第一一章初対面(しよたいめん)〔一九六七〕 朝香(あさか)比女(ひめ)の神(かみ)は、中野河(なかのがは)の忽(たちま)ち大地(だいち)と変(へん)じたる新(あたら)しき地(ち)を踏(ふ)みわたらむとし給(たま)ふ折(をり)もあれ、この島(しま)の守(まも)り神(がみ)とかねてより天降(あも)りましし八十(やそ)比女神(ひめがみ)の一柱(ひとはしら)なる葦原(あしはら)比女(ひめ)の神(かみ)は、三男(さんなん)二女(にぢよ)の従神(じうしん)を従(したが)へ、朝香(あさか)比女(ひめ)の神(かみ)を迎(むか)へ奉(たてまつ)るべく、漸(やうや)くにしてこれの河岸(かはぎし)に着(つ)かせ給(たま)ひ、 『八十柱(やそはしら)御樋代(みひしろ)神(がみ)と選(えら)まれし 吾(われ)は葦原(あしはら)比女(ひめ)の神(かみ)なり 醜神(しこがみ)の醜(しこ)の曲業(まがわざ)うちはらひ 光(ひかり)の公(きみ)は天降(あも)りましぬる 天晴(あは)れ天晴(あは)れ光(ひかり)の神(かみ)の御功(みいさを)に グロスの島(しま)は明(あ)け放(はな)れたり 二十年(はたとせ)の昔(むかし)妾(わらは)は此(こ)の島(しま)に 天降(あも)りて国土(くに)を拓(ひら)かむとせし さりながら曲津見(まがみ)の猛(たけ)び強(つよ)ければ 中野(なかの)の河(かは)の外(と)に出(い)でざりき よしあしのむた茂(しげ)りたる大野原(おほのはら)を 拓(ひら)き給(たま)ひし光(ひかり)の公(きみ)はも いや尊(たか)き光(ひかり)の神(かみ)の御功(みいさを)を 伏(ふ)し拝(をが)みつつ涙(なみだ)しにけり 高地秀(たかちほ)の宮(みや)ゆ天降(あも)りし朝香(あさか)比女(ひめ)の 光(ひかり)に四方(よも)の雲霧(くもきり)晴(は)れたる グロノスやゴロスの曲津見(まがみ)は河(かは)を越(こ)えて 鷹巣(たかし)の山(やま)にかくろひにけり 今日(けふ)よりは光(ひかり)の神(かみ)の功績(いさをし)に グロノス、ゴロスの曲津(まが)言向(ことむ)けむ』 朝香(あさか)比女(ひめ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『八十柱(やそはしら)御樋代(みひしろ)神(がみ)にあはむとて 吾(われ)は荒野(あらの)をわけて来(き)つるも 顕津男(あきつを)の神(かみ)の出(い)でまし日長(けなが)くも 待(ま)たせ給(たま)ひし公(きみ)の雄々(をを)しさ 吾(われ)もまた顕津男(あきつを)の神(かみ)に見合(みあ)はむと はろばろ此処(ここ)に進(すす)み来(き)つるも グロノスの島(しま)を今日(けふ)より改(あらた)めて 葦原(あしはら)の国(くに)と名乗(なの)らせ給(たま)へ 目路(めぢ)の限(かぎ)り陽炎(かげろふ)もゆる春(はる)の野(の)に 御樋代(みひしろ)神(がみ)とあひにけるかも はろばろと吾(わが)たづね来(こ)し比女神(ひめがみ)は いとまめやかにおはしましける』 真以(まさもち)比古(ひこ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『葦原(あしはら)比女(ひめ)神(かみ)に仕(つか)へて二十年(はたとせ)を この国原(くにはら)にいきつきしはや 力(ちから)なき吾(われ)にしあれば曲津見(まがつみ)を よそに見(み)るより他(ほか)なかりけり 久方(ひさかた)のよき日(ひ)めぐりて朝香(あさか)比女(ひめ)の 貴(うづ)の光(ひかり)を拝(をが)み奉(まつ)るも 真火(まひ)をもて荒野(あらの)を焼(や)かせ給(たま)ひたる その功績(いさをし)に曲津(まが)は逃(に)げたり 曲神(まがかみ)は暫(しば)し姿(すがた)をかくせども 時(とき)経(へ)て再(ふたた)び猛(たけ)び来(きた)らむ 公(きみ)こそは光(ひかり)の神(かみ)にましまさば 国土(くに)の宝(たから)と燧石(ひうち)をたまはれ』 朝香(あさか)比女(ひめ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『真以(まさもち)比古(ひこ)神(かみ)の言(こと)の葉(は)を諾(うべな)ひて 国土(くに)の宝(たから)と燧石(ひうち)を贈(おく)らむ 光(ひかり)強(つよ)き夜光(やくわう)の玉(たま)も何(なに)かあらむ 生(い)きたる真火(まひ)の力(ちから)に及(およ)ばず』 