全大宇宙は、
神の
外にあるのではなく、
神の
中に、
神に
抱かれて
育てられているのである。
故に、
宇宙そのものが、
神と
同じ
性をもち、
同じ
質をもち、
神そのものの
現われの
一部である。
過去も、
現在も、
未来も
一切が
呼吸する
現在の
中に
存在し、
生前も
死後の
世界もまた
神の
中にあり、
地上人としては
地上人の
中に、
霊界人にありては
霊界人の
中に
存在し、
呼吸し、
生長している。
故に、その
全体は
常に
雑多なるものの
集合によって
成っている。
部分部分が
雑多なるが
故に、
全体は
存在し、
力し、
弥栄し、
変化する。
故に、
歓喜生ずる。
本質的には、
善と
真は
有であり、
悪と
偽は
影である。
故に、
悪は
悪に、
偽は
偽に
働き
得るのみ。
影なるが
故に
悪は
善に、
偽は
真に
働き
得ない。
悪の
働きかけ
得る
真は、
真実の
真ではない。
悪は
総てを
自らつくり
得、
生み
得るものと
信じている。
善は
総てが
神から
流れ
来たり、
自らは
何ものをも、つくり
得ぬものと
信じている。
故に、
悪には
本来の
力はなく、
影にすぎない。
善は
無限の
力をうけるが
故に、
益々弥栄する。
生前の
世界は
有なるが
故に
善であり、
死後の
世界も
同様である。
生前の
自分の
行為が
地上人たる
自分に
結果して
来ている。
生前の
行為が
生後審判され、
酬いられているのではあるが、それは、
悪因縁的には
現われない。そこに、
神の
大いなる
愛の
現われがあり、
喜びがある。
悪因縁が
悪として、また
善因縁は
善として、
生後の
地上人に
現われるのではない。
何故ならば、
大神は
大歓喜であり、
三千世界は、
大歓喜の
現われなるが
故にである。
地上人的に
制限されたる
感覚の
範囲に
於ては、
悪と
感覚し、
偽と
感覚し
得る
結果を
来す
場合もあるが、それは
何れもが
弥栄である。これを
死後の
生活にうつされた
場合もまた
同様であって、そこには
地獄的なものはあり
得ない。
川上で
濁しても
川下では
澄んでいるのと
同様である。
要するに、
生前には、
地獄がなく、
生後にも、
死後にもまた
地獄はないのである。この
一貫して
弥栄し、
大歓喜より
大々歓喜に、
更に
超大歓喜に
向って
弥栄しつつ
永遠に
生命する
真相を
知らねばならぬ。しかし、
天国や
極楽があると
思念することは
既に
無き
地獄を
自らつくり
出し、
生み
出す
因である。
本来なきものをつくり
出し、
一を
二にわける。だが、
分けることによって
力を
生み
弥栄する。
地獄なきところに
天国はない。
天国を
思念する
処に
地獄を
生ずるのである。
善を
思念するが
故に、
悪を
生み
出すのである。
一あり
二と
分け、はなれてまた、
三と
栄ゆるが
故に
歓喜が
生れる。
即ち、
一は
二にして、
二は
三である。
生前であり、
生後であり、
死後であり、
尚それらの
総ては

である。

は

であり

であり、

と
集約される。
故に、これらの
総ては
無にして
有である。
人の
生後、
即ち
地上人の
生活は、
生前の
生活の
延長であり、また
死後の
生活に、そのままにして
進み
行く、
立体となり、
立々体と
進み、
弥栄する
処につきざる
歓喜があり、
善悪美醜の
呼吸が
入り
乱れつつ
調和して、
一の
段階より
二の
段階へ、
更に
三の
段階へと
弥栄浄化する。
浄化、
弥栄することにより、
善悪美醜のことごとくは
歓喜となる。
故に、
神の
中に
神として
総てが
弥栄するのである。
悉くの
行為が
批判され、
賞罰されねばならぬと
考える
地上人的思念は、
以上述べた
神の
意志、
行為、
弥栄と
離れたものである。
歓喜に
審判なく、
神に
戒律はない。
戒律は
弥栄進展を
停止断絶し、
審判は
歓喜浄化を
裁く。このことは
神自らを
切断することである。
裁きはあり
得ず
戒律はつくり
得ず、すべてはこれ
湧き
出づる
歓喜のみの
世界なることを
知らねばならない。
行為は
結果である。
思念は
原因である。
原因は
結果となり、
結果は
只、
結果のみとして
終らず、
新しい
原因を
生む。
生前の
霊人は、
生後の
地上人を
生む。
地上人は
死後の
霊人を
生み、
死後人たる
結果は、
更に
原因となりて
生前の
霊人を
生む。

は

となりて
廻り、
極まるところなくして
弥栄える。
以上述べた
処によって、これら
霊人、
地上人、
地上人の
本体が
歓喜と
知られるであろう。されば、
常に
歓喜に
向ってのみ
進むのである。これは
只、
霊人や
地上人のみではない。あらゆる
動物、
植物、
鉱物的表現による
森羅万象の
悉くが
同様の
律より
一歩も
出でず、その
極内より
極外に
至るのみ。
故に
地上世界の
悉くは
生前世界にあり、
且つ
死後の
世界に
存在し、これらの
三は
極めて
密接なる
関係にあり、その
根本の
大呼吸は
一つである。
生前の
呼吸はそのまま
生後、
死後に
通ずる。
地上に
於ける
総ては、そのままにして
生前なるが
故に、
生前の
世界にも、
家あり、
土地あり、
山あり、
川あり、
親あり、
子あり、
夫婦あり、
兄弟姉妹あり、
友人あり、また
衣類あり、
食物あり、
地上そのままの
生活がある。
地上人、
地上生活を
中心とすれば、
生前、
死後は
映像の
如く
感覚されるものである。しかし、
生前よりすれば、
地上生活、
物質生活は、その
映像に
過ぎないことを
知らねばならぬ。
時、
所、
位による
美醜、
善悪、また
過去、
現在、
未来、
時間、
空間の
悉くを
知らんとすれば、
以上述べたる
三界の
真実を
知らねばならぬ。
No.: 382