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1_上つ巻 |
第1帖
二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る は神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみか、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命といふぞ。神の臣民みな命になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。 |
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1_上つ巻 |
第2帖
親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮せる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。早く の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト 心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲の手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。 の国を八つに切って殺す悪の計画、 の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。六月の十日、書は、ひつくの神。てんめ御苦労ぞ。 |
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1_上つ巻 |
第3帖
善言は神、なにも上下、下ひっくり返ってゐるから、分らんから、神の心になれば何事も分るから、鏡を掃除して呉れよ。今にこのおつげが一二三ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りて呉れ、何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。六月十一日の朝のお告げ、みよみよみよひつくの神。 |
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1_上つ巻 |
第4帖
急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。お上に大神を祀りて政事をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃ふたよき世が神の世ぞ。卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて の国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、分らねば神にたづねて政事せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。神と人とが交流合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。六月十三の日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第5帖
富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士-二二-といふのぞ。見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。富士を開くとは心に神を満たすことぞ。ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ、ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。六月十四日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第6帖
外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ、九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。臣民は目のさきばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。この知らせをよく読みて呉れよ。十月まで待て。それまでは、このままで居れよ。六月十七日。ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第7帖
いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。御用する人は、何んなに苦しくても心は勇むぞ。この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、大き病を直すのぞ。神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。六月の十七日、一二のか三。 |
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1_上つ巻 |
第8帖
秋が立ちたち、この道ひらくかた出て来るから、それまでは神の仕組書かして置くから、よく読んで腹の中によく入れて置いて呉れよ。その時になりて、あわてて何も知らんといふ様ではならんぞ、それまでに何もかにも知らして置くから、縁ある方から、この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。六月の十七日、ひつくのか三。 |
| 9 |
1_上つ巻 |
第9帖
この世のやり方、わからなくなったら、この神示録をよまして呉れと云うて、この知らせを取り合ふから、その時になりて慌てん様にして呉れよ。日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお蔭を落さぬやう、シッカリと神の申すこと腹に入れて置いて呉れよ。六月の十七日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第10帖
神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる、掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。六月十九日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第11帖
いづくも土にかへると申してあろうが、東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。東京は元の土に一時はかへるぞ、その積りで用意して呉れよ。六月の十九日、一二のか三。 |
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1_上つ巻 |
第12帖
大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんやうに、上の人、気をつけて呉れよ。この道はちっとも心ゆるせんまことの神の道ぞ。油断すると神は代りの身魂使うぞ。六月の二十一日の朝、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第13帖
元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざ、この五十九の身魂は神が守ってゐるから、世の元の神かかりて大手柄をさすから、神の申すやう何事も、身魂みがいて呉れよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合はしてよき世の礎となるのざ。この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。何事も時節が来たぞ。六月の二十一日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第14帖
この神示よく読みて呉れよ、読めば読むほど何もかも分りて来るぞ、心とは神民の申す心でないぞ、身魂とは神民の申す身魂でないぞ、身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、神の神民身と魂のわけ隔てないぞ、身は魂、魂は身ぞ、外国は身ばかりの所あり魂ばかりの所あり、神は身魂の別ないぞ、この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ分るぞ、身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけて呉れ、神の申すことちがはんぞよ。六月の二十二日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第15帖
今度は末代動かぬ世にするのざから、今までの様な宗教や教への集団にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、六ヶ敷い道ぞ。縁ある人は早く集めて呉れよ、縁なき人いくら集めても何もならんぞ、縁ある人を見分けて呉れよ。顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなるところまでになるぞ、今のうちにこの神示よく読んでゐて呉れよ。九月になったら用意して呉れよ。六月の二十四日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第16帖
ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世に満つことぞ、ひらき睦び、中心に火集ひ、ひらく水。神の名二つ、カミと神世に出づ。早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄へ結び、成り展く秋来る。弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひ展き結ぶぞ。月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。早く道ひらき、月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。世はことごとに統一し、神世の礎極まる時代来る、神世の秘密と云ふ。六月二十四日、一二 文。 |
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1_上つ巻 |
第17帖
この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、お土からとれた物、みな先づ神に供へよ、それを頂いて身魂を養ふ様になってゐるのに、神には献げずに、臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ、何でも神に供へてから喰べると身魂ふとるぞ。今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。六月の二十五日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第18帖
岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、身魂みがき第一ぞ。この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分らん神の道ざから、よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、何でも分らんこと無いやうに、この神示で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡凹んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでゐて呉れよ。神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。六月二十六日、ひつくのかみ。 |
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1_上つ巻 |
第19帖
神の国 の山に 祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ、土にまつらふことぞ、人にまつらふことぞ、祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、祭るには先づ掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。六月二十七日、一二 。 |
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1_上つ巻 |
第20帖
神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者沢山あるが、神には人のいふ善も悪もないものぞ。よく心に考へて見よ、何もかも分りて来るぞ。表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが、一枚の紙にも裏表、ちと誤まれば分らんことになるぞ、神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。言挙げせぬ国とはその事ぞ、理屈は外国のやり方、神の臣民言挙げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ、それが神の真の民ぞ。足許から鳥が立つぞ、十理たちてあわてても何んにもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引繰り返るぞ。上の者下に、落ちぶれた民上になるぞ、岩戸開けるぞ、夜明け近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ、加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。六月二十七日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第21帖
世の元の大神の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。初めつらいなれど だんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ、外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のやうになるぞ、神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。まつりまつり結構。六月の二十八日、ひつ九のか三。 |
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1_上つ巻 |
第22帖
いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国へつく臣民沢山できるぞ。そんな臣民一人もいらぬ、早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。六月二十の八日、一二のか三。 |
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1_上つ巻 |
第23帖
神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、なくして仕まふから、その覚悟して居れよ。六月の二十八日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第24帖
七の日はものの成る日ぞ。「ア」と「ヤ」と「ワ」は本の御用ぞ、「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ。あとはだんだん分りて来るぞ。六月の二十八日は因縁の日ざ、一二のか三。 |
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1_上つ巻 |
第25帖
一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ。この神は世界中のみか天地のことを委されてゐる神の一柱ざから、小さいこと言ふのではないぞ、小さいことも何でもせなならんが、小さい事と臣民思うてゐると間違ひが起るから、臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけて呉れよ。北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。早う神心にかへりて呉れよ。この岩戸開くのは難儀の分らん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民のちからはお手柄さして、とことはに名の残る様になるぞ。元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、その積りで居れよ。欲張っていろいろ買溜めしてゐる人、気の毒が出来るぞ、神よく気をつけて置くぞ。この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の元の・の大神、くにの大神と共に、よく祀りて呉れよ。六月の三十日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第26帖
「あ」の身魂とは天地のまことの一つの掛替ない身魂ぞ、「や」とはその左の身魂、「わ」とは右の身魂ぞ、「や」には替へ身魂 あるぞ、「わ」には替へ身魂 あるぞ、「あ」も「や」も「わ」も も も一つのものぞ。みたま引いた神かかる臣民を集めるから急いで呉れるなよ、今に分かるから、それまで見てゐて呉れよ。「い」と「う」はその介添の身魂、その魂と組みて「え」と「を」、「ゑ」と「お」が生まれるぞ、いづれは分ることざから、それまで待ちて呉れよ。言ってやりたいなれど、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるから、身魂掃除すれば分かるから、早う身魂洗濯して呉れよ。神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ、神にまつらふとは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、神にまつはりつくとは、子が親にまつはることぞ、神に従ふことぞ、神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と、臣民耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。七月の一日、ひつくのかみの道ひらけあるぞ。 |
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1_上つ巻 |
第27帖
何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。元の仕組は富士-二二-ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測った様に行くぞ。天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたらたづねてござれ、我を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、三柱と七柱揃うたら山に行けよ。七月一日、ひつくのか三。 |
| 28 |
1_上つ巻 |
第28帖
世界中まるめて神の一つの詞-王-で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。神とアクとの力競べぞ。今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、よき方に廻してやるぞ。神の国を千切りにして膾にするアクの仕組は分りて居る、アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組心で取りて呉れよ、神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。七月一日、ひつ九のか三。 |
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1_上つ巻 |
第29帖
この世が元の神の世になると云ふことは、何んなかみにも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ、かみにも分らんこと人にはなほ分らんのに、自分が何でもする様に思ふてゐるが、サッパリ取り違ひぞ。やって見よれ、あちへ外れこちへ外れ、いよいよ何うもならんことになるぞ、最後のことは この神でないと分らんぞ。いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。七月一日、ひつくのか三。 |
| 30 |
1_上つ巻 |
第30帖
富士を開いたらまだ開くところあるのざ、鳴戸へ行くことあるのざからこのこと役員だけ心得て置いて呉れよ。七月一の日、ひつくのか三 |
| 31 |
1_上つ巻 |
第31帖
今度の御用は結構な御用ぞ、いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。今に御用させて呉れと金持って来るが、一一神に聞いて始末せよ。汚れた金御用にならんから、一厘も受取ることならんぞ。汚れた金邪魔になるから、まことのもの集めるから、何も心配するなよ。心配気の毒ぞよ。何も神がするから慾出すなよ、あと暫くぞよ、日々に分かりて来るから、素直な臣民うれしうれしで暮さすから。 |
| 32 |
1_上つ巻 |
第32帖
世の元からヒツグとミツグとあるぞ、ヒツグは の系統ぞ、ミツグは の系統ぞ。ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。 と と結びて一二三となるのざから、外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあらうがな。一二三唱へて岩戸あくぞ。神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違はん様にして呉れよ。ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱へて呉れよ、一二三唱へると岩戸あくぞ。七月の二の日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第33帖
神の用意は済んでゐるのざから、民の用意早うして呉れよ、用意して早う祀りて呉れよ。富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだん分りて来るぞ。神の名のついた石があるぞ、その石、役員に分けてそれぞれに守護の神つけるぞ、神の石はお山にあるから、お山開いて呉れよ。ひつぐの民、みつぐの民、早う用意して呉れよ、神急けるぞ。七月二日、ひつくのか三。 |
| 34 |
1_上つ巻 |
第34帖
何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん多陀用幣流天地の修理固成の終りの四あけであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ、神々さま、臣民みなきいて呉れよ。一二三の御用出来たら三四五の御用にかからなならんから、早う一二三の御用して呉れよ。何も心配ないから神の仕事をして呉れよ、神の仕事して居れば、どこにゐても、いざといふ時には、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。一日に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。七月の三日、ひつくのか三。 |
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1_上つ巻 |
第35帖
死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。神のまにまに神の御用して呉れよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ。まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ、神の国千切りと申してあるが、喩へではないぞ、いよいよとなりたら神が神力出して上下引っくり返して神代に致すぞ、とはの神代に致すぞ。細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らん様では神国の民とは云はれんぞ。外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも分る身魂授けてあるぞ、それで身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。何も心配いらんから、お山開いて呉れよ、江戸が火となるぞ、神急けるぞ。七月の七日、ひつくのか三。 |
| 36 |
1_上つ巻 |
第36帖
元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生の物食うて暮らさなならんし、臣民取り違ひばかりしてゐるぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、われの慾ばかり言ってゐると大変が出来るぞ。七月の九日、ひつくのか三。 |
| 37 |
1_上つ巻 |
第37帖
人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来るから、今から知らして置くから気をつけて呉れよ。お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ。早くせねば間に合わんことぞ、ひつくのか三。 |
| 38 |
1_上つ巻 |
第38帖
残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。神にシッカリと縋りて居らんと何も分らんことになるから、早く神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。神にも善い神と悪い神とあるぞ、雨の日は雨、風の日は風といふこと分らんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。いやならいやで他に代りの身魂があるから神は頼まんぞ、いやならやめて呉れよ。無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違ひないのぞ、よく知らせを読んで下されよ。ひつくのか三。 |
| 39 |
1_上つ巻 |
第39帖
地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。カミカカリが沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理をひらいて呉れよ。神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。ひつくのか三。 |
| 40 |
1_上つ巻 |
第40帖
北も南も東も西もみな敵ぞ、敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。きんの国へみなが攻めて来るぞ。神の力をいよいよ現はして、どこまで強いか、神の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ。一二のか三。 |
| 41 |
1_上つ巻 |
第41帖
人の知らん行かれん所で何してゐるのぞ。神にはよう分って居るから、いよいよといふ時が来たら助けやうもないから、気をつけてあるのにまだ目さめぬか。闇のあとが夜明けばかりと限らんぞ。闇がつづくかも知れんぞ。何もかも捨てる神民、さひはひぞ、捨てるとつかめるぞ。ひつくのか三。 |
| 42 |
1_上つ巻 |
第42帖
初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いて呉れよ。お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、一月の間に書いて呉れた神示は上つ巻として後の世に残して呉れよ、これから一月の間に書かす神示は次の世の、神の世の仕組の神示ざから、それは下つ巻として後の世に残さすぞ、その積りで気をつけて呉れよ。御苦労なれども世界の臣民の為ざから、何事も神の申すこと、すなをに聞いて下されよ。七月の九日、ひつくのか三かく。 |
| 43 |
2_下つ巻 |
第1帖
富士は晴れたり日本晴れ。青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水あるそれ鳥居ぞ。皆の者御苦労ぞ。蛇が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、人の登らぬ様にして、竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ、神急けるぞ、山晴れ、地晴れ、海晴れて、始めて天晴れるぞ。天晴れて神の働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心になりて居りて下されよ。つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神がみちみつることぞ。金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。七月の十二日の神示、ひつくのか三。 |
| 44 |
2_下つ巻 |
第2帖
今度岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いて呉れよ。慾が出ると分らんことに、盲になるから、神、気つけるぞ、神の御用と申して自分の仕事休むやうな心では神の御用にならんぞ、どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。神は見通しざから、つぎつぎによき様にしてやるから、慾出さず、素直に今の仕事致して居りて呉れよ、その上で神の御用して呉れよ。役員と申しても、それで食ふたり飲んだり暮らしてはならん、それぞれに臣民としての役目あるぞ、役員づらしたら、その日から代りの身魂出すぞ、鼻ポキンと折れるぞ、神で食うて行くことならんから、呉れ呉れも気をつけて置くぞ。七月の十三日、ひつ九のか三。みなの者御苦労であったぞ。 |
| 45 |
2_下つ巻 |
第3帖
この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神の見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだ分らんか、何もかも神がさしてあるのぞ。心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開きまことに結構であるぞ、神が烈しくなると、神の話より出来んことになるぞ、神の話結構ぞ。七月の十三日、ひつ九のかみ。 |
| 46 |
2_下つ巻 |
第4帖
早く皆のものに知らして呉れよ、神急けるぞ。お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気が附かんか、それを見ても神が使ってさして居ること、よく分かるであろうが、それで素直に神の申すこと聞いて呉れて我を出すなと申してゐるのぞ、何事も神にまかせて取越し苦労するなよ、我が無くてもならず、我があってもならず、今度の御用なかなか六ヶ敷いぞ。五十九の石の宮出来たから五十九のイシ身魂いよいよ神が引き寄せるから、しっかりして居りて下されよ。今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ。教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。この仕組知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。七月の十三日、ひつくのか三。 |
| 47 |
2_下つ巻 |
第5帖
江戸に神と人との集まる宮建てよ、建てると申しても家は型でよいぞ、仮のものざから人の住んでゐる家でよいぞ。 の石まつりて、神人祭りて呉れよ。それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。淋しくなった人は集まりて その神示見てよ、神示見れば誰でも甦るぞ。この神示うつす役要るぞ、この神示印刷してはならんぞ。神の民の言葉は神たたえるものと思へ、てんし様たたえるものと思へ、人ほめるものと思へ、それで言霊幸はふぞ、それが臣民の言葉ぞ。わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな。七月の十五日、ひつくのかみのふで。 |
| 48 |
2_下つ巻 |
第6帖
今までの神示縁ある臣民に早う示して呉れよ、神々さま臣民まつろひて言答開くもと出来るから、早う知らせて呉れよ、誰でも見て読める様に写して神前に置いて、誰でも読めるやうにして置いて呉れよ、役員よく考へて、見せるとき間違へぬ様にして呉れよ、七月の十五日、ひつくのか三神示。 |
| 49 |
2_下つ巻 |
第7帖
この神示読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引張って呉れるなよ。この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。一二三祝詞するときは、神の息に合はして宣れよ、神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまひだけ節長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方申すぞ。七月十五日、一二 。 |
| 50 |
2_下つ巻 |
第8帖
この神示皆に読みきかして呉れよ。一人も臣民居らぬ時でも声出して読んで呉れよ、まごころの声で読んで呉れよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々さまにも聞かすのざから、その積りで力ある誠の声で読んで呉れよ。七月の十七日、ひつ九のか三。 |
| 51 |
2_下つ巻 |
第9帖
今度の戦は と との大戦ぞ。神様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐるのざから、下の神々様にも分らんぞ。何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、大神のみことによりてこの方らが神徳出して、九分九厘という所で、神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。 と とは心の中に があるか がないかの違ひであるぞ。この方は三四五の神とも現われるぞ。江戸の御社は誰でも気楽に来て拝める様にして置いて呉れよ、この方の神示書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。七月の十七日、一二のか三。 |
| 52 |
2_下つ巻 |
第10帖
八月の十日には江戸に祭りて呉れよ。アイウは縦ぞ、アヤワは横ぞ、縦横揃うて十となるぞ、十は火と水ぞ、縦横結びて力出るぞ。何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用すすめて呉れよ。臣民は静かに、神は烈しきときの世近づいたぞ。七月の十七日、一二 。 |
| 53 |
2_下つ巻 |
第11帖
けものさへ神のみ旨に息せるを神を罵る民のさわなる。草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りて呉れよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、ひつくのか三。 |
| 54 |
2_下つ巻 |
第12帖
この神は日本人のみの神でないぞ。自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、臣民といふものは慾が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。早う気づかんと気の毒出来るぞ。初めの役員十柱集めるぞ。早うこの神示写して置いて呉れよ、神急けるぞ。七月の十八日、ひつ九の 。 |
| 55 |
2_下つ巻 |
第13帖
逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。三の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。人の姿見て役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行ひと神の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、この道理分りたか。この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、うれしかろうがな、足は足の役、うれしかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、逆立して手が足の代りしてゐたからよく分りたであろうがな。いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめて呉れよ。七月の十八日の夜、ひつくのか三。 |
| 56 |
2_下つ巻 |
第14帖
臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三の仕組とは、永遠に動かぬ道のことぞ、三四五の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。七月の二十日、ひつ九のか三。 |
| 57 |
2_下つ巻 |
第15帖
この方祀りて神示書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊するから、ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、この神には鳥居と注連は要らんぞ。追ひ追ひ分かりて来るぞ、一二七七七七七わすれてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな、黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ、神の国近づいたぞ。七月の二十一日、ひつ九のか三。 |
| 58 |
2_下つ巻 |
第16帖
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。 |
| 59 |
2_下つ巻 |
第17帖
学や知恵では外国にかなうまいがな、神たよれば神の力出るぞ、善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。今の臣民口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。因縁のある身魂はこの神示見れば心勇んで来るぞ。一人で七人づつ道伝へて呉れよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。この神示通り伝へて呉れればよいのぞ、自分ごころで説くと間違ふぞ。神示通りに知らして呉れよ。我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。七月の二十一日、一二の 。 |
| 60 |
2_下つ巻 |
第18帖
この道は神の道であり人の道であるぞ。この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、たれかれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。神の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。神に心向ければ、いくらでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。 |
| 61 |
2_下つ巻 |
第19帖
苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、さうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、くどう気附けてゐることまだ分らんか。七月の二十三日、一二のか三。 |
| 62 |
2_下つ巻 |
第20帖
上、中、下の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民近慾なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。七月の二十三日、ひつ九の 。 |
| 63 |
2_下つ巻 |
第21帖
ばかりでもならぬ、 ばかりでもならぬ。 がまことの神の元の国の姿ぞ。元の神の国の臣民は でありたが、 が神国に残り が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。 もかたわ もかたわ、 と と合はせてまことの の世に致すぞ。今の戦は と との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは に 入れることぞ。 も五ぞ も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。一厘の仕組とは に神の国の を入れることぞ、よく心にたたみておいて呉れよ。神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。五十と九柱のミタマの神々様お待ちかねであるから、早ようまゐりて呉れよ。今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。七月の二十四日、一二のか三。 |
| 64 |
2_下つ巻 |
第22帖
岩戸開く仕組知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりて呉れと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。二三三二二、  、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。一二 、七月の二十八日。 |
| 65 |
2_下つ巻 |
第23帖
世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神々様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除しててんし様に奉らなならん御役ぞ。江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民我を去りて呉れよ。この方祀るのは天のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。七月の三十日、ひつ九のか三。 |
| 66 |
2_下つ巻 |
第24帖
一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるときいよいよ近づいたぞ。秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。七月の三十日、ひつくのか三。 |
| 67 |
2_下つ巻 |
第25帖
今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は気もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。 |
| 68 |
2_下つ巻 |
第26帖
神の国を真中にして世界分けると申してあるが、神祀るのと同じやり方ぞ。天のひつくの家とは天のひつくの臣民の家ぞ。天のひつくと申すのは天の益人のことぞ、江戸の富士と申すのは、ひつくの家の中に富士の形作りて、その上に宮作りてもよいのぞ、仮でよいのぞ。こんなに別辞てはこの後は申さんぞ。小さい事はサニワで家来の神々様から知らすのであるから、その事忘れるなよ。仏も耶蘇も、世界中まるめるのぞ。喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、この事忘れるなよ。七月の三十一日、一二 。 |
| 69 |
2_下つ巻 |
第27帖
この方は祓戸の神とも現はれるぞ。この方祀るのは富士に三と所、 海に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。富士は、榛名に祀りて呉れて御苦労でありたが、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、 海の仕組も急ぐなれどカイの仕組早うさせるぞ。江戸にも三と所、天明の住んでゐるところ奥山ぞ。あめのひつくの家、中山ぞ、此処が一の宮ざから気つけて置くぞ。この方祀るのは、真中に神の石鎮め、そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、それがあとやとわぞ、そのあとに三つ七五三とひもろ木立てさすぞ。少しはなれて四隅にイウエオの言霊石置いて呉れよ。鳥居も注連もいらぬと申してあろがな、このことぞ。この方祀るのも、役員の仕事も、この世の組立も、みな七七七七と申してきかしてあるのには気がまだつかんのか、臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、天のひつくの家には、どこでも前に言ふ様にして祀りて呉れよ。江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りて呉れよ、中山九日、一の宮には十日に祀りて呉れよ。気つけてあるのに神の神示よまぬから分らんのぞ、このこと、よく読めば分るぞ。今の様なことでは神の御用つとまらんぞ、正直だけでは神の御用つとまらんぞ。裏と表とあると申して気つけてあろがな、シッカリ神示読んで、スキリと腹に入れて呉れよ、よむたび毎に神が気つける様に声出してよめば、よむだけお蔭あるのぞ。七月の三十一日、一二 。 |
| 70 |
2_下つ巻 |
第28帖
またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの身体持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとは の七ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。八月二日、ひつ九のか三。 |
| 71 |
2_下つ巻 |
第29帖
神の土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに国々、ところどころから出るのぞ。白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば喰べられるお土もあるぞ、神に供へてから頂くのぞ、何事も神からぞ。八月二日、一二 。 |
| 72 |
2_下つ巻 |
第30帖
八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。八月二日、ひつくのかみ。 |
| 73 |
2_下つ巻 |
第31帖
この神に供へられたものは、何によらん私することならんぞ、まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士-二二-晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。このやうな仕組でこの道ひろめて呉れよ、それが政治ぞ、経済ぞ、真通理ぞ、分りたか。八月の三日、ひつ九のか三。 |
| 74 |
2_下つ巻 |
第32帖
この道ひろめて金儲けしようとする臣民沢山に出て来るから、役員気つけて呉れよ、役員の中にも出て来るぞ、金は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国にささげても金は自分のものと頑張ってゐる臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。八月三日、一二 。 |
| 75 |
2_下つ巻 |
第33帖
親となり子となり夫婦となり、兄弟となりて、生きかわり死にかわりして御用に使ってゐるのぞ、臣民同士、世界の民、みな同胞と申すのは喩へでないぞ、血がつながりてゐるまことの同胞ぞ、はらから喧嘩も時によりけりぞ、あまり分らぬと神も堪忍袋の緒切れるぞ、何んな事あるか知れんぞ、この道の信者は神が引き寄せると申せば役員ふところ手で居るが、そんなことでこの道開けると思ふか。一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすぞ、一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、うらおもて、よく気つけよ、因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろがな、役員は神のぢきぢきの使ひぞ、神柱ぞ。肉体男なら魂は女ぞ、この道十りに来る悪魔あるから気つけ置くぞ。八月の三日、ひつ九のか三。 |
| 76 |
2_下つ巻 |
第34帖
臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上までの正味のところはそれからぞ。一、二、三年が正念場ぞ。三四五の仕組と申してあろがな。八月の三日、ひつくのか三。 |
| 77 |
2_下つ巻 |
第35帖
何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、金では世は治まらんと申してあるのにまだ金追うてゐる見苦しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は の光のやり方ぞ。臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になるぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のやうな臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、この位不忠なことないぞ、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、一時も早く忠義の臣民となりて呉れよ。八月の三日、ひつ九の 。 |
| 78 |
2_下つ巻 |
第36帖
神をそちのけにしたら、何も出来上がらんやうになりたぞ。国盗りに来てグレンと引繰り返りて居らうがな、それでも気づかんか。一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。この道つらいやうなれど貫きて呉れよ、だんだんとよくなりて、こんな結構なお道かと申すやうにしてあるのざから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出して呉れよ。戦位何でもなく終るぞ。今のやり方ではとことんに落ちて仕まうぞ、神くどう気つけて置くぞ。国々の神さま、臣民さま改心第一ぞ。八月三日、ひつ九のか三。 |
| 79 |
2_下つ巻 |
第37帖
世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のゐる場所塞いで居りてお蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、民草とは一人をまもる入れものぞ、ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。八月三日、ひつ九のか三。 |
| 80 |
2_下つ巻 |
第38帖
富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終りざから、これまでに示したこと、よく腹に入れて呉れよ。神が真中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、役員はみな神柱ぞ。国々、ところどころから訪ねて来るぞ、その神柱にはみつげの道知らしてやりて呉れよ、日本の臣民みな取次ぎぞ、役員ぞ。この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役、神の臣民は世界一つに丸めててんし様に献げる御役ぞ。この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。神祀りて呉れたらいよいよ仕組知らせる神示書かすぞ、これからが正念場ざから、ふんどし締めてかかりて呉れよ。秋立ちたら神烈しくなるぞ、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五となるぞ。八月の三日、ひつくのか三。 |
| 81 |
3_富士の巻 |
第1帖
道はいくらもあるなれど、どの道通っても、よいと申すのは、悪のやり方ぞ、元の道は一つぞ、初めから元の世の道、変らぬ道があれば、よいと申してゐるが、どんなことしても我さへたてばよいように申してゐるが、それが悪の深き腹の一厘ぞ。元の道は初めの道、神のなれる道、神のなかの なる初め、 は光の真中 は四の道、此の事、気のつく臣民ないなれど。一が二わかる奥の道、身魂掃除すれば此のことわかるのざ、身魂磨き第一ぞ。八月十日、 の一二 |
| 82 |
3_富士の巻 |
第2帖
か一の八マに立ちて、一れ二りて祓ひて呉れよ、ひつくの神に仕へている臣民、代る代るこの御役つとめて呉れよ。今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。この神示腹の中に入れて置いてくれと申すに、言ふ事きく臣民少ないが、今に後悔するのが、よく分りてゐるから神はくどう気つけて置くのぞ、読めば読むほど神徳あるぞ、どんな事でも分かる様にしてあるぞ、言ふこときかねば一度は種だけにして、根も葉も枯らして仕まうて、この世の大掃除せねばならんから、種のある内に気つけて居れど、気つかねば気の毒出来るぞ。今度の祭典御苦労でありたぞ、神界では神々様大変の御喜びぞ、雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ。此の大掃除一応やんだと安緒する。この時、富士-二二-鳴門がひっくり返るぞ、早やう改心して呉れよ。八月の十一日、 のひつくの 。 |
| 83 |
3_富士の巻 |
第3帖
メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。神界ではその戦の最中ぞ。学と神力との戦と申しておろがな、どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、一寸先も見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うてゐるのか、畜生にも劣りてゐるぞ。まだまだわるくなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民沢山あるぞ。玉とは御魂ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種の神宝と申すぞ。今は玉がなくなってゐるのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うてゐるが、肝腎の真中ないぞ、それでちりちりばらばらぞ。アとヤとワの詞-四-の元要るぞと申してあろがな、この道理分らんか、剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。上下ないぞ、上下に引繰り返すぞ、もう神待たれんところまで来てゐるぞ、身魂みがけたら、何んな所で何んなことしてゐても心配ないぞ、神界の都にはあくが攻めて来てゐるのざぞ。八月の十二日、 のひつくの 。 |
| 84 |
3_富士の巻 |
第4帖
一二三の仕組が済みたら三四五の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。今度お役きまりたらそのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示よみておいて呉れよ。八月十三日、 のひつくのか三。 |
| 85 |
3_富士の巻 |
第5帖
喰うものがないと申して臣民不足申してゐるが、まだまだ少なくなりて、一時は喰う物も飲む物もなくなるのぞ、何事も行であるから喜んで行して下されよ。滝に打たれ、蕎麦粉喰うて行者は行してゐるが、断食する行者もゐるが、今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから、厳しいのぞ、この行出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、この行出来ねば灰にするより他ないのぞ、今度の御用に使ふ臣民はげしき行さして神うつるのぞ。今の神の力は何も出ては居らぬのぞ。この世のことは神と臣民と一つになりて出来ると申してあろがな、早く身魂みがいて下されよ。外国は 神の国は と申してあるが、 は神ざ、 は臣民ぞ、 ばかりでも何も出来ぬ、 ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、それで神かかれるやうに早う大洗濯して呉れと申してゐるのぞ、神急けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体沢山要るのぞ。今度の行は を綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これで神国の民と申して威張ってゐるが、足許からビックリ箱があいて、四ツん這ひになっても助からぬことになるぞ、穴掘りて逃げても、土もぐってゐても灰になる身魂は灰ぞ、どこにゐても助ける臣民行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、この道理よく腹に入れて呉れよ、この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、何といふ有難い事かと心がいつも春になるぞ。八月の十四日の朝、 のひつ九の 。 |
| 86 |
3_富士の巻 |
第6帖
今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでゐるが、今しばらくの辛抱ぞ、悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるからよほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから気をつけて呉れよ。神の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世は戦済んでゐるぞ、三四五から五六七の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いて呉れよ、いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りて呉れよ、臣民口でたべる物ばかりで生きてゐるのではないぞ。八月の十五日、ひつく と のひつ九のか三しるさすぞ。 |
| 87 |
3_富士の巻 |
第7帖
悪の世であるから、悪の臣民世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、草木はそれぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊に神の国の臣民みな、まことの光あらはしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。結構な血筋に生まれてゐながら、今の姿は何事ぞ、神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。八月十六日、 のひつくのか三。 |
| 88 |
3_富士の巻 |
第8帖
山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつり合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、足らぬのでないぞ、足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるではないか、上の役人どの、まづ神祀れ、神祀りて神心となりて神の政治せよ、戦など何でもなく鳧がつくぞ。八月十七日、 の一二のか三。 |
| 89 |
3_富士の巻 |
第9帖
神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、 の一二 。 |
| 90 |
3_富士の巻 |
第10帖
いよいよ戦烈しくなりて喰ふものもなく何もなくなり、住むとこもなくなりたら行く所なくなるぞ。神の国から除かれた臣民と神の臣民と何ちらがえらいか、その時になりたらハッキリするぞ、その時になりて何うしたらよいかと申すことは神の臣民なら誰でも神が教えて手引張ってやるから、今から心配せずに神の御用なされよ、神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。何んな所にゐても、神がスッカリと助けてやるから、神の申すやうにして、今は戦して居りて呉れよ。てんし様御心配なさらぬ様にするのが臣民のつとめぞ。神の臣民九十に気をつけよ、江戸に攻め来たぞ。八月の十九日、 のひつ九の 。 |
| 91 |
3_富士の巻 |
第11帖
神土は白は、「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、黒は「く」のつく山々里々から出て来るぞ、よく探して見よ、三尺下の土なればよいぞ、いくらでも要るだけは出てくるぞ。八月二十日、 のひつ九のか三。 |
| 92 |
3_富士の巻 |
第12帖
御土は神の肉体ぞ。臣民の肉体もお土から出来てゐるのぞ、この事分りたら、お土の尊いことよく分るであろがな。これからいよいよ厳しくなるぞ、よく世の中の動き見れば分るであろが、汚れた臣民あがれぬ神の国に上がってゐるではないか。いよいよとなりたら神が臣民にうつりて手柄さすなれど、今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。早う神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になりて神の入れものになりて呉れよ。一人改心すれば千人助かるのぞ、今度は千人力与えるぞ、何もかも悪の仕組は分りているぞ、いくらでも攻めて来てござれ、神には世の本からの神の仕組してあるぞ、学や知恵でまだ神にかなふと思ふてか、神にはかなはんぞ。八月の二十一日、 のひつ九のか三。 |
| 93 |
3_富士の巻 |
第13帖
何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でも神のものぞ、野から生れたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供へてから臣民いただけと申してあるわけも、それで分るであろうがな。この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すがよく察して見よ、必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民何も分らんから、あわててゐるが、この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んで呉れよ。よめばよむほど身魂みがかれるぞ、と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。臣民と申すものは馬鹿正直ざから、神示よめと申せば、神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、裏も表もあるのぞ。役員よく知らしてやれよ。八月二十二日、 のひつ九のか三のお告。 |
| 94 |
3_富士の巻 |
第14帖
臣民にわかる様にいふなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときは神にお返ししてゐるのざと思へ、それでよく分かるであろうが。身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ。八月二十三日、 の一二のか三。 |
| 95 |
3_富士の巻 |
第15帖
あらしの中の 捨小船ぞ、どこへ行やら行かすやら、船頭さんにも 分かるまい、メリカ、キリスは 花道で、味方と思うた 国々も、一つになりて 攻めて来る、梶も櫂さへ 折れた舟、何うすることも なくなくに、苦しい時の 神頼み、それでは神も 手が出せぬ、腐りたものは 腐らして肥料になりと 思へども、肥料にさへも ならぬもの、沢山出来て 居らうがな、北から攻めて 来るときが、この世の終り 始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ 出て来たら、この世の終りと 思へかし、この世の終りは 神国の始めと思へ 臣民よ、神々様にも 知らすぞよ、神はいつでも かかれるぞ、人の用意を いそぐぞよ。八月二十四日、 の一二か三。 |
| 96 |
3_富士の巻 |
第16帖
一二三は神食。三四五は人食、五六七は動物食、七八九は草食ぞ、九十は元に、一二三の次の食、神国弥栄ぞよ。人、三四五食に病ないぞ。八月二十四日、 一二 ふみ。
|
| 97 |
3_富士の巻 |
第17帖
九十が大切ぞと知らしてあろがな、戦ばかりでないぞ、何もかも臣民では見当とれんことになりて来るから、上の臣民九十に気つけて呉れよ、お上に神祀りて呉れよ、神にまつらうて呉れよ、神くどう申して置くぞ、早う祀らねば間に合はんのざぞ、神の国の山々には皆神祀れ、川々にみな神まつれ、野にもまつれ、臣民の家々にも落つる隈なく神まつれ、まつりまつりて弥勒の世となるのぞ。臣民の身も神の宮となりて神まつれ、祭祀の仕方知らしてあろう、神は急けるぞ。八月二十五日、 のひつ九 。 |
| 98 |
3_富士の巻 |
第18帖
神々様みなお揃ひなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合はしなされて、今度の仕組の御役きまりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。辛酉はよき日と知らしてあろがな。これから一日々々烈しくなるぞ、臣民心得て置いて呉れよ、物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食ひ物、足りるやうに作らしてあるに、足らぬと申してゐるが、足らぬことないぞ、足らぬのは、やり方わるいのざぞ、食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。それぞれの神様にまつはればそれぞれの事、何もかなふのぞ、神にまつはらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、底知れてゐるのでないか。戦には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の神様御怒りなされてゐるから早やう心入れかへてよ、この神様お怒りになれば、臣民 日干しになるぞ。八月の辛酉の日、ひつくのか三さとすぞ。 |
| 99 |
3_富士の巻 |
第19帖
神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。八月の二十六日、 のひつくのかみ。 |
| 100 |
3_富士の巻 |
第20帖
今のうちに草木の根や葉を日に干して貯へておけよ、保持の神様お怒りざから、九十四は五分位しか食べ物とれんから、その積りで用意して置いて呉れよ。神は気もない時から知らして置くから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。臣民と云ふものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合はんから、くどう気つけてあるのぞ。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより他には道ないぞ、それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ。江戸に先ず神まつれと、くどう申してあることよく分かるであろがな。八月の二十七日、 のひつ九のか三。 |
| 101 |
3_富士の巻 |
第21帖
神の申すこと何でも素直にきくやうになれば、神は何でも知らしてやるのぞ。配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのぞ、臣民みな喜ぶやうに出来るのぞ、何もかも神に供へてからと申してあろがな、山にも川にも野にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、ここの道理よく分らんか。神は知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ、臣民神にすがれば、神にまつはれば、その日からよくなると申してあろが、何も六ヶ敷いことでないぞ、神は無理言はんぞ、この神示読めば分る様にしてあるのざから役員早う知らして縁ある臣民から知らして呉れよ。印刷出来んと申せば何もしないで居るが、印刷せいでも知らすこと出来るぞ、よく考へて見よ、今の臣民、学に囚へられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ、理屈ではますます分らんやうになるぞ、早う神まつれよ、上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、てんし様を拝めよ、てんし様にまつはれよ、その心が大和魂ぞ、益人のます心ぞ、ますとは弥栄のことぞ、神の御心ぞ、臣民の心も神の御心と同じことになって来るぞ、世界中一度に唸る時が近づいて来たぞよ。八月の二十八日、 のひつ九のかみふで。 |
| 102 |
3_富士の巻 |
第22帖
まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、早うまつりて呉れと申すこと、よくきき分けて呉れよ。われがわれがと思ふてゐるのは調和てゐぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和の邪魔になるからぞ。ここまでわけて申さばよく分かるであろう、何事も真通理が第一ぞ。八月の二十九日、 の一二 。 |
| 103 |
3_富士の巻 |
第23帖
世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国の神の力あらはす時が近うなりたぞ。今あらはすと、助かる臣民殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心洗濯せよと申すことも分かるであろう。八月三十日、 の一二か三。 |
| 104 |
3_富士の巻 |
第24帖
富士-二二-を目ざして 攻め寄する、大船小船あめの船、赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽ひ、海を埋めて忽ちに、天日暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つの光現はれぬ、これこそ救ひの大神と、救ひ求むる人々の、目にうつれるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には 竜巻や、やがて火の雨地震ひ、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、ところところに白衣の、神のいぶきに甦る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神拝み、地に跪き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、普字は晴れたり岩戸-一八十-あけたり。八月の三十日、 の一二の 。 |
| 105 |
3_富士の巻 |
第25帖
世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。いよいよとなりたら、どこの国の臣民といふことないぞ、大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけてゐるのざぞ、大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様ざから、何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。外国から早く分りて、外国にこの方祀ると申す臣民沢山出来る様になりて来るぞ。それでは神の国の臣民申し訳ないであろがな、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないぞ、この方世界の神ぞと申してあろがな。裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。凡てをてんし様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。八月の三十日、 のひつ九のか三。 |
| 106 |
3_富士の巻 |
第26帖
戦は一度おさまる様に見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、向ふの悪神は今度は の元の神を根こそぎに無きものにして仕まふ計画であるから、その積りでフンドシ締めて呉れよ、誰も知れんやうに悪の仕組してゐること、神にはよく分りてゐるから心配ないなれど、臣民助けたいから、神はじっとこらへてゐるのざぞ。八月の三十日、 のひつ九の 。 |
| 107 |
3_富士の巻 |
第27帖
神の堪忍袋切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他やり方ないと神々様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、これでこの方の神示の終わりぞ。この神示は富士-二二-の巻として一つに纒めておいて下されよ、今に宝となるのざぞ。八月の三十日、 のひつ九 。 |
| 108 |
4_天つ巻 |
第1帖
二二は晴れたり日本晴れ、二二に御社してこの世治めるぞ。五大州ひっくり返りてゐるのが神には何より気に入らんぞ。一の大神様まつれ、二の大神様まつれよ、三の大神様まつれよ、天の御三体の大神様、地の御三体の大神様まつれよ、天から神々様御降りなされるぞ、地から御神々様おのぼりなされるぞ、天の御神、地の御神、手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。 の国は神の国、神の肉体ぞ、汚してはならんとこぞ。八月の三十一日、一二のか三。 |
| 109 |
4_天つ巻 |
第2帖
これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分らんのぞ、九分九厘までは出来るなれど、ここといふところで、オジャンになるであろうがな、富や金を返したばかりでは、今度は役に立たんぞ、戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神々様にも分りては居らんのざぞ、星の国、星の臣民今はえらい気張り様で、世界構うやうに申してゐるが、星ではダメだぞ、神の御力でないと何も出来はせんぞ。八月三十一日、一二 。 |
| 110 |
4_天つ巻 |
第3帖
一日のひのまにも天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ、九、十に気附けと、くどう申してあろがな、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ、ちがふことならこんなにくどうは申さんぞ、同じことばかり繰り返すと臣民申して居るが、この方の申すことみなちがってゐることばかりぞ、同じこと申していると思ふのは、身魂曇りてゐる証拠ぞ。改心第一ぞ。八月三十一日、一二 。 |
| 111 |
4_天つ巻 |
第4帖
この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。火と水で岩戸開くぞ、知恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、さう云へば知恵や学は要らんと臣民早合点するが、知恵や学も要るのざぞ。悪も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。天の神様地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々の神々様、うぶすな様、力ある神々様にも御苦労になっているのざぞ。天照皇太神宮様初め神々様、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、神も仏もキリストも元は一つぞよ。八月三十一日、ひつ九の |
| 112 |
4_天つ巻 |
第5帖
牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には、一度神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな、神に献げきらぬと獣になるのぞ、神がするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よく分ったであろがな、くどう申すぞ、八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。八月の三十一日、ひつくのか三。 |
| 113 |
4_天つ巻 |
第6帖
天は天の神、国は国の神が治らすのであるぞ、お手伝ひはあるなれど。秋の空のすがすがしさが、グレンと変るぞ、地獄に住むもの地獄がよいのぞ、天国ざぞ、逆様はもう長うはつづかんぞ、無理通らぬ時世が来たぞ、いざとなりたら残らずの活神様、御総出ざぞ。九月の一日、ひつくのか三。 |
| 114 |
4_天つ巻 |
第7帖
二二は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手手で働けよ、日本の神の御仕組、いつも二本となりてるぞ、一本足の案山子さん、今更何うにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、云ふこと最早分ったら、神が与えた二本足、日本のお土に立ちて見よ、二本のお手手打ち打ちて、神おろがめよあめつちに、響くまことの拍手に、日本の国は晴れるぞよ、二二は晴れたり日本晴れ、二二は晴れたり、岩戸あけたり。九月一日、ひつ九のか三。 |
| 115 |
4_天つ巻 |
第8帖
あらしの中の捨小船と申してあるが、今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待ってゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらはれるぞ。光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言ふ通りにして見なされ、自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。富士の御山に腰かけて、この方世界中まもるぞ。かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りでいそがしくなるぞ。てんし様御遷り願ふ時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉ある内にと思へども、いつまで紅葉ないぞ。九月の二日、ひつく 。 |
| 116 |
4_天つ巻 |
第9帖
ひふみの秘密出でひらき鳴る、早く道展き成る、世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づはじめ。九月二日、ひつぐのかみ。 |
| 117 |
4_天つ巻 |
第10帖
一二三の裏に 一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用あるぞ。五六七すんだら七八九ぞ、七八九の裏には六七八あるぞ、八九十の御用もあるぞ。だんだんに知らすから、これまでの神示よく心に入れて、ジッとして置いて呉れよ。九月の三日、ひつ九のか三。 |
| 118 |
4_天つ巻 |
第11帖
この神示言波としてよみて呉れよ、神々様にもきかせて呉れよ、守護神どのにも聞かして呉れよ、守護神どのの改心まだまだであるぞ、一日が一年になり百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりて来るぞ。九月四日、一二か三。 |
| 119 |
4_天つ巻 |
第12帖
遠くて近きは男女だけではないぞ、神と人、天と地、親と子、喰べる物も遠くて近いがよいのざぞ、カミそまつにすればカミに泣くぞ、土尊べば土が救って呉れるのぞ、尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ、神ばかり尊んでも何にもならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵とうとべば敵が敵でなくなるのぞ、この道理分りたか。臣民には神と同じ分霊さづけてあるのざから、みがけば神になるのぞ。神示は謄写よいぞ、初めは五十八、次は三百四十三ぞ、よいな。八月の五日、ひつくのか三。 |
| 120 |
4_天つ巻 |
第13帖
空に変りたこと現はれたなれば地に変りたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ。神は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願ひしてゐるのざが、もうおことはり申す術なくなりたぞ。玉串神に供へるのは衣供へることぞ、衣とは神の衣のことぞ、神の衣とは人の肉体のことぞ。臣民をささげることぞ、自分をささげることぞ、この道理分りたか。人に仕へるときも同じことぞ、人を神として仕へねばならんぞ、神として仕へると神となるのざから、もてなしの物出すときは、祓ひ清めて神に仕へると同様にして呉れよ、喰べ物今の半分で足りると申してあるが、神に献げたものか、祓ひ清めて神に献げると同様にすれば半分で足りるのぞ、てんのゐへん気つけて居れよ。神くどう気つけて置くぞ。神世近づいたぞ。九月六日、一二のか三。 |
| 121 |
4_天つ巻 |
第14帖
海一つ越えて寒い国に、まことの宝隠してあるのざぞ、これからいよいよとなりたら、神が許してまことの臣民に手柄いたさすぞ、外国人がいくら逆立ちしても、神が隠してゐるのざから手は着けられんぞ、世の元からのことであれど、いよいよが近くなりたら、この方の力で出して見せるぞ、びっくり箱が開けて来るぞ。八月の七日、ひつくのか三。 |
| 122 |
4_天つ巻 |
第15帖
神の国には神の国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ、教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、元は一つであるなれど、神の教が一等よいと申しても、そのままでは外国には通らんぞ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気つけて呉れよ、猫に小判何にもならんぞ、神の一度申したことは一分もちがはんぞ。八月七日、一二 。 |
| 123 |
4_天つ巻 |
第16帖
今度の戦済みたら てんし様が世界中知ろしめして、外国には王はなくなるのざぞ。一旦戦おさまりても、あとのゴタゴタなかなか静まらんぞ、神の臣民ふんどし締めて神の申すことよく腹に入れて置いて呉れよ、ゴタゴタ起たとき、何うしたらよいかと云ふことも、この神示よく読んで置けば分るやうにしてあるのざぞ。神は天からと宙からと地からと力合はして、神の臣民に手柄立てさす様にしてあるのざが、今では手柄立てさす、神の御用に使ふ臣民一分もないのざぞ。神の国が勝つばかりではないのざぞ、世界中の人も草も動物も助けてみな喜ぶやうにせなならんのざから、臣民では見当取れん永遠につづく神世に致すのざから、素直に神の申すこときくが一等ざぞ。人間の知恵でやれるなら、やって見よれ、あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻つかみぞ、思ふやうにはなるまいがな、神の国が本の国ざから、神の国からあらためるのざから、一番つらいことになるのざぞ、覚悟はよいか、腹さへ切れぬ様なフナフナ腰で大番頭とは何と云ふことぞ、てんし様は申すもかしこし、人民さま、犬猫にも済むまいぞ。人の力ばかりで戦してゐるのでないこと位分って居らうがな、目に見せてあらうがな、これでも分らんか。八月七日、一二 。 |
| 124 |
4_天つ巻 |
第17帖
昔から生き通しの活神様のすることぞ、泥の海にする位朝飯前のことざが、それでは臣民が可哀そうなから天の大神様にこの方が詑びして一日一日と延ばしてゐるのざぞ、その苦労も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、神の堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、米があると申して油断するでないぞ、一旦は天地へ引き上げぞ。八月七日、一二 。 |
| 125 |
4_天つ巻 |
第18帖
何時も気つけてあることざが、神が人を使うてゐるのざぞ、今度の戦で外国人にもよく分って、神様にはかなはん、何うか言ふこときくから、夜も昼もなく神に仕へるからゆるして呉れと申す様になるのざぞ、それには神の臣民の身魂掃除せなならんのざぞ、くどい様なれど一時も早く一人でも多く改心して下されよ、神は急ぐのざぞ。八月七日、一二の 。 |
| 126 |
4_天つ巻 |
第19帖
神の力が何んなにあるか、今度は一度は世界の臣民に見せてやらねば納まらんのざぞ、世界ゆすぶりて知らせねばならん様になるなれど、少しでも弱くゆすりて済む様にしたいから、くどう気つけてゐるのざぞ、ここまで世が迫りて来てゐるのぞ、まだ目醒めぬか、神は何うなっても知らんぞ、早く気つかぬと気の毒出来るぞ、その時になりては間に合はんぞ。八月七日、一二 。 |
| 127 |
4_天つ巻 |
第20帖
神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちてうれしうれしの世となるのざぞ。八月の七日、ひつ九のか三ふで。 |
| 128 |
4_天つ巻 |
第21帖
みろく出づるには、はじめ半ばは焼くぞ、人、二分は死、みな人、神の宮となる。西に戦争しつくし、神世とひらき、国毎に、一二三、三四五たりて百千万、神急ぐぞよ。八月七日、ひつくのかみふみぞ。 |
| 129 |
4_天つ巻 |
第22帖
十柱の世の元からの活神様御活動になりてゐること分りたであろうがな、けものの入れものには分るまいなれど、神の臣民にはよく分りてゐる筈ぞ。まだだんだんに烈しくなりて外国の臣民にも分る様になりて来るのざぞ。その時になりて分りたのではおそいおそい、早う洗濯いたして呉れよ。八月の九日、ひつ九のか三。 |
| 130 |
4_天つ巻 |
第23帖
我がなくてはならん、我があってはならず、よくこの神示よめと申すのぞ。悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、この道理分りたらそれが善人だぞ。千人力の人が善人であるぞ、お人よしではならんぞ、それは善人ではないのざぞ、神の臣民ではないぞ、雨の神どの風の神どのにとく御礼申せよ。八月の九日、一二 。 |
| 131 |
4_天つ巻 |
第24帖
今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りでないか、この世はおろか自分の身体のことさへ分りては居らんのざぞ、それでこの世をもちて行く積りか、分らんと申しても余りでないか。神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか、ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪のみたまぞ、そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ、臣民近慾なから分らんのぞ、慾もなくてはならんのざぞ、取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ、みがけば赤子となるのぞ、いよいよが来たぞ。九月十日、ひつ九のかみ。 |
| 132 |
4_天つ巻 |
第25帖
今に臣民何も言へなくなるのざぞ、神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻らなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、水くぐらなならんのざぞ。臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。九月十日、ひつくのか三。 |
| 133 |
4_天つ巻 |
第26帖
天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、青人草の苦瀬なほしてやるぞ。天明は神示書かす御役であるぞ。九月十一日、ひつ九 。 |
| 134 |
4_天つ巻 |
第27帖
石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。北おがめよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、五六七の世となるぞ。慌てずに急いで呉れよ。神々様みなの産土様総活動でござるぞ、神々様まつりて呉れよ、人々様まつりて呉れよ、御礼申して呉れよ。九月十二日、一二か三。 |
| 135 |
4_天つ巻 |
第28帖
おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。臣民は近慾で疑ひ深いから、何も分らんから疑ふ者もあるなれど、この神示一分一厘ちがはんのざぞ。世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。土から草木生れるぞ、草木から動物、虫けら生れるぞ。上下ひっくり返るのざぞ。九月の十三日、ひつ九のか三。 |
| 136 |
4_天つ巻 |
第29帖
この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざからあり難い仕組ざから喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよ、この方病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。九月十三日、一二 。 |
| 137 |
4_天つ巻 |
第30帖
富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ。神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから 鰻つかみ になるのぞ、分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。手足は沢山は要らぬのざぞ。火垂の臣と水極の臣とあればよいのざぞ。ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。今の臣民自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。神示は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三と申せよ。一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりてそれぞれに説いて聞かせよ。日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。五六七の世近づいて来たぞ。富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。善一すぢとは神一すぢのことぞ。この巻を天つ巻と申す、すっかり写して呉れよ、すっかり伝へて呉れよ。九月十四日、ひつ九のか三。 |
| 138 |
5_地つ巻 |
第1帖
地つ巻書き知らすぞ、世界は一つの実言となるのぞ、それぞれの言の葉はあれど、実言は一つとなるのであるぞ。てん詞様の実言に従ふのざぞ、命の世近づいて来たぞ。九月十五日、一二 。 |
| 139 |
5_地つ巻 |
第2帖
今は闇の世であるから夜の明けたこと申しても、誰にも分らんなれど、夜が明けたらなる程さうでありたかとビックリするなれど、それでは間に合はんのざぞ、それまでに心改めておいて下されよ、この道信ずれは、すぐよくなると思うてゐる臣民もあるなれど、それは己の心のままぞ、道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ、これまでのやり方スックリと変へねば世は治まらんぞと申してあるが、上の人苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ、お のいふこときかん世になるぞ。九月の十六日、ひつ九のか三。 |
| 140 |
5_地つ巻 |
第3帖
人民同士の戦では到底かなはんなれど、いよいよとなりたら神がうつりて手柄さすのであるから、それまでに身魂みがいておいて呉れよ。世界中が攻め寄せたと申しても、誠には勝てんのであるぞ、誠ほど結構なものないから、誠が神風であるから、臣民に誠なくなりてゐると、何んな気の毒出来るか分らんから、くどう気つけておくのざぞ、腹掃除せよ。九月の十六日、ひつ九のか三。 |
| 141 |
5_地つ巻 |
第4帖
この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。この道は中行く道ぞ、左も右り も偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我れが我れがと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ。九月十六日、ひつくのか三。 |
| 142 |
5_地つ巻 |
第5帖
片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥儲けばかり、いつまでしてゐるのぞ、神にまつろへと申してあろうがな、臣民の智恵で何出来たか、早う改心せよ。三月三日、五月五日は結構な日ぞ。九月十六日、ひつ九のか三。 |
| 143 |
5_地つ巻 |
第6帖
神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。目さめたらその日の生命おあづかりしたのざぞ、神の肉体、神の生命大切にせよ。神の国は神の力でないと治まったことないぞ、神第一ぞ、いつまで仏や基や色々なものにこだはってゐるのぞ。出雲の神様大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ。天つ神、国つ神、みなの神々様に御礼申せよ、まつろひて下されよ、結構な恐い世となりて来たぞ、上下ぐれんぞ。九月十七日、一二の 。 |
| 144 |
5_地つ巻 |
第7帖
神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。九月十八日、ひつ九 。 |
| 145 |
5_地つ巻 |
第8帖
祓ひせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭誰にもあるのざぞ、それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても大望であるぞ。今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主お祓ひの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣るのぞ、今の神主宣ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。祝詞はよむものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それ丈では何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、神のことは神主に、仏は坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。九月十九日、ひつ九の 。 |
| 146 |
5_地つ巻 |
第9帖
ひつくの神にひと時拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民日をいただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな。九月二十日、ひつ九のか三。 |
| 147 |
5_地つ巻 |
第10帖
何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、方便と申すもの神の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。これまでは方便と申して逃げられたが、も早逃げること出来ないぞ、方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ、いまでも仏の世と思うてゐるとびっくりがでるぞ、神の国、元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地へのりとするぞ、岩戸しめる御役になるなよ。九月の二十日、ひつ九のか三。 |
| 148 |
5_地つ巻 |
第11帖
世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊ぞ、富士、都となるのざぞ、幽界行きは外国行きぞ。神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりてその御役、位、分るのざから、みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。九月二十と一日、一二か三。 |
| 149 |
5_地つ巻 |
第12帖
この道は道なき道ざぞ。天理も金光も黒住も今はたましひぬけて居れど、この道入れて生きかへるのぞ、日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ、この道でたま入れて呉れよ、この道は ぞ、 の中に 入れて呉れと申してあろうが。臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ、 入れて呉れよ、 を掃除して居らぬと はいらんぞ、今度の戦は の掃除ぞと申してあらうがな、まつりとは調和合はすことと申してあろうがな、この道は教でないと云ふてあらうが、教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、人集めて呉れるなと申してあらうがな。世界の臣民みな信者と申してあらうが、この道は道なき道、時なき道ぞ、光ぞ。この道でみな生き返るのざぞ。天明阿房になりて呉れよ、我すてて呉れよ、神かかるのに苦しいぞ。九月二十三日、一二 。 |
| 150 |
5_地つ巻 |
第13帖
赤い眼鏡かければ赤く見えると思うてゐるが、それは相手が白いときばかりぞ、青いものは紫にうつるぞ。今の世は色とりどり眼鏡とりどりざから見当とれんことになるのざぞ、眼鏡はづすに限るのぞ、眼鏡はづすとは洗濯することざぞ。上ばかりよくてもならず、下ばかりよくてもならんぞ。上も下も天地そろうてよくなりて世界中の臣民、けものまで安心して暮らせる新の世に致すのざぞ、取り違へするなよ。九月二十三日、一二 。 |
| 151 |
5_地つ巻 |
第14帖
この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。神の御用と申して稲荷下げや狐つきの真似はさせんぞよ。この道はきびしき行ざから楽な道なのぞ。上にも下にも花さく世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。カミは見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるでないか。蛙いくら鳴いたとて夜あけんぞ。赤児になれよ、ごもく捨てよ、その日その時から顔まで変るのざぞ、神烈しく結構な世となりたぞ。九月二十三日、ひつくのか三。 |
| 152 |
5_地つ巻 |
第15帖
神の国のカミの役員に判りかけたらバタバタに埒つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、くどう申しているのざぞ。臣民物言はなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。石物言ふ時ぞ。神の目には外国もやまともないのざぞ。みなが神の国ぞ。七王も八王も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。てん詞様が世界みそなはすのざぞ。世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか、盲つんばばかりと申してもあまりでないか。九月の二十三日、ひつ九のか三。 |
| 153 |
5_地つ巻 |
第16帖
神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪にまけて汚して仕まうて、それで不足申してゐることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。それはまだよいのぞ、神の面かぶりて口先ばかりで神さま神さまてんしさま てんしさまと申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ、神の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、その通りになるのざぞ。うへに唾きすればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。今に病神の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ、今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。この方の神示よく腹に入れて病追ひ出せよ、早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると申してあらうがな、神の入れものわやにしてゐるぞ。九月二十三日、ひつ九のか三。 |
| 154 |
5_地つ巻 |
第17帖
まことの善は悪に似てゐるぞ、まことの悪は善に似てゐるぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。日本の国は世界の雛形であるぞ、雛形でないところは真の神の国でないから、よほど気つけて居りて呉れよ、一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ、神が特に気つけておくぞ。今は日本の国となりて居りても、神の元の国でないところもあるのざから、雛型見てよく腹に入れておいて下されよ、後悔間に合はんぞ。九月二十三日、ひつ九のか三。 |
| 155 |
5_地つ巻 |
第18帖
われよしの政治ではならんぞ、今の政治経済はわれよしであるぞ。臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、神の光のやり方でないと治まらんぞ、与へる政治がまことの政治ぞよ、臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ、日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくらあかりつけても夜は夜ぞ、神のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな。政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、神のやり方は人の身魂人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。神の印つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ。飛行機も船も臣民もみな同じぞ。足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。よくこの神示よんで呉れよ、元の二八基光理てわいて出た現空の種は二八基と大老智と世通足となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足は金母であるから気つけておくぞ。世通足はお実名に通いて分けてゐるから、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。九月二十三日、あのひつ九のか三。 |
| 156 |
5_地つ巻 |
第19帖
世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三、三四五、五六七、弥栄々々ぞ、神、仏、耶ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。九月二十四日、一二 ふみ。 |
| 157 |
5_地つ巻 |
第20帖
世界に変りたこと出来たら、それは神々様の渡られる橋ぞ。本清めねば末は清まらんぞ、根絶ちて葉しげらんぞ、元の田根が大切ざぞ、種はもとから択り分けてあるのざぞ、ぜんぶり苦いぞ。九月の二十四日、ひつ九のか三。 |
| 158 |
5_地つ巻 |
第21帖
神界のことは顕界ではなかなかに分るものでないと云ふこと分りたら、神界のこと分るのであるぞ。一に一足すと二となると云ふソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。今までの戦でも、神が蔭から守ってゐること分るであらうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあらうが、臣民からは阿房に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。海のつなみ気をつけて呉れ、前に知らしてやるぞ。九月二十五日、ひつ九のか三。 |
| 159 |
5_地つ巻 |
第22帖
われが助かろと思ふたら助からぬのざぞ、その心われよしざぞ。身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ、神うつるのざぞ、 のうつりた人と のかかりた人との大戦ぞ、 と とが戦して、やがては を中にして がおさまるのぞ。その時は でなく、 も でないのざぞ、 となるのざぞ、 と のまつりぞと申してあらうがな。どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだわるくなるのぞ、 の世となるのぞ、 の世界となるのぞ。今の臣民九分通り になりてゐるぞ、早う戦すませて呉れと申してゐるが、今夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ。お洗濯第一ざぞ。九月の二十六日、ひつ九のか三。 |
| 160 |
5_地つ巻 |
第23帖
この神示心で読みて呉れよ、九エたして読みて呉れよ、病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。この道広めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。心から心、声から声、身体から身体へと広めて呉れよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ、考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、考へは人の迷ひざぞ、今の臣民身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。一九れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、一九れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。 のくれのことを申すのざぞ。九月の二十八日、ひつ九のか三。 |
| 161 |
5_地つ巻 |
第24帖
この方明神とも現はれてゐるのざぞ、臣民守護の為に現われてゐるのであるぞ。衣はくるむものであるぞ、くるむとは、まつらふものぞ、神の衣は人であるぞ、汚れ破れた衣では神はいやざぞ。衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ。今は神の衣なくなってゐる、九分九厘の臣民、神の衣になれないのざぞ。悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ。 の国、霊の国とこの世とは合せ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ、臣民身魂洗濯して呉れとくどう申してあらうがな、この道理よく分りたか。十月とは十の月ぞ、 と との組みた月ぞ。九月の二十八日、ひつ九の三。 |
| 162 |
5_地つ巻 |
第25帖
新しくその日その日の生まれ来るのぞ、三日は三日、十日は十日の神どの守るのざぞ、時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなはんことあるのざぞ。今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一どのを拝みて呉れよ、二十八日どのもあるのざぞ。何事も時待ちて呉れよ、炒豆にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔いてもお役に立たんのであるぞ、草物いふぞ。旧の八月の十一日、ひつ九のか三。 |
| 163 |
5_地つ巻 |
第26帖
雨の日は傘いるのざと申して晴れたら要らぬのざぞ、その時その時の御用あるのざぞ、晴れた日とて傘いらぬのでないぞ、今御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのざぞ、二歳の時は二歳の着物、五歳は五歳、十歳は十歳の着物あるのざぞ。十柱の御役もその通りざぞ、役変るのぞ。旧八月の十二日、ひつ九のか三。 |
| 164 |
5_地つ巻 |
第27帖
天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、早う洗濯した人から分るのぞ、びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力あらはれるぞ、一息入れる間もないのぞ。ドシドシ事を運ぶから遅れんやうに、取違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりうりう仕上げ見て下されよ。旧九月になればこの神示に変りて天の日つくの神の御神示出すぞ、初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者引き寄せるぞ。おそし早しはあるなれど、神の申したこと一厘もちがはんぞ、富士は晴れたり日本晴れ、おけ。十月の四日、ひつ九のか三ふみ。 |
| 165 |
5_地つ巻 |
第28帖
神の国には神の国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあらうがな、戦もその通りぞ、神の国は神の国のやり方せねばならんのざぞ、外国のやり方真似ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂みがき第一ぞ。一度に始末することは易いなれど、それでは神の国を一度は丸つぶしにせねばならんから、待てるだけ待ってゐるのざぞ、仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、神気つけるぞ。十月六日、ひつくのか三。 |
| 166 |
5_地つ巻 |
第29帖
天明は神示書かす御役ぞ、蔭の役ぞ、この神示はアとヤとワのつく役員から出すのざぞ、おもてぞ。旧九月までにはその御方お揃ひぞ、カのつく役員うらなり、タのつく役員 おもてなり、うらおもてあると申してあらうがな、コトが大切ぞコトによりて伝へるのが神はうれしきぞ、文字は通基ぞ、このことよく心得よ。天の異変は人の異変ぞ、一時は神示も出んことあるぞ、神示よんで呉れよ、神示よまないで臣民勝手に智恵絞りても何にもならんと申してあらうがな、神にくどう申さすことは神国の臣民の恥ぞ。神示は要らぬのがまことの臣民ぞ、神それぞれに宿りたら神示要らぬのざぞ、それが神世の姿ぞ。上に立つ人にこの神示分るやうにして呉れよ、国は国の、団体は団体の上の人に早う知らして呉れよ。アとヤとワから表に出すと上の人も耳傾けるのざぞ。アとはアイウエオぞ、ヤもワも同様ぞ、カはうらぞ、タはおもてぞ、サとナとハとマとまつはりて呉れよ、ラは別の御役ぞ、御役に上下ないぞ、みなそれぞれ貴い御役ぞ。この神示上つ巻と下つ巻先づ読みて呉れよ、腹に入れてから神集ふのぞ、神は急けるぞ。山の津波に気つけよ。十月の七日、七つ九のか三。 |
| 167 |
5_地つ巻 |
第30帖
一度に立替へすると世界が大変が起るから、延ばし延ばしてゐるのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言ふこと出来ず、同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、けものよりもむごいことになるのが、よく分りてゐるから、神が表に出て世界中救ふのであるぞ、この神示腹に入れると神力出るのざぞ、疑ふ臣民沢山あるが気の毒ざぞ。一通りはいやがる臣民にもこの神示一二三として読むやうに上の人してやりて下されよ。生命あるうちに神の国のこと知らずに死んでから神の国に行くことは出来んぞ、神の力でないと、もう世の中は何うにも動かんやうになってゐること、上の番頭どの分かりて居らうがな、何うにもならんと知りつつまだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは申されんぞ、智や学越えて神の力にまつはれよ、お土拝みて米作る百姓さんが神のまことの民ぞ、神おろがみて神示取れよ、神のない世とだんだんなりておろがな。真通ることは生かす事ぞ。生かす事は能かす事ぞ。神の国には何でもないものないのざぞ、神の御用なら何でも出て来る結構な国ぞ、何もなくなるのはやり方わるいのぞ、神の心に添はんのぞ。十月七日、一二 。 |
| 168 |
5_地つ巻 |
第31帖
この神示読ますやうにするのが役員の務めでないか、役員さへ読んでゐないではないか。神示に一二三つけたもの先づ大番頭、中番頭、小番頭どのに読まして呉れよ、道さへつければ読むぞ、腹に這入るものと這入らぬものとはあるなれど、読ますだけは読ませてやるのが役員の勤めでないか。旧九月になったら、いそがしくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。いざとなりて地団太ふんでも間に合はんぞ。餅搗くには、搗く時あるのざぞ、それで縁ある人を引き寄せてゐるのざぞ、神は急けるのぞ。十月の七日、ひつ九のか三いそぐ。 |
| 169 |
5_地つ巻 |
第32帖
仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ、うづであるのぞ。番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。十月の七日、ひつ九のか三。 |
| 170 |
5_地つ巻 |
第33帖
