さるやら、分つたものぢやない。アヽ有難い有難い、惟神霊幸倍坐世、惟神霊幸倍坐世』 与『コレコレ弥次彦サン、お前は又、日頃の言行にも似ず、今日に限つて何故ソンナ深遠な教理を説いたのだい』 弥『ナニ、ナンダカ口が辷つて、中から何者かが言ひよつたのだい、弥次彦の知つた事かい、アハヽヽヽ』 勝『ヤア六サン、結構なお弁当を沢山頂戴いたしました、これで元気も快復しました。サア徐々御一同様、テクル事に致しませうかな』 弥『コレコレ勝彦サン、表は表、裏は裏だ、この道中にソンナ几帳面な挨拶は免除して下さいな、互に無駄口の叩き合で、われ、俺で行きませうかい、何だか肩が凝つて疲労の度を増す様だから…………のう勝公、与太六』 与『与太六とはあまり酷いちやないか』 弥『面倒臭いから、与太公と六公とを併合したのだ、会社でもチツト左前になると併合するものだよ』 与『今俺はパンを鱈腹食つたのだ、空腹前所か、これ見い、この通りの太つ腹だ』 弥『ホンにホンに、全然鰒の横飛見たやうな土手つ腹だな、蟇の行列か、鰒の陳列会か、イヤモウ何んともかとも形容の出来ないお姿だ、コンナ所を三面記者にでも見つけられた位なら、直に新聞の材料だよ。アハヽヽヽ』 折から小鹿山の山颪、木も倒れ岩も飛べよと許りに吹き来る。 弥『ヨー風の神、一寸洒落てゐよるなア。吹くなら吹け、大砲の弥次彦がご通行だ、反対に吹飛ばしてやらうか』 与『アハヽヽヽ、偉い元気だのう、しかし何ほど弥次サンが黄糞をこいて、金の目を剥いて気張つた所で、的サンは洒々落々、風馬牛といふ御態度だから、如何ともする事は出来まいかい』 弥『ヨーヨーこれや意外の強風だぞ、二人づつ肩と肩とをから組んで進まうかい…………与太六、貴様は一組だ、弥次彦は勝公と手を組んで、単梯陣を張つて、驀地に進軍だ。小舟に乗つて大海を渡る時にも、暴風怒濤に出会つた時には、舟と舟と二艘一所に合はして連結んで置くと、容易に顛覆せないものだ。舟じやないけれど、吾々は風に対する風船玉の難を避ける為に、連結んで風の波を漕ぎ渡る事とせうかい。グヅグヅして居ると小鹿峠の渓谷へ顛覆沈没の厄に遭ふかも知れない。サアサア早く早く、連結んだ連結んだ』 四人は二人づつ肩と肩とを組み合せ、風に向つて強圧的に、前方三十五度の傾斜体で坂路を跋渉する。 与『イヨー此奴ア猛烈だ、今日に限つて風の神の奴、どう予算を狂はせよつたのか、勿体なくも、天地経綸の司宰者たる人間様が御通行遊ばすのに、恐れ気もなく前途を抗塞するとは、不都合千万だ。ヤア六公、しつかりせぬかい、吹き飛ばされるぞ』 六『これ位な風に吹飛ばされる気遣はないが、弥次彦サンの気焔には随分吹飛ばされさうだ。アハヽヽヽ』 弥『コラコラ、貴様何をグヅグヅ言つて居よるのだい、この烈風に確乎勇気を出して進まないと、内閣の乗取は不可能だぞ、グヅグヅしてると、九分九厘行つた所で流産内閣になつて了ふかも知れないぞ』 与『エー八釜しう言ふない、如何に神出鬼没の勇将でも、ハヤこの風に向つて、どうして突喊が出来るものかい、千引の岩でさへも中空に巻きあげると云ふ様な風の神の鼻息だ、チツト風の神も、聞直して呉れさうなものだな、この谷間へでも落ちて見よれ、又候幽界の旅行をやらねばならぬぞ』 弥『そら何を幽界、悲観するな、モツト愉快になつて、風を突いて突進するのだ』 与『何と云つても貴様のやうな無茶な事は、俺には到底不可能だ。如何に人間が賢いと云つてもコンナ記録破りの暴風に出会しては、人間としては到底不可抗力だ、………オイ一寸そこらで一服したらどうだい』 弥『三五教に退却の二字はないぞ、どこ迄も唯進むの一事あるのみだ。一度に開く梅の花、何時までも風の神だつて、さう資本が続くものぢやない。グヅグヅ吐かすと足手纏ひになるから、貴様と俺とは最早国交断絶だ、旅券を交附してやるから、サツサと本国へ引返したが宜からうぞ』 与『アーア仕方のない頓馬助だナア……オイ六公、マア見とれ、向意気ばつかり強いが、タツタ今風に煽られて、再幽冥界の探険と出かけるのが落だぞ』 この時山岳も崩れ、蒼天墜落するかと思はるる許りの音響と共に、最大強烈なる暴風吹き来るよと見る間に、弥次彦の羽織袴の袂に風を含んで、勝彦と手を組んだまま、中空に吹あげられ、空中飛行の曲芸を演じつつ、風に追はれて谷間の彼方に、悠々として姿を隠した。不思議や烈風は、嘘をついた様にケロリと歇んだ。 与『ヤア大変だ、意地の悪い風だないか、弥次彦を吹飛ばして置きよつて、それを合図にピタリと休戦の喇叭をふきよつた様なものだ』 六『あまり弥次公は大法螺をふくものだから、風の神の奴、一つ懲しめてやらうと思つて、何でも早うから作戦計画をやつて居つたのに違ないぞ、何だか夜前から雲行が悪いと思つて居つた。ヤア夫れにしても吾々はこの儘に放任して置く訳には行かず、滅多に天上した気遣はなからうから、吾々両人は此処で一つ捜索をせなければなるまいぞ』 与『ナアニ、彼奴ア風に乗つて、コーカス山へお先へ失礼とも何とも言はずに、参詣しよつたのだらうよ。アハヽヽヽ』 六『ソンナ気楽な事を言ふて居る場合じやあるまい、是から両人協心戮力して、両人が在処を探さうじやないか』 与『探すもよいが、拙劣に間誤つくと、冥土の道伴にならねばならないかも知れないぞ、俺はモウ冥土の旅は一度経験を積んだのだから、余り苦しいとも思はぬが、貴様は初旅だから勝手も分らず、随分困るだらうよ』 六『エーろくでもない事を言ふものじやないワ、言霊の幸はふ世の中だのに』 与『風玉の災する世の中だ、アハヽヽヽ』 二人は弥次彦、勝彦の散りて行つた方面を指して、顔の色を変へ乍ら、急いで元来し道に引返し、二人の所在を捜索することとなつた。吁、二人の行衛はどうなつたであらう。 (大正一一・三・二四旧二・二六松村真澄録) |
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霊界物語 | 15_寅_顕恩郷/スサノオの経綸/高姫登場 | 06 北山川 | 第六章北山川〔五七三〕 誠を教ふる四方の国広道別の宣伝使 太玉命に従ひてハムの一族婆羅門の 教を築き立て籠る顕恩城に向はむと エデンの河の渡し場に来る折しも枉神の 篠つく征矢に悩まされ或は倒れ又溺れ 木葉微塵に船は割れ一同エデンの河底に 沈みつ浮きつ河下の巌の間に挟まれて 露の玉の緒縡れし其折柄に何処よりか 微妙の音楽聞えきて救ひの網を下しつつ 妙音菩薩の御守りに生命拾ひし五人連れ 忽ち来るコーカス山の神の使ひの鷹津神 小脇に抱へ中空を東を指して翔り行く 安彦、国彦、道彦や百舌彦田加彦五人連れ 神に救はれ北山の千尋の谷間の砂原に 投げ下されて目を醒まし一途の川に向ひたる 夢の思ひ出恐ろしく身慄ひし乍ら起上り 四方の景色を眺むれば此はそも如何に此は如何に 山と山とに包まれし細谷川の川の辺に 枕を並べて睡るこそ実に訝かしの限りなり 実にも不思議の極みなり。 国彦『アーア恐ろしい事だつた。胆玉がすつての事で洋行する処だつたよ。マアマア御蔭様で何うやら無事着陸した様な塩梅だ。能う不思議な事があればあるもの、エデンの河を渡る時に肝腎のスクリウを押し流し、乗つたる船は波にまかせ、生た心地も無く生命からがら神言を奏上する間もなく、無残や吾船は激流の中に立てる大岩石に向つて大衝突を試み脆くも木つ葉微塵の厄に遭ひ、太玉命の宣伝使を始め吾々一同は水の藻屑となつたと思へば際涯もなき草野の原を五人連れ、テクテク彷徨ひつつ濁流漲る辺にやつと到着し、怪しき婆の妙な器械に操られ、木の葉の如く天上高く捲き上げられ、生命も今や絶えむとする折しも大空に轟く雷の声、稲妻の光に打たれて地上に真逆様に墜落し、骨も身も木つ葉微塵になつたかと思ひきや、不思議にも生命を助かつたは全く大神様の御守護だ。何しても不思議な事だ、吾々は飽迄も生命のつづく限りお道の為に驀進せなくてはならないなア』 安彦『何とも知れぬ吾々の境遇、夢に夢見る心地がして現界に居るのか、幽界に居るのかまだ判然と確信がつかぬ哩、ヤイ道彦サン、お前は如何思ふか、矢張冥土の旅をやつて居るのではあるまいかなア』 道彦『サア斯うなつて来ては薩張り見当が付かない。現幽混淆、判然と区劃がついてゐないのだからお前の考へも決して馬鹿げた事とは断定出来ないなア』 百舌彦『モシモシ宣伝使様、彼処に生つて居る香具の木の実を一つ採つて食つて見ませう。幽界の果実は総て苦味があると言ふ事ですから、若しも苦かつたら矢張り幽界でせうし、酢つぱかつたら矢張り現界でせう。私が一つ木登りをして採つて来ませうか』 国彦『それは良い考へだ、早く登つて採つて見て呉れ。然し乍ら比較的大木だ。枝も高いなり用心して登らないと、今の夢の様に空中滑走を演じて樹下の岩石に頭蓋骨を衝突させ、又もや幽界の行脚をする様な事ではつまらないから十分に気をつけて呉れ給へ』 百舌彦『私は顕恩郷に於ても猿の百舌公と言はれた位木登りの名人ですから、決して決して御心配はして下さいますな』 と言ふより早く猿の如くに大木の枝高く登り行く。田加彦は樹下に立寄り、 田加彦『オーイ、百舌彦、どうだ。酸つぱいか、苦いか、甘いか、どちらだ』 百舌彦はむしつて皮を剥き、グツと頬張り又むしつては皮を剥き、咽喉をならせ乍ら眼を細くして肩をすくめて食つて居る。さうして皮を掴んでは、樹下に口を開けてポカンとして見上げてゐる田加彦の顔を目蒐けて打ちつける。 田加彦『オーイ、百舌公、どうだ、味は、……早く返答せぬかい』 百舌彦『八釜しい哩、二十や三十食つたつて味が分るかい。酸いか、甘いか、苦いか、三つの中だ。坂の下の子供ぢやないが、お上り遊ばすのを悠然と見て御座れ。アヽ酸い事も無い、甘い事もない、苦い事もない哩。何だか言ふに言はれぬ味がする、アヽ生とればこそコンナ美味しい物が沢山に頂けるのだ。オイ田加公、貴様も一つ登つて食つたら如何だ』 田加彦『俺は貴様の知る如く身が重くつて木登りは出来ないのだ。屋根葺きの手伝と木登りする奴は馬鹿の中の大関と言ふ事だ。オイ馬鹿の大関、一つ美味相な奴を落さぬかい』 百舌彦『仲々一寸落さぬ哩、落したら最後、貴様が皆拾つて食つて仕舞ふから落し損だ。それ程欲しけりや猿蟹合戦ぢやないが、瘡蓋のカンカンの石の様な奴を落して与らうか』 と云ふより早く田加彦の頭を目蒐けてピシヤツと打ちつける。田加彦は烈火の如く憤り手頃の石を拾つて樹上目蒐けて速射砲的に打ちつける。百舌彦は青き果実をむしつて田加彦目蒐けて打ちつける、此場に一場の戦闘は開始された。百舌彦は飛び来る石を右に賺かし左に賺かし、樹上を猿の如く駆廻り足踏み外しスツテンドウ…………、田加彦が頭の上に真逆様に唸りを立てて落下した。田加彦はヤツと一声、体を躱した途端に蛙をぶつつけた様に百舌彦は大地に大の字になつてウンと一声、手足を伸ばしビリビリビリ、眼の玉はくるくるくる、一言も発せず、フンのびて仕舞つた。 安彦『ヤア大変だ、酸いとも苦いとも判断のつかぬ中に落命されては吾々も益々方向に苦しむ訳だ。何とかして甦らせ確な答を聞き度いものだ。オイ田加彦、百舌彦は貴様が殺した様なものだ、此責任は貴様にあるぞ。何とか工夫を致さぬかい』 田加彦『鷹も百舌も一所には寄せぬぞよと神様が仰有ります。私は田加彦、到底百舌の世話は出来ませぬ』 安彦『何を愚図々々言つてるのだ、早く水でも呑まして与れ、死んだら如何致すか』 田加彦『一旦吾々一同は死んだのですから滅多に死ぬ様な事はありますまい。死んだ奴の昼寝でせう、マア悠然目の醒める処まで放つといたら如何でせうか。大分に百舌公も空中飛行の疲労が出て居るから、マアマア大目に見てやつて下さいな』 道彦『ヤア国彦サン、安彦サン、どうも吾々は未だ現界の人間らしい、百舌公を此儘にして置けば本当に死んで仕舞ひます。何卒一同揃うて神言を奏上してやつて下さいな』 三人は異口同音に天津祝詞を奏上し始めた。百舌彦は忽ち身体振動し、大口を開けて、 百舌彦『アヽヽ』 と声張り上げ、中風病みの様に涎をダラダラ流しかけムクムクと身体を動かし始めた。 安彦『ヤアヤアもう此方の者だ、生命丈は大丈夫だ』 百舌彦は忽ち四つ這ひになり、ヒンヒンヒンと馬の様な嘶きを連発し乍ら足を以て河砂を足掻し、ムクムクと這ひ出した。 田加彦『ヤア此奴一旦死によつて馬に生れて来よつたナ。大善大悪に中有は無いと言ふ事だが如何にも此奴は常から大悪人だつた。中有なしに忽ち畜生道へ早変り、否生れ代り、俺も今迄永らく交際つた誼で此奴の馬に跨つて与れば因業が満ちて再び人間に生れて来るだらう。サア百舌彦の四つ足、貴様は余つ程幸福者だ。労役に服する畜生も沢山あるのに、勿体なくも三五教の宣伝使の御供、田加彦サンを乗せて歩くとは何たる幸福者ぞ、サア駆出せ駆出せ』 百舌彦『ヒンヒンヒン』 田加彦『ヤア此奴は本式だ、馬にしては少し背が低いから乗り心地が悪い。然し乍ら資金要らずの小馬だから辛抱するかい』 と云ひつつ百舌彦の背に跨つたまま、有りあふ木片を以て鞭に代へ無性矢鱈に鞭つた。忽ち百舌彦は身体膨張し、象の如き巨大なる人面獣体の怪しき獣となつて仕舞つた。 田加彦『ヤア三人の宣伝使様、御覧の通り顔は人間、胴体は象の様な大きな脚の太い馬が出来ました、皆サン御一緒にお乗りになつては如何ですか。昔エデンの園で此世の造物主の大神様がアダムとエバとの二人の男女にこの果物を食ふなと警められた。それも聞かずにエバの奴、餓虎の勢でムシヤムシヤと採つて食ひ、ハズバンドのアダムに迄勧め食はして遂に神罰に触れ、其邪気は凝つて八頭八尾の大蛇となり、金毛九尾の悪狐となり天下に横行する様になつたと云ふ事だ。罰は覿面、百舌公の奴、此結構な果実を唯一人吾物顔に人にも呉れず食つた酬い、樹上より顛落して生命を失ひ、忽ち畜生道に陥りコンナ怪体な人獣となつて仕舞つた。皆サン、袖振り合ふも他生の縁だ、此奴の罪亡ぼしの為めに乗つてやつて下さいな』 百舌彦の身体は忽ちウ、ウ、ウと唸り始めた。 田加彦『エー静かにせぬかい、あまり唸りよるので貴様の身体中がビリビリ震うて、俺の尻まで擽ゆくなつて来た。八釜しう吐すと尻を叩くぞ』 と木片を以てピシヤリピシヤリと打ち叩く。人象は上下に運動を始めた。初めの間は四五尺の間を上下しつつあつたが遂には七八間の中空を昇降し、上下左右に躍り始めた。其震動に跳飛ばされて田加彦は以前の香具の木の枝に噬み付き顛落を免れた。人象の姿は忽ち容積を減じ以前の百舌彦の姿に還元して仕舞つた。 百舌彦『アハヽヽヽ、オイ田加彦、どうだ、酸いか、甘いか、苦いか、返答せぬかい』 田加彦『ナヽヽヽ、何を吐しよるのだ。酸いも、甘いも苦いもあつたものかい。俺をコンナ甚い辛い目に会はせよつて、こら、俺が死んだら化けて出てやるからさう思へ、ヒユー、ドロドロドロぢやぞ』 百舌彦は目を剥き舌をペロリと出して、 百舌彦『御縁があつたら又お願致します、サアサアサア三人の宣伝使様、彼奴をああして香具の木の実に預けて置けば死ぬ迄大丈夫です。皆サン一時も早く此場を立ち去り宣伝に向ひませう』 安彦『アハヽヽヽ』 国彦『オホヽヽヽ』 道彦『ヤア百舌彦、貴様は化物だ、妙な病気を持つてるな。然し乍ら田加彦をあの儘に放擲て置く訳にはゆくまい、之は貴様の責任だからソツと樹下に下して連れて行くが宜からう』 田加彦『モシモシ道彦サン有り難う御座います、能う言つて下さいました。人情知らずの安彦、国彦の宣伝使、百舌彦の馬鹿野郎、永らく御心配を掛けました、大きに憚り様』 と云ひ乍ら猿の如く樹上よりスラスラスラと下つて来た。四人一度に、 一同『アハヽヽヽ』 と転けて笑ふ。田加彦は百舌彦の尻をクレリと引ん捲り、 田加彦『コラ、屁放き馬、能く此方を馬鹿にしよつたな』 百舌彦は『何ツ』と云ひ乍ら矢庭に拳骨を固めて田加彦の頭を続け打ちにポカポカとやつた。田加彦は烈火の如く又もや拳を固めて骨も挫けと打下す。此時遅く彼時早く、百舌彦は細くなつて雑草茂れる田圃道を一目散に駆け出す。田加彦は、 田加彦『おのれ百舌彦、卑怯未練な、逃がしてならうか』 と尻ひつからげ後を追つかけ、雲を霞と彼方を指して姿を隠して了つた。 安彦『ヤア、面白き活劇を見物した。然し乍ら此儘にして居れば二人の奴、如何な事をするかも知れない。国彦、道彦殿、一時も早く後追つかけて彼の所在を探しませう』 と安彦は慌しく先に立つて駆出せば、二人も続いて跡を追ひ行く。 (大正一一・四・一旧三・五北村隆光録) |
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霊界物語 | 15_寅_顕恩郷/スサノオの経綸/高姫登場 | 13 神女出現 | 第一三章神女出現〔五八〇〕 神素盞嗚の大神は天の岩戸の変に依り 百千万の罪咎を其身一つに引受けて 千座置戸の艱難辛苦神の御運も葦原の 瑞穂の国を此処彼処漂ひの旅に出立ち給ひしより 今まで影を潜めたる八岐大蛇や金毛九尾 醜の曲鬼遠近に又もや頭を擡げつつ 此世を紊すウラル教バラモン教やウラナイの 教の道の人々の肉の宮居を宿となし 以前に勝る悪逆無道世人の心は悉く ねぢけ曲りて一柱誠を守る者も無く 世は日に月に曇り行く遠近の山の伊保理や川の瀬に 伊猛り狂ふ曲神の声は嵐か雷か 譬ふる由も地震の一時に轟く騒がしさ 山川どよみ草木枯れ非時雨は降り頻り 風荒らぎて家を倒し木々の梢は裂き折られ 木の葉は破れて鋸の歯を見る如くなりにけり。 神素盞嗚の大神は、神代に於ける武勇絶倫の英勇にして、仁慈の権化とも称ふべき、瑞霊の雄々しき姿、漆の如き黒髪を長く背後に垂れ給ひ、秩序整然たる鼻下の八字鬚、下頤の御鬚は、瑠璃光の如く麗しく、長く胸先に垂れ給ひ、雨に浴し風に梳り、山と山とに囲まれし、西蔵国に出で給ふ。 地教山に現はれて、一度は尊の登山を塞ぎ奉りし鬼掴は、昔ペテロの都に在りて、道貴彦の弟と生れたる高国別の後身、幾度か顕幽二界に出没し、又も身魂は神界の、高天原に現はれて、天の岩戸の大変に差加はりし剛の者、神素盞嗚の大神の、清き御心推しはかり、義侠に富める逸男の、いかで此儘過ごすべき、天教山に坐しませる、皇大神の御言もて、地教の山に立ち向ひ、一度は神命もだし難く、瑞の霊の大神に、刃向ひまつり、尊の登山を悩まさむとしたりしが、心の奥は裏表、神素盞嗚の大神を、心の限り身の限り、助け奉らむものをとて、地教の山に夫れとなく、尊の登り来ませるを、今か今かと待ち居たる、其御心ぞ尊けれ。 神素盞嗚の大神は、高国別を伴なひて、地教の山を後にして、青垣山を繞らせる、豊葦原の秘密国、凩荒び雪深き、ラサフの都に差掛る、斯かる例は昔より、まだ荒風のすさぶ野を、神を力に誠を杖に、心の駒の嘶きに、勇み進んで出でて行く。一天俄に掻き曇り、灰色の空ドンヨリと、包む折しも降り来る、激しき雪に二柱、とある藁屋に駆け込みて、一夜の宿を請ひ給ふ。 素盞嗚尊は門口に立ち、声も静に、 素盞嗚尊『吾々は漂ひの旅を致す二人連、雪に閉され日は暮果て、行手に困り、困難を致す者何卒お慈悲に一夜の宿を許せかし』 と訪ひ給へば、 娘『アイ』 と答へて一人の浦若き娘、門口に立ち現はれ、 娘『これはこれは旅のお方様、さぞ雪にお困りで御座いましたでせう。みすぼらしい茅屋なれど、奥には相当の広き居室も御座いますれば、どうぞ御寛りと御休息を願ひます』 尊は、 素盞嗚尊『アヽ世界に鬼はないもの……夫れは千万忝ない、御言葉にあまえ、今晩はお世話になりませう』 娘『どうぞ、そうなさつて下さいませ、奥へ御案内致しませう』 と娘は淑やかに、足許優しく奥の一室に二人を導き行く。二人は娘の案内に連れ、奥の一室の囲炉裡の前に安坐して、手をあぶりつつ、ヒソヒソと話に耽り給ふ。此時主人らしき男揉手をし乍ら此場に現はれ、二人に向つて叮嚀に会釈し、 主人『これはこれは旅の御方様、能くも此茅屋に御逗留下さいました。何分焚物の不自由な所にて、嘸お困りで御座いませう』 と云ひ乍ら、黎牛の糞の乾きたるを籠に盛りて、囲炉裡に焚べ、室を暖めるのであつた。此地方は四面高山に包まれたる、世界の秘密国にして、交通不便の土地なれば、他国人の入国を許さざる所である。されど高天原の大事変より、人心大に軟化し、稍世界同胞主義に傾きたる折柄なれば、他国人の入り来るを、今は反対に歓迎し、物珍らしがりて、部落の老若男女先を争ひ訪ね来り、面白き話を聴聞せむとするのである。平素の燃料は麦藁又は黎牛の糞を乾かせて用ゐ、麦を炒りて粉末とし、食料として居る。一時晴るれば、一時雪霰降り来り、天候常に定まらざる土地である。世界に於ける大高地なれば、穀物も余り豊熟ならず、豊作の年と雖も、例へば五升の麦種を蒔いて、一斗の収穫を得れば、是を以て豊作となす位な所である。この家の主人の名はカナンと云ふ。カナンは炒麦の粉を木の椀に盛り、茶を沸かせ持ち来り両手をつき、 カナン『お二人のお方、御存じの通り不便の土地、他国の方に差上ぐる様な物は御座いませぬが、此れが吾々の国にては、最良の馳走で御座いますれば、ゆるゆる召しあがり下さいませ』 と言ひ棄てて一室に姿を隠したり。二人は麦の炒粉に茶を注ぎ、匙もて捏ね乍ら食事せる最中に、五人の美しき娘この場に立現はれ、叮嚀に両手をついて辞儀をなし、一度に立つて歌を歌ひ且舞ひ、二人の旅の疲れを慰めむと努むる様子なり。 素盞嗚尊『ヤア各方、遅がけに参り、御邪魔を致した上、結構な馳走に預り、実に満足の至りである。汝等は此家の娘なりや』 と言葉も終らざるに、年長の娘、 娘『ハイ妾は此家の主人カナンの妻で御座います。此処に居りまする女は、皆妾の姉妹何れもカナンの妻となつて楽しき月日を送る者、併し乍ら高天原より神素盞嗚の大神様、千座の置戸を負はせ給ひ、何処ともなく落ち行き給ひしより、今迄平穏無事なりし此秘密郷に、ウラナイ教の魔神侵入し来り、古来の風俗を攪乱し、人心恟々として安き心無き折柄、又もやバラモン教の邪神、潮の如く押寄せ来り、今や国内は恰も修羅の巷の惨状で御座います。神素盞嗚の大神が此大地の御主宰と現はれましたる世は、此秘密郷も実に天国楽土の様なもので御座いましたが、大神様がお隠れ以来と云ふものは、俄に国外より諸々の悪神入り来つて、種々の変異をなし、此儘に放任せば、忽ち地獄道を現出するやも計り難しと、国人の心ある者は、再び大神の出現を希ひ、茶断ち塩断ち火の物断ちを致し、天に祈願を籠めて居ります。夫故ここ一月許りは、吾々は総ての飲食を断ち、日夜祈願を凝らし、善根を励み居りまする様の次第、御相手も仕らず、御無礼の段は、右様の次第なれば、何とぞ悪からず御見直して下さいませ、一同の姉妹に代りて御願ひ致します』 素盞嗚尊は双手を組み、両眼より涙をホロホロと落し、黙然として吐息をつき給ふ。 高国別『アヽ実に感心だ、有難い有難い。汝等国人が憧憬する、神素盞嗚の大神様は、即ち此処に……否……やがて此国に御降臨遊ばして、汝等が望みを叶へさして下さるであらう、必ず心配されなよ』 カエン『妾はカナンの妻カエンと申す者、どうぞ宜しくお願ひ致します。十日も二十日も、百日も、永く御逗留を願ひます。何分此国は食物の穫れない国で御座いまするから、家を増加す事は出来ませぬので、此通り一戸の内に家内が沢山居るので御座います。吾夫は妾が兄で御座います』 高国別『さうすると、此国は一夫多妻主義だな』 カエン『ハイハイ、已むを得ず、妾の家庭は一夫多妻、家に依りては多夫一妻の所も御座います』 高国別『ハテナア、モルモン宗の様だワイ』 カエン『ホヽヽヽヽ……夜も早深更に及びました、どうぞ御寛りと御就寝み下さいませ』 と五人は一度に挨拶をし乍ら、次の室に姿を隠したり。 尊『高国別殿、今晩はゆるりと寝まして貰はうかい』 高国別『有難う御座います』 と傍の物入より獣の皮を取り出し、之れを敷き、幾枚も幾枚も重ねて、二人は安々と寝に就き玉ひける。 此国の風俗は、戸数を増加す事を互に戒めて居る。例へば六人の兄弟があつて、其中の一人が男であれば、此男を夫とし、決して他家へ縁付はせないのである。又一戸の家に五人の男があり、一人の娘の出来た時は、五人の夫に一人の妻といふ不文律が行はれて居る。夫れ故男子許り生れたる時、或は女子許り生れたる時は、此家の血統は絶えて了ふといふ不便があるのである。茲に素盞嗚尊は、此惨状を見るに忍びず、他家と縁組をすることを許された。是れより素盞嗚神を縁結びの神と賞讃へ、此国にてはイドムの神として、国人が尊敬する様になつた。 素盞嗚尊は、男女の囁き声にフト目を醒まし、耳を澄して聞き給へば、何事か祈りの声である。尊は高国別の肩をゆすり乍ら、 尊『ヤア高国別、目を醒されよ。何だか怪しき人の祈り声』 と言葉終らぬに、高国別はパツと跳起き、 高国別『如何にも大勢の声で御座います。最前も此家の女房カエンとやらの話に、茶断ち、塩断ちを致し、素盞嗚尊の再出現を祈つて居るとか聞きましたが、大方ソンナ事ではありますまいか』 尊『吾は此室に於て休息致し居れば、汝はこれより事の実否を調べ来れよ』 高国別『承知致しました』 と此場を立つて、忍び足に声する方に進み行く。見れば数十の男女、真裸の儘、庭前の野原に両手を合せ蹲踞み乍ら、力なき声を振絞り、何事か一心不乱に祈願をこめ、やがて一人の男、大麻を打振り乍ら神懸状態となつて、驀地に西北指して駆け出したり。数多の男女はわれ遅れじと一生懸命に追跡する。されど永らくの断食に身体弱り、転けつ輾びつ其後を追ひ行く。高国別はその状況を瞬きもせず打眺めて居たが、知らず識らず自分も歩み出し、引きずらるる如き心地して、大勢の後に忍び忍び従ひ行く。遥前方に当りて枯芝の盛りたる如き小さき饅頭形の丘が見えて居る。麻振りつつ先に進んだ男は小丘の上に突つ立ち、何事か叫び乍ら、麻を前後左右に打振り打振り狂気の如く踊り廻り、飛びあがり跳まはり、キヤツキヤツと怪しき声を立てて居る。数十人の老若男女は同じく小丘の上に駆けあがり、これ亦先の男と同様踊りまはり跳廻る。高国別は原野の草に身を隠し、其怪しき祈祷を息を殺して見つめて居た。暫くあつて麻持つた男は、小丘の彼方に忽ち姿を隠した。続いて数多の男女は一人減り二人減り、三人、五人と数を減じ、終には唯一人の麗しき女を残して、残らず姿を没して了つた。 高国別『ハテ、不思議な事があればあるものだ。あれ丈け大勢の老若男女が、何処へ往つたか、見渡す限り目を遮る物なき此広原に、煙の如く消え失せるとは合点の行かぬことだ。まさか大地に吸収されて粉末になつたのでもあるまい』 と独ごち乍ら、前後左右に心を配り、一足々々進み行く。一人の娘は小丘の上に双手を組み、稍伏目勝に無言の儘俯むいて居る。高国別はつかつかと進み、 高国別『何れの女中か知りませぬが、先程物蔭にて窺へば、幣束を持てる男の後より数十人の男女、此小丘を目がけて駆け上り、前後左右に踊り狂ふよと見る間に、忽ち姿は消え失せて了つた。あなたは其中の一人らしく思はるるが如何なる次第なるか、詳細に………お構ひなくば物語られたし。吾は天下を救ふ神の使………』 と問ひかけたるに、女は其声に驚いて高国別の顔を打見守り、首を左右に振つて何の応答もせざりける。高国別は已むを得ず、自ら小丘に駆け上り、附近を一々点検すれ共、別に穴らしきものもなければ、人の倒れたる姿も見えぬ。虫の声さへ聞えない。高国別は、 高国別『ハテ訝かしや』 と丘上にどつかと坐し、双手を組んで思案に暮れ居たり。此時、以前の女は、突然高国別の首に細紐をひつかけ、背中合せに負ひ乍ら、トントントンと元来し路へ走り出す。高国別は喉を締められ、息も絶え絶えに、手足を藻掻きつつ負はれて行く。大の男が命懸の大藻掻きに屁古垂れたと見え、女は一二丁来たと思ふ時、石に躓き、脆くも其場に倒れた。途端に女は細紐を放す、高国別はヒラリと身返りし起上り、女の素首をグツと握つて、 高国別『コラ汝は大胆不敵の曲者、容赦はならぬぞ』 と蠑螺の如き拳骨を固めて、骨も砕けよと許り、打下ろさむとする形勢を示す。併し高国別の心の中は、決して此孱弱き女を打擲する心は、毫末もなかつた。唯勢を示して事実を白状せしめむ策略であつた。 女は、 女『ホヽヽヽヽ、あのマア恐ろしいお顔わいなア。ソンナ怖い顔をなされますと、此西蔵の国は女房になる者が御座いませぬよ。あのマアおむつかしい顔……ホヽヽヽ』 高国別『アハヽヽヽ、ナント大胆至極な女もあればあるものだなア』 女『オホヽヽヽヽ、何程怖い顔をなさつて、拳を固め、妾を打つ様な形勢をお示しになつても、あなたの腹の中はさうではありますまい。何を言うても、一方は孱弱き女一方は鬼をも挫ぐ荒男の英雄豪傑、どうして繊弱き女が、………馬鹿らしくも打擲が出来ませう』 とニタリと、高国別の顔を打まもる。 高国別『ナント妙な女だ。………コラ女、此方はソンナ優しい女の腐つた様な男でないぞ、鬼雲彦の一の家来の鬼掴とは俺の事だ。頭からかぶつて喰てやらうか……』 女『ホヽヽヽヽ、夫れ程偉い鬼掴なら、何故妾に油断をして、細紐に喉を締められたのか。それや全く偽り、お前は高天原から下り来たれる高国別であらうがなア』 高国別『イヤ拙者は決して左様な者では御座らぬ。悪逆無道のバラモン教の悪神だ。この方が此国に現はれた以上は、何奴も此奴も、片つ端から雁首を引抜いて、御大将鬼雲彦や、八岐大蛇の神に御馳走を献上するのだ』 女『ホヽヽヽヽ、置かんせいなア、これ高サン』 と肩をポンと叩く。 高国別『オイ馬鹿にするな。金毛九尾のお化奴が色で迷はす浅漬茄子、何程巧言令色の限りを尽し、吾を誑惑せむとするも、女にかけては無関係、没交渉の拙者だ。女色に迷うて、どうして此悪の道が弘まらうかい。グズグズ吐すと股から引裂いてやらうか』 女『サアサア股からなつと、首からなりと、あなたに任せた此体、一寸刻か五分試し、焚いて喰はうと、焼いて喰はうと、あなたの御勝手、妾は夫れが満足で御座んす。ホヽヽヽヽ』 高国別『益々分らぬ奴だ。エー、怪つ体の悪い、此広野ケ原で幸ひ人が居ないから好いものの、天知る地知る吾も知るだ。七尺八寸の荒男が、六尺足らずの繊弱き女に口説かれて、グズグズ致して居るのは、実に何とも慚愧汗顔の至りだ………オイ女其方は一体全体何者だ。早く化の皮を現はさぬか』 女『ホヽヽヽヽ、妾はあの天教………否々やつぱり化物の女で御座います』 高国別『アハア、さうか、貴様はやつぱり、癲狂院代物だな。コンナキ印に暇を潰して居つては尊様に対して申訳がない………オイ女、貴様ゆつくりと、夢でも見て、独言を言つて居るが宜からう』 と踵を返し、小丘を指して進み行かむとす。以前の女又もや細紐をパツとふりかけた途端に、足をさらへられて、大の男はドスンと大地に倒れた。 高国別『アイタヽ、エーエーまた引つかけよつた。馬鹿にするない、モウ了見ならぬぞ』 女『ホヽヽヽヽ、高国別の弱い事わいのう、アイタタとは、そら何とした又弱音を吹きやしやんす。ひつかけ戻しの仕組ぢやぞい。神が綱を掛けたら、逃げやうと言つても逃しはせぬ、アイタタとは誰に会ひたいのだエ、神素盞嗚の大神にか………』 高国別『エーやつぱり此奴ア金毛九尾の化狐だ。何もかも皆知つてゐよる、サアもう勘忍袋の緒が切れた、………ヤア女、此高サンが首途の血祭だ、覚悟を致せ……』 女『ホヽヽヽヽ、あの言霊でなア』 高国別『エー言霊もあつたものかい、高サンの腕力で荒料理だ、覚悟を致せ』 女『ホヽヽヽヽ、妾は数万年の昔より、磐石の如き覚悟を定めて居りますよ。あのソワソワしい高サンの振舞、わしや可笑しい、ホヽヽヽヽ』 高国別『エー邪魔臭い、コンナ奴に相手になつて居つたら、日が暮れるワイ。兎に角怪しき彼の小丘、一伍一什を取調べて尊様へ報告を致さねばなるまい、尊におかせられても、さぞやお待兼であらう。エー此綱を此奴に持たして置けば、又もやひつかけ戻しに遭はしよるかも知れない』 と云ひ乍ら、細紐をクルクルと手繰つて、懐に捩ぢ込まうとする。 女『ホヽヽヽヽ、広野ケ原で七尺八寸の泥棒が現はれた、ナントまあ甲斐性のない泥棒だこと、女の腰紐を奪つて帰る様な泥棒にロクな奴はない』 高国別『エー面倒臭い、今度は真剣だ、股から引裂いてやらう………ヤイ女、俺が怒つたら、本真剣だ』 女『オホヽヽヽヽ、其本真剣も怪しいものだ、細紐一本で貴重な女の生命を取らうとする腰抜泥棒………美事取るなら取つて見よ。妾もサル者、此細腕の続く限り、力の限り、お相手になりませう』 高国別『アハヽヽヽ、一寸やりよるな、…………アーア、女子と小人は養ひ難しだ。ヤア何処のお女中か知らぬが、観客の無い芝居は根つからはづまない。モウ此処らで幕切れと致して二人手に手を取つて、二世や三世はまだ愚、五六七の世までも、生死を共に、死出も三途も、駱駝の道伴れ、鴛鴦の衾の睦み合ひと云ふ段取だ。サアサア最早平和克復だ。あなにやしエー乙女、チヤツとおじや』 と目を細くし、舌をペロリと出して、腰付怪しく手を差し延ばせば、女は三十珊の榴弾を撃つたる如く、 女『マア好かんたらしいお方』 と云ひ乍ら、肱鉄砲を二三発乱射したり。 高国別『アイタヽ、益々合点の行かぬ剛の女、古今無双のヒーロー豪傑、高国別も半分許り感服仕つた』 女『ホヽヽ、自我心の強い高国別、半分感服とはそりや何の囈語』 高国別『イヤもう全部感服仕つた。金毛九尾白面の悪狐と云ふ奴は実に巧なものだ。それ位の力量がなくては、到底此秘密郷を蹂躙する事は出来ないワイ。何は兎も有れ是から貴様の気に入らぬ彼の土饅頭の探険だ』 と大股にノソリノソリと駆出したり。 女は(義太夫調) 女『マアマア、待つて下さいませ。折角顔見た甲斐も無う、モウ別るるとは曲がない。お前に会ひたさ、顔見たさ、死なば諸共死出三途、神々様に願をかけ、先へ廻つてお前の行衛、お前の来るのを待つて居た妾が思ひ、物の憐れを知らぬ男は、人間ではあるまい、妾が切なき思ひを推量して下さんせ』 高国別『アーア馬鹿にしよる、斯うして何時までも暇取らせ、其間に数十人の老若男女を計略を以て虐殺するの計画であらう。………エー邪魔ひろぐな』 と女を蹴飛ばし、踏み散らし、韋駄天走りに進み行く。 女『オーイオーイ、高サン待つた』 高国別『エー待つも、待つたもあるものか、貴様、勝手に何なとほざけ』 と一足々々小丘の周囲を四股踏み乍ら歩み出した。忽ちバサリと大地は凹んで四五間地の底ヘズルズルズルと落ち込んだ。以前の女は落込んだ穴の口より、下を覗いて、 女『ヤア高サンか感心々々ホヽヽヽヽ』 と笑つて居る、高国別の身の上は果して如何なるであらうか。 (大正一一・四・三旧三・七松村真澄録) |
