一八の
巻書き
知らすぞ。
一八は
弥栄。

は

と

、

、

が
神ざぞ。

が
神ざと
申してあろう。
悪の
守護となれば、
悪よく
見えるのざぞ。
人民悪いこと
好きでするのでないぞ、
知らず
知らずに
致してゐるのであるぞ。
神にも
見のあやまり、
聞きのあやまりあるのざぞ。
元の
神には
無いなれど、
下々の
神にはあるのざぞ。それで
見なほし、
聞きなほしと
申してあるのざぞ。
元の
神には
見直し
聞きなほしはないのざぞ、スサナルの
大神様鼻の
神様かぎ
直しないぞ、かぎのあやまりはないのざぞ。
人民でも、かぎの
間違ひないのざぞ。
鼻のあやまりないのざぞ。スサナルの
大神様この
世の
大神様ぞと
申してあらうがな。
間違ひの
神々様、この
世の
罪けがれを、この
神様にきせて、
無理やりに
北に
押込めなされたのざぞ。それでこの
地の
上を
極悪神がわれの
好き
候に
持ちあらしたのざ。それで
人皇の
世と
曇りけがして、つくりかへ、
仏の
世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの
世にいたして、さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、
悪の
仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ、わかりたか。
釈迦もキリストも
立派な
神で
御座るなれど、
今の
仏教やキリスト
教は
偽の
仏教やキリスト
教ざぞ。
同じ
神二つあると
申してあらうがな。

なくなってゐるのざぞ、

ない

ざぞ、

でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。

なきもの
悪ざぞ、

は
霊ぞ、
火ぞ、
一ざぞ。くらがりの
世となってゐるのも、

ないからざぞ。この
道理わかるであらうがな。
旧一月十五日、かのととりの
日、
一二
。