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霊界物語 64_下_卯エルサレム物語2 10 拘淫 第一〇章拘淫〔一八一六〕 橄欖山の坂道の木蔭に四五人のドルーズ人や、アラブや、猶太人が労働服を着た儘面白相に雑談に耽りゐる。その中の一人なるバルガンは、 バルガン『オイ、ガクシー、汝は此間の戦争に行つたといふ話だが、金鵄勲章でも貰つたのか。花々しき功名手柄をして帰るなぞと云ひよつて、近所合壁に送られ、大変な勢であつたが、凱旋祝も根つから聞いた事もなし、いつの間にか吾々労働者仲間に舞戻つて来よつたが、一体戦ひの状況は何うなつたのぢやい』 ガクシー『ドルーズ族のあの叛乱によつて仏軍から雇はれ、ジエーベル・ドルーズの都、ジエールに進軍した時、ドルーズ族の勢猖獗にして、仏軍は手もなく打破られ、みじめな態で四方八方へ、一時は散乱して了つたのだ。其時俺は軍夫として、実の所は後の方に輸送をやつてゐたが、大砲の弾が、間近にドンドン落ちて来るので、何奴も此奴も腰を抜かし、肝腎の軍夫が、兵隊に担架に乗せられて運ばれるといふ惨めな態だつたよ』 バルガン『あれ丈軍器の整うたフランスの精兵が、なぜ又暴民団体たるドルーズ族に脆くも打破られたのだ。チとバランスがとれぬぢやないか』 ガクシー『そこが所謂戦争は水物といふのだ。兵数の多い方が勝つ共、武器の整頓した方が勝つとも、又は武器の調はない兵数の少ない方が勝つとも、それは時の運だから分らないワ。何しろドルーズ族は一兵卒に至る迄地理には精通して居る上、人の和を得てる上、あれ丈の人気だつたから、其虚勢丈ででも勝たねばならぬ道理だ。僅か二万位の叛乱軍に五万のフランス兵が、飛行機も大砲も輜重車も、何もかも打ちやつて、命カラガラ敗北して了ひ、ドルーズは敵の武器を応用して、あく迄も頑強に戦ひを続けるものだから、仏軍はたうとうジェーダの首都を占領されて了つたのだい。本当に強い者の弱い、弱い者の強い時節になつたものだ』 バルガン『さうすると、俺達も社会の弱者として、地平線下に汗にひたつて蠢動してゐるのだが、何時か又頭をあげる時があるだらうかな』 ガクシー『あらいでかい、有為転変の世の中だ。いつ迄も世は持切にはさせぬと、どつかの神さまもいつてゐる相だから、未来は必ず吾々プロレタリヤの天下だ。まあまあクヨクヨ思はずに、暫く辛抱するのだな、今日も今日とて、エルサレムの町を温順う歩いてゐると、俺の風体が醜いとか怪しいとか云ひやがつて、スパイの奴、何処迄も尾行してうせるのだ。そして吐す事にや……君はどつから来た、そして何処へ行く。何の用だ。年は幾つだ。姓名は何といふ……などと三文にもならぬおせつかいを遊ばすのだから、道も安心して歩けやしないワ。丸で上に立つてゐる役人共は、子供につつかれた蜂の巣の番兵蜂の様な神経過敏になつてゐやがるのだからのう』 バルガン『本当に約らぬ世の中だの、何時迄も此儘にして置こうものなら、世界はメチヤメチヤになるだらうよ。どうしても此調子では十年たたぬ内に大革命が起るだらうと思つてゐるのだ』 ガクシー『そらさうだ、生活難や就職難の叫びがこれ丈喧しくなつて居るのだもの。ブル階級や役人共も可いかげんに目を醒ましやがらぬと、たつた今、俺達と地位転倒して彼奴等は惨めな態になるだらうよ。俺や其世が来る迄は死んでも死なれないのだ。先祖代々から彼奴等に虐げられて来たのだもの、祖先の恥を雪ぐのは、吾々子孫たる者の義務だからなア。最前も此山麓でトロッキーとかいふ男が、労働団や農民団を集めて過激な演説をやつて居つたが、聴いてみれば一から十迄御尤も至極だ。併し乍ら、あんな事を聞いて居らうものなら、蜘蛛の巣をはつた如き警察の網にかかつて、厭応なしに、暗い所へブチ込まれちや大変だと思ひ、君子は危きに近付かずといふ筆法で、ここ迄スタスタやつて来りや、君たち御連中の御集会、屹度今頃にや、何か乱痴気騒ぎが始まつてるかも知れないよ』 バルガン『誰でも可いから、確りした犠牲者が現はれると可いのだがなア。さうすりや俺達ア、漁夫の利を占て安楽に暮せるのだけれど、何奴も此奴も小ざかしい人間許りで、自分の身命を賭して矢面に立つといふ大馬鹿が出て来んで、サツパリ駄目だ。かういふ時にや、どうしても大馬鹿でなけりや、世界の改造が出来ないからのう』 ガクシー『そらさうだ。ドルーズ族の酋長カンバスでさへも、始めは大変な勢で矢面に立ち、二万の民衆に武器を携帯させ、フランス軍と勇敢に戦ひ、一時は大勝利を博しよつたが、いよいよ茲といふ所で、俄に怖気立ち、安全地帯に身を逃れよつたものだから、全軍の士気頓に阻喪し、折角取つた首都も再び仏軍の手に帰し、重立つた者は何れも縛につき、ドルーズ族へは莫大な賠償金を云ひ付けられ、ヤツトの事で、カンバスの哀願に仍つて、大赦令を布かれ、一件落着するはしたものの、ドルーズは酷い破目に陥つたものだ。徹底的にどこ迄も犠牲になるといふ奴さへあれば、あんな事は無いのだけれどな、何と云つても烏合の衆だから、バラモンには最後迄敵する事は出来やしないワ。之を思ふと吾々プロレタリヤの前途も暗澹たるものだないか。腹いせまぎれに、夜中密かに役所の門に小便を屁りかけたり、糞を垂れた位では何にも効はないし、大頭の一疋や二疋爆弾でやつてみた所で、飯の上の蠅を追ふやうなものだ。先ぐり先ぐり次から次へと、だんだん悪い奴が現はれて、益々吾々に対して厳しい法律を発布したり、三人寄つて話をしても拘引するといふ、石で手をつめたやうな目に会はすのだから、矢張、弱い者の弱い、強い者の強い時節だ……と云つても仕方がない。強い者の弱い、弱い者の強い時節は万年に一度位しか、廻つて来るものぢやない。何だか日出島からブラバーサとかいふ宣伝使がやつて来て、今に救世主が現はれるとか、神が表に現はれて善と悪とを立別けするとか、下が上になり、上が下になるとか、ほざいてゐるやうだが、これも一種の宗教拡めの広告に過ぎないだらう。何程宗教が愛を説いても、パンを与へてくれなくちや、吾々は生存権を保持する事が出来ないのだからなア。……ヤ、何だか山下に当つて、騒がしい声がし出したぞ。トロッキーの奴、どうやら警官隊と格闘を始めたらしいワイ。ソロソロ降りて壮快な戦闘振りを見物せうぢやないか。獅子の子か何ぞのやうに、かう木かげに潜伏して、世を呪ひ、悲鳴をあげて居つても、一文の所得もなし、愉快もないからのう』 バルガン『おけおけ、コンナ時に出るものぢやない。側杖をくつて打ち込まれちや大変だ、先づ嵐の後の静けさを見聞するのが、処世上悧巧なやり方だ。それよりも腹いせに何か面白い話をせうぢやないか』 ガクシー『俺達に面白い話があつて堪らうかい、朝から晩までブル階級に酷きつかはれ、僅な賃銭を恵まれて、孜々として僅に露命をつないでる悲惨な境遇にあつては、到底面白い味も分らず、苦しい事許りだ。俺が五六年前の事だつたが、仕方がないので、人力車夫をやつてゐると、家主の奴、人並よりも高い店賃を取り乍ら、従僕か何かのようにガクシーガクシーと口ぎたなく呼つけにしやがつて、雪隠の掃除までいひ付けくさる。劫腹でたまらないが、怒れば家を出て行けと云ひやがるし、裏店の隅々迄貧民でつまつてゐる此際、此処を放り出されたが最後、忽ち親子が野宿をせなくちやならず、仕方がないので辛抱して居ると、しまひの果にや、おれの嬶の名を呼捨にさらすのだ。けつたいの悪いの胸糞が悪いのつて、胸が張裂ける様だつた。そこで俺は道路の端に餓ゑて、死にかけてる野良犬を一疋拾つて来て、そいつに家主の名を付け、大きな声で、……コラ権州々々……と口汚なく喚き立て、其度毎に拳骨で頭を、大家の権州だと思ひ、撲りつけてやつた。其時や、チツと許り痛快だつたが、野良犬の奴、大変な大喰をしよるので女房子供の腮が干上り相になつた。此奴にや一つ俺も面くらはざるを得なかつたが、それでも人間は意地だ。こんな所で屁古たれちや、男が立たないと、要らぬ所へ力瘤をいれ、働いても働いても、皆犬にしてやられる。苦み果ててる矢先へ、大家の権州奴、大きな犬を俄かに三疋も飼ひやがつて、其奴に俺の名と女房の名と伜の名を付けやがつて、家内中が寄つて集つて呼びつけにしやがるので、俺もこんな所で屁古垂れちや仕方がない。もつと犬を集めて大家の家内中の名をつけて、呼つけにしてやらうと思つたが、能く能く考へてみれば、大きな家に三夫婦もけつかつて、子や孫総計二十八匹も居やがるものだから、たうとう根負して旗をまき、矛を収めて、一時ジェールの都迄逃出して了つたのだ。本当に仕方のないものだよ』 バルガン『ハヽヽヽヽ、そら失敗だつたね。さうだから、昔の賢人とか君子とかいふ阿呆者が、長い者にまかれよ……とか、衆寡敵せず……とか、ほざきよつたのだ。何程面白い話が無いといつても、失敗許りぢやあるまい。お前だつて、永い事人力屋をして居れば、些と位ボロい事もあつただらう』 ガクシー『いやもう失敗だらけだ。エー、コーツと、何時やらの夕まぐれだつた。ジェールの都の郊外を歩いてると、大きなデーツプリと太つた、布袋のやうな男がやつて来よつて、俺は万民に福を与へる福の神だから、一時間許り乗せて呉れないか、……と云ひよつたので、お金は幾ら下さるか……といへば、お前に金をやつては福が退ぬ。俺さへ乗せておけば、屹度汝の内は明日から繁昌すると云ひよつたので、此奴ア願うてもない事だ、一時間許り無料働しても構はぬ、八卦みて貰つても三十銭五十銭は取られるのだ……と思ひ、クソ重たい、太い福の神を乗せて、町中を右へ左へウロつきまはつた所、モウ之で可いと言ひよつたので梶棒下ろしよると、一寸便所へ行つて来ると吐しよつてなア。便所へ入ると姿が見えなくなつて了つたので、それから俺も便が催したので便所に入り、沢山の雪隠の戸を開けて、一々点検してみたが、影も形もない。此奴アいよいよ福の神だ、姿が消えたのだ。キツと明日から福があるに違ひないと、吾家へ帰り、車をしまはうとすると、そこへ財布が残つてゐる。下げてみると中々重い。ヤ此奴アしめた。いかにも福の神様だわイ。有難う頂戴致しますと五六遍頭の上へ捧げ、神棚へまつり、塩をふつて、其処辺中清め、開けて見た所、大枚百両の丸金が目を剥いてけつかる。コリヤ、祝をせにやなるまいと、俥引友達や近所合壁を集めて、其中の金を三十円許りはり込んだ積りで、百円の金を料理屋に見せつけて置き、仕出しをさして、一生懸命に福の神さまを讃美し、呑めや唄への大散財をやつて居ると、昨夜の福の神奴、ポリスと共にやつて来よつて、棚の上にある財布に目をつけ、……これは昨夜俥の上に忘れて置いた金だとぬかし、有難うとも御苦労とも吐さず、ポリスの奴おまけに、拾得物の隠匿罪ででもあるやうな面して、睨めつけて帰つて了ひやがつた。怪体が悪いの悪くないのつて、其時丈けは女房にも申訳立たず、穴でもあれば入りたい様な気がしたよ。それから料理屋の奴、三十円の催促に毎日日日やつて来やがる。どれ丈働いたつて、三十円はおろか三円の金も出来ないので、女房に因果を含め、又もや貧民窟の端つぱへ宿替をしてやつたのだ。ホンの一晩ヌカ喜びをした丈だつたよ。運の悪い者といふ奴ア、する事なす事悪いものだ。あゝあ、本当に世の中が厭になつて了つたワイ』 バルガン『ウツフヽヽ、其時の嬶の顔が見たかつたのう』 ガクシー『丸切り出来損ひの今戸焼のダルマみた様な顔をしてふくれた時にや、俺も聊か面目玉をつぶしたよ。エーエ、怪体の悪い、序にも一つ話してやろ。これも人力引いてゐた時の話だ。日輪様が西の山の端に半身を隠された時分、一人のお客がやつて来て、……オイ俥屋、俺はジェールの都を見物に来た者だが、人の顔の見えぬ様になる迄、十銭与るから乗せて呉れぬか、……と吐すので、此奴あボロい、三町か五町歩きや、ズツポリと日が暮れるだろ。其間に十銭の金まうけはボロいと、二つ返事でお客を乗せ、ゴロゴロと引張出した所、二時間たつても三時間たつても下りようとぬかさず、とうと、夜明け頃迄俥を引かされた。それでもまだ、人の顔が見えるぢやないか、とお客は吐す。可怪しいと空を仰いで見ると、何の事だ、十四日の月夜だつた』 バルガン『ハヽヽ可い馬鹿だな。どうで運の悪い奴のする事はそんなものだ。おまけに余程の頓馬だからな、フヽヽヽ』 四五人の労働者も共に声を揃へてゲラゲラと笑つてゐる。そこへ守宮別、お花の両人は何だか意茶つき乍ら坂路を上つて来た。 バルガン『オイオイ、彼奴が日出島からやつて来たといふ、フンゾ喰ひの泥酔の守宮別といふ奴だ。そしてあの婆は石灰ガマの鼬のやうにコテコテと白粉をぬつて若う見せてゐやがるが、お寅といふ気違婆に違ないよ。一つ腹いせに嬲つてやらうぢやないか』 ガクシー『なぶつたつて仕方がないぢやないか。何とか因縁をつけて、懐の金でも、おつぽり出さすよにせなけや、忽ち明日の生計が立たないからの』 バルガン『それもさうだ、一つ相手になつてみよう』 と云ひ乍ら、守宮別の前にツカツカと進み寄り、 バルガン『エ、一寸物をお尋ね申ますが、日出島からお越になつてゐる、守宮別さまといふ立派な宣伝使様は貴方ぢや厶いませぬか』 守宮別『ウン、俺は守宮別だ。何ぞ用かな』 バルガン『ハイ、別に用といふては厶いませぬが』 守宮別『何だい、用がなけりや、アタ邪魔臭い、尋ねるに及ばぬぢやないか』 バルガン『オイ、ガクシー、之から汝の番だ。何だか尋ねる様な事があるやうに云つてたぢやないか。ドンドンと、それ、物になる迄尋ねるのだぞ』 ガクシー『ヨシ来た。之からが俺の本舞台だ。モシモシ守宮別さま、此御婦人はお寅さまでせうね。最前も聞いて居れば、神聖にして犯す可らざる此霊山へ、お寅さまと意茶つきもつて、お登りになつたが、左様な事をやつて貰ふと、聖地が汚れますよ。エルサレムの市民がこんな事を聞かうものなら、お前さま、どんな事になるか知れませぬぜ』 守宮別『ハツハヽヽヽ、妬くない妬くない、アレは、あやめのお花といつて、日出島切つての別嬪だ。お寅なンか古めかしいワ。今日更めて結婚式をあげ、此霊山へ御礼参り傍、新婚旅行と洒落てゐるのだ。神さまだつて、聖場だつて、夫婦が参るのを咎める理由はあるまい。自由の権だ。放つといてくれ』 ガクシー『放つとけといつても、放つとけぬワイ』 守宮別『ソンナラ何うするといふのだ』 ガクシー『汝の生命を頂戴するのだ、覚悟せい』 守宮別『ハヽヽヽヽ、おあいにくさま。一つより無い大事な大事な生命は、新夫人の花子嬢にサーツパリ与へて了うたのだ。モウ此上やらうといつたつて、やる物がないワイ』 お花『ホヽヽヽ、もしもし皆様、守宮別さまの命は皆このお花が頂戴したのですよ』 ガクシー『エー、のろけよるない。ここを何と心得てゐやがる』 お花『ここはパレスチナの中心地、エルサレムの市街を下に見る、キリスト再臨に名も高き、橄欖山の中腹ですよ』 ガクシー『そらなーんぬかしてけつかる。誰がソンナ事を聞いてゐるかい。サ、汝の命と守宮別の命と、二つ乍ら一緒に貰はう、サ覚悟せい』 お花『お易い御用、何卒、生命をお取りやしたら、頼んでおきますが、守宮別さまと一緒に体を引括つて葬つて下さいや』 ガクシー『エー、此奴アたまらぬ、まだ惚けてゐやがる。箸にも棒にもかからぬ代物だな』 お花『ホヽヽヽ、どうで、お前さま方の手に合ふやうな女ぢや厶いませぬワイな。お前さまは其んな事いつてお金が欲しいのだろ。お金が欲しけらほしいと、なぜ男らしうスツパリ言はぬのだい』 ガクシー『斯うしてここに六人も待つてゐるのだから、少々の目くされ金位貰つたつて仕方がないワ。とつとと百両許しよこせ、さうすりや、無事に此関所を通過さしてやるワ。淫乱婆奴が……』 お花『ホヽヽ、妾は衆生済度の為、此世に現はれた真宗の開山いんらん上人ですよ。肉食妻帯、勝手たるべしといふ宗門を開いたのだから、別に守宮別さまと手をつないで聖地を歩いたつて、霊山の法則に反きも致しますまい。アタ甲斐性のない。大きな荒男が六人も寄つて、百両呉れなんて、よくも言へたものだな、せめて一万両出してくれと何故言はぬのだい』 ガクシー『一万両でも十万両でも、請求するこたア知つてるが、其面で大きな事いつたつて、持つて居相な事がない。それだから、汝の風体相応に百両と云つたのだ』 お花『ヘン、ソンナ貧乏と思つて下さるのかい。コレ御覧、此貯金帳にチヤンと一万両付いてるでせう。併し乍ら何程請求したつて、やるやらぬは此方の自由だ。そんなら仕方がないから、百円恵んで上げませう。今後は必ず必ず無心を云つちやなりませぬよ』 と云ひ乍ら、百円束を放り出せば、 ガクシー『ヤア、これはこれは有難う、三拝九拝、正に頂戴仕ります。どうか又宜しう御願申します』 お花『嫌だよ、もうこれつ切りだから、覚悟しなさい。サ、守宮別さま、早くお山の頂上迄参りませう』 斯かる所へ十四五人の武装した憲兵警官現はれ来り、バルガン、ガクシーを始め四人の労働者を有無をいはせず、ふん縛り、坂路を引立てて行く。お花は之を見るより又守宮別が下らぬ義侠心を出してくれては面倒だと、守宮別の手を無理無体に引張り急坂を登り行く。 (大正一四・八・二〇旧七・一於由良秋田別荘松村真澄録)
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霊界物語 64_下_卯エルサレム物語2 15 騒淫ホテル 第一五章騒淫ホテル〔一八二一〕 守宮別はお花の形勢如何と、息を殺して考へて居たが、余り低気圧の襲来もないので、安心して翌日の十時過まで潰れるやうに寝て了つた。お花はどこやら一つ腑に落ちぬ所があるので、一目も睡らず角膜を血ばしらして、朝間早くから、ヤクをたたき起し、次の間に座をしめて、稍小声になり、 お花『これ、ヤクさま、昨夕お前は綾子と云ふ娘があると云ひましたねえ』 ヤクは……ウツカリ吾子の事を喋り、若し守宮別との関係があらうものなら、板挟みになつて此家に居る事が出来ない。これや呆けるに限る……と腹をきめ、 ヤク『ハイ云ひました。併しありや嘘ですよ。つい座興にアンナ事云つて見たのですよ。ナアニ、私の様な者に半分でも娘があつて耐るものですか。娘さへ有りや、コンナ難儀はしませぬからな』 お花は長煙管で火鉢の縁を叩き乍ら、頭を左右に振り、 お花『イエイエ駄目ですよ。お花の目で一目睨みたら、何程隠しても駄目ですよ。サアちやつと云ふて下さい。好い子だからなア』 ヤク『何程好い児だと仰有つても独身ものの私、好い子も悪い子も、嬶も女房もカカンツも、媽村屋も何もありませぬわい』 お花『何と云つても、お前の顔は、一寸渋皮のむけた姫殺しだよ。縦から見ても横から見ても、女にちやほやされるスタイルだ。柳の眉毛にキリリとした目許、黒ぐろしい目の玉、鼻の恰好と云ひ口許と云ひ、お前のやうな美男子を、捨てる女があるものかいなア。随分女殺をやつたやうな顔だよ。サアサアほんとに云つて下さい。決して守宮別さまに不足は云はない、お前の迷惑になるやうな事はせぬから。守宮別さまのひいきばかりせずに、お花のひいきも些とはして下さつては如何ぢやいな』 ヤク『アーアー煩い事だな。お前さまの気に入れば旦那さまの気に入らず、旦那様の為を思へばお前さまに責められるなり、私も立つ瀬がありませぬわ』 お花『ホヽヽヽ、夫れ御覧なさい。蛙は口から、たうとう白状なさつたぢやありませぬか。綾子と云ふ芸者は一体何処に置いてあるのだい』 ヤク『ハイ、もう仕方がありませぬから申ますわ。併し私が云つた為めに、夫婦喧嘩でもやられちや、此処を飛び出すより外はありませぬ。さうすりや、主人を失つた野良犬同様、ルンペンするより外ありませぬ。さうすれや可愛い娘の恥にもなりますし、まさかの時の保証をして貰はにや云ふ事は出来ませぬ』 お花『ホヽヽヽ、何と如才の無い男だこと。併しお前の立場とすりや無理もない事だ。それなら、どつとはり込みて百円札一枚上げるから何も彼も云ふのだよ』 と云ひ乍ら、ヤクの懐へ蟇口から百円札を一枚取り出してそつと捻込む。 ヤク『ハ、遉はお花さま、三千世界の救世主、シオンの娘、木花咲耶姫の生宮、アヤメのお花様、有難く頂戴致します。帰命頂礼謹請再拝謹請再拝』 お花『これこれ辛気臭い、ソンナ事どうでもよいぢやないか。早く事実を云つて下さいな。グヅグヅしとると守宮別さまが起きて来るぢやないか』 ヤク『ハイ、それなら申します。確に綾子と云ふ娘が厶います。サアこれで許へて下さい』 お花『それ御覧、娘があるだらう。妾の目は違ふまいがな』 ヤク『いや誠にはや、恐れ入りまして厶います。生宮様の御明察、到底匹夫下郎のわれわれには、御心底を測知する事は出来ませぬワイ、エヘヽヽヽ』 お花『その綾子は一たい何処に居るのだい』 ヤク『ヘエ、居所迄申上ると約束はして厶いませぬがな』 お花『この広い世の中、確に娘があると云つた所で、居所が分らぬやうな事で何になりますか。さう意茶つかさずと、とつとと云つて下さいな』 ヤク『ソンナラドツとはり込んで、神秘の扉を開きませう。実はその何です。或所に勤め奉公をやつて居ますよ。それはそれは別嬪ですよ。親の口より云ふのは何ですが失礼乍らお花さまのやうな別嬪でも到底傍へは寄れませぬな』 お花『何、別嬪だと、そりや大変だ。その別嬪が何処に居ると云ふのだい』 ヤク『或所に確に居りますがな』 お花『或所と云つたつて、地名を云はにや分らぬぢやないか』 ヤク『有る所に居るに定つてゐますがな。無い所に居りさうな筈は厶いませぬもの』 お花『どこの国の何処の町に居ると云ふ事を云つて下さい』 ヤク『成程、併しコンナ事を云ひますと、旦那様におつ放り出されますわ。其時の用意にモウ百両下さいな』 お花『エヽ欲の深い男だな、それ百円』 と又放り出す。 ヤク『エヘヽヽヽヽ、確に頂戴致しました。三千世界の救世主、大ミロクの生宮』 お花『これこれヤク。ソンナ長たらしい事はどうでもよい。サ早く簡単に所在を云ふて下さいな。助けて貰つたお礼にも行かねばならぬからな』 ヤク『ハイ、パレスチナの国に居ります』 お花『成程、さうだろさうだろ、処はどこだい』 ヤク『所ですかいな。所がお前さま、所をすつかり忘れて了つたのですよ』 お花『これヤク、百円返してお呉れ。もうお前のやうな頼りない方とは掛合つても駄目だ。これから警察署へ行つて探して貰う。名さへ分ればよいのだから、其百円をお返し』 とグツと胸倉をつかむ。 ヤク『メヽヽヽ滅相な、これや私の金です。たとへ天が地になつてもこの金は渡しませぬ』 お花『それならもつと詳しく云はないかいな』 ヤク『それならもう百円下さいな。詳しく云ひますから』 お花『エヽ仕方がない、これで三百円だよ』 ヤク『実は、かう云ふて千円許りせしめようと思ひましたが、俄に良心の奴弱音を吹いて、肉体を気の毒がらしますから、三百円で辛抱しておきませう。実はステーション街道の有明家の綾子と云つたら、界隈切つての美人ですよ。サアもう此処迄いつたら耐へて下さい。もう此上は材料が厶いませぬからな』 お花『いや、よう云ふて下さつた。お前ならこそ、三百円は安いものだよ。サアこれから三百円がとこ守宮別をとつ締めてやらねばなるまい』 と云ひ乍ら他愛もなく寝て居る守宮別のポケットに手を入れて探つて見ると小さい名刺が現はれた。お花はそつと吾居間に帰り老眼鏡をかけてよく見れば、六号活字で、『有明家綾子』と記してある、さうして横の方に小さい写真がついてゐる。お花は俄に頭へ血がのぼり、卒倒せむ許りに打ち驚いたが遉の豪傑女、グツと気を取り直し、手を振はせ乍ら名刺の裏を返して見ると、薄い鉛筆文字で何かクシヤクシヤと記してある。お花は目が眩み、この文字を読む事が出来ず、たうとう其場に卒倒して仕舞つた。其処へボーイの案内につれて十七八の花を欺く美人が現はれ来り、 綾子『漆別さまのお部屋は此方で厶いますか。有明家の綾子が一寸お目にかかり度いとお伝へ下さいませ』 ヤクは一目見るより吃驚し、 ヤク『ヤ、お前は綾子ぢやないか。オイ、コンナ所へ来て呉れては大変だ。どうか帰つて呉れ大変だからな』 綾子『イエ、妾は漆別さまに用があつて来たのですもの。何程親だとて、娘の恋愛迄圧迫する権利は厶いますまい』 ヤク『これ娘、親の云ふ事をなぜ聞かぬのか』 綾子『ヘン、偉さうに親顔して下さいますなや。お母さまが亡くなつてから後妻を貰つて妾をいぢめさせ、沢山の財産を皆無くして仕舞つて、一人の娘に高等教育も受けさせず、十一やそこらで茶屋へ売飛ばすと云ふやうな無情冷酷な親が何処にありますか、何と仰有つても妾は漆別さまに会はねばなりませぬ』 ヤク『漆別さまなぞと、ソンナお方は居られないよ。アタ見つともない、女が男を尋ねると云ふ事が有るか、早く帰つて呉れ。のう、私を助けると思つて』 綾子『漆別さまが居なくても構ひませぬ。第一号室のお客さまに遇ひさへすればいいのですもの』 ヤク『第一号室は、三千世界の生神、シオンの娘、木花咲耶姫の尊様が祭つてあるのだ。人間なぞは居ないから、サアサア、とつとと帰つて呉れ』 綾子『一号室が差支れや二号室でも三号室でも構ひませぬワ』 ヤク『あゝ困つたな、お花さまが今卒倒しとるので好やうなものの、コンナ事になつて来たら、何事が起るか知れやしないわ。アヽ一層面倒の起らぬ中に逃げ出さうかな』 綾子『逃げ出さうと逃げ出すまいと、貴方の勝手になさいませ。私は夫婦約束迄した漆別さまに遇ひさへすれば好いのですもの』 ヤク『何、夫婦約束迄したと、ヤ、こいつは困つたな。蔭裏の豆も時節が来れば花が咲く油断のならぬは娘とはよく云つたものだわい』 綾子『定つた事ですよ。朝から晩迄色餓鬼の巷へ、お父さまが打ち込んだのですもの、修学院の雀は蒙求を囀り、門前の小僧は学ばずに経を読む道理、妾だつて十三の年から恋愛は悟つて居りますわ。ホヽヽ、エヽコンナ没分暁漢のデモお父さまに掛合つても駄目だ。二世を契つた漆別さまに遇へばよいのだよ』 と矢庭にヤクの手を振り放ち三号室に侵入した。見れば、白粉をベツタリことつけた五十余りの婆アさまが仰向けに倒れて居る。 綾子『何だ、怪体な所だな』 と云ひ乍ら、第二号室のドアを開けて這入つて見ると、グウグウと夜半の夢を見て恋しい男が睡つて居るので、綾子は傍により、 綾子『これ申し漆別様、綾子で厶います。どうか起て下さい。もう何時だと思ふていらつしやるの』 守宮別は綾子の艶しい声が耳に入つたと見えてムクムクと起き上り、 守宮別『ヤ、お前は綾子だつたか、怖い夢を見た。一寸俺はホテル迄帰つて来るわ』 綾子『ホヽヽヽ、これ旦那さま、何を寝呆けて入らつしやるの。此処はカトリック僧院ホテルの第二号室ですよ』 守宮別『成程さうだつたな。お前又どうして尋ねて来たのだい』 綾子『女房が夫の所へ尋ねて来るのが悪う厶いますか、貴方も余り妾を馬鹿にして下さいますなや。どうも貴方の挙動が怪しいと思つて考へて来て見れば、次の間に怪物のやうな女が寝かしてあるのでせう。あれや大方貴方のレコでせう。エー悔しや残念やな』 と守宮別の顔面目蒐けて所構はず掻きむしる。守宮別の顔には長い爪創が雨の脚の様に額口から咽喉にかけて蚯蚓膨れが出来て了つた。 守宮別『あゝ許せ許せ、さう掻きむしられちや、痛くて耐らないぢやないか』 綾子『エヽ、年が若い未通娘だと思つて、妾を馬鹿にしよつたな。サアもう死物狂ひだ。喉首に喰ひついて、命を取らねばおきませぬぞや』 ヤクはドアの外から様子を考へて居たが、何とはなしに形勢不穏なので、開けて入らうとすれど、内部より錠が卸してあるので、一歩も進む事が出来ず、ドアの外で地団駄踏んで居る。内部では守宮別綾子の両人がチンチン喧嘩の真最中、守宮別は種茄子を力限り締めつけられ、……勘忍々々人殺……と喚きつつ、やつとの事で錠を外し第三号室迄命辛々逃げ出した。此物音に卒倒して居たお花は気がつき見れば守宮別が若い女と組んづほぐれつ、掴みあつて居る。お花は、かつと怒り、 お花『コラすべた女奴、人の男を取りよつて、覚悟せい。此お花も死物狂ひだ』 と綾子の髻を掴んで引づり廻す。綾子は守宮別とお花の両方から苛嘖まれ、 綾子『人殺々々、お父さま助けてお呉れ』 と泣き叫ぶ。遉のヤクも吾子の危難を見るに忍びず、 ヤク『この淫乱婆々奴』 と拳を固めお花の頭と顔の区別なく、丁々発矢と打ち据ゑる。キヤーキヤーガタガタバタンバタン、ドタンドタンと時ならぬ異様の響きに僧院ホテルのボーイ連も、吾先にと階段を登り来り、此奴も亦入り乱れて撲り撲られ、いつ果つるとも知れざれば、ヤクは一層の事、警察へ訴へ出て応援を請はむと、階段を駆け下りる折、過つて転落し、血を吐いて蛙をぶつつけたやうにフンノビて仕舞ひける。 此騒動も、ホテルの支配人が中に入つて、やつと治まり、綾子は有明家へ渡され、お花は暫し負傷の癒る迄、エルサレムの病院に収容される事となりにける。 (大正一四・八・二〇旧七・一於由良秋田別荘加藤明子録)