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霊界物語 | 15_寅_顕恩郷/スサノオの経綸/高姫登場 | 15 山の神 | 第一五章山の神〔五八二〕 此世を澄す素盞嗚の神の命に従ひて 御稜威も高き高国別は奇の岩窟に陥りし 老若男女の生命を一人も残さず助けむと 地底の洞に飛び込みて神に願をかけまくも 雄々しき姿すたすたと声する方を辿りつつ 往き当りたる岩の戸に又もや両手を組みながら 進退茲に谷まりて暫し思案に暮れ居たる。 時しもあれや何処よりか、閃光輝き高国別が前に火玉となりて進み来るものあり。 高国別は剣の把に手をかけて、寄らば斬らむと身構へす。巨大なる火の玉は、高国別が四五間前に万雷の一時に落つるが如き音響と共に落下し、白煙となつて四辺を包み咫尺を弁ぜざる靄の中、高国別はきつと腹を据ゑ臍下丹田に息を詰め、天津祝詞を奏上しければ、今迄咫尺を弁ぜざりし猛煙は拭ふがごとく消え失せて、優美なる一人の女神、莞爾として佇立して居たまふ。 高国別は、 高国別『ヤア汝は何者なるぞ、察する所此岩窟に蟠まる金毛九尾の悪狐の眷属ならむ、吾が両刃の長剣に斬り捨てむ』 と云ふより早く剣光閃く電の早業、斬つてかかれば女神は中空に舞ひ上り、飛鳥の如く右に左に上に下に体を躱し、遂には又もや以前の火弾と化し、唸りを立てて岩窟の内を矢を射る如く逃げ去りにける。 油断はならじと高国別は附近キヨロキヨロ見廻す折しも、身の丈一丈五六尺もあらむと思はる大男、異様の獣を引きつれながら此場に現はれ、高国別に一寸会釈したり。高国別は又もや魔神の襲来ならむと眼を配り身構へする。大の男は大口開けて高笑ひ、 男『アハヽヽヽヽ、汝は高天原より下り来れる俄造りの似非審神者、吾正体を見届けよ』 と鏡の如き眼を見開き、かつと睨めつけたり。高国別は両手を組み、鎮魂の姿勢を取り、ウンと一声言霊を発射したるに、大の男は忽ち体を変じ優美なる女神となりぬ。 高国別は、 高国別『千変万化の悪神の悪戯、今に正体を現はして呉れむ』 と両刃の長剣を閃かし、女神に向つて骨も通れとばかり突きかかる。女神は手早く体をヒラリと躱した途端、勢余つて高国別は岩窟の中の隧道を、トントントン、と七八間許り行き過し、底ひも知れぬ陥穽に真逆さまに転落し、高国別は其儘息絶え、最早此世の人にはあらざりけり。 高国別は唯一人、天青く山清く百花爛漫たる原野を神言を奏上しながら何処を当ともなく、足の動くままに身を任せ進み行く。 前方に屹立する雲の衣を半被りたる高山が見えて来た。高国別は山に引つけらるる如き心地して、足に任せて進み行く。パタリと行き当つた峻坂、仰ぎ見れば鮮花色の男女の群四五人、何事か面白可笑しく囁きながら、此方に向つて悠々と進み来る。高国別は両手を組んで独言、 高国別『アヽ吾は素盞嗚尊の大神の御伴仕へまつり、カナンが一家に休息し給ふ尊の命によつて諸人の後を追ひ、不思議の岩窟に忍び入りしと思ひきや、天空快濶一点の雲霧風塵もなき大原野を渡り、今又此山口に来るこそ合点がゆかぬことである哩』 と後振返り四方の光景を眺めて思案に暮れて居る。五人の男女は此処に現はれて一斉に恭しく目礼しながら、 五人『貴下は高国別の宣伝使、活津彦根神に在さずや、吾等は神伊邪諾大神の使者として貴下を迎への為に罷越たり、イザイザ御案内申さむ』 と先に立つて進み行く。高国別は何心なく、いそいそと五人の後に従ひ急坂を登り行く。漸う坂の絶頂に達した。二男三女の神人は口を揃へて、 五人『これはこれは高国別様、お疲れで御座いませう。此処は珍の峠の絶頂、先づ御休息下さいませ』 高国別は、 高国別『アヽ思ひも寄らぬ一人旅、何となく此麗しき山野を跋渉するにも話相手もなく稍寂寥を感じて居ました。然るに此坂の下より麗しき貴方等の御迎へ、一円合点が参り申さず、珍の峠とは何国の山で御座るか』 五人は、 五人『ハイ』 と云つたまま、ニコニコと笑つて答へぬ。折しも得も云はれぬ涼しき風徐に吹き来り、高国別の顔を撫で颯々たる声を立て、幅広の木葉を翻しながら過ぎて行く。 高国別『オー恰で天国浄土のやうな心持が致す、百鳥は空に謡ひ百花爛漫として咲き乱れ、風は清く香ばしく、幽かに聞ゆる微妙の音楽、曇り果てたる葦原の国にもかかる麗しき郷土のあるか、アヽ心持よや』 と芝生の上にどつかと坐し、言葉涼しく一同に向ひ、 高国別『合点の行かぬ今日の旅行、貴方等は何れの神に坐し在すか、名乗らせたまへ』 一人の男は恭しく、 男『私は三五教の宣伝使たりし亀彦で御座います。これなる女は菊子姫と申し、神素盞嗚の大神の第六の御娘、今は大神の御心により千代も変らぬ宿の妻、此処は地底の国の天国、珍の峠で御座います』 高国別『アヽ、貴方は音に名高い亀彦の宣伝使、貴方は大神の御娘菊子姫様か、思はぬ処でお目に懸りました。してして父素盞嗚の大神は今何処くに在すか、聞かま欲しう存じます』 菊子姫は涙をはらはらと払ひながら、 菊子姫『申すも詮なき事ながら、父大神は天地諸神人のために、千座の置戸を負はせたまひ今は味気なき漂泊の一人旅、何処の果に在すらむ、せめては其御消息なりとも聞かま欲し』 と涙ぐみ芝生の上に泣き伏しにけり。 梅彦は、 梅彦『これはこれは菊子姫殿、此処は地底の天国で御座る。天国に涙は禁物、歓喜の花の開くパラダイスで御座るぞ。いや高国別様、吾々は三五教の宣伝使たりし梅彦と申す者、これなる妻は菊子姫の姉幾代姫で御座います。大神の内命に依つて夫婦の約を結びました。此後宜敷くお願ひ致します』 高国別『アヽ左様で御座つたか、思ひも寄らぬ不思議の対面、全く大神様のお引き合せ、アヽ有難し。斯くも麗しき山上にて大神の姫御子に御目に掛る事望外の仕合せで御座る』 梅彦『貴神はペテロの都に於て驍名隠れなき御神様、幾度か生死を往来遊ばされ、此処に活津彦根神と現はれ給ひし天下無双の忠勇義烈の神様と承はる。天の太玉命の仲介により、素盞嗚の大神の御許しを得て第一の御子たる、此愛子姫様を貴下の妻と神定めさせ給へば、今より愛子姫様を妻となし、神国のためにお尽し下されば有難う存じます。貴方にお渡し申す迄吾等は日夜の気懸り、之にて吾願望も成就致しました』 と梅彦は心落ち付きし様子なり。 愛子姫『これはこれは、音に名高き高国別様、夫となり妻となるも神の結びたまひし身魂の因縁、千代も八千代も妾と共に、手を携へて神業に尽させたまへ』 と顔に紅葉を散らしつつ優しき手を膝にあて語り出るは愛子姫なり。高国別は、夢か現か幻か合点行かぬと、暫し茫然として大空打ち仰ぎ思案に暮れ居たり。 梅彦はモドかしがり、 梅彦『高国別様、何を御思案なさいます、何事も結びの神の御定め、直に御承諾なさいませ』 高国別『アヽ、有難し有難し、思ひも寄らぬ山上の見合ひ、山の神様の御仲介、草の筵に雲の天井、風の音楽に木々の木の葉の舞ひ踊り、イヤもう有難う承知仕りました』 と高国別は笑顔をもつて迎へゐる。これより世俗は妻を山の神と云ふのである。愛子姫は立ち上り、高国別に向つて、南方の諸山を圧してそそり立てる高山を指さし、 愛子姫『雲の彼方の黄金の山は我等が永久の故郷、いざいざ御一同進みませう』 と先に立つて急坂を南に下る。一同は一歩一歩力を入れながらアブト式流に坂を下り行く。雲表に屹立せる彼方の遠き高山の山頂に何時の間にやら達してゐた。三夫婦は山頂に衝立ち天津祝詞を奏上するや、山を包みし五色の雲は扉を開きし如く、颯と左右に開けた。目の届かぬ許りの青野原、白き、赤き、青き、黄色き、紫色の三重五重十重二十重の塔は、眼下の青野が原の部落の中に幾百ともなく屹立し、其絶景譬ふるに物なく、遠く目を放てば紺碧の波を湛へたる大海原、浪静に純白の真帆片帆、右往左往に走り行くさま、画伯の手に成れる一幅の大画帳の如く、時の移るも忘れて一同は絶景を見守つて居た。此時山頂の麗しき祠の中より、黄金の扉を開き現はれ出でたる一柱の女神、二人の侍女を伴ひ悠々と六人が前に現はれて、 女神『妾は木花姫なり、汝等は忠勇義烈至仁至愛の神人なれば、汝が永久に住むべき国は此聖域なり。併しながら未だ現界に於て勤むべき事あれば、再び現界に引き返されよ。今後は心を緩ませ玉ふな。体主霊従の魔風に誘はれなば、再び此処に来る事能はざるべし、今より速かに現界に帰り給へ』 と優美にして荘重なる言葉を残し、黄金の扉を閉ぢて、侍女と共に又もや祠の中に姿を隠したまうた。 忽ち四辺暗黒となり、身体に寒冷を覚ゆると見る間に甦り見れば、高国別は岩窟内の深き井戸の底に倒れ居たるなり。 高国別『アヽ夢であつたか、併し乍ら吾を活津彦根と仰せられしは不審の一つ、吾身の守護神を知らずして憖に審神を行ひしため、大神の御仁慈によつて教へたまひしか、アヽ有難し有難し』 と、合掌し声も涼しく天津祝詞を奏上したりける。フト空を仰ぎ見れば窟の周囲に麗しき二男三女の夢に見し神人が立ち現はれ、井底を覗きて何事か囁き居るあり。高国別は夢に夢見る心地して、又もや両手を組み心の縺れを手繰り居る。稍ありて高国別は井底より空を仰ぎながら、 高国別『もしもし亀彦様、梅彦様、その他三人の女性様、私は高国別で御座います。人の命を救はむために、地中の岩窟に忍び入り、過つてかかる古井戸の底に陥ちました。何とかして私をお救ひ下さいますまいか』 亀彦『ヤア噂に聞き及ぶ高国別様か、それは嘸お困りでせう、何とか一つ工夫をしてお救ひ申さねばなりませぬ。併し乍ら斯る岩窟の中にある古井戸には階段があるものです。この亀彦も一度フサの国の醜の岩窟の古井戸に陥ち込んだ時、如何はせむかと心を痛めましたが、フト傍を見れば階段が刻まれてありました。よくよく調べなさいませ』 高国別『有難う御座います、少しの手がかりも足がかりも御座いませぬ。恰度竹筒の中に落ちたやうなものです』 梅彦は、 梅彦『アヽ、困つたな、吾々も一度古井戸に陥ちた経験があるが、階段がないとは意外だ、何とか工夫をせねばなりますまい。亀彦サン、貴方の褌と帯を外して下さい、吾々も帯と褌とを解きます。これを繋いで井底に釣り下しませう』 と云ひつつ、くるくると帯を解き、褌を外し手早く繋いだ。亀彦も同じく帯と褌を取り外し、手早く繋ぎ合せ井戸に下げ降して見た。 梅彦は、 梅彦『モシモシ、高国別様、この帯にお掴まり下さい』 高国別『イヤ、有難う、折角の思召ながらどうも届きませぬ。加ふるに怪しき臭気が致します』 梅彦は、 梅彦『アヽ、何と云ふまわしの悪い事だらう。エヽ仕方がない、三人のお女中、貴女方の帯を解いて下さいませ』 愛子姫『ハイ、如何致しませう。菊子さま、幾代さま』 二女『さうですなア、吾裸体になるのは恥かしいワ』 梅彦『恥かしいの何のと云つてゐる所か、人命に係はる大事だ。サアサアコンナ時には恥も糞もあつたものでない、帯をお解きなさい』 愛子姫『それでも余り残酷ですワ』 亀彦『これこれ愛子姫さま、何を仰有るのだ、貴女こそ残酷だ。高国別様が危急存亡の場合、サアサア、キリキリとお解きなさい。もしもし高国別さま、何うも仕方がありませぬ、吾々が帯を解き褌を解き、三人の女神の帯を繋ぎ合して、今垂下致しますからね、少々臭くても御辛抱下さいませ、女の匂ひと云ふものは却つて床しいものですよ、アハヽヽヽ』 高国別『夫計りは御免蒙り度い、ヤア神様の宿り給ふ頭の上で、ソンナ物をべらべらさして貰つては有難迷惑だ。どうぞ早く手繰り上げて下さい』 亀彦『エヽ、無理計り云ふ神様だな、此場に及んでどうも仕方がありませぬワ。些とは鼻を摘んで御辛抱なさいませ。異性の匂ひは却つてよいものですよ』 高国別『アハヽヽヽ、ヤア皆さま、御心配をかけました。何うやら梯子が刻まれてあるやうに思ひます』 亀彦『アハヽヽヽ、矢張り三五教の宣伝使は洒落が上手だなア、此処迄洒落ると、洒落も徹底して面白い。もしもし三人の姫御前、御安心なさいませ、帯を解くのだけは赦して上げませう』 三女『ホヽヽヽ、誰が帯ども解きますものか、帯を解く時間にはも些と早いぢやありませぬか、ホヽヽヽヽ』 亀彦『また貴女方も洒落るのか、モシモシ高国別さま、早くお上りなさらぬか』 高国別『アヽ矢張り間違ひだつた、些とも手係りがありませぬワ。誠に済みませぬが私の一命を助けると思召し、どうぞお慈悲に三人の女性様の帯を解いて、繋ぎ合して助けて下さい、お願ひぢやお願ひぢや』 亀彦『エヽ、何だ矢張り虚言だつたか、これは仕方がない。サアサア三人の女性様、ちつと時間は早いが夫の云ふ事だ、女房が聞かぬと云ふ事があるものか、早く解いたり、解いたり。エヽ何、恥かしいと。何が恥かしい、水も漏らさぬ夫婦仲ぢやないか』 菊子姫『それでも姉さまに恥かしいワ』 亀彦『何、姉さまのお婿さまを助けるのだ。ソンナ遠慮が要るものか』 愛子姫『ホヽヽヽヽ、エヽ仕方がありませぬ、妾が率先して模範を示しませう』 と帯を解きかける。井戸の底より陽気な声で、鼻歌を謡ひながら、トン、トンと上つて来る。 高国別『ヤア皆様、種々と御心配をかけました。お蔭で梯子段が俄に出来ました。兎も角咄嗟の場合急造したものですから、実にやにこいものです。アハヽヽヽ』 梅、亀『何だ、裸体になり損をしたワイ』 高国別『人間は生れ赤子にならねば神様の御神徳は頂けませぬよ、赤子の時には裸体で生れたのだもの、アハヽヽヽ』 高国別は拍手を打ち合掌しながら天津祝詞を奏上し始めた。一同は声を揃へて合唱する、其声音朗々としてさしもに広き岩窟に響き渡り、天地開明の気分漂ふ。 愛子姫『貴方は父の許せし吾夫、活津彦根の神様、ようマア無事で居て下さいました』 高国別『ヤア合点の行かぬ事もあればあるものだなア、お前が珍の峠でお目にかかつた山の神さまだなア。ヤア有難い有難い、三夫婦揃うた瑞霊の夫婦連れ、二三が六人手を携へて睦まじく、此処で結婚の式を挙げませうか』 亀彦『結婚の式を挙げやうと云つた所が、此様な岩窟の中、何うする事も出来ないぢやありませぬか』 高国別『イヤ、御霊と御霊の結婚、心の盃の取り替はし、千代も八千代も末長く、睦びて進む六人連、栄の花を三夫婦が、天地人揃うて岩窟の探険、三つの御霊の父大神の御引合せ、アヽ有難し有難し、目出度し目出度し、一度に開く梅彦さま、万代祝ふ亀彦さま、嬉しき便りを菊子姫、幾代変らぬ幾代姫、神の恵の愛子姫、睦び合うたる三夫婦が、身魂の行末こそは楽しけれ』 といそいそ神歌を謡ひながら、又もや奥へ奥へと進み行く。 (大正一一・四・三旧三・七加藤明子録) (昭和一〇・三・二三於花蓮港分院王仁校正) |
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霊界物語 | 16_卯_丹波物語1 大江山/冠島沓島/丹波村 | 14 鵜呑鷹 | 第一四章鵜呑鷹〔六〇四〕 亀彦は艪を漕ぎ乍ら、海風に向つて、 亀彦『田辺見たさに松原越せば、田辺隠しの霧がこむ』 と船唄面白く、遂に竹島、博奕ケ岬、目の白黒岩を越え、松原を右手に眺め、蛇島、広島左手に眺めて、やうやう十七夜の黄昏過ぐる頃、田辺の湊に安着したり。咫尺を弁ぜぬ宵闇の空、高姫、青彦は、船の横着けになるを待ち兼ね、ヒラリと飛上り、暗に紛れて姿を隠しける。 亀彦『ヤア高姫は居らぬか、青彦は何処ぞ……鬼武彦様どう致しませう』 暗がりの中より、青彦、高姫の声、 高姫、青彦『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、大きに憚りさま、此玉渡してなるものかい、……皆さま、アバヨ、アリヨース』 と冷嘲的怪声を漏らし、何処ともなく、闇に紛れて消え失せたり。鬼武彦、亀彦は直ちに船を飛びあがり、 鬼武彦、亀彦『アー失敗つた、由良の湊へ着けさへすれば、コンナ事も無かつたらうに、……高姫の言に従ひ、田辺へ着けたのが此方の不覚……エー仕方がない、後を追つかけようにも真の暗、一先づ秋山彦の館に立帰り、御相談を致しませう』 と力無げに物語りつつ、由良の湊を指して、テクの継続をなし、由良の湊の少し手前まで一行帰り来る折しも、東天を照して昇り来る十七夜の、楕円形の月松の木の間に姿を現はし、一同を冷笑し給ふ如く見えける。凩まがひの寒風は容赦なく向う面に突き当り、四辺の木々は時ならぬ笛を吹き立て、一行の失敗を囃すが如く聞え来たりぬ。 亀彦『アー怪体の悪い、丸で高姫のお伴をした様なものだ。仮令高姫天を翔り、地を潜るとも、彼女の所在を探ね、如意宝珠の玉を取返さで置くべきか』 と大道の正中に地団駄踏み、遂には胡坐をかいて動かなくなりぬ。鬼武彦は、 鬼武彦『ヤア亀彦殿、斯うなる上は、悔みても復らぬ事、草を分けても彼等が行衛を探し、玉を取返すより外に途は御座らぬ。併し乍ら吾れは秋山彦に会はす顔なし、是れよりお暇申す』 と云ふより早く、白煙となつて姿を隠しぬ。秋山彦が家の子十数人は当惑の態にて、如何はせむと、各自双手を組み、歎息の声暫しはやまざりにけり。 甲『もしもし亀彦さま、あなたが左様気投げして貰つては、吾々はどう致したら宜いのですか、館へ帰つて御主人に、何と言つてお詫を致しませうやら、報告の仕方がありませぬ』 亀彦『有態の通り報告すれば良いぢやないか。俺はモウ是れ限り、秋山彦の館へは帰らない。早く帰つて主人夫婦を始め、英子姫、悦子姫に此由伝へて呉れよ』 甲『夫れは又あまり、……ご主人様や、二人の女宣伝使が首を長うして待つて居られます。後は兎も角も、一度御帰り下さいませ』 亀彦『………』 乙『夫れだから、三五教の宣伝使は腰抜だと、俺は何時も言ふのだよ。ウラナイ教の宣伝使の敏捷い事を見たか、岩の中で、閉ぢこめられて居ても、あれ位な談判をしよる。喉元に刃を突き付けられて居乍ら、逆様に其刀で、押へた奴の首を切る様な妙案奇策をやつたぢやないか。亀彦なぞと、コンナ我羅苦多宣伝使に従いて行くものだから、生れてから無い様な赤恥を天地に曝させられたのだ。アーア、どうして是れが、主人に顔が会はされよう』 丙『ソンナ事を言つたつて仕方がない。死んだ子の年を数へる様なものだ。何事も諦めが肝腎だ。悪人の栄え善人の衰へる世の中だもの、善人が瞞されるのは無理もない。俺達は益々三五教の正しい事に感心した。サア亀彦様、ソンナ事を仰有らずに早く帰りませう』 亀彦『サア行かう、お前達が如何な意見を持つてるかと思つて、一寸探つて見たのだよ。ナアニ玉位奪られた所で、どつかに匿してある。滅多に地獄の底迄隠しても居るまい。ウラナイ教の本陣へ乗込みて、有無を言はせず、とつ返して呉れる。兎も角是れは時日の問題だ。皆の者、何事も亀彦に任せよ。心配致すな。サア行かう』 と先に立ちて勢よく、直日に見直し、聞直し、宣り直しつつ、由良の湊の秋山彦が館を指して、一行十五六人、スタスタと帰り着きける。亀彦は先に立ち、表門を力無げに潜り入らむとする時、門番の銀公は此場に現はれ、 銀公『ヤア亀彦の宣伝使様、お手柄お手柄、あなたのお蔭で、一旦敵に奪られたる如意宝珠の珠も、鍵も、首尾能く手に入りまして、さぞ御主人様も御喜びで御座いませう。主人も喜び、奥様もお喜び、第一あなたのお喜び、従いて往つた奴等の喜び、共に私もお喜びだ。流石は三五教の宣伝使、ヤアもう感じ入つて御座います。奥には貴方の成功を祝する為、海山河野種々の馳走を拵へ、旦那様が御機嫌麗しく、お待兼で御座います。吾々も御同慶に堪へませぬ』 とイソイソと、肩をゆすぶり、はしやいで居る。亀彦は軽く目礼し、トボトボと奥を指して進み入る。 銀公『オイ岩公、市公、どうぢやつた。随分面白かつたらうな』 岩公肩を聳やかし、 岩公『きまつた事だよ。天下無双の剛力男の岩公のお出だもの、高姫の一疋や二疋は、屁のお茶だ。併し乍ら三五教の宣伝使も良い加減なものだよ。とうと玉を奪られやがつてなア……』 銀公『ナニ?玉を奪られたとは、それや本当か』 岩公『ウン、奪られた……でもない、マア……奪つたのだ』 銀公『どちらが奪つたのだい』 岩公『マアマア奪つた奴が奪つたのだ。奪られた奴が、奪られた……と云ふ様なものかいナ』 銀公『高姫は、折角奪つた玉を、フンだくられやがつて、妙な顔しただらうな』 岩公『ウンさうだ。……何分一の暗みの事で、鼻摘まれても分らぬ位だから、ドンナ顔したか知らぬが、一方は意気揚々、一方は意気消沈、屠所に曳かるる羊の如しだ。お気の毒なりける次第なりけりだ』 銀公『マアマア結構だ。如意宝珠の玉及び鍵が戻つた以上は、今晩はお祝酒でもドツサリ戴けるかなア』 市公『あまり大きな声では言はれぬが、サツパリぢや』 銀公『何がサツパリぢや』 市公『兎も角サツパリコンと、蛸があげ壺喰つた様なものだよ、アフンと致して、梟鳥が夜食に外れた様なむつかしい顔を致すと云ふ……是れからが幕開きだよ』 一同は急いで、奥を指して進み入る。秋山彦夫婦を始め、英子姫、悦子姫は玄関に、亀彦を出で迎へ、 秋山彦『是れは是れは多大い御心配をかけました。様子は如何で御座いまするか』 亀彦『ハイ、左様、然らば逐一報告致しませう』 英子姫『一時も早く嬉しき便りを聞かして下さいナ。今か今かと時の経つのを、一日千秋の思ひで待つて居ました。何事にも抜け目の無い亀彦さまの事、鬼武彦の神様も伴いて居られる以上は、滅多な不調法はありますまい。……大勝利……大万歳……サア早く面白い顛末を仰有つて下さいませ』 亀彦『只今詳細に言上仕る』 と云ふより早く、両肌を脱ぎ、両刃の短刀抜く手も見せず、左の脇腹に、グサと突立て抉り始めたり。英子姫は驚いて其手に取りすがり、 英子姫『ヤア亀彦殿、早まり給ふな』 亀彦、苦しき息の下より、 亀彦『早まるなとはお情無い、神素盞嗚大神様の唯一の御宝をば、オメオメとウラナイ教の高姫の為に欺き奪られ、会はす顔が御座いませぬ。最早死を決した某、なまじひに止め立てして苦めて下さるな。委細は岩公、市公、磯公にお聞き下され。拙者は此失敗の申し訳に、腹掻き切つてお詫申す。何れもさらば』 と云ふより早く、力を籠めて一抉り、忽ち息は絶えにけり。英子姫、悦子姫は『ワアツ』と計り、亀彦が死骸に取つき、前後も知らず泣き伏しぬ。秋山彦夫婦も目をしばたき、黙然として、悲歎の涙に袖を絞る。此時表門より現はれ出でたる一人の男、此場を指して韋駄天走りに駆け来る。見れば鬼武彦は高姫、青彦の二人を左右の手に、猫を提げた様な体裁にて出で来り、 鬼武彦『ヤア何れも様、高姫、青彦の両人を引つ捉へ参りました。玉は確に高姫の懐中に御座れば是れより拙者が詮議致して取返し呉れむ。何れも様、御安心有れ……』 秋山彦夫婦は二度ビツクリ、 秋山彦夫婦『ヤア鬼武彦様か、能うマア来て下さいました。それは誠に有難い、さは然り乍ら、今の今迄元気能く居らせられた亀彦さまは、腹を切つてお果てなされました』 と泣き伏せば、鬼武彦はカラカラと打笑ひ、 鬼武彦『ヤア皆様御心配なされますな、亀彦の宣伝使は頓て此場に現はれませう』 一同『エーツ』 と驚く一同。亀彦の死骸はムクムクと起上り、見る見る尨犬の如き毛を全身に生じ、灰色の虎とも見えず、熊とも見えず、怪獣となつてノソリノソリと這ひ出し、表門指して帰りゆく。一同は夢に夢見る心地して、一言も発せず、暫しは互に顔を見合せ居るのみなりき。斯かる所へ現はれ来る正真の亀彦はニコニコし乍ら、 亀彦『ヤア鬼武彦様、偉い御心配を掛けました。暗夜の事と言ひ、何れに潜み隠れしやと一時は周章狼狽致しましたが、お蔭様で十七日の月は東天に輝き給うた、弥勒様のお蔭で、ヤツとの事、目的物が手に入り、コンナ有難い事は御座いませぬ。……アヽ秋山彦夫婦のお方、英子姫、悦子姫殿、御安心なさいませ』 秋山彦『ヤア何よりも結構な事で御座いました。誠に偉い骨折をさせました。サアサア奥に馳走の用意がして御座います。皆さまどうぞ奥へ入らつしやいませ』 鬼武彦は高姫、青彦を玄関にドサリと下したり。 高姫『アヽ鬼武彦殿、御苦労であつたのう、お蔭でお土も踏まず、宙を駆けつて楽に参りましたよ。ホヽヽヽ、玉は確に此処に一つ御座います。一つで足らねば、青彦が金色の玉を二つ持つて居ります。是れで三つ揃うた瑞の御霊……ホヽヽヽ』 亀彦『コレコレ高姫さま、お前さまも随分意地の悪い人だネ』 高姫『意地の悪いは、ソリヤお前の事だよ。折角二人が如意宝珠の玉を手に入れ、次に金剛不壊の玉を奪らうとする最中に、大きな岩で桶伏せに会はしたり……三五教の宣伝使として、人を助ける身であり乍ら、ソンナ意地の悪い事をして宜いものか。チツト反省みなされ。此高姫は決して鍵を盗みたのでも、玉を掠奪したのでもないワ、日の出神様の御命令に依つて、竜宮の乙姫さまから受取りに行つたのだ。それをお前達が、アタ意地の悪い、邪魔に来よつたのだ。素盞嗚尊も偉いが、日の出神さまは、ドンナ方だと思うて居る。竜宮の乙姫さまも、永らく海の底のお住居であつたが、此の高姫の生宮に、今度は残らず綺麗薩張とお渡し遊ばす世が参つたのだ。変性女子の下らぬ教を聞きかぢつて、神界の御経綸の邪魔をすると、頭を下にし、足を上にして歩かねばならぬ事が出来て来るぞよ。アンナ者がコンナ者になると云ふ神の教を、お前は一体、何と考へなさる……此高姫は詰らぬ女の様に見えても、系統だぞへ、変性男子の……切つても切れぬ御系統だ。亀彦なぞと、何処から来たか知らぬが、元は……偉相に言うても……ウラル教の宣伝使ぢやないか。竜宮洲へ渡つて、飯依彦の様な蛸爺に泡吹かされて逃げ帰り、途中で日の出別の神に助けて貰うたのだらう。ソンナ事は此腹の中で日の出神が、チヤンと仰有つて御座る。醜の岩窟の中で、井戸の中へ陥つたり、種々惨々な目に逢うて、ヤツとの事で宣伝使になり素盞嗚尊の阿婆摺れ娘を女房に持つたと思つて、余り威張らぬが宜からう。何処の馬の骨か牛の骨か、素性も分らぬ様な代物に、肝心の娘を呉れてやると云ふ様な紊れた行方の素盞嗚尊が、何が、夫れ程有難いのだい。日の出神の側へ出したら、素盞嗚尊は、猫の前の鼠の様なものだ。さうぢやから昔からの因縁を聞いて置かぬと、まさかの時にアフンとせねばならぬと、神様が仰有るのだよ』 亀彦『エーソンナ事は聞きたく有りませぬワイ。又庚申待の晩にでも、ゆつくり聴かして貰ひませうかい』 高姫『それは不可々々、どうでも斯うでも因縁を説いて聴かして、根本から改心させねば承知をせぬのぢや。此月は日の出神さまの教を、耳を浚へて菊の月ぢやぞへ。竜宮の乙姫と日の出神との尊い御守護のある此肉体だ。亀公位が百人千人束になつてきた所で何の効が有るものか、効と言つたら、堅い堅い、邪魔になる亀の甲位なものだよ。ゲツヘヽヽヽ』 秋山彦『お話は酒宴の席で承はりませう。サアサア奥へお越し下さいませ。玄関口でお話は見つとも良う御座いませぬから……』 高姫『お前が秋山彦ぢやな、道理で、一寸見ても飽きの来さうなお顔立だ。紅葉姫さまも、コンナ夫を持つてお仕合せだ、オツホヽヽヽ』 秋山彦、稍機嫌の悪さうな顔付し乍ら、 秋山彦『ハイハイ、どうで碌な者ぢや有りませぬワイ、三五教に現を抜かす代物ですから、善ばつかりに呆けまして、ウラナイ教の様な、他人の家の鍵を持出して、平気で業託を並べる様な、謙遜な善人は居りませぬ、アハヽヽヽ、サアサア奥へお出なさいませ』 高姫『三五教は、善に見せて悪、ウラナイ教は悪に見せても善、マアマア奥へ往つて、トツクリと妾の諭しをお聴きなさい』 と立ちあがる。秋山彦を先頭に、一同はドシドシと奥の間目がけて進み入る。鬼武彦は最後の殿を勤め乍ら、高姫、青彦の身体に目を配り、奥へ従いて行く。 八尋殿には、山野河海の珍肴、所狭きまで並べられありぬ。高姫は遠慮会釈もなく最上座に座を占め、紙雛の様に袖をキチンと前に畳み、手を臍の辺りにつくね、仔細らしく構へ込みたり。亀彦は高姫の傍に座を占めむとするや、高姫柳眉を逆立て、 高姫『ヤア亀彦、お前は身魂が低い。三段下がつてお坐りなされ。抑も霊は上中下の三段の区別が有る。上の中にも上中下が有り、中の中にも上中下の三段があり、下の中にも、亦上中下の三段が有る。お前は、下の中位な霊魂ぢや。上の上の生粋の大和魂の日の出神の生宮の前に坐ると云ふのは、身魂の位地を紊すと云ふものだ。それだから、身魂の因縁が分らぬ宣伝使は困ると云ふのだよ。如意宝珠の玉は、上の上の身魂が持つべきものだ。下の中身魂位では到底手も触れる事は出来ぬ……鬼武彦ナンテ、力は強いが、多寡が稲荷ぢやないか、四足の親玉ぢや、稲荷は下郎の役を勤めるものぢや、コンナ座席にすわると云ふ事が有るものか。天狗や、野狐や、狸、豆狸の霊は、ズツトズツト下の下の座にお直りなされ』 亀彦『神界には、正神界と邪神界が有つて、正神界にも上中下三段があり、邪神界にも亦上中下の三段が有る、さうして段毎に又三段がある。吾々は仮令下の中か知らぬが、正神界だ。お前は上の上でも、邪神界の上の上だから、是れ位悪党はないのだよ、月と鼈、雪と炭程違う。邪神界の身魂は、正神界と席を同じうする事は出来ない。お下りなされ』 高姫『仮令正神界でも、邪神界でも、上は上に違ない。下はヤツパリ下ぢや。上といふ字はカミと云ふ字ぢや。カミのカミが上の上ぢや。カミに坐るのは高姫の身魂の因縁性来……オホン誠に済みませぬナ、亀彦チヤン……』 亀彦『チヨツ、善悪の区別を知らぬ奴に掛つたら仕方がないワ………アーア折角の玉を邪神界の身魂に汚されて仕舞つて残念な事だワイ』 高姫『妾が邪神界なら、モウ此玉は用が無い筈……ソンナラ高姫が更めて頂戴する』 と懐より如意宝珠を取出し、手の掌に乗せて、手に唾液を附け、一生懸命に両の手の掌で、揉みて揉みて揉みさがし居る。此玉は拡大する時は宇宙に拡がり、縮小する時は鷄卵の如くになる特色のある神宝なり。堅くもなれば、軟らかくもなる、高姫は揉みて揉みて揉みさがし、鷄卵の如く縮小し、搗きたての餅の様に軟らげ、 高姫『亀彦さま、秋山彦さま、お狐さま、改めて頂戴致します。オツ』 と云ふより早く大口を開けて、目を白黒し乍ら、蛇が蛙を呑む様に、グツト一口に嚥み下したり。 亀彦『アヽ大変な事になつた。……ヤイ高姫、玉を返せ』 高姫『ホヽヽヽ、分らぬ身魂ぢやナア、呑みて了うた物が、どうして手に渡せるか、お前も、モチツと物の道理が分つた方ぢやと思うて居つたのに、子供よりも劣つた人ぢやナア』 亀彦『腹を裂いても、取戻して遣らねば置かぬぞツ、馬鹿に致すな』 高姫『宇宙の縮図たる如意宝珠の玉を、わが腹中に納めた以上は、高姫の体は即ち宇宙……宇宙には天神地祇、八百万の神が集まり給ふ。今までの肉体は、日の出神と竜宮の乙姫の生宮であつたが、最早唯今より、天の御三体の大神様を始め、天地八百万の神が高姫の身体に神詰り遊ばすのぢや、サア神に仕へる宣伝使の身を以て、此肉体に指一本触へるなら、さへて見よツ』 亀彦『どこまでも馬鹿にしやがる。モウ量見ならぬ、破れかぶれだ。……ヤイ高姫、貴様の生命は俺が貰つた、覚悟致せツ』 高姫『ホヽヽヽ、此方が馬鹿にしたのぢやない、生れ付の馬鹿が、馬鹿な事を仕たのぢや、誰に不足を言うて行く所もあるまい、自業自得だよ。覚悟致せとは……ソラ何の事、虫一疋殺す事のならぬ三五教の教ぢやないか。其教をする宣伝使が、勿体なくも天の大神様の御霊の現に納まり給ふ肉体を悩めやうとは、盲蛇に怖ぢず、馬鹿に附ける薬は無し、ハヽヽヽ、困つたものぢや、イヤ気の毒な者ぢや。親の在る間に直して置かぬと、不治難症ぢや。サア今から改心をして、亀彦は申すに及ばず、英子姫、悦子姫、秋山彦、紅葉姫、鬼武彦、其外の厄雑人足共、ウラナイ教の御趣旨を遵奉するか、サアどうぢや、返答聞かう……』 亀彦『モシモシ秋山彦さま、此奴ア、居すわり強盗ですナア、一層の事、踏ン縛つて、海へでも放り込みてやりませうか』 秋山彦『あまりの事で、私も腹が立ちます。併し乍ら如意宝珠の玉が納まりある以上はどうする事も出来ませぬ。困つた事になりました』 高姫『サアサア皆の神々共、只今より、天の御三体の大神の生宮の高姫へお給仕を致すが可からうぞ、又と再び、コンナ結構な生宮に、お目に掛る事も出来ねば、お給仕さして頂く事も出来ぬぞや。今日は特別を以て、祝意を表する為にお給仕を差許す』 亀彦『エーツ、何を吐しよるのだ、モウ斯うなつては天則違反も何も有つたものじやない、両刃の剣の御馳走だ』 と一刀スラリと引き抜き、斬り掛らむとするを高姫は、 高姫『ギヤツハヽヽヽ、ギヨツホヽヽヽ、短気は損気、マアマア静まれ、急いては事を仕損ずる。後で後悔せぬがよいぞ』 と澄してゐる。 亀彦『後悔も糞もあつたものかい、……貴様も讎敵の端くれ……』 と云ひ乍ら、青彦の頭を、足を上げてポンと蹴り倒し、又もや両刃の剣を閃かし、生命を的に突いて掛れば、流石の高姫も、 高姫『如何に立派な神でも、無茶には叶はぬ。……サアサア青彦、一先づ此場を逃げたり逃げたり』 と促す。青彦は狼狽へ騒いで、逃路を失ひ、同じ所をクルクルと廻転して居る。亀彦は益々激しく突つかかる。秋山彦は、 秋山彦『エー斯うなれば、破れかぶれだ。……紅葉姫、薙刀を執れツ』 と下知すれば、鶴の一声、紅葉姫は長押の薙刀執るより早く、 紅葉姫『悪逆無道の高姫、覚悟せよ』 と斬つてかかるを高姫は、右に左に身をかはし、暫くは扇を以てあしらひ居たるが、衆寡敵せず、忽ち白煙と化し、天井窓より一目散に、西北の天を目蒐けて、中空に雲の帯を曳き乍ら、逸早く姿を隠したりける。後に青彦は、青菜に塩した如く、ビリビリと慄ひ居たり。 亀彦『エー、コンナ弱虫を相手にしたつて仕方がない。助けてやらう。サアサア早くこの場を立去れツ』 折角の御馳走も、踏んで踏んで踏みにぢられ、台なしになつて了ひける。鬼武彦は忽ち白煙と化し、又もや天井の窓より、帯を曳きつつ、西北の天を目蒐け、高姫の後を逐ひて中天に姿を隠しける。 秋山彦夫婦を始め、亀彦、英子姫、悦子姫は、神前に恭しく天津祝詞を奏上し、宣伝歌を謡ひ終り、茲に別れを告げて、三人の宣伝使は由良川を遡り、聖地に向ふ事となりにけり。 (大正一一・四・一五旧三・一九松村真澄録) |
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霊界物語 | 17_辰_丹波物語2 丹波村/鬼ケ城山 | 04 羽化登仙 | 第四章羽化登仙〔六一五〕 名さへ恐ろしき魔の岩窟よりお節を救ひ出し、鬼彦一行五人は裸のまま、比治山颪に吹かれ、震ひ震ひ平助親子を先に立て、雪解の山坂を登り行く。 岩公『アヽ平助さま、お楢さま、年寄りの身で、此山坂をお上りになるのは、大抵の事ぢや有りますまい。お節さまも永い間、岩の中に押し込められ、足も弱つたでせう。どうぞ、吾々は若い者、あなた方を負はして下さいませぬかナア』 平助『イエイエ滅相な、ソンナ事をすると、参詣つたが参詣つたになりませぬ。人様のお世話になつて行く位なら、婆アと二人が炬燵の中から拝みて居りますわ』 岩公『これはしたり平助さま、それもさうだが、吾々を助けると思つて、負はれて下さい。実の事を云へば、赤裸で風に当られ、何程元気な私達でも、辛抱が出来ませぬ、負はして下さらば、体も暖くなり、又お前さま等も楽に参れると云ふものだ。此れが一挙両得、私も喜び、あなた方も楽に参れると云ふものぢや。神様は好んで苦労をせよとは仰有らぬ。チツとでも楽に信神が出来るのを、お喜びなさるのだから、どうぞ痩馬に乗ると思つて、私の背中にとまつて下さいな』 平助『お前の背中は宿屋ぢやあるまいし、………鳥かなぞの様にトマル事が出来るかい。あまり人を馬鹿にするものぢやない』 岩公『ヤア是れは是れは失言致しました。どうぞ三人さま共、御馬の御用を仰せ付け下さいますれば、有難う存じます』 平助『コレコレお楢、お節、大分キツイ坂ぢや。裸馬に乗ると思うて、乗つてやらうかい』 お楢『アハヽヽヽ、二本足の馬に乗るのはお爺サン、ちつと剣呑ぢやないかい』 平助『ナアニ、此奴ア六本足だ。本当の馬より大丈夫かも知れぬ』 岩公『おぢいさま、六本足とはソラどう言ふものだ。三人一緒に勘定しられては、チツと困るデ……』 平助『ナニお前、三人寄れば十八本だ。お前一人で六本ぢや。肉体の足が二本と、副守護神の四足と合はしたら、六本になるぢやないかい』 鬼彦『アハヽヽヽ、馬鹿にしよる。俺達を獣類扱にするのだなア』 平助『定まつた事だよ。狐とも、狸とも、鬼とも分らぬ代物だ。六本足と言うて貰うのはまだ結構ぢや』 鬼彦『エツ、寒いのに仕様もない事を言つて、冷かして呉れないツ………ナア鬼虎、寒いぢやないか』 鬼虎『ウン、大分に能く感じますなア、………もしもしおぢいさま、お婆アさま、どうぞ吾々を助けると思うて、背中に乗つて下さい………アヽ寒いさむい、お助けだ』 平助『アヽそれならば、お楢や、お節、乗つてやらうかい。大分寒さうぢや。チツと汗を掻かしてやつたら、温もつてよからう。これも神様参りの善根ぢやと思うて、少々苦しいても辛抱してやらう。其代りにお前達、落す事はならぬぞ、落したが最後神罰が当るから、鄭重にお伴するが良いワ』 鬼彦、鬼虎『ヤア早速のお聞届け、鬼彦、鬼虎、身に取り、歓喜雀躍の至りで御座います』 平助『コレ、彦に、虎、誰がお前の様な、意地癖の悪いジヤジヤ馬に乗るものか、わしの乗るのは岩馬ぢや。婆アは勘馬の背中に、お節は櫟馬の背中に乗つて往くのだよ。大きに、御親切有難う』 鬼虎、鬼彦『どうしても吾々には、御思召が御座いませぬか』 平助『エー、何程金を呉れたつて、お前等の様な者に乗つて堪るかい。体が汚れますワイ。一寸の虫も五分の魂だ。酷い目に遇はされて、負うて貰つた位で、恨みを晴らす様な腰抜があつてたまるものか。何処までも、お前の御世話にやなりませぬワイナ』 鬼虎『アーア、執心の深いお老爺さまだ。併しこれも身から出た錆だ。………エー仕方がない、寒い寒い、体も何も氷結しさうだ。比治山峠に於て、首尾能く凍死するのかなア……オイ鬼彦、一つ……モウ仕方がないから、裸を幸ひ、相撲でも取つて、体でも温めやうぢやないか』 鬼彦『オウさうぢや。良い所へ気が付いた』 と二人は少し広い所に佇み、両方から力を籠めて、押合ひを始め出した。あまり力を入れすぎ、ヨロヨロと、鬼彦が蹌跟く途端に、二人は真裸の儘、雑木茂れる急坂をかすり乍ら、谷底へ落ち込みにける。平助は背中に負はれ乍ら、 平助『アーア罰は目の前じや。あまり悪党な事をすると、アンナものぢや。神様は正直ぢやなア。……オイ岩公、貴様も彼奴等の……もとは乾児ぢやつたらう。今日は俺のお蔭で温い目に会はして貰うて、さぞ満足ぢやらう。アハヽヽヽ』 岩公『コレコレぢいさま、お前さまも好い加減に打解けたらどうだイ。あれ丈鬼彦や、鬼虎の哥兄が改心して、一生懸命に謝罪つて居るのに、お前さまはどこまでも好い気になつて、苦めようとするのか……イヤ恥をかかすのか。斯うなると、此岩公も却て二人の方に同情したくなつて来た。エー平助ヂイ奴がツ……谷底へ放り込みてやらうか。好い気になりよつて、あまりだ。傲慢不遜な糞老爺奴が……』 平助『コラコラ岩公、滅多な事を致すまいぞ。コンナ所へ放られようものなら、それこそ一たまりもない、俺の生命は風前の灯火だ。気を附けて行かぬかい。……第一貴様の足は長短があつて、乗心地が悪い。其跛馬に乗つてやつて居るのに、何ぢや、其恩を忘れよつて、御託吐すと云ふ事が有るものか。グヅグヅ云うと、鬢の毛をひつぱつてやらうか』 岩公『アイタヽヽ、コラぢいさま、ソンナ所を引つ張られると、痛いワイ』 平助『痛い様に引つ張るのだ。サアしつかりと上らぬか、………モツとひつぱらうか』 岩公『オイ勘公、櫟公、どうぢや、大変都合が好い所が有る。三人一度に此処から転げたろか。あまり劫腹ぢやないか、此糞老爺奴、馬鹿にしやがる。裸一貫の荒男を掴まへて、爺、婆アや阿魔女に、コミワラれて堪まるものかい。此処まで、吾々も善を尽し、親切を尽して来たのだ。最早勘忍袋の緒が切れた。鬼彦、鬼虎の哥兄は今頃は谷底に落ちて、ドンナ目に遭つてるか知れやしないぞ。此奴等三人を一緒こたに谷底へ放り込んで、俺等も一緒に、哥兄と心中しやうぢやないか』 勘公『オウさうぢや、俺もモウむかついて来た。此坂を婆アを背中に乗せて、御苦労さまとも言うて貰はずに、恩に着せられ、おまけに悪口までつかれて堪つたものぢや無い、いつその事、一イ二ウ三ツでやつたろかい………アイタヽヽ……コラコラ婆アさま、酷い事をするない。鬢の毛を無茶苦茶にひつぱりよつて……』 お楢『曳かいでかい曳かいでかい、此馬は手綱が無いから、手綱の代りに、鬢なと引かねば、どうして馬が動くものか。シイ、シーツ……ドード……ハイハイ』 勘公『エーツ、怪体の悪い……愈四足扱ひにしられて了つた。……オイ櫟公、貴様はどうだ。一イ二ウ三ツで、谷底へゴロンとやらうぢやないか。貴様も賛成ぢやらう』 櫟公『どうしてどうして、是れが放されるものか。寒うて堪らない所を温かうして貰つて、汗の出るのも三人のお蔭だ。ソンナ事を言うと冥加に尽きるぞ。罰が当らうぞい……』 勘公『アヽ貴様はよつ程目カ一ヽヽの十ぢやな。お節の若い娘に跨つて貰ひ、気分が良からうが、俺は皺苦茶だらけの、骨の堅い婆アを背中に負うて、温い事も、なんにも有りやしないワ。喃、岩公……』 岩公『オウさうぢや、まだ貴様等は婆アでも女だから好いが、俺の身になつて見い、堅い堅いコンパスを、ニユウと前の方へ突出しよつて、前高の山路、歩けたものぢやないワ。エー、大分に体も温うなつた。……オイ老爺に、婆ア、モウ下りて貰ひませうかイ』 平助『アヽもう下して下さるか。それは有難い。酷い所はモウ済みたし、此からは平地なり、前下がり路だ。目を塞いどつても、モウ往ける……アー苦しい事ぢやつた。其代りお前達は又寒いぞ。昔の地金を出して、俺達の着物を追剥でもしやせぬかな』 岩公『アヽ老爺さま、情無い事を言つて呉れな。改心した以上は、塵片一本だつて、他人の物を盗る様な根性が出るものかいナ』 平助『それでもなア、婆ア、此奴等の改心と云ふものは、当にならぬものぢや。婆ア、しつかりして居れよ』 お楢『さうともさうとも、老爺さまお前も確りしなさい、コレコレお節や、お前も気を附けぬと云うと、何時追剥に早変りするかも知れたものぢやない。背に腹は替へられぬと云つて、年寄りや、女子を幸ひに、追剥をするかも分つたものぢやないワ』 此時、鬼虎、鬼彦は、谷の底からガサガサと這ひ上がり来たり、 岩公『ヤア彦に虎か、貴様は谷底で、今頃は五体ズタズタに破壊して了つたぢやらうと思うて居たのに、まだ死なずに帰つて来たか、マア結構々々、サア祝ひに此処で一服でもしやうかい』 鬼彦、鬼虎『一服も可いが、斯う風のある所では、寒うて休む気にもならぬ。体さへ動かして居れば暖かいから、ボツボツ行くことにしやうかい』 此時何処ともなく微妙の音楽聞え来たり。一行八人は思はず耳を倚て聞き入る。忽ち空中に声あり、 声『岩公、勘公、櫟公、真裸で嘸寒いであらう、今天より暖かき衣裳を与へてやらう。之を身に着けて、潔く真名井ケ原の奥に進むが宜からう』 鬼彦、鬼虎一度に、 鬼彦、鬼虎『モシモシ、空中の声の神様、吾々二人も真裸で御座います。どうぞお見落しなさらぬ様に……同じ事なら、モウ二人分与へて下さいませ』 空中の声『鬼虎、鬼彦の衣裳は、追つて詮議の上、………与へるとも、与へぬとも、決定せない。今暫く辛抱致すが良からう』 何処ともなく、立派なる宣伝使の服三着、此場に風に揺られて下り来り、三人の身体に惟神的に密着した。 岩公『ヤア有難い有難い、時節は待たねばならぬものぢや。……オイ勘に、櫟よ、立派な服ぢやないか。これさへ有れば、宙でも翔てる様になるだらう、天から降つた天の羽衣では有るまいかなア。……もしもし平助さま、お婆アさま、お節さま、偉う御心配をかけました。お蔭様で、此通り立派な天の羽衣を頂戴致しました』 平助『お前等は、悪人ぢや悪人ぢやと思うて居つたが、……ホンに立派な衣裳を神様から貰ひなさつた。モウこれから、決して決してお前さまに口応へは致さぬ。どうぞ赦して下され』 三人の着けたる装束は、見る見る羽衣の如くに変化し、岩、勘、櫟の顔は忽ち天女の姿となり、空中を前後左右に飛びまわり乍ら、真名井ケ原の奥を目蒐けて、悠々と翔り行く。鬼彦、鬼虎、平助、お楢、お節の五人は、此光景を打仰ぎ、呆然として控へ居る。暫くあつて、お節は声を揚げて泣き出したれば、平助、お楢は驚いて、 平助、お楢『コレヤコレヤお節、どうしたどうした、腹でも痛いのか。何を泣く……』 と左右より、老爺と婆アとは獅噛み付き、顔色変へて問ひかける。お節は涙を拭ひ乍ら、 お節『お祖父さま、お祖母さま、どうぞ改心して下さいませ。あの様な荒くれ男の岩さま、勘さま、櫟さまは大神様の御心に叶ひ、あの立派な平和の女神となつて、神様の御用にお立ちなさつた。妾は女の身であり乍ら、改心が足らぬと見えて、神様の御用に立てて下さらぬ。どうぞ、あなた二人は、今迄の執拗な心をサラリと払ひ捨て惟神の心になつて下さい。さうでなければ、妾は神様にお仕へする事が出来ませぬ』 と又もや『ワツ』と許りに泣き沈む。此時天上に声あり、 声『鬼彦、鬼虎、今天より下す羽衣を汝に与ふ。汝が改心の誠は、愈天に通じたり』 鬼彦、鬼虎は飛び立つ許り打喜び、両人大地に平伏し、 鬼彦、鬼虎『ハハア、ハツ』 と言つた限り、嬉し涙に掻き暮れて居る。二人は不図顔をあぐれば、えも謂はれぬ麗しき羽衣、地上一二尺離れた所に浮游して居る。手早く拾ひ上げむとする刹那、ピタリと二人の体に密着した。追々羽衣は拡大し、自然に身体は浮上り、二人は空中を前後左右に飛揚しながら、 鬼彦、鬼虎『平助さま、お楢さま、お節さま、左様ならお先へ参ります』 と空中を悠々として、真名井ケ岳の霊地に向つて翔り行く。後に三人は呆然として、此光景を物をも言はずに見詰め居たりけり。 平助『アーア人間と云ふ者は、訳の分らぬものぢやなア、俺の様な善人は、斯うして山の上で寒い風に曝され、娘は痩衰へ、親子三人やうやう此処まで出て来る事は来たが、五人の大江山の眷属共は又、どうしたものぢや。アンナ立派な衣裳を天から頂きよつて、羽化登仙、自由自在の身となりよつた。神様もあまりぢやあまりぢや、アンナ男が天人に成れるのなら、俺達親子三人も、立派な天人にして下さつたら良かりさうなものぢやないか。アーア此れもヤツパリ、身魂の因縁性来で、何時までも出世が出来ぬのかなア』 お楢『おやぢドン何事も神様の思召通りより行くものぢやない。人間の目から悪に見えても善の身魂もあり、人間が勝手に善ぢや善ぢやと思うて、自惚て居ると、何時の間にやら邪道に落ちて苦しむと云ふ事ぢや、去年お節を奪られてから、二人が泣きの涙に暮らしたのも、若い間から欲ばつかりして、金を蓄め、人を泣かして来た報いで、金はぼつたくられ、一年の間も泣いて暮したのぢや。今迄の事を、胸に手を当てて考へて見れば、人こそ、形の上で殺さぬが、藪医者の様に、無慈悲な事をして、何程人の心を殺して来たか、分つたものぢやない、おやぢどの、お前も若い中から、鬼の平助、渋柿の平助と言はれて来たのぢやから、コンナ憂目に遭うのは当然だよ。親の罰が子に報うて、可愛いお節が、一年が間、コンナ目に遭うたのぢや。誰を恨める事も無い。みな自分の罪障が報うて来たのじや、アンアンアン』 平助『俺が常平生、食ふ物も食はず、欲に金を蓄めたのも、みなお節が可愛いばつかりぢや、どうぞしてお節を一生楽に暮さしてやりたいと思うた為に、チツとは無慈悲な事も行つて来たが、それぢやと云うて、別に俺が美味い物一遍食つたのでもなし、身欲と云ふ事は一つもして居らぬぢやないか』 お楢『それでも、おやぢドン、ヤツパリ身欲になるのぢや。他人の子には辛く当り、団子一片与るでもなし、何も彼も、お節お節と、身贔屓ばつかりしとつて、天罰で一年の苦しみを受けたのぢや。そこで神様が此通り、善と悪との鑑を見せて下さつたのぢや。これから綺麗サツパリと心を容れ替へて下されや、婆アも唯今限り改心をする。親の甘茶が毒になつて、お節の体もあまり丈夫ではない。コンナ繊弱い体を此世に遺して、年取つて夫婦が幽界とやらへ行く時に、後に心が残る様な事では行く所へも行けない。今の間に改心し、お節の身体が丈夫になる様に、真名井の神様へ、心から誓ひをして来ませう』 と三人は、雪積む路をボツボツと、真名井ケ原の豊国姫命が出現場指して、杖を力に進み行く。 因に、鬼彦、鬼虎、其他三人の羽化登仙せしは、其実肉体にては、徹底的改心も出来ず、且又神業に参加する資格無ければ、神界の御慈悲に依り、国替(凍死)せしめ、天国に救ひ神業に参加せしめ給ひたるなり。五人の肉の宮は、神の御慈悲に依つて、平助親子の知らぬ間に、或土中へ深く埋められ、雪崩に圧せられ、鬼彦、鬼虎に救ひ出されたお節は、其実鬼武彦の眷属の白狐が所為なりき。又夜中お節を送つて来た悦子姫は其実は、白狐旭明神の化身なりき。お節を隠したる岩窟は、鬼彦、鬼虎の両人ならでは、救ひ出す事が出来なかつたのである。それは岩窟を開くに就て、一つの目標を知つて居る者は、此両人と鬼雲彦より外になかつたから、鬼武彦の計らひに依つて、此処まで両人を引寄せ、お節を救ひ出さしめ給うたのである。又途中に五人の男を裸にした娘のおコンは、白狐旭の眷属神の化身であつた。曩に文珠堂にて別れたる悦子姫、及び平助の門口にて別れたる音彦、青彦、加米彦は真名井ケ岳の聖地に既に到着し居たりしなり。 (大正一一・四・二一旧三・二五松村真澄録) |