エドの仕組すみたらオワリの仕組にかからすぞ。その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。宝持ちくさりにして呉れるなよ、猫に小判になりて呉れるなよ。天地一度に変ると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ、息吹き払ひて議論なくするぞ、ことなくするぞ、物言はれん時来るぞ、臣民見当とれんことと申してあらうが、上の人つらくなるぞ、頑張りて呉れよ。十月八日、ひつ九のか三。 |
| 171 |
5_地つ巻 |
第34帖
神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、まこととはまつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、言波で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言波ほど結構な恐いものないぞ。十月十日、あめの一二か三。 |
| 172 |
5_地つ巻 |
第35帖
日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな、日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ。人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁の谷へポンと落ちるぞ。神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済しがはじまってゐるのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。借銭返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。十月十日、ひつ九のか三。 |
| 173 |
5_地つ巻 |
第36帖
二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士-二二-から世界中にみいづされる時近づいたぞ。富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示あてにならんだまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂芯から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。いづれは天の日つくの神様御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役すみたら二二晴れるぞ。十月十一日、一二か三。 |
| 174 |
6_日月の巻 |
第1帖
富士は晴れたり日本晴れ。 の巻書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民無理と思ふ事も無理でない事沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢に入れて捏ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。旧九月一日、ひつくのか三。 |
| 175 |
6_日月の巻 |
第2帖
三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、此の世の裏に隠れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、今落ちぶれてゐるとても、軈ては神の御民とし、天地駈けり神国の、救ひの神と 現はれる、時近づきぬ御民等よ。今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。みたまさちはへましまさむ。旧九月二日、ひつ九のか三。 |
| 176 |
6_日月の巻 |
第3帖
此の神示声立てて読みて下されと申してあろがな。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさへおればよくなるのざぞよ。じゃと申して、仕事休むでないぞ。仕事は行であるから務め務めた上にも精出して呉れよ。それがまことの行であるぞ。滝に打たれ断食する様な行は幽界の行ぞ。神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生れる食物頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。此の事よく心得よ。十月十九日、一二 。 |
| 177 |
6_日月の巻 |
第4帖
戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。人民いよいよ苦しくなるぞ。三四五の仕組出来ないで、一二三の御用はやめられんぞ。此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて上の人に知らしてやりて下されよ。三四五とはてんし様の稜威出づことぞ。十月二十日、ひつ九のか三。 |
| 178 |
6_日月の巻 |
第5帖
神の国には神も人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。神は人であるぞ。山であるぞ。川であるぞ。めである。野である。草である。木である。動物であるぞ。為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。死も無く生も無いのぞ。神心あるのみぞ。やがては降らん雨霰、役員気つけて呉れよ。神の用意は出来てゐるのざぞ。何事からでも早よう始めて呉れよ。神の心に叶ふものは どしどしとらち明くぞ。十月二十一日、一二 。 |
| 179 |
6_日月の巻 |
第6帖
アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、タカアマハラニ ミコトトナリタマヒキ。今の経済は悪の経済と申してあろがな、もの殺すのぞ。神の国の経済はもの生む経済ぞ。今の政治はもの毀す政治ぞ、神の政治は与へる政治と申してあろが。配給は配給、統制は統制ぞ。一度は何もかも天地に引上げと申してあるが、次の四の種だけは地に埋めておかねばならんのざぞ。それで神がくどう申してゐるのぞ。種は落ちぶれてゐなさる方で守られてゐるぞ。上下に引繰り返ると申してある事近づいて来たぞ。種は百姓に与へてあるぞ。種蒔くのは百姓ぞ。十月の二十二日、ひつ九かみ。 |
| 180 |
6_日月の巻 |
第7帖
ツギ、タカミムスビ、ツギ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ。岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々 四方にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。十月二十四日、一二 。 |
| 181 |
6_日月の巻 |
第8帖
ツギ、ウマシアシカビヒコヂノカミ、ミコトトナリナリテ アレイデタマイキ。瓜の蔓に茄子ならすでないぞ。茄子には茄子と申してあろがな。味噌も糞も一つにするでないぞ。皆がそれぞれに息する道あろがな。野見よ森見よ。神の経済よく見よ。神の政治よく見て、まことの政治つかへて呉れよ。すべてにまつろう事と申してあろがな。上に立つ番頭殿目開いて下されよ。間に合はん事出来ても神は知らんぞ。神急けるぞ。役員も気配れよ。旧九月八日、ひつ九のか三。 |
| 182 |
6_日月の巻 |
第9帖
何事も持ちつ持たれつであるぞ。神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろが、善一筋の世と申しても今の臣民の言ふてゐる様な善ばかりの世ではないぞ。悪-ア九-でない悪とあなないてゐるのざぞ。此のお道は、あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。まつりとはまつはる事で、まつり合はす事ざぞ。まつり合はすとは草は草として、木は木として、それぞれのまつり合はせぞ。草も木も同じまつり合せでないのざぞ。十月の二十六日。ひつ九か三。 |
| 183 |
6_日月の巻 |
第10帖
ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。辛酉の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。改心すれは型小さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。 と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。十月二十五日、ひつ九のか三。 |
| 184 |
6_日月の巻 |
第11帖
学も神力ぞ。神ざぞ。学が人間の智恵と思ってゐると飛んでもない事になるぞ。肝腎の真中なくなりてゐると申してあろが。真中動いてはならんのざぞ。神国の政治は魂のまつりことぞ。苦しき御用が喜んで出来る様になりたら、神の仕組判りかけるぞ。何事も喜んで致して呉れと申してあろがな。臣民の頭では見当取れん無茶な四になる時来たのざぞ。それを闇の世と申すのぞ。神は 、臣民は 、外国は 、神の国は と申してあろが、神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真中。人の真中には神あらうがな。悪神の仕組は此の方には判りてゐるから一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺して終ふのではなく、悪改心さして、五六七のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ。今の臣民幾ら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力ないぞ。黙ってゐても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。力は神から流れ来るのぞ。磨けた人から神がうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさすぞ。みたま磨きが何より大切ぞ。十月の二十七日、ひつ九のか三。 |
| 185 |
6_日月の巻 |
第12帖
三ハシラ、五ハシラ、七ハシラ、コトアマツカミ、ツギ、ウヒジニ、ツギ、イモスヒジニ、ツギ、ツヌグヒ、ツギ、イモイクグヒ、ツギ、オホトノジ、ツギ、イモオホトノべ、ツギ、オモタル、ツギ、イモアヤカシコネ、ミコトト、アレナリ、イキイキテ、イキタマヒキ、ツギ、イザナギノカミ、イザナミノカミ、アレイデマシマシキ。足許に気付けよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ。入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ、己の心も同様ぞ。百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ。てんし様拝めよ。てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生れるのざぞ。お土拝めよ。お土から何もかも生れるのぞ。人拝めよ、上に立つ人拝めよ、草木も神と申してあろがな。江戸に攻め寄せると申してあろがな。富士目指して攻め来ると知らしてあること近付いたぞ。今迄の事は皆型でありたぞ、江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。雨降るぞ。十月二十八日、ひつ九のかみ。 |
| 186 |
6_日月の巻 |
第13帖
人間心で急ぐでないぞ。我が出てくると失策るから我とわからん我あるから、今度は失策ること出来んから、ここと云ふ時には神が力つけるから急ぐでないぞ。身魂磨き第一ぞ。蔭の御用と表の御用とあるなれど何れも結構な御用ざぞ。身魂相当が一番よいのざぞ。今に分りて来るから慌てるでないぞ。今迄の神示よく読んでくれたらわかるのざぞ。それで腹で読め読めとくどう申してゐるのざぞ。食物気つけよ。十月二十八日、ひつ九のかみ。 |
| 187 |
6_日月の巻 |
第14帖
世の元からの仕組であるから臣民に手柄立てさして上下揃った光の世にするのざから、臣民見当取れんから早よ掃除してくれと申してゐるのぞ。国中到る所花火仕掛けしてあるのぞ。人間の心の中にも花火が仕掛けてあるぞ。何時その花火が破裂するか、わからんであろがな。掃除すれば何もかも見通しざぞ。花火破裂する時近づいて来たぞ。動くこと出来ん様になるのぞ。蝋燭の火、明るいと思ふてゐるが、五六七の世の明るさはわからんであろが。十月の三十一日。ひつ九のかみ。 |
| 188 |
6_日月の巻 |
第15帖
目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心のままに弥栄に仕へまつる事に祈れよ。神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。何もかも神に任せよ。神の生命、神の肉体となりきれよ。何もかも捨てきらねばならんぞ。天地皆神のものぞ、天地皆己のものぞ。取違ひ致して呉れるなよ。幾ら戦してゐても天国ぞ、天国とは神国ぞ。神国の民となれば戦も有難いぞ。いきの生命いつも光り輝いてゐるぞ。神にまつろてくれと申してあろが。あめつち皆にまつろて呉れと申してあろがな。ここの道理よく判りたであろが。何も云ふ事ないぞ。神称へる辞が光透ぞ。あめつち称へる言が光透ぞ。草木の心になれと申してあろがな。神風もあるぞ。地獄の風もあるぞ。迷ふでないぞ、神の申すコトはコトであるぞ。コトに生きてくれよ。コトにまつろへよ。十一月の一日、ひつ九か三。 |
| 189 |
6_日月の巻 |
第16帖
慌てて動くでないぞ。時節が何もかも返報返しするぞ。時の神様有難いと申してあろがな。神は臣民から何求めてゐるか。何時も与へるばかりでないか。神の政治、神国の政治は与へる政治とくどう申してあろがな。今の遣り方では愈々苦しくなるばかりぞ。早よう気付かぬと気の毒出来て来るぞ。金いらぬと申してあろが。やり方教へてやりたいなれど、それでは臣民に手柄無いから此の神示よく読みてくれといふてあるのぞ。よき事も現れると帳消しとなる事知らしてあろが、人に知れぬ様によき事はするのざぞ。この事よく深く考へて行へよ。昔からのメグリであるから、ちょっとやそっとのメグリでないから、何処へ逃げてもどうしてもするだけの事せなならんのざぞ。どこにゐても救ふ臣民は救うてやるぞ。真中動くでないぞ、知らぬ顔しておる事も起るぞ。十一月三日、一二 。 |
| 190 |
6_日月の巻 |
第17帖
ココニアマツカミ、モロモロノミコトモチテ、イザナギノミコト イザナミノミコトニ、コレノタダヨヘルクニ、ツクリカタメナセト、ノリゴチテ、アメノヌホコヲタマヒテ、コトヨサシタマイキ。神の国にも善と悪とあると申してあろがな。この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。神示見せて呉れるなよ。まことの神の臣民とわかりたら此の神示写してやりてくれよ。神示は出ませぬと申せよ。時節見るのざぞ。型してくれたのざからもう一の仕組よいぞ。此の神示表に出すでないぞ。天明は蔭の御用と申してあろが。神示仕舞っておいてくれよ、一二三として聞かしてやって呉れよ。此の方の仕組日に日に変るのざから、臣民わからなくなると申してあろが。日に日に烈しく変りて来るのざぞ。神の子には神示伝へてくれよ。神せけるぞ。渦海の御用結構。十一月四日、一二 。 |
| 191 |
6_日月の巻 |
第18帖
ツギニ、イザナミノミコト、イザナミノミコトニ、アマノヌホトヲタマヒテ、トモニ、タタヨヘル、コトクニ ツクリカタメナセト コトヨサシタマヒキ。日に日に烈しくなると申してあろがな。水いただきにあげなならんぞ。お土掘らねばならんぞ。言波とくに磨きてくれよ。コトに気つけて呉れとくどう申してあろが。してはならず。せねばならず、神事に生きて下されよ。十一月六日、ひつ九のか三しらすぞ。 |
| 192 |
6_日月の巻 |
第19帖
今のやり方、考へ方が間違ってゐるからぞ。洗濯せよ掃除せよと申すのはこれまでのやり方考へ方をスクリと改める事ぞ。一度マカリタと思へ。掃除して何もかも綺麗にすれば神の光スクリと光り輝くぞ。ゴモク捨てよと申してあろがな。人の心ほど怖いものないのざぞ。奥山に紅葉あるうちにと申すこと忘れるなよ。北に気付けよ。神の詞の仕組よく腹に入れておいて下されよ。今度のさらつの世の元となるのざぞ。十一月七日、ひつ九のか三。 |
| 193 |
6_日月の巻 |
第20帖
神の用意は何もかも済んでゐると申してあろが。臣民の洗濯早よ致してくれよ。さらつの世の用意早よしてくれよ。今度の世には四十九の御役、御仕事あるのざぞ。四十九の身魂と申してあろがな。神の申したこと次々と出て来ておろうがな。早よこの神示腹に入れよ。早よ知らしてくれよ、今迄の神示役員の腹に入る迄は暫く此の神示出ぬぞ。大切の時には知らすなれど、そのつもりでおりて呉れよ、ヌの種大切にして下されよ。毒吐き出せよ。十一月の八日、ひつくのか三。 |
| 194 |
6_日月の巻 |
第21帖
人まづ和し、人おろがめよ。拍手打ちて人とまつろへよ。神示よんで聞かして呉れよ。声出して天地に響く様のれよ。火と水、ひふみとなるのざぞ。火近づいたぞ。水近づいたぞ、厭でも応でもはしらなならんぞ。引くり返るぞ。世が唸るぞ。神示よめば縁ある人集まって来て、神の御用するもの出来て来る事わからんか。仕組通りにすすめるぞ。神待たれんぞ。十一月十日、ひつ九か三。 |
| 195 |
6_日月の巻 |
第22帖
お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。十一月十一日、ひつ九か三。 |
| 196 |
6_日月の巻 |
第23帖
一升-桝には一升しか入らぬと臣民思ふてゐるが、豆一升入れて粟入れる事出来るのざぞ。その上に水ならばまだはいるのざぞ。神ならばその上にまだ幾らでもはいるのざぞ。神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。今度は千人力与へると申してあろが。江戸の仕組世の終わりぞ。天おろがめよ。つちおろがめよ。まつはれよ。秋の空グレンと申してあろがな。冬も春も夏も気つけてくれよ。十一月十三日、ひつ九か三。 |
| 197 |
6_日月の巻 |
第24帖
ココニ、イザナギノミコト、イザナミノミコトハ、ヌホコ、ヌホト、クミクミテ、クニウミセナトノリタマヒキ、イザナギノミコト イザナミノミコト、イキアハシタマヒテ、アウ、あうトノラセタマヒテ、クニ、ウミタマヒキ。コトの初め気付けて呉れよ。夜明けたら生命神に頂いたと申してあろがな。太陽あるうちはことごとに太陽の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。それがまことの臣民ぞ。生活心配するでないぞ。ことわけて申せば今の臣民すぐは出来ぬであろが。初めは六分国のため、四分自分の為、次は七分国のため、三分自分の為、次は八分国の為、二分自分のため、と云ふ様にして呉れよ。これはまだ自分あるのざぞ。自分なくならねばならぬのざぞ。神人一つになるのざぞ。十一月二十日、ひつ九 。 |
| 198 |
6_日月の巻 |
第25帖
ハジメ ノクニウミタマヒキ、 ノクニウミタマヒキ、 のクニウミタマヒキ、ツギニ クニウミタマヒキ。神に厄介掛けぬ様にせねばならんぞ。神が助けるからと申して臣民懐手してゐてはならんぞ、力の限り尽くさなならんぞ。 と とは違ふのざぞ。臣民一日に二度食べるのざぞ、朝は日の神様に供へてから頂けよ、夜は月の神様に捧げてから頂けよ、それがまことの益人ぞ。十一月二十一日、一二 。 |
| 199 |
6_日月の巻 |
第26帖
、 、 、ウ、うにアエオイウざぞ。昔の世の元ぞ。 、 、 、ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ。サタナハマからあるぞ。一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱、と申してあろがな。五十九の神、七十五柱これで判りたか。 は ざぞ。 には裏表上下あるのざぞ。冬の先春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。十一月二十二日、ひつ九 。 |
| 200 |
6_日月の巻 |
第27帖
神の国は生きてゐるのざぞ、国土おろがめよ、神の肉体ぞ。神のたまぞ。道は真直ぐとばかり思ふなよ、曲って真直ぐであるぞ、人の道は無理に真直ぐにつけたがるなれど曲ってゐるのが神の道ぞ。曲って真直ぐいのざぞ。人の道も同じであるぞ。足許から鳥立つぞ。愈々が近づいたぞ。世の元と申すものは泥の海でありたぞ。その泥から神が色々のもの一二三で、いぶきで生みたのぞ。人の智ではわからぬ事ざぞ。眼は丸いから丸く見えるのざぞ。この道理わかりたか。一度はどろどろにこね廻さなならんのざぞ。臣民はどない申しても近慾ざから先見えんから慾ばかり申してゐるが、神は持ち切れない程の物与へてゐるでないか。幾ら貧乏だとて犬猫とは桁違ふがな。それで何不足申してゐるのか。まだまだ天地へ取上げるぞ。日々取上げてゐる事わからんか。神が大難を小難にして神々様御活動になってゐること眼に見せてもわからんか。天地でんぐり返るぞ。やがては富士晴れるぞ。富士は晴れたり日本晴れ。元の神の世にかへるぞ。日の巻終りて月の巻に移るぞ。愈々一二三が多くなるから、今までに出してゐた神示よく腹に入れておいてくれよ、知らせねばならず、知らしては仕組成就せず、臣民早よ洗濯して鏡に映る様にしてくれよ。今の世地獄とわかってゐるであろがな。今のやり方悪いとわかってゐるであろがな。神まつれと申すのぞ。外国には外国の神あると申してあろが。み戦さすすめて外国に行った時は、先づその国の神まつらねばならんぞ、まつるとはまつろふ事と申してあろが。鉄砲や智では悪くするばかりぞ。神先づまつれとくどう気つけてあるのは日本ばかりではないぞ。此の方の申すこと小さく取りては見当取れんと申してあろがな。三千世界の事ぞ。日本ばかりが可愛いのではないぞ、世界の臣民皆わが子ぞ。わけへだてないのざぞ。この神示よみて聞かしてくれよ。読めば読むほどあかるくなるぞ。富士晴れるのざぞ。神の心晴れるのざぞ。あらたぬし世ぞ。十一月二十三日、一二 。 |
| 201 |
6_日月の巻 |
第28帖
岩戸あけたり日本晴れ、富士ひかるぞ。この巻役員読むものぞ。世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。くもでて くにとなったぞ。出雲とはこの地の事ぞ。スサナルの神はこの世の大神様ぞ。はじめは であるなり、 いて月となり地となりたのざぞ。アは の神様なり、 は月の神様ぞ、クニの神様はスサナルの神様ぞ。この事はじめに心に入れれば掃除タワイないぞ、グレンとは上下かへる事と申してあろうがな、云ふてはならぬ事ぞ。いはねばならぬ事ぞ。アメの つ九の 。 |
| 202 |
6_日月の巻 |
第29帖
一日一日みことの世となるぞ。神の事いふよりみことないぞ。物云ふなよ。みこと云ふのぞ。みこと神ざぞ。道ぞ。アぞ。世変るのぞ。何もはげしく引上げぞ。戦も引上げぞ。役に不足申すでないぞ。光食へよ。息ざぞ。素盞鳴 尊まつり呉れよ。急ぐぞ。うなばらとはこのくにぞ。十一月二十五日、一二 。 |
| 203 |
6_日月の巻 |
第30帖
おのころの国成り、この国におりましてあめとの御柱見立て給ひき。 に伊邪那岐 命伊邪那美 命島生み給ひき。初めに水蛭子、淡島、生み給ひき。この御子、国のうちにかくれ給ひければ、次にのりごちてのち生み給へる御子、淡道之穂之三別島、伊予の二名島、この島、愛媛、飯依比古、大宜都比売、建依別と云ふ。次、隠岐の三子島、天之忍許呂別。次、筑紫島、この島、白日別、豊日別、建日向日豊久土比泥別、建日別。次、伊伎島、天 比登都柱。次、津島、天狭手依比売。次、佐渡島。次、大倭秋津島、天津御空豊秋津根別。次、吉備之児島建日方別。次、小豆島、大野手比売。次、大島大多麻流別。次、女島、天一根。次、知詞 島、天 忍男。次、両児島、天両屋、二島、八島、六島、合せて十六島生み給ひき。次にまたのり給ひて、大島、小島、生み給ひき。淡路島、二名島、おきの島、筑紫の島、壱岐の島、津島、佐渡の島、大倭島、児島、小豆島、大島、女島、なかの島、二子島の十四島、島生みましき。次に、いぶきいぶきて、御子神生み給ひき。大事忍男 神、大事忍男 神、石土毘古 神、石土毘古 神、石巣比売 神、石巣比売 神、大戸日別 神、大戸日別 神、天之吹男 神、天之吹男 神、大屋毘古 神、大屋毘古 神、風木津別之忍男 神、風木津別之忍男 神、海 神、海 神、大綿津見 神、水戸之神、水戸の神、速秋津比 神、速秋津比売 神、速秋津比売 神、風 神、風 神、志那都比古 神、木 神、木 神、久久能智 神、山 神、山 神、大山津見 神、野 神、野 神、鹿屋野比売 神、野椎 神、鳥之石楠船 神、天 鳥船 神、大宜都比売 神、大宜都比売 神火之夜芸速男 神、火之煇比古 神生みましき。速秋津日子、速秋津比売、二柱の神川海に因りもちわけ、ことわけて、生ませる神、沫那芸 神、沫那美 神、頬那芸 神、頬那美 神、天之水分 神、国之水分 神、天之久比奢母智 神、国之久比奢母智 神。次に、大山津見 神、野椎 神の二柱神、山野に依りもちわけて、ことあげて生みませる神、天之狭土 神、国之狭土 神、天之狭霧 神、国之狭霧 神、天之闇戸 神、国之闇戸 神、大戸惑子 神、大戸惑女 神、大戸惑子 神、大戸惑女 神生みましき、伊邪那美 神やみ臥しまして、たぐりになりませる神、金山比古 神、金山比売 神、屎になりませる神、波仁夜須比古 神、波仁夜須比売 神、尿に成りませる神、弥都波能売 神、和久産巣日 神、この神の御子、豊宇気比売 神と申す。ここに伊邪那美 神、火の神生み給ひて、ひつちとなり成り給ひて、根の神の中の国に神去り給ひき。ここに伊邪那岐 神泣き給ひければ、その涙になりませる神、泣沢女 神、ここに迦具土 神斬り給へば、その血石にこびりて、石析 神、根析 神、石筒之男 神、雍瓦速日 神、樋速日 神、建御雷男 神、建布都 神、豊布都 神、御刀の手上の血、闇於加美 神、闇御津羽 神、ここに殺されし迦具土の御首に成りませる神、正鹿山津見 神、御胸に於藤山津見 神、腹に奥山津見 神、陰に闇山津見 神、左の御手に志芸山津見 神、右の御手に羽山津見 神、左の御足に原山津見 神、右の御足に戸山津美 神、成りましき。ここに斬り給へる御刀、天之尾羽張、伊都之尾羽張、と云ふ。ここに妹恋しまし給ひて根の国に追い往で給ひき。十一月二十五日夜、一二 。 |
| 204 |
6_日月の巻 |
第31帖
一二三四五六七八九 十百千卍。今度は千人万人力でないと手柄出来んと申してあろがな。世界中総掛かりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。大将ざからとて油断出来ん。富士の山動く迄にはどんな事も耐えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ。今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。その時その所によりて、どんなにも変化るのが神の魂ぞ。馬鹿正直ならんと申してあろ。今日あれし生命勇む時来たぞ。十一月二十六日、一二 。 |
| 205 |
6_日月の巻 |
第32帖
おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ。月の神様まつりて呉れよ。此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れよ。火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。それを一二三と云ふぞ、一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。言霊ぞ、祓ひぞ、 ぞ。スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三み一たいは三み三たいぞ。一とあらはれて二三かくれよ。月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ。御働き近づいたぞ。十一月十七日、ひつ九かみ。 |
| 206 |
6_日月の巻 |
第33帖
宝の山に攻め寄せ来ると申してくどう気付けておいたでないか。神の国にはどんな宝でもあるのざぞ、 の国、昔から宝埋けておいたと申してあろがな。 の国にも埋けておいてあるのざぞ。この宝は神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。悪が宝取らうと思ったとて、どんなに国に渡り来てもどうにもならん様に神が守ってゐるのざぞ。いよいよとなりたら神がまことの神力出して宝取り出して世界のどんな悪神も神の国にはかなはんと申す所まで、とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから臣民余程見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ。知らしてありた事、日々どしどしと出て来るぞ。われよしすてて呉れよ。十一月二十八日、ひつ九のか三。 |
| 207 |
6_日月の巻 |
第34帖
この神示よく読みてくれよ。早合点してはならんぞ。取違ひが一番怖いぞ。どうしたらお国の為になるのぞ、自分はどうしたら好いのぞと取次にきく人沢山出て来るなれど、この神示読めば、どうしたらよいか判るのざぞ。その人相当にとれるのぞ。神示読んで読んで腹に入れてもう分らぬと云うことないのざぞ。分らねば神知らすと申してあろうがな。迷うのは神示読まぬからぞ。腹に入れておらぬからぞ。人が悪く思へたり、悪くうつるのは己が曇りてゐるからぞ。十一月二十九日、ひつ九のか三。 |
| 208 |
6_日月の巻 |
第35帖
元からの神示腹に入れた人が、これから来る人によく話してやるのざぞ。この道はじめは辛いなれど楽の道ぞ。骨折らいでも素直にさへしてその日その日の仕事しておりて下されよ。心配要らん道ぞ。手柄立てようと思ふなよ。勝たうと思ふなよ。生きるも死ぬるも神の心のままざぞ。どこにどんな事して居ても助ける人は助けるのざぞ。神の御用ある臣民安心して仕事致しておりて下されよ。火降りても槍降りてもびくともせんぞ。心安心ぞ。くよくよするでないぞ。神に頼りて神祀りてまつわりておれよ。神救ふぞ。十一月二十九日、ひつ九のか三。 |
| 209 |
6_日月の巻 |
第36帖
今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。番頭殿を悪く申すでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄悪く申すもの出て来るぞ。産土様何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者沢山出てくるぞ。此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。十一月十九日、一二 。 |
| 210 |
6_日月の巻 |
第37帖
天にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様ある様に、地にもあまてらすすめ大神様、あまてらす大神様あるのざぞ。地にも月読の大神様隠れて御座るのざぞ。素盞鳴の大神様罪穢れ祓ひて隠れて御座るのざぞ。結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮して居りながら、その神様あることさへ知らぬ臣民ばかり。これで此の世が治まると思ふか。神々まつりて神々にまつはりて神国のまつりごといたして呉れよ。詰らぬ事申してゐると愈々詰らぬ事になりて来るぞ。十一月三十日、ひつ九の神しらすぞ。 |
| 211 |
6_日月の巻 |
第38帖
大きアジアの 国々や、島々八十の 人々と、手握り合ひ 神国の、光り輝く 時来しと、皆喜びて 三千年、神の御業の 時来しと、思へる時ぞ 神国の、まこと危なき 時なるぞ、夜半に嵐の どっと吹く、どうすることも なくなくに、手足縛られ 縄付けて、神の御子等を 連れ去られ、後には老人 不具者のみ、女子供も ひと時は、神の御子たる 人々は、悉々暗い 臭い屋に、暮さなならん 時来るぞ、宮は潰され 御文皆、火にかけられて 灰となる、この世の終り 近づきぬ。この神示心に 入れ呉れと、申してある事 わかる時、愈々間近 に なりたぞよ。出掛けた船ぞ、褌締めよ。十一月三十日、ひつ九のか三。 |
| 212 |
6_日月の巻 |
第39帖
喜べば喜ぶ事出来るぞ、悔やめば悔やむ事出来るぞ。先の取越苦労は要らんぞ、心くばりは要るぞと申してあろがな。神が道つけて楽にゆける様に嬉し嬉しでどんな戦も切抜ける様にしてあるのに、臣民逃げて眼塞いで、懐手してゐるから苦しむのぞ。我れよしと云ふ悪魔と学が邪魔してゐる事にまだ気付かぬか。嬉し嬉しで暮らせるのざぞ。日本の臣民は何事も見えすく身魂授けてあるのざぞ、神の御子ざぞ。掃除すれば何事もハッキリとうつるのぞ。早よ判らねば口惜しい事出来るぞ。言葉とこの神示と心と行と時の動きと五つ揃たら誠の神の御子ぞ、神ぞ。十一月三十日、ひつ九のか三のふで。 |
| 213 |
6_日月の巻 |
第40帖
ここに伊邪那美の命語らひつらく、あれみましとつくれる国、未だつくりおへねど、時まちてつくるへに、よいよ待ちてよと宣り給ひき。ここに伊邪那岐 命、みましつくらはねば吾とつくらめ、と宣り給ひて、帰らむと申しき。ここに伊邪那美 命九聞き給ひて、御頭に大雷、オホイカツチ、胸に火の雷、ホノイカツチ、御腹には黒雷、黒雷、かくれに折雷、サクイカツチ、左の御手に若雷、ワキ井カツチ、右の御手に土雷、ツチイカツチ、左の御足に鳴雷、ナルイカツチ。右の御足に伏雷、フシ井カツチ、なり給ひき。伊邪那岐の命、是見、畏みてとく帰り給へば、妹伊邪那美 命は、よもつしこめを追はしめき、ここに伊邪那岐 命黒髪かつら取り、また湯津々間櫛引きかきて、なげ棄て給ひき。伊邪那美 命二の八くさの雷神に黄泉軍副へて追ひ給ひき。ここに伊邪那岐 命十挙 剣抜きて後手にふきつつさり、三度黄泉比良坂の坂本に到り給ひき。坂本なる桃の実一二三取りて待ち受け給ひしかば、ことごとに逃げ給ひき。ここに伊邪那岐 命桃の実に宣り給はく、汝吾助けし如、あらゆる青人草の苦瀬になやむことあらば、助けてよと宣り給ひて、また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり給ひて、おほかむつみの命、オオカムツミノ命と名付け給ひき。ここに伊邪那美 命息吹き給ひて千引岩を黄泉比良坂に引き塞へて、その石なかにして合ひ向ひ立たしてつつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢 命、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊邪那岐 命しかよけむと宣り給ひき。ここに妹伊邪那美の命、汝の国の人草、日にちひと 死と申し給ひき。伊邪那岐 命宣り給はく、吾は一日に千五百生まなむと申し給ひき。この巻二つ合して日月の巻とせよ。十一月三十日、ひつ九のか三。 |
| 214 |
7_日の出の巻 |
第1帖
春とならば萌出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかももえ出づるのぞ、此の方の申す事譬でないと申してあろが、少しは会得りたか。石もの云ふ時来たぞ、此の道早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐、那美の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸程結構なもの無い事始めて会得りて来るぞ。十二月一日、一二 。 |
| 215 |
7_日の出の巻 |
第2帖
九歳は神界の紀の年ぞ、神始めの年と申せよ。一二三、三四五、五六七ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。日月の巻十人と十人の役員に見せてやりて呉れよ、時節到来したのであるぞ。桜咲き神の御国は明けそめにけり。十二月二日、ひつ九のか三しらす。 |
| 216 |
7_日の出の巻 |
第3帖
次の世とは通基-月-の世の事ざぞ、一二の通基-二-の世ぞ、 の月の世ぞ、取違ひせん様に致して呉れよ。智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ六ヶ敷い仕組ぞ、月の神様祀りて呉れよ、素盞鳴の神様祀りて呉れよ、今に会得る事ぞ、日暮よくなるぞ、日暮-一九れ-に祀り呉れよ、十柱揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、神せけるのざぞ。十二月二日、ひつくのかみふで。 |
| 217 |
7_日の出の巻 |
第4帖
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。其の時は五六七の世となるのざぞ。桜花一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。十二月二日、ひつくのかみ。 |
| 218 |
7_日の出の巻 |
第5帖
右に行かんとする者と左りに行かんとするものと結ぶのが の神様ぞ、 の神様とは素盞鳴の大神様ざぞ、この御用によりて生命あれるのぞ、力生れるのぞ、 がまつりであるぞ、神国の祀り であるぞ、神はその全き姿ぞ、神の姿ぞ。男の魂は女、女の魂は男と申して知らしてあろがな。十二月三日、ひつ九のかみ。 |
| 219 |
7_日の出の巻 |
第6帖
神界の事は人間には見当取れんのであるぞ、学で幾ら極め様とて会得りはせんのざぞ、学も無くてはならぬが囚はれると悪となるのざぞ、しもの神々様には現界の事は会得りはせんのざぞ、会得らぬ神々に使はれてゐる肉体気の毒なから身魂磨け磨けと執念申してゐるのざぞ。三、四月に気つけて呉れよ、どえらい事出来るから何うしても磨いておいて下されよ、それまでに型しておいて呉れよ。十二月五日、ひつ九のかみ。 |
| 220 |
7_日の出の巻 |
第7帖
おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念気つけてありた事近ふなりたぞ。神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。国々もその通りざぞ、神には依怙無いのざぞ。ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ。臣民と云ふものは神の言葉は会得らんから悪神の事に御とつけるのは会得らんと申すであろが、御とは力一杯の事、精一杯の事を申すのであるぞ。何処から攻めて来ても神の国には悪神には分らん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、愈々と成りた時には神が誠の神力出して、天地ゆすぶってトコトン降参ざと申す処までギュウギュウと締めつけて、万劫末代 いふ事聞きますと改心する処までゆすぶるから、神の国、神の臣民心配致すでないぞ、心大きく御用して呉れよ、何処に居ても御用してゐる臣民助けてやるぞ。十二月六日、ひつ九か三。 |
| 221 |
7_日の出の巻 |
第8帖
一二三の食物に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱-十七-へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ。日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。集団作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、心配れよ。十二月七日、ひつくのかみふで。 |
| 222 |
7_日の出の巻 |
第9帖
人、神とまつはれば喜悦しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、それが真実の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、 と と申してあろが、戦も と と壊し合ふのでは無いぞ、 と とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、神国真中に和すことぞ。それには 掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、戦の大将が神祀らねばならんぞ。二四は剣ざぞ。神まつりは神主ばかりするのではないぞ、剣と鏡とまつらなならんぞ、まつはれば霊となるのざぞ。霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。天の天照皇大神様は更なり、天の大神様、地の天照大神様、天照皇太神様、月の神様、特に篤く祀り呉れよ、月の大神様御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ、此の世の罪穢負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、地の御神様、土の神様ぞ、祓ひ清めの御神様ぞ、国々の産土の神様祀り呉れよ、遅くなればなる程苦しくなるのざぞ、人ばかりでないぞ。十二月八日、ひつ九のか三。 |
| 223 |
7_日の出の巻 |
第10帖
桜咲き神の御国は明けそめにけり。十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。叩かけてばたばたと叩く処もあるぞ、箒で掃く処もあるぞ、雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、掃除始まったらばたばたに埒つくと申してあろがな、めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのざぞ、花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ。あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。聴き度い事はサニワで聞けよ、何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、神せけるぞ。火吹くぞ。火降るぞ。十二月十日、ひつくのか三。 |
| 224 |
7_日の出の巻 |
第11帖
江戸に道場作れよ、先づ一二三唱へさせよ、神示読みて聞かせよ、鎮魂せよ、鎮神せよ、十回で一通り会得る様にせよ、神祀りて其の前でせよ、神がさすのであるからどしどしと運ぶぞ。誠の益人作るのぞ、此んな事申さんでもやらねばならぬ事ざぞ、神は一人でも多く救ひ度さに夜も昼も総活動してゐる事会得るであろがな、神かかれる人早う作るのぞ、身魂せんだくするぞ、神かかりと申しても狐憑きや天狗憑きや行者の様な神馮りでないぞ、誠の神憑りであるぞ、役員早う取りかかり呉れよ。十二月十一日、一二 |
| 225 |
7_日の出の巻 |
第12帖
日に日に厳しくなりて来ると申してありた事始まってゐるのであるぞ、まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦し喜悦しにしてやるぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、今の世の様見ても未だ会得らんか。神と獣とに分けると申してあろが、早う此の神示読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。十二月十二日、ひつ九のか三。 |
| 226 |
7_日の出の巻 |
第13帖
此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味の信仰であるぞ、神に真直に向ふのざぞ。日向と申してあろがな。真上に真すぐに神を戴いて呉れよ、斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、横からでもお光は戴けるのであるが、道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。方便の世は済みたと申してあろがな、理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、今度は何うしても失敗こと出来んのざぞ。神の経綸には狂ひ無いなれど、臣民愈々苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。斜めや横から戴くと光だけ影がさすのざぞ、影させば闇となるのざぞ、大きいものには大きい影がさすと臣民申して、止むを得ぬ事の様に思ふてゐるが、それはまことの神の道知らぬからぞ、影さしてはならんのざぞ、影はあるが、それは影でない様な影であるぞ、悪でない悪なると知らせてあろが。真上に真すぐに神に向へば影はあれど、影無いのざぞ、闇ではないのざぞ。此の道理会得るであろがな、神の真道は影無いのざぞ、幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、失敗無いのざぞ、それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、神の真道会得りたか。天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地合せ鏡と聞かしてあろがな、天に太陽様ある様に地にも太陽様あるのざぞ、天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。天にお星様ある様に地にもお星様あるのざぞ。天からい吹けば地からもい吹くのざぞ、天に悪神あれば地にも悪神あるのざぞ。足元気つけと申してあろがな。今の臣民上許り見て頭ばかりに登ってゐるから分らなくなるのざぞ、地に足つけよと申してあろが、地拝めと、地にまつろへと申してあろが、地の神様忘れてゐるぞ。下と申しても位の低い神様のことでないぞ、地の神様ぞ、地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ、知らしてあること、神示克く読んで下されよ、国土の事、国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらんのざぞ。神々祀れと申してあろがな、改心第一と申してあろがな、七人に伝へと申してあろがな、吾れ善しはちょんぞ。十二月十四日、ひつくのかみ。 |
| 227 |
7_日の出の巻 |
第14帖
お太陽様円いのでないぞ、お月様も円いのではないぞ、地球も円いのではないぞ、人も円いのが良いのではないぞ、息してゐるから円く見えるのざぞ、活いてゐるから円く見えるのざぞ、皆形無いものいふぞ、息してゐるもの皆円いのざぞ。神の経済この事から生み出せよ、大きくなったり小さくなったり、神の御心通りに活くものは円いのざぞ、円い中にも心あるぞ、神の政治、この事から割り出せよ、神は政事の姿であるぞ、神の政治生きてゐるぞ、人の政治死んでゐるぞ。十二月十五日、一二 。 |
| 228 |
7_日の出の巻 |
第15帖
十柱の神様奥山に祀りて呉れよ、九柱でよいぞ、何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合はして十柱となるのざぞ。御神体の石集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉の日にお祭りして呉れよ。病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。届くとは注ぐ事ぞ、手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝神拝みてから克く合はしてみよ、合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、殊に臍の息一番大切ざぞ、若しも息合ってゐない時には一二三唱へよ、唱へ唱へて息合ふ迄祷れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方意富加牟豆美 神であるぞ。神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、此の事早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。十二月十八日、ひつ九か三。 |
| 229 |
7_日の出の巻 |
第16帖
悪の衣着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦は無いのざぞ、それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。ヤの身魂御苦労、石なぜもの言はぬのぞ、愈々となりてゐるではないか、春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、身辺洗濯せよ、神の規則臣民には堪れんことあるも知れんぞ、気つけておくぞ。十二月十九日、一二 。 |
| 230 |
7_日の出の巻 |
第17帖
何もかもひっくるめて建直しするのであるから、何処から何が出て来るか分らんぞ、御用はそれぞれの役員殿手分けて努めて呉れよ、皆のもの手柄さし度いのぞ、一ヶ処の御用二人宛でやりて呉れよ、結構な御用であるぞ、いづこも仮であるぞ、世が変りたら結構に真通理呉れよ、今は型であるぞ、祀れと申してあること忘れるなよ、まつはらねばならぬのざぞ、神がついてゐるのざから神の申す通りにやれば箱指した様に行くのざぞ。産土神忘れずにな。十二月十九日、ひつ九か三。 |
| 231 |
7_日の出の巻 |
第18帖
富士の御用は奥山に祀り呉れよ、カイの御用も続け呉れよ、江戸一の宮作りて呉れよ、道場も同じぞ、 海の御用とは 海の鳴門と 海の諏訪と 海のマアカタと三所へ祀りて呉れよ。その前の御用、言葉で知らした事済みたぞ、 海マアカタとは印幡ぞ。十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ。辛酉の日に祀りて呉れよ。暫く御神示出ないぞ。皆の者早く今迄の神示肚に入れて呉れよ、神せけるぞ。神示読めば神示出て来るぞ。神祀り早く済せて呉れよ。十二月二十一日朝、一二のか三。 |
| 232 |
7_日の出の巻 |
第19帖
海には神の石鎮め祀り呉れよ、山には神の石立てて樹植えて呉れよ、石は神の印つけて祀る処に置いてあるぞ、祀り結構ぞ、富士奥山には十柱の石あるぞ、十柱祀りて呉れよ、祀る処に行けば分る様にしてあるぞ。十二月二十二日、ひつ九のか三。 |
| 233 |
7_日の出の巻 |
第20帖
今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。今度の経綸は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのぞ、今の様は何事ぞ。此の方は力あり過ぎて失敗った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員神の道広めると申して我を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。今迄は神が世に落ちて人が神になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上で、臣民、人民下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。十年先は、五六七の世ざぞ、今の人間鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思ふてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民火がついてもまだ気付かずにゐるが、今に体に火ついてチリチリ舞ひせなならんことになるから、神、執念気つけておくのざぞ。三四気つけて呉れよ、神の国は神の力で何事も思ふ様に行く様になりてゐるのに、学や智に邪魔されてゐる臣民ばかり、早う気付かぬと今度と云ふ今度は取返しつかんぞ。見事なこと神がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りて呉れよ、依怙の様なれど外国は後廻しぞ、同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得んことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も神の国から神の臣からぞ、洗濯も同様ぞ。今度の御用外したら何時になりても取返しつかんことになるのざから、心して御用して呉れよ、遣り損なひ出来ないことになりてゐるのざぞ。天に一柱地に一柱火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ、何んなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は隆々仕上げ見て呉れよ、此の神はめったに間違いないぞ。三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間殿心配せずに神の申す様素直に致して下されよ。末法の世とは地の上に大将の器無くなりてゐることざぞ。オロシヤの悪神と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ、神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたらばたばたに埓あくぞ。早う改心して呉れよ。十二月二十六日、一二 。 |
| 234 |
7_日の出の巻 |
第21帖
神かがりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分れてゐるのざぞ、 ガカり、かみかかり、か三かかりぞ、 ガカリぞ、 かかり、か三かかり、かみかかりざぞ、神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。そこらに御座る神憑りは五段目六段目の神憑りぞ。神カカリとは惟神の事ぞ、これが神国の真事の臣民の姿ぞ。惟神の国、惟神ぞ、神と人と融け合った真事の姿ぞ、今の臣民のいふ惟神では無いぞ、此の道理会得りたか、真事の神にまつりあった姿ぞ。悪の大将の神憑りは、神憑りと分らんぞ、気つけて呉れよ、これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、早う神カカリになる様掃除して呉れよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。一二三唱へよ、祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、神は人誉め人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。十二月二十七日、ひつ九のか三。 |
| 235 |
7_日の出の巻 |
第22帖
左は火ぞ、右は水ざぞ、 の神と の神ぞ、日の神と月の神ざぞ、日の神許り拝んで月の神忘れてはならんぞ、人に直接恵み下さるのは の神、月神ぞ、ぢゃと申して日の神疎かにするでないぞ、水は身を護る神ざぞ、火は魂護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来てゐるぞ、火の魂入れてあるのざぞ、国土も同様ぞ。 海の御用大切ざぞ。十二月二十八日、ひつ九のか三。 |
| 236 |
7_日の出の巻 |
第23帖
此の世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、此の世去って、役に立つのは身魂の徳だけぞ、身についた芸は其の儘役立つぞ。人に知れぬ様に徳つめと申してあろがな、神の国に積む徳のみが光るのざぞ、マアカタの御用結構であったぞ、富士晴れるぞ、湖晴れるぞ。此の巻、日の出の巻として纒めて役員に読ませて一二三として皆に知らせて呉れよ、神急ぐぞ。十二月二十九日、ひつ九のか三。 |
| 237 |
8_磐戸の巻 |
第1帖
イワトの巻かき知らすぞよ、イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、カミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。ウズメとは女のみでないぞ、男もウズメざぞ、女のタマは男、男のタマは女と申してあろがな。ヤミの中で踊るのざぞ、唄ふのざぞ、皆のものウズメとなりて下されよ、暁つげる十理となりて下されよ、カミカカリて舞ひ唄ひ下されよ、カミカカリでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。十二月三十日、 の一二 。 |
| 238 |
8_磐戸の巻 |
第2帖
キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。ムのキ動けばム くるぞ、ウのキうごけばウ来るぞ、どんな九十でもキあれば出来るぞ、キからうまれるぞ、勇んで神の御用つとめて下されよ。十二月三十一日、 の一つ九 。 |
| 239 |
8_磐戸の巻 |
第3帖
二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこいよいよとなりたぞ。春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。大峠となりたらどんな臣民もアフンとしてもの云へんことになるのざぞ、なんとした取違ひでありたかとじだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ、十人なみのことしてゐては今度の御用は出来んのざぞ。逆様にかへると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、ぐれんざぞ、二二に花咲くぞ。一月一日、 のひつ九か三。 |
| 240 |
8_磐戸の巻 |
第4帖
この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判の時来てゐるのにキづかぬか、其の日其の時さばかれてゐるのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善とたてわけて、どちらも生かすのざぞ、生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、神の心早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ。一月二日、 のひつ九のか三。 |
| 241 |
8_磐戸の巻 |
第5帖
天さかり地さかります御代となるぞ、臣民の心の中にいけおいた花火愈々ひらくとききたぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ。金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金のまねするでないぞ。地つちの軸動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて どうにもこうにもならんことになるぞ、其の時この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人位は何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。一月三日、 のひつ九のか三。 |
| 242 |
8_磐戸の巻 |
第6帖
北、南、たから出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、何事も神の申すこと聞いてすなほになるのが一等ざぞ、神示出ぬ時近ふなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、神示早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ、西も東もみな宝あるぞ、北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、此の宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。一月四日、 のひつ九のか三。 |
| 243 |
8_磐戸の巻 |
第7帖
人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、真通理第一と申すのざ、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。右行く人、左行く人 とがむるでないぞ。世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道はマナカゆく道とくどう申してあること忘れるなよ、今迄の様な宗教や教の集団はつぶれて了ふぞ、神がつぶすのではないぞ、自分でつぶれるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教であるぞ。この神の申すこと、天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチざぞ。今度の岩戸ひらきの大望すみたとて、すぐによいことばかりではないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、すなほに、神の申す通りにするのが何より結構なことざぞ。一月七日、 のひつ九か三。 |
| 244 |
8_磐戸の巻 |
第8帖
神の国の昔からの生神の声は、世に出てゐる守護人の耳には入らんぞ、世に出てゐる守護人は九分九厘迄外国魂ざから、聞こえんのざぞ。外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出てまゐれよ。この神の国には世の元からの生神が水ももらさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ。敗けてもクヤシクない迄に攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。その上で、敗けてこれはカナワンと云ふ時迄かかりて御座れよ。学、勝ちたら従ってやるぞ、神の力にカナワンこと心からわかりたら末代どんなことあっても従はして元の神のまことの世にして、改心さして、万劫末代口説ない世に致すぞよ。一月九日、 の一二のか三。 |
| 245 |
8_磐戸の巻 |
第9帖
富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それ迄に神の国の臣民改心して居らぬと気の毒出来るぞ。天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからんぞ、よき代になりたら神はモノ云はんぞ。人が神となるのざぞ、この神は巫女や弥宜にはかからんぞ、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。この道は中行く道と申してあろがな。戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。長引く程、国はヂリヂリになくなるぞ。米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命あると申して油断するでないぞ。この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ。一月十一日、 のひつ九 。 |
| 246 |
8_磐戸の巻 |
第10帖
悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひであるぞ。早う神の申すことききて下されよ。世界の何処さがしても、今では九九より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。此の道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、なかなかにつとまらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリはコワイのざぞ。節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ。一月十二日、 のひつ九の 。 |
| 247 |
8_磐戸の巻 |
第11帖
心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ、神のイレモノ、動物等に自由にされてゐて、それでマコトの神の臣民と申されるか、判らんと申してあまりであるぞ。ゴモク吐き出せよ、其の儘にしておくと段々大きくなりて始末にゆかんことになりて、しまいには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。改心してキレイに掃除出来たら、千里先にゐても、ひつきの神とたのめば何んなことでもさしてやるぞ、この神は世界中何処へでも届く鼻もってゐるのざぞ、この世つくりたこの神ざ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、神の御用さへつとめて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、神にはエコがないのぞ。一月十三日、 の一二か三。 |
| 248 |
8_磐戸の巻 |
第12帖
マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。一月十三日、 の一二か三。 |
| 249 |
8_磐戸の巻 |
第13帖
コトちがふから、精神ちがふから、ちがふことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代世治めるのざ。何事も末代のことであるから、末代動かん様に定めるのざから、大望であるぞ。上の臣民この儘で何とか彼んとかいける様に思ふてゐるが、其の心われよしざぞ。今度は手合して拝む許りでは駄目ざと申してあろが、今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなるのざぞ、まけられんことになるのざぞ、神魂の臣民でないと神の国には住めんことになるのざぞ。この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢり気ありたら、先になりてまた大きな間違ひとなるから、洗濯々々とくどう申してゐるのざ。神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、今の学ある者大き取り違ひいたしてゐるぞ。大国 常立 尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、 の の の光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、早う洗濯せんと間に合はんぞ。この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思ふてゐるとグレンざぞ。仏もキリストも何も彼もスカリと救はねばならんのざ、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔からの因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。ますぐに神の道に進めよ。神の道は一筋ざと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ、世界の片八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ、神の国は神のやり方でないと治まらんから今までの法度からコトから、やりかたかえて、今迄はやりかた違ってゐたから、神のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、する迄苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもない様なことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申してゐるのざぞ、何も彼も神にささげよ、てんし様にささげよと申してあろがな、それが神国の民の心得ぞ、否でも応でもそうなって来るのざぞ。神国の政治経済は一つざと申してあろうがな、今の臣民に判る様に申すならば、臣民働いてとれたものは、何でも神様にささげるのざ、神の御社は幸でうづもれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光のまちとなるのざぞ。神からわけて下さるのざぞ、其の人の働きによってそれぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝徳相当に集まるのざぞ、キンはいらんと申してあろがな、元の世になる迄に、さうした事になって それからマコトの神の世になるのざ。神の世はマツリあるだけぞ、それ迄にお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札の様なものざぞ。判る様に申すなら、神の御社と臣民のお役所と市場と合した様なものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、マコトのマツリの一ざぞ。このことよく肚に入れて一二三として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心して、勇んで暮す様にしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、さびしくなりたらたづねて御座れと申してあろがな。一月十三日、 の一二か三。 |
| 250 |
8_磐戸の巻 |
第14帖
生味の、生き通しの神が、生味を見せてやらねばならんことに、何れはなるのざが、生神の生味ははげしいから、今の内に綺麗に洗濯しておけと申すのざ、皆にまつろひておけと申すのざ。可哀さうなは兵隊さんざぞ、神に祈りてやりて呉れよ。幽界人よ、日本の国にゐる幽界魂の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなた達も子ざから早う神の下にかえりてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどうきづけるぞ。一月十三日、 の一二のか三。 |
| 251 |
8_磐戸の巻 |
第15帖
この方の道、悪きと思ふなら、出て御座れ、よきかわるきか、はっきりと得心ゆくまで見せてやるぞ。何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけて呉れよ。皆和合して呉れよ。わるき言葉、息吹が此の方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコト判らんぞ、慾はいらぬぞ、慾出したら曇るぞ。めくらになるぞ、おわびすればゆるしてやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。病治してやるぞ、神息吹つくりてやれよ、神いぶきとは一二三書いた紙、神前に供へてから分けてやるもののことざぞ。腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪も分からん世、闇の世と申すぞ。天照皇太神宮様の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ、無理にあけた岩戸開きざから、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、神にはわけへだて無いのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、まぢりけのない、マコトの神の息吹でひらくのざぞ。まぢりありたら、にごり少しでもありたら、またやり直しせなならんからくどうきつけてゐるのざぞ。何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。一月十四日、旧十一月三十日、 の一二 。 |
| 252 |
8_磐戸の巻 |
第16帖
世の元からの生神が揃うて現はれたら、皆腰ぬかして、目パチクリさして、もの云へん様になるのざぞ。神徳貰うた臣民でないと中々越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負ひきれん迄にやるぞ、大き器もちて御座れよ、掃除した大きいれものいくらでも持ちて御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来てゐるのざから安心して御用つとめてくれよ。今度はマコトの神の力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。洗濯と申すのは何事によらん、人間心すてて仕舞て、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つもうたがはず生れ赤子の心のうぶ心になりて、神の教守ることぞ。ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか、今度の岩戸開きはミタマから、根本からかへてゆくのざから、中々であるぞ、天災や戦ばかりでは中々らちあかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思ふてゐると判らんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ、今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、大層な骨折りざぞよ。叱るばかりでは改心出来んから喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引寄せて御用さしてあるのざ、めったに見当くるわんぞ、神が綱かけたら中々はなさんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくる廻って又始めからお出直しで御用せなならん様になって来るぞ。ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ。ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。一月十四日、 の一二のか三。 |
| 253 |
8_磐戸の巻 |
第17帖
この神はよき臣民にはよく見え、悪き臣民には悪く見へるのざぞ、鬼門の金神とも見へるのざぞ、世はクルクルと廻るのざぞ、仕合せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれのミタマの曇りとりてゐるのざから、勇んで苦しいこともして下されよ、上が裸で下が袴はくこと出て来るぞ。神が化かして使うてゐるのざから、出来あがる迄は誰にも判らんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がびっくりするのざぞ、びっくり箱にも悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、神の道は無理ない道ざと知らしてあろが。ミタマの因縁おそろしいぞ。上下わき上がるが近うなりたぞ。一月十四日、 の一二か三。 |
| 254 |
8_磐戸の巻 |
第18帖
今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、時節到来して、天晴世に出て来たのざぞ、因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、神の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ。この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、其の時ではもう間に合はんからくどう気付けてゐるのざぞ。臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になってゐるのざから、マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐるのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、神の臣民はづかしない様にして呉れよ、臣民はづかしことは、神はづかしのざぞ。愈々善と悪のかわりめであるから、悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。一月十四日、 の一二のか三。 |
| 255 |
8_磐戸の巻 |
第19帖
向ふの国いくら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神なき国は、いづれは往生ざぞ。この神の申すことよく肚に入れて、もうかなはんと申す所こらへて、またかなはんと申す所こらへて愈々どうにもならんといふ所こらへて、頑張りて下されよ、神には何も彼もよくわかりて帳面に書きとめてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、其処迄見届けねば、この方の役目果たせんのざ、可哀さうなれど神の臣民殿、こらえこらえてマコト何処迄も貫きて下されよ、マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手柄たてさして、神からあつく御礼申してよき世に致すのであるぞ、腹帯しっかり締めてくれよ。重ねて神が臣民殿にたのむぞよ、守護神殿にたのむぞよ。一月十四日、 のひつ九のか三。 |
| 256 |
8_磐戸の巻 |
第20帖
いくさ何時も勝と許りはかぎらんぞ、春まけとなるぞ、いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、神の国の神の道は大丈夫であるなれど、日本臣民大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早うミタマ磨いてくれよ、も少し戦すすむと、これはどうしたことか、こんなはづではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、さうなってからでは遅いからそれ迄に、この神示よんで、その時にはどうするかと云ふこと判りて居らんと仕組成就せんぞ、役員の大切の役目ざぞ、われの思いすてて了ふて早うこの神示、穴のあく程うらの裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終りに、神強く頼むぞよ。旧十一月三十日、 の一二の 。 |
| 257 |
8_磐戸の巻 |
第21帖
元の大和魂にかへれと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、神に心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキの儘の魂にかへらんとならんのぞ、かんじんの神示むやみに見せるではないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、みみから知らすから、肚から肚へと伝へて呉れよ。節分からははげしくなりて、はげしき神示はかかせんぞ。天明神示の御用はこれでしばらく御用すみぞ、その代りみみ掃除しておいてくれよ。旧十一月三十日、 の一二 。 |
| 258 |
9_キの巻 |
第1帖
節分からは手打ち乍ら、ひふみ祝詞宣りて呉れよ、拍手は元の大神様の全き御働きぞ、タカミムスビと カミムスビの御働きぞ、御音ぞ、和ぞ、大和のことぞ、言霊ぞ、喜びの御音ぞ、悪はらう御音ぞ。節分境に何も彼も変りて来るぞ、何事も掃除一番ぞ。一月二十九日、 のひつくの神しるす。 |
| 259 |
9_キの巻 |
第2帖
神示読めば何も彼も判る様になりてゐること分らぬか、おはりの御用御苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組通りになりてゐる、臣民心配するでないぞ、一の宮は桜咲く所へつくれよ、わかりたか、天之日津久 神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀り呉れよ、祭典、国民服の左の胸に八たれのシデ二本つけてキヌのシデつけて当分奉仕してよいぞ。道場は一の宮と一つ所でよいぞ、イイヨリの御用タニハの御用御苦労であったぞ。皆の者愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌しめよ、グレンざぞ。二月二十六日、ひつぐの神。 |
| 260 |
9_キの巻 |
第3帖
雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神様にお祈りすれば、この世の地震、荒れ、逃らせて下さるぞ、皆の者に知らしてやりて下されよ、この方イの神と現われるぞ、キの神と現われるぞ、シチニの神と現はれるぞ、ヒの神と現はれるぞ、ミの神と現はれるぞ、イリ井の神と現はれるぞ、五柱の神様厚くおろがめよ、十柱の神厚くおろがめよ。三月八日、ひつぐの神しらすぞ。 |
| 261 |
9_キの巻 |
第4帖
カミの大事の肝腎の所が違ふた事になりてゐるから、其の肝腎要の所元に戻さな何程人間が、いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、元の先祖の神でないと、此処と云ふ所出来んぞ、神の国の元の因のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、肝腎がひっくり返りてゐるぞ、早う気付かんと、間に合はんぞ、もちと大き心持ちなされよ、世界の事ざから、世界の御用ざから、大き心でないと御用出来んぞ。これからは神が化けに化けて心引くことあるから其のつもりでゐて呉れよ、三、四月気付けて呉れよ。三月九日、ひつ九の神ふで。 |
| 262 |
9_キの巻 |
第5帖
この神示は心通りにうつるのざぞ、思ひ違ふといくら神示読んでも違ふことになるぞ、心違ふと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、この方クヤム事嫌いぞ。次の世となれば、これ迄の様に無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落して取る様になりてゐるのざから神も往生ざぞ、神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となって来たのざぞ、其処にまだ気付かんか、キが元ざと申してあろがな、早う気付かんと間に合はんぞ。この神は従ふ者にはおだやかざが、さからふ者には鬼となるのざぞ。三月十日、一二の神。 |
| 263 |
9_キの巻 |
第6帖
道場開き結構でありたぞ、皆の者御苦労ぞ、知らしてある様に道開いて下されよ、天と地と合せ鏡ぞ、一人でしてはならんぞ。桜咲く所、桜と共に花咲くぞ、夏マケ、秋マケ、となったら冬マケで泣きあげてはならんぞ、戦すんでからが愈々のイクサぞ、褌しめよ、役員も一度は青なるのざぞ、土もぐるのざぞ、九、十、気付けて呉れよ。神示よく読めよ、肝腎のこと判りては居らんぞ、一のことぞ。一  三。三月十一日、ひつぐの神。 |
| 264 |
9_キの巻 |
第7帖
物、自分のものと思ふは天の賊ぞ、皆てんし様の物と、クドウ申してあるのにまだ判らんか。行出来て口静かにして貰ふと、何事もスラリとゆくぞ、行が出来ておらんと何かの事が遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。神の国の半分の所にはイヤな事あるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サア今ぢゃと云ふとこになりたら、臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、なした結構な事かとビックリ箱あくのざぞ。天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ、この世三角にしようと四角にしようと元のこの方等の心のままぞ。後から来た守護神先になるから、今の役員さうならん様に神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つ分らん事ない様にして呉れよ、今に恥づかしい事になるぞ。元の大和魂の誠の身魂揃ふたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざと申してあろが、末代動かぬ世の元の礎きづくのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。キが元と申してあろがな、上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。三月十一日、ひつ九の神。 |
| 265 |
9_キの巻 |
第8帖
今迄して来た事が、成程天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分りて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、建直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。建直し急ぐぞ、建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層な事であるのざぞ。上下グレンと申してあることよく肚に入れて呉れよ。三月十一日、ひつぐの神。 |
| 266 |
9_キの巻 |
第9帖
悪いこと待つは悪魔ぞ、何時建替、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使はれてゐるのざぞ。この神示世界中に知らすのざ、今迄は大目に見てゐたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、神の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国 常立 尊であるぞ、親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、それで天におのぼりなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この神々様、御手伝ひでこの世のかため致したのであるぞ、元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、神を見おろしてゐる様で、何でこの世が治まるものぞ。天と地の御恩といふことが神の国の守護神に判りて居らんから難儀なことが、愈々どうにもならん事になるのぞ、バタバタとなるのぞ。臣民生れおちたらウブの御水を火で暖めてウブ湯をあびせてもらふであろが、其の御水はお土から頂くのざぞ、たき火ともしは皆日の大神様から頂くのざぞ、御水と御火と御土でこの世の生きあるもの生きてゐるのざぞ、そんなこと位誰でも知ってゐると申すであろが、其の御恩と云ふ事知るまいがな、一厘の所分かるまいがな。守護神も曇りてゐるから神々様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かす様では誠の役員とは云はれんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしてゐるのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民くさって了ふぞ、せわしく働けよ。三月十一日、ひつぐの神。 |
| 267 |
9_キの巻 |
第10帖
山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所愈々ざぞ。ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民自分でするのざぞ。一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ。三月十三日、一二 。 |
| 268 |
9_キの巻 |
第11帖
一二三とは限りなき神の弥栄であるぞ、一は始めなき始であるぞ、ケは終りなき終りであるぞ、神の能が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今ぞ。一二三は神の息吹であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食せよ、始め一二三あり、一二三は神ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、 であるぞ、 であるぞ。皆の者に一二三唱へさせよ、五柱御働きぞ、八柱十柱御働きぞ、五十連ぞ、意露波ぞ、判りたか。三月十四日、ひつ九ノか三。 |
| 269 |
9_キの巻 |
第12帖
みぐるしき霊には みぐるしきもの写るぞ、それが病の元ぞ、みぐるしき者に、みぐるしきタマあたるぞ、それで早う洗濯掃除と申してくどう気付けておいたのぞ。神のためしもあるなれど、所々にみせしめしてあるぞ、早う改心して呉れよ、それが天地への孝行であるぞ、てんし様への忠義であるぞ、鎮魂には神示読みて聞かせよ、三回、五回、七回、三十回、五十回、七十回で始めはよいぞ、それで判らぬ様なればお出直しで御座る。三月十五日、ひつぐの神。 |
| 270 |
9_キの巻 |
第13帖
世に落ちておいでなさる御方御一方竜宮の音姫殿御守護遊ばすぞ、この方、天晴れ表に表れるぞ、これからは神徳貰はんと一寸先へも行けんことになったぞ、御用さして呉れと申してもメグリある金は御用にならんぞ、メグリになるのざ。自分の物と思ふのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護じん九分九厘迄天の賊ぞ。偉い人愈々とんでもないことになるぞ、捕はれるぞ、痛い目にあわされるぞ、今に目覚めるなれど其の時では遅い遅い。おかみも一時は無くなるのざ、一人々々何でも出来る様になりて居りて呉れと申してあること近うなりたぞ、ひ-火-の大神気付けて呉れよ、どえらいことになるぞ。一厘のことは云はねばならず云ふてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んでさとりて呉れよ、神たのむのざぞ。三月十六日、ひつぐの神。 |
| 271 |
9_キの巻 |
第14帖
三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ、心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、九月八日の仕組近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争つきはつ大道ぞ。一時はこの中も火の消えた様に淋しくなってくるぞ、その時になっておかげ落さん様にして呉れよ、神の仕組愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三と咲くぞ。三月十七日、ひつぐの神。 |
| 272 |
9_キの巻 |
第15帖
誠申すと耳に逆らうであろが、其の耳取り替へて了ふぞ、我れに判らんメグリあるぞ、今度は親子でも夫婦でも同じ様に裁く訳には行かんのざ、子が天国で親地獄と云ふ様にならん様にして呉れよ、一家揃ふて天国身魂となって呉れよ、国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借金なしにして下されよ、天明代りに詫してくれよ、役員代りて詫びして呉れよ、この神示肚に入れておれば何んな事が出て来ても胴すわるから心配ないぞ、あななひ、元津神々人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道、勇み出で、総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道。三月十九日、ひつ九の神。 |
| 273 |
9_キの巻 |
第16帖
元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。ひふみ道出で睦び、月の神足り足りて成り、新しき大道みつ。神々みち、ゑらぎ百千万のよきこと極む。いよいよとなり、何も彼も百千とひらき、道栄え道極み進み、道極み真理の真理極む。元の光の神々ゑらぎ、更に進む世、和合まずなりて百の世極みなる。世に光る神々の大道、神々ことごとにゑらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代極み来る、弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。三月二十日、ひつ九の神。 |
| 274 |
9_キの巻 |
第17帖
すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事出来んのざぞ、逃れようとするのは我れよしざぞ、今の仕事五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、其の御用すみたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが。身魂相当の御用致してゐるのざぞ、仕事し乍ら神示肚に入れて行けば仕事段々変るのざぞ、神示声立てて読むのざと、申してあること忘れるなよ、その上で人に此の道伝へてやれよ、無理するでないぞ。我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、神の息吹きにとけ入るのざぞ、 御みいづ にとけ入るのざぞ、愈々神示一二三となるぞ、一二三とは息吹ぞ、みみに知らすぞ、云はねばならぬから一二三として、息吹きとして知らすぞ。神示よく読めば分ることぞ、神示読めよ、よむと神示出るぞ、此の巻はキの巻と申せよ。富士は晴れたり ばれ、岩戸あけたり ばれぞ。三月二十日、ひつ九の神。 |
| 275 |
10_水の巻 |
第1帖
三 の巻書き知らすぞ。見渡す限り雲もなく富士は晴れたり、日本晴れ、海は晴れたり、日本晴れ、港々に日の丸の旗翻る神の国。それ迄に云ふに云はれんことあるなれど、頑張りて下されよ。道も無くなるぞ。てん詞様おろがみてくれよ。てん詞様は神と申して知らしてあろがな、まだ分らんか、地の神大切せよと聞かしてあろが、神様にお燈明ばかり備へてはまだ足らぬのぞ。お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ぞと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ、守護神殿祭りて呉れよ。まつはらねば力現はれぬぞ、守護神殿は拍手四つ打ちておろがめよ、元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力出ぬのざぞ、わかりたか、曇りなく空は晴れたり。旧三月十日、三のひつ九 。 |
| 276 |
10_水の巻 |
第2帖
ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞であるぞ。たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへきよめたまへとまおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふちこまの、みみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもまおす。あめのひつくのかみ、まもりたまへさちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九 十。旧三月十日、三のひつ九か三。 |
| 277 |
10_水の巻 |
第3帖
神の子は神としての自分養ふことも、つとめの一つであるぞ。取違ひすると大層な事になるから、気つけておくぞ。書かしてある御神名は御神体として祭りてもよく、お肌守としてもよいぞ、皆に多く分けてやれよ。御神名いくらでも書かすぞ、その用意しておいてくれよ、神急ぐぞ。祓え祝詞書き知らすぞ。かけまくもかしこき、いざなぎのおほかみ、つくしのひむかの、たちばなのおとのあはぎはらに、みそぎはらえたまふときになりませる、つきたつふなどのかみ、みちのなかちはのかみ、ときおかしのかみ、わつらひのうしのかみ、ちまたのかみ、あきくひのうしのかみ、おきさかるのかみ、おきつなぎさびこのかみ、おきつかひへらのかみ、へさかるのかみ、へつなぎさひこのかみ、へつかひへらのかみ、やそまがつひのかみ、おほまがつひのかみ、かむなほひのかみ、おほなほひのかみ、いづのめのかみ、そこつわたつみのかみ、そこつつのおのかみ、なかつわたつみのかみ、なかつつのおのみこと、うわつわたつみのかみ、うわつつのおのみこと、はらえと四はしらのかみたちともに、もろもろのまがこと、つみけがれをはらえたまへ、きよめたまへとまおすことを、きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。次に「うけひ」の言葉しらすぞ。ご三たいのおほかみさま、ご三たいのおほかみさま、ひつきのおほかみさま、くにとこたちのおほかみさま、とよくもぬのおほかみさま、つきのおほかみさま、すさなるのおほかみさま、あめのかみさま、かぜのかみさま、いわのかみさま、キのかみさま、かねのかみさま、ひのかみさま、ひのでのかみさま、りゅうぐうのおとひめさま、やほよろづのいきかみさま、ことにいすずにます、てんしょうこうだいじんぐうさま、とようけのおほかみさまをはじめたてまつり、よのなかのいきかみさま、うぶすなのおほかみさまのおんまへに、ひろきあつきごしゅごのほど、ありがたく、とうとく、おんれいもうしあげます。このたびのいわとひらきには、千万いやさかのおはたらき、ねがひあげます。あめつちのむた、いやさかに、さかへまさしめたまひ、せかいのありとあるしんみん、ひとひもはやく、かいしんいたしまして、おほかみさまのみむねにそひまつり、おほかみさまのみこころのまにまに、かみくに、じょうじゅのため、はたらきますよう、おまもりくださいませ、そのため、このたま、このみは、なにとぞ、いかようにでも、おつかひくださいませ、みむねのまにまに、まことのかみくにのみたみとしてのつとめを、つとめさしていただくよう、むちうち、ごしゅごくださいませ、かむながらたまちはへませ、いやさかましませ。次に御先祖様の拝詞しらすぞ。此の祖霊宮に神鎮まり坐す。遠津祖 神、代々の祖霊神達の御前、また親族家族の霊祖神の御前に謹み敬ひも白す。此の家内には諸々の曲事、罪穢あらしめず、夜の護り、日の守りに守り幸はひ給ひ、まこと神国のみ民としての義務を全うせしめ給へ、夜の護り日の守りに守り、捧ぐるものの絶間無く、子孫の弥栄継ぎに栄えしめ給へと畏み畏みも白す、惟神霊神幸はへませ、惟神霊神幸はへませ。一本の草でも干して貯へておけよと申してあろがな。四月二十三日、三の一二のか三。 |
| 278 |
10_水の巻 |
第4帖
お宮も土足にされる時が来る、おかげ落さん様に気付けよ。勲章も何んにもならん時が来る、まこと一つに頼れ人々。二十四日、三の一二のか三。 |
| 279 |
10_水の巻 |
第5帖
外国のコトは無くなるぞ。江戸の仕組旧五月五日迄に終りて呉れよ。後はいよいよとなるぞ。神が申した時にすぐ何事も致して呉れよ、時過ぎると成就せん事あるのざぞ。桜花一時に散る事あるぞ、いよいよ松の世と成るぞ、万劫変らぬ松の世と成るぞ。松の国松の世結構であるぞ。この神示声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろがな。言霊高く読みてさえおれば結構が来るのざぞ。人間心出してはならんぞ。五月一日、三のひつ九のかみ。 |
| 280 |
10_水の巻 |
第6帖
キが元ぞと申してあろがな。神国負けると云ふ心、言葉は悪魔ぞ、本土上陸と云ふキは悪魔ざぞ。キ大きく持ちて下されよ。島国日本にとらはれて呉れるなよ。小さい事思ふてゐると見当取れん事になるぞ。一たべよ、二たべよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはかみざぞ、神にそなへてからかむのざぞ、かめばかむほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。かみながら仕事してもよいぞ。青山も泣き枯る時あると申してあろが。日に千人食い殺されたら千五百の産屋建てよ。かむいざなぎの神のおん教ぞ。神きらふ身魂は臣民も厭ふぞ。五月二日、三のひつくのか三。 |
| 281 |
10_水の巻 |
第7帖
皆病気になりてゐること分らぬか。一二三のりとで直してやれよ。神示読みて直してやれよ。自分でも分らぬ病になってゐるぞ、早ふ直さぬとどうにもならんことになって来るぞ。この宮、仮であるぞ。真中に富士の山つくり、そのまわりに七つの山つくりて呉れよ。拝殿つくり呉れよ。神示書かす所作りてくれよ。天明弥澄む所作りて呉れよ。いづれも仮でよいぞ。早ようなされよ。松の心にさへなりておれば、何事もすくすく行くぞ。五月四日、みづのひつ九のか三。 |
| 282 |
10_水の巻 |
第8帖
鎮座は六月の十日であるぞ。神示書かしてまる一年ぞ。神示で知らしてあろが、それからがいよいよの正念場ざぞ。びっくり箱あくぞ。五月四日、みづのひつ九のか三。 |
| 283 |
10_水の巻 |
第9帖
富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。お山開きまこと結構。松の国松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと一二三のりとコト入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。江戸道場やめるでないぞ、お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。めぐりあるから心配あるのぞ。めぐり無くなれば心配なくなるぞ。心配ないのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日津久の御民何時も富士晴れ心でおりて下されよ。肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ。金に難渋して負けぬ様にして下されよ。金馬鹿にしてはならんぞ。あせるでないぞ。あせると心配事出来るぞ。神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。不和の家、不調和の国のささげもの神は要らんぞ。喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。神はうれしいぞ。旧九月八日とどめぞ。六月二日、みづのひつ九のか三。 |
| 284 |
10_水の巻 |
第10帖
五大洲引繰り返って居ることまだ判らぬか。肝腎要の事ざぞ。七大洲となるぞ。八大洲となるぞ。今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは、天之御中主 神様、高皇産霊 神様、神皇産霊 神様、伊邪那岐 神様、伊邪那美 神様、つきさかきむかつひめの神様で御座るぞ。雨の神とは あめのみくまりの神、くにのみくまりの神、風の神とは しなどひこの神、しなどひめの神、岩の神とは いわなかひめの神、いわとわけの神、荒の神とは 大雷のをの神、わきいかづちおの神、地震の神とは 武甕槌 神、経津主 神々様の御事で御座るぞ。木の神とは木 花開耶姫 神、金の神とは金かつかねの神、火の神とは わかひめきみの神、ひのでの神とは 彦火々出見 神、竜宮の乙姫殿とは玉依姫の神様のおん事で御座るぞ。此の方の事何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ。知らす時節近づいたぞ。六月十一日、みづの一二 。 |
| 285 |
10_水の巻 |
第11帖
神第一とすれば神となり、悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。何事も神第一結構。カイの言霊キざぞ。キが元ぞと知らしてあろが、カイの御用にかかりてくれよ。何と云ふ結構なことであったかと、始めは苦しいなれど、皆が喜ぶ様になって来るのざぞ。先楽しみに苦しめよ。ぎゅうぎゅうと、しめつけて目の玉がとび出る事あるのざぞ、そこまでに曇りて居るのざぞ、はげしく洗濯するぞ。可愛い子、谷底に突き落さなならんかも知れんぞ、いよいよ神が表に現はれて神の国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ。日本にはまだまだ何事あるか判らんぞ。早く一人でも多く知らしてやれよ。タマ磨けば磨いただけ先が見えすくぞ。先見える神徳与へるぞ。いくらえらい役人頑張りても今迄の事は何も役に立たんぞ。新しき光の世となるのぞ。古きもの脱ぎすてよ、と申してあろがな。まこと心になりたならば自分でも判らん程の結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ。いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいと云ふことないぞ。いくらつとめても、これでよいと云ふことはないのざぞ。神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。ますかけひいて、世界の臣民、人民勇みに勇むぞ。勇む事此の方嬉しきぞ。富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心我れよしぞ。何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。六月十一日、みづのひつ九か三。 |
| 286 |
10_水の巻 |
第12帖
人間心には我があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ。我なくせ、我出せよ。建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威輝く御代とする事ぞ。政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きゐて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道、世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。六月十二日、みづのひつ九の 。 |
| 287 |
10_水の巻 |
第13帖
火と水と申してあろがな。火つづくぞ。雨つづくぞ。火の災あるぞ。水の災あるぞ。火のおかげあるぞ、水の災気つけよ。火と水入り乱れての災あるぞ、近ふなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。一度は神の事も大き声して云へん事あるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。家族幾人居ても金いらぬであろが。主人どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型残してあるのざぞ。国治めるに政治はいらぬぞ、経済いらぬぞ。神おろがめよ、神祭れよ、てんし様おろがめよ。何もかも皆神に捧げよ、神からいただけよ。神国治まるぞ。戦もおさまるぞ。今の臣民口先ばかりでまこと申してゐるが、口ばかりでは、なほ悪いぞ。言やめて仕へまつれ。でんぐり返るぞ。六月十三日、みづのひつくのかみ。 |
| 288 |
10_水の巻 |
第14帖
今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方化けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様三日此の世をかまひなさらぬとこの世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。旧五月五日、みづのひつ九か三。 |
| 289 |
10_水の巻 |
第15帖
富士、火吐かぬ様おろがみて呉れよ、大難小難にまつりかへる様おろがみて呉れよ。食物頂く時はよくよく噛めと申してあろが、上の歯は火ざぞ、下の歯は水ざぞ。火と水と合すのざぞ。かむろぎかむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ、肉となるぞ。六月十七日、ひつ九のかみ。 |
| 290 |
10_水の巻 |
第16帖
まだまだ御苦労あるぞ。たまの宮つくりてよいぞ。われの事言はれて腹のたつ様な小さい心では、今度の御用出来はせんのざぞ。心大きく持てと申してあろがな。六月二十日、ひつ九のかみ。 |
| 291 |
10_水の巻 |
第17帖
カイの御用はキの御用であるぞ。臣民はミの御用つとめて呉れよ。キとミの御用であるぞ。ミの御用とは体の御用であるぞ。身養ふ正しき道開いて伝へて呉れよ。今迄の神示読めばわかる様にしてあるぞ。キの御用に使ふものもあるぞ。キミの御用さす者もあるぞ、お守りの石どしどしさげてよいぞ。水の巻これで終りぞ。六月二十三日、三の一二 。 |
| 292 |
11_松の巻 |
第1帖
富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。煎り豆花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組ぞ。六月十七日、あめのひつ九のか三。 |
| 293 |
11_松の巻 |
第2帖
神の国を、足の踏むところない迄にけがして仕舞ふてゐるが、それで神力は出ぬぞ。臣民無くなるぞ。残る臣民三分むつかしいぞ。三分と思へども、二分であるぞ。邪魔せん様に、分らん臣民見物して御座れ。ここまで知らして眼覚めん臣民なら手引いて見てゐて御座れ。見事仕上げて見せるぞ。雀ちうちう烏かうかう。六月十八日、あめのひつ九か三。 |
| 294 |
11_松の巻 |
第3帖
神烈しく、人民静かにせよ。云ふた事必ず行はねばならんぞ。天から声あるぞ、地から声あるぞ。身魂磨けばよくわかるのざぞ。旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心獣ぞ。神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはその事ざぞ。六月十九日、あめのひつ九のかみ。 |
| 295 |
11_松の巻 |
第4帖
幾ら誠申してもまことは咽喉へつかへて呑み込めぬから、誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民沢山は要らんぞ。何もかも神が仕組みてゐるのざから、人民仕様とて何も出来はせんぞ、神の気概に叶はん人民は地の下になるのざぞ。神示わからねば一度捨てて見るとわかるのざぞ。六月二十日、アメのひつ九のかミ。 |
| 296 |
11_松の巻 |
第5帖
この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中金の草鞋で捜しても九九より他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。神の国の政治は、もの活かす政治と申してあろが、もの活かせば、経済も政治も要らんぞ。金もの云ふ時から、物もの云ふ時来るぞ。誠もの云う時来るぞ。石もの云ふ時来るぞ。六月二十一日の朝、アメのひつ九のかみ神示。 |
| 297 |
11_松の巻 |
第6帖
今の世に出てゐる守護神、悪神を天の神と思ってゐるから なかなか改心むつかしいぞ。今迄の心すくりとすてて生れ赤子となりて下されと申してあろが。早よ改心せねば間に合はん、残念が出来るぞ。この神示わからんうちから、わかりておらんと、分りてから、分りたのでは、人並ざぞ。地の規則天の規則となる事もあるのざぞよ。六月二十二日、アメのひつ九のかみふで。 |
| 298 |
11_松の巻 |
第7帖
偉い人皆俘虜となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ。神の国一度負けた様になって、終ひには勝ち、また負けた様になって勝つのざぞ。腹の中のゴモク一度に引張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒事にかかるからそのつもりで覚悟よいか。わからん人民退いて邪魔せずに見物してござれよ。六月二十三日、アメのひつ九の 。 |
| 299 |
11_松の巻 |
第8帖
神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界身魂は幽界行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。日本の人民、大和魂何処にあるのざ、大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。それでどうにもこうにもならん事になるから、早よう神にすがれと申してゐるのぞ。誠ですがれば、その日からよくなるぞ、神力現れるぞ。今度の建替は、此の世初まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民沢山出来るぞ。ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固より、獣の道もつくりかへぞ。戦の手伝い位誰でも出来るが、今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、気付けて呉れよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ。海の御守護は竜宮のおとひめ様ぞ。海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。まつわり呉れよ。竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。宝愈々世に出るぞ。人民の改心第一ぞ。顔は今日でも変るぞ。民の改心なかなかぞ。六月二十三日、アメのひつ九のかみ。 |
| 300 |
11_松の巻 |
第9帖
悪のやり方は始めはどんどん行くなれど、九分九厘でグレンぞ、善のやり方始め辛いなれど先行く程よくなるぞ。この世に何一つ出来んと云ふことない此の方のすることぞ。云ふ事聞かねば、きく様にしてきかすぞ。因縁だけのことはどうしてもせねば、今度の峠は越せんのざぞ。ここの役員は皆因縁ミタマばかり、苦労しただけお蔭あるぞ。六月二十四日、あめのひつ九のかみしるす。 |
| 301 |
11_松の巻 |
第10帖
今度役目きまったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。善も末代ぞ、悪も末代ぞ。此の世は一であるぞ。われの身体われに自由にならぬ時来たぞ。神縋るより仕方なくなって、すがったのでは、間に合はんぞ。今度はいろはの世に戻すぞ。ひふみの世に戻すぞ。素直にすればタマ入れかへて、よい方に廻してやるぞ。よろこびの身といたしてやるぞ。六月二十四日、あめのひつ九のかみしるす。 |
| 302 |
11_松の巻 |
第11帖
今の法律此の方嫌ひぢゃ、嫌ひのもの無くするぞ。凝り固まると害ふぞ。此の道中行く道と申してあるが、あれなら日津久の民ぞと世間で云ふ様な行ひせねばならんぞ。神の国と申すものは光の世、よろこびの世であるぞ。虫けらまで、てんし様の御光に集まるよろこびの世であるぞ。見事此の方についてご座れ。手引ぱって峠越さしてやるぞ。六月二十五日、あめのひつぐのかみ。 |
| 303 |
11_松の巻 |
第12帖
前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって、悪は走れば苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ、神々様、守護神様、今度は悪は影も残さんぞ。早よう改心なされよ。建替の事学や智では判らんぞ。六月二十八日、あめのひつくのかみ。 |
| 304 |
11_松の巻 |
第13帖
この世界は浮島であるから、人民の心通り、悪くもなりよくもなるのざぞ。食ふ物ないと申して歩き廻ってゐるが、餓鬼に喰はすものは、もういくら捜してもないのぞ。人は神の子ざから食ふだけのものは与へてあるぞ。神の子に餓死はないぞ。いやさかのみぞ。此処は先づ世界の人民の精神よくするところであるから、改心せねばする様いたすぞ、分らんのは我かまうひと慢心してゐるからぞ。旧五月十六日、あめのひつ九の 。 |
| 305 |
11_松の巻 |
第14帖
裏切る者沢山出てくるぞ、富士と鳴門の仕組、諏訪マアカタの仕組。ハルナ、カイの御用なされよ。悪の総大将よ、早よ改心なされ、悪の神々よ、早よ改心結構であるぞ。いくら焦りてあがいても神国の仕組は判りはせんぞ。悪とは申せ大将になる身魂、改心すれば、今度は何時迄も結構になるのぞ。日本の臣民人民皆思ひ違ふと、くどう知らしてあろが。まだ我捨てぬが、水でも掃除するぞ。六月二十九日、あめのひつぐのかみ神示。 |
| 306 |
11_松の巻 |
第15帖
この神示うぶのままであるから、そのつもりで、とりて呉れよ。嘘は書けん根本ざから此の神示通りに天地の規則きまるのざぞ、心得て次の世の御用にかかりて呉れよ。世界の事ざから、少し位の遅し早しはあるぞ。間違ひない事ざぞ。大将が動く様では、治まらんぞ。真中動くでないと申してあろが、此の世の頭から改心せねば、此の世治まらんぞ。此の方頼めばミコトでおかげやるぞ。竜宮のおとひめ殿烈しき御活動ぞ。六月三十日、あめのひつぐのかみしるす。 |
