第一章富士山〔一〇一三〕
◎万葉集三の巻山部赤人望不尽山歌[※底本では「望」の直後に返り点の二点の記号が、「隙行く駒」に一点の記号が入る。]に
天地の分れし時ゆ神佐備て、高く貴き、駿河なる布士の高嶺を、天原、振放見れば度る日の、蔭も隠ろひ、照月の、光も見えず、白雲も伊去はばかり、時自久ぞ、雪は落ける、語つぎ、言継ゆかむ、不尽の高嶺は。
◎反歌
田児の浦ゆ、打出で見れば真白にぞ、
不尽の高嶺に雪は零ける。
◎万葉集、隆弁の歌に
めに懸けて、いくかに成ぬ東道や、
三国をさかふ、ふじの芝山。
◎夫木集、光俊朝臣の歌に
こころ高き、かふひするがの中に出で、
四方に見えたる山は布士の根。[※鎌倉時代に成立した『夫木和歌抄』巻二十(雑二)に収録されている歌。「かふひ」は「甲斐」、「するが」は「駿河」のこと。/『国歌大系第21巻』(1930年)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1884175/334「こゝら高きかふひ駿河の中に出でて四方にみえたる山はふじのね」/日文研DBhttps://lapis.nichibun.ac.jp/waka/waka_i070.html「ここらたかきかふひするかのなかにいててよもにみえたるやまはふしのね」]
◎よみ人知らず
布士の山一つある物と思ひしに
かひにも有りてふ、駿河にもありてふ
◎
天雲も伊去はばかり飛ぶ鳥も翔も上らず燎火を雪もて減、落雪を火もて消つつ言ひも得ず、名も知らに霊くも座神かも。
◎源光行の歌に
富士の嶺の風に漂ふ白雲を
天つ少女の袖かとぞ見る
◎万葉十四の駿河歌に
佐奴良久波多麻乃緒婆可里、古布良久波
布自能多可禰乃、奈流佐波能其登[※万葉集14歌番号3358「さ寝らくは玉の緒ばかり恋(こ)ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと」〔ウィキソース〕]
◎
麻可奈思美、奴良久波思家良久、奈良久波
伊豆能多可禰能、奈流佐波奈須与[※万葉集14歌番号3358S1「ま愛(かな)しみ寝(ぬ)らくはしけらくさ鳴(な)らくは伊豆の高嶺の鳴沢なすよ」〔ウィキソース〕「奈良久波」の「奈(こう)」は間違っている。]
◎続古今集、後鳥羽院の歌
けぶり立、思ひも下や氷るらむ、
ふじの鳴沢、音むせぶ也
◎新拾遺集、慈円の歌、
さみだるる、ふじのなる沢、水越て
音や煙に立まがふらむ
◎同権中納言公雅の歌
飛螢思ひはふじと鳴沢に
うつる影こそ、もえばもゆらむ
◎伊勢家集に
人しれず思ひするがの富士のねは
我がごとやかく絶えず燃ゆらむ
◎
はては身の富士の山とも成りぬるか
燃ゆるなげきの煙たえねば
◎古今集に
人知れず思ひを常にするがなる
富士の山こそわがみなりけれ
◎同集に
君と云へばみまれ見ずまれ富士のねの
めづらしげなく燃ゆるわが恋
◎同集に
富士のねのならぬ思ひにもえばもえ
神だにけたぬむなし煙を[※古今集1028紀全子(きのぜんし)の歌「富士の嶺のならぬ思ひに燃えば燃え神だに消(け)たぬ空(むな)し煙を」]
◎能宣集に
草深みまだきつけたる蚊遣火と
見ゆるは不尽の烟なりけり
◎重之の集に
焼く人も有らじと思ふ富士の山
雪の中より烟こそたて
◎拾遺集に
千早ぶる神も思ひの有ればこそ
年経てふじの山も燃ゆらめ
◎大和物語に
ふじのねの絶えぬ思ひも有る物を