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霊界物語 64_下_卯エルサレム物語2 16 誤辛折 第一六章誤辛折〔一八二二〕 トルコ亭の細い路地の衝き当りに、お寅が設立しておいた五六七の霊城には、トンク、テクの両人が、お寅と共に、三人首を鳩めて、ヒソビソと話に耽つて居る。 お寅『コレ、トンクさま、一体あの守宮別さまとあやめのお花は、どこへ行つたのか、お前どうしても分らぬのかい』 トンク『ハイ、丸で煙のやうな、魔者のやうなお方ですもの、サーッパリ、見当がつきませぬがな。併し噂に聞けば、お花さまは守宮別さまと、夫婦約束をしられたとかいふ話ですよ。一昨日の晩或人から十字街頭で其話を聞きましたので、早速報告しようと思ひましたが、生宮様の御病中、お気をもませましては……と実は控えてをりました』 お寅は顔色を変へ、 お寅『ナニ、二人が結婚した。ソラ本当かいな、ヨモヤ本当ぢやあるまい』 トンク『イエイエ、実際の事云やア、貴方が、何でせう。二人よつて、何でせう。守宮別とお花さまと手を曳いてやつて来る所を、ペツタリ出会し、肚立紛れに卒倒なさつたのぢやありませぬか。噂で聞いたと云ふのは実はお正月言葉で、実際、私も睦まじ相にして歩いてる所を目撃したのですもの。なア、テク、さうだつたな』 テク『ウンさうともさうとも、あの時生宮さまがクワアッと逆上して、暈を遊ばし、大地に転倒されたぢやないか、警察医がやつて来る、群集は山の如くに出てくるし、もうエライ乱痴気騒ぎで、やつとの事生宮さまの気がつき、三台の俥で、生宮さまの警護をし乍ら、此処へ帰つて来たのですワ』 お寅『なる程、さう聞くと、夢のやうにボーッと記憶に浮んで来るやうだ。ハテナ、コンナ大問題を今迄スツカリ忘れて居たのかいな』 トンク『そらさうです共、エライ発熱でしたよ。昨日迄ウサ言計り仰有つて、吾々二人はどれ丈介抱したか知れやしませぬワ』 お寅『いかにも、憎い憎いあやめのお花奴、十年が間、懇篤な教育をうけ乍ら、師匠の私に揚壺をくはし、おまけに人の男を横領して出て行くとは、犬畜生にも劣つた代物だ。これが此儘見逃しておけるものか。仮令両人天を駆けり地をくぐる共、此生宮が命のあらむ限り、岩をわつても捜し出し、生首かかねがおくものか……』 と面色朱をそそぎ、握り拳を固めて、二つ三つ自分の胸をうち乍ら、又もやパタリと倒れ伏しけり。 トンク『オイ、テク何うせうかな。しまひにや気違ひになつて了やしまいかな』 テク『サ、さうだから、守宮別、お花の事はいふないふなと俺が注意するのに、トンク汝が軽はずみな事を言ふから、コンナ事になつたのだよ。男の口の軽いのも困るぢやないか』 トンク『それだと言つて、いつ迄もかくしてゐる訳にも行かず、モウ余程精神が安定したとみたものだから、一寸云つてみたのだよ。俺だつて、コンナになると思や、うつかり喋るのぢやなかつたけれどなア』 テク『兎も角、冷水でも汲んで、頭を冷してやらうぢやないか。コンナ所で死なれて見よ、俺達が殺した様に警察から睨まれたらつまらぬからな』 トンク『一層の事、今の内にトンクトンクテクテクと逃出したら何うだ、到底駄目だらうよ』 テク『馬鹿云ふな。ソンナ事をせうものなら、益々疑はれて了ふよ。一樹の蔭の雨宿り一河の流れを汲んでさへ、深い因縁があるといふぢやないか。仮令三日でも養つて貰つたお寅さまを見捨てて帰れるものか。そんな不義理な事をすると、アラブ一党の面汚しになるぢやないか。絶対服従を以て主義とする回教のピュリタンを以て任ずる吾々が、ソンナ事がどうして出来ようかい。お天道さまが御許し遊ばさないからの』 トンク『そらーあ、さうだ。天道様の御弔ひだ、空葬だ、大いに悪かつた。ヨシ、之からお前と俺と両人が力を併せ心を一にして、此生宮さまの命を助け、天晴全快して貰つて、此霊城を立派に開かうぢやないか。俺ア之から橄欖山へお寅さまの病気祈願の為参つて来るから、お前気をつけて介抱してあげてくれ』 テク『そら、可い所へ気がついた。サ、早く参つて来て呉れ。後は俺が引受けるからな』 トンク『ヨーシ、ソンナラ之からお参りして来うよ』 と云ひ乍ら、夕日を浴びて、橄欖山へと登り行く。山上の祠の前に来て見れば、ブラバーサが一生懸命に何事か祈願をこめてゐる。トンクは傍により、 トンク『もしもし貴方は三五教の宣伝使様ぢや厶いませぬか』 ブラバーサ『ハイ、左様で厶います。貴方はトンクさまぢやありませぬか。何時やらはエライ失礼を致しました』 トンク『イヤもう、御挨拶痛み入ります。全く私が悪かつたので厶いますから、どうぞモウソンナこたア云はないでおいて下さいませ』 ブラバーサ『時にお寅さまは御壮健にゐらつしやいますかな』 トンク『ハイ有難う厶います。実の所は、お寅さまと、お花さま守宮別さまが大喧嘩をせられまして、終局の果にや、守宮別さまはお花さまと一緒に結婚とか何とか云つて、手に手を取つて、面当に霊城を飛び出して了はれたものですから、生宮さまの御立腹と云つたら、夫れは夫れは言語に絶する有様で厶いました。そこへ受付にをつたヤクの奴、生宮さまの気のもめてる最中へ毒舌を揮つたものですから、生宮様がクワツとなり、ヤクを叩きつけようと遊ばした其刹那、ヤクの奴、庭箒をひつかたげて飛出し、途中で生宮さまの御面体を泥箒で擲りつけたり、いろいろ雑多の侮辱を加へたものですから、疳の強い生宮様はたうとう逆上して了ひ、それが元となつて、今では発熱し、ウサ言許り云つてゐられます。こんな塩梅では、生命もどうやら覚束なからうと存じ、テクに介抱させておき、私は此祠へ御祈願に参つた所で厶います。いやモウエライ心配で困りますワイ』 ブラバーサ『話を承れば、実にお気の毒な次第です。コンナ事を聞いて聞逃す訳にも行きませぬから、平常は平常として、私は霊城へ参りませう。そして一時も早く御全快なさる様に御祈願をさして貰ひませう』 トンク『ハイ、そら御親切有難う厶いますが、常平生から、貴方を敵の様に罵つてゐられますから、貴方がお出になつたのをみて、益々逆上し、上も下しもならないやうになつちや却て御親切が無になりますから、何ならお断りが致したいので厶いますワイ』 ブラバーサ『ハヽヽヽ非常な御警戒ですな。併し人間といふ者はさうしたものぢや厶いませぬよ。災難の来た時にや互に助け合ふのが人間の義務ですからな。何程我の強いお寅さまだつて、滅多に私の親切を無になさる道理はありますまい。キツと喜んで下さるでせう。そして之を機会にお寅さまの心を和らげ、同じ日出島から来た人間です。和合の曙光を認めたいと思ひますから、たつて御訪問を致します』 トンク『ヘーエ、誠に以て、お志は有難う厶いますが。併し乍ら私は知りませぬで、どうか生宮さまに、私から病気の次第を聞いた、なんて云つて貰つちや困りますからな。貴方が勝手に御越しになつた事にしておいて頂かねば、後の祟りが面倒ですから』 ブラバーサ『エ、それなら、私は之から霊城を訪問致しますから、トンクさま、貴方はゆつくり御祈願をなし、エヽ加減に時間を見計らつて何くはぬ顔で御帰りなさい。そすりやお寅さまだつて、貴方に小言はありますまいからな』 トンク『あ、さう願へば私も安心です。どうか宜しう頼みませぬワ』 ブラバーサは急いで山を降り、何くはぬ顔して、トルコ亭の細い路地を伝ひ、霊城へ来てみると、テクが甲斐々々しく頭を冷してゐる。 ブラバーサ『ヤ、これはこれは、テクさまで厶いますか。生宮さまは御不例にゐらつしやるのですかな』 テク『ハイ、左様です。そして又お前さまは何の御用で御出になりました。お前さまの顔見ると生宮さまの御機嫌が益々悪くなり、病気が又重くなりますから、トツトと帰つて下され』 ブラバーサ『帰らうと思へば、さう追立てられなくても返りますよ。併し乍ら同国人の病気と聞いて、宣伝使たる私、見逃す訳に行きませぬから…』 と云ひ乍ら、枕許にツカツカとより、熱誠籠めて天の数歌を三唱し、大国常立尊、神素盞嗚尊助け玉へ、許し玉へ…と祈願するや、今迄火の如き発熱に苦しみてゐたお寅は嘘ついた様に熱は去り、忽ち起き上り座布団の上にキチンと行儀よく両手をのせ、 お寅『ハ、これはこれは、何方かと思へば、ブラバーサさまで厶いましたか。ようマ御親切に来て下さいましたね。私も此間からチツと許り風邪の気で臥せつてをりましたが、夜前あたりからスツパリと全快致し、モウ寝てゐるのも何だか辛気臭くて堪らないのですが、日の出さまの御忠告に仍つて、養生の為、ねて居りました。決してお前さまの算盤の声で直つたのぢや厶いませぬから、ヘン、どうか恩に着せて下さいますなや。併し乍ら此霊城へお前さまが御参りさして頂いたのも、ヤツパリ神さまのおかげだよ。此お寅が病気だといふ噂をパーッと立たせておき、お前さまの心を引く為に、此生宮をチツと許り苦しめ遊ばしたのだから、必ず必ず仇に思つちやなりませぬよ。結構な結構な御霊城さまへお前さまが大きな顔で参拝出来たのも此お寅がチツと許り悪かつたおかげだ。神様の御仕組といふものは偉いものだな。サ、之からブラバーサさま、チツと我を折つて日出神の生宮を認めて下さい。いつ迄もいつ迄も変性女子のガラクタ身魂にトチ呆けて居つちやダメですよ。神政成就に近よつた此時節に、何の事ですいな。早く改心して、日の出神の片腕となつて、ウラナイ教を開き、天下万民を塗炭の苦より救つて下さいや』 ブラバーサ『ハイ、又考へておきませう。先づ先づ御病気の御本復と聞いて安心致しました。私一寸用が厶いますので、之から御暇を致します』 お寅『ホヽヽヽ、ヤツパリ心に曇りがあると、此霊城が苦しうて、ゐたたまらぬと見えますワイ。第一霊国の天人のお住居、どうして八衢人足がヌツケリコと居れるものかい、ウツフヽヽヽ』 ブラバーサ『お寅さま、余りぢやありませぬか。どこ迄も貴方は私を敵にする考へですか』 お寅『きまつた事ですよ、三千世界の救世主、底津岩根の大弥勒の生身魂、日出神の生宮を認めない様な妄昧頑固の身魂を何うして愛する事が出来ませうぞ。日の出様が一生懸命に艱難辛苦を遊ばして、立派な立派な、結構な、心易い、暮しよい、みろくの大御代を建てようと遊ばしてるのに、悪魂の変性女子にとぼけて、此世を乱さうと憂身をやつしてゐるお前さまだもの、之位な大きな敵は世界にありませぬぞや。此神は従うて来れば誠に結構な愛のある神なれど、敵対うて来る身魂には鬼か大蛇のやうになる神ざぞえ。お前さまの心一つで楽に立派に御用致さうと、苦しみてもがいて地獄落の悪魔の用を致さうと、心次第で何うでもなるですよ。コンナ事が分らぬやうで、ヘン、宣伝使などと、能う言はれたものですワイ。改心なされ、足元から鳥が立ちますぞや』 ブラバーサ『ハイ、有難う厶います。又後して伺ひますから左様なら』 お寅『ホヽヽヽたうとう、八衢人足奴、生宮さまの御威光に打たれて、ドブにはまつた鼠のやうに、シヨンボリとした、みすぼらしい姿で、尾を股へはさみて逃げよつたぞ。ホヽヽヽ、コラ、テク、ブラバーサなんて偉相に云つてるが、私にかかつたら三文の値打もなからうがな。丸で箒で押へられた蝶々の様に命カラガラ逃げていつたぢやないか、イツヒヽヽヽ』 テク『モシ生宮さま、ヒドイですな、テクも呆れましたよ』 お寅『ひどからうがな。いかなお前でも呆れただらう。耄碌魂のヒョロ小便使めが、あの逃げて行くザマつたらないぢやないか。それだから此生宮の神力を信じなさいといふのだよ』 テク『生宮さま、そら違やしませぬか。今の今迄人事不省に陥つて御座つたのを、ブラバーサさまがお出になり、指頭から五色の霊光を発射して、お前さまの病気を助けて下さつたぢやありませぬか。それに貴方は、昨夜から病気が直つてたナンテ、ようマア嘘が言へたものですな。私は其我慢心の強いお前さまの遣口に呆れた、といふのですよ』 お寅『お黙りなさい。アラブの黒ン坊のクセに神界の御経綸が分つてたまるかいな。ソンナ事いつて、此生宮に敵たふやうな人はトツトと帰つて貰ひませう。アタ気分の悪い。エーエーそこら中がウソウソとして来た。これ、テク、塩をもつてお出で、お前の体に悪魔が憑いてる、之からスツパリと払つて上げるからな』 テク『イヤもう結構です』 といつてる所へ、トンクはドンドンと露路口の細路を威嚇させ乍ら帰り来り、 トンク『ヤア、これはこれは、生宮様、いつの間にさう快くおなりなさいましたか。私は心配致しまして、テクに貴女の介抱を命じおき、エルサレムの宮へ御病気祈願の為に御参拝して来たのです。何と御神徳といふものは、アラ高いものですな』 お寅『それは大きに御親切有難う……とかういつたらお前さまはお気に入るだらうが、ヘン誰がそんな事お前さまに頼みました。大弥勒様の生宮、三千世界の救世主、日出神の生宮さまの肉体の、病気を直すやうな神様がどこにありますか、可い加減に呆けておきなさいや』 トンク『オイ、テク、チツと可怪しいぢやないか、病み呆けて厶るのだらうよ』 テク『マアマア喧しう言ふな、何時迄言つたつて限りがないからな。何と云つても三千世界の救世主様だから、維命、維従うてゐさへすりや可いのだ』 と云ひ乍ら、余り相手になるなといふ意味を目で知らした。お寅は布団を頭からひつかぶり、スヤスヤと眠に就きぬ。 (大正一四・八・二〇旧七・一於丹後由良秋田別荘松村真澄録)
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霊界物語 64_下_卯エルサレム物語2 20 猫鞍干 第二〇章猫鞍干〔一八二六〕 お寅は守宮別、トンク、テク、ツーロと共に自動車に乗り、市中の大宣伝を始め出した。そして妙な宣伝歌を刷つたビラをバラまき乍ら、自分等も自動車の上から声を揃へて唄つてゐる。 お寅『澆季末法の此世には諸善竜宮に入り玉ふ あちら此方に神柱沢山現はれ来る共 何奴も此奴も偽神だ特に烈しき偽神は 日の出の島に現はれた変性女子の瑞御霊 ウズンバラチヤンダといふ奴だ其奴の教へを受ついで 海洋万里を打渡り神の集まる聖場に 恥も外分も知らばこそヌツケリコーと現はれて 国には妻や子もあるに道義を知らぬブラバーサ アメリカンコロニーで名も高き阿婆擦女のマリヤをば 女房気取で手を曳いて宣伝なぞとはおぞましや さめよ悟れよエルサレム老若男女の人々よ アンナガラクタ宣伝使何をいふやらミカンやら 坊主頭にキンカンのせて走つてゐるより危ふい教 ソンナ事聞いたとて何になる正真正銘の救世主 底津岩根の大弥勒日出神の生宮が 下つて厶るのを知らないか天地開けた始めより 澆季末法の今の世にかけて誠の救世主 一人も出て来たことは無いナザレのイエス・キリストも 僅三年布教して学者とパリサイ人の為 無惨の最後をとげたぢやないかソンナ神柱が何になる 此世を救はうと思ふたら水に溺れず火に焼けず 弓も鉄砲も大砲もたてつかないやうな神力が なければ誠の救世主神の柱とはいはれない 眠りをさませよエルサレム必ず迷ふなとぼけるな いよいよ時節が到来しアフンと致さなならぬぞや 皆の足元から鳥が立つ此世は上が下になり 下が却て上となる誠一つのウラナイの 神によらねば助からぬ三千世界の立替ぢや 政治宗教の立直し此大任を双肩に 担うて現はれ来た者は日出神の生宮と 守宮別より外にないあゝ惟神々々 御霊の恩頼を蒙れよ旭は照る共曇る共 月は盈つ共虧くる共仮令大地は沈む共 誠一つの此柱此世にあれます其間は 助けにやおかぬ神の教来れよ来れ皆来れ みたまの清水にかわく人日出神の生宮の 尊い教に蘇返り三千世界の太柱 人の神ぢやと仰がれて万古末代名を残せ 橄欖山は高くともシオンの山はさかし共 日出神の神力に比べて見れば屁でもない 来れよ来れ皆来れ北も南も東も西も 誠の神の声聞いて吾霊城にあつまれよ 春は花咲き夏茂り秋の稔も豊なる 天国浄土に生き返り万古末代生き通し 栄を見むと思ふなら凡ての教をふりすてて 誠一つの大和魂ビク共動かぬ此道に 皆さまさつさと入るが可い』 と一生懸命に四方八方を駆巡つて居る。そこへ、夜叉の如き勢で、あやめのお花が走つて来る。守宮別は自動車をヒラリと飛びおり、お花の後を逐ふて、一万円せしめむものと車をお寅にあづけおき、雲を霞と追つかけて行く。お寅は気が気でならず、うつかりと、ハンドルを握るや否や自動車はまつしぐらに駆出し、瀬戸物屋の店先さして、ドンと許りに衝突した途端に、自動車は逆立ちとなり、大道の真中へ転覆し、トンク、テク、ツーロの三人は三間許り、はね飛ばされ、ウーンと許り、或は気絶し、或は悲鳴をあげて苦しみてゐる。お寅も大道の正中へはね飛ばされ、大きなポホラやウットコを牛の猫鞍を日向に乾したやうな塩梅式で、のけぞつて了つた。あまたの群集は、『自動車だ、転覆だ、気違婆アの遭難だ……』と瞬く間に交通止めになる所まで人垣を築いて了つた。急報に仍つて警官は警察医を伴なひ、此場に走せ来り、一先づ四人の負傷者を警察用の自動車にのせ、博愛病院さして、砂煙を立て乍らブウブウブウと走り行く。 (大正一四・八・二一旧七・二於由良海岸秋田別荘松村真澄録)
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霊界物語 65_辰_虎熊山と仙聖郷の物語/七福神 24 危母玉 第二四章危母玉〔一六八〇〕 玉国別、真純彦の二人はスーラヤの湖の西岸に着いた時、初稚姫の厳粛なる訓戒に仍りて、伴ひ来りし三千彦、伊太彦、治道居士其他と別れて、逸早く聖地に進まむと夜を日に継いで旅の疲れも苦にせず、足を早めて漸くエルサレムに程近き、サンカオの里に着いた。此処にはシオン山より流れ来る、ヨルダン河が轟々と水音を立てて流れてゐる。其北岸の細道をスタスタとやつて来ると、俄に一天墨を流した如く黒雲塞がり、えも云はれぬ陰欝の空気が漂うて来た。そしてあたりは森閑として微風一つ吹かず、何ともなしに蒸し暑く身体の各部からねばつた汗が滲んで来る。毒ガスにでもあてられた様に息苦しくなり、川べりの木蔭に二人は倒れる様にして腰を卸し、草の根に顔を当てて地中から湧き出づる生気を吸ひ、健康の回復を計つてゐる。これは数十里を隔てた東方の虎熊山が爆発し、折柄の東風に煽られて、毒を含んだ灰煙が谷間の低地へ向つて集まつて来たからである。 二人は息も絶え絶えになり、小声になつて天の数歌を奏上してゐる。 真純『モシ先生、モウ一息で聖地エルサレムへ到着するといふ間際になつて、俄に天地が暗くなり、斯様に息が苦しく最早堪へ切れない様になつたのは、何か神様のお気障りがあるのでは厶いますまいか。茲迄来て不幸にして斃れる様な事があれば、千載の恨で厶います。何うあなたはお考へですか』 玉国『ウーン、どうも変だなア、私にも合点がゆかぬ。併し今日の昼頃に遥東の空に当つて、不思議な響がしたと思へば、それから天が暗くなり、地の上迄がこんな空気に包まれて了つたのだ。大方どこかの火山が爆発したのではあるまいか……とも思はれる。何分此空気は、微細な灰の様な物が交つてゐる。少時ここでお土に親しみ神様を祈つて体の回復を待つより仕方がない。私も何だか苦しくて、四肢五体がガタガタになつたやうだ。あゝ惟神霊幸倍坐世』 と合掌してゐる。 斯かる所へ、ワンワンワンワンと幽かに遠く犬の鳴声が聞えて来た。此声を聞くと共に両人は夢から醒めたやうに、何となく心持がさえざえして来た。 真純『あ、あの声はスマートぢや厶いますまいか、どうも聞覚えがある様ですな。そしてあの声が耳に入ると共に私は俄に気分が冴えて参り、血の循環がよくなつたやうで厶いますワ』 玉国『ウン成程、私もあの声を聞くと共に元気が回復して来たやうだ。スマートに間違ひない。さうすれば初稚姫さまも近くへお出になつてるとみえる。ハテ嬉しい事だな。併し吾々二人がかやうな所にへこたれてゐる所を姫様に見つけられたら、大変な恥だから、一つ元気を出して宣伝歌を謡ひ、ボツボツ歩む事にせうか』 真純『左様なれば行けるか行けぬか知りませぬが、ソロソロ歩いてみませう』 と両人は杖を力に立上り、歩まうとすれ共、膝の関節がだるく、且笑ふ様で、何うしても足を運ぶ事が出来なかつた。 斯かる所へ矢を射る如く、東の方より走つて来たのはスマートであつた。スマートは頻に、頭と尾を振つて嬉し相な表情を示し、力一杯大きな声でワンワンと吠立てる。 玉国別は、 玉国『あゝあなたはスマートさま、能う来て下さつた。定めて初稚姫様も御一所で厶いませうなア』 と人間に云ふ如く挨拶すると、スマートは玉国別の裾を喰はへて、切りに引張る。 玉国『ハテナ、何か吾々の身に災がかからむとしてゐるのだらう。スマートさまは神のお使だから、サア真純彦、後に従つてどこなつと行かうぢやないか』 真純『ハイさう致しませう』 と云へばスマートは喰はへた裾をはなし、尾を振り乍らヨルダン河の北岸なるサンカオの小高き峰を指して登り行く。七八丁も登つたと思ふ所に、目立つて巨大なる橄欖の樹や其他の雑木が山の二合目あたりに、一つの森をなしてゐる。行つて見れば小さい古ぼけた祠が建つてゐる。 玉国『ハテなア、スマートさまが茲へ参拝して行けといふ事だらう。これも何か訳があるに違ひない』 と両人は自然に跪き、天津祝詞を苦しき息の下より、千切れ千切れに奏上した。祠の遥か後方より優しき女の声。 初稚姫『三五教の宣伝使初稚姫は茲に在り スーラヤ湖辺に汝が命其他の神の御使と 袂を分ちスマートに助けられつつ来て見れば 天に冲する黒煙ハテ訝かしやと大空を 眺め居たりし時もあれ幽かに聞ゆる爆発の 声諸共に地の上は不快の邪気に包まれぬ これぞ全く虎熊の山の尾の上の崩壊と 神の御告げに悟り得て汝等が身の上案じつつ 暫し様子を伺へば天教山の太柱 木花姫の御詫宣八大竜王の其一つ いよいよ古巣を立出でてカンラン山を奪はむと 三千年の蟄伏を破りて来る怖ろしさ 意外の教にスマートと此処に難をば避け乍ら 汝が来るを待ちゐたり三千彦司治道居士 伊太彦デビス、ブラヷーダ其他の神の御子達は 何れも無事にましませど汝等二人の身の上は 神の御告に悟り得て危くなりしと聞きしより スマートさまを遣はしてここにお招き申したり やがて竜王ヨルダンの河遡り日向なる シオンの山に居を転じ又も悪逆無道なる 行為をなして神界の大経綸を妨害し 此世を悪魔の世となして跳梁跋扈なさむとす 暫くすればマナスインナーガラシヤーが出で来り 汝等二人の命をば奪ひて去らむは目のあたり 九死一生の危難をばのがれし汝こそ目出たけれ あゝ惟神々々御霊幸ひましませよ』 と歌ひ終り、二人の前に姿を現はし玉ふた。此時初稚姫は此社より二三丁も奥の森の中にマナスイン竜王の帰順を祈つてゐたが、容易に効験の現はれ難きを知り、兎も角二人の命を救はむと、神力をこめ、赤裸となつて、サンカオの滝に打たれてゐた。そしてスマートの声を聞いて、二人が無事に此祠迄着いた事を知り、滝の麓より衣服を着替へて、歌をうたひ乍ら茲へ現はれたのである。 玉国別は何となく自然におつる涙を拭ひ乍ら、声をかすめて、 玉国『初稚姫様、吾々両人、神徳未だ足らず、殆んど聖地に間もなき地点迄近付きまして、此川べりを通る折しも俄に気分が悪くなり、手足の自由を失ひ、腑甲斐なくも倒れて居りました。何か神様に御無礼をしたので、お叱りを蒙つたのではあるまいかと、両人が私かに案じ煩ひ、お詫を致して居りますと、あなたのお遣し下さいました此スマートさまの声が聞えて、俄に元気回復し此処迄誘はれて参りました。貴女のお姿を拝するにつけ、嬉しさと、懐かしさとで、自然に涙がこぼれます。私達をお招き下さつたのは、何か変つた御用では厶いますまいか』 初稚『玉国別さま、真純彦さま、よく無事で此処まで来て下さいました。今も私が歌つた通り、マナスイン竜王がゲッセマネの苑を占領し、エデンの花園や黄金山を蹂躙せむと致します故、スマートさまに先へ行つて貰ひ、竜王が占領せない様にいろいろと守護を致し、あなた方が此街道を御通りと悟りました故、危難の身に及ばぬ事を虞てお助け申さむと、ここに待つてゐたので厶います。やがてマナスイン竜王は、虎熊山を立出で、いよいよ時節の到来とゲッセマネの苑を占領すべく、山河草木を震憾させ乍ら、進んで来るのですが、ゲッセマネの苑には、到底身を置く所が無いので、此河を遡り、シオン山へ参るでせう。さうすれば巨大な竜体で厶いますから、あなた方の姿を見れば尾の先の剣にて、一打に致しますは分り切つた事と、此処迄御避難をなさるべく取計つたのです。息のつまるやうな空気が、低地にさまようて居るのは、やがて竜王が登つて来る証拠で厶います。竜王の頭の向ふ所は、十里位先まで邪気がただよひますから……間もなく大きな音を立て、竜体が上つて来るでせう』 玉国別は打驚き乍ら、 『姫様の御恵は到底言にも尽されませぬ。実に感謝の至りで厶います。若しも貴女が居られなかつたならば、吾々は御神業を完全に勤める事が出来なかつたかも知れませぬ』 と又涙を拭ふ。真純彦は感極まつて一言も発し得ず、俯いて忍び音に泣いてゐる。 折柄西方より囂々と地響きさせ乍ら、中空に黒雲の旗を立てた様にピカピカ鱗を光らせ、山の如き怪物が東を指して登り来る。玉国別、真純彦は此姿を見て、俄に体すくみ其場に跪坐んで了つた。 初稚『お二人様、モウ安心です。竜王が通過致しました。やがて邪気も追々に晴れるでせう』 玉国『ハイ、何うも恐ろしい事で厶いました。斯様な者が此聖地の近辺へやつて来るとすれば、埴安彦、埴安姫様の御神業も、並大抵では厶いますまいな』 初稚『中々並大抵の御神業ぢや厶いませぬ。それ故ウバナンダ竜王の玉や、シヤーガラ竜王の玉、並に水晶の三個の玉があなた方のお弟子に神様から渡されてゐるのです。これさへ聖地へ納まらば、いかにマナスイン竜王が聖地を窺へばとて、何うする事も出来ませぬ。此三個の玉には、不思議な神力があります。あなた方のお手にあれば別に不思議も現はれませぬが、之を神様のお手にお渡しになれば、天地を自由自在に動かす事が出来ます。それ故、いかにマナスイン竜王が暴威を振ふとも、如何ともする事が出来ませぬ。真純彦さまは玉を持つてお出ででせうなア』 真純『ハイ、力限り保護致しまして、一個丈は此処迄送つて参りました』 初稚『それは誠に結構で厶います。定めて神さまも御喜び遊ばす事で厶いませう。マナスイン竜王があなたの姿を認めずに過去つたのは、先づ神界の為何程結構だか分りませぬ』 真純『同じ玉でも、神さまがお持ちになるのと、吾々が持つのとは働きが違ふので厶いますか』 初稚『それは違ひます。霊相応の力より出ぬもので厶います。何程宣伝使が神力があると云つても、大神様の御化身には及びませぬからなア』 真純『私が玉を持つてゐた為に、さうするとあの川べりに於て、あんな苦しい、息のつまるやうな目に会うたのですか。つまり玉の威徳に負たやうなものですな。小人玉を抱いて罪あり……とはこんな時の事を云つたのでせう』 初稚『猫に小判、豚に真珠だとか云ふ譬が厶いましたなア。ホヽヽヽヽ』 と笑ふ。真純彦は頭をかき乍ら、 真純『さうすると、三千彦や伊太彦が所持してる玉も、ヤツパリ私と同様で厶いますかな』 初稚『伊太彦さまだつて、三千彦さまだつて同じ事ですワ。結構な玉を懐に持つたと云ふ誇りがありますので、途中に於ていろいろの苦しい目に会つたり、妨害に出会つたりしてゐられますが、やがてゲッセマネの苑まで参る時には、道は変つてゐますが、一度に会ふ事に神様が仕組んでゐられますから、ゲッセマネの苑迄行けば、スーラヤの湖辺で別れた御連中と無事に面会が出来るでせう』 真純『そんなら姫様、私の懐に預かつて居つて、大切な宝玉を汚してはすみませぬから、何卒ここで貴女に預かつて戴く訳には参りますまいかな』 初稚『それは御免を蒙りたう厶います。あなたのお役目ですから、役目以外の事は到底神界から許されませぬ。すべて神さまは順序ですから、順序を誤つては天地の経綸が破れます。そして女が玉を抱けば、玉照姫さまのお母様の様に、お腹がふくれますから困りますよ。世の中の分らぬ人間から、初稚姫は堕落したとみえて、男が出来たなどと言はれては迷惑ですからなア、ホヽヽヽ』 真純『お玉さまだつて、夫なしに結構なお子さまをお生みになつた例も厶います。あなたにお子さまが出来たつて、誰がそんな事思ひませうか。あなたのお肉体は吾々の如き粗製濫造品とは違ひますから、そんな事仰有らずに御預かり下さいませな。何だか恐ろしうなつて参りました』 初稚『其玉を持つて居りますと、マナスイン竜王がつけ狙ひますから、私は恐ろしう厶いますワ。玉さへ持つてゐなければ竜王だつて相手にしませぬ。其玉ある故に悪魔が欲しがつて覗ふのですからなア』 真純『ハテ、困つた事だなア。結構な御用をさして頂いたと思ひ、得意になつて今迄やつて来たのに、此玉がある為に最前のやうな苦しい目に会はねばならぬとは、何と云ふ因果な役を勤めたのだらう』 初稚『そこが霊の因縁ですから、之は何うしても人間の左右する事は出来ないのです。まだ聖地までは余程間が厶いますから、余程用心なさいませぬと、あなたの懐に玉の光つてるのがマナスイン竜王の目に入らうものなら、それこそ引返して参りますよ。御用心なさいませよ、ホヽヽヽヽ』 真純『モシ先生、何う致しませう。あなた暫く御預かり下さいますまいか。玉国別さまと名迄ついてるのですもの。ここ迄私が奉持して来たのですから、此処から預かつて下さつても宜いでせう』 玉国『ハヽア、さうするとお前は矢張自己愛におちてゐるのだなア、おれに玉を持たして、竜王の犠牲となし、自分は助かるといふ狡猾い考へだらう。イヤそれでお前の心も分つた。ヨシ、犠牲になつてやらう』 真純『メヽ滅相な、どうしてそんな薄情な事を思ひませう。あなたに持つて頂きたいと申したのは、霊相応だと思つたからです。あなたは私から比ぶれば、幾層倍の御神徳のあるお方、それ故玉の光も一層輝きませうし、あなたがお持ちになれば、竜王も決して覗はないと思つたからです。あなたは初稚姫様に次いでの生神様で厶いますからなア』 玉国『玉を持たぬ私が、お前の側に居つてさへ、あれ丈竜王の毒気に中てられたぢやないか。到底私の様な神力の足らぬ者は、玉を預かる資格がないのだ。それだからお前に持つて貰うたぢやないか』 真純『本当に結構な玉の光に位負して、有難迷惑だ。併し乍ら之も御神業だと思へば結構です。それぢや仮令竜王が私を呑まうと構ひませぬ。身命を賭して玉の保護を致し、聖地迄参る事に致しませう』 初稚『サア、何うやら邪気も去つた様です。あの通り日輪様も拝め出しました。ソロソロ参りませう』 玉国『真純空俄に曇り四方八方は 黒き真墨のさまとなりぬる』 真純『真すみとは清きたたえにあらずして 黒き身魂の真墨なりけり。 今迄は力と頼み来りしを 恐ろしくなりぬこれの真玉は』 初稚『いざさらば貴の聖地に進むべし 玉国別よ玉守彦よ』 かく歌ひ了り、三人はスマートに守られて、道々宣伝歌を謡ひ乍ら、ヨルダン河の河辺を伝うて、西へ西へと進み行く。 (大正一二・七・一八旧六・五於祥雲閣松村真澄録)
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霊界物語 65_辰_虎熊山と仙聖郷の物語/七福神 26 七福神 第二六章七福神〔一六八二〕 日の出別命の左右には道彦、安彦の両人が従ひ、初稚姫一行を導いて数百旒の五色の旗を風に翻し乍ら、百花爛漫たるゲッセマネの園にと進み入つた。玉国別一行が竜王の三個の玉を捧持して来りし其功績を賞する為め、特に埴安彦尊の命により歓迎宴が開かれた。ゲッセマネの園には種々の作物や、音楽や演劇が盛んに催されて居た。さうしてコウカス山よりは、言依別命が数多の神司を引き連れ、二三日前に早くも聖地に到着されて居た。 玉国別、真純彦は途中に於て初稚姫に『聖地は結構な所の恐ろしい所だ』と誡められ、筋肉迄緊張させ居たにも拘はらず、この大袈裟の歓迎に肝をつぶし、夢かと許り呆れてゐる。只見るもの、聞くもの意外の事許りで語る事も知らず、無言の儘初稚姫の後について進んで往く。日出別の神は俄作りの建物をさし示し、 日の出別『サア皆様、貴方方の御苦労を慰める為め、神様の思召によつて、種々の余興が催されて居ます。これから此建造物に於て、七福神宝の入船と云ふお芝居が初まりますから、悠悠気をゆるして御覧下さいませ』 玉国別は案に相違しながら、 玉国『いや、どうしてどうして、そんな気楽な事が出来ませうか。真純彦に持たせた此宝玉を、無事神様にお渡しする迄は、芝居所では厶いませぬ。是ばかりは平にお恕し下さいませ。うつかりして九分九厘で顛覆しては大変ですからなア』 と何処迄も警戒し体を固くして居る。 日の出別『決して決して御心配なさいますな。此通り貴方方の御到着を祝ふために宝の入船と云ふ神劇が催されて居るのです。貴方も宝を抱いてヨルダン河を船にて渡り、この聖地へお這りになつたのですから、宝の入船の主人公は貴方方ですよ』 玉国『ハイ。真純彦、お前はどう考へるか。どうも大教主のお言葉が私には些と許り解し兼ねるのだがなア』 真純『先生、これや神様から気を引かれて居るのかも知れませぬよ。兎も角お断りを申て、早く此玉を埴安彦の神様にお渡しして来うではありませぬか。さうでなくてはお芝居を見る気がしませぬわ』 初稚『決して御心配は要りませぬ。這入つて御覧なさいませ。いやいや貴方方が役者にならねばならぬのですよ。やがて治道居士、伊太彦、三千彦、デビス姫、ブラヷーダさまが見えることですから、七福神になつて貰ふ積りです。治道居士さまは布袋、玉国別さまが寿老人、真純彦さまが毘沙門天、伊太彦さまが大黒さま、三千彦さまが恵比寿さま、それから、デビス姫さまが弁財天、と云ふやうに、各自にちやんとお役が定つて居るのです。サアどうぞ楽屋へお這入り下さい。私等は見せて貰ふのです。実の所は貴方方に役者になつて貰ふのですから、是も御神業だと思つてお勤め下さいませ』 玉国『ハテナ、些とも合点が往きませぬわ。御命令とあれば俄俳優になつてもよろしいが、てんで台詞が分りませぬからねえ』 日の出別『台詞なんか要りませぬよ。其時神様が憑つて口を借りて仰有いますから、承諾なさればよいのです』 真純『モシ先生、イヤ寿老人さま、神様の命令だ、千両役者になりませうか』 玉国『何と云つても神様の御命令とあれば背く訳には行きますまい。勤めさして頂きませう。そして三千彦、伊太彦はもはや此方へ見えて居りますか。どうしても吾々とは二三日後れるやうに思ひますがなア』 言依別『時間空間を超越したる神の道、そんな御心配は要りませぬ。直に今此処へお出になりますよ。総て神様の御国は想念の世界ですから、想念の儘になるのです。此処が外の地点とは違つて尊い所以です。さうでなくてはエルサレムと云つて神様がお集まり遊ばす道理がありませぬから』 玉国『左様ならばお受け致します』 真純『私も先生と同様お受を致します』 と云ふや否や、二人の姿は忽ち七福神の中の一人となつて居た。いつの間にやら、治道居士、三千彦、伊太彦、デビス姫、ブラヷーダ姫其外の人々は集まり来りて、何れも七福神の姿となつて居る。愈茲に七福神宝の入船の奉祝神劇は演ぜられた。数多の神司や信者は、此広き建物の中に、立錐の余地なき迄に集まつて、愉快げに観覧し、其妙技を口を極めて賞揚した。神劇の次第は左記の通りであつた。 抑我日の下は神の御国なり天地ひらけ陰陽分れ 青人草を始めとし万物爰に発生して 天地人の三体備はりぬ天津御国の太元は 大国常立の大御神又の御名は天照皇大御神なり 地津神の太元は豊国主の大御神又の御名は神素盞嗚尊 豊葦原の瑞穂の国産土山の底津岩根に宮柱太敷立て 三五の神の都を奠め賜ひしより千代万代に動ぎなく 天下泰平国土安穏五穀成就万民鼓腹撃壤の楽みを享く 実に有難き神の国の草木も靡く君が御代 かくも目出度国の中に四海波風豊にて 雲井の空に寿ぎ舞ふ鶴や千年の松の緑の色深く 万歳の亀も楽しむ天教の山の高く澄みきる月のあたり たなびく霞の中よりも真帆をば風に孕ませつ 浮かれ入り来る宝の御船七五三の静波かきわけて 積み込む宝の数々やまばゆきばかりあたりを照らす うるはしさ 丁子や分銅の玉の袋に黄金の鍵もかくれ蓑 七宝壮厳の雨に濡れし小笠の露や玉の光と 打出の小槌七福神の銘々が 乗合舟の話こそ面白き。 中にも口まめな福禄寿長い天窓を振り立てて、 福禄『天下無双のナイスお弁さま、イナ弁財天女どの、貴女は新しい女と見えて、こんな変痴奇珍な男子計りの船の中へ、案内もせないのに、何と思つて同席の栄を賜はつたのかな』 弁天女は面恥ゆげに莞爾と笑み乍ら、 弁天『ホヽヽヽ、アノまあ福禄寿さまの御言葉とも覚えませぬ。好く考へて御覧、何程新しい女だとて、ナイスだとて、五百羅漢堂を覗いたやうなスタイルして居らつしやる醜男子の側に来られないと云ふ法律は発布されては居りますまい。五六七の御代が開ける魁として、今度エルサレムの宮に於て、玉照彦命、玉照姫命二柱の神様のお目出度い御婚礼があるので、御祝のため貴神等は、この宝舟に乗つて聖地エルサレムの竜宮城へ昇られるのでせう。何程福の神だと云つて、男子許りでは花も実もありますまい。昔から七福神は聞いて居るが、六福神は聞いた事が無い。夫れで妾が天津神様の御命令で、俄に貴神等の仲間に加はつたのですよ』 福禄『コレお弁さま、御心配下さるな。この福禄寿一神あつても下から読み上げて見ると十六福の神だよ。ヘン済みませぬナア。そこへ寿老人(十六神)を加へて三十二神ですよアハヽヽヽヽ。それよりも身の上話でも聞かして貰つた上、都合によつて加へて上げようかい』 弁天『三十二神の処へ妾が一神加はれば、三十三相の瑞の御魂ですよ。一神欠けても三十三魂にはなりますまい。女は社交上の花ですからねー。妾の素性を一通り聞かして上げますから、十六神さま謹聴なさいませホヽヽヽヽ』 六福『謹聴々々ヒヤヒヤ』 弁天『妾は神代の昔の或る歳、頃は弥生の己の巳日、二本竹の根節を揃へて、動ぎ出でたる嶋だと云ふので、竹生島と称へられる、裏の国の琵琶の湖に浮べる一つの嶋に、天降りました天女の中でも、最も勝れたナイスの乙女ですよ。