| 307 |
11_松の巻 |
第16帖
火と水と組み組みて地が出来たのであるぞ、地の饅頭の上に初めに生えたのがマツであったぞ。マツはもとのキざぞ、松植へよ、松供へよ、松ひもろぎとせよ、松玉串とせよ、松おせよ、何時も変らん松心となりて下されよ。松から色々な物生み出されたのぞ、松の国と申してあろが。七月一日、あめのひつ九のかみ。 |
| 308 |
11_松の巻 |
第17帖
釈迦祀れ。キリスト祀れ。マホメット祀れ。カイの奥山は五千の山に祀り呉れよ。七月の十と二日に天晴れ祀りて呉れよ。愈々富士晴れるぞ。今の人民よいと思ってゐる事、間違ひだらけざぞ。此処までよくも曇りなされたな。二の山三の山四の山に祀り呉れよ。まだまだ祀る神様あるぞ。七月二日、あめのひつぐのかみ。 |
| 309 |
11_松の巻 |
第18帖
人民同士の戦ではかなはんと云ふ事よく判りたであろがな。神と臣民融け合った大和魂でないと勝てんことぞ。悪神よ。日本の国を此処までよくも穢したな、これで不足はあるまいから、いよいよ此の方の仕組通りの、とどめにかかるから、精一杯の御力でかかりて御座れ。学問と神力の、とどめの戦ざぞ。七月三日、あめのひつ九のかみ。 |
| 310 |
11_松の巻 |
第19帖
改心次第で善の霊と入れ換へて、その日からよき方に廻してやるぞ。宵の明星が東へ廻ってゐたら、愈々だぞ。天の異変気付けと、くどう申してあろがな。道はまっすぐに行けよ。寄り道するではないぞ。わき目ふると悪魔魅入るぞ。それも我れの心からざぞ。七月四日、あめのひつくのかみ。 |
| 311 |
11_松の巻 |
第20帖
此処まで来れば大丈夫ざぞ。心大きく持ちて焦らずに御用せよ、饌にひもじくない様、身も魂も磨いておけよ。もう何事も申さんでも、天と地にして見せてあるから、それよく見て、改心第一ぞ。悪は霊力が利かん様になったから最後のあがきしてゐるのざぞ。人助けておけば、その人は神助けるぞ。神界と現界の事この神示よく分けて読みて下されよ。これから愈々の御用あるぞ。皆の者も同様ぞ。七月五日、あめのひつくのかみ。 |
| 312 |
11_松の巻 |
第21帖
旧九月八日からの祝詞は初めに、ひとふたみ唱え、終りに百千卍宣れよ。お神山作る時は、何方からでも拝める様にしておけよ。一方から拝むだけの宮は我れよしの宮ぞ。何もかも変へて仕舞ふと申してあろうが。神徳貰へば何事も判りて来るのざぞ。要らんもの灰にするのざぞ。息乱れん様にせよ。七月七日、アメのひつくのかみ。 |
| 313 |
11_松の巻 |
第22帖
世変りたら生命長くなるぞ。今迄上にあがりて楽してゐた守護神は大峠越せん事になるぞ。肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ。悪も御苦労の御役。此の方について御座れ。手引いて助けてやると申してあろが。悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ。七月八日、アメのひつくのかみ。 |
| 314 |
11_松の巻 |
第23帖
国々所々に、神人鳴り動く、道は世にひらき極む、日月地更に交わり結び、その神々ひらき弥栄え、大地固成、まことの神と現はれ、正し、三神は世に出づ、ひふみと鳴り成るぞ。正しくひらけ弥栄へて更につきづ、鳴る道に成り、交わる。永遠の世光ることは永遠の大道、息吹き大地に充ち満つ道。展きてつきず、極まり成る神の道。苦しむ道をひらき、日月地に苦しむ喜び出で、神の国むつび、悉く歓喜弥栄ゆ。七月十日、あめのひつくのかみ。 |
| 315 |
11_松の巻 |
第24帖
早く早くと申せども、立体の真道に入るは、小我死なねば、大我もなき道ぞ、元栄えひらき鳴る神、元にひらき成る神、元津神日の神、極みきわまりて足りいよいよ月の神はらみ交わりさかゆ、成りむつび、神々極まるところ、ひふみ、よろづ、ち、ももと、ひらく、歓喜の大道、神々更に動きひらき栄ゆ。元津神のナルトの秘密、永遠に進み、いき、ひらき極む。元津大神かくりみ、次になる神かくりみのナルトぞ、富士栄え、火の運動き、うづまき鳴り、極みに極みて、地また大地動き、うづまくぞ、真理なりて極まり、鏡の如くなり、極まりて、動きひらき、極まりて大道、遂に成るぞ。七月十日、あめのひつくのかみ。 |
| 316 |
11_松の巻 |
第25帖
ムからウ生れ、ウからム生れると申してあるが、ウム組み組みて、ちから生れるのざぞ。今度の大峠はムにならねば越せんのざぞ。ムがウざぞ。世の元に返すのぞと申してあろが。ムに返れば見えすくのざぞ。風の日もあるぞ。七月十一日、アメのひつくのかみ。 |
| 317 |
11_松の巻 |
第26帖
カイ奥山開き結構々々。奥山元ぞ。中山は介添ぞ。国々おつる隈なくつくり呉れよ。一の宮ばかりでないぞ。二の宮、三の宮、四の宮、五の宮、六の宮、七の宮まで、つくりてよいぞ。何処にも神まつれと申してあろが。てんし様まつれと申してあろが。まつり結構。まつればよろこぶこと出来るぞ。七月十三日、あめのひつくのかみふで。 |
| 318 |
11_松の巻 |
第27帖
天も地も一つにまぜし大嵐、攻め来る敵は駿河灘、富士を境に真二つ。先づ切り取りて残るもの、七つに裂かん仕組なり。されど日本は神の国。最後の仕組神力に、寄せ来る敵は魂まで、一人残らずのうにする。夜明けの御用つとめかし。晴れたる富士のすがすがし。七月十四日、あめのひつくのかみ。

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| 319 |
11_松の巻 |
第28帖
保食の神祀らづに、いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ないぞ。煎り豆花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ。いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分むつかしいぞ。神々まつれと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。物作る時は保食の神まつれ。産土の神様にもお願ひしてお取次願はな何事も成就せんぞ。人民の学や智ばかりで何が出来たか。早よ改心第一ぞ。山も川も野も人民も草も木も動物虫けらも何もかも此の方の徳であるぞ。それぞれの御役あるのざぞ。学や智捨てて天にむかへ。地にむかへ、草にむかへ、生物にむかへ、木にむかへ、石もの云ふぞ。草もの云ふぞ。七月十八日、あめのひつくのかみ。 |
| 320 |
11_松の巻 |
第29帖
豊受の大神様お山の富士に祀り、箸供へてお下げした箸、皆に分けやれよ。饌に難儀せん様 守り下さるぞ。仕組少し早よなったから、かねてみしてあった事八月八日から始め呉れよ。火と水に気付けよ。おろがめよ。キの御用大切ぞ。ケの御用大切ぞ。クの御用大切ぞ。神は気引いた上にも気引くから、とことんためすから、そのつもりで、お蔭落さん様にせよ。二十五柱役員ぞ。慢心すればかへ身魂使ふぞ。この巻松の巻。七月十九日、あめのひつぐのかみ。 |
| 321 |
12_夜明けの巻 |
第1帖
イシはイにかへるぞ。一であるぞ。-ム-であるぞ。井であるぞ。イーであるぞ。 であるぞ。 であるぞ。キと働くのざぞ。わかりたか。今までは悪の世でありたから、己殺して他人助けることは、此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、それは悪の天の教であるぞ。己を活かし他人も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ。他人殺して己助かるも悪ぞ、己殺して他人助けるも悪ぞ、神無きものにして人民生きるも悪ぞ。神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。神人ともにと申してあろが。神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。まことの神のおん心わかりたか。今までの教へ間違っていること段々判りて来るであろがな。天地和合して となった姿が神の姿ざぞ。御心ざぞ。天と地ではないぞ。あめつちざぞ。あめつちの時と知らしてあろうが、みな取違ひ申して済むまいが。神示よく読めと、裏の裏まで読めと申してあろが。七月の二十一日、あめのひつぐのかみ。 |
| 322 |
12_夜明けの巻 |
第2帖
神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。磁石も神の国に向く様になるぞ。北よくなるぞ。神の国おろがむ様になるのざぞ。どこからでもおろがめるのざぞ。おのづから頭さがるのざぞ。海の水がシメであるぞ。鳥居であるぞと申してあろうが、シメて神を押し込めてゐたのであるぞ。人民知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。毎日、日日お詫せよと申してあらうが、シメて島国日本としてゐたのざぞ、よき世となったら、身体も大きくなるぞ。命も長くなるぞ。今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。よろこびいくらでも生まれるぞ。七月二十一日、あめのひつくのかみ。 |
| 323 |
12_夜明けの巻 |
第3帖
天の異変気付けと申してあろが、冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏雪降ることもあるのざぞ。神が降らすのでないぞ、人民降らすのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。訳の判らん病ひどくなって来るのざから、書かしてある御神名分けて取らせよ。旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。心引かれる事残しておくと、詰らん事で詰らん事になるぞ。もう待たれんことにギリギリになってゐる事判るであろがな。七月二十四日の神示、あめのひつぐの神。 |
| 324 |
12_夜明けの巻 |
第4帖
この方カの神と現はれるぞ、サの神と現はれるぞ、タの神と現はれるぞ、ナの神と現はれるぞ、ハマの神と現はれるぞ。ヤラワの神と現われたら、人間眼明けて居れん事になるぞ、さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、二股膏薬ではキリキリ舞するぞ、キリキリ二股多いぞ。獣となれば、同胞食ふ事あるぞ。気付けておくぞ。七月二十九日、あめのひつくのかみ。 |
| 325 |
12_夜明けの巻 |
第5帖
何もかも神示読めば判る様になってゐる事忘れるでないぞ、此の仕組云ふてならず、云はねば判らんであろうなれど、神示読めば因縁だけに判るのざぞ。石物云ふ時来たぞ。山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、型せと申してあらうが、いづれも仮ざから三千世界の大洗濯ざから、早よ型してくれよ。型結構ぞ。何もかも神人共にするのざぞ。夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、夜明け来たぞ。十理立てよ。七月二十八日、あめのひつくのかみ神示書。 |
| 326 |
12_夜明けの巻 |
第6帖
今迄の様な大便小便無くなるぞ。不潔と云ふもの無き世となるのざぞ。不潔物無くなるのぞ。新しき神の世となるのざから、神々にも見当取れん光の世となるのざぞ。七月三十一日、あめのひつくのかみ。 |
| 327 |
12_夜明けの巻 |
第7帖
神の臣民に楽な事になるぞ。理屈無い世にするぞ。理屈は悪と申してあろが、理屈ない世に致すぞ。理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。人に知れん様によいことつとめと申してあろが。人に知れん様にする好い事神こころぞ。神のした事になるのざぞ。行けども行けども白骨と申したが、白骨さへなくなる所あるぞ。早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。神世の型出して呉れよ。時、取違へん様に、時、来たぞ。八月一日、あめのひつく神。 |
| 328 |
12_夜明けの巻 |
第8帖
直会も祭典の中ぞ。朝の、夕の、日々の人民の食事皆直会ぞ。日々の仕事皆まつりぞ。息すること此の世の初めのまつりぞ。まつれまつれと申してあろが。おはりの御用は はじめの御用ぞ。まつりの御用ぞ。オワリノ十ノヤマにまつり呉れよ。世につげて呉れよ。役員皆宮つくれよ。宮とは人民の申す宮でなくてもよいのざぞ。一の宮、二の宮、三の宮と次々につくり呉れよ。道場も幾らつくってもよいぞ。神の申した事、なさば成るのざぞ。宮と道場つくり神示読んでまつれまつれ、まつり結構ぞ。奥山にはオホカムツミの神様もまつり呉れよ。守りは供へてから皆に下げて取らせよ。五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、三十六柱、四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱、世の元ぞ。八月の二日、アメのひつくの神。 |
| 329 |
12_夜明けの巻 |
第9帖
天詞様まつれと申してあろが。天津日嗣皇尊大神様とまつり奉れ。奥山には御社造りて、いつき奉れ。皆のうちにも祀れ。天津日嗣皇尊弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。奥山の前の富士に産土の大神様祀れよ、宮いるぞ。清めて祭れよ、タマの宮はその前横に移せよ。奥の富士に国 常立 大神、豊雲野 大神祀る日近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居も同様ぞ。大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。取違ひ、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変気付けよ。八月の五日、アメのひつ九の神。 |
| 330 |
12_夜明けの巻 |
第10帖
元津大神、心の中で唱へ奉り、スメラミコト唱へ、次に声高く天津日嗣皇ミコト大神唱へ、天のひつくの大神と唱へ奉れ。タマの宮は、かむながら祝詞でよいぞ。一二三のりともよいぞ、シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ。七五三は逆ざぞ。三五七ざぞ。天地のいぶきぞ。波の律ぞ。風の律ぞ。神々様のおんいぶきの律ざぞ。八月の六日、アメのひつ九の神。 |
| 331 |
12_夜明けの巻 |
第11帖
岩戸開きのはじめの幕開いたばかりぞ。今度はみづ逆さにもどるのざから、人民の力ばかりでは成就せんぞ。奥の神界では済みてゐるが、中の神界では今最中ざ。時待てと申してあろが。人民大変な取違ひしてゐるぞ。次の世の型急ぐ急ぐ。八月六日、アメのひつぐのかみ。
神示読まないで智や学でやろうとて、何も、九分九厘で、終局ぞ。我が我ががとれたら判って来るぞ。慢心おそろしいぞ。 |
| 332 |
12_夜明けの巻 |
第12帖
あら楽し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉も言止めて、大御光に寄り集ふ、誠の御代ぞ楽しけれ。今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年目出度けれ。一二三の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。八月の七日、アメのひつくのかみ。
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| 333 |
12_夜明けの巻 |
第13帖
ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ、八月八日、秋立つ日、アメの一二のおほかみ。 |
| 334 |
12_夜明けの巻 |
第14帖
あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。あらたのし、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり、此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。祭典、国民服 もんぺでもよいぞ。天明まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も云ふでないぞ。言ふてよい時は知らすぞよ、判りたか。仕へる者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、引潮の時引けよ。満潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らなならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかりたか。今度は借銭済しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、借銭なしでないと、お土の上には住めん事に今度はなるぞ。イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。毎度知らしてあること忘れるなよ。神示腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。悟った方神示とけよ。といて聞かせよ。役員皆とけよ。信ずる者皆人に知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろが、まだまだぞ、役員気付けて呉れよ。神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。愈々の時ぞ。神示で知らすことのはじめは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、聞かな聞く様にして知らすぞ。つらいなれど、がまんせよ。ゆめゆめ利功出すでないぞ。判りたか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。何にでもなれる様にしてあるでないか。役員も同様ぞ。まどゐつくるでないぞ、金とるでないぞ。神に供へられたものはみな分けて、喜ばしてやれと申してあろが。此の方喜ぶこと好きぞ、好きの事栄えるぞ。いや栄へるぞ。信者つくるでないぞ。道伝へなならんぞ。取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。日本の臣民皆勇む様、祈りて呉れよ。世界の人民皆よろこぶ世が来る様祈りて呉れよ、てんし様まつれよ。みことに服ろへよ。このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。御民いのち捨てて生命に生きよ。鳥鳴く声す夢さませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ靄の裡いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん。アオウエイ。カコクケキ。サソスセシ。タトツテチ。ナノヌネニ。ハホフヘヒ。マモムメミ。ヤヨユエイ。ラロルレリ。ワヲウヱヰ。アイウエオ。ヤイユエヨ。ワヰヱヲ。カキクケコ。サシスセソ。タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。ラリルレロ。ワヰウヱヲ。五十九柱ぞ。此の巻夜明けの巻とせよ。この十二の巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ。判らん事は自分で伺へよ。それぞれにとれるぞ、天津日嗣皇尊弥栄いや栄。あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。一二三四五六七八九十百千卍。秋満つ日に、アメのひつ九かみしるす。
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| 335 |
13_雨の巻 |
第1帖
天の日津久の大神-あめの一二の -のお神示であるぞ、特にお許しもろて書きしらすぞ。十二の巻説いて知らすのであるぞ、此の巻アメの巻と申せよ、此の度は昔から無かりた事致すのであるから人民には判らん事であるから素直に致すが一等ざぞ、惟神の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、それが一等の間違ひざぞと申してあろが、惟神とは神人共に融け合った姿ざぞ。今の臣民神無くして居るではないか、それで惟神も神道もないぞ、心大きく、深く、広く持ちて下されよ、愈々となるまでは落しておくから見当とれんから、よくこの神示読んでおいて下されよ。世界ぢゅうに面目ない事ないよにせよと申してあろが。足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、神示裏の裏までよく読めと申してあろがな。此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ。所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、イスラの十二の流れの源泉判る時来たぞ。命がけで御用つとめてゐると思ふて邪魔ばかり致しておろがな、金や学や智では大峠越せんぞ。神はせよと申すことするなと申すこともあるのぞ、裏の裏とはその事ぞ、よく心得て下さりて取違ひいたすでないぞ。手のひら返すぞ返さすぞ、此の度の岩戸開きは人民使ふて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用であるぞ、いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組愈々となったぞ。十月十三日、ひつ九のかみ。 |
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13_雨の巻 |
第2帖
天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。七五三は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、基督の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、 とは外国の事ぞ、 が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統を段々に現すぞよ、びっくり箱あくぞ、八九の次は であるぞよ。何事もウラハラと申してあろが、ひとがひとがと思ってゐた事我の事でありたであろがな、よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、日本が日本がと思って居た事外国でありた事もあるであろがな、上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。餓鬼までも救はなならんのであるが、餓鬼は食物やれば救はれるが、悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様救ふのはなかなかであるぞ、悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程悪ふとりてゐるから、こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ。十月の十四日、ひつ九のかみしるす。 |
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13_雨の巻 |
第3帖
草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。種は残して育ててやらねばならんのざぞ、草木の身が動物虫けらの御身となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、人の身神に捧げるのざぞ、神の御身となること嬉しいであろがな、惟神のミミとはその事ぞ、神示よく読めば判るのざぞ、此の道は先に行く程広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、神示よく読めよ、何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、いろはに戻すぞ、一二三に返すぞ、一二三が元ぞ、天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ。悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。善も悪もないのざぞと申してあろがな、 の国真中に神国になると申してあろがな、日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか。改心すれば・の入れかへ致して其の場からよき方に廻してやるぞ、何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。此の先は神示に出した事もちいんと、我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな。十月の十五日、ひつ九のかみ。 |
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13_雨の巻 |
第4帖
世界の臣民皆手引き合って行く時来た位申さいでも判ってゐるであろが、それでもまだまだ一苦労二苦労あるぞ、頭で判っても肚で判らねば、発根の改心出来ねば、まだまだ辛い目に会ふのざぞ、人民自分で首くくる様なことになるのざぞ、判りたであろ。天の御三体の大神様とちのおつちの先祖様でないと今度の根本のお建替出来んのざぞ、判りても中々判らんであろがな。洗濯足らんのであるぞ。今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、神は改めてあるが、神から改めさすのでは人民可哀想なからめんめめんめで改めて下されよ、改まっただけ おかげあるのざぞ。今度の岩戸開いたら末代の事ざぞ、天地の違ひに何事も違ふのざぞ。信者引張りに行って呉れるなよ、神が引き寄せるから、役員の所へも引き寄せるから、訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばしてやれと申してあろが、人民喜べば神嬉しきぞと申してあろが、草木喜ばしてやれよ、神示よく読めばどうしたら草木動物喜ぶかと云ふことも知らしてあるのざぞ、今迄の心大河に流してしまへば何もかもよく判って嬉し嬉しとなるのざぞ、まだまだ世界は日に日にせわしくなりて云ふに云はれん事になって来るのざから、表面許り見てゐると判らんから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ、元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と三つ揃ってしまはねばならんのぞ、アとヤとワと申してあるが段々に判りて来るのざぞ。実地のことは実地の誠の生神でないと出来はせんぞ、臣民はお手伝ひぞ、雨風さへどうにもならんであろうが、生物何んで息してゐるか、それさへ判らいで居て何でも判ってゐると思ってゐるが鼻高ぞと申すのざ、今の内に改心すれば名は現はさずに許してよき方に廻してやるぞ、早う心改めよ。十月十六日、ひつ九のか三。 |
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13_雨の巻 |
第5帖
神示に書かしたら日月の神-一二 -が天明に書かすのであるから其の通りになるのであるぞ、皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、それがまつりであるぞ、王の世が の世になって居るのを今度は元に戻すのであるから、その事早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、今度の戦すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、一列一平其の上に神が居ますのざぞ、神なき一平一列は秋の空ぞ、魔の仕組、神の仕組、早う旗印見て悟りて下されよ、神は臣民人民に手柄致さして万劫末代、名残して世界唸らすのざぞ、これ迄の事は一切用ひられん事になるのざと申してあろ、論より実地見て早う改心結構、何事も苦労なしには成就せんのざぞ、苦労なしに誠ないぞ、三十年一切ぞ、ひふみ肚に入れよ、イロハ肚に入れよ、アイウエオ早ようたためよ、皆えらい取違ひして御座るぞ、宮の跡は草ボウボウとなるぞ、祭典の仕方スクリと変へさすぞ、誠の神の道に返さすのざから、今度は誠の生神でないと人民やらうとて出来はせんぞ。十月十七日、ひつ九のかミ。 |
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13_雨の巻 |
第6帖
神示よく読めと、神示よく肚に入れと申してあるが、神示肚に入れると胴すわるのざぞ、世界から何んな偉い人が出て来て何んな事尋ねても教へてやれる様になるのざぞ、神示胴に入れて頭下げて天地に働いて下されよ、まつりて下されよ、素直になれば其の場から其の場其の場で何事も神が教へてやるから、力つけて導いてやるから、何んな神力でも授けてやるぞ。一二三四五六七八九十百千卍授け申して神人となるぞ。我さえよけらよいとまだ思って御座る臣民まだで御座るぞ、自分一人で生きてゆけんぞ、神許りでも生きてゆけんぞ、爪の垢でもだてについてゐるのではないのざぞ、判らんと申しても余りで御座るぞ、まつりせよ、地にまつろへよ、天にまつろへよ、人にまつろへよ、草木動物にまつろへよ、と、くどう知らしてあるのに未だ判らんのか、神拝む許りがまつりでないぞ。待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、一二三いろはの世はたちにけり。身慾信心してゐる臣民人民、今に神示聞けぬ様にいれものつんぼになるのざぞ、きびしくなって来るぞ、毒にも薬にもならん人民、今度は役に立たんのざぞ、悪気ない許りでは一二の御民とは申されんぞ。あら楽し、黒雲一つ払ひけり、次の一つも払ふ日近し。淋しくなりたら神示尋ねて御座れ、神示読まねば益々判らん事になったであろうが、天国に底ない様に地獄にも底ないぞ、何処までも落ちるぞ、鼻高の鼻折らな人民何んと申しても神承知出来ん。十一月二十三日、ひつ九のかミ。 |
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13_雨の巻 |
第7帖
神の心の判りた臣民から助ける御用にかかりて呉れよ、助ける御用とは清めの御用で御座るぞ、天地よく見て悟りて呉れよ。三四五の御用は出来上がりてしまはんと御用してゐる臣民にはさっぱり判らんのであるぞ、つかわれてゐるから判らんのであるぞ、出来上がりてからこれは何んとした結構な事でありたかとビックリするのざぞ。アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、アメの の神で御座るぞ、元神で御座るぞ、ムの神ぞ、ウの神ぞ、元のままの肉体持ちて御座る御神様ぞ、つちのひつ九のおん神様ぞ、つちの の御神様と今度は御一体となりなされて、今度の仕組見事成就なされるので御座るぞ、判りたか、九二つちの神大切申せとくどう知らしてあろがな、今迄の臣民人民、九二の御先祖の神おろそかにしてゐるぞと申して知らしてあらう、神は千に返るぞ、九二つちつくること何んなに難儀な事か人民には判るまいなれど、今度さらつの世にするには人民もその型の型の型位の難儀せなならんのざぞ。それでよう堪れん臣民沢山にあるのざぞ、元の神の思ひの何万分の一かの思ひせんならんのざぞ、今度世変りたら、臣民此の世の神となるのざぞ。国の洗濯はまだまだ楽であるが、ミタマの洗濯中々に難しいぞ、人民可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、幾ら言ひ聞かしても後戻り許りぢゃ、言ひ聞かして改心出来ねば改心する様致すよりもう手ない様になってゐるのざ。何時どんな事あっても神は知らんぞ、上から下までも誰によらん今迄の様な我儘させんぞ、役員馬鹿にならなならんぞ、大のつく阿呆になれよ、 のつく阿呆にあやまって呉れるなよ、阿呆でないと今度の誠の御用なかなかざぞ。命捨てて命に生きる時と申してあろがな、非常の利巧な臣民人民アフンで御座るぞ、今にキリキリ舞するのが目に見へんのか。何時も変らぬ松心でおれと申して御座ろがな、建替へ致したら世界は一たん寂しくなるぞ、神が物申して居る内に改心せなならんぞ、後悔間に合はんと申してあろがな。十一月二十三日、ひつ九のかミ。 |
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13_雨の巻 |
第8帖
大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろがな、如何様にでも受け入れてよき様にしてやる様仕組てある神の心判らんか、天災待つは悪の心、邪と知らしてあるがまだ判らんのか、くにまけて大変待ちゐる臣民沢山あるが、そんな守護神に使はれてゐると気の毒になりて来るぞ、よく神示読んで下されよ。今の守護神、悪の血筋眷属であるぞ、悪も御役ながら奥表に出ては誠おさまらんぞ、悪結構な世は済みて、善結構、悪結構、卍結構、基結構、儒結構の世となりなる神の仕組近くなって来たぞ。世の元からの仕組、中行く仕組、天晴三千世界結構であるぞ、心の不二も晴れ晴れとなるぞ、結構々々。甘くてもならんぞ、辛くてもならんぞ、甘さには辛さいるぞ、天の神様許りではならんのざ、くどう申して此処迄知らしてゐるにまだ判らんのか、心さっぱり大河に流して神示読んで下されよ、何時迄も神待たれんぞ、辛さには甘さかげにあるのざぞ、此の道理よく判るであろがな、水の味火の味結構ぞ、恐い味ない様な結構な恐さであるぞ、喜びであるぞ、苦しみであるぞ、此の道理よく判りたか。神の御恵み神の御心判りたか、御心とは三つの御心ぞ、一と十と とであるぞ、御心結構ぞ、世の元の神の仕組の現はれて三千世界光り輝く、あなさやけ。十一月二十七日、ひつくのか三。 |
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13_雨の巻 |
第9帖
神の智と学の智とは始は紙一重であるが、先に行く程ンプ出来て来て天地の差となるぞ、 の神の薬のやり方悪の神の毒のやり方となるぞ、神の御用が人の御用ぞ、人の御用が神の御用であるなれど、今の臣民神の御用するのと人の御用するのと二つに分けてゐるが、見苦しき者にはこれからは御用致させん事にきまりたから気付けておくぞ、何事も順正しくやりて下されよ、神は順であるぞ、順乱れた所には神の能現はれんぞ。何もせんでゐて、よき事許り持ちてゐると物事後戻りになるぞ、神の道には後戻りないと申してあろがな、心得なされよ、一の火消へてゐるでないか、まだ判らんか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾の様ナ心では今度の御用出来はせんぞ、表面飾りてまことのない教への所へは人集まるなれど、誠の道伝へる所へは臣民なかなか集まらんぞ、見て御座れよ、幾ら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、縁ある者は一時に神が引寄せると申してあろがな、人間心で心配致して呉れるなよ。目眩する人も出来るぞ、ふんのびる人も沢山に出来て来るぞ。行けども行けども白骨許りと申してあろがな、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、上にあがりきらん内にぐれんぞ、せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、こうなることは世の元から判ってゐるからもう無茶な事は許さんぞ。軽い者程上に上に上がって来るぞ、仕組通りなってゐるのざから臣民心配するでないぞ。今度神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、神キつけておくぞ。人の苦しみ見てそれ見た事かと申す様な守護神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、世建替へて先の判る世と致すのぢゃぞ、三エスの神宝と、3Sの神宝とあるぞ、毒と薬でうらはらであるぞ。五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生れんぞ、力生れるから、カス出来るのざから掃除するのが神の大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除する事大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗きまぜて こねまぜて天晴此の世の宝と致す仕組ざぞ、判りたか。一方の3Sより判らんから、人民何時も悪に落ち込むのぢゃ、此の道は中行く道と申して知らしてあろがな、力余ってならず、力足らんでならず、しかと手握りてじっと待ってゐて下されよ、誠の教ばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行出来んと此の道開けんぞ、理屈申すでないぞ、幾ら理屈立派であっても行出来ねば悪であるぞ、此の世の事は人民の心次第ぞ。十一月二十七日、ひつくのか三。 |
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13_雨の巻 |
第10帖
天の岩戸開いて地の岩戸開きにかかりてゐるのざぞ、我一力では何事も成就せんぞ、手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。霊肉共に岩戸開くのであるから、実地の大峠の愈々となったらもう堪忍して呉れと何んな臣民も申すぞ、人民には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少ないし神も閉口ぞ。ひどい所程身魂に借銭あるのぢゃぞ、身魂の悪き事してゐる国程厳しき戒め致すのであるぞ。五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出んし、それで神は掃除許りしてゐるのざぞ、神の臣民それで神洲清潔する民であるぞ、キが元と申してあるが、キが餓死すると肉体餓死するぞ、キ息吹けば肉息吹くぞ、神の子は神のキ頂いてゐるのざから食ふ物無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあるが、キは幾らでも大きく結構に自由になる結構な神のキざぞ。臣民利巧なくなれば神のキ入るぞ、神の息通ふぞ、凝りかたまると凝りになって動き取れんから苦しいのざぞ、馬鹿正直ならんと申してあろがな、三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否でも応でも致さすのであるから、今度の御用は此の神示読まいでは三千世界のことであるから、何処探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ、人民の頭で幾ら考へても智しぼっても学ありても判らんのぢゃ。ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが、何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肚にはいれば未来見え透くのざぞ。此の地も月と同じであるから、人民の心其の儘に写るのであるから、人民の心悪くなれば悪くなるのざぞ、善くなれば善くなるのぞ。理屈悪と申してあろが、悪の終りは共食ぢゃ、共食ひして共倒れ、理屈が理屈と悪が悪と共倒れになるのが神の仕組ぢゃ、と判ってゐながら何うにもならん事に今に世界がなって来るのざ、逆に逆にと出て来るのぢゃ、何故そうなって来るか判らんのか、神示読めよ。オロシヤの悪神の仕組人民には一人も判ってゐないのざぞ。神にはよう判っての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、此の方に任せておきなされ、一切心配なく此の方の申す様にしておりて見なされ、大舟に乗って居なされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、何処に居ても助けてやるぞ。雨の神、風の神、地震の神、荒ノ神、岩の神様に祈りなされよ、世の元からの生き通しの生神様拝がみなされよ。日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人許りでないぞ、大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取違ひせん様に気付けおくぞ。でかけのみなとは九九ぢゃぞ、皆に知らしてやりて下されよ、幾ら道進んでゐても後戻りぢゃ、此の神示が出発点ぞ、出直して神示から出て下されよ、我張りてやる気ならやりて見よれ、九分九分九厘で鼻ポキンぞ、泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気付けてゐるのぢゃ、足あげて顔の色変へる時近付いたぞ。世建替へて広き光の世と致すのぢゃ、光の世とは光なき世であるぞ、此の方の元へ引寄せて目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのぢゃ、気付けてゐて下されよ、何ちらに行くつもりぢゃ。十一月二十七日、一二 。 |
| 345 |
13_雨の巻 |
第11帖
日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ、判りたか。めんめめんめに心改めよと申してあろがな、人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、腹立つと邪気起るからめんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。判らんと申して余りでないか、何事も判った臣民口に出さずに肚に鎮めておけよ、言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ないぞ、それまでは気も出すなよ。二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、愈々となりたら一寸の火水でうでくり返してやる仕組ざぞ、末代の止めの建替であるから、よう腰抜かさん様見て御座れ、長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。此の道難しい道でないからその儘に説いて聞かしてやれよ、難し説くと判らん様になるのぞ。平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。霊術も言霊もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、それは四つ足の四つの悪の守護である位判りておろがな。悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、今外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国大丈夫とは申されんぞ、と事分けて申してあろがな、日月の集団作り、境界作ってもならんが 入れた集団作らなならんぞ、 も作らず も入らずに力出ない位判りておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろが、盲には困る困る。人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感に適はんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ、二二に九の花咲耶姫の神祀りて呉れと申してあろがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。十二月七日、ひつくのか三。 |
| 346 |
13_雨の巻 |
第12帖
上面洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、今度神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ。出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、神の申す事誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ。悪神は如何様にでも変化るから、悪に玩具にされてゐる臣民人民可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざからくどう申してゐるのざぞ、悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民沢山出て来るから気付けておくのざ。まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、妙な事此の方がさしてゐるのざから、神の臣民心配ないなれど、さうなった神の臣民未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。天の様子も変りて来るぞ。何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民可哀想と申してもキリあるぞ、キリキリ気付けて下され、人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んからやりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ、今度は鬼でも蛇でも改心さすのであるぞ。これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、世界は神の国、神の国真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのさぞ、間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。十二月七日、七つ九のか三神示。 |
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13_雨の巻 |
第13帖
世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法ないぞ。恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな、五十九柱いくらでもあるのざぞ、かへミタマあると申してあろがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深い程罪も借銭も深いのざぞ、岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ。心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、紅葉ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事説いて聞かして得心させて上げますぞや。落ち付いて聞き落しのない様になされよ、悔しさ目に見へておろがな、どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、神の国臭くて足の踏場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞-四-で治めるぞ。地の世界に大将なくなって五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、尻の毛まで悪魔に抜かれてゐてまだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦ざぞ、誠とはコトざぞ口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、コト気付けと申してあろがな。コト、コト、コト、ざぞ。始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団とせよ。此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ、江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ。食物の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化られるのがまことの神の集団ざぞ。不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。世に落ちて御座る守護神と世に落ちてゐる神々様と世に出てゐる神々様と世に落ちて出てゐる守護神殿と和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろがな、判りたか。十二月十八日、ひつくのかみ神示。 |
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13_雨の巻 |
第14帖
一番尊い所一番落してあるのぢゃ、此の事判りて来て天晴れ世界唸るのぢゃ、落した上に落してもう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事間違へるでないぞ。此の道難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたらそれでよいのぢゃ。今が神国の初めぞ、今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、それが盲聾ざぞ、今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、皆鼻ポキン許りぢゃなあ。まだまだ俘虜になる者沢山あるなれど、今度の俘虜まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次に又捕へられる者出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、是も因縁ざぞ。神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、人民皆外国につく様になって、此の方の申した事、神示に書かした事、皆嘘ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、人民臣民早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、段々判りて来るぞ。表と裏とあななひぞ、あななひの道と申してあろ、引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、人民の肚さへたら天もさへるぞ、心鎮もれば天も鎮もるぞ、神勇むぞ。我はぢっと奥に鎮めて表面には気も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗た此の方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民草木にかへしてしまふぞ。此の神示無闇に見せるでないぞ、神示は出ませんと申せよと申してある事忘れるでないぞ。天の規則千でやる事になってゐるのざぞ、今度規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、神くどう気付けておくぞ。次に世に出る番頭殿まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次も又お出直しぢゃ、此の神示よく見てこの先何うなる、其の先どうなると云ふ事、神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、すればする程悪うなるぞ、神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、何んなことあっても心配ないなれど、それでは臣民可哀想なから、此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、表の集団でよいぞ、神は天からも地からも日も夜も九十で知らしてゐるのに、九十聞く身魂ないから、九十きく御身曇りてゐるから、人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、地に足つけよと申した事判らんのか、百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、 の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、大きく目ひらけよ。松食せよ、松おせば判らん病直るのぢゃぞ、松心となれよ、何時も変らん松の翠の松心、松の御国の御民幸あれ。十二月十八日、ひつ九のかみ。 |
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13_雨の巻 |
第15帖
四八音世に出るぞ、五十音の六十音と現はれるぞ、用意なされよ。それまでにさっぱりかへてしもうぞ、天も変るぞ地も変るぞ。此の方等が世建直すと申して此の方等が世に出て威張るのでないぞ、世建直して世は臣民に任せて此の方等は隠居ぢゃ、隠れ身ぢゃぞ。地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、子供よ、親の心よく汲み取りてくれよ。此の神示読まいでやれるならやりてみよれ、彼方でこつん此 方でくづれぢゃ、大事な仕組早う申せば邪魔はいるし、申さいでは判らんし、何にしても素直に致すが一番の近道ざぞ、素直になれんのは小才があるからざぞ。鼻高ぢゃからざぞ。神の国は神の国のやり方あると申してあろがな、よきは取り入れ悪きは捨てて皆気付け合って神の国は神の国ぢゃぞ、金は金ぢゃ、銀は銀ぢゃぞと申してあろがな、盲ならんぞ、カイの御用もオワリの仕組も何も彼も裏表あるのざぞ、裏と表の外に裏表あるぞ、ウオヱであるぞ、アとヤとワざぞ、三つあるから道ざぞ、神前に向って大きくキを吸ひ肚に入れて下座に向って吐き出せよ、八度繰り返せよ、神のキ頂くのざぞ、キとミとのあいの霊気頂くのざぞ。ひふみがヨハネとなり、五十連となりなって十二の流れとなるのざぞ、ムがウになるぞ、ンになるぞ、ヤとワとほりだして十二の流れ結構ざぞ。知らしてあろがな、是迄の考へ方やり方致すなら建替ではないぞ、何も彼も上中下すっかりと建替へるのざぞ、外国は竜宮の音秘様ぐれんと引繰り返しなさるのざぞ、竜宮の音秘様、雨の神様の御活動激しきぞ。今度次の大層が出て来たら愈々ざぞ。最後の十十 -透答命-ざぞ、今度こそ猶予ならんのざぞ、キリキリであるから用意なされよ、三四月気付けよ、キきれるぞ。信心なき者ドシドシ取り替へるぞ、此の中、誠一つに清め下されよ、天明まだまだざぞ、世の元の型まだまだざぞ、神の仕組成就せんぞ、神人共にと申してあろがな、神厳しきぞ、ぬらりくらりぬるくって厳しきぞ、と申してあろがな。役員多くなくても心揃へて胴-十-すへて居りて下されよ、神がするのであるから此の世に足場作りて居りて下されよ、神無理申さんぞと申してあろがな、けれどもちっとも気許しならんのざぞ。身魂相当に皆させてあろがな、掃除早うせよ、己の戦まだすんでゐないであろが、洗濯掃除早う結構ぞ、此の方の神示元と判り乍ら他の教で此の道開かうとて開けはせんのざぞ、鏡曇ってゐるから曲って写るのざぞ、一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔て心悪ぢゃぞ。十二月十九日、一二 。 |
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13_雨の巻 |
第16帖
此の世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、神の世界も引くるめて申してゐるのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇む所此の方力添え致すぞ。心配顔此の方嫌ひぞ、歌唄ひ下されよ、笑ひて下されよ、笑へば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞しながらまだキリキリ舞する様もがいて御座るぞ。つ千に返ると申してあろがな、早う気付いた臣民人民楽になるぞ。神の守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、判る様な守護は低い神の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、心せよ、何んな事あっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の気からぞと くどう申してあろがな、人民キから起って来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むより方法ないぞ、人民の心さへ定まったら、此の方自ら出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。此の世の物一切神の物と云ふ事まだ判らんのか、一切取り上げられてから成程なァと判ったのではおそいから嫌がられても、くどう同じ様な事申してゐるのざぞ、人民の苦しみ此の方の苦しみざぞ、人民も此の方も同じものざぞ、此の道理判りたか、此の方人民の中に居るのざぞ、別辞て申してゐるのざぞ。まだまだ大き戦激しきぞ、是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなるのざぞ、是からが褌ざぞ、よき世となれば褌要らんのざぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しひなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。誠が神であるぞ、コトが神であるぞ、元であるぞ、道であるぞ、日であるぞ月であるぞ。始めコトありと申してあろがな、キであるぞ、まつりであるぞ。十二月十九日、一二 。 |
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13_雨の巻 |
第17帖
天地の先祖、元の神の天詞様が王の王と現はれなさるぞ、王の王はタマで御現はれなされるのざぞ。礼拝の仕方書き知らすぞ、節分から始めて下されよ、先づキ整へて暫し目つむり心開きて一拝二拝八拍手せよ、又キ整へて一二三四五六七八九十と言高くのれよ、又キ整へてひふみ三回のれよ、これはこれは喜びの舞、清めの舞、祓の歌であるぞ。世界の臣民皆のれよ、身も魂も一つになって、のり歌ひ舞へよ、身魂全体で拍手するのざぞ、終って又キ整へて一二三四五六七八九十、一二三四五六七八九十百千卍と言高くのれよ、神気整へて天の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、これは祈るのざぞ、九二のひつくの神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、終りて八拍手せよ、次に雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々の神様、世の元からの生神様、産土の神様に御礼申せよ、終りてから神々様のキ頂けよ、キの頂き方前に知らしてあろがな、何よりの臣民人民の生の命の糧であるぞ、病なくなる元の元のキであるぞ、八度繰り返せと申してあろ、暫くこのやうに拝めよ、神代になる迄にはまだ進むのざぞ、それまではその様にせよ、此の方の申す様にすればその通りになるのざぞ、さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、大峠とは王統消すのざぞ。新しき元の生命と成るのざぞ。神の心となれば誠判るぞ。誠とはマとコトざぞ、神と人民同じになれば神代ざぞ、神は隠身に、人民表に立ちて此の世治まるのざぞ。雀の涙程の物取り合ひへし合ひ何して御座るのぞ、自分のものとまだ思ってゐるのか。御恩とは五つの音の事ざぞ、御音-恩-返さなならんのざぞ、此の事よく考へて間違はん様にして下されよ。此の巻は雨の巻ぞ、次々に知らすからミタマ相当により分けて知らしてやれよ、事分けて一二三として知らしてやるのもよいぞ。役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、臣民人民皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、待たれるだけ待ってゐるのぢゃ、一人で手柄は悪ぢゃ、分けあってやれよ、手握りてやれよ。石もの云ふぞ、十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。神の仕組の世に出でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変はり八変はり九の十々て百千万の神の世弥栄。十二月十九日、ひつ九のかミ。 |
| 352 |
14_風の巻 |
第1帖
用意なされよ。いよいよざぞ、愈々九 三。神のみこと知らすぞ。知らすぞ、眼覚めたら起き上がるのざぞ。起きたらその日の命頂いたのざぞ。感謝せよ、大親に感謝、親に感謝せよ、感謝すればその日の仕事与へられるぞ。仕事とは嘉事であるぞ、持ち切れぬ程の仕事与へられるぞ。仕事は命ざぞ。仕事喜んで仕へ奉れ。我出すと曇り出るぞ。曇ると仕事わからなくなるぞ。腹へったらおせよ。二分は大親に臣民腹八分でよいぞ。人民食べるだけは与へてあるぞ。貪るから足らなくなるのざぞ。減らんのに食べるでないぞ。食よ。おせよ。一日一度からやり直せよ。ほんのしばらくでよいぞ。神の道無理ないと申してあろが。水流れる様に楽し楽しで暮せるのざぞ、どんな時どんな所でも楽に暮せるのざぞ。穴埋めるでないぞ、穴要るのざぞ。苦しいという声此の方嫌ひざ。苦と楽共にみてよ、苦の動くのが楽ざぞ。生れ赤児みよ。子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦楽しめよ、楽しいものざぞ。眠くなったら眠れよ、それが神の道ぞ。神のこときく道ざぞ。無理することは曲ることざぞ。無理と申して我儘無理ではないぞ、逆行くこと無理と申すのざ。無理することは曲ることざ、曲っては神のミコト聞こへんぞ。素直になれ。火降るぞ。相手七と出たら三と受けよ、四と出たら六とつぐなへよ、九と出たら一とうけよ、二と出たら八と足して、それぞれに十となる様に和せよ。まつりの一つの道ざぞ。 の世 の世にせなならんのざぞ、今は の世ざぞ、 の世 の世となりて、 の世に 入れて の世となるのざぞ。タマなくなってゐると申してあろがな、タマの中に仮の奥山移せよ、急がいでもよいぞ、臣民の肉体神の宮となる時ざぞ、当分宮なくてもよいぞ。やがては二二に九の花咲くのざぞ、見事二二に九の火が鎮まって、世界治めるのざぞ、それまでは仮でよいぞ、臣民の肉体に一時は静まって、此の世の仕事仕組みて、天地でんぐり返して光の世といたすのぢゃ。花咲く御代近づいたぞ。用意なされよ、用意の時しばし与えるから、神の申すうち用意しておかんと、とんでもないことになるのざぞ。 の世輝くと となるのざぞ、 と申して知らしてあろがな。役員それぞれのまとひつくれよ、何れも長になる身魂でないか。我軽しめる事は神軽くすることざ、わかりたか。おのもおのも頭領であるぞ、釈迦ざぞ。キリストざぞ。その上に神ますのざぞ、その上神又ひとたばにするのざぞ、その上に又 でくくるぞ、その上にも あるのざぞ、上も下も限りないのざぞ。奥山何処に変っても宜いぞ、当分肉体へおさまるから何処へ行ってもこの方の国ぞ、肉体ぞ、心配せずに、グングンとやれよ、動くところ、神力加はるのざぞ、人民のまどひは神無きまどひぞ、神無きまどひつくるでないぞ、神上に真中に集まれよ。騒動待つ心悪と申してあること忘れるなよ、神の申した事ちっとも間違ひないこと、少しは判りたであろがな。同じ名の神二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、神示よめば見分けられるように、よく細かに解いてあるのざぞ、善と悪と間違ひしてゐると、くどう気付けてあろがな、岩戸開く一つの鍵ざぞ、名同じでも裏表ざぞ、裏表と思ふなよ、頭と尻違ふのざぞ。千引の岩戸開けるぞ。十二月二十五日、ひつぐのかミ。 |
| 353 |
14_風の巻 |
第2帖
二柱の神あると申してあろが、旗印も同様ぞ、かみの国の旗印と、 の国の旗印と同様であるぞ、 であるぞと知らしてあろがな、 にも二通りあるのざぞ、スメラ の旗印と    と申して知らしてあろがな、今は逆ざぞと申してあろがな、このことわからいでは、今度の仕組分らんぞ、神示分らんぞ、岩戸開けんぞ。よく旗印みてよと申してあろがな、お日様赤いのでないぞ、赤いとばかり思ってゐたであろがな、まともにお日様みよ、みどりであるぞ、お日様も一つでないぞ。ひとりまもられているのざぞ。さむさ狂ふぞ。一月の一日、ひつ九の 。 |
| 354 |
14_風の巻 |
第3帖
愈々の大建替は国 常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦殿、天 鈿女 命殿、もとのやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度悪栄えることあるぞ、心して取違ひない様にいたされよ。口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。一月四日、一二のかみ。 |
| 355 |
14_風の巻 |
第4帖
岩戸開けたり野も山も、草のかき葉もことやめて、大御光により集ふ、楽しき御代とあけにけり、都も鄙もおしなべて、枯れし草木に花咲きぬ、今日まで咲きし草や木は、一時にどっと枯れはてて、つちにかへるよすがしさよ、ただ御光の輝きて、生きの生命の尊さよ、やがては人のくにつちに、うつらん時の楽しさよ、岩戸開けたり御光の、二二に九の花どっと咲く、御代近づきぬ御民等よ、最後の苦労勇ましく、打ち越し呉れよ共々に、手引きあひて進めかし、光の道を進めかし。ウタのまどひつくれよ。目出度夜明けぞ。旧一月一日、一二 。 |
| 356 |
14_風の巻 |
第5帖
我が名呼びておすがりすれば、万里先に居ても云ふこときいてやるぞ、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、と申してお願ひすれば、万里先に居ても、この世の荒れ、地震のがらせてやるぞ、神々様に届く行で申せよ。こんなよき世は今迄になかりたのぢゃ、膝元に居ても言葉ばかりの願ひ聞こえんぞ、口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。時節来てゐるなれど、わからん人民多い故物事遅くなりて気の毒なるぞ、今暫くの辛抱なるぞ、神は人民に手柄立てさしたいのぢゃ、許せるだけ許してよき世に致すのぢゃ、ここまで開けたのも神が致したのぢゃ、今の文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無にいたすのぢゃ、取違ひ慢心致すなよ。日本の国いくら大切と申しても、世界中の臣民とはかへられんから、くにひっくりかへること、まだまだあるかも知れんぞ、くにの軸動くと知らしてあろがな。此の神示キの儘であるから心なき人民には見せるでないぞ、あまりきつくて毒になるから、役員薄めて見せてやれよ、一日も早く一人でも多く助けてやりたいのぢゃ、神まつり結構ぞ、神まつらいでいくら道説いても肚にはいらんぞ、肚に入らん道は悪の道となるのぢゃ、頭ばかりで道歩めん道理わからんか、改心足らんぞ。二月十六日、一二 。 |
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14_風の巻 |
第6帖
江戸の仕組江戸で結ばんぞ。この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ。まだまだ敵出て来るなれど、神心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎んではならんぞ、敵も神の働きぞ。神は六ヶ敷いこと云はんぞ、神に心皆任せてしまうて、肉体慾捨ててしまふて、それで嬉し嬉しぞ。神が限りなき光り、よろこび与へるのざぞ。いやならいやでそなたのすきにしてやりてござれ、一旦天地へ引上げと申してある通りになるぞ。一度の改心六ヶ敷いからくどう申してあるのざぞ。今までほかで出て居たのは皆神示先ぢゃ、ここは神示ぢゃ、何時もの如く思って居ると大変が足元から飛び立つのざぞ、取返しつかんから気付けてゐるのぢゃ。何れは作物取らしておくから、沢山取れたら更に更に愈々ざと心得よ。神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、マコトが元ざぞ。タマとコト合はしてまつり合はして真実と申すのぢゃ。 と をまつりたものぢゃ、物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ、マコト一つの道ざと申してあろがな、わかりたか。ミタマ相当にとりて思ふ様やりてみよ、行出来ればその通り行くのぢゃ、神に気に入らん事スコタンばかりぢゃから、引込み思案せずに堂々とやりて下されよ。こんな楽な世になってゐるのぢゃ、屁も放れよ、沈香もたけよ、ふらふらして思案投首この方嫌ひぢゃ。光る仕組、中行く経綸となるぞ。二月十六日、一二の 。 |
| 358 |
14_風の巻 |
第7帖
神にすがり居りたればこそぢゃと云ふとき、眼の前に来てゐるぞ。まだ疑うてゐる臣民人民気の毒ぢゃ、我恨むより方法ないぞ。神の致すこと、人民の致すこと、神人共に致すこと、それぞれに間違ひない様に心配りなされよ。慢心鼻ポキンぞ、神示よく読んで居らんと、みるみる変って、人民心ではどうにもならん、見当取れん事になるのざぞ、神示はじめからよく読み直して下されよ、読みかた足らんぞ、天の神も地の神もなきものにいたして、好き勝手な世に致して、偽者の天の神、地の神つくりてわれがよけらよいと申して、我よしの世にしてしまふてゐた事少しは判って来たであらうがな。愈々のまことの先祖の、世の元からの生神、生き通しの神々様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、スクリと現れなさりて、生き通しの荒神様引連れて御活動に移ったのであるから、もうちともまたれん事になったぞ、神示に出したら直ぐに出て来るぞ、終りの始の神示ざぞ、夢々おろそかするでないぞ、キの神示ぢゃ、くどい様なれどあまり見せるでないぞ。二月十六日、ひつぐの 。 |
| 359 |
14_風の巻 |
第8帖
世界中自在に別け取りしてゐた神々様、早う改心第一ぞ。一の王で治めるぞ。てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、この方シチニの神と現はれるぞと申してあろがな、天二様のことざぞ。行なしではまことのことわからんぞ、出来はせんぞ、神の道無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さへ三千年の行したぞ、人民にはひと日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。海にはどんな宝でも竜宮の音秘殿持ちなされてゐるのざぞ、この世の宝皆この方つくりたのざぞ、神の道無理ないと申して楽な道でないぞ、もうこれでよいと云ふことない道ざぞ。日本の人民もわたりて来た人民も、世持ちあらした神々様も人民も、世界の人民皆思ひ違ふぞ、九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ。世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思ってゐて、それでまだ眼覚めんのか、よく曇りなされたなあ、建替は今日の日の間にも出来るなれど、あとの建直しの世直し、中々ざから、人民に少しは用意出来んと、おそくなるばかりぢゃ、それでカタ出せ出せと申してゐるのぢゃぞ。あれこれとあまり穢れてゐる腸ばかりぢゃから、一度に引出して、日に干してからでないと、洗濯出来ん様になりて御座るぞ。ひぼしこばれん人民あるから、今のうちから気付けてゐるのぢゃぞ。けんびき痛いぞ、あまりにも狂ふて御座るぞ。元の根元の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。二月十六日、ひつ九の 。 |
| 360 |
14_風の巻 |
第9帖
土地分け盗りばかりか、天まで分け盗って自分のものと、威張ってゐるが、人民の物一つもないのぢゃ。大引上げにならんうちに捧げた臣民結構ぞ。宮の跡は S となるぞ。ナルトとなるぞ。天の言答-一八十-は開いてあるぞ。地の言答-一八十-、人民開かなならんぞ、人民の心次第で何時でも開けるのざぞ。泥の海になると、人民思ふところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、覚悟はよいか。神国には神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのざ。タマなくなってゐると申してあらうがな。何事も時節到来致してゐるのざぞ、真理晴れるばかりの御代となってゐるのぢゃぞ。人民神に仕へて下さらんと神のまことの力出ないぞ、持ちつ持たれつと申してあらうがな、神まつらずに何事も出来んぞ、まつらいでするのが我よしぞ、天狗の鼻ざぞ。まつらいでは真暗ぞ、真暗の道で、道開けんぞ。神は光ぞと申してあらうが、てん詞様よくなれば、皆よくなるのざぞ。てん詞様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ、この位のことなぜにわからんのぢゃ、よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのぢゃ。神がかりよくないぞ、やめて下されよ、迷ふ臣民出来るぞ。程々にせよと申してあらうが。皆々心の鏡掃除すれば、それぞれに神かかるのぢゃ。肉体心で知る事は皆粕ばかり、迷ひの種ばかりぢゃぞ、この道理判りたであらうがな、くどう申さすでないぞ。二月の十六日、ひつ九の 。 |
| 361 |
14_風の巻 |
第10帖
これからは、人民磨けたら、神が人民と同じ列にならんで経綸致さすから、これからは恐ろしい結構な世となるぞ。もう待たれんから、わからねばどいてみて御座れと申してあろが、わからんうちに、わかりて下されよ。肉体あるうちには、中々改心は出来んものぢゃから、身魂にして改心するより外ない者沢山あるから、改心六ヶ敷いなれど、我慢してやりて下されよ。時節には時節の事もいたさすぞ。時節結構ぞ。二月十六日、ひつぐの 。 |
| 362 |
14_風の巻 |
第11帖
日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ。何も人民の心からぞ。食物無くなっても食物あるぞ、神の臣民、人民心配ないぞ、とも食ひならんのざぞ。心得よ。二月十六日、ひつ九のか三。 |
| 363 |
14_風の巻 |
第12帖
日本の人民餌食にしてやり通すと、悪の神申してゐる声人民には聞こへんのか。よほどしっかりと腹帯締めおいて下されよ。神には何もかも仕組てあるから、心配ないぞ。改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、待てるだけ待ってゐるぞ、月の大神様が水の御守護、日の大神様が火の御守護、お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。この御三体の大神様、三日この世構ひなさらねば、此の世、くにゃくにゃぞ。実地を世界一度に見せて、世界の人民一度に改心さすぞ。五十になっても六十になっても、いろは、一二三から手習ひさすぞ。出来ねばお出直しぞ。慢心、早合点大怪我のもと、今の人民、血が走り過ぎてゐるぞ、気付けおくぞ。二月十六日、ひつ九のか三。 |
| 364 |
14_風の巻 |
第13帖
楽してよい御用しようと思ふてゐるのは悪の守護神に使はれてゐるのざぞ。人の殺し合ひで此の世の建替出来ると思ふてゐるのも悪の守護神ざ。肉体いくら滅ぼしても、よき世にならんぞ。魂は鉄砲では殺せんのざぞ。魂はほかの肉体にうつりて、目的たてるのざぞ、いくら外国人殺しても、日本人殺しても、よき世は来ないぞ。今迄のやり方、スクリかへて神の申す様にするよりほかに道ないのざ。このたびの岩戸開きは、なかなかぞと申してあろが、見て御座れ、善一筋の、与へる政治で見事建替へてみせるぞ。和合せんとまことのおかげやらんぞ、一家揃ふたらどんなおかげでもやるぞ。一国そろたらどんな神徳でもやるぞ、おのづから頂けるのざぞ。神いらん世にいたして呉れよ。二月の十六日、ひつくか三。 |
| 365 |
14_風の巻 |
第14帖
新しき世とは神なき世なりけり。人、神となる世にてありけり。世界中人に任せて神々は楽隠居なり、あら楽し世ぞ。この世の頭いたして居る者から、改心致さねば、下の苦労いたすが長うなるぞ、此処までわけて申しても、実地に見せてもまだわからんのか。世界中のことざから、この方世界構ふお役ざから、ちと大き心の器持ちて来て下されよ。金も銀も胴も鉄も鉛も皆出てござれ。それぞれにうれしうれしの御用いくらでも与へてとらすぞ。この巻か千の巻。ひつくのか三、二月十六日。 |
| 366 |
15_岩の巻 |
第1帖
一八の巻書き知らすぞ。一八は弥栄。 は と 、 、 が神ざぞ。 が神ざと申してあろう。悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。人民悪いこと好きでするのでないぞ、知らず知らずに致してゐるのであるぞ。神にも見のあやまり、聞きのあやまりあるのざぞ。元の神には無いなれど、下々の神にはあるのざぞ。それで見なほし、聞きなほしと申してあるのざぞ。元の神には見直し聞きなほしはないのざぞ、スサナルの大神様鼻の神様かぎ直しないぞ、かぎのあやまりはないのざぞ。人民でも、かぎの間違ひないのざぞ。鼻のあやまりないのざぞ。スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪神がわれの好き候に持ちあらしたのざ。それで人皇の世と曇りけがして、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世にいたして、さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ、わかりたか。釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ。同じ神二つあると申してあらうがな。 なくなってゐるのざぞ、 ない ざぞ、 でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。 なきもの悪ざぞ、 は霊ぞ、火ぞ、一ざぞ。くらがりの世となってゐるのも、 ないからざぞ。この道理わかるであらうがな。旧一月十五日、かのととりの日、一二 。 |
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15_岩の巻 |
第2帖
三千年の昔に返すと申してあらうがな。よい御用いたす身霊ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。こんどの苦の花は真理に咲くのみざぞ。不二に九の花咲くや媛まつれと申してあるが、九の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。九の花咲けば、此の世に出来んことないぞ。まことの かかりぞ。この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々の建替ざから、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。人民苦しからうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。二つづつある神様を一つにするのであるから、嘘偽ちっともならんのぢゃ。少しでも嘘偽あったら、曇りあったら、神の国に住めんことになるのざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。われの国同士の戦始まるのぢゃ。この戦、神は眼あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見て居られんのぢゃが、友喰ひと申して知らしてあらうが。この方等が天地自由にするのぢゃ。元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ。あらたぬし、世にするのぢゃと申してあること愈々ざ、人民、臣民勇んでやりて下され。神々様守護神どの、勇め勇め。二月十六日、ひつ九 。 |
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15_岩の巻 |
第3帖
天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。間違ひ出来んうちに、間違はん様気つけて下されよ。出来てからは、いくら泣いても詫びしても後へは返せん。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。くどう気付けておくぞ。これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。インチキ神の前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあらうがな。三千年で世一キリといたすのぢゃぞ。まことの集まりが神徳ぢゃ、神徳つむと、世界中見えすくのざぞ。神だけではこの世の事は成就せんと申してあらうがな。神がうつりて成就さすと申してあろうがな。こんなことこれまでにはなかりたぞ。二月十六日、一二 。 |
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15_岩の巻 |
第4帖
元は十と四十七と四十八とあはせて百と五ぞ、九十五柱ざぞ。旧一月十五日、かのととり、一つ九のか三。 |
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15_岩の巻 |
第5帖
人民眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ。苦労、苦労と申しても、悪い苦労気の毒ざぞ、よき苦労花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。神の道無理ないと、くどう申してあらうがな。此の道理よく噛み分けて下されよ。神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ。神の国であるのに人民近慾なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。眼の玉飛び出すぞ。近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな。五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。二月十六日、ひつ九かミ。 |
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15_岩の巻 |
第6帖
向ふの云ふこと、まともに聞いてゐたら、尻の毛まで抜かれてしまふのが、神にはよく判りて気つけてゐたのに、今の有様その通りでないか。まだまだ抜かれるものあるぞ。のばせばのばせば、人民まだまだ苦しいことになるぞ。延ばさねば助かる人民ないし、少しは神の心も察して下されよ、云ふ事きいて素直にいたされよ、神たのむぞ。愈々時節来たのであるから、何と申しても時節にはかなわんから、神示通りになって来るから、心さっぱり洗ひ晴らしてしまふて、持ち物さっぱり洗ひかへしてしまふて、神のみことに生きて呉れよ、みことになるぞ、タマぞ、ミコト結構ぞ。一八五二六八八二三三一二三卍千百三七六五卍十十十八七六五曰一二三五六八二三二一二三六五八八八八十十二一三八七七八九二六三二八五一二    三二一八九百一七百 四七九曰三八一三曰二   一九三三 九二     二五一二二二二三三九一かつ十五にちひつ九のか三わからん裡にわかりてくれよ。旧一月十五日、ひつ九のかミ。 |
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15_岩の巻 |
第7帖
この神の許へ来て信心さへして居たらよい事ある様に思ふてゐるが、大間違ひざぞ。この方の許へ参りて先づ借銭なしに借銭払ひして下されよ。苦しいこと出来て来るのが御神徳ぞ。この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民遠慮いらん、帰りて呉れよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。しかと褌締めてついて御座れよ。此の方悪神とも見えると申してあらうがな。わかりてもわからん、出来ん事致さすぞ、神が使ふのざから楽でもあるのざぞ。静かに神示よく肚に入れて御用して下されよ。神の道光るぞ。旧一月十五日、一二 。 |
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15_岩の巻 |
第8帖
此の方のコト、腹にひしひしと響き出したら、よき守護神となったのざぞ。神の国の元のミタマと外国のミタマとスッカリ取換へられてゐるのにまだ眼覚めんのか。神の国は真中の国、土台の国、神の元の鎮まった国と申してあらうがな。神の国であるぞ、我さへよけら、よその国、よその人民どうなってもよいといふ程に世界の臣民、皆なりてゐるが、表面ばかりよい事に見せてゐるが、中は極悪ぢゃ。気付いてゐる臣民もあるなれど、どうにも、手も足も出せんであらうがな。それが悪神に魅いられてゐるのぢゃぞ。道はあるに闇、祓ひ潔めて道見て進め。勇ましきやさかの道、光りあるぞ。二月十六日、一二 。 |
| 374 |
15_岩の巻 |
第9帖
今度捕へられる人民沢山にあるが、今度こそはひどいのざぞ。牢獄で自殺するものも出来て来るぞ。女、子供の辛いことになるぞ。九分通りは一度出て来るぞ、それまでに一度盛り返すぞ、わからんことになったら愈々のことになるのざぞ。みたま磨けよ。旧一月十五日、一二 。 |
| 375 |
15_岩の巻 |
第10帖
わからんミタマも今迄は機嫌取って引張りて来たなれど、もう機嫌取りは御免ぢゃ。こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れるから、ひときりにいたすぞ。神代となれば天は近くなるぞ、神人共にと申してあらうがな。一人となりても、神の申す事ならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ。信者引張ってくれるなよ。道は伝へて下されと申してあらうがな。竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。びっくり箱の一つであるぞ。キTがよくなる、キたが光るぞ、きTが一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ。これ程に申してもまだ疑ふ人民沢山あるなれど、神も人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、疑ふなら今一度我でやって見よれ、それもよいぞ、あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、型して下されよ。改心の見込ついたら、世の元からの生神が、おのおのにタマ入れてやるから、力添へ致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。悪はのびるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。二月十六日、一二の 。 |
| 376 |
15_岩の巻 |
第11帖
誰の苦労で此の世出来てゐると思ふてゐるのぢゃ。此の世を我がもの顔にして御座るが、守護神よ、世を盗みた世であるくらゐ、わかってゐるであらうがな。早う元にかへして改心いたされよ、神国の王は天地の王ざぞ、外国の王は人の王ざぞ。人の王では長う続かんのぢゃ。外国にはまだまだ、きびしいことバタバタに出て来るぞ、日本にもどんどん出て来るぞ。云はねばならんことあるぞ。出づ道は二つ、一はひらく道、二は極む道、道出で世に満つ、ゑらぎゑらぐ世ぞ。前に書かしてあること、よく読めばわかるのぢゃ、御身に利かして御身でかかしたもの二曰んの巻といたせよ。いよいよア 九なって来るのざぞ。因縁みたま結構となるのざぞ。旧一月十五日、ひつ九のか三神示。 |
| 377 |
16_荒れの巻 |
第1帖
言答開き成り成るぞ。誠言答は永遠ぞ。瞳ぞ。御位継ぐ理の始ぞ。字絶対の世始出づぞ。二一開き、結ぶ玉に祝うぞ。読む開き、字出づ理に成り、結ぶ玉に弥栄開大和心の道ぞ。道開く理の極みぞ。本能秀-生命-月日の極み成る読む言の極み。弥栄に真問ひ極む世。那美-名美-那岐-名基-の理の玉継ぐ意味開くなり。字の絶対継ぐ意味弥勒弥勒となるぞ。根っこ理ぞ。誠ざぞ。弥栄弥栄。玉秘出づ理ぞ。玉基理ぞ。通基秘理、極み成る識道、本能秀-生命-ざぞ。不見の実主ざぞ。 ゝゝゝゝゝ ゝゝゝゝゝ・の理、字の絶対出づ の ぞ。南無-名務-荷い開く弥勒。日継の意味荷う数と字の絶対光の道。字の絶対開き、那美-名美-開くぞ。字の極意の極みは読字-黄泉-ぞ。富士-普字-に花咲く時ざぞ。開く結びの命、字開きに字、開き実るぞ。山にも地にも万劫光の花開くの理ぞ。光の経綸四八音となるぞ。意露波理ぞ。人佛の極みは、命の光普き、智普く基の天の言玉の理、理の極の光の答の山路-大空間-百霊継ぐ文字の道。生-基-の極みたり。面白に秘解く成答、文道とどめたり。数の始の絶対の理ざぞ。字、絶対の理。誠母-親の古字-の秘文。霊気世に満ち漲り、国々晴れ渡るぞ。日継-日通基-開く文字、網母成る極みなり。言の絶対の答人の意の極みなる意味ぞ。読みこれぞ。答の名基荷負う始め、伊勢世の始め、普字鳴戸-成答-の経綸動ぞ。字に成り成りませる光の神には、何事も弥栄弥栄ざぞ。このふで軸-時間空間-読、御しるしのヨ八音ざぞ。諏訪麻賀多榛名甲斐玉和す理ざぞ。字の言座、名-言波-の極ぞ。意志の極み成るぞ。道は道理であるぞ。字開き、務に結び、咲く花の結び秘文ぞ。普字軸の理ぞ。宮柱太しき立つぞ。祝詞の心、はじめの開き字に現はるぞ。真心響く誠ぞ。言ざぞ。細工隆隆読の極み立つ世ぞ。数の極み神ぞ。数の極大素佐成-大数叉名立-五十の極み継ぐ印し給ひて、幹-実基-字完し、完し、山-屋間-の文読み、皆喜び、荷ふ理の宮継ぐ普字軸の世。喜び言、全土に響く理ぞ。八雲出雲は、聞理じゃ、これは、基の大数叉名立大神、世に光り輝くの理ぞ。理は世の元に立つ道ぞ。理、遠きには無し、心せよ。誠の道は神の理ざぞ。読はじめの世ぞ。皆神の子ぞと申してあるぞ。名基の世しかと開き、生の基の誘基の命現れき。太始めの御玉組み組み神継ぐ極みと成り、始る道ぞ理の極み。字句字句、真問ひ成り成り鳴り、読-黄泉-の岩戸-言答-開くなり。はじめの光り、今輝きて、答神-真理-覚め覚め棒ぐもの、百取りしろ-網母十理詞露-に充ち満ちて、弥栄御座湧きに湧き天晴れ継ぐ神の答は字に有り。見よ、御子達、大き道座し座す言座。吾疑問ひ秘文字奥義、敬ひ、喜び、申すらくを、天の普智独楽の実実普理聞こし食すらむ千萬の御代。光り神太光り-秘加理-ぞ。理-真理-の御山-大空間-の良きを寿ぐ。五十鈴の川の良きを寿ぐ、動く事なく、止まる事なく永遠世に弥栄弥栄、喜びの、今開く字の理成りて、光の花の、一時にどっと咲く所、玉の御代とて神代より生きし生き神引き合ふぞ。誠のもの云ふ時来しとみそぐの太神覚りてサン太神様知る誠尊き御代と成りますのぞ。仕事は、めんめの働きあるぞよ、実空字大き理智在せることの印しなり。終りに、言言神国の、誠の鏡-完神-のとどろきも、皆御文字世の始かし、今、始る世-詞-の基。雨の神風の神岩の神荒の神地震の神世の基にして、理実りの常盤の普字の実り良くも、命出度命出度ざぞ。弥栄鳴戸-成答-は、光の御座の問ひに開くぞ。八百の道-理-の寄る把立名-榛名-吾基-安芸-時節来て、誠もの云ふ神の世の、夜明けの神々覚れよと、神-可務-露務可務露基可務露実の命もち八百万の神々神集ひに集ひ給ひ神計りに計り給ひ言問ひし草のかきはも言止め、天の岩戸-言答-開放ち、天の弥栄弥栄に智湧きに智湧き、大実光りの尊き御代ぞ、神在す天下四方の国々治し食す寿命大神-大実親-の字の理網母-現実親-の空字-国-ことごとく定まりし弥勒の世とぞ成りふるなり。成るは、誠の開きの秘の山の神基開く真の神にかかり給ひしぞ。空字御霊大皇命神の秘の、仰ぐさまの良き時ぞ。理実る世数の極真理ぞ。普字-不二-の山-大空間-晴れたり。光り-秘加理-輝やきて御空に太まに百草のかき葉も競ひかも、寄り集ふ誠一つの神の世ぞ。読字-黄泉-ぞ。くくりし読は惟完読。軸字軸字と木霊と木霊、字開き、数開き成る言網母-現実親-に有り。鳴戸-成答-理開きに開き、貴人の御代成り成るぞ。弥栄つぎに通基つきて、御代印しの基継ぐ成るぞ。艮めに普字の神産み給いき、普字数叉名立の神現れ生き生き給ひき。・に誘名基の神神加実達に理給ひて、喜び光賜ひき。陽の神は秘の国、通基の神は実数の国数叉名立神は、名波裸治らせと給ひき。それは、その時より理決まれる事にぞあれば、何も彼も真問ひ理に来いとぞ。あななひの道ざぞ。弥栄の理ざぞ、あなさやけ、あな清々し世ぞ。生れし道ぞ。都も鄙も皆大実光りに寄り集ふ誠一つの理なるぞ。秘文の国ぞ、言玉の弥栄光る国なるぞ。理の言普字に印しあり。理真理の普字、早う開きぞ。誠の空字の御光りの世界の読-黄泉-喜びに泣く時来た印し文。はらに読-黄泉-理艮め成る。問ひ問ひ文も解くなる始め、天のはじめのみひかりなり。読路-黄泉-の玉糸-意答-秘名の光立つ。草もの云ふ世となりふなり。御玉救ふ道神の理開き基ぞ。月日出づ開きに秘文開き、字の命開く極名美秘文三ぞ。秘文ぞ。神々様御喜びざぞ。今は、神解り解りし字に言玉息吹き鳴り、息吹きのままに理満ち、元の大神にこにこと棒ぐるもの食し給ひ喜び意図の弥栄弥栄成れる良き嘉き御代来るぞ。目で聞く大神、世のあななひの友、天晴れ詞数食ふ能き誠の御代ぞ。宇宙-田-波-場-知る場加、月日御稜威の花ぞ。覚れ、覚れと、言、言、軸。百霊の世玉秘尊き。神の実言-命-聞く身々早う掃除一番ぞ。掃除智座、秘継ぐ数字-スジ-大神-加実-絶対開く元神は、独楽の理、四十七音四十八-四十七ノ四十八--意露波-目にもの見せて神国の、誠の善は、悪魔迄皆新め生くの始終光ぞ、惟完ざぞ。字そそぐ光り裏-心-山-大空間-荷負ふ母-親-の誠に覚め、字開く命ぞ。普字に花咲く御代嬉し嬉し、早う光の文路知らせたり。急ぐ心ぞ。読字-黄泉-弥栄に光り文成るぞ。文命の言の御代の、月の光りなり。五十意図始めの光り知りて、尊き御代とぞなりふる誠の神のふでなるぞ。心しめて読時ぞ。真言の神と飛来の神と皆和す時き成るぞ。あら楽し、あなさやけ、普字は晴れたり言答開けたり。あなさやけおけ、後の世に書きしるすぞ、日月の神書き印すぞ。 |
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17_地震の巻 |
第1帖
われわれの一切は生れつつある。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。一定不変の神もなければ、宇宙もない。常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生れに生れつつある。生もなければ死もない。善も思わず真も考えず美も思わない。只自分自身のみの行為はない。只生れゆき栄えゆくのみである。善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあり得ない。何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからである。思うことは行為することである。生前、生後、死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何ものもないのである。存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである。何ものも、それ自らは存在しない。弥栄しない。必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。しかし、その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。善でもなく、悪でもなく、只生れつつあるのみ。霊人に空間はない。それは、その内にある情動によって定まるが故である。また、その理によって一定せる方位もない。また時間もなく只情動の変化があるのみである。地上人は、肉体を衣とするが故に、宇宙の総てを創られたものの如く考えるが、創造されたものではない。創造されたものならば、永遠性はあり得ない。宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつある。その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのである。存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。それは であり、 なるが故である。 は大歓喜の本体であり、 はその用である。それは、善でもなく悪でもない。真でもなく偽でもない。美でもなく醜でもない。また愛でもなく憎でもない。プラスでもなければマイナスでもない。しかし、善の因と真の因とが結合し、悪の因と偽の因とが結合し、美の因と愛の因とが結合し、醜の因と憎の因とが結合して、二義的には現われ、働き、存在として、またはたらく。善因は偽因と結合せず、悪因は真因と結合しない。これらの総ては、これ生みに生み、成りに成りて、とどまるところを知らない。それは、神そのものが絶えず、鳴り成り、成り鳴りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあるがためである。神が意志するということは、神が行為することである。そして、さらに神の行為は、弥栄であり、大歓喜である。神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、また霊人として霊界に生命する。神の歓喜を内的にうけ入れる霊人の群は無数にあり、これを日の霊人と云う。神の歓喜を外的にうけ入れる霊人の群も無数にあり、これを月の霊人と云う。月の霊人の喜びが、地上人として地上に生れてくる場合が多い。日の霊人は、神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、そのままにして神に抱かれ、神にとけ入り、直接、地上人として生れ出ることは、極めてまれである。月の霊人は、神の歓喜をその智の中にうけ入れる。故に、神に接し得るのであるが、全面的には解け入らない。地上人は、この月の霊人の性をそのままうけついでいる場合が多い。日の霊人は、神の歓喜を、そのまま自分の歓喜とするが故に、何等それについて疑いをもたない。月の霊人は、神の歓喜を歓喜として感じ、歓喜としてうけ入れるが故に、これを味わわんとし、批判的となる。ために二義的の歓喜となる。故に、日の霊人と月の霊人とは、同一線上には住み得ない。おのずから、別の世界を創り出すが故に、原則としては、互に交通し得ないのである。この二つの世界の中間に、その融和、円通をはかる霊人と、その世界が存在する。これによって、二つの世界、二つの生命集団が円通し、常に弥栄するのである。地上人と霊人との間も同様、直接、全面的な交流はあり得ない。それは、別の世界に住んでいるためであ って、その中間の半物、半霊の世界と、霊人がいて、常にその円通をはかっている。以上の如くであるから、日と月、愛と直、善と美も、本質的なものではなく、二義的なものである。 |
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17_地震の巻 |
第2帖
天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。何故ならば、自らなる段階的秩序を破るからである。秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。しかし、同一線上に於ける横の交流は、可能である。それは丁度、地上に於ける各民族がお互に交流し、融和し得るのと同様である。総て分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。分類しては、生命の統一はなくなる。其処に、分離と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。一なるものは、平面的には分離し得ない。二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。 については一なるも、 に於ては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。しかし、大歓喜にまします太神の は、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である。生前の形式は、生後の形式であり、死後の形式である。即ち、死後は生前の形式による。形式は愛と現われ、真と現われ、善と現われ、美と現われる。而して、その根幹をなし、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式なく、存在は許されない。愛の善にして真の美と合一しなければ呼吸せず、現の現人にして霊の霊人と合一しなければ生命しない。これら二つが相関連せるを外の真と云う。外の愛も外の真も共に生命する。人間に偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。故に、外部的にまげられたる働きの許されてあるを知ることができるであろう。許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。浄化し弥栄しゆく悪は悪でなく、偽は偽でない。動かざる善は善でなく、進展せぬ真は真でない。更に善を善とし、悪を悪として、それぞれに生かし弥栄するのを歓喜と云う。歓喜は神であり、神は歓喜である。一から一を生み、二を生み、三を生み、無限を生みなすことも、みなこれ歓喜する歓喜の現われの一つである。生み出したものなればこそ、生んだものと同じ性をもって弥栄える。故に本質的には善悪のないことが知られるであろう。死後の世界に入った最初の状態は生存時と殆ど変化がない。先に霊人となっている親近者や知人と会し、共に生活することもできる。夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再びくりかえすことができるのである。霊界は、想念の世界であるから、時間なく、空間なく、想念のままになるのである。しかし、かくの如き死後の最初の状態は長くはつづかない。何故ならば、想念の相違は、その住む世界を相違させ、その世界以外は想念の対象とならないからである。而して、最初の状態は、生存時の想念、情動がそのままにつづいているから、外部的のもののみが強く打ち出される。故に、外部の自分に、ふさわしい環境におかれるが、次の段階に入っていくと、外部的のものは漸次うすれて、内分の状態に入っていくのである。内分と外分とは、互に相反するが、霊人の本態は内分にあるのであるから、この段階に入って始めて本来の自分にかえるのである。生存時に於ては、地上的な時、所、位に応じて語り、行為するが為に、限られたる範囲外には出られないが、内分の自分となれば、自由自在の状態におかれる。生存時に偽りのなかった霊人は、この状態に入って始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらくのである。偽りの生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かうのである。かくすることによって、生存時に於ける、あらゆる行為が清算されるのである。この状態に入ったならば、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮する。故に、同一の環境には住み得ないのである。かくして、諸霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、且つ行為することになる。そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。 |
| 380 |
17_地震の巻 |
第3帖
愛の影には真があり、真の影には愛がはたらく。地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在する。地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人は呼吸しない。地上人は常に霊界により弥栄する。弥栄は順序、法則、形式によりて成る。故に、順序を追わず、法則なく、形式なき所に弥栄なく、生れ出て呼吸するものはあり得ない。個の弥栄は、全体の弥栄である。個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄する。個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合は益々強固となるのが神律である。霊界と物質界は、かくの如き関係におかれている。其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、栄えゆくのである。更に、極内世界と極外世界とが映像され、その間に中間世界がまた映像される。極内世界は生前、極外世界は死後、中間世界は地上世界である。極内は極外に通じて を為す。すべて一にして二、二にして三であることを理解せねばならない。かくして、大神の大歓喜は、大いなる太陽と現われる。これによりて、新しく総てが生れ出る。太陽は、神の生み給えるものであるが、逆に、太陽から神が、更に新しく生れ給うのである。 は絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく。親によって子が生れ、子が生れることによって親が新しく生れ出ずるのであることを知らねばならない。されば、その用に於ては千変万化である。千変万化なるが故に、一である。一なるが故に、永遠である。愛は愛に属する総てを愛とし、善となさんとするが故に悪を生じ、憎を生じ、真は真に属する総てを真とし美となさんとする故に偽を生じ、醜を生ずるのである。悪あればこそ、善は善として使命し、醜あればこそ、美は美として生命するのである。悪は悪として悪を思い、御用の悪をなし、醜は醜として醜を思い、御用の醜を果たす。共に神の御旨の中に真実として生きるのである。真実が益々単にして益々充実し、円通する。されば、 の中の の中なる の の中なる一切万象、万物中の最も空にして無なるものの実態である。これが、大歓喜そのものであって、神は、この に弥栄し給えるが故に、最外部の の外にも弥栄し給うことを知覚し得るのである。始めなき始めの の真中の真空にいますが故に、終りなき終りの の外の無にいまし、中間に位する力の の中に生命し給うのである。一物の中の なるが故に一物であり、万象万物であることを知覚しなければならない。生前の様相であり、呼吸するが故に死後の呼吸とつづき、様相として弥栄ゆるのである。神が生み、神より出て、神の中に抱かれているが故に神と同一の歓喜を内蔵して歓喜となる。歓喜に向かうとは親に向かうことであり、根元に通ずることである。世をすて、外分的、肉体的諸欲をすてた生活でなければ、天国に通じ得ぬと考えるのは誤りである。何故ならば、地上人に於ける肉体は、逆に霊の守護をなす重大な役目をもっているからである。地上人が、その時の社会的、物質的生活をはなれて、霊的生活にのみ入ると云うのは大いなる誤りであって、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みであることを知らねばならない。天国をうごかす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒である。地獄は天国あるが故であり、暗黒は光明あるが故である。因が果にうつり、呼が吸となりゆく道程に於て、歓喜は更に歓喜を生ず。その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、また、強力に制しようとする。呼が強くなれば吸が強くなり吸が長くなれば呼もまた長くなる。故に地獄的なものも天国的なものも同様に、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われであることを知らねばならない。天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団がある。何故ならば、天国の如何なる状態にも対し得る同様のものが自らにして生み出されねばならぬからであって、それにより、大いなる平衡が保たれ、呼吸の整調が行なわれるからである。この平衡の上に立つ悪は悪ではなく、偽は偽でなく、醜は醜でなく、憎は憎でなく、また地獄は地獄でない。地獄は本来ないのである。また、この平衡の上におかれた場合は、善も善でなく、美も美でなく、愛も愛でなく、そこでは、天国も天国ではない。只ひたすらなる大歓喜が弥栄ゆるのみである。 |
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17_地震の巻 |
第4帖
同気同類の霊人は、同一の情態で、同じ所に和し、弥栄え、然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ。生前の世界は、地上人の世界の原因であり、主体であるが、また死後の世界に通ずる。同気同一線上にいる霊人たちは、且って一度も会せず語らざるも、百年の友であり、兄弟姉妹である如くに、お互いに、その総てを知ることができる。生前の世界に於ける、かかる霊人が肉体人として生れ出でた場合の多くは、同一の思想系をもつ。但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に相会し、相語られざる場合も生じてくる。また、生前の生活と同様のことを繰り返すこともある。霊人の同一線上にある場合は、その根本的容貌は非常に似ているが、部分的には相違し、同一のものは一つとしてない。そこに、存在の意義があり、真実の道が弥栄え、愛を生じ、真が湧き出てくるのである。生前の霊人の場合は、自分自身のもつ内の情動はそのままに、その霊体の中心をなす顔面に集約され、単的に現われていて、いささかも反する顔面をもつことは許されない。一時的に満たすことはできても、長くは続かない。この情態の原理は、地上人にも、反影している。生前の世界は、以上の如くであるから、同一状態にある霊人が多ければ、その団体は大きく、少なければ、その集団は小さい。数百万霊人の集団もあれば、数百、数十名で一つの社会をつくる団体もある。各々の団体の中には、また特に相似た情動の霊人の数人によって、一つの家族的小集団が自らにしてでき上がっている。そしてまた、各々の集団の中心には、その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占め、その周囲に幾重にも、内分の神に近い霊人の順に座をとりかこみ運営されている。若しそこに、一人の場所、位置、順序の間違いがあっても、その集団は呼吸しない。而して、それは一定の戒律によって定められたものではなく、惟神の流れ、則ち歓喜によって自ら定まっているのである。またこれら集団と集団との交流は、地上人の如く自由ではない。総ては の を中心として の姿を形成しているのである。 と とを、生前の世界に於て分離する事は極めて至難ではあるが、或る段階に進むときは一時的に分離が生ずる。しかし、この場合も は であり は である。これが地上世界の行為に移りたる場合は、不自由不透明な物質の約束があるため、その分離、乱用の度が更に加わって、真偽混乱に及ぶものである。悪人が善を語り、善をなし、真を説くことが可能となるが如く写し出されるのである。生前界では、悪を意志して悪を行なうことは、御用の悪として自ら許されている。許されているから存在し行為し現われているのである。この場合の悪は、悪にあらずして の であることを知らねばならない。即ち、道を乱すが故である。地上人の悪人にも善人にも、それは強く移写される。愛は真により、真は愛により向上し、弥栄する。その根底力をなすは歓喜である。故に、歓喜なき所に真実の愛はない。歓喜の愛は、これを愛の善と云う、歓喜なき愛を、愛の悪と云うのである。その歓喜の中に、また歓喜があり、真があり、真の真と顕われ、 となり、 と集約され、その集約の の中に を生じ、更に尚 と弥栄ゆる。生前の世界、死後の世界を通じて、一貫せる大神の大歓喜の流れ行く姿がそれである。大神は常に流れ行きて、一定不変ではない。千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓喜である。完成より大完成へ向い進む大歓喜の呼吸である。されど、地上人に於ては、地上的物質に制限され、物質の約束に従わねばならぬ。其処に時間を生じ、距離を生じ、これを破ることはできない。故に同時に、善と悪との両面に通じ、両面に生活することとなるのである。其処に、地上人としての尊きかなしさが生じてくる。霊人に於ては、善悪の両面に住することは、原則として許されない。一時的には仮面をかむり得るが、それは長くつづかず、自分自身耐え得ぬこととなる。地上人と雖も、本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。しかし、悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。悪と偽に、同時にはいることは、一応の必要悪、必要偽として許される。何故ならば、それがあるために弥栄し、進展するからである。悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となるからである。霊物のみにて神は歓喜せず、物質あり、物質と霊物との調和ありて、始めて力し、歓喜し、弥栄するからである。霊は絶えず物を求め、物は絶えず霊を求めて止まぬ。生長、呼吸、弥栄は、そこに歓喜となり、神と現われ給うのである。霊人も子を生むが、その子は歓喜である。歓喜を生むのである。 |
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17_地震の巻 |
第5帖
全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している。故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。故に、歓喜生ずる。本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影である。故に、悪は悪に、偽は偽に働き得るのみ。影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。悪の働きかけ得る真は、真実の真ではない。悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じている。故に、悪には本来の力はなく、影にすぎない。善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄する。生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様である。生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ている。生前の行為が生後審判され、酬いられているのではあるが、それは、悪因縁的には現われない。そこに、神の大いなる愛の現われがあり、喜びがある。悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に現われるのではない。何故ならば、大神は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現われなるが故にである。地上人的に制限されたる感覚の範囲に於ては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果を来す場合もあるが、それは何れもが弥栄である。これを死後の生活にうつされた場合もまた同様であって、そこには地獄的なものはあり得ない。川上で濁しても川下では澄んでいるのと同様である。要するに、生前には、地獄がなく、生後にも、死後にもまた地獄はないのである。この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知らねばならぬ。しかし、天国や極楽があると思念することは既に無き地獄を自らつくり出し、生み出す因である。本来なきものをつくり出し、一を二にわける。だが、分けることによって力を生み弥栄する。地獄なきところに天国はない。天国を思念する処に地獄を生ずるのである。善を思念するが故に、悪を生み出すのである。一あり二と分け、はなれてまた、三と栄ゆるが故に歓喜が生れる。即ち、一は二にして、二は三である。生前であり、生後であり、死後であり、尚それらの総ては である。 は であり であり、 と集約される。故に、これらの総ては無にして有である。人の生後、即ち地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活に、そのままにして進み行く、立体となり、立々体と進み、弥栄する処につきざる歓喜があり、善悪美醜の呼吸が入り乱れつつ調和して、一の段階より二の段階へ、更に三の段階へと弥栄浄化する。浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となる。故に、神の中に神として総てが弥栄するのである。悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、以上述べた神の意志、行為、弥栄と離れたものである。歓喜に審判なく、神に戒律はない。戒律は弥栄進展を停止断絶し、審判は歓喜浄化を裁く。このことは神自らを切断することである。裁きはあり得ず戒律はつくり得ず、すべてはこれ湧き出づる歓喜のみの世界なることを知らねばならない。行為は結果である。思念は原因である。原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む。生前の霊人は、生後の地上人を生む。地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結果は、更に原因となりて生前の霊人を生む。 は となりて廻り、極まるところなくして弥栄える。以上述べた処によって、これら霊人、地上人、地上人の本体が歓喜と知られるであろう。されば、常に歓喜に向ってのみ進むのである。これは只、霊人や地上人のみではない。あらゆる動物、植物、鉱物的表現による森羅万象の悉くが同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至るのみ。故に地上世界の悉くは生前世界にあり、且つ死後の世界に存在し、これらの三は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一つである。生前の呼吸はそのまま生後、死後に通ずる。地上に於ける総ては、そのままにして生前なるが故に、生前の世界にも、家あり、土地あり、山あり、川あり、親あり、子あり、夫婦あり、兄弟姉妹あり、友人あり、また衣類あり、食物あり、地上そのままの生活がある。地上人、地上生活を中心とすれば、生前、死後は映像の如く感覚されるものである。しかし、生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎないことを知らねばならぬ。時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。 |
