第二章波上(はじやう)追懐(つゐくわい)〔一九五八〕 朝香(あさか)比女(ひめ)(かみ)()らせる磐楠舟(いはくすぶね)は、薄霞(うすがすみ)棚引(たなび)初夏(しよか)海原(うなばら)悠々(いういう)として辿(たど)()くを、御影(みかげ)(かく)るるまで、田族(たから)比女(ひめ)(かみ)一行(いつかう)名残(なごり)()しみつつ見送(みおく)らせ(たま)ひ、御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『天晴(あは)天晴(あは)(ひかり)(かみ)()でましぬ (なみ)()(くま)なく()らし(たま)ひつ (なつ)かしき(ひかり)(かみ)永久(とこしへ)訣別(わか)ると(おも)へば(かな)しき(われ)かも (うる)はしき(やさ)しき雄々(をを)しき比女神(ひめがみ)御舟(みふね)(おく)(かな)しき(われ)なり ()をあげて訣別(わかれ)()しみ(たま)ひつる 比女(ひめ)(やさ)しき(こころ)ばせかも 顕津男(あきつを)(かみ)天降(あも)らせ(たま)ひてし (おも)ひするかな比女(ひめ)()でましは 顕津男(あきつを)(かみ)訣別(わか)るる()のつらさ (おも)(うか)べて(かな)しき(われ)なり (この)(ひろ)神国(みくに)(おや)(えら)まれて (われ)(かな)しき今日(けふ)()ひける (いま)よりは(こころ)(こま)立直(たてなほ)比女(ひめ)(こころ)(むく)(まつ)らむ 八潮路(やしほぢ)(しほ)八百路(やほぢ)八潮路(やしほぢ)()()()でます(いさを)(たふと)永久(とこしへ)(この)島ケ根(しまがね)宮居(みや)()てて 比女(ひめ)御心(みこころ)(やす)んじ(まつ)らむ 片時(かたとき)(はや)御舎(みあらか)(つか)(まつ)比女(ひめ)御魂(みたま)(いつ)(まつ)らな 御姿(みすがた)はよし()えずとも神社(かむなび)御魂(みたま)(まつ)りて御功(みいさを)(しの)ばむ 刻々(こくこく)(とほ)ざかり()(おん)(ふね)御影(みかげ)(われ)()かしめにけり 万斛(ばんこく)(なみだ)(たた)へて御来矢(みくりや)浜辺(はまべ)御舟(みふね)(おく)(まつ)るも ()(かみ)(さだ)めと(おも)へど今一度(いまいちど) ()はまくほしき(きみ)なりにけり 八潮路(やしほぢ)(なみ)()(たび)(やす)かれと 神言(かみごと)()りて御神(みかみ)(いの)らむ』 輪守(わもり)比古(ひこ)(かみ)海原(うなばら)打見(うちみ)やりつつ御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『天晴(あは)天晴(あは)御舟(みふね)(とほ)くなりにけり (われ)(かな)しさ(いや)まさりつつ 幾千代(いくちよ)(きみ)御姿(みすがた)わが(むね)(かがや)きまして(わす)れざるべし 今日(けふ)()(なみ)(たひら)かに天津(あまつ)()は うららに()れり御舟(みふね)(さち)あれ 振返(ふりかへ)振返(ふりかへ)りつつ()でませる (かみ)姿(すがた)(やさ)しくもあるか 高地秀(たかちほ)(みね)より天降(あも)りし(かみ)なれば 一入(ひとしほ)(たふと)()(はし)ましける 御姿(みすがた)(ふたた)(まみ)えむ(すべ)なしと (おも)へば今日(けふ)訣別(わかれ)()しまる (はて)しなき大海原(おほうなばら)(なみ)()けて (すす)ます(きみ)(さち)かれと(おも)ふ』 霊山(たまやま)比古(ひこ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『(おん)訣別(わかれ)(あま)()しさに(かな)しさに われ言霊(ことたま)(まゐ)らせざりける 万里(まで)(しま)(ひかり)(たま)ひし比女神(ひめがみ)()でまし(おく)りて(なに)(さび)しき 朝香(あさか)比女(ひめ)(かみ)(めづら)しき()でましに 稚国原(わかくにはら)はよみがへりたり 浪路(なみぢ)(はろ)かに御舟(みふね)(ちひ)さくなりにつつ (わが)眼界(まなかひ)(はな)れむとすも』 保宗(もちむね)比古(ひこ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『白馬(はくば)(だけ)(きよ)姿(すがた)弥永(いやなが)(きみ)御行(みゆき)(おく)りまつらむ (わが)(まなこ)(ちひ)さくあれば(きみ)()御舟(みふね)(はや)くも()えずなりけり 白馬(はくば)(だけ)(みね)(うらや)ましも比女神(ひめがみ)御行(みゆき)永久(とは)(おく)りまつれば 御来矢(みくりや)浜辺(はまべ)()ちて(おく)(まつ)御舟(みふね)(はや)くも目路(めぢ)(さか)りぬ 永久(とこしへ)(とど)まりたまへと(いの)りてし (ひかり)(きみ)(かへ)りましける (この)(うへ)御樋代(みひしろ)(がみ)真心(まごころ)(つく)して国土(くに)(つか)へまつらむ (この)国土(くに)(たから)比女(ひめ)(たま)ひたる 燧石(ひうち)(ひかり)()をまもらばや』 直道(なほみち)比古(ひこ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『(この)国土(くに)(ひかり)となりて天降(あも)りましし (かみ)(つれ)なく(かへ)りましける ()(こと)(うれ)しきものを今日(けふ)はしも (かな)しき訣別(わかれ)御舟(みふね)(おく)るも 永久(とこしへ)(わす)れぬ(きみ)となりにけり (この)稚国土(わかぐに)(ひかり)(たま)へば 朝夕(あさゆふ)()若宮(わかみや)(つか)へつつ (きみ)(いさを)(たた)(まつ)らむ (こころ)(きよ)(やさ)しくまして雄々(をを)しかる 比女(ひめ)真言(まこと)(かみ)なりにけり』 正道(まさみち)比古(ひこ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『(ふなばた)打寄(うちよ)(なみ)(ひびき)さへ いや次々(つぎつぎ)(とほ)ざかりける (かがや)ける(しろ)(やさ)しき御面(みおもて)(なみ)()(たか)(かく)れましけり 天津(あまつ)()(なみ)(しづ)ます(おも)ひかな (ひかり)(かみ)目路(めぢ)(さか)れり 永遠(とこしへ)(つか)(まつ)ると(おも)ひてし 朝香(あさか)比女(ひめ)(この)国土(くに)になし 田族(たから)比女(ひめ)(かみ)神言(みこと)(かしこ)みて (われ)朝夕(あさゆふ)(つか)へまつらむ 白馬(はくば)(だけ)(しこ)曲津(まがつ)比女神(ひめがみ)(いさを)(おどろ)()()せにけむ 牛頭ケ峰(ごづがみね)白馬(はくば)(だけ)(いただき)振返(ふりかへ)りつつ御覧(みそなは)すらむ 白馬(はくば)(だけ)(ふもと)()さき(われ)ありと (しの)ばせ(たま)朝香(あさか)比女(ひめ)(かみ)雲川(くもかは)比古(ひこ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『(いま)となりて()しみ(まつ)るも(せん)なけれ (ただ)真心(まごころ)(ささ)御魂(みたま)(つか)へむ (おん)(ふね)(かげ)さへ()えず(なげ)かひの (なみだ)しげしげまさり()くかも (この)(しま)森羅万象(すべてのものら)おしなべて (きみ)名残(なごり)()しみつつ()かむ 百草(ももくさ)(はな)(しを)れて今日(けふ)()浜辺(はまべ)訣別(わかれ)()しむがに()御空(みそら)()陽光(ひかげ)(うす)(くも)らひつ 今日(けふ)訣別(わかれ)()しませ(たま)へる』 山跡(やまと)比女(ひめ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『(あめ)(つち)()らして(くま)なき比女神(ひめがみ)御姿(みすがた)(いま)()えずなりける せめてもの記念(かたみ)(たま)ひし燧石(ひうちいし)万里(まで)神国(みくに)(ひかり)なるかも 宝石(たからいし)(ひかり)如何(いか)(たか)くとも 国土(くに)(すく)はむ(しろ)にはならず (たてまつ)るものもなければ()むを()(いや)しき(たから)(たてまつ)りける (こころ)よく()けさせ(たま)ひし比女神(ひめがみ)(やさ)しき(こころ)(かたじけ)なみ(おも)如何(いか)にせむ(ひかり)(かみ)(かへ)りましぬ 万里(まで)海原(うなばら)(なみ)()()けて 永久(とこしへ)(きみ)(いさを)(かしこ)みて ()若宮(わかみや)(つか)へまつらむ』 千貝(ちかひ)比女(ひめ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『国土(くに)(わか)万里(まで)島根(しまね)(われ)ありて 今日(けふ)(かな)しき訣別(わかれ)()ふも (なつ)かしく(やさ)しく雄々(をを)しき比女神(ひめがみ)(わが)魂線(たましひ)はいつかひにけり (わが)(たま)(きみ)(おん)()にいつかひて 海原(うなばら)(とほ)(まも)()くらむ 御功(みいさを)(たふと)くませば比女神(ひめがみ)霊衣(れいい)(ひろ)四方(よも)()らせり 真心(まごころ)(たふと)(はじ)めて(さと)りけり 御身(みま)(あふ)るる(うづ)(ひかり)(あめ)(つち)(きみ)()らする言霊(ことたま)(したが)ひまつると()へば(かしこ)し』 湯結(ゆむすび)比女(ひめ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『今日(けふ)よりは比女(ひめ)(たま)ひし燧石(ひうちいし)(いさを)(きよ)()をむすぶべし 朝夕(あさゆふ)()若宮(わかみや)(つか)ふべく 御湯(みゆ)をむすびて(みそぎ)せむかな みはるかす大海原(おほうなばら)(ひろ)らかに 御舟(みふね)(かげ)()えずなりける いざさらば田族(たから)比女(ひめ)(かみ)(わが)(きみ)万里(まで)聖所(すがど)(かへ)りまさずや いつまでも(なみ)()()つつ(しの)ぶとも (せん)なきものを()(かへ)りませ』 (ここ)田族(たから)比女(ひめ)(かみ)一行(いつかう)は、目路(めぢ)(さか)りし御舟(みふね)(あきら)めの(こころ)(さだ)め、雄々(をを)しくも駿馬(はやこま)()(またが)(ひづめ)(おと)(いさ)ましく、(その)()黄昏(たそが)るる(ころ)無事(ぶじ)万里(まで)(をか)聖所(すがど)(かへ)()(たま)ひ、(とき)(うつ)さず()()()いで()若宮(わかみや)工事(こうじ)にかからせ(たま)ひけるが、旬日(じゆんじつ)ならずして(かみ)(さちは)弥厚(いやあつ)く、荘厳(さうごん)なる若宮(わかみや)(きづ)かれにける。 (ここ)湯結(ゆむすび)比女(ひめ)(かみ)朝夕(あさゆふ)()若宮(わかみや)(つか)へまし、()(かみ)(はじ)()(かみ)(たた)へまつりし朝香(あさか)比女(ひめ)(かみ)生魂(いくたま)白湯(さゆ)()かして笹葉(ささば)(ひた)し、左右左(さいうさ)打振(うちふ)朝々(きぬぎぬ)身魂(みたま)(きよ)御湯(みゆ)御前(みまへ)(たてまつ)りて忠実(まめやか)(つか)(たま)ひける。(これ)より(いま)()(いた)るまで(いづ)れの神社(じんじや)にも御巫(みかんのこ)なるものありて、御湯(みゆ)()かせ、神明(しんめい)(たてまつ)(こと)とはなりたるなり。 朝香(あさか)比女(ひめ)(かみ)御来矢(みくりや)(はま)立出(たちい)(たま)ひ、御舟(みふね)(なか)より田族(たから)比女(ひめ)(かみ)一行(いつかう)訣別(わかれ)()しみつつ、振返(ふりかへ)振返(ふりかへ)御手(みて)()げさせ(たま)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『天晴(あは)天晴(あは)御樋代(みひしろ)(がみ)()れませる 万里(まで)島根(しまね)訣別(わか)れむとすも 神々(かみがみ)(やさ)しき(こころ)(ほだ)されて (おも)はず月日(つきひ)(かさ)ねけるかも 永久(とこしへ)()みたく(おも)へど()(かみ)()さしに(そむ)(すべ)なき(われ)なり 雄心(をごころ)大和心(やまとごころ)()(おこ)()しき訣別(わかれ)()げにけるかな いつまでも訣別(わか)るる機会(しほ)のなかるらむ 雄々(をを)しき(たけ)(こころ)()たずば 神々(かみがみ)(こころ)()らぬにあらねども 神業(みわざ)(おも)ひて(われ)訣別(わか)れし 神々(かみがみ)浜辺(はまべ)()ちて(わが)(ふね)(こころ)(やさ)しく見送(みおく)(たま)へる 万世(よろづよ)(すゑ)(すゑ)まで(わす)れまじ 