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霊界物語 | 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 | 08 蛙の口 | 第八章蛙の口〔六三六〕 黄金の峰と聞えたる弥仙の山の麓辺に 此世を忍ぶ豊彦が娘お玉の訝かしや 去年の秋よりブクブクと息も苦しく日に月に むかつき出した布袋腹豊彦夫婦は日に夜に 心を痛め木の花の神に願を掛巻くも 畏き神の夢の告げ真名井ケ原に現れませる 豊国姫の大神の御許に綾彦お民をば 一日も早く参らせよ天地かぬる大神の 貴の御霊の御心と諭し給ふと見るうちに 忽ち夢は破られて雨戸を叩く雨の音 秋の木の葉の凩に吹かれて落つる騒がしさ 夜も漸くに明けぬれば兄の綾彦妻お民 二人に命じて逸早く時を移さず豊国姫の 珍の命の御前に参向せよと命ずれば 正直一途の孝行者親の言葉を大地より 重しと仰ぎ夫婦連れ草蛙脚絆の扮装に 若草山を乗り越えて空も真倉の谷径を 進み進みて一本木田辺、丸八江、由良の川 息も切戸の文珠堂天の橋立右に見て 親の言葉に一言も小言は互に岩淵や 広野を過ぎて五箇の庄比治山峠の峰続き 比沼の真名井の神霊地瑞の宝座に参拝し 草の枕も数重ね普甲峠の麓まで すたすた帰る二人連れ忽ち暮るる秋の空 黒雲低う塞がりて心は暗に怖々と 帰り来れる道の上思はず躓く人の影 忽ち五人の荒男前後左右に立ち上り 殺して呉れむと呶鳴りつつ打つやら蹴るやら殴るやら 綾彦お民は声限り助けて呉れえと叫ぶ声 聞くより忽ち暗がりに現はれ出でた大男 ウラナイ教の言霊に悪者共を追ひ散らし 綾彦お民を伴ひて魔窟ケ原の岩窟に 意気揚々と帰り行く道に出会うた五人連れ 手柄話の花咲かし土産沢山黒姫が 隠家指して帰り行く。 浅、幾の両人は例の岩蓋を剥つて一行十人と共に滑り入る。 浅公『高山彦様、黒姫様、只今帰りました』 黒姫『ヤア、お前は浅公か、ヤ、幾公、梅公、えらう遅いぢやないか、何をして居つたのだい、何時までも日が暮れてから其処らをブラブラ歩いて居ると、大江山の鬼の眷族と間違へられるから、日が暮れたら直に帰つて来るのだよ、今日は又えらい遅い事ぢやないか、ヤ、今日は見馴ぬ方がお二人、これや又如何ぢや、えらう頭の髪も乱れて居る、何かこれには様子でもあるのかな』 幾公『これに就いて色々の苦心話が御座います、それが為に今日は吾々一同の者が遅くなりました、三五教の宣伝使数多の人民を迷はすに依つて、吾々は三五教の宣伝使を見つけ出し、天地の道理を説き聞かせ帰順させむものと普甲峠を降つて来ました。暗さは暗し、風はピユーピユーと吹いて来る、浪立ち騒ぐ海原は太鼓の様な音をたててイヤもう凄じい光景、忽ち騒がしい物音、何事ならむと吾々一同は耳をすまして聞き居れば「人殺し人殺し、助けて呉れえ」との嫌らしい声が聞えて来る、ア、これや大変だ、人を助けるのがウラナイ教の神の教、吾身は如何なつても構はぬ、仮令大江山の鬼の餌食にならうとも神に仕ふる吾々、此悲鳴を聞いて如何して捨てて帰れようか、人を助くるは宣伝使の役と、生命を的に声する方に窺ひ寄り見れば、案に違はぬ百人近くの鬼雲彦が眷族の者共、覆面頭巾の扮装、槍、薙刀に棍棒、刺股氷の刃、暗に閃かし十重二十重に取り囲み、中で二人の男女を捕へて四五人の男、打つ蹴る殴るの乱暴狼藉、大江山の砦に連れ帰りバラモン教の神の贄にせむとの企み、と覚つた吾々は矢も楯も堪らず、一生懸命熱湯の汗を絞り、ウラナイ教の大神様、何卒々々この旅人が生命を救はせ玉へ、吾々の生命はたとへ無くなつても、と幸魂を極端に発揮し暗祈黙祷すれば、アーラ不思議や吾身体に忽ち降り給ふ天津神国津神八百万の神等、日の出神を先頭に竜宮の乙姫、吾々三人が肉体に懸らせ給ひ、天地に轟く言霊の声、一二三四と皆まで言はずに、さしも強力無双の鬼雲彦が手下共、朝日に露の消ゆるが如く、魂奪はれ骨は砕けて生命惜しさに涙と共に頼み入る。思へば憎つくき奴なれど、彼等と雖も元は神の分霊、善を助け悪を許すは大神の慈悲、と心の裡に見直し宣り直せば、百に余る豪傑どもは、チウの声も能う立てず足音を忍ばせ乍ら、風の如く魔の如く水泡と消えてやみの中、そこで吾々八人は予ての計略、オツト、ドツコイ……計略を以て旅人を苦しめむと致す鬼共に、言霊の鉄鎚を加へ今後を戒め置き二人のこれなる夫婦を救ひ花々しく立ち帰つて候』 黒姫『ヤア、それは御苦労であつた、人間と云ふものは目前の時になれば神様がお使ひ下さるもの「腐り縄にも取りえ」と云ふ事がある、私もお前の様な穀潰しを沢山に養つて置いてつまらぬ者ぢや、棄かすにも棄かされず、大根の葉にねちが着いた様なものぢやと思つて居つたが、目前の時にそれ丈の神力が出れば万更捨てたものぢや無い。ヤ、御苦労だつた、サアサア一服して下され、然し乍ら丑、寅、辰外二人の男は今迄何をして居つたのだ、浅、幾の様にお前もチツと活動をせなくては神様に済むまいぞや』 寅公『吾々は御神前に於て……否無形の神殿に向つて祈願する折しも、忽ち吾々の天眼通に映じた普甲峠の突発事件。やれ可憐相な二人の旅人、神力を以て助けてやらむと心は千々に焦慮れども、何を云つても遠隔の地、アヽ仕方が無い、遠隔神霊注射法を実行せむかと思ふ折、又もや吾々が天眼に映じたのは浅、幾、梅の三人、これや良い霊代だと五人一度に三人の身体に神懸りし、群がる魔軍に向つて、言霊の神力は申すに及ばず、あらゆる霊力を尽して戦へば、敵は蜘蛛の子を散らすが如く、散り散りパツと花に嵐の当りし如く、霞となつて消え失せたりツ』 浅公『アハヽヽヽ』 黒姫『何は兎もあれ、藪医者が手柄をした様なものだ、篦で鬼の首とつたも同然、今日は離れの室で御神酒でも沢山頂いてグツスリと寝たが良い、コレコレ旅の方、神様の尊い事が分りましたかな』 綾、民『ハイ、何とも有難うて申し様が御座いませぬ、只もう此通り……』 と夫婦は両手を合せ黒姫の顔を伏し拝み、熱い涙をボロボロと零すのみである。 黒姫『お前は真に幸福な御夫婦ぢや、結構な御神徳を頂きなさつた、袖振り合ふも多生の縁、躓く石も縁の端と云うて、コンナ結構な神様の教の取次に助けて貰うとはよくよく深い昔からの果報が現はれたのぢやぞえ、私も何ぢやか始めて会うた人の様な気がせぬ、之からは総ての娑婆心を捨てて神界の為に千騎一騎の活動をしなされや、就いては夫婦ありては御用の出来ぬ神のお道ぢやから、お前は明日から夫婦別れて御用をするのだ、死ンで別るるのは辛いけれど、此世に生きて居れば矢張り同じウラナイの道に御用するのだから会ふ機会は幾らもある、お前は何と云ふ名だ』 綾彦、お民『ハイ、綾彦と申します。妾はお民と申します』 黒姫『アヽさうか、綾彦は俺の側で御用をするなり、お民は矢張りウラナイ教の支所で高城山と云う処、そこには意地くねの………悪くない松姫が控へて居る、お民は松姫の側へ行つて御用をなさるのだ、御承知がゆけば明日から、幾公に送らしてあげよう』 お民『ハイ、如何なる事でも神様の御為めなれば否とは申しませぬ、然し何卒三四日許り一緒に置いて下さいますまいか、とつくり夫婦の者が相談を致し度う御座いますから……』 黒姫『アヽ其相談がいかぬのだ、人間心で取越苦労をしたつて何になるものか、何事も神様に絶対にお任せするのだ、夫婦別るるのが辛いかな、それはお若い身の上だから無理も無い、年寄りの私でさへも夫婦は無ければならぬ者ぢやと思うて居る位ぢや、然し年寄りは又例外ぢや、末が短いから……、若い者は何程でも会う機会が、長い月日には有るものぢや。あの木貂と云ふ奴は、夫婦仲の良いものぢやが決して夫婦は一緒に棲まひはせぬ、雄の方が東の山の木の洞に棲みて居れば、雌の方は屹度谷を隔てて、西の山の木の洞に棲居をし、西からと東からと互に見張をして居るさうぢや、若し雌の棲みて居る大木の麓へ猟師でも出て来たら、灯台元暗がり、近くに居る雌に気がつかいでも遠くから見て居る雄がチヤンと之を悟つて、電波を送つて雌に知らせ、雄に危険が迫つた時は又遠くから見て居る雌が電波を以て雄に知らせると云う事だ。その通りお前も両方に分かれて互に妻は夫を思ひ、夫は妻を思ひ、偶々会うた時のその嬉しさは何とも云へぬ味が出るぞえ、之だけ若い者ばかり沢山居るのだからお前の様な若夫婦を一緒において置くと、いろいろと若い者が修羅を燃やしてごてつき、お前も亦辛いであらうから、明日は直にお民は高城山へ行つて御用をして下さい』 綾彦、お民『何事も神様にお任せした以上は、何卒貴女の思召の通りお使ひ下さいませ』 黒姫『ア、さうかさうか、結構結構、本当に聞訳の良い人ぢや、サアサ今晩は奥へ行つて寝みなされ、俺も大変草臥れたから今晩は之で寝みませう、然しこれこれお若いの、神様に手を合せお礼を申して寝みなされや、必ず必ず神様の祀つてある方に尻を向けたり足を向けてはなりませぬぞえ』 夫婦『ハイ有難う御座います、然らば寝まして頂きます』 と奥を目蒐けて両人は徐々進み行く。 黒姫『アーア、世の中は思ふ様にいかぬものだなア、今斯う云うて若夫婦に生木を裂く様な命令をしたが、思へば思へば可憐相な者だ。俺とても其通り、高山彦さまが二三日他所へ行つてお顔が見ええでも淋しくて仕方が無いのに、鴛鴦の様な仲の良い若夫婦が別れて御用するのは、私に比ぶれば幾層倍辛いだらう。ウラナイ教の双壁といはれた竜宮の乙姫の此生宮でさへも、高山彦さまを夫に持つたのが露見れてより、夏彦や常彦は直に飛び出し、それから後は毎日日日何とか、かとか云つて、岡餅を焼いて法界悋気の続出、コンナ事では折角築き上げたウラナイ教も崩解するかも知れない、何ほど一旦綱かけたらホーカイはやらぬと、色の黒き尉殿が鈴を振る様に矢釜しく云つても駄目だ、アヽいやいやいやオンハと、三番叟もどきに逃げて去ぬ奴が踵を接するのだから、法界悋気の深い連中の中へ、何ほど可憐相でも若夫婦を交へて置く事は出来ぬ。アーア若夫婦、必ず必ず黒姫は邪慳な奴ぢやと思うて呉れな、口先では強う云うては居るものの、涙もあれば血もある、アヽ可憐相だ、青春の血に燃ゆる二人の心、察しのない様な黒姫ぢや御座いませぬ』 と独語ちつつ同情の涙に暮れて居る。 かかる所へ高山彦現はれ来り、 高山彦『ヤア黒姫か、夜も大分更けた様だ、もうお寝みになつたら如何です』 黒姫『ハイ、只今寝みます』 高山彦『お前に一つ相談がある、聞いて呉れまいか』 黒姫『之は又改まつたお言葉、相談とは何事で御座いますか』 高山彦『外でも無い、俺は一つ大に期する処があるのだ、之からフサの国へ一先づ立ち帰り、大に高姫さまの後援をして大々的活動を仕様と思ふ、お前は此処に居つて自転倒島を征服して下さい、明日からすぐ出立しようと思ふから…』 黒姫『エ、何と仰しやいます、夫婦は車の両輪、唇歯輔車の関係を保たねばなりませぬ、例へば男は左の手足、女は右の手足も同様、片手片足では大切な神業に奉仕する事は出来ますまい、ちつとお考へ直しを願ひます』 高山彦『黄貂[※一般的には「木貂」と書く。]、一名雷獣と云ふ獣は随分仲の良いものだが、夫婦は決して一緒に居ないものだ』 黒姫『エヽ措いて下され、妾の模像ばつかりやるのですな、ソンナ玩弄物の九寸五分を突きつけた様な同情ある恐喝手段にのる様な黒姫とは違ひますわいな、ヘン……いい加減に揶揄つて置きなさいよ、ホヽヽヽ』 高山彦『ヤア真剣だ、強つてお暇を願ひ度い』 黒姫『まつたくですか、ハヽア、宜しい、御勝手になさいませ、外に増花が出来たと見えます、もの云ふ花は此黒姫一人だと妾が心で自惚して居つたのは妾の不覚、薊の花に接吻をして来なさいよ』 高山彦『そう怒つて貰つては困るぢやないか、二つ目には妙な処へ論鋒を向けるのだな、昼演壇に立つて滔々と苦集滅道を説くお前の態度と今の態度とは丸で別人の様な、声の色まで変つて居るぢやないか』 黒姫『ヘンきまつた事ですよ』 と肩を高山彦の方へニユツと突き出し、首を斜にし目を細うし、 黒姫『野暮な事仰しやるな、こゑは思案の外ぢやないか、ホヽヽヽ』 と鰐口を無理におちよぼ口に仕様とつとめる。巾着を引き締めた様に縦の皺が一所に集中し、牛蒡の切り口の様に口の辺りが見えて居る。 高山彦は、 高山彦『アヽもう寝まうか』 と黒姫の背中をポンと叩く。 黒姫『勝手に一人寝やしやンせいな』 と黒姫は、故意とピーンとした顔を見せ、向返つて背中を向ける。 高山彦『ハヽヽヽ、非常な逆鱗だ、どれどれ今晩は山の神さまに巨弾を撃たれて、只一人赤十字病院に収容されるのかな、アハヽヽヽ』 と寝室に帰り行く。黒姫は水鏡を灯火に照し顔の修繕をなし、羽ばたきし乍ら四辺を見まはし目を細うし、 黒姫『どれ夫の負傷を、女房としてお見舞申さねばなるまい』 と又もや一室にいそいそ走り行く。 ○ 黒姫が許可を得て浅公、幾公、梅公、その他十数名の老壮連は御神酒頂戴の名の下に、「会うた時に笠脱げ」式にガブリガブリと酌いでは飲み酌いでは飲み、酔が廻るにつれ徳利の口から「火吹き竹飲み」を初め出しける。 甲『オイ、梅の大将、随分よく飲むぢやないか』 梅公『きまつた事だ、大蛇の子孫だもの、飲む事にかけたら天下一品だ、親譲りの山を呑み田を呑み家まで呑みて、酒の肴に親の脛を噛り、此奴手に負へぬ奴ぢや、七生(升)までの勘(燗)当ぢやと云つて放り出されたと云ふ阿哥兄さまだ。親爺が七升の燗をせいと云つた時は流石の俺も一寸弱つたね、朝九一合、昼九一合、晩九一合、夜中に九一合、夜明け前に九一合、マア一寸ゴシヨゴシヨ(五升)とやつた処で、それ以上は腹の虫が「梅公、あまりぢや、もう此上は六升だ、七升(七生)迄怨み升」と副守の奴でさへも弱音を吹いたのだからな』 甲『随分酒豪だな』 梅公『酒豪な守護神だ、然し之だけ、酒飲みの梅公も此頃はずつと改心して、滅多に飲みた事はあるまいがな、偉い者だらう』 浅公『アハヽヽヽ、飲み度いと云つたつて飲ます者がないものだから気の毒なものだ』 梅公『酒の酔い本性違はずだ、何程酔つた処で足がひよろつくの、頭が痛いの、眩暈が来るの、八百屋店を開業するのと云ふ様な不始末な事は、ちつとも、無いのだからな、それで今日の様な妙案奇策を捻り出すのだ、今晩斯うして貴様達が甘い酒に舌鼓を打つ様にしてやつたのは俺のお蔭ぢやないか、随分うまくいつたぢやないか』 寅公『あの暗がりに飲まぬ酒に酔うた気になつて、冷い土の上に横はり、向うから一歩々々近づいて来る足音、何処を踏まれるか分つたものぢやない、其時の心のせつなさ、腰をトウトウ土足で踏まれ、睾丸を踏まれた時の痛いの痛くないのつて一生懸命の放れ業だ、随分俺も骨を折つた、何ほど梅公が賢うても俺達が実行せなくては今夜の芝居は打てやしない、あまり威張つて貰うまいかい』 辰公『俺だつて臍の上をギユツと踏まれた時の苦しさ、早速ベランメー口調で業託を云はうと思つても満足に声も出やがらぬのだ、皆の奴、気が利かぬ者だから暗がり紛れに旅人だと思つて俺の頭と云はず背中と云はず、幾ら叩きよつたか分つたものぢやない、コオこれを見い、背中が青くなつて居るワ』 梅公『アハヽヽヽ、何ぬかしよるのだ、蛙ぢやあるまいし背中の青くなつたのが如何して分るかい、兎角芝居は幕開きはしたものの馬の脚や猪になる大根役者が、うまくやつて呉れるかと思つて随分気を揉みたよ、マアマア木戸銭取らずの奉納芝居だから、あれ位で観客も何とも云はぬが、下足賃でも徴つて見よ、それこそ一人も這入る者はありやせないぞ、然し寅公、辰公、鳶公、貴様等五人は如何しやがつたかと思つて心配して居つたら、何時の間にか先に行きよつて天眼通だの、何のと甘い事を云ひよつたね』 寅公『当意即妙、神謀奇略の智勇兼備の大将だ、知識の源泉たる吾々、何処に抜け目があるものかい、サアサ良い加減に寝まうぢやないか』 浅公『オヽ、寝みても宜からう、膝坊主でも抱いて寝エ、アーア、今晩の女は随分素敵な奴ぢやないか、アンナ良い女房を持つたハズバンドは随分に幸福だらうな、エー怪体の悪い、あれ程堅苦しい事云つて居た黒姫の大将は婿を持つ、やもめばつかりの俺達は指を啣へて、見て居るより仕方が無い、そこへ又うら若い綺麗な夫婦がやつて来やがつて、随分貴様達も気が揉める事だらう、アハヽヽヽ』 と酔ひに乗じて四辺構はず罵つて居る。綾彦、お民は黒姫の命に依り、一室に行つて寝に就かむと廊下を通る折、思はぬ酒の酔ひの笑ひ声、立ち聞きは不道徳とは知り乍らも、つひ気にかかりフツと耳を傾け聞いて居れば、どうやら自分の事らしい、二人は顔見合せ何事かひそひそ囁き乍ら一睡もせず其夜を明かしける。 (大正一一・四・二六旧三・三〇北村隆光録) (昭和一〇・六・一王仁校正) |
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69 (1724) |
霊界物語 | 18_巳_丹波物語3 玉照姫の誕生 | 13 救の神 | 第一三章救の神〔六四一〕 寅若、富彦、菊若の三人は金峰山の頂上、弥仙神社の前に一心不乱に願望成就の祈願を凝らし、遂に夜を明かした。 寅若『アヽ大分沢山に神言を奏上し、最早声の倉庫は窮乏を告げたと見え、そろそろかすつて来だした』 と瘡かきの様な声で云ふ。二人も同じくかすり声、 寅若『もう仕方がない、ありだけの言霊を献納したのだから、声としては殆んど無一物だ、声の裸になつた様なものだ、これだけ生れ赤子になれば、如何な願も聞いて下さるだらう』 と枯れ草の上を竹箒で撫でる様な貧弱な言霊をやつと発射してゐる。寅若、懐中の短刀をヒラリと抜いて傍の木を削り、それへ向けて矢立から、竹片を叩いた、笹葉の様な、長三角の筆を取り出し、何かクシヤクシヤ書き初めた。書き終つて唖の様にウンウンと木の文字を見よと指さし得意顔、二人は立ち寄つて読み下ろすと、 『木花姫の命の筆先、今日は七十五日の忌明で必ず参拝致す筈のお玉に神が気をつける、汝に授けた玉照姫は普通の人間の子で無いぞよ、神が御用に立てる為めに汝の肉体に、そつと這入つて生れ変つたのであるから、今此処で改心を致してウラナイ教に献り、神のお役に立てて下されよ、これが神の仕組であるぞよ、若し承知を致したなれば其しるしに日蔭葛を頭にのせて、其方の家まで帰つて下されよ、若し不承知なれば其儘で帰るがよい、又後から神がみせしめを致すぞよ』 と書いてある。菊若、かすり声で、 菊若『アハヽヽヽ、うまいうまい、ナア富彦、やつぱり哥兄貴だなア』 寅若『哥兄貴だらう』 と、かすり声で云つて居る。三人は軈てお玉が朝参詣して登つて来る時刻と裏山より、ずり下り、そつと廻つて中腹の灌木の繁茂に姿を隠し、お玉の下向を待つて居た。お玉は只一人桜の杖をつき乍ら漸く頂上に達し、神前に向つて感謝の辞を奉り、フツと社側の大木を見れば何か文字が現はれて居る。『ハテ不思議』と近寄つて見れば以前の文面、暫く其木と睨めくらし、腕を組んで思案に暮れて居た。暫時あつて、 お玉『エー、馬鹿らしい、神様が斯んな事をお書き遊ばすものか、何者かの悪戯であらう。日蔭葛を被つて帰る所を眺めて、近在村の若い衆が手を拍いて笑つてやらうとの悪戯だらう、ホヽヽヽ、阿呆らしい』 と独語ちつつ又もや神前に軽く会釈をし、もと来し急坂を下り行く。半分あまり下つたと思ふ時、 寅若『ヤア、駄目だ、日蔭葛を被つて居やがらぬぞ、不承諾だと見える、もう斯うなる上は直接行動だ、サア、一、二、三つで一度にかからうかい』 菊若『オイオイ、あまり慌るな、彼奴の身体を見よ、一歩々々些とも隙がない、うつかりかからうものなら、谷底へ取つて放られるかも知れないから、余程ここは慎重の態度をとらねばなるまいぞ』 富彦『愚図々々云つてる間に、さつさと帰つて仕舞うちや仕方がないぢやないか、もう斯うなつては何の猶予もない、サア一、二、三つだ』 とお玉の前に身体一面、日蔭葛で取り巻いた化物の様な姿で三人は現はれた。 お玉『シイツ、オイ畜生、何と心得て居る、此処は神様のお宮だ、昼中に四つ足が出ると云ふ事があるものか、昼は人間の世界、夜はお前達の世界だ、早く姿を隠せ、一二三四五六七八九十百千万……』 寅若、作り声をして、 寅若『オイ、お玉、其方は生神様に向つて獣と云つたな、もう量見がならぬ、覚悟致せ』 お玉『オホヽヽヽヽ、お前は昨日妾の家へやつて来て、お爺さまに審神をせられた狐や狸の生宮だらう、やつぱり争はれぬもの、宅のお爺さまは目が高い、今日は正真になつて姿を現はし遊ばしたな、ホヽヽヽヽ』 寅若『何を吐すのだ、もう斯う成つた上は此方も死物狂ひだ、幸ひ外に人は無し、何程貴様に神力があるか、手が利いて居るか、荒くれ男の三人と女一人、愚図々々吐さず後へ手を廻せ』 お玉『オホヽヽヽ、お前こそ、ちつと尻へ手を廻さぬと大変な失敗が出来ますよ、後へ手を廻す様な人間はお前の様な悪人ばつかりだ、やがて捕手が出て来て……括つて去なれぬ様に御注意なさいませや』 菊若『エー自暴糞だ、やつて仕舞へ、サア一、二、三つ』 お玉『オホヽヽヽ、随分偉い馬力ですこと、お宮の前に綺麗な楽書がして御座いましたな、妾拝見致しまして、見事なる御手跡だと感心しましたのよ』 寅若『エー、ベラベラと怖くなつたものだから追従ならべやがつて、此場をちよろまかして逃げ様と思つたつて、仏の碗ぢや、もうかなわんぞ、神妙に手を廻さぬかい』 お玉『大きに憚りさま、廻さうと、廻すまいと妾の手、自由の権利だ、お構ひ下さいますな、それよりも貴方の身の上を御注意なさいませ、玩具のピストルを突きつける様な脅喝手段にのる様なお玉ぢや御座いませぬワ』 富彦『何程口は達者でも力には叶うまい、オイ寅若菊若、もう斯うなれば容赦はならぬ、愚図々々して居ると、人に見付かつちや大変だ、早う事業に着手しようぢやないか』 寅若、菊若『オツト合点だ』 と三人は武者振り付く。お玉は右に隙かし左に隙かし、飛鳥の如く揉み合ひへし合ひ戦つて居る。寅若はお玉の足に喰ひついた途端にお玉は仰向態に、ひつくりかへり二三間谷を目蒐けて、寅若と上になり下になりクレリクレリと三四回軽業を演じた。菊若、富彦は予て用意の藤綱を以て後手に縛り、猿轡を箝め様とする。此時下の方から白い笠が揺らついて登つて来る。 寅若『ヤア、何だか怪しげな奴が一匹やつて来やがつたぞ、大方豊彦爺だらう』 菊若『親爺にしては随分足並が早い様だ、早く縛りあげて其処辺へ隠し、彼奴の通るのをば待とうぢやないか』 と慌て括つたお玉の肉体を灌木の繁茂に隠して仕舞つた。そこへ上つて来た一人の男、 男(丹州)『ヤアお前はウラナイ教の方ぢやなア、一寸物をお尋ね致します、此処へ於与岐の豊彦の娘お玉と云ふ綺麗な女は通らなかつたかな、見れば貴方等は身体一面、狐の襷を身に纒うて居るが、何ぞ面白い事でもありましたか』 寅若『イヤ、別に何もありませぬ、お玉さまはねつからお目にかかりませぬがな』 と故意とお玉を隠した反対の方へ目を注ぐ。 男(丹州)『もう此処へ来て居らねばならぬ時刻ですが……彼方から一寸窺つて居ましたが人の影が四ばかり動いて居つた様だ』 寅若『ハイ、そう見えましたかな。それは大方昼の事でもあり影法師がさしたのでせう』 男(丹州)『天を封じた此密林、影が映すとは妙ですな、私も此処で一つ煙草でも……さして貰ひませう、何だか女の息が聞える様だ、ハツハツハヽヽヽ、お前、隠して居るのぢやあるまいな』 寅若『滅相な、此昼中に隠すと云つたつて……何を隠す必要がありますものか、かくすれば斯くなるものと知り乍ら止むにやまれぬ日本魂と云ひまして、ホンの一寸……』 男(丹州)『何が一寸……だ、其一寸が聞かして欲しい』 寅若『そう四角張つて仰有るに及びませぬワ、サアサアお伴致しませう、貴方お空へお詣りでせう、私お伴致します。オイ菊若、富彦、宜いか、合点か、お前は足弱だから、先へ何を何々せい、私は此お方のお伴をしてお空へ詣つて来るから……』 菊若『昨晩詣つただないか』 寅若、グツと目を剥き、 寅若『シイツ、何を云ふのだい、夢を見やがつて……此処までやつて来て「アヽお山はきついから……神様は何処からも同じことだ、ここで勘へて貰はう」と平太つて仕舞つたぢやないか、アハヽヽヽ。昨晩のうちに詣りよつた夢を見たのぢやな、旅人、こんな弱虫を連れて居ますと閉口致しますワイ、サアお伴致しませう』 男(丹州)『御親切は有難いが、私はお空には一寸も用はない、私の許嫁のお玉と云ふものに会ひさへすればよいのだ、何だか此処へ来ると足がピツタリ止まつて、お玉臭い匂ひがして来た』 三人は徐々目と目とを見合して逃げかけ様とする。 男(丹州)『オイオイ、三人の奴共、貴様に談判がある、一寸待て』 寅若『ヘイ、なゝゝゝ何と仰しやいます』 男(丹州)『一寸待てと云うのだ』 寅若『ぢやと申して……鬼と申して……寅と申して……』 男(丹州)『アハヽヽヽ、随分よく動くぢやないか、その態は何ぢやい』 寅若『ハイ………地震の霊が憑依しまして……いやもう慄つて居ますワイ』 男(丹州)『真に三人共慄つてるな、まてまて今一つ退屈覚しに悪霊注射でもやつて霊縛してやらう』 菊若『めゝゝゝ滅相な、もう之で沢山で御座います』 男(丹州)『ウン』 と一声、霊縛を施した。三人は腰から下は鞍掛の足の様に踏ん張つたまま地から生えた木の様にビクツとも動かず、腰から上は貧乏ぶるひをやり乍ら目許りぎろつかせて居る可笑しさ。 男(丹州)『アーア、お玉さまを之から助けて上げねばなるまい』 と傍の灌木の中に倒れて居るお玉の綱を解き猿轡を取り外し、 男(丹州)『旅のお女中、否お玉さま、えらい目に会ひましたね、サ、しつかりなさいませ、もう大丈夫ですよ、あの通り霊縛を施して置きました』 お玉はキヨロキヨロ男の顔を見廻し、 お玉『ヤア、其方は同類であらう、そんな八百長をしたつて欺される様なお玉ではありませぬよ』 男(丹州)『これは迷惑千万、私は丹州と云ふ男、豊彦さまの知己ですよ』 お玉は男の顔を熟視し、 お玉『ヤア貴方は先日お越し下さいました丹州さまで御座いますか、これはこれはよい処へ来て下さいました、サア帰りませう』 丹州『マア、ゆつくり成さいませ、足は歩かねども天の下の事悉く知る神なりと云ふ案山子彦又の御名は曽富斗の神が御三体現はれました、アハヽヽヽ』 お玉『ほんに、マア見事な案山子彦の神さまですこと』 丹州『何でも世界の事は御存じのお方だから、一つ伺つて見ませうか』 お玉『それは面白からう、いやいや面白いでせう』 丹州『神様に伺ふのに面白いなんて、……そんな失敬な事がありますか、ちつと言霊をお慎みなさい』 お玉『ホヽヽヽ、屹度慎みませう』 と寅若の前に徐々と現はれ、 お玉『ハヽア、此神様は目ばかり剥いて居らつしやる、何かお供へしたいが何もありませぬ、丹州さま、如何でせう、大きな口を開けて居らつしやいますが………』 丹州『お土かお石の団子でも腹一杯捻込んであげたら如何でせう、アハヽヽヽ』 お玉『それは経済で宜しいね、お三方とも勝負のない様にお供へしませうか』 丹州『ヤア手が汚れますから措きませうかい、こらこら六本足、霊縛を解いてやる、一時も早く立帰り此由を高姫、黒姫、高山彦の御前に包まず隠さず注進致して、御褒美に預つたが宜からう』 『ウン』と一声霊縛を解くや否や三人は一生懸命ガラガラガラと坂道に石礫を打ちあけた様に転んで逃げて行く。 丹州はお玉と共に於与岐の豊彦の家に黄昏ごろ帰つて来た。豊彦夫婦はお玉の遭難の顛末より丹州が助けて呉れた一条を涙と共に聞き非常に感謝し、丹州は生命の親として鄭重に待遇され、それよりお玉の宅に暫時同棲する事となつた。されど丹州とお玉との両人の仲は一点の怪しき関係も無く極めて純潔であつた。 (大正一一・四・二八旧四・二北村隆光録) |
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霊界物語 | 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 | 03 千騎一騎 | 第三章千騎一騎〔六四八〕 高山彦は魔窟ケ原の岩窟を後にし、一生懸命に聖地を指して進み行く。漸く白瀬川の畔に着けば、降り続く五月雨に河水汎濫し、波堆く渡川は絶対に不可能となりぬ。 高山彦は川の岸を下りつ、上りつ、地団太踏みて口惜しがり、現在目の前に聖地世継王山を眺め、玉照姫の御座所は彼方かと憧憬の念に駆られて狂気の如くなり居たり。斯る処へ息せき切つて馳来りしは、妻の黒姫なりける。 高山彦『ヤーお前は黒姫か、何しに出て来たのだ』 黒姫『高山さま、ソラ何を言はつしやる。此儘にして置く訳には行きますまい。あれ彼の向ふに見ゆるは世継王の神山、三五教の隠れ場所、玉照姫様は彼の森のしげみに御座るであらう。サアサア早く渡りなさい』 高山彦『渡れと云つたつて此の激流が、どうして渡れやうか』 黒姫『生命を的に渡るのだよ。それだから男は真逆の時に間に合ぬと云ふのだ。お前さまも鼻高の守護神の御厄介になつて中空高く渡りなさい』 高山彦『ソンナことを言つたつて、さう易々と元の体に還元することは出来ないよ』 黒姫『還元出来ないと云ふ道理があらうか、貴方の信仰が足らぬからだ。火になつても蛇になつても、此の川渡らな置くものか』 と云ふより早く、見るも恐ろしき大蛇の姿となり、激流怒濤の真ン中を目蒐けて、ザンブとばかり飛び込み、漸く対岸に渡り付きたり。 高山彦は此の気色に恐れ戦き、ガタガタ慄ひの最中、蛇体の身体より黒雲起り一団となりて、川の上空を此方に渡り高山彦の身体を包むよと見る間に、高山彦は川の対岸にバタリと落ち来たりぬ。蛇体は忽ち元の黒姫と変じ、 黒姫『サア高山さま、コンナ放れ業は一生に一度より出来ないのだが、千騎一騎の此場合、黒姫が信念の力が現はれたのだ。サアサアこれに怖れず、今後は斯様なことは無い程に、妾に続いてお出でなさい』 高山彦は慄ひ声で、 高山彦『ナント女と云ふ奴は恐ろしいものだなア』 黒姫『コレ高山さま、お前はモーこれで愛想がつきただらうな。愛想をつかすなら、つかして見なさい、此方にも一つ考へがありますよ』 と冷やかに笑ふ。高山彦は眼を瞬たき、高き鼻を手の甲で擦り乍ら、 高山彦『イヤ何事も黒姫さまに御任せする、此後は一切構ひ事は致さぬ。貴女のお好きの様に御使ひ下さいませ』 黒姫『大分改心が出来ましたナア、それでこそ妾の立派なハズバンドだ。サアサア往きませう、エヽなンとした足つきじやいな、確りしなさらぬか、此川を渡るが最後、油断のならぬ敵の縄張りだよ』 高山彦『さうだと云つて、ナンダか脚がワナワナして歩けないのだもの』 黒姫『エー何とした卑怯な人だらう。誰が恐いのだい。たかが知れた紫姫、青彦の連中ぢやないかいナ』 高山彦『青彦、紫姫も、ナンニも恐くはない。恐いのはお前の性念だよ』 黒姫『高山さま、斯う見えても矢張女は女だよ。御心配なさるな。これでも又大事にして可愛がつて上げますワ』 高山彦はブルブル慄ひ乍ら、 高山彦『ヤーもう可愛がつて貰はいでも結構です。私の様なものは貴女のお側に寄るのは勿体ない。畏れ多い。どうぞ草履持になつとして下さいな』 黒姫『エー此人は又何とした卑怯なことを云ふのだらう。アヽもうすつかり愛想が尽きちやつた、嫌になつて了ふワ』 高山彦『どうぞ愛想をつかして下さいな。嫌になつて貰へば大変に好都合です』 黒姫は声を尖らし、 黒姫『ソリヤ何を云ふのだい、嫌になつて呉れと言つたつて、今となつて誰がソンナ軽挙なことをするものかいな。蛇に狙はれた蛙ぢやと思つて諦めなさいよ』 高山彦『ハイ諦めます。何事も因縁づくぢやと思つて、コンナ悪縁も辛抱致しませう。前生の悪い因縁が報うて来たのだから』 黒姫『何が悪縁だへ。お前さまは男の心と秋の空、直に飽縁だらうが、妾は何処迄も秋の空で、何処々々迄も好いて好いてすき透つてゐますよ、ホヽヽヽヽ』 高山彦『モシモシ黒姫様、何卒人を一人助けると思つて私の罪を赦して下さいな』 黒姫『そりや又何を言ふのだえ、モー斯うなる上は赦してたまるものか。竜宮の海の底まで伴れて行つて呑みたり、噛みたり、舐つたり大事にして上げようぞへ』 高山彦『モー大事にして貰はいでも結構です。何卒其の御心遣ひは御無用になさつて下さいませ。返礼の仕方がありませぬワ』 黒姫『エーわからぬ男だ。話は後で悠くりして上げよう。サア一時も早く往かねばなるまい。恰度日も暮れて来た』 と高山彦を先に立たせ、夏草茂る露野ケ原を世継王の山麓指して辿り行く。 五月十三夜の月は、楕円形の鏡を空に照してゐる。馬公、鹿公は月の光を眺め、 馬公『アヽ何といい月ぢやないか、のう鹿公』 鹿公『ソリヤ馬公、きまつた事だ。五月五日の宵に玉照姫様がお越し遊ばし、記念すべき月だもの。古往今来コンナよい月があるものかい。それに就ても可哀相なのは黒姫ぢやないか。この通り御空に水晶の玉照姫様が輝き渡り、この又屋内にもお玉さまに、玉照姫さまぢや、之を三つ合せて三つの御魂と云つても宜いワ。アヽ、 濡れて出たやうに思ふや雨後の月 とは如何だ』 馬公『ヤー鹿公、貴様俳句を知つて居るのか』 鹿公『ハイ句でも、歌でも、何でも知らぬものは無い。何なと言うて見よ。当意即妙、直に作つて御目にかける鹿公だよ』 馬公『ソンナラ今彼のお月さまに黒雲がさしかかり、今や隠さうとして居る。彼れを一つやつて見よ』 鹿公『黒姫に玉照姫は包まれて馬鹿を見むとす青彦の空』 馬公『何と云ふ縁起の悪い歌を詠むのだ。宣り直さぬかい、鹿公奴』 鹿公『大方馬公がさうお出ると思つて居た。今度が真剣だよ。 青彦や紫姫の大空に月の玉照姫ぞ輝く とは如何だ』 馬公『ヨーシモー一つやれ』 鹿公『いくらでも、月を題にするのなら月は先祖よ。月の大神様が此世の御先祖様であるぞよ。馬公志つかり聞けよアーン、 月に叢雲花には嵐東に旗雲箒星 天の河原は北南星の流れは久方の フサの御国に落ちて行く高山彦や短山の 嶺より昇る月影も今日は芽出度き十三夜 たとへ黒姫かかるとも伊吹の狭霧に吹き散らし 忽ち変る大御空紫姫や青彦の 清き姿となりにけり。 とは如何だ』 馬公『随分長い歌だのう、鹿公』 鹿公『長いとも長いとも、今に長い奴が黒い顔してやつて来るのだ。横に長い奴と、縦に長い高山彦の青瓢箪だ。うまくやらぬと馬鹿を見るぞよ。変性男子の申す事は一分一厘違ひはないぞよ』 馬公『何を吐すのだ、モー好い加減に止めて貰はうかい。オイオイ彼れを見よ、二つの影が蠢いて居るぢやないか、鹿とは判らぬけれど』 鹿公『ヨオ来居つたぞ、太い短い奴と細い長い奴だ。ヤー此奴は高山彦に黒姫だ。愚図々々して居ると空のお月さまの様に、黒姫に呑まれて了つちや、玉照姫様が一大事だ、サアサア戸を締めろ』 と云ふより早く、鹿公は飛込みてピシヤリと錠を下ろしたり。 馬公『オイ俺も入れて呉れないか』 鹿公『エー邪魔臭い。貴様は何処か叢の中へ潜伏して居れ、馬じやないか。俺は中から此の関所を死守するのだ』 二つの影は段々近寄つて来る。鹿公は何うしても開けぬ。馬公は已むを得ず茅のしげみに身を隠して慄ひ居る。 二人の影は戸口に現はれたり。一人は女、一人は男、 女(黒姫)『モシモシ一寸此処を開けて下さいな』 鹿公『ナンダ、暮六つ下つてから他の家を訪れる奴があるかい。夜は魔の世界だ、用があれば明日出て来い。此門口は鹿公は絶対に開けることは出来ないぞよ』 女(黒姫)『左様で御座いませうが、ホンのチヨイトで宜しい、一尺許り開けて下さい。申し上げ度い一大事がございます』 鹿公、戸口に立つて、 鹿公『其方で一大事があつても此方も亦一大事だ。ナント言つても開けないよ。モシモシ青彦さま、貴方一寸来て下さいな。どうやら黒姫がやつて来たやうですワ』 青彦は奥の間より、 青彦『誰がなんと言つても開けられないぞ』 鹿公『さうだと言つて馬公が外に、這入り損ねて隠れて居ますがな』 黒姫は此の声を聞き、辺りの叢を尋ね、 黒姫『ヤアお前は馬公ぢやな。サアもう大丈夫だ。コレコレ高山さま、用意の綱をお出しなさい。エー何をビリビリ地震の様に慄ふて居なさる。気の弱い獣だな』 と云ふより早く自分の細帯を解いて、馬公を縛つて了ひ、 黒姫『サア馬公、此方へ来るのだよ。此戸を開ける迄、お前は人質だ。若し開けなかつたら此黒姫が正体を現はして、一呑みに呑みて了はうか』 馬公『エーコンナことだと思つて居つた。それだから神様が言霊を慎めと仰有るのに、鹿公の奴、黒姫が何うだの斯うだのと言ひよるものだから、コンナ破目に陥るんだ。オイ馬公は括られたよ、鹿公開けて呉れないか』 鹿公『貴様は括られる役だ、俺は中で長くなつてグツスリ休む役だ。マア夜が明ける迄、其処で立往生するがよいワ。お優しい黒姫さまと、色男の高山さまとのお伴れだもの、あまり淋しくもあるまいがな』 馬公『ソンナ冷酷なことを言ふものぢやないよ、お前もちつとは朋友の道を弁へて居るだらう』 鹿公『マア待て、今これから紫姫様が十八番の言霊の発射を為さるところだ。さうすれば黒姫だつて高山彦だつて風に木の葉の散る如く、悲惨な目に会つて滅て了ふのだ』 馬公『さうしたら俺は何うなるのだ』 鹿公『貴様の事まで、未だ研究はして居らぬ哩。オイ黒姫の奴、誠に以てお気の毒千万、御心中御察し申す。高姫様に嘸お叱言を頂戴なさつたでせう。併し乍ら何程お前さまが玉照姫様をお迎へしようと思つてもモー駄目だから足許の明るい間に、トツトと帰りなさい。其処に馬が一匹居るから、ソレに乗つてお帰りなさいよ』 馬公『コラ鹿公、無茶ばつかり言ふない、俺は決して黒姫さまの馬ではないぞ』 黒姫『どうしても開けませぬか、開けな宜しい。黒姫は道成寺の釣鐘ぢやないが此の家を大蛇となつて、十重二十重に取捲き、熱湯にして見せうか』 鹿公『モシモシ紫姫さま、青彦さま、確りして下さい。トツケもないことを言ひますぜ』 紫姫は言葉静に、 紫姫『ホヽヽヽヽ、御心配なさいますな。鹿さま、確かりと戸を締めて置きなさいや、モシモシ黒姫さま、誠に貴女には御気の毒でございますが、神界の為め、世の中の為には貴女に対して不親切なことを致すのも已むを得ませぬ。どうぞ帰つて下さいませ』 黒姫『何と云つても帰らない。青彦と紫姫の素首を引抜いて、フサの国の高姫様にお目にかけ、玉照姫様を御迎へ申さねば置きませぬぞや』 青彦『何と執念深い婆アさまぢやな、青彦も呆れたよ。いい加減に執着心を放棄したらどうだい』 黒姫『執着心はお前のことだよ。お前から除つたがよからう。さうして玉照姫さまと、お玉さまを此方へ渡しなさい』 青彦『此の執着心だけは何処までも放されない。決して個人の私有すべきものでない、神政成就の大切な御宝だ。たとへ天地が覆へるとも、こればかりは承諾は出来ない、どうぞ早くお帰りになつて下さい』 黒姫『何と云つても黒姫は帰りませぬ』 紫姫『玉照姫様は三五教に於ても無くてはならぬ結構な神様でございます。又ウラナイ教にも必要な神様でございます。さうだと申して両方の欲求を充すと云ふ事は、到底出来ませぬから、いつその事貴方が御改心をなさつて、三五教にお入り下さつたら如何ですか。貴方が御改心なさつた以上は、高姫さまも自然御改心になりませうから、紫がさう云つたと高姫さまに伝へて下さいませ』 黒姫『権謀術数を弄し折角妾が望みた玉照姫様を計略を以て、横領なさつたお前さまこそ改心を為され。どちらが善か、悪か、心の鏡に照して御覧なさい。貴方の行り方は三五教の精神を破壊する行り方、つまり優勝劣敗利己主義ではありませぬか』 鹿公『エー八釜敷い云ふない、黒姫の奴、貴様こそ利己主義ぢやないか。此の玉照姫様は三五教の神様が御経綸遊ばして悦子姫様が取り上げまでなさつた因縁があるのぢや。何と云つても正義だ、先取権があるのだ。他の宝に垂涎して要らぬ謀叛を起し煩悶をするよりも、すつかりと思ひ切つて気楽になつたら如何だ、鹿公は腹が立つワイ』 黒姫『何と云つても是れ許りは貫徹させなくては置くものか。仮令千年万年かかつても祈つて祈つて祈り勝つて見せよう。ヤアコンナ馬公を人質に取つたところが、何の役にも立たない。サア馬公、世界中放し飼だ。何処なと勝手にお出でなさい』 と縛を解けば、馬公は、 馬公『ヤアヤア黒姫さま有難う。ヤアどつこい、お前に縛られて、お前に解かれたのだ、有難うと云ふ筋が無い。エー取返しのならぬ失策をやつたものだ。馬鹿々々しい』 此時紫姫の涼やかな声にて、天の数歌が轟き渡りける。忽ち黒姫は頭部真白と変じ、高山彦の手を引き雲を霞と西北指して逃て行く。 馬公『オイ鹿公、モー黒姫夫婦は逃て了つたよ。どうぞ開けて呉れないか』 鹿公『ヨシヨシ』 と戸をガラリと引き開け、 鹿公『オイ馬公どうだつたい、貴様縛られて居つたぢやないか』 馬公『ウン縛られたよ。併しチツトモ痛くはなかつた。黒姫の奴、俺を縛るときに一生懸命に小声になつて、「大神様済みませぬ、赦して下さい。罪も無い馬公を縛ります、これも御道の為ですから、神直日、大直日に見直し、聞直して下さいませ」と念じて居つた。人の性は善なりとは、よく言うたものだなア』 青彦はこれを聞いて両手を組み、頭を首垂れ思案に沈む。紫姫は直に神前に感謝の祝詞を奏上する。玉照姫は俄にヒシるが如く泣き出し給ひける。お玉は驚きあはてて玉照姫の背を撫で擦り、慰め居たり。 空には白き魚鱗の波を湛へた雲の切れ目に月は朧に輝き、悲しげに山杜鵑の声峰の彼方に聞え居る。 (大正一一・五・六旧四・一〇外山豊二録) |