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17_地震の巻 |
第6帖
霊界人は、その向いている方向が北である。しかし、地上人の云う北ではなく、中心と云う意味である。中心は、歓喜の中の歓喜である。それを基として前後、左右、上下、その他に、無限立体方向が定まっているのである。霊界人は地上人が見て、何れの方向に向っていようと、その向っている方向が中心であることを理解しなければならない。故に、霊人たちは、常に前方から光を受け、歓喜を与えられているのである。それは絶えざる愛であり、真理と受け取られ、それを得ることによって霊人たちは生長し、生命しているのである。要するに、それは霊人たちの呼吸と脈拍の根元をなすものである。地上人から見て、その霊人たちが各々異なった方向にむかっていようとも、同じく、それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる。上下、左右、前後に折り重なっていると見えても、それは、決して、地上人のあり方の如く、霊人たちには障害とならない。各々が独立していて、他からの障害をうけない。しかし、その霊人たちは極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在ではない。各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である。地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。映像として真実であるが、第一義的真理ではない。故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない。内質に於ては同一であるが、現われ方や位置に於いては相違する。故に、霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである。霊人の中では太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長していると云う、地上人には理解するに困難なことが多い。要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、それ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。歓喜のうけ入れ方や、その厚薄の相違はあるが、歓喜することに於ては同様である。歓喜すればこそ、彼の霊人たちは太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、闇を光と感得していることを知らねばならぬ。この霊人たちを邪霊と呼び、邪鬼と云い、かかる霊人の住む所を地獄なりと、多くの地上人は呼び、且つ感じ、考えるのである。しかし、それは本質的には地獄でもなく、邪神、邪霊でもない。霊界に於ては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない。何故ならば、思念による思念の世界につながる故である。現実的にみては折り重なって、この霊人たちが生活するとも、全然その感覚外におかれるために、その対象とはならない。地上人に於ても原則としては同様であるが、地上的、物質的約束のもとにあるため、この二者が絶えず交叉混交する。交叉混交はしても、同一方向には向っていない。そこに地上人としての霊人に与えられていない特別の道があり、別の使命があり、別の自由が生じてくるのである。 |
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17_地震の巻 |
第7帖
地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり、法則がある。霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束を、そのまま霊界では行ない得ない。しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。その秩序、法則、統一は、一応完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのである。これが、生命の本体であって、限られたる智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もある。しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かすのである。生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのである。本来悪はなく闇はなく、地獄なきことを徹底的に知らねばならない。これは生前、生後、死後の区別なく、総てに通ずる歓喜である。一の天界に住む天人が、二の天界に上昇した時、一の天界は、極めて低い囚われの水の世界であったことを体得する。更に一段上昇、昇華して三の段階に達した時も同様である。地上人的感覚によれば、二の天界に進んだ時、一の天界は悪に感じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い。悪的感覚と悪的実態は自ら別であるが、この実状を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ない如く、地上人に到りては極めて稀であることを知らなくてはならない。悪を悪なりと定めてしまって、悪は総て祖先より、或いは原因の世界より伝えられたる一つの因果であると云う平面的、地上的考え方の誤っていることは、以上述べた処で明白となり、己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、その考えが悪的であることを知らねばならぬ。来るべき新天地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる。しかし、それが最高の理想郷ではない。更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、努力しなければならぬ。 |
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17_地震の巻 |
第8帖
生前の世界に、霊人が生活している。山があり、川があり、住宅、衣類、食物がある。しかし、それは最初からのものではない。それらの元をなす が歓喜していた、その が生後、地上世界にうつされて、地上的約束の下に生長し、秩序されたがため、その結果が、死後の世界につづき、死後の世界の様相は の原理によって、生前世界に移行して、生前的に進展し、弥栄し、その を幾度となく繰り返すうちに、漸次、内的 に向って弥栄する面と、外的、地上的に進む と、その交叉融和することによって更に生み出され弥栄する と、その各々が各々の立場に於て、すすみ、呼吸し、脈うち、生命していると同時に、全体的にも生命し、歓喜し、弥栄している。而して、その現われとしては、和せば和するほど相離れ、遠ざかりつつ生長する。また、生命の大歓喜として湧き出ている。故に、地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界は、霊人により生み、霊人により育てられると同時に、人々により生み、人々により育てられ、歓喜されるのである。かく弥栄進展するが故に、人類も霊人類も、各々その最後の審判的段階に入る迄は、真の三千世界の実相を十分に知り得ない。故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得し得ない。新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得ない。この新天新地は幾度となく繰り返されているのであるが、何れも の形に於けるが如く同一形式のものではあるが、同一のものではない。より小なるものより、より大なるものが生れ、より大なるものより、より小なるものが生れ、より新しきものより、より古きものが生れ、より古きものより、より新しきものが生れ、弥栄し、一つの太陽が二つとなり、三つとなり、更には一つとなることを理解しない。月より地球が生れ、地球より太陽が生れると云うことを理解するに苦しむものであるが、最後の審判に至れば自ら体得し得るのである。これは外部的なる智によらず、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得る。新天新地新人はかくして、生れ、呼吸し、弥栄える。しかし、新人と生れ、新天新地に住むとも、その以前の自分の総ては失わない。只その位置を転換されるのみである。地上人が死後、物質的に濃厚なる部分をぬぎすてるが、その根本的なものは何一つとして失わず生活するのである。その状態よりも尚一層、そのままであって何等の変化もないと思える程である。蛆が蝶になる如く弥栄えるものであって、それは大いなる喜びである。何故ならば、大歓喜なる大神の中に於て、大神のその質と性とをうけつぎ呼吸しているからである。総てのものは歓喜に向かい、歓喜によって行為する。歓喜がその目的であるが故に、歓喜以外の何ものも意識し得ない。故に、歓喜よりはなれたる信仰はなく、真理はなく、生命はない。生前の霊人が地上人として生れてくるのも死ではなく、地上人が霊界に入るのもまた死ではなく、弥栄なる誕生であることを知らねばならぬ。歓喜は行為となる。行為せざる歓喜は、真実の歓喜ではない。只考えたり意志するのみでは萌え出でない。生命しない。只意志するだけで行為しないことは、まことに意志することではない。霊界に於ては意志することは直ちに行為となるのである。地上人にありては物質によりて物質の中に、その意志を行為することによって始めて歓喜となり、形体を為し弥栄えるのである。生前の霊界は、愛の歓喜、真の歓喜、善の歓喜、美の歓喜の四段階と、その中間の三段階を加えて七つの段階に先ず区別され、その段階に於て、その度の厚薄によりて幾区画にも区分され、霊人の各々は、自らの歓喜にふさわしい所に集まり、自ら一つの社会を形成する。自分のふさわしくない環境に住むことは許されない。否、苦しくて住み得ないのである。若しその苦に耐え得んとすれば、その環境は、その霊人の感覚の外に遠く去ってしまう。例えば、愛の歓喜に住む霊人は、その愛の内容如何によって同一方向の幾百人か幾千、幾万人かの集団の中に住み、同一愛を生み出す歓喜を中心とする社会を形成する。故に、生前の世界では、自分の周囲、自分の感覚し得るものの悉くが最もよく自分に似ており、自分と調和する。山も川も家も田畑も、そこに住む霊人たちも、動物も植物も鉱物も、総て自分自身と同一線上にあり、同一の呼吸、同一の脈拍の中にあり、それらの総てが、大きな自分自身と映像する場合が多い。自分は他であり、他は自分と感覚する。故に、その性質は生後にも続き、地上人もその周囲を自分化しようとする意志をもっているのである。しかし、地上世界は、物質的約束によって、想念のままには動かない。死後の世界もまた生前と同様であるが、一度物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくるのである。だが、何れにしても物質世界との密接なる呼吸のつながりを断ちきることは出来ない。物質は物質的には永遠性をもたず、霊は永遠性をもつが、霊的角度から見れば永遠性はもたない。しかし、物質面より見れば永遠性をもつものであり、永遠から永遠に弥栄してゆくものである。而して、永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめる働きを内蔵している。無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし、その融合の上に生命が歓喜するのである。無は有を生み、有は無を生み出す大歓喜の根本を知得しなければならない。 |
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17_地震の巻 |
第9帖
霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体の をなす。霊の立場よりすれば、霊は善であって、体は悪、体の立場よりすれば、体は善であって、霊は悪である。悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。善あればこそ悪は悪の御用を為し得るのである。悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄える。力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命する。故に生前の霊人は、生前界のみにては善なく、生命なく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命してゆく。地上人は地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄してゆく。而して、尚地上人は死後の世界に通じなければならぬ。死後の世界との関連により複数的悪善におかれる。善悪善の立場におかれる場合が多いために、地上に於ける司宰神としての力を自ら与えられるのである。善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。善のみにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。地上人のもつ想念の本は霊人そのものであり、霊人のもつ想念の本は神であり、神のもつ想念の本は大歓喜である。故に、地上人は霊人によって総ての行為の本をなし、霊人は神により、神は大歓喜によりて総ての行為の本とする。故に、地上人そのもののみの行為なるものはない。何れも、神よりの内流による歓喜の現われであることを知らねばならぬ。歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。霊に属するものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない。しかし、差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。すなわち善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。悪があってもならぬが、悪が働かねばならない。常に、動き栄えゆく、大和の を中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心を とする立体的うごきの中に呼吸しなければならない。それが正しき惟神の歓喜である。惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。故に、永遠の大歓喜となり、大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝くのである。 |
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17_地震の巻 |
第10帖
地上人は、内的に生前の霊人と通じ、また死後の霊人と通ずる。地上人が、生前を知得するのは、この霊人を通ずるが故であり、死後を知得するのも、また同様に通ずるからである。生前と死後は同一線上におかれているが同一ではない。地上には、物質的形式があり、霊界には霊的形式がある。その形式は歓喜の交叉し、発する処によって自ら成るものである。形式なくしては合一なく、力なく、形式あるが故にものが総てに合一し、弥栄し、力し、大弥栄するのである。形式の中に和することは、その個々が、差別されているからである。差別し、区分せられることは、その各々に、各々が共通する内質をもつからである。共通性なきものは、差別し、区分することができない。霊界と現実界との関係はかかるものであるが故に、常に相応し、力し、力を生じ、また常に、相通じて力を生みゆく。これは、平面的頭脳では、中々に理解しがたいのであるが、この根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じ、永遠に弥栄する大歓喜に住するのである。されば差別は、平等と合一することによって立体の差別となり、平等は差別と合一することによって立体平等となり得る。霊人が地上人と和合し、また地上人が霊人と和合し、弥栄するのは、この立体平等と立体差別との弥栄ゆるが為であることを知らねばならぬ。この二つの相反するものを統一し、常に差別しつつ平等に導き、立体していく力こそ、神そのものの力であり、歓喜である。この二つの力と神の歓喜なくしては、地上人なく、また霊人もあり得ないのである。生成発展もなく神も歓喜し得ない。この力なくしては、地上人は霊人と和し、神に和し奉ることはできない。故に、生命しないのである。 |
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17_地震の巻 |
第11帖
霊人は、遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。同一線上にいる霊人の言葉は、何れも同一であって共通する。霊人の言葉は、霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通ずるのである。しかし、相手がきくことを欲しない時には聞こえない。それは丁度テレビやラジオの如きものであると考えたらよい。またその語ること、その語音によって、その相手の如何なるものなるかを知り得るのである。即ち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明する。霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、その何れかでなくてはならない。しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである。原因と結果とを一つにし、更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、且つ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。言葉そのものが弥栄であり、生命である。また総てであるということは、地上人には理解できぬであろう。それは、過去が現在であり、未来もまた現在であり、更に生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。また一里先も、百里先もまた千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって理解するに極めて困難である。だが、地上人に於てもそれを知り得る内的な生命をもっているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない。霊人の言葉は歓喜より発するが故に歓喜そのものであり、神の言葉でもあるが、その霊人のおかれている位置によって二つのものに大別し得る。歓喜の現われとしての愛に位置している霊人の言葉は、善的内容を多分に蔵している。故に、柔らかくして連続的であり、太陽の と -熱-とに譬えることができる。また、歓喜の現われとして真に位置する霊人の言葉は、智的内容を多分に蔵している。故に、清く流れ出でて連続的ではなく、或る種の固さを感じさせる。そしてそれは月の光と、水の如き清さとを感じさせる。また前者は曲線的であって消極面を表に出し、後者は直線的であって積極面を表に出している。また前者は愛に住するが故に、主としてOとUの音が多く発せられ、後者は智に住するが故に主としてEとIの音が多く発せられている。そして、その何れもがA音によって統一要約する神密極まる表現をなし、またそれを感得し得る能力をもっている。しかし、これらOU、EI及びAの母音は想念の をなすものであって、地上人よりすれば、言葉そのものとしては、感得し得ないことを知らねばならないのである。霊界に於ける音楽もまた同様であって、愛を主とした音楽はO及びUを多分に含み、曲線的であり、真を伝える音楽はI及びEの音が多く、直線的である。それは、言葉そのものがかかる内質をもっており、各々が霊界に於ける生命の歓喜の表現なるが為である。またこれら霊人の言葉は、天的の韻律をもっている。即ち愛を主とするものは、五七七律を、真を主とするものは、三五七律を主としているが、その補助律としては、千変万化である。言葉の韻律は、地上人が肉体の立体をもっている如く、その完全、弥栄を示すものであって、律の不安定、不完全なものは、正しき力を発揮し得ず、生命力がないのである。 |
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17_地震の巻 |
第12帖
霊人が地上人に語る時は、その想念が同一線上に融和するが為である。霊人が地上人に来る時は、その人の知る総てを知ることとなるのであるが、その語るのは霊人自身でなくて、霊人と和合して体的の自分に語るので、自分と自分が談話しているのである。霊人は現実界と直接には接し得ない。また地上人は霊界と直接には接し得ないのが原則である。しかし、それぞれの仲介を通じていっても、直接行なうのと同様の結果となるのである。為に地上人は直接なし得るものと考えるのである。地上人の想念の中には霊界が映像されており、霊人の想念の中には現実界が内蔵されている。故に、この二つの世界が一つに見えることもあり得るのである。しかし、映像と実相のへだたりはかなり遠いものである。霊人と地上人との交流において、この間の真相を知らねばならぬし、その互に交わされる談話に於ても前記の如くであることを知らねばならない。霊人も地上人も、自分自身と語り、自分自身の中に見、且つ聞いているのである。霊人が地上人に憑依したり、動物霊が人間に憑依したりすることは、前記の如き原則によってあり得ないのである。しかし、外部からの感応であり、仲介された二次的交流であっても、その度の強くなった場合、地上人から見れば憑依せると同様の結果を現わすものである。故に、神が直接、人間を通じて人語を発し、または書記するのではなくして、それぞれの順序を経て地上人に感応し、その地上人のもつそれぞれの人語を使用して語り、その地上人のもつそれぞれの文字を使用して神意を伝達することとなるのである。しかし、神の言葉は、如何に地上人を通じて人語としても、その神に通ずる想念を内蔵せぬ地上人には、伝え得ないのである。語れども聞き得ず、読むともその真意は通じ得ないのである。霊人の中には、自分達の住む霊界の他に、別の世界が限りなく存在することを知らず、また、その世界に住む霊人を知らず、また物質世界と地上人を知らない場合もある。それは丁度、地上人の多くが、生前及び死後の世界を信じないのと同様である。 |
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17_地震の巻 |
第13帖
地上人が、限りなき程の想念的段階をもち、各々の世界をつくり出している如く、霊界にも無限の段階があり、その各々に、同一想念をもつ霊人が住んでおり、常に弥栄しつつある。下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。美も醜となり、愛も憎となり、善も真もそのままにして善となり、真と現われ得ない場合がある。其処に偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意がある。と同時に、 -真善- -真善美愛- -歓喜- -大歓喜-と現われる神秘なる弥栄があり、悪の存在、偽の必然性などが判明するのである。故に、下級霊人との交流は、地上人にとっても、霊人にとっても、極めて危険極まりないものではあるが、半面に於ては、極めて尊いものとなるのである。下級霊人自身が -善-なりと信じて行為することが、地上人には -悪-と現われることが多いのである。何故ならば、かかる下級霊と相通じ、感応し合う内的波調をもつ地上人は、それと同一線上にある空想家であり、極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ性をもち、他の世界を知らないからである。それがため、感応してくる下級霊の感応を、全面的に信じ、唯一絶対の大神の御旨なるが如くに独断し、遂には、自身自らが神の代行者なり、と信ずるようになるからである。所謂、無き地獄をつくり出すからである。地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばならない。かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。浄化し、改心し得ないものである。また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。総て戒律的の何ものによっても、霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、半面に於て同様の退歩が必然的に起ってくる。それは強いるが為である。神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ない。戒律あるところ必ず影生じ、闇を生み出し、カスが残るものである。それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、影の世界である。中心に座す太神のお言葉は、順を経て霊人に至り、地上人に伝えられるのであるが、それはまた霊界の文字となって伝えられる。霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成る。直線的なものは、月の霊人が用い、曲線的な文字は、太陽の霊人が使用している。但し、高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなす と と があるのみ。また高度の霊界人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。しかしこれは不変のものではなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、地上人の文字に似てくるのである。 |
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17_地震の巻 |
第14帖
霊界には、時間がない。故に、霊人は時間ということを知らない。其処には、霊的事物の連続とその弥栄があり、歓喜によって生命している。即ち、時間はないが状態の変化はある。故に、霊人たちは時間の考えはなく、永遠の概念をもっている。この永遠とは、時間的なものは意味せず、永遠なる状態を意味するのである。永遠と云うことは、時間より考えるものではなく、状態より考えるべきである。故に、霊人が地上人に接し、地上人に語る時は、地上的固有的な一切をはなれて、状態とその変化による霊的なものによって語るのである。しかし、この霊人の語る所を地上人がうけ入れる時は、対応の理により、それが固有的地上的なものと映像されてくるのである。また、地上人に感応して語る時は、その霊媒の思念を霊人の思念として語るが故に、固有的表現となり、地上人にも十分に理解しうるのである。多くの地上人は、霊人を知らない。霊人には、地上世界に顕現する総てのものの霊体が存在すると云うことを中々理解しないし、霊人は反対に、霊界を物質的に表現した物質地上世界のあることを中々に理解しない。但し、死後の霊人は、相当に長い間地上世界のことを記憶しているものである。地上人が、何故霊界のことを理解し難いかと言うと、それは、地上的物質的感覚と、地上的光明の世界のみが、常にその対象となっているからである。例えば霊人とは、地上人の心に通じ、或いは、心そのものであると考えるためである。つまり、霊人は、心であるから、目も、鼻も、口もなく、また、手足などもない、と考えるからである。所が実際は、霊人そのものが手をもつが故に地上人に手があり、指をもっているが故に、地上人に指が生ずることを知らなければならない。しかも、霊人は、地上人より遥かに精巧にできていることは、それを構成するものが精巧であることによって立証されるであろう。霊人は、地上人にまして一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた霊体を有している。霊界に於ける事物は総て霊界における太陽と、太陰とによりて生れてくる。それは、地上に於ける場合と同じである。太陽と、太陰との交叉により生ずる歓喜によって、その生れたるものは更に一層の光輝を放ち、弥栄となる。また、霊界には物質世界の如く空間はない。このことを地上人は中々に理解しないのである。霊界に於ける場所の変化は、その内分の変化に他ならない。霊界に距離はない。空間もない。只、あるものはその状態の変化のみである。故に、離れるとか、分れるとか云うことは、内分が遠くはなれていて、同一線上にないことを物語る。物質的約束に於ける同一場所にあっても、その内分が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっているのである。故に、地上的には、同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万かの世界、及びあらゆる集団も、内分の相違によって、感覚の対象とならないから、無いのと同様であることを知り得るのである。 |
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17_地震の巻 |
第15帖
霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。故に、其処には霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ。住宅は、その住む霊人の生命の高下によって変化する。霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、また、食堂もあり、風呂場もあり、物置もあり、玄関もあり、庭園もある、と云ったふうに、現実世界と殆ど変りがない。と云うことは、霊人の生活様式なり、思想なりが、ことごとく同様であると云うことを意味する。また、内分を同じくする霊人たちは、相集まり、住宅は互に並び建てられており、地上に於ける都会や村落とよく似ている。その中心点には多くの場合、神殿や役所や学校等あらゆる公共の建物が、ほどよく並んでいる。そして、これらの総てが霊界に存在するが故に、地上世界に、それの写しがあるのである。霊界を主とし、霊界に従って、地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。地上人は、物質を中心として感覚し、且つ考えるから、真相が中々につかめない。これら総ての建物は、神の歓喜を生命として建てられたものであって、霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る。また天人の衣類も、その各々がもつ内分に正比例している。高い内分にいる霊人は高い衣を、低いものは低い衣を自らにして着することとなる。彼等の衣類は、彼らの理智に対応しているのである。理智に対応すると云うことは、真理に対応すると云うことになる。但し、最も中心に近く、太神の歓喜に直面する霊人たちは衣類を着していないのである。この境地に到れば、総てが歓喜であり、他は自己であり、自己は他であるが故である。しかし、他よりこれを見る時は、見る霊人の心の高低によって、千変万化の衣類を着せる如く見ゆるのである。また、衣類は総て霊人の状態の変化によって変化して行くものである。霊人はまた、いろいろな食物を食している。云う迄もなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。食べられる霊食そのものも、食べる霊人も何れも、食べると云うことによって歓喜しているのである。地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。そして、食べると云うことは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。これらの行為は、本質的には、地上人と相通ずる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合および表現には大きな差がある。食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判らない程である。また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである。そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。すべての善は より起り、 にかえるのと同様、総ての悪もまた より起り にかえる。故に、神をはなれた善はなく、また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。殊に地上人はこの善悪の平衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、悪をとり去るならば、地上人としての生命はなく、また善は無くなるのである。この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だ、と思ってはならない。この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである。地上人は、霊人との和合によって神と通ずる。地上人の肉体は悪的な事物に属し、その心は善的霊物に属する。その平衡するところに力を生じ、生命する。しかし、地上人と、霊人と一体化したる場合は、神より直接に地上人にすべてが通じ、すべてのものの が与えられると見えるものである。これを、直接内流と称し、この神よりの流入するものが、意志からするときは理解力となり、真理となる。また、愛より入るときは善となり、信仰力となって現われる。そして、神と通ずる一大歓喜として永遠に生命する。故に、永遠する生命は愛と離れ、真と離れ、また信仰とはなれてはあり得ないのである。神そのものも神の法則、秩序に逆らうことは出来ない。法則とは歓喜の法則である。神は歓喜によって地上人を弥栄せんとしている。これは、地上人として生れ出ずる生前から、また、死後に至るも止まざるものである。神は、左手にて の動きをなし、右手にて の動きを為す。そこに、地上人としては割り切れない程の、神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ。地上人は、絶えず、善、真に導かれると共に、また、悪、偽に導かれる。この場合、その平衡を破るようなことになってはならない。その平衡が、神の御旨である。平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、超平衡より超大平衡にと進み行くことを弥栄と云うのである。左手は右手によりて生き動き、栄える。左手なき右手はなく、右手なき左手はない。善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。神は善、真、悪、偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生れ、神の中に育てられつつある。始めなき始めより、終りなき終りに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである。 |
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17_地震の巻 |
第16帖
考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。霊的な内奥の自分からである。この内奥の自分は、神につながっている。故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである。其処に、人が地上に於ける司宰者たる、また、たり得る本質がある。地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、地上にあった時と同様に意識があり、同様の感覚がある。これによって、人の本体たる霊は、生前同様に、霊界でも見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、生活することが出来るのである。しかし肉体をすてて、霊体のみとなり、霊界で活動するのであるから、物質は衣にすぎないことが判明する。肉体をもっている地上人の場合は、その肺臓が想念の現われとなって呼吸する。霊界に入った時は、霊体の肺臓が同様の役目を果たすようになっている。また、心臓は、その情動の現われとなって脈打つ。霊体となってもまた同様であることを知らねばならぬ。この二つのうごきが、一貫せる生命の現われであって、生前も、生存中も、死後も、また同様である。肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、死の直後に霊体が完全するまでは、肉体のそれは停止されないのである。かくて、霊界に入った霊人たちは、総て生存時と同じ想念をもっている。為に死後の最初の生活は生存時と殆ど同一であることが判明するであろう。故に、其処には地上と同様、あらゆる集団と、限りなき段階とが生じている。而して、霊界に於ては、先に述べた如き状態であるが故に、各人の歓喜は、死後の世界に於ても、生前の世界に於ても、これに対応する霊的の事物と変じて現われるものである。この霊的事物は、地上の物質的事物に対応する。人間が、物質界にいる時は、それに対応した物質の衣、即ち肉体をもち、霊界に入った時はそれに相応した霊体をもつ。そして、それはまた完全なる人間の形であり、人間の形は、霊人の形であり、神の形であり、更に大宇宙そのものの形である。大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、目も、鼻も、口も、耳もあり、又内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があって、常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない。大歓喜は無限であり、且つ永遠に進展して行くのである。変化、進展、弥栄せぬものは歓喜ではない。歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し発展する。故に、歓喜は肺臓と心臓とを有する。この二つは、あらゆるものに共通であって、植物にもあり、鉱物にすら存在するものである。人間の場合は、その最も高度にして精妙なる根本の心臓と肺臓に通ずる最奥の組織を有する。これはもはや心臓と表現するにはあまりにも精妙にして、且つ深い広い愛であり、肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理である。而して、この二者は一体にして同時に、同位のものとなっていることを知らねばならない。それは心臓としての脈拍でもなく、肺臓としての呼吸でもない。表現極めて困難なる神秘的二つのものが一体であり、二つであり、三つの現われである。其処に人間としての、他の動物に比して異なるもの、即ち、大神より直流し来るものを感得し、それを行為し得る独特のものを有しているのである。人間が、一度死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのである。第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は新しき霊的生活への準備的状態である。七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである。 |
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17_地震の巻 |
第17帖
地獄はないのであるが、地獄的現われは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない。大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長しているためである。死後、一先ずおかれる所は、霊、現の中間の世界であり、其処では中間物としての中間体をもっている。意志のみでは力を生まない。理解のみでも進展しない。意志と、理解との結合によって弥栄する。このことは、中間の状態、即ち、死後の最初の世界に於て、何人もはっきりと知り得る。しかし、生存時に於て、既に過去を精算している霊人は、この中間世界にとどまる必要はなく、その結果に対応した状態の霊界に、直ちに入るのである。精算されていないものは、精算が終るまで、この中間世界にとどまって努力し、精進、教育される。その期間は五十日前後と見てよいが、最も長いものは十五、六年から二十年位を要する。この中間世界から天国的世界をのぞむ時は、光明にみたされている。故に、何人も、この世界へ進み易いのである。また、地獄的な世界は暗黒に満たされている故に、この世界に行く扉は閉ざされているのと同様であって、極めて進みにくいのである。天国には昇り易く、地獄にはおち難いのが実状であり、神の御意志である。しかし、この暗黒世界を暗黒と感ぜずして進みゆくものもあるのであって、そのものたちには、それがふさわしい世界なのである。其所に、はかり知れない程の大きく広い、神の世界が展かれている。この地獄的暗黒世界は、暗黒ではあるが、それは比較から来る感じ方であって、本質的に暗黒の世界はなく、神の歓喜は限りないのである。以上の如く、中間世界からは、無数の道が無数の世界に通じており、生前から生後を通じて、思想し、行為したことの総決算の結果に現われた状態によって、それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前にひらかれてくるのである。否、その各々によって自分自身が進むべき道をひらき、他の道、他の扉は一切感覚し得ないのである。故に、迷うことなく、自分の道を自分で進み、その与えられた最もふさわしい世界に落ち付くのである。他から見て、それが苦の世界、不純な世界に見えようとも、当の本人には楽天地なのである。何故ならば、一の世界に住むものには、二の世界は苦の世界となり、二の世界に住むものには、一の世界はまた苦の世界と感覚するからであって、何れも自ら求むる歓喜にふさわしい世界に住するようになっているのである。また一の世界における善は、二の世界では善でなく、二の世界の真が一の世界に於ては真でない場合も生じてくる。しかし、その総ての世界を通じ、更に高き に向って進むことが、彼等の善となるのである。 は中心であり、大歓喜であり、神である。死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない。生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である。霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである。しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている。現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動しているのである。 |
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17_地震の巻 |
第18帖
神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜である。故に、霊界における霊人たちの職業は、その各々の有する内分により、段階によって自ら定まる。為にその用は無数であり、且つ千変万化する。歓喜第一、神第一の奉仕が霊人の職業である。故に、自分自身の我が表に出た時は、力を失い、仕事を失い、苦悩する。霊人の仕事は限りなく、地上人の仕事以上に多様であるが、より良さ、より高さ、より神に近い霊人生活に入るための精進であり、喜びであることが知られる。そして、その何れもが神の秩序、即ち大歓喜の秩序、法則によって相和し、相通じ、全般的には一つの大きな神の用をなしているのである。故に、何れの面の用をなすとも、自己というものはなく、弥栄あるのみ、神あるのみとなる。なお注意すべきことは、霊界において、権利なるものは一切感ぜず、義務のみを感じているということである。即ち、義務することが霊人の大いなる歓喜となるのである。為に、命令的なものはない。只、ひたすら奉仕があるのみである。その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがある。何故ならば、霊と物とは対応しているからである。生前は生後であり、死後はまた生前であって、春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えている。従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。陽人と、陰人とである。陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。故に、二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。新しき生命とは新しき歓喜である。歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われるものである。霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る。また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである。 |
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17_地震の巻 |
第19帖
天国の政治は、歓喜の政治である。故に、戒律はない。戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。天国の政治は、愛の政治である。政治する政治ではない。より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。故に、与える政治として現われる。天国は、限りなき団体によって形成されている。そして、その政治は、各々の団体に於ける最中心、最内奥の歓喜によりなされるのである。統治するものは一人であるが、二人であり、三人として現われる。三人が元となり、その中心の一人は、 によって現わされ、他の二人は、 によって現わされる。 は、左右上下二つの動きの を為すところの立体 からなっている。統治者の心奥の は、更に高度にして、更に内奥に位する の中の によって統一され、統治され、立体 をなしている。天国では、この を、スの神と敬称し、歓喜の根元をなしている。スの神は、アの神と現われ給い、オとウとひらき給い、続いて、エとイと動き現われ給うのである。これが総体の統治神である。三神であり、二神である。ア、オ、ウは愛であり、エ、イは真である。これら天国の組織は、人体の組織と対応し、天国の一切の事象と運行とは、人体のそれに対応している。オ、ウなる愛は曲線であり、心臓である。エ、イなる真は、直線であり、肺臓に対応して三五七と脈うち、呼吸しているのである。これらの統治者は権力を奪することなく、また指令することもない。よりよく奉仕するのみである。奉仕するとは、如何にしてよりよく融和し、善と、真との浄化と共に、悪と偽の調和をなし、これらの総てを神の力として生かし、更に高度なる大歓喜に到らんかと努力することである。また統治者自身は、自分達を他の者より大なる者とはせず、他の善と真とを先とし、その歓喜を先ずよろこび、己はその中にとけ入る。故にこそ、統治者は常にその団体の中心となり、団体の歓喜となるのである。指令することは、戒律をつくることであり、戒律することが神の意志に反することを、これらの統治者は、よく知っている。天国に於ける政治の基本は、以上の如くであるが、更に各家庭に於ては、同一の形体をもつ政治が行なわれている。一家には、一家の中心たる主人、即ち統治者がおり、前記の如き原則を体している。またその家族たちは、主人の働きを助け、主人の意を意として働く。その働くことは、彼等にとって最大の歓喜であり、弥栄である。即ち、歓喜の政治であり、経済であり、生活であり、信仰である。天国に於ける天人、霊人たちは、常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。歓喜を礼拝することは、歓喜の流入を受け、より高き歓喜に進んで行くことである。けれども、天国における礼拝は、地上人のそれの如き礼拝ではない。礼拝生活である。総てと拝み合い、且つ歓喜し合うことである。与えられたる仕事を礼拝し、仕事に仕えまつる奉仕こそ、天国の礼拝の基本である。故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している。しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している。地上人的礼拝は、形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方であるが、天国に於ける礼拝は、千変万化で、無限と永遠に対するものである。無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずるものであり、その弥栄が神の用である。森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、この無限と永遠を知り、あらゆる形において変化繁殖するを見て、無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ。天国の政治は、光の政治である。天国にも地上の如く太陽があり、その太陽より、光と、熱とを発しているが、天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。一は月球の如き現われ方である。一は火の現われ、火の政治であり、一は水の現われ、水の政治である。愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、各々その天人、天使の情動の如何によるのであって、神は常に光と熱として接し給うのである。またそれは、大いなる歓喜として現われ給う。光と熱とは、太陽そのものではない。太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、その内奥はいずれも大歓喜である。光と熱とは、そこより出ずる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。このことをよく理解するが故に、天国の政治は、常に光の中にあり、また熱の中に育ち栄え、歓喜するのである。天国の太陽よりは、真と愛とが常に流れ出ているが、その真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく、現われ出たものが真と見え、愛と感じられるのみである。太陽の内奥は大歓喜が存在する。故高度の天人の場合は、愛も真もなく、遥かにそれらを超越した歓喜の が感じられるのみである。この歓喜の が、真、善、美、愛となって、多くの天人、天使たちには感じられるのである。歓喜は、そのうけ入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ内質の如何によって、千変万化し、また歓喜によって統一されるのであるということを知らねばならぬ。 |
| 397 |
18_光の巻 |
第1帖
光の巻しるすぞ、地の日月の神とは臣民の事であるぞ、臣民と申しても今の様な臣民ではないぞ、神人共に弥栄の臣民の事ぞ、今の臣民も掃除すれば九二の一二の神様となるのざぞ、自分いやしめるでないぞ、皆々神々様ざぞ。もの頂く時は拍手打ちて頂けよ、神への感謝ばかりでないぞ、拍手は弥栄ざぞ、祓ざぞ、清めぞと申してあらうが、清め清めて祓ひてから頂くのざぞ、判りたか、次の五の巻の謄写は四十九でよいぞ、十は神よきに使ふぞ、前のも十はよきに使ふたぞ、判りたか、皆に分けるぞよ、次は十二の巻の中からよきに抜きて謄写よいぞ。二月二十四日、ひつくの神。 |
| 398 |
18_光の巻 |
第2帖
天之日月の大神様は別として、雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、シャカ、キリスト、マホメットの神様、百々の神様、皆同じ所に御神体集めてまつりて下されよ、天の奥山、地の奥山、皆同じぞ、御神土皆に分けとらせよ。二月二十六日朝しるすぞ、ひつくの神。 |
| 399 |
18_光の巻 |
第3帖
今の政治はむさぶる政治ぞ、神のやり方は与へぱなしざぞ、 ぞ、マコトぞ。今のやり方では世界は治まらんぞ、道理ぢゃなあ。天にはいくらでも与えるものあるぞ、地にはいくらでも、どうにでもなる、人民に与へるものあるのざぞ、おしみなく、くまなく与えて取らせよ、与へると弥栄へるぞ、弥栄になって元に戻るのざ、国は富んで来るぞ、神徳満ち満つのぢゃ、この道理判るであらうがな。取り上げたもの何にもならんのぢゃ、ささげられたものだけがまことじゃ、乗るものも只にせよ、田からも家からも税金とるでないぞ、年貢とりたてるでないぞ、何もかも只ぢゃ、日の光見よ、と申してあらうが、黄金はいらんと申してあろが、暮しむきのものも只でとらせよ、只で与へる方法あるでないか、働かん者食ふべからずと申す事理屈ぢゃ、理屈は悪ぢゃ、悪魔ぢゃ、働かん者にもドシドシ与へてとらせよ、与へる方法あるでないか、働かんでも食べさせてやれよ、何もかも与へぱなしぢゃ、其処に神の政治始まるのぢゃぞ、神の経済あるのぢゃ。やって見なされ、人民のそろばんでは木の葉一枚でも割出せないであらうが、この方の申す様にやって見なされ、お上は幸でうもれるのぢゃ、余る程与へて見なされ、お上も余るのぢゃ、此の道理判りたか。仕事させて呉れと申して、人民喜んで働くぞ、遊ぶ者なくなるぞ、皆々神の子ぢゃ、神の魂うゑつけてあるのぢゃ、長い目で見てやれ、おしみなく与へるうちに人民元の姿あらはれるぞ。むさぶると悪になって来るのぢゃ、今のさま見て改心結構ぞ、そろばん捨てよ、人民神とあがめよ、神となるぞ、泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、元の元のキの臣民地の日月の神ぢゃと申してあろがな。六月十七日、かのととりの日、ひつくの神。 |
| 400 |
18_光の巻 |
第4帖
まつりてない時はお日様とお月様おろがめよ、マトとせよ。裁判所いらんぞ、牢獄いらんぞ、法律いらんぞ、一家仲ようしたらいらんのぢゃ、国も同様ざぞ。そんな事すれば、世の中メチャメチャぢゃと申すであらうが、悪人がとくすると申すであろが、誰も働かんと申すであらうが、与へる政治だめぢゃと申すであろ、人間の小智恵ぢゃ。其処に人間の算盤の狂うたところ気付かんか、上に立つ人もっともっと大き心結構ぞ、算盤なしで梶とらすぞ、神の申す通りに進むのぢゃ、これが出来ねば一段さがって頭下げてござれ、余り大き取違ひばかりぢゃぞ、悪の守護となってゐるからぢゃ、此処の道理判るまでは動きとれんのぢゃぞ。世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから、皆仲良う手引き合ってやって呉れよ。六月十七日、かのととり、ひつくの神。 |
| 401 |
18_光の巻 |
第5帖
病神がそこら一面にはびこって、すきさへあれば人民の肉体に飛び込んでしまう計画であるから、余程気付けて居りて下されよ。大臣は火と水と二人でよいぞ、ヤとワと申してあろが、ヤ、ワ、は火の中の水、水の中の火であるぞ、後はその手伝いぞ、手足ざぞ、役人自ら出来るぞ。ヤクはヤクであるぞ、今迄は神国と外国と分れてゐたが、愈々一つにまぜまぜに致してクルクルかき廻してねり直して世界一つにして自ら上下出来て、一つの王で治めるのぢゃぞ。人民はお土でこねて、神の息入れてつくったものであるから、もう、どうにも人間の力では出来ん様になったらお地に呼びかけよ、お地にまつろへよ、お地は親であるから親の懐に帰りて来いよ、嬉し嬉しの元のキよみがへるぞ、百姓から出直せよ。ミロク様とはマコトのアマテラススメラ太神様のことでござるぞ。六月十七日、ひつくの神。 |
| 402 |
18_光の巻 |
第6帖
今に世界の臣民人民誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく。悪い者殺してしまふてよい者ばかりにすれば、よき世が来るとでも思ふてゐるのか、肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。元の霊まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊に改心させず肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、それ位判って居らうが、判りて居り乍ら他に道ないと、仕方ないと手つけずにゐるが、悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地ぢゃとくどう知らしてあろが。何んなよいこと喜ばして知らしても、聞かせても、今の臣民人民中々云ふこときかんものぢゃぞ。この道にゆかりある者だけで型出せよ、カタでよいのぢゃぞ。六月三十日、ひつぐの神。 |
| 403 |
18_光の巻 |
第7帖
アは元のキの神の子ぞ。ヤとワは渡りて来た神の子ぞ。  は渡りて来る神の子ざぞ。十の流れ、十二の流れと今に判る時来るぞ、三ツ巴現はれるぞ、メリカ、キリスも、オロシヤも、世界一つに丸めて一つの王で治めるのぢゃぞ、外国人も神の目からはないのざぞ。今一戦あるぞ。早う目覚めて、け嫌ひいたさず、仲よう御用結構ぞ。竜宮の音秘殿、岩の神殿、荒の神殿、世界のカタハシから愈々に取り掛かりなされてゐるのざから、世界の出来事気付けて、早う改心結構ぞ。 と二と四との大きいくさあると知らしてありたが、一旦は二と四の天下になる所まで落ち込むぞ、行く所まで行きて、ナのミタマとノのミタマの和合一致出来てからスのミタマが天下統一、世界一平となるのぢゃぞ。愈々大峠取上げにかかるのざぞ。七月十九日、ひつぐの神。 |
| 404 |
18_光の巻 |
第8帖
何によらず不足ありたら、神の前に来て不足申して、心からりと晴らされよ、どんな事でも聞くだけは聞いてやるぞ、不足あると曇り出るぞ、曇り出ると、ミタマ曇るからミタマ苦しくなりて天地曇るから遠慮いらん、この方に不足申せよ、この方親であるから、不足一応は聞いてやるぞ。気晴らしてカラリとなって天地に働けよ、心の不二晴れるぞ、はじめの岩戸開けるぞ。早のみ込み大怪我の元、じっくりと繰り返し繰り返し神示よめよ、神示肚の肚に入れよ、神示が元ざぞ、今度は昔からの苦労のかたまり、いき魂でないと御用むつかしいぞ。世のたとへ出て来るぞ。神が人の口使ふて云はせてあるのぢゃぞ。神国は神力受けねば立ちては行けんぞ、神なくして神力ないぞ、神なくなれば丸潰れざぞ。まわりに動く集団早うつくれよ。数で決めやうとするから数に引かれて悪となるのざ、数に引かれ困らん様気付けよ。この神示とくのはタマでないと少しでも曇りあったら解けんぞ。悪に見せて善行はなならん事あるぞ。この行中々ざぞ。此の世の鬼平らげるぞよ。鬼なき世となりけるのざぞ。判りたか。キリスト教の取次さん、仏教の取次さん、今の内に改心結構ぞ、丸潰れ近づいて御座るに気付かんのか。同じ名の神二つあるぞ。人民三つ四つにもおろがんで御座るぞ、ふみ出すもよいなれど、神示読むのが先ざぞ。神第一ざぞと申してあらうが。暫し待て。世界のふみ出す時来るぞ。アワの様な今のふみ何にもならんぞ、時待てと申してあらうがな、この巻から謄写もならんぞ、時来る迄写して皆に分けとらせよ。七月二十七日、ひつくの神。三年のたてかへぞ。 |
| 405 |
19_まつりの巻 |
第1帖
五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気ぢゃ。今迄の教ではこの道判らんぞ、益々食ふ物なく曇りてくるぞ、その国その所々で当分暮しむき出来るぞ、野見よ、森見よと申してあろ、青山も泣き枯る時来ると申してあろ、海川も泣き枯る時来るぞ、まだきかず我さへよけらよいと、我れよしして御座る人民神々様気の毒来るぞ、今迄は神も仏も同じぞと申してゐたが神と仏とは違ふのざぞ、十の動くが卍ぞ、卍の動くが -か三-ぞ、 の澄みきりが ぞ、神と仏と臣民とは違ふのぢゃぞ。八月八日、一二 。 |
| 406 |
19_まつりの巻 |
第2帖
これまではいろはでありたが、愈々一二三の力加はるぞ、いろははやさしいが一二三は新いから、新事もするからその覚悟致されよ、その覚悟よいか、きたない心すててゐると、小さい心大きくなって自分でもびっくりする様結構が来るぞ。警察いらんと申してあるぞ。八月九日、一二 。 |
| 407 |
19_まつりの巻 |
第3帖
旧九月八日からの誓の言葉知らすぞ。五三体の大神様五三体の大神様、天之日月の大神様、雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、地の日月の大神様、世の元からの生神様、百々の神様の大前に、日々弥栄の大息吹、御守護弥栄に御礼申し上げます。この度の三千世界の御神業、弥が上にも、千万弥栄の御働き祈り上げます。三千世界の神々様、臣民人民一時も早く改心いたし大神様の御心に添ひ奉り、地の日月の神と成りなりて、全き務め果たします様何卒御守護願ひ上げます。そがためこの身この霊はいか様にでも御使ひ下さいませ、何卒三千世界の神々様、臣民人民が知らず知らずに犯しました罪、穢、過は、神直日大直日に見直し聞き直し下さいます様、特にお願ひ申し上げます。元つ神えみためえみため。八月十日、一二 。 |
| 408 |
19_まつりの巻 |
第4帖
世こしらへてから臣民の種うゑて、臣民作ったのであるぞ。世、こしらへた神々様はながものの御姿ぞ、今に生き通しぞ。神が見て、これならと云ふミタマに磨けたら、神から直々の守護神つけて、天晴れにしてやるから御用見事に仕上げさすぞ、臣民ばかりでは出来ん、三千世界の大洗濯、誰一人落したうもない神心、皆揃ふておかげやりたや、喜ぶ顔見たや、遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、早う親の心汲みとれよ。八月十日、一二 。 |
| 409 |
19_まつりの巻 |
第5帖
肉体先づ苦しめたら、今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならんことになってゐるのざぞ。神がかりでまだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民気の毒出来るぞ。八百八光の金神殿、愈々にかかりなされたぞ。出雲の大神様此の世かまひなさる大神様なり、其の処得ないもの、人民ばかりでないぞ、三千世界の迷ふミタマに所得さして嬉し嬉しにまつりてやれよ、コトで慰め弥栄へしめよ、コトまつりて神の列に入らしめよ。その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉れよ。邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。八月十二日、一二 。 |
| 410 |
19_まつりの巻 |
第6帖
取られたり取り返したりこねまわし、終りは神の手に甦へる。世の元のまし水湧きに湧く所、やがて奥山移さなならんぞ。神示判る臣民二三分できたなら、神愈々のとどめのさすなり。三界を貫く道ぞ誠なり、誠の道は一つなりけり。神界の誠かくれし今迄の道は誠の道でないぞや。鬼おろち草木動物虫けらも一つにゑらぐ道ぞ誠ぞ。八月十三日、一二 。 |
| 411 |
19_まつりの巻 |
第7帖
金いらん事になると申してあろが、世界の人民皆青くなって、どうしたらよいかと何処尋ねても判らん事近づいたぞ、早うこの神示読ましてくれよ、神の心が九分通り臣民に判りたら、神の政治判るのぢゃ、与へる政治いくらでもあるぞ、一通りと思ふなよ、時と所によっていくらでもあるのぢゃ、つまることない神のまつりごとぢゃ。人民の政治神国には用いられんのぢゃ、三千世界天晴れの政治早う心得て、まつり呉れよ。悪神の眷族はまだよいのぢゃ、箸にも棒にもかからん、話の判らん動物霊に化かされて、玩具にされてゐて、まだ気付かんのか、神は何時迄も待たれんから、こんな身魂は一所に集めて灰にするより他ないから心得て居りて下されよ。八月十四日、一二 。 |
| 412 |
19_まつりの巻 |
第8帖
旧九月八日で一切りぢゃ、これで一の御用は済みたぞ、八分通りは落第ぢゃぞ、次の御用改めて致さすから、今度は落第せん様心得なされよ。何も彼も神は見通しざぞ、神の仕組人民でおくれん様気付けて結構致し下されよ、二の仕組、御用は集団作りてよいぞ。大奥山はそのままにしておかなならんぞ、天明まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ、リコウ出るとこわれるぞ。天明ばかりでないぞ、皆同様ぞ、皆リコウになったものぢゃナア、クドウ神にもの申さすでないぞ。八月十五日、一二 。 |
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19_まつりの巻 |
第9帖
上は上、中は中、下は下の道と定まってゐるのぢゃ、まぜこぜならん、ちゃんと礼儀作法正しく致さな神の光出ないぞ。世に落ちてゐた鏡世に出るぞ。八月十六日、一二 。 |
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19_まつりの巻 |
第10帖
日本の人民の身魂が九分九分九厘まで悪になりてゐるから、外国を日本の地に致さねばならんから、日本の地には置かれんから、どんなことあっても神はもう知らんぞよ。八月十六日、一二 。 |
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19_まつりの巻 |
第11帖
村々に一粒二粒づつ因縁身魂落してあるぞ、芽生へて来るぞ。日々天地に、臣民お詑び結構ぞ、つ千おろがめよ。神国の臣民は神国の行、霊国は霊国の行。八月十六日、一二 。 |
| 416 |
19_まつりの巻 |
第12帖
肉体ある内に身魂かまふて貰わねば、今度身魂磨けて来たら末代の事、末代結構ざから、それだけに大層ざから、お互に手引き合って、磨き合って御用結構ぞ、わけへだてならんぞ、判らん者はチョンに致すぞ。元のキのことは、元のキの血統でないと判らんのぢゃ、判る者は判らなならんぞ、判らんものは判らんのがよいのぢゃぞ。何事も人民に判りかけ致さな、物事遅れるぞ、十年おくれると申してあるが、おくれると益々苦しくなるから、おくれん様結構したいなれど、大層な肝腎かなめは神々様にも申されんことであるが、今の内に判って貰はねば、知らしてからでは十人並ぢゃ、それまでは神のもとのコトは申されんぞ、元の身魂に輝くぞ。八月十七日、一二 。 |
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19_まつりの巻 |
第13帖
九二の火水。九二の日月の大神、黒住殿、天理殿、金光殿、大本殿、まつり呉れよ、併せて神山にまつり結構致しくれよ。八月十八日、一二 。 |
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19_まつりの巻 |
第14帖
旧九月八日から、まつり、礼拝、すっくり変へさすぞ、神代までにはまだまだ変るのぢゃぞ。祓は祓清めの神様にお願いして北、東、南、西、の順に柏手四つづつ打ちて祓ひ下されよ。神国の乱れ、こえキから。世界の戦争、天災、皆人民の心からなり。人民一人に一柱づつの守護神つけあるぞ、日本真中、ボタン一つで世界動くぞ。八月十九日、一二 。 |
| 419 |
19_まつりの巻 |
第15帖
旧九月八日からの当分の礼拝の仕方書き知らすぞ、大神様には、先づ神前に向って静座し、しばし目つむり、気しづめ、一揖、一拝二拝八拍手、数歌三回、終りてひふみ三回のりあげ、天の日月の大神様、弥栄ましませ、弥栄ましませ、地の日月の大神様、弥栄ましませ、弥栄ましませとのりあげ、終って誓の言葉ちかへよ。終りて神のキ頂けよ、三回でよいぞ、終りて八拍手、一拝、二拝、一揖せよ、次に神々様には一揖、一拝二拝四拍手、数歌三回のりて、百々諸々の神様弥栄ましませ弥栄ましませ、と、宣りあげ、終りてちかひの言葉ちかへよ。終りて四拍手、二拝一揖せよ。霊の宮には一揖一拝二拍手、数歌一回、弥栄ましませ弥栄ましませと宣り、二拍手、一拝一揖せよ、各々の霊様には後でミタマのりとするもよいぞ。八月二十日、一二の 。 |
| 420 |
19_まつりの巻 |
第16帖
日本の人民よくならねば、世界の人民よくならんぞ、日本の上の人よくならねば日本人よくならんぞ。祈る土地はよつくれよ。専一、平和祈らなならんぞ、その位判って居ろが。今ぢゃ口ばかりぢゃ、口ばかり何もならんぞ、マコト祈らなならんぞ。真中の国、真中に、膝まづいて祈り事されよ。今度のおかげは神示よく読まねば見当とれんのざぞ。神はその人民の心通りに、写るのであるから、因縁深い者でも御用出来んこともあるから、余程しっかり致して居りて下されよ。八月二十日、一二 。 |
| 421 |
19_まつりの巻 |
第17帖
集団のアは神示ぢゃ、ヤとワとは左と右ぢゃ、教左と教右じゃ、 と はその補ぢゃ、教左補、教右補ぢゃ、ヤの補は ぢゃ、ワの補は ぢゃ、ア、ヤ、ワ、 、 、が元ぢゃ、その下に七人と七人ぢゃ、正と副ぢゃ、その下に四十九人ぢゃ、判りたか、集団弥栄々々。皆御苦労ながら二の御用手引き合って、天晴れやりて下されよ、集団つくってよいぞ。強くふみ出せよ、くどい様なれど百十はそのままぢゃぞ。今度の御用は一つの分れの御用ぢゃぞ、神示よく読むのぢゃぞ、身魂のしょうらい段々判りて来るぞ、万民ミタマまつりの御用からかかりて呉れよ、うつし世のそれの御用、結構ひらけ輝くぞ。八月二十八日、一二 。 |
| 422 |
19_まつりの巻 |
第18帖
何の身魂も我の強い身魂ばかり、よく集まったものぢゃと思ふであろが、その我の強い者がお互に我を折りて、解け合って物事成就するのぢゃぞ。旧九月八日迄にすっくりとまつりかへてくれよ。真中に御三体の大神様、天之日月の大神々様、地の日月の大神々様、雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、弥栄祀り結構ぞ、其の左に仏の神様、基の神様、マホメットの神様、世の元からの生神様、百々の神様、産土様、よきにまつり結構致し呉れよ、その右に地の日月の神々様、霊の諸々の神様厚く祀り呉れよ。八月二十九日、一二 。 |
| 423 |
19_まつりの巻 |
第19帖
竜宮の音秘様が神力天晴れぞ、金神殿お手伝ひ。外国では日の出の神様。神界、幽界、現界、見定めて神示読まねば、表面ばかりでは何もならんぞ、気つけて結構ぞ。神がもの申す内に聞くものぢゃ、帳面切ったら申さんぞ。悪と学は長うは続かん事、そろそろ判りて来るぞ。八月二十九日、一二 。 |
| 424 |
19_まつりの巻 |
第20帖
神々様の大前に申し上げます。此の度の岩戸開きの御神業に尚一層の御活動願ひ上げます。大神様の大御心と御心併せなされ、いと高き神の能願ひ上げます。世界の民等が日々犯しました罪、穢、過は、何卒神直日大直日に見直し聞き直し下さいまして、此の上ながらの御守護願ひ上げます。これは神々様への誓であるぞ。八月二十九日、ひつぐの神。 |
| 425 |
19_まつりの巻 |
第21帖
建替が十年延びたと知らしてあろが、建替遅くなりて、それから建直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、建直し早うかかるからと聞かしてあろが、人民には中々判らんなれど、世界の動きよく見て御用結構ぞ。世の建替は水の守護、火の守護と知らしてあること忘れずに神示読めよ、所々の氏神様は日本の内で御用なさるのぢゃ。どんな集団も神示が元ぢゃ、神示で開かなならんぞ、智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、誠で開いて下されよ。八月三十日、一二 。 |
| 426 |
19_まつりの巻 |
第22帖
ヤマタのオロチを始め悪の神々様まつり呉れよ、心して結構にまつり始め下されよ。この事役員のみ心得よ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、この巻、まつりの巻、八月三十日、一二 。 |
| 427 |
19_まつりの巻 |
第23帖
悪が善に立ち返りて弥栄なる様に、取違へなき様まつり呉れよ、御用大切ぞ。八月三十一日、一二 。 |
| 428 |
20_梅の巻 |
第1帖
今度の建替は敵と手握らねばならんのぢゃ、敵役の神々様人民よ、早う尋ねて御座れ、この方待ちに待って居るぞ。引張ったのでは、心からでないと役に立たんのぢゃ、此の神示十三の巻からは肚の中の奥まで見抜かんでは、見届けんでは見せて下さるなよ、今にいろいろ身魂集まって来るから十二の巻も申し付けてある様にちゃんとしておいて下されよ。御剣の大神、黄金の大神、白銀の大神と称へまつり結構結構ぞ、結構致しまつりくれよ、オロチ、九火、ジャキ、の三大将殿の御力まつりて弥栄よくよきに動くぞ、ひらけ輝くぞ、一火 の御代となるぞ。九月二十八日、ひつ九の 。 |
| 429 |
20_梅の巻 |
第2帖
代へ身魂いくらでもつくりあるぞ、心して取違ひせん様に神の心早う汲みとれよ、九の方の仕組人民には判らんから、どうなることかと役員も心配なさるなれど、仕上げりうりう見て御座れ、めったに間違ひないのぢゃぞ、うまい口にのるでないぞ、うまい口を今に持って来るが、うまい口には誠ないから、この方三千世界の御道は誠よりないと申してあろが、真実のマコトは神示読まねば判らんのぢゃぞ。ひつぐの民の家には御神名か御神石か御神体として代表の大神様として、天の日月の大神様地の日月の大神様と称へ斎き祀り結構致し呉れよ、一の宮、二の宮等の祀り天明に知らしてあるぞ。道院殿老祖様は中の宮に、他は道院の神々様として次の宮に結構祀りてよいぞ、いづれも弥栄々々ぞ。九月二十八日、ひつ九の神。 |
| 430 |
20_梅の巻 |
第3帖
皆の者御苦労ぞ、世界の民の会つくれよ、人民拝み合ふのざぞ。皆にまつろへと申してあろがな。まどひつくれつくれ、皆おろがみ合ふのざぞ、まどひのしるしは ぞ、おろがみ合ふだけの集団でよいぞ。理屈悪ぢゃ、こんな事云はんでも判っておろが、神示読めよ読めよ。十月八日、ひつくの神しるす。 |
| 431 |
20_梅の巻 |
第4帖
この神示食物に仕様とて出て来る者段々にあるなれど、皆あて外れて了ふぞ、アテ外れて神の目的成るぞ、役員殿ブチョウホウない様に気つけて呉れよ、まつり結構。神が預けてあるものは、あづかった人民よきに取りはからへよ、大き小さいの区別ないぞ、塵一本でも神のものざと申してあろが、塵一本動かすに一々神の心聞いてやって居るとは云はさんぞ、預けるには預けるだけの因縁あるのざぞ、預かった人民よきにせよ、奥山何処へ移ってもよいと申してあろがな、神の道弥栄々々。十月十三日、ひつ九の神。 |
| 432 |
20_梅の巻 |
第5帖
ニニギの命お出ましぞ、ニニギとは二二のキの御役であるぞ。神がかりて世界中のこと何でも判る様に思ふてゐると、とんでもないことになるぞ、このままにしてほっておくと戦済んだでもなく、とどめもさせん、世界中の大難となるから早う改心結構ぞ。悪の上の守護神、中の守護神、下の守護神の改心出来ん者はいくら可愛い子ぢゃとて、ようしゃは出来んぞ、愈々天の大神様の御命令通りに神々様総掛かりぞ。十一月十六日、ひつ九の神。 |
| 433 |
20_梅の巻 |
第6帖
雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、百々八百万の神々様御活動激しくなったぞ、人民目開けておれん事になるぞ、出来るだけおだやかに致したいなれど、判りた臣民日々おわびお祈り結構致し呉れよ、大峠となりてからではいくら改心致しますと申しても、許してくれと申しても、許すことは出来んから、日本には日本の守護の神、支那には支那、外国には、外国のそれぞれの守護の神あること忘れるなよ。神々様持場々々清めて呉れよ。御役結構ぞ。十一月十六日、ひつ九の神。 |
| 434 |
20_梅の巻 |
第7帖
四十七と四十八で世新しく致すぞ、三人使ふて三人世の元と致すぞ、三人を掘り出すぞ。世に落ちてます神々様、人民様を世にお上げせなならんぞ。悪神の国から始まって世界の大戦愈々激しくなって来るぞ。何事も清め呉れよ、清めるとはまつらふことぞ。十一月十六日、ひつ九のかミ。 |
| 435 |
20_梅の巻 |
第8帖
口と心と行と三つ揃ふたら今度は次に 入れて下されよ、 は神ぢゃ、神示ぢゃ、神示元ぢゃ、と申してあろが、三つ揃ふても肝腎の神示肚に入って居らんと何にもならん事になるぞ。九分九分九厘となってゐる事も判るであろが、御用勇んで仕へまつれよ。目覚めたら其の日の生命頂いたのぢゃと申してあろ、新しき生命弥栄に生れるのぢゃ。今日一日神に仕へまつれよ、与へられた仕事御用ざぞ、生命ざぞ、取違ひ致すでないぞ。七月になると上の人民番頭殿、顔の色悪うなって来るぞ、八九月となれば愈々変って来るぞ、秋の紅葉の色変るぞ。いくら因縁ありてもミタマ曇ってゐると今度は気の毒出来るから、今度引寄せられた人民ぢゃとて役員ぢゃと云ふて、ちっとも気ゆるし出来ん。澄んだ言霊で神示よみ上げてくれよ、三千世界に聞かすのぢゃ、そんな事で世がよくなるかと人民申すであらうなれど神の申す通り、判らいでも神の申す通りにやって下されよ、三千世界に響き渡って神々様も臣民人民様も心の中から改心する様になるのざぞ、世が迫って居ることは、どの神々様人民にもよく判ってゐて、誠求めて御座るのぢゃ、誠知らしてやれよ。何も彼も一度に出て来るぞ、日増しにはげしくなって来るぞ、どうすることも出来ん様に、悪神、悪の人民、手も足も出せん事に、何から何まで、何が何だか判らん事に折り重なって来るぞ、キリキリ舞せなならん事になって来るぞ、キリキリ舞にも良きと悪しきとあるぞ、良きは結構ぢゃなあ、中々ぢゃ。十一月十六日、一二 。 |
| 436 |
20_梅の巻 |
第9帖
肉体がこの世では大切であるから肉体を傷つけたら苦しめたら、その守護神は、それだけのめぐり負ふのざぞ、霊々と申して肉体苦しめてはならんぞ、今の人民とっておきの誠の智ないから、持ってゐる智を皆出して了ふから、上面許り飾りて立派に見せようとしてゐるから、いざと云ふ時には間に合はんのぢゃ、上面しか見えんから、誠の事判らんから、神の云ふ事判らんのも道理ぢゃなあ。建直しの仕組立派に出来てゐるから心配いたすでないぞ、建替延ばしに延ばしてゐる神の心判らんから、余り延ばしては丸つぶれに、悪のわなに落ちるから艮めの一厘のふたあけるから、目開けておれん事になるぞ、早う知らせる人民には知らしてやれよ、先づ七人に知らせと申してあろがな。十一月十六日、ひつ九の 。 |
| 437 |
20_梅の巻 |
第10帖
悪い事は陰口せずに親切に気付け合って仲良う結構ぞ、陰口世をけがし、己けがすのざぞ、聞かん人民は時待ちて気付けくれよ、縁ある人民皆親兄弟ざぞ、慢心取違ひ疑ひと、我が此の道の大き邪魔となるぞ、くどい様なれど繰り返し繰り返し気付けおくぞ。時来たら説き出すものぢゃ、親の心察して子から進んでするものぢゃ、その心よきに幸はふぞ、もの聞くもよいが、聞かんでは、判らん様では幽国身魂ぞ、神の臣民親の心うつして云はれん先にするものぢゃぞ。世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世建直して、地の岩戸人間が開いて見せると云ふ程の気魄なくてならんのざぞ、その気魄幸はふのざぞ、岩戸開けるぞ。十一月十六日、ひつ九のか三。 |
| 438 |
20_梅の巻 |
第11帖
日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致したのは今に始まった事ではないぞ、外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度ざぞ、判りたか。それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、中つ枝からの神々様には判らん事ざぞと申してあることもガッテン出来るであろがな。この神示肚に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。死ぬ時は死んだがよく、遊ぶ時には遊べ遊べ、嬉し嬉しざぞ。十一月十六日、ひつ九のか三。 |
| 439 |
20_梅の巻 |
第12帖
万物の長とは神の臣民の事であるぞ、世界の人民も皆万物の長であるが、この世の神は臣民ぢゃぞ、神に次いでの良き身魂ぞ、臣民は地の日月の神様ざぞ。火の粉でやけどするなよ、気付けおくぞ。世に出てゐる守護神のする事知れてゐるぞ。元の生神様御一方御力出しなされたら手も足も出んことになるのぢゃ、神力と学力とのいよいよの力くらべぢゃ、元の生神様の御息吹きどんなにお力あるものか、今度は目にもの見せねばならんことになったぞ、肉体ばかりか、魂までのうにならふやも知れんぞ、震へ上がるぞ。理が神ぞ。理が神の御用ざと申してあろがな。十一月十六日、ひつ九のかミ。 |
| 440 |
20_梅の巻 |
第13帖
天の岩戸ばかりでないぞ、地の岩戸臣民の手で開かなならんぞ、誠一つで開くのぢゃ、誠のタチカラオの神、誠のウズメの命殿、御用結構ぞ。ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、この道理判らんか、取違ひ禁物ぞ、生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、お日様、マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。見て御座れ、見事な世と致してお目にかけるぞ、神示読みて聞かせてやれよ、嫌な顔する人民後廻しぢゃ、飛び付く人民縁あるのぢゃ、早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、間に合はんぞ、御無礼ない様に致し下されよ。十一月十七日、一二の神。 |
| 441 |
20_梅の巻 |
第14帖
日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。十一月十七日、ひつ九のかミ。 |
| 442 |
20_梅の巻 |
第15帖
この儘では世持ちて行かんと云ふこと判って居らうが、所々の氏神様、今迄の様な氏子の扱ひでは立ちて行かんぞ、天の規則通りにやり方変へて下されよ、間に合はんことあるぞ。血尊べよ、血は霊であるぞ神であるぞ、血にごしてはならんぞ、血はまぜこぜにしてはならんのぢゃ、黄金は黄金の血、白銀は白銀の血、黄金白銀交ぜ交ぜて別の血つくってはならんのぢゃ、外国にはまぜこぜもあるなれど、元をまぜこぜならんのざぞ、交ぜることは乱すことざぞ、学はこの大事な血乱す様に仕組みてゐるのざぞ、それがよく見える様にしたのは悪神ざぞ、人民の目、くらましてゐるのぢゃぞ、科学科学と人民申してゐるが人民の科学では何も出来ん、乱すばかりぢゃ、神に尋ねて神の科学でないと何も成就せんぞ、分らなくなったら神に尋ねと申してあること忘れるなよ、一に一たす二ばかりとは限らんのぢゃ、判りたか。十一月十八日、ひつ九のかミ。 |
| 443 |
20_梅の巻 |
第16帖
神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自づから区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。この世はほって置いても自然にどうにか動いて行くものざと上に立つ守護神逃げて居るが、そんな事で祭事出来ると思ふてか、自然には動かんのぞ、その奥の奥の奥の々々々々々々々々のキのイキから動いてゐること判るまい、人民の思ふてゐることは天地の違ひざぞ、 の中に又 がありその に があり 々々 々々 々々 々々 々々 限り無いのざぞ。人民の研究もよいなれど研究は神ぞ、道にひたすら仕へまつれよ、おろがめよ、研究では誠のことは分らんのぢゃ、我折りて判らんことは神の申すこと聞くのぢゃ、分らんでも聞いて下されよ、悪い様には致さんぞ。まつりまつりとくどう申してあらう、我捨てておろがめば神のキ通じて何でも分って来るのぢゃぞ。十一月十八日、ひつ九の 。 |
| 444 |
20_梅の巻 |
第17帖
今の人民少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、なさけない事出来てくるぞ、くやしさ目の前ぞ。次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様御先祖様なり、天の御先祖様此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や、いよいよ何も彼も引寄せるからその覚悟よいか、覚悟せよ、あな爽け、あなすがすがし、四十七と四十八と四十九ぢゃ。十二月四日、七つ九のかミしらす。 |
| 445 |
20_梅の巻 |
第18帖
自分で自分のしてゐること判るまいがな、神がさしてゐるのざから、人間の頭では判らん、仕組通りに使はれて、身魂の掃除の程度に使はれて、使ひ分けられてゐるのぢゃぞ、早う人間心捨てて仕舞て神の申す通りに従ひて下されよ、それがお主の徳と申すものぢゃぞ、一家の為ぞ、国のためぞ、世界の民の為ざぞ、天地の御為ざぞ。今迄になかったこと今度はするのぢゃから合点出来んも道理ぢゃ道理ぢゃ、始めは戦で、争で世の建替する積りであったが、あまりに曇りひどいから、イクサばかりでは、すみずみまでは掃除出来んから、世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦許りでないぞ、家の中キチンと食物大切がカイの御用と申してあろがな、今度の岩戸は、あけっぱなしぢゃ、褌いらんと申してあろう。十二月四日、一二 。 |
| 446 |
20_梅の巻 |
第19帖
四十九、天明神示書かす御役ぞ。一二三となる日近づいたぞ、節分迄に皆の守護神同じ宮に祀りくれよ、まつりまつりてまつり合せ、和合して物事成就するのぞ。まつる心なき者誠ないぞ、マコト判らんぞ。靖国のミタマもそれ迄に奥山に祀りくれよ、まつり替へてやりてくれよ。世界の神々様、守護神様、人民のみたま、祀りくれよ、まつり結構ぞ。節分からの誓言変へさすぞ、大神様には御三体の大神様御三体の大神様と七回くり返せよ、それでよいぞ、神々様には弥栄ましませと五回くり返せよ、霊の宮には弥栄ましませと三回繰り返せよ、それでよいぞ、弥栄ざぞ。十二月四日、ひつ九の 。 |
| 447 |
20_梅の巻 |
第20帖
よくもまあ鼻高ばかりになったものぢゃなあ、四足と天狗ばかりぢゃ、まあまあやりたいだけやりて見なされ、神は何もかもみな調べぬいて仕組みてあるのぢゃから、性来だけの事しか出来んから、愈々となりて神にすがらなならんと云ふ事判りたら、今度こそはまこと神にすがれよ、今度神にすがること出来んなれば万劫末代浮ばれんぞ。したいことをやりて見て得心行く迄やりて見て改心早う結構ぞ。ミロクの世のやり方型出して下されよ、一人でも二人でもよいぞ、足場早うつくれと申してある事忘れたのか。尾振る犬を打つ人民あるまいがな、ついて来る人民殺す神はないぞ、ミロク様が月の大神様。十二月四日、一二 。 |
| 448 |
20_梅の巻 |
第21帖
身欲信心スコタン許り、天津日嗣の御位は幾千代かけて変らんぞ、日の大神様、月の大神様、地の大神様、御血統弥栄々々ぞ。日本の人民アフンとするぞ、皆それぞれのゆかりの集団に・入れよ、神示ひふみとなるぞ、天明は画家となれ、絵描いて皆にやれよ、弥栄となるぞ、やさかいやさか。今度はキリスト教も仏教も何も彼も生かさなならんのぞ。早くから此の方の元へ来て居ても因縁あっても肝腎が判らんと後戻りばかりぢゃ、肝腎々々ぢゃ、学もよいが、それはそれの様なものぢゃぞ、途中からの神は途中からの神、途中からの教は途中からの教、今度の御用は元のキの道ざぞ、世の元からの神でないと判らんぞ、出来はせんぞ、生れ赤児の心とは、途中からの心、教、すっかり捨てて了へと云ふ事ざぞ。十二月十四日、ひつ九のかみ。 |
| 449 |
20_梅の巻 |
第22帖
まだまだどえらい事出て来て日本の国は愈々つぶれたと云ふ処へなって来るから、皆が誠の神魂になって来んと誠の神は出ないのざぞ、誠ある処へ誠の神働くと申してあろが、誠ない処へ働く神は悪神ぢゃぞ、よう気付けてくれよ。いくら時節来たとて人民に誠ないと気の毒ばかりぢゃ、気の毒此の方嫌ひぢゃ。道は神にも曲げられん、竜神は悪神ぢゃと云ふ時来るぞ、心せよ。誠ない者今に此の方拝む事出来んことになるぞ、此の方に近よれんのは悪の守護神殿。愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、王の王の神で末代治める基つくるぞ、少しでもまじりけあってはならんのぢゃ、早う洗濯掃除結構ぞ。御用いくらでもあるぞ、お蔭取り徳ぢゃ。出来るだけ大き器持ちて御座れよ、皆々欲がチビイぞ、欲が小さいなあ。話すことは放すことじゃ、放すとつかめるぞ。十二月十四日、一二 。 |
| 450 |
20_梅の巻 |
第23帖
これから三年の苦労ぢゃ、一年と半年と半年と一年ぢゃ。手合はして拝むだけでは何にもならんぞ、拝むとは御用することざぞ、形体だけ出来ても何にもならんぞ、拝まないのは猶よくないぞ、神に遠ざかることぢゃ。此の道、ちっとも心許せんキツイやさしい道ぞ、泰平の嬉し嬉しの道ざが、何時も剣の上に下に居る心構へ結構ぞ。一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あるぞ。道は一つぢゃ、取違ひせん様にせよ。住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜならんのぢゃ、皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しざぞ、不足ない光の世来るぞ、早う身魂相当の御用結構々々ぞ。世愈々開け行くと人民申しているが、愈々つまって来るぞ、おそし早しはあるなれど何れは出て来るから、神示肚に早う入れて置いてくれよ、神示まだまだ判ってゐないぞ。十二月十四日、ひつ九のかミ。 |
| 451 |
20_梅の巻 |
第24帖
待てるだけ待ってゐるが世をつぶすわけには行かん、人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのざぞ、地の日月の神と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。人気の悪い所程メグリあるのざぞ、日本のやり方違って居たと云ふこと、五度違ったと云ふ事判って来ねば、日本の光出ないぞ。表面飾るな。コトもかめばかむ程味出て来るのが磨けた身魂。中味よくなって来ると表面飾らいでも光出て来るぞ。これまでの日本のやり方悪いから、神が時々、神がかりて知らしてやったであらうが、気付けてやったが気の付く臣民ほとんどないから、今度五度の岩戸一度に開いてびっくり箱開いて、天晴れ神々様に御目にかけ申すぞ、お喜び載くのぢゃ。神示通り出て来ても、まだ判らんか。神示は神の息吹きぢゃ。心ぢゃ。口上手身振り上手で誠ない者この方嫌ひぢゃぞ。とどめ なり。先見へるぞ、先見んのは途中からの神ぢゃ。十二月十四日、ひつ九のかミしる 。 |
| 452 |
20_梅の巻 |
第25帖
神のそばに引き寄せても、実地に見せても、我が強いから中々に改心致さん臣民ばかり、少しは神の心察して見るがよいぞ。気の毒出来るから、少しは神の身にもなってみるものぢゃ、此の儘では気の毒なことになるから、早う守護神、節分迄に早う祀りくれよ、何事もキリキリキリと云ふ事あるぞ。世治めるは九の花咲耶姫様なり。十二月十四日、一二 。 |
| 453 |
20_梅の巻 |
第26帖
金では治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、判ってゐる守護神殿早う改心結構ぞ、元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ。神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行って下されよ、口で説くばかりではどうにもならん、魂なくなってはならん。十二月十四日、ひつ九のかミ。 |
| 454 |
20_梅の巻 |
第27帖
苦しむと曲るぞ、楽しむと伸びるぞ、此の方苦しむこと嫌ひぢゃ、苦を楽しみて下されよ。此の方に敵とう御力の神、いくらでも早う出て御座れ、敵とう神此の方の御用に使ふぞ、天晴れ御礼申すぞ。世界のどんな偉い人でも、此の方に頭下げて来ねば今度の岩戸開けんぞ、早う神示読んで神の心汲み取って、ミロクの世の礎早う固めくれよ。算盤のケタ違ふ算盤でいくらはじいても出来はせんぞ、素直にいたしてついて御座れ、見事光の岸につれて参って喜ばしてやるぞ。十二月十四日、ひつ九のかミ。 |
| 455 |
20_梅の巻 |
第28帖
十二の流れ、六の流れとなり、三つの流れとなり、二となり一と成り鳴りて、一つになり、一つの王で治めるのぢゃぞ、弥栄の仕組、普字と成答の仕組、いよいよとなったぞ。あな嬉し、あなすがすがし普字は晴れたり日本晴れ。此の巻 ん の巻と申せよ、後の世の宝と栄へるぞ。十二月十四日、一二 。 |
| 456 |
21_空の巻 |
第1帖
なる世、極まりて扶桑みやこぞ、みち足り足りて、万世のはじめ、息吹き、動き和し、弥栄へ、展き、睦び、結ぶ、扶桑の道鳴りはじむ道、代々の道ひらき、次に睦び、マコトの道にひかり極む、新しき世、出で、みちつづぎ、道つづき、極みに極まりなる大道、極まる神の大道、ひらく世、弥栄神、かく、千木高く栄ゆ世に、世かわるぞ、太神、大神、神出でまして、道弥栄極む、大道に神みち、極み、栄え、更に極む、元津日の大神、元津月の大神、元津地の大神弥栄。一月一日、ひつくのかみ。 |
| 457 |
21_空の巻 |
第2帖
ひふみゆらゆらと一回二回三回となへまつれよ、蘇るぞ。次に人は道真中にしてワとなり、皆の者集まりてお互に拝み、中心にまつりまつり結構ぞ、節分からでよいぞ。このお道の導きの親尊べよ、どんな事あっても上に立てねばならんぞ、順乱しては神の働きないと申してあろがな。直会には神の座上につくらなならんのざぞ、神人共にと申してあろがな、末だ判らんのか、順正しく礼儀正しく神にも人にも仕へまつれよ。たばねの神は、束の人は後からぢゃ、後から出るぞ。一月一日、一二 。 |
| 458 |
21_空の巻 |
第3帖

ひふみ四十九柱、五十九柱、神代の元ざぞ。あめつち御中ムしの神、あめつち御中ムしの神、あめつちの御中ムしの神、あめつち御中ウしの神、あめつち御中ウしの神、あめつち御中あめつち御中ウしの神、あめつち御中あめつち御中ウしの神、あめつち御中ウしの神、あめつち御中ウしの神、あめつち御中あめつち御中天地御中ムしの神、天地御中ヌしの神。天地のはじめ。一月三日、一二 。 |
| 459 |
21_空の巻 |
第4帖
建直しの道つづき、結び、展く、日月出で、よろづのもの、一二三とみち、つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神栄ゆ、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、真理、真愛、大歓喜は、中心にひかり、ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、次々に栄え極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、大道は日神の中心にかへり、亦出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。一月六日、一二 。 |
| 460 |
21_空の巻 |
第5帖
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| 461 |
21_空の巻 |
第6帖
天之ひつ九 守る。天之ひつ九 守る。九二のひつ九 守る。九二のひつ九 守る。アメの神、カ千の 、ゆわの神、ア の神守る。天明白す。第五、第六帖共、一月六日の神示) |
| 462 |
21_空の巻 |
第7帖
これだけ細かに神示で知らしても未だ判らんか、我があるからぞ、曇りてゐるからぞ、先づ己の仕事せよ、五人分も十人分もせい出せと申してあろ、五人分仕事すれば判りて来るぞ、仕事とはよごとであるぞ、仕事せよ、仕事仕へまつれよ、それが神の御用ざぞ。神の御用ざと申して仕事休んで狂人のまねに落ちるでないぞ、静かに一歩々々進めよ、急がば廻れよ、一足飛びに二階にはあがれんぞ、今の仕事悪いと知りつつするは尚悪いぞ、四五十、四五十と神に祈れよ、祈れば四五十与えられるぞ、祈れ祈れとくどう申してあろが、よき心よき仕事生むぞ、嘉事うむぞ、この道理まだ判らんのか、神にくどう申さすでないぞ。大智大理交はり、道はあきらか、大愛、大真出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道ぞ。一月十三日、ひつ九 。 |
| 463 |
21_空の巻 |
第8帖
衣類、食物に困った時は竜宮の音秘様にお願ひ申せよ。五柱の生神様にお願ひ申せば災難のがらせて下さるぞ、ゆわ、あれ、地震、風、雨、の神様なり、いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。神示はその時の心にとりて違はん、磨けただけにとれて違はんのであるから、我の心通りにとれるのであるから、同じ神示が同じ神示でないのざぞ。悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ、悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地にごりて来るぞ、世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ、この道理腹の底から判りて、ガッテンガッテンして下されよ。三月三日、ひつ九のか三。 |
| 464 |
21_空の巻 |
第9帖
ミロク世に出づには神の人民お手柄致さなならんぞ、お手柄結構々々、神の人民世界中に居るぞ。この中に早くから来てゐて何も知りませんとは云はれん時来るぞ、神示よく読んでゐて呉れよ。時来たら説き出せよ、潮満ちてゐるぞ、潮時誤るなよ。早う目覚めんと、別の御用に廻らなならんぞ、ウシトラコンジン様、何事も聞き下さるぞ、誠もってお願ひせよ、聞かん事は聞かんぞ、聞かれる事は聞いてやるぞ。神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もしてやるぞ。時節到来してゐるに未だ気付かんか、人民の物と云ふ物は何一つないのざぞ、未だ金や学で行けると思ふてゐるのか、愈々の蓋あいてゐるに未だ判らんか。奥山に参りて来ねば判らんことになって来るぞ。奥山、おく山ぞ、同じ奥山が、その時々により変って来るぞ、身魂磨けば磨いただけ光りできておかげあるぞ、この道理判るであろがな。三月三日、ひつ九のかミしるすぞ。 |
| 465 |
21_空の巻 |
第10帖
此の方悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用聞きくれよ。世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、よく見分けてくれよ、取違ひ禁物ぞ。この神示よく見てゐると、いざと云ふ時には役に立つぞ、肝腎の時に肝腎が成るぞ。元は元、分れは分れ、元と分れ、同じであるぞ、別であるぞ、それぞれに分れの集団つくってよいぞ、今日働いて今日食はなならん事に皆なりて来るのざから、その覚悟せよ、上に立つ番頭殿、下の下まで目届けておらんと、日本つぶれるぞ、つぶれる前に、そなた達がつぶれるのざぞ、早う改心して誠の政治仕へまつれよ。いれものキレイにして居りたらこの方がよきに使ふぞ、今の仕事仕へて居れよ、神示腹に入れて、あせらず身魂磨き結構々々。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。三月三日、ひつ九のかミ。 |
| 466 |
21_空の巻 |
第11帖
大層が大層でなくなる道が神の道ざぞ、この道中行く道、神示読みて早うガテン結構ぞ。行い正しく口静かにしたら神の仕組分るぞ、因縁ある身魂が、人民では知らん結構を致すぞ。神示読んで、どんな人が来てもその人々に当る所読みて聞かすが一等ざぞ。一分と九分との戦ひぢゃ、皆九分が強いと思ふてゐるが、今度の仕組、アフンの仕組ぞ。早呑込大怪我の基と申すのは我が心通りに写るからぞ。くさい物喰ふ時来たぞ、ほんの暫くぞ、我慢よくよくせ、よくなるぞ、分れの集団の一つとして宗教も作れよ、他の宗教とは違ふヤリ方でないと成就せんぞ。大奥山はその儘ざぞ。別れざぞ、この宗教には教祖は要らんぞ、教祖は神示ぢゃ、神示がアと申してあろがな、ヤ、ワ、 、 要るぞ、なせばなる、なさねば後悔ぢゃぞ。慎ましうして神に供へてから頂けば日本は日本で食べて行けるのざぞ、理屈に邪魔されて有る物も無くして食へなくなるのは悪の仕組ぢゃ、つ千の金神様を金の神様と申せよ。三月三日、ひつ九のかミ。 |
| 467 |
21_空の巻 |
第12帖
学の鼻高さん何も出来んことになるぞ、今に世界から正真が段々判り来て、あわてても間に合はんことになるぞ、今の内に神示よく肚に入れておけよ、この道には色々と神の試あるから漫心するとすぐひっくり返るぞ、考へでは判らん、素直結構ぞ。日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物間違へるでないぞ、食い過ぎるから足らんことになるのざぞ、いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、慢心取違ひ致すなよ、代へ身魂いくらでもあるぞ。学問の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ、商売の世も済みたから商売人も閉口するぞ、力仕事は出来んし、共喰するより他に道ないと申す人民許りになるぞ、今迄とはさっぱり物事変るから今迄のやり方考え方変へて呉れよ、神示通りに行へば其の日その時から嬉し嬉しざぞ、此処は落した上にも落しておくから、世の中の偉い人には中々見当とれんから、身魂の因縁ある人には成程なあと直ぐ心で判るのぢゃぞ、九の花咲けば皆よくなるのぞ、九の花中々ぞ。三月三日、ひつ九のかミ。 |
| 468 |
21_空の巻 |
第13帖
我が勝手に解訳してお話して神の名汚さん様にしてくれよ、曇りた心で伝へると、曇りて来る位 判って居ろがな、神示通りに説けと申してあろが、忘れてならんぞ。履物も今に変って来るぞ、元に返すには元の元のキのマヂリキのない身魂と入れ替へせねばならんのぢゃ、 が違って居るから世界中輪になっても成就せん道理分るであろがな、一度申した事はいつまでも守る身魂でないと、途中でグレングレンと変る様では御用つとまらんぞ、人力屋、酒屋、料理屋、芸妓屋、娼妓、無く致すぞ、世つぶす基ざぞ、菓子、饅頭も要らんぞ、煙草もくせぞ、よき世になったら別の酒、煙草、菓子、饅頭出来るぞ、勝手に造ってよいのざぞ、それ商売にはさせんぞ。旧五月五日からの礼拝の仕方書き知らすぞ。朝は大神様には一拝、二拝、三拝、八拍手。ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら 々々 、ひふみゆらゆら 々々 々々。ひふみ祝詞のりてから、御三体の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ、天之日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ、地の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ八拍手御三体の大神様七回のれよ。終りて大神様のキ頂けよ、八拍手一拝二拝三拝せよ。夜は同じ様にしてひふみ祝詞の代りにいろは祝詞のれよ。三五七に切りて手打ち乍らひふみ祝詞と同じ様にのりて結構ぞ。昼は大地に祈れよ、黙祷せよ。時に依り所によりて、暫し黙祷せよ、お土の息頂けよ、出来れば、はだしになってお土の上に立ちて目をつむりて足にて呼吸せよ、一回、二回、三回せよ。神々様には二拝四拍手。ひふみゆらゆら、々々々々 、 々々 々々々々 。 天の数歌三回唱へ。神々様弥栄ましませ弥栄ましませとのりて四拍手せよ。誓は時に依りてよきにせよ。霊の宮には一拝、二拍手、天の数歌一回弥栄ましませ弥栄ましませ二拍手、一拝。でよいぞ、ひふみゆらゆら いらんぞ、誓はその時々に依りてよきにせよ。各々の先祖さんには今迄の祝詞でよいぞ。当分これで変らんから印刷してよく判る様にして皆の者に分けて取らせよ、弥栄に拝みまつれよ。三月三日、ひつ九の しるす。 |
| 469 |
21_空の巻 |
第14帖
御光の輝く御代となりにけり、嬉し嬉しの言答-一八十-明けたり。あなさやけ、三千年の夜は明けて、人、神、となる秋は来にけり。日月-一二-大神、キリスト大神、シャカ大神、マホメット大神、黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神、老子大神、孔子大神、総て十柱の大神は、光の大神として斎き祀り結構致しくれよ、二二晴れるぞ、一八十開けるぞ。御神名書かすぞ、ひかり教会のりとは、ひかりの大神、弥栄ましませ弥栄ましませ、ひかりの大神守り給へ、幸へ給へと、申せよ。弥栄弥栄。四月五日、ひつくのかみ。 |
| 470 |
22_青葉の巻 |
第1帖
音秘会には別に神祀らいでもよいぞ、光の大神様斎き祀り結構いたしくれよ、皆に音秘様の分霊さずけとらすぞ。お守り、さずけとらすぞ、光の大神様の信者には御神名さずけとらせよ、役員には御神石まつりくれよ、光の大神様の日々の御給仕には十のカワラケにて供へまつれよ。役員七つに分けよ、大道師、権大道師、中道師、権中道師、小道師、権小道師、参道の七段階ぞ、中道師から上は神人共ざぞ。世界の民の会は三千世界に拝み合ふのざぞ、何事も神まつり第一ざと申してあろがな。大き器持ちて御座れよ、小さい心では見当とれんことになるぞ。慢心取違いポキンぞ。ミタマ何時でも変るのざぞ、次々に偉い人出て来るから神示よく読んでグングン行って進めよ、行ふ所神現はれるぞ、光の道弥栄ぞ、なせばなるのざぞ、人民どんどん行はなならんのざぞ、この神示から、ひかり教会から世に出せよ、この巻ア火ハの巻、前の巻は三 の巻とせよ。四月二十六日、ひつ九のかミ。 |
| 471 |
22_青葉の巻 |
第2帖
玉串として自分の肉体の清い所供へ奉れよ、髪を切って息吹きて祓ひて紙に包んで供へまつれよ、玉串は自分捧げるのざと申してあろがな。お供への始めはムとせよ、ムはウざぞ、誠のキ供へるのざぞ、餅は三つ重ねよ、天地人一体ざと申してあろがな。御神前ばかり清めても誠成就せんぞ、家の中皆御神前ぞ、九二中皆御神前ざぞ、判りたか。夜寝る前に守護神の弥栄ほめよ、いたらざる自分悔いよ、修業出来た信者の守りの神道場に祀れよ、万霊道場に祀れよ、役員の守りの神は本部に祀れよ、神々様本部に祀れよ。外国とは幽界の事ぞ、外国と手握るとは幽界と手握る事ざぞよ。五月十二日、ひつ九のかミ。 |
| 472 |
22_青葉の巻 |
第3帖
ひかり教の教旨書き知らすぞ、人民その時、所に通用する様にして説いて知らせよ。教旨天地不二、神人合一。天は地なり、地は天なり、不二なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。神、幽、現、を通じ、過、現、未、を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。次に信者の実践のこと書カき知シらすぞ。三大サンダイ実践ジッシ主義シュギ弥栄イヤサカ実践ジッシ祓ハライ実践ジッシ マツリ実践ジッシ大宇宙ダイウチュウの弥栄イヤサカ生成化育セイセイカイクは寸時スンジも休ヤスむことなく進ススめられてゐるのざぞ、弥栄イヤサカが神カミの御意志ゴイシざぞ、神カミの働ハタラきざぞ、弥栄イヤサカは実践ジッシざぞ。人ヒトとしては其ソの刹那々々セツナセツナに弥栄イヤサカを思オモひ、弥栄イヤサカを実践ジッシして行イかねばならんのざぞ。宇宙ウチュウの総スベては となってゐるのざぞ、どんな大オオきな世界セカイでも、どんな小チイさい世界セカイでも、悉コトゴトく中心チュウシンに統一トウイツせられてゐるのざぞ。マツリせる者モノを善ゼンと云イひ、それに反ハンする者モノを悪アクと云イふのざぞ、人々ヒトビトのことごとマツリ合アはすはもとより、神カミ、幽ユウ、現ゲン、の大和ダイワ実践ジッシして行イかねばならんのざぞ。天地アメツチの大祓オオハラひと呼応コキュウして国クニの潔斎ケッサイ、人ヒトの潔斎ケッサイ、祓ハラひ清キヨめせねばならんのざぞ、与アタへられた使命シメイを果ハたすには潔斎ケッサイせねばならんのざぞ。かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五イつのはたらきを正タダしく発揮ハッキして、みそぎ祓ハライを実践ジッシせねばならんのであるぞ。役員ヤクインよきにして今イマの世ヨに、よき様ヨウに説トいて聞キかして、先マづ七七シチシチ、四十九人シジュウクニン、三百四十三人サンビャクシジュウサンニン、二千四百〇一人ニセンヨンヒャクイチニンの信者シンジャ早ハヨうつくれよ、信者シンジャは光ヒカリぞ、それが出来デキたら足場アシバ出来デキるのざぞ。産土ウブスナの神様カミサマ祀マツりたら、信者シンジャ出来デキたら、国魂クニタマの神様カミサマ祀マツれよ、次ツギに大国魂オオクニタマの神様カミサマ祀マツれよ、世ヨ光来ヒカリクるぞ。五月ゴガツ十二日ジュウニニチ、ひつ九クのかミ。 |
| 473 |
22_青葉の巻 |
第4帖
三千年ミチトシの不二フジは晴ハれたり、言答イワトあけたり。実地ジッチざぞ、遣ヤり直ナオし出来デキんのざぞ。早ハヨう足場アシバつくれと申モウしてあろがな、三千ミチの足場アシバつくったら神カミの光ヒカリ出イズると申モウしてあらうがな、足場アシバつくれよ、アジヤ足場アシバぞ。足場アシバなくては何ナニも出来デキん道理ドウリ人間ニンゲンにも判ワカらうがな、何ナニより足場アイバ第一ダイイチざぞ、世界セカイの民タミの会カイ二人フタリでやれよ、一人ヒトリでしてならんぞ、くどう気キつけあらうがな。あなさやけ、あなすがすがし。六月ロクガツ十日トウカ、ひつ九 クノカミ。 |
| 474 |
22_青葉の巻 |
第5帖
仕事シゴト、嘉事ヨゴトと申モウしてあろがな、仕事シゴトマツリざぞ、自分ジブンの仕事シゴトおろそかならんのざぞ、仕事シゴトせよ、仕事シゴト仕ツカへまつれと申モウしてあろが、ひかり教会キョウカイの本部ホンブ元モトへ移ウツしてもよいぞ、天明テンメイ表オモテへ出イデてもよいぞ。愈々イヨイヨぞ、皆ミナに早ハヨう伝ツタへて呉クれよ、マツリ結構ケッコウ。七月シチガツ三十一日サンジュウイチニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 475 |
22_青葉の巻 |
第6帖
へんな人ヒトが表オモテに出デるぞ、出デたら気付キツけよ。この道ミチ開ヒラくには誠マコトぢゃ、誠マコトとは嘉事ヨゴトぢゃ、仕事シゴトぢゃ、まつりぢゃ、あなないぢゃ、〆松シメマツぢゃ、むすびぢゃ。わけへだては人間心ニンゲンゴコロ、何ナニが何ナンだか判ワカらん内ウチに時節ジセツめぐりて元モトに返カエるぞ、神カミに分ワけへだてなし、皆ミナ一様イチヨウにするぞ、お蔭カゲやるぞ、病ヤマイ治ナオしてやるぞ、小チイさい事コト、大オオきい事コト、皆ミナそれぞれに御役オヤク勇イサんで仕ツカへまつれよ、分ワけ隔ヘダてと云イふ事コトなく一致イッチ和合ワゴウして神カミに仕ツカへまつれよ、和合ワゴウせねば誠マコトのおかげないぞ。先マづ自分ジブンと自分ジブンと和合ワゴウせよ、それが和合ワゴウの第一歩ダイイッポ、アメツチ心ココロぢゃぞ、すべてはそこから生ウマれ来クるものなのぞ。八月ハチガツぐらぐら。八月ハチガツ二日フツカ、ひつ九クの カミ。 |
| 476 |
22_青葉の巻 |
第7帖
いやな事コトは我ワが血統ケットウに致イタさすなり、他人タニン傷キヅつけてはならんなり、ひふみにも二十フト マニ、五十 イヅラ、いろはにも二十フト マニ、五十 イヅラ、よく心得ココロエなされよ。何彼ナニカの事コトひふみ、いろはでやり変カへるのぢゃ、時節ジセツめぐりて上カミも下シモも花咲ハナサくのぢゃぞ。誰ダレによらず改心カイシンせなならんぞ、この方カタさへ改心カイシン致イタしたおかげで今度コンドの御働オハタラき出来デキるのぢゃ、同オナじこと二度ニドくり返カエす仕組シクミざぞ、この事コトよく腹ハラに入イれておいて下クダされよ。同オナじこと二度ニド、この神示フデ神カミと仏ホトケのふで。八月ハチガツ二日フツカ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 477 |
22_青葉の巻 |
第8帖
時節ジセツには従シタガって下クダされよ、逆サカらはず、後ノチの立タつ様ヨウ致イタされよ、後アトのやり方カタ、神示フデで知シらしてあろがな。国々クニグニ所々トコロドコロによって同オナじ集団まどゐいくらでもつくりあるのぢゃ、何ドれも我ガ折オって一ヒトつに集アツまる仕組シクミぢゃ、天狗テング禁物キンモツ、いづれもそれぞれに尊トオトい仕組シクミぞ、又マタとない集団まどひざぞ。神カミの心ココロ告ツげる手テだても各々オノオノ違チガふのぢゃ、心ココロ大オオきく早ハヨう洗濯センタク致イタされよ、とらわれるなよ、とらわれると悪アクとなるぞ。一旦イッタン治ナオるなれど、後アトはコンニャクぢゃ、判ワカらん仕組シクミ、判ワカらなならんのぢゃぞ、悪アクとは我ワレよしのこと。八月ハチガツ二日フツカ、ひつ九 クノカミ。 |
| 478 |
22_青葉の巻 |
第9帖
苦労クロウいたさねば誠マコト分ワカらんなり、人民ジンミンと云イふ者モノは苦クに弱ヨワいから、中々ナカナカにおかげのやり様ヨウないぞよ、欲ヨク出ダすから、心ココロ曇クモるから、我ワレよしになるから中々ナカナカに改心カイシン出来デキんなり、六ムツヶ敷シいぞよ。慾ヨクさっぱり捨スてて下クダされよ、慾ヨク出デると判ワカらなくなるぞ。大地ダイチの神カミの声コエ誰ダレも知シるまいがな、だまって静シズかにまつりて清キヨめて、育ソダててゐるのざぞ、何ナニもかも大地ダイツにかへるのざぞ、親オヤのふところに返カエるのざぞ。次々ツギツギに不思議フシギ出ブて来クるぞ、不思議フシギなくなりたら神カミの国クニ、ミロクの国クニとなるのぢゃ。八月ハチガツ三日ミッカ、ひつ九 クノカミ。 |
| 479 |
22_青葉の巻 |
第10帖
よき神カミにはよき御用ゴヨウ、悪ワルき神カミには悪ワルき御用ゴヨウ、自分ジブンで自分ジブンがつとめあげるのぢゃ、人ヒトになんと云イはれても腹ハラの立タつ様ヨウでは御用ゴヨウ六ムツヶ敷シいぞ、腹ハラ立タつのは慢心マンシンぢゃと申モウしてあろがな。仕組シクミ途中トチュウでグレンと変カワり、カラリと変カる仕組シクミしてあるのぢゃ、其処ソコに一厘イチリンの仕組シクミ、火水ヒミツの仕組シクミ、富士フジと鳴門ナルトの仕組シクミ、結構ケッコウ々々ケッコウ大切タイセツ致イタしてあるのぢゃ。仕組シクミ変カワり変カワりて人民ジンミンには判ワカらんなり、よき世ヨと致イタすのぢゃ、いくら智チあっても人間心ニンゲンココロでは出来デキん仕組シクミぞ、智チ捨スてて神カミにすがりて来コねば分ワカらん仕組シクミぢゃ、と云イふて人間ニンゲン世界セカイは人間ニンゲンの智チいるのぢゃ、智チでない智チを神カミが与アタへるぞ、神カミ人ヒト共トモにと申モウしてあろがな、つとめ上アげたら他ホカにない結構ケッコウな御用ゴヨウ。八月ハチガツ三日ミッカ、ひつ九 クノカミ。 |
| 480 |
22_青葉の巻 |
第11帖