真以(まさもち)比古(ひこ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『有難(ありがた)し光(ひかり)の神(かみ)の神宣(みことのり) 吾(われ)は頸(うなじ)にうけて忘(わす)れじ 朝香(あさか)比女(ひめ)神(かみ)の賜(たま)ひし燧石(ひうちいし)は 曲津(まが)を征伐(きため)の宝(たから)なるかも 萱草(かやくさ)の生(お)ひ茂(しげ)りたる鷹巣(たかし)の山(やま)に 真火(まひ)を放(はな)ちて曲津(まが)を退(やら)はむ かくならば葦原(あしはら)の国土(くに)は永久(とことは)に 安(やす)く栄(さか)えむ神(かみ)のまにまに』 初頭(うぶがみ)比古(ひこ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『わが公(きみ)に仕(つか)へ奉(まつ)りて中野河(なかのがは)に 生言霊(いくことたま)の奇瑞(いさを)見(み)しかな 御樋代(みひしろ)の神(かみ)にあはむと焼野原(やけのはら)を 夜(よ)を日(ひ)につぎて駈(かけ)り来(こ)しはや 千早振(ちはやぶ)る神(かみ)の依(よ)さしの御樋代(みひしろ)神(がみ)は 八十(やそ)比女(ひめ)ながらも光(ひか)らせ給(たま)へる 八柱(やはしら)の御樋代(みひしろ)神(がみ)に仕(つか)へつつ 八十(やそ)柱(はしら)比女(ひめ)にあひにけるかも』 成山(なりやま)比古(ひこ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『はろばろと来(き)ませる公(きみ)を犒(ねぎ)らはむ 術(すべ)もなきかな荒野(あらの)の中(なか)にて ともかくも葦原(あしはら)の宮居(みや)に急(いそ)ぎませ 真言(まこと)の限(かぎ)り仕(つか)へまつらむ 漸(やうや)くに春(はる)の陽気(やうき)の漂(ただよ)へる 大野(おほの)に立(た)ちて楽(たの)しき吾(われ)なり 真鶴(まなづる)は天津(あまつ)御空(みそら)に列(れつ)をなし 輪(わ)を描(ゑが)きつつ公(きみ)を迎(むか)ふも 百鳥(ももとり)の声(こゑ)もさやけくなりにけり 光(ひかり)の神(かみ)の出(い)でまししより 今日(けふ)よりは此(こ)の葦原(あしはら)の国中(くになか)に 醜(しこ)の黒雲(くろくも)立(た)たじと思(おも)ふ 今日(けふ)までは狭霧(さぎり)立(た)ちこめ黒雲(くろくも)は 御空(みそら)覆(おほ)ひて冬心地(ふゆごこち)せり 血腥(ちなまぐさ)き風(かぜ)の覆(おほ)ひし大野原(おほのはら)も 春日(はるひ)かをりて梅(うめ)の香(か)ただよふ 迦陵(かりよう)頻伽(びんが)終日(ひねもす)うたへど今日(けふ)までは しめりがちなる醜(しこ)の草原(くさはら)』 栄春(さかはる)比女(ひめ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『御樋代(みひしろ)神(がみ)の出(い)でましただに迎(むか)へむと 葦原(あしはら)比女(ひめ)の神(かみ)いそがせり 村肝(むらきも)の心(こころ)あせれど黒雲(くろくも)の 闇(やみ)深(ふか)ければなやみてしはや 朝香(あさか)比女(ひめ)神(かみ)の放(はな)たせ給(たま)ひたる 真火(まひ)の力(ちから)に野(の)は開(ひら)けたり よしあしの風(かぜ)に煽(あふ)られ燃(も)えさかる さまをし見(み)れば火(ひ)の海(うみ)なりけり 疾風(はやかぜ)に焼(や)け過(す)ぎにける大野原(おほのはら)は ただ一塵(いちぢん)も止(とど)めざりける 葦原(あしはら)の宮居(みやゐ)に進(すす)む道(みち)遠(とほ)み 黄昏(たそがれ)せまるを淋(さび)しむ吾(われ)なり 願(ねが)はくはこれの荒野(あらの)の松(まつ)かげに 今宵(こよひ)一夜(ひとよ)を宿(やど)らせ給(たま)へ 明日(あす)されば駒(こま)の轡(くつわ)を並(なら)べつつ 貴(うづ)の聖所(すがど)に導(みちび)き奉(まつ)らむ』 起立(おきたつ)比古(ひこ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『神々(かみがみ)の厚(あつ)き心(こころ)に動(うご)かされ 吾(われ)は進(すす)むも葦原(あしはら)の宮居(みや)へ さりながら今宵(こよひ)は松(まつ)の下(した)かげに わが公(きみ)と共(とも)に雨宿(あまやど)りせむ』 