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霊界物語 | 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 | 09 身魂の浄化 | 第九章身魂の浄化〔六五四〕 心の暗の空晴れて、世界に鬼は梨の木の、峠の巌に腰打掛け、雪雲の空を眺めて、雑談に耽る二人の男あり。 荒鷹『アヽ思ひまはせば今年の春の初、鬼熊別の部下となつて、三岳山の岩窟に数多の手下を引連れ、善からぬ事計りを得意になつて、自己保存は人生の本領だと思ひ詰め、利己主義の行動を以て金科玉条として居たが、まだ天道様は吾々を捨て給はざりしか、音彦、加米彦、悦子姫様の一行に救はれ、飜然と悟り、三五教に入信さして頂き、鬼熊別の本城に逆襲し、言向和さむと心力を尽して見たが、まだ鬼熊別の大将は、神の救ひのお綱が掛つて居なかつたと見え、吾々の熱誠なる言霊の忠告を馬耳東風と聞き流し、終には鬼雲彦の後を追うて何処ともなく遁走して了つた。仮令三日でも同じ鍋はだの飯を食つた間柄だから、我々としては何処までも、誠の道に救はねばならないのだが、何処へお出でになつたか行衛は知れず、三五教へ這入つてから、此れと云ふ様な神様に御奉仕も出来ず、困つたものだ。竹生島へ行つて見れば、英子姫様は神業を完成遊ばして、素盞嗚大神様と共に、フサの国斎苑の御住居へお帰り遊ばした後なり、三五教の方々には、散り散りバラになつて別れて了ひ、殆ど方向に迷ふ今日の有様、せめては高城山の松姫でも言向和して、一つ功を立てねばなるまい………ナア鬼鷹』 鬼鷹『オーそうだ。此処も所は違ふが、ヤツパリ大枝山だ。あの向うに見えるは確かに高城山だ。何時も悪神の邪気に依つて黒雲が山の頂を包んで居たが、今日は又どうしたものだ。何時にない立派な雲が棚引いて居るではないか。何でも三五教の誰かが征服して、結構な神様を祀り、神徳が現はれて居るのではなからうかな。万一さうであるとすれば、結構は結構だが、吾々はモウ此自転倒島に於いて活動する所が無くなつた様なものだ。兎も角高城山を一度踏査して実否を探り、万々一三五教に帰順して居たとすれば、モウ仕方がない。どつと張り込んで此海を渡り、竜宮の一つ島へでも往つて、一働きしようぢやないか』 荒鷹『オウそれが上分別だ。併し第一着手として、高城山の探険と出かけやうぢやないか』 鬼鷹『高城山に立派な雲が棚引いて居るが、あれ見よ、真西に当つて又もや弥仙山の麓の様に紫の雲が靉靆いて居るぢやないか。玉照姫様に匹敵した男神様が御出現遊ばしたのではあるまいかなア。併し何は兎も角高城山へ打向ひ、其次に紫の雲の出処を調べる事としようかい。サアサア行かう』 と板を立てた様な坂道を下り、西へ西へと駆出した。満目蕭然として地は一面の薄雪の白布を被つて居る。仁王の様な足型を印し乍ら、高城山の山麓、千代川の郷、鳴石の傍までやつて来た。 荒鷹『一方は樹木鬱蒼とした箱庭式の小山に、卯の花の咲いた様に、白雪が梢に止まり、時ならぬ花を咲かせ、前は何とも知れぬ綺麓な水の流れた大堰川、こんな佳い景色は大枝の坂を越えてこのかた、見た事も無い。一つ此辺で休息した上、ボツボツと高城山に向ふ事にしようかい』 鬼鷹『何だか妙な声がし出したぢやないか。別に人間らしい者も居らず、獣とても居ないやうだ。狐や狸の足型は薄雪の上に残つて居るが、併し狐の声でもなし、人間の声でもなし、合点のいかぬ響きがするぢやないか。兎も角此処に大きな岩がある。どこもかも薄雪だらけだが、此岩に限つて一片の雪もたまつて居ない、さうして又カラカラに乾いて居る。幸ひ此岩の上で、楊柳観音ぢやないが、一つ瞑目静坐し心胆を錬つて見たらどうだ』 荒鷹は打首肯き乍ら、平坦な巌の上にドツカと坐つた。 荒鷹『オイ兄弟、大変此岩は温かいぞ。お前も一寸此処に坐つて見よ』 鬼鷹『ヤア本当に温かい岩だなア。地上一面冷たい雪が降り、冷酷な世界の人情は此通りと、天地から鑑を出して、俺達に示して御座るのに、こりや又どうしたものだ。僅か一坪ばかりの此岩の上許りは、冷酷な雪もたまらず、春の様な暖かみを帯びて居る。是れを見ても、どつかに暖かい人間も、チツとは残つて居ると云ふ神様の暗示だらうよ』 忽ち膝下の平面岩は鳴動を始め、刻々に音響強大猛烈の度を加へて来た。二人は驚いて足早に飛び下り、七八間此方に引き返し、岩石を見詰めて居た。忽ち岩石は白煙を吐き出した。続いて紫の雲細く長く、白煙の中に棹を立てた様に天に冲し、蕨が握り拳を固めたやうな恰好になつては、二三十間中空に消え、又同じく現はれては消え、幾回となく紫の円柱が立昇り、生々滅々して居る。二人は『ヤアヤア』と声を張り上げ驚くばかりであつた。猛烈なる大爆音は次第々々に低声となり、遂にピタリと止まつた。白煙は依然として盛に立昇つて居る。此時金の冠を戴き、種々の宝玉を以て造られたる瓔珞を身体一面に着飾り、白き薄衣を着したる、白面豊頬の女神、眉目の位置と謂ひ、鼻の附具合と云ひ、唇の色紅を呈し、雪の如き歯を少しく見せ、ニヤリと笑ひ乍ら現はれ給うた。 荒鷹『ヤア音に名高い川堰の鳴石であつたか。それとは知らずに御無礼千万にも、吾々の汚れた体で踏みにじり、誠に申訳のない事を致したワイ。キツと鳴石の霊が現はれて、何か吾々に対して厳しい御託宣を下されるのであらう。何はともあれお詫をするより仕方がない』 と荒鷹は薄雪の積もる大地にペタリと平太張つて、謝罪の意を表した。鬼鷹も同じく大地に鰭伏し慄うて居る。忽ち虚空に音楽聞え、蓮の葉の様な大花弁がパラパラと降つて来た。四辺はえも云はれぬ芳香に包まれた。荒鷹は頭を地に附け乍ら、少しく首を曲げ、一方の目にて恐る恐る岩上の女神を眺めた。女神は二人の美しき稚児を左右に侍らせ、例の白烟の中に莞爾として立現はれ、白に稍桃色を帯びたる繊手を差し延べて、此方の両人に向ひ手招きして居る。 荒鷹『オイ鬼鷹、ソウツと頭を上げてあの女神を拝んで見よ。何だか吾々両人に対して御用が有りそうだぞ』 此声に鬼鷹はコワゴワ乍ら、女神の方に眼を注いだ刹那、鬼鷹は『アツ』と叫んで、又もや大地に頭を摺付けた。何時の間にやら両人の体は何者にか引きずらるる様な心地し、以前の平岩の前に安着して居た。女神は淑やかに、 女神『荒鷹どの、鬼鷹どの、しばらくで御座つたなア』 此声に両人は一度に頭を擡げ、熟々と女神の姿を打眺め、腑に落ちぬ面色にて頭を掻いて居る。女神は二人の稚児に、懐より麗しき玉を持たせ、何事か目配せした。二人の稚児は両人の前に進みより、小さき紫の玉を両人の額に当て、コンコンと打ち込んだ。二人は『アイタタ』と云ふ間もなく、痛みは止まつた。二人の稚児は忽ち女神の両脇に復帰し、さも愉快げに笑つて居る。此時より荒鷹、鬼鷹の二人は何となく心穏かに春の様な気分が漂うた。 女神は静に、 女神『唯今より荒鷹、鬼鷹では有りませぬ。隆靖彦、隆光彦と名を与へます。どうぞ今後は誠の神人となつて、神業に参加して下さい。妾の顔を覚えて居ますか』 荒鷹はやつと安堵の態、 荒鷹『隆靖彦の名を賜はり、有難き、身に取つての光栄で御座います』 隆光彦『私の如き曇り切つた身魂に対し、隆光彦と御名を下さいましたのは、何ともお礼の申様が御座いませぬ。失礼乍ら貴神様は吾々と共に三岳山の岩窟にお住居遊ばした丹州様では御座いませぬか』 女神は莞爾として首肯く。 隆靖彦『アヽ是れで世界晴れが致しました。モウ此上は高城山の松姫を言向け和し、瑞の御霊の大神様の御神業に奉仕し、天地に蟠まる八岐の大蛇を言向け和す御神力は、十分に与へられた様な心持になりました。有難う御座います』 隆光彦も無言の儘、頭を下げ感謝の意を表示する。 隆靖彦『あなた様は今まで丹州と身を変じ、吾々の身魂を研く為に、種々雑多と御苦労を遊ばした神様、どうぞ御名を現はし下さいませ』 女神『今は我名を現はすべき時にあらず。自然に貴方等の身魂に感得し得る所まで磨いて下さい。妾の素性が明瞭お分りになつた其時は、貴方等の身魂は天晴れの神人となられた時です。それまでは、あなた方の為に懸案として暫く留保して置きませう』 と云ふかと見れば、三柱の姿は煙となつて消えて了つた。鳴石は依然として小さき唸りを立てて居る。 隆靖彦『なんと不思議な事が有つたもんですなア。吾々に不思議な女神さまが現はれて、隆靖彦だとか、隆光彦だとか、身分不相応の神名を下さつたが、実際に於て責任を尽す事が出来るであらうかと、又一つ心配が殖えて来たやうだ』 隆光彦『そうだ、私も同感だ。併しあの女神様は何処となく丹州さまにソツくりだつた。お前もさう思つただらう』 隆靖彦『ヤア私はあまり勿体なくて、とつくりと顔を、ヨウ拝まなんだよ。何とはなしに目がマクマクして、面を向ける事が出来なかつた。そうして何だか心の底から恥しくつて、自分の今迄の罪悪を照される様な気がして、随分苦しかつた。是れはヒヨツとしたら夢ぢや有るまいかなア』 隆光彦『ナニ、夢所か本当に顕はれ給うたのだ。斯うなつた以上は、層一層言行を慎んで立派な宣伝使にならなくちや、今の女神様に対して申訳が無からう。併し乍ら此の鳴石は依然として唸つて居るぢやないか。又々どんな神様が出現遊ばすか分らないよ。モウ暫く此処に祝詞を奏上して待つて居たらどうだらう』 隆靖彦『ヤア此上立派な神様に出られてたまるものかい。モウ此れで結構だ。恥かしくつて仕方がない。サアサア早く高城山へ行かう』 二人は鳴石に恭しく礼拝し、足早に大川の堤を伝つて上り行く。忽ちドンと突き当つた二人の男、驚いて、 二人『ヤアこれはこれは誠に無調法致しました。あまり俯むいて道を急いで居ましたので、女神様の御通りとも知らず、衝突を致しまして、申訳が御座いませぬ。どうぞお許し下さいませ』 隆靖彦『ヤアお前は、馬公に鹿公ぢやないか。エライ勢ひで何処へ行く積りぢや』 馬公『ハイ吾々の大将、紫姫、青彦の両人さま、大失敗を演じ、聖地にも居れないと云ふ立場になつて苦んで居られます。私等両人はあまりお気の毒で、見て居る訳にも行かず、そつと館を飛び出し、江州の竹生島へ参つて、英子姫様にお目にかかり、お情を以て、素盞嗚大神様に両人のお詫をして頂かうと思ひ、取る物も取敢ず参りました。どうぞ丹州さま、何とか、あなたもお力添をして下さいませぬか、お頼み申します』 隆靖彦『私は丹州さまぢやない。お前さんと一緒に、鬼ケ城の言霊戦に向つた大悪人たりし、荒鷹で御座いますよ』 馬公『モシモシ丹州さま、ソラ何を仰有います。眉目清秀、厳として冒す可らざるあなたの御容貌、女神の姿に化けて居らつしやるが、適切りあなたは擬ふ方なき丹州様、そんな意地の悪い事を仰有らずに、気を許して、打解けて下さいな』 鹿公『ヤア不思議だ。此処にも丹州さまそつくりの方が又現はれた。一目見た時から変つたお方ぢやと思つて居たが、ヤツパリ神様の化身で御座いましたか。どうぞ唯今申した通りの始末ですから、宜しく御神力を以てお助け下さいませ』 隆光彦『イエイエ決して決して、私は丹州さまでは御座いませぬ。荒鷹の兄弟分鬼鷹と云ふ、三岳山の岩窟に於て、悪ばかり働いて居つた男で御座いますよ』 馬、鹿『なんと仰有つても、鬼鷹、荒鷹の様な粗雑な容貌ぢや有りませぬワ。彼奴ア、一旦改心はしよつたが、又地金を出して、どつかへ迂路つき、此頃は鬼雲彦や鬼熊別の後を追うて、悪の道へ逆転旅行をやつて居るだらうと、吾々仲間の評定に上つて居る位な男です。そんな善悪不可解の筒井式の男の名を騙つたりなさらずに、本当の事を言つて下さい。私達は千騎一騎の場合で御座います』 隆靖彦『世間の眼識は違はぬものだなア。何程改心してもヤツパリどつかに、副守が割拠して居つたと見えて、三五教の御連中からは、今、馬公、鹿公の言つた様に見られて居つたのだなア。アーア仕方のないものだ。どうぞしてあの時の姿になつて、此両人の疑を晴らしたいものだ。斯うなると、麗しき容貌になつたのが、却て有難迷惑だ。ナア鬼鷹否々、隆光彦さま…』 隆光彦『アヽさうですなア。併し、馬公さま、鹿公さまにまで疑はれる程、霊魂が向上し、体の相貌までが変つて来たと云ふ事は、実に尊いものだ。ヤツパリ人間は霊魂が第一だ。……モシモシ馬さま鹿さま、決して嘘は申しませぬ。たつた今、何とも知れぬ立派な女神様から、玉を頂いたが最後、斯んなに変化して了つたのだ。名も隆靖彦、隆光彦と頂いたのだが、つい今の先まで依然として、荒鷹、鬼鷹の姿で居つたのだ。どうぞ疑を晴らして下さい』 馬、鹿の二人は疑団の雲に包まれ、両人の姿を頭の上から足の爪先まで、念入りに見詰めて居る。 隆靖彦(荒鷹)・隆光彦(鬼鷹)『バラモン教の総大将鬼雲彦の部下となり 三岳の山の岩窟に心も荒き荒鷹や 生血を絞る鬼鷹と現はれ出でて四方八方の 老若男女を拐はかし無慈悲の限りを尽したる 鬼熊別と諸共に大江の山や鬼ケ城 三岳の山に山砦を構へて住まへる折もあれ 天津御空の雲別けて降りましたか地を掘りて 現はれましたか知らねども何とはなしに威厳ある 丹州さまがやつて来て俺の乾児にして呉れと 頭を下げて頼まれる二人は素より神ならぬ 身の悲しさに丹州を奴隷の如く酷き使ひ 紫姫の主従をウマウマ岩窟に騙し込み 馬公、鹿公二人をば地獄に等しき岩穴へ 情容赦も荒縄に縛つてヤツと放り込みし 天地容れざる大悪の罪をも憎まず三五の 神の教の宣伝使音彦、加米彦現はれて 悦子の姫を守りつつ深き罪をば差し赦し 神の教に導きて忽ち変る神心 人を悩める鬼ケ城悪魔の砦に立向ひ 聞くも芽出たき言霊の清き戦に参加して 神の尊き事を知り三五教の神の道 四方の国々弘めむと心を配る折柄に 弥仙の山の山麓に神の知らせか紫の 雲立昇る麗しさ吾々二人は何となく 雲に引かるる心地して木の花姫の斎りたる 御山の麓に来て見れば豈計らむや丹州の 威厳備はる御姿に再び驚き畏みて 踵を返し須知山の峠の上に来て見れば 常彦さまや滝、板の二人の姿に驚きつ 一言二言云ひかはし丹州さまの仰せをば 畏み仕へ東路を指して山坂打渉り 荒波猛る琵琶の湖英子の姫の隠れます 竹生の島に往て見れば藻抜けの殻の果敢なさに 駒の首を立て直し彼方此方と彷徨ひつ 吾信仰も堅木原足並揃へて沓掛の 郷を踏み越え懺悔坂漸く登り梨の木の 峠に立ちて眺むれば遥に見ゆる西の空 高城山の頂きに五色の雲の棚引きし 其光景に憧憬れつ薄雪踏み締め来て見れば 風の音高く鳴石の上より昇る白煙 また立昇る紫の雲に心を奪はれつ 両手を合せ拝む内煙の中より現はれし 荘厳無比の女神さま二人の稚児を伴ひて 吾れにうつしき宝玉を授け給うと見る間に 鬼をも欺く醜体の二人は忽ち此通り 白衣の袖に包まれて容貌忽ち一変し 隆靖彦や隆光彦の教の司と名付けられ やうやう此処に来て見れば顔見覚えた馬公や 鹿公二人に巡り会ひ俄に変る吾姿 如何程言葉を尽すとも諾なひまさぬは道理なれ アヽ然り乍ら然り乍ら吾れはヤツパリ荒鷹に 鬼鷹二人の向上身どうぞ疑晴らしませ 人は心が第一よ霊魂研けば忽ちに 鬼も変じて神となり心一つの持方で 神も忽ち鬼となるさは然り乍ら人の身の 如何に霊魂を研くとも神の力に依らざれば 徹底的に魂は清まるものに有らざらむ 自力信仰もよけれども唯何事も人の世は 他力の神に身を任せ心を任せ皇神の 救ひを得るより途はない人の賢しき利巧もて 誠の道を究めむと思うた事の誤りを 今漸くに悟りけり吁馬公よ鹿公よ 人間心を振棄てて唯何事も惟神 神の他力に打任せ誠の信仰積むがよい 吾れは是れより高城の山の麓に現はれし ウラナイ教の宣伝使松姫さまを言向けて 誠の道に救はむと思ひ定めて進み行く 紫姫や若彦の二人の心は察すれど 人間心の如何にして救ふ手段がありませうか 魂を研いて今は唯花咲く春を待てばよい 神素盞嗚大神の無量無限のお慈悲心 如何でか見捨て給はむやアヽ惟神々々 御霊幸はひましまして紫姫や若彦に 如何なる罪の有りとても心平らに安らかに 直日に見直し聞直し宣り直しませ素盞嗚の 大神様に祈ぎ奉る朝日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも仮令大地は沈むとも 誠一つの麻柱の道を貫く吾々は 神の救ひは目の前必ずともに二人共 心を痛め給ふまじ女神の姿と現はれし 吾々二人は先頭に高城山に向ひ行く 馬公、鹿公両人よ執着心を振り棄てて 吾等と共に言霊の清き戦に加はりて 太しき功績を立て給へいざいざさらば、いざさらば 一時も早く片時も疾く速けく参りませう 神は汝と倶にあり神の恵は海よりも 深しと聞けば高城の山は如何程嶮しとも 悪魔の勢強くとも神の光を身に受けて 常世の暗を照し行く三五教の吾々が 身の上こそは楽しけれアヽ惟神々々 御霊幸はひ坐しませよ』 と宣伝歌を歌ひつつ、一行四人は一歩々々、ウラナイ教の松姫が館を指して近付きぬ。 馬公『モシモシ最前のお歌に依つて、私達もスツカリと信仰の妙味と効果が、心底から諒解出来ました。併し乍ら吾々両人は、紫姫様のお供を致し、比沼の真奈井の貴の宝座へ参拝の途中、あなた方に拐はかされ、其お蔭にて尊き三五教の信者となり、御主人の紫姫様は、世にも尊き宣伝使とまでお成り遊ばし、吾々両人は昼夜感涙に咽び……アーア吾々主従は何とした果報者だ……と喜んで居りましたが、計らずも紫姫様は若彦さまと共に、大神様の御不興を蒙り、少しの取違より、今は三五教を除名され、神様に対しては申訳なく、其罪万死に値すると言つて、日夜紫姫様のお歎き、家来の吾々両人、これがどうして見て居られませう。そこで吾々は紫姫様にお暇を願ひ、一つの功名を立て、大神様に誠を現はし、其功に依りて御主人の罪を赦して戴かうと思ひ、それとはなしにお願致しましたが、どうしても紫姫様は吾々に暇を下さらないので、血を吐くやうな思ひをして、心にも有らぬ主人に対し罵詈雑言を逞しうし、ヤツと勘当されて此処までやつて来ました。モウ斯うなる上は、仮令失敗を致さうとも、御主人の御身には何の関係も及ぼさないなり、万々一吾々が功名手柄を現はした時には御主人様に帰参をお願致し、さうして紫姫様の名誉を回復したいばつかりで、両人申合せ、何とか良い御用をして見たいと思つて、此処まで参りました。併し乍らあなたは既に高城山を言向け和さむと御決心なされた以上は、吾々はお供の身の上、仮令成功を致しましても、それが御主人様のお詫の材料にはなりませぬ。あなたは既に其れだけの御神徳をお頂きになつたのだから、此言霊戦はどうぞ、私に譲つて下さいますまいか』 鹿公『いま馬公の申した通りの事情で御座います。どうぞ、吾々の切なる胸中をお察し下さいまして、今回は吾々にお任せ下さいませ。万々一失敗を致しました時は、第二軍として、あなた方御両人が、弔戦をやつて下さいませぬか』 と涙をハラハラと流し、真心を面に現はして頼みゐる。 隆靖彦『吾々も入信以来、一つの功労もなく、せめては頑強なる松姫を言向け和し、神様にお目にかけたいと思つてやつて来たが、武士は相身互だ。それだけの事情を聞いた以上は、強つて断る訳にも行かぬ。ナア隆光彦さま、此言霊戦は馬公、鹿公に手柄を譲りませうか。己の欲する所は人に施せとの御神勅を思ひ出せば、無情に撥ねつける訳にもゆきますまい』 隆光彦『あなたの仰有る通りです。馬公、鹿公、御苦労乍ら華々しくやつて見て下さい。私は彼の川縁の景色の佳い所で、あなたの武者振を拝見致します』 馬、鹿『それは早速の御承諾、有難う御座います。何分身魂の磨けぬ吾々の言霊戦、蔭乍ら御保護を御願ひ致します』 隆靖彦『天晴れ功名手柄を現はして下さい』 隆光彦『大勝利を祈ります』 馬、鹿の両人は『有難う』と感謝の意を表し、二人に別れ、松姫の館を指してイソイソ進み行く。 (大正一一・五・八旧四・一二松村真澄録) |
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霊界物語 | 19_午_丹波物語4 玉照姫と玉照彦 | 12 言照姫 | 第一二章言照姫〔六五七〕 松姫館の表門の司を兼ねたる受付役の竜若は、両手を組み深き思案に沈む折柄、潜り門を潜つてノタノタ入り込む四人の姿を眺めて打ち驚いた。女神姿の二人の宣伝使は門外に煙の如く姿を消した。 竜若は怪しき四人の姿を見て、 竜若『オイ其処へ往くのは、熊に虎ぢやないか。ヤー馬公に鹿公、この冷たい地上を四這ひになつて通るとは、こりや又何うした理由だ』 熊彦『熊、虎の本守護神の顕現だよ』 竜若『貴様は馬公、鹿公を威喝殴打致した罪人だから、当然の成り行きだが、馬公に鹿公は又何うしたものだ』 馬公『ハイ私も本守護神が現はれました。どうぞ尻でも叩いて追ひ込んで下さい』 竜若『ハテな』 と暫時思案の後自分も又四這ひになつて従いて行く、五人の姿は館の奥深く這ひ込んだ。奥には松姫、お節の両人、桐の丸火鉢を挟んで頻りに御蔭話に現を抜かしてゐる。苔蒸す庭前にノコノコ現はれた五人の四這ひ姿、二人は話に実が入り、少しも此の珍姿怪体に気が付かなかつた。獣になつた五人は人語を発すること能はず、二人が自然に目を注ぐのをもどかしげに待てゐる。待あぐんでか、熊公は熊の様に、 熊彦『ウンウーン』 と一声唸る。続いて虎公は、 虎公『ウワーウワアー』 と一生懸命に唸り立てる。馬公は、 馬公『ヒンヒンヒン』 と叫ぶ。鹿公は、 鹿公『カイローカイロー』 と鳴く。竜若は沈黙を守つてゐる。此の声に驚いて二人は庭前を見やれば四這ひになつた五人の男、松姫は、 松姫『アーいやらしいこと、何でせうなア、お節さま』 と座を立つて遁げようとする。 お節『モシモシ松姫さま、さう驚くには及びませぬ。なんでもありませぬ、竜若さまに熊彦、虎彦の両人さま、それに三五教の馬公に鹿公さまですよ。ホヽヽヽヽ、あのマアよう似合ひますこと』 松姫はやつと安心の面色にて、 松姫『コレコレ竜若、熊彦、虎彦、冗談もよい加減にしなさい。女主人だと思つて人を嘲弄するのかい。なんだ見つともない。神様の御用をする身であり乍ら、汚らはしい獣の真似をしたり、何の態だ。ちと嗜みなさらぬか』 虎彦『ウワーウワー』 熊彦『ウーウー』 松姫『アーア困つたことになつて来た。誰も彼も気が違つたのだらうか。これお節さま、如何しませう』 お節『サア困つたことですな、何うしようと云つたところで仕方が無いぢやありませぬか。コレコレ馬公、鹿公、お節ですよ。あまり御無礼ぢやありませぬか』 馬公『ヒンヒンヒン』 鹿公『カイローカイロー』 お節『アヽ互恨みの無いやうに、両方共怪体なことになりましたな』 松姫『斯う云ふ時には神様より外に解決をつけて下さる方はない、アーア可憐想に生き乍ら畜生道へ落ちたのかいな。人面獣心と云ふことは聞いて居るが、此奴は又獣体獣心になつた様だ。やつぱり此世にも地獄もあれば、餓鬼道、畜生道もあると見える。アヽ怖ろしい怖ろしい。コレコレ皆さま、立つて見なさい。どうしても立つことが出来ないのか。最早人間の位が無くなつたのかいな。位と云ふ字は、立つ人と書くが、此奴は又完全な四足ぢや、アヽ可憐想に、これと云ふのも松姫の我が強いからだ。ドレドレ一つ神様にお詫を致しませう。お節さま、貴女はこの五人の男の看守りをして居て下さい。私はこれからお水でも頂いて一生懸命御祈念を致します』 と真青な顔をして、神前の間さして進み入る。五人は声限りに『ウーウー』『ウワー』『ヒンヒン』『カイロカイロ』と負ず劣らず呶鳴り立ててゐる。 暫くあつて松姫は此場に現はれ、 松姫『アヽお節さま、一生懸命に願つて来ましたが、まだ皆の衆は治りませぬかな』 お節『ハイ依然として最前の通り、庭の木のしげみへかたまつて這ひつくばうて居られます。漸く唸り声だけは止まつた様です』 松姫『どう致しませう。私も仕方が無い、罪滅しに四這ひになつて這うて見ませうか』 お節『滅相な、何を仰有います。結構な立つて歩ける人間に生れ乍ら、神様の生宮を軽蔑し、四足の真似を為さると今の五人さまのやうに、神罰が当つて本当の四足になつて了ひますよ』 松姫『それだと言つて私の責任が済まぬぢやありませぬか。私は畜生道へ落ちても構ひませぬ、苦楽を共にするのが本当です』 お節『結構な神の生宮と生れて其様な汚らはしい事を為さると、本守護神を侮辱した事になり、本守護神は愛想をつかして貴方の肉体を脱出し、副守護神ばかりになつて了ひます。さうすればあのやうな浅猿しいさまにならねばなりますまい。人間は神様に対し持身の責任があります。我身を軽んずると云ふことは、所謂大神様を軽んずるも同様、これ位深い慢神の罪はありませぬ。どうぞそれ丈は思ひ止まつて下さいませ』 松姫『そうだと言つて此の惨状を私として傍観する事が出来ませうか』 お節『成り行きなれば仕方がありませぬ。前車の覆へるは後車の戒め、必ず必ずそんな真似をなさつてはなりませぬぞ』 と声に力を籠め、常に変つて稍気色ばみ叱りつけるやうに言つた。松姫は黙念として首を垂れ、悲歎の涙に暮れてゐる。 お節『人間と云ふものは行ひが大切です。吃りの真似をすれば自然に吃りとなり、唖の真似をすれば自然に唖となり、聾の真似をすれば忽ち聾となり、躄の真似をすれば天罰覿面躄になつて了ふのは、争はれぬ天地の真理です。それに人間に生を亨け乍ら如何なる事情があるにもせよ、勿体ない、結構な肉体を四足の真似をしたりすると云ふことがありますものか。アレ見なさい五人の方は段々身体の様子が獣らしくなるぢやありませぬか。それに又人間と生れ乍ら汚らはしい、馬ぢやの、鹿ぢやの、熊、虎、竜なぞの獣の名をつけるものだから、忽ち其名の如く堕落して了ふ。言霊の幸はふ国と申しますが、言霊計りではありませぬ、行ひの幸はひ災する世の中、どうしても人間は名を清くし、心を清め、行ひを正しくせなくてはなりませぬ。アヽ可憐想に私が及ばず乍ら、言霊を以て宣り直して見ませう。さすれば大慈大悲の大神様が一度は御許し下さるでせう』 松姫『本当に驚きました。どうぞ貴女、神様にお詫して下さいませ』 お節『畏まりました』 とお節は立上り、神前に進み入り天津祝詞を奏上し、終つて再び此場に現はれた。 お節『モシモシ竜若さま、熊彦さま、虎彦さま、神様が御許し下さいました。サアお立ちなさいませ。一二三四五六七八九十百千万』 竜若は忽ちムツクと立上り、 竜若『アヽ有難うございました』 次で熊彦、虎彦、馬、鹿の四人、又もやスツクと立上り、 熊虎馬鹿の四人『コレハコレハお節さま、よう助けて下さいました。エライ心得違ひを致しました。モウ今後は決して斯んな馬鹿なことは致しませぬ』 松姫『コレ竜、熊、虎の三人さま、お前は彼んな馬鹿な態をして私を困らしたのぢやないかいな』 竜若『イエイエ滅相な、私が門番を致して居りますと、潜り門をノタノタ這うて来る熊彦、虎彦の姿、こりや不思議だとよくよく見れば、馬公、鹿公四人揃うてノタノタと四這ひになつて奥へ向つて進んで往く。ヤア此奴は熊、虎、最前の無礼を謝する為、謙遜の余り這うてゆくのだな。それに就ても馬公、鹿公は立つて歩くにしのびず、御付合ひに這うてゆかつしやるのだ。アヽ何方も誠と誠の寄り合ひ、義理の立て合ひと感服の余り、大責任を持つた私一人、人間らしう立つて歩く訳にも行かず、余り心の恥かしさに四這ひになつて随いて来ました。さうした所二三間歩く内に本当の四足になつて了ひ、立つことも出来ず、もの言ふ事も出来なくなつたのです。実に恐ろしいものです。ナア熊彦、虎彦、お前はどうだつた』 熊、虎一度に、 熊彦、虎彦『何だか本当の獣になつたやうな心持がし、再び立つて歩く事が出来ないかと心配してゐました。お節さまの御かげで畜生道の苦みを助けて頂きました。有難うございます』 と心底から嬉し涙を零して居る。 お節『アヽそれは大変な事になるとこでした。今後は何卒慎んで下さいませ。鹿公、馬公、お前迄が何とした馬鹿な真似をなさるのぢや。私は大神様に恥かしい』 馬公、鹿公『イヤどうも申訳がありませぬ。以後は屹度心得ます』 お節『馬公、鹿公、貴方は途中で立派な女神さまにお会ひぢやなかつたか』 馬公『ハイ会ひました』 鹿公『門前まで送つて頂きました。併しそれ限り御姿がなくなつて了つたのです』 お節『さうでせう。貴方が自ら人格を落して馬鹿な真似を為さるものだから、流石に慈愛深き女神様もおあきれ遊ばして、お帰りになつたのだ。お詫をなさいませ』 馬公『有難うございます』 鹿公『今度といふ今度は種々と神様から実地教育を授かりました』 熊彦『私は、馬公、鹿公に対し、実に有るに有られぬ侮辱を与へ、打擲を加へました。然るに忍耐強きお二人さまは、チツトも抵抗もなさらず、却て私達に感謝をされました。智慧浅き私共は、馬鹿か、気違ひかと思うて益々虐待を致しましたので、心の底より恥入つて、アヽ私の精神は四足だつた、人間らしく、どうしてお地の上を立つて歩けようかと、懺悔の余り一つは謝罪のため四足の真似を致しました』 と涙ぐむ。 松姫『アーアさうだつたか、其処迄改心が出来れば、斯んな結構なことはありませぬ。併し神様の御教に、神を敬ひ、人を敬ひ、我身を敬へと云ふことがあります。何卒人間の身体は神様の結構なお宮だと思つて、仮令自分の身体でも粗末にしてはなりませぬ。私もお節さまがお止め下さらなかつたならば、お前さま等のやうに畜生道に落ちるとこでございました。サア皆さま、打揃つて神様にお礼を申しませう。実の所はフサの国の本山より、高姫様、黒姫様の御命令が降り、心は既に三五教へ帰順致して居つたのですが、部下の皆さま達が俄にそんな事を云つたところで聞いて下さる道理もなし、どうしたらよからうかと思ひ煩つて居りました。然るに神様は何から何まで抜け目なく、誠の手本を示して皆さまの改心を促して下さいました。此間からお節さまがお出でになり、いろいろと言葉を尽して三五教に帰るようとお示し下さつたけれども、余り易々と帰順すればお節さまの夫を思ふ真心の誠が現はれ難いと思つて、わざと心にも無い事を云うて頑張つて居りました。さうして紫姫様の御身の上を案じて助けたいと思ふ馬公、鹿公のお二方に花を持たしたいばつかりで、今迄頑張つて居たのです。私が心の底から改心を致しましたのは、大神様のお慈悲は申すに及ばずお節さまのお力と、馬公鹿公の主人を思ふ真心のお力でございます。私のみかウラナイ教一同の者が帰順するやうになりますのも、夫を思ふお節さまの至誠と、主人を思ふ馬公、鹿公の忠義心とのお力でございます。誠ほど結構なものは此世の中にございませぬ。私は今日限り此の館をあけて暫く修業に参り、身魂を研くつもりでございます。どうぞお節さま、馬公、鹿公と共に此館をお守り下さつて、数多の信者に誠の道を説いてやつて下さいませ。貴方等が夫や主人を大切に思はるるのと同様に、私も師匠の高姫様や、黒姫様のために尽さねばなりませぬ。どうぞ宜敷くお願ひ致します。竜、熊、虎其他一同の方々、お節さまを私の代理否、私の御師匠さまと崇め、鹿公、馬公を高弟と仰いで、仲好くお道のために尽して下さい』 と言ひ棄て庭先の草履を穿くや否や、夕の闇に紛れて何処ともなく姿を隠しけり。 熊彦は驚きあわて、 熊彦『ヤア竜若さま、松姫さまは到頭蒙塵されました。コラ斯うして居られまい。何処までも追ひ駆けてお姿を見つけ出し、帰つて貰はねばなりますまい。オイ虎彦、サア足装束をせい』 竜若『オイ熊彦、虎彦、待て待て、去るものは追はず、来るものは拒まずぢや。何事も惟神に任して置けばよいのだ』 熊彦『オイ竜若、貴様は人情を知らぬ不徳漢だ。今迄師匠と仰いだ松姫さまが、吾々の醜態を御覧になつて恥しさに堪へかね、結構な館を捨てて何一つ持たず、飛び出されたぢやないか。春秋の筆法を以て言ふならば、竜若、松姫を追放すと云ふことになるぞ。今迄は上役を笠に着居つて偉さうに、熊だの、虎だのと頤で俺を使ひ居つたが、何ぢや、斯んな時に平然として構へて居る奴が何処にあるか。モウ今日限り上官でも兄弟子でも、何でも無いワ。不徳を懲すために、コラ柔道百段の鉄拳をお見舞ひ申さうか、返答は如何だ』 竜若『アハヽヽヽ、又鍍金が剥げかけたぞ。今のことを忘れたか。また四足に還元したら如何するのだ』 熊彦『エー四足になつたつて構ふものか。国家の興亡旦夕に迫る此の一刹那、愚図々々して居る場合でないぞ。間髪を入れずとは此の事だ。オイ竜若、貴様も今迄松姫様の殊恩に浴した代物だ、斯う云ふ場合に赤誠を表はし、師弟の道を尽すと云ふ義侠心はないか』 虎彦『コラ竜若の野郎、何を怖ぢ怖ぢとしてゐるのだ。松姫様を見殺しにする量見か』 竜若『喧しい云ふない。貴様のやうな慌者が居るから、ウラナイ教は発達せないのだ。 君ならで誰かは知らむ我心 と松姫様は俺の千万無量の心中をよくお察し遊ばしてござるのだぞ。貴様のやうにうろたへ騒いで何になるか。それだから平素から臍下丹田に心魂を鎮めよと云うてあるぢやないか』 熊彦『アカンアカン、そんな逃げ口上を云つたつて、誰が承諾するものかい。卑怯者奴が、不徳漢奴が』 竜若『オイ、それ程松姫様の神業の邪魔がしたければ、俺に構はずトツトと往け。間誤々々して居るとお姿を紛失して了ふぞ』 熊彦『エー忌々しい、禄盗人奴、サア虎彦、首途の血祭に、仮令熊や虎に還元したつて構ふものか。此奴を一つ打撲つて潔く出発しようぢやないか』 虎彦『ヨシヨシ合点だ』 と早くも拳骨を固め前後より打かからむとする。馬公、鹿公は両人の利腕をグツと握り、 馬公、鹿公『ヤア待つた待つた』 熊彦、虎彦『待てと云つたつて是が何うして待たれるものか。エー邪魔して呉れな、放せ放せ』 馬公『お前さまの焦るのは尤もだ。併し乍ら松姫様をそれだけ思ふ真心は、実に感心だが、贔屓の引倒しとなつては、反つて済まないぞ。一生懸命に松姫様のお為だと思つてやつたことが、却て師匠を泥溝へ落すことになるのだ。マア冷静に考へて見よ。余り熱した時は公平な判断は出来ぬものだ。此処が鎮魂の必要な所だ。マアマア俺達に免じて思ひ止まつて呉れ。屹度松姫様は神様に助けられ、立派な手柄を遊ばすのだから』 熊彦『馬公、そんな気休めを云うて呉れな』 馬公『ナニ決して気休めぢやない。正真正銘の偽らざる俺の忠告だ。屹度お前のためにならぬやうなことはせないよ』 熊彦『俺はどうなつても構はぬ。松姫様を見捨てる訳にはいかない。どうぞ頼みだから放して呉れ』 虎彦『オイ鹿公、どうぞ今度許りは見遁して呉れ。二人のものに自由行動を採らして下さい。これが一生の頼みだ』 竜若『馬公、鹿公、構うて下さるな。これだけ貴方が親切に云つて下さつても、私が何と云つても通じないやうな没分暁漢だから、二人の自由に任して置きませう。併し乍ら二人とも実に美はしい紅い血が全身に漲つて居る。ヤア熊、虎、ようそこ迄師匠を思うて呉れる。俺は何も云はぬ、唯もうこの通りだ』 と手を合す。 お節『コレコレ熊公、虎公、どうぞ思ひ止まつて下さい。お節がこの通りお願ひ致します』 と跣足の儘庭先に飛び下り、大地にペタリと平伏し、両手を合して涙と共に頼みいる。 どこともなく嚠喨たる音楽の響、一同はハツと驚き空を見上ぐる途端に現はれた一人のエンゼル、声も涼しく、 エンゼル『われこそは神素盞嗚大神の御使言照姫命なり。松姫の改心に依り、ウラナイ教の教主高姫、副教主黒姫の罪は赦された。又松姫は神が守護を致し、神界のために抜群の功名を顕はし、日ならず当館へ帰り来るべし。此上はお節に対し、玉能姫と云ふ神名を賜ふ。竜若は今より竜国別、馬公は駒彦、鹿公には秋彦、熊彦には千代彦、虎彦には春彦と神名を賜ふ。汝等玉能姫を師と仰ぎ協心戮力神界のために全力を尽せ。神は汝の心魂を守護し天地に代る大業を万世に建てさせむ。ゆめゆめ疑ふこと勿れ』 と詔り終り、崇高なるエンゼルの姿は烟の如く消え失せたまひぬ。 一塊の紫雲は室内より戸外に向つて流れ出で、中空高く舞ひ上る。星は満天に燦然として輝き渡り、東の山の端に三五の明月皎々として輝き始め、芳ばしき風颯々として吹き来り、一同の心胆を洗ふ。 アヽ惟神霊幸倍坐世惟神霊幸倍坐世。 (大正一一・五・八旧四・一二外山豊二録) (昭和一〇・六・三王仁校正) |