世界セカイ一目ヒトメに見ミへるとは世界セカイ一度イチドに見ミへる心ココロに鏡カガミ磨ミガいて掃除ソウジせよと云イふ事コトぢゃ、掃除ソウジ結構ケッコウぞ。善ゼンと悪アクと取違トリヒガひ申モウしてあらうがな、悪アクも善ゼンもないと申モウしてあらうがな、和ワすが善ゼンざぞ、乱ミダすが悪アクざぞ、働ハタラくには乱ミダすこともあるぞ、働ハタラかねば育ソダてては行イけんなり、気キゆるんだらすぐ後戻アトモドりとなるぞ、坂サカに車クルマのたとへぞと申モウしてあろがな、苦クルしむ時トキは苦クルしめよ、苦クの花咲ハナサくぞ。世ヨは七度ナナドの大変オオカワり、変カワる代ヨかけて変カワらぬは、誠マコト一ヒトつの九コの花ハナぞ、九コの花咲ハナサくは二三フミの山ヤマ、二二フジは神山カミヤマ神カミ住スむ所トコロ、やがて世界セカイの真中マンナカぞ。八月ハチガツ三日ミッカ、ひつ九クの カミ。 |
| 481 |
22_青葉の巻 |
第12帖
御神示オフデ通ドオりにすれば、神カミの云イふ事コト聞キけば、神カミが守マモるから人民ジンミンの目メからは危アブない様ヨウに見ミへるなれど、やがては結構ケッコウになるのざぞ、疑ウタガふから途中トチュウからガラリと変カワるのざぞ。折角セッカク縁エンありて来キた人民ジンミンぢゃ、神カミはおかげやりたくてうづうづざぞ、手テを出ダせばすぐとれるのに何故ナゼ手テを出ダさんのぢゃ、大オオき器ウツワ持モちて来コんのぢゃ。神示フデ聞キきて居オると身魂ミタマ太フトるぞ、身魂ミタマ磨ミガけるぞ。下シモに居イて働ハタラけよ、下シモで土台ドダイとなれよ。此処ココは始ハジめて来キた人ヒトには見当ミアとれん様ヨウになってゐるのぢゃ、人ヒトの悪口ワルグチ此コの方カタ聞キきとうないぞ、まして神カミの悪口ワルグチ。八月ハチガツ四日ヨッカ、ひつ九クの カミ。 |
| 482 |
22_青葉の巻 |
第13帖
同オナじ名ナの神カミ二フタつあると申モウしてあろ、同オナじ悪アクにも亦マタ二フタつあるのぢゃ、この事コト神界シンカイの火水ヒミツぞ、この事コト判ワカると仕組シクミ段々ダンダンとけて来クるのざぞ、鍵カギざぞ。七人シチニンに伝ツタへよ、と申モウしてあろ、始ハジめの七人シチニン大切タイセツざぞ、今度コンドはしくじられんのざぞ、神カミの仕組シクミ間違マチガひないなれど、人民シンミンしくじると、しくじった人民ジンミン可哀想カワイソウなから、くどう申モウしつけてあるのざぞ、よう分ワけて聞キきとりて折角セッカクのエニシと時トキを外ハズすでないぞ、世界中セカイジュウの事コトざから、いくらでも代ヨへ身魂ミタマ代カワりの集団マドヒつくりてあるのざぞ。尊トウトい身魂ミタマと、尊トウトい血統ケットウ、忘ワスれるでないぞ。型カタは気キの毒ドクながらこの中ナカから。八月ハチガツ四日ヨッカ一二 ヒツクノカミ。 |
| 483 |
22_青葉の巻 |
第14帖
今イマの世ヨは頭アタマと尻尾シッポばかり、肝腎カンジンの胴体ドウタイないから力チカラ出デないぞ。従シタガふ所トコロへは従シタガはなならんのざぞ、と申モウしてあろ、時節ジセツに従シタガって負マけて勝カつのざぞ、負マけが勝カちぞ、判ワカりたか。お詑ワびすれば誰ダレによらん、許ユルしてよき方ホウに廻マワしてやるぞ、口先クチサキばかりでなく心ココロからのお詑ワび結構ケッコウいたしくれよ。ダマシタ岩戸イワトからはダマシタ神カミお出イでましぞ、と申モウしてくどう知シらしてあろがな、ダマシて無理ムリに引張ヒッパり出ダして無理ムリするのが無理ムリぞと申モウすのぞ、無理ムリはヤミとなるのざぞ、それでウソの世ヨヤミの世ヨとなって、続ツヅいてこの世ヨの苦クルしみとなって来キたのざぞ、こうなることは此コの世ヨの始ハジメから判ワカってゐての仕組シクミ、心配シンパイせずに、此コの方カタに任マカせおけ任マカせおけ。八月ハチガツ四日ヨッカ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 484 |
22_青葉の巻 |
第15帖
世ヨの建替タテカエと申モウすのは、身魂ミタマの建替タテカエへざから取違トリチガひせん様ヨウ致イタされよ、ミタマとは身ミと霊タマであるぞ、今イマの学ガクある人民ジンミンミばかりで建替タテカへするつもりでゐるから、タマが判ワカらんから、いくらあせっても汗アセ流ナガしても建替タテカへ出来デキんのざぞ。天地アメツチの秋トキ来キてゐることは大方オオカタの人民ジンミンには分ワカって居オりて、さあ建替タテカへぢゃと申モウしても、肝腎カンジンのタマが分ワカらんから成就ジョウジュせんのざぞ、神示読フデヨんでタマ早ハヨう掃除ソウジせよ、世界セカイから見ミるから日本ニホンが日本ニホンぞ、も一ヒトつ上カミの世界セカイから見ミれば世界セカイは日本ニホンぞ、神国カミクニざぞ、今迄イママデは大地ダイチの先祖センゾの大神様オオカミサマの血統ケットウを落オトして了シマふて途中トチュウからの代カワりの神カミでありたから、まぜこぜしたから世ヨが乱ミダれに乱ミダれて了シマふたのぢゃぞ、知シらしてあらうがな、よくなっとくしてくれよ、人民ジンミン皆ミナその通トオりになってゐるのぢゃ。八月ハチガツ四日ヨッカ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 485 |
22_青葉の巻 |
第16帖
日ヒの大神様オオカミサマは日ヒの御働オハタラき、月ツキの大神様オオカミサマは月ツキの御働オハタラき、日ヒの大神様オオカミサマも世ヨの末スエとなって来キて御神力ゴシンリョクうすくなりなされてゐるのざぞ、日ヒの大神様オオカミサマも二フタつ、三ミッつ、自分ジブン一人ヒトリの力チカラでは何事ナニゴトもこれからは成就ジョウジュせんぞ、心得ココロエなされよ、神示フデで知シらしただけで得心トクシンして改心カイシン出来デキれば大難ダイナンは小難ショウナンとなるのぢゃ、やらねばならん、戦タタカイは碁ゴ、将棋ショウギ、位クライの戦タタカイですむのぢゃ、人民ジンミンの心次第ココロシダイ、行オコナひ次第シダイで空ソラまで変カエると申モウしてあろがな、この道理ドウリよく心得ココロエなさりて、神カミの申モウすこと判ワカらいでも、無理ムリと思オモふ事コトも貫ツラヌきて下クダされよ、これがマコトぢゃ。八月ハチガツ五日イツカ、ひつ九クのかミ。 |
| 486 |
22_青葉の巻 |
第17帖
悪アクく云イはれるとめぐり取トって貰モラへるぞ、悪ワルく云イふとめぐりつくるのぢゃ。今度コンドの建替タテカへは人間ニンゲン智恵チエの建替タテカへとは大分ダイブン違チガふ大層タイソウざぞ、見当ミアとれんのざぞ、日ヒの神カミばかりでは世ヨは持モちては行イかれんなり、月ツキの神カミばかりでもならず、そこで月ツキの神カミ、日ヒの神カミが御一体ゴイッタイとなりなされてミロク様サマとなりなされるなり、日月ヒツクの神カミと現アラはれなさるなり。みろく様サマが日月ヒツクの大神様オオカミサマなり、日月ヒツクの大神様オオカミサマがみろくの大神様オオカミサマなり、千チの御先祖様ゴセンゾサマ九二クニの御先祖様ゴセンゾサマと御一体ゴイッタイとなりなされて大日月オオヒツクの大神様オオカミサマと現アラはれなさるなり、旧キュウ九月クガツ八日ヨウカからは大日月オオヒツクの大神様オオカミサマとおろがみまつれよ。八月ハチガツ五日イツカ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 487 |
22_青葉の巻 |
第18帖
改心カイシンとはアホになることざぞ、世界中セカイジュウのアホ中々ナカナカぢゃ、中々ナカナカアホになれまいがな。世界中セカイジュウの人民ジンミンに云イふて聞キかして改心カイシンさすのではキリがないから大変タイヘンを致イタさなならんのざぞ。六ムツヶ敷シいこと申モウしてゐるが平ヒラとう説トかねば判ワカらんぞ、世界セカイの説教セッキョウをよく聞キきてくれよ、天テンの教オシエ、地チの導ミチビき、よく耳ミミすまして聞キきとれよ、神カミの心ココロ段々ダンダンに判ワカりて来クるぞ。この者モノは見込ミコミないとなったら物モノ云イわんぞ、もの聞キけん様ヨウになったら、神示フデいやになったら其ソの守護神シュゴシン可哀想カワイソウになるのざぞ、見込ミコミなくなれば神カミは何ナニも申モウさんぞ、今イマの内ウチに神示フデ肚ハラに入イれよ。八月ハチガツ五日イツカ、ひつ九クの カミ。 |
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22_青葉の巻 |
第19帖
此コの度タビの岩戸イワト開ヒラきに御用ゴヨウに立タつ身魂ミタマばかり選ヨり抜ヌきて集アツめて行ギョウさして御用ゴヨウに使ツカふのであるから、他ホカの教会キョウカイとは天地テンチの違チガひであるぞ、今度コンドは人民ジンミンの心ココロの底ソコまであらためて一々イチイチ始末シマツせねばならんなり、誰ダレによらん、今迄イママデの様ヨウなゼイタクやめて下クダされよ。せねばする様ヨウせなならんなり、世界セカイのハラワタ腐クサり切キって居オるのであるから愈々イヨイヨを致イタさねばならんなり、愈々イヨイヨをすれば人民ジンミン愈々イヨイヨとなるから、神カミがくどう気キつけてゐるのざぞ。此処ココへは善ゼンと悪アクとどんな身魂ミタマも引寄ヒキヨせてコネ廻マワし練ネり直ナオす所トコロであるから、チットモ気キ緩ユルしならん所トコロであるぞ。ここの仕組シクミは天テンの仕組シクミと地チの仕組シクミと、カミとなりホトケとなり結ヌスび と和ワし雲クモと顕アラワれ動ウゴき、鳴ナり成ナりてマコトの世ヨみろくの代ヨと致イタして、この世コを神カミの国クニと致イタす仕組シクミぢゃ。今迄イママデは天テンの神カミばかり尊トオトんで上カミばかり見ミて居イたから、今度コンドは地チは地チの神カミの世ヨと致イタすのぢゃ、天テンの神カミは地チではお手伝テツダひざと申モウしてあろが、下シタ見ミて暮クラせ、足元アシモトに気付キツけと申モウしてあらうが、皆ミナ地チの神カミ尊トオトび斎イツき祀マツりて弥栄ヤサカましませ。天テンの教オシエ許バカりではならず、地チの教オシエ許バカりでもならず、今迄イママデはどちらかであったから、時トキが来キなかったから、マコトがマコトと成ナらず、いづれもカタワとなってゐたのざぞ、カタワ悪アクぞ、今度コンド上下ジョウゲ揃ソロふて夫婦フウフ和ワして、天テンと地チと御三体ゴサンタイまつりてあななひて、末代マツダイの生イきた教オシエと光ヒカり輝カガヤくのざぞ。八月ハチガツ九日ココノカ、ひつ九クのかミ。 |
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22_青葉の巻 |
第20帖
己オノレの心ココロ見ミよ、いくさまだまだであろが、違チガふ心ココロがあるから違チガふものが生ウマれて違チガふことになる道理ドウリ分ワカらんのかなあ。世界セカイの愈々イヨイヨのメグリが出デて来クるのはこれからであるぞ、九月クガツ八日ヨウカの九コの仕組シクミ近付チカヅいたぞ。人民ジンミンは早合点ハヤガテン、我ワレよしで神示フデよむから皆ミナ心ココロが出デて了シマふて、誠マコト知シらしたこと毒ドクとならん様ヨウ気キつけておくぞ。薬クスリのんで毒死ドクシせん様ヨウに気付キツけよ。今イマは世間セケンでは何事ナニゴトも分ワカらんから、疑ウタガふのも無理ムリないなれど、神カミの仕組シクミは何事ナニゴトもキチリキチリと間違マチガひないのざぞ。宗教連合会シュウキョウレンゴウカイも世界連合セカイレンゴウも破ヤブれて了シマふと申モウしてあらうがな、つくった神カミや神カミの許ユルしなきものは皆ミナメチャメチャぢゃ、三千世界サンゼンセカイに手テ握ニギる時トキと知シらずに、 タの世界セカイ、も十トの世界セカイを知シらんからさうなるのぢゃ、火火の世界セカイ、火火の人ヒト、水水の世界セカイ、水水の人ヒト、と交通コウツウ出来デキるのぢゃ、人ヒトと云イっても人間ニンゲンではないぞ、ヒトカミざぞ、手テ握ニギって三千世界サンゼンセカイに天晴アッパれぢゃ、この道ミチ神カミの道ミチぢゃ、光ヒカリの道ミチぢゃ、教オシエぢゃ、悪アクと悪アクと、善ゼンと善ゼンと、悪アクと善ゼンと、善ゼンと悪アクと握ニギる手テ持モちて御座ゴザれよ、心ココロ持モちて御座ゴザれよ、びっくり嬉ウレし箱バコあくぞ。八月ハチガツ十日トウカ、ひつ九 クノカミ。 |
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22_青葉の巻 |
第21帖
神カミが引寄ヒキヨせるからと申モウして懐手フトコロテしてゐては道ミチは拡ヒロまらんぞ、弥栄イヤサカとは次々ツギツギに限カギりなく喜ヨロコびをふやして養ヤシナって行イくことざぞ、喜ヨロコびとはお互タガひに仲ナカよくすることぞ、喜ヨロコびは生イきものぞ、形カタチあるものぞ、色イロあるものぞ、声コエあるものぞ、判ワカりたか。教会キョウカイつくれと申モウしても今迄イママデの様ヨウな教会キョウカイではならんぞ、今迄イママデの教会キョウカイも元モウはよいのであるぞ、いづれも取次トリツギ役員ヤクインがワヤにいたしたのぢゃ、神カミの心ココロからはなれて人間心ニンゲンゴコロとなったからぢゃ。神カミの動ウゴきは、アヤワ ざと申モウしてあろが、それをヤワ となしワ と致イタし、 となし にして分ワカらんことにいたしたのぢゃ、タマなくなって その上ウエに上下ジョウゲ、下シタひっくり返カエってゐると申モウしてあらうがな、分ワカりたか。八月ハチガツ十一日ジュウイチニチ、ひつ九クの カミ。 |
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22_青葉の巻 |
第22帖
己オノレの知チでは分ワカらん、大神様オオカミサマとはアベコベのこと考カンガへてゐては逆サカさばかりぢゃ、神示フデよく読ヨんで誠マコトの仕組シクミ仕ツカへ奉マツれよ。壁カベに耳ミミあり、天井テンジョウに目メあり、道ミチは一筋ヒトスジと申モウしてあろ、人民ジンミンと云イふ者モノはアレコレと沢山タクサンに目メに見ミせては迷マヨふものざから、一ヒトつづつ目メにもの見ミせて目標モクヒョウ作ツクって、それで引張ヒッパってやりて下クダされよ、一度イチドに沢山タクサン見ミせたり教オシへたりしては迷マヨひ生ウむ許バカりぢゃ、役員殿ヤクインドノ気付キツけてくれよ。この道ミチ開アけてくると敵テキが段々ダンダン多オオくなって来クるぞ、敵テキ結構ケッコウぞ、敵テキ尊トウトべよ、敵テキに親切シンセツせよ、何イズれも神カミの働ハタラきぞ、敵テキも御役オヤク、悪アクも御役オヤクぞ、敵テキふへて来クると力チカラ出デて来クるぞ、神カミの仕組シクミ一切ヒトキり。八月ハチガツ十一日ジュウイチニチ、ひつ九 クノカミ。 |
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22_青葉の巻 |
第23帖
かねて見ミしてある弥栄祈願ヤサカキガンせよ、やさかきがん、やさかきがん、やさかきがん、やさ火カき火カん、やさ水カき水カん、火ヒと水ミズの御恩ゴオン、弥栄ヤサカきがん、やさかのまつりぞ、やさかまつりの秘訣ヒケツ火水ヒミツは知シらしてあらう。神示フデよく読ヨめよ。これからの神示フデはひふみと申モウせよ。弥栄ヤサカ。弥栄ヤサカ。二六五曰曰一二五七三二八一六七一二三  曰一三三三一六六六七二六八五二一七六六六三三  八 二八八一三三五二曰八二六一二三八八五五曰曰百千一二一二三曰五六七八九十百千卍ア火八の キ九 て八ハチがつの十二ジュウニニチにち。ひつ九クの カミ  。ア火ホハの巻マキこれまで。八月ハチガツ十二日ジュウニニチ、ひつ九クの カミ。 |
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23_海の巻 |
第1帖
海ウミの巻マキ書カきしらすぞ、五イツつに咲サいた桜花サクラバナ、五イツつに咲サいた梅ウメの花ハナ、皆ミナ始ハジめは結構ケッコウであったが段々ダンダンと時トキ経ヘるに従シタガって役員ヤクインが集アツまってワヤにいたしたのぢゃ、気キの毒ドクぞ、神カミの名ナ汚ケガしておるぞ。大日月オオヒツキと現アラはれたら、何ナニかの事コトキビシクなって来キて、建替タテカエの守護シュゴと建直タテナオしの守護シュゴに廻マワるから、その覚悟カクゴよいか。間違マチガった心ココロで信心シンジンすれば、信心シンジンせんより、も一ヒトつキビシクえらい事コトがみちはじめみつようになるぞ。今イマに此処ココの悪口ワルグチ申モウしてふれ歩アルく人ヒト出デて来クるぞ、悪口ワルグチ云イわれだしたら結構ケッコウ近チカづいたのざと申モウしてあろ、悪口ワルグチは悪アクの白旗シロハタざぞ。飛トんで来キて上カミにとまってゐる小鳥コトリ、風吹カゼフく度タビにびくびくぢゃ、大嵐オオアラシ来コん前マエにねぐらに帰カエって下クダされよ、大嵐オオアラシ目メの前マエ。此処ココは先マづ苦労クロウ、その苦労クロウに勝カちたら、己オノレに克カちたら魂タマ磨ミガけるぞ、段々ダンダンと楽ラクになって嬉ウレし嬉ウレしとなるぞ、結構ケッコウな仕組シクミ、知シらしたら邪魔ジャマ入ハイるなり、知シらさんので判ワカらんなり、心ココロでとりてくれよ、世界セカイの民タミの会カイなせばなる、なさねば後悔コウカイぞ。八月ハチガツ十三日ジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
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23_海の巻 |
第2帖
権小道師カリショウドウシから上ウエは神カミの帖面チョウメンにつくのであるぞ、参道サンドウは仮カリぞ。合アワせて四十九シジュウクかへミタマ六参道ロクサンドウ仮カリざからそのつもり結構ケッコウぞ。一帖イッチョウ、三十帖サンジュッチョウ、二帖ニチョウ、二十九帖ニジュウキュウチョウと云イふ風フウに読ヨみ直ナオして下クダされよ、三十帖サンジュウッチョウ一切ヒトキりとして上下ジョウゲンまぜまぜにして上下ジョウゲンひっくり返カエして読ヨみ直ナオしてくれよ。火ヒの守護シュゴから水ミズの守護シュゴに変カワって居オるのであるから、水ミズの蔭カゲには火ヒ、火ヒの蔭カゲには水ミズぞ、この事コト忘ワスれるなよ、この中ナカには化物バケモノゐるのざぞ、化物バケモノに化バかされん様ヨウにおかげ落オトさん様ヨウに致イタして下クダされよ、神カミくどう気付キツけおくぞ。八月ハチガツ十四日ジュウヨッカ、ひつ九クの カミ。 |
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23_海の巻 |
第3帖
今迄イママデは神様カミサマも別ワカれ別ワカれで勝手カッテにしてゐたのであるから、神様カミサマの申モウされた事コトにも間違マチガひとなることあったのぢゃ、今イマでも神様カミサマはウソを申モウされんのであるが、和合ワゴウなく離ハナれ離バナれであったから、自分ジブンの目メで届トドクくグルリは、自分ジブンの力チカラの中ナカでは誠マコトであっても、広ヒロい世界セカイへ出ダすと間違マチガったことになってゐたのぢゃ、神カミのお示シメしが違チガったと申モウして其ソの神様カミサマを悪ワルく申モウすでないぞ、今イマの上カミに立タつ人ヒトも同様ドウヨウざぞ、心得ココロエなされよ。今度コンドは愈々イヨイヨ一致イッチ和合ワゴウして、大神様オオカミサマの仕組シクミ結構ケッコウが相アイ判ワカり来キて、大日月オオヒツクの神カミとなりなされて現アラはれなさるのぢゃ。判わかりたか、雨結構アメケッコウ、風結構カゼケッコウ、岩結構イワケッコウ、荒結構アレケッコウ、地震結構ジシンケッコウ。八月ハチガツ十四日ジュウヨッカ、ひつくのかミ。 |
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23_海の巻 |
第4帖
出デてきてから又マタ同オナじ様ヨウなこと繰クり返カエすぞ、今度コンドは魂タマ抜ヌけてゐるからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工サイクしか出来デキんぞ、それに迷マヨふでないぞ。神示フデが肚ハラに入ハイって血チになると、何ナニが起オコって来キても結構ケッコウであるが、始ハジメの内ウチは、ちょっとの事コトで迷マヨいの雲クモが出デて悪アクのとりことなって苦クルしむぞ、悪アクはないのであるが、無ナい悪アクを人民ジンミンの心ココロから生ウむのざぞ、悪アクのとりことなって苦クルしむが見ミへてゐるから、苦クも結構ケッコウなれどいらん苦クはいらんぞ、神示フデよく読ヨんで苦クを楽ラクとせよ、楽ラクは喜ヨロコびぞ、苦クのハタラキが楽ラクぞ、楽ラクは喜ヨロコびぞ、光ヒカリぞ、神カミ人ヒト共トモのまつりぞ、楽ラクで岩戸イワト開ヒラけるぞ、苦クルしんで開ヒラく岩戸イワトは誠マコトの岩戸イワトでないぞ。八月ハチガツ十四日ジュウヨッカ、ひつくのかミ。 |
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23_海の巻 |
第5帖
今日コンニチまでの御ミ教オシエは、悪アクを殺コロせば善ゼンばかり、輝カガヤく御代ミヨが来クると云イふ、これが悪魔アクマの御ミ教オシへぞ、この御ミ教オシエに人民ジンミンは、すっかりだまされ悪アク殺コロす、ことが正タダしきことなりと、信シンぜしことのおろかさよ、三千年サンゼンネンの昔ムカシから、幾千万イクセンマンの人々ヒトビトが、悪アクを殺コロして人類ジンルイの、平和ヘイワを求モトめ願ネガひしも、それははかなき水ミズの泡アワ、悪アク殺コロしても殺コロしても、焼ヤいても煮ニてもしゃぶっても、悪アクは益々マスマスふへるのみ、悪アク殺コロすてふ其ソのことが、悪アクそのものと知シらざるや、神カミの心ココロは弥栄イヤサカぞ、本来ホンライ悪アクも善ゼンもなし、只タダみ光ヒカリの栄サカゆのみ、八股ヤマタおろちも金毛キンモウも、ジャキも皆ミナそれ生イける神カミ、神カミの光ヒカリの生ウみしもの、悪アク抱イダきませ善ゼンも抱ダき、あななふ所トコロに御オ力チカラの、輝カガヤく時トキぞ来キたるなり、善ゼンいさかへば悪アクなるぞ、善悪ゼンアク不二フジと云イひながら、悪アクと善ゼンとを区別クベツして、導ミチビく教オシエぞ悪アクなるぞ、只タダ御ミ光ミヒカリの其ソの中ナカに、喜ヨロび迎ムカへ善ゼンもなく、悪アクもあらざる天国テンゴクぞ、皆ミナ一筋ヒトスジの大神オオカミの、働ハタラきなるぞ悪アクはなし、世界一家セカイイッカの大業オオワザは、地チの上ウばかりでなどかなる、三千世界サンゼンセカイ大和ダイワして、只タダ御ミ光ヒカリに生イきよかし、生ウマれ赤児アカゴとなりなりて、光ヒカリの神カミの説トき給タマふ、誠マコトの道ミチをすすめかし、マコトの道ミチに弥栄ヤサカませ。八月ハチガツ十五日ジュウゴニチ、 のひつ九クの カミ しるす。言答イワト明アけたる今日コンニチぞ目出度メデタし、二ツギの言答イワト早ハよう明アけてよ |
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23_海の巻 |
第6帖
いくら利巧リコウでも今迄イママデの人間心ニンゲンココロでは神カミの仕組シクミは分ワカらんぞ、帰カエるに帰カエれず、他ホカを探サガしても根本コンポンのマコトを伝ツタへる所トコロはなし、泣ナく泣ナくつらい思オモひせねばならんぞ、くどう気キつけてゐるのざぞ、慢心マンシン取違トリチガひの鼻高ハナタカさん、路頭ロトウに立タたねばならんぞ。一二四、結構ケッコウな日ヒに生ウマれたのぢゃ、この日ヒに生ウマれた仕事シゴトは皆ミナよくなるぞ、この神示フデよく読ヨんでくれたら何ナニを申モウさんでも、何ナニを聞キかんでも、よいことになるのであるぞ、戦イクサや天災テンサイでは人ヒトの心ココロは直ナオらんと申モウしてあろが、今迄イママデのどんなやり方カタでも人ヒトの心ココロは直ナオらんぞ、心得ココロエなされよ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
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23_海の巻 |
第7帖
今度コンドは先マづ心ココロの建直タテナオしぢゃ、どうしたら建直タテナオるかと云イふこと、この神示読フデヨんで覚サトりて下クダされよ、今度コンドは悪アクをのうにするのぢゃ、のうにするは善ゼンで抱ダき参マイらすことぢゃ、なくすることでないぞ、亡ホロぼすことでないぞ、このところが肝腎カンジンのところぢゃから、よく心ココロにしめて居オりて下クダされよ。この世ヨは一ヒトつの神カミで治オサめんことには治オサまらんぞ、 でくくるのぢゃぞ、人民ジンミンの力チカラだけでは治オサまらんのぢゃぞ、一ヒトつの教オシエとなってそれぞれの枝葉エダハが出デて来クるのぢゃ、今イマでは枝エダから根ネが出デて大切タイセツなミキがなくなって居オるのぢゃぞ、中ナカつ代ヨからの神カミでは何ナニも出来デキんと申モウしてあろがな、神カミと人ヒトと一ヒトつになって一ヒトつの王オオとなるのぢゃ、上下揃ジョウゲソロふて一ヒトつになるのぢゃ、善ゼンも悪アクもあななひて、一ヒトつの新アタラしき善ゼンとなるのぢゃ、王オオとなるのぢゃぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
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23_海の巻 |
第8帖
折角セッカク神カミが与アタえたおかげも今イマの人民ジンミンでは荷ニが重オモいから途中トチュウで倒タオれん様ヨウに神示フデを杖ツエとして下クダされよ、イキ切キれん様ヨウになされよ。一ヒトつでも半分ハンブンでも神カミの御用ゴヨウつとめたらつとめ徳トクざぞ、何ナンと申モウしても神程カミホドたよりになるものはないと判ワカらんのか、おかげ取トり徳トク。破ヤブれるは内ウチからぞ、外ソトからはビクとも致イタさんぞ。天テンでは月ツキの大神様オオカミサマ、ミ、ヤ、カ、ラ、ス、出デて来クるぞ、始末シマツよくして下クダされよ、始末シマツよく出来デキれば何事ナニゴトも楽ラクになって来クるぞ、火ヒのタキ方カタから水ミズの汲クみ方カタまで変カワるのであるぞ、大切タイセツなことであるぞ。うそはちっとも申モウされん、この神示通フデドオりに出デて来クるのぢゃ、先サキの先サキの先サキまで見通ミトオしつかん様ヨウな事コトでは、こんなタンカは切キれんのざぞ、おかげは其ソの心通ココロドオりに与アタへてあるでないか。下シタの神カミが上ウエの神カミの名ナをかたりて来クることあるぞ、それが見分ミワけられん様ヨウでは取違トリチガひとなるぞ、十人位ジュウニンクライは神示フデがそらで云イへる人ヒトをつくっておかねばならんぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒトクノカミ。 |
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23_海の巻 |
第9帖
マコトの改心カイシンは愈々イヨイヨとならねば出来デキんものぢゃが、出来デキんことも無理ムリもきかねば この峠トウゲ越コせんこともあるのざぞ。天テンも近チコうなるぞ、地チも近チコうなるぞ、田舎イナカに都ミヤコ、都ミヤコに田舎イナカが出来デキると申モウしてあろが、も少スコし人民ジンミンに判ワカりて来コんと、今イマびっくり箱バコをあけたら助タスかる人民ジンミン一分イチブもないぞ、早ハヨう知シらしてくれよ。神カミせけるなれど人民ジンミン中々ナカナカ云イふこと聞キかんから物事モノゴトおそくなるばかり、おそくなれば益々マスマス苦クルしむばかりぞ。色イロはにほへど散チるものぞ、世ヨの乱ミダれ神界シンカイのいろからであるぞ、気キつけておくぞ。日ヒの本モトの国クニを取トらうとしても何ナンとだましても、御先祖様ゴセンゾサマには何ナニも彼カも世ヨの元モトからの仕組シクミしてこの事コト判ワカってゐるのであるから、悪アクのやり方カタよ、早ハヨう善ゼンにまつろへよ、まつろへば悪アクも善ゼンの花咲ハナサくのぢゃぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ神示フデ。 |
| 502 |
23_海の巻 |
第10帖
この方カタ悪神アクシン、祟神タタリガミと人民ジンミンに云イはれてトコトン落オトされてゐた神カミであるぞ、云イはれるには云イはれるだけの事コトもあるのぢゃ、此コの方カタさへ改心カイシンいたしたのであるぞ、改心カイシンのおかげで此コの度タビの御用ゴヨウの立役者タテヤクシャとなったのぢゃぞ、誰ダレによらん改心致カイシンイタされよ。改心カイシンとはまつろふ事コトぞ、中行ナカイくことぞ、判ワカりたか。今度コンドは十人並ジュウニンナミのおかげ位クライでは誠マコトの信心シンジンとは申モウされんぞ、千人センニン万人マンニンのおかげを取トりて下クダされよ、千人力センニンリキ与アタへると申モウしてあろが、大事ダイジな御先祖様ゴセンゾサマの血統ケットウを皆ミナ世ヨに落オトして了シマふて無ナきものにして了シマふて、途中トチュウからの代ヨへ身魂ミタマを、渡ワタりて来キた身魂ミタマを、まぜこぜの世ヨと致イタして、今イマの有様アリサマは何事ナニゴトぞ、まだ判ワカらんのかなあ、人民ジンミンもぐれんぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
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23_海の巻 |
第11帖
だました岩戸イワトからはだました神カミが出デて、ウソの世ヨとなったのぢゃ、この道理ドウリ判ワカるであろう、ニセ神カミやら、だました神カミやら、次々ツギツギに五度ゴドの岩戸イワト閉シめと申モウしてあろが、タンバはタニハ、田庭タニハとは日ヒの本モトの国クニぞ、世界セカイの事コトぞ、タンバとはタンバイチとは世界セカイの中心チュウシンと云イふ事コトぞ、日ヒの本モトと云イふ事コトぞ、キミの国クニざぞ、扶桑フソウの国クニざぞ、地場ヂバざぞ、判ワカりたか。地場ヂバを固カタめなならんぞ、五十鈴イスズの川カワはムツの川カワ、和合ワゴウの川カワぞ。社殿ヤシロは八方ハッポウに開ヒラく時トキ来キたら八尋殿ヤヒロドノ建タてて下クダされよ、マコトの八尋殿ヤヒロドノ。何ナニも判ワカらん無茶苦茶者ムチャクチャモノが、偉エら相ソウな名ナの神カミがかりして、何ナニも知シらん人民ジンミンをたぶらかしてゐるが、今イマに尻尾シッポを出ダして来クるぞ、尻尾シッポつかまらん内ウチに改心カイシンして神カミの道ミチに従シタガって来コいよ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
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23_海の巻 |
第12帖
神カミは人民ジンミンには見ミへん、たよりないものであるが、たよりないのが、たよりになるのであるぞ。外国ガイコク行ユきとは幽界ガイコク行ユきの事コトぞ。時節来ジセツキて居オれど人民心ジンミンココロでせくでないぞ、せくとしくじるぞ。あちらに一人ヒトリ、こちらに一人ヒトリ、と云イふ風フうに残ノコる位クライむごい事コトにせなならん様ヨウになってゐるのざから、一人ヒトリでも多オオく助タスけたい親心オヤココロ汲クみとりて、早ハう云イふこと聞キくものぢゃ。ここ迄マデ神示フデ通ドオりに出デてゐても、まだ判ワカらんのか、疑ウタガふのにも余アマりであるぞ。地クニに高天原タカアマハラが出来デキるのざぞ、天アメの神カミ地クニに降オりなされ、地クニの神カミと御一体ゴイッタイと成ナりなされ大日月オオヒツクの神カミと現アラはれなさる日ヒとなった、結構ケッコウであるぞ、肉体ニクタイの事コトは何ナンとか分ワカるであろが、タマは判ワカるまい、永遠トワにタマは生イき通ドオしであるから、タマの因縁インネンの判ワカる所トコロは九九ココの二フでより他ホカにはいくらさがしてもないのざぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
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23_海の巻 |
第13帖
表オモテに出デて居イる神々様カミガミサマに和合ワゴウして貰モラふて世ヨの建替タテカエにかかりて下クダされよ、苦労クロウなしには何事ナニゴトも成就ジョウジュせんぞ、苦クを楽タノしめよ。此コの世ヨを乱ミダしたのは神界シンカイから、此コの世ヨ乱ミダした者モノが、此コの世ヨを直ナオさねばならんのざぞ、この道理ドウリ判ワカるであろがな、建直タテナオしの御用ゴヨウに使ツカふ身魂ミタマは此コの世ヨ乱ミダした神々様カミガミサマであるぞよ。秘密ヒミツは秘密ヒミツでないぞ、火水ヒミズであるぞ、明アキらかな光ヒカリであるぞ、火水ヒミズのマコトを悪神アクシンにたぶらかされて判ワカらなくなったから、秘密ヒミツとなったのであるぞ、秘密ヒミツは必カナラず現アラはれて来クるぞ。あと七ナナつの集団まどゐが出来デキるぞ、一ハジメには のしるしつけよ、この世ヨ一切イッサイのことを建替タテカへるのぢゃ、神カミの道ミチも変カへるぞ、心ココロのおき所トコロも変カへるぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 506 |
23_海の巻 |
第14帖
何ナニも分ワカらん枝葉エダハの神カミに使ツカはれてゐると気キの毒ドク出来デキるぞ、早ハヨう其ソの神カミと共トモに此処ココへ参マイりて、マコトの言コトを聞キいて誠マコトに早ハヨう立タち返カエりて下クダされよ、〇九十マコトとは〇レイ一ヒ二フ三ミ四ヨ五イ六ム七ナ八ヤ九コ十トであるぞ、一ヒ二フ三ミ四ヨ五イ六ム七ナ八ヤかくれてゐるのざぞ。縁エンあればこそ、そなた達タチを引寄ヒキヨせたのぢゃ、此コの度タビの二度ニドトとない大手柄オオテガラの差添サシソへとなって下クダされよ、なれる因縁インネンの尊トウトい因縁インネンをこわすでないぞ。見ミて見ミよれ、真只中マッタダナカになりたら学ガクでも智チでも金キンでもどうにもならん見当取ミアトれん事コトになるのぢゃ、今イマは神カミを見下ミサげて人民ジンミンが上カミになってゐるが、さうなってから神カミに助タスけてくれと申モウしても、時トキが過スぎてゐるから時トキの神様カミサマがお許ユルしなさらんぞ、マコトになってゐれば何事ナニゴトもすらりすらりぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 507 |
23_海の巻 |
第15帖
学ガクや智チや金キンがチラチラ出デる様ヨウでは、マコトが磨ミガけては居オらんのぢゃ、今イマの法律ホウリツでも、教育キョウイクでも、兵隊ヘイタイでも、宗教シュウキョウでも、この世ヨは建直タテナオらんぞ、新アタラしき光ヒカリが生ウマれて世ヨを救スクふのぢゃ、新アタラしき光ヒカリとはこの神示フデぢゃ、この神カミぢゃ。七ナナつの花ハナが八ヤッつに咲サくぞ、此コの神示フデ八通ハチトオりに読ヨめるのぢゃ、七通ナナトオりまでは今イマの人民ジンミンでも何ナンとか判ワカるなれど八通ハチトオり目メは中々ナカナカぞ。一厘イチリンが、かくしてあるのぢゃ、かくしたものは現アラはれるのぢゃ、現アラはれてゐるのぢゃ。何ナンでもない事コトが中々ナカナカのことぢゃ、判ワカりたか。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 508 |
23_海の巻 |
第16帖
今イマはなれた人民ジンミン、此処ココがよくなったと云イふて帰カエる事コトははづかしい事コトになって、帰カエっても変ヘンなことになるぞ、今イマの内ウチに早ハヨう立タち返カエって御用ゴヨウ結構ケッコウぞ。世界セカイに、人民ジンミンに判ワカらんめづらしき事コトを出ダすぞ、皆ミナこの神カミの仕組シクミであるから、変カワりたこと、判ワカらん事コトが愈々イヨイヨとなったら、神代カミヨ近チカづいたのであるぞ。役員ヤクインには神示フデの肚ハラに入ハイった者モノがなるのざぞ、役員ヤクインの御魂ミタマは沢山タクサンあれど、神示読フデヨまねば役員ヤクインにはなれないのざぞ、なればスコタンばかり、長ナガらく世ヨに落オちて居イタた神人神々様カミビトカミガミサマを世ヨにお上アげせねば世ヨはよくならんのざぞ、軽カルく見ミるから神示フデ分ワカらんのぢゃ、人ヒトも軽カルく見ミてはならんぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 509 |
23_海の巻 |
第17帖
天地テンチひっくり返カエると云イふことはミタマがひっくり返カエると云イふことぞ。神示読フデヨみて聞キかせよ、目メも鼻ハナも開アけておられん事コトが、建替タテカへの真最中マッサイチュウになると出デて来クるぞ、信仰シンコウの人ヒトと、無信仰ムシンコウの人ヒトと、愈々イヨイヨ立分タテワけの時トキぢゃぞ、マコト一ヒトつで生神イキガミに仕ツカへ奉マツれよ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、ひつ九 クノカミ。 |
| 510 |
23_海の巻 |
第18帖
人民ジンミンの我ガでは通トオらん時トキとなった位クライ判ワカって居オらうがな、早ハよ我ガ捨スててこの方カタについて参マイれよ、素直スナオにいたせば楽ラクに行ユけるのざぞ、大峠ダイトウゲ越コせるのざぞ、時節ジセツの仕組シクミ中々ナカナカ人民ジンミンには判ワカるまいがな、悪アク抱ダき参マイらす為タメには我ワが子コにまで天アメのトガをおはせ、善ゼンの地クニの先祖センゾまで押オし込コめねば一応イチオウ抱ダく事コト出来デキんのであるぞ、ここの秘密ヒミツ知シるものは天アメの御先祖様ゴセンゾサマと地クニの御先祖様ゴセンゾサマより他ホカには無ナいのであるぞ。我ワレが我ワレがと早ハヨう出世シュッセしたい様ヨウでは、心ココロ変カへんと人民ジンミンは御用ゴヨウ六ムツヶ敷シいぞ。神カミに分ワけへだてなし、へだては人民ジンミンの心ココロにあるぞ。此コの道ミチは因縁インネンなくしては判ワカらん六ムツヶ敷シい道ミチであれど、此コの道ミチつらぬかねば、世界セカイは一平ヒトヒラにならんのぢゃ、縁エンある人ヒトは勇イサんで行イけるのぢゃ、神カミが守マモるからおかげ万倍マンバイぢゃ、神カミの帖面チョウメン間違マチガひないぞ、思オモふ様ヨウにならぬのは、ならぬ時トキは我ワレの心ココロに聞キいて見ミるがよいぞ、神カミの仕組シクミは変カワらねど、此コの世ヨでは、人民ジンミンの心ココロ次第シダイで良ヨくも悪ワルくも出デて来クるのぢゃ、仕事シゴトは変カワらねど出デて来クるのが変カワるのざ、悪ワルく変カワると気キの毒ドクなからくどう申モウしてゐるのぢゃぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、一二 ヒツクノカミ。 |
| 511 |
23_海の巻 |
第19帖
三三ミミに一二三ヒフミ聞キかするぞ、愈々イヨイヨ身実ミミに聞キかす時トキざぞ。それぞれ人ヒトに応オウじて時トキによって、口クチから耳ミミに肚ハラから肚ハラに知シらしてくれよ、あなさやけ、あなすがすがし、言答イワト開アけたり、二十三巻ニジュウサンカンで此コの方カタの神示フデの終オワり、終オワりの終オワりぞ、後アトの七巻ナナカンは他ホカから出ダしてあるのざぞ、いづれ判ワカりて来クるぞ、合アワせて三十サンジュウの巻マキ、それが一ヒトつの節フシざぞ、天明テンメイ御身ミミに聞キかすぞ、よきにはからへ、この行ギョウ中々ナカナカぞ。八月ハチガツ二十三日ニジュウサンニチ、ひつ九-クの カミ神示フデこれまで。 |
| 512 |
24_黄金の巻 |
第1帖
元モトの元モトの元モトの神カミは何ナニも彼カも終オワってゐるのであるぞ。終オワリなく始ハジメなく弥栄イヤサカえてゐるのぞ。友トモつくれよ、友トモつくることは己オノレつくることぞ。広ヒロめることぞ。己オノレを友トモの心ココロの中ナカに入イれることぞ。皆ミナわれの目的モクテキたてに来キてゐるぞ。それでは思惑オモワクたたんぞ。御光ミヒカリが愛アイぞ。真マぞ。愛アイはマぞ。真マは言コトぞ。これを誠マコトと云イうぞ。誠マコトは生イきてゐるぞ。三千世界サンゼンセカイの生命イノチぞ。和ワつくれ。和ワはむすびぞ。何ナニも彼カも生ウれるぞ。いきするぞ。自分ジブンで勝手カッテにしておいて親神オヤカミを怨ウラんでゐるぞ。この巻マキから人民ジンミンの道ミチしるべであるぞ。近チカいことから知シらすぞ。この神示フデ出デたら、すぐ血チとしておいて下クダされよ。そなたの為タメであるぞ。そなたの為タメは人ヒトの為タメ、世ヨの為タメ、三千世界サンゼンセカイの為タメであるぞ。この巻マキ黄金コガネの巻マキ。心ココロの眼メひらけよ。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。ひつ九クのか三ミ |
| 513 |
24_黄金の巻 |
第2帖
日本ニホンが日本ニホンがと、まだ小チイさい島国シマグニ日本ニホンに捉トラはれてゐるぞ。世界セカイの日本ニホンと口クチで申モウしてゐるが、生イきかへるもの八分ハチブぞ。八分ハチブの中ナカの八分ハチブは又マタ生イきかへるぞ。生イきかへっても日本ニホンに捉トラはれるぞ。おはりの仕組シクミはみのおはり。骨ホネなし日本ニホンを、まだ日本ニホンと思オモうて目メさめん。九十九十コトコトと申モウしてカラスになってゐるぞ。古フルいことばかり守マモってゐるぞ。古フルいことが新アタラしいことと思オモうてゐるなれど、新アタラしいことが古フルいのであるぞ。取違トリチガひいたすなよ。神カミは生命セイメイぞ。秩序チツジョぞ。秩序チツジョは法則ホウソクぞ。為ナせよ。行ギョウぜよ。考カンガえよ。考カンガへたらよいのぢゃ。為ナすには先マづ求モトめよ。神カミを求モトめよ。己オノレに求モトめよ。求モトめて、理解リカイした後アト為ナせ。為ナして顧カエリみよ。神カミのいのち其処ソコに弥栄イヤサカえるぞ。今迄イママデの日本ニホンの宗教シュウキョウは日本ニホンだけの宗教シュウキョウ、このたびは世界セカイのもとの、三千世界サンゼンセカイの大道オオミチぞ。教オシエでないぞ。八分ハチブの二分ニブはマコトの日本人ニホンジンぢゃ。日本人ニホンジンとは世界セカイの民タミのことぢゃ。一度イチド日本ニホンすてよ。日本ニホンがつかめるぞ。日本ニホンつかむことは三千世界サンゼンセカイをつかむことぞ。悪アクの大将タイショウも、そのことよく知シってゐて、天地テンチデングリ返カエるのぢゃ。物モノの食タべ方カタに気キつけよ。皆ミナの者モノ、物モノばかり食タべて御座ゴザるぞ。二分ニブの人民ジンミン、結構ケッコウに生イきて下クダされよ。喜ヨロコび神カミぞ。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。ひつ九クのか三ミ |
| 514 |
24_黄金の巻 |
第3帖
神カミは神カミの中ナカに、宇宙ウチュウを生ウみ給タモうたのであるぞ。善ゼンの祈イノりには善ゼン、悪アクの祈イノりには悪アク、祈イノりの通トオりに何ナニも彼カも出デて来クること、まだ判ワカらんか。時節ジセツには時節ジセツのことと申モウしてあらう。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。ひつ九クのか三ミ |
| 515 |
24_黄金の巻 |
第4帖
これだけに、世界セカイにアラ事コトをさして見ミせて、神示フデ通ドオりに出デて来キても、まだ目醒メザめんのか。まだまだ改心カイシン中々ナカナカぢゃなあ。悔クい改アラタめよ。顧カエリみよ。恥ハぢ畏オソれよ。慎ツツシめよ。その日ヒその時トキからよくなるぞ。人間ニンゲンには神カミは知シれんものぞ。神カミのはたらきのみ、やっと知シれるぞ。神カミの能ハタラきは千変万化センペンバンカ、能ハタラき見ミて神カミそのものと思オモふは人間心ニンゲンココロ。この神示フデ、針ハリの穴アナ程ホドも違チガはん。書カかしたことそのまま出デて来クるぞ。神カミは人ヒトとなりたいのぢゃ。人ヒトは神カミとなりたいのぢゃ。霊レイは形カタを形カタは霊レイを求モトめて御座ゴザるのぢゃ。人ヒトは神カミのいれもの、神カミは人ヒトのいのち。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。ひつ九クのか三ミ |
| 516 |
24_黄金の巻 |
第5帖
ものうむ始ハジめ女オミナ。目的モクテキたてるとスコタン。種タネから生ウえたものは渋柿シブガキぢゃ。接木ツギキせねば甘柿アマガキとはならんぞ。己オノレのためすることは人ヒトのためにすることぞ。思オモいは力チカラ、実在ジツザイぞ。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。ひつ九クのか三ミ |
| 517 |
24_黄金の巻 |
第6帖
天地テンチまぜまぜになったら、まだまだなるのである。彼カれ是コれ、何ナニが何ナンだか判ワカらんことになると申モウしてあらうが。早ハヨう神示フデ肚ハラに入イれておけよ。己オノレに逆サカラふは神カミに逆サカラふものぞ。己オノレ拝オロガむは神カミ拝オロガむもの。キリキリ舞マイ、目メの前マエ。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。ひつ九クのか三ミ |
| 518 |
24_黄金の巻 |
第7帖
今イマはまだなるやうにして居オりて下クダされよ。悪ワルいこと通トオして善ヨくなる仕組シクミ、よく心得ココロエよ。神体シンタイや神殿シンデンが神カミではないぞ。神カミでもあるぞ。取違トリチガひ禁物キンモツ。鼻高ハナタカには困コマる困コマる。他ホカの教会キョウカイは病ヤマイ治ナオして一人ヒトリでも信者シンジャ多オオくつくって立派リッパに教会キョウカイをつくればそれでよいやうにしてゐるが、この道ミチはそんな所トコロでまごまごさしてはおかれんぞ。高タカく光ヒカるぞ。遠トオくから拝オロガむやうになるぞ。一切イッサイの未来ミライも一切イッサイの過去カコも、総スベてが現在ゲンザイぞ。中今ナカイマぞ。このこと判ワカるが善ゼンぢゃ。神カミは総スベてを知シっているのぞ。現在ゲンザイは永遠エイエンぞ。何処ドコからともなく感カンじて来クるもの尊トウトべよ。取トり次ツぎ、信者シンジャより曇クモりひどい。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。 |
| 519 |
24_黄金の巻 |
第8帖
外ソトにあるもの内ウチにあるぞ。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。 |
| 520 |
24_黄金の巻 |
第9帖
この神示フデに縁エンあるものには、天使テンシの働ハタラき位クライのこと、すぐに判ワカるミタマ授サズけあるのに、今イマの姿スガタは何事ナニゴトぞ。ボタン押オせよ。燈台トウダイもとへ来キて、明アカるうなると思オモひ違チガひ、もとへ来キてあかりとなれよ。光ヒカリとなれよ。十一月ジュウイチガツ十七日ジュウシチニチ。 |
| 521 |
24_黄金の巻 |
第10帖
もう化バけては居オられん。化バけの世ヨはすんだのであるから、人民ジンミンウソしてはならんぞ。嘘ウソ見分ミワける鏡カガミ与アタへてあるぞ。早ハヨう改心カイシンなされ。仏ホトケの取トり次ツぎ、キリストの取トり次ツぎ、天理テンリ、金光コンゴウ、大本オオモトの取トり次ツぎさん、早ハヨう改心カイシン結構ケッコウぞ。アラーの取トり次ツぎさん、道教ドウキョウも同様ドウヨウぞ。人間ニンゲンはいつも創ツクられつつあるものぞ。これでよいと云イふことはないぞ。ゴッドも仏ホトケも神カミも皆ミナその通トオりざぞ。世ヨの中ナカも、大千世界ダイセンセカイも亦マタ同様ドウヨウぞ、つくられつつあるのぞ。愛アイと云イひ真シンと云イふも皆ミナ方便ホウベンぞ。何イズれも誠マコトの現アラわれであるぞ。はうべんの世ヨはすみてハウベンの世ヨとなるぞ。そのハウベンの世ヨすみて誠マコトの世ヨとなるのぢゃ。善悪ゼンアクなき世ヨとなるのぢゃ。判ワカりたか。かのととりの日ヒ。一二十ヒツキノカミ |
| 522 |
24_黄金の巻 |
第11帖
今度コンドのイワトびらき、神カミと人ヒトとの九十コト運動ウンドウぞ。建替タテカエの守護シュゴが大切タイセツぞ。先マづ一筋ヒトスジの天地アメツチの道ミチから変カへるのぢゃ。次ツギに人ヒトの道ミチつくるのぢゃ。経タテと緯ヨコであるぞ。人ヒトの道ミチと天地アメツチの道ミチと間違マチガへてゐるぞ。人ヒトの道ミチは花ハナ色々イロイロと咲サき乱ミダれ、織オり交マぜて、楽タノし楽タノしのそれぞれであるぞ。自分ジブンで自分ジブンのことしてゐるのであるが、又マタさせられてゐるのであるぞ。大オオき自分ジブンに融トけ入イったとて小チイさい自分ジブン無ナくなって了シマふのでないぞ。神人カミヒトぞ。天地アマツチぞと申モウしてあらうが。善ゼンもかりぞ。悪アクもかりぞ。よく心得ココロエなされよ。かのととりの日ヒ。一二十ヒツキノカミ |
| 523 |
24_黄金の巻 |
第12帖
守護神シュゴシン守護神シュゴシンと申モウしてゐるが、魂タマの守護神シュゴシンは肉ニクぞ。肉ニクの守護神シュゴシンは魂タマぞ。くるくる廻マワって又マタ始ハジめからぢゃ。前マエの始-ハジメと始ハジメが違チガふぞ。皆ミナ相談ソウダンし合アってよきに弥栄イヤサカえるぞ。為ナさねば後悔ソウカイぞ。始ハジめからの神示読フデヨめば判ワカるやうに示シメしてあるでないか。神示読フデヨまんから迷マヨふのぞ。神カミは人民ジンミンの気キ引ヒくぞ。神示読フデヨめよ。神示フデ出デるぞ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 524 |
24_黄金の巻 |
第13帖
神示フデはちっとも違チガはん。違チガふと思オモふことあったら己オノレの心ココロ顧カエリみよ。その心ココロ曇クモってゐるのであるぞ。めぐりあるだけ神カミがうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神カミが有難アリガタいのぢゃ。人間ニンゲン無ナくて神カミばかりでは、この世ヨのことは出来デキはせんぞ。神カミが人間ニンゲンになって働ウゴくのぞ。判ワカりたか。新アタラしき神国カミクニが生ウマれるまでめぐりばかりがうようよと、昔ムカシのしたことばかり恋コイしがってゐるが、そんなこと何時イツまでもつづかんぞ。三年サンネンの苦クルしみ、五年ゴネンもがき、七年シチネンでやっと気キのつく人民ジンミン多オオいぞ。皆ミナ仲ナカよう相談ソウダンし合アって力合チカラアワせて進ススめ進ススめ。弥栄イヤサカえるぞ。二フタつに分ワカれるぞ。三ミッつに分ワカれるぞ。分ワカれて元モトに納オサまる仕組シクミ。結構ケッコウ結構ケッコウ。理解リカイ大切タイセツ。理解リカイ結構ケッコウ。思考シコウしなければこれからは何ナニも出来デキんぞ。拝オロガみ合アふことは理解リカイし合アふことぞ。手テ合アワせて拝オロガむばかりでは何ナニも判ワカりはせんぞ。何故ナゼに、心ココロの手テ合アワせんのぢゃ。心ココロの手テとは左ヒダリ行ユく心ココロの手テと右ミギ行ユく心ココロの手テと和ワすことぢゃ。サトルことぢゃ。苦クルしんで苦クルしんで苦クルしみぬいて得エたことは楽ラクに得エたことぢゃ。その楽ラクに得エたことのみ自分ジンブンの身ミにつくのぢゃ。血チぢゃ。肉ニクぢゃ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 525 |
24_黄金の巻 |
第14帖
しるしは と申モウしてあらう、 なかなかぢゃなあ。為ナせ、為ナせ、為ナせば成ナる時トキぞ。為ナさねば後悔コウカイぞ。元モトたてよ。かのととり。一ヒつ九クノ十カミ |
| 526 |
24_黄金の巻 |
第15帖
人ヒトから見ミてあれならばと云イふやうになれば、この方カタの光ヒカリ出イズるぢゃ。行オコナイ出来デキねばお出デ直ナオし、お出デ直ナオし多オオいなあ。独断ドクダン役ヤクには立タたんぞ。イワトびらきの九分九クブク厘リンでひっくり返カエり、又マタ九分九クブク厘リンでひっくり返カエる。天明テンメイ九十キュウジュウ六才ロクサイ七ナナヵ月ゲツ、ひらく。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 527 |
24_黄金の巻 |
第16帖
羹アツモノに懲コりて鱠ナマス吹フいて御座ゴザる人民ジンミンよ。慾ヨクすてると判ワカって来クるぞ。まことの慾深ヨクフカになれよ。イロハの勉強ベンキョウとは、日々ヒビの生活セイカツを神示フデに合アワすことぞ。この中ナカから神示通フデドオりのカタ出ダせよ。出ダさねばならんぞ。判ワカった人程ヒトホド、口静クチシズかになるぞ。天狗テングが出デて来キて三日天下ミッカテンカ、それも御役オヤク、御役オヤク御苦労ゴクロウぢゃなあ。良ヨけりゃ立タち寄ヨり、悪ワルくなれば立タち去サるやうな人民ジンミン、早ハヨう退ノいて見物ケンブツして御座ゴザれよ。いつも日和見ヒヨリミしてゐると気キの毒ドク出来デキるぞ。神カミに使ツカはれるのは一通ヒトトオりや二通フタトオりの苦労クロウでは出来デキん。宗教シュウキョウによるもののみ天国テンゴクに行イくと考カンガへるもの、自分ジブンの教会キョウカイのみ天国テンゴクに通ツウずると思オモふもの、皆ミナ悪アクの眷族ケンゾクばかり。迷マヨふなよ。迷マヨふは慾ヨクからぢゃ。体験タイケンと理解リカイのみ財産ザイサンぞ。神示フデ肚ハラに入ハイったら、それでもうよいぞ。去サりて花咲ハナサかせ。肚ハラに入ハイるまでは去サってはならん。確タシか心得ココロエよ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 528 |
24_黄金の巻 |
第17帖
神カミ、拝ハイしても筋スジ違チガふと水ミズの泡アワぞ。まだ迷マヨうてゐるが、それでは仕組シクミ成就ジョウジュせんぞ。褌フンドシしめて一本道イッポンミチの真心結構マゴコロケッコウ。金キンがよければ金キン拝オロガめ。人ヒトがよければ人ヒト拝オロガめよ。神カミがよければ神カミ拝オロガめ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 529 |
24_黄金の巻 |
第18帖
祈イノれば祈イノる程ホド悪ワルうなることあるぞ。結構ケッコウな道ミチと判ワカらんか。心ココロして迷マヨふでないぞ。天国テンゴクの門モン、貧者ヒンジャ富者フシャの別ベツないぞ。別ベツある境界キョウカイつくるでないぞ。世界中セカイジュウ一度イチドにゆすぶると申モウしてあらう。釦ボタン一ヒトつででんぐり返カエると申モウしてあること、未マだ判ワカらんのか。神罰シンバツはなし。道ミチは一ヒトつ二フタつと思オモふなよ、無数ムスウであるぞ。-但タダし内容ナイヨウは一ヒトつぞ。 -
新アタラしき道ミチ拓ヒラいてあるに、何故ナゼ進ススまんのぢゃ。下腹シタバラからの怒イカリは怒オコれ。胸ムネからの怒イカリは怒オコるなよ。昔ケカシから無ナいことするのであるから、取違トリチガひもっともであるなれど、分ワけるミタマ授サズけあるぞ。高タカい天狗テングの鼻ハナまげて自分ジブンの香カオリ嗅カいで見ミるがよいぞ。鼻ハナもちならんぞ。今迄イママデのこと ちっとも交マジワらん新アタラしき世ヨになるのであるから、守護神殿シュゴシンドノにも、判ワカらんことするのであるから、世界セカイの民タミみな一度イチドに改心カイシンするやうに、どん詰ツマりには致イタすのであるなれど、それ迄マデに一人ヒトリでも多オオく、一時ヒトトキも早ハヤく、改心カイシンさしたいのぢゃ。気キゆるめたら肉体ニクタイゆるむぞ。後戻アトモドりばかりぢゃ。霊人レイジンと語カタるのは危アブないぞ。気キつけくれよ。人ヒトは人ヒトと語カタれよ。かのととりの日ヒ。一二十ヒツキノカミ |
| 530 |
24_黄金の巻 |
第19帖
己オノレの行ギョウ出来デキて居オらんと、人ヒトの悪口ワルグチ云イはなならんことになるぞ。己オノレの心ココロ日々夜々ヒビヨヨ改アラタめねばならん。心ココロとは身ミと心ココロのことぞ。元モトの活神イキガミが直接チョクセツの、直々ジキジキの守護シュゴを致イタす時トキ来キたぞ。気キつけおくぞ。国々クニグニ、所々トコロドコロ、村々ムラムラ、家々イエイエ、皆ミナ何ナンなりとしてめぐりだけの借銭シャクセン済スマし致イタしくれよ。大峠ダイトウゲぞ。早合点ハヤガテンするなよ。小チイさい容イれもの間マに合アはん。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 531 |
24_黄金の巻 |
第20帖
動ウゴかんふじの仕組シクミのなるとの仕組シクミ。ことたま、かずたま、ひふみ、いろたま、いろは。かのととり。ひつ九十クノカミ |
| 532 |
24_黄金の巻 |
第21帖
言コトはれる間マはよいぞ。読ヨまれる間マはよいぞ。綱アミ切キれたら沖オキの舟フネ、神カミ信シンじつつ迷信メイシンに落オちて御座ゴザるぞ。日本ニホンの国クニのミタマ曇クモってゐることひどいぞ。外国ガイコク、同様ドウヨウながら筋スジ通トオってゐるぞ。型カタにはめると動ウゴきないことになるぞ。型カタ外ハズせと申モウしてあらうが。自分ジブンで自分ジブンを監視カンシせよ。顕斎ケンサイのみでも迷信メイシン、幽斎ユウサイのみでも迷信メイシン、二フタつ行オコナっても迷信メイシンぞ。二フタつ融トけ合アって生ウマれた一ヒトつの正斎セイサイを中ナカとして顕幽ケンユウ、両斎リョウサイを外ソトとしてまつるのが大祭オオマツりであるぞ。荒アレ、和ワ、幸サキ、奇キ、ミタマ統スべるのが直日ナオビのみたま。みすまるのたまぞ。今度コンドは直日ナオビのみでなくてはならん。直日ナオビ弥栄イヤサカえて直日月ナオヒツク の能ハタラキとなるのぞ。食物タベモノ気キつけよ。信仰シンコウは感情カンジョウぞ。飢ウえた人ヒトには食物タベモノ。神カミよ勝カて。人間ニンゲン勝カってはならんぞ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 533 |
24_黄金の巻 |
第22帖
神カミまつれ、祖先ソセンまつれ、子孫シソンまつれ、心ココロまつれ、言葉コトバまつれ、行ギョウまつれ、食物タベモノまつれ、着キるものまつれ、住居ジュウキョまつれ、土地トチまつれ、感謝カンシャ感謝カンシャで喜ヨロコび来クるぞ。奇跡キセキでは改心カイシン出来デキんのであるぞ。かのととりの日ヒ。ひつ九十クノカミ |
| 534 |
24_黄金の巻 |
第23帖
この神示フデ読ヨむとミタマ磨ミガけるぞ、ミガケルぞ。神示フデ読ヨむと改心カイシン出来デキるぞ。暮クラし向ムきも無理ムリなく結構ケッコウにヤサカ、弥栄イヤサカえるぞ。まだ判ワカらんのか。苦クルしいのは神示フデ読ヨまんからぢゃ。金キンの世ヨすみて、キンの世ヨ来クるぞ。三年目サンネンメ、五年目ゴネンメ、七年目シチネンメぢゃ、心得ココロエなされよ。欲ホしいもの欲ホしい時トキ食タべよ。低ヒクうなるから流ナガれて来クるのぢゃ。高タコうなって天狗テングではならん道理ドウリ。頭アタマ下サげると流ナガれ来クるぞ。喜ヨロコび、愛アイから来クるぞ。神様カミサマも神様カミサマを拝オロガみ、神カミの道ミチを聞ヒラくのであるぞ。それは と と とによって自分ジブンのものとなるのぢゃ。融トけるのぢゃ。一ヒトつ境サカイがあるぞ。世界セカイの人民じんみん一人ヒトリ一柱ヒトハシラ守マモりの神カミつけてあるぞ。人ヒトに説トくには人ヒトがいるぞ。役員ヤクイン取違トリチガひしてゐるぞ。われよし信仰シンコウだからぞ。あまり大オオき過スぎるから判ワカらんのも道理ドウリながら、判ワカらんでは済スまん時トキ来キてゐるぞ。いざと云イふ時トキは日頃ヒゴロの真心マゴコロもの云イふぞ。付ツけ焼刃ヤキバは付ツけ焼刃ヤキバ。神カミ拝オロガむとは、頭アタマばかり下サげることでないぞ。内ウチの生活セイカツすることぞ。内外共ウチソトトモでなくてはならん。残ノコる一厘イチリンは悪アクの中ナカに隠カクしてあるぞ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 535 |
24_黄金の巻 |
第24帖
口クチで知シらすこと判ワカる人ヒトには、判ワカるぞ。大切タイセツなことはミミに聞キかしてあるぞ。天狗テングざから、軽カルく見ミるから分ワカらんのざぞ。神示フデはいらんのぢゃ、ふではカスぢゃぞ。皆ミナ テンを見失ミウシナってゐるぞ。 テンあるのが判ワカるまい。云イふてならん。仕組シクミは出来上デキアがらんと、人民ジンミンには判ワカらん。仕上シアげ見ミて下クダされ。立派リッパぢゃなあ。心ココロで悟サトりて下クダされよ。云イふだけで聞キけば実地ジッチに出ダさんでもよいのぢゃ。実地ジッチには出ダしたくないのぢゃ。この道理ドウリ、よく悟サトりて呉クれよ。実地ジッチに出ダしては人民ジンミン可哀カワイさうなから、こらへこらへてくどう申モウしてゐる内ウチに、早ハヨうさとりて下クダされよ。かのととりの日ヒ。一二十ヒツキノカミ |
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24_黄金の巻 |
第25帖
こんなになったのも この方等カタラが我ガが強過ツヨスぎたからであるぞ。我ガ出ダすなと申モウしてあろう。この度タビのイワト開ヒラきに使ツカふ身魂ミタマは、我ガの強ツヨい者モノばかりが、めぐりだけのこと償ツグナって、償マドふことぞ。天地アメツチかもう神カミでも我ガ出ダせんことであるぞ。神々様カミガミサマも懺悔ザンゲして御座ゴザるぞ。まして人民ジンミン。てん メかいしんまだまだのまだであるぞ。かのととりの日ヒ。一二十ヒツキノカミ |
| 537 |
24_黄金の巻 |
第26帖
与アタへてあるのに何故ナゼ手テ出ダさぬ。よりよき教オシエに変カワるのは宗祖シュウソのよろこぶこと位クライ判ワカるであらう。うまいこと申モウして人ヒト集アツめると、うまいこと申モウして人ヒトが去サるのであるぞ。二四ニシと一ケ四ヒガシに宮ミヤ建タてよ。建タてる時トキ近チカづいたぞ。間マに合アふ守護神シュゴシン九分通クブドオり悪アクになってゐるぞ。経タテには差別サベツあるぞ。緯ヨコは無差別ムサベツぞ。この道理ドウリ判ワカらねば一列イチレツ一平ヒトヒラとならん。金カネ欲ホしい者モノには金カネもうけさしてやれよ。欲ホしいもの与アタへてやれよ。人間心ニンゲンココロ、神心カミココロ、逆様サカサマぢゃ。与アタへることは戴イタダくこと。まだ判ワカらんか。皆ミナ何ナニも天国テンゴクに行ユくやうになってゐるではないか。この世ヨでも天国テンゴク、あの世ヨでも天国テンゴク、目出度メデタいなあ。地獄ジゴク説トく宗教シュウキョウは亡ホロびるぞ。地獄ジゴクと思オモふもの、地獄ジゴクつくって地獄ジゴクに住スむぞ。地獄ジゴクはげしくなるぞ。人間ニンゲンの力チカラだけでは、これからは何ナニも出来デキん。アカの世ヨからキの世ヨになるぞ。世ヨは、七度ナナドの大変オオカワりと知シらしてあらう。二ツギの世ヨはキの世ヨ。口クチ静シズかせよ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 538 |
24_黄金の巻 |
第27帖
何故ナゼ、喜ヨロコび受ウけぬのぢゃ。宗教シュウキョウは無ナくなって了シマふぞ。誠マコト光ヒカるのぢゃ。光ヒカリのマコトの宗教シュウキョウ生ウマれるのぢゃ。その時トキは宗教シュウキョウでないぞ。心得ココロエなされよ。かしはでとカシハデと二フタつあるぞ。拍手カシハデはちかひとチカヒのしるし。手テ摺スるのは願ネガひのしるし。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 539 |
24_黄金の巻 |
第28帖
外ソトが悪ワルくて中ナカがよいといふことないのぢゃ。外ソトも中ナカも同オナじ性サガもってゐるのぢゃ。時節ジセツ来キてゐるから、このままにしておいても出来デキるが、それでは人民ジンミン可哀カワイさうなから、くどう申モウしてゐるのぢゃ。三千年サンゼンネン花咲ハナサくぞ。結構ケッコウな花ハナ、三年サンネン、その後アト三年サンネンであるぞ。二ツギの三年サンネンめでたやなあ めでたやなあ、ヒカリのふで裏迄ウラマデ読ヨんで見ミなされ、よく解ワカってビシビシその通トオりになっておろうがな。このほう念ネンじてやれよ。この火ホウこの水ホウぞ。この火ホウばかりと思オモふなよ。火と水ヒトミざぞ。善ヨき火ホーに廻マワしてやるぞ、良ヨき水ホーの御用ゴヨウも回マワしてやるぞ。しくじりも人間ニンゲンにはあるぞ。しくじったらやり直ナオせよ。しくじりは火と水ヒトミの違チガひぞ。このことよく心得ココロエてなされよ。しくじり、しくじりでなくなるぞ。何ナニも思案投首シアンナゲクビ一番イチバン罪深ツミブカい。皆ミナそれぞれに喜ヨロコび与アタへられてゐるでないか。何ナニ不足フソク申モウすのざ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
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24_黄金の巻 |
第29帖
二二フジの盗ヌスみ合アひ、世ヨの乱ミダれ。心ココロして怪アヤしと思オモふことは、たとへ神カミの言葉コトバと申モウしても一応イチオウは考カンガへよ。神カミの言葉コトバでも裏表ウラオモテの見境ミサカイなく唯タダに信シンじてはならん。サニワせよ。薬クスリ、毒ドクとなることあると申モウしてあらうが。馬鹿正直バカショウジキ、まことの道ミチ見失ミウシナふことあると申モウしてあらうが。道ミチは易ヤスし、楽タノし。楽タノしないのは道ミチではないぞ、奉仕ホウシではないぞ。世界セカイに呼ヨびかける前マエに日本ニホンに呼ヨびかけよ。目メ醒サまさねばならんのぢゃ。それが順序ジュンジョと申モウすもの。神示フデで知シらしてあらうが。ここは種タネつくるところ、種タネは人民ジンミンでつくれんぞ。神カミの申モウすやう、神カミの息イキ戴イタダいて下クダされよ。天アメの道ミチ、地クチの道ミチ、天地アメツチの道ミチあるぞ。人ヒトの道ミチあるぞ。何ナニも彼カも道ミチあるぞ。道ミチに外ハズれたもの外道ゲドウぢゃぞ。前マエは一筋ヒトスジぞ。二筋フタスジぞ。三筋ミスジぞ。曲マガってゐるぞ。真直マッスぐであるぞ。心得ココロエなされ。節分セツブンから オー ヒ ツ キ オー カミと現アラれるぞ。讃タタえまつれ。三年サンネンの大オオぐれ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 541 |
24_黄金の巻 |
第30帖
一四三〇ビョーサマ一四三○ビョーサマ、改心カイシン早ハヨう結構ケッコウぞ。道ミチ知シるのみでは何ドウにもならん。道ミチ味アジはへよ、歩アユめよ、大神オオカミの道ミチには正邪セイジャないぞ。善悪ゼンアクないぞ。人ヒトの世ヨにうつりて正セイと見ミえ邪ジャと見ミえるのぢゃ。人ヒトの道ミチへうつる時トキは曇クモりただけのレンズ通トオすのぢゃ。レンズ通トオしてもの見ミると逆立サカダチするぞ。神カミに善ゼンと悪アクあるやうに人ヒトの心ココロにうつるのぢゃ。レンズ外ハズせよ。レンズ外ハズすとは神示読フデヨむことぞ。無ナき地獄ジゴク、人ヒトが生ウむぞ。罪ツミぞ。曲マゲぞ。今迄イママデは影カゲの守護シュゴであったが岩戸イワトひらいて表アモテの守護シュゴとなり、裏表ウラオモテ揃ソロうた守護シュゴになりたら、まことの守護シュゴぞ。悪アクも善ゼンも、もう隠カクれるところ無ナくなるぞ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 542 |
24_黄金の巻 |
第31帖
人民ジンミンそれぞれに用意ヨウイして呉クれよ。自分シブン出ダしては集団マドイこはすぞ。力チカラ出デんぞ。早ハヨうつくれよ。的マトとせよ、と申モウしてあろうがな。マトは光ヒカりのさし入イる所トコロ、的マトとして月ツキ一度イチド出ダせよ。自分ジブンの小チイさいこと知シれる者モノは、神カミの国クニに近チカづいたのであるぞ。かのととり。一二十ヒツクノカミ |
| 543 |
24_黄金の巻 |
第32帖
神カミの道ミチに進ススむために罵ノノシられることは人民ジンミンの喜ヨロコびぞ。その喜ヨロコび越コえて神カミの喜ヨロコびに入ハイれば罵ノノシられることないぞ。神カミ敬ウヤマふはまだまだぢゃぞ。早ハヨうサトリて、神カミに融トけ入イれよ。かのととりの日ヒ。一二十ヒツキノカミ |
| 544 |
24_黄金の巻 |
第33帖
神国カミクニ、神カミの三八ミヤ早ハヨうつくれ。今度コンド此処ココへ神カミが引寄ヒキヨせた者モノは、みなキリストぢゃ。釈迦シャカぢゃぞと申モウしてあらう。磨ミガけば今迄イママデの教祖キョウソにもなれるミタマばかりぞ。それだけに罪ツミ深フカいぞ。岩戸イワトあけて、めぐり果ハたせたいのぢゃ。このこと肚ハラによく判ワカるであらうが。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 545 |
24_黄金の巻 |
第34帖
世界セカイ平ヒラとう、胸ムネの掃除ソウジからハラの掃除ソウジぞ。理智リチがまことの愛アイぞ。ア九クも神カミの御子ミコ。絶対ゼッタイの責任セキニンは神カミ、相対ソウタイの責任セキニンは人民ジンミン。親オヤよりも師シよりも神カミ愛アイせよ。その親オヤ、師シは神カミから更サラに愛アイされるぞ。 オー九ク二ニ十ト九コ十タ千チの カミ ガ オー ス三サ ナルの カ三ミ サマなり。かのととりの日ヒ。一二十ヒツキノカミ |
| 546 |
24_黄金の巻 |
第35帖
お父様トウサマが ヒの大オオ カ三ミ サマ、お母様カアサマが ツキの大オオ カ三ミ サマなり。おくやまから出デたものは おくやまにかへり、またおくやまから更サラに弥栄イヤサカとなって出デるのであるぞ。大切タイセツなもの皆ミナ与アタへてあるでないか。人民ジンミンは只タダそれをどんなにするかでよいやうに、楽ラクにしてあるぞ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 547 |
24_黄金の巻 |
第36帖
まことに求モトめるならば、神カミは何ナンでも与アタへるぞ。与アタへてゐるでないか。御用ゴヨウは神示見フデミんと判ワカらん道理ドウリ判ワカらんか。誰ダレにも知シれんこと知シらして、型カタして見ミせてあるでないか。かのととりのひ。一二十ヒツキノカミ |
| 548 |
24_黄金の巻 |
第37帖
集団マドイは天国テンゴクの組織ソシキ同様ドウヨウにせよ。横ヨコにはウクスツヌフムユルウの十ト柱ハシラぞ。縦タテにはアイウエオの五イツ柱ハシラ、結構ケッコウぢゃなあ。横ヨコだけでもかたわ、縦タテだけでもかたわ、この方カタ見ミえんアであるぞ。顕アラワれは神示フデぢゃ。よく相談ソウダンし合アって結構ケッコウ致イタしくれよ。弥栄イヤサカえるぞ。秘文ヒフミ読ヨめば判ワカる。神業カミワザ奉仕ホウシすれば自ミズカらめぐり取トれるのぢゃ。めぐりないもの一人ヒトリもこの世ヨには居オらん。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 549 |
24_黄金の巻 |
第38帖
心次第ココロシダイで皆ミナ救スクはれる。悪アクには悪アクの道ミチ、それ知シらん善ゼンの神カミでは、悪アク抱ダき参マイらすこと出来デキん。因縁インネンあっても曇クモりひどいと御用ゴヨウ六ムツヶ敷シいぞ。この世ヨの人民ジンミンの悪アクは幽界ユウカイにうつり、幽界ユウカイの悪アクがこの世ヨにうつる。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 550 |
24_黄金の巻 |
第39帖
見渡ミワタせば見事ミゴト咲サきたり天狗テングの鼻ハナの。二人フタリでせよと申モウしてあるのは裏表ウラオモテ合アワせて一ヒトつぞ。二人フタリで一人ヒトリでせねばならん。統一トウシツないところ力チカラ生ウマれんぞ。人民ジンミンの奉仕ホウシは神カミへの奉仕ホウシ、生活セイカツは奉仕ホウシから生ウマれる。世界セカイは大オオきな田畠タハタ、それ蒔マけ、それ蒔マけ、種タネを蒔マけ。 |
| 551 |
24_黄金の巻 |
第40帖
何ドうにも斯コうにも手テつけられまい。この世ヨは浮島ウキシマぞ。人民ジンミンの心ココロも浮島ウキシマぞ。油断禁物ユダンキンモツ。ひふみの食タべ方カタ心得ココロエたら、今度コンドは気分キブンゆるやかに嬉ウレしウレシで食タべよ。天国テンゴクの食タべ方カタぞ。一切イッサイは自分ジブンのものと申モウしてあらう。上ウエも下シタも右ミギも左ヒダリも皆ミナ自分ジブンのものぞ。自分ジブンぞ。其処ソコにまこと愛アイ生ウマれるぞ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 552 |
24_黄金の巻 |
第41帖
このほうの許モトへ引寄ヒキヨせた人民ジンミン、八ハチ九分クブ通ドオりは皆ミナ一度イチドや二度ニドは死シぬる生命イノチを神カミが助タスけて、めぐり取トって御用ゴヨウさしてゐるのぞ。奉仕ホウシせよ。どんな御用ゴヨウも勇イサんで勉ツトめよ。肚ハラに手テあてて考カンガへて見ミよ。成程ナルホドなあと思オモひあたるであらうが。喉元ノドモトすぎて忘ワスれて居オらうが。かのととり。ひつ九十クノカミ |
| 553 |
24_黄金の巻 |
第42帖
神示読フデヨめば神示フデの気キ通カヨふぞ。神示読フデヨめよ。神示フデうつせよ。うつす御役ゴヨウ結構ケッコウぢゃなあ。うつせ。うつせ。人ヒトにうつせよ。世界セカイにうつせよ。悪アクのミタマなごめ抱ダき参マイらすには理解リカイ大切タイセツぢゃ。かのととり。一二十ヒツキノカミ |
| 554 |
24_黄金の巻 |
第43帖
野ヌ見ミよ。森モリ見ミよと申モウしてあらう。水ミズの流ナガれにも宗教シュウキョウあるぞ。これを人民ジンミン勝手カッテに宗教シュウキョウに一度イチド下サげるから、神カミ冒オカすことになるのざ。引下ヒキサげねば判ワカらんし、心ココロで悟サトれよ。覚サめの生活セイカツ弥栄イヤサカえるぞ。天国テンゴクの礎イシズエ、出足デアシの地場ジバは二二フジからぢゃ。二二フジの道ミチは秘文ヒフミの道ミチぢゃ。和ワぢゃ。かのととり。一二十ヒツクノカミ |
| 555 |
24_黄金の巻 |
第44帖
かして置オいたに何故ナゼ読ヨまんのぢゃ。大オオき声コエで読ヨみ上アげよ。歌ウタうたひ呉クれと申モウしてある時トキ来キてゐるぞ。歌ウタでイワトひらけるぞ。皆ミナ歌ウタへ唄ウタへ。各オノも各オノも心ココロの歌ウタつくって奉タテマツれよ。歌ウタ結構ケッコウぞ。
ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。かけまくも、かしこけれども、歌ウタたてまつる。御オンまへに、歌ウタたてまつる、弥栄ヤサカみ歌ウタを。世ヨを救スクふ、大オオみゐわざぞ、みことかしこし。まさに今イマ、神カミのみことを、このみみに聞キく。三千世界サンゼンセカイ、救スクふみわざぞ、言コトただし行ギョウかな。大神オオカミの、しきます島シマの、八十島ヤソシマやさか。天テンかけり、地チかける神カミも、みひかりに伏フす。堪タへに堪タへし、三千年サンゼンネンの、イワトひらけぬ。したたみも、いはひもとほり、神カミに仕ツカへむ。大稜威オオミイヅ、あぎとふ魚サカナも、ひれ伏フし集ツドふ。かむながら、みことの朝アサを、みたみすこやかに。神カミの子コぞ、みたみぞ今イマの、この幸サキになく。国原クニハラは、大波オオナミうちて、みふみを拝ハイす。天テンもなく、地チもなく今イマを、みことに生イきん。大オオみつげ、八百万神ヤオヨロズカミも、勇イサみたつべし。天地アメツチの、光ヒカリとなりて、みふで湧ワき出イづ。一ヒトつ血チの、みたみの血チ今イマ、湧ワきて止トまらず。大オオみこと、身ミによみがえる、遠トオつ祖神オヤの血チ。すでに吾アれ、あるなし神カミの、辺ヘにこそ生イきん。高鳴タカナるは、吾アか祖ソの血チか、みつげ尊トオトし。吾アれあらじ、神々カミガミにして、祈イノらせ給タマふ。天地アメツチも、極キワまり泣ナかん、この時トキにして。かつてなき、大オオみつげなり、たたで止ヤむべき。天地アメツチも、極キワまりここに、御代ミヨ生ウマれ来コん。大オオき日ヒの、陽ヨウにとけ呼ヨばん、くにひらく道ミチ。みことのり、今イマぞ輝カガヤき、イワトひらけん。宮柱ミヤハシラ、太フトしき建タてて、神カミのまにまに。抱ダき参マイらせ、大御心オオミココロに、今イマぞこたへむ。言コトいむけ、まつろはしめし、みことかしこし。ただ涙ナミダ、せきあへず吾アは、御オンまへに伏フす。ささげたる、生命イノチぞ今イマを、神カミと生ウマれます。大オオまへに、伏フすもかしこし、祈イノる術スベなし。今イマはただ、いのちの限カギり、太道オミチ伝ツタへむを。祈イノりつつ、限カギりつくさん、みたみなり吾アれ。いのち越コえ、大オオきいのちに、生イきさせ給タマへ。ひたすらに、みことかしこみ、今日キョウに生イき来コし。言霊コトダマの、言コト高カタらかに、太陽オオヒにとけな。天テンに叫ヒケび、吾アれにむちうち、今日キョウに生イき来コし。あらしとなり、あまかけりなば、この心ココロ癒イえむか。走ハシりつつ、今イマ海ウミ出イづる、大オオき月ツキに呼ヨぶ。みみかくし、生命イノチと生ウマれて、遠トオつ祖神オヤさか。神々カミガミの、智チは弥栄シヤサカえ、此処ココに吾アれたつ。みたみ皆ミナ、死シすてふことの、ありてあるべき。あな爽サワけ、みたみ栄ハエあり、神カミともに行イく。さあれ吾アの、生命イノチ尊トオトし、吾アを拝オロガみぬ。みづくとも、苔-コケむすとても、生イきて仕ツカへん。いゆくべし、曲マガの曲マガこと、断タたで止ヤむべき。かへりごと、高タカら白シロさんと、今日キョウも死シを行イく。追オひ追オひて、山ヤマの尾オことに、まつろはさんぞ。追オひはらひ、川カワの瀬セことに、曲マガなごめなん。みことなれば、天アメの壁立カベタつ、極カワみ行イかなん。と心ココロの、雄オたけび天テンも、高タカく鳴ナるべし。まさ言コトを、まさ言コトとして、知シらしめ給タマへ。たな肱ヒヂに、水泡ミナワかきたり、御稲ミトシそだてんを。むか股マタに、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。狭田サダ長田オサダ、ところせきまで、実ミのらせ給タマへ。神々カミガミの、血潮チシオとならん、ことに生イき行イく。言コトさやぐ、民タミことむけて、神カミにささげん。にぎてかけ、共トモに歌ウタはば、イワトひらけん。大オオき日ヒに、真向マムカひ呼ヨばん、神カミの御名ミナを。道端ミチバタの、花ハナの白シロきに、祈イノるヒト人あり。拍手カシワデの、ひびきて中今イマの、大オオきよろこび。悔クゆるなく、御オンまへに伏フし、祝詞ノリト申モウすも。祝詞ノリトせば、誰ダレか和ワし居オり、波ナミの寄キす如ゴトシ。のりと申モウす、わが魂タマシイに、呼ヨぶ何ナニかあり。御オンまへに、額ヌカづきあれば、波カミの音オトきこゆ。悔クゆるなき、一日ヒトヒありけり、夕月ユウヅキに歩ホす。曇クモりなく、今イマを祝詞ノリトす、幸サキはへたまへ。奉タテマツる、歌ウタきこし召メせ、幸サキはへ給タマへ。ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
かのととりの日ヒ |
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24_黄金の巻 |
第45帖
相談ソウダン相談ソウダンと申モウして、見物ケンブツを舞台ブタイにあげてならん。見物ケンブツは見物席ケンブツセキ。祈イノり祈イノり結構ケッコウと申モウして、邪ジャの祈イノりは邪ジャの道ミチに落オちるぞ。色々イロイロのお告ツげ出デると申モウしてあらうが。今イマその通トオりぢゃ。お告ツげに迷マヨふぞ。審神サニワして聞キけと申モウしてあらう。審神サニワして聞キけ。判ワカらなくなれば神示見フデミよ。十一月ジュウイチガツ裏ウラ四日ヨッカ一二十ヒツキノカミ |
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24_黄金の巻 |
第46帖
今度コンドの仕組シクミ、まだまだナルのぢゃ。なってなってなりの果ハてに始ハジめて成ナるぞ。生ウむぞ。先マづ金カネが無ナければと申モウしてゐるが、その心ココロまことないぞ。キがもととあれ程ホド申モウしても未マだ判ワカらんのか。役員ヤクインどうどうめぐり。十一月ジュウイチガツ裏ウラ四日ヨッカ一二十ヒツキノカミ |
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24_黄金の巻 |
第47帖
ナルとは成ナる言コトぞ。成ナるは表オモテ、主シュ-曰シゆ-ぞ。ウムとは ウムのこと。生ウむは裏ウラ、従ジュウ-二ジゆ-ぞ。ナルは内ウチ、ウムはソト。ナルには内ウチの陰陽インヨウ合アワせ、ウムにはソトの陰陽インヨウ合アワせよ。成ナると生ウむは同オナじであるぞ。違チガふのぢゃぞ。成ナることを生ウむと申モウすことあるぞ。生ウむこと成ナると見ミることあるぞ。ナルとは ナルこと、自分ジブンが大オオきく成ナることぞ。自分ジブンの中ナカに自分ジブンつくり、内ウチに生イきることぞ。ウムとは自分ジブンの中ナカに自分ジブンつくり外ソトにおくことぞ。このこと判ワカれば石屋イシヤの仕組シクミ判ワカる。十一月ジュウイチガツ裏ウラ四日ヨッカ一二十ヒツクノカミ |
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24_黄金の巻 |
第48帖
神カミの御用ゴヨウと申モウしてまだまだ自分ジブンの目的モクテキ立タてる用意ヨウイしてゐるぞ。自分ジブンに自分ジブンがだまされんやうに致イタしくれよ。自分ジブンの中ナカに善ゼンの仮面カメンを被カブった悪アクが住スんでゐるに気キつかんか。はらひ清キヨめの神カミが ス三サ ナルの神様カミサマなり。サニワの神カミは ウ曰シ十ト ラの九コん二ジん様サマなり。それぞれにお願ネガひしてから、それぞれのこと行ギョウぜよ。この道ミチに入ハイって始ハジメの間アイダは、却カエって損ソンしたり馬鹿バカみたりするぞ。それはめぐり取トって戴イタダいてゐるのぞ。それがすめば苦クルしくても何処ドコかに光ヒカリ見出ミダすぞ。おかげのはじめ。次ツギに自信ジシンついて来クるぞ。胴ドウがすわって来クるぞ。心ココロが勇イサんで来キたら、おかげ大オオきく光ヒカり出ダしたのぢゃ。悪アクの霊レイはみぞおちに止トまりかちぞ。霊レイの形カタは肉体ニクタイの形カタ、肉体ニクタイは霊レイの形カタに従シタガふもの。このこと判ワカれば、この世ヨのこと、この世ヨとあの世ヨの関係カンケイがはっきりするぞ。足アシには足袋タビ、手テには手袋テブクロ。十一月ジュゥイチガツ裏ウラ四日ヨッカ ウ曰シ十ト ラ |
| 560 |
24_黄金の巻 |
第49帖
上カミの、一番イチバンの番頭バントウ、大将タイショウが悪ワルいのではない。一ハジメの番頭バントウがよくないのざ。親オヤに背ソムくはよくないが、真理シンリに背ソムくは尚悪ナオワルい。眷族ケンゾクさんにも御礼オレイ申モウせよ。大神様オオカミサマだけでは仁義ジンギになりませんぞえ。月日様ツキヒサマでは世ヨは正タダされん。日月様ヒツキサマであるぞ。日月様ヒツキサマが、 ヒ ツ キ様サマとなりなされて今度コンドのイワトびらき、あけるぞ。ふで当分トウブン二ツギを通ツウじて出ダせよ。あたえよ。 と二と千とセとワとホとは、先マづ奥山オクヤマ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ。一二十ヒツキノカミ |
| 561 |
24_黄金の巻 |
第50帖
口クチで云イふことよくきけよ。肉体ニクタイで云イふこと、神カミの申モウすこと、よく聞キきわけ下クダされよ。霊媒レイバイ通ツウじてこの世ヨに呼ヨびかける霊レイの九分九分九厘クブクブクリンは邪霊ジャレイであるぞ。はげしくなるぞ。世界セカイ一平ヒトヒラまだまだ出来デキさうで出来デキない相談ソウダン。奥オクの奥オク、見通ミトオして下クダされ。うごきは必要ヒツヨウであれど、皮カワむくぞ。次ツギも駄目ダメ、次ツギも駄目ダメ、その次ツギの次ツギがまことの一家イッカぢゃ。寒サムい所トコロ暖アタタかく、暑アツい所トコロ涼スズしくなるぞ。仏ホトケには仏ホトケの世界セカイはあれど、三千年サンゼンネンでチョンぞと申モウしてあらう。神示フデしめすに、順ジュン乱ミダして来クるぞ。慾ヨク出ダして下クダさるなよ。順ジュン乱ミダれる所トコロに神カミのはたらきないぞ。人民ジンミン自由ジユウにせよと申モウして、悪アク自由ジユウしてならん。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツクノカミ |
| 562 |
24_黄金の巻 |
第51帖
喜ヨロコべよ。よろこびは弥栄イヤサカのたね蒔マくぞ。祈イノりは実行ジッコウぞ。云イはねばならんし、云イへば肉体ニクタイが申モウすやうに思オモっておかげ落オトすし、判ワカらんこと申モウすやうに、自分ジブンのものさしで測ハカるし、学ガクの鼻高ハナタカさんには神カミも閉口ヘイコウ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 563 |
24_黄金の巻 |
第52帖
何ナニも知シらんものが出デて来キて邪魔ジャマするぞ。余程ヨホドしっかり致イタしくれよ。邪魔ジャマも御役オヤクながら、時トキと所トコロによりけり。神徳シツトク積ツんだら人ヒトの前マエに自分ジブンかくせるやうになるぞ。頭アタマに立タつ者モノ力チカラかくせよ。昨日キノウより今日キョウ、今日キョウより明日アシタと、一歩イッポ一歩イッポ弥栄イヤサカえよ。一足飛イッソクトび、見ミてゐても危アブない。早ハヤく判ワカれば後戻アトモドりさせねばならず、判ワカらんで後押アトモドしせねばならず、少スコしの時トキの早ハヤし遅オソしはあるなれど、何イズれは神示通フデドオりに出デて来クるぞ。想念ソウネンは形式ケイシキをもって始ハジめて力チカラ出デるぞ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 564 |
24_黄金の巻 |
第53帖
物モノも神カミとして仕ツカへば神カミとなるぞ。相談ソウダンと申モウせば人民ジンミンばかりで相談ソウダンしてゐるが、神カミとの相談ソウダン結構ケッコウぞ。神カミとの相談ソウダンは神示フデよむことぢゃ。行イき詰ツマったら神示フデに相談ソウダンせよ。神示フデが教オシへて、導ミチビいてくれるぞ。罪ツミを憎ニクんでその人ヒトを憎ニクまずとは悪アクのやり方カタ、神カミのやり方カタはその罪ツミをも憎ニクまず。生活セイカツが豊ユタかになって来クるのが正タダしい理ミチぞ。行イき詰ツマったら間違マチガった道ミチ歩アルいてゐるのざ。我ガでは行イかん。学ガクや金カネではゆかん。マコトの智チ一ヒトつと申モウしてあらう。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 565 |
24_黄金の巻 |
第54帖
目的モテキよくても実行ジッコウの時トキに悪ワルい念ネン入イると悪魔アクマに魅入ミイられるぞ。心ココロせよ。雨アメ、風カゼ、岩イワ、いよいよ荒アレれの時節ジセツぢゃ。世界セカイに何ナンとも云イはれんことが、病ヤマイも判ワカらん病ヤマイがはげしくなるぞ。食クふべきものでない悪アク食クうて生イきねばならん時トキ来クるぞ。悪アクを消化ショウカする胃袋イブクロ、早ハヨうせねば間マに合アはん。梅干ウメボシ大切タイセツ心ココロの。五十二才ゴジュウニサイ二ツキの世ヨの始ハジメ。五十六才ゴジュウロクサイ七ヶ月ナナカゲツ みろくの世ヨ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 566 |
24_黄金の巻 |
第55帖
今度コンド集アツまっても、まとまりつくまいがな。世界セカイの型カタ出ダして実地ジッチに見ミせてあるのぢゃ。骨ホネが折オれるなれど実地ジッチに見ミせねばならんし、まとまらんのを纏マトめて、皆ミナがアフンの仕組シクミ、気キのつく人民ジンミン早ハヨう元モトへかへりて下クダされよ。心ココロに誠マコトあり、口クチにまこと伝ツタへるとも実行ジッコウなきもの多オオいぞ。偽イツワりに神カミの力チカラは加クワはらない。偽善者ギゼンシャ多オオいのう。祈イノり行ギョウじて洗濯センタクすれば皆ミナ世界セカイのサニワにもなれる結構ケッコウなミタマばかり。死産シザンの子コも祀マツらねばならん。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 567 |
24_黄金の巻 |
第56帖
逆怨サカウラみでも怨ウラみは怨ウラミ。理屈リクツに合アはんでも飛トんだ目メに会アふぞ。今迄イママデの教オシエでは立タちて行イかん。生ウマれ替カワらねば人ヒトも生イきては行イかれん。平等愛ビョウドウアイとは、差別愛サベツアイのことぞ。公平コウヘイと云イふ声コエに騙ダマされるなよ。数カズで決キめるなと申モウしてあらうがな。群集心理グンシュウシンリとは一時的イチジテキの邪霊ジャレイの憑ツきものぞ。上カミから乱ミダれてゐるから下シモのしめしつかん。われよしのやり方カタでは世ヨは治オサまらん。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 568 |
24_黄金の巻 |
第57帖
仲ナカよしになって道ミチ伝ツタへよ。道ミチを説トけよ。一切イッサイを肯定コウテイして二九ジクを伝ツタへよ。悪神アクシンかかりたなれば自分ジブンでは偉エラい神様カミサマがうつりてゐると信シンじ込コむものぞ。可哀カワイさうなれどそれも己オノレの天狗テングからぞ。取違トリチガひからぞ。霊媒レイバイの行ギョウ見ミればすぐ判ワカるでないか。早ハヨう改心カイシンせよ。霊レイのおもちゃになってゐる者モノ多オオい世ヨの中ナカ、大将タイショウが誰ダだか判ワカらんことになるぞ。先生センセイと申モウしてやれば皆ミナ先生センセイになって御座ゴザる。困コマったものぞ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツクノカミ |
| 569 |
24_黄金の巻 |
第58帖
神々カミガミの数カズは限カギりないのであるが、一柱ヒトハシラづつ御名ミナを称タタへてゐては限カギりないぞ。大オオ日ヒ月ツ キの大神オオカミと称タタへまつれ。総スベての神々様カミガミサマを称タタへまつることであるぞ。日ヒは父チチ、月ツキは母ハハ、 キは自分ジブンであるぞ。自分ジブン拝オロガまねばどうにもならんことになって来クるぞ。一日イチニチが千日センニチになったぞ。十二月ジュゥニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 570 |
24_黄金の巻 |
第59帖
テン忘ワスれるなよ。世ヨを捨スて、肉ニクをはなれて天国テンゴク近チカしとするは邪教ジャキョウであるぞ。合アワせ鏡カガミであるから片輪カタワとなっては天国テンゴクへ行イかれん道理ドウリぢゃ。迷信メイシンであるぞ。金キンで世ヨを治オサめて、金キンで潰ツブして、地固クニカタめしてみろくの世ヨと致イタすのぢゃ。三千世界サンゼンセカイのことであるから、ちと早ハヤし遅オソしはあるぞ。少スコし遅オクれると人民ジンミンは、神示フデは嘘ウソぢゃと申モウすが、百年ヒャクネンもつづけて嘘ウソは云イへんぞ。申モウさんぞ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 571 |
24_黄金の巻 |
第60帖
ここはいと古フルい神カミまつりて、いと新アタラしい道ミチひらくところ。天狗テングさん鼻ハナ折オりて早ハヨう奥山オクヤマに詣マイれよ。この世ヨの仕事シゴトがあの世ヨの仕事シゴト。この道理ドウリ判ワカらずに、この世ヨの仕事シゴトすてて、神カミの為タメぢゃと申モウして飛廻トビマワる鼻高ハナタカさん、ポキンぞ。仕事シゴト仕ツカへまつれよ。徳トクつめばこそ天国テンゴクへ昇ノボるのぢゃ。天国テンゴクに行イく人ヒト、この世ヨでも天国テンゴクにゐるぞ。キタはこの世ヨの始ハジめなり。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 572 |
24_黄金の巻 |
第61帖
自分ジブンのみの信仰シンコウは、私心シシン私情シジョウのため、自己オノレつくりてから人ヒトを導ミチビくのぢゃと理屈リクツ申モウしてゐるが、その心根シンコン洗アラって自分ジブンでよく見ミつめよ。悪アクは善ゼンの仮面カメンかぶって心ココロの中ナカに喰入クイイってゐるぞ。仮面カメンが理屈リクツ、理屈リクツは隠カクれ蓑ミノ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 573 |
24_黄金の巻 |
第62帖
洋服ヨウフクぬいで和服ワフク着キて又マタ洋服ヨウフク着キるのぢゃ。仏ホトケの力チカラと神カミの力チカラと同オナじでないぞ。同オナじ所トコロまでは同オナじであるが、もう此処ココまで来キたら、この先サキは神カミの道ミチでなくては動ウゴきとれん。神カミの大理オオミチは上カミの上カミであるぞ。神カミの理ミチを明アキらかにすれば、神カミはその人ヒトを明アキらかにする。天使テンシは天アメと地ツチの和合者ワゴウシャ、仁人ジンジンは地クニと天アメの和合者ワゴウシャ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 574 |
24_黄金の巻 |
第63帖
奥山オクヤマ奥山ヤクヤマと申モウしてあろうが、ふでは奥山オクヤマから出デて、奥山オクヤマで分ワけるくらいのこと、何故ナゼに分ワカらんのじゃ。誰ダレでもが勝手カッテにしてならん。それぞれの順ジュン立タてねば悪アクとなるぞ。判ワカらんのは、われよしからぢゃ。本モトから固カタめて行イかねば何時イツまでたっても小田原オダワラぢゃ。小田原オダワラも道筋ミチスジながら、それでは世界セカイの人民ジンミン丸マルつぶれとなるぞ。三分サンブ残ノコしたいために三千ミチの足場アシバと申モウしてあるのぢゃ。早ハヨう三千ミチ集アツめよ。御役オヤク御苦労ゴクロウ。十二月ジュウニガツ七日ナヌカ一二十ヒツキノカミ |
| 575 |
24_黄金の巻 |
第64帖
何処ドコで何ナニしてゐても道ミチさへふんで居オれば弥栄イヤサカえるぞ。行イき詰ツマったら省カエリみよ。己オノレの心ココロの狂クルひ、判ワカって来クるぞ。神カミから伸ノびた智チと愛アイでないと、人民ジンミンの智チや学ガクや愛アイはすぐペシャンコ。やりてみよれ。根ネなし草クサには実ミは結ムスばんぞ。お尻シリ出ダしたらお尻シリ綺麗キレイにふいてやれよ。怒オコってはならん。子コの尻シリと思オモうて拭フいてやれよ。判ワカった人民ジンミンよ。今イマの内ウチは阿呆アホ結構ケッコウぞ。一ヒトつに和ワして御座ゴザれ。人間心ニンゲンココロで急イソぐでないぞ。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ一二十ヒツキノカミ |
| 576 |
24_黄金の巻 |
第65帖
自分ジブンに捉トラはれると局部キョクブの神カミ、有限ユウゲンの神カミしか判ワカらんぞ。自分ジブン捨スてると光ヒカリさし入イるぞ。知チはアイ、息イキは真シンぞ。平面ヘイメンの上ウエでいくら苦クルしんでも何ドウにもならん。却カエってめぐり積ツむばかり。どうどうめぐりぢゃ。てん曰シは奥山オクヤマにお出デましぞ。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ一二十ヒツキノカミ |
| 577 |
24_黄金の巻 |
第66帖
省カエリみると道ミチ見出ミダし、悟サトると道ミチが判ワカり、改アラタむると道ミチ進ススむ。苦クルしむばかりが能ノウではない。自分ジブンの中ナカにあるから近チカよって来クるのであるぞ。厭イヤなこと起オコって来クるのは、厭イヤなことが自分ジブンの中ナカにあるからじゃ。肉体ニクタイは親オヤから受ウけたのざから親オヤに似ニてゐるのぞ。霊レイは神カミから受ウけたのざから神カミに似ニてゐるぞ。判ワカりた守護神シュゴシン一日ヒトヒも早ハヤく奥山オクヤマへ出デて参マイりて、神カミの御用ゴヨウ結構ケッコウ。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ一二十ヒツキノカミ |
| 578 |
24_黄金の巻 |
第67帖
慢心マンシン出デるから神示読フデヨまんやうなことになるのぞ。肚ハラの中ナカに悪アクのキ這入ハイイるからぐらぐらと折角セッカクの屋台骨ヤタイボネ動ウゴいて来クるのぞ。人ヒトの心ココロがまことにならんと、まことの神カミの力チカラ現アラはれんぞ。みたまみがきとは善ヨイいと感カンじたこと直タダちに行オコナふことぞ。愛アイは神カミから出デてゐるのであるから、神カミに祈イノって愛アイさして戴イタダくやうにすると弥栄イヤサカえるぞ。祈イノらずに自分ジブンでするから、本モトを絶タつから、われよしに、自分愛ジブンアイになるのぞ。自分ジブン拝オロガむのは肉愛ニクアイでないぞ。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ- |
| 579 |
24_黄金の巻 |
第68帖
神カミと人ヒトの和ワは神カミよりなさるものであるぞ。本質的ホンシツテキには人間ニンゲンから神カミに働ハタラきかけるものでないぞ。働ハタラきかける力チカラは神カミから出デるのであるから人間ニンゲンから和ワし奉タテマツらねばならんのであるぞ。信シンじ合アふ一人ヒトリが出来デキたら一ヒトつの世界セカイを得エたこと。一ヒトつ得エたら二ヒタつになったことぞ。祈イノりを忘ワスれることは、神カミを忘ワスれること、神カミから遠トオざかること、それではならんのう。安全アンゼンな道ミチ通トオれ。安全アンゼンな教オシエの所トコロへ集アツまれよ。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ |
| 580 |
24_黄金の巻 |
第69帖
悪ワルく云イはれるのが結構ケッコウぞ。何ナンと云イはれても びくつくやうな仕組シクミしてないぞ。天晴アッパれ、三千世界サンゼンセカイのみろくの仕組シクミ、天晴アッパれぞ。この先サキは神カミの力チカラ戴イタダかんことには、ちっとも先サキ行イかれんことになるぞ。行イったと思オモうてふり返カエると、後戻アトモドりしてゐたのにアフンぞ。心得ココロエなされよ。何ナニも彼カも存在ソンザイ許ユルされてゐるものは、それだけの用ヨウあるからぞ。近目チカメで見ミるから、善ゼンぢゃ悪アクぢゃと騒サワぎ廻マワるのぞ。大オオき一神イッシンを信シンずるまでには、部分的ブブンテキ多神タシンから入ハイるのが近道チカミチ。大オオきものは一目ヒトメでは判ワカらん。この方カタ世ヨに落オちての仕組シクミであるから、落オトして成就ジョウジュする仕組シクミ、結構ケッコウ。神様カミサマは親オヤ、四角張シカクバらずに近寄チカヨって来キて親シタしんで下クダされよ。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ |
| 581 |
24_黄金の巻 |
第70帖
曰九千 シクジリのミタマもあるなれど、この方カタの仕組シクミぢゃ。めったに間違マチガひないのざから、欲ホしいものには一先ヒトマづ取トらせておけよ。めぐりだけ取トって行イって下クダさる仕組シクミぞ。苦クルしめたら改心カイシン中々ナカナカぢゃ。喜ヨロコばせて改心カイシン結構ケッコウぢゃなあ。総スベてを愛アイせよと申モウすのは、高カタい立場タチバのことで御座ゴザるぞ。九九ココには九九ココの立場タチバあるぞ。よく心得ココロエなされよ。世ヨの中ナカには順序ジュンジョあるぞ。それがカズタマ-数霊カズタマ-、動ウゴくと音オト出デるぞ。それがコトタマ(言霊コトタマ)、ものには色イロあるぞ。それがイロタマ(色霊イロタマ)。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ |
| 582 |
24_黄金の巻 |
第71帖
世界セカイがそなたにうつってゐるのぞ。世界セカイ見ミて己オノレの心ココロ早ハヨう改心カイシン致イタされよ。世ヨはグルグルと七変ナナカワり、改心カイシンの為タメ世界セカイの民タミ皆ミナ、今度コンドは引上ヒキアげ一旦イッタンみなあるぞ。経タテのつながりを忘ワスれ勝カちぢゃ。平面ヘイメンのことのみ考カンガへるから平面ヘイメンのキのみ入ハイるぞ。平面ヘイメンの気キのみでは邪ジャであるぞ。動機ドウキ善ゼンなれば失敗シッパイは薬クスリ。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ |
| 583 |
24_黄金の巻 |
第72帖
世界セカイの人民ジンミン皆ミナ改心カイシンせよと申モウすのぞ。どんなめぐりある金カネでも持モって居オればよいやうに思オモうて御座ゴザるなれど、めぐりある金カネはめぐりそのものと判ワカらんか。家イエの治オサまらんのは女オミナが出デるからぞ。夫オット立タてると果報カホウは女オミナに来クるぞ。天界テンカイに住スむ者モノは一人ヒトリ々々ヒトリは力チカラ弱ヨワいが和ワすから無敵ムテキぞ。幽界ユウカイに住スむ者モノは一人ヒトリ々々ヒトリは強ツヨいが孤立コリツするから弱ヨワいのぞ。仲ナカよう和ワしてやれと申モウす道理ドウリ判ワカりたか。そなたは何万年ナンマンネンの原因ゲンインから生ウれ出デた結果ケッカであるぞ。不足フソク申モウすでないぞ。十二月ジュウニガツ十四日ジュウヨッカ。 |
| 584 |
24_黄金の巻 |
第73帖
四十八柱シジュウハチハシラ、四十九柱シジュウクハシラ、それぞれの血筋チスジの者モノ引ヒき寄ヨせておいて、その中ナカから磨ミガけた者モノばかり選ヨり抜ヌく仕組シクミ。磨ミガけん者モノ代カワりのミタマいくらでもあるぞ。お出直デナオしお出直デナオし。世界セカイが二分ニブぢゃなあ。もの見ミるのは額ヒタイでみなされ。ピンと来クるぞ。額ヒタイの判断ハンダン間違マチガひなし。額ヒタイの目メに見ミの誤アヤマりなし。霊界レイカイには時間ジクウ、空間クウカンは無ナいと申モウしてゐるが、無ナいのでないぞ。違チガって現アラはれるから無ナいのと同様ドウヨウであるぞ。あるのであるぞ。悪アクの霊レイはミゾオチに集アツまり、頑張ガンバるぞ。こがねの巻マキは百帖ヒャクチョウぞ。こがねしろがね とりどりに出デるのぢゃ。あわてるでないぞ。十二月ジュウニガツ二十七日ニジュウシチニチ一二十ヒツキノカミ |
| 585 |
24_黄金の巻 |
第74帖
貰モロうた神徳シントクに光ヒカリ出ダす人民ジンミンでないと、神徳シントクをわれよしにする人民ジンミンにはおかげやらん。自分ジブンが自分ジブンで思オモふやうになるまいがな。自分ジブンが自分ジブンのものでないからぞ。自分ジブンのものなら自由ジユウになると申モウしてあらうが。道ミチを進ススめば楽ラクに行イける。道ミチ行イかんで山ヤマや畠ハタケや沼ヌマに入ハイるから苦クルしむのぞ。神カミの仕組シクミの判ワカる人民ジンミン二ニ三分サンブ出来デキたら、いよいよにかかるぞ。未マだ未マだ改心カイシン足タらん。神カミせけるぞ。魂タマシイにめぐりあると何ナニしてもグラリグラリと成就ジョウジュせんぞ。めぐりのままが出デて来クるのであるぞ。心ココロのよきもの、神カミにまつりて、この世ヨの守護神シュゴシンと現アラはすぞ。理屈リクツは判ワカらんでも真理シンリは掴ツカめるぞ。信念シンネンと真念シンネンは違チガふぞ。信念シンネンは自分ジブンのもの。信念シンネン超コえて真念シンネンあるぞ。任マカせきったのが真念シンネンぞ。迷信メイシンが迷信メイシンでなくなることあるぞ。ぢゃと申モウして信念シンネンがいらんのでないぞ。もう待マたれんから判ワカりた人民ジンミン一日イチニチも早ハヤく奥山オクヤマに参マイりて神カミの御用ゴヨウ結構ケッコウにつとめあげて下クダされよ。世界中セカイジュウを天国テンゴクにいたす御用ゴヨウの御役オヤク、つとめ上アげて下クダされよ。人間ニンゲンの念力ネンリキだけでは何程ドレホドのことも出来デキはせんぞ。その念力ネンリキに感応カンノウする神カミの力チカラがあるから人間ニンゲンに判ワカらん、びっくりが出デて来クるのざぞ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツキノカミ |
| 586 |
24_黄金の巻 |
第75帖
戦イクサや天災テンサイでは改心カイシン出来デキん。三千世界サンゼンセカイの建直タテナオしであるから、誰ダレによらん。下シモの神々様カミガミサマもアフンの仕組シクミで、見事ミゴト成就ジョウジュさすのであるが、よく神示読フデヨめば、心ココロでよめば、仕組シクミ九分クブ通トオりは判ワカるのであるぞ。死シぬ時トキの想念ソウネンがそのままつづくのであるから、その想念ソウネンのままの世界セカイに住スむのであるぞ。この世ヨを天国テンゴクとして暮クラす人ヒト天国テンゴクへ行ユくぞ。地獄ジゴクの想念ソウネン、地獄ジゴク生ウむぞ。真理シンリを知シればよくなるぞ。そんなこと迷信メイシンと申モウすが、求モトめて見ミなされ。百日ヒャクニチ一生懸命イッショウケンメイ求モトめて見ミなされ。必カナラずおかげあるぞ。神カミがあるから光ヒカリがさして嬉ウレし嬉ウレしとなるのであるぞ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツクノカミ |
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24_黄金の巻 |
第76帖
真理シンリを知シって、よくならなかったら、よく省カエリみよ。よくなるのがマコトであるぞ。悪ワルくなったら心ココロせねばならん。善人ゼンニンが苦クルしむことあるぞ。よく考カンガへて見ミい。長ナガい目メで見ミてよくしようとするのが神カミの心ココロぞ。目メの前マエのおかげでなく、永遠エイエンの立場タチバから、よくなるおかげがマコトのおかげ。神徳シントクは重オモいから腰コシふらつかんやうにして下クダされよ。その代カワり貫ツラヌきて下クダされたら、永遠トワにしぼまん九コの花ハナとなるぞ。二二フジに、九コの花ハナどっと咲サくぞ。拍手カシワデは清キヨめであるが、神様カミサマとの約束固ヤクソクカタめでもあるぞ。約束ヤクソクたがへるでないぞ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツクノカミ |
| 588 |
24_黄金の巻 |
第77帖
不二フジの仕組シクミとは動ウゴかん真理シンリ、 ウズウミのナルト-成答ナルト-の仕組シクミとは弥栄イヤサカの限カギりなき愛アイのことであるぞ。神カミの理ミチに入ハイり、理ミチをふんで居オれば、やり方カタ一ヒトつで何ナンでもよく、嬉ウレし嬉ウレしとなるぞ。世ヨの元モトから出来デキてゐるミタマの建直タテナオしであるから、一人ヒトリの改心カイシンでも中々ナカナカであると申モウしてゐるのに、ぐづぐづしてゐると間マに合アはん。気キの毒ドク出来デキるぞ。めぐりと申モウすのは自分ジブンのしたことが自分ジブンにめぐって来クることであるぞ。めぐりは自分ジブンでつくるのであるぞ。他ホカを恨ウラんではならん。美ビの門モンから神カミを知シるのが、誰ダレにでも判ワカる一番イチバンの道ミチであるぞ。芸術ゲイジュツから神カミの道ミチに入ハイるのは誰ダレにでも出来デキる。この道理ドウリ判ワカるであらうが。審判サバキの廷ニワに出デたならば、世界セカイは一人ヒトリの王オウとなるぞ。御出オデまし近チコうなったぞ。自分ジブンよくして呉クれと申モウしてゐるが、それは神カミを小使コヅカイに思オモうてゐるからぞ。大オオきくなれよ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツキノカミ |
| 589 |
24_黄金の巻 |
第78帖
悪アクで行ユけるなら悪アクでもよいが、悪アクは影カゲであるから、悪アクではつづかんから早ハヨう善ゼンに帰カエれと申モウすのぞ。先祖センゾは肉体人ニクタイビトを土台ドダイとして修業シュギョウするぞ。めぐりだけの業ギョウをせねばならん。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツキノカミ |
| 590 |
24_黄金の巻 |
第79帖
心ココロ、入イれかへ奥山オクヤマへ参マイりて、その場バで荷物ニモツを持モたすやうになるから、ミタマを十分ジュウブン磨ミガいておいて下クダされよ。神カミが力チカラ添ソへるから、どんな見事ミゴトな御用ゴヨウでも出来デキるのであるぞ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツキノカミ |
| 591 |
24_黄金の巻 |
第80帖
慾ヨクが深フカいから先サキが見ミえんのぢゃ。悪神アクシンよ、今迄イママデは思オモふ通トオりに、始ハジめの仕組シクミ通トオりにやれたなれど、もう悪アクの利キかん時節ジセツが来キたのであるから、早ハヨう善ゼンに立タちかへりて下クダされよ。善ゼンの神カミまで捲マき入イれての仕放題シホウダイ、これで不足フソクはもうあるまいぞや。いくら信仰シンコウしても借銭シャクセンなくなる迄マデは苦クルしまねばならん。途中トチュウでへこたれんやうに、生命イノチがけで信仰シンコウせねば借銭シャクセンなし六ムツヶ敷シいぞ。途中トチュウで変カワる紫陽花アジサイでは、御用ゴヨウ六ムツヶ敷シいぞ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツキノカミ |
| 592 |
24_黄金の巻 |
第81帖
心ココロに凸凹デコボコあるから幽界ユウカイのものに取トりつかれて、つまらんことになるのぞ。つまらんことをひろめて亡ホロびるぞ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツキノカミ |
| 593 |
24_黄金の巻 |
第82帖
愈々イヨイヨとなって助タスけてくれと走ハシり込コんでも、その時トキでは遅オソいから、間マに合アはんから、早ハヨう神カミの心ココロ悟サトれと申モウしてあるのざ。笑ワライのない教オシエにして下クダさるなよ。学問ガクモンや金カネを頼タヨってゐる内ウチは、まだまだ改心カイシン出来デキないぞ。今迄イママデの宗教シュウキョウの力チカラでも、法律ホウリツでも、どうにもならん。掃除ソウジが目メの前マエに来キてゐるぞ。神カミの力チカラを頼タヨるより他ホカに理ミチないことまだ判ワカらんか。中程ナカホドまで進ススむと判ワカらんことあるぞ。神カミの試練シレン気キつけてくれよ。どちらの国クニも見当ミアとれんことになるぞ。肚ハラ立タつのはめぐりあるからぞ。善ゼンでつづくか悪アクでつづくか、この世ヨに善ゼンと悪アクとがあって、どちらで立タって行イくか、末代マツダイつづくか、得心トクシンゆくまで致イタさせてあったが、もう悪アクではつづかんことが、悪神アクシンにも判ワカって来クるのであるから、今イマしばらくのゴタゴタであるぞ。ものの調和チョウワが判ワカれば、正タダしき霊覚レイカクが生ウマれるぞ。神カミの姿スガタがうつって来クるぞ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツキノカミ |
| 594 |
24_黄金の巻 |
第83帖
ひかる誠マコトの行ギョウをさしたら、皆ミナ逃ニげて了シマふから、ここまで甘アマくして引張ヒッパって来キたなれど、もう甘アマく出来デキんから、これからはキチリキチリと神カミの規則キソク通トオりに行オコナふから、御手柄オテガラ結構ケッコウに、褌フンドシしめて下クダされよ。この世ヨは神カミの国クニの移ウツしであるのに、幽界ユウカイから移ウツりて来キたものの自由ジユウにせられて、今イマの体裁テイサイ、この世ヨは幽界ユウカイ同様ドウヨウになってゐるぞ。地クニは九二クニのやり方カタせねば治オサまらん。早ハヨう気付キツいた人民ジンミンから、救スクひの舟フネを出ダして下クダされよ。これと信シンじたらまかせ切キれよ。損ソンもよいぞ。病気ビョウキもよいぞ。怪我ケガもよいぞ。それによってめぐり取トっていただくのぞ。めぐりなくなれば日本晴ニホンバれぞ。今イマがその借銭シャクセン済スマしぞ。世界セカイのめぐり大オオきいぞ。真理シンリは霊レイ、芸術ゲイジュツは体カラダであるぞ。正タダし芸術ゲイジュツから神カミの理ミチに入ハイるのもよいぞ。説トくのもよいぞ。芸術ゲイジュツの行イき詰ツマりは真理シンリがないからぞ。芸術ゲイジュツは調和チョウワ。七ナナつの花ハナが八ヤッつに咲サくぞ。一月イチガツ三日ミッカ一二十ヒツキノカミ |
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24_黄金の巻 |
第84帖
神カミは人民ジンミンに改心カイシンさして、世ヨの立替タテカエ立直タテナオし致イタさうと思オモうたのであるが、曇クモりがあまりにひどいから、何事ナニゴトのびっくりが出デるか、もう神カミも堪忍袋カンニンブクロの緒オ切キれたぞ。人間ニンゲンが恨ウラみや怒イカりもつと、その持物モチモノまでが争アラソふことになるぞ。早ハヨう気持キモチから洗濯センタクして下クダされよ。死シんでも続ツヅくぞ。結構ケッコウに始末シマツせねばならん。上カミに立タつ者モノ余計ヨケイに働ハタラかねばならん時トキ来キてゐるぞ。いくら古フルくから信心シンジンしてゐると申モウしても肝腎カンジンが判ワカりて居オらんと何ドもならん。よい御用ゴヨウ出来デキん。想念ソウネンの自由ジユウとは神カミに向上コウジョウするより上カミの、よりよき方ホウに進ススむ自由ジユウであるぞ。どの世界セカイの人民ジンミンも自由ジユウもつ。一月イチガツ三日ミッカ |
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24_黄金の巻 |
第85帖
裏ウラの仕組シクミに 入イれると表オモテの仕組シクミとなり、表オモテの仕組シクミに 入イれると裏ウラの御役オヤクとなるなり。 抜ヌけば悪アクのやり方カタとなるのぢゃ。どの仕組シクミも判ワカりて居オらんと、三千世界サンゼンセカイの先々サキザキまで判ワカりて居オらんと、何事ナニゴトも成就ジョウジュせんぞ。神界シンカイの乱ミダれ、イロからぢゃと申モウしてあらう。男女関係ダンジョカンケイが世ヨの乱ミダれの因インであるぞ。お互タガイに魂タマシイのやりとりであるぞ。この世ヨばかりでなく、あの世ヨまで続ツヅくのであるから、くどう気キつけておくぞ。コトはモノになる。悪ワルいことすれば悪ワルいもの生ウマれて来キて、生ウマれ故郷コキョウに喰付クイツいて悪ワルくする。善ヨいことも同様ドウヨウぞ。因縁インネンのあるみたまが集アツまって来キて人ヒトのようせん辛抱シンボウして、世界セカイの立替タテカエ立直タテナオしの御用ゴヨウ致イタすのであるから、浮ウいた心ココロで参マイりて来キても御役オヤクに立タたん。邪魔ジャマばかりぢゃ。因縁インネンのみたまは何ドんなに苦クルしくても心ココロは春ハルぢゃ。心ココロ勇イサまんものは、神示フデよんで馬鹿バカらしいと思オモふものは、遠慮エンリョウいらんから、さっさと帰カエりて下クダされよ。神カミはもう、気嫌キゲンとりは御免ゴメンぢゃ。一月イチガツ三日ミッカ |
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24_黄金の巻 |
第86帖
一分イチブ一厘イチリン、力一杯チカライッパイ、違チガはんこと書カかしてあるのぢゃ。色眼鏡イロメガネで見ミるから、違チガったことに見ミえるのぢゃ。神示フデ、嘘ウソぢゃと申モウすやうになるのぞ。眼鏡メガネ外ハズして、落オち付ツいてみて、ハラで見ミて下クダされよ。世ヨの先々サキザキのことまではっきりと写ウツるぞ。そなたの心ココロの中ナカにゐる獣ケダモノ、言向イムけねばならん。善ヨきに導ミチビかねばならん。一生イッショウかかってもよいぞ。それが天国テンゴクに行イく鍵カギであるぞ。マコトの改心カイシンであるぞ。智慧チエと、愛アイが主ヌシの座ザに居オらねばならん。物モノは愛アイから生ウマれるぞ。ウムものがもとぢゃ。生ウまれるものはナルのぢゃ。ナルには智慧チエでなるのぢゃぞ。一月イチガツ三日ミッカ |
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24_黄金の巻 |
第87帖
まことに改心カイシン出来デキたと、神カミが見届ミトドけたら、今度コンドはこの世ヨはもとより、何ナンの心配シンパイもないやうに守マモって、肉体ニクタイ、顔カオまで変カへてやるぞ。宿命シュクメイと運命ウンメイは同オナじでない。磨ミガけばどんなにでも光ヒカるぞ。放ホウっておいても神カミに背ソムくものは自滅ジメツして行イき、従シタガふものは弥栄イヤサカえて行イくぞ。其処ソコに神カミの能ハタラキ、よくさとりて下クダされよ。人間ニンゲンの処理方法ショリホウホウと神カミの処理方法ショリホウホウと融和ユウワせねばならん。急イソがねばならず、急イソいでは谷底タニゾコに落オちて出来損デキソコなふぞ。ありとあるもの、何ナンんでも彼カんでも天地アメツチの御用ゴヨウ持モってゐるのぞ。そのものの勝手カッテな道ミチは許ユルさんぞ。大オオき喜ヨロコびの中ナカに、小チイさい自分ジブンの喜ヨロコび大オオきく栄サカえるぞ。大オオきな生命イノチの中ナカにこそ小チイさい自分ジブンのマコトの喜ヨロコびが弥栄イヤサカえるのであるぞ。判ワカりたか。一月三日イチガツミッカ |
| 599 |
24_黄金の巻 |
第88帖
日本ニホンは日本ニホン、唐カラは唐カラ、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスはメリカキリスぢゃ。分ワけへだてするのは神カミの心ココロでないと申モウす人民ジンミン沢山タクサンあるが、世界セカイは一平ヒトヒラぢゃと申モウして、同オナじことぢゃ、同オナじ神カミの子コぢゃと申モウしてゐるが、頭アタマは頭アタマ、手テは手テ、足アシは足アシと申モウしてあらうが。同オナじことであって同オナじでないぞ。悪平等アクビョウドウは悪平等アクビョウドウぞ。世界セカイ丸マルつぶれのたくらみぞ。この道理ドウリよく心得ココロエなされよ。総スベてのものを先マづ感受カンジュせよ。その後アトに感謝カンシャせよ。感謝カンシャすれば弥栄イヤサカえるぞ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 600 |
24_黄金の巻 |
第89帖
喜ヨロコびは神カミから流ナガれ、愛アイから流ナガれ出デるのであるが、愛アイそのもの、善ゼンそのものではない。生命イノチであるぞ。生命イノチであるが生命イノチの本体ホンタイではないぞ。天地アメツチには天地アメツチのキ、民族ミンゾクには民族ミンゾクのキあるぞ。そのキは時代ジダイによって変カワって来クる。その時トキのキが、その時トキのまことの姿スガタであるぞ。それに合アはんものは亡ホロんで了シマふぞ。火カの洗礼センレイ、水ミの洗礼センレイ、ぶったり、たたいたり、カ、ミの洗礼センレイなくては銘刀メイトウは出来デキん道理ドウリぢゃ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 601 |
24_黄金の巻 |
第90帖
世界中セカイジュウがいくら集アツまって、よき世ヨにいたす相談ソウダンいたしても、肝腎カンジンの が判ワカらんから、まとまりつかん。たれ一人ヒトリ、悪ワルいわがままの癖クセ持モたん人間ニンゲンないぞ。その癖クセを直ナオして行イくのが、皮カワむくことぢゃ。改心カイシンぢゃ。弥栄イヤサカ行イくことぢゃ。金キン持モつと金キンの地獄ジゴクに理屈リクツもつと理屈リクツの地獄ジゴクに、神カミに捉トラはれると神カミの地獄ジゴクに落オちて苦クルしむぞ。持モたねばならんし、中々ナカナカぢゃなあ。先マづ求モトめよ、求モトめねばならん。先マづ捨スてて求モトめよ、求モトめて行ギョウぜよ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 602 |
24_黄金の巻 |
第91帖
愛アイの人間ニンゲンは深フカく、智チの人間ニンゲンは広ヒロく進ススむぞ。経タテと緯ヨコであるぞ。二フタつが織オりなされて、結ムスんで弥栄イヤサカえる仕組シクミ。経タテのみでならん。緯ヨコのみでならん。この世ヨに生ウマれてはこの世ヨの御用ゴヨウ、この世ヨの行ギョウせねばならん道理ドウリ。この世ヨに生ウマれて、この世ヨの行ギョウせねば、生ウマれた時トキより悪ワルくなるぞ。草木クサキより役ヤクに立タたんものとなるぞ。草木クサキに変カへると申モウしてあらう。神カミが変カへるのでない。自分ジブンでなり下サがるのであるぞ。判ワカりたか。一月イチガツ三日ミッカ |
