愛の
影には
真があり、
真の
影には
愛がはたらく。
地上人の
内的背後には
霊人があり、
霊人の
外的足場として、
地上人が
存在する。
地上人のみの
地上人は
存在せず、
霊人のみの
霊人は
呼吸しない。
地上人は
常に
霊界により
弥栄する。
弥栄は
順序、
法則、
形式によりて
成る。
故に、
順序を
追わず、
法則なく、
形式なき
所に
弥栄なく、
生れ
出て
呼吸するものはあり
得ない。
個の
弥栄は、
全体の
弥栄である。
個が、その
個性を
完全に
弥栄すれば
全体は
益々その
次を
弥栄する。
個と
全体、
愛と
真との
差が
益々明らかになれば、その
結合は
益々強固となるのが
神律である。
霊界と
物質界は、かくの
如き
関係におかれている。
其処にこそ、
大生命があり、
大歓喜が
生れ、
栄えゆくのである。
更に、
極内世界と
極外世界とが
映像され、その
間に
中間世界がまた
映像される。
極内世界は
生前、
極外世界は
死後、
中間世界は
地上世界である。
極内は
極外に
通じて

を
為す。すべて
一にして
二、
二にして
三であることを
理解せねばならない。かくして、
大神の
大歓喜は、
大いなる
太陽と
現われる。これによりて、
新しく
総てが
生れ
出る。
太陽は、
神の
生み
給えるものであるが、
逆に、
太陽から
神が、
更に
新しく
生れ
給うのである。

は
絶えずくりかえされ、
更に
新しき
総ては、
神の
中に
歓喜として
孕み、
生れ
出て、
更に
大完成に
向って
進みゆく。
親によって
子が
生れ、
子が
生れることによって
親が
新しく
生れ
出ずるのであることを
知らねばならない。されば、その
用に
於ては
千変万化である。
千変万化なるが
故に、
一である。
一なるが
故に、
永遠である。
愛は
愛に
属する
総てを
愛とし、
善となさんとするが
故に
悪を
生じ、
憎を
生じ、
真は
真に
属する
総てを
真とし
美となさんとする
故に
偽を
生じ、
醜を
生ずるのである。
悪あればこそ、
善は
善として
使命し、
醜あればこそ、
美は
美として
生命するのである。
悪は
悪として
悪を
思い、
御用の
悪をなし、
醜は
醜として
醜を
思い、
御用の
醜を
果たす。
共に
神の
御旨の
中に
真実として
生きるのである。
真実が
益々単にして
益々充実し、
円通する。されば、

の
中の

の
中なる

の

の
中なる
一切万象、
万物中の
最も
空にして
無なるものの
実態である。これが、
大歓喜そのものであって、
神は、この

に
弥栄し
給えるが
故に、
最外部の

の
外にも
弥栄し
給うことを
知覚し
得るのである。
始めなき
始めの

の
真中の
真空にいますが
故に、
終りなき
終りの

の
外の
無にいまし、
中間に
位する
力の

の
中に
生命し
給うのである。
一物の
中の

なるが
故に
一物であり、
万象万物であることを
知覚しなければならない。
生前の
様相であり、
呼吸するが
故に
死後の
呼吸とつづき、
様相として
弥栄ゆるのである。
神が
生み、
神より
出て、
神の
中に
抱かれているが
故に
神と
同一の
歓喜を
内蔵して
歓喜となる。
歓喜に
向かうとは
親に
向かうことであり、
根元に
通ずることである。
世をすて、
外分的、
肉体的諸欲をすてた
生活でなければ、
天国に
通じ
得ぬと
考えるのは
誤りである。
何故ならば、
地上人に
於ける
肉体は、
逆に
霊の
守護をなす
重大な
役目をもっているからである。
地上人が、その
時の
社会的、
物質的生活をはなれて、
霊的生活にのみ
入ると
云うのは
大いなる
誤りであって、
社会生活の
中に
行ずることが、
天国への
歩みであることを
知らねばならない。
天国をうごかす
力は
地獄であり、
光明を
輝かす
力は
暗黒である。
地獄は
天国あるが
故であり、
暗黒は
光明あるが
故である。
因が
果にうつり、
呼が
吸となりゆく
道程に
於て、
歓喜は
更に
歓喜を
生ず。その
一方が
反抗すればするだけ
他方が
活動し、また、
強力に
制しようとする。
呼が
強くなれば
吸が
強くなり
吸が
長くなれば
呼もまた
長くなる。
故に
地獄的なものも
天国的なものも
同様に、
神の
呼吸に
属し、
神の
脈うつ
一面の
現われであることを
知らねばならない。
天国に
限りなき
段階と
無数の
集団があると
同様に、
地獄にも
無限の
段階と
無数の
集団がある。
何故ならば、
天国の
如何なる
状態にも
対し
得る
同様のものが
自らにして
生み
出されねばならぬからであって、それにより、
大いなる
平衡が
保たれ、
呼吸の
整調が
行なわれるからである。この
平衡の
上に
立つ
悪は
悪ではなく、
偽は
偽でなく、
醜は
醜でなく、
憎は
憎でなく、また
地獄は
地獄でない。
地獄は
本来ないのである。また、この
平衡の
上におかれた
場合は、
善も
善でなく、
美も
美でなく、
愛も
愛でなく、そこでは、
天国も
天国ではない。
只ひたすらなる
大歓喜が
弥栄ゆるのみである。
No.: 380