自分から申しますと何んだか自慢するやうですが、神徳があまりあらたかなと言ふので、世人より妙音弁財天女と崇められ、妾の身体は引張り凧の様に日の下の国の四方に分霊を祭られて居ります。先づ東の国では江の島、西の国では宮嶋に、今一体は勿体なくも古、伊邪那岐尊、伊邪那美尊の二柱の神様が天の浮橋に渡らせたまひ、大海原に天降り、始めて開かれたる淤能碁呂嶋、その時、鶺鴒と云ふ小鳥に夫婦の道を教へられ、天照大神を生み給ふてより、又一名を日の出嶋と名付けられ、この国人に帰依せられ、福徳を授けしによつて、美人賢婦の標本として七福神の列に加はつた事は、十六福神さまも遠うの昔に御存知の筈。アナタも何時の間にやら福禄寿でなくて、モウロク(最う六)十三になりましたねー、ホヽヽヽヽ』 福禄『ヒドイなア』 六福『アハヽヽ。オホヽヽヽヽヽ』 顔色の黒いのを自慢の大黒天は、槌を持つた儘座に直り、 大黒『弁天ナイスの今の話を聞いた以上は拙者も男だ。一つ身の上話を初めて見よう。一同御迷惑ながら御聴聞なさいませ。 抑も拙者は、神素盞嗚大神の御子にて、八百米杵築の宮に鎮まりし、大国主命でござる。生れつきの慈悲心包むに由なく、貧しき者を見るに付け、不便さ忍び難く、一切の衆生に福徳を与へむとして心を砕き、チンチンチン一に米俵を踏まへて、二に賑はしう治めて、三に栄えの基となり、四ツ世の中悦んで、五ツいつも機嫌よく、六ツ無病息災で、七ツ難事もないやうに、八ツ屋敷を開ひて、九ツ花の倉を建て、十分満ればこぼるるぞ。コレ此槌は福を打出す槌ぢやない、お土を大切にして生命の種のお米を作れと知らすためぢや。モ一つには奢れる奴等の天窓をば打砕く槌ぢやわい。アハヽヽヽヽ』 福禄『アハヽヽヽヽ、コリヤ御尤もだ。オイ戎、コレサ聾どの、エベスどのエベスどのエベスどの貴神は、マア舳に出て釣許りして厶るは一体、こなたは何う云ふ福の神ぢやい。福の神にも色々あつて、雑巾を持つて縁板などをフクの神もあれば、尻をフクの紙もある。きつぱりと素性を明かして呉れないか』 戎『俺かい。おれはナ、何事も聞かざる、見ざる、言はざると云つて、庚申の眷属を気取り、三猿主義を固守し、只堪忍をのみ守つて居るのだ。徳は堪忍五万歳だ。抑も拙者は、蛭子の命と云つて、正月三日寅の一天に誕生した若蛭子だ。商売繁昌を祈るが故に欲の深い連中から商売の神と崇められて居るのだ。誠に目出度う候ひけるだ、アハヽヽヽヽ。十日戎の売物は、はぜ袋に、取鉢、銭がます、小判に金箱、立烏帽子、桝に財槌、束熨斗、お笹をかたげて千鳥足』 大黒『アヽコレコレさう踊り廻すと船の上は危険だ。モウ良いモウ良い御中止を願ひます』 大黒『エヽ時に寿老人殿、貴神は何時も何時も渋い面をして落付払つて厶るが、こんな芽出度い時には、チツと笑つて見せても可いぢやないか』 寿老『イヤ是は又迷惑千万、物価謄貴生活難の声喧しき、この辛い時節に、あまい顔をせよとは、粋にして且つ賢明なる方々にも似合ぬお言葉では厶らぬか。拙者は何時も苦い顔をして倹約を第一と守り、郵便貯金を沢山にして、他人に損をかけず、自分も損を致さねば、心労なき故、長命を仕るのぢや。長命に過ぎたる宝は厶らぬ。兎角、拙者の行り方を見習へば、たとへ福は授からなくとも、自然に福徳が保てますぞや』 福禄『ヘン、何程長命したとて、ソンナ苦い顔をして一生送るのなら、余り福徳でも在るまい。笑つて暮すのが、何より人生の幸福だ。高利貸の親父でも、たまには笑ふぢやないか。ナア、皆の福神連中さま』 寿老『イヤ恐れ入る。併し自分は是でも人の知らぬ心のよろこびに充ちて、楽しく日を送つて居るのだ。サテ、愚老許りお喋舌いたして皆様の交際を忘れて居た。余りの楽しさと、面白さと、今度の御婚礼の目出度さとに気を取られて、アハヽヽヽヽ。サア是からお交際申さう』 と傍にあり合ふ妻琴を引寄せ掻きならし、 (歌)『忍ぶ身や夜な夜なもゆる沢の螢火に夜更渡りぬる』 寿老『余り長いのは皆様のさはりになる。長い者を俗に長者と言ふさうぢや。ヤ、是はしたり、長い者とは福禄寿様へ差合ました。失礼々々』 布袋和尚は吹出して、 布袋『アハヽヽヽアハヽヽヽ、オホヽヽヽ、ハテ、コリヤ面白い面白い面白いハヽヽヽヽヽ奇妙々々』 毘沙門天は、むつとした顔しながら、 毘沙『ヤイ、そこな土仏坊主奴。何がそれ程可笑しいのだい。袋と腹とで乗合船の居所を狭めて居る癖に、チツと位遠慮召さつても可いだらう』 布袋『アヽ、コレコレ毘沙殿。さう腹立まいぞや、腹立まいぞや、立腹まいぞや。少々は乗合の邪魔にも成るだらうが、ソコは仲間の事だから、神直日大直日に見直し聞直してマアマア曰く因縁を聞き玉へ。夫れ一家一門附合、朋友、得意先、丸う無くては治まらないと云ふ道理は、拙者のこの天窓で判るだらう。眼まで丸い布袋和尚だ、ハヽヽヽヽ。まつた腹は大きくなければ、心がさもしいものだ。そこで愚僧が此大きい腹を突き出し、腹鼓を打つて一通りお話致すで厶らう。 「ソレ、この袋といつぱ」見たる事聞きたる事、よしあし共に忘れぬ様、中へ納めて斯の通り、もたれて居申すなり。又世に子宝と云へるが、稚き者ほど可愛者はあり申さぬ。その稚き者を団扇を持つて行司仕り居り候也。アヽ宜き楽みかな宜き楽みかな』 福禄『イヤ布袋どの、尤も尤も、尤も次手に笑はしやるのも尤も尤も。「笑ふ門へは福禄寿」サレバお咄し申しませう。夫れ天窓が長ければ背はズント低う厶る。低うなければ愛嬌を失ひます。先づ入口を這入るにも長いによつて余ります。天窓を下げて這入ります。それで愛嬌が厶るだらうがの、愛嬌ついでに皆さま、おはやし頼みます。 「越後の国の角兵衛獅子、国を出る時や、親子連れ、獅子をかぶりて、くるりと廻つて、首をふりまする、親父や、まじめで笛を吹く」 ヨー、ハヽヽヽヽ福禄寿さま、大当りだ大当りだ。アハヽヽヽヽ』 六福『併し獅子の頭が少々高過ぎるぢやないか。ハヽヽヽヽ』 福禄『ハテ、頭が高うもなければ納まらぬ事もある物だ。是もやつぱり世界の道具だからのう。ハヽヽヽヽ』 毘沙門天は居直りて、 毘沙『ムヽヽヽヽ、ハヽヽヽヽ面白し面白し、吾は異形の姿にて鉾携へし身乍らも、七福神の列に加はる其由来を物語らむ。そも不身持山の皆身(南)に当りて難渋ケ嶽の峰に住む、貧乏困神とて悪神あり、彼に徒党の奴原を悉く誠罰し諸人の患を救はむと、この日の国に天降り、日出る国信貴山に根城を構へ、追付悪神討亡ぼし、困窮の根をたやさむこと、此多聞天が方寸の内にあり、ハヽヽハヽヽハヽヽヽヽ、悦ばしや嬉しや』 と勇める顔色、威あつて尊く、実に有難き霊験なり。 皆一同にあふぎ立て、中に取分け弁財天。 弁天『何れに、おろかは無けれども、多聞天のおん物語、勇ましや。イザヤ発船、又の御げん』 とのたまふにぞ、さらばさらばと漕ぎよせて、竜宮館の水の面に、清き宝の入船や、七福神の霊験も、仁義釈教、恋無常、勧善懲悪聞明し、改過を作るその主は、近松ならで松の元、一とふし込し、竹本ならぬ国武彦の御助け、梅の香床しき一輪の、花の流れや汲み取る綾の、聖地の玉の井に、映る言霊影きよく、照り輝きし玉照姫や、暗をも照らす玉照彦二柱、九月八日の慶びを、筆にうつして末広く、伝へ栄ゆる神祝ぎの、尽きせぬ神代こそ芽出度けれ。 (大正一二・七・一八旧六・五北村隆光・加藤明子共録) (昭和一〇・六・一六王仁校正)
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霊界物語 66_巳_オーラ山の山賊 01 暁の空 第一章暁の空〔一六八三〕 三千世界の救世主泥にまみれし現世を 洗ひ清むる瑞御霊神素盞嗚の大神の 堅磐常磐に鎮まれるウブスナ山の大霊場 斎苑の館の神柱八島の主の命を受け 此世の運命月の国ハルナの都に蟠まる 醜の曲津を三五の誠の道に言向けて 世界の平和と幸福を来さむ為の宣伝使 常夜の暗も照国の別命は国公や 梅公、照公伴ひて荒風すさぶ河鹿山 霜にふるへる冬木立神の使命を畏みて スタスタ登り下りつつ数多の敵の屯せる 難所を漸く突破して水底までも澄み渡る 葵の沼の月影も清照姫や黄金姫の 教司に廻り合ひ茲に袂を別ちつつ 神の依さしの宣伝歌声も涼しく唄ひつつ 東南を指して行く月日重ねて漸くに デカタン国の高原地タライの村の棒鼻の 茶屋の表に着きにけり。 梅公『先生、葵の沼も随分広いものですな。清照姫様、黄金姫様にお別れしてから、一瀉千里の勢で、人造テクシーに乗つて、随分駆け出した積ですが、たうとう夜が明けたぢやありませぬか。速力といひ、時間から考へて見れば、先づ二十里は確に突破したでせう。其間は一方は湖面の月、一方は茫々たる原野、人家も無く、時々怪獣の逃出す音に驚かされ、やツと此処で人家を見つけ、休息しようとすれば、どの家も此家も戸を締めて静まり返つてゐるぢやありませぬか』 照国『ウン、旭のガンガンとお照り遊ばすのに、気楽な所と見える哩。茫漠たる原野に人口稀薄と来てゐるのだから、生存競争だとか、生活難だとかいふ忌まはしい騒ぎも起らず、太平の夢を貪つてゐる此国人は、実に羨ましいぢやないか』 梅公『併し先生、私の考へでは各戸戸締めをして静まり返つてゐるのは、貴方の仰有る太平の夢ぢやありますまい。コレ御覧なさい、此処には血汐が流れて居ります。此血は決して犬や豚の血ぢやありますまい。大足別の部下が人民を殺害したり、いろいろの凶悪な事を行つた記念ではありますまいか。私の考へでは、人民が恐れて戸をしめて、息を殺してゐるのだらうと思ひますがな』 照国『大足別将軍がどうやら此処を通過したらしいから、或は掠奪、強盗、強姦、殺戮など、所在悪業をやりよつたかも知れないなア。実にバラモン軍といふ奴は乱暴な代物だ、兎も角此家を叩き起して様子を聞いてみようぢやないか』 梅公『何だか私は体内の憤怒といふ怪物が頭を擡げ出し、胸中聊か不穏になつて来ました。ヒヨツとしたら、此家の中にはバラモンの頭株が潜伏してるのではありますまいか。里人は已に已に家を捨てて逃去り、其後へバラモンの奴、ぬつけりこと住み込んで、吾々を騙討する計画かも知れませぬぜ』 照国『とも角、戸を叩いて呼起し、内部の秘密を調査してみようぢやないか』 梅公『オイ、照さま、君は何をふさぎ込んでゐるのだ。こんな所でへこたれて何うするのだい。これからが千騎一騎の性念場だぞ。神軍の勇士が、其青ざめた面は何だい』 照公『別に欝ぎ込んでゐるのぢやない』 梅公『そんなら何だ。心の戸締めをやつて、此家の主人の如く、家の隅くたで慄うてゐるのだらう。何時も偉相に云つてゐる刹那心はどこで紛失して了つたのだ』 照公『先づ此家を開けて見給へ、誰も居ないだらう。人間の住んでゐる家は屋根の棟を見ても活々してゐる。ここはキツト空家だよ』 梅公『馬鹿云ふな、何程不景気でも家賃が高くつても、かう五軒も六軒も空家が並ぶ道理がない。又空家なれば、はすかいピシヤンがあり相なものだ。斜かい紙の貼つてないとこを見れば人がゐるに定つてゐるワ』 照公『斜かひピシヤンつて何の事だい』 梅公『ハヽヽヽヽ世情に通じない坊んさまだなア。斜かいピシヤンといふことは、白い紙に貸家と書いて、戸をピシヤンと締め、それを斜交ひに貼ることだ。それのしてない所はキツと人がゐるのだ。兎も角戸を叩いてやらうかい。三千世界の救世主、其救世主のお使が門に立つてゐるのに、心の盲、心の聾は門を開いて迎へ入れ奉り平和と幸福とを味はふことを知らないものだ』 と云ひ乍ら、ドンドンドンと拳を固めて、メツタ矢鱈に、戸の破れる程叩きつけた。幾ら打つても叩いても、鼠の声一つ聞えて来ない。 梅公『どうも不思議だなア。不在の中へ無理に這入れば空巣狙ひと誤解されるなり、又仮令人が居つてもお入りなさいと云はない限りは、家宅侵入罪となるなり、コリヤ断念して、どつか外の家へ行つて休息することにしよう。先生、さう願つたら何うでせうか』 照国『ウン、お前の云ふのも一応尤もだが、思ひ切つて戸を叩き破つてでも這入らうぢやないか』 梅公『先生の御命令とあればやつつけませう』 と無理に戸を引開け、屋内に三人は進み入つた。見れば余り広からぬ座敷の隅に、雁字がらめに縛られ、額口から血を出して、虫の息になつた老婆が一人横たはつてゐる。 梅公『先生、ヤツパリ空家ではありませぬワ。可哀相にこんな老人が、しかも眉間に傷をうけ、雁字搦めにくくられて居るではありませぬか。此婆さまを助けて、事情を聞きませうか』 照国『あゝ兎も角神様に御願しよう。サアお前達も私と一緒に神言を奏上しよう』 『ハイ畏まりました』と梅、照の両人は音吐朗々として神言を奏上し、天の数歌を数回繰返した。老婆は初めて気のついたかの如く、秋の虫の霜に悩みし如き細き声を張上て、 老婆(サンヨ)『何れの方かは知りませぬが、よくマアお助け下さいました。どうぞ、お慈悲に此縄を解いて下さいませ』 梅公『お前が頼まなくても助けに来たのだ』 と言ひ乍ら、短刀を取出し縄目をプツと切つて、 梅公『サアサアお婆さま、安心なさい。モウ吾々が現はれた以上は、虎でも狼でも獅子でも恐るるに足らない。ここにゐられる先生は照国別といつて、神力無双の勇士だよ。これには何か深い理由があるだらう。一度話て下さらぬか』 老婆(サンヨ)『ハイ有難う厶います。喉が渇いてをりますから、恐れながら水一杯戴けますまいか』 梅公『ヨシヨシ水は無代だ。お前が青息吐息をついてる九死一生の場合を、葵の沼で無料で購入して来た水筒の水、サアサア遠慮はいらぬ、幾らなつと呑みなさい。一杯で足りなけりや、若い者の足だ、幾らでも汲んで来てやらう』 と水筒を老婆の口にあてた。老婆は飢え渇いた餓鬼の如く、クツクツと喉を鳴らし、瞬く間に水筒を空にして了つた。 梅公『これが所謂命の清水だ、瑞の霊の御利益だ。婆さましつかりしなさいや』 老婆(サンヨ)『ハイ有難う厶います。貴方に頂いた此清水、五臓六腑に浸み渡り、体中が活々として参りました。そして俄に温かくなつて参りました。有難う厶います』 照公『時に梅公、此御婆さまの額口にはエライ傷が出来てるぢやないか。此傷をば直してやらなくちやならうまい』 梅公『オイ照さま、お土だお土だ』 照公は『成程』とうなづき乍ら、表へ駆出し、一握りの黄色い真土を取つて来て、婆さまの疵口に塗り、繃帯で鉢巻をさせ、二三回数歌を奏上し、 照公『サアお婆さま、これですぐ平癒するよ』 老婆(サンヨ)『ハイ、おかげ様で最早痛みがとまりました。人を悩める神もあれば、人を助ける神もあるとは、よく云つたことで厶います。貴方は本当に救世主で厶います。此御恩は決して忘れは致しませぬ。私はサンヨと申す者で若い時から夫に離れ、二人の娘と細い煙を立てて暮して居りましたが、姉の方は性質が悪く、十八の春私の宅に泊つた修験者に拐かされ、行衛は知れず、あとに残つた一人の妹を力として、余命をつないで居りました所、バラモン軍の大足別将軍の部下がやつて参りまして、私の娘を掠奪しようと致しますので命に代へても渡されないと拒みました所、何と云つても老人の非力、一方は血気盛りの命知らずの軍人、五六人の奴に、貴方の御覧の通り、手足を雁字り巻に縛られ、刀のむねで額を打たれ、致死期の際に、貴方に助けられたので厶いますが、何うか貴方等の御神力によりまして、誠につけ上りのした願なれど、モ一度娘に合はせて下さることは出来ますまいかなア』 と老の涙に膝をぬらしてゐる。照国別は気の毒さに堪へず『ウン』と云つた切り、両眼を塞いで、何事か祈願をこらしてゐる。照公も両眼に涙を浮かべ、老婆の痩こけた哀れな面を見つめてゐた。老婆は一行の面を打仰ぎ乍ら、宣伝使の返答いかにと待ち佗面である。少時は沈黙の幕が四人の間におりた。 梅公『婆アさま、其さらはれた娘といふのは年頃は幾つだな』 サンヨ『数へ年十八歳で厶います』 梅公『年は二八か二九からぬ、花の莟の真娘、人もあらうに、バラモン軍にさらはれるとは因果な母娘だなア。ヨーシ、私も人を救ふ宣伝使の卵だ。男子が一旦こんなことを聞いた以上、何うして見逃すことが出来よう。義侠心とかいふ奴、私の肚の中でソロソロ動員令を発布しさうだ。婆さま安心なさい。キツト私が取返してみよう、男子の言葉に二言はありませぬぞや』 サンヨ『有難う厶います。枯木に花の咲いたやうな気分になりました。私の生命は何うなつても惜みませぬから、どうかあの娘をお救ひ下さいませ。そして私は最早老齢、此世に少しも未練は厶いませぬが、姉といひ妹といひ、行衛が知れないので厶います。どうぞ貴方がどちらかにお会ひ下さらば、娘の身の上をお任せ致します』 梅公『お婆さま、お前の娘とあらば随分別嬪だらうな。お前の面立ちも一しほ気品が高く、昔は花にウソつく美人であつたらう。其俤がまだ残つてゐるよ』 サンヨ『ホヽヽヽ御冗談斗り仰有いまして……私は此通り皺苦茶だらけの狸婆で厶いますが、親の口から申すと何だか自慢のやうに厶いませうが、此里きつての美人だと、娘は言はれて居りました』 梅公『さうだらう、美人と聞けば猶更憐れを一層増すやうだ。お婆さま、心配なさいますな。キツト此梅公が助けて見せませう』 サンヨ『何分宜しう願ひます』 照公『オイ梅公、美人と聞いて、俄に貴様の顔色がよくなつたぢやないか、ハツハヽヽ』 梅公『一度に開く梅公の花嫁だ。キツと俺のムニヤムニヤムニヤ』 照公『ハヽヽヽヽ、たうとうあとをボカして了ひよつたな。併し先生、梅公が軽率にも、美人と聞いて安請合に請合ましたが、何うでせう、ここの娘も気の毒だが、大足別の部下が行く先々で所在悪虐無道をやつてゐると思へば、ここの娘の一人に全力を尽す訳にも行きますまい。あなたと私は一時も早く此場を立去り、ここの娘の一件は梅公に一任しておこうぢやありませぬか』 照国『いや、心配はいらぬ。何事も吾々の耳に入つた以上は、キツト神様の御引合せだから、娘さまの所在も分るだらう。又お婆さまも益々壮健になり、千歳の命を保つであらう。兎も角三人が肚を合せ、御神業の為に進まうぢやないか。コレコレお婆さま、照国別が呑み込んだ、キツト二人の娘を助けて上げませう』 サンヨ『ハイ有難う厶います。何分宜しくお慈悲を願ひます』 と、とめどもなく涙にひたつてゐる。 かかる所へ門口のあいたのを幸、二人の男が慌ただしく入り来り、 甲(エルソン)『オイ婆さま、お前の宅は別状ないかなア』 乙(タクソン)『実ア、婆さま一人、娘一人、バラモン軍の襲来で困つて居るだらうから、助けに来たいと思うたが、何分俺の女房迄取さらへられて取返すことの出来ないやうな場合で、残念だつた。どうぢや、花香さまは、御無事だつたかなア』 サンヨ『あゝお前は、タクソン、エルソンのお二人さまか、ようマア親切に来て下さつた。残念乍ら娘の花香はバラモン軍にかつさらはれました。オンオンオン』 と村人の親切な言葉を聞いて恥も外聞も忘れて泣き倒れる。 タクソン『お婆さま、心配するな。キツト、バラモンの神様の御守護で、時節をまつてをれば、親子の対面をさして下さるだらう。私だつて女房を取られ、財産をボツたくられ、実に悲しい目に会うたけれど、日頃信仰のおかげで何事も神様に任せ、慰めてゐるのだ。あーあ』 と吐息をつく。 サンヨ『私は娘を取られ、吾身は雁字搦みにしばられ、剣のむねにて眉間を打たれ、虫の息になつてゐた所を、此先生方が御親切にお尋ね下さつて、いろいろと介抱なし下さつたおかげで、甦つたのだよ。どうか、此方々に御礼を申して下さい』 タクソン『ヤ、余りあわててゐるので、三人のお方に御挨拶も忘れてゐた。……コレハコレハお三人さま、誠に失礼を致しました。そして貴師はバラモンの宣伝使で厶いますか』 梅公『イヤ、吾々はバラモンではない。斎苑の館の瑞の御霊大神の神勅を奉じ、天下を救済に廻つてゐる三五教の宣伝使だ』 タクソン、エルソンの二人は『ハツ』と驚き両手をついて、落涙し乍ら感謝の意を表してゐる。高原を吹渡る名物の大風は窓の戸をガタつかせ乍ら、ヒユーヒユーと怪しき声を立てて北から南へ渡つて行く。 (大正一三・一二・一五旧一一・一九於祥雲閣松村真澄録)
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霊界物語 66_巳_オーラ山の山賊 11 亞魔の河 第一一章亞魔の河〔一六九三〕 スガコはオーラ山の岩窟に玄真坊につれ込まれ、天国に於ける神の族籍を査ぶる為と称し、一週間も待たされてゐた。彼は其間に無聊を慰むる為、望郷の歌を唄つてゐた。 スガコ『オーラの峰は高く共此谷川は深く共 吾身を育てはぐくみし誠の親の御恵に 比べまつれば九牛の一毛だにも如かざらむ 夜な夜な通ふ風の足吾垂乳根の父上の 居間の雨戸を訪れてさやぎまつれど如何にせむ 風に霊なく言葉なく吾言霊をまつぶさに 伝へむ由もなく斗り父は吾身の行く末を 案じわづらひ玉ひつつ歎きに沈み朝夕の 食物さへも進まずに吐息をつかせ玉ふらむ あゝ恋しや父の御顔容妻に別れて只一人 浮世の風にもまれつつ妾を杖とし力とし 後添さへも持たせられず恵みはぐくみ玉ひしを 夜の嵐に誘はれて一人の娘は雲がくれ 探ねむ由も荒風の野原を亘る声斗り 悲しみ玉ふ有様を今目のあたり見る心地 吾身に翼あるならば此岩窟を脱け出でて 帰らむものとは思へ共玄真坊のいぶかしき 其まなざしにいとめられ進みもならず退きも ならぬ苦しき果敢なさよ玄真坊といへる人 自ら天の神様の化身といへど訝かしや 別に変りしこともなく朝な夕なに吾側に い寄り添ひ来て厭らしき目色を注ぎ忌まはしき 言葉の端の何となくいとも卑しく思ほゆる 醜の曲霊の取憑り世を紊さむと企らみて かかる悪戯なすならむあゝ惟神々々 梵天帝釈自在天大国彦の大御神 一日も早く吾胸の雲を晴らさせ玉へかし 大日は照る共曇る共月は盈つ共虧くる共 仮令大地は沈む共神の御恵父の恩 一日片時忘れむや神の形に造られし 妾は神の子神の宮神に等しき此身にも 曲の雲霧かかるとは実に訝かしき世の様よ あはれみ玉へ天地の誠の神の御前に 慎み敬ひ願ぎまつる。 思ひきや誠の神と思ひしに 吾身を恋ふる神司とは。 いと聖き神の柱と思ひしに 怪しきことの多き人かな。 此儘に仇に月日を過しなば 妾も曲の餌食とならむ』 斯く歌つてゐる所へ、玄真坊は鍵を以て錠をねぢあけ、ソツと入来り、 玄真『スガコ殿、どうも忙しいことで厶つた。今日は殊更沢山な参詣者で、此方も実に多忙を極めたよ。併し乍ら最早七つ下り、漸く人は家路に帰つたから、先づお前の美しい顔容を見て、一日の疲れを休めようと思ふのだ。何とマア美しい顔だなア』 と厭らしげな笑を湛へ、川瀬の乱杭のやうな歯をニユツと出して、スガコの頬にキッスをしようとする。スガコは驚いて『アレまあ』と言ひ乍ら、象牙細工のやうな白い美しい手で、玄真坊の額をグツと押した。 玄真『アツハヽヽヽ、怖いか、可笑しいか、恥かしいか。テも扨も初心な者だなア。オイ、スガコ、今日初めて天から使が来て、お前の神籍を査べて見た所、マア喜べよ、第一霊国の天人で、而も此方の女房の霊だつたよ。それだから、相応の理に仍つて天に在つては比翼の鳥、地に在つては連理の枝、どうあつても天地相応の真理により、其方と夫婦にならなくちや、やり切れない因縁が結ばれてあるのだ。何だか其方の危難を救つた時から、床しい女だと思つてゐたが、よくよく査べて見れば、右の通り、どうぢや、姫、嬉しいか』 スガコは真青な顔をして、唇を紫色に染め、声を慄はせ乍ら、 スガコ『エー、残念やな、妾は貴方に謀られました。如何したら可からうかな。梵天帝釈自在天様、何卒此急場をお助け下さいませ、惟神霊幸倍坐世』 玄真『アハヽヽヽ、流石は少女だ、ヤツパリ恥しいのだな。初の間は三番叟でも後には深くなるものだ。あゝイヤイヤイヤ、オーハ、カツタカタ、遂には、カツタカタと埒のあくもんだて、結局男子の方が恋にカツタカツタだ、アハヽヽヽ』 スガコは忌々し相な顔をし、眉の辺に皺をよせ乍ら、 スガコ『モシ玄真様、何卒妾をお赦し下さいませ。其代りに外の事なら、どんな御用でも致します』 玄真『ヤア、お前は第一霊国の天人の霊だから、卑しい炊事や掃除などは、霊に不相応だ。只拙僧の神業即ち神生み、人生みの御用さへすれば、こけた箒を起すこともいらない。さてもさても幸運な生れつきだのう』 と玄真坊はスガコに内兜を見透され、蚰蜒の如く嫌はれてゐるのを、恋に晦んだ眼には盲滅法界、あやめも分ず、恋の黒雲に包まれ、得意になつて、うるさく口説きたててゐるのである。スガコは一つ困らしてやらうと思ひ、平気の面を装ひ乍ら、微笑を浮かべて、 スガコ『妾が最も敬愛する師の君様、貴方様は妾の危き生命をお助け下さいまして、天にも地にも代へ難き御高恩、万劫末代、ミロクの代までも忘れは致しませぬ。其上妾の神籍までお調べ下さるとは、何たる勿体ない事で厶いませうか。第一霊国の天人の霊と仰せられましたが、もしや妾は棚機姫の命では厶いませぬかい』 玄真『ヤア流石は偉い者だ。其方のいふ如く全く棚機姫命のお前は霊だよ。星さまでいへば天の川を隔てた、右側の姫星様だ。そして此方は彦星だ』 スガコ『ヤ、それで分りました。棚機様は年に一度の逢瀬とやら申しますが、それは事実で厶いませうか』 玄真『そらさうだ、開闢以来動かす可らざる天律に仍つて、万劫末代きまつてゐる、本当に仲のよい夫婦だよ。天の川を隔てて、年が年中、互に面を見合せて居らつしやる神様の、吾々は霊だからなア。だから私とお前は、朝から晩迄面を見合せ、仲能う暮さねばならぬ因縁があるのだ』 スガコ『成程、左様で厶いますな。然らば、妾と師の君様とは、天に於て夫婦の霊、年に一度の逢瀬とやら、仰せ御尤も。妾も天地相応の理によりまして、七月七日の夜まで師の君様と夫婦になることは出来ませぬなア。まして貴方様は天帝の化身とやら、天帝からして神律をお紊しなさるやうなことは厶いますまい。どうか、此谷川を天の川と見なし、川向ふへ妾をおいて下さらば、それこそ天地合体合せ鏡ぢや厶いませぬか』 と巧く言ひぬけて了つた。玄真坊は……うつかり、口糸をたぐられ、取返しのつかぬことになつて了つた……と一時はギヨツとしたが、中々の曲者、『アハヽヽヽ』と大口をあけ、無雑作に笑ひ乍ら、 玄真『オイ、スガコ姫、本当は棚機姫様ぢやない、モツトモツトモツト奥の奥の立派な立派な神様だ』 スガコ『ヘーエ、そりや又何ういふ神様で厶いますか』 玄真『マアさうだなア、お前の霊は木花姫の大神様、そして俺の霊は岩長姫命だ。それだから、何うしてもかうしても夫婦にならなくちやなるまい。此玄真坊は岩の如く頑として威厳の備はつた修験者。常磐堅磐に、さざれ石の巌となりて苔のむす迄、此世を守る下津岩根の大ミロク様も同様だ。そしてお前の霊は木花咲耶姫命様だから嬋娟窈窕たる花の如き美人、否花にも優る美人、柔よく剛を制すといつてな、お前は柔、俺は剛だ。併し剛又柔を制すといふことあり。剛中柔あり、柔中剛あり、不離不即、密接固漆の関係があるのだから、何と云つても天地から結ばれたる夫婦の間柄だよ』 スガコ『ホヽヽヽあのマア師の君様のヨタを仰有いますこと。岩長姫は御女体、木花姫様も御女体、そして天の神様ではなくて、国津神様の御娘子、御二人様は姉妹の間柄ぢや厶いませぬか。愚昧な妾だと思召、いいかげんに嘲弄しておいて下さいませ。天を以て父となし、地を以て母となし、八百万の神に御説法をなさる貴き御身を以て、月に七日の汚れある女の妾に御からかひ遊ばすとは御冗談にも程が厶いますよ、ホツホヽヽヽヽ』 玄真『イヤもう何から何迄、目から鼻、耳から口へつきぬける計りの大学出の才媛だ。天地を父母とする此玄真坊も、其方には一本参つたワイ、アツハヽヽヽ』 スガコ『ソレ御覧なさい。師の君様は妾に対し冗談を云つてゐらつしやつたのでせう、神様に似合はず、お人が悪いぢやありませぬか』 玄真『イヤ、ナニナニ嘲弄所か、冗談所か、真実真の一生懸命だ。お前の為なら、一つよりない命をすてても構はないといふ覚悟だ。決して嘘言はつかない、冗談は言はない。万一此方の言葉に詐りがあつたら、一つよりない首でもお前に与るワ』 スガコ『ホヽヽヽヽヽそんな首、貰つたつても、煙草入の根付けにもなるぢやなし、仕方がありませぬワ。髑髏にして枕にした所で格好が悪くつて、不釣合なり、廃物利用の利かぬ首つ玉ですからね』 玄真『コリヤ姫、何と云ふ、姫御前の優しい面にも似ず、無茶なことをいふのだ。お前は私のいふことを誤解してゐるな。よく考へてみよ。此玄真坊は神様に仕へる時は即ち天帝の化身であり、神様の御用を休んだ時は一介の修験者だ。神の籍に於ては神の活動をなし、人の籍に於ては人の活動をなし、変現出没自由自在、或時は天に蟠まる竜となり、或時は古池になく蛙となり、時ありては蠑螈蚯蚓になる。之が即ち神の神たる所以だ。ここの道理をトツクリと考へて、いさぎよい返事をしてくれ、なあスガコ』 スガコ『あゝ左様で厶いますか、貴方は神となつたり、人となつたり、甚だしきは蛙となつたり、蠑螈蚯蚓となつたり、何とマア器用な御方ですこと、併し乍ら玄真坊様、私は益々貴方が怖いらしくなつて参りましたよ。そして夫婦になれと仰有る様ですが、私も月に七日の障ある人間の肉体、神様と添ふ訳には行かず、又修験者は女に接する時は死後仏罰に仍つて七万有尋の大蛇となり、且つ修験者に犯された女は八万地獄に墜ちるといふバラモンの教、かう考へてみますれば、修験者としての貴方の妻になる事は絶対に厭で厶います。況んや人間と生れ乍ら、蛙、蠑螈、蚯蚓などと夫婦約束は到底出来ませぬ。どうか悪からず此理由を御賢察下されまして、忌まはしい夫婦関係などには言及なさらないよう、御願申します。其代り妾はどこ迄も、貴方様を師の君様と尊崇し、敬愛し、誠を尽しますから、貴方も妾を愛して下さいませ。そして結構な経文を教て下さい。お願申します』 玄真『マアマア今日はこれ位にしておかう、お前も神経昂奮してゐるから、何を云つても耳に入るまい。女といふ者は一日に七度も心が変るといふから、水の出ばなに何をいつても駄目だ。又風向のよい時にゆつくり話さう程に。左様ならスガコ殿、ゆつくりお休みなさい』 といひ乍ら、やや悄気気味になつて、岩の戸をあけ、吾居間なる次の岩窟に帰り行くのであつた。後にスガコ姫はハツと吐息をつき乍ら、独言。 スガコ『あゝ情ないことになつたものだなア。かやうな所へ拐かされ、悪人輩の恋の犠牲に供せられむとするのか。一度は拒んでみても、かれ玄真坊の燃ゆるが如き恋の炎は容易に消すことは出来まい。何とか彼とか言つて一日送りに日を送り、助け人の来る迄時節を待つより仕方がない。あゝ父上は嘸、妾の行方について御心配して厶るだらう。何とマア不運な父娘だらう。悩み禍の浮世とは云ひ乍らジャンクの家には、これ程迄に禍の見舞ふものか。テもさても残酷な世の中だなア。あゝ惟神霊幸倍坐世。天地の大神あはれみ玉へ救ひ玉へ』 (大正一三・一二・一六旧一一・二〇於祥雲閣松村真澄録)
