天国の
政治は、
歓喜の
政治である。
故に、
戒律はない。
戒律の
存在する
処は、
地獄的段階の
低い
陰の
世界であることを
知らねばならない。
天国の
政治は、
愛の
政治である。
政治する
政治ではない。より
内奥の、より
浄化されたる
愛そのものからなされる。
故に、
与える
政治として
現われる。
天国は、
限りなき
団体によって
形成されている。そして、その
政治は、
各々の
団体に
於ける
最中心、
最内奥の
歓喜によりなされるのである。
統治するものは
一人であるが、
二人であり、
三人として
現われる。
三人が
元となり、その
中心の
一人は、

によって
現わされ、
他の
二人は、

によって
現わされる。

は、
左右上下二つの
動きの

を
為すところの
立体
からなっている。
統治者の
心奥の

は、
更に
高度にして、
更に
内奥に
位する

の
中の

によって
統一され、
統治され、
立体
をなしている。
天国では、この

を、スの
神と
敬称し、
歓喜の
根元をなしている。スの
神は、アの
神と
現われ
給い、オとウとひらき
給い、
続いて、エとイと
動き
現われ
給うのである。これが
総体の
統治神である。
三神であり、
二神である。ア、オ、ウは
愛であり、エ、イは
真である。これら
天国の
組織は、
人体の
組織と
対応し、
天国の
一切の
事象と
運行とは、
人体のそれに
対応している。オ、ウなる
愛は
曲線であり、
心臓である。エ、イなる
真は、
直線であり、
肺臓に
対応して
三五七と
脈うち、
呼吸しているのである。これらの
統治者は
権力を
奪することなく、また
指令することもない。よりよく
奉仕するのみである。
奉仕するとは、
如何にしてよりよく
融和し、
善と、
真との
浄化と
共に、
悪と
偽の
調和をなし、これらの
総てを
神の
力として
生かし、
更に
高度なる
大歓喜に
到らんかと
努力することである。また
統治者自身は、
自分達を
他の
者より
大なる
者とはせず、
他の
善と
真とを
先とし、その
歓喜を
先ずよろこび、
己はその
中にとけ
入る。
故にこそ、
統治者は
常にその
団体の
中心となり、
団体の
歓喜となるのである。
指令することは、
戒律をつくることであり、
戒律することが
神の
意志に
反することを、これらの
統治者は、よく
知っている。
天国に
於ける
政治の
基本は、
以上の
如くであるが、
更に
各家庭に
於ては、
同一の
形体をもつ
政治が
行なわれている。
一家には、
一家の
中心たる
主人、
即ち
統治者がおり、
前記の
如き
原則を
体している。またその
家族たちは、
主人の
働きを
助け、
主人の
意を
意として
働く。その
働くことは、
彼等にとって
最大の
歓喜であり、
弥栄である。
即ち、
歓喜の
政治であり、
経済であり、
生活であり、
信仰である。
天国に
於ける
天人、
霊人たちは、
常にその
中心歓喜たる
統治者を
神として
礼拝する。
歓喜を
礼拝することは、
歓喜の
流入を
受け、より
高き
歓喜に
進んで
行くことである。けれども、
天国における
礼拝は、
地上人のそれの
如き
礼拝ではない。
礼拝生活である。
総てと
拝み
合い、
且つ
歓喜し
合うことである。
与えられたる
仕事を
礼拝し、
仕事に
仕えまつる
奉仕こそ、
天国の
礼拝の
基本である。
故に、
各々の
天人、
天使の
立場によって、
礼拝の
形式、
表現は
相違している。しかし、
歓喜の
仕事に
仕えまつることが
礼拝であると
云う
点は
一致している。
地上人的礼拝は、
形式の
世界たる
地上に
於ては、
一つのいき
方であるが、
天国に
於ける
礼拝は、
千変万化で、
無限と
永遠に
対するものである。
無限と
永遠は、
常に
弥栄えるが
故に
生ずるものであり、その
弥栄が
神の
用である。
森羅万象の
多種多様、
限りなき
変化、
弥栄を
見て、この
無限と
永遠を
知り、あらゆる
形において
変化繁殖するを
見て、
無限と、
永遠が
神の
用なることを
知らねばならぬ。
天国の
政治は、
光の
政治である。
天国にも
地上の
如く
太陽があり、その
太陽より、
光と、
熱とを
発しているが、
天国の
太陽は、
一つではなく
二つとして
現われている。
一は
月球の
如き
現われ
方である。
一は
火の
現われ、
火の
政治であり、
一は
水の
現われ、
水の
政治である。
愛を
中心とする
天人は、
常に
神を
太陽として
仰ぎ、
智を
中心とする
天使は、
常に
神を
月として
仰ぐ。
月と
仰ぐも、
太陽と
仰ぐも、
各々その
天人、
天使の
情動の
如何によるのであって、
神は
常に
光と
熱として
接し
給うのである。またそれは、
大いなる
歓喜として
現われ
給う。
光と
熱とは、
太陽そのものではない。
太陽は、
火と
現われ、
月は、
水と
現われるが、その
内奥はいずれも
大歓喜である。
光と
熱とは、そこより
出ずる
一つの
現われに
過ぎないことを
知らねばならぬ。このことをよく
理解するが
故に、
天国の
政治は、
常に
光の
中にあり、また
熱の
中に
育ち
栄え、
歓喜するのである。
天国の
太陽よりは、
真と
愛とが
常に
流れ
出ているが、その
真と、
愛とは、
太陽の
中にあるのではなく、
現われ
出たものが
真と
見え、
愛と
感じられるのみである。
太陽の
内奥は
大歓喜が
存在する。
故高度の
天人の
場合は、
愛も
真もなく、
遥かにそれらを
超越した
歓喜の

が
感じられるのみである。この
歓喜の

が、
真、
善、
美、
愛となって、
多くの
天人、
天使たちには
感じられるのである。
歓喜は、そのうけ
入れる
天人、
天使、
霊人、
地上人たちのもつ
内質の
如何によって、
千変万化し、また
歓喜によって
統一されるのであるということを
知らねばならぬ。
No.: 396