くゆるはつらき心なりけり
◎
誰が於に靡き果ててか富士の根の
煙の末の見えず成るらむ
◎
朽果てし名柄の橋を造らばや
富士の煙の立たずなりなば
◎十六夜日記に
立別れ富士の煙を見ても尚
心ぼそさのいかにそひけむ
◎其返し
かりそめに立ち別れても子を思ふ
おもひを富士の烟とぞ見し
◎
問きつる富士の煙は空に消えて
雲になごりの面蔭ぞ立つ
◎西行の歌
風に靡く富士の煙の空に消えて
行く方も知らぬ我が心かな
◎源頼朝卿の歌
道すがら富士の煙もわかざりき
晴るるまもなき空のけしきに
◎
時知らぬ富士の煙も秋の夜の
月の為にや立たずなりけむ
◎
北になし南になして今日いくか
富士の麓を巡りきぬらむ
◎
みせばやな語らば更に言のはも
及ばぬふじの高ね成りけり
◎
富士のねの烟の末は絶えにしを
ふりける雪や消えせざるらむ
◎
きさらぎや今宵の月の影ながら
富士も霞に雲隠れして
◎尋常小学国語読本にも
ふじの山
あたまを雲の上に出し
四方の山を見おろして
かみなりさまを下にきく
ふじは日本一の山
青空高くそびえたち
からだに雪の着物着て
霞のすそを遠くひく
ふじは日本一の山
以上の如く我富士山は古来各種の歌人に依つて其崇高雄大にして、日本国土に冠絶し、日本一の名高山と称され、天神地祇八百万の神の集り玉ふ聖場となり、特に木花咲耶姫命の御神霊と崇敬されて居る。三国一の富士の山と称へ、日本、唐土、天竺の三ケ国に於ける第一位の名山となつて居た。併し乍ら其富士山と云ふは、十数万年以前の富士山とは其高さに於て、又広さに於ても、非常な相違がある。現在の富士山は皇典に所謂高千穂の峰が僅に残つてゐるのである。昔天教山と云ひ、又天橋山と云つた頃は、西は現代の滋賀県、福井県に長く其裾を垂れ、北は富山県、新潟県、東は栃木、茨城、千葉、南は神奈川、静岡、愛知、三重の諸県より、ズツと南方百四五十里も裾野が曳いて居た。大地震の為に南方は陥落し、今や太平洋の一部となつて居る。
此地点を高天原と称され、其土地に住める神人を、高天原人種又は天孫民族と称へられた。現在の富士山は古来の富士地帯の八合目以上が残つて居るのである。周囲殆ど一千三百里の富士地帯は青木ケ原と総称し、世界最大の高地であつて、五風十雨の順序よく、五穀豊穣し、果実稔り、真に世界の楽土と称へられて居た。其為め、生存競争の弊害もなく、神の選民として天与の恩恵を楽みつつあつたのである。
近江の琵琶湖は富士地帯の陥落せし時、其亀裂より生じたものである。そして古代の富士山地帯は殆ど三合目四辺に現代の富士の頂上の如き高さを保ち雲が取巻いて居た。故に天孫民族は四合目以上の地帯に安住して居た。外の国々より見れば、殆ど雲を隔てて其上に住居して居たのである。皇孫瓊々杵命が天の八重雲を伊都の千別に千別て葦原の中津国に天降り玉ひきといふ古言は、即ち此世界最高の富士地帯より、低地の国々へ降つて来られた事を云ふのである。決して太陽の世界とか、金星の世界から御降りになつたのでない事は勿論である。
顕国の御玉延長して金銀銅の救の橋の架けられし時も、最高の金橋は富士山上に高さを等しうしてゐた。又ヒマラヤ山は今日では世界最高の山と謂はれてゐるが、其時代は地教山と言ひ又銀橋山とも云つて、古代の富士の高さに比ぶれば、二分の一にも及ばなかつたのである。現代の富士山は一万三千尺なれ共、古代の富士は六万尺も高さがあつたのである。仏者の所謂須弥仙山も此天教山を指したものである。