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霊界物語 66_巳_オーラ山の山賊 12 恋の暗路 第一二章恋の暗路〔一六九四〕 コマの村の里庄が二男サンダーは許嫁のジャンクの娘スガコの行衛不明となりしより怏々として楽しまず、日夜煩悶苦悩の結果、神経病を起して一室に閉ぢ籠り、人に会ふのを嫌ふやうになつた。両親はサンダーの憂欝に沈める状態を見ていろいろに心を苦め、医者よ、薬よ、修験者よと騒ぎまはれども、サンダーは一切の医薬を排し且修験者の祈祷を嫌ひ、一室に潜んで時々自分の髪の毛を毟つたり耳を掻いたり、体中を自分の爪で掻き拗り、半狂乱の如くになつて居た。さうして時々怪しげな声で述懐をのべて居る。 サンダー『ジャンクの家に生れたるトルマン国に名も高き 美人と聞えしスガコさま結ぶの神の引合せ いつかは合うて妹と背の赤き縁を結び昆布 苦労するめの夫婦ぞと楽しみ待つた甲斐もなく 世は味気なき諸行無常今に行衛も白雲の 何処の果にましますか柳の眉毛涼しき目許 つんもりしたる鼻貌紅の唇、花の口 耳にかけたる七宝や時々光る夜光石 髪は烏の濡羽色起居物腰しとやかに 棚機姫の大空ゆ天降りましたる風情にて 此世に人と生れまし吾恋妻となり玉ふ 間近き空に果敢なくも秋の木の葉と散り果てて 何処のいづこに在しますか但しは猛き獣の 餌食とならせ玉ひしか思へば思へば味気なき 憂世に残されいつ迄も長らふ事の恥しさ 吾等も男の子の端なれば恋しき妻を奪はれて いかで此儘泣き止まむ吾玉の緒のある限り 雲を分けても探し出し容貌美はしき姫の顔 再びまみえ村肝の心の奥を語り合ひ 互に手に手を取り交し此世を広く楽もしく 暮さむものと思ふより頭は痛み胸つかへ 日月空に輝けどいとも暗けき心地して 闇夜を渡る如くなりあゝ如何にせむ千秋の 怨はつきじトルマンの国に塞がる雲の空 空行く雁の心しあらば恋しき姫の在所をば 尋ね求めて吾恋ふる心を伝へ呉れよかし 儘ならぬ世と云ひ乍ら神や仏に見放され かかる憂目を味あふか親の罪とは誰が云ふ 誠の神は親々の重き罪をば生みの子の 身魂に迄も厳かに加へますべき道理なし あゝ惟神々々天地の間に神まさば 吾胸先の苦しさをいと速かに科戸辺の 風に払はせ玉へかし朝な夕なに姫の身の いと安かれと真心を捧げて祈り奉る 捧げて祈り奉る』 かく歌ひ了り、サンダーは力なげに気晴らしの為とて郊外に出で往来の人を眺めてゐた。サンダーは国内きつての美男子で白面の青年、常に女装を好み、何人も相会ふ人は之を男子と認むるものはなき程の美貌を備へてゐた。彼は門口に立つて空行く雲をポカンとして眺めて居ると、そこへ錫杖をガチヤンガチヤンと音させ乍ら現はれ来る白髪異様の修験者、彼が美貌を見て、その前に錫杖を止め、顔色を和げ乍ら、 修験者『これこれお嬢さま、貴女は顔色が悪いやうだが、何か心配事が厶るかな。若い娘に、よくあるラブと云ふ病ではなからうか。それならばオーラ山に現はれ玉ふ救世主の許に参拝し御祈願を籠めなされ。必ず霊験がありますよ。拙僧はオーラ山の活神玄真坊様の高弟でシーゴー坊と申すもの、人助けのために各地を遍歴致す修験者で厶る。いかなる煩悶苦悩も、オーラ山の玄真坊さまに伺へば忽ち煙散霧消し、平和と幸福の太陽が、貴方の心天に輝くであらう。帰妙頂礼神道加持謹上再拝』 と厳かに呪文を唱へる。サンダーは今迄修験者の祈祷を両親から勧められ、又出入の者からも勧められてゐたが、チツトも気が向かなかつた。然るに今目のあたり威儀厳然たる修験者に会ひ、どこともなく頼もしき言葉に釣り込まれ、少しく心が動き出した。 サンダー『もし、修験者様、私はあるにあられぬ煩悶苦悩の淵に沈んで居ります。もはや此世が嫌になり、一層天国の旅をなさむかと只今思案にくれてゐた所で厶りますが、いかなる煩悶苦悩も玄真坊と云ふ活神様に願へばお助け下さるでせうか』 シーゴー『貴方は、まだお聞きなさらぬか。御霊験の顕著なること日月の如く、オーラ山に向つて参拝する善男善女は蟻の甘きに集ふ如く、明六つより午後の七つ時までは引もきらぬ群集、各自神徳を頂いて帰りますよ。中には妻を失ひ、娘を失ひいろいろ心配して居られた方が、玄真坊の天眼力によつて、所在分り歓喜の涙に浴して居られる方も沢山厶ります。まづ一度お詣りなさいませ』 サンダー『あらたかな神様がオーラ山に現れたといふ事はチヨコチヨコ承つて居ますが、偽救主、偽キリストが雨後の筍の如く現れる時節ですから、又その種類と存じ、僕共の忠告をも聞かず今迄疎んじて居りましたが、貴方のお話を聞いてどうやら心が動き出して来ました。然らば近い中、気分のよい日を考へて参拝致すで厶りませう』 シーゴー『や、それは結構です、屹度後利益がありますよ。一日も早くお詣りなさいませ』 と云ひ乍ら、素知らぬ顔して又もや錫杖をガチヤつかせ乍ら遠く彼方へ進み行く。 サンダーは暗夜に一縷の光明を得たる如き心地して、その日の夕暮よりソツと吾家を抜け出でオーラ山の大杉の星の光を目あてとし、道々歌を歌ひ乍ら夜風に吹かれつつトボトボと進み行くのであつた。 サンダー『天津御空は澄み渡り草より出でし日の神は 又もや草に入りましてあとに輝く望の月 星の光は疎にて気は澄み渡る大野原 吹き来る風に百草のそよぎの音も騒がしく 犬の泣き声かしましく彼方此方の村々ゆ 聞え来るぞ恐ろしきスガコの姫の所在をば 探ねむものと足乳根の父と母との目を忍び 夜に紛れて一人旅淋しき野路も誰故ぞ 生命に代へて愛したるスガコの君があればこそ スガコの姫よスガコさまお前は何処の空にゐる 無言霊話があるならばここに居ますと一言の 音信吾に送りませ吾魂は夜な夜なに 汝が所在を探ねむと中有に迷へど限りなき 此地の上の弥広さ何の手掛りなく計り 涙に袖を搾りつつ夜は淋しき一人寝の 枕に通ふ虫の音も汝が命の囁きと 思ひ迷ふぞ果敢なけれ此世に神の在ますなら 恋し焦れし二人仲結ぶの神の引合せ 必ず会はせ給ふとは思ひ慰めゐるなれど 心も暗き吾思ひ汲ませ給へよスガコ姫 呼べど叫べど荒風の中を遮る悲しさに 吾真心も汝が耳に直に入らぬが口惜しや 夢になりとも会はま欲しと思ひ寝れば夢に入り 恋しき汝が訪ひの声かと見れば雨の音 風の野原を渡る声汝を松虫、鈴虫や 実にもはかなき蓑虫の日に日に細る霜の下 実にも淋しき吾心根を汲みとりませよスガコ姫 汝に会はむと朝夕に思ふ恋路の募り来て 今は全く病気のままならぬ身となりにけり さはさり乍ら汝思ふ恋の力の不思議なる 病躯を起して野路山路区別白露分けて行く オーラの山の生神の稜威を受けて妹と背の 汝に会はむが楽みに冷たき夜風を浴び乍ら 露の芝草踏みしめて心の空の明りをば 杖や力と頼みつつ吾はイソイソ上り行く 吾はイソイソ上り行く』 サンダーはトボトボと夜露滴る高原を、オーラ山目あてに進みしが、途中に於てガラリと夜を明して了つた。身体綿の如く疲れ果て路傍の方形の岩に腰をかけ、息を休め遂には眠についた。音に名高き美青年、色は飽迄白く、玉の肌、衣を通して光るが如く眉涼しうして鼻筋通り、歯は象牙細工の如く白くして光沢あり、黒目勝の露を帯びたる目、誰が目にも女とより見えなかつた。大画伯の精根を凝らして成れる絵の中より抜け出て来た如き美人、四辺に芳香薫じ、音楽聞ゆるが如き思ひに満たされる。かかる美男子が女装したまま、頬杖をついて路傍の岩に腰打かけ眠つて居る其の風情は海棠の雨に萎るる如く、梅花の旭に匂へるが如く、一見人をして恍惚たらしめ、心魂をして宙に飛ばしむる如き光景である。 そこへシーゴーの部下なる、ショール、コリ等は十七八名の手下を従へ、髯に露を浮かせ、尻切草鞋をパサつかせ乍ら此場に現はれ来り、サンダーの眠れる姿を見て夢か現か将又天女の降臨か。魔か女かとアツケにとられ、少時佇んでゐた。 ショールは頻りに首を振り乍ら、左右の部下を顧み、 ショール『何と、綺麗なものだなア。オイ、まともから拝むと、目がマクマクするぢやないか。あれは果して人間だらうか、もし人間とすれば此間のやうに、何とか一芝居をして玄真坊様の岩窟に引張込まうぢやないか。さうすりやキツト御褒美に、又甘い酒でもふれまつて貰うと、ままだよ。なあコリ、貴様どう考へるか』 コリ『ウン全くだ』 ショール『何が全くだい。全くでは意味が分らぬぢやないか』 コリ『ウンウン何しろ全くだ。全く御免を蒙り度いわい。彼奴ア、キツト化衆だ。此世の中にあんな美人があらう筈がない、相手になるな。此間の美人だつて神徳高き玄真坊様が何程口説いてもたらしても、お挺にあはないのだもの。俺達のやうな小盗児連は、まづ相手にならぬ方がましだよ。いらはぬ神に祟なしだ。何時、尻尾を出すか知れない、サア逃げろ逃げろ』 とがやがや立ち騒ぐ。此声にサンダーはフツト目を覚まし、四辺を見れば森の烏はカアカアと清く鳴き亘り、小鳥はチユンチユンジヤンジヤンと鼓膜を揺がせる。サンダーはショール、コリの一隊に向ひ徐に口を開いて、 サンダー『もし、そこに居らるる方々、物をお尋ね致しますがオーラ山の修験者、玄真坊のお住居は何処で厶いますか。遠方から大杉を見当に参りましたが、麓にかかつてより目標を見失なひ、行手に悩んで居ります。どうか御案内下さいますまいか』 ショールは此の声にやつと安心し、 ショール『ヤツパリ人間だ』 と小声に囁き乍ら、 ショール『ハイ、私は此辺をうろついてゐる泥棒で厶いますが、玄真坊様の処へ案内せよと仰有いますけど、私のやうな悪人は到底お側へも寄れませぬ。此間も玄真坊に鉄拳の雨にあひ、吾々一同はコリコリ致して居ります。のうコリ、痛かつたな。又もや、こんな処にうろついて居る所を玄真坊様に見付けられたならば、「これ貴様はあれほど戒めて居るのに、ショールコリもせず小盗児をやつてるか」と、いかいお目玉を頂いては睾丸が縮み上ります。此道をスツト一直線に三十町許りお上りになれば、そこが玄真坊様のお館です。分らな、暫く待つて下さい。もう半時もすれば沢山な参詣者がここを通りますよ。さうすれば一緒にお上りになれば御案内もいりますまい』 サンダー『泥棒が泥棒と名乗るのは今が聞初めだ。そんな正直な事で泥棒渡世が出来るのか』 ショール『ハイ、貴方に対してのみ、こんな正直な事を申したのです。隠したつて貴下のその眼孔には、直ぐ看破されますからな。大方お嬢さまはシーゴー様の修験者に聞いてお詣りになつたのでせう』 サンダー『あゝさうです。修験者が私の門前を通り、あらたかな神様があるから詣れと云つて下さつたので、とるものも取り敢へず夜の道を急いで、やつて来たのですよ』 ショール『男のやうな言葉扱もあり、女のやうな言葉扱もあり、私としては、お前さまの正体は分りませぬが、貴下はそんな事云つて吾々の行動を調べて居らつしやるのでせう。大親分のヨリコ姫女帝様でせうがな』 サンダーは……女装をしてゐる事なり、ヤツパリ彼奴等は女と見て居る、今ヨリコ姫女帝と云ふたのは何か山賊の親分の名かも知れない。あゝ云ふ木端盗人は親分の顔を見る事の出来ないものだ。キツト数千の団体を抱へてゐる大親分だらう。此奴を一つ計略にかけ、疲れた足を歩むのを助かるため舁がして上つて見ようかな……と俄に大胆な心を起しワザとおチヨボ口をし乍ら、 サンダー『オホヽヽヽ、お前は妾の乾児と見えるな、お前の察し通りヨリコ姫女帝だよ。玄真坊さまのお側へ案内して呉れや。妾の体を大切に、荒男がよつて此阪道を舁き上げるのだよ。サア御褒美に之を与げよう』 と懐より小判をとり出し、ばらばらと大地に投げつけた、小盗児連は先を争うて拾ひ懐に捻ぢ込み、サンダーを大親分と思ひ、お手車に乗せて、きついきつい赤土の滑る坂道を汗をタラタラ流し乍ら大杉の下、玄真坊が所在へと送り行く。 (大正一三・一二・一六旧一一・二〇於祥雲閣北村隆光録)
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霊界物語 66_巳_オーラ山の山賊 15 喰ひ違ひ 第一五章喰ひ違ひ〔一六九七〕 玄真坊は、サンダー、スガコの二人の美人に現をぬかし、いかにもして両手に花をかかへた色男たらむと、七つ下りになつて数多の信者の帰つて行つたのを幸ひ、自ら包丁を手にして両人の喜びさうな珍味佳肴の料理にとりかかり、ホクホクもので捻鉢巻、襷がけで板場を稼いでゐる。そこへ附近村落の宣伝を了へて頭目のシーゴー坊が錫杖をガチヤつかせ乍らドシンドシンと帰つて来た。 シーゴー『これはこれは玄真坊殿、沢山の部下のあるにも拘らず、お手づから炊事をなさるとは不思議千万、人は重からざれば威あらず敬せられずとか云つて、さう軽々しうされちや部下を治むる重鎮の貫目が零になりますよ。サアサア早く部下にいひつけて料理をさせ、貴僧はヨリコ姫御女帝の前に伺候なされ。拙者も之から女帝の御前に宣伝の模様を報告致す厶らう』 玄真坊は、 『悪い所へシーゴーが帰つて来やがつた』 と聊か面喰つたが、流石の曲者、さあらぬ態にて、 玄真『アハヽヽヽ、これはこれはシーゴー殿、永らくの間の宣伝、御苦労で厶つた。貴殿の昼夜不断の御尽力によつて愚夫愚婦の寄り来ること層一層多く、人山を日々築き拙僧も随分疲労致して厶れば、今日は自ら料理をなし、快よく一杯やつて浩然の気を養はむと思つた処で厶る。サア早く女帝のお側へ行つてお休み下さい。拙者はキツトあとからお伺ひ致すで厶らう』 シーゴー『拙者も随分疲労致しました。貴僧のお手料理を賞翫するのも、亦結構で厶らう。どうか精々と御馳走を願ひ度いものですわい。時に玄真殿、コマの村の里庄が娘サンダーと云ふ花に嘘つく美人が当山へ来てゐる筈ですが御存じでせうな。拙者思ふ所あり山住ひの無聯を慰めむとて、懸河の弁を揮ひ、当山迄おびきつけた筈で厶る。御存じならば一目、彼に会はして貰ひ度い、アハヽヽヽ』 玄真坊は此言葉にヒヤリと頭から冷水を浴びせかけられたやうな気がしたが、もはや隠す訳にも行かず、思ひ切つて、 玄真『成程、チツト許り渋皮のむけた美人が先日参りました』 シーゴー『その美人は今何処にゐますか。是非一目会ひ度いものです。かう身体縄の如く疲れ果てては酒の一杯や二杯飲んだ所で到底元気は恢復致さぬ。絶世の美人の花の顔を眺め、丹花の唇より静かに出づる言の葉を耳に聴聞するが唯一の力で厶る。美人の笑みは所謂生命の源泉となるものだから、実は拙者の命の洗濯用にもと存じ、布婁那の弁を以て当山へ差向け置いた次第、如才のない貴僧の事であるから、キツト大切にして置いて下さつたでせう。貴下のお手料理は所謂、彼の美人等に勧むる為で厶らう。イヤハヤ感謝致しますよ。貴殿も自ら料理なんか成さるやうな方ではないが、恋愛と云ふ曲物に取挫がれては、からつきし駄目ですな。恋の奴となり、甘んじて下郎の役を遊ばすと見える。世の中に何が強いと云つても恋と云ふ奴ほど、無限力をもつてゐる奴はない。鬼を欺く髯武者の男子、しかも此白髪首も蕾の花の綻びむとする優姿を眺め、馥郁たる香気を嗅いだ時は、もとの昔に返つたやうで厶る、アハヽヽヽ』 玄真坊は二人の美人を永らく食料攻めにして苦めおき、今日ヤツト両人が香ばしい言葉を出したので恋の願望成就と、なるべく味のよい加減のよい食物を与へ、層一層二人の歓心を得むものと心を砕き力を尽し、汗を絞つて漸く馳走を拵へた所へ、シーゴーが帰つて来て、いろいろと耳の痛い事を聞かされ、夜食に外れた梟鳥か、小田の蛙が蛇に追はれて泣きそこねたやうな面をして、ブツブツと口の奥にて小言を云ひ乍ら、匆々に膳部を拵へ、シーゴーをして早く此場を立去らしめむと、いろいろと謎をかけるけれども、意地の悪いシーゴーは此場に立ち塞つて女帝の側へ伺ひに行かうとはせぬ。 シーゴー『ハヽヽヽ、此膳部は三人前で厶るな、成程、女帝様と拙者と貴殿とで厶るか、ヤ、貴僧ばかりに骨を折らせても済まない。拙者が膳部を運びませう』 玄真『イヤ、お構ひ下さるな。徹頭徹尾、拙者が取扱致しませう。サア早く貴僧は女帝様の御機嫌を伺つて来て下さい。女帝様も先日より貴僧のお帰りをお待ち兼ねですからな』 シーゴー『然らば之より女帝様に御挨拶に参りませう。幸ひ拙者も空腹なり、時分もよし、女帝様もお腹が空いてゐるでせう。貴僧が丹精をこらして手づから拵へになつた百味の飲食を三人で頂くのも愉快で厶らう。いや楽しい事で厶る』 玄真坊は二人の美人を喜ばせ、自分も一緒に舌鼓を打つて二人の嬉しい顔を見乍ら一杯やらうと思つて居たのに、九分九厘の処にシーゴーに帰つて来られ、 『どうせ御馳走はあて外れの処へ持つて運ばねばならぬやうになつて来た。加ふるに、苦心惨憺して吾意に八九分靡かせたサンダーは、どうやら、シーゴーが懸想してゐるらしい。今のシーゴーの言葉から考へて見れば、彼は自分の妻にしようと思つて、ここへ詣らせたのに違ひない。イヤ確に目的があつて弁舌にまかせ、彼サンダーを、此処へよこしたのだ。ハテ気の揉める事だわい。三人前の馳走をシーゴーに見つけられた以上は、どうしても女帝様に奉らねばなるまい。自分の分丈けを残して二人前、送るとした所で二人の女に一人前の膳部とは可笑しい、又女帝様の命令で……三人揃うて一杯やらう……等と云はれちや一人前の膳部も助からない。アさうすりや二人の美人に此玄真坊は益々信用を落す道理だ。……人を騙した残酷な奴だ……と、層一層怨まれるやうになつちや恋の目的は達成しない。チヨツ、偉いジレンマにかかつたものだわい。アーアー、此方立てれば、彼方が立たぬ、彼方立てれば此方が立たぬ。両方立つれば身が立たぬ……とは自分の事だ。アーア』 と吐息をついてゐる。そこへ慌ただしく、パンクが女帝の使として、やつて来た。 パンク『もしもし玄真坊様、女帝様のお使で参りましたが、今シーゴー様が久し振で宣伝を終へお帰りになりましたので、女帝様も非常にお喜び遊ばし、貴方にも来て貰つて女帝様、左守、右守のお三方が祝酒を飲み、御馳走をお食り遊ばすので、私に女帝様が「料理をせよ」と仰せられました所、シーゴーさまの仰有るのには、「イヤ女帝様、御心配下さいますな。今玄真坊様は天眼通を以て、拙者の帰るのを前知し三人分の馳走を拵へて居られますから、それさへここへ運んで来れば、いい」との事、流石の女帝様も「玄真坊様は何と、偉い奴だな」と、舌をまいて感心遊ばしましたよ。サア、何卒お待ちかねですから、女帝様のお居間へお越し下さい。お膳部は私が運ばして頂きます』 玄真坊は是非なく溝狸が頭から煮茶を被せられたやうな不足な顔して、二人の女に心を残しつつ天王の社の床下に築かれた地下室、女帝の居間へと進み行く。 女帝は一段高い床の上に座を占め、シーゴー、玄真坊は少し下つて鼎座となり、酒を汲み交はし乍ら手柄話に花を咲かした。パンクは酒注ぎ、飯つぎの役を忠実に勤めてゐる。何を云つても山賊の親分だから、余り小難い行儀もない。酒飲み乍ら、喰ひ乍ら、諄々と話を続けて云ふ。 ヨリコ『シーゴー殿、永らくの宣伝、御苦労であつた。その効果空しからず、神様は大変な御繁昌だよ。随分骨を折つたでせうな。その影響として玄真殿も、大変に多忙を極めてゐたやうだ、其方が帰つたら、一度慰労会を催し度いと思つて居た所だ。サア飲み乍ら食ひ乍ら、其方の活動振を聞かして貰はう』 シーゴー『ハイ、先づ顕著なる私の働きと云へばタライの村の美人スガコを初め、コマの村の美人サンダー姫を、うまく此方へ引寄せおき、尚も宣伝をつづくる中、ハルナの都より地教山に向ふバラモン軍の勇将大足別の部下が附近村落に宿営をなし、金銭物品を掠奪し、婦女を姦し甚しきは美人を持ち去り家を焼く等、乱暴狼籍至らざるなく、吾等が縄張を荒すこと甚しく、人心は恟々として、天の救ひを求むる好時節、此機逸してなるものかと、獅子奮迅の勢にて昼夜を分たず宣伝を致しました。中にも最も愉快なるはタライの村の里庄ジャンクは義勇軍を起し、バルガン城に向ふ事となり、最愛の娘は行衛知れず、自分が今戦場に向ふ上はもとより生て帰る事は思ひも寄らず、可惜巨万の財産を相続するものがないと云ふ破目、之ぞ天の与へ、拾はずんばあるべからずと、修験者の仮装を幸ひ、彼が出陣の間際に彼を訪ひ、殆ど応接の遑なき多忙をつけ込み、「オーラ山に降り玉ふ天来の救世主、玄真坊に全部財産を奉れよ」と掛合つた所、ジャンクの申すには「一人の娘は生死も分らぬ今日の場合、吾又戦場に向はば屍を山野に曝す覚悟、財産の必要はない、神様に奉るから天下万民のため、善用せよ」との頼み、イヤハヤ大成功で厶る、アハヽヽヽ』 ヨリコ『今に初めぬ其方の働き、天晴々々、マサカの時の軍資に宛つる事が出来るであらう。流石はシーゴー殿、ヤツパリ猪食た犬は猪食た犬だ。それでこそ三千人の頭目として恥かしからぬ頭目だ』 と頻りに褒めそやかす。シーゴーは満面の得意に大口を開けて笑ひ乍ら肩を揺すつて玄真坊に向ひ、 シーゴー『玄真殿、拙者の腕前はザツトこんなもので厶る。貴殿も一寸、おあやかりなさい。女帝様のお褒めの言葉を頂いて、もはや天下を握つたやうな気分が致すで厶る、アハヽヽヽ』 と酔に紛らし威丈高に笑ふ。玄真坊は折角二人のナイスを喜ばせようと思ひ丹精凝らして料理した膳部は捲き上げられ、田舎の爺が三里もある豆腐屋に行つて、油揚を買つて帰りに鳶に攫はれたやうな気のぬけた面をさらし、半泣きの態にて、 玄真『拙僧だとて、仲々の苦労が厶る。相手変れど主変らず、朝から晩まで雲霞の如く集まり来る老若男女に対して一々何とか、かんとか、ごまかさねばならず、中には骨のある奴があつて「そんな筈がない」とか「理が合はぬ」とか、難かしい哲学を楯に取つて理窟をこねる事もあり、日に幾度、ヒヤヒヤ、アブアブ、する事があるか知れないのですよ。その度毎に冷汗は出る、心臓は躍る、腹はデングり返る。何程小便が張りきつて居つても、活神様が中途に便所に行く訳にも行かず、大便は尚更のこと、真青な顔して、高座に上つてゐる時の苦しさ。シーゴー殿のやうに自由自在に広い原野を横行濶歩するのと違い、その苦しさは幾層倍かも知れませぬぞ。拙者の活動は地味ではあるが、最も苦しく且功績も多い。シーゴー殿の活動は云はば外的で花々しくて、愉快で、加ふるに功労は一々目に見えるのだから、拙者よりも余程勲功が高いやうに、一寸は見えるが、どうしてどうして拙僧の苦心に比ぶれば九牛の一毛にも如かないだらう』 シーゴー『ヘン、何程苦しいと云つても、七つ下れば上跨を打つて美しい女を口説き乍ら、休んでゐられるのだから楽なものだ。拙者の如きは昼夜の区別なく、荒風に吹き捲くられ、時々ポリスの追跡をうけ、バラモン軍に追ひまくられ、犬には吠つかれ、猛獣にも脅かされ、おまけに露の弾丸、霜の剣を身に浴びて、荒涼たる原野の中を縦横無尽に馳駆する苦しさ。到底岩窟の中に蟄居する守宮さまの、想像し得る処ではない。エー、時に拙者が弁舌を振ひ、千変万化の秘術を尽して当山へ差向けたるスガコ、サンダーの二人の美人は如何なされたか。男許りの酒宴ではネツカラ興が厶らぬ。玄真坊殿、どうか両人をこれへ引出し、酒の相手に歌でも謡はせては如何で厶るな』 玄真『如何にも、尤も乍ら、彼は今断食の修業中で厶れば、仮令呼び出した所で、お間には合ひますまい。顔色憔悴して土の如く、殆ど此世の人ではあるまい如き窶れた姿、寧ろ見ないが花で厶らう』 シーゴー『然らば修業が済んだ上、拙者も、ユルユル女神様にお目にかからう。もし女帝様、私の御褒美にサンダーと云ふ女を頂き度いもので厶います』 ヨリコ『サンダーと云ひ、スガコと云ひ、何れも其方の苦心惨澹の結果、引寄せたものだから、其方の自由にしたが宜からう。妾は女の事でもあり美人の必要はないから、其方の勇気をつなぐ為、自由にしたが宜からうぞや。玄真坊は天帝の化身だから、ここ暫くは女なんかに心は寄せず、飽迄聖者と成りすまし、目的の成就迄は辛抱して貰ひ度いものだ。のう玄真坊、其方もそれ位の考へはあるだらう』 玄真坊は頭をかき乍ら、 玄真『ハイ、エー、何で厶います。エー、拙僧もあく迄聖者を気取り、なるべく生神としての信用を保ち度く、昼夜に心を揉んでゐますが、何と云つても二人の美人、拙僧に恋慕致し、明けても暮れても玄真々々と云つて、夢現となり恋にやつれて今は見る影もなき有様、此両人を此儘にしておけば、もはや命は亡ぶるより道はありませぬ。此両人こそは音に聞えし富豪の娘、どこ迄も生命を保たせ人質となし、彼が親の財産を捲き上げて、軍資金の充実を図らねばならぬからと存じ、燃ゆるが如き二人の恋慕を煩さい乍ら、柳に風と受け流し、タワタワと濡れ畔を渡るやうにして、今日が日迄、彼等の心を慰め将来に望みを抱かせておきましたが、拙者が顔を見せない時は彼は焦れ死を致します。それで拙者は彼が犠牲となつて日夜真理を説きさとし、不離不即の態度を持し、彼の元気が恢復する迄、時々慰めてやる考へで厶いますれば、之から拙者が彼の岩窟に訪うとも決して怪しまないやうにお願ひ致します。彼等二人の元気恢復して元の身体となる迄は仮令シーゴー殿と云へども彼の室に出入せぬやう、女帝様より厳しく御申付け下さいますやうに……』 と虫のよい予防線を張つて云ふ。 シーゴーは肩を揺すつて高笑ひ、 シーゴー『アハヽヽヽ、玄真殿の予防線、否鉄条網、イヤハヤ、シーゴー、感奮仕つた。それ丈けの腕がなくては美人に対し、云々する資格は厶るまい。玄真坊は年も若く男前もいい。拙者は御覧の如く頭に霜雪を頂き、到底若き女の好む面付では厶らぬ。此点に於ては玄真坊殿に対し一歩を譲らねばなりませぬ。然し乍ら、玄真殿、此御馳走は女帝様や吾々の口に這入るべき物ではなかつたのでせう。断食をしてゐると云ふ、修業者に向つての献立、大方影膳にお作りなさつたのであらう。拙者はお蔭を頂いて御馳走を鱈腹頂いたが嘸、二人の断食者は待ちかねてゐる事でせう。サア玄真殿、御苦労乍ら、炊事場に行つて二人前、否三人前の料理を調進召され。てもさても、器用なお方で厶る。アハヽヽヽ』 とあてこすられ、玄真坊は今戸焼の出来そこのうた布袋のやうな面をして、しやちこばつてゐる。 ヨリコ『面白し玄真坊の面ざしは 泣きそこねたる羅漢面かな』 玄真坊『之はしたり羅漢面とは訝かしや 女帝の言葉と覚えざりけり』 シーゴー『岩の戸に立て籠み置きし艶人に 心揉みてや汝のをののき』 玄真坊『何なりと誹れば誹れ吾は只 神のまにまに進むのみなる』 ヨリコ『何事も水に流せよ盃の 中にも澄める望の月影』 (大正一三・一二・一七旧一一・二一於祥雲閣北村隆光録)
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霊界物語 66_巳_オーラ山の山賊 18 魔神の囁 第一八章魔神の囁〔一七〇〇〕 玄真坊はサンダー、スガコの幽閉してある岩窟の中にニコニコし乍ら入り来り、 玄真『オイ、サンダー、スガコ両人、大変待たして済まなかつた。腹が空つただらうのう。直様捻鉢巻で御馳走を拵へ、お前等を喜ばさうと思つた所、此山に働く大泥棒シーゴーの奴、突然ここへ帰りやがつて其御馳走に目をかけ、喉をゴロゴロさせ乍ら、「永い間宣伝に働いたから俺も大分疲れた。お頭分のヨリコ女帝の前でお前と三人御馳走を喰べやうぢやないか」と、誅求するものだから、折角お前と三人食ひ度いと思つた御馳走を、たうとう女帝の前に提出せざるを得なくなつたのだ。お前も永い間断食をし、嘸お腹も空いたらうと思ひ、俺は同情心が起り、気が気でないのだが、さう云ふ訳だから打割つて云ふ訳にもゆかず、第一線をシーゴーの親分に占領されて了つたのだ。それで再びお前達が可愛相になり御馳走を拵へて来たのだ。決して気を悪くして呉れな。仲々以て等閑に附した訳ぢやないからのう』 サンダー『どうも御親切に有難う厶います。然しながら今承はれば此山に働く親分のシーゴー様だとか、も一つ親分のヨリコだとか仰有つたが、妾は此処は天地の大神のお降り遊ばす聖場と思ひました所、泥棒の親分と御交際があるとは一向に合点が参りませぬ。何ほど恋ひ慕うた貴方でも泥棒に関係があると思へば三年の恋も一時に醒めるやうで厶ります。折角の御馳走だけど妾は頂きませぬ。なあスガコさま、貴女どう思ひますか』 スガコ『本当に恐ろしい方々ですね。此処は天地の生神様の御降臨遊ばす霊場だとか、玄真坊さまは天帝の化身だとか世界の救世主だとか、仰有いますが、つらつらその御行動を考へますと、妾は全く此世を詐る山賊の巣窟とより外思ひませぬ。ねー玄真坊様、それに間違は厶いますまいね』 玄真坊は驚いて、「ウツカリと秘密を喋つて了つた。こりや大変だ。到頭、内兜を見すかされたやうだ。何とか考へて捻を戻さねばなるまい」と冷汗を流し乍ら、ワザと高笑ひ、 玄真『アツハヽヽヽ、嘘だ嘘だ、一寸お前の肝玉を調べて見たのだ。こんな所に泥棒が居つてたまらうかい。泥棒の居るやうな山へ、どうして神様がお降り遊ばすものか。そんな恐ろしい処へ、あんな沢山の老若男女が詣つて来るものか、皆嘘だから安心したが宜からう。まアそんな小さい事に気をかけず、此御馳走を早く早くお食りなさい。私もお相伴するから、滅多に毒は入て居ないよ』 サンダー『何だか恐ろしくなつて来ました。師の君様の御顔迄も、どこともなしに泥棒めいたやうになつて来ましたのですもの。お腹は空いてゐるし、食べ度いのは山々だけど……渇しても盗泉の水は飲まず……と云ふ諺もあるし、泥棒の拵へた飲食は妾、どうしても食ふ気持は致しませぬの』 スガコ『あたいだつて、さうだわ。玄真坊様のお姿が何とはなしに、泥棒のやうに見えて仕方がないのだもの。もし玄真坊様、此山に泥棒がゐるのでせう。妾イよく聞いてゐますよ。シーゴー坊と云ふ白髪童顔の大泥棒が居るでせう。さうして天王の社の中に棚機姫と云ふ女神さまが居られるのでせう。あの方が貴方等の崇めなさる大親分でせう。妾、夢に聞きましたよ』 玄真『アハヽヽヽヽ、お前は神経興奮してゐるから、そんな、しやうもない夢を見るのだ。然しながら今日の世の中は皆泥棒だよ。よく考へて御覧。どこやらの国の王様だつて、もとは海賊上りだよ。満州王の張作霖だつて支那各地の督軍だつて、大抵皆馬賊上りだよ。××大臣や伴食××が何百万円、何千万円と云ふ財産を持つて居るでせう。終身総理××になつてゐた所で、さう何千万円の月給を貰へる筈もなし、皆泥棒して貯めたのだよ。自転倒島の富豪だつて難爵を貰つて威張つて居るが、あれでも、ヤツパリ贋札を拵へたり、今でも外国紙幣を盛に贋造してゐるぢやないか。さうだから泥棒を、ようせないやうな男子は、世の中に立つことの出来ないものだ。然しながらさう云ふ悪人に天地の大道を説いて聞かせ心改めしめるのが、救世主の天よりの使命だ。それで此玄真坊は泥棒の張本なる××大臣や伴食××を初め紳士紳商等云ふ獣を此処へ集めて、天地の大道を説き聞かせ地獄的精神を改善せしめ、永遠無窮の生命を保つて栄えと喜びに満ちた天国へ救つてやる為に救世主として現れてゐるのだから、馬賊の頭目だつて山賊だつて、自分の教を聞きに来るのは当然だ。あのシーゴーだつて、元は大変な大泥棒の頭目だつたが俺の説教を聞いて悔い改め、今では猫のやうに、おとなしくなつてゐるのだよ。さうして此玄真坊の唯一の弟子として神様にお仕へしてゐるのだ。又女帝様は女帝で、あれは女盗賊の大頭目だつたが俺の感化によつて、今はスツクリ悔い改め、天王の社の神司となつて仕へて居るのだよ。何程元は泥棒だつて改心すれば真人間だ。何も恐ろしい事はない。安心してここに居るがよい。お前も救世主の見出しに預り、妻となり妾となるのは無上の幸福だよ。どうだ分つたかな』 スガコ『女帝様もシーゴー様も貴方の御弟子ならば折角お拵へ遊ばした御馳走を強圧的に奪られる筈はないぢやありませぬか。それを考へますと、どうやら女帝やシーゴーの幕下になつてゐられるやうな心持が致しますがな』 玄真『アハヽヽヽヽ、そこが救世主の救世主たる処だ。光を和らげ塵に交はり衆生を済度するのだから、威張る奴は威張らしておくなり、観自在天様の働きをしてゐるのだ。観自在天様は泥棒を改心させようと思へば泥棒となり、賭博打ちを改心させようと思へば、自から賭博打ちとおなり遊ばし、或時は非人となり、或は病人となり、又或時は蠑螈となり蚯蚓ともなり、竜となり馬となり、獅子、虎、狼となり、宇宙一切をお救ひ遊ばすのだから、況して天帝の化身たる玄真坊に於てをやだ。そこが神の神たる処、救世主の救世主たる処だ。何と、神様のお慈悲と云ふものは勿体ないものだらうがなア。到底人心小智の窺知し得る処ではない。それで人間は救世主を信じて少しも疑はず怪しまず、維命維従ふと云ふ絶対服従心がなくてはならないよ』 サンダー『ハイ、重ね重ねの御教訓、有難う厶います。お蔭様で、根ツから、葉ツから、よく分りました。ホヽヽヽヽ』 玄真『これこれサンダー、根ツから、葉ツからよく分つた……とは、怪体な言ひ分ぢやないか、一体分つたのか、分らないのか』 サンダー『ハイ、分つたやうでもあり、分らぬやうでも厶います』 玄真『さうだろさうだろ、神の道は分らぬものだと云ふ事が分つたら、それが所謂分つたのだ。神様のお心が分つたと云ふものは、何も分つてゐないのだ。マアマアそれ位ならば上等の部だ。サアサア遠慮は要らぬ、二人とも、この飲食を頂戴するがよい。俺もこれからお交際に毒味旁お前の美しい顔を見乍らお招伴するからのう』 二人の美人は何分空腹に悩んでゐる事とて已むを得ず箸をとつた。玄真坊は之を見てニヤリと笑ひ乍ら、さも愉快気に、 玄真『ハヽヽヽどうだ、両人、美味いだらう』 サンダー『ハイ、誠にお加減が宜しう厶います』 玄真『スガコ、お前はどうだ』 スガコ『ハイ、何とも知れぬお加減のよいお料理で厶います』 玄真『ハヽヽヽヽ、そら、さうだろて、此玄真が魂をこめて拵へた馳走だもの。此料理の中には玄真の魂が這入つてゐるのだよ。』 サンダー『左様で厶いますか、何だか存じませぬが云ふに云はれぬ風味が厶いますわ』 玄真『飯一つ焚くにしても、釜の下に薪をくべたなり、外の仕事をしてゐるやうな事ぢや魂が入らない。甘い汁を外へ零さぬやう、釜の下を燻べないやうに、或時は火力を強め、或時は火の力を弱めたり一秒時間も御飯の出来る迄心を外してはいけない。そして途中に鍋蓋をとつては、味がぬけていけない。蓋をとつて見て、ボツボツと豆粒のやうな穴があいて居つたら、もはやお飯が加減よく出来た所だ。然しその蓋をとつちやいけない。蓋の上から、そのボツボツが見えるやうに魂が入らぬと、折角焚いた御飯がおいしくないのだ。其外の煮〆だつて魚だつてさうだ。一秒間だつて外に心を移すやうでは何だつて、おいしい料理は出来ないんだからなア。ここ迄気をつけてお前等両人に、おいしいものを食はしてやらうと云ふ親切、よもや、無には致すまいのう。どうだ、も一杯食はないか』 サンダー『ハイ、有難う厶います、もう之で充分頂きました』 スガコ『妾も沢山に頂きました、大きに御馳走様』 玄真『ウン、さうかさうか。皆甘さうに食つて呉れたので俺も骨折甲斐があつた。折角骨を折つて味ない顔して食はれると、根ツから骨折甲斐がないけど猫が鰹節を見たやうに飛びついて食つたのを見た時は、此玄真坊も本当に愉快だつたよ。サア、御膳が済んだら、之から俺の要求を聞いて貰ふのだ。否此玄真坊にお前等両人から御馳走を頂くのだ。人に招ばれたらキツト招び返すのは世間普通の礼儀だからのう』 サンダー『ハイ、何か御馳走を差上度う厶いますが、妾としては何も材料がありませぬから、御礼の返しやうが厶りませぬわ』 スガコ『妾だつて御礼を致さねば済まないのだけど、かやうの処へ閉ぢ込められてゐるのだから、何一つ所持品もなし、玄真様にお愛想の仕方がありませぬわ。どうか時節をお待ち下さいませ。キツトお礼を申しますから』 玄真『俺の馳走と云ふのは、そんな者ぢやない。稀代の珍味、しかも、其方が所持する畑で掘つた×だ。それを、この玄真坊に一口賞玩させて貰ひ度い。その代りに又秋山の名物、常磐の松の精から生れた××の御馳走を進ぜよう。あんまり悪くはあるまい、エヘヽヽヽ』 サンダー『オホヽヽヽ、御冗談許り仰有いまして、貴方は要するに妾に対し、オチコ、ウツトコ、ハテナを御要求なさるのでせう。