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霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 01 武志の宮 | 第一章武志の宮〔六六三〕 常世の暗を晴らさむと神の御稜威も高熊の 静の岩窟の奥深き恵の露の雨となり 雪ともなりて空蝉の醜世を洗ひ照さむと 空に輝く旭子の光も強き玉照彦の 伊豆の命を奉按し言照姫の神霊や 数多の神に送られて五六七の神代を松姫が 心イソイソ山坂を渉りて来る玉鉾の 道も広らに世継王山東表面の峰続き 紅葉の色も照山の麓に立てる仮の殿 神の御言を畏みて悦子の姫が守りたる 珍の宮居に木の花の姫の命の御水火より 出でし玉照彦の神勇み進んで送り来る 天火水地と結びたる紫姫や若彦は 喜び勇み彦神を迎へ奉りて玉照の 姫の命の夫神と称へまつらむ真心の 限りを尽し仕へ居る神素盞嗚の大神は 英子の姫を遣はして五六七の神代の礎の 百の仕組に仕へしめ国治立の大神が 国武彦と現はれて曇り果てたる末の世を 照し清むる先駆と姿隠して桶伏山 黄金の玉と諸共に御稜威は四方に輝きぬ 言依別の宣伝使斎苑の館を立出でて 雲路押分け遥々と綾の聖地に着き玉ひ 心の空に玉照彦の神の命や姫命 経と緯との皇神の分の御霊と嬉しみて 三五教を弥固にいや遠永に宣り伝ふ。 言依別命は、神素盞嗚大神の命を奉じ、照山と桶伏山の山間に、国治立の大神、豊国姫の大神の、貴の御舎を仕へまつりて、其威霊を鎮祭し、玉照彦、玉照姫をして宮仕へとなし、世界経綸の神業の基礎を樹立せむとしたまひ、遠近の山野の木を伐り、瑞の御舎を仕へまつつた。神人等の道を思ひ、世を思ふ真心凝結して、荘厳無比の瑞の御舎は瞬く中に建造された。称して錦の宮と云ふ。玉照彦、玉照姫は幼時より数多の神人に秀で、神徳高く、神格勝れ、神代に於ける救世主として、天下万民の尊敬を集めたまふに到りけり。 言依別命は、素盞嗚大神の命を奉じ、錦の宮を背景として、自転倒島に於ける三五教の総統権を握り、コーカス山、斎苑の館と相俟つて、天下修斎の神業を宇内に拡張し給ふ事となつた。三五教の宣伝使は云ふも更なり、ウラナイ教を樹て、瑞之御霊に極力反抗したる高姫、黒姫、松姫は、夢の覚めたる如く心を翻し、身命を三五教に奉じ、自転倒島を始め、海外諸国を跋渉して、神徳を拡充することとなつた。茲に元照彦の御霊の再来、天の真浦は、大台ケ原の山麓に生れ、木樵を業となし其日を送り居たるが、綾の高天に錦の宮の建造され、神徳四方に光り輝くと聞きて、樵夫の業を廃し、遥々聖地に訪ね来り、言依別命に謁し、新に宣伝使となることを得た。天の真浦は大に喜び、昼夜の区引なく宣伝歌を謡ひ乍ら、先づ自転倒島に向つて、神徳宣布の神業を試みむとし、聖地を後に唯一人、霧の海原押分けて風のまにまに、人の尾峠の西麓に着いた。道行く人も見えぬ許りの粉雪、滝の如くに降り来り、見る見る一尺許りも地上に積もり、日は黄昏れて、道いよいよ遠く、真浦は行手に迷ひ、進みもならず、退きもならず、蓑笠を着けたる儘、路上に佇立して、声低に天津祝詞を幾度となく繰返しつつあつた。怪しき獣の影幾十となく隊をなして、山上より降り来る。されど真浦は滝と降り来る雪に眼を遮られ、足許に進み来るまで知らざりき。唯何となく雪踏み砕く何者かの足音、追々近づく声のみ耳に入る。真浦は独言、 真浦『今迄暖かい国に育ち、此様な深雪は見た事がなかつた。始めて神様のお道に入り、百日百夜の修行を積み、漸く許されて今茲に宣伝使補となり、足に任せて進みて来たが……アヽゆき詰つたものだ。言依別命様より「汝は是れより人の尾峠を越え、河水清き宇都の郷に初宣伝を試みよ」と仰せられた。併し乍ら、斯う降り積る大雪、況して樹木茂れる此谷間、日は暮かかる……アーア宣伝使も辛いものだ。追々積る雪の量、罷り違へば我身は雪に埋まつて、冷たくなつて了うであらう。進退惟谷まるとは此事だなア』 と心細げに呟く折しも、最前の足音追々近づき来る。見れば数十頭の熊の群、真浦が足許を勢込んで走り行く。真浦は驚いて雪の中に路を避けた。熊の群は何の遠慮もなくスタスタと列を組んで、西方さして走り行く。 真浦はホツと息をつき、 真浦『アヽ、有難い、沢山の熊が現はれて雪路を踏み分けて、立派な通路を開いて呉れた。是れも全く神様の御神徳であらう…………有難し有難し』 と感謝しながら、熊の足跡を踏み分け上り行く。道の傍に一軒の茅屋が有ることが目に付いた。屋内には幽かな火影が瞬いて居る。風が持て来る雪しばき益々烈しく、熊の折角開いて呉れた雪の新道も、瞬く間に閉塞して了つた。屋内には気楽さうに笑ひさざめく声。真浦は此愉快気に笑ふ声を聞き、 真浦『ホンに羨ましい事だなア。我れは神命とは言ひ乍ら、此雪路に悩み、玉の緒さへも切れなむとする極寒の苦しみ、血管を流るる血潮も凝結せむとする辛さに引替へ、此家の内の面白さうな笑ひ声、…………実に人の境遇位運否のあるものはない。併し乍ら我れも神の道を伝ふる宣伝使の初陣、斯の如き雪に恐れ、人の家に這入つて、一夜の宿を請はんとするも、何となくウラ恥かしい、アヽ如何にせむか』 と躊躇ふ折しも、屋内より男の声、 男『オイ、どこの乞食だか知らぬが、此雪の降るのに、何を愚図々々して居るのだ。チツと俺の宅へでも這入つて休んだらどうだ。あつたかい湯も沸いてある。沢山な火も焚いてあるぞ』 真浦『ハイ有難う御座います。併し乍ら私はどうしても此峠を越さねばなりませぬ。御志は有難う御座いますが……』 男『ナニ、俺の宅で休むのは厭だと云ふのか、馬鹿な奴だなア。俺は此辺の杣人だ。少しの雪はチツとも苦にならない男だが、流石山猿の俺でさへも、一歩も今日の雪には歩む事は出来ない。どうして此坂が登れると思ふのか。マアそんな馬鹿な事を言はずに旅は道連れ世は情だ。一樹の蔭の雨宿り、一河の流れを汲む人も、深い縁の有るものだ。サア遠慮は要らぬ、這入つて休息したがいい』 真浦は其言葉に稍心動き、 真浦『どなたか知りませぬが、御親切に有難う御座います。左様ならば暫く休息をさせて頂きませう』 男『アヽそれが良い。サアサアお這入りなさい』 と真浦の手を取り引き入れ、斜に歪んだ雨戸をピシヤツと閉めた。 男『大変な大雪で、倒けかかつた家が益々怪しくなつて来た。愚図々々して居ると雪の重みで、此家も平太つて了ふかも知れないぞ。………オイ駒公、お客さまだ。どつさりと薪木を燻べて御馳走するのだぞ。寒い時には火が一番御馳走だ』 駒公『馬鹿言ふな。どこの馬の骨か、鹿の骨か分りもせぬ代物を、物好きにも駒さんの承諾も得ず、引き摺り込みやがつて、火を焚けも有つたものかい。貴様は何でも取込む事ばつかり考へて居やがる。チツと執着心を脱却せぬかい。取り込むことなら犬の葬式でも喜んで引張り込むと云ふ代物だから困つて了ふ。そんな事で此の立派な家が、どうして立つて行くと思ふのか、秋公の不経済家には俺も本当にアキが来た。寒い時に俄に体を火に近づけると、却て凍傷を起すものだ。どこの奴か知らぬが、赤裸にして頭から冷水でも、ドツサリ御馳走してやるのだなア。貴様と二人斯うして雪に閉されて居つても、チツとも面白味がない。此奴の衣服万端を奪ひ取り、其上赤裸にして水をかけ、それを肴に一杯やつたら面白からう』 真浦『なんだ、其方らは甘言を以て此方をひつぱり込み、泥棒を致すのか』 秋彦『アハヽヽヽ、好い頓馬だなア。そんな事を尋ねるのが馬鹿だ。俺も今日が泥棒の初陣だ。此家は実は吾々の物ではない。老爺と婆アとが居つたのだが、凄い文句を並べてやつた所、昨日の日の暮頃、どつかへ逃げて行きよつた。彼奴は雪爺に雪婆だつたと見えて俄にこんな大雪が降つて来た。サア皮を剥いてやらう』 と真浦の身に着けたる衣服を剥奪せむとする。 真浦『それは、あまりぢや。一寸待つて呉れ』 秋彦『松も檜も有つたものか。袋の鼠、どうしたつて剥かねば置かぬ』 真浦『此家を立去る時に脱ぎませう。それまで此衣服を私に貸して下さいませぬか』 駒彦『オイ秋公、仕方がない、貸してやれ。……オイ何程借賃を出す?それから約束して置かねば喰逃げされては、泥棒商売も棒が折れるからなア。ワハヽヽヽ』 真浦『自分の着物に利息をつけて貸して貰ふとは、又妙な規則の出来たものですなア』 駒彦『愚図々々言ふない。郷に入つては郷に従へだ。是れが泥棒社会の規則だ』 真浦『貴様達は丸でバラモン教みたやうな奴だなア』 駒彦『きまつた事だ。鬼雲彦様の乾児だよ。秋、駒と云つたら、それは本当に翔つ鳥も落すやうなバラモン教の有名な宣伝使だぞ。貴様は三五教の宣伝使、無抵抗主義を標榜して居る腰抜教の奴だから、指一本俺に触へても、抗言一つ致しても、抵抗した事になる。頭をカチ割られようが、黙つて辛抱するのだぞ』 真浦『アーア困つた事になつたもんだワイ。三五教には噂に聞けば、もとは馬、鹿と云ふ紫姫様の家来があつて、それが高城山の松姫さまを帰順させ、駒彦、秋彦と云ふ名を貰つたさうだが、お前の名は秋と云ひ、駒と云ひ、能く似て居る。何か因縁の糸が結ばれて居る様だ。もしや三五教の駒彦、秋彦ではなからうかなア』 秋彦『そんな腰抜の秋彦や、駒彦とはチト相場が違ふのだぞ。俺は三五教の宣伝使真浦と云ふ新米者が宇都山の郷へ初陣に往くので、言依別の神様から……』 駒彦『オイ秋公、何を言ふのだ。ウツカリした事を言ふものでないぞ』 真浦『アハヽヽヽ、大方そんな事だと思つた。言依別の神様が俺の信仰力を試す為に、貴様を此処へ廻しおき、そうして此道を通れと仰有つたのだなア……オイ秋彦、駒彦、モウ駄目だぞ。泥棒でも、バラモンでも、ベラボウでもない、貴様の襟の印は何だ』 駒、秋『アハヽヽヽ、到頭陰謀発覚したか。エヽ仕方がない。そんなら事実をスツカリ白状致して遣はす』 真浦『イヤもう沢山だ。何も承はる必要は有りませぬワイ』 駒公『先づ宣伝使の点数六十五点だ。速に言依別の神様に成績表を書留郵便で送つて置かう。夜が明ける迄三人鼎坐してお神酒を戴いて御日待をしようではないか』 真浦『またそんな事言つて、点数を減らすのではないか』 秋彦『心配するな。一旦認めた以上は減点は決してしない。其代り俺の事もよく報告するのだぞ』 真浦『能く報告してやらう。コンミツシヨンとしてモウ四十五点あげて呉れ』 秋彦『六十五点に四十五点を加へると満点以上になつて了ふ。それでは試験官として報告の仕方がないワ』 真浦『俺の改心は百点以上だ。其代り貴様は百八十点に俺から報告してやらう。併し二人合計してだから……』 と他愛なき雑談に一夜を明かしたりける。 天の真浦の宣伝使秋彦駒彦諸共に 神の教を伝へむと人の尾峠の急坂を 雪かき分けて登り行く地は一面の銀世界 金烏の光りキラキラとまたたき初めて大空は 拭ふが如く晴れ渡り茲に三人は勇ましく 谷の流れに沿ひ乍ら足踏みなづみ進み行く 旭輝く雪は照る神の恵も白妙の 雪に包まる宇都の郷武志の宮を祀りたる 浮木の里に辿り着く又もや降り来る雪しばき 茲に三人は大宮の脇に建ちたる社務所に 雪を凌いで車座になつて暖をば採り乍ら 携へ持てる握り飯ムシヤリムシヤリと平げて 四方の話に耽る折雪かき分けて登り来る 怪しの翁唯一人覚束無げに杖を突き 宮の階段登り来る真浦秋彦駒彦は 眼を据ゑて眺むれば怪しの翁は神前に やうやう近づき拍手の音も涼しく太祝詞 称ふる声の麗しく三人の耳に透きとほる 神の使か真人か但は悪魔の化身かと 怪しみ乍ら秋彦は此場を立ちてザクザクと 雪踏み鳴らし神前に額づく翁に打向ひ 汝は何処の何人ぞ人里離れし此森に 雪を冒して参来たり祈願するは何故ぞ 聞かまほしやと尋ぬれば翁は漸く顔を上げ 胸に垂れたる白鬚を二つの手にて撫で乍ら 四辺キヨロキヨロ見廻して武志の宮の神司 朝な夕なに真心を尽して仕へ奉る 吾れは松鷹彦の司汝は何処の何人ぞ 訝かしさよと問ひ返す其容貌のどことなく 得も言はれざる気高さに秋彦思はず手を突いて 三五教の宣伝使心の色も紅葉の 錦の宮に仕へたる秋彦駒彦二人連れ 天の真浦も諸共に宇都山郷に現はれし バラモン教の曲神を言向け和す鹿島立ち 雪を冒してやうやうに此処まで進み来りしぞ 雪に埋まる山里の家並も見えぬ淋しさに 武志の宮の社務所を借りて休らひ居たりけり 綾の高天に現はれし玉照彦や玉照姫の 宇豆の命の仕へます三五教の司神 言依別の御言もてあもり来りし三人連れ 汝松鷹彦の司吾等三人を宇都山の バラモン館に伴なひて太しき功績を建てませよ 応答如何と詰め寄れば松鷹彦は畏みて 老の歩みもトボトボと雪の階段降りつつ 天の真浦や駒彦が前に現はれ会釈なし 先頭に立たむと誘へば三人は勇み喜びつ 翁の後に従ひて武志の宮に一礼し 東を指して進み行く。 松鷹彦は雪路を杖を突き乍ら先頭に立ちて、バラモン教の宣伝使と聞えたる友彦館に案内すべく進み行く。真浦は翁の後に七八尺遅れて、一歩々々深雪の中の足跡を目標に進む折しも、秋彦、駒彦は物をも云はず、真浦を引抱へ、数丈の崖下に突落した。突落された真浦は何の負傷もせず、高く積もれる雪の上にニコニコと安坐して三人の姿を仰ぎ見て居る。 秋彦『モシ真浦さま、どうだ、御気分は宜しいかな。どこもお怪我は御座いませぬか』 真浦『ハイ有難う、無事着陸致しました』 駒彦『サア六十五点に三十五点を加へて百点だ。肉体は高所から落第したが、御霊はいよいよ立派な宣伝使に及第したのだから喜び給へ』 松鷹彦、目を円くし、 松鷹彦『コレコレお前達は何と云ふ乱暴な事をするのだい。世界の人民を助けて天国へ救ふ役であり乍ら、地獄のやうな断崖から突落すと云ふ事が有るものか、グヅグヅして居ると此老人まで、どんな事をするか分つたものぢやない』 秋彦『お爺さま御心配下さいますな。身魂調べの為に、吾々両人は言依別様の御命令に依りて、あの男の修業をさせに来たのです。ここで腹を立てる様な事では、宣伝使の資格がないのだから、謂はば我々は宣伝使の試験委員だ。是れであの男も立派な宣伝使になりました』 松鷹彦『こんな絶壁から落されては、どうする事も出来ない。何とか工夫をして此処まで救ひ上げて来なさらねばなりますまい』 秋彦『何も御心配は要りませぬよ。獅子は児を産んで三日目に谷底へ棄て、上つて来た奴を又突落し、三遍目に上がつた奴を、始めて自分の子にすると云ふ事だ。こんな所から一遍や二遍突落されて屁古垂れる様な者なら、到底駄目だ。悪魔の栄ゆる世の中の宣伝使にはなれませぬ。上つて来よつたら、又突き落す積りです』 松鷹彦『それだと言つて、それはあまり残酷ぢやないか。早く助けてお上げなさい』 秋彦『そんな宋襄の仁は却つてあの男を憎む様なものだ。可愛いから此断崕から突き落してやつたのです』 松鷹彦『なんと妙な可愛がり様も有つたものだなア。私も此年をして居るが、そんな愛は聞いた事が無い』 と不思議さうに覗き込んで居る。 駒彦『お爺さま、お前も一つ可愛がつてあげようか』 松鷹彦『イヤもう結構々々、お前等に可愛がられようものなら、生命も何も無くなつて了ふ。若い者は兎も角も、此老人がどうなるものか。恐ろしい人達だなア』 と蒼惶として走り去る。 駒彦『アハヽヽヽ、到頭老爺さま肝を潰して逃げて了ひよつた。サア秋彦、モウ用が済んだ。是れから各自手分けをして、命ぜられた方面へ行く事にしよう。…コレコレ真浦さま、マアゆつくりと雪の上でお鎮魂でもなさいませ。これでお暇致します。其代りに百点だよ』 と両手を拡げて見せ、雪路を一生懸命に何処ともなく左右に別れて走り行く。真浦は苦心惨憺の結果、漸く廻り路を見出して、元の所に駆上り、四辺をキヨロキヨロ見廻し乍ら、 真浦『アヽ誰も彼も皆どつかへ埋没して了つた。エヽ仕方がない、足型を便りに後追つかけよう』 と独語しつつ雪に印した草鞋の跡を、犬が鋭利な嗅覚で猪の後を逐ふ様な調子で進んで行く。雪は鵞毛と降り頻り、足跡の窪みは殆ど埋没して了つた。見渡す限りの白雪の野を、一歩々々探る様にして、遂には大川の畔に辿り着いた。河の堤に細い烟の破風口より立昇る小さき茅屋が淋しげに立つて居る。真浦は『御免』と押戸を開けて入り見れば以前の老爺が、婆アと二人茶を啜つて居る。 松鷹彦『ヤアお前は最前の宣伝使だつたなア。能う来て下さつた。随分乱暴な男も有つたものだ。あれは大方バラモンの残党であらう。お前気を付けないと、どんな目に遭はされるか知れませぬぞや』 真浦『ハイ有難う御座います。実は人の尾峠の西麓に於て、盗賊に出会ひました。それから其盗賊さまに武志の宮まで送つて頂いたのです』 松鷹彦『何か盗られましたかなア』 真浦『イエ別に……盗られる処か結構な物を沢山頂戴致しました。盗難品は唯の一点も無く、貰つたものは前後二回で百点ばかりです。実に結構な御神徳を頂きました。最前もアノ絶壁から突き落され、其時にも三十五点呉れましたよ』 松鷹彦『ハテ合点のゆかぬ事を仰有る。その代物はどこに御所持なさるかなア』 真浦『ハイ残らず私の腹の中にしまつてあります。要するに無形の宝ですよ』 松鷹彦、両手を拍ち、打諾づき乍ら、 松鷹彦『ハヽヽヽ、年を老つて、わしも余程耄碌したと見えるワイ、ホンにそうだ。わしもお前さまから宝を四五十点頂戴した。実に忍耐と云ふ宝は結構なものだ。さうでなくては誠の道は拡まりますまい。バラモン教は随分荒行を致しますが……私も元は三五教を奉じて居りました。それから三五教の宣伝使の行方があまり脱線だらけで、愛想が尽き、同じ事なら大勢の者の信ずるバラモン教の方が処世上の便利だと思ひ、一旦は入信しましたが、これ亦どうしても私の腑に落ちない点が沢山ある。そうかうして居る間にバラモン教の一部を採り、ウラル教の或点を加味し、三五教を加へて、新に起つたウラナイ教と云ふ新しき教が出て来たので、又もやウラナイ教に間男をしました。そうして神様を武志の宮にお祀りした処が、その夕から夫婦の者が俄に病気付き大変な発熱で、幾度も死ぬ様な目に遭ひ……コリヤやつぱり元の神様にすがらねばなるまい……と夫婦の者が三五教の大神に謝罪をした処、不思議にも其時より熱が段々に降り、婆アは二三日の後ケロリと嘘を吐いた様に全快して了つた。私は此れから一里許りある下の村の者から選まれて、武志の宮の神主をして居る者だが、村人にさう幾度も幾度も神様を出したり入れたりすると思はれては、信用がないから、ソツとウラナイ教の高姫さまが祀つて呉れた御神号を河に流し、今では三五教の神様をお祀りしたいのだが、一旦御神号を流して了つたので、戴く訳にもゆかず、空の宮を……今日も今日とて謝罪旁拝みに行きました。今日で此雪路を三七廿一日、毎日通ひましたが、不思議な事には、あなた方に宮様の前でお目にかかつたのは、全く神様の御引き合せで御座いませう。併し詳しい教理は存じませぬが、三五教の宣伝使はみな貴方の様に忍耐が強い方ばかりですか』 真浦『昔の三五教は随分乱暴な宣伝使もあり脱線者も沢山出たさうです。併し此頃は玉照彦、玉照姫と云ふ立派な神様の生れ替はりが、聖地に現はれ玉うてより、誰も彼も、緊張気分になり、忍耐を第一として天下に宣伝を始めて居ります。恥かし乍ら私は大台ケ原山麓の暖かい所に生れ、楽に育つて来た報いで、此雪国へ始めて宣伝に参り、余程苦みました。さうして今日が宣伝の初陣です。僅かの時日、神様の教を聞かして頂き、言依別の教主様から許されて、宣伝に参つた者ですから、詳細しい事はまだ存じませぬ』 松鷹彦『さうすると、あなたは今日が始めてですか。それはそれは本当に結構です。宣伝使は分らぬ間こそ却て神徳もあり、人徳も備はるものだ。少し物が分ると知らず識らずに慢心が出て、終には信仰に苔が生え、又元の邪道に逆転するものだ。私もさう云ふ初心な宣伝使に一度会ひたいと思うて居つた。どうぞ貴方はこれから私の茅屋に逗留し、武志の宮の御神体を斎つて下さい。さうして村の者にも教を伝へ、バラモン教を改めさせたいものです』 真浦『神様を祀ると云つても、私の様なものでは、到底それだけの資格が有りませぬ。時を得て聖地にあなたも参拝し、言依別命様に面会して、御神体を奉迎してお帰りなさいませ。それが何より結構でせう。我々は宣伝をするばかりの役、神様の御神体を扱ふ事は出来ませぬ』 松鷹彦『如何にも、さう聞けばさうです。物品か何かの様に軽々しう扱ふ事は出来ますまい。時機をみて御願ひする事に致しませう。さうして三五教の教の樹て方は、大体どう云ふ事が眼目になつて居りますか』 真浦『あなたは最前も、三五教に入信て居たと仰有つた。私よりは、謂はば古参者、能くお分りでせう』 松鷹彦『唯々世界統一の神様だと信じ、此曇つた世の中を早う安楽な、潔白な世にしたい許りに信仰を続けて居たのみで、言はば徹底せない信仰で有りました。それ故あちら此方と迂路付いて見たのだが、どうしても三五教が斎る神様に御神力がある様だ。何とはなしに恋しくなつて来ました』 真浦『私が知つて居る事の大体だけを簡単に申しますれば、……世界を神の慈愛の教に依りて、道義的に統一し、世の立替立直しを断行する事。能ふ限り神様の道を宣揚し、体主霊従の物質的教に心酔せざる様教ふる事。如何なる事も神様にお任せ申し、自分の我を出さずに能ふ限り道に依りて力を尽す事。天地神明の鴻恩を悟り、造次にも顛沛にも、感謝祈願の道を忘れざる事。常に謙譲の徳を養ふ事。如何なる難儀に遇うとも、誠の道の為ならば少しも恐れず、誠を以て切り抜ける事。社会の為に全力を尽し、天下救済の神業に奉仕する事なぞを以て、吾々は宣伝使の尽すべき職務と確信して居ります。併し乍ら、中々思つた様に行ひが出来ないので、神様に対して何時も恥入つて居る次第で御座います』 松鷹彦『オウ、それで大体の御主意が分りました。今までの三五教の宣伝使は、三五教には退却の二字は無いと云つて、随分乱暴な喧嘩もしたものです。然るに今日あなたの御説の通り、三五教自身に立替が出来た以上は、最早天下何者をか恐れむやである。其実行さへ出来れば、此宇都山の里人も残らず帰順するでせう。どうぞ武志の宮の社務所にお止まり下さつて、不言実行の手本を見せて下さい。それが第一の宣伝です』 真浦『有難う御座います。何分宜しく御願ひ致します。私の初陣として、あなたの御病気の全快を神様に祈らして下さいませぬか』 松鷹彦『それは是非共頼まねばならぬ。併し乍ら不言実行だ。お前さまが私の宅へ来て間もなく、私の病気が知らぬ間に癒る様になさらぬか。願はして呉れ……なぞと仰有るのが間違つて居る。まだお前さまはチツと許り名誉欲の魔が憑いて居ますな』 真浦『ハイ恐れ入りました。それならモウ決して祈りませぬ。あなたの病気には無関係ですから、さう思つて下さい』 松鷹彦『ハイハイ分つた分つた。御互に神様の御子ぢや。右の手より施す物を左の手が、知らぬ様にするのが、誠の不言実行、三五の教だ』 真浦『あなたは何も彼も能く知つて居て、私を実地教育して下さるのだなア。有難う御座います。アヽ神様は人の口を藉つて、イロイロと修業をさして下さるか、思へば思へば有難い、勿体ない』 と涙を袖に拭ふ。 松鷹彦『わしは何にも知らない。唯お前さまと話をして居る際、俄に体が変になつて、あんな失礼な事を言ひました。どうぞ気に止めて下さるな……アヽ有難い、今迄ヅキヅキとウヅいて居つた私の足が、何時の間にかスツカリ癒つて了つた』 と拍手再拝、真浦を神の如くに手を合して拝み立てる。 雪に閉され四五日真浦は、老夫婦の親切にほだされて、教話を説き乍ら冬の日を消した。 松鷹彦『此処は御存じの通り、山と山とに囲まれて不便の土地、御馳走も一度上げたいと思へども、斯う雪に閉されては、どうする事も出来ぬ。幸ひ此川の淵には、沢山な小魚が居つて、つい其処の淵には、冬の寒さで一所に籠つて居る。これを掬うて来て、お前さまの御馳走にして上げませう』 真浦『ア、それは有難う』 と言ひつつ、後は小声で、 真浦『不言実行が肝腎だなかつたかなア』 と幽かに呟いた。老爺さまは玉網を担げ、雪掻き分けて川縁に行つた。そうして玉網を淵に突つ込み、荐りに骨を折つて居る。此家の座敷から能く見える距離である。婆アさまと真浦は、爺さんの川漁を面白げに眺めて居た。松鷹彦はどうした動機か、誤つてドブンと川に落込み、チツとも浮いて来ない。婆アさまは素知らぬ顔して眺めて居る。真浦は驚いて、 真浦『ヤアお爺さまが川へ落ち込んだ。助けてあげねばなるまい』 と立ちあがる。婆アさまは初めて口を開き、 婆(お竹)『不言実行だ』 真浦『恐れ入りました。これから私もお前さまに代つてあの青淵目蒐けて、バサンと飛び込み、ヂイさまを救はう』 婆(お竹)『お手並拝見の後御礼を申しませう。何は兎も有れ不言実行ですからなあ』 真浦は尻ひつからげ雪の中を倒けつ転びつ飛んで行く。爺イは此時柳の木に取り付き、ムクムクと上つて来た。 真浦『お爺さま、結構でした。能う助かつて下さつた。実は私もビツクリして助けに来たのだ』 松鷹彦『あなたは有言不実行だ、アハヽヽヽ』 真浦は黙つて老爺さまの着物を搾りかけた。 松鷹彦『自分の着物は自分が絞る。モツと忘れたものがあるだらう』 真浦は黙つて引返し、矢庭に座敷の中をキヨロキヨロ見乍ら、おやぢさまの着替を見付け、小脇に抱へて飛出した。婆アは、 婆(お竹)『コレコレお前さま、それはおやぢの着物だ。老爺の陥つたのを幸ひ、大切な着替を不言実行して、どこへ浚へて行くのだ。……ホンにホンに油断のならぬ人だなア、オホヽヽヽ』 真浦『エー夫の危難を前に見乍ら、一言も頼みもせず、不言実行だなんテ、謎をかけやがつて、おまけに俺を盗人扱ひにして洒落て居やがる。此奴ア普通の狐……オツトドツコイ女ぢやあるまい。……早く行かぬと、爺が凍てて了ふ』 と裏口を跨げかける。婆アは、 婆(お竹)『真浦さま、早く早く、不言実行だ』 真浦は物をも言はず、爺の所に走り着いた。老爺は赤裸となりて真浦の持つて来た着物を、手早く身に着け『大きに』とも、『御苦労』とも言はず、黙つてスゴスゴと吾家に帰る。真浦は濡れた着物や網を引抱へ、 真浦『アヽ本当に不言実行歩と出よつたな。油断のならぬ化物爺だ。モウこれからは暫時唖の修業だ』 と独ごちつつ、爺の家に帰つて来た。 婆(お竹)『流石三五教の宣伝使ぢや。能う気が付いた。これでお前も又一点程点数が増えましたデ、ホヽヽヽヽ』 松鷹彦『アイタヽヽ、又しても痛くなつた。此奴ア病気が撥ね返るのではあるまいか。非常な激痛だ』 と顔を顰め、 松鷹彦『不言実行不言実行』 と呶鳴つて居る。婆アは、 婆(お竹)『折角御神徳を戴き乍ら……爺さま、お前は二口目には不言実行と仰有るが、取らぬ狸の皮算用をする様に、棚の牡丹餅をおろして喰ふ様に、慢心して、真浦さんに御馳走をしてあげようかなんテ、仰有るものだから、忽ち神様の御戒めを食つて、有言不実行になり、そんな土産を頂戴して苦むのだよ。チツと神様に謝罪をなさらぬか』 松鷹彦『俺は神様に対して不言実行、暗祈黙祷を行つて居るのだ。どつか其辺らに不言実行者が、モウ出さうなものだ。アイタヽヽ』 真浦は赤裸となり、裏の川にザンブと飛び込み、御禊をなし、一生懸命で何事か祈願し始めた。爺イの足の痛みは不思議にもピタリと止まつた。 松鷹彦『真浦様、有難う。御神徳を頂きました。サアどうぞ此方へ来て下さい。火を焚いてあたらしてあげませう』 真浦は川より這ひ上り、身体の露を拭ひ乍ら、 真浦『お老爺さま、火を焚くのもヤツパリ不言実行だ、アハヽヽヽ』 (大正一一・五・一二旧四・一六松村真澄録) |
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74 (1759) |
霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 04 六六六 | 第四章六六六〔六六六〕 鬼も十八、番茶も出花、蛇も廿なる巻物語、六六六の節に当つて少しく季節は早けれど、蚊蜻蛉然たる細長き、加藤如来に筆執らせ、横に臥しつつ瑞月が、古今を混同したる夢物語、ハートに浪もウツ山の、里に割拠せし、バラモン教の宣伝使、言霊濁るども彦が、天の真浦の言霊に、当りて逃出す一条、天井の棧を読みながら、布団を尻に敷島の煙と共に雲煙朦朧、捉まへ所のなき泣き述ぶるドモ彦物語、嗚呼惟神々々、辷る言霊口車、いやいやながら乗つて行く。 田吾作は鍬を杖につき、煮染めたやうな垢ついた手拭で頬被りをし乍ら、留公の側にツと寄り添ひ、石原を石油の空缶でも引ずり廻したやうなガラガラ声を振り上げて、お交際的に支離滅裂なる友彦征服歌を謡ひ始めたり。 田吾作『朝日は照るとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも 宇都山村の里人は朝な夕なに鍬担げ 婆も娘も野良仕事いそしみ励む其中へ どこから降つて出て来たか規律を乱すバラモンの 偽善一途の神柱おん友彦がやつて来て イの一番に留公を言向け和し次ぎにお春の若後家が 現を抜かした其日より二十余軒の里人は 野良の仕事も打忘れ朝から晩までバラモンの 訳も分らぬ経を読み随喜の涙流しつつ 今年で恰度満三年田畑は毎年荒れて行く こんな事ではどうなろと道に迷うた里人に ド偏屈よと笑はれつ麦を蒔つけ豆を植ゑ 芋の赤子を朝夕に肥料を与へて育みつ 其成人を楽みに朝から晩まで汗をかき 作る畑へ留公が三五教の守彦の 生言霊に怖ぢ恐れ野路を外して我畑に 踏み込み赤子を無残にも躙り殺してしもた故 俺もチツとは腹が立ち留公が宅へやつて来て 強談判と出て見れば留公の奴の言ひ草が どしても俺の腑に落ちぬ女国有の説もある 此世の中に芋にせよ赤子を踏まれて堪らうか 旧の通りにしてかやせバラモン教の御教は 天の恵を無残にも損ひ破つて良いものか 返答聞かむと詰め寄れば此留公は面をあげ 頻りに冷笑浮かべつつサンガー夫人がやつて来て 産児の制限までもする八釜し説を吐く時に 芋の赤子の二十三十潰してやるのは国の為 世人の為ぢやと逆理屈流石の俺も堪り兼ね 携へ持つた鍬の先留公の頭を的として 骨も砕けと打下ろす忽ち留公身をかはし 逃げる機みに三五の神の教の宣伝使 守彦さまが足の指思ひがけなく切り落し ビツクリ仰天地に這うて無礼を謝すれば守彦の 仁慈無限の真人は顔に笑をば湛へつつ 罪を赦して下さつたあゝ有難し有難し バラモン教の友彦が指であつたら何とせう 摺つた揉んだと苛められ忽ち衣を剥ぎ取られ 鳥もとまらぬ茨畔剣の橋や火渡りや 水底潜り荒行を五日十日と強ひられて 生命の程も計られぬ之を思へば三五の 神の教の尊さが心の底に浸み込んで 喜び勇んで入信の手続き終へた田吾作は 最早バラモン教でないサア友彦よ友彦よ 最早汝が運の尽き一日も早く改心の 実を示すかさもなくば大江の山の鬼雲彦が 館を指して帰り行けお前の様な悪神が 鳥なき里の蝙蝠と羽振りを利かしたシーズンは 昔の夢となつたぞよ田吾作ぢやとて馬鹿にすな 俺も天地の分霊仮令養子の身なりとて 家を嗣いだら主人ぢやぞ貴様は口に蜜含み 尻に剣持つ土蜂の女房子供に至るまで うまく騙してくれた故村中の内輪ゴテゴテと 宗旨争ひ絶間なくイカイ迷惑かけよつた さはさり乍ら今となり理屈を言ふは野暮なれど 腹の虫奴がをさまらぬ一日も早く兜脱ぎ 鉾逆様に旗捲いて降参するなら田吾作が 日頃の恨み解けようが何時まで渋とう威張るなら 堪忍袋の緒を切つて蛙飛ばしの蚯蚓切り どん百姓と云はれたる此田吾作が承知せぬ 返答聞かせ早聞かせ此世を造りし神直日 心も広き大直日唯何事も人の世は 直日に見直せ聞き直せ宣り直せよと皇神の 尊き教は聞きつれど何うしてこれが忘られよか 俺等一人の難儀でない宇都山村は云ふも更 ひいて世界の大難儀今の間に悪神の 根を断ち切つて葉を枯らし昔の元の秘密郷 宇都山村を立直し武志の宮の御前に お礼参りをせにやならぬさあ友彦よ友彦よ 早く改心致さぬか朝な夕なに清新の 同じ空気を吸うた俺お前の難儀を目のあたり 見逃す訳にも行きませぬ三五教の宣伝使 天の真浦が言霊を発射なさらぬ其間に 早く去就を決せよやお前の行末案じての 我忠告を馬鹿にして聞いてくれねば止むを得ず 神の御心に任すよりもはや仕方がない程に あゝ惟神々々御霊幸倍ましまして 道に迷ひし友彦が心を照らさせ給へかし 御魂を研かせ給へかしあゝ惟神々々 御霊幸倍ましませよ』 と揺ひ終つて、頬被をはづし、顔の汗を拭ひ鍬を担げて表へ飛び出した。友彦は閻魔大王が年末の会計検査をするやうな面構へで、口をへの字に結び、ビリビリと地震の神の神憑りをやつて居る。 真浦『天地を造り固めたる国治立の大神の 大御神命を畏みて豊国姫の分霊 ミロクの御代に大八洲彦神の命や大足彦の 教を開く宣伝使開くる御代も弘子彦の 神の命の生御霊宇宙万有統べ守る 七十五声の神の教言霊別の伊都能売の 神は尊き神界の大経綸を果さむと 天教山に現れませる木花姫や烏羽玉の 闇世を晴らす日の神の霊より現れし日の出神 神素盞嗚大神の瑞の御霊と諸共に 珍の聖地のヱルサレムコーカス山やウブスナの 御山続きの斎苑の山エデンの園を始めとし 自転倒島の中心地桶伏山の山麓に 大宮柱太しりて仕へ奉りし神の宮 伊都の仕組も三千歳の花咲く春に相生の 玉照彦や玉照姫の珍の命と現はれて 埴安彦の開きたる三五教を立直し 瑞の御霊に反抗ひしウラナイ教の神司 高姫黒姫松姫が心の底より悔悟して 神の御伴に馳参じ教を四方に伝へ行く 言霊天地に鳴り渡り太平洋を控へたる 大台ケ原の山麓に産声揚げし守彦が 霊夢に感じて杣人の業務棄てて照妙の 綾の高天に馳登り百日百夜の行を終へ 言依別の大神に差許されし宣伝使 雪踏み分けて人の尾の山の麓に来て見れば 忽ち雪の槍ぶすま進みもならず退くも 心に任せぬ雪の宵忽ち聞ゆる足音に 何物ならむと佇めば限り知られぬ黒影は 人か獣か曲神か但しは敵の襲来かと 雪に埋もり窺へば幽かに瞬く火の光 力の綱と近寄れば半ば破れし門の戸を サツと開いて出来る雲突く許りの荒男 お這入りなされと親切に顔に似気なき御挨拶 薄き氷を踏む心地進退ここに谷まりて 神のまにまに入り見れば又もや一人の荒男 囲炉裏の側に安坐かき厭らし眼付で睨めまはす あゝ山賊の棲み家かと怪しむ折しも向ふより 名乗り出でたる三五の神の教の宣伝使 秋彦駒彦両人と判つた時の嬉しさは 常世の春に会ふ心地明くるを待ちて三人は 人の尾峠の雪をふみこけつ転びつ浮木の里 武志の宮の御前に到りて祝詞を奏上し 暫し休らふ時もあれ杖を力に登り来る 白髪異様の老人は武志の宮の神司 松鷹彦の神参詣翁の後に従ひて 五尺有余も積りたる雪に半身没しつつ 見上ぐる許りの断崖にかかる折しも秋彦や 心のはやる駒彦が油断を見すまし我体 力限りに突きつれば空中滑走の離れ業 雪積む崖下に着陸し神の試錬と喜びて 感謝祈願をこらす折秋彦駒彦両人は 口を揃へて語るやう人の尾峠の山麓で 六十五点与へたり又もや此処に我々が 検定委員と現はれて汝が身魂試験せり いよいよ立派な宣伝使三十五点を与ふれば 天下晴れての神使御祝ひ申すと言ひ乍ら 姿は消えて白雪の足音さへもかくれ行く 鵞毛と降り来る白雪を冒して川辺の一つ家に 辿りて見ればこは如何に松鷹彦の老夫婦 囲炉裏の前に端坐して渋茶を啜る真最中 居ること此処に三四日翁は川に網を持ち 小魚を掬ひ守彦に饗応せむと出でて行く 忽ちバサンと水煙り驚き駆け付け救はむと 到りて見れば老人は川辺の柳に取り付いて ニコニコ笑ひ上り来る我れは忽ち駆せ帰り 不言実行の着替へ持ち再び川辺に駆せ付けて 翁に渡し濡れ衣絞りて伏屋に立帰る 老人夫婦は喜びて朝な夕なに神の教 問ひつ問はれつ語り合ひ雪積む春を明けの春 梅さへ散りて麦の穂の筆を含みし弥生空 バラモン教の友彦が使と称して入り来る 留公始め五人連れ門の戸口に顔を出し 爺さん婆さんに打ち向ひ何かヒソビソ語り合ふ 様子怪しと戸の破れ垣間見れば五人連 形勢不穏と見えしより始めて開く言霊の 車を押せば忽ちに踵を返して逃げて行く あゝ惟神々々御霊の幸を目のあたり 眺めて神の大御稜威うまらに委曲に讃へつつ そつと此家を脱け出でて豆麦茂る田圃路 進み来れる折柄に先に来りし留公が 一人の男と何事か芋の畑にいがみ合ふ おつとり鍬を振あげて芋の畑の赤ん坊を 踏んだ踏まぬと心まで捩鉢巻の大喧嘩 仲裁せむと立ち寄りて折を伺ふ一刹那 力限りに田吾作が打下したる鍬の尖 留公ヒラリと身をかはし勢余つて吾足に 力限りにかぶりつき小指を一本喰ひちぎる 周章ふためき手を延ばし親と頼みし小指をば ついで直せば裏表それより忽ち田吾作は 留公さんと手を握り平和談判締結し 目出度く進み来て見れば神の教の友彦が 悠々然と構へつつ天地に響く宣伝歌 耳をすまして聞くからにどことはなしに善悪の 差別も分かぬ言霊戦善悪正邪の判断に 苦み佇む時もあれ留公さんが進み出で 俺の腕には骨がある早返答と詰めかくる 其スタイルの可笑しさに済まぬ事とは知り乍ら 思はず知らず噴き出だす続いて進む田吾作が 心をこめた宣伝歌何れ劣らぬ花紅葉 実りはせねど紅葉の上に閃くプロペラの 右と左に別れたる支離滅裂の大虚空 空翔つ様な宣り言にバラモン教の宣伝使 神の教の友彦が不意を喰つた怪訝顔 館をめぐる陥穽これぞ金城鉄壁と 頼みし甲斐も荒男の子二人の男と友彦の 仲には深い陥穽の近寄り難い深溝が 忽ち茲に穿たれたあゝ惟神々々 御霊幸はひましまして皇大神の御恵みの 深き尊き事の由友彦司の胸の奥 早く照らさせ玉へかし月は盈つとも虧くるとも 仮令大地は沈むとも天の真浦が真心は 救ひまつらにや置くべきか元は天地の分霊 三五教もバラモンも仕ふる人は神の御子 一日も早く御心を直させ玉へ神司 天の真浦が真心を茲に披陳し奉る あゝ惟神々々御霊幸はひましませよ』 と歌ひ終るや友彦は此声に驚いてか、忽ち裏門より韋駄天走りに駆出し、川にザンブと飛び込み、対岸指して流れ渡りに打渡り老木の茂みに姿を没したり。桜を散らす山嵐、川の面を撫でて、魚鱗の波を描いて居る。茲に真浦は留公、田吾作を始め、数多の里人に歓迎され、武志の宮に寄り集ひて、一同感謝祈願を奏上し、次いで暫く松鷹彦が茅屋に足を留むる事となりける。 ○ 四方の山辺は新緑の衣着飾る初夏の風 釈迦の生れた卯の月の空晴れ渡る後の夜の 寒さに震ふ月の下窓引あけて眺むれば 新井すました如衣宝珠頂き照らす山の上新井如衣 郁太の山の高し郎に光も強く照り渡る山上郁太郎 和知の流れは淙々と波音高く自から 天津祝詞を奏上し山川草木一時に 天地自然のダンスをば春の名残と舞ひ暮す 山と山との谷村に真の友の寄り合ひて谷村真友 二十の巻の物語六六六の節までやうやうに 述べつ記して北村の筆の剣も隆光る北村隆光 出口の王仁が口車横に押すのを松村氏出口王仁三郎 心も真澄の大御空外山の頂き晴れ渡る松村真澄 豊かな春二教子が六六夜も寝ねもせで外山豊二 六六六の物語加藤結んだ松の心加藤明子 一度に開く梅が香の香りゆかしく説き明かす 時しもあれや汽車の音本宮山の麓をば 矢を射る如く辷り行く一潟千里の勢に 火車の車は走れども余り日永に草臥れて 辷りあぐみし口車いよいよここに留めおく あゝ惟神々々御霊幸はひ玉へかし。 (大正一一・五・一二旧四・一六加藤明子録) |