| 603 |
24_黄金の巻 |
第92帖
つつましく、正タダしくして行イけば その国々クニグニで一切イッサイ不足フソクなく暮クラして行イけるやうに何ナニも彼カも与アタへてあるに気付キツかんのか。天災地変テンサイチヘンは人間ニンゲンの心ココロのままと申モウしてあらう。豊作ホウソク、凶作キョウサク心ココロのままぞ。今イマのままで行イけば何ドうなるか、誰ダレにも判ワカらんであらうが、神示通フデドオりに出デて来クること、未マだうたがってゐるのか。ひつくとみつくの民タミあると申モウしてあらう。ひつくの民タミは神カミの光ヒカリを愛アイの中ナカに受ウけ、みつくの民タミは智チの中ナカに受ウける。愛アイに受ウけると直タダちに血チとなり、智チに受ウけると直タダちに神経シンケイと和ワして了シマふのであるぞ。二フタつの民タミの流ナガれ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 604 |
24_黄金の巻 |
第93帖
そなたが神カミつかめば、神カミはそなたを抱ダくぞ。神カミに抱ダかれたそなたは、平面ヘイメンから立体リッタイのそなたになるぞ。そなたが有限ユウゲンから無限ムゲンになるぞ。神人カミヒトとなるのぢゃ。永遠エイエンの自分ジブンになるのであるぞ。他タのために行ギョウぜよ。神カミは無理ムリ申モウさん。始ハジめは子コの為タメでもよい。親オヤの為タメでもよい。自分ジブン以外イガイの者モノの為タメに、先マず行ギョウぜよ。奉仕ホウシせよ。嬉ウレし嬉ウレしの光ヒカリさしそめるぞ。はじめの世界セカイひらけるぞ。一本足イッポンアシでは立タてん。二本足ニホンアシがよいぞ。やがては明アカリくる二三フミの朝アサ、二二フジは晴ハれたり、日本ニホン晴バれ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 605 |
24_黄金の巻 |
第94帖
落オちてゐた神々様カミガミサマ、元モトへお帰カエりなさらねば この世ヨは治オサまらんのであるぞ。一人ヒトリ一人ヒトリではいくら力チカラありなされても物事モノゴト成就ジョウジュせんぞ。それは地獄ジゴクの悪アクのやり方カタ。一人ヒトリ一人ヒトリは力チカラ弱ヨワくとも一ヒトつに和ワして下クダされよ。二人フタリ寄ヨれば何倍ナンバイか、三人サンニン寄ヨれば何十倍ナンジュウバイもの光ヒカリ出デるぞ。それが天国テンゴクのまことのやり方カタ、善ゼンのやり方カタ、善人ゼンニン、千人力センニンリキのやり方カタぞ。誰ダレでも死シんでから地獄ジゴクへ行イかん。地獄ジゴクは無ナいのであるから行イけん道理ドウリぢゃなあ。曲マガって世界セカイを見ミるから、大取違オオトリチガふから曲マガった世界セカイつくり出ダして、自分ジブンで苦クルしむのぢゃ。其処ソコに幽界ユウカイ出来デキるのぢゃ。有アりてなき世界セカイ、有アってならん。一月イチガツ三日ミッカ |
| 606 |
24_黄金の巻 |
第95帖
四季シキはめぐる。めぐる姿スガタは ウズであるぞ。 ウズは働ハタラき、上ノボれば下クダり、下クダれば上ノボる。この神示読フデヨんだ今イマが出船デフネの港ミナト、神カミの恵メグみの時トキ与アタへられてゐるのぢゃ。明日アスと申モウさず実行ジッコウせよ。明日アスは永遠エイエンに来コないぞ。無ナいものぞ。今イマのみあるのぢゃ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 607 |
24_黄金の巻 |
第96帖
ウシトラコンジン様サマを先マづ理解リカイせよ。どんなことでも叶カナへてやるぞ。理解リイカするには、理解リカイする心ココロ、先マづ生ウまねばならん。われよしでは拝オロガめんコンジンさまぞ。天地アメツチ総スベてのもの、生イきとし生イけるもの悉コトゴトく、よりよくなるやうに働ハタラいてゐるのであるぞ。それが神カミの心ココロ、稜威ミイツぞ。弥栄イヤサカと申モウすものぞ。その時トキ、その人間ニンゲンのキに相応ソウオウした神カミより拝オロガめん。悪ワルいキで拝オロガめば何ドんな立派リッパな神前シンゼンでも悪神アクシンが感応カンノウするのぢゃ。悪神アクシン拝オロガんでも正タダしき愛アイと喜ヨロコびあれば、善ヨき念ネンが通ツウずるならば、悪神アクシン引込ヒッコんで、それぞれの善ヨき神カミ現アラはれるのぢゃ。この道理ドウリよく心得ココロエよ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 608 |
24_黄金の巻 |
第97帖
生命イノチすててかからねば、まことの理解リカイには入ハイれん道理ドウリ。身慾シンヨク信心シンジンでは駄目ダメ。いのち捨スてねば生命イノチに生イきられん道理ドウリ。二道二股フタミチフタマタ多オオいと申モウしてあらう。物モノの文明ブンメン、あしざまに申モウす宗教シュウキョウは亡ホロびる。文明ブンメイも神カミの働ハタラきから生ウマれたものぢゃ。悪アクも神カミの御働オハタラきと申モウすもの。悪アクにくむこと悪アクぢゃ。善ゼンにくむより尚ナオ悪ワルい。何故ナゼに判ワカらんのか。弥栄イヤサカと云イふことは歩アユみ一歩イッポづつ喜ヨロび増マして行イくことぞ。喜ヨロコびの裏ウラの苦クに捉トラはれるから判ワカらんことに苦クルしむのぢゃ。苦クと楽ラク共トモに見ミてよと申モウしてあらう。偶然グウゼンの真理シンリ、早ハヨう悟サトれよ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 609 |
24_黄金の巻 |
第98帖
大切タイセツなもの一切イッサイは、神カミが人間ニンゲンに与アタへてあるでないか。人間ニンゲンはそれを処理ショリするだけでよいのであるぞ。何故ナゼに生活セイカツにあくせくするのぢゃ。悠々イヨイヨ、天地アメツチと共トモに天地アメツチに歩アユめ。嬉ウレし嬉ウレしぞ。一日イチニチが千日センニチと申モウしてあらう。神カミを知シる前マエと、神カミを知シってからとのことを申モウしてあるのぞ。神カミを知シっての一日ヒトヒは、知シらぬ千日センニチよりも尊トウトい。始めハジめは自分ジブン本位ホンイの祈イノりでもよいと申モウしてあるなれども、何時イツまでも自分ジブン本位ホンイではならん。止ヤまると悪アクとなるぞ。神カミの理ミチは弥栄イヤサカぞ。動ウゴき働ハタラいて行イかなならん。善ゼンと悪アクとの動ウゴき、心得ココロエなされよ。悪アクは悪アクならず、悪アクにくむが悪アク。一月イチガツ三日ミッカ |
| 610 |
24_黄金の巻 |
第99帖
内ウチにあるもの変カエへれば外ソトからうつるもの、響ヒビいて来クるもの変カワって来クるぞ。内ウチが外ソトへ、外ソトが内ウチへ響ヒビくのぢゃ。妻ツマにまかせきった夫オット、夫オットにまかせきった妻ツマの姿スガタとなれよ。信仰シンコウの真シンの道ミチひらけるぞ。一皮ヒトカワむけるぞ。岩戸イワトひらけるぞ。不二フジ晴ハれるぞ。一月イチガツ三日ミッカ |
| 611 |
24_黄金の巻 |
第100帖
真理シンリを理解リカイして居オれば心配シンパイいらん。失敗シッパイも財産ザイサンぞ。真剣シンケンで求モトめると真剣シンケンさずかるぞ。求モトめるとは祈イノること。よく祈イノるものは よく与アタへられる。日々ヒビの祈イノりは行ギョウであるぞ。百年ヒャクネン祈イノりつづけても祈イノりだけでは何ドもならん。それは祈イノり地獄ジゴクぢゃ。祈イノり地獄ジゴク多オオいのう。肉体人ニクタイジンは肉体ニクタイの行ギョウせねばならん。日々ヒビの祈イノり結構ケッコウいたしくれよ。次ツギの祈イノりは省カエリみることぞ。いくら祈イノり行ギョウじても自分ジブン省カエリみねば、千年センネン行ギョウじても何ドもならん道理ドウリぢゃ。同オナじ山ヤマに登ノボったり降クダったり、御苦労ゴクロウのこと、馬鹿バカの散歩サンポと申モウすもの。悔クいあらためよと申モウしてあらう。省カエリみて行ギョウずるその祈イノり弥栄イヤサカえるぞ。平面ヘイメンの上ウエでいくら働ハタラいても、もがいても平面行為ヘイメンコウイで有限ユウゲンぞ。立体リッタイに入ハイらねばならん。無限ムゲンに生命イノチせねばならんぞ。立体リッタイから複立体フクリッタイ、複々立体フクフクリッタイ、立々体リツリッタイと進ススまねばならん。一イチから二ニに、二ニから三サンにと、次々ツギツギに進ススめねばならん。進ススめば進ススむ程ホド、始ハジめに帰カエるぞ。 に到イタるぞ。立体リッタイに入ハイるとは誠マコトの理解リカイ生活セイカツに入ハイることぞ。無限ムゲンに解トけ入イることぞ。イワトあけなば二二フジ輝カガヤくぞ。弥栄イヤサカ々々イナサカ。一月イチガツ十八日ジュウハチニチ |
| 612 |
25_白金の巻 |
第1帖
天地アメツチのことわり書カき知シらすぞ。この巻マキしろかねの巻マキ。
天国テンゴクぢゃ、霊国レイコクぢゃ、地獄ジゴクぢゃ、浄土ジョウドぢゃ、穢土エドぢゃと申モウしてゐるが、そんな分ワけへだてはないのであるぞ。時トキ、所トコロ、位クライに応オウじて色々イロイロに説トき聞キかせてあるのぢゃが、時節ジセツ到来トウライしたので、まことの天地アメツチのことわりを書カき知シらすぞ。三千サンゼンの世界セカイの中ナカの一ヒトつがそなた達タチの世界セカイであるぞ。この世ヨも亦マタ三千サンゼンに分ワカれ、更サラに五千ゴセンに分ワカれてゐるぞ。このほう五千ゴセンの山ヤマにまつれと申モウしてあろう。今イマの人民ジンミンの知シり得エる世界セカイはその中ナカの八ヤッつであるぞ。人民ジンミンのタネによっては七ナナつしか分ワカらんのであるぞ。日ヒの光ヒカリを七ナナつと思オモうてゐるが、八ハチであり、九クであり、十トウであるぞ。人民ジンミンでは六ムッつか七ナナつにしか分ワけられまいが。イワトがひらけると更サラに九キュウ、十ジュウとなるぞ。かくしてある一厘イチリンの仕組シクミ、九十コトの経綸ケイリン、成就ジョウジュした暁アカツキには何ナニも彼カも判ワカると申モウしてあらうが。八ヤッつの世界セカイとは、 、 、 、ア、オ、ウ、エ、イであるぞ。八ハチは固コ、七ナナは液エキ、六ロクは気キ、五ゴはキ、四ヨンは霊レイの固コ、三サンは霊レイの液エキ、二ニは霊レイの気キ、一イチは霊レイのキ、と考カンガへてよいのぢゃ。キとは気キの気キであるぞ。その他ホカに逆ギャクの力チカラがあるぞ。九キュウと十ジュウであるぞ。その上ウエに又マタ霊レイの霊レイの個コから始ハジまってゐるのであるが、それはムの世界セカイ、無限ムゲンの世界セカイと心得ココロエよ。霊界レイカイに入ハイって行イけば、その一部イチブは知シれるなれど、皆ミナ直タダちには判ワカらないのであるぞ。判ワカらんことは判ワカらんと、わからねばならんと申モウしてあらうがな。天テン、息吹イブけば、地チ、息吹イブくと申モウしてあろう。このことよくわきまえよ。地クニの規則キソク、天アメの規則キソクとなることあると申モウして知シらしてあらう。この大切タイセツこと忘ワスれるでないぞ。おもひの世界セカイが天アメぞ。にくの世界セカイが地クニぞ。おもひは肉体ニクタイと一ヒトつぞ。二フタつぞ。三ミッつぞ。おもひ起オコって肉体ニクタイ動ウゴくぞ。肉体ニクタイ動ウゴいておもひ動ウゴくこともあるぞ。生ウマれ赤児アカゴの心ココロになって聞キいて下クダされよ。何ナニも彼カも、ハッキリうつるぞ。陰インと陽ヨウ、右ミギと左ヒダリ、上ウエと下シタ、前マエと後ウシロ、男オノコと女オミナと考カンガへてゐるなれど、タカミムスヒとカミムスヒと考カンガへてゐるなれど、別ベツのミナカヌシ、現アラはれるぞ。 、 、 、 、 、 、 、 、卍、 、 、 、よく見ミて下クダされよ。一イチであり、二ニであり、三サンであらうがな。三サンが道ミチと申してあろう。陰陽インヨウ二元ニゲンでないぞ。三元サンゲンぞ。三ミッつであるぞ。 なくてはならん。 にもかくれた と現アラわれた とがあるぞ。このこと先マづ心得ココロエて下クダされよ。そなた達タチは父チチと母ハハと二人フタリから生ウマれ出デたのか。さうではあるまいがな。三人サンニンから生ウマれ出デてゐること判ワカるであらうがな。どの世界セカイにも人ヒトが住スんでゐるのであるぞ。 の中ナカに があり、その中ナカに又マタ があり、限カギりないのざと知シらせてあらうが。そなた達タチの中ナカに又マタ人ヒトがゐて限カギりないのぢゃ。このほう人民ジンミンの中ナカにゐると知シらしてあらうがな。そなた達タチも八人ハチニン、十人ジュウニンの人ヒトによって生イきてゐるのぞ。又マタ十二人ジュウニニンでもあるぞ。守護神シュゴシンと申モウすのは心ココロのそなた達タチのことであるが、段々ダンダン変カワるのであるぞ。自分ジブンと自分ジブンと和合ワゴウせよと申モウすのは、八人ハチニチ十人ジュウニンのそなた達タチが和合ワゴウすることぞ。それを改心カイシンと申モウすのざぞ。和合ワゴウした姿スガタを善ゼンと申モウすのぢゃ。今迄イママデの宗教シュウキョウは肉体ニクタイを悪アクと申モウし、心ココロを善ゼンと申モウして、肉体ニクタイをおろそかにしてゐたが、それが間違マチガひであること合点ガテンか。一切イッサイがよいのぢゃと云イふこと合点ガテンか。地獄ジゴクないこと合点ガテンか。悪アク抱ダき参マイらせよと申モウしてあること、これで合点ガテンか。合点ガテンぢゃナア。各々オノオノの世界セカイの人ヒトがその世界セカイの神カミであるぞ。この世ヨではそなた達タチが神カミであるぞ。あの世ヨでは、そなた達タチの心ココロを肉体ニクタイとしての人ヒトがゐるのであるぞ。それがカミと申モウしてゐるものぞ。あの世ヨの人ヒトをこの世ヨから見ミると神カミであるが、その上カミから見カミると人ヒトであるぞ。あの世ヨの上カミの世ヨでは神カミの心ココロを肉体ニクタイとして神カミがゐますのであって限カギりないのであるぞ。裏ウラから申モウせば、神様カミサマの神様カミサマは人間様ニンゲンサマぢゃ。心ココロの守護神シュゴシンは肉体ニクタイぢゃと申モウしてあらうがな。肉体ニクタイが心ココロを守マモってゐるのであるが、ぢゃと申モウして肉体ニクタイが主人顔シュジンガオしてはならんぞ。何処迄ドコマデも下シモに従シタガふのぢゃ。順ジュン乱ミダすと悪アクとなるぞ。生ウマれ赤児アカゴふみこえ、生ウマれ赤児アカゴになって聞キいて下クダされよ。そなた達タチの本尊ホンゾンは八枚ハチマイ十枚ジュウマイの衣コロモ着キているのぢゃ。死シと云イふことは、その衣コロモ、上カミからぬぐことぢゃ。ぬぐと中ナカから出デて来キて又マタ八枚ハチマイ十枚ジュウマイの衣コロモつけるやうになってゐるのぢゃ。判ワカるやうに申モウしてゐるのぢゃぞ。取違トリチガひせんやうにせよ。天テンから気キが地チに降フって、ものが生命イノチし、その地チの生命イノチの気キが又マタ天テンに反影ハンエイするのであるが、まだまだ地チには凸凹デコボコあるから、気キが天テンにかへらずに横ヨコにそれることあるぞ。その横ヨコの気キの世界セカイを幽界ユウカイと申モウすのぢゃ。幽界ユウカイは地チで曲マげられた気キのつくり出ダしたところぢゃ。地獄ジゴクでないぞ。十二月ジユウニガツ十四日ジュウヨッカ |
| 613 |
25_白金の巻 |
第2帖
判ワカるやうに申モウすならば、宇宙ウチュウは 真と愛アイとの現アラはれであるぞ。愛アイと真シンではない。 、愛アイ、真シン、善ゼン、智チであるが、愛真アイシンでもなく、善智ゼンチでもないぞ。愛アイと真シンが善ゼンと智チと現アラはれ、喜ヨロコびとなってはたらき、 が加クワわって弥栄イヤサカえた生命イノチであるぞ。愛アイのみと云イふものないぞ、真シンのみと云イふものないぞ。愛アイと現アラはれ真シンと現アラはれるのであるぞ。人間ニンゲンには現アラはれたものだけより判ワカらんのであるが、ことわけて申モウすならば愛アイには真シンかくれ、真シンには愛アイかくれ、その奥オクに があるのぢゃ。人間ニンゲンはおやを父チチと母ハハとに区別クベツしてゐるが、母ハハと現アラはれる時トキは父チチその中ナカに居オり、父チチと現アラはれる時トキはその中ナカに母ハハゐるのであるぞ。何イズれも親オヤであるぞ。父チチとなり母ハハとなり現アラはれるのであるぞ。愛アイと真シン、善ゼンと智チと区別クベツして説トかしておいたが、それは今迄イママデのこと、いつまでもそんなところでまごまごさしてはおけんぞ。 が判ワカらねばならん。 の が判ワカらねばならん。男オノコの魂タマシイは女オミナ、女オミナの魂タマシイは男オノコと申モウしてあらう。人間ニンゲンの目メに愛アイとうつるものは外ソトの愛アイ、真シンとうつるものは外ソトの真シンぞ。中ナカから申モウせば外ソトは御役オヤクの悪アクであるぞ。今イマが過去カコで、今イマが未来ミライぞ。時間ジカンにふみ迷マヨふなよ。空間クウカンに心ココロふみ迷マヨふでないぞ。皮カワ一枚イチマイぬいで心ココロでよく考カンガへなされ。いつも日ヒが出デてゐるでないか。月ツキ輝カガヤいて御座ゴザるでないか。力チカラそのものに、力チカラはないのであるぞ。霊レイと肉ニクの結ケスびのみで力チカラ現アラはれるのでないぞ。プラスとマイナスと合アワせて組クみて力チカラ出デると思オモうてゐるのであらうが、一歩イッポふみ出ダさねばならんぞ。プラスとマイナスと合アわせたのではプラスとマイナスぞ。力チカラ出デないのざ。 の力チカラが加クワわって其処ソコにヨロコビ出デて、理ミチとなり、なり、なりて真実シンジツと現アラはれるのぞ。弥栄イヤサカが真実シンジツぞ。神カミぞ。神カミの心ココロぞ。竜神リュウジンと申モウしてゐるが竜神リュウジンにも二通フタトオりあるぞ。地チからの竜神リュウジンは進化シンカして行イくのであるぞ。進化シンカをうそざと思オモふは神様迷信カミサマメイシンぞ。一方イッポウ、天テンからの竜神リュウジンは退化タイカして行イくのであるぞ。この二フタつの竜神リュウジンが結ムスばれて人間ニンゲンとなるのであるぞ。人間ニンゲンは土ツチでつくって、神カミの気キ入イれてつくったのざと申モウしてあらうがな。イワトしめとイワトひらきの二フタつの御用ゴヨウのミタマあると申モウしてあらうが。ミタマの因縁インネン恐オソろしいぞ。愛アイと智チは呼吸コキュウして喜ヨロコびとなるのであるぞ。よろこびは形カタをとる。形カタなく順序ジュンジョなきもの であるぞ。善ゼンと真シンのはたらきを完全カンゼンにするには、善ゼンと真シンとの差別サベツをハッキリとさせねばならんぞ。とけ合アはせ、結ムスんでヨロコビと現アラはれるのであるが、区別クベツすることによって結ムスばれるのであるぞ。 しなければならん。すればする程ホド力チカラ強ツヨくとけ合アふのであるぞ。大オオき喜ヨロコびとなるのであるぞ。このこと日月ヒツキの民タミには判ワカるであらうな。道ミチは三ミッつぞ。合点ガテンぢゃなあ。小ショウの中ナカに大ダイあるぞ。無ムの中ナカに有ウ有アるぞ。もの益々マスマス小チイさければ、益々マスマス清キヨければ、益々マスマス内ウチに大オオきなものあり、益々マスマス純ジュンなものあるぞ。神カミはそなたの中ナカにあるが外ソトにもあると申モウしてあらうがな。 ウムよく見ミて下クダされよ。愛アイはそのまま愛アイでないぞ。真シンはそのまま真シンでないぞ。善ゼンはナマでは善ゼンでないぞ。智チはナマでは智チでないぞ。 入イれて、結ムスんで解トけてヨロコビとなるのざ。ヨロコビ生命セイメイぞ。宇宙ウチュウの総スベて生命セイメイであるぞ。一月イチガツ一日ツイタチ |
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25_白金の巻 |
第3帖
の中ナカの の中ナカの は一イチであり、二ニとひらき、三サンと生命イノチするぞ。理ミチは一ヒで二フで、三ミであると申モウしてあらう。一ヒも二フも三ミも同オナじであり、違チガって栄サカえるのざ。一二三ヒフミであるぞ。このこと教オシへられても判ワカるまい。ハラで判ワカる大切タイセツこと、ハラ大切タイセツぞ。かたまってはならん。 に捉トラはれると は判ワカらん。地チの定規ジョウギではかってはならん。如何イカなる天国テンゴクも自分ジブンでつくるのぞ。そろばん捨スてよと申モウしてあらうがな。よろこびは理ミチぞ。数カズぞ。言コトぞ。真理シンリぞ。愛善アイゼンぞ。生命イノチのイキと云イふこと判ワカるであらう。天国テンゴクと申モウすのは一人ヒトリの大オオきな人間ニンゲンであるぞ。天国テンゴクは霊人レイジンのみの住スむ所トコロでないぞ。そなた達タチも今イマ住スんでゐるでないか。霊人レイジンも現界ゲンカイに住スんでゐるでないか。現界ゲンカイをはなれて天国テンゴクのみの天国テンゴクはないのであるぞ。故ユエにこそ、現界ゲンカイで天国テンゴクを生ウみ出ダし、天国テンゴクに住スめんものが、死シんで天国テンゴクへ住スめる道理ドウリないのぢゃ。アメツチと申モウしてあらう。この道理ドウリよくわきまえよ。善ゼンとか悪アクとか真シンとか偽ギとか愛アイとか憎ゾウとか申モウすのは相対ソウタイの天国テンゴクぞ。まことの天国テンゴクには喜ヨロコびのみが生イきてゐるのであるぞ。喜ヨロコびの中ナカにとけ入イって、喜ヨロコびのものとなってゐるのであるぞ。喜ヨロコび食ショクし、喜ヨロコび着キ、喜ヨロコびを呼吸コキュウし、喜ヨロコび語カタり合アって、嬉ウレし嬉ウレしとなるのぞ。いらんものは形カタが変カワって来クる。新アタラしき生命イノチ湧ワき出イズるのであるぞ。善ゼンが悪アクと、真シンが偽ギと変カワった時トキは死シとなるぞ。その死シは新アタラしき別ベツの生命アノチと現アラはれて、新アタラしき形カタの、新アタラしき世界セカイの善ゼンとなり真シンとなるのぞ。善ゼンも悪アクもないのざと申モウしてあらう。善悪ゼンアクはあるが無ナいのざと申モウしてあること判ワカりたか。自分自身ジブンジシン、己オノレの為タメの善ゼンは死シし、善ゼンの為タメの善ゼンは弥栄イヤサカえるぞ。死シんだものは新アタラしき形カタをとって生命イノチするのであるぞ。弥栄イヤサカの道ミチ、神カミの喜ヨロコび人間ニンゲンの喜ヨロコびの中ナカにあるぞ。愛アイざと申モウして愛アイに囚トラはれて御座ゴザるぞ。真シンざと申モウして真シンに囚トラはれて御座ゴザるぞ。喜ヨロコびに生イきよ。宗教シュウキョウに囚トラはれてはならん。道ミチに囚トラはれてはならん。喜ヨコロびに生イきて、喜ヨロコびに囚トラはれるなよ。お互タガイに喜ヨロコびの湧ワき出イづることでなければ真シンの愛アイでないぞ。理ミチでないぞ。天国テンゴクに理ミチあると申モウすが、今イマの人間ニンゲンの申モウしたり、考カンガへたりするやうな道ミチでないぞ。道ミチなき理ミチと申モウしてあらうが。喜ヨロコびが理ミチであるぞ。嬉ウレし嬉ウレしの理ミチ、早ハヨう合点ガテンせよ。生命イノチ栄サカえるもの皆ミナ喜ヨロコびであるぞ。信仰シンコウとは、その喜ヨロコびの中ナカにとけ入イることぞ。生セイも死シもなくなるのざ。時間ジカンや空間クウカンを入イれるから、知チ-血-、通カヨはなくなるのぞ。一月イチガツ二日フツカ |
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25_白金の巻 |
第4帖
凸凹デコボコあるから力チカラあらはれるのぞ。凸凹デコボコあるため、善ゼンのみでも呼吸イキし、又マタ真シンのみでも呼吸イキするのであるぞ。偽善者ギゼンシャも真シンを語カタり、真シンを伝ツタへ得エるのであるぞ。愛アイを云イひ得エるのであるぞ。幽界ユウカイと申モウすのは凸凹デコボコのうつしの国クニと申モウしてあらうがな。地獄ジゴクではないのざ。仙人センニンは幽界ユウカイに属ゾクしてゐるのざと聞キかしてあらうが。取違トリチガひして御座ゴザるぞ。愛アイは真シンと和ワして愛アイと生イき、真シンは愛アイと和ワし、愛アイによって真シンの力チカラ現アラはれるなれど、愛アイのみでも愛アイであるぞ。真シンのみでも真シンであるぞ。只タダはたらき無ナいのざ。能ハタラキないもの力チカラないぞ。喜ヨロコびないぞ。喜ヨロコびないもの亡ホロびるのざ。 入ハイらねば悪アクとなるぞ。能ハタラキなきもの罪ツミぞ。穢ケガれぞ。善ゼンと悪アクと二道フタミチかけてならんぞ。理ミチは一本イッポンと申モウしてあらう。悪アクは悪アクとして御役オヤクあるぞ。悪アクと偽イツワりの中ナカに悪アクの喜ヨロコびあるぞ。善ゼンと悪アクの二道フタミチの中ナカには、二道フタミチかけては喜ヨロコびないぞ。喜ヨロコびないもの亡ホロびるのざ。御役オヤクの悪アクとは悪アクと偽イツワりの悪アクであるぞ。悪アクと善ゼンとの二道フタミチかけての悪アクでないぞ。心ココロせよ。悪アクは悪アクにのみ働ハタラきかけ得エるのであるぞ。善ゼンに向ムカって働ハタラいても、善ゼンはビクともせんのぢゃ、ビクつくのは、悪アクに引込ヒキコまれるのは、己オノレに悪アクあるからぞ。合アワせ鏡カガミと申モウしてあらうが。悪アクの気キ断タちて下クダされと申モウしておらう。心ココロの鏡カガミの凸凹デコボコなくなれば悪アクうつらないのざ。悪アクはなきものぞ。無ナきとは力チカラ無ナきことぞ。悪アクあればこそ向上コウジョウするのであるぞ。悔クい改アラタめ得エて弥栄イヤサカするのであるぞ。人間ニンゲンの能ハタラキあるのざぞ。 を忘ワスれてはならん。一月イチガツ二日フツカ |
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25_白金の巻 |
第5帖
人間ニンゲンに自由ジユウはないのであるぞ。真シンの自由ジユウは、大神オオカミにのみあるものぞ。大神オオカミの自由ジユウの一部イチブが御喜オヨロコびと共トモに神カミに流ナガれ入イり、神カミに流ナガれ入イった自由ジユウは、又マタ神カミの喜ヨロコびとなって人間ニンゲンに流ナガれ入イるから、人間自身ニンゲンジシンは自由ジユウをもってゐると信シンずるのであるぞ。本質的ホンシツテキには自由ジユウはないのであるぞ。人間ニンゲンには自由ジユウの影カゲがあり、反影ハンエイあるのざ。それを人間ニンゲンは自由ジユウと心得ココロエてゐるのであるぞ。自由ジユウの反影ハンエイあるから、悪アクにも善ゼンにも、陽ヨウにも陰インにも為ナし得エるのであるぞ。又マタ進歩シンポ、弥栄イヤサカするのであるぞ。悪アク自由ジユウを、人間ニンゲンは自由ジユウと心得ココロエてゐるが、それは自由ジユウではなく、自分自身ジブンジシン首クビくくるものぞ。善ゼン自由ジユウこそ真シンの自由ジユウであるぞ。自由ジユウは神カミから流ナガれ出デると申モウしてあらう。他ホカの世界セカイと交流コウリュウするは、他ホカの世界セカイに住スむ人間ニンゲンを通ツウじてするのであるぞ。世界セカイとは人間ニンゲンのことでもあるぞ。人間ニンゲンが世界セカイであるぞ。よく心得ココロエされよ。+-陽ヨウ-と--陰イン-と と であるぞ。+の陰インには-があり、-の陰インには+がある。その和ワの状態ジョウタイが であり イノチするのであるぞ。+は+のみでは力チカラないぞ。-は-だけでは力チカラないぞ。+と-とだけでも動ウゴきないぞ。生命イノチの喜ヨロコびないのであるぞ。よく心得ココロエよ。 があって+-があり、+-があり があって和ワがあるのであるぞ。ここの道理ドウリよく得心ココロエ、合点ガテンせよ。+は人間ニンゲンにとって直接チョクセツの喜ヨロコびでない。 がぢきぢきの喜ヨロコびぞ。-も直接チョクセツではなく、 が直接チョクセツの喜ヨロコびであり、その二フタつが和ワし して嬉ウレし嬉ウレしと弥栄イヤサカえるのであるぞ。天地アメツチの中間チュウカンを中界チュウカイと申モウすぞ。天アメの息吹イブきと地クニの息吹イブきの中間チュウカンぞ。天国テンゴクへ行イくのも、行イかんのも先マづ落オちつく、死後シゴの始ハジめての世界セカイであるぞ。一月イチガツ二日フツカ |
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25_白金の巻 |
第6帖
元モトの元モトの から 、 の中界チュウカイを経ヘて、ウの現界ゲンカイに到イタる悉コトゴトくの世界セカイが皆ミナ人間ニンゲンに関係カンケイあるのであるから、肉体ニクタイはウであるが、魂タマシイは に通ツウじてゐるのであるから、 はヨロコビであるから、喜ヨロコびが人間ニンゲンの本体ホンタイであるから、神界シンカイと云イひ、現界ゲンカイと云イひ、一本イッポンの国クニであるから、人間ニンゲンからすれば、人間ニンゲンが土台ドダイであるから、神カミの礎イシズエであるから、神カミしづまれば神人カミヒトとなるのであるから、神界シンカイ、中界チュウカイ、現界ゲンカイつらぬきて居オらねば、マコトの和合ワゴウして居オらねば、マコトの喜ヨロコびでないから、マコトの喜ヨロコびが大神オオカミであるから、大神オオカミの働ハタラきは人間ニンゲンによるものであるから、心ココロせねばならんぞ。 せねばならんぞ。天使テンシと云イひ、天人テンジンと申モウすも、みなそれぞれの国クニの人間ニンゲンであるから、喜ヨロコびの人間ニンゲンであるから、この道理ドウリ判ワカりたら、地クニの世界セカイと、中ナカの世界セカイと、天アメの世界セカイと、みな同オナじであるから、もちつもたれつであるから、三千世界サンゼンセカイであるから、地クニの上ウエに禍ワザワイあると、天アメの国クニにも禍ワザワふのであるから、天アメの国クニの生活セイカツは地クニの上ウエに根ネをつけてゐるのであるから、遠トオくにあるのでないぞ。同オナじ所トコロにあるのであるぞ。幽界ユウカイと申モウすのは道ミチを外ハズれた国クニのことざと知シらしてあらうがな。地獄ジゴク無ナいと申モウしてあらうがな。このこと間違マチガはんやうに、地獄ジゴク地獄ジゴクの言葉コトバ、やめて下クダされよ。言葉コトバからモノ生ウむのぞ。只タダモノが違チガふのみであるから、人間ニンゲンの心ココロが神カミに通ツウずるときは喜ヨロコびとなり、幽人ユウジンに通ツウずるときは悲カナしみとなるのであるぞ。通ツウずる心ココロあるから心ココロに自由ジユウあるのであるぞ。弥栄イヤサカあるのであるぞ。この道理ドウリよくわきまへて下クダされよ。天人テンジンに結婚ケッコンもあれば仕事シゴトもあるぞ。死シも亦マタあるのであるぞ。死シとは住スむ段階ダンカイの違チガふ場合バアイに起オる現象ゲンショウぞ。死シとは生イきることぞ。人間ニンゲンは皆ミナ、かみかかってゐるのであるぞ。かみかかってゐないもの一人ヒトリも居オらんのぢゃ。かみかからんものは呼吸コキュウせんのぢゃ。このこと判ワカりて居オらうがな。霊人レイジンは人間ニンゲンの心ココロの中ナカに住スんでゐるのであるぞ。心ココロを肉体ニクタイとして住スんでゐるのぢゃ。その中ナカに又マタ住スんでゐるのぢゃ。ひらたう説トいて聞キかしてゐるのぢゃ。霊人レイジンと和合ワゴウしてゐるから、かみかかりであるからこそ、三千世界サンゼンセカイに働ハタラき栄サカえるのぢゃぞ。神界シンコカイのことも判ワカる道理ドウリぢゃ。幽界ユウカイのことも判ワカる道理ドウリぢゃ。人間ニンゲンの云イふかみかかりとは幽界ユウカイのカミかかりぢゃ。ろくなことないのぢゃ。かみかかりにも、かみかかりと判ワカらんかみかかり結構ケッコウぢゃなあ。まことぢゃなあと知シらしてあるのに未マだ判ワカらんのか。五月ゴガツ八日ヨウカ |
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25_白金の巻 |
第7帖
天国テンゴクがうつって地クニが出来デキてゐるのぢゃから、霊レイの国クニは更サラに立派リッパ、微妙ビミョウぞ。天界テンカイのもの光ヒカり輝カガヤき幽界ユウカイのもの暗クラくなる違チガひあるだけぢゃ。その時トキの状態ジョウタイによって変化ヘンカするが、総スベては神カミが与アタへたのぢゃ、現界ゲンカイ同様ドウヨウ、与アタへられてゐるのぢゃと知シらしてあらうがな。時間ジカン、空間クウカンもあるのであるが、ないのであるぞ。同オナじ状態ジョウタイにあれば同オナじ処トコロに住スみ、変化ヘンカすれば別ベツの所トコロに住スむのであるぞ。見ミようと思オモへば、念ネンの中ナカに出デて来キて、見ミること、語カタること出来デキるのぢゃ。見ミまいとすれば見ミえんのぢゃ。自分ジブンで見ミ、自分ジブンで語カタるのぢゃぞ。時トキ、所トコロ、位クライ、総スベてが想念ソウネンの中ナカ、想念ソウネンのままに現アラはれて来クるのであるぞ。判ワカるやうに申モウすならば、時間ジカンも空間クウカンも映像エイゾウであって、情態ジョウタイが変カワるのみのことであるぞ。情態ジョウタイのもと、本質ホンシツは限カギりないから、無限ムゲンであるから、自由ジユウであるから、霊界レイカイは無限ムゲン、絶対ゼッタイ、自由自在ジユウジザイであるぞ。現界ゲンカイでは、時間ジカンに順ジュンに得エたものでも、心ココロの中ナカでは時間ジカンに関係カンケイなく、距離キョリに関係カンケイなく、一所ヒトトコロへならべられるであらうがな。心ココロの世界セカイで、時間ジカン、空間クウカンのない道理ドウリこれでよく判ワカるであらうがな。五月ゴガツ八日ヨウカ |
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26_黒金の巻 |
第1帖
汽車キシャあれば汽車キシャに乗ノれよ。飛行機ヒコウキあれば飛行機ヒコウキに乗ノれよ。歩アルいたり、馬ウマで行イくのでは間マに合アはんことになってゐるぞ。昔ムカシのままの宗教シュウキョウのやり方カタではならん。根本コンポンはよくても中々ナカナカに目的地モクテキチにはつかん。飛行機時代ヒコウキジダイには飛行機ヒコウキに乗ノれよ。乗ノって進ススむ宗教シュウキョウの道ミチによらねばならん。今イマは今イマの姿スガタが真実シンジツぞ。そなたの頭アタマで割ワり切キれんと申モウしてブツブツ申モウすでないぞ。あるものそのものが真実シンジツであるぞ。そのあるものを拝オロガみ、祝福シュクフクして、其処ソコから出発シュツパツせよ。現在ゲンザイを祝福シュクフクすることは過去カコを、未来ミライを、総スベてを祝福シュクフクすることぞ。たとへ如何イカなる現在ゲンザイも、その現在ゲンザイを祝福シュクフクせねばならん。喜ヨロコびせねばならん。喜ヨロコびもとと申モウしてあらうがな。この巻マキくろかねの巻マキ。一月イチガツ二十三日ニジュウサンニチ |
| 620 |
26_黒金の巻 |
第2帖
一切イッサイに向ムカって涙ナミダせよ。ざんげせよ。一切イッサイを受ウけ入イれ、一切イッサイを感謝カンシャせよ。一切イッサイが自分ジブンであるぞ。一切イッサイが喜ヨロコびであるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 621 |
26_黒金の巻 |
第3帖
理屈リクツは一方的イッポウテキのものぞ。どんな理屈リクツも成ナり立タつが、理屈程リクツホド頼タヨりないもの、力チカラにならんものないぞ。理リが カミの御能オンハタラキぞ、よく見極ミキワめねば間違マチガうぞ。囚トラはれるなよ。他タの為タメに苦労クロウすることは喜ヨロコびであるぞ。全体ゼンタイのために働ハタラくことは喜ヨロコびぞ。光ヒカリの生命イノチぞ。誰ダレでも重荷オモニ負オはせてあるのぢゃ。重荷オモニあるからこそ、風カゼにも倒タオれんのざ。この道理ドオリ、涙ナミダで笑ワラって汗アセで喜ヨロべよ。それとも重荷オモニ外ハズしてほしいのか。重オモい重荷オモニもあるぞ。軽カルい重荷オモニもあるぞ。今イマまいた種タネ、今日キョウや明日ウスには実ミノらんのざ。早ハヤく花ハナが見ミたく、実ミがほしいからあせるのぢゃ、人間ニンゲンの近慾チカヨクと申モウすもの。神カミの大道オオミチに生イきて実ミノりの秋トキまてよ。まいた種タネぢゃ。必カナラず実ミノる。誰ダレも横取ヨコドりはせんぞ。万倍マンバイになってそなたにかへると申モウしてあらう。未来ミライにもえつつ現在ゲンザイにもえよ。神カミ相手アイテに悠々ユウユウと天地アメツチに歩アユめ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 622 |
26_黒金の巻 |
第4帖
道ミチは自分ジブンで歩アユまねばならん。自分ジブンの口クチで食物タベモノ噛カまねばならん。かみしめよ。ウジ虫ムシに青畳アオダタミ、苦クのたねぢゃ。畳タタミには畳タタミにすはるだけの行ギョウしてから坐スワらなならん。生命イノチはコトぞ。コトはミコトぢゃ。ミコトは神カミの心ココロであるぞ。喜ヨロコびであるぞ。ミコトに生イきよと申モウしてあらう。コトあればオトあるぞ。オトあればイロあるぞ。イロあればカズあるぞ。善ゼンにも神カミの心ココロあり。悪アクにも神カミの心ココロがある。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 623 |
26_黒金の巻 |
第5帖
プラスとマイナスと和合ワゴウせねばならん。只タダの和合ワゴウではムになって力チカラ出デんぞ。今迄イママデの和合ワゴウのやり方カタではならん。喜ヨロコびの和合ワゴウ。融トけ合アふ和合ワゴウ。 ある和合ワゴウでないと、少スコしでも曇クモりありたら和合ワゴウでないぞ。こらへこらへてゐるのでは和合ワゴウでないぞ。今迄イママデの和合ワゴウの仕方シカタではカスあるであらうがな。悪アクの和合ワゴウであるぞ。神示フデ肚ハラに入イれないで御用ゴヨウ六ムツヶ敷シいぞ。はじめは目標メアテつくって進ススまんと、行イったり来キたり同オナじ道ミチをドウドウめぐりぢゃ。掴ツカめる所トコロから掴ツカんで行イけよ。拝オロガんで行イけよ。統一トウイツした幸福コウフクこそ、二二フジ晴ハれの幸福コウフクぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 624 |
26_黒金の巻 |
第6帖
気キづいたことから早ハヨう改アラタめて下クダされよ。トコトン迄マデ行イって神カミがさすのでは人間ニンゲンの面目メンモクないから、人間ニンゲン同士ドウシでよく致イタし下クダされよ。只タダ有難アリガタいだけではならん。仕事シゴトせねばならん。努力ドリョクせねばならん。ぢっとしてゐては進ススめん道理ドウリぢゃ。あかりつけなければ闇ヤミのよは歩アルけんぞ。それぞれのあかりとなれよ。油アブラは神示フデぢゃ。油アブラつきん、いくらでもあかりつけて下クダされよ。マツリから出直デナオせよと申モウしてあらう。結構ケッコウに大オオきまつり、小チイさいまつり、まつろひて下クダされよ。神心カミココロになれば、神カミありやかに見ミえるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 625 |
26_黒金の巻 |
第7帖
芽ネを出ダしたから間引マビかなならん。神示フデ読ヨんで、神示フデ読ヨまん人間ニンゲンと神示フデ肚ハラに入ハイり込コンんでもう大丈夫ダイジョウブと、神カミが見届ミトドけた人間ニンゲンと間引マビくのであるぞ。肚ハラに入ハイった芽ネは間引マビいて他ワカに植ウゑかへるのぢゃ。読ヨんで読ヨまんもの、間引マビいて肥料ヒリョウとするぞ。わざわざ遠トオい所トコロへお詣マイりせんでも、自分ジブンの家イエにまつってあるのぢゃから、それを拝オロガめば同オナじことぢゃ、それでよいのぢゃと理屈リクツ申モウしてゐるが、格カクの上ウエの所トコロへ求モトめて行イくのが仁義ジンギ、礼儀レイギと申モウすもの。キあれば必カナラず出来デキるのぢゃ。立替タテカエ致イタさずにゆけば、この世ヨはゆく程ホド悪ワルくつまるのであるぞ。早ハヨうメザメよ。マツリせねば真理シンリは通トオらん。子供コドモにまつろはねば子供コドモ導ミチビけん道理ドウリ。自分ジブン判ワカれば一切イッサイありやか。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 626 |
26_黒金の巻 |
第8帖
神カミの申モウすやうにすれば神カミが護マモるから、何事ナニゴトも思オモふ様ヨウにスラリスラリと心配シンパイなく出デて来クるぞ。区別クベツと順ジュンをわきまへて居オれば、何様ナニサマを拝オロガんでもよい。時トキ、所トコロ、位クライに応オウじて誤アヤマらねば弥栄イヤサカえるぞ。同オナじ愛アイ、同オナじ想念ソウネンのものは自ミズカら集アツまって結ムスばれる。天国テンゴクのカタチ、ウツシが奥山オクヤマぞ。ミソもクソも一緒イッショにして御座ゴザるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第9帖
神心カミココロには始ハジめも終オワりも無ナいのぢゃ。総スベてがあるのであるぞ。世界セカイ見ミよ。三千世界サンゼンセカイよく見ミよ。総スベてが秘文ヒフミぢゃ。他力タリキの中ナカに自力ジリキあるのぞ。自分ジブンばかりでは成就ジョウジュせんぞ。足アシふみばかり。愛アイは愛アイのみでは愛アイでないぞ。真シンは真シンのみでは真シンでないぞと申モウしてあらうが。まつり合アワせて 入イれて愛アイとなり真シンとなるのぞ。愛アイのみ出デると悪アクとなり、真シンのみ出デると偽ギとなることあるぞ。偽イツワりと悪アクとまつりて善ゼンの働ハタラきすることあるぞ。心ココロせよ。一月イチガツ二十二日ニジュニニチ |
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26_黒金の巻 |
第10帖
むつかしいこと申モウさずに、ひらたう解トけと申モウしてあらうが。ミタマは上ジョウ中チュウ下ゲ三段サンダン、三段サンダンにわけて説トいて聞キかせねば仕組シクミおくれるぞ。はじめは神様カミサマがして下クダさるが、向上コウジョウすると自分ジブンでせねばならん。いつ迄マデも神カミを使ツカってゐてはならんぞ。理解リカイは真シンから、意志イシキは善ゼンからであるが、今迄イママデはそれでよいと説トいて来キたが、愈々イヨイヨイワトびらきとなったのであるから、二ツキの鍵カギわたすから、よく心得ココロエよ。今迄イママデの教オシエではマボロシぞ。力チカラないぞ。まつり合アワせて意志イシキと働ハタラき、 入イれて理解リカイ出来デキるのであるぞ。まつりまつりと申モウしてあらう。上カミのまつりぞ。マボロシとは人間ニンゲン智慧チエのこと。理屈リクツのことぢゃ。理屈リクツとは悪アクの学ガクのことぢゃ。理ミチでなければならぬ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 629 |
26_黒金の巻 |
第11帖
学ガク出ダすから、我ガ出ダすから行イき詰ツマるのぞ。生ウマれ赤児アカゴと申モウすのは学ガクも我ガも出ダさん水晶スイショウのことぞ。ねり直ナオして澄スんだ水晶スイショウ結構ケッコウ。親オヤの心ココロ判ワカったら手伝テツダひせねばならん。云イはれんさきにするものぢゃと申モウしてあらうが。いつ迄マデも小便ショウベンかけてゐてはならんぞ。人間ニンゲンは罪ツミの子コでないぞ。喜ヨロコびの子コぞ。神カミの子コぞ。神カミの子コなればこそ悔クい改アラタめねばならんぞ。真シンなき愛アイの道ミチ、悲カナしみの喜ヨロコびからも生ウマれることあるぞ。それは罪ツミの子コと申モウすのであるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 630 |
26_黒金の巻 |
第12帖
二ツギの御用ゴヨウはフデうつすことぢゃ。フデうつすとはフデを人間ニンゲンに、世界セカイにうつすことぞ。フデを中心チュウシンとした世界セカイのはたらきせよ。 通トオした人間ニンゲンの仕事シゴトつかへまつれよ。フデ とした世界セカイつくることぞ。フデに囚トラはれるから判ワカらん。フデすてて、仕事シゴトに神示フデ生イかして生活セイカツせよ。生活セイカツがフデぢゃ。判ワカりたか。早ハヨう次ツギの御用ゴヨウ急イソいで下クダされよ。宗教シュウキョウに生イきて、宗教シュウキョウに囚トラはれるでないぞ。仕事シゴトが宗教シュウキョウぢゃ。小チイさいことから始ハジめよ。小乗ショウジョウの行ギョウと馬鹿バカにするでないぞ。小乗ショウジョウの行ギョウから大乗ダイジョウの真理シンリを掴ツカむのであるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュニニチ |
| 631 |
26_黒金の巻 |
第13帖
理屈リクツで進ススんで行イくと、しまひには共喰トモグイから、われとわれを喰クふことになるぞ。神様カミサマを真剣シンケンに求モトめれば、神様カミサマは人間様ニンゲンサマを真剣シンケンに導ミチビいて下クダさるぞ。結構ケッコウに導ミチビいて下クダさるぞ。悪アクを意志イシキして善ゼンを理解リカイすること許ヨルさんぞ。悪アクを意志イシキして善ゼンを理解リカイせんとするのが悪アクぞ。善ゼンを意志イシキして悪アクを理解リカイせんとするのも悪アクぞ。悪アクを意志イシキして悪アクを理解リカイする処トコロに、善ゼンとしての悪アクの用ハタラキうまれるのざ。幽界ユウカイも亦マタ神カミのしろしめす一面イチメンのこと。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 632 |
26_黒金の巻 |
第14帖
悪アクの総大将ソウダイショウは奥オクにかくれて御座ゴザるのぞ。一ハジメの大将タイショウと二ツギの大将タイショウとが大喧嘩オオゲンカすると見ミせかけて、世界セカイをワヤにする仕組シクミ、もう九分クブ通ドオり出来デキてゐるのぢゃ。真シンの理解リカイに入ハイると宗教シュウキョウに囚トラはれなくなるぞ。形式ケイシキに囚トラはれなくなるぞ。真シンの理解リカイに入ハイらねば、真シンの善ゼンも、真シンの信シンも、真シンの悪アクも、真シンの偽イツワりも判ワカらんのぢゃ。今イマにイワトひらいてあきらかになったら、宗教シュウキョウいらんぞ。政治セイジいらんぞ。喜ヨロコびの歌ウタ高タカらかにナルトの仕組シクミ、二二フジにうつるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 633 |
26_黒金の巻 |
第15帖
人間ニンゲンを幸福コウフクにするのは心ココロの向ムけ方カタ一ヒトつであるぞ。人間ニンゲンはいつも善ゼンと悪アクとの中ナカにゐるのであるから、善ゼンのみと云イふこともなく悪アクのみと云イふこともない。内ウチが神カミに居オりて外ソトが人ヒトに和ワし、内ウチが霊レイに居オり外ソトが体カラダに和ワせば、それでよいのぢゃ。其処ソコに喜ヨロコび生ウマれるのぢゃ。神カミから出デた教オシエなら、他ホカの教オシエとも協力キョウリョクして共トモに進ススまねばならん。教派キョウハや教義キョウギに囚トラはれるは邪ジャの教オシエ。豚ブタに真珠シンジュとなるなよ。天国テンゴクの意志イシは人間ニンゲンの喜ヨロコびの中ナカに入ハイり、幽界ユウカイの意志イシキは悲カナしみの中ナカに入ハイる。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第16帖
いよいよ表オモテの守護シュゴと相成アイナったぞ。表オモテの守護シュゴとは、よいものもなく悪ワルいものもなく、只タダ喜ヨロコびのみの守護シュゴとなることぢゃ。悪ワルいもの悪ワルくなるのは表オモテの守護シュゴでないぞ。心得ココロエなされよ。一ヒトつの魂タマシイを得エることは一ヒトつの世界セカイを得エることぢゃ。人間ニンゲンは一人ヒトリでないぞ。神カミは善人ゼンニンの中ナカにも悪人アクニンの中ナカにも呼吸コキュウしてゐるぞ。悪アクなくては生イきて行イけん。悪アクは悪アクでないぞ。外道ゲドウの悪アクが悪アクであるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第17帖
霊レイばかりよくてもならん。体カラダばかりよくてもならん。もちつもたれつの世ヨであるぞ。判ワカらんのは、われが偉エラいと思オモってゐるからぞ。め覚サめればその日ヒその時トキからよくなる仕組シクミ、結構ケッコウ楽タノし楽タノしで どんな世ヨでも過スごせるのが神カミの道ミチ。智チの中ナカに悪アクをとり入イれるゆとりの出来デキんやうではマコト成就ジョウジュせんぞ。智チの中ナカには総スベてを取入トリイれて理解リカイ出来デキるやうになってゐるのであるぞ。愛アイの中ナカに悪アク入イれてはならんぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 636 |
26_黒金の巻 |
第18帖
目メさめたら起オき上アがるのぞ。起オき上アがらずには居オれまいが。神カミの命メイずることは丁度チョウドそのやうに人間ニンゲンにうつるのぞ。霊眼レイガンで見ミたり霊耳レイジで聞キいたりすることは間違マチガひ多オオいぞ。心ココロせよ。ものに対タイしては人間ニンゲンそのものが霊レイであるぞ。人間ニンゲンはこの世ヨの神カミと申モウしてあらうが。ものは人間ニンゲンの自由自在ジユウジザイ。偶像グウゾウは排ハイすべし。十像は拝ハイすべし。悪アクに行ユく
理ミチはないぞ。理ミチは善ゼンのみに通ツウじてゐるぞ。理ミチなきところ進ススむでないぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第19帖
愛アイからはなれた理解リカイはないぞ。善ゼンからはなれた真理シンリはないぞ。タネなくて芽メは出デん道理ドウリ。人間ニンゲンの智チで判ワカらんことは迷信メイシンぢゃと申モウしてゐるが、神界シンカイのことは神界シンカイで呼吸イキせねば判ワカらんのぢゃ。判ワカらん人間ニンゲンざから何ナンと申モウしても神カミを求モトめるより、愈々イヨイヨになりたら道ミチないことぞ。学ガクに囚トラはれてまだめさめん気キの毒ドクがウヨウヨ。気キの毒ドクぢゃなあ。人間ニンゲンは霊人レイジンのカタシロになるからこそ養トラはれてゐるのぢゃ。成長セイチョウして行イくのぢゃ。血チは愛アイによって生イき、愛アイはヨロコビによって生イきるのぢゃ。ヨロコビなき所トコロに愛アイはないのざぞ。 ないところ生命イノチ栄サカえんぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第20帖
まかせ切キらねばマコトの安心アンシン立命リツメイないぞ。まかせ切キるには、まかせ切キって安心アンシン出来デキる神カミをつかまねばならん。おかげ信心シンジンや病気ビョウキ)治ナオしの神カミではまかせ切キれまいがな。早キヨう合点ガテン結構ケッコウぞ。大オオきな生命イノチに通ツウずるものには死シはないぞ。通ツウじなければ死シあるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第21帖
身ミも心ココロも嬉ウレし嬉ウレしなるのがまことの神カミぢゃ。ものの嬉ウレしさだけではゼロぢゃ。たまの嬉ウレしさだけでもゼロぢゃ。よく心得ココロエなされよ。死後シゴのみ説トく宗教シュウキョウはゼロの宗教シュウキョウぢゃ。迷マヨふでないぞ。この世ヨで天国テンゴクに住スめんもの、天国テンゴクに行イける道理ドウリないのぢゃと申モウしてあらう。神カミは人間ニンゲンの命イノチ、人間ニンゲンは神カミの容イれものであると申モウしてあらう。人間ニンゲンの極キワまるところは神カミであるぞ。霊人レイジンは中間チュウカンの存在ソンザイぞ。人間ニンゲンは神カミへの土台ドダイぞ。この道理ドウリ判ワカるであらうが。 は三サン五ゴウ七シチぞ。三サンの から三サン五ゴの 。三サン五ゴウ七シチの 。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第22帖
顔カオまで変カワってゐるのに未マだ気キづかんのか。病気ビョウキに皆ミナがなってゐるのに未マだ気キづかんのか。何事ナニゴトも早ハヤい改心カイシン結構ケッコウ。自分ジブンで自分ジブンの心ココロの中ナカは中々ナカナカにつかめんものであらうがな。その中ナカに又マタ心ココロあり、又マタ中ナカに心ココロがあるのぢゃ。心ココロは神界シンカイぞ。霊界レイカイや神界シンカイのものを肉体ニクタイの自分ジブンで掴ツカまうとしても中々ナカナカぢゃ。うなぎつかみと申モウしてあらうが。ヌラリクラリと掴ツカんだ筈ハズが掴ツカんでないぞえ。掴ツカむには身ミトと魂タマと一ヒトつに和ワせねばならん。 から愛アイと智チとが生ウれると申モウしてあらうが。智チと愛アイとの和合ワゴウによって が又マタ生ウマれるのぢゃ。 は喜ヨロコびであるぞ。 の別ベツの であるぞ。その から又マタ別ベツの愛アイと智チが生ウマれ、又マタ別ベツの が喜ヨロコびとなり、その喜ヨロコびの愛アイと智チの喜ヨロコびと結ムスんで、又マタ喜ヨロコびの 生ウマれるのぢゃ。神カミは額ヒタイから入ハイって顔全体カオゼンタイに至イタり、全身ゼンシンに及オヨぶものであるぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第23帖
何事ナニゴトも体験タイケン結構ケッコウ。今イマの人民ジンミンの迷信メイシンと思オモふものの中ナカに正信セイシンあるぞ。正信セイシンと思オモふものの中ナカに迷信メイシン多オオいぞ。理解リカイは正信セイシン。神カミの気キ通カヨうたら、その気キを人間ニンゲンにうつす御役オヤク、救スクひの御役オヤクを結構ケッコウにつとめあげて呉クれよ。自分ジブンの自由ジユウにならんことは大オオき自分ジブンが自由ジユウにしてゐるのであるぞ。神カミとなれば、神人カミヒトとなれば何事ナニゴトも心ココロのまま。神カミとは神カミ、大神オオカミとは カミ一ヒ十トのこと。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 642 |
26_黒金の巻 |
第24帖
悪アクとはカゲのことであるぞ。斜ナナめに光ヒカリを頂イタダくから影カゲ出来デキるのぢゃ。影カゲは主人シュジンでないぞ。絶対ゼッタイは何ナンと申モウしても絶対ゼッタイぞ。相対ソウタイから神カミを求モトめると、相対ソウタイの神カミが顕アラはれるぞ。相対ソウタイで神カミの道ミチに導ミチビくこと中々ナカナカぢゃ。必カナラず後戻アトモドり、判ワカりはせんぞ。この神示フデ、肚ハラに入ハイったらグレンと変カワりて来クるぞ。早ハヨう肚ハラに入イれて下クダされよ。間マに合アはん。天テンの声コエは内ウチから聞キこえて来クる。人間ニンゲンの言葉コトバは外ソトから聞キこえて来クる。霊耳レイジと申モウすのは内ウチからぞ。耳ミミふさいでも聞キこえて来クるのぢゃ。悪霊自身アクリョウジシンは自身ジシンを悪アクと思オモうてないぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
| 643 |
26_黒金の巻 |
第25帖
心ココロは草クサにも木キにも石イシにもあるぞ。天テンにまたたく星ホシにもあるぞ。ただ薄ウスいか厚アツいかの相違ソウイであるぞ。 の中ナカの に悪アクは入ハイれんのであるぞ。外ソトの の中ナカに、外ソトの智チの中ナカに悪アクが入ハイるのぢゃ。人間ニンゲンの智チの中ナカには悪アクも善ゼンも入ハイるぞ。入ハイるからこそ、これは善ゼンぢゃ、これは悪アクぢゃと判ワカるのぢゃ。人間ニンゲンの自由ジユウは其処ソコにあるのぢゃ。自由ジユウなければ発展ハッテンないぞ。弥栄イヤサカないぞ。霊レイを信シンずる者モノは霊レイと語カタり、肉ニクを信シンずる者モノは肉ニクと語カタり得エるのぢゃ。人間ニンゲンそのものから湧ワき出イづる喜ヨロコびは無ナいぞ。よく心得ココロエなされよ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第26帖
神カミは理屈リクツではない。理リであるぞ。生イきた自由自在ジユウジザイの、見当ミアとれん、絶対ゼッタイであるぞ。只タダ求モトめるより他ホカに道ミチないぞ。親オヤ呼ヨぶ赤児アカゴの声コエで神カミを求モトめよ。神カミに呼ヨびかけよ。総スベてを投ナげ出ダせよ。まかせ切キれよ。神カミは喜ヨロコびの光ヒカリとなって、そなたに現アラはれて来クるぞ。理屈リクツの信仰シンコウに囚トラはれると邪道ジャドウ。赤児心アカゴココロの理解リカイは第一ダイイチぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第27帖
神カミは人間ニンゲンの想念ソウネンの中ナカに入ハイってゐるのぢゃ。想念ソウネンが一致イッチするから神カミの想念ソウネンが人間ニンゲンに伝ツタはるのぞ。人間ニンゲンの言葉コトバとなって人間ニンゲンに現アラはれる。言コトは神カミであるが人間ニンゲンでもあるぞ。自分ジブンが自分ジブンに語カタるのであるぞ。この道理ドウリ、よく心得ココロエなされよ。時トキまちて起オき出デて下クダされよ。恨ウラみの霊レイは中々ナカナカにとけんぞ。思オモひは能ハタラき、実在ジツザイと申モウしてあらうが、間違マチガひでも恨ウラまれると、恨ウラみがまとひつくぞ。心ココロして神カミを求モトめ、心ココロして幽界ユウカイからのキ断タちて下クダされよ。判ワカったと思オモうたら天狗テングぞ。かへりみるとよくなる仕組シクミ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第28帖
喜ヨロコびにとけ入イるから嬉ウレしいのぞ。喜ヨロコびから遠トオざかるから悲カナしいのぞ。そんなこと分ワカってゐると申モウしてゐるが、ほんとに身体カラダに分ワカってゐまいぞ。喜ヨロコびに入ハイる門モンは愛アイからぢゃ。真シンからじゃ。二道フタミチあるなれど愛アイから入ハイるのが入ハイり易ヤスいが、愛アイからでは誤アヤマり易ヤスい。生ウマれてすぐ歩アルけるものでないぞ。始ハジめから何ナニも彼カも出来デキるものでない。気長キナガに進ススんで行イけよ。内ウチの念ネンと外ソトの念ネンとあるぞ。二フタつであるぞ。一ヒトつであるぞ。三ミつであるぞ。心ココロ大オオきく、広ヒロく天地アメツチに放ハナさねば、天地アメツチのキを吸スふこと出来デキんぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第29帖
運命ウンメイは自由自在ジユウジザイのものではあるが、又マタ強シひるものでもあるぞ。大オオきくも、小チイさくも、薄ウスくも、厚アツくも、その人ヒトの心ココロ次第シダイに変カワるぞ。もとは霊界レイカイにあるからぞ。嬉ウレし嬉ウレしで運命ウンメイを迎ムカへる気キ、結構ケッコウぞ。この世ヨのことだけでこの世ヨのこと動ウゴかんぞ。霊界レイカイとの関係カンケイによって、この世ヨが動ウゴいてゐる道理ドウリ判ワカらねばならん。早ハヨう神カミの心ココロに、神意シンイさとれよ。遠慮エンリョウいらん。何事ナニゴトも天テンから出デて来クるのぢゃ。天テンからとは心ココロからのことぢゃ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第30帖
表オモテばかり見ミてゐるから判ワカらんのぢゃ。水晶スイショウの心ココロなれば三千里サンゼンリ先サキのこともありやか。人民ジンミンと云イふものは奇跡キセキ見ミても、病気ビョウキになっても、中々ナカナカ改心カイシン出来デキんものぢゃ。死後シゴの生活セイカツがハッキリ判ワカっても、未マだ改心カイシン出来デキんのぢゃ。それは外ソトからのものであるからぢゃ。まことの改心カイシンは、中ナカの中ナカの のキいただいて、ほっこんの改心カイシン出来デキねばならん。死後シゴの生活セイカツ知シらすことはよいなれど、それのみによって改心カイシンせよと迫セマるのは悪アクのやり方カタ。奇跡キセキを見ミせ、病気ゴョウキを直ナオしてやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心カイシンを迫セマってはならん。それのみで道ミチを説トいてはならんぞ。そんなこと位クライでマコトのホッコンの改心カイシンが出来デキるならば、人間ニンゲンは遠トオの昔ムカシに改心カイシンして御座ゴザるぞ。今迄イママデのやうな宗教シュウキョウは亡ホロびると申モウしてあらうが。亡ホロびる宗教シュウキョウに致イタして下クダさるなよ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第31帖
中ナカの自分ジブンと外ソトの自分ジブンと和ワせよ。それが改心カイシンの第一歩ダイイッポ。聞キかせてきくならば、実地ジッチはカタのカタ位クライですむなれど。慾ヨク入ハイると邪気ジャキ湧ワく、邪気ジャキ湧ワくと邪霊ジャキ集アツまるぞ。肉体人ニクタイジンに神カミは直接チョクセツ分ワカらんものぞ。神カミは能ハタラき、神カミの働ハタラきの影カゲしか判ワカらんものぞ。神カミの姿スガタ、見ミたと申モウすのは、神カミの姿スガタの影カゲを自分ジブンの心ココロに描カき出ダしたまでであるぞ。心ココロに判ワカっても肉体ニクタイに判ワカるものでないぞ。肉クニを魂タマとせよ。魂タマを魂タマの魂タマと向上コウジョウさせよ。ひらけ来クるぞ。何事ナニゴトもとがむでないぞ。とがむ心ココロ、天狗テングぞ。神カミの前マエにへり下クダり、へり下クダっても尚ナオ過スぎると云イふことないのぢゃ。人間ニンゲンは、色イロとりどりそれぞれの考カンガへ方カタを自由ジユウに与アタへてあるのざから、無理ムリに引張ヒッパったり、教オシへたりするでないぞ。今イマあるもの、今イマ生イきてゐるものは、たとへ極悪ゴクアクざと見ミえても、それは許ヨルされてゐるのであるから、あるのであるぞ。他ホカを排ハイすでないぞ。一月イチガツ二十二日ニジュウニニチ |
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26_黒金の巻 |
第32帖
祈イノりとは意イが乗ノることぞ。霊レイの霊レイと霊レイと体カラダと合流ゴウリュウして一ヒトつの生命イノチとなることぞ。実力ジツリョクであるぞ。想念ソウネンは魂タマシイ。魂タマシイは霊レイであり、霊レイの世界セカイに属ゾクし、霊レイに生イきるのであるぞ。ものは霊レイにつけられたもの、霊レイの霊レイは、霊レイにつけられたものであるぞ。ものにはものの生命イノチしかない。真シンの生命イノチは霊レイであるぞ。生命イノチのもとの喜ヨロコびは霊レイの霊レイであるぞ。霊レイの霊レイが主ヌシざと申モウしてあらう。奥オクの奥オクの奥オクの は大神オオカミに通ツウずる であるぞ。喜ヨロコびであるぞ。 ある為タメに人間ニンゲンとなり、人間ニンゲンなるが故ユエに神カミとなり、神カミなるが故ユエに喜ヨロコびであるぞ。他ホカのいきものにも はあれど、外ソトの であるぞ。旧キュウ九月クガツ八日ヨウカ |
| 651 |
26_黒金の巻 |
第33帖
神カミがうつらぬと申モウしてゐるが、心ココロをやはらかくしてマカセ切キれば刻キザまれるぞ。平ナダラかにすれば正タダしく写ウツり、凸凹デコボコすれば曲マガってうつる。神カミの前マエに固カタくなってはならぬ。人間ニンゲンは肉体クニタイをもってゐる間アイダでも、その霊レイは、霊レイの国クニに住スんで居オり、霊レイの霊レイは、霊レイの霊レイの世界セカイに住スんでゐるのであるぞ。この道理ドウリよくわきまへよ。愛アイは脈ミャクうってゐるぞ。真シンは呼吸コキュウしてゐるぞ。肉体ニクタイにあっては肺臓ハイゾウは呼吸コキュウし、心臓シンゾウは脈ミャクうつ、この二フタつが一ヒトつであって、肉体ニクタイを生命イノチする。喜ヨロコびと三ミッつが一ヒトつであるのぞ。霊レイにあっては霊レイの心臓シンゾウ、霊レイの肺臓ハイゾウ、よろこびあるぞ。旧キュウ九月クガツ八日ヨウカ |
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26_黒金の巻 |
第34帖
祈イノりは弥栄イヤサカであり、限カギりない生活セイカツであるぞ。生命イノチのイキであるぞ。祈イノりから総スベてのもの生ウマれるぞ。誠マコトの喜ヨロコびの祈イノりからは が生命イノチし、かげの祈イノりからは が生命イノチするぞ。人ヒト祈イノれば神カミ祈イノり、人ヒト為ナせば神カミなる道理ドウリぢゃ。禁慾キンヨクは神カミの御旨ギョシでないぞ。慾ヨクを浄化ジョウカして、生ウめよ。産ウめよ。今イマの人民ジンミン、慾ヨクの聖化ショウカを忘ワスれて御座ゴザるぞ。慾ヨクは無限ムゲンに拡ヒロがり、次々ツギツギに新アタラしきもの生ウみ出ダすぞ。慾ヨクを導ミチビけよ。自分ジブンだけならば五尺ゴシャクの身体カラダ、五十年ゴジュウネンの生命イノチであるが、霊レイを知シり、宇宙ウチュウの意志イシを知シり、神カミにとけ入イったならば、無限大ムゲンの身体カラダ、無限ムゲンの生命イノチとなるぞ。マコトの嬉ウレし嬉ウレしのよろこびとなるのであるぞ。旧キュウ九月クガツ八日ヨウカ |
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26_黒金の巻 |
第35帖
キが到イタればモノが到イタる。モノを求モトめる前マエにキを求モトめよ。めあてなしに歩アルいたとて、くたびれもうけばかり。人生ジンセイのめあて、行イく先サキの見当ケントウつけずに、その日暮ヒクラしの、われよしの世ヨとなり下サがってゐるぞ。めあては の でないか。 に向ムかないでウロウロ。草木クサキより、なり下サがってゐるでないか。為ナすとはイノること。人ヒトの為タメにイノるは、己オノレの為タメにイノること。今イマの人民ジンミン、イノり足タらん。旧キュウ九月クガツ八日ヨウカ |
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26_黒金の巻 |
第36帖
天界テンカイに行イく門モンは輝カガヤき、幽界ユウカイに行イく門モンは闇ヤミであるぞ。闇ヤミの門モンはとざされ、光ヒカリの門モンは開ヒラかれてゐるぞ。天界テンカイは昇ノボり易ヤスく、幽界ユウカイにはおちにくいぞ。神カミと金キンと二フタつに仕ツカへることは出来デキん、そのどちらかに仕ツカへねばならんと、今迄イママデは説トかしてゐたのであるが、それは段階ダンカイの低ヒクい信仰シンコウであるぞ。影カゲしか判ワカらんから、時節ジセツが来キて居オらんから、さう説トかしてゐたのであるが、この度タビ、時節ジセツ到来トウライしたので、マコトの道理ドウリ説トいてきかすのぢゃ。神カミと金キンと共トモに仕ツカへまつるとは、肉ニクと霊レイと共トモに栄サカえて嬉ウレし嬉ウレしとなることぞ。嬉ウレし嬉ウレしとはそのことであるぞ。神カミと金キンと二フタつとも得エること嬉ウレしいであろうがな。その次ツギには霊レイの霊レイとも共トモに仕ツカへまつれよ。まつれるのであるぞ。これが、まことの正タダしき理ミチであるぞ。今迄イママデの信仰シンコウは何処ドコかにさびしき、もの足タりなさかあったであらうが。片親カタオヤがなかったからぞ。天テンに仕ツカへるか、地チに仕ツカへるかであったからぞ。この道ミチはアメツチの道ミチざと知シらしてあらうがな。清キヨくして富トむのがまことぢゃ。地チに富トまねばならんのぢゃと申モウしてあらうが。これから先サキは金カネもうけばかりも出来デキん。今迄イママデのやうな神信心カミシンジンばかりも出来デキん。神カミの理ミチを進ススむものは嫌イヤでも金カネがたまるのぢゃ。金カネがたまらねば深フカく省カエリみよ。理ミチに外ハズれて御座ゴザるぞ。人ヒトは罪ツミの子コでない、喜ヨロコびの子コぞ。旧キュウ九月クガツ八日ヨウカ |
| 655 |
26_黒金の巻 |
第37帖
宇宙ウチュウは人間ニンゲンの心ココロのままと申モウしてあらうが。宇宙ウチュウは未完成ミカンセイのものと申モウしてあらうが。永遠エイエンに未完成ミカンセイであり、弥栄イヤサカであるぞ。そこに生命イノチあり、喜ヨロコびあるのぢゃ。大神オオカミの中ナカで、宇宙ウチュウはなりなりてゐるのであるから、ナリ、永遠トワになるのであるぞ。不変フヘンの中ナカに千変万化センペンバンカ、自由自在ジユウジザイの存在ソンザイを与アタへてあるのぢゃ。旧キュウ九月クガツ八日ヨウカ |
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26_黒金の巻 |
第38帖
人間ニンゲンの死後シゴ、自分ジブンの命イノチの最モットも相応フサワしい状態ジョウタイにおかれるのであるそ。悪アク好スきなら悪アクの、善ゼン好スきなら善ゼンの状態ジョウタイにおかれるのであるぞ。皆々ミナミナ、極楽行ゴクラクイきぢゃ。極楽ゴクラクにもピンからキリまであるぞ。神カミの旨ムネに添ソふ極楽ゴクラクを天国テンゴクと云イひ、添ソはぬ極楽ゴクラクを幽界ユウカイと申モウすのぢゃ。心ココロの世界セカイを整理セイリせよ。そこには無限ムゲンのものが、無限ムゲンにあるのであるぞ。神カミの理ミチが判ワカれば、判ワカっただけ自分ジブンがわかる。めでたさの九月クガツ八日ヨウカの九コのしぐみ、とけて流ナガれて世界セカイ一ヒトつぢゃ。白銀シロガネ、鉄クロガネ、これで終オワり。旧キュウ九月クガツ八日ヨウカ |
| 657 |
26_黒金の巻 |
第39帖
ひふみ神言カミコト ひふみゆらゆら。 ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。 ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。ひふみゆらゆら。
あめつちの数歌カズウタ ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。 ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。 ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり、もも、ち、よろづ。
ひふみ祝詞ノリト(○印シルシ拍手カシワデ) ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。
いろは祝詞ノリト(○印シルシ拍手カシワデ) ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ いろは にほへとち りぬるをわかよ たれそ つねならむ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ う ゐのおくやま けふこ えてあさき ゆめみしゑひもせすん。
アイウエオのりと
 アイウエオ カキクケコ サシスセソ タチツテト ナニヌネノ ハヒフヘホ マミムメモ ヤヰユヱヨ ラリルレロ ワヰウヱヲ 、 |
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27_春の巻 |
第1帖
新アタラしき御代ミヨの始ハジめのタツの年トシ。スメ大神オオカミの生ウマれ出イで給タマひぬ。皆々ミナミナ御苦労ゴクロウながら、グルグル廻マワって始ハジめからぢゃと申モウしてあらうが。始ハジメの始ハジメと始ハジメが違チガふぞ。皆ミナ始ハジめヒからぢゃ。赤児アカゴになりて出直デナオせよ。ハラで見ミ、ハラできき、ハラで話ハナせよ。ハラには間違マチガひないのぢゃ。祈イノりばかりでは祈イノり地獄ジゴク、神カミから光ヒカリいただけるように理ミチつけねばならん。水ミズは低ヒクきに流ナガれるぞ。喜ヨロコびに叶カナふ心ココロ、喜ヨロコびの行ギョウあるところ喜ヨロコび来クるのぢゃ。喜ヨロコびにも正タダしきと曲マガれるとあるぞ。無限段階ムゲンダンカイあるのぢゃ。心ココロして迷マヨはんように致イタしくれよ。此処ココは光ヒカリの理ミチ伝ツタへ、行オコナふ所トコロ、教オシエでないと申モウしてあろう。教オシエは教オシエに過スぎん。理ミチでなくては、今度コンドはならんのぢゃ。天アメの理ミチ、地クニの理ミチ、もろもろの理ミチ、カタ早ハヨう急イソぐぞ。教オシエは局部的キョクブテキ、時トキ、所トコロで違チガふのぢゃ。迷信メイシンとなるぞ。ハラが神カミであるぞ。 |
| 659 |
27_春の巻 |
第2帖
カミヒトと申モウすのは、神カミの弥栄イヤサカのため、世ヨの弥栄イヤサカのため祈イノり、実践ジッシする人ヒトのことであるぞ。神カミのため祈イノれば神カミとなり、世ヨのため祈イノれば世ヨと一体イッタイとなるのぢゃ。自分ジブンのためばかりで祈イノれば迷信メイシン、われよしの下ゲの下ゲぞ。誰ダレでも霊レイかかりであるぞ。石イシでも木キでも土ツチでも霊カミかかりぞ。これは一般イッパンかみかかりであるぞ、特別トクベツ神カミかかりは神カミの御力オチカラを強ツヨく深フカく集アツめる行ギョウがいるのぢゃ。九分通クブドオりしくじるのぢゃ。太陽タイヨウの光ヒカリ集アツめること知シっているであらうが。神カミの理ミチをよりよく、より高タカく集アツめる理ミチがマコトの信仰シンコウであるぞ。理ミチであるぞ。世ヨ、迫セマって霊レイかかりがウヨウヨ出デると申モウしてある時トキ来キているのぢゃ。悪アクかみかかりに迷マヨふでないぞ。サニワせよ。外ソトはウソが多オオいぞ。内ウチの声コエウソないぞ。旧キュウ、元旦ガンタン、日月神ヒツキノカミ。 |
| 660 |
27_春の巻 |
第3帖
掛巻カケマクも、畏カシコき極キワみ、九二クニつ千チの、清スガの中ナカなる大清オオキヨみ、清キヨみし中ナカの、清キヨらなる、清キヨき真中マナカの、よろこびの、其ソの真中マナカなる、御光ミヒカリの、そが御力ミチカラぞ、綾アヤによし、十九立トコタチまし、大九二オオクニの十九立トコタチの大神カミ、十四九百トヨクモヌ、十四トヨの大神オオカミ、瀬織津セオリツの、ヒメの大神オオカミ、速秋ハヤアキの、秋津アキツヒメ神カミ、伊吹戸イブキトの、主ヌシの大神オオカミ、速々ハヤハヤの、佐須良サスラヒメ神カミ、これやこの、太日月 オオヒツキ、皇スメ神カミの御前ゴゼ畏カシコマリこみ、謹ツツシみて、うなね突貫ツラヌき、白シロさまく、ことのマコト-真言-を。伊イ行ユく水ミズ、流ナガれ流ナガれて、月ツキ速ハヤみ、いつの程ホドにや、この年トシの、冬フユも呉竹クレタケ、一ヒと夜ヨサの、梓アズサの弓ユミの、今イマとはや、明アけなむ春ハルの、立タちそめし、真玉マタマ新玉アラタマ、よろこびの、神カミの稜威ミイヅに、つらつらや、思オモひ浮ウカべば、天地アメツチの、始ハジめの時トキに、大御祖神オオミオヤ、九二十九立クニトコタチの、大神オオカミ伊イ、三千年ミチトシ、またも三千年ミチトシの、もまた三千年ミチトシ、浮ウきに瀬セに、忍シノび堪タえまし、波風ナミカゼの、その荒々アラアラし、渡津海ワタツミの、塩シオの八百路ヤオジの、八汐路ヤシオジの、汐シオの八穂合ヤホアひ、洗アラはれし、孤島コトウの中ナカの、籠コモらひし、籠コモり玉タマひて、畏カシコくも、この世ヨかまひし、大神オオカミの、時トキめぐり来キて、一筋ヒトスジの、光ヒカリの御代ミヨと、出イでませし、めでたき日ヒにぞ、今日キョウの日ヒは、御前ミマエ畏カシこみ、御饌御酒ミケミキを、ささげまつりて、海山野ウミヤマヌ、種々クサグサ珍ウズの、みつぎもの、供ソナへまつりて、かごぢもの、ひざ折オり伏フせて、大オオまつり、まつり仕ツカへむ、まつらまく。生イきとし生イける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯オカしけむ、罪ツミやけがれの、あらむをば、祓戸ハライドにます、祓戸ハライドの、大神達オオカミタチと相共アイトモに、ことはかりまし、神カミ直日ナオビ、大直日オオナオビにぞ、見伊ミイ直ナオし、聞ヒラき直マしまし、祓ハラひまし、清キヨめ玉タマひて、清々スガスガし、清スガの御民ミタミと、きこし召メし、相アイ諾ウズナひて、玉タマへかし、玉タマはれかしと、多米津タメツもの、百取モモトリ、さらに、百取モモトリの、机ツクエの代シロに、足アらはして、横山ヨコヤマの如コト、波ナミの如コト、伊イ盛モリ、栄サカゆる、大神オオカミの、神カミの御前ミマエに、まつらまく、こひのみまつる、畏カシこみて、まつらく白ハクす、弥イヤつぎつぎに。新玉アラタマの玉タマの御年ミトシの明アけそめて罪ツミもけがれも今イマはあらじな節分セツブンの祝詞ノリトであるぞ。太フトのりとせよ。いよいよの年トシ立タちそめたぞ。うれしうれしの御代ミヨ来クるぞ。一月イチガツの三十日サンジュウニチ、日月神ヒツキノカミ。 |
| 661 |
27_春の巻 |
第4帖
がよろこびであるぞ。 もよろこびであるぞ。よろこびにも三ミッつあるぞ。 は表オモテ、 は裏ウラ、表裏オモテウラ合アワせて ぞ。 は神カミであるぞ。神カミであるなれど現アラワれの神カミであり、現アラワれのよろこびであるぞ。 のもとが であるぞ。キであるぞ。元モトの元モトの太元オオモトの神カミであるぞ。 ムであるぞ。 ムから ウ生ウマれ、 ウから ム生ウマれるぞ。同オナじ名ナの神カミ二フタつあると申モウしてあろうが。表オモテの喜ヨロコびが 、愛アイ、真シン、善ゼン、美ビとなり現アラワれ、裏ウラの喜ヨロコびからは、 、憎ゾウ、偽ギ、悪アク、醜シュウが現アラワれるのぢゃ。喜ヨロコびが神カミぢゃと申モウして裏ウラの喜ヨロコびではならんぞ。今イマの人民ジンミンの喜ヨロコびと申モウすのは裏ウラの喜ヨロコびであるぞ。悲カナしみを喜ヨロコびととり違チガへているぞ。この巻マキ、春ハルの巻マキ。こまかに説トいて判ワカり易ヤスく説トいてきかすぞ。分ワければそれだけ小チイさくなるなれど。 |
| 662 |
27_春の巻 |
第5帖
人民ジンミン栄サカえて行イくことは、神カミ、弥栄イヤサカのことぞ。神カミも、人民ジンミンも、世界セカイも、宇宙ウチュウも、総スベていつまでも未完成ミカンセイぞ。神様カミサマでも大神様オオカミサマは判ワカらんのであるぞ。只タダ、よろこびに向ムカってひたすらに進ススんで行イけばよいのであるぞ。正タダしき喜ヨロコびを先マづ見極ミキワめよ。見ミきわめてひたすらに進ススめばよいのぢゃ。食物タベモノを食タべるのも喜ヨロコびであるぞ。正タダしき食物タベモノ正タダしく食タべよ。更サラに喜ヨロコびふへて弥栄イヤサカへるのぢゃ。自分ジブンの喜ヨロコびを進ススめ進ススめて天国テンゴクへ入ハイること出来デキるのぢゃ。悪ワルい食物タベモノ悪ワルく食タべるから悪ワルくなるのぢゃ。目メに見ミへる食物タベモノばかりでないぞ。何ナニも彼カも同様ドウヨウぞ。人民ジンミンは喜ヨロコびの子コと申モウしてあろう。罪ツミの子コでないぞ。うれしうれしの道ミチあるに、何故ナゼ歩アヨまんのぢゃ。 |
| 663 |
27_春の巻 |
第6帖
喜ヨロコびが 、真シン、善ゼン、美ビ、愛アイと現アラはれ、それが又マタ、喜ヨロコびとなり、又マタ、 、真シン、善ゼン、美ビ、愛アイとなり、又マタ現アラはれ、限カギりないのぢゃ。喜ヨロコびの本体ホンタイはあの世ヨ、現アラはれはこの世ヨ、あの世ヨとこの世ヨ合アワせて真実シンジツの世ヨとなるのぞ。あの世ヨばかりでも片輪カタワ、この世ヨばかりでも片輪カタワ、まこと成就ジョウジュせんぞ。あの世ヨとこの世ヨと合アワせ鏡カガミ。神カミはこの世ヨに足アシをつけ衣コロモとし、人ヒトはあの世ヨを として、心ココロとして生命イノチしているのぢゃ。神人カミヒトと申モウしてあろうがな。この十理ドウリよくわきまへよ。この世ヨにあるものの生命イノチはあの世ヨのもの、あの世ヨの生命イノチの衣コロモはこの世ヨのもの。くどいようなれどこのこと肚ハラの中ナカに、得心トクシンなされよ。これが得心トクシン出来デキねば どんなによいことをしても、まこと申モウしても なにもならん、ウタカタぢゃぞ。時節ジセツ来キたのぢゃから、今迄イママデのように一方イッポウだけではならんぞよ。 |
| 664 |
27_春の巻 |
第7帖
ことわけて書カきおくから、迷マヨはんように。人民ジンミンの理ミチ歩アユんで呉クれよ。何ナニも彼カも嬉ウレし嬉ウレしとなる仕組シクミ、人民ジンミンに禍ワザワイないのぢゃ。不足フソクないのぢゃ。いつも楽タノし楽タノしの歌ウタで暮クラせる仕組シクミぢゃぞ。と申モウしても、心ココロで判ワカっても、今イマの人民ジンミンには判ワカるまいから、更サラにこと分ワけて、こまかに説トいてきかすぞ。理ミチしるべをつくりおくぞ。これがよろこびの理ミチぢゃ。人民ジンミンのいのちを正タダしく育ソダてることが一番イチバンのよろこび。人民ジンミンと申モウすものは神カミの喜ヨロコびの全マッタき現アラワれであるぞ。いくらけがれても元モトの神カミの根元コンゲン神カミのキをうけてゐるぞ。それを育ソダてることぢゃ。導ミチビくことぢゃ。死シなんとする人ヒト助タスけるのもその一ヒトつぢゃ。宿ヤドった子コ殺コロすことは、人民ジンミン殺コロすことぢゃ。今イマの人民ジンミン九分九厘クブクリンは死シんでいるぞ。救スクへ、救スクへ、救スクへ。おかげは取トりどくぢゃ。生イかせよ。生イかせよ。生イかす理ミチは神示フデよむことぢゃ。 |
| 665 |
27_春の巻 |
第8帖
人民ジンミンをほめることよいことぢゃ。ほめて、その非ヒをさとらせよ。罪ツミゆるすことぢゃ。もの生イかすことぢゃ。生イかして使ツカふことぢゃ。神示フデひろめることぢゃ。やって見ミなされ。必カナラずうれしうれしとなるぞ。栄サカえるぞ。嬉ウレしくなかったら神カミはこの世ヨに居オらんぞよ。神示フデは一本道イッポンミチぢゃ。始ハジめからの神示フデよんで、よく読ヨんで見ミなされ。何ナニも彼カもハッキリしてくるぞ。神示フデうつして下クダされよ。世界セカイにうつすことよろこびぞ。地クニに天国テンゴクうつすことぞ。六ムツヶ敷シいことないぞ。今イマの裏ウラのやり方カタ、ひっくり返カエして表オモテのやり方カタすれば、それでよいのぢゃ。裏ウラは裏ウラとして生イきるのぢゃぞ。金カネは使ツカふもの。使ツカはれるものでないことよく判ワカって居オらうが。御苦労ゴクロウのことやめなされよ。 |
| 666 |
27_春の巻 |
第9帖
人民ジンミンには分別ブンベツ与アタへてあるから反省ハンセイできるのであるぞ。反省ハンセイあるから進展シンテンするのであるぞ。ほっておいても、いらんものは無ナくなり、いるものは栄サカへるのであるが、人民ジンミンの努力ドリョクによっては、よりよくなるのぢゃ。省カエリみねば生ウマれた時トキより悪ワルくなると申モウしてあろうが。慾ヨク、浄化ジョウカして喜ヨロコびとせよ。喜ヨロコび何ナニからでも生ウマれるぞ。広ヒロい世界セカイに住スめば広ヒロく、深フカい世界セカイに住スめば深フカく向上コウジョウする。物モノの世界セカイから霊レイの世界セカイへ、無限ムゲンの世界セカイへ入ハイるから無限ムゲンの生命イノチが与アタへられるのぢゃ。無限ムゲンの喜ヨロコび得エること出来デキるのぢゃ。無限世界ムゲンセカイとは物モノと霊レイとの大調和ダイチョウワした、限カギりなき光ヒカリの世界セカイぞ。真理シンリを知シることが、無限ムゲンを得エること。まことの神カミをつかむことぞ。よいものつくるには大オオき手数テカズかかるのぢゃ。ふところ手テでいては出来デキん。手出テダせ、足出アシダせよ。 |
| 667 |
27_春の巻 |
第10帖
一切イッサイのものは ウズであるぞ。同オナじことくりかへしているように、人民ジンミンには、世界セカイが見ミえるであろうなれど、一段イチダンづつ進ススんでいるのであるぞ。木キでも草クサでも同様ドウヨウぞ。前マエの春ハルと今年コトシの春ハルとは、同オナじであって違チガって居オらうがな。行イき詰ツマりがありがたいのぢゃ。進ススんでいるからこそ、行イきあたり行イきつまるのぢゃ。省カエリみる時トキ与アタえられるのぢゃ。さとりの時トキ与アタえられるのぢゃ。ものは、はなすからこそ掴ツカめるのぢゃ。固カタく握ニギって戸トしめていてはならんのう。扉トあけておけと申モウしてあろうが。着物キモノぬいで裸体ラタイとなることつらいであろうなれど、ぬがねば新アタラしい着物キモノきられんぞ。裸ハダカになってブツカレよ。神様カミサマも裸ハダカになって そなたを抱ダいて下クダさるぞよ。重オモい石イシのせたタクアンはうまいのであるぞ。 |
| 668 |
27_春の巻 |
第11帖
内ウチの自分ジブンは神カミであるが、外ソトの自分ジブンは先祖センゾであるぞ。祖先センゾおろそかにするでないぞ。先祖センゾまつることは自分ジブンをまつることぞ。外ソトの自分ジブンと申モウしても肉体ニクタイばかりでないぞ。肉体霊ニクタイレイも外ソトの自分ジブンであるぞ。信シンじ切キるからこそ飛躍ヒヤクするのぢゃぞ。不信フシンに進歩シンポ弥栄イヤサカないぞ。肉体霊ニクタイレイも外ソトの自分ジブンであるぞ。まかせ切キるからこそ神カミとなるのぢゃ。神カミに通ツウづるのぢゃ。他力タリキで自力ジリキであるぞ。真剣シンケンなければ百年ヒャクネンたっても同オナじ所トコロウヨウヨぢゃ。一歩イッポも進ススまん。進ススまんことはおくれていることぞ。真剣シンケンなれば失敗シッパイしてもよいと申モウしてあろうが。省カエリみることによって更サラに数倍スウバイすることが得エられるのであるぞ。いい加減カゲンが一旦イッタン成功セイコウしても土台ドダイないからウタカタぢゃ。下座ゲザの行ギョウ、大切タイセツ。 |
| 669 |
27_春の巻 |
第12帖
無ナくて七癖ナナクセ、七七シチシチ四十九シジュウク癖クセ、悪ワルい癖クセ直ナオして下クダされよ。天国テンゴクへ行イく鍵カギぞ。直ナオせば直ナオしただけ外ソトへひびくものが、かわって来クるぞ。よくなってくるぞ。かわって来クれば、外ソトからくるもの、自分ジブンに来クるもの、かわってくるぞ。よくなってくるぞ。幸サキとなるぞ。よろこび満ミち満ミつぞ。神カミみちみちて天国テンゴクぢゃ。一升桝イッショウマスもってきて一斗イット入イれよと人民ジンミン申モウしているが、神カミは一斗イットも二斗イトも入イれてやりたいなれど、一升桝イッショウマスには一升イッショウしか入ハイらん。大オオき桝マスもって来コい。頂イタダくには頂イタダくだけの資格シカクいるぞ。一歩イッポづつ進ススめ。一歩イッポづつ絶タえず進ススめよ。それより他ホカに道ミチはないのぢゃ。 |
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27_春の巻 |
第13帖
自分ジブンはよいが、世ヨの中ナカが悪ワルいのぢゃと申モウしているが、その自分ジブン省カエリみよ。自分ジブンが神カミの理ミチにあり、真実シンジツであるならば、世ヨの中ナカは悪ワルくないぞ。輝カガヤいているぞ。自分ジブンにふりかかって来クる一切イッサイのものは最善サイゼンのものと思オモへ。如何イカなる悪ワルいこともそれは最善サイゼンのものであるぞ。この道理ドウリよくわきまへて下クダされよ。真シンの神カミを理解リカイすれば、一切イッサイの幸福コウフク得エられるのぢゃ。世ヨを呪ノロふことは自分ジブンを呪ノロふこと、世間セケンや他人タニンを恨ウラむことは自分ジブンを恨ウラむこと。このこと悟サトれば一切イッサイはそこからひらけくるぞ。十トウのもの受ウけるには十トウの努力ドリョク。 |
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27_春の巻 |
第14帖
どんな草クサでも木キでも その草木クサキでなければならん御用ゴヨウあるぞ。だから生イきているのぢゃ。そのはたらき御用ゴヨウ忘ワスれるから苦クルしむ。行イき詰ツマる。御用ゴヨウ忘ワスれるから亡ホロびるのぢゃ。個人コジンは個人コジンの、一家イッカは一家イッカの、国クニは国クニの御用ゴヨウがある。御用ゴヨウ大切タイセツ、御用ゴヨウ結構ケッコウ。日本ニホンが変カワって世界セカイとなったのぢゃ。自分ジブンの為タメばかりの祈イノりには、自分ジブンだけの神カミしか出デて来コない。悪アクの祈イノりには悪アクの神カミ。善ゼンの祈イノりには善ゼンの神カミ。始ハジめの間アイダは中々ナカナカ判ワカらんものぢゃ。神様カミサマのなされるマネから始ハジめて下クダされよ。 |
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27_春の巻 |
第15帖
思オモふようにならんのは、天地アメツチの弥栄イヤサカ、育成化育イクセイカイクにあづかって働ハタラいていないからぞ。今イマの世界セカイの行イき詰ツマりは、世界セカイが世界セカイの御用ゴヨウをしてないからぢゃ。神示フデよめよ。秘文ヒフミ世界セカイにうつせよ。早ハヨううつせよ。早ハヨううつせよ。人間ニンゲンの智チのみでは世界セカイはよくならん。裏側ウラガワだけ清キヨめても総体ソウタイは清キヨまらん。神カミにめざめねばならん。愛アイにも内ウチのものと外ソトのものとがある。愛アイと申モウせば何ナンでもよいと思オモふていてはならん。愛アイの悪アクもあるぞ。総スベてこの通トオりぢゃ。上カミの、より高タカいところから来クるから奇跡キセキと見ミへ、偶然グウゼンと見ミへるのぢゃ。神カミからの現アラわれであるから、その手順テジュンが判ワカらんから偶然グウゼンと見ミへるのぢゃぞ。偶然グウゼンの真理シンリさとれと申モウしてあろう。これが判ワカれば大安心ダイアンシン。立命リツメイ。 |
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27_春の巻 |
第16帖
あなたまかせ、よい妻ツマと申モウしてあろうが。神カミまかせがよい人民ジンミンであるぞ。この神カミとみとめたら理解リカイして、マカセ切キれよ。太元オオモトの神カミさまにホレ参マイらせよ。真シンの信仰シンコウの第一歩ダイイッポぞ。雨アメ降フらば雨アメを、風カゼふけば風カゼを、一先ヒトマづ甘受カンジュせよ。甘受カンジュした後アト、処理ショリして行イかなならん。受ウけいれずにハネ返カエすのは大怪我オオケガのもと。何回ナンカイでも何回ナンカイでも同オナじことくりかえさねばならんことになるぞ。何ナニか迫セマり来クるのは、何ナニか迫セマり来クるものが自分シブンの中ナカにあるからぞ。内ウチにあるから外ソトから迫セマるのぢゃ。自分ジブンで呼ヨびよせているのぢゃ。苦クルしみの神カミ、因果インガの神カミ呼ヨんでおいて、不足フソク申モウしている者モノ多オオいのう。自分ジブンで呼ヨびよせながら嫌イヤがってハネ返カエすテあるまいにのう。同オナじものでも表オモテからと裏ウラからとでは違チガふのぢゃ。同オナじ目メで見ミても、ちがってうつるのぢゃ。心得ココロエよ。 |
| 674 |
27_春の巻 |
第17帖
希望キボウは愛アイの現アラワれの一ヒトつ。どんな時トキ、どんな人ヒトにも与アタへられているのぢゃ。希望キボウにもえつつ、現在ゲンザイを足場アシバとして生イきよ。呼吸コキュウせよ。同オナジじことしていても、希望キボウもつ人ヒトは栄サカえ、希望キボウなき人ヒトは亡ホロびる。希望キボウは神カミぞ。アイウエオからアオウエイの世ヨにうつって来クるぞ。アオウエイの世ヨが天国テンゴクぢゃ。用意ヨウイはよいか。今イマの世ヨは道具ドウグばかりぢゃ。使ツカふ人民ジンミン、早ハヨうつくれよ。 |
| 675 |
27_春の巻 |
第18帖
使命シメイがいのち。上カミから、神カミから命メイぜられたことがいのちぞ。使命シメイはつくられた時トキに与アタえられる。使命シメイなくてものは生ウマれんぞ。自分ジブンの使命シメイは内ウチにききつつ外ソトにきけよ。使命シメイ果ハたすがよろこびぞ。使命シメイ果ハたすには生命イノチがけでなくてはならん。生命イノチぢゃからのう。努力ドリョクした上ウエにもせなならんぞ。努力ドリョクには苦クもあるぞ。苦クのない努力ドリョクないぞ。右ミギを動ウゴかせば左ヒダリもうごくぞ。果ハたせば苦クは楽ラク。果ハたさねば楽ラクも苦ク。重荷オモニあるからこそ、苦クあるからこそ、風カゼにも倒タオれんのぢゃ。神カミが主ヌシであるぞ。 |
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27_春の巻 |
第19帖
小乗ショウジョウの行ギョウと馬鹿バカにするでないぞ。理屈リクツで神カミを割出ワリダしたり、そろばんでハヂキ出ダしたり、今イマの鼻高ハナタカさんはしているなれど、何処ドコまで行イっても判ワカりはせんぞ。土ツチ耕タガヤす祈イノりに神カミの姿スガタ現アラはれるぞ。とどまってはならん。いつも弥栄イヤサカ々々イヤサカに動ウゴいて行イかなならん。大中心ダイチュウシンに向ムカって進ススまねばならん。途中トチュウには途中トチュウの、大ダイには大ダイの、中チュウには中チュウの、小ショウには小ショウの中心チュウシンはあるなれど、行イく所トコロは一ヒトつぢゃ。ぢゃと申モウして小ショウの中心チュウシンを忘ワスれてはならん。神カミは順ジュンであるぞ。先マづ小ショウの神カミから進ススんで行イけよ。ほんとのこと知シるには、ほんとの鍛練タンレンいるのぢゃ。たなからボタモチ食クっていては段々ダンダンやせ細ホソるのみ。鍛キタえよ鍛キタえよ。鍛キタえればこそ光ヒカリ出デて来クるのぢゃ。 |
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27_春の巻 |
第20帖
他力タリキの中ナカの自力ジリキぢゃ。ぢゃと申モウして、まかせきったと申モウして、ふところ手テならん。自力ジリキ大切タイセツぢゃ。まつりは常住ジョウジュウ坐臥ザガにあるぞ。拝オロガむばかりではならん。拝オロガむまつりはまつりのカタぢゃ。カタから入ハイるのが入ハイり易ヤスいが、この程度テイドの境地キョウチでは戒律キリツいるぞ。カタに囚トラわれてはならん。戒律キリツの世界セカイにいつ迄マデもいてはならん。十年ジュウネンたてば十才ジュッサイになるぞ。恩オン、知シらねばならん。恩オンに報ムクひなければならんぞ。人民ジンミン、天地テンチの恩オン忘ワスれているから、喜ヨロコび少スクないのぢゃ。ものの順序ジュンジわきまえねばならん。悪アク平等ビョウドウならん。政治セイジや経済ケイザイは裏ウラ、二義的ニギテキのもの。 |
| 678 |
27_春の巻 |
第21帖
太オオ一ヒ二ツ キ大神オオカミとしてのこの神カミは一柱ヒトハシラであるが、働ハタラきはいくらでもあるぞ。その働ハタラきの名ナがもろもろの神様カミサマの名ナぢゃ。無限ムゲンであるぞ。このほう一柱ヒトハシラであるが無限柱ムゲンハシラぞ。総スベてが神カミであるぞ。一神イッシンぢゃ。多神タシンぢゃ。汎神ハンシンぢゃ。総スベてが神カミぢゃ。喜ヨロコびぢゃ。始ハジめから全体ゼンタイを掴ツカもうとしても、それは無理ムリと申モウすもの。手テでも足アイでもよい、何処ドコでもよいから掴ツカめる所トコロからつかんで御座ゴザれよ。だんだん判ワカってくるぞ。全体ゼンタイをつかむには全体ゼンタイと同オナじにならねばならん。その人民ジンミン々々ジンミンのつかめるところから掴ツカんで参マイれよ。このほう抱ダき参マイらせてやるぞ。マツリから出直デナオせよ。天地テンチ見ミよ。大オオきマツリ致イタして居オらうがな。霊レイと肉ニクのまつり第一ダイイチ。頭アタマとハラのまつり結構ケッコウ。二二フジのマツリ、出船デフネの港ミナトぢゃ。奥オクから来クるものは喜ヨロコびぢゃ。念ネンぢゃ。力チカラのもとぢゃ。生イきの生命イノチぢゃ。神様カミサマにはハラを向ムけなさい。 |
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27_春の巻 |
第22帖
宇宙ウチュウの総スベてはこの神カミの現アラワれであり、一面イチメンであるから、その何処ドコつかんで拝オロガんでもよいのである。その何処ドコつかんで、すがってもよいのであるぞ。水ミズの流ナガれも宗教シュウキョウぞと申モウしてあらう。総スベてに神カミの息イキ、通カヨふているぞ。一本イッポンの箸ハシ拝オロガんでもよいのぢゃが、ちゃんとめあて、よいめあて、きめねばならん。内ウチの自分ジブンに火ヒつけよ。心ココロくらくては何ナニも判ワカらん。世ヨの中ナカは暗クロう見ミえるであろう。真暗マクラに見ミえたら自分ジブンの心ココロに光ヒカリないのぢゃ。心ココロせよ。自分ジブン光ヒカれば世ヨの中ナカ明アカるいぞ。より上カミのものから流ナガれてくるものにまつりて行イくこと大切タイセツぢゃ。それがまつりの元モト。それが宗教シュウキョウぢゃ。宗教シュウキョウは生活セイカツぢゃ。生活セイカツは宗教シュウキョウぢゃ。裏ウラと表オモテぢゃ。 |
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27_春の巻 |
第23帖
順ジュンと区別クベツさへ心得ココロエて居オれば、何様ナニサマを拝オロガんでもよいと申モウしてあろうが。日ヒの神様カミサマばかりに囚トラわれると判ワカらんことになるぞ。気付キツけおくぞ。それでは理ミチにならん。父チチだけ拝オロガんで母ハハ拝オロガまんのは親不孝オヤフコウぞ。おかげないぞ。おかげあったらヨコシマのおかげと心得ココロエよ。手テだけ尊トウトんではいかん。足アシだけ尊トウトんでもいかん。一切イッサイに向ムカって感謝カンシャせよと申モウしてあろうが。門モンもくぐらず玄関ゲンカンも通トオらずに奥座敷オクザシキには行イかれん道理ドウリ。順序ジュンジョを馬鹿バカにしてはならんぞ。いつ迄マデ門モンに立タっていても何ドもならん、お出直デナオしぢゃ。川カワがなければ水ミズ流ナガれん道理ドウリ。始ハジメはカタふんで行イかなならんぞ。ひつくの神カミ二月ニガツ三日ミッカ |
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27_春の巻 |
第24帖
自分シブンすてて他力タリキなし。人民ジンミンなくて此コの世ヨの仕事シゴト出来デキん。人民ジンミンは道具ドウグぢゃ。神カミは心ココロぢゃ、元モトぢゃ、元モトだけではならん。道具ドウグだけでならん。大神オオカミは一切イッサイを幸サイし、一切イッサイを救スクひ給タマふのであるぞ。一切イッサイが神カミであり一切イッサイが喜ヨロコびであるぞ。その人民ジンミンにメグリなくしてもメグリ負オふことあるぞ。人類ジンルイのメグリは人類ジンルイの誰ダレかが負オはねばならん。一家イッカのメグリは一家イッカの誰ダレかが負オはねばならん。果ハたさねばならん。善人ゼンニンが苦クルしむ一ヒトつの原因ゲンインであるぞ。神カミの大オオきな恵メグみであり試練シレンであるぞ。判ワカりたか。愛アイするものほど、その度ドが濃コい程ホド、魂タマシイが入ハイっているのぢゃ。先祖センゾが大切タイセツしていたものは大切タイセツせねばならんぞ。現界ゲンカイのみの理屈リクツは通トオらんぞ。飛トんだ目メに会アふぞ。気キつけおくぞ。念ネンじてから行オコナへ。 |
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27_春の巻 |
第25帖
局部的キョクブテキに見ミエるから判ワカらんのぢゃ。文字モジ書カくのは心ココロであるが、心ココロは見ミえん、手テが見ミへるのぢゃ。手テ見ミるはまだよい方ホウぢゃ。筆フデの先サキだけしか見ミえん。筆フデが文字モジ書カいていると申モウすのが、今イマの人民ジンミンの考カンガへ方カタぢゃ。筆フデが一番イチバン偉エラいと思オモふて御座ゴザるのぢゃ。信仰シンコウに入ハイった始ハジメはよいが、途中トチュウから判ワカらなくなるのぢゃ。そこが大切タイセツぞ。判ワカらなくなったら神示フデよめよ。キ頂イタダいてよみかへるぞ。出足デアシの港ミナトは二二フジの理ミチからぢゃと申モウしてあろう。真理シンリと申モウしてあろう。これが乱ミダれると世ヨが乱ミダれるぞ。神界シンカイの乱ミダれイロからぢゃと申モウしてあろう。男女ダンジョの道ミチ正タダされん限カギり、世界セカイはちっともよくはならんぞ。今イマの世ヨのさま見ミて、早ハヨう改心カイシン、結構ケッコウいたしくれよ。和ワは力チカラぞ。 |
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27_春の巻 |
第26帖
神カミにまかせきると申モウしても、それは自分ジブンで最善サイゼンをつくして後アトのことぢゃ。努力ドリョクなしにまかせるのは悪アクまかせぢゃ。悪アクおまかせ多オオいのう。魂タマシイの財産ザイサンは金カネを得エるより数倍スウバイ六ムツヶ敷シいぞ。ぬれ手テで粟アワのやり方カタ、カスつかむぞ。むやみに腹ハラが立タったり、悲カナしくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。めぐりの霊界レイカイとの因縁インネンが切キれて居オらぬからぢゃ。愛アイは養ヤシナはねばならん。夫婦フウフはいのちがけで、お互タガイにきづき合アはねばならんぞ。夫婦愛フウフアイはあるのではない。築キヅき上アげねばならんぞ。生ウみ出ダすのぢゃ。つくり出ダすのぢゃ。そこに尊トウトさあるぞ。喜ヨロコびあるぞ。左ヒダリには宗教シュウキョウ、右ミギには芸術ゲイジュツ。 |
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27_春の巻 |
第27帖
八合目ハチゴウメあたりに参マイると総スベての様子ヨウスが、ほぼ見当ケントウつくぞ。それ迄マデは誰ダレでもよくわからんもんぢゃ。これと云イう先達サキダチがあったら、先達サキダチの云イうこと、云イう通トオりについて行イけよ。おかしい先達サキダチは始ハジめからおかしいぞ。苦労クロウし、手テをかけ、金カネかけるほどよいもの出来デキるぞ。信念シンネン越コえて自分ジブンより上カミのものにまかせきったのが理解リカイであるぞ。信念シンネンだけでは何事ナニゴトも出来デキん。確信カクシンは理解リカイからぞ。 |
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27_春の巻 |
第28帖
親子オヤコ、夫婦フウフ、兄弟キョウダイ姉妹シマイと生ウマれても逆縁ギャクエンあるぞ。カタキ同士ドウシ結ムスばれることあるぞ。それは神カミの大オオき恵メグみぞ。それに打ウちかって、新アタラしき生命イノチうみ出ダしてつかへまつれ。体験タイケンないところに宗教シュウキョウはない。 |
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27_春の巻 |
第29帖
神カミから出デるものは理リにきまってゐるぞ。この平凡ヘイボンの理ミチの道理ドウリが何故ナゼに判ワカらんのぢゃ。得心トクシン出来デキんのぢゃ。それに従シタガへばこそ向上コウジョウ、弥栄シヤサカするのぢゃ。天狗テングざから、慢心マンシンするから、理ミチがなくなるから行イき詰ツマるのぢゃ。一応イチオウは世界セカイ一家イッカのカタ出来デキるのぢゃ。が、それではならん。それを越コえて、ねり直ナオしてマコトの一家イッカとなるのぢゃ。天テンが上カミで地チが下シモで、中ナカに あるのぢゃ。それがミロクの世ヨぢゃ。気長キナガにやれと申モウしてあろう。長ナガい苦心クシンなければよいもの出来デキん。この世ヨで出来デキ終オワらねば、あの世ヨまでもちつづけても やりつづけてもよいのぢゃ。そなた達タチはあまりにも気キが短ミジカいぞ。それではならんのう。マコトの生活セイカツは永遠性エイエンセイもってゐるぞ。これないものは宗道シュウドウでないぞ。 |
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27_春の巻 |
第30帖
宇宙ウチュウのすべてがつながりであるぞ。石イシでも水ミズでも草クサでも木キでも動物ドウブツでもすべてがつながりぢゃ。手テと頭アタマのようなもんぢゃ。拝オロガみ合アへよ。親シタしみ合アへよ。和ワせよ。和ワすと自分ジブンとなるのぢゃぞ。自分ジブン大オオきく、明アカるくなるのぢゃ。豊ユタかにうれしうれしぢゃ。赤アカいものの中ナカにゐると赤アカくなって行イく。理リに向ムカってゐると、いつの間マにか神カミの気キいただくぞ。神カミの光ヒカリがいただけるのぢゃ。二度ニド三度サンド、話ハナシきいたり、おろがんだりくらいで理ミチは判ワカらん。神カミは解ワカらん。体験タイケンせねばならん。一方的イッポウテキでは何事ナニゴトも成就ジョウジュせん。もちつもたれつであると申モウしてあろう。 |
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27_春の巻 |
第31帖
今イマの自分ジブンの環境カンキョウがどんなであろうと、それは事実ジジツであるぞ。境遇キョウグウに不足フソク申モウすなよ。現在ゲンザイを足場アシバとして境遇キョウグウを美化ビカし、善化ゼンカしてすすめ。其処ソコにこそ神カミの光ヒカリ、よろこび現アラワれるのぢゃ。逃ニげ道ミチつくれば迷マヨひの道ミチに入ハイるぞ。楽ラクに得エたもの、楽ラクに失ウシナう。 |
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27_春の巻 |
第32帖
信仰シンコウの始ハジめは感情カンジョウに支配シハイされがちぢゃ。理智リチを強ツヨく働ハラかせねばならんぞ。人間ニンゲンは絶タえずけがれてくる。けがれは清キヨめることによって、あらたまる。厄祓ヤクハラひせよ。福祓フクハラひせよ。想念ソウネンは永遠エイエンにはたらくから、悪想念アクソウネンは早ハヤく清算セイサンしなければならんぞ。中ナカの霊レイは天国テンゴクへ行イっても、外ソトの霊レイはこの世ヨに残ノコるぞ。残ノコることあるぞ。残ノコってこの世ヨの事コト物モノにうつって同オナじこと、所業ショウギョウをくりかへすことあるぞ。早ハヤく洗濯センタクせよと申モウしてあろうがな。梅ウメの実ミから梅ウメが生ハへるのぢゃ。その梅ウメに実ミ出来デキて又マタ梅ウメが生ハへるのぢゃ。人間ニンゲンも生ウマれかわっても死シにかわっても、中々ナカナカに悪ワルいくせは直ナオらんもんぢゃぞ。それを少スコしづつ直ナオしてかからねばならん。努力次第ドリョクシダイで漸次ゼンジ直ナオるのぢゃぞ。宗教シュウキョウは霊レイ、芸術ゲイジュツは体カラダぞ。二月ニガツ一日ツイタチ、ひつく神ノカミ |
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27_春の巻 |
第33帖
新玉アラタマの真珠シンジュの波ナミも草クサも木キも春ハル立タちそめてよみかへりけり。今イマの科学カガクは科学カガクのことは判ワカるが、それより上ウエのことは判ワカらん。今イマの科学カガクはあるものがあると云イふことだけしか判ワカらんのぢゃ。よい求ヨトめにはよい感応カンノウ、よい感応カンノウによい働ハタラき、よい理解リカイとなり、よい生活セイカツ生ウマれる。間違マチガった求モトめには間違マチガった神カミ、間違マチガった生活セイカツ生ウマれるぞ。道理ドウリぢゃナア。窮屈キュウクツであってはならん。しかつめらしく固カタくなってゐてはならんぞ。笑ワラひの道ミチ、喜ヨロコびの道ミチにこそ神カミのハタラキあるのぢゃ。宿命シュクメイは宿ヤドされたもの。一ヒトつのワクに入ハイってゐるのであるぞ。運命ウンメイは自分ジブンで切キりひらくこと出来デキるぞ。磨ミガけ磨ミガけ、ミタマ磨ミガき結構ケッコウ。信念シンネンだけでは行イき詰ツマるぞ。 |
| 691 |
27_春の巻 |
第34帖
自分ジブンは自分ジブンの意志イシで生ウマれたのではないのぢゃ。その時トキ、その環境カンキョウを無視ムシ出来デキん。その法則ホウソクに従シタガはねばならん。草クサを拝オロガめば草クサが神カミとなり、機械キカイ拝オロガめば機械キカイが神カミぢゃ。食物タベモノ拝オロガめば食物タベモノが神カミとなる。心ココロせよ。神カミは人民ジンミンを根本コンポンから永遠トワの意味イミでよくしようと、マコトの喜ヨロコび与アタへようとしてゐるのぢゃ。局部的キョクブテキ、瞬間的シュンカンテキに見ミて判ワカらんこと多オオいぞ。おかげは、すぐにはないものと思オモへ。すぐのおかげは下級霊カキュウレイ。まゆにつばせよ、考カンガへよ。現在ゲンザイの環境カンキョウを甘受カンジュせよと申モウしてあるが、甘受カンジュだけでは足タらん。それに感謝カンシャせよ。積極的セッキョウクテキに感謝カンシャし、天地テンチの恩オンに報ホウじねばならん。誠マコトの真理シンリを知シらぬ人間ニンゲンに神カミは判ワカらん。 |
| 692 |
27_春の巻 |
第35帖
念ネンじつつやれ。神カミの為タメと念ネンじつつやれば神カミのためとなる。小チイさい行為コウイでも霊的レイテキには大オオきはたらきするのぢゃ。自分ジブンと云イふことが強ツヨくなるから発展ハッテンないのぢゃ。行イき止トまるのぢゃ。われよしとなるのぢゃ。調和チョウワが神カミの現アラワれであるぞ。霊レイと調和チョウワせよ。肉体ニクタイと調和チョウワせよ。人ヒトと調和チョウワせよ。食物タベモノ、住居ジュウキョと調和チョウワせよ。世界セカイと調和チョウワせよ。うれしうれしぞ。一生イッショウかかってもよいぞ。おそくないのぢゃ。自分ジブンの中ナカのケダモノのため直ナオしにかからねばならん。悪ワルいくせ直ナオさねばならん。これが第一歩ダイイッポ、土台ドダイぢゃぞよ。よきことは人ヒトにゆづりて人ヒトをほめ人ヒトたてるこそ人ヒトの人ヒトなる。敬愛ケイアイのまこと心ココロにまことのりまこと行オコナふ人ヒトぞ人ヒトなる。春ハル立タつ日ヒ、ひつく神ノカミ |
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27_春の巻 |
第36帖
何事ナニゴトに向ムカっても先マづ感謝カンシャせよ。ありがたいと思オモへ。始ハジメはマネごとでもよいぞ。結構ケッコウと思オモへ。幸サキと思オモへ。そこに神カミの力チカラ加クワはるぞ。道ミチは感謝カンシャからぞ。不足フソク申モウせば不足フソクうつるぞ。心ココロのままとくどう申モウしてあろうが。病気ビョウキでないと思オモへ。弥栄イヤサカと思オモへ。病ヤマイ治ナオるモト生ウマれるぞ。キがもとぞ。何事ナニゴトくるとも何ナニクソと思オモへ。神カミの力チカラ加クワはるぞ。おそれはおそれ生ウむぞと申モウしてあろうが。一イチ聞キいて十ジュウさとらねばならんぞ。今イマの人民ジンミンには何事ナニゴトも平面的ヘイメンテキに説トかねば判ワカらんし、平面的ヘイメンテキでは立体リッタイのこと、次元ジゲンの違チガふことは判ワカらんし、ハラでさとりて下クダされよと申モウしてあろう。 |
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27_春の巻 |
第37帖
相手アイテ八ハチと出デたら二ニと受ウけよ。人民ジンミンと申モウすものはモノに囚トラわれるから何事ナニゴトも判ワカらんから、十二ジュウニと出デ、二十ニジュウと出デ、三十六サンジュウロクと出デたらポカンとして判ワカらんことになるぞ。十二ジュウニと出デたら一段イチダンケタ上アげて八十八ハチジュウハチと受ウけよ。又マタ十二ジュウニと受ウけるテもあるぞ。二十ニジュウと出デたら八十ハチジュウと和ワせよ。立体リッタイになればそれだけ自由ジユウになるのざ。世界セカイ広ヒロくなるのぞ。早ハヨう立体リッタイさとりくれよ。 |
| 695 |
27_春の巻 |
第38帖
の次ツギに があり、その次ツギに があり、 あると申モウしてあろう。立体リッタイから複立体フクリッタイ、複々立体フクフクリッタイ、立立体リツリッタイと申モウしてあろうが。×と÷と和ワせば となるぞ。複立体フクリッタイであるぞ。 が複々立体フクフクリッタイ、 が立立体リツリッタイぞ。 がその元モトであるぞ。判ワカりたか。 となれば超チョウ自由ジユウ、超チョウ自在ジザイ、超チョウ無限ムゲンぞ。それだけに又マタ超チョウ完成カンセイであるぞ。超チョウ未完成ミカンセイでもあるぞ。神カミは全智全能ゼンチゼンノウから超チョウ全智全能ゼンチゼンノウに弥栄イヤサカしてゐるぞ。六ムツヶ敷シいようなれど、このことよく判ワカりて下クダされよ。新アタラしき段階ダンカイに入ハイる門モンぞ。 |
| 696 |
27_春の巻 |
第39帖
道ミチは三ミッつと申モウしてあろう。三サンとは参サンであるぞ。3スリーでないぞと申モウしてあろう。無限ムゲンであるぞ。平面的ヘイメンテキに申モウせば右ミギと左ヒダリとだけでないぞ。その右ミギの外ソトに、又マタ左ヒダリの外ソトに道ミチでなき道ミチあるぞ。それを善ゼンの外道ゲドウ、悪アクの外道ゲドウと申モウす。外道ゲドウ多オオいのう。中ナカの中ナカには中ナカの道ミチあるぞ。中ナカの中ナカの は無ムであるから動ウゴきないぞ。動ウゴきないから無限ムゲンの動ウゴきぢゃ。その の外ソトの中ナカは人民ジンミンにも動ウゴきみゆるぞ。この道ミチは中ナカゆく道ミチざと申モウしてあろうが、中ナカの の道ミチは太神オオカミの道ミチ、中ナカ行ユく道ミチが神カミの道ミチ、中ナカの道ミチが人ヒトの道ミチぢゃ。判ワカりたか。 |
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27_春の巻 |
第40帖
思想シソウと申モウすのは広ヒロい意味イミで、太神オオカミから出デてゐるのではあるが、幽界ユウカイからの力チカラが強ツヨく加クわってゐるのぢゃ。ネンと申モウすのは神界シンカイからの直々ジキジキであるぞ。悪アクの気キ、断タたねばネンとはならんぞ。 |
| 698 |
27_春の巻 |
第41帖
天テンには天テンの道ミチ、地チには地チの道ミチ、人民ジンミンには人民ジンミンの道ミチあると申モウしてあろう。同オナじ道ミチであるが違チガふのぞ。地チにうつし、人民ジンミンにうつす時トキは、地チの約束ヤクソク、人民ジンミンの約束ヤクソクに従シタガふのぞ。約束ヤクソクは神カミでも破ヤブれんのであるぞ。次元ジゲン違チガふのであるから違チガってくるぞ。違チガふのが真実シンジツであるぞ。それを同オナじに説トいたのが悪アクの教オシエ。同オナじと思オモふのが悪アクの考カンガへ方カタであるぞ。上カミから来クるものは光ヒカリとなって流ナガれてくるのざ。光ヒカリに本来ホンライ影カゲはないのであるが、動ウゴくから影カゲがうまれる。それを影カゲでない影カゲと申モウすぞ。悪アクでない悪アクあると申モウしてあろうがな。天テンには天テンの自由ジユウ、地チには地チの自由ジユウ、神カミには神カミの、人民ジンミンには人民ジンミンの、動物ドウブツには動物ドウブツの、それぞれの自由ジユウあるぞ。その性サガの高タカさ、清キヨさ、大オオきさなどによって、それぞれの制限セイゲンされた自由ジユウあるぞ。自由ジユウあればこそ動ウゴくぞ。自由ジユウとは弥栄イヤサカのこと。光ヒカリは神カミから人民ジンミンに与アタへられてゐる。光ヒカリに向ムかふから照テらされる。光ヒカリは 、真シン、善ゼン、美ビ、愛アイとなり、又マタそのうらの 、疑ギ、悪アク、醜シュウ、憎ゾウとなり現アラはれるぞ。御用ゴヨウの善ゼンとなり、御用ゴヨウの悪アクとなる。悪アクにくむは外道ゲドウの善ゼン、外道ゲドウとは上カミからの光ヒカリが一度イチド人民界ジンミンカイにうつり、人民界ジンミンカイの自由ジユウの範囲ハンイに於オける凸凹デコボコにうつり、それが再フタタび霊界レイカイにうつる。それが幽界ユウカイと申モウしてあらう。その幽界ユウカイから更サラに人民界ジンミンカイにうつったものが外道ゲドウの善ゼンとなり、外道ゲドウの悪アクとなるのざ。善ゼンにも外道ゲドウあるぞ。心得ココロエよ。光ヒカリは天テンのみでなく、地チからも人民ジンミンからも、すべて生命イノチあるものから出デてゐるのであるが、その喜ヨロコびの度ドに正比例セイヒレイしてのものであるから、小チイさい生命イノチからの光ヒカリは判ワカらんのであるぞ。 |
| 699 |
27_春の巻 |
第42帖
いくさは善ゼンにもあり、悪アクにもあり、右ミギには右ミギの、左ヒダリには左ヒダリの、上ウエには上ウエの、下シタには下シタの、中ナカには中ナカの、外ソトには外ソトのいくさあるぞ。新アタラしき御代ミヨが到来トウライしてもいくさはなくならん。いくさも歩アゆみぞ。弥栄イヤサカぞ。ぢゃと申モウして今イマのような外道ゲドウのいくさでないぞ。人殺ヒトゴロし、生命イノチ殺コロすようないくさは外道ゲドウ。やればやる程ホドはげしくなるぞ。正道セイドウのいくさは人ヒトを生イかすいくさ、やればやるほど進ススむのぢゃ。今イマの人民ジンミンいくさと申モウせば、人ヒトの殺コロし合アひと早合点ハヤガテンするが、それは外道ゲドウのいくさ。天国テンゴクへのいくさもあるぞ。幽界ユウカイへのいくさもあるぞ。人民ジンミンの云イふ今イマのいくさ、今イマの武器ブキは、人ヒト殺コロす外道ゲドウの道ミチ、それではならんのう。外道ゲドウなくして下クダされよ。外道ゲドウはないのであるから、外道ゲドウ抱ダき参マイらせて、正道セイドウに引ヒき入イれて下クダされよ。新アタラしき霊界レイカイは神カミ人ヒト共トモでつくり出ダされるのざ。それは大オオいなる喜ヨロコびであるからぞ。神カミのみ旨ムネであるからぞ。新アタラしき世ヨはあけてゐるぞ。夜明ヨアければヤミはなくなるぞ。新アタラしきカタはこの中ナカからぞ。日本ニホンからぞ。日本ニホンよくならねば世界セカイはよくならん。外道ゲドウの武器ブキすてよ。外道ゲドウの武器ブキ生イかして、活イかして、いのちを生イかす弥栄イヤサカの武器ブキとせよ。かへられるでないか。 |
| 700 |
27_春の巻 |
第43帖
与アタへよ、与アタへよ、与アタへよ、与アタへる政治セイジと申モウしてあろうが。戦争センソウか平和ヘイワかと人民ジンミン申モウしてゐるなれど、道ミチはその二フタつでないぞ、三サンが道ミチと、くどう申モウしてあろう。水ミズの外道ゲドウの武器ブキと火ヒの外道ゲドウの武器ブキの他ホカに、新アタラしき武器ブキ気キづかんのか。神示フデよく読ヨめば示シメしてあるのであるぞ。ほかに道ミチないときめてかかるから判ワカらんのざ。生ウマれ赤児アカゴになれば判ワカるぞ。知シらしてやりたいなれど、知シらして判ワカるのでは自分ジブンのものとならん。自分ジブンが体得タイトクし、自分ジブンから湧ワき出デねば自分ジブンのものでないぞ。つけ焼刃ヤキバは危アブない、危アブない。気狂キグルひに刃物ハモノぞ。平面的ヘイメンテキ考カンガえ、平面生活ヘイメンセイカツから立体リッタイに入ハイれと申モウしてあろうがな。神カミ人ヒト共トモにとけ合アふことぞ。外道ゲドウでない善ゼンと悪アクととけ合アふのぞ。善ゼンのみで善ゼンならず。悪アクのみで悪アクならず。外道ゲドウは夜明ヨアけくれば消キえて了シマふぞ。夜明ヨアけの御用ゴヨウ大切タイセツと申モウしてあろうが。外道ゲドウの悪アク殺コロすでないぞ。抱ダき参マイらすから消キえるのであるぞ。 |
| 701 |
27_春の巻 |
第44帖
念ネン入イれかへるぞ。念ネン入イれかへるとは、新アタラしき霊界レイカイつくることぞ。新アタラしき霊界レイカイつくるとは、太神オオカミの真中マナカにとけ入イることぞ。 |
| 702 |
27_春の巻 |
第45帖
一時イチジは人民ジンミンなくなるところまで行イくと申モウしてあらうが。人民ジンミンなくしても人民ジンミンなくならん。洗濯センタクして掃除ソウジして、新アタラしき道ミチ早ハヨう進ススめよ。おそくなる程ホド六ムツヶ敷シく苦クルしくなるぞ。近目チカメで見ミるから判ワカらん。日本ニホンの、世界セカイあけたり。あな爽々スガスガし、日本晴ニホンバれぞ。二二フジは晴ハれたりとは、真理シンリの世ヨに出イづことぞ。天テンのこと地チにうつすときは、地チの力チカラ出デるように、地チの息吹イブき通カヨふように、弥栄イヤサカするように、念ネンを地チの力チカラと現アラはれるように、正タダしくうつして下クダされよ。邪気ジャキ入ハイってはならん。 |
| 703 |
27_春の巻 |
第46帖
今イマの武器ブキは幽界ユウカイの裏打ウラウちあるぞ。神界シンカイの裏打ウラウちある武器ブキでなくてはならん。まことの武器ブキぞ。ヒックリであるぞ。念ネンからつくり出ダせよ。その念ネンのもとをつくれば、神カミから力チカラを与アタへるから、この世ヨの力チカラと現アラはれるぞ。念ネンの凸凹デコボコから出デた幽界ユウカイを抱ダき参マイらさねばならんのざ。中々ナカナカの御苦労ゴクロウであるなれど、幽界ユウカイを神界シンカイの一部イチブに、力チカラにまで引ヒきよせねばならん。 |
| 704 |
27_春の巻 |
第47帖
念ネンが新アタラしき武器ブキであるぞ。それでは人民ジンミンまわりくどいと申モウすであろうなれど。ものごとには順ジュンと時トキあるぞ。もとのキから改アラタめて下クダされよ。尊トウトき御役オヤク。 |
| 705 |
27_春の巻 |
第48帖
念ネンなりと、今イマの人民ジンミン申モウす思想シソウはマコトの念ネンでないぞ。思想シソウは思想シソウぞ。念ネンとは力チカラであるぞ。実在ジツザイであるぞ。喜ヨロコびであるぞ。喜ヨロコびは神カミぞ。弥栄イヤサカ。二月ニガツ十二日ジュウニニチ、ひつく神ノカミ |
| 706 |
27_春の巻 |
第49帖
これぞと思オモふ人ヒトがあったら、その理ミチの人ヒトについて御座ゴザれよ。一寸先イッスンサキ見ミへん人民ジンミンぢゃ。先達サキダチの後アトからついて御座ゴザれ。それが一番イチバンよいことぢゃ。人ヒト、見出ミダすこと六ムツヶ敷シいのう。十年ジュウネン、二十年ニジュウネン行ギョウじても、目メあて違チガってゐたら何ドウにもならんぞ。このほうの道ミチへ御座ゴザれ。正タダしき光ヒカリの道ミチによれよ。十日トウカで、一月ヒトツキで見ミちがへる程ホドになるぞ。死シんだ気キで神示フデをそなたの身ミにうつせよ。涙ナミダ流ナガせよ、汗アセ流ナガせ、血チ流ナガせよ。天災テンサイや地変チヘンは大オオき肉体ニクタイの応急処置オウキュウショチの現アラワれであるぞ。部分的ブブンテキに、人間ニンゲン苦クルしめる様ヨウに思オモふてはならん。一日イチニチ一度イチドは便所ベンジョへ行イかなならんであろうがな。人間ニンゲン、この世ヨの五十年ゴジュウネンをもととして考カンガへるから判ワカらなくなるのざ。永遠エイエン弥栄イヤサカの生命イノチ、早ハヨう体得タイトク結構ケッコウ。 |