貴方も余程オホノ、トルッテですね』 玄真『オイ、そんな蒙古語を使つても、ネツから分らぬぢやないか。サンスクリットで云はないか』 サンダー『妾エ、サンスクリット忘れたのよ。貴方のやうな事仰有いますと、ポホラのヌホが呆れますよ。ポホラからパサヌーですわ。鼬の最後屁、オンクス、アルテチウンヌルテですわ。ホヽヽヽヽ』 玄真『エー分らぬ事を云ふ女だな。言論よりも実行だ。オイ、スガコ、そこに待つて居らう。サンダーの方から御馳走をしてやらう』 と云ひ乍ら、アワヤ猥褻なる行為に出でむとした。二人は……こりや堪らぬと……一生懸命に、 『助けてくれ助けてくれ』 と叫んだ。折から戸の外を通り合したシーゴーが、妙な声がすると思ひ、パツト戸を開いて入り来り此態を見て、 シーゴー『玄真坊殿、この不仕鱈は何の事で厶る。万民の模範となり、神の福音を宣べ伝ふる身でゐ乍ら、可憐な女を一室に監禁し、強圧的に醜行を遂げむとなさるは、貴下にも不似合な事、おたしなみなさい』 玄真坊は頭をかき乍ら、 玄真『アイヤ、シーゴー殿、決して御心配下さるな。ツイ貴方と最前お酒を呑んで酔がまはり、酒の奴め、遂斯様なホテテンゴを致して厶る。酒と云ふ奴は本当に仕方のない悪魔で厶るわい』 シーゴー『これこれ二人のお女中、危ない事で厶つたな。ヤア其方はコマの村のサンダー姫ぢやないか』 サンダー『ハイ、貴方は妾の門前に於て、お目にかかつた修験者様で厶いましたか』 シーゴー『いかにも左様、よくお詣りなさつた。然し目的の捜索物は分りましたかな』 サンダー『ハイ、お蔭様で分つたでもなし、分らぬでもなし、此岩窟で玄真坊様の御慈悲により、永らく断食の行をさせて頂きました。玄真坊様は見かけによらぬ、シトラ(鬼)で厶いますな』 玄真『アハヽヽヽヽ、何でもかんでも、シツトルワイ。天地の間の事をシツトラいで、万民を導く事は出来ないからのう』 とサンダーに鬼と云はれし事を少しも知らず鼻高々と嘯いて居る。 斯くして夜はダンダンと更渡り、オーラ山の尾の上を渡る松風の音は颯々と聞え来る。 (大正一三・一二・一七旧一一・二一於祥雲閣北村隆光録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 06 浮島の怪猫 第六章浮島の怪猫〔一七〇八〕 波切丸は万波洋々たる湖面を、西南を指して、船舷に皷を打ち乍ら、いともゆるやかに進んでゐる。天気清朗にして春の陽気漂ひ、或は白く或は黒く或は赤き翼を拡げた海鳥が、或は百羽、千羽と群をなし、怪しげな声を絞つて中空を翔めぐり、或は波間に悠然として、浮きつ沈みつ、魚を漁つてゐる。アンボイナは七八尺の大翼を拡げて一文字に空中滑走をやつてゐる。其長閑さは天国の楽園に遊ぶの思ひがあつた。前方につき当つたハルの湖水第一の、岩のみを以て築かれた高山がある。国人は此島山を称して浮島の峰と称へてゐる。一名夜光の岩山ともいふ。船は容赦もなく此岩山の一浬許り手前迄進んで来た。船客は何れも此岩島に向つて、一斉に視線を投げ、此島に関する古来の伝説や由緒について、口々に批評を試みてゐる。 甲『皆さま、御覧なさい。前方に雲を凌いで屹立してゐる、あの岩島は、ハルの湖第一の高山で、いろいろの神秘を蔵してゐる霊山ですよ。昔は夜光の岩山と云つて、岩の頂辺に日月の如き光が輝き、月のない夜の航海には燈明台として尊重されたものです。あのスツクと雲を抜出た山容の具合といひ、全山岩を以て固められた金剛不壊の容姿といひ、万古不動の霊山です。此湖水を渡る者は此山を見なくつちや、湖水を渡つたといふ事は出来ないのです』 乙『成程、見れば見る程立派な山ですな。併し乍ら、今でも夜になると、昔と同じやうに光明を放つてゐるのですか』 甲『此湖水をハルの湖といふ位ですもの、暗がなかつたのです。併し乍らだんだん世の中が曇つた勢か、年と共に光がうすらぎ、今では殆んど光らなくなつたのです。そして湖水の中心に聳え立つてゐたのですが、いつの間にやら、其中心から東へ移つて了つたといふ事です。万古不動の岩山も根がないと見えて浮島らしく、余り西風が烈しかつたと見えて、チクチクと中心から東へ寄つたといふ事です』 乙『成程文化は東漸するとかいひますから、文化風が吹いたのでせう。併し日月星辰何れも皆西へ西へと移つて行くのに、あの岩山に限つて、東へ移るとは少し天地の道理に反してゐるぢやありませぬか。浮草のやうに風に従つて浮動する様な島ならば、何程岩で固めてあつても、何時沈没するか知れませぬから、うつかり近寄るこた出来ますまい』 甲『あの山の頂きを御覧なさい。殆んど枯死せむとする様なひねくれた、ちつぽけな樹木が岩の空隙に僅かに命脈を保つてゐるでせう。山高きが故に尊からず、樹木あるを以て尊しとす……とかいつて、何程高い山でも役に立たぬガラクタ岩で固められ、肝心の樹木がなくては、山の山たる資格はありますまい。せめて燈明台にでもなりや、山としての価値も保てるでせうが、大きな面積を占領して、何一つ芸能のない岩山ではサツパリ話になりますまい。それも昔の様に暗夜を照し往来の船を守つて安全に彼岸に達せしむる働きがあるのなれば、岩山も結構ですが、今日となつては最早無用の長物ですな。昔はあの山の頂きに特に目立つて、仁王の如く直立してゐる大岩石を、アケハルの岩と称へ、国の守り神様として、国民が尊敬してゐたのです。それが今日となつては、少しも光がなく、おまけに其岩に、縦に大きなヒビが入つて、何時破壊するか分らないやうになり、今は大黒岩と人が呼んで居ります。世の中は之を見ても、此ままでは続くものではありますまい。天の神様は地に不思議を現はして世の推移をお示しになると云ひますから、之から推考すれば、大黒主の天下も余り長くはありますまいな』 乙『あの岩山には何か猛獣でも棲んでゐるでせうか』 甲『妙な怪物が沢山棲息してゐるといふ事です。そして其動物は足に水かきがあり、水上を自由自在に游泳したり、山を駆け登る事の速さといつたら、丸切り、風船を飛翔したやうなものだ……との事です。昔は日の神月の神二柱が、天上より御降臨になり八百万神を集ひて、日月の如き光明を放ち、此湖水は素より、印度の国一体を照臨し、妖邪の気を払ひ、天下万民を安息せしめ、神様の御神体として、国人があの岩山を尊敬してゐたのですが、追々と世は澆季末法となり、何時しか其光明も光を失ひ、今や全く虎とも狼とも金毛九尾とも大蛇とも形容し難い怪獣が棲息所となつてゐるさうです。それだから吾々人間が、其島に一歩でも踏み入れやうものなら、忽ち狂悪なる怪獣の爪牙にかかつて、血は吸はれ、肉は喰はれ骨は焼かれて亡びると云つて恐がり、誰も寄りつかないのです。風波が悪くつて、もしも船があの岩島にブツかからうものなら、それこそ寂滅為楽、再び生きて還る事は出来ないので、此頃では、秘々とあの島を悪魔島と云つてゐます。併し大きな声でそんな事言はうものなら、怪物が其声を聞付けて、どんなわざをするか分らぬといふ事ですから、誰も彼も憚つて、大黒岩に関する話を口を閉じて安全無事を祈つてゐるのです。あの島がある為に、少し暴風の時は大変な大波を起し、小さい舟は何時も覆没の難に会ふのですからなア。何とかして、天の大きな工匠がやつて来て大鉄槌を振ひ、打砕いて、吾々の安全を守つてくれる、大神将が現はれ相なものですな』 乙『何と、権威のある岩山ぢやありませぬか。つまり此湖面に傲然と突つ立つて、所在島々を睥睨し、こわ持てに持ててゐるのですな』 甲『あの岩山は時々大鳴動を起し、噴煙を吐き散らし、湖面を暗に包んで了ふ事があるのですよ。其噴煙には一種の毒瓦斯が含有してゐますから、其煙に襲はれた者は忽ち禿頭病になり、或は眼病を煩ひ、耳は聞えなくなり、舌は動かなくなるといふ事です。そして肚のすく事、咽喉の渇く事、一通りぢやないさうです。そんな魔風に、折あしく出会した者は可い災難ですよ』 乙『丸つ切り蚰蜒か、蛇蝎の様な恐ろしい厭らしい岩山ですな。なぜ天地の神さまは人民を愛する心より、湖上の大害物を除けて下さらぬのでせうか。あつて益なく、なければ大変、自由自在の航海が出来て便利だのに、世の中は、神様と雖、或程度迄は自由にならないと見えますな』 甲『何事も時節の力ですよ。金輪奈落の地底からつき出てをつたといふ、あの大高の岩山が、僅かの風位に動揺して、東へ東へと流れ移る様になつたのですから、最早其根底はグラついてゐるのでせう。一つレコード破りの大地震でも勃発したら、手もなく、湖底に沈んで了ふでせう。オ、アレアレ御覧なさい。頂上の夫婦岩が、何だか怪しく動き出したぢやありませぬか』 乙『風も吹かないのに、千引の岩が自動するといふ道理もありますまい。舟が動くので岩が動くやうに見えるのでせう』 甲『ナニ、さうではありますまい。舟が動いて岩が動くやうに見えるのなれば、浮島全部が動かねばなりますまい。他に散在してゐる大小無数の島々も、同じ様に動かねばなりますまい。岩山の頂上に限つて動き出すのは、ヤツパリ船の動揺の作用でもなければ、変視幻視の作用でもありますまい。キツと之は何かの前兆でせうよ』 乙『そう承はれば、いかにも動いて居ります。あれあれ、そろそろ夫婦岩が頂きの方から下の方へ向つて歩き初めたぢやありませぬか』 甲『成程妙だ。段々下つて来るぢやありませぬか。岩かと思へば虎が這うてゐる様に見え出して来たぢやありませぬか』 乙『いかにも大虎です哩。アレアレ全山が動揺し出しました。此奴ア沈没でもせうものなら、それ丈水量がまさり、大波が起つて、吾々の船も大変な影響をうけるでせう。危ない事になつて来たものですワイ』 かく話す内、波切丸は浮島の岩山の間近に進んだ。島の周囲は何となく波が高い。虎と見えた岩の変化は磯端に下つて来た。よくよく見れば牛の様な虎猫である。虎猫は波切丸を目をいからして、睨み乍ら、逃げるが如く湖面を渡つて夫婦連れ、西方指して浮きつ沈みつ逃げて行く。俄に浮島は鳴動を始め、前後左右に、全山は揺れて来た。チクリチクリと山の量は小さくなり低くなり、半時許りの内に水面に其影を没して了つた。余り沈没の仕方が漸進的であつたので、恐ろしき荒波も立たず、波切丸を前後左右に動揺する位ですんだ。一同の船客は此光景を眺めて、何れも顔色青ざめ、不思議々々と連呼するのみであつた。此時船底に横臥してゐた梅公宣伝使は船の少しく動揺せしに目を醒まし、ヒヨロリヒヨロリと甲板に上つて来た。さしもに有名な大高の岩山は跡形もなく水泡と消えてゐた。そして船客が口々に陥没の記念所を話してゐる。梅公は船客の一人に向つて、 『風もないのに、大変な波ですな。どつかの島が沈没したのぢやありませぬか』 甲『ハイ、貴方、あの大変事を御覧にならなかつたのですか。随分見物でしたよ。昔から日月の如く光つてゐた頂上の夫婦岩は俄に揺るぎ出し、終いの果には大きな虎となり、磯端へ下つて来た時分には猫となり、波の間を浮きつ沈みつ、西の方へ逃げて行つたと思へば、チクリチクリと島が沈み出し、たうとう無くなつて了ひました。こんな事は昔から見た事はありませぬ。コリヤ何かの天のお知らせでせうかな』 梅『どうも不思議ですな。併し乍ら人間から見れば大変な事のやうですが、宇宙万有を創造し玉うた神様の御目から見れば、吾々が頬に吸ひついた蚊を一匹叩き殺す様なものでせう。併し乍ら吾々は之を見て、自ら戒め、悟らねばなりませぬ』 乙『貴方は何教かの宣伝使様のやうですが、一体全体此世の中は何うなるでせうか。吾々は不安で堪らないのです。つい一時前迄泰然として湖中に聳えてゐた、あの岩山が脆くも湖底に沈没するといふよな不祥な世の中ですからなア』 梅『今日は妖邪の気、国の上下に充ちあふれ、仁義だの、道徳だのと云ふ美風は地を払ひ、悪と虚偽との悪風吹き荒び、世は益々暗黒の淵に沈淪し、聖者は野に隠れ、愚者は高きに上つて国政を私し、善は虐げられ悪は栄えるといふ無道の社会ですから、天地も之に感応して、色々の不思議が勃発するのでせう。今日の人間は何れも堕落の淵に沈み、卑劣心のみ頭を擡げ、有為の人材は生れ来らず、末法常暗の世となり果てゐるのですから、吾々は斎苑の館の神柱、主の神の救世的御神業に奉仕し、天下の暗雲を払ひ、悲哀の淵に沈める蒼生を平安無事なる楽郷に救はむが為に所在艱難辛苦をなめ、天下を遍歴して、神教を伝達してゐるのです。未だ未だ世の中は、之れ位な不思議では治まりませぬよ。茲十年以内には、世界的、又々大戦争が勃発するでせう。今日ウラル教とバラモン教との戦争が始まらむとして居りますが、斯んなことはホンの児戯に等しきもので、世界の将来は、実に戦慄すべき大禍が横たはつて居ります。夫故、吾々は愛善の徳と信真の光に満ち玉ふ大神様の御神諭を拝し、普く天下の万民を救はむが為に、草のしとね、星の夜具、木の根を枕として、天下公共の為に塵身を捧げてゐるのです』 甲『成程承はれば承はる程、今日の世の中は不安の空気が漂うてゐるやうです。今の人間は神仏の洪大無辺なる御威徳を無視し、暴力と圧制とを以つて唯一の武器とする大黒主の前に拝跪渇仰し、世の中に尊き者はハルナの都の大黒主より外にないものだと誤解してゐるのだから、天地の怒に触れて、世の中は一旦破壊さるるのは当然でせう。私はウラル教の信者で厶いますが、第一、教主様からして、……神を信ずるのは科学的でなくては可かない。神秘だとか奇蹟だとかを以て信仰を維持してゐたのは、太古未開の時代の事だ。日進月歩、開明の今日は、そんなゴマカシは世人が受入れない……と言つてゐらつしやるのですもの、丸切り神様を科学扱ひにし、御神体を分析解剖して、色々の批評を下すといふ極悪世界ですもの。斯んな世の中が出て来るのは寧ろ当然でせう。貴方は何教の宣伝使で厶いますか。神様に対する御感想を承はりたいもので厶いますな』 梅『最前も申上げた通り、斎苑の館の大神様は三五教を御開きになつたのです。そして私は同教の宣伝使照国別様といふ御方の従者となつて、宣伝の旅に立つたもので厶います。それ故貴方等のお尋ねに対し、立派な答は到底出来ませぬ。併し乍ら神様は昔の人のいつた様に、超然として人間を離れた者ではありませぬ。神人合一の境に入つて始めて、神の神たり、人の人たる働きが出来得るのです。故に三五教にては、人は神の子神の宮と称へ、舎身的大活動を、天下万民の為にやつてゐるのです』 甲『何か御教示について、極簡単明瞭に、神と人との関係を解らして頂く事は出来ますまいか』 梅『ハイ、私にもまだ修業が未熟なので、判然した事は申上げ兼ますが、吾宣伝使の君から教はつた一つの格言が厶いますから、之を貴方にお聞かせ致しませう。 神力と人力 一、宇宙の本源は活動力にして即ち神なり。 一、万物は活動力の発現にして神の断片なり。 一、人は活動力の主体、天地経綸の司宰者なり。活動力は洪大無辺にして宗教、政治、哲学、倫理、教育、科学、法律等の源泉なり。 一、人は神の子神の生宮なり。而して又神と成り得るものなり。 一、人は神にしあれば神に習ひて能く活動し、自己を信じ、他人を信じ、依頼心を起す可らず。 一、世界人類の平和と幸福の為に苦難を意とせず、真理の為に活躍し実行するものは神なり。 一、神は万物普遍の活霊にして、人は神業経綸の主体なり。霊体一致して茲に無限無極の権威を発揮し、万世の基本を樹立す』 甲『イヤ有難う。御教示を聞いて地獄から極楽浄土へ転住したやうな法悦に咽びました。成程人間は神様の分派で、いはば小なる神で厶いますなア。今迄ウラル教で称へてをりました教理に比ぶれば、其内容に於て、其尊さに於て、真理の徹底したる点に於て、天地霄壌の差が厶います。私はスガの港の小さい商人で厶いますが、宅にはウラル彦の神様を奉斎してをります。併し乍ら之は祖先以来伝統的に祀つてゐるので、言はば葬式などの便利上、ウラル教徒となつてゐるのに過ぎませぬ。既成宗教は已に命脈を失ひ、只其残骸を止むるのみ。吾々人民は信仰に飢渇き、精神の道に放浪し、一日として、此世を安心に送る事が出来なかつたのです。旧道徳は既に已に世にすたれて、新道徳も起らず、又偉大なる新宗教も勃起せないと云つて、日夜悔んで居りましたが、かやうな崇高な偉大な真宗教が起つてゐるとは、夢にも知らなかつたのです。計らずも波切丸の船中に於て、かかる尊き神様のお使に巡り会ひ、起死回生の御神教を聞かして頂くとは、何たる、私は幸福で厶いませう。私の宅は、誠に手狭で厶いますが、スガの港のイルクと云つて、多少遠近に名を知られた小商人で厶います。どうか、私の宅へも蓮歩を枉げ下さいまして、家族一同に、尊き教をお授け下さいます様にお願ひ致します。そして私は此結構な御神徳を独占せず、力のあらむ限り、万民に神徳を宣伝さして頂く考へで厶いますから、何卒宜しくお願ひ申上げます』 梅公『実に結構なる貴方の御心掛、之も大慈大悲の大神様の御引合せで厶いませう。之を御縁に、私もスガの港へ船がつきましたら、貴方のお宅へ立よらして頂きませう。 思ひきや神の仕組の真人は 御船の中にもくばりあるとは。 此船は神の救ひの船ぞかし 世の荒波を分けつつ進めり』 (大正一三・一二・二新一二・二七於祥雲閣松村真澄録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 07 武力鞘 第七章武力鞘〔一七〇九〕 ヨリコ姫は甲板に立つて、平和な湖面を打眺め、声も涼しく歌ふ。 『久方の大空高く聳えたるオーラの山は霞けり 常夜の暗もハルの湖うつ小波の音も清く 吾船舷に皷うつ千波万波の皺の湖 伸べ行く波切丸の上天より高く咲く花の 聖き御教を聞き乍ら彼方の岸に進み行く 心曇りしヨリコ姫も村雲はらす時津風に 心の暗を払はれて澄わたりたる湖の上 小鳥は千代を唄ひつつ翼拡げてアンボイナ 神に輝く頭上をば前後左右に飛びかへて 吾行手をば守る如見ゆるも床し波の上 大き小さき島々はパインの木蔭を宿しつつ 彼方此方に漂ひて眺めも清き今日の旅 忽ち来る夜嵐の猛びに船は中天に 捲き上げられて暗礁の苦難を逃れ玉の緒の 命を無事に保ちしも三五教に仕へたる 梅公の君の御恵神の稜威の目のあたり 顕はれませし尊さよ船は行く波は静に立並ぶ 魚鱗は静かにまたたきて天津日影を宿しつつ 世の太平を謳ふなり類稀なる師の君の 優しき言葉に導かれ根底の国を後にして 常磐の花咲く天津神鎮まりゐます御国へ 進みて行かむ心地こそ吾身此世に生れてゆ まだ例なき喜びの涙に袖はうるほひぬ あゝ惟神々々神の守らす此船は スガの港に渡るてふげにスガスガし吾心 何に譬む物もなし二八の春の花盛り 心の嵐吹きすさびよからぬ人と手を引いて 枉の醜業企らみつオーラの山の砦をば 千代の住家と定めつつ罪を重ねし悔しさよ 神の恵の浅からず吾身の運の尽きずして かくも目出たき神教に進み入りしは天地の 神の恵と畏みて朝な夕なに怠らず 其御徳を感謝しつ晴渡りたる胸の空 大日は清く照り渡り月影清く澄みきりて 星の瞬きいと妙に風は不断の音楽を 奏でまつりて神々の深き稜威を現はせり 時しもあれや大高島如何なる神の計らひか 下津岩根の底深くつき立ちたりと聞えしが 何の苦もなく見るうちに水泡と消えて跡もなく 其頂きに永久に立並びたる夫婦岩 俄に獣と身を変じ高き岩座相放れ 屠所に曳かるる羊なす憐な姿トボトボと 岩の虚隙を伝ひつつ猿捕荊に身を破り 或は転げ又倒れ頭を下に尾を上に 漸く磯辺に降りつき波を渡つて逃失せぬ あゝ惟神々々オーラの山に永久に 神を詐り世の人を欺き悩め吾威勢 四方に張らむと思ひしを思ひ返せば愚なる 企みとこそは知られけり遠き神代の昔より 常磐堅磐に此湖の光ともなり花となり 湖中の王と敬はれ万民憧憬の的となり 時めき渡りし岩島も忽ち天の時到らば かくも無残に失せにける之を思へば人の身は 尚更果敢なきものならむ大黒主の勢は 天地に貫く威あり共神の戒め下りなば 旭に霜の消ゆる如夏の氷の解くる如 はかなく消えむ惟神神の力の恐ろしや シーゴーの司は幸ひに神の大道に進み入り 曲の関所を乗越えて今は高天の花苑に 通ふ旅路となりにけり吾妹の花香姫 教の君に伴はれ千里の波濤を打渡り 万里の広野を跋渉して神の御為世の為に 尽さむ身とはなりにけり吾れも妹も惟神 尊き神に救はれて旭のただ刺す神国へ 勇み行くこそ嬉しけれあゝ惟神々々 神の御前に慎みて吾等が前途に幸あれと 天地に向つて願ぎ奉る畏み敬ひ願奉る』 花香姫『湖の面を飛び交ふ鳥の翼こそ 花か蝶かと見まがひにける。 大高島音さへ立てず湖底に 沈みしを見て世の移るをさとる。 うつり行く御代に扇の末広く 栄ゆる春の花香をぞ待つ』 シーゴー『島々は泰然自若波に浮くを 大高島の憐はかなさ。 行かひの船を悩めし岩島も あへなく失せて水泡となりぬ。 吾胸に巣ぐひし曲も岩島の あはれを見ては水泡ときえぬ。 天地の中はら渡る此船は 神の救ひの御梯とぞ思ふ。 常世行く暗を照せし島山も 今は根底に沈みけるかな。 高きより低きにおつる世のならひ 吾もオーラの山を下りつ。 水平の波漕ぎ渡る此船は 皇大神の御姿なるらむ。 惟神水平線を辷り行く 波切丸の姿勇まし』 梅公『見わたせば波間にきらめく御光は 千々に砕くる神影なるらむ。 四海波いとも静におさまりて 大高山の影だにもなし。 大高山雲間に高く波の上に うかびて人を悩ませにける。 日も月も大高山の頂きに 蔽はる悩みなきぞ嬉しき』 梅公、ヨリコ姫、花香姫、シーゴーは階段を下り、各自の船室に入つて肱を枕に横たはつた。デッキの上には色々の雑談が始まつてゐる。見るからに目のくるりとした色の黒い、一癖有さうな大男、十数人の船客の中に胡坐をかき傍若無人的に武術の自慢話をやつてゐる。 バラック『もし、お前さまは一見した所、中々の豪勇と見えるが、お角力さまですか、但しは武術家ですか』 ドラック『俺かい、俺は若い時や、角力も随分取つたものだ。そして日下開山横綱を、一度は張つたものだよ。ハルナの都の大相撲の時にや随分面白かつたね。十日の角力に十日迄地つかずで、大変な人気だつたよ。数万の見物人の血を躍らせた事といつたら、前古未曽有といふ評判だつた。お前も聞いて居るだらうが、日下開山ドラック山といふのは俺の事だ。之見玉へ、俺の腕は丸で鉄のやうだ。何程強い男でも、グツと一つ握るが最後、息がつまり胸がつかへ、青くなつて了ふのだ。そして物が云へなくなるのだ。余り力が強いので、どの力士も此力士もドラック山にかかつちや勝目がないといふので、終ひの果にや相手がなくなつたのだ。相手なしに一人角力とる訳にもゆかず、止を得ず力士を廃業して、今は剣道の師範兼柔術の師範になつたのだよ』 バラ『成程、いかにも強さうな腕つ節ですなア。併し乍ら夫程強いお前さまが、海賊の親分コーズが襲来した時に、なぜ彼奴をとつつめて下さらなかつたのですか。所謂宝の持ぐさりぢやありませぬか』 ドラ『其時にや、自分の船室で安楽な夢を見てゐたものだから、チツとも知らなかつたよ。腕がなつて、血が湧いて、相手がほしくつて、脾肉の歎にたえない俺だもの、海賊の親玉が襲うて来たと聞きや、どうして俺が見逃すものか。あとから、本当に人の噂を聞いて、取返しのつかない末代の損をしたものだと、心私かに悔んでゐたのだよ』 バラ『貴方の様な豪勇と同船して居れば、私も、此航海は安心致しますワ。之も全く神様の御恵だと感謝せざるを得ませぬ』 ドラ『ウン、何も心配はいらぬ。剣術は世界中俺に勝つ者は、マア、現代では一人もなからうよ。角力では、雷電為右衛門、小野川、谷風、梅ケ谷、常陸山位は束にゆふて来ても、てんで、角力にならぬのだからな。又剣道や柔術にかけたら、ゴライヤスに宮本武蔵、塚原卜伝、野見の宿弥に塙団右衛門、岩見重太郎、荒木又右衛門などが束に結て来ても足許へもよりつけぬのだから大したものだよ。併し乍ら余り強すぎて相手のないのも淋しいものだ。何とかして強い相手にブツつかりたいものだが、タカが海賊の親分位では、実際の事いふと、歯ごたえがしないのだからな』 バラックは呆気にとられ、怪訝な顔して舌をまいてゐる。大勢の船客はドラックの大法螺を真にうけ、肩をいからし乍ら豪勇談に興味を有ち、チクリチクリと膝をにじりよせ、何時の間にか、ドラックを取巻いて貝細工で作つた洋菊の花のやうにして了つた。 チエックといふ一人の商人風の男は恐る恐る、ドラックに向つて、 『モシ、先生それ程強いお方なら、世の中に恐るべき者は一つもないでせうな』 ドラ『そらさうだ。弓でも鉄砲でも、大砲でも何でも彼でも、俺にかかつちや駄目だ。此拳骨で、一つグワンと、此帆柱でもなぐらうものなら、根元からポクリと折れて了ふよ。それだから、天下に敵なしといふのだ。マア君達も安心し玉へ。俺が此船に乗つてゐる以上は、仮令千人万人の海賊が来たつて、屁一つひつたらしまひだ。ドラックの名を聞いてさへも縮み上つて了ふからな』 チエック『何とマア、私達は仕合せなものでせう。それ程力の強い、武術の達者なお客さまと同船するとは、全く先祖様のお手引でせう。安心して国許へ帰らして頂きます。本当に貴方は活神さまのやうなお方ですな。併し夜前コーズの頭目が此船に上つて来た時、うす暗がりの中から、繊弱い女が現はれて、恐ろしい海賊を、皆湖中へ投込んで了ひ、吾々の着物を取返して下さつたのは、本当に有難い事でした。あの方は貴方のお弟子ぢや厶いませぬか』 ドラ『ウン、総て少し手の利いた奴ア、皆俺の教育をうけてるのだ。余り沢山な弟子だから、スツカリ、顔も名も覚えてゐないが、月の国七千余国の武術家は皆俺の部下と云つても差支なからうよ。各取締所の捕手連は全部俺に剣術や柔術を学んだのだからな。そして其女といふのは何者だか、お前達は知つてゐるだらうな。名は聞いておいたか』 バラック『何でも天から俄に下つて来た女神さまが吾々の危難を救つて下さつたのだらうと、一般の噂だ。何程武術が達者だと云つても、人間なれば、女の分際として、あんな離れ業は出来ないからな』 チエ『それでも、バラックさま、暫くすると暗の中に現はれた美人と同じやうなスタイルの女が、甲板の上へあがつて来て、ヨリコ姫だとか何とか云つて、自分が助けたやうな事を唄つてゐましたよ』 バラ『ナアニ、人の手柄を横取せうと思ふ奴の多い時節だから、あんな事云つて、吾の信用をつながうとしよつた奸策だよ。今の世の中の奴ア、口では立派な強さうな事を吐す奴許りで、サア鎌倉となつたら、手足はガタガタ胸はドキドキ唇ビルビル、ヘコタレ腰になつて、逃げまわすといふ代物許りだからな。兎も角大言壮語のはやる時節だ。そして今日は昔と違ひ、……桃季物いはざれ共、自ら小径をなす……といふやうな、まどろしい事は誰も考へてゐない。自家広告を盛んにやる時節だから、お手際を拝見しなくちや、誰だつて信用するこた出来やしないワ、アツハヽヽヽ』 ドラ『コレコレ、バラックさま、俺の前で、そんな悪口をつくといふ事があるものか。お前は俺の最前いつた事を大言壮語だと思つてゐるのだなア。俺達は、言心行一致だから、決して嘘は云はないよ。嘘と思ふなら、一寸其腕を貸し玉へ、一つ握つて見せてやらう』 バラ『イヤもう、恐れ入りました。決して決して、お前さまを信用せないのぢやありませぬ。言心行一致のお前さまとは実に見上げたものだ。今日の世の中は口と心がスツカリ反対になつて居る者許りだから、せめて言心一致ならまだしもだが、詐と高慢との流行する悪社会ですからな』 ドラ『俺の豪勇たる事がお前達に合点がいつたとあらば許してやる。毛筋の横巾程でも、疑惑をさし挟むのなら、論より証拠言心行一致と出かけて、腕なり肩なり、一握り握つてみせてやる積だつたが、先づ骨の砕けるのが助かつて、お前も仕合せだつたよ、アツハヽヽヽ』 と傍若無人に笑ふ。 かく話す折しも数隻の海賊船、島影より現はれ来り、波切丸を前後左右より取囲み縄梯子を投げかけ、兇器を携へ乍ら、コーズが指揮の下に、数十人、バラバラと甲板に上つて来た。 チエ『ヤ、先生、海賊がやつて来ました。どうか天下無双の豪力を出して、海賊を懲しめて下さい』 バラ『サア、先生、今が先生のお力の現はれ時です。私もお手伝ひしますから、やつて下さいな』 ドラ『アイタヽヽヽヽ。あ、俄に腹痛が致し、腰が立たなくなつたワイ。運の悪い時や悪いものだ。エ、残念だな。肚さへ痛くなくば、海賊の百疋や千疋ひねりつぶしてやるのだけどなア』 とガタガタと唇を紫色に染て慄ひ戦いてゐる。 コーズは数十人の手下を指揮し乍ら、先づ甲板より逃げ惑ふ船客を引つつかまへて赤裸となし、ドラックも亦同様に、持物一切を掠奪され、赤裸にむかれて了つた。コーズは勢に乗じ、階段を降つて、船室に進み入つた。デッキの上は老若男女が右往左往に駆けまわり阿鼻叫喚の地獄道を現出してゐた。 (大正一三・一二・二新一二・二七於祥雲閣松村真澄録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 16 酒艶の月 第一六章酒艶の月〔一七一八〕 玄真坊はダリヤ姫が、俄にやさしくなり、どうやら自分にゾッコン惚て来たやうな気分がしたので益々得意となり、顔の相好を崩し、身知らずに左の手から川端の乱杭のやうな歯の口へ盃を運んで居る。 玄『オイ、ダリヤ、さう夫許りに酒をつぐものぢやない。エー、チツト人さまの手前もあらうぞや。どうだ、チツト親方にも注がないか』 ダリ『ホヽヽヽヽ、あのマア憎たらしい事仰有いますわいのう。何ぼ親方が大切だとて、一生身を任した夫を後にする事が出来ますか。妾もチツト酒に酔ふてゐますから、御無礼な事を申すか知れませぬが、そこは、はしたない女と思召してお許し下さいませや』 玄『ウンウンヨシヨシ、お前の白いお手々で燗徳利を握つた姿と云つたら天下無類だよ。エヘヽヽヽヽ。酔うて能うて、うまうて能うて、気分が冴えて能うて、腹にたまらいで能うて、ヨイヨイヨイの宵の口から、夜の明ける迄、しつぽりと夫婦が酒汲み交はし、浩然の気を養ふのは、又とない天下の愉快だ。月か雪か花かとも云ふべき美人のお前に好かれる俺は何と云ふ果報者だらう。これこれシャカンナ殿、羨るうは厶らぬか、エー。今夜に限り吾妻の弁才天をして、貴下のお酒の相手を命じますから、聊か拙僧の好意を買つて下さるでせうな。ゲー、アフヽヽヽアーア。何とよくまはる酒だらう。まだ一二合より飲んでゐない積りだのに』 シャ『アハヽヽヽ、拙者も大変酩酊して厶る。花に嘘つくダリヤ姫様の顔を拝み乍ら、芳醇な酒をひつかける心持と云つたら、春の花見よりも秋の月見、紅葉見、地上一面の銀世界を現じた雪見の宴よりも、何程爽快だか知れませぬわい』 玄『いかにも、左様で厶らう。之も拙者の貴下に対する好意の賜物で厶るぞ。感謝せなくちや、バヽヽ罰が当りますよ』 シャ『イヤ、モウお目出度い所を沢山に拝見致し、シャカンナも満足致しました。此光景を眺めて、霊前から亡き女房の霊が喜んでる事でせう。南無幽霊頓生菩提…うまい酒を飲む阿弥陀仏だ。噛む阿弥陀仏だ。アツハヽヽヽ』 ダリ『オツホヽヽヽヽ、親方さまと云ひ、吾夫天真坊様と云ひ、随分面白いお方ですこと。妾こんなお方大好きよ。妾どうして又気の軽い、人の好い立派な男さまに添ふ事が出来るのでせう。さうしてシャカンナさまの様に腮髭の生えた勇ましい、猛々しいお顔立ち、あたいは天地の幸福を一身に集めたやうな嬉しい気分が致します。オホヽヽヽ』 シャ『ハヽヽヽ、どうも感心だ。ダリヤ姫さまは交際家だな。外交官にでもしたら、屹度凄い腕を現すだらう。惜しい事には女性だから仕方がないわ』 ダリ『ホヽヽヽ、あのマア親方様の仰有る事わいのう。女だつて外交官になれない事は厶いませぬよ。今日の世の中は女が活躍せなくちや、夫が世に出る事は出来ないぢやありませぬか。今日の小名だとか大名だとかいふ役人さま達は皆奥さまの外交が巧いから、あそこ迄の地位を得たのですよ。女が裏口からソツと這入つて上役の奥さまに一寸、やさしい事を云ひ、阿諛を振まき、反物の一つでも贈つておくと、直様、その夫は一月も経たぬ中に役が上るのですもの。何程男さまが力があると云つても、智慧があると云つても妻に外交の腕がなくては駄目ですよ。ネー天真坊様、貴方、どう思ひますか』 玄『ウツフヽヽヽ、お前の云ふ通りだ。見かけによらぬ、お前は立派な女だな。器量許りかと思へば仲々の智慧もあり腕もあるやうだ。尚々、俺はお前が慕はしく恋しくなつて来たよ。「此夫にして此妻あり」とは、よく云つたものだ。流石は天真坊様のお嬶になる丈けあつて、何かに気が利いて居るわい、偉いものだな。俺はもう、スツカリお前に惚たよ。本当によく惚たよ、エヘヽヽヽ』 ダリ『ホヽヽヽ、あのマア天真坊様の仰有る事わいな、まるつきり井戸掘の検査の様だわ。掘れた掘れた、よう掘れたと仰有いましたね。之では何とか賞与金を頂かなくちやなりますまい』 玄『いや、益々惚た。屹度賞与金を渡してやらう、ウンと張込んでやらうぜ』 ダリ『いくら下さいますか。嘘八百円は御免を蒙りますよ』 玄『ウン、もつとやる、千円やる積りだ』 ダリ『エー今日やらう、明日やらう、もう暫くしてからやらう、と遷延又遷延、どこ迄もズルズルベツタリ引伸ばして人をつらくる考へでせう。そんな縁起の悪い言霊は御免蒙りませう』 玄『ても扨も小むつかしいお嬶だな。そんなら、いくら与つたら好いのだ』 ダリ『お嬶お嬶と、よう仰有いますな、余りみつともないぢやありませぬか。俥夫、馬丁の女房ぢやあるまいし、天帝の化身天真坊様の奥方ぢや厶いませぬか。もし賞与金を下さるのなら、この奥方に対して、貴方の誠意のある丈けを放り出して下さい』 玄『ヤー困つたな、誠意のある丈けと出られちや一寸面喰はざるを得ない。