真言(まこと)(かがや)神々(かみがみ)(こころ)(ひやく)(ねん)(した)しき(とも)()へる(ごと) (へだ)てなかりし神々(かみがみ)(おも)(わが)(ふね)浪路(なみぢ)(はろ)けくなりにける (しま)神々(かみがみ)(やす)くましませ 真鶴(まなづる)(こゑ)(かな)しく(きこ)えけり 万里(まで)新国土(にひくに)()らむと(おも)へば』 初頭(うぶがみ)比古(ひこ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『二柱(ふたはしら)比女神(ひめがみ)(たち)神宣(みことのり) ()くにつけても(なみだ)ぐまるる (かく)(ごと)(やさ)しき(きよ)神々(かみがみ)生言霊(いくことたま)()かざりにけり 比女神(ひめがみ)()くあるべきを大方(おほかた)(こころ)(ねた)(そね)みに()つるも 御樋代(みひしろ)(かみ)(かみ)との言問(ことと)ひの (その)(やさ)しさに(なみだ)ぐまれつ 御来矢(みくりや)浜辺(はまべ)にはろばろ見送(みおく)りし (かみ)(やさ)しき(こころ)ばせを(おも)(つち)(わか)国土(くに)(ひら)かす(くる)しさを (おも)へば(われ)(こころ)(かしこ)真心(まごころ)(かぎ)りを(つく)愛善(あいぜん)(みち)(すす)ます百神(ももがみ)天晴(あは)(わが)(ふね)(なみ)()(とほ)(さか)りつつ 浜辺(はまべ)()たす(かみ)()えまさず 次々(つぎつぎ)(ふね)(とほ)ざかり()海原(うなばら)益々(ますます)(ちか)(した)しき神々(かみがみ)神々(かみがみ)御姿(みすがた)()えなくなりにけり 白馬(はくば)(だけ)(みね)(ひか)りつ 白馬(はくば)(だけ)聳立(そばた)国土(くに)におはします 神々(かみがみ)(たち)御姿(みすがた)なつかし』 起立(おきたつ)比古(ひこ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『(ひろ)(わか)国土(くに)(わが)目路(めぢ)(さか)りつつ 白馬(はくば)(だけ)(みね)のみ(ひか)れる 万里(まで)(うみ)(うか)べる万里(まで)生島(いくしま)永遠(とは)(さか)えよ天地(あめつち)(とも)刻々(こくこく)(とほ)ざかり()島ケ根(しまがね)(なつ)かしみつつ(われ)()くなり (はて)しなき(この)海原(うなばら)(なか)にして 万里(まで)島根(しまね)(こひ)しき国土(くに)なり』 立世(たつよ)比女(ひめ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『御樋代(みひしろ)(かみ)(つか)へて万里(まで)(しま)聖所(すがど)(きよ)(われ)(あそ)びぬ (くさ)()百鳥(ももどり)千鳥(ちどり)稚国土(わかくに)(はる)をうたひて長閑(のどか)なりけり 雲霧(くもきり)(くま)なく()れて天津(あまつ)()御影(みかげ)(すが)しき万里(まで)国土(くに)はや 御樋代(みひしろ)(かみ)御自(みみづか)御来矢(みくりや)浜辺(はまべ)(きみ)見送(みおく)りたまひし (わが)(ふね)(なみ)(つづみ)()ちながら 比女(ひめ)訣別(わかれ)()げにけらしな 比女神(ひめがみ)(やさ)しき姿(すがた)()()きて (わす)れぬ(きみ)となりにけらしな 顕津男(あきつを)(かみ)見合(みあ)ひす(その)()まで (わか)(やさ)しくいませと(いの)るも』 天晴(あめはれ)比女(ひめ)(かみ)御歌(みうた)()ませ(たま)ふ。 『(あめ)(つち)()(わた)りたる海原(うなばら)(きみ)訣別(わか)れて()くは(さび)しも 比女神(ひめがみ)(はじ)十柱神(とはしらかみ)(たち)(やさ)しき(こころ)(あふ)がるるかな (やさ)しくて雄々(をを)しくいます神々(かみがみ)(しこ)曲神(まがみ)退(やら)(たま)ひし (やうや)くに御来矢(みくりや)(はま)(とほ)くなりて 白馬(はくば)(だけ)はひとりかがよふ (わが)(ふね)太平(たいへい)(なみ)辿(たど)りつつ (きみ)(まも)りていや(すす)むなり 海原(うなばら)(つつ)みし(きり)()(わた)(たの)しき今日(けふ)(ふね)(たび)かも』 (昭和八・一二・二〇旧一一・四於大阪分院蒼雲閣森良仁謹録)