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霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 05 親不知 | 第五章親不知〔六六七〕 黄金の波も宇都山の山と山との谷間を 縫うて流るる宇都の川水も温みて遡り来る 真鯉緋鯉や鮒雑魚鮎の季節も漸くに 漁る人の此処彼処中に勝れて背も高く 何とはなしに逞しき白髪異様の老人は 立つる煙も細竿の先に餌をば取りつけて 永き春日を過ごさむと釣を楽しむ折柄に 川辺を伝ひ上り来る蓑笠着けた二人連れ 諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅為楽と記したる 菅の小笠を頂きつ金剛杖に助けられ 釣する翁の前に立ち釣れますかなと阿呆面 翁は釣に気を取られ見向きもやらぬもどかしさ 行者はツカツカ側に寄りコレコレ爺さまと背叩き 釣れますかなと又問へば情無い浮世の一人者 婆アは川に誤つて寂滅為楽となりました 諸行無常の世の中の是生滅法の道理に 洩れぬ人生を果敢なみて余生を送る川の辺の 吾れは松鷹彦翁汝は夫婦の修験者 本来この世は無東西何処有南北此れ宇宙 迷ふが故に三界城悟るが故に十方空 食うて糞して寝て起きてさて其後は死ぬるのみ 是れが人生の通路ぞや汝は若い年に似ず 行者になるは何故ぞ此れには仔細あるならむ 委曲に語れと促せば若き男は笠を除り 蓑脱ぎ捨てて川の辺にどつかと坐して目を拭ひ バラモン教の修験者宗彦お勝の両人が 一粒種の愛し子に先立たれたる悲しさに 赤児の冥福祈らむと二世を契つた妹と背が 足に任せて雲水の行衛定めぬ草枕 旅に出でたる其日より憂きを三年の夫婦連れ 月日の駒は矢の如く吾れを見棄てて流れ行く 二人の果ては小夜砧宇都山川の水音も 悲しき無情の叫び声万有愛護の御教を 守る吾等は河海に泛び遊べるうろくづの 天津御神の精霊の宿り玉うと聞くからに 翁の釣を見るにつけ諸行無常の感深し 生者必滅会者定離世の慣習と云ひ乍ら 釣魚の歎きは目のあたり見る吾こそは痛ましく 彼れが菩提を弔ひてせめて吾子の冥福を 祈りやらむと松鷹彦が心をこめて釣りあげし 鮒や雑魚の死骸に両手を合せ拝み居る 松鷹彦は驚いて竿投げ棄てて釣りし魚を 川の瀬目蒐けて放ちやり涙流してスゴスゴと 茅屋さして帰り行く宗彦お勝の両人は 悲哀の涙に暮れ乍ら吐息つくづく老人が 後を慕うて探り行く。 川辺に建てる茅屋を、宗彦お勝の両人は、漸く見つけだし、戸の外面より、 宗彦、お勝『頼もう頼もう』 と訪へば、中より以前の翁、 翁『お前は、最前逢うたバラモン教の巡礼だらう。わしはバラモン教は嫌だ。けれど最前お前の言つた事に少しばかり首を傾けて考へねばならぬ事が有るやうだ。此里はバラモン教の信者許りであつたが、つい一年許り前から、三五教に全村挙つてなつたのだから、表向這入つて貰ふ事は出来ないのだが、川辺の一つ家を幸ひ、誰も見て居ないから、そつと這入つて下され。わしも此村の武志の宮の神主をして居る者だ。婆アに先立たれ、余り淋しいので、毎日日々、漁りを楽しみ、婆アの霊前に清鮮な魚を供へて、せめてもの慰めとして居るのだ。それに就てお前に聞きたい事がある。サアサアお這入りなさい』 宗彦『バラモン教でも、三五教でも、道理に二つはない筈だ。開闢の初から、火は熱い水は冷たいと云ふ事は、チヤンと定つて居る。それ程バラモン教を排斤するのならば、お前の宅へ這入る事は中止致しませう。サアお勝、行かうぢやないか』 松鷹彦『お前は年が若いので直に腹を立てるが、マアじつくりとお茶でも飲んで、気を落ち着け、話の交換をしたらどうだな。わしも一人暮しで、川端柳ぢやないが、水の流れを見て、クヨクヨと世を送る者だから』 お勝『宗彦さま、お爺さまの仰有る通り、一服さして貰ひませうか』 宗彦『そうだなア、そんならドツと譲歩して這入つてやらうか』 松鷹彦『サアサア這入つてやらつしやい……(小声で)……バラモン教の奴は、どこまでも剛腹な奴だなア』 と呟き乍ら真黒けの土瓶から、忍草の茶を汲んで勧める。 松鷹彦『お前は、見ればまだ若い夫婦と見えるが、能う其処まで発起したものだなア、是れには深い訳が有るだらう、一つ聞かして貰ひたいものだ』 宗彦『私も実の所は、来世が怖ろしくなつて来たので、罪亡ぼしに巡礼となつて、各地の霊山霊場を巡拝し、今日で殆ど三年、この自転倒島を廻つて来ました。私も今こそ、斯うして猫の様に温順しくなつて了つたが、随分名代の悪者でしたよ。家妻を貰つては赤裸にして追出し、押かけ婿にいつては、其家を潰し、何度となく嬶泣かせの家潰しや、後家倒し借り倒しなど、悪い事の有らむ限りを尽して来た所、最後の女房が私の不身持を苦にして、裏の溜池へドンブリコとやつて、ブルブルブル、波立つ泡と共に寂滅為楽となつて了つた。それから直に此お勝を女房となし、睦じう養家の財産を当に、朝から晩まで差向ひで、酒ばつかり飲んで居つた所、嬶アの霊を祀つた霊壇から夜半頃になると、ポーツポーツと青白い火が燃えて来る。夫婦の者は夜着を被つて、息を凝らして慄へて居ると、冷たい手で二人の顔を撫で廻す厭らしさ。此奴ア先妻のお国の亡霊ぢやと合点し、一言謝罪らうと思うても、どうしたものか声が出て来ぬ。長い夜中厭らしい声がする。冷たい手で撫でる。こいつア堪らぬと、朝から晩までバラモン教のお経を唱へ通して居ると、其夜はお蔭で霊壇の怪は止んだ。さう斯うする間に、ザアザアと雨戸を叩く音、それが又死んだ女房の声に聞えて来る。ソツと窓から透して見れば、お国の陥つた前栽の池から、白い煙が盛に立昇り、髪振り乱した青白い女房の顔、恨めし相に家の中を見詰めて居る。そこで女房に「別れて呉れ、さうしたらお国も解脱するであらうから」と何程頼んでも、此お勝の執念深さ、何うしても斯うしても離れて呉れませぬ。「お前が縁を切るなら切つて下さい。池に身を投げて幽霊になり、お国と一緒に幽霊同盟会を組織して襲撃してやる」……とアタ厭らしい事を吐しやがるので、家に居る事もならず、巡礼姿に化けて我家を飛び出しました。さうすると一年程経つた春の頃、辻堂の前を通れば、一人の女が癪気を起して苦んで居る。……「オイお女中、此人通りのない辻堂で嘸御難儀であらう、介抱してあげませう」と近寄り見れば豈図らむや執念深い此お勝が巡礼姿になつて、私の行衛を探して居るのにベツタリ出会し、アーア何とした甚い惚方だらう、蛇に狙はれた様なものだ。こんな事と知つたなら黙つて通つたらよかつたのに……神ならぬ身の……アヽ是非もなやと、天を仰いで歎息して居ました。死ねばよいのに、お勝の奴、私の顔を見るなり、癪も何もケロリと忘れ、「アイタ、アイタ……イタイはイタイが逢いたかつたのぢや」とぬかしやがる。……エ、仕方がない、色男に生れたが我身の不仕合せ、と因果腰を定め、嫌ひでもない女房を……アタ恰好の悪くも何ともない……かうして伴れて歩いて居りますのだ』 お勝『コレ宗さま、何を言ひなさる。そりやお前の事ぢやらう。飛んで出たのは妾ぢやないか。お前、お国の亡霊が出るのは、妾が後妻に入り込んだのがお気に容らぬのであらう。妾さへ出れば家は無事太平、お国の霊も解脱遊ばすに違ない。是れ丈惚れた爺、何と言つても暇を呉れる気遣はない、妾から飛び出すのが上分別だと、お前に酒をドツサリ飲まし、夜陰に紛れて巡礼姿となり、バラモン教のお経を称へつつ、お国の冥福を祈つて、霊山霊地を参拝して彷徨ふ折しも、辻堂の中で一人の男が、一尺位な光る物をニユツと出し、腹を出して自殺を図らうとして居る者がある。何処の誰人かは知らねども、是れが見捨てて行かれようかと、吾身を忘れて躍りかかり、其光る短刀をひつたくり、……「モシモシ如何なる事情か知りませぬが生は難く死は易し、先づ先づ気を落ち着けなさいませ」……と女の細腕に全身の力を籠めて止むれば、「イヤどこのお女中か知りませぬが、私はどうしても死なねばならぬ深い理由が有る。お慈悲は却て無慈悲となる。どうぞ此腕放しやンせい」……と無理に振放さうとする。妾はバラモン教のお経を一生懸命に唱へて居ると、其男は……「可愛い女房は幽霊が怖さに家を飛び出し、行衛不明となりました。今迄沢山女も有つて見たが、あの位気の好い、綺麗な女房は持つた事がない。あの女房と添はれぬのなら此世の中に生て居つても、何楽みも無い。此広い世の中を十年や二十年探し廻つた所で会へるとも会へぬとも分りませぬ。娑婆の苦を遁れる為に、此場で腹掻き切つて浄土参りをするのだ。ヒヨツとしたら女房も先にいつてるかも知れませぬ」……と云つて見つともない、女の一人位に生命を捨てようとする馬鹿な奴は、どこの何者かと能く能く月影に照して見れば、アタ気色の悪く無い、此人でしたよ。まるで蛇に狙はれた蛙の様なものだと、因果を定めて、此処まで随いて来てやつたのですよ』 宗彦は真赤な顔して俯向く。松鷹彦は、 松鷹彦『アハヽヽヽ、随分おめでたいローマンスを沢山に拝聴致しました。千僧万僧の読経よりも、宅の婆アが聴いて喜ぶ事でせう。此爺だつて素より木や石では無い。若い時にや、随分情話の種を蒔いたものだ。しかし過越苦労は止めて置きませうかい。また姑の十八を言つて誇ると思はれても詰らぬからな、アハヽヽ。併しお前達はさうして夫婦仲良く意茶つき喧嘩をチヨコチヨコやつて、天下を遍歴して居れば随分面白からう。……わしもお前等夫婦の苦楽を共にする状態を見て羨ましうなつて来た。どうしても人間は異性が付いて居らねば、世の中が何ともなしに寂しくて、春の暖かい日も冷たい様な気分がするものだ』 宗彦『あなたのやうに年が寄つて、行先の短い爺さまでも、ヤツパリ女房が要りますかなア』 松鷹彦『定つた事だよ。雀百まで牝鳥忘れぬと云つて、年が寄れば寄る程、皺苦茶婆でも恋しうなるものだ。夫婦と云ふものは、若い時よりも年が寄つてから本当の力になるものだ。若い時には春の蝶が彼方の白い花や此方の黄色の花に飛び交ひて、花の唇にキツスをする様に、花も亦喜んで受けてくれるが、斯う体中に皺が寄り、皮が余つて来、竹笠の様に骨と皮ばつかりになつて、胃病の看板然と痩衰へては、誰だつて見向いてもくれやしない。其時には本当の力になつてくれる者は、爺に対しては婆ア、婆アの力になる者は爺だ。何程可愛い子が沢山有つてもヤツパリ大事の話は、夫婦でなければ、打解けて話せるものぢやない。……アヽ中年にやもを鳥になる者程不幸な者は有りませぬワイ』 宗彦『若い時の心と、年の寄つた時の心とは、それ丈違ふものですかいな。我々から見ると、爺さまが皺苦茶婆を可愛がり、婆アが又目から汁を出し、水ばなを垂れ、歯糞をためて枯木の様になつた、不潔い爺を大切にするのを見ると胸が悪い様な気がするものだが、なんと人間と云ふものは合点のゆかぬものですなア』 松鷹彦『お前達は庚申の眷属の様に、あつちやの枝に止まつては小便を掛け、こつちやの枝に止まつては小便を垂れて、結構な人間を弄物の様に取扱ひ、色が白いの、黒いの、背が高いの短いのと、小言を云つて居られるが、わしの様な世捨人になつて了へば、誰も相手になる者はありやしない。蚊だつて味が悪いと云つて吸ひ付きにも来てくれやしない。本当に寂しいものだ。それで、せめて婆アの幽霊になりと、好な魚を毎日供へてやつて、追懐して居るのだ。わしの真心が通うたと見えて、婆アは毎晩床の間に現はれ、わしと一緒に飯も食ひ、茶も飲み、それはそれは大切にしてくれるが、併し何となしに便りないものだ。嬉しいと云ふ表情は見せるが、唯の一言も爺さまとも、爺どのとも言やアしない。是れ丈が現幽処を異にした為でもあらうが、どうぞお前さまも今晩泊つて、婆アの幽霊を一遍見なさつたらどうだ。お茶位は汲んでくれるなり、冷たい手でお前の様な若い男なら握手して呉れるかも知れやしないぞ。そりやマア親切な者だ。死んでからでも、斯んな目脂、鼻汁を垂れる爺を慕うて来るのだから、わしもドツかに好い所があるのだらう、アハヽヽヽ』 宗彦『お爺さま本当に出るのかい。……イヤお出ましになるのかい。私はもう幽サン丈は真平御免だ。併し随分よう惚けたものですな』 松鷹彦『きまつた事だよ。淋しいやもをの前で艶つぽい意茶つき話を聞かされて、大変にわしも若やいだ。返礼の為に一寸秘密の倉を開けて見せたのだ。夫婦と云ふものはマアざつと斯んなものだ。夫婦の中の愛情は若いお方には一寸には分るものぢやない。併しお前さまは最前柳の木の側で、私が釣して居る時に、一粒種の子に放れたのが悲しさに巡礼に廻つたと云うたぢやないか。今聞けば子に別れたと言ふのは全くの嘘だらう。そんな憐れつぽい事を云つて、世人の同情を買ひ、殊勝な若夫婦だと言はれようと思つて嘘八百を言ひ並べて歩くのだらう』 宗彦『本来無東西、何処有南北、色即是空、空即是色、有ると思へば有る、無いと思へば無い。死んだと思へばヤツパリ死んだのぢや。併し私の子を殺したと云ふのは、ホギヤホギヤと唄ふ子ぢやない。日が暮れるのを待ち兼ねて妙な手つきをして…コレコレ宗彦さま、夜も大分に更けました。隣のお竹さまはモウ就寝しやつたと見えて砧の音が止まつた。あんたも好い加減にお就寝みなさいませ。又明日が大事ですから……と妙な目付して褥を布いて呉れる……猫が死んだと云ふのだ。猫かと思へばチウチウと啼く事もある。猫か鼠か赤ん坊か知らぬが、わしはマア、ニヤンチウ運の悪いものだと、ミカシラベにハラバヒ、御足辺にハラバヒテ泣き給ふ時現れませる神は、ウネヲのコノモトにます泣沢女の神と云ふ』 松鷹彦『アハヽヽヽ、それは古事記の焼き直しぢやないか』 宗彦『古事記の焼き直しぢやから、若夫婦が乞食に歩いとるのだ。お前さまも年を老つた癖に合点の悪い人だな。余程耄碌したと見えるワイ。太公望気取りで、何時まで川の縁で魚を釣つて居つても、西伯文王は釣れやしない。婆アの幽霊だつて喰ひ付きやしませぬぞえ。良い加減に諦めて、殺生は廃めなされ。五生が大事だ、そんな六生な事をすると七生迄浮ばれぬからなア。今斯うして婆アさまの噂をして居ると、冥土に御座るお竹さまが今頃にや八九生と嚔でもして居るだらう。十生も無い爺だと恨んで御座るであらうのに、思へば思へばお爺さま、私も身に詰されて、悲しうも何ともありませぬワイ。……アンアンアン』 と目に唾を付け泣いて見せる。 松鷹彦『年が寄つて目がウトイと思つて、そんな俄作りの同情の涙を零して見せても、声の色に現れて居る。お前さまアタむさくるしい。唾を日月にも譬ふべき両眼にこすりつけて、そんな虚礼虚式的な巧言は廃めて貰ひませうかい。本当に唾棄すべき心事と云ふのは常習乞食の遍歴行者の馬鹿夫婦……オツトドツコイ若夫婦連れ、モウモウわしも何だか胸が悪くなつて来た。サアサア早く此処を立つて貰ひませう』 宗彦『ハハア、俺が宗彦ぢやと思つて、胸が悪うなつたなぞと、爺さま随分腹が悪いな』 松鷹彦『腹が悪いから、ムカつくのだよ。此冬枯れの木の様な寂しい爺イの所へ出て来て、お安くもないローマンスを見せ付けられて堪るものかい。お前も世界を遍歴して、苦労の味が分つて居るなら、気を利かして、トツトと帰つたらどうだ。併し乍らウラル教の言ひ草だないが、一寸先や暗の夜だ、諸行無常だ。随分足許に気を付けて行きなされ。左様なら……』 お勝『モシモシお爺さま、此宗彦はチツト智慧を落して来てますから、どうぞ気に障へて下さいますな。妾だつて斯んな分らずやと旅行するのは、胸が悪いのだけれど、妾が尻を振れば宗さまが腹を立て、腰を据ゑて頑張り、手にも足にも合はないから、口惜し乍ら目を塞いで、鼻持ならぬ香のする男を連れて歩いて居るのだ。本当に好かぬたらしい野郎ですよ』 宗彦『コラコラお勝、貴様は何処までも夫を馬鹿にするのか』 お勝『ヘン、夫なんて、膃肭臍が聞いて呆れますワイ。お前さまは人の宅を、女房の有る身を以て、毎晩々々連子の窓を覗きに来て、水門壺へ落込み恥ぢをかき、結局にはお勝さまを呉れねば、死ぬとか、走るとか、男らしうもない吠面かわいて、近所合壁に迷惑を掛けたぢやないか。それを先妻のお国さまが苦にして病気を起し、とうとう帰らぬ旅に赴かしやつた。墓の土のまだ乾かぬ前に、無理矢理に妾を是非共と言つて、ひつぱり込んだと云ふデレさんだから、妾もホトホトと愛想が尽きて来た。三文一文助けて貰うたのでもなし。嫁入に持つていつた着物も帯も、何も何も六一銀行へ無期徒刑に落して了ひ、本当に仕方のない男だよ。誰か目鼻のついた女が出て来て、お前を喰はへて帰んで呉れるものがないかと、朝から晩まで聞えぬ様に暗祈黙祷を続けて居るのだが、根つから、金勝要大神さまもどうなさつたのか、添ひたい縁なら添はしてもやらう、切りたい縁なら切つてもやらうと仰有る癖に、此頃は神さまも聾になられたと見えて、見向きもして下さらない。……アヽ残念な、口惜しい、……わしはお国の霊魂ぢや、アンアンアン』 宗彦『何だ、最前から俺の……善くもない事の棚卸ばつかりやりやがると思へば、お国と二人連だな。随分厭らしい奴を連れて歩いたものだワい』 お勝『半顕半幽だよ。幽顕一致、霊魂の奥にはおくにさまが納まつて御座るのだ。お国は何処と尋ねて見れば、……アイわたしは阿波の徳島で御座ります、……と云ふ様なものです、オホヽヽヽ』 宗彦『爺さま、一つ……あなたも武志の宮の神主さまと云ふ事だから、一遍此奴を審神して下さらぬか。お国を放り出して、お勝の本当の肉体ばつかりにして下さいな』 松鷹彦『ソリヤお前さま可けませぬぞえ。結構な神様の御神懸りだ。国常立尊様の御分霊かも知れんぞや。イロイロに化けて化けて此世を御守護なさる神様ぢやから……天勝国勝と云つて、お国様がお懸りなさつて御守護して御座るのだ。さうしてお前は女房のお勝に甘いだらう。そこでアマカツ、国カツだ。……結構な国所を立ち退いて来たから、国所立ち退きの命様の御守護だよ。俺の様な者がウツカリ審神でもしようものなら、それこそ又俺が憑りうつられて、年が寄つてから住み慣れし第二の故郷を後に国所立退きの命にならねばならぬから、マア此審判は御免蒙らうかい』 お勝俄に体を振り、神懸り状態になり、 お勝『金勝要大神であるぞよ。切りたい縁なら切つてもやらう。添ひたい縁なら添はしてはやらぬぞよ。宗彦は今迄沢山な女をチヨロまかした罪悪の報いに依りて、唯今限りお勝との縁を切るぞよ。ウーンウンウン』 松鷹彦『アハヽヽヽ、お勝さま、ウマイウマイ、モウ一しきり神懸りをやつて下さい。此奴アどう考へても私憑だ。コレコレ宗彦さま、胸に手を当てて、今迄の事を能う考へて見るが宜い。神様は決して無理な事は仰有いませぬぞ』 宗彦『そうだつて、私の女房を、頼みもせぬのに、縁を切るとはあまりだ。切ると云つても、金輪際こつちから切りませぬワイ』 お勝『エー思ひ切りの悪い男だなア。それだから此肉体が嫌ふのだ。男は断の一字が肝腎だ。どうだ是れから此肉体に先妻のお国に、お光、お福、お三、お四つ、お市、お高が同盟軍を作つて憑依して来るが、それでも其方はまだ未練があるか、どうだ厭らしい事はないか』 宗彦『何が厭らしいかい。どれもこれも因縁あつて仮令三日でも夫婦になつた仲ぢや、肉体の有る女房を数多連れて居ると、経済上困るが、物も喰はん嬶アなら、千人でも万人でも出て来い。アーア色男と云ふものは偉いものだ。幽冥界からまでもヤツパリ電波を送ると見える。何だか知らぬが、肩が重くなつたと思へば、此れ丈沢山な女房に対し、責任を双肩に担つて居るのだから無理もないワイ。正式結婚の女房の霊も、準正式も、雑式も、野合も何も彼もやつて来い。此頃は多数決の流行る時節だ。何程偉い者だつて少数党では目醒ましい仕事は出来やしないワ』 松鷹彦『オホヽヽヽ、宗彦さま、お前の背後を一寸御覧、針金の妄念の様な、蟷螂腕を出して餓利法師が踊つて居るぢやないか』 宗彦『アヽそんな事言うて下さるな。見さへせねば良いのだ。目程不潔いものの、恐ろしいものはない』 お勝は『ウーン、ドスン』と腰を下し、ケロリとした顔で、 お勝『宗サン、妾何か言ひましたかな。夢でも見とつたのか知らぬ。沢山な厭らしい亡者が、柳の木の麓で、「宗彦は生前に我々を機械扱ひにしよつたから、今晩は餓鬼も人数だ。力を協して、素首を引き抜いてやらう」と相談して居りましたよ。その時に妾にも同盟せいと言はれたのです。けれども、あまりお前さまが可哀相だから「さう皆さま慌るに及びませぬ。何れ彼奴も年が寄つたら此処へ来るのだから、其時に苛めてやりさへすれば良いだないか」と一時遁れに其場を切り抜けようとしたが、中々亡者の連中聞きませぬがな。今の間に宗サンの生命を取らねば、死ぬ迄待つて居つたら我々は又もや現界に生れ替り、幽冥界は不在になつて了ふ。そうだから讎を討つのは今の内だと言つて、それはそれはエライ勢でしたよ。用心しなさいや』 宗彦『そりや貴様、本当か、嘘ぢやないか』 お勝『嘘か本真か、今晩中に分りますわいな』 宗彦『そら分るだらうが……どちらだ。実際か、虚言か聞かして呉れ』 お勝『幽冥の秘、妄りに語る可らずと、どこともなしに神様の声が聞えました。マア今迄の年貢納めだと思つて、楽んで日の暮れるのを待ちなさい。あのマア青い顔、オホヽヽヽ』 宗彦『お爺さま、大変な事になつて来た。愚図々々して居ると、忽ち此処にやもめが一人出来ますワイ。何とかして助けて下さいなア』 松鷹彦『わしも此村でやもをの連れが無うて、寂しうて困つて居つたのだから、お前さまも早くやもめが出来る様に死なつしやい、それの方が結句気楽で宜からうぞい』 宗彦『何が何だか、サツパリ分らぬ様になつて来たワイ。夢でも見とるのでは有るまいかなア』 と頻りに頬を抓つて見て居る。かかる所へ捻鉢巻をした二人の男、慌ただしく入り来り、 留公『松鷹彦の神主さま、お前は聞く所に依れば、又してもバラモン教の行者を引張込んで、しやうもないお説教を聴聞しとると云ふ事だ。さう猫の目の様にクレクレと精神を変へて貰うと、村の者が迷つて仕方がない。一体どうする量見だ。お竹さまが死んでから、お前さまは益々変になつたぢやないか』 松鷹彦『チツトは変にならうかい』 留公『変にもならうかいも有つたものかい。改心して殺生を止め、神妙にお宮さまの御用を勤めたらどうだ。あんまりお前の行ひが悪いので、村の者が此間も庚申待に集つてお前をおつ放り出し、三五教の真浦さまを跡釜に据わつて貰はうと云ふ相談があつたぞ。こんな事ども村の連中に聞えようものなら、それこそ今日限り叩き払だ。そうなればお前さまも可哀相だからと思つて、気を注けに来たのだ。お春やお弓の奴、チヤンと知つて、俺に話しよつたから、俺は決して誰にも言ふぢやないと口止めをして来たのぢや。どうだ止めて下さるか』 松鷹彦『わしは武志の宮の神様にお仕へして居るのだ。決して村の人間のお給仕役ぢやない。神様から命じられたものを人間が寄つて集つて動かさうとした所で、そいつア駄目だ。そう云ふ事をすると村中に神罰が当つて、米も麦も穫れぬ様な饑饉が出て来るぞや』 田吾作『お爺さま、お前の仰有るこたア一応尤もだが、ヤツパリ人間の皮を被つて居る以上は、人間の規則にもチツトは従はねばなるまい。そんな我の強い事を言はずに、チツトは省みたらどうだい』 松鷹彦『馬鹿にするない。人間の皮被つとるなんぞと……骨から腸まで、魂まで、皆人間だ。皮被つとる奴はお前達ぢや』 留公『爺さま、お前さまこそ魂が四つ足ぢやで。其証拠にや、川獺か何ぞの様に、神様の方はそつち除けにして、魚捕ばつかりに憂身をやつし、盆過の幽霊の様に、水ばつかり羨りさうに眺めて暮して居るぢやないか。一体神様にお仕へする者が、殺生をすると云ふ事が有るものかい』 松鷹彦『わしは神様に仕へて居るから魚を捕るのだ。御神前で海河山野の珍味物だとか、鰭の広物、鰭の狭物と称へ乍ら、魚一匹、誰もお供へする者がないのだから、仕方なしに此老人が魚を漁つてお供へするのだ』 留公『ヘン、うまい事言つてるワイ。大方自分の喉の神さまに供へるのだらう。神主は神主らしうやつて居ればいいのだ。猫は鼠を捕るのが商売、猟師は獣を獲り、漁夫は魚を漁ると、チヤンと天則が定まつて居るのだ』 松鷹彦『それだつて、わしが漁つても、漁師が漁つても、生命の無くなるのは同じ事だ、そんな開けぬ事を言ふものだないワイ。息子は嫁取る、娘は婿取ると云つて、お前達は若いから楽しみだが、俺の様な老爺は、あんまり外分が悪くつて、嫁を取る訳にも行かず、仕方が無いから魚を漁るのだ。チツトは大目に見て、長老を敬ふのだぞ。長幼序ありと云ふ事を知つて居るか。今日は養老会と云つて、老人を大切にする会が、彼方にも此方にも開けて居るぢやないか。それに此村の奴ア、年が老つたら姥捨山へでも捨てたら良いものの様に思つて居るから、事が面倒になるのだ。老人は村の宝、生字引だ。俺が此村に居ればこそ、古い事が分るのだないか。俺の体は俺一人のものぢやない。一方はお宮様の召使、一方は此村の骨董品だ……否如意宝珠の玉だ。今こそ貴様達は不潔い爺いだと云つて、沢山さうに思うて居るが、俺が死んでみい、思ひ出す事が幾らでも出来る。……アーア松鷹彦様がモウちつと生きて御座つたら、御尋ねするのに…斯んな事なら生存中に…あれも聞いて置いたら良かつたに、此れも教へて貰つて置けば宜かつたのに………と後悔をして、泣いても、悔んでも後の祭りだ。せめては故人の徳を忘れぬ為だと云つて、宮の境内か川の縁に記念碑を建てて何程拝んだつて、石になつてから物は言やしないぞ』 留公『お前の様な爺さまに聞いたつて、何が分らうかい。併し一つ聞いて置かねばならぬ事がある。其奴ア、どこの淵には魚が余計寄つとるか……と云ふ事だ。なア川獺の先生』 松鷹彦『エー大人嬲りの骨なぶりだ。グヅグヅ言うと、死んだら目が潰れて物が言へなくなり、身体がビクとも動かなくなつて了ふぞ』 留公、肩を上げ下げし、鷹が羽を拡げた様な調子で、体を揺り、舌を出し、 留公『ウフヽヽヽ』 と笑ふ。 松鷹彦『貴様の其状態は何だ。鳶の様なスタイルをしやがつて……』 留公『オイ、お前がバラモン教の駆落巡礼だなア。何だ人気の悪い鯱面をしよつて……此川獺先生の所へ無心に来よつたのか。……コリヤ此村はバラモン教は禁物だ。布教禁制の場所だぞ。而も気楽さうに女房を連れて何の事だい。そんな事で神聖な神様の御用が出来ると思うて居るのか。一時も早う、足許の明かるい間に帰つて了へ。帰るのが厭なら、此川へドブンと飛び込め。さうすりや寧埒が明いて良いワ』 宗彦『ハイハイ、私は御存じの通りバラモン教のお経を唱へて、巡礼に廻つて居る者で吾子の冥福を祈る丈の者、人さんに宣伝なぞは決して致しませぬ。私の身体には大変な地異天変が勃発したので、何所の騒ぎじや御座いませぬワイ。女房が今となつて暇を呉れの、何のと言ふものだから…』 留公『ハツハア、地異天変て、どんな事かと思へば、嬶アにお尻を向けられたのだなア、そりや気の毒だ。俺も覚えが有る。それなら両手を挙げて同情…否賛成だ。オイオイ奥さま、斯んな結構な、青瓢箪然たるハズバンドを持ち乍ら、そんな綺麗な顔したナイスのお前が、こんな所までやつて来て、肱鉄砲を噛ますとはチツト人情に外れては居やせぬかい』 お勝『妾は訳を聞いて貰はねば分りませぬが、あまりの事で、モウ見切りを付けました。同じ事なら…あの…見た様な何々に、何々したう御座います』 と笠に顔を隠す。 留公『ハツハツハア、分つた。お前のホの字とレの字は、トの字とメの字の付く男に秋波を送つて居るのだな。生憎様乍らトーさまには、立派な烏の様な色の黒いおからと云ふ奥さまが御座んすわいな』 お勝『イエイエ妾は若い人や、土臭い蛙切りは虫がすきませぬ。同じ添ふのなら此お爺さまの女房になりたいのですよ。年は老つて居られても、どこともなしに崇高な御容貌、今年で三年が間、広い世界を股にかけて探して見ましたが、こんな立派な気品の高いお方に逢うた事は有りませぬ。まるで太公望の様な御方ですワ。此処へ来るなり、宅のハズバンドが厭になつて了つたのですよ、ホヽヽヽヽ』 留公『是れは又エライ物好も有つたものだナア、ヘーン』 と言つた限り、舌を斜かひに噛み出し、白眼を剥いて、両手の遣り場が無い様な調子で、下前方へ俯向けに手を垂らしシユーツと延ばし、呆れたふりをして見せる。 田吾作『わしは未だ独身だがなア。アーアどつかに合口があつたら、一つ買ひたいものだ』 留公『コリヤコリヤ短刀なんか買つて如何するのだい。過激派取締の喧しい時に、そんな物でも買ひに往かうものなら、それこそポリスに追跡され、終局には高等警察要視察人簿に登録されて了ふぞ』 田吾作『女房を貰つて、警察につけられるのなら、村中の奴ア、みんな高警要視察人ぢやないか』 留公『貴様も訳の分らぬ奴ぢやなア。……破れ鍋に綴蓋と云つて、それ相当の女房を持たねば、遂には破鏡の悲しみを味ははねばならぬぞ。こんな立派なナイスに対して秋波を送るのは、チツと提灯に釣鐘だ。併しお爺さま、枯木に花が咲いたやうなものだ。流石はエライ。それなれば私も賛成だ。貰ひなさい。其代りに私がチヨイチヨイと水汲み位、手伝ひに来てあげるワ』 お勝『オホヽヽヽ』 宗彦はクルクルと着物を脱ぎ棄て、褌まで除つて、川の早瀬へ惜し気も無く、笠も蓑も杖も一緒に投げ込んで了つた。 宗彦『ヤアお爺さま、モウ是れでバラモン教のレツテルを残らず剥がし、生れ赤児になつて了つた。どうぞお前さまの弟子にして下さい。さうして女房は貰つてやつて下さいませ。今日からは女房をあなたの奥さまとして敬ひます。ナアお勝、遠慮は要らぬから宗々と呼びつけにするのだよ』 お勝は又もやクルクルと下帯まで脱ぎ棄て、同じく蓑も笠も、金剛杖も一括にしてザンブとばかり投げ込んだ。 宗彦『アヽやつぱり女房は女房だ。斯うなるとチツとチツと、ミとレンが残つとる様な気がする。併し乍らお爺さま、着物を私に恵んで下さい。何でも宜しいから……』 松鷹彦『さうだと云つて、わしも北国雷ぢやないが着たなりだ。山椒の木に飯粒で、着の実着の儘、どうする事も出来やしない。先祖譲りの洋服で、二人共暫く辛抱するのだなア』 留公『ヤア宅の嬶アの着物を、俺が取つて来て、裸ナイスに進上しよう。田吾作、貴様はお前の一張羅を献上せい』 田吾作『貰うて下さるだらうかな。わしはチツと背が低いから、身に合ふだらうか』 留公『合うても合はいでも、無いより優しだ』 松鷹彦『ヤア留さま田吾作さま、世の中は相身互ひぢや。さうなくてはならぬ。是れもヤツパリ三五教の感化力のお神徳だ……』 (大正一一・五・一三旧四・一七松村真澄録) |
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76 (1763) |
霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 08 心の鬼 | 第八章心の鬼〔六七〇〕 宗彦は親兄妹に別れを告げ一旦聖地に参ゐのぼり、言依別命より天晴れ宣伝使の役を命ぜられ、心いそいそとして再び宇都山の里に立ち帰り、武志の宮の前に報告祭を行ひ里人に別れを告げて、山奥深く三国ケ岳に割拠する魔神を征服せむと、旅装を整へ宣伝の初旅に就いた。留公、田吾作の二人は村の外れに先廻りして待つて居た。 宗彦『お前は義弟の田吾作ぢやないか、おゝ留さまも其処に居るなア、何処へ行くのだ』 田吾作『何卒私を二三日、宣伝使のお伴に連れて行つて下さいな、留さまと相談の上此処に待伏して居りました』 宗彦『それは折角だが宣伝使は一人のものだと言依別命様より承はつて居る。外の事なら一緒に行かうが、今日は宣伝の初陣だから、御親切は有難いが是非なくお断り申す』 田吾作『私は宣伝使でない以上は、信者としてお伴しても差支ありますまい』 留公『何卒二三日で宜敷いから連れて行つて下さい』 宗彦『お前の足でお前が勝手に行くのなら差支無からう、同じ一条の道を通るのだから……然し宣伝使として宗彦は徹頭徹尾一人旅だ』 留公『貴方は何処を指してお出でになるのですか』 宗彦『そうだなア、言依別命様は明石峠を越え、それから山国を経て三国ケ岳の悪魔を征服して来いとの事だつた。随分高い山だらうなア』 留公『近江の国と若狭、田庭三国に跨る高山です、大変な猛獣や猿が棲み大蛇が居ると云ふ事です』 田吾作『さう聞くと私は貴方一人をやる訳にはゆきませぬ、是非お伴をさして下さいな』 宗彦『絶対になりませぬ』 と首を振り振り先に立つて行く。 折しも秋の初め、田庭名物の深霧に六尺先は少しも見えない。宗彦は足を速めて明石峠をさして進み行く。二人の男は霧に隠れて足を速め、先廻りして明石峠の麓に落つる大瀑布に真裸となり、身禊し乍ら宗彦の進み来るを待つて居た。宗彦は二人の滝にうたれて居るのを霧にさへぎられて気がつかず、 宗彦『何だか大変な水音がして居るなア』 と小声に囁き乍ら坂を登り行く。二人の男は宗彦が我二三間前の道を通過して居るのに少しも気がつかなかつた。宗彦は明石峠の頂上に登り着いた。霧は谷間を埋めて処々に高山の頂きのみ画の様に浮いて居る。 宗彦『アヽ何と霧の海の景色と云ふものは綺麗なものだなア、到底紀の国では見られぬ図だ。此景色を眺めて居る心持は全で第一天国へ遊楽して居る様な気分だ』 と独語して居る。 時しも窶れ果てた四十位の一人の女、見すぼらしき風姿をしてスタスタと霧の中から浮いた様に現はれて来た。 宗彦『イヨー、妙な女がやつて来よつたぞ、大変に忙し相に歩いて居る、何か之には様子があり相だ、一つ此処へ近づいたら訊ねて見よう』 と心に思つて居る。女は宗彦の姿に気がつきキツト立ち止り、怪しの目をぎよろつかせ此方を見詰めて居る。 宗彦『貴女は此高い峠を越えて女の身の只一人、何処へ行くのだ』 女は怖相に、 女『ハイ、私は此下の熊田と云ふ小村の者で御座います。明石の滝へ是から打たれに参ります』 宗彦『明石の滝と云ふのは何処にあるのだ』 女『此山を七八丁許り下つた処に御座います』 宗彦『私も今此坂を登つて来たのだが余りの深霧で気がつかなかつた。道理で水音のした箇所があつた様に思つた。して又滝に打たれに行くと云ふのは何か深い理由があるであらう、それを言つて見なさい』 女『ハイ、私の夫は原彦と申すもの、二三年前からフラフラと患ひつき此頃では大変な大病で御座います。それで明石の滝の神様へお願ひ申して夫の病気を助けたさに、滝に身を浸しに参る者で御座います』 宗彦『何んな病気だな、都合に依つたら神様に願つて助けて上げようと思ふのだが…』 女『ハイ、有難う御座います、夜分になると色々のものが出て参ります、さうして苦めるのです、その度毎に冷汗をグツスリかき日に日に痩衰へ、今は最早骨と皮ばかりに見すぼらしくなつて居ります』 宗彦『そりや何か物の怪の病気であらう。サア一遍調べて見るから案内をしてお呉れ』 女『それは有難う御座います。之から此山坂を下り、四五丁許り行つた所の小さき村で、山の麓に私の茅屋が建つて居ります。御苦労乍らお頼み申します』 と先に立つて案内する。漸く女の家に着いた。大樹の森の下に冠木門をあしらつた一棟の相当に広い家がある、それが此女の邸宅。 女『見すぼらしき茅屋で御座いますが、何卒お這入り下さいませ』 と会釈して内に入る。夫原彦の何物にか魘されて苦しむ声は戸外に迄洩れて来た。女は『又来よつたなア』と小声でつぶやき乍ら、慌てて屋内に飛び込み、病人の枕許に駆け寄つた。宗彦は少し遅れて閾を跨げ、床上に上り天津祝詞を奏上するや、病人は益々苦悶の声を放ち狂ひ廻る。四五人の村人は次の間に控へて何事か話し合つて居た。祝詞の声を聞くより二三人の男其場に現はれ、 男『何処の方かは知りませぬが、定めてお露さまがお連れ申して帰つた方でせう、サア何卒此方へ来て御休息下さいませ』 宗彦は『御免』と云ひつつ招かれて一間に踏込み座に着いた。何事か確とは聞きとれないが、非常に病人はお露を相手に呶鳴つて居る。此声を聞いて宗彦は村人に向ひ、 宗彦『何時も病気はあの通りですか』 甲『此四五日前から一層烈しく成つて来ました「田吾が来る田吾が来る」と云ひ出しまして……それはそれは随分苦しむのです。さうして又ケロリと嘘を吐いた様に癒る事もあるのです。理由の分らぬ病気……何でも死霊の祟りだと云ふ事です』 宗彦『死霊の祟りとは、……そりや又何か心当りがあるのですか』 甲『吾々村人も初めはちつとも病気の原因が分りませなんだが、此頃そろそろ死霊だと云ふ事が分り出したのです。何でも茲二三日の間に生命を取らねば措かぬと口走り、それはそれは大変な藻掻き様です』 乙『何でも此処の主人の原彦は上方の者らしいが、お露さんの婿になつてから早十三年にもなりますのに素姓を明かさないので、何処の人だか、何をして居つたのか分らなかつたのだが、病人の囈言を云ふのを聞いて見れば、大きな声では言はれませぬが、此男は泥棒をして人を殺した奴らしいですよ。そして殺された男の死霊が祟つて居るのだと云ふ事、病人自ら現になつて喋ります。天罰と云ふものは恐ろしいものですなア』 宗彦『人間と云ふものは随分不知不識の間に罪を作つて居るものだ、人を殺し火を放ち、或は強盗、詐偽等の罪悪を犯す者は実に天下の為に憎むべき者であります。然し乍ら其罪を憎んで人を憎まずと云ふ事がある、公平無私な神様は肉体を罰し給ふ様な事はありますまい、屹度其罪の為めに苦しめられて居るのでせう。罪さへとれれば原彦さまも間も無く本復するでせう。世の中には人間の目に見えぬ罪人が沢山ある、中でも一番罪の重いのは学者と宗教家だ。神様から頂いた結構な霊魂を曇らせ、腐らせ、殺すのは、誤つた学説を流布したり、神様の御心を取違へて誠しやかに宣伝したり、或は神様の真似をするデモ宗教家、デモ学者が最も重罪を神の国に犯して居るものですよ』 甲『ヘイ、そんなものですかなア、心に犯した罪や、学者や宗教家の罪は何処で善悪を調べるのですか』 宗彦『到底不完全な人間が善悪ぢやとか、功罪だとか云ふ事は判断のつくものぢやありませぬ。それだから神が表に現はれて善と悪とを立別け遊ばすので、人間は只何事でも善意に解釈し、直霊の神にお願し、神直日大直日に罪を見直し聞直し詔直して貰ふより仕方がありませぬよ。我々は日々一生懸命に国家の為め、お道の為め、社会の為めと思つてやつてる事に大変な罪悪を包含して居ることが不知不識に出来て居るものです。それだと云つて善だと信じた事は何処迄も敢行せねば、天地経綸の司宰者としての天職が務まらず、罪悪になつてはならぬと云つてジツとして居れば、怠惰者の大罪を犯すものですから、最善と信じた事は飽迄も決行し、朝夕に祝詞を奏上し神様に見直し聞直しを願ふより仕方はありませぬ』 乙『今の法律は行為の上の罪許りを罰して、精神上の罪を罰する事はせないのですが、万一霊魂が罪を犯し、肉体が道具に使はれても矢張其肉体が罪人になると云ふのは、神界の上から見れば実に矛盾の甚しいものではありますまいか』 宗彦『そこが人間ですよ、兎も角法律と云ふものは人間相互の生活上、都合の悪い事は皆罪とするのですから……仮令法律上の罪人になつても神界に於ては結構な御用として褒めらるる事もあり、法律上立派な行ひだと認められて居る事が、神界に於て大罪悪と認められる事もあるのです。それだから何事も神様が現はれてお裁き下さらぬ事には善と悪との立別けは人間の分際として、絶対に公平に出来るものではありませぬ。又人間の法律や国家の制裁力と云ふものは、有限的のものであつて、絶対的のものでは無い、浅間山が噴火して山林田畑を荒し、人家を倒し、桜島が爆発して数多の人命を毀損し、地震の鯰が躍動して山を海にし、海に山を拵へ家を焼き人を殺し、財産を全然掠奪して仕舞つても、人間の作つた法律で浅間山や地震や桜島を被告として訴へる処もなし、放り込む刑務所も無し、裁判する事も出来ぬ様なもので到底駄目です。只何事も神様の大御心に任すより仕方がありませぬなア』 斯く話す折しも次の間の病人、いやらしい声を出して、 原彦『ヤア田吾作田吾作、赦して呉れ、俺が悪かつた、お前は大井川から俺に落されて死んで悔しからうが、今となつて如何する事も出来ない、之も何かの因縁ぢやと諦めて何卒俺の生命丈けは助けて呉れ、アヽ悪かつた悪かつた、赦して赦して』 と叫び出した。 宗彦『ハテナ、此辺に田吾作と云ふ人があつたのですか』 乙『田吾作と云つたら皆我々の雅名です。田吾作は田畑を耕し、杢兵衛は山林にわけ入つて樵夫をやつたり薪物を刈つて来る人間の代名詞見た様なものですから、あまり沢山の田吾作で誰が殺されたのやら訳が分りませぬ』 宗彦『それは分りましたが、然し一人に特定の名の付いた田吾作と云ふ男はありますまいかな』 甲、乙一時に、 甲、乙『サア余り聞きませぬなア、何でも宇都山の里に大変な周章者があつて、その男を田吾作と云ふさうですが、それも実際の名か、一般的の百姓の名か、そいつア判然致しませぬ。少し慌ててやり損ひをする男を、此辺では宇都山の田吾作みた様な奴だと云つて居ます、仄に話に聞いて居る許りで実際そんな方が有るのか無いのかそれも分りませぬ』 隣の室より病人の叫び声、 原彦『田吾作の幽霊どの、悪かつた悪かつた、何卒助けて呉れ……何、貴様の様な悪人を助けて堪らうかい、俺の生命をとつた奴だ、貴様の肉体に宿り腸を喰ひ、肺臓を抉り、胃袋を捻切り、苦しめて苦しめて嬲殺しにしてやるのだ。此怨みを晴らさな措かうか』 と原彦は自問自答的に呶鳴つて居る。 甲『不思議な病人でせうがな、何でも腹の中に死霊が這入つたり出たりすると見えます。