第八章羽衣の松〔三〇八〕
日の出神を乗せたる大船は、熊野の浦を漕ぎ出で、折から吹き来る順風に真帆を揚げ乍ら、東に向つて進ませたまへり。
さしもに高き天教の九山八海の山は、白扇を逆様に懸けたる如く東海の波に、その影を映す長閑さ。夜を日についで進み来る浪路も遥かに遠江。忽ち浪は天上に向つて立ち上り、船は木の葉の如くに漂ふ危ふさ。一同の乗客は、叶はぬ時の神頼み、各自に手を拍ち大海原の神に向つて、厚き祈願を駿河湾。天教山は何時しか雲に包まれにけり。
この難風を避けむとて、向ふに三保の松原や、天の羽衣の老木の松を目標に、船は漸う岸に着きたり。一行の顔はあたかも死人のごとく色蒼白めて、立つ勇気さへも無くなりてゐたり。
日の出神は、真先に上陸し、続いて人々は生命からがら白砂青松のこの島に辿り着き、ほつと息を吐きけるが、風はますます烈しく、浪は猛り狂ひて羽衣の松は、ほとんど水に没せむとするの勢なりける。
この島に救ひ上げられたる日の出神をはじめ、数多の人々は島の小高き処に駈け登り、海の凪ぎ行くを待ちつつありし時しも微妙の音楽天上より聞えて、馨しき色々の花を降らせ宛然花莚を布き詰めたる如くなりける。
暫時ありて男女の二神は、雲に乗つてこの場に降り来り、日の出神に会釈しながら流暢なる声張り上げて、天女の舞の歌を舞ひ始めたりける。
『これや此の世界にほまれ駿河富士よしや此の世は愛鷹の
山より高く曲事の積れば積れ天教の
山に坐します木の花姫の神の命の御光に
世は照妙の薄衣天の羽衣纏ひつつ
瑞穂の国は千代八千代芽出度き国と舞ひ納め
治めて清き神の国村雲四方に塞ぐとも
赤き誠の心もて誠の道を麻柱つ
誠を通せ誠ある神の日の出の宣伝使
荒風猛り吼ゆるとも浪は険しく立つとても
わが日の本は神の国木の花姫の鎮る限り
世は永久に心安き神世を三保の松原や
松も千歳の色添ひて緑添ひなす三保津彦
三保津の姫は今ここに現はれ出でて汝が前途
清く守らむ沫那岐の神の命や沫那美の
神の命の守ります大海原も安らけく
常世の国に渡りませウラルの山に現はれし
魔神は今に常世国日の出ケ嶽を立出でて
再び御国を襲ひ来る今や経綸の最中なり
今や経綸の最中なり沫那岐彦や沫那美の
神の守りにすくすくと早や出でませよ宣伝使
早や出でませよ宣伝使』
と声も涼しく歌ひ、中空に舞ひながら天教山に向つて、その姿を隠したまひける。
この沫那岐、沫那美の二神は、いま現はれたる三保津彦、三保津姫の分霊なり。是より日の出神は、種々の苦しみに堪へ、遂に再び常世の国に渡りける。
(大正一一・一・三〇旧一・三外山豊二録)
No.: 1333