| 707 |
27_春の巻 |
第50帖
その人ヒトによってふさわしい行ギョウがある。誰ダレでも同オナじでない。一合イチゴウ食タべる人ヒトもあれば一升イッショウ食タべる人ヒトもあるぞ。身ミにつかんもの、身ミにつかん行ギョウは、いくらしても何ドもならん。いらん苦労クロウはいらんと申モウしてあろう。風呂フロには時々トキドキ入ハイるが、魂タマシイの風呂フロに行イく人ヒト少スクないぞ。より高タカい聖所セイショへ参マイりて魂タマシイのアカ落オトせよ。神示フデよんで落オトして下クダされよ。アカ落オトさずに神カミの光ヒカリ見ミえんと申モウして、おかげないと、われよし申モウして御座ゴザるなれど、風呂フロに入ハイらずに、アカつくとは怪アヤしからんと申モウすのと同オナじでないか。何故ナゼに判ワカらんのぢゃ。全体ゼンタイの為タメ奉仕ホウシするはよいが、自分ジブンすてて全体ゼンタなく、自分ジブンないぞ。全体ゼンタイを生イかし、全体ゼンタイと共トモに部分ブブンの自分ジブンが弥栄イヤサカえるのであるぞ。早合点ハヤガテン禁物キンモツ。 |
| 708 |
27_春の巻 |
第51帖
人民ジンミンの因縁インネン性来ショウライはみな神示フデにかかしてあるぞ。そなたのこと何ナニも彼カも一目イチモクぢゃ。因縁インネン判ワカってうれしうれしで御用ゴヨウ結構ケッコウ。うれしおそろしくなる仕組シクミ。 |
| 709 |
27_春の巻 |
第52帖
まことの光ヒトリの道ミチに行ユき、進ススめよ。ここぞと見極ミキワめたら、理解リカイに向ムカってひたすらに進ススまねばならん。理屈リクツいらん。宇宙ウチュウはこの方カタの中ナカにあるのぢゃ。このほうぢゃ。世ヨが段々ダンダンせまって悪ヨルくなるように申モウしてゐるが、それは局部的キョクブテキのこと。大局タイキョクから見ミれば、よきに向ムカって弥栄イヤサカえてゐるぞ。夏ナツが暑アツいと申モウしてブツブツ申モウすでないぞ。秋アキになるぞ。冬フユもあるぞ。冬フユばかりと考カンガへるでないぞ。やがては春ハルが訪オトズれるのぢゃ。いづれも嬉ウレし嬉ウレしとなる仕組シクミ。 |
| 710 |
27_春の巻 |
第53帖
どうしたらよいのぢゃ、神カミの云イふこときくから助タスけてくれと申モウすもの沢山タクサンでてくるが、何ナニも六ムツヶ敷シいこと神カミは申モウさん。現在ゲンザイを足場アシバとして一歩イッポづつ進ススめばよいのぢゃ。それでは食クって行イけんと申モウすものあるが、神カミはあり余アマるほど与アタへてあるでないか。何故ナゼ、手テ出ダさんのぢゃ。与アタへたもののみが自分ジブンのものぞ。今イマの人民ジンミン、余アマっても足タらんと考カンガへて、むさぶりてゐるぞ。幸福コウフク与アタへてあるに何故ナゼ手テ出ダさんのぢゃ。曲マげてとるのぢゃ。心ココロの目メひらけよ。ゴモク投ナげ出ダせよ。我ガの強ツヨい守護神シュゴシンどの、もう我ガの世ヨはすんだぞ。我ガ出ダすほど苦クルしくなるのぢゃ。 |
| 711 |
27_春の巻 |
第54帖
見ミへる幸福コウフクには限カギりがあり、見ミへぬ幸福コウフクは永遠エイエンであるぞ。理ミチにいそしめ。理ミチにとけ入イれよ。モノは無ナくなるぞ。霊レイは永遠トワに弥栄イヤサカえるぞ。毎日マイニチ々々マイニチ掃除ソウジしてもホコリはたまる。絶タえず心ココロの掃除ソウジよいか。洗濯センタクよいか。目メに見ミへず、上ウエ、下シタ、左ヒダリ、右ミギ、前マエ、後ウシロから何ナンとなくせまってくるものをサニワせよ。サニワして受ウけいれねばならん。自分ジブンの魂タマシイをはぐくみ、生長セイチョウさしてくれる大切タイセツなものは目メに見ミへんところから流ナガれてくるぞ。和ワせよ。調和チョウワせよ。調和チョウワとは、上カミから、より清キヨい所トコロから流ナガれて来クるものに従シタガふことぞ。いよいよが一四一四イヨイヨとなるぞ。雨アメの神カミ、風カゼの神カミ、地震ジシンの神カミ、岩イワの神カミ、荒アレの神カミ、大地震オオジシンの神カミ。 |
| 712 |
27_春の巻 |
第55帖
十二年ジュウニネンおくれてゐるのを取トり戻モドすのであるから、これからは目メの廻マワる程ホド急イソしくなってくるぞ。神示フデよむ暇ヒマもなくなると申モウしてある時トキ来キたぞ。いづれは人民ジンミンへるなれど、何ナニも約束ヤクソクごと真理シンリとはかえられん。まこと求モトめるならば、これと見届ミトドけたならば、その場バで御用ゴヨウ与アタへる仕組シクミ。 |
| 713 |
27_春の巻 |
第56帖
行ユく水ミズにも雲クモにも咲サく花ハナにも神カミのみ心ココロあるぞ。それ見ミる目メないからわからんのぢゃ。掃除ソウジすれば判ワカる。掃除ソウジ結構ケッコウ。拝オロガむは拝オロガまんよりはましであるぞ。しかし拝オロガんでばかりでは病気ビョウキは治ナオらん。金カネはもうからん。拝オロガむばかりで金カネもうけ出来デキたり病気ビョウキ治ナオったりすると思オモふたら間違マチガひぞ。理ミチにいそしめ。理ミチゆくところ喜ヨロコびあるぞ。喜ヨロコびあるから病気ビョウキも治ナオるのぢゃ。金カネも出デてくるのぢゃ。おかげあるのぢゃ。喜ヨロコび神カミぢゃ。タテには神カミと神界シンカイと和ワし、ヨコには人ヒトと環境カンキョウと大和ダイワして行ユくところにこそ、生イきの生命イノチのウレシウレシあるのであるぞ。 |
| 714 |
27_春の巻 |
第57帖
後ノチにも先サキにもない、みせしめ出デてくるぞ。めぐりひどい所トコロほど、ひどい見ミせしめ。神カミがまこと心ココロ見抜ミヌいたらどんな手柄テガラでも致イタさすぞ。自分ジブンでびっくり。まことの人程ヒトホドおかげおそい、おそい程ホド大オオきおかげあるぞ。同オナじ筋スジのミタマ沢山タクサンにあるのぢゃ。類魂ルイタマと人民ジンミン申モウしてゐるもの。いくら因縁インネンあっても曇クモりひどいと、その類魂ルイタマの中ナカから次々ツギツギに代カワりのミタマ使ツカふ仕組シクミ。兎トや角カク申モウさずに素直スナオについて御座ゴザれ。 |
| 715 |
27_春の巻 |
第58帖
心ココロの洗濯センタク早ハヨういたして太オオ ヒ ツ キ太神様オオカミサマに、殊コトに育ソダての、生ウみの親オヤさま九ク二ニ十ト九コ十タ千チの大神様オオカミサマの御実体ゴジッタイを理解リカイせねば、自分ジブンでいくら頑張ガンバってもやりそこないぢゃ。われがわれがと思オモふてゐるなれど、皆ミナこのほうがかげからさしてゐるのに気キづかんのか。おわびせよ。と申モウせば、そんな悪ワルいことした覚オボえないと申モウすが、何処迄ドコマデくもったのぢゃ。神カミにささげるには、自分ジブンに与アタへられたものの中ナカからささげねばならんぞ。むさぶり取トったり横取ヨコドりしたり、自分ジブンのものでないもの、もうけたカスを神カミにささげて威張イバってゐるが、それはささげ物モノにならん。神カミは受ウけ給タマわんぞ。泥棒ドロボウのお残ノコりちょうだいは真平マッピラぢゃ。自分ジブンのもの先マづささげるから弥栄イヤサカえるのぞ。おかげ万倍マンバイ間違マチガひなし。 |
| 716 |
27_春の巻 |
第59帖
一足イッソク飛トびには行イかん。一歩イッポ々々イッポと申モウしてあろう。一度イチドに神様カミサマを知シりたいと申モウしてもさうは行イかん。一年生イチネンセイからぢゃ。出直デナオし出直デナオし。子供コドモに大学ダイガクのことは判ワカらん。十貫ジュッカンの荷物ニモツはかつげん道理ドウリ。進ススむには、それ相当ソウトウの苦労クロウと努力ドリョクいるぞ。あぐらかいて、ふところ手テしてゐては出来デキん。時トキもいるぞ。金カネもいるぞ。汗アセもいるぞ。血チもいるぞ。涙ナミダもいるぞ。よいもの程ホド値ネが高タカい。今イマを元モトとし自分ジブンをもととして善ゼンぢゃ悪アクぢゃと申モウしてはならん。よき人民ジンミン苦クルしみ、悪ワルい人民ジンミン楽ラクしている。神カミも仏ホトケもないのぢゃと申モウしてゐるが、それは人民ジンミンの近目チカメぞ。一方的イッポウテキの見方ミカタぞ。長ナガい目メで見ミよと申モウしてあろうが。永遠エイエンのことわりわきまへよと申モウしてあろうが。支払シハラい窓マドは金カネくれるところ、預アズけ口クチは金カネとるところ。同オナじ銀行ギンコウでも部分的ブブンテキには、逆サカさのことしてゐるでないか。全体ゼンタイと永遠エイエンを見ミねばものごとは判ワカらんぞ。よく心得ココロエよ。二月ニガツ十五日ジュウゴニチ、日月神ヒツキノカミ |
| 717 |
27_春の巻 |
第60帖
一ヒ九ク三ミチ九コ ト。一ヒ九ク三ミチ九コ ト。一ヒ九ク三ミチ。四ジ九ク三ミチ。四ジ九ク三ミチ。二月ニガツ十五日ジュウゴニチ、日月神ヒツキノカミ |
| 718 |
28_夏の巻 |
第1帖
与アタへられたもの、そのもの喜ヨロコぶようにすれば楽ラクにゆけるよう、暮クラしむきもたのしたのしで暮クラせるようになってゐるぞ。あり余アマる程ホド与アタへてあるでないか。生イかして使ツカへよ。生活セイカツに何故ナゼアクセクするのぢゃ。与アタへてあるもの殺コロすから自分ジブンも死シの苦クルしみするのぢゃ。有限ユウゲンでなければモノは顕アラわれないぞ。モノに顕アラわすと有限ユウゲンとなるのぢゃ。総スベてに感謝カンシャせよと申モウしてあろうが。総スベてのものに、それ相当ソウトウの意義イギあるぞ。全体的ゼンタイテキには喜ヨロコびせねばならん。愛アイをもって接セッしなければならん。信シンをおかねばならん。ぢゃと申モウして局部キョクブ々々キョクブに於オイては、それぞれ、その時トキに応オウじて処理ショリせねばならん。只タダその場合バアイは、ゆとりをもって処理ショリせよ。綱ツナ長ナガくしておかねばならん。 |
| 719 |
28_夏の巻 |
第2帖
がよろこびであるぞ。また の はムでもあるぞ。内ウチから外ソトに向ムカって行イくのが のやり方カタ、外ソトから内ウチに向ケカって行ユくのが、がいこくのやりかた。 から に行ユくのは、マコトが逆ギャクであるから、マコトのことは判ワカらん。外ソトから行ユく宗教シュウキョウや哲学テツガクや科学カガクが元モトを判ワカらなくしてゐるのぢゃ。元モトわからんで生イきのいのちの判ワカる筈ハズないぞ。今イマの世ヨは逆様サカサマぢゃ。先祖センゾから正タダせよ。原因ゲンインから正タダして行イかなならんぞ。 から出デて にかへり、無限ムゲンより出デて有限ユウゲンに形カタし、有限ユウゲンから無限ムゲンにかへり、又マタ有限ユウゲンに動ウゴくのがマコトのやり方カタであるぞ。マコトの理解者リカイシャには甘露カンロの水ミズぞ。 |
| 720 |
28_夏の巻 |
第3帖
人間ニンゲンは神カミと共トモに自分自身ジブンジシンで生長セイチョウして行イかなならん。人間ニンゲンから見ミれば全智全能ゼンチゼンノウの神カミ、あるのであるぞ。このことよく判ワカりて下クダされよ。マコトの理解リカイと迷信メイシンとの別ワカれる大切タイセツことぞ。 |
| 721 |
28_夏の巻 |
第4帖
何神様ナニカミサマとハッキリ目標モクヒョウつけて拝オロガめよ。只タダぼんやり神様カミサマと云イっただけではならん。大神オオカミサマは一柱ヒトハシラであるが、あらわれの神カミは無限ムゲンであるぞ。根本コンポンの、太オオ ヒ ツ キ大神オオカミさまと念ネンじ、その時トキその所トコロに応オウじて、特トクに何々ナニナニの神様カミサマとお願ネガひ申モウせよ。信シンじ合アふものあれば、病気ビョウキも又マタたのしく、貧苦ヒンクも亦マタたのしいのであるぞ。例外レイガイと申モウすのは、ないのであるぞ。他ホカの世界セカイ、他ホカの天体テンタイ、他ホカの小宇宙ショウウチュウからの影響エイキョウによって起オコる事象ジショウが例外レイガイと見ミえるのぢゃ。心ココロ大オオきく、目メひらけよ。 |
| 722 |
28_夏の巻 |
第5帖
なりなると申モウしてあろうが。なると申モウすのは内分ナイブンは同オナじであるが、形カタの変カワることであるぞ。ウムとナルとは同オナじであって同オナじでないぞ。 |
| 723 |
28_夏の巻 |
第6帖
ほんとうにモノを見ミ、きき、味アジはい、消化ショウカして行イかなならんぞ。地チの上ウエにあるもの、人間ニンゲンのすること、その総スベては霊界レイカイで同オナじことになっていると申モウしてあろうが。先マづ霊レイの世界セカイのうごき大切タイセツ。霊レイの食物タベモノ、霊レイの生活セイカツ、求モトめる人民ジンミン少スクないのう。これでは、片輪車カタリンシャ、いつまでたってもドンテンドンテンじゃぞ。そのものを見ミ、そのものに接セッして下肚シタバラがグッと力チカラこもってくるものはよいもの、ほんものであるぞ。キは総スベてのものに流ナガれ込コむもの。信仰シンコウは理智的リチテキにも求モトめられる、完マッタき情ナサケである。真理シンリを理解リカイするのが早道ハヤミチ。確信カクシンとなるぞ。 |
| 724 |
28_夏の巻 |
第7帖
神カミも人間ニンゲンも同オナじであると申モウしてあろう。同オナじであるが違チガふと申モウしてあろう。それは大神オオカミの中ナカに神カミを生ウみ、神カミの中ナカに人民ジンミン生ウんだためぞ。自分ジブンの中ナカに、自分ジフン新アタラしく生ウむときは、自分ジブンと同オナじカタのものを生ウむ。大神オオカミ弥栄イヤサカなれば、神カミも弥栄イヤサカ、神カミ弥栄イヤサカなれば人民ジンミン弥栄イヤサカぞ。困コマるとか、苦クルしいとか、貧マズしいとか、悲カナしいとか云イう事コトないのであるぞ。理ミチふめと申モウすのは、生ウみの親オヤと同オナじ生イき方カタ、同オナじ心ココロになれよと申モウすことぞ。人民ジンミンいくら頑張ガンバっても神カミの外ソトには出デられんぞ。神カミいくら頑張ガンバっても大神オオカミの外ソトには出デられんぞ。 |
| 725 |
28_夏の巻 |
第8帖
見ミへるものから来クる幸福コウフクには限カギりがあるが、見ミえんものから来クる幸福コウフクは無限ムゲンぞ。つきんよろこびは常ツネに神カミから。 |
| 726 |
28_夏の巻 |
第9帖
ウムと申モウすことは、自分ジブンをよりよく生長セイチョウさすこと。一ヒトつ生ウめば自分ジブンは一段イチダンと上カミに昇ノボる。この道理ドウリわかるであろうがな。産ウむことによって、自分ジブンが平面ヘイメンから立体リッタイになるのであるぞ。毎日マイニチ、一生懸命イッショウケンメイに掃除ソウジしてゐても、何処ドコかにホコリ残ノコるもんぢゃ。まして掃除ソウジせん心ココロにホコリつもってゐること位クライ、誰ダレにでも判ワカってゐるであろうが。神示フデで掃除ソウジせよ。大病タイビョウにかかると借金シャッキンしてでも名医メイイにかかるのに、霊的大病レイテキタイビョウは知シらん顔カオでよいのか。信仰シンコウを得エて霊的レイテキに病気ビョウキを治ナオすのは、一瞬イッシュンには治ナオらんぞ。奇跡的キセキテキに治ナオるとみるのは間違マチガひ。迷信メイシンぞ。時間ジカンもいり手数テスウもいる。物モノも金カネもいる。大オオき努力ドリョクいるのであるぞ。取違トリチガひ多オオいのう。 |
| 727 |
28_夏の巻 |
第10帖
過去カコも未来ミライも中今ナカイマ。神カミも人間ニンゲンと同オナじで、弥栄イヤサカして行ユくぞ。悪ワルいくせ直ナオさねば いつ何時ナンドキまでたっても自分ジブンに迫セマってくるもの変カワらんぞ。おかげないと不足フソク申モウしてゐるが、悪ワルいくせ、悪ワルい内分ナイブンを変カへねば百年ヒャクネン祈イノりつづけてもおかげないぞよ。理屈リクツなしに子コは親オヤを信シンずるぞ。その心ココロで神カミに対タイせよ。神カミが親オヤとなるのぢゃ。目メと口クチから出デるもの、目メの光ヒカりと声コエとは、実在界ジツザイカイにも実力ジツリョクもってゐるのであるぞ。力チカラは体験タイケン通トオして出デるのであるぞ。 |
| 728 |
28_夏の巻 |
第11帖
カタは形カタをもたねばならん。念ネンは語カタることによって現アラワれるのぢゃ。 が無ナクなればなる程ホド は有ユウとなるであるぞ。このことよく判ワカりて下クダされよ。肚ハラの中ナカのゴモクすてるとよくわかる。 |
| 729 |
28_夏の巻 |
第12帖
キがもとと申モウしてあろうがな。人民ジンミンは総スベてのもののキいただいて成長セイチョウしてゐるのであるぞ。キ頂イタダけよ。横ヨコには社会シャカイのキを、縦タテには神カミの気キを、悪ワルいキを吐ハき出ダせよ。よい気キ養ヤシナって行イけよ。見分ミワける鏡カガミ与アタへてあるでないか。道ミチわからねば人ヒトにきくであろうが。判ワカらんのに判ワカった顔カオして歩アルき廻マワってゐてはならん。人ヒトにたづねよ。これと信シンずる人ヒトにたづねよ。天地テンチにたづねよ。神示フデにたづねよ。 |
| 730 |
28_夏の巻 |
第13帖
ウとムは相アイたがいに相アイ反ハンするのであるが、これが一ヒトつになって動ウゴく。ウム組クみ組クみてと、申モウしてあろうがな。今イマの人民ジンミンの智チでは中々ナカナカ解トけん。ウの中心チュウシンはム、ムの廻マワりはウであるぞ。中心チュウシンは無限ムゲン、周辺シュウイは有限ユウゲンであること知シれよ。 |
| 731 |
28_夏の巻 |
第14帖
上カミにたつ程ホド働ハタラかねばならん。働ハタラいても力チカラはへらん。働ハタラくにはキ頂イタダかねばならん。キから力チカラ生ウマれるのであるぞ。働ハタラくと申モウして動ウゴくばかりでないぞ。動ウゴかんのも働ハタラき、動ウゴくのも働ハタラき、よく心得ココロエよ。よせては返カエし、よせては返カエし生イきてゐるのであるぞ。始ハジメの始ハジメと始ハジメが違チガふぞ。後アトになるほどよくなるぞ。終オワりの中ナカに始ハジめあるぞ。祈イノり、考カンガへ、働ハタラきの三ミッつ揃ソロはねばならん。 |
| 732 |
28_夏の巻 |
第15帖
生ウめば生ウむ程ホド、自分ジブン新アタラしくなり成ナり、大オオきくなる。人間ニンゲンは大神オオカミのウズの御子ミコであるから親オヤのもつ、新アタラしき、古フルきものが そのままカタとして現アラワれゐて、弥栄イヤサカえてゐる道理ドウリぢゃ。人間ニンゲンの総スベてに迫セマり来クるもの、総スベてを喜ヨロコびとせよ。努力ドリョクせよ。モノ喜ヨロコばせばモノは自分ジブンの喜ヨロコびとなり、自分ジンブンとなる。心ココロの世界セカイは無限ムゲンに拡ヒロがり、生長セイチョウするのであるぞ。神カミにとけ入イって宇宙大ウチュウダイに拡ヒロがるのであるぞ。神カミと共トモに大オオきくなればなるほど、喜ヨロコび大オオきくなるのである。一神イッシン説トいて多神タシン説トかんのもかたわ、多神タシン説トいて一神イッシン説トかんのもかたわ、一神イッシン則スナワチ多神タシン則スナワチ汎神ハンシンである事実ジジツを説トいてきかせよ。 |
| 733 |
28_夏の巻 |
第16帖
人民ジンミンは神カミのいれものと申モウしてあろう。神カミの と人間ニンゲンの と通ツウじて居オればこそ呼吸イキするのぢゃ。 と と通ツウじて居オればそれでよいのぢゃ。神カミの と人民ジンミンの と通ツウじて居オるならば、神カミの と人民ジンミンの と同オナじようにしておかねばならんと申モウすのは、人間ニンゲンの誤アヤマりやすい、いつも間違マチガひ起オコすもとであるぞ。神カミの と人間ニンゲンの と同オナじようにしておくと思オモうて、三千年サンゼンネンの誤アヤマりしでかしたのぢゃ。 と と結ムスんでおけば後アトは自由ジユウぢゃ。人民ジンミンには人民ジンミンの自由ジユウあるぞ。神カミのやり方カタと自ミズカら違チガふところあってよいのぢゃ。天テンの理ミチと人ヒトの理ミチとは同オナじであって違チガふのざと知シらしてあろう。心得ココロエよ。 |
| 734 |
28_夏の巻 |
第17帖
神カミの姿スガタは総スベてのものに現アラわれてゐるぞ。道ミチばたの花ハナの白シロきにも現アラわれてゐるぞ。それを一度イチドに、すべてを見ミせて、のみこませてくれと申モウしても判ワカりはせんぞ。判ワカるところから、気長キナガに神カミ求モトめよ。総スベては神カミから流ナガれ出デてゐるのであるから、神カミにお願ネガひして実行ジッコウしなければならん。この判ワカり切キった道理ドウリ、おろそかにして御座ゴザるぞ。そこに天狗テング出デてゐるのぞ。 |
| 735 |
28_夏の巻 |
第18帖
自分ジブンが自分ジブン生ウむのであるぞ。陰インと陽ヨウとに分ワカれ、更サラに分ワカれると見ミるのは、人間ニンゲンの住スむ次元ジゲンに引下ヒキサげての見方ミカタであるぞ。陰陽インヨウ分ワカれるのでないこと、もとのもとの、もとの誠マコトの弥栄イヤサカ知シれよ。 |
| 736 |
28_夏の巻 |
第19帖
その人ヒトその人ヒトによって、食物タベモノや食タべ方カタが少スコしづつ違チガふ。身体カラダに合アわんもの食タべても何ドもならん。かえって毒ドクとなるぞ。薬クスリ、毒ドクとなることあると気キつけてあろうが。只タダ歩アルきまわってゐるだけではならん。ちゃんとめあてつくって、よい道ミチ進ススんで下クダされよ。飛行機ヒコウキあるに馬ウマに乗ノって行イくでないぞ。額ヒタイに先マづ気キあつめて、ハラでものごとを処理ショリせねばならんぞ。形カタある世界セカイでは形カタの信仰シンコウもあるぞ。偶像崇拝グウゾウスウハイぢゃと一方的イッポウテキに偏カタしてはマコトは判ワカらんぞ。 |
| 737 |
28_夏の巻 |
第20帖
人民ジンミンの智チの中ナカに現アラわれてくるときは、もはや大神オオカミではないぞ。神カミであるぞ。原因ゲンインの原因ゲンインは中々ナカナカ見当ミアとれん。 |
| 738 |
28_夏の巻 |
第21帖
始ハジめは形カタあるものを対象タイショウとして拝オロガむもよいが、行ユきつまるのは目メに見ミえる世界セカイのみに囚トラはれてゐるからぞ。タテのつながりを見ミないからであるぞ。死シんでも自分ジブンは生イきてゐるのであるぞ。大我ダイガに帰キしたり、理法リホウにとけ入イったりして自分ジブンと云イふもの無ナくなるのでないぞ。霊界レイカイと霊レイと、現界ゲンカイと現身ウツシミとのことはくどう説トいてあろうが。神示フデよめよめ。大往生ダイオウジョウの理ミチ、弥栄イヤサカに体得タイトク出来デキるのであるぞ。霊レイと体カラダと同オナじであると申モウしても、人間ニンゲンの世界セカイでは別々ベツベツであるぞ。内ウチと外ソト、上カミと下シモであるぞ。取トりちがいせんようして下クダされよ。 |
| 739 |
28_夏の巻 |
第22帖
つくり主ヌシとつくられるものとでは無限ムゲンにはなれて行ユくのぢゃ。和ワないぞ。和ワのないところ天国テンゴクないぞ。こんな判ワカりきったこと、何故ナゼにわからんのぢゃ。尻シリの毛ケまで抜ヌかれてゐると申モウしてあろう。早ハヨうめさめよ。悪アクの道ミチ、教オシエにまだ迷マヨうて御座ゴザるが、早ハヨうめざめんと間マに合アはんぞ。 |
| 740 |
28_夏の巻 |
第23帖
無限ムゲンのものと、有限ユウゲンのものと、ムとウとをまぜまぜにして考カンガへるから、人民ジンミンの頭アタマは兎角トカクウになりがちぢゃぞ。慾ヨク、浄化ジョウカせよ。 |
| 741 |
28_夏の巻 |
第24帖
すべて世ヨの中ナカの出来デキごとはそれ相当ソウトウに意義イギあるのであるぞ。意義イギないものは存在ソンザイゆるされん。それを人間心ニンゲンココロで、邪ジャと見ミ、悪アクと感カンずるから、狭セマい低ヒクい立場タチバでゐるから、いつまでたってもドウドウめぐり。それを毒ドクとするか薬クスリとするかは各々オノオノの立場タチバにより、考カンガへ方カタや、処理方法ショリホウホウや、いろいろの運ハコび方カタによってしるのであるから、心ココロせねばならんぞ。今イマに一生懸命イッショウケンメイになりて下クダされよ。三月サンガツ三日ミッカ、ひつく神ノカミ。 |
| 742 |
28_夏の巻 |
第25帖
二十二のように知シらすぞ。神カミの仕組シクミ、間違マチガひなし。どしどしと運ハコべよ。三月サンガツ八日ヨウカ、ひつく神カミ。 |
| 743 |
29_秋の巻 |
第1帖
同オナじ神カミの子コでも本家ホンケと分家ブンケとあるぞ。本家ホンケは人間ニンゲンぢゃ。分家ブンケは動植物ドウショクブツぢゃ。本家ホンケと分家ブンケは神カミの前マエでは同オナじであるが、位置イチをかへると同オナじでないぞ。三十年サンジュウネンで世ヨの立替タテカエいたすぞ。これからは一日ヒトヒましに世界セカイから出デて来クるから、如何イカに強情ゴウジョウな人民ジンミンでも往生オウジョウいたすぞ。神カミは喜ヨロコびであるから、人ヒトの心ココロから悪アクを取トり除ノゾかねば神カミに通ツエじないぞと教オシへてゐるが、それは段階ダンカイの低ヒクい教オシエであるぞ。大道オオミチでないぞ。理屈リクツのつくり出ダした神カミであるぞ。大神オオカミは大歓喜ダイカンキであるから悪アクをも抱ダき参マイらせてゐるのであるぞ。抱ダき参マらす人ヒトの心ココロに、マコトの不動フドウの天国テンゴクくるぞ。抱ダき参マイらせば悪アクは悪アクならずと申モウしてあろうが。今迄イママデの教オシエは今迄イママデの教オシエ。 |
| 744 |
29_秋の巻 |
第2帖
人民ジンミンは土ツチでつくったと申モウせば、総スベてを土ツチでこねてつくり上アげたものと思オモふから、神カミと人民ジンミンとに分ワカれて他人行儀タニンギョウギになるのぞ。神カミのよろこびで土ツチをつくり、それを肉体ニクタイのカタとし、神カミの歓喜カンキを魂タマシイとしてそれにうつして、神カミの中ナカに人民ジンミンをイキさしてゐるのであるぞ。取トり違チガひせんように致イタしくれよ。親オヤと子コと申モウしてあろう。木キの股マタや土ツチから生ウマれたのではマコトの親子オヤコではないぞ。世界セカイの九分九分九厘クブクブクリンであるぞ。あるにあられん、さしも押オしも出来デキんことがいよいよ近チコうなったぞ。外ソトは外ソトにあり、内ウチは内ウチにあり、外ソトは内ウチを悪アクと見ミ、内ウチは外ソトを悪アクとして考カンガへるのであるが、それは善ゼンと悪アクでないぞ。内ウチと外ソトであるぞ。外ソトには外ソトのよろこび、内ウチには内ウチのよろこびあるぞ。二フタつが和ワして一イチとなるぞ。一イチが始ハジめぞ、元モトぞ。和ワして動ウゴき、動ウゴいて和ワせよ。悪アクを悪アクと見ミるのが悪アク。 |
| 745 |
29_秋の巻 |
第3帖
霊界レイカイでの現アラワれは同オナじであっても、現実界ゲンジツカイに現アラワれる時トキは違チガふことあるぞ。それはモノが異コトなるからぞ。二二フジはもとのキぞ。ナルトとはその現アラワれのはたらき。 |
| 746 |
29_秋の巻 |
第4帖
道徳ドウトク、倫理リンリ、法律ホウリツは何イズれも人民ジンミンのつくったもの。本質的ホンシツテキには生ウマれ出デた神カミの息吹イブきによらねばならん。神カミも世界セカイも人民ジンミンも何イズれも生長セイチョウしつつあるのざ。何時イツまでも同オナじであってはならん。三千年サンゼンセカイ一切ヒトキりぢゃ。今迄イママデの考カンガへ方カタを変カへよと申モウしてあらう。道徳ドウトクを向上コウジョウさせよ。倫理リンリを新アタラしくせよ。法律ホウリツを少スクなくせよ。何イズれも一段イチダンづつ上アげねばならん。今迄イママデのやり方カタ、間違マチガってゐたこと判ワカったであらう。一足飛イッソクトびには行イかんなれど、一歩イッポ々々イッポ上アガって行イかなならんぞ。ぢゃと申モウして土台ドダイをすててはならん。土台ドダイの上ウエに建物タテモノたてるのぢゃ。空中クウチュウ楼閣ロウカク見ミて居オれん。 |
| 747 |
29_秋の巻 |
第5帖
へその緒オはつながってゐるのであるから、一段イチダン奥オクのへそえへそえと進ススんで行ユけば、其処ソコに新アタラしき広ヒロい世界セカイ、大オオきくひらけるのであるぞ。自分ジブンなくするのではなく高タカく深フカくするのであるぞ。無我ムガでないぞ。判ワカりたか。海ウミの底ソコにはキンはいくらでもあるぞ。幽界ユウカイと霊線レイセンつなぐと自己愛ジコアイとなり、天国テンゴクと霊線レイセンつなげば真愛シンアイと現アラワれるぞ。よろこびも二フタつあるぞ。三ミッつあるぞ。大歓喜ダイカンキは一ヒトつなれど、次ツギの段階ダンカイでは二フタつとなるのであるぞ。 |
| 748 |
29_秋の巻 |
第6帖
他タを愛アイするは真愛シンアイぞ。己オノレのみ愛アイするのは自己愛ジコアイぞ。自己愛ジコアイを排ハイしてはならん。自己愛ジコアイをひろげて、大オオきくして真愛シンアイと合致ガッチさせねばならん。そこに新アタラしき理ミチひらけるのであるぞ。自己愛ジコアイを悪魔アクマととくは悪魔アクマぞ。無ナき悪魔アクマつくり、生ウみ出ダすでないぞ。一段イチダン昇ノボらねば判ワカらん。 |
| 749 |
29_秋の巻 |
第7帖
公オオヤケのことに働ハタラくことが己オノレのため働ハタラくこと。大ダイの動ウゴきなすために小ショウの動ウゴきを為ナし、小ショウの動ウゴきなすために個コの動ウゴきなすのであるぞ。 に あり、又マタ あると申モウしてあるぞ。 |
| 750 |
29_秋の巻 |
第8帖
何事ナニゴトもよろこびからぞ。結果ケッカから又マタよろこび生ウマれるぞ。この道理ドウリわかれば何事ナニゴトもありやか。 |
| 751 |
29_秋の巻 |
第9帖
みろくの世ヨとなれば世界セカイの国々クニグニがそれぞれ独立ドクリツの、独自ドクジのものとなるのであるぞ。ぢゃが皆ミナそれぞれの国クニは一ヒトつのへそで、大オオき一ヒトつのへそにつながってゐるのであるぞ。地上天国チジョウテンゴクは一国イッコクであり、一家イッカであるが、それぞれの、又マタ自ミづから異コトなる小天国ショウテンゴクが出来デキ、民族ミンゾクの独立性ドクリツセイもあるぞ。一色イッショクにぬりつぶすような一家イッカとなると思オモふてゐるが、人間ニンゲンのあさはかな考カンガへ方カタぞ。考カンガへ違チガひぞ。この根本コンポンを直ナオさねばならん。霊界レイカイの通トオりになるのぢゃ。 |
| 752 |
29_秋の巻 |
第10帖
外ソトの喜ヨロコびはその喜ヨロコびによって悪アクをまし、内ウチの喜ヨロコびはその喜ヨロコびによって善ゼンをますなれど、マコトの喜ヨロコびは外ソト内ウチと一ヒトつになり、二フタつになり、三ミッつになった喜ヨロコびとならねば、弥栄イヤサカないぞ。 |
| 753 |
29_秋の巻 |
第11帖
親オヤと子コは、生ウむと生ウまれるとの相違ソウイ出来デキてくるぞ。又マタ上ウエの子コと下シタの子コと、左ヒダリの子コと右ミギの子コとは違チガふのであるぞ。違チガへばこそ存在ソンザイする。 |
| 754 |
29_秋の巻 |
第12帖
神カミについて御座ゴザれよ。理屈リクツ申モウさず、ついて御座ゴザれよ。地獄ジゴクないと申モウしてあろう。人ヒトは神カミの喜ヨロコびの子コと申モウしてあらう。人ヒトの本性ホンショウは神カミであるぞ。神カミなればこそ天国テンゴクへ自ミづから行ユくのぢゃ。住スむのぢゃ。 |
| 755 |
29_秋の巻 |
第13帖
人民ジンミン、うそが上手ジョウズになったから中々ナカナカ油断ユダンならんぞ。下々シモジモの神カミさまも、うそ上手ジョウズになったなぁ。善ゼンぢゃ悪アクぢゃと申モウしてゐるが、人民ジンミンの善ゼンはそのまま霊人レイジンの善ゼンでないぞ。そのまま霊人レイジンの悪アクでないぞ。心ココロして呉クれ。 |
| 756 |
29_秋の巻 |
第14帖
グッとしめたり、ゆるめたりして呼吸イキしなければならん。其処ソコに政治セイジのうごきあるぞ。経済ケイザイの根本コンポンあるぞ。逆ギャクにしめる事コトもあるぞ。善ゼンと申モウし悪アクの御用ゴヨウと申モウすことの動カゴき、そこから出デるのぢゃ。じっとしてゐてはならん。ジッとしてゐる善ゼンは善ゼンでないぞ。 |
| 757 |
29_秋の巻 |
第15帖
何程ドレホド世界セカイの為タメぢゃ、人類ジンルイの為タメぢゃと申モウしても、その心ココロが、我ガが強ツヨいから、一方イッポウしか見ミえんから、世界セカイのためにならん。人類ジンルイの為タメにならんぞ。洗濯センタクぢゃ洗濯センタクぢゃ。自分ジブンが生ウんだもの、自分ジブンから湧ワき出デるものは、いくら他ホカに与アタへてもなくならんぞ。与アタへよ、与アタへよ、与アタへてなくなるものは自分ジブンのものでないと申モウしてあろう。無ナくなると思オモふのは形カタのみ見ミてゐるからぢゃ。カラのみ見ミるからぢゃぞ。本質ホンシツは無限ムゲンに拡ヒロがるぞ。与アタへる程ホドよりよく、神カミから与アタへられるぞ。井戸イドの水ミズのようなもんぢゃ。汲クめば汲クむほどよくなる仕組シクミ。 |
| 758 |
29_秋の巻 |
第16帖
統一トウイツと云イふことは赤アカとか白シロとか一色イッショクにすることではないぞ。赤アカもあれば黄キもあり青アオもあるぞ。それぞれのものは皆ミナそれぞれであって一点イッテンの でくくる所トコロに統一トウイツあるぞ。くくると申モウしてしばるのでないぞ。磁石ジシャクが北キタに向ムくよう、総スベて一点イッテンに向ムかうことであるぞ。これを公平コウヘイと申モウし、平等ビョウドウと申モウすのぢゃ。悪平等アクビョウドウは悪平等アクビョウドウ。一色イッショクであってはならんのう。下シモが上カミに、上カミが下シモにと申モウしてあるが、一度イチドで治オサまるのでないぞ。幾度イクドも幾度イクドも上下ジョウゲンにひっくりかへり、又マタひっくりかへりビックリぢゃ。ビックリこねまわしぢゃ。 |
| 759 |
29_秋の巻 |
第17帖
神示フデが一度イチドで判ワカる人民ジンミンにはミタマシズメやカミシズメやカミカカリはいらん。判ワカらんからやらしてゐるのぢゃ。やらせねば判ワカらんし、やらすとわき道ミチにおちゐるし、いやはや困コマったもんぢゃのう。 |
| 760 |
29_秋の巻 |
第18帖
人民ジンミンは神カミのへそとつながってゐるのであるぞ。へその緒オさへつながって居オればよく、神人カミヒトであるぞ。 と とつながって更サラに大オオき につながってゐるからこそ動ウゴきあり、それぞれのハタラキあり、使命シメイを果ハたし得エるのであるぞ。同オナじであって全部ゼンブが合一ゴウイツしては力チカラ出デないのであるぞ。早ハヨう心ココロいれかへと申モウしてあるが、心ココロとは外ソトの心ココロであるぞ。心ココロの中ナカの中ナカの中ナカの心ココロの中ナカには が植付ウエツけてあるなれど、外ソトがまっくらぢゃ。今迄イママデのやり方カタでは行ユけんこと判ワりて居オらうがな。いらんものは早ハヨうすてて了シマへよ。直々ジキジキの大神様オオカミサマは二ツキの大神様オオカミサマなり。 |
| 761 |
29_秋の巻 |
第19帖
中今ナカイマと申モウすことは、 今イマと申モウすこと。 は無ムであるぞ。動ウゴきなき動ウゴきであるぞ。そのことよくわきまへよ。今迄イママデのこと、やり方カタかえねばならん。一段イチダンも二段ニダンも三段サンダンも上カミの広ヒロい深フカい、ゆとりのあるやり方カタに、神カミのやり方カタに、規則キソクのない世ヨに、考カンガへ方カタ、やり方カタ、結構ケッコウであるぞ。 |
| 762 |
29_秋の巻 |
第20帖
科学カガクに 入イれると宗教シュウキョウとなるのぢゃ。 は数カズ。カネは掘ホり出ダせん。生ウみ出ダしてくれよ。 |
| 763 |
29_秋の巻 |
第21帖
和ワが根本コンポン、和ワがよろこびぞ。和ワすには神カミを通ツウじて和ワすのであるぞ。神カミを通トオさずに、神カミをなくして通ツウづるのが悪和合アクワゴウ。神カミから分ワカれたのであるから神カミに帰カエって、神カミの心ココロに戻モドって和ワさねばならん道理ドウリ。神カミなくして和ワないぞ。世界セカイ平和ヘイワと申モウしてゐるが、神カミにかへって、神カミに通ツウじねば和平ワヘイなく、よろこびないぞ。十二ジュウニの玉タマを十ジュウまで生ウんで、後アト二フタつ残ノコしてあるぞ。 |
| 764 |
29_秋の巻 |
第22帖
神カミにとけ入イれと申モウしてあろう。次元ジゲンが違チガうから、戒律キリツ出来デキるから、判ワカらんのぢゃ。解トけ入イれよ。何ナニにつけても大オオいくさ。人ヒトの殺コロし合アひばかりでないと知シらしてあらう。ビックリぢゃ。 |
| 765 |
29_秋の巻 |
第23帖
神カミが主ヌシであり人民ジュウミンが従ジュウであると申モウしてあろう。これを逆ギャクにしたから世ヨが乱ミダれてゐるのぞ。結果ケッカあって原因ゲンインあるのでないぞ。今イマの人民ジンミン、結構ケッコウすぎて天地テンチの御恩ゴオンと申モウすこと忘ワスれてゐるぞ。いよいよとなって泣面ナキツラせねばならんこと判ワカりてゐるから、くどう気付キツけてゐるのぢゃ。マコトのことはトリの年トシ。 |
| 766 |
29_秋の巻 |
第24帖
上カミから見ミると皆ミナ人民ジンミンぢゃ。下シモから見ミると皆ミナ神カミぢゃ。判ワカりたと思オモふて御座ゴザるなれど、神カミの経綸ケイリンが学ガクや、金銀キンギンつんで、チョットやソットで判ワカる筈ハズないぞや。今迄イママデの、三千年サンゼンネンのやり方カタ違チガってゐたと心ココロつくなれば、心ココロ付ツいて神示フデよむなれば、一切イッサイのことありやかとなるのぢゃ。カンジンぢゃ。 |
| 767 |
29_秋の巻 |
第25帖
ウはムであるぞ。ウとは現実界ゲンジツカイぞ。ムとは霊界レイカイであるぞ。ウもムも同オナじであるぞ。ムからウ生ウマれて来クると申モウしてあること、よく心得ココロエよ。神カミの仕組シクミ、狂クルひないなれど、人民ジンミンに判ワカらねば、それだけこの世ヨの歩アユみおくれるのぢゃ。この世ヨは人民ジンミンと手テ引ヒかねばならんから、苦クルしみが長ナガくなるから、千人センニン万人マンニンなら一人ヒトリづつ手テ引ヒいてやりてもやりやすいなれど、世界セカイの人民ジンミン、動物虫ドウブツムシけらまでも助タスける仕組シクミであるから、人民ジンミン早ハヨう改心カイシンせねば、気キの毒ドクいよいよとなるぞ。 |
| 768 |
29_秋の巻 |
第26帖
中ナカは無ム、外ソトは有ウであるぞ。中ナカになる程ホド無ムの無ムとなるのぢゃ。同オナじことくり返カエすと、人民ジンミン申モウすであろうが、得心トクシンして居オらんから、かんじんのことぢゃから、クドう申モウしてゐるのぢゃ。人民ジンミンそれぞれのミタマによって役目ヤクメ違チガふのであるぞ。手テは手テ、足アシは足アシと申モウしてあろう。何ナニも彼カもマゼコゼにやるから結ムスびつかんのぢゃ。 |
| 769 |
29_秋の巻 |
第27帖
型カタにはまることをカタマルと申モウすのぢゃ。こり固カタまっては動ウゴきとれん。固カタまらねば型カタ出来デキんで、人民ジンミンには判ワカらんし、型カタ外ハズして、型カタをつくらねばならん。法律ホウリツつくらねばならんが、つくってもならんぞ。神カミから命令メイレイされたミタマでも油断ユダンは出来デキん。曇クモりたらすぐ代カワりのミタマと入イれ替カえるのであるぞ。コリ固カタまったものがケガレぢゃ。ケガレはらさねばならん。絶タえず払ハラって払ハラって払ハラひつつ、又マタ固カタまらねばならんし、人民ジンミンには判ワカらんし、肉体ニクタイあるから固カタまらねばならんし、常ツネに払ハラひせねばならん。総スベてをこんなもんぢゃときめてはならんぞ。 枯カれることをケガレと申モウすのぢゃ。判ワカりたか。神界シンカイの立替タテカエばかりでは立替タテカエ出来デキん。人民界ジンミンカイの立替タテカエなかなかぢゃナア。 |
| 770 |
29_秋の巻 |
第28帖
霊レイはものにつくと申モウしてあろう。払ハラひするときはモノにつけて、モノと共トモにせよ。共トモに祓ハラへよ。これほどマコト申モウしても、残ノコる一厘イチリンはいよいよのギリギリでないと申モウさんから、うたがふのも無理ムリないなれど、見ミて御座ゴザれよ。神カミの仕組シクミ見事ミゴト成就ジョウジュいたすぞ。一厘イチリンのことは知シらされんぞと申モウしてあろう。申モウすと仕組シクミ成就ジョウジュせんなり。知シらさんので、改心カイシンおくれるなり、心ココロの心ココロで取トりて下クダされよ。肉体ニクタイは霊レイの衣コロモと申モウしてあらう。衣コロモが霊レイを自由ジユウにしてはならんぞ。衣コロモには衣コロモの約束ヤクソクあるぞ。衣コロモぢゃと申モウして粗末ソマツしてはならん。何イズれも神カミの現アラワれであるぞ。内ウチには内ウチの内ウチがあり、外ソトには外ソトの外ソトがあるぞ。人ヒトほめよ。人ヒトほめることは己オノレほめることぞ。この巻マキ、秋アキの巻マキ。四月シガツ十一日ジュウイチニチ、ひつく神ノカミ。 |
| 771 |
30_冬の巻 |
第1帖
宇宙ウチュウは霊レイの霊レイと物質ブッシツとからなってゐるぞ。人間ニンゲンも又マタ同様ドウヨウであるぞ。宇宙ウチュウにあるものは皆ミナ人間ニンゲンにあり。人間ニンゲンにあるものは皆ミナ宇宙ウチュウにあるぞ。人間ニンゲンは小宇宙ショウウチュウと申モウして、神カミのヒナガタと申モウしてあらう。人間ニンゲンには物質界ブッシツカイを感知カンチするために五官器ゴカンキがあるぞ。霊界レイカイを感知カンチするために超チョウ五官器ゴカンキあるぞ。神界シンカイは五官ゴカンと超チョウ五官ゴカンと和ワして知シり得エるのであるぞ。この点テン誤アヤマるなよ。霊的レイテキ自分ジブンを正セイ守護神シュゴシンと申モウし、神的カミテキ自分ジブンを本ホン守護神シュゴシンと申モウすぞ。幽界的ユウカイテキ自分ジブンが副フク守護神シュゴシンぢゃ。本ホン守護神シュゴシンは大神オオカミの歓喜カンキであるぞ。神カミと霊レイは一ヒトつであって、幽ユウと現ゲン、合アワせて三サンぞ。この三サンは三サンにして一イチ、一イチにして二ニ、二ニにして三サンであるぞ。故ユエに肉体ニクタイのみの自分ジブンもなければ霊レイだけの自分ジブンもない。神界シンカイから真直マッスぐに感応カンノウする想念ソウネンを正流セイリュウと申モウす。幽界ユウカイを経ヘて又マタ幽界ユウカイより来クる想念ソウネンを外流ガイリュウと申モウすぞ。人間ニンゲンの肉体ニクタイは想念ソウネンの最外部サイガイブ、最底部サイテイブをなすものであるから肉体的ニクタイテキ動ウゴきの以前イゼンに於オイて霊的レイテキ動ウゴきが必カナラずあるのであるぞ。故ユエに人間ニンゲンの肉体ニクタイは霊レイのいれものと申モウしてあるのぞ。又マタ物質界ブッシツカイは、霊界シンカイの移写イシャであり衣コロモであるから、霊界レイカイと現実界ゲンジツカイ、又マタ霊レイと体カラダとは殆ホトんど同オナじもの。同オナじ形カタをしてゐるのであるぞ。故ユエに物質界ブッシツカイと切キり離ハナされた霊界レイカイはなく、霊界レイカイと切キり離ハナした交渉コウショウなき現実界ゲンジツカイはないのであるぞ。人間ニンゲンは霊界レイカイより動ウゴかされるが、又マタ人間自体ニンゲンジタイよりかもし出ダした霊波レイハは反射的ハンシャテキに霊界レイカイに反影ハンエイするのであるぞ。人間ニンゲンの心ココロの凸凹デコボコによって、一ヒトツは神界シンカイに、一ヒトツは幽界ユウカイに反影ハンエイするのであるぞ。幽界ユウカイは人間ニンゲンの心ココロの影カゲが生ウみ出ダしたものと申モウしてあろうがな。総スベては大宇宙ダイウチュウの中ナカにあり、その大宇宙ダイウチュウである大神オオカミの中ナカに、大神オオカミが生ウみ給タモふたのであるぞ。このことよくわきまへて下クダされよ。善ゼンのこと悪アクのこと、善悪ゼンアクのこと、よく判ワカって来クるのであるぞ。故ユエに、人間ニンゲンの生活セイカツは霊的生活レイテキセイカツ、言コトの生活セイカツであるぞ。肉体ニクタイに食クふことあれば霊レイにもあり、言コトを食タべているのが霊レイぞ。霊レイは言コトぞ。この点テンが最モットも大切タイセツなことじゃから、くどう申モウしておくぞ。死シんでも物質界ブッシツカイとつながりなくならん。生イきてゐる時トキも霊界レイカイとは切キれんつながりあること、とくと会得エトクせよ。そなた達タチは神カミをまつるにも、祖先ソセンまつるにも物質ブッシツのめあてつくるであろうがな。それはまだまだ未熟ミジュクな事コトぞ。死後シゴに於オイても、現実界ゲンジツカイに自分ジブンがある。それは丁度チョウド、生イきてゐる時トキも半分ハンブンは霊界レイカイで生活セイカツしてゐるのと同オナじであるぞ。自分ジブンの衣コロモは自分ジブンの外側ソトガワであるぞ。自分ジブンを霊レイとすると、衣コロモは体カラダ、衣コロモ着キた自分ジブンを霊レイとすれば家イエは体カラダ、家イエにゐる自分ジブンを霊レイとすれば土地トチは体カラダであるぞ。更サラに祖先ソセンは過去カコの自分ジブンであり、子孫コドモは新アタラしき自分ジブン、未来ミライの自分ジブンであるぞ。兄弟キョウダイ姉妹シマイは最モットも近チカき横ヨコの自分ジブンであるぞ。人類ジンルイは横ヨコの自分ジブン、動ドウ、植ショク、鉱物コウブツは更サラにその外ソトの自分ジブンであるぞ。切キりはなすこと出来デキん。自分ジブンのみの自分ジブンはないぞ。縦タテには神カミとのつながり切キれんぞ。限カギりなき霊レイとのつながり切キれんぞ。故ユエに、神カミは自分ジブンであるぞ。一切イッサイは自分ジブンであるぞ。一切イッサイがよろこびであるぞ。霊界レイカイに於オける自分ジブンは、殊コトに先祖センゾとの交流コウリュウ、交渉コウショウ深フカいぞ。よって、自分ジブンの肉体ニクタイは自分ジブンのみのものでないぞ。先祖霊センゾレイと交渉コウショウ深フカいぞ。神カミはもとより一切イッサイの交渉コウショウあるのであるぞ。その祖先霊ソセンレイは神界シンカイに属ゾクするものと幽界ユウカイに属ゾクするものとあるぞ。中間チュウカンに属ゾクするものもあるぞ。神界シンカイに属ゾクするものは、正流セイリュウを通ツウじ、幽界ユウカイに属ゾクするものは外流ガイリュウを通ツウじて自分ジブンに反応ハンノウしてくるぞ。正流セイリュウに属ゾクする祖先ソセンは正セイ守護神シュウゴシンの一柱ヒトハシラであり、外流ガイリュウに加クはるものは、副フク守護神シュゴシンの一柱ヒトハシラと現アラはれてくるのであるぞ。外流ガイリュウの中ナカには、動植物霊ドウショクブツレイも交マジワってくることあるぞ。それは己オノレの心ココロの中ナカにその霊レイと通ツウずるものあるためぞ。一切イッサイが自分ジブンであるためぞ。常ツネに一切イッサイを浄化ジョウカせなならんぞ。霊レイは常ツネに体カラダを求モトめ、体カラダは霊レイを求モトめて御座ゴザるからぞ。霊レイ体タイ一致イッチが喜ヨロコびの根本コンポンであるぞ。一ヒトつの肉体ニクタイに無数ムスウの霊レイが感応カンノウし得エるのざ。それは霊レイなるが故ユエにであるぞ。霊レイには霊レイの霊レイが感応カンノウする。又マタ高度コウドの霊レイは無限ムゲンに分霊ブンレイするのであるぞ。二重ニジュウ三重サンジュウ人格ジンカクと申モウすのは、二重ニジュウ三重サンジュウのつきものの転換テンカンによるものであり、群集心理グンシュウシンリは一時的イチジテキの憑依霊ヒョウイレイであると申モウしてあろうがな。霊レイが元モトと申モウしてくどう知シらしてあろうが。人間ニンゲンは現界ゲンカイ、霊界レイカイ共トモに住スんで居オり、その調和チョウワをはからねばならん。自分ジブンは自分一人ジブンヒトリでなく、タテにもヨコにも無限ムゲンにつながってゐるのであるから、その調和チョウワをはからねばならん。それが人間ニンゲンの使命シメイの最モットも大切タイセツなことであるぞ。調和チョウワ乱ミダすが悪アクぞ。人間ニンゲンのみならず、総スベて偏カタしてならん。霊レイに偏カタしてもならん。霊レイも五ゴ、体カラダも五ゴと申モウしてあらう。ぢゃが主ヌシは霊レイであり体カラダは従ジュウぞ。神カミは主ヌシであり、人間ニンゲンは従ジュウであるぞ。五ゴと五ゴと同オナじであると申モウしてあろう。差別サベツ則スナワチ平等ビョウドウと申モウしてあらう。取トり違チガい禁物キンモツぞ。神カミは愛アイと現アラはれ、真シンと現アラはれるのであるが、その根ネはよろこびであるぞ。神カミの子コは皆ミナよろこびぢゃ。よろこびは弥栄イヤサカぞ。ぢゃがよろこびにも正流セイリュウと外流ガイリュウとあるぞ。間違マチガへてならんぞ。正流セイリュウの歓喜カンキは愛アイの善ゼンとなって現アラはれて、又マタ真シンの信シンと現アラはれるぞ。外流ガイリュウのよろこびは愛アイの悪アクとなって現アラワれるぞ。何イズれも大神オオカミの現アラワれであること忘ワスれるなよ。悪アク抱ダき参マイらせて進ススむところにマコトの弥栄イヤサカあるのであるぞ。神カミは弥栄イヤサカぞ。これでよいと申モウすことないのであるぞ。大完成ダイカンセイから超大大完成チョウダイダイカンセイに向ムカって常ツネに弥栄イヤサカしてゐるのであるぞよ。宇宙ウチュウは総スベてに於オイても、個々ココに於オイても総スベてよろこびからよろこびに向ムカって呼吸コキュウしてゐるのぞ。よろこびによって創ツクられてよろこんでゐるのであるぞ。故ユエによろこびなくして生イきないぞ。合一ゴウイツはないぞ。愛アイは愛アイのみではよろこびでないぞと申モウしてあろう。真シンは真シンのみでは喜ヨロコびでないと申モウしてあろうが。愛アイと真シンと合一ゴウイツし、 するところに、陰インと陽ヨウと合一ゴウイツ、弥栄イヤサカしたところによろこびあるのぢゃぞ。この巻マキ冬フユの巻マキ、五月ゴガツ五日イツカの佳ヨき日コ。ひつく神ノカミ。 |
| 772 |
30_冬の巻 |
第2帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 773 |
30_冬の巻 |
第3帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 774 |
30_冬の巻 |
第4帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 775 |
30_冬の巻 |
第5帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 776 |
30_冬の巻 |
第6帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 777 |
30_冬の巻 |
第7帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 778 |
30_冬の巻 |
第8帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 779 |
30_冬の巻 |
第9帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 780 |
30_冬の巻 |
第10帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 781 |
30_冬の巻 |
第11帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 782 |
30_冬の巻 |
第12帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 783 |
30_冬の巻 |
第13帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 784 |
30_冬の巻 |
第14帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 785 |
30_冬の巻 |
第15帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 786 |
30_冬の巻 |
第16帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 787 |
30_冬の巻 |
第17帖
未ミ発表ハッピョウ |
| 788 |
30_冬の巻 |
第18帖
病ヤマイ、ひらくことも、運ウン、ひらくことも、皆ミナ己オノレからぢゃと申モウしてあろう。誰ダレでも、何ナンでもよくなるのが神カミの道ミチ、神カミの御心ミココロぢゃ。親心オヤココロぢゃ。悪ワルくなると云イふことないのぢゃ。迷マヨひが迷マヨひ生ウむぞ。もともと病ヤマイも不運フウンもない弥栄イヤサカのみ、喜ヨロコびのみぢゃ。神カミがよろこびぢゃから、その生ウんだもの皆ミナよろこびであるぞ。この道理ドウリよくわきまえよ。毎日マイニチ々々マイニチ、太陽タイヨウと共トモに、太陽タイヨウについて起オき上アがれよ。その日ヒの仕事シゴト、与アタへられるぞ。仕事シゴトいのちと仕ツカへまつれよ。朝寝アサネするからチグハグとなるのぢゃ。不運フウンとなるのぢゃ、仕事シゴトなくなるのぢゃ。神カミについて行ユくことが祈イノりであるぞ。よろこびであるぞ。食物タベモノ、食タべ過スぎるから病ヤマイになるのぢゃ。不運フウンとなるのぢゃ。口クチから出デるもの、入ハイるもの気キつけよ。いくさ起オコるのぢゃ。人間ニンゲンの病ヤマイや、いくさばかりでない、国クニは国クニの、世界セカイは世界セカイの、山ヤマも川カワも海ウミも、みな病ヤマイとなり、不運フウンとなってくるぞ。食タべないで死シぬことないぞ。食タべるから死シぬのぢゃぞ。一椀ヒトワンをとって先マづ神カミに供ソナへよ。親オヤにささげよ。子コにささげよ。腹八分ハラハチブの二分ニブはささげよ。食物タベモノこそは神カミから、親オヤから与アタへられたものであるぞ。神カミにささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運フウンとなり、病ヤマイとなるのぢゃぞ。運ウンひらくのも食物タベモノつつしめばよい。言コトつつしめばよい。腹ハラ十分ジュウブン食タべてはこぼれる。運ウンはつまってひらけん。この判ワカりきったこと、何故ナゼに判ワカらんのぢゃ。ささげるからこそ頂イタダけるのぢゃ。頂イタダけたらささげると今イマの人民ジンミン申モウしてゐるが、それがウラハラと申モウすもの。衣類イルイも家イエも土地トチも、みな神カミから頂イタダいたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民ジンミンに与アタへられてゐるものは食物タベモノだけぢゃ。日ヒのめぐみ、月ツキのめぐみ、地チのめぐみだけぢゃぞ。その食物タベモノ節セッしてこそ、ささげてこそ、運ウンひらけるのぢゃ。病ヤマイ治ナオるのぢゃ。人民ジンミンひぼしにはならん。心配無用シンパイムヨウ。食物タベモノ、今イマの半分ハンブンで足タりると申モウしてあらうが。遠トオくて近チカいものヒフミの食タべ方カタして見ミなされよ。運ウンひらけ、病ヤマイ治ナオってうれしうれしと輝カガヤくぞ。そんなこと位クライで、病ヤマイ治ナオったり、運ウンひらける位クライなら、人民ジンミンはこんなに苦クルしまんと申モウすが、それが理屈リクツと申モウすもの。理屈リクツ悪アクと申モウしてあるもの。低ヒクい学ガクに囚トラわれたメクラ、ツンボと申モウすものぞ。理屈リクツすてよ。すててやって見ミなされ。みなみな気キつかん理ミチ、気キつかん病ヤマイになってゐるぞ。ツキモノがたらふく食タべてゐることに気キづかんのか。食物タベモノ節セッすればツキモノ改心カイシンするぞ。先マづ百日ヒャクニチをめあてに、百日ヒャクニチ過スぎたら一年イチネンを、三年サンネンつづけたら開運カイウン間違マチガひなし。病ヤマイもなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目サンネンメ、五年目ゴネンメ、七年目シチネンメぞ、めでたいナア、めでたいナア。六月ロクガツ九日ココノカ、ひつくの神カミ。以上イジョウ |
| 789 |
31_扶桑の巻 |
第1帖
東ヒムカシは扶桑フソウ-二三-なり、日ヒ- -出イづる秋トキは来キにけり。この巻マキ扶桑フソウ-二三-の巻マキ、つづく六ロクの巻マキを合アワせて七ナナの巻マキ一百四十四帖ヒトヒャクシジュウヨンチョウの黙示モクジを五十イセ黙示モクジと申モウせよ。イシもの言イふぞと申モウしてありたが、イセにはモノ言イふイシがあると昔ムカシから知シらしてあろうがな、五ゴの一四イシがもの言イふのであるぞ、ひらけば五十ゴジュウとなり、五百ゴヒャクとなり、五千ゴセンとなる。握ニギれば元モノの五ゴとなる、五本ゴホンの指ユビのように一イチと四ヨンであるぞ、このほうを五千ゴセンの山ヤマにまつれと申モウしてあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、五十連イツラぞ、判ワカりたか、五十連イツラ世ヨに出デるぞ。天テンに神カミの座ザあるように、地チには人民ジンミンの座ザがあるぞ、天テンにも人民ジンミンの座ザがあるぞ、地チに神カミの座ザがあるぞ。七ナナの印シルシと申モウしてあるぞ、七ナナとはモノのなることぞ、天テンは三サンであり、地チは四ヨンであると今迄イママデは説トかせてあったなれど愈々イヨイヨ時節ジセツ到来トウライして、天テンの数カズ二百十六フタヒャクジュウロク、地チの数カズ一百四十四ヒトヒャクシジュウシとなりなり、伊邪那岐イザナキ三サンとなり、伊邪那美イザナミ二ニとなりなりて、ミトノマグハイして五ゴとなるのであるぞ、五ゴは三百六十サンビャクロクジュウであるぞ、天テンの中ナカの元モトのあり方カタであるぞ、七ナナの燈台トウダイは十トウの燈台トウダイとなり出イづる時トキとなったぞ、天アメは数カズぞと申モウしてあろう、地クニはいろは(意露波)であるぞ。判ワカらん者モノが上カミに立タつこととなるぞ、大オオグレン目メの前マエ、日本ニホンのみのことでないぞ、世界中セカイジュウのことであるぞ、今度コンドは三千世界サンゼンセカイが変カワるのであるから今迄イママデのようなタテカヘではないのであるぞ。何ナニも彼カも鏡カガミにうつるのであるぞ。鏡カガミが御神体ゴシンタイであるぞ。何ナニもうつらん御神体ゴシンタイのカガミは何ドもならんぞ。 |
| 790 |
31_扶桑の巻 |
第2帖
なかとみのふとのりとことふとにのりあぐ。
一イチはいくら集アツめても一イチであるぞ、判ワカらんものいくら集アツめても判ワカらん道理ドウリ、二ニは二ニ、三サンは三サンであるぞ、一イチを二フタつ集アツめても二ニにはならんぞ、人民ジンミン大変タイヘンな取違トリチガいを致イタして居オるぞと申モウしてあろうがな、 レイがもとぢゃ、 レ一イがもとぢゃ、結ムスびぢゃ弥栄イヤサカぢゃ、よく心得ココロエなされよ。世ヨの元モト、 レイの始ハジめから一イチと現アラわれるまでは レイを十回ジュッカイも百回ヒャッカイも千回センカイも万回マンカイも、くりかへしたのであるぞ、その時トキは、それはそれはでありたぞ、火ヒと水ミ三のドロドロ(十 十 )であったぞ、その中ナカに五色五頭ゴシキゴトウの竜神リュウジン( 二ん)が御オハタラキなされて、つくり固カタめなされたのぢゃ、今イマの人民ジンミンは竜神リュウジン( 二ん)と申モウせば、すぐ横ヨコを向ムいて耳ミミをふさぐなれど、マコトのことを知シらせねばならん時トキざから、ことわけて申モウしてゐるのぞ。竜神リュウジン( 二んとは 神リュウジン理 )であるぞ、五色ゴシキの竜神リュウジンとは国常立尊クニノトコタチノミコトの御現オアラわれの一ヒトツであるぞ。戒律キリツをつくってはならん、戒律キリツがなくてはグニャグニャになると思オモふであろうなれども、戒律キリツは下ゲの下ゲの世界セカイ、今イマの人民ジンミンには必要ヒツヨウなれど、いつまでも、そんな首輪クビワはいらんぞ、戒律キリツする宗教シュウキョウは亡ホロびると申モウしてあろうがな。 |
| 791 |
31_扶桑の巻 |
第3帖
高天原タカアマハラに千木チギ高タカしりて仕ツカへまつらむ。岩戸イワト-言答-のひらけた、その当座トウザは、不合理フゴウリに思オモへることばかりでてくるぞ、逆様サカサマの世界セカイが、この世界セカイに入イり交マじるからであるぞ、親オヤよりも子コの方ホスが早ハヤく目メさめるぞ、子コが親オヤとなるぞ、さかさまの世界セカイと申モウしても悪アクの世界セカイではないぞ、霊レイの世界セカイには想念ソウネンのままにどんなことでも出来デキるのであるぞ、うれしい、こわい世界セカイが近チカづいて来キているのであるぞ。 |
| 792 |
31_扶桑の巻 |
第4帖
ツミケガレ今イマはあらじとはらえ給タマひそ。空白クウハクとは九八九クウハクであるぞ、八ハチと九キュウ、九キュウと八ハチの境サカイをひらくことが岩戸イワトを開ヒラくことぢゃ、空白クウハクとは最モットも根本コンポンを為ナす最モットも力チカラあることであるぞ。 |
| 793 |
31_扶桑の巻 |
第5帖
八塩路ヤシオジの塩シオの八百会ヤオアイ母ハハいますくに。天アメの声コエあるぞ、地クニの声コエあるぞ、和ワして十トウの日月地ヒツキクニと現アラはれるぞ。五十人ゴジュウニンの仁人ジンジンが出デて来クるぞ、仁人ジンジンとは神人カミヒトのこと、この仁人ジンジンが救世主キュウセイシュであるぞ、救世主キュウセイシュは一人ヒトリでないぞ。各々オノオノの民族ミンゾクに現アラはれて五十人ゴジュウニンであるなれど、五十ゴジュウと言イふ数カズに囚トラわれるなよ、五十人ゴジュウニンで一人ヒトリであるぞ、数カズに囚トラわれると、判ワカらんことになり、岩戸イワトしめとなるから気キつけおくぞ。 |
| 794 |
31_扶桑の巻 |
第6帖
はらひため千城センジョウ百国ヒャクコク精治ショウジ万歳バンゼイ。三年サンネンと半年ハントシ、半年ハントシと三年サンネンであるぞ、その間アイダはクラヤミ時代ジダイ、火ヒをともしてもくらいのであるぞ、あかるい人民ジンミンにはヤミでも明アイるい、日ヒは三日ミッカと半日ハンニチ、半日ハンニチと三日ミッカ、次ツギに五年ゴネンと五年ゴネンぢゃ、五日イツカと五日イツカぢゃ、このこと間違マチガへるでないぞ。手足テアシの爪ツメまで抜ヌきとられ、あるにあられん、むごいことにされて追オひやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時トキめぐりきて、我ガがとれたので、光ヒカリがさしそめたのぢゃ、岩戸イワトがひらけたのぢゃ。神カミが苦クルしむ時トキは人民ジンミンが苦クルしみ、人民ジンミン苦クルしむ時トキは神カミも苦クルしむのぞ。世界中セカイジュウの苦クルしみ、地上チジョウの苦クルしみ、天上テンジョウの苦クルしみぞ、この大峠ダイトウゲを越コしてから大オオいなるタメシがあるぞ、人ヒトの心ココロのむつかしさ計ハカり知シれん程ホドであるなれど、見ミて御座ゴザれ、見事ミゴトなこと致イタして見ミせるぞ。 |
| 795 |
31_扶桑の巻 |
第7帖
岩イワ[一 ] 隠カクれし比売ヒメ-秘命-のミホト[実秀答]は焼ヤかへ給タマひて。三分サンブンの一イチの人民ジンミンになると、早ハヨうから知シらせてありたことの実地ジッチがはじまっているのであるぞ。何ナニも彼カも三分サンブンの一イチぢゃ、大掃除オオソウジして残ノコった三分サンブンの一イチで、新アタラしき御代ミヨの礎イシズエと致イタす仕組シクミぢゃ、三分サンブ六ムツヶ敷シいことになっているのを、天アメの神カミにお願ネガい申モウして、一人ヒトリでも多オオく助タスけたさの日夜ニチヤの苦心クシンであるぞ、カンニンのカンニン、ガマンのガマンであるぞ、九 コノカミ[光ノ神]の花ハナ咲サくぞ。 |
| 796 |
31_扶桑の巻 |
第8帖
平坂ヒラサカの岩戸イワト[言答]ひらけむ音オトのきこゆる。神カミに怒イカりはないのであるぞ、天変テンペン地異チイを神カミの怒イカりと取違トリチガひ致イタしてはならん。太神オオカミは愛アイにましまし、真シンにましまし、善ゼンにましまし、美ビにましまし、数カズにましますぞ。また総スベてが喜ヨロコびにましますが故ユエに怒イカりはないのであるぞ、若モし怒イカりが出デた時トキは、神カミの座ザから外ハズれて了シマふのであるぞ。救スクひの手テは東ヒムカシよりさしのべられると知シらしてあろが、その東ヒムカシとは、東西南北トウザイナンボクの東ヒガシではないぞ、このことよく判ワカりて下クダされよ。今イマの方向ホウコウでは東北ウシトラから救スクひの手テがさしのべられるのぢゃ、ウシトラとは東北トウホクであるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊クニノトコタチノミコトで御座ゴザるぞ、地チ-千、智-の元モトの、天地アメツチの元モトの元モトの元モトの神カミぞ、始ハジめの始ハジめ、終オワりの終オワりぞ、弥栄イヤサカの弥栄イヤサカぞ、イシヅヱぞ。 |
| 797 |
31_扶桑の巻 |
第9帖
ささげてむ和稲荒稲ニキシネアラシネ横山ヨコヤマのごと。五人ゴニンあるぞ、中二人ナカフタリ、外三人ソトサンニン、この仕組シクミ天アメの仕組シクミ。一切イッサイと手テをつながねばならん。人民ジンミンのみで世界連邦セカイレンポウをつくろうとしても、それは出来デキない相談ソウダン、片輪車カタリンシャと申モウしてあろうが、目メに見ミへぬ世界セカイ、目メに見ミへぬ人民ジンミンとの、タテのつながりつけねばならん道理ドウリ、人民同士ジンミンドウシの横糸ヨコイトだけでは織物オリモノにはならんぞ。天アメは火ヒぞ、地クニは水ミズぞ、火ヒ水ミズ組クみ組クみて織オりなされたものが、ニシキの御旗オハタぢゃ、ヒミツの経綸ケイリンであるぞ。 |
| 798 |
31_扶桑の巻 |
第10帖
赤丹アカニの頬ホホにきこしめしませ御酒ミキたてまつる。何事ナニゴトが起オコって来キても先マづ喜ヨロコんで迎ムカへねばならんぞ、近チカづいてくるのは呼ヨびよせたからぢゃ、こんないやな、きたないものは、ごめんぢゃと申モウす人民ジンミンもあるなれど、それは皆ミナ己オノレの心ココロのうつしでないか。内ウチに無ナいものが外ソトから近チカよる道理ドウリないのぢゃ、どんなものでも、喜ヨロコんでむかへるとよろこびとなる結構ケッコウな仕組シクミ、よく会得エトクせよ。何事ナニゴトも一段イチダンづつ、一歩イッポづつぢゃ、一足飛イッソクトびは大怪我オオケガのもと。 |
| 799 |
31_扶桑の巻 |
第11帖
沖オキつ藻葉モハ辺津藻葉ヘツモハぞ。母ハハしらす御国ミクニの五ゴのハタラキは何イズれも十ジュウのつばさを持モってゐるぞ、足アシは十本ジッポンであるぞ、更サラに五十ゴジュウのつばさとなりなる仕組シクミ、五十ゴジュウの足アシがイツラぞ、イツラではうごきとれん。四十九シジュウクとして働ハタラいてくれよ、真中マナカの一イチはうごいてはならん。真中マナカうごくでないぞと申モウしてあろうがな、時トキ過スぎてタネまく人民ジンミン多オオいのう、人民ジンミンと申モウすものは天狗テングざから、自分ジブンはよいのだが、世ヨの中ナカ悪ワルいのざと申モウしてゐるなれど、世ヨの中ナカと申モウすものは大神オオカミのハタラキの現アラワれであるから、大神オオカミの中ナカでのうごきであるから、世ヨの中ナカが悪ワルいと思オモふのは、大神オオカミが悪ワルいと思オモふことになるのぢゃぞ、其処ソコに底知ソコシれぬ程ホドの魔マの仕組シクミがあるぞ、気キつけおくぞ。 |
| 800 |
31_扶桑の巻 |
第12帖
進タテマツる宇都ウツの幣帛ミテクラきこしめしたべ。神カミの御手ミテに巻物マキモノがあるぞ、その巻物マキモノの数カズは五十巻ゴジュッカンぢゃ、この巻物マキモノを見ミたものは今迄イママデに一人ヒトリもなかったのであるぞ、見ミても判ワカらんのぢゃ。巻物マキモノを解トいて読ヨもうとすれば、それは白紙ハクシとなって了シマうのであるぞ、人民ジンミンには判ワカらんなり。説トくことは出来デキんなり、この巻物マキモノは天テンの文字モジで書カいてあるぞ、数字スウジで書カいてあるぞ、無ムが書カいてあるぞ、無ムの中ナカに有ユウがしるしてあるぞ、心ココロを無ムにすれば白紙ハクシの中ナカに文字モジが現アラはれるのであるぞ、時節ジセツ参マイりて誰ダレの目メにも黙示モクジとうつるようになった、有難アリガタいことであるぞ、岩戸イワトがひらけて愈々イヨイヨの時トキとなったのぞ、始ハジめからの巻物マキモノよく読ヨんで下クダされよ、よくより分ワけて下クダされよ、何ナニも彼カも一切ヒトキリありやかに刻キザまれてゐるぞ、残ノコる十二巻ジュウニカンと一巻イッカンは人民ジンミンでは判ワカらんぞ、無ムの巻物マキモノぞ、空クウに書カいてあるぞ。 |
| 801 |
31_扶桑の巻 |
第13帖
称言タタエゴト太祝詞フトノリトこと今イマぞ高タカらに。木キでも草クサでも皆ミナ、中ナカから大オオきくなるのざと申モウしてあろう、つけ焼刃ヤキバや膏薬コウヤクはりで大オオきくなるのでないぞ、三千年サンゼンネンに一度イチドと言イふ、又マタとない結構ケッコウな時トキがめぐりて来キてゐるのであるぞ、為ナせば成ナるぞ、六ムツヶ敷シいこと申モウしてゐるのではない、自分ジブンの中ナカの自分ジブンを掃除ソウジして自分ジブンの外ソトの自分ジブンを洗濯センタクして磨ミガけと申モウしているのぞ、みがけば神カミと同列ドウレツのミタマぞ、釈迦シャカぞ、キリストぞと申モウしてあろう。内ウチにあるものを磨ミガけば外ソトからひびくものも磨ミガかれた、けがれのないものとなるのぢゃ、中ナカの自分ジブンを掃除ソウジしないで居イるといつ迄マデたっても、岩戸イワトがひらけてゐても岩戸イワトはひらけん。 |
| 802 |
31_扶桑の巻 |
第14帖
青海原アオウナバラ青垣山アオカキヤマの内ウチ-宇宙-に御子ミコ生ウマる。神カミの御座ミクラのまわりには十ジュウの宝座ホウザがあるぞ、十ジュウの宝座ホウザは五十ゴジュウと五十ゴジュウ、百ヒャクの光ヒカリとなって現アラワれるのであるぞ、大摩邇オオマニは百宝ヒャクホウを以モって成就ジョウジュすると知シらせてあろうがな、五十種ゴジュッシュの光ヒカリ、五十種ゴジュウッシュの色イロと申モウしてあろうがな、光ヒカリの中ナカに百億ヒャクオクの化仏ケブツぢゃと申モウしてあろう、百ヒャクが千センとなり万マンとなり億オクとなるのであるぞ、今迄イママデは四ヨの活物カツブツと知シらせてありたが、岩戸イワトがひらけて、五コの活物カツブツとなったのであるぞ、五コが天アメの光ヒカリであるぞ、白シロ、青アオ、黄キ、赤アカ、黒クロ、の色イロであるぞ。 |
| 803 |
31_扶桑の巻 |
第15帖
百不足モモタラズ八十隈手ヤソクマデいまひらかんときぞ。天アメのことは今迄イママデは人民ジンミンには判ワカらなかったのであるぞ、時トキめぐり来キて、岩戸イワトがひらけて、判ワカるようになったのぞ、今迄イママデの人民ジンミンであってはならん、地クニそのものが変カワってゐるのであるぞ、人民ジンミンは我ガが強ツヨいから一番イチバンおくれてゐるのであるぞ、人民ジンミンの中ナカでは宗教人シュウキョウジンが一等イットウおくれてゐるぞ、神人カミヒトとならねば生イきては行ユかれんのぢゃ、天地アメツチがアメツチとなってきてゐるからぞ、天アメも近チコうなるぞ、地クニも近チコうなるぞと気キつけてありたのに目メさめた人民ジンミン少スクないぞ、今イマに昇ノボり降オりで急イソしくなり、衝突ショウトツするものも出デてくるぞ、他人タニンにおんぶされたり、車クルマに乗ノせられてゐた人民ジンミンたちよ、もうその時トキは過スぎてゐるのであるから、自分ジブンの足アシで歩アユまねばならんぞ、大地ダイチをふみしめよ、大地ダイチの気キが身内ミウチに甦ヨミガエるぞ。 |
| 804 |
32_碧玉之巻 |
第1帖
反対ハンタイの世界セカイと合流ゴウリュウする時トキ、平面ヘイメンの上ウエでやろうとすれば濁ニゴるばかりぢゃ、合流ゴウリュウするには、立体リッタイでやらねばならん、立体リッタイとなれば反対ハンタイが反対ハンタイでなくなるぞ、立体リッタイから複立体フクリッタイに、複々立体フクフクリッタイに、立立体リツリッタイにと申モウしてあろう、漸次ゼンジ輪ワを大オオきく、広ヒロく、深フカく進ススめて行ユかねばならんぞ、それが岩戸イワトひらきぢゃ、低ヒクい世界セカイは戒律キリツなくてはならんぞ、人民ジンミンの頭アタマで、戒律キリツと秩序チツジョ、法則ホウソクをゴッチャにして御座ゴザるぞ、平面ヘイメンと立体リッタイとをゴッチャにするのと同オナじ迷マヨひの道ミチであるぞ、気キつけ下クダされよ。病ヤむことは神カミから白紙ハクシの巻物マキモノをもらったことぢゃ、この巻物マキモノをどんなに読ヨみとるかによって新アタラしき道ミチがひらけるのぢゃ。神カミからの巻物マキモノおろそかにするでないぞ。 |
| 805 |
32_碧玉之巻 |
第2帖
気キの合アう者モノのみで和ワして御座ゴザるなれど、それでは和ワにならんと知シらしてあろうがな、今度コンドは合アわんものと合アワせるのぢゃ、岩戸イワトがひらけたから、さかさまのものが出デて来キてゐるのぢゃ、この行ギョウ、中々ナカナカであるなれど、これが出来デキねば岩戸イワトはひらけんのぢゃ、マコトの神カミさえ魔神マジンのワナにかかって御座ゴザるのぢゃ、人民ジンミンがだまされるのも無理ムリないようなれど、だまされてゐては今度コンドの御用ゴヨウは成就ジョウジュせんぞ。自分自身ジブンジシンにだまされてゐる人民ジンミンも多オオいのであるが、ついて御座ゴザれよ、少スコしは苦クルしき行ギョウもあるなれど見事ミゴトなことを致イタして御目オメにかけるぞ、自分ジブンでもビックリぢゃ、はじめからの神示フデよく読ヨんで下クダされよ、霊レイかかりよろしくないぞ、やめて下クダされと申モウしてあろう。 |
| 806 |
32_碧玉之巻 |
第3帖
生命イノチの樹キ、生命イノチの水ミズを間違マチガへて下クダさるなよ。樹キとはキであるぞ、水ミズとは道ミチであるぞ、樹キと水ミズにたとへてあるを、そのままにとるから、囚トラわれた迷信メイシンとなるのぢゃ。 |
| 807 |
32_碧玉之巻 |
第4帖
真シンの懺悔ザンゲは正法セイホウをおさむることであるぞ、掃除ソウジすることであるぞ。先マづ御オサめ、次ツギに治オサめ、次ツギに知オサめねばならんぞ、素盞鳴スサナルの大神オオカミは先マづ滄海原アオウナバラを御オサめ給タマひ、更サラに蒼海之原アオウミノハラを治オサめ給タマひ、次ツギに天下アメノシタを知オサめ給タモうたのであるぞ。素盞鳴スサナルの大神オオカミが悪神アクシンとうつるのは悪アクがそなたの中ナカにあるからであるぞ。 |
| 808 |
32_碧玉之巻 |
第5帖
七ナナは成ナり、八ハチは開ヒラくと申モウしてあろうが、八ハチの隈クマからひらきかけるのであるぞ、ひらけると マと九コと十トとの三サンが出デてくる、これを宮ミヤと申モウすのぞ、宮ミヤとはマコトのことであるぞ、西ニシと東ヒガシに宮ミヤ建タてよと申モウすこと、これでよく判ワカるであろうが、マコトの数カズを合アワせると五ゴと五十ゴジュウであるぞ。中心チュウシンに五ゴがあり、その周辺シュウヘンが五十ゴジュウとなるのであるぞ。これが根本コンポンの型カタであり、型カタの歌ウタであり、型カタの数カズであるぞ、摩邇マニの宝珠タマであるぞ、五十ゴジュウは伊勢イセであるぞ、五百ゴヒャクは日本ニホンであるぞ、五千ゴセンは世界セカイであるぞ、このほう五千ゴセンの山ヤマ、五万ゴマンの川カワ、五億ゴオクのクニであるぞと申モウしてあろうがな。 |
| 809 |
32_碧玉之巻 |
第6帖
わざわひと言イふものは無ナいのであるぞ、光ヒカリをわすれ、光ヒカリにそむくから、イヤな事コトがおこるのぢゃ、影カゲがさすのぢゃ、禍ワザワイとか悲カナしみとか言イふくらい(暗クラい)ものがないのがマコトであるぞ、中心チュウシンは無ムと申モウしてあろう。中心チュウシンは見ミえんから、判ワカらんから、外ソトのカスばかり見ミてゐるからつまらんことで、つまらんことが起オコってくるのぞ、その見ミえぬ力チカラが永遠トワの生命イノチと現アラわれるのであるぞ、見ミえるものは有限ユウゲンぢゃ。この世ヨの大泥棒オオドロボウをタカヤマぢゃと申モウして、この世ヨを自由ジユウにさせておいてよいのか、元モトの元モトの元モトをよく見極ミキワめ、中ナカの中ナカの中ナカの見ミえぬものを掴ツカまねばならんぞ、そこから正タダさねば外側ソトガワからばかり清キヨめても何ドもならん。 |
| 810 |
32_碧玉之巻 |
第7帖
始ハジめの日ヒは始ハジめの日ヒに過スぎん、始ハジめの前マエにあるものが判ワカらなければ、それは只タダの理屈リクツに過スぎんぞ、マコトでないぞ、根ネから出デたものではない、枝葉エダハに過スぎん、男オノコから女オミナは生ウマれんぞ、奇数キスウから偶数グウスウは生ウマれんと申モウしてあろうが、一ヒトつのものの表オモテが男オノコであるぞ、裏ウラが女オミナであるぞ、男オノコから女オミナをつくったと申モウすのは或アる時期ジキに於オける教オシエぢゃ、岩戸イワトがひらけたのであるから教オシへではならん、道ミチでなくてはならんと申モウしてあるぞ、道ミチは永遠エイエンぢゃ、 から出デて に至イタるのぢゃ。 |
| 811 |
32_碧玉之巻 |
第8帖
四ヨツ足アシを食クってはならん、共喰トモクイとなるぞ、草木クサキから動物ドウブツ生ウマれると申モウしてあろう、神民シンミンの食物タベモノは五穀野菜ゴコクヤサイの類タグイであるぞ。今イマの人民ジンミンの申モウす善ゼンも悪アクも一度イチドにひらいて、パッと咲サき出デるのが、次ツギの世ヨの新アタラしき世ヨの有様アリサマであるぞ、取違トリチガいせぬように、悪アクと申モウしても魔マではないぞ、アクであるぞ。大峠ダイトウゲの最中サナカになったら、キリキリまひして、助タスけてくれと押オしよせるなれど、その時トキでは間マに合アわん、逆立サカダチしてお詫ワびに来キても、どうすることも出来デキん、皆ミナ己オノレの心ココロであるからぞ、今イマの内ウチに改心カイシン結構ケッコウ、神カミの申モウす言葉コトバが判ワカらぬならば、天地アメツチのあり方カタ、天地アメツチの在アり方カタによる動ウゴきをよく見極ミキワめて下クダされよ、納得ナットクの行ユくように致イタして見ミせてあるでないか。 |
| 812 |
32_碧玉之巻 |
第9帖
九分クブ行イったら一休ヒトヤスみせよ、始ハジめから終オワりまで休ヤスまずに行ユくと、今イマの人民ジンミンでは息切イキキれ致イタすぞ、一休ヒトヤスみして自分ジブンの来キた道ミチをふり返カエれよ。この世ヨの世話セワをさすために、人民ジンミンには肉体ニクタイを与アタえてあるのぞ、活神イキガミがしたのでは堪コバれんものが沢山タクサンに出デて来クるからぢゃ、立替タテカエ、立直タテナオし一時シチジに来キているから、われよしの人民ジンミンには判ワカらんことになるぞ、この世ヨの動ウゴきが判ワカらんのはわれよしざからぞ、今度コンドの岩戸イワトびらきは五度ゴドの岩戸イワトしめを一度イチドにひらくのであるから、人民ジンミンには中々ナカナカに理解リカイ出来デキんことに、折オり重カサなってくるから、何事ナニゴトも神カミの申モウす通トオりハイハイと素直スナオにきくのが一等イットウであるぞ。 |
| 813 |
32_碧玉之巻 |
第10帖
岩戸イワトしめの始ハジめはナギ(伊邪那岐イザナギ命ノミコト)ナミ(伊邪那美イザナミ命ノミコト)の命ミコトの時トキであるぞ、ナミの神カミが火ヒの神カミを生ウんで黄泉国ヨミクニに入ハイられたのが、そもそもであるぞ、十トウの卵タマゴを八ヤッつ生ウんで二フタつ残ノコして行イかれたのであるぞ、十二ジュウニの卵タマゴを十トウ生ウんだことにもなるのであるぞ、五イツつの卵タマゴを四ヨッつ生ウんだとも言イへるのであるぞ、総スベて神界シンカイのこと、霊界レイカイのことは、現界ゲンカイから見ミれば妙ミョウなことであるなれど、それでちゃんと道ミチにはまってゐるのであるぞ。一ヒトヒネリしてあるのぢゃ、天アメと地クニとの間アイダに大オオきレンズがあると思オモへば段々ダンダンに判ワカりてくるぞ。夫神オカミ、妻神ツマカミ、別ワカれ別ワカれになったから、一方的イッポウテキとなったから、岩戸イワトがしめられたのである道理ドウリ、判ワカるであろうがな。その後ノチ、独ヒトり神カミとなられた夫神オカミが三神サンシンをはじめ、色々イロイロなものをお生ウみになったのであるが、それが一方的イッポウテキであることは申モウす迄マデもないことであろう、妻神ツマカミも同様ドウヨウ、黄泉ヨミ大神オオカミとなられて、黄泉国ヨミクニの総スベてを生ウみ育ソダて給タマふたのであるぞ、この夫婦神メオトカミが、時トキめぐり来キて、千引チビキの岩戸ヒワトをひらかれて相アイ抱ダき給タモう時節ジセツ来キたのであるぞ、うれしうれしの時代ジダイとなって来キたのであるぞ。同オナじ名ナの神カミが到イタるところに現アラはれて来クるのざぞ、名ナは同オナじでも、はたらきは逆ギャクなのであるぞ、この二フタつがそろうて、三ミッつとなるのぞ、三サンが道ミチぞと知シらせてあろうがな。時トキ来キたりなばこの千引チビキの岩戸イワホトを倶トモにひらかんと申モウしてあろうがな。次ツギの岩戸イワトしめは天照大神アマテラスオオカミの時トキぞ、大神オオカミはまだ岩戸イワトの中ナカにましますのぞ、ダマシタ岩戸イワトからはダマシタ神カミがお出デましぞと知シらせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神アマテラスオオカミ、天照皇大神アマテラススメオオカミ、日ヒの大神オオカミ、揃ソロふてお出デまし近チコうなって来キたぞ。次ツギの岩戸イワトしめは素盞鳴スサナル命ノミコトに総スベての罪ツミをきせてネの国クニに追オひやった時トキであるぞ、素盞鳴スサナル命ノミコトは天下アメガシタを治シロしめす御役オンヤク神カミであるぞ。天ヶ下アメガシタは重ヤモきもののつもりて固カタまりたものであるからツミと見ミへるのであって、よろづの天アメの神々カミガミが積ツもる-と言イふ-ツミ(積ツミ)をよく理解リカイせずして罪神ツミカミと誤アヤマって了シマったので、これが正タダしく岩戸イワトしめであったぞ、命ミコトをアラブル神カミなりと申モウして伝ツタへてゐるなれど、アラブル神カミとは粗暴ソボウな神カミではないぞ、あばれ廻マワり、こわし廻マワる神カミではないぞ、アラフル現生アラフる-神カミであるぞ、天ヶ下アメガシタ、大国土オオクニツチを守マモり育ソダて給タモう神カミであるぞ、取違トリチガひしてゐて申モウしわけあるまいがな。このことよく理解リカイ出来デキねば、今度コンドの大峠ダイトウゲは越コせんぞ。絶対ゼッタイの御力オチカラを発揮ハッキし給タマふ、ナギ、ナミ両神リョウカミが、天ヶ下アマガシタを治シらす御役目オヤクメを命メイじられてお生ウみなされた尊トウトき御神オミであるぞ。素盞鳴スサナルの命ミコトにも二通フタトオりあるぞ、一神ヒトカミで生ウみ給タマへる御神オミと、夫婦メオト呼吸コキュウを合アワせて生ウみ給タマへる御神オミと二通フタトオりあるぞ、間違マチガへてはならんことぞ。神武天皇ジンムテンノウの岩戸イワトしめは、御自オンミズら人皇ニンノウを名乗ナノり給タマふより他ホカに道ミチなき迄マデの御働オハタラきをなされたからであるぞ。神カミの世ヨから人ヒトの世ヨへの移ウツり変カワりの事柄コトガラを、一応イチオウ、岩戸イワトにかくして神カミヤマトイハレ彦命ヒコノミコトとして、人皇ニンノウとして立タたれたのであるから、大オオきな岩戸イワトしめの一ヒトつであるぞ。仏教ブッキョウの渡来トライまでは、わずかながらもマコトの神道シンドウの光ヒカリがさしてゐたのであるなれど、仏教ブッキョウと共トモに仏魔ブツマわたり来キて完全カンゼンに岩戸イワトがしめられて、クラヤミの世ヨとなったのであるぞ、その後ゴはもう乱ミダれほうだい、やりほうだいの世ヨとなったのであるぞ、これが五度目コドメの大オオき岩戸イワトしめであるぞ。 |
| 814 |
32_碧玉之巻 |
第11帖
宇宙ウチュウの総スベてが高天原タカアマハラであるぞ。天照大神アマテラスオオカミは高天原タカアマハラを治シラし、また高天原タカアマハラを御シラし、また高天原タカアマハラを知シらす御役オヤク、月読大神ツクヨミオオカミは天照大神アマテラスオオカミと並ナラびて天アメのことを知シらし、またあほうなはらの汐シオの八百路ヤオジを治シラし、また夜ヨルの食ショクす国クニを知シらす御役オヤク、素盞鳴スサナルの大神オオカミはあほうなはらを治シらし、又マタ滄海之原アホウナノハラを御シラし、又マタ、天下アメガシタを知シ-治シ-らす御役オヤクであるぞ。 |
| 815 |
32_碧玉之巻 |
第12帖
ささげるもの、与アタエるものは、いくらでも無限ムゲンにあるでないか、ささげよささげよ、与アタへよ与アタへよ、言コトバこそは誰ダレもがもてる其ソ-理-のささげものであるぞ、与アタへても与アタへても無ナくならんマコトの宝タカラであるぞ。 |
| 816 |
32_碧玉之巻 |
第13帖
まだ のみ追オふてゐる人民ジンミン沢山タクサンあるなれど、 では世ヨは治オサまらん、自分自身ジブンジシンは満ミたされんぞ、 でなくてはならん、と申モウして だけでもならんぞ、 が元モトぢゃ、内ウチぢゃ、 は末マツぢゃ、外ソトぢゃ、 から固カタめて下クダされよ、 はおのづから出来デキてくる、ふさはしい が出来デキてくるのぢゃ。今イマの世ヨはひらけたひらけたと申モウしているが、それは半面ハンメンだけのこと、半面ハンメンがひらけると半面ハンメンがとざされる世ヨの中ナカ、開ヒラけ放ハナしの明アカるい世ヨが目メの前マエに来キてゐるぞ。用意ヨウイはよいか、真中マナカうごいてはならんと申モウしてあろう、動ウゴくのは外ソトぢゃ、忙イソガしい急イソしいと申モウすのは外側ソトガワにゐる証拠ショウコであるぞ、気キつけて早ハヨう中心チュウシンに飛トび込コめよ、真中結構マナカケッコウ、日本ニホンは真中マナカの国クニであるぞ、日本精神ニホンセイシンは真中精神マナカセイシン、末代動マツダイウゴかぬ精神セイシンであるぞ、三千世界サンゼンセカイの大掃除オオソウジであるから、掃除ソウジするには、掃除ソウジする道具ドウグもゐるぞ、人民ジンミンもゐるぞ、今イマの有様アリサマでは、いつ迄マデたっても掃除ソウジは出来デキん、益々マスマスけがれるばかりぢゃ、一刻イッコクも早ハヤく日本ニホンから、日本ニホンを足場アシバとして最後サイゴの大掃除オオソウジを始ハジめて下クダされよ。神カミが致イタすのでは人民ジンミンがかあいそうなから、くどう申モウしてゐるのぞ。 |
| 817 |
32_碧玉之巻 |
第14帖
頭アタマと尻尾シッポだけでは何ナニも出来デキん、化物バケモノぢゃ。八尾八頭ヤオヤカシラの時代ジダイはすんだのであるぞ、かんじんの胴体ドウタイがないぞ、日本ニホンが胴体ドウタイであるぞ、日本ニホンを何処ドコに忘ワスれて来キたのか、自分ジブンでも判ワカるまいがな、尻シリの毛ケまで抜ヌかれた化物バケモノの姿スガタ、鏡カガミにうつして見ミるがよい、鏡カガミは神示フデぢゃと早ハヨうから知シらしてあろうがな。 |
| 818 |
32_碧玉之巻 |
第15帖
五ゴ六ロク七シチのミロクの代ヨから六六六ロクロクロクのミロクの世ヨとなるぞ。六六六ロクロクロクがマコトのミロクの世ヨであるなれど、六六六ロクロクロクでは動ウゴきないぞ、六六六ロクロクロクは天地人アメツチヒトの大和ダイワの姿スガタであるなれど、動ウゴきがないからそのままでは弥栄イヤサカせんのぢゃ、666となり又マタ六六六ロクロクロクとならねばならんぞ、新アタラしき世ヨの姿スガタ、よく心得ココロエよ。 |
| 819 |
32_碧玉之巻 |
第16帖
メクラの人民ジンミンがいくら集アツまって相談ソウダンすればとて、すればする程ホドヤミとなるのぢゃ、行ユき詰ツマってあげもおろしも出来デキんことになるのぢゃぞ、総スベてを数カズだけで決キめようとするから悪平等アクビョウドウとなるのぢゃ、メクラをいくら並ナラべてみても何ドもならん、早ハヨう改心カイシンせよ、新アタラしきタマの選挙センキョがあるでないか。 |
| 820 |
32_碧玉之巻 |
第17帖
はじめに碧玉ヘキギョクを並ナラべて下クダされよ、次ツギに赤玉アカタマ、次ツギに赤黄玉アカキタマ、次ツギに黄赤玉キアカタマ、次ツギに黄玉キタマ、次ツギに黄青玉キアオタマ、次ツギに青黄玉アオキタマ、次ツギに青玉アオタマ、次ツギに青赤玉アオアカタマ、次ツギに赤青玉アカアオタマ、次ツギに紫水晶ムラサキスイショウ、合アワせて十一玉ジュウイチギョク、この巻マキ、碧玉ヘキギョクの巻マキであるぞ。 |
| 821 |
32_碧玉之巻 |
第18帖
氷コウリと水ミズと水蒸気スイジョウキぢゃと申モウしてあろうがな、同オナじであって違チガふのぞと知シらしてあろう、地チには地チの、天テンには天テンの、神カミには神カミの、人民ジンミンには人民ジンミンの、動物ドウブツには動物ドウブツの、植物ショクブツには植物ショクブツの、それぞれの法則ホウソクがあり、秩序チツジョがあるのであるぞ、霊界レイカイに起オコったことが現界ゲンカイにうつると申モウしても其ソのままでうつるのではないぞ、また物質界ブッシツカイが霊界レイカイに反影ハンエイすると申モウしても其ソのままに反影ハンエイするのではないぞ、総スベてが太神オオカミの中ナカでの動ウゴきであるから、喜ヨロコびが法則ホウソクとなり秩序チツジョとなって統一トウイツされて行ユくのであるぞ、それをフトマニと申モウすのぞ、太神オオカミの歓喜カンキから生ウマれたものであるが、太神オオカミもその法則ホウソク、秩序チツジョ、統一性トウイツセイを破ヤブる事コトは出来デキない大宇宙ダイウチュウの鉄則テッソクであるぞ、鉄則テッソクではあるが、無限角度ムゲンカクドをもつ球タマであるから、如何イカようにも変化ホンカして誤アヤマらない、マニ摩邇マニ)の球タマとも申モウすのであるぞ。その鉄則テッソクは第一段階ダイイチダンカイから第二段階ダイニダンカイに、第二段階ダイニダンカイから第三段階ダイサンダンカイにと、絶タえず完成カンセイから超完成チョウカンセイに向ムカって弥栄シヤサカするのであるぞ。弥栄イヤサカすればこそ、呼吸コキュウし、脈拍ミャクハクし、進展シンテンして止ヤまないのであるぞ。このこと判ワカれば、次ツギの世ヨのあり方カタの根本コンポンがアリヤカとなるのであるぞ。 |
| 822 |
32_碧玉之巻 |
第19帖
百ヒャクは九十九キュウジュウキュウによって用ハタラき、五十ゴジュウは四十九シジュウクによって、二十ニジュウは十九ジュウクによって用ハタラくのであるぞ、この場合バアイ、百ヒャクも五十ゴジュウも二十ニジュウも、天アメであり、始ハジめであるぞ、用ハタラきは地クニの現アラワれ方カタであるぞ、フトマニとは二十ニジュウの珠タマであり、十九ジュウキュウは常立トコタチであるぞ、根本コンポンの宮ミヤは二十年毎ニジュウネンゴトに新アタラしく致イタさねばならん、十九年ジュウキュウネン過スぎて二十年目ニジュウネンメであるぞ。地上的チジョウテキ考カンガへ方カタで二十年ニジュウネンを一ヒトまわりと考カンガへてゐるが、十九年ジュウキュウネンで一廻ヒトマワりするのであるぞ、いろは(母)の姿スガタ見ミよ。 |
| 823 |
33_星座の巻 |
第1帖
この巻マキ星座セイザの巻マキ。偶然グウゼンと申モウすのは、宇宙世界ウチュウセカイ、星ホシの世界セカイの必然ヒツゼンからのものであって偶然グウゼンではないぞ、天テンに星ホシのある如ゴトく地チには塩シオがあるのであるぞ、シホ、コオロコオロにかきならして大地ダイチを生ウみあげた如ゴトく、ホシをコオロコオロにかきならして天テンを生ウみあげたのであるぞ。天テンの水ミズ、地チの水ミズ、水ミズの中ナカの天テン、水ミズの中ナカの地チ、空ソラは天テンのみにあるのではないぞ、地チの中ナカにもあるのぞ、天テンにお日ヒさまある如ゴトく地中チチュウにも火球カキュウがあるぞと申モウしてあろう、同オナじ名ナの神カミ二フタつあるぞ、大切タイセツことぢゃ。 |
| 824 |
33_星座の巻 |
第2帖
ナルの仕組シクミとは成十ナルト(七 十)の経綸ケイリンであるぞ、八ハチが十トウになる仕組シクミ、岩戸イワト(言答イワト)ひらく仕組シクミ、今迄イママデは中々ナカナカに判ワカらなんだのであるが、時節ジセツが来キて、岩戸イワトがひらけて来キたから、見当ケントウつくであろう、富士フジ(二二、普字)と鳴門ナルト-七 十、成答-の仕組シクミ、結構ケッコウ致イタしくれよ。 |
| 825 |
33_星座の巻 |
第3帖
時トキ、時トキ、と申モウしてあるが、時間ジカンではないぞ。神カミ、幽身ガミにも聞キかせているのぞ。地上人チジヨウジンには時間ジカンが考カンガえられるなれど、神界シンカイには時間ジカンがなく、神カミも霊人レイジンも時間ジカンは知シらないのであるぞ。只タダよろこびがあるのみぞ。神界シンカイで時間ジカンと申モウすのは、ものの連続レンゾクと変化ヘンカ、状態ジョウタイの弥栄イヤサカの事コトであるぞ。トキ待マてよ。トキ違チガえるでないぞ。地上人チジョウジンの時間ジカンと区別クベツして考カンガえねばこのふでは解ワカらんぞ。 |
| 826 |
33_星座の巻 |
第4帖
人民ジンミンもの言イへんことになると申モウしてありたこと近チコうなったぞ、手テも足アシも出デんこと近チカづいたぞ、神カミが致イタすのでない、人民自身ジンミンジシンで致イタすこと判ワカりてくるぞ。人民ジンミンの学ガクや智チでは何ナンとも判断ハンダン出来デキんことになるぞ。右往左往ウオウサオウしても、世界中セカイジュウかけ廻マワっても何ドもならんぞ、判ワカらんでも判ワカりた顔カオせねばならん時トキが来キたぞ、ウソの上ウワぬり御苦労ゴクロウぞ、人民ジンミンがいよいよお手上テアげと言イうことに、世界セカイが行ユき詰ツマりて神カミのハタラキが現アラワれるのであるぞ、日本人ニホンジンびっくりぢゃ、日本人ニホンジンはいくらでも生ウみ出ダされるが日本ニホンの国クニは出来デキまいがな、身体中カラダジュウ、黄金コガネに光ヒカってゐるのが国常立大神クニノトコタチノオオカミの、ある活動カツドウの時ときの御姿オスガタぞ、白金シロガネは豊雲野大神トヨクモヌオオカミであるぞ、今イマの科学カガクでは判ワカらん。一万年イチマンネンや三万年サンマンネンの人間ニンゲンの地上的チジョウテキ学ガクでは判ワカらんこと、国常立大神クニノトコタチノオオカミのこの世ヨの肉体ニクタイの影カゲが日本列島ニホンレットウであるぞ、判ワカらんことがいよいよ判ワカらんことになったであろうが、元モノの元モトの元モトの神カミの申モウすことよく聞キきわけなされよ、神カミの学ガクでなければ今度コンドの岩戸イワトはひらけんぞ。 |
| 827 |
33_星座の巻 |
第5帖
悪アクの仕組通シクミドオり、悪平等アクビョウドウ、悪公平アクコウヘイの選挙センキョでえらび出ダすのざから、出デるものは悪アクにきまっているでないか、悪アクもよいなれど、悪アクも神カミの用ハタラきであるなれど、悪アクが表おもてに出デること相アイ成ナらん。 |
| 828 |
33_星座の巻 |
第6帖
人民ジンミンと申モウすものは生命イノチが短ミジカいから、気キが短ミジいから、仕組シクミ少スコしでもおくれると、この神カミは駄目ダメぢゃと、予言ヨゲンが違チガったではないかと申モウすなれど、二度ニドとない大立替オオタテカエであるから少スコし位クライのおそし早ハヤしはあるぞ、それも皆ミナ人民ジンミン一人ヒトリでも多オオく助タスけたい神カミの心ココロからぢゃ。おくれても文句モンク申モウすが早ハヤくなっても又マタ文句モンクを申モウすぞ、判ワカらんと申モウすものは恐オソろしいものであるぞ。 |
| 829 |
33_星座の巻 |
第7帖
この世ヨをつくった太神オオカミの神示フデぞ、一分一厘イチブイチリン違チガわんことばかり、後アトになって気キがついても、その時トキではおそいおそい、この神カミは現在ゲンザイも尚ナオ、太古タイコを生ウみ、中世チュウセイを生ウみ、現在ゲンザイを生ウみ、未来ミライを生ウみつつあるのぞ、この道理ドウリ判ワカりて下クダされよ、世界セカイは進歩シンポし、文明ブンメイするのでないぞ、呼吸コキュウするのみぞ、脈拍ミャクハクするのみぞ、変化ヘンカするのみぞ、ぐるぐる廻マワるのみぞ、歓喜カンキ弥栄イヤサカとはこのことぞ。 |
| 830 |
33_星座の巻 |
第8帖
人民ジンミン一度イチド死シんで下クダされよ、死シなねば甦ヨミガエられん時トキとなったのぞ、今迄イママデの衣コロモをぬいで下クダされと申モウしてあろう、世ヨがかわると申モウしてあろう、地上界チジュウカイの総スベてが変カワるのぞ、人民ジンミンのみこのままと言イうわけには参マイらぬ、死シんで生イきて下クダされよ、タテカヘ、タテナホシ、過去カコと未来ミライと同時ドウジに来キて、同オナじところで一先ヒトマづ交マじり合アうのであるから、人民ジンミンにはガテンゆかん、新アタラしき世ヨとなる終オワりのギリギリの仕上シアげの様相ヨウソウであるぞ。 |
| 831 |
33_星座の巻 |
第9帖
白シロと黒クロとを交マぜ合アワせると灰色ハイイロとなる常識ジョウシキはもう役ヤクにたたんぞ。白黒シロクロ交マぜると鉛ナマリとなり鉄テツとなり銅ドウとなるぞ、更サラに銀ギンとなり黄金コガネとなるぞ、これがミロクの世ヨのあり方カタぞ、五ゴと五ゴでは動ウゴきとれん。そなたの足許アシモトに、来クるべき世界セカイは既スデに芽生メバへてゐるでないか。 |
| 832 |
33_星座の巻 |
第10帖
世ヨの元モトは であるぞ、世ヨの末スエも であるぞ、 から に弥栄イヤサカするが、その動ウゴきは左廻ヒダリマワりと右廻ミギマワりであるぞ、 と と申モウしてあろう、その中心チュウシンに動ウゴかぬ動ウゴきあるぞ、何ナニも彼カも、人民迄ジンミンマデ変カワるのが今度コンドの大立替オオタテカエ、食物タベモノも、衣類イルイも、住居ジュウキョも皆ミナ変カワるぞと申モウしてゐる時トキが来キているのぞ、いつ迄マデチョンマゲを頭アタマにのせてゐるのか、ケンビキ今一度イマイチド痛イタくなるぞ、そのケンビキ今度コンドは東ヒムカシの方ホウぢゃ。 |
| 833 |
33_星座の巻 |
第11帖
自由ジユウも共産キョウサンも共倒トモダオれ、岩戸イワトがひらけたのであるから元モトの元モトの元モトのキの道ミチでなくては、タマ(玉)の道ミチでなくては立チちては行ユかん、動ウゴかん二二フジ(普字、富士)の仕組シクミ、ひらけて渦巻ウズマく鳴門ナルト-七 十、成答-ぢゃ。新アタラしき人民ジンミンの住スむところ、霊界レイカイと現界ゲンカイの両面リョウメンをもつ所トコロ、この岩戸イワトひらきて二度ニドトとない九十コト(光透)でひらく仕組シクミ。 |
| 834 |
33_星座の巻 |
第12帖
地上界チジョウカイに山ヤマや川カワもあるから霊界レイカイに山ヤマや川カワがあるのでない、霊界レイカイの山ヤマ川カワがマコトぞ、地上チジヨウはそのマコトの写ウツしであり、コトであるぞ、マが霊界レイカイぢゃ、地上人チジョウジンは、半分ハンブンは霊界レイカイで思想シソウし、霊人レイジンは地上界チジョウカイを足場アシバとしてゐる、互タガイに入イりかわって交マジはってゐるのぞ、このこと判ワカれば来クるべき世界セカイが、半霊半物ハンレイハンブツ、四次元ヨジゲンの高度コウドの、影カゲないうれしうれしの世ヨであるから、人民ジンミンも浄化ジョウカ行ギヨウせねばならん、大元オオモトの道ミチにかへり、歩アユまねばならん、今迄イママデのような物質ブッシツでない物質ブッシツの世ヨとなるのであるぞ。 |
| 835 |
33_星座の巻 |
第13帖
父チチのみ拝オロガみたたへただけでは足タりない、母ハハに抱ダかれねば母ハハの乳チチをいただかねば正タダしく生長セイチョウ出来デキないのであるぞ。一神ヒトカミとして拝オロガんでも足タりぬ、二ニ(柱ハシラ)でも一方的イッポウテキ、十万柱ジュウマンハシラとしても一方的イッポウテキぞ、マイナスの神カミを拝オロガまねばならん、マイナスの神カミとは母ハハのことぢゃ、天テンにまします父チチのみでは足タりないぞ、天テンにあれば必カナラず地チにもあるぞ、一イチ即スナワチ多タ即スナワチ汎ハン、地チ即スナワチ天テン、天テン即スナワチ地チから表オモテ即スナワチ裏ウラである、マコトを行ギョウじて下クダされよ。 |
| 836 |
33_星座の巻 |
第14帖
目メから泥ドロを洗アラひ去サると見ミへてくるぞ、右ミギの目メばかりではならん、左ヒダリの目メの泥ドロも落オトせよ。泥ドロのついてゐない人民ジンミン一人ヒトリもないぞ、泥ドロ落オトすには水ミズがよいぞ、世ヨの元モトからの真マ清シ-詞-水ミズで洗アラひ落オトし下クダされよ、世ヨの元モトの元モトの元モトの真マ清シ-詞-水ミズ結構ケッコウ。 |
| 837 |
33_星座の巻 |
第15帖
十二人ジュウニニンが一人ヒトリ欠カけて十一人ジュウイチニンとなるぞ、その守護神シュゴシンを加クワへて二十二柱ニジュウニハシラ、二十二ニジュウニが富士フジぢゃ、真理シンリぢゃ、又マタ三サンであるぞ、今迄イママデは四本指ヨンホンユビ八本指ハチホンユビで物事モノゴトをはかって誤アヤマりなかったのであるが、岩戸イワトが明アけたから親指オヤユビが現アラワれて五本ゴホン十本ジュッポンとなったのぢゃ、このことよくわきまへよ。 |
| 838 |
33_星座の巻 |
第16帖
偽ニセの愛アイ、偽ニセの智チと申モウすのは、神カミを信シンじない人民ジンミンの愛アイと智チであることを知シれよ、この人民ジンミンたちは神カミの声コエを聞キいても聞キこへず、神カミの現アラワれを見ミても見ミへないのであるぞ、目メをとぢ耳ミミにふたしてゐるからぞ、今イマの人民ジンミンよ学者ガクシャよ金持カネモチよ、早ハヨう考カンガへ方カタを変カへねば間マに合アわん、心ココロの窓マド早ハヨうひらけよ。 |
| 839 |
33_星座の巻 |
第17帖
土ツチのまんぢうと申モウしてあろう、土ツチが食タべられると申モウしてあろう、土ツチから人民ジンミンを生ウんだと申モウしてあろう、ウシトラコンジンの肉体ニクタイは日本ニホンの土ツチざと知シらしてあろう、土ツチに生イきよと申モウしてあろう、地チは血チ(智)であるぞ、素盞鳴命様スサナルノミコトサマであるぞ、その土ツチが生長セイチョウして果ハての果ハてに皮カワをぬぐ、それが地変チヘンであるぞ。 |
| 840 |
33_星座の巻 |
第18帖
天人テンジンが人民ジンミンに語カタる時トキは、人民ジンミンの中ナカに来キて、その人民ジンミンのもつ言葉コトバで語カタり文字モジを使ツカうのであるぞ、自分ジブンと自分ジブンと語カタる如ゴトくなるのであるぞ、天人同士テンジンドウシの文字モジは数字スウジが多オオいぞ。夜明ヨアけ前マエになると霊レイがかりがウヨウヨ、勝手放題カッテホウダイにまぜくり返カエすなれど、それもしばらくの狂言キョウゲン。 |
| 841 |
33_星座の巻 |
第19帖
人民ジンミンもの言イわなくなると申モウしてあろうが、ものが今迄イママデのようにものを言イわなくなり、マコトの世ヨとなるぞ、天人テンジンの言葉コトバはマコトであるから、只タダ一言ヒトコトで万語マンゴを伝ツタへ得エるぞ。言葉コトバの生命イノチは愛アイであり、真シンであるから、真愛シンアイから発ハッしない言葉コトバはマコトの言葉コトバでないぞ。子音シインと母音ボインと組クみ組クみて父音フインの気キを入イれて始ハジめて言葉コトバとなるのぢゃ、今イマの人民ジンミンのは言葉コトバでないぞ、日本ニホンの古コ-光-語ゴがマコトの言葉コトバぞ、言霊コトタマぞ、数霊カズタマと倶トモに弥栄イヤサカゆく仕組シクミ。 |
| 842 |
33_星座の巻 |
第20帖
人民ジンミンが正タダしく言葉コトバすれば霊レイも同時ドウジに言霊コトダマするぞ、神カミも応コタへ給タマふのであるぞ。始ハジめ言葉コトバの元モトがあるぞ、ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝウウウウウアと現アラはれるぞ、神カミの現アラワはれであるぞ、言葉コトバは神カミをたたへるものぞ、マコトを伝ツタへるものぞ、倶トモに鳴ナり、倶トモに栄サカえるものぞ。 |
| 843 |
33_星座の巻 |
第21帖
言葉コトバは生ウマれ出イズるものぢゃ。先マづ言葉コトバされ、歌ウタとなり、文章ブンショウとなり、又マタ絵画カイガとなり、彫刻チョウコクとなり、建築ケンチクとなり、又マタ音楽オンガクとなり、舞踊ブヨウとなり、あらゆる芸術ゲイジュツの元モトとなるのであるぞ。神カミに通ツウずればこそ、愛アイであり、真シンであり、善ゼンであり、美ビであり、喜ヨロコびであるぞ、喜ヨロコびなきものは芸術ゲイジュツでないぞ。今イマの芸術ゲイジュツは死シの芸術ゲジュツ、魔マの芸術ゲイジュツ |
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33_星座の巻 |
第22帖
アとオとウとは天人テンジンの言コトバ、アとエとイは天使テンシの言コトバ、人民ジンミンに与アタへられた元モトの言コトバであるぞ、五柱イツハシラの元モトつ太神オオカミが十柱トハシラの夫婦神メオトカミと現アラわれ十柱トハシラの子ミコと交マジわって五十神ゴジュウシンと現アラはれるのぢゃ。故ユエに五十神ゴジュウシンの中ナカの三十二神サンジュウニシンは新アタラしく生ウマれるのぢゃ、更サラに二十七神ニジュウナナシンとはたらき又マタ二十五ニジュウゴ有法ユウホウとはたらくぞ。 |
| 845 |
33_星座の巻 |
第23帖
二二フジの二ニの五イつの今イあけて、よろづゐんねん出イづる時来トキキぬ。天アメの理ミチが地クニに現アラはれる時トキが岩戸イワトあけぞ、日本ニホンの国クニが甘露台カンロダイぢゃ。 |
| 846 |
33_星座の巻 |
第24帖
未ミ発表ハッピョウ |
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33_星座の巻 |
第25帖
歓喜カンキに裁サバきのない如ゴトく、神カミには裁サバきなし。さばき説トく宗教シュウキョウはいよいよ骨ホネなしフニャフニャ腰コシとなるぞ、戒律キリツや裁-サバきは低ヒクい段階ダンカン、過去カコの部分的ブブンテキ一面イチメンに過スぎん、裁サバきを説トくのは自分ジブンで自分ジブンをさばいてゐること、人民ジンミンに罪ツミなし。手長手伸タナガタノシ堅磐常磐カキハトキハに祝イワふ御代ミヨなる。生井栄井津いくゐさかゐつ長井阿須波比支ながゐあすはいきたたへましを。底ソコつ岩根イワネ千木岩チギイワ高タカく瑞ミヅの御舎ミアラカ。四方ヨモの御門ミカド五方イツモとひらき宇都幣帛ウヅミテクラを。御巫カムナギの辞竟コトオへまつる生足御国イクタルミクニ。塩沫シホナハの留タまる限カギり皇国弥栄ミクニヤサカゆ。海原ウナバラの辺ヘにも沖オキにも神カミつまります。天アメの壁カベ地クニの退立ソギタつ極キワみ手伸タノしき。八十綱ヤソツナを百綱モモツナとかけてささし給タマはむ。 |
| 848 |
34_竜音の巻 |
第1帖
この巻マキ竜音リュウオンの巻マキ、つづく巻五マキゴは極キワミの巻マキ、巻六マキロクは至恩シオンの巻マキ、巻七マキナナは五葉イツハの巻マキぞ。この五十黙示イセモクジの七巻ナナマキは神、カミ人ヒト共トモに与アタへたもの、一巻イッカンからつづいたものぞ。同オナじ意イをもつものが天国テンゴクにもあるのであるぞ。合アワせて三十巻サンジュッカン、これで岩戸イワトまでの神示フデの終オワりぞ、前マエに出ダした黄金コガネの巻マキからの七巻ナナマキ(日月地ヒツキクニ聖典セイテン下編シモヘン)は人民ジンミンに与アタへたものであるぞ。言コトやめて草クサの片葉カタハも陽ヒにのび行ユかな。八十ヤソ隈手クマデ行ユきにし神カミは今イマかへります。素盞鳴スサナルの命ミコトしらせる海原ウナバラぞやよ。天ヶ下アメガシタおつるくまなく照テらす大神オオカミ。高低タカヒキの伊百理イホリかきわけきこし召メすらむ。罪ツミと言イふ罪ツミはあらじな神カミの子コなれば。ひふみ百千万モモチヨロズと咲ゑます元モトつ太神オオカミ。八十伴男ヤソトモノヲ百モモ足タり足タりて仕ツカへまつらむ。行ユく水ミズに清キヨめて仕シマふ極キワみの宮殿ミアラカ。言霊コトタマの栄サカゆる御歌ミウタにはらひてましを。みそぎして祝イワふ生命イノチぞ弥栄ヤサカましませ。安国ヤスクニの瑞穂ミヅホの国クニと御シラし給タマひぬ。八重雲ヤエクモの十重雲トエクモ千別チワき千別チワき天降アモりぬ。千木チキ高知タカシり美頭ミヅの御殿ミアラカ咲エみ仕ツカへなむ。許々太久ココタクの罪ツミはあらじな大岩戸オオイワトあく。四方シホウの国クニ咲エみ集ツドうらし真中マナカの国クニに。よきあしき皆ミナはらひませ科戸シナドの風カゼに。 |
| 849 |
34_竜音の巻 |
第2帖
八束穂ヤツカホの十束穂トツカホとこそ実ミノらせ給タマへ。みかのはらみて並ナラべてぞ天地アメツチの座ザに。御服ミソ輝カガし明妙照妙和妙アカテルニギ風カゼのまにまに。巫カムナギの大御心オオミココロのまま弥栄ヤサカへむ。千木千木チキチキし瑞ミズの御舎ミアラカ仕ツカへまつらむ。御宝前オンマエに宇豆ウズの幣帛ミテクラたたへまつ栄サカ。大神オオカミの咲エミに弥栄ヤサカゆ生国足国イククニタルクニ。狭サき国クニは広ヒロく峻サカしき国クニは平タイラに。日ヒのみかげ百島モモシマ千島チシマおつるくまなく。青雲アオクモのたなびく極キワみ座シきます宝座ミクラ。甘菜辛菜アマナカラナ地チの極キワみまで生オひて尚ナオ生イキゆ。見ミはるかす四方シホウの国クニみなえらぎ賑ニバはふ。 |
| 850 |
34_竜音の巻 |
第3帖
世界中セカイジュウが霊レイかかりとなると申モウしてあるのは今イマのことであるぞ、かかりてゐる世界自身セカイジシンわからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法ホウホウ書カき知シらすぞ。世界セカイを、日本ニホンを、自分ジブンをサニワせねばならん。目メに見ミへぬ所トコロからの通信ツウシンは高度コウドのものほど肉体的ニクタイには感応カンノウが弱ヨワくなり、暗示的アンジテキとなるものであるぞ、ドタンバタン、大声オオゴエでどなり散チらすのは下ゲの下ゲ。神カミもフトマニに従シタガわねばならん。順ジュンを乱ミダすわけには参マイらん、高度コウドの霊レイが直タダちに肉体人ニクタイジンに感応カンノウすることはなく、それぞれの段階ダンカンを経ヘて感応カンノウするのであることを忘ワウれてはならんぞ、下級霊カキュウレイは現実界ゲンジツカイと紙一重カミヒトエの所トコロに住スんでゐるのであるから、その感応カンノウは極キワめて強ツヨく、如何イカにも尤モットもらしく人民ジンミンの目メにうつるものであるぞ、高度コウドのものは、その人民ジンミンのミタマの如何イカンによって、それと同一波調ドウイツハチョウの神霊シンレイに伝達デンタツされ、その神霊シンレイの感応カンノウによって表現ヒョウゲンされるのであるぞ。特別トクベツの使命シメイをもつ天使テンシは、最下級サイカキュウの霊界レイカイまで降クダって来キて、人民ジンミンに特別トクベツな通信ツウシンをなし、指示シジすることもあるぞ。また天使テンシの霊レイが母体ボタイに宿ヤドり人民ジンミンとして生ウマれてくる事コトもあるぞ、末世マツヨにはこの種シュの降誕人コウタンジンが沢山タクサンあるぞ。 |
| 851 |
34_竜音の巻 |
第4帖
レイ-霊-界カイと申モウしても神界シンカイと幽界ユウカイに大別タイベツされ、又マタ神界シンカイは天国テンゴクと霊国レイカイに分ワけられ、天国テンゴクには天人テンジン、霊国レイカイには天使テンシが住スみ、幽界ユウカイは陽界ヨウカイと陰界インカイに分ワカれ、陽霊人ヨウレイジン、陰霊人インレイジンとが居オる、陽霊人ヨウレイジンとは人民ジンミンの中ナカの悪人アクニンの如ゴトく、陰霊人インレイジンとは善人ゼンニンの如ゴトき性サガをもってゐるぞ。高タカい段階ダンカンから申モウせば善ゼンも悪アクも、神界シンカイも幽界ユウカイもないのであるが、人民ジンミンの頭アタマで判ワカるように申モウしてゐるのであるぞ。幽界ユウカイは本来ホンライは無ナいものであるが、人民ジンミンの地獄的ジゴクテキ想念ソウネンが生ウみ出ダしたものであるぞ。 |
| 852 |
34_竜音の巻 |
第5帖
幽界ユウカイは人間界ニンゲンカイと最モットも深フカい関係カンケイにあり、初期ショキの霊レイかかりの殆ホトンどは この幽界ユウカイからの感応カンノウによることを忘ワスれるでないぞ。霊レイかかりの動作ドウサをよく見極ミキワめればすぐ判ワカる。高タカぶったり、威張イバったり、命令メイレイしたり、断言ダンゲンしたり、高度コウドの神名シンメンを名乗ナノったりするものは必カナラず下級霊カキュウレイであるぞ、インチキ霊レイであるぞ、インチキ霊レイにかかるなよ、たとへ神カミの言葉コトバでも尚ナオサニワせよと申モウしてあろう。迷信メイシンであってもそれを信シンずる人コトが多オオくなれば、信シンずる想念ソウネンによって実体化ジッタイカし、有力ユウリョクな幽界ユウカイの一部イチブをつくり出ダすことがあるから気付キツけておくぞ。無ナき筈ハズのものを生ウみ出ダしそれが又マタ地上界チジョウカイに反影ハンエイしてくるのであるから心ココロして下クダされよ。今イマの人民ジンミン九分九厘クブクリンは幽界ユウカイとのつながりをもつ、胸ムネに手テをあててよくよく自分ジブンをサニワせよ。 |
| 853 |
34_竜音の巻 |
第6帖
霊的良識レイテキリョウシキは、神示フデや神典類シンテンルイによって、又マタ体験タイケンによって養ヤシナはれ、又マタ高度コウドな科学書カガクショも参考サンコウとなるものぞ、科学カガクを馬鹿バカにしてはならん。幽界ユウカイの霊レイであっても高度コウドのものともなれば、神界シンカイの高級神霊コウキュウシンレイと区別クベツすることが六ムツヶ敷シいぞ。初歩ショホのサニワの誤アヤマり易ヤスいところであり、又マタ霊眼レイガンするものの誤アヤマリり易ヤスいところ、注意チュウイしなければならん、例タトへば霊光レイコウの如ゴトきものも強ツヨく大オオきくて中々ナカナカにサニワ出来デキないぞ。 |
| 854 |
34_竜音の巻 |
第7帖
仙人センニンと申モウすものは如何イカに高度コウドなものであっても、それは幽界ユウカイに属ゾクす、仙人界センニンカイには戒律キリツがあるからぞ、神界シンカイには戒律キリツなし、戒律キリツある宗教シュウキョウは亡ホロびる、マコトの宗教シュウキョウには戒律キリツはないぞ。しかし神界シンカイにも仙人的センニンテキ存在ソンザイはあるぞ。 |
| 855 |
34_竜音の巻 |
第8帖
竜体リュウタイをもつ霊レイは神界シンカイにも幽界ユウカイにもあるぞ、竜体リュウタイであるからと申モウして神界シンカイに属ゾクすると早ハヤがってんならん。 |
| 856 |
34_竜音の巻 |
第9帖
霊界レイカイにすむものは多オオくの場合バアイ、自分ジブンの住スむ霊界以外レイカイイガイのことは知シらない。その霊界レイカイが総スベての霊界レイカイであるかの如ゴトく思オモふものであるぞ。同オナじ平面上ヘイメンジョウにつながる霊界レイカイのことは大体ダイタイ見当ケントウつくのであるなれど、段階ダンカイが異コトなってくると判ワカらなくなるのであるぞ。他ホカの霊界レイカイは霊自身レイジシンのもつ感覚カンカクの対象タイショウとならないからである。人民界ジンミンカイのことをよく知シってゐる霊レイは、人民界ジンミンカイを去サって間マもない霊レイか、地上世界チジョウカイに長ナガく住スんでゐた動物霊ドウブツレイか、人民ジンミンに憑依ヒョウイしてゐた霊レイであるぞ。特別トクベツな使命シメイをもつ天使テンシは別ベツとして、人霊以外ジンレイイガイの霊レイで人民ジンミンに憑依ヒョウイするのは、日本ニホンでは天狗風テングフウ(てき)、神風カミフウ(てき)、仙人風センニンフウ(てき)、狐風キツネフウ(てき)、狸風タヌキフウ(てき)、猫風ネコフウ(てき)などが大部分ダイブブンであるから気キつけおくぞ。 |
| 857 |
34_竜音の巻 |
第10帖
人間ニンゲンの肉体ニクタイに他ホカの霊レイが入ハイって自由ジユウにしてゐるのだと、多オオくの霊覚者レイカクシャやサニワが信シンじてゐるなれど、事実シジツそう見ミへるなれど、それは誤アヤマりであるぞ。人間ニンゲンの肉体ニクタイは原則ゲンソクとして真理シンリの宿ヤドり給タマふ神カミの生宮ナマミヤであるから、下級霊カキュウレイは中々ナカナカに入ハイることは出来デキん。例外レイガイはあるなれど、肉体霊ニクタイレイ、外部霊ガイブレイ、副守護霊等フクシュゴレイナドの想念ソウネンは、時トキによって動物的ドウブツテキ、幽界的ユウカイテキとなるものであるから、それと同一波調ドウイツハチョウの動物的霊ドウブツテキレイが感応カンノウする、感応カンノウはするが肉体ニクタイの内部迄ナイブマデは入ハイり込コめない、しかし感応カンノウの度ドが強ツヨければ入ハイったと同様ドウヨウに見ミへる状態ジョウタイとなるのである。先祖霊センゾレイも大体同様ダイタイドウヨウであるぞ。 |
| 858 |
34_竜音の巻 |
第11帖
霊レイには物質ブッシツは感覚カンカクの対象タイショウとはならない、霊レイには、人間ニンゲンの肉体ニクタイは無ナいのと同オナじである。祖先霊ソセンレイに化バけて何ナニかを企クワダてる動物霊ドウブツレイが多オオいから注意チュウイせよ。動物霊ドウブツレイが何故ナゼ祖先ソセンのことを知シるかと申モウせば、その憑依ヒョウイの対象タイショウとなる人間ニンゲンの肉体霊ニクタイレイの知シってゐることを、直タダちに知シり得エるからである。 |
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34_竜音の巻 |
第12帖
動物霊ドウブツレイが人間ニンゲンの言葉コトバを使ツカふことは、フに落オちないと申モウすものが沢山タクサンあるなれど、よく考カンガへて見ミよ、例タトへば他人タニンの家イエに入ハイって、其処ソコにある道具類ドウグルイをそのまま使用シヨウするのと同オナじ道理ドウリぢゃ、判ワカりたか、動物霊ドウブツレイでも他ホカの霊レイでも人間ニンゲンに感応カンノウしたならば、その人間ニンゲンのもつ言葉コトバを或アる程度テイド使ツカいこなせるのであるぞ、故ユエに日本人ニホンジンに感応カンノウすれば日本語ニホンゴ、米人ベイジンなれば英語エイゴを語カタるのであるぞ。今イマの偉エラい人民ジンミンがこの神示フデをよむと、理屈リクツに合アわん無茶苦茶ムチャクチャな文章ブンショウであるから、下級霊カキュウレイの所産ショサンだと断ダンずるなれど、それは余アマりにも霊界レイカイの事コトを知シらぬ霊的白痴レイテキハクチであることを、自分ジブンで白状ハクジョウしてゐるのぞ、気キの毒ドクぢゃなあ、ましてこの神示フデは八通ハチトオりに読ヨめるのであるから、いよいよ判ワカらん事コトになるぞ。 |
| 860 |
34_竜音の巻 |
第13帖
時トキに、例外レイガイとして人間ニンゲンの魂タマシイと動物ドウブツの魂レイと入イれ替カワってゐることもあるぞ、この場合バアイは肉体ニクタイに入ハイり込コんだと考カンガへてよいぞ。こう言イふ場合バアイ、例タトへばそれが狐キツネならば狐キツネの様相ヨウソウを露呈ロテイするから、誰ダレにでもすぐ判ワカるなれど、悪行アクギョウを積ツんだ霊レイともなれば巧タクみに、その時代々々ジダイジダイの流ナガれに合アワせて化バけているから、中々ナカナカ見破ミヤブること六ムツヶ敷シいぞ、心得ココロエなされよ。或アる種シュの霊レイは、自分自身ジブンジシンは高度コウドな神界シンカイに住スんでゐると誤信ゴシンしてゐるものもあるが、こうした霊レイが感応カンノウした場合バアイは自信ジシンを以モって断言ダンゲンする場合バアイが多オオい、人間ニンゲンが知シらぬ世界セカイのことを、自信ジシンを以モって強ツヨく告ツげられると、多オオくのサニワは参マイって了シマふぞ。 |
| 861 |
34_竜音の巻 |
第14帖
幽界霊ユウカイレイも時トキにより正タダしく善ゼンなることを申モウすなれど、それは只タダ申モウすだけであるぞ。悪人アクニンが口先クチサキだけで善ゼンを語カタるようなものであるぞ、よいことを語カタったとて直タダちに善神ゼンシンと思オモってはならん。よい言葉コトバならば、たとへ悪神アクシンが語カタってもよいではないかと申モウすものもあるなれど、それは理屈リクツぢゃ、甘アマければ砂糖サトウでなくサッカリンでもよいではないかと申モウすことぞ。真シンの善言真語ゼンゲンシンゴは、心ココロ、言コト、行オコナイ、一致イッチであるから直タダちに力チカラする、言葉コトバの上ウエのみ同一ドウイツであっても、心ココロ、言コト、行オコナイ、が一致イッチしておらぬと力チカラせぬ。偽イツワりの言葉コトバは、落オちついてきけばすぐ判ワるぞ、同オナじハイと言イふ返事ヘンジでも、不満フマンをもつ時トキと喜ヨロコびの時トキでは違チガふであろうがな。われは天照太神アマテラスオオカミなり、などと名乗ナノる霊レイにロクなものないぞ、大言壮語イタゲンソウゴする人民ジンミンはマユツバもの。 |
| 862 |
34_竜音の巻 |
第15帖
