コトちがふから、
精神ちがふから、ちがふことになるのざぞ、コト
正しくすれば、
正しきこととなるのざぞ。
日本の
国は
元の
神の
血筋のまじりけのないミタマで、
末代世治めるのざ。
何事も
末代のことであるから、
末代動かん
様に
定めるのざから、
大望であるぞ。
上の
臣民この
儘で
何とか
彼んとかいける
様に
思ふてゐるが、
其の
心われよしざぞ。
今度は
手合して
拝む
許りでは
駄目ざと
申してあろが、
今度は
規則きまりたら、
昔より
六ヶ
敷くなるのざぞ、まけられんことになるのざぞ、
神魂の
臣民でないと
神の
国には
住めんことになるのざぞ。この
世治めるのは
地の
先祖の
生神の
光出さねば、この
世治まらんのざぞ、
今度はトコトン
掃除せねば、
少しでもまぢり
気ありたら、
先になりてまた
大きな
間違ひとなるから、
洗濯々々とくどう
申してゐるのざ。
神は
一時は
菩薩とも
現はれてゐたのざが、もう
菩薩では
治まらんから、
愈々生神の
性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、
今の
学ある
者大き
取り
違ひいたしてゐるぞ。
大国 常立 尊大神と
現はれて、
一時は
天もかまひ、
地の
世界は
申すに
及ばず、
天へも
昇り
降りして、

の

の

の
光りクッキリ
現はさなならんと
仰せあるぞ、
早う
洗濯せんと
間に
合はんぞ。この
道の
役員、
吾は
苦労して
人助けるのざぞ、その
心でないと
我出して
吾のこと
思ふてゐるとグレンざぞ。
仏もキリストも
何も
彼もスカリと
救はねばならんのざ、
殺して
救ふのと、
生かして
御用に
使ふのとあるぞ、
今度はハッキリ
区別するのざぞ、
昔からの
因縁ざぞ。この
方のもとに
参りて、
昔からの
因縁、この
先のこと
克く
聞いて
得心出来たら、
肚の
底から
改心してマコトの
御用結構につとめあげてくれよ。
逃げ
道つくってはならんぞ、
二つ
三つ
道つくってはならんぞ。ますぐに
神の
道に
進めよ。
神の
道は
一筋ざと
申してあろが。
何なりとそれぞれの
行せねばマコトのことは
出来んのざぞ、
世界の
片八四浜辺からいよいよが
始まると
知らしてあること
近うなりたぞ、くどい
様なれどさっぱりと
洗濯してくれよ、
神の
国は
神のやり
方でないと
治まらんから
今までの
法度からコトから、やりかたかえて、
今迄はやりかた
違ってゐたから、
神のお
道通りに
致しますと
心からお
詫びせねば、する
迄苦しむのざぞ、この
苦しみは
筆にも
口にもない
様なことに、
臣民の
心次第でなるのざから、くどう
申してゐるのざぞ、
何も
彼も
神にささげよ、てんし
様にささげよと
申してあろがな、それが
神国の
民の
心得ぞ、
否でも
応でもそうなって
来るのざぞ。
神国の
政治経済は
一つざと
申してあろうがな、
今の
臣民に
判る
様に
申すならば、
臣民働いてとれたものは、
何でも
神様にささげるのざ、
神の
御社は
幸でうづもれるのざぞ、
御光輝くのざぞ、
光のまちとなるのざぞ。
神からわけて
下さるのざぞ、
其の
人の
働きによってそれぞれに
恵みのしるし
下さるのざぞ、それがお
宝ぞ、お
宝徳相当に
集まるのざぞ、キンはいらんと
申してあろがな、
元の
世になる
迄に、さうした
事になって それからマコトの
神の
世になるのざ。
神の
世はマツリあるだけぞ、それ
迄にお
宝下さるのざぞ、お
宝とは
今のお
札の
様なものざぞ。
判る
様に
申すなら、
神の
御社と
臣民のお
役所と
市場と
合した
様なものが、
一時は
出来るのざぞ、
嬉し
嬉しとなるのざぞ、マコトのマツリの
一ざぞ。このことよく
肚に
入れて
一二三として
説いて、
早う
上の
守護人殿にも、
下の
守護人殿にも
知らして、
安心して、
勇んで
暮す
様にしてやりて
下されよ。それも
臣民の
心次第、
素直な
人、
早う
嬉しくなりて、
心勇むぞ、さびしくなりたらたづねて
御座れと
申してあろがな。
一月十三日、

の
一二か
三。
No.: 249