俺の誠意は百億円でもやり度いのだが、さうは懐が許さない。奥様の初めての御要求だから、力一杯与へたいが、何分経済界の行詰りでおれの懐もチツト許り秋風が吹いてゐる。どうか三百円位で今日の所は耐へて貰ひ度いものだな』 ダリ『ホヽヽヽ、天帝の化身天真坊様の奥方が、タツタ三百円の枕金とは安いものぢや厶いませぬか。あまり殺生だわ、ネー、シャカンナの親分様』 シャ『ハヽヽヽ、そこは夫婦の仲だ。どつと張込んで、負ておきなさい。実際女房に金を出すやうなデレ助は、今日の世の中には有りませぬよ。諸物価の極端に騰貴した今日でも、最も安いものは女房ですよ。藁の上から蝶よ花よと育て上げ、中等以上の家庭になれば小学校から女学校、女子大学と沢山な金を投じた上、箪笥だ、長持だ、イヤ三重だ、何だ彼だと家の棟が歪む程、拵へして、「不調法の女だけど宜しく」と云つて、只呉れる世の中だから、何が安いと云つても嫁の相場位安いものはない。それだから、ダリヤさま三百円貰つたら、お前さまは天下一の手柄者だ。天真坊が、ぞつこん、首つたけ惚てゐるのだから大枚三百円を、おつ放り出さうと云ふのだよ。アーア、酔ふた酔ふた。何だか宙に浮いてるやうだ。こんな時に女房があつたら私も気楽に膝枕でもして寝るのだけどな。まさか天真坊様の奥方の膝枕を借る訳にも行かず、エーエ羨ましい事だわい』 ダリ『ホヽヽヽ、いい加減に弄かつておいて下さい。然し親方さまのお話によりまして、妾は本当に世界一の幸福女だと覚りました。何とマア天真坊様と云ふ方は結構なお方でせう。それを承はると益々可愛うなつて来ましたよ、ネー天真坊様。「古くなつたから、もう要らぬ」等と云つて、破れた靴を棄てるやうな無情な事を為さつちや、嫌ですよ。……お椀百迄、箸や九十九迄、ともに朱塗の剥げる迄……仲よう添うて下さるでせうね。そして妾なんか、持たないやうにして下さいね。あたい気を揉みますからね』 玄『ウンウンヨシヨシ、そんな心配は御無用だ。お前は、まだ俺の誠意が分らぬと見えて先の先まで心配するのだな。可愛いお前を棄てて、どうして外の女に心を移す事が出来ようか。オイ、ダリヤ、シャカンナさまには済まないが一つ膝を借してくれないか』 ダリ『サアサア夫が女房の膝にお眠り遊ばすのが、何遠慮が要りませう。「膝を借してくれ」等とお頼み遊ばす、その水臭いお言葉が妾、却て憎らしいわ』 シャ『ヤア、どうも堪らぬ堪らぬ。天真坊殿、怪しからぬぢや厶らぬか』 玄『ヤ、之は失礼で厶る。然し乍らは拙者の自由権利を行使するのに、別に遠慮も要りますまい。御免下さいませ、失礼』 と云ひ乍らダリヤの膝に、胡麻入りの頭を安置した。 ダリ『ホヽヽヽ、酒臭いこと。そしてお頭の毛の香、妾鼻が歪むやうだわ。オヤ、マア観世音菩薩が御出現遊ばして厶るわ、ホヽヽヽヽ』 玄『オイ、ダリヤ、観世音菩薩は子供が好きで頭に沢山の童子をのせて厶るだらう。俺はその観世音を沢山に頭に頂いてゐるのだから、大抵俺の神徳も解つただらうのう』 ダリ『ア、それで天帝の御化身様と云ふ事が判然致しましたわ。もし天真坊様、貴方のお頭は、丁度胡麻煎のやうですね』 玄『オイオイ無茶を云ふない。胡麻煎なら持つ処がありさうなものだ。柄がないぢやないか』 ダリ『何事も改良の流行る時節ですから、貴方の胡麻煎頭は柄は有りませぬが、其代用として鍋のやうに二つの耳がついてゐますよ。この耳をかう、二つ下げて胡麻を煎つたら、素敵でせうね。観音さまの胡麻煎が出来るでせう、ホヽヽヽ』 コル『これこれダリヤ姫さまとやら、こんな席で、さう意茶ついて貰つちや、吾々独身者はやりきれぬぢやないですか。チツトは徳義と云ふ事を考へて貰はなくちや堪りませぬよ』 ダリ『ホヽヽヽ、何とマア妙な事を承はるものですな。山賊の仲間にも徳義等と云ふ言葉が流行つてゐますか』 コル『無論です。泥棒でなくとも今日の人間を御覧なさい。上から下まで徳義だとか、仁義だとか、慈善だとか、博愛だとか、いろいろの雅号を並べて、愚人の目を晦ませ、耳を痺らせ、ソツト裏の方から甘い汁を吸ふてるぢやありませぬか。徳義と云ふ事は泥棒にとつては唯一の武器ですよ、アハヽヽヽ』 ダリ『成程、さう承はれば、いかにも御尤も、仲々泥棒学も修養が要りますな』 コル『さうですとも、泥棒が泥棒の看板をうつて、どうして仕事が出来ませう。すぐ目付に捕まつて了ひますよ。表面は善を飾りつつソツト悪事をやるのが当世ですからね』 ダリ『ヤア、之は大変な知識を得ました。サアお気に召しますまいが……一杯注ぎませう。妾の杯でも受けて下さるでせうね』 コル『ヘイヘイ、受ける段ぢや厶いませぬ。三杯九杯、百杯でも千杯でも頂きますわ、エヘヽヽヽ』 ダリ『これこれコルトンさま、さう杯を近く持つて来ちや旦那さまの顔にかかつたら大変ですよ。もつと、そちらに引きなさいよ。その代り妾の方から力一杯手を伸ばして注ぎますよ』 コル『イヤ有難う。オツトヽヽヽ零れます零れます、もう沢山で厶います。然し、これ一杯で沢山と云ふのぢやありませぬよ。又、後をお願ひ致しますよ、エヘヽヽヽ。オイ、バルギー、どうだい、色男と云ふものは、こんな者だよ。岩窟の女帝様のお手づからお酒を頂戴したのだからな、イヒヽヽヽ。貴様もチツト、あやかつたら、どうだい。蜴奴、何を燻ぼつてゐやがるのだい』 バル『ヤア、俺や下戸だ。ホンのお交際に席に列つてる丈けだ。酒なんか飲み度くはないわ』 玄真坊は酔ひ潰れてグタリと前後も知らず眠つて了つた。ダリヤ姫はソツと膝を外し、木の枕を胡麻煎頭に支へておき、細い涼しい声でコルトンに一杯注ぎ乍ら、 ダリ『酒を飲む人心から可愛い 酔ふて管捲きや猶可愛い。 サアサアコルトンさま、男らしうお過ごしなさいませ。此通り天真さまもお眠みになりました。どうやら親方さまも眠まれたやうです。妾が之から貴方を酔ひ潰して上げますわ。バルギーさまはお下戸なり、二人の親分さまはお眠みになつたし、もう、妾とコルトンさまとの天下だわ』 コル『エヘヽヽヽ、イヤ有難う、之も酒飲むお蔭だ。竜宮の乙姫さまが運上をとりに来るやうな美しいお姫さまと杯を汲み交すとは、丸で夢のやうだ。ヤアお姫さま、私も男です。いくら下さつても後には退きませぬ。私の飲み振りを見て下さい』 ダリ『何とマア立派な飲み振りだこと、本当に男らしいわ。妾こんな方と夫婦になり度いのだけどな。天真坊さまと内約したものだから、もう抜き差しならぬやうになつて了つたわ』 と態と小声に云ふ。コルトンは本当に姫が自分に惚たと思ひ益々図に乗つて豪傑振を見せ、姫の心を自分の方へ傾けねばおかぬと、余り好きでもない酒を調子にのつて無性矢鱈に飲み干した。 ダリ『オホヽヽヽ、何と美事な事。なんぼ召上つても、チツトもお酔ひなさらぬのね。そこが男子の値打ですよ。チツト許りの酒を飲んで倒れるやうな事ぢや、まさかの時の役に立ちませぬからね』 コル『それは、さうですとも。一斗桝の隅飲みをやつても、ビクともせぬと云ふ、有名な酒豪ですからな』 こんな調子にコルトンはダリヤに盛潰され、目を白黒にして我慢をつづけてゐたが、堪へきれずして其場に他愛もなく倒れて了つた。バラック式の小屋には沢山の乾児共が菰を敷いて、喧々囂々と囀り乍ら、ヘベレケに酔ふて、泣く、笑ふ、鉄拳をとばす等の乱痴気騒ぎを極端に発揮してゐる。 ダリヤ姫は三人の酔ひ潰れたのを見すまし、バルギーの首に白い腕を捲きつけ乍ら小声になつて、 ダリ『もし、バルギー様、本当に済まない事を致しましたな。貴方はチツトもお酒を召し上らないので本当に行儀が崩れないで、床しう厶いますわ。妾、貴方のやうなお方が本当に好きなのよ。あれ御覧なさい。三人共、酒に酔ふて口から泡を吹いたり、涎をくつたり、本当に見られた態ぢや厶いませぬね。もしバルギーさま、貴方妾を憎いと思ひますか』 バルギーは意外の感に打たれ乍ら、嬉しさうに涎をくり、両の手で慌てて手繰つてゐる。そして小声になつて、 バル『姫様、いい加減に玩弄にしておいて下さい。俺でも男の端くれですからな。貴女はお酒に酔ふてゐらつしやるのでせう』 ダリ『妾だつて、人間ですもの、お酒を飲めば、チツトは酔ひますよ。併し乍ら三人さまのやうに本性を失ふ所まで酔つては居ませぬ。妾の云ふ事を、貴方は疑つてゐるのですか、エー憎らしい』 と云ひ乍らバルギーの頬をギユツと抓つた。 バル『アイタヽヽヽ、決して姫様、疑ひませぬよ、真剣に承はります。何卒、その手を放して下さい。顔が歪んで了ひますわ』 ダリ『本当に妾の云ふ事を信じますか』 バル『全部信じますよ、安心して下さい』 ダリ『そんなら、妾の、これ丈け思つてる心を汲みとつて下さるでせうね。どうか妾を連れて逃げ出して下さいませぬか。妾の宅はスガの里の百万長者で厶いますから、こんな泥棒なんかしてゐるより、余程気が利いてゐますよ。そして妾の夫になつて下さいましな』 バル『ヘヽヽヽヽ、願ふてもないお頼み、イヤ委細承知しました。今夜のやうな、好い機会は又とありませぬ。誰も彼も酒に酔ひ潰れてゐますから、貴女と私と手に手をとつて一先づ此処を逃げ出しませうよ』 ダリヤは嬉しさうに、 『それでは吾夫様、どこ迄も、お伴をさして下さいませね』 バルギーは俄に足装束を拵へダリヤにも草鞋を与へて逃走の準備をさせた。……神ならぬ身の三人は他愛もなく酔ひ倒れてゐる。ダリヤは筆に墨を染ませ、天真坊の額に『ネンネコ』と記し、シャカンナの額に『モー、イヌ』と記し、コルトンの額に『サル、カヘル』と落書し、「ホヽヽヽヽ」と一笑ひを後に残し、抜道の勝手を知つたバルギーに案内され、首尾よく此場を逃げ去つて了つた。 月夜の寝呆け烏が四辺の大木の枝に止まつて、『アホウアホウ』と鳴いてゐる。岩窟の中は雷の如き鼾の音に、ダンダンと夜は更けて行く。無心の月は二人の逃げ道をニコニコし乍ら照らしてゐる。 (大正一三・一二・三新一二・二八於祥雲閣北村隆光録)
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霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 19 絵姿 第一九章絵姿〔一七二一〕 十八年のお慈悲の牢を漸く脱出し、寵臣のアリナと共に、心ゆく迄山野の清遊を試み、其嬉しさと愉快さに帰路を忘れ、一切を忘却し、心の駒に打ち任せて、思はぬ深山の奥へ迷ひ込んだタラハン城の太子も、又太子の意を迎へて山野に案内し、方向に迷ひ、帰路を尋ねて連山重畳たる谷川を瞰下す山腹に月光を浴び乍ら、ライオンの声に心胆を奪はれ、忽ち恐怖心にかられ、顔色青ざめ、生きたる心地もなく、体内の地震を勃発したる左守の倅アリナも、山麓に漸く一炷の火光を認めて死線に立つて救ひの神に出会したるが如く、俄に勇気百倍し、太子を導いて、小柴を分け、漸く一つの隠れ家に辿りつき、主人の情に仍つて、形許りの萱葺の掘込建に一夜の宿泊を許され、いろいろと物語の末、十年以前カラピン王に仕へたる重臣なりし事を悟り、或は喜び或は驚きつつも、ヤツと心が落着き、綿の如く労れ切つたる身を横たへて、茲に露の滴る如き美青年は前後も知らず露の宿りについた。あゝ此主従二青年は其夜は如何なる夢路を辿つたであらうか。数奇な運命に見舞はれて、喜怒哀楽の風に翻弄され、天人忽ち地に降り、土中に潜む地虫は羽翼を生じて、喬木の枝に春を歌ふ。人生の七変化、口述者も筆者も読者も興味を以て、主従二人が夢の成行を聞かむと欲する所である。 雲上高く翼をうつ鳳凰も、霞の天海を浮游する丹頂の鶴も、土中に潜む虫けらも、恋には何の区別もなく、情の淵に七度八度、浮沈するは世の倣ひ、花にも月にも譬へ難きタラハン城内の太子と、背は少しく低く、色は少しく赤みを帯たれど、其容貌は見まがふ許り酷似せる左守の悴アリナが死力を尽しての珍しきローマンス。大正甲子の霜月の空に祥雲閣に例の如く横臥し乍ら、能く語り、能く写し、山色雲に連なる黎明の空を眺めつつ、言霊車に万年筆の機関銃を備へつけ乍ら、出口、松村、北村、加藤の四魂揃うて丹波名物の霧の海原分けてゆく。 シャカンナは珍しき客、只空の月日を友となし、松籟を世の音づれとして、最愛の娘と共に、一切の計画を放擲し、年来の志望を断念して、娘を力に深山の奥に打ちはてむものと覚悟の折柄、三代相恩の主君の寵子が、吾身に辛く当りし左守の悴と共に夢の庵を訪はれ、且つ喜び且驚き、太子に会うた嬉しさに、十年以前の左守ガンヂーが吾身に対せし冷酷なる振舞に出でしを酬ゐむとせし敵愾心も忠義の為にスラリと忘れ、思ひもよらぬ珍客と、夜の目も碌に眠り得ず、朝まだき篝火を要する刻限より、スバール姫と共に、まめまめしく朝餉の用意に取かかり、せめては旧恩の万分一に報ゐむと、貧弱なる材料を以て力限りの馳走を、僕のコルトンにも云ひつけず、自ら調理して献らむものと、心の限りを尽し、朝餉の調理に全力を尽してゐた。コルトンは今朝に限つて、炊事の業を免ぜられ、木の枝で作つた箒で以て、茅屋のまはりや庭先を掃き清め、恰も氏神の祭礼の前日か、大晦日の田舎の庭先の様に、掃目正しく、破れ草鞋の如くに隅から隅迄掃きちぎつてゐる。 コルトン『あーあ、何といふ不思議な事が出来たのだらう。一ケ月以前に玄真坊とか天真坊とかいふ糞蛸坊主が、女神様の様な女と共に、タニグク山の岩窟に乗込んで来て、大酒を喰ひ、酔つぶれた其隙に、俺に優しい言葉をかけ、チツと許り秋波を送つてくれた美人のナイスのシャンに、イヌだの、サルだの、カヘルだの、ネンネコだのと、仕様もない悪戯をされ、すつぱぬきを喰はされた時の三人の面付が、今も俺の目にや有り有りと残つてゐる。あの桃色縮緬を白い薄絹を通して眺める様な美人の顔色、白玉で拵へた様な細い麗しい肌理のこまかい美人の手から、鹿の巻筆ではないが、棕梠の毛で造つた手製の筆に、墨をすらせ、俺の額にサル、カヘルと記念の文字を残して帰りよつた。俺はいつ迄も此記念は吾額に止まれかし、一層の事肉に食ひ入つて、美人が情の筆の跡、仮令サルといはれやうが、カヘルと言はれやうが、そんな事に頓着はない。どうぞ何時迄も消えずにあれと祈つた甲斐もなく、いつの間にやら、スツカリと足がはへて、サル、カヘルといふつれなき羽目に会はされ、有情男子の俺も聊か罪を造つたが、日を重ぬると共に、煩悩の犬はどつかへ逃失せ、本心に立カヘル様になつた所だ。それに又々同じ十五夜に、天女にも擬ふ様なる白面郎が、二人も揃ふて此門口へ降つて来た時の驚きといつたら、未だ生れてから経験をつんだ事がない。余りの吃驚で、天狗の孫ではあるまいかと、いろいろ言葉を構へ、帰らしめむと、死力を尽して拒んでみた。それが何ぞや、親分御大の旧主人だとか、タラハン城の太子様だとか、左守の悴だとか、聞くに及んで二度吃驚、三度吃驚、五臓六腑はデングリ返り、何とはなく恐ろしさ勿体なさに、昨夜は床の上に休むのも勿体なくなり、土間に四這となつて、イヌ、カヘルの境遇に甘んじ、ヤツと一夜を明かし、御大に小言を頂戴するかと案じてゐたが、世の中は杏よりも桃が安いとか云つて、幸に御大の光る目玉の一睨みも、秋霜烈日の如き言霊も、何うやら斯うやら赦されたらしい。併し乍ら内のお嬢さまも、子供とはいひ、モウ十五の春を迎へてゐらつしやるのだ。そして夕の話に依れば、御大は十年以前迄、カラピン王の左守の司だつた様だ。流石お嬢さまも由緒ある家の生れとて、見れば見る程気品の高い、そして絶世の美人だ。太子と嬢さまとの中に、何だか妙な経緯が出来はせまいかな、どうも怪しく思はれる。法界恪気ぢやなけれ共、何だか腹立たしいやうな、可怪しい気分がして来出した哩。俺も今迄、御大の気に入り、何とかして養子にならうと、お嬢さまの成人を待つて居たのだが、最早今日となつては、どうやら怪しくなつて来た。俺の日頃の忠勤振りも、嬢さまに対する親切も、サツパリ峰の薄雲と消え去り相だ。百日の説法屁一つの効果も上らないのか、エー残念至極だ。雨の晨風の夕、お嬢さまお嬢さまと云つて、其成人を待ち、タニグク山の名花を手折らむものと楽み暮した事もサツパリ夢となつたか。あゝ残念や腹立たしや、何程俺が悧巧でも、一方は王の太子、而も旧御主人、其上玉の如うな美青年と来てるから、到底俺の敵ではない。地位名望から云つても、最早駄目だ。エー、テレ臭い、こんな所に何を苦んで、不便な生活を続ける必要があるか。手に持つ箒さへも自然に手がだるくなつて放れ相だ。エー、小鳥の声迄が、俺を馬鹿にしてる様に、今朝は聞えて来る。微風をうけて騒いでゐる木の葉も今朝は俺の失恋を嘲笑つてゐるやうにみえる。潺湲たる谷川の流れの音も、昨日迄は天女の音楽の如く楽しく聞えたが、今朝は何だか亡国の哀音に聞えて来た。希望にみちた俺の平生に比べて、失望落胆の淵におち込んだ今日の俺は、最早天も地も、大親分も、可憐なお嬢さまも、俺を見すてたやうな気がする。エー馬鹿らしい。今の間に密林に姿を隠し、どつかの空へ随徳寺をきめ込んでやらう。オヽさうぢやさうぢや、エヽけつたいの悪い』 と呟き乍ら、満腔の不平を箒に転じ、『エーこん畜生ツ』といひ乍ら、谷川めがけて力をこめて投げやり、黒い尻をひきまくり、二つ三つ打叩き乍ら、体をくの字に曲げ、腮を前の方に突出し、田螺のやうな歯を出して、二三回インインインとしやくり乍ら、早くも此場より姿を隠した。 太陽の高く頭上に輝く頃、太子、アリナの主従は漸く目を醒ました。 太子『あゝ爺、お蔭で昨夜は気楽に寝まして貰つた。どうやら之で元気が回復し、人間心地になつた様だ。白湯を一杯くれないか』 シャ『若君様、最早お目醒で厶いますか。どうぞゆつくりとお寝み下さいませ』 太『や、もう之で充分だ』 アリナ『昨夜はお蔭で、太子様のお招伴を致し、気楽に寝まして頂きました。此御恩はどこ迄も忘れませぬ』 シャ『オイ、コルトン、お客様にお湯を汲んで来い。コルトンは何をしてゐる』 幾度呼んでもコルトンの返詞がせぬ。干瓢頭も見せない。そこへスバール姫が稍小綺麗な衣服を着替へ、髪の紊れを解き上げ、花のやうな麗しい顔に笑を含んで、 スバール『若君様、お早う厶います。御家来のお方様、夜前は寝まれましたか。御存じの通りの茅屋で厶いますから、嘸々お二人様共、お寝み憎からうかと、案じ参らせて居りました。サアどうか渋茶をあがつて下さいませ』 と云ひ乍ら、手元をふるはせ、稍顔をそむけ気味に、恭しく太子に茶を汲んでささげた。太子は……床しき者よ、麗しいものよ……と思ひ乍ら、静に手を伸べて、スバールが差出す茶を受け取り、二三回フーフーと吹き乍ら、静かに呑み干した。 スバ『若君様、モ一つ何うで厶いますか』 太子『ヤ、構うてくれな、余が勝手に頂くから』 シャ『コラコラ、コルトン、何処へ行つたのだ。早く太子様に御挨拶を申上げぬか』 スバ『お父さま、コルトンは一時ばかし前に飛び出しましたよ。最早帰つて来る気遣は厶いませぬ』 シャ『ナニ、コルトンが逃げたといふのか、なぜお前は其時とめないのだ』 スバ『お父さま、妾、可い蚰蜒が逃たと思つて、とめなかつたのですよ。いつも妙な事をいつたり、厭らしい目付をして妾を見るのですもの。何だか其度毎に悪魔に襲はれるやうな気が致しまして、何時も胸が戦いてゐたのです。之でモウ親と子との水入らずで、こんな気楽な事は厶いませぬ。お父さま、コルトンがゐなくても妾が炊事万端を致しますから安心して下さい』 シャ『アハヽヽヽ、到頭、コルトンも山中生活に飽いて逃亡したかなア、無理もない。若い奴が何楽みもなく、こんな髭武者爺と辛抱してゐたのは、実に感心な者だつた。逃たとあらば追跡の必要もない。彼の自由に任しておいてやらう。アハヽヽヽ』 スバ『お父さま、コルトンは何時も、こんな事を云つてゐましたよ、……こんな山奥に不自由な生活をしてゐるのは、若い男として本当に約らないのだけれど、私が帰れば忽ちお父さまが困らつしやるだらう。併し乍ら一日も、こんな山住居はしたくないのだけれど、スバールさまの其美しい顔を、朝夕見るのが、唯一の慰安だ、命の種だ。それだから淋しい山奥も、淋しいと思はず喜んで親方さまの御用をしてゐるのだ……と、何時も申しましたよ』 シャ『アハヽヽヽ、女の子といふ者は油断のならぬものだな。美しい花には害虫がつき易い習ひ、娘を有つた親は中々油断は出来ぬ哩』 スバ『お父さま、そんな御心配は要りませぬ。何程初心こい娘だつて、子供上りだつて、あんな男の云ふ事を諾く者が厶いますか。太子様の……』 シャ『アハヽヽヽ、蔭裏の豆も時節が来れば花が咲くとやら、不思議なものだなア』 アリ『モシ、前左守様、斯うして太子様のお伴をして、一夜の雨宿りをさして頂いたのも、深い縁の結ばれた事で厶いませう。タラハン国の窮状を救ふ為、太子様のお伴をして、今一度都へ出で、国家の為に一肌ぬいで下さる訳には参りますまいか。嬢様も都見物を遊ばしたら、又お目が新しくなつて嘸お喜びで厶いませうから』 シャ『イヤ御親切は有難いが、仮令太子様のお慈悲の言葉に甘え、都へ出た所で、最早一切の権利は其方の父が掌握してゐる。十年も山住居をして、世の開明の風に後れた骨董品、到底国政の衝に当るなどとは、思ひもよらぬ事だ。却て大王様のお心を揉ませる様なものだから、御親切は有難いが、私はモウ此山奥で、娘と共に朽ちはてる積りだ。断じて都入は致しませぬ』 アリ『それはさうと、斯かる名花を山奥に老いさせるのは実に勿体ないぢやありませぬか。貴方も娘の出世は望まれるでせう。何時迄も此山奥に厶つては、貴方は老後を楽んで花鳥風月を友とし此山奥に簡易生活を楽み暮されるとした所で、莟の花のスバールさまを、此儘此処で一生を終らせるのは、何う思うても勿体ない。そんな事を仰せられずに、太子様を蔭乍ら守る為に都へ出て下さい。そして政治がお厭なれば、どつかの家に身を忍び、お嬢さまを守立て、立派な花になさつたら何うですか』 シャ『何と仰せられても、元来頑固な生れ付、一度厭と申せば何処迄も厭で厶る』 太『左守、余の頼みだから、余と共にタラハン城へ帰つてくれる気はないか』 シャ『ハイ、何と仰せられましても、之許りは平に御免を被りたう厶ります』 太『ウン、さうか、それ程厭がる者を、無理に伴れ帰るのは、却て無慈悲かも知れない。そんなら其方の意志に任す。帰つたら此アリナに珍らしい物でも持たして、御礼に参らすから……永らくお世話になつた。惜いけれども、帰らねばなるまい。併しシャカンナ、其方に一つの頼みがある。聞いては呉れまいかなア』 シャ『ハイ、如何なる事でも、最前お断り申した外の事ならば、力の及ぶ限り、御恩報じの為に承はりませう』 太『ヤ、早速の承引、満足々々、外でもないが、スバール嬢の姿が絵に写したい』 シャ『ナニ、スバールの姿を撮ると仰せられるのですか、金枝玉葉の御身を以て卑しき私共の娘の姿をお描き遊ばすとは、余り勿体ないお言葉。之許りは平にお断り申し上げませう。冥加に尽きますから』 太『何、さう遠慮するには及ばぬ。どうか余の頼みぢや、絵姿を描かしてくれ』 スバ『お父さま、若君様のお言葉、お否みなさるのは却て御無礼で厶いませう。妾は若君様の御筆に描かれたう厶いますワ』 アリ『ヤ、お嬢さま、天晴々々、出かされました。御本人の承諾ある限りは、モウこつちの物だ。サア若君様、日頃の妙筆をお揮ひ遊ばせ。私が墨をすりませう』 シャ『アハヽヽ、到頭娘も太子様のお眼鏡に叶ひ、絵姿を取つて頂くのか。ても偖も幸福な奴だなア』 スバールはいそいそとして、一張羅の美服に着替へ、門に出で、面白い形をした岩の傍に靠れ凭つて、太子の描写に任せた。太子はせつせと筆を運ばせ、殆んど一時許りにして、実物と見まがふ様な立派な絵姿を描き上げた。 太『ヤア、之で国許への土産が出来た。之を床の間にかけて、朝夕楽まう。ヤ、爺、一寸見てくれ、スバールに似てゐるかな』 シャカンナは『ハイ』と答へて、屋内から駆け出し、 シャ『ヤ、若君様、最早お描き上げになりましたか。……何とマア立派な御腕前、感じ入りまして厶います』 太『ハヽヽヽ、スバールに似てゐるかな』 シャ『どちらが実物だか、親の私でさへ見分けがつかない位、よく描けて居ります。太子様は大変な美術家で厶いますなア』 太『ハヽヽヽヽ』 アリ『学問と云ひ、芸術と云ひ、文才と云ひ、博愛慈善の御心といひ、勇壮活溌な御気象といひ、又と一人天下に肩を並ぶる者はありませぬよ。何から何迄完全無欠な御人格を備へてゐられます』 シャカンナは首を傾けて、絵画とスバールとを見比べ乍ら、感歎久しうして舌を巻いてゐる。主従は午後八つ時、パンを用意し、惜き別れを告げて、一先づ此庵を去る事となつた。太子は後振返り振返り、名残惜気に父娘の姿を眺めてゐる。シャカンナの父娘は又太子、アリナの後姿を首を伸ばして見送つてゐた。シャカンナは思はず知らず十間許り後を逐うてゐた。二人の姿は山裾の突出た小丘に隔てられ、遂に互の視線は全く離れて了つた。 主従は元気よく坂路を東へ東へと谷川の流れに沿ひ下つて行くと、途中に日はズツポリと暮れた。止むを得ず、路端の突出た石に腰打かけ、息を休めてゐると、何者共知れず、突然後方より現はれて太子の頭上を目当に、堅い沙羅双樹の幹で作つた杖を以て、骨も砕けと打ち下す。太子は惟神的に体をかわした。其途端に的が外れて、曲者は二人の前に杖を握つたまま地を叩いて、ひつくり返り、頭を打つて悲鳴をあげた。能く能く見れば豈計らむや、シャカンナの僕コルトンであつた。主従はコルトンを労はり起し、いろいろと道を説き諭し、将来を戒めて、又夜の路をトボトボと帰途に就いた。 (大正一三・一二・四新一二・二九於祥雲閣松村真澄録)
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(3003)
霊界物語 67_午_ハルの湖/タラハン国の国政改革1 20 曲津の陋呵 第二〇章曲津の陋呵〔一七二二〕 タラハン城内カラピン王の御前に左守右守を初めとし、数多の重臣が薬鑵頭に湯気を立て太子が知らぬ間に殿内より姿を隠し、踪跡をくらました大椿事につき、いろいろと干からびた頭から下らぬ智慧を絞り出して小田原評定が初まつて居る。 カラピン王『時に左守殿、日頃憂鬱に沈んだ吾太子は今日で三日になつても、まだ帰つて来ないのは、どうしたものだらう。何か、いい考へはつかないかのう』 左守(ガンヂー)『ハイ、誠に恐れ入つた次第で厶ります。殿中監督の任にあり乍ら、此老臣、大王に対し奉り、死を以て謝するより外に道は厶いませぬ』 王『其方の悴も、まだ帰つて来ぬか。余は思ふに、日頃太子の気に入り、其方が悴とどつかの山奥へ踏み迷ふてゐるのではあるまいかのう』 左『不束な悴奴、太子様のお言葉に甘へ、いつも恐れ多くも友人気取りになつて振れ舞ひます。その不遜な行為を、臣は常に憂ひ、いろいろと折檻も致し警告も与へて居りますが、二つ目には薬鑵頭だの、骨董品だの、床の置物だのと、罵詈嘲笑を逞しふし、太子様の御寵愛を傘に着て親の云ふ事を聞きませぬ。誠に困つた不忠不義の痴者で厶います。もし今度幸ひに悴が帰りますれば密室に監禁し、よく物の道理を説き聞かせ、それでも聞き入れねば只一人の悴なれども王家のため、国家のため、臣が手にかけて、悴が命を絶ち、国の災を除く覚悟で厶います。どうか暫く御猶予を願ひます。何れ其中には無事御帰城遊ばすで厶いませうから』 王『ヤ、そちの悴も新教育とやらを受け、余程性質が悪くなつて来たやうだ。然し、吾太子も太子だ。平民主義だとか、平等主義だとか、国体に合ない囈言を申し、貴族生活が気に入らぬ等と駄々をこね、日夜不足さうな面貌を現はし、吾注意を馬耳東風と聞き流し、手におへない人物となつて了つた。之も全く余が一時悪霊に魂を魅せられ天地に容れざる残虐の罪を犯したその報いで、老後の身を以て、あるにあられぬ心の苦労をさせられてゐるのだらう。アヽどうなり行くも宿世の因縁だ。もう左守殿、あまり頭を痛めて呉れな。余も太子の事は只今限り断念する』 左『恐れ多き殿下のお言葉、臣下の吾々、何と申してお詫をすれば宜いやら、実に恐懼の至りで厶います』 王『右守殿、太子が帰らぬとすれば、何とか善後策を講じなくてはなるまい。其方の意見を聞き度いものだ。かかる一大事の場合、少しも遠慮は要らないから、其方が心の底を忌憚なく打明けて呉れよ』 右守(サクレンス)『ハイ恐れ入りまして厶います。太子様の御出奔以来、家中の面々を四方八方に派し、殿下の御行衛を捜索致させましたが、今に何の吉報も得ませぬ。今日で三日三夜、此右守も心を痛め、胸をなやまし、食事も碌にとれませぬ。翻つて国内の事情を顧みれば、到る所に民衆不平の声、いつ大事が勃発するかも知れない形勢になつて居ります。加ふるにバラモン軍が襲来するとの噂喧すしく、人心恟々として山川草木色を失ひ、将に阿鼻叫喚地獄を現出せむとするの形勢で厶います。斯くの如く国家多事多難の際に太子の君が御出奔遊ばされた事は我国家にとつては、痩児に蓮根と申さうか、泣面に蜂と申さうか、実に恐れ多き次第で厶います。風前の燈火にも等しきタラハン国の形勢、国家を未倒に救ひ、大廈の崩れむとするを支ふるのは、倒底一木一柱のよくすべき所では厶いませぬ。何分にも此際には上下一致、億兆一心、あらむ限りの誠心を捧げて国難に殉ずる覚悟が吾々初め、なくては叶ひませぬ。かかる危急存亡の際に、太子の君を唆かし奉り、殿内より誘き出したる左守殿の悴アリナこそは天地も赦さぬ大逆無道の悪臣で厶る。まづ国家民心を治むるには親疎の情を去り、上下の区別を撤廃し、真を真とし、偽を偽とし、悪を悪とし、公平無私的態度を以て賞罰を明かにし、天下に善政の模範を示さなくてはなりますまい。恐れ乍ら、臣は先づ第一着手として、左守の悴アリナの処分をなさねばならないだらうと考へます。ついてはその父たる左守殿は此際責任を感知し、闕下に罪を謝し、下は国民に対する言ひ訳の為め、進んで骸骨をお乞ひなさるが時宜に適したる最善の処為と考へます。否、国法の教ふる所と確信致します。殿下、何卒賢明なる御英断を以て、官規を振粛し頑迷無恥の官吏を退け、以て国民に殿下の名君たる事を周知せしめ度く存じまする』 王『イヤ、右守の言も一応尤もだが今日は未だ太子の行衛も分らず、又アリナの所在も分らぬ混沌の際だから、左守の処分は、さう急ぐには及ぶまい』 右『殿下の仰せでは厶いまするが、国家危急存亡の際、さやうな緩慢の御処置は却て国家を危くするものと考へます。何卒御英断を以て疾風迅雷的に解決し、快刀乱麻を断つの快挙に出られむ事を右守、謹んで言上仕ります』 王『汝右守のサクレンス、汝は王家を思ひ国家を思ふ、その熱誠は実に余は嘉賞する。併し乍ら我国家は余に及んで十五代、王統連綿として何の瑕瑾もなく、国民尊敬の中心となり、仮令小なりと雖タラハンの国家を維持して来たものだ。然るに今太子が貴族生活を嫌ひ、殿内を飛び出すやうになつては、最早王政も専制政治も到底永続する事は出来ない。仮令太子が帰城するにしても、彼は余が後をついでタラハン国に君臨する事は好まないだらう。一層の事、王女のバンナを後継者となし、適当なる養子を入れて、王家を継承させ度いと思ふが、左守、右守その他の重臣共は、どう考へるかな』 左『殿下の宸襟を悩ませ奉り、臣として、ノメノメ生命を長らへ殿下の御心配を坐視し奉るに忍びませぬ。右守の云はるる通り、実に臣と云ひ悴と云ひ、王家の仇国家の潰滅者で厶いますれば申訳のため、今御前に於て皺ツ腹をかき切り、万死の罪を謝し奉ります。右守殿、何卒国家の為忠勤を励んで下さい。殿下、左様ならば』 と云ふより早く用意の短刀、鞘を払つて左の脇腹につき立てむとする一刹那、王女バンナ姫は慌ただしく、簾の中より走り出で、 王女『左守ガンヂー早まるな。今死ぬる命を永らへ、王家のため国家のために何故誠を尽さないのか。死んで忠義になると思ふか。言ひ訳が立つと思ふか。血迷ふにも程があるぞや』 と鶴の一声、左守はハツト許りに両手をつき、白髪頭を床にすりつけ乍ら声を振はせ涙を絞り、述ぶる言葉もきれぎれに、 左『ハイ、誠に無作法な狼狽へた様をお目にかけまして申訳が厶いませぬ。何卒、御宥恕を願ひ奉ります』 右『アハヽヽヽ、左守殿、御卑怯では厶らぬか。一旦男子が決死の覚悟、仮令王女様の御言葉なればとて卑怯末練にも死を惜み、生の執着に憧れ給ふか。左様な女々しき魂を以て、よくも今迄左守の職が勤まりましたな。チツトは恥を知りなされ』 と悪逆無道の右守のサクレンスは左守の自殺を慫慂してゐる。彼は十年以前迄は左守のガンヂーが右守として仕へてゐた頃、家令に抜擢され、右守が左守に栄進すると共に自分も抜擢されて右守の重職に就いたのである。今日の地位を得たのは、全く現左守の斡旋によるものであつた。然るに心汚き右守は大恩あるガンヂーを邪魔物扱になし、今度の失敗につけ込み左守に詰腹を切らせ、自分がとつて左守に代り国政を自由自在に攪き乱し、時節を待つて王女バンナ姫に自分の弟エールを娶はせ吾一族を以て国家を左右し、自分は外戚となつて権勢を天下に輝かし、日頃の非望を達せむと企てたのである。 カラピン王は右守のサクレンスに右の如き野心あるとは夢にも知らず、危機一髪の際、国家を救ふは数多の重臣の中、此右守の外なしと、益々信任の度を厚うした。 されども流石に吾弟のエールを王位に上せ、バンナ姫と相並んで王家を継がせ、万機の政治を総統させる事は口には出し得なかつた。そこで彼は、ワザとに次のやうな事を御前会議の席で喋々喃々と喋りたて、王を初め重臣共の腹を探らうとした。 右『殿下に申上げます。「今日は国家のため遠慮会釈もなく言上せよ」との御令旨、参考のために、殿下を初め一同の重役達に吾意見を吐露致します。御採用下さらうと、下さるまいと、それは少しも臣の意に介する所では厶いませぬ。倩々天下の情勢を考へまするのに、世界の王国は次第々々に倒れ、何れも民衆政治、共和政体と代り行く現代の趨勢で厶います。加ふるに肝腎要の太子の君は平民主義がお好きでもあり、常に共産主義を唱道されてゐるやうで厶います。開国以来、十五代継続遊ばした此王家をして万代不易の基礎を固め王家の繁栄は日月と共に永遠無窮に、月の国の一角に光り輝くべく日夜祈願をこらしてゐましたが、最早今日となつては、どうも覚束ないやうな気分が致します。殿下を初め奉り、諸君の御意見は如何で厶いませうかな』 此意外なる言葉に王を初め左守、その他の重臣は水を打つたる如く黙然として大きな息さへせなかつた。暫くあつてカラピン王は顔面筋肉を緊張させ乍ら、 王『意外千万なる右守が言葉、天の命を受けて君臨したる我王室を廃し、共和政治を布かう等とは不臣不忠の至りだ。右守、汝も時代の悪風潮に感染し、良心の基礎がぐらつき出したと見える。左様な精神で、どうして我国家を支へる事が出来るか。よく考へて見よ』 此言葉に並ゐる老臣等は稍愁眉を開き、一斉に口を揃へて王の宣言に賛意を表した。左守は憤然として立上り両眼に涙を浮べ乍ら、右守の側近くニジリ寄り短刀の柄に手をかけ、声を慄はせ乍ら、 左『汝右守のサクレンス、徒に侫弁を揮ひ、表に忠臣義士を粧ひ、心に豺狼の爪牙を蔵する悪逆無道不忠不義の曲者奴、万代不易の王政を撤回し共和政体に変革せむとは何の囈言、不臣不忠の至り、もう此上は左守が死物狂ひ、汝が一命を断つて国家の禍根を絶滅せむ、覚悟致せ』 と云ふより早く右守に向つて飛びつかむとする。王女のバンナは又もや声をかけ、 王女『左守、暫らく待て、王様の御前であらうぞ。殿中の刃物三昧は国法の厳禁する所、血迷ふたか、狼狽へたか。左守、冷静に善悪理非を弁へよ』 左守は声を励まして、 左『王女様の厳命なれども、もとより不忠不義なる此左守、死して万死の罪を謝し奉る。ついては御法度を破る恐れは厶いませうが、此右守を残しておかば王家を亡ぼし国家を亡ぼす大逆者で厶れば、右守の命を絶つ考へで厶います。何卒此儀はお許し下さいませ』 と又もや斬つてかかる。右守は打驚き松の廊下の師直よろしく、 右守『左守殿、殿中で厶る殿中で厶る』 と連呼し乍ら彼方此方へ逃げまはる。重臣のハルチンは加古川本蔵よろしく、左守の後よりグツと強力に任せて抱きかかへ羽抱絞めにして了つた。左守は、 左『エー、放せ、邪魔召さるな。王家の一大事だ。国家の禍根を払ふのは此時で厶る』 とあせれど藻掻けど、強力のハルチンに抱きつかれ無念の歯噛みし乍らバタリと短刀を床上に落した。右守は此隙に乗じて雲を霞と卑怯未練にも逃げ出して了つた。 かく騒ぎの最中へ太子の君はアリナと共に悠然として城門を潜つた。今や生命からがら髪振り乱し、逃げ出して来た右守のサクレンスは狼狽の余り門口にてアリナの胸にドンと許りつきあたり、二人は共に門前の階段から、二三間許り下の街道へ転げ落ちた。幸ひにアリナは何の負傷もせなかつたが、右守のサクレンスは脛を折りノタノタと四這ひとなり生命カラガラ吾家を指して猫に追はれた鼠よろしく逃帰り行く。 (大正一三・一二・四新一二・二九於祥雲閣北村隆光録)
