同気同類の
霊人は、
同一の
情態で、
同じ
所に
和し、
弥栄え、
然らざるものは、その
内蔵するものの
度合に
正比例して
遠ざかる。
同類は
相寄り、
相集まり、
睦び
栄ゆ。
生前の
世界は、
地上人の
世界の
原因であり、
主体であるが、また
死後の
世界に
通ずる。
同気同一線上にいる
霊人たちは、
且って
一度も
会せず
語らざるも、
百年の
友であり、
兄弟姉妹である
如くに、お
互いに、その
総てを
知ることができる。
生前の
世界に
於ける、かかる
霊人が
肉体人として
生れ
出でた
場合の
多くは、
同一の
思想系をもつ。
但し、
地上人としては、
時間と
空間に
制限されるが
故に
相会し、
相語られざる
場合も
生じてくる。また、
生前の
生活と
同様のことを
繰り
返すこともある。
霊人の
同一線上にある
場合は、その
根本的容貌は
非常に
似ているが、
部分的には
相違し、
同一のものは
一つとしてない。そこに、
存在の
意義があり、
真実の
道が
弥栄え、
愛を
生じ、
真が
湧き
出てくるのである。
生前の
霊人の
場合は、
自分自身のもつ
内の
情動はそのままに、その
霊体の
中心をなす
顔面に
集約され、
単的に
現われていて、いささかも
反する
顔面をもつことは
許されない。
一時的に
満たすことはできても、
長くは
続かない。この
情態の
原理は、
地上人にも、
反影している。
生前の
世界は、
以上の
如くであるから、
同一状態にある
霊人が
多ければ、その
団体は
大きく、
少なければ、その
集団は
小さい。
数百万霊人の
集団もあれば、
数百、
数十名で
一つの
社会をつくる
団体もある。
各々の
団体の
中には、また
特に
相似た
情動の
霊人の
数人によって、
一つの
家族的小集団が
自らにしてでき
上がっている。そしてまた、
各々の
集団の
中心には、その
集団の
中にて
最も
神に
近い
霊人が
座を
占め、その
周囲に
幾重にも、
内分の
神に
近い
霊人の
順に
座をとりかこみ
運営されている。
若しそこに、
一人の
場所、
位置、
順序の
間違いがあっても、その
集団は
呼吸しない。
而して、それは
一定の
戒律によって
定められたものではなく、
惟神の
流れ、
則ち
歓喜によって
自ら
定まっているのである。またこれら
集団と
集団との
交流は、
地上人の
如く
自由ではない。
総ては

の

を
中心として

の
姿を
形成しているのである。

と

とを、
生前の
世界に
於て
分離する
事は
極めて
至難ではあるが、
或る
段階に
進むときは
一時的に
分離が
生ずる。しかし、この
場合も

は

であり

は

である。これが
地上世界の
行為に
移りたる
場合は、
不自由不透明な
物質の
約束があるため、その
分離、
乱用の
度が
更に
加わって、
真偽混乱に
及ぶものである。
悪人が
善を
語り、
善をなし、
真を
説くことが
可能となるが
如く
写し
出されるのである。
生前界では、
悪を
意志して
悪を
行なうことは、
御用の
悪として
自ら
許されている。
許されているから
存在し
行為し
現われているのである。この
場合の
悪は、
悪にあらずして

の

であることを
知らねばならない。
即ち、
道を
乱すが
故である。
地上人の
悪人にも
善人にも、それは
強く
移写される。
愛は
真により、
真は
愛により
向上し、
弥栄する。その
根底力をなすは
歓喜である。
故に、
歓喜なき
所に
真実の
愛はない。
歓喜の
愛は、これを
愛の
善と
云う、
歓喜なき
愛を、
愛の
悪と
云うのである。その
歓喜の
中に、また
歓喜があり、
真があり、
真の
真と
顕われ、

となり、

と
集約され、その
集約の

の
中に

を
生じ、
更に
尚
と
弥栄ゆる。
生前の
世界、
死後の
世界を
通じて、
一貫せる
大神の
大歓喜の
流れ
行く
姿がそれである。
大神は
常に
流れ
行きて、
一定不変ではない。
千変万化、
常に
弥栄する
姿であり、
大歓喜である。
完成より
大完成へ
向い
進む
大歓喜の
呼吸である。されど、
地上人に
於ては、
地上的物質に
制限され、
物質の
約束に
従わねばならぬ。
其処に
時間を
生じ、
距離を
生じ、これを
破ることはできない。
故に
同時に、
善と
悪との
両面に
通じ、
両面に
生活することとなるのである。
其処に、
地上人としての
尊きかなしさが
生じてくる。
霊人に
於ては、
善悪の
両面に
住することは、
原則として
許されない。
一時的には
仮面をかむり
得るが、それは
長くつづかず、
自分自身耐え
得ぬこととなる。
地上人と
雖も、
本質的には
善悪両面に
呼吸することは
許されていない。しかし、
悪を
抱き
参らせて、
悪を
御用の
悪として
育て
給わんがために
課せられたる
地上人の
光栄ある
大使命なることを
自覚しなければならない。
悪と
偽に、
同時にはいることは、
一応の
必要悪、
必要偽として
許される。
何故ならば、それがあるために
弥栄し、
進展するからである。
悪を
殺すことは、
善をも
殺し、
神を
殺し、
歓喜を
殺し、
総てを
殺す
結果となるからである。
霊物のみにて
神は
歓喜せず、
物質あり、
物質と
霊物との
調和ありて、
始めて
力し、
歓喜し、
弥栄するからである。
霊は
絶えず
物を
求め、
物は
絶えず
霊を
求めて
止まぬ。
生長、
呼吸、
弥栄は、そこに
歓喜となり、
神と
現われ
給うのである。
霊人も
子を
生むが、その
子は
歓喜である。
歓喜を
生むのである。
No.: 381