現代の清水湾及遠州灘の一部の如きは、富士山の八合目に広く展開せる大湖水であつて、筑紫の湖と称へられてゐた。又同じ富士山地帯の信州諏訪の湖は須佐の湖と云つたのである。筑紫の湖には金竜数多棲息して、大神に仕へ、風雨雷電を守護してゐた。又玉の湖には白竜数多棲息して、葦原の瑞穂国(全世界)の気候を順調ならしむべく守護してゐたのである。そして素盞嗚尊の神霊がこれを保護し玉ひ、富士地帯の二合目あたりに位地を占めてゐた。太古の大地震に依つて、此地帯は中心点程多く陥没し、周囲は比較的陥没の度が少かつた。其為現代の如く、高千穂の峰たる現富士を除く外、海抜の程度が殆ど平均を保つ事になつたのである。現代の山城、丹波などは、どちらかと云へば地球の傾斜の影響に依つて少しく上つた位である。
丹波は元田場と書き、天照大御神が青人草の食いて活くべき稲種を作り玉うた所である。故に五穀を守ると云ふ豊受姫神は、丹波国丹波郡丹波村比沼の真名井に鎮座ましまし、雄略天皇の御代に至りて、伊勢国山田に御遷宮になつたのである。御即位式の時、由紀田、主基田をお選みになるのも、現今の琵琶湖以西が五穀を作られた神代の因縁に基くからである。由紀といふ言霊は安国の霊反しであり、主基といふ言霊は知ろし召す国の霊反しである。之を見ても丹波の国には神代より深き因縁のある事が分るのである。
又小亜細亜のアーメニヤ及びコーカス山、エルサレム、メソポタミヤ及びペルシヤ、印度の一部は、富士地帯の如く高く雲上に突出してゐた。印度の如きも天竺と称へられて、其地方での最高地点であつたが、富士山の陥没と同時に、此地も亦今の如く陥落したのである。アーメニヤといふ事は天の意味又は高天原の意味である。エルサレムといふ神代の意義はウズの都、天国楽土の意味がある。茲に国祖国治立尊は始めて出現され、大八洲彦命の敵軍に囲まれ玉ひし時、国治立尊が蓮華台上より神力を発揮して、悪魔の拠れる天保山を陥落せしむると同時に天教山を現出せしめ玉うたことは、霊界物語第一巻に述ぶる通りである。又エルサレムは現今のエルサレムではない。アーメニヤの南方に当るヱルセルムであつた。そしてヨルダン河も、現今のヨルダン河とは違つてゐることは勿論である。死海の位置もメソポタミヤの東西を挟んで流れ落つる現今の波斯湾がそれであつた。
又現今の地中海は此物語に於て、古代の名を用ゐ、瀬戸の海と称へられてゐる。此瀬戸の海はアーメニヤの附近迄展開してゐた。併し乍らこれも震災の為に瀬戸の海の東部は陸地となつて了つたのである。故に此物語は地球最初の地理に依つて口述するものであるから、今日の地理学の上から見れば、非常に位置又は名義が変つてゐることを予め承知して読んで貰ひたいのである。
『舎身活躍』の最初に当りて、此富士山(太古の天教山)を述べたのは瑞月が入道の最初、富士の天使松岡神に霊魂を導かれ、此太古の状況を見せて貰ひ、其肉体は高熊山の岩窟に守られて居つた因縁に依つて、物語の始めに、富士山の大略を口述するのが順序だと思ふからである。
『舎身活躍』は瑞月が明治卅一年の五月、再び高熊山に神勅を奉じて二週間の修業を試み、霊眼に映じさせて頂きし事や、過、現、未の現幽神の三界を探険して、神々の御活動を目撃したる大略を口述する考へである。
あゝ惟神霊幸倍坐世。
(大正一一・一〇・八旧八・一八松村真澄録)
No.: 2176