八栄比女(やさかひめ)神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『天津(あまつ)日(ひ)は海(うみ)の彼方(かなた)に傾(かたむ)きて 御空(みそら)に白(しろ)き昼月(ひるづき)のかげ 昼月(ひるづき)の淡(あは)き真下(ました)に一(ひと)つ星(ぼし)の かげは伊添(いそ)ひて輝(かがや)けるかも 月舟(つきふね)の右上方(みぎかみかた)にやや薄(うす)き 星(ほし)一(ひと)つあり何(なん)のしるしか つくづくと思(おも)へば嬉(うれ)し顕津男(あきつを)の 神(かみ)の出(い)でまし近(ちか)づきにけむ 月(つき)の下(した)に輝(かがや)き給(たま)ふ一(ひと)つ星(ぼし)は 朝香(あさか)の比女(ひめ)の御姿(みすがた)なるらむ 月(つき)の上(うへ)に薄(うす)く光(ひか)れる星(ほし)かげは 葦原(あしはら)比女(ひめ)の御魂(みたま)なるべし 夕(ゆふ)されば天津(あまつ)日光(ひかげ)はなけれども 冴(さ)え渡(わた)るらむ月舟(つきふね)のかげも』 立世(たつよ)比女(ひめ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『国土(くに)稚(わか)く浮脂(うきあぶら)なす島ケ根(しまがね)を 永久(とは)に固(かた)むと吾(わが)渡(わた)り来(こ)し 顕津男(あきつを)の神(かみ)にあはむと出(い)でたたす 朝香(あさか)の比女(ひめ)の御供(みとも)仕(つか)へつ 曲神(まがかみ)の伊猛(いたけ)り狂(くる)ひしグロス島(じま)も 今日(けふ)はめでたし葦原(あしはら)の国土(くに)よ よしあしの生(お)ひ茂(しげ)りたる荒野原(あらのはら) 辿(たど)りつ分(わ)けつ吾(われ)は来(き)にけり 比女神(ひめがみ)の身(み)ながら曲津(まが)と戦(たたか)ひつ 吾(われ)は雄心(をごころ)湧(わ)き立(た)ちにけり 五千(ごせん)方里(はうり)ありと聞(きこ)ゆる葦原(あしはら)の 島根(しまね)に御樋代(みひしろ)神(かみ)と語(かた)るも 村肝(むらきも)の心(こころ)勇(いさ)みてわが胸(むね)の 高鳴(たかな)り止(や)まず腕(うで)はふるへり』 霊生(たまなり)比古(ひこ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『朝夕(あさゆふ)に御樋代(みひしろ)神(がみ)に仕(つか)へ来(き)つ 今日(けふ)如(な)す楽(たの)しき日(ひ)はあらざりき 御樋代(みひしろ)の光(ひかり)の神(かみ)の現(あ)れましに 吾(わが)魂線(たましひ)はうなり出(い)でけり 鋭敏鳴出(うなりづ)の神(かみ)の宣(の)らせる言霊(ことたま)に 吾(わが)葦原(あしはら)の曲津(まが)は失(う)せぬる 時(とき)じくに御空(みそら)包(つつ)みし黒雲(くろくも)の 跡形(あとかた)もなく晴(は)れにけらしな 主(ス)の神(かみ)の依(よ)さしのままに二十年(はたとせ)を 仕(つか)へて功(いさを)なき吾(われ)を恥(は)づる 御樋代(みひしろ)の神(かみ)は雄々(をを)しくましませど 御供(みとも)の神(かみ)の力(ちから)足(た)らざり 二柱(ふたはしら)御樋代(みひしろ)神(がみ)の天降(あも)りましし 此(この)葦原(あしはら)の国土(くに)は永久(とは)なれ 常世(とこよ)ゆく闇(やみ)は漸(やうや)く晴(は)れにけり 光(ひかり)の神(かみ)の貴(うづ)の功(いさを)に』 天晴(あめはれ)比女(ひめ)の神(かみ)は御歌(みうた)詠(よ)ませ給(たま)ふ。 『御(おん)供(とも)に仕(つか)へ奉(まつ)りて今日(けふ)のごと 勇(いさ)ましき戦(いくさ)吾(われ)見(み)ざりけり グロノスとゴロスの曲津見(まがつみ)言霊(ことたま)に うたれし時(とき)のさまのあはれさ 主(ス)の神(かみ)の賜(たま)ひし厳(いづ)の言霊(ことたま)と 燧石(ひうち)しあれば曲津(まが)はひそまむ いざさらば彼方(かなた)の森(もり)に進(すす)むべし 一夜(ひとよ)の雨(あめ)の宿(やど)り求(もと)めて』 茲(ここ)に十二柱(じふにはしら)の女男(めを)の神々(かみがみ)は、野中(のなか)のこんもりとした常磐樹(ときはぎ)の森(もり)かげさして、黄昏(たそがれ)の野路(のぢ)を急(いそ)ぎ進(すす)ませ給(たま)ひける。 (昭和八・一二・二一旧一一・五於大阪分院蒼雲閣白石恵子謹録)