今は屹度腹へ這入つて居ると見えて本人と変つた声で云つて居ます…あれが殺された田吾作の怨霊に違ひありませぬなア、何卒一つ祈祷をしてやつて下さいますまいか、私達も村中が代る代る五人づつ斯うして不寝の番をして居るのですから、お露さんも気の毒ぢやが、吾々村中の者も大変に手間が取れて困つて居るのです』 宗彦は打ち頷き裏の谷川にて口を嗽ぎ手を洗ひ、天津祝詞を奏上し、徐々と病人の居間に入り来り枕頭に端坐し、両手を組み三五教の奉斎守神[※御校正本でも「主神」ではなく「守神」になっている。]の御名を唱へ、天の数歌を二三回繰返すや否や、病人はムクムクと起き上り、目を剥き鼻を左右に馬の様にムケムケと廻転させ、舌を出し、 原彦『アーラ怨めしやなア、俺は田吾作の怨霊だ、此肉体を何処迄も苦しめ生命をとらいで措くものかア』 と妙な手付をなし衰弱しきつて動けない病人が俄に立つて騒ぎ出す。宗彦は一生懸命に天の数歌を奏上し、 宗彦『これこれ原彦さま、決して田吾作の怨霊が殃をして居るのではない、お前の心の鬼が身を責るのだ。神様にお詫をしてやるから、お前の罪は神素盞嗚尊様の千座の置戸の贖ひの御徳に依つて最早救はれた、安心なされ』 原彦は形相凄じく、 原彦『アラ怨めしやなア、何程救はれたと云つても、生命をとられた田吾作は何処までも祟らにやおかぬ。親を殺し、本人は申すに及ばず、女房の生命をとり、一家親類村中までも祟つてやるぞよ……』 宗彦『お前は田吾作と云ふがその田吾作は今何処に居るのだ』 原彦『田吾作は大井川の大橋の下で肉体は亡びたが、精霊は此処に悪魔となつて憑いて居るのぢや哩のう、怨めしやア怨めしやア』 宗彦『田吾作の顔には何か特徴があるか』 原彦『特徴と云ふのは外でもない、眉間の真ん中に大きな黒子があるばつかりだ、俺の顔を見て呉れ、之が証拠だ』 と原彦は宗彦の前に額を突き出す。 宗彦『別に黒子も何もないぢやないか』 原彦『お前は霊眼が開けて居ないから大方原彦の肉体を見て居るのだらう、私の正体を目を光らして見て呉れたら眉間の黒子が分るだらう。あゝ怨めしい、キヤツキヤツ』 と云ひ乍ら嫌らしい相好を遺憾なく曝して、又元の寝間へクスクス這込み『ウンウン』と苦しさうに呻りを続けて居る。 お露『もうし、宣伝使様、此病人は癒るでせうか』 宗彦『癒りますとも、眉間に黒子のある田吾作は死んでは居ませぬよ、確にピンピンして生きて居ます、今に此処へやつて来るでせう、要するに神経病だ、心に犯した罪悪の鬼に責られて居るのです。今に当人がやつて来て「許す」と一言云つたら全快は請合です』 お露『何と仰有います、あの田吾作さんが生きて居られますか、そりや又如何した訳でせう』 宗彦『どうでも有りませぬ、実際生きて居るのですから今に実物をお目に掛けませう、田吾作が此処へ参る迄、次の室で休息して待つ事に致しませう』 お露『御苦労様で御座いました、何卒奥でお茶なりと召し上り緩々御休息下さいませ』 宗彦は『有難う』と一礼し奥の間に行つて休息した。 甲『何と宣伝使様、妙な病人で御座いますなア、マア千人に一人位な者でせうか、さうして承はれば田吾作さまは生きて御座るとは、そりや又何と云ふ不思議でせう』 宗彦『凡て天地の間は不思議ばかりで満たされて居るのです、菜の葉一枚だつて考へてみれば実に不思議なものです。今の人間は石地蔵を祈つて疣がとれたとか、脚気が癒つたとか云つて不思議がつて居るが、そんな事は不思議とするに足りませぬ。第一人間は、ものを云ふのが不思議ではありますまいか、何程立派な解剖学や生理学の上から調べてみても、声の袋もなし、それに色々の言霊が七十五声際限もなく出て来るのですから、是位不思議な事はありませぬよ』 乙『さう聞けばさうですな、森羅万象一として不思議ならざるは無しですなア』 斯く話す折しも田吾作、留公の両人は門の戸を敲き、 田、留『モシモシ、一寸お尋ね致します、宗彦と云ふ三五教の立派な宣伝使は若しや此家にお立寄りでは御座いませぬか』 此声にお露は慌てて門口に走り出で、田吾作の顔を見るより、 お露『アツ、貴方の眉間に黒子がある、田吾作さまでは御座いませぬか、エライ私の夫が貴方に対し御無礼を致したさうです、何卒堪忍してやつて下さい』 田吾作は何が何やら合点ゆかず、留公と共にお露の後に引添ひ、宗彦の憩へる居間に入つた。 宗彦『アヽ能う来てくれた、さはさり乍ら一寸此方へ来ておくれ』 と原彦の病室に伴ひ原彦を揺すり起した。原彦は病に疲れた身体を漸く起き上り、目を開き田吾作の姿を見るなり『アツ』と一声、又もや寝具の上に打倒れ藻掻き苦しむ。田吾作は原彦の窶れたとは言へ何処とはなしに目付、鼻の恰好、口許の具合の十数年前大井川の橋の上に於て、河中に突き落した泥棒によく似て居るなアと半信半疑の態で打ち見まもつて居る。 宗彦『コレ原彦さま、お前に橋から突き落されて死んだ筈の田吾作は此通りピンピンして居る、お前の迷ひだから気を取り直したが宜からうぜ』 田吾作『オイ、病人さま、久し振りだつたなア、十三年前の月夜の晩だつた、お前は狭い橋の上で俺の懐中の玉を強奪しようとする、俺はとられてはならんと争ひ、遂には組みつ組まれつ戦うた末、足踏外し濁流漲る大井川に真逆様に顛落し、それより心は疎くなり、現世と幽界の境界の山の口迄歩いて行くと、後から大勢の俺を呼ぶ声、振り返る途端に気がついて見れば、高城山の麓の芝生の上に横たはり、大勢の人が火を焚いて介抱をして居てくれた、お蔭で私は生命が助かつた。それから宇都山村の住人となつて此通りピンピンと跳廻つて居るのだ、決して決して露程も怨んでは居らぬ。其時に私が執着心を離しさへすれば斯んな目に遇ふのでは無かつたのだ。エヽ済まぬ事をした、あの人に渡せばよかつたと始終懐中離さず其橋の辺を通り、その方に会うたら心好う進ぜようと思つてゐたのだ、それ……この玉だらう』 と懐中から出して、病人の手に渡した。原彦は初めてヤツと安心した刹那に病気は軽快に向ひ、日を追うて恢復し、漸々肉もつき、十日程の後には全く元の壮健体となつて仕舞つた。 原彦夫婦を初め村人一同は執着心より恐るべき罪の発生し、其罪は忽ち邪気となつて我身を責むると云ふ真理を心の底より悟り、熊田の小村は挙つて宗彦の教を信じ、遂に三五教の信者となつて仕舞つた。 (大正一一・五・一三旧四・一七北村隆光録) |
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霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 09 童子教 | 第九章童子教〔六七一〕 九重の花の都の山背畏き神代に近江路や 色も若狭に丹波の三国に跨る三国ケ嶽 木立の茂みは大空の月日を封じて物凄く 昼さへ暗き大高峰鬼か大蛇か魔か人か 見るさへ凄き婆一人聳えて高き岩の根に 仮の庵を結びつつ蛇や蛙を捕喰ひ 其日を送る物凄さ此山麓に立並ぶ 形ばかりの破れ家の小さき棟も三四十 浮世離れし別世界老若男女は谷川の 蟹や蛙を漁りつつ餌食となして日を送る 鬼婆一人を棟梁と仰いで遠く夜に紛れ 山城丹波近江路や若狭能登まで手を延ばし 赤児の声を探しつつ隙さへあらば引捉へ 山の尾伝ひに逃げ帰り婆の餌食に奉る 此曲津見は何者か言向け和し世の中の 悩みを払ひ救はむと神素盞嗚大神の 御言畏み高天の原に現れます言依別は 聖地に上り来りたる心も清き宗彦に 依さし玉へば喜びて一も二もなく承諾し これぞ布教の初陣と親兄妹に暇乞 明石峠を乗越えて道の熊田の一つ家 病に悩む原彦が心の迷ひ吹き払ひ 奇しき御稜威を現はして里の老若男女をば 三五教の大道に一人も残らず帰順させ 少時足をば休めつつ原彦、田吾作、留公の 三人の信者を伴ひて青垣山を繞らせる 平野の里や山国の一本橋を打渡り 宮村、花瀬を後にして三国ケ嶽の山麓に 四人は漸く着きにける。 さしも三国に渡る大高山、杉の木立は鬱蒼として風を孕み、咆哮する声、数百千の獅子狼が一度に雄猛びする如く聞えて来る。夏とは言ひ乍ら何となく底冷たき空気漂ひ、谷川の音も何処となく物凄く、悪魔の囁くが如く耳を打つ。猿の群は梢を伝ひて、キヤツキヤツと鳴き叫ぶ。四人は山麓を流るる深谷川の畔にドツカと坐し、旅の疲れを休め乍ら、ヒソビソ話に耽つて居る。 留公『随分薄気味の悪い谷間だないか。山国の丸木橋を越えてからと云ふものは、人の子一人出会つた事もなし、時々左右の密林から怪しの声、どうしても此処は大江山以上の魔窟らしい。オイ田吾作、此処までは喜び勇んでやつて来たものの、首筋がゾウゾウとして、何んとも言へぬ気分になつて了つたぢやないか』 田吾作『宇都山村で、魚を漁つたり、麦畠に鍬杖ついて、雲雀の糞を頭から浴びせられて居るのとは、そりやチツとは骨が有るワイ。こんな山奥へ悪魔退治に来たのだもの、どうせ満足に生命を持つて帰れないのは、出発の際から定りきつた話だ。貴様宅を出る時の勢はどうだつた。鬼でも大蛇でも虎でも、狼でも、何でも来い。此留公の腕には骨が有ると、力味返つた時の事を考へて見よ。こんな所でそんな弱音を吹いて宣伝使のお伴が出来ると思ふか』 留公『そらそうだ。併し乍らモウ少し暖かい山ぢやと思うて居たに、夏の最中に斯う寒くつては耐れないぢやないか。斯んな事と知つたなら、袷の一枚も持つて来るのだつたが、薄い単衣一枚では堪へられない。俺は一つ、宇都山村まで引返して、着物を着替て出直して来るから、お前御苦労だが、宣伝使の御伴をしてボツボツ登りかけて呉れ』 田吾作『ハヽヽヽ、隣近所か何ぞの様に、さう着々と着替に帰ねるものか。巧い辞令を作つて、態よく遁走するつもりだらう。口程にもない代物だなア。ヨー今からビリビリ慄うて居よるなア』 留公『何程留めようと思つても、ガチガチと歯が拍子木を打つものだから仕方がないワ。モシモシ宣伝使様、私を此処から……実際の事言へば、帰らして貰ひたいのです』 宗彦『それだから伴れて行かぬと言ふのに、お前が無理に来たのぢやないか。宣伝使は一人旅、決して同伴はならぬのだ。私に相談は要らぬ、自由行動を取つたがよからう』 留公『ハイ有難う御座います。お蔭で命が助かりました。あなた方も、どうぞ無事で帰つて下さいませ。キツと、私は此処でお別れしても、あなたの事は忘れませぬ。お茶湯でも献げて冥福を祈ります』 田吾作『オイ留公、冥福を祈るとは何だ。死ぬに定つた様な事を言ひやがつて、吾々の首途を祝する事を措いて、貴様は弔ふのだな』 留公『弔ふのか、呪ふのか、祝ふのか、どつちか一つの内だ。エー長居は恐れ、こんな生臭い風が吹くからには、太い長い奴がノロノロと今にやつて来るだらう。宣伝使は一人と仰有つた。遠慮は要らぬ、原彦、お前は先へ行け。さうして田吾作は俺の尻に従いて帰るのだ。サアサア帰つたり帰つたり』 原彦『私は生命を助けて貰つた御恩返しに、御案内役となつて来たのですから、宣伝使の為に生命を棄てた所で、別に欠損にもなりませぬ。元々です。此場に及んで男らしくもない、帰れますものか』 留公『生命の安い奴は行つたが宜からう。……オイ田吾作、貴様は生命が大事だらう。お勝の事もチツとは思うてやれ』 田吾作『お勝がなんだ。神様の御用のお伴をするのに、そんなことを気に掛けて居つて勤まるものかい。貴様勝手にしたがよからう』 留公は、 留公『蛙の行列向う見ず、生命知らずの馬鹿者』 と口ぎたなく罵り乍ら、坂路指して韋駄天走りに、霧の中に姿を没した。 田吾作『ハヽヽヽ、宣伝使様、随分妙な活劇否悲劇が演ぜられましたなア。何れ彼奴は今言つた様な臆病者ぢやないから、先駆けの功名手柄をやらかさうと思つて、キツト単騎登山と道を変へて出かけやがつたのでせう。途中でアツと言はせる様な芸当を演ずるのかも知れませぬから、怪しき者が出たら油断をなさいますなや。キツト留公の化者に定つてゐます。彼奴は何時でもああ云ふ事をして喜ぶ癖があるのです。それで私も勝手に帰んだがよからうと、あなたの御言葉を幸ひに帰なしてやりました』 宗彦『面白い男ですな。何れ岩窟の附近まで往つたら、鬼婆の真似でもして現はれるのでせう。原彦さん、サア案内を頼みませう』 原彦『私も御案内とは申しましたが、実は初めての事で一向不案内です。併し私の通る所は貴方も通れるでせう。露払や蜘蛛の巣払に、先へ行きますから、従いて来て下さい』 と不案内の路を谷に沿うて、トントンと登り行く。二人は後を追ふ。前途に激潭飛沫の谷川が横たはつて居る。四五人の男女が熊の皮を洗ひ晒らして木の梢に架け渡し風を当てて乾かして居る。さうして何れも此れも皆、黒い熊の皮や、赤い猪の皮を身に纏うて立働いて居た。 原彦『オーイ、オイ、其処に居る五六人の御連中さま、三国ケ嶽の婆アの岩窟は、どつちやへ行つたら良いのかな』 川向ひの男、無言の儘、指先で……此谷川を渡り、東へ指して行け……と手真似で知して居る。 原彦『アヽ此奴ア唖と見えるワイ。併し乍ら此谷川を渡つて東の方へ行けと云うたのだらう。……モシモシ宣伝使様、私が一寸瀬踏みをして見ませう。大変流れも急なり、水量も多いから、万一私が死ぬ様な事があつたら、キツト渡らない様にして下さい。先づお毒見……否お水見を勤めませう』 と尻を捲つて早くも谷川を渡らうとする。 田吾作『オイ原彦、死ぬのはチツと惜しいぢやないか。お水試なんかせなくとも分つてる。どれ程水の達者な河童の兄弟分でも、此急流がどうして渡れるものか。マア危きに近寄らんがよからうぞ』 原彦『私は命を既に宣伝使様に差上げてあるのだから、運を天に任して渡つて見る』 と無理無体に川瀬を横ぎり、漸く辛うじて対岸に着いた。五人の男女は之を見て驚き、『ア、ア、アー』と声を立て、一目散に歩み慣れし山の細路を伝うて、霧の林に姿を没した。 原彦『ヤア有難い。沢山な熊の皮が並べてある。乾いた奴も相当に有るワイ。サア此奴を一つ身に纏うて登つてやらう。……オイオイ田吾作、早う渡つた渡つた。割とは浅かつた。大丈夫だよ』 田吾作『サア宗彦さま、お渡りなさいませ。私が後から従いて行きます。もしも誤つて水の藻屑にならしやつた所が、義理の兄弟の私が、決して棄てては置きませぬ。キツト死骸は拾つてあげます。サアあなたからお先へお渡りお渡り』 宗彦『そこまで徹底的に受合つて貰へば、私も安心だ』 と戯談半分に喋舌り乍ら、尻を捲つて漸く対岸に着いた。田吾作は手を拍つて、 田吾作『アハヽヽヽ、本当の登り路は此方にあるのだ。そんな方へ行かうものなら、近江の国へ往つて了ふぞ』 原彦は川の向うから大きな声を出して、 原彦『コレ田吾作、そんな事が分つて居るのなら何故早くに知らして下さらぬのだ』 田吾作『知らしてなるものか。俺のお土産に其猪の皮を全部ひつ抱へて此方へ渡るのだ。宣伝使様も四五枚掻攫へてお帰りなさい。其為に此田吾作が計略で、向ふへ渡らしたのだ』 宗彦『ハヽハア、一杯喰はされましたな。併し失敗が幸ひになるとは茲の事だ。何れ他人にも要るだらうし、原彦さま、お前と二人、持てる丈持つて向ふへ渡らうかな』 と大きな熊の皮をひん抱き谷川に足を入れる。原彦も体一面に熊の皮をくくりつけ、漸くにして再び谷川を渡り、田吾作の前に引返して来た。 田吾作『皆さま大い御苦労で御座いました。お土産に一番飛切の上等を頂戴致しませう』 原彦『イエイエ是れは私の分丈だ。生命も危ない此谷川を、どうして二人前も背負うて渡れるものか、お前の分はチヤンと向ふに、屑ばつかり残してある。人の苦労で徳を取るといふ事は、神様の大変に戒め玉ふ所だ。サアサア自分の物は自分で処置をつけるのだよ』 田吾作『そんな事は、遠の昔から御存じの田吾作だ。釈迦に経を説く様な事を言うて貰ふまいかい』 早くもザブザブと対岸へ渡り、洗ひ立ての選り残りのヅクヅクばつかり引抱へ、 田吾作『ヤア重い奴ばつかり除けて置きやがつた。併し己れの欲する所能く人に施せ。欲せざる所は人に施す勿れと云ふ事が有るなア』 とワザと大音声に呼はり乍ら、藤蔓に残らず縛りつけ、自分の腰に結ひ、ザアザアと引ずり乍ら帰つて来た。 田吾作『宣伝使さま、私の智慧は大したものでせう。神智神策、水も洩らさぬ所まで水を利用し、此通り沢山の獲物を占領して来ました。ヤツパリ役者が七八枚も上だ。千両役者だからなア』 と独り悦に入つて居る。 原彦『チツと絞つてあげませうか。こりや干さねば重たくて持つて往けますまい』 田吾作『不言実行だよ』 原彦『不言実行とは初めて聞きますが、どう云ふ意味ですか。言つて下さいな』 田吾作『言はないのに気がついて実行するのが不言実行だ。言つてやるとよいが、天機を洩らすと雨が降る。不言の教無為の化だ。マアマア考へて社会奉仕を励むが、御神徳の入口だな、アハヽヽヽ』 原彦『宣伝使様、不言実行の訳を聞かして下さいませぬか』 宗彦は黙々として、濡れた皮を取り上げ、一生懸命に絞つては木の枝に引つかける。原彦も黙つて見て居る訳にも行かず、同じく皮を絞つては懸け、絞つては懸けて風に乾かさうと、車輪の活動を行つて居る。田吾作は、 田吾作『アヽそれが不言実行だよ。分つたか』 原彦『まだ分りませぬ』 田吾作『分らなくても、実地さへ出来ればよいのだ。現今の奴は宣伝だけは立派だが少しも実行が伴はない。併しマアマア漸く及第点に達した。宗彦様は率先して不言実行をやられたから六十五点、お前は漸く四十五点だ。五点の事で落第点になる所だよ』 原彦『ますます分りませぬ』 田吾作『原の腹が暗くつて、胸が開けぬから、実地の事が目が有つても見えず、田吾作の立派な生きた教が耳へ這入らず、嗅出す事も出来ず、舌は有つても味はふ事が出来ないのだ。斯う思へば何にも知らずに実行する者位幸福な者はないワイ』 宗彦『有難う御座いました。お蔭で田吾作の宣伝使より六十五点頂戴しました。サア是れでモウ三十五点頂戴致しませうか』 と一番立派な熊の皮を選り出して、田吾作の背中に着せる。 田吾作『ヨシヨシ、モウ試験済だ。希望通り三十五点を与へる。これで満点だ。満天下に神教を宣伝しても恥ぢることなき大宣伝使だ。お芽出たう。銀のセコンドでも賞与に与りたいのだが、生憎持つて居ないから、親譲りのヘソンドで辛抱するのだなア、これでも十二時が来るとよく知つて居る』 原彦『私にも、せめて二十点下さいな』 と自分の攫へて来た中より、最も優れたる毛皮を取り出し、田吾作の背中に乗せる。 田吾作『ヨシヨシ、物品一点俺に呉れたから、一点を増してやらう。総計四十六点だ、アハヽヽヽ』 田吾作は原彦の顔を眺め乍ら、又もや、 田吾作『不言実行不言実行不言実行』 と節をつけて謡ふ様に繰返して居る。原彦は狼狽へて、彼方の皮をかやして見、此方の皮を嬲つて見、田吾作の背中を撫でて見るやら、宣伝使の足許の草鞋が切れて居るのではなからうかと、キリキリ舞ひをして居る。田吾作は一層大きな声で、節をつけて、 田吾作『不言実行不言実行不言実行』 を又もや繰返して居る。原彦はハツと膝を叩いて、片方に落ちてゐた棒の様な木切を拾ひ、毛皮を両端に括りつけ、肩に担いで、 原彦『サア私が不言実行のお伴を致します。不言菩薩に実行菩薩様、サアお出でなさいませ』 田吾作『普賢菩薩は聞いた事があるが、実行菩薩は聞き始めだ』 原彦『実行菩薩といへば、ミロク様の事だよ。瑞の御霊の大神さまだ。本当に月光(結構)な神さまと云ふ事だよ』 田吾作『アハー月光菩薩の洒落だな。洒落所かい、是から先は不言実行で勝つのだ。最前の五人の男女を見い。一口も言はず、不言実行の標本を示して、手早く逃げやがつたぢやないか。あれ位慈悲深い奴は有つたものぢやない。其お蔭で吾々は月光な恩恵に浴したのだ、アハヽヽヽ、ドレ田吾作も不言実行菩薩と出かけようかい』 と先に立ちて羊腸の小径を辿り辿り進んで行く。田吾作は歩み減らした細い路を、曲々と舞ひ乍ら、先に立ちて稍平坦な地点に着いた。 田吾作『アヽ不言実行組は何をして居るのか。足の遅い事だなア』 と呟いて居る。そこへ横合から三人の五六才と覚しき男の子、一人は赤裸となり顔に手を当てて泣いて居る。一人は裸の儘で面ふくらして怒つて居る。一人はニヤニヤと笑ふ。 田吾作『ヤア此奴ア三国ケ嶽の化物だな。こんな所で三人上戸が出て来やがつて、酒でも有つたら不言実行してやるのだが。生憎酒もなし……ハヽハ赤裸だ。ヨシヨシ考へがある。早く原彦の奴、毛皮を持つて来やがると良いのだけれどなア』 と云ふ折しもハアハアと息を喘ませ、両人は登つて来た。田吾作は物をも言はず、原彦の担いで居る荷をボツタクり、手早くほどいて、其中の小ささうな皮を選り別け出した。原彦は、 原彦『不言実行だつて、泥棒まで実行して良いのか』 と脹れる。田吾作は三人の童子を指し示した。宗彦、原彦は見るより『ヤア』と倒れむばかりに驚いた。よくよく見れば三人の童子の背後から五色の光明が輝き、麗しき霊衣に包まれて居る。田吾作は少しも気が付かず、慌てまはして、適当の毛皮を取り出し、三人に一々着せて廻つた。三人は黙つて毛皮を取り外し、大地にパツと敷いて、各自其上に行儀よくキチンと坐つた。 宗彦『これはこれは何神様かは知りませぬが、よくマア現はれて下さいました。私は是れより山頂の岩窟に割拠する鬼婆を言向け和す為に参ります。どうぞ御守護を御願ひ致します』 笑童子『アハヽヽヽ、七尺の男子が……而も宣伝使の肩書を持ち、岩窟の鬼婆を退治せむと、此処まで勇み進んで登り来乍ら、人の助けを借らうとするのか。ハツハツハ可笑しい可笑しい、依頼心の強い男だなア』 宗彦『恐れ入りました。モウ決して依頼は致しませぬ。何れの神様か知りませぬが、ついお頼み申すとか、御守護を願ひますとか云ふ事が、吾々の常套語になつて居ますので心にもなき卑怯な事を申したので御座います。どうぞ見直し聞直して下さいませ』 泣童子『アンアンアン、情無い宣伝使ぢやなア。三人も荒男が、たつた一人の婆アを当に出て来よつて、何の態ぢや。斯んな事でどうして三五教の神徳が現はれようぞ。思へば思へば厭になつて来た。これでは国治立大神様、素盞嗚尊様が何程骨を折り、心を砕かしやつても、こんなガラクタ宣伝使ばつかりでは、神政成就も覚束無いわいの、……オンオンオン』 宗彦『どうぞモウ見直し聞直し下さいませ。是からキツと勇猛心を発揮し、婆アの千匹や万匹は、善言美詞の言霊の神力に依つて吹き散らしますから、どうぞ泣いて下さいますな』 泣童子『捕らぬ狸の皮算用をしよつて、当もない事に威張つて居る……其心根が可憐らしい。一寸先は暗の世ぢや。なんにも知らぬ人民は、足許に火が燃えて来る迄分らないのか。アヽア可哀相なものぢや。どうして人間は是れ丈、物が分らぬのだらうな……オンオンオン』 宗彦『誠に汗顔の至りで御座います。さう仰しやれば……さうですが、何事も神様にお任せ致して進むので御座います』 怒つた顔の童子、面ふくらし目を剥き、 童子『惟神、惟神と口癖の様に言ひやがつて、難を避け易きに就き、自分の責任を神様に転嫁し、惟神中毒病を起し、大きな面をして天下を股にかけ、濁つた言霊の宣伝歌を謡ひ、折角の結構な世の中を濁す奴は貴様の様な代物だ。チツとも足元に目が付かず、尻が結べぬ馬鹿者だ。それでも誠の道の宣伝使かい。貴様の様な穀潰しが沢山に世の中に、ウヨウヨと発生やがるものだから、世界の人民が苦むのだ、エーエー腹立たしい。神を笠に着たり、杖に突いたり、尻敷にしたり、汚らはしい、盗んで来た熊の皮を俺達の背中に乗せよつて、ケツケツけがらはしいワイ。尻敷にしてやつてもまだ虫が承知せないのだ。コラ斯う小さい子供の様に見えても、至大無外、至小無内、千変万化の結構な神様のお使ひだぞ。貴様の量見次第で、閻魔ともなれば、鬼ともなり、大蛇ともなつて喰て了うてやらうか。イヤ背筋を立ち割り鉛の熱湯を流し込んで、制敗をしてやらうか。三国ケ岳に大蛇が居るの、鬼婆が居るのと吐して、言向け和すの、征服するのとは何の事だい。鬼婆も大蛇も、鬼も悪魔も、貴様の胸に割拠して居るのを知らぬのか。鬼婆を言向け和さうと思へば、貴様達の腹の中の鬼婆から先へ改心さして出て行きやがれ。大馬鹿者奴。ウーン』 と目を剥き出し、大きな口を開け、咬り付く様な勢で、突つ立ち上り、三人の顔をギヨロギヨロと睨めまはす。三人は一度に大地に頭を下げ、 三人『誠に取違ひを致して居りました。イヤもう結構な御神徳を戴きました。モウこれから改心を致します』 笑童子『アハヽヽヽ、一寸よいと得意がつて無暗に噪やぎ、一寸叱言を聞いては直に悄気返るカメリヲンの様な男だな。大きな図体をして、こんなチツポケな子供に叱られて、それが怖いのかい。神界にはそんな妙な弱い弱い人足は一人も居りはせぬぞや。神界の喜劇よりも、よつぽど面白い面白い。アハヽヽヽアハヽヽヽ』 と臍を抱へて笑ひ転ける。 泣童子『アーア情無い事を見せられたものだ。これでも現界では選りに選つて選まれた特別選手ぢやさうなが、其他は推して知るべしだ。瑞の御霊の祖神様も嘸御骨の折れる事だらう。オイオイオイ。あまり悲しうて涙も出やせぬわいなア。宣伝使と云ふ者は、何とした腑甲斐ないものだらう。蛸の様に骨も何も有りやせぬワ。こんな事で、どうして八岐の大蛇が退治が出来るものか、世の中は益々悪鬼羅刹の横行濶歩を擅にさせるのみだ。どうして現界には誠らしい者が無いのだらうか、アンアンアン』 田吾作『モシモシ子供の神さま、さうお歎きなさいますな。広い世界には一人や二人は立派な者が無いとも言へませぬ。現に此処に唯一人有るぢやありませぬか。さう取越し苦労をして、泣くものぢやありませぬ。世の中は何事も善言美詞に宣り直すのが天地の御規則だ。泣いて暮すも一生なら、笑つて暮すも一生だ。結構な此世の中に、何が不足でメソメソと泣くのだ。わしは「悔み事と泣き事は大の嫌ひであるぞよ。勇んで暮して下されよ」と云ふ神様の教を守つて、世の中を大楽観して活動して居るのだ。お前さまもチツとは思ひ直して改心なさつたらどうだ。「悔めば悔む事が出来て来るぞよ」……と云ふ事を知つとりますか。ヤ、まだ子供だから分らぬのも無理はない』 泣童子『わしも朝から晩まで泣いて暮した事はない。今日初めて泣かねばならぬ事が出来たのだわいのう…アンアンアンアン…折角骨折つて、生命懸けで熊を捕り、皮を綺麗に洗ひ、爺さま婆アさまの着物にしようと思つて、楽しんで居つた人間の物品を、横奪した泥棒根性の宣伝使に説教を聞かされるかと思へば、残念で残念で、是が泣かずに居られようか。モウどうぞ今日限り泥棒根性はやめて下さい……アンアンアン…それに付けても言依別神様から、大切な御命令を受た宗彦のデモ宣伝使、二人の奴が盗人をするのに、なぜ黙つて居つたか、…イヤ自分から率先して泥棒の手本を見せよつたぢやないか。斯んな事でどうして誠の道が開けると思ふか。アーア日暮れて道遠しの感益々深しだ。どうしたら人間らしい人間が、一人でも出来るだらう。泥棒に聖山を汚されて取返しのならぬ事をした哩……アンアンアンアン』 宗彦『イヤ決して決して泥棒をすると云ふ様な考へはチツとも有りませぬ。あの様な所に棄てておいては、又泥棒が攫へて行つちやならない………それよりも吾々が暫く拝借して、又帰りがけにや、旧の所へ御返しをして帰る積りだつた。世の中は相身互だからと思つて、一寸借つたのですよ。心の底から泥棒する根性は有りませぬ』 怒童子『エーつべこべと此期に及んで卑怯未練な言ひ訳をするのが気に喰はぬワイ。貴様は女殺しの後家倒し、其上嬶泣かせの家潰し、沢山な人を泣かして来た揚句、不知不識とは云ひながら、平気の平三でお勝と〇〇になつて居た汚れた人足だ。何程言依別神様から大任を仰せ付けられたと言つて、一も二もなく御受けして来ると云ふ事が有るものか。貴様はそれでも清浄潔白な人間だと思うて居るのか。此の岩窟の鬼婆よりも、モ一つ悪い奴だ。心の底から改心すればよし、マゴマゴして居ると、天狗風を吹かして吹き飛ばしてやるぞ。天下の娑婆塞ぎ奴。ここを何処だと心得てゐる。貴様の目には悪神の巣窟と見えるであらうが、誠の神の目から見れば、どこもかしこも皆天国浄土だ。貴様の心に地獄が築かれ、鉄条網が張られ、鬼が巣を組んで居るのが分らぬか』 三人は頭を鉄槌にて打砕かるる様な心地し、一言も発し得ず、大地にピタリと鰭伏し、暫くは頭を得上げず、慄ひ戦いて居た。半時ばかり経ちしと思ふ頃、得も謂はれぬ美はしき天然の音楽耳を澄まして響きわたる。三人はフト頭を擡げ四辺を見れば、童子の影もなく又一枚の獣皮も無くなつて居る。 田吾作『神様から大変なお目玉を頂戴したものだ。原彦の奴率先して不言窃盗をやるものだから、斯んな目に遭つたのだよ。併し乍らマアマア結構な教訓を受けたものだ。先づ自分の心の中の鬼婆を征服して掛らねば、何程努力しても駄目だワイ』 原彦『三人の愁笑怒の神様が現はれて、噛んで呑む様に、詳細に堂々と教へて下さるのに、お前が口答へをするものだから、到頭怒鳴りつけられ、縮みあがつて、大きな七尺の男が斯んな馬鹿な態を見たのだ。チツト是れから言霊を控へて貰はねば、此先はどんな事が突発するか分つたものぢやありませぬワイ。ナア宗彦の宣伝使様』 宗彦『何事も神様のなさる事。惟神に我々は任すより仕方が有りませぬ』 田吾作『それ又覚えの悪い、今惟神と云つて怒られたぢやありませぬか。惟神中毒をすると、怒り神さんが又現はれますぞや。貴方こそ慎んで貰はねばなりませぬ』 宗彦『さうだと云つて、我々は惟神の道に仕へて居る者だ。惟神を言はなければ、宣伝も何も出来ぬぢやないか。鶏にコケコーと鳴くな、烏にカアカア囀るな、釣鐘になんぼ敲かれてもゴンゴンと鳴らずに沈黙せよと云ふ様な註文だないか。そんな天地不自然な事がどうして実行出来るものかい』 田吾作『惟神、不言実行さへすれば良のですよ。何事も心と行ひを惟神にして、口だけは暫く言はない方が宜しかろ。材木でもカンナがらをかけて見なさい、一遍々々細くなるぢやないか。あまり執拗うカンナがらを使つて居ると、結局にや糸の様になつて、結構な宣伝使神柱の資格が消滅して了ひますワ』 宗彦『ハヽヽヽ、余程怒り神様の御言が感応へたと見えるワイ。ありや一体どこから来た神様だと思つて居るのだ』 田吾作『神界の事は我々に分るものぢや有りませぬが、マア天から天降られたと云ふより仕方が有りますまい』 宗彦『馬鹿言ふな、あの怒り神さまは宗彦さまの本守護神だ。泣神さまが貴様の本守護神、笑ひ神さまが留公の守護神だ。チツト貴様改心せぬとあの通り守護神がベソを掻いて居るぢやないか』 田吾作『そりやチト違ひませう。笑つて居るのが私の守護神、怒つて居るのがあなたの守護神、泣いとる奴が留公の守護神に違ひありませぬワイ。結構な御用を仰せ付かり乍ら、お前さまはまだ腹の底に曇りがあると見えて、本守護神が怒つて居るのだ。良い加減に改心をしなさらぬと、どんな地異天変がおこつておこつて、おこりさがすか知れませぬぞ。お前さまの大将面して威張つて歩くのがあまり可笑しうて、田吾さんの本守護神が笑つて居るのだ』 宗彦『どうでも良いぢやないか。怒る神もあれば笑ひ神もあり、泣き神もある。実際のこたア、三柱の神共共通的に守護して御座るのだ』 原彦『モシモシ私丈は本守護神がどうなりました』 田吾作『お前の本守護神はまだ現はれる幕ぢやない、地平線下の身魂だから、土の上へ出る所へは往かぬ。併し乍ら孟宗竹でさへも土を割つてニユーと首を突出すのだから、どつか其辺に頭をあげかけてゐるかも分らぬぞ。チツト探して見たらどうだ』 原彦『アハヽヽヽ、身魂と筍と一つに見られちや、原彦も迷惑だ。丸でドクトルの身魂の様に、田吾さんが仰しやいますワイ。疑ふのぢやありませぬけれど、随分道理に違うた事を言ふお方ですな。 「竹の子の番人見れば藪にらみ」 アハヽヽヽ、オイ藪にらみの田吾竹さま』 田吾作『議論は後にせい。筍の身魂と云ふ事は、モウつい、日日薬で竹々と分つて来る。チクと身魂を練薬して、俺の言ふ事を膏薬(後学)の為に聞いて置くのだな。……エー何を薬々と笑ふのだい。薬価い(厄介)者奴、それよりも身魂の煎薬(洗濯)が一等だぞ』 原彦『これはこれはイカい(医界)お世話になりました。漸く医師(意思)が疎通しました。モウ此上決して、医(異)議は申しませぬ』 田吾作『キツト医薬(違約)をするでないぞ。俺の云ふ事を守れば、キツト薬九層倍の報いが出て来る。力一杯薬(約)を守つて、此上は口答へをしてはならぬぞ。俺の云ふ事はチツトは苦い事もある。併し良薬は口に苦しだ。薬(厄)雑魂を下痢させて、神霊の注射を為し、身体一面何の医(異)状もないとこまで清めて、是れから悪魔征伐に向ふのだ。心に煩ひのある時は病が起ると云ふ、其病の問屋が山の神を置去りにして、斯んな深い山い(病)あがつて来るものだから、到頭逆上して不健窃盗病が勃発するのだ、アハヽヽヽ』 宗彦『サアもう行こう。グヅグヅして居ると、中途で日が暮れて薬鑵が風を引いて了ふぞ』 二人は黙つて座を立ち、宗彦の後よりエチエチと小柴を分け、這ふ様にして胸突坂を掻きあがる。忽ち右方の谷間に当つて女の悲鳴が聞えて来た。 田吾作『イヨー怪しい声がするぞ。婆アの声にしては少し若い様だ。併し婆ア許りぢやない、沢山な女も居るであらうから、一つ声を当に実地検分と出かけたらどうでせう。ナア宗彦さま』 宗彦『追々と叫び声が高くなつて来るやうです。何か此には秘密が伏蔵されて居るでせう。私は此処に原彦さまと待つて居るから、一寸偵察して来て貰へませぬかなア』 田吾作『ハイ診察して参ります。探険家のオーソリチーの田吾作ですよ』 と早くも小柴の中に姿を隠した。宗彦は、 宗彦『アハヽヽヽ、口も達者な男だが、随分足も達者だ…ヨウヨウ、一人の声かと思へば大勢らしいぞ。こりや安閑としては居られない。私も行つて調べて見ようかな』 と首を傾げて居る。原彦は、 原彦『マア少時御待ちなさいませ。今に田吾さまが帰へつて来れば、様子が分りませうから、大方最前出た泣きの守護神が極端に泣きの本性を発揮してるのかも知れませぬぜ。最前の様なお叱言を頂戴すると困りますから、マアゆつくりと此処に待ちませうかい』 宗彦『そうだな。待つてもよいが、併し何だか気がイライラして来た。田吾作一人遣つて置くのも心許ない。………そんなら此処に待つて居るから、原さま、お前往つて来て呉れないか』 原彦『ハイ、そりやモウさうです。あまり何ですから、何となく気分が何しませぬ。ならう事なら、何々様と御一緒に願ひたいものですなア』 宗彦『分つたやうな分らぬやうな事を云ふぢやないか。ハツキリと言つたらどうだ』 原彦『現在私の心が、あなたには分りませぬか。天眼通、天耳通、漏尽通、宿命通、自他神通、感通に天言通、七神通の阿羅耶識を得たと云ふ宣伝使ぢやありませぬか、「一を聞いて十を知る身魂でないと、誠の御用は出来ぬぞよ」……と神様が仰有いませう。さうすれば貴方は最前の百点を返上なさらねばならぬ破目に陥りますよ』 宗彦『俺は天言通はお神徳を戴いて居るが、どうもまだ人語通は得て居ないのだ。況して曇つた身魂の囁きは尚更判別がつきかねる。何程近くに居つても、御神諭の通り「灯台下は真暗がり、遠国からわかりて来るぞよ」……と云ふのが本当だからなア』 原彦『左様か、左様ならばあなたも何々の割とは何々ですな。私は今迄チツト許り八丁笠を買ひ被つて居りました』 宗彦『さうだらう、御互様だ。お前もモウチツト勇気が有るかと思へば、実に脆いものだ、田吾作でさへも、一人で探険にいつたのに、わしの側にくつついて、慄うて居るとは実に見上げたものだ。生命を宣伝使に差上げると云つた癖に、ヤツパリ生命が惜いと見えるワイ。きつく俺も買ひ被つたものだワイ』 原彦『初めに言つたのは、アラ見本ですよ。見本通の物品を製造して輸出でもしようものなら、海関税を沢山取られて、今日の烈しい商業戦争に零敗を取りますワ』 宗彦『アハヽヽヽ、お前は口ばつかりの男だなア』 原彦『さうですとも、ハラから出口の神が表に現はれて、此世を悪に立直し、善の身魂を改心させるお役ですもの……』 宗彦『悪に立直し、善の身魂を改心さすとは、そら何を言ふのだ』 原彦『イヤ一寸違ひました。「ニ」と「ヲ」との配置を誤つたのです。悪を立直し、善の身魂に改心させるのです。上に付くか、下に付くか、「に」……にか、「を」にか、どつちやにせよ、チツト許りの間違ひだ。さう一字や二字配置が違つたと言つて、気の小さい事を言ふものぢやありませぬワ。アハヽヽヽ』 俄に傍の小柴の中よりガサガサと音を立て、現はれて来たのは田吾作であつた。 宗彦『ヤア田吾作か、様子はどうだなア』 田吾作『最早讐敵は攻め寄せて候へば、あなたに代つて一戦、御身は早く此場を遁れて下さりませ……と口には言へど御名残……チヽヽヽヽヽヽチンチンだ』 宗彦『ハヽヽヽヽ、そんな冗談言つてる所ぢやなからう。どんな事が起つて居つたか、早く聞かして呉れい』 田吾作『ハイ申上げます。一方の大将は大岩石を楯に取り、一丈有余の大木の小枝に甲冑を鎧ひ、一生懸命に阿修羅王の如く荒れ狂ひ、采配採つて号令をなすあり、此方の谷間よりは、又古今無双の豪傑樹上に陣取り、負ず劣らず声を限りにキヤツキヤツキヤツキヤツの言霊戦、勇ましかりける次第なり、ハアハアハアハアだ。ウツフツフツウツフツフツフウ』 宗彦『なアンだ、ちツとも分らぬぢやないか』 田吾作『ソラさうでせうとも。実地目撃した私でさへも、テンと了解の出来ない、猿芝居、否猿合戦ですもの……』 宗彦『ハヽヽヽヽ、千匹猿の喧嘩だつたのか。なアーンだ、しやうもない。……サアサア愚図々々しては居られまいぞ。此前途で又々大蛇の芝居か、熊のダンスでも開演されて居るだらう、面白い無料観覧と出かけよう』 (大正一一・五・一四旧四・一八松村真澄録) |