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(3009)
霊界物語 68_未_タラハン国の国政改革2 01 貞操論 第一章貞操論〔一七二五〕 樹々の緑も浅倉山の嫩芽、巻紙を拡げて一枚々々楕円の舌をはみ出し、晩春の風に揺られて無言の囁きをつづけて居る。 春の終りとは云へ、高地帯の山奥では都路に比して一ケ月ばかり木の芽の生立ちも遅れてゐる。 虎、狼、獅子、熊の哮り声、小鳥の百囀り、春風の木々の梢をもむ音、それより外に聞くものもなき此山奥に、其昔タラハン国の左守の司と仕へたるシャカンナは年老いたりと雖勇気は昔に衰へず、一朝、時を得れば潜竜の淵を出でて天に躍るが如く、天下国家の為に昔とつたる杵柄の逞しき両腕を国政の上に試みむとし、数百の部下を人跡稀なる山奥に集めて回天の神策に身心を傾けて居たがフトした事より、行く年波と共に天命を知り山寨に火を放ち、数多の部下を解散し、今年十五の春を迎へた最愛の一女スバール姫を老後の力となして一陽来復の時を待ちつつあつた。 恰も天から降つて湧いたる如く思ひがけなきタラハン国のスダルマン太子が吾政敵なる左守の悴、アリナと共に雨露を凌ぐに堪ゆべき茅屋の破れ戸を叩くに会ひ、仮寝の夢を破られ十年振りにて主従の対面をなしたる数奇極まる運命に、大旱になやんで萎れかかりし木の葉の雨露の恵みに遭ひて、生々と復活したるが如き心地し、日夜腕を扼してタラハン城の空を眺めて再生活躍の希望を漲らしつつあつた。 日頃淋しく感ずる猛獣の声も、悲哀に満ちた百鳥の囀りも此頃は何となく生気溌溂として己が出盧を促すものの如く、谷川のせせらぎの音にも梢を亘る風の音にも、希望の声が満ちて居るやうに感じられた。 俗臭紛々として罪悪に満ちたる暗黒の社会、人面獣心の化物共が白昼を横行濶歩する都大路の塵にも染まぬ天成の美人スバール姫が、浅倉山の山奥、玉の川の上流、清く流れて激潭飛沫をとばす岸の片辺、千畳の岩石を以て区劃された川の淵、淋しげに立てられた、掘り込み建ちの茅屋に鬼をも挫ぐ父のシャカンナと共に、無心の生命を保ち、千歳の苔に玉の肌を包まれて、今まで社会に落伍した人間の屑小盗人共に、女帝の如く、王女の如くもてはやされ、人生の春を過ごすこそ、せめてものスバール姫が心の誇り、もし此ままにして世に出でずば獣臭き山男の妻となるか、泥棒の妻となつて女盗賊の頭目として一生を終るか、但は見るべき花として時の力に散り失せ実を結ばず、木の根の肥料となるか、さもなくば可惜美人の生涯を真黒の毛脛に抱き通され、果敢なき一生を送るより外に道なき姫の運命、人間としては余りに艶麗に過ぎたる其容貌、諺に云ふ美人の薄命、結縁の神に憎まれて此山中に葬らるべき可惜もの。さりながら、父の権威と吾身の年若きに過ぎたるを幸ひ、悪性男の暴力に木の根を枕の犠牲にもならず、今日十五の春まで身を犯されず、霊を弄ばれず、春秋を送り迎へして来たのは、せめてもの彼の少女にとつては幸である。六才の春より父親の手に育てられ浅倉谷の清流、岩にせかるる谷の淵瀬の水鏡はあり乍ら、地を撫でる如き長き頭の黒髪を無雑作にクルクルとまきつけて結び、浮世の風の響さへ知らず、もし人あつて此美人を都大路の真中につき出さうものなら、万金を費しても見られぬ筈の玉を伸べたる如き腕も脛も露に惜気もなくタニグク颪に散り来る木の葉の屑に弄ばれ、一片の人工も施さず、天成そのままの玉の肌を此山奥に横たへ、暇ある時は、獅子、兎の安息所たる山林に別け入つて、薪を背負ひ、炊事万端まめまめしく父の労苦を助けて居た。紅白粉香油等の補助的粧飾品は生れて以来、見た事もなく、身につけた事もない、只惟神のままに生立つた。原野に咲き匂ふ花の粧を此山奥に人知れずさらすのは、宛然造化の技巧をこらして作り上げた天真の美貌、どこへ転がしても玉は玉、如何に粗末でも蘭麝は蘭麝の香を備ふる道理、どこともなく云ふに云はれぬ床し気がある。蔭裏の豆も時節が来れば花を開き果を結ぶ道理、今年十五の春を迎へたスバール姫も天極紫微宮より降らせ給ひしエンゼルにも等しきスダルマン太子の、どこともなく雄々しき男らしき床しき容貌と其謦咳に接してより、時ならぬ顔に紅葉を散らし、梅花一輪春陽に遭うて綻び初めし心地、子供心にも恋てふものの怪しき魔物に捕捉さるるに至つた。雨の朝、風の夕、少女は浅倉谷の清流に向つて両手を合せ、激湍飛沫の猛り狂ふ有様を見てはスダルマン太子の雄々しき御心と崇め、清き溪流を眺めては太子の御心の清き鏡と拝し、小鳥の声、梢を亘る風の音も太子の甘き言葉の如く思はれ、林に咲き匂ふ緑、紅、白、赤、黄色の花を眺めては太子の御顔を偲び、満天の星光を圧して昇る月影に対しては、あの円満なる月の顔は正しく太子の清き、やさしき御姿、吾生命の綱と憧がれ、物に接し、事に触れ、森羅万象悉く、一として太子の声ならざるはなく、太子の姿ならざるはなき、深くも恋の暗に滝津瀬のおちくる如く強度の勢を以て千尋の深き底に沈み行くのであつた。 シャカンナはスバール姫の此頃の様子の、如何にも腑に落ちぬに心を悩ませ、娘の親として、あらむ限りの思索を廻らし、時々溜息を吐く事さへあつた。或時シャカンナはスバール姫に向ひ、少しく声を潜め、姫の顔を覗くやうにして頬杖をつき乍ら、 シャカンナ『スバール姫よ、お前も今年は十五の春を迎へた年頃の娘、此親として自分もお前の身を見るにつけ、可惜名玉を此山奥に埋め度くはないのだ。俺は一旦左守の司の職掌を退き君側に蟠る奸邪侫人を打払ひタラハン国城下の安寧秩序を保ち、一は王家のため、一は国家万民のため時節を待つて一臂の力を揮つて見むと此山奥に山賊共を呼び集め、捲土重来の時期を待つて居た。待つ事殆んど十年、されど数多の部下は集まつて来ても一人として心の底を打明かし、大業遂行に対し片腕の力になるものも出て来ない。それがため父はホトホト世の中が嫌になり、お前も知る通り、タニグク谷の山寨に火を放つて、玄真坊の後を追つて居た部下の不在中、此浅倉谷の隠れ家に、お前と二人の佗住居、味気なき余生を送らむものと覚悟を定めて居たが、雄心勃々として脾肉の嘆に堪へず、一層のこと此世の思ひ出にタラハン城へ只一騎乗り込み、君側に蟠まる悪人輩を打亡ぼし、国家の災を除き、俺はその場で自殺をなして罪を謝せむかと、幾度かとつおいつ思案はして見たが、天にも地にも親一人、娘一人の其方を後に残して先立たむも、其方に対して不憫であり、大悪人の娘と、其方が世の人に後指さされるのも心苦しく、それ故、男らしき働きも得なさず、躊躇逡巡女々しくも今日迄、可惜光陰を空しく費して来たのだ。然るに天の恵みか、地の救ひか、ゆくりなくも先月の今日今頃、夢見る如きスダルマン太子が吾茅屋に踏み迷つて来られ、金枝玉葉の御身を以て、此茅屋に一夜を過ごされたのも何かの神の御引合せであらう。つらつら思ふに、神様は此シャカンナに一時も早く山を出で都に上つて、国家の危急を救へとの暗示のやうにも考へられる。それについては、其方は幸ひに世にも稀なる美人、万々一冥加に叶つて太子様のお心に召したならば、それこそ父の大望にとつても国家にとつても之位都合の良い事はない。然しながら何事も人間は運命に左右されるものだから、窮極する所は到底人間力ではいかないだらう。そして又男女の関係と云ふものは実に不可思議のもので、何程太子様がお前を寵愛遊ばしても、お前の心に太子を恋慕する心がなければ、無理に親の権威を以て結婚を強ひる訳にも行かず、父の眼より観察すれば、どうやら太子様は、其方に思召があるやうに感ぜられた。然し乍ら結婚は恋愛によつて成立するものだから、何程少女だと云つても、吾娘だと云つても、之許りは父の自由にはならない。お前の考へはどう思つてゐるか、遠慮会釈は要らぬ。切つても切れぬ親娘の仲だ。そして、お前の一生一代の大事件だ。予め、お前の心を此父に聞かしてくれ。お前の心を聞いた上、此父にも亦劃策する所があるから』 スバール姫は少女に似合はず、性質怜悧で山の奥に育ち乍ら、人情の機微に比較的通じてゐた。そして十二三才の頃より、恋愛と云ふ事に趣味を感じ、数百の部下の面貌を一々点検して、顔容や、性質や起居振舞等に注意し、男子に対する一種の批評眼を備へて居た。然し乍ら、どの男を見ても心性の下劣な、容貌の野卑な山猿的人間許りで、スバールが一生を任す夫として選むべき玉は一つも見当らなかつた。六才の時、タラハン城を後に、此山奥に父の手に育てられ、荒くれ男の奇怪な面貌をした小人輩許りを眺めて居た彼は……世の中の男と云ふものは凡て此様な獣めいたものだらうか。何れの人間を見ても左右の目が不揃ひであつたり上下になつてゐたり、鼻柱が右へ曲つたり左へ曲つたり、口の形から歯の生え具合、起居振舞迄見て、……実に男子てふものは情ないものだ。此世の中は何故、こんな化物許り棲んでゐるのだらう。あゝ情ない浮世だな……と、いつも落胆失望の淵に沈んでゐたが、フトした事からタラハン城の太子の君に巡り合ひ、其気高き姿に憧がれ、又左守の悴アリナの容貌も捨て難き所がある。之を思へば、……今迄十年間眺めて居たやうな屑男許りではあるまい、世の中には百人に一人や二人は人間らしい面をした男もあるだらう。太子様がお帰りの時、自分の手を固く握つて、『これ、スバール、屹度迎へに来るよ』と耳の側で囁き遊ばした時の嬉しさ。然し、かやうな山奥に育つた世間知らずの妾をば、どうして永遠に寵愛して下さる道理があらう。地位と云ひ容貌と云ひ、名望と云ひ、比稀なる若君なれば都大路には立派な女も沢山あるだらう。そして太子様の権威と富力によらば、いかなる天下の美人も、引寄せ給ふ事が出来るであらう。太子様は、どこ迄も恋しい。寝ても覚めても忘れられぬ。何だか此頃は吾心さへボンヤリとして来たやうだ。然し乍ら都大路に出て、幸ひに太子様の御寵愛を蒙つた所でさへ、夢の間の朝顔の花、朝の露が乾けば夕に萎るる道理、可惜罪を作るよりも一層の事、吾恋ふる心を太子様に奉り、一生の操を守つて父と共に此山奥に朽ちむか……と、雄々しくも恋の焔を自ら消してゐた。そこへ父のシャカンナが意味ありげな言葉を聞いて、スバール姫は何とはなしに前途有望のやうな感じがムラムラと湧き出で、俯向き乍ら、顔を紅に染め、恥かしげに云ふ。 『お父様、遠慮会釈なく思つてゐる事を云へと仰いましたから、今日は妾の一生の一大事、何もかも思つてゐる事を申上げます。どうか叱らないやうにして下さい』 シャ『何、叱るものか。どんな事でも思つた事を父の前で云つて見るがよい』 ス『そんなら申上げます。もうかうなつてはお隠し申すも及びませぬから、太子様がお帰りの時、妾の手を固く握り「スバール姫よ、暫く待つてゐよ。屹度迎へに来てやる」と仰有いました。自惚かは知りませぬが、太子様は……あの妾にラブしてゐらつしやるでせう。そして妾も……』 シャ『アツハヽヽヽ、さうだらうさうだらう、やつぱり父の睨んだ通りだ。そして太子様が迎へに来て下さつたら、お前は喜んで行くだらうな』 ス『ハイ、それは参らぬ事も厶いませぬが、何と云つてもラブは神聖なもので厶いますから、余程考へさして頂かねばなりませぬ』 シャ『ウン、それもさうだな。何と云つても一国の主権者におなり遊ばす御方、至尊至貴にして犯すべからざる王太子様の妃になるのはお前も女としては無上の出世だ。お前の為に此の父も枯木に花の咲く時節が来るのだから、どうか太子様の思召がお前をどこ迄も妃にすると云ふ考へが定つたならば、父の為にもなる事だから喜んで行つてくれるだらうな』 ス『父の為には孝養を尽すを以て子たるものの務めと致します。父の為と恋愛の為とは道が違ふぢやありませぬか。もし妾の恋愛が完全に成就したのならば、副産物としてお父様も幸運に向はれるでせう。お父さまの幸運はつまり此の恋愛が成就するからでせう。妾はお父様に対しては孝養を主とし、夫に対しては恋愛を主とするものです。それが至当の道理と考へてゐます』 シャ『アツハヽヽヽ、何時の間に、そんな理窟を覚えたのだ。夫が主で父が従とはチツとひどいぢやないか。それでは倫理学上由々しき大問題だ』 ス『そんならお父様の孝養を主として恋愛を一生葬りませう。その代り此山奥に一生朽ち果てる覚悟で厶いますから』 シャ『そんな、ならぬ事を云ふものぢやない。親の云ひ条について太子様のお妃になれば孝養も恋愛も完全に成就するぢやないか』 ス『孝養と恋愛が両方円満に成功すれば、こんな結構な喜びは厶いませぬ。然し乍ら世の中には、さう誂へ向に行かない事が沢山あるでせう。凡て恋愛なるものは愛情から来るものです。愛情はどこどこ迄も拡大すべきもの、又流動性を帯びてゐるものですから、倫理や道徳や知識を以て制縛し得るものではありませぬ。もし恋愛に理智が加はれば恋愛そのものは、千里の遠方に逃げ出してゐるぢやありませぬか。智性と意性即ち理智と愛情とは到底両立しないものでせう』 シャ『何時の間にか誰も教へないのに、こましやくれたものだな。ほんとに「油断のならぬは娘だ」と云ふが、此父もお前の話を聞いて荒肝を挫がれて了つたよ』 ス『お父さまは昔気質でお頭が少し古く出来てゐますから、恋愛問題等に容喙なさる資格はありますまいよ。どうか此問題は妾の意志に任して下さいませ。古い倫理や道徳説に囚はれて可惜女の一生を霊的に抹殺される事は堪へられませぬ。神聖な霊魂を男子に翻弄される事は女一人として堪へられない悲哀ですから、仮令太子様が妾を寵愛して下さるにした所で、妾が太子様以上に愛する男子が現はれたとすれば、その時はお父様はどう思ひますか』 シャ『これは怪しからぬ。「女は三界に家なし」と云つて、夫の家に嫁いだ時は、いかなる不幸も不満も堪へ忍ばねばならぬ。そして舅姑によく仕へ、親や夫の無理を平気で甘受せねばならぬものだ。それが女として最も尊い務めだ。その考へがなくちや到底女として立つ事は出来ないぞ。それが女の貞操だからのう』 ス『ホヽヽヽ、それだからお父さまは頭が古いと云ふのですよ。男女は同権ぢやありませぬか。男子が一個の人格者ならば、女だつてやつぱり一個の人格者でせう。人格と人格との結合によつて、初めて完全な恋愛が行はれ、結婚が成立するのでせう。恋愛は恋愛として、どこ迄も自由でなけれねば、結婚と云ふ関門を通過した女は殆ど奴隷的牢獄に投ぜられたやうなものです。男子は好きすつぽうに己が愛する女を幾人も翻弄し、女一人に貞操を守れと云ふのは不道理至極なやり方ぢやありませぬか。例へば太子様が妾をラブし、妾が太子様を此上なくラブしてる間は、互に貞操も保たれ、完全な結婚の目的も達するでせう。もし太子様に於て妾以上に愛する女が出来た時は、太子の恋愛は既に已に妾を去つて他の女に移つてるぢやありませぬか。それでも妾は恋の犠牲者として霊的死者の位置に甘んぜねばなりませぬか。そんな不合理な事が、どこに厶いませうぞ。之に反する場合即ち妾が太子様以上に恋愛する男子が現はれた時は、又其男子に恋愛を移すのは恋愛そのものにとり自然の成行でせう』 シャ『オイ、娘、何と云ふ馬鹿な事を云ふか。誰にそんな悪知恵をつけられたのだ』 ス『ハイ、妾の良心が、さう囁いてゐます。あのトンク[※霊界物語に「トンク」という名の人物は複数出るが、スバール姫の絡みで出るのは初めてである。山奥に一緒に住んでいてその後姿を消した「コルトン」の間違いか?]だつて、妾に始終そんな話を聞かして呉れましたよ』 シャ『エー、トンクの野郎、碌でもない事を魂の据はらない愛娘に吹き込みやがるものだから、娘の心に白蟻がついて瑕物にして了ひやがつた。表面からは天成の美人も、腹の中からは悪魔が已に棲ぐつてゐる。こんなものを畏れ多くも太子の妻に奉る事は出来ない。エー、困つた奴だな』 と腕を組み、太き吐息をつく。 ス『ホヽヽヽ、お父さま、何でもない問題ぢやありませぬか。よく考へて御覧なさい。女子ばかりに貞操を強要して男子に貞操を強要せないのは家庭紊乱の基となり、惹いては国家の破滅を来す源泉となるものですよ。女子に貞操が必要なれば男子にも貞操が必要でせう。もし夫たるもの其妻の他に妻に勝つて愛する女子が出来、私かに恋愛を味ははむとする場合、その妻は、その夫に対して叱言を云つたり、悋気をしてはいけませぬ。真に夫を愛するのならば夫の意志に任すのが妻たるものの雅量ぢやありませぬか。女房の恋を夫が強圧的におさへ「自分を無理に愛せよ」と迫り打擲したりして「自分を絶対的に愛せよ」と云ふのは決して理解ある男子とは云へませぬ。それ位の雅量がなくては、どこに男子の価値がありますか。又、妻も妻で、自分の愛する夫が、その妻よりも愛する女が出来た時、夫の愛する恋愛を遂げさしてこそ、真に夫を愛すると云ふ事になるのでせう。夫は女の目より隠れ忍んで僅に恋愛を味はひ、妻は妻で又ヒヤヒヤビクビクし乍ら他の男と恋愛を味はふやうな事で、どうして家庭が円満に行きませう』 シャ『馬鹿云ふな、そりや畜生のする事だ。爺は勝手に女房以外の女を持ち、女は夫以外の男をもち、そんな不仕鱈な事して家庭が円満に保たれるか。家庭円満が聞いて呆れるぢやないか』 ス『ホヽヽヽ、お父さまの没分暁漢には困つて了ふわ。夫が妻の恋愛を嫉妬したり妨害したり、妻が夫の恋愛を嫉妬したり妨害する等は、実に卑怯未練と云ふべきものです。人格を備へたもののなすべき事ぢやありませぬ。此タラハン国は国が小さいから人間の心迄が小さい。それで恋愛の冷却した女でさへ、自分の方に恋愛が残つて居れば無理に抑へつけ、一方の恋愛を犠牲にしようとするやうでは、家庭が円満に行きませぬよ。又恋愛は倫理や道徳の範囲で律する事は出来ませぬ。お父さまは倫理や道徳を加味した恋愛論ですから、云はば偽の恋愛論です。社会の秩序だとか、家庭の円満だとか云つて、煩悶し焦慮し、却て狭苦しい道徳をふりまはして、益々家庭を紊乱し、社会の秩序を乱すやうになるのですよ。男子も女子も社会一般の人が雅量と理解とをもたねば国家も家庭も円満に治まるものぢやありませぬわ。妻が夫に対する貞操は妻以外の夫の恋愛者に対し少しの妨害もせず嫉妬もせず、むしろ好意を以て夫の恋愛を遂げさするのは、つまり夫に対する妻の貞操ですよ。又之に反する場合も同様で、夫が妻に対する貞操は妻の恋愛を遂げさせ、夫が妻に同情を寄せるのが、真に妻を愛する事になるのです。一夫一婦の制度を以て国家存立の大本となす政体もあり、一妻多夫、多夫一妻を以て国本となす政体も世界にあるぢやありませぬか。男女が平均に生れる国では一夫一婦の制も結構でせうが、女が男より多く生れる国、又は男が女より多く生れる国では、到底一夫一婦の制は守れますまい。それこそ却て不道徳になるのではありませぬか。女の多い国では女の恋愛抹殺者が出来、男の多い国では男の恋愛抹殺者が出来るでせう。こんな悲惨な事が何処にあるでせう』 シャ『理窟はどうでもつくものだ。然し乍らタラハン国は一夫一婦が制度だ。之を破るものは道徳の破壊者だ。恋愛等末の末だ』 ス『今日の世の中に大人物の現はれないのは一夫一婦の制度が行はれてゐる弊害から来るのですよ。昔の神代の神様を御覧なさい。大国主の神様は打みる島の先々、垣見る磯のさきおちず賢女奇女を娶り、国魂の神を生み、大人物を沢山お造りなさつたぢやありませぬか。スダルマン太子のやうな賢明な君子的人格者は、妾のやうな賢女奇女を、沢山娶ひ遊ばし、そして大人物を四方に配り遊ばしたら、屹度世の中はよくなるでせう。あんな大人物こそ沢山な女があつても生殖の方から見て国家の宝を産み出す事になるでせう。之に反して愚夫愚婦と云へど矢張一夫一婦とすればガラクタ人間許り世に拡まり、益々世は堕落するのみでせう。要するに社会道徳の上から考へて、立派な人間は天の星の数程沢山な怜悧子を生み、野卑下劣な半獣的人間は、なるべく子を産まないやうにするのが、国家存立の上にも個人経済の上にも有利でせう。お父さま、之でも不道理と聞えますかな』 シャ『ハヽヽヽ、まるで太子様を、種馬と間違へてゐるぢやないか。不都合千万な事を云ふ奴ぢや』 ス『その種馬におなり遊ばすのが、国の君たる方の御天職でせう。太子様のみならず、国の立派な人は皆種馬として社会に子を沢山産み落さなくては、社会の根本的改造はどうしても駄目です』 シャ『さうするとお前は太子様が沢山な女をおもちになつた時はどうするつもりだ。理論と実際とは大に違ふものだから、その時になつて悋気の角を生やしたり、嫉妬の焔をもやしたり、その時に辛い目を味はつて見ねば解るまい。今こそ理論では立派な事云つてるが実地になれば、さうは行かないよ。屹度悋気するに定つてゐるわ』 ス『オホヽヽヽ、そんな雅量のないスバールぢや厶いませぬ。妾だつて太子様以上に愛する男子が出来た時、太子様が故障を云はれるやうな事があつた時は、妾の方から御免を蒙る丈けの事ですわ。一方の恋を圧迫し、どうして円満に行けますか。夫婦は家庭の重要品です。家庭と恋愛は別物ですよ。家庭は家庭として円満に行き、恋愛は恋愛として自由に行ふべきものです。太子様の上つ方から、こんな手本を出して貰はなくては、悋気とか姦通とか不道徳とかの、忌まわしい問題が絶滅せないのです。一夫多婦のモルモン宗を御覧なさい。決して沢山の妻の中に、悋気や嫉妬や、怨嗟等の声はありませぬよ。兎に角、旧来の陋習を打破せなくては、家庭も国家も治まりませぬ。妾はスダルマン太子様こそは恋愛に対しても理解を持ち、又社会道徳に対しても完全に改良する資質をもつた方と伺ひました。それで恋愛は兎も角、国家社会のため必要のためと欣慕のあまり遂に恋愛に転嫁したのですわ、ホヽヽヽ』 と十五才の娘にも似合はず、おひおひと心の生地を現はし、父のシャカンナを烟にまいて了つた。 シャカンナ『アヽア、十年経てば一昔、此山の奥迄も思想界の悪風は襲うて来たのかな』 (大正一四・一・五新一・二八於月光閣北村隆光録)
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霊界物語 68_未_タラハン国の国政改革2 02 恋盗詞 第二章恋盗詞〔一七二六〕 政治学の研究や、新思想の探究に没頭し、タラハン国上下の現状を痛歎の余り心身疲労し、さしも明敏なりし頭脳も霞を隔てて山を見るが如く、朦朧として鮮明を欠ぎ外の見る目よりは、憂鬱病者かと疑はるる迄に煩悶苦悩の結果殿内深く閉ぢ籠もつて、父王の頑迷固陋なる骨董品的教訓を嫌ひ、又老臣共の時代後れの古風の頭より絞り出した、種々の忠告にも耳を借かず、左守の司の悴アリナを唯一の慰安者となし、己が思想の伴侶となし鬱陶しき日を送つて居たスダルマン太子は、偶々山野の遊びに山深く迷ひ込み、不思議にも、山奥に咲き匂ふ姫百合の花に恋の炎を燃やし、心を後に万斛の涙を心中深く湛え乍ら、アリナと共にタラハン城内へ帰つて来た。 女と云ふものに対しては初心の太子、恋愛と云ふものに対しても尚更初心の太子、美の神の権化とも見るべき清浄無垢の乙女が、人間界をかけ離れた、浅倉谷の山奥に包まれて居た其容姿に憧憬し、数年来の沈鬱性は一変して、危いかな尊貴の身を保ち乍ら、暗雲飛び乗りの離れ業を演ぜむとし、山霊水伯の精になつた美人の相を、自らが得意の絵筆に描いて床の間にかけ、朝な夕な画像に向つて生きたる人に云ふ如く、何事か独語するに至つた。この画像こそ人間の命取り、男殺しの大魔者である。太子の煩悶は以前に百倍し、立つても居ても居られないやうな様子となつて来た。太子の御心ならば、仮令地獄のドン底でも、一つよりない命でも無雑作におつぽり出すと云ふ忠臣にして、唯一の太子の伴侶たる左守の悴アリナは、夜窃に命を奉じ、山奥の名玉、月の顔容、花の姿、温かき雪の肌に包まれた、天津乙女の化身を山奥より引きずり出し、秘に太子の御心を慰めむものと草鞋脚絆に身を固め、服装も軽き蓑笠の夜露を浴びて、主を思ふ心の一筋途、一筋縄では行かぬ左守のシャカンナを、夏の炎天に地上万物を霑す夕立の雨のふるなの弁を振ひ、邪が非でも、縦でも横でも頑固爺を納得させ、肝腎の玉を抱いて帰らねばおかぬと雄健びしながら、タニグク山の山口、玉の川の下流、岩瀬の深森に着いた。夜はほんのりと明け放れむとする時、路傍の岩に腰打ちかけ、二つの黒い影が何だか囁き合つて居る。谷川の岩にせかるる水音に遮られつつ、しかと言葉の筋は解らない。アリナは、谷道に直立して、頭を傾け思ふやう、……もはや夜明に間もない暁の空に二人の男が囁き、合点のゆかぬ事だ哩、噂に聞く左守のシャカンナが一ケ月以前迄抱えて居た山賊の片割ではあるまいか。何は兎もあれ足音を忍ばせ、様子を伺ひ見む……と息を凝らして進みよつた。二つの影は傍に人の寄り添ひ居るとは知らず、盛んにメートルをあげて居る。 ハンナ『オイ君、此間天帝の化身とか云ふ山子坊主が連れて来たダリヤ姫とか云ふ美人のことを思ひ出すと、俺のやうな恋愛観念の濃厚な色男に取つては、実に感慨無量だ。君だつて平素の偽善的言辞も兜を脱いで俺の持論に賛意を表したく成るだらう』 タンヤ『堂々たる天下の男子が、女々しい恋愛だの、神聖だなぞと騒ぎ廻つて風俗壊乱の火の手を煽ふり、自分も又その火中へ喜んで飛び込んで行く悲惨の状態を見ると、実に世の中の奴の腰抜け加減に愛想が尽きて了ふわ。ヘン、泥坊稼ぎの身分でありながら、恋愛の、神聖のとは臍茶の至りだ。オイ、ハンナ、そんなハンナリせぬ腰抜論は聴きたくないから、俺の前ではもう言つて呉れな。気分が悪くなるからのう』 ハ『ヘン、泥坊だつて恋愛論が出来ない理由はあるまい。先づ聞き玉へ、俺の名論卓説を』 タ『今日は僕も死んだ女房の命日だから、供養の為に、君の迷論に対し充分なる攻撃を試みる心算だが、得心だらうねー』 ハ『面白い、僕の恋愛論に口を入れる余地があるならやつて見玉へ。しどろもどろの受太刀が折れて、屹度僕の軍門に降るは火を睹るよりも明かな事実だ。オホン、日進月歩文明の今日では、恋愛論に趣味を持たないものは、最早人外の境域に自ら堕落して居るものだ。この頃僕が大に感ずる事は、性欲とか恋愛と云ふ事に関する議論が、著しく抽象的に成つて居ることだ。然し凡ての議論が反芻的で一度呑み込んだものを、わざと抽象的にして出して居る様に僕には見えて成らぬ。ヤレ恋愛は神聖だとか偏的だとか、性の問題は斯くあるべきものだとか、そんな風に恋愛を自由なものに考へては不道徳だとか、離婚は絶対に不可いとか云つて、婦人会連中が首を鳩めて決議までやつたと聞いて、僕は不可思議な心持ちがするのだ。恋愛とか性欲とか云ふものは、そんなに簡単に無雑作に片付けらるるものだらうか。今の所謂文明人間の言ふが如く、一で無ければ二、二で無ければ三と云ふやうに、簡単に、学問的乃至知識的に片付けて了ふことの出来るものだらうか。僕は何うも左様な考へは持てないのだ』 タ『ヘン、国家危急の場合に当つた今日、恋愛問題なんか唱へる奴の野呂さ加減に呆れざるを得ないわ。そんな問題は極めて簡単に片付けて了ふ方が余程人間らしいぢや無いか。アタ阿呆らしい、学問上道徳上から見ても恋愛なんか口にする奴は、僕は人間の屑だと思つて居る』 ハ『オイ、タンヤ、君は無味乾燥な心理を持つて居る様だが、世の中は理窟で何程押し通したつて、学問や知識でいくら攻めて行つたつて、恋愛と云ふが如き人間生涯に関する大問題を、さう易々と片付ける訳には行かないよ。却てそれは空想だ、徒労だ。どうしても人間には信仰と恋愛が無くてはならないのだから、此問題は極めて慎重に研究すべき価値が充分にあるよ』 タ『恋愛と云ふものは人に由つて霊の方面から観察し、或は肉の方面から見たり、自然から見たり、又は単なる物質から見たりするのもあるが、要するに道徳の範囲内に於てでなければ、神聖な恋愛を論議する事は出来ぬ。万々一道徳を度外したる恋愛を唱ふるものありとすれば、夫れは人間以外の動物の心理状態と云ふべきものだ』 ハ『それは君の無味乾燥な頭脳から割り出した一面の見方であるが、到底完全なる恋愛、または性を捕捉したものとは言はれない。恋愛は元来自然と同様に端倪すべからざる性質のものだ。極端に言へば、恋愛なるものは余りに神聖過ぎて、彼此と論議する事さへも出来ない位のものだ。恋愛を論議された時には、モハヤ其本当のものは何処かに去つて了つて居ると言つても好い位だ。換言せば、恋愛は霊も肉も自然も物質も凡てを打つて一丸と為した処にのみ、恋愛の髣髴が認められるもので、何も彼もが凡て同時にあるのだ。霊肉一致とは好く言つたものだが、夫れでさへ充分で無い程流動的なものだ。だから恋愛を論ずるに当つては君の説の様に、普通の倫理学的論法で、斯うだから彼だとか、彼だから斯うだとか云ふ事は出来ない。普通一般的の事実なら、どんな事でも結果から押して考へて行けば、答へは可成正確に出て来るが、恋愛だけに限つて、さう簡単に片付かないよ。知識や倫理的に成つた時には、最早恋愛とか性とか言ふものの粕屑であつて、君の如き学者や、論客が何程鹿爪らしい議論や意見を立てて、自分こそは古来の恋愛論の上に新しい、そして的確な、正当な、一見地を加へたものと自惚れて居ても、徒に粕屑を握んで金剛石の様に思つて大騒ぎをして居るだけで、恋愛の本体は何時の間にやら千万里の遠方へ滑つて逃げて往つた後なのだ』 タ『君の説は全然道徳を無視し、社会の秩序が紊乱し、家族制度が破壊されても、恋愛さへ満足にやつて行けば、それで天下は泰平だと云つたやうな悪思想だ。人間は自由も恋愛も必要のものだらうが、社会や家庭の秩序を紊してでも恋愛を神聖視するのは、動物性を帯びて、外道の主張だ。僕は賛成する事は出来ないよ。三角問題や、離婚問題が頻々として社会に続出するのも、君の如き悪思想のものが覇張るからだ。恋愛といふものは、成程神聖なものでは有るが、少しは慎みと言ふ事、又は倫理の点を考慮して始めて神聖な恋愛とも云へるものだと思ふ。君の恋愛論は所謂風俗破壊論の変態だ』 ハ『君の様に、恋愛を道徳的問題視し過ぎては、その本体は既に蔭も形も無くなつて了ふ。いつの間にか指の股から滑り落ちて了つて居るのだ。夫れにも気が付かず、後に残つた恋愛の粕屑許りを捉へて、彼此と論議して居る様だ。