サニワは、場合バアイによって霊媒レイバイを誘導ユウドウしてもよいぞ、又マタ霊レイに向ムカって常ツネに愛アイを持モって接セッしなければならんぞ。誰ダレでも絶タへず霊界レイカイとのつながりがあり、霊界レイカイからの呼ヨびかけがあるから、サニワはそれを助タスけ、導ミチビくように努力ドリョクしなければならんぞ。 |
| 863 |
34_竜音の巻 |
第16帖
はじめに出デて来クる霊レイは殆ホトンど下級霊カキュウレイであるぞ、玄関ゲンカンに先マづ出デて来クるのは玄関番ゲンカンバンであるぞ。祖霊ソレイの出デる場合バアイは、何ナニか頼タノみたい場合バアイが多オオいぞ、浄化ジョウカした高級霊コウキュウレイともなれば、人民ジンミンに判ワカるような感応カンノウは殆ホトンどないぞ。 |
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34_竜音の巻 |
第17帖
霊レイの要求ヨウキュウぢゃと申モウして、そのまま受ウけ入イれてはならんぞ、よく判断ハンダンした上ウエで処理ショリせねばならん。下級霊カキュウレイ、動物霊ドウブツレイの場合バアイは酔ヨひどれのように箸ハシにも棒ボウにもかからんことを申モウすものぞ。殊コトにその霊レイが病気ビョウキに関連カンレンをもってゐる場合バアイは微妙ビミョウであるから、よく心得ココロエなされよ。悪ワルい企クワダて、悪ワルい行為コウイぢゃとて、直タダちにキメつけてはならん、やんわりともちかけて善ヨきに導ミチビかねばならんぞ、悪アクをきらふ心ココロがあってはならん、悪アク抱ダき参マイらせと申モウしてあろうがな。邪道的要求ジャドウテキヨウキュウを容イれて一時的イチジテキに病気ビョウキを治ナオすと、それに倍バイしてブリ返カエすぞ、この呼吸コキュウ大切タイセツ。 |
| 865 |
34_竜音の巻 |
第18帖
霊レイに ヒツグ神示フデをよんで聞キかせて見ミよ、その偉大イダイさがハッキリ判ワカるぞ。どんな下級霊カキュウレイであっても、その霊レイを馬鹿バカにしてはいけない、馬鹿バカにすると反射的ハンシャテキにサニワを馬鹿バカにして始末シマツにおへんことになるぞ。霊覚者レイカクシャや行者ギョウジャの中ナカには奇跡的キセキテキなことや非常識ヒジョウシキな行動コウドウをする者モノがよくあるぞ、一般イッパンの人民ジンミンはそれにだまかされることがよくあるぞ、何イズれも下級霊カキュウレイのしわざであるぞ、正神セイシンには奇跡キセキはない、奇跡キセキないことが大オオきな奇跡キセキであるぞ、奇跡キセキするものは亡ホロびる。高級霊コウキュウレイは態度タイドが立派リッパであるぞ、わかりたか。 |
| 866 |
34_竜音の巻 |
第19帖
霊レイの発動ハドウをとめて、静シズかにする法ホウは国常立大神クニノトコタチノオオカミ守マモり給タマへ幸サキはへ給タマへと三回サンカイくり返カエすこと。又マタ素盞鳴大神スサナルノオオカミ守マモり給タマへ幸サキはへ給タマへと三回サンカイくり返カエすこと、又マタは太日月地大神オオヒツキクニオオカミ守マモり給タマへ幸サキはへ給タマへと三回サンカイくり返カエすこと。世界セカイそのものの霊レイかかり、日本ニホンの霊レイかかり、早ハヨうしづめんと手テにおえん事コトとなるが、見ミて御座ゴザれよ、見事ミゴトな事コトを致イタしてお目メにかけるぞ。 |
| 867 |
35_極め之巻 |
第1帖
宇都志水ウツシミに天津アマツ水添ミズソえ奉タテマツらむを。夕陽ユウヒより朝日アサヒ照テるまでフトノリトせむ。火結神ホムスビの実秀答ミホト焼ヤかへて岩戸イワト-言答--一八十-閉トざしき。
世界セカイを一ヒトつにするのであるから王オオは一人ヒトリでよいぞ、動ウゴきは二フタつ三ミッつとなるのぢゃ、キはキのうごき、ミはミのうごき、動ウゴいて和ワしてキミと動ウゴくのぢゃ。三サンが道ミチぞと知シらしてあろう、自他ジタの境界キョウカイつくるでないぞ、おのづから自他ジタの別ベツと和ワが生ウマれてお互タガイに折オり重カサなって栄サカへるのぢゃ、世界一家セカイイッカへの歩アユみ方カタ、やり方カタ、間違マチガへるでないぞ。九分九厘クブクリンまで進ススまねば後アトの一厘イチリンは判ワカらん、今イマが九分九厘クブクリンであるぞ、日本ニホンは日本ニホン、世界セカイは世界セカイ、日本ニホンは世界セカイのカタ国クニ、おのづから相違ソウイあるぞ。 |
| 868 |
35_極め之巻 |
第2帖
青玉アオタマの水江ミズエの玉タマゆいよよ栄サカえむ。天地テンチ咲エむ神カミの礼白イヤシロ臣オミの礼白イヤシロ。天アマつ神ミの寿言ヨゴトのままに八十ヤソ岩明イワアけぬ。守護神シュゴシンをよく致イタせば肉体ニクタイもよくなるぞ。神カミの道ミチは一本道イッポンミチであるから、多オオくに見ミへても終オワりは一ヒトつになるのぢゃ、今イマが終オワりの一本道イッポンミチ入ハイるところ、この道ミチに入ハイれば新ハタラしき代ヨは目メの前マエ、神カミも今迄イママデはテンデンバラバラでありたなれど、今イマに一ヒトつにならねばならぬことに、天テンが命メイじてゐるのであるぞ。人民ジンミンの中ナカと外ソトも同様ドウヨウぞ。今イマの人民ジンミンはマコトが足タらんから、マコトを申モウしても耳ミミに入ハイらんなれど、今度コンドは神カミが人民ジンミンにうつりて、又マタ人民ジンミンとなりてマコトの花ハナを咲サカかす仕組シクミ、同オナじことを百年ヒャクネンもづづけてクドウ申モウすと人民ジンミンは申モウすなれど、判ワカらんから申モウしてゐるのであるぞ。 |
| 869 |
35_極め之巻 |
第3帖
わが身ミをすてて、三千世界サンゼンセカイに生イきて下クダされよ、わが身ミをすてると申モウすことは我ガをすてること、学ガクをすてることぢゃ、すてると真理シンリがつかめて大層タイソウな御用ゴヨウが出来デキるのであるぞ、それぞれの言葉コトバはあれどミコトは一ヒトつぢゃと申モウしてあろうが、ミコトに生イきて下クダされよ。言葉コトバの裏ウラには虫ムシがついてゐるぞ、英語エイゴ学マナぶと英語エイゴの虫ムシに、支那語シナゴ学マナぶと支那語シナゴの虫ムシに犯オカされがちぢゃ。判ワカらねばならんし、中々ナカナカながら御苦労ゴクロウして下クダされよ。大難ダイナンを小難ショウナンにすることは出来デキるのであるが無ナくすることは出来デキん。不足フソク申モウすと不足フソクの虫ムシが湧ワくぞ、怒オコると怒イカりの虫ムシぞ。一生懸命イッショウケンメイ、自分ジブンの信シンじるように、神カミを小チイさくして自分ジブンで割ワり切キれるように、引ヒきづり降オろして居オるなれど、困コマったもんぢゃ、長ナガくゆったりとした気持キモちで神カミを求モトめて下クダされよ。 |
| 870 |
35_極め之巻 |
第4帖
大空オオゾラに向ムカって腹ハラの底ソコから大オオきく呼吸コキュウしてゴモクを吐ハき出ダし、大空オオゾラを腹一杯ハライッパ吸スひ込コんで下クダされよ。そなたの神カミを一応イチオウすてて心ココロの洗濯センタクを致イタしてくれよ、神示フデが腹ハラに入ハイったらすてて下クダされと申モウしてあろうがな、神カミを信シンじつつ迷信メイシンに落オちて御座ゴザるぞ。日本ニホンが秘ヒの本モトの国クニ、艮ウシトラ-宇詞答裸-のかための国クニ、 ヒ出イづる国クニ、国常立大神クニノトコタチノオオカミがウシトラの扉トビラをあけて出イづる国クニと言イうことが判ワカりて来コんと、今度コンドの岩戸イワトひらきは判ワカらんぞ、こんなことを申モウせば、今イマのエライ人々ヒトビトは、古フルくさい迷信メイシンぢゃと鼻ハナにもかけないなれど、国常立命クニノトコタチノミコトがウシトラからお出デましになることが岩戸イワト(言答)ひらきぞ、今イマの学ガクでは判ワカらんことばかり。善ゼンと悪アクとに、自分ジブンが勝手カッテにわけて、善ゼンをやろうと申モウすのが、今イマの世界セカイのあり方カタ。天テンの王オオ、地チ(智、千)の王オオのこと、 のことがハッキリ判ワカらねば足場アシバがないではないか、足場アシバも、めあてもなくてメクラメッポーに歩アユんだとて目的モクテキには行ユきつけぬ道理ドウリ。 |
| 871 |
35_極め之巻 |
第5帖
つまらぬことに心ココロを残ノコすのは、つまらぬ霊界レイカイとのゑにしが残ノコってゐることぞ。早ハヨう岩戸イワトを開ヒラいて富トみ栄サカへて下クダされよ、人民ジンミン富トみ栄サカえることは、神カミが富トみ栄サエえることぞ。何事ナニゴトもはらい清キヨめて下クダされよ、清キヨめるとは和ワすことぞ、違チガふもの同士ドウシ和ワすのがマコトの和ワであるぞ。8迄マデと9 10とは性サガが違チガふのぞ。 |
| 872 |
35_極め之巻 |
第6帖
和ワすには5と5でなくてはならんが、陽ヨウが中ナカ、陰インが外ソトであるぞ、天アメが主ヌシで地クニが従ジュウぞ、男オノコが上カミ、女オミナが下シモ、これが正タダしき和ワぞ、さかさまならん、これが公平コウヘイと申モウすものぢゃ、陰インと陰インと、陽ヨウと陽ヨウと和ワしても陰インぢゃ、陽ヨウと陰インと和ワして始ハジめて新アタラしき陽ヨウが生ウマれる、陽ヨウが本質的ホンシツテキなもの、この和ワし方カタがはらひきよめ。 |
| 873 |
35_極め之巻 |
第7帖
今イマまで世ヨに落オちてゐた神カミも、世ヨに出デてゐた神カミも皆ミナ一ヒトつ目メぢゃ、一方イッポウしか見ミへんから、世界セカイのことは、逆ギャクの世界セカイのことは判ワカらんから、今度コンドの岩戸イワトひらきの御用ゴヨウは中々ナカナカぢゃ、早ハヨう改心カイシンしてこ(九、光)の神カミについて御座ゴザるのが一等イットウであるぞ。外国ガイコクの方ホウが早ハヨう改心カイシンするぞ、外ガイ-幽-国人コクジンとは逆ギャクの世界セカイの人民ジンミンのことであるぞ。神カミの目メからは世界セカイの人民ジンミン、皆ミナわが子コであるぞ。世界中セカイジュウ皆ミナこの神カミの肉体ニクタイぞ、この神カミには何一ナニヒトつ判ワカらん、出来デキんと申モウすことないのぢゃ。どんなことでも致イタして見ミせるぞ。 |
| 874 |
35_極め之巻 |
第8帖
元モトは5で固カタめたのぢゃ、天テンのあり方カタ、天テンなる父チチは5であるぞ。それを中心チュウシンとして、ものが弥栄イヤサカえゆく仕組シクミ、それを人民ジンミンは自分ジブンの頭アタマで引ヒき下サげて4と見ミたから行ユき詰ツマって世界セカイの難ナンぢうであるぞ。手テや足アシの指ユビは何故ナゼに5本ホンであるか、誰ダレにも判ワカるまいがな。 |
| 875 |
35_極め之巻 |
第9帖
天アメの5を地クニにうつすと地クニの五則ゴソクとなるのぢゃ、天アメの大神オオカミは指ユビを折オりて数カゾへ給タモふたのであるぞ、天アメの大神オオカミの指ユビも五本ゴホンであるから、それを五度折ゴドオりて二十五ニジュウゴ有法ユウホウとなされ、五十ゴジュウをもととされたのぢゃ、神々カミガミ、神心カミココロ、神理シンリ、神気シンキ、神境シンキョウであるぞ、この交叉弥栄コウサイヤサカは限カギりなし、これを五鎮ゴチンと申モウすのであるぞ。上天ジョウテン、下地シモジ、照日テルヒ、輝月キゲツ、光星コウセイ、これを五極ゴキョクと申すぞ。東木トウボク、南火ナンカ、中土ナカツチ、西金サイガネ、北水ホクスイ、これを五行ゴギョウと申モウす。裸物ラモノ、毛物ケモノ、羽物ハネモノ、鱗物リンモノ、甲物コウモノを五生ゴショウと申モウし、文則ブンソク、武則ブソク、楽則ラクソク、稼則カソク、用則ヨウソクを五法ゴホウと申モウすのぢゃが、それだけでは足タりない、その中ナカに があるのぢゃ、大神オオカミがましますのぢゃ、人民ジンミンの頭アタマでは中々ナカナカに理解リカイ出来デキんなれど、理解リカイして下クダされよ。これが妙ミョウであるぞ、奇キであるぞ、天テンの父チチの教オシエであり、地クニにうつした姿スガタであるぞ。 |
| 876 |
35_極め之巻 |
第10帖
神示フデに出ダしたら天明テンメイに書カかすのであるぞと知シらしてあろう、神示フデはいくらでも神界シンカイに出ダしてあるのぢゃ、神カミが想念ソウネンしたならば、神界シンカイではそれが神示フデとなっているのぢゃ、それを人民ジンミンに判ワカるように書カかすのぢゃ。父チチと母ハハとの文字モジで書カかすのであるぞ、天明テンメイは神示フデうつす役ヤク、書カかす御役オヤク。 |
| 877 |
35_極め之巻 |
第11帖
陽ヒあたりのことと、陽ヒかげのことと一時ヒトトキに出デて来クるのぢゃ、タテコワシとタテナホシが一時イトトキにくるのぢゃ、神カミの申モウした通トオりになって居オろうがな、学ガクで説トくと学ガクの鬼オニに囚トラわれるぞ、智チで説トくと智チの、理リで解トくと理リの鬼オニに囚トラわれる、このままに伝ツタへて下クダされよ。天アメの世界セカイも潰ツブしてはならん、地クニの世界セカイも潰ツブすわけには参マイらんが、地上チジヨウの事コトは潰ツブさねば建直タテナオし六ムツヶ敷シいなれど、見ミて御座ゴザれよ、一厘イチリン-理云-の火水ヒミズでデングリ返カエして、見事ミゴトなことをお目メにかけるぞ。 |
| 878 |
35_極め之巻 |
第12帖
口先クチサキばかりで、その場バ限カギりでうまい事コト申モウして御座ゴザるが、それは悪アクの花ハナ、心ココロと行オコナイが伴ワカわんからぢゃ。己オノレ自身ジシンのいくさが終オワってゐないからであるぞ。そなたのもつ悪ワルいくせを直ナオして下クダされよ、それが御神業ゴシンギョウぢゃ。神々様カミガミサマも自分ジブンのくせを直ナオすために御苦労ゴクロウなさってゐるぞ、そのために生長セイチョウする。昨日キノウの自分ジブンであってはならんぞ。六十ロクジュウの手習テナライでとまってはならん、死シぬまで、死シんでも手習テナラヒぢゃ。お互タガイにおろがめよ、おがむと総スベてが自分ジブンとなる、おがむところへ集アツまって来キて弥栄イヤサカぢゃ。 |
| 879 |
35_極め之巻 |
第13帖
これまでに申モウしてきかせても言イふこときかぬ人民ジンミン多オオいぞ、きく耳ミミないならば思オモふようにやって見ミなされ、グルグル廻マワって又マタはじめからぞ、人民ジンミンは神カミの中ナカにゐるのであるから、いくら頑張ガンバっても神カミの外ソトには出デられん。死シんでも神カミの中ナカにゐるのぞ、思オモふさまやりて得心トクシン改心カイシン、われがわれがで苦クルしむのも薬クスリと申モウすもの。 |
| 880 |
35_極め之巻 |
第14帖
正タダしくないものが正タダしい方ホウに従シタガはねばならんと人民ジンミン申モウして御座ゴザるなれど、正セイとか不正フセイとか申モウす平面的ヘイメンテキ衣コロモを早ハヨうぬいで下モウされよ。マコトを衣コロモとして下クダされよ、マコトを衣コロモにするには心ココロがマコトとなりなりて、マコトの肉体ニクタイとならねばならん、マコトとは数カズぢゃ、言コトぢゃ、色イロぢゃ、その配列ハイレツ、順序ジュンジョ、法則ホウソクぞ。 |
| 881 |
35_極め之巻 |
第15帖
右ミギの頬ホホをうたれたら左ヒダリの頬ホホを出ダせよ、それが無抵抗ムテイコウで平和ホイワの元モトぢゃと申モウしてゐるが、その心根シンコンをよく洗アラって見ミつめよ、それは無抵抗ムテイコウではないぞ、打ウたれるようなものを心ココロの中ナカにもっているから打ウたれるのぞ。マコトに居オれば相手アイテが手テをふり上アげても打ウつことは出来デキん、よくききわけて下クダされよ。笑ワラって来クる赤子アカゴの無邪気ムジャキは打ウたれんであろうが、これが無抵抗ムテイコウぞ。世界一家セカイイッカ天下泰平テンカタイヘイぢゃ、左ヒダリの頬ホホを出ダすおろかさをやめて下クダされよ。 |
| 882 |
35_極め之巻 |
第16帖
頭アタマさげて低ヒクうなって見ミなされよ、必カナラず高タカい所トコロから流ナガれてくるぞ。高タカくとまっているから流ナガれて来コんのぢゃ、神カミのめぐみは水ミズのように淡々タンタンとして低ヒクきに流ナガれて来クるぞ、自分ジブンが自分ジブンにだまされんように心ココロして下クダされよ、善悪ゼンアクをきめて苦クルしんで御座ゴザるぞ。世界セカイの片端カタッパシ浜辺ハマベからいよいよが起オコって来キたぞ、夜明ヨアけ近チカづいたぞ。 |
| 883 |
35_極め之巻 |
第17帖
今迄イママデの、のがれ場所バショはヤマであったが、今度コンドはヤマに逃ニげても駄目ダメ、カミの御旨ギョシの中ナカであるぞ、山ヤマに移ウツりて海ウミに入ハイれよと申モウしてあろう、今度コンドのことぞ。 |
| 884 |
35_極め之巻 |
第18帖
この神示フデは、神カミと竜神リュウジンと天人天使テンジンテンシと人民ジンミンたちに与アタへてあるのぢゃ。天界テンカイでの出来事デキゴトは必カナラず地上チジョウに移オりて来クるのであるが、それを受ウけ入イれる、その時トキの地上チジョウの状態ジョウタイによって早ハヤくもなればおそくもなり、時トキによっては順序ジュンジョも違チガふのであるぞ、人民ジンミンは近目チカメであるから色々イロイロと申モウすなれど、広ヒロい高タカい立場タチバで永遠エイエンの目メでよく見極ミキワめて下クダされよ。寸分スンブンの間違マチガひもないのであるぞ、これが間違マチガったら宇宙ウチュウはコナミジン、神カミはないのであるぞ。 |
| 885 |
35_極め之巻 |
第19帖
天人天使テンジンテシの行為コウイが人民ジンミンにうつるのであるなれど、人民ジンミンの自由ジユウ、能力ノウリョクの範囲ハンイに於オける行為コウイは又マタ逆ギャクに、天界テンカイに反影ハンエイするのであるぞ、日本ニホンとカラ(支那中国シナチュウゴク)と土地トチが違チガふように、日本人ニホンジンとカラ人ジンとは違チガふ、天界テンカイのうつり方カタも違チガふのであるぞ。同オナじ日本人ニホンジンでも時トキと所トコロによって違チガふ。肌ハダのこまかい絹キヌと荒壁アラカベにうつる映画エイガは同オナじでも少スコしづつ違チガふようなもの、違チガってうつるのがマコトであるぞ、同オナじ数カズでも123イチニイサンと一二三イチニイサンは違チガふのであるぞ、判ワカりて下クダされよ。新アタラしき世界セカイに進ススむ大切タイセツことぢゃ。 |
| 886 |
35_極め之巻 |
第20帖
今イマの学者ガクシャには今イマの学ガクしか判ワカらん、それでは今度コンドの岩戸イワトひらきの役ヤクにはたたん、三千世界サンゼンセカイの岩戸イワトひらきであるから、少スコしでもフトマニに違チガってはならんぞ。廻マワりくどいようなれどとつぎの道ミチから改アラタめなされよ、出舟デフネの港ミナトは夫婦メオトからぢゃと申モウしてあろう、ミトノマグハヒでなければ正タダしき秩序チツジョは生ウマれんぞ、素盞鳴命スサナルノミコトが、荒アラぶる神カミ、悪神アクシンではなく、人民ジンミンの罪ツミを背負セオって下クダさる救スクひ主ヌシの大神オオカミであることが判ワカらねば、岩戸イワトはひらけんぞ。新アタラしき世界セカイの宮イトナミは土地トチ-十千--神智-であるぞ、住所スマイ-数真意-であるぞ、永遠トワに在オワす神カミは住スむ-澄む、数務-土地トチ-十千-であるぞ、下シタには永遠トワの腕ウデ-宇丁-があるぞ。 |
| 887 |
36_至恩之巻 |
第1帖
岩戸イワト(言答)びらきと申モウしてあるが、天テンは天テンの、地チは地チの、人民ジンミンは人民ジンミンの、動植物ドウショクブツは動植物ドウショクブツの、それぞれの岩戸イワトをひらくのであるから、その立場々々タチバタチバによって違チガふところがあるぞ、それを自分ジブンのものさしで計ハカって、岩戸イワトひらきとはこんなものぞと定サダめてゐると、いよいよ判ワカらん時代ジダイとなってくるぞ、気キつけおくぞ。 |
| 888 |
36_至恩之巻 |
第2帖
フトマニとは大宇宙ダイウチュウの法則ホウソクであり秩序チツジョであるぞ、神示フデでは0レイ1イチ2ニイ3サン4シイ5ゴウ6ロク7シチ8ハチ9キュウ10ジュウと示シメし、その裏ウラに10ジュウ9キュウ8ハチ7シチ6ロク5ゴウ4ヨン3サン2ニイ1イチ0レイがあるぞ、 マ九コ十トの誠マコトであるぞ、合アワせて二十二ニジュウニ、富士フジ-普字、不二-であるぞ。神示フデの始ハジめに示シメしてあろう。二二フテジ-富士-は晴ハれたり日本晴ニホンバれぞ。 |
| 889 |
36_至恩之巻 |
第3帖
判ワカるように説トいて聞キかすから、今迄イママデの智チを一先ヒトマづすてて、生ウマれ赤児カゴとなりて聞キいて下クダされよ。天之鈿女アメノウヅメの命ミコトが天照大神アマテラスオオカミに奉タテマツった巻物マキモノには1イチ2ニイ3サン4シイ5ゴウ6ロク7シチ8ハチ9キュウ10ジュウと書カいてあったのぞ。その時トキはそれで一応イチオウよかったのであるなれど、それは限カギられた時トキと所トコロでのことで永遠エイエンのものではないぞ。 |
| 890 |
36_至恩之巻 |
第4帖
この時代ジダイには一ヒト二フタ三ミイ四ヨウ五イツ六ムユ七ナナ八ヤア九ココノ十タリの数カズと言葉コトバで、死者シシャも甦ヨミガエる程ホドの力チカラがあったのであるなれど段々ダンダンと曇クモりが出デて来キて、これだけでは役ヤクにたたんことになって来キたのぞ。岩戸開イワトヒラきの鍵カギであったが、今度コンドの岩戸イワトひらきには役ヤクにたたんようになったのであるぞ。始ハジめに がなくてはならん、 は神カミぞ。 |
| 891 |
36_至恩之巻 |
第5帖
人民ジンミンの肉体ニクタイも心ココロも天地アメツチも皆ミナ同オナじものから同オナじ想念ソウネンによって生ウマれたのであるぞ。故ユエに同オナじ型カタ、同オナじ性サガをもっているぞ、そのかみの天津神アマツカミはイザナギ、イザナミの神カミと現アラわれまし、成ナり成ナりの成ナりのはてにイザナギ、イザナミの命ミコトとなり給タマひて、先マづ国土クニツチをつくり固カタめんとしてオノコロの四音シオンの島シマをならし八尋殿ヤヒロドノを見立ミタてられたのであるぞ、これがこの世ヨの元モト、人民ジンミンの頭アタマに、東西南北トウザイナンボクの四方シホウがあり八方ハッポウと拡ヒロがるであろうが、八十ハチジュウとなり、八百ハッピャク、八千ハッセンと次々ツギツギに拡ヒロがりて八百万ヤヲヨロヅとなりなるのであるぞ。 |
| 892 |
36_至恩之巻 |
第6帖
四ヨと八ヤによってなされたのであるから、森羅万象シンラバンショウの悉コトゴトくがその気キをうけてゐるのであるぞ。原子ゲンシの世界セカイでもそうであろうが、これが今イマの行ユき詰ツマりの原因ゲンインであるぞ、八ヤでは足タらん、十トでなくてはならん、 でなくてはならんぞ。岩戸イワトひらきの原因ゲンインはこれで判ワカったであろうがな。 |
| 893 |
36_至恩之巻 |
第7帖
根本コンポンの元モトの元モトの元モトの神カミは レイから一イチに、二ニイに、三サンに、四ヨンに、五ゴウに弥栄イヤサカしたのであるぞ、別天津神コトアマツカミ五柱イツハシラと申モウしてあろうがな、五ゴが天アメであるぞ。五ゴは数カズであるぞ、転テンじて十ジュウとなるなれど、動ウゴき栄サカへるには と の神カミが現アラわれねばならん、これが中ナカを取トり持モつ二柱フタハシラの神カミぞ。 |
| 894 |
36_至恩之巻 |
第8帖
ナギ、ナミ夫婦神メオトカミは八分通ハチブトオり国土クニツチを生ウみ育ソダてられたが、火ヒの神カミを生ウみ給タマひてナミの神カミは去サりましたのであるぞ。物質偏重ブッシツヘンチョウの世ヨはやがて去サるべき宿命シュクメイにあるぞ、心得ココロエなされよ。ナミの神カミはやがて九コと十トの世界セカイに住スみつかれたのであるぞ。妻神ツマカミに去サられたナギの神カミは一人ヒトリでモノを生ウむことの無理ムリであることを知シり給タマひ、妻神ツマカミを訪オトズれ給タマひ、相談ソウダンされたのであるなれど、話ハナシが途中トチュウからコヂレて遂ツイに別々ベツベツに住スみ給タマふ事コトとなり、コトドを見立ミタてられて千引チビキの岩戸イワトをしめ、両神リョウカミの交流コウリュウ、歓喜カンキ、弥栄イヤサカは中絶チュウゼツしたのであるぞ。 |
| 895 |
36_至恩之巻 |
第9帖
千引岩チビキイワをとざすに際サイして、ナミの神カミは夫神オカミの治シらす国クニの人民ジンミンを日ヒに千人センニン喰クひ殺コロすと申モウされ、ナギの神カミは日ヒに千五百センゴヒャクの産屋ウブヤを建タてると申モウされたのであるぞ。これが日本ニホンの国クニの、又マタ地上チジョウの別名ベツメイであるぞ、数カズをよく極キワめて下クダされば判ワカることぞ、天アメは二一六、地クニは一四四と申モウしてあろうが、その後ノチナギの神カミは御一人オヒトリで神々カミガミをはじめ、いろいろなものを生ウみ給タモふたのであるぞ、マリヤ様サマが一人ヒトリで生ウみなされたのと同オナじ道理ドウリ、この道理ドウリをよくわきまへなされよ。此処ソコに大オオきな神秘シンピがかくされている、一神ヒトカミで生ウむ限度ゲンドは七ナナ乃至ナイシ八ハチである、その上ウエに生ウまれおかれる神々カミガミは皆ミナ七ナナ乃至ナイシ八ハチであるが、本来ホンライは十万十全ジュウマンジュウゼンまで拡ヒロがるべきものである。或アる時期迄ジキマデは八方ハッポウと九コ、十トの二方ニホウに分ワカれてそれぞれに生長セイチョウし弥栄イヤサカし行ユくのであるぞ。 |
| 896 |
36_至恩之巻 |
第10帖
国常立神クニノトコタチノカミも素盞鳴命スサナルノミコトも大国主命オオクニヌシノミコトも、総スベて地チ-智-にゆかりのある神々カミガミは皆ミナ、九コ-光-と十ト-透-の世界セカイに居オられて時トキの来クるのをおまちになってゐたのであるぞ、地チは智チの神カミが治シらすのぞと知シらしてあろうが、天運テンウン正マサにめぐり来キて、千チ-智-引ビキの岩戸イワト-言答-はひらかれて、これら地チ-智-にゆかりのある大神達オオカミタチが現アラワれなされたのであるぞ、これが岩戸イワトひらきの真相シンソウであり、誠マコトを知シる鍵カギであるぞ。 |
| 897 |
36_至恩之巻 |
第11帖
いよいよ判ワカらんことが更サラに判ワカらんことになるぞと申モウしてあるが、ナギの命ミコトの治シらす国クニもナミの命ミコトの治シらす国クニも、双方ソウホウからお互タガイに逆ギャクの力チカラが押オし寄ヨせて交マジわりに交マジわるから、いよいよ判ワカらんことになるのであるぞ。 |
| 898 |
36_至恩之巻 |
第12帖
判ワカらんと申モウすのは一面イチメンしか見ミえぬことであるぞ、双方ソウホウを見ミる目メに、早ハヨう改心カイシン致イタしてくれよ。この白黒シロクロまだらな時トキは長ナガくつづかん、最モットも苦クルしいのは一年イチネンと半年ハントシ、半年ハントシと一年イチネンであるぞ、死シんでから又マタ甦ヨミガエられるように死シんで下クダされよ、マコトを心ココロに刻キザみつけておりて下クダされよ。 |
| 899 |
36_至恩之巻 |
第13帖
死シぬか生イきるかは人民ジンミンばかりでないぞ、神々様カミガミサマも森羅万象シンラバンショウの悉コトゴトくが同様ドウヨウであるぞ、しばらくの生ウみの苦クルしみ。八ハチの世界セカイから十トの世界セカイになるのであるから、今迄イママデの八方的ハッポウテキな考カンガへ方カタ、八方的ハッポウテキな想念ソウネンや肉体ニクタイでは生イきては行ユかれんのであるぞ、十方的トホウテキ想念ソウネンと肉体ニクタイでなくてはならんぞ。 |
| 900 |
36_至恩之巻 |
第14帖
八方的ハッポウテキ地上チジョウから十方的トホウテキ地上チジョウとなるのであるから、総スベての位置イチが転テンずるのであるから、物質ブッシツも念ネンも総スベてが変カワるのであるぞ。これが元モトの元モトの元モトの大神オオカミの御神策ゴシンサクぞ、今迄イママデは時トキが来コなかったから知シらすことが出来デキんことでありたなれど、いよいよが来キたので皆ミナに知シらすのであるぞ。百年ヒャクネンも前マエからそら洗濯センタクぢゃ、掃除ソウジぢゃと申モウしてありたが、今日コンニチの為タメであるぞ、岩戸イワトひらきの為タメであるぞ。今迄イママデの岩戸イワトひらきと同様ドウヨウでない、末代マツダイに一度イチドの大岩戸オオイワト-言答-ひらきぢゃ。 |
| 901 |
36_至恩之巻 |
第15帖
神カミの申モウすことは一分一厘イチブイチリン違チガはんのであるぞ、今度コンド言イふことを聞キかねば大変タイヘンな気キの毒ドクとなるぞ、地チ-智-の下シタになって了シマふのであるぞ、1イチ2ニイ3サン4シイ5ゴウ6ロク7シチ8ハチの世界セカイが1イチ2ニイ3サン4シイ5ゴウ6ロク7シチ8ハチ9キュウ10ジュウの世ヨとなりて、0レイ1イチ2ニイ3サン4シイ5ゴウ6ロク7シチ8ハチ9キュウ10ジュウの世ヨとなるのぢゃ、0レイ1イチ2ニイ3サン4シイ5ゴウ6ロク7シチ8ハチ9キュウ10ジュウがマコトと申モウしてあろうがな。裏表ウラオモテで二十二ニジュウニぢゃ、二二フジの五ゴぢゃ、二二フジは晴ハれたり日本晴ニホンバれぞ、判ワカりたか。 |
| 902 |
36_至恩之巻 |
第16帖
太陽タイヨウは十トウの星ホシを従シタガへるぞ、原子ゲンシも同様ドウヨウであるぞ。物質ブッシツが変カワるのであるぞ、人民ジンミンの学問ガクモンや智チでは判ワカらん事コトであるから早ハヨう改心カイシン第一ダイイチぞ、二二フジと申モウすのは天照大神殿アマテラスオオカミドノの十種トクサの神宝カムタカラに テンを入イれることであるぞ、これが一厘イチリンの仕組シクミ。二二フジとなるであろう、これが富士フジの仕組シクミ、七ナナから八ハチから鳴ナり鳴ナりて十トとなる仕組シクミ、なりなりあまるナルトの仕組シクミ。富士フジ(不二)と鳴門ナルト-成答-の仕組シクミいよいよぞ、これが判ワカりたならば、どんな人民ジンミンも腰コシをぬかすぞ。一方的イッポウテキに一神ヒトカミでものを生ウむこと出来デキるのであるが、それでは終オワりは完マットう出来デキん、九分九厘クブクリンでリンドマリぞ、神道シンドウも仏教ブッキョウもキリスト教キョウもそうであろうがな、卍ブツも十キリストもすっかり助タスけると申モウしてあろうがな、助タスかるには助タスかるだけの用意ヨウイが必要ヒツヨウぞ。用意ヨウイはよいか。このこと大切タイセツごと、気キつけおくぞ。なりなりなりて十トとひらき、二十二ニジュウニとなるぞ、富士フジ-普字-晴ハれるぞ、大真理ダイシンリ世ヨに出デるぞ、新アタラしき太陽タイヨウが生ウマれるのであるぞ。 |
| 903 |
37_五葉之巻 |
第1帖
あの子コを生ウんで、この子コを産ウんで去サったのであるぞ。その中ナカに一人ヒトリだけよくない子コが出来デキた、その子コには海ウミの藻草モクザや山ヤマの菜ナ、野菜ヤサイを食タべさせてくれよ、段々ダンダンよい子コになるぞ。 |
| 904 |
37_五葉之巻 |
第2帖
霊界レイカイに方位ホウイはない、人民ジンミン東西南北トウザイナンボクと申モウしてゐるなれど、今イマに東ヒムカシの東ヒムカシが現アラワれてくるぞ。霊界レイカイでは光ヒカリのさす方ホウが北キタぢゃ、その他ホカの東西南北トウザイナンボクは皆ミナ南ミナミぢゃ、北キタが元モトぢゃ、北キタ-基田-よくなるぞと申モウしてあろうがな。鳴門ナルトの渦巻ウズマキを渡ワタる時トキはカヂをはなして、手放テバナしで流ナガれに任マカせると渡ワタれるのであるぞ、カヂをとると同オナじ処トコロをグルグルぢゃ。カヂをはなせる人民ジンミン少スクないのう。何ナんでも彼カんでもカヂをとって自分ジブンの思オモふ通トオりに舟フネを進ススめようとするから大変タイヘンが起オコるのぢゃ、渦ウズにまかせる時トキはまかさなければならんぞ、ナルトの仕組シクミの一面イチメンであるぞ、大切タイセツごとぞ |
| 905 |
37_五葉之巻 |
第3帖
友トモつくれと申モウしてあろうが、友トモと申モウしても人間ニンゲンばかりでないぞ、山ヤマも友トモぞ、川カワも友トモぞ、動植物ドウショクブツも友トモぞ。一人ヒトリの友トモを得エたら一ヒトつの世界セカイを得エたことぞ、何ナニも彼カも皆ミナ友トモぢゃ、友トモは己オノレぢゃ、皆ミナ己オノレとなれば己オノレなくなるぞ、己オノレなくなれば永遠トワに生イきられる、無限ムゲンの己オノレとなるぞ。御神前ゴシンゼンで拝オロガむもよいなれど、空ソラを拝オロガめよ、山ヤマも川カワも拝オロガめよ、野菜ヤサイ拝オロガめば野菜ヤサイが、魚サカナを拝オロガめば魚サカナが神カミとなり、又マタ、己オノレとなるのぢゃ。足タらぬことないクワシホコチタルのウラヤスの自分ジブンとなるのであるぞ。 |
| 906 |
37_五葉之巻 |
第4帖
お尻シリを出ダしたらお尻シリをキレイにふいてやれよ、怒オコってはならん、お尻シリを出ダされるには、出ダされるだけの何ナニかの原因ゲンインが己オノレの中ナカにあるのであるぞ。利子リシは後アトからでよいと申モウすが先サキに払ハラふこともあるぞ、先サキにお尻シリをふいてやらねばならんこともあるぞ。世ヨが迫セマって岩戸イワトがあいたのであるから、先サキにお尻シリをふく事コトも出デてくるぞ、思オモわぬお尻シリもち込コまれることもあるなれど、怒オコってはならん、気持キモチよくふいてやれよ、やがては神カミがそなたのお尻シリをふいて下クダさるぞよ |
| 907 |
37_五葉之巻 |
第5帖
もの与アタへること中々ナカナカぢゃ、心ココロしてよきに与アタへねばならんぞ。与アタへることは頂イタダくことと知シらしてあろうが、与アタへさせて頂イタダく感謝カンシャの心ココロがなくてはならん、強ツヨく押オすと強ツヨく、弱ヨワく押オすと弱ヨワくハネ返カエってくるぞ。自分ジブンのものと言イふもの何ナニ一ヒトつもないぞ、この事コト判ワカれば新アタラしき一ヒトつの道ミチがわかるぞ。 |
| 908 |
37_五葉之巻 |
第6帖
仕事シゴトはいくらでもあるではないか、七ナナつの仕事シゴトがあるぞ、七人シチニンのかへミタマあると知シらせてあろうがな、高タカく昇ノボらねば遠トオくは見ミえん、目メの先サキばかり見ミているから行ユきつまるのぢゃ、道ミチには落オトし穴アナもあるぞ、心得ココロエて、仕事シゴトに仕ツカへまつれよ。岩戸イワトはひらかれてゐるのに何ドウしてゐるのぞ、光ヒカリがさしてゐるのに何故ナゼ背セを向ムけてゐるのぞ、十トウの仕事シゴトして八ハチしか報酬ホウシュウないことあるぞ、この場合バアイ二は神カミにあづけてあると思オモへよ、神カミの帳面チョウメンあやまりなし、利子リシがついて返カエって来クるぞ、まことのおかげはおそいと申モウしてあろうがな。 |
| 909 |
37_五葉之巻 |
第7帖
昨日キノウは昨日キノウ、今日キョウは今日キョウの風カゼ、昨日キノウに囚トラわれるなよ、人民ジンミンの道ミチは定サダまってゐるなれど、目メの前マエだけしか見ミえんから踏フみ迷マヨふのであるぞ。薬クスリ飲ノんで毒死ドクシせんように致イタしくれよ、薬クスリは毒ドク、毒ドクは薬クスリぢゃ、大峠ダイトウゲにも登ノボりと下クダりとあるぞ、馬鹿バカ正直ショウジキならん、頭アタマの体操タイソウ、ヘソの体操タイソウ大切タイセツぞ。 |
| 910 |
37_五葉之巻 |
第8帖
出ダし切キって了シマふと味アジがなくなるぞ、自分ジブンの力チカラがかくせぬようでは大仕事オオシゴトは出来デキんぞ。取トり越コし苦労クロウ、過スぎ越コし苦労クロウはやめて下クダされ、地球チキュウと言イふ大船オオブネに乗ノって一連託生イチレンタクショウぢゃ、現在ゲンザイの仕事シゴトが御神業ゴシンギョウと心得ココロエよ、不満フマンをもってはならん、そなたが招マネいた仕事シゴトでないか。この道理ドウリ判ワカらねば迷信メイシンの迷路メイロに入ハイるぞ。 |
| 911 |
37_五葉之巻 |
第9帖
平等ビョウドウとか公平コウヘイとか申モウすのは悪魔アクマのワナであるぞ、天地テンチをよくみよ、人民ジンミンの申モウす如ゴトき平等ビョウドウも公平コウヘイもないであろうがな、一寸イッスンのびる草もあれば一尺イッシャクのびる草クサもあるぞ、一寸イッスンの草クサは一寸イッスンが、一尺イッシャクの草クサは一尺イッシャクが頂天チョウテンであるぞ。これが公平コウヘイであり平等ビョウドウと申モウすもの。人民ジンミンは選挙センキョと申モウすマヤクに酔ヨってゐるぞ、選挙センキョすればする程ホド、本質ホンシツから遠トオざかるぞ。他ホカに方法ホエホエがないと定サダめてかかるから、悪魔アクマに魅入ミイられてゐるから判ワカらんことになるぞ。世ヨは立体リッタイであるのに平面選挙ヘイメンセンキョしていては相アイ成ナらんぞ。平面セイヘンの数カズで定サダめてはならん、立体リッタイの数カズに入ハイれよ。 |
| 912 |
37_五葉之巻 |
第10帖
悪自由アクジユウ、悪平等アクビョウドウの神カミが最後サイゴの追込オイコみにかかってゐるなれど、もう悪アクの世ヨはすんで岩戸イワトがひらけてゐるのざから、何ナンとやらのように前マエから外ハズれてアフンぢゃ、七重ナナエの花ハナが八重ハチエに、八重ハチエが九重キュウエ、十重ジュウエにひらくのであるぞ、七重ナナエはキリストぢゃ、八重ハチエは仏教ブッキョウぢゃ、今イマの神道シンドウぢゃ、今イマまでの教オシエはつぶれると申モウしてあろうがな。兎トや角カク申モウさず掴ツカめる所トコロから神カミをつかんでついて御座ゴザれよ、水ミズは流ナガれる所トコロへ流ナガれてゐるであろうがな、あの姿スガタ。 |
| 913 |
37_五葉之巻 |
第11帖
善ゼンでは立タちて行ユかん、悪アクでも行ユかん、善悪ゼンアクでも行ユかん、悪善アクゼンでも行ユかん。岩戸イワトと申モウしても天アメの岩戸イワトもあるぞ、今迄イママデは平面ヘイメンの土俵ドヒョウの上ウエでの出来事デキゴトであったが、今度コンドは立体土俵リッタイドヒョウの上ウエぢゃ、心ココロをさっぱり洗濯センタクして改心カイシン致イタせと申モウしてあろう、悪ワルい人ヒトのみ改心カイシンするのでない、善ヨい人ヒトも改心カイシンせねば立体リッタイには入ハイれん、此度コタビの岩戸イワトは立体リッタイに入ハイる門モンぞ。 |
| 914 |
37_五葉之巻 |
第12帖
八ハチのつく日ヒに気キつけてあろうが、八ハチとはひらくことぞ。今イマが八ハチから九クに入ハイる時トキぞ、天アメも地クニも大岩戸オオイワトひらき、人民ジンミンの岩戸イワトひらきに最モットも都合ツゴウのよい時トキぞ、天地アメツチの波ナミにのればよいのぢゃ、楽タノし楽タノしで大峠ダイトウゲ越コせるぞ、神カミは無理ムリ申モウさん、やればやれる時トキぞ、ヘタをすると世界セカイは泥ドロの海ウミ、神々様カミガミタチも人民様ジンミンサマも心ココロの目メひらいて下クダされよ、新アタラしき太陽タイヨウは昇ノボってゐるでないか。 |
| 915 |
37_五葉之巻 |
第13帖
悪アクを食クふて暮クラさなならん時トキ近チカづいたぞ、悪アクに食クわれんように、悪アクを噛カんで、よく消化ショウカし、浄化ジョウカして下クダされよ、悪アクは善ゼンの仮面カメンをかぶってゐること多オオいぞ、だが悪アクも大神オオカミの中ナカに生ウマれたものであることを知シらねばならん。ダマシたいものには一先ヒトマづダマサレてやれよ、ダマサレまいとするからダマサレるのであるぞ。生命イノチの樹キの実ミは美ウツクしくおいしいぞ、食タべてはならんが食タべねばならんぞ、肉体慾ニクタイヨクが先サキに出デるから生命イノチを失ウシナふ、心ココロでとりて実ミを喜ヨロコばせて食タべるとよいのであるぞ、食タべないで食タべる秘密ヒミツ。 |
| 916 |
37_五葉之巻 |
第14帖
一升イッショウマスには一升イッショウ入ハイると思オモってゐるなれど、一升イッショウ入イれるとこぼれるのであるぞ、腹一杯ハライッパイ食タべてはならん、死シに行ユく道ミチぞ、二分ニブを先マづ神カミにささげよ。流行病ハヤリヤマイは邪霊集団ジャレイシュウダンのしわざ、今イマにわからん病ヤマイ、世界中セカイジュウの病ヤマイはげしくなるぞ。 |
| 917 |
37_五葉之巻 |
第15帖
今イマに大オオき呼吸イキも出来デキんことになると知シらせてあろうが、その時トキ来キたぞ、岩戸イワトがひらけると言イふことは半分ハンブンのところは天界テンカイとなることぢゃ、天界テンカイの半分ハンブンは地チとなることぢゃ、今イマの肉体ニクタイ、今イマの想念ソウネン、今イマの宗教シュウキョウ、今イマの科学カガクのままでは岩戸イワトはひらけんぞ、今イマの肉体ニクタイのままでは、人民ジンミン生イきては行ユけんぞ、一度イチドは仮死カシの状態ジョウタイにして魂タマシイも肉体ニクタイも、半分ハンブンのところは入イれかえて、ミロクの世ヨの人民ジンミンとしてよみがへらす仕組シクミ、心得ココロエなされよ、神様カミサマでさへ、この事コト判ワカらん御方オカタあるぞ、大地ダイチも転位テンイ、天テンも転位テンイするぞ。 |
| 918 |
37_五葉之巻 |
第16帖
マコトでもって洗濯センタクすれば霊化レイカされる、半霊半物質ハンレイハンブッシツの世界セカイに移行イコウするのであるから、半霊半物ハンレイハンブツの肉体ニクタイとならねばならん、今イマのやり方カタではどうにもならなくなるぞ、今イマの世ヨは灰ハイにするより他ホカに方法ホウホウのない所トコロが沢山タクサンあるぞ、灰ハイになる肉体ニクタイであってはならん、原爆ゲンバクも水爆スイバクもビクともしない肉体ニクタイとなれるのであるぞ、今イマの物質ブッシツでつくった何物ナニモノにも影響エイキョウされない新アタラしき生命イノチが生ウマれつつあるのぞ。岩戸イワトひらきとはこのことであるぞ、少スコし位クライは人民ジンミンつらいであろうなれど勇イサんでやりて下クダされよ、大弥栄オオイヤサカの仕組シクミ。 |
| 919 |
38_紫金之巻 |
第1帖
高天原タカアマハラ、おのころに神祇カミつまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、千万チヨロヅの神祇カミたちを神カミ集ツドへに集ツドへ給タマひ、神カミはかりにはかり給タマひて、下津岩根シタツイワネに真理ミヤ柱ハシラ二十フト敷シキ建タて高天原タカアマハラに千木チギ高タカ知シりて、伊都イトの神宝カムタカラの大御心オオミココロのまにまに千座チクラの置座オキクラにおき足アらはして、天地祝詞アメツチノリトの二十フト祝詞ノリト言コトをのれ、かくのらば神祇カミはおのもおのもの岩戸イワトを押オしひらきて伊頭イヅの千別チワきに千別チワき給タマひて聞キキし召メさむ、かく聞キキし召メしてば、天アメの国クニうつし国クニ共トモにつみと云イふつみはあらじと科戸シナドの風カゼの吹フき放ハナつことの如ゴトく、朝風夕風アサカゼユウカゼの吹フきはらふ如ゴトく、大オオつ辺ベに居オる大船オオフネを舳ヘときはなち艫トモとき放ハナちて大海原オオウナバラに押オしはなつ事コトの如ゴトく、のこる罪ツミも穢ケガレもあらじと祓ハラへ給タマへ清キヨめ給タマふことを、よしはらへ、あしはらへ給タマひて弥栄イヤサカの御代ミヨとこそ幸サキはへ給タマへ幸サキはへ給タマへ。〇レイ一ヒト二フタ三ミイ四ヨウ五イツ六ムユ七ナナ八ヤア九ココノ十タリ百モモ千チ万歳ヨロズトセ万歳バンザイ。 |
| 920 |
38_紫金之巻 |
第2帖
大君オオキミの勅ミコトにみそぎし今朝ケサの太陽ヒを吸スふ。日々ヒビの人民ジンミンの御用ゴヨウが神カミの御用ゴヨウと一致イッチするように努力ドリョクせねばならん、一致イッチすればうれしうれしで暮クラしむきも何一ナニヒトつ足タらぬものなくなってくるぞ、食物タベモノがよろこんで飛トび込コんでくるぞ、着キるものが着キてくれと飛トび込コんで来クるぞ、住居ジュウキョも出来デキてくるぞ。心ココロのそれぞれも同様ドウヨウぞ。 |
| 921 |
38_紫金之巻 |
第3帖
伊豆幣帛イヅヌサを 都幣帛トヌサに結ヌスび岩戸イワトひらきてし。ウヨウヨしてゐる霊レイかかりにまだ、だまされて御座ゴザる人民ジンミン多オオいのう、何ナンと申モウしたら判ワカるのであるか、奇跡キセキを求モトめたり、われよしのおかげを求モトめたり、下級カキュウな動物ドウブツのイレモノとなってゐるから、囚トラわれてゐるから、だまされるのぢゃ、霊媒レイバイの行オコナひをよく見ミればすぐ判ワカるでないか。早ハヨうめさめよ、因縁インネンとは申モウしながら、かあいそうなからくどう申モウして聞キかせてゐるのであるぞ、マコトの道ミチにかへれよ、マコトとは〇レイ一ヒト二フタ三ミイ四ヨウ五イツ六ムユ七ナナ八ヤア九ココノ十タリと申モウしてあろう、そのうらは十トウ九ココノ八ヤア七ナナ六ムウ五イツ四ヨウ三ミイ二フウ一ヒイ〇レイで、合アワせて二十二ニジュウニであるぞ、二二フジが真理シンリと知シらしてあろう、二二フジが富士フジ(不二、普字)と申モウしてあろうが、まだ判ワカらんか。 |
| 922 |
38_紫金之巻 |
第4帖
豊栄トヨサカに栄サカり出イでます大地クニ-九二-の太神オオカミ。大掃除オオソウジはげしくなると世界セカイの人民ジンミン皆ミナ、仮四カシの状態ジョウタイとなるのぢゃ、掃除ソウジ終オワってから因縁インネンのミタマのみを神カミがつまみあげて息吹イブきかへしてミロクの世ヨの人民ジンミンと致イタすのぢゃ、因縁インネンのミタマには カミのしるしがつけてあるぞ、仏教ブッキョウによるもののみ救スクはれると思オモってはならんぞ、キリストによるもののみ救スクはれると思オモってはならん、神道シンドウによるもののみ救スクはれると思オモってはならん、アラーの神カミによるもののみ救スクはれるのでないぞ、その他タ諸々モロモロの神カミ、それぞれの神カミによるもののみ救スクはれるのではないぞ、何ナニも彼カも皆ミナ救スクはれるのぢゃ、生イかすことが救スクふこととなる場合バアイと、小呂コロすことが救スクふことになる場合バアイはあるなれど。 |
| 923 |
38_紫金之巻 |
第5帖
岩戸イワトひらき御祷ミホギの神宝タカラたてまつらまし。月ツキは赤アカくなるぞ、日ヒは黒クロくなるぞ、空ソラはちの色イロとなるぞ、流ナガれもちぢゃ。人民ジンミン四ヨつん這バひやら、逆立サカダちやら、ノタウチに、一時ヒトトキはなるのであるぞ、大地震オオジシン、ヒの雨アメ降フらしての大洗濯オオセンタクであるから、一人ヒトリのがれようとて、神カミでものがれることは出来デキんぞ、天地アメツチまぜまぜとなるのぞ、ひっくり返カエるのぞ。 |
| 924 |
38_紫金之巻 |
第6帖
白玉シロタマや赤玉アカタマ青玉アオタマささげまつりし。今迄イママデは白馬シロウマと赤馬アカウマと黒馬クロウマとであったなれど、岩戸イワトがひらけたら、岩戸イワトの中ナカから黄キ(基)の馬ウマが飛トび出デしてくるぞ、キが元モトぞと申モウしてあろうが、トドメの馬ウマであるぞ、黄金コガネの馬ウマであるぞ、救スクひの馬ウマであるぞ、このこと神界シンカイの秘密ヒミツでありたなれど時トキ来キたりて人民ジンミンに伝ツタへるのであるぞ、今迄イママデは白馬シロウマに股マタがって救世主キュウセイシュが現アラワれたのであるが、いよいよの救世主キュウセイシュは黄金コガネの馬ウマ、基キの馬ウマにのって現アラわれますのであるぞ。 |
| 925 |
38_紫金之巻 |
第7帖
太祝詞フトノリトのりのり祈イノらば岩戸イワトひらけん。神カミは一時ヒトトキは仏ホトケとも現アラれたと申モウしてありたが、仏ホトケではもう治オサまらん、岩戸イワトが開アけたのであるから、蓮華レンゲではならん。人民ジンミンも改心カイシンしなければ、地クニの下シタに沈シズむことになるぞ、神カミが沈シズめるのではない、人民ジンミンが自分ジブンで沈シズむのであるぞ、人民ジンミンの心ココロによって明アカるい天国テンゴクへの道ミチが暗クラく見ミへ、暗クラい地クニの中ナカへの道ミチが明アカるく見ミえるのであるぞ、珍メズラしきこと珍メズラしき人ヒトが現アラワれてくるぞ、ビックリ、ひっくり返カエらんように気キつけてくれよ、目メの玉タマ飛トび出ダすぞ、たとへでないぞ。 |
| 926 |
38_紫金之巻 |
第8帖
千引岩チビキイワ今イマぞあけたり爽サワし富士フジはも。神カミは宇宙ウチュウをつくり給タマはずと申モウして聞キかせてあろうが、このことよく考カンガへて、よく理解リカイして下クダされよ、大切タイセツなわかれ道ミチで御座ゴザるぞ。福フクはらひも併アワせて行オコナはねばならん道理ドウリ。光ヒカリは中ナカからぢゃ、岩戸イワトは中ナカからひらかれるのぢゃ、ウシトラがひらかれてウシトラコンジンがお出デましぞ、もうよこしまのものの住スむ一寸チョットの土地トチもなくなったのぞ。 |
| 927 |
38_紫金之巻 |
第9帖
新アタラしき御代ミヨのはじめのたつの年トシ、あれ出イでましぬかくれゐし神カミ。かくり世ヨもうつし御国ミクニの一筋ヒトスジの光ヒカりの国クニとさきそめにけり。 |
| 928 |
38_紫金之巻 |
第10帖
この巻マキ五葉イツハの巻マキと申モウせよ、四ヨッつの花ハナが五イツつに咲サくのであるぞ、女松メマツの五葉イツハ、男松オマツの五葉イツハ、合アワせて十葉トウハとなりなりなりて笑エみ栄サカゆる仕組シクミ、十( )と一( )の実ミノり、二二フジと輝カガヤくぞ、日本晴ニホンバれ近チカづいたぞ、あな爽々スガスガし、岩戸イワトあけたり。国土クニツチをつくり固カタめる為タメに、根本コンポン大神オオカミが何故ナゼにヌホコのみを与アタへたまひしか?を知シらねば、岩戸イワトひらきの秘密ヒミツはとけんぞ。千引岩戸チビキイワトをひらくことに就ツいて神カミは今迄イママデ何ナニも申モウさないでゐたのであるなれど、時トキめぐり来キて、その一端イッタンをこの神示フデで知シらすのであるぞ、素盞鳴スサナルの命ミコトのまことの御姿オスガタが判ワカらねば次ツキ(通基)の世ヨのことは判ワカらんそ、神示フデをいくら読ヨんでもカンジンカナメのことが判ワカらねば何ドウにもならんぞ。 |
| 929 |
38_紫金之巻 |
第11帖
何ナニも彼カも前マエつ前マエつに知シらしてあるのに、人民ジンミンは先サキが見ミえんから、言葉コトバのふくみがわからんから取違トリツガひばかり、国土クニツチ(九二つち)の上ウエは国土クニツチの神カミが治シらすのぢゃ、世界セカイの山ヤマも川カワも海ウミも草木クサキも動物ドウブツ虫ムシけらも皆ミナこの方カタが道具ドウグに、数カズでつくったのぢゃ。愈々イヨイヨが来キたぞ、いよいよとは一四一四イヨイヨぞ、五ゴと五ゴぞ。十トウであるぞ、十一ジュウイチであるぞ、クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ、クニは黄キであるぞ、真中マナカであるぞ、天テンは青アオであるぞ、黄キと青アオと和合ワゴウしてみどり、赤アカと和ワして橙ダイダイとなり、青アオと赤アカと和ワして紫ムラサキとなる、天上テンジョウ天下テンカ地下チカとなり六色ロクショクとなり六変ロクヘンとなり六合クニとなるのぢゃ、更サラに七ナナとなり八ハチとなり白黒シロクロを加クワへて十トウとなる仕組シクミ、色霊イロタマ結構ケッコウ致イタしくれよ。 |
| 930 |
38_紫金之巻 |
第12帖
ヨコの十トウの動ウゴきがクラゲナスタダヨヘルであり、タテの十トウの動ウゴきがウマシアシカビヒコジであるぞ、十トウと十トウと交マジわり和ワして百ヒャクとなり九十九キュウジュウキュウと動ウゴくのぞ。過去カコも未来ミライも霊界レイカイにはない、今イマがあるのみ、これを中今ナカイマと申モウすぞよ。竜宮リュウグウの乙姫殿オトヒメドノ、日ヒの出デの神殿カミドノ、岩イワの神殿カミドノ、荒アレの神殿カミドノ、風カゼの神殿カミドノ、雨アメの神殿カミドノ、暗剣殿アンケンドノ、地震ジシンの神殿カミドノ、金神殿コンジンドノの九柱コハシラなり、総大将ソウダイショウは国常立大神クニノトコタチノオオカミなり、このこと判ワカりて下クダされよ、教オシエはなくなるぞ、元モトの道ミチが光ヒカり輝カガヤくぞ、これを惟神カンナガラの道ミチと申モウすぞ。 |
| 931 |
38_紫金之巻 |
第13帖
少スコしでも交マじり気ケがあったら先サキになって取トり返カエしがつかんことになるぞ、今度コンドは一厘イチリンのくるひがあってもならんぞ。柱ハシラになる人民ジンミンもあれば屋根ヤネになる人民ジンミンもあるぞ。天アメの王オオと地クニの王オオとをゴッチャにしているから判ワカらんことになるのぢゃ、その上カミに又マタ大王ダイオウがあるなれど大王ダイオウは人民ジンミンには見当ミアとれん、無ナきが如ゴトき存在ソンザイであるぞ。人民ジンミンは具体的グタイテキにと申モウすなれど、人民ジンミンの申モウす具体的グタイテキとはコリ固カタった一方的イッポウテキなもの、一時的イチジテキなその時トキの現アラワれであるぞ。人民ジンミンの申モウす絶対無ゼッタイム、絶対空ゼッタイクウは無ムの始ハジめであり、空クウの入口イリグチであるぞ、其処ソコから無ムに入ハイれよ、空クウに生イきよ。いよいよの代ヨとなるぞ。 |
| 932 |
38_紫金之巻 |
第14帖
現実ゲンジツの事コトのみで処トコロしてはならん、常ツネに永遠エイエンの立場タチバに立タって処理ショリせよと申モウしてあろうがな、生イきることは死シに向ムカって進ススむこと、マコトに生イきる大道オオミチに目メざめてくれよ、神示フデを始ハジめから読ヨめば何事ナニゴトもありやかぞ。奥山オクヤマはあってはならん無ナくてはならん存在ソンザイであるぞ。善人ゼンニンの住スむところ、悪人アクニンの休ヤスむ処トコロと申モウしてあろう、奥山オクヤマは神カミ、幽ユウ、現ゲンの三界サンカイと通ツウずるところ。八尋殿ヤヒロドノの左ヒダリと右ミギに宮ミユが建タつ、奥オクにも一ヒトつ。 |
| 933 |
39_月光の巻 |
第1帖
なりなりて なりあまれるところもて、なりなりて なりあはざるところをふさぎて、くにうみせなならんぞ。このよのくにうみは一ヒトつ-秘答通-おもて(面)でしなければならん。みと(実透)のまぐはひでなくてはならんのに、おもてを一ヒトつにしてゐないではないか。それでは、こんどのことは、じょうじゅせんのであるぞ。 |
| 934 |
39_月光の巻 |
第2帖
きすうときすうをあはしても、ぐうすう、ぐうすうとぐうすうをあはしてもぐうすうであることをわすれてはならんぞ。きすうとぐうすうをあはしてはじめて、あたらしき、きすうがうまれるのであるぞ。こんどのいわとひらきには ひるこうむでないぞ。あはしまうむでないぞ。 |
| 935 |
39_月光の巻 |
第3帖
こんどは、八ハチのくまではたらん。十トウのくま、十トウのかみをうまねばならんぞ。そのほかに、かくれた二フタつのかみ、二フタつのくまをうみて、そだてねばならんことになるぞ。 |
| 936 |
39_月光の巻 |
第4帖
あめのみなかぬしのかみのそのまへに、あめゆづる日ヒあめのさぎりのみこと。くにゆづる月ツキ、地クニのさぎりのみことあるぞ。 の の であるぞ。その前マエに あることわするるなよ。 |
| 937 |
39_月光の巻 |
第5帖
十トくさ、十二ジュウニくさのかむたから、おきつかがみ、へつかがみ、八ヤつかのつるぎ、九コつかのつるぎ、十トつかのつるぎ、いくたま、まがるかへしのたま、たるたま、ちかへしのたま、おろちのひれ、はちのひれ、くさくさのひれ、であるぞ。む、ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり、う、であるぞ。う、たり、ここ、や、なな、む、いつ、よ、み、ふた、ひと、む、であるぞ。となへよ。のりあげよ。 |
| 938 |
39_月光の巻 |
第6帖
あまてらすおほかみは、たかあまのはらをしらすべし。また、たかあまのはらをしらすべし、また、たかあまはらをしらすべし、つきよみのおほかみは、あまてらすおほかみとともに、あめのことをしらすべし。また、あほうなはら しほのやほへをしらすべし。また、よるのおすくにをしらすべし。すさなおのおほかみは、あほうなのはらをしらすべし、また、あほうなはらをしらすべし。また、あまがしたをしらすべし。 |
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39_月光の巻 |
第7帖
大奥山オオオクヤマは神カミ人ヒト交流コウリュウの道ミチの場バである。道ミチは口クチで説トくものではない。行ギョウずるものである。教オシエは説トかねばならない。多数決タスウケツが悪多数決アクタスウケツとなるわけが何故ナゼに判ワカらんのぢゃ。投票トウヒョウで代表ダイヒョウを出ダすと殆ホトんどが悪人アクニンか狂人キョウジンであるぞ。世界セカイが狂クルひ、悪アクとなり、人民ジンミンも同様ドウヨウとなっているから、その人民ジンミンの多オオくが選エラべば選エラぶ程ホド、益々マスマス混乱コンランしてくるのであるぞ。それより他ホカに人民ジンミンの得心トクシン出来デキる道ミチはないと申モウしてゐるが、道ミチはいくらでもあるぞ。人民ジンミンの申モウしてゐるのは平面ヘイメンの道ミチ、平面ヘイメンのみでは乱ミダれるばかり、立体リッタイにアヤなせば弥栄イヤサカえて真実シンジツの道ミチが判ワカるのぢゃ。ぢゃと申モウして独裁ドクサイではならん。結果ケッカから見ミれば神裁シンサイぢゃ。神裁シンサイとは神カミ人ヒト交流コウリュウによることぞ。十二月ジュウニガツ二十五日ニジュウゴニチ
神カミはうそつきぢゃと人民ジンミン申モウしても、悪ワルい予言ヨゲンはうそにしたいので日夜ニチヤの苦労クロウ、こらえられるだけこらえてゐるのである。もう、ものばかりでは治オサまらんこと、キンでは治オサまらんこと、平面ヘイメンのみでは駄目ダメであること、よく判ワカってゐるのにカブトぬげん神々様カミガミサマよ、気キの毒ドクが来コぬ前マエに改心結構カイシンケッコウ。遠トオくからでは判ワカらんし、近チカづくと迷マヨうし、理屈リクツすてて神カミにほれ参マイらせよ。よくこの神カミをだましてくれたぞ、この神カミがだまされたればこそ、太神オオカミの目的モクテキなってくるのぢゃ。細工サイクはりゅうりゅう仕上シアげ見ミて下クダされよ。区別クベツすると力チカラ出デるぞ、同オナじであってはならん。平等ビョウドウでなくてはならんが、区別クベツなき平等ビョウドウは悪平等アクビョウドウである。天テンに向ムカって石イシを投ナげるようなことは、早ハヤくやめねばならん。霊レイかかりもやめて下クダされよ。人民ジンミンが絶対無ゼッタイムと申モウしてゐるところも、絶対無ゼッタイムではない。科学カガクを更サラに浄化ジョウカ弥栄イヤサカさせねばならん。空間クウカン、時間ジカンが霊界レイカイにないのではない。その標準ヒョウジュンが違チガうから無ナいと考カンガえてよいのである。奥山オクヤマは奥山オクヤマと申モウしてあろう。いろいろな団体ダンタイをつくってもよいが、何イズれも分ワカれ出デた集団ツドイ、一ヒトつにしてはならん。奥山オクヤマはありてなきもの、なくて有アる存在ソンザイである。奥山オクヤマと他ホカのものとまぜこぜまかりならん。大オオき一ヒトつではあるが別々ベツベツぞ。今迄イママデになかった奥山オクヤマのあり方カタ、判ワカらんのも無理ムリないなれど、これが判ワカらねばこの度タビの大神業オオカミワザ、判ワカりはせんぞ。 |
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39_月光の巻 |
第8帖
神カミの御用ゴヨウは、神カミのみこと(命)-実言-のままでなくては成就ジョウジュせん。皆々ミナミナ釈迦シャカぞ、キリストぞ。もっと大オオき計画ケイカクもちて御座ゴザれ。着手チャクシュは出来デキる処トコロからぞ。つかめる所トコロから神カミをつかめよ。部分ブブンからつくり上アげなされよ。我ガ出ダしてはならん。そなたはそれでいつもしくじってゐるでないか。天狗テングではならん。心ココロ出来デキたら足場アシバ固カタめねばならん。神カミの足場アシバは人ヒトぢゃ。三千サンゼンの足場アシバ、五千ゴセンの足場アシバ。 |
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39_月光の巻 |
第9帖
気キの合アう者モノのみの和ワは和ワではない。色イロとりどりの組合クミアワせ、ねり合アワせこそ花ハナさくぞ。総スベてが神カミの子コぢゃ。大神オオカミの中ナカで弥栄イヤサカぞ。大オオき心ココロ、広ヒロき心ココロ、長ナガい心ココロ 結構ケッコウ。中々ナカナカに合アわんと申モウすなれど、一ヒトつ家族カゾクでないか。心得ココロエなされよ。夫婦フウフけんかするでない。夫オットのみいかんのでない。妻ツマのみ悪ワルいのでないぞ。お互タガイに己オノレの姿スガタを出ダし合アってゐるのぞ。よく会得エトクせよ。判ワカらんことが更サラに判ワカらなくなるぞ。ききたいことは何ナンでもきけよ。大ダイグレ目メの前マエ。アホになれよ。一先ヒトマづは月ツキの代ヨとなるぞ。ひっくり返カエり、ビックリぢゃ。 |
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39_月光の巻 |
第10帖
一イチはいくら集アツめても一イチぢゃ。二ニも三サンも四ヨンも五ゴも同様ドウヨウぞ。 にかえり、 によって結ムスばれるのぢゃ。 がムスビぞ。弥栄イヤサカぞ。喜ヨロコびぞ。 |
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39_月光の巻 |
第11帖
病ヤむことは神カミから白紙ハクシの手紙テガミを頂イタダいたのぢゃと知シらしてあろう。心ココロして読ヨめよ。ありがたき神カミからの手紙テガミぞ。おろそかならん。腹八分ハラハチブ、二分ニブは先マづささげよ。運ウンひらけるぞ。病ヤマイ治ナオるぞ。 |
| 944 |
39_月光の巻 |
第12帖
逃ニげ道ミチつくってから追オわねばならん。そなたは相手アイテの逃ニげ道ミチをふさいでギュウギュウ追オひつめるから逆サカうらみされるのぢゃ。逆サカうらみでも恨ウラみは恨ウラみの霊団レイダンをつくり出ダすぞ。悪アクを抱イダけよ。消化ショウカせよ。浄化ジョウカせよ。何ナニも彼カも太神オオカミの許ユルし給タマえるものなるが故ユエに存在ソンザイする。そなたは神カミにこり固カタまってゐるぞ。こり固カタまると動ウゴきのとれんことになる。一度イチドそなたのもつ神カミをすてるとよいぞ。すてると掴ツカめるぞ。 |
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39_月光の巻 |
第13帖
木キにも竹タケにも石イシにも道具ドウグにもそれぞれの霊レイが宿ヤドってゐるのである。人間ニンゲンや動物ドウブツばかりでなく、総スベてのものに宿ヤドってゐるのである。宿ヤドってゐると云イうよりは、霊レイと体カラダとで一ヒトつのものが出来上デキアがってゐるのである。一枚イチマイの紙カミの裏表ウラオモテのようなもの、表オモテばかりのものもない。裏ウラばかりのものもない道理ドウリ。数字スウジにも文字モジにもそれぞれの霊レイが宿ヤドって居オり、それぞれの能ハタラキをしてゐるのであるぞ順序ジュンジョが判ワカれば初段ショダン、和ワに徹テッすれば名人メイジン。 |
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39_月光の巻 |
第14帖
流ナガれ出デたものは又マタ元モトにかえると申モウしても、そのままでは帰カエられんのであるぞ。天テンから降フった雨アメが又マタ天テンに昇ノボるには、形カタをかえるであろうが、この道理ドウリをわきまえんと、悪アクかみかかりとなるぞ。それはそなたの自己慾ジコヨクから出デてゐるぞ。自己慾ジコヨクもなくてはならんが、段々ダンダン浄化ジョウカして行ユかねばならん。浄化ジョウカして大オオき自己ジコの慾ヨクとせよ。自分ジブンのみの慾ヨクとなるから弥栄イヤサカえんのぢゃ。弥栄イヤサカえんもの神カミの御心ミココロに逆行ギャッコウ。自分ジブンで判断ハンダン出来デキることを何故ナゼにきくのぢゃ。神カミにきけば神カミに責任セキニンをきせるのと同様ドウヨウぞ。人間ニンゲンの悪ワルいくせぞ。出直デナオせよ。 |
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39_月光の巻 |
第15帖
与アタえることは頂イタダくことぢゃと申モウしても、度ドをすぎてはならん。過スぎると、過スぎるものが生ウれて、生ウんだそなたに迫セマって来クるぞ。 |
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39_月光の巻 |
第16帖
五十九柱ゴジュウキュウハイラと申モウしてあるが、その中ナカの九柱コハシラはかくれた柱ハシラぢゃ。         ぞ。         ぞ。この九柱コハシラは ぞ。心得ココロエなされよ。現アラわれの五十柱ゴジュウハシラのかげの、かくれた九柱コハシラ、心ココロして大切タイセツ申モウせよ。真直マッスぐに真上マウエに神カミをいただくと申モウすことは、上カミばかりではないぞ。真下マシタにも横ヨコにも前後ゼンゴにも立体リッタイ三六〇度サンビャクロクジュウドに真直マッスぐに神カミを頂イタダかねばならんと云イうことぞ。神カミ人ヒト交流コウリュウの第一歩ダイイッポ。 |
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39_月光の巻 |
第17帖
そなたの仕事シゴト、思オモいつき結構ケッコウであるが、神カミの御意志ゴイシを頂イタダかねば成就ジョウジュせん。神カミと申モウしても、そなたが勝手カッテにきめた神カミや宗教シュウキョウで固カタめた制限セイゲンされた神カミではないぞ。判ワカっただけでは駄目ダメぞ。行ギョウじねばならん。生活セイカツしなければならん。芸術ゲイジュツしなければならん。 |
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39_月光の巻 |
第18帖
現実的ゲンジュツテキには不合理フゴウリであっても、不合理フゴウリにならぬ道ミチをひらくのが、霊現交流レイゲンコウリュウの道ミチであり、立体リッタイ弥栄イヤサカの道ミチ、行ユき詰ツマりのない道ミチ、新アタラしき世界セカイへの道ミチである。平面ヘイメンのみではどうにもならない時トキとなってゐるのに、何ナニして御座ゴザるのか。黒船クロフネにびっくりしては間マに合アわん。 |
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39_月光の巻 |
第19帖
釈迦シャカ、キリスト、マホメット、其ソの他ホカ、世界セカイの生命イノチある教祖キョウソ及オヨびその指導神シドウシンを、み光ヒカリの大神様オオカミサマとたたえまつれと申モウしてあろが。   大神様オオカミサマの一ヒトつの現アラはれぞと申モウしてあろうが。何故ナニユエにみ光ヒカリの大神様オオカミサマとして斎イツきまつらんのぢゃ。宗教シュウキョウせぬのぢゃ。其処ソコにひかり教会キョウカイとしての力チカラが出デないのぢゃ。人民ジンミンのうきせになやむを救スクうのはオホカムツミの神カミであるぞ。この能ハタラキの神名シンメイわすれてはならん。このほうはオホカムツミの神カミとも現アラわれるぞと知シらしてあること忘ワスれたのか。 |
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39_月光の巻 |
第20帖
大奥山オオオクヤと教会キョウカイとをまぜこぜしてはならん。教会キョウカイや其ソの他ホカの集団ツドイは現アラわれ、大奥山オオオクヤマはかくれぢゃ。大奥山オオオクヤマはこの度タビの大御神業ダイゴシンギョウにゆかりのある神カミと人ヒトとを引ヒきよせてねり直ナオし、御用ゴヨウに使ツカう仕組シクミ。みて御座ゴザれ、人民ジンミンには見当ミアとれんことになるぞ。 |
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39_月光の巻 |
第21帖
大奥山オオオクヤマから流ナガれ出デた宗団シュウダンはひかり教会キョウカイのみでないぞ。いくらもあるのぢゃ。出デてくるぞ。故ユエに大奥山オオオクヤマに集アツまったものが皆ミナひかり教キョウ会員カイインではない。それぞれのミタマの因縁インネンによって色々イロイロな集団ツドイに属ゾクする。この点テンよく心得ココロエなされよ。大奥山オオオクヤマはありてなき存在ソンザイ、人間ニンゲンの頭アタマで消化ショウカされるような小チイさいしぐみしてないぞ。大奥山オオオクヤマだけに関係カンケイもつ人ヒトもあるのぢゃ、囚トラわれてはならん。三千世界サンゼンセカイを一ヒトつにまるめるのがこの度タビの大神業オオカミワザぞ。世界一家セカイイッカは目メの前マエ、判ワカらんものは邪魔ジャマせずに見物ケンブツして御座ゴザれ。神カミの経綸ケイリン間違マチガひなし。 |
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39_月光の巻 |
第22帖
産土ウブスナさまによくお願ネガいなされよ。わすれてはならんぞ。宗教シュウキョウにこり固カタまって忘ワスれる人ヒトが多オオいぞ。他ホカの神カミを拝ハイしてはならんと云イう、そなたの信仰シンコウはそれだけのもの、早ハヨう卒業ソツギョウ結構ケッコウ。 |
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39_月光の巻 |
第23帖
他ホカの宗教シュウキョウに走ハシってはならんと云イう宗教シュウキョウもそれだけのもの。判ワカらんと申モウしてもあまりであるぞ。同オナじ所トコロに天国テンゴクもあり、地獄ジゴクもあり、霊界レイカイもあり、現実界ゲンジツカイもあり、過去カコも未来ミライも中今ナカイマにあるのぞ。同オナじ部屋ヘヤに他ホカの神カミや仏ホトケをまつってはならんと申モウす一方的イッポウテキなメクラ宗教シュウキョウにはメクラが集アツまるのぢゃ。病気ビョウキが治ナオったり運ウンがひらけたり、奇跡キセキが起オコったりするのみをおかげと思オモってはならん。もちと大オオき心ココロ、深フカい愛アイと真シンの世界セカイを拝オロガめよ。とけ入イれよ。浄化ジョウカが第一ダイイチ。金カネが好スきなら金カネを拝オロガんでもよいのぢゃ。区別クベツと順序ジュンジョさへ心得ココロエて居オれば何様ナニサマを拝オロガんでもよいぞ。金キンを拝オロガめば金キンが流ナガれてくるぞ。金キンを拝オロガみ得エぬイコヂさがそなたを乏マズしくしたのぢゃ。赤貧セキヒンは自慢ジマンにならん。無神論ムシンロンも自慢ジマンにならん。清貧セイヒンはまけおしみ、清富セイトミになれよと申モウしてあろうが。清富セイトミこそ弥栄イヤサカの道ミチ、神カミの道ミチ、大オオ ヒ ツ キ大神オオカミのマコトの大道オオミチぞ。 |
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39_月光の巻 |
第24帖
怒オコってはならん。急イソいではならん。怒オコルと怒イカりの霊界レイカイとの霊線レイセンがつながり、思オモわぬ怒イカりが湧ワいてものをこわして了シマふぞ。太神オオカミのしぐみに狂クルひはないぞ。皆々ミナミナ安心アンシンしてついて御座ゴザれよ。 |
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39_月光の巻 |
第25帖
食物タベモノは科学的栄養カガクテキエイヨウのみに囚トラわれてはならん。霊レイの栄養エイヨウ大切タイセツ。自分ジブンと自分ジブンと和合ワゴウせよと申モウしてあるが、肉体ニクタイの自分ジブンと魂タマシイの自分ジブンとの和合ワコヴ出来デキたら、も一段イチダン奥オクの魂タマシイと和合ワゴウせよ。更サラに、又マタ奥オクの自分ジブンと和合ワゴウせよ。一番奥イチバンオクの自分ジブンは神カミであるぞ。高タカい心境シンキョウに入ハイったら、神カミを拝オロガむ形式ケイシキはなくともよいぞ。為ナすこと、心ココロに浮ウカぶこと、それ自体ジタイが礼拝レイハイとなるからぞ。山ヤマも自分ジブン、川カワも自分ジブン、野ヌも自分ジブン、海ウミも自分ジブンぞ。草木クサキ動物ドウブツ悉コトゴトく自分ジブンぞ、歓喜カンキぞ。その自分ジブン出来デキたら天テンを自分ジブンとせよ。天テンを自分ジブンにするとはムにすることぞ。 に化カすことぞ。ウとムと組クみ組クみて新アタラしきムとすることぢゃ。 |
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39_月光の巻 |
第26帖
現状ゲンジョウを足場アシバとして進ススまねばならん。現在ゲンザイのそなたのおかれてゐた環境カンキョウは、そなたがつくり上アげたものでないか。山ヤマの彼方カナタに理想郷リソウキョウがあるのではないぞ。そなたはそなたの足場アシバから出発シュッパツせねばならん。よしそれが地獄ジゴクに見ミえようとも、現在ゲンザイに於オイてはそれが出発点シュッパツテン。それより他ホカに道ミチはないぞ。十二月ジュウニガツ三十一日サンジュウイチニチ。 |
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39_月光の巻 |
第27帖
はらひは結構ケッコウであるが、厄ヤクはらひのみでは結構ケッコウとはならんぞ。それは丁度チョウド、悪アクをなくすれば善ゼンのみの地上天国チジョウテンゴクが来クると思オモって、悪アクをなくすることに努力ドリョクした結果ケッカが、今日コンニチの大混乱ダイコンランを来キしたのと同オナじであるぞ。よく考カンガえて下クダされよ。善ゼンと申モウすも悪アクと云イうも、皆ミナ悉コトゴトく大神オオカミの肚ハラの中ナカであるぞ。大神オオカミが許ユルし給タマへばこそ存在ソンザイしてゐるのであるぞ。この道理ドウリをよく会得エトクせよ。はらふと申モウすのは無ナくすることではないぞ。調和チョウワすることぞ。和ワして弥栄イヤサカすることぞ。 |
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39_月光の巻 |
第28帖
厄ヤクも祓ハラはねばならんが、福フクも祓ハラはねばならん。福フクはらひせよと申モウしてあらうが。厄ヤクのみでは祓ハラひにならん。福フクのみでも祓ハラひにならんぞ。厄ヤクばらひのみしたから今日コンニチの乱ミダれた世相セソウとなったのぢゃ。この判ワカり切キった道理ドウリが何故ナゼに判ワカらんのか。悪アクを抱ダき参マイらせよ。善ゼンも抱ダき参マイらせよ。抱ダくには にならねばならんぞ。 |
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39_月光の巻 |
第29帖
モト-母答-を正タダさねばならん、間マに合アわんことになるぞ。心ココロの改心カイシンすれば、どんなおかげでもとらすぞ。幽国ガイコクは火ヒの雨アメぢゃなあ。世界セカイ一度イチドに改心カイシン。 |
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39_月光の巻 |
第30帖
心ココロのいれかへせよとは新アタラしき神界シンカイとの霊線レイセンをつなぐことぞ。そなたは我ガが強ツヨいから、我ガの強ツヨい霊界レイカイとの交流コウリュウが段々ダンダンと強ツヨくなり、我ガのむしが生ウマれてくるぞ。我ガの病ヤマイになって来クるぞ。その病ヤマイは自分ジブンでは判ワカらんぞ。わけの判ワカらん虫ムシわくぞ。わけの判ワカらん病ヤマイはやるぞと申モウしてあるがそのことぞ。肉体ニクタイの病ヤマイばかりでないぞ。心ココロの病ヤマイはげしくなってゐるから気付キツけてくれよ。人々ヒトビトにもそのことを知シらせて共トモに栄サカえてくれよ。この病ヤマイを治ナオすのは、今日コンニチまでの教オシエでは治ナオらん。病ヤマイを殺コロして了シマふて、病ヤマイをなくしようとて病ヤマイはなくならんぞ。病ヤマイを浄化ジョウカしなければならん。悪アクを殺コロすと云イう教オシエや、やり方カタではならんぞ。悪アクを抱ダき参マイらせて下クダされよ。 |
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39_月光の巻 |
第31帖
足アシのうらをきれいに掃除ソウジなされよ。外ソトから見ミえん所トコロがけがれてゐるぞ。日本ニホンの国クニよ、そなたも同様ドウヨウ、世界セカイよ、そなたも同様ドウヨウぞ。イヅモの神カミの社ヤシロをかへて竜宮リュウグウの乙姫オトヒメ-理由空云の音秘-様サマのお社ヤシロを陸リク[理空]につくらねば、これからの世ヨはうごきとれんことになるぞ。一切イッサイが自分ジブンであるぞと云イうことは例タトへでないぞ。そなたは、食物タベモノは自分ジブンでないと思オモうてゐるが、食タべるとすぐ自分ジブンとなるでないか。空気クウキも同様ドウヨウ、水ミズも同様ドウヨウぞ。火ヒも同様ドウヨウ、大空オオゾラもそなたぞ。山ヤマも川カワも野ヌも海ウミも、植物ショクブツも動物ドウブツも同様ドウヨウぞ。人間ニンゲンは横ヨコの自分ジブンぞ。神カミは縦タテの自分ジブンぞ、自分ジブンを見極ミキワめねばならん。自分ジブンをおろそかにしてはならん。一切イッサイをうけ入イれねばならんぞ。一切イッサイに向ムカって感謝カンシャしなければならんと申モウしてあろうが。三十一年サンジュウイチネン一月イチガツ三日ミッカ。 |
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39_月光の巻 |
第32帖
世界連邦セカイレンポウと申モウしてゐるが、地上世界チジョウセカイのみの連邦レンポウでは成就ジョウジュせん。片輪車カタリンシャで、いつまでたってもドンテンドンテンぢゃ。心ココロして下クダされよ。何故ナゼに霊界レカイ、神界シンカイをひっくるめた三千世界連邦サンゼンセカイレンポウとしないのか。いらぬ苦労クロウはせぬものぢゃ。 |
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39_月光の巻 |
第33帖
まことから出デたことは誰ダレのねがひも同様ドウヨウ。心配シンパイせずにドシドシと進ススめて下クダされよ。若モし行ユき詰ツマったら省カエリみよ。行ユき詰ツマった時トキは大オオきくひらける時トキぢゃ。ぢゃと申モウしてひとこころで急イソぐでないぞ。急イソぐと道ミチが見ミえなくなってくるぞ。そなたの考カンガへて御座ゴザることは自己ジコ中心チュウシンでないか。われよしの小チイさいわれよしではならん。大オオきなわれよし結構ケッコウぞ。ぎせいになることを尊トウトいことぢゃと申モウしてゐるが、ぎせいに倒タオれてはならん。己オノレを生イかす為タメに他ホカを殺コロすのもいかん。己オノレ殺コロして他ホカをいかすのもいかん。大ダイの虫ムシを生イかすため、小ショウの虫ムシを殺コロすことはやむを得エんことぢゃと申モウしたり、教オシへたりしてゐるが、それもならんぞ。総スベてを殺コロさずに皆ミナが栄サカえる道ミチがあるでないか。何故ナゼに神示フデを読ヨまぬのぢゃ。 |
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39_月光の巻 |
第34帖
かみかかりはよしなされよ。そなたは学ガクに囚トラわれて御座ゴザるぞ。科学カガクを越コえて神カミの学ガクに生イきて下クダされよ。そなたは自分ジブンで自分ジブンの首クビをしめるようなことをして御座ゴザるぞ。自分ジブンで勝手カッテに小チイさい自分ジブンの神カミをつくってゐるぞ。一度イチドその神カミをすてなされ、固カタく抱ダきしめたり、とぢこめてゐるから判ワカらんことに行ユきつまるのぢゃ。判ワカりたか。我ガと判ワカらん我ガを気キつけなされよ、今イマ一息ヒトイキと云イふところぞ。 |
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39_月光の巻 |
第35帖
化物バケモノに化バかされんよう、おかげ落オトさんようにして下クダされよ。よいことを申モウし、よい行オコナイをしてゐても、よくない人ヒトがあるのぢゃ。よくないことも御用ゴヨウの一ヒトつではあるが、そなたは未マだそれを消化ショウカする程ホドの所トコロまで行イってゐないぞ。小学生ショウガクセイが大学生ダイガクセイのまねしてはならん。そなたはまだ慾ヨクがあるぞ。慾ヨクを、小チイさい自分ジブンばかりの慾ヨクをすてなされ。そしてまことの大深慾オオフカヨクになりなされよ。その気持キモチさへ動ウゴいてくれば、何事ナニゴトも見事ミゴト成就ジョウジュするぞ。 |
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39_月光の巻 |
第36帖
行オコナイは、世界中セカイジュウの行オコナイ、誰一人ダレヒトリのがれるわけには行ユかんぞ。めぐり果ハたしたものから、うれしうれしになる仕組シクミ。そなたの心配シンパイ一応イチオウは無理ムリないなれど、何処ドコで、どんなことをしてゐても、みたま磨ミガけてさへ居オれば、心配シンパイなくなるぞ。心配シンパイは、磨ミガけて居オらぬ証拠ショウコぞ。そなたはものに不足フソクするとこぼして御座ゴザるなれど、ものに不足フソクするのは、心ココロに足タらぬ所トコロがあるからぞ。心ココロいたればものいたるぞ。何ナニごとも神カミの申モウす通トオり素直スナオになされよ。素直スナオ結構ケッコウぢゃなあ。 |
| 969 |
39_月光の巻 |
第37帖
そなたのやることはいつも時トキが外ハズれて御座ゴザるぞ。餅モチつくにはつく時トキあるぞと知シらしてあろうが。時トキの神カミを忘ワスれてはならんぞ。春ハルには春ハルのこと、夏ナツは夏ナツのことぢゃ。そなたは御神業ゴシンギョウぢゃと申モウして、他ホカに迷惑メイワクかけてゐるでないか。そこから改アラタめねばならん。鼻ハナつまみの御神業ゴシンギョウはないのであるぞ。そなたはお先サキまっくらぢゃと申モウしてゐるが、夜明ヨアけの前マエはくらいものぞ。暗クラいやみの後アトに夜明ヨアけがくること判ワカってゐるであろうが、神カミはすべてを見通ミトオしであるから、すぐのおかげは小チイさいぞ。利子リシつけた大オオきなおかげを結構ケッコウに頂イタダいて下クダされよ。 |
| 970 |
39_月光の巻 |
第38帖
はじめの喜ヨロコびは食物タベモノぞ。次ツギは異性イセイぞ。何イズれも大オオきな驚オドロきであろうがな。これは和ワすことによって起オコるのぞ。とけ合アふことによって喜ヨロコびとなるのぢゃ。よろこびは神カミぢゃ。和ワさねば苦クロウとなるぞ。かなしみとなるぞ。先マづ自分ジブンと自分ジブンと和合ワゴウせよと申モウしてあろうが。そこにこそ神カミの御オはたらきあるのぢゃ。ぢゃがこれは外ソトの喜ヨロコび、肉体ニクタイのよろこびぞ。元モトの喜ヨロコびは霊レイの食物タベモノを食クふことぞ。その大オオきな喜ヨロコびを与アタへてあるのに、何故ナゼ手テを出ダさんのぢゃ。その喜ヨロコび、おどろきを何故ナゼに求モトめんのぢゃ。何故ナゼに神示フデを食タべないのか。見ミるばかりではミにつかんぞ。よく噛カみしめて味アジはひて喜ヨロコびとせんのぢゃ。喜ヨロコびが神カミであるぞ。次ツギには神カミとの交マジわりぞ。交流コウリュウぞ。和ワぞ。そこには且カって知シらざりしおどろきと大歓喜ダイカンキが生ウマれるぞ。神カミとの結婚ケッコンによる絶対ゼッタイの大歓喜ダイカンキあるのぢゃ。神カミが霊レイとなり花ハナむことなるのぢゃ。人民ジンミンは花ハナよめとなるのぢゃ。判ワカるであろうが。この花ハナむこはいくら年トシを経ヘても花ハナよめを捨スてはせぬ。永遠トワにつづく結ムスびぢゃ。結婚ケッコンぢゃ。何ナニものにも比クラべることの出来デキぬおどろきぞ。よろこびぞ。花ハナむこどのが手テをさしのべてゐるのに、何故ナゼに抱ダかれんのぢゃ。神カミは理屈リクツでは判ワカらん。夫婦フウフの交マジわりは説明セツメイ出来デキまいがな。神カミが判ワカっても交マジわらねば、神カミととけ合アはねば真理シンリは判ワカらん。なんとした結構ケッコウなことかと人民ジンミンびっくりする仕組シクミぞ。神カミと交流コウリュウし結婚ケッコンした大歓喜ダイカンキは、死シを越コえた永遠トワのものぞ。消キえざる火ヒの大歓喜ダイカンキぞ。これがまことの信仰シンコウ、神カミは花嫁ハナヨメを求モトめて御座ゴザるぞ。早ハヨう神カミのふところに抱ダかれて下クダされよ。二月ニガツ一日ツイタチ。 |
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39_月光の巻 |
第39帖
何ナニごとが起オコってきてもそなたは先マづよろこべよ。それが苦クルしいことでも、かなしいことでも喜ヨロコんで迎ムカへよ。喜ヨロコぶ心ココロは喜ヨロコび生ウむぞ。人民ジンミンよろこべば神カミよろこぶぞと申モウしてあろが、天地アメツチはれるぞ。輝カガヤくぞ。そなたは先サキばかり見ミてゐるぞ。足アシで歩アルくのぢゃ。足アシもとに気キつけねばならんぞよ。そなたは自分ジブンひとりで勝手カツテに苦クルしんで御座ゴザるなれど、みなが仲ナカよう相談ソウダンなされよ。相談ソウダン結構ケッコウぢゃなあ。相談ソウダンして、悪ワルいことは気キつけ合アって進ススんで下クダされよ。 |
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39_月光の巻 |
第40帖
判ワカらんことは神示フデにきくがよいぞ。遠慮エンリョウいらん。そなたは一足飛イッソクトびに二階ニカイに上アがりたい気持キモチがぬけない。何事ナニゴトも一段イチダンずつ、一歩イッポづつ進ススまねばならん。それより他ホカに進ススみ方カタはないのぢゃぞ。先マづそなたの中ナカにゐるけだものを言コト向ムけ合アワさねばならんぞ。よく話ハナし、教オシへ、導ミチビかねばならん。けものを人間ニンゲンと同オナシじにしようとしてはならん。けものはけものとして導ミチビかねばならん。金キンは金キン。鉛ナマリは鉛ナマリぞ。鉛ナマリを金キンにしようとしてはならん。鉛ナマリは鉛ナマリとして磨ミガかねばならんぞ。浄化ジョウカとはそのこと。世ヨは七度ナナドの大変オオカワり、いよいよの段階ダンカイに入ハイったら、何ナニが何ナンだか、われよしの人民ジンミンにはいよいよ判ワカらなくなり、あせればあせる程ホドふかみに落オち込コむぞ。心ココロの窓マドを大オオきくひらいて、小チイさい我ガの慾ヨクをすてると、遠トオくが見ミえてくるのぢゃ。見ミえたら先マづ自分ジブンの周囲ハンイに知シらせねばならん。知シらすことによって次ツギの道ミチがひらけてくるのぢゃ。自分ジブンだけではうれしうれしとならん。うれしくないものは弥栄イヤサカしないぞ。冬フユになったら冬フユごもりぞ。死シぬ時トキには死シぬのが弥栄イヤサカぞ。遊アソぶ時トキは遊アソぶがよいぞ。コト=言コト-光透-と、時トキと、その順序ジュウンジョさへ心得ココロエて御座ゴザれば、何ナニをしても、何ナニを話ハナしても、何ナニを考カンガへてもよいのぢゃ。 |
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39_月光の巻 |
第41帖
そなたはいつも深刻シンコクな顔カオをして考カンガへ込コんでゐるが、考カンガへ方カタにも幾通イクトオりも御座ゴザるぞ。考カンガへは迷マヨひと申モウしてあるのは、そなたのような場合バアイぞ。そなたは苦クに向ムカひ苦クにかったつもりで、苦クを楽タノしんで御座ゴザるが、苦クは曲マガることぞと知シらしてあろうが。苦クをつくり出ダしてはならんぞ。苦クを楽タノしむより、楽ラクをたのしむ心ココロ高タカいぞと知シらしてあろう。苦クルしむと曲マガり、楽タノしむとのびるぞ。二月ニガツ十日トウカ。 |
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39_月光の巻 |
第42帖
未来ミライにもえることが現在ゲンザイに生イきることであるぞ。そなたは現在ゲンザイに生イきる努力ドリョクが足タらん。夢ユメばかり追セマってゐてはうたかたぢゃ。そなたは先祖センゾに対タイする考カンガへ方カタが間違マチガってゐるぞ。先祖センゾはそなたではないか。地下チカにあるそなたの根ネが先祖センゾでないか。根ネのない草木クサキはすぐ枯カれる道理ドウリぢゃ。先祖センゾは家イエをついだ兄アニがまつってゐるから、分家ブンケした自分ジブンは先祖センゾはまつらいでもよいのぢゃと申モウして御座ゴザるなれど、よく考カンガへて下クダされよ。根ネから芽メが出デて幹ミキとなり枝エダが栄サカえてゐるのと同様ドウヨウぞ。枝エダには根ネはいらんと申モウすのと同オナじような間違マチガひであるぞ。分家ブンケしても先祖センゾまつらねばならん。先祖センゾをおろそかにするでないと、気付キツけてあるでないか。 |
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39_月光の巻 |
第43帖
そなたはまだ方便ホウベンをつかってゐるが、方便ホウベンの世ヨはすんでゐるのぞ。方便ホウベンの教オシエとは横ヨコの教オシエ、いろはの教オシエ、平面ヘイメンの教オシエのことぞ。仏教ブッキョウもキリスト教キョウも回教カイキョウもみな方便ホウベンでないか、教オシエはみな方便ホウベンぢゃ。教オシエではどうにもならん。ぎりぎりの世ヨとなってゐるのぞ。理ミチでなくてはならん。変カワらぬ太道オオミチでなくてはならんぞ、方便ホウベンの世ヨはすんでほうべんの世ヨとなり、そのほうべんの世ヨもやがて終オワるぞと知シらしてあろうが。理ミチとは三界サンカイを貫ツラヌく道ミチのことぞ。字宙ウチュウにみちみつ のあり方カタぞ。法則ホウソクぞ。秩序チツジョぞ。神カミの息吹イブきぞ。弥栄イヤサカぞ。喜ヨロコびぞ。判ワカりたか。 |
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39_月光の巻 |
第44帖
この道ミチに入ハイると損ソンをしたり、病気ビョウキになったり、怪我ケガをすることがよくあるなれど、それは大難ダイナンを小難ショウナンにし、又マタめぐりが一時ヒトトキに出デて来キて、その借銭シャクセン済スマしをさせられてゐるのぢゃ。借カりたものは返カエさねばならん道理ドウリぢゃ。損ソンもよい、病気ビョウキもよいぞと申モウしてあろうが。此処ソコの道理ドウリもわきまへず理屈リクツ申モウしてゐるが、そんな人民ジンミンの機嫌キゲンとりする暇ヒマはなくなったから、早ハヨう神心カミココロになって下クダされよ。そなたは祈イノりが足タらんぞ。祈イノりと申モウすのは心ココロでゐのり願ネガふことでないそ。実行ジッコウせねばならん。地上人チジョウジンは物モノとしての行動コウドウをしなければならんぞ。口クチと心ココロと行オコナイと三ミッつ揃ソロはねばと申モウしてあること、忘ワスれたか。 |
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39_月光の巻 |
第45帖
マコトに祈イノれと申モウしてあろう。マコトとは マ1ヒ2フ3ミ4ヨ5イ6ム7ナ8ヤ9コ10トのことと申モウしてあろう。只タダ心ココロでゐのるばかりでは、自分ジブンで自分ジブンをだますこととなるのぢゃ。自分ジブンをいつわることは神カミをいつわることとなるのぢゃ。マコトでゐのれば何事ナニゴトもスラリスラリとかなふ結構ケッコウな世ヨぞ。 |
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39_月光の巻 |
第46帖
考カンガえてゐては何ナニも成就ジョウジュせんぞ。神界シンカイと交流コウリュウし、神界シンカイに生イき、神界インカイと共トモに弥栄イヤサカすればよいのぢゃ。人間ニンゲンだけの現実界ゲンジツカイだけで処理ショリしようとするのが今迄イママデの考カンガえぢゃ。今迄イママデの考カンガえでは人間ニンゲンの迷マヨひぞと申モウしてあろうがな。迷マヨひを払ハラって真実シンジツに生イきよ。みたましづめぢゃ。加実カミしづめぢゃ。そなたは信仰シンコウのありかたを知シらんぞ。長ナガい目メで永遠エイエンの立場タチバからの幸サキが、歓喜カンキがおかげであるぞ。局部的キョクブテキ一時的イチジテキにはいやなことも起オコってくるぞ。天地アメツチを信シンじ、自分ジブンを知シり、人ヒトを理解リカイする所トコロにこそ まことの弥栄イヤサカあるぞ。だますものにはだまされてやれよ。一先ヒトマづだまされて、だまされんように導ミチビいて下クダされよ。そなたはそんな場合バアイに我ガを出ダすからしくじるのぞ。だまされてやろうとするからカスが残ノコるのぞ。まことにだまされる修業シュギョウが大切タイセツぢゃなあ。 |
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39_月光の巻 |
第47帖
八ハチのつく日ヒに気キつけと申モウしてあろう。八ハチとはひらくことぞ。ものごとはひらく時トキが大切タイセツぢゃ。第一歩ダイイッポの前マエに〇歩レイホがあるぞ。〇歩レイホが大切タイセツぞ。心ココロせよ。そなたは行ユき詰ツマって苦クルしんで御座ゴザるなれど、それは間違マチガった道ミチを歩アユんで来キたからぞ。行ユき詰ツマりは有アりがたいぞ。省カエリみる時トキを与アタえられたのぢゃ。ミタマ磨ミガきさえすれば何ナニごともハッキリとうつりて、楽ラクに行ユける道ミチがちゃんとつくってあるのぢゃ。その人ヒトその人ヒトに応オウじて如何イカようにでも展ヒラけ行ユくぞ。犬猫イヌネコでさえ楽々ラクラクと栄サカえてゐるでないか。洗濯次第センタクシダイでどんな神徳シントクでも与アタえるぞ。二月ニガツ十八日ジュウハチニチ。 |
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39_月光の巻 |
第48帖
世界中セカイジュウを泥ドロの海ウミにせねばならんところまで、それより他ホカに道ミチのない所トコロまで押オしせまって来キたのであるが、尚ナオ一厘イチリンのてだてはあるのぢゃ。大神様オオカミサマにおわび申モウしてすっかり心ココロを改アラタめて下クダされよ。神々カミガミさまも人民ジンミンさまも心得ココロエちがひ多オオいぞ。泥ドロの海ウミとなる直前チョクゼンにグレンとひっくりかえし、びっくりの道ミチあるぞ。 |
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39_月光の巻 |
第49帖
そなたの用意ヨウイが足タらんぞ。日々ヒビの人間ニンゲンの御用ゴヨウを、神カミの御用ゴヨウと和ワすように、神カミの御用ゴヨウが人ヒトの御用ゴヨウ、人ヒトの御用ゴヨウが神カミの御用ゴヨウとなるのがまことの道ミチであり、弥栄イヤサカの道ミチであり大歓喜ダイカンキであるぞ。いつでも神カミかかれるように神カミかかってゐるように、神カミかかっていても、われにも他ホカにも判ワカらぬようになりて下クダされよ。鍬クワとる百性ヒャクショウが己オノレをわすれ、大地ダイチをわすれ、鍬クワをわすれてゐる境地キョウチが、まことのみたましづめであり、神カミかかりであるぞ。そこらでなさる行オコナイも、それに到イタる一ヒトつの道ミチではあるが、それのみではならんぞ。気キつけ合アってよきに進ススんで下クダされよ。そなたが歩アユむのぢゃ。道ミチは自分ジブンで歩アユまねばならんぞ。他人タニンにおんぶしたり、他人タニンが歩アルかしてくれるのではないぞ。そなたの力チカラで、そなた自身ジシンの苦労クロウで人ヒトを助タスけねばならんぞ。人ヒトを助タスければその人ヒトは神カミが助タスけるのであるぞ。この道理ドウリなぜに判ワカらんのぢゃ。人ヒトを助タスけずに我ワレを助タスけてくれと申モウしても、それは無理ムリと申モウすもの。神カミにも道ミチはまげられんぞ。 |
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39_月光の巻 |
第50帖
何ナニも六ムツヶ敷シいこと申モウすのではない。自分ジブンの、内ウチの自分ジブンを洗濯センタクして明アキらかに磨ミガけばよいのぢゃ。内ウチにあるものを浄化ジョウカすれば、外ソトから近チカづくものがかわって来クる道理ドウリ。内ウチの自分ジブンを洗濯センタクせずにゐて、きたないものが近チカづくとか、世ヨの中ナカがくらいとか不平フヘイ申モウして御座ゴザるなれど、そこにそなたの間違マチガいがあるぞ。木キでも草クサでも中ナカから大オオきくなって行ユくのぢゃ。三千年サンゼンセカイに一度イチドの時トキがめぐり来キてゐるのであるぞ。為ナせば成ナる時トキが来キてゐるのぢゃ。為ナさねば後悔コウカイぞ。時トキすぎて種タネまいても、くたびれもうけ。そなたは世ヨの中ナカが悪ワルいとか人ヒトがよくないとか申モウしてゐるが、すべては大神オオカミの肚ハラの中ナカにゐて、一応イチオウ大神オオカミが許ユルしなされて居オればこそ存在ソンザイし、いのちしてゐるのであるぞ。悪ワルくうつるのは心ココロのかがみがくもってゐるからぞ。悪ワルい世ヨの中ナカ、悪ワルい人ヒトと申モウすことは、神カミを悪ワルく申モウし、神界シンカイが悪ワルいのぢゃと申モウすのと同オナじであるぞ。新アタラしき世界セカイには新アタラしきてんし(天詞)てんかをこしらえねばならん。このこと間違マチガえるでないぞ。珍メズらしき御型オカタ(方)が出デて来キてびっくりぢゃ。びっくりしなければヒックリとはならんぞ。神カミは今迄イママデ化バけに化バけていたが、もう化バけては居オられん。人民ジンミンももう化バけては居オられんぞ。九分九厘クブクリンまでは化バけて、がまんしてゐたなれど、化バけの世ヨ、方便ホウベンの世ヨ、方便ホウベンの教オシエはすんだのぢゃ。教オシエでは世ヨは正タダされん。教オシエのつどいはつぶれて了シマうのぢゃ。無理ムリしてはならん。そなたの無理押ムリオしはよいことをわるく曲マげるぞ。 |
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39_月光の巻 |
第51帖
世界セカイを一ヒトつにするのであるから、王オオは秘答理ヒトリぢゃ。うごぎは二フタつとなるなれど、二フタつでないとうごかんのぢゃ。キはキのうごき、ミはミのうごき、うごいて和ワすのぢゃぞ。和ワすから弥栄イヤサカぢゃ。和ワせば一ヒトつぢゃぞ。キミとなるのぢゃ。そなたは自分ジブンと他ホカとの境界キョウカイをつくってゐるなれど、境界キョウカイつくってはならんぞ。境界キョウカイをつくらずに、おのづからなる自他ジタの別ベツを生ウみ出ダさねばならんぞ。世界一家セカイイッカのやり方カタ間違マチガえて御座ゴサるぞ。それぞれのコト(言)のハ(葉)はあれど、ミコト(実言)は一ヒトつと申モウして知シらしてあろうがな。大難ダイナンは小難ショウナンにすること出来デキるのであるが、無ナくすることは出来デキんぞ。不足フソクは不足フソクをうむぞ。そなたは口クチをつつしめよ。そなたは一度イチド神カミをすてよ。神カミにしがみついてゐるから、小チイさい囚トラわれた、ゆとりのない神カミを、そなたがつくり上アげてゐるぞ。信シンずれば信シンずる程ホド危アブないぞ。大空オオゾラに向ムカって大オオきく呼吸コキュウし、今迄イママデの神カミをすてて心ココロの洗濯センタクをせよ。神カミを信シンじつつ迷信メイシンにおちてゐると申モウしてあること、よく心得ココロエよ。 |
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39_月光の巻 |
第52帖
そなたはつまらんことにいつも心ココロを残ノコすからつまらんことが出デてくるのであるぞ。心ココロを残ノコすと云イうことは、霊界レイカイとのつながりがあることぞ。つまらん霊界レイカイにいつ迄マデくっついてゐるのぢゃ。何ナニごとも清キヨめて下クダされよ。清キヨめるとは和ワすことであるぞ。同オナじもの同士ドウシでは和ワではない。違チガったものが和ワすことによって新アタしきものを生ウむのであるぞ。奇数キスウと偶数グウスウを合アワせて、新アタラしき奇数キスウを生ウみ出ダすのであるぞ。それがまことの和ワであり清キヨめであるぞ。善ゼンは悪アクと、陰インは陽ヨウと和ワすことぢゃ。和ワすには同オナじあり方カタで、例タトへば五ゴと五ゴとの立場たちばで和ワすのであるが、位クライに於オいては陽ヨウが中心チュウシンであり、陰インが外ソトでなければならん。天テンが主ヌシであり地チが従ジュウでなければならん。男オノコが上カミで女オミナが下シモぢゃ、これが和ワの正タダしきあり方カタぞ。さかさまならんぞ。これを公平コウヘイと申モウすぞ。口先クチサキばかりでよいことを申モウすと悪ワルくなるのぢゃ。心ココロと行オコナイが伴トモはねばならん。判ワカりきったこの道理ドウリが行オコナはれないのは、そなたをとり巻マく霊レイの世界セカイに幽界ユウカイの力チカラが強ツヨいからぢゃ。そなたの心ココロの大半タイハンを幽界的ユウカイテキなもので占シめてゐるからぞ。己自身オノレジシンのいくさまだまだと申モウしてあろうがな。このいくさ中々ナカナカぢゃが、正タダしく和ワして早ハヨう弥栄イヤサカ結構ケッコウぞ。そなたのもつ悪ワルいくせを治ナオして下クダされよ。そのくせ治ナオすことが御神業ゴシンギョウぞ。自分ジブンで世界セカイを建直タテナオすような大オオきこと申モウして御座ゴザるが、そなたのくせを治ナオすことが最モットも大切タイセツな御用ゴヨウでないか。これに気キがつかねば落第ラクダイぞ。おそれてはならん。おそれ生ウむからぞ。喜ヨロコべ、喜ヨロコべ、喜ヨロコべばよろこび生ウむぞ。喜ヨロコびは神カミぢゃ。神様御自身カミサマゴジシンも刻々コクコク弥栄イヤサカして御座ゴザるぞ。故ユエにこそ生長セイチョウなされるのぢゃ。人間ニンゲンも同様ドウヨウでなくてはならん。昨日アスの自分ジブンであってはならん。今イマの自分ジブンぞ。中今ナカイマのわれに生イきねばならん。われにどんな力チカラがあったとて、我ガを出ダしてはならんぞ。我ガを出ダすと力チカラなくなるぞ。我ガを、大オオき我ガに昇華ショウカさせよ。大我ダイガにとけ入イらねばならん。大我ダイガにとけ入イったとて、小我ショウガがなくなるのではないぞ。人ヒトおろがめよ。物モノおろがめよ。おろがむと自分ジブンの喜ヨロコびとなり、拝オロガまれたものも喜ヨロコびとなるぞ。うれしうれしとはそのことぞ。 |
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39_月光の巻 |
第53帖
これほどことわけて申モウしても得心トクシン出来デキないのならば、得心トクシンの行ユくまで思オモふままにやりて見ミなされよ。そなたは神カミの中ナカにゐるのであるから、いくらあばれ廻マワっても神カミの外ソトには出デられん。死シんでも神カミの中ナカにゐるのであるぞ。思オモふさまやりて見ミて、早ハヨう得心トクシン改心カイシンいたされよ。回心カイシンして仕事シゴト嘉言ヨゴトと仕ツカへまつれよ。結構ケッコウぢゃなあ。そなたは自分ジブンは悪ワルくないが周囲シュウイがよくないのだ、自分ジブンは正タダしい信仰シンコウをしてゐるのだから、家族カゾクも知友チユウも反対ハンタイする理由リユウはない、自分ジブンは正タダしいが他ホカが正タダしくないのだから、正タダしくない方ホウが正タダしい方ホウへ従シタガって来クるべきだと申モウしているが、内ウチにあるから外ソトから近チカよるのだと申モウしてあろうが。そなたは無低坑主義ムテイコウシュギが平和ヘイワの基モトだと申モウして、右ミギの頬ホホを打ウたれたら左ヒダリの頬ホホをさし出ダして御座ゴザるなれど、それは真シンの無抵坑ムテイコウではないぞ。よく聞キきなされ、打ウたれるようなものをそなたがもってゐるからこそ、打ウたれる結果ケッカとなるのぢゃ。まことに磨ミガけたら、まことに相手アイテを愛アイしてゐたならば、打ウたれるような雰囲気フインキは生ウマれないのであるぞ。頬ホホをうたれて下クダさるなよ。生ウマれ赤児アカゴ見ミよと知シらしてあろうが。 |
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39_月光の巻 |
第54帖
頭アタマを下サげて見ミなされ、流ナガれて来クるぞ。頭アタマも下サげず低ヒクくならんでゐては流ナガれては来コないぞ。神カミのめぐみは淡々タンタンとした水ミズのようなものぞ。そなたは頭ズが高タカいぞ。天狗テングぞ。その鼻ハナまげて自分ジブンのにほひをかいで見ミるがよい。そなたは左ヒダリに傾カタムいてゐるぞ。左ヒダリを見ミなければならんが、片カタよって歩アルいてはならんぞ。そなたは右ミギを歩アルき乍ナガら、それを中道ナカミチと思オモって御座ゴザるぞ。そなたは平面上ヘイメンジョウを行オコナってゐるから、中道ナカミチのつもりで、他ホカに中行ナカユく道ミチはないと信シンじてゐるが、それでは足タらんのう。立体リッタイの道ミチを早ハヨうさとりなされよ。正中セイチュウの大道オオミチあるのであるぞ。左ヒダリでもなく右ミギでもなく、うれしうれしの道ミチあるぞ。左ヒダリも右ミギも上ウエも下シタも相対ソウタイの結果ケッカの世界セカイぢゃ。原因ゲンインの世界セカイに入ハイらねばならん。平面ヘイメンより見ミれば相対ソウタイあるなれど、立体リッタイに入ハイり更サラに複立体フクリッタイ、複々立体フクフクリッタイ、立立体リツリッタイの世界セカイを知シらねばならんぞ。相対ソウタイでは争アラソひぢゃ。いくさぢゃ。真シンの世界平和セカイヘイワは今イマのやり方カタ、考カンガへ方カタでは成就ジョウジュせんぞ。三千世界和平サンゼンセカイヘイワから出発シュッパツせねばならんぞ。そなたは神示フデをよくよんでゐるが、それだけでは足タらん。神示フデを肚ハラに入イれねばならん。つけ焼刃ヤキバではならん。神示フデを血チとし生活セイカツとすれば、何事ナニゴトも思オモふ通トオりスラリスラリと面白オモシロい程ホド栄サカえて来クるぞ。思オモふように運ハコばなかったら省カエリみよ。己オノレが己オノレにだまされて、己オノレのためのみに為ナしてゐることに気キづかんのか。それが善ゼンであっても、己オノレのためのみならば死シし、善ゼンのための善ゼンならば弥栄イヤサカえるぞ。善ゼンにも外道ゲドウの善ゼンあるぞ。心ココロせよ。神示フデ見ミて居オらぬとびっくりが出デてくるぞ。この世ヨ始ハジまってないことが出デてくるのぢゃ、世界セカイの片カタはし八ハまべからぞ。判ワカりたか。そなたは神体シンタイを偶像グウゾウと申モウして御座ゴザるが、それはそなた自身ジシンが偶像グウゾウなるが故ユエであるぞ。礼拝レイハイを忘ワスれ、祈イノりをわすれることは神カミをわすれることぢゃ。そなたの住スむ段階ダンカイでは、祈イノり畏カシこみ謹ツツシんで実践ジッシしなければならんぞ。拝オロガまんでも拝オロガんでゐる境地キョウチはなかなかぢゃなあ。そなたはわれが助タスかろうとするから助タスからんのぢゃ。世界セカイはこの世ヨばかりではないことを、よく得心トクシンして下クダされよ。我ガをすてて素直スナオになされよ。三千年サンゼンネンの秋アキが来キてゐるのであるぞ。 |
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39_月光の巻 |
第55帖
そなたはよく肚ハラをたてるが、肚ハラがたつのは慢心マンシンからであるぞ。よく心得ココロエなされよ。下肚シタバラからこみあげてくる怒イカりは大オオきな怒イカりであるから、怒オコってよいのであるなれど、怒イカりの現アラわし方カタを出来デキるだけ小チイさく、出来デキルるだけ清キヨく、出来デキるだけ短ミジかくして下クダされよ。怒イカりに清キヨい怒イカりはないと、そなたは思案シアンして御座ゴザるなれど、怒イカりにも清キヨい怒イカり、澄スんだ怒イカりあるぞ。三月サンガツ三日ミッカ。
そなたはいつも自分ジブンの役ヤクに不足フソク申モウすくせがあるぞ。そのくせ直ナオして下クダされよ。長ナガくかかってもよいから、根ネの音ネからの改心カイシン結構ケッコウぞ。手テは手テの役ヤク、足アシは足アシ、頭アタマは頭アタマの役ヤク、それぞれに結構ケッコウぞ。上下貴賎ジョウゲキセンないこと、そなたには判ワカってゐる筈ハズなのに、早ハヨう得心トクシンして下クダされよ。そなたはこの神カミときわめて深フカい縁エンがあるのぢゃ。縁エンあればこそ引ヒきよせて苦労クロウさしてゐるのぢゃ。今度コンドの御用ゴヨウは苦クの花ハナ咲サかすことぢゃ。真理シンリに苦クの花ハナさくのであるぞ。因縁インネンのそなたぢゃ、一聞イチキいたなら十トウがわかるのぢゃ。云イわれんさきに判ワカってもらわねばならんぞ。知シらしてからでは味アジないぞ。十人並ジュウニンナミぞ。今度コンドの御用ゴヨウは千人力センニンリキ、十人並ジュウニンナミでは間マに合アわんぞ。人間ニンゲンの目メは一方イッポウしか見ミえん。表オモテなら表オモテ、右ミギなら右ミギしか見ミえん。表オモテには必カナラず裏ウラがあり、左ヒダリがあるから右ミギがあるのぢゃ。自分ジブンの目メで見ミたのだから間違マチガいないと、そなたは我ガを張ハって居オるなれど、それは只タダ一方的イッポウテキの真実シンジツであるぞ。独断ドクダンは役ヤクに立タたんぞと申モウしてあろうが。見極ミキワめた上ウエにも見極ミキワめねばならんぞ。霊レイの目メも一方イッポウしか見ミえんぞ。霊人レイジンには何ナンでも判ワカってゐると思オモふと、大変タイヘンな間違マチガひ起オコるぞ。一方イッポウと申モウしても霊界レイカイの一方イッポウと現界ゲンカイの一方イッポウとは、一方イッポウが違チガふぞ。そなたは中々ナカナカに立派リッパな理屈リクツを申モウすが、理屈リクツも必要ヒツヨウではあるが、あわの如ゴトきもの、そなたの財産ザイサンにはならんぞ。体験タイケンの財産ザイサンは死シんでからも役ヤクにたつ。ざんげせよと申モウしても、人ヒトの前マエにざんげしてはならんぞ。人ヒトの前マエで出来デキるざんげは割引ワリビキしたざんげ。割引ワリビキしたざんげは神カミをだまし、己オノレをだますこととなるぞ。悔クひ改アラタめて下クダされ。深フカく省カエリみて下クダされ。深フカく恥ハぢおそれよ。心ココロして慎ツツしんで下クダされよ。直タダちによき神界シンカイとの霊線レイセンがつながるぞ。霊線レイセンつながれば、その日ヒその時トキからよくなってくるぞ。気持キモチが曲マガったら霊線レイセンが切キり替カえられる。 |
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39_月光の巻 |
第56帖
そなたは何時イツもあれもよいらしい、これもよいようだと迷マヨって、迷マヨひの世界セカイをうみ出ダし、自分ジブンで自分ジブンを苦クルしめて、気キの毒ドクよなあ。これと一応イチオウ信シンじたらまかせきれよ。梶カジをはなして鳴門ナルトの渦ウズの中ナカにまかせきれよ。まかせきるとひらけてくるのぢゃ。悟サトれたようでゐて、そなたが悟サトり切キれんのはまかせきらんからぞ。そなたはいつも孤独コドク、そなたの不運フウンは孤独コドクからぢゃ。友トモをつくりなさい、友トモつくることは己オノレをつくることと申モウしてあろうが。友トモつくることは新アタラしき世界セカイをつくることぞ。一人ヒトリの世界セカイは知シれたものぞ。一人ヒトリではマコトの道ミチを生イきては行ユかれんぞ。友トモと申モウしても人間ニンゲンばかりではないぞ。山ヤモも友トモ、川カワも友トモ、動物ドウブチも植物ショクブツも皆ミナ友トモぞ。大地ダイチも大空オオゾラも皆ミナ友トモとなるぞ。何ナニも彼カも皆ミナ友トモぢゃ、皆ミナ己オノレぢゃ。皆々ミナミナ己オノレとなれば己オノレはなくなるぞ。己オノレなくなれば永遠エイエンに生命イノチする無限ムゲンの己オノレとなるのぢゃ。御神前ゴシンゼンで拝オロガむばかりでは狭セマいぞ。野菜オサイ拝オロガめば野菜ヤサイが、魚サカナ拝オロガめば魚サカナが己オノレとなるのぢゃ。拝オロガむことは和ワすこと。和ワすことが友トモつくる秘訣ヒケツぞ。友トモを己オノレとすることは、己オノレを友トモとすることぢゃ。友トモにささげることぢゃ。親オヤは子コにささげるからこそ、子コが親オヤとなるのぢゃ。判ワカりたか。赤アカん坊ボウのお尻シリをふいてやることもあるであろうがな。そなたが赤アカん坊ボウと同オナじであったら出来デキない芸当ゲイトウぞ。お尻シリを出ダすものがあっても、決ケッして怒オコってはならん。子コのお尻トリと思オモってきれいにふいてやれよと申モウしてあろうが。お尻シリを持モち込コまれるのは、持モち込コまれるだけのわけがあるからぞ。利子リシは後アトから支払シハラえばよいと、そなたは思オモってゐるが、先サキに支払シハラふこともあるのであるぞ。先サキにお尻シリをふかねばならんことも、世ヨが迫セマってくると出デてくるのぢゃ。その代カワり、後アトでは神カミがそなたのお尻シリをきれいにふいて下クダさるぞ。ぶつぶつ申モウさずに勇イサんでやって下クダされよ。そなたは他ホカにものを与アタえることに心ココロせねばならんぞ。与アタえることは頂イタダくことになるのであるから、与アタえさしてもらう感謝カンシャの心ココロがなければならんぞ。強ツヨく押オすと強ツヨく、弱ヨワく押オすと弱ヨワくはねかえってくること、よく知シって居オろうがな。自分ジブンのものと云イふものは何一ナニヒトつないこと、よく判ワカって居オる筈ハズぢゃ。 |
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第57帖
そなたは失業シツギョウしたから仕事シゴトを与アタえてくれと申モウしてゐるが、仕事シゴトがなくなってはおらんぞ。いくらでもあるでないか。何故ナゼに手テを出ダさんのぢゃ。そなたはすぐ金カネにならねば食クって行ユけない、金カネにならぬ仕事シゴトは出来デキぬ、自分ジブンはよいが妻子サイシが可哀カワイさうだから、などと申モウしてゐるが、どんな仕事シゴトでも、その仕事シゴトにとけ込コまねば、その仕事シゴトになり切キらねばならんのに、そなたは目メの先サキの慾ヨクにとらわれ、慾ヨクになり切キって、目メの色イロを変カえて御座ゴザるぞ。それでは仕事シゴトにならん。仕事シゴトは神カミが与アタえたり人ヒトが与アタえてくれるのでないぞ。自分自身ジブンジシオが仕事シゴトにならねばならん。この道理ドウリさへ判ワカれば、失業シツギョウはないぞ。自分ジブンが仕事シゴトぢゃからのう。 |
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第58帖
春ハルが来クれば草木クサキに芽メが出デる。花ハナが咲サく。秋アキになれば葉ハが枯カれるのぢゃ。時節ジセツよく気付キツけて取違トリチガひせんよういたしくれよ。時節程ジセツホド結構ケッコウなものないが、又マタこわいものもないのであるぞ。丁度チョウド呼吸コキュウのようなもので一定イッテイの順序ジュンジョあるのぞ。吸キュウの極キワミは呼コとなり、呼コの極キワミは吸キュウとなるぞ。これが神カミの用ハタラキであるから、神カミの現アラわれの一面イチメンであるから、神カミも自由ジユウにならん。この神カミも時節ジセツにはかなわんのであるのに、そなたは時々トキドキこの時節ジセツを無視ムシして自我ジガで、或アルひは時節ジセツを取違トリツガひして押オしまくるから失敗シッパイしたり怪我ケガしたりするのぢゃぞ。素直スナオにしておれば楽ラクに行ユけるようになってゐるぞ。時トキまてばいり豆マメにも花ハナさくのであるぞ。水ミズが逆ギャクに流ナガれるのであるぞ。上下ジョウゲンでんぐり返カエるのであるぞ。上ウエの人ヒトが青アオくなり、下シタの人ヒトが赤アカくなるのであるぞ。取トりちがひないように理解リカイして下クダされよ。 |
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39_月光の巻 |
第59帖
一度イチド申モウしたこと何処迄ドコマデもつらぬくそなた結構ケッコウぞ。なれども囚トラわれているぞ。この神カミはちと大オオきな、今迄イママデにない大変タイヘンをいたすのであるから、あまり小チイさく囚トラわれていると判ワカらんことになってくるぞ。固カタまるときには一度イチドに固カタまらねばならん。昨日キノウは昨日キノウ、今日キョウは今日キョウぞ。そなたは動機ドウキが善ゼンならば失敗シッパイは薬クスリと、われの都合ツゴウのよいように、われとわれを弁解ベンカイして御座ゴザるなれど、弁解ベンカイしたのでは薬クスリにならん。毒ドクとなることあるぞ。省カエリみよ。そなたは何神様ナニカミサマでも仏ホトケでも、何ナンでも彼カンでも拝オロガんでいるが、その順序ジュンジョと区別クベツがよく判ワカってゐないぞ。判ワカらずにめくらめっぽうに拝オロガんではならん。心得ココロエなされよ。そなたは忙イソガしい忙イソガしい、神示フデよむ間マもないと申モウしてゐるが、忙イソガしいのは神カミのめぐみであるぞ。よどんだ水ミズはくさるのぢゃ。忙イソガしい中ナカにこそ、神示フデよむ時トキがあるのぢゃ。逃ニげ道ミチをつくってはならん。 |
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39_月光の巻 |
第60帖
そなたは自分ジブンの力チカラを人ヒトに見ミせようとしてゐるが、無邪気ムジャキなものぢゃのう。自分ジブンの力チカラがかくせぬようでは、頭アタマに立タつこと出来デキんぞ。何ナニも彼カも出ダして了シマったのでは味アジがなくなるぞ。そなたはよく祈イノる。祈イノることは結構ケッコウであるなれど、祈イノるばかりでものごと成就ジョウジュせんぞ。為ナすには先マづ祈イノらねばならんが、そなたはそなたの神カミにのみ祈イノってゐるぞ。為ナすのは己オノレであるから、己オノレにゐのらねばならんぞ。己オノレに祈イノりた後アト、己オノレが為ナさねばならんぞ。乳房チブサ与アタえられても自分ジブンで吸スはねば自分ジブンの身ミにはつかぬ道理ドウリぢゃ。だが、為ナしたのみでは未マだ足タらんぞ。時々トキドキは省カエリみなければならんぞ。そなたは形カタや口先クチサキばかりでものを拝オロガんでゐるが、心ココロと行オコナイと口クチと三ミッつそろはねばならん。三ミッつ揃ソロふて拝オロガむならば、どんなものでも与アタへられるのぢゃ。拝オロガむ所トコロへ ものは集アツまってくる。神カミも集アツまってくる。足タらぬものなくなるぞ。余アマることなくなって、満ミたされるのが まことの富トミぢゃ。清富キヨトミぢゃ。 |
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39_月光の巻 |
第61帖
そなたの苦労クロウは取越トリコし苦労クロウ。心ココロくばりは忘ワスれてならんなれど、取越トリコし苦労クロウ、過スぎ越コし苦労クロウはいらん。そうした苦労クロウは、そうした霊界レイカイをつくり出ダして、自分自身ジブンジシンがいらぬ苦労クロウをするぞ。何ナニごとも神カミにまかせよ。そなたはまだ神業カミワザの取違トリツガひして御座ゴザるぞ。そなたの現在ゲザイ与アタえられてゐる仕事シゴトが神業カミワザであるぞ。その仕事シゴトをよりよく、より浄化ジョウカするよう行ギョウじねばならんぞ。つとめた上ウエにもつとめねばならん。それが御神業ゴシンギョウであるぞ。そなたはそなたの心ココロと口クチと行オコナイが違チガふから、違チガふことが次ツギから次ツギへと折オり重カサなるのぢゃ。コト正タダして行ユかねばならんぞ。苦クを楽ラクとして行ユかねばならん。苦クと心ココロするから苦クルしくなるのぢゃ。楽ラクと心ココロすれば楽ラクと出デてくるのぢゃ。ちょっとの心ココロの向ムけ方カタ、霊線レイセンのつなぎ方カタぞ。そなたは悪人アクニンは悪人アクニンぢゃ、神カミとして拝オロガめとは無理ムリぢゃと申モウしてゐるが、一枚イチマイの紙カミにも裏表ウラオモテあるぞ。そなたはいつも裏ウラばかり見ミてゐるから、そんなことになるのぢゃ。相手アイテを神カミとして拝オロガめば神カミとなるのぢゃ。この世ヨは皆ミナ神カミの一面イチメンの現アラわれであるぞ。 |
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39_月光の巻 |
第62帖
そなたは現実世界ゲンジツセカイのことばかりより判ワカらんから、現実ゲンジツのことばかり申モウして、一イチに一イチたす二ニだとのみ信シじてゐるが、現実界ゲンジツカイではその通トオりであるが、それが平面ヘイメンの見方ミカタ、考カンガへ方カタと申モウすもの、いくら極キワめても進歩シンポも弥栄イヤサカもないのぢゃ。一イチに一イチたす一イチの世界セカイ、一イチに一イチたす無限ムゲンの世界セカイ、超現実チョウゲンジツ、霊レイの世界セカイ、立体リッタイの世界セカイ、立立体リツリッタイの世界セカイのあることを体得タイトクせねばならんぞ。そなたは心ココロをもって居オろうがな。心ココロがあれば心ココロの属ゾクする世界セカイのある道理ドウリは判ワカるであろうが。心ココロで描エイガいて、心ココロで先マづつくり出ダしてから行為コウイすることも、その順序ジュンジョも判ワカるであろうがな。心ココロのうごきが先サキで、肉体ニクタイがその後アトでうごくことも判ワカって居オろうがな。心ココロの世界セカイにないものは物質ブッシツの世界セカイにない道理ドウリも判ワカって居オろうがな。何故ナゼに迷マヨふのぢゃ。霊界レイカイが主ヌシで現界ゲンカイが従ジュウであること、判ワカって下クダされよ。逆立サカダチしてそなた自身ジシンで苦クルしんでゐること、早ハヨう得心トクシンして、うれしうれしで暮クラして下クダされよ。三月サンガツ三日ミッカ。 |