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霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 10 山中の怪 | 第一〇章山中の怪〔六七二〕 田吾作『朝日は光る月は照る武志の森の小夜砧 宇都山郷を立出でて三五教の宣伝使 神のまにまに宗彦が後に随ひ来て見れば 誠明石の山道は忽ち霧に塞がりて 不動の滝も雲隠れ一歩二歩探り寄り 水音合図に留公が留るも聞かず真裸体 蛙の面に水行をザワザワザワと浴び乍ら 手早く衣類を肩にかけ霧押わけて山頂に 上つて四方を眺むれば丹波名物霧の海 彼方此方にポコポコと山の頂き浮き出でて 宛然絵を見る如くなる景色に名残りを惜みつつ 歩みの下手な留公を抱へるやうに可愛りつ 明石の里も乗り越えて道の傍の一つ家に 病に悩む原彦が身の禍をとり除けて 此処にいよいよ四人連れ宗彦司の後を追ひ 山国川の一つ橋渡る折しも川下に ザンブと立ちし水煙唯事ならじと田吾作が 脚を速めて川の辺に駆せつけ見ればこは如何に 雪を欺く白い顔優しき細き手を上げて 流れの中に立岩の蔭に潜みて声限り 救けを叫ぶ真最中見るに見かねて田吾作が 仁慈の心を発揮してわが身を忘れ飛び込めば 川に落ちたる妙齢の美人と見えしは大江山 鬼の身魂の再来か青い角をば額上に ニユツと生して目を剥いて鰐口開きカラカラと 笑うてけつかる厭らしさ波に揉まれた田吾作も 進退茲に谷まりて溺死をするかと思ふほど 息も苦しくなつた時何だか知らぬが妙な声 聞え来るとみるうちに裸体になつた俺の身は 巌の上に衝つ立ちぬ人三化七鬼娘 悪魔の奴が睨み居るコリヤ堪らぬと気を焦ち 宗彦さまや留公を声を限りに招けども 臆病風に襲はれたいの一番に宣伝使 宗彦さまを始めとし留公、原彦両人は 青い顔して慄へゐるエーもう駄目だもう駄目だ 斯んな卑怯な腰抜けを力にするのが間違ひよ モー此上は是非もない地獄の釜のド天井 一足飛びに飛ぶ心地川へザンブと踊り入り 鬼の娘の肩をとり心中しようか待て暫し たつた一つの此生命死ぬのはチツト早かろと 日頃手練の游泳術悠々騒がず急流を 渡つて岸に駆け上り後振り返り眺むれば 鬼の娘にあらずして見るも怖ろし大蛇の姿 アヽ欺された欺された俺は夢でも見て居たか 頬を抓つて調ぶればやつぱり頬はピリピリと 微に苦痛を訴へる水は何うだと手に掬ひ 嘗めて見たれば矢張り水瑞の身魂の御守護は 清く涼しく此通り俺は結構な修業した 筑紫の日向の立花の小戸の青木ケ原に降り 上の流れは瀬が速い下の流れは瀬が弱い 瑞の身魂や三栗の中瀬に下りて心地好く 禊ぎ祓ひの神業を首尾克く了へて三人が 茫然自失の為体アフンとして居る其前に ニユツと現はれオイ留公原彦何をして居るか ちつとは確りしてくれと癪に障つて横面を ポカリとやつて見た所神力こもる鉄腕に 一堪りもなく顛倒し風に木の葉の散るやうに さしもに広い大川を毬を中空に投げし如 二人の奴は飛び散つたそれより宗彦宣伝使 田吾作さまの神力に肝を潰して今迄の 態度は忽ち一変し心の底から我を折つて 田吾作さまを様付けに言霊変へた可笑しさよ 丸木の橋を後にして旗鼓堂々と来て見れば 錦の衣を纏ひたる山姫さまが左右より 化粧を凝らして田吾作をちよつと待つてと呼び止める 三国ケ嶽の曲神を征伐道中の此身体 お門が広いサア放せ花瀬の里を後にして 谷を飛び越え岩伝ひやうやう三国の山麓に 辿りついたる折もあれ留公の態度は一変し 徐々弱音を吹きかけるコリヤ面白い面白い 屹度彼奴のことならば奇抜な芝居を打つであろ 勝手にせよと突きやれば留公の奴は喜んで 尻ひつからげスタスタと今来し道を下り行く 後に残つた三人は激湍飛沫轟々と 音喧しき谷川の辺りを伝ひわけ登る 川を隔てて四五人の得体の知れぬ老若が 熊の皮やら猪の皮襷十字にあやどつて 木々の梢に干し乍ら残つた熊の生皮を 谷の流れに浸しつつ物をも言はず洗ひ居る 一行の中の周章者腹の腐つた原彦が 欲に恍けてザブザブと生命を的の谷渡り 見るより五人の老若はこの勢ひに辟易し 物をも言はず手真似して雲を霞と遁げて行く 続いて宗彦宣伝使又もや谷を打渡り 欲に限り無き熊鷹の面の皮剥ぎヌースー式 遺るくまなく発揮して矛も交へぬ戦利品 鼻高々とうごめかし不言実行と洒落乍ら 田吾作さんが捕獲した濡れた皮をば汗かいて 絞つてくれた殊勝さよ迷うた路を踏み直し 小柴をわけてテクテクと胸つき坂を這ひ上る 忽ち茲に三人の童子の姿現はれて 泣き出す笑ふ又怒る七尺有余の荒男 三尺足らずの幼児に叱り飛ばされ散々に 油の汗を搾られて謝り入つた不甲斐なさ 童子の姿は忽ちに煙と消えた其後に 耳の鼓膜を破りつつ伝はり来る怪声に 三国ケ嶽の大秘密探る手段とならうかと 怖気づいたる両人を後に残して田吾作が 小柴押わけ怪声を辿り辿りて千仭の 谷の傍に来て見れば木伝ふ猿の叫び声 案に相違の自棄腹スゴスゴ帰つて両人を わが言霊に脅かし面白可笑しく上り行く 軈ては名高き鬼婆の岩窟の棲処も見えるだろ 神の賜ひし言霊の伊吹の狭霧を極端に 神力強い田吾作がイの一番に発射して 高天原の蓮華台錦の宮の御前に 功を建つるは目の当りアヽ勇ましや勇ましや これから乃公が司令官宗彦さまよ原彦よ 互に胸を打ち開けて腹を合して田吾作が 指揮命令を遵奉し蜈蚣の姫の成れの果て 人を取り喰ふ鬼婆やそれに随ふ曲神を 一泡吹かせ三五の教の道に救はむは 今目の当り見る様だアヽ面白い面白い 神が表に現はれて善と悪とを立別ける 田吾作ここに現はれて神と鬼とを立別けて 此世を造りし皇神の貴の御前に復命 申すも余り遠からず来れよ来れいざ来れ 敵は幾万ありとても怖るる勿れ怖るるな 神は汝と倶に在り神は我身に宿ります アヽ惟神々々御霊幸はひましませよ』 と呂律も廻らぬ口から出任せの歌を謡ひ、田吾作は勢鋭く、山上目蒐けて進み行く。幼なき赤児に乳をふくませ乍ら下り来る妙齢の美人唯一人、稍面部に憂愁の色を浮べ乍ら、灌木の茂みより浮いたやうに現はれた。 田吾作『ヤア山姫の奴、俺の円満清朗なる言霊に感動し居つて、感謝の意を表するために現はれたのだな。コレハコレハ山上の御婦人、山の神様、出迎ひ大儀でござる』 女『オホヽヽヽ』 田吾作『コリヤ山女、俺を誰だと心得て居る。七尺の男子が物申して居るのに、無礼千万にも吾々を冷笑いたすとは怪しからぬ代物だ。汝は何といふ魔神であるか。あり体に申上げろ。愚図々々致せば此の鉄腕が承知を致さぬぞ』 女『オホヽヽヽ』 赤児『フギアフギアフギア』 田吾作『宗彦さま、原彦さま、チツト加勢して下さらぬか。随分怪しい代物ですがなア』 宗彦『最前からお前の歌を聞いて居れば、随分豪勢なものだつた。何事も自分でなければ出来ないやうな業託を列べたぢやないか』 田吾作『業託は業託として此際一臂の補助を願はねば、言霊会社も経営難に陥り、破産の運命に瀕するかも分りませぬ。どうぞ嘘八百株ほど持つて下さらぬか。さうして原彦さまには代言三百株ほど御願ひします』 宗彦『アハヽヽヽ』 原彦『ウフヽヽヽ』 女『オホヽヽヽ』 赤児『フギアフギアフギア』 田吾作『エー貴様等は泣いたり、笑うたり人を馬鹿にするのか。貴様が泣笑ひで責めるなら俺は怒りの言霊だ。おこりといふものは間歇性の病気で、隔日に来るものだが、俺は毎日毎晩確実に責めてやるから、左様思へ』 女『オホヽヽヽ』 赤児『フギアフギアフギア』 田吾作『エー又泣いたり笑つたり、此の結構な神国に生れて、泣いたり笑つたりする奴があるか。謹み畏み真面目になつて御神恩を感謝せぬかい』 宗彦『モシモシ御女中、斯様な処に赤ん坊を抱いて現はれ給うたのは、何れの神様でございますか。どうぞ御名を名告り下さいませ』 田吾作『エー宗彦の宣伝使、何を恍けてござるのだ。此奴は三国ケ嶽の古狐だ。古狐に御丁寧な敬ひ言葉を使ふといふ事がありますか。大方眉毛を読まれて了つたのでせう。アア御用心御用心』 と言ひつつ頻りに眉に唾を指尖で発送してゐる。 田吾作『アー留公は予ての計画を忘れ居つたか。なんぼ待つて居つても現はれてはくれず、力に思ふ宣伝使は狐につままれる。何程智謀絶倫の俺でも、マア二人の気違ひを看病し乍ら敵地に進むことは出来ない。誰か出て来て此足手纏ひの気違ひを引留めてくれるものがあるまいかなア。近くに癲狂院があれば入院させたいものだが、深山の事とて、仰天院ばかりで精神病院らしいものも無し、何うしたらよからう。無線電話をかけて言依別様の応援を願ふ訳にも行かず、アヽ困つた破目になつたものだ。イヤア待て待て、これから無言霊話をかけて留公を呼んでやらう』 女は大きな臀をクレツと捲つて見せた。熊のやうな真黒の毛を一面に生し、見る見る間に上半身は純白となり、後半身は純黒の獣となつてガサリガサリと歩み出し、三間程行つてはギヨロツと後を向き、又三間程行つてはギロリツと振向き、幾十回とも無く繰返し乍ら山上目蒐けて登り行く。 田吾作『どうですか、宗彦さま、原彦さま、天眼通も此処まで応用出来れば結構なものでせう。無言霊話を高天原へかけたところ、忽ち数万の神軍此処に現はれ給ひしその御威勢に怖れ、さしもに兇暴なる曲神も、目も身体も白黒させて正体を露はし遁げて行つたでせう。これでも田吾作が命令を聞きませぬか』 宗彦『それは、まぐれ当りだよ。お前は未だ宣伝使の肩書がないのだから、何と云つても表面に通らない。腐つても鯛だ、名は実の主だから矢張り宣伝使と云ふ名に怖れて、悪魔が正体を露はしたのだ。如何に悪魔だつて名も無き奴等に降伏するものか、無名の人物に降伏するやうなことでは、悪魔の体面に関するからなア』 田吾作『アハヽヽヽ、よう仰有いますワイ、宣伝使のレツテル一枚位を金城鉄壁と頼んで、何事もそれでやつて行かうと云ふのは実に無謀だ、無恥だ、依頼心を極端に発揮したものだなア。宣伝使なんかは地の高天原から紙一枚下つて来たが最後、直に首落ちになるのだからなア。 宗彦 一、此度の三国ケ嶽の言向戦に不都合の廉有之を以て、評議の上其職を免ずべきもの也。 言依別命 とこれだけだ。あんまり肩書を力にして貰ふまいかい。それよりも腹の中の第一鬼を征服し、本守護神即ち天人の御発動を御祈願するのが一等だ』 宗彦『よう小理屈を囀る男だなア。私も妹の婿に百舌鳥や燕を持つたかと思へば残念だワイ、アハヽヽヽ』 原彦『モシモシ貴方等は義理の兄弟ぢやありませぬか、見つともない、喧嘩はお止しなさいませ。兄弟墻に鬩ぐとも外其侮りを防ぐと云ふことぢやありませぬか。喧嘩したければ家へ帰つて、いくらでも御やりなさい。此処は敵前否敵の領地へ這入つて来て居るのですからなア』 田吾作『敵地は敵地、喧嘩は喧嘩、兄弟は兄弟と区別を立てねば、国政整理上都合が悪い。何も彼もゴモク飯のやうに混同されては、社会の秩序が紊れて了ふ。総て分業的になつて来た文明の世の中だ。兄弟は他人の始まりと云ふ事があるが、私の兄弟は一種特別だ、他人は兄弟の始まりとなつたのだからなア、アハヽヽヽ』 宗彦『もう好い加減に猫じやれの様な喧嘩は止めようかい。花ばつかり咲かして居る山吹では仕方がない。サアこれからが戦場だ』 原彦は心配相な顔をして、 原彦『田吾作さま、あの通り宣伝使が仰有るのだから、お前も今暫く沈黙して下さい。最前から矢釜敷う仰有つた彼の不言実行とやらを、何処へ落しなさつたのか』 田吾作『目下熟考中だ。さう八釜敷う云つてくれない。何程、普賢菩薩の俺でも、俄にさう奇智名案が湧くものではない。今心の畑に智慧の種子を蒔いたところだから、せめて十日や二十日待つてくれないと、蕪とも菜種とも見当がつかぬ哩。アハヽヽヽ』 と他愛も無く笑ひ乍ら、大木の根に腰をかけて横臥する。四辺暗澹として天日を没し、闇の帳は固く閉された。深山の常として猛獣の吼り狂ふ声、天狗の木を捻折るが如き怪しの物音、間断無く聞えて来る。原彦は此の物凄き声に肝を奪はれ、声をも立て得ずビリビリと慄ひ上り、田吾作の袖を確と握り小声にて、 原彦『オイ田吾作、コリヤ何うなるのだらう。随分気分が悪い事はエーないぢやないか』 田吾作『そうだ、あまり気分がよくない事はない哩。併し吾々の小宇宙に変動を来し、震災の厄に見舞はれて居る所だなア』 原彦『さう高い声で言つてくれな。宣伝使が目を開けて聞かれたら態が悪いワ』 田吾作『態が悪いなんて、よう吐すなア。貴様の旧悪はみんな宣伝使の前で、うつつになつて喋つたのだから、今になつてそんなテレ隠しをしたつて駄目だよ。随分昔は悪人だつたなア。俺が愛宕山を越えて結構な黄色の宝玉を懐に持ち、保津の里迄やつて来ると、森蔭から頬被りをしてヌーと現はれた奴は誰だつたいのー。随分彼処も此処も劣らぬ凄い所だつたねー。さうして何々とか云ふ腹の悪い男が俺の玉を嗅つけ、腹をペコペコ、鼻をピコピコ、ハラハラヒコヒコさせ乍ら現はれて来やがつて「モーシモーシ旅の御方、私は此辺の猟人でございます。最前からの雨に火縄も湿り、困難を致して居りますれば、どうぞ提灯の火を御貸し下さいませ」と出て来居つたのだ。さうすると田吾作と云ふ旅人が「ハテ心得ぬ、此の淋しき山道の、しかも森林の中より狩人が現はれるとは合点が行かぬ。昼ならば兎も角、夜分に猪が目につく筈はない。こんな不合理なことを言ふ奴は、確かに猪の猟夫ではなからう。懐の我が玉を猟する曲者か、但は追剥か」と流石の奇智神謀に富んだ旅人は稍躊躇の態であつた』 原彦『オイオイそんなことを言ふものぢやない。もう好い加減に止めてくれ』 田吾作『マア好いぢやないか。此の夜の長いのに、ちつと言はしてくれ、口に虫が湧く哩。エー一寸五分間休息を致しました。お客様方御待たせをして済みませぬ。これから前段の引続きを一席講演致しまして御高聞に達します』 原彦『さう昔の事を思ひ出し、心気昂奮させた所が仕方がないぢやないか。もう好い加減に止めて欲しいものだなア』 田吾作『俺のは天下の公憤だよ。決してお前に対して私憤を洩らすのぢやない。又お前と俺との話でも何でも無い。過ぎし昔の夢物語で、決して俺の腹も原彦も悪いのぢやない。お前はこんな事を聞くと、むかついて宗彦が悪くなるだらうが、これも時の廻り合せだ。忍耐は幸福の基だから、忍耐をして面白い話を聞くのだよ。……時しもあれや怪しき何者かの足音がする。よくよく見れば一頭の手負ひ猪だ。猟夫と名乗つた男は忽ち肝を潰し、キヤツと声を立て旅人の身体にしがみついた。旅人は心の中に思ふやう。四足の一匹位に胆を潰すやうな奴だから、まさか悪人ではあるまいと哀憐の情が勃然として、心中に萠芽し……』 原彦『そんなむづかしい事を云つて、解るものかい』 田吾作『解らぬのは有難いのだぞ。坊主のお経だつて、ダダブダダダブダと拍子の抜けた声でずるずるべつたりに棒読みにするから、人間に解らぬから有難いやうなものだ。お経といふものは不可解なのが調法なのだ。俺のも少し和讃じみて居るが、これでも新奇流行のアホダラ経を聞くと思うて聞いて見よ。随分利益があるぞ。第一怖ろしいと云ふ観念を忘れ、夜が長いと云ふ苦しみを其間だけなつと救はれるのだ。此位現当利益の御蔭はありませぬ。併し此内に一人位は耳に応へる優婆塞があるかも知れぬ。それも修行だと思つて聞いて居れば遂に習慣性となり、初めには耳についた汽車の音が、終ひには何ともないやうになるのと同じことだ。マア辛抱してお日待ちの説教を聞くと思つて聞くがよいワ』 宗彦『アーア喧しいなア。何をヒソビソとお前達は言つて居るのだ。黙つて寝ないか。最前から聞いて居れば猟夫がどうしたの、斯うしたのと仕様も無い昔話しを持ち出して、乞食坊主のホイト節のやうなことを云つてゐたぢやないか。好い加減に寝え寝え。又明日大活動をやらねばならぬから肉体の休養が肝腎だ』 原彦『宣伝使さま、何と云つても田吾さまが、耳の痛いことを喋るのですもの、チツト叱つて下さいな』 宗彦は早くも眠りに就たと見えて何の応答も無い。 田吾作『そーれから、そーれから、 鱏、鱧、鰈、矢柄(エーはばかり乍ら)無精山道楽寺ナマ臭厄介坊主の 自堕落上人御招待に預りました抑も愚僧が万国修行の根元 戒行、難行、苦行、故郷の住めば都を後に愛宕の山を乗り越えて 闇を冒してスタスタと保津の里までやつて来ました 時しもあれや森蔭に七尺有余の荒男 現はれ出でて皺嗄れた声を張り上げコレコレモーシ旅の人 提灯の明かり貸して下さんせ聞いて旅人立止まり 此の闇黒に提灯の火が欲しい奴は何者ぞ 夏の夕べの火取虫か飛んで火に入り身を焼いて 死んで了ふのを知らないかそんな馬鹿な事止せ止せと 後をも見ずに進み行く性凝りも無く怪しの男 オツトどつこい一寸違うた折から猪奴が飛んで来た 怪しの男は驚いて猿のやうな声を上げ キヤツキヤと言うてしがみつく此奴はよつぽど弱虫と 心を許して道伴れになつてやつたがわが不覚 大井の川の袂まで来る折しも其奴めが コレコレモーシ旅の人お前の懐中に光るもの 一寸私に貸してくれ貸さな斯うぢやと高飛車に 拳固をかためて攻め寄せる此方も痴者ひつぱづし 腕首掴んで中天に力を籠めて投げやれば 空中の舞を舞ひ納め遥向方の川中へ はまつて死んだと思ひきや蛙のやうな態をして 草の中からガサガサとやつて来居つて旅人が 胸倉グツト引掴み川へザンブと投り込んだ 怪しの男は肝腎の玉が無いので力抜け 青い顔してノソノソと疵持つ足の何処となく 帰つて行たが其の跡は何処かの松の並木原 根元に埋められ肥料となりくたばりしかと思ふうち 明石峠の麓なる小さい村の離れ家の 首をおつるが婿となりハラハラし乍ら十五年 胸もヒコヒコ十五年終には病を惹き起し 明日をも知れぬ難儀の場三五教の宗彦が 留公、田吾作両人の立派な家来を引伴れて お出でましたるその御かげケロリと癒つた人足が 今は三国の山登り猛獣毒蛇の唸り声 聞いてブルブル慄て居るアヽ面白い面白い エー無精山道楽寺なまぐさ厄介坊主の自堕落上人が 此の所に現はれまして諸行無常や是生滅法 やがて寂滅為楽の愁歎場ブツブツ唱へ奉る チヤカポコチヤカポコポコポコポコ』 此時一寸先も見えぬ闇黒の中より聞き慣れぬ妙な鼻声交りの婆の声が聞えて来た。 婆『ハテ訝かしやな、俺は三国ケ嶽の鬼婆である。今日三五教の身魂の研けた立派な宣伝使が、当山へわれを退治せむと企て、上り来ると聞き、これこそ天の時節の到来と喉を鳴らして待つてゐた。蛙やくちなははモウ喰ひ飽いた。赤児も最早飽いて来た。宗彦と云ふ奴、魂の綺麗な奴と聞いた故、噛ぶつて喰うたら甘からうと、此間から楽しんで待つてゐた。どうやらこれが宗彦らしい。さうして二人の奴は、どれもこれも口ばつかり大きい奴で、ちよつとも実のない奴だ。三匹が三匹とも、よう斯んなガラクタが揃うたものだ。アーあてが違うた。この年寄が足許の見えぬやうな闇黒をうまい餌食があると思つて出て来たのに、薩張り梟鳥の宵企み、夜食に外れたやうなものだ。それでも尻の傍には、少し甘さうな肉が付いて居るだらうから、これなつと喰てやらうかな』 田吾作『コリヤ婆のやうな声を出しやがつて、何を吐すのだ。尻なつと喰へ、貴様がそんな作り声をしたつて、田吾作さんはよく知つて居るのだ。まだ貴様の出る幕ぢやないぞ。気の利いた化物はモウ足を洗つて寝る時分だ。言依別命さまに願つた事を早く往つて計画せぬかい。馬鹿だなア、陰謀発覚の虞があるぞ。化るならモツと仮声を上手に使へ。留……イヤウーン留度も無く馬鹿ばつかり垂れやがつて、何処の呆け曲津だ。愚図々々致すと承知せぬぞ』 原彦は又小声で、 原彦『オイ田吾作さま、相手になるな。あんな化物に此の闇黒で相手になつたとこで、どうすることも出来ぬぢやないか』 田吾作『八釜敷う云ふない。俺の言霊を留公……オツトどつこい留めようとしたつて、斯う馬力がかかつてからは、容易に止まるものぢやないワ』 留公『田吾作、原彦、宗彦様、又明日御目にかからう。頭から岩窟の婆が塩つけて噛ぶつてやらう。それを楽しんで居つたがよからう』 宗彦『あの声は婆の声のやうでもあり、鼻声だが何処ともなしに留公に似たとこがあるぢやないか、ナア田吾作さま』 田吾作『マア何でもよろしい哩。何れ明日になつたら解りませう。サアサアモー一寝入り』 と横になり、喋り草臥れて他愛もなく寝込んで了つた。 宗彦も亦寝に就く。原彦は時々怪しき声の響き来るに脅かされ、二人の中に挟まつて一睡も得せず、一夜を明かしける。 (大正一一・五・一四旧四・一八外山豊二録) |
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79 (1766) |
霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 11 鬼婆 | 第一一章鬼婆〔六七三〕 夜は漸くに明け離れ、木の間に囀る諸鳥の声に送られて、三人は足に任せて進み行く。大岩窟を背景に茅葺き屋根の三四十、軒を並べて立つて居る。 田吾作『サア、とうとう三国ケ岳の鬼婆の大都会が見えて来た。戸数無慮三十余万、人口殆ど嘘八百万と云ふ、一大都会だ。大分に俺達も足が変になつたから、定めし都会には高架鉄道もあるだらうし、自動車、電車の設備も完全に出来て居るだらう、一つ乗つて見ようかなア』 原彦、田吾作の肩を揺り、 原彦『オイ、田吾作さま、これからが肝腎だ、今から呆けてどうするのだ、確りせぬかいな。片方は岩窟にたてかけた藁小屋が三四十並んで居るだけぢやないか、そんな狂気じみた事を云うて呉れると俺も淋しうなつて来た』 田吾作『アハヽヽヽ、此処は余つ程馬鹿だなア、一寸景気をつけるために、誇大的に広告して見たのだ。蛇喰ひや蛙喰ひの半獣半鬼の巣窟だ。これからもう馬鹿口は慎んで不言実行にかからう』 宗彦『お前たち二人はいよいよ戦場に向つたのだから確りしてくれないと困るよ。又決して乱暴な事はしてはならないから、慎んでくれ。頭の三つや四つ撲られた位で、目を釣り上げたり、口を歪めるやうでは、此度の御用は勤まらぬから、兎に角忍と云ふ字を心に離さぬやうにするのだ。忍と云ふ字は刃の下に心だ。敵の刃の下も誠の心で潜つて敵を改心させるのだから、くれぐれも心得てくれ』 田吾、原の両人は小声で『ハイハイ』と答へながら進んで行く。二百人許りの老若男女が一つの部落を作つて居る。さうして此処の人間はどれもこれも皆唖ばかりになつて居る。蜈蚣姫の鬼婆が計略で篏口令を布くかはりに、皆茶に毒を入れて呑まされたものばかりだ。恰度唖の国へ来たも同様である。田吾作は些しも此事情を知らず、一つの家に飛び込み、 田吾作『一寸、物を尋ねますが、婆アの館はどう往つたら宜敷いかな』 中より四五人の男女、ダラダラと戸口に走り出で、不思議な顔をして何れも口をポカンと開けて、アヽヽヽと唖のやうに云つて居る。田吾作は声を張上げて、 田吾作『婆アの所は何処だと問うてゐるのだ』 天賦の言霊器と聴声器を破壊された一同は、何の事だか少しも分らず、唯口を開けて、アヽヽヽと叫ぶのみである。 田吾作『モシ、宣伝使さま、何と言つても返事もせず、唯口を開けてアヽヽヽと云うて居る唖見たやうな奴許りですな、次の家へ行つて尋ねて見ませうか』 宗彦『お前に一任するから、何卒、私が当選するやうに戸別訪問をして、清き一票をと丁寧に、お辞儀に資本は要らぬから頼んでくれい』 田吾作『何ぼ資本が要らぬと云つても、さうペコペコ頭を下げては頭痛がします哩。投票もない事を仰有るな、人の選挙(疝気)を頭痛にやんで、耐りますかい。何程気張つたつて解散の命令が下つたら、それこそ元の黙阿弥ですよ』 宗彦『兎も角お前に一任する』 田吾作『承知致しました。在野党と思つて選挙干渉をやらぬやうにして下さいや。モシモシ此の家のお方、婆アのお住居は何処だ、知らしてくれないか、決して投票乞食ぢやないから安心して云つておくれ』 家の中から又もや四五人の男女、怪訝な顔して門口に立ち現はれ、口を開けてアヽヽヽと云ふばかり。あゝ此奴も駄目だと、田吾作はまた次へ行く。行つても行つても、アヽ責に遇はされて一向要領を得ない。とうとう一戸も残らず戸口調査を無事終了して仕舞つた。されど何の得る所もなく、婆アの姿も見当らなかつた。 三人は是非なく腰掛に都合の好い岩を探して、ドシンと尻を下ろし、暫く息を休める。赤ん坊を懐中に抱いた女、幾十人ともなく、不思議さうに三人の前に立ち現はれ、口を開けて、アヽヽヽヽとア声の連発をやつて居る。 田吾作『エヽ怪つ体な所だな、矢張三国ケ岳の辺は野蛮未開の土地だから、言語が無いと見える哩』 と話して居る。其処へ容色優れたる一人の女が現はれ来り、宣伝使に会釈し、是亦アヽヽヽを連発しながら北の谷間を指ざし走り行く。この女は玉照姫の生母お玉であつた。婆の手下の者に誘拐され、この山奥に連れ込まれてゐたのである。 婆の考へとしては、玉照姫を占奪する手段として、先づ生母のお玉をうまうまと此処へ奪ひ帰つたのである。三人はお玉の顔を一度も見た事がないので、そんな秘密の伏在する事は夢にも知らず、お玉の跡を追つて、スタスタと駆出した。 四五丁ばかり谷に沿うて左へ進むと、壁を立てたやうな巨岩が幾つともなく谷間に碁列して居る。お玉は手招きしながら、岩窟の穴を潜つて姿を隠した。三人は其後から、ドンドンと足を速めて岩窟の中を五六間許り進む。此処が鬼ケ城山に割拠して居た鬼熊別の妻蜈蚣姫が自転倒島に於ける第二の作戦地であつた。蛇、蛙、山蟹、其他獣類の肉はよく乾燥さして岩窟の中に幾つともなく釣り下げられてある。 田吾作『アイ御免なさい、バラモン教の鬼婆アの住家は此処で御座いますか』 婆『此処が鬼婆蜈蚣姫の住家だよ』 田吾作『アヽ、左様で御座いましたか、これは失礼致しました。なんと立派なお館ですな、これでは風雨雷電、地震も大丈夫でせう。吾々もせめて半日なりと、こんな結構な館に暮したいものです哩』 婆『お前は一体何処の人ぢや、そして又二人も伴を連れて来て居るのかな』 田吾作『ハイ、実の所は三五教の予備宣伝使を拝命致しまして、今日が初陣で御座います。此通り、宗彦、原彦と云ふケチな野郎を連れて居ります。大変腹を減らして居るさうですから、蛙の干乾でも恵んでやつて下さいな』 婆『折角の御入来だから、大切な蛙ぢやけれど、饗応であげませう。この蛙は当山の名物お殿蛙と云つて、虫の薬にもなり、一切の病気の妙薬だ。田圃にヒヨコヒヨコ飛んで居る青蛙や糞蛙とは些と撰を異にして居るのだから、其積りで味はつて食がりなさい。お前さんは蛙飛ばしの蚯蚓切りだからなア』 田吾作『チヨツ、馬鹿にして居やがる哩』 原彦『オイオイ宣伝使の化サン、そんな事を言うてくれては困るぢやないか』 田吾作『困るやうにお願ひしたのだよ、昔、竹熊が竜宮城の使臣を招待した時には、百足や蜴蜥、なめくじなどの御馳走を食はした[※第1巻第41~42章「八尋殿の酒宴」のエピソード。]と云ふぢやないか、鰈か鯣だと思うて食ひさへすりやよいのだ。お前は食はず嫌ひだなくて、蛙嫌ひだから困る、アハヽヽヽ』 婆『三人ともそんな所に立つて居ずに、サアサア足を洗つてお上りなさい。今晩は悠くりと話しませう。お前は三五教の宣伝使が初陣だと云つたな』 田吾作『ハイ、申しました、全く其通りです』 婆『そんなら尚結構だ、なまりはんぢやくの、苔の生えた宣伝使は何うも強太うて改心が出来ぬ。お前はまだまだほやほやだから、十分の教理も聞いて居やせまい』 田吾作『私は郷里を立つて来たところですが、何と妙な事を仰有いますな』 婆『ハヽヽヽヽ、お前は余つ程無学者と見える哩、けうりと云ふ事は故郷の意味ぢやない、三五教の筋はどうだと問ふのだ』 田吾作『つい、きよりきよりして居ましたので筋も何も分りませぬ』 婆『アヽそうだらうそうだらう、筋が分つたら阿呆らしうて三五教に居れたものぢやない。筋が分らぬのが結構だ。サアこれから此処で百日ばかり無言の行をして、其上言霊を開いて、バラモン教の宣伝使になるのだよ。お前、此処へ来る道に沢山の家があつたらうがな、皆無言の行がさしてあるのだ』 田吾作『あの儘ものが言へなくなるのぢやないのですか、どうやら聾のやうですが』 婆『聾は尚更結構だ。モ一つ荒行をすれば目も見えぬやうになつて仕舞ふ。だけれど目だけは退けて置かぬと、不自由だと思つて大目に見てあるのだ。百日の行をして好いものもある、十日で好いものもある、修業さへ出来たら口も利けるやうに、耳も聞えるやうにチヤンとしてあるのだ』 田吾作『婆アサン、そりあ無言の行ぢやない、云はれぬから云はぬのだらう、云へる口を持つて居つて云はぬやうにし、聞える耳を持つて居て聞かぬやうにして居るのなら、行にもならうが、しよう事なしに云はざる聞かざるはあまり行にもならないぢやないか』 婆『そんな理屈を云ふものぢやない、信仰の道には理屈は禁物だ。人間の分際として、さうガラガラと鈴の化物のやうに小理屈を云ふものぢやない哩』 田吾作『ヘエ』 と首を傾ける。 宗彦『私は三五教の宣伝使です。今宣伝使と云つて居つた男はまだ卵ですから、何を云ふか分りませぬ』 婆『アヽさうだらうと思つた。何だか間拍子の抜けた理屈を捏ねる人だ。人間も大悟徹底すると、神様の広大無辺の御威徳が分つて、何とも云はれぬやうになつて仕舞うて黙つて居て改心するやうになるものぢや、流石にお前は偉い、最前から婆の云ふ事を耳を傾けて聞きなさつた。偉いものだ、言葉多ければ品少し、空虚なる器物は強大なる音響を発すと云うて、ガラガラドンドン云ふ男に限り、智慧もなければ信仰も無いものだ。お前は三五教の宣伝使なら、あの青彦、紫姫、常彦、亀彦、悦子姫と云ふ没分暁漢を知つて居るだらうなア』 宗彦『イエイエ私達三人は、宇都山村の者で御座いまして、唯一度聖地へ参り、暫く修業を致しましたが、そんなお方にはお目にかかつた事も御座いませぬ、何処か宣伝に廻つて御座るのでせう』 婆『どうぢや、お前も三五教を止めて、私の弟子になつたら』 宗彦『有難う御座いますが、各自に自分の宗旨は良く見えるものです。私は貴女に改心をして貰つて、三五教に帰順して頂かうと思ひ、遥々と参つたのですよ。何うです、私の云ふ事を一通りお聞き下さつて、其上で入信なさつたら』 婆『アヽ、いやいや誰人が三五教のやうな馬鹿な教に入る奴があるものか、改心をしてくれなんて、そりやお前、何を云ふのだい。是程澄み切つた塵一つない御霊の鬼婆だ、改心があつて耐るものか、改心するのはお前等の事だ』 宗彦は拍手し、天津祝詞を奏上し初める。婆は驚いて、 婆『コレコレ皆様、祝詞も結構だが折角拵へた蛙の御飯、お気に入らねば食べて貰はいでもよいが、せめて神様に供へたのだから、御神酒とお茶をお食り下さい、それで悠くりとお祝詞を上げなさい。私も一緒に上げさせて頂くから』 と無理に引き留る。 宗彦『弁当は此処にパンを所持して居ますからお茶を下さいませ』 婆『お神酒は好だらう、自然薯で醸造へた美味い酒がある。一つあがつたら何うだな』 宗彦『イヤ、茶さへ頂けば結構です』 田吾作『婆アさま、論戦は一先づ中止して、そんなら暖かいお茶をよんで下さい、今晩悠くりと言霊戦を負ず劣らず開始しませう。そして負た方が従ふと云ふ事に致しませうか』 婆『アヽ面白からう面白からう、そんならさう致しませう。バラモン教の神様は、御神徳が強いから、迂濶御無礼な事を云はうものなら罰が当つて口が利けなくなるから、心得て物を云ひなさいや。アヽどれどれ手づからお茶を温めて上げよう』 と次の間に立つて行く。暫くあつて婆アは土瓶に茶を沸騰らせ、 婆『サアサア茶が沸いた、皆さま沢山呑んで下さい、これも婆の寸志だ。バラモン教だつて、三五教だつて、神と云ふ字に二つはない。互に手を引合うて御神徳のある神様の方へ帰順するのだな。此婆も都合によつては三五教に帰順せぬものでもない、オホヽヽヽ』 三人は何の気も付かず、婆の注いだ茶を呑んではパンを食ひ、呑んでは食ひ、喉が乾いたと見えて土瓶に一杯の茶を残らず平らげて仕舞つた。 三人は俄に息苦しくなり、言語を発せむとすれども、一言も発する事が出来なくなつた。三人は顔を見合せ、アヽヽヽとア声の連発をやつて居る。 婆『アハヽヽヽ……好いけれまたもあればあるものだ。とうとう婆の計略にかかりよつた。口も利けず、耳も聞えず、憐れなものだ。お玉を首尾好く手に入れ、又三五教の宣伝使や卵を三人収穫した。如何に頑強な三五教でも、玉照姫の親を取られ、又大切な宣伝使を取られ、黙つて居る事は出来まい。屹度謝罪つて返して貰ひに来るのだらう。其時には玉照姫と玉照彦とを此方へ受取り、其上に返してやつたらよいのだ。併し乍ら玉照姫が黄金なら、此奴は洋銀位なものだから先方も此位では往生致すまい。マア時節を待つて鼠が餅をひくやうに二人三人と引張込み、往生づくめで仮令玉照彦だけでも此方のものに仕度いものだ。鬼雲彦の大将は脆くも波斯の国に泡食つて逃げ帰つて仕舞はれた。併し乍ら私は女の一心岩でも突き貫くのだ。此処で斯うして時節を待ち、大江山、鬼ケ城を回復し、三五教の錦の宮も往生させて、バラモン教として仕舞ふ蜈蚣姫の計略は旨々と端緒が開けかけた。アヽ有難い事だ。一つ此処でお玉に酌でもさして酒でも飲まうかい、そして三人を肴にしてやらうかい。これこれお玉、お酒だよ。これ程呼んで居るに何故返事をせぬのか、オヽさうさう、耳の聾になる薬を呑まして置いた。聞えぬも無理はない。つい私も余り嬉しくて、精神車が何処かに脱線したと見える、オホヽヽヽ』 と独言を云ひながら笑壺に入つて居る。三人は無念の歯噛みをなし、躍り上がつて破れかぶれ、婆を叩き伸めしてやらうと心に定めて見たが、何うしたものか体がビクとも動けなくなつて居る。言霊を応用するにも肝腎の発生器の油が切れて、且つ筒口が閉塞して居るのだから、如何ともする事が出来ず、口は自然に紐が解どけて、頤と一緒に垂れ下り、ポカンと開いて来る。三人は一度に涎をタラタラ流し、顔を見合せ、首を振り、アヽヽヽと僅に声を発する許りであつた。 婆は愉快げに安坐をかき、長い煙管で煙草を燻べ、酒を呑み、 婆『オイこりや、阿呆宣伝使、俺の智慧はこんなものだぞ。蜘蛛が巣をかけて待つて居る処へ茅蝉が飛んで来て引かかるやうなものだ、動くなら動いて見い、言霊が使へるなら使つて見い、耳も聞えまい』 と長煙管の雁首で耳の穴をグツと突いて見る。宗彦は耳の穴を突かれてカツと怒り出した。されど何うする事も出来ぬ。此度は婆は煙草の吸殻を宗彦の口の中にフツと吹いて放り込み、 婆『熱からう、そりや些と熱い、火だからのう。加之にえぐいだらう、えぐいのはズだ。煙草のズに、えぐい婆の御馳走だから、序に此酒も飲ましてやろか。イヤイヤ待て待てこいつを飲ましてやると私の飲むのがそれだけ減る道理ぢや、マアマア斯うして二ケ月も三ケ月も固めて置けば大丈夫だ、若い奴が二三日したら大江山の方から帰つて来るだらうから、其時この生木像を穴庫へでも格納さしてもよい哩、マアマアそれ迄は頭を叩いたり、耳に煙管を突つ込んだりして、バラモン教の御規則通りの修業をさしてやるのだ。なんと心地好い事だ。是で八岐の大蛇さまもさぞ御満足だらう。嗚呼大蛇大明神様、喜びたまへ勇みたまへ。婆の腕前は此の通りで御座います、何うぞ此手柄により、鬼熊別の失敗の罪を赦して下さいませ。天にも地にも無い私の夫、神様の御用を縮尻つて、死んで神罰を蒙り、地獄の釜の焦起しにせられるのも女房として見て居られませぬ、何卒私と一緒に、今ぢや御座いませぬが、命数の尽きた時は天国にやつて下さい。南無八岐大蛇大明神様、ハズバンドの罪を許したまへ、払ひたまへ、清めたまへ、金毛九尾の命』 と祈願して居る。此時岩窟の口より、声も涼しく宣伝歌を謡ひ来る男があつた。 男『神が表に現はれて善と悪とを立て分ける 此世を造りし神直日心も広き大直日 唯何事も人の世は直日に見直し聞き直し 身の過ちは宣り直す三五教の神の教 綾の聖地に現れませる言依別命もて 三国ケ岳の曲津見を言向け和すそのために 三五教の宗彦が宇都の里をば後にして 足に任せてテクテクとこれの岩窟に来て見れば 悪にかけては抜け目なき鬼熊別が宿の妻 顔色黒き蜈蚣姫小智慧の廻る中年増 此岩窟に陣取りて四方の人々欺きつ 赤子の声を聞きつけて十里二十里三十里 遠き道をば厭ひなく手下の魔神を配り置き 此岩窟に連れ帰り朝な夕なにさいなみて 悪の限りを尽しつつ日に夜に酒に酔ひ狂ふ 宗彦、田吾作、原彦は婆が引き出す口車 知らず識らずに乗せられて毒茶をどつさり飲みまはし 口も利かねば耳利かず五体すくみて一寸も 動きの取れぬ破目となり眼ばかりきよろきよろきよろつかせ 其上ポカンと口あけて涎を流しアヽヽヽと 鳴りも合はざる言霊を連発する社いとしけれ 天の真浦の神司この留公の腹を知り 肝腎要の神策をそつと知らして下さつた 宗彦、原彦、田吾作は知らず識らずに魔が神の 罠に陥り今日の態助けてやらねば三五の 神の教が立ち兼ねるサアこれからは留公が 神に貰うた言霊の御稜威をかりて三人の 危難を救ひ玉照の姫の命を生みませる お玉の方を救ひ出し鬼のお婆を言向けて この岩窟を改良し三五教の皇神の 御霊を斎祀りつつミロクの御代の魁を 仕へまつらむ頼もしさ嗚呼惟神々々 御霊幸倍ましませよ』 と謡ひつつ三人が前に現はれ来たる。婆は身体竦み、身動きならず、目をぱちつかせ苦しみ居る。この時、岩窟の奥の方より涼しき女の声、 女(お玉)『神が表に現はれて善と悪とを立て別けて 誡め給ふ時は来ぬ四継王の山の聖麓に 錦の宮と仕へたる玉照姫の生みの母 お玉の方は妾なり桶伏山に隠されし 珍の宝を奪ひ取り逃げ行く姿を見るよりも 妾は驚き身を忘れ跡を追ひかけ山坂を 駆ける折しも木影より現はれ出でたる曲神の 手下の奴に見つけられ手足を縛ばりいろいろと 苦しき笞を受けながら憂をみくにの山の上 この岩窟に押し込まれ蜈蚣の姫てふ鬼婆に 茶を勧められ一時は息塞がりて言霊の 車も廻らぬ苦しさに朝な夕なに三五の 神の御前に黙祷し居たるに忽ち喉開き 胸は涼しく晴渡るされど妾は慎みて 唯一言も言挙げをなさず唖をば装ひつ 珍の宝の所在をば今迄探り居たりしぞ 神の恵の幸ひていよいよ茲に宗彦が 言依別のみことのり身に受けまして出でたまひ 顔を合せて居ながらも一面識もなき故か 悟り給はず吾配る眼に心留めまさず やみやみ毒茶を飲み玉ふその様見たる我が心 剣を呑むよりつらかりしあゝ惟神々々 神は此世に在さずやと女心の愚にも 愚痴の繰事繰返す時しもあれや表より 涼しく聞えし宣伝歌耳をすまして伺へば 三五教の教の声地獄で仏に遇ひしごと 心いそいそ今此処に現はれ来るお玉こそ 天の岩戸も一時に開くばかりの嬉しさよ あゝ惟神々々御霊幸倍ましまして 宗彦、田吾作、原彦の病を癒やし給へかし 悩みを助け給へかし』 と歌ひつつ此場に現はれたり。不思議や三人は俄に身体自由となり、耳も聞え、口も縦横無碍に動き出した。 田吾作『イヤ、留公さま、よう来てくれた。もう一足早ければこんな目に遇ふのだ無かつたに、しかし乍ら最前途中で見たお女中さまが、今聞けば玉照姫さまの御生母と云ふ事だ、何とマア神様の御経綸は分らぬものですなア』 お玉『皆さま、良い処へ来て下さいまして結構で御座いました。実はこの婆アの手下の者共が、ミロク神政成就の御宝を、桶伏山から盗み出し、此岩窟に秘蔵して居たのを、今朝になつて所在を知り、何とかして逃げ出さうと思つて居たのですが、婆アの監視が酷いので、どうする事も出来ず、誰人か助太刀に来て下さつたらと思うて居た矢先、貴方のお出で、こんな結構な事はありませぬ。サア一時も早くこのお宝を持つて聖地へ帰りませう』 と後は嬉し涙に声さへ曇る。 宗彦『アヽさうで御座いましたか、私は言依別命様より、是非共三国ケ岳へ行つて来いと仰せられて、魔神を征服せむと出て来たのです。貴方が此処に囚はれて御座る事も、今の今迄夢にも知らなかつた。サア是からこの婆アを言向け和はし、寛る寛ると凱旋致しませう』 お玉『到底婆アには改心の望みはありませぬ、自分から斯うして霊縛にかかつて居るのですから、これを幸ひに皆さん聖地へ帰りませう。此お宝は厳重に封をして置きました、私が捧持して帰ります。前後を警固して下さい。此婆アは半日許り霊縛の解けないやうに願ひ置けば、追ひかけて来る気遣ひもありませぬ。五六十人の手下の荒くれ男が、今日に限つて、何れも遠方へ出稼ぎに行つた留守の間、これ全く天の恵みたまふ時でせう。サアサア長居はおそれ』 とお玉の方は帰綾を促す。 宗彦を先頭にお玉、田吾作、留公、原彦と云ふ順序で、宣伝歌を高く謡ひ、四辺の木魂に響かせながら、聖地を指して目出度く凱旋することとはなりける。 岩窟の中には進退自由を失つた婆ア唯一人、谷の彼方には淋しげに閑古鳥が鳴いて居る。 (大正一一・五・一四旧四・一八加藤明子録) |
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霊界物語 | 20_未_丹波物語5 錦の宮の発足 | 霊の礎(七) | 霊の礎(七) 凡ての人は死して後天国浄土に昇り行く 無限の歓喜に浴すべき人間特有の資質あり これ神ごころ大和魂仏者の所謂仏性ぞ そもそも人は色々と輪廻転生の門を越え 禽獣虫魚の境涯を渉りて現世に人間と 生れ来たりし者もあり高天原の天人が 男女情交のその結果霊子となりて地に蒔かれ 因縁ふかき男子女子陰と陽との水火の中に 交はり入りて生るあり人の霊魂は至精至微 過去と現在未来との区別も知らず生き通し 幾万劫の昔より生死の途を往来し 善果を積みて人間と漸く生れたる上は 如何でか高天の天国へ昇り得られぬ事やある アヽ惟神々々神の仁慈ぞ有難き。 ○ 神の御子たる人の身は善悪正邪に拘はらず 高天原の天国へ上りて諸の歓楽を 味はひ得べき萌芽ありこれを称して神性といふ 偶根底の暗界へ墜ちて苦しむ者あるは 体主霊従利己主義や我性我執の妖雲に おほはれ自ら身を破り自ら地獄の因を蒔き 自ら苦悶の深淵に沈み溺るる魂のみぞ さは然りながら天地を造り玉ひし主の神は 至仁至愛に坐しませば極悪無道の人間も 容易に悪ませ給ふ無く天国浄土に救はむと 天の使を地に降し神の尊き御教を うまらにつばらに隈もなく開かせたまひて世の人を 導き給ふぞありがたき。 ○ 神の御眼より見給へば聖人君子も小人も 智者と愚者との区別なく一切平等に映じ給ふ これぞ仁愛のこころなり実相真如の太陽は 生死の長夜を照却し本有常住の月神は 煩悩の迷雲破却なし現世の人は昔より 例しもあらぬ聖代にいとも尊く生れ遇ひ 仁慈の教を蒙りて心の暗を押開き 天国浄土の手引をば開示されたる尊さは 渡りに舟を得し如く金剛不壊の如意宝珠 双手に受けしその如く暗夜に炬火を得し如し アヽ惟神々々神の仁慈の限り無く 窮極なきに咽びつつ感謝の波に漂ひぬ そもそも人の心霊は幸福以外の物々に 対して一切無感覚なるべく造られ居るものぞ 故に諸人の心霊は無限の歓喜を永遠に 享けむが為めに存在す人の心霊の歓喜とは 一々知悉し理解することに由りての歓喜なり 此の世に生れて何事も知悉し得られず理解せず 暗黒無明の生涯を送るもの程悲しみの 深きものこそ無かるべし第一死後の生涯に 対して無知識なることは悲哀の中の悲哀なり アヽ惟神々々御霊幸はひましませよ。 大正十一年十二月 (昭和一〇・六・五王仁校正) |