判るやうに
申すならば、
宇宙は

真と
愛との
現はれであるぞ。
愛と
真ではない。

、
愛、
真、
善、
智であるが、
愛真でもなく、
善智でもないぞ。
愛と
真が
善と
智と
現はれ、
喜びとなってはたらき、

が
加わって
弥栄えた
生命であるぞ。
愛のみと
云ふものないぞ、
真のみと
云ふものないぞ。
愛と
現はれ
真と
現はれるのであるぞ。
人間には
現はれたものだけより
判らんのであるが、ことわけて
申すならば
愛には
真かくれ、
真には
愛かくれ、その
奥に

があるのぢゃ。
人間はおやを
父と
母とに
区別してゐるが、
母と
現はれる
時は
父その
中に
居り、
父と
現はれる
時はその
中に
母ゐるのであるぞ。
何れも
親であるぞ。
父となり
母となり
現はれるのであるぞ。
愛と
真、
善と
智と
区別して
説かしておいたが、それは
今迄のこと、いつまでもそんなところでまごまごさしてはおけんぞ。

が
判らねばならん。

の

が
判らねばならん。
男の
魂は
女、
女の
魂は
男と
申してあらう。
人間の
目に
愛とうつるものは
外の
愛、
真とうつるものは
外の
真ぞ。
中から
申せば
外は
御役の
悪であるぞ。
今が
過去で、
今が
未来ぞ。
時間にふみ
迷ふなよ。
空間に
心ふみ
迷ふでないぞ。
皮一枚ぬいで
心でよく
考へなされ。いつも
日が
出てゐるでないか。
月輝いて
御座るでないか。
力そのものに、
力はないのであるぞ。
霊と
肉の
結びのみで
力現はれるのでないぞ。プラスとマイナスと
合せて
組みて
力出ると
思うてゐるのであらうが、
一歩ふみ
出さねばならんぞ。プラスとマイナスと
合わせたのではプラスとマイナスぞ。
力出ないのざ。

の
力が
加わって
其処にヨロコビ
出て、
理となり、なり、なりて
真実と
現はれるのぞ。
弥栄が
真実ぞ。
神ぞ。
神の
心ぞ。
竜神と
申してゐるが
竜神にも
二通りあるぞ。
地からの
竜神は
進化して
行くのであるぞ。
進化をうそざと
思ふは
神様迷信ぞ。
一方、
天からの
竜神は
退化して
行くのであるぞ。この
二つの
竜神が
結ばれて
人間となるのであるぞ。
人間は
土でつくって、
神の
気入れてつくったのざと
申してあらうがな。イワトしめとイワトひらきの
二つの
御用のミタマあると
申してあらうが。ミタマの
因縁恐ろしいぞ。
愛と
智は
呼吸して
喜びとなるのであるぞ。よろこびは
形をとる。
形なく
順序なきもの

であるぞ。
善と
真のはたらきを
完全にするには、
善と
真との
差別をハッキリとさせねばならんぞ。とけ
合はせ、
結んでヨロコビと
現はれるのであるが、
区別することによって
結ばれるのであるぞ。

しなければならん。すればする
程力強くとけ
合ふのであるぞ。
大き
喜びとなるのであるぞ。このこと
日月の
民には
判るであらうな。
道は
三つぞ。
合点ぢゃなあ。
小の
中に
大あるぞ。
無の
中に
有有るぞ。もの
益々小さければ、
益々清
ければ、
益々内に
大きなものあり、
益々純なものあるぞ。
神はそなたの
中にあるが
外にもあると
申してあらうがな。
よく
見て
下されよ。
愛はそのまま
愛でないぞ。
真はそのまま
真でないぞ。
善はナマでは
善でないぞ。
智はナマでは
智でないぞ。
入れて、
結んで
解けてヨロコビとなるのざ。ヨロコビ
生命ぞ。
宇宙の
総て
生命であるぞ。
一月一日