僕等は、モウ少し夫れを活動的存在物として、刹那々々に深く触れて行く事を念とせなくては成らないだらうと思ふのだ』 タ『恋愛は一夫一婦の厳守に由つて始めて神聖たり得るのだ。そして人間たるものは飽くまでも一夫一婦の道を守つて行かねば人間としての品格が保てない。故に何処までも倫理的で無くては、恋愛は成立せないと思つて、僕は泥坊稼の傍永年努力して居るのだ』 ハ『他人の婦女を強姦し、財産を掠奪するを以てモツトーとする泥坊稼の身で居ながら、一夫一婦論や、道徳心を以て此問題に対し、永年の努力を惜まない君の精神と勇気には大に感服するが、実際其場に臨んで、君の堅固な主張が守れるか守れないかは、第二の問題として、兎に角も努力しようとする其心懸けは僕は愛する。現に僕なども三角状態の苦しい立場に立ち、恋愛の好い加減でない事を痛感し、人間の魂の玩弄すべからざることを痛切に知つた時には、「矢張一夫一婦の制度が結構だなア。さう云ふ風に出来て居るのだなア」と云ふ風に独語せずには居られなかつた事もある。故に僕も愛情の濃かな、一夫一婦の仲、お互に他に目を移す余裕のない、円満にして且つ濃厚な夫婦の仲を尊敬する一人だ。併しそれは原則としてではない。唯好い事だと云ふだけに止めたいのだ。何故ならば自然はそんなに簡単に言つて了ふ事の出来るものでは無いのだ。又一夫一婦が如何に理想的であるからと言つて、皆の人間が訳もなく行ふ事が出来る様では、又出来るやうに此自然が出来て居ては、それこそ人生は単調になつて了つて、微妙な美の波動もなければ、細微な感情の渦巻もなく、全く色彩のない荒涼たるものに成つて了ふ。否夫れだけならまだ我慢が出来るとしても、それでは結局この人生が成り立つて行かない。悪く型にはまつて了つた様になつて、少しの余裕もなく、終には破綻百出するに至るものだ。また単に生殖と云ふ点から見ても、そんな事ではとても人生は成立して行かないのは好く判る。そこで君の一夫一婦説も悪くはないが、皆の人間が夫れになつては困ると云ふ形になるのだ。恋愛はモツト自由で溌溂として、さうした人間の理智や意識で拵へた、希望とか理想とか、道義とか品行とか云ふ型の様なものなどは、幾何出来ても、手早く且つ容易に内部から打壊して了ふ強い力を持たなければ成らないと云ふことになるのだ』 タ『君の如き自由恋愛論者の性欲万能主義者には、僕も大に面喰つた。開いた口が閉がらないわ。何なりと御勝手に喋舌つたが好からうよ』 ハ『誤解しちや困るよ。僕だつて決して自由恋愛主義者ではない。又単に性欲の満足のみを求めて世を乱さうとするものでもない。かつては僕は自然主義の唱道者として、獣類に近い無残な性欲を恣にするものだと云ふやうに、世間から勝手に定められて了つたこともあつたが、決して僕は性欲万能宗の信者ではない。唯僕は恋愛といふものは、さういふ自由な奔放なものだといふ事を主張するのだ。単なる知識になつて了つては、約り前にも云つた通り、粕屑的論議になつて了つては、溌溂とした流動的存在としては、到底そんな風に定めて了ふ事は出来ないと云ふ事を言ひたいのだ』 タ『君の説の如きそんな無検束なことは許せない。君がさう言ふ風に恋愛なるものを見るなれば、それだけでモウ立派な正札附きの自由恋愛論者ではないか』 ハ『その様にも浅く考へたら取れるだろうが、その点は実に難いのだ。そこに非常に深い細かい、ともすれば見落して了ひさうなデリケートな、心理的境地が存在して居るのだ。それは一種の理解であるとも云はれるが、又一種の感激だと言ひ得る。更に言ひかへて人間乃至人生に対する、大きな自然に対する溜息が在るとも言へる。約まり何うにも成らないと云ふ心持に近いものだ。恋愛なるものは到底見通しする事の出来るものではない。単純であつて、併も深奥なものだから、取らうと思へば直そこに在るが、扨て何処までいつても端倪されないものだ。この心持が約まり恋愛の純な所なのだ』 タ『全然君の説は二十世紀頃に生きて居た小説家の田山花袋の様なことを言つてるぢやないか』 ハ『当然だよ。実は田山花袋の恋愛説に心酔して居るのだ、アハヽヽヽ』 タ『オイ、もう夜が明けるぢやないか。恋愛論も、よい加減に幕を卸し、弥々これから本業に取かかるとせうかい。此間天帝の化身と称する玄真坊が連れて来よつたダリヤ姫も頗る素的な美人だつたが、然し彼奴は、既に鼻の先が割れて居る。そんな古めかしいものよりも、どうだ、甘く親分の所在を突き止めて、有らむ限りの胡麻を擦り、元の如く乾児に使つて貰ひ、隙を考へて、スバール姫を奪ひ取り、タラハンの町へそつと連れ行き、金にかへやうものなら、一万両や二万両は受け合ひの西瓜だ。どうだ一つ二人が協力して甘く目的を達成し、其金を以て立派な商売を営み、天晴紳士となつて世を送らうぢやないか。恋愛論も恋愛論だが俺に云はせれば花より団子だ。華を去り実に就くのが最も安全なるやり方だよ』 ハ『俺もお前と約束して此処迄やつて来たのだが、あのスバール姫はどことはなしに優しみがあり、あれ程の美人を娼婦に売るのは何だか可愛さうな気がする。甘く目的を達したら、あの女をそんな泥水に落さず、どうだ俺の女房にスツパリと呉れる雅量はないか。俺だつて何時迄も金鎚の川流れぢやあるまい。きつと頭を上げる時がある。其時にはお前に百万両でもお礼をするからなア』 タ『ヘン、甘い事を仰有りますわい。お前のやうな猿面野郎がスバール姫を恋慕するなんで性に合はないわ。そんな空想を描くよりも、甘く姫を奪ひ取り、お金にした方が何程徳だか知れないよ。又かりに、貴様の女房にスバール姫が成つたとした所で、貴様のド甲斐性では姫を満足さす事も出来まいし、終の果には……ド甲斐性なしだ、腰抜け野郎だ、馬鹿野郎だ……と姫の方から愛想尽かされ、捨てられるのは今から見えて居る。万々一山奥に育つた未通娘だから、お前の意思に従ふにした所で俺をどうするのだ。貴様が出世した時俺に報酬をやると云うたが、貴様の力ではミロクの世迄待つた所で到底覚束ない話だ。それよりも甘く手に入つたら売り飛ばすに限るよ』 ハ『俺とスバール姫とが円満なホームを作り、そして姫は天成の美人だから、立派な美人を生むに相違ない。世の諺にも出藍の誉とか云つて、あんなものがこんなものを生んだかと云ふ事もある。雀が鷹を生む譬もある。然るに況んや孔雀にも比すべきスバール姫、出来た子はきつと鳳凰以上だらう。その鳳凰を今から貴様にやる事の約束して置かう。貴様が夫を女房にせうと何万円に売り飛ばさうと勝手だ。暫く時節を待つてくれ。時節さへ来れば煎豆にも花が咲くと云ふからのう』 タ『ヘン、馬鹿らしい、俺だつて矢張男だ。貴様がスバール姫に恋慕した如く、俺だつて矢張恋慕の心は同様だ。お前は恋愛々々と議論許りで立派に喋舌り立てるが、いつも見事に成功した事はあるまい。十人口説いて一人応ずれば一割に当るから、まんざら捨てたものではないとお前は何時も云つて居るが、百人千人口説いたつて、其御面相では半人だつて応ずるものはあるまい。今迄一人でも成功したものがあるなら云つて見よ』 ハ『ヘン、偉相に云ふない。俺だつて恋愛については、聊か自信をもつて居るのだ。まづ僕の女に対する恋愛の実際は、今日迄の経験上、いつでも半分丈けは必ず成就して居るのだ。要するに恋愛なるものは、男女二人の間に合意的に成立つものだから、其合意的の半分、即ち男の俺だけは確に成功するが、未だ嘗て、女の方に、実際の事を云へば出来た事が無い。それだから僕の恋愛は半分は間違なくきつと成就するのだ』 タ『ウフヽヽヽ、ヘン馬鹿らしい。貴様はよい馬鹿だなア。馬鹿者の典型とは貴様の事だよ。議論許り立派にベラベラ喋舌るが天成の鈍物だから、否馬鹿野郎だからお話にならないわ』 ハ『どこやらの教へにも「阿呆になつて居て下されよ。阿呆程結構なものはないぞよ。阿呆になつて居らねば物事成就致さぬぞよ」と云ふ事があるぢやないか。阿呆は所謂馬鹿野郎だ。俺は馬鹿野郎をもつて天下の誇りとして居るのだ。良う考へて見よ。彼奴は学者だ、智者だ、才子だ、策士だと世間から云はれて居る小賢しい人間よりも、世の中は馬鹿野郎の方が最後の勝利を占むるものだ。天下に油断のならぬものは、美人の鼻声と、阿呆と、暗の夜だと云ふぢやないか。況んや現代の如き神経過敏の病的の世の中では、馬鹿でなくては、世に立つ事は出来ないよ。如何に猛烈なバチルスにも犯されず、バクテリヤにも左右されず、俗物共の相手にもしられず、万事がボーとして無頓着でトボケたやうな、馬鹿気た処に処世上、無限の妙味があるのだ。馬鹿なるかな、馬鹿なるかなだ。サアこれからお前と俺と一致してこの大馬鹿を尽しに行かうぢやないか。シャカンナに取捉まえられて、死損ねになるもよし、スバール姫に肱鉄をかまされて馬鹿を見るもよし、兎も角人間は馬鹿に場数を踏まねば何事も成功しないものだ。一層の事思ひ切つて浅倉谷の方面へ馬鹿力を現はし強行軍と出かけようぢやないか。こんな所に鳶の糞を頭から浴びて石仏のやうに取越苦労をして居るのも馬鹿らしい。サア行かう』 タ『よし、もうかうなりや仕方がない、馬鹿序だ。全隊進めオ一二』 と谷間の細路を小足に刻み乍らチヨコチヨコ進み行く。アリナは万感交々胸にたたへつつ、二人の話を聞いて飽迄追跡し……父娘の危難を救はにやならぬ。いや却つて父娘両人を都へ引き出すには好い機会が出来たのかも知れない……といそいそしながら進み行く。併し乍ら平坦な都大路を車馬の便によつて歩んで居たアリナの足の運びは、到底山野に慣れた山賊の足跡を追撃するには余程の困難を感ぜられた。二人の小盗児の影はいつの間にか山の裾に遮ぎられて見えなくなつて仕舞つた。 (大正一四・一・五新一・二八於月光閣加藤明子録)
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霊界物語 68_未_タラハン国の国政改革2 03 山出女 第三章山出女〔一七二七〕 世人の相棒にも使はれず、何事にも茫然として無関心な馬鹿者位、世の中に幸福にして且強いものはない。そこに馬鹿者の無限の妙味が存在するのである。馬鹿は殆ど人間が不可抗力を備へた者の称号である。素よりせせこましい、齷齪たる普通一般の規矩定木を以て律することの出来ない困り者である。古往今来洋の東西を問はず、如何なる医学博士も耆婆扁鵲も、サツパリ匙を投げて、……アーア馬鹿につける薬がない……と歎息し、豊臣太閤も、馬鹿と暗の夜程恐ろしいものはないと云つて、恐怖心に襲はれ、何程厳格なる規則の下におかれるも、「彼奴は馬鹿だから」との一言に無限の責任を免除され、いよいよ念のいつた阿呆になると、白痴瘋癲と称号を頂いて、犯罪も法律も制裁を加へられず、更に馬鹿が重なつて、「馬鹿々々しい奴」と笑はれた時は人間の万事一切の欠点を公々然許され、却て愛嬌者と持て囃される。又馬鹿を金看板に掲げて、浮世の中をヤミクモに押渡る時は、向ふ所殆んど敵影なく、毫末の心配もいらぬ。世の中の人間から小才子と呼ばれ、小悧巧と称へられてゐる奴等は、何れも平常、屁の様な、突張り所のない、毀誉褒貶の巷を飛まはり、餓鬼が食を争ふ如き、ホンの目の前の成敗や、利害に掴み合ひ、昼夜煩悶苦悩を続けて一生を終る者が多い。然るに悠々閑々として、此面白い人間の隠れ場所は、馬鹿者の名称たる事を知らず、ワザとに焦り散らして吾一身を小刀細工に削り取り、あゝ痛い苦いと日夜に悲鳴をあげて悶えてゐる憐れな世の中だ。凡て人間は平常から智慧を蓄めておいて、一朝事ある場合の間に合はさむと、大才大智の者は、平常は妄りに小智小才を月賦的に小出しをせず、用のない時は皆馬鹿の二字にかくれて、のんのこ、シヤあつくシヤあと、馬耳水蛙に晏如としてをさまつてゐるものだ。「あゝ此奴ア驚いた。彼奴ア余り馬鹿に出来ないぞ」と、俗物共に一語を言はせるのは、之れ全く馬鹿の名の下に久しく本能を秘してゐた奴の現はれる時だ。「馬鹿に強い奴。本当に馬鹿に偉い奴。此頃は馬鹿にやり出した。馬鹿に威勢が佳いぢやないか。馬鹿に落着いてゐやがる。馬鹿によく売れる。馬鹿に美味しい。馬鹿に奇麗だ。馬鹿にならない」などいふ言葉は何れも平常小悧巧な奴が大才子の為に鼻毛をぬかれた時の驚歎の言葉である。「余り馬鹿気て彼奴にや相手になれない」などいふ言葉は、大智者の最も深く馬鹿の奥に潜伏してゐる時だ。 ハンナ、タンヤの両人は又馬鹿者の選に洩れない代物であつた。併し乍ら此二人は口には哲学を囀り、恋愛論をまくし立て、たまには政治論も喋々するが、何れも天性の智慧から出たのではなく、縁日の夜立店に埃まびれになつて、曝されてゐる古本を二銭か三銭で値切り倒して買つて来て読みあさつた付け知恵なのだから、真の徹底した馬鹿者である。馬鹿の名に隠れて、巧く世を渡ることは知らず、自分の馬鹿から、「自分程智者はない、学者はない、現代の新人物は俺だ、泥坊の、仮令仲間と雖も、決して自分の心は曲つてはゐない。そして誰にも盗まれてはゐない。生れつき、自分は才子だ、智者だ。仮令如何なる人物と雖も、自分の智嚢を絞り出して、千変万化の手術を尽し立向つたならば、一切万事易々として成就するものだ」と自惚れてゐる。時々強くなつてみたり、弱くなつてみたり、進退動作常ならざるを見て、「自分は処世上の兵法をよく心得た策士だ。軍師だ」と自惚れ、失敗をしても「之れは何かの都合だ。惟神的に神が斯うさせたのだ。キツと悪い後は善い。善い後は悪いものだ。失敗は成功の母だ。賢人智者は凡人の下ばたらきをなし、愚者は天下をとる者だ。さうだから自分は仮令賢者でも愚者を装つてをらねばならぬのだ。どんな愚者々々した事でも、馬鹿の名の下には、流れ川で尻を洗つた如く解決がつくものだ……」などと自分の馬鹿を棚へ上げ、自ら馬鹿を装うて世を巧く渡つてゐるやうな心持でゐる奴だからたまらない。此奴こそ本当に箸にも棒にもかからない、捨場所のない真馬鹿者である。 ハンナ、タンヤの二人は、左守の悴アリナが追跡してゐる事は夢にも知らず、慣れた足許にて坂路をトントンと鳥の翔つ如く登りつめ、漸くにして谷川伝ひに浅倉谷のシャカンナが隠家に着いた、シャカンナはスバール姫と共に少し遅い乍らも朝飯を食つてゐた。 ハンナ『ヘー、親方、御免なさいませ。久しうお目にかかりませぬ。実の所は玄真坊の女房ダリヤ姫が夜に紛れて遁走の節、吾々共は御命令に依り、其所在を尋ねて山野を駆けめぐりましたが、たうとう一も取らず二も取らず、やむを得ずして、タニグク山の岩窟に帰つて見れば、こはそもいかに、豈計らむや、弟計らむや、建物は焼払はれ、親分様始め姫様のお姿は見えず、もし俄の火事で焼死でも遊ばしたのではなからうか、もしそんな事であつたら、骨でも拾つて、鄭重な問ひ弔ひをしてあげねばなりますまいと、一生懸命に灰掻きをやつて見ましたが、骨らしいものは何も厶いませぬ。只猪や狸の骨が残つてゐる許り。あゝ之は親分様が火事に驚き遊ばしてどつかへ一時身をお遁れ遊ばした事だと思ひ、十日許りも飲まず食はずで、チコナンと待つて居りました所、風の便りさへ梨の礫の音沙汰なく、止むを得ず、吾々は解散と出かけました。併し乍ら肝腎の時になつて、親分様を此山奥に捨て、立ち去るといふ事は、いかにも乾児の吾々として、情に於て忍びないと、タンヤと二人が互に抱き合つて泣きました。本当に親分乾児の情合といふものは又格別のもので厶います、アンアンアン』 シャ『ワツハヽヽヽ、汝等も小難しい厄介な爺がをらなくなつて、さぞ睾丸の皺伸ばしをやつただらう。俺も厄介者が取払はれ、身軽になつて、百日百夜も疼き通した腫物が俄に跡形もなく散つたやうな気分になつたのだ。モウ俺は此通り世捨人となつた以上は、再び泥坊稼はやりたくない。汝も可い加減に、足を洗つて正業に就いたが可からう』 ハンナは頭をかき乍ら、 ハ『エー、親分とも覚えぬお言葉、それ程私に信用が厶いませぬかな。私は真心より親方を愛して居ります。のうタンヤ、お前いつも俺の言葉を聞いてゐるだらう。日に何十回となく、親方の名を呼ばなかつた事はなからう』 タ『ウン、そらさうだ、お前のいふ通り、俺の聞く通りだ。何と云つても心が正直なものだから、メツタに親分の前で、嘘は云はうとも思はず、云はれもせぬワ。なア親方、どうぞハンナや私の心を信じて下さい』 シャ『ウン、お前の心の底迄虚か偽か、善か悪かよく信じてゐる。お前は俺には用がない筈だ。スバール姫に用があるのだらうがな。それについては此シャカンナは大変な邪魔者だらう。御迷惑察し入るよ、アツハヽヽヽ』 ハ『そら親方、御無理ぢや厶いませぬか。姫様はまだ少女の御身の上、恋でもなければ色情でもない。又姫様は吾々がお小さい時からお育て申したもの、イヤお世話をさして頂いたお方ですから、別に深い御恩も厶いませぬが、親分さまには永らく御世話になつて居ますから、親分の御恩は決して忘れませぬ。お嬢様は何の御恩もありませぬ。況んや恋愛などの心は毛頭持つて居りませぬから、どうぞ御安心下さいませ』 シャ『親分には御世話になつたと口には云つてるが、心の中では、永らく親分の世話をしてやつた。親分は外へも出ず、乾児許り働かして、乾児の膏を舐つて、親分は食つてたのだ。つまり「自分は親分の救ひ主だ。保護者だ。親分に礼を言はすのが当然だ」位の心で来てるだらうがな』 ハ『成程流石は親方だ。よく吾々の心の底迄透見して下さいました。天下一人の知己を得たりといふべしだ。のうタンヤ、此親分にして此乾児ありだ。何と恐ろしい目の利く親分ぢやないか』 タ『そらさうだ共、何と云つても二百人の泥坊を腮で使ひ、そして自分の生んだひんだの粕を沢山の乾児に嬢様々々と云はして威張らして厶つたのだもの、随分凄い腕だよ。なア親分、私の観察は違ひますまい』 シャ『タンヤの観察もハンナの評察も、俺の推察もピツタリ会つてゐるやうだ。併し乍ら俺の娘を汝達は奪つて帰る相談をやつて来たのだらう。年老いたりと雖、俺の腕にも骨もあれば力もある。汝等のやうな、青二才の挺にはチツと合ひかねるぞ。姫が欲しければ、腕づくで持つて帰つたが可からう』 ハ『ヤア、此奴ア面白い。何程強いと云つても、タカが老耄一人、此邪魔者さへ払へば、あとは此方の者だ。今迄は大親分と云ふ名に恐れて、何だか敵対心が臆病風を吹かしよつたが、もう斯うなれば五文と五文だ。こちらは二人で一銭だ。オイ一銭と五厘との力比べだ。勝敗の数は已に定まつてゐる。只一銭に打亡ぼされるよりも五厘五常の道を弁へて、スツパリと娘を此方へ渡せ。拙劣にバタつくと爺の為にならないぞ』 スバールは食事の手を止め、二人の面を微笑を泛べ乍ら打眺め、大胆不敵な態度でおさまり返つてゐる。 シャ『云はしておけば、旧主人に向つて雑言無礼、容赦は致さぬ、此鉄拳を喰へ』 と首も飛べよと許り、ハンナの横面をなぐりつけむとする一刹那、ハンナは身をすくめてシャカンナの足を掬つた。シャカンナは狭い庭にドツと倒れ、庭の石に後頭部を打つけ気が遠くなつて了つた。二人は手早くシャカンナを荒縄を以て手足を縛り、谷川に持運んで水葬せむとする。之を見るよりスバール姫は父の大事と、死物狂になり、鉞を以て二人の背後よりウンと許り擲りつけた。二人は目早く体をかはし、跳りかかつて、鉞を奪ひとり、スバール姫を大地にグツと捻伏せ、手足を括つて動かせず。スバール姫は悲鳴を上げて、声を限りに泣き叫ぶ。此時一町許り手前迄、林を潜つて進んで来たアリナは、娘の悲鳴を聞き、吾身を忘れて、走り来り見れば此態である。……ヤア此奴は今朝見た曲者、懲らしめくれむ……と、物をもいはず、襟髪を掴んで浅倉山の溪流へ、二人共ザンブと許り投げ込んで了ひ、両人の縄目を解いた。スバール姫は紅葉のやうな優しき手を合はして、救命の大恩を感謝した。父のシャカンナは精神朦朧として殆ど人事不省の態である。アリナとスバール姫は一生懸命神に祈願を奉り、水を面部に吹きかけなどして、漸くの事で、シャカンナの精神状態は明瞭になつて来た。 シャ『あゝ娘、其方は無事であつたか。まあ結構々々、之も全く天のお助けだ』 ス『お父様、私も縛られてゐましたの。危い所へ、あとの月太子様のお伴をしてお出になつたアリナ様が現はれて、私や貴方を助けて下さつたのですよ。サアお礼を申して下さい』 シャカンナはスバール姫の声に目をさまして、よくよく見れば、アリナは恭しげに大地にしやがむでゐる。 シャ『あゝ其方はアリナさま、よくマア助けて下さいました。貴方は吾々父娘が再生の恩人です。サア、どうぞうちへお這入り下さいませ』 ア『危い所で厶いましたが、先づお気がついて何より頂上で厶います。左様なれば休まして頂きませう』 とシャカンナを助け起し、スバール姫と共に老人の手を引いて屋内に進み入つた。 シャ『アリナさま、どうも有難う厶います。そして太子様はお変りは厶いませぬか』 ア『ハイ、有難う厶います。先づ先づ御壮健の方で厶います。就いては太子様のお使に参つた者で厶いますから、どうぞ使の趣を、お気が休まりましたらゆつくりと聞いて下さいませ』 シャ『イヤもう気分は良くなりました。太子様のお使とあらば半時の猶予もなりますまい、どうか其お旨を伝へて下さい。身に叶う事なら、吾々父娘が力のあらむ限り御奉公を致しますから』 ア『ヤ、早速の御承引有難う厶います。かいつまんで申しますれば、太子様は始めて貴方父娘にお会ひ遊ばし、年老いたりと雖も気骨稜々たるシャカンナ様の御心ゆき、次いでは世に稀なる美貌のスバール様、王妃としてお召抱えになつても恥かしからぬ者と思召し、今日の所は少し時機が早い様で厶いますが、それだと云つて、太子様には非常な御恋慕、矢も楯もたまらぬ勢、一時も早くスバール様のお顔が見たいとの御思召、侍臣の吾々は其御苦衷を察し奉り、ジツと見てゐられぬ様になり、人目を忍んで此お館をお訪ね申したので厶います』 シャ『何事の仰かと思へば、スバール姫を御所望との御事、娘に異存さへなくば御命令に随ひませう。併し乍ら未だ私の都へ出る時機では厶いませぬ。何と云つても時勢遅れの古ぼけた頭、政治の衝に当るのは却て太子様に御心配をかける様なもので厶いますから、其儀許りは御断り申し度う厶います。幸ひ此山奥に潜んで不幸を重ね乍ら、山の木の枝に首も吊らず、川の底に身も投げず、鉄砲腹も致さず、兎も角無事息災で今日迄生き永らへて来ました経験も厶いますれば、どうか私の事はお心にかけさせられない様お願ひ致します。役に立たない私のやうな者が都へ上つた所で、太子様の御厄介、人間一疋の放し飼ひの飼殺しも同然、今日の社会に接触のうすい吾々が、繁雑な世の中に、どうして立つて政治が出来ませう。形ばかりの茅屋は古く、狭く、穢しう厶いまするが、娘を出した後の独身者の自炊には余り狭さを感じませぬ。どうぞ此儀許りは平に御断りを申ます』 ア『あゝ実の所は、まだ父王様のお許しもなく、太子様御一人の御考へで厶いますから、同じ事なら、モウ一二年貴方は此処に居つて、時節を待つて頂く方が、双方に都合が可いでせう。そして嬢様は私がソツとお伴を致し、茶の宗匠タルチンの館にお囲ひ申し、御身の御安泰を保護致しますれば、どうか御心配なく、嬢様を私にお預け下さいませぬか』 シャ『オイ、スバール、お前は最前からのお話を聞いたであらう。アリナさまに伴はれて都へ上る気はないか』 ス『ハイ、お父さまを此山奥に只お一人残して私が参る訳には行きますまい。なる事なら、お父さまと御一緒にお伴が願ひたいもので厶います』 シャ『ハヽヽヽ、父に対する孝養と、夫に対する恋愛とは別問題だとお前も云つたでないか。恋愛神聖論の御本尊たるスバール嬢さま、決して、父に遠慮会釈はいらぬ。一時も早く愛し奉る太子様の御前に出るが可からう。併し必ず太子様にお目にかかつても気儘を出しては可けませぬぞ』 ス『ハイお父さま、有難う厶います。左様なれば都へ上ります。どうか御気嫌好うお暮し下さいませ。そして一時も早くお父さまをお迎へに参ります。そしてお父さまのお顔を早く見るのを楽みに私は暮して居りますよ』 と嬉しくもあり悲しくもあり、親の死んだ日に新婿を貰うた様な心に充たされてゐた。此翌日からは浅倉谷の名花たるスバールの姿は見えなくなりぬ。 (大正一四・一・五新一・二八於月光閣松村真澄録)
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霊界物語 68_未_タラハン国の国政改革2 09 衡平運動 第九章衡平運動〔一七三三〕 上に大名あれ共、時代を解し国家永遠の神策を弁へたる輔弼棟梁たるべき小名なく、所在虚偽と罪悪と権謀術数を以て施政の大本となし、重税を課して膏血を絞り、上に立てるブルジョア階級なる者は、肥馬軽裘、有らむ限りの贅を尽し、行人の迷惑を顧みずブウブウと自動車を飛ばして、臭気紛々たる屁と土埃を浴びせて平気に行く。貧民の子は自動車に轢き殺されても、之を訴へ出づる術も無く、強者は白昼強盗に等しき行ひを為して、公々然縦横に濶歩し、弱者は往来の車馬に踏み躙られ悲鳴を上げ、九死の境に呻吟す。文明利器の交通機関は可なりに進歩し完備すれども、貧者は之を利用する事を得ず。教育機関は立派に設けられたりと雖も、貧者は是に入学するを得ず。寄席劇場などは市の四方に建設され地上の楽園を現出すれども、貧者は又之に一回の慰安を求むる事を得ず。病院は各所に甍を列ねて樹立すれども、貧者は是に入つて治療を受くる事を得ず。美味佳肴は料理屋の店頭に並べられたりと雖も、貧者又此恩恵に浴するを得ず。錦繍綾羅を店頭に陳列せる大呉服店は市中目抜の場処に櫛比すれども貧者は一片の布も購求する事を得ず。日夜飢に泣き寒さに凍え、空虚腹を抱えて半病人の如く路の傍を悄々と喘ぎ行くのみ。富者は大小名と結托して暴利を貪り、物価は日を逐うて暴騰し、生存難の声は日を逐うて喧すしく、淵川に身を投ぐるもの、鉄砲腹を為すもの、ブランコ往生を演ずるもの、線路を枕に命を捨つるもの、日に夜に数限りも無く、暗黒の幕は下層社会に日に日に濃厚に下されて来た。民衆の憤怒怨嗟の声、号泣の叫び、恰も阿鼻叫喚地獄の状態と成つて来た。大小名撲滅の声は国内各処に起り、市民大会、民衆大会其他所有民衆の会合は、各処に開かれ、目付役と民衆の争闘、絶間なく血腥き風は四方に吹き荒び、流石安逸なりしタラハン国も、今は漸く修羅の巷と成つて了つた。不逞団歌劇団其他の各種の団体は期せずして都大路に集り、タラハン国の創立記念日なる五月五日を期して、城下の場所に一斉に放火を始め、其虚に乗じて血に飢ゑたる民衆は所有悪業を恣にし、一時は殆んど無取締の状態になりしが、漸くにして侍連の力を借つて稀有の騒乱を鎮圧する事を得たので有る。此騒擾勃発の為に、富有連の傍杖を食つて僅かの財産を焼失したるもの、親を失ひ、妻を失ひ、夫に別れ、或は一家全滅したる者数限りもなく、都大路は流血の巷と化し、死屍累々として目も当てられぬ惨状と成つた。子は母の背にあつて飢に泣き、老人は腰を抜かして路傍に倒れ、或は半死半生、重傷を負うて苦む者幾千人とも数へ切れぬ程であつた。有志の各団体は罹災民救護の為、東西南北に駆まはり、米麦野菜などをあさつて、一時の急を救はむとすれ共、到底其一部の要求を充すにも足らなかつた。流言蜚語盛ンに起り、人心恟々として安からず、今にタラハン国は滅亡の悲運に向ふべしなどと人々の口に依つて喧伝された。斯かる所へ肉体美に過ぎた大兵肥満の女一人現はれ来り、札ビラを路上に撒き散らし乍ら声高々と何事か唄ひ乍ら、碁盤の目の街を彼方此方と駆けめぐつてゐる。 女『神が表に現はれて人と鬼とを立別ける 天には黒雲塞がりて月日の影も地に照らず 天が下なる人草は優勝劣敗日をかさね 強きは高く登りつめ栄耀栄華の有丈を 尽して下の難儀をば空吹く風と聞き流し 貧しき民を虐げて生血を絞り脂をば 力限りに吸取れば痩せ衰へて餓鬼の如 骨と皮とに成り果てぬ神が此世に在す上は 何時迄許し玉はむや此世の中は神様が 万の民を平等に楽く嬉しく暮させて 天国浄土の神政を布かむが為の思召 然るに何ぞ計らむや上は左守を始めとし 富有連や長者等が勝手気儘に振れ舞ひて 下国民を苦しめし報いは忽ち目の当り 思ひ知つたか左守司其他百の司達 今に心を直さねば打てや懲らせと民衆が 鬨を作つて攻寄せる其凶兆はありありと 今より伺ひ知られたりあゝ民衆よ民衆よ 必ず憂ふる事なかれ至仁至愛の神さまは 必ず汝が窮状を何時まで見捨て給はむや 必ず一陽来復の春を迎へて永久に 安き楽き神の国此世の中に樹て玉ひ 今迄下に苦しみし清き正しき汝等を 高きに救ひ給ふべし天は降つて地と成り 地は上つて天と成る有為天変の世の中は 何時まで大名小名の自由の振舞許さむや あゝ惟神々々神は汝と倶にあり 吾等は神の子神の宮愈々時節が参りなば 今迄此世に落ち居たる百の正しき神さまは 数多の神軍引率し悪を亡しよこしまを 平らげ尽し給ふべし勇めよ勇め民衆よ 時は来れり時は今神政復古の暁ぞ 不意に起つた大火災是ぞ全く人間の 力に及ぶ術でない何れも貴き神様の 悪に対する警戒ぞ如何に大名小名や 富有連が覇張るとも彼等が覇張る世の中は 最早末期と成りにけり勇めよ勇め皆勇め 民衆を苦しむ悪人を片つ端から踏み躙り 怯めず臆せず堂々と火の洗礼を施せよ 血汐を以て世を洗へ向日の森の茶坊主が 館に後妻と化けすまし三年以来身を潜み 富有連に出入する彼に付き添ひ富有連の 事情を査べ居たりしが最早時節も充ちぬれば 数多の部下に命令し火の洗礼を為せたのは 大兵肥満の此女富有連中が何恐い 大名小名糞喰へ取締役や目付役が 怖くて此世に居られうか勇めよ勇め民衆よ 女乍らも吾部下はタラハン国の山に野に 幾十万の生身魂腕を撫して待つて居る 愈々命令一下すりや四方八方の隅々ゆ ドンドン狼火が上るだろ今の好機を逸せずに 汝等世界の改造を命の綱と信じつつ 振へよ立てよ立上れ民衆団の頭目と 世に聞えたるバランスは即ち吾身の事なるぞ あゝ勇ましや勇ましや此惨状を見るに付け 下人民の傍杖は実に涙の種なれど 大小名の狼狽の其状態を眺めては 少しは虫も治まらむ更生院が何に成る 之も矢つ張り富有等の汝等民衆一般の 生血を絞る手品ぞや必ず迷ふな迷はされな 思へば思へば村肝の心の神が踊り出す あゝ惟神々々御霊幸へましませよ 奸侫邪智の輩の目玉飛出しましませよ』 十字街道に待ち構へて居た数百の目付隊は有無を言はせずバラバラと駆け寄つて手取り足取り、取縄を以て雁字搦みに縛り付け、バランスを荷車に乗せて横大路の取締所へと運び込むで了つた。民衆に化けて居た彼の子分はバランスを取返さむと潮の如く押寄せ、目付と団員との闘争が演出された。目付隊は既に危く見えた時、喇叭の声も勇ましく二千人の侍は押寄せ来り銃を擬して威喝を試みたり。素より完全な武器を有つて居ない民衆は歯がみを為し乍ら見す見す大棟梁を奪はれしまま、退却するの止むを得ざるに立至りける。 バランスは目付頭の前に引出され、厳重なる訊問を受けた。バランスは少しも怯む色無く滔々として目付頭に食つて掛かつた。 目付頭『其方の姓名は何といふか』 バランス『俺の名はバランスと云ふ者だ。民衆救護団の大頭目だ。有名なバランスの面を今迄知らぬようなウツソリした事で、何うして大目付頭が勤まると思ふか、余り平等を欠いだ強食弱肉の現代だから、バランスを取る為にバランスと命名したのだ』 目付頭『其の方は民衆を煽て上げ、不逞の徒を鳩集し、市街に火を放ち、剰さへ所在悪業を敢てし、尚飽き足らず民衆を煽動するとは何の事だ。汝の如き極重悪人は裁判の必要も無い、国家の為不愍ながら銃殺の刑に処するに仍つて、此世の名残に念仏でも唱へて置くが可からうぞ』 バランスは女に似合はぬ大胆不敵の英雄で有る。身動きも成らぬ所迄縛られ乍ら、少しも恐るる色なく大口開けて高笑ひ、 バランス『アハヽヽヽ、向ふの見えぬ盲ども、銃殺なつと絞殺なつと、出来るなら遣つて見よ。此バランスの命はタラハン国全体とつり代の命だ。数十万の吾部下は国内の各所にバランスが殺されたと聞くならば、一時に蜂起するだらう。汝等如き悪目付共は能く後前の成行を考へて手を下したが可からうぞ。第一国民の模範たるべきものの行状は何だ。向日の森の畔に住む茶坊主タルチンの茅屋に年若き女を忍ばせ、夜な夜な労働者の服を着けて通ひつめ、恋の奴と成つて脂下つて居るで無いか、斯様な事で、如何して世話が完全に出来るか、其方共は呑舟の魚には恐れて近寄らず、鮒やモロコの如きウロクヅを漁つて目付力が何うの、政治が如何のと、好え気に成つて国の滅亡を知らない馬鹿者だ』 目付頭『バランス、何と云ふ畏れ多い事を言ふのか、人民の分際として、その行動を云々すると云ふ不敵な事が有るか』 バランス『ハツハヽヽ、それほどお邪魔に成りますかな。然らば此問題は御推量を願つて置きませう。能く茶坊主を呼出してお査べなさい。夫に付ても許し難きは左守ガンヂーが悴アリナと云ふ奴、不届至極にも茶坊主を取込み、山出し女との媒介を致して居るのみならず、自分は殿中に錦衣を着け、偽太将と成り代り、左守右守の目を眩まして居るでは無いか。大王殿下は御重病にて上下憂鬱に沈む折柄、悴たるものは女に狂ひ、又左守の悴は王位を奪はむとして居る大胆不敵の曲者、其他の大名共は之を見ても推して知るべしで有る。此バランスはタラハン国民衆全部の代表者だ、決して嘘は言はないぞ、早速調べて見るが宜からう』 此言葉に目付頭も並み居る目付等も色を失ひ、太き息を漏らして互に面を見合すのみで有つた。又もや民衆と目付役と闘ふ声、庭の近辺に喧しく響いて来た。 (大正一四・一・六新一・二九於月光閣松村真澄録)