宇宙は
霊の
霊と
物質とからなってゐるぞ。
人間も
又同様であるぞ。
宇宙にあるものは
皆人間にあり。
人間にあるものは
皆宇宙にあるぞ。
人間は
小宇宙と
申して、
神のヒナガタと
申してあらう。
人間には
物質界を
感知するために
五官器があるぞ。
霊界を
感知するために
超五官器あるぞ。
神界は
五官と
超五官と
和して
知り
得るのであるぞ。この
点誤るなよ。
霊的自分を
正守護神と
申し、
神的自分を
本守護神と
申すぞ。
幽界的自分が
副守護神ぢゃ。
本守護神は
大神の
歓喜であるぞ。
神と
霊は
一つであって、
幽と
現、
合せて
三ぞ。この
三は
三にして
一、
一にして
二、
二にして
三であるぞ。
故に
肉体のみの
自分もなければ
霊だけの
自分もない。
神界から
真直ぐに
感応する
想念を
正流と
申す。
幽界を
経て
又幽界より
来る
想念を
外流と
申すぞ。
人間の
肉体は
想念の
最外部、
最底部をなすものであるから
肉体的動きの
以前に
於て
霊的動きが
必ずあるのであるぞ。
故に
人間の
肉体は
霊のいれものと
申してあるのぞ。
又物質界は、
霊界の
移写であり
衣であるから、
霊界と
現実界、
又霊と
体とは
殆んど
同じもの。
同じ
形をしてゐるのであるぞ。
故に
物質界と
切り
離された
霊界はなく、
霊界と
切り
離した
交渉なき
現実界はないのであるぞ。
人間は
霊界より
動かされるが、
又人間自体よりかもし
出した
霊波は
反射的に
霊界に
反影するのであるぞ。
人間の
心の
凸凹によって、
一は
神界に、
一は
幽界に
反影するのであるぞ。
幽界は
人間の
心の
影が
生み
出したものと
申してあろうがな。
総ベては
大宇宙の
中にあり、その
大宇宙である
大神の
中に、
大神が
生み
給ふたのであるぞ。このことよくわきまへて
下されよ。
善のこと
悪のこと、
善悪のこと、よく
判って
来るのであるぞ。
故に、
人間の
生活は
霊的生活、
言の
生活であるぞ。
肉体に
食ふことあれば
霊にもあり、
言を
食べているのが
霊ぞ。
霊は
言ぞ。この
点が
最も
大切なことじゃから、くどう
申しておくぞ。
死んでも
物質界とつながりなくならん。
生きてゐる
時も
霊界とは
切れんつながりあること、とくと
会得せよ。そなた
達は
神をまつるにも、
祖先まつるにも
物質のめあてつくるであろうがな。それはまだまだ
未熟な
事ぞ。
死後に
於ても、
現実界に
自分がある。それは
丁度、
生きてゐる
時も
半分は
霊界で
生活してゐるのと
同じであるぞ。
自分の
衣は
自分の
外側であるぞ。
自分を
霊とすると、
衣は
体、
衣着た
自分を
霊とすれば
家は
体、
家にゐる
自分を
霊とすれば
土地は
体であるぞ。
更に
祖先は
過去の
自分であり、
子孫は
新しき
自分、
未来の
自分であるぞ。
兄弟姉妹は
最も
近き
横の
自分であるぞ。
人類は
横の
自分、
動、
植、
鉱物は
更にその
外の
自分であるぞ。
切りはなすこと
出来ん。
自分のみの
自分はないぞ。
縦には
神とのつながり
切れんぞ。
限りなき
霊とのつながり
切れんぞ。
故に、
神は
自分であるぞ。
一切は
自分であるぞ。
一切がよろこびであるぞ。
霊界に
於ける
自分は、
殊に
先祖との
交流、
交渉深いぞ。よって、
自分の
肉体は
自分のみのものでないぞ。
先祖霊と
交渉深いぞ。
神はもとより
一切の
交渉あるのであるぞ。その
祖先霊は
神界に
属するものと
幽界に
属するものとあるぞ。
中間に
属するものもあるぞ。
神界に
属するものは、
正流を
通じ、
幽界に
属するものは
外流を
通じて
自分に
反応してくるぞ。
正流に
属する
祖先は
正守護神の
一柱であり、
外流に
加はるものは、
副守護神の
一柱と
現はれてくるのであるぞ。
外流の
中には、
動植物霊も
交ってくることあるぞ。それは
己の
心の
中にその
霊と
通ずるものあるためぞ。
一切が
自分であるためぞ。
常に
一切を
浄化せなならんぞ。
霊は
常に
体を
求め、
体は
霊を
求めて
御座るからぞ。
霊体一致が
喜びの
根本であるぞ。
一つの
肉体に
無数の
霊が
感応し
得るのざ。それは
霊なるが
故にであるぞ。
霊には
霊の
霊が
感応する。
又高度の
霊は
無限に
分霊するのであるぞ。
二重三重人格と
申すのは、
二重三重のつきものの
転換によるものであり、
群集心理は
一時的の
憑依霊であると
申してあろうがな。
霊が
元と
申してくどう
知らしてあろうが。
人間は
現界、
霊界共に
住んで
居り、その
調和をはからねばならん。
自分は
自分一人でなく、タテにもヨコにも
無限につながってゐるのであるから、その
調和をはからねばならん。それが
人間の
使命の
最も
大切なことであるぞ。
調和乱すが
悪ぞ。
人間のみならず、
総て
偏してならん。
霊に
偏してもならん。
霊も
五、
体も
五と
申してあらう。ぢゃが
主は
霊であり
体は
従ぞ。
神は
主であり、
人間は
従であるぞ。
五と
五と
同じであると
申してあろう。
差別則平等と
申してあらう。
取り
違い
禁物ぞ。
神は
愛と
現はれ、
真と
現はれるのであるが、その
根はよろこびであるぞ。
神の
子は
皆よろこびぢゃ。よろこびは
弥栄ぞ。ぢゃがよろこびにも
正流と
外流とあるぞ。
間違へてならんぞ。
正流の
歓喜は
愛の
善となって
現はれて、
又真の
信と
現はれるぞ。
外流のよろこびは
愛の
悪となって
現れるぞ。
何れも
大神の
現れであること
忘れるなよ。
悪抱き
参らせて
進むところにマコトの
弥栄あるのであるぞ。
神は
弥栄ぞ。これでよいと
申すことないのであるぞ。
大完成から
超大大完成に
向って
常に
弥栄してゐるのであるぞよ。
宇宙は
総てに
於ても、
個々に
於ても
総てよろこびからよろこびに
向って
呼吸してゐるのぞ。よろこびによって
創られてよろこんでゐるのであるぞ。
故によろこびなくして
生きないぞ。
合一はないぞ。
愛は
愛のみではよろこびでないぞと
申してあろう。
真は
真のみでは
喜びでないと
申してあろうが。
愛と
真と
合一し、

するところに、
陰と
陽と
合一、
弥栄したところによろこびあるのぢゃぞ。この
巻冬の
巻、
五月五日の
佳き
日。ひつく
神。
No.: 771